《軍城早秋》厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500
厳武《軍城早秋》
昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山
更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還
杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋》
秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。
已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。
詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋
製作年: 764年 廣德二年 53歲
卷別: 卷二二八 文體: 七言絕句
杜少陵集:巻十四
及地點: 的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博
蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)
交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)
------------------------------------------------------------------------------
軍城早秋(軍城の早秋) 厳武
軍城早秋
昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。
更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。
(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)
吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。
このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。
(軍城の早秋)
昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。
更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。
『軍城早秋』 現代語訳と訳註
(本文)
軍城早秋
昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山
更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還
(下し文)
(軍城の早秋)
昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。
更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。
(現代語訳)
(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)
吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。
このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。
(訳注)
軍城早秋(軍城の早秋)
(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)
764年、広徳二年七月の作。此の年、九月に厳武の軍は吐蕃七万余の衆を当狗城に破り、遂に塩川城を収めた。詩はその二か月前に成ったのでこれより吐蕃を攻め破ろうとの意気込みでよんだものである。
○軍城 軍務中の城、成都の城をいう。
昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。
吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。
○昨夜 ゆうべ、必ずしも、ただちに前日の夜をさすというわけではない。
○漢関 漢地の関、唐の吐蕃境に接する関をいう。
○朔雲 北方よりのくも、雪雲のこと。
○辺雪 辺境の雪、「雪」の字を或は「月」に作る、月は月光をいう、雪の意はすでに朔雲のうちにこもっているので「月」の字が妙に思われる。
○西山 雪山をさす、すでにしばしばみえる。
更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。
このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。
○更催 更とはこれまでよりももっとということ、催は催促。
○飛将 湊の武帝の時の名将李広を称して旬奴はこれを飛将軍といった、その兵をやることの神速なことをいうのである、ここは部下の将軍をさしていう。
○臨虜 えびすにのぞむ、吐蕃をさす。
○遣 俗用、「して1-せしむる」こと。
○沙場 沙漠をいう、ここは単に戦場をいう。
〇匹馬 一匹の馬さえもの意、敵の馬についていう。
(軍城の早秋)
昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。
更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ
軍城早秋
昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。