杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

五言歌行

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杜甫《送李卿曄》少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

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廣徳2764-58 《送李卿曄》 ふたたび成都 杜甫<734 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4000 杜甫詩1500-734-971/250022

 

 

製作年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 送李卿曄

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

承明廬 (京畿道 京兆府 長安) 別名:承明     

晉山 (山南西道 閬州 晉安(晋安))  (山南西道 閬州 閬州)     

交遊人物: 李曄

 

 

送李卿曄

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

王子思歸日,長安已亂兵。

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

霑衣問行在,走馬向承明。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

晉山雖自棄,魏闕尚含情。

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

 

李卿曄 を送る

王子 歸日を思い,長安 已に兵に亂る。

霑衣して 行在に問い,走馬して 承明に向う。

暮景 巴蜀の僻,春風 江漢の清。

晉山 自棄すると雖も,魏闕 尚お情を含まん。

 王屋山00

 

『送李卿曄』 現代語訳と訳註

(本文)

送李卿曄

王子思歸日,長安已亂兵。

霑衣問行在,走馬向承明。

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

晉山雖自棄,魏闕尚含情。

 

 

(下し文)

李卿曄 を送る

王子 歸日を思い,長安 已に兵に亂る。

霑衣して 行在に問い,走馬して 承明に向う。

暮景 巴蜀の僻,春風 江漢の清。

晉山 自棄すると雖も,魏闕 尚お情を含まん。

 

(現代語訳)

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

 

 

(訳注)

送李卿曄

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

・李卿曄 曄は部尚書淮安郡國公であった李琇の子で、刑部侍郎ある。杜甫が出会ったのは山南西道閬州の晉安であり、この時、罪により嶺南に貶められることになったもの。

李琇は字琇といい,淮安の忠公であり、宗正卿 李齊晏のことである,陝王府曹參軍までなった。

この詩で、代宗の気まぐれの逆鱗に触れたものと思われるが、何らかの罪で、嶺南・広東へ流されるのを見送ったもの。

杏の花01 

王子思歸日,長安已亂兵。

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

○杜甫が、3月に成都に帰るが正月から2月にかけて閬州で送別の宴があったのだろう。

 

霑衣問行在,走馬向承明。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

 

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

・巴蜀僻 巴蜀の辺鄙な所。剣南道、山南西道三巴をいうが、長安に比較して辺鄙であること。

 

晉山雖自棄,魏闕尚含情。 

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

・晉山 古くからある住持職(住持)の略称。住職になることを出世(しゆつせ)といい,住職として実際にその寺に入ることを入院(じゆいん),あるいは晋住(しんじゆう),また晋山(しんざん)という。【案:介山在綿上,以子推自比。】 綿山の抱腹寺は曹魏の太和年間に建立されたものである。綿山の『大唐汾州抱腹寺碑』の記載よると、同寺は曹魏の太和年間の高僧・迪公が考察したうえ、朝廷に建設案を上奏して魏明帝の勅令によって建立し、さらに抱腹寺という名を勅封した。
蜀中転々圖 

738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)〕

《愁坐》梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

 

《愁坐》十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは宵に月が出ると水に月をうつすのだ。

 

《愁坐》このとき杜甫は梓州の州官舎の事務室によく出入りしており、長安洛陽に帰りたいと願っていたがこの詩の中で葭萌関と左擔関が異民族によって侵略され封鎖されていたため、蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたということを詠う。


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738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)

 

詩 題:愁坐〔草堂逸詩拾遺〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

詩題: 愁坐【〔草堂逸詩拾遺-(14) 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 高齋 (劍南道北部 梓州 梓州・葭萌 (山南西道 利州 葭萌)   ・左擔 (劍南道北部 劍州 陰平)     

掲 載; 杜甫1000首の645首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-901回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(14)

愁坐

(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

高齋常見野,愁坐更臨門。 

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

十月山寒重,孤城月水昏。 

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは酔いに月が出ると水に月をうつすのだ。

葭萌氐種迥,左擔犬戎存。 

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

終日憂奔走,歸期未敢論。 

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

 

愁坐

高齋 常に野を見て,愁坐して更に門を臨む。 

十月 山 寒く重くなり,孤城 月 水昏す。 

葭萌 氐種 迥い,左擔 犬戎 存す。 

終日 奔走するを憂い,歸期 未だ敢えて論ぜず。 

剣門関01 

 

『愁坐』 現代語訳と訳註

(本文)

愁坐

高齋 常見野,愁坐更臨門。 

十月山寒重,孤城月水昏。 

葭萌氐種迥,左擔犬戎存。 

終日憂奔走,歸期未敢論。 

異文

高齋常見野,愁坐更臨門。

十月山寒重,孤城月水昏【孤城水氣昏】。

葭萌氐種迥,左擔犬戎存【左擔犬戎屯】。

終日憂奔走,歸期未敢論。 

 

(下し文)

愁坐

高齋 常に野を見て,愁坐して更に門を臨む。 

十月 山 寒く重くなり,孤城 月 水昏す。 

葭萌【かみょう】氐種【ししゅ】 迥【むか】い,左擔【さたん】犬戎【けんじゅう】存す。 

終日 奔走するを憂い,歸期 未だ敢えて論ぜず。 

 nat0017

(現代語訳)

(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは宵に月が出ると水に月をうつすのだ。

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

 

 

(訳注)

愁坐

(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

このとき杜甫は梓州の州官舎の事務室によく出入りしており、長安洛陽に帰りたいと願っていたがこの詩の中で葭萌関と左擔関が異民族によって侵略され封鎖されていたため、蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたということを詠う。

 

 

高齋 常見 ,愁坐 更臨門

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

「高齋」州の州官舎の事務室。

「門」長安に向かう剣門一帯方面のこと。 杜甫は3年前の同じ時期に北の秦州方面から蜀道で剣門を経てせいとにはいったのである。

 

十月 山寒 ,孤城 月水

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは酔いに月が出ると水に月をうつすのだ。

「孤城」涪江の西側にある梓城。近くには何もなくポツンとある。月が黄昏時に出てくるということは十月半ばころということになる。したがって山には雪が積もり始めている。

 

葭萌 氐種 迥,左擔 犬戎

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

「葭萌」利州、葭萌関。()〔所在地:四川省広元市昭化古城〕現在は昭化古城という地名になっている。葭萌関に戦いにおいて、張飛と馬超が死闘を繰り広げたと言われる場所。百合とも言われる一騎打ちは決着が付かず、野戦をするため松明を用いて勝負したが結局、勝敗が付かなかった。古城内には蜀の武将の塑像が作られている。

「氐種」紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族、民族邦國名、氐族は「後漢書」の西南諸国の中に、昆明の東北に「氐種属する白馬国がある」とみえることから、氐氏は本来雲南地方に発するとおもわれる。

「左擔」剣南道北部剣州陰平(e)地名、行政地名、左擔。

「犬戎」【けんじゅう】古代中国の西戎(せいじゅう)の一。殷・周・春秋の時代に陝西省方面で勢力を振るったが、秦に圧迫されて衰えた。犬夷(けんい)。昆夷(こんい)

 

終日 奔走 ,歸期 未敢

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

成都遂州00 

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(14)

愁坐

高齋常見野,愁坐更臨門。 

十月山寒重,孤城月水昏。 

葭萌氐種迥,左擔犬戎存。 

終日憂奔走,歸期未敢論。 

 

--------------------------------------------------------------------------------

(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは酔いに月が出ると水に月をうつすのだ。

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

713 《贈韋贊善別》 蜀中転々 杜甫 <620>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3410 杜甫詩1000-620-876/1500五言律詩

《贈韋贊善別》私の病気、生活を扶助してくれている韋贊善君を送り旅立つのだ、すると、自然と憐れに思うことは未だに故郷に帰れないことである。ただ、ただ今ここでまさに旅客となることになみだするのであり、というのもまた自分の向おうとするこの先も扉にイバラがの巻き付いている状態であるということを思うからである。


2013年12月8日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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713 《贈韋贊善別》 蜀中転々 杜甫 <620  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3410 杜甫詩1000-620-876/1500五言律詩         

 

 

763年この年の夏ごろから、杜甫は梓州刺史章彝(前任の杜済は綿州刺史に転じていた)の客分となり、その主催する送別や歓迎の宴に出席したり、遊覧・遊猟に随行している。杜甫の詩人としての名も、かなり揚がっていたらしく、彼はそれによって一家の生活を支え、また東下の旅費を蓄えていた。しかしこのころ、辺境の情勢は緊迫の度を加え、吐蕃の軍は長安に迫り、西南方面(松・雅・保州)においては巴・蜀を圧迫していた。そうして、十月になるとついに長安に攻めこみ、代宗は東の方の陝州(河南省陝県)に逃げてしまった。しばらくして郭子儀が反撃に転じ、吐蕃軍は遁走したが、まさに安禄山の乱の再現かと思われた。

杜甫はそれらの情報を伝え聞きながら、今はただ一つしか残されていない東方への道、長江を下るべく、ひたすら旅の準備をととのえていた。その大部分は章彝の援助に頼るしかなかったため、彼は章彝とその幕僚の機嫌を損ねないように、言行を慎重にしていたらしい。そのためであろう、杜甫が東方の旅に出発することを申し出ると、彼らは送別会を開いてくれ、章彝は無事な旅を祈って、梓州特産の桃竹の杖を二本、杜甫に贈った。

出発も間近に迫ったある日、都に帰った厳武のはからいであろうか、杜甫を京兆府の功曹参軍(庶務課長)に任ずるとの連絡があった。しかし、すでに三峡を下って呉・楚の地に赴く決心をしていた杜甫は、それを辞退した。

 

 

作年:763  廣德元年  52 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 贈韋贊善別 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

交遊人: 韋贊善

掲 載; 杜甫1000首の620首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-876回目   40975

 

 

贈韋贊善別 

(韋贊善と送別に贈る)

扶病送君發,自憐猶不歸。

私の病気、生活を扶助してくれている韋贊善君を送り旅立つのだ、すると、自然と憐れに思うことは未だに故郷に帰れないことである。

祗應盡客淚,復作掩荊扉。

ただ、ただ今ここでまさに旅客となることになみだするのであり、というのもまた自分の向おうとするこの先も扉にイバラがの巻き付いている状態であるということを思うからである。

江漢故人少,音書從此稀。

これから向かう長江下流域から漢江を遡って行く辺りには友人がほとんどいないのであり、わずかにいる友人たちからの手紙などもほとんどないのである。

往還二十載,晚寸心違。

まさに遺憾とする、そして帰ろうとすることになるのはかれこれ20年になろうとしている。今年も終わりの月になろうとしている、少しだけだけれどこのまま行っていいのかどうかとも思っている。

 

韋贊善との別れに贈る。 

病を扶け 君を送り發ち,自ら憐れむ 猶お歸えれず。

祗だ應に盡く客淚し,復た作すは荊扉を掩う。

江漢 故人少く,音書 此れ從り稀れなる。

往き還るは 二十載,晚 寸心違う。

成都遂州002 
 

『贈韋贊善別』 現代語訳と訳註

(本文)

贈韋贊善別 

扶病送君發,自憐猶不歸。

祗應盡客淚,復作掩荊扉。

江漢故人少,音書從此稀。

往還二十載,晚寸心違。

 

(下し文)

韋贊善との別れに贈る。 

病を扶け 君を送り發ち,自ら憐れむ 猶お歸えれず。

祗だ應に盡く客淚し,復た作すは荊扉を掩う。

江漢 故人少く,音書 此れ從り稀れなる。

往き還るは 二十載,晚 寸心違う。

 

(現代語訳)

(韋贊善と送別に贈る)

私の病気、生活を扶助してくれている韋贊善君を送り旅立つのだ、すると、自然と憐れに思うことは未だに故郷に帰れないことである。

ただ、ただ今ここでまさに旅客となることになみだするのであり、というのもまた自分の向おうとするこの先も扉にイバラがの巻き付いている状態であるということを思うからである。

これから向かう長江下流域から漢江を遡って行く辺りには友人がほとんどいないのであり、わずかにいる友人たちからの手紙などもほとんどないのである。

まさに遺憾とする、そして帰ろうとすることになるのはかれこれ20年になろうとしている。今年も終わりの月になろうとしている、少しだけだけれどこのまま行っていいのかどうかとも思っている。

 

(訳注)

贈韋贊善別 

(韋贊善と送別に贈る)

 

扶病 送君 ,自憐 猶不歸

私の病気、生活を扶助してくれている韋贊善君を送り旅立つのだ、すると、自然と憐れに思うことは未だに故郷に帰れないことである。

「扶病」病気、生活を扶助。

「送」送別。

「君」韋贊善君。

「發」出發。

 

 

祗應 盡客淚 ,復作 荊扉

ただ、ただ今ここでまさに旅客となることになみだするのであり、というのもまた自分の向おうとするこの先も扉にイバラがの巻き付いている状態であるということを思うからである。

 

江漢 故人 ,音書 從此

これから向かう長江下流域から漢江を遡って行く辺りには友人がほとんどいないのであり、わずかにいる友人たちからの手紙などもほとんどないのである。

「江漢」長江、漢水。

「故人」友人知人。

「音書」文藝、音信。

 

往還 二十 寸心

まさに遺憾とする、そして帰ろうとすることになるのはかれこれ20年になろうとしている。今年も終わりの月になろうとしている、少しだけだけれどこのまま行っていいのかどうかとも思っている。

「往」語義類別:人、行為動作、一般行為(彳部)、往。

「還」語義類別:人、行為動作、一般行為(辵部)、還。

「二十載」十年数年越えると、詩的表現でいう場合。

晚」年の終ころ。十一月終わり頃からの季節を云う。年末ではない少し漠然としている時期。

「寸心違」少しだけだけれどこのまま行っていいのかどうかとも思っている。。
葭 あし002 

709 《西山,三首之一〔即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障。〕》 蜀中転々 杜甫 <616>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3390 杜甫詩1000-616-872/1500

杜甫《西山,三首之一》酒瓶の境といわれる荒れた山脈の頂がある。吐蕃の州は積雪のあるあたりである。これをふせぐために味方は城を築くのに白帝の居るかような高いところに依り、兵糧をはこぶのに青天にのぼるほどの困難をしているということだ。


2013年12月4日  の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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709
《西山,三首之一〔即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障。〕》 蜀中転々 杜甫 <616>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3390 杜甫詩1000-616-872/1500

 

詩 題:西山,三首之一〔即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障。〕

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

掲 載; 杜甫1000首の616首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-872回目   40971

 

 

西山,三首之一〔即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障。〕

(吐蕃が松州に攻め込み、その境となる雪嶺山脈、いわゆる西山のことについて詠う三首の其の一)

彝界荒山頂,蕃州積雪邊。

酒瓶の境といわれる荒れた山脈の頂がある。吐蕃の州は積雪のあるあたりである。

築城依白帝,轉粟上青天。

これをふせぐために味方は城を築くのに白帝の居るかような高いところに依り、兵糧をはこぶのに青天にのぼるほどの困難をしているということだ。

蜀將分旗鼓,羌兵助井泉

そうして蜀武将は旗鼓を分かち、挟み撃ちをしてこれをふせぎ、降参した羌兵までが敵に内応して鎧鍵のことの手伝いをしてくれている。

西戎背和好,殺氣日相纏。

西南国境、吐蕃のものが和好を破った。そのために、蜀全域にこうして日日穀気がまといつつあるということなのだ。

彝界【いかい】荒山の頂にあり,蕃の州は積雪の邊にある。

築城 白帝に依り、転粟【てんぞく】青天に上る。

蜀の将 旗鼓を分かち、羌の兵 井泉【がいせん】を助く。

西南 和好に背き、殺気 日【ひご】とに相い纏う。

 

其二

辛苦三城戍,長防萬里秋。

煙塵侵火井,雨雪閉松州。

風動將軍幕,天寒使者裘。

漫山賊營壘,回首得無憂。

 

其三

子弟猶深入,關城未解圍。

蠶崖鐵馬瘦,灌口米船稀。

辯士安邊策,元戎決勝威。

今朝烏鵲喜,欲報凱歌歸。

nat0003 

 

『西山,三首之一』現代語訳と訳註

(本文)

西山,三首之一〔即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障。〕

彝界荒山頂,蕃州積雪邊。

築城依白帝,轉粟上青天。

蜀將分旗鼓,羌兵助井泉

西戎背和好,殺氣日相纏。

 

(下し文)

彝界【いかい】荒山の頂にあり,蕃の州は積雪の邊にある。

築城 白帝に依り、転粟【てんぞく】青天に上る。

蜀の将 旗鼓を分かち、羌の兵 井泉【がいせん】を助く。

西南 和好に背き、殺気 日【ひご】とに相い纏う。

 

(現代語訳)

(吐蕃が松州に攻め込み、その境となる雪嶺山脈、いわゆる西山のことについて詠う三首の其の一)

酒瓶の境といわれる荒れた山脈の頂がある。吐蕃の州は積雪のあるあたりである。

これをふせぐために味方は城を築くのに白帝の居るかような高いところに依り、兵糧をはこぶのに青天にのぼるほどの困難をしているということだ。

そうして蜀武将は旗鼓を分かち、挟み撃ちをしてこれをふせぎ、降参した羌兵までが敵に内応して鎧鍵のことの手伝いをしてくれている。

西南国境、吐蕃のものが和好を破った。そのために、蜀全域にこうして日日穀気がまといつつあるということなのだ。

 

(訳注)

西山,三首之一〔即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障。〕

(吐蕃が松州に攻め込み、その境となる雪嶺山脈、いわゆる西山のことについて詠う三首の其の一)

吐蕃が松州を囲んだときのことをのべる、雪嶺がその境にあるので「西山」と題した。

○西山 雪嶺をいう、吐蕃との接境である。

 

〔即岷山,捍阻羌夷,全蜀巨障。〕

〔西山とは岷山を云う、羌夷からの攻撃を阻み守る、蜀全域の大きな禍から。〕

 

彝界荒山頂,蕃州積雪邊。

酒瓶の境といわれる荒れた山脈の頂がある。吐蕃の州は積雪のあるあたりである。

○彝界 酒瓶の境といわれる成都盆地の西側の山脈を云う。

 

築城依白帝,轉粟上青天。

これをふせぐために味方は城を築くのに白帝の居るかような高いところに依り、兵糧をはこぶのに青天にのぼるほどの困難をしているということだ。

○依白帝 白帝は西方をつかさどる帝(かみ)、その帝のいるところに依っているとは高いことをいう。

○轉粟 兵糧をはこぶこと。

○上青天 山をのぼることの高いことをたとえていう。

 

蜀將分旗鼓,羌兵助井泉

そうして蜀武将は旗鼓を分かち、挟み撃ちをしてこれをふせぎ、降参した羌兵までが敵に内応して鎧鍵のことの手伝いをしてくれている。

〇分 部隊に分配する。

○鎧鍵 鎧は兜、鍵は小さい矛である。

○羌兵 唐に降参した羌種、吐蕃の兵。

○助 吐蕃の乱に内応することをいうのであろう。

 

西戎背和好,殺氣日相纏。

西南国境、吐蕃のものが和好を破った。そのために、蜀全域にこうして日日穀気がまといつつあるということなのだ。

○西戎 蜀の吐蕃と境を接した地をいう、西戎とは都よりみて西南の意。一本に戎を南に作るのは簡明であるといえよう。

○和好 なかをよくすること。
成都遂州002 

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杜甫《陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺》自分は晩年になっている身だがこれまでどんなものを得ているというのか、なにも得ていないのだ。それでここへ登って、見下ろして見ても心が怨めしく晴れ晴れとした気持ちにはなれないのだ。

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688 《陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺》 蜀中転々 杜甫 <594>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3280 杜甫詩1000-594-850/1500

 

詩 題:陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺〔陪章梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺〕

 

 

作時:763年廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺〔陪章梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺〕

作及地點: 

梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)     

閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城     

遂州 (劍南道北部 遂州 遂州)     

果州 (山南西道 果州 果州)     

惠義寺 (劍南道北部 梓州 )     

交遊人物:

李梓州 ・王閬州・蘇遂州・李果州

當地交遊地點:劍南道北部 梓州

掲 載; 杜甫1000首の594首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-850回目

 

 

陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺

(李梓州、王閬州、蘇途州、李果州の四刺史に陪して恵義寺に登る。)

春日無人境,空不住天。

春も盛りのある日、ここは、だれも訪れる人のいない場所である。そのそらは空しく広がり、つねにめぐって変化しつつある空である。

鶯花隨世界,樓閣寄山

ここにも鶯と咲き誇る花はその場所に応じて春を知らせにあらわれている。楼閣は山の頂に寄って建てられている。

遲暮身何得,登臨意惘然。

自分は晩年になっている身だがこれまでどんなものを得ているというのか、なにも得ていないのだ。それでここへ登って、見下ろして見ても心が怨めしく晴れ晴れとした気持ちにはなれないのだ。

誰能解金印,瀟灑共安禪。

諸刺史のうちでだれが金印などをときすてて辞職し、さらりとしてここへきてともに坐禅ができるというのか。そんなものはいないだろう。

 

(李梓州・王閲州・蘇遂州・李果州の四使君に陪して恵義寺に登る)

春日 無人の境、虚空 不住の天。

鴬花 世界に随う、楼閣 山に倚る。

遅暮 身何をか得る、登臨 意 惘然【ぼうぜん】たり。

誰か能く金印を解きて、瀟灑【しょうさい】 共に安禪せん

泰山の道観02 

 

『陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺』 現代語訳と訳註

(本文)

陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺

春日無人境,空不住天。

鶯花隨世界,樓閣寄山

遲暮身何得,登臨意惘然。

誰能解金印,瀟灑共安禪。

 

(異文)

春日無人境,虛空不住天。

鶯花隨世界,樓閣寄山【樓閣倚山】。

遲暮身何得,登臨意惘然【登臨意寂然】。

誰能解金印,瀟灑共安禪【三車將五馬,若箇合安禪】。 

 

(下し文)

(李梓州・王閬州・蘇遂州・李果州の四使君に陪して恵義寺に登る)

春日 無人の境、虚空 不住の天。

鴬花 世界に随う、楼閣 山に倚る。

遅暮 身何をか得る、登臨 意 惘然【ぼうぜん】たり。

誰か能く金印を解きて、瀟灑【しょうさい】 共に安禪せん。

 

(現代語訳)

(李梓州、王閬州、蘇途州、李果州の四刺史に陪して恵義寺に登る。)

春も盛りのある日、ここは、だれも訪れる人のいない場所である。そのそらは空しく広がり、つねにめぐって変化しつつある空である。

ここにも鶯と咲き誇る花はその場所に応じて春を知らせにあらわれている。楼閣は山の頂に寄って建てられている。

自分は晩年になっている身だがこれまでどんなものを得ているというのか、なにも得ていないのだ。それでここへ登って、見下ろして見ても心が怨めしく晴れ晴れとした気持ちにはなれないのだ。

諸刺史のうちでだれが金印などをときすてて辞職し、さらりとしてここへきてともに坐禅ができるというのか。そんなものはいないだろう。

 

 

(訳注)

陪李梓州・王聞州・蘇途州・李果州四使君登恵義寺

(李梓州、王聞州、蘇途州、李果州の四刺史に陪して恵義寺に登る。)

青城山06○李梓州 梓州の刺史李某、李の字は或は章に作る。

○王閬州 閬州の刺史王某。

○蘇遂州 遂州の刺史蘇某。

○李果州 果州の刺史李某、梓州は今の潰川府、間州は保寧府、遂州は憧川府遂寧県、果州は順慶府である。

○便君 刺史の敬称。

○恵義寺 慧義寺のこと、梓州の北に在る。

 

 

春日 人境 ,虛空 不住

春も盛りのある日、ここは、だれも訪れる人のいない場所である。そのそらは空しく広がり、つねにめぐって変化しつつある空である。

○不住天 循環やまずして四時をなすことをいう。単なる空と見ればその通りであるが、四時、夜明け、午前、午後、夕暮れとその間も変化し続けている。

 

 

鶯花 世界 ,樓閣 寄山

ここにも鶯と咲き誇る花はその場所に応じて春を知らせにあらわれている。楼閣は山の頂に寄って建てられている。

○世界 この寺境の作る静寂の世界をいう。

○山 寺は長平山の天辺にあるという。

 

 

遲暮 何得,登臨 惘然

自分は晩年になっている身だがこれまでどんなものを得ているというのか、なにも得ていないのだ。それでここへ登って、見下ろして見ても心が怨めしく晴れ晴れとした気持ちにはなれないのだ。

○遅暮 晩年。

○何得 得る所のもののないことをいう。

○憫然 うらみをふくむさま。

 

誰能 金印 ,瀟灑 共安禪

諸刺史のうちでだれが金印などをときすてて辞職し、さらりとしてここへきてともに坐禅ができるというのか。そんなものはいないだろう。

○解金印 黄金の印をときすてる、辞職すること。

瀟灑 さらりとしたさま。

○安禅 おちついて坐禅する。
 

677 《泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明》 蜀中転々 杜甫 <583>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3225 杜甫詩1000-583-839/1500

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677 《泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明》 蜀中転々 杜甫 <583  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3225 杜甫詩1000-583-839/1500

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

交遊人物/地點:

魏十八倉曹 當地交遊(劍南道北部 梓州 梓州)

岑 參 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

范季明 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明  

(涪江に帰る船を泛べて都長安に帰る魏倉曹を送る、よってこの詩を岑参中允に、そして、范季明郎中によせる。)

遲日深春水,輕舟送別筵。

日が長くなってきたこの頃、春の雪解け水の増水も水深を深くする。帰る船を用意して送別の宴会を行うのである。

愁緒外,春色淚痕邊。

帝都長安には今の私の愁いばかりの情緒さえもどこかへ行ってしまうのだ。こうした春景色さえもなみだの痕跡も河辺というほどなのだ。

見酒須相憶,將詩莫浪傳。

春の新酒を利き酒をするとどうしてもたがいのことを思い起こしている。この詩をもってすれば波に伝えるだけではいけない。

若逢岑與范,為報各衰年。

もし都で岑参と范季明とにあったならば、ここでの事を報告して、そして、各々歳をとっていることを見ておいてくれ。

(江に泛べ魏十八倉曹を京に還るを送る,因って岑參中允と、范季明郎中に寄る)

遲日 春水深く,輕舟 別筵に送る。

 緒外を愁い,春色 痕邊に淚す。

見酒 須く相い憶い,將詩 浪傳する莫れ。

若し 岑と范に逢わば,報を為せ 各の衰年となるを。 

 

nat0001 

『泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明』現代語訳と訳註

(本文)

泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明

遲日深春水【遲日深江水】,輕舟送別筵。

愁緒外,春色淚痕邊。

見酒須相憶,將詩莫浪傳。

若逢岑與范,為報各衰年。 

 

 

(下し文)

(江に泛べ魏十八倉曹を京に還るを送る,因って岑參中允と、范季明郎中に寄る)

遲日 春水深く,輕舟 別筵に送る。

 緒外を愁い,春色 痕邊に淚す。

見酒 須く相い憶い,將詩 浪傳する莫れ。

若し 岑と范に逢わば,報を為せ 各の衰年となるを。

 

(現代語訳)

(涪江に帰る船を泛べて都長安に帰る魏倉曹を送る、よってこの詩を岑参中允に、そして、范季明郎中によせる。)

日が長くなってきたこの頃、春の雪解け水の増水も水深を深くする。帰る船を用意して送別の宴会を行うのである。

帝都長安には今の私の愁いばかりの情緒さえもどこかへ行ってしまうのだ。こうした春景色さえもなみだの痕跡も河辺というほどなのだ。

春の新酒を利き酒をするとどうしてもたがいのことを思い起こしている。この詩をもってすれば波に伝えるだけではいけない。

もし都で岑参と范季明とにあったならば、ここでの事を報告して、そして、各々歳をとっていることを見ておいてくれ。

 

 

(訳注)

泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明

(涪江に帰る船を泛べて都長安に帰る魏倉曹を送る、よってこの詩を岑参中允に、そして、范季明郎中によせる。)

・魏倉曹 軍関係の人で都に呼び戻された人で、岑参に近い人物であろう。

・岑参715 - 770年)唐代の詩人。岑嘉州とも称する。詩人・高適と並び称される。河南省南陽の出身。744年の進士。長く節度使の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった757年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その10月には粛宗に従って長安に赴く。759年に虢州の刺史となり、762年に太子中充・殿中侍御史となり関西節度判官を兼ね、765年に嘉州の刺史となった。768年、官を辞して故郷に帰ろうとしたが途中で反乱軍に阻まれて成都にとどまり、その地で没する。享年56

・范季明 書画を能く画く。范十, 范季明, 范邈, 范侍御, 范金. 范宣. 筆畫, 師友人物

 

 

 

 遲日 春水 ,輕舟 送別

日が長くなってきたこの頃、春の雪解け水の増水も水深を深くする。帰る船を用意して送別の宴会を行うのである。

「遲日」四季、春。日が長くなったということで春を示す。

「深」春の増水で水深が深くなる。

「春水」雪解け水で増水した様子を云う。杜甫は、成都に来てから春水についてよく詠う。この語で検索して参考にされたい。

「輕舟」簡単に舟を用意すること。勇んでいく舟。

「筵」飲食、宴席、筵。

 

愁緒 外,春色 淚痕

帝都長安には今の私の愁いばかりの情緒さえもどこかへ行ってしまうのだ。こうした春景色さえもなみだの痕跡も河辺というほどなのだ。

「帝」皇帝、邦國都城、故郷。

「緒」情緒。

「春色」春景色、春もよう。

 

 

見酒 相憶 ,將詩 浪傳

春の新酒を利き酒をするとどうしてもたがいのことを思い起こしている。この詩をもってすれば波に伝えるだけではいけない。

「見酒」春の新酒、利き酒。

 

 

若逢 與范 ,為報 各衰年

もし都で岑参と范季明とにあったならば、ここでの事を報告して、そして、各々歳をとっていることを見ておいてくれ。

「岑・范」岑參・范季明。
菜の花001 

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《巴西驛亭觀江漲呈竇使君,二首之一》心の通い合った人と飲みことで接見するのはよいし、朝が来ると逢うことで愁いが半分になっていたがすっかり消えてしまっている。

 

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。    
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 

 

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詩 題:巴西驛亭觀江漲呈竇使君,二首之一

作時:762 寶應元年 杜甫51

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

詩題: 巴西驛亭觀江漲呈竇使君,二首之一 

作地點: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州

及地點:  巴西驛亭 (劍南道北部 綿州 巴西) ・剡縣 (江南東道 越州 剡縣) 別名:剡中  ・揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海     

交遊人物: 竇使君

掲 載; 杜甫1000首の553首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-792回目   40891

 

 

詩文:

巴西驛亭觀江漲呈竇使君,二首之一

(成都盆地の北東、三巴の西の綿州の駅亭で涪江の水がみなぎっているのを見て西山檢察使の竇侍禦に意見をした詩。)二首の一

轉驚波作怒,即恐岸隨流。

突然のことで驚いたのは涪江の水嵩が上がり波が怒涛うず巻く、それは恐怖を覚えるもので自分がいる岸を洗って流れているのだ

賴有杯中物,還同海上鷗。

進められて盃に飲み物を注がれ、上を向くと、同時期にグルット返ってきたカモメが涪江の水の上を飛んでいる。

關心小剡縣,傍眼見揚州。

剡縣の美しい剡渓に少しでも似たところに関心したし、傍らを見れば華やかな揚州の運河地方を見るかのようだ。

為接情人飲,朝來減半愁。

心の通い合った人と飲みことで接見するのはよいし、朝が来ると逢うことで愁いが半分になっていたがすっかり消えてしまっている。

(巴西の驛亭に 江漲るを觀て竇使君に呈す)二首の一

轉た驚く 波 怒を作し,即ち恐は岸に隨流す。

賴に杯中の物有り,還りに海上の鷗を同うす。

關心するは 小くも剡縣に,傍眼するは揚州を見るに。

接を為す 情人の飲,朝來りて半愁を減す。

 

 

 

『巴西驛亭觀江漲呈竇使君,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

巴西驛亭觀江漲呈竇使君,二首之一

轉驚波作怒,即恐岸隨流。

賴有杯中物,還同海上鷗。

關心小剡縣,傍眼見揚州。

為接情人飲,朝來減半愁。

 

 

(下し文)

(巴西の驛亭に 江漲るを觀て竇使君に呈す)二首の一

轉た驚く 波 怒を作し,即ち恐は岸に隨流す。

賴に杯中の物有り,還りに海上の鷗を同うす。

關心するは 小くも剡縣に,傍眼するは揚州を見るに。

接を為す 情人の飲,朝來りて半愁を減す。

 

(現代語訳)

(成都盆地の北東、三巴の西の綿州の駅亭で涪江の水がみなぎっているのを見て西山檢察使の竇侍禦に意見をした詩。)二首の一

突然のことで驚いたのは涪江の水嵩が上がり波が怒涛うず巻く、それは恐怖を覚えるもので自分がいる岸を洗って流れているのだ

進められて盃に飲み物を注がれ、上を向くと、同時期にグルット返ってきたカモメが涪江の水の上を飛んでいる。

剡縣の美しい剡渓に少しでも似たところに関心したし、傍らを見れば華やかな揚州の運河地方を見るかのようだ。

心の通い合った人と飲みことで接見するのはよいし、朝が来ると逢うことで愁いが半分になっていたがすっかり消えてしまっている。

 

 

(訳注)

巴西驛亭觀江漲呈竇使君,二首之一

(成都盆地の北東、三巴の西の綿州の駅亭で涪江の水がみなぎっているのを見て西山檢察使の竇侍禦に意見をした詩。)二首の一

・竇使君 西山檢察使の竇侍禦のこと。(下地図bc34)杜甫『入奏行贈西山檢察使竇侍禦』

(宴の演奏や詩を詠む席にはいって西山の検察、竇侍禦のこの詩を贈る。)

・西山檢察使 吐蕃国境の山間部を担当する。松、維、恭、蓬、雅、黎、姚、悉八州をいう。

『巴西驛亭觀江漲呈竇使君』

巴西驛亭觀江漲呈竇使君

宿雨南江漲,波濤亂遠峰。 

孤亭凌噴薄,萬井逼舂容。 

霄漢愁高鳥,泥沙困老龍。 

天邊同客舍,攜我豁心胸。 

五言律詩 《巴西驛亭觀江漲呈竇使君》 蜀中転々 杜甫 <536  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2905 杜甫詩1000-536-775/1500

成都遂州00 

轉驚 作怒 ,即恐 隨流

突然のことで驚いたのは涪江の水嵩が上がり波が怒涛うず巻く、それは恐怖を覚えるもので自分がいる岸を洗って流れているのだ

 

 

賴有 杯中 ,還同海上

進められて盃に飲み物を注がれ、上を向くと、同時期にグルット返ってきたカモメが涪江の水の上を飛んでいる。

・「賴有」『戲簡鄭廣文虔,兼呈蘇司業源明』(戯れに鄭広文に簡す)「廣文到官舍,繫馬堂階下。醉則騎馬歸,頗遭官長罵。才名三十年,坐客寒無氈。賴有蘇司業,時時乞酒錢。」「頼に蘇司業あり、時時酒銭を乞う」といっている、人は蘇源明をさす。

 

 

關心 剡縣 ,傍眼 揚州

剡縣の美しい剡渓に少しでも似たところに関心したし、傍らを見れば華やかな揚州の運河地方を見るかのようだ。

・「剡縣」浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。。李白『秋浦歌十七首 其六』「愁作秋浦客。 強看秋浦花。山川如剡縣。 風日似長沙。」(愁えて秋浦の客と作【な】り、強【し】いて秋浦の花を看る。山川は剡県【せんけん】の如く、風日は 長沙【ちょうさ】に似るに。)

・「揚州」行政地名。江蘇省に南北朝時代、陳により短期間設置された州。 揚州 (河南省) - 中華人民共和国河南省に東魏により設置された州。長江から淮河、黄河に抜ける運河の町であり、交通の要衝地で華やかな地域である。

 

 

為接情人 ,朝來 半愁

心の通い合った人と飲みことで接見するのはよいし、朝が来ると逢うことで愁いが半分になっていたがすっかり消えてしまっている。

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

戲題寄上漢中王,三首之二そういうことでわたしは一度飲むと酩酊してしまいたいと思うのであるが、賊達が酩酊している安史軍の支配する宋州の宋城、雁池のあたりを浄化し掃討することである。

 

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html    
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。    
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。    
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。    
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。    
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二〔自注:時王在梓州,初至,斷酒不飲,篇有戲述。漢中王瑀,寧王憲之子。〕》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

 

 

詩題: 戲題寄上漢中王,三首之二

〔自注:時王在梓州,初至,斷酒不飲,篇有戲述。漢中王瑀,寧王憲之子。〕 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

作者: 杜甫  762年 寶應元年  51 

及地點:  成都 (劍南道北部 益州 成都) 蜀、雁池 (河南道 宋州 宋城)

交遊人物: 李瑀


掲 載;
杜甫1000首の545首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-784回目

657 戲題寄上漢中王三首  漢中王李璃にであったところ酒を禁じておられるので戯れにかきつけて王にたてまつった詩。宝応元年梓州にあっての作。

 

詩文:

戲題寄上漢中王,三首之二

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に寄せ奉る三首の二。)

策杖時能出,王門異昔遊。 

馬の鞭と杖とで時に能く出掛けていた。宮廷の門をくぐっていたころは昔遊んだ山東地方は違った状況になっている。

已知嗟不起,未許醉相留。 

既にもうわかっているのは残念ながら取り戻すため起き上がれないことだし、未だに許されないことは、互いに留まって酔うことだ。

蜀酒濃無敵,江魚美可求。 

蜀のお酒はこくがあって敵なしであるし、錦江で取れる魚はおいしくて求めるべしである。

終思一酩酊,淨掃雁池頭。 

そういうことでわたしは一度飲むと酩酊してしまいたいと思うのであるが、賊達が酩酊している安史軍の支配する宋州の宋城、雁池のあたりを浄化し掃討することである。

 

戲れに題す 漢中王に寄せ上つる,三首の二

〔自ら注す:時に王 梓州に在り,初めて至る,斷酒して飲まざれば,篇有り戲れに述べる。漢中王の瑀,寧王憲の子なり。〕

策と杖をもって 時に能く出づ,王門 昔遊を異とす。 

已に知る 嗟あ不起きざるを,未だ許さざる 醉いて相い留まるを。 

蜀の酒は濃く敵無し,江の魚は美く求める可し。 

終思う 一たび酩酊すを,淨掃すは 雁池の頭りに。 

鸕鷀001 


『戲題寄上漢中王,三首之二』 現代語訳と訳註

(本文) 戲題寄上漢中王,三首之二

策杖時能出,王門異昔遊。 

已知嗟不起,未許醉相留。 

蜀酒濃無敵,江魚美可求。 

終思一酩酊,淨掃雁池頭。 

 

 

(下し文)

戲れに題す 漢中王に寄せ上つる,三首の二

〔自ら注す:時に王 梓州に在り,初めて至る,斷酒して飲まざれば,篇有り戲れに述べる。漢中王の瑀,寧王憲の子なり。〕

策と杖をもって 時に能く出づ,王門 昔遊を異とす。 

已に知る 嗟あ不起きざるを,未だ許さざる 醉いて相い留まるを。 

蜀の酒は濃く敵無し,江の魚は美く求める可し。 

終思う 一たび酩酊すを,淨掃すは 雁池の頭りに。 

 

 

(現代語訳)

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に寄せ奉る三首の二。)

馬の鞭と杖とで時に能く出掛けていた。宮廷の門をくぐっていたころは昔遊んだ山東地方は違った状況になっている。

既にもうわかっているのは残念ながら取り戻すため起き上がれないことだし、未だに許されないことは、互いに留まって酔うことだ。

蜀のお酒はこくがあって敵なしであるし、錦江で取れる魚はおいしくて求めるべしである。

そういうことでわたしは一度飲むと酩酊してしまいたいと思うのであるが、賊達が酩酊している安史軍の支配する宋州の宋城、雁池のあたりを浄化し掃討することである。

 

 

(訳注)

戲題寄上漢中王,三首之二

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に寄せ奉る三首の二。)

〔自注:時王在梓州,初至,斷酒不飲,篇有戲述。漢中王瑀,寧王憲之子。〕 

自註:このとき王は梓州にあった。初めてここに至ったということだ。断酒して呑まなかった。詩篇があり戯れてのべてみる。漢中の王李瑀殿で、王としてよりは俊敏な役人の人というところだ。

○戯題 たわむれにかきつける、諸篇に王に酒をねだる意をのべているので戯れという。

○寄上 寄せて献上する。

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。

・憲 法令、基本となる決まり、手本、法に則って示す、憲法、公布する、役人、取り締まる、敏捷、あらわす、という意味がある。 

 

策杖 能出 ,王門 昔遊

馬の鞭と杖とで時に能く出掛けていた。宮廷の門をくぐっていたころは昔遊んだ山東地方は違った状況になっている。

・「杖」生活用品(其他用品)、杖。

・「王門」長安の朝廷にいる門を。

・「異」若いころ遊学の旅をした辺りが安史軍の支配地になっていること。

・「昔遊」杜甫が若い頃遊学していた斉の国、山東地方のこと。

 

 

已知 不起 ,未許 相留

既にもうわかっているのは残念ながら取り戻すため起き上がれないことだし、未だに許されないことは、互いに留まって酔うことだ。

 

 

蜀酒 無敵 ,江魚 美可求

蜀のお酒はこくがあって敵なしであるし、錦江で取れる魚はおいしくて求めるべしである。

・「蜀」成都 (劍南道北部 益州 成都)

・「濃」濃淡の濃。

・「江」錦江、大江。

 

 

終思 一酩酊 ,淨掃 雁池

そういうことでわたしは一度飲むと酩酊してしまいたいと思うのであるが、賊達が酩酊している安史軍の支配する宋州の宋城、雁池のあたりを浄化し掃討することである。

・「酩酊」酒に酔うこと,いわゆる酒酔い。アルコール飲料を飲用したときに起こる精神身体的変化のこと。

・「淨」1 汚れがなく清らか。「浄化・浄財・浄書・浄土・浄福/清浄・不浄」2 清める。。

・「掃」 1 ほうきでごみを除く。「掃除(そうじ)/清掃」 2 じゃまものを平らげる。「掃射・掃討・掃滅/一掃」。

・「雁池」(湖海池潭)、雁が飛来する池。安史軍の支配する地域(河南道 宋州 宋城)雁:異民族の多い安史軍。梁王の兔園に雁池が有る。

・「頭」位置、池のほとり。
denen03350 

五言律詩 《題玄武禪師屋壁》 蜀中転々 杜甫 <538>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2915 杜甫詩1000-538-777/1500

《題玄武禪師屋壁》 その絵には、少し傾きかけた午後のぎらぎらの太陽が照らして石林の奥の気がうきあがってくるさまであり、、青天たかくして江海の水流るれるさまが仙境のすがたのように画かれている。


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揚雄 《甘泉賦 》(20)#6-4 文選 賦<108-#19>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩873 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2913
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

五言律詩《題玄武禪師屋壁》 蜀中転々 杜甫 <538  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2915 杜甫詩1000-538-777/1500

 

 

作者: 杜甫762  寶應元年  51 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 題玄武禪師屋壁〔屋在中江大雄山。〕 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 玄武 (劍南道北部 梓州 玄武) 、瀛州 (河北道南部 瀛州 瀛州) 、廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山     

交遊人物: 玄武禪師

玄武山の或る禅師の屋壁にかきつけた詩。宝応元年梓州にあっての作。

成都遂州00


















 

題玄武禪師屋壁〔屋在中江大雄山。〕

(玄武の大雄山の禅寺の壁について題した。)

何年顧虎頭,滿壁畫瀛州。

もう300年近くの前の、いつの年なのか顧虎頭がここの壁じゅぅに瀛洲の仙境をえがいている。

赤日石林氣,青天江海流。

その絵には、少し傾きかけた午後のぎらぎらの太陽が照らして石林の奥の気がうきあがってくるさまであり、、青天たかくして江海の水流るれるさまが仙境のすがたのように画かれている。

錫飛常近鶴,杯度不驚鷗。

これに対して禅師は常に図中の鶴にちかく錫を飛ばし、或は古仙のように木杯をうかべて鴎にちかづくとも鴎を驚かすことはなかった故事を、この画にえがかれておられる。

似得廬山路,真隨惠遠遊。

詩人たるわたしも禅師のところでこの図を見るとなんだか盧山の山道で『虎渓三笑』の故事のように恵遠法師にしたがって遊ぶことができたかのようなここちがするのである。

(玄武の禅師の屋壁に題す)

何の年か顧虎頭【こことう】あらん、満壁 瀛洲【えいしゅう】を画ける。

赤日【せきじつ】石林の気、青天 江海の流れ。

錫飛びて 常に鶴に近く、杯渡【はいと】鴎を驚かさず。

廬山の路を得るに似たり、真に恵遠【けいえん】に随って 遊ぶを。

四川省西部地区略図
























 

 

『題玄武禪師屋壁』 現代語訳と訳註

(本文)

題玄武禪師屋壁〔屋在中江大雄山。〕

何年顧虎頭,滿壁畫瀛州。

赤日石林氣,青天江海流。

錫飛常近鶴,杯度不驚鷗。

似得廬山路,真隨惠遠遊。

 

詩文(含異文)

何年顧虎頭,滿壁畫瀛州【滿壁畫滄州】【滿座畫瀛州】【滿座畫滄州】。

赤日石林氣,青天江海流【青天江水流】。

錫飛常近鶴,杯渡不驚鷗。

似得廬山路,真隨惠遠遊。 

 

千畳敷0010

(下し文)

(玄武の禅師の屋壁に題す)

何の年か顧虎頭【こことう】あらん、満壁 瀛洲【えいしゅう】を画ける。

赤日【せきじつ】石林の気、青天 江海の流れ。

錫飛びて 常に鶴に近く、杯渡【はいと】鴎を驚かさず。

廬山の路を得るに似たり、真に恵遠【けいえん】に随って 遊ぶを。

 

 

(現代語訳)

(玄武の大雄山の禅寺の壁について題した。)

もう300年近くの前の、いつの年なのか顧虎頭がここの壁じゅぅに瀛洲の仙境をえがいている。

その絵には、少し傾きかけた午後のぎらぎらの太陽が照らして石林の奥の気がうきあがってくるさまであり、、青天たかくして江海の水流るれるさまが仙境のすがたのように画かれている。

これに対して禅師は常に図中の鶴にちかく錫を飛ばし、或は古仙のように木杯をうかべて鴎にちかづくとも鴎を驚かすことはなかった故事を、この画にえがかれておられる。

詩人たるわたしも禅師のところでこの図を見るとなんだか盧山の山道で『虎渓三笑』の故事のように恵遠法師にしたがって遊ぶことができたかのようなここちがするのである。

 

 

(訳注)

題玄武禅師屋壁

(玄武の大雄山の禅寺の壁について題した。)

○玄武 山の名は大雄山でまた県の名、潼川府中江県をいう。成都から梓州に入ってすぐの街である。

○禅師 名は詳らかでない。ここでは禅寺というほどの意味とする。

 

何年顧虎頭,滿壁畫瀛州。 

もう300年近くの前の、いつの年なのか顧虎頭がここの壁じゅぅに瀛洲の仙境をえがいている。

○顧虎頭 膏の顧愷之、小字を虎頭という、絵の名人である。顧 愷之(こ がいし、344?405?)中国・東晋時代の画家。字は長康、またかつて虎頭将軍となったことから、顧虎頭とも称する。

○瀛洲 河北道南部 瀛州、あるいは三山(蓬莱、瀛州、方丈)の仙境をいう。

 

赤日石林氣, 青天江海流。 

その絵には、少し傾きかけた午後のぎらぎらの太陽が照らして石林の奥の気がうきあがってくるさまであり、、青天たかくして江海の水流るれるさまが仙境のすがたのように画かれている。

 

錫飛常近鶴, 杯渡不驚鷗。 

これに対して禅師は常に図中の鶴にちかく錫を飛ばし、或は古仙のように木杯をうかべて鴎にちかづくとも鴎を驚かすことはなかった故事を、この画にえがかれておられる。

○錫飛 梁の時、宝誌上人と白鶴道人とが舒州の潜山にゆぐことを争い、上人は錫を飛ばし道人は鶴をつかわし各々よそのゆきついた処をしるさせたとの話がある。

○鶴 画中の石林に属するもの。

○杯渡 木杯によって河をわたることである、これも仙人のすることである。

○鴎 画中の江海に属するものである、「列子」に道を得て機を忘れたものは鴎にまじっても、鴎はこれになれて驚かぬという話がある。

 

似得廬山路, 真隨惠遠遊。 

詩人たるわたしも禅師のところでこの図を見るとなんだか盧山の山道で『虎渓三笑』の故事のように恵遠法師にしたがって遊ぶことができたかのようなここちがするのである。

廬山 山の名、江西九江府にある、晋の僧恵遠がその山麓に東林寺を建てて白蓮社を結び、十八人の賢人が相い会した。

・惠遠 白蓮社

東晋の時代、『虎渓三笑』と言はれる故事が有名。

  中国の江西省、揚子江の南に在る有名な廬山に恵遠といふ高僧が白蓮社といふ庵を結んで、三十年間一歩も外に出ずに修行を続けていた。其処へ詩人の陶淵明と道教の陸修静が遊びに来て、三人は心ゆくまで語り合ひ楽しい時間を過ごす。帰る時、恵遠禅師は二人を送つて出るが、話しは尽きず、恵遠禅師が此処より外へは決して出ないと決めていた虎渓の石の橋を思はず渡つてしまう。三十年の戒めを踏み越えてしまつた事に気がついた時、三人は其処で手を叩いて大笑ひをすると言ふ話しである。

  恵遠は仏教を、陶淵明は儒教を、陸修静は道教を代表するといふ超俗の三人が、無礙な心境で語り合う清談の楽しさ、如何にも禅味のある話しで、よく水墨画や漢詩の主題になる物語である。

 Nature1-011

五言律詩 《九日登梓州城》 蜀中転々 杜甫 <537>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2910 杜甫詩1000-537-776/1500

杜甫《九日登梓州城この日は昔から黄色の菊の花を浮かべた酒を用意する。いまここには晉の孟嘉のように帽子が飛ばされそうな白髪頭の老人が居る。

 

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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詩題: 九日登梓州城 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の537首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-776回目   40875

寫作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

寫及地點:  梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)     

 

 

詩文:

 

九日登梓州城

(重陽節に梓州城に登る)

伊昔黃花酒,如今白髮翁。 

この日は昔から黄色の菊の花を浮かべた酒を用意する。いまここには晉の孟嘉のように帽子が飛ばされそうな白髪頭の老人が居る。

追歡筋力異,望遠時同。 

喜悅欣樂が今追いかけてくれ心神氣力は高ぶっている。はるか遠くを臨んで重陽の節句を時を同じくするのである。

弟妹悲歌裡,朝廷醉眼中。 

私の弟妹は東の遠い空の下で安史軍の支配する悲歌の下である。朝廷は酔いつぶれた眼のままである。

兵戈與關塞,此日意無窮。 

戰爭は関所塞に迫っており、この日の段階でそれにたいしての意志は窮まりないのである。

 

(九日梓州城に登る)

伊【こ】れ昔 黃花の酒,如今【じょこん】白髮の翁。 

歡を追う 筋力の異なるを,遠くを望む 時同じゅうす。 

弟妹 悲歌の裡,朝廷 醉眼の中。 

兵戈 關塞に與り,此の日 意 窮む無し。 

 

 

『九日登梓州城』 現代語訳と訳註

金燈花03(本文)

九日登梓州城

伊昔黃花酒,如今白髮翁。 

追歡筋力異,望遠時同。 

弟妹悲歌裡,朝廷醉眼中。 

兵戈與關塞,此日意無窮。 

 

 

(下し文)

(九日梓州城に登る)

伊【こ】れ昔 黃花の酒,如今【じょこん】白髮の翁。 

歡を追う 筋力の異なるを,遠くを望む 時同じゅうす。 

弟妹 悲歌の裡,朝廷 醉眼の中。 

兵戈 關塞に與り,此の日 意 窮む無し。

 

 

(現代語訳)

(重陽節に梓州城に登る)

この日は昔から黄色の菊の花を浮かべた酒を用意する。いまここには晉の孟嘉のように帽子が飛ばされそうな白髪頭の老人が居る。

喜悅欣樂が今追いかけてくれ心神氣力は高ぶっている。はるか遠くを臨んで重陽の節句を時を同じくするのである。

私の弟妹は東の遠い空の下で安史軍の支配する悲歌の下である。朝廷は酔いつぶれた眼のままである。

戰爭は関所塞に迫っており、この日の段階でそれにたいしての意志は窮まりないのである。

 

 

(訳注)

九日登梓州城

(重陽節に梓州城に登る)

・九日 九月九日、重陽節に、茱萸(「ぐみ」の一種)の枝をかざして兄弟や親しい友人が小高い丘に登り、菊の花びらを浮かべた酒を飲み、粽を食べて健康を祈るものなのだ。杜甫『九日藍田崔氏荘』「羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。」(晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。)

 陰暦九月九日重陽の菊の節句の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。... 晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる

 

伊昔 黃花酒 ,如今 白髮

この日は昔から黄色の菊の花を浮かべた酒を用意する。いまここには晉の孟嘉のように帽子が飛ばされそうな白髪頭の老人が居る。

・「伊昔」(今は昔)、昔のこと。

・「黃花酒」菊花酒。

「如今」

杜甫『奉贈王中允維』
中允聲名久,如今契闊深。共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。窮愁應有作,試誦白頭吟。
(王中允維に贈り奉る)
中允声名久し、如今契閥深し。共に伝う庚信を収むと、此せず陳琳を得るに。
一癖明主に縁る、三年独り此の心。窮愁応に作有るなるべし、試みに謂す白頭吟。
奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

・「白髮翁」白髮老人は髪の毛が薄くて孟嘉が帽子が飛ばされたことのようになる。

 

 

追歡 筋力 ,望遠 同。

喜悅欣樂が今追いかけてくれ心神氣力は高ぶっている。はるか遠くを臨んで重陽の節句を時を同じくするのである。

・「歡」 喜悅欣樂。

・「筋力」心神氣力。

 

 

弟妹 悲歌 ,朝廷 醉眼

私の弟妹は東の遠い空の下で安史軍の支配する悲歌の下である。朝廷は酔いつぶれた眼のままである。

「弟妹」語義類別:人、稱謂、親人眷屬、弟妹。

「悲歌裡」安史軍が支配する東国に住んでいるため、悲哀傷痛のうたの。

 

 

兵戈 與關塞 ,此日 無窮

戰爭は関所塞に迫っており、この日の段階でそれにたいしての意志では窮まりないのである。

「兵戈」戰爭活動、戰爭。
sas0013 

畏人 蜀中転々 杜甫 <524>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2815 杜甫詩1000-524-757/1500

杜甫《畏人早ざきの花が随所に佳く目立ってさき始めている。かわった土地、違った方向から春を告げる春鳥が啼いている。万里に続くこの清らかな大江のほとりで、もう三年ものあいだ夕日のひくく落ちていくのを見ている。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150


 

 

畏人 蜀中転々 杜甫 <524>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2815 杜甫詩1000-524-757/1500 

 

詩題: 畏人 

作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の524首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-757回目   40856

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

人をはばかって草堂にわびしくくらすことをのべる。

 

畏人

他人をはばかること
早花隨處發,春鳥異方啼。

早ざきの花が随所に佳く目立ってさき始めている。かわった土地、違った方向から春を告げる春鳥が啼いている。

萬里清江上,三年落日低。

万里に続くこの清らかな大江のほとりで、もう三年ものあいだ夕日のひくく落ちていくのを見ている。

畏人成小築,褊性合幽棲。

他人をはばかって小さな家屋をきずいた。それは自分のかたくなな性質がかかる隠棲生活にあうからだ。

門徑從榛草,無心走馬蹄。

門のそばの小路には榛や草がすきかってに、はえるにまかせている。貴人友人のの馬蹄がいつくるかなどと待つこころは無いのである。

(人を畏る)

早花【そうか】随処に発【ひら】く 春鳥異方に啼く

萬里清江【せいこう】の上【ほとり】、三年落日低【た】る

人を畏れて小築を成す 褊性【へんせい】幽棲【ゆうせい】に合す

門径【もんけい】榛草【しんそう】に従【まか】す 馬蹄を待つに心無し

 

 寒梅002














畏人』 現代語訳と訳註

(本文)

早花隨處發,春鳥異方啼。

萬里清江上,三年落日低。

畏人成小築,褊性合幽棲。

門徑從榛草,無心走馬蹄。

 

詩文(含異文)

早花隨處發,春鳥異方啼。

萬里清江上,三年落日低【三峰落日低】。

畏人成小築,褊性合幽棲。

門逕從榛草【徑沒從榛草】,無心走馬蹄【無心待馬蹄】。 

 

(下し文)

(人を畏る)

早花【そうか】随処に発【ひら】く 春鳥異方に啼く

萬里清江【せいこう】の上【ほとり】、三年落日低【た】る

人を畏れて小築を成す 褊性【へんせい】幽棲【ゆうせい】に合す

門径【もんけい】榛草【しんそう】に従【まか】す 馬蹄を待つに心無し

 

 

(現代語訳)

他人をはばかること

早ざきの花が随所に佳く目立ってさき始めている。かわった土地、違った方向から春を告げる春鳥が啼いている。

万里に続くこの清らかな大江のほとりで、もう三年ものあいだ夕日のひくく落ちていくのを見ている。

他人をはばかって小さな家屋をきずいた。それは自分のかたくなな性質がかかる隠棲生活にあうからだ。

門のそばの小路には榛や草がすきかってに、はえるにまかせている。貴人友人のの馬蹄がいつくるかなどと待つこころは無いのである。

 

 

(訳注)

畏人 他人をはばかること、第五句の二字をとって題とする。

 

早花 隨處 發 ,春鳥 異方 啼 。

早ざきの花が随所に佳く目立ってさき始めている。かわった土地、違った方向から春を告げる春鳥が啼いている。

○早花 早くさく花。

○随処 どこででも。

○春鳥 春を告げる鳥。鶯。目白。

○異方 他郷をいう、この成都の地をさすということであり、違った方向から鳴き声が聞こえてくる。いつもの春と違うことを云う。徐知道が春先に反乱を起こしたことを云うのであろう。

 

 

萬里 清江 上 ,三年 落日 低 。

万里に続くこの清らかな大江のほとりで、もう三年ものあいだ夕日のひくく落ちていくのを見ている。

〇三年落日低 わかりにくい句であるが、毎日毎日夕日を送って三年を経たという意である。乾元二年に成都に入ってから宝応元年春に至るまでの足かけ三年をいう。

 

 

畏人 成小築 ,褊性 合幽棲 。

他人をはばかって小さな家屋をきずいた。それは自分のかたくなな性質がかかる隠棲生活にあうからだ。

○小築 小さな家屋をたてること。

褊性 かたくなな性質。

○合 にあう。

○幽棲 隠棲生活ぼしずかなわびずまいをいう。竹藪にかこまれた處。

 

 

門逕 從榛草 ,無心 走 馬蹄 。

門のそばの小路には榛や草がすきかってに、はえるにまかせている。貴人友人のの馬蹄がいつくるかなどと待つこころは無いのである。

○門径 門より通ずるこみち。

○従榛草 はりの木や草の生えるのにまかせる。

○待馬蹄 貴人・知人・友人の騎ってくる馬の蹄をまつ。

江頭五詠:鸂鶒 蜀中転々 杜甫 <521>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2800 杜甫詩1000-521-754/1500

杜甫《江頭五詠:鸂鶒》鴛鴦を飼うのにわざわざ寵の目をあらく織らせた、なぜならば目を密にすればその中で動くとき鳥が毛を傷めるとおもうからだ。

 

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女性詩人 
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孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

江頭五詠:鸂鶒  蜀中転々 杜甫 <521>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2800 杜甫詩1000-521-754/1500      

 

詩題: 江頭四詠:鸂鶒 

作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

掲 載; 杜甫1000首の521首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-754回目   40853

 

4 江頭四詠:鸂鶒

故使籠寬織,須知動損毛。

鴛鴦を飼うのにわざわざ寵の目をあらく織らせた、なぜならば目を密にすればその中で動くとき鳥が毛を傷めるとおもうからだ。

看雲莫悵望,失水任呼號。

籠から雲を見ては恨めしく眺めることだろうし、水から離れてしまうから悲しんで泣き叫ぶことだろうが、叫ぶがままにさせておく。

六翮曾經剪,孤飛卒未高【孤飛只未高】

六枚の立ち羽は前に剪られてしまったから、ひとりで飛ぶ力が無くなっているので、高く飛べないのだ。

且無鷹隼慮,留滯莫辭勞。 

だけど、それで鷹や隼におそわれる心配がない、それを取り柄にすれば、ゆっくりこのかごのなかにとどまって苦労することを云うことなどなくなるといものだ。

(江頭の五詠:鸂鶒【けいせき】)

故【ことさら】に籠をして織を寛にせしむ、須【すべか】らく知るべし動けば毛を損するを。

雲を看て 猶お悵望す、水を失して呼号するに任す。

六翮【ろくかく】曾て剪らるるを経たり、孤飛 卒【つい】に未だ高からず。

且つ鷹隼【ようしゅん】の慮り無し、留滞 労を辞する莫れ。

鸂鶒けいせき001 

 








『江頭五詠:鸂鶒』 現代語訳と訳註

(本文)

故使籠寬織,須知動損毛。

看雲莫悵望,失水任呼號。

六翮曾經剪,孤飛卒未高【孤飛只未高】。

且無鷹隼慮,留滯莫辭勞。 

 

 

(下し文)

(江頭の五詠:鸂鶒【けいせき】)

故【ことさら】に籠をして織を寛にせしむ、須【すべか】らく知るべし動けば毛を損するを。

雲を看て 猶お悵望す、水を失して呼号するに任す。

六翮【ろくかく】曾て剪らるるを経たり、孤飛 卒【つい】に未だ高からず。

且つ鷹隼【ようしゅん】の慮り無し、留滞 労を辞する莫れ。

 

 

(現代語訳)

鴛鴦を飼うのにわざわざ寵の目をあらく織らせた、なぜならば目を密にすればその中で動くとき鳥が毛を傷めるとおもうからだ。

籠から雲を見ては恨めしく眺めることだろうし、水から離れてしまうから悲しんで泣き叫ぶことだろうが、叫ぶがままにさせておく。

六枚の立ち羽は前に剪られてしまったから、ひとりで飛ぶ力が無くなっているので、高く飛べないのだ。

だけど、それで鷹や隼におそわれる心配がない、それを取り柄にすれば、ゆっくりこのかごのなかにとどまって苦労することを云うことなどなくなるといものだ。

 

 

(訳注)

江頭五詠:鸂鶒江頭五詠:鸂鶒

○江頭 錦江のほとり。

〇五詠 五物を詠じたものとの意。

○鸂鶒 おしどり。

 

故使籠寬織,須知動損毛。

鴛鴦を飼うのにわざわざ寵の目をあらく織らせた、なぜならば目を密にすればその中で動くとき鳥が毛を傷めるとおもうからだ。

○寬織 めをあらく織る。

 

看雲莫悵望,失水任呼號。

籠から雲を見ては恨めしく眺めることだろうし、水から離れてしまうから悲しんで泣き叫ぶことだろうが、叫ぶがままにさせておく。

 

六翮曾經剪,孤飛卒未高

六枚の立ち羽は前に剪られてしまったから、ひとりで飛ぶ力が無くなっているので、高く飛べないのだ。

○翮 たちばね。

 

且無鷹隼慮,留滯莫辭勞。 

だけど、それで鷹や隼におそわれる心配がない、それを取り柄にすれば、ゆっくりこのかごのなかにとどまって苦労することを云うことなどなくなるといものだ。

○鷹隼慮 たか・はやぶさにおそわれる心配。

○留滞 じっとしてとどまる。

贈別鄭鍊赴襄陽 蜀中転々 杜甫 <503>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2705 杜甫詩1000-503-735/1500

杜甫 《贈別鄭鍊赴襄陽》 徐知道の成都の乱で兵卒、早馬が入り混じり大変な状況で、柴門に住まいしていたこの私は老いた持病持ちの身であった。君が作ったいろんな詩を一つに束ねて私に見せてくれてもう随分日にちが過ぎた。この詩を見ることで胸に刻まれており、こうして別れて郷里に帰ることは詩の神はきっと驚くことであろう。



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女性詩人
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孟郊詩
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李商隠詩
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贈別鄭鍊赴襄陽 蜀中転々 杜甫 <503>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2705 杜甫詩1000-503-735/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の503首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-735回目 40834
卷別: 卷二二六 文體: 五言律詩
詩題: 贈別鄭鍊赴襄陽
寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)
寫及地點: 襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽
       峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)
       峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山
交遊人物/地點: 鄭鍊とは成都の幕府での交友。
詩文:

贈別鄭鍊赴襄陽
(鄭鍊が成都で地方官をしていたが親を見るために郷里の襄陽に帰えるのにこのしをつくって贈った。)
戎馬交馳際,柴門老病身。
徐知道の成都の乱で兵卒、早馬が入り混じり大変な状況で、柴門に住まいしていたこの私は老いた持病持ちの身であった。
把君詩過日,念此別驚神。
君が作ったいろんな詩を一つに束ねて私に見せてくれてもう随分日にちが過ぎた。この詩を見ることで胸に刻まれており、こうして別れて郷里に帰ることは詩の神はきっと驚くことであろう。
地闊峨眉晚,天高峴首春。
君の詩は成都盆地のように南に向けて広がり、峨嵋山に夕方にはついてしまうし、天は高く広がって襄陽の峴山の頂に來る春のように素晴らしいものである。
為於耆舊內,試覓姓龐人。
年老いた親を介護するために帰るという、しかし、襄陽という場所からあなたがしようということからあの「龐徳公」が鹿門山に隠遁したようなもので、きっとみんなからそう呼ばれることであろう。

(鄭鍊【ていれん】が襄陽に赴むくに別れるに贈る)
戎馬 交馳の際,柴門 老病の身。
君を把む 詩は日を過る,此れを念う 別は神を驚く。
地闊して峨眉の晚,天高くして峴首の春。
為於 耆舊の內,試みに姓は龐人を覓む。


『贈別鄭鍊赴襄陽』 現代語訳と訳註

峨眉山003(本文)
贈別鄭鍊赴襄陽
戎馬交馳際,柴門老病身。
把君詩過日,念此別驚神。
地闊峨眉晚,天高峴首春。
為於耆舊內,試覓姓龐人。


(下し文)
(鄭鍊【ていれん】が襄陽に赴むくに別れるに贈る)
戎馬 交馳の際,柴門 老病の身。
君を把む 詩は日を過る,此れを念う 別は神を驚く。
地闊して峨眉の晚,天高くして峴首の春。
為於 耆舊の內,試みに姓は龐人を覓む。


(現代語訳)
(鄭鍊が成都で地方官をしていたが親を見るために郷里の襄陽に帰えるのにこのしをつくって贈った。)
徐知道の成都の乱で兵卒、早馬が入り混じり大変な状況で、柴門に住まいしていたこの私は老いた持病持ちの身であった。
君が作ったいろんな詩を一つに束ねて私に見せてくれてもう随分日にちが過ぎた。この詩を見ることで胸に刻まれており、こうして別れて郷里に帰ることは詩の神はきっと驚くことであろう。
君の詩は成都盆地のように南に向けて広がり、峨嵋山に夕方にはついてしまうし、天は高く広がって襄陽の峴山の頂に來る春のように素晴らしいものである。
年老いた親を介護するために帰るという、しかし、襄陽という場所からあなたがしようということからあの「龐徳公」が鹿門山に隠遁したようなもので、きっとみんなからそう呼ばれることであろう。


(訳注)
贈別鄭鍊赴襄陽
(鄭鍊が成都で地方官をしていたが親を見るために郷里の襄陽に帰えるのにこのしをつくって贈った。)
・鄭鍊 杜甫の知人。人物については不明。成都で地方官をしていたが郷里の襄陽に帰って親を見るという人物である。杜甫は同時期に唐詩選『重贈鄭錬』(次のブログ)


戎馬 交馳 際 ,柴門 老病 身 。
徐知道の成都の乱で兵卒、早馬が入り混じり大変な状況で、柴門に住まいしていたこの私は老いた持病持ちの身であった。
・「戎馬」職業身份、兵卒。
・「馳」早馬を云ったり来たりさせる。ここでは徐知道の成都の乱をしめす。
・「柴門」浣花渓の杜甫草堂。鄭錬が誰かのお供をして訪れたと考える。


把君 詩 過日 ,念此 別 驚神 。
君が作ったいろんな詩を一つに束ねて私に見せてくれてもう随分日にちが過ぎた。この詩を見ることで胸に刻まれており、こうして別れて郷里に帰ることは詩の神はきっと驚くことであろう。
・「把」](1) 握る,手に持つ把着栏杆手すりをつかむ.(2) (権力などを)握る,掌握する.【同】把持(3) (子供をかかえて)尿や便をさせる把他尿彼におしっこをさせる.(4) 見張る,番をする.【同】把守(5) (裂け目などを)..。


地闊 峨眉 晚 ,天高 峴首 春 。
君の詩は成都盆地のように南に向けて広がり、峨嵋山に夕方にはついてしまうし、天は高く広がって襄陽の峴山の頂に來る春のように素晴らしいものである。
・「地闊」語義類別:地、地理、郊原村野、地。
景物形態、闊。
・「峨眉」成都の南にある、山嶺地名、峨眉山。
・「峴首」峴首。羊祜の碑、諸葛亮孔明、孟浩然は襄陽、峴山を題した詩が多くある。

過故人莊 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -311

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・「春」語義類別:時、四時節氣、四季、春。


為於耆舊 內 ,試覓 姓龐 人 。
年老いた親を介護するために帰るという、しかし、襄陽という場所からあなたがしようということからあの「龐徳公」が鹿門山に隠遁したようなもので、きっとみんなからそう呼ばれることであろう。
「耆舊」老人。
「龐人」鹿門山に隠棲した龐徳公をしめす。龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

--------------------------------------------------------------------------------
詩文(含異文): 上記の大意に変化が起こるほどの異文ではない。
戎馬交馳際,柴門老病身。
把君詩過日【把君詩過目】,念此別驚神【念別意驚神】。
地闊峨眉晚【地闊峨眉曉】【地闊峨眉遠】,天高峴首春。
為於耆舊內,試覓姓龐人。
詩人杜甫5x5

秦州抒情詩(26) 所思 杜甫 <311> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1400 杜甫詩 700- 431

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

所思〔原注〕 得台州司戸度滑息。(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍竄、台州信始傳。
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。

銀河002

現代語訳と訳註
(本文)
所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。

(下し文)
思う所あり
〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う
農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺
世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う
徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し


(現代語訳)
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。


(訳注)
所思

〔原注〕 得台州司戸度滑息。(台州司戸塵の消息を得たり。)
作者の親友鄭慶は至徳二載十二月に台州へ貶せられることになり、乾元元年に台州に至った、この詩は始めて鄭虔より台州からの手紙を得て思う所をのべた。
○台州司戸虔 757年 至徳二載十二月、巳に長安に在っての作。46歳
送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!
755年安禄山の軍が長安へ攻め入った時、鄭虔は叛乱軍より強制的に水部郎中の官を授けられた。757年叛乱軍から長安洛陽を奪還し、叛乱軍に結果として協力した官吏を至徳二載十二月に六等に分けてその罪をきめた。鄭虔は死刑となるはずであったのを雀円というものの救いにより貶官にされたのだ
消息 たより。

鄭老身仍竄、台州信始傳。
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
鄭老 鄭虔をさす。
 ながしものにされる。流罪。左遷。
台州 漸江省台州府、度の居処。
 たより、信書。

爲農山澗曲、臥病海雲邊。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
○この為農二句は鄭虔老の近況、信書によって知ったところ。

世己疎儒素、人猶乞酒錢。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
疎儒素 疎はうとんずる、疎外、敬遠する。素は質素、じみなこと、儒素は儒者のじみな行い。
 作者が嘗て鄭虔に贈った詩に『戲簡鄭廣文虔,兼呈蘇司業源明』(戯れに鄭広文に簡す)
廣文到官舍,繫馬堂階下。
醉則騎馬歸,頗遭官長罵。
才名三十年,坐客寒無氈。
賴有蘇司業,時時乞酒錢。
「頼に蘇司業あり、時時酒銭を乞う」といっている、人は蘇源明をさす。
○乞 あたえること、俗用である、こうの意ではない。


徒勞望牛斗、無計屬龍泉
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。
徒労 杜甫がむだに骨折ることをいう。○望牛斗 牛・斗は星座の名、台州の地は牛斗の分野にあたる。「牛」:牽牛星。「斗」衡は北斗七星の第五星。『爾雅』に星紀は斗宿と牽牛星とある。・玉衡 北斗七星の第五星、斗柄に当たる。「玉衡孟冬を指す」とは斗柄の指す方位が、初冬の月に当たっているの意。・衡 「北斗七星の中央の星」玉衡星と牽牛星。
無計 手だてなし。
 析(きる)に同じ、ただしここは土壌をきりけずることで、剣を掘り取ることをいう。
竜泉 むかし欧冶子がつくった三本の鉄剣の一つの名、もと竜淵という、唐は淵の字を諱名とするため泉の字にかえた、竜泉は単に剣の代わりとして用いる。牛斗・竜泉の二句は雷煥(孔章)が牛斗を射る剣気を見て豊城の獄で剣をはほりだした故事を用いている。
蕃剣』詩
致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。
○奇怪 あやしいこと。○光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。
○虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。○竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428



所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉


思う所あり
〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う
農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺
世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う
徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

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《秦州抒情詩(20)  『野望』 杜甫700の305首目、杜甫ブログ425回目》
友からの知らせを待ちわびて、野らの夕ぐれのながめをのべる。

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
葉稀風更落,山迥日初沈。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。


現代語訳と訳註
(本文)

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。


(下し文)
(野 望)
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。


(現代語訳)
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。


(訳注)
野望

官を辞して姪の杜佐を頼ってきた秦州、東柯谷の夕暮れ、野を眺めて作ったもの。759年乾元2年48歳。杜甫は友人たちの応援を待っているときであるため、時間の経過を示すような記述をしている。したがって、現代語訳としては、過去形で訳さず、現代進行形で読んだ方が、時間経過を感じやすい。


清秋望不極,迢遞起層陰。
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
望不極 望無転の意、ながめのはてしないことをいう。
迢遞 地に高低あり、かつはるかなさま。段々畑の地勢をいう。
層陰 いくえものくもり。段々ばたに上に、雲の段々畑がある。


遠水兼天淨,孤城隱霧深。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
遠水二句 この二句は上三字下二字の句法を用いる、「遠水、天の浄きを兼ね、孤城、霧の深きに隠る」とよんでもよいが、「遠水を兼ねて天浄く、孤城隠れて霧深し」とよむことの方がより簡明である。他の例をあげれば、『晚出左掖』「楼雪融城湿、宮雲去殿低」(晩二左を出ず)、七言句『秋興』では、「画省香炉連伏誌、山城粉喋隠悲節」の如きは同句法である。晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240

葉稀風更落,山迥日初沈。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
葉稀 ひとりでに葉のすくなくなったことをいう。
風更落 「風更に落とす」と「落」の字を他動詞によむこともできるが「葉」を主として「落」を自動詞とみる


獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。
獨鶴 官を辞して隠棲の場所を求めて秦州に来たわけであるが友人たちに応援を求めてその結果を待っている杜甫自身の心境を述べている。この二句は倒句として読む。
昏鴉 夕暮れの鳥。

hinode0200

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晩?昏鴉已滿林。
(野 望)
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。

春望
國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。

國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。
時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを 恨んでは  鳥にも 心を驚かす。
烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。
白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。

佐還山後寄三首 其三 杜甫 <277> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1280 杜甫詩 700- 391

佐還山後寄三首 其三 杜甫 <277> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1280 杜甫詩 700- 391


其一
山晚黃雲合,歸時恐路迷。
東柯谷の山中の黄昏時に夕方の黄色の雲、山々の黄色に色づく葉が重なり合っている。帰る時刻には道に迷うかもしれないと心配する。
澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
谷川の冷え込みの寒さは人間の欲を諦めさせている、山中木々の林は暗くなり鳥たちは巣についている。
野客茅茨小,田家樹木低。
隠棲しようとするこの野にある旅人のわたしは茅や茨で葺いた小さなところにいるし、ここで百姓している人たちは樹木にかこまれてそれより低い所にすんでいる。
舊諳疏懶叔,須汝故相攜。

嵇康が無精であったようにこの私もこんなに無精であったことを知ったのである。杜佐よ、君にお願いしたい。ぜひとも君と一緒に隠遁させてもらいたいということを。
山晚【さんばん】黃雲【こううん】合し,歸る時として 路迷【まよ】わんことを恐る。
澗【かん】寒くして人欲到り,林黑くして鳥應に棲す。
野客【やかく】は茅茨【ぼうじ】の小なり,田家【でんか】は樹木の低にある。
舊【もと】より疏懶【そらん】の叔【われ】を諳【し】る,汝に須【もと】むるは故【ことさら】に相い攜うるを

其二
白露黃粱熟,分張素有期。
秋の白露の季節である、おお粟が実っている。選り分けというのは初めから良い時期が決まってあるものだ。
已應舂得細,頗覺寄來遲。
その時期はすでに来ており、臼でついて細やかな粉にしたいとおもっている。
味豈同金菊,香宜配綠葵。
このものの味はできることなら金の菊酒と同じであってほしいし、香りはというと緑の葵のさわやかな香をいただきたいものである。
老人他日愛,正想滑流匙。
この老人にとっていつか愛されることもあるであろうし、まさに滑りそうな岩場で匙により水を掬うようなものであるということであろうか。
白露【はくろ】に黃粱【こうりょう】熟【じゅく】し,分張【ぶんちょう】素より期に有り。
已【すで】に應に舂【つ】いて細【さい】するを得んや,頗【すこ】ぶる寄り來ること遲きを覺ゆ。
味は豈に金菊と同じくならんや,香は宜しく綠葵【ろくき】を配【はい】せん。
老人 他日の愛,正に想う 滑りて匙【し】に流るを。


其三
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。
何通りかの道があり、自然水が豊かで灌漑が行き渡っていて田畑に水がいきわたっている。そして棚田は川と交わるように横に広がり段々に落ちていくその土手は幔幕を張ったようである。
葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
草木が盛んで美しいほどの此処の自然も秋も深まり木々はほとんど落葉している。そのため日差しも直接照らされたり、雲の移ろいによって影響を受けて影を写したりする。
隔沼連香芰,通林帶女蘿。
この地から隔てて沼地が菱の香りで連なっているようだ、林を通りぬけていくとひめかずらが帯状に這っている。
甚聞霜薤白,重惠意如何。
ここの農産物でしばしば聞くのは霜のように白いラッキョウのことである、重ね重ねの所望であるがいかがなものだろうか。
幾道か 泉は圃【はたけ】に澆【そそ】ぎ、交横に 幔【まく】のごとき坡【どて】に落つ。
葳蕤(イズイ)として 秋の葉少なく、隠れあるいは映りて 野の雲多し。
と詠じる。
沼を隔てて 香れる芰(ひし)に連なり、林に通じて 女蘿(さるおがせ)を帯ぶ。
甚(まこと)に聞く 霜おく薤(らっきょう)は白きと、重ねてわれに恵めよ きみが意は如何。


現代語訳と訳註
(本文) 其三
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。
葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
隔沼連香芰,通林帶女蘿。
甚聞霜薤白,重惠意如何。


(下し文)
幾道か 泉は圃【はたけ】に澆【そそ】ぎ、交横に 幔【まく】のごとき坡【どて】に落つ。
葳蕤(イズイ)として 秋の葉少なく、隠れあるいは映りて 野の雲多し。
と詠じる。
沼を隔てて 香れる芰(ひし)に連なり、林に通じて 女蘿(さるおがせ)を帯ぶ。
甚(まこと)に聞く 霜おく薤(らっきょう)は白きと、重ねてわれに恵めよ きみが意は如何。


(現代語訳)
何通りかの道があり、自然水が豊かで灌漑が行き渡っていて田畑に水がいきわたっている。そして棚田は川と交わるように横に広がり段々に落ちていくその土手は幔幕を張ったようである。
草木が盛んで美しいほどの此処の自然も秋も深まり木々はほとんど落葉している。そのため日差しも直接照らされたり、雲の移ろいによって影響を受けて影を写したりする。
この地から隔てて沼地が菱の香りで連なっているようだ、林を通りぬけていくとひめかずらが帯状に這っている。
ここの農産物でしばしば聞くのは霜のように白いラッキョウのことである、重ね重ねの所望であるがいかがなものだろうか。


(訳注)
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。

何通りかの道があり、自然水が豊かで灌漑が行き渡っていて田畑に水がいきわたっている。そして棚田は川と交わるように横に広がり段々に落ちていくその土手は幔幕を張ったようである。
 ・ 注ぐ。水をかける。川から水を引く。・圃【ほ】[漢字項目]とは。意味や解説。[人名用漢字][音]ホ(漢)囲いをした畑。菜園。「圃場/園圃・花圃・田圃(でんぽ)・農圃・薬圃」[難読]田圃(たんぼ)。 ・交橫幔落坡 自然水が豊かで灌漑が行き渡っていることを言う。杜佐のいる東柯谷は谷間に開けた農園だったに違いない。段々畑あるいは棚田。棚田の段差が大きいとその高くなった土手がちょうど幕を横に張ったように見える。山間の湧水が上の田に注ぎ込み、さらにあちこちから下の田へとさかんにこぼれ落ちている。


葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
草木が盛んで美しいほどの此処の自然も秋も深まり木々はほとんど落葉している。そのため日差しも直接照らされたり、雲の移ろいによって影響を受けて影を写したりする。
葳蕤【いずい】草木が盛んで美しいさま。『楚辞』「草木茂盛,枝葉下垂的樣子. 上葳蕤而防露兮。」・蕤 花の垂れさがるさま。冠などの垂れさがる飾り。農園の回りの山谷の様子を思い浮かべる。秋も盛りを過ぎて木々はほとんど落葉し、ために林内も空の雲の移ろいの影響を受け、かげったり明るくなったりする。もちろん農園の作物も、あたかもそれにつれて隠映するがごとくである。
 杜甫『示侄佐』では「田を潤した水がまがきを突き破るかのごとく、小さな滝のように懸かって流れ落ちる」といっている。
多病秋風落,君來慰眼前。
自聞茅屋趣,只想竹林眠。
滿穀山雲起,侵籬澗水懸。
嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。


隔沼連香芰,通林帶女蘿。
この地から隔てて沼地が菱の香りで連なっているようだ、林を通りぬけていくとひめかずらが帯状に這っている。
・隣接する池や林に言及し、杜佐の農園はその近辺にも豊穣な雰囲気があふれていることをいう。


甚聞霜薤白,重惠意如何。
ここの農産物でしばしば聞くのは霜のように白いラッキョウのことである、重ね重ねの所望であるがいかがなものだろうか。
霜薤白 良くできた白らっきょう。杜佐の農園で今しも白ラッキョウが成熟しつつあることを述べている。


重ねて恵めと言っているのは、連作詩『佐還山後寄三首』其の二でオオアワ(黄粱)をもらっているからである。杜甫はもらうためにこの詩を書いたのではなくて、貰ったお礼に書いている。杜甫は10人を超す大所帯でこの地を訪れている。この詩には、棚田の模様から始まっているが食べ物に絡んだ詩である。山菜摘みに山に入って、落葉で地面が良く見えること、「葳蕤」という表現でほうふにあること、「菱」「蓮」「女蘿」「薤」と取り上げている。食料調達を野山の山菜摘みで賄うにしても頂き物は嬉しかったのである。

立秋後題 <224>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1088 杜甫特集700- 327

杜甫 立秋後題(日月不相饒) 
立秋後題 <224>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1088 杜甫特集700- 327
(立秋の後に題す)乾元2年 759年 48歳

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は付近の不満足な住民から徴兵し、洛陽を守ろうとしている。この姿勢は千年前の春秋戦国の戦法、歩兵戦であった。元気のいい戦力と年長者を交えた戦力であれば勝てるわけはない。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。



立秋後題
立秋の後に題す
日月不相饒、節序昨夜隔。
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
玄蝉無停号、秋燕已如客。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
平生独往願、惆悵年半百。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
罷官亦由人、何事拘形役。

官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。


(立秋の後に題す)
日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。
玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。
平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。
官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。

秦州同谷成都紀行地図

現代語訳と訳註
(本文)
立秋後題
日月不相饒、節序昨夜隔。
玄蝉無停号、秋燕已如客。
平生独往願、惆悵年半百。
罷官亦由人、何事拘形役。


(下し文)
(立秋の後に題す)
日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。
玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。
平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。
官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。


(現代語訳)
立秋の後に題す
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。


(訳注)
立秋後題

立秋の後に題す
○立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。
昼夜の長短を基準にした季節区分
(各季節の中間点) - 春分・夏至・秋分・冬至
(各季節の 始期)- 立春・立夏・立秋・立冬
気温 - 小暑・大暑・処暑・小寒・大寒
気象 - 雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪
物候 - 啓蟄・清明・小満
農事 - 穀雨・芒種

日月不相饒、節序昨夜隔。
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
不相饒 互いにゆたか有り余るほど多いというわけではない。昼と夜の長さが同じになることをいう。夏、昼が長いと時間の経過が遅いといわれ、冬、夜の時間が長くなると日の進み方が光陰矢の如しになるという。 ○昨夜隔 夜が長くなる。


玄蝉無停号、秋燕已如客。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
玄蝉 蜩(ひぐらし)○無停号 啼くのが止まらない。○秋燕已如客 秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。


平生独往願、惆悵年半百。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
平生 ひごろから。○独往願、一人静かな隠棲生活を願望していること。○惆悵 嘆き悲しむこと。○年半百 五十年。

罷官亦由人、何事拘形役。
官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。
罷官 官を辞める。○亦由人 その理由がまた人間関係にある。○形役 参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものである。


(解説)
 詩は職を辞して華州を離れる直前に作られているが、辞職の理由については「官を罷むるも亦た人に由る」と一言述べているだけである。杜甫は、地位があれば仕事を中心に生きていくということではない、この詩句でみると、人間関係でなにか我慢のならないことが起きたことをうかがわせるのであるが平穏な時なら官を辞めはしない。非常のときに二か月余も任地を離れることは鳳翔の行在所から「北征」した時と、今回の司公参軍の文官であって、所用で洛陽に行き、その後は、私用で鞏県まで行ったこと、そこで共通なこととして、杜甫が官僚であるから、そこでの詩ができたものが多い。したがって、此の詩で杜甫が官を辞した問題を判断することはできない。

 ただ、司公参軍の事務官という地位は杜甫自身の生きて上で男の拘束になるものではない。つまり、房琯一派とされ、徹底した疎外感しかなかったのである。将来に掛ける希望は全くなかった。

こうして彼は759年、乾元二年秋、遂に官を棄てて、1族杜佐の寄寓しているときく秦州(甘粛省天水)に、家族をつれて移って行ったり、杜甫の政治生活というものは、その誠実な努力、大きな理想にも係わらず、結局は何らなすこともなく、社会の矛盾と、自己の無力に、絶望を感ぜずにはいられなかった。

それにしてもこれからさき、この世の中はどうなってゆくのか、そしてまた自分はこれから、どうしてゆけばよいのか、彼には分からなかった。このころの作かと思われる遣興五首という詩には、その昔の賢人たちも、時運に遇わぬときは、きっと今の自分のような心持ちであったろう、と、かの山中の処士として身を終えた後漢の龐徳公、世俗をさけた陶淵明、道士となって故郷にかえった賀知章、貧窮に死んだ孟浩然らを慕って、その人々を詩に詠っている。しかし、他方でそういうすがすがしい心境に引かれながらも、やはり世を捨てて隠居する心持ちにはなりえないのが牡浦の性格であり、またその境遇でもあった。たとえ秦州という隴西の山中にいても、その心はいつも国家の危機、社会の変動、人民の苦難に対する限りない憂愁で満ちていたのである。

夏夜嘆 <223-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1082 杜甫特集700- 325

夏夜嘆 <223-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1082 杜甫特集700- 325


田舎の官吏としての自分の立場に、いやでも多くの矛盾を感じたにちがいない。その間、人間関係の煩わしい事情もあったかも知れぬ。華州を去ってゆこうとする頃、「立秋後過す」という詩に、「官ヲ罷ムルモ亦夕人二由ル.」と詠じているのを見ると、なにかかくれた事情があったようにも想像される。そうでなくても、すでに朝廷から排斥される房琯一派につながる者とされている杜甫に、政治上の山路は与えられるべくもない。ともかく、杜甫にとって、華州司功参軍という役人仕事をつづけることはもはや苦痛であった。こうして、暫く立った立秋には官を辞して秦州に紀行の旅に出るのである。


夏夜嘆
永日不可暮,炎蒸毒中腸。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
昊天出華月,茂林延疏光。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
何由一洗濯,執熱互相望?」

どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。

#3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
況複煩促倦,激烈思時康。」


(夏の夜の嘆き)  #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒さる。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光延ぶ。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」
#2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」

#3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」


現代語訳と訳註
(本文)
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
物情無巨細,自適固其常。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
何由一洗濯,執熱互相望?」


(下し文) #2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」


(現代語訳) #2
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。


(訳注) #2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。

うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
虛明 虚1 備えのないこと。油断。すき。「敵の―に付け入る」2 事実でないこと。うそ。いつわり。「―と実が入りまじる」⇔実(じつ)。3 中身・実体がないこと。むなしいこと。うつろ。から。○纖毫  (1)細い毛。 (2)きわめてわずかなこと。また、非常に小さいことのたとえ。○羽蟲  (1)ハジラミの別名。 (2)ハアリの通称。 ... 羽蟲と同じ種類の言葉. 虫に関連する言葉 • 林檎綿虫(りんごわたむし) 根喰葉虫(ねくいはむし) 羽虫(はむし) 喇叭虫(らっぱむし) 「羽蟲」(鳥)・「毛蟲」(獣)・「鱗蟲」(魚および爬虫類)・「介蟲」(カメ、甲殻類および貝類)・「裸蟲」(ヒト)


物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
物情 1 物のようす・性質。 2 世人の心情。世間のありさま。 ○自適 思うがままに楽しむこと。自分の心にかなった生活をする。自分で行く。


念彼荷戈士,窮年守邊疆。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
念彼「法華経(普門品)」「念彼観音力」観音菩薩の力を念ずればの意。○【か】中国の殷・周時代から前漢時代にかけて,もっともよく使用された中国独特の武器で,戟(げき)とあわせて句兵(こうへい)と総称される。長い柄の先端に,柄と直角に短剣状のものをとりつけたもので,敵の首や頭にうちこんで,手前に引き倒したり,斬りつけたりするものである。やや湾曲した両刃の短剣の部分を援(えん),その下についた長くのびた部分を胡(こ)といい,内(ない)と呼ばれる部分を柄に通して戈を安定させる。柄は古名で柲(ひつ)といわれ,木や竹を合わせたものがある。○窮年 窮年累世とは。意味や解説。自分の一生から孫子の代までも。▽「窮年」は人の一生涯。「累世」は子々孫々の意。「年を窮め、世を累【かさ】ぬ」


何由一洗濯,執熱互相望?」
どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。
洗濯 (1)衣服などを洗って汚れを落としきれいにすること。 「川で―する」 (2)わだかまりや苦労を捨てさっぱりすること。○執熱 執熱不濯 読み:しゅうねつふたく 意味:熱いものを手で直接掴めないので、先ずは水を入れてからでないと洗えないということから転じて、困難を克服するためには、賢人を起用しなければならないのに、それをしないことのたとえ。

杜甫が旅の目的地を秦州と決めた理由としては、洛陽は胡賊が迫っていて危険であり(九月には史思明の攻撃によって再び陥落)、長安は飢饉で物価高。それに比べて秦州には従姪の杜佐が住んでいたし、また房棺に親しい者として先ごろ長安を追放された僧の賛公もそこにいた、などのことが考えられよう。

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

岑参44歳  長安在り,右補闕に任。  「寄左省杜拾遺」



奉答岑參補闕見贈
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
君隨丞相後,我往日華東。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
故人有佳句,獨贈白頭翁。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


現代語訳と訳註
(本文)
奉答岑參補闕見贈
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
君隨丞相後,我往日華東。
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
故人有佳句,獨贈白頭翁。


(下し文) 岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


(現代語訳)
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


(訳注)
奉答岑參補闕見贈

岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
長く節度使の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった757年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その10月には粛宗に従って長安に赴く。


窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
窈窕 頭がよく顔も美しいしとやかな美人。『詩経、周南、關睢』「窈窕淑女、君子好逑」(窈窕たる淑女は、君子の好逑)○清 ○禁闥 宮中の小門。転じて宮中。『史記、汲黯傳』「出入禁闥、補過拾遺、臣之願也」(入し禁闥に出、過ちを補い遺を拾うは、臣之願い也)


君隨丞相後,我往日華東。
君 丞相の後に隨い,我 日華の東に往く。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
○日華 日の光。『文選、謝朓、和徐都曹詩』「日華川上動、風光草際浮。」(日華 川上に動き、風光草際に浮ぶ。)杜甫は、この後秋になって東方の華州に左遷されることが予想されていたのであろうか。


冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
○冉冉 やわらかに垂れ下がり形容。○柳絲 柳の小枝。柳条。○娟娟 曲がりうねる。清く明るい様子。蝶などが美しく飛ぶさま。


故人有佳句,獨贈白頭翁。
故人は佳句有り,獨り白頭翁に贈る。

友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その中の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。
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岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249

岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249
寄左省杜拾遺(左省の杜拾遺に寄よす)岑参
五言律詩。微・歸・飛・稀(平声微韻)。

杜甫に推薦してもらって、補闕に採用された新人であるが、朝廷の中で、仕事がなく、相手にされず疎外感をもって、自棄になっている杜甫に対して、わたしも同じように仕事はないのだと詠ったものである。


寄左省杜拾遺
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。

唐朝 大明宮2000


現代語訳と訳註
(本文)
寄左省杜拾遺
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。


(下し文) (左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。


(現代語訳)
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(訳注)
寄左省杜拾遺

門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
左省  門下省。○杜拾遺  杜甫。拾遺は官名。左拾位であった。天子の過失をいさめる役。


聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
丹陛  朱で塗った宮殿の階段。○  部局。○紫微  紫微宮。外朝(含元殿)、中朝(宣政殿)、内朝(紫宸殿)これらをつなぐ庭は丹く塗られていた。


曉隨天仗入、暮惹御香歸。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。

朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る
天仗  天子の行列を護衛する兵。○御香  宮中で焚かれる香の香り。


白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。


聖朝無闕事、自覺諫書稀。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。
聖朝  時の朝廷を尊んでいうことば。○闕事  政治上の欠陥。○諫書  天子をいさめる書。


この頃の岑参の詩
HP漢文委員会岑参詩しい参照
758年
2月、載を年と改む。
6月、房官、分州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。王之渙、王翰

44歳  在長安,任右補闕。  「寄左省杜拾遺」
乾元元年   詩
127  奉和中書賈至舍人早朝大明宮(春末作
128  西掖省即事(春末)
129  寄左省杜拾遺(春末)
130  送人歸江寧(姑繫此年)
131  送揚州王司馬(同上)
132  送許拾遺恩歸江寧拜親(本年春夏間作于長安)
133  懷葉縣關操姚擴韓涉李叔齊
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晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240

晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240


758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。
 臘日 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 
 送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 このページに掲げる詩
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 送賈閣老出汝州


natsusora01

左掖は東内の東側垣門のこと、前に見える。此の詩は蓋し或る日の夕がたこの門より出て自己の廨舎に帰ろうとしたことをいう。

晚出左掖
夕暮れて、門下省のわきのくぐり門を出る。
晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。
昼の時刻が知らされ、宮衛の点呼まわり番の声も近いものに聞こえる程度の声である。春用の簇仗の羽旗を一斉に整列して居る。
退朝花底散,歸院柳邊迷。
そうして、朝廷(紫宸殿)より退出してくると花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている、門下省の書院に帰ろうとして歩くと柳樹の緑が濃くなってあたりの景色を変えていて迷ってしまう。
樓雪融城濕,宮雲去殿低。
南に向いて歩いていくと宮楼の雪はとけて城壁がぬれている。低く垂れこんでいた雲が去った後、御殿は低くなったかとおもわれる。
避人焚諫草,騎馬欲雞棲。
人をさけ、みられないような場所で諌申用の草稿文をやきすてる、そして執務室の後片付けをして、馬に騎って官舎に向おうとするとすでに鶏がねぐらにつこうとする夕闇がせまっている。

昼刻 伝呼 浅く、春旗 簇仗【ぞくじょう】齊【ひと】し。
退朝 花底に散じ、帰院【きいん】柳辺【りゅうへん】に迷う。
楼雪【ろうせつ】融けて城湿【うるお】い、宮雲 去りて殿低し。
人を避けて諌草【かんそう】を焚く、馬に騎れば鶏棲【けいせい】ならんと欲す。


唐朝 大明宮2000


現代語訳と訳註
(本文) 晚出左掖

晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。
退朝花底散,歸院柳邊迷。
樓雪融城濕,宮雲去殿低。
避人焚諫草,騎馬欲雞棲。


(下し文)
昼刻 伝呼 浅く、春旗 簇仗【ぞくじょう】齊【ひと】し。
退朝 花底に散じ、帰院【きいん】柳辺【りゅうへん】に迷う。
楼雪【ろうせつ】融けて城湿【うるお】い、宮雲 去りて殿低し。
人を避けて諌草【かんそう】を焚く、馬に騎れば鶏棲【けいせい】ならんと欲す。


(現代語訳)
夕暮れて、門下省のわきのくぐり門を出る。
昼の時刻が知らされ、宮衛の点呼まわり番の声も近いものに聞こえる程度の声である。春用の簇仗の羽旗を一斉に整列して居る。
そうして、朝廷(紫宸殿)より退出してくると花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている、門下省の書院に帰ろうとして歩くと柳樹の緑が濃くなってあたりの景色を変えていて迷ってしまう。
南に向いて歩いていくと宮楼の雪はとけて城壁がぬれている。低く垂れこんでいた雲が去った後、御殿は低くなったかとおもわれる。
人をさけ、みられないような場所で諌申用の草稿文をやきすてる、そして執務室の後片付けをして、馬に騎って官舎に向おうとするとすでに鶏がねぐらにつこうとする夕闇がせまっている。


(訳注)
晚出左掖

夕暮れて、門下省のわきのくぐり門を出る。
左掖は東内の東側垣門のこと、前に見える。
 

晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。
昼の時刻が知らされ、宮衛の点呼、まわり番の声も近いものに聞こえる程度の声である。衛兵は春用の簇仗の羽旗を一斉に整列して居る。
昼刻 ひるの水どけいの時間。○伝呼 宮衛達の「点呼、火の用心」とまわり番のこえ。○ 声の小さなこと。深しといえば大声あげて奥深くまできこえるようにすることであり、浅はその反対に近くだけきこえるほどに声を出す。伝搬度をいう。○春旗 春は時を記す。旗は近衛の兵の持する簇仗の旗をいう、簇仗の仗と同一物。○簇仗 群がる刺しもの。○ 列のそろえること、斉列。


退朝花底散,歸院柳邊迷。
そうして、朝廷(紫宸殿)より退出してくると花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている、門下省の書院に帰ろうとして歩くと柳樹の緑が濃くなってあたりの景色を変えていて迷ってしまう。
帰院 院は門下省の書院、執務室、左拾遺の詰め所をいうのであろう。


樓雪融城濕,宮雲去殿低。
南に向いて歩いていくと宮楼の雪はとけて城壁がぬれている。低く垂れこんでいた雲が去った後、御殿は低くなったかとおもわれる。
楼雪 南に向いて歩くので樓閣の北面の宮楼の雪。○城湿 宣政殿、含元殿などを取り囲む城郭、全体が雪解けのために濡れていることをいう。○殿低 雲が低く垂れこんでいるときは宮殿が高くみえたが、雲の去ってしまった後は低くみえるのである。この聯の句はSV構文で○○は●で◎◎となる。樓雪は融けて城濕となる。宮雲は去って殿低くなる。


避人焚諫草,騎馬欲雞棲。
人をさけ、みられないような場所で諌申用の草稿文をやきすてる、そして執務室の後片付けをして、馬に騎って官舎に向おうとするとすでに鶏がねぐらにつこうとする夕闇がせまっている。
避人 人をさけ、みられないようにする。○諌草 諌申用の草稿文のこと。詰め所に草稿をのこして置くと、内部機密が漏れてしまうことを恐れるのである。○騎馬 官舎の方へ帰ろうとすること。○鶏棲 鶏が歩き回らずねぐらに居つくこと、夕闇をいう。

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重過何氏五首 其二 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 69

重過何氏五首 其二 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 69
(就職活動中 長安郊外 杜曲の家)


重過何氏五首 其二
山雨樽仍在、沙沈榻未移。
山の雨が降っている前日の酒樽がなおそのままに放置されている、砂の窪みには腰掛けがそのまま移されずにある。
犬迎曾宿客、鴉護落巣児。
犬はかつての泊り客であったわたしを出迎えてくれるし、からすは巣に生み落としたばかりの雛たちをまもり、歓迎してくれる。
雲薄翠徴寺、天清黄子陂。
薄くかかった雲が翠徴寺のあたりにあるが、黄子陂のあたりはあお空がいっぱいに広がっている。

向來幽興極、歩履過東籬。

これまでの静寂な自然に対する興趣がここで極点に達し、草履をつっかけて東の垣根の外に出てしまった。


山の雨が降っている前日の酒樽がなおそのままに放置されている、砂の窪みには腰掛けがそのまま移されずにある。
犬はかつての泊り客であったわたしを出迎えてくれるし、からすは巣に生み落としたばかりの雛たちをまもり、歓迎してくれる。
薄くかかった雲が翠徴寺のあたりにあるが、黄子陂のあたりはあお空がいっぱいに広がっている。

これまでの静寂な自然に対する興趣がここで極点に達し、草履をつっかけて東の垣根の外に出てしまった。


山雨 樽は仍(な)お在り、沙沈んで榻は末だ移されず。
犬は迎う 曾宿の客、鴉は護る 落巣の児。
雲は薄し 翠徴寺、天は清し 黄子陂。
向来 幽興極まり、歩屣 東籬を過ぐ




山雨樽仍在、沙沈榻未移。
山の雨が降っている前日の酒樽がなおそのままに放置されている、砂の窪みには腰掛けがそのまま移されずにある。
樽仍在 酒を飲みに来訪している杜甫に酒樽や腰掛をそのままにさせていて、自由に飲んでくれということだろう。この将軍は、半官半隠のイメージをもってここに棲んでいると思われる。 



犬迎曾宿客、鴉護落巣児。
犬はかつての泊り客であったわたしを出迎えてくれるし、からすは巣に生み落としたばかりの雛たちをまもり、かんげいしてくれる。
落巣児 落巣は絡巣に同じく、巣の周辺をめぐっていならぶ雛をいう。巣に生み落としたばかりの雛、巣の外に落っこちそうな雛もいる、歓迎しているさまをいう。
 

雲薄翠徴寺、天清黄子陂。
薄くかかった雲が翠徴寺のあたりにあるが、黄子陂のあたりはあお空がいっぱいに広がっている。
翠徴寺 終南山の上にある寺。○黄子陂 池の名。




向來幽興極、歩履過東離。
これまでの静寂な自然に対する興趣がここで極点に達し、草履をつっかけて東の垣根の外に出てしまった。
向來 従来。これまで。さい前から。 ○幽興 静寂な自然に対する興趣。この詩は時間経過が隠遁者の感覚であり、半日くらいの変化を詠っている。そのくらい個々の自然に溶け込み、けだるさを喜んで詠っている。○東籬 籬は柴や竹で編んで作った垣根。
陶淵明「飲酒其五」
結廬在人境,而無車馬喧。
問君何能爾,心遠地自偏。
采菊東籬下,悠然見南山。
山氣日夕佳,飛鳥相與還。
此中有眞意,欲辨已忘言。
廬を結ぶに 人境に在り,而して車馬の喧(かまびす)しき無し。
君に問ふ 何ぞ能く爾ると,心 遠ければ 地 自ら偏(かたよ)る。
菊を采(と)る 東籬の下(もと),悠然として 南山を見る。
山氣 日夕に佳(よ)く,飛鳥 相ひ與(とも)に還(かへ)る。
此の中に 眞意有り,辨んと欲して 已(すで)に言を忘る。

客至   杜甫
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。
舎南(しゃなん)舎北(しゃほく)皆 春水(しゅんすい)、但見る群鷗の日日に來るを
花径 曾(かつ)て客に縁って掃(はら)わず、篷門(ほうもん)今始めて君が為に開く
盤飧(ばんそん)市 遠くして兼味(けんみ)無く、樽酒(そんしゅ) 家貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あるのみ
肯(あえ)て隣翁と相(あい)対して飲まんや、籬(まがき)を隔てて呼び取りて余杯(よはい)を尽さしめん


隠者と籬と酒、静寂な自然に対する興趣、山に向かって座る。杜甫のイメージは陶淵明の「飲酒其五」を意識して詠っている。


○韻  移、児、陂、籬。

故武衛将軍挽詞 三首 其三 杜甫

故武衛将軍挽詞 三首 其三 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 31

〔三〕
哀挽青門去、新阡絳水逢。
将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
路人紛雨泣、天意颯風飆。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
部曲精仍鋭、匈奴氣不騎。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
無由覩雄略、大樹日蕭蕭。

遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。


将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。



故武衛将軍挽詞 三首 其三
哀挽 青門より去る  新肝絳水絳水逢かなり
路人 粉として雨泣す 天意 風 飆颯たり
部曲 精にして仍って鋭に 匈奴気驕らず
雄略を覩るに由なし  大樹日に蕭蕭たり


哀挽青門去、新阡絳水逢。
将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
哀挽 かなしく枢をひく。○青門 長安の東面最南、薪城門の別名。其の門の青いのによって青門という。
新阡 阡は墓道、将軍の故郷のそれをいう。○絳水  山西省絳州絳県の西南より流れ出す川、これによれば
将軍は絳州の人であろう。

路人紛雨泣、天意颯風飆。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
 みだれるさま。○雨泣 雨のふる如くに涙をおとしてなく。○天 天のこころ、想像していう。○ 風のおと。○風飆 飆は下より吹きあげるかぜ。つむじかぜ。


部曲精仍鋭、匈奴氣不騎。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
部曲 曲とは部に属する小分隊の名。○ えりぬき。○ やっぱり。○ 鉾先するどし。○匈奴 北の異民族。騎馬民族で生活様式が全く異なっていたので、嫌がる総称として使われる。
 
無由覩雄略、大樹日蕭蕭。
遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。
雄略 いさましい戦略。勇壮な戦略。○大樹 鴻異の故事、すでに前に見える。墓辺の樹をいうのであろう。○蕭蕭 ひっそりとさびしいさま。



李白 8/15 現在125首 130首以上掲載 主に蜀を旅立ちやっと都、長安朝廷に迎えられた。ところまで
burogutitl450
艶情歌 李商隠ほか 新解釈を含め 8/15現在30首以上掲載
kanshiblog460


過宋員外之問舊莊  杜甫

過宋員外之問舊莊  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  11
(宋員外之問が旧荘に過る)考功員外郎宋之問のふるい別荘に立ち寄って作った詩である。
* 天宝1載 742年 31歳 五言律詩

ちょうど同時期、王維が藍田の宋之問の別荘を購入している。宗之問の死から30年経過していてほとんど手入れをされていない状態のものであった。王維は二十数年かけて整理し輞川集を完成させた。杜甫・王維関連年表参照。しかし王維の輞川荘は長安の東南50km藍田にある。
この杜甫の詩の宋之問の別荘は洛陽の北西河南省偃師県にある。高級官僚であるし、武則天は洛陽にほとんどいたので、むしろ偃師県に別荘の利用が多かったかもしれない。宋之問と杜甫の祖父の杜審言と交友があった。
杜甫は、741年開元 二十九年、首陽山の下に室を築き、遠祖当陽君(晋の杜頚)を祭った。また、このとき、陸渾荘を建て,妻を娶る。世話になったおばの死からの喪明けの年とすべてが重なるが、これら一連をやり、李白の後を追って旅に出ることになる。


過宋員外之問舊莊
宋之問公の旧荘にたちよる。
宋公舊池館,零落首陽阿。
昔ありし宋之問公の館、それは今首陽山の丘におちぶれた状態にある。
枉道祗從入,吟詩許更過。
横道に入ってみると番人もきびしくなくてここをたずねると勝手にはいることができる、また詩を作って吟じるために今日再びここに過ることも許される。
淹留問耆老,寂寞向山河。
自分はひさしくここに居残って附近の老人たちに宋家の様子をたずねてみた、心さびしく寂しくなっておもわず山河の方をむかってしまった。
更識將軍樹,悲風日暮多。

これだけ荒れ果てたうえ、このあとわかったのは、その弟君、之悌公にちなんだ將軍樹も、夕方悲しき風ばかりが多く吹きわたっている。

宋之問公の旧荘にたちよる
昔ありし宋之問公の館、それは今首陽山の丘におちぶれた状態にある。
横道に入ってみると番人もきびしくなくてここをたずねると勝手にはいることができる、また詩を作って吟じるために今日再びここに過ることも許される。
自分はひさしくここに居残って附近の老人たちに宋家の様子をたずねてみた、心さびしく寂しくなっておもわず山河の方をむかってしまった。
これだけ荒れ果てたうえ、このあとわかったのは、その弟君、之悌公にちなんだ將軍樹も、夕方悲しき風ばかりが多く吹きわたっている。


(下し文)宋員外之問が旧荘に過る
宋公の旧池館 零落す首陽の阿
道を柾げて穣入るに従す 詩を吟じて更に過るを許す
掩留して者老に問い 寂実山河に向う
更に識る将軍の樹 悲風日暮に多きを

過宋員外之問舊莊
宋之問公の旧荘にたちよる
宋員外之問 末は姓、之問は名、姓名の問に員外をはさむ。宋之問は字は延清、我州弘農の人、中宗の景竜中に考功員外郎となった。○旧荘 ふるい別荘、これは首陽山の下に在ったもの。宋之問と杜甫の祖父杜審言とは武后の時、供に修文館学士であり、世々の交りがあった。杜甫は開元二十九年首陽山の下に室を築き、遠祖当陽君(晋の杜頚)を祭ったことがあるが、当時そうした関係から之問の荘に立ち寄ったのであろう。

宋公舊池館,零落首陽阿。
昔ありし宋之問公の館、それは今首陽山の丘におちぶれた状態にある。
宋公 宋之問をさす。○池館 池ややかた。○零落 おちぶれる。○首陽 山の名、河南省偃師県の西北二十五里にある。杜甫の居は偃師県の尸郷に在り、そこより首陽の方へと来たのである。○ おか。

枉道祗從入,吟詩許更過。
横道に入ってみると番人もきびしくなくてここをたずねると勝手にはいることができる、また詩を作って吟じるために今日再びここに過ることも許される
枉道 わざわざよこみちへはいりこむ。○ 砥と同じく、ただの意。○従入 従はまかす。勝手に入れる。○吟詩 この題詠の詩を吟ずること。
 
淹留問耆老,寂寞向山河
自分はひさしくここに居残って附近の老人たちに宋家の様子をたずねてみた、心さびしく寂しくなっておもわず山河の方をむかってしまった。
淹留 ひさしくとどまる。○問耆老 耆老は附近の父老をさす。間とは之問の家の其の後の事情についてたずねること。○向山河 向こうとは自分がこれに対することをいう。

更識將軍樹,悲風日暮多。
これだけ荒れ果てたうえ、このあとわかったのは、その弟君、之悌公にちなんだ將軍樹も、夕方悲しき風ばかりが多く吹きわたっている。
将軍樹 後漢の鴻異は戦功があったが、功を論ずるときには独り樹下にしりぞいておったので、兵士たちは彼を大樹将軍といった。これはそれを借りて之問の弟の之悌をさす。題下の原注の員外季弟執金吾とは蓋し之悌をいう。之悌は勇力があり、開元中に右羽林将軍より益州長史、剣商節度使・兼探訪使となり、ついで太原尹に還っている。○悲風多 多とは樹上に多く吹くことをいう、これによれば時に之悌はすでに没していたことを知るのである。


宋之問 (そうしもん) 652~712 "宋 之問(そう しもん、656年?-712年あるいは713年)は中国初唐の詩人。
(690)楊炯とともに習芸館学士
(698)則天武后の寵臣である張易之兄弟に取り入り、尚方監丞として『三教珠英』の編集に参加。(これにも疑惑あり)
(705)瀧州(広東省)に流刑された
(706)ひそかに脱出して洛陽へ逃げ帰った。
(707)張沖之が朝廷に陰謀を企てていることを密告して、その功績で罪を許されて鴻臚主簿
(709)収賄の罪で越州(現浙江省紹興市)の長史に左遷
(710)欽州(現広東省)に流刑される
(712)「獪険盈悪」の罪により自殺刑を命じられた
 上記のほか人の詩を盗んだりして 評判の悪い人物である。王維はこの宗之問の長安郊外の別荘を購入し、杜甫は洛陽の宗之問の別荘の近くに陸渾荘を建てる。

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紀 頌之

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