767-129五律  歷歷(卷一七(四)一五二四)

 

 

2017615

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-029-#3巻166-15 鳴皋歌奉餞從翁清歸五崖山居(卷七(一)五一二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8897

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745年-06 【字解集】006 【字解集】 a.寓言三首  b.登廣武古戰場懷古 c.單父東樓秋夜送族弟沈之秦Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8844

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

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諸葛亮 出師表

曹植詩65

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李白全詩

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-114 先生-巻八-01#33城南聯句 §8 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8898

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745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

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767年-集-17 【字解集】  ・解悶十二首 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8882

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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花間集 訳注解説 (219)回目張泌 《張泌【字解集】 ―2 a. 臨江仙 b. 女冠子 c.河傳二首 D.酒泉子二首 E.子 F.思越人 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8882 

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

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玉集-014【字解集】  樂府二首 【字解集】詠懷詩二首    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8806

●薛濤の全詩

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767-129五律  歷歷(卷一七(四)一五二四)五律 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8911

(安史の乱後久しく蜀地に病客しているが、何とかして故郷に帰りたいと思いを馳せる。)

開元の太平時代の事は齊趙江南に遊んだこともあってはっきりとじぶんの眼のまえにある。それだのに突然、安禄山のような盗賊が急に起って、それから年月がめまぐるしくうつりかはった。じぶんの居る巫峡の地は西江のまた外にあるし、故郷長安の城郭は北斗星のあたりにある。郎官になるにはなったが、もうすっかり白髪になってしまった。それも運命であるから仕方がない。その上このように病に伏してまた秋の経過するのを数えて暮らしているのである。

薛濤 02 

767-0129 -

 歷歷(卷一七(四)一五二四)18

杜詩詳注巻1756

全唐詩卷二三○ -18

767年大暦256  (129) -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ8911

 


(夔州抒情詩八首)

  卷230_13 《洞房》

  洞房環佩冷,玉殿起秋風。秦地應新月,龍池滿舊宮。

  系舟今夜遠,清漏往時同。萬里黃山北,園陵白露中。

  卷230_14 《宿昔》

  宿昔青門裏,蓬萊仗數移。花嬌迎雜樹,龍喜出平池。

  落日留王母,微風倚少兒。宮中行樂秘,少有外人知。

  卷230_15 《能畫》

  能畫毛延壽,投壺郭舍人。每蒙天一笑,複似物皆春。

  政化平如水,皇恩斷若神。時時用抵戲,亦未雜風塵。

  卷230_16 《鬥雞》

  鬥雞初賜錦,舞馬既登床。簾下宮人出,樓前禦柳長。

  仙遊終一閟,女樂久無香。寂寞驪山道,清秋草木黃。

  卷230_17 《鸚鵡(一作翦羽)》

  鸚鵡含愁思,聰明憶別離。翠衿渾短盡,紅觜漫多知。

  未有開籠日,空殘舊宿枝。世人憐複損,何用羽毛奇。

  卷230_18 《歷歷》

  歷歷開元事,分明在眼前。無端盜賊起,忽已時遷。

  巫峽西江外,秦城北斗邊。為郎從白首,臥病數秋天。

  卷230_19 《洛陽》

  洛陽昔陷沒,胡馬犯潼關。天子初愁思,都人慘別顏。

  清笳去宮闕,翠蓋出關山。故老仍流涕,龍髯幸再攀。

  卷230_20 《驪山》

  驪山望幸,花萼罷登臨。地下無朝燭,人間有賜金。

  鼎湖龍去遠,銀海雁飛深。萬蓬萊日,長懸舊羽林。

  卷230_21 《提封》

  提封漢天下,萬國尚同心。借問懸車守,何如儉德臨。

  時征俊乂入,草竊犬羊侵。願戒兵猶火,恩加四海深。

 

 浮桟橋道 蜀道 05

 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

卷二三○ -18

文體:

五言律詩

杜詩詳注

1756

 -

詩題:

 歷歷(卷一七(四)一五二四)

序文

 

作地點:

目前尚無資料(夔州)

及地點:

0

0

 

交遊人物:

 

0

0

 

古代闘鶏01 

鬥雞

(興慶宮でくりひろげられた雜芸は、驪山の離宮でも催され、闘鶏、舞馬などの遊戯が行われたことを追憶する。)

鬥雞初賜錦,舞馬既登牀。

むかし玄宗皇帝は、驪山において、御遊されるのに、闘鶏の勝負がついてやっとはじめて錦の賞を賜ったかと思うや、矢継ぎ早に舞馬が牀にのぼって雜芸をはじめる。

簾下宮人出,樓前御柳長。

簾のしたには女官たちが見物している、楼前にはしだれ柳がながく垂れている。

仙遊終一閟,女樂久無香。

ところが玄宗がおかくれになってからは、こんな遊びごとはまったくなくなってしまい、あれほど盛んであった女楽隊もながらく香をきかないことになってしまった。

寂寞驪山道,清秋草木黃。

ことになった。いまでは驪山の下道もさびしくて秋にあたって草木が黄ばんでをるばかりであろうと自分は想像するだけである。

 

(鬥雞)

雞 初めて錦を賜う,舞馬 既に牀に登る。

簾下 宮人出でて,樓前 御柳 長し。

仙遊 終に一女樂 久しく 香無し。

寂寞たり 驪山の道,清秋 草木なり。

 

歷歷

(安史の乱後久しく蜀地に病客しているが、何とかして故郷に帰りたいと思いを馳せる。)

歷歷開元事,分明在眼前。

開元の太平時代の事は齊趙江南に遊んだこともあってはっきりとじぶんの眼のまえにある。

無端盜賊起,忽已時遷。

それだのに突然、安禄山のような盗賊が急に起って、それから年月がめまぐるしくうつりかはった。

巫峽西江外,秦城北斗邊。

じぶんの居る巫峡の地は西江のまた外にあるし、故郷長安の城郭は北斗星のあたりにある。

為郎從白首,臥病數秋天。

郎官になるにはなったが、もうすっかり白髪になってしまった。それも運命であるから仕方がない。その上このように病に伏してまた秋の経過するのを数えて暮らしているのである。

 

(歴歴)

歴歴たり開元の事、分明眼前に在り。

端無く盗賊起る、忽ち己に歳時遷る。

巫峡は西江の外、秦城は北斗の邊。

郎と為る白首に従す、病に臥して秋天を数ふ。

 

  歴歴

歴歴開元事①、分明在眼一作/前②.無端盜賊起③、忽已時遷④.

巫峽西江⑤、外秦城北斗邊。為郎従白首⑥、卧病數所角/切顧音先主/切非秋天。

此章承前起後。前三章説承平之世、故以開元事括之。後三章説亂離以後、故以盜賊起包之。

上四乃追述往事、下則自歎江衰老也。 天寳之亂、皆明皇失徳所致、此云「無端盜賊起」

盖諱言之耳。

① 張華詩昔事歴歴記。

② 庾信《春賦》分明入射堂、 謝靈運詩:浮歡昧眼前。文

③ 漢樂府《従軍行》禍集非無端。  

④ 漢武帝書:盜賊縦横。

⑤ 鮑照詩:時多阻折。 

⑥ 隂鏗詩 :江連巫峽長。  梁簡 帝詩:落日下西江。曰蜀江従西来、故謂之西江。 

長安城謂之北斗城。

蔡夢弼曰:公在蜀為尚書員外郎、故云。  荀悦《漢紀》馮唐白首屈於郎署謂。

  謝靈運詩:卧病同淮陽。追

⑦ 數秋天、屢經秋日也。 顧注 前後情事、俱従卧病中 數而見者、其語太曲。

庾信《小園賦》異秋天 而可悲

 

 

《歷歷》現代語訳と訳註解説
(
本文)
 
《歷歷》

歷歷開元事,分明在眼前。無端盜賊起,忽已時遷。

巫峽西江外,秦城北斗邊。為郎從白首,臥病數秋天。

 

(下し文)
(歴歴)

歴歴たり開元の事、分明眼前に在り。

端無く盗賊起る、忽ち己に歳時遷る。

巫峡は西江の外、秦城は北斗の邊。

郎と為る白首に従す、病に臥して秋天を数ふ。

 

(現代語訳)

(安史の乱後久しく蜀地に病客しているが、何とかして故郷に帰りたいと思いを馳せる。)

開元の太平時代の事は齊趙江南に遊んだこともあってはっきりとじぶんの眼のまえにある。

それだのに突然、安禄山のような盗賊が急に起って、それから年月がめまぐるしくうつりかはった。

じぶんの居る巫峡の地は西江のまた外にあるし、故郷長安の城郭は北斗星のあたりにある。

郎官になるにはなったが、もうすっかり白髪になってしまった。それも運命であるから仕方がない。その上このように病に伏してまた秋の経過するのを数えて暮らしているのである。

 

(訳注) 
歷歷

45. (安史の乱後久しく蜀地に病客しているが、何とかして故郷に帰りたいと思いを馳せる。)

 

歷歷開元事,分明在眼前。

開元の太平時代の事は齊趙江南に遊んだこともあってはっきりとじぶんの眼のまえにある。

46. 歴歴 はっきりしている貌。張華詩昔事歴歴記。

47. 開元 玄宗の年號、治平の時、「開元の治」なり。開元の治(かいげんのち)は、中国唐(618 - 907年)の第6代皇帝玄宗の治世、開元(元年 - 29年)年間(713 - 741年)の政治を指す。貞観の治と並び称せられる中国史上の政治の安定期の一つで、唐は絶頂期を迎えた。しかし、後に玄宗が楊貴妃を寵愛し政治を放棄したため唐は混乱し、安史の乱が起こったため崩壊した。

48. 分明 庾信《春賦》分明入射堂、 謝靈運詩:浮歡昧眼前。

 

無端盜賊起,忽已時遷。

それだのに突然、安禄山のような盗賊が急に起って、それから年月がめまぐるしくうつりかはった。

49. 無端 突然。

50. 盗賊 安禄山。安史軍。75511月幽州、薊州で蜂起した。安史の乱(あんしのらん)、ないし、安禄山の乱とは、755年から763年にかけて、唐の節度使・安禄山とその部下の史思明およびその子供達によって引き起こされた大規模な反乱。

51. 歳時 一年四時。1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。

 

巫峽西江外,秦城北斗邊。

じぶんの居る巫峡の地は西江のまた外にあるし、故郷長安の城郭は北斗星のあたりにある。

52. 西江 長江は長安よりみて西南にあり故に之を西江という。隂鏗詩 :江連巫峽長。  梁簡 帝詩:落日下西江。曰蜀江従西来、故謂之西江。長安城謂之北斗城。蔡夢弼曰:公在蜀為尚書員外郎、故云。  荀悦《漢紀》馮唐白首屈於郎署謂。謝靈運詩:卧病同淮陽。

53. 秦城 長安の城。

54. 北斗邊 北方にあり、故に北斗の邊といふ、毎依北斗-望京華。と同意。

 

為郎從白首,臥病數秋天。

郎官になるにはなったが、もうすっかり白髪になってしまった。それも運命であるから仕方がない。その上このように病に伏してまた秋の経過するのを数えて暮らしているのである。

55. 為郎白首 漢の馮唐が故事。馮唐は孝行で知られ、文帝の時に郎中署長となった。あるとき文帝は彼に「貴方はどうして郎となったのか?家はどこにある?」と尋ねたので、馮唐はありのまま答えた。文帝は「私は鉅鹿で戦った趙将李斉の賢明さを聞いて以来、鉅鹿のことを思わない日は無い。貴方は彼を知っているか?」と聞いた。馮唐は「李斉は廉頗、李牧には敵いません」と言った。文帝は「廉頗や李牧を将にできれば匈奴を怖れることもないのだが」と嘆息したが、馮唐は「陛下が廉頗や李牧を得たとしても用いることはできないでしょう」と言ったため、文帝は怒って禁中に入っていった。しばらくして文帝は馮唐を召し出し、「どうして公衆の面前で私を辱めず、人のいないところで言わないのだ?」と叱責した。馮唐は「私は田舎者で隠すことを知らなかったのです」と答えた。

文帝は馮唐に「貴方はどうして廉頗や李牧を得たとしても用いることはできないと言ったのだ?」と聞いた。馮唐は「古の王は将を派遣する際には、軍の功績や恩賞は国の外で決められ、帰ってから報告したと聞きます。李牧も恩賞を外で決め、国内からそれを覆すことはしませんでした。だから李牧は匈奴を追い払い秦を抑えることができたのです。私が聞くところでは、雲中郡の太守をしていた魏尚は私費まで出して士卒に振る舞い、このお陰で匈奴も雲中を避け、匈奴が侵入した時には魏尚が迎撃して多くの敵を殺しました。そもそも兵士は農地を離れて従軍しているのですから、どうして法令を知っているでしょう。力戦して首級を挙げたところで、功績を幕府に報告すると、見合う恩賞は与えられず、役人が法でがんじがらめにするという状態です。思うに陛下は法には大変明るいのですが、賞は大変軽く、罰は大変重くなっています。また魏尚は報告した首級の数が6つ合わないというだけで罪となり、爵位は削られ刑徒となっています。そうしたところから、陛下は廉頗や李牧を得たとしても用いることはできないと言ったのです」と答えた。

文帝はその日のうちに馮唐に節を持たせて使者とし、魏尚を赦免して雲中守に再び任命した。それから馮唐を車騎都尉に任命し、中尉と郡国の戦車兵を仕切らせた。

十年後、景帝の時代になり、景帝は馮唐を楚相とした。また武帝が即位し、賢良を求めた際に90歳を超えていた馮唐が推挙された。馮唐は老年で行けなかったので子の馮遂を郎に任命した

56. 數秋天 幾同秋日を経しやをかぞえる、「南菊再逢」・「黄菊兩開」の類である。

數秋天、屢經秋日也。 顧注 前後情事、俱従卧病中 數而見者、其語太曲。庾信《小園賦》異秋天 而可悲。