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7秋夜

 

 

 

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -2

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

安史の乱当時の勢力図蜀中転々圖 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

姻婭間 姻戚関係。「姻 姓」は双声語「インア」。

 

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

萬里長江邊 中國の大河川は西から東へ万里の距離を流れゆく。長江は最大流域面積の河川である。そのちょうど中間に夔州配置するが、唐の南の国境を流れていたので、辺境という意味になる。

邂逅 思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。「旧友と邂逅する」

 

長卿消渴再公幹沈綿屢

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

長卿消渴再 前漢の司馬相知 (字は長卿」) のように糖尿病がぶり返す。杜甫は糖尿病を患う自分を、しばしば同病の 司馬相知になぞらえた。

公幹沈綿屢 後漢末の劉楨(字は公幹」)のように長患いを 繰り返す。「沈綿」は長引く病で、劉楨が病臥の折に作った「五官中郡将に贈る、四首」其の二に「余れは嬰る沈痛の疾」とある。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。兗州東平国寧陽県(現在の山東省泰安市寧陽県)の人。漢の宗族の劉梁の孫[1]

 

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

清談 ここでは、高司直との話を世俗を離れた高雅な談論としてもちあげたもの。元来、儒教思想全盛の漢代から、魏の時代になり、知識人たちは常識的な儒教道徳を超えて、主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わしていた。清談とは、世俗を離れた清らかな談話、という意味である。いわゆる竹林の七賢の清談はこの代表例である。ただし、竹林の七賢の逸話にもうかがえるように、世俗を離れた老荘的談話を展開した背景には、後漢から魏、魏から晋へと興亡相次いだ乱世にあって、儒教に忠実であること、世俗に関与することが政治的な身の危険に繋がったという事情も存在する。

なお、当時において知識人とはすなわち貴族であり政治家であった。その知識人がもっぱら世俗を離れた清談に終始していたことは、西晋の滅亡の大きな要因となったといわれる。