(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。
廣徳2年764-69 《奉寄別馬巴州》 ふたたび成都 杜甫<745> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4055 杜甫詩1500-745-982/250033
製作年: 764年 廣德二年 53歲
卷別:巻十三 卷二二八 文體: 七言律詩
詩題: 奉寄別馬巴州
〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕
及地點: 巴州 (山南西道 巴州 巴州) 別名:巴中、巴
交遊人物: 馬巴州
奉寄別馬巴州
(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)
〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕
〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕
勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。
ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。
扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。
わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。
獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。
私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。
知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。
私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。
(異文):
勳業終歸馬伏波【勳業真歸馬伏波】,功曹非復漢蕭何【功曹無復漢蕭何】。
扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。
獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過【難隨烏翼一相過】。
知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。
(馬巴州に寄せ 別れ奉る)
〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕
勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。
扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。
獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。
知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。
『奉寄別馬巴州』 現代語訳と訳註
(本文)
奉寄別馬巴州
〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕
勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。
扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。
獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。
知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。
(下し文)
(馬巴州に寄せ 別れ奉る)
〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕
勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。
扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。
獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。
知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。
(現代語訳)
(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)
ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。
わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。
私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。
私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。
(訳注)
奉寄別馬巴州
(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)
〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕
〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕
杜甫は、764年廣德二年早春、梓州にいたが厳武の働きで京兆功曹に任ぜられたが赴任せず、荊南に赴こうとして馬巴州刺史に寄せた詩である。
勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。
ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。
馬伏波 後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。ここでは同姓でもじったもの。
漢蕭何 蕭 何(しょう か、? - 紀元前193年)は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦の天下統一を輔けた、漢の三傑の一人。
扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。
わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。
繫纜 船を停泊させるため艫綱をつなぐことをいう。
獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。
私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。
知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。
私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。
春湖 洞庭湖のことで、朝廷からの京兆功曹のお役を断って荊州、江南に向かうと決意していることをいう。
白玉珂 白玉の馬飾。馬が歩くとカランカランとなる。























(


秋盡




(広州の段功曹到る。楊五長史譚が書を得たり。功曹却帰す。聊か此の詩を寄す)

(訳注)





(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。)


(本文)


























