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767
-234  柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

767-234 -#1

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

柳司馬至(卷二一(四)一八二四)              767

1266

有客歸三峽

 

 

 

 

 

1212          柳司馬至(卷二一(四)一八二四)           767

                  有客(一作使)歸三峽,相過問兩京。函關猶出(一作自)將,渭水更(一作自)屯兵。 

                  設備邯鄲道,和親邏(《唐書》作娑)城。幽燕唯鳥去,商洛少人行。     

                  衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。         

 

 

仇兆鰲 杜詩詳注 原文

  栁司馬至

  鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京/

  

有客一作/使歸三峽、相過/問兩。京函猶出一作//

渭水一作/徒昆/兵。設備邯鄲道、和親邏力佐//

切唐書作娑韻/娑或作通作些城。

幽燕/唯鳥去、商洛少人行。衰謝身何補、蕭條病轉嬰。

霜天到闕、戀主寸心明。首二、栁至夔而問信也。中六、栁答詞。

下四、公自叙。出將屯兵、設/備和親、此指西京吐蕃事。幽燕路梗、商洛人稀、此指東京叛將事。

《杜臆》:霜天望闕、千里明淨唯戀主丹心。與/之共明耳。 此十字句法。 

1⃣ 《漢書》:文帝至霸陵、慎夫人從、帝指視新豐道曰: 「此走邯鄲道也。」 《左傳》:楚子以諸侯伐吴、

  早設備、楚無巧而還。

2⃣ 《舊唐書・吐蕃傳》: 其人或隨畜牧、而不常厥居、然頗有城郭、其國都城。號邏些城

《新書』: 吐蕃賛普居跋布川、或居邏娑川。

3⃣ 《髙士傳》: 四皓共入商洛。

4⃣ 劉楨詩:余嬰沉疴疾。

5⃣ 薛道衡詩: 霜天/雁聲。

 申涵光曰: 此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、地名八見、亦是一病。

 

 

作者:    杜甫

皇帝紀年:           大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二三一             

文體:    五言古詩

詩題:    柳司馬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)           

商洛 (山南東道 商州 商洛)              

交遊人物/地點:  

柳至       書信往來

詩文:

 

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

設備邯鄲道,和親邏些城。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

鳳翔 長安 華州 地図01 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二四 柳司馬至 現代語訳 訳注解説

(本文)

柳司馬至

有使歸三峽,相過問兩京。

函關猶出將,渭水更屯兵。

設備邯鄲道,和親邏些城。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

詩文(含異文)     有使歸三峽,相過問兩京。函關猶出將【函關猶自將】,渭水更屯兵。設備邯鄲道,和親邏些城【案:吐蕃號其國都為邏些城。】。幽燕唯鳥去,商洛少人行。衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(下し文)

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

(現代語訳)

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

 

(訳注解説)

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

【題意】 大暦二年(芙七)冬、夔州で作られた詩。この年の九月から十月、吐蕃の攻撃で戒厳下にあった長安と洛陽の様子を述べ杜甫の朝廷への思いを綴る。柳司馬は未詳、司馬は官名。

鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京

【解説】 「函関」以下の六句について、詳注は「函関」「澗水」「郡部」「避逆」は長安に迫 る吐蕃に対する防衛とし、「幽燕」「商洛」は洛陽に迫る河北の藩鎮(地方軍閥) に対する防 衛とする。『読杜心解』巻五之三は、「函関」「郡部」「幽燕」各句は藩鏡への防衛、「滑水」 「遵逆」「商洛」各句は吐書への防衛をいうと考える。

仇兆鰲の註に、「首の二句は、栁 夔に至って信を問うなり。」とあり、中の六句、「栁が詞を答う。」、「下四句は、公 自叙す。將を出づし兵を屯す、備を設し和親す、此に西京を指し吐蕃事とす。幽燕には路梗し、商洛には人稀なり、此れは東京の指し叛を將は事とす。

《杜臆》に:「霜天闕を望み、千里 明淨し 唯だ戀主は丹心なり。與之と共に明かなるのみ。 此の十字句は法なり。 

仇兆鰲の註に、「申涵光曰: 『此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、の地名八見す、亦た是れ一病なり。

 

 

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

三峡 重慶市から湖北省にかけて続く、長江の三つの峡谷。西から瞿塘峡、巫峡、西陵峡と位置する。

雨京 長安と洛陽。

 

 

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

函關 函谷関。長安の東方を守るための關所。戦国時代の旧関(河南省三門峡市霊宝市)と前漢の新関(河南省洛陽市新安県)がある。ただここでは潼關(眺西省洞南市潼關県)の別称だろう。

渭水 渭河。黄河の支流で長安の北を流れる。

 

 

設備邯鄲道,和親邏些城

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

設備 吐蕃への防備を設ける。

邯鄲道 長安付近から邯鄲(河北省邯鄲市)に至る道。「郡部」は畳韻語「カンタン」。

和親 和睦する。

邏些城 吐蕃の国都(チベット自治区ラサ市)。