杜甫  吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

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杜甫詩1500-1047-1541/2500

年:766年大暦元年55-171

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    吹笛

 

 

吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

 

(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 今 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

 

『吹笛』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。
詩文(含異文)     吹笛秋山風月清【吹笛秋風山月清】,誰家巧作斷腸聲。風飄律呂相和切,月傍關山幾處明【月倚關山幾處明】。胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。故園楊柳今搖落【故園楊柳今摧落】【故園楊柳今花落】,何得愁中曲盡生【何得愁中卻盡生】。
(下し文)
(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 今 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

(現代語訳)
(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。


(訳注)

吹笛

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

詩の句首の二字を切りとって題とする。笛声のあわれなのをきいてよんだ詩。大暦元年夔州にあっての作。

大暦元年              766    55

 

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

○断腸声 演奏され、その音が調和してくると聴く者をして腸を断たしめるごときあわれなこえ。

 

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

○風諷二句此の二句は第一句の風月を分かって説いている。

○律呂 律の調、呂の調。音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
○相和切 切とは懐切、ひしひしと身にせまるようなものがなしさ。

 

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

胡騎中宵堪北走 晉の劉琨の故事。「世説」にいう、劉琨幷州の刺史たりしとき、胡騎之を囲むこと数重、項夕べに月に乗じ楼に登りて清嘯す、賊之を聞きて憤然として長歎す、劉琨、中夜に胡笛を奏す、賊皆沸を流して人ごとに懐土の思いあり、晩に向かって又之を吹くに、賊並に囲みをすてて奔り走る、と。この笛声をきいではあまりにあわれなので胡騎であってもよなかに北へ走らしめるのに十分だというのである。仇氏はこの胡騎は永泰元年に吐蕃が回乾とともに入寇したことをあてていったものであろうといっている。

・劉琨(りゅう こん 271 - 31858日(622日))は、中国西晋時代から五胡十六国時代にかけての武将・政治家。字は越石。「劉昆」とも呼ばれる。曾祖父と祖父は魏に仕えた劉邁と劉進、父は西晋に仕えた劉蕃でその庶子、兄は劉輿(字は慶孫)。子に劉群(劉羣)、劉遵ら。西晋の安定期には吏僚として、永嘉の乱の戦乱期には武将として異民族鎮圧に活躍した。

武陵一曲想南征 武陵一曲とは武陵曲すなわち「武渓深」の歌をさす、後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前1449)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という。後漢の馬援が南蛮を征したとき、門生に寄生という善く笛を吹くものがあったが、援は歌を作ってこれに和し、名づけて「武渓深」といった、其の辞にいう、「滔滔武溪一何深,鳥飛不度,獸不敢臨,嗟哉武溪多毒淫!」(「滔滔 武溪一に何ぞ深き,鳥飛ぶも度らず,獸 敢えて臨まず,嗟哉 武溪には毒淫多し!」)と。

・馬援 (前1449)後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。

 

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

故園 故郷長安をさす。

楊柳今揺落 やなぎの葉が今は風にゆられておちる。

何得 怪しんでいう辞である。

愁中曲盡生 笛の曲に折楊柳があり、それは旅立ちの別れに、楊柳の枝を折りて、健康と安全を祈るということである、其の意を翻して用いている、故園の楊柳は落ちるというのに、何故この笛声の楊柳は、吾が愁中において生じて折られてつかわれることを得るやという意味である。

 

 

吹  笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中卻盡生。

 

(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

 

 

この時代、「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人であることが想像される。秦州の郊外、東柯谷で経験したことではなく、秦州で創作した《巻八04 秋笛》の5年前秦州での作品がある。

 

秋笛

清商欲盡奏,奏苦血沾衣。

他日傷心極,徵人白骨歸。

相逢恐恨過,故作發聲微。

不見秋雲動,悲風稍稍飛。

清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。

他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。

相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。

秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。

琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。

そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。

こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。

人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。

秦州抒情詩(19)  杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

 

現代読み

秋山に笛は流れ   風月は澄んで清らか

誰が吹くのか    巧みに鳴らす断腸の曲

風は韻律と和して  みごとに吹きわたり

月は関山にかかり  峰々を明るく照らす

真夜中の一曲には 胡騎を走らす力があり

武陵の新曲には   南征を傷む調べがある

故郷の庭の柳も   いまごろは枯葉の季節

それを想えば   なぜか愁いが湧いてきた

 

吹笛

 

解説 秋の夜、どこからか笛の音が流れてきました。風の吹く月の明るい夜です。その笛の音に杜甫は感動し、さまざまな憶いにふけります。

「胡騎北走」は晋の将軍劉琨(りゅうこん)が晋陽(山西省太原市)で優勢な胡兵に包囲されたとき、月夜に楼上で胡笛を吹かせたところ、胡軍は望郷の思いに駆られて引き上げていったという故事です。また

「武陵一曲」は後漢の名将馬援(ばえん)が南征して武陵(湖南省常徳市)に駐屯していたとき、「武渓深」という新曲を作らせて兵士の労苦を慰めたという故事です。

 杜甫は笛の音によって時局の困難に思いを馳せ、それはまた、戦乱によって帰ることのできない故郷の秋の風物への想いへとつながっていくのです。

 

参考 大暦元年 766 55 夔州   
吹笛杜甫
吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。
風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。
胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。
故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(笛を吹く)
笛を吹く秋山 風月の清きに、誰が家か巧みに 斷腸の聲を作す。
風は律呂を飄して 相和すること切に、月は關山に傍うて 幾處か明らかなる。
胡騎中宵 北走するに堪えたり、武陵の一曲は 南征を想う。
故園の楊柳は 今搖落す、何ぞ得ん愁中 卻って盡く生ずるを。

斷腸聲 聞く人の腸をかきむしるような悲しい声

律 呂 音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
關 山 国境にある山
中 宵 真夜中
胡騎北走 唐代 北方または西方の異民族を胡(えびす)と呼んだ 晋の将軍劉〈王昆〉(りゅうこん= 270318)が并州(へいしゅう)を孤立無援で堅く守り 月のさえた夜城楼に上り胡笳を吹いたところ 胡軍はその悲しみに涙を流し北の 故郷へ帰り去ったという故事
武陵一曲 後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前1449)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という
    

 秋の山の風も月も清らかにさえわたる夜、笛の音が聞こえてくる。誰がこれほど巧みに、人の腸をかきむしるよう に物悲しい音を吹きならすのだろうか。
 風は律呂の響きをひるがえして調和もとれ、月は関山によりそうて、幾つかの峰にさえわたっている。
 このような笛の音を聞けば、晋の劉〈王昆〉の故事のように、手荒い胡の兵も悲しみに堪え切れず、夜中に北方の故郷へ 逃げ去ったであろう。また後漢の馬援が武陵に遠征した時、部下の曲に合せて歌った「武陵深行」という曲もこのように悲しいものであ ったろうか。
 故郷の柳も秋になって葉も落ちつくしたであろう。それなのに今巧みな「折楊柳」の曲をきくと、愁いにふさがる 私の胸の中に緑の柳の芽を出させ、その枝を折って別れのなげきをくり返すことが出来ようか。