767-180   十七夜對月(卷二○(四)一七五三)注(1196)

 

 

20171216

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767-180   十七夜對月(卷二○(四)一七五三)注(1196) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9722

十七夜の月を「江村に独り老ゆ」のように、孤独にして寂寥の感が表れ瀼西の茅屋で、私は蜜柑の木に寄り添うている

秋の月がまだ円い今宵、老人となった私はひとり川辺の村にいる。

月は、すだれを巻き上げれば旅人である私をまた照らし、杖をたよりに外に出てもやはり私の後につてくる。

その光は水の中に潜むミズチを照らして目覚めさせ、輝きはねぐらに休む鳥を何度も飛び立たせる。

茅葺きの質素な家に高齊があり、自分は蜜柑や柚子と農業に寄り添うて生きている、そして、ここには、月光に輝く降りたばかりの清らかな白い露はいっそう生きる意欲を強くする。

 

767-177

八月十五夜月二首其一(卷二(四)頁一七五

全唐詩 卷二三〇_59

杜詩詳注卷二○(四)頁一七五○

767年大暦256  () -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9701

 

八月十五夜月二首之一

滿目飛明鏡,歸心折大刀。轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。此時瞻白兔,直欲數秋毫。

 

八月十五夜月二首之二

稍下巫山峽,猶銜白帝城。氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

刁鬥皆催曉,蟾蜍且自傾。張弓倚殘魄,不獨漢家營。

 

十六夜玩月

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。關山隨地闊,河漢近人流。

穀口樵歸唱,孤城笛起愁。巴童渾不寢,半夜有行舟。

 

十七夜對月

秋月仍圓夜,江村獨老身。捲簾還照客,倚杖更隨人。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。茅齋依橘柚,清切露華新。

 

東屯月夜

抱疾漂萍老,防邊舊穀屯。春農親異俗,月在衡門。

青女霜楓重,黃牛峽水喧。泥留虎鬥跡,月掛客愁村。

喬木澄稀影,輕雲倚細根。數驚聞雀噪,暫睡想猿蹲。

日轉東方白,風來北斗昏。天寒不成寢,無夢寄歸魂。


 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

 卷二三〇_59

文體:

五言律詩

杜詩詳注

卷二○(四)頁一七五○

2033 -

詩題:

八月十五夜月二首其一(卷二○(四)頁一七五○)

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 /瀼西・東屯)

及地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

0

0

 

交遊人物:

 

0

0

 

 

八月十五夜月二首其一

(月は故郷を思い浮かべるが特に中秋の名月は、特に帰京の気持ちを高ぶらせる気持ちを詠ったもの)

滿目飛明鏡,歸心折大刀。

目に映るものといえば、天に上った中秋の名月であるが、この明鏡は故郷をも同じように照らしている、私の長安へ帰りたいと思う心は、病気に伏せるのと、三峡の航路不安によって、戻る願いは大刀でぶった斬られ、くじかれたままである。

轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

私は転がる蓬草のように遠くまでやってきたが、よじ登れるほどに近く見える月を仰いで長安を思う。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。

月の光を浴びて、水面は白く光って霜や雪が降ったのかと疑い、林に棲む鳥の羽毛までもがはっきりと見える。

此時瞻白兔,直欲數秋毫。

この時、月に棲むという白ウサギを見れば、秋に生える細い毛も数えられるだろう。

 

(八月十五夜月二首其の一)

満目 明鏡飛び、帰心 大刀折らる。

転蓬 地を行くこと遠く、攀桂 天の高きを 仰ぐ。

水路 霜雪かと疑い、林棲 羽毛を見る。

此の時 白免を瞻れば、直ちに秋毫を数えんと欲す。

 

八月十五夜月二首其二

(中秋の名月も西に傾き始めたが白帝城は、月にてらされ、輝いている、唐の軍営も次第に整ってきている。)

稍下巫山峽,猶銜白帝城。

月は少しずつ巫山の谷間に落ちていくが、それでも光は高台の白帝城を包む。

氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

夜気が覆いかぶさって奉節、魚復浦地域全体は、谷あいの底であるから、一気に暗く見えなくなるが、月光が斜めに射して白帝城の高楼は、王冠のように、半分はまだ明るい。

刁鬥皆催曉,蟾蜍且自傾。

夜に打ち鳴らす刁鬥の音が朝が来るのをうながす時、満月で蟾蜍が良く見える月は次第に傾いていく。

張弓倚殘魄,不獨漢家營。

有り明けの月のもと、兵士が弓を張るのは、白帝城の軍営だけではなく、東西南北の異民族にたいして、ようやく軍営が整ってきた。

 

(八月十五夜月二首其の二)

稍や下る巫山の峡、猶お銜む白帝の城。

気沈みて 全浦暗く、輪仄きて 半楼明かなり。

刁鬥 皆な暁を催し、蟾蜍 且く 自ら傾かんとす。

弓を張りて殘魄に倚るは、独り漢家の営のみならず。

 

十六夜玩月

(十六夜の月が昇れば、佳い秋を皆が感じ、笛の音で故郷を思い出すけれど、ここの童子は夜も眠らず游し、大人は夜半でも舟を出して漁をしている、できるなら自分も舟を出向させたいと思っていると詠う。)

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。

今日は最も美しいといわれる十六夜であるが、昨晩は、月光は手にすくい取れるかのように明るく輝き、人々は、皆、玉のように白い露の降りる秋になったと値打ちのある月と感じるのである。

關山隨地闊,河漢近人流。

月光に照らされて、関所の置かれた険しい山が平地の向こうにどこまでも続くのが見えるし、天の川は明るく光って人の間近を流れていくようだ。

穀口樵歸唱,孤城笛起愁。

谷の入り口ではきこりが帰ってきて歌を歌い、ぽつんとある夔州の城郭に笛の音が響き渡れば、悲愁の秋、故郷を思うて愁いが起こるのである。

巴童渾不寢,半夜有行舟。

この巴の地の少年は、月明かりを楽しんで全く寝ないで遊んでいるし、大人といえば、夜中にも舟を操って進ませている、何れもこの月が美しくあかるいので喜んでいるのであろう。

 

(十六夜、月を玩ぶ。)

旧と挹む 金波の爽かなるを、皆な伝う 玉露の秋なるを。

関山地に随いて闊く、河漢人に近づきて流る。

谷口に 樵は帰りて唱い、孤城に笛は 愁い起こる。

巴童も 渾て寢ねず、半夜に 行舟有り。

 

十七夜對月

十七夜の月を「江村に独り老ゆ」のように、孤独にして寂寥の感が表れ瀼西の茅屋で、私は蜜柑の木に寄り添うている

秋月仍圓夜,江村獨老身。

秋の月がまだ円い今宵、老人となった私はひとり川辺の村にいる。

捲簾還照客,倚杖更隨人。

月は、すだれを巻き上げれば旅人である私をまた照らし、杖をたよりに外に出てもやはり私の後につてくる。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。

その光は水の中に潜むミズチを照らして目覚めさせ、輝きはねぐらに休む鳥を何度も飛び立たせる。

茅齋依橘柚,清切露華新。

茅葺きの質素な家に高齊があり、自分は蜜柑や柚子と農業に寄り添うて生きている、そして、ここには、月光に輝く降りたばかりの清らかな白い露はいっそう生きる意欲を強くする。

(十七夜に月に対す)

秋月の 仍お円(まど)かなる夜、江村に独り老ゆる 身ひとつ。

簾を捲けば つきは還た客を照らし、杖に倚れば 更に人に随う。

光は潜める虯を射て動かし、明かりは宿る鳥を翻すこと頻(しき)りなり。

わが茅斎は 橘柚に依りそい、清切にして 露の華は新たなり。

 

 

 

《十七夜對月》現代語訳と訳註解説

(本文) 
十七夜對月

秋月仍圓夜,江村獨老身。

捲簾還照客,倚杖更隨人。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。

茅齋依橘柚,清切露華新。

 

(下し文)
(十七夜に月に対す)

秋月の 仍お円(まど)かなる夜、江村に独り老ゆる 身ひとつ。

簾を捲けば つきは還た客を照らし、杖に倚れば 更に人に随う。

光は潜める虯を射て動かし、明かりは宿る鳥を翻すこと頻(しき)りなり。

わが茅斎は 橘柚に依りそい、清切にして 露の華は新たなり。

 

(現代語訳)

十七夜の月を「江村に独り老ゆ」のように、孤独にして寂寥の感が表れ瀼西の茅屋で、私は蜜柑の木に寄り添うている

秋の月がまだ円い今宵、老人となった私はひとり川辺の村にいる。

月は、すだれを巻き上げれば旅人である私をまた照らし、杖をたよりに外に出てもやはり私の後につてくる。

その光は水の中に潜むミズチを照らして目覚めさせ、輝きはねぐらに休む鳥を何度も飛び立たせる。

茅葺きの質素な家に高齊があり、自分は蜜柑や柚子と農業に寄り添うて生きている、そして、ここには、月光に輝く降りたばかりの清らかな白い露はいっそう生きる意欲を強くする。

 

(訳注)

十七夜對月

1. 十七夜の月を「江村に独り老ゆ」のように、孤独にして寂寥の感が表れ瀼西の茅屋で、私は蜜柑の木に寄り添うている

2. 【題意】 三日連夜の月を詠う。前詩十六夜の翌日の夜の作と考えられる。八月十七日でも円く輝く月とその光の下の風景を歌う。

 

秋月仍圓夜,江村獨老身。

秋の月がまだ円い今宵、老人となった私はひとり川辺の村にいる。

仍圓 今日もやっぱり月は丸いという事。

 

捲簾還照客,倚杖更隨人。

月は、すだれを巻き上げれば旅人である私をまた照らし、杖をたよりに外に出てもやはり私の後につてくる。

 

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。

その光は水の中に潜むミズチを照らして目覚めさせ、輝きはねぐらに休む鳥を何度も飛び立たせる。

潜糾 水深くにひそむミズチ。「糾」は角のない龍。

宿鳥 ねぐらに帰って休む鳥。

 

茅齋依橘柚,清切露華新。 
茅葺きの質素な家に高齊があり、自分は蜜柑や柚子と農業に寄り添うて生きている、そして、ここには、月光に輝く降りたばかりの清らかな白い露はいっそう生きる意欲を強くする。

清切 きよらかに、葉に露がくっつく。

露華 露の美称。

 

 

<月と夜露のなかの蜜柑>

 時期は前後するが、仲秋八月、白露の時節に蜜柑が立て続けに登場する'⑷'。五言律詩の1924_樹の間》に次のように歌う。

  岑寂雙柑樹、婆娑一院香。 

  交柯低几杖、垂實礙衣裳。 

  滿歳如松碧、同時待菊黄。 

  幾回霑葉露、乘月坐胡床。 

(たか)くして寂たり 双(ふた)つの柑(みかん)の樹、婆娑(ゆらゆら)として 一院(なかにわじゅう)に香し。

交われる柯(えだ)は 几杖より低く、垂れし実は わが衣裳を礙(さまた)ぐ。

満歳(ねんじゅう) 松の如く碧(みどり)にして、時を同じくして 菊を待ちて黄とならん。

幾回なるぞ 葉を霑(うるお)す露のよるに、月に乗じて わが胡床に坐せるは。

 

 大きな二本の蜜柑の木が、瀼西宅の庭せましと地面近くまでも枝葉を茂らせ、人にもぶつかりそうになるほど身近なところに、豊かに育った蜜柑が重そうに垂れ下がっている。庭中に蜜柑の香りが芳しく、常緑の蜜柑の葉をしめらす夜露が明るい月夜の中で輝いている。そんな中に腰掛けを持ち出して物思いにふけり、晩秋九月の菊花の時分にはすっかり実るであろう蜜柑を、私は何度待ち遠しく思ったことか……。

 杜甫は、この蜜柑べた褒めの詩の中で、たっぷりと蜜柑の情調にひたっている。だがそれは芸術的な鑑賞眼というよりは、蜜柑が目前に実るのを待っているもっと実際的な意識から生じていると思う。杜甫はいい意味での食いしん坊だが、目前の蜜柑にもう食指を動かしている。蜜柑が愛おしくてたまらないというような蜜柑への愛情が描き出されているのだが、この感情はもう一方では、蜜柑園の経営をしていることから生じており、普通の士大夫の趣味的な花や果樹への愛好とは違うだろう。収穫して旅の元手を作るという、実用の面からの潜在意識に突き動かされて、日常生活の身近なところで、こんなに親身な情愛のこもった蜜柑の詩を作った詩人は、杜甫以外にはいないと思う。

 

 この詩とよく似るものに、2012_十七夜に月に対す》の五言律詩がある。やはり瀼西草堂での作とされる。月をテーマにした十五夜、十六夜、十七夜の三部作の一つであり、蜜柑はここにだけ登場する。

  秋月仍圓夜、江村獨老身。 

  捲簾還照客、倚杖更隨人。 

  光射潛虯動、明翻宿鳥頻。 

  茅齋依橘柚、清切露華新。 

秋月の 仍お円(まど)かなる夜、江村に独り老ゆる 身ひとつ。

簾を捲けば つきは還た客を照らし、杖に倚れば 更に人に随う。

光は潜める虯を射て動かし、明かりは宿る鳥を翻すこと頻(しき)りなり。

わが茅斎は 橘柚に依りそい、清切にして 露の華は新たなり。

 

 よく似ると言ったのは、秋の月があり、夜露が降り、草屋の間近に蜜柑がある、という三点である。ただ、前の詩は蜜柑が主題であったが、ここでは十七夜の月である。しかも、前のうきうきした気分はすっかり影をひそめ、二句目の「江村に独り老ゆ」のように、孤独にして寂寥の感が表れている。七句目に「茅斎、橘柚に依る」というのは、瀼西の茅屋が蜜柑の木に寄り添うていると解するよりは、瀼西の茅屋で、私は蜜柑の木に寄り添うていると理解する方がよいかもしれない。もちろんこの蜜柑は経営中の蜜柑である。寄る辺のない杜甫を、あたかも抱き助けるがごとく杜甫の身に寄り添ってくれているのは、他ならぬこの蜜柑の木なのである。やがて蜜柑が収穫されれば多少の現金は入る、杜甫にとってはなんとも頼もしい木ではある。「茅斎、橘柚に依る」には、そんな気持ちが、無意識のうちに働いていたのではなかろうか。