杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

七言絶句

《軍城早秋》 厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500

 
 2014年7月25日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
39 《古風五十九首之三十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳271古風,五十九首之三十九登高望四海, <39> Ⅰ李白詩1199 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4543 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
418ー#2 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1114>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4554韓愈詩-418ー#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《軍城早秋》 厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-419《生查子一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-602-8-(419) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4557 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


《軍城早秋》厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500

 

 

厳武《軍城早秋》

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

 

 

詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻十四 

及地點:  的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博     

蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)     

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

------------------------------------------------------------------------------

軍城早秋(軍城の早秋) 厳武

 

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

安史の乱当時の勢力図 

軍城早秋』 現代語訳と訳註

(本文)

軍城早秋

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

(下し文)

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(訳注)

軍城早秋(軍城の早秋)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

764年、広徳二年七月の作。此の年、九月に厳武の軍は吐蕃七万余の衆を当狗城に破り、遂に塩川城を収めた。詩はその二か月前に成ったのでこれより吐蕃を攻め破ろうとの意気込みでよんだものである。

○軍城 軍務中の城、成都の城をいう。

 

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

○昨夜 ゆうべ、必ずしも、ただちに前日の夜をさすというわけではない。

○漢関 漢地の関、唐の吐蕃境に接する関をいう。

○朔雲 北方よりのくも、雪雲のこと。

○辺雪 辺境の雪、「雪」の字を或は「月」に作る、月は月光をいう、雪の意はすでに朔雲のうちにこもっているので「月」の字が妙に思われる。

○西山 雪山をさす、すでにしばしばみえる。

 

更催飛将追臨虜莫遣沙場匹馬還

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

○更催 更とはこれまでよりももっとということ、催は催促。

○飛将 湊の武帝の時の名将李広を称して旬奴はこれを飛将軍といった、その兵をやることの神速なことをいうのである、ここは部下の将軍をさしていう。

○臨虜 えびすにのぞむ、吐蕃をさす。

○遣 俗用、「して1-せしむる」こと。

○沙場 沙漠をいう、ここは単に戦場をいう。

〇匹馬 一匹の馬さえもの意、敵の馬についていう。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。
題新津北橋棲00 

740 《惠義寺園送辛員外》 蜀中転々 杜甫 <647>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3545 杜甫詩1000-647-903/1500〔草堂逸詩拾遺-(16)〕

杜甫《惠義寺園送辛員外》 君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。
 

2014年1月4日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(45)#17-2 文選 賦<112―45>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩999 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3543
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《瀧吏》嶺南行(4)-7韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <912>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3544韓愈詩-237
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 740 《惠義寺園送辛員外》 蜀中転々 杜甫 <647>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3545 杜甫詩1000-647-903/1500〔草堂逸詩拾遺-(16)〕
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 244  《東都遭春》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3546 (01/04)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 10 -3 謁金門一首 牛學士希濟(牛希濟)ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-400-10-#3 牛學士希濟十一首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3547
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

740 《惠義寺園送辛員外》 蜀中転々 杜甫 <647>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3545 杜甫詩1000-647-903/1500〔草堂逸詩拾遺-(16)

 

 

 

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 七言 

詩題: 惠義寺園送辛員外〔草堂逸詩拾遺-(16)

及地點:  惠義寺 (劍南道北部 梓州 )     

交遊人物: 辛員外 當地交遊(劍南道北部 梓州 )

 

 

掲 載; 杜甫1000首の647首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-903回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(16)

惠義寺園送辛員外

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。 

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。 

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

桜桃002 

 

『惠義寺園送辛員外』 現代語訳と訳註

(本文)

惠義寺園送辛員外

朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。 

萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。 

 

 

(下し文)

惠義寺の園 辛員外を送る

朱櫻 此日 朱實を垂る, 郭外 誰が家に 郭田を負わんか。 

萬里 相い逢い握手を貪り, 高才 卻て筵を離るを足らんとするを望む。 

 

(現代語訳)

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

 

 

(訳注)

惠義寺園送辛員外

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

 

朱櫻 此日 垂 朱實 ,郭外 誰家 負郭田 。

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

「朱櫻」桜桃【おうとう】のこと。1㋐バラ科サクラ属の落葉小高木。晩春、葉より先に白い花をつけ、6月ごろ、球形で紅色の果実がなる。中国の原産で、日本へは明治初期に渡来。みざくら。しなみざくら。㋑食用になる桜ん坊。、中国には昔から華北・華中を中心に、支那桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)・唐実桜(カラミザクラ)がある。口に含んで食べることから一名を含桃といい[5]、漢の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5月)の条に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」との記述がある。

「郭外」城郭都市(じょうかくとし)とは周囲を堀、土塁、城壁(市壁)などの防御施設によって囲んだ都市をいう。囲郭都市、城塞都市ともいい、城壁で囲んでいる場合は特に城壁都市をいう。

「郭田」 城郭内にある田畑。

 

 

萬里 相逢 貪 握手 ,高才 卻望 足離筵 。

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

「萬里」おそらく長安で知り合っていたものであろう。長安から見て万里の先で出会ったことを云う。

「貪握手」久しぶりに出会ったことで手を取り合って喜びあったのだろう。

「離筵」別離の宴席。 
珠櫻001 

723 《答楊梓州》 蜀中転々 杜甫 <630>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3460 杜甫詩1000-630-886/1500

《答楊梓州》春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。


2013年12月18日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(28)#10-3 文選 賦<112―28>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩982 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3458
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《論佛骨表》(12)#8-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <895>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3459韓愈詩-227-12
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 723 《答楊梓州》 蜀中転々 杜甫 <630>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3460 杜甫詩1000-630-886/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 227  《洛橋晚望》 孟郊  唐宋詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3461 (12/18)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 7 浣溪紗八首 其五 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-383-9-#7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3462
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

723 《答楊梓州》 蜀中転々 杜甫 <630  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3460 杜甫詩1000-630-886/1500


詩 題:答楊梓州
作時:763 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の630首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-886回目 

杏の白花012 



 

卷別: 卷二二八  文體: 七言

作地點: 漢州(劍南道北部 / 漢州 / 漢州

及地點: 梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)     

交遊人: 楊梓州

掲 載; 杜甫1000首の630首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-886回目   40985

763年春、漢州(四川省広漢縣)に行ったときの作。この池は即ち房琯公池で房琯か相を罷めて後、漢州の刺史となって来て掘らせた池。房琯この春召しかえされて刑部尚書に進められたが、途中疾にあい、八月、閬州の客舎で死んだ。杜甫とは関係のふかい政治家であった。

この詩は房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。いろいろ諷刺の意味に解されているが、このままでも可愛いいうたである。

同時期に下記をつくる

・陪王漢州留杜綿州泛房公西湖

・舟前小鵝兒

・得房公池鵝

・答楊梓州

 

 

●陪王漢州留杜綿州泛房公西湖〔房琯刺漢州時所鑿。〕

舊相恩追後,春池賞不稀。

闕庭分未到,舟楫有光輝。

豉化蓴絲熟,刀鳴鱠縷飛。

使君雙皁蓋,灘淺正相依。

(王漢州が杜甫を留まるようにいわれ綿州にお供する際に房琯公の作った西池に舟を泛べる。)

〔房琯公が漢州の刺使の時に鑿った所。〕

前の宰相の今は亡き房琯公の御恩にたいしてのお礼にここに来た。房琯公の掘った春の池は素晴らしいもので稀にでも見られるものではないのである。

東宮の皇太子の粛宗から貶められたのちに召されたがその途中で病死した。ここでは舟の楫をとる水面は春の日に輝き照らされている。

大豆黄巻の豆はなり、蓴菜も取れごろであり、料理人の包丁の音が鳴り、鱠も糸のように調理され、おおざらにならべられてとぶようにしてはこばれてくる。

王漢州使君と舟屋に二つ並んで繋ぎ、そして中州に行き、浅瀬に、まさに一緒に行動する。

(王漢州が杜を留めて陪し、綿州房公西湖に泛ぶ〔房琯刺の漢州の時、鑿をとる所。〕)

舊相 恩 後を追い,春池 賞 稀れならず。

闕庭【さくてい】分れて未だ到らず,舟楫【しゅうとう】光輝有り。

豉化【かか】蓴絲【せんし】熟し,刀鳴は鱠縷【かいい】飛ばす。

使君 皁蓋【そうがい】に雙ぶ,灘淺【たんせん】正に相い依る。

 

 

●舟前小鵝兒

〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕

鵝兒黃似酒,對酒愛新鵝。

引頸嗔船逼,無行亂眼多。

翅開遭宿雨,力小困滄波。

客散層城暮,狐狸奈若何。

(房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。)

〔杜甫が注を付す。漢州城の西北の官有地に作られた官が作った池で「房公湖」という。〕

鵞鳥のひなは黄色くて漢州の鵞黄酒のような色をしている。その酒を汲みかわして、その鵞鳥の子を可愛いく眺めている。

ひなは頸をのばして、舟が近づくのを怒ったり、行列もつくらず歩きまわって、見る人の目をチラチラさせる。

羽根は夜来の雨に遭うてささくれ立ち、まだ力がよわいので紋にぶっつかって困っている。

城が暮れて来て、遊客も散り果てたあと、またぞろ、狐狸のような群寇が出て来たら、それをどうしたらいいだろう。

(舟前【さき】の小鵝兒【しょうがじ】〔自注:漢州城西北の角の官池にて作る,官池は即ち房公湖という。〕)

鵝兒 黃なるは酒に似たり,酒に對すれば新鵝を愛す。

頸を引【のば】せば船の逼るを嗔【いか】り,行を無くせば眼を亂すこと多し。

翅 開けば宿雨に遭い,力 小【すくな】ければ滄波に困しむ。

客は散ず 層城の暮に,狐狸 若【なんじ】を奈何【いかん】せん。

 

●得房公池鵝

房相西亭鵝一群,眠沙泛浦白於雲。

鳳皇池上應迴首,為報籠隨王右軍。

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く浮ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

 

(房公池の鵝を得る)

房相 西亭 鵝の一群,沙に眠り 浦に雲を於き白くし泛ぶ。

鳳皇 池上 應に首を迴し,報を為す 王右軍を籠隨すと。

 

●答楊梓州

悶到房公池水頭,坐逢楊子鎮東州。

卻向青溪不相見,迴船應載阿戎遊。

(楊梓州刺史からの書簡に答える。)

長い間の漂泊生活の苦しみのなかで、房琯公の作られた池のほとりにやっと到った。ここでの生活する日常的にであったのが楊殿であり、彼は蜀の東側の州の乱れを鎮圧された。

こうして春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。

kimo003 

『答楊梓州』 現代語訳と訳註

(本文)

答楊梓州

悶到房公池水頭,坐逢楊子鎮東州。

卻向青溪不相見,迴船應載阿戎遊。

 

(下し文)

楊梓州に答える

悶到したのは房公の池水の頭に,坐ろに逢うは楊子が東州を鎮めしころだ。

卻て向うた青溪で相いに見まわざれば,船を迴して應載して阿戎として遊ばん。

 

(現代語訳)

(楊梓州刺史からの書簡に答える。)

長い間の漂泊生活の苦しみのなかで、房琯公の作られた池のほとりにやっと到った。ここでの生活する日常的にであったのが楊殿であり、彼は蜀の東側の州の乱れを鎮圧された。

こうして春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。

 

(訳注)

答楊梓州

(楊梓州刺史からの書簡に答える。)

直属の部下である梓州の留後の章彝との仲が良かった。

章梓州水亭

〔原注〕時漢中王乗道士席謙在合、同用荷字韻

城晚通雲霧,亭深到芰荷。

吏人橋外少,秋水席邊多。

近屬淮王至,高門薊子過。

荊州愛山簡,吾醉亦長歌。

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

692 《陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕》#1 蜀中転々 杜甫 <598  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3300 杜甫詩1000-598-854/1500

 

悶到房公池水頭,坐逢楊子鎮東州。

長い間の漂泊生活の苦しみのなかで、房琯公の作られた池のほとりにやっと到った。ここでの生活する日常的にであったのが楊殿であり、彼は蜀の東側の州の乱れを鎮圧された。

・悶 長い間の漂泊生活の苦しみを云う。1 もだえ苦しむ。「悶死・悶絶・悶悶/苦悶・煩悶」2 もつれる。「悶着」

・房公 房琯のこと。河湖地名(湖海池潭)、房公池。

・池 漢州城の西北の官有地に作られた官が作った池で「房公湖」という。

・東州 梓州の漢時代の名称。唐では剣南西道の東側(梓州、遂州、普州)をいう。

 

卻向青溪不相見,迴船應載阿戎遊

うして春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。

・青溪 梓州、綿州と漢州の境界近くの渓谷の名前。近くに靑渓関がある。春景色の靑渓関。

・阿戎 いとこ。堂弟。

花鴨004 

 

--------------------------------------------------------------------------------

◎房琯擁護事件について

杜甫は、天子の側近にあって国政に直接関わることのできる地位に就くことができたのである。

今こそ

  「致君堯舜上,再使風俗淳。」

  “君を堯と舜の上に致し、再び風俗をして淳あつからしめん”

『韋左丞丈に贈り奉る二十二韻』という年来の志を果たすことができようと、杜甫は身の引き締まる思いをしながらも、心からうれしかったのだ。

その左拾遺に任ずる詔書には、

 “襄陽の杜甫、爾の才徳は、朕深く之を知る。

  今、特に命じて宜義郎・行在の左拾遺と為す。

  職を授けし後は、宜しく是の職に勤めて怠る

  ことなかるべし。中書侍郎の張鎬に命じ、

  符をもたらして告論せしむ。

  至徳二載五月十六日行。”

とあり、杜甫は“宜しく是の職に勤めて怠ることなかるべき”ことを誓った。そうして数日ののち、拾遺の職務に忠実に諌諍を行なったが、粛宗の激怒によって危うく一命を失いそうになる。

 

 諌諍の内容は、杜甫が左拾遺を授けられる六日前、すなわち757年五月十六日に宰相から太子少師の閑職に左遷された房琯の弁護であった。房琯は、蜀にある玄宗のもとから派遣されて粛宗の政府の宰相となっていたが、陳陶斜と青坂での敗戦の責任は、粛宗の信任あつい李泌のとりなしによってなんとか問われなかったものの、粛宗の信頼は失われてしまっていた。また、賀蘭進明・崔円ら粛宗直属の臣と、玄宗のもとから遺わされてきた者との対立、知識人宰相として実務家官僚たちと意見が合わず孤立していた、などという事情を背景とし、直接には、房琯の取り巻きの一人である楽師が宰相への口利き料を取っていたのが露見して収賄罪で告訴され、それを房琯が救けようとした、ということが原因となって左遭されたものであった。

 

 杜甫にとって房琯は、私的には「布衣の交わりを為す」(『新唐書』杜甫伝)つまり地位の上下をぬきにしたつき合いをしていた人であったようであるし、また公的には、新政府の宰相として彼以上の人物はいないと信じていたために、房棺が左遷されたのを、そのまま見過ごしておくことはできなかった。そうして、政府内の事情もよくわからないままに、また左拾遺としての慣例などおかまいなしに、わが思うままを述べたてて、「罪は細なり。宜しく大臣を免ずべからず」(『新唐書』杜甫伝)と奏上した。それは実情を考慮することなく、理想に向かって突っ走ろうとする、

いかにも杜甫らしい行動であった。

 

 職務に忠実とはいえ、僭越過ぎる諫諍をしたものである。朝廷とは行在所で粛宗も皇帝としての実績もなく、叛乱軍に対する政策も方針も確固たるものがなかった時期である。確かに、戦力を整えるときで人材を豊富にし、集積にして行かなければいけない時であった。粛宗の好みで近臣を選定していたのである。したがって、好みでないものは左遷された。そうであっても、成りたての新米、朝廷内のなにもわからないものが、云うべき問題であったのか、疑問は残る。それと、杜甫がせっかく擁護した房琯のその後の態度姿勢は擁護に値する人間ではなかったのである。ただ、玄宗皇帝にうまく取り入っていた男に過ぎなかったのではないのか。そうした意味で杜甫の一生をかけていうべき問題ではなかったというのが結果論である。

 

 粛宗はこの時、杜甫を玄宗派出なく自派の陣営として左拾位に任命したのである。玄宗の指令を受けてきて素行のよろしくないとされている房琯を誰もが援護するとは思ってもみなかった。なりよりも、陳陶、青坂の戦いは軍を率いた将軍として不甲斐無さ過ぎた。玄宗から派遣されたものでなければ将軍に抜擢されていないはずである。近親が必要な段階であった。房琯のおつきの楽師が賄賂を採ったとは、宦官の仕組んだ罠のようなものであったのだとは思うが、この段階で、その房琯を擁護するのは、どう考えても僭越を通り過ぎている。杜甫を、粛宗が信用するはずはなく、将来がなくなるのは当り前であろう。すべて宦官のしくんだ罠にはまったのである。玄宗も、粛宗も一番信頼できたのは、宦官勢力であった。事実宦官に寄って王朝は守られ維持できたのである。この読みの違いは杜甫にとってはどうしようもない失策であった。杜甫自身も一回朝廷の地位に付けば先祖に対する名分は立ったと考えたのかもしれない。ある意味で覚悟した言動行動であったのかもしれないし、杜甫の中では、玄宗元皇帝の影響力がまだ残っていると考えていたのかもしれない。杜甫の人生の中のエポックになる事件であった。しかし杜甫はこの事件について、その後も反省はしていない。  

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

杜甫《得房公池鵝》それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

2013年12月17日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(27)#10-2 文選 賦<112―27>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩981 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3453
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 6 浣溪紗八首 其四 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-382-9-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3457
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

 

 

詩 題:得房公池鵝

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

kimo003 

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

詩題: 得房公池鵝 

作地點: 漢州(劍南道北部 / 漢州 / 漢州

及地點:  房公湖 (劍南道北部 漢州 漢州) 別名:房公西湖、房公池、官池     

掲 載; 杜甫1000首の629首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-885回目

763年春、漢州(四川省広漢縣)に行ったときの作。この池は即ち房琯公池で房琯か相を罷めて後、漢州の刺史となって来て掘らせた池。房琯この春召しかえされて刑部尚書に進められたが、途中疾にあい、八月、閬州の客舎で死んだ。杜甫とは関係のふかい政治家であった。

この詩は房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。いろいろ諷刺の意味に解されているが、このままでも可愛いいうたである。

同時期に下記をつくる

・陪王漢州留杜綿州泛房公西湖

・舟前小鵝兒

・得房公池鵝

 

陪王漢州留杜綿州泛房公西湖

(王漢州が杜甫を留まるようにいわれ綿州にお供する際に房琯公の作った西池に舟を泛べる。)

〔房琯刺漢州時所鑿。〕

〔房琯公が漢州の刺使の時に鑿った所。〕

舊相恩追後,春池賞不稀。

前の宰相の今は亡き房琯公の御恩にたいしてのお礼にここに来た。房琯公の掘った春の池は素晴らしいもので稀にでも見られるものではないのである。

闕庭分未到,舟楫有光輝。

東宮の皇太子の粛宗から貶められたのちに召されたがその途中で病死した。ここでは舟の楫をとる水面は春の日に輝き照らされている。

豉化蓴絲熟,刀鳴鱠縷飛。

大豆黄巻の豆はなり、蓴菜も取れごろであり、料理人の包丁の音が鳴り、鱠も糸のように調理され、おおざらにならべられてとぶようにしてはこばれてくる。

使君雙皁蓋,灘淺正相依。

王漢州使君と舟屋に二つ並んで繋ぎ、そして中州に行き、浅瀬に、まさに一緒に行動する。

(王漢州が杜を留めて陪し、綿州房公西湖に泛ぶ〔房琯刺の漢州の時、鑿をとる所。〕)

舊相 恩 後を追い,春池 賞 稀れならず。

闕庭【さくてい】分れて未だ到らず,舟楫【しゅうとう】光輝有り。

豉化【かか】蓴絲【せんし】熟し,刀鳴は鱠縷【かいい】飛ばす。

使君 皁蓋【そうがい】に雙ぶ,灘淺【たんせん】正に相い依る。

 

 

舟前小鵝兒

(房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。)

〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕

〔杜甫が注を付す。漢州城の西北の官有地に作られた官が作った池で「房公湖」という。〕

鵝兒黃似酒,對酒愛新鵝。

鵞鳥のひなは黄色くて漢州の鵞黄酒のような色をしている。その酒を汲みかわして、その鵞鳥の子を可愛いく眺めている。

引頸嗔船逼,無行亂眼多。

ひなは頸をのばして、舟が近づくのを怒ったり、行列もつくらず歩きまわって、見る人の目をチラチラさせる。

翅開遭宿雨,力小困滄波。

羽根は夜来の雨に遭うてささくれ立ち、まだ力がよわいので紋にぶっつかって困っている。

客散層城暮,狐狸奈若何。

城が暮れて来て、遊客も散り果てたあと、またぞろ、狐狸のような群寇が出て来たら、それをどうしたらいいだろう。

(舟前【さき】の小鵝兒【しょうがじ】〔自注:漢州城西北の角の官池にて作る,官池は即ち房公湖という。〕)

鵝兒 黃なるは酒に似たり,酒に對すれば新鵝を愛す。

頸を引【のば】せば船の逼るを嗔【いか】り,行を無くせば眼を亂すこと多し。

翅 開けば宿雨に遭い,力 小【すくな】ければ滄波に困しむ。

客は散ず 層城の暮に,狐狸 若【なんじ】を奈何【いかん】せん。

 

得房公池鵝

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

房相西亭鵝一群,眠沙泛浦白於雲。

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く浮ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

鳳皇池上應迴首,為報籠隨王右軍。

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

 

(房公池の鵝を得る)

房相 西亭 鵝の一群,沙に眠り 浦に雲を於き白くし泛ぶ。

鳳皇 池上 應に首を迴し,報を為す 王右軍を籠隨すと。

杏の花0055 

 

『得房公池鵝』 現代語訳と訳註

(本文)

得房公池鵝

房相西亭鵝一群,眠沙泛浦白於雲。

鳳皇池上應迴首,為報籠隨王右軍。

 

 

(下し文)

(房公の池の鵝を得る)

房相 西亭 鵝の一群,沙に眠り 浦に雲を於き白くし泛ぶ。

鳳皇 池上 應に首を迴し,報を為す 王右軍を籠隨すと。

 

(現代語訳)

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く浮ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

 成都遂州00

(訳注)

得房公池鵝

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

房琯は鵞鳥がコビナをよく面倒見て成長させるように立派な指導者であったものを、粛宗はそのグループを根こそぎ冷遇し、王朝軍を弱体化させ、ウイグルの援軍を頼りにした。安史軍を打ち破ることが出来たが、大いにに禍根を残したのである。

 

房相西亭 一群 ,眠沙 泛浦 於雲

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く泛ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

 

鳳皇池上 迴首 ,為報 籠隨 王右軍

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

「王右軍」王羲之(晉)。中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である

王羲之は幼い頃から鵞鳥が大好きであった。ある日のこと、一軒の家の前を通ると、鵞鳥の鳴き声が聞こえてきたので、譲って欲しいと頼んだところ、一人の老婆が出て来てこれを断った。翌日、鳴き声だけでも聞かせてもらおうと、友人の一人を伴って、老婆の家に赴いた。この姿を家の窓から見つけた老婆は、すぐさま鵞鳥を焼いて食ってしまった。そして、老婆は彼に「鵞鳥は今食ってしまったところだよ」と答え、羲之は大変がっかりし、一日中溜め息をついていた。それから数日後、鵞鳥をたくさん飼っている所を教えてくれる人がおり、その人に山の向こうの道観に案内され、道士に「一羽でもいいから譲って欲しい」と頼んだところ、道士はこの人が王羲之と知って、「老子の道徳経を書いて下さるなら、これらの鵞鳥を何羽でもあなたに差し上げます」と申した。彼は鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ、それを持参して行って鵞鳥を貰い、ずっと可愛がったという。

杜甫像0012 

704 《投簡梓州幕府兼簡韋十郎官【投簡梓州幕府兼簡韋十郎】》 蜀中転々 杜甫<611>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3365 杜甫詩1000-611-867/1500

杜甫(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状) 梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。


2013年11月29日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(9)#3-3 文選 賦<112―9>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩963 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3363
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <876>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3364韓愈詩-221ー#2
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 704 《投簡梓州幕府兼簡韋十郎官【投簡梓州幕府兼簡韋十郎】》 蜀中転々 杜甫<611>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3365 杜甫詩1000-611-867/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 88 李陵 《與蘇武詩三首 其一》古詩源 文選 漢詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3366 (11/29)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 河瀆神 三首其三 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-364-1-#70  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3367
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

704 《投簡梓州幕府兼簡韋十郎官【投簡梓州幕府兼簡韋十郎】》 蜀中転々 杜甫<611  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3365 杜甫詩1000-611-867/1500

 

 

詩 題:投簡梓州幕府兼簡韋十郎官〔投簡梓州幕府兼簡韋十郎〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

作地點: 漢州(劍南道北部 / 漢州 / 漢州

及地點: 梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)     

交遊人: 韋十郎官 書信往來(劍南道北部 梓州 梓州)

掲 載; 杜甫1000首の611首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-867回目

 

 

投簡梓州幕府兼簡韋十郎官

(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状)

幕下郎官安穩無,從來不奉一行書。 

梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。

固知貧病人須棄,能使韋郎跡也疏。 

もとより知っていることは、人というのは、貧しいこと、持病がちなことなどはすべて棄て去りたいものである。よく使いたいことは、韋十郎の書跡をたどることでありただそれがうといだけであるのだ。

(梓州幕府に投簡するに兼ねて簡韋十郎官にす)

幕下 郎官 安穩するは無く,從來 一行の書も奉らず。 

固と 貧病 人 須らく棄つるを知るものなり,能く使うは韋郎 跡 也【た】だ疏きを。 

 文具-峡

 

『投簡梓州幕府兼簡韋十郎官』 現代語訳と訳註

(本文)

投簡梓州幕府兼簡韋十郎官

幕下郎官安穩無,從來不奉一行書。 

固知貧病人須棄,能使韋郎跡也疏。 

 

(下し文)

(梓州幕府に投簡するに兼ねて簡韋十郎官にす)

幕下 郎官 安穩するは無く,從來 一行の書も奉らず。 

固と 貧病人須らく棄つるを知るものなり,能く使うは韋郎 跡 也【た】だ疏きを。 

 

 

(現代語訳)

(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状)

梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。

もとより知っていることは、人というのは、貧しいこと、持病がちなことなどはすべて棄て去りたいものである。よく使いたいことは、韋十郎の書跡をたどることでありただそれがうといだけであるのだ。

 

(訳注)

投簡梓州幕府兼簡韋十郎官

(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状)

 

幕下 郎官 安穩 ,從來 不奉 一行

梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。

「郎官」韋十郎書記官。

「安穩」安寧平穏。

「從來」これまで(今昔)、從來。

 

 

固知 貧病 須棄 ,能使 韋郎 也疏。

もとより知っていることは、人というのは、貧しいこと、持病がちなことなどはすべて棄て去りたいものである。よく使いたいことは、韋十郎の書跡をたどることでありただそれがうといだけであるのだ。

「固知」もともと知っていること。

「貧病」1 貧乏と病気。貧しい人と病人。2 貧しいことを病気にたとえていう語。

「韋郎」韋十郎官。

「跡」書記官の使命は綺麗な字体の書であることをいう。

 詩人李白5x5

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 》 蜀中転々 杜甫 <610>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

杜甫《戲作寄上漢中王,二首之二》そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。



2013年11月28日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(8)#3-2 文選 賦<112―8>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩962 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3358
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <875>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3359韓愈詩-221ー#1
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 》 蜀中転々 杜甫 <610>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 87蘇武 《詩四首 其四》 古詩源  漢詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3361 (11/28)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 河瀆神 三首其二 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-363-1-#69  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3362
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

 

 

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:  梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑 ・東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山     

交遊人物: 李瑀  

掲 載; 杜甫1000首の610首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-866回目

 

natsusora01 



戲作寄上漢中王,二首之二
〔自注:王新誕明珠。〕

謝安舟楫風還起,梁苑池臺雪欲飛。 

東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。

杳杳東山攜漢妓,泠泠修竹待王歸。 

そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。

miyajima0033221107930 

『戲作寄上漢中王,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕

謝安舟楫風還起,梁苑池臺雪欲飛。 

杳杳東山攜漢妓,泠泠修竹待王歸。 

 

(下し文)

戲れに作り漢中王に寄せ上る,二首の二〔自ら注す:王 新らたに明珠誕る。〕 

謝安 舟楫 風 還た起き,梁苑 池臺 雪 飛んと欲す。 

杳杳たり東山漢妓を攜さえ,泠泠たり竹を修し王歸るを待す。 

 

 (現代語訳)

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の二。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。

そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。

 

(訳注)

戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の二。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。一年前にも同様な題の詩を作る。

643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500
639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

 640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

 

謝安 舟楫 還起 ,梁苑 池臺 欲飛

東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。

「謝安」東晋の名宰相。字は安石。陳郡陽夏(河南省太康県)が本籍の人であるが,会稽(浙江省)上虞(じようぐ)に寓居して,早くから大人物と目されながら王羲之らと風流自適の生活を楽しみ,40歳を過ぎてはじめて出仕した。中央に地位を占めてからは,東晋を奪おうとする桓温(かんおん)の野望をくじき,383(太元8)には甥の謝玄らを派遣して,南下する前秦苻堅(ふけん)の大軍を淝水(ひすい)に破った(淝水の戦)。行書にも巧みで教養豊かな彼のおおらかな政治のやり方は,貴族政治の典型とされる。晋の謝安が東山の彼を愛した故事から出たもの。過去女もそういう時期もあった。李白『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』「攜妓東山去。 春光半道催。遙看若桃李。 雙入鏡中開。」送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
池閣は、謝霊運の「池塘生春草」
謝霊運の「池塘生春草」にかけて、池堀に春草の生ずるようになったという春情にかける意がある。

謝安の芸妓を携えて東山
始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。

「梁苑」洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。梁苑 梁園に同じ、開封の街をいう。李白『秋浦寄

我今尋陽去。辭家千里余。結荷倦水宿。卻寄大雷書。

雖不同辛苦。愴離各自居。我自入秋浦。三年北信疏。

紅顏愁落盡。白發不能除。有客自梁苑。手攜五色魚。

開魚得錦字。歸問我何如。江山雖道阻。意合不為殊。

秋浦寄内 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-243-350

梁園吟 まとめ 李白42

李白42 梁園吟
「池臺」語義類別:地、自然景觀、水澤湖泊、池亭臺樓閣。

 

杳杳 東山 漢妓 ,泠泠 修竹 王歸

そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。

「杳杳」 冥冥と同じく、暗い意。

「東山攜妓」李白詩『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈「攜妓東山去。」とあり、謝安の故事を引用したものである。 

「泠泠」自然界聲音、泠泠とあるのは、世情を落ち着かせること。

「修竹」たけの長短を調整すること、施政者としての役割を果たすことを云う。

「王」漢中王。
tsuki04 

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 》 蜀中転々 杜甫 <609>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

杜甫《戲作寄上漢中王,二首之一》雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。


2013年11月27日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(7)#3-1 文選 賦<112―7>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩961 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3353
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》最終回(27)-#25韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <874>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3354韓愈詩-220-#25
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 》 蜀中転々 杜甫 <609>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 86蘇武 《詩四首 其三》 古詩源 漢詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3356 (11/27)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 河瀆神 三首其一 温庭筠 ⅩⅫ唐五代詞Gs-362-1-#68 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3357
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

 

 

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕  

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

交遊人: 李瑀 書信往來

掲 載; 杜甫1000首の609首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-865回目   40964

 

 

戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の一。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新。 

雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。

秋風嫋嫋吹江漢,祗在他何處人。 

秋風がひゅうひゅうと漢水や長江下流域の地域にも強く吹くようになって、ただあることは、この他郷の何処かのひとになっているだけなのだ。

戲れに作り漢中王に寄せ上る,二首の一〔自ら注す:王 新らたに明珠誕る。〕 

雲裡 雙雁の過るを聞かざるに,掌中 一珠の新たなるを貪り見る。 

秋風 嫋嫋【じょうじょう】として江漢に吹き,祗だ在るは 他 何處の人。 

 

 蜀中転々圖

 

『戲作寄上漢中王,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 

雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新。 

秋風嫋嫋吹江漢,祗在他何處人。 

 

 

(下し文)

戲れに作り漢中王に寄せ上る,二首の一〔自ら注す:王 新らたに明珠誕る。〕 

雲裡 雙雁の過るを聞かざるに,掌中 一珠の新たなるを貪り見る。 

秋風 嫋嫋【じょうじょう】として江漢に吹き,祗だ在るは 他 何處の人。 

 

(現代語訳)

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の一。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。

秋風がひゅうひゅうと漢水や長江下流域の地域にも強く吹くようになって、ただあることは、この他郷の何処かのひとになっているだけなのだ。

 

(訳注)

戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の一。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。一年前にも同様な題の詩を作る。

643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500
639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

 640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

 

 

雲裡 不聞 雙雁 ,掌中 貪見 一珠

雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。

 

秋風 嫋嫋 江漢 ,祗在 何處

秋風がひゅうひゅうと漢水や長江下流域の地域にも強く吹くようになって、ただあることは、この他郷の何処かのひとになっているだけなのだ。

「秋風」秋も深まって、風霜雪露が南下する。

「嫋嫋」1 風がそよそよと吹くさま。2 長くしなやかなさま。

「江漢」長江、漢水。

葭 あし002 

 

--------------------------------------------------------------------------------

(含異文)

雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新【掌中貪看一珠新】。

秋風嫋嫋吹江漢,祗在他何處人。  

671 《官池春雁,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <577>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3195 杜甫詩1000-577-833/1500

《官池春雁,二首之二》青青とした春の盛りになると いつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

 

2013年10月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
司馬相如《上林賦 》(24)―#9-2  文選 賦<110-#9-2>13分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩929 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3193
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
《次硤石》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <842>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3194韓愈詩-214
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor671 《官池春雁,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <577>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3195 杜甫詩1000-577-833/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor菩薩蠻七首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-330-6-#57-(21)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3197
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠
671

《官池春雁,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <577  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3195 杜甫詩1000-577-833/1500

 

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 官池春雁,二首之一 

及地點:  房公湖 (劍南道北部 漢州 漢州) 別名:房公西湖、房公池、官池     

 

 

官池春雁,二首之一

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

自古稻粱多不足,至今鸂鶒亂為群。 

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

且休悵望看春水,更恐歸飛隔暮雲。 

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

官の池春の雁,二首の一

古より稻粱 多く足りず,今に至る 鸂鶒 亂れて群を為す。 

且く休む 悵望して 春水を看るを,更に恐れる 歸り飛びて暮雲を隔てるを。

 

官池春雁,二首之二

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その二)

青春欲盡急還紫塞寧論尚有霜。 

青青とした春の盛りになると いつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

翅在雲天終不遠,力微矰繳須防。 

この強い羽があるので、雲がつづくこの大空であってもそんなに遠いとは思わない。ちからはわずかなものであるかもしれないが、萬里長城だけでなく鳥捕獲の仕掛け網は絶対用いてこの国を防衛して欲しいものだ。

 

(官の池 春の雁,二首の二)

青春 盡く急いでに還んと欲し,紫塞 寧論 尚お霜有り。 

翅は雲天に在れど終に遠からず,力 微なれど 矰繳 防を須いてつ。 

banri01 1 

『官池春雁,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

官池春雁,二首之二

青春欲盡急還紫塞寧論尚有霜。 

翅在雲天終不遠,力微矰繳須防。 

 

 

(下し文)

(官の池 春の雁,二首の二)

青春 盡く急いで還んと欲し紫塞 寧論 尚お霜有り。 

翅は雲天に在れど終に遠からず,力 微なれど 矰繳 防を須いて 

 

 

(現代語訳)

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その二)

青青とした春の盛りになると いつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

この強い羽があるので、雲がつづくこの大空であってもそんなに遠いとは思わない。ちからはわずかなものであるかもしれないが、萬里長城だけでなく鳥捕獲の仕掛け網は絶対用いてこの国を防衛して欲しいものだ。

 

 

(訳注)

官池春雁,二首之二

北から南へ飛んでくる雁を吐蕃に喩えて批判し、防衛軍に激励している詩である。官池とは節度使の軍営を指すものである。

『房湖園』: 広漢県城の広漢公園にあり、房琯は唐の玄宗のときに丞相を勤め、ねたまれ漢州刺史に左遷され、西湖(房公西湖)と城湖(房湖)を開削した。

 

青春 欲盡急 ,紫塞 寧論 尚有霜

青青とした春の盛りになるといつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

「青春」青青とした春の盛りになること。

「紫塞」關津地名(關隘)、萬里長城。異民族から守ってくれる絶対的存在のもの。

 

 

翅在 雲天 終不遠 ,力微 矰繳 須防

この強い羽があるので、雲がつづくこの大空であってもそんなに遠いとは思わない。ちからはわずかなものであるかもしれないが、萬里長城だけでなく鳥捕獲の仕掛け網は絶対用いてこの国を防衛して欲しいものだ。

「矰繳」 カスミ網。《「射()(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

 

 蜀中転々圖

670 《官池春雁,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <576>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3190 杜甫詩1000-576-832/1500

《官池春雁,二首之一》今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

 

2013年10月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
司馬相如 《上林賦 》(23)―#9-1  文選 賦<110-#9-1>13分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩928 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3188
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
《宿神龜招李二十八、馮十七》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <841>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3189韓愈詩-213
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor670 《官池春雁,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <576>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3190 杜甫詩1000-576-832/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor江城子二首 其二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-329-6-#57-(20)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3192
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠
670

《官池春雁,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <576  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3190 杜甫詩1000-576-832/1500

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 官池春雁,二首之一 

寫及地點:  房公湖 (劍南道北部 漢州 漢州) 別名:房公西湖、房公池、官池     

 

 

官池春雁,二首之一

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

自古稻粱多不足,至今鸂鶒亂為群。 

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

且休悵望看春水,更恐歸飛隔暮雲。 

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

官の池春の雁,二首の一

古より稻粱 多く足りず,今に至る 鸂鶒 亂れて群を為す。 

且く休む 悵望して 春水を看るを,更に恐れる 歸り飛びて暮雲を隔てるを。

 

 

官池春雁,二首之二

青春欲盡急還紫塞寧論尚有霜。 

翅在雲天終不遠,力微矰繳須防。 

花鴨003 

 

『官池春雁二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

官池春雁,二首之一

自古稻粱多不足,至今鸂鶒亂為群。 

且休悵望看春水,更恐歸飛隔暮雲。 

 

 

(下し文)

官の池春の雁,二首の一

古より稻粱 多く足りず,今に至る 鸂鶒 亂れて群を為す。 

且く休む 悵望して 春水を看るを,更に恐れる 歸り飛びて暮雲を隔てるを。 

 

 

(現代語訳)

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

 

 

(訳注)

官池春雁,二首之一

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

鴛鴦のように連合軍としていたウイグル軍や、北から南へ飛んでくる雁を吐蕃に喩えて批判し、防衛軍に激励している詩である。官池とは節度使の軍営を指すものである。

『房湖園』: 広漢県城の広漢公園にあり、房琯は唐の玄宗のときに丞相を勤め、ねたまれ漢州刺史に左遷され、西湖(房公西湖)と城湖(房湖)を開削した。 

 

自古 稻粱 不足 ,至今 鸂鶒 為群

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

「古」(今昔)、古。

「稻粱」いねと大粒粟。稻:水稲・晩稲・陸稲。(漢)穀物。粱:大粒のアワ。安史軍に対して援軍をウイグルに求めたためにたいそうな利権を与えてしまったことを云う。

「鸂鶒」おしどり。ここでは、安史軍を征伐するために連合軍としていたウイグル軍のことを指す。

『江頭五詠:鸂鶒』

故使籠寬織,須知動損毛。

看雲莫悵望,失水任呼號。

六翮曾經剪,孤飛卒未高【孤飛只未高】。

且無鷹隼慮,留滯莫辭勞。

江頭五詠:鸂鶒 蜀中転々 杜甫 <521  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2800 杜甫詩1000-521-754/1500

「亂」安史軍を滅ぼしたら、ウイグル軍は各地で略奪をほしいままにした。そこに、吐蕃が付け込んで攻め入ったのである。長安の代宗は河南陝州に逃げたのである

 

 

且休 悵望 春水 ,更恐 歸飛 暮雲

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

「悵望」うらめしくながめる。

「春水」春の雪解け水で増水した河川をあらわす。吐蕃、ウイグルは山から、北から攻め入ってきたことを云う。。

「歸飛」吐蕃が攻め込んだために代宗は逃げたことを示す。
nat0001

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。(2015/3/3改訂)
 

2013年8月19日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
揚雄 《甘泉賦 》(8)#3-2 文選 賦<108-(8)#3-2>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩861 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2853
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#3>Ⅱ中唐詩774 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2854
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 寡婦 曹丕(魏文帝) 魏詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 2856 (08/19)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 淸平樂(三) 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-262-5-#16  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2692
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html  
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html  
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html  
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html  
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html  
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html  
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。  
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。  
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html  
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html  
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html  
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。  
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。  
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500  

 

詩 題:

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の531首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-765回目   40864

 

 

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶

(厳武中丞が青城山の道士がこしらえた乳酒一瓶をもたせて送ってくれたことについて感謝を述べた詩)

山瓶乳酒下青雲,氣味濃香幸見分。

さすがに靑城山に酒甕を持ってのぼり、乳酒をいれて雲の下に降りてくるほどのお酒であり、雰囲気や味は濃厚であり香りもよく、幸せなことにこのようなお酒にめぐり会えてのみわけることが出来きました。

鳴鞭走送憐漁父,洗盞開對馬軍。

それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。

 

(嚴中丞に謝して青城山の道士 乳酒一瓶をもって送る)

山瓶 乳酒 青雲に下り,氣味 濃香 幸にして見分する。

鞭を鳴らして走送し漁父を憐み,盞を洗して開馬軍に對す。

王屋山01 

 

『謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶』 現代語訳と訳註

(本文)

山瓶乳酒下青雲,氣味濃香幸見分。

鳴鞭走送憐漁父,洗盞開對馬軍。

 

(下し文)

(嚴中丞に謝して青城山の道士 乳酒一瓶をもって送る)

山瓶 乳酒 青雲に下り,氣味 濃香 幸にして見分する。

鞭を鳴らして走送し漁父を憐み,盞を洗して開馬軍に對す。

 

(現代語訳)

(厳武中丞が青城山の道士がこしらえた乳酒一瓶をもたせて送ってくれたことについて感謝を述べた詩)

さすがに靑城山に酒甕を持ってのぼり、乳酒をいれて雲の下に降りてくるほどのお酒であり、雰囲気や味は濃厚であり香りもよく、幸せなことにこのようなお酒にめぐり会えてのみわけることが出来きました。

それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。

 

 

(訳注)

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶

(厳武中丞が青城山の道士がこしらえた乳酒一瓶をもたせて送ってくれたことについて感謝を述べた詩)

・青城山 青城山は中國道教發源地の一で、蜀における道教名山の一である。四川省都江堰市西南(地図B-5)に位置し,古くは「丈人山」とよばれていた,成都市の西方68km,都江堰水利施設から10kmみなみにある。主峰は老霄頂といい、海拔1600m。四川の名山としては、劍門の險、峨嵋の秀、夔門の雄と並び称される。「青城天下の幽」ということで美しい山とされている。

『贈虞十五司馬』

交態知浮俗,儒流不異門。

過逢聯客位,日夜倒芳尊。

沙岸風吹葉,雲江月上軒。

百年嗟已半,四座敢辭喧。

書籍終相與,青山隔故園。

交態 浮俗を知り,儒流 門の異ならず。

過逢して 客位に聯なり,日夜 倒芳 尊ぶ。

沙岸 風吹の葉,雲江 月軒に上る。

百年 嗟已に半なり,四座 敢えて辭喧す。

書籍 終に相い與り,青山 故園を隔つ。

贈虞十五司馬 成都5-(10-2) 杜甫 <463-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2265 杜甫詩1000-463-#2-647/1500 

『丈人山』

自為青城客,不唾青城地。

為愛丈人山,丹梯近幽意。

丈人祠前佳氣濃,綠雲擬住最高峰。

掃除白發黃精在,君看他時冰雪容。

(丈人山)

自ら青城の客と為し,「不唾」は青城の地なり。

為に丈人山を愛し,丹梯 幽意に近し。

丈人 祠前にして佳氣濃く,綠雲 住に擬う 最高峰に。

白發を掃除しては「黃精在」あり,君看るや 他時 冰雪の容を。

丈人山 成都5-(8) 杜甫 <461  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2250 杜甫詩1000-461-644/1500

『赴青城縣出成都寄陶王二少尹』

老被樊籠役,貧嗟出入勞。

客情投異縣,詩態憶吾曹。

東郭滄江合,西山白雪高。

文章差底病,回首興滔滔。

(成都を出で青城縣に赴く陶・王二少尹に寄す)

老いて 樊籠【はんろう】の役を被い,貧して 出入の勞を嗟【なげ】く。

客情 異縣に投じ,詩態 吾曹に憶う。

東郭 滄江に合い,西山 白雪高し。

文章は底病に差【たが】い,首を回らせば興 滔滔【とうとう】たり。

赴青城縣出成都寄陶王二少尹 成都5-(4) 杜甫 <457  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2230 杜甫詩1000-457-640/1500

・乳酒 家畜の乳を発酵させてつくった酒。乳に含まれる乳糖を酵母で発酵させると,アルコール1%前後の酒ができるが,乳酸菌による乳酸発酵も併行しておこるため酸味を呈する。中央アジアの遊牧民族の間で古くから飲まれていた酒で,《隋書突厥伝(ずいしよとつくつでん)》(636)に馬乳酒を飲む風俗が記録され,唐代の詩人杜甫(712770)も〈山瓶(さんびよう)の乳酒青雲より下る〉とうたっている。カフカス山地のケフィール(ケフィア)は馬,羊,ヤギ,牛の乳にケフィールグレインと呼ぶある種の植物種子を加えて発酵させたアルコール性乳酸飲料である。

 

山瓶乳酒下青雲,氣味濃香幸見分。

さすがに靑城山に酒甕を持ってのぼり、乳酒をいれて雲の下に降りてくるほどのお酒であり、雰囲気や味は濃厚であり香りもよく、幸せなことにこのようなお酒にめぐり会えてのみわけることが出来きました。

見分 1 実際に立ち会って検査すること。調べ見届けること。「立地条件をする」2 見かけ。みてくれ。外見。

 

鳴鞭走送憐漁父,洗盞開對馬軍。

それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。

・漁父 隠遁者のお相手が猟師か漁師である。かれらにはこの乳酒がないので憐れと云った。

馬軍 馬に乗った兵士。騎兵。騎馬民族の飲むお酒であるから、騎兵に対抗できるといったもので、杜甫の三段論法の冗談である。
題新津北橋棲00 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一絕,奉答二絕,二首之二蜀中転々 杜甫 <530>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

嚴公雨中見寄一奉答兩,二首之二 ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

2013年8月18日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
揚雄 《甘泉賦 》(7)#3-1 文選 賦<108-(7)#3-1>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩860 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2848
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#2>Ⅱ中唐詩773 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2849
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 中丞嚴公雨中垂寄見憶一絕,奉答二絕,二首之二蜀中転々 杜甫 <530>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 擬魏太子鄴中集詩八首  《平原侯值》 謝靈運 六朝詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 2851 (08/18)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 淸平樂 (二) 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-261-5-#15  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2687
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html  
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html  
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html  
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html  
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html  
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html  
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。  
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。  
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html  
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html  
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html  
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。  
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。  
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150


 

 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二蜀中転々 杜甫 <530  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

 

 

卷別: 卷二二七  文體: 七言  

詩題: 中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二【嚴公雨中見寄一奉答兩,二首之二】 

交遊人物/地點: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 
  

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の二)

何日雨晴雲出溪,白沙青石先無泥。

何日のことだったのか、雨が晴れても雲は、谷から出て空に浮かんでいた、濯錦江の中洲の白沙があり、澄んだ水に石があり、まず泥などはない。

只須伐竹開荒徑,倚杖穿花聽馬嘶。

ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の二) 

何の日か雨か晴か 雲は溪より出づ,白沙 青石 先んずは無泥なり。

只だ須く竹を伐り荒徑を開き,杖に倚りて花を穿ち馬の嘶きを聽く。

 

 

『中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

竹林0021何日雨晴雲出溪,白沙青石先無泥。

只須伐竹開荒徑,倚杖穿花聽馬嘶。

 

詩文(含異文)

何日雨晴雲出溪,白沙青石先無泥【白沙青石洗無泥】。只須伐竹開荒徑,倚杖穿花聽馬嘶【拄杖穿花聽馬嘶】【拄杖穿花聽鳥啼】【倚杖穿花聽鳥啼】。 

 

 

(下し文)

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の二) 

何の日か雨か晴か 雲は溪より出づ,白沙 青石 先んずは無泥なり。

只だ須く竹を伐り荒徑を開き,杖に倚りて花を穿ち馬の嘶きを聽く。

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の二)

何日のことだったのか、雨が晴れても雲は、谷から出て空に浮かんでいた、濯錦江の中洲の白沙があり、澄んだ水に石があり、まず泥などはない。

ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

 

 

(訳注)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の二)

○厳中丞 厳武。

 

何日 雨晴 出溪 ,白沙 青石 無泥

何日のことだったのか、雨が晴れても雲は、谷から出て空に浮かんでいた、濯錦江の中洲の白沙があり、澄んだ水に石があり、まず泥などはない。

 

 

只須 伐竹 荒徑 ,倚杖 穿花 馬嘶

ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

★杜甫は厳武のことが大好きであった。この詩はそれが最もよくわかる詩である。

この詩の鑑賞は何度も読み返すとわかると思う。この二首は杜甫の詩集の中ではマイナーなものとされているが杜甫の人となりがよくわかるものであること、このブログの読者の方には理解していただきたいと願っている。
杜甫像0012 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一絕,奉答二絕,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

厳武に絶句二首之一 春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。


2013年8月17日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
揚雄 《甘泉賦 》 文選 賦<108-(6)#2-2>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩859 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2843
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166>Ⅱ中唐詩772 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2844
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 中丞嚴公雨中垂寄見憶一絕,奉答二絕,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 淸平樂(一) 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-260-5-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2682
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html  
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html  
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html  
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html  
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html  
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html  
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。  
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。  
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html  
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html  
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html  
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。  
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。  
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

 

杜甫詩1000-529-763/1500            

詩題:中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の529首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-763回目   40862

 

 

作者: 杜甫 

皇帝紀年: 寶應元年 

寫作時間: 762 

寫作年紀: 51 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一【嚴公雨中見寄一奉答兩,二首之一】 

交遊人物/地點: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

詩文:

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

 

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 
 

 くちなしの花






『中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

 

詩文(含異文)

雨映行宮辱贈詩【雨映行官辱贈詩】【雨映行雲辱贈詩】,元戎肯赴野人期【元戎欲動野人知】。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

 

 

(下し文)

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴むくとこの野人の私と約束をしてくれました。

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

 

 

(訳注)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

○厳中丞 厳武。杜甫は厳武について、これまでも多く詩に詠っている。

相逢歌贈嚴二別駕 楽府(七言歌行) 成都6-(23) 杜甫 <485  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2565 杜甫詩1000-485-707/1500

遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-4) 杜甫 <475-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2500 杜甫詩1000-475-#4-694/1500

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1472 杜甫詩 700- 455

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187

奉和嚴中丞西城晚眺十韻 蜀中転々 杜甫 <505-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2715 杜甫詩1000-505-#1-737/1500

奉和嚴中丞西城晚眺十韻 蜀中転々 杜甫 <505-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2720 杜甫詩1000-505-#2-738/1500

嚴中丞枉駕見過 嚴中丞枉駕見過【案:自注:嚴自東川除西川,敕令兩川都節制。】 蜀中転々 杜甫 <506  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2725 杜甫詩1000-506-739/1500

 

 

雨映 行宮 贈詩 ,元戎 肯赴 野人

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

「行宮」成都尹である厳武が入る役所を指す。蜀の国の宮殿であった。「明皇出蜀,以行宮為道觀。」(明皇が蜀を出立され,それ以降成都にある宮殿は玄宗に因んだ道教の寺観となっていた。)

「辱」謙遜語。

「詩」絶句の詩のこと。

「元戎」元帥。厳武のこと。この段階では剣南西川節度使は別のものが幕府としていた。

「野人」杜甫のこと。隠棲しているものを野人と云い、しばしば使う。

「期」約束。

 

 

江邊 老病 雖無力 ,強擬 晴天 釣絲

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

「江邊」浣花渓草堂の前を流れる濯錦江のこと。

「強擬」から元気。

「釣絲」釣り糸を垂れること。釣りのポイントがいくつもあったようだ。

 成都関連地図 00

戲為六絕句,六首之六 蜀中転々 杜甫 <518>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2785 杜甫詩1000-518-751/1500

杜甫《戲為六句,六首之五 諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。


2013年8月5日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
蘇武 《詩四首 其三》#2 古詩源  詩<102-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩847 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2783
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#17>Ⅱ中唐詩760 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2784
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 戲為六絕句,六首之六 蜀中転々 杜甫 <518>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2785 杜甫詩1000-518-751/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 燕刺王旦・昭帝 《詩》   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2786 (08/05)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 菩薩蠻 二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-248-5-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2622
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

戲為六句,六首之六 蜀中転々 杜甫 <518>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2785 杜甫詩1000-518-751/1500

 

 

 

6 戲為六句,六首之六

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん六番目)

未及前賢更勿疑,遞相祖述複先誰。

諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。

別裁偽體親風雅,轉益多師是汝師。

しかし特別に風雅の正体と風雅の精神を得ない偽体とは区別せねばならぬ、そしてその偽体はこれをきりすてて正体には親しむ。かくしていよいよ我が師とするものが多ければ多いほど、これが諸君にとっての真の良師なのである。

蛺蝶02 















 

『戲為六句,六首之六』 現代語訳と訳註

(本文)

未及前賢更勿疑,遞相祖述複先誰。

別裁偽體親風雅,轉益多師是汝師。

 

 

(下し文)

未だ前賢に及ばざるも更に疑うこと勿れ、遽【たがい】に相祖述す復誰をか先にせん。

別に債饅を裁して風雅に親しむ、轉【うた】た益【ますま】す 多師なるは是れ汝が師なり。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん六番目)

諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。

しかし特別に風雅の正体と風雅の精神を得ない偽体とは区別せねばならぬ、そしてその偽体はこれをきりすてて正体には親しむ。かくしていよいよ我が師とするものが多ければ多いほど、これが諸君にとっての真の良師なのである。

 

 

 

(訳注)

戲為六句,六首之六

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん六番目)

すべての良いものはみな師とすべしということの意をのべる。此の第六首により、杜甫が古今の諸長を集めて大成した所以を知ることができる。

 

 

未及前賢更勿疑,遞相祖述複先誰。

諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。

○前賢 第一首の前賢とは語は同じであるが意は異なる、ここは前代の作家をさす。

○祖述 祖として述べる、後人はその前代作家の作品を祖師としてこれに従って我が思想をのぺる。

○先誰 「誰をか先にせん」とは「誰をか先にし、また誰をか後にせん」との意である、甲乙の間に必ずしも優劣の差異を甚しくつけないことをいぅ、つまりいやしくも一長あるものは皆祖述すべしとのいみである。

 

 

別裁偽體親風雅,轉益多師是汝師。

しかし特別に風雅の正体と風雅の精神を得ない偽体とは区別せねばならぬ、そしてその偽体はこれをきりすてて正体には親しむ。かくしていよいよ我が師とするものが多ければ多いほど、これが諸君にとっての真の良師なのである。

○別 特別に。此の語は前代のものすべてを祖述すべしというのではないということを注意したものである。旧解に区別する意としているが、今は従わぬ。

○裁 刀でたってすてる。

○偽体 風雅にそむいているにせのすがた。富貴の者が詩文を買い取り発表するということが多くあったこと。

 01housenjidou02

戲為六絕句,六首之五 蜀中転々 杜甫 <517>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2780 杜甫詩1000-517-750/1500

杜甫《戲為六句,六首之五理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。


2013年8月4日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
蘇武 《詩四首 其三》#1 古詩源  詩<102-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩846 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2778
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#16>Ⅱ中唐詩759 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2779
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 戲為六絕句,六首之五 蜀中転々 杜甫 <517>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2780 杜甫詩1000-517-750/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 歌 華容夫人   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2781 (08/04)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 

戲為六句,六首之五 蜀中転々 杜甫 <517>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2780 杜甫詩1000-517-750/1500

 

 

1戲為六句,六首之一

(戲れということで六句をつくってみた,六首の一番目)

庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。

北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。

今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。

今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。

 

 

2 戲為六句,六首之二

(戲れということで六句をつくってみた,六首の二番目)

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。

初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。

爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。

汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。

つきぬごとくすたることのないものなのである。

 

3戲為六句,六首之三

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

 

4 戲為六句,六首之四

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

 

 

5 戲為六句,六首之五

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

 kairo10682

 








『戲為六
句,六首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

戲為六句,六首之五

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

 

 

(下し文)

今人を薄んぜず古人を愛せば、清詞麗句必ず隣を為す。

稿かに屈宋を攣じ宜しく駕を方ぶべし、恐らくは斉梁と後塵と作らん。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

 

 

(訳注)

5戲為六句,六首之五

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

古今を併せてしかも理想をたかくもつべきことをいった。

 

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

○薄 さげすんでみること。

○今人 比較的近代の人をさす、四傑の如きもこれである。

○古人 庾信をはじめ六朝以上の人々はみな古人である。

○為隣 わが手もとぢかくにあることをいう。

 

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

○攀 古代の人ゆえたかくよじのぼるといった。

○屈宋 屈原、宋玉。

〇方駕 車をひく馬がかじ棒をそろえてはしるようにする。

○與齊梁 与とは「於て」というのに似る、比較の辞である。

○作後塵 後塵とは車がはしるとき風下におこるちりほこりをいう、後塵と作るとは後塵を拝する人となることをいう、斉・梁は六朝の中期で文学が最も華麗綺靡となり、しかも雄健の風が衰えた時期である。
sas0033 

 

戲為六絕句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775 杜甫詩1000-516-749/1500

杜甫《戲為六句,六首之三今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。


2013年8月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
 LiveDoor
蘇武 《詩四首 其二》#2 古詩源  詩<101-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩845 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2773
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#15>Ⅱ中唐詩758 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2774
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor戲為六句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775 杜甫詩1000-516-749/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2安世房中歌十七首(其17) 唐山夫人   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2776 (08/03)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性LiveDoor梅 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-213-79-#73  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2612 薛濤最終回
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 


 

 

戲為六句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775

杜甫詩1000-516-749/1500

 

 

作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

掲 載; 杜甫1000首の516首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-749回目   40848

 

 

4 戲為六句,六首之四

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

 

 

『戲為六句,六首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

 

(下し文)

才力 応に数公を誇【まさ】り難かるべし、凡そ今誰か是れ出群の雄なる。

或は看る翡翠【ひすい】蘭苕【らんちょう】の上、未だ鯨魚を掣せず碧海【そうかい】の中。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

 

 

(訳注)

戲為六句,六首之四 

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

今人の中に大文豪のないことをいう。暗に自己の理想をのべた。

 

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

○才力 文学者の才能力量。

○誇 こえることをいう。

○数公 庚信や、初唐四傑の輩をさす。

○出章雄 抜葦の英雄。

○碧海 青い海。青海原。大海。

 

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

○翡翠 かわせみの鳥、その羽毛がうつくしい。

○蘭苕 らんのはなぶさ、此の句は作品の華麗なのにたとえる。六朝から続く、華麗華美、艶閨の詩を云う。

○掣 ひいでひしぐことをいう。

○鯨魚 いさな、海中の大魚、此の句は作品-の雄健なことにたとえる。

戲為六絕句,六首之三 蜀中転々 杜甫 <515>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2770 杜甫詩1000-515-748/1500

戲為六句,六首之三とえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

 

2013年8月2日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
蘇武 《詩四首 其二》#1 古詩源  詩<101-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩844 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2768
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#14>Ⅱ中唐詩757 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2769
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 戲為六絕句,六首之三 蜀中転々 杜甫 <515>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2770 杜甫詩1000-515-748/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 贈楊蘊中 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-245-111-#101  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2607
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


戲為六
句,六首之三 蜀中転々 杜甫 <515>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2770 杜甫詩1000-515-748/1500

 

 

1(戲れということで六句をつくってみた,六首の一番目)

北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。

今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。

戲れに六句を為る,六首の一

庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。

今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。

 

 

2 戲為六句,六首之二

(戲れということで六句をつくってみた,六首の二番目)

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。

初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。

爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。

汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。

つきぬごとくすたることのないものなのである。

 

3戲為六句,六首之三

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

 

縦【たと】い盧王【ろおう】をして翰墨【かんぼく】を操ること、漢魏の風騒に近きより劣らしむるも。

竜文 虎脊【こせき】皆 君が馭なり、歴塊【れきかい】過都【かと】爾が曹を見ん。

 

 

『戲為六句,六首之三』  現代語訳と訳註

(本文)

戲為六句,六首之三

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

 

 

(下し文)

縦【たと】い盧王【ろおう】をして翰墨【かんぼく】を操ること、漢魏の風騒に近きより劣らしむるも。

竜文 虎脊【こせき】皆 君が馭なり、歴塊【れきかい】過都【かと】爾が曹を見ん。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

岳陽樓詩人0051

















 

 

(訳注)

戲為六句,六首之三

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

此の第三首は初唐四傑を弁護する点で第二首と似ている。

 

 

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

縱使 この二字は次句までへかかる。

盧王 前詩にみえる、ここは慮王をいって楊齢をいわないがすべて四傑についていったものであろう。

操翰墨 ふでとすみをとる、文章をつづることをいう。○漢魏近風騷 風騒は「詩経」の詩には〇風で編纂しているをさしていう、騒は『楚辞、離騒』で屈原宋玉らの韻文をいう。漢覿時代の作品は風騒のおもかげがあると称せられる。

 

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

龍文虎脊 駿馬の姿をいう、四傑を駿馬にたとえる、竜文の語は「漢書」西域伝費にみえ、虎青は漢の「天馬歌」にみえる。

君馭 駁は御におなじ、馬をあやつること、ここはあやつるのにたえるものの意、君の字は人君をさすとする説と一般人をさすとする説とがあるが、余は一般人とみる。

塊過都 漢の王褒の「聖主ノ賢臣ヲ得ル頒」の「都ヲ過ギ国ヲ越エルトキハ蹴(ツマズ)クコト塊ヲ歴ルガ若シ」に本づく。ただしここはつまずくという意に用いたもののごとくである、「都を過ぐるとき塊を歴てつまずくごとく」といぅほどの意。

爾曹 軽薄文士の四傑をわらう者をさす。

戲為六絕句,六首之二 蜀中転々 杜甫 <514>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2765 杜甫詩1000-514-747/1500

杜甫《戲為六絕句,六首之二》  汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。


2013年8月1日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
蘇武 《詩四首 其一》#2 古詩源  詩<100-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩843 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2763
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#13>Ⅱ中唐詩756 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2764
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 戲為六絕句,六首之二 蜀中転々 杜甫 <514>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2765 杜甫詩1000-514-747/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 安世房中歌十七首(其15) 唐山夫人   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2766 (08/01)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 牡丹 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-244-110-#100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2602
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

千畳敷0010戲為六絕句,六首之二 蜀中転々 杜甫 <514>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2765 杜甫詩1000-514-747/1500


作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の513首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-746回目   40845
作年: 寶應元年  762年  51歲 
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句 
詩題: 戲為六絕句,六首之一 

戯鳥六絶句(戯れに六絶句を為る)
作者が戯れにつくった六首の絶句である。しかしまじめな文学上の議論をのべるために戯れと云って主旨を和らげるというものである。

詩文:

戲為六絕句,六首之一
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。

今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。
戲れに六絕句を為る,六首の一
庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。
今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。


2 戲為六絕句,六首之二
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の二番目)
楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。
初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。
爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。
奉先寺005汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。
つきぬごとくすたることのないものなのである。

戲れに六絕句を為る,六首の二
楊王 盧駱 当時の体、軽薄 文を為って、哂うて未だ休まず。
爾が曹身 名と供に滅す、廃せず 江河 万古の流れ。


『戲為六絕句,六首之二』  現代語訳と訳註
(本文)

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。
爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。


(下し文)
(戲れに六絕句を為る,六首の二)
楊王 盧駱 当時の体、軽薄 文を為って、哂うて未だ休まず。
爾が曹身 名と供に滅す、廃せず 江河 万古の流れ。


(現代語訳)
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の二番目)
初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。
汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。


(訳注)
戲為六絕句,六首之二
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の二番目)
此の第二首は初唐四傑をわるくいう文士をそしった。

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。
初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。
○楊王盧駱 楊烱・王勃・盧照鄰・駱賓王、初唐の四傑と称される文学者。唐の則天武后の時代のすぐれた詩人4人,王勃(おうぼつ)(649‐676),楊炯(ようけい)(650‐695?),盧照鄰(ろしようりん)(637‐689),駱賓王(らくひんのう)(640?‐684?)をいう。略して王楊盧駱。


爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。
汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。
○軽薄 軽薄の文士をいう。
○爾曹 汝ら、軽薄文士をさす。
○江河万古流 四傑の作品をたとえていう。

戲為六絕句,六首之一 蜀中転々 杜甫 <513>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2760 杜甫詩1000-513-746/1500

杜甫《戲為六絕句,六首之一》 北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。


2013年7月31日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩842 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2758
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#12>Ⅱ中唐詩755 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2759
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 戲為六絕句,六首之一 蜀中転々 杜甫 <513>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2760 杜甫詩1000-513-746/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 安世房中歌十七首(其14) 唐山夫人   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2761 (07/31)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 寄舊詩與元微之 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-243-109-#99  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2597
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


戲為六絕句,六首之一 蜀中転々 杜甫 <513>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2760 杜甫詩1000-513-746/1500


作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の513首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-746回目   40845
作年: 寶應元年  762年  51歲 
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句 
詩題: 戲為六絕句,六首之一 
詩文:


戲為六絕句,六首之一
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。
今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。
戲れに六絕句を為る,六首の一
庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。
今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。


海棠花021










『戲為六絕句,六首之一』 現代語訳と訳註
(本文)
庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。
今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。


(下し文)
戲れに六絕句を為る,六首の一
庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。
今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。


(現代語訳)
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。


(訳注)
戲為六絕句,六首之一
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
此の一首は庾信の詩文が素晴らしいこと、そしてそれを今の軽薄文士の無識をそしっている。 
杜甫『奉贈王中允維』
中允聲名久,如今契闊深。共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。窮愁應有作,試誦白頭吟。
(王中允維に贈り奉る)
中允声名久し、如今契閥深し。共に伝う庚信を収むと、此せず陳琳を得るに。
一癖明主に縁る、三年独り此の心。窮愁応に作有るなるべし、試みに謂す白頭吟。
奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

杜甫『春日憶李白』
白也詩無敵,飄然思不羣。清新庚開府,俊逸鮑參軍。
渭北春天樹,江東日暮雲。何時一尊酒,重與細論文。
(春の日に李白をおもう)
李白よ、君は詩に於てだれも匹敵するものがない、凡俗を超越しているその思想は世間なみの衆人と並べることはできない。
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。
今わたしは渭北の春の大空に立つ大樹を仰ぎ見ている、あなたははるか江東の日暮の雲をみている。
いつかまた一樽の酒を酌みかわそう、ふたたびあなたとくわしく詩文、作物について論じあうことができるだろうか。

春日憶李白 杜甫


庾信 文章 老 更成,凌雲 健筆 意 縱橫。
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
○庚信 本名、庾信(南朝梁)。庾信(ゆ しん、513年(天監12年) - 581年(開皇元年))は、中国南北朝時代の文学者。字は子山。南陽郡新野の人。庾肩吾の子。南朝の梁に生まれ、前半生は皇太子蕭綱(後の簡文帝)配下の文人として活躍した。侯景の乱後の後半生は、やむなく北朝の北周に身を置くことになり、代表作「哀江南賦」をはじめ、江南を追慕する哀切な内容の作品を残した。
○老更成 老年に至ってさらに成熟する。
○凌雲健筆 健筆凌旨耳に同じ。


今人 嗤點 流傳 賦 ,不覺 前賢 畏 後生 。
今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。
○今人 庾信の詩文がきれいで、作者と同時代の軽薄文士をさす。
○嗤點 ここがどう、かしこがどう、とわらってゆびざしする。嗤う:ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。③. つぼみが開く,花が咲く。  ④. 果実が熟して割れ目ができる。
○流伝賦 庚信の名作として伝えられつつある航、信には「衷江南賦」、「枯樹賦」など有名なものが多い。
○不覚 今人はこれをさとらぬ。
○前賢長後生 「論語」(子窂)に見える孔子のことば「後世長ル可シ」にもとづく、前賢とは前代の賢人で孔子をさす、後生はわかもの、後進の意。庾信は風雅の作者で、屈原、宋玉、漢魏の作者らに対するならば後生というべきであるが、しかし後生にも畏るべきものがあり、たとえば庾信の如きはそうである。
DCF00006

三絕句,三首之三 蜀中転々 杜甫 <512>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2755 杜甫詩1000-512-745/1500

《三絕句,三首之三》 家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)


2013年7月30日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#11>Ⅱ中唐詩754 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2754
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 絕句,三首之三 蜀中転々 杜甫 <512>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2755 杜甫詩1000-512-745/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 安世房中歌十七首(其13) 唐山夫人   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2756 (07/30)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 謁巫山廟 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-242-108-#98  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2592
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


三絕句,三首之三 蜀中転々 杜甫 <512>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2755 杜甫詩1000-512-745/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の512首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-745回目
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句 
詩題: 三絕句,三首之三 


詩文:
 
三絕句,三首
1   楸樹馨香倚釣磯,斬新花蕊未應飛。
    不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。

2   門外鸕鷀去不來,沙頭忽見眼相猜。
    自今已後知人意,一日須來一百回。

3   無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
    會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。



三絕句,三首之一
楸樹馨香倚釣磯、斬新花蕊未應飛。
楸の木々は芳しき香りを漂わせている、その木に寄りかかってここで岸辺に釣り糸を垂れる。咲き始めた新しい花弁はまだまだ飛び散ってはいない。
不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。
この庭に宴をしてなかなか酔えないのは、風が吹いて来て酔いを醒ますからだ。酔いがさめる時が我慢できるというのは雨が降ってくることがないほどであるからである。
楸【きささげ】の樹は馨【かお】り香【かぐわ】しくして 釣りばの磯【いそ】に倚り、斬新の花蕊【かずい】は 未だ応【まさ】に飛ぶべからず。
裏 醉うに如かず 風吹き盡す,醒むる時に忍ぶ可く 雨打つは稀れなり。


三絕句,三首之二
門外鸕鶿去不來,沙頭忽見眼相猜。
ここの門の外に河鵜が去って行きそして戻ってくることはない。川岸の砂浜のほとりに歩いていて猜疑心を持った目で、辺りを見ていることだろう。
自今已後知人意,一日須來一百回。
それが今のことであり、これから後は人の思いを知ることによってもうすることはないだろう。このカワウは一日に百回くらいは餌をとっていることだろう。

門外 鸕鶿【ろじ】 去りて來らず,沙頭 忽ち見 眼は相に猜【ねた】む。
今自り 已後 知人の意,一日 須らく 一百回も來る。


三絕句,三首之三

無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
数しれぬ春のたけのこが林の中いっぱいにはえている。柴の門をとざしたままだし、だれも門前をとおるものはいない。
會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。

それは最初からたたけのこの成長を看まもって竹にしあげるつもりだ。家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)

無数の春筍 満林生じ、柴門密かに掩うて入行断ゆ。
会ず須らく上番看て竹と成すべし、客至るも填るに従す出で迎えず。



『三絕句,三首之二』 現代語訳と訳註
孟浩然詩00(本文)
無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。

(下し文)
無数の春筍 満林生じ、柴門密かに掩うて入行断ゆ。
会ず須らく上番看て竹と成すべし、客至るも填るに従す出で迎えず。


(現代語訳)
数しれぬ春のたけのこが林の中いっぱいにはえている。柴の門をとざしたままだし、だれも門前をとおるものはいない。
それは最初からたたけのこの成長を看まもって竹にしあげるつもりだ。家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)


(訳注)
三 絶 句(其三)
竹林0021宝応元年の作。これは第三首目。春の笋をよんだもの。隠者には「訪ねて行って会えないもの」というのを訪ねられる側の面白さを詠ったもの、杜甫らしい作品として取り上げられることが多い作品である。


無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
数しれぬ春のたけのこが林の中いっぱいにはえている。柴の門をとざしたままだし、だれも門前をとおるものはいない。
○筍 たけのこ。
○密掩 ひとしれず門をとざしておく。
★杜甫の家の周りは竹林である。特に南隣とは竹林で隔離されている。柴門は西南方向にある。


會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。
それは最初から、たけのこの成長を看まもって竹にしあげるつもりだ。家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)
○会 必ず。
○上番 初回のこと、初回に出た筍のことをいう。
○看 みまもること。
○成竹 しあげて竹にする。
○客 来訪の賓客。
○従嗔 怒るにまかす。勝手に怒らせる。
○出迎 こちらがでむかえる。

--------------------------------------------------------------------------------
詩文(含異文):
無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
會須上番【案:去聲。】看成竹,客至從嗔不出迎。

三絕句,三首之二 蜀中転々 杜甫 <511>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2750 杜甫詩1000-511-744/1500

杜甫《三絕句,三首之二》 ここの門の外に河鵜が去って行きそして戻ってくることはない。川岸の砂浜のほとりに歩いていて猜疑心を持った目で、辺りを見ていることだろう。


2013年7月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
 LiveDoor
出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#10>Ⅱ中唐詩753 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2749
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor絕句,三首之二 蜀中転々 杜甫 <511>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2750 杜甫詩1000-511-744/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集Fc2安世房中歌十七首(其12) 唐山夫人   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2751 (07/29)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性LiveDoor江月樓 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-241-107-#97  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2587
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


三絕句,三首之二 蜀中転々 杜甫 <511>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2750 杜甫詩1000-511-744/1500 


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の511首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-744回目   40843
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句 
詩題: 三絕句,三首之二 
詩文:
 
三絕句,三首
1    楸樹馨香倚釣磯,斬新花蕊未應飛。
     不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。


2    門外鸕鷀去不來,沙頭忽見眼相猜。
     自今已後知人意,一日須來一百回。


3     無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
       會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。


三絕句,三首之一
楸樹馨香倚釣磯、斬新花蕊未應飛。
不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。
楸の木々は芳しき香りを漂わせている、その木に寄りかかってここで岸辺に釣り糸を垂れる。咲き始めた新しい花弁はまだまだ飛び散ってはいない。
この庭に宴をしてなかなか酔えないのは、風が吹いて来て酔いを醒ますからだ。酔いがさめる時が我慢できるというのは雨が降ってくることがないほどであるからである。
楸【きささげ】の樹は馨【かお】り香【かぐわ】しくして 釣りばの磯【いそ】に倚り、斬新の花蕊【かずい】は 未だ応【まさ】に飛ぶべからず。
裏 醉うに如かず 風吹き盡す,醒むる時に忍ぶ可く 雨打つは稀れなり。


門外鸕鶿去不來,沙頭忽見眼相猜。
ここの門の外に河鵜が去って行きそして戻ってくることはない。川岸の砂浜のほとりに歩いていて猜疑心を持った目で、辺りを見ていることだろう。
自今已後知人意,一日須來一百回。

それが今のことであり、これから後は人の思いを知ることによってもうすることはないだろう。このカワウは一日に百回くらいは餌をとっていることだろう。
門外 鸕鶿【ろじ】 去りて來らず,沙頭 忽ち見 眼は相に猜【ねた】む。
今自り 已後 知人の意,一日 須らく 一百回も來る。

鸕鶿002























『三絕句,三首之二』 現代語訳と訳註
(本文)
門外鸕鶿去不來【門外鸕鶿久不來】,沙頭忽見眼相猜。自今已後知人意,一日須來一百回。


(下し文)
門外 鸕鶿【ろじ】 去りて來らず,沙頭 忽ち見 眼は相に猜【ねた】む。
今自り 已後 知人の意,一日 須らく 一百回も來る。


(現代語訳)
ここの門の外に河鵜が去って行きそして戻ってくることはない。川岸の砂浜のほとりに歩いていて猜疑心を持った目で、辺りを見ていることだろう。
それが今のことであり、これから後は人の思いを知ることによってもうすることはないだろう。このカワウは一日に百回くらいは餌をとっていることだろう。


(訳注)
三絕句,三首之二
門外 鸕鶿 去 不來 ,沙頭 忽見 眼 相猜 。
ここの門の外に河鵜が去って行きそして戻ってくることはない。川岸の砂浜のほとりに歩いていて猜疑心を持った目で、辺りを見ていることだろう。
「鸕鶿」・鸕鶿 鵜のとり。中國古代より鵜飼が行われていた。カワウ(河鵜、川鵜、学名:Phalacrocorax carbo)は、ペリカン目(Sibley分類ではコウノトリ目に属する)、ウ科に分類される鳥類の一種。名前の由来は文字通り「川」に生息する「鵜」である。ただし、河川のみならず、河口付近や浅海域でも普通に見ることができる。・鸕鸂 う。鵜飼のこと。鴨ににて黒くのどが白い。水をくぐって魚をとらえるのが巧みである。魚玄機『江行 二首 其二』「煙花已入鸕鶿港,畫舸猶沿鸚鵡洲。醉臥醒吟都不覺,今朝驚在漢江頭。」
・鸂鶒 【けいせき】おしどり。兄弟の喩えにされる鳥。杜甫はよく使う。鸂鶒【けいせき】紫おしどり。謝霊運『鸂鶒賦』「覧水禽之萬族、信莫麗干鸂鶒。」(水禽之萬族を覧るに、信に干鸂鶒麗しきは莫し。)
『卜居』
浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。
ここでは妓女をカワウに比喩している。
「沙頭」川岸の砂浜のほとり。
「猜」そねむそねむ。ねたむ。うたがう。「猜忌・猜疑」


自今 已後 知 人意 ,一日 須來 一百 回 。
それが今のことであり、これから後は人の思いを知ることによってもうすることはないだろう。このカワウは一日に百回くらいは餌をとっていることだろう。


--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
門外鸕鶿去不來【門外鸕鶿久不來】,沙頭忽見眼相猜。
自今已後知人意,一日須來一百回。 

三絕句,三首之一 蜀中転々 杜甫 <510>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2745 杜甫詩1000-510-743/1500

宝応元年の作。
杜甫《三絕句,三首之一》楸の木々は芳しき香りを漂わせている、その木に寄りかかってここで岸辺に釣り糸を垂れる。咲き始めた新しい花弁はまだまだ飛び散ってはいない。

2013年7月28日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
LiveDoor
出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#12>Ⅱ李白に影響を与えた詩839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2743
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#9>Ⅱ中唐詩752 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2744
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor 絕句,三首之一 蜀中転々 杜甫 <510>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2745 杜甫詩1000-510-743/1500 
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什 劉禹錫 薛濤関連  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-240-106-#96  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2582
 
 ■最近の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

三絕句,三首之一 蜀中転々 杜甫 <510>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2745 杜甫詩1000-510-743/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の510首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-743回目   
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句  
詩題:

 三絕句,三首之一  
1 楸樹馨香倚釣磯,斬新花蕊未應飛。
不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。

2 門外鸕鷀去不來,沙頭忽見眼相猜。
自今已後知人意,一日須來一百回。

3 無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。

楸001


















三絕句,三首之一
楸樹馨香倚釣磯、斬新花蕊未應飛。
楸の木々は芳しき香りを漂わせている、その木に寄りかかってここで岸辺に釣り糸を垂れる。咲き始めた新しい花弁はまだまだ飛び散ってはいない。
不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。
この庭に宴をしてなかなか酔えないのは、風が吹いて来て酔いを醒ますからだ。酔いがさめる時が我慢できるというのは雨が降ってくることがないほどであるからである。
楸【きささげ】の樹は馨【かお】り香【かぐわ】しくして 釣りばの磯【いそ】に倚り、斬新の花蕊【かずい】は 未だ応【まさ】に飛ぶべからず。
裏 醉うに如かず 風吹き盡す,醒むる時に忍ぶ可く 雨打つは稀れなり。


『三絕句,三首之一』 現代語訳と訳註
(本文) 
楸002三絕句,三首之一
楸樹馨香倚釣磯、斬新花蕊未應飛。
不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。



(下し文)
楸【きささげ】の樹は馨【かお】り香【かぐわ】しくして 釣りばの磯【いそ】に倚り、斬新の花蕊【かずい】は 未だ応【まさ】に飛ぶべからず。
裏 醉うに如かず 風吹き盡す,醒むる時に忍ぶ可く 雨打つは稀れなり。


(現代語訳)
楸の木々は芳しき香りを漂わせている、その木に寄りかかってここで岸辺に釣り糸を垂れる。咲き始めた新しい花弁はまだまだ飛び散ってはいない。
この庭に宴をしてなかなか酔えないのは、風が吹いて来て酔いを醒ますからだ。酔いがさめる時が我慢できるというのは雨が降ってくることがないほどであるからである。


(訳注)
三絕句,三首之一
楸樹 馨香 倚 釣磯 ,斬新 花蕊 未應 飛 。
楸の木々は芳しき香りを漂わせている、その木に寄りかかってここで岸辺に釣り糸を垂れる。咲き始めた新しい花弁はまだまだ飛び散ってはいない。
「楸」アカメガシワの古名 - トウダイグサ科の落葉高木。 キササゲの古名 - ノウゼンカズラ科の落葉高木。
・「斬新」趣向や発想などがきわだって新しいさま。
・「花蕊」花の雄しべと雌しべの総称。木の下で男が待っている。そこに薫り高い妓女が近づいてくる。杜甫には珍しい男女のことについてのものである。

不如 醉裡 風 吹盡 ,可忍 醒時 雨打 稀 。
この庭に宴をしてなかなか酔えないのは、風が吹いて来て酔いを醒ますからだ。酔いがさめる時が我慢できるというのは雨が降ってくることがないほどであるからである。
「忍」①がまんする。ひとめをさける。
「醒」酔いがさめる。寝醒める。男女の性行為の後。
「雨」陰雨。性行為を意味している。
「稀」少し。 
 

--------------------------------------------------------------------------------
詩文(含異文): 
楸樹馨香倚釣磯,斬新花蕊未應飛。
不如醉裡風吹盡【不如醉裡春風盡】,可忍醒時雨打稀【何忍醒時雨打稀】。  

重贈鄭鍊 蜀中転々 杜甫 <504>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2710 杜甫詩1000-504-736/1500

杜甫 《重贈鄭鍊》 鄭君は地方官をやめて郷里へ歸ろうとしている。清廉な人物なので、その旅嚢の中には特別に親御へのみやげにさしあげられるようなものは一つもないのだ。


2013年7月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#2>Ⅱ中唐詩745 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2709
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor重贈鄭鍊 蜀中転々 杜甫 <504>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2710 杜甫詩1000-504-736/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor吳使君 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-233--#89  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2712
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


重贈鄭鍊  蜀中転々 杜甫 <504>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2710 杜甫詩1000-504-736/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の504首目 蜀中転々-場面
杜甫ブログ1500回予定の-736回目
卷別: 卷二二六  文體: 七言絕句 
詩題: 重贈鄭鍊 
寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 
寫及地點:  襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽     
交遊人物/地點: 鄭鍊 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)


詩文:

重贈鄭鍊
(贈別鄭鍊赴襄陽」に重ねてこの別れに贈る詩)
鄭子將行罷使臣,囊無一物獻尊親。
鄭君は地方官をやめて郷里へ歸ろうとしている。清廉な人物なので、その旅嚢の中には特別に親御へのみやげにさしあげられるようなものは一つもないのだ。
江山路遠羇離日,裘馬誰為感激人。
これから山と川を越えて故郷に帰る遠い旅にたたれる日に当たって、軽袋をつけ肥馬にまたがるような富貴の人人のあいだで、この人物の清貧に感動して援助の手をさしのべられる人はいないのだろうか。
 
重ねて鄭鍊に贈る
鄭子 將に行かんとして 使臣を罷む,囊に一物の尊親に獻ずる無し。
江山 路遠し 羇離の日,裘馬 誰か感激の人為らん。


月明峡01











『重贈鄭鍊』 現代語訳と訳註
(本文)
重贈鄭鍊
鄭子將行罷使臣,囊無一物獻尊親。
江山路遠羇離日,裘馬誰為感激人。


(下し文)
重ねて鄭鍊に贈る
鄭子 將に行かんとして 使臣を罷む,囊に一物の尊親に獻ずる無し。
江山 路遠し 羇離の日,裘馬 誰か感激の人為らん。


(現代語訳)
(贈別鄭鍊赴襄陽」に重ねてこの別れに贈る詩)
鄭君は地方官をやめて郷里へ歸ろうとしている。清廉な人物なので、その旅嚢の中には特別に親御へのみやげにさしあげられるようなものは一つもないのだ。
これから山と川を越えて故郷に帰る遠い旅にたたれる日に当たって、軽袋をつけ肥馬にまたがるような富貴の人人のあいだで、この人物の清貧に感動して援助の手をさしのべられる人はいないのだろうか。


(訳注)
重贈鄭鍊
(贈別鄭鍊赴襄陽」に重ねてこの別れに贈る詩)
・鄭鍊 杜甫の知人。人物については不明。成都で地方官をしていたが郷里の襄陽に帰って親を見るという人物である。別に「鄭銃が某陽に赴くに贈別す」という題の五言律詩がある。『贈別鄭鍊赴襄陽』  蜀中転々 杜甫 <503>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2705 杜甫詩1000-503-735/1500


鄭子 將行 罷使臣 ,囊無 一物 獻 尊親 。
鄭君は地方官をやめて郷里へ歸ろうとしている。清廉な人物なので、その旅嚢の中には特別に親御へのみやげにさしあげられるようなものは一つもないのだ。
鄭子」 鄭鍊(唐)。
・使君 使君は、州郡の長官。
」旅のための故荷物入れの袋。
」みやげ物。
「尊親」親人眷屬、尊親。
・鄭錬 人物は不明。杜甫の知人、成都あたりで地方官をしていたのが、辞任して襄陽の郷里へ帰って親を省するのを詩を作って送った。
・使臣 地方の郡県の官。
・嚢 袋。旅の荷物をいれる。それに一物もないことは、在官中、清廉潔白で清貧に甘んじていることを示す。
・窮離 旅をする身上をいう。


江山 路遠 羇離 日 ,裘馬 誰為 感激 人 。
これから山と川を越えて故郷に帰る遠い旅にたたれる日に当たって、軽袋をつけ肥馬にまたがるような富貴の人人のあいだで、この人物の清貧に感動して援助の手をさしのべられる人はいないのだろうか。
・「江山」嘉陵江を昇って漢水流域に入って襄陽に下ってゆく。
裘馬 裘は軽い皮ごろも。軽裘肥馬は富貴の人をいう。論語・蕹也篇に「赤の斉に適くや、肥馬に乗り軽裘を衣る」とある。
感激人 感動して援助を惜しまぬ人。感激は激に感ずること。激は極端な清廉の行動。

024

李司馬橋成,高使君自成都回 七言絶句 成都5-(42) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2420 杜甫詩1000-467-678/1500

杜甫 《李司馬橋成,高使君自成都回》 こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。

2013年5月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首 幷序 謝靈運 六朝魏詩<77-#1> 774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2418
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。北湖 韓愈(韓退之) <126>Ⅱ中唐詩687 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2419
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集李司馬橋成,高使君自成都回 七言絶句 成都5-(42) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2420 杜甫詩1000-467-678/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性海棠溪 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-175-47-#37  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2422
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

李司馬橋成,高使君自成都回 七言絶句 成都5-(42) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2420 杜甫詩1000-467-678/1500


李司馬橋成,高使君自成都回七言絶句 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(42)) 
詩 題:李司馬橋成,高使君自成都回七言絶句 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(42)) 
掲 載; 杜甫1000首の467首目-場面5-(42)杜甫ブログ1500回予定の-678回目
作年: 上元二年  761年   50歲 
卷別: 卷二二六  文體: 七言絕句 
詩題: 李司馬橋了承高使君,自成都回【李司馬橋了高使君,自成都回】【李司馬橋成承高使君,自成都回】 
寫作地點: 蜀州(劍南道北部 / 蜀州 / 蜀州) 
寫及地點:  成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     
交遊人物/地點: 李司馬 當地交遊(劍南道北部 蜀州 蜀州)
高 適 當地交遊(劍南道北部 蜀州 蜀州)




李司馬橋了承高使君,自成都回
(李司馬が作ったこの橋で高適刺史のこと「事情があって成都に帰った」ということを了承する)
向來江上手紛紛,三日成功事出群。 
こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。
已傳童子騎青竹,總擬橋東待使君。
 
これまでに伝えられているのは青竹はもともと竹馬にして遊ぶためにあったものではないか。それを考えるとここにいる人々のみんなはこの竹の橋の東側にいる人はきっと高適刺史を待っている人に間違いないのだろう。


(李司馬が橋 高使君を自ら成都に回るを了承する)
向い來りて 江の上り 手 紛紛たり,三日で事は出群するをもって成功す。
已に童子 青竹に騎すを傳え,總じて擬す 橋東 使君を待つを。

竹の橋02




『李司馬橋了承高使君,自成都回』 現代語訳と訳註
(本文)

向來江上手紛紛,三日成功事出群。 
已傳童子騎青竹,總擬橋東待使君。 


(下し文)
(李司馬が橋 高使君を自ら成都に回るを了承する)
向い來りて 江の上り 手 紛紛たり,三日で事は出群するをもって成功す。
已に童子 青竹に騎すを傳え,總じて擬す 橋東 使君を待つを。


(現代語訳)
(李司馬が作ったこの橋で高適刺史のこと「事情があって成都に帰った」ということを了承する)
こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。
これまでに伝えられているのは青竹はもともと竹馬にして遊ぶためにあったものではないか。それを考えるとここにいる人々のみんなはこの竹の橋の東側にいる人はきっと高適刺史を待っている人に間違いないのだろう。


(訳注)
李司馬橋了承高使君,自成都回

李司馬が作ったこの橋で高適刺史のこと「事情があって成都に帰った」ということを了承する
○李司馬 李七司馬 蜀州の司馬李某。
○橋 皂江にかけた竹の橋。『陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一』 一に鄩江といい新津県にあるという。
○了承 事情をくんで納得すること。承知すること。承諾。
○高使君 友人の高適。使君は刺史の敬称。『奉簡高三十五使君』が直近のしである。(高適に寄せた詩。詩によれば高適が栄任したようで、彭州より蜀州に転じたことをいい、また作者がまさに高適を訪れようとしたときの作である。作時は詳らかでないが上元元年760年49歳と考える。上元元年(七六〇)の秋、. 崔五侍御を通じて彭州(四川省彭県)の刺史であった高適に援助を依頼した. 詩を書いている。『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」『寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#4> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1439 杜甫詩 700- 444』、『寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268』)


向來江上手紛紛,三日成功事出群。
こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。
 水澤湖泊、皂江。
 江上。川のほとり。竹の橋のほとり。
手紛紛 拍手の音のみだれたつさま。多くあるさま。『贈花卿』「錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。此曲只應天上有,人間能得幾回聞?」、『江畔獨步尋花七絕句 其七』「不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。」


已傳童子騎青竹,總擬橋東待使君。
これまでに伝えられているのは青竹はもともと竹馬にして遊ぶためにあったものではないか。それを考えるとここにいる人々のみんなはこの竹の橋の東側にいる人はきっと高適刺史を待っている人に間違いないのだろう。
傳 これまでに伝えられているもの。
童子 孩童とは。幼い子供。幼児。
○騎青竹 騎竹馬。。
○擬 1 どうしようかとはかり考える。思案する。「擬議」2 他のものと引き比べてみる。本物らしく似せる。なぞらえる。


贈花卿 七言絶句 成都5-(23) 杜甫 <472>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2325 杜甫詩1000-472-659/1500

杜甫 七言絶句 《贈花卿》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(23))
花驚定が錦州の「日平」の乱の武功を驕り天子の用いられる如き音楽を為したのによって、作者はこの詩を作って彼を諷したのである。前作『戲作花卿歌』は内容的に天子の無策を批判視野もので「戯れ」をつけたがこの詩は花驚定を諷したものであるから、「贈」と嘲笑するのである。
「杜詩、第四冊」で“これも「戯贈花卿」というべきであるのにそういわぬ点に疑いをもつ。”とあるが間違い。

2013年5月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#2>古詩源 巻三 女性詩755 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2323
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#4>Ⅱ中唐詩668 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2324
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集贈花卿 七言絶句 成都5-(23) 杜甫 <472>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2325 杜甫詩1000-472-659/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) <65> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2326 (05/05)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性憶荔枝 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-156-28-#21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2327
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

贈花卿 七言絶句 成都5-(23) 杜甫 <472>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2325 杜甫詩1000-472-659/1500

  
詩 題:贈花卿 七言絶句 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(23)) 
作時761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の472首目-場面5-(23)
杜甫ブログ1500回予定の-659回目   40758 



この年の情勢(新唐書)
・  二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。
・  二月己未、奴剌・党項羌が宝を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。
・  三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。
・  四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
・  五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。
・  七月癸未朔、日食があった。
  八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。
・  九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、寶應元年を称し、十一月を歳首とし、月以斗所建辰為名。文武の官に階・勲・爵を賜り、版授侍老官、先授者進之。停四京号。

・  元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛と戦い、これを破った。己亥、朝聖皇天帝于西内。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。
・  建丑月辛亥、有事于南郊。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。


贈花卿
(花卿に贈る)
錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。
錦官城の弦楽器と管楽器の音は日ごと夜ごと、にぎやかにしている。その音は半分は錦江に風に乗って入りて清くし、半分は雲中に入りてひろがる。
此曲只應天上有,人間能得幾回聞?
この宴で奏る曲はただ天上界に有べきものであろう。(この程度の武功で驕っているなんて)どうしてこの人間界で何度も聞くということができるというのか。

(花卿に贈る)
錦城の糸管【しかん】日【ひび】に紛紛たり、半ば江風【こうふう】に入り半ば雲に入る。
此の曲只応に天上に有るなるべし、人間能く幾回か聞くことを得ん。

浣花峡556
『贈花卿』 現代語訳と訳註
(本文)

錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。
此曲只應天上有,人間能得幾回聞?


(下し文)
(花卿に贈る)
錦城の糸管【しかん】日【ひび】に紛紛たり、半ば江風【こうふう】に入り半ば雲に入る。
此の曲只応に天上に有るなるべし、人間能く幾回か聞くことを得ん。


(現代語訳)
(花卿に贈る)
錦官城の弦楽器と管楽器の音は日ごと夜ごと、にぎやかにしている。その音は半分は錦江に風に乗って入りて清くし、半分は雲中に入りてひろがる。
この宴で奏る曲はただ天上界に有べきものであろう。(この程度の武功で驕っているなんて)どうしてこの人間界で何度も聞くということができるというのか。


(訳注)
贈花卿

(花卿に贈る)
○花卿 花驚定のこと。761年上元二年四月、梓州の剣南東川節度兵馬使の刺史段子璋が反し、東川節度使李奐奥を綿州に襲い、自ずから梁王と称し、黄竜と改元し、綿州を以て黄竜府となし、百官を置いたが、五月、剣南西川節度使、成都尹の崔光遠は武将花驚定を率い、攻めて綿州を抜き、段子璋を斬った。
杜甫『戲作花卿歌』
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?


錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。
錦官城の弦楽器と管楽器の音は日ごと夜ごと、にぎやかにしている。その音は半分は錦江に風に乗って入りて清くし、半分は雲中に入りてひろがる。
○錦城 錦官城、成都の少城。
○糸管 弦楽器と管楽器。また、音楽。糸竹。
○紛紛 おとのみだれたつさま。
○入江風 清いことをいう。
〇人雲 錦江から湧き上がった雲と錦江と対比することで広がることを強調する。


此曲只應天上有,人間能得幾回聞?
この宴で奏る曲はただ天上界に有べきものであろう。(この程度の武功で驕っているなんて)どうしてこの人間界で何度も聞くということができるというのか。
○砥 只に同じ。
○天上有 天上の仙人界に有るもの。
○能得幾回聞 いくたびきいたものか、めったにきけぬ。

絶句漫興九首 其九 成都浣花渓 杜甫 <453>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2210 杜甫詩1000-453-636/1500

絶句漫興九首其九 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 48)  

2013年4月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#2>古詩源 巻五 女性詩731 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2203
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#5 宋玉  <00-#15>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 644 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2204
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其九 成都浣花渓 杜甫 <453>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2210 杜甫詩1000-453-636/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集石壁精舎還湖中作 謝霊運<41> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2206 (04/11)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性贈薛濤 胡曾 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-132  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2207
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其九 成都浣花渓 杜甫 <453>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2210 杜甫詩1000-453-636/1500



詩 題:絶句漫興九首其九 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 48) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の453首目-場面4 – 48
杜甫ブログ1500回予定の-636回目  




 4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。

2 4-41 
絶句漫興 九首 其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうぺからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

3 4-42 
絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。

 4-43 
絶句漫興 九首 其四
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。
二月も終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)
確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。
(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)


5 4 – 44
絶句漫興 九首 其五 
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。

6 4 – 45
絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。
7 4 – 46
紅梅0021絕句漫興 九首 其七
糝徑楊花鋪白氈,點溪荷葉疊青錢。
筍根雉子無人見,沙上鳧雛傍母眠。
柳絮や楊花が路に落ちて雑炊の厚ての白い絨毯を敷き詰めたように見える小道をすすむ。濯錦江に灌ぐ点在した渓水には蓮の葉が靑銅銭を重ねているようだ。
静かな竹林に進むと若竹の根元に人には見えない小さ な竹の子がきっと人知れずひそんでいる。濯錦江の中洲の沙には野鴨の雛がひねもす母鴨の傍で寝ている。

8 4 – 47
絶句漫興九首  其八 
舍西柔桑葉可拈,江畔細麥複纖纖。
人生幾何春已夏,不放香醪如蜜甜。
北鄰の官舎から我家の西の方にかけて植えている桑畑の桑の葉の新芽のやわらかい葉を摘みとる。濯錦江の河畔には越冬して育ってきた麦が細く長く伸びてきている。
人生それほど長くはないものであるが、春も終わりもう夏になっている。作っているお酒の醪の香醇な香りももう八しられなくなってきて蜂蜜のようにとても甘くなっている。(季節は本当に変わっている。)

9   4 – 48
『絕句漫興九首』其九
隔戶楊柳弱裊裊,恰似十五女兒腰。
柴門の扉の向こうに柳並木が見え、若い枝はやわらかくかぜにゆれている。それはまるで大人になり立ての初々しい十五の細腰のようである。
誰謂朝來不作意?狂風挽斷最長條。

そんなに若々しいものであっても、誰かが言っているように暮れて行き朝が来るようにとろうと思わないで年を取っていくものであるし、又、狂ったような強風によって最も長くて若々しいその細腰も、引っ張り、引き戻して断ち切られることだってあるのである。


(絕句漫興九首 其の九) 
戶を隔てて楊柳 弱らかく裊裊とし,恰【あたか】も十五 女兒の腰に似たり。
誰か謂う 朝來して 意を作さざらん?狂風 挽斷するは 最も長條なるも。

江畔独歩尋花


『絕句漫興九首』其九 
現代語訳と訳註
(本文)

隔戶楊柳弱裊裊,恰似十五女兒腰。
誰謂朝來不作意?狂風挽斷最長條。


(下し文)
(絕句漫興九首 其の九) 
戶を隔てて楊柳 弱らかく裊裊とし,恰【あたか】も十五 女兒の腰に似たり。
誰か謂う 朝來して 意を作さざらん?狂風 挽斷するは 最も長條なるも。


(現代語訳)
柴門の扉の向こうに柳並木が見え、若い枝はやわらかくかぜにゆれている。それはまるで大人になり立ての初々しい十五の細腰のようである
そんなに若々しいものであっても、誰かが言っているように暮れて行き朝が来るようにとろうと思わないで年を取っていくものであるし、又、狂ったような強風によって最も長くて若々しいその細腰も、引っ張り、引き戻して断ち切られることだってあるのである。

菖蒲02
(訳注)
絶句漫興九首 其九
(絶句漫興 九首、その九)
興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作
其八に桑葉が出た、桑畑は儒教では美しい賢女が働く場である。その故事に基づいて 其九はうたわれる。ここまでは触れなかったのであるが、この漫興九首シリーズは杜甫には珍しい、「男女に関する隠語(閨情詩の用語)」で歌われているのである。ここまで述べた訳語とまったく異なった閨情詩でもある。杜甫の評価は儒者ほど高い評価をしており、儒者は頽廃として閨情詩を嫌った。そのためこの漫興九首の評価が低く、取り上げられることが少なかったのである。しかし、杜甫の描析研究においてきわめてこの「漫興九首」は重要な作品集なのである。私はこうした意味においても杜甫詩は一詩たりともはしょったり、良いとこどりをして自分の論理にあてはめていく方法の論文しかないことを止めなければいけないと思うのである。


隔戶楊柳弱裊裊,恰似十五女兒腰。
柴門の扉の向こうに柳並木が見え、若い枝はやわらかくかぜにゆれている。それはまるで大人になり立ての初々しい十五の細腰のようである
・戶 杜甫の家には柴門に扉があるだけである。その向こうに柳並木が見えるのである。楊は男性を示すヤナギで、柳は女性を示すヤナギなのである。それが柴門・扉の向こうにあるということ。これは閨情詩では男女の性交をあらわす句なのだ。柳は肉感女性ではなく、嬌細腰の女性、傾国の細腰をいう。
・裊裊 【じょうじょう】①風が木などを揺らす、ゆらゆらゆれるさま。②声が続いて絶えないさま。嫋嫋。③しなやかにまといつくさま。男女の絡み合いを示す用語である。
・恰似ちょうど…のようである.
・十五女兒腰 細腰。十五は女の成人の年=結髪。大人になり立ての初々しい嬌細腰である


誰謂朝來不作意?狂風挽斷最長條。
そんなに若々しいものであっても、誰かが言っているように暮れて行き朝が来るようにとろうと思わないで年を取っていくものであるし、又、狂ったような強風によって最も長くて若々しいその細腰も、引っ張り、引き戻して断ち切られることだってあるのである。
・朝來 時の経過をいう。「暮去朝來」.に基づく。『例子』「黃昏過去,清晨又到來。謂歲月流逝。」
・不作意 現在の事実・事象に対して積極的に働きかける行動をとらず,それらの事実・事象を放置。見晴らしを妨げる行為をしないなど。
挽斷 引っ張り、引き戻して断ち切ること。
最長條 最も長い柳の枝。

絶句漫興九首 其八 成都浣花渓 杜甫 <452>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2205 杜甫詩1000-452-635/1500

絶句漫興九首其八 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 47)  



2013年4月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#1> 女性詩730 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2198
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#4 宋玉  <00-#14>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 643 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2199
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其八 成都浣花渓 杜甫 <452>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2205 杜甫詩1000-452-635/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集立石壁招提精舎 謝霊運<40> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2201 (04/10)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性贈薛濤 白居易 全唐詩 巻462  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-131--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2202
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其八 成都浣花渓 杜甫 <452>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2205 杜甫詩1000-452-635/1500


詩 題:絶句漫興九首其八 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 47) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の452首目-場面4 – 47
杜甫ブログ1500回予定の-635回目  


8 4 – 47
絶句漫興九首  其八 
舍西柔桑葉可拈,江畔細麥複纖纖。
北鄰の官舎から我家の西の方にかけて植えている桑畑の桑の葉の新芽のやわらかい葉を摘みとる。濯錦江の河畔には越冬して育ってきた麦が細く長く伸びてきている。
人生幾何春已夏,不放香醪如蜜甜。

人生それほど長くはないものであるが、春も終わりもう夏になっている。作っているお酒の醪の香醇な香りももう放たれなくなってきて蜂蜜のようにとても甘くなっている。(季節は本当に変わっている。)
舍の西 柔らかき桑 葉は拈る可し,江畔の細麥【さいばく】複た纖纖【せんせん】たり。
人生 幾何か 春已に夏,香醪【こうろう】を放たず 蜜の如く甜【てん】。

DCF00106













『絕句漫興九首』其八 現代語訳と訳註
(本文)

 舍西柔桑葉可拈,江畔細麥複纖纖。
人生幾何春已夏,不放香醪如蜜甜。


(下し文)
舍の西 柔らかき桑 葉は拈る可し,江畔の細麥【さいばく】複た纖纖【せんせん】たり。
人生 幾何か 春已に夏,香醪【こうろう】を放たず 蜜の如く甜【てん】。

(現代語訳)
北鄰の官舎から我家の西の方にかけて植えている桑畑の桑の葉の新芽のやわらかい葉を摘みとる。濯錦江の河畔には越冬して育ってきた麦が細く長く伸びてきている。
人生それほど長くはないものであるが、春も終わりもう夏になっている。作っているお酒の醪の香醇な香りももう放たれなくなってきて蜂蜜のようにとても甘くなっている。(季節は本当に変わっている。)

(訳注)
絶句漫興 九首 其八

興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作。草堂の周囲、生活の中で春から夏への変化に気づく。

  
舍西柔桑葉可拈,江畔細麥複纖纖。
初夏001北鄰の官舎から我家の西の方にかけて植えている桑畑の桑の葉の新芽のやわらかい葉を摘みとる。濯錦江の河畔には越冬して育ってきた麦が細く長く伸びてきている。
・柔桑 やわらかい桑の葉を摘む。『詩経、豳風、七月』「女执懿筐,遵彼微行,爰求柔桑。」(女は懿筐を執り,彼の微行に遵って,爰に柔桑を求む。)
・拈 ひねる。つまむ。
麦(むぎ)とは、コムギ、オオムギ、ライムギ、エンバクなど[1]の、外見の類似したイネ科穀物の総称である。二年草であることから、去年草(こぞくさ)という異称がある。二年生植物は、1年目には茎や葉、根などの栄養器官を形成して、そのまま休眠して越冬する。そして2年目の春、あるいは夏に開花し、種子を生産して枯れ、生活環を終える。この2年目の春から初夏の段階の麦の状態を「細麥」としたのであろう。
・現代では、細麦(ささめむぎ)とは
1.麦は押麦などの主食用のほかパン、麺類、麦茶、麦味噌、焼酎、ビールなどに使用されている。用途に応じて強力粉、中力粉、薄力粉などに精製される。
2.麦の粒にはミリ単位の普通粒、大粒などがあり、その中でもおよそ2mm以下のふるいにかけられて通過した麦を「細麦」と呼ぶ。「細麦」は粒形が均一で。硬質粒が少なく、つるつるモチモチとした食感が特徴である。
・纖纖 ほっそりとしているさま。かぼそいさま。 「纖纖たる細腰に軽綺の長裾を曳き/佳人之奇遇)」 
『泛溪』
落景下高堂,進舟泛回溪。誰謂築居小,未盡喬木西。
遠郊信荒僻,秋色有餘淒。練練峰上雪,纖纖雲表霓。
童戲左右岸,罟弋畢提擕。翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。人情逐鮮美,物賤事已睽。
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。蕭條欲何適,出處無可齊。
衣上見新月,霜中登故畦。濁醪自初熟,東城多鼓鼙。
泛溪 杜甫 成都(3)浣花渓の草(3 -8-#1)  杜甫 <394-#1 五言古詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1903 杜甫詩1000-394-575/1500


人生幾何春已夏,不放香醪如蜜甜。
人生それほど長くはないものであるが、春も終わりもう夏になっている。作っているお酒の醪の香醇な香りももう放たれなくなってきて蜂蜜のようにとても甘くなっている。(季節は本当に変わっている。)
幾何 1 数量・程度の不明・不定なことをいう語。どれほど。2ある程度。若干。3 あとに係助詞「も」と打消しの語を伴って、数量・程度が多くないことを表す。
・醪 もろみ。
・蜜甜 ひじょうにあまい。蜜:はちみつ。甜:あまいもの。・甜茶(てんちゃ)、中国茶の中で植物学上の茶とは異なる木の葉から作られた甘いお茶の総称。古くからある薬草茶の一つ。

絶句漫興九首 其七 成都浣花渓 杜甫 <451>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2200 杜甫詩1000-451-634/1500

絶句漫興九首其七 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 46) 


2013年4月9日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩當來日大難 曹植 魏詩<65> 女性詩729 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2193
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#3 宋玉  <00-#13>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 642 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2194
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其七 成都浣花渓 杜甫 <451>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2200 杜甫詩1000-451-634/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集東陽溪中贈答二首その(2) 謝霊運<39> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2196 (04/09)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性西川使宅有韋令公時・・・・・因賦此詩用廣其意 武元衡  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-130--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2197"
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其七 成都浣花渓 杜甫 <451>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2200 杜甫詩1000-451-634/1500



詩 題:絶句漫興九首其七 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 46) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の451首目-場面4 – 46
杜甫ブログ1500回予定の-634回目  


4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。

4-41 絶句漫興 九首 其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。
それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうぺからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

4-42 絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。

4-43 絶句漫興 九首 其四
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
二月も終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。

確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。
(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)


4 – 44絶句漫興 九首 其五 
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。

柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。

6 4 – 45絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。

74 – 46
絕句漫興 九首 其七
糝徑楊花鋪白氈,點溪荷葉疊青錢。
柳絮や楊花が路に落ちて雑炊の厚ての白い絨毯を敷き詰めたように見える小道をすすむ。濯錦江に灌ぐ点在した渓水には蓮の葉が靑銅銭を重ねているようだ。
筍根雉子無人見,沙上鳧雛傍母眠。

静かな竹林に進むと若竹の根元に人には見えない小さ な竹の子がきっと人知れずひそんでいる。濯錦江の中洲の沙には野鴨の雛がひねもす母鴨の傍で寝ている。

糝徑【しんけい】楊花【ようか】白氈【はくせん】に鋪【し】き,點溪【てんけい】荷葉【かよう】青錢【せいせん】を疊す。
筍根【じゅんこん】雉子【ちし】人見る無く,沙上【さじょう】鳧雛【ふすう】母の傍【かたわ】らに眠る。

『絕句漫興九首』其七 現代語訳と訳註
hasu005


(本文) 絕句漫興 九首 其七
糝徑楊花鋪白氈,點溪荷葉疊青錢。
筍根雉子無人見,沙上鳧雛傍母眠。


(下し文)
糝徑【しんけい】楊花【ようか】白氈【はくせん】に鋪【し】き,點溪【てんけい】荷葉【かよう】青錢【せいせん】を疊す。
筍根【じゅんこん】雉子【ちし】人見る無く,沙上【さじょう】鳧雛【ふすう】母の傍【かたわ】らに眠る。


(現代語訳)
柳絮や楊花が路に落ちて雑炊の厚ての白い絨毯を敷き詰めたように見える小道をすすむ。濯錦江に灌ぐ点在した渓水には蓮の葉が靑銅銭を重ねているようだ。
静かな竹林に進むと若竹の根元に人には見えない小さ な竹の子がきっと人知れずひそんでいる。濯錦江の中洲の沙には野鴨の雛がひねもす母鴨の傍で寝ている。


(訳注)
絕句漫興 九首 其七

komichi03興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作。絶句は起承転結を絶対条件で、対句は絶対条件ではない。この詩はその両者が見事に詠いあげられている、この九首の中のハイライトというべき詩であろう。その詩は読み下しをして読むよりそのまま音読みした方が良くわかる。或は勉強のためにはいろんな読み方をしても面白いかもしれない。


糝徑楊花鋪白氈,點溪荷葉疊青錢。
柳絮や楊花が路に落ちて雑炊の厚ての白い絨毯を敷き詰めたように見える小道をすすむ。濯錦江に灌ぐ点在した渓水には蓮の葉が靑銅銭を重ねているようだ。
・糝徑楊花 柳絮や楊花が路に落ちて雑炊のように見える道を云う。糝:(1)米の粉をかきまぜて煮たてたあつもの。(2)雑炊。「径に糝【まじ】えて」とよむのは意味が違うことになりまちがい。読みやすい詩は間違えやすいから注意。
・鋪白氈  氈:獣毛を縮絨(しゅくじゅう)した布。「氈褥(せんじょく)/毛氈」
・點溪荷葉 蓮の葉が点在した渓水。浣花渓は錦江の予水池のような場所で湿地沼地が点在してそれが錦江につながっているところで、「渓」は渓谷ではなく、谷川ではない水路と小路なのだ。「渓に点じて」とよむもここの地形を考えると間違いで「点渓」があり、そこに荷葉があり、景色が移動する様子を讀まないといけない。杜甫の詩は王維と違って、謝靈運、孟浩然などと同様、動いた景色を詠みこんでいることに注目する。
・青錢 青銅銭のこと。蓮の葉が穴の空いた銅銭が散らばって水に浮いているように見るえ。


筍根雉子無人見,沙上鳧雛傍母眠。
静かな竹林に進むと若竹の根元に人には見えない小さ な竹の子がきっと人知れずひそんでいる。濯錦江の中洲の沙には野鴨の雛がひねもす母鴨の傍で寝ている。
・筍根 竹の子、若竹のこと。
・雉子 「若竹の根元に人には見えない小さ な竹の子(稚子)がひそんでいる」こと。
・鳧雛 岸の砂上ではカモの雛が親ガモのそばで 寝ている。

絶句漫興九首 其六 成都浣花渓 杜甫 <450>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2195 杜甫詩1000-450-633/1500

絶句漫興九首其六 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 45) 


2013年4月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩當牆欲高行 曹植 魏詩<64> 女性詩728 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2188
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#2 宋玉  <00-#12>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 641 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2189
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其六 成都浣花渓 杜甫 <450>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2195 杜甫詩1000-450-633/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運<38> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2191 (04/08)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性

寄贈薛濤  元稹  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-129--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2192

 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

"安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其六 成都浣花渓 杜甫 <450>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2195 杜甫詩1000-450-633/1500


詩 題:絶句漫興九首其六 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 45) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の450首目-場面4 – 45
杜甫ブログ1500回予定の-633回目




4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。

4-41 絶句漫興 九首 其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。

それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうぺからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

4-42 絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。

4-43 絶句漫興 九首 其四
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
二月終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。
確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。
(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)


4 – 44絶句漫興 九首 其五 
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。
柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。

6 4 – 45絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。

懶慢【らんまん】堪うる無く村を出でず、児を呼び自ら在りて柴門を掩【おお】わしむ。
蒼苔【そうたい】濁酒 林中 静かに、碧水【へきすい】春風 野外 昏【くら】し。

杜甫草堂01

『絕句漫興九首』其六 現代語訳と訳註
(本文)
絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。
蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。


(下し文)
懶慢【らんまん】堪うる無く村を出でず、児を呼び自ら在りて柴門を掩【おお】わしむ。
蒼苔【そうたい】濁酒 林中 静かに、碧水【へきすい】春風 野外 昏【くら】し。

(現代語訳)
自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。


(訳注) 6 4 – 45
絶句漫興九首
(絶句漫興 九首)
興にふれてふとつくった絶句、隠棲生活、今日も何事もなく暮れていく。761年上元二年春浣花の草堂にあっての作
   
 絶句漫興 九首 其六
懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。

自分は懶惰、怠慢で、そのうえものごとに堪えることの無いものであるから村からそとへはでないのだ、きままに家ですごし、こどもを呼んでは柴門をとざさせている。
○懶慢 ぶしよう。懶:ものうく。怠ける。懶惰。慢:おこたる。怠慢。あなどる。高慢。軽んずる。緩慢。
○無堪 事物に処するのに堪えるもののないこと、不才無能をいう。
〇自在或は日在 日日在家の意、日在は或は自在に作る、自在はきままにの意。
komichi03○柴門 杜甫『野老』
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
 野老 杜甫 <373  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549
南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

『春水』
三月桃花浪,江流複舊痕。
朝來沒沙尾,碧色動柴門。
接縷垂芳餌,連筒灌小園。
已添無數鳥,爭浴故相喧。

春水 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500


蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。
庭から続く蒼苔は林の中まで敷つめていて静かであるから濁酒はすすむ。碧水をたたえた濯錦江を春風が吹きわたり、遠い野はらは何の変りもなく暮れていく。
○蒼苔濁酒林中靜 蒼苔:草堂付近の林には苔が群生して敷き詰められていたようすをいう。幽竹、蒼苔は人気のないことを示す隠棲をあらわす言葉。
○碧水春風野外昏 江を隔てた遠野のさま。
○昏 何の変りもなく暮れていく。

絶句漫興九首 其五 成都浣花渓 杜甫 <449>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2190 杜甫詩1000-449-632/1500

絶句漫興九首其五 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 44)  


2013年4月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩浮萍篇 曹植 魏詩<63-#3> 女性詩727 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2183
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#1 宋玉  <00-#11>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 640 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2184
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其五 成都浣花渓 杜甫 <449>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2190 杜甫詩1000-449-632/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集夜宿石門詩 謝霊運<37>kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2186 (04/07)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性折楊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-128-56-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2187
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其五 成都浣花渓 杜甫 <449>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2190 杜甫詩1000-449-632/1500


詩 題:絶句漫興九首其五 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 44) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の449首目-場面4 – 44
杜甫ブログ1500回予定の-632回目



4 – 44絶句漫興 九首 其五 
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。

柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。
杏の花001
腸斷 春江 盡きんと欲するの頭【ほと】り,藜【あかざ】に杖して徐【おもむろ】に步み芳洲に立つ。
顛狂 柳絮 風に隨って去り,輕薄 桃花 水流に逐う。




『絕句漫興九首』其五 現代語訳と訳註
(本文)

腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。


(下し文)
腸斷 春江 盡きんと欲するの頭【ほと】り,藜【あかざ】に杖して徐【おもむろ】に步み芳洲に立つ。
顛狂 柳絮 風に隨って去り,輕薄 桃花 水流に逐う。


(現代語訳)

初夏001春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。


(訳注)
絶句漫興九首(絶句漫興 九首)
興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作

  
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
○腸斷 思いのたかまりが消失していくこと。
○春江 春景色の濯錦江。
○欲盡頭 春を盛りにしていた景色の構成要素が消滅していくこと。
○藜 アカザ科の一年草。空き地や路傍に生え、高さ約1.5メートル。茎は堅い。葉はひし形に近い卵形で、縁は波形。若葉は紅色をし、食べられる。晩夏、黄緑色の小花が穂状に密生する。中国の原産。近縁種にシロザがある。仙人にとっては必携の「アカザの杖(あかざのつえ)」であるが、中風の予防になるとして昔から有名である。
江畔独歩尋花○徐步 おもむろにあるく。杜甫『徐步』
整履步青蕪,荒庭日欲晡。芹泥隨燕觜,花蕊上蜂須。
把酒從衣濕,吟詩信杖扶。敢論才見忌?實有醉如愚。
おもむろにあるく。前詩『獨酌』では酔っていない段階の詩を書き、酔い覚ましに散歩した様子を詠う。
○芳洲 草堂の前の中洲に『江畔獨步尋花七絕句』で詠っているので参照。杜甫の草堂で濯錦江はコの字に湾曲している。そこには大きな洲が出来ていた。


顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。
柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。
○顛狂 気が狂う。動作が落ち着かないことの喩え。顛:てっぺん。物の先端。逆さになる。ひっくり返る。
○柳絮 白い綿毛のついた柳の種子。また、それが春に飛び漂うこと。《季 春》。
○輕薄 (1)言動に慎重さを欠いて、誠意や真実みの感じられないさま。考えが浅くて信頼できないさま。おちつきがない。 (2)相手の機嫌をとるような言葉や行動。おべっか。ついしょう。 (3)軽くて薄いこと。きょうはく。(4)値打ちが低い。

絶句漫興九首 其四 成都浣花渓 杜甫 <448>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2185 杜甫詩1000-448-631/1500

絶句漫興九首其四 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 43)  


2013年4月6日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩浮萍篇 曹植 魏詩<63-#2> 女性詩726 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2178
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第四段-#2 宋玉 <00-#10回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 639 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2179
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其四 成都浣花渓 杜甫 <448>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2185 杜甫詩1000-448-631/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集南樓中望所遅客 謝霊運<36> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2181 (04/06)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光・威・裒、姉妹三人の『七言聯句』と魚玄機『光・威・裒、姉妹三人・・・・・因次其韻。』 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-127--#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2182
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其四 成都浣花渓 杜甫 <448>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2185 杜甫詩1000-448-631/1500



詩 題:絶句漫興九首其四 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 43) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の448首目-場面4 – 43
杜甫ブログ1500回予定の-631回目   40741



4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。

4-41 絶句漫興 九首 其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。

濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。
それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうぺからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

4-42 絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。

4-43 絶句漫興 九首 其四
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
二月終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。

確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。
(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)

二月は已破【や】みて三月來り,漸【ようや】く逢春 能く幾回するも老ゆ。
身外 窮事する無く思う莫れ,且つ盡すは生前 杯に限り有る。

珠櫻003










『絕句漫興九首』其四 現代語訳と訳註
(本文)

二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。


(下し文)
二月は已破【や】みて三月來り,漸【ようや】く逢春 能く幾回するも老ゆ。
身外 窮事する無く思う莫れ,且つ盡すは生前 杯に限り有る。


(現代語訳)
二月終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)

確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。
(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)


(訳注) 4 
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
二月終わってしまって三月がやって来た。ようやく春をここで迎えたがいくつか廻ってきた分だけ老いたのだ。(でも、いい春をむかえたなあ。)
○已破 やむ。破は強意の助詞。「読破」
・杜甫は春を迎えるにつけて、前の年とこの年の春だけ、平穏に迎えている。杜甫にとっては前年より幸福感が大きいはずで、そうした意味を込めてこの二句を作る。


莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。
確かに、故郷を離れ、官から離れているけれど仕事を責任を持ち突き詰めてやることはないのである。そしてこの生涯、どんなに頑張っても酒を呑めることには限りがあるというものだ。(だから心行くまで呑み続けたいものだ。)
身外 故郷を離れ、官から離れていること。
○窮事 仕事を責任を持ち突き詰めてやること。
○有限 一定の限界がある。杜甫『前出塞九首 其六』「殺人亦有限,列國自有疆。」人はことごとく殺しつくせるわけのものでない。
江畔独歩尋花

成都(4)杜甫関連図

絶句漫興九首 其三 成都浣花渓 杜甫 <447>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2180 杜甫詩1000-447-630/1500

絶句漫興九首其三 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 42)  


2013年4月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩浮萍篇 曹植 魏詩<63-#1> 女性詩725 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2173
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第四段-#1 宋玉  <00-#9回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 638 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2174
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其三 成都浣花渓 杜甫 <447>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2180 杜甫詩1000-447-630/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集于南山往北山経湖中瞻眺 謝霊運<35> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2176 (04/05)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。-#8 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-126--#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2177
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其三 成都浣花渓 杜甫 <447>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2180 杜甫詩1000-447-630/1500

詩 題:絶句漫興九首其三 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 42) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の447首目-場面4 – 42
杜甫ブログ1500回予定の-630回目



4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。

4-41 絶句漫興九首其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。

それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうぺからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

4-42 絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。

熟知して 茅齋【ぼうさい】低小を絕【わた】る,江上 燕子 故【ことさら】に來頻す。
泥を銜み 汙を點じるは 琴書の內に,更に接すは 飛蟲して 著人を打つ。


江上のツバメ02『絕句漫興九首』其三 現代語訳と訳註
(本文)
絶句漫興 九首 其三
熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。


(下し文)
熟知して 茅齋【ぼうさい】低小を絕【わた】る,江上 燕子 故【ことさら】に來頻す。
泥を銜み 汙を點じるは 琴書の內に,更に接すは 飛蟲して 著人を打つ。

(現代語訳)
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。


(訳注) 3
絶句漫興丸首(絶句漫興 九首)

興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作。
やって来たツバメが随分成長したようだ。部屋を汚していく様子を腹立たしく思うことは全くないのだ。

熟知茅齋絕低小,江上燕子故來頻。
もうよく知っているはずであるのだが我家の茅で葺いた家に極端に低くて小さい所に、濯錦江の上に飛んでいるつばめが頻繁にやってくる。
・茅齋  杜甫の浣花草堂をいう。『又於韋處乞大邑瓷碗』
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。
成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537
・燕子 約一か月前に来ていたツバメの事である。
『水檻遣心二首其一』
去郭軒楹敞,無村眺望賒。澄江平少岸,幽樹晚多花。
細雨魚兒出,微風燕子斜。城中十萬戶。此地兩三家。

水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 


銜泥點汙琴書內,更接飛蟲打著人。
泥を口に銜え巣作りをして懸命にするのはいいのだが、わたしの琴や書籍と部屋内にそれを落して汚していくのだ。そしてさらによくあることは、飛んで行って虫を取るのだけれど家の中から出てきた人にぶっつかってしまうこともあるのだ。   
・銜泥點汙琴書內 汙は汚れる。琴、書籍、部屋内。
・更接 よくあること。
・飛蟲 飛んで行って虫を取る。
・打著人 著れた人を打つ。

絶句漫興九首 其二 成都浣花渓 杜甫 <446>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2175 杜甫詩1000-446-629/1500

杜甫 《絶句漫興九首 其二》 成都浣花渓 “それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。”


絶句漫興九首其二 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 41)  春風のいたずらを責める。


2013年4月4日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種葛篇 曹植 魏詩<62-#3> 女性詩724 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2168
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#4 宋玉  <00-#8回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 637 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2169
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其二 成都浣花渓 杜甫 <446>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2175 杜甫詩1000-446-629/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集初去郡 謝霊運<34> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2171 (04/04)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#7 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-125--#7  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2172
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其二 成都浣花渓 杜甫 <446>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2175 杜甫詩1000-446-629/1500

詩 題:絶句漫興九首其二 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(4 - 41) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の446首目-場面(4 - 41) 
杜甫ブログ1500回予定の-629回目


4-40.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。

旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。(


4-41
 絶句漫興九首其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。

濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。

恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。

それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

手ずから種えし桃李 主無きに非ず、野老 括低きも還た是れ家なり。
恰も似たり春風の相欺り得たるに、夜来 吹き折る数枝の花。





『絕句漫興九首』其二 現代語訳と訳註
江畔独歩尋花(本文)
2 春風のいたずらを責める。
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。


(下し文)
手ずから種えし桃李 主無きに非ず、野老 牆【かき】低きも還た是れ家なり。
恰【あたか】も似たり春風の相い欺【あなど】り得たるに、夜来 吹き折る数枝【すうし】の花。


(現代語訳)
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。

それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。

杏の花001
(訳注) 2 
絶句漫興九首
(絶句漫興 九首)
興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作。
春風のいたずらを責める。
(文字通り浣花渓になったなあ。或は陶淵明よ見てくれ此処が私の桃源郷なのだ。というところか。・・・・・・・そこに突風がいたずらをした。)

 
 
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
濯錦江の私の農園を「浣花」の花園にする計画で自分が手ずから種えた桃や李は他の主がないところで花を咲かせているものとは同じであるわけはない。一昨年この地にきて隠棲しているこの老人の家の墻はたしかに低いにはひくいがそれでも隠棲している家としてはこんなものだ。
・桃李非無主 桃や李は主がないわけでない、自分という主がある。それは、この「漫興」の詩の前に詠った杜甫の江畔濁歩尋花七絶句において、主がなくてに歯に咲く花を見て詠った七首であった。杜甫が主のいないことをはっきりと示しているものについて下にあげた。
江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
江畔獨步尋花七絕句 其五 
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
江畔獨步尋花七絕句 其六 
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。
江畔獨步尋花七絕句 其七 
不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。
繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。
このことから、基本的には同時期なのだが、「江畔」の絶句詩は「漫興」絶句詩より前に作られたものであることがわかる。そして、「江畔」のほうは、杜甫草堂の東方の対岸の野畑を詠んだもの。岩波文庫杜詩第四冊では、位置関係もまるで分っていないし、この順番もくるっている。杜甫の詩は一詩たりとも割愛して読んでいくとわからなくなるのだ。詩の一部と引用するのも危険な読み方なのである。この点は何事においてもいいとこどりというものは作者の意図と異なるものを招くもので回避すべきことではあるが、天才杜甫の場合、特に割愛しては理解できない。
 この点について、杜甫の詩の成都の部分ここまで4部に分けて紹介したが、100%幸福感に溢れる詩であったが、割愛して紹介している本では、「故郷」「嘆く」「白髪」「老人」などの語句から生活が苦しい、故郷に帰りたいと悲痛な叫びをしていると解釈している文学者もいるのである。このようなことが、ほとんどの解説本で見られるためこのブログで、全部の杜詩を紹介し、その上で、それらをもとにして第2回目を詳細解説し、改正を加えて行く。この螺旋階段を上がるような10年以上の超論文に挑む予定である。第3順目では、テーマ別に論を進める。

○桃李 一年前に植えたもの。成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533
野老 野に下った老人。758年冬、ほとんど決意して 華州司公参軍から洛陽方面を旅し、翌759年初秋、官を辞しして秦州へ、同谷紀行、成都紀行してこの地に隠棲したのである。この成都で自己を称するものとしてこの語を使うことが多くなる


恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。
それにしてもこの隠棲して気に入っている農園を、まるで春風に侮辱されたようなものである、それというのも、ゆうべからの突風で二三本花の枝が吹き折られてしまったのである。
○春から夏に変わる時期の突風によって桃李の枝が折れたのである。浣花渓と命名して花に洗われる様な場所にすることを計画し、1年後その通りになった。まさにそれを感じていた矢先に風が吹いて、花を散らせ、枝を折った状況をうまくあらわしている表現、詩である。特に、主が居なくても咲いている畑とは手入れが行き届いた自分の畑と同じであるわけはないというけれど、突風は同じように枝を引き折ってしまう。比較対象が主がいない農園と同様な振る舞いをされたことを云っているのである。
この絶句漫興九首と江畔獨步尋花七絕句とは同じシリーズなのである。異なるのは位置関係の違いである。
このことは杜甫研究の重要なポイントである


絶句漫興九首其二
手種桃李非無主,野老牆低還是家。
恰似春風相欺得,夜來吹折數枝花。

手ずから種うるの桃李主無きに非ず、野老 括低きも還是れ家なり。
恰も似たり春風の相欺り得たるに、夜来 吹き折る数枝の花。

絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 

絶句漫興九首其一 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5 - 01)



2013年4月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種葛篇 曹植 魏詩<62-#2> 女性詩723 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2163
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#3 宋玉  <00-#7回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 636 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2164
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集石門巌上宿 謝霊運<33> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2166 (04/03)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#6 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-124 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2167
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 


詩 題:絶句漫興九首其一 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5 - 01) 
作時761年3・4・5月頃杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の445首目-場面5 – 01
杜甫ブログ1500回予定の-628回目




5-01.
絶句漫興 九首 其一
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。

即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。

草堂002眼見 客愁 愁いて醒めず,無賴 春色 江亭に到る。
即ち花開 深く造次にするを遣し,便ち鶯語 太だ丁寧にするを教えらる。


『絕句漫興 九首』其一 現代語訳と訳註
(本文)

眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。


(下し文)
眼見 客愁 愁いて醒めず,無賴 春色 江亭に到る。
即ち花開 深く造次にするを遣し,便ち鶯語 太だ丁寧にするを教えらる。


(現代語訳)
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。


(訳注)
絶句漫興丸首
(絶句漫興 九首)
ogawa09成都二年目の春に興にふれてふとつくった絶句、上元二年春浣花の草堂にあっての作
(文字通り浣花渓になったなあ。或は陶淵明よ見てくれ此処が私の桃源郷なのだ。というところか)


5-01 
眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。
旅客になってその愁いを目を凝らしてみるようになったがその愁いは未だに目覚め、晴れてはくれない。官を辞して仕事に就くことのない生活であるがこの春景色の中でここ浣花渓に面したところに四阿を作るまでになったのである。
・眼見 めをこらしてみる。
・無賴 (1)定職をもたず、素行の悪い・こと(さま)。そのような人をもいう。ならずもの。 「―の徒」 (2)頼るところのないこと。
聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 杜甫 <456>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500聞斛斯六官未歸 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5 - 12) 
・江亭 江は濯錦江、自宅草堂の庭先の川べりに四阿を作った。この亭(四阿)は、この詩で初めて出る。『『水檻遣心二首其二』では「葉潤林塘密,衣幹枕席清。」とあり、この絶句にあった「枕席」がこの江亭なのであろう。杜甫『江 亭』 江亭 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 19)  杜甫 <424  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2065 杜甫詩1000-424-607/1500
坦腹江亭暖、長吟野望時。
水流心不競、雲在意倶遅。
寂寂春将晩、欣欣物自私。
故林帰未得、排悶強裁詩。


即遣花開深造次,便教鶯語太丁寧。
即ち、花が咲き誇るのを奥深い所まで僅かの時をずらして咲くようにしたことであり、即ち、鶯が春を告げてくれるのが花の咲くのに合わせて丁寧に教えてくれるようになっている。(文字通り浣花渓になったなあ。或は陶淵明よ見てくれ此処が私の桃源郷なのだ。というところか)
・造次 とっさの場合。ごく短い時間。事が急に起こってあわてるとき。また、わずかの間。
杜甫『驄馬行』「時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。」驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

江畔獨步尋花七絕句 其七 成都浣花渓 杜甫 <443>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2160 杜甫詩1000-443-626/1500

江畔獨步尋花七絕句 其七 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 38)  



2013年4月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種葛篇 曹植 魏詩<62-#1> 女性詩722 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2158
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#2 宋玉  <00-#6回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 635 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2159
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其七 成都浣花渓 杜甫 <443>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2160 杜甫詩1000-443-626/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集斎中讀書 謝霊運<32> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2161 (04/02)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聯句 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。・・・因次其韻。-#5 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-123--#5  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2162
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

江畔獨步尋花七絕句 其七 成都浣花渓 杜甫 <443>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2160 杜甫詩1000-443-626/1500

詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 38) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の443首目-場面4 – 38
杜甫ブログ1500回予定の-626回目   40736




7
江畔獨步尋花七絕句 其七 
不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。
この浣花渓に住まいして花を愛すことだできないくらいなら死んでもかまわないと思う。ただ今、恐れていることは、花が散り尽くすこと、わが身に老いていくことがたがいに起こり進んでいることだ。
繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。

この庭にもいっぱいに花をつけた枝があり、すぐにハラハラ散りやすい様子である。わかい花の蕊たちは相談し合って小さくていい、少しずつ咲かせてほしいとおもっている。

是れ花を愛するならずんば即ち死せんと欲す、只だ恐る花盡きて老の相い催【もよお】さむことを。
繁枝は容易に紛紛として落ち、嫩蕊【どんずい】は商量して細細に開かん。


『江畔獨步尋花七絕句 其七』 現代語訳と訳註

花蕊と蜂01(本文) 江畔獨步尋花七絕句 其七 
不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。
繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。


(下し文)
是れ花を愛するならずんば即ち死せんと欲す、只だ恐る花盡きて老の相い催【もよお】さむことを。
繁枝は容易に紛紛として落ち、嫩蕊【どんずい】は商量して細細に開かん。


(現代語訳)
この浣花渓に住まいして花を愛すことだできないくらいなら死んでもかまわないと思う。ただ今、恐れていることは、花が散り尽くすこと、わが身に老いていくことがたがいに起こり進んでいることだ。
この庭にもいっぱいに花をつけた枝があり、すぐにハラハラ散りやすい様子である。わかい花の蕊たちは相談し合って小さくていい、少しずつ咲かせてほしいとおもっている。


(訳注)
江畔獨步尋花七絕句 其七 
江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。杜甫は陶淵明の気分であり、浣花渓は文字通り桃源郷なのだ。
上元二年の晩春から夏の作である。

不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。
この浣花渓に住まいして花を愛すことだできないくらいなら死んでもかまわないと思う。ただ今、恐れていることは、花が散り尽くすこと、わが身に老いていくことがたがいに起こり進んでいることだ。


繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。
この庭にもいっぱいに花をつけた枝があり、すぐにハラハラ散りやすい様子である。わかい花の蕊たちは相談し合って小さくていい、少しずつ咲かせてほしいとおもっている。
・繁枝 いっぱい花をつけている枝。
・紛々 盛んに乱れる形容。
・嫩蕊 嫩はわかい。蕊は花のずい。
・商量 相談する。考えはかる。




寒梅901


江畔濁歩尋花七絶句


江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。

江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
報答春光知有處,應須美酒送生涯。

東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵?

黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?

黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。

不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。
繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。





1
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。
2
稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。
そうはいってもまだわたしは詩と酒に充分にこきつかわれているわけでもないし、十分存在かんをたもっているのである。まだまだ、この白髪のあたまの隠棲者を料理されるほどくたばってはいないのだ。(まだまだ飲めるぞ)


江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
濯錦江のくびれは水面深く、竹林のしずけさをおとしている三軒の家がある。それなのになやまされる沢山の事が、今もこうして赤い花が咲き、白い花がさきほこるのである。
報答春光知有處,應須美酒送生涯。
これに加えて春の暖かい光がここに降り注ぐところがあることを知るので、子ににも酬答えてやらねばいけないのである。だから春の新酒の美酒を用意してわが生涯における今のこのひと時を送ろうというのである。


東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
自分の家から東のかた少城をながめると花にいっぱい咲き、朝もやに包まれている。百か繚乱の向こうに高楼があり、そこからの景色がとても良くてうらやましく思われるものでだろう。
誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵?
成都のまちではだれがそこへ満載した酒をもってきて金の新酒の甕壺を開き、美人たちをよんで花の宴のうつくしい筵で舞をさせて見せてくれるだろう。

5
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?

そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。

6
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
黄師塔のちかくに黄さんの四番目の老婆の家があり、花がいっぱいに咲き乱れた小路がある。そこには千のえだに、万の枝に花をつけていて、花の重さで枝は低く垂れている。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。

その花には長が戯れて舞っており、そこを去ることを知らず居つづけている、千朵萬朵の花枝のかごのなかに可愛がられている鶯がいて、おもしろく自由にホーッ、ホケキョと啼いている。

7
不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。
この浣花渓に住まいして花を愛すことだできないくらいなら死んでもかまわないと思う。ただ今、恐れていることは、花が散り尽くすこと、わが身に老いていくことがたがいに起こり進んでいることだ。
繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。

この庭にもいっぱいに花をつけた枝があり、すぐにハラハラ散りやすい様子である。わかい花の蕊たちは相談し合って小さくていい、少しずつ咲かせてほしいとおもっている。


江畔獨步尋花七絕句 其六 成都浣花渓 杜甫 <442>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2155 杜甫詩1000-442-625/1500

江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 37)  


2013年4月1日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩野田黄雀篇 曹植 魏詩<61> 女性詩721 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2153
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#1 宋玉 <00-#5>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 634 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2154
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其六 成都浣花渓 杜甫 <442>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2155 杜甫詩1000-442-625/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登石門最高頂 謝霊運<31> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2156 (04/01)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聯句 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。・・・・・因次其韻。-#4 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-122--#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2157
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

江畔獨步尋花七絕句 其六 成都浣花渓 杜甫 <442>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2155 杜甫詩1000-442-625/1500


詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 37) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の442首目-場面4 - 37
杜甫ブログ1500回予定の-625回目


5江畔獨步尋花七絕句 其五 
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?

そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ


6
江畔獨步尋花七絕句 其六 
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
黄師塔のちかくに黄さんの四番目の老婆の家があり、花がいっぱいに咲き乱れた小路がある。そこには千のえだに、万の枝に花をつけていて、花の重さで枝は低く垂れている。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。
その花には長が戯れて舞っており、そこを去ることを知らず居つづけている、千朵萬朵の花枝のかごのなかに可愛がられている鶯がいて、おもしろく自由にホーッ、ホケキョと啼いている。
黄四の娘が家 花蹊に満つ、千朵【せんだ】萬朵【まんだ】枝を圧して低る。
留連せる戯蝶【ぎちょう】は時時舞い、自在の嬌鶯【きょうおう】は恰恰【こうこう】として啼く


『江畔獨步尋花七絕句 之六』 現代語訳と訳註
(本文)

江畔獨步尋花七絕句 其六 
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。

桃園001
(下し文)
黄四の娘が家 花蹊に満つ、千朵【せんだ】萬朵【まんだ】枝を圧して低る。
留連せる戯蝶【ぎちょう】は時時舞い、自在の嬌鶯【きょうおう】は恰恰【こうこう】として啼く


(現代語訳)
黄師塔のちかくに黄さんの四番目の老婆の家があり、花がいっぱいに咲き乱れた小路がある。そこには千のえだに、万の枝に花をつけていて、花の重さで枝は低く垂れている。
その花には長が戯れて舞っており、そこを去ることを知らず居つづけている、千朵萬朵の花枝のかごのなかに可愛がられている鶯がいて、おもしろく自由にホーッ、ホケキョと啼いている。


(訳注)
江畔獨步尋花七絕句 其六 
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。

江畔独歩尋花黄師塔のちかくに黄さんの四番目の老婆の家があり、花がいっぱいに咲き乱れた小路がある。そこには千のえだに、万の枝に花をつけていて、花の重さで枝は低く垂れている。
○黄四娘 村婆の名。黄師塔とは黄姓の法師の墓である。其六の詩にも出て來ることからこの一角に黄という一族がいたのではなかろうか。解釈のイメージつくりに草堂からの市を設定してみる。この場合杜甫の自宅から位置決めをした。・「無主」であった。 黄某という村人が居ればその場所で酒を呑むのだ当時の寒食の習慣で、その時以来何度もとおって見て留守にしていてせっかく咲いている花がもったいないという意味である。
○蹊 こみち。
○朵 はなのついたえだ。千朵萬朵が鳥かごのようであることをいう。


留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。
その花には長が戯れて舞っており、そこを去ることを知らず居つづけている、千朵萬朵の花枝のかごのなかに可愛がられている鶯がいて、おもしろく自由にホーッ、ホケキョと啼いている。
○留連 そこにつづけて居る。
○自在 歌喉の自由なことをいうのであろう。
○嬌鶯 可愛い鶯。可愛がられている鶯。千朵萬朵が鳥かごのようであることをいう。
○恰恰 こえのさまであろ
 


江畔獨步尋花七絕句 其六 
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。
  
黄四の娘が家 花蹊に満つ、千朵【せんだ】萬朵【まんだ】枝を圧して低る。
留連せる戯蝶【ぎちょう】は時時舞い、自在の嬌鶯【きょうおう】は恰恰【こうこう】として啼く

江畔獨步尋花七絕句 其五 成都浣花渓 杜甫 <441>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2150 杜甫詩1000-441-624/1500

江畔獨步尋花七絕句 其五 杜甫


2013年3月31日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩盤石篇 曹植 魏<60-#4> 女性詩720 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2148
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第二段-#2 宋玉  <00-#4>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 633 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2149
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其五 成都浣花渓 杜甫 <441>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2150 杜甫詩1000-441-624/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集石門在永嘉 謝霊運<30> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2151 (03/31)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聯句 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。・・・・・因次其韻。-#3 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-121--#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2152
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

江畔獨步尋花七絕句 其五 成都浣花渓 杜甫 <441>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2150 杜甫詩1000-441-624/1500

江畔独歩尋花詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 36) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の441首目-場面4 – 36
杜甫ブログ1500回予定の-624回目

1
江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。

2江畔獨步尋花七絕句 其二
稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。
多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。
そうはいってもまだわたしは詩と酒に充分にこきつかわれているわけでもないし、十分存在かんをたもっているのである。まだまだ、この白髪のあたまの隠棲者を料理されるほどくたばってはいないのだ。(まだまだ飲めるぞ)

3江畔獨步尋花七絕句 其三 杜甫 
江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
報答春光知有處,應須美酒送生涯。

濯錦江のくびれは水面深く、竹林のしずけさをおとしている三軒の家がある。それなのになやまされる沢山の事が、今もこうして赤い花が咲き、白い花がさきほこるのである。
これに加えて春の暖かい光がここに降り注ぐところがあることを知るので、子ににも酬答えてやらねばいけないのである。だから春の新酒の美酒を用意してわが生涯における今のこのひと時を送ろうというのである。

4江畔獨步尋花七絕句 其四  
東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵?
自分の家から東のかた少城をながめると花にいっぱい咲き、朝もやに包まれている。百か繚乱の向こうに高楼があり、そこからの景色がとても良くてうらやましく思われるものでだろう。
成都のまちではだれがそこへ満載した酒をもってきて金の新酒の甕壺を開き、美人たちをよんで花の宴のうつくしい筵で舞をさせて見せてくれるだろう。


5江畔獨步尋花七絕句 其五 
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。

黄師 塔は 江水の東に前し、春光 懶困【らんこん】するも 微風に倚る。
桃花 一族 開けども 主無く、深紅を愛す可きや浅紅を愛すべきや。

杏00紅白花00
『江畔獨步尋花七絕句 之五』 現代語訳と訳註
(本文)
江畔獨步尋花七絕句 其五 
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?


(下し文)
黄師 塔は 江水の東に前し、春光 懶困【らんこん】するも 微風に倚る。
桃花 一族 開けども 主無く、深紅を愛す可きや浅紅を愛すべきや。


(現代語訳)
(江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。)
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。


(訳注)
江畔獨步尋花七絕句 其五
 
江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。
上元二年の晩春から夏の作である。


黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
江畔独歩尋花○黃師塔 塔は塔に同じ、黄師塔とは黄姓の法師の墓である。其六の詩にも出て來ることからこの一角に黄という一族がいたのではなかろうか。解釈のイメージつくりに草堂からの市を設定してみる。この場合杜甫の自宅から位置決めをした。

○懶困
 だるいこと。春の陽気にけだるくなること。


桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。
〇一簇 ひとむらがり。
○無主 黄某という村人が居ればその場所で酒を呑むのだ当時の寒食の習慣で、その時以来何度もとおって見て留守にしていてせっかく咲いている花がもったいないという意味である。
○可愛深紅愛淺紅 深紅を愛で、淺紅を愛でるべき。隠遁者、陶淵明になっている杜甫は花を口実に飲みたい気持ちを詠っているのである。春の花に浮かれた杜甫の姿を想像する詩である。

江畔獨步尋花七絕句 其四 成都浣花渓 杜甫 <440>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2145 杜甫詩1000-440-623/1500

杜甫 江畔獨步尋花七絕句 其四
陶淵明の「飲酒」をイメージさせる、江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。
上元二年の晩春から夏の作である。

2013年3月30日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩盤石篇 曹植 魏<60-#3> 女性詩719 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2143
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第二段-#1 宋玉  <00-#3>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 632 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2144
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其四 成都浣花渓 杜甫 <440>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2145 杜甫詩1000-440-623/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登上戌石鼓山 謝霊運<29> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2146 (03/30)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聯句 光威哀姉妹三人、小孤而始折乃有。・・・・・因次其韻-#2 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-120-55-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2147
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

江畔獨步尋花七絕句 其四 成都浣花渓 杜甫 <440>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2145 杜甫詩1000-440-623/1500


詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 35) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の440首目-場面4 – 35
杜甫ブログ1500回予定の-623回目


4江畔獨步尋花七絕句 其四  
東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
自分の家から東のかた少城をながめると花にいっぱい咲き、朝もやに包まれている。百か繚乱の向こうに高楼があり、そこからの景色がとても良くてうらやましく思われるものでだろう。
誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵?

成都のまちではだれがそこへ満載した酒をもってきて金の新酒の甕壺を開き、美人たちをよんで花の宴のうつくしい筵で舞をさせて見せてくれるだろう。

(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句 其四)

東に 少城を望めば 花満ちて煙り、百花の高楼 更に可憐なり。
誰か能く酒を載せて金盞を開き、佳人を喚取して繍筵に舞わしめん。

桃園001花蕊夫人006






『江畔獨步尋花七絕句 之四』 現代語訳と訳註
(本文)
江畔獨步尋花七絕句 其四  
東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵?


(下し文)
(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句 其四)
東に 少城を望めば 花満ちて煙り、百花の高楼 更に可憐なり。
誰か能く酒を載せて金盞を開き、佳人を喚取して繍筵に舞わしめん。


(現代語訳)
(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句 其四)
自分の家から東のかた少城をながめると花にいっぱい咲き、朝もやに包まれている。百か繚乱の向こうに高楼があり、そこからの景色がとても良くてうらやましく思われるものでだろう。
成都のまちではだれがそこへ満載した酒をもってきて金の新酒の甕壺を開き、美人たちをよんで花の宴のうつくしい筵で舞をさせて見せてくれるだろう。


(訳注)
江畔獨步尋花七絕句 其四 
 
江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。
上元二年の晩春から夏の作である。


東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
自分の家から東のかた少城をながめると花にいっぱい咲き、朝もやに包まれている。百か繚乱の向こうに高楼があり、そこからの景色がとても良くてうらやましく思われるものでだろう。
○少城 小城に同じ、成都の西南の城で錦官城をいう。
○花満煙 朝もやが花にみちていることをいう、花に「満
てる煙」のあることをいう。遠望すると景色が靄に霞む花畑をいう。
○百花高楼 自分の目線方向に花畑、百花の向こうに高楼がある。歩いて城内まで行くときの景色。


誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵?
成都のまちではだれがそこへ満載した酒をもってきて金の新酒の甕壺を開き、美人たちをよんで花の宴のうつくしい筵で舞をさせて見せてくれるだろう。
載酒 酒を車にのせてはこびこむ。
○金盞 酒を入れた甕壺の黄金でかざったさ神の蓋にひもで縛ってふたがしてある。新酒の甕壺。
○佳人 美人。
○繡筵 ぬいとりをしたむしろ、
○この句は場内では花の宴を開いて、芸妓の舞をさせ音曲で酒を楽しむのだろうが、自分にはここの花があれば十分酒を呑めるというもので、酒をのむ口実であって、何も美人を呼びたいわけではなく、酒を呑む理由として花が存在していること、自分の庭先での酒にはこれだけ愛でる花があれば別に芸子が必要であるとは思わない。

江畔獨步尋花七絕句 其三 成都浣花渓 杜甫 <439>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2140 杜甫詩1000-439-622/1500

江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 34) 
竹林の七賢人、陶淵明に倣って花を愛でて酒を呑む儒家の哲学としてうたっている。


2013年3月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩盤石篇 曹植 魏<60-#2> 女性詩718 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2138
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 宋玉 <00-#2>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 631 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2139
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其三 成都浣花渓 杜甫 <439>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2140 杜甫詩1000-439-622/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登江中孤嶼 謝霊運<28> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2141 (03/29)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有。是作精醉儔難。謝家聯雪何以加、之有客自京師来者示予因次其韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-119-54-# 1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2142
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

江畔獨步尋花七絕句 其三 成都浣花渓 杜甫 <439>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2140 杜甫詩1000-439-622/1500


詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 34) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の439首目-場面4 – 34
杜甫ブログ1500回予定の-622回目   40732



1江畔濁歩尋花七絶句 其一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。


2江畔獨步尋花七絕句 其二
稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。
そうはいってもまだわたしは詩と酒に充分にこきつかわれているわけでもないし、十分存在かんをたもっているのである。まだまだ、この白髪のあたまの隠棲者を料理されるほどくたばってはいないのだ。(まだまだ飲めるぞ)

杏の花001

3
江畔獨步尋花七絕句 
其三 杜甫 

江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
濯錦江のくびれは水面深く、竹林のしずけさをおとしている三軒の家がある。それなのになやまされる沢山の事が、今もこうして赤い花が咲き、白い花がさきほこるのである。
報答春光知有處,應須美酒送生涯。

これに加えて春の暖かい光がここに降り注ぐところがあることを知るので、子ににも酬答えてやらねばいけないのである。だから春の新酒の美酒を用意してわが生涯における今のこのひと時を送ろうというのである。

江 深く 竹 靜かで兩三家,多事は紅花 白花を映す。
報答するは 春光 有處を知り,應に美酒を須いて生涯送る。



『江畔獨步尋花七絕句 之三』 杜甫 現代語訳と訳註
(本文)
江畔獨步尋花七絕句 其三 
江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
報答春光知有處,應須美酒送生涯。


(下し文)
江 深く 竹 靜かで兩三家,多事は紅花 白花を映す。
報答するは 春光 有處を知り,應に美酒を須いて生涯送る。


(現代語訳)
濯錦江のくびれは水面深く、竹林のしずけさをおとしている三軒の家がある。それなのになやまされる沢山の事が、今もこうして赤い花が咲き、白い花がさきほこるのである。


(訳注)
江畔獨步尋花七絕句 其三 杜甫 
竹林の七賢人、陶淵明に倣って花を愛でて酒を呑む儒家の哲学としてうたっている。


江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
濯錦江のくびれは水面深く、竹林のしずけさをおとしている三軒の家がある。それなのになやまされる沢山の事が、今もこうして赤い花が咲き、白い花がさきほこるのである。
これに加えて春の暖かい光がここに降り注ぐところがあることを知るので、子ににも酬答えてやらねばいけないのである。だから春の新酒の美酒を用意してわが生涯における今のこのひと時を送ろうというのである。
・江深 濯錦江。錦江が枝分かれして遊水地の役割をしている地域である。川幅が比較的広く、水深はそれほどない。一尺と云っている。ただ蛇行して流れるよどみの部分は深い。ここでは花があふれ咲き乱れている景色の中で濯錦江が遠くに見え、奥深く見えることを云う。
杜甫草堂詳細図02・兩三家 この蛇行している地点における家は三軒である。北鄰、と、南鄰の兩三家である。この地域としては八九軒ある。これまで掲載した詩に述べている。
『水檻遣心二首其一』 
去郭軒楹敞,無村眺望賒。澄江平少岸,幽樹晚多花。
細雨魚兒出,微風燕子斜。城中十萬戶。此地兩三家。

水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 


『寒食』
寒食江村路,風花高下飛。汀煙輕冉冉,竹日淨暉暉。
田父要皆去,鄰家問不違。地偏相識盡,雞犬亦忘歸。
寒食 杜甫 <430  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2095 杜甫詩1000-430-613/1500


『為農』
錦裡煙塵外,江村八九家。圓荷浮小葉,細麥落輕花。
卜宅從茲老,為農去國賒。遠慚勾漏令,不得問丹砂。
成都(2部)浣花渓の草堂(2 -3) 為農 杜甫 <366  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1771 杜甫詩 700- 542


浣花峡556『泛溪』
落景下高堂,進舟泛回溪。誰謂築居小,未盡喬木西。
遠郊信荒僻,秋色有餘淒。練練峰上雪,纖纖雲表霓。
童戲左右岸,罟弋畢提擕。翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。人情逐鮮美,物賤事已睽。
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。蕭條欲何適,出處無可齊。
衣上見新月,霜中登故畦。濁醪自初熟,東城多鼓鼙。
泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#1)  杜甫 <394-#1 五言古詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1903 杜甫詩1000-394-575/1500


『村夜』
風色蕭蕭暮,江頭人不行。
村舂雨外急,鄰火夜深明。
胡羯何多難?漁樵寄此生。
中原有兄弟,萬裡正含情。
村夜 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -14)  杜甫 <402 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1955 杜甫詩1000-402-585/1500



報答春光知有處,應須美酒送生涯。
これに加えて春の暖かい光がここに降り注ぐところがあることを知るので、子ににも酬答えてやらねばいけないのである。だから春の新酒の美酒を用意してわが生涯における今のこのひと時を送ろうというのである。
・報答 この地で与えられる自然の恵みに対して報いる。
・應須 まさに~を用意する。
・美酒 陶淵明が菊を愛し飲酒したことを意識しているし、竹林の七賢人を意識している。竹林の七賢(ちくりん晩菊002のしちけん)とは、3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した、下記の七人の称。
阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)、山濤(さんとう)、劉伶(りゅうれい)、阮咸(げんかん)、向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)をいう。当時は、半官半隠のものが多く官を辞して隠遁するものだけが隠者とはしていない。
遣意二首 其二
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿鷺起圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。
遣意二首其二 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 5)  杜甫 <410 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1995 杜甫詩1000-410-593/1500


・生涯 一生をひと時の喜びを得ることで過ごしていくということ。


江畔獨步尋花七絕句 其二 成都浣花渓 杜甫 <438>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2135 杜甫詩1000-438-621/1500

江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 33)



2013年3月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩盤石篇 曹植 魏<60-#1> 女性詩717 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2133
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其二 成都浣花渓 杜甫 <438>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2135 杜甫詩1000-438-621/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集游赤石進帆海詩 謝霊運<27> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2136 (03/28)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和人次韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-118-53-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2137
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
江畔獨步尋花七絕句 其二 成都浣花渓 杜甫 <438>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2135 杜甫詩1000-438-621/1500


詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 33) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の438首目-場面4 – 33
杜甫ブログ1500回予定の-621回目
   
2江畔獨步尋花七絕句 其二
稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。
そうはいってもまだわたしは詩と酒に充分にこきつかわれているわけでもないし、十分存在かんをたもっているのである。まだまだ、この白髪のあたまの隠棲者を料理されるほどくたばってはいないのだ。(まだまだ飲めるぞ)

(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句の二)
稠花【ちょうか】乱蕊【らんずい】江浜を裏【つつ】み、行歩【こうほ】敧危【きき】実に春を怕る。
詩酒 尚お駆使せらるるに堪えて在り、
未だ白頭の人を料理するを須【もち】いず。

『江畔獨步尋花七絕句 之二』 現代語訳と訳註
(本文)
江畔獨步尋花七絕句 其二
稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。


(下し文)
(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句の二)
稠花【ちょうか】乱蕊【らんずい】江浜を裏【つつ】み、行歩【こうほ】敧危【きき】実に春を怕る。
詩酒 尚お駆使せらるるに堪えて在り、未だ白頭の人を料理するを須【もち】いず。

(現代語訳)
多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。
そうはいってもまだわたしは詩と酒に充分にこきつかわれているわけでもないし、十分存在かんをたもっているのである。まだまだ、この白髪のあたまの隠棲者を料理されるほどくたばってはいないのだ。(まだまだ飲めるぞ)


(訳注)
江畔獨步尋花七絕句 其二

江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。
上元二年の晩春から夏の作である。その二は晩春の浣花渓での生活を詠う。


稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
花蕊と蜂01多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。
○稠花 多くの花。
○乱蕊 花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春を意味する。
○裏 両岸をかこむことをいう。 
○行步敧危 あるきつきがかたむき、あやうい。
○怕春 あしもとのあぶないのも春の趣向のよさがさせるためであるから春をおそろしいというのである。


詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。
杏00紅白花00そうはいってもまだわたしは詩と酒に充分にこきつかわれているわけでもないし、十分存在かんをたもっているのである。まだまだ、この白髪のあたまの隠棲者を料理されるほどくたばってはいないのだ。(まだまだ飲めるぞ)
○尚 春の趣で酒がすすみ、春をおそれはするがそれでもなお酒を飲むぞ。。
○堪駆使 詩酒に駆使されることにたえ
ることをいう。
○在 自己の身が存在すること、「在」の字の文法上の主辞は次句の「白頭人」である。
○料理俗語、始末する、かたづけてしまうなどの意、ここは生命を終了させる意に用いている。
○白頭人 隠遁していることを意識した自己をさしていう。


江畔獨步尋花七絕句 其一 成都(4部)浣花渓 杜甫 <437>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

1170 1021江畔獨步尋花七絕句
江畔獨步尋花七絕句 其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 32) 
晩春の浣花渓での生活を詠う。


2013年3月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府 女性詩716 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2128
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀(まとめ) 韓愈(韓退之) <119-#12>Ⅱ中唐詩629 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2129
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 杜甫 <437> 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集遊南亭 謝霊運<26> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2131 (03/27)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性左名場自澤州至京,使人傳語 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-117-52-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2132
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 

江畔獨步尋花七絕句 杜甫 <437> 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500


江畔獨步尋花七絕句 其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 32) 
詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 32) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の437首目-場面4 – 32
杜甫ブログ1500回予定の-620回目

江畔濁歩尋花七絶句(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句)
江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。
上元二年の晩春から夏の作である。

1
江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。

(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句の一) 
江上 花に被われ惱【なや】まされ徹せず,告訴【こくそ】する處無く只だ顛狂【てんきょう】す。
走りて南鄰の酒を愛す伴を覓むれども,旬を經て出飲し獨り空しく床す。


『江畔獨步尋花七絕句 之一』 現代語訳と訳註
桃園001(本文)
江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。


(下し文)
(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句の一) 
江上 花に被われ惱【なや】まされ徹せず,告訴【こくそ】する處無く只だ顛狂【てんきょう】す。
走りて南鄰の酒を愛す伴を覓むれども,旬を經て出飲し獨り空しく床す。


(現代語訳)
寒梅002浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。



(訳注)
江畔濁歩尋花七絶句 之一
 
江畔濁歩尋花七絶句(江畔独り歩して花を尋ぬ 七絶句)
江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。
上元二年の晩春から夏の作である。その一は晩春の浣花渓での生活を詠う。


江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
・被花 杜甫はこの地を花に被われるところとしたかった。そして浣花渓と名付けた。
・惱不徹 花に被われて悩むこととは、せっかく花いっぱいにしたのに訪れる客がいない、即ち花を愛でて酒を呑むということが出来ないということだ。
・不徹 或は不尽ということで、花が咲いてその花で酒を呑むことで初志が貫徹できるのである。
・顛狂 真剣にそのことしか考えられないほど状態になること。狂は杜甫が使う場合精神病の意味とは違う。


走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。
・愛酒伴 酒を愛し、酒の友である。
・經旬 旬は月を三分割する10日間を云う。ここは10日間も過ぎて。
・空床 空いたままになっている寝台。
・南鄰 この南隣の酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫1025『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

DCF00055南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 杜甫 <456>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500聞斛斯六官未歸 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5 - 12) 
残された家族は悲惨であることをのべる。杜甫も家族を羌村に残し長安に出ていた。その時に子供一人餓死させている。
杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』第三段(#9~10)#9
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1


成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 1000- 538

詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(10) 韓退之(韓愈)詩<110>Ⅱ中唐詩547 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1754 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 700- 538 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集剥啄行 韓退之(韓愈)詩<82-#2> (01/04) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首』(六)温庭筠 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-35-7-#13 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1756 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/


成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 1000- 538


黄梅000

詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の362首目-#9
杜甫ブログ1500-538回目

徐卿に果物の木を貰い受ける詩。
草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号

屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。
そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。

草堂002

杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、


10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。



詣徐卿覓果栽
<徐卿殿に果実の苗木を求める。>
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。

徐卿に詣りて 果栽を覓む
草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。
石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。


『詣徐卿覓果栽』 現代語訳と訳註
(本文)

詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

(下し文)
卿に詣りて 果栽を覓む
草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。
石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。


(現代語訳)
<徐卿殿に果実の苗木を求める。>
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。


(訳注)
詣徐卿覓果栽

徐卿殿に果実の苗木を求める。
・徐卿 成都の城郭西側の石筍街(現四川省成都金牛区石筍街)果園坊(城郭内の一角ブロックを坊という。)を住居とした人であろう。


草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
綠李 花期は4月頃で、葉の展開とともに5枚の白い花弁からなる花を付ける。8月下旬から11月頃にかけて、黄褐色または黄緑色でリンゴに似た直径10~18センチメートル程度の球形の果実がなり、食用とされる。果肉は白色で、甘く果汁が多い。
黄梅 黄梅 迎春花) Jasminum nudiflorum 【もくせい科ソケイ属】 原産 中国北部 2~4月に咲く  縦横に伸ばした枝に春早く花を付ける。花は明るい黄色   半つる性で垂れ下がる。花は2.5cm位で雲南黄梅より一回り小型。日当たりと排水の良い場所に植える。植つけは春と秋。挿し木や取り木で増やす。枝の花が垂れ下がるのを楽しむ木。樹高 2mまでの落葉低木。強健で寒さに強い。

黄梅000

石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。
○石筍街 成都城の一番北寄りの西門に在り、「即ち秦氏の遺址、僅に百五十歩なり」とある。
○果園坊 徐卿が居處


成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537

又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(9) 韓退之(韓愈)詩<109>Ⅱ中唐詩546 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1750 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集剥啄行 韓退之(韓愈)詩<82-#1> (01/03) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首(五)』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-34-6-#12 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1752 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537 


詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の361首目-#8
杜甫ブログ1500-537回目
今度は白い磁器の茶碗を貰い受ける詩です。


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。

ocha00

又於韋處乞大邑瓷碗
<また、韋班にここで臨邛の大邑で産出された陶器の碗をいただけるよう頼んだ。>
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
臨邛の大邑で産出された陶器の碗は軽くてその上堅いのだ。その碗を弾き敲いてみると清細な悲しい音がして成都錦城に伝説として伝えられる物である。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。
韋班君の家には白磁の碗があって霜や雪に勝る白さときめの細かさ滑らかさを持っているという。至急にその白い陶磁器をあばら家と書斎のあるわたしのところへ送ってはくれまいか、また、我が家には何も揃っていないということを憐れにも思っていただきたいのである。

(叉韋が處に於いて大邑の瓷碗を乞ふ)
大邑【だいゆう】の燒瓷【しょうじ】  輕うして且つ堅し、扣【たた】けば 哀玉の如ぐ錦城に傳ふ。
君が家の白碗【はくわん】、霜雪に勝れり、急に茅齋【ぼうさい】に送らば也【また】憐む可し。



『又於韋處乞大邑瓷碗』 現代語訳と訳註
(本文)

又於韋處乞大邑瓷碗
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


(下し文)
(叉韋が處に於いて大邑の瓷碗を乞ふ)
大邑【だいゆう】の燒瓷【しょうじ】  輕うして且つ堅し、扣【たた】けば 哀玉の如ぐ錦城に傳ふ。
君が家の白碗【はくわん】、霜雪に勝れり、急に茅齋【ぼうさい】に送らば也【また】憐む可し。


(現代語訳)
<また、韋班にここで臨邛の大邑で産出された陶器の碗をいただけるよう頼んだ。>
臨邛の大邑で産出された陶器の碗は軽くてその上堅いのだ。その碗を弾き敲いてみると清細な悲しい音がして成都錦城に伝説として伝えられる物である。
韋班君の家には白磁の碗があって霜や雪に勝る白さときめの細かさ滑らかさを持っているという。至急にその白い陶磁器をあばら家と書斎のあるわたしのところへ送ってはくれまいか、また、我が家には何も揃っていないということを憐れにも思っていただきたいのである。


(訳注)
又於韋處乞大邑瓷碗

また、韋班にここで臨邛の大邑で産出された陶器の碗をいただけるよう頼んだ。
又韋處. 韋の名は班、先に韋に憑りて松樹の子を覓め、今叉瓷碗を乞ふ、又といふ所以なり、 松樹の子を覓むるの詩は後の花木類に出づ 
・瓷。 磁器。きめのこまかいやきもの。かめ。
・瓷碗。 焼き物の碗、臨邛の大邑で産出されたもの。成都平原の西南部に位置する。成都市街からの距離は75キロメートル、臨邛は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省邛耒県。司馬相如が卓文君と恋に落ちて駆け落ちを始めたところ。


大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
臨邛の大邑で産出された陶器の碗は軽くてその上堅いのだ。その碗を弾き敲いてみると清細な悲しい音がして成都錦城に伝説として伝えられる物である。
哀玉 聲の清細なるもの。


君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。
韋班君の家には白磁の碗があって霜や雪に勝る白さときめの細かさ滑らかさを持っているという。至急にその白い陶磁器をあばら家と書斎のあるわたしのところへ送ってはくれまいか、また、我が家には何も揃っていないということを憐れにも思っていただきたいのである。
・勝霜雪 ここはただ白いということだけではなく、下や雪が積もった状態の滑り、なめらかさや丸みを帯びた陶磁器のことを謂う。素焼きではなくその釉薬の溶け具合を表現しているものと思われる。
・茅齋。 杜甫の浣花草堂をいう。

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <360>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536

憑韋少府班覓松樹子 杜甫

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(8) 韓退之(韓愈)詩<108-#2>Ⅱ中唐詩545 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1746 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#18><18最終回> (01/02) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首(四)』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-33-5-#11 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1748 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                           http://3rd.geocities.jp/miz910yh/

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <360>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536


憑韋少府班の世話で松をもとめた詩。
詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の360首目
杜甫ブログ1500-536回目


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」

7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


憑韋少府班覓松樹子
<少府の韋班にたのんで松樹の苗木をを求める>
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
木々の葉っぱの次々と落ちていく広葉樹の類いのものを選ぶがケヤキと柳を選ばないが、やっぱり通年青々と朽ちることのないものが良くどうしてヤマモモがいいものか。
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

松は年を重ねても青々として木を蔽っているそれも千年にわたってその意を持ち続けているのである、そういうことで霜のある冬時期を越した強い根を持ったまだ数寸の高さの苗木を求めているのである。
韋少府の班に憑りて 松樹の子を覓む
落落として羣を出づは欅柳に非ず、青青として朽ちず豈に楊梅ならんや。
存せんと欲するは老蓋千年の意あり、爲めに松根數寸の栽を覓めん。


楊柳00005



『憑韋少府班覓松樹子』 現代語訳と訳註
(本文)
憑韋少府班覓松樹子
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

(下し文)
韋少府の班に憑りて 松樹の子を覓む
落落として羣を出づは欅柳に非ず、青青として朽ちず豈に楊梅ならんや。
存せんと欲するは老蓋千年の意あり、爲めに松根數寸の栽を覓めん。


(現代語訳)
<少府の韋班にたのんで松樹の苗木をを求める>
木々の葉っぱの次々と落ちていく広葉樹の類いのものを選ぶがケヤキと柳を選ばないが、やっぱり通年青々と朽ちることのないものが良くどうしてヤマモモがいいものか。
松は年を重ねても青々として木を蔽っているそれも千年にわたってその意を持ち続けているのである、そういうことで霜のある冬時期を越した強い根を持ったまだ数寸の高さの苗木を求めているのである。


(訳注)
憑韋少府班覓松樹子

少府の韋班にたのんで松樹の苗木をを求める


落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
木々の葉っぱの次々と落ちていく広葉樹の類いのものを選ぶがケヤキと柳を選ばないが、やっぱり通年青々と朽ちることのないものが良くどうしてヤマモモがいいものか。
・ 欅柳。ケヤキ、ニレ科ケヤキ属の落葉高木。ツキ(槻)ともいう。楊柳 どちらも春の若葉をあらわす。
・ 楊梅。 ヤマモモの漢名。


欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。
松は年を重ねても青々として木を蔽っているそれも千年にわたってその意を持ち続けているのである、そういうことで霜のある冬時期を越した強い根を持ったまだ数寸の高さの苗木を求めているのである。
老蓋。 「松千歳にして方に頂平にして偃蓋なす」との世傳あり.
霜根 霜のある冬時期を越した強い根を持った木。
・數寸栽 ほんのまだ数寸の苗木。

成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫 <359>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1743 杜甫詩 700- 535

憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 631 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1741 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(8) 韓退之(韓愈)詩<108-#1>Ⅱ中唐詩544 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1742 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫 <356>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1743 杜甫詩 700- 535 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#17> (01/01) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首』(三)温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-32-5-#10 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1744 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                           http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫 <359>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1743 杜甫詩 700- 535 


詩題:成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の356首目-#6
杜甫ブログ1500-535回目
県尉何邕の世話ではんの木をもとめた詩。


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、

10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


憑何十一少府邕覓榿木栽
<十一番目の少府に務める何邕さんにおかげをもって 榿木の苗木を覓めた。>
草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?
わたしの草堂から西の方の堀のような小川までに樹木のはやしがないのです。貴殿でなければ、だれがわたしの人気のない静かなところを愛する心を知ってくれるものがあるだろうか。
飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。
誰もが承知っているように榿の木は三年もたてばかなり大きくなるという。どうぞわたしのためにこの川べりに十畝の樹陰を為すようおくってくださるようお願いします。

(何十一少府邕に憑りて榿木の栽を覓む)
草堂の塹西ざんせい 樹林無し、子に非ずんば誰か復た幽心を見ん。
飽くまで聞く榿き木 三年にして大なりと、與【ため】に溪の邊り十畝の陰を致さしめん。


榿木栽5001

『憑何十一少府邕覓榿木栽』 現代語訳と訳註
(本文)
憑何十一少府邕覓榿木栽
草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?
飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。

(下し文)
(何十一少府邕に憑りて榿木の栽を覓む)
草堂の塹西ざんせい 樹林無し、子に非ずんば誰か復た幽心を見ん。
飽くまで聞く榿き木 三年にして大なりと、與【ため】に溪の邊り十畝の陰を致さしめん。


(現代語訳)
<十一番目の少府に務める何邕さんにおかげをもって 榿木の苗木を覓めた。>
わたしの草堂から西の方の堀のような小川までに樹木のはやしがないのです。貴殿でなければ、だれがわたしの人気のない静かなところを愛する心を知ってくれるものがあるだろうか。
誰もが承知っているように榿の木は三年もたてばかなり大きくなるという。どうぞわたしのためにこの川べりに十畝の樹陰を為すようおくってくださるようお願いします。


(訳注)
憑何十一少府邕覓榿木栽
十一番目の少府に務める何邕さんにおかげをもって 榿木の苗木を覓めた。
・憑 おかげをこうむる。
・何十一少府邕 県の尉官の何邕、少府は尉の敬称、時に何邕は利州綿谷県の尉である
・ 榿。 木の名。はんの木。三年たてば大木になる。水辺に植える。幹は薪、実は染料にもなる。


草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?
わたしの草堂から西の方の堀のような小川までに樹木のはやしがないのです。貴殿でなければ、だれがわたしの人気のない静かなところを愛する心を知ってくれるものがあるだろうか。
・ 草堂 (1)草葺(ぶ)きの家。草屋。 (2)草庵。いおり。また、自分の家を謙遜していう語。
・ 塹 塹壕、堀、 溝、小川。
・ 幽心 幽遠・風雅な心。人気のない静かなところを愛する気持ち。


飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。
誰もが承知っているように榿の木は三年もたてばかなり大きくなるという。どうぞわたしのためにこの川べりに十畝の樹陰を為すようおくってくださるようお願いします。
・渓辺 渓は濯錦江、辺は畔。杜甫はここを浣花渓と名付け花さく村にしたかった。
は「為めに」ということ、致とはこちらへおくってよこすこと。
十畝 一畝が約522平方メートルであるから5220㎡で1710坪である。当時の表現で五より大きければ十で表現しているから、草堂のそばを流れている堀のような小川との空地がざっと1000坪程度の広さがあったということだろう。

成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <358>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534

從韋二明府續處覓綿竹 杜甫

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 630 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1737 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(7-2) 韓退之(韓愈)詩<107-#2>Ⅱ中唐詩543 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1738 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <356>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#16> (12/31) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首』(二)温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-31-5-#9 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1740 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                           http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <358>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534 

詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹
作 時:760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の356首目-#5
杜甫ブログ1500-534回目



杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5.韋続には綿竹県の竹を、
從韋二明府續處覓綿竹三數
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


從韋二明府續處覓綿竹三數叢
親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。

從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。


『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』 現代語訳と訳註
(本文)
從韋二明府續處覓綿竹三數叢
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


(下し文)
從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。


(現代語訳)
親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。


(訳注)
從韋二明府續處覓綿竹三數叢

親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
・ 綿竹 成都湧州に綿竹縣有り、縣に紫巖山有り、綿竹は蓋し此の山に産すとある。


華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
・藹藹 草木がこんもりと茂っているさま。
・亭亭 1 樹木などが高くまっすぐにそびえているさま。2 遠くはるかなさま。


江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。
錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。
・ 此物 綿竹のこと
・ 蒼翠。竹の色が常緑であること。
・ 拂波濤 錦江の波を払うとは、防波の役割をいう。



從韋二明府續處覓綿竹三數叢
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <357>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

蕭八明府實處覓桃栽 杜甫(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
◆◆◆2012年12月26日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆

Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集
古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹丕魏文帝の詩
至廣陵於馬上作 曹丕(魏文帝) 魏詩<8-#2>古詩源 巻五 女性詩629 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1733
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67765496.html

Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
秋懐詩十一首(7) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<107>Ⅱ中唐詩542 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1734
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6162341.html

Ⅲ.杜甫詩1000詩集
"●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めて旅をする
●全詩1/3を掲載済。"
成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67764563.html

Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#15> (12/30) http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-583.html

Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。
『南歌子七首』(一) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-30-5-#8 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1736
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/21534541.html


謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。

孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html
古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。

孟郊詩  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html
「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。

李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <357>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5.韋続には綿竹県の竹を、
6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


蕭八明府實處覓桃栽
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


桃園005



『蕭八明府實處覓桃栽』 現代語訳と訳註
(本文)

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


(下し文)
(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


(現代語訳)
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(訳注)
蕭八明府實處覓桃栽

県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。

・七言絶句 ここまで杜甫はほとんど絶句を書いていない。(貧交行、黄河二首)成都に来て、これ以降激増する。・韻 根、村、園。

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
・桃 春には五弁または多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。中国原産。食用・観賞用として世界各地で栽培されている。
・浣花村 花を浣【あら】う村とこの時初めて「浣花」という語を使ったのではないかと思う。頼みごとをするにしてもその贈られた桃に花が咲くころ、雪解けの水が満水になる。夢のあるネーミングである。杜甫のこの地での意気込みを感じるものである。


河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。
河陽縣の裏 「河陽一縣花」の桃が咲く河陽縣の県内には。
西晉の潘岳あり。潘岳在河陽當縣の令の時に,桃柳を多植し,號して花縣と稱し,以って自己の清高にして廉潔たることを表示す。庾信『枯樹賦』に “「若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。」と 有る。又『春賦』に雲う:「河陽一縣並是花。金谷從來滿園樹。」潘岳 河陽一縣花とする,甚だ “五柳先生”の陶淵明は相い提し並びに論ずるを與って還るに至る。
「河陽」 とは、 かの溝掘袖県に 令として赴任した際に桃李の花で県中を埋め尽くしたという故事ー. 成句としては 「即是河陽一県花」 (北周・庚信 「枯樹賦」)、 「河陽一 県. 併是花」 (同 「春賦」) などーで中国文学史上有名な地名であっ た。

晉の潘岳河陽の令と爲り、満縣に跳李を種う。人、號して河陽一縣の花といふ
《淮南子》雲:『木葉落,長年悲。』斯之謂矣。乃為歌曰:『建章三月火,黃河千里槎。若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。』桓大司馬聞而歎曰:『昔年移柳,依依漢南;今看搖落,淒江潭。樹猶如此,人何以堪。』にみえる。
・濯錦江 長江の支流錦江に注ぎ込む浣花渓の別名。


桃園001


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩)
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


蕭八明府實處覓桃栽
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

(1)王維
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

太子中允である王維に贈った詩。乾元元年の作。王維は天宝の末年に給事中の官であったが玄宗が蜀に奔ったとき従うに及ばず、叛乱軍にとらえられた。王維は薬をのんで痢を取り詐って痔の病と称した。安禄山はもとよりこれを憐んだが、人を遣わして洛陽に迎え来らせ菩提寺(或は普施寺という)に拘した。
杜甫は房琯の擁護をして粛宗の逆鱗に触れ、長安・洛陽奪還の肝心な時に鄜州羌村の家族のもとにあった。
朝廷内では他の官僚との交流もなく、疎外されていた。この間の詩については掲載の通り、内容的に、朝廷内で仕事は全くされてない状況であった。そうした中で王維に対して出過ぎた詩を贈ってしまった。杜甫が左遷されられる原因の一つに王維に対する詩をあげる。

この時期に至る王維の情況、朝廷の情況を見ていく。王維については、叛乱軍の中で口号して作った二首についてみる。その後に杜甫の王維に送る詩を見る。
(1)王維 菩提寺禁、誦示裴廸―『万首句人絶唐』引用の詩題
(2)王維 口號又示裴迪
(3)杜甫 奉贈王中允維

《菩提寺禁、誦示裴廸》(略題)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
《菩提寺禁、誦示裴廸》
萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。

秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)。
(菩提寺の禁にて裴迪に示す」)
万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す

10risho長安城の図035

現代語訳と訳註
(本文)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。


(下し文)
(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)

万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す


(現代語訳)
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(訳注)
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
○此の詩は、王維が安禄山に拘禁されていた時の作として知られる。○菩提寺 長安の平康坊南門の東にあったという。(長安城図参考)○ 王維が監禁されているところ、監獄。○裴迪 王維の友人。 
 王維詩 年賦・詩の時系序列
 王維 詩目次と詩のタイトル
 王維のアウトライン
 王維ものがたり


萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
野煙 野のかすみ。○朝天 朝廷に出仕する。
詩題でも裴迪(長安に住んでいた)の面会を言い、『洛陽伽藍記』の「菩提寺」の項にも、王維の拘禁について記述がない。王維はこの時長安にいた。裴迪も長安を居住としていた。「万戸」「百官」と対をなす語からも、首都長安のイメージが濃厚であり、賈至、王維、杜甫、岑参の「早朝大明宮」に
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
「金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。」と見えるのが、そのイメージを支える例証となる。「秋槐」の句は長安・洛陽いずれの宮殿にかけてよく、結びは洛陽についていう。ここで重要なことは、安禄山の酒宴に王維が参加していないということである。彼は756年天宝十五載(七月に至徳元我と改元)の六、七月ごろ、安禄山軍の捕虜となり、やがて洛陽に送られて、安禄山から偽官に就くことを要求されたが、それを拒否し、再び長安に連れもどされて、菩提寺に拘禁されていたのであろう。この作品が両都回復後に行なわれた功賞と処罰において、彼が寛大な処分を受ける大きな原因となった


秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。
 えんじゅ。○逆賊等 安史軍安縁山叛乱軍を指す。○凝碧池 唐の東の都、洛陽の禁苑にある池。○供奉人 宮廷の楽士。○挙声 楽器の音を出す。○口号 詩の体裁の一。口に隨って吟詠する意という。○誦示 文字に記さず、口づたえに示す。○なおこの時、王維と共に捕えられ、安禄山の官位を受けたものは、すべて罪せられたが、王維は此の詩のお陰で免かれたという。安縁山が凝碧池で宴した様子は「明皇雜録」にくわしい。抜粋して載せる。

「明皇雜録」 
 「天宝末、群賊両京(長安と洛陽)を陥し、大いに文武の朝臣及び黄門(宦官)、宮嬪(女官)を掠め、楽工、騎士、数百人を獲る毎に、兵仗を以て厳に衛り、洛陽に送る。山谷に逃るる者有るに至るも、而かも卒に能く羅捕迫脅し、授くるに冠帯(官位)を以てす。安禄山、尤も意を楽工に致し、求訪すること頗る切なり。旬日にして梨園の弟子数百人を獲だり。群賊、因りて相い与に大いに凝碧池に会して宴す。偽官数十人、大いに御庫(天子の宝物庫)の珍宝を陳べ、前後に羅列す。楽既に作る。梨園の旧人(かつての玄宗皐粧肛属の歌舞音曲団員)、覚えず歔欷(すすりなき)し、相い対し涙下る。群逆、皆な刃を露わし満を持し以て之れを脅かすも、已むあたわず。楽工の雷海青なる者有り。楽器を地に投じ、西向(玄宗皇帝のいる方角)して慟哭す。逆党(逆賊の一昧)乃わち海青を戯馬殿に縛し、支解(手足をばらばらにする酷刑)して以て衆に示す。之れを聞く者、傷痛せざるなし。禄山素より其の才を知る。迎えて洛陽に置き、迫って給事中と為すっ禄山大いに凝碧池に宴し、悉く梨園の諸工を召して合楽せしむ。諸工皆な泣く。維聞きて悲しむこと甚だしく、詩を賦りて悼痛めり。王維、時に賊の為に菩提仏寺に拘われ、之れを聞きて詩を賦す云云」とある。
《大意》
この凝碧池の宴会は、それによれば、安禄山軍以外に、偽政府のもと朝臣数十人も列席したという。安禄山は至徳二我の春正月六日早朝に子の安慶緒に殺されているから、この宴会は至徳元載(757)(時に王維五十六歳)の秋でなければならない。これに王維は出席していないから、当時は安禄山が与えようとした官(給事中)を拒否しつづけて、菩提寺(杜甫「崔氏東山草堂」原注を信すれば「東山北寺」)に拘禁されていたのであろう。 なおこのとき、音楽が始まったものの、梨園に席を置いた楽師たちは泣きだし、兵士たちは自刃で脅かしたが彼らは泣きやまず、雷海青という琵琶の名手は楽器を投げだし、玄宗が住む西方の覇に向かって慟哭した。怒った安禄山軍は彼の身体をばらばらに切り離して、見せしめにしたという。


王維が安禄山叛乱軍に捕らわれ、やむなえぬ事情ということで投降して、叛乱軍の政府の官僚となったことは、唐王朝に対する反逆である。男女別なくとらわれれば、敵の収穫物となるのであり。したがって、やむを得ない投降はないのであり、死か、反逆かしかないのであった。首都を回復した唐王朝としては叛乱者の官僚になるということは、許しがたい犯罪的行為であったのだ。彼は弟王潜の懸命な嘆願や後述する虜囚中の作品によって、微罪となったわけだが、この時代としては表面的なものでしかなく、王維自身には終生解決しえない重荷を負ったのである。

王維 輞川集

1孟城幼 もうじょうおう
2華子岡 かしこう
3文杏館ぶんきょうかん
4斤竹嶺 きんちくれい
5鹿柴   ろくさい 
6木蘭柴 もくらんさい
7茱萸拌 しゅゆはん
8宮塊陌 きゅうかいはく
9臨湖亭 りんこてい
10南 陀 なんだ
11欹 湖 いこ
12柳 浪 りゅうろう
13欒家瀬らんからい
14金屑泉 きんせつせん
15白石灘はくせきたん
16北 陀 ほくだ
17竹里館 ちくりかん
18辛夷塢 しんいお
19漆 園 しつえん
20椒 園 しょうえん


黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194


黄河二首 其二
黄河西岸是吾蜀、欲須供給家無粟。
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
願驅衆庶戴君王、混一車書棄金玉。

願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。

黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。


現代語訳と訳註
(本文)
黄河二首 其二
黄河西岸是吾蜀、欲須供給家無粟。
願驅衆庶戴君王、混一車書棄金玉。


(下し文)
黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。
 
(現代語訳)
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。


(訳注)
黄河西岸是吾蜀,欲須供給家無粟。
黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。)
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
黄河西岸 河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部のオルドスを中心に,その外側の陰山山脈以南を合わせた一帯、現在の内蒙古自治区の一部と鎮にし、陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した地域を示す.。杜甫が拘束中の中ではこのことは認識できないはずなので、黄河二首の作時は鳳翔である。○ 玄宗皇帝が蜀であるため、この表現になる。○供給 傭兵を供給すること。安史軍が圧倒してきて、黄河西岸を平定するだけであったので、兵力を増強する必要があった。○家無粟 長安の唐の両蔵が安史軍に抑えられていることと、ウイグルの援軍を得るため、対価が大きかったので、この表現になる。


願驅眾庶戴君王,混一車書棄金玉。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。)
願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。
 整列してすすむ。○衆庶 一般の人々。庶民。○混一 一つにまとめること。まぜて一つにすること。 平民も士太夫も一つになること。○金玉 金玉の富貴なものを棄つ。米粟を貴ぶことを示す。


黄河二首 其一
  黄河北岸海西軍,椎鼓鳴鍾天下聞。
  鐵馬長鳴不知數,胡人高鼻動成群。
其二
  黄河西岸是吾蜀,欲須供給家無粟。
  願驅眾庶戴君王,混一車書棄金玉。


 

○ 756年6月,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。.
○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.。
○ 756年6月13日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。
.
○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地.。

○ 756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。

○ 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.


★756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される


○ ・756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた.。

○ 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。

○ 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、
・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動
・.郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した.。

★ 杜甫 黄河二首
★ 杜甫長安に護送される。


●757年至徳二 年元 旦,安禄山は洛陽で実子の安慶緒,並びに腹心の部下によって暗殺さる.


○757年安禄山の盟友で,洛陽政権樹立の最:大の功労者であった史思明は,いちはやく分離独立の方針を決め,莫大な軍資金を蓄積してある范陽に帰還.


○ 757年同年2月,粛宗は鳳翔に進出.前年末からこれまでに,コータン・安西・北庭・抜汗那・大食からの援軍が集結.同 月,ウイグル首領の大将軍・多攬15人 が入朝.


○同年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護 と兄弟の契りを結ばせる.


○蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.


○ 757年9月17日,長安攻撃開始.朔方左廟兵馬使・僕固懐恩 とウイグル軍が連携して活躍.安慶緒側の守備軍は約6万の損失を蒙って潰走.唐軍,長安を回復す.


○ 757年10月,反乱軍は唐側の郭子儀軍やウイグル軍により滝関・陳郡を次々に落とされ,安 慶緒は洛陽を脱出して河北の鄭に走る.唐側は遂に洛陽を奪回.


○ 757年11月,長 安で粛宗と葉護が会見.粛宗は葉護を労い,司空の位を与え,忠義王に封じ,錦繍繰や金銀器皿を賜す,さらに毎年,絹2万匹を朔方軍にて支給する事を約す.


● 758年乾元元年5~7月,ウイグルの使者・多亥 阿波一行が長安に来て,公主降嫁 を要請.粛宗は幼少であった実の王女を寧国公主に封じて降嫁させ、同時に磨延畷を英武威遠砒伽可汗に冊立することを決定.寧国公主と冊立使の一行が ウイグルの本営に到着
.
758年08月,磨 延畷は王子の骨畷特勤と宰相・帝徳らに3000騎を率いさせて唐に派遣.粛宗は僕固懐恩にこの援軍との共同作戦の指揮を命ず.


● 759年乾元二年3月,史思明 は安慶緒を殺し,4月,自ら大燕皇帝として即位.


○ 759年4月,ウイグルの磨延畷可汗が急逝.ウイグルは寧国公主を殉死させ(132)ようとしたが,公主は抵抗し,同年8月に唐に帰国.一 方,長男・葉護太子は既に罪を得て殺されていたので,末子の移地健が牟羽可汗として即位(第3代).磨延畷在世中に,移地健のために唐に婚姻 を請うたため,粛宗は僕固懐恩めあわに命じてその娘を嬰せていた.それゆえ,彼女が可敦に昇格.

● 760年上元元年(760)閏3月,史思明は洛陽に入城.再び東西両都に対立する政権.

○  しかし,この後,史思明は長男の史朝義に替わって妾腹の子・史朝清を溺愛し始め,これを後継者にせんとしたため,逆に史朝義の部下が史思明を捕らえて幽閉.以後,史朝義が洛陽を保持.


○ 760年9月,ウイグルよりの使者 として倶録莫賀 達干タルカンらの一行が入朝.

● 761年上元二年2月,史思明殺され,史朝義が即位.

● 762年宝応元年4月,約2年 の蟄居生活の後,玄宗が死去.わずか十余日後に粛宗も崩御.代宗が即位.宝応と改元.

○  762年8月,ウイグルは史朝義から援軍要請を受け,「唐朝では天子の死去が度重なり,国は乱れ,主君がいないので,侵略して府庫を手に入れてはどうか」(両唐書ウイグル伝)と誘われたので,牟羽可汗自らが「国を傾けて」十万とも称される大軍を率いて南進.


○ 762年秋,代宗は,史朝義軍を打倒するため,中使・劉清潭を派遣し,ウイグル軍の出動を要請.劉清潭は既に陰山を越 えていたウイグル軍と遭遇.劉清潭が可汗に,・か つて代宗がウイグルの葉護と協力して安慶緒から両京を奪還した故事,・さらに唐からウイグルに毎年絹数万匹を贈っていることを訴えても,・ウイグル側はこれを無視して太原方面に向かうそこで劉清潭は長安の代宗に密使を送ってウイグル軍の現状を報告.長安中が略奪の危険を恐 れて震撼、たまたま可敦が両親に会いたいと要請してきたので,僕固懐恩が太原方面に赴き,娘婿の牟羽可汗に道理を説く.その結果,ウイグルは再 び唐側に就くこととなる.


○代宗 は雍王适(後 の徳宗)を 兵馬元帥とし,僕固懐恩らに命じて,陝州(太原倉の食料あ り)でウイグル軍に合流させる.牟羽可汗は雍王を引見するに当たって,雍王が拝舞(踏舞)の 礼をしないのを難詰.やりとりがあるが,結局,雍王の側近を不敬罪で棒打ち(翌日死亡).この後,ウ イグルの右 シャドの軍と僕固懐恩軍とが先鋒となって戦い,遂に洛陽を奪還(10月).史朝義は范陽に向かって敗走、雍王は霊宝に帰り,可汗は河陽(河南省孟県,黄河の北岸)に 数 ヶ月間駐屯.僕固懐 の息子・僕固瑒(チョウ) の軍はウイグル軍 と共に史朝義を2000余里も追跡して追いつめる.

●763年宝応二年(763)正月,史朝義 は范陽で自殺.史朝義の首が長安に届き,安史の乱,平ら ぐ.

○ 763年2月,牟 羽可汗は代宗に別れ を告げて帰国.内殿にて繰200段を賜与さる.。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193
756年 至徳元年秋に安史軍(叛乱軍)に捕縛される前後の出来事を後になって作ったものと思う。時期的には、鳳翔に在った時以降だろう。どちらにしても中央で閑職状態の時期である。


黄河二首 其一
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。

甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。

黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。

黄河二首 杜甫オレンジが安史軍支配地域756年7月から12月期。
安史の乱は官軍と賊軍という範疇では説明できない。反乱軍という表現だけでもいけない。異民族はどちらにも構成軍に入っているし、安禄山の軍も、いろんな構成であった。
この詩、黄河二首の時期の勢力図であり、地図の中央上部の地点で安史軍と王朝ウイグル連合軍が対峙した。この時唐王朝は、霊武から河曲(緑の矢印辺)あたりしか支配地域が限定して、じり貧状態であった。

現代語訳と訳註
(本文) 黄河二首

黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。


(下し文)
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。


(現代語訳)
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。

(訳注)
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
黄河北岸 南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷のこと。○海西の軍。粛宗が即位し、援軍を求めたウイグルの騎兵隊の軍。


鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。
鐵馬 甲冑で武装した兵馬。○胡人 異民族の中で北方、西方にウイグル人がおり、北には鮮卑系もいた。○高鼻 異民族のウイグルの人。

○唐王朝は滅亡寸前という態勢であったが、霊武は西北辺境の要衝であり、朔方節度使・郭子儀の本拠地であった。ウイグルがこの時安史軍(叛乱軍)に味方するか、中立を取れば、唐は滅亡していたかもしれない。
○杜甫は、ウイグルによって救われていることを不安に思っていた。




安史の乱の年譜(黄河二首の背景)
○ 756年6月,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。.

○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.。

○ 756年6月13日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。


○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地。


○ 756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。


○ 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番。


★756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される。


○ 756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた。


○ 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。


○ 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流。

・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動。


・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した。


★ 杜甫 黄河二首

★ 杜甫長安に護送される。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 148 夜雨寄北

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 147 夜雨寄北


月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
    ー 杜甫『月夜』の理解を深めるために ー
2.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維

3. 除夜作  高適
3.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
4.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 八月十五日夜禁中独直対月憶元九 白居易

 5. 夜雨寄北 李商隠
5.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 148 夜雨寄北

 6.李白の詩
6.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149家族の詩(6)

 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
7.月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150


 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女

9.763年 蜀の乱を避けて「蜀中転々」の時期に、江南の地に移住しようと思っていたころ、自分と家族のことを考えている中で旅の空のもと自然を詠う秀作。

695 《倦夜〔倦秋夜〕》 蜀中転々 杜甫 <602  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3320 杜甫詩1000-602-858/1500



5. 李商隠 
 
七言絶句。夜雨寄北 李商隠

秘められた恋人に寄せた詩とするのがふさわしい。相手は定かでないものの、場所、時間などの状況ははっきりして、李商隠の恋愛詩のなかでは極めてわかりやすく、実際に手紙に代えて送ったものとも考えられる。
 一般的な解釈では「北」を李商隠の妻とするとされている。
 自分の境遇を女性に置き換えて詠ったというのが私の解釈で語句の背後にかくされているとかんがえている。


夜雨寄北 

君問歸期末有期、巴山夜雨漲秋池。
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。

何當共翦西囱燭、却話巴山夜雨時。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。


君 帰期を問うも未だ期有らず、巴山の夜雨 秋池に漲る。
何当か共に西窓の燭を翦り、却って話さん 巴山夜雨の時。


(本文)夜雨寄北
君問歸期未有期 、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭 、卻話巴山夜雨時。


(下し文)
夜雨 北に寄す
君 帰期を問うも未だ期有らず、巴山の夜雨 秋池に漲る。
何当か共に西窓の燭を翦り、却って話さん 巴山夜雨の時。


(現代語訳)
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。


(訳注)夜雨寄北
寄北 851~855まで梓州(四川省)の柳仲郢の幕下にいた時期。妻王氏はすでに没している。従来、妻に寄せた詩と解されることが多いが、「北」に妻の意味はないし、儒教的な詩の意味はないのである。ここでの雨が宋玉「高唐の賦」にある巫山神女の故事によるもので、懷王と交わった後、神女が「暮には行雨とならん」とどんな時でも一緒にいるといった意味を持つ雨である。


君問歸期末有期、巴山夜雨漲秋池。
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。
 約束。「景陽井」 李商隠 48 にある。同じ句の中に期を二語つかっている。二つの約束を示す。帰るという約束。秘められた女性とのまた交わるという約束有るに至らず。
巴山 「巴」は四川省東部一帯を指す古名。巴の國に属する山といえは巫山があり、楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させる。
李商隠 6 重過聖女詞 詩注参照。



何當共翦西囱燭、却話巴山夜雨時。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。
何当 いつ。未来の時についての疑問詞。いつになればと願う気持ちを伴う。○共翦西窓燭 「燭を翳る」は、ろうそくの芯についた燃えかすを切り取って明るくする。時間が経過したことをあらわす。また燃えかすが花のようになった「灯花」ができるのは待ち人が来るなど、吉兆とされる。「共」には一緒にと何度もの意味。「西窓」は閨牀の窓辺で、情交を意味する。○ 思いや動きが反対の向きに変わることを示す。


李商隠も女性を歌うのは芸妓を詠い、あるいは妻を詠う場合でも、芸妓の舞台を借りているのである。
 好きな女性か、先に逝った妻を偲んでうたったとされているが、これらと別の意味合いが含まれているため、恋歌として今一つ心に打たれないのである。いろんな意味を込める語で句を構成していく方法、李商隠らしいものであるのであるが、都にいる、反体制の同志に、何らかの暗号で、様子を知らせてくれと訴えているように感じるのである。

夜雨寄北
君問歸期未有期 、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭 、卻話巴山夜雨時。
○韻 池、期、時。

6.李白(つづく)

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ