杜甫  又上後園山 #5

秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。不及祖父塋,纍纍冢相當。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

767-16 #5杜甫 《19-19 又上後園山#5 杜甫詩index-15-1119 <1569

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杜甫詩1500-1119-1569/2500

年:767年大暦256-16 #4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    又上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

龜山 (河南道 兗州 兗州)    

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙             

交遊人物/地點:  

 

 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

窮秋立日觀,矯首望八荒。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

(又た 後園の山上る) #1

昔 我れ山東に遊び,憶う 東嶽の陽に戲れしことを。

窮秋 日觀に立ち,首を矯げて八荒を望む。

朱崖 毫髮を著く,碧海 衣裳に吹く。
#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。

逝水自朝宗,鎮名各其方。

東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。

非關風露凋,曾是戍役傷。

これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。

#2

蓐收 用事に困しみ,玄冥 蔚として強梁たり。

逝水は 自ら朝宗し,鎮名す 各の其の方を。

平原に獨り憔悴し,農力 耕桑を廢す。

風露の凋ましむるに關するに非ず,曾【すなわ】ち是れ 戍役に 傷ましむるなり。
#3

於時國用富,足以守邊疆。

それ以前は、生産力が絶頂であり、史上最高の国力を誇るに至ったので、国内施政はもちろん、それで十分に国境を守れたのである。

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

ところが朝廷は蕃人出身の猛将に事をうちまかされ、遠く北狄の地方を奪取することをなされた。

到今事反覆,故老淚萬行。

その結果が、あのとき、安禄山の乱から今日まで軍事の形勢反覆常なく、老人たちをして萬行の涙を流させているのである。

龜蒙不復見,況乃懷舊

今じぶんは泰山のそばの亀山蒙山などをみたいとおもうがそれは見ることができない。ましてやいくら故郷をおもうても、故郷が見られるわけのものではない。

#3

時に國用富めり,以て邊疆を守るに足れり。

朝廷 猛將に任ず,遠く奪う 戎虜の場。

今に到る 事 反覆す,故老 淚 萬行。

龜蒙 復た見るなし,況んや乃ち舊懷うをや。


#4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

十年に及ぶながきにわたって安史の乱という戦乱にあたってじぶんの肺はしぼんで活発でなくなってしまい、激やせで、骨はとびだして腸のなかが熱して落ち着かない。

憂來杖匣劍,更上林北岡。

しんぱいの心を落ち着かせるのに剣をついてさらに林の北の岡にのぼってみる。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

すると瘴癘の悪気のために猿や鳥も上から落ちるようにしてくる、峡谷に目をやれば、乾ききっており、南方の日色が黄ばんで渓谷をそめる。

#4

肺 萎む 久戰に屬す,骨出でて 中腸熱す。

憂來 匣劍に杖り,更に上る 林北の岡。

瘴毒に 猿鳥落つ,峽 乾きて 南日黃なり。

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

登高欲有往,蕩析川無梁。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。

哀彼遠征人,去家死路旁。

彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。
#5

秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。

高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。

哀しむは 彼の遠征の人を,家を去りて 路旁に死すを。

祖父の塋に及ばず,纍纍として 冢 相い當る。

 

 

『又上後園山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

(下し文)
#5

秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。

高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。

哀しむは 彼の遠征の人を,家を去りて 路旁に死すを。

祖父の塋に及ばず,纍纍として 冢 相い當る。

(現代語訳)
#5

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。

彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。

先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

(訳注) #5

又上後園山 

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

 

秋風亦已起,江漢始如湯。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

30 秋風 秋風が吹けば、①『蓴羮鱸膾』「晉書・張翰傳」の原文には「(張)翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。②宋玉の九弁にいう、「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰。」(悲しいかな秋の気たるや、蕭瑟たり草木揺落して変衰す)と。1735詠懷古跡,五首之二》「搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。」(揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。)むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

31 江漢 蜀の江をいう。《詩經大雅蕩之什江漢》「江漢湯湯,武夫洸洸。」(江漢 湯湯【しょうしょう】たり,武夫 洸洸たり。)江漢の水は盛んに流れゆく。武夫はいずれも武勇であり、勢い盛んである。

32 如湯 「如湯湯」詩經「江漢湯湯」江漢の水は盛んに流れゆく。前句に「逝水自朝宗」とあったのと同じ支流渓流の水が長江に注ぎ込み、長江の流れが滔々となるというほどの意。無ことを言う。

 

登高欲有往,蕩析川無梁。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。

33 登高 重陽には高い丘に登ることを言う。この園の高処にのぼるをいう。

《卷一二58  九日》「去年登高縣北,今日重在涪江濱。」(去年 高きに登る 縣の北,今日 重ねて在る 涪江の濱。)

《卷一七25 九日(登高)諸人集於林》 「登高明朝是,相要舊俗非。」(高きに登る 明朝 是なり,相い要うるも舊俗非なり。)

卷一九18又上後園山》「秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。」(秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。)      

《卷二○49九日五首其四》「 故里樊川菊,登高素滻源。」(故里樊川の菊,高きに登る 素滻の源。)

《卷二○九日五首其五登高》「風急天高猿嘯哀、渚清沙白鳥飛廻。」(風急に天高くして 猿嘯哀し、 渚清く沙白くして 鳥飛廻る。)

34 蕩析 梁が波にうごかされて裂開する。

35 川無梁 梁は船橋なり。

 

哀彼遠征人,去家死路旁。

彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。

 

不及祖父塋,纍纍冢相當。

先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

36 不及 及とはゆきつくをいう。

37 祖父塋 父祖の墓。

38 纍纍 盛衰かさなる鋭。

39 冢相當 無縁の塚にむきあうことをいう。

 

 

 

 

 


又上後園山 【字解】 

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

1 遊山東・憶戲 736年開元24年杜甫25~740年開元2829歳頃の5年間を言う。儒教、孔子の生まれ育ったところであり、竹林の七賢のいわれ、関連の多いところ。。山東・河北(魯、斉・趙)蘇源明らとに遊ぶ。そのころの詩は下記のとおりに示す。

杜甫 4 與任城許主簿游南池 (青年期の詩)

杜甫 5 封雨書懐走邀許圭簿 (青年期の詩)

杜甫6 兗州城楼(青年期の詩)

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 

杜甫 8 巳上人茅粛 (青年期の詩)

2 東嶽陽 東嶽は泰山、泰安府にあり、陽は南。

李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

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李白317-#2 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#2> Ⅰ李白詩1629 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6693

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

李白318-#2 《巻十九12遊泰山,六首之六》318-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#2> Ⅰ李白詩1631 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6703

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清晨の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

 

3 日觀 泰山頂上の東南嶽の名称、日觀峰 (河南道 兗州 泰山)をいう。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” (《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。)

4 矯首 高く首をもたげたことを言う。

5 望八荒 八方の果てを望む。

6 朱崖 珠崖ともいう。漢の武帝の時、おかれた郡の名。今の広東地方。

7 著毫髮 珠崖が遠い南の果てにあるので、髪の毛一本ほどの微かなものであることを言う。

8 碧海 東海を言う。泰山日観峰から180度に大きく広がる太平洋である。

9 蓐收 古代漢民族の伝説中の秋神であり,その姿かたちは、人面、虎爪、白毛、執戉,左耳は蛇が有り,双頭の龍にる。これは、三皇五帝の一人で、白帝とか少昊といわれた紙を補佐する神である実在の人物であるとされる。

10 困用事 権力をほしいままにしていたものが衰えることを言う。

11 玄冥 冬の神。歴代王朝は雨師廟をまつってきた。古書に〈屛翳(へいえい)〉〈玄冥〉などの雨師の名が見える。〈畢宿(ひつしゆく)〉という星が雨を降らすとも信じられた。

12 蔚強梁。秋の神に変わって冬の神が大暴れすることを言う。

13 逝水自朝宗 中國の常識として、流れてゆく水は東に流れ、支流の川も自然に奔流に灌がれ、東海に流れてゆくこと。天子の御威光は自然に人民に徳として注がれること。朝宗:《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。多くの河川がみな海に流れ入ること。権威あるものに寄り従うこと。

杜甫《卷一四65 長江二首其一》「眾水會涪萬,瞿塘爭一門。朝宗人共挹,盜賊爾誰尊?孤石隱如馬,高蘿垂飲猿」(衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。)“(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。とある。

14 鎮名各其方 基本に五岳があり、東南揚州は会稽山、正南は荊州山。ここにいう山は、南嶽衡山をいう。

15 平原獨憔悴 中原地方は疲弊し、憔悴しきっているということ。

16 風露凋 気候により、つまり、天災によって凋み衰えること。

17 曾是 曾はすなわち、是は凋み衰えるている現状。

18 戍役傷 戦争、叛乱、謀叛による世情不安、賦役が増大、戦死による労働力不足、逃散による村落崩壊、山賊、盗賊の横行、私物化、賄賂等々に倚る人民の生産力が著しく減少したことで、社会の再生産体制が傷ついたということ。

19 於時國用富 玄宗の開元の治の時期のことを言う。国民総生産が最高であり、領土も最大の時期であった。

20 守邊疆 積極的な防衛をしなくても、消極的に防備をして守れたことを言う。

21 任猛將 蕃人出身の安禄山、史忠明などの猛將、武将をいう。

22 戎虜場 夷狄の地をいう。

23 事反覆 河北の節度使が再三朝廷に叛く。

24 龜蒙 魯の國の亀山と蒙山のことで、泰山に近い。《詩経、魯頌》「奄有龜蒙、遂荒大東。」(龜蒙を奄有し、遂に大東を荒【たも】つ亀山・蒙山をも奄い有ち、延いて大陸の極東のはてまでも覆い保有し、東海に臨む迄に至っている。

25 屬久戰 長かった安史の乱によって、杜甫は餓死寸前まで経験し、敵の捕縛され、長手を辞して各地を流転した。その間に、持病喘息、糖尿、リュウマチは悪化したのである。

26 骨出熱中腸 骨皮状態にやせ細ることを言う。

27 杖匣劍 剣の鞘を抜かないままで杖にすること。箱型の鞘におさめられた釼を言う。

すると瘴癘の悪気のために猿や鳥も上から落ちるようにしてくる、峡谷に目をやれば、乾ききっており、南方の日色が黄ばんで渓谷をそめる。

28 瘴毒 瘴癘の地の毒気。この時の空気の漢字を言うのであろう。

29 峽乾南日黃 南国の夕陽が、乾ききった峡谷を黄色に染める様子を言う。

 

 

 

 

 

 

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19-10 上後園山

朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。潛鱗恨水壯,去翼依雲深。

勿謂地無疆,劣於山有陰。石遍天下,水陸兼浮沈。

自我登隴首,十年經碧岑。劍門來巫峽,薄倚浩至今。

故園暗戎馬,骨肉失追尋。時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

(後園の山上る

朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。

曠望 駐目を延く,飄颻 疏襟を散ず。潛鱗 水の壯なるを恨み,去翼 雲の深きに依る。
謂う勿れ 地 疆【かぎ】り無しと,山の陰有るよりも劣れり。石
【せきげん】天下に遍し,水陸 兼て 浮沈す。

我が隴首に登りしより,十年 碧岑を經る。劍門より 巫峽に來る,薄倚 浩として今に至れり。
故園 戎馬暗し,骨肉 追尋を失す。時危くして 消息無く,老去って 歸心多し。

志士 白日を惜み,久客 黃金に藉【よ】る。敢て蘇門の嘯を為さんや,庶わくば 〈梁父の吟〉を作さん。

 

杜甫 『上後園山【字解】

 

 

1.    後ろ側、地形的に北征に険しい山があるがその山裾は、居宅からは北側になる。

2.  園 都督の管理の農園 

3.    赤甲山の山懐のような小高いところ。

4.   朱夏 《五行思想で、赤色を夏に配するところから》夏の異称。《爾雅釋天》: “夏為朱明。” 三國  曹植 《槐賦》: “在季春以初茂, 踐朱夏而乃繁。” 《舊五代史梁書末帝紀下》: “況青春告謝, 朱夏已臨。”  唐孫華 《夏日園居雜詠》之十二: “三年客裏逢朱夏, 一月天邊盼素秋。”

5.    とりつかれる。

6.   清旭 朝日の清清しい時。

7.   挽葛 葛の蔓を手で引っ張る。

8.   上崎崟 山の険しいところに登る

9.   曠望 眼前の悵望が広く望める。

10. 延駐目 延はこちらを呼んでくれる、駐目は注視すること。

11. 飄颻 風にひるがえるさま。隨風に飄動する。

文選.曹植.《雜詩六首其二》

轉蓬離本根,飄颻長隨風。何意回飆舉,吹我入雲中。

高高上無極,天路安可窮。類此遊客子,捐軀遠從戎。

毛褐不掩形,薇藿常不充。去去莫復道,沈憂令人老。

轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。

何んぞ意わん回飆【かいひょう】の舉がり,我を吹きて雲中に入れんとは。

高高と上りて極り無く,天路 安んぞ窮む可かんや。

類たり此の遊客の子,軀を捐てて遠く戎に從う。

毛褐 形を掩わず,薇藿【びかく】常に充たざるに。去り去りて復た道う莫れ,沈憂 人をして老わしむ。

転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。

ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。

高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。

これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。

その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。

こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。

12. 疏襟 襟元を緩くして風通しをよくするという意。

13. 潛鱗 淵の深いところに潜んだ魚。

14. 恨水壯 水の流れの勢いが盛んであるため泳ぎだせないでいる。

15. 去翼 飛び去って行った鳥。

16 地無疆 広大な地面には際限がないということはない。

17 劣於山有陰 山の北斜面の農園の後ろ側の農園よりも劣る。

18 石遍天下 は食糧難で木の皮を食べて原っぱになることを言い、安史の乱により,世が乱れ、石ころだらけの原野になることという意。

19 十年 759年乾元二年七月秦州に入ってから足掛け9年である。

20. 碧岑 青いとがった山。

21. 薄倚 失敗と病気がちであること。

22. 浩至今 ずいぶん遠くはるかな感じの時が過ぎたことを言う。

2329 各句聯に字解として掲載。

23 故園 故郷。

24 暗戎馬 安史の乱によるものと、それが収まって、謀叛、叛乱、叛起等が増加したことを言う。

25 骨肉 兄弟、肉親の消息。

26 時危無消息 社会が混乱していて、特に駅伝制に乱れが起こったことで、書簡の往復がむつかしい状況が続いているのである。死んでしまったから消息がないのか、社会の混乱によって消息が取れないのか、この時杜甫はわかっていない。

27 藉黃金 金は金銭で、月給といえるものをもらっていたようで、この時杜甫は柏中丞から月ごとに金銭をもらっていたことをしめすものだ。

28 蘇門嘯 蘇門長嘯の故事のこと。魏の阮籍が薊門山にのぼり、孫登に遭遇、ともに古今のこと、道家の導氣之術などを談義しようとしたが、孫登はこれに答えようとはしなかった。阮籍は 長嘯して、その場を退き、山を下り始めた。半ば下りかけたころ、天空に声がした。それは鸞鳳の声かとおもったが、孫登の長嘯であった。ここでは、孫登の隠者風なことを形容するものである。また、この頃までは、隠者を訪ねて逢えないものというものというのが隠者の形容であった。「隠者不遇」と「蘇門長嘯」とは同類の語である。

《晉書·卷四十九·阮籍傳》「阮籍曾於蘇門遇孫登, 談論道家導氣之術, 登皆不應答, 籍因此長嘯而退。 行至半嶺, 聞山谷中傳出有若鸞鳳的聲音, 乃是孫登之嘯。 」( 阮籍 曾て於蘇門に孫登遇,道家の導氣之術を談論す, 登 皆 應答せず, 籍此因にり長嘯して退く。 行きて半嶺に至り,山谷に中って傳出する 鸞鳳の聲音の若く有るを聞き, 乃ち是れ孫登の嘯なり。)にみえる。後 以て蘇門長嘯を形容するのは高傲或は嘯傲 不羈とする態度をいう。

29 梁父吟 梁甫吟は古楽府題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門、遥望蕩陰里。里中有三墳、塁塁正相似。
問是誰家墓、田疆古冶子。力能排南山、文能絶地紀。
一朝被讒言、二桃殺三士。誰能為此謀、国相斉晏子。
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり
現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

・諸葛亮 (181234)字は孔明、陽都(山東折水県の南) の人。蜀漢の名臣で、三国時代第一流の人物。劉備三顧の礼に感激して襄陽(湖北省)の隠居を出で、曹操を赤壁に破って丞相となり、劉備の死後はその千割禅を助けて幾を討ったが、陣中に病没した。その 「出師表」は赤誠の発露と文品の高いのによって称せられる。

李白も同様に作っている。

155-#1 《巻02-04 梁甫吟 -#1》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#1> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

155-#2 《巻02-04 梁甫吟 -#2》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#2> Ⅰ李白詩1356 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5328

155-#3 《巻02-04 梁甫吟 -#3》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#3> Ⅰ李白詩1357 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5333

155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

杜甫  《1347》登樓

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

廣徳2年764-94 巻13-47登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001

杜甫 《巻14-24初冬》初冬

垂老戎衣窄,歸休寒色深。漁舟上急水,獵火著高林。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。干戈未偃息,出處遂何心。

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

廣徳2年764-90 巻14-24初冬》 杜甫index-14 764年 杜甫<791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4645 杜甫詩1500-791-1100/2500廣徳2年764-90

1917諸葛廟》

久遊巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,并吞更出師。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。
(諸葛廟)

久しく遊ぶ巴子の国、屡々入る武侯の祠。竹日 虚寝に斜めに、渓風薄唯に満つ。

君臣 共済に当たる、賢聖 亦た時を同じくす。翊戴 先主に帰す、併呑 更に師を出す。

虫蛇 画壁を穿つ、巫覡 蛛糸に酔う。欻ち憶う 梁父を吟ぜしを、窮耕するも 也た 未だ遅からず。

766年-98杜甫 《1917諸葛廟》五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-98 <961 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6440