767-141§5-1 #12 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#12§5.-1注(1155)

 

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

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甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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767-141§5-1 #12 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#12§5.-1注(1155)  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9092

中興の英主(代宗皇帝)が現れたとしっかりうかがっているが、一方では不世出の賢者(鄭審と李之芳)が野に埋もれて悠然と詩を吟じている。

鄭審君のお便りは一柱観のある江陵からたびたび届くが、李之芳君のいる下牢(夷陵)までは道のりが千里しかないのに時にしか来ない。

鄭審君と李之芳君は儒学に基づく政策論で名声をあげ、詩文では二人とも私より優れているのではないだろうか。

両君の詩文は、さながらに六朝の陰鏗と何遜が洗練を極め、初唐の沈任期と宋之間が並んで羽ばたくようだ。

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767-141§5-1 

  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻

(卷一九(四)一六九九)§5-1 #12

杜詩詳注巻19-41

全唐詩卷二三○ -#6

767年大暦256  (141) -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9092

 

秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

§1-1 #1

塞烏蠻北,孤城白帝邊。飄零仍百里,消渴已三年。

雄劍鳴開匣,群書滿繫船。

§1-2 #2

亂離心不展,衰謝日蕭然。筋力妻孥問,菁華月遷。

登臨多物色,陶冶賴詩篇。』

§2-1 #3

峽束滄江起,巖排石樹圓。拂雲霾楚氣,朝海蹴天。

煮井為鹽速,燒畬度地偏。有時驚疊嶂,何處覓平川。

§2-2 #4

鸂鶒雙雙舞,獼猿壘壘懸。碧蘿長似帶,錦石小如錢。

春草何曾歇,寒花亦可憐。獵人吹戍火,野店引山泉。』

§3-1 #5

喚起搔頭急,扶行幾屐穿。兩京猶薄四海隨肩。

幕府初交辟,郎官幸備員。

§3-2 #6

瓜時猶旅寓,萍泛苦夤緣。藥餌虛狼藉,秋風灑靜便。

開襟驅瘴癘,明目掃雲煙。

§3-3 #7

高宴諸侯禮,佳人上客前。哀箏傷老大,華屋豔神仙。

開元曲,常時弟子傳。法歌聲變轉,滿座涕潺湲。』

§4-1 #8

弔影夔州僻,回腸杜曲煎。即今龍水,莫帶犬戎羶。

耿賈扶王室,蕭曹拱御筵。

§4-2 #9

乘威滅蜂蠆,戮力效鷹鸇。舊物森猶在,凶徒惡未悛。

國須行戰伐,人憶止戈鋋。

§4-3 #10

奴僕何知禮,恩榮錯與權。胡星一彗孛,黔首遂拘攣。

哀痛絲綸切,煩苛法令蠲。

§4-4 #11

業成陳始王,兆喜出於畋。宮禁經綸密,台階翊戴全。

熊羆載呂望,鴻雁美周宣。』

§5-1 #12

側聽中興主,長吟不世賢。音徽一柱數,道里下牢千。

鄭李光時論,文章並我先。陰何尚清省,沈宋欻聯翩。


§5-2 #13

律比崑崙竹,音知燥弦。風流俱善價,愜當久忘筌。

置驛常如此,登龍蓋有焉。雖云隔禮數,不敢墜周旋。

§5-3 #14

高視收人表,虛心味道玄。馬來皆汗血,鶴唳必青田。

羽翼商山起,蓬萊漢閣連。

§5-4 #15

管寧紗帽淨,江令錦袍鮮。東郡時題壁,南湖日扣舷。

遠遊凌境,佳句染華牋。

§6-1 #16

每欲孤飛去,徒為百慮牽。生涯已寥落,國步乃迍邅。

衾枕成蕪沒,池塘作棄捐。

§6-2 #17

別離憂怛怛,伏臘涕漣漣。露菊班豐鎬,秋蔬影澗瀍。

共誰論昔事,幾處有新阡。

§6-3 #18

富貴空迴首,喧爭懶著鞭。兵戈塵漠漠,江漢月娟娟。

局促看秋燕,蕭疏聽晚蟬。雕蟲蒙記憶,烹鯉問沈綿。』

§7-1 #19

卜羨君平杖,存子敬氈。囊虛把釵釧,米盡坼花鈿。

甘子陰涼葉,茅齋八九椽。

§7-2 #20

陣圖沙北岸,市瀼西羈絆心常折,棲遲病即痊。

紫收岷嶺芋,白種陸池蓮。

§7-3 #21

色好梨勝頰,穰多栗過拳。敕廚唯一味,求飽或三鱣。

兒去看魚苟,人來坐馬韉。

§7-4 #22

縛柴門窄窄,通竹溜涓涓。塹抵公畦稜,村依野廟壖。

缺籬將棘拒,倒石賴藤纏。』

§8-1 #23

借問頻朝謁,何如穩醉眠。誰云行不逮,自覺坐能堅。

霧雨銀章澀,馨香粉署妍。

§8-2 #24

紫鸞無近遠,黃雀任翩翾。困學違從眾,明公各勉旃。

聲華夾宸極,早晚到星躔。

§8-3 #25

懇諫留匡鼎,諸儒引服虔。不逢輸鯁直,會是正陶甄。

宵旰憂虞軫,黎元疾苦駢。雲臺終日畫,青簡為誰編。』

§9-1 #26

行路難何有,招尋興已專。由來具飛楫,暫擬控鳴弦。

身許雙峰寺,門求七祖禪。落帆追宿昔,衣褐向真詮。

§9-2 #27

安石名高晉,昭王客赴燕。途中非阮籍,上似張騫。

披拂雲寧在,淹留景不延。

§9-3 #28

風期終破浪,水怪莫飛涎。他日辭神女,傷春怯杜鵑。

淡交隨聚散,澤國繞迴旋。

§10-1 #29

本自依迦葉,何曾藉偓佺。爐峰生轉眄,橘井尚高褰。

東走窮歸鶴,南征盡跕鳶。晚聞多妙教,卒踐塞前愆。

§10-2 #30

顧愷丹青列,頭陀琬琰鐫。眾香深黯黯,幾地肅芊芊。

勇猛為心極,清羸任體孱。金篦空刮眼,鏡象未離銓。

四阿008 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

卷二三○ -#12

文體:

五言古詩

杜詩詳注

19-41

§2-2 -#12

詩題:

秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

序文

【鄭審官祕書少監,時謫貶江陵,李之芳留吐蕃歸,拜禮部尚書,改太子賓客。】

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

夔州 (山南東道 夔州 夔州別名:夔府、信州

白帝城 (山南東道 夔州 奉節別名:白帝、白帝樓、公孫城

興慶宮 (京畿道 京兆府 長安別名:南

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)

 

下牢鎮 (山南東道 峽州 下牢鎮)

 

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)

 

青田 (劍南道北部 括州 青田)

 

商山 (山南東道 商州 商州別名:南山、地肺山、楚山、商顏

 

天祿閣 (京畿道 京兆府 長安別名:漢閣

 

夷陵 (山南東道 峽州 夷陵別名:東郡、彝陵

 

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山別名:西山、汶山

 

雲臺 (京畿道 京兆府 長安)

 

香爐峰 (江南西道 江州 廬山別名:鑪峰、爐峰

 

橘井 (江南西道 郴州 馬嶺山)

 

 

交遊人物:

鄭審

書信往來(江南西道 袁州 袁州)

李之芳

書信往來

 

 

城郭と門 

秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

(昔から交際のあった鄭審と李之芳に、思い起こすこと、現状分析、これからの事など感慨を述べて寄せたもの)

 

§4-1 #8

弔影夔州僻,回腸杜曲煎。

自分は夔州のかたいなかでひとり影法師を弔っているが、故郷の長安の杜曲のことをおもうて腸はめぐってにえくりかえるようだ。

即今龍水,莫帶犬戎羶。

いまではもう龍厩門の水は犬戎(吐蕃)が入朝して生臭さを蔓延させたが、もうくさみを帯びてはいないであろうか。

耿賈扶王室,蕭曹拱御筵。

耿弁と賈復のような武将が王室を扶け、粛何・曹参のような文臣が御延をかかえ守ったのである。

影を弔えば州僻なり,腸を回らせば杜曲に煎る。

即 今龍の水,犬戎の羶きを帶ぶること莫からんや。

耿賈 王室を扶け,蕭曹 御筵を拱ぐ。

§4-2 #9

乘威滅蜂蠆,戮力效鷹鸇。

安禄山たちは、威勢に乗じて蜂やサソリの毒をもった悪人をほろぼし、郭子儀や顔真卿らは力をあわせて鷹鸇のように精悍さを学んだのである。

舊物森猶在,凶徒惡未悛。

むかしの由緒ある詩文物は厳然として残ってはいるのだが、凶徒は己の悪事をいまだにその悪を悔い改めることをしていない。

國須行戰伐,人憶止戈鋋。

中興の天子をうけついだ代宗がおさめる国家はわるものに対しては征伐をせねはならぬときであるのだが、代宗のみならず、人民はいくさごとを止めたいとおもっている。

§4-2 #9

威に乘じて 蜂を滅ぼし,力を戮せて 鷹に效う。

舊物 森として猶お在るも,凶徒 惡を未だ悛【あらた】めず。

國は 須く戰伐を行うべきも,人は戈を止めんことを憶う。

§4-3 #10

奴僕何知禮,恩榮錯與權。

宦官の程元振、僕懐恩固の奴僕からなりあがったようなものがなんで礼義を知るものか、それなのに朝廷は彼らに恩栄を施しあやまって権力を与えてしまった。

胡星一彗孛,黔首遂拘攣。

安史の乱は、兵乱の予兆である胡星が流れたことから、ひとたび妖気をまとうてから、天下の人民がついに兵役徴用のきずなにしばられてしまったのである。

哀痛絲綸切,煩苛法令蠲。

いまの天子、代宗は民衆の哀痛にたいして情切なるみことのりを下され、煩苛な法令をおのぞきあそばされたのである。

§4-3 #10

奴僕 何ぞ禮を知らん,恩榮 錯りて權を與う。

胡星 一び彗孛し,黔首 遂に拘攣せらる。

哀痛して 絲綸切に,煩苛なれば 法令かる。

§4-4 #11

業成陳始王,兆喜出於畋。

これはちかごろでの王業をなしとげられたはじめての王として君臨することを宣言されたもうた。代宗が、吐蕃の侵攻を避けて長安から逃亡されたのも、周の文王が猟に出かけて、太公望呂尚という謀臣を獲得したという幸運な故事になぞらえて、「兆に喜ぶ」と述べたのと同じである。

宮禁經綸密,台階翊戴全。

宮中の御重要政策もこまかなものであり、大臣宰相らも完全に君をいただいておたすけもうしている。

熊羆載呂望,鴻雁美周宣。』

臣下は後車にのせられた呂望のごとく、君は「鴻雁」の詩ではめられた周の宜王のようであらせられる。』

§4-4 #11

業 成りて 始めて 王たるを陳べ,兆に喜びて 畋に出ず。

宮禁 經綸 密にして,台階 翊戴 全うす。

熊羆 呂望を載せ,鴻雁 周宣を美す。』

 

§5-1 #12

側聽中興主,長吟不世賢。

中興の英主(代宗皇帝)が現れたとしっかりうかがっているが、一方では不世出の賢者(鄭審と李之芳)が野に埋もれて悠然と詩を吟じている。

音徽一柱數,道里下牢千。

鄭審君のお便りは一柱観のある江陵からたびたび届くが、李之芳君のいる下牢(夷陵)までは道のりが千里しかないのに時にしか来ない。

鄭李光時論,文章並我先。

鄭審君と李之芳君は儒学に基づく政策論で名声をあげ、詩文では二人とも私より優れているのではないだろうか。

陰何尚清省,沈宋欻聯翩。

両君の詩文は、さながらに六朝の陰鏗と何遜が洗練を極め、初唐の沈任期と宋之間が並んで羽ばたくようだ。

§5-1 #12

側でて聽く 中興の主,長吟す 不世の賢。

音徽 一柱より 數【しばし】ばあり,道里 下牢より 千なるのみ。

鄭李 時論に光り,文章 並びに 我れに先んず。

陰何 尚お 清省たり,沈宋 【たちま】ち聯翩たり

§5-2 #13

律比崑崙竹,音知燥弦。風流俱善價,愜當久忘筌。

置驛常如此,登龍蓋有焉。雖云隔禮數,不敢墜周旋。

§5-3 #14

高視收人表,虛心味道玄。馬來皆汗血,鶴唳必青田。

羽翼商山起,蓬萊漢閣連。

§5-4 #15

管寧紗帽淨,江令錦袍鮮。東郡時題壁,南湖日扣舷。

遠遊凌境,佳句染華牋。

 

 

 

《秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻》現代語訳と訳註解説

(本文) 
§5-1 #12

側聽中興主,長吟不世賢。

音徽一柱數,道里下牢千。

鄭李光時論,文章並我先。

陰何尚清省,沈宋欻聯翩。

 

(下し文)
§5-1 #12

側でて聽く 中興の主,長吟す 不世の賢。

音徽 一柱より 數【しばし】ばあり,道里 下牢より 千なるのみ。

鄭李 時論に光り,文章 並びに 我れに先んず。

陰何 尚お 清省たり,沈宋 【たちま】ち聯翩たり

 

(現代語訳)

中興の英主(代宗皇帝)が現れたとしっかりうかがっているが、一方では不世出の賢者(鄭審と李之芳)が野に埋もれて悠然と詩を吟じている。

鄭審君のお便りは一柱観のある江陵からたびたび届くが、李之芳君のいる下牢(夷陵)までは道のりが千里しかないのに時にしか来ない。

鄭審君と李之芳君は儒学に基づく政策論で名声をあげ、詩文では二人とも私より優れているのではないだろうか。

両君の詩文は、さながらに六朝の陰鏗と何遜が洗練を極め、初唐の沈任期と宋之間が並んで羽ばたくようだ。

 

(訳注)

秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

1.題意(昔から交際のあった鄭審と李之芳に、思い起こすこと、現状分析、これからの事など感慨を述べて寄せたもの)

「秋に夔州府で感慨を詩に詠じて、秘書少監の鄭審と、太子賓客の李之芳に送る」。詩題には「鄭監」「李賓客」のそれぞれの下に「審」「之芳」の原注がある。鄭審と李之芳は、杜甫の旧友。「夔府」の称は、夔州に都督府が置かれていたことによる。大暦二年(767)秋、夔州における作。

この時、鄭審は江陵(湖北省荊州市)に、李之芳は夷陵(湖北省宜昌市)にいた。この頃、杜甫には夔州を下って江陵に赴く計画があり、経路に当たる夷陵と江陵の二人の旧友に、再会を期してこの詩を送った。この詩は、五言200句、1000字からなる杜甫の最長の詩で、かつ厳格な規則を持つ排律である。排律は、首聯と末聯を除くすべてを対句にするのが要件だが、この詩では首聯・末聯も対句で仕立てる徹底ぶりで、対句の達人としての杜南の一面を代表する作品となっている。

杜詩詳注に従い§10段に分けて解釈する。杜詩詳注(四)1699、鈴木注巻四258

2. 鄭審 未詳〜七六九?、伝無し。詳注によれば鄭虔の姪。七五二年、杜甫は諌議大夫の鄭審に推挽を求めて「敬みて鄭諌議に贈る十韻」(0047)を贈る。七六六年、秘書少監から江陵少尹(副官)に左遷されると、夔州の杜甫と詩の往来が始まり、江陵に至ってからは数少ない杜甫の知己となる。

3. 李之芳 未詳〜七天、伝無し。七四五年、杜甫と斉州(山東省済南市)で会う。七六四年、礼部尚書(長官)となる。晩年は峡州(湖北省宜昌市) また江陵に滞在、杜南が愛州にいる時には詩を応酬し、杜甫が江陵に至ってからは鄭番を加えて交遊。杜甫の晩年期の重要な友人。

 

§5-1 #12

側聽中興主,長吟不世賢。

中興の英主(代宗皇帝)が現れたとしっかりうかがっているが、一方では不世出の賢者(鄭審と李之芳)が野に埋もれて悠然と詩を吟じている。

76 側聴 注意して聴く。耳を側てて聴く。

77. 不世賢 不世出の賢者。

 

音徽一柱數,道里下牢千。

鄭審君のお便りは一柱観のある江陵からたびたび届くが、李之芳君のいる下牢(夷陵)までは道のりが千里しかないのに時にしか来ない。

78. 「音徽一柱數,道里下牢千」の二句 原注に「鄭は江陵に在りて李は夷陵(宜昌) に在り」。手紙(音徴)は、鄭審のいる江陵の一柱観から何度も届き、ここからの道のり(道里)は、李之芳のいる宜昌まで千里もない。「一柱観」は、江陵に近い松滋県にあった、南朝・宋の王族である劉義慶が造った広壮な楼台で、柱が一本しかなかったのでこの名称となったもの。

 

鄭李光時論,文章並我先。

鄭審君と李之芳君は儒学に基づく政策論で名声をあげ、詩文では二人とも私より優れているのではないだろうか。

79. 光時論 政治論(時論)において評価される。鄭審・李之芳の政治家としての見識の高さを称える。

80. 文章並我先 文学において、私(杜甫)よりも先を行く。鄭審・李之芳の詩人としての力量を称える。「文章」は、ほぼ今日の文学の意味。

 

陰何尚清省,沈宋欻聯翩。

両君の詩文は、さながらに六朝の陰鏗と何遜が洗練を極め、初唐の沈任期と宋之間が並んで羽ばたくようだ。

81. 陰何 陰鏗と何遜のこと。陰鐙(生没年未詳) は、南朝・陳の詩人、何遜は南朝・梁の詩人で、ともに杜甫が高く評価した。

杜甫《與李十二白同尋范十隱居》「李侯有佳句,往往似陰鏗。」(李侯に佳句有り,往往 陰鏗(いんこう)に似たり。)李白どのは佳い句を作られる、ときどき、華麗な抒情詩を書く陰鏗の作に似ている。 ○陰鏗(いんこう) (生没年不詳)  字は子堅。武威郡姑臧の人、はじめ梁の湘東王の法曹参軍となった。陳の天嘉年間に、始興王の中録事参軍となり、のちに晋陵太守・員外散騎常侍に上った。詩人として何遜と並び称された。『陰常侍詩集』。
陰鏗《五州夜発》「夜江霧裏闊、新月迥中明。溜船惟識火、驚鳧但聴聲。勞者時歌榜、愁人數問更。」とある。〇何遜(かそん) ?518  遜(か そん、467? - 518?)は中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。

82. 清省 洗練されている。

83. 沈宋 沈佺期と宋之問。則天武后(在位六九〇〜七〇五) に仕えた宮廷詩人。

〇沈 佺期(しん せんき、656? - 716?)は、中国初唐の文学者。字は雲卿。相州内黄(現河南省内黄県)の人。宋之問とともに武則天の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。○宋之問 末は姓、之問は名、姓名の問に員外をはさむ。宋之問は字は延清、我州弘農の人、中宗の景竜中に考功員外郎となった。○旧荘 ふるい別荘、これは首陽山の下に在ったもの。宋之問と杜甫の祖父杜審言とは武后の時、供に修文館学士であり、世々の交りがあった。杜甫は開元二十九年首陽山の下に室を築き、遠祖当陽君(晋の杜頚)を祭ったことがあるが、当時そうした関係から之問の荘に立ち寄ったのであろう。杜甫《過宋員外之問舊莊》「宋公舊池館,零落首陽阿。枉道祗從入,吟詩許更過。淹留問耆老,寂寞向山河。更識將軍樹,悲風日暮多。」

84.  聯翩 並んで飛ぶ。畳韻語「レンペン」。