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767-174巻二二九79 自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其四(卷二○(四 )頁一七四八)注(1190) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9680

(瀼西の隠遁者の扉の草堂から、しばらくの間の予定で、東屯の茅屋の方へ住まいを移すことを述べたもの。その四 近くに都使の人を隣人で見、オシドリ、白鷺の列を見て朝廷の朝礼を思い浮かべる。)

ここ東屯は長江から少し外にあって、寂しいところである、參差に造成された土地だが、我が家と北の扉辺りの馮都使の高雅な書斎とは筋向かいになる。

もう、長いことこの巴国の地に滞在し、楚の人が住む山里で病に臥せっている。

朝廷に参内できない今、静寂で孤独な境地を好む私は景色の良いここへ転居した、この地は遠くの関所と離れているため、静かでひっそりとしている。

寒々とした空に風が吹くと、オシドリとサギが飛びおりてならぶのを見ると、振り返ってかつての宮廷での行列を思い出す。

 

767-171

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一

(卷二(四 )頁一七四六)

全唐詩巻二二九76

全唐詩卷二○(四 )頁一七四六

767年大暦256  () -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9659

 

自瀼西扉且移居東屯茅屋四首(杜甫 唐詩)

其一

  白鹽危嶠北,赤甲古城東。

  平地一川穩,高山四面同。

  煙霜淒野日,粳稻熟天風。

  人事傷蓬轉,吾將守桂叢。

 其二

  東屯複瀼西,一種住青溪。

  來往皆茅屋,淹留爲稻畦。

  市喧宜近利,林僻此無蹊。

  若訪衰翁語,須令剩客迷。

 其三

  道北馮都使,高齋見一川。

  子能渠細石,吾亦沼清泉。

  枕帶還相似,柴即有焉。

  斫畬應費日,解纜不知年。

 其四

  牢落西江外,參差北間。

  久游巴子國,臥病楚人山。

  幽獨移佳境,清深隔遠關。

  寒空見鴛鷺,回首憶朝班。


 

作時年:

767-172

大暦2

56

全唐詩

巻二二九78

文體:

五言律詩

杜詩詳注

卷二○(四 )頁一七四六

20-29

詩題:

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其二(卷二○(四 )頁一七四六)

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)

茅堂 (山南東道 夔州 夔州別名:東渚、東屯

高齋 (山南東道 夔州 夔州)

 

交遊人物:

東屯李氏

 

 

高人逸士

0

 

 

自瀼西扉且移居東屯茅屋四首其一

(瀼西の隠遁者の扉の草堂から、しばらくの間の予定で、東屯の茅屋の方へ住まいを移すことを述べたもの。)その一

  白鹽危嶠北,赤甲古城東。

ここは白鹽という急峻で落石の多い危なげな山の北側に位置する、また、赤甲山の古城の東にあたっている。

  平地一川穩,高山四面同。

僅かな平らの地面に一筋の川が穏やかに流れているが、離れた四方はどちらも同じように、高山が立ち並んでいる。

  煙霜淒野日,粳稻熟天風。

今や煙霞や霜があって野良の日の光が冷たそうにひかり、照る、うるしねが空から吹く風に乗って実っている。

  人事傷蓬轉,吾將守桂叢。

自分は、根無し蓬のように転々して歩くといういたましい人事に出会っているけれど、こんなところで桂叢を守って暮らそうと思っている。

 

(瀼西の扉より 且く東屯の茅屋に移居す 四首其の一)

 白鹽 危嶠の北,赤甲 古城の東。

 平地 一川 穩やかに,高山 四面 同じゅうす。

 煙霜 野日淒たり,粳稻 天風に熟す。

 人事に 蓬轉を傷む,吾 將に桂叢を守らんとす。

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其二

(東屯は短期間棲むにはよいが、東南の高い山陰にあるし、人家が少ないので来訪者も迷ってしまうから少なくなる)

 東屯複瀼西,一種住青溪。

東屯でも、瀼西でも、住まいの環境は同じように清らかな谷川のほとりに住むという事である。

 來往皆茅屋,淹留爲稻畦。

どちらに行っても、建っている家は茅葺きの質素な家ばかりだが、この東屯に長く留まっているのは稲田の世話をするために移ったのである。

 市喧宜近利,林僻此無蹊。

瀼西の家のそばには、騒々しい市で金もうけにはよろしいが、ここ東屯の林は辺部な場所で、人の通う小道もないほどのところである。

 若訪衰翁語,須令剩客迷。

もし、客人たちが老いさらばえた私をここに訪ねて語らおうとしても、必ず彼らを道に迷わせてしまうだろう。

(瀼西の扉より 且く東屯の茅屋に移居す 四首其の二)

東屯 復た 瀼西、一種 清渓に住む。

来往するは 皆な 茅屋、淹留するは稲畦の為なり。

市喧しくして 宜く利に近づくべく、林僻にして此こに蹊無し。

若し衰翁を訪いて語らば、須く剩客をして迷わしむべし。

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其三

(東屯の家の北側に馮都使のお宅があってそこには、谷川の水を引き込んで池が作られている、周りの景色によくあった家で有る。自分はここから逸旅立てるのだろうと詠う。)

道北馮都使,高齋見一川。

我が家の北は馮都便のお住まいがあり、その静かな書斎から東瀼水の一面の川原が望まれる。

子能渠細石,吾亦沼清泉。

そして、馮殿は小さな石を積んで水路を作られ池を作られたので、私も彼の水路の清らかな流れを引きこんで池に注ぎこんだ。

枕帶還相似,柴即有焉。

辺りの景色はよく似ているから、我が家の粗末な木戸からも同じものが見える。

斫畬應費日,解纜不知年。

木を切り、焼き畑を開くには日数もかかるだろうから、舟のともづなを解き、この地を出るのはいつになるかわからない。

(瀼西の扉より 且く東屯の茅屋に移居す 四首其の三)

道北の馮都使、高斎一川を見る。

子 能く細石を渠とし、吾れも 亦た 清泉を沼とす。

枕帯 還た 相い似て、柴荊 即ち 焉れ有り。

斫畬すれば 応に日を費すべく、纜を解くに年を知らず。

 

自瀼西扉且移居東屯茅屋四首其四

(瀼西の隠遁者の扉の草堂から、しばらくの間の予定で、東屯の茅屋の方へ住まいを移すことを述べたもの。その四 近くに都使の人を隣人で見、オシドリ、白鷺の列を見て朝廷の朝礼を思い浮かべる。)

牢落西江外,參差北間。

ここ東屯は長江から少し外にあって、寂しいところである、參差に造成された土地だが、我が家と北の扉辺りの馮都使の高雅な書斎とは筋向かいになる。

久游巴子國,臥病楚人山。

もう、長いことこの巴国の地に滞在し、楚の人が住む山里で病に臥せっている。

幽獨移佳境,清深隔遠關。

朝廷に参内できない今、静寂で孤独な境地を好む私は景色の良いここへ転居した、この地は遠くの関所と離れているため、静かでひっそりとしている。

寒空見鴛鷺,回首憶朝班。

寒々とした空に風が吹くと、オシドリとサギが飛びおりてならぶのを見ると、振り返ってかつての宮廷での行列を思い出す。

(瀼西の扉より 且く東屯の茅屋に移居す 四首其の四)

牢落たり 西江の外、参差たり 北戸の間。

久しく遊ぶ 巴子の国、病に臥す 楚人の山。

幽独 佳境に移り、清深 遠関を隔つ。

寒空 鴛鷺を見、首を廻らして 朝班を憶う。

剡溪 03 - コピー 

 

《自瀼西扉且移居東屯茅屋四首》現代語訳と訳註解説

(本文) 
自瀼西扉且移居東屯茅屋四首其四

牢落西江外,參差北間。

久游巴子國,臥病楚人山。

幽獨移佳境,清深隔遠關。

寒空見鴛鷺,回首憶朝班。

 

(下し文)
(瀼西の扉より 且く東屯の茅屋に移居す 四首其の四)

牢落たり 西江の外、参差たり 北戸の間。

久しく遊ぶ 巴子の国、病に臥す 楚人の山。

幽独 佳境に移り、清深 遠関を隔つ。

寒空 鴛鷺を見、首を廻らして 朝班を憶う。

 

(現代語訳)

(瀼西の隠遁者の扉の草堂から、しばらくの間の予定で、東屯の茅屋の方へ住まいを移すことを述べたもの。その四 近くに都使の人を隣人で見、オシドリ、白鷺の列を見て朝廷の朝礼を思い浮かべる。)

ここ東屯は長江から少し外にあって、寂しいところである、參差に造成された土地だが、我が家と北の扉辺りの馮都使の高雅な書斎とは筋向かいになる。

もう、長いことこの巴国の地に滞在し、楚の人が住む山里で病に臥せっている。

朝廷に参内できない今、静寂で孤独な境地を好む私は景色の良いここへ転居した、この地は遠くの関所と離れているため、静かでひっそりとしている。

寒々とした空に風が吹くと、オシドリとサギが飛びおりてならぶのを見ると、振り返ってかつての宮廷での行列を思い出す。

剡溪 01 - コピー 

(訳注)

自瀼西扉且移居東屯茅屋四首其四

31.  (瀼西の隠遁者の扉の草堂から、しばらくの間の予定で、東屯の茅屋の方へ住まいを移すことを述べたもの。その四 近くに都使の人を隣人で見、オシドリ、白鷺の列を見て朝廷の朝礼を思い浮かべる。)

 

 

牢落西江外,參差北間。

ここ東屯は長江から少し外にあって、寂しいところである、參差に造成された土地だが、我が家と北の扉辺りの馮都使の高雅な書斎とは筋向かいになる。

32. 牢落 寂しいさま。双声語「ロウラク」。

33. 西江外 遠く長江のほとりにいる。「外」は都から遠く隔たること。唐人は西から流れる長江の中下流を「西江」と呼ぶ。

参差 不揃いなさま。双声語「シンシ」。

34. 北戸間 我が家の北の戸の辺り。杜甫の家の北隣にある馮都使の「高斎」(高雅な書斎) をいう。『九家注』巻三二は夔州が南方にあるため、日差しを入れるために開ける北向きの戸と解する。

 

久游巴子國,臥病楚人山。

もう、長いことこの巴国の地に滞在し、楚の人が住む山里で病に臥せっている。

35. 巴子國 周代、子爵を与えられた巴国(『華陽国志』巻一)。ここでは愛州を指す。

36. 楚人山 夔州の人々の住む山。夔州は巴国と楚国の境界にある。

 

幽獨移佳境,清深隔遠關。

朝廷に参内できない今、静寂で孤独な境地を好む私は景色の良いここへ転居した、この地は遠くの関所と離れているため、静かでひっそりとしている。

37. 幽獨 静寂で孤独な境地。隠遁地を示す。朝廷に参内できないなら、棲むところは隠棲地といわれるようなところに半農半隠生活を願っているという事。

38. 遠關 遠くの関所、都から遠く離れた瞿塘関。

 

寒空見鴛鷺,回首憶朝班。 
寒々とした空に風が吹くと、オシドリとサギが飛びおりてならぶのを見ると、振り返ってかつての宮廷での行列を思い出す。

39. 寒空 鴛鷺を見、首を廻らして 朝班を憶う。

40. 駕鷲 オシドリとサギ。杜甫はこの「鴛鷺」の語を次句の「朝班」(宮中における朝礼の席次)など、宮廷の朝礼における官吏の比喩にしばしば用いる。

41. 廻首 振り返る。また回想する。

 

【補説】

第六句「遠関」について、詳注は南宋・陸源『入萄記』巻六の裡唐関の記事を引き、裡唐関は灘滴堆重層峡の入り口にあった暗礁)と向かいあう白帝城を指すと述べる。

なお唐代では「江関とは、今の牽州の魚復県の南二十里の江の南岸の白帝城是れなり」(『玉海』巻6所引『括地志』)とあるように、白帝城は「江関」とも呼ばれていた。白帝城は長江の水運を管理する江関であり、裡唐関とは産である。『入萄記』の同じ条に「晩ぽんに畢唐関に至る。……白帝城と相い連なる」とあるのを見れば、樫唐関は白帝城の一角にあるのだろう。鈴木注はそれを否定し、「京師」(長安)との間にある関所のことと推測する。

 

 

<題意の補足(杜甫詩を理解を深めるために)>

東屯への転居について

------------------------------------------------------------------

 杜甫は米作りをし、水遣りと草取りのさぎょうもした。そして、767年、大暦二年の晩秋、農業経営の中心であった瀼西宅から、東屯への引っ越しをしたのである。そのことは、《2008_瀼西の荊扉より且らく東屯の茅屋に移居す、四首》の詩によって知ることができる重要な詩である。

 引っ越したのは、もっぱら稲作のためだった。其の二の詩に目的がみえる。

  來往皆茅屋、淹留為稻畦。 

(来たりまた往くも皆な茅屋にして、淹(ひさ)しく留まるは稲畦(いなだ)が為なり。)

 《2028_自瀼西荊扉且移居東屯茅屋、四首其二》

「稻畦」と、はっきり述べられている。

 同じことはまた《2058_暫く白帝に往きて復た東屯に還る》の詩でも述べられている。このとき杜甫は東屯から、白帝城のある城内にしばらく行っていたのだが、また東屯にもどってきた。

  復作歸田去、猶殘穫稻功。 

(復た 田に帰り去るを 作()すは、猶お 稲を穫()るの功(しごと)を 残せばなり。)

    《2058_暫往白帝、復還東屯》

稲田のある地にまた帰って行くのは、やり残した収穫の仕事のためなのだと詠じている。稲の収穫は、杜甫にとっては人任せにしたり、片手間にやれるようなものではなかった。杜甫の人生にとって、引っ越しをせねばならぬほどの重みがあったと言うべきであろう。

 

 転居の時期は、晩秋と考えられる。そのことは左の詩の其の一で、

  煙霜淒野日、秔稻熟天風。 

(煙(もや)と霜のなか野日は凄(さむ)く、秔(うるち)の稲は天風にふかれつつ熟す。)

  《2027_自瀼西荊扉、且移居東屯茅屋、四首其一》

といっていることからもわかる。霜が降り、稲穂が熟しつつある時節である。稲が熟す稲刈りの時期が、杜甫の夔州詩では旧暦の晩秋九月であることは、第四節で述べたとおりである。

 では移居後、東屯にはいつまで居たのか、収穫が終わったらまた瀼西宅に戻ったのか。これらについてはよくわからない。夔州期は生活上のことをよく詩に歌っているが、再び瀼西宅に戻ったなどと、はっきり述べる詩は残っていない。ただ東屯に移ったあとの瀼西宅を、杜甫の娘婿の呉郎に貸し与えていたことはよく知られている。

 

 杜甫は翌年の正月中旬には夔州を旅立つ。城内では出航の準備をする必要もあったろう。東屯に引っ越す九月初めから一月中旬まで、その四ヶ月余り杜甫はどのような住まい方をしていたか。それはよく分からないし、旧来の伝記類もその点については曖昧にしている。しかし残された詩からすると、東屯を中心にしつつも、収穫の点検が終わってからは東屯、瀼西、白帝城内の三ヶ所を必要に応じて往来していた、と考えるのが無難なところではなかろうか。

 

 東屯に移り住んだあと、杜甫はどのような農事にたずさわったのだろうか。それらを拾い上げると、みな収穫に関する詩である。既に引いたものもあるが、煩をいとわず列挙してみると、

2030_從驛次草堂復至東屯茅屋二首》其一

  築場看斂積、一學楚人為。

(脱穀の)場を築きて イネを斂(おさ)め積むを看る、一に学ばん 楚人の為すを)

2058_暫往白帝復還東屯》

  復作歸田去、猶殘穫稻功。築場憐穴蟻、拾穗許村童。 

(復た 田に帰り去るを 作()すは、猶お 稲を穫()るの功(しごと)を 残せばなり。

 場を築きては穴の蟻を憐み、穂を拾うは村童に許さん。)

2033_刈稻了詠懷》

  稻穫空雲水、川平對石門。 

(稲は穫()りおわりて雲水は空しく、川は平らかにして石門に対す)

2043_雲》

  收穫辭霜渚、分明在夕岑。 

(米の収穫の後、雲は霜おく朝の渚を辞して、分明と 夕べの岑に在り。)

の如くである。

 

 ここには、「収穫」「稲は穫りおわる」「稲を刈り了る」「稲を穫る功」「(脱穀の)場を築く」「イネを斂(おさ)め積む」などの表現が用いられている。しかしこれらは、いずれも収穫の具体的な状況を描いたものではない。それは杜甫が初めから具体的な農事の場を写しとるつもりで、詩を作ったわけではないから当然であろう。

 「イネを斂(おさ)め積むを看る」とあるように、杜甫は稲の取り入れを傍から見ているのである。それが杜甫が行った米作りの「農事」である。繰り返すが、実際に杜甫が田に下り、鎌を持って稲を刈ったわけではない。それは病気がちの杜甫の健康が許さなかったなどという問題ではない。もちろん例外的なケースはあるだろう。が、伝統中国の王朝体制では、読書人階層の人間が自分の肉体を酷使する、こうした穀物生産労働に直接従事することは、普通はなかった。(後世の文人趣味としての風流な花卉栽培や、隠遁的風情をもった蔬菜・薬草の栽培などは話が別であるが。)