767--20-3 【字解集】   ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3)

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

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杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

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杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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767--20-3 【字解集】   ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

 

 

 

【字解集】秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3)

§5-§6

 

§5-1 #12

側聽中興主,長吟不世賢。

中興の英主(代宗皇帝)が現れたとしっかりうかがっているが、一方では不世出の賢者(鄭審と李之芳)が野に埋もれて悠然と詩を吟じている。

76 側聴 注意して聴く。耳を側てて聴く。

77. 不世賢 不世出の賢者。

 

音徽一柱數,道里下牢千。

鄭審君のお便りは一柱観のある江陵からたびたび届くが、李之芳君のいる下牢(夷陵)までは道のりが千里しかないのに時にしか来ない。

78. 「音徽一柱數,道里下牢千」の二句 原注に「鄭は江陵に在りて李は夷陵(宜昌) に在り」。手紙(音徴)は、鄭審のいる江陵の一柱観から何度も届き、ここからの道のり(道里)は、李之芳のいる宜昌まで千里もない。「一柱観」は、江陵に近い松滋県にあった、南朝・宋の王族である劉義慶が造った広壮な楼台で、柱が一本しかなかったのでこの名称となったもの。

 

鄭李光時論,文章並我先。

鄭審君と李之芳君は儒学に基づく政策論で名声をあげ、詩文では二人とも私より優れているのではないだろうか。

79. 光時論 政治論(時論)において評価される。鄭審・李之芳の政治家としての見識の高さを称える。

80. 文章並我先 文学において、私(杜甫)よりも先を行く。鄭審・李之芳の詩人としての力量を称える。「文章」は、ほぼ今日の文学の意味。

 

陰何尚清省,沈宋欻聯翩。

両君の詩文は、さながらに六朝の陰鏗と何遜が洗練を極め、初唐の沈任期と宋之間が並んで羽ばたくようだ。

81. 陰何 陰鏗と何遜のこと。陰鐙(生没年未詳) は、南朝・陳の詩人、何遜は南朝・梁の詩人で、ともに杜甫が高く評価した。

杜甫《與李十二白同尋范十隱居》「李侯有佳句,往往似陰鏗。」(李侯に佳句有り,往往 陰鏗(いんこう)に似たり。)李白どのは佳い句を作られる、ときどき、華麗な抒情詩を書く陰鏗の作に似ている。 ○陰鏗(いんこう) (生没年不詳)  字は子堅。武威郡姑臧の人、はじめ梁の湘東王の法曹参軍となった。陳の天嘉年間に、始興王の中録事参軍となり、のちに晋陵太守・員外散騎常侍に上った。詩人として何遜と並び称された。『陰常侍詩集』。
陰鏗《五州夜発》「夜江霧裏闊、新月迥中明。溜船惟識火、驚鳧但聴聲。勞者時歌榜、愁人數問更。」とある。〇何遜(かそん) ?518 遜(か そん、467? - 518?)は中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。

82. 清省 洗練されている。

83. 沈宋 沈佺期と宋之問。則天武后(在位六九〇〜七〇五) に仕えた宮廷詩人。

〇沈 佺期(しん せんき、656? - 716?)は、中国初唐の文学者。字は雲卿。相州内黄(現河南省内黄県)の人。宋之問とともに武則天の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。○宋之問 末は姓、之問は名、姓名の問に員外をはさむ。宋之問は字は延清、我州弘農の人、中宗の景竜中に考功員外郎となった。○旧荘 ふるい別荘、これは首陽山の下に在ったもの。宋之問と杜甫の祖父杜審言とは武后の時、供に修文館学士であり、世々の交りがあった。杜甫は開元二十九年首陽山の下に室を築き、遠祖当陽君(晋の杜頚)を祭ったことがあるが、当時そうした関係から之問の荘に立ち寄ったのであろう。杜甫《過宋員外之問舊莊》「宋公舊池館,零落首陽阿。枉道祗從入,吟詩許更過。淹留問耆老,寂寞向山河。更識將軍樹,悲風日暮多。」

84.  聯翩 並んで飛ぶ。畳韻語「レンペン」。


§5-2 #13

律比崑崙竹,音知燥弦。

韻律は、崑崙山の竹で作った妙なる笛の音ようであり、音色は琴の絃の乾湿によって微妙に変わることまで知りつくす。

84. 律比崑崙竹 韻律は、崑崙山の竹で作った笛の音階に合致するということ。両者の詩が、正統的であることを称えるというもの。伝説に、古代の黄帝は、崑崙山の竹で作った笛を基準に、笛の音程を定めた。「崑崙」 は畳韻語「コンロン」。

 琴の音色が、湿度(燥湿)によって絃の調子が微妙に変化することをいう。是を杜甫は、詩歌の微妙な味わいの比喩として使う。「燥湿」 は双声語「ソウシッ」。

紀元前2697年頃、黄帝族の首相の黄帝は天下を平定した後、国家的な事業に乗り出す。

・暦を制定

・文字の作成

・音律の決定

楽人の伶倫に音律をつくるように命じる。伶倫は音高を決める笛をつくるため西方へ向かった。

大夏の西の崑崙山の北にある谷間ですばらしい竹を発見。節の均等な竹を選び三寸九分(11.7cm)の長さに切った。それを吹き鳴らし黄鐘という基準の音高とした。竹の管を12本作り、6つを鳳凰の雄鳴き声に合わせ、残りを雌の鳴き声に合わせた。その音高は、はじめの黄鐘の音高から導き出された。

古代中国での音律は社会の重要な規範のひとつであり、律管の長さが、長さや広さなどの度量衡の尺度にもなっていた。基準音や音律の変更は周から清の間にも50回以上行われた。音律は支配者や国家にとっての権力の威信を示す象徴的な存在であった。自然の摂理を反映したものなので、それによって社会の安定が保たれるということが伝えられてきた。

 

風流俱善價,愜當久忘筌。

両君の風雅はともに世に尊ばれ、美しく調和してまるで作為の跡を留めない。

85. 善價 高い評価。

86. 愜當 しっくりと収まる。詩歌の表現が熟成する。

87. 忘筌 作為の痕跡を留めない。「」は魚釣りに用いる浮き。『荘子』外物に、「は魚を捕る道具(浮き)で、魚を捕まえれば笠は忘れられる。蹄は免を捕る道具(わな)で、免を捕まえれば蹄は忘れられる」。後世、「笠」は目的を達すれば用済みとなる道具や手段の比喩。

 

置驛常如此,登龍蓋有焉。

鄭審君は前漢の鄭当時のように賓客を迎えるためにいつも宿場に馬を用意しており、李之芳君は後漢の李贋のように優れた人物の鑑識眼を備えており、君との面会がかなえば登龍門をくぐつたも同然だ。

88. 置驛 前漢の鄭当時は、賓客を大事にし、長安の近郊に駅継ぎの馬を用意して出迎えた(『漢書』巻五〇「鄭当時伝」)。鄭審と同姓なのでこれを典故としている。

89. 登龍 登龍門の略。そこを通ると栄達できる門。『後漢書』巻六七「李膚伝」に「李膚には人にぉもねらない品格があって名声を有し、彼に受け入れてもらえると、人は龍門を登ったと称した」。なお龍門は、山西省と駅西省の間を流れる黄河の急流(一説に今の壷口湊布)で、鯉がここを登ると龍になるとされる。李之芳と同姓なのでこれを典故とする。

 

雖云隔禮數,不敢墜周旋。

君らとは地位こそ隔たっているが、心をこめたお付き合いをしたい。

90. 隔禮數 社会的地位が隔たる。「礼数」は、地位・身分。官僚として栄達した鄭審・李之芳に対して、杜甫が謙遜したもの。「礼数」には礼節の意味もあり、「私は両君に対して礼に失した振る舞いをしてきたが」と解する。

91. 墜周旋 誠実に交際する。「周旋」は交際する。『春秋左氏伝』文公十八年に「奉じて以て周旋し、敢て失墜せず(謹しんでお仕えし、誤ちのないようにする)」。

§5-3 #14

高視收人表,虛心味道玄。

二君は視点を高くして人の師表たるべきはどの人物を収容し、心を虚しくして道の奥ふかきところを味うておられる。

92.  高視收人表 高い見識(高視)をもって、模範となる人物(人表)を抜擢する。

93.  味道玄 道の奥深さ(玄)をじっくり理解する。道教に精通することをいう。

 

馬來皆汗血,鶴唳必青田。

だから二君のところへ来る馬はどれも汗血の名馬であるし、なきたてる鶴はきっと青田の名鶴である。

94. 「馬來皆汗血,鶴唳必青田」二句 両君の元に馬が馳せて来たるのは、どれも汗血馬の駿馬。鶴が鳴けば、必ずや神仙が養い育てる青田の白鶴。二人が駿馬や白鶴のような優れた人材の抜擢に努めることをいう。「汗血」は、前漢の張案が西域からもたらしたという、血の汗を流す駿馬。「青田」は漸江省青田県で、ここに神仙が養う美しい白鶴が棲み着いていたという(『初学記』巻三〇所引の南朝・末の鄭揖之『永嘉郡記』)。

 

羽翼商山起,蓬萊漢閣連。 
李君は商山の四皓のように太子の羽翼となるために商山から起こった。

95.  羽翼商山起 商山の四皓(東園公・綺里季・夏貴公・用里先生)が皇太子を支持したため、高祖(前漢の初代皇帝劉邦)は皇太子のすげ替えを断念した。「羽翼」は、翼賛と同じく、支持し支援すること。李之芳は太子賓客という皇太子付きの東宮官だったので、商山四皓を借りて、李之芳の功績を称えた。

96.  蓬萊漢閣連 蓬莱閣(宮中の図書を収める秘闇の雅称) は、漢(ここでは唐) の宮殿楼閣に連なる。鄭審が秘闇の次長である秘書少監となったのをいう。

§5-4 #15

管寧紗帽淨,江令錦袍鮮。

また宮廷の秘書典籍を集める蓬莱閣は唐の大明宮の宮殿に連なっていて、そこに秘書少監の鄭審は宮中の重臣となっている。そして、鄭審君はs管寧が隠者の紗帽をかぶったようにすでに退官しておられるが、李之芳君は陳の江総が太子から錦の抱を褒美に与えられたようにまだ現職にある。

97. 管寧紗帽渾 鄭審を、三国時代の隠者の管寧になぞらえたもの。管寧(158241)は隠者で、魏の文帝(曹丕)に何度も官に召されたが辞退し、皇い帽子をかぶり、麻の服を着て清廉な生活を送った(『三国志』巻一一「管寧伝」)。杜甫は「皇帽」を「紗帽」 に改め用いた。

98. 江令錦抱鮮 中書令となった江総は、かつて皇太子より色鮮やかな錦の抱(綿入れの上着) を褒美として頂戴した(江総「山水に抱を納るるの賦」)。李之芳が皇太子付きの東宮官として尊重されたこと。

 

東郡時題壁,南湖日扣舷。

李之芳君は気が向くと夔州の東、夷陵の家の壁に詩を書きつけているだろうし、鄭審君は江陵の自宅のそばの湖に舟を浮かべて悠然と舷を叩きつつ歌っていることだろう。

99. 東郡 李之芳のいる夷陵(湖北省宜昌市)。夔州より東に位置するのでこう称する。

100. 題壁 詩を、壁や門扉に書きつける。風流の行為。

100. 南湖 江陵の鄭審の邸宅のそばにあった湖。

 

遠遊凌境,佳句染華牋。 
両君は興に乗じては人里離れた絶景の地まで足を伸ばし、見事な句を作って美しい詩箋に書き留めているに違いない。

101. 遠遊 遠出する。双声語「エンユウ」。下句の「佳句」 が双声語「カク」であるのと対句応。

102. 絶境 人里離れた景色の美しい場所。

103. 華牋 美しい詩箋 (詩を書き記す紙)。

§6-1 #16

每欲孤飛去,徒為百慮牽。

自分はいつもあなたがたのいる方へ、ひとりで飛んでゆこうとおもっているが、いたずらにさまざまの心配ごとにひきつけられている。

104. 爲百慮牽 さまざまの心配のために束縛されて、自由がきかない。

 

生涯已寥落,國步乃迍邅。

国家のあゆみでさえも、いまだ行き悩んでいる時である。自分の如き生涯はとっくにおちぶれたさまになっている。

105. 寥落 数がさびしく少なくなるさま。転じて、わびしく老衰するさま。

106. 國歩 国運。国の状態。

107. 迍邅 行きなやむ。前途多難のさま。双声語「チユンテン」。

 

衾枕成蕪沒,池塘作棄捐。 
ここで病んで会枕に伏しているために両京の田はまったく荒れはてたものになり、平生多少意を用いて築いた庭園の池塘もすっかりうちすててある。

108.  衾枕成蕪沒 故郷に残した家財が荒れ果てる。「会枕」は掛け布団と枕、転じて日用の家財。鈴木注は、「ここで病んで会枕に伏してゐるために両点の田はまったく荒れはて」と解する。

109.  池塘作棄捐 故郷の家の庭にこしらえた池が、見捨てられて荒れ果てる。

§6-2 #17

別離憂怛怛,伏臘涕漣漣。

兄弟、親類たちと別れているについてはいつも憂え、しんばいをし、夏の伏日のとき、冬の臘節のときには、たえずなみだがながれでる。

110.  怛怛 憂えるさま。

111.  伏臘 夏の祭り(伏) と冬の祭り(臘)。祭りの日には、亡き父祖のことが思い出される。

112.  涕漣漣 涙がとめどもなく流れる。「沸」は目から流れる涙。鼻から流れる涙は「洒」という。

 

露菊班豐鎬,秋蔬影澗瀍。

長安西のの豊水・鎬水のあたりには露をふくんだ菊がまだらに咲いているだろうし、洛陽の澗水・瀍水のあたりには秋の野菜が影さしているだろう。

113. 露菊 晩秋の露を帯びた菊の花。

114. 斑 まだら模様、転じて彩り鮮やかなさま。

115.  豐鎬 周の文王と武重がそれぞれ置いた都。ともに長安の西郊にあり、転じて長安二倍を指す。

116.  秋蔬 秋の疏菜(野菜)。

117. 影 水面に影を映す。

118. 潤濾 洛陽を流れて洛水に流入する二つの川。転じて洛陽一帯を指す。

 

共誰論昔事,幾處有新阡。 
しかし、長安や洛陽の昔のことを誰と共にかたりあうことがでるのだろうか、また定めし人も亡くなったであろうが新墓はどれだけのところにできたであろうか。

119.  新阡 新しい墓遣、新しく造られた墓。

§6-3 #18

富貴空迴首,喧爭懶著鞭。

いくら首をふりむけてみても富貴などがくるわけはないし、またくるとしたところが小人どもとがやがや利益を争うて先鞭をつけるなどはじゃまくさいことだ。

120. 富貴空回首 空しく過去を振り返ったところで、そこに富貴などはない。自分の若いときに富貴になった良い思い出などはない。

121. 喧爭 大声を出して先を争う。

122. 懶著鞭 馬を走らせるために鞭を当てるのも億劫だ。栄達への意欲を失うこと。

 

兵戈塵漠漠,江漢月娟娟。

兵乱のために塵挨ははてしなくびろく横たわっている。この江漢の地方では月のみがうつくしく照る。

123. 兵戈 武器、転じてここでは戦乱。「兵」は武器一般、「曳」は武器の代表としてのホコ。

124. 塵漠漠 戦乱の塵が果てもなく広がる。

125. 江漢 長江と漢水の流れる世界。杜甫の愛用の語。ここでは襲州を指すっ

126. 月娟娟 月がきらきらと輝く。

 

局促看秋燕,蕭疏聽晚蟬。

狭いところに縮こまりながら秋の燕がたち去るのを看て、しみじみと夕蝉のなくのをじっときく。

127. 局促 狭いところに縮こまるさま。畳韻語「キョクソク」。

128. 秋燕 南に帰ろうとする秋の燕。

129. 蕭疏 秋に草木の葉が枯れて少なくなるさま。またそのようにわびしいさま。双声語「ショウソ」。

130. 晩蝉 夕方に鳴く蝉。

 

雕蟲蒙記憶,烹鯉問沈綿。』 
こんな生活をしている今の自分だ。それをあなたがたはわたくしがわかい時から詩賦に雕蟲の技をもてあそんだことを御記憶くださって、お手紙を寄せてちかごろの病状をおたずねくださった。

131.  雕蟲 文学を卑下した言い方。杜甫の謙遜を示す。なお『文心彫龍』の「離龍」は文学を尊重した言い方。

132. 蒙 謙譲語を作る接頭語。……していただく。

133. 烹鯉 友人からの来信。作者不詳の楽府「飲馬長城窟行」に「客は遠方より来たり、我れに双つの鯉魚を遣る。児を呼びて鯉魚を烹れば、中に尺素の書有り」。旅人が遠くからやってきて、私に二匹の鯉をくれた。下男に調理させたところ、腹の中から一尺の綿布に書かれた手紙が出てきた。

134. 沈綿 病に長く苦しむさま。