67-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11106

 

 

767-234 -2

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

別李義(卷二一(四)一八二五)   767

1267

神堯十八子

 

 

 

 

 

1213          別李義(卷二一(四)一八二五)              767

                  神堯十八子,十七王其門。道國洎(一作及)舒國,實(一作督)維親弟昆。             

                  中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉(一作王業),之子白玉溫。        

                  道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅睦(一作穆)古制敦。           

                  先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文章(一作筆)壯,河經經術存。           

                  爾(一作溫)克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖(一作河)奔。             

                  憶昔初見時,小襦(一作孺)繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。           

                 三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離樽。         

                  莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。         

 

                  願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不知(一作如)親故恩。           

                  豈惟數盤餐。猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。            

                 王子自愛惜,老夫困石根。生別古所嗟 ,發聲為爾吞。        

 

別李義(卷二一(四)一八二五)           768

神堯十八子,十七王其門。道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

作者:  杜甫

皇帝紀年:      大曆二年

寫作時間:      767

寫作年紀:      56

卷別:  卷二三一       

文體:  五言古詩

詩題:  別李義

詩序: 

寫作地點:      目前尚無資料

寫及地點:      故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關       

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)    

商洛 (山南東道 商州 商洛)      

交遊人物/地點:

柳至       書信往來

詩文:

 

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別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

神堯十八子,十七王其門。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

(下し文)

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

 

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

神堯 唐の。上元元年(674)に「神尭皇帝」と誼され、天宝十三載(754)には 「神尭大聖光孝皇帝」 に改められた。李 淵(り えん、56647 - 635625日)は、唐の初代皇帝。隋末の混乱の中で太原で挙兵し、長安を落として根拠地とした。そこで隋の恭帝侑を傀儡として立て、禅譲により唐を建国した。李淵は在位9年の間王世充などの群雄勢力と戦い、また律令を整備した。626年に太宗(李世民)に譲位し、太宗が残存の群雄勢力を一掃して唐の天下統一を果たした。

 

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

十八子 二二人の高祖の息子のうち、早くに薨去した衛王李玄覇・楚王李智雲、誅殺された隠太子李建成・巣王李元吉を除いた一八人。

十七 上述の一八人から太宗李世民を除いた十七人。

 

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

道国 16皇子 道王の李元慶。

舒国 18皇子 王の李元名。

親弟昆 同腹の兄弟。文末の李渕の子息表、また、「新唐書 巻七九「高祖諸子列伝」によれば、李元慶(母 劉婕妤)と李元名(母 小楊嬪)と彼らの母は異なる。

 

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

中外 李義は李元慶の男系(直系)の玄孫、杜甫は李元名の外孫の、さらにその外孫に当たる。

 

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

丈人 親族 内の年長者。李義の父の李疎を指す。

三葉 道モの三代。李元慶、李誘、李微の三人を指す。

之子 その子。李義。

白玉温 滑らかな白玉のように人品に角がなく温厚である。『詩経』秦風「小戎」 に 「言に君子を念う、温として其れ玉の如し」。

 

高祖、李淵の22人の子息

1.太子 李建成 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ息王を封贈、のち隠太子を追贈)

2.秦王 李世民 - 竇皇后(李建成暗殺後に立太子、高祖退位をうけて即位、廟号は太宗)

3.李玄霸 - 竇皇后(高祖即位前に早世、高宗のとき衛王を封贈)

4.斉王 李元吉 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ海陵郡王を封贈、のち巣王を追贈)

5.楚王 李智雲 - 万貴妃

6.荊王 李元景 - 莫嬪

7.漢王 李元昌 - 孫嬪

8.酆王 李元亨 - 尹徳妃

9.周王 李元方 - 張婕妤

10.徐王 李元礼 - 郭婕妤

11.韓王 李元嘉 - 宇文昭儀

12.彭王 李元則 - 王才人

13.鄭王 李元懿 - 張宝林

14.霍王 李元軌 - 張美人

15.虢王 李鳳 - 楊美人

16.道王 李元慶 - 劉婕妤

17.鄧王 李元裕 - 崔嬪

18.舒王 李元名 - 小楊嬪

19.魯王 李霊夔 - 宇文昭儀

20.江王 李元祥 - 楊嬪

21.密王 李元暁 - 魯才人

22.滕王 李元嬰 - 柳宝林


  别李義

  此當是大歴二年冬作。 祭盧注:李義、李鍊之子。鍊在明皇朝、曽遣 沂山東安公。

  乃宗室之賢、義能繼美。

 

神堯十八子、十七王其門。道國洎一作及舒國、實一作督維親弟昆。

中外貴賤殊、余亦忝諸孫。丈人嗣三葉、一作玉業之子白玉温。從世系親誼叙起。 

朱注:義與公為中表戚、故云:「中外貴賤殊」 趙曰:「丈人、指義之父鍊;之子則指李義也。

詳味詩意、李義者、道國之裔孫、而公/則舒國後裔之外孫也。 從義之父、上遡至道王為三世、

故曰:「嗣三葉」

1.    《通鑑》:天寶十三載二月、上高祖謚曰神堯大聖光孝皇帝。 鮑曰、高祖二十二子衛懷王𤣥

霸楚哀王智雲皆先薨太子建成巢王元吉以事誅詔/除籍故止言十八子太宗有天下止十七子封王

2.    《唐書》:道王元慶高祖第十六子舒王元明第十八子。

3.    潘岳《誄楊綏》: 藉三葉世親之恩。

4.    《詩》: 温其如玉。

 

道國繼徳業、請從丈人論。/丈人領宗卿、肅睦一作/古制敦。

先朝/納諫諍、直氣横乾坤。子建文章一作/壯、河間經術存。

此申丈人嗣三葉兼舉其忠義文學。

1.    《唐書》: 宗正寺卿一人、從三品。掌天子族親屬籍。以辨昭穆。

2.    肅睦、敬而和也。

3.    曹子建、河間王、注各見前。

 

一作温克富詩禮、骨清慮不喧。洗蘇亥/然遇知巳、談諭淮湖一作/奔。

憶昔初見時、小襦一作/繡芳蓀。長丁丈/成忽面、慰我久疾魂。

 此申之子/白玉温備述其人品交情蜂

1.    潘岳詩: 吾子洗然。恬淡自逸。

2.    洙曰:淮湖奔言談論 起如奔濤之不可涯涘

3.    鶴曰:百姓歌范云昔無襦今五袴則襦下於袴也。《急就篇》注:短衣曰襦自膝以上古詞妾有繡腰襦

自生光 謝靈運詩挹/露馥芳蓀

 

三峽春冬交、江山雲霧昏。正宜且聚集、恨此當離樽。

莫怪執盃遲、我衰涕唾煩。重/問子何之、西上/岷江源。

此叙江餞之意。 

1.     趙曰:舉杯遲、以涕唾之煩故也。

2.     《解嘲》涕 流沫。

3.     《孟子》先生將何之

4.     江居下流、故赴 蜀為西上。

 

願子少干謁、蜀都足戎軒。誤失將/帥意、不知一作/親故恩。、

/年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數所角/盤飧。

 

猛虎卧在岸、蛟螭出無痕。

王子自愛惜、老夫困石根。生古所嗟、發聲為/爾吞。

末致臨戒勉之辭反人情既不足恃而物害又復可/危公於知交誼切故 覆丁寧至此 此章前四段各

八句末一段十四句

曰魏志鍾繇而傳當厄/於水努力慎之  吞聲聲出 復吞也

 王嗣奭曰當時戎軒多武夫公所甚畏詩每及之此/云誤失將帥意不知親故恩又云努力慎風水豈惟

 數盤餐一飯跡便掃世情大抵然也故以頻過人飯/為戒皆忠谷之語李少年涉世尚淺故致其惓惓公

 之篤於親/誼如此

 王道俊博議曰舊書道玉元慶麟徳元年薨子臨淮/王誘嗣次子詢詢子微神龍初封為嗣道王景雲元

 

 年官宗正卿卒子鍊開元二十五年襲封嗣道王廣/徳中官宗正卿新書宗室世系表於道孝王元慶之

 下首書嗣王誘次書嗣王宗正卿嗣王宗正卿鍊/嗣王京兆尹實困學紀聞云義葢之子以予考

 不然義乃鍊之諸子而實之弟耳詩云丈人嗣三葉/丈人謂鍊自誘至鍊為嗣道王者三世故曰嗣三葉

 也又云丈人領宗卿肅穆古制敦先朝納諫諍直氣/横乾坤按舊志天寶十載正月遣太子率更令嗣道

 王鍊祭沂山東安公則鍊在𤣥宗時巳任使所云/先朝納鍊諍者葢𤣥宗也又云憶昔初見時小襦繡

 芳蓀長成忽面慰我久客魂與少年早歸來梅花/已飛翻王子自愛惜老夫困石根等語皆前輩諄勉

 之詞葢公天寶中曽見義於京師年尚少今來巫峽/將入蜀干謁故以猛虎蛟螭戒之若令義為

 卒於景雲中去大歴二年且五十六七載義之/齒當長於公安得目為少年而自居老夫乎由此言

 之則義為鍊/之諸子審矣