杜甫  哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

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杜甫詩1500-1042-1540-#1/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

前籌自多暇,隱几接終朝。

#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(下し文)
王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。

(現代語訳)
哭王彭州掄【5分割】#1(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。


(訳注)

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

【1】        ●杜甫『陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江』(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)「姚公美政誰與儔,不減昔時陳太丘。邑中上客有柱史,多暇日陪驄馬遊。東山高頂羅珍羞,下顧城郭銷我憂。清江白日落欲盡,復攜美人登綵舟。」陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】 成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500

また『王竟攜酒,高亦同過,共用寒字』「 臥疾荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。移樽勸山簡,頭白恐風寒。」、王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 成都5-(39) 杜甫 <464  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2405 杜甫詩1000-464-675/1500

また王侍御は二年前に浣花渓の杜甫の家に訪れている。『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。)
○王十七侍禦掄 侍御史王掄。

陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500

 

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

【2】    執友 志を同じとする友、、もと同師の友をいい、此処では杜甫、嚴武らとともに、房琯のグループであったということ。

【3】    淪沒 死んで埋葬等を終わっていること。三か月以上経過している。

【4】    斯人 同輩をさす。

 

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

【5】    新文 新しさ文章。

【6】    沈謝 梁の沈約、宋の謝墨運、王掄にたとえる。沈約:(441 - 513年)は、南朝を代表する文学者、政治家。呉興郡武康県(現在の浙江省徳清県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。このため諡は、当初「文」とされるところを武帝の命により「隠」とされた。  謝靈運:(385433)東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。 六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。

【7】    異骨 凡庸の骨相ならぬをいい、仙骨のあるじんぶつをいう。

【8】    降松喬 降とは天よりこの世へ降生することをいう。松喬は赤松子・王子喬、並び立つ仙人である。赤松子:上古の仙人の名。神農の時の雨師で,崑崙山に入って仙人となったという。・王子喬:周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬伝説。

 

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

【9】    北部初高選 北部は洛陽北部の尉であったことをいう。魏の曹操年二十にして孝廉にあげげられ郎となり、洛陽北部の尉に除せらる、此句は王掄が京畿の尉官となりしをいう。高選は選抜されたことをいう。

【10】  東堂早見招 東堂は東牀であり、王羲之の「坦腹東牀」の故事。“かならずどこかで馬の土煙や民家を焼く炎があがった。そんな戦乱の中で王義之も妻を娶る。その時、王羲之は媚びることなく、「東床坦腹」といわれる態度を貫いて、娘の婿に選ばれたことを言う。王家に婿探しに来た野心家で力を蓄えた豪族がいた。「王家のご令息はみなご立派でしたが、婿を探しに来たことを知ると、どなたも我こそはと自信ありげになさっていました。ただお独りだけ、東の寝台に腹を丸出しにしたまま寝転び、何も聞かないふりをしている方がおりました」王義之は選ばれて名家の娘と結ばれる。”これを王掄が宗室と婚姻を結んだことに比して言う、この語は、下句に「鸞鳳」の後句あり、見招とは婿として招かれたことをいう。東堂ということでも、東堂において策問試験で選抜され、及第したことを言うので、杜甫に徒はばをうけて皮革せし=とをいふなり。《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》「射君東堂策,宗匠集精選。」そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。○射君東堂策 射策とは試験を受けること、漢の時試験に対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。杜甫《醉歌行》「只今年才十六七,射策君門期第一。」とみえる。

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

君は天子をいう、東堂とは試験場のこと、唐の尚書省の東堂をいう。晋の武帝の時にも、もろもろの賢良・方正・直言(試験の科名)に詔して東堂に会して策間をうけさせたことがある。○宗匠 文章の大家をいう、当時の試験官にして受験者の文を詮衡するものをさす。○精選 大家の中よりさらにすぐりぬいたもの。

766年大暦元年55-45-#3奉節-36-#3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3 杜甫index-15 杜甫<908-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770

 

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

【11】  蛟龍纏倚劍 蛟龍は王掄が倚るところの剣をまとう、蓋し尉官として威厳のあることをいう。尉は盗賊を捕まえ、治める職である。

【12】  鸞鳳夾吹簫 蕭史・弄玉が故事を用いる。是も、宗室の婿になったことを例える句である。秦や穆公の女弄玉を蕭史に妻はす、一旦、簫を吹き鳳に騎りて仙となり去る。これをその宗室の婿になったことを言うのである。