杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

五言古詩

廣徳2年764-61 《傷春,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<737> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4015 杜甫詩1500-737-974/2500

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。


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廣徳2764-61 《傷春,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<737> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4015 杜甫詩1500-737-974/250025

 

傷春,五首 〔二〕 
(この第二首は国事より家事に及んで傷んだ)

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)
鶯入新年語,花開滿故枝。
新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。
天青風卷幔,草碧水通池。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。
牢落官軍速,蕭條萬事危。
国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。
鬢毛元自白,點向來垂。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

不是無兄弟,其如有別離。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

巴山春色靜,北望轉逶迤。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

 

(春を傷む 五首〔二〕)

鶯入りて 新年語なり、花開きて故枝【こし】に満つ。

天 靑くして 風 幔【まん】を巻き、草碧にして 水 池に通づ。

牢落【ろうらく】官軍 速く、蕭条 万事 危し。

鬢毛 元【もとも】と自ずから白し、涙点【るいてん】 向い来たりて垂る。

是れ兄弟 無きならず、其れ別離 有るを如せん。

巴山 春色 静なり、北望 転【うた】た透迤【いい】たり。

蜀中転々圖

『傷春,五首 〔二〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春,五首 〔二〕

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

鶯入新年語,花開滿故枝。天青風卷幔,草碧水通池。

牢落官軍速,蕭條萬事危。鬢毛元自白,點向來垂。

不是無兄弟,其如有別離。巴山春色靜,北望轉逶迤。

 

 

(下し文)

(春を傷む 五首〔二〕)

鶯入りて 新年語なり、花開きて故枝【こし】に満つ。

天 靑くして 風 幔【まん】を巻き、草碧にして 水 池に通づ。

牢落【ろうらく】官軍 速く、蕭条 万事 危し。

鬢毛 元【もとも】と自ずから白し、涙点【るいてん】 向い来たりて垂る。

是れ兄弟 無きならず、其れ別離 有るを如せん。

巴山 春色 静なり、北望 転【うた】た透迤【いい】たり。

 

(現代語訳)

(この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。

国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

 

8世紀唐と周辺国00 

(訳注)

傷春,五首 〔二〕 (この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

鶯、花、天、山の青さ、風、草、池と春は当たり前のように來るし、自分の白髪頭も白さを増していくし、涙を止めようにも止まらず、兄弟は離れ離れのままである。どうしてこんな国になったのか。北の朝廷の方にきたいをしてもだめなのか。

 

鶯入新年語,花開滿故枝。

新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。

 

天青風卷幔,草碧水通池。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。

○幌 まく。

 

牢落官軍速,蕭條萬事危。

国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。

○牢落さびしいさま。

*杜甫は、現皇帝の代宗、その前の粛宗に対して厳しい見方をしている。左拾遺から左遷したのも粛宗である。代宗もイェスマンだけを取りたて、気ままな政治をしている。

 

鬢毛元自白,點向來垂。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

*ここはこの国は、この天子、それを支える官僚たちではどうしようもないことをいう。

 

不是無兄弟,其如有別離。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

○如「如何」とおなじ。

*唐は30里に一か所の駅伝制(駅亭・水亭)を整備していた玄宗の時代はきちんと書簡通っていたが、道路・水路もズタズタになっていることをいう。

 

巴山春色靜,北望轉逶迤。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

○巴山 閬州の山。

○逶迤 はるかに遠いさま、巴山のさまをいう。
月明峡01 

廣徳2年764-60 《傷春,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<736> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4010 杜甫詩1500-736-973/2500

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

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index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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廣徳2764-60 《傷春,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<736> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4010 杜甫詩1500-736-973/2500

 

 

製作年:764  廣德二年  53 ID14-736

卷別:巻十三 (卷二二八)  文體: 五言古詩 

詩題: 傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】 

製作作地: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 

 

 

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮闕。

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

 

『傷春五首〔一〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

 

 

(下し文)

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

(現代語訳)

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(訳注)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)これは収京の事実を知ってからかきそえた文句なのだ。したがって、詩のなかにはすこしも収京を知ったことにふれていない。○傷春 寿げしきを見て心をいたましめたこと、代宗がお逃げになられたことを悲しんだものである。

○巴閬 巴蜀、閬州をいう。

○傷春罷 この「傷春」の詩をつくりおわったことをいう。

○春前 春より以前に。(76312月)

○収宮闕 長安の宮門をとりかえす。吐蕃は広徳元年十月に長安を陥落させ、十二月に退却した。代宗は十二月に還京されたことをいう。

 

天下兵雖滿,春光日自濃。

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

 

西京疲百戰,北闕任群凶。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

○西京 天下の二京のなかでも特別な都である長安。この時、代宗は長安が西域異民族(ウイグルと吐蕃)に近いため洛陽【東都】を都にしようとしていた。この聯は、つまり、逃げる事ばかり考えていたということ。

〇百戦 たびたびの戦。

○北闕 北方の披(わき)の門、北というのは禁苑に面した門で、攻めやすいし、逃げやすいのでこういう。吐蕃侵入の方位である。

○群兇 多くのわるもの。吐蕃を導き入れた高暉・王献忠の輩をさす。「通鑑」に、「広徳元年、冬十月、吐蕃、京畿を陥る、渭北行営兵馬使呂月将、精卒三千を将いて吐蕃と蟄屋に戦い擒にせらる、又た涇州刺史高暉・射生将王献忠等、吐蕃を迎えて長安に入れ、郡王守礼が孫の承宏を立てて帝となす、」とみえる。

 

關塞三千里,煙花一萬重。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。(だから客観情勢がよく見える。)

○関塞 閬州のとりでをさす。

○三千里 長安よりの距離。

○煙花 煙を帯びた春の花。

〇一万重 多くかさなってみえる。

 

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

○蒙塵 天子の逃げだされたこと。

○清路急 清路は御通過の路すじをはききよめること、急とは掃除の暇のないことをいう。○御宿 天子の宿泊されるとこるが陜州という敵に見つかりにくい所ではあるが、縁もゆかりも少ない所であること。

○供 唐王朝の御先祖に対する政を放棄することは、国を放棄するのとおなじことである。

 

殷複前王道,周遷舊國容。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

○殷復 殷の武丁(高宗)は行いを修めて先王の政を復した。

○周遷 遷すのは「旧国容」(古き良き時代の国の姿かたち)である、国のすがたがかわったということ、周ははじめ鏑に都したが、犬戎に攻められ、平王のとき東方の洛邑に都をうつした。都を遷すのは、それによってよき施政を行うためである。先祖に恥ずかしくないのかということである。仁徳を忘れ、好き嫌いの政治を行っていることが前提にある。

 

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

○蓬莱 唐の大明宮の大掖池の中にある御殿の名。唐の宮中の象徴的存在で、大明宮のほぼ中心にあった。

○足雲氣 風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところである。

○応合 二字で「まさに云云すべし」。

○総 雲気のすべてが。

○従竜 「易」(文言)に「雲は竜に従い、風は虎に従り」とあり、竜は天子に此し、雲は群臣に比する。杜甫はこれまで玄宗をよく龍に喩えていた。

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杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#4そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。


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太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(下し文)

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

 

(現代語訳)

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

菖蒲02 

(訳注)#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

○皆聞 李鼎と驕貴の二人ともみな、富貴のものは誰でも。

○黄金多 かねをたくさんためこむ。かねはいずれも人民のものを搾取、略奪・奪取したもの。

○悔吝 ・悔は後悔、・吝りん【吝】[漢字項目]とは。意味や解説。[音]リン(呉)(漢)[訓]やぶさかしわい物惜しみをする。けち。「吝嗇(りんしょく)/倹吝・慳吝(けんりん)」。

 

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

○田舎翁 いなかおやじ、自己をいう。

○厚貺 あついたまもの。

以上は更に推しひろめて奪惨の例をひき、縟段をうけるべきではないことをいう。

 

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

○錦鯨 にしきのくじら、禅段の模様。

○還 返す、もどす。

 

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

○粗席 粗末なむしろ、杜甫が客をもてなすこと。。

○茄 食ろう、くわせることをいう。

○藜羹 【れいこう】あかぎのお汁。アカザのあつもの。転じて、粗食。藜羹を食らう者は大牢の滋味を知らず。《「藜羹」は粗食、「大牢」はすばらしいごちそうの意》粗食に慣れた者にはごちそうの味がわからない。つまらない人間には高尚なことや重大なことは理解できないことのたとえ。

以上は自己の貧賎を以て満足することをいう。
杜甫像0012 

廣徳2年764-36-3 《太子張舍人遺織成褥段―#3》 ふたたび成都 杜甫<667-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3815 杜甫詩1000-667-#3-957/1500

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#3「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。


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太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

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李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

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皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

江畔独歩尋花 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

 

(下し文)

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

来瑱【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

(現代語訳)

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

 

(訳注) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

○当路子 要路に当たっている人、権勢の地位にある臣。上の権威、権力を利用し、その権勢をほしいままにするもの。

 

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

○衣馬肥軽 『論語(雍也)』「乗肥馬、衣軽裘」軽くて美しいかわごろもと肥えた馬。富貴な人の外出の時のいでたち。転じて富貴な人。

 

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

○李鼎死岐陽 粛宗の上元二年、羽林大将軍李鼎を以て鳳翔尹・興鳳隴陳等州節度使と為した、二月、党項羌が宝雞に寇して、大散関に入り、鳳州を陥れたとき、鼎はこれを邀え撃った。六月、鼎を以て鄯州刺史・隴右節度史と為した、しかし其の死は史書には見えない。此の詩に「死岐陽」というのは、思うにまだ瀧右に至らぬうちに非命に死んだものであろう。

○驕貴盈 驕貴はおごりと、地位の貴いこと、盈は十分驕貴を極めたこと。

 

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

○来瑱 宝応元年、来瑱が山南東道節度使となったとき、裴莪は瑱を屈強にして制し難しと表したため、粛宗は潜かに莪をして瑱を図らしめたが、六月、瑱は莪を申口に擒にし入朝して罪を謝した、広徳元年正月、莪を播州の尉に配し、翌日死を鄂県に賜うた。

〇自盡 自殺すること。

○気豪 気のあらいこと。

○阻兵 兵を恃むこと、「左伝」(隠公四年)に「兵を阻みて忍に安んず」「兵を阻めば衆なし」とみえる。
8世紀唐と周辺国00 

廣徳2年764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#2このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(15)(末央宮の内外)#6 文選 賦<114―(15)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1052 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3808
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <965>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3809韓愈詩-260
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 13 -1 虞美人六首 其一 顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-453-13-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3812
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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廣徳2764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。
服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

 

8世紀唐と周辺国00 

太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

 

(下し文)

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

(現代語訳)

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

江畔独歩尋花 

(訳注) 2

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

 

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

○領 うけいれる。

○珍重意 珍重とは珍とし貴重なものであることをいう。

○公卿 三公九卿、高位の臣。

 

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

○留之 之とは樽段をさす、留とはもらって自分の手もとにとめおくこと。

○不祥 不書。

○施之 施とは用いること、敷きこむことをいう、之は褥段。

○混柴荊 柴荊の門庭において他物と混雑することをいう。

 

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

○服飾 身につけかざるもの。

○定尊卑 人の身分のとうときといやしきとをきめる。

○万古程 千年万年にわたってかわらぬ「のり」のこと。

 

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

○裋褐 毛で織った粗末な着物の上に着る毛布のような上チョッキ。裋褐の意味や日本語訳。ピンインshùhè((文語文[昔の書き言葉])) 粗末な木綿の服.

○更無営 他に求め為すことがない、それで満足している。

 

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

○煌煌 かがやくさま、「物」へかかる語。

○珠宮「楚辞」にみえる、竜宮のこと、禁中をさしていう。

○寝処 寝たり起きたりその上に居ることをいう。以上は褥段を受けてはならぬことをいう。
成都遂州00 

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杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#1》 シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”


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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 296 《奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3806 (02/25)
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

カンナ223 

客の珍重なる意を領す 顧【おも】うに我は公卿に非ず

之を留むるは不祥ならんことを憤る 之を施せば柴荊【さいけい】に混ず

服飾は尊卑を定む、大なる哉 万古の程。

今我一機老なり 短裾更に営むこと無し

塩焼たり珠宮の物 寝処するは禍の嬰る所なり』

【】

嘆息す当路の子 千曳尚お縦横なり

掌握権柄有り 衣馬自ずから肥軽

李鼎岐陽に死するは 実に騎貴盈つるを以てなり

来項目尽を賜うは 気豪にして直ちに兵もて阻めばなり

皆聞く黄金多しと 坐ろに見る悔香の生ずるを

奈何ぞ田舎翁 此の厚姐の情を受けん』

錦鯨巻きて客に還す 始めて覚ゆ心の和平なるを

我が鹿席の塵を振い 客に奉糞を茄らわしむるに愧ず』

江畔独歩尋花 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #1

客從西北來,遺我翠織成。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

客雲充君褥,承君終宴榮。

空堂魑魅走,高枕形神清。

 

(下し文)

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神清しと。』

 

(現代語訳)

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

杜甫像00杜甫像00 

(訳注) #1

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

○太子張舎人 太子舎人張某。

○遺 貽【おく】る。

○織成 毛織りもの。

○褥段 しとねにする絨段。

 

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

○客 つかいの人。

○西北 何れの地をさすかは不明だからこう表現した。ペルシャ織物がシルクロード通過する北西の方向になる。

○翠 みどり。

 

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

○緘 篋をカラガクもの、封緘。

○風涛 海の波模様をいう。

○掉尾鯨 尾をうごかすくじら。

 

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

○逶迤 うねりつづく。

○水族 魚類。

○瑣細 こまかなもの。

○名 名ざしていう。

 

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

○充君褥 以下、次の聯「形神清」までは客の言である。

○君終宴栄 栄を荷なうというのに似る、謙遜のあいさつである。終宴は宴が始まって終りまで。

 

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

○空堂 人のいない座敷。

○魑魅走 怪物が逃走する。

○高枕 たかまくらで寝る。

○形神 肉体も精神も。

○清 すがすがしい。以上は客、樽段を持っておくりその効能を述べたことを叙する。

8世紀唐と周辺国00

廣徳2年764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

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廣徳2764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

 

 

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこばせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

江畔独歩尋花 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。
我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

公來練猛士,欲奪天邊城。 

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕  #1

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

#2 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

#3 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #3

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

(下し文)

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

(現代語訳)

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

成都西側002

(訳注)

揚旗#3〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

三州 犬戎 ,但見 西嶺

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

「三州」松州、雅州、卭州。廣德元年,劍南節度高適の軍が間に合わず、吐蕃が来寇し保寧都堵府の管轄の松、維と保三州が陥落した

「陷」戰爭活動、陷落。侵略

「犬戎」西方異民族、ここでは吐蕃。

「西嶺」西嶺山脈。元来吐蕃国境の山脈をいう。

「青」綠。雪をかぶった山脈に春が来て緑に変わること。

 

 

公來 練猛士 ,欲奪 天邊

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

「公」厳武公。成都尹、東西川節度使

「「猛士」壯士。

「天邊城」保寧都堵府など国境周辺の城郭。

 

此堂不易 升,庸蜀 已寧

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

「此堂」成都尹、東西川節度使の幕府の奥の堂。幕府のスタッフ。

 

吾徒 且加餐 ,休適 與荊

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。
成都遂州00

廣徳2年764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

杜甫《揚旗―#2》杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。


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廣徳2764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

 

 

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

松03 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #2

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

 

(下し文)

回回として飛蓋を偃し,熠熠として流星を迸ぶ。

來纏は 風飆して急なり,去擘するは山岳傾けり。

材歸る 俯して身は盡くするを,妙取す 略地は平らかにするを。

虹霓 掌握に就き,舒卷 人輕に隨う。

 

(現代語訳)

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

杜甫像00 

 

(訳注)

揚旗#2〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

回回 飛蓋 ,熠熠 流星

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

「回回」成都尹から都に呼び戻され、そして今度は成都に戻ってきたこと。

(若い時から定住していないこと、しかも、762年厳武が都に還されるときに梓州まで見送って以来実質一年半年閬州を中心にめぐり廻った。)周り回って、移動し、風に吹かれ、車の傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせ、逃げ惑ったものだ。

「偃」1 風になびく。「草に風を加ふる時は―・さずといふ事なし」〈太平記・八〉2 ひれ伏す。平伏する。付き従う。のいふす。

「飛蓋」屋根の変わりに車に立てた傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせる。東晉・陶潛の『詠荊軻』「登車何時顧,飛蓋入秦庭。」(車に登りては何れの時にか顧りみん,蓋を飛ばして秦庭に入る。)。

「熠熠」光芒、閃閃、光り輝くさま。

「迸」ほとばしる【迸る】とは。意味や解説。[動ラ五(四)]《古くは「ほとはしる」「ほどはしる」とも》1 勢いよく飛び散る。また、激しく流れ出る。噴き出る。「鮮血が―・る」「蛇口から水が―・る」2 とびあがる。おどりあがる。

「流星」語義類別:物、天文、星、流星。

 

來纏 風飆 ,去擘 山岳

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

「風飆」【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。

 

材歸俯身 盡,妙取 略地

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

「略地」吐蕃の侵入地、略地。隴西、蜀の西部から北部のかけての地域のこと。

 

虹霓 就掌握 ,舒卷 隨人

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

「虹霓」【こうげい】とは。意味や解説。《竜の一種と考え、雄を虹、雌を霓・蜺としたところから》にじ。

「舒卷」 時に応じて進退をすること。書物を開くこと。・舒(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S )姓.舒 shūchàng[]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.・卷 まくこと
江畔独歩尋花 

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杜甫《揚旗―#1》錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。


2014年2月22日 の紀頌之5つのブログ
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廣徳2764-35-1 《揚旗―#1》 ふたたび成都 杜甫<666-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3790 杜甫詩1000-666-#1-952/1500 771

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

作地點: 目前尚無資料 

 

揚旗
(旗をかかげる。)〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

杜甫像00 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #1

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

江雨颯長夏,府中有餘清。 

我公會賓客,肅肅有異聲。 

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。
 

(下し文)

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

(現代語訳)

(旗をかかげる。)〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

松01 

 

(訳注)

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 

 

江雨 長夏 ,府中 有餘

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

「江」錦江。

「府」幕府。

 

 

我公 賓客 ,肅肅 異聲

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

「公」厳武公。

「會」會見。

「賓客」賓客が訪れることは、政治情勢が落ち着いてきたことを示す。

「異聲」異民族の言葉も飛び交う。

 

初筵 軍裝 ,羅列 廣庭

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を閲見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

「初筵」飲食、宴席の初のころ。

」検閲、閲覧、閲見する。

「軍裝」軍服。

「羅列」語義類別:人、行為動作、一般行為(手部)、排。

「照」語義類別:其他、現象、自然現象、照。

「廣」語義類別:物、形容詞彙(物)、景物形態、廣。

「庭」語義類別:物、建築物、園林院落、庭。

 

庭空 六馬 駊騀揚旗旌。 

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

「庭空」庭の空地に六頭の馬が入っている。馬車は5頭立てまでで、六頭までは取り換え用の馬を同時に走らせることはあるにしても空地にはおくことはない。

六馬 六馬についてよいことわざはない。・朽索の六馬を馭するが如しとは。《「書経」五子之歌から》腐った縄で六頭の馬を操るように、非常に困難で危険なことのたとえ。

・六馬和せざれば造父ももって遠きを致すあたわず. , 六馬和せざれば造父も以て遠きを致す能わずとは、どんなことでも、人々の気持ちが一つにならなければ、最後までやりとげることはできないことのたとえ。

駊騀 とっきがどこまでもつづく

『甘泉賦』 

攢幷閭與兮,紛被麗其亡鄂。

崇丘陵之駊騀兮,深溝嶔巖而為谷。

𨓹𨓹離宮般以相燭兮,封巒石關施靡乎延屬。

幷閭【へいりょ】と茇【ばつかつ】とを攢【あつ】め,紛として被麗【ひり】として其れ鄂【かぎ】り亡し。

丘陵の駊騀【はが】たるを崇くし,深溝【しんこう】嶔巖【かんがん】として谷を為す。

𨓹𨓹【おうおう】にして離宮ありて、般【つら】なり以って相い燭【て】らし,封巒【ほうらん】石關ありて、施靡【いび】として延屬【えんぞく】す。

棕櫚やはっかも群生し、散らばってどこまでも茂っている。

丘陵は険しくそびえそれがどこまでも続いて、そこに深く切り立った岩場の谷がある。

その辺りには、あちこちに離宮が立ち並び、それでもって輝きを競っており、封巒観・石関観などが、長く延び、つながっている。

揚雄 《甘泉賦 (8)#3-2 文選 賦<108-(8)#3-29分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩861 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2853

旗旌 節度使軍のはたとのぼり。旗幟(きし)。騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-34-2 《水檻―#2》 ふたたび成都 杜甫<665-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3785 杜甫詩1000-665-2-951/1500770

杜甫 《水檻―#2》 悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。


2014年2月21日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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廣徳2764-34-2 《水檻―#2》 ふたたび成都 杜甫<6652> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3785 杜甫詩1000-6652-951/1500770

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干
蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

既殊大廈傾,可以一木支。 

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

臨川視萬里,何必闌檻為。 

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生感故物,慷慨有餘悲。 

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

松01 

 

『水檻 #2』 現代語訳と訳註

(本文) #2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

既殊大廈傾,可以一木支。 

臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

(下し文)#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

 

(現代語訳)

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

杜甫像00 

 

(訳注)

水檻 #2

 

扶顛 勸誡 ,恐貽 識者

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

・「扶顛」國を治める道、何処から見られてもやましいことがない。

・「勸誡」善をすすめ、悪を制すること

・「恐貽」悪事を続けて子孫におそれを抱く。

・「識者」見識のあるもの。

・「嗤」ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。 「愚かしさを-・う」 「陰で-・っている」 「鼻先で-・う」 「天の下に-・はれなまし/日本書紀 継体訓」. . つぼみが開く,花が咲く。 「花が-・い,鳥が歌う」. . 果実が熟して割れ目ができる。。

 

既殊 大廈 ,可以一木

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

「殊」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、異同(異)。

「大廈」国は、既にこともあろうに大屋根、宮室屋廬。

「傾」語義類別:物、形容詞彙(物)、物品形態、傾。

・「可以」(1) …できる,可能である.◇否定は不能.(2) …してよい,許される.儿可以打球ここではボール遊びをしてもよい.◇否定は不可以不能(3) …するに値する.◇否定は不得.━ [](1) けっこうな,なかなかよい写得.

 

臨川 萬里 ,何必 闌檻 為。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

 

人生 故物 ,慷慨 餘悲

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

「人生」人生機遇。杜甫は半官半隠が理想と考えている。

「感」感情。

「故」故郷に帰れる保証もないが、ここにいて満足できる人生というものがあるのか。

「慷慨」1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。また、そのさま。

「餘悲」悲哀傷痛が余りあり人生を送ってきた。

 陶潜『挽歌三首其三』「親戚或餘悲,他人亦已歌。」(;親戚或は餘悲【よひ】あらんも. 他人亦た已に歌えり.)親戚は引き続き悲しんでくれるだろうが、他人はもう鼻歌を歌っているにちがいない
江畔独歩尋花 

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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

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臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

成都関連地図 00 

 

『水檻 #1』 現代語訳と訳註

(本文)

水檻 #1

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

遊子久在外,門無人持。 

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

 

(下し文)

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

 

(現代語訳)

川に臨んだ船着き場の欄干

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

隋堤01 

(訳注)

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

761年春、この水檻について述べている。『江上水如海勢聊短述』に見えた水檻に立ち、あたりをながめて隠棲生活をたのしむことをのべる。『水檻(遣心は、川に臨んだ欄干に寄りかかってあたりを眺めやるという意味で、草堂のから一年たった2月の作である。この年は去年の春雪解けの水より、増水が多く岸いっぱいに流れたのだ。

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

春水生 二絶其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 10)  杜甫 <415  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2020 杜甫詩1000-415-598/1500

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

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水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

 

 

蒼江 風飆 ,雲雨 晝夜

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

「蒼江」綠の流れの大江。

「風飆」渦を巻きながら激しく舞い上がる風。大風。 「飄」「颶」「旋風」とも書く。 【飆飆】ひょうひょう. 風の激しく吹くようす。 【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。。

「雲雨」語義類別:物、天候氣象、合稱(相異詞)、雲雨。

「晝夜」語義類別:時、時間、相對時間、晝夜。

「飛」語義類別:其他、現象、自然現象、飛。

 

茅軒 駕巨浪 ,焉得不 低垂

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

「茅」茅葺きの家。浣花渓草堂。

「軒」軒下。窗。

「巨浪」大浪。杜甫草堂前の濯錦江の暴風が吹いて大波が起こる。

「低垂」水檻は杜甫の家、あるいはこの地域の船着き場で、この河川には、干ばつでも水が絶えることはなかったことをいう。

 

遊子 在外 ,門 無人

旅人としてここ久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

「遊子」この草堂を離れて、閬州、梓州を転々としていた自分をいう。

 

高岸 尚如谷 ,何傷 浮 柱攲

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

「柱攲」この水檻は四阿からつづいてあったもので、四阿の柱か、欄干の柱であろう。その柱に倚りかかってこの川を眺めているとということ。

 nat0019

廣徳2年764-33-2 《 破船ー#2》 ふたたび成都 杜甫<664-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3775 杜甫詩1000-664-2-949/1500768

杜甫《 破船ー#2》天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。


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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。
蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

故者或可掘,新者亦易求。 

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

所悲數奔竄,白屋難久留。 

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

成都関連地図 00

 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

(下し文) #2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

(現代語訳)

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

江畔独歩尋花 

 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

船舷 不重 ,埋沒 已經秋

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

・「船舷」ふなばた。ふなべり。杜甫は、760761の詩に成都浣花渓草堂で舟を持っていたことを述べており、近隣街に行っている。。草堂の前に流れる濯錦江に係留したのである。

・「扣」ひか・える〔ひかへる〕【控える/×扣える】㋐用事や順番に備えて、すぐ近くの場所にいて待つ。待機する。㋑目立たないようにしてそばにいる。㋒空間的・時間的に迫っている。近くに位置する。また、近い将来に予定される。㋐度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。㋑自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。㋒空間的・時間的にすぐ近くにある。近い所に持つ。あまり時を置かないで予定している。㋓忘れないように、また、念のため書きとめておく。㋔衣服などを、おさえつかんで、行かせないようにする。引きとめる。㋕引く。引っぱる。

・「埋沒」浣花渓草堂に隠遁することから、梓州、閬州に逃避していたことを云う。。

 

仰看 西 飛翼 ,下愧 逝流

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

「仰看」下句「下愧」が「仰看」と上と下の対語、対句であるが、ここでは大局観と卑近なものの見方ということ。

・「西」成都。

・「東流」東部、江南方面に行くということではあるが、ここでは長いものにまかれる。卑近なことに流されていくということ。

 

故者 或可掘 ,新者 亦易求

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

 

所悲 奔竄 ,白屋 久留

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

・「奔竄」【ほんざん】にげかくれること。

・「白屋」頭のてっぺんに白いものを載せている。白髪頭。
杜甫像00 

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杜甫《 破船ー#1》この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立ってどういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。
豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

江畔独歩尋花 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

鄰人亦已非,野竹獨修修。

 

 

(下し文)

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

 

(現代語訳)

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立ってどういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

成都遂州00 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

平生 江海 ,宿昔 扁舟

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

・「平生」語義類別:時、時間、範圍時間(生)、平生。

・「江」江陵、江南。

・「海」長江下流域。滄海、紹興など呉越地方。

・「心」語義類別:人、狀態、心神氣力、心。

・「宿昔」今からいう昔、ここでは若いころ。

・「具」準備。

・「扁舟」小舟を浮かべること。孤独の旅を意味する。

 

豈惟青溪 ,日傍 柴門

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

・「青溪」春麗らかな渓谷。のんびり過ごしたことを云う。呉越地方に良い印象を持っているということ。

・「上」川、渓谷のほとり。水に泛ぶ

・「柴門遊」寺に泊まって勉強したことを言う。

 

蒼皇 避亂 ,緬邈 舊丘

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

・「蒼皇」驚いて肝をつぶし、恐れおののく気持ち。ここは安史の乱によって家族と飛散し、自身は安史軍に掴まった。そこから命からがら逃げだした。しかしこれら一連のことは、杜甫には恐怖体験のトラウマが強く残っているのである。

「緬邈」綿邈【めんばく】 はるかに遠いこと。

「懷舊丘」秦州、同谷、成都と紀行しやっと落ち着いた浣花渓草堂も「舊丘」となってしまったことをいう。

 

鄰人 亦已非 ,野竹 獨修修

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。
竹林001 

廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

杜甫《四松》#3 この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

 

2014年2月17日 の紀頌之5つのブログ
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張平子(張衡)《西京賦》(6) #2-3 文選 賦<114―(6)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1043 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3763
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-32 《四松》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

 


 


作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

 


 


四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

我生根帶,配爾亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。 

松03 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 

松01 


 


『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 


(下し文) #3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 


(現代語訳)

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。
 


(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)#3

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

 


足以送 老姿 ,聊待 偃蓋 張。

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

・「送老姿」この松は私の老後を過ごす友とする。

・「偃蓋」偃蓋のように末が成長することを云う。。

 


我生 根帶 ,配爾 亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

・「無根帶」木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがない。陶淵明『雑詩十二首其一』「人生無根帶、飄如陌上塵。」(人生 根帯無し、飄たること陌上の塵のごとし。)

・「茫茫」1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉3 草・髪などが伸びて乱れているさま。

 


有情 且賦詩 ,事跡 可兩忘

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

 


勿矜 千載 ,慘澹 穹蒼

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。

・「矜」負面情感、驕矜自恃。

・「穹蒼」天文、天空、穹。
江畔独歩尋花

竹林001


 

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2014年2月16日 の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

松02 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

 

(下し文) #2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

 

(現代語訳)

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

松03 

 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。 

 

終然 損,得吝 千葉

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

」跳ね飛ばされて。ふきとばされること。

「吝」防ぐ役割をする。

「千葉黃」多くの葉が黄ばむ。 

 

敢為 故林 ,黎庶 猶未

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

「敢」一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえて~する。

「故林主」もとの農林園の主となった。

「黎庶」おおくの人民。 

 

避賊 今始 ,春草 滿 空堂

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

「避賊」盗賊や戦乱を避けて、飛散していた。 

 

覽物 衰謝 ,及茲慰 淒涼

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

「淒涼」空虚な侘しい気持ち。 

 

清風 為我 ,灑面 若微霜

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

「清風」松はおごそかなもので、五陵の東側に植えられるもので、そこでの雰囲気がここにもあると詩人らしく強調する。。

「灑面」ここは強い風ではなくそよ風に頬を撫でられるということ。

「微霜」細かい霜が降りた奇麗な面。

廣徳2年764-30 《四松#1》再び成都 杜甫<670> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

杜甫《四松》#1 この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。


2014年2月15日 の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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廣徳2764-30 《四松》再び成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

 

松03 

764年二月に入って、いよいよ閬州を出発して、江陵に向おうとしていたとき、厳武が再び成都尹・兼剣南東西川節度使として成都に帰ってくるという知らせを聞いた。杜甫は出発間際まで東下の決心がつかずにいたらしく、さっそく船を出すことをやめ、暮春三月、家族を連れて、懐かしい成都に帰っていった。

「草堂」の詩には、成都の草堂に帰ったときの様子を次のように詠っている。「入門四松在、歩履萬竹疏。」

(「門に入ると、わが手で植えた四本の松はちゃんとあったが、草履はきでぶらついてみると、密生していた竹はまばらになっている。)廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

草堂に帰ってきた杜甫は、そこに腰を落ち着けて、畠を耕し薬草を栽培して暮らそうとしていたが、厳武は親しい友に野老暮らしをさせるに忍びなかったのか、杜甫を朝廷に推薦して、節度使の参謀・検校工部員外郎(工部の員外郎は従六品上の加官で、実際の仕事は節度使の参謀)とした。杜甫は仕方なく、成都城内の役所に出かけて、幕僚としての生活を始めた。

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 
杜甫像0012 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文)

四松 #1

四松初移時,大抵三尺強。 

別來忽三載,離立如人長。 

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

 

 

(下し文)

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

 

(現代語訳)

762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

松01 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

杜甫は、成都浣花渓に家と農園を作った。杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は12日、草堂が23週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4蕭実には桃の苗百本、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5韋続には綿竹県の竹を、

華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。

江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、

「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」

7. 韋班には松の苗木を、

落落出羣非柳,青青不朽豈楊梅?

欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。

大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。

君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐

9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、

詣徐卿覓果栽

草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。

石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、

10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』

草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。

 番号は掲載順である。

そして、この地に761年春、

西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2)  杜甫 <407 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1980 杜甫詩1000-407-590/1500

客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

春夜喜雨 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 8)  杜甫 <413  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2010 杜甫詩1000-413-596/1500

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

春水生 二絶其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 10)  杜甫 <415  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2020 杜甫詩1000-415-598/1500

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

と、挙げればきりがないほどこの地を愛した。それを最もよく表しているのが、『江畔獨步尋花七句』と『絶句漫興九首』である。この時期に庭に四本の「松」を植えたのである。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 

その秋には台風によって茅葺の屋根を飛ばしている。

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500

この成都浣花渓での詩にはこの地が嫌になったとか、離れたいとか言った内容のものは皆無なのである。その愛すべきこの地の象徴は、草堂であり、最も安定した時期に植えた、「四松」であったのだ。

 

四松 初移 ,大抵三尺 強。

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

「四松」語義類別:其他、數詞、定量數詞、四。

「移」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、移。

「大抵」1 事柄の主要な部分。「事の―を知る」2 事柄のあらまし。だいたいのようす。また、全体のうちの大部分。おおよそ。おおかた。

「三尺」三尺強は、三尺は93cmであるから1m程度の高さがあったということ。

 

別來 三載 ,離立 如人

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

「三載」三年。 762~764年。

「離立」2本ずつを間隔を置いて並べて。

「人長」大人の背丈。

 

會看 不拔 ,莫計 凋傷

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

 

幽色 秀發 ,疏柯 亦昂藏

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

「幽」松の葉が松の葉を陰にするさま。濃い緑をさらに濃くするさま。

「昂藏」意気の盛んなさま。元気に成長。

 

所插 藩籬 ,本亦有 隄防

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

「藩籬」幹を守るため籬を立てて保護すること。

「隄防」川の傍であるため杭を打っておいたもの。

江畔独歩尋花 

廣徳2年764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

杜甫《草堂 #8》兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。


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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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廣徳2764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

#6

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

隋堤01 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

(下し文)

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

 

(現代語訳)

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

 

 (訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

○甯 安寧。

○健児 兵士、武卒をいう。

 

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

○飄搖 ただようさま。

○風塵 かぜほこり、兵馬よるものをいう。

○老夫 おやじ、杜甫の謙遜語。

 

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

○于時 時は時人をさす。この時世にあたって。

○疣贅 床も賓もともにこぶのこと、邪魔物であることをいう。○骨髓幸 精力の尚お在ることをいう。

 

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

○飲啄 鳥に関する語である、水をのむ、ものをついばむ。人の飲食のこと。

○残生 老いてのちの生活、「飲啄悦残生」とは残生にあたり飲啄することを愧じる意である。

○食薇不敢余 一本に敢を願に作る、「食薇不願余」は古詩の成句であり、薇を食うほどの粗食に甘んじて其の他をねがわないことをいう、以上は帰ってのちの身世の感をのべる。

杏の花01 

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詩文(含異文)

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞【都適無虞】。

請陳初亂時,反復乃須臾【反復乃斯須】。

大將赴朝廷,群小起異圖〔初,嚴武入朝,徐知道反,旋為其下李忠厚所殺。〕

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒【自及梟徒】。

義士皆痛憤,紀綱亂相踰。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜【孰能辨無辜】。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

談笑行殺戮,濺血滿長衢【血滿長衢】。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬【妾與鬼馬】,色悲充爾

國家法令在,此又足驚吁。

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,復來薙榛蕪。

入門四松在,步屧萬竹疏。

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆【酤酒提壺】。

大官喜我來【大官我來】,遣騎問所須。

城郭喜我來【城郭我來】,賓客隘村墟【賓客村墟】。

天下尚未寧,健兒勝腐儒。

飄颻風塵際【飄風塵際】,何地置老夫【何地老夫】。

於時見疣贅【於時疣贅】,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。 

 

 

 

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廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

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廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

l   韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌】【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖引】【案:曹霸官左武衛將軍。】

l   送韋諷上閬州錄事參軍

l   丹青引贈曹將軍霸

l   南池【案:在閬中縣東南,即彭道將魚池。】

l   憶昔,二首之一

l   憶昔,二首之二

l   釋悶

l   贈別賀蘭銛

l   別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】

l   閬山歌

l   閬水歌

l   草堂

l   四松

l   水檻

l   破船

l   揚旗【案:自注:二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。】

l   太子張舍人遺織成褥段

l   過南鄰朱山人水亭

l   寄賀蘭銛

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

l   題桃樹

l   懷舊

l   有感,五首之一

l   有感,五首之二

l   有感,五首之三

l   有感,五首之四

l   有感,五首之五

l   送李卿曄【案:曄,淮安忠公琇之子,時以罪貶嶺南。】

l   城上【空城】

l   傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之二【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之三【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之四【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之五【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   奉待嚴大夫

l   奉寄高常侍【寄高三十五大夫】

l   奉寄章十侍御【案:自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?】

l   將赴荊南寄別李劍州

l   奉寄別馬巴州【案:自注:時甫除京兆功曹,在東川。】

l   泛江

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

l   暮寒

l   雙燕

l   百舌

l   遊子

l   江亭王閬州筵餞蕭遂州

l   句,二首之一

l   句,二首之二

l   滕王【案:元嬰。】亭子【案:自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

l   玉臺觀【案:自注:滕王造。】

l   滕王亭子

l   玉臺觀

l   渡江

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   別房太尉墓【案:在閬州。】

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

l   登樓

l   春歸

l   歸雁

l   贈王二十四侍御契四十韻【案:王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。】

l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

l   寄李十四員外布十二韻【案:自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。】

l   歸來

l   王錄事許修草堂貲不到聊小詰

l   寄邛州崔錄事

l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   立秋雨院中有作【立秋日雨院中有作】

l   奉和嚴大夫軍城早秋

l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

l   遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

l   嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   陪鄭公秋晚北池臨眺【案:草堂逸詩拾遺。】

l   哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

l   送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】

廣徳2年764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500 762

杜甫《草堂 #7》以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。


2014年2月13日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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廣徳2764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500762

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

杜甫像0012 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

(下し文)

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

 

(現代語訳)

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

(訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

○低掴 さまよう。

 

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

○酤酒 酒を買ってくる。

○胡産 ふくべ、瓢箪。

 

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

○大官 厳武節度使、幕府の役人らをさす。

○所須 いりようなもの。須:用いる、必要とする。

 

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

○城郭 そこの人人。

○隘 せまいと感ぜられるほどたくさんに集まって来る。草堂に帰ったことをのべる。
江畔独歩尋花 

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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廣徳2764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500761

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

成都遂州00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

 

(下し文)

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

(現代語訳)

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

 

(訳注) #4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

○賤子 いやしいもの、自己をさす。

○且 しばらく、いささか。

○奔走 かけまわる、梓州・閬州の方面へいったこと。

〇三年 762年宝応元年秋より764年広徳二年春まで。実質1年半である。

○望東呉 長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいとしてながめる。中國の常識で川の流れは西から東へと流れるもの、東は下る意味を持つ。

 

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

○弧矢 ゆみ、や、兵乱を征定するために用いるもの。「易」(繋辞)にいう、「木二弦シテ弧卜為シ、木ヲ則リテ矢卜為シ、弧失ノ利、以テ天下ヲ威ス」と。○江海 揚子江や海、江蘇の地方をいう。

〇五湖 菱湖・游湖・莫湖・貢湖・胥湖。みな太湖の東岸の五湾である。

 

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

○舎此 「此れを捨てる」草堂の地を捨て去ること。

○復来 またかえってきて。

○薙 なぎ刈る。

○榛蕪 はりのやぶ、草むら。

 

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

〇四松 前年植えた四本のまつ。

○歩履 草履であるく。
竹林001 

廣徳2年764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

杜甫《草堂 #5》被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。

2014年2月11日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(35)(白雉の詩) 文選 賦 賦<113―35>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1037kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3733 (35)(白雉の詩)
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《別趙子》#3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <950>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3734韓愈詩-245
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 282 《遊城南十六首:風折花枝》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3736 (02/11)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

 

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

くちなしの花 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

鶯00成都関連地図 00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)  #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

 

(下し文) #5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

 

(現代語訳)

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

 

(訳注) #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

○談笑行殺戮 わらいばなしをしながら。惨忍なさまである。

○濺血 そそぐところの血。

 

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

○用鉞地 鉞は死刑につかわれるまさかり。用鉞とは人殺しの刑を行なったことをいう。

〇号呼 被殺者のなきさけぶこえ。

 

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

○鬼妾・鬼馬 鬼は殺されてしまった者をいう、鬼妾鬼馬とは被殺者のあとに残され存している妾と馬のこと。

○色悲 口ではいえないが顔色では悲痛のありさまをしておるのにとの意。

○爾 賊徒をさす。

 

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

○此 前述の惨膚な挙動をさす。

○籲 うれえる、以上は乱兵の虐殺をのぺる。
草堂002 

廣徳2年764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

杜甫《草堂 #4》謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。


2014年2月10日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(34)(寶鼎の詩) 文選 賦 賦<113―34>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1036 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3728
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《別趙子》#2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <949>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3729韓愈詩-244
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ廣徳2年764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor12 -10 薄命女一首 其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-437-12-#10  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3732
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩韓愈全詩李白全集文選花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

江畔独歩尋花 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

 

(下し文) #4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

 

(現代語訳)

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

 

紅梅002 

(訳注)#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

○義士 義の士。

○紀綱 紀は糸の乱れを治めるくくりめ、綱は網をひきしめる大づな、秩序をさしていう。

○逾 乱徒がこえることをいう。

 

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

○一国実三公 一つの国に三人の家老がある、「左伝」(僖公五年)にみえる。李忠厚らの同輩をさす。ここは政権の不統一をいう。

○為魚 「史記」(項羽紀)に、「今、人は方に刀狙たり、我は魚肉たり」とあるのによれば姐上の魚肉のごとく肴にされることをいう。「左伝」(昭公五年)に、劉定公のことばとして「南なかりせば吾は其れ魚たらんか」とあり、「後漢書」(光武紀)に、「之を決して之に港げば、百万の衆、皆魚たらしむべし」とあるのによれば人が溺死して魚のごとくになることをいう。

 

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

○唱和 謀反の者同士がおたがいに唱和すること、甲がとなえて乙が賛成附和する。特に国内外の異民族と唱和するケースが多くあった。

○作威福 「尚書」(洪範)には人君のみが「威を作し福を作す」ことをといている、ここは賊徒が権力を専らにし威をも福をもなすことをいう、威を弄するというのが主である。

○弁無事 つみあるものとつみなきものとを区別する。

 

眼前列杻械,背後吹笙竽。 

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

〇位 あしかせ。

○城 でかせ。

○笙竽 共に楽器の名、笙は十三簧、竽は三十六簧、簧は空気を振動させる舌。
杜甫像0012 

廣徳2年764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

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廣徳2764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

成都遂州00 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

(下し文)

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

(現代語訳)

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

(訳注)

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

○布衣 庶民階級のもので「即ち楊子琳・栢正節の徒なり」という。

○擁 有すること。

○専城居 城を専有して住居すること。徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史輩をさす。古楽府「羅敷行」に「四十にして城を専らにして居る」の句に基づく。

 

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

○不両大 両とは下の蕃と漢との二つをいう。

○蕃漢殊 蕃は羌兵をいい漢は本土人の兵をいう。

 

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

○西卒 先兵をさす。

○卻倒戈 徐知道は兵馬使で漢兵の統領であるが、羌夷をおびやかして叛乱に加わらしめた。ところが叛軍の中において内輪争いがあり、羌兵が徐知道の下に付かなくなったのに乗じて李息厚という者が先兵をおだてて徐知遇を殺させるようにした。すなわちはじめ味方とした羌夷が戈を倒して刃向かうようになったのである。「尚書」(武成)に「前徒戈を倒にす」の語がみえる。

○賊臣 叛徒をさす。

 

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

○肘腋禍 てぢかに起こったわざわい、李忠厚の裏切りをいう、肘はひじ、腋はわき。

○兵鏡徒 徐知道ら叛徒の渠魁をいう、梟はふくろう、母を食べるという、獍は破獍という獣で父を食べるという、いずれもわるい鳥獣である、以上は叛乱が錯乱になったことをいう。カンナ223

廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

ふたたび成都《草堂 #2》まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
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廣徳2764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

 

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

古桟道0001 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

 

(下し文)

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

(現代語訳)

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

 

 

(訳注) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

 

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

○大将 東・西川節度使の厳武をいう。

○群小 多くの小人、徐知道らをいう。

○異図 尋常でないくわだて、小細工、謀叛をいう。

 

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

○中宵 よなか。

○斬白馬 戦国以来のならわしで盟約のあかしとして、白馬を切り殺して其の血を用いた。

○盟歃 盟はちかう、歃は口のまわりに血をぬることをいう。

○気 意気を昂揚させる。

○粗 粗暴。

 

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

○卭南 卭州は臨卭県、成都の西南二百里(115km)にある、その南に雅州があり、其の地はもと羌に附いていたが徐知道はこれをひきいて乱をおこした。

○剣閣 剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。

杜甫成都紀行十二首其十『劍閣』

”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522
剣門関01 

廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府のさんぼうとして、杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。


2014年2月7日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(31) 文選 賦 賦<113―31>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1033 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3713
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《潮州刺史謝上表》(14)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <946>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3714韓愈詩-242-(14) 15分割
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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廣徳2764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

 

(下し文)

(草堂)

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

(現代語訳)

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

杏の花01 

 

(訳注) #1

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

○昔 762年、宝応元年の夏をいう、時に厳武が入朝することになったので杜甫は梓州まで見送りの為草堂を離れた。

○蛮夷 徐知遇は厳武の入朝で後任の高適が成都に入幕する隙をついて、叛乱し、その後、安史の乱の終結の時期に合わせて、吐蕃が隴西に攻め入り、一気に西都から、長安に攻め込んだ。

 

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適のてによって、まさに平穏なところとなったからである。』

○適 別の注釈に、たまたまとよませ、偶然にという意味で解釈するものがあるが、まちがい。厳武の成都尹、東・西川節度使赴任に合わせて、完全に平穏になったのを確認して、草堂に帰ったのであって、帰ってみたら偶然にも平穏になっていたというのではない。杜甫は成都が不安定だから梓州、閬州に滞在したのであり、其の地も不安定になりそうであったから、江陵遷都といううわさを信じて安定的な江陵に行こうとしていた。したがって杜甫が「たまたま帰ってみたら」ということはありえないのである。

○無虞 心配ごとがない、平和である、以上は全体についてのべる。


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l   韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

l   送韋諷上閬州錄事參軍

l   丹青引贈曹將軍霸

l   南池

l   憶昔,二首之一

l   憶昔,二首之二

l   釋悶

l   贈別賀蘭銛

l   別唐十五誡因寄禮部賈侍郎

l   閬山歌

l   閬水歌

l   草堂

l   四松

l   水檻

l   破船

l   揚旗 

l   太子張舍人遺織成褥段

l   過南鄰朱山人水亭

l   寄賀蘭銛

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

l   題桃樹

l   懷舊

l   有感,五首之一

l   有感,五首之二

l   有感,五首之三

l   有感,五首之四

l   有感,五首之五

l   送李卿曄

l   城上〔空城〕

l   傷春,五首之一

l   傷春,五首之二

l   傷春,五首之三

l   傷春,五首之四

l   傷春,五首之五

l   奉待嚴大夫

l   奉寄高常侍【寄高三十五大夫】

l   奉寄章十侍御【案:自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?】

l   將赴荊南寄別李劍州

l   奉寄別馬巴州【案:自注:時甫除京兆功曹,在東川。】

l   泛江

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

l   暮寒

l   雙燕

l   百舌

l   遊子

l   江亭王閬州筵餞蕭遂州

l   句,二首之一

l   句,二首之二

l   滕王【案:元嬰。】亭子【案:自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

l   玉臺觀【案:自注:滕王造。】

l   滕王亭子

l   玉臺觀

l   渡江

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   別房太尉墓【案:在閬州。】

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

l   登樓

l   春歸

l   歸雁

l   贈王二十四侍御契四十韻【案:王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。】

l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

l   寄李十四員外布十二韻【案:自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。】

l   歸來

l   王錄事許修草堂貲不到聊小詰

l   寄邛州崔錄事

l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   立秋雨院中有作【立秋日雨院中有作】

l   奉和嚴大夫軍城早秋

l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

l   遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

l   嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   陪鄭公秋晚北池臨眺【案:草堂逸詩拾遺。】

l   哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

l   送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】 

廣徳2年764-9-4 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3700 杜甫詩1000-659-4-934/1500753-4

杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。


2014年2月4日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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廣徳2764-9-4 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3700 杜甫詩1000-659-4-934/1500753-4

 

 

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

#4

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

雄筆映千古,見賢心靡他。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

念子善師事,寒守舊柯。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文) #4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(下し文)

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

(現代語訳)

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

 

蜀中転々圖 

(訳注)#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

○南宮 漢代にはひろく尚書の府を南宮といったが、後世は礼部省のことを南宮ということになった、賈至は礼部の役人なので南宮という。

○故人 旧識の人、賈至をさす。

○金盤陀 盤陀は破撃仏像などを鉾かして鋳た金属、銅と金との雜りがね。金盤陀は装飾の実質をいう。杜甫『魏將軍歌』「星躔寶校金盤陀,夜騎天駟超天河。」君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。

將軍歌  杜甫kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集700- 104

 

雄筆映千古,見賢心靡他。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

見賢 賢は賢人。

○心靡他 邪な二心はない。『詩経、鄘風、柏舟』「死に之るまで矢って他()靡し。」とみえる、ここは信じてくれて、よくもてなしてくれることをいう。

汎彼柏舟、在彼中河。 

湛彼兩髦、實維我儀。

之死矢靡慝。 

母也天只、不諒人只。 

汎たる彼の柏舟、彼の中河に在り。

湛たる彼の兩髦、實に維れ我が儀。

死に之【いた】るまで矢【ちか】って慝【とく】靡し。

母や天や、人を諒とせず。

 

念子善師事,寒守舊柯。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

○師事 師としてつかえる。

〇歳寒守旧 節操をかえぬこと、『論語、子罕第九』「子曰、歳寒。然後知松柏之後彫也。」歳寒くして、然る後に松柏の後れて凋むを知る」とみえる、旧はもとのえだ、守とは同じ色を保っておることをいう。

 

為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

○為吾 自分の言伝を賈至にしてもらいたい

○謝 ことわりをいう、あいさつする。

○江陀 江は長江の上流域西都を流れる岷江、錦江をいい、陀は成都の東をながれる陀江、ともに蜀で、長江の上流にある。

成都遂州00

廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#3 天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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作時年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文)

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

 

(下し文)

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 唐長安城図

 

(現代語訳)

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

 

(訳注)#3

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 2

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

 

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

投 我が身をそちらへ投入すること。

信所過 そこをとおってみてやっとそれがほんとうだとわかるであろうという意味であるが、国を揺るがす大泥棒、謀反物は居なくなったが旅人を襲うもの、泊り客を襲うものが多いことを言い、何処にいるかわからないことを言っている。

 

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

○易子食 子どもをとりかえでその内をたべる、吾が子はさすがに食うに忍びないのである、此の事は古くは「左伝」(宜公十五年)に見える。

○虞羅 虞は山沢をつかさどるもの虞人。羅はあみ。

 

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

○子 唐誠をさす。

○経済才 「経レ国済レ民」(国ヲ経シ民ヲ済り)の才、政治の才をいう。

○天門 君のおいでになる宮城の門をみたてて天の門という。

○鬱 さかんなさま。

○嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。

 

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

○東周 古代周のくにであった、洛陽をいう。

○来往 ゆききの人。

○若崩波 紛乱、戦火の中心であったため、安史の乱が集結したといっても城郭は大半が焼失していたのでこのさまをいう。以上は道路ならびに前程に困難のあることをいう。
 洛陽・鄴州00

廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#2 異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。


2014年2月2日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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作時年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

海棠花05 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文) #2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。相視發皓白,況難駐羲和。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。蕭條四海,人少豺虎多。

 

(下し文)#2

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

(現代語訳)

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

 

(訳注) #2

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 2

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

杏の白花012 

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

〇両 二人ともに。

〇六龍 太陽をいう。日輪は六匹の竜がひくと考えられる。

○蹉跎 つまずくさま、ここは夕日の傾くさまをいう。

 

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

○駐羲和 義和は古伝説の日輪の車を御する御者の名、鮭は馬をとどめること、駐義和は日脚をとどめ時を経過させぬこと、以上は別れを惜しむことをのべる。

 

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

○胡星 旗頭ともいう、兵乱の表象とされる、賊徒史朝義をさす、朝義は広徳元年九月幽州の医巫間山の嗣下に溢れ死に、その首は京師に伝えられた。

○燕地 むかしの燕国の地、燕は幽州近接の地である。安禄山の本拠地。

○漢將 唐王朝の武将。

○仍橫戈 戈を横とうとは、戈は刀部分が重いため通常持ち歩く場合、盾にしているが。闘う時には横てに持ち拂うように使う。したがって安史軍の残党を掃討することをいう。

 

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

○人少 安史の乱前の人口が半減、6千万人死亡および逃亡したという。

豺虎 逃亡したものが盗賊になったことをいう。

楊貴妃清華池002 

 

賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。

 

 

送賈閣老出汝州

西掖梧桐樹,空留一院陰。

艱難歸故裡,去住損春心。

宮殿青門隔,雲山紫邏深。

人生五馬貴,莫受二毛侵。

送賈閣老出汝州 杜甫

 

 

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

 

賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  

賈至が『早朝大明宮呈両省僚友』で「銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。」中書省にある池をいう。長安大明宮図確認すると門下省側には龍首池があり、龍のように曲がりくねり長い池がある。賈至は故事にならって鳳池としたのだろう。

 

杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

 

 早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。

千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。

 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。

劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。

 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。

共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。

 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

 和賈舎人早朝大明宮之作  王維

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。

 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。

九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。

九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す

日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。

日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。

朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。

 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。

金闕曉鐘開萬,玉階仙仗擁千官。

 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。

花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。

 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。

獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。

 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫

 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る

五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。

五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。

旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。

旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。

朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。

朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。

欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。

 

廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#1君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。


2014年2月1日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(25) 文選 賦 賦<113―25>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1027 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3683
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(8)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <940>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3684韓愈詩-242-(8)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 272 《嘲魯連子》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3686 (02/01)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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廣徳2764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

 

 

年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
 

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1

九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。相視發皓白,況難駐羲和。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。蕭條四海,人少豺虎多。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

denen05520 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文)#1

九載一相逢,百年能幾何。複為萬里別,送子山之阿。

白鶴久同林,潛魚本同河。未知棲集期,衰老強高歌。

 

(下し文)

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

(現代語訳)

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

成都遂州002 

(訳注)

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

 

九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

○阿 曲隅(くま)をいう。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

 

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

〇白鶴・潜魚 詩人のグループの喩えとして用いる。この頃の詩人は仲間・グループ・徒党内で集まって詠みあった。

 

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

○棲集 同じところで棲み同じところに集まる、棲の字は鶴についていい、集の字は魚についていうのである。

楊貴妃清華池002 

 

賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。

 

 

送賈閣老出汝州

西掖梧桐樹,空留一院陰。

艱難歸故裡,去住損春心。

宮殿青門隔,雲山紫邏深。

人生五馬貴,莫受二毛侵。

送賈閣老出汝州 杜甫

 

 

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

 

賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  

賈至が『早朝大明宮呈両省僚友』で「銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。」中書省にある池をいう。長安大明宮図確認すると門下省側には龍首池があり、龍のように曲がりくねり長い池がある。賈至は故事にならって鳳池としたのだろう。

 

杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

 

 早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。

千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。

 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。

劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。

 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。

共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。

 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

 和賈舎人早朝大明宮之作  王維

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。

 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。

九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。

九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す

日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。

日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。

朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。

 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。

金闕曉鐘開萬,玉階仙仗擁千官。

 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。

花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。

 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。

獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。

 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫

 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る

五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。

五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。

旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。

旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。

朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。

朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。

欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

《贈別賀蘭銛》国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。


2014年1月31日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(24) 文選 賦 賦<113―24>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1026 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3678
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -17 鳳樓春一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-427-11-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3682
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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廣徳2764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 贈別賀蘭銛 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  湖州 (江南東道 湖州 湖州) 別名:興、   ・岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山     

交遊人物/地點: 賀蘭銛 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

贈別賀蘭銛 #1

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

黃雀飽野粟,群飛動荊榛。 

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

今君抱何恨,寂寞向時人。 

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

老驥倦驤首,蒼鷹愁易馴。 

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

高賢世未識,固合嬰飢貧。

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。

#2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

生離與死別,自古鼻酸辛。 

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。

 

(賀蘭銛【がらんせん】に贈り別る)

黃雀 野粟に飽き,群飛して 荊榛に動く。 

今君は何の恨を抱きしか,寂寞として 時として人に向う。 

老驥 驤首を倦き,蒼鷹 愁いて馴み易し。 

高賢 世未だ識らざるなり,固より嬰 飢貧せしに合う。

#2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

玄武門 

 

『贈別賀蘭銛』 現代語訳と訳註

(本文) #2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

生離與死別,自古鼻酸辛。 

 

(下し文) #2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

 

(現代語訳)

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。

 

(訳注) #2

贈別賀蘭銛

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

○賀蘭銛 事歴は詳かでない。別にこの詩の数か月後に作った「寄賀蘭銛」詩がある。

朝野歡後,乾坤震盪中。相隨萬里日,總作白頭翁。

晚仍分袂,江邊更轉蓬。勿雲俱異域,飲啄幾回同。

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに兵乱がおこって天地がうごきだしたまっさいちゅう。そのとき君と自分とは万里の遠くまで相随ってきたが、いまやふたりとも白髪のじいさんとなってしまった。いま歳の晩だというのにもやっぱり袂を分かたねばならぬそのうえ此の蜀の江辺で蓬のごとくころがりあるくのである。ここはおたがい他郷の地だから悲しいなどとはいいたもうな、こうやっていっしょに飲食することのできることは生涯に幾度あるのだとおもわれるか、そこを楽しむべきではないか。

kimo003 

 

國步 返正 ,乾坤 尚風塵

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

「國步」国の進んでいく路。正しい施政。

「乾坤」1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。「奔騰狂転せる風は…、―を震撼し、樹石を動盪(どうとう)しぬ」〈露伴・運命〉3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

 

悲歌 鬢髮 ,遠赴

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

「湘」湘水、興。

 

我戀 岷下 ,君思 千里

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

「岷」山嶺地名、岷山。岷江

「蓴」蓴羹鱸膾【じゅんこうろかい】故郷を懐かしく思い慕う情のこと。「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。

 

生離 與死別 ,自古 酸辛

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。
帽子03 

廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

杜甫《贈別賀蘭銛》  年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。


2014年1月30日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《潮州刺史謝上表》(6)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <938>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3674韓愈詩-242-(6)
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 270 《和席八〔夔〕十二韻》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3676 (01/30)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -16 江城子一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-426-11-#16  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3677
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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廣徳2764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 贈別賀蘭銛 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  湖州 (江南東道 湖州 湖州) 別名:興、   ・岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山     

交遊人物/地點: 賀蘭銛 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

贈別賀蘭銛 #1

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

黃雀飽野粟,群飛動荊榛。 

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

今君抱何恨,寂寞向時人。 

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

老驥倦驤首,蒼鷹愁易馴。 

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

高賢世未識,固合嬰飢貧。

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。#2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

生離與死別,自古鼻酸辛。 

蜀中転々圖 

(賀蘭銛【がらんせん】に贈り別る)

黃雀 野粟に飽き,群飛して 荊榛に動く。 

今君は何の恨を抱きしか,寂寞として 時として人に向う。 

老驥 驤首を倦き,蒼鷹 愁いて馴み易し。 

高賢 世未だ識らざるなり,固より嬰 飢貧せしに合う。

#2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

杏の白花012 

 

『贈別賀蘭銛』 現代語訳と訳註

(本文)

贈別賀蘭銛 #1

黃雀飽野粟,群飛動荊榛。 

今君抱何恨,寂寞向時人。 

老驥倦驤首,蒼鷹愁易馴。 

高賢世未識,固合嬰飢貧。

 

(下し文)

(賀蘭銛【がらんせん】に贈り別る)

黃雀 野粟に飽き,群飛して 荊榛に動く。 

今君は何の恨を抱きしか,寂寞として 時として人に向う。 

老驥 驤首を倦き,蒼鷹 愁いて馴み易し。 

高賢 世未だ識らざるなり,固より嬰 飢貧せしに合う。

 

(現代語訳)

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。

 

 

(訳注)

贈別賀蘭銛

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

○賀蘭銛 事歴は詳かでない。別にこの詩の数か月後に作った「寄賀蘭銛」詩がある。

朝野歡後,乾坤震盪中。相隨萬里日,總作白頭翁。

晚仍分袂,江邊更轉蓬。勿雲俱異域,飲啄幾回同。

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに兵乱がおこって天地がうごきだしたまっさいちゅう。そのとき君と自分とは万里の遠くまで相随ってきたが、いまやふたりとも白髪のじいさんとなってしまった。いま歳の晩だというのにもやっぱり袂を分かたねばならぬそのうえ此の蜀の江辺で蓬のごとくころがりあるくのである。ここはおたがい他郷の地だから悲しいなどとはいいたもうな、こうやっていっしょに飲食することのできることは生涯に幾度あるのだとおもわれるか、そこを楽しむべきではないか。

玄武門 

 

黃雀 野粟 ,群飛 荊榛

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

「黃雀」飛禽、雀。陰暦5月に吹く東南の風。この風の吹くころ海魚が変じて黄雀になるという中国の言い伝えによる。《季 夏》

「野粟」粟。中国の華北・中原において、黄河文明以来の主食は専ら粟米(谷子)であり、「米」という漢字も本来はアワを示す文字であったといわれている。また、隋唐で採用された税制である租庸調においても、穀物を納付する「租」は粟で納付されるのが原則(本色)であった。「螳螂、蝉を窺い、黄雀、後に在り」を成語として用い、目先の利益にばかり気をとられて後ろから迫っている危険に気がつかないことのたとえに使うようになった。

「荊榛」イバラとハシバミ。また、それらが茂る雑木林。 

 

今君 抱何恨 ,寂寞 時人

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

「寂寞」1 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。「人居を遠く離れた―たる別世界にも」〈柳田・山の人生〉2 心が満たされずにもの寂しいさま。じゃくまく。 

 

老驥 驤首 ,蒼鷹 易馴

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

「倦」【倦きる】あきる. 疲れていやになる。長く続けてぐったりし、うんざりする。 【倦む】あぐむ. 物事をしとげられないで、どうしてよいか困る。 同じ状態が長くつづいて、いやになる。もてあます。あぐねる。 「攻め倦む」. 【倦む】うむ. 物事にあきて、いやになる。退屈する。。

「驤首」馬が走る時に首を持ち上げること。馬がはねて躍り上がること。馬が払いのけるように首を振りもたげる。

頭。

「蒼鷹」1 羽毛が青色を帯びている鷹(たか)。しらたか。2 1が猛々しいところから》情け容赦のない役人のたとえ。。

 

高賢 未識 ,固合嬰飢貧

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。

「高賢」高士であり、賢人である儒者。高潔、誠実な人が多いといっても、国を成り立たせることができない。嬰児を飢餓から守ってやることもできない。杜甫自身も、羌村にいた娘を飢餓で死なせてしまった。
珠櫻001 

746廣徳2年764年―6-#2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-656-2-925/1500750-2

杜甫《憶昔,二首之二》#2 宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。


2014年1月26日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―6-#2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-656-2-925/1500750-2
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 266 《華山女》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3656 (01/26)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -12 南鄉子八首 其八 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-422-11-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3657
 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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746廣徳2764年―6-2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <6562>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-6562-925/1500750-2

 

 

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

憶昔二首之二 #1

憶う昔 開元の全盛なる日び,小邑 猶お藏し 萬家室とす。

稻米 脂を流し 粟米 白く,公私の倉廩【そうりん】俱に豐實たり。

九州の道路 豺虎無く,遠行にも勞せず吉日に出づるを。

齊の紈 魯の縞 車班班にし,男は耕し 女は桑す 相い失わず。

#2

宮中には聖人 雲門を奏し,天下の朋友は皆 膠漆【こうしつ】なり。

百餘年間 未だ災變あらず,叔孫の禮樂 蕭何が律とす。

豈に聞んや一絹 直い萬錢なるを,田有りて穀を種えしに今は血を流す。

洛陽の宮殿 燒焚【しょうふん】し盡し,宗廟の新除に狐兔【こと】穴す。

#3

傷心 忍びず耆舊に問うに,複た恐る初め從亂離よりかんことを

小臣 魯鈍【ろどん】能くする所無し,朝廷 記識して祿秩【ろくちつ】を蒙【こうむ】る。

周宣の中興 我が皇に望み,血を江漢に灑【そそ】いで身は衰疾【すいしつ】なり。

カンナ223 

 

『憶昔,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

(下し文)

宮中には聖人 雲門を奏し,天下の朋友は皆 膠漆【こうしつ】なり。

百餘年間 未だ災變あらず,叔孫の禮樂 蕭何が律とす。

豈に聞んや一絹 直い萬錢なるを,田有りて穀を種えしに今は血を流す。

洛陽の宮殿 燒焚【しょうふん】し盡し,宗廟の新除に狐兔【こと】穴す。

 

 

(現代語訳)

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

 

DCF00048 

(訳注)

憶昔二首之二 #2

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔とは、この詩の首二字をとって名づけたもの。広徳二年成都において作る。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、うるしやにかわのように親密であった。

○聖人 天子。皇帝。

○奏雲門 奏は楽官(大司楽)がかなでるのであり、聖人がなすのではない、聖人は奏させるものである、雲門は楽の名、「周礼」(大司楽)に「大司楽は大呂を歌い、雲門を舞わし、以て天神を祀る」とみえる。

○膠漆 にかわ、うるし、共によくひっつくもの、交わりの親密なことをいう。

 

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

〇百余年間 唐の武徳の初め(618年)より742年開元の末年まで124年である。

○災変 災はわざわい、天災をいう、変は変事。

○叔孫礼楽 漢の高祖が天下を平定するや叔孫通(前漢の儒者。号、稷嗣君。薛(せつ)(山東省)の人。高祖・恵帝に仕え、漢の諸儀法を制定。武帝のときの儒教国教化の基礎をつくった。生没年未詳。)をして礼儀を制させた、唐の開元二十年九月に「開元通礼」ができ上がった、同二十九年八月には太常が所定の雅楽を奏した、詩句は其の事をさす。

○蕭何律 漢の粛何(蕭何は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦に天下を取らせた、漢の三傑の一人。)、秦代の法をひろい、其の時にかなうものを取って律九章を作った。唐では開元前格・後格などの刑法を作った。詩句はそれをいう。以上開元時代の平和を称揚する。

 

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

○豈聞 聞いたことがない。

〇一絹直万銭 杜甫の作詩の時期、十年のつづいた戦火に倚る物価騰貴をいう、直は値に同じ、一絹は一匹のきぬ、柳芳の「唐暦」に「開元二十八年、天下雄富、京師の米価、斛二百(銭)に盈たず、絹も亦た之の如し、東のかた汴宋より、西のかた岐鳳(岐山・鳳翔)を歴るに、路を爽みて店を列し、酒践を陳ねて客を待つ、行人万里、寸刃を持せず」とみえる、いかに開元時代の物価が安くて海内が平和であったかをみることができる

○有田種穀 五穀豊穣の昔時をいう。

○流血 戦争のあることをいう。

 

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

○洛陽宮殿燒焚盡 安史の乱による影響をいう。

○宗廟新除狐兎穴 除は堦除の除である、きざはし・どえんをいう、新は修繕したでであることをいう、穴とは穴をうがつことをいう。玄武門

746廣徳2年764年―4-4 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3635 杜甫詩1000-654-4-921/1500748-4

《南池》 蜀中転々 杜甫 いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。


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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -8 南鄉子八首 其四 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-418-11-#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3637
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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746廣徳2764年―4-4 《南池》 蜀中転々 杜甫 <6544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3635 杜甫詩1000-6544-921/15007484

 

 

作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

高田失西成,此物頗豐熟。 

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

獨歎楓香林,春時好顏色。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

不應空陂上,縹緲親酒食。

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。


#4
 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

こういった祠でのいかがわしいものを神として祭るというのは、古き昔よりあったことなのだ。ただ四瀆の一の河が汚れてしまったということではない。

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

それよりも、ここまで戦争の方がこの国を茫茫としたものをひろげていった。ここのような辺地、僻地までも目の届く限り傷めつけられてしまっている。

平生江海興,遭亂身局促。 

いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。

 

(南池)〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕#1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝に 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

#4 

淫祀 古き昔自りなり,唯だ一川の瀆に非らず。 

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。 

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。 

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

 

 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文) #4  

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

平生江海興,遭亂身局促。 

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

 

(下し文)#4 

淫祀 自ら古昔なり,唯だ一川の瀆に非らず。 

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。 

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。 

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

 

(現代語訳)

こういった祠でのいかがわしいものを神として祭るというのは、古き昔よりあったことなのだ。ただ四瀆の一の河が汚れてしまったということではない。

それよりも、ここまで戦争の方がこの国を茫茫としたものをひろげていった。ここのような辺地、僻地までも目の届く限り傷めつけられてしまっている。

いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。

もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。

山南西道02 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  4

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

淫祀 自古昔 ,非唯 川瀆

こういった祠でのいかがわしいものを神として祭るというのは、古き昔よりあったことなのだ。ただ四瀆の一の河が汚れてしまったということではない。

「淫祀」いかがわしいものを神として祭ること。また、そのやしろ。この時代の道教寺観、寺院は駆け込み場所であり、聖女祠(道女)、芸妓がいるし、また、売春目的の女たちもいた。

「川瀆」瀆けがす. よごす。また名誉などを傷つけること。長江,黄河,淮水(わいすい),済水をいう

 

干戈 茫茫 ,地僻 極目

それよりも、ここまで戦争の方がこの国を茫茫としたものをひろげていった。ここのような辺地、僻地までも目の届く限り傷めつけられてしまっている。

「干戈」戰爭活動、戰爭。『寄題江外草堂』「干戈未偃息,安得酣歌眠。」戦火は続いていていまだ横になって休むことがなく、何処で、どうしたら心行くまでおいしいお酒に歌を謡い眠ることが出来るのだろうか。663五言古詩 《寄題江外草堂》 蜀中転々 杜甫 <569-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3130 杜甫詩1000-569-#3-820/1500

「浩」浩大。

「茫茫」遠くはるかに広がっているさま。 []: vast. [使い方]. 〔悠悠〕(形動(たる・と))悠々たる天地; 〔渺渺〕(形動(たる・と))渺々たる大海; 〔渺茫〕(形動(たる・と))渺茫たる大海原;。「鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。」成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1711 杜1500- 527

「地僻」偏遠場域、偏僻。

「極目」目のとどく限り。見渡す限り。

 

平生 江海 ,遭亂 局促

いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。

「平生」語義類別:時、時間、範圍時間(生)、平生。

「局促」](1) 狭苦しい.【同】狭小(2) 《方》慌ただしい,時間がない.(3) ぎこちない,堅苦しい.

 

駐馬 漁舟 ,躊躇 羈束

もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。

「躊躇」徘徊。あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。

「慰」喜悅欣樂。

「羈束」つなぎしばること。自由を束縛すること。拘束。
nat0019 

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《南池》 蜀中転々 杜甫 その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。


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746廣徳2764年―4-3 《南池》 蜀中転々 杜甫 <6543  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3630 杜甫詩1000-6543-920/15007483

 

 

作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

高田失西成,此物頗豐熟。 

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

獨歎楓香林,春時好顏色。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

不應空陂上,縹緲親酒食。

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。

#4 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

平生江海興,遭亂身局促。 

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

杏の白花012 

 

(南池)〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕#1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝に 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

#4 

淫祀 古き昔自りなり,唯だ一川の瀆に非らず。  

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。  

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。  

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

 山南西道02 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文) #3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

不應空陂上,縹緲親酒食。

 

 

(下し文)

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝に 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

 

(現代語訳)

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。

 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  #3

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

 

南有 漢王祠 ,終朝 巫祝

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

「南」語義類別:地、空間、方向、南。

「有」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、有無(有)。

「漢王祠」語義類別:物、建築物、建築專名(寺廟道觀)、漢王祠。

「太史傳」太史公曰世之傳酈生書。

太史公曰世之傳酈生書

多曰漢王已拔三秦東擊項籍而引軍於鞏洛之閒

酈生被儒衣往漢王乃非也

自沛公未入關與項羽別而至高陽得酈生兄弟

余讀陸生新語書十二篇固當世之辯士

至平原君子與余善是以得具論之

太史公曰く、「世間の酈生(酈食其)を伝える書は、

多くが曰く、漢王劉邦がすでに三秦を攻め落とし、東に西楚覇王項籍(項羽)を撃ちに進んで、漢軍を鞏、洛の間に引いたとき、酈生(酈食其)が儒者の衣を着て、漢王劉邦を説いたと。すなわちそうではないのである。

沛公劉邦が未だ関に入らないうちより、項羽と別れて(陳留の)高陽に至ったときに酈生(酈食其)の兄弟を得た。

余は陸生(陸賈)の「新語」の書、十二篇を読んだが、まことに当世の弁士である。

平原君(朱建)の子に至って、余と仲が善く、ここにこれを具(つぶさ)に論ずるを得たのである」と。

「終朝」終日。

「巫祝」神事をつかさどる者。みこ。はふり。かんなぎ。

 

歌舞 靈衣 ,荒哉 風俗

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

「風俗」地域や階層に特徴的にみられる、衣食住など日常生活上のしきたりや習わし、風習のこと。広く、世相や生活文化の特色をいう場合もある。類似語に世俗や習俗(習慣と風俗)がある。。

 

高堂 亦明王 ,魂魄 猶正直

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

「高堂」高楼の講堂。

「明王」、密教における尊格及び称号で、如来の変化身ともされる。

「魂魄」魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。

 

不應 空陂 ,縹緲 酒食

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。

「縹緲」1 広くはてしないさま。「―たる雪の広野を隔てて」〈鏡花・註文帳〉2 かすかではっきりとしないさま。

「親」語義類別:人、情感詞(綜合情感)、正面情感(親近褻狎)、親近。
nat0019 

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《南池》#2すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。
 

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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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746廣徳2764年―4-2 《南池》 蜀中転々 杜甫 <6542>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3625 杜甫詩1000-6542-919/15007482

 

 

作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

高田失西成,此物頗豐熟。 

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。
獨歎楓香林,春時好顏色。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

不應空陂上,縹緲親酒食。

#4 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

平生江海興,遭亂身局促。 

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

 

 

(南池)〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕#1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

#4 

淫祀 古き昔自りなり,唯だ一川の瀆に非らず。  

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。  

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。  

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

aki010 

 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文)

皇天不無意,美利戒止足。 

高田失西成,此物頗豐熟。 

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

獨歎楓香林,春時好顏色。

 

(下し文)

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

 

 

(現代語訳)

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

 

 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  2

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

皇天 無意 ,美利 戒止足。

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

「皇天」天与の棲みやすい場所であるということ。。

 

高田 失西成 ,此物 頗豐熟

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

「高田」郊原村野の評価の出来る田畑。

「西成」秋に植物が熟すこと。

 

清源 眾魚 ,遠岸 喬木

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

○この二句はこの池の周りのようすを云う。魚は貴重なタンパク源であったのと薪は生活の絶対必要なものである。

 

獨歎 香林 ,春時 顏色

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

「歎」語義類別:人、行為動作、言語動作、嘆。

「楓」楓は春先の萌黄色がきれいであるだけに、紅葉のうつくしは最後の美しさであるという、自分の身に置き換えて嘆かわしく思うのである。
nat0019 

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作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

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清源多眾魚,遠岸富喬木。 

獨歎楓香林,春時好顏色。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

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#4 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

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平生江海興,遭亂身局促。 

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05saiko01 

 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。 

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。 

呀然閬城南,枕帶巴江腹。 

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

 

(下し文)

南池〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕  1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

 

(現代語訳)

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

崢嶸 巴閬 ,所向 盡山谷

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

「崢嶸」急峻に聳え立つ山々が四方にある河川の合流点には広い盆地が形成される。。

「巴閬」閬州と山南東道の各地(巴)

 山南西道02

安知 蒼池 ,萬頃 坤軸

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

「知」語義類別:人、狀態、心智狀態、知。

「有」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、有無(有)。

「蒼池」木々のかこまれた緑深い池。。

「萬頃」〔「頃」は百畝の耕地の意〕地面または水面が広々としていること。

「坤軸」天と地、地軸。

 

呀然 閬城 ,枕帶 巴江

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

「呀然」はっと気づいた時の驚きを示す。口をあけて飲みこむようだといっている。気が付いてみるとおおしいその池と河川の関係を表現している。

「枕帶」河川が蛇行して閬州城を取り囲んでいるように見えるのだろう。。

「巴江」閬州は嘉陵江と東游水の合流点であることの表現の一つで巴江といっている。

この2句は、地図でも確認できるように二つの大江が合流して南下するが、平坦部では河川が蛇行しているので合流点から閬州城を見ろ景色をのべている。。

 

 

芰荷 異縣 ,粳稻 共比屋

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

「芰荷」ヒシの実と蓮

「粳」イネ,トウモロコシ,オオムギなど。

「屋」官舎の蔵。
 

745廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍》 蜀中転々 杜甫 <651-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3585 杜甫詩1000-651-#2-911/1500745

杜甫《送韋諷上閬州錄事參軍》-#2 かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

745廣徳2764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍》 蜀中転々 杜甫 <651-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3585 杜甫詩1000-651-#2-911/1500745

 

 

送韋諷上閬州錄事參軍 #1

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

國步猶艱難,兵革未衰息。

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

萬方哀嗷嗷,十載供軍食。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

庶官務割剝,不暇憂反側。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

誅求何多門,賢者貴為德。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

韋生富春秋,洞徹有清識。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

#2

操持紀綱地,喜見朱絲直。

喜ばしいことは、琴の朱い絃もまっすぐと張られたように、国家を治める上で根本となる制度や規則をしっかりと守り続けているのである。

當令豪奪吏,自此無顏色。

まさに悪人どもをやっつける豪奪の吏と命令され任とされたいし、これによって悪人どもは顔色もなくなっているという。

必若救瘡痍,先應去蟊賊。

かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。

揮淚臨大江,高天意悽惻。

君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。

行行樹佳政,慰我深相憶。

この旅を行き、幕府に行き着いて、どうぞよい政治を樹立していただきたいものだ。私の心を慰めてくれるものは、こうして互いに深く思いあうことである。

 

韋諷が閬州の錄事參軍に上つるを送る #1

國步 猶お艱難たり,兵革 未だ衰息せず。

萬方 哀嗷嗷として,十載 軍食を供にする。

庶官 割剝に務め,暇わず 反側を憂う。

誅求は何ぞ門多からん,賢者は德を為すを貴しとす。

韋 富める春秋を生じ,清識有るを洞徹せよ。

#2

操持して紀綱の地,喜見して朱絲の直。

當に 豪奪の吏に令めるべし,此れ自り顏色無し。

必ず瘡痍を救わんとするが若し,先ず應に蟊賊去る。

淚を揮って大江に臨み,高天 意 悽惻たり。

行き行きて佳政を樹て,我を慰む 深く相い憶うを。

帽子03 

 

『送韋諷上閬州錄事參軍』 現代語訳と訳註

(本文)#2

#2

操持紀綱地,喜見朱絲直。

當令豪奪吏,自此無顏色。

必若救瘡痍,先應去蟊賊。

揮淚臨大江,高天意悽惻。

行行樹佳政,慰我深相憶。

 

(下し文) #2

操持して紀綱の地,喜見して朱絲の直。

當に 豪奪の吏に令めるべし,此れ自り顏色無し。

必ず瘡痍を救わんとするが若し,先ず應に蟊賊去る。

淚を揮って大江に臨み,高天 意 悽惻たり。

行き行きて佳政を樹て,我を慰む 深く相い憶うを。

 

(現代語訳)

喜ばしいことは、琴の朱い絃もまっすぐと張られたように、国家を治める上で根本となる制度や規則をしっかりと守り続けているのである。

まさに悪人どもをやっつける豪奪の吏と命令され任とされたいし、これによって悪人どもは顔色もなくなっているという。

かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。

君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。

この旅を行き、幕府に行き着いて、どうぞよい政治を樹立していただきたいものだ。私の心を慰めてくれるものは、こうして互いに深く思いあうことである。

 

玄武門(訳注)

送韋諷上閬州錄事參軍

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)#2

 

操持 紀綱 地 ,喜見 朱絲 直 。

喜ばしいことは、琴の朱い絃もまっすぐと張られたように、国家を治める上で根本となる制度や規則をしっかりと守り続けているのである。

「操持」しっかりと守り続けること。主義・志などをかたく守りつづけること。処理する,対応する.【同】料理(2) 計画する,準備する.【同】筹划

「紀綱」【きこう】《「紀」は細い綱、「綱」は太い綱》国家を治める上で根本となる制度や規則。綱紀。

「朱絲」朱糸縄は琴舷である、杜句はこれを借用して、絃がまっすぐであると断絶することのあることをいう。

杜甫『棕拂子』

棕拂且薄陋,豈知身效能。 

不堪代白羽,有足除蒼蠅。 

熒熒金錯刀,濯濯朱絲繩。 

非獨顏色好,亦用顧盼稱。

#7

舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。

賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。

貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1466 杜甫詩 700- 453

「直」率直、正直、素直。 儒者として実直であること。

 

當令豪奪 吏 ,自此無 顏色 。

まさに悪人どもをやっつける豪奪の吏と命令され任とされたいし、これによって悪人どもは顔色もなくなっているという。

 

必若 救 瘡痍 ,先應 去 蟊賊 。

かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。

「瘡痍」語義類別:事、事件、世局、瘡痍。西極最瘡痍,連山暗烽燧。』

この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』

○西極 西方のはて、河西の地をさす。○瘡痍 きりきず。野党盗賊が多くいて、無政府の部分があったことを示す。○烽燧 昼の狼煙を烽、夜のものを燧という。昼も夜も戦いを強いられた。無政府状態の不安定さを示す。送從弟亞赴河西判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184

 707 《送陵州路使君赴任〔送陵州路使君之任〕》#1 蜀中転々 杜甫 <614  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3380 杜甫詩1000-614-870/1500

「蟊賊」国や人民に有害な人物、盜匪。

 

揮淚 臨 大江 ,高天 意 悽惻 。

君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。

「悽惻」悲しみいたむこと。また、そのさま。

 

行行 樹 佳政 ,慰我 深 相憶 。

この旅を行き、幕府に行き着いて、どうぞよい政治を樹立していただきたいものだ。私の心を慰めてくれるものは、こうして互いに深く思いあうことである。

 

744廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍 》 蜀中転々 杜甫 <651-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3580 杜甫詩1000-651-#1-910/1500744

杜甫《送韋諷上閬州錄事參軍 》 韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。


2014年1月11日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(4)#2(光武帝の即位)-2 文選 賦<113―2>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1006 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3578
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《贈別元十八協律,六首之三》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <919>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3579韓愈詩-234
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 744廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍 》 蜀中転々 杜甫 <651-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3580 杜甫詩1000-651-#1-910/1500744
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 10 -10 臨江仙七首其六 牛學士希濟(牛希濟)ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-407-10-#10  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3582
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

744廣徳2764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍 》 蜀中転々 杜甫 <651-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3580 杜甫詩1000-651-#1-910/1500744

 

詩 題:送韋諷上閬州錄事參軍 

作時:764年 廣德二年 杜甫53

 

掲 載; 杜甫1000首の654首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-910回目

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 送韋諷上閬州錄事參軍 

及地點:  閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城     

交遊人物/地點: 韋諷

 

 

763年この年の夏ごろから、杜甫は梓州刺史章彝(前任の杜済は綿州刺史に転じていた)の客分となり、その主催する送別や歓迎の宴に出席したり、遊覧・遊猟に随行している。杜甫の詩人としての名も、かなり揚がっていたらしく、彼はそれによって一家の生活を支え、また東下の旅費を蓄えていた。しかしこのころ、辺境の情勢は緊迫の度を加え、吐蕃の軍は長安に迫り、西南方面(松・雅・保州)においては巴・蜀を圧迫していた。そうして、十月になるとついに長安に攻めこみ、代宗は東の方の陝州(河南省陝県)に逃げてしまった。しばらくして郭子儀が反撃に転じ、吐蕃軍は遁走したが、まさに安禄山の乱の再現かと思われた。

杜甫はそれらの情報を伝え聞きながら、今はただ一つしか残されていない東方への道、長江を下るべく、ひたすら旅の準備をととのえていた。その大部分は章彝の援助に頼るしかなかったため、彼は章彝とその幕僚の機嫌を損ねないように、言行を慎重にしていたらしい。そのためであろう、杜甫が東方の旅に出発することを申し出ると、彼らは送別会を開いてくれ、章彝は無事な旅を祈って、梓州特産の桃竹の杖を二本、杜甫に贈った。

出発も間近に迫ったある日、都に帰った厳武のはからいであろうか、杜甫を京兆府の功曹参軍(庶務課長)に任ずるとの連絡があった。しかし、すでに三峡を下って呉・楚の地に赴く決心をしていた杜甫は、それを辞退した。

 

 

送韋諷上閬州錄事參軍 #1

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

國步猶艱難,兵革未衰息。

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

萬方哀嗷嗷,十載供軍食。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

庶官務割剝,不暇憂反側。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

誅求何多門,賢者貴為德。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

韋生富春秋,洞徹有清識。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

#2

操持紀綱地,喜見朱絲直。

當令豪奪吏,自此無顏色。

必若救瘡痍,先應去蟊賊。

揮淚臨大江,高天意悽惻。

行行樹佳政,慰我深相憶。

 

韋諷が閬州の錄事參軍に上つるを送る #1

國步 猶お艱難たり,兵革 未だ衰息せず。

萬方 哀嗷嗷として,十載 軍食を供にする。

庶官 割剝に務め,暇わず 反側を憂う。

誅求は何ぞ門多からん,賢者は德を為すを貴しとす。

韋 富める春秋を生じ,清識有るを洞徹せよ。

#2

操持して紀綱の地,喜見して朱絲の直。

當令 豪奪の吏,此れ自り顏色無し。

必ず瘡痍を救わんとするが若し,先ず應に蟊賊去る。

淚を揮って大江に臨み,高天 意 悽惻たり。

行き行きて佳政を樹て,我を慰む 深く相い憶うを。

 

 

『送韋諷上閬州錄事參軍』 現代語訳と訳註

(本文) 送韋諷上閬州錄事參軍 #1

國步猶艱難,兵革未衰息。

萬方哀嗷嗷,十載供軍食。

庶官務割剝,不暇憂反側。

誅求何多門,賢者貴為德。

韋生富春秋,洞徹有清識。

 

(下し文)

韋諷が閬州の錄事參軍に上つるを送る #1

國步 猶お艱難たり,兵革 未だ衰息せず。

萬方 哀嗷嗷として,十載 軍食を供にする。

庶官 割剝に務め,暇わず 反側を憂う。

誅求は何ぞ門多からん,賢者は德を為すを貴しとす。

韋 富める春秋を生じ,清識有るを洞徹せよ。

 

(現代語訳)

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

 

(訳注)

送韋諷上閬州錄事參軍

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

『東津送韋諷攝閬州錄事』

江山好,憐君吏隱兼。 

寵行舟遠泛,怯別酒頻添。 

推薦非承乏,操持必去嫌。 

他時如按縣,不得慢陶潛。

650五言律詩 《東津送韋諷攝閬州錄事》 蜀中転々 杜甫 <555  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3000 杜甫詩1000-555-794/1500

○錄事參軍 古代の官職。衛門尉の別称。常是軍政長官的幕僚。衛門府(えもんふ)とは、律令制における官司。当初は1つであったが、大同3年(808年)に(左右)衛士府と統合されて一旦廃止され、弘仁3年(811年)に左右衛士府の改称に伴って復置された際、左衛門府と右衛門府の2つが置かれた。和訓にて「ゆげひのつかさ」と呼び、「靫負」という漢字をあてる場合がある。唐名は金吾。監門。監府。長は衛門督 (後に左衛門督・右衛門督)である。「柏木」は王朝和歌における衛門府、衛門督の雅称である。

 

國步 猶艱難 ,兵革 未 衰息 。

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

國步」国の歩むべき道のり、世局。

艱難」艱難辛苦に立ち向かっている。

兵革」国軍の兵卒たち。

 

萬方 哀 嗷嗷 ,十載 供 軍食 。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

萬方」国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても。

嗷嗷」【ごうごう】叫び声などが騒がしいさま。口やかましく非難するさま。

十載」十年。

 

庶官 務割剝,不暇 憂 反側。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

庶官」余り高くない爵位職責。

割剝 中国では皮剥ぎの刑を「剥皮」(はくひ)「割剝」(かつはく)と呼ぶ。

前漢の景帝の御世、皇族の広川王劉去が「生の人を割剥した」との記録が「漢書」にある。ここでは、10年来軍に務めあげることをこれほどの辛い思いをして勤め上げたことを云う。

 

誅求 何多門 ,賢者 貴為德 。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

誅求」天による誅殺を求めること。

 

韋生 富春秋 ,洞徹 有 清識 。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

韋生」韋諷。

春秋」陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来ることをいう。

洞徹」知ること、貫通する。通り抜ける。

清識」清廉な知識者。清玩・清幽・清談・清閑・清貧を理解する。

清玩:」「清雅:清らかで上品な美しさのあること。」「清幽:世俗を離れ、清らかで静かなこと。」「清談:知識人たちの哲学的な談話のこと。 概要[編集]. 中国思想史において、儒教思想全盛の漢代から、魏の時代になり、知識人たちは常識的な儒教道徳を超えて、主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わしていた」「清閑:俗事にわずらわされず静かなこと。」「清貧:私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。」

法書名画、古鼎宋硯、そのほかくさぐさの文房具をつらねて、香を焚き、茶をすすり、花竹を愛でつつ、窓外に奇峰遠水を眺めて、佳客とともに清玩する。 このような文房生活の境地をいつしか文房清玩とよぶようになった。

732 《贈裴南部聞袁判官自來欲有按問〔草堂逸詩拾遺-(8)〕》 蜀中転々 杜甫 <639>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3505 杜甫詩1000-639-895/1500〔草堂逸詩拾遺-(8)〕

杜甫《贈裴南部聞袁判官自來欲有按問》魯仲連鄒陽傳にいう梁の獄中から上書だしたというようにこれに因んで上申するということができるし、あなたは潔癖であるから、秦の朝廷に置かれた大鏡の前であろうと堂々と身の潔白を示して臨まれるとよいのである。人は誰でも水を飲まねば死ぬということを知っているし、偉い人も馬鹿な人でもお金だけで楽しいということはないのである。


2013年12月27日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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732
《贈裴南部聞袁判官自來欲有按問〔一本「聞袁判官自來欲有按問」作自注。〕〔草堂逸詩拾遺-(8)〕》 蜀中転々 杜甫 <639  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3505 杜甫詩1000-639-895/1500〔草堂逸詩拾遺-(8)

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(8)

作時:763 廣德元年 杜甫52

卷別: 卷二三四  文體: 五言古詩 

詩題: 贈裴南部聞袁判官自來欲有按問〔一本「聞袁判官自來欲有按問」作自注。〕〔草堂逸詩拾遺-(8)

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  南部 (山南西道 閬州 南部)     

交遊人物/地點: 裴南部 書信往來(山南西道 閬州 南部)

袁判官 書信往來(山南西道 閬州 南部)

掲 載; 杜甫1000首の639首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-895回目

 

 

贈裴南部聞袁判官自來欲有按問

(袁判官が按問しようとして自ら出向いてくるということを聞いて裴南部殿にこの詩を贈る。)

塵滿萊蕪甑,堂橫單父琴。 

チリ埃もいっぱいで漢の范冉のようにしば草や、蕪を食べ質素な生活をして、奥座敷には單父地方の琴が使われないまま横にしておいてある。

人皆知飲水,公輩不金。 

魯仲連鄒陽傳にいう梁の獄中から上書だしたというようにこれに因んで上申するということができるし、あなたは潔癖であるから、秦の朝廷に置かれた大鏡の前であろうと堂々と身の潔白を示して臨まれるとよいのである。

梁獄書因上,秦臺鏡欲臨。 

人は誰でも水を飲まねば死ぬということを知っているし、偉い人も馬鹿な人でもお金だけで楽しいということはないのである。

獨醒時所嫉,群小謗能深。 

ひとり冷静になって分析すると官僚というものは嫉妬心が渦巻いているところで、取るに足らない者たちが誹謗中傷を能く行いが根深い所なのだ。

即出黃沙在,何須白髮侵。 

すなわち、一歩表に出れば、誰もが黄砂に染まるものであり、どういうわけか全ての者が年をとるにしたがって白髪頭になるというものでこれはよくある出来事なのだ。

使君傳舊德,已見直繩心。 

しかし、貴方のこれまでの仁徳による施政は伝え及んでいるものだから、直ちにお縄になるのを見ることはないでしょう。

DCF00003 

 

『贈裴南部聞袁判官自來欲有按問』 現代語訳と訳註

(本文)

贈裴南部聞袁判官自來欲有按問

塵滿萊蕪甑,堂橫單父琴。 

人皆知飲水,公輩不金。 

梁獄書因上,秦臺鏡欲臨。 

獨醒時所嫉,群小謗能深。 

即出黃沙在,何須白髮侵。 

使君傳舊德,已見直繩心。 

 

(下し文)

(裴南部が袁判官に自ら按問有らんと欲して來るを聞くを贈る)

塵滿つ「萊蕪甑」,堂 單父の琴を橫える。 

人皆 水を飲むを知るなり,公輩 金をばず 

「梁獄」書 因みに上げ,秦臺 鏡に臨まんと欲す。 

獨り醒むるは時に嫉する所なり,群小 謗 能く深くする。 

即ち出でては 黃沙在る,何んぞ須らく白髮侵さん。 

使君 舊德を傳う,直ちに繩心するを見るを已む。 

 

(現代語訳)

(袁判官が按問しようとして自ら出向いてくるということを聞いて裴南部殿にこの詩を贈る。)

チリ埃もいっぱいで漢の范冉のようにしば草や、蕪を食べ質素な生活をして、奥座敷には單父地方の琴が使われないまま横にしておいてある。

魯仲連鄒陽傳にいう梁の獄中から上書だしたというようにこれに因んで上申するということができるし、あなたは潔癖であるから、秦の朝廷に置かれた大鏡の前であろうと堂々と身の潔白を示して臨まれるとよいのである。

人は誰でも水を飲まねば死ぬということを知っているし、偉い人も馬鹿な人でもお金だけで楽しいということはないのである。

ひとり冷静になって分析すると官僚というものは嫉妬心が渦巻いているところで、取るに足らない者たちが誹謗中傷を能く行いが根深い所なのだ。

すなわち、一歩表に出れば、誰もが黄砂に染まるものであり、どういうわけか全ての者が年をとるにしたがって白髪頭になるというものでこれはよくある出来事なのだ。

しかし、貴方のこれまでの仁徳による施政は伝え及んでいるものだから、直ちにお縄になるのを見ることはないでしょう。

 

(訳注)

贈裴南部聞袁判官自來欲有按問

(袁判官が按問しようとして自ら出向いてくるということを聞いて裴南部殿にこの詩を贈る。)

裴南部 山南西道 閬州南部という県の裴県令。

・按問 罪を調べたずねること。吟味する。

 

塵滿萊蕪甑,堂橫單父琴。 

チリ埃もいっぱいで漢の范冉のようにしばくさや、蕪を食べ質素な生活をして、奥座敷には單父地方の琴が使われないまま横にしておいてある。

・萊蕪甑 「後漢書」独行伝の、范冉(はんぜん)の故事を云う。范冉が長い間飯をたかなかったため、釜にぼうふらがわいたということ、非常に貧しいことのたとえをいう。【萊草】しば. 荒れ地や道端に生える雑草の総称。同じ意味につかわれる范冉の「釜中魚を生ず‎」という語句もある。蕪:栽培のしやすさと、痩せた土地でも育つ。甑(こしき)は古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。需とも。竹や木などで造られた同目的のものは一般に蒸籠と呼称される。

 

 

人皆知飲水,公輩不金。 

人は誰でも水を飲まねば死ぬということを知っている。偉い人も馬鹿な人でもお金だけで楽しいということはないのである。

 

梁獄書因上,秦臺鏡欲臨。 

魯仲連鄒陽傳にいう梁の獄中から上書だしたというようにこれに因んで上申するということができるし、あなたは潔癖であるから、秦の朝廷に置かれた大鏡の前であろうと堂々と身の潔白を示して臨まれるとよいのである。

・梁獄 『史記、魯仲連鄒陽傳』無位無冠の知謀の士といわれた魯仲連は、梁の孝王に投獄されながらも、獄中からの上書によって梁の上客となったという 「鄒陽」の伝の故事に基づく。

・秦臺鏡 晋の宮殿に置かれた鏡。嘘を見抜くといわれたもの。南朝宋・劉敬叔『異苑』に、山鶏は自分の美しい羽を愛し、水に映った姿に見とれて舞う習性があり、魏の武帝(曹操)の時に南方から献じられた山鶏の前に鏡を置くと、舞い続けて死んだという。

李商隠『破鏡』

玉匣清光不復持、菱花散亂月輪虧。

秦臺一照山鶏後、便是孤鸞罷舞時。

 

獨醒時所嫉,群小謗能深。 

ひとり冷静になって分析すると官僚というものは嫉妬心が渦巻いているところで、取るに足らない者たちが誹謗中傷を能く行いが根深い所なのだ。

・嫉【嫉妬】 自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。「他人の出世を―する」

 

即出黃沙在,何須白髮侵。 

すなわち、一歩表に出れば、誰もが黄砂に染まるものであり、どういうわけか全ての者が年をとるにしたがって白髪頭になるというものでこれはよくある出来事なのだ。

・黄沙  . 黄色い砂。 . 砂漠。 . 黄土。 . 中国大陸の黄土地帯の細かい砂が強風で吹き上げられ,しだいに降下してくる現象。

 

使君傳舊德,已見直繩心。 

しかし、貴方のこれまでの仁徳による施政は伝え及んでいるものだから、直ちにお縄になるのを見ることはないでしょう。
成都遂州002 

725 《與嚴二郎奉禮別〔草堂逸詩拾遺-(1)〕》 蜀中転々 杜甫 <632>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3470 杜甫詩1000-632-888/1500

≪與嚴二郎奉禮別≫〔草堂逸詩拾遺-(1) 貴方と別れたことで誰が暖かい目を持ってくれたであろうか。だから、そうこうしてるうちに、歳をとってしまい持病が私の体にまとわりついてしまった。しかも涙が出てこぼれ、私と同じように太陽も傾いている。風に向かっていくようにこんなちっぽけな人間として消えていくようなものでしかないのである。


2013年12月20日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(30)#11-2 文選 賦<112―30>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩984 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3468
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 725 《與嚴二郎奉禮別〔草堂逸詩拾遺-(1)〕》 蜀中転々 杜甫 <632>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3470 杜甫詩1000-632-888/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 229  《桃花源幷記》 陶淵明(陶潜) kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3471 (12/20)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 9 浣溪紗八首 其七 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-385-9-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3472
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

725 《與嚴二郎奉禮別〔草堂逸詩拾遺-(1) 蜀中転々 杜甫 <632  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3470 杜甫詩1000-632-888/1500

 

詩 題:與嚴二郎奉禮別〔草堂逸詩拾遺〕

作時:763 廣德元年 杜甫52

卷別: 卷二三四  文體: 五言古詩 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

掲 載; 杜甫1000首の632首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-888回目

人物/地點: 嚴二郎

 

 

與嚴二郎奉禮別

(厳二郎閣に礼別をたてまつり、この詩を詠う。)

〔草堂逸詩拾遺〕

〔浣花渓の草堂において逸していた詩、散失した詩を拾い集めたもの。昨時にあわせた。〕

別君誰暖眼,將老病纏身。

貴方と別れたことで誰が暖かい目を持ってくれたであろうか。だから、そうこうしてるうちに、歳をとってしまい持病が私の体にまとわりついてしまった。

出涕同斜日,臨風看去塵。

しかも涙が出てこぼれ、私と同じように太陽も傾いている。風に向かっていくようにこんなちっぽけな人間として消えていくようなものでしかないのである。

商歌還入夜,巴俗自為鄰。

琵琶、笛や琴の曲で臣下の忠誠に関する曲でいうように又夜のしじまの中に入っていくように忠誠心も消えたのだ。異郷の地の巴の国の習俗は自ずから隣国の様なものでしかないのだ。

尚愧微軀在,遙聞盛禮新。

それでいても、恥だと思っているのは、自分の存在がわずかなものであるということ。はるか遠くからの聞こえてくることは朝廷がさかんになり法令法規も新たなものになったということ。

山東群盜散,闕下受降頻。

幽州から山東を支配していた安史軍という盗賊の者たちは平定され蹴散らされた。朝廷の臣下の者たちはその地位が上がったもの下がったものがいるという。

諸將歸應盡,題書報旅人。

本来の諸将たちは、それぞれことごとく帰郷させられたのである。それでこうした詩文、書をあなたの旅の苦しさに報われるためにつったのです。

 

嚴二 郎に禮別し奉つる〔草堂で逸詩拾遺する〕

君と別し誰か暖眼せん,將に老して病は身に纏う。

出涕 斜日と同うする,臨風 塵と去るを看る。

商歌 還た夜に入り,巴俗 自ら鄰と為す。

尚お愧ずは軀在るを微かにするを,遙かに聞く 盛んに禮新たにす。

山東 群盜散り,闕下 受降頻りなり。

諸將 應に盡く歸り,書を題すは旅人に報ずる。

 

草堂002 

『與嚴二郎奉禮別』現代語訳と訳註

(本文)

與嚴二郎奉禮別〔草堂逸詩拾遺〕

別君誰暖眼,將老病纏身。

出涕同斜日,臨風看去塵。

商歌還入夜,巴俗自為鄰。

尚愧微軀在,遙聞盛禮新。

山東群盜散,闕下受降頻。

諸將歸應盡,題書報旅人。

 

(下し文)

嚴二 郎に禮別し奉つる〔草堂で逸詩拾遺する〕

君と別し誰か暖眼せん,將に老して病は身に纏う。

出涕 斜日と同うする,臨風 塵と去るを看る。

商歌 還た夜に入り,巴俗 自ら鄰と為す。

尚お愧ずは軀在るを微かにするを,遙かに聞く 盛んに禮新たにす。

山東 群盜散り,闕下 受降頻りなり。

諸將 應に盡く歸り,書を題すは旅人に報ずる

 

(現代語訳)

(厳二郎閣に礼別をたてまつり、この詩を詠う。)

〔浣花渓の草堂において逸していた詩、散失した詩を拾い集めたもの。昨時にあわせた。〕

貴方と別れたことで誰が暖かい目を持ってくれたであろうか。だから、そうこうしてるうちに、歳をとってしまい持病が私の体にまとわりついてしまった。

しかも涙が出てこぼれ、私と同じように太陽も傾いている。風に向かっていくようにこんなちっぽけな人間として消えていくようなものでしかないのである。

琵琶、笛や琴の曲で臣下の忠誠に関する曲でいうように又夜のしじまの中に入っていくように忠誠心も消えたのだ。異郷の地の巴の国の習俗は自ずから隣国の様なものでしかないのだ。

それでいても、恥だと思っているのは、自分の存在がわずかなものであるということ。はるか遠くからの聞こえてくることは朝廷がさかんになり法令法規も新たなものになったということ。

幽州から山東を支配していた安史軍という盗賊の者たちは平定され蹴散らされた。朝廷の臣下の者たちはその地位が上がったもの下がったものがいるという。

本来の諸将たちは、それぞれことごとく帰郷させられたのである。それでこうした詩文、書をあなたの旅の苦しさに報われるためにつったのです。

 

(訳注)

與嚴二郎奉禮別

(厳二郎閣に礼別をたてまつり、この詩を詠う。)

・嚴二郎 嚴別駕のこと。『相逢歌贈嚴二別駕』「我行入東川,十步一回首。城都亂罷氣蕭颯,浣花草堂亦何有。  梓中豪俊大者誰,本州從事知名久。 

厳八は厳武、厳武の父厳挺之は作者の友人であり、武は後輩である。杜甫の強力な援助者である。特に成都紀行、成都浣花渓草堂期に世話になる。厳武が没して成都を離れる。 

留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字

田園須暫往,戎馬惜離群。

去遠留詩別,愁多任酒醺。

一秋常苦雨,今日始無雲。

山路晴吹角,那堪處處聞!

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

 

〔草堂逸詩拾遺〕

〔浣花渓の草堂において逸していた詩、散失した詩を拾い集めたもの。昨時にあわせた。〕

・拾遺1 漏れ落ちたものをひろって補うこと。また、そうしてつくったもの。2 《「じゅうい」とも》侍従の唐名。3 中国で、君主を助けて、その過失をいさめ補うこと。また、その官。拾遺補闕(ほけつ)

 杜甫草堂詳細図02

別君 暖眼 ,將老 纏身

貴方と別れたことで誰が暖かい目を持ってくれたであろうか。だから、そうこうしてるうちに、歳をとってしまい持病が私の体にまとわりついてしまった。

 

出涕 同斜日 ,臨風 去塵

しかも涙が出てこぼれ、私と同じように太陽も傾いている。風に向かっていくようにこんなちっぽけな人間として消えていくようなものでしかないのである。

 

商歌 還入夜 ,巴俗 為鄰

琵琶、笛や琴の曲で臣下の忠誠に関する曲でいうように又夜のしじまの中に入っていくように忠誠心も消えたのだ。異郷の地の巴の国の習俗は自ずから隣国の様なものでしかないのだ。

「商歌」五音と総称される宮・商・角・徴・羽で、「商」と「徴」は、本来別の音であるのに(「変徴」は「徴」より半音ほど低い音)、陶淵明は、なぜ「商音」と言っている。また、五音には宮 - 君主、商 - 臣下、角 - 民、徴 - 事、羽 - 物といういみがある。ここで「商歌」ということは厳別駕が琵琶を弾いていたので、その曲が、臣下の忠誠に関する曲であったもの。。

 

尚愧 微軀 ,遙聞 盛禮

それでいても、恥だと思っているのは、自分の存在がわずかなものであるということ。はるか遠くからの聞こえてくることは朝廷がさかんになり法令法規も新たなものになったということ。

「愧」 綜合情感であり慚愧自責をいう。

 

山東 群盜 ,闕下 受降 頻。

幽州から山東を支配していた安史軍という盗賊の者たちは平定され蹴散らされた。朝廷の臣下の者たちはその地位が上がったもの下がったものがいるという。

「山東」安史の盗賊が支配し影響が強かったところである。杜甫の義母・弟が住んでいるのが山東である。

「盜」・「群盗」 群盗のはびこるときにあたっての意、群盗とは蜀に徐知道があり、両京には党項羌があり、東都には史朝義があるの類をいう。

『王閬州筵奉酬十一舅惜別之作』 

萬壑樹聲滿,千崖秋氣高。 

浮舟出郡郭,別酒寄江濤。 

良會不復久,此生何太勞。 

窮愁但有骨,群盜尚如毛。 

吾舅惜分手,使君寒贈袍。 

715 《王閬州筵奉酬十一舅惜別之作》 蜀中転々 杜甫 <622  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3420 杜甫詩1000-622-878/1500五言律詩

『戲題寄上漢中王,三首之三』

群盜無歸路,衰顏會遠方。

尚憐詩警策,猶記酒顛狂。

魯衛彌尊重,徐陳略喪亡。

空餘枚叟在,應念早升堂。

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

 

諸將 應盡,題書 旅人

本来の諸将たちは、それぞれことごとく帰郷させられたのである。それでこうした詩文、書をあなたの旅の苦しさに報われるためにつったのです。
杜甫像0012 


















草堂逸詩拾遺(1) 
  與嚴二郎奉禮別 
別君誰暖眼,將老病纏身。 貴方と別れたことで誰が暖かい目を持ってくれたであろうか。だから、そうこうしてるうちに、歳をとってしまい持病が私の体にまとわりついてしまった。
出涕同斜日,臨風看去塵。 しかも涙が出てこぼれ、私と同じように太陽も傾いている。風に向かっていくようにこんなちっぽけな人間として消えていくようなものでしかないのである。
商歌還入夜,巴俗自為鄰。 琵琶、笛や琴の曲で臣下の忠誠に関する曲でいうように又夜のしじまの中に入っていくように忠誠心も消えたのだ。異郷の地の巴の国の習俗は自ずから隣国の様なものでしかないのだ。
尚愧微軀在,遙聞盛禮新。 それでいても、恥だと思っているのは、自分の存在がわずかなものであるということ。はるか遠くからの聞こえてくることは朝廷がさかんになり法令法規も新たなものになったということ。
山東群盜散,闕下受降頻。 幽州から山東を支配していた安史軍という盗賊の者たちは平定され蹴散らされた。朝廷の臣下の者たちはその地位が上がったもの下がったものがいるという。
諸將歸應盡,題書報旅人。 本来の諸将たちは、それぞれことごとく帰郷させられたのである。それでこうした詩文、書をあなたの旅の苦しさに報われるためにつったのです
草堂逸詩拾遺(2)
  遣憂
亂離知又甚,消息苦難真。 みやこから天子がのがれたことで騒動はまたひどくなったことを知ったが、天子の動向でさえも消息がどれがほんとうだかわかりにくいのでこまる。
受諫無今日,臨危憶古人。 もしお天子が以前臣下の諌めをおうけいれになっていたなら今日のようなさわざも無かったであろうものを。自分は国家の危難にのぞんでは古の賢人をおもうのである。
紛紛乘白馬,攘攘著黃巾。 いまどこでもだれでもがみだれたって白馬に乗ってそむくものや黄巾をつけて盗賊をはたらくものばかりである。
隋氏留宮室,焚燒何太頻。 そうしてかく随以来のこされたわが唐の宮室の焚きはらわれることがなんでかく頻頻とあるのであろうか。
草堂逸詩拾遺(3)    
  早花 (不安定の世の中が落ち着いて花の春を迎えたいという気にさせる早花の知らせ詩)
西京安穩未,不見一人來。   長安は未だに安寧した状況ではないという、一人の人が行ってきたというがそれも近寄れず見てこれなかった。
臘日巴江曲,山花已自開。   ところがこの大晦日に南の巴江の方の隈のあたりではもう山茶花の花が自然に咲いているという。
盈盈當雪杏,豔豔待春梅。   それは野原一杯一面に真っ白に雪のように杏の花が咲いているという。そして艶やかに艶やかにして咲く春の梅を待っている。
直苦風塵暗,誰憂容鬢催。   ところが実際には、人々の上に戦乱の風塵が覆いかぶさって暗い世の中にしている。誰が憂いてくれる私のこの容姿と白髪頭でかきたてられてしまっているのを。 
草堂逸詩拾遺(4)
  巴山 巴山で出会った。(つれづれに思うこと)
巴山遇中使,云自陜城來。 山南東道の峽州にある巴山で朝廷からの使者にであった。使者は代宗皇帝が避難された都畿道 陜州の陜縣から来たということである。
盜賊還奔突,乘輿恐未回。 今に至ってもあちこちで謀叛や盗賊のように銖壺移している。皇帝はお車に乗られては逃避されたのだがいまだに帰ることが出来ないままでお気の毒なものだ。
天寒邵伯樹,地闊望仙臺。 都の空が寒いままであるなら揚州の召公は立派におさめられたところの樹のもとに怒れればよいし、その地が広く収めたいなら漢の文帝が河上公から儒学を教わったお礼に建てたという望仙臺にゆかれたらよいであろう。
狼狽風塵裡,群臣安在哉。 郭子儀宰相が諫言して吐蕃の脅威を放置したままで吐蕃に長安を落され狼狽して逃げられ、ちょうていではない人民の中におられるというが、きっと、あれほど多くいる家臣たちは安心して住めているのだろう。
草堂逸詩拾遺(5)
  花底 (花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている)
紫萼扶千蕊,黃鬚照萬花。 花の根元が紫の咢片が、千ほどのたくさんの花の芯蕊を助けている。花蕊の勇壮なチジレ髯は、万という沢山の花に在り照栄えるものだ。
忽疑行暮雨,何事入朝霞。 それでも春の季節が終わろうとしたり、雨に降られればパッと開いたままではいられずたちまち落ちてしまう。どういうわけか仕事においても朝霞の中朝廷に入るのと似ているようだ。
恐是潘安縣,堪留衛玠車。 このことは晋の潘岳のような美男子で、美文を書くものあってもその県を歩くことが出来なくなるほどであってなにもできなかったということを懼れ心配するし、また、同じ美男子でも晋の衛玠ほどの者のように体の弱さが車で移動するのさえとどまることが出来ない「看殺衛玠(衛玠を見殺する)」ということわざだできたほど美男子がその才能を助けることはなかった。
深知好顏色,莫作委泥沙。   深く知らなければいけないことは、美男でなくとも良い顔の色をしていなければいけないことである。当然、それは詩文において泥や砂交じりのような汚文の文章、作品を作ってはいけないということだ。
草堂逸詩拾遺(6)
  柳邊 (川辺の柳を見て思ったこと。)
只道梅花發,那知柳亦新。   取り立てていうこともないがもう梅の花がひらいている。誰も知っていると思うけど川辺の柳もまた新しく芽吹き緑を為してきている。
枝枝總到地,葉葉自開春。   柳の枝という枝が垂れて土手の土にすべて届いている。葉という葉はどれも春になって芽吹きそして葉を茂らせている。
紫燕時翻翼,黃鸝不露身。   雛だった燕が時折りつばさをひるがえしてとびあがるようになっているし、高麗鶯は既にその姿を現わさない季節になっている。
漢南應老盡,霸上遠愁人。   都を遠くこの南の蜀の地はこの私をまさに年老いてさせていくけれども、㶚陵の丘の上から長安を眺めた景色はとおくにいるこの老人を愁いてくれているのだ。

 

724 《江陵望幸〔註:廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕》 蜀中転々 杜甫 <631>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3465 杜甫詩1000-631-887/1500

杜甫《江陵望幸》 南都にしようと議論された立派な都市である江陵は、はじめから厳(おごそ)かで麗しいものであったが、長安の世情が不安で、安定しているこの地への行幸を望んで、にわかに威厳が増してきている。 

2013年12月19日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(29)#11(閣道と建章宮)-1 文選 賦<112―29>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩983 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3463
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 724 《江陵望幸〔註:廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕》 蜀中転々 杜甫 <631>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3465 杜甫詩1000-631-887/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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724 《江陵望幸〔註:肅宗上元元年,置南都於荊州,號江陵府,以呂為尹,尋罷。廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕》 蜀中転々 杜甫 <631  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3465 杜甫詩1000-631-887/1500

 

 

卷別: 卷二三二  文體: 五言古詩 

詩 題:江陵望幸〔註案:肅宗上元元年,置南都於荊州,號江陵府,以呂為尹,尋罷。廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點: 江陵 (山南東道 荊州 江陵)     

掲 載; 杜甫1000首の631首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-887回目   40986

 

 

江陵望幸

(江陵の人民は、天子の行幸を望んでいる。) 

〔註案:肅宗上元元年,置南都於荊州,號江陵府,以呂為尹,尋罷。廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕

760年肅宗上元元年のときこれまで荊州に南都とされた。そこに江陵府をおかれ、それで呂尹と為し、二年後の763年廣德元年また、衛伯玉を江陵府の長官にされた〕

雄都元壯麗,望幸欻威神。 

南都にしようと議論された立派な都市である江陵は、はじめから厳(おごそ)かで麗しいものであったが、長安の世情が不安で、安定しているこの地への行幸を望んで、にわかに威厳が増してきている。 

地利西通蜀,天文北照秦。 

地の利を得た場所であり、西の方は、蜀の地とつながっており。星辰は北の方の国都長安の方角を照らしている。

風煙含越鳥,舟楫控人。 

今となって人々の思いは風塵のように越の地の鳥を包み込むほどの勢いになっているし、船脚という交通手段は、呉の国の人を引き寄せて心待ちにしている。

未枉周王駕,終朝漢武巡。 

周・穆王の御来駕は叶わなかったのではあるが、最終的に漢の武帝の巡幸の機会を賜ったのである。

甲兵分聖旨,居守付忠臣。 

武装した兵士に天子様のおぼしめしを命じられれば良いのであるし、江陵城の守備は譜代の重臣に任せることが大切なことなのだ。 

早發雲臺仗,恩波起涸鱗。 

早く儀仗兵を出立させて、恩沢をおこし波及させて、危機に瀕した人民をして恩沢に浴さしめることが轍鮒(てっぷ)の急で、いまこそ、危機に瀕した人民を救うべきである。

 

(江陵 幸を望む)       

雄都元【はじめ】に 壯麗なるも,幸を望みて欻【たちま】ち 威神あり。

地利 西のかた 蜀に通じ,天文 北のかた 秦を照らす。

風煙は 越鳥を 含み,舟楫【しゅうしゅう】は 呉人を 控す。

未だ 周王の駕を 枉げざるも,終【つひ】に 漢武の巡を 期す。

甲兵聖旨【せいし】を 分かち,居守 宗臣に 付す。

早く 雲臺【うんだい】の仗を 發して,恩波 涸鱗【こりん】を 起こさんことを。

 

 

『江陵望幸』 現代語訳と訳註

(本文)

江陵望幸〔註案:肅宗上元元年,置南都於荊州,號江陵府,以呂為尹,尋罷。廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕

雄都元壯麗,望幸欻威神。 

地利西通蜀,天文北照秦。 

風煙含越鳥,舟楫控人。 

未枉周王駕,終朝漢武巡。 

甲兵分聖旨,居守付忠臣。 

早發雲臺仗,恩波起涸鱗。 

 

(下し文)

(江陵 幸を望む)       

雄都元【はじめ】に 壯麗なるも,幸を望みて欻【たちま】ち 威神あり。

地利 西のかた 蜀に通じ,天文 北のかた 秦を照らす。

風煙は 越鳥を 含み,舟楫【しゅうしゅう】は 呉人を 控す。

未だ 周王の駕を 枉げざるも,終【つひ】に 漢武の巡を 期す。

甲兵聖旨【せいし】を 分かち,居守 宗臣に 付す。

早く 雲臺【うんだい】の仗を 發して,恩波 涸鱗【こりん】を 起こさんことを。

 

 

(現代語訳)

(江陵の人民は、天子の行幸を望んでいる。) 

760年肅宗上元元年のときこれまで荊州に南都とされた。そこに江陵府をおかれ、それで呂尹と為し、二年後の763年廣德元年また、衛伯玉を江陵府の長官にされた〕

南都にしようと議論された立派な都市である江陵は、はじめから厳(おごそ)かで麗しいものであったが、長安の世情が不安で、安定しているこの地への行幸を望んで、にわかに威厳が増してきている。 

地の利を得た場所であり、西の方は、蜀の地とつながっており。星辰は北の方の国都長安の方角を照らしている。

今となって人々の思いは風塵のように越の地の鳥を包み込むほどの勢いになっているし、船脚という交通手段は、呉の国の人を引き寄せて心待ちにしている。

周・穆王の御来駕は叶わなかったのではあるが、最終的に漢の武帝の巡幸の機会を賜ったのである。

武装した兵士に天子様のおぼしめしを命じられれば良いのであるし、江陵城の守備は譜代の重臣に任せることが大切なことなのだ。 

早く儀仗兵を出立させて、恩沢をおこし波及させて、危機に瀕した人民をして恩沢に浴さしめることが轍鮒(てっぷ)の急で、いまこそ、危機に瀕した人民を救うべきである。

 

(訳注)

江陵望幸

(江陵の人民は、天子の行幸を望んでいる。) 

・江陵:長江が南側の洞庭湖へ曲がる部分の要衝。(現・湖北省江陵)『中国歴史地図集・第五冊「隋・唐・五代時期』「江漢湘諸郡」e5)にある。 

・望幸:行幸を望む。・望:望む。待ち望む。 ・幸:天子の行動をいう。行幸。天子が皇宮を出て、よそへ行くこと。

洞庭湖鄂州02 

〔註案:肅宗上元元年,置南都於荊州,號江陵府,以呂為尹,尋罷。廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕

760年肅宗上元元年のときこれまで荊州に南都とされた。そこに江陵府をおかれ、それで呂尹と為し、二年後の763年廣德元年また、衛伯玉を江陵府の長官にされた〕

上元元年九月改めて南都を荊州に置き荊州を以て江陵府となした。二年九月鳳翔の西都及び江陵の南都の号をやめたが、宝応元年にはまた旧に復した。此の詩は上元元年荊州を南都とするときの作である。荊州を南都とするということは時の荊州刺史呂陻なるものの建議に基づくもので、くわえて長安が不安であるため、江陵を行在所とすべきということが全国的な話題になっていたということなのだ。

当然、杜甫はこれに反対の意見ではあるものの、自分も長江を下ろうとしている時期でもあるからそれに合わせていこうといきたいことをのべたのである。

この註のことは杜甫『建都十二韻』に詳しく述べている。

建都十二韻

蒼生未蘇息,胡馬半乾坤。議在雲臺上,誰扶黃屋尊?』

建都分魏闕,下韶闢荊門。恐失東人望,其如西極存。

時危當雪恥,計大豈輕論?雖倚三堦正,終愁萬國翻。』

牽裾恨不死,漏網荷殊恩。永負漢庭哭,遙憐湘水魂。

窮冬客江劍,隨事有田園。風斷青蒲節,霜埋翠竹根。』

衣冠空攘攘,關輔久昏昏。願枉長安日,光輝照北原。』

建都十二韻 杜甫 成都(3)浣花渓の草堂(3)13-1  杜甫 <399 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1940 杜甫詩1000-399-582/1500

安禄山の乱が終熄しようとした時、吐蕃(チベット民族)の入寇(廣德元年:763年『舊唐書・本紀・代宗』廣德元年:763年)があった。その際、粛宗の次代皇帝である代宗は、吐蕃が河北一帯を侵寇したので、陝州に難を避けて行幸したことが『舊唐書・本紀・代宗』にみえる。「(763年)廣德元年秋七月,吐蕃大寇河、隴,陷我秦、成、渭三州,…冬十月庚午朔。高暉引吐蕃犯京畿諸縣。蕃軍自司竹園渡渭,循南山而東。丙子,駕幸陝州。…從官多由南山諸谷赴行在。…吐蕃入京師,立廣武王承宏爲帝…。車駕至陝州。(郭)子儀收京城。…以郭子儀爲京留守。」とみえる。更に、江陵でも代宗の行幸を待ち望んでいることを詠ったもの。 

 

 

雄都元壯麗,望幸欻威神。 

南都にしようと議論された立派な都市である江陵は、はじめから厳(おごそ)かで麗しいものであったが、長安の世情が不安で、安定しているこの地への行幸を望んで、にわかに威厳が増してきている。 

雄都:立派なみやこ。立派な都市。江陵のことをいう。 

元:はじめに。もともと。 

壯麗:さかんで麗しい。厳(おごそ)かで麗しい。さかんで美しい。

欻:おこる。(にわかに)おこる。たちまち。にわかに。 

威神:厳(おごそ)かで気高い。威厳。

 

 

地利西通蜀,天文北照秦。 

地の利を得た場所であり、西の方は、蜀の地とつながっており。星辰は北の方の国都長安の方角を照らしている。 

地利:地勢や地形上の便利。地の利。 *以下、東西南北に該る諸国を詠い、その中心に江陵がある雄都ぶりをいう。古今を通じて、また、各地から見て、中央に位置しており、一旦緩急のある時は、どの方角にでも逃げおおせる江陵の便利さを詠う。 

西通:江陵から長江を遡れば、四川盆地に入ることが出来ることをいう。 

蜀:現在の四川省の地。

天文:日月星辰の運行や、風雨雪雷など天空に起こる現象。ここでは北辰のことになる。 

北照:江陵の北の方が、国都長安のある陝西省の方角になる。 

秦:現在の陝西省の地。当時、陝西一帯は、吐蕃の手に落ちていた。

 

風煙含越鳥,舟楫控人。 

今となって人々の思いは風塵のように越の地の鳥を包み込むほどの勢いになっているし、船脚という交通手段は、呉の国の人を引き寄せて心待ちにしている。

風煙:風と煙。風と靄(もや)。すなけむり。戦乱の喩え。 ・含:ふくむ。 

越:現在の浙江省。

舟楫:舟とかじ。転じて、天子の仕事を助ける臣下の喩え。 ・控:ひかえる。ひきとめる。ひきよせる。 

呉:現在の浙江省の地。

 

 

未枉周王駕,終朝漢武巡。 

周・穆王の御来駕は叶わなかったのではあるが、最終的に漢の武帝の巡幸の機会を賜ったのである。 

未枉:まげられなかった。 

周王:『列子・湯問』では周穆王は禹域内外を巡幸した。「北游過其國,三年忘歸」「周穆王西巡狩,越崑崙,不至山,反還」「周穆王大征西戎」。・駕:天子の乗り物。

終期:ついに巡幸の時期の約束を得た。 

漢武:漢の武帝。『史記・孝武本紀』に「上巡南郡,至江陵而東。登禮潛之天柱山,號曰南嶽。浮江,自尋陽出樅陽,過彭蠡,祀其名山川。」 と南巡した際、江陵に立ち寄ったことが記録されている。

 

甲兵分聖旨,居守付忠臣。 

武装した兵士に天子様のおぼしめしを命じられれば良いのであるし、江陵城の守備は譜代の重臣に任せることが大切なことなのだ。 

甲兵:鎧を着た武人。武装した兵士。 ・分:命じる。 ・聖旨:天子のおぼしめし。

居守:都市の守護職。=留守。ここでは江陵の留守のことをいうか。『舊唐書・本紀・代宗』では、京都の留守は郭子儀になる。 ・付:命じる。 

宗臣:君主一族の臣。世に仰ぎ貴ばれる臣。譜代の重臣。

 

早發雲臺仗,恩波起涸鱗。 

早く儀仗兵を出立させて、恩沢をおこし波及させて、危機に瀕した人民をして恩沢に浴さしめることが轍鮒(てっぷ)の急で、いまこそ、危機に瀕した人民を救うべきである。

早發:早期に儀仗兵を起こす。早く儀仗兵の出発を命じる。 

雲臺:漢代の高い台の名。後漢明帝の時、光武帝麾下の二十八功臣の肖像を掲げた所。=雲閣。陳子昂の『題祀山烽樹贈喬十二侍御』に「漢庭榮巧宦,雲閣薄邊功。可憐馬使,白首爲誰雄。」 とある。 ・仗:儀仗兵。

恩波:広くゆきわたる恵み。恩沢。 ・起:おこす。 

涸鱗:(魚がいるところの)水が涸(か)れて死に瀕した魚。轍鮒(てっぷ)の急のことをいう。=「涸鮒」「涸轍鮒魚」。『莊子・外物』「莊周家貧,故往貸粟於監河侯。監河侯曰:「諾。我將得邑金,將貸子三百金,可乎。」莊周忿然作色曰:「周昨來,有中道而呼者。周顧視車轍中,有鮒魚焉。周問之曰:『鮒魚來,子何爲者邪。』對曰:『我,東海之波臣也。君豈有斗升之水而活我哉。』周曰:『諾。我且南遊呉、越之王,激西江之水而迎子,可乎。』鮒魚忿然作色曰:『吾失我常與,我無所處。吾得斗升之水然活耳,君乃言此,曾不如早索我於枯魚之肆。』」に基づく。
miyajima0033221107930 

715 《王閬州筵奉酬十一舅惜別之作》 蜀中転々 杜甫 <622>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3420 杜甫詩1000-622-878/1500五言律詩

《王閬州筵奉酬十一舅惜別之作》 舟をうかべて郡都の城郭を出発する。別れの酒は嘉陵江の波濤に寄せて飲んでいる。こうしてよい出会いがあって酒を酌み交わすというのはこれから後逸再び会うことがあるだろうか。この人生何と艱難辛苦に遭遇していることだろうか。

2013年12月10日  の紀頌之5つのブログ
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作年:  763年廣德元年 52

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 王閬州筵奉酬十一舅惜別之作 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點: 閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城     

交遊人物/地點: 王閬州・崔十一 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

掲 載; 杜甫1000首の622首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-878回目

 

 

王閬州筵奉酬十一舅惜別之作 

(王閬州刺史がひらいてくれた送別の宴席で舅の崔十一殿の詩にこの爺が惜別の詩を作って酬い奉る。)

萬壑樹聲滿,千崖秋氣高。 

あちこち何処の谷にも木枯らしが木々を鳴らして満ち溢れている。それぞれ沢山の崖の上に秋の気配が高い所まで広がっている。

浮舟出郡郭,別酒寄江濤。 

舟をうかべて郡都の城郭を出発する。別れの酒は嘉陵江の波濤に寄せて飲んでいる。

良會不復久,此生何太勞。 

こうしてよい出会いがあって酒を酌み交わすというのはこれから後逸再び会うことがあるだろうか。この人生何と艱難辛苦に遭遇していることだろうか。

窮愁但有骨,群盜尚如毛。 

愁いというのも窮めるほどつづいており、ただそれがこの身にも及んでいるのである。そんな上に、中国全土に盗賊の様なものたちが髪をふりかざして暴れたのである。

吾舅惜分手,使君寒贈袍。 

この私の舅とここでお別れをするのも惜しいという思いであるし、ありがたいのは王閬州刺史が寒さに向かって着物を送っていただいたことだ。

沙頭暮黃鵠,失侶自哀號。 

この渡し場の砂浜のほとりでは、夕暮れにかかって縁起の良い黄鵠が贈ってくれるし、こうして頼りにしている舅や無二の親友を失うことで自然に悲しくて号泣してしまうのだ。

 

王閬州の筵にて崔十一舅に酬い奉る惜別の作 

萬壑【まんがく】樹聲滿ち,千崖【せんがい】秋氣高し。 

舟を浮かせて郡郭を出づ,酒と別れて江濤に寄せる。 

良會は復た久しくするをなし,此の生は 何ぞ太【はなは】だ勞す。 

愁を窮めるは但だ骨有るのみ,群盜は尚お毛の如し。 

吾が舅 手を分つを惜み,使君 寒きに袍を贈らる。 

沙頭 暮れて黃鵠あり,失侶して自ら哀號す。 

 

楊柳00005 

 

『王閬州筵奉酬十一舅惜別之作』 現代語訳と訳註

(本文)

王閬州筵奉酬十一舅惜別之作 

萬壑樹聲滿,千崖秋氣高。 

浮舟出郡郭,別酒寄江濤。 

良會不復久,此生何太勞。 

窮愁但有骨,群盜尚如毛。 

吾舅惜分手,使君寒贈袍。 

沙頭暮黃鵠,失侶自哀號。 

 

異文

萬壑樹聲滿,千崖秋氣高。

浮舟出郡郭【浮雲出郡郭】,別酒寄江濤。

良會不復久,此生何太勞。

窮愁但有骨【窮愁惟有骨】,群盜尚如毛。

吾舅惜分手,使君寒贈袍。

沙頭暮黃鵠,失侶自哀號【失侶亦哀號】。 

 

(下し文)

王閬州の筵にて崔十一舅に酬い奉る惜別の作 

萬壑【まんがく】樹聲滿ち,千崖【せんがい】秋氣高し。 

舟を浮かせて郡郭を出づ,酒と別れて江濤に寄せる。 

良會は復た久しくするをなし,此の生は 何ぞ太【はなは】だ勞す。 

愁を窮めるは但だ骨有るのみ,群盜は尚お毛の如し。 

吾が舅 手を分つを惜み,使君 寒きに袍を贈らる。 

沙頭 暮れて黃鵠あり,失侶して自ら哀號す。 

 

(現代語訳)

(王閬州刺史がひらいてくれた送別の宴席で舅の崔十一殿の詩にこの爺が惜別の詩を作って酬い奉る。)

あちこち何処の谷にも木枯らしが木々を鳴らして満ち溢れている。それぞれ沢山の崖の上に秋の気配が高い所まで広がっている。

舟をうかべて郡都の城郭を出発する。別れの酒は嘉陵江の波濤に寄せて飲んでいる。

こうしてよい出会いがあって酒を酌み交わすというのはこれから後逸再び会うことがあるだろうか。この人生何と艱難辛苦に遭遇していることだろうか。

愁いというのも窮めるほどつづいており、ただそれがこの身にも及んでいるのである。そんな上に、中国全土に盗賊の様なものたちが髪をふりかざして暴れたのである。

この私の舅とここでお別れをするのも惜しいという思いであるし、ありがたいのは王閬州刺史が寒さに向かって着物を送っていただいたことだ。

この渡し場の砂浜のほとりでは、夕暮れにかかって縁起の良い黄鵠が贈ってくれるし、こうして頼りにしている舅や無二の親友を失うことで自然に悲しくて号泣してしまうのだ。

 

(訳注)

王閬州筵奉酬十一舅惜別之作 

(王閬州刺史がひらいてくれた送別の宴席で舅の崔十一殿の詩にこの爺が惜別の詩を作って酬い奉る。)

「舅」1 (舅)夫または妻の父。しゅうとおや。2 (姑)「しゅうとめ(姑)」に同じ。◇「舅」「姑」は、配偶者の父母に対する呼びかけには使わない。また、配偶者の父母のことを他人に話すときには「お」を付けない。

 

萬壑 樹聲 滿 ,千崖 秋氣 高。

あちこち何処の谷にも木枯らしが木々を鳴らして満ち溢れている。それぞれ沢山の崖の上に秋の気配が高い所まで広がっている。

「壑」自然景觀、洞穴坑谷。

 

浮舟 郡郭 ,別酒 江濤

舟をうかべて郡都の城郭を出発する。別れの酒は嘉陵江の波濤に寄せて飲んでいる。

「郡郭」語義類別:邦國郡都城、。

「江」嘉陵江。

「濤」波濤。

 

良會 不復 ,此生 何太勞

こうしてよい出会いがあって酒を酌み交わすというのはこれから後逸再び会うことがあるだろうか。この人生何と艱難辛苦に遭遇していることだろうか。

 

窮愁 但有骨 ,群盜 尚如毛

愁いというのも窮めるほどつづいており、ただそれがこの身にも及んでいるのである。そんな上に、中国全土に盗賊の様なものたちが髪をふりかざして暴れたのである。

「骨」杜甫自身の病気がちな体を云う。

・「群盗」 群盗のはびこるときにあたっての意、群盗とは蜀に徐知道があり、両京には党項羌があり、東都には史朝義があるの類をいう。

杜甫『悲秋』

涼風動萬里,群盜尚縱橫。 

家遠傳書日,秋來為客情。 

秋窺高鳥過,老逐眾人行。 

始欲投三峽,何由見兩京。 

642 《悲秋》 蜀中転々 杜甫 <547  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2960 杜甫詩1000-547-786/1500

 

吾舅惜分手,使君寒贈袍。

この私の舅とここでお別れをするのも惜しいという思いであるし、ありがたいのは王閬州刺史が寒さに向かって着物を送っていただいたことだ。

「舅」1 (舅)夫または妻の父。しゅうとおや。2 (姑)「しゅうとめ(姑)」に同じ。◇「舅」「姑」は、配偶者の父母に対する呼びかけには使わない。また、配偶者の父母のことを他人に話すときには「お」を付けない。

「使君」王閬州刺史。

 

沙頭 黃鵠 ,失侶 哀號

この渡し場の砂浜のほとりでは、夕暮れにかかって縁起の良い黄鵠が贈ってくれるし、こうして頼りにしている舅や無二の親友を失うことで自然に悲しくて号泣してしまうのだ。

「沙頭」砂場で埠頭となっているところ。

「暮」語義類別:時、時間、範圍時間(黃昏)、暮。

「黃鵠」幸運の鶴のこと。子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。。

「侶」旅空のもとで最も頼りにしている舅、ここでは王閬州刺史をいう。

浮桟橋00嘉陵江の岸壁 

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《送陵州路使君赴任〔送陵州路使君之任〕》#1王室はちかごろさまざまの難儀つづきであり、高官のものたちは皆、武人であったはずだ。それが幽燕の地方が平定して朝廷からの使者も自由に通ずるようになり、やっと地方官にも文学出身のものを用いるようになった。』

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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707 《送陵州路使君赴任〔送陵州路使君之任〕》#1 蜀中転々 杜甫 <614>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3380 杜甫詩1000-614-870/1500

 

 

詩 題:送陵州路使君赴任〔送陵州路使君之任〕

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 五言古詩 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:  陵州 (劍南道北部 陵州 陵州)     

交遊人: 路使君

掲 載; 杜甫1000首の614首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-870回目   40969

陵州の刺史に任ぜられた路某が任地へゆくのを送る詩。広徳元年秋、梓州にあっての作。

 

送陵州路使君赴任#1

陵州の刺史に任ぜられた路某が任地へゆくのを送る詩

王室比多難,高官皆武臣。

王室はちかごろさまざまの難儀つづきであり、高官のものたちは皆、武人であったはずだ。

幽燕通使者,岳牧用詞人。』

それが幽燕の地方が平定して朝廷からの使者も自由に通ずるようになり、やっと地方官にも文学出身のものを用いるようになった。』

國待賢良急,君當拔擢新。

国家はいま賢良なる人物を待つことが急であるので、君は新たに抜擢せられることになった。

佩刀成氣象,行蓋出風塵。

君の佩刀は呂虔のそれのごとく前途有望の気象をあらわし、君の管内巡察の車蓋ははじめて兵乱の塵から出てから、収める仕事である。

#2

戰伐乾坤破,瘡痍府庫貧。

眾僚宜潔白,萬役但平均。』

霄漢瞻佳士,泥途任此身。

秋天正搖落,回首大江濱。』

 

(陵州の路使君が任に之くを送る)

王室 此【このごろ】多難なり、高官 皆 武臣なり。

幽燕 使者通ず、岳牧【がくぼく】詞人を用う。』

国 賢良を待つこと急なり、君 抜擢に当たること新たなり。

佩刀【はいとう】気象を成す、行蓋【こうがい】風塵を出づ。

 

戦伐【せんばつ】乾坤【けんこん】破れ、瘡痍【そうい】府庫 貧なり。

衆寮【しゅうりょう】宜しく潔白なるべし、万役 但だ平均なれ。』

零漢【れいかん】佳士を瞻る、泥塗 此の身を任す。

秋天 正に揺落す、首を回らす大江の浜。』

成都遂州002 

 

『送陵州路使君赴任』 現代語訳と訳註

(本文)

送陵州路使君赴任

王室比多難,高官皆武臣。

幽燕通使者,岳牧用詞人。』

國待賢良急,君當拔擢新。

佩刀成氣象,行蓋出風塵。

 

(下し文)

(陵州の路使君が任に之くを送る)

王室 此【このごろ】多難なり、高官 皆 武臣なり。

幽燕 使者通ず、岳牧【がくぼく】詞人を用う。』

国 賢良を待つこと急なり、君 抜擢に当たること新たなり。

佩刀【はいとう】気象を成す、行蓋【こうがい】風塵を出づ。

 

 

(現代語訳)

陵州の刺史に任ぜられた路某が任地へゆくのを送る詩

王室はちかごろさまざまの難儀つづきであり、高官のものたちは皆、武人であったはずだ。

それが幽燕の地方が平定して朝廷からの使者も自由に通ずるようになり、やっと地方官にも文学出身のものを用いるようになった。』

国家はいま賢良なる人物を待つことが急であるので、君は新たに抜擢せられることになった。

君の佩刀は呂虔のそれのごとく前途有望の気象をあらわし、君の管内巡察の車蓋ははじめて兵乱の塵から出てから、収める仕事である。

 

(訳注)

迭陵州路使君之任

陵州の刺史に任ぜられた路某が任地へゆくのを送る詩

○陵州 今の成都府の南、資州の仁寿県境。(地図d-12

○路使君 陵州の刺史路某。

 

王室 比 多難 ,高官 皆武臣 。

王室はちかごろさまざまの難儀つづきであり、高官のものたちは皆、武人であったはずだ。

 

幽燕 通使者 ,岳牧 用 詞人 。

それが幽燕の地方が平定して朝廷からの使者も自由に通ずるようになり、やっと地方官にも文学出身のものを用いるようになった。』

○幽燕 幽州及び燕国の地、今の河北北部、安史軍の拠っている所。

○通使者 賊将が帰順し、朝廷よりの使者が自由に通ずるようになった。

○岳牧 地方の長官をいう。昔、舜のとき四番十二牧があったが、ここは刺史を州牧とみてかくいう。

○詞人 文学出身の人、上の武臣に対していう。

 

國待 賢良 急 ,君當 拔擢 新 。

国家はいま賢良なる人物を待つことが急であるので、君は新たに抜擢せられることになった。

○賢良 かしこくよい人物。

○抜擢 多くの人のうちよりびきぬかれること。

 

佩刀 成氣象 ,行蓋 出 風塵 。

君の佩刀は呂虔のそれのごとく前途有望の気象をあらわし、君の管内巡察の車蓋ははじめて兵乱の塵から出てから、収める仕事である。

○侃刀 呂虔の故事、晋の呂が刺史となったとき、ある易者がその佩刀を見て、これは三公のおぶべきものであるといったので、はその佩刀を王祥に贈ったという。

○成気象 前途三公の位にものぼるべききざしをあらわすことをいう。

○行蓋 管内をめぐる車の蓋(かさ)、刺史は馬車でめぐる。

○風塵 兵乱のちり。

終南山05 

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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692 《陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕》  蜀中転々 杜甫 <599  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3305 杜甫詩1000-599-855/1500

 

 

詩 題:陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 五言古詩 

詩題: 陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕

交遊人物/地點: 章彝 當地交遊(劍南道北部 梓州 梓州)

掲 載; 杜甫1000首の598首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-854回目   40953

 

 

陪章留後侍禦宴南樓〔得風字〕#1

(章彝節度使留守居役の侍禦に陪して梓州南樓に宴会する。「風」字を得る。)

域長夏晚,茲樓清宴同。

この晩夏にいたるまでもう長期にわたって吐蕃との不穏な状況にある地域になっている。こうした時にこの楼閣で宴会は清廉な気持ちに同化していくのである。

朝廷燒棧北,鼓角滿天東。

都の朝廷は北に向かう桟道を徐知道の叛乱によって焼き落とされてしまっているし、吐蕃軍の太鼓と角笛は天の東側を焦がしてしまっている。

屢食將軍第,仍騎禦史驄。

しばしば節度使次官の将軍には幕府において食にあずかることが多いのであるが、すなわち禦史の聰敏なご配慮に乗せていただいているのである。

本無丹灶術,那免白頭翁。

もともと私には世渡り術が全くへたくそで、こうしたただの白髪頭の爺いであることをお許し願いたいと思うしだいです。

#2

寇盜狂歌外,形骸痛飲中。

各地での謀反を起こしたり、援軍であったウイグル軍の略奪横暴、などが、狂った歌ばかりでなく行われ、このような唐王朝軍の形骸化は酒をまずくすることでしかないのだ。

野雲低渡水,簷雨細隨風。

この世にこの暗雲状態を野原に、低く広げ、旅立とうとするこの涪江の水の熟れにもたれ込める。高楼のひさしの先から落ちる雨だれが風に吹かれ飛び散っているように我々もこの時代に從う以外にないというのか。

出號江城黑,題詩蠟炬紅。

節度使の号令で出陣してゆく涪城も暗黒の中にあるけれど、こうして詩を題すると蝋燭の燈火は紅く明るくなる。

身醒複醉,不擬哭途窮。

私のこの身はというと、酔いがさめたら、また酔うという仙人のような生活であるが、人生の道を究めるということはどうしようかと考えることはないものだ。

 

章留後侍禦に陪して南樓に宴す〔風字を得る〕#1

域 長しく夏の晚,茲の樓 清く宴同じうする。

朝廷 棧北を燒く,鼓角 天東に滿つ。

屢ば 將軍の第に食す,仍ち禦史の驄に騎す。

本と丹灶の術無し,那んぞ白頭翁を免んぜん。


寇盜 狂歌の外,形骸 痛飲の中。

野雲 渡水に低くして,簷雨 細かに風に隨う。

號を出づ 江城 黑たり,詩を題すは 蠟炬 紅なり。

此の身 複た醉うを醒め,途窮めるを哭すを擬せず。kimo003

水鳥ケリ002 

 

『陪章留後侍禦宴南樓〔得風字〕』 現代語訳と訳註

 #2

寇盜狂歌外,形骸痛飲中。

野雲低渡水,簷雨細隨風。

出號江城黑,題詩蠟炬紅。

此身醒複醉,不擬哭途窮。

 

(下し文) #2

寇盜 狂歌の外,形骸 痛飲の中。

野雲 渡水に低くして,簷雨 細かに風に隨う。

號を出づ 江城 黑たり,詩を題すは 蠟炬 紅なり。

此の身 複た醉うを醒め,途窮めるを哭すを擬せず。

 

(現代語訳)

各地での謀反を起こしたり、援軍であったウイグル軍の略奪横暴、などが、狂った歌ばかりでなく行われ、このような唐王朝軍の形骸化は酒をまずくすることでしかないのだ。

この世にこの暗雲状態を野原に、低く広げ、旅立とうとするこの涪江の水の熟れにもたれ込める。高楼のひさしの先から落ちる雨だれが風に吹かれ飛び散っているように我々もこの時代に從う以外にないというのか。

節度使の号令で出陣してゆく涪城も暗黒の中にあるけれど、こうして詩を題すると蝋燭の燈火は紅く明るくなる。

私のこの身はというと、酔いがさめたら、また酔うという仙人のような生活であるが、人生の道を究めるということはどうしようかと考えることはないものだ。

 

(訳注) #2

寇盜狂歌外,形骸痛飲中。

各地での謀反を起こしたり、援軍であったウイグル軍の略奪横暴、などが、狂った歌ばかりでなく行われ、このような唐王朝軍の形骸化は酒をまずくすることでしかないのだ。

・寇盜 「寇」は吐蕃の侵略、ウイグル軍の略奪横暴。「盜賊」語義類別:人、稱謂、貶稱惡稱、盜匪。 叛乱を企てている者たちを「羣盗」「賊」などと表現している。この時、蜀に徐知道があり、両京には党項羌があり、東都には史朝義があるの類をいう

・形骸 皇帝が相次いで急死し、王朝軍も外国軍に頼りきりという状態、朝廷は暗躍する宦官に侵されていて形骸化していた。

 

野雲低渡水,簷雨細隨風。

この世にこの暗雲状態を野原に、低く広げ、旅立とうとするこの涪江の水の熟れにもたれ込める。高楼のひさしの先から落ちる雨だれが風に吹かれ飛び散っているように我々もこの時代に從う以外にないというのか。

 

出號江城黑,題詩蠟炬紅。

節度使の号令で出陣してゆく涪城も暗黒の中にあるけれど、こうして詩を題すると蝋燭の燈火は紅く明るくなる。

 

此身醒複醉,不擬哭途窮。

私のこの身はというと、酔いがさめたら、また酔うという仙人のような生活であるが、人生の道を究めるということはどうしようかと考えることはないものだ。
杏の花0055 

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杜甫《陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕》#1この晩夏にいたるまでもう長期にわたって吐蕃との不穏な状況にある地域になっている。こうした時にこの楼閣で宴会は清廉な気持ちに同化していくのである。

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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詩 題:陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 五言古詩 

詩題: 陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕

交遊人物/地點: 章彝 當地交遊(劍南道北部 梓州 梓州)

掲 載; 杜甫1000首の598首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-854回目   40953

 

 

 

陪章留後侍禦宴南樓〔得風字〕#1

(章彝節度使留守居役の侍禦に陪して梓州南樓に宴会する。「風」字を得る。)

域長夏晚,茲樓清宴同。

この晩夏にいたるまでもう長期にわたって吐蕃との不穏な状況にある地域になっている。こうした時にこの楼閣で宴会は清廉な気持ちに同化していくのである。

朝廷燒棧北,鼓角滿天東。

都の朝廷は北に向かう桟道を徐知道の叛乱によって焼き落とされてしまっているし、吐蕃軍の太鼓と角笛は天の東側を焦がしてしまっている。

屢食將軍第,仍騎禦史驄。

しばしば節度使次官の将軍には幕府において食にあずかることが多いのであるが、すなわち禦史の聰敏なご配慮に乗せていただいているのである。

本無丹灶術,那免白頭翁。

もともと私には世渡り術が全くへたくそで、こうしたただの白髪頭の爺いであることをお許し願いたいと思うしだいです。

 

章留後侍禦に陪して南樓に宴す〔風字を得る〕#1

域 長しく夏の晚,茲の樓 清く宴同じうする。

朝廷 棧北を燒く,鼓角 天東に滿つ。

屢ば 將軍の第に食す,仍ち禦史の驄に騎す。

本と丹灶の術無し,那んぞ白頭翁を免んぜん。

#2

寇盜狂歌外,形骸痛飲中。

野雲低渡水,簷雨細隨風。

出號江城黑,題詩蠟炬紅。

此身醒複醉,不擬哭途窮。

寇盜 狂歌の外,形骸 痛飲の中。

野雲 渡水に低くして,簷雨 細かに風に隨う。

號を出づ 江城 黑たり,詩を題すは 蠟炬 紅なり。

此の身 複た醉うを醒め,途窮めるを哭すを擬せず。

 

陪章留後侍禦宴南樓〔得風字〕(含異文)

域長夏晚,茲樓清宴同。

朝廷燒棧北【案:廣德二年,吐蕃入大震關。】,鼓角滿天東【案:道有大小漏天。】【鼓角漏天東】。

屢食將軍第【屢食將軍邸】,仍騎御史驄【仍驕御史驄】。

本無丹灶術【本無丹灶訣】,那免白頭翁。

寇盜狂歌外,形骸痛飲中。

野雲低渡水,簷雨細隨風。

出號江城黑,題詩蠟炬紅【題詩蠟燭紅】。

此身醒復醉【此身醒覆醉】,不擬哭途窮。 

月明峡01 

 

『陪章留後侍禦宴南樓〔得風字〕』 現代語訳と訳註

(本文)

陪章留後侍禦宴南樓〔得風字〕#1

域長夏晚,茲樓清宴同。

朝廷燒棧北,鼓角滿天東。

屢食將軍第,仍騎禦史驄。

本無丹灶術,那免白頭翁。

 

 

(下し文)

章留後侍禦に陪して南樓に宴す〔風字を得る〕#1

域 長しく夏の晚,茲の樓 清く宴同じうする。

朝廷 棧北を燒く,鼓角 天東に滿つ。

屢ば 將軍の第に食す,仍ち禦史の驄に騎す。

本と丹灶の術無し,那んぞ白頭翁を免んぜん。

 

(現代語訳)

(章彝節度使留守居役の侍禦に陪して梓州南樓に宴会する。「風」字を得る。)

この晩夏にいたるまでもう長期にわたって吐蕃との不穏な状況にある地域になっている。こうした時にこの楼閣で宴会は清廉な気持ちに同化していくのである。

都の朝廷は北に向かう桟道を徐知道の叛乱によって焼き落とされてしまっているし、吐蕃軍の太鼓と角笛は天の東側を焦がしてしまっている。

しばしば節度使次官の将軍には幕府において食にあずかることが多いのであるが、すなわち禦史の聰敏なご配慮に乗せていただいているのである。

もともと私には世渡り術が全くへたくそで、こうしたただの白髪頭の爺いであることをお許し願いたいと思うしだいです。

 

(訳注)

陪章留後侍禦宴南樓〔得風字〕#1

(章彝節度使留守居役の侍禦に陪して梓州南樓に宴会する。「風」字を得る。)

・章 章彝節度使留守居役の侍禦

 

域長夏晚,茲樓清宴同。

この晩夏にいたるまでもう長期にわたって吐蕃との不穏な状況にある地域になっている。こうした時にこの楼閣で宴会は清廉な気持ちに同化していくのである。

 吐蕃との不穏な状況にある地域を云う。

・夏晚 晩夏。夏の終わり。

 

朝廷燒棧北,鼓角滿天東。

都の朝廷は北に向かう桟道を徐知道の叛乱によって焼き落とされてしまっているし、吐蕃軍の太鼓と角笛は天の東側を焦がしてしまっている。

棧北 蜀から長安に向かう秦嶺山脈には桟道がかけられている。そこを徐知道の叛乱によって焼き落とされ、分断されてしまったことを云う。

鼓角 吐蕃軍の打ち鳴らす太鼓と角笛。吐蕃軍にに占領されたことを云う

・滿天東 滿天の東側が赤く染まること。

 

屢食將軍第,仍騎禦史驄。

しばしば節度使次官の将軍には幕府において食にあずかることが多いのであるが、すなわち禦史の聰敏なご配慮に乗せていただいているのである。

・將軍第 節度使の幕府をいうが、ここでは留守居役を持ち上げていっている。

・仍騎禦史驄 禦史お心づかいに倚り、御相伴にあずかり大変ありがたいことですというのが日本的な意味合いになろうか。

 

本無丹灶術,那免白頭翁。

もともと私には世渡り術が全くへたくそで、こうしたただの白髪頭の爺いであることをお許し願いたいと思うしだいです。

・丹灶術 処世術のこと。丹灶;(1) 〔座・口〕かまど.(2) 台所,厨房.灶神 Zàoshén[]かまど神.

この頃の杜甫は、こうした宴席で、お題を出され、韻の文字を出されたことで詩を作って生活をしていたことをしめすものである。
月明峡02 

664 《閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字》 蜀中転々 杜甫 <570-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3145 杜甫詩1000-570-#2-823/1500

《閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字》#2こうした逆風にのぞんで男泣きを越して泣き叫びたいと思うのであるが、声を出せば既にまた酒を飲むのである。

 

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李商隠詩 
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魚玄機 詩 全首130賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876

薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227

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作時:763 廣德元年 杜甫52

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字 

作地點:閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:東樓 (山南西道 閬州 閬州)     

交遊人物:崔十一 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

掲 載; 杜甫1000首の570首目-#2場面

杜甫ブログ1500回予定の-823回目

 

 

閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字

曾城有高樓,制古丹雘存。

迢迢百餘尺,豁達開四門。

雖有車馬客,而無人世喧。

遊目俯大江,列筵慰別魂。

是時秋冬交,節往顏色昏。

(山南西道閬州城郭東の楼閣での宴席において徘行十一のお舅さんが青城縣に行くのを送別し、この詩を奉る。なおこの詩に「昏」字を得る。)

嘗て城郭であったところに高樓があり、古い時代より制して朱色の鮮かなる土を塗った政治の中心であった。

車その高楼は他より高いさまは百尺を優に超え、東西南北、各方向に門を置いて度量の大きいものである。

馬にのって客も多くあるのだけれど、それなのに世間のように喧騒がうるさくないのだ。

眼を辺りに見回して大きな嘉陵江の流れに目を落す。この送別の宴席に列席してこみ上げる別れの感情を慰める。

こうしたときは秋から冬への変わり目のころであり、行く季節を思うと皆の顔つきも何時しか暗くなる。

#2

天寒鳥獸休,霜露在草根。

今我送舅氏,萬感集清尊。

豈伊山川間,回首盜賊繁。

高賢意不暇,王命久崩奔。

臨風欲慟哭,聲出已復吞。

天高く寒気が降りてきて、鳥も獣も巣にこもってしまう。夜露と霜が広がり草木、その根に及んだ。

今、わたしは舅氏と送別会をしている。互に万感迫るものがあり、清酒を大盃に注ぎ酌み交わす。

どういうわけかここの山河に向かい、頭を廻してみると、盗賊の様な者たちがあちこちにいるのである。

舅氏は高士であり、賢人であること、その意識を少しも緩めることはない、しかし、王命によって久しく崩れ、もてあそばれているのである。

こうした逆風にのぞんで男泣きを越して泣き叫びたいと思うのであるが、声を出せば既にまた酒を飲むのである。

 

閬州東樓の筵 十一舅 青城縣に往くを送り、奉る,「昏」の字を得る。

曾って城 高樓有り,古を制すは丹雘存り。

迢迢として百餘尺,豁達して四門を開く。

車馬の客有りと雖も,而も人世の喧無し。

目を遊せ 大江に俯せ,筵を列して別魂を慰む。

是の時 秋冬交り,節往 顏色昏し。

#2

天寒くして 鳥獸休み,霜露 草根に在る。

今 我 舅氏を送り,萬感 清尊に集る。

豈に伊に山川の間,首を回らせば盜賊繁す。

高賢 意 暇せず,王命 久しく崩奔す。

風に臨めば慟哭せんと欲し,聲出せば 已に復た吞む。

杜甫像0012 

 

『閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字』 現代語訳と訳註

(本文) #2

天寒鳥獸休,霜露在草根。

今我送舅氏,萬感集清尊。

豈伊山川間,回首盜賊繁。

高賢意不暇,王命久崩奔。

臨風欲慟哭,聲出已復吞。

 

 

(下し文) #2

天寒くして 鳥獸休み,霜露 草根に在る。

今 我 舅氏を送り,萬感 清尊に集る。

豈に伊に山川の間,首を回らせば盜賊繁す。

高賢 意 暇せず,王命 久しく崩奔す。

風に臨めば慟哭せんと欲し,聲出せば 已に復た吞む。

 

 

(現代語訳)

天高く寒気が降りてきて、鳥も獣も巣にこもってしまう。夜露と霜が広がり草木、その根に及んだ。

今、わたしは舅氏と送別会をしている。互に万感迫るものがあり、清酒を大盃に注ぎ酌み交わす。

どういうわけかここの山河に向かい、頭を廻してみると、盗賊の様な者たちがあちこちにいるのである。

舅氏は高士であり、賢人であること、その意識を少しも緩めることはない、しかし、王命によって久しく崩れ、もてあそばれているのである。

こうした逆風にのぞんで男泣きを越して泣き叫びたいと思うのであるが、声を出せば既にまた酒を飲むのである。

 

 

(訳注)

閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字

山南西道閬州城郭東の楼閣での宴席において徘行十一のお舅さんが青城縣に行くのを送別し、この詩を奉る。なおこの詩に「昏」字を得る。

 

 

天寒 鳥獸 ,霜露 草根

天高く寒気が降りてきて、鳥も獣も巣にこもってしまう。夜露と霜が広がり草木、その根に及んだ。

「天寒」冬の空が澄みきった状態で、放射冷却の寒さを云う。

 

 

今我 舅氏 ,萬感 集清尊

今、わたしは舅氏と送別会をしている。互に万感迫るものがあり、清酒を大盃に注ぎ酌み交わす。

「清」聖人、儒者のの飲む酒、清酒。清談をする。

「尊」飲食器具、大盃。

 

 

豈伊 山川 ,回首 盜賊 繁。

どういうわけかここの山河に向かい、頭を廻してみると、盗賊の様な者たちがあちこちにいるのである。

「伊」このひと。

「山川」山川、山水を愛する事。

「間」語義類別:地、空間、位置、間。

「盜賊」語義類別:人、稱謂、貶稱惡稱、盜匪。 叛乱を企てている者たちを「羣盗」「賊」などと表現している。この時、蜀に徐知道があり、両京には党項羌があり、東都には史朝義があるの類をいう

 

 

高賢 不暇 ,王命 崩奔

舅氏は高士であり、賢人であること、その意識を少しも緩めることはない、しかし、王命によって久しく崩れ、もてあそばれているのである。

「高賢」高士であり、賢人であること。道士と儒者を云う。

 

 

臨風 慟哭 ,聲出 已復吞

こうした逆風にのぞんで男泣きを越して泣き叫びたいと思うのであるが、声を出せば既にまた酒を飲むのである。

「臨風」粛宗から貶められたことを、逆風とする。

 

 nat0001

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《閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字》車その高楼は他より高いさまは百尺を優に超え、東西南北、各方向に門を置いて度量の大きいものである。馬にのって客も多くあるのだけれど、それなのに世間のように喧騒がうるさくないのだ。

 

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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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作時:763 廣德元年 杜甫52

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字 

作地點:閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:東樓 (山南西道 閬州 閬州)     

交遊人物:崔十一 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

掲 載; 杜甫1000首の570首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-822回目

 

 

閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字

(山南西道閬州城郭東の楼閣での宴席において徘行十一のお舅さんが青城縣に行くのを送別し、この詩を奉る。なおこの詩に「昏」字を得る。)
曾城有高樓,制古丹雘存。

嘗て城郭であったところに高樓があり、古い時代より制して朱色の鮮かなる土を塗った政治の中心であった。
迢迢百餘尺,豁達開四門。

その高楼は他より高いさまは百尺を優に超え、東西南北、各方向に門を置いて度量の大きいものである。

雖有車馬客,而無人世喧。

馬にのって客も多くあるのだけれど、それなのに世間のように喧騒がうるさくないのだ。

遊目俯大江,列筵慰別魂。

眼を辺りに見回して大きな嘉陵江の流れに目を落す。この送別の宴席に列席してこみ上げる別れの感情を慰める。

是時秋冬交,節往顏色昏。

こうしたときは秋から冬への変わり目のころであり、行く季節を思うと皆の顔つきも何時しか暗くなる。

#2

天寒鳥獸休,霜露在草根。

今我送舅氏,萬感集清尊。

豈伊山川間,回首盜賊繁。

高賢意不暇,王命久崩奔。

臨風欲慟哭,聲出已復吞。

 

閬州東樓の筵 十一舅 青城縣に往くを送り、奉る,「昏」の字を得る。

曾って城 高樓有り,古を制すは丹雘存り。

迢迢として百餘尺,豁達して四門を開く。

車馬の客有りと雖も,而も人世の喧無し。

目を遊せ 大江に俯せ,筵を列して別魂を慰む。

是の時 秋冬交り,節往 顏色昏し。

#2

天寒くして 鳥獸休み,霜露 草根に在る。

今 我 舅氏を送り,萬感 清尊に集る。

豈に伊に山川の間,首を回らせば盜賊繁す。

高賢 意 暇せず,王命 久しく崩奔す。

風に臨めば慟哭せんと欲し,聲出 已に復た吞む。

 natsusora01

 

『閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字』 現代語訳と訳註

(本文)

閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字

曾城有高樓,制古丹雘存。

迢迢百餘尺,豁達開四門。

雖有車馬客,而無人世喧。

遊目俯大江,列筵慰別魂。

是時秋冬交,節往顏色昏。

 

 

(下し文)

閬州東樓の筵 十一舅 青城縣に往くを送り、奉る,「昏」の字を得る。

曾城 高樓有り,古を制すは丹雘存り。

迢迢として百餘尺,豁達して四門を開く。

車馬の客有りと雖も,而も人世の喧無し。

目を遊せ 大江に俯せ,筵を列して別魂を慰む。

是の時 秋冬交り,節往 顏色昏し。

 

 

(現代語訳)

(山南西道閬州城郭東の楼閣での宴席において徘行十一のお舅さんが青城縣に行くのを送別し、この詩を奉る。なおこの詩に「昏」字を得る。)

嘗て城郭であったところに高樓があり、古い時代より制して朱色の鮮かなる土を塗った政治の中心であった。

その高楼は他より高いさまは百尺を優に超え、東西南北、各方向に門を置いて度量の大きいものである。

車馬にのって客も多くあるのだけれど、それなのに世間のように喧騒がうるさくないのだ。

眼を辺りに見回して大きな嘉陵江の流れに目を落す。この送別の宴席に列席してこみ上げる別れの感情を慰める。

こうしたときは秋から冬への変わり目のころであり、行く季節を思うと皆の顔つきも何時しか暗くなる。

 

 

(訳注)

閬州東樓筵奉送十一舅往青城縣,得昏字

山南西道閬州城郭東の楼閣での宴席において徘行十一のお舅さんが青城縣に行くのを送別し、この詩を奉る。なおこの詩に「昏」字を得る。

・舅 おじさん。

 

曾城 高樓 ,制古 丹雘 存。

嘗て城郭であったところに高樓があり、古い時代より制して朱色の鮮かなる土を塗った政治の中心であった。

「丹雘」朱色の鮮かなる土、辰砂の類。施政の中心の前庭に塗ったもの。

 

 

迢迢 百餘 ,豁達 四門

その高楼は他より高いさまは百尺を優に超え、東西南北、各方向に門を置いて度量の大きいいものである。

「迢迢」1 はるかに遠いさま。 2 他より高いさま。また、すぐれているさま。

「百餘尺」百餘尺の長さになる。

「豁達」心が大きく,小さな物事にこだわらないさま。度量の大きいさま。

「四門」東西南北、各方向に門を置く。

 

 

雖有 車馬 ,而無 人世

車馬にのって客も多くあるのだけれど、それなのに世間のように喧騒がうるさいことはないのだ。

「車馬」交通工具(陸路)、車馬、人の流れ。

「喧」喧騒。

 

 

遊目 大江 ,列筵 別魂

眼を辺りに見回して大きな嘉陵江の流れに目を落す。この送別の宴席に列席してこみ上げる別れの感情を慰める。

「俯」めを俯せる。

「大」大きな流れ。

「江」嘉陵江。

「筵」宴席、筵。

 

 

是時 秋冬 交,節往 顏色

こうしたときは秋から冬への変わり目のころであり、行く季節を思うと皆の顔つきもいつしかくらくなる。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082

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五言古詩 《寄題江外草堂》 蜀中転々 杜甫 <569-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3135 杜甫詩1000-569-#4-821/1500

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 寄題江外草堂〔自注:梓州作,寄成都故居。〕 

作地點:梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍

 

杜甫の成都時代は、唐の760年上元元年の49九歳から、765年永泰元年春または夏の54歳までのおよそ五年半である。この期間を杜甫はすべて草堂で過ごしたわけではない。途中梓州(シシュウ)方面で二年弱にわたる長期の旅寓を余儀なくされ、成都に帰ってからも半年ほど幕府に出仕していた。

 

 

 

寄題江外草堂

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕#1

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我生性放誕,雅欲逃自然。 

私が生を受けたのは誕生して性格が奔放である。爾雅は官に縛られることなく自然の中に逃れたいとしている。
嗜酒愛風竹,卜居必林泉。 

酒をこよなく愛し、風雅と幽閑な竹林を愛す。居を建設する所は必ず林あり、水の湧き出るところである。
遭亂到蜀江,臥痾遣所便。 

しかし、乱に遭遇するのもこの蜀、長江周辺にもやってきているし、こじれて長引く持病で寝付くが便りだけは届くところに入るのである。

誅茅初一畝,廣地方連延。 

茅、菰なとが生えていた原野に初めはたった一畝であったが、その後周辺部分を広げていった。

江外にて草堂を題し寄せる。

〔自注:梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我が生は放誕性し,雅は自然に逃れんと欲す。 

嗜酒【ししゅ】 風竹を愛し,卜居 林泉を必ずとす。 

遭亂 蜀江に到り,臥痾【があ】 便する所に遣す。 

茅【かや】を誅【き】りて初めは一畝【ホ】のひろさ、のちには地を広げて方【まさ】に連延たり。

 

 

#2

經營上元始,斷手寶應年。 

浣花渓において農業経営を上元の年から始め、寶應の年にちょっと手を止めている。

敢謀土木麗,自覺面勢堅。 

あえて、畑を作り灌漑設備をつくったり土地整備を行ったし、自分でも顔色も随分良くなってしっかりしてきたように自覚したものだ。

臺亭隨高下,敞豁當清川。 

官僚や友人たちとの者との宴会を地位の高い低いに従って行ったものだし、広大無辺な気持ちになって身も心も清らかな川にむかっているのである。

雖有會心侶,數能同釣船。 

人と逢うことは心許せるものとだけだということではあるものの、数能く同じ釣り船に乗って過ごすのである。

經營 上元に始まり,手を斷つ 寶應の年。 

敢えて土木の麗を謀り,自ら面勢の堅を覺う。 

臺亭 高下に隨い,敞豁 清川に當る。 

會心の侶に有ると雖も,數えて能く釣船を同うす。
 

#3

干戈未偃息,安得酣歌眠。 

戦火は続いていていまだ横になって休むことがなく、何処で、どうしたら心行くまでおいしいお酒に歌を謡い眠ることが出来るのだろうか。

蛟龍無定窟,黃鵠摩蒼天。 

神物である蛟と龍でさえその棲むところである水中の淵底や洞窟に定住できないし、黄色のおおとりは大空にこすってしまうという。

古來達士志,寧受外物牽。 

いにしえから高士で、練達の士である處の志を有すというのに、どうして外部からの牽引を得ようとするのであろうか。

顧惟魯鈍姿,豈識悔吝先。 

振り返ってみればただ愚かで、頭の働きが鈍い姿を見せただけであったし、どんなにしても自分のあやまちを悔い改めることには全くしなかったのである。

 

干戈 未だ偃息【えんそく】せず,安んぞ酣歌【かんか】の眠りを得んや。 

蛟龍【こうりゅう】窟【くつ】を定むこと無く,黃鵠【こうこく】蒼天【そうてん】を摩【こす】る。 

古來 達士の志,寧んぞ受ん 外物の牽するを。 

顧れば惟だ魯鈍【ろどん】の姿を,豈に悔吝【かいりん】の先を識らんや。 
 

#4

偶攜老妻去,慘澹凌風煙。 

たまたま、官を辞して、老妻を携えてみやこの東側には惨澹たる状況で、風により吹き荒れ戦火の煙でいっぱいだった都を去った。

事跡無固必,幽貞愧雙全。 

官での実績と仕事にもともと固執するわけではないが、隠士として、老妻との二人でいることがすべてであればこれからは恥入ることもある。

尚念四小松,蔓草易拘纏。 

それでも、心に思うことは四方に松の木を植えるかのように四書五経を松の木のように身に着け、つるくさのように易経を身にまとわりつけることである。

霜骨不甚長,永為鄰里憐。 

何も身に着けずにいることは長期にわたって絶えることはできない。さらに長くするのは隣の里郷に憐れにするだけなのである。

  

偶ま老妻を攜えて去り,慘澹として 風煙を凌ぐ。  

事跡 固もと必とすること無く,幽貞 雙つ全とするを愧ず。  

尚お念う 四 小松なり,蔓草 易 拘纏す。  

霜骨にして長くするに甚えざり,永く為すは 鄰里 憐れにするを。
江畔独歩尋花
 

『寄題江外草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

偶攜老妻去,慘澹凌風煙。 

事跡無固必,幽貞愧雙全。 

尚念四小松,蔓草易拘纏。 

霜骨不甚長,永為鄰里憐。 

 

 

(下し文) #4

偶ま老妻を攜えて去り,慘澹として 風煙を凌ぐ。 

事跡 固もと必とすること無く,幽貞 雙つ全とするを愧ず。 

尚お念う 四 小松なり,蔓草 易 拘纏す。 

霜骨にして長くするに甚えざり,永く為すは 鄰里 憐れにするを。 

 

 

(現代語訳)

たまたま、官を辞して、老妻を携えてみやこの東側には惨澹たる状況で、風により吹き荒れ戦火の煙でいっぱいだった都を去った。

官での実績と仕事にもともと固執するわけではないが、隠士として、老妻との二人でいることがすべてであればこれからは恥入ることもある。

それでも、心に思うことは四方に松の木を植えるかのように四書五経を松の木のように身に着け、つるくさのように易経を身にまとわりつけることである。

何も身に着けずにいることは長期にわたって絶えることはできない。さらに長くするのは隣の里郷に憐れにするだけなのである。

 

 

(訳注)

寄題江外草堂 #4

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

 

 

偶攜 老妻 ,慘澹 凌風

たまたま、官を辞して、老妻を携えてみやこの東側には惨澹たる状況で、風により吹き荒れ戦火の煙でいっぱいだった都を去った。

 

 

事跡 固必 ,幽貞 雙全。

官での実績と仕事にもともと固執するわけではないが、隠士として、老妻との二人でいることがすべてであればこれからは恥入ることもある。

「事跡」官での実績と仕事。

「幽貞」隱士。

 

 

尚念 小松 ,蔓草 拘纏

それでも、心に思うことは四方に松の木を植えるかのように四書五経を松の木のように身に着け、つるくさのように易経を身にまとわりつけることである。

「念」語義類別:人、狀態、心智狀態、念。

「四 小松」四書五経を松の木のようにきちんとする。

「易」易経。

「拘纏」繞割りつくこと。

 

 

霜骨 不甚 ,永為鄰里

何も身に着けずにいることは長期にわたって絶えることはできない。さらに長くするのは隣の里郷に憐れにするだけなのである。

「霜骨」松が風雨に露骨にさらされる、旅人として。

「鄰里」隣の里郷。故郷を離れて第二の故郷というべき浣花渓、成都の隣の郷に居ること。
晩菊002 

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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

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主に花間集から

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『花間集』継続中

 
663

五言古詩 《寄題江外草堂》 蜀中転々 杜甫 <569-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3130 杜甫詩1000-569-#3-820/1500

 

 

寄題江外草堂

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕#1

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我生性放誕,雅欲逃自然。 

私が生を受けたのは誕生して性格が奔放である。爾雅は官に縛られることなく自然の中に逃れたいとしている。
嗜酒愛風竹,卜居必林泉。 

酒をこよなく愛し、風雅と幽閑な竹林を愛す。居を建設する所は必ず林あり、水の湧き出るところである。
遭亂到蜀江,臥痾遣所便。 

しかし、乱に遭遇するのもこの蜀、長江周辺にもやってきているし、こじれて長引く持病で寝付くが便りだけは届くところに入るのである。

誅茅初一畝,廣地方連延。 

茅、菰なとが生えていた原野に初めはたった一畝であったが、その後周辺部分を広げていった。

江外にて草堂を題し寄せる。

〔自注:梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我が生は放誕性し,雅は自然に逃れんと欲す。 

嗜酒【ししゅ】 風竹を愛し,卜居 林泉を必ずとす。 

遭亂 蜀江に到り,臥痾【があ】 便する所に遣す。 

茅【かや】を誅【き】りて初めは一畝【ホ】のひろさ、のちには地を広げて方【まさ】に連延たり。

 

 

#2

經營上元始,斷手寶應年。 

浣花渓において農業経営を上元の年から始め、寶應の年にちょっと手を止めている。

敢謀土木麗,自覺面勢堅。 

あえて、畑を作り灌漑設備をつくったり土地整備を行ったし、自分でも顔色も随分良くなってしっかりしてきたように自覚したものだ。

臺亭隨高下,敞豁當清川。 

官僚や友人たちとの者との宴会を地位の高い低いに従って行ったものだし、広大無辺な気持ちになって身も心も清らかな川にむかっているのである。

雖有會心侶,數能同釣船。 

人と逢うことは心許せるものとだけだということではあるものの、数能く同じ釣り船に乗って過ごすのである。

經營 上元に始まり,手を斷つ 寶應の年。 

敢えて土木の麗を謀り,自ら面勢の堅を覺う。 

臺亭 高下に隨い,敞豁 清川に當る。 

會心の侶に有ると雖も,數えて能く釣船を同うす。
 

#3

干戈未偃息,安得酣歌眠。 

戦火は続いていていまだ横になって休むことがなく、何処で、どうしたら心行くまでおいしいお酒に歌を謡い眠ることが出来るのだろうか。

蛟龍無定窟,黃鵠摩蒼天。 

神物である蛟と龍でさえその棲むところである水中の淵底や洞窟に定住できないし、黄色のおおとりは大空にこすってしまうという。

古來達士志,寧受外物牽。 

いにしえから高士で、練達の士である處の志を有すというのに、どうして外部からの牽引を得ようとするのであろうか。

顧惟魯鈍姿,豈識悔吝先。 

振り返ってみればただ愚かで、頭の働きが鈍い姿を見せただけであったし、どんなにしても自分のあやまちを悔い改めることには全くしなかったのである。

 

干戈 未だ偃息【えんそく】せず,安んぞ酣歌【かんか】の眠りを得んや。 

蛟龍【こうりゅう】窟【くつ】を定むこと無く,黃鵠【こうこく】蒼天【そうてん】を摩【こす】る。 

古來 達士の志,寧んぞ受ん 外物の牽するを。 

顧れば惟だ魯鈍【ろどん】の姿を,豈に悔吝【かいりん】の先を識らんや。 

 

#4

偶攜老妻去,慘澹凌風煙。 

事跡無固必,幽貞愧雙全。 

尚念四小松,蔓草易拘纏。 

霜骨不甚長,永為鄰里憐。 

 

 

『寄題江外草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #3

干戈未偃息,安得酣歌眠。 

蛟龍無定窟,黃鵠摩蒼天。 

古來達士志,寧受外物牽。 

顧惟魯鈍姿,豈識悔吝先。 

 

 

 

(下し文) #3

干戈 未だ偃息【えんそく】せず,安んぞ酣歌【かんか】の眠りを得んや。 

蛟龍【こうりゅう】窟【くつ】を定むこと無く,黃鵠【こうこく】蒼天【そうてん】を摩【こす】る。 

古來 達士の志,寧んぞ受ん 外物の牽するを。 

顧れば惟だ魯鈍【ろどん】の姿を,豈に悔吝【かいりん】の先を識らんや。 

 

 

 

(現代語訳)

戦火は続いていていまだ横になって休むことがなく、何処で、どうしたら心行くまでおいしいお酒に歌を謡い眠ることが出来るのだろうか。

神物である蛟と龍でさえその棲むところである水中の淵底や洞窟に定住できないし、黄色のおおとりは大空にこすってしまうという。

いにしえから高士で、練達の士である處の志を有すというのに、どうして外部からの牽引を得ようとするのであろうか。

振り返ってみればただ愚かで、頭の働きが鈍い姿を見せただけであったし、どんなにしても自分のあやまちを悔い改めることには全くしなかったのである。

成都関連地図 00 

 

(訳注)

寄題江外草堂 #3

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

 

 

干戈 偃息 ,安得酣歌

戦火は続いていていまだ横になって休むことがなく、何処で、どうしたら心行くまでおいしいお酒に歌を謡い眠ることが出来るのだろうか。

「干戈」戰爭活動、戰爭。

「偃息」横になって休むこと。偃憩(えんけい)。戰爭活動、偃息。

 

 

蛟龍 無定 ,黃鵠 摩蒼天

神物である蛟と龍でさえその棲むところである水中の淵底や洞窟に定住できないし、黄色のおおとりは大空にこすってしまうという。

「蛟」語義類別:物、生物、神物(動物)、蛟。

「龍」語義類別:物、生物、神物(動物)、龍。

「無」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、有無(無)。

「窟」洞穴坑谷、窟。蛟は水中の淵底であり、龍は渓谷の洞穴である。

「黃鵠」黄鵠:おおとりの名。前漢の昆莫の故事がある、漢の武帝の元封中に、匈奴、大宛国を抑えるため、江東王建の娘の細君を公主にして、西域の鳥孫国を建国した昆莫に妻わせた、昆莫は時老人であり、またことぱも通じず、公主は悲しんで歌を作ったが、その中に「願わくは黄鵠と為りて故郷に帰らん」の句がある。事実は唐より回紇ヘ女を嫁にやったことをいう、756年乾元元年七月、粛宗はその幼女寧国公主を回紇可汗に妻わせた、可汗は公主を可敦(回紇の皇后)とし、三千騎を唐の二都奪還のための援軍とした。

「蒼天」語義類別:物、天文、天空、天空。

 

 

古來 達士 ,寧受 外物 牽。

いにしえから高士で、練達の士である處の志を有すというのに、どうして外部からの牽引を得ようとするのであろうか。

「達士」ある物事に熟達した人。練達の士。

「志」語義類別:人、狀態、心神氣力、志。

「外物 牽」粛宗はウィグルに助けを求めたことをいう。杜甫は粛宗が唐軍の重要な軍人、高官を排除し、後に禍根を残す禁断の手を用いたことを云う。

 

顧惟 魯鈍 姿 ,豈識 悔吝

振り返ってみればただ愚かで、頭の働きが鈍い姿を見せただけであったし、どんなにしても自分のあやまちを悔い改めることには全くしなかったのである。

「顧」語義類別:人、狀態、心智狀態、念。

「魯鈍」(1)愚かで、頭の働きが鈍い・こと(さま)。愚鈍。 「―の性」 (2)「軽愚(けいぐ)」に同じ。

「姿」語義類別:人、形容詞彙(人)、外表形貌、姿。

「識」語義類別:人、狀態、心智狀態、識。

「悔吝」吉凶悔吝「吉凶者言乎其失得也,悔吝者言乎其小疵也,无咎者善補過也。」(吉凶と言うは其れ得るを失い、悔吝とはその小疵(しょうし)を言うなり。咎なしとは善く過(あやまち)を補うなり。)「凶」とは、通じない話、不亨という意味。吉は「得」、凶は「失」を指している。「悔」とは恐れおののき後悔するの意。「吝」とは流れを変えるのをケチるという意味。

楠樹03

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《寄題江外草堂》 浣花渓において農業経営を上元の年から始め、寶應の年にちょっと手を止めている。あえて、畑を作り灌漑設備をつくったり土地整備を行ったし、自分でも顔色も随分良くなってしっかりしてきたように自覚したものだ。

 

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 
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五言古詩 《寄題江外草堂》 蜀中転々 杜甫 <569-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3125 杜甫詩1000-569-#2-819/1500

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 寄題江外草堂〔自注:梓州作,寄成都故居。〕 

作地點:梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍

 

 

寄題江外草堂

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕#1

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我生性放誕,雅欲逃自然。 

私が生を受けたのは誕生して性格が奔放である。爾雅は官に縛られることなく自然の中に逃れたいとしている。
嗜酒愛風竹,卜居必林泉。 

酒をこよなく愛し、風雅と幽閑な竹林を愛す。居を建設する所は必ず林あり、水の湧き出るところである。
遭亂到蜀江,臥痾遣所便。 

しかし、乱に遭遇するのもこの蜀、長江周辺にもやってきているし、こじれて長引く持病で寝付くが便りだけは届くところに入るのである。

誅茅初一畝,廣地方連延。 

茅、菰なとが生えていた原野に初めはたった一畝であったが、その後周辺部分を広げていった。

江外にて草堂を題し寄せる。

〔自注:梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我が生は放誕性し,雅は自然に逃れんと欲す。 

嗜酒【ししゅ】 風竹を愛し,卜居 林泉を必ずとす。 

遭亂 蜀江に到り,臥痾【があ】 便する所に遣す。 

茅【かや】を誅【き】りて初めは一畝【ホ】のひろさ、のちには地を広げて方【まさ】に連延たり。

 

 

#2

經營上元始,斷手寶應年。 

浣花渓において農業経営を上元の年から始め、寶應の年にちょっと手を止めている。

敢謀土木麗,自覺面勢堅。 

あえて、畑を作り灌漑設備をつくったり土地整備を行ったし、自分でも顔色も随分良くなってしっかりしてきたように自覚したものだ。

臺亭隨高下,敞豁當清川。 

官僚や友人たちとの者との宴会を地位の高い低いに従って行ったものだし、広大無辺な気持ちになって身も心も清らかな川にむかっているのである。

雖有會心侶,數能同釣船。 

人と逢うことは心許せるものとだけだということではあるものの、数能く同じ釣り船に乗って過ごすのである。

經營 上元に始まり,手を斷つ 寶應の年。 

敢えて土木の麗を謀り,自ら面勢の堅を覺う。 

臺亭 高下に隨い,敞豁 清川に當る。 

會心の侶に有ると雖も,數えて能く釣船を同うす。

#3

干戈未偃息,安得酣歌眠。 

蛟龍無定窟,黃鵠摩蒼天。 

古來達士志,寧受外物牽。 

顧惟魯鈍姿,豈識悔吝先。 

#4

偶攜老妻去,慘澹凌風煙。 

事跡無固必,幽貞愧雙全。 

尚念四小松,蔓草易拘纏。 

霜骨不甚長,永為鄰里憐。 

草堂002 

 

『寄題江外草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

經營上元始,斷手寶應年。 

敢謀土木麗,自覺面勢堅。 

臺亭隨高下,敞豁當清川。 

雖有會心侶,數能同釣船。 

 

 

(下し文) #2

經營 上元に始まり,手を斷つ 寶應の年。 

敢えて土木の麗を謀り,自ら面勢の堅を覺う。 

臺亭 高下に隨い,敞豁 清川に當る。 

會心の侶に有ると雖も,數えて能く釣船を同うす。 

 

 

(現代語訳) #2

浣花渓において農業経営を上元の年から始め、寶應の年にちょっと手を止めている。

あえて、畑を作り灌漑設備をつくったり土地整備を行ったし、自分でも顔色も随分良くなってしっかりしてきたように自覚したものだ。

官僚や友人たちとの者との宴会を地位の高い低いに従って行ったものだし、広大無辺な気持ちになって身も心も清らかな川にむかっているのである。

人と逢うことは心許せるものとだけだということではあるものの、数能く同じ釣り船に乗って過ごすのである。

 

 

(訳注) #2

寄題江外草堂

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

 

 

經營 上元 始,斷手 寶應

浣花渓において農業経営を上元の年から始め、寶應の年にちょっと手を止めている。

「經營」語義類別:人、行為動作、一般行為(糸部)、經營。

「上元」君王年號、上元(唐肅宗)。

「斷手」對比詞、斷續。

「寶應」君王年號、寶應(唐代宗)。

 

 

敢謀 土木 ,自覺 面勢堅。

あえて、畑を作り灌漑設備をつくったり土地整備を行ったし、自分でも顔色も随分良くなってしっかりしてきたように自覚したものだ。

「土木」耕作地をつくること。土木工事的な聖地、干害工事。

「麗」景物形態、麗。 杜甫はこの地を花いっぱいの地にするという意味で浣花渓となずけた。

 

 

臺亭 高下 ,敞豁 當清川

官僚や友人たちとの者との宴会を地位の高い低いに従って行ったものだし、広大無辺な気持ちになって身も心も清らかな川にむかっているのである。

「臺」亭臺樓閣、臺。

「亭」亭。

「敞」高い意に進める意を加え、高くする意。 【意味】明るく開けたさま。 度量が大きく、寛大に振る舞うもの。 明るく朗らかな気質を現すもの。 高大無辺に広がるさま。

「豁」広々と開けているさま。あけっぴろげ。

「清川」語義類別:物、形容詞彙(物)、景物形態、清。

 

 

雖有 會心 ,數能 同釣船

人と逢うことは心許せるものとだけだということではあるものの、数能く同じ釣り船に乗って過ごすのである。

 江畔独歩尋花

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《寄題江外草堂》屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っている。成都の洪水対策の遊水地のようなところであった。したがって、杜甫はかなり広い土地を自由に使ってよいとされていたようである。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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杜甫の成都時代は、唐の760年上元元年の49九歳から、765年永泰元年春または夏の54歳までのおよそ五年半である。この期間を杜甫はすべて草堂で過ごしたわけではない。途中梓州(シシュウ)方面で二年弱にわたる長期の旅寓を余儀なくされ、成都に帰ってからも半年ほど幕府に出仕していた。

 八世紀後半、唐王朝を一時転覆させた安史の乱が、一応の終結を迎えようとしていた時期の前後、戦乱の被害の比較的少なかった中国西南の肥沃な大盆地の一角で、杜甫は五十九年の人生の中でほぼ三、四年の時期を、この草堂で過ごしたことになる

 760年の春から杜甫は、草堂寺の近く浣花渓が大きく蛇行する湾曲部の内側に住まいを決め、屋敷造りに精を出した。住まいの部分は初めは一畝ほどの広さであったが、その後は周辺部分にもしだいに広げていった。この『寄題江外草堂』(江外の草堂に寄せ題す)の詩は杜甫52歳成都での徐知道の乱を避け約2年近く梓州などで過ごした時に成都浣花渓草堂を思い出して詠ったものである。

  

 

屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っている。成都の洪水対策の遊水地のようなところであった。したがって、杜甫はかなり広い土地を自由に使ってよいとされていたようである。そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者で成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であったり、蜀州刺史の高適、厳武が援助してくれたものである。

 厳武は早い時期からの杜甫の親しい友人であり最も理想的な支援者であった。厳武は翌年(762)正月に成都に幕府を開いた。その年(762)の七月、厳武は都に召され、その後をやはり若いときからの友人である高適が継いだ。杜甫は都へかえる厳武を見送って成都を離れたが、そのまま外地で二年弱を過ごすはめになったのである。二年後(764)の正月、厳武が剣南東西川節度使に任命され、二月に成都に赴任した。厳武に誘われて、杜甫も再び成都に戻ってきた。杜甫が成都不在のあいだは、詳細はわからないがおおかたは友人の高適が成都方面の長であったようである。厳武が再び四川方面の軍事、行政の長に任命されたのは、西の国境から吐蕃の侵略が相継いだからである。ところが厳武(726765)は一年後(765)の四月に急死した。杜甫はその前後に成都を去った。

 このように成都時代、杜甫は成都の長が次々に代わっても草堂とそれに附属する農園を維持し住み続けることができた。杜甫は官に就いていなかったとはいえ、皇帝の身近で左拾遺の官をしたことのある人物である。成都方面のトップや実力者等から特別な処遇を受けていたからこそ、そのようなことが可能であったと思われる。しかもたまたま杜甫と関係の良好な裴冕、厳武、高適らが長であったという幸運が大きく影響したと思われる。

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 寄題江外草堂〔自注:梓州作,寄成都故居。〕 

作地點:梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍

 

 

寄題江外草堂

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕#1

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我生性放誕,雅欲逃自然。 

私が生を受けたのは誕生して性格が奔放である。爾雅は官に縛られることなく自然の中に逃れたいとしている。

嗜酒愛風竹,卜居必林泉。 

酒をこよなく愛し、風雅と幽閑な竹林を愛す。居を建設する所は必ず林あり、水の湧き出るところである。

遭亂到蜀江,臥痾遣所便。 

しかし、乱に遭遇するのもこの蜀、長江周辺にもやってきているし、こじれて長引く持病で寝付くが便りだけは届くところに入るのである。

誅茅初一畝,廣地方連延。 

茅、菰なとが生えていた原野に初めはたった一畝であったが、その後周辺部分を広げていった。

江外にて草堂を題し寄せる。

〔自注:梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我が生は放誕性し,雅は自然に逃れんと欲す。 

嗜酒【ししゅ】 風竹を愛し,卜居 林泉を必ずとす。 

遭亂 蜀江に到り,臥痾【があ】 便する所に遣す。 

茅【かや】を誅【き】りて初めは一畝【ホ】のひろさ、のちには地を広げて方【まさ】に連延たり。

杜甫草堂柴門06#2

經營上元始,斷手寶應年。 

敢謀土木麗,自覺面勢堅。 

臺亭隨高下,敞豁當清川。 

雖有會心侶,數能同釣船。 

#3

干戈未偃息,安得酣歌眠。 

蛟龍無定窟,黃鵠摩蒼天。 

古來達士志,寧受外物牽。 

顧惟魯鈍姿,豈識悔吝先。 

#4

偶攜老妻去,慘澹凌風煙。 

事跡無固必,幽貞愧雙全。 

尚念四小松,蔓草易拘纏。 

霜骨不甚長,永為鄰里憐。 

 

 

『寄題江外草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

寄題江外草堂

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕

我生性放誕,雅欲逃自然。 

嗜酒愛風竹,卜居必林泉。 

遭亂到蜀江,臥痾遣所便。 

誅茅初一畝,廣地方連延。 

 

 

(下し文)

江外にて草堂を題し寄せる。

〔自注:梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

我が生は放誕性し,雅は自然に逃れんと欲す。 

嗜酒【ししゅ】 風竹を愛し,卜居 林泉を必ずとす。 

遭亂 蜀江に到り,臥痾【があ】 便する所に遣す。 

茅【かや】を誅【き】りて初めは一畝【ホ】のひろさ、のちには地を広げて方【まさ】に連延たり。

 江畔独歩尋花

 

(現代語訳)

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

私が生を受けたのは誕生して性格が奔放である。爾雅は官に縛られることなく自然の中に逃れたいとしている。

酒をこよなく愛し、風雅と幽閑な竹林を愛す。居を建設する所は必ず林あり、水の湧き出るところである。

しかし、乱に遭遇するのもこの蜀、長江周辺にもやってきているし、こじれて長引く持病で寝付くが便りだけは届くところに入るのである。

茅、菰なとが生えていた原野に初めはたった一畝であったが、その後周辺部分を広げていった。

 

 

(訳注)

寄題江外草堂

(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)

〔自注:梓州作,寄成都故居。〕

〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕

 

我生 性放誕 ,雅欲 自然

私が生を受けたのは誕生して性格が奔放である。爾雅は官に縛られることなく自然の中に逃れたいとしている。

 

 

嗜酒 風竹 ,卜居 林泉

酒をこよなく愛し、風雅と幽閑な竹林を愛す。居を建設する所は必ず林あり、水の湧き出るところである。

「嗜酒」酒をこよなく好む。

「風竹」風霜雪露、風雅と幽閑な竹林。

「卜居」住居を建設する。

「林泉」林原莽漠、水澤湖泊。潅木、林あり、水の湧き出るところ

 

 

遭亂 蜀江 ,臥痾 所便。

しかし、乱に遭遇するのもこの蜀、長江周辺にもやってきているし、こじれて長引く持病で寝付くが便りだけは届くところに入るのである。

「遭亂」安禄山に始まり、盗賊のはびこるの意、東都には史朝義があり両京には党項羌があり、蜀に徐知道があることをいう。

「蜀江」江河溪流、濯錦江、錦江。

「臥」病気で臥せる。

「痾」病気。特に、こじれて長引く病気。

 

 

誅茅 一畝 ,廣地 方連延

茅、菰なとが生えていた原野に初めはたった一畝であったが、その後周辺部分を広げていった。

「誅茅」茅、菰なとが生えていた原野。浣花渓に移居に際して花いっぱいの郷にした。

「一畝」面積單位、一畝。

「廣地」潅木の広がった廣い場所。

「連延」次第に広げていった。
珠櫻003 


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