767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#3

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

長成忽會面,慰我久疾魂。

 

(下し文)

(李義に別る)

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#3

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

詩禮 『詩経』と 『礼記』 『周礼』 『儀礼』 の「三礼」。儒学をいう。三礼(さんらい)とは、儒教における礼に関わる三種類の経書『周礼』『儀礼』『礼記』の総称。後漢の鄭玄が『周礼』『儀礼』『礼記』の三書を総合的に解釈する三礼の学を作り上げて以来、この名がある。『儀礼』(ぎらい) - 前漢では『礼』といえば『儀礼』のみを指していた。現存する17篇は前漢の高堂生が伝えた士礼部分を主としたもので、この「今文儀礼」高堂生本を「古文儀礼」で校合したものという。現在通行している『儀礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『周礼』(しゅらい) - 『漢書』芸文志には「周官」とあり、周の官制について書かれている。前漢、武帝の時代、民間から発見されたといわれる古文経である。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官に分けられるが、冬官部分は発見当初からなく、「考工記」という別の文献が当てられている。現在通行している『周礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『礼記』(らいき) - 『礼』に対する注釈であるが、戦国・秦・漢の礼家のさまざまな言説が集められている。『漢書』芸文志には「記」141篇とある。前漢時代、戴徳が伝えた「大戴記」、戴聖が伝えた「小戴記」があったが、現在の『礼記』49篇は「小戴記」である。唐代、『五経正義』に取り上げられ、鄭玄注に孔穎達が疏をつけた『礼記正義』が作られた。『礼記正義』は『十三経注疏』に収められている。

骨清 俗気を脱した高潔な資質がある。「骨」は、生来の資質。

慮不喧 思いが乱れていない。

 

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

洗然 李義のものごとにとらわれ ず、気品のあるさま。

准湖奔 准河や太湖の水がどこまでも奔流する。滑々とした談論の比喩

 

憶昔初見時,小襦繡芳蓀

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。。

初見時 詳注の引く清・藩檉章『杜詩博議』は、杜甫と李義は天宝年間に長安で会っていると推測する。

小襦 小さくて短い上着。

繡芳蓀 香草の名

 

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

久疾魂 長く病んでいた心。杜甫は持病を持っていて時折よくはなっても長く心は沈んでいたことを言う。