767--13 【字解集】 ・a.-第五弟豐獨在江左近三四載寂無消息覓使寄此二首  b.-秋風二首  c.-送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈  d.-送王十六判官

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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745-015 秋夜與劉碭山泛宴喜亭池(卷二十(二)一一六○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8633

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745-【字解集】003 a.送岑徵君歸鳴皋山 b.. 侯十一 c.送族弟凝之滁求婚崔氏 d. 送族弟凝至宴堌單父三十里  e. 送楊山人歸嵩山 .春日遊羅敷潭 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8640

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806年-74 巻八-09雨中寄孟刑部幾道聯句【案:韓愈、孟郊】#8 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8646

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806年-66 巻八-06征蜀聯句【案:韓愈、孟郊】#12 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8593

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8659

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767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

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767--13 【字解集】 ・a.-第五弟豐獨在江左近三四載寂無消息覓使寄此二首  b.-秋風二首  c.-送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈  d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8659

 

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767年大暦256  (-13) -

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 城郭と門杜詩校注01紅葉0120


【字解集】 ・a.-第五弟豐獨在江左近三四載寂無消息覓使寄此二首

 

第五弟豐獨在江左,近三四載寂無消息,覓使寄此二首其一

1. (五番目の弟の杜豐が獨りだけ江左に在住しているが、近年の三余年さっぱり音沙汰がないので、使者を求めて、詩二首を作り、その詩を寄せる。)其の一

2. 【題意】鶴注に:詩に云う「十年朝夕の淚」天寳十五載亂を避けてより諸弟と相い、大厯元年に至り、十年と為るに當って是、其の時作る。

3. 羈旅の棲居。ここでは旅住居。

4.  騏驥は、《南史 徐勉伝》「騏驥」は名馬の名、そのことから、特に傑出した人物。人中の獅子しし、人中の竜という意味もある。ここは、自分のことを言う。

沙晚 

5. 人や車を先導するように飛ぶ様子がよく観察される。また、中国名の「相思鳥」は雌雄が仲むつまじいからだと言う。「詩経」には「脊令」とあるが、脊(身体の背部)を揺るがす意味。杜甫は、牽牛と織姫を逢せるため、列をなして渡る橋を作るとしたこの鳥を、兄弟再会の希望を叶える鳥という意味で使う。。

天寶十五年、75645の詩に《巻四27得舎弟消息 二首》 其二

汝懦歸無計,吾衰往未期。浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。

生理何顏面,憂端且時。兩京三十口,雖在命如絲。

 (舎弟の消息を得たり 其の二)

汝 懦(よわ)く 歸えること計るなし,吾 衰えて 往くこと未だ期せず。

(みだり)に伝う 烏鵲(うじゃく)の喜ぶを、深く負(そむ) 鶺鴒(せきれい)の詩に。

生理 何に 顏面す,憂端 且つ 時。

兩京 三十口,在と雖も 命 絲の如し。

叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。

とある。

6.  楚 夔州、魚腹をいう。蜀伐楚、楚為扞以距之。

7. 設關城險 夔州、魚腹は水路駅と陸路駅、関所が併設されていたので、ここには、役人が、通過する際には、必ずこの地を利用したので、杜甫の作った詩を託せる人が必ずいるという事を言う。、《枚乗傳》深壁髙壘副以城。とあり、國志》巴郡魚復縣、有扞。とある。

8.  杜豐がいる地を指す。

9. 水府寬 《海賦》爾其水府之内、極深之/庭。

10. 十年 2.【題意】鶴注を参照。天寳十四載(755)11月安禄山叛乱する。天寳十五載(756)に《巻四27得舎弟消息 二首》を得ている。この後は、「憶弟**」という詩を数首書いている、れんらくがまったく取れなくなって十年という事。

第五弟豐獨在江左,近三四載寂無消息,覓使寄此二首其二

(五番目の弟の杜豐が獨りだけ江左に在住しているが、近年の三余年さっぱり音沙汰がないので、使者を求めて、詩二首を作り、その詩を寄せる。)其の二

11. 杭州 江南東道 杭州 杭州《唐書》杭州餘杭郡、越州稽郡、俱屬江南西道。 邵注:杭州、即今浙江省治。

12. 越州 江南東道 越州 越州 別名:州越州、今為紹興府、在杭州東二百里。

失清秋 これまでもむなしい秋を過ごしただろうが、今年もまた清秋をむなしく過ごしてしまうという事。何遜詩:凄清江漢秋氣。

啼猿樹 猿の啼く棲樹にそのまま居る。盧照隣《巫/山髙》詩:莫辨啼猿樹。

魂飄 作者、杜甫の魂、弟のところへ行きたいが、居場所がわからないから彷徨てえしまうという事。

結蜃樓 弟の居住地が特定できないが、おおよそいるところは想定できるという意。《史紀・天官書》:海旁蜃象樓臺、廣野氣成。陳蔵器《本草》車螯、是大蛤、一名蜃、能/吐氣為樓臺、海中春夏間、依約島漵、常有此氣。

  第五弟豐獨在江左近三四載寂無消息覔使寄此二首

  

  鶴注:詩云「十年朝夕淚」自天寳十五載避亂與諸弟相至大厯元年、為十年當是其時作。

亂後嗟吾在羇棲見汝難草黄騏驥病沙晚一作曉/一作暖

鴒寒楚設城險吴吞水府寛十年朝夕淚衣袖不/音干。

後此章、兄弟離、而致相思之意。飄草黄句/、承亂後、 自憐貧老。沙晚句、承羇棲、傷弟零。

城險、巳不能往。水府寛、弟不可知。故乆别悲哀而涕淚常/流也。 顧注:詩 云十年、而題曰三四載、

盖相者十年、無消息者三四載耳。 馬峽最險、如設城。 三江震澤/水府甚寛。

孔融論 之駿者名曰騏驥

《枚乗傳》 深壁髙壘副以城。 《史記》蜀伐楚、楚為扞以距之。

《後漢郡國志》巴郡魚復縣、有扞

《海賦》爾其水府之内、極深之/庭。

 

其二

聞汝依山寺杭州定越州風塵淹日江漢失一作/共非

秋影著涉畧/啼猿樹魂飄結蜃樓明年下/春水東盡

白雲求一作遊江。次章念弟離、而致欲訪之意。想、首聨、弟在 左、次聨、身在州。

五六客江左。七八、去而尋江左也。杜邵注:定越州、言不在杭州、定在越州。風塵、指兵戈。

臆》失清秋、謂淹又蹉過一秋矣。

以趙汸注:盡宇正應定字、惟傳聞莫定、故須盡歴雲水 求之。

顧注:古人望白雲而思親、公於手足之誼亦然。

《唐書》杭州餘杭郡、越州稽郡、俱屬/江南西道。 邵注:杭州、即今浙江省治。

越州、今為紹興府、在杭州東二百里。

何遜詩:凄清江漢秋氣。

盧照隣《巫/山髙》詩:莫辨啼猿樹

《史・天官書》:海旁蜃 象樓臺、廣野氣成闕。

陳蔵器《本草》車螯、是大蛤、一名蜃、能/吐氣為樓臺、海中春夏間、依約島漵、常有此氣。

 

 

【字解集】 ・b.-秋風二首

 

秋風二首其一

1.(故郷を思い出す秋風は弟に会えない寂しさを誘う、自分のこころもちをのべている。)767年大暦256

2. 【題意】弟杜豐が後にいるらしいという事で張翰が秋風が吹いて、すぐさま故郷後に向かったという故事に基づきこの詩をつくった。

役所勤めをしていたが、秋風とともに、ふと故郷のナスと鱸魚の刺身を思い出したらしい。張翰「翰因見秋風起、乃思呉中菰菜、蓴羹、鱸魚膾」(張翰、秋風の起こるを見るによりて、すなわち呉中の菰菜、蓴羹、鱸魚のなますを思う)そして、すぐさま馬車に乗って故郷へ帰った。

「人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!人生、志にかなうを得るを貴ぶ。何ぞよく官につながること数千里、もって名爵を要せんや!)

そして、こう思った『人生、意にかなう生活をするのがベストだ。故郷を遠く離れて、こんな辺鄙な所で出世しようとあくせくしていいものか!』と。

《晉書》に「張翰字季鷹人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、『人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。』遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」(張翰、字は季鷹、郡の人なり。清才有り、善く文を屬す、而かも、縱任拘らず。齊王の冏、辟して大司馬、東曹掾と為す。冏、時に權を執る。翰、秋風の起る見るに因って、乃ち中の菰菜、蓴羮、鱸魚の膾を思うて曰く、『人生、適志を得るを貴ぶ、何ぞ能く羇宦數千里、以て名爵を要せんや。』と。遂に駕を命じ、而して歸る。俄にして 冏 敗る。人 皆 之を『機を見る』と謂う。翰は心に任せて自適し、當世に求めず。或いは之に謂ううて曰く、『卿は乃ち縱とい一時に適す可きも、獨り身後の名を為さざるか。』と。荅えて曰く、『我をして身後の名を有らしむも、即時一杯の酒に如かず。』と。時人 其の曠達を貴ぶ。」とある。 

②宋玉の九弁にいう、「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰。」(悲しいかな秋の気たるや、蕭瑟たり草木揺落して変衰す)と。

1735詠懷古跡,五首之二》「搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。」(揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。)むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

杜甫  又上後園山 #5

秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。不及祖父塋,纍纍冢相當。

秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。

高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。

哀しむは 彼の遠征の人を,家を去りて 路旁に死すを。

祖父の塋に及ばず,纍纍として 冢 相い當る。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

767-16 #5杜甫 19-19 又上後園山#5 杜甫詩index-15-1119 <1569 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7242 

3 淅淅 風声をいう。

4 上牢下牢 関の名、上牢は巫峽、下牢は夷陵(今の湖北省宜昌府)のそれである。

5 修水關 修は修繕、秋に行なわれる。水関は水上に設ける関所。

6 檣楚柁 呉楚の船をいう。

7 百丈 竹素の長さをいう。

8 要路 要害のみち。

9 罷長戟 長戟を用いることをやめる。長戟は賊を攻伐するのに用いるものである。○青光 吐春の売種。

10 百蠻 雋州(今の四川省寧遠府)の雋山は其の地が諸蛮部に接するが、その蛮部には烏蛮や白蛮がある。

11. 中巴 《巻1531夔州歌十句,十首之一》「中巴之東巴東山,江水開闢流其間。白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。」(中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る。白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。)にも見えている、今の重慶府をいう。後漢の劉璋は益州の牧となり、墊江(今の合州)以上を以て巴郡とし、江州(今の重慶府巴県)より臨江(今の忠州)までを永寧郡(すなわち巴西)とし、眗腮(今の雲陽の西)より魚復までを固陵郡(すなわち巴東)とした。これが三巴であるが、巴県は中部に在るので、これを中巴とする。

766-103杜甫 《巻1531夔州歌十句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-103 <966 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485

12.  不曾 《経験・完了の否定》…しなかった,…したことがない,(【反】曾)不曾合眼まんじりともしなかった.

13. 消息好 たよりのよいことというのは戦乱のしずまることをさす。

14. 瞑傳 くらがりにひびきをつたえる。

15. 戍鼓 番兵の太鼓のおと。

16. 長雲間 長くひきはえている雲のあいだ。

秋風,二首其之二

(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

秋風 秋風が吹けば、①『蓴羮鱸膾』張翰(ちょうかん)が、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷したという故事。「晉書・張翰傳」の原文には「(張)翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。

17. 淅淅 雨がまばらに降るさま。(雨が)しとしとと静かに降るさま。風の音のするさま。淅淅として樹梢を払ふ風の声に・・・。

18. 西日徴 西方にかたむく太陽の光がかすかである。

19. 小城 夔州の城をさす。

20. 擣練急 せわしくねりぎねをうつ、留守居の妻が征夫のために寒衣の用意をするのである。

杜甫《巻七70 擣衣》
亦知戍不返,秋至拭清砧。
已近苦寒月,況經長別心。
寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
用盡閨中力,君聽空外音。

(衣を擣つ)
亦た知る戊【じゅう】の返らざるを、秋至りて清砧【せいちん】を拭【ぬぐ】う。
己に近し苦寒の月、況【いわ】んや長別の心を経たるをや。
寧【なん】ぞ辭せん擣衣【とうい】の倦【う】むを,一に塞垣【さいえん】の深きに寄す。
用い尽くす閨中【けいちゅう】の力 君聴け空外【くうがい】の音を。

今年もまた辺境のまもりにでている夫が返ってはこないことがわかったので、わたしは秋がきたから汚れを「きぬた」払って冬の寒さの仕度をする。
もはや貧しいものに厳しい苦寒の月もまぢかになってきた、ましてもう長く別れている妻の私の心もちにおいていえるのだ。
どうして衣を打つに疲れるぐらいのことを厭おうというのか、厭いはしない。心はただ一つ、着物を仕立てて奥まった遠い塞にいる人のところへ送ってやろうとおもうばかりなのである。
この閨に住んでいる女の力を精一杯だして衣を打つのであるが、あなたは空に伝わるその音をどうぞ心とめて聞いてください。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人 遠征を罷【や】めん。)

李白24 子夜呉歌其三 秋 25 冬

 謝惠連 『擣衣』 
衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空
,宵月皓中閨。
美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。
高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。
紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。
盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。

 

21. 為誰好 だれにながめよとてかくうつくしく照っているぞと月をうらむこころをいう。

22. 早晩 おそかれはやかれ。

23. 他夜帰 他夜は他日の夜、ここは後目の夜の意、将来をさす、帰るは故郷へかえることをいう。

 俗用で「必ず」の意。

24. 倚庭樹 庭樹は故郷の家の庭の樹をいう、倚はよりかかりて立つことをいう。

25. 故国 故郷の園、山野、田地、池や台は長安の住処をさす。

26. 今是 非是とは旧のままのすがたであることをいい、非とは然らざること

 秋風二首

 鶴注當是大厯元年作。盖以廣徳、永泰間、吐蕃與黨項羌、渾、奴剌入冦、故詩言「戰自青羌連白蠻」。

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。

秋風而傷世亂也。在下四句分截。向修在秋候、故託秋風以起興。檣楚柂、由水成都、

秋寒未還、阻於羌蠻之亂也。

中巴信急而戍鼓聲聞、巫山非安處之地矣。

秋風淅淅吹巫山 謝惠連詩:淅淅振條風。

上牢下牢修水關 舊注:上牢巫峽下牢夷陵。《十道志》三峽口地曰峽州。上牢下牢、楚蜀分畛。 《月令》「凉風至完隄防。」

都寒未還 成都乃上水、故用百丈以牽舟、若神都、則是下水矣。 《唐志》光宅元年、號東都曰神都。

何日罷長戟 《晁錯傳》勁弩長射疏及

戰自青羌連百蠻 《後出師表》賨叟青羌、散騎武騎、一千餘人。《水經注》青衣縣、故青衣羌國也。縣有山、青衣水所發。考唐時、嘉州本梁青州、州有青衣水。《唐要》東謝蠻、在黔州之西數百里、北至白蠻。 《唐書・南蠻傳》弄棟蠻、白蠻種也。其部夲居弄棟縣鄙地、後散居磨些江側。

消息好 為《方輿記勝》《華陽國志》云:劉璋為益州牧、以墊江以上 巴郡、江州至臨江為永寧郡、至魚復為固陵郡、巴遂分矣。巴州居其中、為中巴。

暝傳戍鼓長雲間 雲間言鼓聲之髙

其二

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。天清小城搗練急,石古細路行人稀。

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。會將白髮倚庭樹,故園池台今是非。

此對秋風而動歸思也。亦四句分截。 上章末句、已涉暝時、故此章皆説暮景。

《杜臆》水東流、日西墮、雖即景起咏、亦歎年華逝波、桑景迫。搗練急備征衣。

行人稀、蜀道梗也。月夜孤㠶、方以歸 為樂;故園是非、又以殘憂。

我衣 蔡琰詩:悲風春夏起、翩翩吹我衣。

西日微  《呉都賦》將轉西日而再中

石古細路 張正見詩:烟崖憩古石。 謝朓詩:徘徊東陌上、月出行人稀。

倚庭樹 《杜臆》老倚庭樹、若淵明之眄庭柯而撫孤松。

 胡夏客曰秋風第二首似拗體律詩

 

 

【字解集】 ・c.-送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈

 

送李功曹之荊州充鄭侍禦判官重贈

1.(功曹李某が侍御史鄭君の判官に充てられるために、荊州に行くのを送る詩)

2. 李功曹 李某で詳細は不明。功曹は漢代の郡吏名。郡守が本籍地回避制度によって他郡出身者であったのに対して,功曹などの郡吏はその郡内から任用された。なかでも功曹は郡吏の任免賞罰を司り,在地の勢力者が多かったから,おのずから権限が強大で,また上級の官に昇進する例も多かった。六朝時代の郡守は,漢の功曹ほどの権限もなかったといわれる。

3. 鄭侍禦 鄭審侍御史。古代の官職。大目付の別称。侍御史は秦、前漢以降の官職名。 前漢においては、副宰相である御史大夫に所属し、定員45人であった。そのうち15名は侍御史と呼ばれて殿中におり、二人の丞(副官)のうちの一人である御史中丞に統率された。残りの30人は御史大夫の役所に居た。

4. 判官 律令制における四等官の第三位の官。 判官(はんがん)唐のはじめ頃より使われ始めた判官の職を帯びる者の通称。

5. 宋玉宅 は歸州にあり、屈原生家も近所である。悲愁は宋玉『九辨』、からその表現が始まっている。

宋玉の宅は杜甫詩の言によって二種あり、《1837送李攻曹之荊州充、鄭侍御判官重贈》「曾聞宋玉宅,每欲到荊州。」(曾て聞く宋玉が宅、毎に荊州に到らんと欲す)は荊州にある宋玉の宅をいう、前詩の庾信が住んだという江陵城北の宋玉宅がそれである。《1854入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》「宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。」(宋玉が帰州の宅、雲は通ず白帝城。吾人老病に淹し,旅食 豈に才名にあらんや。)は帰州にある宋玉の宅をいう。「清一統志」に宅は帰州の東二里にあるといっている。此の詩は二種のうち其のいずれをさすか明らかでない。杜甫がこの詩を書く時期では荊州の宅を確認していない。

宋玉宅  《水經注》宜城城南、有宋玉宅。玉、邑人、雋才辯給、善屬文而識音。

《渚故事》庾信因侯景之亂、自建康遁/歸江陵、居宋玉故宅、宅在城北三里、故其賦曰:誅茅宋玉之宅、穿徑臨江之府。

6. 生涯晚 自分の生涯も終末に差し掛かってきたことをさす。

7. 悲秋 悲秋水國を韻を踏むため「悲水國秋」とした。

8. 水國 晉顔延之詩:水國周地險。

9. 一柱観 湖北省荊州府松滋縣の東、邱家湖の中にあるという。六朝宋の臨川王劉義慶が、荊州の長官であったとき羅公洲に大きな道観を立ててただ一本の柱を用いたという、杜甫が行こうとしていた荊州の名所をあげたものである。

杜甫『所思』  

苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。

九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?

可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。

故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。

(思う所あり)

苦だ憶う荊州の酔司馬、謫官【たくかん】樽酒定めて常に開かん。

九江 日落ちて醒【さ】むる何れの処ぞ、一柱 観頭【かんとう】眠ること幾回ぞ。

憐れむ可し 懐抱【かいほう】人に向かって尽す、平安を問わんと欲すれども使いの来たる無し。

故に錦水に憑りて双涙【そうるい】を将【も】ちゆかしむ、好し過ぎよ瞿唐【くとう】灩堆【よんよたい】。

所思 七言律詩  成都5-(32) 杜甫 <480  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500

臺 成都の北 5kmにあるが、ここは杜甫が弟の事を思っているところをいう。

《蜀中九日》  王勃

九月九日望鄕臺, 他席他鄕送客杯。

人情已厭南中苦, 鴻雁那從北地來。

九月九日  望鄕臺, 他席他鄕  客を送る杯。

 人情 已に厭ふ  南中の苦, 鴻雁 那ぞ 北地より來る

《巻十四13送舍弟潁赴齊州,三首之二》

風塵暗不開,汝去幾時來。兄弟分離苦,形容老病催。

江通一柱觀,日落望臺。客意長東北,齊州安在哉。

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその二)

風塵 暗うして開けず,汝去って 幾時か來らん。兄弟 分離苦しむ,形容 老病催す。

江は 一柱觀に通じ,日は 望臺に落つ。客意 長に東北にあり,齊州 安くに在り哉。

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

10. 九江 江西省にある。長江の九支流が集まるところの要衝の地である。《夏書》 過九江至於大 曲池歌、一朝光彩落。

《巻十三18遊子》

巴蜀愁誰語,門興杳然。九江春草外,三峽暮帆前。

厭就成都蔔,休為吏部眠。蓬萊如可到,衰白問群仙。

(遊 子)

巴蜀 愁い誰とか語らん、呉門 興 杳然たり。九江 春草の外,三峽 暮帆の前。

就くことを厭【いと】う成都の蔔、為すことを休めよ 吏部の眠り。蓬莱 如【も】し到る可くんば、衰白 群仙を問わん。

 (旅に出よう)

巴蜀の地における愁いは何人とともにこれを語ろうか、かたるべき人はない。呉門の方まで興に乗って遊びにゆきたいと思うがそれはあてどもなくはるかなものだ。

いまここに春の草が生えつらなっておるが九江はその草のはてにある。暮の帆舟がめさきにみえるが三峡はその前の方に横たわっておるのだ。

自分は厳君平のように成都へいって売卜生活をするのはいやだ。隣合の同僚の酒を盗み飲んで眠るような畢卓のまねもしてはならぬ。(早くこの蜀を立ち去ることだ。)

東海はるかとおい蓬莱山にもし行きつけるものなら、老年ながらそこへ仙人たちをたずねていきたいと思うのだ。

11. 使者 功曹李某を指す。

12. 光彩 きらきらと輝く美しい光。才能やすぐれた面が際立って目立つこと。

13. 青楓 楓樹、雞爪楓、香楓、で江南の大江岸に植えられるため、江邊を示すもの。

  送李功曹之州充鄭侍御判官重贈 

  舊編在夔州詩内

/聞宋玉宅、每欲到州。此地生涯晚、遥悲一作/水國秋。

孤城一柱觀、/落日九江流。使/者雖光彩、青楓自愁。

上四、公欲往州而悲、悲在於淹留。 下四、李獨/州而愁、愁生於孤寂。

一悲一愁、冩出兩地情懐、極其悽切。  此地指夔、水國指一柱、九江、俱在州。

宋玉宅  《水經注》宜城城南、有宋玉宅。玉、邑人、雋才辯給、善屬文而識音。

《渚故事庾信因侯景之亂、自建康遁/歸江陵、居宋玉故宅、宅在城北三里、故其賦曰:誅茅宋玉之宅、穿徑臨江之府。

水國秋 晉顔延之詩:水國周地險。

九江 《夏書》 過九江至於大 曲池歌、一朝光彩落。

青楓遠自愁 阮藉詩上有楓樹林/望令人

 

 

 

【字解集】 ・d.-送王十六判官

 

送王十六判官

1.(王十六が判官となって、荊州に行くのを送った詩。)

2. 【解説】この詩の上四句は王がくを、下は之に往かんと欲するを叙すの意。 《唐書》に肅宗、徳に至るの後、中原には故を多くす、襄鄧の百姓、兩京は衣冠す、

盡く江湖に投じ、南井邑、初に十倍とす、乃ち南節度使を置き以て之を統む。鶴注に:是の時 蜀は崔旰の亂を避く、故に客 南に下り俱に盡すなり 。  

白帝を纔りて忽ち沙頭、猶お云う「朝發白帝暮江陵」此の十字句法なり。春來って水發す、故に瀟湘は海の如し。主人王を指し、先に其の地に到り、即ち地主と為す。

 

客下荊南盡,君今複入舟。

夔州に来る人、寓居した人、それらの人々は皆、荊南に向かって三峡を下って行った、そこへ、君もまたこの度船に乗り込んだ。

3. 客 夔州に寓居した人々。水路駅であるから、官僚は必ず、この二足跡を残すため。必ず、役所に依ったのである。

4. 荊南 荊州、江南地方

5. 鳴櫓 船の楫、櫓の音を鳴らす、航行することをいう。

6. 沙頭 沙頭 (山南東道 荊州 江陵別名:沙市

7. 衡霍 衡山。 衡山一名霍山,故称。《爾雅山》「霍山南岳」とある。

8. 瀟湘 中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる瀟湘八景である。

9. 共海浮 洞庭湖と長江とはともに海のように広いところに船を浮かべている。

10. 庾信宅 《詠懷古跡,五首之一》庾信は梁の元帝の時江陵(すなわち荊州)にあった。庾信の「哀江南賦」は江陵に居住していたことをのべていう、「茅を宋玉の宅に誅し、径を臨江の府に穿つ」と。臨江は江陵をいう、宋玉の宅は江陵の城北三里にある。これによれば荊州に宋玉の宅があって庾信はここに居たのであり、杜甫の「舎弟観藍田に赴き、妻子を取り江陵に到ると、喜びて寄す」詩の第三首にも「庚信羅含倶に宅有り」の句がある。また「清一統志」にいう、荊州枝江県(江陵の上流にある)の東百里洲の庾台あり、庾子山の宅なりと相い伝う、と。これに拠れば荊州に庾信の遺跡があるのである。杜甫は、或は庾信の故宅を想像して書き、のち確認のため故宅を訪れたのである。

766-122杜甫 《巻1734詠懷古跡,五首之一漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6605

11. 為仗 王十八が主人を頼ること。

12. 主人留 王十八の仕える荊州の長官を指す。

送王十六判官

此亦夔州詩、年次難考。

客下/南盡、君今復扶又/入舟。買薪猶白帝、鳴櫓已一作/沙頭。

衡霍生春早、瀟湘共海浮。荒林庾信宅、為/仗主人留。

上四送王之下叙欲往之意。 《唐書》肅宗至徳之後、中原多故、襄鄧百姓、京衣冠、

盡投江湖、南井邑、十倍於初、乃置南節度使以統之。鶴注:是時蜀避崔旰之亂、故客下南俱盡也 。  

纔白帝而忽沙頭、猶云「朝發白帝暮江陵」此十字句法。春來水發、故瀟湘如海。主人指王、先到其地、即為地主矣。

沙頭 舊注:江陵呉船至、泊於郭外沙頭。《方輿勝覽》沙頭市、去江陵地五十里。

瀟湘共海浮 邵注南、州以南。州府古名江陵。  衡山、在衡州府。瀟湘、在岳州府。

岳、在以南。衡、在岳以南。《爾雅疏》衡山一名霍山。趙次公曰:皮日休以霍之本地、自在州、作、《霍山賦》中云:「自漢之後、始易吾號而歸於衡。」公此所云衡霍、乃是衡山、故與瀟湘作對。

庾信宅 庾信宅/見上章