杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
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七言律詩

廣徳2年764-69 《奉寄別馬巴州》 ふたたび成都 杜甫<745> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4055 杜甫詩1500-745-982/250033

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。


        
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廣徳2764-69 《奉寄別馬巴州》 ふたたび成都 杜甫<745 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4055 杜甫詩1500-745-982/250033

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕 

及地點:  巴州 (山南西道 巴州 巴州) 別名:巴中、巴     

交遊人物: 馬巴州

 

 

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕
勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

(異文)

勳業終歸馬伏波【勳業真歸馬伏波】,功曹非復漢蕭何【功曹無復漢蕭何】。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過【難隨烏翼一相過】。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

 

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

蜀中転々圖

 

『奉寄別馬巴州』 現代語訳と訳註

(本文)

奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

 

(下し文)

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

 

(現代語訳)

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

 杏の花0055

(訳注)

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕

杜甫は、764年廣德二年早春、梓州にいたが厳武の働きで京兆功曹に任ぜられたが赴任せず、荊南に赴こうとして馬巴州刺史に寄せた詩である。

 

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

馬伏波 後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。ここでは同姓でもじったもの。

漢蕭何 蕭 何(しょう か、? - 紀元前193年)は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦の天下統一を輔けた、漢の三傑の一人。

 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

繫纜 船を停泊させるため艫綱をつなぐことをいう。

 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

春湖 洞庭湖のことで、朝廷からの京兆功曹のお役を断って荊州、江南に向かうと決意していることをいう。

白玉珂 白玉の馬飾。馬が歩くとカランカランとなる。

廣徳2年764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

        
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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廣徳2764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500

巻十三 

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:將赴荊南寄別李劍州 

作地點:目前尚無資料 

及地點:  劍州 (劍南道北部劍州 劍州)/灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州) /仲宣樓 (山南東道 荊州 當陽)     

交遊人物:李劍州

成都遂州00 

 

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

蜀中転々圖

『將赴荊南寄別李劍州』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

 

(下し文)

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

 

(現代語訳)

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(訳注)

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

○刑南 湖北省刑州府江陵県。

○李剣州 剣州の刺史李某、剣州は綿州梓憧県、聞州の西北にあたる。

 

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

○使君李をさす、使君は太守の敬称であるが唐人は刺史をさしてかくいう。

○駆今古 今人古人を駆逐するとの意で、たぐいのすくないことをいう。

○蓼落 さびしいさま。

〇三年 刺史の任期であろう。

○坐 じっとしている。

 

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、漢の李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

○文翁 漢の時、文翁は蜀郡の守となり、成都に学宮を修め起こし吏民を大いに教化した。

○李広 李広(り こう、? - 紀元前119年)は、中国前漢時代の将軍。文帝・景帝・武帝に仕えた。武勇に優れていたが戦功を認められることなく憤死した。秦の名将の李信の子孫である。従弟に丞相になった李蔡、孫に李陵がいる。

○封侯 侯の爵にとりたでられる。

 

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

○灩澦 唯の名、瞿塘峡口にある。夔州より荊州へ赴く途中に経る所である。

○雙蓬鬢 左右のもつれたぴんの毛。

○天入滄浪 滄浪の天に入ることをいう、滄浪は緑水をいう。「高貴」の漢水は東流して滄浪の水となるとある「滄浪水」のことと説くのは当たらぬ、荊州へゆくのに滄浪水は関係がない。

 

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

○戎馬 兵乱の時をいう。

○仲宜楼 魏の王粲(字は仲宣)は荊州の劉表に依り、当陽県の城楼にのぼって懐郷の念をのべて「登楼賦」をつくった。荊州の州治は今の江陵県で当陽県ではないが、当陽は附近の地ゆえ、其の地の名蹟をあげ用いたのである。
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廣徳2年764-51 《題桃樹》 ふたたび成都 杜甫<696> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3965 杜甫詩1000-696-964/150015

杜甫《題桃樹》これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。


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卷別: 卷二二六  文體: 七言律詩 

詩題: 題桃樹 

寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

寫及地點:   





題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。



(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。


杏の花01




題桃樹』 現代語訳と訳註

(本文)

題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。


(下し文)

(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。



(現代語訳)

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。

海棠花05

(訳注)

題桃樹

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

浣花渓には蕭実からもらった百本の桃を植えている。、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>

桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

五本の樹は①貧しい者たちにも木の実を口にすることが出来。

②花が咲き乱れるのをこの目で見る

③ツバメが子を産んで何度も餌を運び

④「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

⑤天下太平になった

ということを示してくれる。

杏の花022

小徑升堂 舊 不斜 ,五株 桃樹 亦從遮 。

園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。



高秋總餧 貧人 實 ,來 還舒滿眼 花 。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

「餧」餵。餵・餧)】 (1)(動物を)飼育する,餌(えさ)をやる:*牛~草|牛に草を食べさせる.(2)(病人や赤ん坊などに)食べさせる,口に食べ物を運ぶ.

「來」範圍時間(年)、來年。

「舒」(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S‐ )姓.舒 shūchàng[形]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[形]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.


每宜通乳燕 ,兒童 莫信 打 慈鴉 。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

「鴉」慈烏反哺

子が親の恩に報いて孝養を尽くすこと。親孝行のたとえ。情け深いからすが幼いときの恩を忘れず、老いた親に口移しで餌えさを与える意から。▽「慈烏」はからすの異称。からすは、幼いとき親が口移しで餌を与えてくれた恩を忘れず、成長すると親に餌を与えてその恩を返すという。「哺」は口中の食物のこと。

寡妻群盜 非 今日 ,天下 車書 正一家 。
これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。
 

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741 《又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <648  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3550 杜甫詩1000-648-904/1500〔草堂逸詩拾遺-(17)

 

 

詩 題:又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 七言律詩 

詩題: 又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺-(17) 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  惠義寺 (劍南道北部 梓州 ・綿州 (劍南道北部 綿州 綿州)     

交遊人物: 辛員外 當地交遊(劍南道北部 梓州 )

 

掲 載; 杜甫1000首の648首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-904回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(17)

又送(惠義寺園送辛員外)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

峰寂寂對春臺,萬竹青青照客杯。

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられそのれに日が射している。

細草留連侵坐軟,殘花悵望近人開。

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

同舟昨日何由得,並馬今朝未擬迴。

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

直到綿州始分首,江邊樹裡共誰來。

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。

 竹林0021

 

『又送』 現代語訳と訳註

(本文)

又送(惠義寺園送辛員外)

雙峰寂寂對春臺,萬竹青青照客杯。

細草留連侵坐軟,殘花悵望近人開。

同舟昨日何由得,並馬今朝未擬迴。

直到綿州始分首,江邊樹裡共誰來。

 

(下し文)

又た送る(惠義寺の園で辛員外を送る)

雙峰 寂寂として春臺に對し,萬竹 青青として客杯を照す。

細草 留連して坐るを侵して軟かなり,殘花 悵望して人を近くし開く。

同舟 昨日のこと 何ぞ由し得て,並馬 今朝のこと 未だ迴えらんと擬わず。

直に綿州に到れば始めて首を分つ,江邊 樹の裡 共に誰か來らん。

 

(現代語訳)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられ、その盃に日が射している。

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。


四川省西部地区略図

 

(訳注)

又送(惠義寺園送辛員外)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

惠義寺園で辛員外を送別の宴を開かれ、杜甫は船で、綿州まで送っていった。そこで辛外員を送別し、杜甫は梓州に帰ることになるということをつげているのである。

 

雙峰 寂寂 對春臺 ,萬竹 青青 客杯

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられ、その盃に日が射している。

「雙峰」涪江を真ん中に両側に山峰崖嶺。

「寂寂」語義類別:物、形容詞彙(物)、環境狀態、寂寂。

「春臺」春たけなわの惠義寺の庭園の楼閣。

「萬竹」一帯に、一杯に竹林。

 

細草 留連侵 坐軟 ,殘花 悵望 近人

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

「細草」細いシュッとした草。芽吹いたばかりの若い草。

「侵坐軟」草深い所に筵を引いた様子を云う。

「殘花」散り始めた中で花を咲かせている。

「悵望」心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。魚玄機『光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。』「悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。」(悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。)

 

同舟 昨日 何由得,並馬 今朝 未擬

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

「舟昨日、馬今朝」昨日は船に同乗っする。今朝からは轡を並べて一緒に進む。綿州にはひと山越えるので、このようにいう。

「未」語義類別:其他、其他詞彙、否定詞、不。

「擬」はかるなぞらえるまがいもどき1 どうしようかとはかり考える。思案する。「擬議」2 他のものと引き比べてみる。本物らしく似せる。なぞらえる。

 

直到 綿州 始分首 ,江邊 樹裡 共誰

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。

「到綿州」無粋礼を越えて、綿州に到着する。

綿州。

「分首」ここまで送ってきて綿州で別れる。

「江邊」涪江のほとり。
成都遂州00 

706 《章梓州橘亭餞成都竇少尹〔章使君橘亭餞成都竇少尹〕〔得涼字。〕》 蜀中転々 杜甫 <613>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3375 杜甫詩1000-613-869/1500

杜甫《章梓州橘亭餞成都竇少尹》 仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。


2013年12月1日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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706 《章梓州橘亭餞成都竇少尹〔章使君橘亭餞成都竇少尹〕〔得涼字。〕》 蜀中転々 杜甫 <613  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3375 杜甫詩1000-613-869/1500

 

 

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題: 章梓州橘亭餞成都竇少尹〔章使君橘亭餞成都竇少尹〕〔得涼字。〕 

及地點:  梓州 (劍南道北部 梓州 梓州・成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     

交遊人: 章梓州・竇少尹

掲 載; 杜甫1000首の613首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-869回目

 

 

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕

(章彝梓州刺史節度使の竇成都少尹を餞別するに押韻に「涼」の字を得て作る。)

秋日野亭千橘香,玉盤錦席高雲涼。 

仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

主人送客何所作,行酒賦詩殊未央。 

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。

衰老應為難離別,賢聲此去有輝光。 

老い衰えてきた身としては、まさに寶少尹公の送別という別れがつらくなってきているけれども、貴公の賢者としての名声は、ここを去ったとしても光り輝くというものであることは間違いないことである。

預傳籍籍新京尹,青史無勞數趙張。 

皆承知のこととして伝えられることは立派な都の長安の長官であると口々に言いはやされるでしょうし、歴史書に必ず記録され、これからは度々、漢の張敞と呼ばれていくことは苦労ないことである。

章梓州の橘亭 成都竇少尹に餞る〔「涼」字を得る。〕

秋日 野亭 千橘の香,玉盤 錦席 高雲の涼。 

主人 送客 何所にか作る,行酒 賦詩 殊に未央に。 

衰老 應に為す 離別し難きに,賢聲 此去りても輝光有り。 

預傳籍籍として京尹をた新にす,青史 數ば趙張に勞無し。 

 

 (含異文)

秋日野亭千橘香,玉盤錦席高雲涼。

主人送客何所作,行酒賦詩殊未央。

衰老應為難離別【衰老難為離別】,賢聲此去有輝光。

預傳籍籍新京尹【預傳籍籍新京】,青史無勞數趙張【青史無勞趙張】。 

泰山の道観02 

 

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕

秋日野亭千橘香,玉盤錦席高雲涼。 

主人送客何所作,行酒賦詩殊未央。 

衰老應為難離別,賢聲此去有輝光。 

預傳籍籍新京尹,青史無勞數趙張。 

 

(下し文)

章梓州の橘亭 成都竇少尹に餞る〔「涼」字を得る。〕

秋日 野亭 千橘の香,玉盤 錦席 高雲の涼。 

主人 送客 何所にか作る,行酒 賦詩 殊に未央に。 

衰老 應に為す 離別し難きに,賢聲 此去りても輝光有り。 

預傳籍籍として京尹をた新にす,青史 數ば趙張に勞無し。 

 

(現代語訳)

(章彝梓州刺史節度使の竇成都少尹を餞別するに押韻に「涼」の字を得て作る。)

仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。

老い衰えてきた身としては、まさに寶少尹公の送別という別れがつらくなってきているけれども、貴公の賢者としての名声は、ここを去ったとしても光り輝くというものであることは間違いないことである。

皆承知のこととして伝えられることは立派な都の長安の長官であると口々に言いはやされるでしょうし、歴史書に必ず記録され、これからは度々、漢の張敞と呼ばれていくことは苦労ないことである。

楓の花001 

 

(訳注)

章梓州橘亭餞成都竇少尹〔得涼字。〕

(章彝梓州刺史節度使の竇成都少尹を餞別するに押韻に「涼」の字を得て作る。)

・章梓州 杜甫は厳武が長安に呼び戻されたのち、梓州を中心に、章彝梓州刺史のお世話になって生活をしていた。

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

689 《送何侍御歸朝》 蜀中転々 杜甫 <595  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3285 杜甫詩1000-595-851/1500

 

秋日 野亭 千橘 ,玉盤 錦席 高雲

仲秋のある日、野にある橘亭にはたくさんの橘の香りに包まれる。食彩がきれいに飾られ盛られたこのめでたい宴席には空は高く秋の雲が浮かび涼やかな風が抜ける。

 

主人 送客 何所作 ,行酒 賦詩 殊未央

宴席の主催者の主人は送別の賓客を前にして詩づくりをどうしようかと場所設定に悩む。酒を酌み交わしては、詩賦をつくってはいるが、まだまだみんなに披露される優秀なものはないようだ。

  

衰老 應為 離別 ,賢聲 此去 輝光

老い衰えてきた身としては、まさに寶少尹公の送別という別れがつらくなってきているけれども、貴公の賢者としての名声は、ここを去ったとしても光り輝くというものであることは間違いないことである。

 

預傳 籍籍新 京尹 ,青史 無勞 數趙張

皆承知のこととして伝えられることは立派な都の長安の長官であると口々に言いはやされるでしょうし、歴史書に必ず記録され、これからは度々、漢の張敞と呼ばれていくことは苦労ないことである。

「籍籍」口々に言いはやすさま。

「京尹」京兆尹。 長安の市長、長官。

「青史」紙のない時代、青竹の札をあぶって文字を記したところから》歴史。歴史書。記録。

「勞」1 精を尽くして働く。骨折り。「労作・労賃・労働・労務・労力/勤労・功労・就労・徒労・不労・報労」2 精が尽きて疲れる。

「趙張」趙廣漢(漢)、張敞(生没年不詳)は、前漢の人。字は子高。杜陵の人。京兆尹に至ったことで、章彝に比した。

705 《九日》 蜀中転々 杜甫 <612>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3370 杜甫詩1000-612-868/1500

杜甫《九日》去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。


2013年11月30日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <877>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3369韓愈詩-221ー#3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 虞美人二首 其一 毛文錫【もうぶんせき】  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-365-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3372
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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705 《九日》 蜀中転々 杜甫 <612  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3370 杜甫詩1000-612-868/1500          

 

 

詩 題:九日 作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

掲 載; 杜甫1000首の612首目-場面

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作時:763  廣德元年  52

卷 別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩 題: 九日 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: (劍南道北部 梓州 ) 別名:  ・驪山 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:東山     

 

 

九日

763 廣德元年の九月九日)

去年登高縣北,今日重在涪江濱。

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

苦遭白髮不相放,羞見黃花無數新。

苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。

世亂鬱鬱久為客,路難悠悠常傍人。

世は乱れきっていて憂愁憂欝な事ばかり、だから久しく漂泊の旅人になっている、故郷への道は困難だらけで、こうやってのろのろした居候のままでいるのだ。

酒闌卻憶十年事,腸斷驪山清路塵。 

酒の宴席がたけなわになると帰って思うことではあるが十年来の仕事を思うのである。故郷を思いを断ち切られているけれど、長安の東、驪山以東にかけて、道を開いてくれて戦の蒙塵を鎮めてくれることだろう。

千畳敷0010 

 

『九日』 現代語訳と訳註

(本文)

九日

去年登高縣北,今日重在涪江濱。

苦遭白髮不相放,羞見黃花無數新。

世亂鬱鬱久為客,路難悠悠常傍人。

酒闌卻憶十年事,腸斷驪山清路塵。 

 

(下し文)

九日

去年 登高す 縣の北,今日 重ねて在る 涪江の濱。

苦遭すは 白髮 相放せず,羞じて見るは 黃花 無數新たになるを。

世亂れ鬱鬱として 久しく客と為す,路難く悠悠として 傍人を常とす。

酒闌わにして卻て十年事を憶う,腸斷にして 驪山より 塵を清路にす。

 

(現代語訳)

763 廣德元年の九月九日)

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。

世は乱れきっていて憂愁憂欝な事ばかり、だから久しく漂泊の旅人になっている、故郷への道は困難だらけで、こうやってのろのろした居候のままでいるのだ。

酒の宴席がたけなわになると帰って思うことではあるが十年来の仕事を思うのである。故郷を思いを断ち切られているけれど、長安の東、驪山以東にかけて、道を開いてくれて戦の蒙塵を鎮めてくれることだろう。

 

(訳注)

九日

763 廣德元年の九月九日)

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

 

去年 登高 ,今日 重在 涪江

去年重陽の日、縣の北、梓州城に登った。今日また重ねて涪江の渚の浜に来ている。

「去年」去年762 寶應元年 杜甫51歳。去年、今年の春も行っている。

『九日登梓州城』

伊昔黃花酒,如今白髮翁。 

追歡筋力異,望遠時同。 

弟妹悲歌裡,朝廷醉眼中。 

兵戈與關塞,此日意無窮。 

この日は昔から黄色の菊の花を浮かべた酒を用意する。いまここには晉の孟嘉のように帽子が飛ばされそうな白髪頭の老人が居る。

喜悅欣樂が今追いかけてくれ心神氣力は高ぶっている。はるか遠くを臨んで重陽の節句を時を同じくするのである。

私の弟妹は東の遠い空の下で安史軍の支配する悲歌の下である。朝廷は酔いつぶれた眼のままである。

戰爭は関所塞に迫っており、この日の段階でそれにたいしての意志は窮まりないのである。

五言律詩 《九日登梓州城》 蜀中転々 杜甫 <537  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2910 杜甫詩1000-537-776/1500

「登高」重陽の節句に山に登ること。同題の詩は沢山ある。

縣」去年、今年の春も縣にある牛頭寺 (劍南道北部 梓州 ) にいっている。

「北」慧義寺のこと、梓州の北に在る。去年、今年の春も行っている。

「今日」語義類別:時、時間、範圍時間(今昔)、今。

「在」語義類別:地、地理、場域概稱、在。

「涪江」涪江。

 

苦遭 白髮 不相 ,羞見 黃花 無數

苦痛、苦労に遭遇して白髪だらけになっているのは自分だけだが、秋の黄色の花がたくさんある上に新たにするのと比較すると自分の白髪に恥ずかしさを感じる。

「苦」辛酸艱苦。

「黃花」菊花。

 

世亂 鬱鬱 為客 ,路難 悠悠 常傍人

世は乱れきっていて憂愁憂欝な事ばかり、だから久しく漂泊の旅人になっている、故郷への道は困難だらけで、こうやってのろのろした居候のままでいるのだ。

「世亂」語義類別:事、事件、世局、亂世。

「鬱鬱」憂愁掛慮)、憂欝。

「悠悠」思念舊、速度なしでゆっくり ・ ゆるり ・ 遅遅 ・ やおら ・ 徐徐に ・ ゆったり ・ 緩徐 ・ 徐々に ・ 緩り ・ のろのろ ・。 

 

酒闌 卻憶 十年 ,腸斷 驪山 清路

酒の宴席がたけなわになると帰って思うことではあるが十年来の仕事を思うのである。故郷を思いを断ち切られているけれど、長安の東、驪山以東にかけて、道を開いてくれて戦の蒙塵を鎮めてくれることだろう。

「酒闌」酒の宴席がたけなわになること。

「驪山」驪山1302m。長安から東に25kmの地点に存在し、東西長は25km、南北長は14kmである。(下図のi-2)「関中八景」の一つに「驪山返照」としてあり、国家級森林公園、AAAA級の観光場所、文物保護単位、風景名勝区等が存在している。また、驪山の名称はここから見える景色が黒色の駿馬である事からとも、殷や周の時代に驪戎国が存在したからとも言われている。驪山は女媧が老母殿山を持ってきて、山の下に華清池を作ったとされる。

「清路」街道巷弄、路。道開き、道の障害物を払いのけること

「塵」世俗の人。
函谷関長安地図座標005 

694 《送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕》 蜀中転々 杜甫 <601>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3315 杜甫詩1000-601-857/1500

杜甫《送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕》漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

 

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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694

《送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕》 蜀中転々 杜甫 <601  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3315 杜甫詩1000-601-857/1500

 

詩 題:送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

及地點:黔州 (黔中道 黔州 黔州) 別名:黔中、黔州、黔府

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽     

交遊人物: 王判官

掲 載; 杜甫1000首の601首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-857回目   40956            

 

 

送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

(王判官で扶侍の役割でもって黔中に往復するを送別する。韻に「開」の字を得る)

大家東征逐子迴,風生洲渚錦帆開。

漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來。

春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

こうした別れは、どんなに思ってももう耐えることが出来ないものであり、遭難や危険なことがあるだろうが、あなたは深い仗をもっており、あなたの才知でもってこの急場の事態を救ってもらいたい。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯。

これまでには湖南省西部の古城である黔陽に天子の書簡を持っていくことなどまさに稀なことでアットものである。まあ、そうはいっても怪しむようなことではないので、もっともっと酒をすすめて杯を傾けようではないか。 

 

(含異文)

大家東征逐子〔〈班大家賦〉:「余隨子乎東征。」〕迴,風生洲渚錦帆開。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來【白白江魚入饌來】。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯【莫怪頻煩勸酒杯】。 

Nature1-011 

 

 

『送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

大家東征逐子迴,風生洲渚錦帆開。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯。
(
含異文)

大家東征逐子〔〈班大家賦〉:「余隨子乎東征。」〕迴,風生洲渚錦帆開。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來【白白江魚入饌來】。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯【莫怪頻煩勸酒杯】。 

doteiko012 

 

(下し文)

王十五判官扶侍を送り黔中に還る〔「開」字を得る。〕

大家 東に征く子に逐いて迴る,風生え洲渚【しゅうちょ】錦帆開く。

青青として竹筍に 迎え船出づ,日日に江魚 入りて饌【たべどき】に來る。

離別 無限の意に堪ず,艱危 仗深く濟時の才あり。

黔陽【こんよう】の信使 應に稀少なり,怪しむ莫れ頻頻【ひんびん】酒杯を勸めんことを。
 

(現代語訳)

(王判官で扶侍の役割でもって黔中に往復するを送別する。韻に「開」の字を得る)

漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。

春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

こうした別れは、どんなに思ってももう耐えることが出来ないものであり、遭難や危険なことがあるだろうが、あなたは深い仗をもっており、あなたの才知でもってこの急場の事態を救ってもらいたい。

これまでには湖南省西部の古城である黔陽に天子の書簡を持っていくことなどまさに稀なことでアットものである。まあ、そうはいっても怪しむようなことではないので、もっともっと酒をすすめて杯を傾けようではないか。

 

(訳注)

送王十五判官扶侍還黔中〔得開字。〕

(王判官で扶侍の役割でもって黔中に往復するを送別する。韻に「開」の字を得る)

 

大家東征逐子迴,風生洲渚錦帆開。

漢の班昭が息子の赴任地について行ったということがある。きっと風に乗って中州や渚をすすんで、錦の帆を高く挙げていたことであろう。

・大家東征 班昭《東征賦》「惟永初之有七兮,余隨子乎東征。」(惟れ永初の有七,余れ子に隨いて東に征く)永元七年のこと、わたしは赴任する息子と一緒に東の東留へとむかった。文選、曹大家『東征賦』

・大家 後漢の作家、中国初の女性歴史家である班昭のこと。班昭(はん しょう、45? - 117?)は、中国・後漢の作家。中国初の女性歴史家。一名・姫。字は恵姫、または恵班。扶風安陵(陝西省咸陽市)の出身。歴史家・班彪の娘として生まれ、同じく歴史家・班固と、西域で活躍した武将である班超は兄である。班超の三男である班勇は甥。14歳で曹世叔に嫁ぎ、世叔の死後、彼女の才名を聞いた和帝が召し出して宮中に入れ、後宮后妃の師範とした。人々は敬して曹大家と称した。

 

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來。

春の竹が青々と育つ頃に船出したのであろう。毎日毎日、この涪江の魚漁して、ここに来ればきっと食べ頃になっている。

 

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

こうした別れは、どんなに思ってももう耐えることが出来ないものであり、遭難や危険なことがあるだろうが、あなたは深い仗をもっており、あなたの才知でもってこの急場の事態を救ってもらいたい。

・濟時1 助ける。すくう。「済世(さいせい)・済度・済民/救済・共済・経済(けいざい)2 しあげる。すます。

 

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯。

これまでには湖南省西部の古城である黔陽に天子の書簡を持っていくことなどまさに稀なことでアットものである。まあ、そうはいっても怪しむようなことではないので、もっともっと酒をすすめて杯を傾けようではないか。

・黔陽 湖南省西部の古城である黔陽。雲南から湖南にかけて、吐蕃、南蛮からの侵入に防衛強化の必要があった。

・頻頻 形容動詞として用いられるもの「何かがしきりと起こるさま」を表す言葉。頻繁(ひんぱん)は、形容動詞および名詞として用いられ、「何かがしきりに行われるさま」。というのが現代日本の使用法であるが、ここでは御酒をすすめる行為に使っている。
成都遂州00 

691 《涪城縣香積寺官閣》 蜀中転々 杜甫 <597>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3295 杜甫詩1000-597-853/1500

杜甫《涪城縣香積寺官閣》やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《兩都賦序》(3) 文選 賦<111―3>13分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩949 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3293
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(15)-#13韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <862>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3294韓愈詩-220-#13
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ691 《涪城縣香積寺官閣》 蜀中転々 杜甫 <597>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3295 杜甫詩1000-597-853/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ74魏武帝(曹操) 《薤露行》 魏詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3296 (11/15)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor河傳 二首之一 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-350-7-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3297
 
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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691 《涪城縣香積寺官閣》 蜀中転々 杜甫 <597  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3295 杜甫詩1000-597-853/1500

 

詩 題:涪城縣香積寺官閣

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

及地點: 香積寺 (劍南道北部 綿州 涪城)     

掲 載; 杜甫1000首の597首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-853回目

涪城県の香積寺にある官闇についてよんだ。広徳元年春、梓州にあったときの作。

 

 

涪城縣香積寺官閣

(涪城縣の香積寺にある官閣を詠う)

寺下春江深不流,山腰官閣迥添愁。

寺の真下に春の江が深くて静かに、まるでながれていないように見える。山の中段のあたりに官闇があって、ずっととおくてそこまでたどりつけるのかと心配がつきまとう。

含風翠壁孤雲細,背日丹楓萬木稠。

みどりの絶壁の下をだんだんのぼると木々が揺れ風を含み、はぐれ雲がほそくうかぶ、太陽を背にして楓の風媒花に日が射して渋い赤が映え、ここには無数に植えてある。

小院回廊春寂寂,浴鳧飛鷺晚悠悠。

やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。

諸天合在藤蘿外,昏黑應須到上頭。

仏法でいう諸天はここでも藤や蘿などのはえている森林の上にある、そんな漆黒の絶頂へは日がまさにとっぷりくれるころにゆきつくことであろう。 

(涪城県の香積寺の官閣)

寺下 春の江 深うして流れず、山腰の官閣 迥【はる】かに愁いを添う。

風を含みて 翠壁 孤雲細に、日に背きて丹楓【たんふう】万木稠【おお】し。

小院 廻廊 春は寂寂たり、浴鳧【よくふ】飛鷺【ひろ】晩に悠悠たり。

諸天合に藤蘿の外に在るべし、昏黒応に須らく上頭に到るべし

 

『涪城縣香積寺官閣』 現代語訳と訳註

(本文)

涪城縣香積寺官閣

寺下春江深不流,山腰官閣迥添愁。

含風翠壁孤雲細,背日丹楓萬木稠。

小院回廊春寂寂,浴鳧飛鷺晚悠悠。

諸天合在藤蘿外,昏黑應須到上頭。

 

(下し文)

(涪城県の香積寺の官閣)

寺下 春の江 深うして流れず、山腰の官閣 迥【はる】かに愁いを添う。

風を含みて 翠壁 孤雲細に、日に背きて丹楓【たんふう】万木稠【おお】し。

小院 廻廊 春は寂寂たり、浴鳧【よくふ】飛鷺【ひろ】晩に悠悠たり。

諸天合に藤蘿の外に在るべし、昏黒応に須らく上頭に到るべし

 

(現代語訳)

(涪城縣の香積寺にある官閣を詠う)

寺の真下に春の江が深くて静かに、まるでながれていないように見える。山の中段のあたりに官闇があって、ずっととおくてそこまでたどりつけるのかと心配がつきまとう。

みどりの絶壁の下をだんだんのぼると木々が揺れ風を含み、はぐれ雲がほそくうかぶ、太陽を背にして楓の風媒花に日が射して渋い赤が映え、ここには無数に植えてある。

やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。

仏法でいう諸天はここでも藤や蘿などのはえている森林の上にある、そんな漆黒の絶頂へは日がまさにとっぷりくれるころにゆきつくことであろう。

 

(訳注)

涪城縣香積寺官閣

(涪城縣の香積寺にある官閣を詠う)

○涪城県 梓州の西北五十五里にあるという。

○香横寺 香横山は浩城県の東南三里にあり、北のかた涪江にのぞむ。寺は山上にあるのであろう。

○官閣 官でたでた二階。

 

寺下春江深不流,山腰官閣迥添愁。

寺の真下に春の江が深くて静かに、まるでながれていないように見える。山の中段のあたりに官闇があって、ずっととおくてそこまでたどりつけるのかと心配がつきまとう。

○春江 江は涪江。

○深不流 おおきな淵になっていて、深くて水をたたえていること。

〇山腰 腰とは中段をいう。微路/翠微の位置までの道。・翠微: 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

○添愁 容易にゆきつけぬとうれえること。ここは愁うことが言いたいのではなく、奥深いことをいうもの。

 

含風翠壁孤雲細,背日丹楓萬木稠。

みどりの絶壁の下をだんだんのぼると木々が揺れ風を含み、はぐれ雲がほそくうかぶ、太陽を背にして楓の風媒花に日が射して渋い赤が映え、ここには無数に植えてある。

○含風翠壁 「翠壁含風」の意、翠壁は山の絶壁。絶壁に風が当たっている動きのある様子を云う。

○背日丹楓 「丹楓背日」の意、丹楓は楓が花を咲かせた時期のことをいう。風媒花で日が射すと渋い赤が映える。
楓の花001 


小院回廊春寂寂,浴鳧飛鷺晚悠悠。

やっと官閣へくると小さな奥庭にまわり廊下があって春の景色がしずかにそしてひっそりとある、みおろすと水面にケリが水をあび、飛んでいる鷺なんどが夕ぐれにあたってゆったりとそしてのんびりとあそんでいる。

○小院 ちいさい奥庭。

○姐廊 まわりろうか。

○悠悠 心のしずかなさま。
 水鳥ケリ002


諸天合在藤蘿外,昏黑應須到上頭。

仏法でいう諸天はここでも藤や蘿などのはえている森林の上にある、そんな漆黒の絶頂へは日がまさにとっぷりくれるころにゆきつくことであろう。

○諸天  多くの天上界。欲界六天・色界十八天・無色界四天をあわせた三界二十八天の総称。俗界から離れた寺の存在は諸天をあらわすことである、したがって、ここでは山頂の寺殿をさす。

○昏黒 たそがれどきの陰の部分のまっくらなところ。

○上頭 頂上をいう。

DCF00213 (涪城県の香積寺の官閣)

寺下 春の江 深うして流れず、山腰の官閣 迥【はる】かに愁いを添う。

風を含みて 翠壁 孤雲細に、日に背きて丹楓【たんふう】万木稠【おお】し。

小院 廻廊 春は寂寂たり、浴鳧【よくふ】飛鷺【ひろ】晩に悠悠たり。

諸天合に藤蘿の外に在るべし、昏黒応に須らく上頭に到るべし

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《送路六侍御入朝》 君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

2013年11月2日

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作者:杜甫 

皇帝紀年:廣德元年 

寫作時間: 763 

寫作年紀: 52 

卷別:卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題:送路六侍御入朝 

作地點:梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

交遊人物:路六侍御

地點當地交遊(劍南道北部 梓州 梓州)

 

 

送路六侍御入朝

(路侍御が入朝されるのを送別する。)

童稚情親四十年,中間消息兩茫然。

君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

更為後會知何地,忽漫相逢是別筵。

こうしてあえば、後日またあうとすればどこになるだろう。いま急に出会ったのが、別れであるこの送別の宴席であるということではないか。

不分桃花紅勝錦,生憎柳絮白於綿。

この春にじつに気にくわないのは桃の花よりも錦の花の紅く勝っているようであることであり、また憎さも憎きことは柳絮の綿毛が綿よりも白いことである。

劍南春色還無賴,觸忤愁人到酒邊。

この剣南の春景色というものはまことに無頼であって、このわたしが今、愁いに堪えかねているのに、その心に背いてこの送別の宴席の酒を呑むところにやってくるとは何て奴だ!

 

(路六侍御が入朝するを送る)

童稚 情親しむ四十年、中間の消息 両に茫然たり。

更に後会を為すは 知る何の地ぞ、忽ち糧に相い逢うは走れ別蓮なり。

分とせず桃花の紅錦に似たるを、生憎や柳架 綿よりも白し。

剣南の春色 還た無賴なり、愁人に触忤して 酒辺に到る。

Flower1-005 

 

『送路六侍御入朝』 現代語訳と訳註

(本文)

送路六侍御入朝

童稚情親四十年,中間消息兩茫然。

更為後會知何地,忽漫相逢是別筵。

不分桃花紅勝錦,生憎柳絮白於綿。

劍南春色還無賴,觸忤愁人到酒邊。

 

詩文(含異文)

童稚情親四十年【童稚情親十年】,中間消息兩茫然。

更為後會知何地,忽漫相逢是別筵。

不分桃花紅勝錦【不忿桃花紅勝錦】,生憎柳絮白於綿【生憎柳絮白綿】。

劍南春色還無賴,觸忤愁人到酒邊。 

 

(下し文)

(路六侍御が入朝するを送る)

童稚 情親しむ四十年、中間の消息 両に茫然たり。

更に後会を為すは 知る何の地ぞ、忽ち糧に相い逢うは走れ別蓮なり。

分とせず桃花の紅錦に似たるを、生憎や柳架 綿よりも白し。

剣南の春色 還た無賴なり、愁人に触忤して 酒辺に到る。

 

 

(現代語訳)

(路侍御が入朝されるのを送別する。)

君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

こうしてあえば、後日またあうとすればどこになるだろう。いま急に出会ったのが、別れであるこの送別の宴席であるということではないか。

この春にじつに気にくわないのは桃の花よりも錦の花の紅く勝っているようであることであり、また憎さも憎きことは柳絮の綿毛が綿よりも白いことである。

この剣南の春景色というものはまことに無頼であって、このわたしが今、愁いに堪えかねているのに、その心に背いてこの送別の宴席の酒を呑むところにやってくるとは何て奴だ!

 

 

(訳注)

送路六侍御入朝

(路侍御が入朝されるのを送別する。)

○路六侍御 侍御は官名、侍御史のこと、路六の名は詳かでない。

・侍御 秦から前漢以降の官職名。主に監察、弾劾の官である。前漢においては、御史大夫の二人の丞(副官)のうちの一人である御史中丞に統率され、定員15人であった。公卿の上奏を受領し、内容を調べて弾劾した。

○入朝 朝廷へゆく。

 

童稚 情親 四十年 ,中間消息 兩 茫然 。

君とはこどものときはたいそう仲がよかったが、それから後、四十年もたっている。いま、出会ったが子供のころと老人との中間の消息についてはおたがいにまるっきりわからないのである。

○童稚 こどものとき。

○中間消息 子供のころと老人との中間の消息。

〇両 彼我の両方ともにの意。

○茫然 はっきりせぬさま。

 

 

更為後會 知 何地 ,忽漫 相逢 是 別筵 。

こうしてあえば、後日またあうとすればどこになるだろう。いま急に出会ったのが、別れであるこの送別の宴席であるということではないか。

○後会 これから後日の会合。

○知何地 不レ知何地(知らず何の地なるを)の意。

 

 

不分 桃花 紅 勝錦 ,生憎 柳絮 白 於綿 。

この春にじつに気にくわないのは桃の花よりも錦の花の紅く勝っているようであることであり、また憎さも憎きことは柳絮の綿毛が綿よりも白いことである。

○不分 汝の本分だとはせぬぞ。意訳すれば「それはきこえぬ」などの意とおなじ。じつに気にくわない。

○生憎 「生」の字は俗用で助字である。

 

 

劍南 春色 還無賴 ,觸忤愁人 到 酒邊 。

この剣南の春景色というものはまことに無頼であって、このわたしが今、愁いに堪えかねているのに、その心に背いてこの送別の宴席の酒を呑むところにやってくるとは何て奴だ!

○剣南 梓州地方も剣閣の南にあたっている。

○無頼 あてにならぬもの、ならずもの、春色を罵る語である。

○触件 こころにふれさからう。

○愁人 愁いある人、自己をさす。DCF00110

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2013年10月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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《聞官軍收河南河北》 蜀中転々4-P179 杜甫 <578>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3200 杜甫詩1000-578-834/1500

 

 

1) 厳武が成都に着任して、杜甫は安定した気持ちになった。宝応元年の四月に玄宗が七十八歳で崩じ、その十二日後に粛宗が五十二歳の若さで崩じる。厳武はこの年、両帝の橋道使に任ぜられ、都に呼びもどされた。

2) 六月、杜甫は弟杜占を伴って厳武を綿州(陝西省綿陽県)まで見送り、さらに綿州の北20kmの奉済駅までついていって、別れた。ここでの厳武との交友は5,6ヶ月であった。

3)七月、成都少尹の徐知道が叛乱。

 このとき蜀州(四川省崇慶県)の刺史であった高適が兵を出して、叛乱は一か月で鎮圧している。杜甫はその間、乱を避けて綿州にとどまるが、乱が平定しても成都にもどらない、連合軍のウイグルが各地で略奪を繰り返し、世情は不安定のままであった。それにこの期を狙い吐蕃が兵を動かしていたためであった。梓州(四川省三台県)に移って梓州刺史で東川留後の章彝(しょうい)のもとに身を寄せ、そこでは、杜甫自身、安寧した生活を期待したのである。

4) 杜甫は涪江沿いの諸城市で過ごすことを考えた。成都にいた家族も呼び寄せている。同年十月、政府軍は洛陽の史朝義軍を攻めていたが、内紛で弱体化した史朝義軍は敗走し、政府軍は河南・河北を奪回した。

 史朝義は北に追い詰められ、寝返った部将たちによって翌広徳元年(763)正月に平州(河北省盧龍県)で自殺した。十年近くに及んだ安史の乱は、やっと終息した。杜甫はこれを梓州で聞きこの詩を作った。

 

 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題: 聞官軍收河南河北〔時史朝義兵敗,走死廣陽,諸將田承嗣、李懷仙等俱來降。〕 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 河南府 (都畿道 河南府 河南府) 別名:河南    ・河北道 (河北道 無第二級行政層級無第三級行政層級) 別名:河北    ・ 襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽    洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

 

 

 

聞官軍收河南河北

(官軍が河南・河北を収めた)

劍外忽傳收薊北,初聞涕滿衣裳。

剣門の外、この蜀の地に、官軍が薊北を回復した知らせが思いがけず伝わって来た。私はそれを初め聞いたとき、嬉しさの余り涙が衣裳にいっぱいになった。

卻看妻子愁何在,漫捲詩書喜欲狂。

ふりかえって妻子を見ると、いつもの愁えはどこえやらか、気もそぞろに書物も巻いてしまって、喜びに気は狂わんばかりである。

白首放歌須縱酒,青春作伴好還

白髪頭で大声出して歌うたい、思い切り酒ものむべし、このいい春に、家中そろって、さあ故郷にかえろう。

即從巴峽穿巫峽,便下襄陽向洛陽。

すぐに巴峡から巫峡をとおりぬけ、そのまま襄陽に下って、洛陽に向かおう。

(官軍河南河北を収むと聞く)

剣外 忽ち伝う 薊北【けいほく】を収むるを、初めて聞いて 涕涙【ているい】衣裳に満つ。

却【かえ】って妻子を看るに  愁い何【いず】くにか在る、漫【そぞろ】に詩書を巻いて喜んで狂せんと欲す。

白日に放歌して須らく酒を縦【ほしいまま】にすべし、青春 伴を作し 郷に還るに好し。

即ち巴峡より巫峡を穿【うが】ち、便【すなわ】ち襄陽に下って洛陽に向かわん。

邯冉唐宋時代の地図00邯鄲かんたん 

 

『聞官軍收河南河北』 現代語訳と訳註

(本文)

聞官軍收河南河北

〔時史朝義兵敗,走死廣陽,諸將田承嗣、李懷仙等俱來降。〕

劍外忽傳收薊北,初聞涕滿衣裳。

卻看妻子愁何在,漫捲詩書喜欲狂。

白日放歌須縱酒,青春作伴好還

即從巴峽穿巫峽,便下襄陽向洛陽。

 

 

(下し文)

(官軍河南河北を収むと聞く)

剣外 忽ち伝う 薊北【けいほく】を収むるを、初めて聞いて涕涙【ているい】 衣裳に満つ。

却【かえ】って妻子を看るに  愁い何【いず】くにか在る、漫【そぞろ】に詩書を巻いて喜んで狂せんと欲す。

白日に放歌して須らく酒を縦【ほしいまま】にすべし、青春伴を作し 郷に還るに好し。

即ち巴峡より巫峡を穿【うが】ち、便【すなわ】ち襄陽に下って洛陽に向かわん。

 

 

(現代語訳)

(官軍が河南・河北を収めた)

剣門の外、この蜀の地に、官軍が薊北を回復した知らせが思いがけず伝わって来た。私はそれを初め聞いたとき、嬉しさの余り涙が衣裳にいっぱいになった。

ふりかえって妻子を見ると、いつもの愁えはどこえやらか、気もそぞろに書物も巻いてしまって、喜びに気は狂わんばかりである。

白髪頭で大声出して歌うたい、思い切り酒ものむべし、このいい春に、家中そろって、さあ故郷にかえろう。

すぐに巴峡から巫峡をとおりぬけ、そのまま襄陽に下って、洛陽に向かおう。

 

 

(訳注)

聞官軍收河南河北

(官軍が河南・河北を収めた)

○収河南河北 宝応元年冬十月、僕固懐恩らがしばしば賊史朝義の兵を破り進んで東京(洛陽)を手に入れた、其の将荷嵩は相・衛らの州を以て降り、張志息は恒・遭らの州を以て降った、

前述のごとく、763年広徳元年正月、賊将史朝義が官軍に敗れて死んで、河南・河北は久しぶりに回復された。梓州でこれを聞いた杜甫は狂喜して、一日も早く故郷に帰りたいと心ははやった。

 

〔時史朝義兵敗,走死廣陽,諸將田承嗣、李懷仙等俱來降。〕

〔次年763年(広徳元年)春正月、朝義は走って広陽に至って自ずから溢れて死んだ。其の将田承嗣は莫州を以て降り、李懐仙は幽州を以て降った。〕

 

 

劍外忽傳收薊北,初聞涕滿衣裳。

剣門の外、この蜀の地に、官軍が薊北を回復した知らせが思いがけず伝わって来た。私はそれを初め聞いたとき、嬉しさの余り涙が衣裳にいっぱいになった。

○剣外 長安を基本に考えて剣門の外、蜀のことをいう。

○薊北 薊州の北、今の河北薊天府地方、賊の根拠地。

○涕淚 感激のなみだ。

 

 

卻看妻子愁何在,漫捲詩書喜欲狂。

ふりかえって妻子を見ると、いつもの愁えはどこえやらか、気もそぞろに書物も巻いてしまって、喜びに気は狂わんばかりである。

○卻看妻子 杜甫は妻子をそばに呼び寄せたようである。762年宝応元年秋に梓州より成都に帰り家族を迎えて再び梓州に至り、十一月に射洪県へ行ったという。いつ妻子を迎えとったかは詩にはみえないが、此の詩には妻子の語がある。

○漫捲詩書 詩書とは「詩経」と「書経」、巻というのは当時の書物は巻きものであるからである、漫にとはうれしさのあまり、いいかげんに巻きおさめること。

 kairo10682

 

白首放歌須縱酒,青春作伴好還

白髪頭で大声出して歌うたい、思い切り酒ものむべし、このいい春に、家中そろって、さあ故郷にかえろう。

○白首 しらがあたま、老年であることをいう、首を一に日に作る、白日ならばまひるなかをいう。

○青春作伴 青春は春の節をいう、作伴とは妻子一家つれだつことをいう、「青春を伴と作して」とよます説があるが取らぬ。

○郷 洛陽をさしていう。

 

 

即從巴峽穿巫峽,便下襄陽向洛陽。

すぐに巴峡から巫峡をとおりぬけ、そのまま襄陽に下って、洛陽に向かおう。

○巴峡 四川巴県にある峡の名。

○巫峡 四川巫山県にある三峡の名。

○便下 下るの意は明らかでない、愚見は地理上よりみれば「上りて」とあるぺしとおもわれるが「下」とある。強いていうならば都にゆくのを上ることとし他地にゆくのを下るといったもの。ともかく嚢陽へゆくことである。

647 《寄高適【案:草堂逸詩拾遺。】》 蜀中転々 杜甫 <552>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2985 杜甫詩1000-552-791/1500

《寄高適》詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

 

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《寄高適【案:草堂逸詩拾遺。】》 蜀中転々 杜甫 <552  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2985 杜甫詩1000-552-791/1500            

 

 

作者: 杜甫  762  寶應元年 51

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

詩題: 寄高適【案:草堂逸詩拾遺。】 

寫作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

交遊人物/地點: 高適 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

掲 載; 杜甫1000首の552首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-791回目

 

 

寄高適

(高適に寄せる詩)

楚隔乾坤遠,難招病客魂。

むかし楚に属していた此の蜀の地は都とは,隔っていて天地茫茫として遠い。とても持病があるばかりか旅に向かう魂まで病ってしまっているので都へ招待されてもでむくことなどは出来ない。

詩名惟我共,世事與誰論。

詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

北闕更新主,南星落故園。

このたび北方にある朝廷では変わって新天子が即位するが,南方の地では南極星というべき君が此の第二の故郷で施政をはじめてくれる。

定知相見日,爛漫倒芳尊。

必ずやお互いが面会する日はある。腹蔵なく酔いどれて、そして酒樽をまた倒むけることであろう。

  

(高適に寄せる)

楚 隔りて 乾坤 遠くし、招き難し 客魂を病う。

詩 名 惟【おもんみ】るに我共にし、世事 誰と論ぜん。

北闕 新首 更【あらため】る、南星 故園に落【はじま】る。

定めて知る相い見る日を、爛漫 芳樽を倒けるを。

 

 岳陽樓詩人0051


『寄高適』 現代語訳と訳註

(本文)

寄高適

楚隔乾坤遠,難招病客魂。

詩名惟我共,世事與誰論。

北闕更新主,南星落故園。

定知相見日,爛漫倒芳尊。

 

 

(下し文)

(高適に寄せる)

楚 隔りて 乾坤 遠くし、招き難し 客魂を病う。

詩 名 惟【おもんみ】るに我共にし、世事 誰と論ぜん。

北闕 新首 更【あらため】る、南星 故園に落【はじま】る。

定めて知る相い見る日を、爛漫 芳樽を倒けるを。

 

 

(現代語訳)

(高適に寄せる詩)

むかし楚に属していた此の蜀の地は都とは,隔っていて天地茫茫として遠い。とても持病があるばかりか旅に向かう魂まで病ってしまっているので都へ招待されてもでむくことなどは出来ない。

詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

このたび北方にある朝廷では変わって新天子が即位するが,南方の地では南極星というべき君が此の第二の故郷で施政をはじめてくれる。

必ずやお互いが面会する日はある。腹蔵なく酔いどれて、そして酒樽をまた倒むけることであろう。

 

 

(訳注)

寄高適

(高適に寄せる詩)

作者が(杜甫)成都に居したとき,髙適の新任に就いて寄せたもの。寶応元年四・五月頃の作。以下はこれまで杜甫が高適に対し作った詩でこのブログで取り上げたものを示す。

送高三十五書記 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 50

寄高三十五書記  杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 67

送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢誠実な詩人 93

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530

因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500

奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500

 

楚隔 乾坤 ,難招 病客

むかし楚に属していた此の蜀の地は都とは,隔っていて天地茫茫として遠い。とても持病があるばかりか旅に向かう魂まで病ってしまっているので都へ招待されてもでむくことなどは出来ない。

・「楚」語義類別:其他、行政體系、民族邦國名、楚。

・「隔」語義類別:其他、現象、自然現象、隔。

・「乾坤」天地。

・「招」招待されて都から成都まで同行すること。

・「客魂」旅人としての魂、意欲。

 

 

詩名 惟我 共,世事 與誰

詩と詩の名声に於いてはどう思ってみても自分だけが之と共にしてきたのだが,自分は現状の世情の事に就いては誰と共に之を語りあおうか。

・「詩名」詩と詩における名声、評判。

・「世事」現状の世情の事に就いて。

 

北闕 更新主 ,南星 故園

このたび北方にある朝廷では変わって新天子が即位するが,南方の地では南極星というべき君が此の第二の故郷で施政をはじめてくれる。

・「北闕」闕:朝廷

・「更新」交代した。

・「主」天子。

・「南星」高適のこと

・「落」おちる。おとす。しぬ。垣根。村里。はじまる。

・「故園」杜甫の、生活圏成都浣花渓の草堂寶応元年四月十八日丁卯粛宗崩じ,二十八日,代宗即位す,髙適蜀州刺史より厳武に代わり成都尹、剣南西川節度使となる。になってくることを云う。

 

 

定知 相見 ,爛漫 芳尊

必ずやお互いが面会する日はある。腹蔵なく酔いどれて、そして酒樽をまた倒むけることであろう。

・「知」語義類別:人、狀態、心智狀態、知。

・「見」語義類別:人、感官詞、視覺、見。

・「日」語義類別:時、時間、範圍時間(日)、日。

・「爛漫」酒にて酔っぱらう。

・「倒」杯を傾ける。

・「芳尊」飲品をいい、ここでは酒。

・「相見」 面会する。

646 《即事》 蜀中転々 杜甫 <551>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2980 杜甫詩1000-551-790/1500

《即事》晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

 

2013年9月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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司馬相如 《子虚賦 》(7)#3-2 文選 賦<109-#3-2>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩886 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2978
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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病鴟 韓愈(韓退之) <185-#4>Ⅱ中唐詩799 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2979
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Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor646 《即事》 蜀中転々 杜甫 <551>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2980 杜甫詩1000-551-790/1500
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html    
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。    
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。    
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html    
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html    
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。    
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。    
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。    

 

646 《即事》 蜀中転々 杜甫 <551  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2980 杜甫詩1000-551-790/1500

 

 

作者: 杜甫  762  寶應元年  51

卷別: 卷二三一  文體: 七言律詩 

詩題: 即事 

掲 載; 杜甫1000首の551首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-790回目 

 

即事

(最近のニュースで感じたこと。)

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

季節の変わり目の雷の響く音はたちまちこのまわりのたくさんの山々に雨をもたらし、咲き誇る花々の気が漂えばみんなの心を和ませてくれるお香のようなものである。

黃鶯過水翻迴去,燕子銜泥不妨。

春と告げるうぐいすは水啄み過ぎていき、翻ってやがて去って行く。入れ替わりに燕が泥を口に含んで巣作りをする、やがて全体に程好い湿気で潤うのを妨げるものはないのが自然の移り変わりだ。

飛閣卷簾圖畫裡,虛無只少對瀟湘。

屋根が反り返った樓閣には簾を巻き上げ、その壁や部屋の中に描かれている絵を見せてくれることになり、隠遁しているものとしてこうした移り変わりを愉しんではいるが、ただ少しだけ思うことは、平穏な地方である屈原の所縁の瀟水、湘水に行ける準備をしたいと思うことである。

 

即事

暮春 三月 巫峽 長【とお】し,皛皛【きょうきょう】として行雲 日光に浮ぶ。

雷聲 忽ち千峰の雨を送り,花氣 渾うは百和【なごま】す香の如し。

黃鶯 水を過り翻って迴り去り,燕子 泥を銜え妨げず。

飛閣 簾を卷き圖畫の裡,虛無 只だ少くも瀟湘に對す。

くちなしの実01 

 

『即事』 現代語訳と訳註

(本文)

即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻迴去,燕子銜泥不妨。

飛閣卷簾圖畫裡,虛無只少對瀟湘。

 

(下し文)

即事

暮春 三月 巫峽 長【とお】し,皛皛【きょうきょう】として行雲 日光に浮ぶ。

雷聲 忽ち千峰の雨を送り,花氣 渾うは百和【なごま】す香の如し。

黃鶯 水を過り翻って迴り去り,燕子 泥を銜えい妨げず。

飛閣 簾を卷き圖畫の裡,虛無 只だ少くも瀟湘に對す。

 

(現代語訳)

(最近のニュースで感じたこと。)
晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

季節の変わり目の雷の響く音はたちまちこのまわりのたくさんの山々に雨をもたらし、咲き誇る花々の気が漂えばみんなの心を和ませてくれるお香のようなものである。

春と告げるうぐいすは水啄み過ぎていき、翻ってやがて去って行く。入れ替わりに燕が泥を口に含んで巣作りをする、やがて全体に程好い湿気で潤うのを妨げるものはないのが自然の移り変わりだ。

屋根が反り返った樓閣には簾を巻き上げ、その壁や部屋の中に描かれている絵を見せてくれることになり、隠遁しているものとしてこうした移り変わりを愉しんではいるが、ただ少しだけ思うことは、平穏な地方である屈原の所縁の瀟水、湘水に行ける準備をしたいと思うことである。

 

 (訳注)
即事
(最近のニュースで感じたこと。)
その場の事柄、目の前のけしき・ようすを即興で詩にしたもの。

『即事』

聞道花門破,和親事卻非。

人憐漢公主,生得渡河歸。

秋思雲髻,腰肢勝寶衣。

群凶猶索戰,回首意多違。

《秦州抒情詩(5)  『即事』 杜甫700290首目、杜甫ブログ410回目》即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410

『草堂即事』

荒村建子月,獨樹老夫家。

雪裡江船渡,風前竹徑斜。

寒魚依密藻,宿鷺起圓沙。

蜀酒禁愁得,無錢何處

草堂即事 五言律詩 成都5-(34) 杜甫 <459  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2380 杜甫詩1000-459-670/1500

 

暮春 三月 巫峽 ,皛皛 行雲 日光

晩春の夕暮、春も三カ月たとうとしている。自分が下りいたいと思っている巫峡・三峡ですら遠くて長い。見上げれば薄い雲で一面真っ白で浮浪雲が太陽の光に浮んで過ぎてゆく。

・「三月」三月。初春、盛春、晩春。

・「巫峽」巫峡は中国・長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

・「皛皛」あらわれる。あきらかにする。いちめんにしろいさま。

 

 

雷聲 忽送 千峰 ,花氣 渾如百和香

季節の変わり目の雷の響く音はたちまちこのまわりのたくさんの山々に雨をもたらし、咲き誇る花々の気が漂えばみんなの心を和ませてくれるお香のようなものである。

 

黃鶯 過水 翻迴 ,燕子 銜泥 不妨

春と告げるうぐいすは水啄み過ぎていき、翻ってやがて去って行く。入れ替わりに燕が泥を口に含んで巣作りをする、やがて全体に程好い湿気で潤うのを妨げるものはないのが自然の移り変わりだ。

・「黃鶯」春を告げる黃鶯。倉庚。高麗鶯。

『詩経』豳風「七月」

七月流火 九月授衣

春日載陽 有鳴倉庚

女執懿筐 遵彼微行

爰求柔桑 春日遲遲

采蘩祁祁 女心傷悲

杜甫『通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴』

萬里不以力,群遊森會神。

威遲白鳳態,非是倉庚鄰。

高堂未傾覆,常得慰嘉賓。

曝露牆壁外,終嗟風雨頻。

赤霄有真骨,恥飲洿池津。

冥冥任所往,略誰能馴。

《通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴》  楽府(五言古詩) 成都6-(25-#2) 杜甫 <488-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2580 杜甫詩1000-488-#2-710/1500

 

飛閣 卷簾 圖畫 ,虛無 只少 對瀟湘

屋根が反り返った樓閣には簾を巻き上げ、その壁や部屋の中に描かれている絵を見せてくれることになり、隠遁しているものとしてこうした移り変わりを愉しんではいるが、ただ少しだけ思うことは、平穏な地方である屈原の所縁の瀟水、湘水に行ける準備をしたいと思うことである。

・「飛閣」屋根が反り返った亭臺樓閣。

・「卷簾」簾を巻き上げること。

・「圖畫」簾を巻き上げて中の圖畫がみえること。。

・「「虛無」空しくて何もできないこと。虚空。俗界を離れ隠遁していること。

・「瀟湘」語義類別:地、地名、地名合稱、瀟水、湘水。この時期、最も平穏なところであった。

桜桃001 

638 七言律詩 《野望》 蜀中転々 杜甫 <543>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2940 杜甫詩1000-543-782/1500

杜甫《野望》金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体にわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

 

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638 七言律詩 《野望》 蜀中転々 杜甫 <543  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2940 杜甫詩1000-543-782/1500

 

詩 題:野望

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

作地點: 射洪(劍南道北部 / 梓州 / 射洪

及地點: 金華山 (劍南道北部 梓州 射洪、嶲州 (劍南道南部 嶲州 嶲州別名:越 、巴州 (山南西道 巴州 巴州別名:巴中、巴 、渝州 (山南西道 渝州 渝州別名:渝 、射洪 (劍南道北部 梓州 射洪  

掲 載; 杜甫1000首の543首目-場面 蜀中転々

杜甫ブログ1500回予定の-782回目   40881

射洪県の野外にあって眺望してよんだ詩。宝応元年十一月、射洪県にあっての作。

 

 

野望

(野の景色を見る)

金華山北涪水西,仲冬風日始淒淒。

金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。

山連越蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体にわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

獨鶴不知何事舞,饑烏似欲向人啼。

私の様な一匹の鶴が舞いつつあるがそれはいかなる事があるためなのか。また、私の身代わりか餓え烏がいるがそれは人に向かって啼いて窮状を訴えんとするかの様子がある。

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。

射洪でつくりこむ春向けの新酒の清酒は今からはや緑色をして飲めそうだが、この極目傷神のおりから、だれか自分のためにそれを持ってきて飲ませてくれるものはないか。

 

(野 望)

金華山の北涪【ふ】水の西、仲冬風日始めて淒淒たり。

山は越えつずい連なり、三蜀に蟠わだかまり、水は巴渝に散じて五溪に下る。

独鶴【どくかく】知らず何事あってか舞う、餓烏【きう】人に向かって啼かんと欲するに似たり。

射洪の春酒 寒きも仍ち緑なり、目極まりて神を傷ましむ誰か為に携【たずさ】えん。

 

 

『野望』 現代語訳と訳註

denen03350(本文)

野望

金華山北涪水西,仲冬風日始淒淒。

山連越蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

獨鶴不知何事舞,饑烏似欲向人啼。

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。

 

詩文(含異文)

金華山北涪水西【金華山南涪水西】,仲冬風日始淒淒。

山連越蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

獨鶴不知何事舞,飢烏似欲向人啼。

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。 

 

 

(下し文)

(野 望)

金華山の北涪【ふ】水の西、仲冬風日始めて淒淒たり。

山は越【えつずい】に連なり、三蜀に蟠【わだかま】り、水は巴渝に散じて五溪に下る。

独鶴【どくかく】知らず何事あってか舞う、餓烏【きう】人に向かって啼かんと欲するに似たり。

射洪の春酒 寒きも仍ち緑なり、目極まりて神を傷ましむ誰か為に携【たずさ】えん。

 

 

(現代語訳)

(野の景色を見る)

金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。

遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体にわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

私の様な一匹の鶴が舞いつつあるがそれはいかなる事があるためなのか。また、私の身代わりか餓え烏がいるがそれは人に向かって啼いて窮状を訴えんとするかの様子がある。

射洪でつくりこむ春向けの新酒の清酒は今からはや緑色をして飲めそうだが、この極目傷神のおりから、だれか自分のためにそれを持ってきて飲ませてくれるものはないか。

 

 

(訳注)

野望

(野の景色を見る)

同名の『野望』詩は、下のようにある。

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

野望因過常少仙 成都5-(5) 杜甫 <458  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2235 杜甫詩1000-458-641/1500

野望 七言律詩 成都5-(35) 杜甫 <460  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2385 杜甫詩1000-460-671/1500

 

 

金華山北涪水西,仲冬風日始淒淒。

金華山の北側で涪江の流れの右岸、西に位置する辺りの野原を見る。ここにきて早、風も日ざしも仲冬そのものになって始めて冷たく凍えるのを感じるのである。

○金華山 四川省潼川府射洪県北二里(1.2km)にある。

○北 北の字は(本文)示す南に作る。山は涪江の傍にあり、その北側を云うか、南側のどちらかを示す。

○涪水西 涪水は涪江、府内を大体において北より東南に貫き流れる川である、西というのは涪江の右岸側にあるということで、涪江の西側にということ。

○仲冬 十一月。冬は10.11,12月であるからいう。

○風日 風及び太陽の様子。

○凄凄 つめたいさま。

 成都遂州00

 















山連越
蟠三蜀,水散巴渝下五溪。

遠く西の連山をみればその山脈は越の方へ連なって蜀地全体をにわだかまり盆地にする。水流は巴州、渝州の地方へ散らばってさら五渓の方へ下る。

○越 四川西南外夷(吐蕃の影響の強い当たり)の地方。

〇三蜀 四川の地、秦漢以後に蜀郡・広漢郡・犍為郡を置いた、これを三蜀という。○巴渝 巴州渝州、四川の東南部にあたる。

○五溪/五谿 雄渓・樠渓・力渓・璑渓・酉渓をいう、貴州北部にあり、北流して長江に入る。

 

獨鶴不知何事舞,饑烏似欲向人啼。

私の様な一匹の鶴が舞いつつあるがそれはいかなる事があるためなのか。また、私の身代わりか餓え烏がいるがそれは人に向かって啼いて窮状を訴えんとするかの様子がある。

○独鶴 杜甫自身の客境をあらわす。

○饑烏 対句として、貧苦をあらわす。

 

射洪春酒寒仍綠,目極傷神誰為攜。

射洪でつくりこむ春向けの新酒の清酒は今からはや緑色をして飲めそうだが、この極目傷神のおりから、だれか自分のためにそれを持ってきて飲ませてくれるものはないか。

○射洪 県の名、溝川府三台県治(唐の梓州)の東南にある。

○春酒 春になればできあがる酒、今は仲冬であるから酒としては未成品であるはずのもので、しかるにそれを早く飲みたいとの意をのべたものである。

○寒仍綠 まだ仲冬で寒いのだがそれでも緑色に澄んでいるというのである。生酒の澄ました部分であろう。

〇目極 どこまでもととおくながめること。

○傷神 こころをいたましめる。

○誰為携 「何人か我が為めにその酒をたずさえ来たらん」の意。詩人李白5x5

636 七言律詩 《秋盡》 蜀中転々 杜甫 <541>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2930 杜甫詩1000-541-780/1500

杜甫《秋盡》 蜀中転々 客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

 

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html    
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。    
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
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636 七言律詩 《秋盡》 蜀中転々 杜甫 <541  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2930 杜甫詩1000-541-780/1500

 

 

作者: 杜甫  762年 寶應元年  51

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題: 秋盡 

寫作地點: 目前尚無資料 

寫及地點:  少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城 

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺     

劍門山 (劍南道北部 劍州 劍門) 別名:蜀門     

掲 載; 杜甫1000首の541首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-780回目   40879

 

 

詩文:秋盡

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

秋盡東行且未回,茅齋寄在少城隈。

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

籬邊老卻陶潛菊,江上徒逢袁紹杯。

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

雪嶺獨看西日落,劍門猶阻北人來。

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

不辭萬里長為客,懷抱何時得好開。

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。 

(秋盡)

秋盡す 東行 且【まさ】に未だ回らず,茅齋 少城の隈に在るに寄す。

籬邊は老いて卻って陶潛の菊,江上 徒に袁紹の杯に逢う。

雪嶺 獨り西日の落を看る,劍門 猶お北人の來るを阻む。

萬里 長えに客を為すを辭さず,懷抱きて何時 好開を得んや。

 nat0001

 













『秋盡』 現代語訳と訳註

(本文)

秋盡

秋盡東行且未回,茅齋寄在少城隈。

籬邊老卻陶潛菊,江上徒逢袁紹杯。

雪嶺獨看西日落,劍門猶阻北人來。

不辭萬里長為客,懷抱何時得好開。

 

 

(下し文)

(秋盡)

秋盡す 東行 且【まさ】に未だ回らず,茅齋 少城の隈に在るに寄す。

籬邊は老いて卻って陶潛の菊,江上 徒に袁紹の杯に逢う。

雪嶺 獨り西日の落を看る,劍門 猶お北人の來るを阻む。

萬里 長えに客を為すを辭さず,懷抱きて何時 好開を得んや。

 

 

(現代語訳)

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。

 

 

(訳注)

金燈花03秋盡

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

・秋盡 夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。厳武を送って梓州に来て、厳武は長安に向かった。ところが成都で、徐知道が謀反を起こしたため、戦争にトラウマがある杜甫は帰らずに秋が終わるまでそのまま客としていることを云う。

首聯の「秋盡」がこの時の杜甫の置かれている状況を最もよく表す語である。

 

秋盡 東行 且未迴 ,茅齋 寄在 少城

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

・東行 義理の母、弟妹は東の山東にいるのでこういう。

・且 いまにも~になりそうだ。

・少城 成都錦官城の別名。

・隈 關津渡口(津堤)。浣花渓草堂には船着き場を設置していた。

 

籬邊 老卻 陶潛 ,江上 徒逢 袁紹

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

・「籬邊」まがきのあたり。浣花渓という名は杜甫が名づけている。文字通り、花いっぱいにかこまれたいと願って命名したのだ。

・「陶潛」東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。

・「菊」陶潜によって愛された菊。

・「江上」ここでは草堂の前を流れる濯錦江のこと。

・「袁紹」 紹(えん しょう、永興2年(154年)以前? - 建安7年(202年)5月)は、中国後漢末期の武将・政治家。大将軍の何進と協力して激しく宦官と対立。宦官勢力を壊滅させることに成功したが、董卓との抗争に敗れ、一時は首都の洛陽より奔り逼塞を余儀なくされたが、後に関東において諸侯同盟を主宰して董卓としのぎを削った。同盟解散後も群雄のリーダー格として威勢を振るい、最盛期には河北四州を支配するまでに勢力を拡大したが、官渡の戦いにおいて曹操に敗れて以降は勢いを失い、志半ばで病死した。。

・「杯」建安5年(200年)春、夢枕に孔子が現れ、鄭玄は自分の寿命が近い事を悟った。やがて病を得て寝たきりとなった。丁度、袁紹と曹操が官渡で争っていた時期であり、袁紹は子の袁譚に命じて鄭玄を随軍させようとしたが、応じる事はできなかった。鄭玄は元城県まで来たところで、病が篤くなり進めなくなった。同年6月に死去。74歳であった。薄葬とするよう遺言したという。

 

雪嶺 獨看 西 日落 ,劍門 猶阻北人

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

・「雪嶺」語 成都盆地の北西にある山脈。杜甫『嚴公廳宴,同詠蜀道畫圖』「劍閣星橋北,松州雪嶺東。」(この地図で守るべき範囲は成都の星橋のはるか北には剣閣があり、遠く松州では雪嶺山脈がその東に横たわっていて、西の守備範囲を示している。)五言律詩 《巴西驛亭觀江漲呈竇使君》 蜀中転々 杜甫 <536  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2905 杜甫詩1000-536-775/1500

 

「劍門」劍門山。杜甫は3年前の冬ににここを超えて成都に遣って来たのである。それは成都紀行十二首に詳しく述べている。

成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522

 

不辭 萬里 長為客 ,懷抱 何時 得好開

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。

aki010

・「不辭」官を辞して隠遁者になったのだが今度はそれを辞すことはしない。
・「懷抱」ずっと思い続けていること。
・「「好開」開かれた好ましい世の中になる。
 

嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500

杜甫 嚴公仲夏枉駕草堂 成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

 

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嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500



詩 題:
嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の532首目-場面中

杜甫ブログ1500回予定の-766回目   40865

 

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌

作者:杜甫                        

全唐詩・卷227

草堂本一作鄭公枉駕攜饌訪水亭。

 

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

百年地闢柴門逈,五月江深草閣寒。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。
看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。

ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。 

(嚴公 仲夏に 草堂に枉駕し、兼ねて酒饌を攜える、寒の字を得たり)

竹裏 行廚 玉盤を洗い,花邊 立馬し 金鞍を簇【むらが】る。

使者 徵求【ちょうきゅう】の急なるに關するに非らず,自ら識る將軍禮數【れいすう】の寬なるを。

百年地闢【ちへき】柴門逈【はる】かに,五月江深うして草閣の寒。

 漁舟を看弄して白日に移る,老農 何んぞ交歡を罄【つく】す有らん。

 

花鴨003








 

『嚴公仲夏枉駕草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

百年地闢柴門逈,五月江深草閣寒。

看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。
 

 

(下し文)

(嚴公 仲夏に 草堂に枉駕し、兼ねて酒饌を攜える、寒の字を得たり)

竹裏 行廚 玉盤を洗い,花邊 立馬し 金鞍を簇【むらが】る。

使者 徵求【ちょうきゅう】の急なるに關するに非らず,自ら識る將軍禮數【れいすう】の寬なるを。

百年地闢【ちへき】柴門逈【はる】かに,五月江深うして草閣の寒。

 漁舟を看弄して白日に移る,老農 何んぞ交歡を罄【つく】す有らん。

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。

 

花鴨003 

(訳注)

嚴公仲夏枉駕草堂,兼攜酒饌(得寒字)

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

宝応元年五月の作。

○厳公 厳武中丞公。

○仲夏 五月。

○饌 食物。

○得寒字 主客共に詩を賎し、その用いる韻字に「寒」の字があたったこと。本詩は【頸聯】第六句に寒の字を押韻している。

 

【首聯】

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

嬉しいことで、竹林のなかで台所方が玉盤を洗っている、浣花渓草堂の周りに花がさいいていて金鞍をむらがらせて馬が立ちならんでいる。

○竹裏 草堂の庭のたけやぶのなか。

○行厨 携帯してきた台所。

○玉盤 玉の大皿。

○立馬 馬は従者の騎馬。

 

【頷聯】

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

○使者徴求急 使者は厳武をいうが、厳武は成都尹で地方官であるから天子の使者であるということで、徴求は賢者をめし求めることである。厳武は杜甫を成都の書記官に向かえようということであった。 「荘子」(譲王)にみえる顔闔の故事を用いる、魯に顔闔という賢人があり、魯君よりめしだしの使者がやって来たとき、顔闔がお答えしていうのは、もし聞き誤りがあってはすまぬゆえ、願わくはもう一度かえって果たして顔闔をお召しになっておられるのかどうかただされよと。使者がもどって来たところが、顔闔はそのまによそににげ去った。

○将軍 厳武は成都の市長であるから将軍という。

○礼数寛 礼数とは礼儀をいう、すべて礼儀には階級あるゆえ度数はつきものである、故に礼数という、寛とは人に求めるのに厳重でないことをいう。

 

【頸聯】

百年地辟柴門迥,五月江深草閣寒。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。

〇百年 生涯をいう。

○他僻 僻はかたよること。片田舎で。

○柴門迥 残りの人生をこの柴門のまわりで過ごすことと認識している。柴門を帰るところとしている。

〇五月 題の仲夏をいう。寒に対しての仲夏である。

○江 濯錦江。

○革閣 草堂。

○寒 仲夏ゆえ本来は寒くはないのだが竹林中に在って清江の深い水にのぞんでいることで涼しいを飛び越えて寒くおぼえるというのである。

 

【尾聯】

看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。

ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。

〇看弄 看るのではあるが無駄なものにしている。杜甫は厳武が舟遊びをしているのをただ見るだけであるということ。

○漁舟 魚をとる釣舟をいう、厳武がふなあそびをするのである。

○移白日 移白日は白日移とおなじ、一日の時間のたつことをいう。

○老農 としよりの百姓、杜甫自身をいう。

○交歓 たがいによろこぶ、末句は謙遜の辞である。
 

《寄題杜二錦江野亭》 厳武  蜀中転々 <528(附)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528(附)-762/1500

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
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李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

《寄題杜二錦江野亭》 厳武蜀中転々 杜甫 <528()>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528()-762/1500

 

 

寄題杜二錦江野亭 (寄題杜拾遺錦江野亭) 厳武

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

莫倚蓄題鸚鵡賦何須不著鵔義

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

 くちなしの実01






 

『寄題杜二錦江野亭』 現代語訳と訳註

(本文)

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

莫倚蓄題鸚鵡賦何須不著鵔義

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

 

 千畳敷0010

(下し文)

(杜二が錦江の野亭に寄せ題す)    厳武

漫りに江頭に向かって釣竿【ちょうかん】を把る、懶【らん】にして沙草に眠り風瑞を愛す。

善く鸚鵡の賦を題するに倚ること莫れ、何ぞ夋義の冠を着けざるを須いん。

腹中の書籍幽時に曬【さら】し、肘後の医方は静処に看る。

興発せば会ず能く駿馬を馳せ、終に当に直に使君灘に到るべし。

 

 

(現代語訳)

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

 

 

(訳注)

寄題杜二錦江野亭 (寄題杜拾遺錦江野亭) 厳武

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

○杜二(拾遺) 杜甫をさす。

○錦江野亭 草堂をさす。

 

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

○江頭 錦江のほとり。

○把釣竿 杜の隠居生活をいう。

○懶 らん 杜甫のぶしょうなこと。隠遁者には誉め言葉になる。

○沙草 沙上のくさ。風瑞 風声をおびたはやせのおと。

★この二句は隠遁者の風流を云う。

 

莫倚蓄題鸚鵡賦、何須不著鵔義冠。

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

〇禰 衡(でい こう、あるいは「ねい こう」とも、173年-199年)は、中国後漢末期の人。字は正平。青州平原郡般県 の人。興平年間、荊州に避難した。建安年間の初め、遷都されたばかりの許に上京した。しかし、才能を鼻にかけて傲慢な態度をとったうえ、他人の評価に対しては酷評を行なったため、人々から憎まれた。ただ、孔融だけは禰衡を高く評価し、曹操にも推薦していた。

○倚 たよりにする、誇る意となる。

○題 つくること。

○鸚鵡賦 後漢の禰衛は、章陵の太守黄射のところにあってこの賦を作った。

○何須 そんな必要はない。

○鵔義冠 錦鷄鳥のはねでかざったかんむり、漢の時、侍中の官のかむったもの。

 

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

○幽時 しずかなとき。

○曬さらし むしばしする、郝隆というものが七月七日に腹中の書をさらすのだといって日向で仰向けに寝そ べり,これを書物の虫干しと称した。

○肘後医方 肘にかける医術の書、菅の葛洪は「肘後急要方四巻」をあらわした。○興発 此より二句は武自ずからいう、発はおこること。

 

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

○会 必ずに同じ、俗語である。

使君灘 浣花渓の近傍にかかる名の灘があったのであろう。杜甫が忠義のものであることは私は分かっていて、その君が住んでいる早瀬があるところというほどの意味。

奉酬嚴公寄題野亭之作 蜀中転々 杜甫 <528>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2835 杜甫詩1000-528-761/1500

杜甫 奉酬厳公寄題野亭之作 かつて拾遺であったころ四五行の諌書をたてまつったことがある、元来が隠棲にあこがれ無精ものであるから水竹の在る所にすむべきものである。

 

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李商隠詩 
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奉酬嚴公寄題野亭之作  蜀中転々 杜甫 <528>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2835 杜甫詩1000-528-761/1500      

 

詩 題:

作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の528首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-761回目

厳武が草堂へ詩をよこしてくれたにつけてそれに返事するために作った詩。宝応元年の作。厳武の詩は後にかかげる。

 

 

奉酬嚴公寄題野亭之作

(厳武が草堂へ詩をよこしてくれたにつけてそれに返事するために作った詩。)
拾遺曾奏數行書,懶性從來水竹居。

かつて拾遺であったころ四五行の諌書をたてまつったことがある、元来が隠棲にあこがれ無精ものであるから水竹の在る所にすむべきものである。

奉引濫騎沙苑馬,幽棲真釣錦江魚。

かつては御先導をつとめふつつかながら沙苑の官馬にものったが、隠棲生活をして本性どおりほんとうに錦江の魚を釣ってくらすようになった。

謝安不倦登臨費,阮籍焉知禮法疏。

晋の謝安にも比すべき君は山水に登臨してこれを賞愛することに倦まないが、阮籍みたくこの自分は高官のものに対しても礼法が疎略だかどうかも心得てはいないのだ。
枉沐旌麾出城府,草茅無徑欲教鋤。

初夏001

ただかたじけなくも君はお伴をつれて城から出てこられるということだから、草茅に没したこみちを鋤で手入れをさせてお待ちしょうとおもう。

 

 

『奉酬嚴公寄題野亭之作』 現代語訳と訳註

(本文)

拾遺曾奏數行書,懶性從來水竹居。

奉引濫騎沙苑馬,幽棲真釣錦江魚。

謝安不倦登臨費,阮籍焉知禮法疏。

枉沐旌麾出城府,草茅無徑欲教鋤。

 

 

(下し文)

(厳公が野亭に寄せ題せしの作に酬い奉る)

拾遺【しゅうい】曾【かっ】て奏す数行の吉、懶性【らんせい】従来水竹に居る。

奉引濫【みだり】に騎【の】る沙苑の馬、幽棲【ゆうせい】眞に釣る錦江の魚。

謝安倦【うま】ず登臨の費、阮籍焉んぞ知らん禮法の疏なるを。

枉げて沐す旌麾【せいき】城府を出づるに、草茅径無し鋤しめんと欲す。

 

 

(現代語訳)

(厳武が草堂へ詩をよこしてくれたにつけてそれに返事するために作った詩。)

かつて拾遺であったころ四五行の諌書をたてまつったことがある、元来が隠棲にあこがれ無精ものであるから水竹の在る所にすむべきものである。

かつては御先導をつとめふつつかながら沙苑の官馬にものったが、隠棲生活をして本性どおりほんとうに錦江の魚を釣ってくらすようになった。

晋の謝安にも比すべき君は山水に登臨してこれを賞愛することに倦まないが、阮籍みたくこの自分は高官のものに対しても礼法が疎略だかどうかも心得てはいないのだ。

ただかたじけなくも君はお伴をつれて城から出てこられるということだから、草茅に没したこみちを鋤で手入れをさせてお待ちしょうとおもう。

 

 

(訳注)

奉酬嚴公寄題野亭之作

(厳武が草堂へ詩をよこしてくれたにつけてそれに返事するために作った詩。)

○酬 返事する。

○厳公 厳武、武は上元二年十二月、成都尹となる。

○寄題野亭之作 厳武が杜甫にまずあたえた詩をさす、其の辞は題義に載せる。寄題杜二錦江野亭  蜀中転々 杜甫 <528()>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528()-762/1500

 

拾遺曾奏數行書,懶性從來水竹居。

かつて拾遺であったころ四五行の諌書をたてまつったことがある、元来が隠棲にあこがれ無精ものであるから水竹の在る所にすむべきものである。

○拾遺 杜甫の最高位の冠位。 往年左拾遺となる。

○数行書 拾遺の官として諌書を天子にたてまつったことがある。

○水竹居 水竹のある処に住居する。

 

奉引濫騎沙苑馬,幽棲真釣錦江魚。

かつては御先導をつとめふつつかながら沙苑の官馬にものったが、隠棲生活をして本性どおりほんとうに錦江の魚を釣ってくらすようになった。

○奉引 天子の道路の案内をする、これは主として粛宗のおともをして鳳翔より長安に帰ったことをさす。

○濫 謙遜していう辞。

○沙苑馬 沙苑は「沙苑行」の詩(沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 )にみえる、沙苑馬は沙苑で養成された馬、官馬をさす。

〇真釣 真とは本来働性の人物ゆえ、その性にそむかぬの意。

 

謝安不倦登臨費,阮籍焉知禮法疏。

晋の謝安にも比すべき君は山水に登臨してこれを賞愛することに倦まないが、阮籍みたくこの自分は高官のものに対しても礼法が疎略だかどうかも心得てはいないのだ。

○謝安 晋の謝安、謝安は東山の別荘に遊宴を窓にしたので厳武に此する。謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。
李白『憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

○倦 うむ うんずる あぐむあきてぐったりする。うむ。「倦厭(けんえん)・倦怠・労/疲倦」 

○登臨費 費は金銭を費すこと、謝安はしばしば肴膳に百金を費したという、登臨は山に登り水に臨むこと。但し、費の字は不俺に対して接続がよろしくないようである、宗に賞に作っているものがあるが、余は賞に従う、賞は山水を賞愛することである。

○阮籍 魏の人、礼法の士をにくむ。 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

○疎 簡略なこと。

 

枉沐旌麾出城府,草茅無徑欲教鋤。

ただかたじけなくも君はお伴をつれて城から出てこられるということだから、草茅に没したこみちを鋤で手入れをさせてお待ちしょうとおもう。

枉沐 とは謙遜していう。沐とはその恩にひたることをいう。

旌麾 厳武のはたさしもの。

○城府 成都の城、やくしょ。

○草茅 くさ、かや。

○無径 草茅が生いしげってこみちもない。

○教 せしめる、俗語である
杜甫像0012 

得廣州張判官叔卿書使還以詩代意【案:叔卿,魯人,見甫雜述。】 蜀中転々 杜甫 <508>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2735 杜甫詩1000-508-741/1500

《得廣州張判官叔卿書使還以詩代意》廣州の張判官叔卿の書簡を使いの段功曹から得たことで、今の思いを詩にして廣州に帰る段功曹に預けるので受け取ってください。張判官の故郷の関所塞は異民族の騎馬から遠く離れている。この天下は蜀の城郭の方に不安ことが偏ってしまっている。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー 
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
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李商隠詩 
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得廣州張判官叔卿書使還以詩代意【案:叔卿,魯人,見甫雜述。】 蜀中転々 杜甫 <508>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2735 杜甫詩1000-508-741/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の508首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-741回目
卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 
詩題: 得廣州張判官叔卿書使還以詩代意【案:叔卿,魯人,見甫雜述。】 
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 
及地點:  廣州 (嶺南道東部 廣州 廣州)     
明月峽 (山南西道 渝州 巴縣) 別名:月峽     
交遊人物/地點: 張叔卿 書信往來(嶺南道東部 廣州 廣州)
詩文:
得廣州張判官叔卿書使還以詩代意
(廣州の張判官叔卿の書簡を使いの段功曹から得たことで、今の思いを詩にして廣州に帰る段功曹に預けるので受け取ってください。)
鄉關胡騎遠,宇宙蜀城偏。
張判官の故郷の関所塞は異民族の騎馬から遠く離れている。この天下は蜀の城郭の方に不安ことが偏ってしまっている。
忽得炎州信,遙從月峽傳。
そんな時にあなたの炎州の方から書信が届いた。はるか、かなたに明月峡日の風流を伝えお送りするものである。
雲深驃騎幕,夜隔孝廉船。
雲は高く深く、ここの幕府には驃騎将軍がいるし、夜になっても遠く離れていても親孝行なものは舟手出掛けるのである。
卻寄雙愁眼,相思淚點懸。
そんなこともあって愁いを帯びた二つ並んだ眼で見た思いを送ります。互いに思っていることを考えると、涙がしたたり落ちて來るものである。
 
廣州張判官叔卿の書を得て、使いのもの還るに、以て代意を詩す。
鄉關 胡騎 遠く,宇宙 蜀城 偏る。
忽として得る 炎州の信を,遙かに從る 月峽の傳。
雲深く 驃騎の幕,夜隔て 孝廉の船。
卻って雙愁の眼を寄せ,相い思う 淚點の懸。


月明峡01


















『得廣州張判官叔卿書使還以詩代意』 現代語訳と訳註
(本文)
鄉關胡騎遠,宇宙蜀城偏。
忽得炎州信,遙從月峽傳。
雲深驃騎幕,夜隔孝廉船。
卻寄雙愁眼,相思淚點懸。


(下し文)
廣州張判官叔卿の書を得て、使いのもの還るに、以て代意を詩す。
鄉關 胡騎 遠く,宇宙 蜀城 偏る。
忽として得る 炎州の信を,遙かに從る 月峽の傳。
雲深く 驃騎の幕,夜隔て 孝廉の船。
卻って雙愁の眼を寄せ,相い思う 淚點の懸。


(現代語訳)
(廣州の張判官叔卿の書簡を使いの段功曹から得たことで、今の思いを詩にして廣州に帰る段功曹に預けるので受け取ってください。)
張判官の故郷の関所塞は異民族の騎馬から遠く離れている。この天下は蜀の城郭の方に不安ことが偏ってしまっている。
そんな時にあなたの炎州の方から書信が届いた。はるか、かなたに明月峡日の風流を伝えお送りするものである。
雲は高く深く、ここの幕府には驃騎将軍がいるし、夜になっても遠く離れていても親孝行なものは舟手出掛けるのである。
そんなこともあって愁いを帯びた二つ並んだ眼で見た思いを送ります。互いに思っていることを考えると、涙がしたたり落ちて來るものである。


(訳注)
得廣州張判官叔卿書使還以詩代意
(廣州の張判官叔卿の書簡を使いの段功曹から得たことで、今の思いを詩にして廣州に帰る段功曹に預けるので受け取ってください。)
・廣州 現在の広東省に位置する。杜甫『送段功曹歸廣州』「南海春天外,功曹幾月程。峽雲籠樹小,湖日落船明。交趾丹砂重,韶州白葛輕。幸君因旅客,時寄錦官城。」
・使 段功曹


鄉關 胡騎 遠 ,宇宙 蜀城 偏。
千畳敷0010張判官の故郷の関所塞は異民族の騎馬から遠く離れている。この天下は蜀の城郭の方に不安ことが偏ってしまっている。
「鄉關」語義類別:地、地理、特殊場域、家鄉。
「胡騎」語義類別:人、稱謂、指代稱謂、胡騎。


忽得 炎州 信 ,遙從 月峽 傳 。
そんな時にあなたの炎州の方から書信が届いた。はるか、かなたに明月峡日の風流を伝えお送りするものである。
「炎州」中國から南へ九万里、方円二千里。この世界には不思議なドウブツがいるので名高い。
・「月峽」明月峽。明月峡古桟道は別名朝天峡、古蜀桟道の一部で、広元北23キロの嘉陵江東岸の絶壁に掘られた古蜀から中原に入る唯一の交通要道であった。戦国時代から宋時代まで歴代の蜀人が絶えずに修復し、新しく掘り続け、この蜀の桟道は数百キロも続く。
 


雲深 驃騎 幕 ,夜隔 孝廉 船 。
雲は高く深く、ここの幕府には驃騎将軍がいるし、夜になっても遠く離れていても親孝行なものは舟手出掛けるのである。
「驃騎」驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)は、前漢以降の官職名。軍を率いる将軍位の一つ。票騎将軍と記述されることもある。 前漢の武帝元狩2年(紀元前121年)に霍去病が就任したことに始まり、元狩4年(紀元前119年)には大将軍と同等の秩禄とされた。身軽に装備した騎兵。軽騎兵。
「幕」幕府。剣南東川幕府。
「孝廉」① 孝行で欲が少なく、正直なこと。また、そのさま。②㋐中国漢代に、朝廷が各郡に推挙させた人物の徳目の一。また、その徴士の名称。㋑郷試合格者である、挙人の称。
「船」語義類別:物、器物、交通工具(水路)、船。


卻寄 雙 愁眼 ,相思 淚點 懸 。
そんなこともあって愁いを帯びた二つ並んだ眼で見た思いを送ります。互いに思っていることを考えると、涙がしたたり落ちて來るものである。
「寄」語義類別:人、行為動作、一般行為(宀部)、寄。
「雙」語義類別:其他、數詞、定量數詞、雙。
「愁眼」秋の夕べに愁いを帯びた眼でみることをいう。杜甫『遺懷』「愁眼看霜露,寒城菊自花。天風隨斷柳,客淚墮清笳。水靜樓陰直,山昏塞日斜。夜來歸鳥盡,啼殺後棲鴉。」。

廣州段功曹到得楊五長史譚書,功曹卻歸,聊寄此詩 蜀中転々 杜甫 <507>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2730 杜甫詩1000-507-740/1500

杜甫《廣州段功曹到・・・聊寄此詩》段君に頼みたいことは、君を煩わせるのだがわたしが貧しくかつ持病に悩んで他郷で老いつつあるということを伝言してもらいたいのである。


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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor自朗州至京戲贈看花諸君(玄都觀看花) 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 劉禹錫-237--#93  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2732
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

廣州段功曹到得楊五長史譚書,功曹卻歸,聊寄此詩 蜀中転々 杜甫 <507>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2730 杜甫詩1000-507-740/1500



詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の507首目蜀中転々-場面
杜甫ブログ1500回予定の-740回目   40839
卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 
詩題: 廣州段功曹到得楊五長史譚書,功曹卻歸,聊寄此詩 
寫作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州) 
寫及地點:  廣州 (嶺南道東部 廣州 廣州)     
銅梁山 (山南西道 合州 銅梁山)     
交遊人物/地點: 段功曹 書信往來(劍南道北部 梓州 梓州)
楊譚 詩文提及(嶺南道東部 桂州 桂州)
広州の段功曹がきてくれたので自分は広州の都督府の長史楊譚の手紙を得た。段がもどるというので自分は此の詩を楊譚に寄せた。宝応元年梓州にあっての作。



廣州段功曹到得楊五長史譚書,功曹卻歸,聊寄此詩
(広州の段功曹がきてくれたので私は広州の都督府長史、楊譚の手紙を得た。段功曹がもどるというので私は此の詩を楊譚に寄せた。)
衛青開幕府,楊僕將樓船。
衛青に喩えられる君の長官が広州に幕府を開いている。楊僕に比較される君はその部下として甘えることなく楼船をひきいている。
漢節梅花外,春城海水邊。
楊都督は梅花の名所のさらに遠くに使節を持しているし、東(春)の遠くにあるその城は海水のほとりにある。
銅梁書遠及,珠浦使將旋。
そんな遠方の地からこんな銅梁山のある所までわざわざ手紙をよこしてくれられた。その手紙をもってきてくれた使者段君はいま珠浦の方へかえろうとしている。
貧病他鄉老,煩君萬里傳。

それで段君に頼みたいことは、君を煩わせるのだがわたしが貧しくかつ持病に悩んで他郷で老いつつあるということを伝言してもらいたいのである。
(広州の段功曹到る。楊五長史譚が書を得たり。功曹却帰す。聊か此の詩を寄す)
衛青 幕府を開く、楊僕【ようぼく】 楼船に将たり。
漢節 梅花の外 春城 海水の辺。
銅梁 書遠く及ばる、珠浦 使い将に旋【かえ】らんとす。
貧病 他郷に老ゆ、君を煩わして万里に伝えしむ。





『廣州段功曹到,得楊五長史譚書,功曹卻歸,聊寄此詩』 現代語訳と訳註
(本文)
衛青開幕府,楊僕將樓船。
漢節梅花外,春城海水邊。
銅梁書遠及,珠浦使將旋。
貧病他鄉老,煩君萬里傳。


(下し文)
yashi02(広州の段功曹到る。楊五長史譚が書を得たり。功曹却帰す。聊か此の詩を寄す)
衛青 幕府を開く、楊僕【ようぼく】 楼船に将たり。
漢節 梅花の外 春城 海水の辺。
銅梁 書遠く及ばる、珠浦 使い将に旋【かえ】らんとす。
貧病 他郷に老ゆ、君を煩わして万里に伝えしむ。


(現代語訳)
(広州の段功曹がきてくれたので私は広州の都督府長史、楊譚の手紙を得た。段功曹がもどるというので私は此の詩を楊譚に寄せた。)
衛青に喩えられる君の長官が広州に幕府を開いている。楊僕に比較される君はその部下として甘えることなく楼船をひきいている。
楊都督は梅花の名所のさらに遠くに使節を持しているし、東(春)の遠くにあるその城は海水のほとりにある。
そんな遠方の地からこんな銅梁山のある所までわざわざ手紙をよこしてくれられた。その手紙をもってきてくれた使者段君はいま珠浦の方へかえろうとしている。
それで段君に頼みたいことは、君を煩わせるのだがわたしが貧しくかつ持病に悩んで他郷で老いつつあるということを伝言してもらいたいのである。


(訳注)
廣州段功曹到得楊五長史譚書,功曹卻歸,聊寄此詩 
(広州の段功曹がきてくれたので私は広州の都督府長史、楊譚の手紙を得た。段功曹がもどるというので私は此の詩を楊譚に寄せた。)宝応元年梓州にあっての作。
作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州) 
寫及地點:  廣州 (嶺南道東部 廣州 廣州)  、銅梁山 (山南西道 合州 銅梁山)     
交遊人物/地點: 段功曹 書信往來 (劍南道北部 梓州) 、楊譚 詩文提及(嶺南道東部 桂州 桂州)
○広州 広東にある。
○段功曹 功曹参軍段某。
○到 梓州へきたこと。
○楊五長史譚 楊はさきに桂州にあったが桂州より広東へ転任したものと思われる、長史は官名。
○却帰 もどる。


衛青 開 幕府 ,楊僕 將樓船 。
衛青に喩えられる君の長官が広州に幕府を開いている。楊僕に比較される君はその部下として甘えることなく楼船をひきいている。
○衛青 漢の武帝の時の武将、今かりて広州の都督をさす、楊譚の長官たるもののことをいう。衛客とは漢の衛青・霍去病をさす、共に皇后の外戚の故を以て貴位に居った。とほは『自京赴奉先縣詠懷五百字』では楊貴妃の親戚にあたる楊国忠等に此している自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 111 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#7『奉和嚴中丞西城晚眺十韻』縁故で職責に着いたがその責に甘えることがなかったという。奉和嚴中丞西城晚眺十韻 蜀中転々 杜甫 <505-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2720 杜甫詩1000-505-#2-738/1500衛 青(えい せい、? - 元封5年(紀元前106年))は、前漢の武帝に仕えた武将。河東平陽(山西省臨汾)出身。字は仲卿。爵位は長平侯。母親は婢であった衛媼(えいおん)。幼少時に下級官吏の鄭季(ていき)の家に引き取られていたため、父親は鄭季とされる。 幼少から匈奴と境を接する北方で羊の放牧の仕事をし、匈奴の生活や文化に詳しかった。だが、奴隷のように扱われ時には父親らから虐待を受けていたという。
○楊僕 漢の時楼船将軍となり予章より出て珠浦に下った、楊譚に此する。


漢節 梅花 外 ,春城 海水 邊 。
楊都督は梅花の名所のさらに遠くに使節を持しているし、東(春)の遠くにあるその城は海水のほとりにある。
○漢節 都督、天子の命をうけ節を持することをいう。○梅花 広東の北の大庚嶺は梅花を以て有名である。
○春城 広州の城をさす、東(春)の遠くにあったので春城という。


銅梁 書 遠及 ,珠浦 使將旋。
そんな遠方の地からこんな銅梁山のある所までわざわざ手紙をよこしてくれられた。その手紙をもってきてくれた使者段君はいま珠浦の方へかえろうとしている。
○銅梁 山の名、
梓州にある、作者自己の居処をいう。
○遠及 わざわざここまでよこしてくれたということ。○珠浦 合浦のこと、広東廉州にあり、真珠を以て有名、名所をあげただけである。
○使 使者、段功菅をさす。


貧病 他鄉 老 ,煩君 萬里 傳 。
それで段君に頼みたいことは、君を煩わせるのだがわたしが貧しくかつ持病に悩んで他郷で老いつつあるということを伝言してもらいたいのである。
○貧病 作者の状況。
○他郷 局地をさす。
○君 段。
○万里 広州。
月明峡01

嚴中丞枉駕見過 嚴中丞枉駕見過【案:自注:嚴自東川除西川,敕令兩川都節制。】 蜀中転々 杜甫 <506>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2725 杜甫詩1000-506-739/1500

杜甫《嚴中丞枉駕見過》 まことにさびしい錦江の天の雲霧のうちに処士の徴象たる少徴星があるとはだれがいうのか。厳武、きみだけがそんな星あることを、私にことを知ってくれるのである。


2013年7月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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李商隠詩
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嚴中丞枉駕見過 嚴中丞枉駕見過【案:自注:嚴自東川除西川,敕令兩川都節制。】 蜀中転々 杜甫 <506>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2725 杜甫詩1000-506-739/1500 



詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 
詩題: 嚴中丞枉駕見過【自注:嚴自東川除西川,敕令兩川都節制。】
掲 載; 杜甫1000首の506首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-739回目   40838
御史中丞の厳武が自分の草堂へわざわざたずねてくれた。厳武は東川と西川のすべて管轄せよとの勅命をうけて来任したのである。宝応元年の作でる。

嚴中丞枉駕見過 *〔原注〕厳自東川、除西川、勅令両川都節(厳東川より、西川に除せられ、勅もて両川の都
節に令せらる)



嚴中丞枉駕見過
元戎小隊出郊坰,問柳尋花到野亭。
川合東西瞻使節,地分南北任流萍。
扁舟不獨如張翰,白帽還應似管寧。
寂寞江天雲霧裏,何人道有少微星。

(厳中丞駕を枉げ過らる)
元戎小隊郊桐に出づ、柳を問い花を尋ねて野草に到る。
川東西を合し使節を障る、地南北を分かつ流再に任す。
扁舟独り張翰の如くなるのみならず、鳥帽還応に管寧に似たるなるべし。
寂美江天雲霧の裏、何人か這う少微塵有り。

杜甫像0012















『嚴中丞枉駕見過』 現代語訳と訳註
(本文)

元戎小隊出郊坰,問柳尋花到野亭。
川合東西瞻使節,地分南北任流萍。
扁舟不獨如張翰,白帽還應似管寧。
寂寞江天雲霧裏,何人道有少微星。

(下し文)
(厳中丞駕を枉げ過らる)
元戎小隊郊桐に出づ、柳を問い花を尋ねて野草に到る。
川東西を合し使節を障る、地南北を分かつ流再に任す。
扁舟独り張翰の如くなるのみならず、鳥帽還応に管寧に似たるなるべし。
寂美江天雲霧の裏、何人か這う少微塵有り。


(現代語訳)
(厳武中丞節度使がわざわざ立ち寄ってくれ、ひとしきり歓談してくれた時に思ったことの詩)
節度使が配下の小部隊をつれて城内から郊外の管轄地の視察へ出かけて、こちらの柳、あちらの花とさぐり愛でながらわたしの草堂までやってこられた。
彼が天子の節度使として東西両川を治めるおかたとして仰ぎみるのであるが、土地の南北の分かれはあるが節度使が別々でうき草のただよう様に好き勝手にされていた。
この間わたしは役割が終わったとして隠棲したのは張翰のようであるのは独りだけではなく、乱を避けて世から離れていることはまた白帽をつけて、應詔を固辞した管寧に似ていることであろう。
まことにさびしい錦江の天の雲霧のうちに処士の徴象たる少徴星があるとはだれがいうのか。厳武、きみだけがそんな星あることを、私にことを知ってくれるのである。


(訳注)
厳中丞枉駕見過
(厳武中丞節度使がわざわざ立ち寄ってくれ、ひとしきり歓談してくれた時に思ったことの詩)
○厳中丞 御史中丞厳武のこと、粛宗は長安を回復すると厳武を以て京兆少尹・兼御史中丞となした、史思明の乱がおこったために官におもむかぬうちに出されて綿州刺史となり剣南の東西両川節度使を兼ね、御史中丞をも兼ねた。東川節度使は梓州に幕府を置き、西川は成都に治する、杜甫の原注によれば厳武は東川より西川にうつって両川を節制したものであり、宝応元年のことである。
○柾駕 のりものをまげてわざわざ立ち寄ったことをいう。
○見過 浣花の草堂へきてくれた。立ち寄ってくれることの時間経過があったことを云う。


元戎小隊出郊坰,問柳尋花到野亭。
節度使が配下の小部隊をつれて城内から郊外の管轄地の視察へ出かけて、こちらの柳、あちらの花とさぐり愛でながらわたしの草堂までやってこられた。
○元戎 弩の連射ができるもので漢代でも改良は続けられ、三国志中には諸葛亮がそれを改良して元戎(げんじゅう)を作ったとする記述がある。これで狙われれば、逃げるか、隠れるかしか方法がないとされ、厳武の節度使としての軍事行政手腕を著したものである。大きな軍事のこと、「詩経」(小南)にみえる。
○小隊 わずかな人数の部隊。
○出郊坰 城から野外へ出かけたこと、野外を郊、郊外を林、林外を坰という。
○野亭 草堂。
 

川合東西瞻使節,地分南北任流萍。
彼が天子の節度使として東西両川を治めるおかたとして仰ぎみるのであるが、土地の南北の分かれはあるが節度使が別々でうき草のただよう様に好き勝手にされていた。
○川合東西 東川・西川の二区域を合すること。どちらも直近に叛乱があり、東でおこった叛乱の征伐の際西に逃亡、西でおこれば東へと逃げるので、相当の実力のあるものでなければ抑えられないということの意味である。
〇瞻 こちらが仰ぎみること。
○使節 天子の使者としてのはた、節度使は天子より軍治民治の権力をゆだねられ.るので使節という。
○南北 南は成都、北は長安、洛陽、此の句は自己についていう。
○流萍 ながれるうきくさ、これまでは叛乱者が両川を逃げ追うせること。


扁舟不獨如張翰,白帽還應似管寧。
この間わたしは役割が終わったとして隠棲したのは張翰のようであるのは独りだけではなく、乱を避けて世から離れていることはまた白帽をつけて、應詔を固辞した管寧に似ていることであろう。
○扁舟張翰 晋の張翰は洛陽に至って斉王冏に仕えたが、時事の非なのを見て(秋風が吹くと)故郷呉中の蓴羹【じゅんかん】鱸鱠【ろうかい】を憶うといって帰ってしまった、届舟の故事は無いが呉にかえるにはいずれ舟にのらね晋の張翰が世の乱れたのを見、秋風の起るにあたって、故郷である呉の蒪羹、鱸魚を思うといって官を辞してかえったが、今は世が治まっているのでさようの人物が無いということ。東走とは呉は東南であるから東という。世の中が安定してくれば自分の役割は終了した、高級官僚に未練はなく故郷に帰って隠棲するということである。
杜甫『洗兵行』「東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。」(東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。)張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。
○白帽似管寧 魏の曹操時、管寧は仕えず、乱をさけて遼東に居り、常に白い帽・布の禰・袴をつけていたという。乱がおさまって遼東に避難していた人達は相次いで帰郷していったが、管寧だけは遼東にとどまった。文帝、太中大夫に任命されたが、管寧はこれを辞退した。明帝の時も辞退している。


寂寞江天雲霧裏,何人道有少微星。
まことにさびしい錦江の天の雲霧のうちに処士の徴象たる少徴星があるとはだれがいうのか。厳武、きみだけがそんな星あることを、私にことを知ってくれるのである。
○江天雲霧 江は錦江、雨の多いゆえに雲霧という。
○少徴星 星座の名、少徴四星は太徴の西にあり、士大夫の位である、一に処土星と名づけ、仕官せぬ隠者にかたどる、自己をたとえて

成都関連地図 00

野人送朱櫻 蜀中転々 杜甫 <500>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2690 杜甫詩1000-500-732/1500

杜甫 《野人送朱櫻》西四川のさくらんぼうは都で食べたそれと変わりなくその持ち前の色として紅色である、近所の百姓が竹かごにあふれんばかりにそれを贈り物にくれたのだ。なんども注意深く皿にうつすのだが、それでもなおその薄い皮が破れはせぬかと気づかうのだ。このおびただしい実の粒がどれもこれのまんまるなのでよくこんなに同じようなおおきさにそろったものだと不思議に思う。



2013年7月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

野人送朱櫻  蜀中転々 杜甫 <500>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2690 杜甫詩1000-500-732/1500 
桜桃001詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の500首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-732回目   40831


作年: 寶應元年  762年  51歲 
卷別: 卷二二六  文體: 七言律詩 
詩題: 野人送朱櫻 
寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 
寫及地點:  大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿     
詩文:

野人送朱櫻
(野良の百姓がさくらんぼうを届けてくれた時の詩。)
西蜀櫻桃也自紅,野人相贈滿筠籠。 
西四川のさくらんぼうは都で食べたそれと変わりなくその持ち前の色として紅色である、近所の百姓が竹かごにあふれんばかりにそれを贈り物にくれたのだ。
數回細寫愁仍破,萬顆勻圓訝許同。 
なんども注意深く皿にうつすのだが、それでもなおその薄い皮が破れはせぬかと気づかうのだ。このおびただしい実の粒がどれもこれのまんまるなのでよくこんなに同じようなおおきさにそろったものだと不思議に思う。
憶昨賜霑門下省,退朝擎出大明宮。 
わたしは思い出すのは、むかし門下省の一員として、この果物の恩賜にうるおい恭しく捧げもって大明宮の朝賀から退出したことであった。
金盤玉箸無消息,此日嘗新任轉蓬。 
しかしそのときの黄金の大皿と玉の箸の消息もいまや絶えたままである。今日この日、わたしはこの初物を味わいながら、轉蓬の様な自分の人生をうち任せるしかないのだと思うのである。
野人 朱櫻を送る
西蜀の櫻桃【おうとう】也た自ら紅なり,野人 相い贈りて 筠籠【いんろう】に滿つ。 
數回 細寫して 仍お破れんかと愁い,萬顆 勻圓にして 許も同じかと訝る。 
憶う昨 賜霑【してん】す 門下省,退朝 擎出【けいしゅつ】す 大明宮。 
金盤 玉箸 消息無し,此の日 新しきを嘗めて 轉蓬に任す。 
桜桃002



 

『野人送朱櫻』 現代語訳と訳註
(本文)
西蜀櫻桃也自紅,野人相贈滿筠籠。 
數回細寫愁仍破,萬顆勻圓訝許同。 
憶昨賜霑門下省,退朝擎出大明宮。 
金盤玉箸無消息,此日嘗新任轉蓬。 


(下し文)
野人 朱櫻を送る
西蜀の櫻桃【おうとう】也た自ら紅なり,野人 相い贈りて 筠籠【いんろう】に滿つ。 
數回 細寫して 仍お破れんかと愁い,萬顆 勻圓にして 許も同じかと訝る。 
憶う昨 賜霑【してん】す 門下省,退朝 擎出【けいしゅつ】す 大明宮。 
金盤 玉箸 消息無し,此の日 新しきを嘗めて 轉蓬に任す。 


(現代語訳)
(野良の百姓がさくらんぼうを届けてくれた時の詩。)
西四川のさくらんぼうは都で食べたそれと変わりなくその持ち前の色として紅色である、近所の百姓が竹かごにあふれんばかりにそれを贈り物にくれたのだ。
なんども注意深く皿にうつすのだが、それでもなおその薄い皮が破れはせぬかと気づかうのだ。このおびただしい実の粒がどれもこれのまんまるなのでよくこんなに同じようなおおきさにそろったものだと不思議に思う。
わたしは思い出すのは、むかし門下省の一員として、この果物の恩賜にうるおい恭しく捧げもって大明宮の朝賀から退出したことであった。
しかしそのときの黄金の大皿と玉の箸の消息もいまや絶えたままである。今日この日、わたしはこの初物を味わいながら、轉蓬の様な自分の人生をうち任せるしかないのだと思うのである。


桜桃003(訳注)
野人送朱櫻
(野良の百姓がさくらんぼうを届けてくれた時の詩。)
ある農夫がさくらんぼうを届けてくれたことをうたう。成郡にあっての作。

西蜀櫻桃也自紅,野人相贈滿筠籠。 
西四川のさくらんぼうは都で食べたそれと変わりなくその持ち前の色として紅色である、近所の百姓が竹かごにあふれんばかりにそれを贈り物にくれたのだ。
○西蜀 (四川省)は東蜀西蜀に分かれ、成都は西蜀剣南西川節度使に属する。
〇桜桃 朱桜、さくらんぼう。


數回細寫愁仍破,萬顆勻圓訝許同。 
なんども注意深く皿にうつすのだが、それでもなおその薄い皮が破れはせぬかと気づかうのだ。このおびただしい実の粒がどれもこれのまんまるなのでよくこんなに同じようなおおきさにそろったものだと不思議に思う。


憶昨賜霑門下省,退朝擎出大明宮。 
わたしは思い出すのは、むかし門下省の一員として、この果物の恩賜にうるおい恭しく捧げもって大明宮の朝賀から退出したことであった。
○賜霑 ご下賜の恩恵にうるおう。唐朝では四月一日、初物として桜桃を宗廟に供え、そのお下がりを百官に賜わった。
○門下省 天子の命令を審議する役所。杜甫はかって左拾遺の官としてそこに属していた。
○大明官 唐の首都長安には、太極官・大明宮・興慶宮の三つの宮殿があったが、.大明宮はもっともしばしば朝賓の行われるところであった。


金盤玉箸無消息,此日嘗新任轉蓬。 
しかしそのときの黄金の大皿と玉の箸の消息もいまや絶えたままである。今日この日、わたしはこの初物を味わいながら、轉蓬の様な自分の人生をうち任せるしかないのだと思うのである。
○金盤玉箸 桜桃を賜わる行事を指していう。
○転蓬 砂漠の植物で、茎が四方に伸びて広がり、上で合して球状になったころ、秋風にあうと根こそぎ吹きちぎられ、すさまじい勢いで砂漠をころがって行く。人があてどもなく流浪することの比喩に用いられる。
○韻字 紅・籠・同・官・蓬。

又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(17) 杜甫 <481-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2535 杜甫詩1000-481-#1-701/1500

又觀打魚楽府(七言歌行) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(17))  静かにきれいな江に漁師たちが朝方から集まり、網を設け大綱をいろんな魚をせっせと取っている。舟をあやつるに巧みなものは船を風のごとくはやくあやつり、さすまたをぬきんでながら波にぶっつかってのりこんでゆく。


2013年6月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#3>710 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2534
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(17) 杜甫 <481-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2535 杜甫詩1000-481-#1-701/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(17) 杜甫 <481-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2535 杜甫詩1000-481-#1-701/1500



詩 題:又觀打魚楽府(七言歌行) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(17)) 
作時:762年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の481-#1首目-場面6-(17)
杜甫ブログ1500回予定の-701回目   40800
また魚をとるのを観てよんだうた。前詩とほとんど同時の作。觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(15) 杜甫 <480-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2525 杜甫詩1000-480-#1-699/1500


又觀打魚
(また、打魚漁をみる。)
蒼江魚子清晨集,設網提綱萬魚急。
静かにきれいな江に漁師たちが朝方から集まり、網を設け大綱をいろんな魚をせっせと取っている。
能者操舟疾若風,撐突波濤挺叉入。
舟をあやつるに巧みなものは船を風のごとくはやくあやつり、さすまたをぬきんでながら波にぶっつかってのりこんでゆく。
小魚脫漏不可記,半死半生猶戢戢。
小さな魚は魚網からどれほどぬけでたか記しすことなどもできないがそれでも半死半生の姿で沢山あつまっている。
大魚傷損皆垂頭,屈強泥沙有時立。』
大きな魚はからだをきずつけられて 皆 頭を垂れてよわりこんでいるが、時としては泥沙のうえにしゃちほこばって 突っ立ちあがることもある。』
#2
東津觀魚已再來,主人罷鱠還傾杯。
日暮蛟龍改窟穴,山根鱣鮪隨雲雷。
干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。』


蒼江漁子清晨【せいしん】に集まる、網を設け 綱を提げて魚を取ること急なり。
能者は舟を操る疾きこと風の若く、波涛に撐突して叉を挺して入る。
小魚の脱漏 記す可からず、半死半生 猶お戢戢【しゅうしゅう】たり。
大魚は傷損 皆頭を垂る、泥抄に屈強して時有りてか立つ。』

東津 魚を観て己に再び来たる、主人鱠を罷めて還た盃を傾く。
日暮れて蛟竜【こうりゅう】窟穴を改む、山根の鱣鮪【てんい】雲雷に随う。
干戈 兵革 闘い未だ己まず、鳳凰 麟麟安に在りや。
吾が徒 胡為【なんす】れぞ此の楽しみを縦にする、天物を暴殄するは聖の哀れむ所なり。』

浮桟橋00
『又觀打魚』 現代語訳と訳註
(本文)
#1
蒼江魚子清晨集,設網提綱萬魚急。
能者操舟疾若風,撐突波濤挺叉入。
小魚脫漏不可記,半死半生猶戢戢。
大魚傷損皆垂頭,屈強泥沙有時立。』


(下し文)
蒼江漁子清晨【せいしん】に集まる、網を設け 綱を提げて魚を取ること急なり。
能者は舟を操る疾きこと風の若く、波涛に撐突して叉を挺して入る。
小魚の脱漏 記す可からず、半死半生 猶お戢戢【しゅうしゅう】たり。
大魚は傷損 皆頭を垂る、泥抄に屈強して時有りてか立つ。』


(現代語訳)
(また、打魚漁をみる。)
静かにきれいな江に漁師たちが朝方から集まり、網を設け大綱をいろんな魚をせっせと取っている。
舟をあやつるに巧みなものは船を風のごとくはやくあやつり、さすまたをぬきんでながら波にぶっつかってのりこんでゆく。
小さな魚は魚網からどれほどぬけでたか記しすことなどもできないがそれでも半死半生の姿で沢山あつまっている。
大きな魚はからだをきずつけられて 皆 頭を垂れてよわりこんでいるが、時としては泥沙のうえにしゃちほこばって 突っ立ちあがることもある。』


(訳注)
又觀打魚

また、打魚漁をみる。
○打魚 綿州の涪江の東津で水面を打撃して魚を、囲みに追い込む浅瀬の漁法。やなのようなところに追い込む。


蒼江魚子清晨集,設網提綱萬魚急。
静かにきれいな江に漁師たちが朝方から集まり、網を設け大綱をいろんな魚をせっせと取っている。
○蒼江 あおい水色の江、清江をいう。
○漁子 りようし。
〇清晨 はれた朝方。
○綱 あみの大づな。
○万魚 設網捷網万魚急とよみ、急の字は魚が逃げだそうとして争うさまとなり、とりかたが急なことである。


能者操舟疾若風,撐突波濤挺叉入。
舟をあやつるに巧みなものは船を風のごとくはやくあやつり、さすまたをぬきんでながら波にぶっつかってのりこんでゆく。
○能者 舟を振るのにたくみな漁師。
○撐突 撐はささえる意であるが、撐突はぶつかる意と思われる。
○挺叉 挺はぬきんづる、叉は魚を刺すさすまた。
〇入 舟をのりいれること。


小魚脫漏不可記,半死半生猶戢戢。
小さな魚は魚網からどれほどぬけでたか記しすことなどもできないがそれでも半死半生の姿で沢山あつまっている。
○脱漏 あみからもれること。
○記 かぞえてしるしをする。
○戢戢 あつまるさま。


大魚傷損皆垂頭,屈強泥沙有時立。』
大きな魚はからだをきずつけられて 皆 頭を垂れてよわりこんでいるが、時としては泥沙のうえにしゃちほこばって 突っ立ちあがることもある。』
○屈強 しいて立ちあがろうとするさま。

漁陽 楽府(七言歌行) 成都6-(11) 杜甫 <476>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2505 杜甫詩1000-476-695/1500

2013年6月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#3>Ⅱ中唐詩705 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2509
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集漁陽 楽府(七言歌行) 成都6-(11) 杜甫 <476>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2505 杜甫詩1000-476-695/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬郭簡州寄柑子 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-192-58-#52  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2507
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



唐宋時代鄴城05
漁陽 楽府(七言歌行) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(11))  安史軍に抑えられている魚陽は755年11月突然に精鋭たちによって乗っ取られた。威権のかがやく蕹王はすべて徳があり、節をも守って治めていた。


漁陽 楽府(七言歌行) 成都6-(11) 杜甫 <476>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2505 杜甫詩1000-476-695/1500


詩 題:漁陽楽府(五言律詩) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(11)) 
卷別: 卷二一九  文體: 七言古詩 
作時:762年寶應元年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の476首目-場面6-(11)
杜甫ブログ1500回予定の-695回目   40794
梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州) 
漁陽 (河北道南部 薊州 漁陽)   雄武城 (河北道南部 幽州 范陽)     
 

漁陽
 (叛乱軍が占拠している魚陽のことについて)
漁陽突騎猶精銳,赫赫雍王都節制。
安史軍に抑えられている魚陽は755年11月突然に精鋭たちによって乗っ取られた。威権のかがやく蕹王はすべて徳があり、節をも守って治めていた。
猛將飄然恐後時,本朝不入非高計。
勇猛果敢な大将は凡俗を超脱しヨウヨウトしており突然おこった事を懼れるだけ手手を打つのをことごとく後手をとった。その朝は朝廷に入らず高尚な計画は全くされなかった。
祿山北築雄武城,舊防敗走歸其營。
安禄山は黄河より北側を抑え幽州范陽に雄武城を築いたのである。王朝軍の旧防衛軍は敗走を重ね、破れた者たちはその本拠地の軍営には帰ってこなかったのである。
繫書請問燕耆舊,今日何須十萬兵。

書簡を継続して届け、問題点をはっきりさせてきた燕の国には優秀な儒者が居るではないか、今日至って、どうして十万を超える軍隊を用いて制圧してくれないのだろうか。

『漁陽』 現代語訳と訳註

toubanrimap044
(本文)
漁陽突騎猶精銳,赫赫雍王都節制。
猛將飄然恐後時,本朝不入非高計。
祿山北築雄武城,舊防敗走歸其營。
繫書請問燕耆舊,今日何須十萬兵。


(下し文) 漁陽
漁陽 突騎して猶お精銳たり,赫赫として 雍王は都【み】な節制す。
猛將 飄然として恐れ時を後にし,本朝 入らず 高計するに非らず。
祿山 北築 雄武の城,舊防 敗走して其の營に歸る。
書を繫ぎ 請問し 燕は耆舊す,今日 何んぞ須いん 十萬の兵。


(現代語訳)
(叛乱軍が占拠している魚陽のことについて)
安史軍に抑えられている魚陽は755年11月突然に精鋭たちによって乗っ取られた。威権のかがやく蕹王はすべて徳があり、節をも守って治めていた。
勇猛果敢な大将は凡俗を超脱しヨウヨウトしており突然おこった事を懼れるだけ手手を打つのをことごとく後手をとった。その朝は朝廷に入らず高尚な計画は全くされなかった。
安禄山は黄河より北側を抑え幽州范陽に雄武城を築いたのである。王朝軍の旧防衛軍は敗走を重ね、破れた者たちはその本拠地の軍営には帰ってこなかったのである。
書簡を継続して届け、問題点をはっきりさせてきた燕の国には優秀な儒者が居るではないか、今日至って、どうして十万を超える軍隊を用いて制圧してくれないのだろうか。


(訳注)
漁陽

(叛乱軍が占拠している魚陽のことについて)
・漁陽 漁陽郡(ぎょようぐん)は、中国にかつて存在した郡。現在の北京市、天津市、河北省の一部に相当する。唐の開元18年(730年)、漁陽郡は薊州と改称、天宝元年(742年)に漁陽郡と改称されたが、乾元元年(758年)に再び薊州と改称され漁陽郡の行政区画名は消滅した。河北道南部 薊州 漁陽


漁陽突騎猶精銳,赫赫雍王都節制。
安史軍に抑えられている魚陽は755年11月突然に精鋭たちによって乗っ取られた。威権のかがやく蕹王はすべて徳があり、節をも守って治めていた。
・赫赫 威権のかがやくさま。


猛將飄然恐後時,本朝不入非高計。
勇猛果敢な大将は凡俗を超脱しヨウヨウトしており突然おこった事を懼れるだけ手手を打つのをことごとく後手をとった。その朝は朝廷に入らず高尚な計画は全くされなかった。
・猛將 勇猛果敢な大将。杜甫『戲作花卿歌』「成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。」
・諷然 凡俗を超脱し拘束されぬさまをいう。


祿山北築雄武城,舊防敗走歸其營。
安禄山は黄河より北側を抑え幽州范陽に雄武城を築いたのである。王朝軍の旧防衛軍は敗走を重ね、破れた者たちはその本拠地の軍営には帰ってこなかったのである。


繫書請問燕耆舊,今日何須十萬兵。 
書簡を継続して届け、問題点をはっきりさせてきた燕の国には優秀な儒者が居るではないか、今日至って、どうして十万を超える軍隊を用いて制圧してくれないのだろうか。
・耆舊 【耆旧】: 《「耆」は60歳の意》年寄り。老人。 ぎじゃくっ‐せん【耆闍崛山】: 《(梵)Gṛdhrakūṭaの音写。鷲峰(じゅぶ)などと訳》「霊鷲山(りょうじゅせん)」に同じ。 き‐じゅ【耆儒】: 年とった儒者、また、学者。 き‐しゅく【耆宿】: 《「耆」も「宿」も老、旧の意》学徳の


杜甫『石龕』「奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!」
ああ、なんであの漁陽の叛乱の軍らは、風の吹きまくる如く人民を驚かしつづけるのであろうか。
“同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 1000<328>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1559 杜甫詩 1500- 484
石龕 
熊羆咆我東,虎豹號我西。
我後鬼長嘯,我前狨又啼。
天寒昏無日,山遠道路迷。
驅車石龕下,仲冬見虹霓。
伐竹者誰子?悲歌上雲梯。
為官采美箭,五歲供梁齊。
苦雲直竿盡,無以充提攜。
奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!
(石龕)
熊羆【ゆうひ】我が東に咆【ほ】え、虎豹【こひょう】我が西に号【さけ】ぶ。
我が後【うしろ】には鬼長く嘯【うそぶ】く、我が前には狨【じゅう】又た啼く。
天寒くして昏れて日無く、山遠くして道路迷う。
車を駆る石龕【せきがん】の下、仲冬【ちゅうとう】虹霓【こうげい】を見る。
#2
竹を伐る者は誰が子ぞ、悲歌【ひか】して雲梯【うんてい】に上る。
官【かん】の為めに美箭【びぜん】を採り、五歳【ごさい】梁斉【りょうせい】に供す。
苦【ねんごろ】に云う直幹【ちょくかん】尽きて、以て提携【ていけい】に応ずる無しと。
奈何【いかん】ぞ漁陽【ぎょよう】の騎【き】、颯颯【さつさつ】として蒸黎【じょうれい】を驚かすや。

陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 成都5-(40) 杜甫 <465>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2410 杜甫詩1000-465-676/1500

1203 杜甫 《陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公》
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。

2013年5月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅲ杜甫詩1000詩集陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 成都5-(40) 杜甫 <465>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2410 杜甫詩1000-465-676/1500
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 成都5-(40) 杜甫 <465>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2410 杜甫詩1000-465-676/1500



詩 題:陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(40)) 
作時:761年12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465首目-場面5-(40)
杜甫ブログ1500回予定の-676回目   40775

李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。上元二年の冬、蜀州にあっての作。
 

陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?

いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。
(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。聊か短作を題し、李公に簡す 二首の一)
竹を伐り橋と為す結構同じ、裳を塞げて捗らず往来通ず。
天寒くして白鶴華表に帰り、日落ちて青竜水中に見ゆ。
顧う我が老いて題柱の客に非ざるを、知る君が才是れ済川の功。
合歓却って笑う千年の事、駆石何の時か海東に到らん。


竹の橋01









『陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一』 現代語訳と訳註
(本文)

伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?


(下し文)
(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。聊か短作を題し、李公に簡す)
竹を伐り橋と為す結構同じ、裳を塞げて捗らず往来通ず。
天寒くして白鶴華表に帰り、日落ちて青竜水中に見ゆ。
顧う我が老いて題柱の客に非ざるを、知る君が才是れ済川の功。
合歓却って笑う千年の事、駆石何の時か海東に到らん。


(現代語訳)
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。


(訳注)
陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一

題新津北橋棲00(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
李七司馬 蜀州の司馬李某。
皂江 新津県にあるという。皂江 一に鄩江。
○短作 この八句の二首の詩をさす。
○李公 李司馬。


伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
○結構同  木で組み立てたものと同じ。
○褰裳不渉 不褰裳而渉とかくべきところを上のごとくかいたもの、これまではもすそをかかげてかちわたりする必要があったのに、今はそうしない。


天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
○天寒白鶴歸華表 晋の大康二年の冬大いに雪がふったとき、南洲の人が二白鶴が橋の下で、「今年の寒さは堯の崩じた年に劣らない」と話しているのを見たとある。華表は鳥居型のことで、ここは橋脚の意として用いる。
○青竜 橋影の水にうかぶかたちをたとえていう。


顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
○顧 顧み念うこと。
○題柱客 漢の司馬相如の故事。相如が蜀を去って長安に行こうとするとき橋柱に題して「高車駟馬に乗らずんばふたたびここを過ぎず」といった。ここは出世する意ではなくて柱に超して橋の成った頒文でも作ることの意に用いたものであろう。
○君 李をさす。
○済川功 橋をかけたので川をわたす功があるという。


合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?
いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。
○合歓 橋の成ったことを祝して主客ともに喜ぶこと。
〇千年事 千年まえの昔のこと、すなわち次句のこと。
○驅石何時到海東 秦の始皇が石橋を作り、海を過ぎて日の出る処を観ようとしたところ、神人が石を駆って海に落とした、石の落ちる速度がおそいと神がこれを鞭ったので石は皆血を流した、という話がある。こんな話はあるがその石が海東に到る時節は有るまいというもの。

王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到  七言律詩 成都5-(38) 杜甫 <463>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2400 杜甫詩1000-463-674/1500

杜甫《王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到》

みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。

2013年5月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩應詔詩 曹植 魏詩<76-#4>文選 上 献詩 女性詩770 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2398
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:竹洞 韓愈(韓退之) <122>Ⅱ中唐詩683 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2399
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到  七言律詩 成都5-(38) 杜甫 <463>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2400 杜甫詩1000-463-674/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性賦凌云寺二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-171-43-#36  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2402
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到  七言律詩 成都5-(38) 杜甫 <463>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2400 杜甫詩1000-463-674/1500


詩 題:王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到 七言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(38)) 
作時:761年上元二年12月杜甫50歳 
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)  草堂、西郭茅舍     
交遊人物/地點: 王掄 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
高適 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
掲 載; 杜甫1000首の463首目-場面5-(38)
杜甫ブログ:1500回予定の-674回目
侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。


王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到
(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。)
老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。
わたしはおだやかに臥ていられるので朝は起きるのがめんどうでしかたがない、この白い茅葺の家屋は寒いことが多いから、日がのぼってあたたかになってからやっと開きはじまるのである。
江鸛巧當幽徑沿,鄰雞還過短牆來。
みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。
繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅?
繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。
戲假霜威促山簡,須成一醉習池回。

これはたわむれのことながらどうか御史の御威光をかりて山簡ともいうべき高適君をうながして、わたしのところで一酔して習池のあたりをめぐるべきではないでしょうか。

(王十七侍御掄、酒を携えて草堂に至るを許す。此の詩寄せ奉り、便ち高三十五使君を邀えて同じく到らんことを請う)
老夫臥穏【がおん】にして朝起きるに慵【ものう】し、白屋寒多くして暖にして始めて開く。
江鶴【こうかく】巧みに幽径【ゆうけい】に当たって浴す、
隣鷄【りんけい】還た短牆【たんしょう】を過ぎ来たる。
繍衣【しゅうい】屡【しばし】ば許す家醞【かうん】を携うるを、【皂蓋そうがい】能く忘れんや野梅【やばい】を折ることを。
戯れに霜威【そうい】を仮りて山簡を促し、須【すべか】らく一酔を成して習池【しゅうち】を過るべし。

桃園001

『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』 現代語訳と訳註
(本文)

老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。
江鸛巧當幽徑沿,鄰雞還過短牆來。
繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅?
戲假霜威促山簡,須成一醉習池回。


(下し文)
(王十七侍御掄、酒を携えて草堂に至るを許す。此の詩寄せ奉り、便ち高三十五使君を邀えて同じく到らんことを請う)
老夫臥穏【がおん】にして朝起きるに慵【ものう】し、白屋寒多くして暖にして始めて開く。
江鶴【こうかく】巧みに幽径【ゆうけい】に当たって浴す、
隣鷄【りんけい】還た短牆【たんしょう】を過ぎ来たる。
繍衣【しゅうい】屡【しばし】ば許す家醞【かうん】を携うるを、【皂蓋そうがい】能く忘れんや野梅【やばい】を折ることを。
戯れに霜威【そうい】を仮りて山簡を促し、須【すべか】らく一酔を成して習池【しゅうち】を過るべし。


(現代語訳)
紅梅0021(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。)
わたしはおだやかに臥ていられるので朝は起きるのがめんどうでしかたがない、この白い茅葺の家屋は寒いことが多いから、日がのぼってあたたかになってからやっと開きはじまるのである。
みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。
繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。
これはたわむれのことながらどうか御史の御威光をかりて山簡ともいうべき高適君をうながして、わたしのところで一酔して習池のあたりをめぐるべきではないでしょうか。


(訳注)
王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到

侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。
○王十七侍禦掄 侍御史王掄。
○高三十五便君 蜀州の刺史高適、使君は刺史の敬称、高適はこのころ何かの事について成都へでてきていたものとみえる。


老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。 
わたしはおだやかに臥ていられるので朝は起きるのがめんどうでしかたがない、この白い茅葺の家屋は寒いことが多いから、日がのぼってあたたかになってからやっと開きはじまるのである。
○老夫 杜甫をさす。
○慵 ものうい,だるい.
〇白屋 白茅をもってふいたやねの家。


江鸛巧當幽徑浴,鄰雞還過短牆來。 
みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。
○江 濯錦江。
○鸛 こうのとり。
○鄰雞 近隣に住んでいる人の飼っているにわとり。
『泛溪』「吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。」(吾が村は ひぐれの暝【くら】き姿に靄【おお】われ異舎には鶏も亦た棲む。 )泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#1)  杜甫 <394-#1 五言古詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1903 杜甫詩1000-394-575/1500


繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅。 
繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。
○繍衣 御史のきるさもの、王侍御をさす。
○家醞 てづくりのさけ。
皂蓋 くろいろの車蓋、漢制に二千石(地方の長官)は皇蓋、朱、両幡とみえる、高適をさす。
○能忘 能の字は反語の意。
○折野梅 自宅の梅を折りにくることをいう。
 

戲假霜威促山簡,須成一醉習池迴。 
これはたわむれのことながらどうか御史の御威光をかりて山簡ともいうべき高適君をうながして、わたしのところで一酔して習池のあたりをめぐるべきではないでしょうか。
○霜威。御史の威をいう、御史は刑罰の権があるのによりこれを霜の草木をからすのに此する、これ王侍御をさす
○山簡
 晋の時に嚢陽を管した人、嚢陽に習氏という土豪がいたが、山筒はつねにその園地に行ってあそび、その地を高陽池とよんだという。
・山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 晋の将軍山簡(さんかん)に愛された部将で、二人の信頼関係は杜甫も好きな話題である。山簡の葛強への信任、葛強の山簡に対する忠誠心は自分と同じだ。李白は山公を10首も詠っている。
自分を山公としたいところ、県令などの手前、葛強に置き換えたのである。
○習池 山簡の高陽池に習った池をいうもので、湿地帯であった草堂の周りには池がたくさんあったもの。

野望 七言律詩 成都5-(35) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2385 杜甫詩1000-460-671/1500

杜甫 《野望》七言律詩 成都(5部)浣花渓の草堂
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。


2013年5月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

野望 七言律詩 成都5-(35) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2385 杜甫詩1000-460-671/1500


詩 題:野望 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(35)) 
作時:762年1・2月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の460首目-場面5-(35)杜甫ブログ1500回予定の-671回目 
野外にでてながめたときの感じをのべる。宝応元年成都草堂にあっての作。


野  望
西山白雪三城戍,南浦清江萬裡橋。
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。
海內風塵諸弟隔,天涯涕淚一身遙。
いま天下には兵馬のちりを巻き起こす兵乱がうちつづくなか弟たちは遠く隔たっている。私は天の果て遙かにひとりさまよって涙をこぼし、喘ぐのである。
惟將遲暮供多病,未有涓埃答聖朝。
私はここで晩年を多年の病に向ってささげているばかりである。まだつゆちりほども聖天子の御恩に報いたてまつったことはないのである。
跨馬出郊時極目,不堪人事日蕭條!
家を出て馬にまたがって成都の西郊外に、時時はるかに眺めわたしてみる。人間についての消息が日日にさびしくすがれていくのに堪えられぬ思いだ。

(野 望)
西山の白雪三城の戍【まもり】、南浦 清江の万里橋。
海内【かいだい】の風塵【ふうじん】に諸弟隔たり、天涯【てんがい】涕涙【ているい】一身 逢かなり。
惟 遅碁【ちぼ】を将て多病に供す、未だ涓埃【けんあい】の聖朝に答うる有らず。
馬に跨り郊を出で時に目を極むれば、堪えず人事の日とに粛条【しょうじょう】たるに。

nat0001

『野  望』 現代語訳と訳註
(本文)

西山白雪三城戍,南浦清江萬裡橋。
海內風塵諸弟隔,天涯涕淚一身遙。
惟將遲暮供多病,未有涓埃答聖朝。
跨馬出郊時極目,不堪人事日蕭條!


(下し文)
(野 望)
西山の白雪三城の戍【まもり】、南浦 清江の万里橋。
海内【かいだい】の風塵【ふうじん】に諸弟隔たり、天涯【てんがい】涕涙【ているい】一身 逢かなり。
惟 遅碁【ちぼ】を将て多病に供す、未だ涓埃【けんあい】の聖朝に答うる有らず。
馬に跨り郊を出で時に目を極むれば、堪えず人事の日とに粛条【しょうじょう】たるに。


(現代語訳)
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。
いま天下には兵馬のちりを巻き起こす兵乱がうちつづくなか弟たちは遠く隔たっている。私は天の果て遙かにひとりさまよって涙をこぼし、喘ぐのである。
私はここで晩年を多年の病に向ってささげているばかりである。まだつゆちりほども聖天子の御恩に報いたてまつったことはないのである。
家を出て馬にまたがって成都の西郊外に、時時はるかに眺めわたしてみる。人間についての消息が日日にさびしくすがれていくのに堪えられぬ思いだ。


成都関連地図 00
(訳注)
野望

○寶応元年(七六二年)、五十一歳のとき、成都での作。「唐詩選」にもとられている。
○野望 原野にあって眺望する。




西山白雪三城戍,南浦清江萬裡橋。
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。
○西山 雪嶺をいう。
〇三城 松・維・保の三州の城、吐蕃の侵入に対する備えのしろである。648年に都護府を設置している。
○戍 兵をとどめてまもる。
○南浦 浣花渓は成都の南にあたる。
○清江 水のきよいかわ、錦江をいう。
〇万豊橋 草堂の東にある。<万里橋>(ぽんりきょう)
 成都市の市街南部、錦江に架かる。かつて船に乗って東航するときの起点であった。三国時代に蜀の費キ(?~253)が呉に使者として赴くさい、諸葛孔明(181~234)がここまで見送ってくると、費キが「万里の行も此の橋より始まる」といったのにちなみ、「長星橋」から「万里橋」に改名されたとされる。現在は更に改名され「老南門大橋」となっている。


海內風塵諸弟隔,天涯涕淚一身遙。
いま天下には兵馬のちりを巻き起こす兵乱がうちつづくなか弟たちは遠く隔たっている。私は天の果て遙かにひとりさまよって涙をこぼし、喘ぐのである。
○海内 天下。地の果てには崖下に四海がある。
○風塵 兵馬のちりをいう。
○諸弟隔 弟たちは洛陽其の他にある。
○沸涙 自己なみだをもよおすことをいう。
〇一身 自己単独のからだ。


惟將遲暮供多病,未有涓埃答聖朝。
私はここで晩年を多年の病に向ってささげているばかりである。まだつゆちりほども聖天子の御恩に報いたてまつったことはないのである。
○遅暮 晩年をいう。
○涓埃 ひとしずく、ほこり、少しばかりをいう。
○聖朝 聖朝の恩沢をいう。


跨馬出郊時極目,不堪人事日蕭條!
家を出て馬にまたがって成都の西郊外に、時時はるかに眺めわたしてみる。人間についての消息が日日にさびしくすがれていくのに堪えられぬ思いだ。
○郊 西郊。
○極目 十分目をはせてながめる。
○人事 民情のこと、兵乱のために人民が多く凋倣する。
○粛条 さびしいさま。

送韓十四江東省覲 成都5-(7) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2245 杜甫詩1000-460-643/1500

杜甫  送韓十四江東省覲 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(7)) 


2013年4月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



送韓十四江東省覲  成都5-(7) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2245 杜甫詩1000-460-643/1500

詩 題:送韓十四江東省覲 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(7)) 
作 時:761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の460首目-場面5-(7)
杜甫ブログ1500回予定の-643回目   40745
同郷の人韓某がその親を江東の方へ見舞にゆくのを送る詩。上元二年蜀州にあっての作であろう。


送韓十四江東省覲
(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。

今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。

(韓十四が江東に省覲するを送る)
兵戈【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。


『送韓十四江東省覲』 現代語訳と訳註
(本文)

送韓十四江東省覲
兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。


(下し文) (韓十四が江東に省覲するを送る)
兵曳【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。


(現代語訳)
(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。


(訳注)
送韓十四江東省覲

(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
韓十四 其の名は未詳。
○江東 今の江寧の地方。晋代に、現在の江蘇省江寧県の西南に置かれた県。隋代に南京に移され、宋・明以降は府となった。
○省覲 両親におめみえにゆく。省は歸省すること。覲は親に逢うこと。 


兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
○兵戈 安史の乱を指す兵乱をいう。
○老萊衣 老莱子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。老莱子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。『二十四孝』の一人である。中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。


我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
○庭闈 闈は奥むきの小門、庭闈は親のいる奥の場所。杜甫は父を亡くして義母が山東にいる。洛陽の実家に母を迎えたい、そこに杜甫が帰ることをいう。


黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
○黄牛峡 峡名、三峡の一角で西陵峡の末端の部分にある。長江にある三峡のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡夷陵州(今の湖北省宜昌)の西九里にあり、高崖の間に石があって、人が刀を負って牛を牽くがごとくであり、人は黒く牛は黄いろ。
白馬江 崇慶州東北十里にある。蜀州からの出発点と考えられる。歴史地図では確認できていない。


此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。
今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。
○努力 自愛すること。安史の乱が平定されていないのに却って大丈夫か、ということ。
○故郷 洛陽をさすのであろう、韓もまた洛陽の人である。
○同帰 韓とおなじく洛陽にかえること。


題新津北橋棲00(韓十四が江東に省覲するを送る)
兵戈【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。



三峡
三峡とは長江にある三つの峡谷のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡と並び、西は四川省奉節県の白帝城から、東は湖北省宜昌市の南津関まで全長193キロに渡る。


瞿塘峡(くとうきょう)

 奉節県の白帝城から、巫山県の大寧(だいねい)河口まで全長33キロ(うち峡谷部は8キロ).雄大・険峻なことで知られる。両岸には山々の嶺が雲をついてそぴえ立ち、刀で切り取ったような絶壁が連なる。
この峡谷の入口は、両岸の絶壁の高さが数百丈(一丈は3m余り)あるにもかかわらず、川幅は100mに達せず、そそり立つ両岸が門の形をしていることから、夔門といい、古くから「夔門は天下の雄」と讃えられている。


巫峡(ふきょう)

 西は巫山県城東の大寧河口から、東は巴東県の官渡口まで全長約40キロ。山河の秀麗さと華麗な景観は三峡第一。
巫山十二峰が南北両岸に並び、南岸の神女峰の麓には、神女が禹(夏の禹王のこと。伝説の王で治水をした)に書を授けたという、授書台があり、北岸の集仙峰の岸壁には諸葛亮の筆と伝えられる、「重崖畳嶂巫峡」の六文字(孔明碑)が彫られている。


西陵峡(せいりょうきょう)

 巴東県の官渡口から、宜昌県の南津関まで全長約120キロ(うち峡谷は42キロ)。
三峡で最も長い峡谷で風光明媚.兵書宝剣峡、黄牛峡、黄陵廟、三遊洞などの旧跡が点在する。


兵書宝剣峡(へいしょほうけんきょう)

 諸葛亮が兵書を収蔵したところと伝えられる。岩の隙間に本箱を積み重ねたような部分があり、兵書に見立てているが、これは古代巴人の岩棺葬の遺物。またその右下方に細長い岩が突起しており、大きな剣が激流を突き刺すようなイメージがあるため宝剣という。


黄牛峡

 南岸に神人が牛を牽いているような、黄牛山がある。伝説では、前述の禹王が治水を行なった際、土星が神牛に変化して角で高山を割って長江を疎通させ、その姿を絶壁に留めたと伝えられる.


黄陵廟

 旧称を黄牛廟といい、黄牛山の麓にある。山門・禹王殿・武侯祠などが現存し、武侯祠には諸葛亮撰と伝えられる「黄牛廟記」を彫った石碑がある。

寄杜位 成都5-(6) 杜甫 <459>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2240 杜甫詩1000-459-642/1500

寄杜位 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(6)) 


2013年4月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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寄杜位  成都5-(6) 杜甫 <459>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2240 杜甫詩1000-459-642/1500

詩 題:寄杜位 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(6)) 
作時 :761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の459首目-場面5-(6)
杜甫ブログ1500回予定の-642回目  



寄杜位
近聞寬法離新州,想見懷歸尚百憂。
あなたのことは近頃情報が入ってきたが寛容なお裁きで五嶺山脈の向こうの新州であるという。いろいろ想像し心配もしてみて懐かしいし、帰りたいと思うのだ。
逐客雖皆萬裡去,悲君已是十年流!
あなたの家族もみんな追われて旅のそれではるか万里に去って行った。あなたを悲しく思いつつかれこれ10年の歳月が流れたのだ。
干戈況複塵隨眼,鬢發還應雪滿頭。
あれから戦乱は未だに終わらず何処に目をやっても戦争が終わってはいないのだ。鬢も頭髪にももうすでに雪のようなものが頭にいっぱいに載っているようなものだ。
玉壘題書心緒亂,何時更得曲江遊?
いい詩詞を書いて随分たまっているが心の中では戦争のことで落ち着きはしない。いつになったらまたあの曲江での遊宴ができるようになるのだろうか。

寄杜位
近ごろ聞く 寬法により離れて新州にあると,想見して 歸らんと懷えど 尚お百憂あり。
客を逐われ皆萬裡に去ると雖も,君を悲むは已に是れ 十年流る!
干戈【かんか】 況んや複た 塵眼に隨う,鬢發 還た應に 滿頭に雪つ。
玉壘して書を題すは心緒亂れ,何時 更に曲江の遊を得んや?

鸕鷀001













『寄杜位』 現代語訳と訳註
(本文)

近聞寬法離新州,想見懷歸尚百憂。
逐客雖皆萬裡去,悲君已是十年流!
干戈況複塵隨眼,鬢發還應雪滿頭。
玉壘題書心緒亂,何時更得曲江遊?


(下し文) 寄杜位
近ごろ聞く 寬法により離れて新州にあると,想見して 歸らんと懷えど 尚お百憂あり。
客を逐われ皆萬裡に去ると雖も,君を悲むは已に是れ 十年流る!
干戈【かんか】 況んや複た 塵眼に隨う,鬢發 還た應に 滿頭に雪つ。
玉壘して書を題すは心緒亂れ,何時 更に曲江の遊を得んや?


(現代語訳)
あなたのことは近頃情報が入ってきたが寛容なお裁きで五嶺山脈の向こうの新州であるという。いろいろ想像し心配もしてみて懐かしいし、帰りたいと思うのだ。
あなたの家族もみんな追われて旅のそれではるか万里に去って行った。あなたを悲しく思いつつかれこれ10年の歳月が流れたのだ。
あれから戦乱は未だに終わらず何処に目をやっても戦争が終わってはいないのだ。鬢も頭髪にももうすでに雪のようなものが頭にいっぱいに載っているようなものだ。
いい詩詞を書いて随分たまっているが心の中では戦争のことで落ち着きはしない。いつになったらまたあの曲江での遊宴ができるようになるのだろうか。


(訳注)
寄杜位

10年前襄陽の当時一族で出世頭であった杜位に手紙を寄せている。
『杜位宅守歲』
守歲阿戎家,椒盤已頌花。
盍簪喧櫪馬,列炬散林鴉。
四十明朝過,飛騰暮景斜。
誰能更拘束?爛醉是生涯。
・守歲 おおみそかの晩に眠らずに元日の朝を迎えること。
・戎家 中国の五帝時代から戦国時代にかけて、中国の西および北に住んでいた遊牧民族。たびたび中国の歴代王朝に侵入しては略奪をおこなった。大別して西の戎を西戎といい、北の戎を北戎という。
・椒盤 椒酒を進め酒を飲む器季節 新年分類 人事.

その杜位が五嶺山脈を越えて広東の新州に左遷されたという情報がもたらされた。そのことに寄せて返事を寄せたものである。


近聞寬法離新州,想見懷歸尚百憂。
嶺南道圖00あなたのことは近頃情報が入ってきたが寛容なお裁きで五嶺山脈の向こうの新州であるという。いろいろ想像し心配もしてみて懐かしいし、帰りたいと思うのだ。
・寬法 寛大なおとがめ。寛容なお裁き。
・新州 河南省に三国時代に設置された州。新州 (広東省) -南北朝時代に設置された州。南北朝時代、梁により広州より分割設置された。605年(大業元年)、隋朝により廃止され、管轄県は広州に統合された。現在の雲浮市及び江門市一帯に相当する。杜位がいるところは嶺南道東部 新州 新州。


逐客雖皆萬裡去,悲君已是十年流!
あなたの家族もみんな追われて旅のそれではるか万里に去って行った。あなたを悲しく思いつつかれこれ10年の歳月が流れたのだ。


干戈況複塵隨眼,鬢發還應雪滿頭。
あれから戦乱は未だに終わらず何処に目をやっても戦争が終わってはいないのだ。鬢も頭髪にももうすでに雪のようなものが頭にいっぱいに載っているようなものだ。
・干戈 1 武器。また、武力。 2 戦争。
・塵隨眼 どっちを向いても戦争での蒙塵でいっぱいということ。
・鬢發 びんと頭髪。
・雪滿頭 しらがあたま。


玉壘題書心緒亂,何時更得曲江遊?
いい詩詞を書いて随分たまっているが心の中では戦争のことで落ち着きはしない。いつになったらまたあの曲江での遊宴ができるようになるのだろうか。
・玉壘 宝玉をうずたかく積み上げること。
・題書 詩を詠って書として残していること。

進艇 成都5-(1) 杜甫 <454>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2215 杜甫詩1000-454-637/1500

進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(1))  


2013年4月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

進艇  成都5-(1) 杜甫 <454>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2215 杜甫詩1000-454-637/1500

蜀州へ旅をするため出発の前、家族団らんで過ごしたことを述べる。


詩 題:進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(1)) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の454首目-場面5-(1)
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進艇
南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。
俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。

(艇を進める)
南京 久しく客となり 南畝を耕じ,北望して傷神し北窗に坐る。
晝に老妻を引いて 小艇に乘り,晴れるに稚子を看【みは】りて 清江に浴す。
俱に蛺蝶飛び元【はじ】めて相い逐う,並びに芙蓉【ふよう】を蒂び 本【もと】にて自ら雙ぶ。
蔗漿【しゃしょう】を茗飲【めいいん】し便する所を攜え,瓷罌【しおう】謝無くして 玉 缸【こう】と為す。


進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓草堂(1) 現代語訳と訳註
芙蓉33302(本文)
進艇
南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。


(下し文)
(艇を進める)
南京 久しく客となり 南畝を耕じ,北望して傷神し北窗に坐る。
晝に老妻を引いて 小艇に乘り,晴れるに稚子を看【みは】りて 清江に浴す。
俱に蛺蝶飛び元【はじ】めて相い逐う,並びに芙蓉【ふよう】を蒂び 本【もと】にて自ら雙ぶ。
蔗漿【しゃしょう】を茗飲【めいいん】し便する所を攜え,瓷罌【しおう】謝無くして 玉 缸【こう】と為す。


(現代語訳)
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。


(訳注)
進艇
この時代の詩として驚愕の詩である。閨情詩で妻が登場するのが精いっぱいの時代に老妻の手を引いて舟遊びをしたのである。


南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
・南京 成都。756年、安禄山が6月長安を落し、玄宗は途中楊貴妃を見殺し、成都に逃避した。粛宗を起て霊武を行在所とし、成都を南京とした。翌年には長安に帰る。『建都十二韻』○建都 新たに都を建置することをいう、史によると757年至徳二載に蜀郡を南京となし、鳳翔を西京となし、長安を中京となした。758年上元元年九月改めて南都を荊州に置き荊州を以て江陵府となした。759年二年九月鳳翔の西都及び江陵の南都の号をやめたが、762年宝応元年にはまた旧に復した。『建都十二韻』詩は760年上元元年荊州を南都とするときの作である。荊州を南都とするということは時の荊州刺史呂陻なるものの建議に基づく。作者はこれに反対の意見をのべたのである。

建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3)13-#1  杜甫 <399> #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1940 杜甫詩1000-399-582/1500


晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。


俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
・芙蓉 植物の名。 フヨウのこと。とくに蓮と区別するためには「木芙蓉」とも言った。 古くは往々にして蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用された表現である。フヨウと区別するために「水芙蓉」とも。


茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。
・茗 茶の木。お茶。「茗園・茗器」[難読]茗荷(みょうが)
・蔗漿 サトウキビの搾り汁。
・瓷罌 盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器。白磁の場合もある。
・玉為缸 輝くような甕缶。富貴のものの甕。

暮登四安寺鐘樓寄裴十迪 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4- 15) 杜甫 <420> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2045 杜甫詩1000-420-603/1500

暮登四安寺鐘樓寄裴十迪

2013年3月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩美女篇 曹植 魏詩<54-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2043
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性期友人阻雨不至 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-100-36  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2047
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


暮登四安寺鐘樓寄裴十迪 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4- 15) 杜甫 <420> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2045 杜甫詩1000-420-603/1500

詩 題:暮登四安寺鐘樓寄裴十迪 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 15) 
作時761年3月杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の420首目-場面4 – 15
杜甫ブログ1500回予定の-603回目



暮登四安寺鐘樓寄裴十迪
暮倚高樓對雪峰,僧來不語自鳴鐘。
夕暮れになって高楼に上って寄りかかって、遠く西嶺に対すると雪を残した連峰がのぞまれる。寺の僧侶が来て自分で鐘楼で鐘を鳴らせているが一切言葉は話さない。
孤城返照紅將斂,近市浮煙翠且重。
ポツンとしたところに城塞が、西日に照らされて映えている蜀州の紅将軍の軍隊は外での訓練を終えて塞に聚斂している。寺の近くの市場には夕霞がかかってきて緑色が次第に暗くなってくる。
多病獨愁常闃寂,故人相見未從容。
自分の持病がかさなってそのことで一人愁いてさびしい限りである。友人と共に未だにゆったりとできないままでいる。
知君苦思緣詩瘦,太向交遊萬事慵。

君は知っているだろう「苦しい思い」というものは詩を作るということによって痩身になることが心配だし、肝を太くしてこうした交わりあそぼうとは思うのであるが、万事億劫なのが問題なのだ。

暮れ四安寺の鐘樓に登り裴十迪に寄す
暮れ高樓に倚り雪峰に對す,僧來るも自ら鐘鳴るを語らず。
孤城 返照 紅將の斂なり,近市 浮煙 翠且つ重なり。
多病 獨愁 常に闃寂【げきじゃく】たり,故人 相見 未だ從容ならざらん。
君知るや苦思 詩瘦に緣るも,太向して交遊 萬事 慵【しょう】ならん。

題新津北橋棲00
『暮登四安寺鐘樓寄裴十迪』 現代語訳と訳註
(本文)
暮倚高樓對雪峰,僧來不語自鳴鐘。
孤城返照紅將斂,近市浮煙翠且重。
多病獨愁常闃寂,故人相見未從容。
知君苦思緣詩瘦,太向交遊萬事慵。


(下し文)
暮れ四安寺の鐘樓に登り裴十迪に寄す
暮れ高樓に倚り雪峰に對す,僧來るも自ら鐘鳴るを語らず。
孤城 返照 紅將の斂なり,近市 浮煙 翠且つ重なり。
多病 獨愁 常に闃寂【げきじゃく】たり,故人 相見 未だ從容ならざらん。
君知るや苦思 詩瘦に緣るも,太向して交遊 萬事 慵【しょう】ならん。


(現代語訳)
夕暮れになって高楼に上って寄りかかって、遠く西嶺に対すると雪を残した連峰がのぞまれる。寺の僧侶が来て自分で鐘楼で鐘を鳴らせているが一切言葉は話さない。
ポツンとしたところに城塞が、西日に照らされて映えている蜀州の紅将軍の軍隊は外での訓練を終えて塞に聚斂している。寺の近くの市場には夕霞がかかってきて緑色が次第に暗くなってくる。
自分の持病がかさなってそのことで一人愁いてさびしい限りである。友人と共に未だにゆったりとできないままでいる。
君は知っているだろう「苦しい思い」というものは詩を作るということによって痩身になることが心配だし、肝を太くしてこうした交わりあそぼうとは思うのであるが、万事億劫なのが問題なのだ。


(訳注)
暮登四安寺鐘樓寄裴十迪

夕暮れになって四安寺の鐘樓に登って十番目の友である裴迪君に寄せる詩である。
・この詩は“杜甫『題新津北橋樓得郊字』成都(4部)浣花渓の草堂(4- 14)杜甫<419>”で宴席に同席した友人の裴迪と夕暮れのひと時を愉しんだものである。
・裴迪 詩人であり、王維の親友である。王維の弟王潜の所に来ていた。王維と数年かけて輞川集をつくる。

王維 罔川集 20

和裴迪登新津寺寄王侍郎 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(3 -6)  杜甫 <388 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1879 杜甫詩1000-388-569/1500

王維 『口號又示裴迪』


暮倚高樓對雪峰,僧來不語自鳴鐘。
夕暮れになって高楼に上って寄りかかって、遠く西嶺に対すると雪を残した連峰がのぞまれる。寺の僧侶が来て自分で鐘楼で鐘を鳴らせているが一切言葉は話さない。
・高樓 四安寺の鐘樓
・雪峰 蜀盆地を取り囲むまだ雪を残した連山、西嶺(西山)を望んだのである。

泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#1)  杜甫 <394-#1 五言古詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1903 杜甫詩1000-394-575/1500

出郭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -9)  杜甫 <397 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1915 杜甫詩1000-397-578/1500

『出郭』
霜露晚淒淒,高天逐望低。
遠煙臨井上,斜景雪峰西。
故國猶兵馬,他鄉亦鼓鼙。
江城今夜客,還與舊烏啼。


孤城返照紅將斂,近市浮煙翠且重。
ポツンとしたところに城塞が、西日に照らされて映えている蜀州の紅将軍の軍隊は外での訓練を終えて塞に聚斂している。寺の近くの市場には夕霞がかかってきて緑色が次第に暗くなってくる。


多病獨愁常闃寂,故人相見未從容。
自分の持病がかさなってそのことで一人愁いてさびしい限りである。友人と共に未だにゆったりとできないままでいる。
・闃寂 ひっそりと静まり、さびしい さま。。
・従容 ゆったり。『宣政殿退朝晚出左掖』「侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。」


知君苦思緣詩瘦,太向交遊萬事慵。
君は知っているだろう「苦しい思い」というものは詩を作るということによって痩身になることが心配だし、肝を太くしてこうした交わりあそぼうとは思うのであるが、万事億劫なのが問題なのだ。
・慵 おっくうである。
nat0017

恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10)  杜甫 <398> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1919 杜甫詩1000-398-579/1500

恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10) 



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恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10)  杜甫 <398> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1919 杜甫詩1000-398-579/1500

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恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10)  杜甫 <398> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1919 杜甫詩1000-398-579/1500 

詩 題:恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の398首目-#3 -10
杜甫ブログ1500回予定の-579回目    
成都第三部の詩は、杜甫が成都草堂、浣花渓での生活に慣れてきて、友人や、戦況の情報を得るため行動している中で作った詩である。杜甫が暇を持て余して作る詩の定番、①弟、②戦況を題材にしたものである。


恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。

先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

(別を恨む)
洛城で一別して四千里はなれた、胡騎【こき】は長駆【ちょうく】して五六年になる。
草木は変衰【へんすい】し剣外に行き、兵戈【へいか】阻絶【そぜつ】して江辺に老ゆ。
家を思い月に歩して清宵【せいしょう】に立ち、弟を憶い雲を看て白日に眠る。
聞道【きくな】らく河陽近ごろ勝に乗ずと、司徒急に為に幽燕を破れ。





『恨別』 現代語訳と訳註
(本文)
恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。


(下し文)
(別を恨む)
洛城で一別して四千里はなれた、胡騎【こき】は長駆【ちょうく】して五六年になる。
草木は変衰【へんすい】し剣外に行き、兵戈【へいか】阻絶【そぜつ】して江辺に老ゆ。
家を思い月に歩して清宵【せいしょう】に立ち、弟を憶い雲を看て白日に眠る。
聞道【きくな】らく河陽近ごろ勝に乗ずと、司徒急に為に幽燕を破れ。


(現代語訳)
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

草堂002

(訳注)
恨別

故郷の弟、義母家族と別れて随分経過している。それもこれも、安禄山の叛乱が起こったためなのだ。久しいのを恨んでつくった。
760年上元元年 秋49歳
このとしの四月、国軍側の朔方節度使李光弼(りこうひつ)が反乱軍史思明を河陽(河南省孟県)で破りました。河陽は杜甫の生地鞏県(きょうけん)に近いところです。秋になって、その報せが杜甫の耳に届きます。
758年秋に家族を詠っている。
得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289

憶弟二首其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 290

憶 弟 二首 其二(弟を憶う 二首其二) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 291


洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
○洛城 洛陽城。官を辞することを決めたのは、華州から洛陽、鞏州と友人に相談し、決意したからこういう。
○四千裡 400里は計算上では2300kmになるが実際には半分の1200km程度である。詩は計算上の数値とは関係ない。杜甫は洛陽・華州から秦州までを2000里、秦州から成都までを2000里合わせて4000里といったのだ。
○胡騎 安史軍の騎兵。 このブログでは賊軍・官軍という語は使用しない。安史の乱はそう単純なとらえ方では説明がつかないからである。
〇五六年 天宝末安禄山の乱 (755年11月5日-760年満6年になる。)が起こって、上元元年までで6年である。


草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
○草木変衰 宋玉の「九辨」の語、変衰とは色がかわりおとろえること、秋の時節をいう。物寂しい秋風の吹くさま。宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。
○剣外 剣門の外、は蜀をさす。剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。
杜甫『剣門』
三皇五帝前,雞犬莫相放。後王尚柔遠,職貢道已喪。
至今英雄人,高視見霸王。幷呑與割據,極力不相讓。
吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。恐此複偶然,臨風默惆悵。
○阻絶 中間の道路をへだてられること。
○江辺 錦江のほとり。

剣門関01

思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
○思家・憶弟 家と弟とは洛陽及び其の東方に在る。


聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。
○河陽近東勝 上元元年三月に李光粥は賊の安太清を懐州城下に破り、夏四月にはまた史思明を河陽の西渚に破った。
○司徒 李光瑞をいう、至徳二載李光覇は検校司徒となった。
○幽燕  幽州と燕州、ともに河北省の北部で安史軍の根拠地である。



成都第三部の詩は、杜甫が成都草堂、浣花渓での生活に慣れてきて、友人や、戦況の情報を得るため行動している中で作った詩である。杜甫が暇を持て余して作る詩の定番、①弟、②戦況をだいざいにしたものである

題壁上韋偃畫馬歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -17-1)  <380> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1839 杜甫詩1000-380-559/1500

題壁上韋偃畫馬歌 杜甫


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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題壁上韋偃畫馬歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -17-1)  <380> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1839 杜甫詩1000-380-559/1500


詩 題:題壁上韋偃畫馬歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -17-1) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の380首目-#2 -17-1
杜甫ブログ1500-559回目
(壁上の韋偃が画馬に題する歌)
韋偃が旅行しょうとするとき馬を画いてくれた、それを壁上にかけてみて、これに題した詩。


題壁上韋偃畫馬歌
韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
韋偃どのはわたしに別れをつげてどこかへよい所へ行こうとしている、わたしは彼の絵を愛し、彼が絵画では匹敵するものなど無い名人であることでみとめている、ということを彼は知っているのだ。
戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
だから、かれはわたしのために、戯れに使い慣れて禿げ、欠けている筆をひねって驊騮のさまをかきなぐってくれると、たちまち、東壁の上に騏驎の名馬があらわれ、飛び出るかのようなものを見るのである。
一匹吃草一匹嘶,坐看千裡當霜蹄。
その絵の一匹は草を食べており、一匹は嘶いているのだ。そして、引き続いてみていくと、いまちょうど霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴って千里の地に向かう姿がそのまま見られるのである。 
時危安得真致此,與人同生亦同死?
いま唐王朝が滅亡させられる危険性を持っているとわたしは危惧しているので、この名馬を招きよせ、与えてあげたら、乗り手といっしょに戦場を走らせ、生死をともにすることができないものだろうか、安寧を得るためにどうにかしてそうしてみたいものである。
(壁上の韋偃が画馬に題する歌)
韋侯我に別れて適く所有り、我が渠が画の敵無きを憐れむを知る。
戯れに禿筆【とくひつ】を拈【ひね】りて驊騮【かりゅう】を掃う、欻【たちま】ち見る騏驎【きりん】の東壁【とうへき】に出づるを。
一匹は草を吃【か】み一匹は噺く、坐に看る千里霜蹄【そうてい】に当たるを。
時危くして安んぞ兵に此れを致して、人と生を同じくし亦死を同じくするを得ん。

終南山03

『題壁上韋偃畫馬歌』 現代語訳と訳註
(本文)
題壁上韋偃畫馬歌
韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
一匹吃草一匹嘶,坐看千裡當霜蹄。
時危安得真致此,與人同生亦同死?


(下し文) (壁上の韋偃が画馬に題する歌)
韋侯我に別れて適く所有り、我が渠が画の敵無きを憐れむを知る。
戯れに禿筆【とくひつ】を拈【ひね】りて驊騮【かりゅう】を掃う、欻【たちま】ち見る騏驎【きりん】の東壁【とうへき】に出づるを。
一匹は草を吃【か】み一匹は噺く、坐に看る千里霜蹄【そうてい】に当たるを。
時危くして安んぞ兵に此れを致して、人と生を同じくし亦死を同じくするを得ん。


(現代語訳)
韋偃どのはわたしに別れをつげてどこかへよい所へ行こうとしている、わたしは彼の絵を愛し、彼が絵画では匹敵するものなど無い名人であることでみとめている、ということを彼は知っているのだ。
だから、かれはわたしのために、戯れに使い慣れて禿げ、欠けている筆をひねって驊騮のさまをかきなぐってくれると、たちまち、東壁の上に騏驎の名馬があらわれ、飛び出るかのようなものを見るのである。
その絵の一匹は草を食べており、一匹は嘶いているのだ。そして、引き続いてみていくと、いまちょうど霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴って千里の地に向かう姿がそのまま見られるのである。 
いま唐王朝が滅亡させられる危険性を持っているとわたしは危惧しているので、この名馬を招きよせ、与えてあげたら、乗り手といっしょに戦場を走らせ、生死をともにすることができないものだろうか、安寧を得るためにどうにかしてそうしてみたいものである。


(訳注)
題壁上韋偃畫馬歌

○韋偃 馬を画くことを以て有名であった。京兆の人。蜀に移り住んで絵を描いた。韋偃の寓居を訪問した時の詩である。


韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
韋偃どのはわたしに別れをつげてどこかへよい所へ行こうとしている、わたしは彼の絵を愛し、彼が絵画では匹敵するものなど無い名人であることでみとめている、ということを彼は知っているのだ。
○韋侯 侯は敬称、韋偃をさす。
○有所適 絵の題材のあるどこかへ旅行しょうとすること。
○渠 韋偃をさす。


戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
だから、かれはわたしのために、戯れに使い慣れて禿げ、欠けている筆をひねって驊騮のさまをかきなぐってくれると、たちまち、東壁の上に騏驎の名馬があらわれ、飛び出るかのようなものを見るのである。
○拈 取り弄ぶことをいう。
○禿筆 使い慣れて禿げ、欠けている筆
○掃 かきなぐること。
○驊騮 駿馬。
○欻 忽ち。
○騏驎 千里の馬。


一匹吃草一匹嘶,坐看千裡當霜蹄。
その絵の一匹は草を食べており、一匹は嘶いているのだ。そして、引き続いてみていくと、いまちょうど霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴って千里の地に向かう姿がそのまま見られるのである。 
千里 千里の遠地。
當霜蹄 霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴ることをいう。霜蹄とは秋のひづめで、秋には馬はことに元気がよいという説明もできるが、絵の説明にはならない。当は大地と空、千里の彼方に対して言うもので、絵の表現を詩的表現をうまくしているものである。ここの部分の解釈をうまくしている訳注はない。秋の蹄の目が行き過ぎているからで、杜甫は動的にこれらをとらえているのである。『杜詩』岩波文庫・鈴木虎雄黒川洋一訳注ではこの句を「時間のうえでぶっつかる意であろう、ちょうどいま霜蹄で踏みつつあることをいう。或は適当する、霜蹄にふさわしいという意にもみられよう。」杜甫と絵の感覚の理解力がないということである。
「秋の蹄が元気が良い」ではなく千里を掛ける馬の脚元の霜の降りた大地にあたる、その大地を蹴って千里馬が大空に飛びあがるということなのである。


時危安得真致此,與人同生亦同死?』
いま唐王朝が滅亡させられる危険性を持っているとわたしは危惧しているので、この名馬を招きよせ、与えてあげたら、乗り手といっしょに戦場を走らせ、生死をともにすることができないものだろうか、安寧を得るためにどうにかしてそうしてみたいものである。
〇時危 時世が安穏でない。安史軍に唐王朝が滅亡させられる危険性を持っていると危惧している。
○安得 希望の辞。
○真致此 真はこれが真実ならば。此は下句を指すもので、この馬と生死を共に戦場を走らせるということ。致はそのようにできたら安史軍を掃討できる。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -11) 所思 杜甫 <374>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1803 杜甫詩 1000- 550

所思 杜甫 <374>

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -11) 所思 杜甫 <374>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1803 杜甫詩 1000- 550

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -11) 所思
作時760年5月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の374首目-#2 -11
杜甫ブログ1500-550回目

朝廷で一緒に机を並べた人のことを思い出して作る。杜甫は成都草堂の平穏な生活の中で余裕が出てきたようだ。760年上元二年9月の作。


所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。

しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。

(所 思)
苦【はなは】だ憶ふ荊州醉の司馬、謫官【たくかん】樽酒【そんしゅ】定めて常に開かん。
九の江に日落ちて醒むること何れの處ぞ、一柱の觀頭 眠ること幾回ぞ。
憐む可し懐抱【かいほう】人に向つて盡す、平安を問はんと欲すれども使の來たる無し。
故に錦水に憑り雙涙【そうるい】を將【も】ちゆかしむ、好く瞿塘【くとう】の灩預堆【えんよたい】を過らん。


草堂002



『所思』 現代語訳と訳註
(本文)
所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。


(下し文)
(所 思)
苦【はなは】だ憶ふ荊州醉の司馬、謫官【たくかん】樽酒【そんしゅ】定めて常に開かん。
九の江に日落ちて醒むること何れの處ぞ、一柱の觀頭 眠ること幾回ぞ。
憐む可し懐抱【かいほう】人に向つて盡す、平安を問はんと欲すれども使の來たる無し。
故に錦水に憑り雙涙【そうるい】を將【も】ちゆかしむ、好く瞿塘【くとう】の灩預堆【えんよたい】を過らん。


(現代語訳)
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。


(訳注)
所思
○所思 朝廷で一緒に机を並べた人のことを思い出して作る。杜甫は成都草堂の平穏な生活の中で余裕が出てきたようだ。760年上元二年9月の作。


苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
○酔司馬 崔司馬のこと。《原注:崔吏部漪》原注によれば吏部の某官であった崔漪をいう、漪は平涼節度使杜鴻漸の判官としてかつて粛宗の中興についてはかる所があったという、のち吏部に用いられてさらに刑州へ司馬としてながされたものと思われる。酔とは酒ずきでいつもよっていることをいう。
〇滴官 罪せられ流された官吏として。


九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
〇九江 洞庭のことであるという、洞庭には玩・漸・沅・辰・叙・酉・灃・資・湘の九江水が流入する。今の江西省の九江では剤州と地理があわない。
○醒 さめることであるが、さめるのは酔後のことゆえじつは酔うことをいう。
〇一柱観 松滋県の東、丘家湖の中にあるという、むかし宋の臨川王劉義慶が、荊州の長官であったとき羅公洲に大きな観(てら)を立ててただ一本の柱を用いたという、剤州の名所をあげたものである。観は道教の寺。


可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
○懐抱 杜甫がおもいいだくこと。こころ。
〇人 司馬をさすのであろう、或はいう向人とは他人にむかって崔の消息をとうことであるとも考えられる。


故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。
○錦水 錦江をいう。
○将 もちゆかせること。
○双涙 左右の眼からでるなみだ。
○瞿塘灩預堆 雀唐は暁の名、四川省憂州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。

野老 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) <373>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549

野老 杜甫 <373>


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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) 野老 杜甫 <373>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 700- 549 

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) 野老
作時760年7月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の373首目-#2 -10
杜甫ブログ1500-549回目




杜甫の草堂はこの地はもともと湿地であったために「Uの字型」に蛇行する錦江の内側であり、見方によれば南北も川であるともいえる地点であった。
草堂時代の杜甫の詩をいくつか総合してみると、草堂は錦江の西岸にあり、錦江がUの字型に蛇行するその内側に位置していたのではないかと思われる。
『卜居』(居を卜す)
「浣花溪水水西頭、主人為卜林塘幽。」(浣花渓水 水の西頭、主人は為に卜(ボク)す 林塘の幽なるを。)
とあり、西頭は西側の意味だから、住まいを定めたのは浣花渓の西側と読める。蛇行する錦江に村全体が大きく包まれ、とくに草堂付近はその湾曲部(浣花渓)にあったことがわかる。
・『田舍』
「田舍清江曲、柴門古道旁。」(田舎は清江の曲(くま)、柴門は古道の旁(かたわら)) 
・『江村』、
「清江一曲抱村流、長夏江村事事幽。」(清江 一曲 村を抱きて流れ、長夏 江村 事事に幽なり)
清江は錦江のことで、柴門は杜甫の草堂の粗末な門のこと。
・『野老』、
「野老籬邊江岸迴、柴門不正逐江開。」(野老の籬(まがき)の辺には 江岸迴(めぐ)り、柴門は正しくあらず 江を逐(お)いて開く )
ということで地点的にはかなり明確になってきた。

江畔独歩尋花












野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。

(野 老)
野老の籬邊【れへん】江岸【こうがん】迴【めぐ】る、柴門正しからず江を逐うて開く。
漁人の網は澄みたる潭に集まりて下り、估客【こかく】の船は返照に随って来たる。
長路 心に関るは劍閣を悲しみ、片雲 何の意ぞ琴台に傍うは。
王師 未だ報ぜず東郡を収むるを、城闕【じょうけつ】 秋は生じて画角【がかく】哀【かな】し。


『野老』 現代語訳と訳註
(本文)
野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。


(下し文)(野 老)
野老の籬邊【れへん】江岸【こうがん】迴【めぐ】る、柴門正しからず江を逐うて開く。
漁人の網は澄みたる潭に集まりて下り、估客【こかく】の船は返照に随って来たる。
長路 心に関るは劍閣を悲しみ、片雲 何の意ぞ琴台に傍うは。
王師 未だ報ぜず東郡を収むるを、城闕【じょうけつ】 秋は生じて画角【がかく】哀【かな】し。


(現代語訳)
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。


(訳注)
野老
野老 田野の老人、杜甫を指す。 


野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
○江岸 邊江は錦江、過はまがっておることをいう、「清江一曲村ヲ抱キテ流ル」(「江村」)の高とおなじ。 
○不正 中國の家は南北を基準にし、門は東西南北に家と平行に作っている。それが江岸がまがっているので籬や門の形も家に対して平行、ー直線でないことをいう。 
○逐江 江のまがったすがたにしたがっての意。小川ではないから直線に近いが家に対して平行ではなく、川に随ったということ。この表現を自分の思っていたものと違う厭なことだととらえるか、これもまた風流につってくれたときにっているのか、よく見られる注釈では前者と見る向きが多いが、これは後者で間違いなく気に入っているのである。したがって、「門を曲がって作られた」と訳してはいけない。「つくった」と訳すべきである


漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
○澄潭 水のすんでいる淵、蛇行する河川に淵はいたるところに出来上がる。おおきなひろい百花潭をさしていうだけでなく、杜甫の家の前の、近くの淵である。 
〇估客 商人をさす。 成都の街に來る商人である。
○随返照来 返照は夕日のてりかえし、返照に随って来るとは舟を泊そうとの気持からして来ること。このことで杜甫の家の門は西向きであったというのがわかる。又この景色を気に入っているものと思える。日がな一日船の往来を眺めている杜甫の姿が見えるようである。


長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
○長路 華州、秦州、同谷から成都の西へ遠い道を旅をしたことをいう。 
○関心 気にかかること。 
○悲剣閣 剣閣によって隔てられることを悲しむこと。 
○片雲 此の句は叙景にして兼ねて自己もこの成都に来たという身況をたとえている、片雲は、はぐれ雲。 
○琴台 司馬相如の故跡、作者には別に「琴台」(本書にはとらぬ)の作がある。相知がまだ若くて貧乏であったころ、成都の金持の卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところ、文君は夜家を逃げ出して相如のもとに走ったという。台は浣花渓の東に成都の西部分にある。花街は西側白門にあるもの。 


王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。
○王師 唐王朝軍。 
○収東郡 東郡は洛陽以東の諸郡をさす。乾元二年九月に東京及び済・汝・鄭・滑の四州が皆賊に陥り、上元元年六月、田神功が史思明の兵を鄭州に破ったが、東京の諸郡はまだ収復されるにはいたらなかった。 
○城闕 成都の城闕、闕は宮門についていうことばであるが、成都は至徳二年に南京とされ、第二の都としての取りあっかいを受けていた。特に安禄山の乱の折り、前皇帝の玄宗の逃避先であった。 
○秋生 秋になること。○画角哀 画き飾った角ぶえの音がかなしい。


杜甫の浣花草堂は、個人的な園林作りの一環として見直すことができる。規模的には、一千五百坪程度であったと思われ、池や築山や亭などを完備した白居易の園林などとは比べようもないが錦江をめぐる環境はその代りとなった。草堂作りへの情熱、精神生活の中での草堂の位置づけ、詩作との関わりなど、草堂と個人の精神の有り様としては、両者には通じるものがある。
成都において叛乱がなかったら、東都が安史軍に陥落されていなかったら、吐蕃の動向が杜甫を不安がらせなかったら、白居易のように高級官僚でなくとも権力に近い関係が維持されていたら、浣花渓を離れることはなかったことであろう。もしそうであれば、夔州においての人生1/3の量にもあたる詩を書けたであろうか論じても仕方のない問題である。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 江村 杜甫 <371>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547

江村 杜甫 <371>

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 江村 杜甫 <371>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 江村
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の371首目 2部-8首目
杜甫ブログ1500-547回目


杜甫「江村」 この詩は、杜甫が成都へ辿り着いて、 知人たちの援助で草堂を建て、18作目、安定した生活を送っている時期である。詩からは悲哀官は消滅し、穏やかな生活が詠われている。
成都に着き草堂も完成したある日8km位のところにある諸葛亮孔明の武侯祠を訪ねて作った詩であり、心のゆとりを感じさせてくれるようになった。

草堂の位置的考察(順次地図に関係地を示していく)
草堂は錦江の西岸にあり、錦江がコの字型に蛇行するその内側に位置していたのではないかと思われる。
『_居を卜す』の詩に、
「浣花溪水水西頭、主人為卜林塘幽。」
(浣花渓水 水の西頭、主人は為に卜(ボク)す 林塘の幽なるを)
とあり、西頭は西側の意味だから、住まいを定めたのは浣花渓の西側と読める。「東岸」よりも「西岸」の方がつじつまが合う。以下の四首はみな草堂作りの一年目の夏から秋にかけて草堂を舞台に近辺の出来事を詠じた詩である。それらの詩から蛇行する錦江に村全体が大きく包まれ、とくに草堂付近はその湾曲部(浣花渓)にあったことがわかる。『_田舍』詩に、
「田舍清江曲、柴門古道旁。」 
(田舎は清江の曲(くま)、柴門は古道の旁(かたわら)
といい、この詩『_江村』詩に、
「清江一曲抱村流、長夏江村事事幽。」 
(清江 一曲 村を抱きて流れ、長夏 江村 事事に幽なり
という。清江は錦江のことで、柴門は杜甫の草堂の粗末な門のこと。
これらから草堂に位置を図示すると以下のとおりである。
成都 浣花峡000
(ブログの記事の内容により順次関係地点を図示していくこととする。)


江村       杜甫
淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。
清らかな川の大きなひとまがりがこの村を抱きかかえるように流れている。夏の日は長く川にかこまれた村は、万事何事にもひっそりと静かな佇まいである。 
自去自來梁上燕,相親相近水中鴎。
軒の梁の上に巣をつくるツバメの親子は、自由に、自然に行ったり来たりしている。川の中ほどの水鳥は、親子家族で親しみ寄りそってくる。
老妻畫紙爲棊局,稚子敲針作釣鈎。
年は取ってきたが愛妻はツバメの巣作り良い利口な紙に線を引いて碁盤を作っている。幼いこどもはというと、鴎に対抗して縫い針をたたいて釣り針を作っている。
但有故人供禄米,微躯此外更何求。
有りがたいことに禄米を送ってくれる旧友もあるのだ、取るに足らない我が身が、このほかこれ以上の何を求めるというのか。 


『江村』 現代語訳と訳註
(本文)

淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。
自去自來梁上燕,相親相近水中鴎。
老妻畫紙爲棊局,稚子敲針作釣鈎。
但有故人供禄米,微躯此外更何求。
<多病所須唯藥物>


(下し文)江村
清江一曲 村を抱きて流れ,長夏江村 事事幽なり。
自ら去り自ら來る梁上の燕,相ひ親しみ相ひ近づく水中の鴎。
老妻は紙に画して棊局【ききょく】を 爲し,稚子は針を敲【たた】きて釣鈎【てうこう】を 作る。
但だ故人の禄米を供する有り,微躯【びく】此の外に更に 何をか 求めん。
多病須つ所は唯だ薬物のみ


(現代語訳)
清らかな川の大きなひとまがりがこの村を抱きかかえるように流れている。夏の日は長く川にかこまれた村は、万事何事にもひっそりと静かな佇まいである。 
軒の梁の上に巣をつくるツバメの親子は、自由に、自然に行ったり来たりしている。川の中ほどの水鳥は、親子家族で親しみ寄りそってくる。
年は取ってきたが愛妻はツバメの巣作り良い利口な紙に線を引いて碁盤を作っている。幼いこどもはというと、鴎に対抗して縫い針をたたいて釣り針を作っている。有りがたいことに禄米を送ってくれる旧友もあるのだ、取るに足らない我が身が、このほかこれ以上の何を求めるというのか。
 
<多くの病気を抱えるわたしが必要とするものは、ただ薬である。> 
鸕鷀001

(訳注)
江村

川が蛇行している中州の中に有るような村。 
此の詩の題材は『竹枝詞』を意識している、「自去自來梁上燕」「相親相近水中鴎」という軽い表現は竹枝そのものである。紀頌之の≪唐五代詞・宋詩 花間集 漢文委員会≫に掲載の詩詞に多く出る。


淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。
清らかな川の大きなひとまがりがこの村を抱きかかえるように流れている。夏の日は長く川にかこまれた村は、万事何事にもひっそりと静かな佇まいである。 
・淸江 清らかな川の流れ。 
・一曲 川などのひとまがり。ひとすみ。一部分。 
・抱 いだく。かかえる。両手で抱(かか)え持つ。とりこむ。胸に抱(いだ)く。図を参照。
・長夏 旧暦五月のことで、現在の六月後半から八月前半の真夏の季節。夏の長い日。 
・事事 事ごとに。どの事にも。何事にも。万事。
・幽 かすか。くらい。ほのか。奥深い。隠棲を表現する語。


自去自來梁上燕、相親相近水中鴎。
軒の梁の上に巣をつくるツバメの親子は、自由に、自然に行ったり来たりしている。川の中ほどの水鳥は、親子家族で親しみ寄りそってくる。
・自去自來 自然と行ったり来たりする。 
・梁上燕 梁の上の(つがいの)ツバメ。夫婦仲がいつまでもよいことの喩え。ツバメの常套語であるため他の表現法はない。
・相親相近 親しみ近づいてくる。親子家族で親しみ寄りそってくる。 
・水中鴎 川の水の上を飛ぶ鴎や鷺に似た白い水鳥。「水上鴎」だと飛んでいることにもなり、夫婦親子の表現はむつかしいことで、「水中鴎」とするのは、目に入るカモメの周りが水面であること、川の中ほどで仲良くしている光景を頭に浮べると「水中鴎」の方が断然いいことがわかることを示す詩的表現である。これを文法的にこじつける向きもあるが間違い。
この梁上燕と水中鴎が、七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】の頸聯の老妻と稚仔に対応させていて面白いのである。この時代にこのような家族に対する愛情を持った表現は他に類を見ないものである。


老妻畫紙爲棊局、稚子敲針作釣鈎。
年は取ってきたが愛妻はツバメの巣作り良い利口な紙に線を引いて碁盤を作っている。幼いこどもはというと、鴎に対抗して縫い針をたたいて釣り針を作っている。 
・老妻 古女房。年は取ってきたが愛妻。ツバメやカモメより親として知的な表現が必要であることからこの聯はできている。 
畫紙 紙に画(えが)く。紙に線を引く。 「畫紙」は碁盤(将棋盤)の面に「線を引く」
・棊局 碁盤。
稚子 おさないこども。幼児。 
・敲針 縫い針をたたく。敲:〔こう〕たたく。うつ。とんとんたたく。 
・釣鈎 釣り針。子供の行為はカモメが水中で魚を取ることに対応して子供が釣り針を作る。そう考えるとこの詩はとても楽しい素晴らしい詩であることがわかる。


但有故人供禄米、微躯此外更何求。
有りがたいことに禄米を送ってくれる旧友もあるのだ、取るに足らない我が身が、このほかこれ以上の何を求めるというのか。 
・但有故人供禄米 杜甫は律詩や絶句を手紙として作っている。杜甫の詩の理解者の知人に援助を要請する際、最も有効な手段である。逆に考えれば、援助に対してお礼を詩で行う。相手からすると、家宝となるもの、他人に見せて自慢する種になるものである。
・微躯 (謙遜表現)我が身。取るに足らない我が身。小生。 
此外 このほか。これ以外。ここでは、「藥物」意外に、の意。 
 この上。その上に。 
何求 何を求めようか。何も求めない。
此の詩は、下の「多病」の句より「但有故人供禄米」の方が断然いい。わたしは杜甫を悲観的な人物と撮っていないということもあるが、「多病」の句はただ単に謙遜しているだけであり中国人気質といえるかもしれないが人間的に小さい。


<多病所須唯藥物> 他本、ほとんどこの句になっているが、これではよくない。
多くの病気を抱えるわたしが必要とするものは、ただ薬である。 
・多病 病(やまい)がち。体が弱くよく病気をすること。 
所須 もとめるもの。必要とするところのもの。 
 …ところのもの。…ところのこと。動詞の前に置き、動詞を名詞化する。 
・須 需(もと)める。待つ。用いる。 
・唯 ただ…だけ。 
・藥物 くすりとなるもの。薬。秦州ではことのほかラッキョウを30束もらったことをとても喜んだ。ここでいう薬とはこの次元のものである。
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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫 杜甫 <369>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1783 杜甫詩 1000- 545

狂夫 杜甫

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫 杜甫 <369>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1783 杜甫詩 1000- 545
 
詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の369首目 -2-6
杜甫ブログ1500-545回目
自己の狂態をあざけって作った詩。良い句ができればたとえ食べなくてもいいという詩人としての矜持を表現している。
760年上元元年  49歳

杜甫369 狂 夫(万里橋西一草堂)
 杜甫は錦江のほとりに住んだのだが、草堂を築いた錦江に濯錦江が注ぎ込むあたりの一角を杜甫はみずから浣花渓と呼んだ。杜甫はこの「花を浣(あら)う」という言葉がとても気に入ったらしく、「浣花の渓」の他にも「浣花の村」「浣花の老翁」「浣花の橋」「浣花の草堂」「浣花の竹」など多くのバリエーションをもって詩の中に歌い込んでいる。
 この名もない小さな橋についても杜甫が精神的に安定し、身近なものへ命名し、それを詩の中に詠んでいったのである。
諸葛亮孔明が費褘を見送りをした万里橋


狂  夫
万里橋西一草堂、百花潭水即滄浪。
万里橋の西の方に一戸の草堂がある。そばを流れて行くと百花潭があり、その水はすなわち自分にとって「滄浪の水」ともいうべきふさわしい隠退の場所なのである。
風含翠篠娟娟浄、雨裛紅蕖冉冉香。
みどりの篠竹林に風は吹きこみ、風を含んで美しく浄らかであり、紅の蓮の花は小雨に濡れて色濃く鮮やかになり、その香を漂わしてくる。
厚禄故人書断絶、恒飢稚子色凄涼。
気になっていることは、大官となった旧友からの手紙は近ごろは、すっかり途絶えていることであり、それにいつも腹を減らしている子供らの顔色がいたましいことである。
欲填溝壑惟疎放、自笑狂夫老更狂。

こんなわけでわたしは溝や谷に落ちて野垂死になるというのに、そんなことはお構いなしに暮らしている。もともとこれしかないほど狂おしい自分が、老いてますます理想に向かってまっしぐらに進む「狂」の者であることを、われながらおかしく思うのである。

万里橋の西に一の草堂あり、百花潭水【たんすい】にして 即ち滄浪【そうろう】たり。
風は翠篠【すいじょう】を含み娟娟【けんけん】として浄く、雨は紅蕖【こうきょ】を裛【うるお】して冉冉【ぜんぜん】として香し。
厚禄【こうろく】の故人は書をして断絶【だんぜつ】したり、恒飢の稚子【ちし】は色をして凄涼なり。
溝壑【こうがく】に填【てん】せむと欲して惟【た】だ疎放【そほう】なり、自ら笑う 狂夫【きょうふ】 老いて更に狂なるを。

孟浩然詩00

『狂  夫』 現代語訳と訳註
(本文)
万里橋西一草堂、百花潭水即滄浪。
風含翠篠娟娟浄、雨裛紅蕖冉冉香。
厚禄故人書断絶、恒飢稚子色凄涼。
欲填溝壑惟疎放、自笑狂夫老更狂。


(下し文)
万里橋の西に一の草堂あり、百花潭水【たんすい】にして 即ち滄浪【そうろう】たり。
風は翠篠【すいじょう】を含み娟娟【けんけん】として浄く、雨は紅蕖【こうきょ】を裛【うるお】して冉冉【ぜんぜん】として香し。
厚禄【こうろく】の故人は書をして断絶【だんぜつ】したり、恒飢の稚子【ちし】は色をして凄涼なり。
溝壑【こうがく】に填【てん】せむと欲して惟【た】だ疎放【そほう】なり、自ら笑う 狂夫【きょうふ】 老いて更に狂なるを。


(現代語訳)
万里橋の西の方に一戸の草堂がある。そばを流れて行くと百花潭があり、その水はすなわち自分にとって「滄浪の水」ともいうべきふさわしい隠退の場所なのである。
みどりの篠竹林に風は吹きこみ、風を含んで美しく浄らかであり、紅の蓮の花は小雨に濡れて色濃く鮮やかになり、その香を漂わしてくる。
気になっていることは、大官となった旧友からの手紙は近ごろは、すっかり途絶えていることであり、それにいつも腹を減らしている子供らの顔色がいたましいことである。
こんなわけでわたしは溝や谷に落ちて野垂死になるというのに、そんなことはお構いなしに暮らしている。もともとこれしかないほど狂おしい自分が、老いてますます理想に向かってまっしぐらに進む「狂」の者であることを、われながらおかしく思うのである。

篠竹000

(訳注)
狂  夫

○狂夫 病的のきちがいではない、自分の進むべき道に向かって進取するものをいう、詩題は末句の語をとって命じた。


万里橋西一草堂、百花潭水即滄浪。
万里橋の西の方に一戸の草堂がある。そばを流れて行くと百花潭があり、その水はすなわち自分にとって「滄浪の水」ともいうべきふさわしい隠退の場所なのである。
○万里橋 錦江にかかっている橋の名。万里橋は武侯祠付近の錦江にかかるはしであり、三国時代、諸葛孔明はこの万里橋で宴会を行い、呉を訪問させる費褘を送別した。
○西 この詩には西とあり、「錦水ノ居止ヲ懐り」詩には橋南とある、橋は成都の南にあり、よって正しくは西北に位する。
○草堂 グーグル検索で「四川省成都市青羊区草堂路28号」となっている。作者の藷詩句によって察するならば、草堂の位置は成都の背郭、碧難坊外、万里橋西南、百花渾すなわち浣花渓の西北に在った。
○百花潭 草堂から成都に向かう途中の淵になっているところで、現在百花潭 公園となっている。もともとこの地域全体沼と池が多くありそれぞれが水路、川でつながっていた。あちこちにこうした潭が多くあったところと考える。
○滄浪 青色の水をいう、「楚辞」(漁夫)の「滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足」(滄浪の水清まば/以て吾が纓を濯うべし/滄浪の水濁らば/以て吾が足を濯うべし)の滄浪である、ここは自己の足をあらうべき水、隠退の処として用いている。


風含翠篠娟娟浄、雨裛紅蕖冉冉香。
みどりの篠竹林に風は吹きこみ、風を含んで美しく浄らかであり、紅の蓮の花は小雨に濡れて色濃く鮮やかになり、その香を漂わしてくる。
○篠 しのだけ。
○葉 芙葉に同じ、はすのはな。
○冉冉 次第に生ずるさま。


厚禄故人書断絶、恒飢稚子色凄涼。
気になっていることは、大官となった旧友からの手紙は近ごろは、すっかり途絶えていることであり、それにいつも腹を減らしている子供らの顔色がいたましいことである。
○厚禄故人 大官となって多くの俸禄をもらっている旧知の友人、高適と厳武である。
○書断絶 これはたまたまこのとき書信がとだえたのであろう。
○恒飢稚子 いつもうえているこども。
○色 顔色。


欲填溝壑惟疎放、自笑狂夫老更狂。
こんなわけでわたしは溝や谷に落ちて野垂死になるというのに、そんなことはお構いなしに暮らしている。もともとこれしかないほど狂おしい自分が、老いてますます理想に向かってまっしぐらに進む「狂」の者であることを、われながらおかしく思うのである。
○凄涼 かなしげ。
○填溝壑 みぞやたににはまりこんでそれをうずめる。のたれ死にすること。
○疎放 世とうとくし、きままにする。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -5) 賓至 杜甫 <368>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1779 杜甫詩 1000- 544

賓至 杜甫

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -5) 賓至 杜甫 <368>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1779 杜甫詩 1000- 544

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -5) 賓至
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の368首目-#2 -5
杜甫ブログ1500-544回目
七言律詩 上元元年 760年 49歳1117賓至 成都 草堂本による 呉若本では「有客」となっている。
杜甫全作品1141首の訳注解説ブログ 成都2部 成都郊外浣花渓に囲まれた十軒の小さな集落が、長年の夢の世界空間である。


杜甫にとっては、この世界空間にその身をおくことで物心両面は安定していくのである。中国の隠者は日本の隠者の修行と違って、結婚して家族との情愛を大切にし、名誉欲、利害に関わらない真の交友関係を楽しむもの、自分の世界観にひたる風流を基本においているものである。杜甫が近隣との付き合いを楽しみ、それを詩に描いているのも、背景の一つとしては、草堂での隠遁的生活情緒を演出するということもあったと思われる。これは秦州の東柯谷に隠遁したいと思っていた時にはなかった感情である。ここにきて精神的に安定してきて生活に関して病的な鋭さが消えているともいえることである。成都の詩はそのことを念頭に区分(2部)して読んでいくものである。



賓至
幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
錦城の郊外の人がいない静かな離れたところなのでここに来る人も、通り過ぎる人も少ない、私は年を取り病気がちでいるので人の助けを受けないといけなくて最近では賓客が来られても再拜が困難なこともある。
豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
ただ、詩文に関して自信はあるがこの国中を驚かすほどのことはないのだ。だからわざわざ車馬でここ浣花溪とか池のほうに止めてながめてくださるというのはご苦労をおかけするようなものである。(だからひとがこなくてもよいとはおもっている。)
竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
しかし詩文を語り合える賓客は一日中ひざをつき合わせて長居をされる、わたしは、こんな田舎地方に埋もれた儒者ではあるけれども粗末な食事を一生続けているのだ。
不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。

こんな郊外の事で何のお構いもできないけれども嫌がられることはありません。いったり来たりに厭わなければまた、気の趣くままにどうか芍薬の畑でも見ていってください。

幽棲【ゆうせい】地僻【ちへき】にして經過少【まれ】なり、老病人に扶けられて再拜し難し。
豈に文章の海内を驚かす有らんや、謾【そぞろ】に車馬を江幹【こうかん】に駐むるを勞す。
竟日淹餾【えんりゅう】佳客 坐し、百年 粗糲【それい】 腐儒の餐【さん】す。
野外の供給無きを嫌【いとは】ずんば、興に乘じて還【ま】た來りて藥欄【やくらん】を看よ。

八女茶 畑


『賓至』 現代語訳と訳註
(本文)
幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。


(下し文)
幽棲【ゆうせい】地僻【ちへき】にして經過少【まれ】なり、老病人に扶けられて再拜し難し。
豈に文章の海内を驚かす有らんや、謾【そぞろ】に車馬を江幹【こうかん】に駐むるを勞す。
竟日淹餾【えんりゅう】佳客 坐し、百年 粗糲【それい】 腐儒の餐【さん】す。
野外の供給無きを嫌【いとは】ずんば、興に乘じて還【ま】た來りて藥欄【やくらん】を看よ。


(現代語訳)
錦城の郊外の人がいない静かな離れたところなのでここに来る人も、通り過ぎる人も少ない、私は年を取り病気がちでいるので人の助けを受けないといけなくて最近では賓客が来られても再拜が困難なこともある。
ただ、詩文に関して自信はあるがこの国中を驚かすほどのことはないのだ。だからわざわざ車馬でここ浣花溪とか池のほうに止めてながめてくださるというのはご苦労をおかけするようなものである。(だからひとがこなくてもよいとはおもっている。)
しかし詩文を語り合える賓客は一日中ひざをつき合わせて長居をされる、わたしは、こんな田舎地方に埋もれた儒者ではあるけれども粗末な食事を一生続けているのだ。

こんな郊外の事で何のお構いもできないけれども嫌がられることはありません。いったり来たりに厭わなければまた、気の趣くままにどうか芍薬の畑でも見ていってください。


(訳注)
賓至
○賓
。 大切な客をいう、題に賓と稱して、詩中に再拜といい、車馬といっているので、この律詩は、貴人であることがわかる。恐らく相手から、杜甫を訪問する何らかの連絡が入りそれに答えた詩であろうと思う。詩のやり取りではないので詩題に「答」「応」などがない。


幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
錦城の郊外の人がいない静かな離れたところなのでここに来る人も、通り過ぎる人も少ない、私は年を取り病気がちでいるので人の助けを受けないといけなくて最近では賓客が来られても再拜が困難なこともある。
・幽棲 隠棲と同じ意。
・地僻 成都に知人友人が居るのでそこから離れているということ。これまでは長安から離れた地を指したり、秦州雑詩など国境を指す語であった。これは杜甫の精神的な落ち着きというべき変化か、あるいは人恋しさの語なのか、病気がちで気弱になっているということだ。
經過少。僻地心客の來過少しとなり
老病。杜甫当時喘息と腰脚(リュウマチ)の病があったのだろう。賓客が来られて再拜が困難であった。


豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
ただ、詩文に関して自信はあるがこの国中を驚かすほどのことはないのだ。だからわざわざ車馬でここ浣花溪とか池のほうに止めてながめてくださるというのはご苦労をおかけするようなものである。(だからひとがこなくてもよいとはおもっている。)
・文章 文学。詩文。
・海内 国中。天下。
・謾勞 いたずらにわずらわす。
・駐江幹 江は浣花溪、干は水際。賓客の車馬を草堂に駐めることをいう。


竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
しかし詩文を語り合える賓客は一日中ひざをつき合わせて長居をされる、わたしは、こんな田舎地方に埋もれた儒者ではあるけれども粗末な食事を一生続けているのだ。
竟日 一日中。
淹留 久しくとどまること。
・佳客 賓にして佳、詩や文章を論ずる客をいう。
・百年 終生というようなこと。
・粗糲 玄米飯
・腐儒 地方に埋もれた儒者。
 

不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。
こんな郊外の事で何のお構いもできないけれども嫌がられることはありません。いったり来たりに厭わなければまた、気の趣くままにどうか芍薬の畑でも見ていってください。
・供給 客へのおもてなし。
・藥欄 芍薬の薬園のかこい。



賓至
幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。

幽棲【ゆうせい】地僻【ちへき】にして經過少【まれ】なり、老病人に扶けられて再拜し難し。
豈に文章の海内を驚かす有らんや、謾【そぞろ】に車馬を江幹【こうかん】に駐むるを勞す。
竟日淹餾【えんりゅう】佳客 坐し、百年 粗糲【それい】 腐儒の餐【さん】す。
野外の供給無きを嫌【いとは】ずんば、興に乘じて還【ま】た來りて藥欄【やくらん】を看よ。


成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 1000- 540

蜀相 杜甫



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成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 1000- 540 


詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(1) 蜀相
作時760年4月 上元元年49歳
掲 載; 杜甫1000の364首目-#1
杜甫ブログ1500-540回目 
成都南西に、三国時代蜀漢の丞相諸葛孔明の祠堂があり、杜甫は草堂が出来上がると少し時間がとれたようで、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねている。諸葛亮孔明を祀る武侯祠は成都西南の郊外、柏の杜(もり)のなかにある。


蜀相      
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。
(蜀相)
丞相の 祠堂何處にか尋ねん、錦官の城外に森森たる柏あり。
堦【かい】に映ずる碧草【へきそう】は自ら春色、葉を隔つる黄鸝【こうり】は空しく好音【こういん】。
三顧頻煩【ひんぼん】なるは天下の 計【はかりごと】、兩朝開濟【かいさい】するは老臣の心。
出師未【いま】だ捷【か】たざるに身先【ま】づ 死せるも、
長【なが】く英雄をして涙襟【きん】に滿たしむ。


『蜀相』 現代語訳と訳註
(本文)

蜀相      
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。


(下し文)
(蜀相)
丞相の 祠堂何處にか尋ねん、錦官の城外に森森たる柏あり。
堦【かい】に映ずる碧草【へきそう】は自ら春色、葉を隔つる黄鸝【こうり】は空しく好音【こういん】。
三顧頻煩【ひんぼん】なるは天下の 計【はかりごと】、兩朝開濟【かいさい】するは老臣の心。
出師未【いま】だ捷【か】たざるに身先【ま】づ 死せるも、
長【なが】く英雄をして涙襟【きん】に滿たしむ。


(現代語訳)
<蜀 相>
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。


(訳注)
蜀相

蜀漢の丞相諸葛亮、字は孔明をいう。
 
    
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
・丞相 を諸葛亮いう、後漢の建安二十六年劉備が帝位に即き、蜀漢とし、諸葛亮を以て丞相・録尚書事とした。
・祠堂 やしろ、廟のこと、諾票の廟は成都の西北二里、劉備の廟の西にある。柏は西に植えるもので、上句の「何處」に対応して、錦官城と柏によって位置関係を示した。
・錦官城 成都の西城の名、蜀錦の織錦の官を置いたことから「錦官」「錦江」とよばれた。
・柏 はくの木。五行思想、東の末に対して西に植えられた。
・森森 うっそうと茂る。木々がたちならぶさま。

成都 浣花峡000


映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
・堦 堂のきざはし。
・鸝 うぐいすの類。


三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
・三顧 諸葛亮がまだ若く襄陽で「梁園吟」を詠って隠棲生活をしていたとき、劉備は太公望の故事にちなんで三たびまで彼を其の軍歴に訪れたので三顧という。
・頻煩 しげきこと、三たびも訪うというのはひんぱんなことをいう。
・天下計 「三分天下之計」であり、(三権鼎立は天下を安んずるの計を定めんがためなり)というほどの意味。
・両朝 先主劉備と、其の子後主劉禅との二代をいう。
・開済 諸説あるが良く建国の基礎を作り、立派に成功する。物を開いて成就するという熟語であり、上句の「頻煩」に対である。杜甫は律詩の原則をどんな場合も忠実に守っている。
・老臣心 重臣の亮をさす。杜甫はある意味、諸葛亮に自分をだぶらせているので「老」という表現をしている。やはり左拾遺の時の粛宗に対しての発言を意識してのものであろう。(房琯を援護した発言は「天下の計」であったというもの。)


出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。
・出師 蜀の227年建興五年、亮が軍をひきいて北のかた漢中に駐どまり魂を伐とうとしたとき、出発するにのぞんで後主劉禅に「出師ノ表」を奉った。劉禅の行動指針を書いたもの。諸葛亮の北伐は5回に及んでいる。
・未捷身先死 亮はその後に大衆を尽くして斜谷よりうって出、武功の責原に拠って司馬懿と渭水の南に対陣すること100日以上、234年建興十二年陣中に卒した。
・英雄 後世の英雄をいう。


成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 1000- 539

堂成 杜甫 

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成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 1000- 539


詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成
作 時:760年3月杜甫49歳 
掲 載:杜甫1000の363首目-#10
杜甫ブログ:1500-539回目
草堂のできたことを詠ずる。上元元年春暮の作。七言律詩
草堂の周りに友人から戴いた木々が植えられ、草堂が完成した。
草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号

屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。

そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。

草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。


堂  成
<草堂建設 成る>
背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。

私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。
(堂成る)
郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。
榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。
暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。
旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。

楊柳00005

現代語訳と訳註
(本文)
堂  成
背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。


(下し文)
(堂成る)
郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。
榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。
暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。
旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。


(現代語訳)
<堂  成る>
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。


(訳注)
堂  成

草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号
此の詩のようなゆったり感はこれまでの杜甫の詩にはないものである。必死な感じがまるでない。何処か謝靈運、孟浩然の山水描写に似たところを感じさせる作品である。七言律詩の流れも成都に来てからのもので、暫く七言句が続く。草堂建設シリーズもひとまず終了となる。


郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
背部 成都城を負うこと。
 かやをかぶせて屋根をふいたことをいう。
綠江 錦江のかわぞい。
路熟 春の陽炎が沸き立つ道。
 みおろすこと。
青郊 春霞の向こうの野外。遠近画法で遠くは青くなるが、ここでは春の装いを云う。近くに見える草木を云うのではない。「路熟」と「青郊」は春の景色を詠う名句である。孟浩然『』「綠樹村邊合,青山郭外斜。」と同じ心境に有って風景を詠うものである
過故人莊
故人具雞黍,邀我至田家。綠樹村邊合,青山郭外斜。
開筵面場圃,把酒話桑麻。待到重陽日,還來就菊花。

(故人の莊に過ぎる) 
故人 鷄黍【けいしょ】を 具【そろ】へ、我を邀【むか】へて 田家【でんか】に 至らしむ。綠樹 村邊【そんぺん】に 合【がっ】し、青き山 郭外【かくがい】に 斜めなり。
筵【むしろ】を開きて 場圃【じょうほ】に 面し、酒を把【とり】て 桑麻【そうま】 を 話す。重陽【ちょうよう】の日を 待ち到り、還【また】來【きた】りて 菊花【きくか】に就【つ】かん。


榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
榿林 『憑何十一少府邕覓榿木栽』「草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」
籠竹 『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』「華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。」


暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
○将 率いること。
○語燕 さえずるつぱめ。


旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。
私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。
○旁人 よその人。○錯此まちがえてなぞらえる。
・揚雄 解嘲
学究の徒としても異数の才を発揮し、『太玄経』(『易経』を模したもの)、『法言』(『論語』を模したもの)、『方言』(当時の各地の方言を集めたもの)等、今日にのこる著作を世に出した。これを嘲った人がいるために作ったのが「解嘲賦」という。太玄の語がはなはだくろいとの意をもつために白いことを強調しているため揚雄の髪の毛が白いことを嘲って「解嘲」という。


成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531

卜居 杜甫 <355>
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めてっ旅をする
●全詩1/3を掲載済。


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成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531
 
詩 題:成都(1)浣花渓草堂(2) 卜居
作時760年3月杜甫49歳 七言律詩
掲 載; 杜甫1000の354首目
杜甫ブログ1500-531回目



成都(1)
屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。


そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。


草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。




杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、


10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。
すべてにお礼を込めた詩を贈っている。

上元元年  760年 49歳

卜居
浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。

更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。

浣花渓水 水の西頭、主人為に卜【ぼく】す林塘【りんとう】の幽なるを。
已に知る 郭を出でて塵事【じんじ】の少【まれ】なるを、更に澄江【ちょうこう】の客愁を銷【しょう】する有り。
無数の蜻蜓【せいてい】 斉【ひと】しく上下し、一双の鸂鶒【けいせき】 対して沈浮【ちんぷ】す。
東行万里  興に乗ずるに堪えたり、須【すべから】く山陰に向かって小舟に入るべし。


『卜居』 現代語訳と訳註
(本文)

卜居
浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。


(下し文)
浣花渓水 水の西頭、主人為に卜【ぼく】す林塘【りんとう】の幽なるを。
已に知る 郭を出でて塵事【じんじ】の少【まれ】なるを、更に澄江【ちょうこう】の客愁を銷【しょう】する有り。
無数の蜻蜓【せいてい】 斉【ひと】しく上下し、一双の鸂鶒【けいせき】 対して沈浮【ちんぷ】す。
東行万里  興に乗ずるに堪えたり、須【すべから】く山陰に向かって小舟に入るべし。


(現代語訳)
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。


(訳注)
卜居

杜甫は成都の浣花渓に住居を定めたことを「寄題江外草堂」詩に、「誅茅初一畝,廣地方連延。經營上元始,斷手寶應年。」とある。成都の中心から4kmほど離れた閑静な田園地帯で、浣花渓(錦江支流であり、河岸の西端、)の北の百花潭岸辺にあった。此の詩は到着の翌760年上元元年春の作である。

卜居 住居のよしあしをうらなってさだめる。

浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
浣花渓 渓は成都の西郭外にあり、一に百花澤ともいう。○主人 自ずからいう。
為卜 為めにとは自己のためにということ。


已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
出郭 くるわをはなれること。
澄江 錦江をいう、澄は水のすんでいることをいう。


無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
○蜻蜓 とんぼ。
上下 のぼり、くだる。
鸂鶒 おしどり。


東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。
更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。
乗興 この句は王献之の故事。「吾は本と輿に乗じて行く、輿尽きて返る。」
山陰 晋の王献之の故事、献之、字は子猷が山陰(浙江省紹興府)に居たとき、雪の夜にふと剡渓にあった戴安道を思い出し、舟に乗ってでかけたが、その門まで行ってひきかえしてしまった、人が其のわけをたずねたところ、子猷は「吾は本と輿に乗じて行く、輿尽きて返る。」と答えたという。

李鄠縣丈人胡馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 284

李鄠縣丈人胡馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 284
鄠県の県令李某の外国産の馬のことをよんだうた。乾元元年冬洛陽へ赴くときの作


李鄠縣丈人胡馬行
丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
丈人の駿馬は騎馬民族の名馬である。昨年の安禄山の乱をさけて金牛宮で過ごした。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
馬に鞭を打って、北に退却して天子はみえられた。朝早くに長安の水を飲ませていたが夕方には霊州の霊武に着かれていた。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
ご自分でも誇っておられる騎馬民族の名馬はどの時代の名馬よりも優れている。千人万人の民を愛して乗り出された。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』
霊武に行在所を置かれ、此の急難の出来事を解決することを宣言された。そうして愁いにあふれたこの状況、凡庸の馬で支配している輩は驚くことであろう。

頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』


(李鄠縣丈人が胡馬の行)
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。』
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。』



現代語訳と訳註
(本文)

丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』

(下し文) (李鄠縣丈人が胡馬の行)
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。』


(現代語訳)
丈人の駿馬は騎馬民族の名馬である。昨年の安禄山の乱をさけて金牛宮で過ごした。
馬に鞭を打って、北に退却して天子はみえられた。朝早くに長安の水を飲ませていたが夕方には霊州の霊武に着かれていた。
ご自分でも誇っておられる騎馬民族の名馬はどの時代の名馬よりも優れている。千人万人の民を愛して乗り出された。
霊武に行在所を置かれ、此の急難の出来事を解決することを宣言された。そうして愁いにあふれたこの状況、凡庸の馬で支配している輩は驚くことであろう。


(訳注)
李鄠縣丈人胡馬行

李陝西の鄠県丈人の胡馬の歌
鄠県。陝西の西安府に属す。○丈人。老人の称、李丈人なり。知識者、徳行のある年寄。
 Ta唐 長安近郊圖  新02

人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
丈人の駿馬は騎馬民族の名馬である。昨年の安禄山の乱をさけて金牛宮で過ごした。
胡騮。胡地の騨雛○金牛。春分を起点に十二にわけるうちの一つ。金午蛺なり陝西の漢中府に在り


回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
馬に鞭を打って、北に退却して天子はみえられた。朝早くに長安の水を飲ませていたが夕方には霊州の霊武に着かれていた。
鞭を廻す。時に難を避けて漢中に在り、粛宗位に霊武に即く、故に鞭を廻して來りて天子に見ゆるなり○卻走 退却する。○霊州。霊武なり、寧夏衛に在り。


自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
ご自分でも誇っておられる騎馬民族の名馬はどの時代の名馬よりも優れている。千人万人の民を愛して乗り出された。


一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。
霊武に行在所を置かれ、此の急難の出来事を解決することを宣言された。そうして愁いにあふれたこの状況、凡庸の馬で支配している輩は驚くことであろう。
急難の材。急を救ふの材あるをいふ、劉備の的驢檀渓を超えて其の主を救ふが如きなり。○駑駘。凡庸の馬

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崔氏東山草堂  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 279

崔氏東山草堂  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 279


陰暦九月九日重陽の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277
藍田は長安の南にある県の名、華州より60kmばかりへだたるところだ。
前詩の崔氏と同じく藍田の崔氏であり、東山は藍田県の東南にある藍田山、即ち玉山であり、草堂はかやぶきの堂である。此の堂は前詩の別荘とは異なるものである。此の詩は崔氏の東山の草堂において作る。前詩と同時期の作。西隣に王維の輞川荘があるが、王維は自身傷心の身であると同時に朝廷に嫌気を覚えていた。安史の乱までに輞川荘を完成させ、二十首の『輞川集』を完成させたことも官僚勤めを遠ざけるもので、仏教に傾倒深くなっていたのである。
 

崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?

ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。

(崔氏が東山の草堂)
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。


現代語訳と訳註
(本文) 崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?


(下し文)

(現代語訳)
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。

(訳注)
崔氏東山草堂
九月九日の重陽節に、杜甫は崔氏の藍田の別荘に招かれた。主人の崔李重(さいりじゅう)は母方の一族と見られている。藍田は華州からだと西南に60kmほどの道程なので、杜甫は馬で出かけた。


愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
玉山 藍田にある山の名、即ち藍田山。昔、宝玉を産出していたのでそう呼ぶ。○高秋 天たかき秋。○爽気 さわやかな気。○相鮮新 鮮新は新鮮に同じ、あたらしくあざやか。相とは山色に関していう、山色の翠と秋気の澄碧とがたがいにその新鮮をきそうことをいう。


有時自發鐘聲響,落日更見漁樵人。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
 おこる。○鐘磬響 かね、磬磐石の音、これは附近に寺があると思われるので、近くの山の中というシチュエーションであろう。○漁樵人 魚をとる人、薪や柴をとる人。隠遁したものの総称。


盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
盤 大きなさら。〇 皮をむくこと。〇白鴉谷 県の東南二十里にある谷の名、栗によろしい地であるという。○青泥坊 坊は防と通ずる、「つつみ」をいう、青泥城は県南七里にあるというのからすれば防はその城の水をたくわえるつつみである。○ 沈徳潜の説に芹(きん)は十二文の韻字であるから蓴の字の誤りであろうという、芹はせり、蓴はじゅんさい。


何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。
ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。
西荘 雀氏草堂の西にある別荘。 ○王給事 王維のこと。王維は宋之間の藍田の別業を安史の乱までにすべての財産をつぎ込んで、整備し、建設した。即ち綱川荘である。粛宗が長安に還るや王維は太子中允となり、また給事中となった、このとき王維は長安にあってこの輞川荘にいなかった。 ○柴門 王維の荘の柴でつくった門。 ○鎖松筠 筠は竹の膚の青色をいうが竹そのものの義として用いる。松筠に鎖すとは松竹の林の中にとざすことをいう。


この詩もそうだし、このころの詩のほとんどに朝廷に対する不満が語られている。
このとき王維も杜甫も、朝廷に嫌気がさしていた。わけのわからない人事、宦官の台頭、軍事組織の崩壊、このころ、詩人たちは、行き場のないところに追い詰められていた。杜甫の知人の官僚、幕僚、軍人は降格か左遷されている。朝廷は体制を整えることより、権威を振りかざした。節度使の忠誠心はなく、ただ、安禄山それに変わる安慶緒、忠思明、が他より少しだけ抜けているだけで安定した力はない。したがって叛乱はこのあと5,6年治まらない。これに外敵からの挑発が盛んになされる。経済的にも律令体制が機能しなくなり、貿易でも不平等なものが多く、朝廷の財政を悪化させている。

このころまでの詩人のほとんどは高級官僚で、これらに批判的でないはずがないのだが、朝廷の無作為に対する批判勢力の配置転換、長安を奪還して以降の数年は朝廷は疑心暗鬼の塊であった。(家臣を信じないで宦官を信じる傾向にあった。)かといって、それらを文章で残すと発見されると処刑されるのである。


乾元元年の春は左拾遺として長安にあり、賈至・王維・岑參らと唱和と、詩人たちの意見交換は最高潮でした。5,6月、高適、房琯の左遷、杜甫自らも左遷、すべての詩人は、疎まれていきます。


六月、房琯の邠州刺史に貶せらるるに座し、出されて華州司功参軍となる。秋、藍田に王維を訪い、冬末、洛陽の陸渾荘に帰る。

その後、この詩の時分、王維は長安の南の終南山の別荘にいた。王維は杜甫の言う「西莊」を経営する意欲は薄らぎ、「西莊」いわゆる輞川荘は一部寺に寄贈されていた。

この詩以降、杜甫は漢を辞して隠遁したい気持ちが強くなっていく。(文献には出てこないが王維と相談して、互いに、職を辞したい胸の内を話したのではないだろうか)

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274

陰暦九月九日重陽の菊の節句の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。藍田は長安の南にある県の名、華州より60kmばかりへだたる、乾元元年華州司功であったときの作。
乾元元年 758年 47歳
 
九日藍田崔氏荘
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。


九日 藍田の崔氏の荘
老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。
羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し。
明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。



現代語訳と訳註
(本文)

九日藍田崔氏荘
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

(下し文)
九日 藍田の崔氏の荘
老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。
羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し。
明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。

(現代語訳)
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。


(訳注)
九日藍田崔氏荘

(九日 藍田の崔氏の荘)


老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
(老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。)
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
悲秋 ものがなしい秋の節。安史の乱がいまだ続いており、杜甫自身、天子のおそばの左拾遺から、地方の進士試験の出題者という夢を失わせる時期であった。
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
憯悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
「悲レ秋」とよんでもよい。大暦元年 766年55歳七言律詩『詠懐古蹟五首』  古跡において自己の懐う所を詠じた詩。五首ある。大暦元年夔州に在ったおり各古跡をおとずれることなく予想して作ったもの
杜甫『詠懐古跡 其の二』
搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。
悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。
江山故宅空文藻,雲雨荒台豈夢思。
最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。
自寛 自己の愁懐をくつろげ、なぐさめる。○興来 気の向くままに、偶然に身を任せ、漫然としていた杜甫が今日、その日だけ、という限定したことでこの訪問を強調している。○尽君歓 他人が私を喜ばそうとしたとき、八分を受け二分を残すのが君子の礼とされるが、ここでは先方の歓待を十分に受け尽くすことをいう。君は主人崔氏。


羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
(羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。)
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
短髪 作者の老いてみじかくなったかみのけ。○ 我もまたの意。○吹帽 晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。○ 雇うこと。故事を踏まえているので少しオーバーな言い方である。○傍人 そばのひと。○ 我がために。○正冠 冠は即ち上旬の帽、正とはまがらぬようになおすこと。


藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し

荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
藍水 藍田にある川の名。㶚水の支流で北流して長安東門春明門を出た街道滻水橋を渡り、㶚陵橋と続くを北流して、渭水に豪牛する。〇千澗 多くの谷川。○玉山 藍田にある山の名、即ち藍田山。昔、宝玉を産出していたのでそう呼ぶ。○両峰 玉山に属する二つの峰かとおもう。この聯は、藍水・・・・・、玉山・・・・・。通常の七言の句の構成とは異なっている。通常は四語+三語で句とするものが多い。つまり藍水を五言句で表し、同様に、玉山を五言句で表現している。寒については、渭水の向こうの山々は南面であるため、藍田の山々は北面であるため景色が違っていることをあらわしている。



明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。
(明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。)
今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。
知誰健 知の下に疑問詞があるときは「知」は「不知」の義となる、即ち不知誰健の意、○茱萸 ぐみ、九日にぐみを凧び菊酒をのめば長生をするとされる。kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維仔細 くわしく。○ 蓋し菜糞の枝をみつめる。古来多くこの義にとく。沈徳潜は栗東をみることの無意味なことをいい藍水と玉山とを看ることとする、即ち「酒を把って山水をみる」ととく。但し、果菜をみるとするのは決して無意味ではなく、上旬に「誰健」とあって主賓の健康を意としての語であるから長寿のしるしである茱萸を仔細にみるのは先頭の句に「悲愁」に帰っていくとみて意が深くなるものである。



唐朝の衰退はかなりなもので、どこで反乱が起こってもおかしくないし、外敵に攻められても、府兵の統率力はなかった、しかも、杜甫の知人の官僚、幕僚も次々に、左遷、降格、死没と中央集権国家の体をなさず、長安周辺の朝廷と言うくらいに力のない、先行き不安な状況であった。杜甫が冠を直すと詠むとき、朝廷の威信がそこまであるのかと思いながら正しているのかもしれない。
 九月九日の重陽節に、杜甫は崔氏の藍田の別荘に招かれた。主人の崔李重(さいりじゅう)は母方の一族と見られている。藍田は華州からだと西南に60kmほどの道程なので、杜甫は馬で出かけた。
 宋玉の「悲愁」を杜甫は同様に感じつつ、登高の宴に参列できたことへのよろこびを感じたものである。しかし、杜甫の置かれてい位置は決して、当時の世界、当時の人生観で、人生をかけるものではなく、悩みは更に深いものとなっていく。

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276
(早秋 熱に苦しみ 堆安【たいあん】相い 仍【よ】る)

乾元元年六月華州に左遷された。秋になろうというのに暑さが耐えられない。着任早々から、書類の大左派凄まじく机の上に積み上げられていった。その上、サソリ、ヘビ、蝿、蚊に悩まされた。異常な暑さに加えて、異常に発生した虫類、地方での書記の仕事は想像以上のものであった。


早秋苦熱堆案相仍
早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない
每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。


早秋 熱に苦しみ 堆案【たいあん】相い 仍【よ】る
七月六日 炎蒸【えんじょう】に苦しむ、食に対し暫【しばら】く 餐【さん】せんとするも還【ま】た 能【あた】わず。
每に愁う 夜来【やらい】 皆【みな】是【こ】れ 蠍【かつ】なるを、况【いわ】んや 乃【すなわ】ち 秋後【しゅうご】 転【うた】た 蠅【はえ】多きをや。
束帯【そくたい】 狂を発して大叫【たいきょう】せんと欲す、簿書【ぼしょ】 何ぞ 急に来たって相い仍【よ】るや。
南望すれば 青松【せいしょう】 短壑【たんがく】に架【か】す、安【いず】くんぞ赤脚【せききゃく】 層冰【そうひょう】を踏むことを得ん。


現代語訳と訳註
(本文)

(下し文) 早秋 熱に苦しみ 堆案【たいあん】相い 仍【よ】る
七月六日 炎蒸【えんじょう】に苦しむ、食に対し暫【しばら】く 餐【さん】せんとするも還【ま】た 能【あた】わず。
每に愁う 夜来【やらい】 皆【みな】是【こ】れ 蠍【かつ】なるを、况【いわ】んや 乃【すなわ】ち 秋後【しゅうご】 転【うた】た 蠅【はえ】多きをや。
束帯【そくたい】 狂を発して大叫【たいきょう】せんと欲す、簿書【ぼしょ】 何ぞ 急に来たって相い仍【よ】るや。
南望すれば 青松【せいしょう】 短壑【たんがく】に架【か】す、安【いず】くんぞ赤脚【せききゃく】 層冰【そうひょう】を踏むことを得ん。


(現代語訳)
早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。


(訳注)
早秋苦熱堆安相仍

早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
堆案 案は官文書。未決でたまっていくこと。


七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない


每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
足蠍 猛毒を持ったサソリ。


束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
束帶 冠をつけ、帯を結ぶこと。官吏の制服。○簿書 役所の書類。○來相仍 ひっきりなしに続いてくる書類のこと。


南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。
南望 華州に居るので南望すると、崋山がのぞまれる。華山(かざん、ホワシャン ピンイン Hua Shān)は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。蓮花山は、華山の最高峰。五嶽は以下。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
崋山は、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
短壑 切り立った谷。意味からすれば、絶壑の方が良い。谷の様子は、杜甫同時期の詩『望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271』に詳しい。○赤腳 はだし。○層冰 厚く張った氷。

 

 春の終わりごろから、玄宗派と見られた廷臣への圧迫が強くなり、中書舎人の賈至は汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶された。杜甫の友人の岑参も虢州(河南省盧氏県)に貶された。
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていたが、政事の中枢からは遠ざけられ、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となった。邠州(ひんしゅう)は杜甫が「北征」のときに通った涇水中流の城市である。長安市の市長というべき京兆尹(けいちょういん)になっていた厳武(げんぶ)は、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となった。
 杜甫も左拾遺を免ぜられ、華州(陝西省華県)の司功参軍(しこうさんぐん)に左遷された。華州は長安の東90kmほど、華山山麓の街です。中央の清官から地方の属官に移されたわけだ。
 詩は残暑が厳しく、仕事も雑用が多くて忙しいこと、華州の官舎の不衛生なことに腹を立て音をあげている。四十代後半まで、自由気ままな浪人暮らし、文人でいた訳で、文法もまとも出会い様な書類をうんざりしたのは理解できる。南に臨める華山のを見て山頂の仙人池に行って、「赤脚もて層冰を踏むを得ん」と結んでいる。詩人の常套である、苦しい時の、山のなかに隠遁したいという気持ちで結句にしている。

望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩である。華山は 五岳のうちの西岳にあたる、華州華陰県の南にある。
758年秋の作。
七言律詩 韻.尊、孫、盆、源。


望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。

だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。

(岳を望む)
西岳崚嶒【りょうそう】として竦處【しょうしょ】すること尊し、諸峰羅立して児孫【じそん】に似たり。
安んぞ仙人の九節の杖を得て、拄【ささ】えられて到らん玉女の洗頭盆。
車箱【しゃそう】谷に入れば 帰路無く、箭桔【せんかつ】天に通ずる一門有り。
稍【ようや】く秋風の涼冷なる後を待ちて、高く白帝【はくてい】を尋ねて真源を問わん。

杜甫乱前後の図003鳳翔


現代語訳と訳註
(本文)
望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。


(下し文) (岳を望む)
西岳崚嶒【りょうそう】として竦處【しょうしょ】すること尊し、諸峰羅立して児孫【じそん】に似たり。
安んぞ仙人の九節の杖を得て、拄【ささ】えられて到らん玉女の洗頭盆。
車箱【しゃそう】谷に入れば 帰路無く、箭桔【せんかつ】天に通ずる一門有り。
稍【ようや】く秋風の涼冷なる後を待ちて、高く白帝【はくてい】を尋ねて真源を問わん。


(現代語訳)
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。

(訳注)
望嶽 華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩。崋山は五岳の西岳になる。又杜甫の739年28歳の作東岳を詠った『望嶽』がある。
岱宗夫如何,齊魯青未了。造化鍾神秀,陰陽割昏曉。
盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。會當凌絶頂,一覽衆山小。
五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。五名山とも呼ばれる。○崋山の蓮花山は最高峰とされている。五岳は以下の通り。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
崋山は、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。


西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
崚嶒 山の高くけわしくい、幾重にも重なるさま。文選、沈約『鍾山詩』「鬱溧として丹巘を構へ崚嶒として靑嶂を起す。」注に曰く、崚嶒は畳重ねの貌【かたちどる】。○竦處 竦は聳える。あがる。処は居ること。
羅立 つらなりたつ。連峰。


安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
安得 希望をいう。○仙人九節杖 九節杖は九つのふしのある竹のつえ、仙人のつくもの。○玉女洗頭盆 山頂の玉女祠前に石臼があり、なかの水は澄碧にしてつねに増減がないことから、これを玉女の頭を洗う盆と呼んでいる。


車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
車箱 谷の形状をいう、箱は車体。車箱入谷とは車箱のような空が見えず、奥深くU字形の谷に入ること。○箭栝通天 栝は筈と通ずる、箭筈はやはず、矢の先をいう。華山に天井という処があり、そこより空をのぞめはわずかに明光をみるという。通天とはそこより仙境の高処に通うことをいう。〇一門 上述のせまい一道をたとえていう。 


稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。
だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。
白帝 西方の神で華山を支配する。五行思想で西、秋、は白、崋山は秋になると積雪があり冠雪となる。霜、雪の神でもある。 ○真源 仙道のまことの本源。


一年も続いた朝廷内での杜甫に対する無視という「いじめ」を体感した。杜甫自身が招いたことではあるが、辛く切ない一年を過ごしたのであるから、旅に出て気分を変えるつもりもあったのかといえば、気分転換どころかさらに、隠遁を口に出しはするが、杜甫の心は負のスパイラルに陥っていく。
華州は長安より東に90kmにある。北から南下してきた黄河が、長安方面から流れてきた渭水と北西からこの地点に流れ込んでくる洛河の合流点であること、合流した川は黄河の巨大な川となって東流して洛陽方面、中原へと流れ行くのである。長安、洛陽を安史軍から奪還したといっても、史忠明の軍は鄴城に迫り、そこから西に黄河に出て南下して、長安洛陽を再び陥れようとしている。華州、司功参軍ではそれを敏感に感じて緊張感が高まっていた。
 杜甫の仕事は、ここでの教育長というべき仕事であった。華州の推薦する進士を選ぶための試験問題をつくるというものである。758年秋のことであった。

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270

(鄭県の亭子に題す)
華州の鄭県にある亭にかきつけた詩、実はそこにある竹に題した詩である。作者が華州へ赴任しょうとするときの作である。

題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。

そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)

 (鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。

杜甫乱前後の図003鳳翔
 

現代語訳と訳註
(本文) 題鄭縣亭子

鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。


(下し文) (鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。


(現代語訳)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)


(訳注)
題鄭縣亭子

鄭県の宿場か、駅である。あずまやの壁に題したもの。普段なら、詩が湧き上がってくる情景であるのに夕暮れと長安の都から遠ざかってゆく身を詠ったもの。758年晩夏、高式顔との出会い別れたがその直後の作であろう。左遷の赴任途中である。


鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
(鄭県の亭子澗の浜、戶牖 高きに憑れば発興新なり。)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
鄭県 華州の城郭にくっついて置かれた県の名。○亭子 ちん、四阿、小さな休み場所。あずまや。子は助詞。亭:宿場、宿駅、○ たにの水、鄭県にある西渓をいう。○ ほとり。○戸牖 牖はかべの窓、この二字は副詞にみるべきである。○憑高 たかいところによってながめる、戸牖からながめる。○発興 興味をおこす。


雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
(雲断えて岳蓮大路に臨み、天晴れて宮柳長春に暗し。)

雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
岳蓮 華山の姿をいう、華山は華州の東南にある。蓮は蓮花峰をいう、山頂に池があって千葉蓮花(かさなりのはちす)が派生する様子から名づけられたという。○大路 街道をさす。○宮柳 長春宮のやなぎ。官柳は官よりうえたやなぎをいう。○ 葉のしげって薄暗くかすんでいるさまをいう。○長春 宮の名、陝西省同州府朝邑県にあり、黄河をへだてて華州よりは東北にあたる、肉眼ではそのあたりまでは見えないであろうがさように感ぜられることをいう。


巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
(巣辺には野雀羣がりて燕を欺り、花底には山蜂遠く人を趁う。)
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
 つばめのすをいう。○ 俗用のときは欺侮の義、あなどること。○花底 百花の中央をつきぬけることをいう。○ あとからおいついてくること。


更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。
(晩来幽独にして恐らくは神を傷ましめん。)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)
滿青竹 青竹ははえている竹の幹をいう。満はいっぱいにかきつける。○幽独 しずかにただひとりいる。竹藪の奥深い所を示す。隠遁者のつかう言葉である。○傷神 こころをいたましめ、かなしましめる。

韻は、新、春、人、神。 

曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

758年乾元元年春、左拾遺であった頃の作。

 臘日   
 送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 送賈閣老出汝州

 送翰林張司馬南海勒碑





 曲江二首 其一

 曲江二首 其二

 曲江封酒 
 曲江封雨 
 曲江陪鄭八丈南史飲
 奉陪贈附馬韋曲二首 其一
 奉陪贈附馬韋曲二首 其二

 奉贈王中允維
 送許八拾遺歸江寧覲省。甫昔時嘗客遊此縣,於許生處乞瓦棺寺維摩圖樣,誌諸篇末
 因許八奉寄江寧旻上人
 題李尊師松樹障子歌
 得舎弟消息(乱後誰帰得
 送李校書 二十六韻  
 逼仄行,贈畢曜(逼側行贈畢曜)

杜甫の詩が曲江其一より次第に変化している。

曲江陪鄭八丈南史飲
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?

といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん?


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江陪鄭八丈南史飲
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
丈人才力猶強健,覬傍青門學種瓜!


(下し文) 曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!


(現代語訳)
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩

雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

(訳注)
曲江陪鄭八丈南史飲

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
陪 鄭八丈南史 同時期の詩人に張南史がいる。ここではその人を指すのであろうか。

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鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。

雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
雀啄【じゃくたく】 雀が啄ばむ 鳼【ぶん】ウズラのひな。鶄【せい】 ごいさぎ。鸂鶒【けいせき】紫おしどり。謝霊運『鸂鶒賦』「覧水禽之萬族、信莫麗干鸂鶒。」(水禽之萬族を覧るに、信に干鸂鶒麗しきは莫し。) 


自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
○芳尊 酒樽をいうのであるが、盃の大き湾のようなもの。芳醇な香りの盃椀。○物華 1.物の光。宝物の輝き。2.景色。風景。


近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
○近侍 天子のおそばに控えている官僚職。杜甫は左拾位であるので、近侍職である。近習、近臣。


丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。
丈人【じょうじん】1 年寄りを敬っていう語。 2 妻の父。岳父。○學種瓜 瓜を植えることを学ぶとは、秦の邵平が官を辞して、隠棲して、杜陵で瓜と桑を植えた、故事をふまえ、杜甫が隠遁したい旨を述べる。邵平は長安城の青門で瓜を売った。杜陵に植えたのは五色の瓜であった。官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
『文選』巻二三)其六に卲平東陵の瓜は五色であると。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)

南山下與老圃期種瓜  孟浩然
樵牧南山近,林閭北郭賒。
先人留素業,老圃作鄰家。
不種千株橘,惟資五色瓜。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
(下し文) 南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧 南山に近く、林閭 北郭に賒(とお)し。
先人 富農を留め、老圃 鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資(と)る。
邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬の旅をしたり、単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。

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曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247

曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247
曲江にて雨に対して作る。乾元元年三月上巳節の作であろう。三月最初の巳の日であったが、三月三日に固定された。

曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。


(曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】。

宮島(7)

現代語訳と訳註
(本文) 曲江對雨

城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?


(下し文) (曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】


(現代語訳) 曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。

 
(訳注)
曲江對雨

曲江池の辺で雨に逢う


城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
城上 曲江芙蓉苑の離宮の城楼のうえ。○苑牆 芙蓉苑のかき、土塀。○江亭 曲江のほとりの亭、作者の坐している四阿。○晩色 夕暮れがたのようす。黄昏時の景色。○ 閑静。〇年芳 一年のうちのかんばしいもの、花草の類をさす。


林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
燕支 べに。燕脂、臙脂色(濃紅藍)。○水荇 水草の名。あきざ。杜甫『醉歌行』「春光潭沱秦東亭,渚蒲牙白水荇青。」翠帯 みどり色のおびのように見える草木の枝や茎。


龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛られて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、この芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
竜武新軍 新たにおかれた竜武軍、竜武はその軍隊の名、禁中護衛の兵。○深駐輩 肇は手でひく車、粛宗は玄宗上皇を大極殿の奥に軟禁したので、深く輦をとどむという。杜甫は、玄宗の使いで鳳翔に来ていた房琯を擁護したこともあり、玄宗に肩入れをする以外に方法はなかったのだろう。○芙蓉別殿 芙蓉苑にある離宮。○謾焚香 留守居の官女などが香を焚く、謾とは玄宗の出遊もないのにいたずらにということ。


何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。
 粛宗の御命令をいう。○金銭会 上巳節に3月3日に固定された。中国では川で身を清めて不浄払いをする風習であったひな祭りにつながるが、曲江の山草において臣僚に宴を賜わることがあり、又、東天門に宴して、余興として楼下に金銭を撒いて臣下をしてこれを拾わせたことがあるのから、昔の頽廃した金銭会をいう。○佳人 ここの妓女のことを美人、教坊の民妓をいう。○錦瑟 錦の模様ある瑟。こない人を待ち続けることをたとえる妓女の常套語。玄宗をいくら待っても来ない人を待つかつては楊貴妃が待っていたが、今は妓女が待っている。
李商隠 1 錦瑟
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
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曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江のほとりで酒にむかって作った詩。前詩と同年の作。
758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。

l  送鄭十八虔貶台州司

l  臘日

l  宣政殿退朝出左掖

l  紫宸殿退朝口號

l  春宿左省

l  出左掖

l  題省中院壁

l  奉和賈至舍人早朝大明宮

l  送賈閣老出汝州

l  送翰林張司馬南海勒碑

l  曲江二首 其一

l  曲江二首 其二

l  曲江封酒

l  曲江封雨

l  曲江陪鄭八丈南史飲

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其一

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其二


曲江對酒
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(曲江にて酒に對す)
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時兼【とも】にして白鳥と飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを


現代語訳と訳註
(本文) 曲江對酒

苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

(下し文)曲江にて酒に對す
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時に白鳥と兼に飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを。


(現代語訳)
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(訳注)曲江對酒
曲江其三というべき連続の作品である。七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。


苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。 【首聯】
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
 芙蓉苑。○ 曲江。○水精、宮殿 水に映り輝く宮殿。水精は水の精。水星、辰星。水の中から産する珠。水の妖精。「珠水精、故以禦火灾」(珠は水精、故に以て火灾を禦【ふせ】ぐ)とある。また、水精宮とすれば、水晶で飾られた宮殿と見る場合も考えられるが、詩の雰囲気と杜甫のその時の心情を合わせて水晶の宮殿ではない。○ いよいよ、看るみるうちにいよいよ。○霏微 春光掩映のさまと、水気のこまかに飛散とぶさまのふたつの意味をいう。
 

桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。 【頷聯】
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
 花なる徴小物が微小物を逐う故にこまかという。○ 元来はおいはらう義であるが、唐時の俗用にあって後おいすがる義にも用いる。追涼というべきを逐涼という類であり、ここでは後追いの意味。○梨花 諸本楊花に作る、桃と楊と開花の時が同じくないからとて梨花という説もあるが、楊花、柳架とする。○ 「ともに」と訓ずるものがおおいのでしたがうが、読みにより意味は変わらない。


縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。 【頸聯】
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
縦飲 勝手きままにすきなだけ酒をのむ。○久判 「重過何氏」詩の第五首に見える。物を揮い棄てること、ここは自棄の義で、すて身、やけくそ、の意。
重過何氏五首  其五
到此應常宿、相留可判年。
蹉跎暮容色、悵望好林泉。
何日霑微祿、歸山買薄田。
斯遊恐不遂、把酒意茫然。
人共棄 世間の人はみなともに我をすてる、あいてにせぬことをいう。○懶朝 朝廷へ参向するのにものうい、病気欠勤をすること。○与世相違 世人と相そむいていること、人交流をしない。 


吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。 【尾聯】
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。
吏情 官吏としてのこころ、作者杜甫はこの時左拾遺を拜命している。○更覚 更とはこれまでも思っていたがそれよりもさらに、これまでよりももっとの義。半官半隠が理想であるが、それより、完全に隠棲したいという意味で次の「滄洲」を意識する。○滄洲 蒼海の向こうにある仙境をいう。○ こちらとへだたりがある。○老大 自己のとしよりの身であることをいう。こんなに年を取ってからでは。○悲傷 別には徒傷とするその場合 むだにかなしみいたむこと。○払衣 衣のちりをはらいさり、ここを去り滄洲に向かうことをいう。


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曲江二首 其二 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 245

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長安城郭015

曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。

曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。

花と張0104


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

(下し文) 曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。


 (現代語訳)
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。


(訳注) 曲江二首 其二
七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

 朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。 【首聯】

自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
朝回 朝廷よりかえる。○ 質におく。○江頭 江は曲江。頭はほとり。○尽酔 十分によう。


酒債尋常行処有、人生七十古来稀。 【頷聯】
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
酒債 飲酒料金の負債。○尋常 あたりまえ、めずらしくもなく。○行処 でかけてゆく先き先き。○人生(一句) 古諺であろう。『禮記』に「人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。四十曰強,而仕。五十曰艾,服官政。六十曰耆,指使。七十曰老,而傳。」とある。この句に基づいて、白居易に「人生七十稀,我年幸過之。」や「得見成陰否,人生七十稀。」の句がある。 ・人生:人が生きる。人が生きている間。人の生命。左氏『成公二』「人生実難。其有不獲死乎」(人生実に難し。其れ死を獲ざる有らん乎)律詩の不可欠としてこの聯の対句は酒債:人生、尋常:七十、行処有:古来稀である。○尋常 わずかな距離、ひろさ、土地。あるいは、「一尋=八尺」「一常=十六尺(一尋の倍)」と、やはり数になるからということもある。


穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。 【頸聯】
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
穿花 穿とは花のしげみを奥ふかくいりこむこと。○峡蚊 蝶々。○深深 おくふかいさま。○点水 点はぼちぼちと尻でたたくさま。○蛸挺 とんぼ。○欺欺 緩緩と同じ、ゆるやか。
 

伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。 【尾聯】
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。
伝語 ことづてする、風光に向かっていう。○風光 春景色。○ 我、汝(風光)とともに。○流転 移転、漂泊、排禍等の意。○相賞 風光を賞する。○莫相違 汝、我と違背することなかれ。


一つには、安史の乱の始まりから、叛乱軍に捕縛され、逃げ出し、そして「北征」し、鳳翔に戻り、又、鄜州羌村に、そして鳳翔へ、その後、長安に帰ったが、別には、朝廷の中での疎外感、自分の理想は、隠遁して「半官半隠」と心も流転している。風に、光にと行き来してみたいということも理解できる。杜甫の精神的な不安定さがピークと考えられる。
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