杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
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● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

就職活動の詩

奉同郭給事湯東靈湫作 杜甫 116 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 115-#2

奉同郭給事湯東靈湫作 杜甫 116 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 115-#2


奉同郭給事湯東靈湫作
#1
東山氣鴻蒙,宮殿居上頭。君來必十月,樹羽臨九州。
陰火煮玉泉,噴薄漲岩幽。有時浴赤日,光抱空中摟。』
閬風入轍跡,曠原延冥搜。沸天萬乘動,觀水百丈湫。
幽靈斯可佳,王命官屬休。初聞龍用壯,擘石摧林丘。
中夜窟宅改,移因風雨秋。倒懸瑤池影,屈注滄江流。
味如甘露漿,揮弄滑且柔。』

#2
翠旗澹偃蹇,雲車紛少留。
ここへ天子の御旗がうねうねとした動きをしてやってきた、五色の雲を画いた車が多く整列していないでみだれてあっまってきてしばし止まる。
簫鼓蕩四溟,異香泱漭浮。
簫や太鼓の音が湫の四面をふるいうごかしている、そしてえもいわれぬ香りがひろぴろとしてうかんでいる。
鮫人獻微綃,曾祝沉豪牛。
鮫人のような舟人はほそく織ったうすぎぬを湫の霊にたてまつり、曾祝の祭人は毛の多い牛を生贄としてしずめる。
百祥奔盛明,古先莫能儔。
天子の盛明の恩徳は百人は百人に見合ったそれぞれの御加護があるものだ、古代のどんな聖君であっても今の天子に適わないのである。 
坡陀金蝦蟆,出見蓋有由。
そんな時世だから、嶮しい堤ほどもある大きな金色の蛙が出現するのも由来があるというものである。
至尊顧之笑,王母不肯收。
我が君はその蟾蜍を顧みてお笑いになられた。西王母の楊貴妃もその蟾蜍をつかまえさせもされない。
複歸虛無底,化作長黃虯。』

そこで蟾蜍はふたたびがらんどうの水底へもどってしまい、さらに化けて長い黄色の蛟となってしまった。』
飄搖青瑣郎,文采珊瑚鉤。
ここに細事にはかかわらぬ我が青瑣の郎たる郭給事はその文栄のうつくしきことは珊瑚の鉤のようである。
浩歌淥水曲,清絕聽者愁。』

郭給事が作ったこの湫に関する詩、昔の淥水曲にも匹敵するほどの詩を、大声にうたうのである、音調ゆたかでこのうえない清らかなものであり、聴く人はみなかなしくなるのである。


1

東山気濠鴻たり 宮殿上頭に居る、君の来るは必ず十月なり 羽を樹てて九州に臨む。

陰火玉泉を煮る 噴薄巌に漲って幽なり、時有ってか赤目を浴せしむ 光は抱く空中の楼。』

閬風轍跡に入る 曠原冥搜を延く、天に沸いて万乗動く 水を観る百丈の湫。

幽霊斯れ怪む可し 王官属に命じて休せしむ、初め聞く竜壮を用い 石を擘って林丘摧く。

中夜窟宅改まる 移ることは風雨の秋に因ると、倒に懸る瑤池の影 槍江の流れに屈注す。

味は甘露の漿の如し 揮弄すれば滑にして且つ柔なり。』

2

翠旗澹として偃蹇たり 雲車粉として少しく留まる、簫鼓四溟を蕩かす 異香泱として浮ぶ

鮫人微を献じ 曾祝豪牛を沈む、百祥盛明に奔る 古先も能く鱒する莫し。

披陀たる金の蝦娯 出見する蓋し由有り、至尊之を顧みて笑う 王母収め遣めず。

復た虚無の底に帰し 化して長き黄札と作る。』

諷諷たる青瑣の郎  文宋珊瑚の鉤、浩歌すの曲 清絶聴く者愁う』







奉同郭給事湯東靈湫作(後半) 現代語訳と訳註
(本文)#2

翠旗澹偃蹇,雲車紛少留。
簫鼓蕩四溟,異香泱漭浮。
鮫人獻微綃,曾祝沉豪牛。
百祥奔盛明,古先莫能儔。
坡陀金蝦蟆,出見蓋有由。
至尊顧之笑,王母不肯收。
複歸虛無底,化作長黃虯。』

飄搖青瑣郎,文采珊瑚鉤。
浩歌淥水曲,清絕聽者愁。』

(下し文)#2
翠旗澹として偃蹇たり 雲車粉として少しく留まる、簫鼓四溟を蕩かす 異香泱漭として浮ぶ。
鮫人微綃を献じ 曾祝豪牛を沈む、百祥盛明に奔る 古先も能く鱒する莫し。
披陀たる金の蝦娯 出見する蓋し由有り、至尊之を顧みて笑う 王母収め遣めず。
復た虚無の底に帰し 化して長き黄札と作る。』
諷諷たる青瑣の郎  文宋珊瑚の鉤、浩歌す淥水の曲 清絶聴く者愁う』

(現代語訳)
ここへ天子の御旗がうねうねとした動きをしてやってきた、五色の雲を画いた車が多く整列していないでみだれてあっまってきてしばし止まる。
簫や太鼓の音が湫の四面をふるいうごかしている、そしてえもいわれぬ香りがひろぴろとしてうかんでいる。
鮫人のような舟人はほそく織ったうすぎぬを湫の霊にたてまつり、曾祝の祭人は毛の多い牛を生贄としてしずめる。
天子の盛明の恩徳は百人は百人に見合ったそれぞれの御加護があるものだ、古代のどんな聖君であっても今の天子に適わないのである。 
そんな時世だから、嶮しい堤ほどもある大きな金色の蛙が出現するのも由来があるというものである。
我が君はその蟾蜍を顧みてお笑いになられた。西王母の楊貴妃もその蟾蜍をつかまえさせもされない。
そこで蟾蜍はふたたびがらんどうの水底へもどってしまい、さらに化けて長い黄色の蛟となってしまった。』
ここに細事にはかかわらぬ我が青瑣の郎たる郭給事はその文栄のうつくしきことは珊瑚の鉤のようである。
郭給事が作ったこの湫に関する詩、昔の淥水曲にも匹敵するほどの詩を、大声にうたうのである、音調ゆたかでこのうえない清らかなものであり、聴く人はみなかなしくなるのである。


(訳註)
#2
翠旗澹偃蹇,雲車紛少留。

ここへ天子の御旗がうねうねとした動きをしてやってきた、五色の雲を画いた車が多く整列していないでみだれてあっまってきてしばし止まる
翠旗 天子の旗は翠羽を以て夜(かざりのふさ)としてつけるゆえ翠旗という。○澹偃蹇 澹は動くさま、偃蹇はうねっているさま。○雲車 五色の雲を画いた車、これは楊貴妃の車をさしているのであろう。○ 広場いっぱいにひろがってみだれているさま。整列していないこと。○少留 しばしとどまる。


簫鼓蕩四溟,異香泱漭浮。
簫や太鼓の音が湫の四面をふるいうごかしている、そしてえもいわれぬ香りがひろぴろとしてうかんでいる。
○蕩 震いうごかす。〇四瞑 四海、ここは湫の四面のこと。○異香 なみなみならぬよき香、竜を祭るときくゆらすもの。○泱漭 広大なさま。


鮫人獻微綃,曾祝沉豪牛。
鮫人のような舟人はほそく織ったうすぎぬを湫の霊にたてまつり、曾祝の祭人は毛の多い牛を生贄としてしずめる。
○鮫人 南海に鮫人がいた。魚のように水中にすみ、紡績をていたという、時々水をでて人家に来て綿(うすぎぬ)を売るという。鮫人は人魚の類であるが、ここでは舟人をさしていったもの。○献 竜にむかって献ずる。○微綃 いとのほそいうすぎぬ。○曾祝 「穆天子伝」にみえる。曾は重(かさなる)に同じ、曾祝とは累代祝を業とするものをいうか。祝は祭人、神と人との媒介をするもの。○沈豪牛 豪牛は毛のふさふさした牛、沈めるのは之を竜に生贄にささげるためである。 


百祥奔盛明,古先莫能儔。
天子の盛明の恩徳は百人は百人に見合ったそれぞれの御加護があるものだ、古代のどんな聖君であっても今の天子に適わないのである。 
〇百祥 さまざまのめでたいしるし。○奔盛明 奔とは相奔逐することをいう、盛明は天子の徳をいう、何煙の説に百祥の二句は当時の訳を献ずる徒がこの語を為すのだというが、蓋しそうであろう。作者がかく信じて言うのではない。○古先 むかし、先代。○莫能俸 儀はたぐい、今とならぶものがないというのである。○披陀 高大なさま。


坡陀金蝦蟆,出見蓋有由。
そんな時世だから、嶮しい堤ほどもある大きな金色の蛙が出現するのも由来があるというものである。
○金蝦蟆 黄金色のひきがえる、安禄山のこと。2メーターもある巨漢であった。○出見 兄は現に同じ。


至尊顧之笑,王母不肯收。
我が君はその蟾蜍を顧みてお笑いになられた。西王母の楊貴妃もその蟾蜍をつかまえさせもされない。
○至尊 玄宗。○之 蝦蝶をさす。○王母 西王母、楊貴妃をたとえていう。この時楊貴妃の養子となり息子になっていた。○不通収 収とは捕えることをいう、他人に命じてひきをつかまえさせぬ。(命令に従わない)


複歸虛無底,化作長黃虯。』
そこで蟾蜍はふたたびがらんどうの水底へもどってしまい、さらに化けて長い黄色の蛟となってしまった。』
○帰 もどる。○虚無底 霊湫のそこ。○虯 竜の角なき者、蛟。蟾蜍の一段は貴妃のために禄山が増長するにいたったことを諷したものである。養子縁組のこと。奸臣であることをいう。


飄搖青瑣郎,文采珊瑚鉤。
ここに細事にはかかわらぬ我が青瑣の郎たる郭給事はその文栄のうつくしきことは珊瑚の鉤のようである。
○諷諷 俊逸なさま、詩の相手、郭の人がらをいう。○青瑣郎 給事中をいう。漢の時、給事黄門侍郎は日暮に青瑣門内に入ってこたえた。○文宋 文章のあや。○珊瑚鉤 鉤は簾をつるすかぎ型のもの、珊瑚でそれを造る。


浩歌淥水曲,清絕聽者愁。』
郭給事が作ったこの湫に関する詩、昔の淥水曲にも匹敵するほどの詩を、大声にうたうのである、音調ゆたかでこのうえない清らかなものであり、聴く人はみなかなしくなるのである。
○浩歌 大声でうたう。○漁水31 曲 古の詩曲の名という。如何なる歌辞であるかは詳かでないが郭給事の原作をさす。○清絶 音調が非常に清らかなこと。○聴者愁 きく人がかなしくなる。





奉同郭給事湯東靈湫作
#1
東山氣鴻蒙,宮殿居上頭。君來必十月,樹羽臨九州。
陰火煮玉泉,噴薄漲岩幽。有時浴赤日,光抱空中摟。』

閬風入轍跡,曠原延冥搜。沸天萬乘動,觀水百丈湫。
幽靈斯可佳,王命官屬休。初聞龍用壯,擘石摧林丘。
中夜窟宅改,移因風雨秋。倒懸瑤池影,屈注滄江流。
味如甘露漿,揮弄滑且柔。』
#2
翠旗澹偃蹇,雲車紛少留。簫鼓蕩四溟,異香泱漭浮。
鮫人獻微綃,曾祝沉豪牛。百祥奔盛明,古先莫能儔。
坡陀金蝦蟆,出見蓋有由。至尊顧之笑,王母不肯收。
複歸虛無底,化作長黃虯。』

飄搖青瑣郎,文采珊瑚鉤。浩歌淥水曲,清絕聽者愁。』



(郭給事が湯東の霊漱の作に同し奉る)
東山気濠鴻たり 宮殿上頭に居る、君の来るは必ず十月なり 羽を樹てて九州に臨む。
陰火玉泉を煮る 噴薄巌に漲って幽なり、時有ってか赤目を浴せしむ 光は抱く空中の楼。』
閬風轍跡に入る 曠原冥搜を延く、天に沸いて万乗動く 水を観る百丈の湫。
幽霊斯れ怪む可し 王官属に命じて休せしむ、初め聞く竜壮を用い 石を擘って林丘摧く。
中夜窟宅改まる 移ることは風雨の秋に因ると、倒に懸る瑤池の影 槍江の流れに屈注す。
味は甘露の漿の如し 揮弄すれば滑にして且つ柔なり。』

#2
翠旗澹として偃蹇たり 雲車粉として少しく留まる、簫鼓四溟を蕩かす 異香泱漭として浮ぶ。
鮫人微綃を献じ 曾祝豪牛を沈む、百祥盛明に奔る 古先も能く鱒する莫し。
披陀たる金の蝦娯 出見する蓋し由有り、至尊之を顧みて笑う 王母収め遣めず。
復た虚無の底に帰し 化して長き黄札と作る。』
諷諷たる青瑣の郎  文宋珊瑚の鉤、浩歌す淥水の曲 清絶聴く者愁う』




(現代語訳)
長安の東にあたる驪山にはもくもくと煙、湯気が立ち込めている、華清宮の宮殿はその上方にかぶさるように存在している。
我が君がここへおいでになるのはかならず十月になってからだ、ここに羽旗をたてて天下九州のまつりごとにあたられるのである。
ここでは地の底にある火が美しい温泉の水を煮たたせているのだ、そしてその湯気は噴出してあたりに充満し、巌と一緒になって周りを暗くしている。 
時にはその温泉の水は赤き太陽を浸したような色になる、光を抱き込んで空中たかくそびえた楼閣のように見えることもある。』 

ここへ我が君玄宗は周の穆王のように行幸になり、閬風顛ともいうべき仙山は天子の轍のあとにはいったのだ、そして崑崙の曠原でさえ天子の御さぐりをさそっている。
天上に湧きかえり、万乗の御車が動いているのだ、温泉の東にある百丈の湫に水をごらんになる。
湫の中には怪物がいる。ここで天子は従臣のものたちに休息の命を賜わった。
まえもって聞いたことだが、竜は勇壮な力をだした、石をたたき割り、林や丘を切り裂きくだいた。
そうしてその竜は夜なかごろ自分のすまいのいわやをかえ、この秋の風雨、長雨に乗じてこの湫へ移転してきたということなのだ。
そうしてその竜は夜なかごろ自分のすまいのいわやをかえ、この秋の風雨、長雨に乗じてこの湫へ移転してきたということなのだ。
この水を舐めてみると甘くして甘露汁のようである、手で掻きまぜみれば滑かであり、柔かなのである。』


ここへ天子の御旗がうねうねとした動きをしてやってきた、五色の雲を画いた車が多く整列していないでみだれてあっまってきてしばし止まる。
簫や太鼓の音が湫の四面をふるいうごかしている、そしてえもいわれぬ香りがひろぴろとしてうかんでいる。
鮫人のような舟人はほそく織ったうすぎぬを湫の霊にたてまつり、曾祝の祭人は毛の多い牛を生贄としてしずめる。
天子の盛明の恩徳は百人は百人に見合ったそれぞれの御加護があるものだ、古代のどんな聖君であっても今の天子に適わないのである。 
そんな時世だから、嶮しい堤ほどもある大きな金色の蛙が出現するのも由来があるというものである。
我が君はその蟾蜍を顧みてお笑いになられた。西王母の楊貴妃もその蟾蜍をつかまえさせもされない。
そこで蟾蜍はふたたびがらんどうの水底へもどってしまい、さらに化けて長い黄色の蛟となってしまった。』
ここに細事にはかかわらぬ我が青瑣の郎たる郭給事はその文栄のうつくしきことは珊瑚の鉤のようである。
郭給事が作ったこの湫に関する詩、昔の淥水曲にも匹敵するほどの詩を、大声にうたうのである、音調ゆたかでこのうえない清らかなものであり、聴く人はみなかなしくなるのである。



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奉同郭給事湯東靈湫作 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 115

奉同郭給事湯東靈湫作 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 115

 (前半22句11聯・韻)
給事中の郭氏が騒山温泉の東にある霊漱について作った詩に和して作った詩。とほが奉先県に赴くときの作である。
 天宝十四載(755)冬十一月の初め、杜甫は馬車で真夜中に長安を発った。奉先県への路は、冷たい風が北の砂漠地帯から吹きつけてくる。杜甫は四十四歳を過ぎて、やっと官職につけた。自京赴奉先縣詠懷五百字の#1~7まで今回の詩の給事中の郭氏と一緒に語らっていたということなのだ。特に#4~#7につぃては詩の内容の共通点も確認もできる。
白京赴奉先牒詠懐 五百字 
#4
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
(歳暮れて百草零ち、疾風に高岡裂く。天衢 陰として崢嶸たり、客子 中夜に発す。霜は厳しくして衣帯断え、指は直にして結ぶ能わず。晨を凌いで驪山を過ぐれば、御榻は帶臬に在り。)
#5
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
(蚩尤は寒空に塞がり、崖谷の滑かなるに蹴踏す。瑤池に気は鬱律として、羽林は相い摩戛す。君臣 留まりて懽娯し、楽は動きて膠嵑に殷たり。浴を賜わるは皆な長纓、宴に与かるは短褐に非ず。)


奉同郭給事湯東靈湫作
#1
東山氣鴻蒙,宮殿居上頭。
長安の東にあたる驪山にはもくもくと煙、湯気が立ち込めている、華清宮の宮殿はその上方にかぶさるように存在している。
君來必十月,樹羽臨九州。
我が君がここへおいでになるのはかならず十月になってからだ、ここに羽旗をたてて天下九州のまつりごとにあたられるのである。
陰火煮玉泉,噴薄漲岩幽。
ここでは地の底にある火が美しい温泉の水を煮たたせているのだ、そしてその湯気は噴出してあたりに充満し、巌と一緒になって周りを暗くしている。 
有時浴赤日,光抱空中摟。』

時にはその温泉の水は赤き太陽を浸したような色になる、光を抱き込んで空中たかくそびえた楼閣のように見えることもある。』 
閬風入轍跡,曠原延冥搜。
ここへ我が君玄宗は周の穆王のように行幸になり、閬風顛ともいうべき仙山は天子の轍のあとにはいったのだ、そして崑崙の曠原でさえ天子の御さぐりをさそっている。
沸天萬乘動,觀水百丈湫。
天上に湧きかえり、万乗の御車が動いているのだ、温泉の東にある百丈の湫に水をごらんになる。
幽靈斯可佳,王命官屬休。
湫の中には怪物がいる。ここで天子は従臣のものたちに休息の命を賜わった。
初聞龍用壯,擘石摧林丘。
まえもって聞いたことだが、竜は勇壮な力をだした、石をたたき割り、林や丘を切り裂きくだいた。
中夜窟宅改,移因風雨秋。
そうしてその竜は夜なかごろ自分のすまいのいわやをかえ、この秋の風雨、長雨に乗じてこの湫へ移転してきたということなのだ。
倒懸瑤池影,屈注滄江流。
今この瑤池ともいうべき湫には温泉宮の影が逆さまに懸かって映っている、そして湫からあふれ出る湯水は屈折し、冷水となって大江の流れに注ぎ込むのである。
味如甘露漿,揮弄滑且柔。』

この水を舐めてみると甘くして甘露汁のようである、手で掻きまぜみれば滑かであり、柔かなのである。』

#2
翠旗澹偃蹇,雲車紛少留。簫鼓蕩四溟,異香泱漭浮。
鮫人獻微綃,曾祝沉豪牛。百祥奔盛明,古先莫能儔。
坡陀金蝦蟆,出見蓋有由。至尊顧之笑,王母不肯收。
複歸虛無底,化作長黃虯。』

飄搖青瑣郎,文采珊瑚鉤。浩歌淥水曲,清絕聽者愁。』



(郭給事が湯東の霊漱の作に同し奉る)
東山気濠鴻たり 宮殿上頭に居る、君の来るは必ず十月なり 羽を樹てて九州に臨む。
陰火玉泉を煮る 噴薄巌に漲って幽なり、時有ってか赤目を浴せしむ 光は抱く空中の楼。』
閬風轍跡に入る 曠原冥搜を延く、天に沸いて万乗動く 水を観る百丈の湫。
幽霊斯れ怪む可し 王官属に命じて休せしむ、初め聞く竜壮を用い 石を擘って林丘摧く。
中夜窟宅改まる 移ることは風雨の秋に因ると、倒に懸る瑤池の影 槍江の流れに屈注す。
味は甘露の漿の如し 揮弄すれば滑にして且つ柔なり。』

翠旗澹として偃蹇たり 雲車粉として少しく留まる
簫鼓四溟を蕩かす 異香泱漭として浮ぶ
鮫人微綃を献じ 曾祝豪牛を沈む
百祥盛明に奔る 古先も能く鱒する莫し
披陀たる金の蝦娯 出見する蓋し由有り
至尊之を顧みて笑う 王母収め遣めず
復た虚無の底に帰し 化して長き黄札と作る』
諷諷たる青瑣の郎  文宋珊瑚の鉤
浩歌す淥水の曲 清絶聴く者愁う』


奉同郭給事湯東靈湫作 現代語訳と訳註
(本文)
#1

東山氣鴻蒙,宮殿居上頭。君來必十月,樹羽臨九州。
陰火煮玉泉,噴薄漲岩幽。有時浴赤日,光抱空中摟。』

閬風入轍跡,曠原延冥搜。沸天萬乘動,觀水百丈湫。
幽靈斯可佳,王命官屬休。初聞龍用壯,擘石摧林丘。
中夜窟宅改,移因風雨秋。倒懸瑤池影,屈注滄江流。
味如甘露漿,揮弄滑且柔。』

(下し文)
東山気濠鴻たり 宮殿上頭に居る、君の来るは必ず十月なり 羽を樹てて九州に臨む。
陰火玉泉を煮る 噴薄巌に漲って幽なり、時有ってか赤目を浴せしむ 光は抱く空中の楼。』
閬風轍跡に入る 曠原冥搜を延く、天に沸いて万乗動く 水を観る百丈の湫。
幽霊斯れ怪む可し 王官属に命じて休せしむ、初め聞く竜壮を用い 石を擘って林丘摧く。
中夜窟宅改まる 移ることは風雨の秋に因ると、倒に懸る瑤池の影 槍江の流れに屈注す。
味は甘露の漿の如し 揮弄すれば滑にして且つ柔なり。』


(現代語訳)
長安の東にあたる驪山にはもくもくと煙、湯気が立ち込めている、華清宮の宮殿はその上方にかぶさるように存在している。
我が君がここへおいでになるのはかならず十月になってからだ、ここに羽旗をたてて天下九州のまつりごとにあたられるのである。
ここでは地の底にある火が美しい温泉の水を煮たたせているのだ、そしてその湯気は噴出してあたりに充満し、巌と一緒になって周りを暗くしている。 
時にはその温泉の水は赤き太陽を浸したような色になる、光を抱き込んで空中たかくそびえた楼閣のように見えることもある。』 

ここへ我が君玄宗は周の穆王のように行幸になり、閬風顛ともいうべき仙山は天子の轍のあとにはいったのだ、そして崑崙の曠原でさえ天子の御さぐりをさそっている。
天上に湧きかえり、万乗の御車が動いているのだ、温泉の東にある百丈の湫に水をごらんになる。
湫の中には怪物がいる。ここで天子は従臣のものたちに休息の命を賜わった。
まえもって聞いたことだが、竜は勇壮な力をだした、石をたたき割り、林や丘を切り裂きくだいた。
そうしてその竜は夜なかごろ自分のすまいのいわやをかえ、この秋の風雨、長雨に乗じてこの湫へ移転してきたということなのだ。
今この瑤池ともいうべき湫には温泉宮の影が逆さまに懸かって映っている、そして湫からあふれ出る湯水は屈折し、冷水となって大江の流れに注ぎ込むのである。
この水を舐めてみると甘くして甘露汁のようである、手で掻きまぜみれば滑かであり、柔かなのである。』


(訳註)

奉同郭給事湯東靈湫作
郭給事が湯東の靈湫の作に同し奉る。
 和するをいう。他人が作った詩につけて、我が意をのべること。○郭給事 郭は姓、名は詳かでない、給事は官名、給事中をいう。○湯東靈湫 湯は驪山の温泉をいう。前詩では、華清宮。靈湫とは竜の住む不思議な池をいう。
#1
東山氣鴻蒙,宮殿居上頭。

長安の東にあたる驪山にはもくもくと煙、湯気が立ち込めている、華清宮の宮殿はその上方にかぶさるように存在している。
東山 驪山をいう、長安の東に在るからである。○ 温泉の気。○濠鴻 或は鴻濠に作る、もやくや。○宮殿 華清宮をいう。○上頭 上方にかぶさるように存在するさま。。


君來必十月,樹羽臨九州。
我が君がここへおいでになるのはかならず十月になってからだ、ここに羽旗をたてて天下九州のまつりごとにあたられるのである。
 玄宗。〇十月 玄宗は避寒のため十月に行幸し、歳が尽きて帰る。○樹羽 羽旗をたてる、羽旗は羽をかざった旗。「赴奉先県詠懐」詩の「羽林相摩真ス」と同意であろう。或は楽器の装飾ととくが恐らくは非であろう。○臨九州 九州は天下をいう。天下に臨むとはここで政治を視られることをいう。


陰火煮玉泉,噴薄漲岩幽。
ここでは地の底にある火が美しい温泉の水を煮たたせているのだ、そしてその湯気は噴出してあたりに充満し、巌と一緒になって周りを暗くしている。 
陰火 地の底の火。○玉泉 温泉のうつくしい水。○噴薄 湯気の下よりふきだすさま。


有時浴赤日,光抱空中摟。』
時にはその温泉の水は赤き太陽を浸したような色になる、光を抱き込んで空中たかくそびえた楼閣のように見えることもある。』 
浴赤目 酸化鉄を含んだ温泉巣のこと。ここは温泉が太陽を浸すことをいう。○空中楼 間欠泉のように空中に湧き出る温泉水が樓閣のようにみある。


閬風入轍跡,曠原延冥搜。
ここへ我が君玄宗は周の穆王のように行幸になり、閬風顛ともいうべき仙山は天子の轍のあとにはいったのだ、そして崑崙の曠原でさえ天子の御さぐりをさそっている。
閬風 崑崙山に三角(隅)があり、其の一角を閬風顛(ろうふうてん)という山の名。〇人轍跡 周の穆王は八匹の駿馬に駕して崑崙の上にのぼった。玄宗が騒山に遊ぶのを穆王が崖嵩に遊ぶのに此した。又旬の造り方は天子の馬車が間風を踏むというべきところを逆に聞風が轍跡に入るといったものである。轍跡はくるまのわだちのあと。○曠原 崑崙東北脚の野の名。○延冥捜 延はまねきよせる、冥捜は奥ふかくさぐること、これも上旬の如く、天子が曠原を冥捜するということを、曠原の方が天子の冥捜をひくといいなしたもの。この時代天子は神であるから、このような言い回しをしている。天子に対する思い入れが多いことを示す句である。


沸天萬乘動,觀水百丈湫。
天上に湧きかえり、万乗の御車が動いているのだ、温泉の東にある百丈の湫に水をごらんになる。
沸天やかましい音響が天辺にわきおこる。○万乗動 天子の一行が動きだす。乗は車一台をいう、昔、天子の国は兵車万乗を出し、天子が出御されるときには千乗万騎のお伴があった。○観水 水は霊湫の水。〇百丈 百丈のふかさをいう。○ 低くて狭い湧き出る穴。


幽靈斯可佳,王命官屬休。
湫の中には怪物がいる。ここで天子は従臣のものたちに休息の命を賜わった。
○幽霊 漱の中にすむ怪物をさす。○王命官属休 これは「穆・天子伝」中の語を用いてとる。玄宗が、臣下に命じて休息をたまわることをいう。それは幽霊を観、且つ祭るためである。


初聞龍用壯,擘石摧林丘。
まえもって聞いたことだが、竜は勇壮な力をだした、石をたたき割り、林や丘を切り裂きくだいた。
○初聞 まえかたきく。此の下四句は昔のことをさかのぼって叙する。○竜用壮 牡とは竜の壮なるカをいう。

中夜窟宅改,移因風雨秋。
そうしてその竜は夜なかごろ自分のすまいのいわやをかえ、この秋の風雨、長雨に乗じてこの湫へ移転してきたということなのだ。
居宅 いわあなのすみか、これは竜がこの湫へ来る以前に棲息していた所。○ かわること。○ こちらへ移転すること。○風雨秋 この秋の長雨。
 
倒懸瑤池影,屈注滄江流。
今この瑤池ともいうべき湫には温泉宮の影が逆さまに懸かって映っている、そして湫からあふれ出る湯水は屈折し、冷水となって大江の流れに注ぎ込むのである。
倒懸 この湫上にさかさまにぶらさがる、影がうつることをいう。○瑤池影 瑤池は驪山の温泉をさすが、ここは温泉宮全体をさし、その宮殿楼閣の影を影といっている。○屈注 屈折してそそぐ、この湫は冷水(又は零水)となって北方向の渭水にそそぐ。○滄江流 ひろい川の流れ、渭水をさす。


味如甘露漿,揮弄滑且柔。』 
この水を舐めてみると甘くして甘露汁のようである、手で掻きまぜみれば滑かであり、柔かなのである。』
漿しる。○揮弄ふるいもてあそぶ。○滑且柔 水質のきめのよいこと。



○押韻 蒙,頭。州。幽。摟。/搜。湫。休。丘。秋。流。柔

魏將軍歌  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集700- 104

魏將軍歌  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集700- 104
杜甫の詩 700首 一日1首
将軍魂某のことについてよんだ。其の名は未詳。製作時は天宝末年、安禄山の叛乱直前の作。杜甫44歳


魏將軍歌
將軍昔著從事衫,鐵馬馳突重兩銜。
将軍は昔、幕府の下官としての衫を著て防御装着した馬に乗って、馬の口には二重の口ばみをかませ敵陣へ馳突した。
披堅執銳略西極,昆侖月窟東嶄岩。』
そうして堅い甲宵を被り、鋭い剣戟を執って西極の地方を略取したのだ、崑崙、月窟のはるか西までいったから長嶺や月窟が東に高く聾えてみえるというほどの処まですすんだのだ。』
君門羽林萬猛士,惡若哮虎子所監。
天子の御門のなかの羽林軍には万人もの猛士がいて、その猛悪さは怒りほえる虎のようであるが、それ等のものどもは君の監督の下にあるのである。
五年起家列霜戟,一日過海收風帆。』
君は一朝にして青海地方を過ぎて其の威力を以て騒乱を鎮めて兵船の帆を巻いてしまい、わずか五年の年月のうちに身分の低い家の出身が門に戦士をたてならべるほどの身分になられたのである。』

平生流輩徒蠢蠢,長安少年氣欲盡。
平生の同輩の者たちは徒らに虫のようにうごめいている。長安の勢いのいい青年たちも君に対しては意気消滅せんばかりである。
魏侯骨聳精爽緊,華嶽峰尖見秋隼。』
君はまことに骨格はそびえて、精神は緊粛である、たとえば華山の峰の尖ったところへ秋の隼が飛んでいる様のここちがするのである。』

星躔寶校金盤陀,夜騎天駟超天河。
君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。
攙槍熒惑不敢動,翠蕤雲旓相蕩摩。』
すると攙槍、熒惑の如き妖悪の星も静かにして動くことなく、君の儀伎たる翠蕤、雲旓等の旗が互にうごいてすれあうようだ、君の威力はすばらしいものだ。』
吾為子起歌都護;酒闌插劍肝膽露,
自分は君のために起ちあがって「丁都護」の歌をうたう。そうして酒興もすがれになりかくるころ舞いの剣をさやにおさめて胸の奥そこまでをさらけだす。
鉤陳蒼蒼玄武暮。
その時は鈎陳・玄武の星座いずれも蒼々たる色をして日はまったく暮れている。
萬歲千秋奉聖明,臨江節士安足數!』

君は千年も万年も聖明の天子を奉戴して忠勤をするであろう。かの臨江の節士などは君にくらべるとかぞえたてるだけの値打ちもない。




魏将軍歌
将軍昔著く従事の診、鉄馬馳突して両街を重ぬ
塾を被り鏡を執りて西極を略す、良禽月窟東に斬巌たり』
君門羽林の万の猛士、悪嘩虎の若くなるは子が監する所
五年家より起って霜戟を列し、一日海を過ぎて風帆収まる』
平生の流輩徒に蕎蕎たり、長安の少年気尽きんと欲す
魂侯骨奪えて精爽緊なり、華岳峯尖りて秋草を見る』
星のごとくに纏れる宝校(餃)金の盤陀、夜天銅に騎って天河を超ゆ
橡槍l焚惑敢て動かず、率直雲衛相蕩摩す』
吾子が為めに起って都護を歌う、酒関に剣を捕みて肝胆露わる、釣陳は蒼蒼として玄武は暮る
万歳千秋明主を奉ぜん、臨江の節士安んぞ数うるに足らん』

将軍は昔、幕府の下官としての衫を著て防御装着した馬に乗って、馬の口には二重の口ばみをかませ敵陣へ馳突した。
そうして堅い甲宵を被り、鋭い剣戟を執って西極の地方を略取したのだ、崑崙、月窟のはるか西までいったから長嶺や月窟が東に高く聾えてみえるというほどの処まですすんだのだ。』
天子の御門のなかの羽林軍には万人もの猛士がいて、その猛悪さは怒りほえる虎のようであるが、それ等のものどもは君の監督の下にあるのである。
君は一朝にして青海地方を過ぎて其の威力を以て騒乱を鎮めて兵船の帆を巻いてしまい、わずか五年の年月のうちに身分の低い家の出身が門に戦士をたてならべるほどの身分になられたのである。』
平生の同輩の者たちは徒らに虫のようにうごめいている。長安の勢いのいい青年たちも君に対しては意気消滅せんばかりである。
君はまことに骨格はそびえて、精神は緊粛である、たとえば華山の峰の尖ったところへ秋の隼が飛んでいる様のここちがするのである。』
君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。
すると攙槍、熒惑の如き妖悪の星も静かにして動くことなく、君の儀伎たる翠蕤、雲旓等の旗が互にうごいてすれあうようだ、君の威力はすぼらしいものだ。』
自分は君のために起ちあがって「丁都護」の歌をうたう。そうして酒興もすがれになりかくるころ舞いの剣をさやにおさめて胸の奥そこまでをさらけだす。
その時は鈎陳・玄武の星座いずれも蒼々たる色をして日はまったく暮れている。
君は千年も万年も聖明の天子を奉戴して忠勤をするであろう。かの臨江の節士などは君にくらべるとかぞえたてるだけの値打ちもない。


(魂魏将軍の歌)
將軍昔著從事衫,鐵馬馳突重兩銜。
将軍は昔、幕府の下官としての衫を著て防御装着した馬に乗って、馬の口には二重の口ばみをかませ敵陣へ馳突した
従事衫 妻窟英は務衫(しごと服)と解き、浦起竜は戎衣(いくさごろも)と解いている。しかし幕府の従事(下僚)であったことをいうのであろう。衫はうすいうわざ。○鉄馬 介馬(馬用鎧を装着した馬)をいう。○重両銜 銜は馬の口勘(くちばみのかね)、重ぬとは二箇をかませること。戦うとき故、馬にも厳重にしたくさせる。
 

披堅執銳略西極,昆侖月窟東嶄岩。』
そうして堅い甲宵を被り、鋭い剣戟を執って西極の地方を略取したのだ、崑崙、月窟のはるか西までいったから長嶺や月窟が東に高く聾えてみえるというほどの処まですすんだのだ。』
被堅 甲冑をきる。○執鋭 するどい剣戟を手にとる。○ 土地を取ること。○西極 西のはての国。○崑崙、月窟 出に西方にある山と地。○東嶄巌 嶄巌は山石の高くけわしいさま。東にとは昆侖、月窟は西地にあるが、将軍はそれよりも西のはてへ進んだため昆侖、月窟が東方に聳えるように見えるようになる。

君門羽林萬猛士,惡若哮虎子所監。
天子の御門のなかの羽林軍には万人もの猛士がいて、その猛悪さは怒りほえる虎のようであるが、それ等のものどもは君の監督の下にあるのである。
君門 天子の門。○羽林 天子直轄の軍の名、近衛兵のことで、ほかに龍武軍、神策軍で参軍。〇 多いことをいう。○惡若哮虎 悪は猛悪なこと、虎の怒りほえることをいう。○ 魏将軍をさす。○ 監督する。○起家 卑しい家の地位より起こることをいう。
 

五年起家列霜戟,一日過海收風帆。』
君は一朝にして青海地方を過ぎて其の威力を以て騒乱を鎮めて兵船の帆を巻いてしまい、わずか五年の年月のうちに身分の低い家の出身が門に戦士をたてならべるほどの身分になられたのである。』
列霜戟 霜はよくみがいて白くひかる刃の色をいう、戟ははこ、三晶(三位)ほどの官になれば門に乗戟(柄を彩色の漆池でぬる)をならべる。○一日 一朝、一日。○過海 吐蕃の青海地方を過ぎることをいう。○収風帆 青海方面の乱がしずまったので風にはらませた兵船の帆を収め巻いて都へかえる。五年一日の二句は置きかえでみる。



平生流輩徒蠢蠢,長安少年氣欲盡。
平生の同輩の者たちは徒らに虫のようにうごめいている。長安の勢いのいい青年たちも君に対しては意気消滅せんばかりである。
流輩 同輩。○蠢蠢 虫のようにうごき、動かされる。○気欲尽 意気を出し尽くす。

魏侯骨聳精爽緊,華嶽峰尖見秋隼。』
君はまことに骨格はそびえて、精神は緊粛である、たとえば華山の峰の尖ったところへ秋の隼が飛んでいる様のここちがするのである。』
醜侯 侯は敬称、君の琴○精爽 精神。○ ひきしまる。○華岳(一句)たとえである。華岳は華山、五岳の一つ、華州にある。○秋隼 隼ははやぶさ、鷹の類。

星躔寶校金盤陀,夜騎天駟超天河。
君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。
星纏宝校 校の字は軟に作るべきである。顔延年の「滞日馬賊」に「宝餃星纏」とあるのに本づく。銃は鞍勘などの馬具の装飾であるという。星纏とは星の動きのようにめぐることで、星をちりばめたようであることをいう。○金盤陀 盤陀は破撃仏像などを鉾かして鋳た金属、銅と金との雜りがね。金盤陀は装飾の実質をいう。○天駟 房星のこと、ここは天厩の馬を言のであろう。○天河 天の河、宮苑の水をたとえていう。



攙槍熒惑不敢動,翠蕤雲旓相蕩摩。』
すると攙槍、熒惑の如き妖悪の星も静かにして動くことなく、君の儀伎たる翠蕤、雲旓等の旗が互にうごいてすれあうようだ、君の威力はすぼらしいものだ。』
攙槍 妖星。○攙槍 火星、上の星は兵乱の象。○不敢動動きださぬ、というのは兵乱の起こらぬことをいう。○翠蕤 雲旓 翠蕤とは素翠の羽のふさふさと垂れていることをいい、旗のこと。雲頂とは雲のようなはたをいう。旗は儀任に用いる。○蕩摩 うごきすれあう。「星纏」以下の四句は宿衛の軍容をいい、将軍の威が禍乱をしずめるのに足ることをいう。



吾為子起歌都護;酒闌插劍肝膽露。
自分は君のために起ちあがって「丁都護」の歌をうたう。そうして酒興もすがれになりかくるころ舞いの剣をさやにおさめて胸の奥そこまでをさらけだす。
歌都護 劉宋の時、武帝の「丁都護歌」に「督護北二征キ去ル、前鋒平カナラサル無シ、朱門ニハ高蓋ヲ垂ラシ、永世二功名ヲ揚グ」とある。また宋の高祖の時、高祖の娘が徐達之という者に嫁したが、達之は魯軌という者に警れた。高祖は因って督護丁旿に命じて達之の屍を収めてかりうめさせた。達之の妻が丁旿を呼んで葬りの事を問うたところが、毎に間うに「丁都護」と呼んだ、その声はいと哀れであった。後人は因って歌とした。作者は何人の作をうたったか不明であるが武帝の歌の類をうたったのであろう。○酒闌 闌はさかりすぎ。○插劍 このとき剣舞を為し舞をやめて剣をさやにはさんだのである。○肝胆 露心中をさらけ出す。



鉤陳蒼蒼玄武暮。
その時は鈎陳・玄武の星座いずれも蒼々たる色をして日はまったく暮れている。
鉤陳 玄武鉤陳は星宿の名、天の紫宮の中に六星があり、これにかたどって天子の殿前にも鉤陳の位置がある。玄武も星の名、「漢書」天文志に「北宮ニハ玄武虚危アリ、其ノ南二衆星アリ、羽林天軍トイウ」とみえる。玄武星が碁に見えるのは秋節であるという。此の句は星宿をかりて宿衛のことをいい兼ねて時候をあらわす。又此の句は単句(一句だけで独立する句)である。○蒼蒼、暮此の二語は蓋し鈎陳235と玄武とに共用の語であり、どちら碁々としてくれることをいう。



萬歲千秋奉聖明,臨江節士安足數!』
君は千年も万年も聖明の天子を奉戴して忠勤をするであろう。かの臨江の節士などは君にくらべるとかぞえたてるだけの値打ちもない。
臨江節士漢の景帝は太子を廃して臨江王となしたが、王は後に自殺した。時の人は彼を悲しんで歌を作った。「漢書」芸文志に「臨江王及ビ愁思ノ節士ノ歌詩四第」とみえる。節士が臨江の人であるか香かは不明であるが、節士は臨江王のことを思った忠実の人とみえる。○安足数かぞえるねうちがない、将軍の忠実心は節士以上である。


驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102
もと天子から太常寺卿梁某に賜わったもので、現在は李鄧公が自分の所有として愛している驄馬について、杜甫が鄧公の命をうけて作った詩である。製作時は天宝十四載。
* 〔原注〕太常梁卿敢賜馬也。李鄧公。愛而有之。命甫製詩
755年天宝14載44歳



驄馬行
鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。
李鄧公が愛馬の癖あることは人がみな知っているが、鄧公は初めて大宛の種である花紋様ある驄馬.を得られたのだ。
夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。
自分はその話を前々から聞いていたから一度見たいと思っていたのだ。この馬をひきだしてくると左右にいるもの皆びっくりして神々しさを持って見上げている。
雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
その雄々しいすがた、すぐれた風格はどうしてあんなに堂々としているか。そのわが身の影をふりかりながら誇らしく嘶く様子は主人の寵愛をうけておることを顕示するのである。
隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』
その目は菱型形で青くひかりかがいて、左右からはさんだ明鏡がぶらさがっている様である、身をふるわせて突起したたてがみの肉がゆれて銭がたの模様を動かしている。』
朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
主人は朝からかけて少しくこの馬をうつくしい車をひかせてみたが、この馬の様子は千金を出したのも高すぎるとは考えられないものなのだ。
赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
試乗後は白雪の様な毛に赤い汗がすこし出たが、銀の鞍にはかえって香わしき薄絹の腹かけをかけて馬をいたわっている。
卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。
この馬は太常寺卿梁氏の家の拝領物であったのを李郭公が得られたのだが、この馬こそ天厩の竜馬に次ぐものであるのだ。
晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』

この馬こそ千里馬である、昼は涇水と渭水の深き水に騰りあがってわたり、夕にはずいぶん進み、夜には幽州・井州に達して、毛を刷う事ができるであろう馬なのだ。』
吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
私は聞き及んでいる、よい千里馬は年をとっても成熟するということを。したがって、この馬も数年経たならば一層人が驚歎するものになるであろう。
豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
鳥よりはやい四足をもちながら天子の御馬の八頭の駿馬といっしょに先ず鳴かぬということがどうしてあるというのか。
時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
此の種類の馬は世俗の人がほしいからとしてあわただしく得ようとしてできるものか、このような馬は、雲や霧がとざして真っ暗という様な時はじめて天が精気を降してこの馬を下界へ送りくださるものである。
近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』

ちかごろきくとお上から詔を下されて都も地方もかましく騒ぎ立てて良馬を求められるということだ、まさか誰もが麒麟のような馬を地面の上に歩かせるというのではないのだろう。


郭公の馬癖は人共に知る、初めて得たり花膿大宛の種を

夙昔より伝聞して一たび見んことを思う、牽き来れば左右神皆錬る

雄姿逸態何ぞ酋拳たる、影を顧みて騎噺し自ら寵に治る

隅目青焚として爽鏡懸り、肉駿埠欄として連銭動く』


朝来少しく試む華軒の下、未だ覚えず千金の高価に満つるを

赤汗微しく生ず白雪の毛、銀鞍彿って覆う香羅帖

卿家の旧賜公之を取る、天厩の真竜此其の亜なり

昼洗須らく騰るぺし浬洞の深きに、夕趨刷く可し幽井の夜』


吾聞く良駿は老いて始めて成ると、此の馬数年人更に驚かん

豈 四蹄の鳥より疾くして、八駿と供に先ず鳴かざる有らんや

時俗造次に郵ぞ致すことを得ん、雲霧晦冥にして方に精を降す

近ろ聞く詔を下して都邑に喧しと、肯て麒麟をして地上に行かしめんや』




驄馬行  現代語訳と訳註 -#1

(本文)
鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。
夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。
雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』


(下し文)
郭公の馬癖は人共に知る、初めて得たり花膿大宛の種を
夙昔より伝聞して一たび見んことを思う、牽き来れば左右神皆錬る
雄姿逸態何ぞ酋拳たる、影を顧みて騎噺し自ら寵に治る
隅目青焚として爽鏡懸り、肉駿埠欄として連銭動く』


(現代語訳)
李鄧公が愛馬の癖あることは人がみな知っているが、鄧公は初めて大宛の種である花紋様ある驄馬.を得られたのだ。
自分はその話を前々から聞いていたから一度見たいと思っていたのだ。この馬をひきだしてくると左右にいるもの皆びっくりして神々しさを持って見上げている。
その雄々しいすがた、すぐれた風格はどうしてあんなに堂々としているか。そのわが身の影をふりかりながら誇らしく嘶く様子は主人の寵愛をうけておることを顕示するのである。
その目は菱型形で青くひかりかがいて、左右からはさんだ明鏡がぶらさがっている様である、身をふるわせて突起したたてがみの肉がゆれて銭がたの模様を動かしている。』





驄馬行(訳註)
* 〔原注〕太常梁卿敢賜馬也。李鄧公。愛而有之。命甫製詩
青白色の馬のうた。*太常梁卿に敢え賜し馬なのだ。李鄧公はこの馬を愛し、そしてこの馬を手に入れた。それから杜甫に命じてこの詩をつらせた
○驄馬 青白色の馬。○太常梁卿太常寺の卿という官の梁氏、名は詳かでない。○李郭公 郭は封地の名、其の人の宗室であろう、名は詳かでない。○有之 自分のものにした。


鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。

李鄧公が愛馬の癖あることは人がみな知っているが、鄧公は初めて大宛の種である花紋様ある驄馬を得られたのだ。
馬癖 馬を愛するというくせ。○花随 随馬にして花紋があるもの。後に連銭というのがそれである。○大宛種 
大宛国の名馬の種。


夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。

自分はその話を前々から聞いていたから一度見たいと思っていたのだ。この馬をひきだしてくると左右にいるもの皆びっくりして神々しさを持って見上げている。
夙昔 はやき以前。○牽乗馬をひいてくる。○左右 左右の傍観の人々。○神皆竦 いい馬と理解すること。神々しく見上げる。又聾とも通じ、毛髪のそばだつ様をいう。



雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
その雄々しいすがた、すぐれた風格はどうしてあんなに堂々としているか。そのわが身の影をふりかりながら誇らしく嘶く様子は主人の寵愛をうけておることを顕示するのである。
雄姿逸 態雄々しいすがた、すぐれたようす。○崷崒 たかく聾えるさま。○顧影馬が自己のかげをかえりみる。○驕嘶 いばっていななく。誇らしく嘶く。○衿寵 寵愛をうけておることを顕示する。



隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』 
その目は菱型形で青くひかりかがいて、左右からはさんだ明鏡がぶらさがっている様である、身をふるわせて突起したたてがみの肉がゆれて銭がたの模様を動かしている。』
隅目 眼の輪郭の菱形であるのをいう。○青焚 青くして光りかがやく。○爽鏡 左右よりはさむかがみ、両眼をたとえていう、顔延年の「赭白馬賦」に「雙瞳爽鏡」の語がある。○肉鬃 鬃は鬣(たてがみ)。肉鬃はたてがみの辺に肉の多いことをいう。○碨礧 突起しているさま。○連銭 ぜにがたのもよう。○少試 すこしためしに乗る。





驄馬行  現代語訳と訳註 -#2
(本文)
朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。
晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』

(下し文)
朝来少しく試む華軒の下、未だ覚えず千金の高価に満つるを
赤汗微しく生ず白雪の毛、銀鞍彿って覆う香羅帖
卿家の旧賜公之を取る、天厩の真竜此其の亜なり
昼洗須らく騰るぺし浬洞の深きに、夕趨刷く可し幽井の夜』


(現代語訳)
主人は朝からかけて少しくこの馬をうつくしい車をひかせてみたが、この馬の様子は千金を出したのも高すぎるとは考えられないものなのだ。
試乗後は白雪の様な毛に赤い汗がすこし出たが、銀の鞍にはかえって香わしき薄絹の腹かけをかけて馬をいたわっている。
この馬は太常寺卿梁氏の家の拝領物であったのを李郭公が得られたのだが、この馬こそ天厩の竜馬に次ぐものであるのだ。
この馬こそ千里馬である、昼は涇水と渭水の深き水に騰りあがってわたり、夕にはずいぶん進み、夜には幽州・井州に達して、毛を刷う事ができるであろう馬なのだ。』


(訳註)

朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
主人は朝からかけて少しくこの馬をうつくしい車をひかせてみたが、この馬の様子は千金を出したのも高すぎるとは考えられないものなのだ。
華軒 軒は車。うつくしい車をひかせてみる。



赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
試乗後は白雪の様な毛に赤い汗がすこし出たが、銀の鞍にはかえって香わしき薄絹の腹かけをかけて馬をいたわっている。
卻覆 卻ってとは汗ばんでいるので何かをかぶせなくてもよいのに、それに却ってかぶせるというのであり、これというのは主人の寵愛をあらわすものである。○香羅帕 帕は腹かけ、かんばしきうすぎぬのはらかけ。



卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。

この馬は太常寺卿梁氏の家の拝領物であったのを李郭公が得られたのだが、この馬こそ天厩の竜馬に次ぐものであるのだ。
卿家 太常寺卿棄民の家。○旧賜 もと天子よりの拝領物。○公 李郭公。○天厩真竜 天子のおうまやのまことの竜馬。○ 李郭公のこの驄馬をさす。○ 上の兵竜をさす。○亜 それにつぐもの、次位にあるもの。



晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』
この馬こそ千里馬である、昼は涇水と渭水の深き水に騰りあがってわたり、夕にはずいぶん進み、夜には幽州・井州に達して、毛を刷う事ができるであろう馬なのだ。』
昼洗(二句)これは顔延年の「満目馬賊」の「且ハ幽燕二刷キ、昼ハ剤越二株り」とある意を活用したもの。洗とは体や足を水で洗うこと。○ おどりあがる。○涇渭深 涇渭は川の名、深は水の深いことをいう。○夕趨 ゆうべにはしる。○ はらう、よごれた毛をはらいおとす、毛なみをきれいにする。○幽並夜 幽州・井州の夜。幽は大体において河北省北部、並は山西省の地。



驄馬行  現代語訳と訳註 -#3
(本文)

吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』

(下し文)
吾聞く良駿は老いて始めて成ると、此の馬数年人更に驚かん
豊に四蹄の鳥より疾くして、八駿と供に先ず鳴かざる有らんや
時俗造次に郵ぞ致すことを得ん、雲霧晦冥にして方に精を降す
近ろ聞く詔を下して都邑に喧しと、肯て麒麟をして地上に行かしめんや』

(現代語訳)
私は聞き及んでいる、よい千里馬は年をとっても成熟するということを。したがって、この馬も数年経たならば一層人が驚歎するものになるであろう。
鳥よりはやい四足をもちながら天子の御馬の八頭の駿馬といっしょに先ず鳴かぬということがどうしてあるというのか。
此の種類の馬は世俗の人がほしいからとしてあわただしく得ようとしてできるものか、このような馬は、雲や霧がとざして真っ暗という様な時はじめて天が精気を降してこの馬を下界へ送りくださるものである。
ちかごろきくとお上から詔を下されて都も地方もかましく騒ぎ立てて良馬を求められるということだ、まさか誰もが麒麟のような馬を地面の上に歩かせるというのではないのだろう。


(訳註)

吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
私は聞き及んでいる、よい千里馬は年をとっても成熟するということを。したがって、この馬も数年経たならば一層人が驚歎するものになるであろう。
艮驥 よい千里馬。○老姶成 年をとっても成熟する。



豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
鳥よりはやい四足をもちながら天子の御馬の八頭の駿馬といっしょに先ず鳴かぬということがどうしてあるというのか。
豈有 この二字は下句までかかる。う。〇四蹄疾於鳥四本のびづめが鳥よりはやく走る。〇八駿 周の穆王の八匹の駿馬、その名は赤旗・盗驪・白義・踰輸・山子・渠黄・驊騮・騄耳。○先鳴 他の凡馬に先だちて声をあげる、先ず用いられることをいう。



時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
此の種類の馬は世俗の人がほしいからとしてあわただしく得ようとしてできるものか、このような馬は、雲や霧がとざして真っ暗という様な時はじめて天が精気を降してこの馬を下界へ送りくださるものである。
時俗 世俗の人。○造次 急遽のさま、あわただしいさま。○我が手もとへまねきいたすことをいう。○晦冥 まっくら。○降精 馬は月の精であるといい、河水の精であるといい、房星の精であるという。大宛の天馬も其の国の高山の上にいて得ることができないので、五色の母馬を其の下に置いて交らせて駒を生ませると言い伝えられているが、それは山上の馬を天より下った馬とみたものなのであろう。いい種馬といい雌馬、それに天の精が加わってこのような馬が生まれる。



近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』
ちかごろきくとお上から詔を下されて都も地方もかましく騒ぎ立てて良馬を求められるということだ、まさか誰もが麒麟のような馬を地面の上に歩かせるというのではないのだろう。
喧都邑 喧とはやかましくさわざで善馬を求めること。○肯使反語。○麒麟 善く走る馬をいう。○地上行 地面の上をあるく。



巷では、国内で戦の様相を呈してきたということを述べている。穀物の値段が数十倍になり、それでも、尚買えないという状況になっている。飢饉があり、運河航行が天候不良で難しい。
 世界の歴史で、大変化のおこる兆候である飢饉、天候不良がまさにおこったのだ。 良馬を求めるのも戦の前兆である。





驄馬行
鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。
夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。
雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』

朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。
晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』

吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』


郭公の馬癖は人共に知る、初めて得たり花膿大宛の種を
夙昔より伝聞して一たび見んことを思う、牽き来れば左右神皆錬る
雄姿逸態何ぞ酋拳たる、影を顧みて騎噺し自ら寵に治る
隅目青焚として爽鏡懸り、肉駿埠欄として連銭動く』

朝来少しく試む華軒の下、未だ覚えず千金の高価に満つるを
赤汗微しく生ず白雪の毛、銀鞍彿って覆う香羅帖
卿家の旧賜公之を取る、天厩の真竜此其の亜なり
昼洗須らく騰るぺし浬洞の深きに、夕趨刷く可し幽井の夜』

吾聞く良駿は老いて始めて成ると、此の馬数年人更に驚かん
豈 四蹄の鳥より疾くして、八駿と供に先ず鳴かざる有らんや
時俗造次に郵ぞ致すことを得ん、雲霧晦冥にして方に精を降す
近ろ聞く詔を下して都邑に喧しと、肯て麒麟をして地上に行かしめんや』

 

 

官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100

官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100

 

755年天宝十四載、秋になり、杜甫は奉先県の妻子を訪ねている。女児が無事に育っているのを確認し、それから奉先県の北45kmのところにある白水県まで足をのばしている。
 白水県には母方の崔明府と崔少府がいる。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。杜甫は、帰途に奉先県に寄って秋の終わりに長安にもどってきた。
杜甫乱前後の図001
 十月のはじめに「河西の尉」という赴任地が示されてきた。河西の尉は河西節度判官の尉。当時、涼州(甘粛省武威県)にあった河西節度使の節度判官の尉(副官)の地位のことは友人の高適から聞いていて、高適もこの職についてすぐ退任している。

封丘県(河南省開封の北)の尉となって、やがてやめてしまった友人の高適から、県尉の仕事の実情を聞かされていたのかもしれない。高適が封丘の尉をやめた理由は、

「封丘の作」 高適、

只言小邑無所爲  只だ 小邑ほ為す所無しと言うも

公門百事皆有期  公門の百事は皆な期有り

拝迎官長心欲砕  官長を拝迎しては心砕けんと欲

鞭捷黎庶令人悲  黎庶を鞭撞するは人をして悲しましむ


小さな町だから何もすることなどないということだったが、役所の仕事はすべて期限つきで忙しい。官長の出迎え見送りをするたびに、いやでいやで心も砕けそうになり、租税の督促などで人民をむち打つのは、つらくてやりきれない」と詠っているごとくであったらしい。
その昔、陶淵明が、せっかく就いた彰沢県の知事を、「吾、五斗米の為に腰を折る能わず。拳拳として郷里の小人に事えんや」(『晋書』陶淵明伝)といってわずか三か月で辞任して故郷に帰っていった、それと同じ気持ちであったようである。


 杜甫も辞退した。



官定後戯贈(官定まりて後戯に贈る)
河西の尉という空名の任官を免ぜられて太子右衛率府兵曹参軍事に任ぜられることにきまったあとで戯に自分自身に贈った詩である。製作時は755年天宝十四載。 * 〔原注〕時免河西尉烏右衛率府兵曹。


官定後戯贈         
不作河西尉、淒涼為折腰。
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
老父怕趨走、率府且逍遥。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
故山帰興尽、囘首向風飇

官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。


官定まりて後 戯れに贈る

河西(かせい)の尉()と作()らざるは

淒涼(せいりょう)  腰を折るが為なり

老父(ろうふ)  趨走(すうそう)を怕(おそ)

率府(そっぷ)に且()つ逍遥(しょうよう)

酒に耽(ふけ)るには微禄(びろく)を須()

狂歌して聖朝(せいちょう)に託(たく)

故山(こざん)  帰興(ききょう)()

(こうべ)を囘(めぐ)らして風(ふうひょう)に向かう



官定まりて後 戯れに贈る  訳註と解説

(本文)

官定後戯贈         
不作河西尉、淒涼為折腰。
老父怕趨走、率府且逍遥。
耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
故山帰興尽、囘首向風飇。



(下し文)

官定まりて後 戯れに贈る

河西(かせい)の尉()と作()らざるは

淒涼(せいりょう) 腰を折るが為なり

老父(ろうふ) 趨走(すうそう)を怕(おそ)

率府(そっぷ)に且()つ逍遥(しょうよう)

酒に耽(ふけ)るには微禄(びろく)を須()

狂歌して聖朝(せいちょう)に託(たく)

故山(こざん) 帰興(ききょう)()

(こうべ)を囘(めぐ)らして風(ふうひょう)に向かう


(現代語訳)
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。



(訳註)
官定後戯贈

* 〔原注〕時免河西尉烏右衛率府兵曹。
官定任官が一定したこと。作者にとってこれが最初の任官である。○戯贈贈とは自己に贈ること。○免河西尉免というのからすればすでにその官になって後に免ぜられたもののようである。其の名義ばかりで実務には就くに至らなかったものと見える。河西尉は河西節度使の管下の尉官である。○右衛率府兵曹こ。太子右衛率府兵曹参軍事の官をいい、従八品下という卑い官である。元積の「杜君墓係」の右衛率府宵曹、「旧唐書」本伝の京兆府兵曹参軍、「新唐書」本伝の右衛率府胃曹参軍、とあるのは皆作者のこの詩の自注によって訂正されるべきものである。

不作河西尉、淒涼為折腰。
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
淒涼 ものがなしいさま、二字は折腰にかけてみる。○折腰 陶淵明の故事、淵明は五斗米のために腰を折って長官につかえることをいとった。

老父怕趨走、率府且逍遥。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
老父 自ずからいう。○怕趨走 趨走とは事務のためあちらこちらと奔走することをいう。尉官となるときはかかる煩累があることをおそれる。○率府 東宮(皇太子)に属する諸率府の事務官(従八品下)で、太子禁衛軍の兵員の管理をする事務職。 ○しばらく。○逍遥ぶらぶらしているさま。

耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
須微 禄わずかな俸禄がいりようである。○狂歌他もっぱら歌をうたい続ける、詩歌だけをつくったりすることをさす。○託聖朝 聖明の朝廷におのがからだを託す。



故山帰興尽、囘首向風飇。
官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。
故山 故郷の山。○帰興尽 今まで故郷にかえりたいかえりたいというたが官が定まってみるとかえりたいとの興もなくなった、という。これは本心から官を慕って故郷を思わなくなったのではなく、ちょっとそんな気がすることをいう。○向風飇 飇とは下より吹きまくる暴風。必しも暴風をいうのではなく、ただ風の義に使ったもの。




(解説)
吹きつける「風飇」とは、役所での風当たりのことであろうか。時は晩秋で西風の強い日が多くなることも併せているが、十数年士官の道を求めてきた杜甫にとってはこれから先の希望の方が多かったのかもしれない。
官につけることが定まった杜甫は、家族に知らせ、そして長安へ連れて帰る支度をするため、十一月に入ると率先県に出かけた。それは、安禄山が挙兵した十一月九日に先だつ幾日かまえのことだった。このときの旅の様子は「京より奉先県に赴き、懐いを詠ずる五百字」は五言百句に及ぶ長篇である。のちの「北征」の詩五言百四十句と並ぶ雄篇と称されている。




 

上韋左相二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 92

上韋左相二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 92

韋左相にたてまつった詩。天宝14載 755年 44歳 初春 

以前、李白と別れ、洛陽から長安に登って初めのころ詩をたてまつっている。
奉贈韋左丞丈二十二韻 32(五言古詩747年36歳)

士官活動をしている杜甫が自分の才能を示そうとかなり焦っている様子がよくでている。現在残っている就職活動の詩は、基本的に、長詩である。
この詩について、訳注と解説は割愛する。


上韋左相二十韻
鳳歷軒轅紀,龍飛四十春。八荒開壽域,一氣轉洪釣。』

霖雨思賢佐,丹青憶老臣。應圖求駿馬,驚代得麒麟。
沙汰江河濁,調和鼎鼐新。韋賢初相漢,範叔巳歸秦。
盛業今如此,傳經固絕倫。豫章深出地,滄海闊無津。』

北斗司喉舌,東方領縉紳。持衡留藻鑒,聽履上星辰。
獨步才超古,餘波德照鄰。聰明過管輅,尺牘倒陳遵。
豈是池中物?由來席上珍。廟堂知至理,風俗盡還淳。』

才傑俱登用,愚蒙但隱淪。長卿多病久,子夏索居頻。
回首驅流俗,生涯似眾人。巫鹹不可問,鄒魯莫容身。
感激時將晚,蒼茫興有神。為公歌此曲,涕淚在衣巾。』

(韋左相に上る 二十韻)
鳳暦(ほうれき)軒轅(けんえき)紀す 竜飛ぶこと四十春、八荒 壽域を開,一氣 洪釣(こうきん)転ず』

霖雨賢佐を思い,丹青老臣を憶う。
圖に應じて駿馬を求め,驚代(きょうだい) 麒麟を得たり。
江河の濁れるを沙汰し 鼎鼐(ていだい)の新なるを調和す。
韋賢初めて漢に相たり 范叔 己に秦に帰る。
盛業今此の如し、経を伝うる固と絶倫なり。
予樟(よしょう)深く地を出づ、蒼海(そうかい)闊(ひろ)くして津無し。』

北斗喉舌を司り、東方縉紳(しんしん)を領す。
持衡(きこう)藻鑒(そうかん)を留め、聴履(ちょうり)星辰に上る。
独歩才古に超え、余波 徳 隣を照らす。
聡明管路に過ぎ、尺牘(せきとく) 陳遵(ちんじゅん)を倒す。
豈 走れ地中の物ならんや 由来席上の珍なり
廟堂(びょうどう)至理を知らば 風俗尽く淳に還らん』

才傑供に登用せらる 愚蒙但だ隠淪す
長卿多病久しく 子夏 索居 頻(しき)りなり
首を回らせば流俗に駆らる 生涯衆人に似たり
巫鹹(ふかん)問う可からず 鄒魯(しゅうろ)身を容るる莫し
感激時将に晩からんとす 蒼茫興神有り
公の為めに此の曲を歌う 涕淚衣巾に在り』



(現代語訳)
むかし黄帝軒壊氏が紀(き)したという鳳暦がつづいている、今の天子が君臨されて四十度目の春が来た。
天下太平、八方のはてまで人々長寿を保つの世界が開かれている、造化の大自然はなめらかに宇宙間の元気に転じた。』

我が君(玄宗)は殿の高宗の如く大草の霧雨にも充つべき賢き輔佐の臣を思われ、漢の成帝の如く赤と青の系統図によって旧臣(あなたの父)を憶われた。
また駿馬を絵にかいてその絵にてらして駿馬を求められたが果して世を驚かすような隣鱗というべきあなたを得られた。
これまでの江河の濁れる水をふるいだすように陳希烈を罷め、鼎の中の美味を新しく調和せしめられように貴君を相に任じることにせられた。
今や韋賢は初めて漢延に宰相となった。范叔は己に秦に帰ってまた宰相になった。
あなたの家は経学を伝えられて他にたぐいなき家すじであるが今やまた盛んに業務をされることはこのような状況である。
あなたの材器度量はたとえば予章樹が深く地からぬけでたようなもの、またはてしない大海原に出てたどりつく港もないようなものである。』

あなたはこれまで兵部尚書としてゆるぎない北極星のように喉舌をつかさどり、東方の縉紳を領卒された。
また吏部侍郎としては均衡をとられ、裁判、鑑定のあり方を決められ書きとめられた、天子の親信を得て下々の声までききわけられるほどになり宮廷内の高い地位にまでのぼられた。
あなたの独特の能力というものは古昔からのものをこえ、そのなごりの徳の光りは近隣までを照らしているのだ。
あなたの聡明な事は管路よりすぎるものであり、尺槙の書のうまいことは陳遵を圧倒する。
あなたはどうして池中にくすぶっているものでなく、必ず雲雨を巻き起して天へのぼる蚊竜である。
元来が儒者が席上においておくという珪璋のような珍らしい宝玉である。
あなたのような人が廟堂(朝廷)にあって天下政治を極点にする術を知っておられるならば天下の風俗は必ずことごとく淳横にたちもどることであろう。』

(以下は自己についてのべる。)
このような時世なので人傑たるものは皆官吏として登用せられているが、自分のような愚な者はただ世間からかくれて沈倫している、漢の司馬相如長卿のような人物は久しく多病であるし、格子の弟子の子夏はしきりと朋友からはなれてくらしている(自分はその長卿子夏である)。
首をめぐらして考えてみるに自分は流俗のものに流されて自己の生涯はまるで世間並である。
自己の運命如何は巫咸という予言者に問うことはできない、自己のからだは自己の生れ育った国にさえ容れられない。
感激の心情は十分持っているがだんだん老衰の境に近づいてきているが、或る種の不思議な感興がわきおこるのを感じている。
それで此の詩を作ってあなたのために此の曲を歌うと、ただなにとなく涕淚が流れあふれて着物や手巾におちているのである。

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 
この詩は士官活動の中での詩である。軍とのつながりの多い馬につて題材にした詩が多い。この年(754)、杜甫は哥舒翰に詩を献上していて、幕府内の事務職など期待して待機していた。



沙苑行
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』
王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
逸群絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』

累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』

泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』

なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』


(沙苑行)

君見ずや左輔の白抄は白水の如し、繚(めぐ)らすに周牆を以てすること百余旦。

竜媒(りょうばい)昔是れ渥(あくあ)より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。

苑中の(らいひん)三千匹、豊草青青 寒にも死せず。

之を食いて豪健なること西域にも無し、毎歳駒を攻むる辺鄙に冠たり』



王虎臣有りて苑門を司る、門に入れば天厩に皆雲のごとく屯る。

(しょくそう)の一骨独り御に当る、春秋二時至尊に帰す。

内外馬数将に億に盈()たんとす、伏(ざいけい)空しく大に存す。

逸羣絶足信(まこと)に殊傑(しゅけつ)(てきとう)權奇(けんき)(つぶさに)に論じ難し』



累累として岱阜(たいふ)に奔突(ほんとつ)を蔵し、往往坡陀(はだ)に超越を縦(ほしいまま)にす。

壮を角しては翻騰(はんとう) 糜鹿(びろく)と遊び、深きに浮びては簸蕩(はとう)黿鼉の窟。』



泉に巨魚を出だす長人(たけひと)に比す、丹砂を尾と作し黄金を鱗(うろこ)とす。

豈 知らんや物を異にするも精気を同じくす、未だ竜を成さずと雖も亦た神有り。』






苑行 訳註と解説

(本文)
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』

(下し文)

君見ずや左輔の白抄は白水の如し、繚(めぐ)らすに周牆を以てすること百余旦。
竜媒(りょうばい)昔是れ渥洼(あくあ)より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。
苑中の騋牝(らいひん)三千匹、豊草青青 寒にも死せず。
之を食いて豪健なること西域にも無し、毎歳駒を攻むる辺鄙に冠たり』


(現代語訳)

君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』


沙苑行
沙苑 牧馬場の名。唐の時、同州鴻功県(陝西省同州府大茘県)の南十二里に置かれる。東西八十里、南北三十里、長官として沙苑監を置く。天宝十三載安禄山を以て監事を総べさせた。



君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
左輔 漢の時、京兆尹(けいちょういん)・左馮翊(さふうよく)・右扶風(長安及びその附近の行政区域)を三輔と称した。同州は馮翊郡に属していたので左輔という、左は東方を意味する。○白沙 東方沙苑の白い抄をいう。○如白水 沙色の白いことが水の白いがごとくである。○周牆 ぐるりの土塀。



龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
竜媒、渥洼 「漢書」武帝紀によれば、武帝の元鼎四年(礼楽志には元狩三年)に馬が渥洼水中に生じたので天馬の歌を作った。又太初四年にも作る。渥洼は川の名、沙州(今の敦煌)の境にあり、竜媒は天馬をいう。「天馬歌」に「天馬徠タル、竜ノ媒」とみえる○ 漢の元狩・元鼎の時代をさす。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。○献於此 此とはこの沙苑の牧場をさす。

 

苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
苑中 苑は沙苑。○騋牝 騋馬及び牝馬、騋とは馬の身長七尺なるものをいう。○豊草 しげった牧草。○寒不死 秋冬の気候のさむいときにも枯死せぬ。



食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』
食之 之は草をさす、苑中の馬がしげった草をたべる。○豪健 馬のつよいこと。○西域 大宛の如き西方の国。○攻駒 あらいこまを攻めつけて乗りならすこと。「周礼」の夏官廃人職に見える。○ 第一であることをいう。○辺都 かたいなかの地方、牧場は処々にあるのでかくいう。



****************************************
(本文)
王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
逸群絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』


(下し文)
王虎臣有りて苑門を司る、門に入れば天厩に皆雲のごとく屯る。
驌驦(しょくそう)の一骨独り御に当る、春秋二時至尊に帰す。
内外馬数将に億に盈(み)たんとす、伏櫪在垌(ざいけい)空しく大に存す。
逸羣絶足信(まこと)に殊傑(しゅけつ)、倜儻(てきとう)權奇(けんき)具(つぶさに)に論じ難し』


(現代語訳)
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』



王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
 天子。○虎臣 勇武な臣。○天厩 天子のおうまや。○雲屯 雲のごとくあつまる、多いことをいう。



驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
驌驦 驌驦は雁、馬の首すじがこれに似ているので名づけるという。〇一骨 一匹の駿馬をいう。○當禦 御は天子のお用いになることをいう、当るとはかなうことをいう。○帰 おとどけすること。○至尊 天子の方。



至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
至尊 天子。○内外 京師の内外をいう。○盈億 億の数にみちる。○伏櫪 櫪はうまやのふみ板。魏の曹操の詩に「老僕伏櫪」とみえる。櫪に伏すとは老馬をいう。○在垌 邑外を郊、郊外を野、野外を林、林外を垌という。垌は国都をはなれたはるかの野外をいう。「詩経」の「帥」の詩に「開閉タル牡馬、垌ノ野二在り」とある。在垌の二字はこれにもとづく。ここは野外にいる馬をいう。○空大存 空はいたずらにの意、大存とは多数が存在すること、数のみ多くして駿骨の乏しいことをいう。
 


逸羣絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』
逸羣 衆群よりぬけでたもの。○絶足 とびぬけてはやく走れる足を有する馬。○殊傑 特別にすぐれたもの。○倜儻(てきとう)、權奇(けんき) 漢の「太一天馬の歌」に「志ハ俶戃、精ハ権奇」の句があり、詩語はこれに基づく。倜儻は俶戃’(しゅくとう)に同じく、卓異の貌、権奇は奇譎(きけつ)非常の意、竝に馬の神気の非凡卓絶したさまをいう。「速筆」以下は苑中の馬についていう。○具論 一々くわしくとく。



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(本文)
累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』

(下し文)
累累として岱阜(たいふ)に奔突(ほんとつ)を蔵し、往往坡陀(はだ)に超越を縦(ほしいまま)にす。
壮を角しては翻騰(はんとう) 糜鹿(びろく)と遊び、深きに浮びては簸蕩(はとう)す黿鼉の窟。』


(現代語訳)
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』



累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
累累 多くつながるさま。○岱阜 阜も岱も岡地をいう。〇 かくす、たくわえておく。○奔突 馬のつきすすんではしること。○披陀 地形のなだらかに起伏しているさま。○縦 はなつ。○超越 馬の物を躍り越えること。



角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』
角壮 角とは比べあうこと、「壮を角す」とはどちらが壮勇なるかの競争をすること。○翻騰 はねあがる。○糜鹿遊 糜鹿とともにあそぶ。○浮深 深は深い水をいう。○簸蕩あおり、うごかす。○黿鼉 おおがめ。○窟 いわや、あな。



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(本文)
泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』


(下し文)
泉に巨魚を出だす長人(たけひと)に比す、丹砂を尾と作し黄金を鱗(うろこ)とす。
豈 知らんや物を異にするも精気を同じくす、未だ竜を成さずと雖も亦た神有り。』


(現代語訳)
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』



泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
 淵に同じ、唐の高祖の諒を避けて唐代詩人は淵を泉と書く。○巨魚 大魚。○長 みのたけ。○此人 人にちかし。○丹砂 朱色であることをいう。○黄金鱗 黄金を鱗と作すの意、黄色のうろこ。



豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』
なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』
異物 馬と魚と同物でないことをいう。○同精気 精気はその物を成す所の根本である元気をいう、この元気においては馬も魚も同様である。○有神 不可思議霊妙のカがある。




(解説)

  この詩は士官活動の中での詩である。軍とのつながりの多い馬につて題材にした詩が多い。この年(754)、杜甫は哥舒翰に詩を献上していて、幕府内の事務職など期待して待機していた。馬を詠う詩に神がかり的な大魚を持ち出したのか、議論のところといわれているが、軍馬というもの、逸羣、絕足、殊傑、倜儻、權奇、奔突,超越、勇壮、競争とその馬の持っているポテンシャルが優れていることと別に重要なのは、精神力、精気なのである。臆病な性格、気負い、はしゃぐなどいけないのである。人馬が敵中、山中、霧の中、砂漠、諸処の条件下でその能力を発揮する力は何よりも重要な項目である。それを杜甫は別の動物、大魚と「精気」で表現したのである。杜甫は、馬の性格を見ることが大切だ。自分自身にも「一定程度の見る目をもっています」といっているのである。

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贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 90 

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 
居舎人にして献納使である田澄に贈った詩。作時は天宝十三載冬「封西岳賦」を献ずる以前であろう。

贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



(贈獻納使起居田舍人澄 注釈と解説)
(本文)
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

(献納使・起居田舎人澄に贈る)

献納司は存す雨露の辺、地清切を分ちて才賢に任す。

舎人過食封事を収め、官女函を開きて禦筵に捧ぐ。

暁漏 迫趨す 青瑣の闥。晴窓点検す白雲の篇。

揚雄更に河東の賦有り、唯だ待つ吹嘘送りて天に上すを。


(現代訳)
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使 官名、唐に延恩匭という投書函の設けがあり、一般人の上書、詩賦文章等をうけつけた。則武天の垂拱中よりこれを置き、諌議大夫・補闕・拾遺一人を以て匭に関することを掌らせた。天宝九載にその官名を献納使と為した。○起居田舎人澄 「起居舎人田澄」ということをかくわけて書きなしたもの。起居舎人は天子の左右にあり、天子の起居注(日記)、政事に関する臣下の議論などを筆記する。田澄は姓名、澄は起居舎人にして献納使を兼ねていたとみられる。


獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
○献納司 献納使の職司をいう。○雨露辺 雨露とは天子の恩沢をいう。その恩沢の露のかかるにちかきあたりを雨露辺という。献納の司は外部にあるが舎人がこれをかねているので舎人の地位より雨露という。○地分清切 清切とは清要切近の意。職務が繁雑でなくて高く天子の側近にあることをいう。清切とは雨露の語をうけ、舎人の地位についていう。天子に直接口上できること。〇才賢 才は起居舎人、賢は献納使,両職を兼ねることを指す。田澄のこと。



舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
退食 「詩経」に「過食公ヨリス」の語があり、公庁より退いて食をとることをいう。ここは必しも食事することをいうのではなく、公務を終えて退庁することをいう。ほかの官を退席させて後という意。○収封事 封事とは他人にみられぬように封じてある上書、収めるとほとりかたづけること。ここは献納伐としてのしごとをなすことをいう。○宮女 宮中につかえる女官をいう。○開函 函ははこ、即ち匪(投書びつ)の函をいう。○禦筵 天子の御座。



曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
暁漏 漏は水時計。暁漏とは朝の出仕の時刻をいう。夜明けのこと。○迫趨 ひとといっし上にこぼしりしてでむく。○青瑣闥 闥は小門、青瑣とはくさりをつらねたような離刻に青い絵具をぬったものをいう。○晴窓 天気のよいおりのまど。○点検 点をつけてしらべる、その天子のお手もとへ出す価値があるか香かをしらべること。○白雲篇 一般人が、白雲の夢をもって奉られた詩篇。短冊篇が重ねられると白雲のように見えた。



揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。
河東賦 漢の揚雄の作。杜甫はすでに三賦を献じ、天宝十三載更に「封西岳賦」を奏した。これはその作があって田澄によってこれを献じようとすることしめす。○吹嘘 吹も嘘もいきをふきかけること。○送上天 送って天へのぼす、天子に達せしめることをいう。


楊雄(ようゆう) B53~A18  蜀郡成都の出身。字は子雲。40余歳で上京して大司馬王音に文才を認められ、成帝に招されて黄門侍郎とされた。司馬相如の賦を尊崇して自身も名手と謳われたが、やがて文学を捨てて修学して多くの著作を行ない、『楊子法言』は『論語』に、『太玄経』は『易経』に倣って作られた。好学博識だが吃音で論・議を好まず、言説に対する批判には著述で応じた。王莽の簒奪後、門弟が符命の禁を破ったために自殺を図って果たせず、不問とされて大夫に直された。

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 89

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 89
太常卿張洎に送った詩である。製作時は天宝十三載。



 

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻
方丈三韓外,崑崙萬國西。
方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
建標天地闊,詣絶古今迷。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
氣得神仙迥,恩承雨露低。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
相門清議眾,儒術大名齊。』
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』

軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
友於皆挺拔,公望各端倪。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
弼諧方一展,班序更何躋。』

それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』


適越空顛躓,游梁竟慘淒。
自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
謬知終畫虎,微分是醯雞。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
碧海真難涉,青雲不可梯。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』

いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』


奉贈太常張卿洎(キ)二十韻
方丈三韓外,崑崙萬國西。建標天地闊,詣絶古今迷。
氣得神仙迥,恩承雨露低。相門清議眾,儒術大名齊。』
軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。友於皆挺拔,公望各端倪。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。弼諧方一展,班序更何躋。』
適越空顛躓,游梁竟慘淒。謬知終畫虎,微分是醯雞。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
碧海真難涉,青雲不可梯。顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』


方丈三韓の外 崑崙萬國の西
標を建つ天地の迥なるに 詣ること絶えて古今迷う
気は神仙の過なるを得 恩は雨露の低れたるを承く
相門精議眾く  儒術大名斉し』


軒冕天闕になる 琳瑯に介珪を識る
伶官詩必ず詞す 夔楽典猶お稽う
健筆鸚鵡を凌ぎ 銛鋒鷿鵜に瑩たり
友子皆な挺抜  公望各々端倪倪あり
通籍青瑣を逾え 亨衢紫泥に照らさる
霊虬夕箭を伝え 帰馬霜蹄散す
能事重訳に聞え 嘉謀遠黎に及ぶ
弼譜方に一たび展ぶ 班序更に何くにか躋らん』


越に適くも空しく顛躓す 梁に遊ぶも竟に慘淒なり
謬知終に画虎 微分是れ醯雞
萍泛休する日無く 桃陰旧蹊を想う
吹嘘人の羨む所 騰躍事仍お睽く
碧海兵に捗り難く 青雲梯す可からず
顧深くして鍛錬を慙ず 才小にして提携を辱うす
檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む
幾時か羽猟に陪せん 応に項を釣るの渓を指すなるべし。』




奉贈太常張卿洎二十韻  訳註と解説
太常張卿娼太常卿の官である張洎をいう、太常の張洎卿という意である。前に八三頁に「贈翰林張四學士 杜甫36」詩がある。張洎は張説の子で、天宝十三載に出されて磻渓司馬とされたが、年内に召還され太常卿に遷された。詩は彼に贈ったものである。


方丈三韓外,崑崙萬國西。建標天地闊,詣絶古今迷。
氣得神仙迥,恩承雨露低。相門清議眾,儒術大名齊。』
方丈三韓の外 崑崙萬國の西
標を建つ天地の迥なるに 詣ること絶えて古今迷う
気は神仙の過なるを得 恩は雨露の低れたるを承く
相門精議眾く  儒術大名斉し』

方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』


方丈三韓外,崑崙萬國西。
方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
○方丈 秦時の道教方士が東海中にあると考えた三神山の一、ほかに蓬莱山、瀛州山。〇三韓 馬韓・辰韓・弁韓の三韓、今の朝鮮。○崑崙 山の名、西王母の女仙人が住むと考えられた処。


建標天地闊,詣絶古今迷。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
○建標 めじるしをたてる。これは山のそばだっていることをいう、方丈と崑崙とをあわせていう。○詣絶 詣ることたゆるととく。○古今迷 古人今人ともに迷う。方丈以下の四句は次の神仙の句を言わんがための序である。


氣得神仙迥,恩承雨露低。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
○気 気象、意気。○神仙 通過は凡俗と遠く超越しておることをいう。この神仙というのは張洎が玄宗の女寧親公主の婿であるのによってかくいった、天子の女は仙女であり、その仙女の婿であるから神仙の気を得たものとみるのである。○恩 天子の恩寵。○雨露低 雨露は即ち恩沢、低とはこちらへむけてくだされることをいう。婿であるから恩寵も従ってあつい。


相門清議眾,儒術大名齊。』
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』
○相門宰相の家門。頭の父張説は玄宗の宰相である。○精義衆清議とは正人君子の議論をいう、衆とは多くこの相門にあつまることをいう。○儒術 借のみちをいう。○大名斉世間の議に於て説、洎父子の大名が同等であるという意。



軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。友於皆挺拔,公望各端倪。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。弼諧方一展,班序更何躋。』

軒冕天闕になる 琳瑯に介珪を識る
伶官詩必ず詞す 夔楽典猶お稽う
健筆鸚鵡を凌ぎ 銛鋒鷿鵜に瑩たり
友子皆な挺抜  公望各々端倪倪あり
通籍青瑣を逾え 亨衢紫泥に照らさる
霊虬夕箭を伝え 帰馬霜蹄散す
能事重訳に聞え 嘉謀遠黎に及ぶ
弼譜方に一たび展ぶ 班序更に何くにか躋らん』

 
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』


軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
○軒冕 (けんべん)馬車とかんむり、高官の用いるもの。○天闕 宮廷の門。○琳瑯 (りんろう)美玉。○識 しりわける。認識する。○介圭 長さ一尺二寸の大きな圭玉、珪の尖端は将棋のこまの状をなしている。これは頭をたとえていう。張洎の美質をしっていたので彼を太常卿に任ずるとの意。



伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
○伶官 音楽を掌る役人。○夔楽 夔は舜の臣で、舜は夔に命じて音楽を掌らせたことが「書経」にみえる。○典 つかさどること。「書経」舜典に「夔、汝二命ジ楽ヲ典ラシム、冑子ヲ教エヨ」とある。○稽とは古の経典をかんがえることをいう。張洎を太常卿に任ずるについて慎重にしたことをいう。



健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
○健筆 たっしヤな文筆、洎の文才をいう。○淩鸚鵡 魏の禰衛は「鸚鵡賦」を即座に作り一字を改めなかったという。凌とはそれを凌駕することをいう。○銛鋒 するどい切尖き、これは詞銛を剣鉾を以てたとえていう。○瑩 光潔なさま。○鷿鵜 鳧(かも)のたぐい、そのあぶらは刀剣をみがくのに適している、ここはあぶらの義に用いる。鳥をいうのではない。



友於皆挺拔,公望各端倪。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
○友 子兄弟のこと。「書経」に「孝乎推孝、友二子兄弟」とあり、友子の二字を切りとって兄弟の義に用いる。洎の兄均も刑部尚書となった。○挺抜 なかまからずっとぬきんでる。○公望 三公の位であってもおかしくないという世間の声がある。○端倪 端は緒、倪は畔のことと注する。いとぐち、境目という意。世評がとりとめないことではなく当然のことであることをいう。



通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
○通籍 籍とは二尺の竹ふだ、それに本人の年齢・名字・容貌・風体などかきつけ宮門に掛けておき、本人が宮廷に入ろうとするときは札と照らしあわせて中に入ることを許された。この札を官署へさしだして置くことによって通籍という。○逾青瑣 青瑣は門の戸に青色のくさりがたの模様を染めてあるため名づけられた。青瑣門は多く黄門侍邸のことに用いるが、ここは洎が翰林学士として制誥を掌ったときのことをいう。○亨衢 通達の跡の義で宮内のみちをさす。○照紫泥 天子の制誥はこれを封ずるのに紫色の泥を用いてそのうえに印を捺す、学士は制誥の起草を掌るゆえ紫泥をも使用する。その紫泥の色が宮路をてらすというのである。



靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
○霊虬 霊威あるみずち、これは漏刻の体をいう。○夕箭箭は漏刻の刻を示すもので、今の時計の針のようなもの。夕方を報ずる箭が夕箭である。○帰馬 家へとかえるうま。○散霜蹄 霜蹄は霜をふむひづめ、此の句より上四句は翰林学士時代をいぅ。
 


能事聞重譯,嘉謨及遠黎。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
○能事 文筆の材能をいう。○聞重譯 重譯は言葉の通訳を幾度も量ねる遠方の国をいう、これ及び次句は虞渓司馬となったことをいう。○嘉諜 よいはかりごと、遠地を治めるについてのはかりごとである。○速黎 遠方の人民。


弼諧方一展,班序更何躋。』
それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』
○弼譜 人君たるものが古人の徳をふみ行い、自己の聡明を謀り広くして、自己の政事を輔け整えることとする。即ち、弼諧を 「政事を輔弼和諧すること」ととく、これは人君の事に属する。〇万一展 展とは志をのべることをいう。天子をして弼譜をなさしめることを得ることをいう。○班序 班爵之序をいう、位をわける順序次第、官位の階級。○更何躋 何は何処にかの意。官位がすでに高いのでそれ以外にのぼるべき場所がないという意、実際にはそうではないが高いことを誇張していったもの。
 


適越空顛躓,游梁竟慘淒。謬知終畫虎,微分是醯雞。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
碧海真難涉,青雲不可梯。顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』

越に適くも空しく顛躓す 梁に遊ぶも竟に慘淒なり
謬知終に画虎 微分是れ醯雞
萍泛休する日無く 桃陰旧蹊を想う
吹嘘人の羨む所 騰躍事仍お睽く
碧海兵に捗り難く 青雲梯す可からず
顧深くして鍛錬を慙ず 才小にして提携を辱うす
檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む
幾時か羽猟に陪せん 応に項を釣るの渓を指すなるべし。』


自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』


適越空顛躓,游梁竟慘淒。
自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
○適越、杜甫が壮年時代に越(今の浙江地方)にも梁(河南地方)にも遊歴した。又司馬相如は病身のために官をやめ梁に客遊した。○顛躓 ひっくりかえる、つまずく。○顛躓 ものがなし。
 


謬知終畫虎,微分是醯雞。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
○謬知 知は洎が自己を知ってくれたこと、謬とは謙遜の辞。それほどの材器ではないのに先方が材器だとして知ってくれたのは謬って知ってくれたのだという意。○画虎 後漢の馬援の語に「虎ヲ画イテ成ラズンバ反ッテ狗二顆ス」という、自己が狗の如く真の虎となり得ないことをいう。○微分 分は本分、分限などの分。徴は細小をいう、謙蓮の辞。○醯雞(けいけい) うんかという虫の類、「荘子」に孔子が顔回に向かって自己の道は醯雞のごときか、といったとの話があるが、この虫は嚢の中にわき、要の外のひろい世界を知らぬものである。孔子の道の小さいことをいう。



萍泛無休日,桃陰想舊蹊。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
○萍泛 うきくさの如く水にうかぶ、漂泊生活をたとえていう。○桃陰 桃の木のかげ、これは武陵桃源の故事を用いてしかも故郷の事に用いている。○旧蹊 むかしながらの小みち。

 

吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
○吹嘘 いきをふきかける、自己を後援してくれること。此の語によれば張洎は作者の人材であることを知って、従来彼を推薦しくれたものであることを知っていたことをいう。○騰躍 馬のおどる如く高くおどりあがる、地位の急進することをいう。○睽 意に思ったこととは反対の結果となることをいう。



碧海真難涉,青雲不可梯。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
○碧海 碧色の水をたたえたうみ、これは海中に逃れ去るという意である。海中に仙人の里があるといわれていた。○青雲 青大空の中の高い雲。○梯 はしごをかけてのぼる、これは仙人となって上天することをいう。



顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
 張洎の自己に対して目をかけてくれることをいう。○慙 鍛錬の足らないのをほじること。○鍛錬 刀をきたえる、自己の才力を発達させること。○ 先方をはずかしめる。謙遜の辞。○提攜 洎が杜甫と手をひきあうこと。



檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
檻束 檻はてすり、束は束縛。○枝驚 木の枝上にて驚くこと。○ かささぎ。



幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』
いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』
(天子をして磻渓を指ささしめるのには張洎の力を要するのである。此の末段は主として自己を叙している。)
幾時 何時に同じ。○陪羽猟 漢末の揚雄の故事、雄は成帝の羽猟に陪従して、「羽猟賦」をつくる。○応指 応(まさに云々するなるべし)は推測の辞であり、指はゆびざす。○釣璜渓 太公望の璜渓をいう。周の文王が璜渓(太公望の釣りを垂れた処)に至って太公望を見たとき、望は文王に答えて「望、釣シテ玉璜ヲ得、刻二日ク、姫命ヲ受ケ、呂検ヲ佐ク」といった。璜は佩び玉、釣璜渓とは璜を釣りし得た渓、即ち璜渓をいう、此の句は自己を太公望として、自己の釣りを垂れる処に之を求めて薦めよとの意を寓している。即ち洎の推薦を求めているのである。○磻渓 張洎の前の役職。

夏日李公見訪   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 83

夏日李公見訪   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 83(就職活動中 杜曲の家)


 長安城外に林、畑が広がる。古くから、桑畑がひろがる一体である。声をかければ聞こえる程度の広がりを持った杜曲に家を借りていた。この家から出かけて、何将軍山林で遊び、渼陂の水面に舟遊びし、丈八溝携妓納涼の晩際に雨に遇う、鄭駙馬につきそって韋曲で遊んだのも754年天宝13載 43歳の夏のことだ。
長安・杜曲韋曲

 同じ夏のある日、皇太子の家令李炎が杜曲の家を訪ねてきたのだ。公子は遠き林のなかからやって来た。


夏日李公見訪  
遠林暑気薄、公子過我遊。
ここの場所は城外遠くに位置していて木立、林は いくらか涼しさをよんでいる、李公はわが家に少しの退屈しのぎに立ち寄ってこられた。
貧居類村塢、僻近城南楼。
貧しいかりの家で、土手のかこまれたような村落であり、辺鄙な所だが 城郭の南門の楼閣に、ほど近い所ではある。
傍舎頗淳樸、所須亦易求。
辺鄙なところだけに近所の人は淳樸で,必要なものも手に入りやすい
隔屋喚西家、借問有酒不。
一軒先の西寄りの家に声をかけ、酒はあるかと  問いかける?
墻頭過濁醪、展席俯長流。
垣根越しに濁り酒が手渡され借りることができた、筵を広げて川縁に寝ころんでちょっとした宴席とした。
清風左右至、客意已驚秋。
清らかな風が酒を酌み交わすのに合わせて 左に右に吹いてくる、川辺の風に旅人気分でいてもう秋が来たかと驚いた。
巣多衆鳥闘、葉密鳴蝉稠。
そればかりでなく鳥の巣が多いのだろう、林の鳥が集まって争いをしているようだ、葉が茂っているから  蝉までがさかんに鳴きつづけている。
苦遭此物聒、孰謂吾廬幽。
その愚かなほどのやかましさに遭遇したことには困ってしまうのだが、たれが我が廬(いおり)が静かでいいといえるものではないのだ!?
水花晩色静、庶足充淹留。
蓮の花が夕暮れ色に染まって清らかに咲いている、この眺めだけで十分ここに留まるだけの値打ちはある
預恐樽中尽、更起為君謀。
それにしても気になるのはこの調子で飲み続けると樽の中の残り酒の量だ、席をたって公子のもてなしのため 一工夫めぐらし、詩でも歌うとするか。



ここの場所は城外遠くに位置していて木立、林は いくらか涼しさをよんでいる、李公はわが家に少しの退屈しのぎに立ち寄ってこられた。
貧しいかりの家で、土手のかこまれたような村落であり、辺鄙な所だが 城郭の南門の楼閣に、ほど近い所ではある。
辺鄙なところだけに近所の人は淳樸で,必要なものも手に入りやすい
一軒先の西寄りの家に声をかけ、酒はあるかと  問いかける?
垣根越しに濁り酒が手渡され借りることができた、筵を広げて川縁に寝ころんでちょっとした宴席とした。
清らかな風が酒を酌み交わすのに合わせて 左に右に吹いてくる、川辺の風に旅人気分でいてもう秋が来たかと驚いた。
そればかりでなく鳥の巣が多いのだろう、林の鳥が集まって争いをしているようだ、葉が茂っているから  蝉までがさかんに鳴きつづけている。
その愚かなほどのやかましさに遭遇したことには困ってしまうのだが、たれが我が廬(いおり)が静かでいいといえるものではないのだ!?
蓮の花が夕暮れ色に染まって清らかに咲いている、この眺めだけで十分ここに留まるだけの値打ちはある
それにしても気になるのはこの調子で飲み続けると樽の中の残り酒の量だ、席をたって公子のもてなしのため 一工夫めぐらし、詩でも歌うとするか。



夏日 李公に訪わる
遠き林に  暑気は薄れ、公子  我に過(よぎ)りて遊ぶ。貧居 は村塢(そんお)に類(に)て、僻(かたよ)りて城南の楼に近し。
傍かたえ舎(いえ)は頗(すこぶ)る淳樸(じゅんぼく)にして、須(もとむ)る所も亦た求め易(やす)し。
屋(むね)を隔てて西の家を喚(よ)び、借問(しゃもん)す  酒有りや不(いな)やと。
墻頭(しょうとう)より濁醪(だくろう)を過(すご)し、席(むしろ)を展(の)べて長流(ちょうりゅう)に俯(ふ)す。
清風  左右より至り、客の意  已(すで)に秋かと驚く。
巣の多くして衆鳥(しゅうちょう)闘い、葉の密にして鳴く蝉の稠(おお)し。
此の物の聒(かまびす)しきに遭(あ)うに苦しみ、孰(たれか)  吾が廬(いおり)幽(ゆう)なりと謂う。
水の花に晩の色は静かなり、庶(ねがわ)くは淹留(くつろぎ)て充(あ)つるに足らん。
預(あらかじ)め  樽の中の尽くるを恐(おもんばかり)、更に起(た)ちて君が為に謀(はか)る。


遠林暑氣薄,公子過我游。
ここの場所は城外遠くに位置していて木立、林は いくらか涼しさをよんでいる、李公はわが家に少しの退屈しのぎに立ち寄ってこられた。

居類村塢,僻近城南摟。
貧しいかりの家で、土手のかこまれたようなそんらくであり、辺鄙な所だが 城郭の南門の楼閣にほど近い所ではある。
○村塢 村落。堤、土手のかこまれたような場所。

傍舍多淳樸,所須亦易求。
辺鄙なところだけに近所の人は淳樸で、必要なものも手に入りやすい



隔屋喚西家,借問有酒不?
一軒先の西寄りの家に声をかけ、酒はあるかと  問いかける?

牆頭過濁醪,展席俯長流。
垣根越しに濁り酒が手渡され借りることができた、筵を広げて川縁に寝ころんでちょっとした宴席とした。

清風左右至,客意已驚秋。
清らかな風が酒を酌み交わすのに合わせて 左に右に吹いてくる、川辺の風に旅人気分でいてもう秋が来たかと驚いた。

巢多眾鳥鬥,葉密鳴蟬稠。
そればかりでなく鳥の巣が多いのだろう、林の鳥が集まって争いをしているようだ、葉が茂っているから  蝉までがさかんに鳴きつづけている。

苦遭此物聒,孰謂吾廬幽?
その愚かなほどのやかましさに遭遇したことには困ってしまうのだが、たれが我が廬(いおり)が静かでいいといえるものではないのだ!?

水花晚色淨,庶足充淹留。
蓮の花が夕暮れ色に染まって清らかに咲いている、この眺めだけで十分ここに留まるだけの値打ちはある

預恐尊中盡,更起為君謀。
それにしても気になるのはこの調子で飲み続けると樽の中の残り酒の量だ、席をたって公子のもてなしのため 一工夫めぐらし、詩でも歌うとするか。
 


 新しい杜曲の家を皇太子の家令李炎が訪ねてくる。 詩中、杜曲を「貧居 村塢に類し」と言っている。塢(お)というのは山野の窪地であり、丈八溝携妓納涼の晩際に雨に遇う、鄭駙馬につきそって韋曲で遊んだ詩にも登場してきた表現である。南に終南山があり、その裾野から長安城まで、こやまと湿地のような状態が続いていて、堤あり、河原あり、畑有ということなのだろう。

 近所の家から濁り酒を借ることができたので、川岸に筵を広げて案内したのだ。「巣多くして衆鳥闘い」、「孰か謂う 吾が廬幽なりと」などと家は子供が多くて騒がしいと言い、李公は大切な客ではあってもあばら家で腰を掛けることもできはしないのだ。 
 川辺には清らかな風が吹いていて、初秋のような涼しさ、日暮れになって「水花」(蓮の花)が静かに咲くと、逗留していただく値打ちはあると謂いながら、気になるのは樽の中の酒が残り少なくなってしまった。
 杜甫の長安での詩にはどこか先行き不安と自己へのもどかしさを覗わせるものが多い。その中でユーモアをもって客に接する誠実なものである。

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投贈哥舒開府翰二十韻  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82

投贈哥舒開府翰二十韻  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82
開府儀同三司・河西節度使哥舒翰に贈った詩。作時は754年天宝13載43歳。


投贈哥舒開府翰二十韻
今代麒麟閣,何人第一功。君王自神武,駕馭必英雄。』
開府當朝傑,論兵邁古風。先鋒百勝在,略地兩隅空。
青海無傳箭,天山早掛弓。廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
每惜河湟棄,新兼節製通。智謀垂睿想,出入冠諸公。
日月低秦樹,乾坤繞漢宮。胡人愁逐北,宛馬又從東。』
受命邊沙遠,歸來禦席同。軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
茅土加名數,山河誓始終。策行遺戰伐,契合動昭融。
勛業青冥上,交親氣概中。』
未為珠履客,巳見白頭翁。壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
幾年春草歇,今日暮途窮。軍事留孫楚,行間識呂蒙。
防身一長劍,將欲倚崆峒。』


投贈哥舒開府翰二十韻
今代麒麟閣,何人第一功。君王自神武,駕馭必英雄。』
今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』


(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府當朝傑,論兵邁古風。先鋒百勝在,略地兩隅空。
青海無傳箭,天山早掛弓。廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』


(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
每惜河湟棄,新兼節製通。智謀垂睿想,出入冠諸公。
日月低秦樹,乾坤繞漢宮。胡人愁逐北,宛馬又從東。』
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』


(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。)
受命邊沙遠,歸來禦席同。軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
茅土加名數,山河誓始終。策行遺戰伐,契合動昭融。
勛業青冥上,交親氣概中。』
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』


(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未為珠履客,巳見白頭翁。壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
幾年春草歇,今日暮途窮。軍事留孫楚,行間識呂蒙。
防身一長劍,將欲倚崆峒。』

自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。


○韻  功、雄。』/風、空、弓、戎。』/通、公、宮、東。』
           /同、熊、終、融、中。』/翁、蓬、窮、蒙、峒。』




今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』

(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』

(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』

(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』

(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。



(哥舒翰開府翰に投贈す二十韻)
今代麒麟閣 何人か第一の功なる
君王自ら神武 駕駁必ず英雄なり』


(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府は朝に当るの傑 兵を論ずる古に遇ぐる風あり
先鋒百戦在り 略地両隅空し
青海箭を伝うること無く 天山早く弓を挫く
廉頗偽りて敵を走らす 魂経己に戎に和す』


(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
毎に悼む河塩の棄てらるるを 新に兼ねて節制通ず
智謀着想を垂る 出入諸公に冠たり
日月秦樹に低れ 乾坤漢宮を繞る
胡人逐北を愁う 宛馬又た東に従う』


(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
命を辺抄の速さに受く 帰り来って御席同じ
軒軽骨ねて鶴を寵す 故猟旧と非熊
茅土名数を加う 山河始終を誓う
策行われて戦伐を過す 契り合して昭融を動かす
勲業青冥の上 交親気概の中』


(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未だ珠履の客と為らざるに 己に見る白頭の翁なるを
壮節初め柱に題す 生涯独り転蓬
幾年か春草飲む  今日暮途窮す
軍事孫楚を留め  行間呂蒙を識る
防身の一長剣 崆峒に倚らんと将欲す』




(哥舒翰開府翰に投贈す二十韻
投贈此の詩篇を投じ贈る。○哥舒翰 開府哥舒は姓、名は翰。突騎施の首領、哥舒部落の出身であることから哥舒を姓とする。747、749年天宝六、八載吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。752年天宝十一載に開府儀同三司を加えられ、754年同十三載には河西節度使を加えられ西平郡王に封ぜられた。翰は753年十二載の冬に入朝した。


今代麒麟閣,何人第一功。
今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
今代 唐をさす。○麟麟閣 漢の武帝は麟を獲て麟麟閣を作りそこに功臣を画いた。宣帝の甘露三年にも大将軍電光等十二人を画いた。



君王自神武,駕馭必英雄。』
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』
君王玄宗をさす。○神武「易」にみえる。人力以上の武徳あること。○駕馭 駕は馬を車につけること、馭は馬をあやつること、人物を馬に此していう。○英雄人傑をいう。



(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府當朝傑,論兵邁古風。
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
開府 哥舒翰をさす。○当朝傑 朝廷に於ての豪傑。
論兵 兵謀のことを議論する。○遇古風 遇は過ぎる、こえることをいう。風とはすがたをいう。



先鋒百勝在,略地兩隅空。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
先鋒百戦 哥舒翰は初め、河西節度使王健の部下にあり、又王忠嗣の将校となって西辺に武功をたてた。○略地 略は取ること。〇両隅 二万の辺地、天山、青海をさす。○ むかう敵がない。



青海無傳箭,天山早掛弓。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
青海 今の青海省の地方。○無伝箭 兵を起こすときは箭(命令のしるし)を信号としてつぎつぎと命令を伝える。箭を伝うるなしとは兵をやめることをいう。哥舒翰は天宝六載に王忠嗣に代って陳右節度使となり青海のほとりに神威軍を築いて吐蕃を破った。又青海の中の竜駒島に城を築いたので吐蕃は後退した。○天山 祁連山とも白山ともいう山、唐の交河県(今の吐魯蕃地万)の北一百二十里にある。翰が吐蕃の石堡城を攻めたとき、麾下の将高秀微、張守喩をして進攻せしめ旬日ならずしてこれを破った。○掛弓 弓をかけておくこと。戦のないために弓を用いないこと。



廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』
廉頗 戦国時の趙の良将。○魏絳 春秋の時の晋の悼公の臣。絳は公に説くに戎と和するのには五利のあることを以てし、遂に戎と和した。


 
(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
每惜河湟棄,新兼節製通。
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
毎惜 作者の心にてつねにこれを惜しむこと。○河渡 河は黄河、湟は塩水。塩水は青海の東の乱山中より出て東南流して蘭州の西南に至って黄河に入る。今は甘粛省の西寧府城北を東南流して黄河に入る。此の地方は常に唐と吐蕃との争奪の目的となった処である。○ 蕃人の手にすてることをいう。○新兼節制 天宝十二載に翰は封を涼国公に進められ、河西節度使を加えられ、吐蕃の洪済・大漠門等の城を破り、悉く九曲の地を収め、其の地に挑陽郡を置き、神策・宛秀の二軍を築いた。節制を兼ねるとはこれをさす。○ 節制のゆきわたることをいう。



智謀垂睿想,出入冠諸公。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
智謀翰の智謀。○垂睿想 睿想とは天子の恩おもいをいう。垂るとは想いをかけられることを敬っていう。○出入 翰が朝廷に出入することをいう。○冠諸公 冠とは首位におることをいう、諸公とは文武の顕官をさす。



日月低秦樹,乾坤繞漢宮。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
日月低秦樹秦樹とは関中の樹木、帝畿の樹木をいう。日月の光がこの樹木に向かって上から下へと照らしかけるというのは帝業のかがやくこころをこめていう。○乾坤続漢宮 漢宮とは唐の宮殿をいう、乾坤は天地のこと。天地が唐の宮殿をめぐるとは、この地球上の広がりがことごとく唐のものとなったさまをいう。此の二句は実に壮大な句ということができる。



胡人愁逐北,宛馬又從東。』
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』
胡人 えびす、異民族、吐蕃をさす。○逐北 北するを逐うとは唐の軍が南方より勝ちに乗じて逐いまくることをいう。○宛馬又従東 漢の武帝の時大宛国を伐って天馬を得、天馬の歌を作った。その歌に「天馬来タル、無事ヲ歴、千里ヲ経、東通二循ウ」とある。従東とは「東通二循り」の意であり、西方の地より東方なる中国本土の方へと道に添うてやってくることをいう。ここでは吐蕃等の西戎が唐へ降ったので、その馬が唐へくることをいう。




(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
受命邊沙遠,歸來禦席同。
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
受命 天子より入朝すべしとの命令をうけること。○辺沙 遠辺方沙漠の遠い地、河西をさす。○帰来 朝廷に凱旋してかえり来る。○御席 君王天子賜宴の席。



軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
軒墀 のきば、土縁。○層と同じ。○寵鶴「左伝」に衛の殊公は鶴を愛し、鶴に大夫の軒にのるものがあったという。この故事を用いる。○政猟 すなどり、かり。○非熊 これは文王が太公望を得たときの故事である。文王が猟をしようとしてこれを卜したところ、獲る所は「竜二非ズ影二非ズ、虎二非ズ熊二非ズ、乃チ覇王ノ輔ナラン」とあったという、果たして大公を得てかえった。熊を熊として用いている。唐の李翰の「蒙求」に呂望非熊の語があり、「後漢書」雀相伝の李賢注にも「史記」を引いて非熊非熊といっているのからすれば唐代の「史記」は非熊とあったものがあったことを知ることができる。哥舒翰を太公望に此したもの。



茅土加名數,山河誓始終。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
茅土加名数 茅土とは領地を与えることをいう。古代天子が諸侯を封ずるときにはその地方の東西南北如何によって其の方位の色(東は青、酉は白、南は赤、北は墨の土を与えて社(土神を祭る)を立てしめ、その土はこれをしくに白き茅を以てし、葢うに黄土を以てした。白茅はその潔白なる義を取り、黄土は王者は四方を覆うの義を取ったもの。天宝十二載九月に隴右節度使涼国公哥舒翰は封を西平郡王に進められ実封五百戸を食した。名数とは名位度数にして、名位とは官爵をさし、度数は名位に相応した階級数量(五百戸というのは禄数である)をさす。○山河誓始終 漢の高祖が功臣を封ずるとき誓っていう、「黄河ヲシテ帯ノ如ク、泰山ヲシテ礪ノ若クナラシムルモ、国ハ以テ永二存シ、爰(ここ)二苗裔(びょうえい)二及バン」と。黄河が細りて帯のようになり泰山が砕けてといしのようになろうとも、汝の国は永久に存在して子孫まで及ぼしめようというのである、誓始終とは始終変易あるまじと誓うこと。



策行遺戰伐,契合動昭融。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
策行 翰の辺境処置の策謀・戦略が行われる。○遺戰伐 遺とはすておいて用いないことをいう。○契合 君王から一平卒までの統率・統合されていること。○動昭融 「詩経」大雅の既酔第に「昭明融アリ」の語があり、周の成王の道は光大にして甚だ長いことをいうと説いているが、ここは蓋し天子の徳光をいうのであろう。動とは感動せしめることをいう。功績は輝き照らされて感動を与えているとする。
 


勛業青冥上,交親氣概中。』

開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』
勛業 勛は勲に同じ。翰の勲功事業。○青冥 あおぞら。○交親 自己との親交。○気概中 気概は気節をいう。翰は気節があるので、その中に自己との親交をたもつということ。




(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未為珠履客,巳見白頭翁。
自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
珠履客 戦国の時、楚の春申君の食客三千余人、其の上客は皆珠の履を踏んだという、ここは作者が未だ諸侯の幕客にさえなっていないことをいう。



壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
壮節 壮年期の節操。○題柱漢 の司馬相加の故事、相如は蜀の人で故郷を出ようとするとき昇仙橋の柱に題して「駟馬の車に乗らざれば復び此の橋を過らず」といったが後ち果たして其の言の如くなった。○転蓬 蓬の草は秋風に吹かれるままにとんで移転しあるくので漂泊生活にたとえるがその芯にあるものはしっかりあるという、矜持の心を失っていない場合に使う。



幾年春草歇,今日暮途窮。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった
春草歇 これは唐人の慣用であり、出典は「楚辞」の「王孫遊ンデ帰ラズ、春草生イテ著書タリ」の句に本づく。唐人はやります、できます、お願いしますといわないもの。その表現を逆にして訴えるので、日本人的に見ると、自虐的に感じたり、嘆いてばかりに見える訳注などに杜甫は嘆いてばかりいると訳されているが、全く違う。歇は哀歇の義、花芳が衰えてやんでしまうことをいう、春草の芳がやむということは、空しく春をすごしてしかも故郷に帰らぬことをいう強い意志を持っているのである。○暮途 晩年の道途。



軍事留孫楚,行間識呂蒙。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
孫楚 晋の時、石苞の参軍となった人。甚だ倣慢な人で始めて苞の処に至るや、「天子我二命ジテ、卿ノ軍事二参セシム」といったという。○行間 行伍(兵卒の小組)の間をいう。○呂蒙 三国の時の呉の孫権の臣。孫楚・呂蒙は翰の幕府中の英才をさす。厳武・呂謹・高適・帝折・王思礼・郭英父・曲環等の人々を列挙しているといわれる。



防身一長劍,將欲倚崆峒。』
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。
防身 身をふせざまもる。〇倚崆峒 倚の字は上旬の長剣をうけていう。宋玉「大言賦」に「長剣秋秋トシテ、天外二倍ル」とみえる。崆峒は山の名、甘粛省輩昌府眠州治の西二十里にあり、河西の地の名山。


○韻  功、雄。』/風、空、弓、戎。』/通、公、宮、東。』/同、熊、終、融、中。』/翁、蓬、窮、蒙、峒。』

送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 80

送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 80張彪君が蜀州の参軍となって赴任するにつけて楊侍御に呈した詩。此の詩は張を楊に紹介する作である。
754年天宝13載 43歳




送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御
好去張公子、通家別恨添。
名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
两行秦樹直、萬點蜀山尖。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
御史新驄馬、参軍舊紫髯。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
皇華吾善處、于汝定無嫌。

天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。



名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。



(張十二参軍が萄州に赴くを送り、因って楊五侍御に呈す)
好し去れ張公子 通家別恨添う。
両行秦樹直く、 万点蜀山尖る。
御史新に驄馬、 参軍旧紫髯。
皇華には吾善く処せり、 汝に于て定めて嫌い無からん。



送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御
○張十二参軍張は姓、名は彪。杜甫「寄張十二山人彪」がある。参軍は蜀州の参軍事の職をいう。○蜀州今の四川省成都府の西、崇慶州。○楊五侍御場は姓、名は譜であろう。杜甫に「寄楊五桂州」詩がある。侍御は官名、侍御史をいう。場は侍御を以て諸道の使者となっておったものであろう。



好去張公子、通家別恨添。
名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
張公子 漢の成帝の時の童謡に「燕燕尾誕挺云々」とあり、中に「張公子、時二相イ見ル」の語がある。張公子とは張故をいう。成帝は微行することを好み、そのときには自ずから張故の家人だと称したので、後世の詩人が張姓の人をさすのにしばしば張公子の語を用いる。ここはかりて張十二をさす。○通家 先代以来交際ある両家を通家という。張家と杜家とは先代以来の交りがあったものと見える。○別恨添 別離の恨みがくわわる。



两行秦樹直、萬點蜀山尖。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
両行 左右二列、並木をさす。○秦樹直 奏樹とは京畿の道路の並木樹をいう。直とはまっすぐに立っていること。〇万点 山のさきを遠方よりみてほっちりとしているさまを点といいなしたもの、万とは無数に多くあることをいう、尖とは峰頂が鋭くたつことをいう。

御史新驄馬、参軍舊紫髯。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
御史 侍御史をいう、楊五をさす。○新驄馬 驄馬はあおうま。後漢の桓典の故事、桓典は侍御史となり常に驄馬に乗ったので、時人は語って、「行キ行キテ且ツ止ドマル、驄馬ノ御史ヲ避ク」といったところより、驄馬はついに御史の故事となった。其の人が実に驄馬にのると否とにはかかわらぬ。新とは楊五が新にこの官となったことをいう。○旧紫髯 紫髯の参軍は晋の郗超の故事。超が桓温の参軍となったとき、府中は彼を号して贅参軍といった。此の句は張十二をさす。旧とは古の郗超の如くであることをいう。



皇華吾善處、于汝定無嫌。
天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。
皇華 朝廷よりの使者のこと、「詩経」小雅に皇皇者華第がある。草木の華の坦々とかがやくことをいう。其の詩は君たるものの使者を遣るときのあるところより使者を皇華という。侍御史は天子の使者として地方にさしつかわされてあるものとみるのであり、これは楊五をさす。○善処 よしみにする、その人に対してうまく処置してあるというのである。○汝 張をさす。○無嫌 嫌疑なくうちとけることをいう。

贈田九判官梁丘  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 79

贈田九判官梁丘  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 79
河西節度の判官田梁丘に贈った詩。作時は754年天宝13載43歳。。



贈田九判官梁丘
崆峒使節上青霽、河隴降王疑聖朝。
君は崆峒山地方を治める河西の節度使として朝廷へでてこられたが、時は河隴方面の降服した蕃王が我が唐の聖朝を訪うというめでたい時である。
宛馬總肥秦苜蓿、将軍只数漢嫖姚。
大宛国の外馬も秦の内地の草をたべて繁殖されてきたが、これは将軍中の将軍ともいうべき漢の標姚校尉震去病の如き人(哥舒翰)があってのことである。
陳留阮瑀誰争長、京兆田郎早見招。
かの文才を以てしてはだれも之と雄長を争う者もないという陳留の阮瑀に匹敵する高適公も早くも京兆の田郎ともいうべき君のために哥舒翰将軍の幕下へ招きよせられたのである。
麾下頼君才竝美、濁能無意向漁樵。
将軍の麾下は君のおかげでその人才がみなどれも美なるものが集っているのである。どうして今、無冠の漁樵生活をしておる自分に対して向けられていないというのはどうだろう。



君は崆峒山地方を治める河西の節度使として朝廷へでてこられたが、時は河隴方面の降服した蕃王が我が唐の聖朝を訪うというめでたい時である。
大宛国の外馬も秦の内地の草をたべて繁殖されてきたが、これは将軍中の将軍ともいうべき漢の標姚校尉震去病の如き人(哥舒翰)があってのことである。
かの文才を以てしてはだれも之と雄長を争う者もないという陳留の阮瑀に匹敵する高適公も早くも京兆の田郎ともいうべき君のために哥舒翰将軍の幕下へ招きよせられたのである。
将軍の麾下は君のおかげでその人才がみなどれも美なるものが集っているのである。どうして今、無冠の漁樵生活をしておる自分に対して向けられていないというのはどうだろう。



(田九判官梁丘に贈る)
崆峒の使節青零に上る、河隴の降王聖朝を疑く。
宛馬総て肥ゆ秦の苜蓿、将軍只だ数う漢の嫖姚。
陳留の阮璃誰か長を争わん、京兆の田郎早く招かる。
麾下君に頼って才並に美なり、独り能く意の漁樵に向う無からんや。
 


贈田九判官梁丘
○田九判官梁丘 田は姓、梁丘は名、九は従兄弟間の順位の数、判官は官名。天宝十三載に哥舒翰が河西節度使、梁丘はその判官として朝廷へ出むいて来たもの。


 
崆峒使節上青霽、河隴降王疑聖朝。
君は崆峒山地方を治める河西の節度使として朝廷へでてこられたが、時は河隴方面の降服した蕃王が我が唐の聖朝を訪うというめでたい時である。
崆峒使節 崆峒は山の名、甘粛省鞏昌府岷州にあり、隴右節度使の管内にある。其の地の名山をあげて其の地の代表とする。崆峒使節とは隴右兼河西の節度使である哥舒翰よりの使者、田梁丘をさしている。○上青霄 青霄はあおぞら、あおぞらにのぼるとは梁丘が朝廷へ出て来たことをいう。○河隴降王 蘇毘王をさす、河隴とは河西隴右をいう。○疑聖朝 塞の門をたたいて唐朝へおとずれて来ることをいう。



宛馬總肥秦苜蓿、将軍只数漢嫖姚。
大宛国の外馬も秦の内地の草をたべて繁殖されてきたが、これは将軍中の将軍ともいうべき漢の標姚校尉震去病の如き人(哥舒翰)があってのことである。
宛馬 大宛国の馬、ここは吐谷渾、吐蕃などの西夷の馬をさす。哥舒翰は天宝十二載には吐蕃を撃って九曲部落を収めた。○秦苜蓿 秦とは関中、長安地方をいう。唐の京師の近地をさす。常宿はうまごやしという草のこと。宛馬が秦の草に肥えるというのは、西夷が唐に降った故、西夷の馬も唐の草をたべて繁殖されてきたことをいう。○漢嫖姚 漢の武帝の時審去病というものが名将にて蝶桃校尉となった。ここはよりせつかん哥舒翰をこれにあてている。



陳留阮瑀誰争長、京兆田郎早見招。
かの文才を以てしてはだれも之と雄長を争う者もないという陳留の阮瑀に匹敵する高適公も早くも京兆の田郎ともいうべき君のために哥舒翰将軍の幕下へ招きよせられたのである。
陳留阮瑀 魏の阮瑀、字は元喩、陳留の人、文筆の才があった。ここは高適をさす。作者はしばしば高適を此する。竹林の七賢の指導者的人物である。子に建安七子の一人である阮籍。を以てした。高適は河西節度の書記として苛紆翰の幕下にあった。次の句によれば高適を翰にすすめたものは必ず染丘であったであろうという。○争長 技能の雄長をあらそうこと。○京兆田郎 後漢の田鳳をいう。田鳳は郎となり、容儀端正であり、入りて事を奏するや霊帝はこれを目送して因って柱に題していう、「堂堂乎タリ張ヤ(語は「論語」に見える)京兆ノ田郎」と。ここは田梁丘をさしていう。○早見招 此の句は前句とつづけてみるのがよい、見レ招の主格となるものは前句の院璃であり、見抜とはまねきいたされたことをいう。



麾下頼君才竝美、濁能無意向漁樵。
将軍の麾下は君のおかげでその人才がみなどれも美なるものが集っているのである。どうして今、無冠の漁樵生活をしておる自分に対して向けられていないというのはどうだろう。
魔下 哥舒翰の指揮下をいう。その幕府をさす。○ 田をさす。〇才並美 人才みなうるわし。美を人に作ると人才がすべて魔下に入ったとの義となる。○独能無 能無は反語にして豈無の意となる。



○韻  霽、朝、姚、長、招、樵。

渼陂行  杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 66

渼陂行  杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 66
渼陂の水面に舟遊びしたことを叙する。製作時は753年天宝十二載の夏42歳 七言歌行である。

渼陂行
岑參兄弟皆好奇,攜我遠來遊渼陂。
友人の琴参兄弟は一家そろって趣きのある人たちである、自分をつれてこんなに遠い渼陂池まであそびに来たのだ。
天地黯慘忽異色,波濤萬頃堆琉璃。』
初は好天気であったが、琉璃をつみかさねたかとおもわれたいけが大波の大きな音が池じゅうにひろがり、波涛万頃のさまである。』
琉利汗漫泛舟入,事殊興極憂思集。
ひろびろとした琉璃状の水面へ舟をうかべて中へ進んだが、今は事情が変わってしまい、これ以上興趣を進めていいのか悪天候についての心配になってきた。
鼉作鯨吞不複知,惡風白浪何嗟及。』
大がめがあばれはじめ、鯨が舟を呑んでしまうような状態になった。いじ悪な風、白く波立ってきた、なげいたとしてももう及ばない。』
主人錦帆相為開,舟子喜甚無氛埃。
こまったと思ったが天候もなおったので主人は我々のために錦帆を張ってくれた、舟人たちも靄や水しぶきがなくなってとても喜んだ。
鳧鷖散亂棹謳發,絲管啁啾空翠來。』
かもやかもめもふなうたが始まってうれしくてみだれ飛び交い、こんどはやかましく糸竹の音がしだして山の方から嵐の前触れの風が吹いてきた。』
沉竿續蔓深莫測,菱葉荷花淨如拭。
釣り竿につる糸をつけしずめてみても陂の水の深さは測ることができないほどふかい。そこに菱の葉や蓮の花がふきとったようにきよらかに生えている。
宛在中流渤澥清,下歸無極終南黑。』
舟はあたかも渤澥の清き中流にうかんでいるようであり、水は下へ底しれぬところまで達していて終南山の山影が水底に黒く横わっている。』
半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。
この陂の南岸の半分は専ら山影をひたしている。その水面の山影はたおやかに動かされ、水波の間に溶け込んでゆくように見える
船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。』
たそがれに船縁のぎゅーっ、ぎゅーっ、という音が山上の雲中の寺のあたりまでひびきわたる、水面に月が出る、それは藍田関ともおもわれるあたりからでてきたのである。』
此時驪龍亦吐珠,馮夷擊鼓群龍趨。
このときには水底の淵にひそめる黒竜も珠を吐きだしたかと疑われ、馮夷は太鼓をうちだし、多くの電影がはしった。
湘妃漢女出歌舞,金支翠旗光有無。』
湘妃・漢女の女神も出てきて歌い舞う、周囲にならぶ楽器の金支、翠旗の装飾の光りもまばゆい。』
咫尺但愁雷雨至,蒼茫不曉神靈意。
さっきみたように面前爬尺のまぢかに雷雨がやってくるかも知れないというのが心配でならないが、いまはこんなに晴れておもしろい、神霊の意というものははっきりとはわかりかねるものであるからこれがいいのだ。
少壯幾時奈老何,向來哀樂何其多?』
わかい時はいくばくもなく、やがて年老いてゆくことだけはどうしようもない、さきほどから一陰一晴すこぶる哀楽の情をうごかしたことなどどういたってもがわずかなことでわないか?!


友人の琴参兄弟は一家そろって趣きのある人たちである、自分をつれてこんなに遠い渼陂池まであそびに来たのだ。
初は好天気であったが、琉璃をつみかさねたかとおもわれたいけが大波の大きな音が池じゅうにひろがり、波涛万頃のさまである。』
ひろびろとした琉璃状の水面へ舟をうかべて中へ進んだが、今は事情が変わってしまい、これ以上興趣を進めていいのか悪天候についての心配になってきた。
大がめがあばれはじめ、鯨が舟を呑んでしまうような状態になった。いじ悪な風、白く波立ってきた、なげいたとしてももう及ばない。』
こまったと思ったが天候もなおったので主人は我々のために錦帆を張ってくれた、舟人たちも靄や水しぶきがなくなってとても喜んだ。
かもやかもめもふなうたが始まってうれしくてみだれ飛び交い、こんどはやかましく糸竹の音がしだして山の方から嵐の前触れの風が吹いてきた。』
釣り竿につる糸をつけしずめてみても陂の水の深さは測ることができないほどふかい。そこに菱の葉や蓮の花がふきとったようにきよらかに生えている。
舟はあたかも渤澥の清き中流にうかんでいるようであり、水は下へ底しれぬところまで達していて終南山の山影が水底に黒く横わっている。』
この陂の南岸の半分は専ら山影をひたしている。その水面の山影はたおやかに動かされ、水波の間に溶け込んでゆくように見える
たそがれに船縁のぎゅーっ、ぎゅーっ、という音が山上の雲中の寺のあたりまでひびきわたる、水面に月が出る、それは藍田関ともおもわれるあたりからでてきたのである。』
このときには水底の淵にひそめる黒竜も珠を吐きだしたかと疑われ、馮夷は太鼓をうちだし、多くの電影がはしった。
湘妃・漢女の女神も出てきて歌い舞う、周囲にならぶ楽器の金支、翠旗の装飾の光りもまばゆい。』
さっきみたように面前爬尺のまぢかに雷雨がやってくるかも知れないというのが心配でならないが、いまはこんなに晴れておもしろい、神霊の意というものははっきりとはわかりかねるものであるからこれがいいのだ。
わかい時はいくばくもなく、やがて年老いてゆくことだけはどうしようもない、さきほどから一陰一晴すこぶる哀楽の情をうごかしたことなどどういたってもがわずかなことでわないか?!



岑參兄弟皆奇を好む、我を旗えて遠く来って洋陵に遊ぶ
天地希惨として忽ち色を異にす、波涛万頃琉璃堆し』

琉璃汗漫舟を淀べて入る、事殊に興極まりて憂思集る
竜作り鯨香まんも復た知らず、悪風白浪何ぞ嵯及ぼん』
主人錦帆相為めに開く、舟子喜ぶ甚し須挨無きを
昂鷲散乱樟謳発る、糸管咽秋として空翠来る』

竿を沈め損を続ぐも深くして測る莫し、菱葉荷花浄くして拭うが如し
宛も中流に在りて勧解汚く、下無極に帰して終南黒し』

半陵以南純ら山を浸す。影を動かすこと鼻究たり沖融の間
船舷瞑に毒す雲際の寺、水面月出づ藍田関』

此の時騒竜亦た珠を吐く、凋夷鼓を撃ち葦竜は趨る
湘妃漢女出でて歌舞す、金支翠旗光り有無』

爬尺但だ愁う雷雨の至らんことを、蒼茫暁らず神霊の意
少壮幾時ぞ老を奈何せん、向来哀楽何ぞ其れ多き』



 
渼陂行
渼陂 つつみ(池)の名。長安の南西約40kmにある。終南山の諸谷より出で胡公泉を合して陂(池)となる。広さ数里、上に紫閣峰がある。
長安洛陽鳳翔 渼陂


岑參兄弟皆好奇,攜我遠來遊渼陂。
友人の琴参兄弟は一家そろって趣きのある人たちである、自分をつれてこんなに遠い渼陂池まであそびに来たのだ。
岑参 作者の親友で当時の詩の大家。○好奇 非凡を愛する。〇滴惨 くらっぼく陰気なことをいう。


天地黯慘忽異色,波濤萬頃堆琉璃。』
初は好天気であったが、暗く陰気な様子に変わり、琉璃をつみかさねたかとおもわれたいけが大幅波の音が池じゅうにひろがったのである。』
異色 今までとは色がかわる。○万頃 頃は百畝の面積をいう。○堆琉璃 るりの色をうずたかくしたようだとは深い水がすみわたっていることをいう。


琉利汗漫泛舟入,事殊興極憂思集。
ひろびろとした琉璃状の水面へ舟をうかべて中へ進んだが、今は事情が変わってしまい、これ以上興趣を進めていいのか悪天候についての心配になってきた。
汗漫 ひろいさま。○事殊 前と事情がちがってきたこと。即ち晴れが陰りになったこと。○興極 興趣が盛りの極に達してゆきづまりになる。○憂思 悪天候についての心配。


鼉作鯨吞不複知,惡風白浪何嗟及。』
大がめがあばれはじめ、鯨が舟を呑んでしまうような状態になった。いじ悪な風、白く波立ってきた、なげいたとしてももう及ばない。』
鼉作 おおがめがあばれだす。○不復知 復た測り知ることができない。○何嗟 及なげいたとておいつけぬ、どうともできぬ。


主人錦帆相為開,舟子喜甚無氛埃。
こまったと思ったが天候もなおったので主人は我々のために錦帆を張ってくれた、舟人たちも靄や水しぶきがなくなってとても喜んだ。
主人 岑参をさす。○錦帆 にしきの帆。○相為開  我がためにかかげでのりだすこと。○舟子 ふなこ、せんどう。○氛埃 もやとほこり、ここでは水しぶき。


鳧鷖散亂棹謳發,絲管啁啾空翠來。』
かもやかもめもふなうたが始まってうれしくてみだれ飛び交い、こんどはやかましく糸竹の音がしだして山の方から嵐の前触れの風が吹いてきた。』
 かも。○ かもめ。○棹謳 ふなうた。○発はじまる。○糸管 いとたけの音。○咽秋 やかましいさま。○空翠 空中翠色の気、嵐のまえぶれ。


沉竿續蔓深莫測,菱葉荷花淨如拭。
釣り竿につる糸をつけしずめてみても陂の水の深さは測ることができないほどふかい。そこに菱の葉や蓮の花がふきとったようにきよらかに生えている。
続綬 綬はつるいと。続はつり糸にそれをつぎたすことをいう。○深 水のふかさ。


宛在中流渤澥清,下歸無極終南黑。』
舟はあたかも渤澥の清き中流にうかんでいるようであり、水は下へ底しれぬところまで達していて終南山の山影が水底に黒く横わっている。』
 あたかも、さながら。○渤澥 海の名。○下帰 無極そこははてがしれぬ。○終南 山の名、隈のほとりに在る。


陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。
この陂の南岸の半分は専ら山影をひたしている。その水面の山影はたおやかに動かされ、水波の間に溶け込んでゆくように見える。
半陂 隈の半面積。○以南 南へかけて。○浸山 山影をひたす。○動影 水面に山影をただよわせる。○裊窕 たおやかに山かげのゆらぐさま。○沖融 水波より溶け込んでゆくように見える。


船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。』
たそがれに船縁のぎゅーっ、ぎゅーっ、という音が山上の雲中の寺のあたりまでひびきわたる、水面に月が出る、それは藍田関ともおもわれるあたりからでてきたのである。』
 ふなばた。○暝戛 戛はこつこつなるおと、これは船をかいでこぐ音をいう、瞑は黄昏をいう。○雲際寺旧説に寺名とする。雲際山大定寺は都県の東南六十里にあるというが、恐らくは水上の舷声の到り得べき地ではない。雲中の寺をさすものとおもわれる。○藍田 関関の名、渓陵よりは東南にあたり、藍田県の東南六十八里にある。これは月の出たあたりを想像していうもの故、肉眼には見えぬ地であるが用いでも妨げはない。


此時驪龍亦吐珠,馮夷擊鼓群龍趨。
このときには水底の淵にひそめる黒竜も珠を吐きだしたかと疑われ、馮夷は太鼓をうちだし、多くの電影がはしった。
牒竜 くろい竜。騒竜の領の下に珠があるということが「荘子」列禦冠第にみえる。水面の月影を竜珠とみたてていうのであろう。○馮夷 また氷夷ともいい、河を掌る水神である。


湘妃漢女出歌舞,金支翠旗光有無。』
湘妃・漢女の女神も出てきて歌い舞う、周囲にならぶ楽器の金支、翠旗の装飾の光りもまばゆい。』
湘妃 湘水の女神、亮の二女にして舜の妻であった人。舜の南征を追って湘水に到ったが、舜がすでに死んだときいて湘水に身を投じて神となった。これを湘君、湘妃という。○漢女 鄭交甫が漢水にあそんで二女を見て、その凧を請うと、二女は凧を解いて。これに与えた。二女は蓋し漢水の女神であった。○金支翠旗 漢の「房中歌」に「金支秀華、庶施翠施」の語がある。金支は黄金色の枝、秀華はその先きにふさふさの華がついたもの、族は牛尾にて作ったはた、翠族とはそのさきに五色の羽をふさふさにして簫の笛としたもの。金支翠旗は共に楽器につける飾りのものである。○光有無 あるが如く無きが如く光の恍惚たるさまをいう。月と水面に映る月の影とを詩的に歌ったもの。


咫尺但愁雷雨至,蒼茫不曉神靈意。
さっきみたように面前爬尺のまぢかに雷雨がやってくるかも知れないというのが心配でならないが、いまはこんなに晴れておもしろい、神霊の意というものははっきりとはわかりかねるものであるからこれがいいのだ。
爬尺 八寸、一尺、わずかの距離をいう。○蒼茫はっきりせぬさま。○神霊 かみ。


少壯幾時奈老何,向來哀樂何其多?』
わかい時はいくばくもなく、やがて年老いてゆくことだけはどうしようもない、さきほどから一陰一晴すこぶる哀楽の情をうごかしたことなどどういたってもがわずかなことでわないか?!
少壯幾時奈老何 漢武帝の「秋風辞」に「歓楽極マリテ哀情多シ、少壮幾時ゾ老ヲ奈何セン」にもとづく。わかい時はいくばくもなく、やがて年老いてゆくことだけはどうしようもないという意。○向来 前よりこのかた。この時に限ってみる説と従前の生涯を通じてみる説とがあるが、今は前説に拠る。然るときは此の一目の中についてのみいう。○哀楽 この一日についてのみいうときは表とは天候の険悪となった場合をさし、楽とは天候の快晴となった場合をさしていう。此の段の爬尺二句、少壮二句は出に倒装としてみるのがよい。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其十 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 64

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其十 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 64

753年天宝12載 42歳  五言律詩
この篇は帰途につくことと将来の希望とをのぺている。


陪鄭広文遊何将軍山林十首 其十
幽意忽不愜,歸期無奈何。
心静かに自然にひたっていた楽しい思いがふいにかなわなくなって、帰らなければいけない約束の期がどうしようもないこととしてやってきた。
出門流水住,回首白雲多。
門を出たとこで流水が停止し、もっと留まれといっている、ふりかえってみると白雲がたくさん湧き立って行く先をふせいでいる。
自笑燈前舞,誰憐醉後歌。
思い出し笑いをしてしまう、山荘にあって灯火の前で舞ったことだ、家にかえって酒に酔っての歌うのをだれがいとおしんでくれるというのか。
祗應與朋好,風雨亦來過。
ただまさに仲のよい友人と共にいたいと云いたい、風雨の日であっても、もう一度やって来るのだ。

心静かに自然にひたっていた楽しい思いがふいにかなわなくなって、帰らなければいけない約束の期がどうしようもないこととしてやってきた。
門を出た流水が停止し、もっと留まれといっている、ふりかえってみると白雲がたくさん湧き立って行く先をふせいでいる。
思い出し笑いをしてしまう、山荘にあって灯火の前で舞ったことだ、家にかえって酒に酔っての歌うのをだれがいとおしんでくれるというのか。
ただまさに仲のよい友人と共にいたいと云いたい、風雨の日であっても、もう一度やって来るのだ。


幽意ゆういたちまち愜かなわず  歸期奈何いかんともする無し
門を出でで流水に住まる 首を回らせば白雲多し
自ら笑う燈前の舞 誰か憐あわれまん酔後の歌
祗應ただまさに朋好ほうこうともに 風雨にも亦た来り過るぺし



幽意忽不愜,歸期無奈何。
心静かに自然にひたっていた楽しい思いがふいにかなわなくなって、帰らなければいけない約束の期がどうしようもないこととしてやってきた
幽意 こころ静に自然の中にふけるおもい。○ こころの欲するとおりになること。欲するとおりにならないのはかなわないとする。○帰期 我が家にかえるべき時期。○無奈何 どうすることもできぬ、どうしてもかえらねばならぬことをいう。


出門流水住,回首白雲多。
門を出た流水が停止し、もっと留まれといっている、ふりかえってみると白雲がたくさん湧き立って行く先をふせいでいる。
出門 何氏の門からでる。○流水住 住とは自分がたちどまること、水の流れるところでちょっとたちどまる。〇回首 何氏の園の方へと首をふりかえってみる。


自笑燈前舞,誰憐醉後歌。
思い出し笑いをしてしまう、山荘にあって灯火の前で舞ったことだ、家にかえって酒に酔っての歌うのをだれがいとおしんでくれるというのか
自笑 この二句は園中での前日のことを追憶していう。○燈前舞 夜、燈火の前で舞をしたこと。○誰憐 何氏の園に在っては何氏が憐んでくれたが、今は園を去った後であるからだれが憐んでくれようか。○酔後歌 これも自己の園中で歌ったことをいう。


祗應與朋好,風雨亦來過。
ただまさに仲のよい友人と共にいたいと云いたい、風雨の日であっても、もう一度やって来るのだ。
祗應 ただまさに~いいたいのだ。○朋好 なかのよいともだち、暗に鄭虔を意味する。○来過 この何氏の園へたずねてくる。

○韻 何・多・歌・過。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其九 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 63

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753年天宝12載 42歳  五言律詩


陪鄭広文遊何将軍山林十首 其九
牀上書連屋,階前樹拂雲。
寝台の上には書物が屋根に届かんばかりに積まれてあり、建物前の階の前には樹木が雲を払うほどに鬱蒼と立っている。
將軍不好武,稚子總能文。
将軍は武人でありながら武を好まれぬかたなであり、そのため幼な子までもがすべて文学がよくできる。
醒酒微風入,聽詩靜夜分。

酒の酔いを醒ますため微風に当たり体に当て吹きこみ、詩に耳を傾けていると静かに夜がふけてゆくのである。

絺衣掛蘿薜,涼月白紛紛。

細麻の衣を庭のつたかずらに掛けておいたが、その上には涼しい月が蔓の葉に白い光をさんさんとふりまいている。


寝台の上には書物が屋根に届かんばかりに積まれてあり、建物前の階の前には樹木が雲を払うほどに鬱蒼と立っている。
将軍は武人でありながら武を好まれぬかたなであり、そのため幼な子までもがすべて文学がよくできる。
酒の酔いを醒ますため微風に当たり体に当て吹きこみ、詩に耳を傾けていると静かに夜がふけてゆくのである。

細麻の衣を庭のつたかずらに掛けておいたが、その上には涼しい月が蔓の葉に白い光をさんさんとふりまいている。


牀上 書は屋に連なり  階前 樹は雲を払う
将軍は武を好まず  稚子は総べて文を能くす
酒を醒まさんとして微風入り 詩を聴けばかんとして静夜分かる
稀衣 蘿薜に掛くれば  涼月 紛紛に白たり



牀上書連屋,階前樹拂雲。
寝台の上には書物が屋根に届かんばかりに積まれてあり、建物前の階の前には樹木が雲を払うほどに鬱蒼と立っている。
牀上 牀は坐榻であろう。 寝台。中国の寝台は大きくて広く、日本の居間の用をもなす。 ○ 書籍。○連屋 屋根の方までつらなる、高くつまれてあることをいう。○ きざはし。○払雲 雲をはらってそのうえまでそびえる。



將軍不好武,稚子總能文。
将軍は武人でありながら武を好まれぬかたなであり、そのため幼な子までもがすべて文学がよくできる。
将軍 何氏をさす。○稚子 おさなく何将軍の児をいう。



醒酒微風入,聽詩靜夜分。
酒の酔いを醒ますため微風に当たり体に当て吹きこみ、詩に耳を傾けていると静かに夜がふけてゆくのである。
聴詩 詩を詞するのをきくこと。詞するものは必ず何氏の子弟であろう。○夜分 分とは前日と翌日との中分することで夜半になることをいう。



絺衣掛蘿薜,涼月白紛紛。
細麻の衣を庭のつたかずらに掛けておいたが、その上には涼しい月が蔓の葉に白い光をさんさんとふりまいている。
絺衣 絺衣は暑さのとききるひとえの衣。絺はほそくこまかく織ったくず布。○掛蘿薜 蘿薜はつたかずらの類、掛とは我が衣をぬいでそれにひきかけることをいう。仇氏は蘿薜の影が我が衣上にかかると説く。○涼月 すずしそうな月のひかり。○紛紛 葉蔓にさす月光のゆらいでみだれるさま。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 62

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 62

753年天宝12載 42歳  五言律詩

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八
憶過楊柳渚,走馬定昆池。
思い出したのは楊柳の渚を通り過ぎた、そして定昆池まで馬を走らせたことである。
醉把青荷葉,狂遺白接蘺。
酔いがまわって青いはすの葉を手にもった、我を忘れてばかさわぎをして白い被り物を落した。
刺船思郢客,解水乞吳兒。
船に竿さしては楚の船旅頭を思い出す、そうすれば水泳の上手な呉の男を求めたりすることになる。
坐對秦山晩,江湖興頗隨。
坐って夕暮れの秦の山、終南山にむかいあった、江南五湖方面の水郷への思いがわずかに湧いてくる。


思い出したのは楊柳の渚を通り過ぎた、そして定昆池まで馬を走らせたことである。
酔いがまわって青いはすの葉を手にもった、我を忘れてばかさわぎをして白い被り物を落した。
船に竿さしては楚の船旅頭を思い出す、そうすれば水泳の上手な呉の男を求めたりすることになる。
坐って夕暮れの秦の山、終南山にむかいあった、江南五湖方面の水郷への思いがわずかに湧いてくる。


憶う 楊柳の渚を過ぎて 馬を定昆池に走らせしを
酔うては青荷葉を把り 狂うては白接巌を遺しぬ
船を刺すには郢客を思い 水を解するには呉児を乞う
坐して泰山の晩に対すれば 江湖 興は頗る随う

この一篇は一第は定昆池の水遊をなして、後日さかのぼって追憶を記したものである。



過楊柳渚,走馬定昆池。
思い出したのは楊柳の渚を通り過ぎた、そして定昆池まで馬を走らせたことである。
 この一字は全篇を貫ぬく。 ○楊柳渚 所在は未詳、下の定昆池の附近にあるのであろうという。地名とせず、ただ楊柳の生えているなぎさとみでも解し得られる。 ○定昆地 唐の楽安公主のうがった池の名、韋曲の北に在るという。



醉把青荷葉,狂遺白接蘺。
酔いがまわって青いはすの葉を手にもった、我を忘れてばかさわぎをして白い被り物を落した。
 とってもてあそぶ。 ○荷葉 はすの葉。○ 狂態をいう。○ おきわすれる。〇白接蘺:(はくせつり、りの草冠はあみ頭) 罷膏の山簡がかぶったという白巾の帽子。 



刺船思郢客,解水乞吳兒。
船に竿さしては楚の船旅頭を思い出す、そうすれば水泳の上手な呉の男を求めたりすることになる。
刺船 竿刺しでふねを移動させること。○郢客:(えいきゃく) 郢の舟人、郢は楚の都した地、今の湖北省刑州府。 ○解水 水性をよく知ること、泳ぐのに巧みであることをいう。 ○ 何氏にむかってよこしてくれとたのむこと。 ○呉児 呉のうまれの男。これも船夫をいう、呉は今の江蘇省蘇州府の地方。



坐對秦山晩,江湖興頗隨。
坐って夕暮れの秦の山、終南山にむかいあった、江南五湖方面の水郷への思いがわずかに湧いてくる。
○秦山 終南山をいう。 ○江湖興 江湖とは中国の南方、呉楚の地方をさす、船あそびをするゆえ江南五湖方面の興という。○随 自己に伴うことをいう。

○韻字 池・蘇・児・随。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其七 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 61

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其七 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 61

753年天宝12載 42歳  五言律詩


陪鄭広文遊何将軍山林十首 其七
棘樹寒雲色,茵蔯春藕香。
からたちは冬の寒々とした雲の色をしており、よもぎは春の蓮根の香りがするものだ。
脆添生菜美,陰益食單涼。
よもぎのとけるようなうまみは他の生野菜につけ加わっている、からたちのかげは料理の涼しさをましている。
野鶴清晨出,山精白日藏。
野そだちの鶴が清らかな朝になると出あるいている、山の妖精は太陽の光に姿をかくしてしまう。
石林蟠水府,百裡獨蒼蒼。

石柱の林のように立ち、水底の都にまでその石である、その向こう百里のかなたにまであおぐろく続いている。


からたちは冬の寒々とした雲の色をしており、よもぎは春の蓮根の香りがするものだ。
よもぎのとけるようなうまみは他の生野菜につけ加わっている、からたちのかげは料理の涼しさをましている。
野そだちの鶴が清らかな朝になると出あるいている、山の妖精は太陽の光に姿をかくしてしまう。
石柱の林のように立ち、水底の都にまでその石である、その向こう百里のかなたにまであおぐろく続いている。
からたちは冬の寒々とした雲の色をしており、よもぎは春の蓮根の香りがするものだ。
よもぎのとけるようなうまみは他の生野菜につけ加わっている、からたちのかげは料理の涼しさをましている。
野そだちの鶴が清らかな朝になると出あるいている、山の妖精は太陽の光に姿をかくしてしまう。
石柱の林のように立ち、水底の都にまでその石である、その向こう百里のかなたにまであおぐろく続いている。



棘樹 寒雲の色   茵蔯 春藕のごと香し
脆は生菜の美を添え 陰は食単の涼を益す
野鶴は清晨に出で  山精は白日に蔵る
石林は水府に蟠り  百里 独り蒼蒼



山があってその上に棘が叢生している。作者はその下で朝食したときのありさまを叙したもの。



棘樹寒雲色,茵蔯春藕香。
からたちは冬の寒々とした雲の色をしており、よもぎは春の蓮根の香りがするものだ。
棘樹:(きょくじゅ) 白色のものが[木束](カラタチ)、赤色のものが[木夷](スミ)である。 ○寒雲色  冬の雲のように寒々とした色、これは樹色を見たてていうもの。 ○茵蔯:(いんちん) 蓬(ヨモギ)のことという、根をたべる。○春藕香:(しゅんぐう かんばし) 藕は蓮根、これも茵蔯をたとえていう。 
 

脆添生菜美,陰益食單涼。
よもぎのとけるようなうまみは他の生野菜につけ加わっている、からたちのかげは料理の涼しさをましている。
 とけるようなうまみ。 ○生菜 なまの野菜、即ち茵蔯をいう。 ○美 うまいこと、此の句は第二句を承ける。 ○陰 かげ。からたち(樹のかげ。) ○食単 単は布単のことという、食事のとき地にしく布のこと。 



野鶴清晨出,山精白日藏。
野そだちの鶴が清らかな朝になると出あるいている、山の妖精は太陽の光に姿をかくしてしまう。
野鶴 たず。野育ちの鶴。○清晨:(せいしん) すんだあさのあいだ。 ○ 現れでる。 ○山精 山のおばけ、人の形をして一本足を有し、身のたけは三四尺、山の蟹を食い、夜は出て昼は蔵れるものという。



石林蟠水府,百裡獨蒼蒼。
石柱の林のように立ち、水底の都にまでその石である、その向こう百里のかなたにまであおぐろく続いている。
石林 石が叢生して林の如くになっているものをいう。案ずるにこれは即ち椀(或は辣)樹の生えている地のことであろう。 ○:(わだかまる) 山の根もとが水底にまではびこることをいう。 ○水府 水底の世界、竜宮の類。 ○百里 遠方より望むことをいう。○独この石林だけ。○蒼蒼 あおあお、上に樹叢が生えているためである。



○韻  香・涼・蔵・蒼。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 60

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 60

753年天宝12載 42歳  五言律詩


陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六
風磴吹陰雪,雲門吼瀑泉。
風のわたる石段の路には凍りつくような雪しぶきが吹きつける、雲をはき出す岩穴門に滝の水が吼えまくっている。
酒醒思臥簟,衣冷欲裝綿。
酔いざめのからだは竹むしろに寝そべりたいと思うが、凍りつく雪ようなしぶきをあびた衣が冷たいので綿を着こみたくなる。
野老來看客,河魚不取錢。
百姓の老人たちが自分たちお客に目どおりにやって来たが、手みやげの川魚の代金を受け取ろうとはしなかった。
只疑淳樸處,自有一山川。
ただふしぎに思うことは、こここそ淳僕の人たちの住むところであり、おのずから一つの別天地であるのではないかと。



風のわたる石段の路には凍りつくような雪しぶきが吹きつける、雲をはき出す岩穴門に滝の水が吼えまくっている。
酔いざめのからだは竹むしろに寝そべりたいと思うが、凍りつく雪ようなしぶきをあびた衣が冷たいので綿を着こみたくなる。
百姓の老人たちが自分たちお客に目どおりにやって来たが、手みやげの川魚の代金を受け取ろうとはしなかった。
ただふしぎに思うことは、こここそ淳僕の人たちの住むところであり、おのずから一つの別天地であるのではないかと。



風麓に陰雪の吹くは  雲門に港泉の吼ゆるなり
酒醒めて筆に臥さんことを思い  衣冷ややかにして綿を装わんと欲す
野老 来りて客を看  河魚 銭を取らず
只に疑う 淳僕の処  白から一山川有るかと




陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六

風磴吹陰雪,雲門吼瀑泉。
風のわたる石段の路には凍りつく雪ようなしぶきが吹きつける、雲をはき出す岩穴門に滝の水が吼えまくっている。
風橙 風のわたる石段の路。○陰雪 つめたい雪。雪とは実物をいうのではなく、下旬の瀑泉の飛沫を形容していう。凍りつく雪ようなしぶき。○雲門 雲をはき出す岩穴門のことで、石門というのに同じ。雲は山の岩のはく息であると考えられていた。瀑泉のかかっている断崖をさす。○ 音をたててなる。○瀑泉 たきのいずみ。



酒醒思臥簟,衣冷欲裝綿。
酔いざめのからだは竹むしろに寝そべりたいと思うが、凍りつく雪ようなしぶきをあびた衣が冷たいので綿を着こみたくなる。
 たかむしろ。○装綿 綿入れの衣をかさねてきる。



野老來看客,河魚不取錢。
百姓の老人たちが自分たちお客に目どおりにやって釆たが、手みやげの川魚の代金を受け取ろうとはしなかった。
野老 百姓の老人。○看客 客とは自分たちをさす。○河魚 河でとったうお。○不取銭 贈り物としてただでおいてゆく。



只疑淳樸處,自有一山川。
ただふしぎに思うことは、こここそ淳僕の人たちの住むところであり、おのずから一つの別天地であるのではないかと。
 字形は示届をよしとする。○淳樸 まじりけなく、かざりけなく性質の天真のままのこと。 〇一山川 この世とは異なる別の世界。晋の陶潜(五世紀)の「桃花源記」に、・・・林盡水源,便得一山。・・・ある漁師が桃の花びらを浮かべて流れる谷川をさかのぼって行ったところ、淳朴な人々の住む仙境に達したとある。



○韻 泉・綿・銭・川。
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陪鄭広文遊何将軍山林十首 其五 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 59

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753年天宝12載 42歳  五言律詩


陪鄭広文遊何将軍山林十首 其五
剩水滄江破,殘山碣石開。
この山林の水はあおあおとした大川が破れあふれ出たものである、この山林の山は海中石門の碣石の砕石で開かれた名残である。
綠垂風折筍,紅綻雨肥梅。
緑色のうなだれているのは風に吹き折られた若竹であり、紅色の花の咲きほころびているのは雨でふとった梅の実である。
銀甲彈箏用,金魚換酒來。
銀製の爪が琴をひくために用いられるが、黄金の佩びの魚が酒に換えられている。
興移無灑掃,隨意坐莓苔。

興味がいろいろ移ることはのきれいに掃除をしないことになり、興味の赴くまま苔のむしろの上に坐りこむことになる。



この山林の水はあおあおとした大川が破れあふれ出たものである、この山林の山は海中石門の碣石の砕石で開かれた名残である。
緑色のうなだれているのは風に吹き折られた若竹であり、紅色の花の咲きほころびているのは雨でふとった梅の実である。
銀製の爪が琴をひくために用いられるが、黄金の佩びの魚が酒に換えられている。
興味がいろいろ移ることはのきれいに掃除をしないことになり、興味の赴くまま苔のむしろの上に坐りこむことになる。


剰水滄江破れ 残山鳩石開く
緑は垂る風に折るる夢 紅は綻ぶ雨に肥ゆる梅
銀甲弾撃に用い 金魚酒に換え来る
興移って灑掃無し 随意に苺苔に坐す




剩水滄江破,殘山碣石開。
この山林の水はあおあおとした大川が破れあふれ出たものである、この山林の山は海中石門の碣石の砕石で開かれた名残である。
剰水 あまりの水。 ○滄江 あおい江水。○残山 のこった山。○碣石 海中石門の名、今の渤海湾秦皇島の附近にあったもの。

 

綠垂風折筍,紅綻雨肥梅。
緑色のうなだれているのは風に吹き折られた若竹であり、紅色の花の咲きほころびているのは雨でふとった梅の実である。
 筍の色。若竹色。○ たけのこ。若竹。○ 梅の実の色。○ 実の肉のふとること。



銀甲彈箏用,金魚換酒來。
銀製の爪が琴をひくために用いられるが、黄金の佩びの魚が酒に換えられている。
銀甲 銀でつくった琴ひき用の爪。○金魚 黄金でつくった魚形の侃びもの、官員が身分によって侃用するものである。ここは何氏の物。○換酒 金魚を質において酒ととりかえる。


興移無灑掃,隨意坐莓苔。
興味がいろいろ移ることはのきれいに掃除をしないことになり、興味の赴くまま苔のむしろの上に坐りこむことになる。
興移 おもしろさがうつりかわる。 〇灑掃 ほこりをはらい水をふりそそぐ。○随意 こころのまま。 ○ こけ。


韻  開・梅・釆・苔

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其四 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 58

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753年天宝12載 42歳  五言律詩


陪鄭広文遊何将軍山林十首 其四
旁舍連高竹,疏籬帶晩花。
隣りの家はこの山荘の高い竹やぶにつらなっている、あらいまがきは遅ざきの花をつけている。
碾渦深沒馬,藤蔓曲藏蛇。
ひきうす水車によってできた水たまりは馬の脚をも沈めるばかりに深く、つるを伸ばした藤は曲りくねって蛇の隠れる場所ができている。
詞賦工無益,山林跡未賖。
詩や賦、文学が秀でていても何の役にも立たないものだが、山林は道のすぐ近くにあって役に立つ。
盡撚書籍賣,來問爾東家。

わたしはすっかり書物をひっぱり出して売りはらってしまい、ここにやって来て東隣りの家を求めたいと思う。



隣りの家はこの山荘の高い竹やぶにつらなっている、あらいまがきは遅ざきの花をつけている。
ひきうす水車によってできた水たまりは馬の脚をも沈めるばかりに深く、つるを伸ばした藤は曲りくねって蛇の隠れる場所ができている。
詩や賦、文学が秀でていても何の役にも立たないものだが、山林は道のすぐ近くにあって役に立つ。
わたしはすっかり書物をひっぱり出して売りはらってしまい、ここにやって来て東隣りの家を求めたいと思う。



旁舎は高竹に連なり  疏籬は晩花を帯ぶ
碾渦 深く馬を没し  藤蔓 曲りて蛇を蔵す
詞賦 工なるも益無く 山林 跡は未だ賖かならず
尽く書籍を捻りて売り 来りて爾の東家を問めん



旁舍連高竹,疏籬帶晩花。
隣りの家はこの山荘の高い竹やぶにつらなっている、あらいまがきは遅ざきの花をつけている。
旁舍 近傍のいえ。何将軍の山荘の中にある小作人の住む家。 ○ 生えつづく。○高竹 何氏園中のせの高い竹。第一首の「野竹」とあるものと同じ竹であろう。○疎鮭 目あらくゆったまがき。○晩花 夕方の花。遅咲きの花。



碾渦深沒馬,藤蔓曲藏蛇。
ひきうす水車によってできた水たまりは馬の脚をも沈めるばかりに深く、つるを伸ばした藤は曲りくねって蛇の隠れる場所ができている。
碾渦 碾:ひきうす。うすの水車の水の流れ、うずまきをいう。○没馬 馬をかくすほど。これは夕方馬に水をつかわせるものがあるのであろう。○藤蔓 ふじつる、範辺のもの。



詞賦工無益,山林跡未賖。
詩や賦、文学が秀でていても何の役にも立たないものだが、山林は道のすぐ近くにあって役に立つ。
詞賦 詩文や賦。○工無益 工は巧。無益とは文学に長じていても作者の如く不遇では何のやくにもたたぬとの意。○山林 園林をいう。○未姶 近いということ。



盡撚書籍賣,來問爾東家
わたしはすっかり書物をひっぱり出して売りはらってしまい、ここにやって来て東隣りの家を求めたいと思う。
 指でつまみとること。○爾東家 爾(汝)とは何氏をさす。東家とは孔子を「東家の丘」とよぶことがあるが、そのこころもちで何氏の家をさしていう。実際の東西にかかわらぬと見てよろしい。ここではだれにもそうと知られずに農夫となって生きたいという気持を含む。



○韻 花・蛇・除・家。
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陪鄭広文遊何将軍山林十首 其三 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 57

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其三 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 57

753年天宝12載 42歳  五言律詩


陪鄭広文遊何将軍山林十首其三
萬裡戎王子,何年別月支。
戎王子の花は万里の遠くからやってきた、故国の月支に別れをつげたのはいつの年なのか。
異花開絕域,滋蔓匝清池。
その異なった花はずっと地の果てに開いていたものだ、いま蔓をしげりはびこらせているのはこの清らかな池をめぐるあたりだ。
漢使徒空到,神農竟不知。
むかし西域に使いにいった漢の使者はただ行き着いただけでいい草花を持ち帰ることができなかった、さすがの神農さまがついにその草花のことはご存じでなかったのだ。
露翻兼雨打,開坼日離披。

露さえひるがえされ、そのうえ雨に打たれたりしていたが、花を押し開くことは日ごとにしどけなく咲き乱れてきている。



戎王子の花は万里の遠くからやってきた、故国の月支に別れをつげたのはいつの年なのか。
その異なった花はずっと地の果てに開いていたものだ、いま蔓をしげりはびこらせているのはこの清らかな池をめぐるあたりだ。
むかし西域に使いにいった漢の使者はただ行き着いただけでいい草花を持ち帰ることができなかった、さすがの神農さまがついにその草花のことはご存じでなかったのだ。
露さえひるがえされ、そのうえ雨に打たれたりしていたが、花を押し開くことは日ごとにしどけなく咲き乱れてきている。


万里戎王子 何の年か月支に別れし
異花絶域より来り 滋葦清池を匝る
漢使徒に空しく到る 神農寛に知らず
露翻兼ねて雨打 開折 日々に離披たり



萬裡戎王子,何年別月支。
戎王子の花は万里の遠くからやってきた、故国の月支に別れをつげたのはいつの年なのか。
戎王子 草花の名。うどの類であるとの説があるが未詳。〇月支 漢代、西域にあった国の名。



異花開絕域,滋蔓匝清池。
その異なった花はずっと地の果てに開いていたものだ、いま蔓をしげりはびこらせているのはこの清らかな池をめぐるあたりだ。
異花 めずらしい花、即ち戎王子をさす。○絶域 かけはなれた地方、即ち月支をさす。○滋蔓 しげりはびこる。

漢使徒空到,神農竟不知。
むかし西域に使いにいった漢の使者はただ行き着いただけでいい草花を持ち帰ることができなかった、さすがの神農さまがついにその草花のことはご存じでなかったのだ。
漢使 漢の張憲のこと。紀元前二世紀のころ、武帝の命を受けて中央アジアを探険し、諸国との交通を開き、葡萄、天馬、その他種々のものを将来した。○徒空 到いたずらにその地に到ったというのは此のような異草をたずさえてこなかったということ。○神農 中國上代の皇帝の名。医薬の神とされ、百草をなめて人間の食物と薬草とを定めた「本草経」を著わしたとする。○竟不知 知らずというのは本草経に戎王子の草名が録掲載されていないことをしめす。

露翻兼雨打,開坼日離披。
露さえひるがえされ、そのうえ雨に打たれたりしていたが、花を押し開くことは日ごとにしどけなく咲き乱れてきている。
露翻 露さえひるがえされる。○ また。そのうえ。〇雨打 雨にうたれる。 ○開折 花が押し開くこと。花がおし琶かれること。○離披 しどけなく咲きみだれるさま。

○韻 支・池・知・披。

奉贈鮮於京兆二十韻 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 53

奉贈鮮於京兆二十韻 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 53

長安の市長に任ぜられて間もないころに京兆尹、鮮于仲通に贈った詩。752年天宝11載41歳十二月の作。

奉贈鮮於京兆二十韻 杜甫

王國稱多士,賢良複幾人?
異才應間出,爽氣必殊倫。
始見張京兆,宜居漢近臣。
驊騮開道路,雕鶚離風塵。』
侯伯知何算,文章實致身。
奮飛超等級,容易失沈淪。
脫略磻溪釣,操持郢匠斤。
雲霄今巳逼,台袞更誰親?』
鳳穴鄒皆好,龍門客又新。
義聲紛感激,敗績自逡巡。』
途遠欲何向,天高難重陳。
學詩猶孺子,鄉賦忝嘉賓。
不得同晁錯,籲嗟後郤詵。
計疏疑翰墨,時過憶松筠。』
獻納紆皇眷,中間謁紫宸。
且隨諸彥集,方覬薄才伸。
破膽遭前政,陰謀獨秉鈞。
微生霑忌刻,萬事益酸辛。』
交合丹青地,恩傾雨露辰。
有儒愁餓死,早晚報平津。』


王國稱多士,賢良複幾人?
我が唐王朝は天子のお声がかりで一芸に秀でた人物が多いといわれているが、賢良な人は幾人いるだろうかといえばさほど多くはないだろう。

異才應間出,爽氣必殊倫。
特別非凡の人才も時折出る、そういう人はさわやかな雰囲気でいい影響を与えるだろう。

始見張京兆,宜居漢近臣。
こんどはじめて漢の京兆尹張敞殿がでたが、漢の天子のおそば近くつかえるのにはふさわしいことである。
驊騮開道路,雕鶚離風塵。』
千里の馬にとって前に進むべき道路が開けられた様なもの、又下界の風塵をはなれて雕鶚の猛鳥が空高く飛び立つ様なものなのだ。』

侯伯知何算,文章實致身。
節度使は多くいることは周知のことである。あなたは自己の文章のカを以て高位になられたのである。

奮飛超等級,容易失沈淪。
自己を奮い立たせ飛び上がり超等級の方である、たやすく下位に沈んだりということはないお方である。

脫略磻溪釣,操持郢匠斤。
太公望のような行為は眼中におかないことである、今の地位に居るあなたは公平な文の取り扱いをすること、郢匠が斤を取って寸分の狂いもなかったものを手にしている。

雲霄今巳逼,台袞更誰親?』
君は今雲霄の高位には既にせまっておられる。宰相公に対して他に誰が親しいものがあるというのか。』

鳳穴鄒皆好,龍門客又新。
丹穴の鳳雛ともいうべき貴家の公子等は皆よい方々であり、竜門にもあたいする黄門において新に自分のようなものまで賓客としていただいている。

義聲紛感激,敗績自逡巡。』
諸公子の義侠の精神の評判には自分は心もから感激しているが、受験において落第し続けており、あつかましくも進みでて身辺の事についてお願いしづらくて逡巡しております。』

途遠欲何向,天高難重陳。
めざす前途がなかなか遠く違うようでありどちらに向かうべきかご指導願いたい。天は高くして叫ぶ声もとどき重ねて陳述したのだがそれが届かぬようなのです。

學詩猶孺子,鄉賦忝嘉賓。
こどものときから家庭で詩を学んで、やっと地方試験に及第して喜ばしいことにも賓客のとりあっかいをうけてかたじけなくおもっております。

不得同晁錯,籲嗟後郤詵。
不幸にして晃錯と同じように及第することもできず、またなげかわしく思うことは郤詵よりもおくれてしまった。

計疏疑翰墨,時過憶松筠。』
自分の計画に手抜かりがあるために自分の文辞にさえ疑いはじめたのです、落第つづきで時機を逸したのかもしれないので仕進をやめて、ただ松竹の如く晩節を保とうかと思っている。』

獻納紆皇眷,中間謁紫宸。
そのうちに、三大礼において賦を献上したために天子からお目をかけられて紫宸殿で謁見を仰せつけられた。

且隨諸彥集,方覬薄才伸。
しばらく他の英才の人々の集りに随伴したのです、やっとこれでいささかの才能をのばすことができるかとこいねがっております。

破膽遭前政,陰謀獨秉鈞。
ところが驚いたことには前宰相(李林甫)というものに遭遇したのです。陰謀をし、ただひとり国権を握っていたのです。

微生霑忌刻,萬事益酸辛。』
自分の徴少な生活もこの人の猜忌で残忍なやりかたで水をかけられたのです。一事が万事ますますつらいことになってきたところです。』

交合丹青地,恩傾雨露辰。
あなたは袞竜衣を身につける地位の人と交際親密であられ、人に対しては時に従い雨露のように恩恵を注ぎかけられるお方である。

有儒愁餓死,早晚報平津。』
今ここに自分の様な儒者がおり、餓えて死にはしないかと心配しています。はやければありがたいのですが、この有様を平津侯である宰相におしらせしてくださいますか。




鮮京兆尹に二十韻をお贈りもうしあげます 杜甫

我が唐王朝は天子のお声がかりで一芸に秀でた人物が多いといわれているが、賢良な人は幾人いるだろうかといえばさほど多くはないだろう。
特別非凡の人才も時折出る、そういう人はさわやかな雰囲気でいい影響を与えるだろう。
こんどはじめて漢の京兆尹張敞殿がでたが、漢の天子のおそば近くつかえるのにはふさわしいことである。
千里の馬にとって前に進むべき道路が開けられた様なもの、又下界の風塵をはなれて雕鶚の猛鳥が空高く飛び立つ様なものなのだ。』

節度使は多くいることは周知のことである。あなたは自己の文章のカを以て高位になられたのである。
自己を奮い立たせ飛び上がり超等級の方である、たやすく下位に沈んだりということはないお方である。
太公望のような行為は眼中におかないことである、今の地位に居るあなたは公平な文の取り扱いをすること、郢匠が斤を取って寸分の狂いもなかったものを手にしている。
君は今雲霄の高位には既にせまっておられる。宰相公に対して他に誰が親しいものがあるというのか。』
丹穴の鳳雛ともいうべき貴家の公子等は皆よい方々であり、竜門にもあたいする黄門において新に自分のようなものまで賓客としていただいている。
諸公子の義侠の精神の評判には自分は心もから感激しているが、受験において落第し続けており、あつかましくも進みでて身辺の事についてお願いしづらくて逡巡しております。』

めざす前途がなかなか遠く違うようでありどちらに向かうべきかご指導願いたい。天は高くして叫ぶ声もとどき重ねて陳述したのだがそれが届かぬようなのです。
こどものときから家庭で詩を学んで、やっと地方試験に及第して喜ばしいことにも賓客のとりあっかいをうけてかたじけなくおもっております。
不幸にして晃錯と同じように及第することもできず、またなげかわしく思うことは郤詵よりもおくれてしまった。
自分の計画に手抜かりがあるために自分の文辞にさえ疑いはじめたのです、落第つづきで時機を逸したのかもしれないので仕進をやめて、ただ松竹の如く晩節を保とうかと思っている。』

そのうちに、三大礼において賦を献上したために天子からお目をかけられて紫宸殿で謁見を仰せつけられた。
しばらく他の英才の人々の集りに随伴したのです、やっとこれでいささかの才能をのばすことができるかとこいねがっております。
ところが驚いたことには前宰相(李林甫)というものに遭遇したのです。陰謀をし、ただひとり国権を握っていたのです。
自分の徴少な生活もこの人の猜忌で残忍なやりかたで水をかけられたのです。一事が万事ますますつらいことになってきたところです。』

あなたは袞竜衣を身につける地位の人と交際親密であられ、人に対しては時に従い雨露のように恩恵を注ぎかけられるお方である。
今ここに自分の様な儒者がおり、餓えて死にはしないかと心配しています。はやければありがたいのですが、この有様を平津侯である宰相におしらせしてくださいますか。』


鮮於京兆に二十韻を贈り奉る 杜甫

王国士多しと称せらる 賢艮復た幾人ぞ
異才応に間出すぺし 爽気必ず殊倫なり
始めて見る張京兆 宜しく漢の近臣に居るべし
驊騮道路開く 雕鶚風塵を離る』
侯伯知る何算 文章実に身を致せり
奮飛等級を超え 容易沈淪を失す
磻渓の釣を脱略して 郢匠の斤を操持す
雲霄今巳に逼る 台袞 更に誰か親しまん』
鳳穴 鄒 皆好し 竜門 客 又 新なり
義声 紛として感激す 敗績 自ら逡巡たり』
途遠くして何くに向わんと欲する 天高くして重ねて陳べ難し
詩を学ぶは猶お孺子なりき 郷賦嘉賓を黍くす
晁錯に同じきを得ず 呼嗟郤詵に後れたり
計疎にして翰墨を疑い 時過ぎて松筠を憶う』
献納皇眷を紆らす 中間紫宸に謁す
且く随う諸彦の集るに 万に覬う薄才の伸びんことを
破胆前政の 陰謀独り鈞を秉るに遭う
徴生忌刻に霑う 万事益々酸辛なり』
交りは合す丹青の地 恩は雨露を傾くる辰
儒有り餓死せんことを愁う 早晩平津に報ぜん』



鮮于 鮮于は姓、名は仲通。蜀の富豪で楊国忠に資金を提供したために、国忠に後に引き上げられた。仲通は天宝九載に剣南節度副大使となり、十一載に至って京兆尹に拝した。楊国忠が相となったのは、十一載十一月であるから仲通が京兆尹となったのは其の後のことであろう。○京兆 京兆尹(長安の市長)。




奉贈鮮於京兆二十韻 杜甫


王國稱多士,賢良複幾人?
我が唐王朝は天子のお声がかりで一芸に秀でた人物が多いといわれているが、賢良な人は幾人いるだろうかといえばさほど多くはないだろう。
○王国 天子の国、唐王朝をいう。○多士 人物の多いこと。○賢艮 かしこくよき人物。○復幾 人幾人ぞとは幾人かある、あまり多くはあるまいということ。
 
異才應間出,爽氣必殊倫。
特別非凡の人才も時折出る、そういう人はさわやかな雰囲気でいい影響を与えるだろう。
○異才 特別非凡の才。○間出 時折出る。まじわりいでる。○爽気 雰囲気のさっぱりしたこと。○殊倫 特殊の傑出せるたぐい。
 
始見張京兆,宜居漢近臣。
こんどはじめて漢の京兆尹張敞殿がでたが、漢の天子のおそば近くつかえるのにはふさわしいことである。
○張京兆 漢の京兆戸張敞をいう。名官であったので仲通にたとえる。京兆尹は長安の市長。。○漢近臣 漢は唐を意味し、近臣は天子のおそぼちかくつかえる臣。

驊騮開道路,雕鶚離風塵。』
千里の馬にとって前に進むべき道路が開けられた様なもの、又下界の風塵をはなれて雕鶚の猛鳥が空高く飛び立つ様なものなのだ。』
○驊騮 千里の馬。○開 そのゆくべき道が前にあらわれることをいう。○雕鶚 たかのたぐい、鶚は雕より大きい。○離風塵 下界をはなれて空高くとぶ。
 


侯伯知何算,文章實致身。
節度使は多くいることは周知のことである。あなたは自己の文章のカを以て高位になられたのである。
○侯伯 諸侯をいうのであるが、唐の時代には諸侯はないので、地方の節度使をさしている。○何算 いかに算するをしる。多くあって算できない。○致身 身を高位に致す。
 
奮飛超等級,容易失沈淪。
自己を奮い立たせ飛び上がり超等級の方である、たやすく下位に沈んだりということはないお方である。
○失沈倫 上の超等殻と同じことを反面より言ったまでである。
 
脫略磻溪釣,操持郢匠斤。
太公望のような行為は眼中におかないことである、今の地位に居るあなたは公平な文の取り扱いをすること、郢匠が斤を取って寸分の狂いもなかったものを手にしている。
○脱略 眼中におかないこと。○磻溪釣 周の呂尚(太公望)の故事、『佩文韻府』引『水経注』「渭水之右、磻渓水注之、東南隅有石室、蓋太公所居也」。大公は渭水の右、磻渓水の注ぐ処に釣を垂れていて文王に迎えられた。○操持 手にとる。○郢匠斤 文章が間違いのない正しいものと評価されること。○郢匠の事は「荘子」に見える。郢(楚の都)の人体像に鼻のあたまに漆喰をぬっているものがあり、邦の匠(大工)石というものが斤(まさかり)をふりまわしてその漆喰をけずりとったところ少しも鼻を傷つけなかったという。削りにおいて寸分の狂いがないことをいう。
 
雲霄今巳逼,台袞更誰親?』
君は今雲霄の高位には既にせまっておられる。宰相公に対して他に誰が親しいものがあるというのか。』
○雲霄 そら、くものうえのおおぞら、高い地位をいう。〇台袞 三台、兗衣のこと。三公は天の三台星に対し、又三公は袞(竜のついている衣)をきる。暗に楊国忠をさしている。三公は袞(竜のついている衣)赤の服は天子の最も信任の篤い臣下に贈られるもので、これを袞竜衣(こんりょうい)という。 .赤地の服の両袖に竜の刺繍をつけた袞竜衣を身につけ、頭には冕(べん)と呼ばれる(玉すだれの)冠を被っている。○更誰親 仲通ほど親しいものはだれもない。


■ここから鮮于に対してとお願いの前段。
鳳穴鄒皆好,龍門客又新。
丹穴の鳳雛ともいうべき貴家の公子等は皆よい方々であり、竜門にもあたいする黄門において新に自分のようなものまで賓客としていただいている。
○鳳穴 鳳穴とは鳳凰の住居をいい、ここは鮮于氏の家門をさす。○鄒 ひな。鳳凰の児をいい、仲通の子供をさす。○竜門 黄河にある懸瀑の名、陝西省同州府韓城県にある。鯉魚がこの滝をのぼるり竜となるということから竜門という。ここでは鮮于氏に竜門をあてていう。○客 賓客、杜甫自ずからをいう。

義聲紛感激,敗績自逡巡。』
諸公子の義侠の精神の評判には自分は心もから感激しているが、受験において落第し続けており、あつかましくも進みでて身辺の事についてお願いしづらくて逡巡しております。』
○義声 義侠なりとの評判、これは鮮于氏の諸子についていう、この句によれば作者は蓋し諸公子と交際があったものと思われる。○感激 作者がはげしく感動する。○敗績 「左伝」に大いに崩れることを敗績というとみえる、戦に大負けすること。ここ者が試験に失敗したことに用いる。○逡巡 ためらって前へ進みでぬこと。
 


■ここからは開元中の落第について。
途遠欲何向,天高難重陳。
めざす前途がなかなか遠く違うようでありどちらに向かうべきかご指導願いたい。天は高くして叫ぶ声もとどき重ねて陳述したのだがそれが届かぬようなのです。
○途遠 目的とする処まで距離が遠い。○天高 天は有形の天をいうが裏面には天子の居をさす。○重陳 かさねて陳述する、言いのべる。


學詩猶孺子,鄉賦忝嘉賓。
こどものときから家庭で詩を学んで、やっと地方試験に及第して喜ばしいことにも賓客のとりあっかいをうけてかたじけなくおもっております。
○学詩 家庭にて詩をまなぶことをいう。○孺子 童子。○郷賦 地方にて詩賦の試験をうけることをいう。〇番嘉賓 黍は辱くする、謙遜の辞。嘉賓とはよき賓客。唐の制度では地方の試験に及第すると、地方官がこ賓客として招き要し、「詩経」小雅の「鹿鳴」の詩をうたって京師へ送った。


不得同晁錯,籲嗟後郤詵。
不幸にして晃錯と同じように及第することもできず、またなげかわしく思うことは郤詵よりもおくれてしまった。
○晁錯 ちょうそ 漢の文帝の時、高等で及第し中大夫に選ばれた。文帝の治世にその命により、秦の時代の焚書坑儒により廃れてしまった尚書(書経)を、当時90余歳の伏生のもとに派遣されて学んだ。そこから文帝より信任を得て政治に参加し始め、匈奴対策などを立案していた。また同じく太子の劉啓(のちの景帝の教育係にもなった。○呼嗟 ああ、の辞。○郤詵 げきしん 郤詵(生没年不詳)は字を広基といい、済陰郡単父県の人である。尚書左丞の郤晞の子。博学多才で、並はずれて優れていて、細かいことにはとらわれない性格であった。晋の郤詵(げきしん)が進士に合格したとき、「桂林の一枝を得たにすぎない」と帝に言ったという「晋書」郤詵伝の故事
 
計疏疑翰墨,時過憶松筠。』
自分の計画に手抜かりがあるために自分の文辞にさえ疑いはじめたのです、落第つづきで時機を逸したのかもしれないので仕進をやめて、ただ松竹の如く晩節を保とうかと思っている。』
○計疎分の計りごとに手ぬかりのあること。○疑翰墨 翰墨は筆墨、文辞のことをさす。疑とはその価値についぅこと。文辞のすぐれている者は及第すべきはずであるのに及第を得なかったので疑いが生じたのである。時機を逸したこと。○松筠 筠は竹色をいうことばであるが竹を意味する。松竹とはその歳晩になっも変易しない青線の色についていう、不変の色はこれを人の節操をあらわす。


ここからは、賦を献じたため玄宗より召し試みられたことをのべる。
獻納紆皇眷,中間謁紫宸。
そのうちに、三大礼において賦を献上したために天子からお目をかけられて紫宸殿で謁見を仰せつけられた。
○献納 三大礼の賦を献じたをいう。○紆 紆回の紆、わざわざこちらへむけてくださる、敬語となる。○皇眷皇は天子(玄宗)をさす。眷はめをかけてくださること、ふりむきもしないというのは愛する念のないことであり、ふりむ寵愛の念のあることである。○中間 そのうちに。○紫宸 正殿の名。

且隨諸彥集,方覬薄才伸。
しばらく他の英才の人々の集りに随伴したのです、やっとこれでいささかの才能をのばすことができるかとこいねがっております。
○諸彥 もろもろのひいでた人々。その時作者と同じく召しだされたものをさす。○覬 冀(こいねがう)と同じ。○薄才伸 薄我が才能、謙透していう。

破膽遭前政,陰謀獨秉鈞。
ところが驚いたことには前宰相(李林甫)というものに遭遇したのです。陰謀をし、ただひとり国権を握っていたのです。
○破膽 驚くこと。○前政 前の政権をとった人、即ち前宰相李林甫をいう、作は前の京師の試験にも、この天子の召試にもみな李林甫の妨害によって及第することを得なかった。○かげのたくらみ。○秉鈞 宰相たる者は一国の公平を手にするものであるということを独りで独占する。


微生霑忌刻,萬事益酸辛。』
自分の徴少な生活もこの人の猜忌で残忍なやりかたで水をかけられたのです。一事が万事ますますつらいことになってきたところです。』
○徴生 あるかなきかの生活、自己の徴少な生活をいう。○霑 希望に対して水をかけ、その余波をうけたことをいう。○忌刻 猜忌で残忍なこと。○万事 一事が万事。○酸辛 つらいこと。


■以下は鮮于に援助のお願い
交合丹青地,恩傾雨露辰。
あなたは袞竜衣を身につける地位の人と交際親密であられ、人に対しては時に従い雨露のように恩恵を注ぎかけられるお方である。
○交合 合とは一致すること、交際がくいちがいにならずぴったりあうこと。○丹青地 公卿の地位をいう。.赤地の服の両袖に青の竜の刺繍をつけた袞竜衣を身につける地位の人。○恩 鮮于から作者に対する恩恵。○傾雨露 雨露は恩恵をたとえていう、傾くとは我が方へぶちまけること。○辰 時と同じ。

有儒愁餓死,早晚報平津。』
今ここに自分の様な儒者がおり、餓えて死にはしないかと心配しています。はやければありがたいのですが、この有様を平津侯である宰相におしらせしてくださいますか。
○有儒 儒とは時に染まらず節操を曲げない自分を指す。○早晩 はやければありがたい。○報 我が境遇についてつげしらせる。○平津 漢の公孫弘をいう。弘は丞相となり、平津侯に封ぜられ、東閣を開いて賢士を招いた。ここは時の宰相楊国忠をさす。



奉贈鮮於京兆二十韻 杜甫

王國稱多士,賢良複幾人?
異才應間出,爽氣必殊倫。
始見張京兆,宜居漢近臣。
驊騮開道路,雕鶚離風塵。』

王国士多しと称せらる 賢艮復た幾人ぞ
異才応に間出すぺし 爽気必ず殊倫なり
始めて見る張京兆 宜しく漢の近臣に居るべし
驊騮道路開く 雕鶚風塵を離る』


侯伯知何算,文章實致身。
奮飛超等級,容易失沈淪。
脫略磻溪釣,操持郢匠斤。
雲霄今巳逼,台袞更誰親?』

侯伯知る何算 文章実に身を致せり
奮飛等級を超え 容易沈淪を失す
磻渓の釣を脱略して 郢匠の斤を操持す
雲霄今巳に逼る 台袞 更に誰か親しまん』


鳳穴鄒皆好,龍門客又新。
義聲紛感激,敗績自逡巡。』

鳳穴 鄒 皆好し 竜門 客 又 新なり
義声 紛として感激す 敗績 自ら逡巡たり』


途遠欲何向,天高難重陳。
學詩猶孺子,鄉賦忝嘉賓。
不得同晁錯,籲嗟後郤詵。
計疏疑翰墨,時過憶松筠。』

途遠くして何くに向わんと欲する 天高くして重ねて陳べ難し
詩を学ぶは猶お孺子なりき 郷賦嘉賓を黍くす
晁錯に同じきを得ず 呼嗟郤詵に後れたり
計疎にして翰墨を疑い 時過ぎて松筠を憶う』


獻納紆皇眷,中間謁紫宸。
且隨諸彥集,方覬薄才伸。
破膽遭前政,陰謀獨秉鈞。
微生霑忌刻,萬事益酸辛。』

献納皇眷を紆らす 中間紫宸に謁す
且く随う諸彦の集るに 万に覬う薄才の伸びんことを
破胆前政の 陰謀独り鈞を秉るに遭う
徴生忌刻に霑う 万事益々酸辛なり』


交合丹青地,恩傾雨露辰。
有儒愁餓死,早晚報平津。』

交りは合す丹青の地 恩は雨露を傾くる辰
儒有り餓死せんことを愁う 早晩平津に報ぜん』

曲江三章 章五句 (2):kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52 

曲江三章 章五句 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52 
曲江三章 章五句 (2)

この詩は、父の死以後、生活が杜甫にかかっており、ここ数年士官のため長安に出てきており、全力を挙げて取り組んだが、この秋まですべてうまくいかなかった。曲江の東に弟杜侄を寓居としていた。なりふり構わない活動をしたため、絶望感を漂わせる秋時の感を述べている。752年41歳の作。七言雑詩、絶句の一聯に七言の句を追加して構成される珍しいものである。特にこの詩は三首を一つとしてとらえることも必要だ。
したがって追加しないで整理番号52のままとする。 


長安城郭015
唐 長安の図 図中右下が曲江

曲江三章 第一章五句
曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
曲江のあたり、草木は枯れもの寂しく大空が澄み渡りすっかり秋の気配になった、池の菱と蓮は枯れ、折れなどで荒れた模様で 風が吹き、大波よってゆれうごいている。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

故郷を離れ、仕官もできていない自分、むなしくため息をし、そして白髪交じりになろうとしてきた。
白石があり、ただ沙もむなしく白く互いに落ち着いていない。哀れにも大雁は、一羽で叫んでいたその群れを求めているのだろう。


曲江のあたり、草木は枯れもの寂しく大空が澄み渡りすっかり秋の気配になった、池の菱と蓮は枯れ、折れなどで荒れた模様で 風が吹き、大波よってゆれうごいている。
故郷を離れ、仕官もできていない自分、むなしくため息をし、そして白髪交じりになろうとしてきた。
白石があり、ただ沙もむなしく白く互いに落ち着いていない。哀れにも大雁は、一羽で叫んでいたその群れを求めているのだろう。


曲江蕭条として 秋氣高く、菱荷(菱と蓮)枯折して 風濤に随ふ
游子空しく嗟す 二毛(白髪交じり)に垂(なんなん)とするを
白石素沙 亦た相い蕩(うごか)す
哀鴻(あいこう、哀れなヒシクイ)独り叫び 其の曹(ともがら)を求む



曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
曲江のあたり、草木は枯れもの寂しく大空が澄み渡りすっかり秋の気配になった、池の菱と蓮は枯れ、折れなどで荒れた模様で 風が吹き、大波よってゆれうごいている。



遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。
故郷を離れ、仕官もできていない自分、むなしくため息をし、そして白髪交じりになろうとしてきた。
白石があり、ただ沙もむなしく白く互いに落ち着いていない。哀れにも大雁は、一羽で叫んでいたその群れを求めているのだろう。
○垂 なんなんとする○哀鴻 哀れな大雁。○曹 (ともがら)列を組む群れ。





曲江三章 第二章五句
即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
目前にあるものをそのままに、現在ではないし、亦、昔のことでもない。聞いたことのある長歌がこの夜は盛んに歌われているが、林やくさむらによって消されている。ここにある屋敷は豪華なものであり、おおきな一棟は分かるがあとは数えられない。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?
自分は人として、少し甘くて心が塵灰のようになってしまった。弟の侄は心を痛めて涙が雨のようにとめどなく流している。


目前にあるものをそのままに、現在ではないし、亦、昔のことでもない。聞いたことのある長歌がこの夜は盛んに歌われているが、林やくさむらによって消されている。ここにある屋敷は豪華なものであり、おおきな一棟は分かるがあとは数えられない。
自分は人として、少し甘くて心が塵灰のようになってしまった。弟の侄は心を痛めて涙が雨のようにとめどなく流している。


即事 今に非ず 亦た古(いにしへ)に非ず
長歌夜激しくして 林莽(りんぼう、林やくさむら)を捎(はら)ふ
比屋 豪華にして 固より数え難し
吾人 甘んじて 心 灰に似たるを作さん
弟姪 何をか傷みて 泪(なみだ)雨の如くなる



即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
目前にあるものをそのままに、現在ではないし、亦、昔のことでもない。聞いたことのある長歌がこの夜は盛んに歌われているが、林やくさむらによって消されている。ここにある屋敷は豪華なものであり、おおきな一棟は分かるがあとは数えられない。
林莽 りんぼう、林やくさむら



吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?
自分は人として、少し甘くて心が塵灰のようになってしまった。弟の侄は心を痛めて涙が雨のようにとめどなく流している。
(体が塵灰になるまで、心、志をしっかり持とう。)





曲江三章 第三章五句
自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
自分はこの世の生涯の望み、仕官の願いを断ってしまったから運命の窮通について天に問う必要もない。幸に杜曲には桑麻を作りうる田地がある、だから此処(曲江)から南山ちかく(杜曲)へひきうつってきたのだ。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

気軽にひとえ着で一匹の馬にまたがり、李広のような男のあとについていく、猛虎でも射るのを桑畑でみながらこの老いさきを終ろうとおもう。



自分はこの世の生涯の望み、仕官の願いを断ってしまったから運命の窮通について天に問う必要もない。幸に杜曲には桑麻を作りうる田地がある、だから此処(曲江)から南山ちかく(杜曲)へひきうつってきたのだ。
気軽にひとえ着で一匹の馬にまたがり、李広のような男のあとについていく、猛虎でも射るのを桑畑でみながらこの老いさきを終ろうとおもう。

自ら此の生を断つ天に問うを休めよ、杜曲幸に桑麻の田有り、故に将に南山の辺に移住す。
短衣匹馬李広に随い、猛虎を射るを看て残年を終えんとす。



自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
自分はこの世の生涯の望み、仕官の願いを断ってしまったから運命の窮通について天に問う必要もない。幸に杜曲には桑麻を作りうる田地がある、だから此処(曲江)から南山ちかく(杜曲)へひきうつってきたのだ。
自断此生 衷心に決する所があってこの生涯に於ける仕進の意を断絶することをいう。○休問天 天命に安んずる故に天に問う必要がない。○杜曲 杜曲は韋曲と共に長安の南、奨川の水曲の名で名勝である。杜甫の居宅は杜曲に在った。○桑麻田 桑や麻をつくるはたけ。○故将 故はそれゆえに。将はまさに云々せんとすで、「終残年」までにかかる。○移住 これは杜曲よりいうのではなく曲江よりいう。○南山 終南山。南山辺とは即ち杜曲をさす。李広が実際虎を射た山は東南へ約20km以上いった藍田県の南山であるが、家賃が安く、自給自足ができるところであったのか。



短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。
気軽にひとえ着で一匹の馬にまたがり、李広のような男のあとについていく、猛虎でも射るのを桑畑でみながらこの老い先を終ろうとおもう。
李広 漢の武帝の時の大将軍。飛将軍として、匈奴からおそれられ、尊敬されたが、国内の評価は低く不遇に終わった。ここは、広藍田の南山中に屏居して射猟をしたとき、草中の石を虎と見あやまって射たところ、矢は石に没したという。○残年 老いさき。

玄都壇歌寄元逸人 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 51

玄都壇歌寄元逸人 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 51

玄都壇のさまを述べて元逸人に寄せた詩。752天宝十一載の作。この詩は、李白の「西岳云台歌送丹邱子」と雰囲気を同じくしている。
元都壇歌寄元逸人 杜甫 51

この年の出来事。
752天宝 11載・11月宰相李林甫(65歳位)が病死、楊国忠、右相となる。18年間の圧制も今度は楊貴妃一族に取って代わる。 
杜甫:・752 41歳 長安にあり。召されて文章を試み、有司に送り隷して選序に参列することができた。暮春、しばらく洛陽に帰る。冬、長安にて岑参、高適、儲光羲と交わる。就職活動をやみくもに進める。 「 同諸公登慈恩寺塔」 「麗人行」
王維:・752 王維54歳 文部郎中(従五品上)に任ぜられる 王維 「送秘書晁監還日本国」
岑参:38歳 長安に帰る。秋、杜甫高適と慈恩寺塔に登る。

玄都壇歌寄元逸人
故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。
我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。
故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』
君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』
屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。
その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。
子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』
夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』
知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。
君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。
鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』



我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。
君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』

その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。
夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』

君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。
そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』


玄都壇の歌元逸人に寄す
故人昔隠る東蒙峰、己に佩ぶ含景の蒼精竜。
故人今居る子牛谷、独り陰崖に在って茅屋を結ぶ。』
屋前太古の玄都壇、青石漠漠として常に風寒し。
子規夜啼いて山竹裂け、王母昼下りて雲旗翻る。』
知る君が此の計長往を成すを、芝草瑯玕日に応に長ずるなるべし。
鐵鎖高く垂れて攣す可からず、身を福地に致す何ぞ粛爽なる。』




玄都壇歌寄元逸人
○玄都壇 玄都とは道家のかんがえた一つの仙郷。「十洲記」に「玄洲ハ北海二在り、岸ヲ去ルコト三十六万里、上二大玄都有り、仙伯真公ノ治ムル所ナリ」とある。玄都壇は漢の武帝の築く所で長安の南山の子牛谷の中に在る。元逸人はここに隠れていたのである。
①--- 
東海 祖州・・・方円五百里にして中國東方七万里という。不死の草あり。死者の上にその草を置くだけでよみがえるのである。
②東方大海中 瀛州・・・方円四千里。揚子江口から七十万里という。神芝仙草というのが生えている。また、玉石ありて高さ一千丈という。酒の味がする玉醴泉がある。これを飲むと長生するといい、神仙の家が多い。
③北海 玄州・・・中國の北西の間の方向に、三十六万里離れて在り。方円七千二百里。崑崙山のかなたにある。山々にかこまれ太玄都がある。神仙である真君が支配しているという。しかし、その太玄都近くに風山がある。この山には大いなる風が吹き止むことなく、また雷電の音と光が絶えるときがない。この山の上に天地の西北の門があるの。その門から、時に多数の大きな仙人たちの住居が見える。
④南海 炎州・・・中國から南へ九万里、方円二千里。この世界には不思議なドウブツがいるので名高い。
⑤南海 長州・・・中國の南東二十万里、方円五千里。山川が多く、森に覆われている。森には巨木多く、二千人で抱えてようやく一回りできるような大きなものもある。森が多いことから「青丘」とも言われる。仙草、霊薬、甘液、玉英を産する。
この大陸にも風山があり、その山はつねに震動し、轟々とうなっている。
⑥北海 元州・・・中國の北方十万里、方円三千里。この大陸には五芝玄澗と名づけられる谷があって、そこの水は蜜のように甘く、長生の効能がある。またこの谷に生えている五芝の方にも長生の効能があるのである。
⑦西海 流州・・・中國の西方十九万里、方円三千里。多くの山と川があるのであるが、特に大きな石の嶺があり「崑吾」と名づけられている。この露頭から掘削される鉄鉱を用いて製せられた剣は光かがやいてしかも透き通りまるで水晶のごとしという。この剣を以って玉を斬ればまるで泥を斬るようだとのこと。
⑧東海 生州・・・中國の東北方二十三万里、方円二千五百里。(蓬莱を離れること七十万里、ともいうのですが、蓬莱とチュウゴクと、この生洲との位置関係がよくわからない。)数万の神仙が住むといい、天気は常に晴朗で温暖、寒暑なく、万物がいつも生長しやすい環境にある。もちろん長生に資する霊芝や仙草もどんどこ成長する。飲み水もとても甘いという。
⑨西海 鳳鱗州・・・方円一千五百里。四方を波風の無い海の囲まれているゆえ人間には渡ることができないらしい。ここには鳳凰・麒麟が何万と住んでいる。もちろん神仙も多く住んでおられるのだ。鳳凰のくちばしと麒麟の角を煮て作ったにかわがあり、切断した弓の弦や刀をつなぎあわせることができるという。
⑩西海 集窟州・・・中國の西南、崑崙を離れること南に二十六万里、中國を離れること西に二十四万里という。神仙が多く住んで数え尽くせない。この大陸には獅子、避邪、サク歯、天鹿、長牙、銅頭、鉄額といった動物、人間の頭を持つ鳥がいる。この鳥の住む山を人鳥山というが、人鳥山には楓に似た樹木あり、還魂樹とよばれ、この木は香りがよい。
元逸人 李太白の集に元丹邸という人がみえるが元丹邱については12首ある。逸人と同一人であろう。
李白は、元丹邱との関係が深い。その関係を表す詩だけでも、以下の12首もある。
1.西岳云台歌送丹邱子
2.元丹邱歌                         
3.潁陽元丹邱別准陽之
4.詩以代書答元丹邱
5.酬岑勛見尋就元丹邱對酒相待以詩見招
6.尋高鳳石門山中元丹邱
 7.觀元丹邱坐巫山屏風
 8.題元丹邱山居
 9.題元丹邱潁陽山居 并序
10.題嵩山逸人元丹邱山居 并序
11.聞丹邱子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡、
12.與元丹邱方城寺談玄作、




故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。
我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。
故人 旧知の人、元逸人をさす。作者と逸人とは山東時代(開元二十三四年頃)よりの知己であり、
與李十二白同尋范十隱居  杜甫
李侯有佳句,往往似陰鏗。
余亦東蒙客,憐君如弟兄。』
醉眠秋共被,攜手日同行。
更想幽期處,還尋北郭生。』
入門高興發,侍立小童清。
落景聞寒杵,屯雲對古城。』
向來吟橘頌,誰欲討蓴羹。
不願論簪笏,悠悠滄海情。』

「同二太白一訪二苑隠居こ詩の「余モ亦東蒙ノ客、君ヲ憐ムコト弟兄ノ如シ」、東蒙時代に関する句である。○東蒙峰 蒙山をいう。蒙山は山東省折州府蒙陰県の西南にあり、魯(究州曲阜県)よりすれば東にあたるので東蒙という。
含景蒼精竜 景は影と同じ、隴山には、蒼精竜が棲むとされた、杜甫「前出塞九首」李商隠「桂林」
城窄山將壓、江寛地共浮。
東南通絶域、西北有高樓。
紳護青楓岸、龍移白石湫。
殊郷竟何禱、簫鼓不曾体。
姿を隠すための蒼精竜の御札を示す。




故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』
君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』
 作詩の時。○子牛谷 長安県南の山中にあり、長さ六百六十里、北の口を子という、西安府の南百里にあり、南の口を午という、漢中府洋県の東百六十里にある。終南山に元丹邱の庵があった。○陰崖 北むきのがけ。長安側。



屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。
その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。
○漠漠 広く平かなさま。○ いつも、或は常を松に作る。



規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』
夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』
子規 ほととぎす。○山竹裂 裂帛、裂竹はみな声の形容。○王母 西王母をいい、ここでは、道を開いた女道士を指す。ものとおもう。○雲旗 くものはた、道士、元丹邱など仙人の行列をいう。
 

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。
君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。
此計 此の山中生活のはかりごと。○誠長往 長往とは自然界と一体化のことをいう。○芝草瑯玕 芝草、瑯玕共に仙薬。○ 不老になる。



鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』
そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。
鐵鎖 鎖に同じ、くさり。岩場に上から鉄の鎖が設置されている。○高垂 高い処からたれる、これは壇の所在の地の高いことをいうが、高いところに登るため、鐵鎖を伝って攀じ登るのである。道教の修行場は、ほとんど同様なものであった。その麓に道観(寺院のこと、道教の場合寺を観という)がある。○致身 道教は万物の一体化が基本である、身をそこに置くことを重視する。○福地 壇の在る所は道教でいう福地であるとの意。洞天福地説があり、「神山訣録」に「天仙・地仙・三十六洞天・八十一福地有り、地仙由り功行ヲ積累シ、遂二天仙二超昇ス」という。○粛爽 しずかにさわやか。


 

道教--この詩のための要旨--
 仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。

樂遊園歌  杜甫

「樂遊園歌」  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 38
楽遊園のことをうたった歌、長史賀蘭場という人の宴席で酔時の歌である。天宝十載正月晦日の作。
天宝10載 751年 40歳


楽遊園歌
* 〔原注〕晦日。賀蘭楊長史延酔歌。
樂游古園萃森爽,煙綿碧草萋萋長。
楽遊園のこの由緒ある高台の庭は高くそびえて木立ちが繁り、気象さわやかな処だが、もはや春になったから春靄がたなびき碧の草がシュウシュウと生え出、のびてきた。
公子華筵勢最高,秦川對酒平如掌。』

ここに賀蘭公子が設けたはなやかな酒のむしろの宴は、一番高い地勢に設定されているので、ここからみると我が手にする酒と対して秦川の水面が手のひらにのったようにみえる。』
長生木瓢示真率,更調鞍馬狂歡賞。
天然のままの長生木の瓢をぶらさげ、何事も気にしないで、さらに鞍おいた馬をのりこなしながら正気のさたとおもわれぬほどあちらこちらと喜んで眺めまわっている。
青春波浪芙蓉園,白日雷霆夾城仗。
この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている。
閶闔晴開詄蕩蕩,曲江翠幕排銀榜。
御所の御門が晴天に蕩々と音をたてながら開かれると、曲江では翠幕をはりつらね外面に銀字のぴかりあざやかに座席のふだが排列せられる。
拂水低回舞袖翻,緣雲清切歌聲上。』

水を拂い、低く回る美人の袖はひるがえり舞っている、すみきった歌の声はたかく雲によりそういながらのぼっている。』
卻憶年年人醉時,只今未醉已先悲。
ひるがえっておもう毎年毎年、衆人の酔う時節になっている。ただ、いまはまだ酔えない、その前に悲しくなるのである。
數莖白發那拋得?百罰深杯亦不辭。
いつのまにか生じた四五本の白髪はすて去ることもできない。深い杯を百盃の罰を科せられても辞退せぬつもりだ。
聖朝亦知賤士醜,一物自荷皇天慈。
今日の朝廷がまた自分のような賤士のおいぼれを知っていただきたい、その一杯の酒は皇天の慈愛を蒙っているものとしてありがたくお受けいたします。
此身飲罷無歸處,獨立蒼茫自詠詩。』

このからだは酒を飲み終わったところで何処へとも帰えるべき場処をもっていない、一人立ちどまってぼんやりと、みずからの詩を詠うのである。』



楽遊園のこの由緒ある高台の庭は高くそびえて木立ちが繁り、気象さわやかな処だが、もはや春になったから春靄がたなびき碧の草がシュウシュウと生え出、のびてきた。
ここに賀蘭公子が設けたはなやかな酒のむしろの宴は、一番高い地勢に設定されているので、ここからみると我が手にする酒と対して秦川の水面が手のひらにのったようにみえる。』

天然のままの長生木の瓢をぶらさげ、何事も気にしないで、さらに鞍おいた馬をのりこなしながら正気のさたとおもわれぬほどあちらこちらと喜んで眺めまわっている。
この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている。
御所の御門が晴天に蕩々と音をたてながら開かれると、曲江では翠幕をはりつらね外面に銀字のぴかりあざやかに座席のふだが排列せられる。
水を拂い、低く回る美人の袖はひるがえり舞っている、すみきった歌の声はたかく雲によりそういながらのぼっている。』

ひるがえっておもう毎年毎年、衆人の酔う時節になっている。ただ、いまはまだ酔えない、その前に悲しくなるのである。
いつのまにか生じた四五本の白髪はすて去ることもできない。深い杯を百盃の罰を科せられても辞退せぬつもりだ。
今日の朝廷がまた自分のような賤士のおいぼれを知っていただきたい、その一杯の酒は皇天の慈愛を蒙っているものとしてありがたくお受けいたします。
このからだは酒を飲み終わったところで何処へとも帰えるべき場処をもっていない、一人立ちどまってぼんやりと、みずからの詩を詠うのである。』


(楽遊園の歌)
楽遊の古園 萃として森爽、煙綿として碧草 萋萋長ず
公子の華筵 勢 最も高し、秦川 酒に対して平 掌の如し
長生 木の瓢 真率なるを示し、更に鞍馬を調して 歓賞に狂す』
青春 波浪 芙蓉の園、白日 雷靂 爽城の供
閶闔 晴れ開いて談として蕩蕩たり、曲江 翠幕 銀榜を排す
水を払うて 低回 舞袖 翻り、雲に縁って 清切 歌声上る』
卻って憶う 年年 人酔うの時、只今 未だ酔わざるに 己に先ず悲しむ
数茎の白髪 那ぞ拋ち得ん、百罰深杯も亦た辞せず
聖朝亦た知る賤士の醜なるを、一物自ら荷う皇天の慈
此の身飲み罷みて帰する処なし、独立蒼茫自ら詩を泳ず』



楽遊園歌
* 〔原注〕晦日。賀蘭楊長史延酔歌。
楽遊園 また楽遊原ともいう。唐の京兆万年県の南八里にあり、杜甫の居った杜陵の西北に在る。其の遊覧の盛んであった。 ○晦日  唐では正月晦日・三月三日・九月九日を三令節となした。これは正月晦日をさす。今の太陽暦の三月頃にあたるから草も萌え出るのである。○賀蘭楊 人の姓名。詳細不明。 ○長史 官名。長史の官は諸官府にあったので、この人はどの官府長史であるか不明。
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樂游古園萃森爽,煙綿碧草萋萋長。
楽遊園のこの由緒ある高台の庭は高くそびえて木立ちが繁り、気象さわやかな処だが、もはや春になったから春靄がたなびき碧の草がシュウシュウと生え出、のびてきた。
楽遊古園 楽遊園は古の字をはさみ用いる。長安の東南にあって、長安を眺め渡すことができる景勝地のことになる。
後世、杜牧は「將赴呉興登樂遊原」で
淸時有味是無能,閒愛孤雲靜愛僧。
欲把一麾江海去,樂遊原上望昭陵。

李商隠は、 「登樂遊原」
向晩意不適,驅車登古原。
夕陽無限好,只是近黄昏。

清・王士禛は「即目三首其一」で
蒼蒼遠煙起,槭槭疏林響。
落日隱西山,人耕古原上。
 
○萃  シュツ、ソツの二者がある。山の危峻なるさま。○森爽  木立ちがならんで気のさわやかなこと。 ○煙綿 綿とは連綿の綿、春靄のつらなる状態をいう。○萋萋  くさのしげるさま。 ○ のびる。



公子華筵勢最高,秦川對酒平如掌。』
ここに賀蘭公子が設けたはなやかな酒のむしろの宴は、一番高い地勢に設定されているので、ここからみると我が手にする酒と対して秦川の水面が手のひらにのったようにみえる。』
公子 賀蘭場長史をさす。○華造 りっぱな酒のむしろ。勢 地勢。○秦川 秦嶺より流れでる川、一名欒川という。○如掌 掌はたなごころ、手のひら。まったいらであることをいう。



長生木瓢示真率,更調鞍馬狂歡賞。
天然のままの長生木の瓢をぶらさげ、何事も気にしないで、さらに鞍おいた馬をのりこなしながら正気のさたとおもわれぬほどあちらこちらと喜んで眺めまわっている。
長生木 木の名、これを以て瓢をつくる。○ 酒をいれるふくべ。○ 奇形の瓢をぶらさげありのままを人にみせながらの意。○真率 心を飾らずありのままにしておくこと。飲器などにこだわらない、なんでもよい。○調 馬を調教すること。○ やたらにするをいう。



青春波浪芙蓉園,白日雷霆夾城仗。
この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている
青春 はる、五行の考えでは春の色を青とする。○芙蓉園 長安城の東南にあり、曲江の西南に位する。これと香園とは秦の宜春下苑の地であり、園内に芙蓉池がある。○雷霆 かみなり、いかずち。これは車馬・音楽などの音をたとえていう。○爽城仗  仗は天子行幸の儀使(はたさしものをつらねた行列)をいう。宮廷警護の軍隊のみが使用する武器。爽城とは垣壁を以てはさんだ道路、開元二十年に大明宮より芙蓉園までこの道路を築いた。


閶闔晴開詄蕩蕩,曲江翠幕排銀榜。
御所の御門が晴天に蕩々と音をたてながら開かれると、曲江では翠幕をはりつらね外面に銀字のぴかりあざやかに座席のふだが排列せられる。
閶闔 天の門、これは宮城の門をさす。○詄蕩蕩  漢の郊祀歌に見える。如淳の解に「天体清堅ノ状」というが其の義を得ない。蓋し城門のがたついてとどろくさまをいうのであろう。○曲江 下にみえる。「青春」 の句よりこの「曲江」の句までは曲江と宮城とを交互に叙したもの。○翠帳 みどりのまく。○ 排列する。○銀榜 銀字で書いた看板。これは遊覧者の座次をあらわすために、帳の外へ貴族などが家名・爵号などを書いた看板をだすのである。

拂水低回舞袖翻、緣雲清切歌聲上。』
水を拂い、低く回る美人の袖はひるがえり舞っている、すみきった歌の声はたかく雲によりそういながらのぼっている。』
低回 ゆらつくさま。〇緣雲 たかくのぼるをいう。○清切 すみわたってみにしむように。○ 下より空ざまにたちのぼる。
 

卻憶年年人醉時、只今未醉已先悲。
ひるがえっておもう毎年毎年、衆人の酔う時節になっている。ただ、いまはまだ酔えない、その前に悲しくなるのである。
卻憶 前段は遊楽をのべ、ここは一転する。故に「郁って」という。○只今 現在。



數莖白發那拋得、百罰深杯亦不辭。
いつのまにか生じた四五本の白髪はすて去ることもできない。深い杯を百盃の罰を科せられても辞退せぬつもりだ
数茎 茎は本というの類。白髪の本数。 ○ 棄て去るという類。 〇百罰深杯 杯が深いので百杯も罰してのませる、桑乂の故事。○ 辞退する。

 
聖朝亦知賤士醜,一物自荷皇天慈。
今日の朝廷がまた自分のような賤士のおいぼれを知っていただきたい、その一杯の酒は皇天の慈愛を蒙っているものとしてありがたくお受けいたします。
聖朝  今の朝廷。 ○賤士醜  賤士とは作者自ずからをいう、醜とは老醜であることをいう。此の語によれば老醜の故を以て官途にのぼされぬということ。〇一物  一物とは酒を指す。○皇天慈  天のなさけ。



此身飲罷無歸處,獨立蒼茫自詠詩。』
このからだは酒を飲み終わったところで何処へとも帰えるべき場処をもっていない、一人立ちどまってぼんやりと、みずからの詩を詠うのである。
帰処 帰著すべきところ。○蒼茫 荒寂のさま。


贈翰林張四學士 杜甫

贈翰林張四學士 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 36


贈翰林張四学士洎
翰林学士張洎贈った詩である。天宝九載河南より長安にかえったときの作。張洎は李白とも接触していた。父親の生前は影響力があったが、730年に没しており、そのあとを張九齢が受け継ぐが、735.~736年にかけ李林甫との権力闘争に完全に敗れた。750年は李林甫の最高に権力を持っていた時期であったため、張洎らの意見は完全に抹殺されている。杜甫がどういう行動し、傑作の詩文を書いても無理な時期であった。
天宝9載 750年 39歳

贈翰林張四學士
翰林院の張四學士に贈る
翰林逼華蓋,鯨力破滄溟。
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。
天上張公子,宮中漢客星。』
君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
賦詩拾翠殿,佐酒望雲亭。
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
紫誥仍兼綰,黃麻似六經。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
內頒金帶赤,恩與荔枝青。』
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
無複隨高鳳,空餘泣聚螢。
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
此生任春草,垂老獨漂萍。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
儻憶山陽會,悲歌在一聽。』

あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』



翰林院の張四學士に贈る
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』



(翰林の張四学士洎[土自]に贈る)
翰林華蓋に逼る 鯨力滄溟を破る
天上の張公子 宮中漢の客星』
詩を賦す拾翠殿 酒を佐く望雲亭
紫語仍りて兼ね綰ぐ 黄麻六経に似たり
内より金帯の赤きを頒つ 恩与荔枝青し』
復た高鳳に随う無し 空しく余す聚螢に泣くを
此の生春草に任す 垂老獨り漂萍
儻くは山陽の会を憶わば 悲歌一聴に在り』




贈翰林張四學士
翰林院の張四學士に贈る
翰林学士 「新唐書」百官志によると、翰林院(かんりんいん)とは、唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のことをいう。玄宗は初め翰林待詔を置き四方の表疏の批答・応和の文章を掌らしめたが、やがて後には文学の士を選んで翰林供奉と号し集賢院学士と制詔書勅を分掌させた。開元二十六年又翰林供奉を改めて学士と為し、・別に学士院を置いて専ら内命を掌らしめ、其の後選用益上重くして礼遇益よ親しく号して内相となすに至った。内宴には宰相の下・一品の上に居るという。738年開元二十六年翰林学士を置いたとき、太常少卿張絹・起居舎人劉光謙らを首として之に居らせた。洎は玄宗の女寧親公主の婿である。
張洎 玄宗の謀臣にして宰相であった張説には二子があり、均といい柏といったが、皆文を能くした。四は従兄弟問の順位。


翰林逼華蓋,鯨力破滄溟。
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。 
翰林 学士の地位をいう。○逼 近いことをいう。○華蓋 天文に大帝(星名)の上の九星を華蓋というのは、華はすべての真ん中にあたる。大帝の座。○鯨力 くじらのちから。文章の才能がずばぬけているこという。○ 波をやぶる。○滄溟 ひろい海原。 


天上張公子,宮中漢客星。』
君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
天上 地位の高いことをいう。○張公子 漢の成帝が微行して張故の家人だと称したところ、世人は童謡をつくってこのひとを張公子といった。字面はこれに基づくがここは張姓の貴公子ということで張洎をさす。○漢客星 客星は使者をいう。漢の張賽が武帝の使いとなって天の河に至った話があり、杜甫の「贈太常卿張洎」詩の「能事重訳に聞こえ、嘉謨遠黎に及ぶ」の句によれば相は嘗て外国に使いしたことがあるもののようである。張洎は玄宗の女婿である。


賦詩拾翠殿,佐酒望雲亭。
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
○拾翠殿 殿の名、大福殿の東南にある。○佐酒 酒をつぎまわる助けをする。○望雲亭 亭の名、景福台の西にある。
 
紫誥仍兼綰,黃麻似六經。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
紫誥 語は勅命のおかきつけで、これを封ずるには紫色の泥を用いる。故に紫誥という。○兼綰 結はつなぐ。制棺はもと集賢学士の領する所であったが、当時は翰林学士がこれを分掌していたゆえに兼綰というとの説がある。翰林学士に他の職務があって乙事を分掌するならば分掌も兼棺といい得るであろうが、本来制詔等を掌る事が翰林の職務であるならば他と分掌したとしてもこれを兼棺という理由はない。因って考えるのにこの兼綰は下の黄麻に対する語であって、紫誥を掌るうえに黄麻をも兼締す、その黄麻は六経に似たりという文法であろう。○黄麻 黄麻・白麻は紙の種類。詔・書を写すのには黄麻紙を用い、制には自麻紙を用いるという。しかしまた詔には自藤紙を用いるともいう。時によって変易があったのであろう。ここは詔をかく紙をいう。○似六経 詔の文が典雅なことは六経の文章と似ている。


內頒金帶赤,恩與荔枝青。』
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
内頒 宮中の内宮廷からわかちくださる。○金帯赤 黄金を飾った赤い色の帯。四品官の緋服、五品官の浅緋服は金帯を用いる。○恩与 恩命により与えられるもの。○荔枝 らいち、竜眼肉に似ている果物の名、南方暖地に産する。楊貴妃はこれを好み、早飛脚にて北へ伝送させたという話がある。
 
無複隨高鳳,空餘泣聚螢。
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
高鳳 高くとぶ鳳凰、張洎をたとえていう。○空餘 いたずらに。○聚螢 晋の車胤の故事、胤は家が貧しくて油がなく、夏は螢をあつめて嚢にいれ、その光に照らして書を読んだ。自己の貧しいことをいう。


此生任春草,垂老獨漂萍。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
任春草 解しがたい句で、諸家に明解はない。案ずるに「楚辞」の「王孫遊ンデ帰ラズ、春草生ジテ妻妾タリ」を用いたものであろう。即ち春草は生えても自己の流浪して故郷に帰らないことをいう。○垂老 老いかかって。○漂萍 見ずにただよう蓬、流浪の漂蓬。


儻憶山陽會,悲歌在一聽。』
あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』
 万一、ひょっと。○山陽会  魏の嵆康は河内の山陽に寓居して王戎・向秀と同遊した。今それを借り用いる。此の句は作者が嘗て張洎らと同志の交遊をなしたことがあることによって言ったものであろう。○悲歌 この詩をさす。○ 重要な点がそこにあるということ。〇一聴 ひとたびきく、張洎がきくのである。

冬日洛城北謁玄元皇帝廟 杜甫

冬日洛城北謁玄元皇帝廟 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 35
冬の日に洛陽の城の北で玄元皇帝(老子)の廟に詣でて作った詩。天宝八載冬洛陽での作。


冬日洛城北謁玄元皇帝廟
天宝8載 749年 38歳

冬日洛城北謁玄元皇帝廟
 冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に拝謁。
    〔原注〕廟有呉道子圭五聖囲。
作者註;廟には呉道子が画いた五聖図が有る。

配極元都閟,憑高禁禦長。
山上に老子廟があるが、北極に配してここに天上の玄都の世界をかこっているであるここは高所からの地勢によって人の出入りを禁ずる竹矢来が長くつらなっている。
守祧嚴具禮,掌節鎮非常。
守祧の官は厳重に礼をもってここを守っている、掌節の官は符信によって人を確認をしているし、急変を鎮圧するのである。
碧瓦初寒外,金莖一氣旁。
碧の屋根瓦にも冬日の初寒をかんじさせている、天地間に横たわる元気の傍に銅柱が高く突っ立っている。
山河扶繡戶,日月近雕梁。』
周囲の山河は此の廟の繍戸をかかえて保護する、日も月も此の廟の雕刻した梁木に近くかがやいている。』
仙李蟠根大,猗蘭奕葉光。
老子以後神聖なる李樹はそのわだかまる根がますます大きく、またうつくしい蘭がその葉をつぎつぎとだして光っているように後代になって盛になってきた。
世家遺舊史,道德付今王。』
老子から我が唐までの系譜がどんなにして脈絡をひいて来たかのすじみちは旧来の史官から遺忘され、かきしるされていぬからよくわからぬが、ともかく老子が説いたような道徳そのものは、立派に今の天子(玄宗)に附与せられている。』
畫手看前輩,吳生遠擅場。
此の廟に墻壁にかいた画がある。画家にもいろいろあるが前輩と称せられている人々をも見わたしてみるに呉道子こそは現代に於てのみならず遠く過去へかけてみても画壇の独壇場の者だ。
森羅移地軸,妙絕動宮牆。
彼がかいた森羅せる万象はそれをみると大地から抜けでてここへ移されたかとおもわれその非凡の妙はこの廟の墻面に活動している。
五聖聯龍袞,千官列雁行。
高祖以下の五人の聖天子はその褒竜の御衣をおならべになっているし、また多くの官吏たちが雁の行列のようにはすかいにつらなっている。
冕旒皆秀發,旌旆盡飛揚。』
冕旒(べんりゅう)の色彩はいずれも飛びたつ様にみえ、旌旆のたぐいもことごとくまいあがっている。』
翠柏深留景,紅梨迥得霜。
庭さきをみると翠の柏樹が深々としげって緑影をたもっているし、梨の紅葉ははるかに霜をおびているのがみえる。
風箏吹玉柱,露井凍銀床。』
玉柱には風鈴が風に吹かれてチリンチリン鳴っているし、屋根なし井には銀飾の木架が凍っている。』
身退卑周室,經傳拱漢皇。
老子は生前自分と自分の身をひきこめて周室に於いて卑賤な地位に甘んじていたが、その書きのこした「道徳経」五千言は後代まで伝わって、漢の天子(文帝・景帝の如き)から敬礼を以て迎えられた。
穀神如不死,養拙更何鄉。』

老子自身がといたように谷神というものがあってそれがほんとうに死なぬものとするならば、老子の谷神は今日も存在しているだろうが、その神はどの地方で拙を養いつつあるだろうか。』

冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に拝謁。
作者註;廟には呉道子が画いた五聖図が有る。
山上に老子廟があるが、北極に配してここに天上の玄都の世界をかこっているであるここは高所からの地勢によって人の出入りを禁ずる竹矢来が長くつらなっている。
守祧の官は厳重に礼をもってここを守っている、掌節の官は符信によって人を確認をしているし、急変を鎮圧するのである。
碧の屋根瓦にも冬日の初寒をかんじさせている、天地間に横たわる元気の傍に銅柱が高く突っ立っている。
周囲の山河は此の廟の繍戸をかかえて保護する、日も月も此の廟の雕刻した梁木に近くかがやいている。』

老子以後神聖なる李樹はそのわだかまる根がますます大きく、またうつくしい蘭がその葉をつぎつぎとだして光っているように後代になって盛になってきた。
老子から我が唐までの系譜がどんなにして脈絡をひいて来たかのすじみちは旧来の史官から遺忘され、かきしるされていぬからよくわからぬが、ともかく老子が説いたような道徳そのものは、立派に今の天子(玄宗)に附与せられている。』

此の廟に墻壁にかいた画がある。画家にもいろいろあるが前輩と称せられている人々をも見わたしてみるに呉道子こそは現代に於てのみならず遠く過去へかけてみても画壇の独壇場の者だ。
彼がかいた森羅せる万象はそれをみると大地から抜けでてここへ移されたかとおもわれその非凡の妙はこの廟の墻面に活動している。
高祖以下の五人の聖天子はその褒竜の御衣をおならべになっているし、また多くの官吏たちが雁の行列のようにはすかいにつらなっている。
冕旒(べんりゅう)の色彩はいずれも飛びたつ様にみえ、旌旆のたぐいもことごとくまいあがっている。』

庭さきをみると翠の柏樹が深々としげって緑影をたもっているし、梨の紅葉ははるかに霜をおびているのがみえる。
玉柱には風鈴が風に吹かれてチリンチリン鳴っているし、屋根なし井には銀飾の木架が凍っている。』

老子は生前自分と自分の身をひきこめて周室に於いて卑賤な地位に甘んじていたが、その書きのこした「道徳経」五千言は後代まで伝わって、漢の天子(文帝・景帝の如き)から敬礼を以て迎えられた。
老子自身がといたように谷神というものがあってそれがほんとうに死なぬものとするならば、老子の谷神は今日も存在しているだろうが、その神はどの地方で拙を養いつつあるだろうか。』

(冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に謁す)
極に配して玄都閟ず 高きに憑りて禁禦長L
守祧 嚴に礼を具う 掌節非常を鎮す
碧瓦 初寒の外 金莖一気の勇
山河 繍戸を扶け 日月雕梁に近し』
仙李 嗜根大に 猗蘭奕葉光る
世家 旧史に遺さるるも 道徳は今王に付す』
画手 前輩を看るに 呉生 遠く場を擅にす
森羅 地軸を移す  妙絶 宮牆に動く
五聖 竜袞を聯ぬ  千官 雁行列す
冕旒 供に秀発す  旌旆 尽く飛揚す』
翠柏 深くして景を留め 紅梨 迥にして霜を得
風箏 玉柱に吹かれ  露井に銀床凍る』
身退きて周室に卑し 経伝りて漢皇に拱せらる
谷神如し死せずんば 拙を養う更に何の郷ぞ』


冬日洛城北謁玄元皇帝廟
冬日、洛城の北にて、玄元皇帝の廟に謁す
○冬日 天宝八載の冬の日。○洛城 洛陽城。○玄元皇帝廟 老子の廟。唐の高宗の乾封元年に亳州(安徽省穎州府亳州治)に幸して老君廟に詣り、老子を追尊して玄元皇帝となした。玄宗の741年開元二十九年詔して両京諸州に各上玄元皇帝の廟を置かせた。744年天宝二年三月王子、親ら玄元廟を祀り、西京(長安)の玄元廟を改めて太清宮となす、東京(洛陽)の廟を太微官となし、天下のものを紫微官となした。廟を宮と改めたのは己に天宝二年のことであるのに此の詩の題に玄元皇帝廟というのは旧称によったものである。詩中に「五聖聯二竜衰ことある事実は749年天宝八載閏六月の事であり、題の「冬日」というのは其の年の冬であることを知る。750年天宝九載には作者は長安に帰って「三大礼賦」を献じ、洛陽にはいなかった。

漢魏隋唐の洛陽城


配極元都閟,憑高禁禦長。
山上に老子廟があるが、北極に配してここに天上の玄都の世界をかこっているであるここは高所からの地勢によって人の出入りを禁ずる竹矢来が長くつらなっている。
配極 極とは北極星。廟は洛陽城の北にあるゆえに極に配すという。漢魏期の洛陽城を基本にしている。○玄都  玄都は即ち老子神の住む都、廟地を基本にいう。○ 深く閉ざすこと。○憑高 廟は北部山の上にある故にかくいう。○禁禦 禦は竹矢来の類、人の往来を禁じているので禁という。


守祧嚴具禮,掌節鎮非常。
守祧の官は厳重に礼をもってここを守っている、掌節の官は符信によって人を確認をしているし、急変を鎮圧するのである。
守祧 祧とは一方より他の廟へ遷した先祖の御位牌を蔵するところをいう、ただ廟の事にいう、その廟を守る役人を守祧という。唐では老子を尊んで聖祖とし、先祖あっかいをするゆえ老子廟を守る役人を守祧という。○掌節 これも役人の称、節とは信(しるしの物、切符其の他の此処に出入することを許される証拠物件)であり、その信のことを掌る掛りのものを掌節という。○ 鎮圧する、防衛の任にあたる。○非常 変事をいう。


碧瓦初寒外,金莖一氣旁。
碧の屋根瓦にも冬日の初寒をかんじさせている、天地間に横たわる元気の傍に銅柱が高く突っ立っている。
碧瓦 琉璃色の瓦、これをもって屋根を葺く。○初寒 冬日ゆえ寒気が初めて催す。○金茎 銅でつくった柱。廟に銅柱があったことは書籍には見えないが此の詩句によればあったものとみえる。〇一気 天地間に横たわる元気をいう。
 
山河扶繡戶,日月近雕梁。』
周囲の山河は此の廟の繍戸をかかえて保護する、日も月も此の廟の雕刻した梁木に近くかがやいている。』
 わきからかかえて保護する。○繍戸 錦繍の類をはりつけてかざった廟の戸。○ 日月が近いとは廟の高いことをいう。○雕梁 雕刻を施したはり。


仙李蟠根大,猗蘭奕葉光。
老子以後神聖なる李樹はそのわだかまる根がますます大きく、またうつくしい蘭がその葉をつぎつぎとだして光っているように後代になって盛になってきた。
仙李 仙とは神聖なるという意。老子は生まれたとき李樹を指さして、「此を以て我が姓とせん」といったとの伝説がある。老子は、姓は李、名は耳、字は伯陽、認して恥という。唐も李姓で遠祖は老子より出たと自称していたので李のことを用いる。○蟠根 わだかまる根。○猗蘭 猗は美しく盛んなこと。ここは上の李と対して蘭を用いているけれども意は一事をつづけていう。○奕葉 奕は絶えぬこと。その実がつぎつぎと生じて光輝があるということ。


世家遺舊史,道德付今王。』

老子から我が唐までの系譜がどんなにして脈絡をひいて来たかのすじみちは旧来の史官から遺忘され、かきしるされていぬからよくわからぬが、ともかく老子が説いたような道徳そのものは、立派に今の天子(玄宗)に附与せられている。』
世家 単に李氏の系譜。○ 過忘・遺失の義。○旧史 ふるい歴史の官、または「史記」の著者司馬遷。○道徳 これにつき旧説は老子の著わした「道徳経」ととき、玄宗が嘗て「遺徳経」に注した。


畫手看前輩,吳生遠擅場。
此の廟に墻壁にかいた画がある。画家にもいろいろあるが前輩と称せられている人々をも見わたしてみるに呉道子こそは現代に於てのみならず遠く過去へかけてみても画壇の独壇場の者だ。
画手 画家。○前輩 さきに出身したもの。○呉生 呉遣玄。道玄字は道子、東京陽雀の人。玄宗は其の名を知り、召して内に入れて供奉させた。その画は人物仏像、神鬼禽獣、山水台殿草木において皆世に冠絶し唐朝第一と称せられる。○ 過去をさす。○檀揚 場を接にするとは独り舞台であることをいう。○森羅 万象のつらなっているさま。


森羅移地軸,妙絕動宮牆。

彼がかいた森羅せる万象はそれをみると大地から抜けでてここへ移されたかとおもわれその非凡の妙はこの廟の墻面に活動している。
移地軸 移とは此の廟へうつし来たることをいう。地軸は古人も地に多くの軸があると考えた、ただしここの地軸とは大地の根というほどの義であろう。○妙絶 非常の妙。○動宮堵 動とは活動すること、えがかれた事物が活き活きしていること。


五聖聯龍袞,千官列雁行。

高祖以下の五人の聖天子はその褒竜の御衣をおならべになっているし、また多くの官吏たちが雁の行列のようにはすかいにつらなっている。
五聖 五人の聖天子、高祖・太宗・高宗・中宗・容宗をいう。○ ならんでいること。○竜衰 「礼記」礼器第に「天子竜衰」とあり、注に「衰ハ巻ナリ」とみえる。天子の御衣には巻き竜の模様がついている。○雁行 はすかいに列をなす。


冕旒皆秀發,旌旆盡飛揚。』
冕旒(べんりゅう)の色彩はいずれも飛びたつ様にみえ、旌旆のたぐいもことごとくまいあがっている。』
○晃旗 晃は冠、旗は冠からさがっている玉をつらねたびらびら。天子の晃には朱緑のあやがあり、旗が十二本たれる。○秀発 色彩がすぐれてとびたつようにみえる。○旋旅 族は旗竿のさきに羽のついたはた。族は元来ははたの四周についた飾りのびらびらをいうが、はた其の物をもさす。これは行列に伴うものであろう。○飛揚 まいあがっている。


翠柏深留景,紅梨迥得霜。
庭さきをみると翠の柏樹が深々としげって緑影をたもっているし、梨の紅葉ははるかに霜をおびているのがみえる。
○翠柏深 みどりのはくじゅ、深とはずっと奥へつらなるさま。○留景 景は影と同じ。留は冬がれであるにもかかわらず色の残っているのをいう。○紅梨過 梨の葉色のあかくなったもの。通は遠方にみえること。○得霜 霜にあうこと。



風箏吹玉柱,露井凍銀床。』
玉柱にはふうりんが風に吹かれてちりんちりん鳴っているし、屋根なし井には銀飾の木架が凍っている。』
風箏 ふうりん。○ 風にふかれること。○玉柱 りっぱなはしら。○露井 屋根なしの井戸。○銀床 銀でかざった兢櫨架、つるべをつるす所の木架。


身退卑周室,經傳拱漢皇。
老子は生前自分と自分の身をひきこめて周室に於て卑賤な地位に甘んじていたが、その書きのこした「道徳経」五千言は後代まで伝わって、漢の天子(文帝・景帝の如き)から敬礼を以て迎えられた。
身退 我が一身をひきこめる、これは顕要の地位に仕えないことをいう。○卑周室 老子は周室の柱下史(国籍を掌る役)となったが、これは其の地位が甚だひくい。○経伝扶漢皇 「老氏聖紀図」に「河上公、漢ノ文帝二遺徳二経を授く、帝斎戒して之を受く」といい、「神仙伝」に「漢の孝貴、老子経を読み、解せざる所有れば、以て河上公に問う、公乃ち素書二巻を授く」という。漢皇とは漢の文帝・景帝をさす。とは両手をかかえるように合わせること、他人に対する敬礼のしかた、二帝が敬礼を以て老子の書を受けたことをいう。
 
穀神如不死,養拙更何鄉。』
老子自身がといたように谷神というものがあってそれがほんとうに死なぬものとするならば、老子の谷神は今日も存在しているだろうが、その神はどの地方で拙を養いつつあるだろうか。』
谷神如不死 「老子」に「谷神苑セズ、是ヲ玄牝卜謂り」とある。谷神とは人の身中の空寮があるところに元神のあることをいう。ここは老子の神をさす。〇養拙 老子の道は消極的にして巧を貴ばずして拙を貴び、或は雄を知って雌を守るという。○何郷 郷とは地方という。老子は散開を出て胡地に入ったなどの伝説があるが、ゆくえは不明である。故に老子自身の語を活用してかく反問する。
 

冬日洛城北謁玄元皇帝廟
配極元都閟,憑高禁禦長。
守祧嚴具禮,掌節鎮非常。
碧瓦初寒外,金莖一氣旁。
山河扶繡戶,日月近雕梁。』
仙李蟠根大,猗蘭奕葉光。
世家遺舊史,道德付今王。』
畫手看前輩,吳生遠擅場。
森羅移地軸,妙絕動宮牆。
五聖聯龍袞,千官列雁行。
冕旒皆秀發,旌旆盡飛揚。』
翠柏深留景,紅梨迥得霜。
風箏吹玉柱,露井凍銀床。』
身退卑周室,經傳拱漢皇。
穀神如不死,養拙更何鄉。』

(冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に謁す)
極に配して玄都閟ず 高きに憑りて禁禦長L
守祧 嚴に礼を具う 掌節非常を鎮す
碧瓦 初寒の外 金莖一気の勇
山河 繍戸を扶け 日月雕梁に近し』
仙李 嗜根大に 猗蘭奕葉光る
世家 旧史に遺さるるも 道徳は今王に付す』
画手 前輩を看るに 呉生 遠く場を擅にす
森羅 地軸を移す  妙絶 宮牆に動く
五聖 竜袞を聯ぬ  千官 雁行列す
冕旒 供に秀発す  旌旆 尽く飛揚す』
翠柏 深くして景を留め 紅梨 迥にして霜を得
風箏 玉柱に吹かれ  露井に銀床凍る』
身退きて周室に卑し 経伝りて漢皇に拱せらる
谷神如し死せずんば 拙を養う更に何の郷ぞ』


高都護驄行 杜甫

高都護驄行 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 34

安西都護高仙芝の騎る駿馬の歌。
749年天宝8載 38歳 朝廷は李林甫に動かされ、後宮は宦官により、占められていた。長安での作。



高都護驄行
安西都護胡青驄 ,聲價欻然來向東。
安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
此馬臨陣久無敵,與人一心成大功。』
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
功成惠養隨所致,飄飄遠自流沙至。
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
雄姿未受伏櫪恩,猛氣猶思戰場利。』
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
腕促蹄高如踣鐵,交河幾蹴會冰裂。
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
五花散作雲滿身,萬裡方看汗流血。』
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
長安壯兒不敢騎,走過掣電傾城知。
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
青絲絡頭為君老,何由卻出橫門道。

この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。



安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。


(都護の驄馬の行)
安西都護の胡の青驄、声価あって欻然としで来って東に向う。
此の馬陣に臨みて久しく敵無し、人と一心大功を成す。』
功成りて恵養致す所に随う、飄飄として遠く流沙より至れり。
雄姿未だ伏櫪の恩を受けず、猛気猶お思う戦場の利。』
腕促まり蹄高くして鉄を踣むが如し、交河幾びか曾氷を蹴って裂く。
五花散じて作す雲満身、万里方に看る汗血を流すを。』
長安の壮児敢て騎らず、走過掣電傾城知る。
青糸頭に絡いて君が為ため老ゆ、何に由ってか 卻って出でん橫門の道。




高都護驄行:  ・高都護 安西都護高仙芝。唐の貞観十七年に安西都護府を西州に置いたが、顕慶三年には治を亀立国城(今の新嬉省の庫車)に移し、手腕以西・波斯以東の十六都護府をこれに隷せしめた。
747年天宝6載()、高仙芝は配下の封常清・李嗣業・監軍の辺令誠ら歩騎一万を率いて討伐に出た。歩兵も全て馬を持ち、安西(クチャ)を出発し、カシュガルを通り、パミール高原に入り、五識匿国(シュグナン地方)に着いた。その後、軍を三分して、趙崇玼と賈崇カンに別働隊を率いさせ、本隊は護密国を通って、後に合流することにした。高仙芝たちはパミール高原を越え、合流に成功し、急流のパンジャ川の渡河にも成功する。この地で吐蕃軍が守る連雲堡(サルハッド?)を落とし、5千人を殺し、千人を捕らえた。ここで、進軍に同意しなかった辺令誠と3千人の兵を守備において、さらに行軍した。
峻険な20kmもほぼ垂直な状態が続くと伝えられるダルコット峠を下り、将軍・席元慶に千人をつけ、「大勃律へ行くために道を借りるだけだ」と呼ばわらせた。自身の小勃律の本拠地・阿弩越城への到着後、吐蕃派の大臣を斬り、小勃律王を捕らえ、パンジャ河にかかった吐蕃へ通じる藤橋を切った。その後、小勃律王とその后である吐蕃王の娘を連れ、帰還する。西域72国は唐に降伏し、その威が西アジアにまで及んだ。九載には仙芝は石国を討って其の王を仔にして献じている。この詩は天宝八載の作である。


安西都護胡青驄 ,聲價欻然來向東。
安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
安西都護 今の新疆ウィグル自治区南部におかれた唐朝西方およびチベットの守りのためにおかれた幕府   ○胡青驄 胡地に産した葦毛の駿馬。○鍬然 にわかに。○東 長安地方をさす。


此馬臨陣久無敵,與人一心成大功。』
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
恵養 人の恵みをうけ飼養されること。文字は顔延之の「粛白馬ノ賦」に見える。


功成惠養隨所致,飄飄遠自流沙至。
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
随所致 致は招致の意、随は意のままにする。馬のそうしたいとおもうままにという意。○諷諷 馬のかけるさま。○流沙 新彊省ロブノル湖の地方。安西より来るのにはここを経過する。


雄姿未受伏櫪恩,猛氣猶思戰場利。
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
雄姿 馬のおおしいすがた。○未受 受けることをいさざよしとしないこと。○伏棲恩 「老駿健に伏すも、志は千里に在り」は曹操の句。えさはうまやの踏み板、馬が年とるとかいばおけに伏してものをたべる。○猛気 馬の猛烈な元気。○ 勝利。


腕促蹄高如踣鐵,交河幾蹴會冰裂。
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
 寸法のつまっていること。馬は腕の短いのをよしとする。健康なこと。○蹄高 高とは厚いことをいう、険に耐える。○如躇鉄 蹄の堅いことをいう。○交河 今の新疆ウィグル自治区吐魯蕃県を流れる川の名。交河があるので又県の名とする。ここは河をさす。○ 幾回。○曾泳 曾は層に同じ。積み重なった氷。氷河のようなものであろう。


五花散作雲滿身,萬裡方看汗流血。』
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
五花 梅の花がたの毛の紋様。○雲満身 全身に雲がみちているよう。○万里 安西と長安とのおおよその距離。〇万看 眼前実際に見ることをいう。単に馬の能力を説くのではない。○汗流血 漢の時大宛国の天馬は石をふみ血を汗にしたと伝える。この馬もそれと似ている。


長安壯兒不敢騎,走過掣電傾城知。
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
不敢騎 のりきらぬ。○掣電 撃は「ひく」。馬の走るとき快速非常にして電光をひくがごとくである。○傾城 城中の人はことごとく。


青絲絡頭為君老,何由卻出橫門道。
この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。
青糸 馬の面づらの縄に用いる青色の絹いと。○ 高仙芝をさす。○ 外へでる。○横門 金光門、長安の西北の第一門の名、この門を出て西域の方へ向かうのである。結尾の二句は直接に馬の心をいう。
長安城郭015

奉寄河南韋尹丈人 杜甫

奉寄河南韋尹丈人 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 33
天宝7載 748年 37歳

河南の尹である韋済どのに寄せ奉った詩。天宝七載長安に在っての作。


奉寄河南葦草丈人
〔原注〕甫故盧在偃師。承韋公頻有訪問。故有下

有客傳河尹,逢人問孔融。
或る人があって河南尹李膺ともいうべきあなたが人にあうごとに孔融ともいうべき私のことをお尋ねになると伝えてくれた。
青囊仍隱逸,章甫尚西東。
私の近況を申せば青嚢の書を探ってやっぱり隠逸のすがたでおり、世にはやらない章甫の冠をつけていまだに西東とさまよっております。
鼎食分門戶,詞場繼國風。
あなたは鼎を列ねて食うという富貴の家で一族の数多く幾多の門戸にわかれておられるし、あなたは詩文社会でその製作は国風の詩をうけ継ぐであろうという。
尊榮瞻地絕,疏放憶途窮。』
はあなたの尊き繁栄を仰いであなたの居られる地位がよほど高くかけはなれているのをみるのである、しかしてあなたはよくも此の私が疎放にしてゆく途の窮まれる事を御思いくだされる。』
濁酒尋陶令,丹砂訪葛洪。
私は賢者の酒濁酒を愛する陶淵明を尋ねたり、丹砂を錬る葛浜を訪うたりして隠退を学んだ。
江湖漂短褐,霜雪滿飛蓬。
江湖の地に粗末な短褐で身をつつんでさまよっている、霜雪が己に頭の乱れた髪にいっぱいになってきた。
牢落乾坤大,周流道術空。
この大なる天地の間におちぶれつつ、あちらこちらうつりゆくが身には何等の道術もそなわっていない。
謬慚知薊子,真怯笑揚雄。』
あなたが薊子訓に比すべきこの私をお知りくださるのはおはずかしいことで、私は世人が揚雄を笑ったような私であることをほんとうに恐れている。』
盤錯神明懼,謳歌德義豐。
あなたは難関を解決するという盤根錯節を断つための利器で、その政治の能力が神がかりで卓越している、あなたの徳義はゆたかであって人々は之を謳歌する。
尸鄉餘土室,誰話祝雞翁。』

私は昔の祝難翁のように尸郷に土室をのこしておりますが、あなたをおいてほかにだれが祝難翁と思っている私のことを話してくれるでしょう。



或る人があって河南尹李膺ともいうべきあなたが人にあうごとに孔融ともいうべき私のことをお尋ねになると伝えてくれた。
私の近況を申せば青嚢の書を探ってやっぱり隠逸のすがたでおり、世にはやらない章甫の冠をつけていまだに西東とさまよっております。
あなたは鼎を列ねて食うという富貴の家で一族の数多く幾多の門戸にわかれておられるし、あなたは詩文社会でその製作は国風の詩をうけ継ぐであろうという。
はあなたの尊き繁栄を仰いであなたの居られる地位がよほど高くかけはなれているのをみるのである、しかしてあなたはよくも此の私が疎放にしてゆく途の窮まれる事を御思いくだされる。』
私は賢者の酒濁酒を愛する陶淵明を尋ねたり、丹砂を錬る葛浜を訪うたりして隠退を学んだ。
江湖の地に粗末な短褐で身をつつんでさまよっている、霜雪が己に頭の乱れた髪にいっぱいになってきた。
この大なる天地の間におちぶれつつ、あちらこちらうつりゆくが身には何等の道術もそなわっていない。
あなたが薊子訓に比すべきこの私をお知りくださるのはおはずかしいことで、私は世人が揚雄を笑ったような私であることをほんとうに恐れている。』
あなたは難関を解決するという盤根錯節を断つための利器で、その政治の能力が神がかりで卓越している、あなたの徳義はゆたかであって人々は之を謳歌する。
私は昔の祝難翁のように尸郷に土室をのこしておりますが、あなたをおいてほかにだれが祝難翁と思っている私のことを話してくれるでしょう。


(河南の葦戸文人に寄せ奉る)
客有り河声、人に逢えば孔融を問うと伝う。
青嚢仍(な)お隠逸、章甫尚お西東。
鼎食門戸を分ち 詞場国風を継ぐ
尊栄地の絶たるるを瞻る、疎放途の窮せるを憶う。』
濁酒陶令を尋ね、丹砂葛浜を訪う。
江湖短褐を漂わす、霜雪飛蓬に満つ。
牢落乾坤大なり、周流道術空し。
謬って慚ず薊子を知るに、真に怯る揚雄を笑わんことを。
盤錯神明懼る、謳歌徳義豊なり。
尸郷土室を余す、誰か祝鶏翁を話せん。



奉寄河南韋尹丈人
〔原注〕甫故盧在偃師。承韋公頻有訪問。故有下
河南韋尹丈人に寄せたてまつった詩。杜甫は偃師にある草庵にしばしば訪問してゆえに下った。
奉寄 寄といえば地が隔り、遠方より寄せること。 ○河南韋尹 河南韋章済、尹は河南府の長官で従三晶。○丈人 「蓋し席間函丈」より出たものであろう。その人と対坐する際に中間に席一丈を隔てる人。長者を尊敬していう称。又「易」師の卦の王粥の注には文人は「厳荘の称」とする。韋済は天宝七載(749)に河南尹となり、また尚書左丞に遷った。


有客傳河尹,逢人問孔融。
或る人があって河南尹李膺ともいうべきあなたが人にあうごとに孔融ともいうべき私のことをお尋ねになると伝えてくれた。
有客 客とは或る人をさす。○河戸 後漠の李贋をさす。以て韋済に此する。李贋が河南の声となったとき、妄りに士に接しなかったが、孔融は年十歳にして、門にいたって共に交った。○孔融 上にみえる、融を以て自ずからに此する。


青囊仍隱逸,章甫尚西東。
私の近況を申せば青嚢の書を探ってやっぱり隠逸のすがたでおり、世にはやらない章甫の冠をつけていまだに西東とさまよっております。
青囊 曹の郭瑛は業を鄭公に受け、青嚢中書九巻を得て、遂に五行思想に通じた。五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説である。○ なお、よって、これまでどおり。○隠逸 世からかくれのがれる。○章甫 殷代の冠の名、「荘子」に末の人が章甫を冠って越に行ったところが、越の人は髪を断ち、いれずみをしているため、その冠は無用となったという話がある。


鼎石分門戶,詞場繼國風。
あなたは鼎を列ねて食うという富貴の家で一族の数多く幾多の門戸にわかれておられるし、あなたは詩文社会でその製作は国風の詩をうけ継ぐであろうという。
鼎食 鼎を列ねて食すること。鼎は物を煮るもの、之を列ねるとは美食を多く作ること、韋済の門地をいう。〇分門戸 一族が大きくて幾派にもわかれていること。○詞場 文学の社会。○国風 「詩経」の国風の詩をいう。
 
尊榮瞻地絕,疏放憶途窮。』
私はあなたの尊き繁栄を仰いであなたの居られる地位がよほど高くかけはなれているのをみるのである、しかしてあなたはよくも此の私が疎放にしてゆく途の窮まれる事を御思いくだされる。』
尊栄 韋済の尊き繁栄のこと。〇 杜甫がみること。○地絶 韋の居る地が高くしてかけはなれていること。○疎放 杜甫の心のしまりのないことをいう。〇 韋済がおもう。○途窮 魏の阮籍の故事、籍はふと車にのってでかけ途の窮まった所に至ると慟哭してかえったという。上旬の尊栄は地絶へかかり、此の句の疎放は途窮へかかる。


濁酒尋陶令,丹砂訪葛洪。
私は賢者の酒濁酒を愛する陶淵明を尋ねたり、丹砂を錬る葛浜を訪うたりして隠遁を学んだ。
濁酒 賢者。清酒は聖者。 ○陶令 彰沢県令陶淵明。陶淵明は隠遁者でにごり酒を飲んだ。○丹砂 道教の仙薬の練金丹。  ○葛洪 晋の葛洪、字は稚川。


江湖漂短褐,霜雪滿飛蓬。
江湖の地に粗末な短褐で身をつつんでさまよっている、霜雪が己に頭の乱れた髪にいっぱいになってきた。
 さまようこと。○短褐 すそのみじかい粗末な毛織物、自己の衣をいう。○飛蓬  秋風にとぶよもぎ、髪の乱れたさまをたとえていう。「詩経」伯今の詩に「伯の東せるより、首は飛蓬の如し」とあるのに本づく。


牢落乾坤大,周流道術空。
この大なる天地の間におちぶれつつ、あちらこちらうつりゆくが身には何等の道術もそなわっていない。
牢落 零落のさま。○周流 あちこちとうつりあるく、孔子に比す。○道術 道教の道を行うすべ。○謬怒 韋に対する謙辞。
 
謬慚知薊子,真怯笑揚雄。
あなたが薊子訓に比すべきこの私をお知りくださるのはおはずかしいことで、私は世人が揚雄を笑ったような私であることをほんとうに恐れている。』
 韋が知る。○薊子 後漠の薊子訓をいう、彼は神異の道を知り京師に到るや公卿以下数百人の訪問をうけた。これを自分に此する。○ 他人が笑う。○揚雄 漢末に揚雄が太玄経を草したとき、人は玄の黒さが足らずまだ白いと笑った。その場雄を以て自己にあてはめる。


盤錯神明懼,謳歌德義豐。
あなたは難関を解決するという盤根錯節を断つための利器で、その政治の能力が神がかりで卓越している、あなたの徳義はゆたかであって人々は之を謳歌する。
盤錯 盤根錯節の略、後漢の虞詔が朝歌(地名)の長となったとき「盤根錯節に遇わざれば、何を以てか利器を別たん」といった。その器がきれるかきれないかを区別するには樹木のわだかまった根や、いりまじった節にであわなければわからぬ、人も難事にであわなければその才能があらわれぬ、盤錯二字で韋が盤根錯節を断つ利器であることをいう。○神明懼 鬼神も茂るというのに同じ。韋の政治の能力が神がかりで卓越していることをいう。○謳歌 人々が韋の徳をうたう。○徳義 韋の徳義。


尸鄉餘土室,誰話祝雞翁。
私は昔の祝難翁のように尸郷に土室をのこしておりますが、あなたをおいてほかにだれが祝難翁と思っている私のことを話してくれるでしょう。
尸郷 尸郷は地名、河南侶師県の西二十里にある。○土室 穴居の場所。○誰話 他に話するものなく韋のみ話することをいう。○祝雞翁 洛陽の人で尸郷の北山の下に居り、百年あまり鶏千頭をかい、みな名前をつけ、呼べば名ざされたものは種別でやって来たという。一種の仙人であり、祝とは鶏をよぶ声である。邦、朱、祝、みなチュッチュッという音字である。祝雞翁は自己をたとえていう。


○韻  融、東、風、窮/洪、蓬、空、雄/豊、翁

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 32
五言古詩 天宝6載 747年 36歳


747年 天宝6載  玄宗は天下にたいし、一芸に秀で通ずるものを長安に集めて試験した。しかし、李林甫、文学の士を嫌っており、全員を落第させた。杜甫の応援者(ブログ杜甫20、21)であった李邕が、正月、李林甫により殺される。10月、温泉宮(李白の詩では温泉宮となっている)を改めて華清宮となし、その規模を拡大する。李林甫、権威を嵩に獄死者多数。 杜甫は、長安にあり。天子の詔に応じて、試験を受けたが及第せず。尚書左丞葦済に贈った詩。作者は天宝六載、詔に応じて試みられ退けられたが、此の詩は七載長安での作かもしれない。詩によれば落第したので長安を去って東海に赴こうとする意志があることを示しているが実際にはいってはいない。


奉贈韋左丞丈二十二韻
紈褲不餓死,儒冠多誤身。
紈袴をはいている貴族の子弟は餓えて死することはないが、儒者の冠をつけたものは儒冠をつけしがために身のふりかたを誤ってしまうのである。 
丈人試靜聽,賤子請具陳。』
あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのぺましょう。 
甫昔少年日,早充觀國賓。
私は昔少年であったとき  早くも都の受験生にあてられた。 
讀書破萬卷,下筆如有神。
書物は万巻を読破し 筆を下して詩文をつくるときは神の助けがあるかのようである。 
賦料揚雄敵,詩看子建親。
賦ならば揚雄に敵するに足るとおもい、詩ならば曹植に近いものだとかんがえた。
李邕求識面,王翰願蔔鄰。
現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も私の隣に住みたいと願った。
自謂頗挺出,立登要路津。
それだから自分でおもうには、自分はよほど他の衆人よりも傑出している  すぐさま枢要な地位にのぼることができる。数千年の後我が致君堯舜上,再使風俗淳。』

唐に於て我が君を尭舜以上の地位に高め、再び天下の風俗を淳正にすることができるであろう。』
此意竟蕭條,行歌非隱淪。
このようなの考えも畢竟成し遂げられず寂しく終ることになり、隠遁者でもないのに歩きながら歌をうたっているありさまだ。 
騎驢三十載,旅食京華春。
驢馬に乗り始めて早や三十年ばかり、都の春に旅住いをしている 
朝扣富兒門,暮隨肥馬塵。
朝にはかねもちの門を叩いたり、暮には他の権貴がとばす肥馬の塵のあとからくっついてゆく。
殘杯與冷炙,到處潛悲辛。
彼等が与える飲み残しの酒杯、つめたくさめた焼き肉、そんなものをあてがわれて到るところ自分は内心に悲み辛さをいだいている。
主上頃見徵,欻然欲求伸。
近いころ我が君からおめしにあずかり試験をおゆるしになったので、今度こそはとにわかにいままでの思いのたけを伸べようとおもっていたのだった。 
青冥卻垂翅,蹭蹬無縱鱗。』

此の大鳥は青空に飛び立つのでなく、そこからつばさを垂れさせられてしまい、此の大魚は巨塁に自由に泳ぎまわるのではなく勢なく鱗を気ままに振うことができないようなことになった。』
甚愧丈人厚,甚知丈人真。
あなたのお手あついにはまことに愧じいります あなたの御真実なおこころは十分わかっています 
每於百僚上,猥誦佳句新。
あなたはいつも多くの役人たちの席で 私のつくった詩のめずらしいことを、やたらに口ずさんでおはめくださっています。 
竊效貢公喜,難甘原憲貧。
そのようなあなたが顕要な地位に居られるのは私はよろこばしくおもっており、貢南が王陽の位に在るのを喜ぶまねさえするのですが、私も原憲のような貧窮にいつまで甘んじていることはむつかしい。
焉能心怏怏、只是走逡逡。
心に不平ばかりもってすごしていることができましょう、そしてただいたずらに奔走しているようなありさまです。
今欲東入海,即將西去秦。
東の方仙人のいる海中に入りこもうとおもので、これから私はこの西の方、秦の地をはなれておきます。
尚憐終南山,回首清謂濱。
しかしさすがに見なれた終南山の山の色は愛すべくみえ、清き渭水のほとりでふりかえってそれをながめるのです。 
常擬報一飯,況懷辭大臣。
私は常日頃、一飯の恩に報いたいとまちかまえているのですが、ましてただならぬ大臣たるあなたに御暇乞いをして去らねばならぬことをおもうとくるしい思いをお察しください。 
白鷗沒浩蕩,萬裡誰能馴。』

白鷗は去って海上に至り、浩蕩たる煙波の間に出没するならば。  万里の遠き先の地で、だれにも馴らされず自由の天地を楽しむことができる。』


紈袴をはいている貴族の子弟は餓えて死することはないが、な儒者の冠をつけたものは儒冠をつけしがために身のふりかたを誤ってしまうのである。 
あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのぺましょう。 
私は昔少年であったとき  早くも都の受験生にあてられた。 
書物は万巻を読破し 筆を下して詩文をつくるときは神の助けがあるかのようである。 
賦ならば揚雄に敵するに足るとおもい、詩ならば曹植に近いものだとかんがえた。
現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も私の隣に住みたいと願った。
それだから自分でおもうには、自分はよほど他の衆人よりも傑出している  すぐさま枢要な地位にのぼることができる。数千年の後我が唐に於て我が君を尭舜以上の地位に高め、再び天下の風俗を淳正にすることができるであろう。』

このようなの考えも畢竟成し遂げられず寂しく終ることになり、隠遁者でもないのに歩きながら歌をうたっているありさまだ。 
驢馬に乗り始めて早や三十年ばかり、都の春に旅住いをしている 
朝にはかねもちの門を叩いたり、暮には他の権貴がとばす肥馬の塵のあとからくっついてゆく。
彼等が与える飲み残しの酒杯、つめたくさめた焼き肉、そんなものをあてがわれて到るところ自分は内心に悲み辛さをいだいている。
近いころ我が君からおめしにあずかり試験をおゆるしになったので、今度こそはとにわかにいままでの思いのたけを伸べようとおもっていたのだった。 
此の大鳥は青空に飛び立つのでなく、そこからつばさを垂れさせられてしまい、此の大魚は巨塁に自由に泳ぎまわるのではなく勢なく鱗を気ままに振うことができないようなことになった。』

あなたのお手あついにはまことに愧じいります あなたの御真実なおこころは十分わかっています 
あなたはいつも多くの役人たちの席で 私のつくった詩のめずらしいことを、やたらに口ずさんでおはめくださっています。 
そのようなあなたが顕要な地位に居られるのは私はよろこばしくおもっており、貢南が王陽の位に在るのを喜ぶまねさえするのですが、私も原憲のような貧窮にいつまで甘んじていることはむつかしい。
心に不平ばかりもってすごしていることができましょう、そしてただいたずらに奔走しているようなありさまです。
東の方仙人のいる海中に入りこもうとおもので、これから私はこの西の方、秦の地をはなれておきます。
しかしさすがに見なれた終南山の山の色は愛すべくみえ、清き渭水のほとりでふりかえってそれをながめるのです。 
私は常日頃、一飯の恩に報いたいとまちかまえているのですが、ましてただならぬ大臣たるあなたに御暇乞いをして去らねばならぬことをおもうとくるしい思いをお察しください。 
白鷗は去って海上に至り、浩蕩たる煙波の間に出没するならば。  万里の遠き先の地で、だれにも馴らされず自由の天地を楽しむことができる。』


下し文)
紈褲餓死せず 儒冠多く身を誤る
丈入試に静に聴け 賤子請う具さに陳ぜん』

甫昔少年の日 早く観国の賓に充てらる
読書万巻を破る 筆を下せば神あるが如し
賦は料る揚雄の敵なりと 詩は看る子建が親なるを
李邕面を識らんことを求め 王翰隣を卜せんと願う
自ら謂えらく頗る挺出す 立ろに要路の津に登り
君を堯舜の上に致し 再び風俗をして淳ならしめんと』


此の意竟に粛条たり 行歌す隠輪に非ず
驢に騎る三十載 旅食す京華の春
朝に富児の門を如き 暮に肥馬の塵に随う
残杯と冷泉と 致る処潜に悲辛
主上に頃ろ徴さる 欻然伸を求めんと欲す
青冥卻って翅を垂る 蹭蹬として鱗を縦にする無し』


甚だ愧ず丈人の厚きに 甚だ知る丈人の真なるを
毎に百寮の上に於て 猥りに佳句の新なるを誦す
竊に貢公が書に効う 原憲が貧に甘んじ難し
焉んぞ能く心快快として 祇是れ走って踆踆たらん
今東海に入らんと欲す 即ち将に西秦を去らんとす
尚お憐む終南の山 首を回らす清渭の浜
常に一飯にも報いんと擬す 況んや大臣を辞するを懐うをや
白鴎浩湯に没す 万里誰か能く馴さん』




奉贈韋左丞丈韋左丞 前詩の左丞韋活をいう。○ 文人の略。


紈褲不餓死,儒冠多誤身。
紈袴をはいている貴族の子弟は餓えて死することはないが、な儒者の冠をつけたものは儒冠をつけしがために身のふりかたを誤ってしまうのである。  
紈袴 紈は素いきぬ、袴ははかま、貴族の子弟のきもの。○儒冠 儒者のつける冠。○誤身 一身の処世の方法を誤る。泥にまみえず我慢して餓死した。


丈人試靜聽,賤子請具陳。』

あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのぺましょう。 
丈人 すでに前にみえる、韋済をさす。○賤子 いやしいもの。自己の謙称。○具陳 つぶさにのべる。


甫昔少年日,早充觀國賓。
私は昔少年であったとき  早くも都の受験生にあてられた。 
少年日 開元二十三年。作者二十四歳。十代後半から二十代のこと。今の少年(子供)のことは、童。  ○観国賓 「易」観卦に「国の光を観る。用って王に賓たるに利し」とある。観国賓とは観に国光乏賓である。これは作者が京兆(長安)にでて、吏部の考功郎の下で試験をうけたことをさす。都にでることは国光を観ることであり、受験者は王者の賓である。 


讀書破萬卷,下筆如有神。
書物は万巻を読破し 筆を下して詩文をつくるときは神の助けがあるかのようである。  
 識破の義、しりぬくこと。○如有神 神助あるがごとし。 


賦料揚雄敵,詩看子建親。
賦ならば揚雄に敵するに足るとおもい、詩ならば曹植に近いものだとかんがえた。
 おしはかる。○揚雄 前漢末の蝋の作家で、司馬相如と並称される。○ 匹敵。
子建 魂の曹植、字は子建、五言詩の作家。○ 近親。


李邕求識面、王翰願蔔鄰。
現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も私の隣に住みたいと願った。
李邕 李北海 邕は広陵の人。汲郡・北海の太守。747年天宝六年正月、李林甫に殺さる
紀 頌之漢詩ブログ 杜甫が2年前に李邕の亭を訪れている。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫 21
杜甫 20 陪李北海宴歴下亭
 ○王翰 唐の晋陽の人、字は子羽、詩を以て有名。○蔔鄰 (卜隣)吉か凶かのうらないをしてと生活を整える。


自謂頗挺出,立登要路津。
それだから自分でおもうには、自分はよほど他の衆人よりも傑出している  すぐさま枢要な地位にのぼることができる。 
挺出 ぬけでる。 ○ たちどころに、すぐに。○要路津 津と要路とは同物。津とはわたり場で、衆路のあつまるところ、故にまた要路である。


致君堯舜上,再使風俗淳。』
数千年の後我が唐に於て我が君を尭舜以上の地位に高め、再び天下の風俗を淳正にすることができるであろう 
 置くというがごとし。○尭舜 昔の理想国の聖王の堯と舜。○上 それ以上。○ 唐に於てまた。○ まじりけなく正し。


此意竟蕭條,行歌非隱淪。
このような考えも畢竟成し遂げられず寂しく終ることになり、隠遁者でもないのに歩きながら歌をうたっているありさまだ。 
此意 前段の「自謂」以下四句の意。○粛条 さびしいさま、志を行わぬゆえにさびしという。 ○行歌 あるきつつうたう、多く隠者などの為すことである。○隠倫 倫はしずむ、隠輪は隠遁して世間からうずもれているものをいう。


騎驢三十載,旅食京華春。
驢馬に乗り始めて早や三十年ばかり、都の春に旅住いをしている   
 ろば。〇三十載 六歳から乗り始めたということ。○京華 都会文明の地、長安をさす。

朝扣富兒門,暮隨肥馬塵。
朝にはかねもちの門を叩いたり、暮には他の権貴がとばす肥馬の塵のあとからくっついてゆく。
 叩と同じ。○富児 かねもち。○肥馬 富貴の人ののる馬。


殘杯與冷炙,到處潛悲辛。
彼等が与える飲み残しの酒杯、つめたくさめた焼き肉、そんなものをあてがわれて到るところ自分は内心に悲み辛さをいだいている。
冷炙 冷えた炙り肉。


主上頃見徵,欻然欲求伸。
近いころ我が君からおめしにあずかり試験をおゆるしになったので、今度こそはとにわかにいままでの思いのたけを伸べようとおもっていたのだった。 
主上 天子、おかみ、玄宗をさす。○見徴 めされる。天宝六載天下に詔して一芸あるものは都にいたって試験をうけさせたが、李林甫は尚書省に命じて皆これを落第させた。杜甫・元結らは落第者である。
欻然 たちまち。○求伸 「易」 の繋辞下に「尺蟻ノ屈スルハ、以テ伸ビンコトヲ求ムルナリ」とみえる。これまで身をかがめていたのをのばそうとする。


青冥卻垂翅,蹭蹬無縱鱗。』
此の大鳥は青空に飛び立つのでなく、そこからつばさを垂れさせられてしまい、此の大魚は巨塁に自由に泳ぎまわるのではなく勢なく鱗を気ままに振うことができないようなことになった。』
青冥 あおぞら。○垂翅 つばさをたれるとは勢いを失ったさまで、鳥にたとえたもの。これは落第した事をいう。 ○躇鐙 勢いを失ったさま。○縦鱗 うろこをほしいままにして泳ぐ、これは魚にたとえる。


甚愧丈人厚,甚知丈人真。
あなたのお手あついにはまことに愧じいります あなたの御真実なおこころは十分わかっています 
 自己を待遇する意の厚いこと。○ 心の真実にして虚偽のないこと。


每於百僚上,猥誦佳句新。
あなたはいつも多くの役人たちの席で 私のつくった詩のめずらしいことを、やたらに口ずさんでおはめくださっています。  
百僚 多くの同僚。○ みだりに、謙遜していう。○佳句 杜甫のつくった詩のよい句。


竊效貢公喜,難甘原憲貧。
そのようなあなたが顕要な地位に居られるのは私はよろこばしくおもっており、貢南が王陽の位に在るのを喜ぶまねさえするのですが、私も原憲のような貧窮にいつまで甘んじていることはむつかしい。
 ひそかに、謙辞。○貢公喜 漠の王吉、字は子陽は、貢南と親友であったが、「王陽位二在レバ、貢公冠ヲ弾ズ」といわれたほどの知己であった。弾冠とは冠の塵をはらって将に出で仕えんとする意。又、劉孝標の広絶交論に「王陽萱レバ則チ貢公害ブ」とみえる。頁南は王吉が位に在ることを喜んだのである。ここは葦済を王吉に、自己を貢南に此する。○原憲貧 原憲は孔子の門人、貧を以て有名、自己をたとえる。


焉能心怏怏、只是走逡逡。
心に不平ばかりもってすごしていることができましょう、そしてただいたずらに奔走しているようなありさまです。
快快 不平のさま。○逡逡 走るさま。


今欲東入海,即將西去秦。
東の方仙人のいる海中に入りこもうとおもので、これから私はこの西の方、秦の地をはなれておきます。
 東海をいう。通常仙人の住むところ。李白が道教の道士であったから、少しは考えたのか。実際には杜甫は道教には関心はないので、試験のショックでこういったのだろう。○去秦 秦は長安をさす。


尚憐終南山,回首清渭濱。
しかしさすがに見なれた終南山の山の色は愛すべくみえ、清き渭水のほとりでふりかえってそれをながめるのです。 
終南山 長安の南五十里にある。道教の寺観があった。○清渭水 渭水は長安の北をながれる清流で黄河の支流。


常擬報一飯,況懷辭大臣。
私は常日頃、一飯の恩に報いたいとまちかまえているのですが、ましてただならぬ大臣たるあなたに御暇乞いをして去らねばならぬことをおもうとくるしい思いをお察しください。 
○擬 まちかまえる。○報一飯 「史記」苑唯伝に「一飯ノ恩モ必ズ償り」とみえる。又、准陰侯韓信が漂母の飯を与えた恩に報じたということなどがある。○大臣 韋済をさす。


白鷗沒浩蕩,萬里誰能馴。』
白鷗は去って海上に至り、浩蕩たる煙波の間に出没するならば。  万里の遠き先の地で、だれにも馴らされず自由の天地を楽しむことができる。
 かもめ。○浩蕩 煙波のひろくうごくさま。○ 動物をならしてなずけること、鴎を以て自己に此する。




奉贈韋左丞丈二十二韻
紈袴不餓死、儒冠多誤身。
丈人試静聴、賎子請具陳。』

紈袴(がんこ)は餓死(がし)せず
儒冠(じゅかん)は多く身を誤(あやま)る
丈人(じょうじん)  試(こころ)みに静かに聴け
賎子(せんし) 請(こ)う 具(つぶ)さに陳(の)べん』



甫昔少年日、早充観国賓。
読書破万巻、下筆如有神。
賦料揚雄敵、詩看子建親。
李邕求識面、王翰願卜隣。
自謂頗挺出、立登要路津。
致君堯舜上、再使風俗淳。』
此意竟蕭条、行歌非隠淪。


甫(ほ)は昔  少年の日
早くも観国(かんこく)の賓(ひん)に充(あ)てらる
書を読みて万巻(ばんがん)を破り
筆を下(おろ)せば神(しん)有るが如し
賦(ふ)は料(はか)る  揚雄(ようゆう)の敵なりと
詩は看(み)る  子建(しけん)の親(しん)なりと
李邕(りよう)は面(おもて)を識(し)らんことを求め
王翰(おうかん)は隣(となり)を卜(ぼく)せんと願う
自ら謂(おも)えらく  頗(すこぶ)る挺出すれば
立ちどころに要路の津(しん)に登り
君(きみ)を堯舜(ぎょうしゅん)の上に致(いた)し
再び風俗をして淳(じゅん)ならしめんと
此の意(い)  竟(つい)に蕭条(しょうじょう)たり
行歌(こうか)  隠淪(いんりん)に非(あら)ず



騎驢三十載、旅食京華春。
朝扣富児門、暮随肥馬塵。
残杯与冷炙、到処潜悲辛。
主上頃見徴、歘然欲求伸。
青冥却垂翅、蹭蹬無縦鱗。』


驢(ろ)に騎(の)ること三十載(さい)
旅食(りょしょく)す  京華(けいか)の春
朝(あした)に富児(ふじ)の門を扣(たた)き
暮(くれ)に肥馬(ひば)の塵(ちり)に随う
残杯(ざんぱい)と冷炙(れいしゃ)と
到る処  潜(ひそ)かに悲辛(ひしん)す
主上(しゅじょう)に頃(このご)ろ徴(め)され
歘然(くつぜん)として伸びんことを求めんと欲す
青冥(せいめい)  却って翅(つばさ)を垂(た)れ
蹭蹬(そうとう)として鱗を縦(ほしい)ままにする無し』


甚愧丈人厚、甚知丈人真。
毎於百寮上、猥誦佳句新。
窃効貢公喜、難甘原憲貧。
焉能心怏怏、祗是走踆踆。
今欲東入海、即将西去秦。
尚憐終南山、回首清渭濱。
常擬報一飯、況懐辞大臣。
白鷗没浩蕩、万里誰能馴。』

甚だ愧(は)ず  丈人(じょうじん)の厚きに
甚だ知る  丈人の真(しん)なるを
毎(つね)に百寮(ひゃくりょう)の上に於いて
猥(みだ)りに佳句(かく)の新たなるを誦(しょう)す
窃(ひそ)かに貢公(こうこう)の喜びに効(なら)うも
原憲(げんけん)の貧に甘んじ難(がた)し
焉(いずく)んぞ能(よ)く心怏怏(おうおう)として
祗(た)だ是れ走りて踆踆(しゅんしゅん)たらん
今  東のかた海に入(い)らんと欲し
即ち将(まさ)に西のかた秦(しん)を去らんとす
尚(な)お憐(あわ)れむ  終南(しゅうなん)の山
首を回(めぐ)らす 清渭(せいい)の濱(ひん)
常に一飯(いっぱん)にも報(むく)いんと擬(ぎ)す
況(いわ)んや大臣に辞するを懐(おも)うをや
白鷗(はくおう)  浩蕩(こうとう)に没(ぼつ)せば
万里  誰(たれ)か能(よ)く馴(な)らさん』

故武衛将軍挽詞 三首 其三 杜甫

故武衛将軍挽詞 三首 其三 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 31

〔三〕
哀挽青門去、新阡絳水逢。
将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
路人紛雨泣、天意颯風飆。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
部曲精仍鋭、匈奴氣不騎。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
無由覩雄略、大樹日蕭蕭。

遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。


将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。



故武衛将軍挽詞 三首 其三
哀挽 青門より去る  新肝絳水絳水逢かなり
路人 粉として雨泣す 天意 風 飆颯たり
部曲 精にして仍って鋭に 匈奴気驕らず
雄略を覩るに由なし  大樹日に蕭蕭たり


哀挽青門去、新阡絳水逢。
将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
哀挽 かなしく枢をひく。○青門 長安の東面最南、薪城門の別名。其の門の青いのによって青門という。
新阡 阡は墓道、将軍の故郷のそれをいう。○絳水  山西省絳州絳県の西南より流れ出す川、これによれば
将軍は絳州の人であろう。

路人紛雨泣、天意颯風飆。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
 みだれるさま。○雨泣 雨のふる如くに涙をおとしてなく。○天 天のこころ、想像していう。○ 風のおと。○風飆 飆は下より吹きあげるかぜ。つむじかぜ。


部曲精仍鋭、匈奴氣不騎。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
部曲 曲とは部に属する小分隊の名。○ えりぬき。○ やっぱり。○ 鉾先するどし。○匈奴 北の異民族。騎馬民族で生活様式が全く異なっていたので、嫌がる総称として使われる。
 
無由覩雄略、大樹日蕭蕭。
遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。
雄略 いさましい戦略。勇壮な戦略。○大樹 鴻異の故事、すでに前に見える。墓辺の樹をいうのであろう。○蕭蕭 ひっそりとさびしいさま。



李白 8/15 現在125首 130首以上掲載 主に蜀を旅立ちやっと都、長安朝廷に迎えられた。ところまで
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艶情歌 李商隠ほか 新解釈を含め 8/15現在30首以上掲載
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故武衛将軍挽詞 三首 其二 杜甫

故武衛将軍挽詞 三首 其二 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  30


其二
舞剣過人絶、鳴弓射獣能。
将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
銛鋒行愜順、猛噬失蹻騰。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
赤羽千夫膳、黄河十月冰。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
横行沙漠外、神速至今稀。

はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である。


将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である

其の二

剣を舞わすは人に過ぐる絶し、弓を鳴らし、獣を射るを能くす
銛鋒行らすこと愜順なり 猛噬蹻騰を失す
赤羽干天の膳 黄河十月の冰
横行す沙漠の外 神速今に至って称せらる


舞剣過人絶、鳴弓射獣能。
将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
舞剣 剣を以て舞う。○ できる。


銛鋒行愜順、猛噬失蹻騰。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
銛鋒 剣のするどいほこさき。○ 運行すること。○愜順 かないしたごう、意のままにそのとおりになること。○猛噬 威嚇して嗟みつこうとする猛獣、上の弓と獣をうけていう。○蹻騰 壮んにおどりあがるさま。


赤羽千夫膳、黄河十月冰。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
赤羽 旗。「孔子家語」に末尾に添付参照。〇千夫膳 千人の壮夫に膳をそなえ食せしめる。○十月冰 十月の河の氷は氷上をわたることができる。


横行沙漠外、神速至今稀。
はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である。
横行 縦横に行動する。 ○沙漠 西の砂漠、北の砂漠。 ○神速 兵を動かせることが不思議にはやいこと。


孔子家語-巻第二]
孔子、北の農山に遊ぶ。
子路しろ、子貢しこう、顔淵がんえん、側に侍じす。
孔子四望しぼうし、喟然きぜんとして歎じて曰く、
斯ここに於いて思いを致さば、至らざる所無からん。
二三子にさんしおのおの汝の志を言へ。
吾れ将に擇ばん、と。
子路進みて曰く、
由、願はくば白羽月はくうつきの若く、赤羽日せきうひの若く、鐘鼓しょうこの音、上天に震ひ、旌旗せいき繽紛ひんぷんとして、下地に於いて蟠わだかまり、由一隊に当りて之を敵せば、必ずや地に千里を攘じょうし、旗を搴ぬき馘きゃくを執る、唯ただ由のみ之を能くす。
 二子者をして我に従はせん、と。

故武衛将軍挽詞三首 杜甫

故武衛将軍挽詞三首 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  29

(746) 正月に長安に出る。
当時の就職活動は、都の知人、縁者を頼って、詩を贈寄奉献し、推薦依頼を期待することであった。後にこの就職活動をまとめるが、李林甫の存在を杜甫は知らなかったのか、結果的にあまり役立っていない。
新婚生活の方は、奉天県の県令であった父親の援助に頼りきったのであろう。


この詩は死んだ武衛将軍のためにつくった喪の歌辞。
天宝6載 747年 36歳

故武衛将軍挽詞三首
故武衛将軍挽詞:○故 死んだ人であることをいう。○武衛将軍 官名、其の人は未詳。唐には左・右武衛大将軍各一員、将軍各一員があり、宮禁警衛の法を統領することを掌る。○挽詞 枢車をひきながら歌ううたことば、死者を送る歌。

故武衛将軍挽詞
其一
厳警官寒夜、前軍落大星。
寒い夜にあたって将軍はいつものように宮禁の警衛をしていたところが前軍に大きな星が落ちて将軍はこの不吉の前兆とともに歿してしまった。
杜夫思敢決、哀詔惜精霊。
それまで部下であった若者たちは将軍の在りし日の勇敢果決であったことを深く思い、かなしげな詔を天子は発せられて将軍の霊魂の返らざるをお惜みになった。
王者今無戦、書生己勤銘。
王者は今日しっかりしていて、戦などいうものはない、班固のような書生が山上の石に戦功をしるして銘をほりつけた時代とおなじだ。
封侯意疎潤、編簡烏誰青。

戦がないから将軍も功をたてて侯に封ぜられたい意がうすかった。だから簡を記載し編纂すべき事が無い、簡が青いのはだれのためにしようとて青い色をしているのか。



寒い夜にあたって将軍はいつものように宮禁の警衛をしていたところが前軍に大きな星が落ちて将軍はこの不吉の前兆とともに歿してしまった。
それまで部下であった若者たちは将軍の在りし日の勇敢果決であったことを深く思い、かなしげな詔を天子は発せられて将軍の霊魂の返らざるをお惜みになった。
王者は今日しっかりしていて、戦などいうものはない、班固のような書生が山上の石に戦功をしるして銘をほりつけた時代とおなじだ。
戦がないから将軍も功をたてて侯に封ぜられたい意がうすかった。だから簡を記載し編纂すべき事が無い、簡が青いのはだれのためにしようとて青い色をしているのか。


(故武衝将軍の挽詞 三首)其の一

厳響寒夜に当る  前軍大星落つ
壮夫敢決を思い  哀詔精霊を惜む
王者今戦無し   書生己に銘を勤す
封侯意疎潤なり  編簡誰が為めにか青き



厳警官寒夜、前軍落大星。
寒い夜にあたって将軍はいつものように宮禁の警衛をしていたところが前軍に大きな星が落ちて将軍はこの不吉の前兆とともに歿してしまった。
○厳警 宮禁を厳かに警衛する。○前軍落大星 諸葛売(孔明)の死んだときの故事を用いる。孔明が晩年、魏と戦ったときその前軍は五丈原にあったが、その死なんとしたとき赤色にしてだ角のある星が、東北より西南に飛んで孔明の陣営に投じたという。今、武衛将軍の死するや之と似ているというのである。
 
壮夫思敢決、哀詔惜精霊。
それまで部下であった若者たちは将軍の在りし日の勇敢果決であったことを深く思い、かなしげな詔を天子は発せられて将軍の霊魂の返らざるをお惜みになった。
壮夫 部下の兵卒をいう。○敢決 将軍の勇敢、果決であったこと。○哀詔 天子が将軍をお悼みになる詔。○精霊 将軍のたましい。


王者今無戦、書生己勤銘。
王者は今日しっかりしていて、戦などいうものはない、班固のような書生が山上の石に戦功をしるして銘をほりつけた時代とおなじだ。
王者 王たるもの。○無戦 准帝王の書に「王者の師、征すること有りて戦うこと無し」という。戦とは対等の語、征とは天子が有罪をただすために討つこと。○書生己勤銘 後漢の賓憲が匈奴を征伐したとき、班固が燕然山の銘を作ってこれを石にはりつけてその功をしるした。此の句は上旬のつづきで一事をのべる。


封侯意疎闊、編簡爲誰青。
戦がないから将軍も功をたてて侯に封ぜられたい意がうすかった。だから簡を記載し編纂すべき事が無い、簡が青いのはだれのためにしようとて青い色をしているのか。
封侯 戦功により侯に封ぜられる。封は領土を与えられること。○ 将軍の意。○疎闊 まばらではなれている。○編簡 簡は竹で作ったふだ。古人は青竹をわってそれを編み、表面に漆を以て字を書いた。○為誰青 青とは筒の青いことをいう。為誰青とは書くべき事功がないのは何人のために青いのか、徒らに青い色をして手もちぶさたではないかという意。
 立派な将軍に対して報いてあげられていないのだ。


 玄宗皇帝の時代で、開元の治といわれる時代であった。
745年天宝 4載・8月、楊大兵を楊貴妃となし、その三姉、第宅を賜わる。この年、李白、山東に在ったが、冬、江東に去る。    安禄山、契丹を破る。
746年天宝 5載 ・李林甫、敵対派、皇帝側近を貶謫,投獄す。李林甫の圧政が顕著化していく。

飲中八仙歌 杜甫

飲中八仙歌 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  28

長安にあったときの作。当時長安では愛酒家として名の高い人物として八人が知られていた。杜甫はそれらの一人一人について、伝え聞きも交えてこの作品を作った。これを描いたとき、賀知章、李左相、蘇晉はすでに死んでいたし、李白は長安にいなかった。これらの八人のうち、李白に最も多くの字をあてているのは、杜甫の李白への敬愛振りの表れだろう。
竹林の七賢、竟陵の八友、初唐の四傑、竹渓の六逸、唐宋八大家などとこの飲中八仙とは異なったものである。


飲中八仙歌
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,
恨不移封向酒泉。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,
銜杯樂聖稱避賢。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,
皎如玉樹臨風前。』

崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,

天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。』
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,
揮毫落紙如雲煙。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』


(下し文)飲中八仙歌
知章 馬に騎ること船に乘るに似たり、眼は花さき井に落ちて水底に眠る。』 
汝陽 三斗 始めて天に朝す、道に曲車に逢ひ 口涎を流す、恨むらくは封を移して酒泉に向はざるを。』
左相 日興 万錢を費す、飲むこと長鯨の百川を吸ふが如し、杯を銜み聖を樂しみ賢を避くと稱す。』

宗之 瀟洒たる美少年,觴を舉げ 白眼青天を望む、皎として玉樹の風前に臨むが如し。』
蘇晉 長齋す繡佛の前、醉中 往往 逃禪を愛す』

李白 一斗 詩百篇、長安市上酒家に眠る。
天子呼び來れど船に上らず、自ら稱す 臣は是酒中の仙なりと。』

張旭 三杯 草聖傳ふ、脱帽して頂を露す王公の前、毫を揮って紙に落とせば云煙の如し。』
焦遂 五斗 方に卓然、高談雄辨 四筵を驚かす。』


飲中八仙歌
○飲中八仙 酒飲み仲間の八人の仙とよばれるもの、即ち
・蘇晉 735年(開元二十二年卒)
・賀知章744年(天宝三載卒)
・李適之746年(天宝五載卒)
・李璡  750年(天宝九載卒)
・崔宗之 崔日用の子齊國公に世襲して封ぜられる。侍御史でもあった。
・張旭
・焦遂
・李白   763年(宝応元年卒)らをいう。



知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』
知章 賀知章。会稽永興の人、自から四明狂客と号し、太子賓客・秘書監となった。天宝三載、疏を上って郷に帰るとき、玄宗は詩を賦して彼を送った。○乗船 ゆらゆらする酔態をいう。知章は出身が商人で、商人は船に乗るので、騎馬にまたがった状態をいったのだ。○眼花 酔眼でみるとき現象のちらつくことをいう。



汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
汝陽王李礎は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

汝陽 ブログ贈特進汝陽王二十韻  杜甫27
三斗 飲む酒の量をいう。○朝天 朝廷へ参内すること。○麹車 こうじを載せた車。○移封 封は領地をいう、移は場所をかえる。汝陽よりほかの地へうつしてもらうこと。○酒泉 漢の時の郡名、今の甘粛省粛州。これは地名を活用したもの。



左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。』
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』
左相 李適之。天宝元年、牛仙客に代って左丞相となったが、天宝五載にやめ、七月歿した。○日興 毎日の酒興。○費万銭 唐時代の酒価は一斗三百銭、万銭を以ては三石三斗余りを買うことができた。○長鯨 身のたけのながいくじら。〇百川 多くの川水。○銜杯 銜とは口にくわえること、含とは異なる。含むは口の中へいれておくこと。○楽聖称避賢 適之が相をやめたとき、親交を招き詩を賦して、「賢を避けて初めて相を辞め、聖を楽しみて且つ盃を銜む、為に問う門前の客、今朝幾個から来ると」といった。此の聖・賢の文字には両義を帯用させたものであろう。魏の時酒を禁じたところが酔客の間では清酒を聖人といい濁酒を賢人といったが、前詩は表には通常の聖人・賢人の表現を、裏には清酒・濁酒の表現をもたせたものである。竹林の七賢参照。



宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○瀟灑 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○ しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。


蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』
蘇曹 蘇珦の子、先の皇帝のときに中書舎人であった。玄宗が監国であったときの別命は蘇晋と賈曾との筆によったものだ。吏部・戸部の侍郎を歴て太子庶子に終った。○長斎 一年中喪の忌をしている。○繍仏 ぬいとりしてつくった仏像、これは六朝以来あったもの。○逃禅 これは酒を飲むことは破戒であるから教外へにげだすこと。居眠りでもしていること。



李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』
酒家眠 玄宗が嘗て沈香華に坐して、翰林供奉の李白をして楽章をつくらせようとして李白を召して入らせたところ、李白はすでに酔っていた。左右のものは水をその面にそそいでようやく酔いを解いたという。○不上船 玄宗が白蓮池に遊んだとき、李白を召して序をつくらせようとしたところ、李白はすでに翰苑にあって酒を被っており、高力士に命じて李白をかかえて舟に登らせた。


張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』
張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。○草聖伝 後漢の張芝は草書の聖人とよばれたが、旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるが如くであった。○脱帽露頂 帽をいただくのが礼であり、帽をぬいで頂きをあらわすのは礼儀を無視するさま。○王公 地位高き人々。○揮毫 毫は「け」、筆をいう。○雲煙 草書のさま。


焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』
焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』
焦遂 この人物は未詳。○卓然 意気の高くあがるさま。○高談 高声でかたる。○雄弁 カづよい弁舌。〇四筵 満座、一座。

贈特進汝陽王二十韻  杜甫

贈特進汝陽王二十韻  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  27

天宝5載 746年 35歳
特進汝陽王十韻(特進汝陽王に贈る二十韻)
特進の位にある汝陽王李礎に贈った詩である。

贈特進汝陽王二十韻
特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る
特進羣公表,天人夙德升。
特進李璡公は多くの王公のあるなかにもそのめじるしとなる人で、天下の人としてつとに出きあがった徳は諸公の上に高く出でていた。
霜蹄千裡駿,風翮九霄鵬。』
これをたとえていうと、秋の霜に蹄でもって踏みとどろかす千里駿馬か、九重の天に風にはばたきする鵬鳥のようなものである。』
服禮求毫髪,推思忘寢興。
汝陽王はよく礼儀にしたがい、その些細な点までをも求められ筋を通される。忠誠心もしっかりしていて寝たり起きたりすることさえ忘れられる程である
聖情常有眷,朝退若無憑。
だから聖天子のみこころからいつもお目をかけて御寵愛になり、王が朝廷より退出せられると
仙醴來浮蟻,奇毛或賜鷹。
浮蟻の如き甘酒が王の処へは天子から来る、又時としては奇特な毛色を有する鷹を賜わることもある。
清關塵不雜,中使日相乘。』
邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』
晚節嬉游簡,平居孝義稱。
王は中年後になって他人との交遊に礼儀を至って簡略にされたが、平生は孝義ある人物として世間からいわれている。
自多親棣萼,誰敢問山陵。
王は嘗て玄宗が寧王の生前に、之と血筋をわけた兄弟がむつまじくせられたということだけで己に十分満足されておられた、その父の死後、優礼を以て葬られる時に、わざわざ山陵までいかなくてよいと謙遜されていた。
學業醇儒富,詞華哲匠能。
王の学業の富めることは道の正しき儒者の如く、その文辞の華やかなことはすぐれた名人ぐらいの技能がある。
筆飛鸞聳立,章罷鳳騫騰。
文字をかくために筆を飛ばせば鸞鳥がそびえ立ち、一章をかきおわれば鳳凰がとびたつ勢がある。
精理通談笑,忘形向友朋。
談笑の際にもいつも精微な道理が存在しており、朋友には精神を以て交るようにされる。
寸長堪繾綣,一諾豈驕矜。』

その人物に一寸の長所があればそれと親密にし、いか そうとされる情合いがある、なにか人に頼みごとをしてやっても、それでいばったりする様なことはない。』

巳忝歸曹植,何知對李膺。

私は昔の王粲のようなもので、己にかたじけなくも曹植ともいうべきあなたに身を託するようになりましたが、杜密でもない私がどうして李贋ともいうべきあなたに対することができましょう。
招要恩屢至,崇重力難勝。
私を招いてくださる御恩命がしばしば私の処へきます、私を尊重してくださるので、私の力はそれに勝るの難しいほどです。
披霧初歡夕,高秋爽氣澄。
あの雲霧をおしのけて青天をながめるような心地した初めてお会いした夕べには、秋の天高く爽な気がすみわたっていた。
尊罍臨極浦,鳧雁宿張燈。
泉池の一番奥まった浦畔に臨んで酒樽を設け、燈をかかげたそばにはカモや雁がとまっていた。
花月窮遊宴,炎天避鬱蒸。
冬を超えて春は花月の下で遊宴をきわめられ、夏は炎天のむしあつさを避けられる。
硯寒金井水,簷動玉壺冰。』
秋は金井から汲んだ水を硯に寒く滴たらせ、冬は玉壺中の氷かと見間違えるような氷柱が軒端にかかりはじめた。』
瓢飲唯三徑,岩棲在百層。
私は許由の如く瓢で水を飲み、蒋詔の如くただ三径を開いて遁棲していますが、あなたは巌穴に隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
謬持蠡測海,況挹酒如澠。
あなたの胸中をおしはかるということ螺杯で海水を測るようなものである、王の饗応に預りその恩のあつさにいたみいっているのです。
鴻寶寧全秘,丹梯庶可淩。
あなたは鴻宝である全ての秘籍を私にかくされない、私はあかい梯をよじ登ってあなたの高きお住居へちかづけると希望している。
淮王門有客,終不愧孫登。』

准南王に匹敵するあなたの門には賓客があるものである。私は嵆康のような半隠半仕で、孫登に塊ずるようなことはしない信念があるのである。



特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る
特進李璡公は多くの王公のあるなかにもそのめじるしとなる人で、天下の人としてつとに出きあがった徳は諸公の上に高く出でていた。
これをたとえていうと、秋の霜に蹄でもって踏みとどろかす千里駿馬か、九重の天に風にはばたきする鵬鳥のようなものである。』

汝陽王はよく礼儀にしたがい、その些細な点までをも求められ筋を通される。忠誠心もしっかりしていて寝たり起きたりすることさえ忘れられる程である
だから聖天子のみこころからいつもお目をかけて御寵愛になり、王が朝廷より退出せられると、天子はたよりを失うたようにおぼしめされたし、地位をたのんでいばるようなことは無い様であった。
浮蟻の如き甘酒が王の処へは天子から来る、又時としては奇特な毛色を有する鷹を賜わることもある。
邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』

王は中年後になって他人との交遊に礼儀を至って簡略にされたが、平生は孝義ある人物として世間からいわれている。
王は嘗て玄宗が寧王の生前に、之と血筋をわけた兄弟がむつまじくせられたということだけで己に十分満足されておられた、その父の死後、優礼を以て葬られる時に、わざわざ山陵までいかなくてよいと謙遜されていた。
王邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』


王の学業の富めることは道の正しき儒者の如く、その文辞の華やかなことはすぐれた名人ぐらいの技能がある。
文字をかくために筆を飛ばせば鸞鳥がそびえ立ち、一章をかきおわれば鳳凰がとびたつ勢がある。
談笑の際にもいつも精微な道理が存在しており、朋友には精神を以て交るようにされる。
その人物に一寸の長所があればそれと親密にし、いか そうとされる情合いがある、なにか人に頼みごとをしてやっても、それでいばったりする様なことはない。』


私は昔の王粲のようなもので、己にかたじけなくも曹植ともいうべきあなたに身を託するようになりましたが、杜密でもない私がどうして李贋ともいうべきあなたに対することができましょう。
私を招いてくださる御恩命がしばしば私の処へきます、私を尊重してくださるので、私の力はそれに勝るの難しいほどです。
あの雲霧をおしのけて青天をながめるような心地した初めてお会いした夕べには、秋の天高く爽な気がすみわたっていた。
泉池の一番奥まった浦畔に臨んで酒樽を設け、燈をかかげたそばにはカモや雁がとまっていた。
冬を超えて春は花月の下で遊宴をきわめられ、夏は炎天のむしあつさを避けられる。
秋は金井から汲んだ水を硯に寒く滴たらせ、冬は玉壺中の氷かと見間違えるような氷柱が軒端にかかりはじめた。』

私は許由の如く瓢で水を飲み、蒋詔の如くただ三径を開いて遁棲していますが、あなたは巌穴に隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
あなたの胸中をおしはかるということ螺杯で海水を測るようなものである、王の饗応に預りその恩のあつさにいたみいっているのです。
あなたは鴻宝である全ての秘籍を私にかくされない、私はあかい梯をよじ登ってあなたの高きお住居へちかづけると希望している。
准南王に匹敵するあなたの門には賓客があるものである。私は嵆康のような半隠半仕で、孫登に塊ずるようなことはしない信念があるのである。



(下し文)贈特進汝陽王二十韻
特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る

特進は羣公の表 天人 夙德(しゅくとく) 升(のぼ)る
霜蹄(そうてい) 千里の駿 風翮(ふうかく) 九霄(きゅうしょう)の鵬』
礼に服して毫髪を求む 惟れ忠にして寝興を忘る
聖情常に眷(かえりみ)ることあり 朝より退けば憑(よ)る無きが若(ごと)し
仙醴 浮蟻 来る 奇毛 或は 鷹を賜う
清関 塵 雑ならず 中使 日に相乗ず』

晩節 嬉遊 簡なり 平居(へいきょ) 孝義 称せらる
自ら多とす 棣萼に親みしを 誰か敢て 山陵を問わん
学業 醇儒 富み 辞華哲匠の能あり
筆飛べば 鸞聾 立し 章 罷めば 鳳騫 騰す
精理 談笑に通ず 形を忘れて友朋に向う
寸長繾綣に堪えたり 一諾 豈に驕矜せんや』

己に曹植に帰するを忝くす 何如ぞ李膺に対せん
招要恩 屢々(しばしば)至る 崇重 力 勝(た)え難し
霧を披(ひら)く 初歓の夕 高秋 爽気(そうき)澄めり
樽罍(そんらい)  極浦に臨む 鳧雁(ふがん)張燈(ちょうとう)に宿す
花月 遊宴を窮め 炎天 鬱蒸を避く
硯には寒し金井(きんせい) の水 簷には動く玉壷の冰』

瓢飲 惟だ三径 巌棲百層に在り
謬って持す蠡(れい)の海を測るを 況んや挹む酒の澠の如くなるを
鴻宝寧(なん)ぞ全く秘せん 丹梯 庶(こいねがわ)くは凌ぐ可けん
准王門に客有り 終に孫登に愧(は)じず』

 
贈特進汝陽王二十韻
特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る
特進 文官の散階正二晶を特進という。元二十九年十一月菜、年六十三)があり、○汝陽王 李璡。容宗と粛明皇后との間に寧主意(初名は成器、開憲の子が進である。進は天宝三載に特進を加えられ、九載に卒した。


特進羣公表,天人夙德升。
特進李璡公は多くの王公のあるなかにもそのめじるしとなる人で、天下の人としてつとに出きあがった徳は諸公の上に高く出でていた。
特進 李璡其の人をさす。○羣公 多くの王公。○ 儀表、めじるしとなっていること。○天人 天上界の人、進は皇族なるゆえかくいう。 ○ 羣公の上にのぼること。 ○夙徳 夙は早に同じ、夙徳とは若くして早くすでにできあがった徳をいう。

霜蹄千裡駿,風翮九霄鵬。
これをたとえていうと、秋の霜に蹄でもって踏みとどろかす千里駿馬か、九重の天に風にはばたきする鵬鳥のようなものである。』
霜蹄 霜を踏むひづめ、馬にたとえる。○風翮 風にうつたちばね、鳥にたとえる。〇九霄 九重のそら。多くの王公。○ おおとり。
 
服禮求毫髪,推思忘寢興。
汝陽王はよく礼儀にしたがい、その些細な点までをも求められ筋を通される。忠誠心もしっかりしていて寝たり起きたりすることさえ忘れられる程である。
服礼 服とは身につけること、従うこと。○毫髪 毫とは髪の十分の一、共にすこしばかりの量をいう。○惟忠 惟は語助辞、忠は君に対する誠心。
 
聖情常有眷,朝退若無憑。
だから聖天子のみこころからいつもお目をかけて御寵愛になり、王が朝廷より退出せられると、天子はたよりを失うたようにおぼしめされたし、地位をたのんでいばるようなことは無い様であった」。
聖情 天子(玄宗)のこころ。○ かえりみる、めをかけて愛する。○朝退 朝廷よりさがる。〇着無憑 天子の側よりみる説と汝陽王の側よりみる説とがある。前説によれば天子がたよりなしとされるとみる。後説によれはたのむ所がない、貴位を挟んで威張ったりせぬこととみる。

仙醴來浮蟻,奇毛或賜鷹。
浮蟻の如き甘酒が王の処へは天子から来る、又時としては奇特な毛色を有する鷹を賜わることもある。
仙醴 仙は飾りの語、醴は甘酒、王室よりくださる甘酒を仙醴という。漢の世に楚の元王が申公・穆生という学者を敬礼し、醴を設けたとの故事がある。○浮蟻 酒の名、けだし泡立てるありさまより名づける。○奇毛 奇特な毛色。

清關塵不雜,中使日相乘。』
王邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』
清關 関とは門をいう。○塵不雜 ほこりがごたごたせぬ、俗客と交らぬことをいう。○中便 楚中よりの御使い。○ 馬にのってくる。


晚節嬉游簡,平居孝義稱。
王は中年後になって他人との交遊に礼儀を至って簡略にされたが、平生は孝義ある人物として世間からいわれている。
晩節 中年以後をさす。○嬉游 他賓客とのあそび。○ 礼儀を簡略にすること。又案ずるに、「南斉書」文恵太子伝の「宮内に在り、遨遊玩弄より簡す」の簡と同じく、選択する義か。○平居 平生。○孝義 孝は父に対する道、義は兄弟に対する道についていう。

自多親棣萼,誰敢問山陵。
王は嘗て玄宗が寧王の生前に、之と血筋をわけた兄弟がむつまじくせられたということだけで己に十分満足されておられた、その父の死後、優礼を以て葬られる時に、わざわざ山陵までいかなくてよいと謙遜されていた。
自多 みずから多とする。自ずからとは汝陽王についていう。多とすとはその点を十分だとして満足すること。○親棣萼 棣萼は兄弟の義に用いる。「棠棣」とうていの詩に「棠棣の華、萼不韡韡イイたり」とある。不は跗と同じ、「ざいふり」の花は花に花のあしがうるわしくついているので兄弟のむつまじきことにたとえる。親とは玄宗が寧王に対し親しまれたことをいう。○問山陵 汝陽王の父の寧王が粟ずるや認して譲皇帝といい、橋陵の傍に葬り、恵陵と号したが、王は表を上って′懇辞した。寧王は容宗の太子として帝位に即くべき人であったが玄宗に譲られたのである。山陵を問わぬというのは汝陽王が父を重く葬ることを辞退することである。


學業醇儒富,詞華哲匠能。
王の学業の富めることは道の正しき儒者の如く、その文辞の華やかなことはすぐれた名人ぐらいの技能がある。
醇儒 道の正しき儒者。○哲匠 すぐれた名人。
 
筆飛鸞聳立,章罷鳳騫騰。
文字をかくために筆を飛ばせば鸞鳥がそびえ立ち、一章をかきおわれば鳳凰がとびたつ勢がある。
筆飛 文字を書することをいう。○、鳳 奴に字形の形容。○ あがりとぶ。
 
精理通談笑,忘形向友朋。
談笑の際にもいつも精微な道理が存在しており、朋友には精神を以て交るようにされる。
○精理 精微なる道理。○通談笑 通とは共に存在することをいう。○忘形 形骸のうわべを忘れ、精神を以て交る。
 
寸長堪繾綣,一諾豈驕矜。』
その人物に一寸の長所があればそれと親密にし、いか そうとされる情合いがある、なにか人に頼みごとをしてやっても、それでいばったりする様なことはない。』
寸長 わずかな長所。○繾綣 糸のもつれる貌(親交の情についていう)。〇一諾 漢の季布の故事、季布は侠客であり、その一諸を得ることは黄金百斤を得ることよりもまさるといわれた。王が他人のたのみをひきうけられることをいう。○驕矜 おごり、ほこる。

巳忝歸曹植,何知對李膺。 
私は昔の王粲のようなもので、己にかたじけなくも曹植ともいうべきあなたに身を託するようになりましたが、杜密でもない私がどうして李贋ともいうべきあなたに対することができましょう。
 かたじけなくおもう、謙遜していう。○帰曹植 曹植は魏の曹操の次子、文辞に長じ、文士王粲の徒はこれに帰した。ここは曹植を以て汝陽王に比し、王粲を自己にたとえる。○李贋 後漢の賢人。杜密と親交があり、李杜と称せられる。ここは李贋を王に此し、杜密を自己に比する。

招要恩屢至,崇重力難勝。 
私を招いてくださる御恩命がしばしば私の処へきます、私を尊重してくださるので、私の力はそれに勝るの難しいほどです。
招要 要は邀(むかえる)に同じ、王が作者をむかえること。○恩、力 王の恩、自己の力。○崇重 王が作者を尊重してくれること。

披霧初歡夕,高秋爽氣澄。
あの雲霧をおしのけて青天をながめるような心地した初めてお会いした夕べには、秋の天高く爽な気がすみわたっていた。
披霧 初対面をいう、晋の衛瓘という者が楽広を見たとき、「此の人を見るは、雲霧を披きて青天を覩るが若し」と言ったという。○初歓 初めて王とうちとけて語る。 ○高秋 天高き秋。○爽気 さわやかな気。


尊罍臨極浦,鳧雁宿張燈。
泉池の一番奥まった浦畔に臨んで酒樽を設け、燈をかかげたそばにはカモや雁がとまっていた。
 ○ 大きな酒つぼ。○極浦 一番奥まった浦畔。○宿張燈 燈を張った傍に宿す。按ずるに「披霧」以下の四句は前年の秋について叙する。

花月窮遊宴,炎天避鬱蒸。 
冬を超えて春は花月の下で遊宴をきわめられ、夏は炎天のむしあつさを避けられる。
花月 此の句は春をいう。○炎天 此の句は夏をいう。○鬱蒸 むっとしてむしあつい。

硯寒金井水,簷動玉壺冰。』
秋は金井から汲んだ水を硯に寒く滴たらせ、冬は玉壺中の氷かと見間違えるような氷柱が軒端にかかりはじめた。』
硯寒 秋をいう。○金井 銅の井戸がわを用いた井。○簷 軒端。○ 懸かりはじめること。○玉壺冰 玉壺中にあるが如き美しい氷ということ、氷柱をいう。


瓢飲唯三徑,岩棲在百層。
私は許由の如く瓢で水を飲み、蒋詔の如くただ三径を開いて遁棲していますが、あなたは巌穴に隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
瓢飲 許由の故事、むかし許由が手で水を飲んでいると、ある人がこれに一瓢をおくってくれた。由は飲みおわって木の上に掛けたところ風が吹くときひょうひょうと鳴ったので、由はうるさいとして瓢をすてた。ここは許由の遁棲に似ていることをいう。〇三径 後漢の蒋詞というものが隠居して門を塞ぎ舎中にただ三すじの径を開いたとの故事。隠者を学ぶことをいう、此の句は自己をいう。○巌棲在百層 隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
 

謬持蠡測海,況挹酒如澠。
あなたの胸中をおしはかるということ螺杯で海水を測るようなものである、王の饗応に預りその恩のあつさにいたみいっているのです。
謬持 謬とは謙辞、持とは抱きもつことをいう。○蠡測海 「漢書」東方朔伝にみえる。蠡は螺、螺貝にてつくった杯を以て海の水の多少をはかる。海とは王の識見度量の深いことをたとえる。○酒如澠 「左伝」昭公十二年にみえる、澠は川の名、澠の如しとは多いことをいう、王の饗応に預りその恩のあついことをいう。

鴻寶寧全秘,丹梯庶可淩。
あなたは鴻宝である全ての秘籍を私にかくされない、私はあかい梯をよじ登ってあなたの高きお住居へちかづけると希望している。
鴻宝 秘籍の名。劉安に「枕中鴻宝苑秘書」があったという、蓋し神仙・黄白(錬金術)の事をかいたもの。○丹梯 梯ははしご、これは赤色の土の山路をさしていう。此の句は上の巌棲百層の句と応ずる。○ おかしてのぼること。

淮王門有客,終不愧孫登。
准南王に匹敵するあなたの門には賓客があるものである。私は嵆康のような半隠半仕で、孫登に塊ずるようなことはしない信念があるのである。
准王 漢の准南王劉安、汝陽王に此する。○ 自己をいう。○愧孫登 魏末に孫登が汲郡の北山に居たとき、嵆康は之に従って遊ぶこと三年、別れんとするとき登は嵆康に謂って「子は才多きも識寡し、今の世に於て禍よリ免るること難し」といった。嵆康は後、非命に死んだが、死に臨み「幽憤詩」を作って、「昔は柳下に慙じ、今は孫登に愧ず」といった。柳下は柳下恵、柳下恵は治世にも乱世にも出でて仕え、孫登は乱世と知って隠遁して仕えなかった。嵆康は二人の如くであることができなかったので二人に対して慙愧するというのである。

嵆康(けいこう) (223~262) 字は叔夜。譙郡の人。嵆昭の子。河内郡山陽に住んだ。竹林に入り、清談にふけった。あるとき訪ねてきた鍾会に挨拶せず、まともに相手をしなかったので恨まれた。官は中散大夫に上った。呂安の罪に連座して、刑死した。竹林七賢のひとり。
『養生論』、『釈仏論』、『声無哀楽論』。 ・幽憤詩 ・贈秀才入軍五首 ・呉謡 ・呂安題鳳
 7/10 ブログ 阮籍 詠懐詩、 白眼視  嵆康 幽憤詩 7/10 ブログ 幽憤詩  嵆康 訳注篇(詳細) 
孫登 竹林の七賢などと絡み、司馬昭が興味を示した魏末の隠逸の士、仙人のような逸話も残る汲郡の孫登も三国時代の人と言える。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  23

鮒馬都尉鄭潜曜の宅にて、洞穴の中で宴をしたことをのべる。
杜甫は仕官活動の一環であった。
745年天宝4載34歳

鄭駙馬宅宴洞中
主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。
春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。
悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。
自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

公主のお宅には日陰の洞穴に靄や霧の冷気が細かに湧き出ている、そこへ賓客を夏のたかむしろとして筵を編んだ竹むしろをしいてくれていた。
濃い春酒が薄い琥珀の盃にそそがれ、氷の飲料は寒そぅな色をした瑪瑙の椀のなかでつめたさで碧の宝玉のようにみえる。
洞辺の茅堂を過ぎたら、あたかも江辺の山麓をとおっているのではないかと間違うくらいの涼しさがある、すでに風通しの良い石段の路では雲の端から土粉が降りかかってきた。
元来ここには(洞宅といえば鄭谷であるが)それを圧倒するように秦楼が高くそびえていたのだ、時々仙女の雜佩の音がジャラジャラとにきこえてきた。


(鄭鮒馬が宅にて洞中に宴をする)
主家の陰洞(いんどう)  煙霧 細やかなり
客を留める夏簟(かてん)は  青瑯玕(せいろうかん)
春酒 盃 濃(こまやか)にして 琥珀 薄く
冰漿(ひょうしょう) 碗 碧にして 瑪瑙(めのう) 寒い
誤って疑う 茅堂(ぼうどう) 江麓に過ぎたかと
己に風磴(ふうとう)に入れば 雲端に霾(つちふる)
自ら是 秦楼(しんろう)  鄭谷(ていこく)を圧す
時に聞く 雑佩の声珊珊たるを

鄭駙馬宅宴洞中
○鄭鮒馬 齢馬都尉鄭潜曜をいう。潜曜は杜南の親友鄭処のおいで、玄宗と皇甫淑妃との間に生まれた臨晋公主という姫宮を娶った。潜曜の父は鄭万釣、母は睿宗の姫宮代国長公主(名は華、字は華婉)。○宅、洞 前の「重ネテ鄭氏ノ東亭二題ス」の詩と同じく新安に在る邸潜曜の宅をさす。
天宝四載夏洛陽の時の作である。○洞中 夏時はあっいために洞穴の中に宴した。

 

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。
公主のお宅には日陰の洞穴に靄や霧の冷気が細かに湧き出ている、そこへ賓客を夏のたかむしろとして筵を編んだ竹むしろをしいてくれていた。
○主家 公主の家。○陰洞 日光のあたらぬ洞穴。○留客 客とは杜甫自身をさす。○簟 たかむしろ。○青瑯玕 青いくだ だま。これは筵を編んだ竹の色をたとえていう。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。
濃い春酒が薄い琥珀の盃にそそがれ、氷の飲料は寒そぅな色をした瑪瑙の椀のなかでつめたさで碧の宝玉のようにみえる。
○春酒 春できの酒。○濃 酒の濃いことをいう。○琥珀薄 琥珀は盃の材料。○冰漿 氷をいれた飲料。○瑪瑙 瑪瑙は椀の材料。
 
悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。
洞辺の茅堂を過ぎたら、あたかも江辺の山麓をとおっているのではないかと間違うくらいの涼しさがある、すでに風通しの良い石段の路では雲の端から土粉が降りかかってきた。
○悞 誤りに同じ。○過江麓 江麓とは江辺の山麓をいう。○風磴 風磴は石段の路、磴とは磴が高くて風をうけることをいう。けだし洞を出て一層高い丘上に向かうのであろう。○霾 土ふる。灰の如く細かい土粉が風にあおられて雨の如くふりそそぐこと。○雲端 高い処をさす。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。
元来ここには(洞宅といえば鄭谷であるが)それを圧倒するように秦楼が高くそびえていたのだ、時々仙女の雜佩の音がジャラジャラとにきこえてきた。
○自走 もとより。○秦楼 秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。○圧  高くそびえ下方を圧するが如くであることをいう。○鄭谷 漢の鄭撲、字は子兵。長安の谷口に耕し、賢を以て聞こえた。鄭潜曜のこの洞宅に此する。○雜佩 ぞうはい さまざまの古詩に付けた飾り玉。○珊珊 玉などの鳴るおと。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  21

李之芳が造った歴下の古城の新字にのぼって李邕が詩を作った。此の詩はそれに和したものである。

同李太守登歷下古城員外新亭
李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。
新亭結構罷,隱見清湖陰。
新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。
跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。
この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。
圓荷想自昔,遺堞感至今。』
水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』
芳宴此時具,哀絲千古心。
酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。
主稱壽尊客,筵秩宴北林。
主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。
不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。


李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。
新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。
この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。
水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』
酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。
主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。
自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。


(李太守が歴下の古城の員外の新亭に登るに同す)
新亭結構罷む 隠見す清湖の陰(みなみ)
跡は台観の旧なるに籍(よ)る 気冥(くら)くして海岳深し
円荷 昔よりするを想う 遺堞(いちょう)今に至るに感ず』
芳宴 此の時具(そなわ)る 哀糸千古の心
主は称して尊客に寿す 筵秩(えんちつ)北林に宴す
蓬蓽(ほうひつ)の興を阻(へだ)てず 梁甫の吟を兼ぬることを得たり』

同李太守登歷下古城員外新亭
李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。
(李太守が歴下の古城の員外の新亭に登るに同す)
 他人の詩に和して作ること。○李太守 前詩にみえる北海太守李邕。○登歴下古城員外新亭 歴下古城とは今の済南府歴城県治の西にあった城という。員外とは駕部員外郎李之芳をさす。新事とは前詩の歴下の草とはちがい李之芳が新につくったとおる亭をさす。李邕の詩の序に「亭ハ鵲湖二対ス」とあるのからすれば新亭は鵲湖に近い所にあったのである。鵲湖は鵲山湖で今の歴城県北80kmにある。この2年後に李太守は李林甫に殺される。

新亭結構罷,隱見清湖陰。
新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。
結構 くみたてること。○隠見 気象の明晦によってみえたり隠れたりする。〇清湖 鵲山湖をさす。○陰 水の南を陰という、亭は湖の南にある。


跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。
○跡 亭の地址をいう。○ 籍と通じ、よる。〇台観 高地にある道教のてら。○気冥 亭のあたりを往来する雲煙などの気がくらい。○海岳深 東海と東岳、深とは深遠なことをいう。

圓荷想自昔,遺堞感至今。
水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』
円荷 まるいはすの葉、湖中の物。○遺堞 のこっている台観のひめがき。

芳宴此時具,哀絲千古心。
酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。
芳宴 芳とは酒肉の芬芳なることをいい、宴は宴事をいう。○ 具備する、不足する所のないこと。○哀糸 哀しい琴のいと。○千古心 懐古の心をうごかすことをいう。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。
主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。
主称 主は主人、李之芳をさす。称は口でとなえること。○寿 一家の弥栄を祈ること。○尊客 李邕をさす。○筵秩 筵席の秩序あること。○ 宴飲をなすことをいう。○北林 北の林。亭は湖の南に在るから北林は湖に面する位置になる。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。
自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。
不阻 阻は阻隔すること、不阻とは近づけることをいう。○蓬蓽興 蓬戸車門の興。蓬戸はよもぎであんだ戸、草門はいばら、竹をもって織った門、いぶせきふせやのこと。蓬華興とは、作者自家の興をいう。○得兼 兼とは一事をなしたうえに更に他事をなすことをいう。○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。
同じく杜甫「登楼」では梁父吟とあり、同様の使用法をしている。晩唐の李商隠「籌筆駅」にもある。


 

〔付録〕 杜集に附載される李邕の原作。
登歴下古城員外孫新亭。亭對鵲湖。時季之芳。
自尚書郎。出斎州。製此亭。
        李  邕
吾宗固神秀、體物寫謀長。
形制開古迹、曾冰延楽方。
太山雄地理、巨壡眇雲荘。
高興泊煩促、永懐清典常。
含弘知四大、出入見三光。
負郭喜稉稻、安時歌吉祥。

陪李北海宴歴下亭 杜甫

「陪李北海宴歴下亭」 時邑人蹇處土輩在坐 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  20 


梁・宋での遊びののち、高適は南方楚の地に遊び、杜甫は李白に従って斉・魯に行くことにした。李白は兗州(山東省滋陽)の我が家に帰り、すぐ北海(山東省益都)の道士高天師のところへ出かけた。道教のお札をもらうためであったらしい。

 これまで744年天宝3載 33歳の作
七言絶句 16 贈李白(李白と旅する)
五言律排 17 贈李白(二年客東都)
五言律詩 18 重題鄭氏東亭  


745年天宝4載 34歳
五言律詩20 陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐 

杜甫は途中、李白と別れて、かつて洛陽の文会で会ったことのある北海の太守李邕を訪ねた。
邕は、杜甫が詩文の手本としていた『文選』三十巻に注釈を施した李善の子であり、書と詩文によって当時の文壇に名声があった。李邕は、『文選』に収められている古来の名作や、父の李善、それに自分も関係している『文選』注にまで詳しい杜甫に、驚きと親しみの念をもって対したにちがいない。
その年の夏、李邕が済州(済南)にやって来たので、杜甫は李邕に従い、済州の駅事にある歴下事や、済州城の北方にある鵲山亭での宴遊に加わって、当代の文壇のあれこれについて談じた。話は祖父審言にも及び、李邕は審言の詩の美しきを賛えた。杜甫は祖父の存在を、どんなに誇りに思ったことであろう。


陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐
  北海太守李邕のお相伴をして歴下の亭で宴に同席したことをのべる。745年天宝四載34歳の作。


五言律排
陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐
李北海につきそって歴下亭に宴席した。その時、邑人蹇處土も列席されていた。
東藩駐皂蓋、北渚凌淸河。
李北海太守公は東藩のここ青州にその黒き車蓋をとどめておられる、北方面は渤海の渚をそして南は淮河の清らかな流れまで凌駕されておられる。
海右此亭古、済南名士多。』
このあたり一帯、海に至るまでの場所で歴下のこの亭は由緒ある有名なものであり、またこの済南の地方おける名士が今日ここに多く列席されている。』
雲山己發興、玉珮仍當歌。
この事で雲山をながめここの自然だけでもはや興をおこした、また、その上に玉珮の佳人が対面席の向こうで歌をうたってくれる。
傾竹不受暑、交流室湧波。』 
高くしげった竹林は静かで暑気などを感じさせない、合流しゆく諸水もいたずらになくてもいい大波をたたせている。』
蘊眞愜所遇、落日将如何。 
この真の自然の趣をもっている境地にであった事はさらにおおいに気にいった所につつまれていることだ、日が沈みかけてきたこの境地の趣きが消えてゆく、どうしたらよいだろう。
貴賤倶物役、従公難重過。』 
さて人は貴きも賤しきもそれぞれ、その時々の事物に使役せられるものであるから、李公のお伴をしてここに再び訪れることはすることは難しいことではあろう。


李北海につきそって歴下亭に宴席した。その時、邑人蹇處土も列席されていた。
李北海太守公は東藩のここ青州にその黒き車蓋をとどめておられる、北方面は渤海の渚をそして南は淮河の清らかな流れまで凌駕されておられる。
このあたり一帯、海に至るまでの場所で歴下のこの亭は由緒ある有名なものであり、またこの済南の地方おける名士が今日ここに多く列席されている。』
この事で雲山をながめここの自然だけでもはや興をおこした、また、その上に玉珮の佳人が対面席の向こうで歌をうたってくれる。
高くしげった竹林は静かで暑気などを感じさせない、合流しゆく諸水もいたずらになくてもいい大波をたたせている。』
この真の自然の趣をもっている境地にであった事はさらにおおいに気にいった所につつまれていることだ、日が沈みかけてきたこの境地の趣きが消えてゆく、どうしたらよいだろう。
さて人は貴きも賤しきもそれぞれ、その時々の事物に使役せられるものであるから、李公のお伴をしてここに再び訪れることはすることは難しいことではあろう。


(李北海に陪 し、歴下の亭に宴 す、時に蹇處土輩が坐に在り)
東藩(とうはん)皂蓋(そうがい)を駐(とど)め 北渚(ほくしょ)淸河(せいが)を凌しのぐ
海右 此の亭 古たり 済南名士多し』
雲山己に興を発す 玉珮仍りて 当り 歌う
脩竹を受けず 交流空しく波を湧かす』
真を蘊(つつ)みて遇う所に愜(かの)う 落日将に如何にせんとする
貴餞倶に役される 公に従う 重ねて過り難し』

陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐
李北海につきそって歴下亭に宴席した。その時、邑人蹇處土も列席されていた。
李北海 李邕をいう。邕は広陵の人、天宝の初め、汲郡・北海の太守となり、六年李林甫に忌まれて殺され
た。北海は青州のこと。○歴下 今の山東省済南府、歴山の下にあるので歴下という。○ この亭は歴山の台上にあったという。


東藩駐皂蓋、北渚凌淸河

李北海太守公は東藩のここ青州にその黒き車蓋をとどめておられる、北方面は渤海の渚をそして南は淮河の清らかな流れまで凌駕されておられる。
○東藩 青州をさす、東にあって京都のまもりとなるが故に東藩という。○竃蓋 黒色の車の傘で太守の用いるもの。○北渚凌清河 北は済州の渤海に面した渚で、南側は淮河の清き流れまでの間を凌ぐ、凌駕、立派におさめていると考えるのが妥当と思う。これには諸説あって、李邕がこの地に来たことを示すものというのが多い。それだと、北渚は北方の渚、北方は亭より北側を指す。凌とは川を凌ぎわたってきたこと、淸河は済河を示すとされる。これでは意味が全く通らない。
 まず、①(本来なら中央朝廷の人のはずが、)立派な方なのにこの青州へ左遷された。②太守専用車をいつでも出られるように駐車されている。その意味は、問題解決に自ら出ていかれるお気持ちがある。以上が初めの句の本位である。これを踏まえると③凌とは凌駕、つまりわずかの間に北海の太守の席を立派にされているということになる。④北の渚、詩人的表現で、渤海に至る渚、ということ。⑤南をずっと南の淮河の清流と詩人的誇張表現をして③の凌を強調している。と考えると杜甫が高級官僚に対して最大の社交辞令が生きてくる。河を渡った凄い人、というのは視点が狭い。

海右此亭古、済南名士多。
このあたり一帯、海に至るまでの場所で歴下のこの亭は由緒ある有名なものであり、またこの済南の地方おける名士が今日ここに多く列席されている。』
海右 都に向かって、右に海がある。顔を都の向け歴下(済南)の右は海。当時は川・運河が主な交通手段だからそれを中心に方角も考えているので、若干の誤差は出る。○済南 済州の南。歴下。○名士 題注の蹇處土輩、そのとき集まった人々をさす。 
 
雲山已發興,玉佩仍當歌。
この事で雲山をながめここの自然だけでもはや興をおこした、また、その上に玉珮の佳人が対面席の向こうで歌をうたってくれる。
雲山 雲のいる山、草よりみえる所のもの。○発興 興をおこす。○玉珮 ギョクハイ。玉でつくったおびもの、これは酒宴のお相手をする女の身の帯のかざり。玉珮といって之を帯状のさげた女をさす。○ そのうえにも。○当歌 当は対当の義、「筵を当る」をいう、宴席にてお客のむかいにすわってということ。

修竹不受暑,交流空湧波。
高くしげった竹林は静かで暑気などを感じさせない、合流しゆく諸水もいたずらになくてもいい大波をたたせている。』
修竹 背たけのたかい竹。 ○不受暑 竹葉がしげりあっているために暑気を感じさせない。 ○交流 歴山の祠下より歴水が出て、濼水と共に鵲山湖に入る。交流は諸水の合流をいう、これは竹林から振り向いて遠望している。詩の場面を大きく変化させる。○空 無意味な、徒らにという類、徒らにとはぶつかって大きな波を起こしているが静かで清らかな川にむだなことをしている。

蘊真愜所遇,落日將如何!
この真の自然の趣をもっている境地にであった事はさらにおおいに気にいった所につつまれていることだ、日が沈みかけてきたこの境地の趣きが消えてゆく、どうしたらよいだろう。
蘊真 謝霊運の詩句にみえる語、真趣をつつむ。此の亭の風景が真の趣を蔵有することをいう。○ かなう、気にいる。○所遇 我がであうところ、蘊真と所遇とは同一事。○落日 太陽の没せんとするころ。○将如何 日が沈んでいくことを惜しむ。ここを去ることを惜しむこと。
 
貴賤俱物役,從公難重過。』
さて人は貴きも賤しきもそれぞれ、その時々の事物に使役せられるものであるから、李公のお伴をしてここに再び訪れることはすることは難しいことではあろう。
貴餞 貴は李畠をいい、賤しきは自己をいう。○物役 事物のために使役される。○従公 公とは李をさす。



911.陪李北海宴歷下亭
東藩駐皂蓋,北渚臨清河。
海右此亭古,濟南名士多。
雲山已發興,玉佩仍當歌。
修竹不受暑,交流空湧波。
蘊真愜所遇,落日將如何!
貴賤俱物役,從公難重過。

重題鄭氏東亭  杜甫

重題鄭氏東亭  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  18
新安に在る鄭氏の東の亭に、再び訪れかきつけた詩。
744年天宝3載33歳、杜甫が洛陽にあったころの作。原注に、「新安の界に在り」とある。
天宝3載 744年 33歳 五言律詩


重題鄭氏東亭
華亭入翠微、秋日亂清暉。
うつくしい山亭が山の中半腹に建っていて、秋の陽はきよらかな光を目映く輝かせていた。
崩石欹山樹、清漣曳水衣。
山亭のそばの崩れかかった岩石は山の樹を傾けさせていて、すんだ水の池のさざなみは水面に浮かんだ水苔を揺らせていた。
紫鱗衝岸躍、蒼隼護巣歸。
その水に泳いでいる紫色のウロコの魚は岸に突き当たるかのようにはね飛び躍って、樹上に棲む隼は巣籠に帰っていった。
向晩尋征路、残雲傍馬飛。

わたしは夕方になったのでここを去ろうとして帰り道にはゆきはじめた、夕方の雲がわたしの乗る馬に付き添うように流れている。


うつくしい山亭が山の中半腹に建っていて、秋の陽はきよらかな光を目映く輝かせていた。
山亭のそばの崩れかかった岩石は山の樹を傾けさせていて、すんだ水の池のさざなみは水面に浮かんだ水苔を揺らせていた。
その水に泳いでいる紫色のウロコの魚は岸に突き当たるかのようにはね飛び躍って、樹上に棲む隼は巣籠に帰っていった。
わたしは夕方になったのでここを去ろうとして帰り道にはゆきはじめた、夕方の雲がわたしの乗る馬に付き添うように流れている。


(下し文)重ねて鄭氏が東亨に題す
華亭 翠微に入り、 秋日 清暉乱る。
崩石 山樹欹き、  清漣 水衣を曳く。
紫鱗 岸を衝いて躍り、 蒼隼 巣を護せんとして帰る。
晩に向って征路を尋ぬれば、 残雲 馬に傍いて飛ぶ。

重題鄭氏東亭

鄭氏 鮒馬鄭潜曜との説があるが、確かでない。○東亭 其の家の東にあるものであろう。○新安 河南府新安県。

華亭入翠微、秋日亂清暉。
うつくしい山亭が山の中半腹に建っていて、秋の陽はきよらかな光を目映く輝かせていた。
華亭 うつくしいちん、休憩するために作ったあずまや。東亭をほめていう。○翠微 山の半腹、そのあたりには翠色がかすかによこたわっているのでかくいう。○秋日 日は太陽をさす。○清暉 すんだひかり。日光。

崩石欹山樹、清漣曳水衣。
山亭のそばの崩れかかった岩石は山の樹を傾けさせていて、すんだ水の池のさざなみは水面に浮かんだ水苔を揺らせていた。
崩石 くずれかかった石。○ かたむく、横になる。○ さざなみ。○水衣 みずごけ。

紫鱗衝岸躍、蒼隼護巣歸。
その水に泳いでいる紫色のウロコの魚は岸に突き当たるかのようにはね飛び躍って、樹上に棲む隼は巣籠に帰っていった。
紫鱗 紫色のさかな。夕日に紫色に輝いたのだろう。○蒼隼 ごましおの羽色のはやぶさ。○護巣 巣の番をする。


向晩尋征路、残雲傍馬飛。
わたしは夕方になったのでここを去ろうとして帰り道にはゆきはじめた、夕方の雲がわたしの乗る馬に付き添うように流れている。
征路 たびじ。我がかえり路。○残雲 ゆうべの雲。


杜甫の家系は名門なので高官や貴族などからの招待はあったようだ。結婚もして、家も構えていたので、文才を生かして士官につながる伝手を求めて訪問していた。李白と出会って、杜甫は叔母の法事などの関係で暫く洛陽に残っていた。数か月して李白を追うのであるが、その間のできごとである。「重ねて題す」とあるので、二度目なのであろうが、詩としては、見当たらない。

「うつくしい亭が山の半腹にたっていて、秋の太陽のすんだひかりがちらちらしている。」大豪邸の感じはしない。
尾聯での景色が一般的で馬に乗っている杜甫に夕焼雲がついてくるということでは、ほとんど印象的な場所ではなかったのだろう。鄭氏も未詳であるのでなおさらだ。

夜宴左氏荘 杜甫

夜宴左氏荘 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  12 (就職活動する。)
夜左氏の別荘の宴に出席したことをのべたもの。
742年 天宝1載31歳 洛陽での作
   
夜宴左氏荘         
夜 左氏の荘に宴した
風林繊月落、衣露浄琴張。
そぞろに風がわたる林に新月の細い月も沈んで夜も更けた、衣上に露の降りる澄み切った夜に琴の弦を張った穢れのない綺麗な琴の調がしみわたる。
暗水流花径、春星帯草堂。
暗がりで水流れており荘園の花咲く小路、春の星が草堂をやわらかくつつんでいる。 
検書焼燭短、看剣引盃長。
書籍でしらべものをしていたら、いつのまにか、蝋燭が短くなっていた、剣を見ていると酒杯を重ねあげてはなせない。
詩罷聞呉詠、扁舟意不忘。

宴席で詩を作って読み上げおわると、江南の音調でこの詩を詠う者がいた、その音調を聞いたら自分が小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。


夜 左氏の荘に宴した
そぞろに風がわたる林に新月の細い月も沈んで夜も更けた、衣上に露の降りる澄み切った夜に琴の弦を張った穢れのない綺麗な琴の調がしみわたる。
暗がりで水流れており荘園の花咲く小路、春の星が草堂をやわらかくつつんでいる。 
書籍でしらべものをしていたら、いつのまにか、蝋燭が短くなっていた、剣を見ていると酒杯を重ねあげてはなせない。
宴席で詩を作って読み上げおわると、江南の音調でこの詩を詠う者がいた、その音調を聞いたら自分が小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。


夜 左氏の荘に宴す
風林(ふうりん)  繊月(せんげつ)落ち
衣露(いろ)  浄琴(じょうきん)張る
暗水(あんすい)は花径(かけい)に流れ
春星(しゅんせい)は草堂を帯(お)ぶ
書を検(けん)して  燭(しょく)を焼くこと短く
剣を看(み)て  盃(さかずき)を引くこと長し
詩罷(や)みて  呉詠(ごえい)を聞く
扁舟(へんしゅう)  意(い)  忘れず


夜宴左氏荘
○左氏荘 左氏が何人であるかは未詳。その荘の所在も詳かでないが、或は河南に在るかという。

風林繊月落、衣露浄琴張。
そぞろに風がわたる林に新月の細い月も沈んで夜も更けた、衣上に露の降りる澄み切った夜に琴の弦を張った穢れのない綺麗な琴の調がしみわたる。
風林 風のわたる林。○繊月 細くなった月。新月のこと。○衣露 衣上におりた露。 ○浄琴 穢れのない綺麗な琴の調。○ 琴の弦をはる。

暗水流花径、春星帯草堂。
暗がりで水流れており荘園の花咲く小路、春の星が草堂をやわらかくつつんでいる。 
暗水 くらがりの水。○花径 花のさいているこみち。○ とりかこむこと。

検書焼燭短、看剣引盃長。
書籍でしらべものをしていたら、いつのまにか、蝋燭が短くなっていた、剣を見ていると酒杯を重ねあげてはなせない。
検書 検はしらべること。○焼燭短 短の字は燭へかかる。更に長からんことを望む意がある。○引杯長 引とは口もとへひきよせること、長とは時間の久しきにわたることをいう。

詩罷聞呉詠、扁舟意不忘。
宴席で詩を作って読み上げおわると、江南の音調でこの詩を詠う者がいた、その音調を聞いたら自分が小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。
詩罷 席上で、詩をつくりおわること。○呉詠 呉は今の江蘇省地方、呉詠とは江南の音調で詩をうたうこと。○扁舟 小さくひらべたい舟。これは開元十九年、作者が年二十歳にして、呉越に遊んだことを憶いおこした

 「扁舟意不忘。」(小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。)で詩を終わらせていることで、そ前の句の「聞呉詠」(江南の音調でこの詩を詠う者がいた)ということをぐっと引き立て、夜宴の主を引き立てる役割をこなしている。それでいて自分の詩をきっちり売り込んでいる。五言句の中にこれだけの情報と想像力を描き立たせる杜甫の天才的なところである。

畫鷹  杜甫

畫鷹  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  10 (青年期・就活の詩)
五言律詩。絵にかいた鷹についてよんだ詩。
天宝1載 742年 31歳


畫 鷹              
素練風霜起、蒼鷹画作殊。
鷹を書いた絵絹がある。鷹の羽の勢いで風を呼び、練り絹の白い面からや霜がわき起こるかとおもわれるのは、青黒い鷹の絵の出来映えが素晴しいからだ。
㩳身思狡兎、側目似愁胡。
その鷹は肩を怒らせてはすばしこい兎を狙おうとしているのであろうか、その横目に睨んでいる心配顔のトルコ人に似ている。
絛鏇光堪擿、軒楹勢可呼。
足をくくるひもの環輪は手で摘み取ることができそうに光っており、軒端の柱のあたりで呼べばすぐにも飛び出しそうな勢いがある。
何当撃凡鳥、毛血灑平蕪。

いつかは凡鳥どもをたたき伏せ、毛や血を平原に撒き散らすことであろう。


鷹を書いた絵絹がある。鷹の羽の勢いで風を呼び、練り絹の白い面からや霜がわき起こるかとおもわれるのは、青黒い鷹の絵の出来映えが素晴しいからだ。
その鷹は肩を怒らせてはすばしこい兎を狙おうとしているのであろうか、その横目に睨んでいる心配顔のトルコ人に似ている。
足をくくるひもの環輪は手で摘み取ることができそうに光っており、軒端の柱のあたりで呼べばすぐにも飛び出しそうな勢いがある。
いつかは凡鳥どもをたたき伏せ、毛や血を平原に撒き散らすことであろう。


画 鷹
素練(それん)   風霜(ふうそう)起こり
蒼鷹(そうよう)  画作(がさく)殊(こと)なり
身を㩳(そびやか)して狡兎(こうと)を思い
目を側(そばだ)てて愁胡(しゅうこ)に似たり
絛鏇(とうせん)  光  摘(つ)むに堪(た)え
軒楹(けんえい)  勢い呼ぶ可し
何(いつ)か当(まさ)に凡鳥(ぼんちょう)を撃ちて
毛血(もうけつ)  平蕪(へいぶ)に灑(そそ)ぐべき



畫 鷹  
杜甫は4年にわたる山東方面の遊学から帰り、就職活動のためや、知遇を得るために、貴族の館に出入りを始めた。この詩は出来上がってきた絵画に詩を書き添えた題画である。 
           

素練風霜起、蒼鷹画作殊。
鷹を書いた絵絹がある。鷹の羽の勢いで風を呼び、練り絹の白い面からや霜がわき起こるかとおもわれるのは、青黒い鷹の絵の出来映えが素晴しいからだ。
素練 しろい練絹。白絹で顔料が付きやすく練っているもの。○風霜起 鷹の羽の勢いが風であり、絹面の白さと獲物を狙う寒々とした光景を連想させる霜をいう。○蒼鷹 ごましおの羽色のたか。○画作 画のできぐあい。○ 尋常でない。秀逸であること。


㩳身思狡兎、側目似愁胡。
その鷹は肩を怒らせてはすばしこい兎を狙おうとしているのであろうか、その横目に睨んでいる心配顔のトルコ人に似ている。
攫身 渡は心に従って健に作るべきである。字の誤りであり、優は疎に同じく、そびやかすこと。身をそびやかすとは肩を怒らすようにすること。〇狡兎 ずるいうさぎ。○側目 よこめににらむ。○愁胡 心配顔のトルコ人。晋の孫楚の「鷹の賦」に「深目蛾眉、状は愁胡に似たり」とある。鷹の目つきを愁胡にたとえることは晋の孫楚の「鷹ノ賦」にある。

絛鏇光堪擿、軒楹勢可呼。
足をくくるひもの環輪は手で摘み取ることができそうに光っており、軒端の柱のあたりで呼べばすぐにも飛び出しそうな勢いがある。
絛鏇 鷹の足をくくったひもを通す金属の環輪。・ さなだひも。・ ろくろ仕掛けの金環。鷹の足をさなだひもでくくり、この環につないでおく。○光堪擿 光とは鋲のうごくにつれひかることをいう。擿つまんでとりさることをいう。○軒楹 のきば、はしら。○ 鷹の猛き勢い。○可呼 呼ぶとはこの鷺にかけごえをして猟をさせることをいう。

何当撃凡鳥、毛血灑平蕪。
いつかは凡鳥どもをたたき伏せ、毛や血を平原に撒き散らすことであろう。
何当 何は何時の義。 ○凡鳥 烏雀の類。○平蕪 蕪とは荒野をいう。


韻字 殊・胡・呼・蕪。

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