757-248  可歎(卷二一(四)一八三○) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

 

 

757-248

 

 

 可歎(卷二一(四)一八三○)  -2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

 

 

 

年:767年大暦256-22-#2

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

詩文:

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

安史の乱当時の勢力図
近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

 

清・仇兆鰲 杜甫詳注 関係個所抜粋

 近者抉眼去其夫、/作眯/河東女兒身姓栁。丈夫正色動引經、酆城客子王季友。羣書萬巻常暗誦、《孝經》一通看/在手。貧窮老瘦/本作瘦唯朱/本誤作叟家賣諸本作屐作履張/改作吉岳切/事就之為/擕酒。此叙王生家之事。王有正論、不能挽去婦之心、此事之可歎者、然家貧好學人來就正如此則亦何害於素行乎。

 

・王季友 《唐書》:豐城縣、洪州豫章郡に屬す。 

・在手 又《南史には》徐陵嘗/疾、子份香泣涕、跪誦《孝經》日夜不息 云庾子輿五讀孝經手不釋巻北史馮亮臨卒遺誡右手執孝經/一巻 崔實政論一通置坐側

・在手後漢劉勤家貧每作供食嘗作一勤置不賣他日出妻竊以易米/勤歸知之責妻欺取直因棄不食

擕酒 《揚雄傳》好事者ほ 載酒餚從って游學す

 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

(下し文)
#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

(現代語訳)
#2

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。


(訳注) #2

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 #2この6句間は、王氏の生まれた家、故郷のこと、嫁いでっ来た女の夫として世間の人に批判されたことなどあったが、勉学には常に、真摯に取り組んだ

 

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

李白の足跡0000
12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之。王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

 

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

 ・在手後漢劉勤家貧每作供食嘗作一勤置不賣他日出妻竊以易米/勤歸知之責妻欺取直因棄不食

 

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

 擕酒 《揚雄傳》好事者ほ 載酒餚從って游學す