767-230   昔遊-#1(卷二○(四)一七九五)注(1247)

 

 

201839

の紀頌之"6"つの校注Blog

口號王美人半醉

毛頴傳§5-2〔#14

昔遊-#1

孫光憲 河傳四首其二

#8 秋胡詩一首〔顏延之〕

【字解集】〔孫光憲・他辛・李〕北夢瑣言・唐才子傳

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代女性論

 

 

201839

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

747-0ⅴ【字解集】6首・戰城南二首 ・贈丹陽橫山周處士惟長 ・贈崔郎中宗之 ・贈崔諮議 ・崔四侍御 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10247

LiveDoo

rBlog

746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§5-2》〔#14〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10241

LiveDoo

rBlog

807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10066

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-230 昔遊-#1(卷二○(四)一七九五)注(1247)昔謁華蓋君 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10242

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (391)回目《孫光憲巻七48河傳四首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10271 (03/09)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉臺・巻4•2-2 -#8 秋胡詩一首(有懷誰能己)〔顏延之〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10251

LiveDoo

rBlog

巻三-29 【字解集】雜詩三首其一~其三  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10077

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

魚玄機関連詩-【字解集】〔孫光憲・辛文房・李郢〕北夢瑣言・唐才子傳  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10245

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

767-230   昔遊-#1(卷二○(四)一七九五)注(1247)昔謁華蓋君 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10242

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

 

 

 

 

杜甫    《東屯の詩》 (7

 

 

昔遊二首 其一

昔謁華蓋君,深求洞宮。玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。弟子四五人,入來淚俱落。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。王喬下天壇,微月映皓鶴。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。休事董先生,於今獨蕭索。

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。扶藜望清秋,有興入廬霍。

昔遊二首 其二

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

是時倉廩實,洞達寰區開。猛士思滅胡,將帥望三台。

君王無所惜,駕馭英雄材。幽燕盛用武,供給亦勞哉。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。肉食三十萬,獵射起黃埃。

隔河憶長眺,青已摧不及少年日,無復故人杯。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。有能市駿骨,莫恨少龍媒。

商山議得失,蜀主嫌猜。呂尚封國邑,傳已鹽梅。

景晏楚山深,水鶴去低回。龐公任本性,攜子臥蒼苔。


 

767-0168

  昔遊(卷二(四)一七九五)

杜詩詳注卷二○(四)一七九五

全唐詩卷二一八-03

 (杜少陵集 巻20-87)訳注 1247

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ10235

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

 

 

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす。

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

卷二一八-03

文體:

五言古詩

杜詩詳注

卷二○(四)一七九五

杜少陵集 巻20-87   -  訳注 1247

詩題:

  昔遊(卷二○(四)一七九五)

序文

 (昔遊二首 其一)

作地點:

夔州(山南東道 夔州 夔州・東屯)

及地點:

瀼西の草堂寫及地點:

 

 天壇 (都畿道 河南府 王屋)    

 

蒙山 (河南道 沂州 蒙山別名:東蒙           

 

廬山 (江南西道 江州 廬山別名:廬嶽、匡山           

 

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)  

交遊人物:

 

 

 

 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊二首其一

昔謁華蓋君,深求洞宮

玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

弟子四五人,入來淚俱落。


(下し文)
(昔遊二首其一)

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮のを求めんとす。

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。


(現代語訳)
(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。


(訳注)

昔遊二首其一

1.(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

2. 杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56、夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二(744年 天宝3載 33歳のころ)として整理する。

16-16昔遊〔二首之二〕》昔遊

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

 

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

3. 華蓋君 崑崙山の別称として華蓋ということで、道士名として仙人王子喬、華蓋君と号した、此処では王屋山にいる道士のことを挿している。

4. 華蓋 花のように美しい衣笠(きぬがさ)ハスの花の形をした天蓋。崑崙山の別名。王子喬: 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。

 それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

華蓋君については七言古詩《巻21-56 惜昔行》と参看し、東蒙に関する部分は《巻02-27玄都壇歌》(玄都壇歌寄元逸人)と参看すべきと考える。

玄都壇のさまを述べて元逸人に寄せた詩。752天宝十一載の作。この詩は、李白の「西岳云台歌送丹邱子」と雰囲気を同じくしている。

玄都壇歌寄元逸人

故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。

故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』

屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。

子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。

鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』

 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

5. 洞宮 道教では、地に洞天三十六所あり、八海の諸山、五岳名山に皆洞宮ありと称す。王屋山に洞あり、周囘三里、名付けて小有清虚之天という、《巻21-56 惜昔行》にこれを「憶昔北尋小有洞,洪河怒濤過輕舸。」(憶う昔 北尋ぬ小有洞,洪河の怒濤に輕舸過ぐ。)といっている。とは山足をいう。

 

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

6. 玉棺 華藍君の寝れたる棺,天棺については後漢の王喬の故事あり、「葉県令王喬、天下玉棺於堂前。吏人推排、終不揺動。天帝独召我邪。沐浴服飾、寝其中、蓋便立覆。」(天、玉棺を堂前に下す。吏人推排するも、ついに揺動せず。天帝、ひとり我を召すか。沐浴・服飾してその中に寝るに、蓋、すなわち立ちどころに覆えり。)とある。

7. 上天 死せしないふや

 

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

8. 艮岑頂 東北のみね、王屋山の東北に洞あり。艮:①丑寅、東北の方角、②午前二時から四時の時間帯。)岑:みね。山が切りたった高い所。また、鋭く切り込んだように険しいさま。 高くて先がとがる。けわしい。するどい。 【岑岑】しんしん頭などがずきずき痛むようす。 「頭が岑岑と痛む」【岑】みね山のひときわ高くなった所。山のいただき。頂上。山頂。

9. 巾几 華蓋君の生前つかっていた頭巾、脇息。

10. 未卻 撤去せず、そのままにしてかたずけていないことをいう。

768年作。《巻21-56 憶昔行》「巾拂香餘擣藥塵,階除灰死燒丹火。」(巾拂 香は餘る擣藥の塵,階除 灰は死す 燒丹の火。

 

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

11. 弟子 華蓋君の弟子の盧老たちが徒をさす。768年作。《巻21-56 憶昔行》「弟子誰依白茅室,盧老獨青銅鎖。」(弟子 誰か依る白茅室,盧老 獨りく 青銅の鎖。

12. 淚俱落 《巻21-56 憶昔行》「松風澗水聲合時,青兕黃熊啼向我。」(松風 澗水 聲合時,青兕 黃熊 啼きて我に向う。