767--35 767-【字解集】 2首・寄裴施州・鄭典設自施州歸

 

 

2018517

の紀頌之"6"つの校注Blog

答王十二寒夜獨酌#5...

5月17日校注Blog

【字解集】 ・寄裴施・鄭典設

【字解集】定西・河滿・玉蝴

5月17日校注Blog

6. その後の漢帝国と匈奴との関係

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

 

2018517

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#5...

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807年-11元和二年40歳§-3-1《張中丞傳後敘#9》〔〕Ⅱ漢文委員会...

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-集-35 767-【字解集】 2首・寄裴施州・鄭典設自施州歸 Ⅲ...

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (432)回目《孫光憲【字解集】-13・定西番二首 ・河滿子 ・玉蝴蝶 ・八拍蠻 ・竹枝二首 ・思帝》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10621 (05/17)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉臺・巻四-17 擬樂府四首其四#3邁遠〕 Ⅴ漢文委員会kanbun...

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

Ⅳ 政略婚) 《§-1 烏孫王に嫁いだ細君》6. その後の漢帝国と匈奴との関係 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10630

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

  

767--35 767-【字解集】 2首・寄裴施州・鄭典設自施州歸 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10720

 

 

 

 

 

 

杜甫 《東屯の詩》   11

 

瀼西宅では余剰の野菜を売っていた可能性もあった。さらに薬草の売買に関しては、求職中の長安時代から、生活費を稼ぐために薬草を採集したり、秦州では、薬草売りでもして生計を立てようかと考えていたり、成都時代には実際に薬草園を持っていたりした'⒃'。杜甫は生きていくために、このような経済活動にも早くから手を染めてきた。一方的に高官や知人等の経済的援助に、頼っていただけではないのである。

 自活の道をさぐっていた杜甫の姿は、もっと注目されてしかるべきである。もちろん官を辞めてからの杜甫の後半生は、結局は人の援助に頼らざるを得ない生活であった。しかし薬草を採集し、野菜を種え、蜜柑園と稲作を経営して生計の足しにし、少しでも自立しようとしていたその姿勢は、杜甫の精神の有り様を考えるうえで重要である。

 

  詩題

全唐詩

杜少陵

1  寄裴施州(卷二○(四)一八一○)

卷二二一 019

20-100

2  鄭典設自施州歸(卷二○(四)一八一二)

卷二二一  20

20-101

3  觀公孫大娘弟子舞劍器行並序(卷二○(四)一八一五)

卷二二二 012

20-102

4 寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八)

卷二二二  09

20-103

5 寫懷二首其二(卷二○(四)頁一八二○)

卷二二二  10

21-01

6 冬至(卷二一(四)一八二三)

巻二三一-0011

21-02

 

1

寄裴施州

〔裴冕坐李輔國貶施州刺史〕

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

#2

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。堯有四嶽明至理,漢二千石真分憂。

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

#3

霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。紫衣使者辭複命,再拜故人謝佳政。

將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

(裴施州に寄せる)

〔裴冕が李輔國の貶れるに坐して施州刺史となる〕

廊廟の具たり 裴施州、宿昔一たび逢えば比流無し。

金鐘大鋪東序に在り、氷壷 玉衡 清秋に懸かる。

#2

相い遇してより 多病を減じ、三歳客と為るも辺愁を寛くす。

堯には四岳有りて 至理を明らめ、漢の二千石は真に憂いを分かつ。

幾度か書を寄せらる白塩の北、苦寒我れに贈る 青羔の裘。

#2

霜雪は光を廻して 錦袖を避け、龍蛇は筐に動きて銀鈎蟠る。

紫衣の使者 辞して復命せんとす、故人に再拝して佳政を謝せ。

将に老いんとして己に失す子孫の憂い、後来況や才華の盛んなるに接するをや。

 

2

鄭典設自施州歸

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。名賢慎所出,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。

#3

聽子話此邦,令我心悅懌。其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

4

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

5

群書一萬卷,博涉供務隙。他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

6

乃聞風土質,又重田疇闢。刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

7

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。此身仗兒僕,高興潛有激。

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

8

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 (鄭典設 施州より歸る) #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

#3

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

#4

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

#5

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#6

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

#7

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。
孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

#8

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん

 

 

 


【字解集】 2首・寄裴施州

 

寄裴施州

1. (東屯で過ごしているところへ、施州刺史の裴氏が手紙と防寒に最高のものとして、羔の裘を贈ってくれたので、裴氏の贈り物に対する謝礼を述べ、裴氏の政治の功績を賞賛していることを伝えるよう使者に依頼した。)

2. 【題意】 大暦二年(767)冬、夔州東屯における作。施州刺史の裴氏が手紙と羔の裘を贈ってくれたので、裴氏の贈り物に対する謝礼を述べ、裴氏の政治の功績を賞賛していることを伝えるよう使者に依頼した。

3. 「施州」は湖北省恩施土家族苗族自治州。夔州の南約百キロメートルに位置する。現在でも少数民族の自治州が置かれているが、唐代では多くの民族が雑居する辺境の地と認識されていたのである。

4. 「裴施州」(施州刺史の裴冕)は、経歴未詳。一説に、施州刺史の経歴を持つ裴冕と見る『黄鶴補注』が、詳注は誤りと断じ、陳冠明ほか『杜甫親眷交遊行年考』も詳注に従っている。

5. 朱注に「代宗紀寳應元年九月、右僕射山陵使裴冕が貶せられ、施州刺史に。廣徳二年二月、以て灃州刺史裴冕が左僕射を為し、兼ねて御史大夫に考せらる。廣徳元年三月𤣥宗、肅宗を葬し、則ち、冕、山陵使と為す、必ず在廣徳元年、以て前にして、不在永泰元年明矣。

冕、灃州より徴還し永泰元年三月方に待制集賢本傳に至る。誤以て集賢待制、山陵使之前に在り、又、誤以て施州に貶せられ、為在永泰元年耳、考公、到州の冕、已にしく居朝廷不應有此寄且詩云幾度寄書白鹽北苦寒贈我青羔裘公以大厯二年秋東屯に移居し、東屯正在白鹽之北公移りて、東屯詩、白鹽・危嶠北、可證則知。是の詩、乃ち大厯二年冬所の作也。

史載二年二月左僕射裴冕、置宴於子儀之第、是年何得在施州乎。公遇裴施州在去蜀之年其人名不可考矣。黄鶴以為裴冕誤と斷ず

鶴注九域志に州の北、施州に至る蓋ね三百餘里。

唐書施州清江郡屬黔中道なり。

 

〔裴冕坐李輔國貶施州刺史〕

〔裴冕は李輔国の介入に関係して施州刺史に貶謫されていた〕

6. 李輔國 (り ほこく、704 - 762年)は唐代粛宗の時代に専権をふるった宦官。本名は静忠、後に護国と賜名され、更に輔国と改名している。

元来は宦官である高力士の僕役として宮廷に入り、40歳以降になり閑厩を掌握、後に太子李亨に入侍した。安史の乱の際に玄宗が蜀に逃亡した際、李静忠は太子に随い馬嵬駅(現在の陝西省興平)へと逃れ、太子に対し楊国忠の殺害を進言し、唐朝の復興に尽力した。太子が霊武(現在の寧夏回族自治区霊武)で即位すると、李静忠はその功績から元帥府行軍司馬に任じられ兵権を掌握、そして名も輔国と改めた。

安史の乱が終結し粛宗に随い長安に戻った李輔国は郕国公に封じられる。この時期李輔国は察事庁子を設置し、官人の活動を監視するようになった。まもなく玄宗が長安に戻り太上皇となったが、玄宗復位を恐れた李輔国は玄宗に対し西内太極宮に移ることを迫り、また玄宗が親信していた高力士らを免官にしている。

宝応元年(762年)、玄宗が崩御すると、粛宗もまた病床につくこととなる。この事態に張皇后は、太子の李豫(代宗)の殺害と越王李係の擁立を画策する。これに対し李輔国は、太子豫を即位させ、張皇后と李係を殺害する。このようにして権力基盤を不動にした李輔国は、その言動に傲慢さが表れ、これが代宗の不興を買い、禁軍の一部を掌握した程元振によるクーデターにより失脚、後に刺客により殺害されている。

7. 裴冕703年-770年),字を章甫と,河中河(今山西永)人,唐朝の宰相。裴冕の出身于河裴氏眷房,任渭南尉、御史、河西行。安史の乱時,因参与立唐宗,授侍郎、同平章事,后右仆射,两京收复后封冀国公。唐代宗年,裴冕任施州刺史、澧州刺史、左仆射,并加集院待。大暦四年(769年),裴冕被元载举宰相,加同平章事,并兼都留守。同年十二月病逝,67

 

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

朝廷の重臣である施州刺史の裴殿には、かつて一度お会いした時、その比類ない人物に感嘆したものだ。

8. 廊廟之具 朝廷を支える人材。・廊廟は朝廷。・具は器物調度、転じて人材。

9. 宿昔 以前。

10. 比流 比肩する者。

 

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

その人柄は、金鐘や大鐘が宮廷の東の脇殿で荘重な音楽を奏でるように威厳があり、見識は月や北斗星が秋の澄んだ夜空にかかっているように高く明らかだった。』

11. 金鐘大鏞 金属の鐘と、それより大きな鐘。大小の鐘をつるして叩いて音楽を奏する編鐘という古代の楽器を指す。其器宇恢𢎞冰玉狀其識鑒清朗許靖夙有名譽蔣濟以為有廊廟之器 

蜀志許靖傳詩賁鼓維鏞鏞大鐘也。

12. 東序 宮廷の東側の翼廊、細長い部屋を言う。夏の時代には、ここに大学が置かれていたという(『礼記』王制)。之の書天球河東序在り、任昉の序、並びに東序之秘寳實瑚璉

13. 氷壷月。もと氷を入れた宝玉の壷だが、転じて冷ややかに清んだ月や月光のこと。茂器 選詩清如玉壺冰

14. 玉衡 北斗星。もと北斗七星の第五星を指し、転じて星座全体をいう。書在璿璣玉衡。首敘往日逢裴玊杜臆廊廟之具正於金鐘 衡見之鐘鏞狀

 

#2

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

たしかにお会いしてから、私の多くの持病も次第に良くなり、三年間、旅人の境遇にあるが侘しい思いをしないでもすんだのである。

15. 三為客 足かけ三年寓居する。永泰元年(765)秋から雲安や夔州で下船して病気療養した時間経過を指す。

 

堯有四嶽明至理,漢二千石真分憂。

堯には四嶽という聡明で、理知的な素晴らしい補佐役がいて大事業を追行することができたし、漢二千石といわれる郡守は天子とその憂いを分かちあって国を治めたという、あなたの治績は彼らに匹敵するものである。』

16. 堯有四嶽 堯を補佐した大臣。「四嶽は帝堯に仕えている時には次の帝として舜を推薦し、帝舜に仕えている時には次の帝として禹を推薦している。さらに、帝堯は老いたときにその帝位を忠実で有能な四嶽へと譲ろうとしたが、四嶽は自分が徳が低いという理由で固辞している。」

司馬遷の史記、五帝本紀に四嶽の記載が見える。

「大禹の大業である黄河の治水工事を共工の兄弟の孫の四嶽が補佐をした」と《国語・周語下》にみえる。

17. 漢二千石 漢代に穀二千石の俸禄を受けたという郡の長官である太守のことをいうが、この詩では、唐代、州の長官である刺史の雅称であったことをいう。

18. 分憂 天子とともに憂いを分かちあう者。郡の太守や州の刺史を指す。『漢書』巻八九「循吏列伝」に宣帝の発言に、“常稱曰:「庶民所以安其田裡而亡歎息愁恨之心者,政平訟理也。與我共此者,其唯良二千石乎!」以為太守,吏民之本也。として「庶民が安んじて畑仕事ができ、悲しい思いをしないですむのは、世が治まり訴訟沙汰がなくなるからだ。朕とこの思いをともにしてくれるのは、二千石(郡の太守)だけだ」。”とある。

 

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

あなたは夔州の白塩山の北のわが家に何度も手紙を寄せてくれ、厳しい冬を越すための立派な黒子羊の皮衣を贈ってくれている。

19. 白鹽北 夔州の北にある白塩山の北。杜甫の東屯の寓居の所在地。“自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一に「白鹽危嶠北,赤甲古城東。平地一川穩,高山四面同。」(白鹽 危嶠の北,赤甲 古城の東。平地 一川 穩やかに,高山 四面 同じゅうす。ここは白鹽という急峻で落石の多い危なげな山の北側に位置する、また、赤甲山の古城の東にあたっている。僅かな平らの地面に一筋の川が穏やかに流れているが、離れた四方はどちらも同じように、高山が立ち並んでいる。”とある。

20. 青羔裘 黒い黒(子羊)の毛皮で作った立派な上着。

 

#3

霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。

霜や雪が降り続ければ、その光も冷気をさらに強くして廻引き戻すように何もかも冷たくし、その冷たい塊は、龍蛇のように衣裳箱に充満している、貴兄からの書簡はこうした中でも、書箱で、文字が龍や大蛇のようにうねり、銀の鈎がいかめしく絡みあうようだ。

21. 霜雪廻光避錦袖 霜や雪が降り続ければ、その光も冷気をさらに強くして廻引き戻すように何もかも冷たくし、その冷たい塊は、龍蛇のように衣裳箱に充満している、貴兄からの書簡はこうした中でも、書箱で、文字が龍や大蛇のようにうねり、銀の鈎がいかめしく絡みあうようだ。

22. 龍蛇動筐蟻銀鈎 あなたの手紙は、筐(書箱)の中で龍蛇が動き、力強い筆づかいは、銀の鈎が絡みあうようだ。「鈎」は、物をかけたり下げたりするために金属を曲げて作ったカギ。「龍蛇」「銀鈎」ともに、裴施州の手紙の力強い優れた筆致を賛美する。寒さの中=厳しい条件下の中で、意志を貫くような文字が動いているという意。

 

紫衣使者辭複命,再拜故人謝佳政。

裴殿の使者が夔州を辞して施州に戻ろうとするので、私に代わって裴殿に再拝し、その立派な政治を賛美してもらいたいと思う。

23. 紫衣使者 施州刺史の使者。「紫衣」は施州刺史(正四品下)の官服の色。

24. 復命 任務を終えて報告する。使者が、出張先の斐州から施州に帰ること。

25. 再拝故人謝佳政 友人(故人)の裴施州が任地で善政(佳政)を行っていることに対して杜南の賞賛の意を伝える。

 

將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

私は老いに差しかかったが、わが子孫についてはあなたの善政の恩沢を蒙ることができるので心配もない。ましてや後世の手本となるべきあなたの立派な詩文に、私は接することができたのだから。

26. 失子孫憂 自分の子孫の将来を心配(憂)しないですむ。裴施州の善政の恩恵が杜甫の子孫にも及ぶと解し、もっと直接的に、子孫が裴施州の援助を得られると解する。杜詩《遣懐》に、「臨餐吐更食,常恐違撫孤。」(餐に臨みて吐いて更に食し,常に恐る撫孤に違わんことを。)とある。

27. 後來況接才華盛 「才華盛」は裴施州の文才(才華)が優れること。詳注は、後世(後来) の手本となるべき裴施州の優れた詩文に、杜甫が接することができたと解する。なお『九家注』巻一三は、「才華盛」は襲施州の子についていうとし、私(杜甫) が老いても、子孫は襲殿の立派な才能のある子孫と接することができると解する。鈴木注も同じ。『李寿松注』 三党頁は、「後来」を前句の子孫を指すと見て、杜甫の子孫が襲施州の優れた詩文を受け継ぐことができると解する。

 

 

 

【字解集】 2首・鄭典設自施州歸

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。

此當是大厯二年作。

1    鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。太唐志「東官典、設郎四人掌 子湯沐汎掃鋪陳事」杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

757年-24 江雨有懷鄭典設 杜詩詳注(卷一八(四)一六一四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7705

2    施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》「」767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985 

杜臆、施州は州に舊屬す、路明改め施州とす。衛は湖廣に屬して之建始縣は施州に𨽻し、府の南五百里に在る。太唐志に云う、「民雜夷獠、頗る華風」とある。

 

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったとについてである。

3    滎陽秀 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

4    適 他の土地に行くこと。

 

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

 

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

5    旅茲 これによって旅に出る。

6    殊俗遠 風俗のちがった遠方。

7    屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

 

【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽秀 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

8         裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

9    氣合 意気投合する。

10    無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

 

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

11    懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

12    登頓 のぼったりやすんだり。

13    入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

 

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

14    憂戚 戚もうれいなり。

 

#3

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。

15    子 鄭をさす。

16    此邦 施州をいう。

 

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

 

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

17    溫溫 温情があることを言う。

18    諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

 

#4

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

19    敕廚 臺所へ申しつける。

20    倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

21    狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

 

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

22    事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

23    賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

 

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

24    愜良會 憶は心のかなうこと、良會はたのしき会合、即ちこれまでのみご馳走の宴会。

25    非遠戚 遠戚は遠き親戚なり、これは事実関係は不明、裴と鄭二姓必ず親戚の関係があるということであろう。

 

#5

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

26    博涉 書物にひろくわたる。

27    務隙 事務のひま。

 

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

28    他日 往日

29    辱銀鉤 裴より手紙を受けしをいう、銀鈎は裴の手紙の筆勢を誉めたもの、銀鈎は銀細工の簾を止める金具。

30    森疏 いかめしくまばら。

31    見矛戟 ほこ、筆勢の細くするどきをたとえること。

 

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

32    倒屣 履は「くつ」、くつを倒にはくは狂喜して迎うるさま。

33  旋歸 郷が夔州へかえりしこと。

34  畫地 平地に図面を描く

35  所歷 鄭が経歴したところ。

 

6

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

36    風土質 施州の風土の性質をいう。

37    又重 又重ねて聞く。

38    田疇闢 田地の畝が開けていること。

  

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

39    寇恂・競惜 後漢の光武帝、寇恂を穎川の太守とした、また汝南に移す、穎川に盗み起るやその人民光武にむかひ復び寇恂君か借りること一年ならんと請ひたり。是を以て寇恂を裴冕に比す。

 

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

40    瘴癘 特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。マラリアなど。

41    羸老 杜甫自身が老いて疲れたことを言う。

42    散策 杖を突いてぶらつく。

  

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

43    渚拂 水辺を進んでゆく。

44    蒹葭塞 《詩経国風:秦風、蒹葭》「兼葭蒼蒼、白露為霜。所謂伊人、在水一方。」(兼葭蒼蒼たり、白露霜と為る。所謂伊【こ】の人、水の一方に在り。)葦が青々と茂り、白い露が霜になった、評判のこの人は、河の向こう側に住んでいる、河の流れに逆らって訪ねたいと思っても、水路は険しくかつ長い、

45  嶠穿 険しい山道を行く。

46  蘿蔦冪 蘿や蔦がおおいかぶさる。

 

#7

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

47  高興 遊覧の興のさかんになること。

48  潛有激 それとなく激發されている。

 

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

49    孟冬 冬の初の月、十月。因みに、十二か月を示すと、一、端月;二、花月;三、桐月;四、梅月;五、蒲月;六、暑月;七、瓜月;八、桂月;九、菊月;十、陽月;十一、霞月;十二、臘月。

50    首路 初めて路程にのぼる、

51    強飯 無理に加飯する。

52    取崖壁 進む路を崖壁にとる。

 

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

53    爾 やくざな駑馬をいう。

54    駑駘 やくざな駑馬。

55    汗溝 馬の背中。

56     血不赤 「汗血馬」のようないい馬ではない。杜甫は馬が好きで、馬についていくつかの詩を残している。ここはそうしたいい馬ではないことを言う。汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。紀元前4世紀頃から中国は遊牧騎馬民族の侵入を受け続けた。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができなかった。紀元前2世紀初めの匈奴との戦いでは漢民族側の騎兵は10万頭の馬を失い、強く健康な北方の馬を手に入れることが防衛の要と考えられるようになった。杜甫《洗兵行(洗兵馬)》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

 

#8

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

9    終然 ついに。

10  外飾 外見をよくしようとして、十分に飾りたてること。

11  駕馭何所益 そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

 

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

12  平肩輿 方で担ぐ籠とか、神輿。

13  准的 目的、目指す的。

 

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

14  翩翩 みこしに乗って飛ぶような心地を言う。

15  鳥道 裴冕のいる施州に行くには鳥が飛んで山を越えるような道であるというほどの意。

16  蹉跌厄 駑馬で行ったなら躓いて災難に遭う。