杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
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七言律詩

廣徳2年764-69 《奉寄別馬巴州》 ふたたび成都 杜甫<745> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4055 杜甫詩1500-745-982/250033

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。


        
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廣徳2764-69 《奉寄別馬巴州》 ふたたび成都 杜甫<745 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4055 杜甫詩1500-745-982/250033

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕 

及地點:  巴州 (山南西道 巴州 巴州) 別名:巴中、巴     

交遊人物: 馬巴州

 

 

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕
勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

(異文)

勳業終歸馬伏波【勳業真歸馬伏波】,功曹非復漢蕭何【功曹無復漢蕭何】。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過【難隨烏翼一相過】。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

 

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

蜀中転々圖

 

『奉寄別馬巴州』 現代語訳と訳註

(本文)

奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

 

(下し文)

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

 

(現代語訳)

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

 杏の花0055

(訳注)

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕

杜甫は、764年廣德二年早春、梓州にいたが厳武の働きで京兆功曹に任ぜられたが赴任せず、荊南に赴こうとして馬巴州刺史に寄せた詩である。

 

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

馬伏波 後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。ここでは同姓でもじったもの。

漢蕭何 蕭 何(しょう か、? - 紀元前193年)は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦の天下統一を輔けた、漢の三傑の一人。

 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

繫纜 船を停泊させるため艫綱をつなぐことをいう。

 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

春湖 洞庭湖のことで、朝廷からの京兆功曹のお役を断って荊州、江南に向かうと決意していることをいう。

白玉珂 白玉の馬飾。馬が歩くとカランカランとなる。

廣徳2年764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

        
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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廣徳2764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500

巻十三 

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:將赴荊南寄別李劍州 

作地點:目前尚無資料 

及地點:  劍州 (劍南道北部劍州 劍州)/灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州) /仲宣樓 (山南東道 荊州 當陽)     

交遊人物:李劍州

成都遂州00 

 

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

蜀中転々圖

『將赴荊南寄別李劍州』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

 

(下し文)

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

 

(現代語訳)

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(訳注)

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

○刑南 湖北省刑州府江陵県。

○李剣州 剣州の刺史李某、剣州は綿州梓憧県、聞州の西北にあたる。

 

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

○使君李をさす、使君は太守の敬称であるが唐人は刺史をさしてかくいう。

○駆今古 今人古人を駆逐するとの意で、たぐいのすくないことをいう。

○蓼落 さびしいさま。

〇三年 刺史の任期であろう。

○坐 じっとしている。

 

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、漢の李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

○文翁 漢の時、文翁は蜀郡の守となり、成都に学宮を修め起こし吏民を大いに教化した。

○李広 李広(り こう、? - 紀元前119年)は、中国前漢時代の将軍。文帝・景帝・武帝に仕えた。武勇に優れていたが戦功を認められることなく憤死した。秦の名将の李信の子孫である。従弟に丞相になった李蔡、孫に李陵がいる。

○封侯 侯の爵にとりたでられる。

 

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

○灩澦 唯の名、瞿塘峡口にある。夔州より荊州へ赴く途中に経る所である。

○雙蓬鬢 左右のもつれたぴんの毛。

○天入滄浪 滄浪の天に入ることをいう、滄浪は緑水をいう。「高貴」の漢水は東流して滄浪の水となるとある「滄浪水」のことと説くのは当たらぬ、荊州へゆくのに滄浪水は関係がない。

 

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

○戎馬 兵乱の時をいう。

○仲宜楼 魏の王粲(字は仲宣)は荊州の劉表に依り、当陽県の城楼にのぼって懐郷の念をのべて「登楼賦」をつくった。荊州の州治は今の江陵県で当陽県ではないが、当陽は附近の地ゆえ、其の地の名蹟をあげ用いたのである。
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廣徳2年764-51 《題桃樹》 ふたたび成都 杜甫<696> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3965 杜甫詩1000-696-964/150015

杜甫《題桃樹》これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。


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卷別: 卷二二六  文體: 七言律詩 

詩題: 題桃樹 

寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

寫及地點:   





題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。



(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。


杏の花01




題桃樹』 現代語訳と訳註

(本文)

題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。


(下し文)

(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。



(現代語訳)

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。

海棠花05

(訳注)

題桃樹

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

浣花渓には蕭実からもらった百本の桃を植えている。、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>

桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

五本の樹は①貧しい者たちにも木の実を口にすることが出来。

②花が咲き乱れるのをこの目で見る

③ツバメが子を産んで何度も餌を運び

④「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

⑤天下太平になった

ということを示してくれる。

杏の花022

小徑升堂 舊 不斜 ,五株 桃樹 亦從遮 。

園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。



高秋總餧 貧人 實 ,來 還舒滿眼 花 。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

「餧」餵。餵・餧)】 (1)(動物を)飼育する,餌(えさ)をやる:*牛~草|牛に草を食べさせる.(2)(病人や赤ん坊などに)食べさせる,口に食べ物を運ぶ.

「來」範圍時間(年)、來年。

「舒」(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S‐ )姓.舒 shūchàng[形]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[形]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.


每宜通乳燕 ,兒童 莫信 打 慈鴉 。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

「鴉」慈烏反哺

子が親の恩に報いて孝養を尽くすこと。親孝行のたとえ。情け深いからすが幼いときの恩を忘れず、老いた親に口移しで餌えさを与える意から。▽「慈烏」はからすの異称。からすは、幼いとき親が口移しで餌を与えてくれた恩を忘れず、成長すると親に餌を与えてその恩を返すという。「哺」は口中の食物のこと。

寡妻群盜 非 今日 ,天下 車書 正一家 。
これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。
 

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741 《又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <648  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3550 杜甫詩1000-648-904/1500〔草堂逸詩拾遺-(17)

 

 

詩 題:又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 七言律詩 

詩題: 又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺-(17) 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  惠義寺 (劍南道北部 梓州 ・綿州 (劍南道北部 綿州 綿州)     

交遊人物: 辛員外 當地交遊(劍南道北部 梓州 )

 

掲 載; 杜甫1000首の648首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-904回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(17)

又送(惠義寺園送辛員外)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

峰寂寂對春臺,萬竹青青照客杯。

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられそのれに日が射している。

細草留連侵坐軟,殘花悵望近人開。

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

同舟昨日何由得,並馬今朝未擬迴。

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

直到綿州始分首,江邊樹裡共誰來。

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。

 竹林0021

 

『又送』 現代語訳と訳註

(本文)

又送(惠義寺園送辛員外)

雙峰寂寂對春臺,萬竹青青照客杯。

細草留連侵坐軟,殘花悵望近人開。

同舟昨日何由得,並馬今朝未擬迴。

直到綿州始分首,江邊樹裡共誰來。

 

(下し文)

又た送る(惠義寺の園で辛員外を送る)

雙峰 寂寂として春臺に對し,萬竹 青青として客杯を照す。

細草 留連して坐るを侵して軟かなり,殘花 悵望して人を近くし開く。

同舟 昨日のこと 何ぞ由し得て,並馬 今朝のこと 未だ迴えらんと擬わず。

直に綿州に到れば始めて首を分つ,江邊 樹の裡 共に誰か來らん。

 

(現代語訳)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられ、その盃に日が射している。

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。


四川省西部地区略図

 

(訳注)

又送(惠義寺園送辛員外)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

惠義寺園で辛員外を送別の宴を開かれ、杜甫は船で、綿州まで送っていった。そこで辛外員を送別し、杜甫は梓州に帰ることになるということをつげているのである。

 

雙峰 寂寂 對春臺 ,萬竹 青青 客杯

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられ、その盃に日が射している。

「雙峰」涪江を真ん中に両側に山峰崖嶺。

「寂寂」語義類別:物、形容詞彙(物)、環境狀態、寂寂。

「春臺」春たけなわの惠義寺の庭園の楼閣。

「萬竹」一帯に、一杯に竹林。

 

細草 留連侵 坐軟 ,殘花 悵望 近人

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

「細草」細いシュッとした草。芽吹いたばかりの若い草。

「侵坐軟」草深い所に筵を引いた様子を云う。

「殘花」散り始めた中で花を咲かせている。

「悵望」心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。魚玄機『光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。』「悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。」(悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。)

 

同舟 昨日 何由得,並馬 今朝 未擬

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

「舟昨日、馬今朝」昨日は船に同乗っする。今朝からは轡を並べて一緒に進む。綿州にはひと山越えるので、このようにいう。

「未」語義類別:其他、其他詞彙、否定詞、不。

「擬」はかるなぞらえるまがいもどき1 どうしようかとはかり考える。思案する。「擬議」2 他のものと引き比べてみる。本物らしく似せる。なぞらえる。

 

直到 綿州 始分首 ,江邊 樹裡 共誰

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。

「到綿州」無粋礼を越えて、綿州に到着する。

綿州。

「分首」ここまで送ってきて綿州で別れる。

「江邊」涪江のほとり。
成都遂州00 

706 《章梓州橘亭餞成都竇少尹〔章使君橘亭餞成都竇少尹〕〔得涼字。〕》 蜀中転々 杜甫 <613>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3375 杜甫詩1000-613-869/1500

杜甫《章梓州橘亭餞成都竇少尹》 仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。


2013年12月1日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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706 《章梓州橘亭餞成都竇少尹〔章使君橘亭餞成都竇少尹〕〔得涼字。〕》 蜀中転々 杜甫 <613  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3375 杜甫詩1000-613-869/1500

 

 

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題: 章梓州橘亭餞成都竇少尹〔章使君橘亭餞成都竇少尹〕〔得涼字。〕 

及地點:  梓州 (劍南道北部 梓州 梓州・成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     

交遊人: 章梓州・竇少尹

掲 載; 杜甫1000首の613首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-869回目

 

 

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕

(章彝梓州刺史節度使の竇成都少尹を餞別するに押韻に「涼」の字を得て作る。)

秋日野亭千橘香,玉盤錦席高雲涼。 

仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

主人送客何所作,行酒賦詩殊未央。 

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。

衰老應為難離別,賢聲此去有輝光。 

老い衰えてきた身としては、まさに寶少尹公の送別という別れがつらくなってきているけれども、貴公の賢者としての名声は、ここを去ったとしても光り輝くというものであることは間違いないことである。

預傳籍籍新京尹,青史無勞數趙張。 

皆承知のこととして伝えられることは立派な都の長安の長官であると口々に言いはやされるでしょうし、歴史書に必ず記録され、これからは度々、漢の張敞と呼ばれていくことは苦労ないことである。

章梓州の橘亭 成都竇少尹に餞る〔「涼」字を得る。〕

秋日 野亭 千橘の香,玉盤 錦席 高雲の涼。 

主人 送客 何所にか作る,行酒 賦詩 殊に未央に。 

衰老 應に為す 離別し難きに,賢聲 此去りても輝光有り。 

預傳籍籍として京尹をた新にす,青史 數ば趙張に勞無し。 

 

 (含異文)

秋日野亭千橘香,玉盤錦席高雲涼。

主人送客何所作,行酒賦詩殊未央。

衰老應為難離別【衰老難為離別】,賢聲此去有輝光。

預傳籍籍新京尹【預傳籍籍新京】,青史無勞數趙張【青史無勞趙張】。 

泰山の道観02 

 

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕

秋日野亭千橘香,玉盤錦席高雲涼。 

主人送客何所作,行酒賦詩殊未央。 

衰老應為難離別,賢聲此去有輝光。 

預傳籍籍新京尹,青史無勞數趙張。 

 

(下し文)

章梓州の橘亭 成都竇少尹に餞る〔「涼」字を得る。〕

秋日 野亭 千橘の香,玉盤 錦席 高雲の涼。 

主人 送客 何所にか作る,行酒 賦詩 殊に未央に。 

衰老 應に為す 離別し難きに,賢聲 此去りても輝光有り。 

預傳籍籍として京尹をた新にす,青史 數ば趙張に勞無し。 

 

(現代語訳)

(章彝梓州刺史節度使の竇成都少尹を餞別するに押韻に「涼」の字を得て作る。)

仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。

老い衰えてきた身としては、まさに寶少尹公の送別という別れがつらくなってきているけれども、貴公の賢者としての名声は、ここを去ったとしても光り輝くというものであることは間違いないことである。

皆承知のこととして伝えられることは立派な都の長安の長官であると口々に言いはやされるでしょうし、歴史書に必ず記録され、これからは度々、漢の張敞と呼ばれていくことは苦労ないことである。

楓の花001 

 

(訳注)

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕

(章彝梓州刺史節度使の竇成都少尹を餞別するに押韻に「涼」の字を得て作る。)

・章梓州 杜甫は厳武が長安に呼び戻されたのち、梓州を中心に、章彝梓州刺史のお世話になって生活をしていた。

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

689 《送何侍御歸朝》 蜀中転々 杜甫 <595  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3285 杜甫詩1000-595-851/1500

 

秋日 野亭 千橘 ,玉盤 錦席 高雲

仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

 

主人 送客 何所作 ,行酒 賦詩 殊未央

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。

  

衰老 應為 離別 ,賢聲 此去 輝光

老い衰えてきた身としては、まさに寶少尹公の送別という別れがつらくなってきているけれども、貴公の賢者としての名声は、ここを去ったとしても光り輝くというものであることは間違いないことである。

 

預傳 籍籍新 京尹 ,青史 無勞 數趙張

皆承知のこととして伝えられることは立派な都の長安の長官であると口々に言いはやされるでしょうし、歴史書に必ず記録され、これからは度々、漢の張敞と呼ばれていくことは苦労ないことである。

「籍籍」口々に言いはやすさま。

「京尹」京兆尹。 長安の市長、長官。

「青史」紙のない時代、青竹の札をあぶって文字を記したところから》歴史。歴史書。記録。

「勞」1 精を尽くして働く。骨折り。「労作・労賃・労働・労務・労力/勤労・功労・就労・徒労・不労・報労」2 精が尽きて疲れる。

「趙張」趙廣漢(漢)、張敞(生没年不詳)は、前漢の人。字は子高。杜陵の人。京兆尹に至ったことで、章彝に比した。

705 《九日》 蜀中転々 杜甫 <612>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3370 杜甫詩1000-612-868/1500

杜甫《九日》去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。


2013年11月30日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <877>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3369韓愈詩-221ー#3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 虞美人二首 其一 毛文錫【もうぶんせき】  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-365-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3372
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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705 《九日》 蜀中転々 杜甫 <612  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3370 杜甫詩1000-612-868/1500          

 

 

詩 題:九日 作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

掲 載; 杜甫1000首の612首目-場面

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作時:763  廣德元年  52

卷 別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩 題: 九日 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: (劍南道北部 梓州 ) 別名:  ・驪山 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:東山     

 

 

九日

763 廣德元年の九月九日)

去年登高縣北,今日重在涪江濱。

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

苦遭白髮不相放,羞見黃花無數新。

苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。

世亂鬱鬱久為客,路難悠悠常傍人。

世は乱れきっていて憂愁憂欝な事ばかり、だから久しく漂泊の旅人になっている、故郷への道は困難だらけで、こうやってのろのろした居候のままでいるのだ。

酒闌卻憶十年事,腸斷驪山清路塵。 

酒の宴席がたけなわになると帰って思うことではあるが十年来の仕事を思うのである。故郷を思いを断ち切られているけれど、長安の東、驪山以東にかけて、道を開いてくれて戦の蒙塵を鎮めてくれることだろう。

千畳敷0010 

 

『九日』 現代語訳と訳註

(本文)

九日

去年登高縣北,今日重在涪江濱。

苦遭白髮不相放,羞見黃花無數新。

世亂鬱鬱久為客,路難悠悠常傍人。

酒闌卻憶十年事,腸斷驪山清路塵。 

 

(下し文)

九日

去年 登高す 縣の北,今日 重ねて在る 涪江の濱。

苦遭すは 白髮 相放せず,羞じて見るは 黃花 無數新たになるを。

世亂れ鬱鬱として 久しく客と為す,路難く悠悠として 傍人を常とす。

酒闌わにして卻て十年事を憶う,腸斷にして 驪山より 塵を清路にす。

 

(現代語訳)

763 廣德元年の九月九日)

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。

世は乱れきっていて憂愁憂欝な事ばかり、だから久しく漂泊の旅人になっている、故郷への道は困難だらけで、こうやってのろのろした居候のままでいるのだ。

酒の宴席がたけなわになると帰って思うことではあるが十年来の仕事を思うのである。故郷を思いを断ち切られているけれど、長安の東、驪山以東にかけて、道を開いてくれて戦の蒙塵を鎮めてくれることだろう。

 

(訳注)

九日

763 廣德元年の九月九日)

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

 

去年 登高 ,今日 重在 涪江

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

「去年」去年762 寶應元年 杜甫51歳。去年、今年の春も行っている。

『九日登梓州城』

伊昔黃花酒,如今白髮翁。 

追歡筋力異,望遠時同。 

弟妹悲歌裡,朝廷醉眼中。 

兵戈與關塞,此日意無窮。 

この日は昔から黄色の菊の花を浮かべた酒を用意する。いまここには晉の孟嘉のように帽子が飛ばされそうな白髪頭の老人が居る。

喜悅欣樂が今追いかけてくれ心神氣力は高ぶっている。はるか遠くを臨んで重陽の節句を時を同じくするのである。

私の弟妹は東の遠い空の下で安史軍の支配する悲歌の下である。朝廷は酔いつぶれた眼のままである。

戰爭は関所塞に迫っており、この日の段階でそれにたいしての意志は窮まりないのである。

五言律詩 《九日登梓州城》 蜀中転々 杜甫 <537  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2910 杜甫詩1000-537-776/1500

「登高」重陽の節句に山に登ること。同題の詩は沢山ある。

縣」去年、今年の春も縣にある牛頭寺 (劍南道北部 梓州 ) にいっている。

「北」慧義寺のこと、梓州の北に在る。去年、今年の春も行っている。

「今日」語義類別:時、時間、範圍時間(今昔)、今。

「在」語義類別:地、地理、場域概稱、在。

「涪江」涪江。

 

苦遭 白髮 不相 ,羞見 黃花 無數

苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。

「苦」辛酸艱苦。

「黃花」菊花。

 

世亂 鬱鬱 為客 ,路難 悠悠 常傍人

世は乱れきっていて憂愁憂欝な事ばかり、だから久しく漂泊の旅人になっている、故郷への道は困難だらけで、こうやってのろのろした居候のままでいるのだ。

「世亂」語義類別:事、事件、世局、亂世。

「鬱鬱」憂愁掛慮)、憂欝。

「悠悠」思念舊、速度なしでゆっくり ・ ゆるり ・ 遅遅 ・ やおら ・ 徐徐に ・ ゆったり ・ 緩徐 ・ 徐々に ・ 緩り ・ のろのろ ・。 

 

酒闌 卻憶 十年 ,腸斷 驪山 清路

酒の宴席がたけなわになると帰って思うことではあるが十年来の仕事を思うのである。故郷を思いを断ち切られているけれど、長安の東、驪山以東にかけて、道を開いてくれて戦の蒙塵を鎮めてくれることだろう。

「酒闌」酒の宴席がたけなわになること。

「驪山」驪山1302m。長安から東に25kmの地点に存在し、東西長は25km、南北長は14kmである。(下図のi-2)「関中八景」の一つに「驪山返照」としてあり、国家級森林公園、AAAA級の観光場所、文物保護単位、風景名勝区等が存在している。また、驪山の名称はここから見える景色が黒色の駿馬である事からとも、殷や周の時代に驪戎国が存在したからとも言われている。驪山は女媧が老母殿山を持ってきて、山の下に華清池を作ったとされる。

「清路」街道巷弄、路。道開き、道の障害物を払いのけること

「塵」世俗の人。
函谷関長安地図座標005 

694 《送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕》 蜀中転々 杜甫 <601>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3315 杜甫詩1000-601-857/1500

杜甫《送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕》漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

 

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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694

《送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕》 蜀中転々 杜甫 <601  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3315 杜甫詩1000-601-857/1500

 

詩 題:送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

及地點:黔州 (黔中道 黔州 黔州) 別名:黔中、黔州、黔府

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽     

交遊人物: 王判官

掲 載; 杜甫1000首の601首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-857回目   40956            

 

 

送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

(王判官で扶侍の役割でもって黔中に往復するを送別する。韻に「開」の字を得る)

大家東征逐子迴,風生洲渚錦帆開。

漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來。

春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

こうした別れは、どんなに思ってももう耐えることが出来ないものであり、遭難や危険なことがあるだろうが、あなたは深い仗をもっており、あなたの才知でもってこの急場の事態を救ってもらいたい。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯。

これまでには湖南省西部の古城である黔陽に天子の書簡を持っていくことなどまさに稀なことでアットものである。まあ、そうはいっても怪しむようなことではないので、もっともっと酒をすすめて杯を傾けようではないか。 

 

(含異文)

大家東征逐子〔〈班大家賦〉:「余隨子乎東征。」〕迴,風生洲渚錦帆開。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來【白白江魚入饌來】。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯【莫怪頻煩勸酒杯】。 

Nature1-011 

 

 

『送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

大家東征逐子迴,風生洲渚錦帆開。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯。
(
含異文)

大家東征逐子〔〈班大家賦〉:「余隨子乎東征。」〕迴,風生洲渚錦帆開。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來【白白江魚入饌來】。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯【莫怪頻煩勸酒杯】。 

doteiko012 

 

(下し文)

王十五判官扶侍を送り黔中に還る〔「開」字を得る。〕

大家 東に征く子に逐いて迴る,風生え洲渚【しゅうちょ】錦帆開く。

青青として竹筍に 迎え船出づ,日日に江魚 入りて饌【たべどき】に來る。

離別 無限の意に堪ず,艱危 仗深く濟時の才あり。

黔陽【こんよう】の信使 應に稀少なり,怪しむ莫れ頻頻【ひんびん】酒杯を勸めんことを。
 

(現代語訳)

(王判官で扶侍の役割でもって黔中に往復するを送別する。韻に「開」の字を得る)

漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。

春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

こうした別れは、どんなに思ってももう耐えることが出来ないものであり、遭難や危険なことがあるだろうが、あなたは深い仗をもっており、あなたの才知でもってこの急場の事態を救ってもらいたい。

これまでには湖南省西部の古城である黔陽に天子の書簡を持っていくことなどまさに稀なことでアットものである。まあ、そうはいっても怪しむようなことではないので、もっともっと酒をすすめて杯を傾けようではないか。

 

(訳注)

送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

(王判官で扶侍の役割でもって黔中に往復するを送別する。韻に「開」の字を得る)

 

大家東征逐子迴,風生洲渚錦帆開。

漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。

・大家東征 班昭《東征賦》「惟永初之有七兮,余隨子乎東征。」(惟れ永初の有七,余れ子に隨いて東に征く)永元七年のこと、わたしは赴任する息子と一緒に東の東留へとむかった。文選、曹大家『東征賦』

・大家 後漢の作家、中国初の女性歴史家である班昭のこと。班昭(はん しょう、45? - 117?)は、中国・後漢の作家。中国初の女性歴史家。一名・姫。字は恵姫、または恵班。扶風安陵(陝西省咸陽市)の出身。歴史家・班彪の娘として生まれ、同じく歴史家・班固と、西域で活躍した武将である班超は兄である。班超の三男である班勇は甥。14歳で曹世叔に嫁ぎ、世叔の死後、彼女の才名を聞いた和帝が召し出して宮中に入れ、後宮后妃の師範とした。人々は敬して曹大家と称した。

 

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來。

春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

 

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

こうした別れは、どんなに思ってももう耐えることが出来ないものであり、遭難や危険なことがあるだろうが、あなたは深い仗をもっており、あなたの才知でもってこの急場の事態を救ってもらいたい。

・濟時1 助ける。すくう。「済世(さいせい)・済度・済民/救済・共済・経済(けいざい)2 しあげる。すます。

 

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯。

これまでには湖南省西部の古城である黔陽に天子の書簡を持っていくことなどまさに稀なことでアットものである。まあ、そうはいっても怪しむようなことではないので、もっともっと酒をすすめて杯を傾けようではないか。

・黔陽 湖南省西部の古城である黔陽。雲南から湖南にかけて、吐蕃、南蛮からの侵入に防衛強化の必要があった。

・頻頻 形容動詞として用いられるもの「何かがしきりと起こるさま」を表す言葉。頻繁(ひんぱん)は、形容動詞および名詞として用いられ、「何かがしきりに行われるさま」。というのが現代日本の使用法であるが、ここでは御酒をすすめる行為に使っている。
成都遂州00 

691 《涪城縣香積寺官閣》 蜀中転々 杜甫 <597>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3295 杜甫詩1000-597-853/1500

杜甫《涪城縣香積寺官閣》やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《兩都賦序》(3) 文選 賦<111―3>13分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩949 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3293
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(15)-#13韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <862>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3294韓愈詩-220-#13
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ691 《涪城縣香積寺官閣》 蜀中転々 杜甫 <597>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3295 杜甫詩1000-597-853/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ74魏武帝(曹操) 《薤露行》 魏詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3296 (11/15)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor河傳 二首之一 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-350-7-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3297
 
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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691 《涪城縣香積寺官閣》 蜀中転々 杜甫 <597  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3295 杜甫詩1000-597-853/1500

 

詩 題:涪城縣香積寺官閣

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

及地點: 香積寺 (劍南道北部 綿州 涪城)     

掲 載; 杜甫1000首の597首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-853回目

涪城県の香積寺にある官闇についてよんだ。広徳元年春、梓州にあったときの作。

 

 

涪城縣香積寺官閣

(涪城縣の香積寺にある官閣を詠う)

寺下春江深不流,山腰官閣迥添愁。

寺の真下に春の江が深くて静かに、まるでながれていないように見える。山の中段のあたりに官闇があって、ずっととおくてそこまでたどりつけるのかと心配がつきまとう。

含風翠壁孤雲細,背日丹楓萬木稠。

みどりの絶壁の下をだんだんのぼると木々が揺れ風を含み、はぐれ雲がほそくうかぶ、太陽を背にして楓の風媒花に日が射して渋い赤が映え、ここには無数に植えてある。

小院回廊春寂寂,浴鳧飛鷺晚悠悠。

やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。

諸天合在藤蘿外,昏黑應須到上頭。

仏法でいう諸天はここでも藤や蘿などのはえている森林の上にある、そんな漆黒の絶頂へは日がまさにとっぷりくれるころにゆきつくことであろう。 

(涪城県の香積寺の官閣)

寺下 春の江 深うして流れず、山腰の官閣 迥【はる】かに愁いを添う。

風を含みて 翠壁 孤雲細に、日に背きて丹楓【たんふう】万木稠【おお】し。

小院 廻廊 春は寂寂たり、浴鳧【よくふ】飛鷺【ひろ】晩に悠悠たり。

諸天合に藤蘿の外に在るべし、昏黒応に須らく上頭に到るべし

 

『涪城縣香積寺官閣』 現代語訳と訳註

(本文)

涪城縣香積寺官閣

寺下春江深不流,山腰官閣迥添愁。

含風翠壁孤雲細,背日丹楓萬木稠。

小院回廊春寂寂,浴鳧飛鷺晚悠悠。

諸天合在藤蘿外,昏黑應須到上頭。

 

(下し文)

(涪城県の香積寺の官閣)

寺下 春の江 深うして流れず、山腰の官閣 迥【はる】かに愁いを添う。

風を含みて 翠壁 孤雲細に、日に背きて丹楓【たんふう】万木稠【おお】し。

小院 廻廊 春は寂寂たり、浴鳧【よくふ】飛鷺【ひろ】晩に悠悠たり。

諸天合に藤蘿の外に在るべし、昏黒応に須らく上頭に到るべし

 

(現代語訳)

(涪城縣の香積寺にある官閣を詠う)

寺の真下に春の江が深くて静かに、まるでながれていないように見える。山の中段のあたりに官闇があって、ずっととおくてそこまでたどりつけるのかと心配がつきまとう。

みどりの絶壁の下をだんだんのぼると木々が揺れ風を含み、はぐれ雲がほそくうかぶ、太陽を背にして楓の風媒花に日が射して渋い赤が映え、ここには無数に植えてある。

やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。

仏法でいう諸天はここでも藤や蘿などのはえている森林の上にある、そんな漆黒の絶頂へは日がまさにとっぷりくれるころにゆきつくことであろう。

 

(訳注)

涪城縣香積寺官閣

(涪城縣の香積寺にある官閣を詠う)

○涪城県 梓州の西北五十五里にあるという。

○香横寺 香横山は浩城県の東南三里にあり、北のかた涪江にのぞむ。寺は山上にあるのであろう。

○官閣 官でたでた二階。

 

寺下春江深不流,山腰官閣迥添愁。

寺の真下に春の江が深くて静かに、まるでながれていないように見える。山の中段のあたりに官闇があって、ずっととおくてそこまでたどりつけるのかと心配がつきまとう。

○春江 江は涪江。

○深不流 おおきな淵になっていて、深くて水をたたえていること。

〇山腰 腰とは中段をいう。微路/翠微の位置までの道。・翠微: 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

○添愁 容易にゆきつけぬとうれえること。ここは愁うことが言いたいのではなく、奥深いことをいうもの。

 

含風翠壁孤雲細,背日丹楓萬木稠。

みどりの絶壁の下をだんだんのぼると木々が揺れ風を含み、はぐれ雲がほそくうかぶ、太陽を背にして楓の風媒花に日が射して渋い赤が映え、ここには無数に植えてある。

○含風翠壁 「翠壁含風」の意、翠壁は山の絶壁。絶壁に風が当たっている動きのある様子を云う。

○背日丹楓 「丹楓背日」の意、丹楓は楓が花を咲かせた時期のことをいう。風媒花で日が射すと渋い赤が映える。
楓の花001 


小院回廊春寂寂,浴鳧飛鷺晚悠悠。

やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。

○小院 ちいさい奥庭。

○姐廊 まわりろうか。

○悠悠 心のしずかなさま。
 水鳥ケリ002


諸天合在藤蘿外,昏黑應須到上頭。

仏法でいう諸天はここでも藤や蘿などのはえている森林の上にある、そんな漆黒の絶頂へは日がまさにとっぷりくれるころにゆきつくことであろう。

○諸天  多くの天上界。欲界六天・色界十八天・無色界四天をあわせた三界二十八天の総称。俗界から離れた寺の存在は諸天をあらわすことである、したがって、ここでは山頂の寺殿をさす。

○昏黒 たそがれどきの陰の部分のまっくらなところ。

○上頭 頂上をいう。

DCF00213 (涪城県の香積寺の官閣)

寺下 春の江 深うして流れず、山腰の官閣 迥【はる】かに愁いを添う。

風を含みて 翠壁 孤雲細に、日に背きて丹楓【たんふう】万木稠【おお】し。

小院 廻廊 春は寂寂たり、浴鳧【よくふ】飛鷺【ひろ】晩に悠悠たり。

諸天合に藤蘿の外に在るべし、昏黒応に須らく上頭に到るべし

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《送路六侍御入朝》 君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

2013年11月2日

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作者:杜甫 

皇帝紀年:廣德元年 

寫作時間: 763 

寫作年紀: 52 

卷別:卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題:送路六侍御入朝 

作地點:梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

交遊人物:路六侍御

地點當地交遊(劍南道北部 梓州 梓州)

 

 

送路六侍御入朝

(路侍御が入朝されるのを送別する。)

童稚情親四十年,中間消息兩茫然。

君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

更為後會知何地,忽漫相逢是別筵。

こうしてあえば、後日またあうとすればどこになるだろう。いま急に出会ったのが、別れであるこの送別の宴席であるということではないか。

不分桃花紅勝錦,生憎柳絮白於綿。

この春にじつに気にくわないのは桃の花よりも錦の花の紅く勝っているようであることであり、また憎さも憎きことは柳絮の綿毛が綿よりも白いことである。

劍南春色還無賴,觸忤愁人到酒邊。

この剣南の春景色というものはまことに無頼であって、このわたしが今、愁いに堪えかねているのに、その心に背いてこの送別の宴席の酒を呑むところにやってくるとは何て奴だ!

 

(路六侍御が入朝するを送る)

童稚 情親しむ四十年、中間の消息 両に茫然たり。

更に後会を為すは 知る何の地ぞ、忽ち糧に相い逢うは走れ別蓮なり。

分とせず桃花の紅錦に似たるを、生憎や柳架 綿よりも白し。

剣南の春色 還た無賴なり、愁人に触忤して 酒辺に到る。

Flower1-005 

 

『送路六侍御入朝』 現代語訳と訳註

(本文)

送路六侍御入朝

童稚情親四十年,中間消息兩茫然。

更為後會知何地,忽漫相逢是別筵。

不分桃花紅勝錦,生憎柳絮白於綿。

劍南春色還無賴,觸忤愁人到酒邊。

 

詩文(含異文)

童稚情親四十年【童稚情親十年】,中間消息兩茫然。

更為後會知何地,忽漫相逢是別筵。

不分桃花紅勝錦【不忿桃花紅勝錦】,生憎柳絮白於綿【生憎柳絮白綿】。

劍南春色還無賴,觸忤愁人到酒邊。 

 

(下し文)

(路六侍御が入朝するを送る)

童稚 情親しむ四十年、中間の消息 両に茫然たり。

更に後会を為すは 知る何の地ぞ、忽ち糧に相い逢うは走れ別蓮なり。

分とせず桃花の紅錦に似たるを、生憎や柳架 綿よりも白し。

剣南の春色 還た無賴なり、愁人に触忤して 酒辺に到る。

 

 

(現代語訳)

(路侍御が入朝されるのを送別する。)

君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

こうしてあえば、後日またあうとすればどこになるだろう。いま急に出会ったのが、別れであるこの送別の宴席であるということではないか。

この春にじつに気にくわないのは桃の花よりも錦の花の紅く勝っているようであることであり、また憎さも憎きことは柳絮の綿毛が綿よりも白いことである。

この剣南の春景色というものはまことに無頼であって、このわたしが今、愁いに堪えかねているのに、その心に背いてこの送別の宴席の酒を呑むところにやってくるとは何て奴だ!

 

 

(訳注)

送路六侍御入朝

(路侍御が入朝されるのを送別する。)

○路六侍御 侍御は官名、侍御史のこと、路六の名は詳かでない。

・侍御 秦から前漢以降の官職名。主に監察、弾劾の官である。前漢においては、御史大夫の二人の丞(副官)のうちの一人である御史中丞に統率され、定員15人であった。公卿の上奏を受領し、内容を調べて弾劾した。

○入朝 朝廷へゆく。

 

童稚 情親 四十年 ,中間消息 兩 茫然 。

君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

○童稚 こどものとき。

○中間消息 子供のころと老人との中間の消息。

〇両 彼我の両方ともにの意。

○茫然 はっきりせぬさま。

 

 

更為後會 知 何地 ,忽漫 相逢 是 別筵 。

こうしてあえば、後日またあうとすればどこになるだろう。いま急に出会ったのが、別れであるこの送別の宴席であるということではないか。

○後会 これから後日の会合。

○知何地 不レ知何地(知らず何の地なるを)の意。

 

 

不分 桃花 紅 勝錦 ,生憎 柳絮 白 於綿 。

この春にじつに気にくわないのは桃の花よりも錦の花の紅く勝っているようであることであり、また憎さも憎きことは柳絮の綿毛が綿よりも白いことである。

○不分 汝の本分だとはせぬぞ。意訳すれば「それはきこえぬ」などの意とおなじ。じつに気にくわない。

○生憎 「生」の字は俗用で助字である。

 

 

劍南 春色 還無賴 ,觸忤愁人 到 酒邊 。

この剣南の春景色というものはまことに無頼であって、このわたしが今、愁いに堪えかねているのに、その心に背いてこの送別の宴席の酒を呑むところにやってくるとは何て奴だ!

○剣南 梓州地方も剣閣の南にあたっている。

○無頼 あてにならぬもの、ならずもの、春色を罵る語である。

○触件 こころにふれさからう。

○愁人 愁いある人、自己をさす。DCF00110

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2013年10月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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《聞官軍收河南河北》 蜀中転々4-P179 杜甫 <578>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3200 杜甫詩1000-578-834/1500

 

 

1) 厳武が成都に着任して、杜甫は安定した気持ちになった。宝応元年の四月に玄宗が七十八歳で崩じ、その十二日後に粛宗が五十二歳の若さで崩じる。厳武はこの年、両帝の橋道使に任ぜられ、都に呼びもどされた。

2) 六月、杜甫は弟杜占を伴って厳武を綿州(陝西省綿陽県)まで見送り、さらに綿州の北20kmの奉済駅までついていって、別れた。ここでの厳武との交友は5,6ヶ月であった。

3)七月、成都少尹の徐知道が叛乱。

 このとき蜀州(四川省崇慶県)の刺史であった高適が兵を出して、叛乱は一か月で鎮圧している。杜甫はその間、乱を避けて綿州にとどまるが、乱が平定しても成都にもどらない、連合軍のウイグルが各地で略奪を繰り返し、世情は不安定のままであった。それにこの期を狙い吐蕃が兵を動かしていたためであった。梓州(四川省三台県)に移って梓州刺史で東川留後の章彝(しょうい)のもとに身を寄せ、そこでは、杜甫自身、安寧した生活を期待したのである。

4) 杜甫は涪江沿いの諸城市で過ごすことを考えた。成都にいた家族も呼び寄せている。同年十月、政府軍は洛陽の史朝義軍を攻めていたが、内紛で弱体化した史朝義軍は敗走し、政府軍は河南・河北を奪回した。

 史朝義は北に追い詰められ、寝返った部将たちによって翌広徳元年(763)正月に平州(河北省盧龍県)で自殺した。十年近くに及んだ安史の乱は、やっと終息した。杜甫はこれを梓州で聞きこの詩を作った。

 

 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題: 聞官軍收河南河北〔時史朝義兵敗,走死廣陽,諸將田承嗣、李懷仙等俱來降。〕 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 河南府 (都畿道 河南府 河南府) 別名:河南    ・河北道 (河北道 無第二級行政層級無第三級行政層級) 別名:河北    ・ 襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽    洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

 

 

 

聞官軍收河南河北

(官軍が河南・河北を収めた)

劍外忽傳收薊北,初聞涕滿衣裳。

剣門の外、この蜀の地に、官軍が薊北を回復した知らせが思いがけず伝わって来た。私はそれを初め聞いたとき、嬉しさの余り涙が衣裳にいっぱいになった。

卻看妻子愁何在,漫捲詩書喜欲狂。

ふりかえって妻子を見ると、いつもの愁えはどこえやらか、気もそぞろに書物も巻いてしまって、喜びに気は狂わんばかりである。

白首放歌須縱酒,青春作伴好還

白髪頭で大声出して歌うたい、思い切り酒ものむべし、このいい春に、家中そろって、さあ故郷にかえろう。

即從巴峽穿巫峽,便下襄陽向洛陽。

すぐに巴峡から巫峡をとおりぬけ、そのまま襄陽に下って、洛陽に向かおう。

(官軍河南河北を収むと聞く)

剣外 忽ち伝う 薊北【けいほく】を収むるを、初めて聞いて 涕涙【ているい】衣裳に満つ。

却【かえ】って妻子を看るに  愁い何【いず】くにか在る、漫【そぞろ】に詩書を巻いて喜んで狂せんと欲す。

白日に放歌して須らく酒を縦【ほしいまま】にすべし、青春 伴を作し 郷に還るに好し。

即ち巴峡より巫峡を穿【うが】ち、便【すなわ】ち襄陽に下って洛陽に向かわん。

邯冉唐宋時代の地図00邯鄲かんたん 

 

『聞官軍收河南河北』 現代語訳と訳註

(本文)

聞官軍收河南河北

〔時史朝義兵敗,走死廣陽,諸將田承嗣、李懷仙等俱來降。〕

劍外忽傳收薊北,初聞涕滿衣裳。

卻看妻子愁何在,漫捲詩書喜欲狂。

白日放歌須縱酒,青春作伴好還

即從巴峽穿巫峽,便下襄陽向洛陽。

 

 

(下し文)

(官軍河南河北を収むと聞く)

剣外 忽ち伝う 薊北【けいほく】を収むるを、初めて聞いて涕涙【ているい】 衣裳に満つ。

却【かえ】って妻子を看るに  愁い何【いず】くにか在る、漫【そぞろ】に詩書を巻いて喜んで狂せんと欲す。

白日に放歌して須らく酒を縦【ほしいまま】にすべし、青春伴を作し 郷に還るに好し。

即ち巴峡より巫峡を穿【うが】ち、便【すなわ】ち襄陽に下って洛陽に向かわん。

 

 

(現代語訳)

(官軍が河南・河北を収めた)

剣門の外、この蜀の地に、官軍が薊北を回復した知らせが思いがけず伝わって来た。私はそれを初め聞いたとき、嬉しさの余り涙が衣裳にいっぱいになった。

ふりかえって妻子を見ると、いつもの愁えはどこえやらか、気もそぞろに書物も巻いてしまって、喜びに気は狂わんばかりである。

白髪頭で大声出して歌うたい、思い切り酒ものむべし、このいい春に、家中そろって、さあ故郷にかえろう。

すぐに巴峡から巫峡をとおりぬけ、そのまま襄陽に下って、洛陽に向かおう。

 

 

(訳注)

聞官軍收河南河北

(官軍が河南・河北を収めた)

○収河南河北 宝応元年冬十月、僕固懐恩らがしばしば賊史朝義の兵を破り進んで東京(洛陽)を手に入れた、其の将荷嵩は相・衛らの州を以て降り、張志息は恒・遭らの州を以て降った、

前述のごとく、763年広徳元年正月、賊将史朝義が官軍に敗れて死んで、河南・河北は久しぶりに回復された。梓州でこれを聞いた杜甫は狂喜して、一日も早く故郷に帰りたいと心ははやった。

 

〔時史朝義兵敗,走死廣陽,諸將田承嗣、李懷仙等俱來降。〕

〔次年763年(広徳元年)春正月、朝義は走って広陽に至って自ずから溢れて死んだ。其の将田承嗣は莫州を以て降り、李懐仙は幽州を以て降った。〕

 

 

劍外忽傳收薊北,初聞涕滿衣裳。

剣門の外、この蜀の地に、官軍が薊北を回復した知らせが思いがけず伝わって来た。私はそれを初め聞いたとき、嬉しさの余り涙が衣裳にいっぱいになった。

○剣外 長安を基本に考えて剣門の外、蜀のことをいう。

○薊北 薊州の北、今の河北薊天府地方、賊の根拠地。

○涕淚 感激のなみだ。

 

 

卻看妻子愁何在,漫捲詩書喜欲狂。

ふりかえって妻子を見ると、いつもの愁えはどこえやらか、気もそぞろに書物も巻いてしまって、喜びに気は狂わんばかりである。

○卻看妻子 杜甫は妻子をそばに呼び寄せたようである。762年宝応元年秋に梓州より成都に帰り家族を迎えて再び梓州に至り、十一月に射洪県へ行ったという。いつ妻子を迎えとったかは詩にはみえないが、此の詩には妻子の語がある。

○漫捲詩書 詩書とは「詩経」と「書経」、巻というのは当時の書物は巻きものであるからである、漫にとはうれしさのあまり、いいかげんに巻きおさめること。

 kairo10682

 

白首放歌須縱酒,青春作伴好還

白髪頭で大声出して歌うたい、思い切り酒ものむべし、このいい春に、家中そろって、さあ故郷にかえろう。

○白首 しらがあたま、老年であることをいう、首を一に日に作る、白日ならばまひるなかをいう。

○青春作伴 青春は春の節をいう、作伴とは妻子一家つれだつことをいう、「青春を伴と作して」とよます説があるが取らぬ。

○郷 洛陽をさしていう。

 

 

即從巴峽穿巫峽,便下襄陽向洛陽。

すぐに巴峡から巫峡をとおりぬけ、そのまま襄陽に下って、洛陽に向かおう。

○巴峡 四川巴県にある峡の名。

○巫峡 四川巫山県にある三峡の名。

○便下 下るの意は明らかでない、愚見は地理上よりみれば「上りて」とあるぺしとおもわれるが「下」とある。強いていうならば都にゆくのを上ることとし他地にゆくのを下るといったもの。ともかく嚢陽へゆくことである。

647 《寄高適【案:草堂逸詩拾遺。】》 蜀中転々 杜甫 <552>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2985 杜甫詩1000-552-791/1500

《寄高適》詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

 

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《寄高適【案:草堂逸詩拾遺。】》 蜀中転々 杜甫 <552  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2985 杜甫詩1000-552-791/1500            

 

 

作者: 杜甫  762  寶應元年 51

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

詩題: 寄高適【案:草堂逸詩拾遺。】 

寫作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

交遊人物/地點: 高適 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

掲 載; 杜甫1000首の552首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-791回目

 

 

寄高適

(高適に寄せる詩)

楚隔乾坤遠,難招病客魂。

むかし楚に属していた此の蜀の地は都とは,隔っていて天地茫茫として遠い。とても持病があるばかりか旅に向かう魂まで病ってしまっているので都へ招待されてもでむくことなどは出来ない。

詩名惟我共,世事與誰論。

詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

北闕更新主,南星落故園。

このたび北方にある朝廷では変わって新天子が即位するが,南方の地では南極星というべき君が此の第二の故郷で施政をはじめてくれる。

定知相見日,爛漫倒芳尊。

必ずやお互いが面会する日はある。腹蔵なく酔いどれて、そして酒樽をまた倒むけることであろう。

  

(高適に寄せる)

楚 隔りて 乾坤 遠くし、招き難し 客魂を病う。

詩 名 惟【おもんみ】るに我共にし、世事 誰と論ぜん。

北闕 新首 更【あらため】る、南星 故園に落【はじま】る。

定めて知る相い見る日を、爛漫 芳樽を倒けるを。

 

 岳陽樓詩人0051


『寄高適』 現代語訳と訳註

(本文)

寄高適

楚隔乾坤遠,難招病客魂。

詩名惟我共,世事與誰論。

北闕更新主,南星落故園。

定知相見日,爛漫倒芳尊。

 

 

(下し文)

(高適に寄せる)

楚 隔りて 乾坤 遠くし、招き難し 客魂を病う。

詩 名 惟【おもんみ】るに我共にし、世事 誰と論ぜん。

北闕 新首 更【あらため】る、南星 故園に落【はじま】る。

定めて知る相い見る日を、爛漫 芳樽を倒けるを。

 

 

(現代語訳)

(高適に寄せる詩)

むかし楚に属していた此の蜀の地は都とは,隔っていて天地茫茫として遠い。とても持病があるばかりか旅に向かう魂まで病ってしまっているので都へ招待されてもでむくことなどは出来ない。

詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

このたび北方にある朝廷では変わって新天子が即位するが,南方の地では南極星というべき君が此の第二の故郷で施政をはじめてくれる。

必ずやお互いが面会する日はある。腹蔵なく酔いどれて、そして酒樽をまた倒むけることであろう。

 

 

(訳注)

寄高適

(高適に寄せる詩)

作者が(杜甫)成都に居したとき,髙適の新任に就いて寄せたもの。寶応元年四・五月頃の作。以下はこれまで杜甫が高適に対し作った詩でこのブログで取り上げたものを示す。

送高三十五書記 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 50

寄高三十五書記  杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 67

送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢誠実な詩人 93

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530

因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500

奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500

 

楚隔 乾坤 ,難招 病客

むかし楚に属していた此の蜀の地は都とは,隔っていて天地茫茫として遠い。とても持病があるばかりか旅に向かう魂まで病ってしまっているので都へ招待されてもでむくことなどは出来ない。

・「楚」語義類別:其他、行政體系、民族邦國名、楚。

・「隔」語義類別:其他、現象、自然現象、隔。

・「乾坤」天地。

・「招」招待されて都から成都まで同行すること。

・「客魂」旅人としての魂、意欲。

 

 

詩名 惟我 共,世事 與誰

詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

・「詩名」詩と詩における名声、評判。

・「世事」現状の世情の事に就いて。

 

北闕 更新主 ,南星 故園

このたび北方にある朝廷では変わって新天子が即位するが,南方の地では南極星というべき君が此の第二の故郷で施政をはじめてくれる。

・「北闕」闕:朝廷

・「更新」交代した。

・「主」天子。

・「南星」高適のこと

・「落」おちる。おとす。しぬ。垣根。村里。はじまる。

・「故園」杜甫の、生活圏成都浣花渓の草堂寶応元年四月十八日丁卯粛宗崩じ,二十八日,代宗即位す,髙適蜀州刺史より厳武に代わり成都尹、剣南西川節度使となる。になってくることを云う。

 

 

定知 相見 ,爛漫 芳尊

必ずやお互いが面会する日はある。腹蔵なく酔いどれて、そして酒樽をまた倒むけることであろう。

・「知」語義類別:人、狀態、心智狀態、知。

・「見」語義類別:人、感官詞、視覺、見。

・「日」語義類別:時、時間、範圍時間(日)、日。

・「爛漫」酒にて酔っぱらう。

・「倒」杯を傾ける。

・「芳尊」飲品をいい、ここでは酒。

・「相見」 面会する。

646 《即事》 蜀中転々 杜甫 <551>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2980 杜甫詩1000-551-790/1500

《即事》晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

 

2013年9月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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司馬相如 《子虚賦 》(7)#3-2 文選 賦<109-#3-2>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩886 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2978
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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病鴟 韓愈(韓退之) <185-#4>Ⅱ中唐詩799 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2979
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Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor646 《即事》 蜀中転々 杜甫 <551>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2980 杜甫詩1000-551-790/1500
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html    
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。    
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。    
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html    
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html    
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。    
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。    
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。    

 

646 《即事》 蜀中転々 杜甫 <551  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2980 杜甫詩1000-551-790/1500

 

 

作者: 杜甫  762  寶應元年  51

卷別: 卷二三一  文體: 七言律詩 

詩題: 即事 

掲 載; 杜甫1000首の551首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-790回目 

 

即事

(最近のニュースで感じたこと。)

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

季節の変わり目の雷の響く音はたちまちこのまわりのたくさんの山々に雨をもたらし、咲き誇る花々の気が漂えばみんなの心を和ませてくれるお香のようなものである。

黃鶯過水翻迴去,燕子銜泥不妨。

春と告げるうぐいすは水啄み過ぎていき、翻ってやがて去って行く。入れ替わりに燕が泥を口に含んで巣作りをする、やがて全体に程好い湿気で潤うのを妨げるものはないのが自然の移り変わりだ。

飛閣卷簾圖畫裡,虛無只少對瀟湘。

屋根が反り返った樓閣には簾を巻き上げ、その壁や部屋の中に描かれている絵を見せてくれることになり、隠遁しているものとしてこうした移り変わりを愉しんではいるが、ただ少しだけ思うことは、平穏な地方である屈原の所縁の瀟水、湘水に行ける準備をしたいと思うことである。

 

即事

暮春 三月 巫峽 長【とお】し,皛皛【きょうきょう】として行雲 日光に浮ぶ。

雷聲 忽ち千峰の雨を送り,花氣 渾うは百和【なごま】す香の如し。

黃鶯 水を過り翻って迴り去り,燕子 泥を銜え妨げず。

飛閣 簾を卷き圖畫の裡,虛無 只だ少くも瀟湘に對す。

くちなしの実01 

 

『即事』 現代語訳と訳註

(本文)

即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻迴去,燕子銜泥不妨。

飛閣卷簾圖畫裡,虛無只少對瀟湘。

 

(下し文)

即事

暮春 三月 巫峽 長【とお】し,皛皛【きょうきょう】として行雲 日光に浮ぶ。

雷聲 忽ち千峰の雨を送り,花氣 渾うは百和【なごま】す香の如し。

黃鶯 水を過り翻って迴り去り,燕子 泥を銜えい妨げず。

飛閣 簾を卷き圖畫の裡,虛無 只だ少くも瀟湘に對す。

 

(現代語訳)

(最近のニュースで感じたこと。)
晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

季節の変わり目の雷の響く音はたちまちこのまわりのたくさんの山々に雨をもたらし、咲き誇る花々の気が漂えばみんなの心を和ませてくれるお香のようなものである。

春と告げるうぐいすは水啄み過ぎていき、翻ってやがて去って行く。入れ替わりに燕が泥を口に含んで巣作りをする、やがて全体に程好い湿気で潤うのを妨げるものはないのが自然の移り変わりだ。

屋根が反り返った樓閣には簾を巻き上げ、その壁や部屋の中に描かれている絵を見せてくれることになり、隠遁しているものとしてこうした移り変わりを愉しんではいるが、ただ少しだけ思うことは、平穏な地方である屈原の所縁の瀟水、湘水に行ける準備をしたいと思うことである。

 

 (訳注)
即事
(最近のニュースで感じたこと。)
その場の事柄、目の前のけしき・ようすを即興で詩にしたもの。

『即事』

聞道花門破,和親事卻非。

人憐漢公主,生得渡河歸。

秋思雲髻,腰肢勝寶衣。

群凶猶索戰,回首意多違。

《秦州抒情詩(5)  『即事』 杜甫700290首目、杜甫ブログ410回目》即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410

『草堂即事』

荒村建子月,獨樹老夫家。

雪裡江船渡,風前竹徑斜。

寒魚依密藻,宿鷺起圓沙。

蜀酒禁愁得,無錢何處

草堂即事 五言律詩 成都5-(34) 杜甫 <459  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2380 杜甫詩1000-459-670/1500

 

暮春 三月 巫峽 ,皛皛 行雲 日光

晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

・「三月」三月。初春、盛春、晩春。

・「巫峽」巫峡は中国・長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

・「皛皛」あらわれる。あきらかにする。いちめんにしろいさま。

 

 

雷聲 忽送 千峰 ,花氣 渾如百和香

季節の変わり目の雷の響く音はたちまちこのまわりのたくさんの山々に雨をもたらし、咲き誇る花々の気が漂えばみんなの心を和ませてくれるお香のようなものである。

 

黃鶯 過水 翻迴 ,燕子 銜泥 不妨

春と告げるうぐいすは水啄み過ぎていき、翻ってやがて去って行く。入れ替わりに燕が泥を口に含んで巣作りをする、やがて全体に程好い湿気で潤うのを妨げるものはないのが自然の移り変わりだ。

・「黃鶯」春を告げる黃鶯。倉庚。高麗鶯。

『詩経』豳風「七月」

七月流火 九月授衣

春日載陽 有鳴倉庚

女執懿筐 遵彼微行

爰求柔桑 春日遲遲

采蘩祁祁 女心傷悲

杜甫『通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴』

萬里不以力,群遊森會神。

威遲白鳳態,非是倉庚鄰。

高堂未傾覆,常得慰嘉賓。

曝露牆壁外,終嗟風雨頻。

赤霄有真骨,恥飲洿池津。

冥冥任所往,略誰能馴。

《通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴》  楽府(五言古詩) 成都6-(25-#2) 杜甫 <488-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2580 杜甫詩1000-488-#2-710/1500

 

飛閣 卷簾 圖畫 ,虛無 只少 對瀟湘

屋根が反り返った樓閣には簾を巻き上げ、その壁や部屋の中に描かれている絵を見せてくれることになり、隠遁しているものとしてこうした移り変わりを愉しんではいるが、ただ少しだけ思うことは、平穏な地方である屈原の所縁の瀟水、湘水に行ける準備をしたいと思うことである。

・「飛閣」屋根が反り返った亭臺樓閣。

・「卷簾」簾を巻き上げること。

・「圖畫」簾を巻き上げて中の圖畫がみえること。。

・「「虛無」空しくて何もできないこと。虚空。俗界を離れ隠遁していること。

・「瀟湘」語義類別:地、地名、地名合稱、瀟水、湘水。この時期、最も平穏なところであった。

桜桃001 

638 七言律詩 《野望》 蜀中転々 杜甫 <543>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2940 杜甫詩1000-543-782/1500

杜甫《野望》金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体にわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

 

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638 七言律詩 《野望》 蜀中転々 杜甫 <543  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2940 杜甫詩1000-543-782/1500

 

詩 題:野望

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

作地點: 射洪(劍南道北部 / 梓州 / 射洪

及地點: 金華山 (劍南道北部 梓州 射洪、嶲州 (劍南道南部 嶲州 嶲州別名:越 、巴州 (山南西道 巴州 巴州別名:巴中、巴 、渝州 (山南西道 渝州 渝州別名:渝 、射洪 (劍南道北部 梓州 射洪  

掲 載; 杜甫1000首の543首目-場面 蜀中転々

杜甫ブログ1500回予定の-782回目   40881

射洪県の野外にあって眺望してよんだ詩。宝応元年十一月、射洪県にあっての作。

 

 

野望

(野の景色を見る)

金華山北涪水西,仲冬風日始淒淒。

金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。

山連越蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体にわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

獨鶴不知何事舞,饑烏似欲向人啼。

私の様な一匹の鶴が舞いつつあるがそれはいかなる事があるためなのか。また、私の身代わりか餓え烏がいるがそれは人に向かって啼いて窮状を訴えんとするかの様子がある。

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。

射洪でつくりこむ春向けの新酒の清酒は今からはや緑色をして飲めそうだが、この極目傷神のおりから、だれか自分のためにそれを持ってきて飲ませてくれるものはないか。

 

(野 望)

金華山の北涪【ふ】水の西、仲冬風日始めて淒淒たり。

山は越えつずい連なり、三蜀に蟠わだかまり、水は巴渝に散じて五溪に下る。

独鶴【どくかく】知らず何事あってか舞う、餓烏【きう】人に向かって啼かんと欲するに似たり。

射洪の春酒 寒きも仍ち緑なり、目極まりて神を傷ましむ誰か為に携【たずさ】えん。

 

 

『野望』 現代語訳と訳註

denen03350(本文)

野望

金華山北涪水西,仲冬風日始淒淒。

山連越蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

獨鶴不知何事舞,饑烏似欲向人啼。

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。

 

詩文(含異文)

金華山北涪水西【金華山南涪水西】,仲冬風日始淒淒。

山連越蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

獨鶴不知何事舞,飢烏似欲向人啼。

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。 

 

 

(下し文)

(野 望)

金華山の北涪【ふ】水の西、仲冬風日始めて淒淒たり。

山は越【えつずい】に連なり、三蜀に蟠【わだかま】り、水は巴渝に散じて五溪に下る。

独鶴【どくかく】知らず何事あってか舞う、餓烏【きう】人に向かって啼かんと欲するに似たり。

射洪の春酒 寒きも仍ち緑なり、目極まりて神を傷ましむ誰か為に携【たずさ】えん。

 

 

(現代語訳)

(野の景色を見る)

金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。

遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体にわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

私の様な一匹の鶴が舞いつつあるがそれはいかなる事があるためなのか。また、私の身代わりか餓え烏がいるがそれは人に向かって啼いて窮状を訴えんとするかの様子がある。

射洪でつくりこむ春向けの新酒の清酒は今からはや緑色をして飲めそうだが、この極目傷神のおりから、だれか自分のためにそれを持ってきて飲ませてくれるものはないか。

 

 

(訳注)

野望

(野の景色を見る)

同名の『野望』詩は、下のようにある。

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

野望因過常少仙 成都5-(5) 杜甫 <458  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2235 杜甫詩1000-458-641/1500

野望 七言律詩 成都5-(35) 杜甫 <460  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2385 杜甫詩1000-460-671/1500

 

 

金華山北涪水西,仲冬風日始淒淒。

金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。

○金華山 四川省潼川府射洪県北二里(1.2km)にある。

○北 北の字は(本文)示す南に作る。山は涪江の傍にあり、その北側を云うか、南側のどちらかを示す。

○涪水西 涪水は涪江、府内を大体において北より東南に貫き流れる川である、西というのは涪江の右岸側にあるということで、涪江の西側にということ。

○仲冬 十一月。冬は10.11,12月であるからいう。

○風日 風及び太陽の様子。

○凄凄 つめたいさま。

 成都遂州00

 















山連越
蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体をにわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

○越 四川西南外夷(吐蕃の影響の強い当たり)の地方。

〇三蜀 四川の地、秦漢以後に蜀郡・広漢郡・犍為郡を置いた、これを三蜀という。○巴渝 巴州渝州、四川の東南部にあたる。

○五溪/五谿 雄渓・樠渓・力渓・璑渓・酉渓をいう、貴州北部にあり、北流して長江に入る。

 

獨鶴不知何事舞,饑烏似欲向人啼。

私の様な一匹の鶴が舞いつつあるがそれはいかなる事があるためなのか。また、私の身代わりか餓え烏がいるがそれは人に向かって啼いて窮状を訴えんとするかの様子がある。

○独鶴 杜甫自身の客境をあらわす。

○饑烏 対句として、貧苦をあらわす。

 

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。

射洪でつくりこむ春向けの新酒の清酒は今からはや緑色をして飲めそうだが、この極目傷神のおりから、だれか自分のためにそれを持ってきて飲ませてくれるものはないか。

○射洪 県の名、溝川府三台県治(唐の梓州)の東南にある。

○春酒 春になればできあがる酒、今は仲冬であるから酒としては未成品であるはずのもので、しかるにそれを早く飲みたいとの意をのべたものである。

○寒仍綠 まだ仲冬で寒いのだがそれでも緑色に澄んでいるというのである。生酒の澄ました部分であろう。

〇目極 どこまでもととおくながめること。

○傷神 こころをいたましめる。

○誰為携 「何人か我が為めにその酒をたずさえ来たらん」の意。詩人李白5x5

636 七言律詩 《秋盡》 蜀中転々 杜甫 <541>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2930 杜甫詩1000-541-780/1500

杜甫《秋盡》 蜀中転々 客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

 

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html    
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。    
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
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636 七言律詩 《秋盡》 蜀中転々 杜甫 <541  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2930 杜甫詩1000-541-780/1500

 

 

作者: 杜甫  762年 寶應元年  51

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題: 秋盡 

寫作地點: 目前尚無資料 

寫及地點:  少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城 

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺     

劍門山 (劍南道北部 劍州 劍門) 別名:蜀門     

掲 載; 杜甫1000首の541首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-780回目   40879

 

 

詩文:秋盡

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

秋盡東行且未回,茅齋寄在少城隈。

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

籬邊老卻陶潛菊,江上徒逢袁紹杯。

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

雪嶺獨看西日落,劍門猶阻北人來。

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

不辭萬里長為客,懷抱何時得好開。

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。 

(秋盡)

秋盡す 東行 且【まさ】に未だ回らず,茅齋 少城の隈に在るに寄す。

籬邊は老いて卻って陶潛の菊,江上 徒に袁紹の杯に逢う。

雪嶺 獨り西日の落を看る,劍門 猶お北人の來るを阻む。

萬里 長えに客を為すを辭さず,懷抱きて何時 好開を得んや。

 nat0001

 













『秋盡』 現代語訳と訳註

(本文)

秋盡

秋盡東行且未回,茅齋寄在少城隈。

籬邊老卻陶潛菊,江上徒逢袁紹杯。

雪嶺獨看西日落,劍門猶阻北人來。

不辭萬里長為客,懷抱何時得好開。

 

 

(下し文)

(秋盡)

秋盡す 東行 且【まさ】に未だ回らず,茅齋 少城の隈に在るに寄す。

籬邊は老いて卻って陶潛の菊,江上 徒に袁紹の杯に逢う。

雪嶺 獨り西日の落を看る,劍門 猶お北人の來るを阻む。

萬里 長えに客を為すを辭さず,懷抱きて何時 好開を得んや。

 

 

(現代語訳)

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。

 

 

(訳注)

金燈花03秋盡

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

・秋盡 夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。厳武を送って梓州に来て、厳武は長安に向かった。ところが成都で、徐知道が謀反を起こしたため、戦争にトラウマがある杜甫は帰らずに秋が終わるまでそのまま客としていることを云う。

首聯の「秋盡」がこの時の杜甫の置かれている状況を最もよく表す語である。

 

秋盡 東行 且未迴 ,茅齋 寄在 少城

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

・東行 義理の母、弟妹は東の山東にいるのでこういう。

・且 いまにも~になりそうだ。

・少城 成都錦官城の別名。

・隈 關津渡口(津堤)。浣花渓草堂には船着き場を設置していた。

 

籬邊 老卻 陶潛 ,江上 徒逢 袁紹

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

・「籬邊」まがきのあたり。浣花渓という名は杜甫が名づけている。文字通り、花いっぱいにかこまれたいと願って命名したのだ。

・「陶潛」東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。

・「菊」陶潜によって愛された菊。

・「江上」ここでは草堂の前を流れる濯錦江のこと。

・「袁紹」 紹(えん しょう、永興2年(154年)以前? - 建安7年(202年)5月)は、中国後漢末期の武将・政治家。大将軍の何進と協力して激しく宦官と対立。宦官勢力を壊滅させることに成功したが、董卓との抗争に敗れ、一時は首都の洛陽より奔り逼塞を余儀なくされたが、後に関東において諸侯同盟を主宰して董卓としのぎを削った。同盟解散後も群雄のリーダー格として威勢を振るい、最盛期には河北四州を支配するまでに勢力を拡大したが、官渡の戦いにおいて曹操に敗れて以降は勢いを失い、志半ばで病死した。。

・「杯」建安5年(200年)春、夢枕に孔子が現れ、鄭玄は自分の寿命が近い事を悟った。やがて病を得て寝たきりとなった。丁度、袁紹と曹操が官渡で争っていた時期であり、袁紹は子の袁譚に命じて鄭玄を随軍させようとしたが、応じる事はできなかった。鄭玄は元城県まで来たところで、病が篤くなり進めなくなった。同年6月に死去。74歳であった。薄葬とするよう遺言したという。

 

雪嶺 獨看 西 日落 ,劍門 猶阻北人

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

・「雪嶺」語 成都盆地の北西にある山脈。杜甫『嚴公廳宴,同詠蜀道畫圖』「劍閣星橋北,松州雪嶺東。」(この地図で守るべき範囲は成都の星橋のはるか北には剣閣があり、遠く松州では雪嶺山脈がその東に横たわっていて、西の守備範囲を示している。)五言律詩 《巴西驛亭觀江漲呈竇使君》 蜀中転々 杜甫 <536  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2905 杜甫詩1000-536-775/1500

 

「劍門」劍門山。杜甫は3年前の冬ににここを超えて成都に遣って来たのである。それは成都紀行十二首に詳しく述べている。

成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522

 

不辭 萬里 長為客 ,懷抱 何時 得好開

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。

aki010

・「不辭」官を辞して隠遁者になったのだが今度はそれを辞すことはしない。
・「懷抱」ずっと思い続けていること。
・「「好開」開かれた好ましい世の中になる。
 

嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500

杜甫 嚴公仲夏枉駕草堂 成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

 

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嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500



詩 題:
嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の532首目-場面中

杜甫ブログ1500回予定の-766回目   40865

 

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌

作者:杜甫                        

全唐詩・卷227

草堂本一作鄭公枉駕攜饌訪水亭。

 

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

百年地闢柴門逈,五月江深草閣寒。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。
看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。

ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。 

(嚴公 仲夏に 草堂に枉駕し、兼ねて酒饌を攜える、寒の字を得たり)

竹裏 行廚 玉盤を洗い,花邊 立馬し 金鞍を簇【むらが】る。

使者 徵求【ちょうきゅう】の急なるに關するに非らず,自ら識る將軍禮數【れいすう】の寬なるを。

百年地闢【ちへき】柴門逈【はる】かに,五月江深うして草閣の寒。

 漁舟を看弄して白日に移る,老農 何んぞ交歡を罄【つく】す有らん。

 

花鴨003








 

『嚴公仲夏枉駕草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

百年地闢柴門逈,五月江深草閣寒。

看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。
 

 

(下し文)

(嚴公 仲夏に 草堂に枉駕し、兼ねて酒饌を攜える、寒の字を得たり)

竹裏 行廚 玉盤を洗い,花邊 立馬し 金鞍を簇【むらが】る。

使者 徵求【ちょうきゅう】の急なるに關するに非らず,自ら識る將軍禮數【れいすう】の寬なるを。

百年地闢【ちへき】柴門逈【はる】かに,五月江深うして草閣の寒。

 漁舟を看弄して白日に移る,老農 何んぞ交歡を罄【つく】す有らん。

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。

 

花鴨003 

(訳注)

嚴公仲夏枉駕草堂,兼攜酒饌(得寒字)

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

宝応元年五月の作。

○厳公 厳武中丞公。

○仲夏 五月。

○饌 食物。

○得寒字 主客共に詩を賎し、その用いる韻字に「寒」の字があたったこと。本詩は【頸聯】第六句に寒の字を押韻している。

 

【首聯】

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

嬉しいことで、竹林のなかで台所方が玉盤を洗っている、浣花渓草堂の周りに花がさいいていて金鞍をむらがらせて馬が立ちならんでいる。

○竹裏 草堂の庭のたけやぶのなか。

○行厨 携帯してきた台所。

○玉盤 玉の大皿。

○立馬 馬は従者の騎馬。

 

【頷聯】

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

○使者徴求急 使者は厳武をいうが、厳武は成都尹で地方官であるから天子の使者であるということで、徴求は賢者をめし求めることである。厳武は杜甫を成都の書記官に向かえようということであった。 「荘子」(譲王)にみえる顔闔の故事を用いる、魯に顔闔という賢人があり、魯君よりめしだしの使者がやって来たとき、顔闔がお答えしていうのは、もし聞き誤りがあってはすまぬゆえ、願わくはもう一度かえって果たして顔闔をお召しになっておられるのかどうかただされよと。使者がもどって来たところが、顔闔はそのまによそににげ去った。

○将軍 厳武は成都の市長であるから将軍という。

○礼数寛 礼数とは礼儀をいう、すべて礼儀には階級あるゆえ度数はつきものである、故に礼数という、寛とは人に求めるのに厳重でないことをいう。

 

【頸聯】

百年地辟柴門迥,五月江深草閣寒。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。

〇百年 生涯をいう。

○他僻 僻はかたよること。片田舎で。

○柴門迥 残りの人生をこの柴門のまわりで過ごすことと認識している。柴門を帰るところとしている。

〇五月 題の仲夏をいう。寒に対しての仲夏である。

○江 濯錦江。

○革閣 草堂。

○寒 仲夏ゆえ本来は寒くはないのだが竹林中に在って清江の深い水にのぞんでいることで涼しいを飛び越えて寒くおぼえるというのである。

 

【尾聯】

看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。

ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。

〇看弄 看るのではあるが無駄なものにしている。杜甫は厳武が舟遊びをしているのをただ見るだけであるということ。

○漁舟 魚をとる釣舟をいう、厳武がふなあそびをするのである。

○移白日 移白日は白日移とおなじ、一日の時間のたつことをいう。

○老農 としよりの百姓、杜甫自身をいう。

○交歓 たがいによろこぶ、末句は謙遜の辞である。
 

《寄題杜二錦江野亭》 厳武  蜀中転々 <528(附)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528(附)-762/1500

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
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李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

《寄題杜二錦江野亭》 厳武蜀中転々 杜甫 <528()>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528()-762/1500

 

 

寄題杜二錦江野亭 (寄題杜拾遺錦江野亭) 厳武

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

莫倚蓄題鸚鵡賦何須不著鵔義

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

 くちなしの実01






 

『寄題杜二錦江野亭』 現代語訳と訳註

(本文)

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

莫倚蓄題鸚鵡賦何須不著鵔義

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

 

 千畳敷0010

(下し文)

(杜二が錦江の野亭に寄せ題す)    厳武

漫りに江頭に向かって釣竿【ちょうかん】を把る、懶【らん】にして沙草に眠り風瑞を愛す。

善く鸚鵡の賦を題するに倚ること莫れ、何ぞ夋義の冠を着けざるを須いん。

腹中の書籍幽時に曬【さら】し、肘後の医方は静処に看る。

興発せば会ず能く駿馬を馳せ、終に当に直に使君灘に到るべし。

 

 

(現代語訳)

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

 

 

(訳注)

寄題杜二錦江野亭 (寄題杜拾遺錦江野亭) 厳武

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

○杜二(拾遺) 杜甫をさす。

○錦江野亭 草堂をさす。

 

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

○江頭 錦江のほとり。

○把釣竿 杜の隠居生活をいう。

○懶 らん 杜甫のぶしょうなこと。隠遁者には誉め言葉になる。

○沙草 沙上のくさ。風瑞 風声をおびたはやせのおと。

★この二句は隠遁者の風流を云う。

 

莫倚蓄題鸚鵡賦、何須不著鵔義冠。

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

〇禰 衡(でい こう、あるいは「ねい こう」とも、173年-199年)は、中国後漢末期の人。字は正平。青州平原郡般県 の人。興平年間、荊州に避難した。建安年間の初め、遷都されたばかりの許に上京した。しかし、才能を鼻にかけて傲慢な態度をとったうえ、他人の評価に対しては酷評を行なったため、人々から憎まれた。ただ、孔融だけは禰衡を高く評価し、曹操にも推薦していた。

○倚 たよりにする、誇る意となる。

○題 つくること。

○鸚鵡賦 後漢の禰衛は、章陵の太守黄射のところにあってこの賦を作った。

○何須 そんな必要はない。

○鵔義冠 錦鷄鳥のはねでかざったかんむり、漢の時、侍中の官のかむったもの。

 

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

○幽時 しずかなとき。

○曬さらし むしばしする、郝隆というものが七月七日に腹中の書をさらすのだといって日向で仰向けに寝そ べり,これを書物の虫干しと称した。

○肘後医方 肘にかける医術の書、菅の葛洪は「肘後急要方四巻」をあらわした。○興発 此より二句は武自ずからいう、発はおこること。

 

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

○会 必ずに同じ、俗語である。

使君灘 浣花渓の近傍にかかる名の灘があったのであろう。杜甫が忠義のものであることは私は分かっていて、その君が住んでいる早瀬があるところというほどの意味。