杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
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七言絶句

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《軍城早秋》厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500

 

 

厳武《軍城早秋》

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

 

 

詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻十四 

及地點:  的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博     

蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)     

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

------------------------------------------------------------------------------

軍城早秋(軍城の早秋) 厳武

 

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

安史の乱当時の勢力図 

軍城早秋』 現代語訳と訳註

(本文)

軍城早秋

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

(下し文)

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(訳注)

軍城早秋(軍城の早秋)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

764年、広徳二年七月の作。此の年、九月に厳武の軍は吐蕃七万余の衆を当狗城に破り、遂に塩川城を収めた。詩はその二か月前に成ったのでこれより吐蕃を攻め破ろうとの意気込みでよんだものである。

○軍城 軍務中の城、成都の城をいう。

 

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

○昨夜 ゆうべ、必ずしも、ただちに前日の夜をさすというわけではない。

○漢関 漢地の関、唐の吐蕃境に接する関をいう。

○朔雲 北方よりのくも、雪雲のこと。

○辺雪 辺境の雪、「雪」の字を或は「月」に作る、月は月光をいう、雪の意はすでに朔雲のうちにこもっているので「月」の字が妙に思われる。

○西山 雪山をさす、すでにしばしばみえる。

 

更催飛将追臨虜莫遣沙場匹馬還

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

○更催 更とはこれまでよりももっとということ、催は催促。

○飛将 湊の武帝の時の名将李広を称して旬奴はこれを飛将軍といった、その兵をやることの神速なことをいうのである、ここは部下の将軍をさしていう。

○臨虜 えびすにのぞむ、吐蕃をさす。

○遣 俗用、「して1-せしむる」こと。

○沙場 沙漠をいう、ここは単に戦場をいう。

〇匹馬 一匹の馬さえもの意、敵の馬についていう。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。
題新津北橋棲00 

740 《惠義寺園送辛員外》 蜀中転々 杜甫 <647>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3545 杜甫詩1000-647-903/1500〔草堂逸詩拾遺-(16)〕

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740 《惠義寺園送辛員外》 蜀中転々 杜甫 <647>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3545 杜甫詩1000-647-903/1500〔草堂逸詩拾遺-(16)

 

 

 

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 七言 

詩題: 惠義寺園送辛員外〔草堂逸詩拾遺-(16)

及地點:  惠義寺 (劍南道北部 梓州 )     

交遊人物: 辛員外 當地交遊(劍南道北部 梓州 )

 

 

掲 載; 杜甫1000首の647首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-903回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(16)

惠義寺園送辛員外

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。 

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。 

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

桜桃002 

 

『惠義寺園送辛員外』 現代語訳と訳註

(本文)

惠義寺園送辛員外

朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。 

萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。 

 

 

(下し文)

惠義寺の園 辛員外を送る

朱櫻 此日 朱實を垂る, 郭外 誰が家に 郭田を負わんか。 

萬里 相い逢い握手を貪り, 高才 卻て筵を離るを足らんとするを望む。 

 

(現代語訳)

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

 

 

(訳注)

惠義寺園送辛員外

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

 

朱櫻 此日 垂 朱實 ,郭外 誰家 負郭田 。

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

「朱櫻」桜桃【おうとう】のこと。1㋐バラ科サクラ属の落葉小高木。晩春、葉より先に白い花をつけ、6月ごろ、球形で紅色の果実がなる。中国の原産で、日本へは明治初期に渡来。みざくら。しなみざくら。㋑食用になる桜ん坊。、中国には昔から華北・華中を中心に、支那桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)・唐実桜(カラミザクラ)がある。口に含んで食べることから一名を含桃といい[5]、漢の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5月)の条に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」との記述がある。

「郭外」城郭都市(じょうかくとし)とは周囲を堀、土塁、城壁(市壁)などの防御施設によって囲んだ都市をいう。囲郭都市、城塞都市ともいい、城壁で囲んでいる場合は特に城壁都市をいう。

「郭田」 城郭内にある田畑。

 

 

萬里 相逢 貪 握手 ,高才 卻望 足離筵 。

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

「萬里」おそらく長安で知り合っていたものであろう。長安から見て万里の先で出会ったことを云う。

「貪握手」久しぶりに出会ったことで手を取り合って喜びあったのだろう。

「離筵」別離の宴席。 
珠櫻001 

723 《答楊梓州》 蜀中転々 杜甫 <630>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3460 杜甫詩1000-630-886/1500

《答楊梓州》春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。


2013年12月18日  の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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723 《答楊梓州》 蜀中転々 杜甫 <630  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3460 杜甫詩1000-630-886/1500


詩 題:答楊梓州
作時:763 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の630首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-886回目 

杏の白花012 



 

卷別: 卷二二八  文體: 七言

作地點: 漢州(劍南道北部 / 漢州 / 漢州

及地點: 梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)     

交遊人: 楊梓州

掲 載; 杜甫1000首の630首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-886回目   40985

763年春、漢州(四川省広漢縣)に行ったときの作。この池は即ち房琯公池で房琯か相を罷めて後、漢州の刺史となって来て掘らせた池。房琯この春召しかえされて刑部尚書に進められたが、途中疾にあい、八月、閬州の客舎で死んだ。杜甫とは関係のふかい政治家であった。

この詩は房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。いろいろ諷刺の意味に解されているが、このままでも可愛いいうたである。

同時期に下記をつくる

・陪王漢州留杜綿州泛房公西湖

・舟前小鵝兒

・得房公池鵝

・答楊梓州

 

 

●陪王漢州留杜綿州泛房公西湖〔房琯刺漢州時所鑿。〕

舊相恩追後,春池賞不稀。

闕庭分未到,舟楫有光輝。

豉化蓴絲熟,刀鳴鱠縷飛。

使君雙皁蓋,灘淺正相依。

(王漢州が杜甫を留まるようにいわれ綿州にお供する際に房琯公の作った西池に舟を泛べる。)

〔房琯公が漢州の刺使の時に鑿った所。〕

前の宰相の今は亡き房琯公の御恩にたいしてのお礼にここに来た。房琯公の掘った春の池は素晴らしいもので稀にでも見られるものではないのである。

東宮の皇太子の粛宗から貶められたのちに召されたがその途中で病死した。ここでは舟の楫をとる水面は春の日に輝き照らされている。

大豆黄巻の豆はなり、蓴菜も取れごろであり、料理人の包丁の音が鳴り、鱠も糸のように調理され、おおざらにならべられてとぶようにしてはこばれてくる。

王漢州使君と舟屋に二つ並んで繋ぎ、そして中州に行き、浅瀬に、まさに一緒に行動する。

(王漢州が杜を留めて陪し、綿州房公西湖に泛ぶ〔房琯刺の漢州の時、鑿をとる所。〕)

舊相 恩 後を追い,春池 賞 稀れならず。

闕庭【さくてい】分れて未だ到らず,舟楫【しゅうとう】光輝有り。

豉化【かか】蓴絲【せんし】熟し,刀鳴は鱠縷【かいい】飛ばす。

使君 皁蓋【そうがい】に雙ぶ,灘淺【たんせん】正に相い依る。

 

 

●舟前小鵝兒

〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕

鵝兒黃似酒,對酒愛新鵝。

引頸嗔船逼,無行亂眼多。

翅開遭宿雨,力小困滄波。

客散層城暮,狐狸奈若何。

(房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。)

〔杜甫が注を付す。漢州城の西北の官有地に作られた官が作った池で「房公湖」という。〕

鵞鳥のひなは黄色くて漢州の鵞黄酒のような色をしている。その酒を汲みかわして、その鵞鳥の子を可愛いく眺めている。

ひなは頸をのばして、舟が近づくのを怒ったり、行列もつくらず歩きまわって、見る人の目をチラチラさせる。

羽根は夜来の雨に遭うてささくれ立ち、まだ力がよわいので紋にぶっつかって困っている。

城が暮れて来て、遊客も散り果てたあと、またぞろ、狐狸のような群寇が出て来たら、それをどうしたらいいだろう。

(舟前【さき】の小鵝兒【しょうがじ】〔自注:漢州城西北の角の官池にて作る,官池は即ち房公湖という。〕)

鵝兒 黃なるは酒に似たり,酒に對すれば新鵝を愛す。

頸を引【のば】せば船の逼るを嗔【いか】り,行を無くせば眼を亂すこと多し。

翅 開けば宿雨に遭い,力 小【すくな】ければ滄波に困しむ。

客は散ず 層城の暮に,狐狸 若【なんじ】を奈何【いかん】せん。

 

●得房公池鵝

房相西亭鵝一群,眠沙泛浦白於雲。

鳳皇池上應迴首,為報籠隨王右軍。

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く浮ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

 

(房公池の鵝を得る)

房相 西亭 鵝の一群,沙に眠り 浦に雲を於き白くし泛ぶ。

鳳皇 池上 應に首を迴し,報を為す 王右軍を籠隨すと。

 

●答楊梓州

悶到房公池水頭,坐逢楊子鎮東州。

卻向青溪不相見,迴船應載阿戎遊。

(楊梓州刺史からの書簡に答える。)

長い間の漂泊生活の苦しみのなかで、房琯公の作られた池のほとりにやっと到った。ここでの生活する日常的にであったのが楊殿であり、彼は蜀の東側の州の乱れを鎮圧された。

こうして春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。

kimo003 

『答楊梓州』 現代語訳と訳註

(本文)

答楊梓州

悶到房公池水頭,坐逢楊子鎮東州。

卻向青溪不相見,迴船應載阿戎遊。

 

(下し文)

楊梓州に答える

悶到したのは房公の池水の頭に,坐ろに逢うは楊子が東州を鎮めしころだ。

卻て向うた青溪で相いに見まわざれば,船を迴して應載して阿戎として遊ばん。

 

(現代語訳)

(楊梓州刺史からの書簡に答える。)

長い間の漂泊生活の苦しみのなかで、房琯公の作られた池のほとりにやっと到った。ここでの生活する日常的にであったのが楊殿であり、彼は蜀の東側の州の乱れを鎮圧された。

こうして春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。

 

(訳注)

答楊梓州

(楊梓州刺史からの書簡に答える。)

直属の部下である梓州の留後の章彝との仲が良かった。

章梓州水亭

〔原注〕時漢中王乗道士席謙在合、同用荷字韻

城晚通雲霧,亭深到芰荷。

吏人橋外少,秋水席邊多。

近屬淮王至,高門薊子過。

荊州愛山簡,吾醉亦長歌。

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

692 《陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕》#1 蜀中転々 杜甫 <598  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3300 杜甫詩1000-598-854/1500

 

悶到房公池水頭,坐逢楊子鎮東州。

長い間の漂泊生活の苦しみのなかで、房琯公の作られた池のほとりにやっと到った。ここでの生活する日常的にであったのが楊殿であり、彼は蜀の東側の州の乱れを鎮圧された。

・悶 長い間の漂泊生活の苦しみを云う。1 もだえ苦しむ。「悶死・悶絶・悶悶/苦悶・煩悶」2 もつれる。「悶着」

・房公 房琯のこと。河湖地名(湖海池潭)、房公池。

・池 漢州城の西北の官有地に作られた官が作った池で「房公湖」という。

・東州 梓州の漢時代の名称。唐では剣南西道の東側(梓州、遂州、普州)をいう。

 

卻向青溪不相見,迴船應載阿戎遊

うして春になって州境の靑渓関に向かったが互いに合うということはなかったなら、そこに船をむかえにやらせても、帰ってきてまさにいとこ兄弟として舟遊びをしようではないか。

・青溪 梓州、綿州と漢州の境界近くの渓谷の名前。近くに靑渓関がある。春景色の靑渓関。

・阿戎 いとこ。堂弟。

花鴨004 

 

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◎房琯擁護事件について

杜甫は、天子の側近にあって国政に直接関わることのできる地位に就くことができたのである。

今こそ

  「致君堯舜上,再使風俗淳。」

  “君を堯と舜の上に致し、再び風俗をして淳あつからしめん”

『韋左丞丈に贈り奉る二十二韻』という年来の志を果たすことができようと、杜甫は身の引き締まる思いをしながらも、心からうれしかったのだ。

その左拾遺に任ずる詔書には、

 “襄陽の杜甫、爾の才徳は、朕深く之を知る。

  今、特に命じて宜義郎・行在の左拾遺と為す。

  職を授けし後は、宜しく是の職に勤めて怠る

  ことなかるべし。中書侍郎の張鎬に命じ、

  符をもたらして告論せしむ。

  至徳二載五月十六日行。”

とあり、杜甫は“宜しく是の職に勤めて怠ることなかるべき”ことを誓った。そうして数日ののち、拾遺の職務に忠実に諌諍を行なったが、粛宗の激怒によって危うく一命を失いそうになる。

 

 諌諍の内容は、杜甫が左拾遺を授けられる六日前、すなわち757年五月十六日に宰相から太子少師の閑職に左遷された房琯の弁護であった。房琯は、蜀にある玄宗のもとから派遣されて粛宗の政府の宰相となっていたが、陳陶斜と青坂での敗戦の責任は、粛宗の信任あつい李泌のとりなしによってなんとか問われなかったものの、粛宗の信頼は失われてしまっていた。また、賀蘭進明・崔円ら粛宗直属の臣と、玄宗のもとから遺わされてきた者との対立、知識人宰相として実務家官僚たちと意見が合わず孤立していた、などという事情を背景とし、直接には、房琯の取り巻きの一人である楽師が宰相への口利き料を取っていたのが露見して収賄罪で告訴され、それを房琯が救けようとした、ということが原因となって左遭されたものであった。

 

 杜甫にとって房琯は、私的には「布衣の交わりを為す」(『新唐書』杜甫伝)つまり地位の上下をぬきにしたつき合いをしていた人であったようであるし、また公的には、新政府の宰相として彼以上の人物はいないと信じていたために、房棺が左遷されたのを、そのまま見過ごしておくことはできなかった。そうして、政府内の事情もよくわからないままに、また左拾遺としての慣例などおかまいなしに、わが思うままを述べたてて、「罪は細なり。宜しく大臣を免ずべからず」(『新唐書』杜甫伝)と奏上した。それは実情を考慮することなく、理想に向かって突っ走ろうとする、

いかにも杜甫らしい行動であった。

 

 職務に忠実とはいえ、僭越過ぎる諫諍をしたものである。朝廷とは行在所で粛宗も皇帝としての実績もなく、叛乱軍に対する政策も方針も確固たるものがなかった時期である。確かに、戦力を整えるときで人材を豊富にし、集積にして行かなければいけない時であった。粛宗の好みで近臣を選定していたのである。したがって、好みでないものは左遷された。そうであっても、成りたての新米、朝廷内のなにもわからないものが、云うべき問題であったのか、疑問は残る。それと、杜甫がせっかく擁護した房琯のその後の態度姿勢は擁護に値する人間ではなかったのである。ただ、玄宗皇帝にうまく取り入っていた男に過ぎなかったのではないのか。そうした意味で杜甫の一生をかけていうべき問題ではなかったというのが結果論である。

 

 粛宗はこの時、杜甫を玄宗派出なく自派の陣営として左拾位に任命したのである。玄宗の指令を受けてきて素行のよろしくないとされている房琯を誰もが援護するとは思ってもみなかった。なりよりも、陳陶、青坂の戦いは軍を率いた将軍として不甲斐無さ過ぎた。玄宗から派遣されたものでなければ将軍に抜擢されていないはずである。近親が必要な段階であった。房琯のおつきの楽師が賄賂を採ったとは、宦官の仕組んだ罠のようなものであったのだとは思うが、この段階で、その房琯を擁護するのは、どう考えても僭越を通り過ぎている。杜甫を、粛宗が信用するはずはなく、将来がなくなるのは当り前であろう。すべて宦官のしくんだ罠にはまったのである。玄宗も、粛宗も一番信頼できたのは、宦官勢力であった。事実宦官に寄って王朝は守られ維持できたのである。この読みの違いは杜甫にとってはどうしようもない失策であった。杜甫自身も一回朝廷の地位に付けば先祖に対する名分は立ったと考えたのかもしれない。ある意味で覚悟した言動行動であったのかもしれないし、杜甫の中では、玄宗元皇帝の影響力がまだ残っていると考えていたのかもしれない。杜甫の人生の中のエポックになる事件であった。しかし杜甫はこの事件について、その後も反省はしていない。  

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

杜甫《得房公池鵝》それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

2013年12月17日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(27)#10-2 文選 賦<112―27>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩981 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3453
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 6 浣溪紗八首 其四 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-382-9-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3457
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

 

 

詩 題:得房公池鵝

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

kimo003 

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

詩題: 得房公池鵝 

作地點: 漢州(劍南道北部 / 漢州 / 漢州

及地點:  房公湖 (劍南道北部 漢州 漢州) 別名:房公西湖、房公池、官池     

掲 載; 杜甫1000首の629首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-885回目

763年春、漢州(四川省広漢縣)に行ったときの作。この池は即ち房琯公池で房琯か相を罷めて後、漢州の刺史となって来て掘らせた池。房琯この春召しかえされて刑部尚書に進められたが、途中疾にあい、八月、閬州の客舎で死んだ。杜甫とは関係のふかい政治家であった。

この詩は房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。いろいろ諷刺の意味に解されているが、このままでも可愛いいうたである。

同時期に下記をつくる

・陪王漢州留杜綿州泛房公西湖

・舟前小鵝兒

・得房公池鵝

 

陪王漢州留杜綿州泛房公西湖

(王漢州が杜甫を留まるようにいわれ綿州にお供する際に房琯公の作った西池に舟を泛べる。)

〔房琯刺漢州時所鑿。〕

〔房琯公が漢州の刺使の時に鑿った所。〕

舊相恩追後,春池賞不稀。

前の宰相の今は亡き房琯公の御恩にたいしてのお礼にここに来た。房琯公の掘った春の池は素晴らしいもので稀にでも見られるものではないのである。

闕庭分未到,舟楫有光輝。

東宮の皇太子の粛宗から貶められたのちに召されたがその途中で病死した。ここでは舟の楫をとる水面は春の日に輝き照らされている。

豉化蓴絲熟,刀鳴鱠縷飛。

大豆黄巻の豆はなり、蓴菜も取れごろであり、料理人の包丁の音が鳴り、鱠も糸のように調理され、おおざらにならべられてとぶようにしてはこばれてくる。

使君雙皁蓋,灘淺正相依。

王漢州使君と舟屋に二つ並んで繋ぎ、そして中州に行き、浅瀬に、まさに一緒に行動する。

(王漢州が杜を留めて陪し、綿州房公西湖に泛ぶ〔房琯刺の漢州の時、鑿をとる所。〕)

舊相 恩 後を追い,春池 賞 稀れならず。

闕庭【さくてい】分れて未だ到らず,舟楫【しゅうとう】光輝有り。

豉化【かか】蓴絲【せんし】熟し,刀鳴は鱠縷【かいい】飛ばす。

使君 皁蓋【そうがい】に雙ぶ,灘淺【たんせん】正に相い依る。

 

 

舟前小鵝兒

(房琯が去った後、漢州にゆき、彼の掘らせた池に遊んで、鵞鳥の子を見て詠じたもの。)

〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕

〔杜甫が注を付す。漢州城の西北の官有地に作られた官が作った池で「房公湖」という。〕

鵝兒黃似酒,對酒愛新鵝。

鵞鳥のひなは黄色くて漢州の鵞黄酒のような色をしている。その酒を汲みかわして、その鵞鳥の子を可愛いく眺めている。

引頸嗔船逼,無行亂眼多。

ひなは頸をのばして、舟が近づくのを怒ったり、行列もつくらず歩きまわって、見る人の目をチラチラさせる。

翅開遭宿雨,力小困滄波。

羽根は夜来の雨に遭うてささくれ立ち、まだ力がよわいので紋にぶっつかって困っている。

客散層城暮,狐狸奈若何。

城が暮れて来て、遊客も散り果てたあと、またぞろ、狐狸のような群寇が出て来たら、それをどうしたらいいだろう。

(舟前【さき】の小鵝兒【しょうがじ】〔自注:漢州城西北の角の官池にて作る,官池は即ち房公湖という。〕)

鵝兒 黃なるは酒に似たり,酒に對すれば新鵝を愛す。

頸を引【のば】せば船の逼るを嗔【いか】り,行を無くせば眼を亂すこと多し。

翅 開けば宿雨に遭い,力 小【すくな】ければ滄波に困しむ。

客は散ず 層城の暮に,狐狸 若【なんじ】を奈何【いかん】せん。

 

得房公池鵝

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

房相西亭鵝一群,眠沙泛浦白於雲。

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く浮ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

鳳皇池上應迴首,為報籠隨王右軍。

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

 

(房公池の鵝を得る)

房相 西亭 鵝の一群,沙に眠り 浦に雲を於き白くし泛ぶ。

鳳皇 池上 應に首を迴し,報を為す 王右軍を籠隨すと。

杏の花0055 

 

『得房公池鵝』 現代語訳と訳註

(本文)

得房公池鵝

房相西亭鵝一群,眠沙泛浦白於雲。

鳳皇池上應迴首,為報籠隨王右軍。

 

 

(下し文)

(房公の池の鵝を得る)

房相 西亭 鵝の一群,沙に眠り 浦に雲を於き白くし泛ぶ。

鳳皇 池上 應に首を迴し,報を為す 王右軍を籠隨すと。

 

(現代語訳)

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く浮ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

 成都遂州00

(訳注)

得房公池鵝

(房琯の作った池に浮かぶ鵞鳥とその子供たちを見ると王羲之の故事を思ってしまって作った詩。)

房琯は鵞鳥がコビナをよく面倒見て成長させるように立派な指導者であったものを、粛宗はそのグループを根こそぎ冷遇し、王朝軍を弱体化させ、ウイグルの援軍を頼りにした。安史軍を打ち破ることが出来たが、大いにに禍根を残したのである。

 

房相西亭 一群 ,眠沙 泛浦 於雲

今は、亡き房琯宰相の西湖の傍の亭から鵞鳥の一群を見つめる。あるものは砂の上で眠り、水の上の者たちは遠く泛ぶ雲と一緒に水面を泳いでいる。

 

鳳皇池上 迴首 ,為報 籠隨 王右軍

それは鳳凰たちが池に浮かんでいるようであるので思わず首を廻して一緒に見ている人と納得をするのである。というのも、私だってこんなかわいい鵞鳥を見れば、鵞鳥を大変寵愛した晋の王羲之の逸話のように飼ってやり、かわいがることもどうようにするものである。

「王右軍」王羲之(晉)。中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である

王羲之は幼い頃から鵞鳥が大好きであった。ある日のこと、一軒の家の前を通ると、鵞鳥の鳴き声が聞こえてきたので、譲って欲しいと頼んだところ、一人の老婆が出て来てこれを断った。翌日、鳴き声だけでも聞かせてもらおうと、友人の一人を伴って、老婆の家に赴いた。この姿を家の窓から見つけた老婆は、すぐさま鵞鳥を焼いて食ってしまった。そして、老婆は彼に「鵞鳥は今食ってしまったところだよ」と答え、羲之は大変がっかりし、一日中溜め息をついていた。それから数日後、鵞鳥をたくさん飼っている所を教えてくれる人がおり、その人に山の向こうの道観に案内され、道士に「一羽でもいいから譲って欲しい」と頼んだところ、道士はこの人が王羲之と知って、「老子の道徳経を書いて下さるなら、これらの鵞鳥を何羽でもあなたに差し上げます」と申した。彼は鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ、それを持参して行って鵞鳥を貰い、ずっと可愛がったという。

杜甫像0012 

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杜甫(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状) 梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。


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詩 題:投簡梓州幕府兼簡韋十郎官〔投簡梓州幕府兼簡韋十郎〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

作地點: 漢州(劍南道北部 / 漢州 / 漢州

及地點: 梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)     

交遊人: 韋十郎官 書信往來(劍南道北部 梓州 梓州)

掲 載; 杜甫1000首の611首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-867回目

 

 

投簡梓州幕府兼簡韋十郎官

(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状)

幕下郎官安穩無,從來不奉一行書。 

梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。

固知貧病人須棄,能使韋郎跡也疏。 

もとより知っていることは、人というのは、貧しいこと、持病がちなことなどはすべて棄て去りたいものである。よく使いたいことは、韋十郎の書跡をたどることでありただそれがうといだけであるのだ。

(梓州幕府に投簡するに兼ねて簡韋十郎官にす)

幕下 郎官 安穩するは無く,從來 一行の書も奉らず。 

固と 貧病 人 須らく棄つるを知るものなり,能く使うは韋郎 跡 也【た】だ疏きを。 

 文具-峡

 

『投簡梓州幕府兼簡韋十郎官』 現代語訳と訳註

(本文)

投簡梓州幕府兼簡韋十郎官

幕下郎官安穩無,從來不奉一行書。 

固知貧病人須棄,能使韋郎跡也疏。 

 

(下し文)

(梓州幕府に投簡するに兼ねて簡韋十郎官にす)

幕下 郎官 安穩するは無く,從來 一行の書も奉らず。 

固と 貧病人須らく棄つるを知るものなり,能く使うは韋郎 跡 也【た】だ疏きを。 

 

 

(現代語訳)

(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状)

梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。

もとより知っていることは、人というのは、貧しいこと、持病がちなことなどはすべて棄て去りたいものである。よく使いたいことは、韋十郎の書跡をたどることでありただそれがうといだけであるのだ。

 

(訳注)

投簡梓州幕府兼簡韋十郎官

(梓州幕府に書状を投書する兼ねて幕府の韋十郎書記官への書状)

 

幕下 郎官 安穩 ,從來 不奉 一行

梓州幕府下の韋十郎書記官は安寧平穏でいることはないだろう、これまで一行の書簡書状もたてまつることはなかった。

「郎官」韋十郎書記官。

「安穩」安寧平穏。

「從來」これまで(今昔)、從來。

 

 

固知 貧病 須棄 ,能使 韋郎 也疏。

もとより知っていることは、人というのは、貧しいこと、持病がちなことなどはすべて棄て去りたいものである。よく使いたいことは、韋十郎の書跡をたどることでありただそれがうといだけであるのだ。

「固知」もともと知っていること。

「貧病」1 貧乏と病気。貧しい人と病人。2 貧しいことを病気にたとえていう語。

「韋郎」韋十郎官。

「跡」書記官の使命は綺麗な字体の書であることをいう。

 詩人李白5x5

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杜甫《戲作寄上漢中王,二首之二》そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。



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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <875>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3359韓愈詩-221ー#1
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

 

 

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:  梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑 ・東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山     

交遊人物: 李瑀  

掲 載; 杜甫1000首の610首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-866回目

 

natsusora01 



戲作寄上漢中王,二首之二
〔自注:王新誕明珠。〕

謝安舟楫風還起,梁苑池臺雪欲飛。 

東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。

杳杳東山攜漢妓,泠泠修竹待王歸。 

そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。

miyajima0033221107930 

『戲作寄上漢中王,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕

謝安舟楫風還起,梁苑池臺雪欲飛。 

杳杳東山攜漢妓,泠泠修竹待王歸。 

 

(下し文)

戲れに作り漢中王に寄せ上る,二首の二〔自ら注す:王 新らたに明珠誕る。〕 

謝安 舟楫 風 還た起き,梁苑 池臺 雪 飛んと欲す。 

杳杳たり東山漢妓を攜さえ,泠泠たり竹を修し王歸るを待す。 

 

 (現代語訳)

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の二。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。

そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。

 

(訳注)

戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の二。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。一年前にも同様な題の詩を作る。

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謝安 舟楫 還起 ,梁苑 池臺 欲飛

東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。

「謝安」東晋の名宰相。字は安石。陳郡陽夏(河南省太康県)が本籍の人であるが,会稽(浙江省)上虞(じようぐ)に寓居して,早くから大人物と目されながら王羲之らと風流自適の生活を楽しみ,40歳を過ぎてはじめて出仕した。中央に地位を占めてからは,東晋を奪おうとする桓温(かんおん)の野望をくじき,383(太元8)には甥の謝玄らを派遣して,南下する前秦苻堅(ふけん)の大軍を淝水(ひすい)に破った(淝水の戦)。行書にも巧みで教養豊かな彼のおおらかな政治のやり方は,貴族政治の典型とされる。晋の謝安が東山の彼を愛した故事から出たもの。過去女もそういう時期もあった。李白『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』「攜妓東山去。 春光半道催。遙看若桃李。 雙入鏡中開。」送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
池閣は、謝霊運の「池塘生春草」
謝霊運の「池塘生春草」にかけて、池堀に春草の生ずるようになったという春情にかける意がある。

謝安の芸妓を携えて東山
始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。

「梁苑」洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。梁苑 梁園に同じ、開封の街をいう。李白『秋浦寄

我今尋陽去。辭家千里余。結荷倦水宿。卻寄大雷書。

雖不同辛苦。愴離各自居。我自入秋浦。三年北信疏。

紅顏愁落盡。白發不能除。有客自梁苑。手攜五色魚。

開魚得錦字。歸問我何如。江山雖道阻。意合不為殊。

秋浦寄内 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-243-350

梁園吟 まとめ 李白42

李白42 梁園吟
「池臺」語義類別:地、自然景觀、水澤湖泊、池亭臺樓閣。

 

杳杳 東山 漢妓 ,泠泠 修竹 王歸

そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。

「杳杳」 冥冥と同じく、暗い意。

「東山攜妓」李白詩『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈「攜妓東山去。」とあり、謝安の故事を引用したものである。 

「泠泠」自然界聲音、泠泠とあるのは、世情を落ち着かせること。

「修竹」たけの長短を調整すること、施政者としての役割を果たすことを云う。

「王」漢中王。
tsuki04 

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杜甫《戲作寄上漢中王,二首之一》雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。


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作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕  

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

交遊人: 李瑀 書信往來

掲 載; 杜甫1000首の609首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-865回目   40964

 

 

戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の一。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新。 

雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。

秋風嫋嫋吹江漢,祗在他何處人。 

秋風がひゅうひゅうと漢水や長江下流域の地域にも強く吹くようになって、ただあることは、この他郷の何処かのひとになっているだけなのだ。

戲れに作り漢中王に寄せ上る,二首の一〔自ら注す:王 新らたに明珠誕る。〕 

雲裡 雙雁の過るを聞かざるに,掌中 一珠の新たなるを貪り見る。 

秋風 嫋嫋【じょうじょう】として江漢に吹き,祗だ在るは 他 何處の人。 

 

 蜀中転々圖

 

『戲作寄上漢中王,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 

雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新。 

秋風嫋嫋吹江漢,祗在他何處人。 

 

 

(下し文)

戲れに作り漢中王に寄せ上る,二首の一〔自ら注す:王 新らたに明珠誕る。〕 

雲裡 雙雁の過るを聞かざるに,掌中 一珠の新たなるを貪り見る。 

秋風 嫋嫋【じょうじょう】として江漢に吹き,祗だ在るは 他 何處の人。 

 

(現代語訳)

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の一。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。

秋風がひゅうひゅうと漢水や長江下流域の地域にも強く吹くようになって、ただあることは、この他郷の何処かのひとになっているだけなのだ。

 

(訳注)

戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 

(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の一。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。一年前にも同様な題の詩を作る。

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雲裡 不聞 雙雁 ,掌中 貪見 一珠

雲の中に二つながらの雁が過ぎてゆくことしかを聞かないし、掌の中には一粒の新しい宝玉を見ることだけをむさぼっている。

 

秋風 嫋嫋 江漢 ,祗在 何處

秋風がひゅうひゅうと漢水や長江下流域の地域にも強く吹くようになって、ただあることは、この他郷の何処かのひとになっているだけなのだ。

「秋風」秋も深まって、風霜雪露が南下する。

「嫋嫋」1 風がそよそよと吹くさま。2 長くしなやかなさま。

「江漢」長江、漢水。

葭 あし002 

 

--------------------------------------------------------------------------------

(含異文)

雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新【掌中貪看一珠新】。

秋風嫋嫋吹江漢,祗在他何處人。  

671 《官池春雁,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <577>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3195 杜甫詩1000-577-833/1500

《官池春雁,二首之二》青青とした春の盛りになると いつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

 

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《官池春雁,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <577  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3195 杜甫詩1000-577-833/1500

 

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 官池春雁,二首之一 

及地點:  房公湖 (劍南道北部 漢州 漢州) 別名:房公西湖、房公池、官池     

 

 

官池春雁,二首之一

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

自古稻粱多不足,至今鸂鶒亂為群。 

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

且休悵望看春水,更恐歸飛隔暮雲。 

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

官の池春の雁,二首の一

古より稻粱 多く足りず,今に至る 鸂鶒 亂れて群を為す。 

且く休む 悵望して 春水を看るを,更に恐れる 歸り飛びて暮雲を隔てるを。

 

官池春雁,二首之二

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その二)

青春欲盡急還紫塞寧論尚有霜。 

青青とした春の盛りになると いつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

翅在雲天終不遠,力微矰繳須防。 

この強い羽があるので、雲がつづくこの大空であってもそんなに遠いとは思わない。ちからはわずかなものであるかもしれないが、萬里長城だけでなく鳥捕獲の仕掛け網は絶対用いてこの国を防衛して欲しいものだ。

 

(官の池 春の雁,二首の二)

青春 盡く急いでに還んと欲し,紫塞 寧論 尚お霜有り。 

翅は雲天に在れど終に遠からず,力 微なれど 矰繳 防を須いてつ。 

banri01 1 

『官池春雁,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

官池春雁,二首之二

青春欲盡急還紫塞寧論尚有霜。 

翅在雲天終不遠,力微矰繳須防。 

 

 

(下し文)

(官の池 春の雁,二首の二)

青春 盡く急いで還んと欲し紫塞 寧論 尚お霜有り。 

翅は雲天に在れど終に遠からず,力 微なれど 矰繳 防を須いて 

 

 

(現代語訳)

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その二)

青青とした春の盛りになると いつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

この強い羽があるので、雲がつづくこの大空であってもそんなに遠いとは思わない。ちからはわずかなものであるかもしれないが、萬里長城だけでなく鳥捕獲の仕掛け網は絶対用いてこの国を防衛して欲しいものだ。

 

 

(訳注)

官池春雁,二首之二

北から南へ飛んでくる雁を吐蕃に喩えて批判し、防衛軍に激励している詩である。官池とは節度使の軍営を指すものである。

『房湖園』: 広漢県城の広漢公園にあり、房琯は唐の玄宗のときに丞相を勤め、ねたまれ漢州刺史に左遷され、西湖(房公西湖)と城湖(房湖)を開削した。

 

青春 欲盡急 ,紫塞 寧論 尚有霜

青青とした春の盛りになるといつもいそいで故郷に帰りたいという気持ちになるものだ。朝夕の萬里長城にかかる空は論ずることを安らかにしてくれるのだがそこには尚、現実の厳しさのように霜が降りてくる。

「青春」青青とした春の盛りになること。

「紫塞」關津地名(關隘)、萬里長城。異民族から守ってくれる絶対的存在のもの。

 

 

翅在 雲天 終不遠 ,力微 矰繳 須防

この強い羽があるので、雲がつづくこの大空であってもそんなに遠いとは思わない。ちからはわずかなものであるかもしれないが、萬里長城だけでなく鳥捕獲の仕掛け網は絶対用いてこの国を防衛して欲しいものだ。

「矰繳」 カスミ網。《「射()(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

 

 蜀中転々圖

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《官池春雁,二首之一》今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

 

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《官池春雁,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <576  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3190 杜甫詩1000-576-832/1500

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年  52

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 官池春雁,二首之一 

寫及地點:  房公湖 (劍南道北部 漢州 漢州) 別名:房公西湖、房公池、官池     

 

 

官池春雁,二首之一

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

自古稻粱多不足,至今鸂鶒亂為群。 

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

且休悵望看春水,更恐歸飛隔暮雲。 

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

官の池春の雁,二首の一

古より稻粱 多く足りず,今に至る 鸂鶒 亂れて群を為す。 

且く休む 悵望して 春水を看るを,更に恐れる 歸り飛びて暮雲を隔てるを。

 

 

官池春雁,二首之二

青春欲盡急還紫塞寧論尚有霜。 

翅在雲天終不遠,力微矰繳須防。 

花鴨003 

 

『官池春雁二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

官池春雁,二首之一

自古稻粱多不足,至今鸂鶒亂為群。 

且休悵望看春水,更恐歸飛隔暮雲。 

 

 

(下し文)

官の池春の雁,二首の一

古より稻粱 多く足りず,今に至る 鸂鶒 亂れて群を為す。 

且く休む 悵望して 春水を看るを,更に恐れる 歸り飛びて暮雲を隔てるを。 

 

 

(現代語訳)

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

 

 

(訳注)

官池春雁,二首之一

(軍営を整えるのは、春というのに狂った雁のためである。その一)

鴛鴦のように連合軍としていたウイグル軍や、北から南へ飛んでくる雁を吐蕃に喩えて批判し、防衛軍に激励している詩である。官池とは節度使の軍営を指すものである。

『房湖園』: 広漢県城の広漢公園にあり、房琯は唐の玄宗のときに丞相を勤め、ねたまれ漢州刺史に左遷され、西湖(房公西湖)と城湖(房湖)を開削した。 

 

自古 稻粱 不足 ,至今 鸂鶒 為群

昔よりこの方、稲と大粟というものは多量で豊富ということはなくいつも不足気味である。今に至るや、鴛鴦というほど連合していたものが各地で略奪をほしいままに乱を起こして飛び交っているから、それを征伐するために群れの整備をなしている。

「古」(今昔)、古。

「稻粱」いねと大粒粟。稻:水稲・晩稲・陸稲。(漢)穀物。粱:大粒のアワ。安史軍に対して援軍をウイグルに求めたためにたいそうな利権を与えてしまったことを云う。

「鸂鶒」おしどり。ここでは、安史軍を征伐するために連合軍としていたウイグル軍のことを指す。

『江頭五詠:鸂鶒』

故使籠寬織,須知動損毛。

看雲莫悵望,失水任呼號。

六翮曾經剪,孤飛卒未高【孤飛只未高】。

且無鷹隼慮,留滯莫辭勞。

江頭五詠:鸂鶒 蜀中転々 杜甫 <521  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2800 杜甫詩1000-521-754/1500

「亂」安史軍を滅ぼしたら、ウイグル軍は各地で略奪をほしいままにした。そこに、吐蕃が付け込んで攻め入ったのである。長安の代宗は河南陝州に逃げたのである

 

 

且休 悵望 春水 ,更恐 歸飛 暮雲

今の朝廷は雁がこの池でしばらく休んでいるようなものだ。春水の増水した大江のように、吐蕃は長安に攻め込んだ。これを怨めしく眺めるだけであろう。更に懼れることはあの雁が北から飛んで帰ってきて吐蕃や、ウイグルがこの夕暮れの雲間に隔てたままであることだ。

「悵望」うらめしくながめる。

「春水」春の雪解け水で増水した河川をあらわす。吐蕃、ウイグルは山から、北から攻め入ってきたことを云う。。

「歸飛」吐蕃が攻め込んだために代宗は逃げたことを示す。
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謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。(2015/3/3改訂)
 

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謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。  
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。  
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html  
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html  
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html  
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。  
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。  
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500  

 

詩 題:

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の531首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-765回目   40864

 

 

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶

(厳武中丞が青城山の道士がこしらえた乳酒一瓶をもたせて送ってくれたことについて感謝を述べた詩)

山瓶乳酒下青雲,氣味濃香幸見分。

さすがに靑城山に酒甕を持ってのぼり、乳酒をいれて雲の下に降りてくるほどのお酒であり、雰囲気や味は濃厚であり香りもよく、幸せなことにこのようなお酒にめぐり会えてのみわけることが出来きました。

鳴鞭走送憐漁父,洗盞開對馬軍。

それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。

 

(嚴中丞に謝して青城山の道士 乳酒一瓶をもって送る)

山瓶 乳酒 青雲に下り,氣味 濃香 幸にして見分する。

鞭を鳴らして走送し漁父を憐み,盞を洗して開馬軍に對す。

王屋山01 

 

『謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶』 現代語訳と訳註

(本文)

山瓶乳酒下青雲,氣味濃香幸見分。

鳴鞭走送憐漁父,洗盞開對馬軍。

 

(下し文)

(嚴中丞に謝して青城山の道士 乳酒一瓶をもって送る)

山瓶 乳酒 青雲に下り,氣味 濃香 幸にして見分する。

鞭を鳴らして走送し漁父を憐み,盞を洗して開馬軍に對す。

 

(現代語訳)

(厳武中丞が青城山の道士がこしらえた乳酒一瓶をもたせて送ってくれたことについて感謝を述べた詩)

さすがに靑城山に酒甕を持ってのぼり、乳酒をいれて雲の下に降りてくるほどのお酒であり、雰囲気や味は濃厚であり香りもよく、幸せなことにこのようなお酒にめぐり会えてのみわけることが出来きました。

それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。

 

 

(訳注)

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶

(厳武中丞が青城山の道士がこしらえた乳酒一瓶をもたせて送ってくれたことについて感謝を述べた詩)

・青城山 青城山は中國道教發源地の一で、蜀における道教名山の一である。四川省都江堰市西南(地図B-5)に位置し,古くは「丈人山」とよばれていた,成都市の西方68km,都江堰水利施設から10kmみなみにある。主峰は老霄頂といい、海拔1600m。四川の名山としては、劍門の險、峨嵋の秀、夔門の雄と並び称される。「青城天下の幽」ということで美しい山とされている。

『贈虞十五司馬』

交態知浮俗,儒流不異門。

過逢聯客位,日夜倒芳尊。

沙岸風吹葉,雲江月上軒。

百年嗟已半,四座敢辭喧。

書籍終相與,青山隔故園。

交態 浮俗を知り,儒流 門の異ならず。

過逢して 客位に聯なり,日夜 倒芳 尊ぶ。

沙岸 風吹の葉,雲江 月軒に上る。

百年 嗟已に半なり,四座 敢えて辭喧す。

書籍 終に相い與り,青山 故園を隔つ。

贈虞十五司馬 成都5-(10-2) 杜甫 <463-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2265 杜甫詩1000-463-#2-647/1500 

『丈人山』

自為青城客,不唾青城地。

為愛丈人山,丹梯近幽意。

丈人祠前佳氣濃,綠雲擬住最高峰。

掃除白發黃精在,君看他時冰雪容。

(丈人山)

自ら青城の客と為し,「不唾」は青城の地なり。

為に丈人山を愛し,丹梯 幽意に近し。

丈人 祠前にして佳氣濃く,綠雲 住に擬う 最高峰に。

白發を掃除しては「黃精在」あり,君看るや 他時 冰雪の容を。

丈人山 成都5-(8) 杜甫 <461  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2250 杜甫詩1000-461-644/1500

『赴青城縣出成都寄陶王二少尹』

老被樊籠役,貧嗟出入勞。

客情投異縣,詩態憶吾曹。

東郭滄江合,西山白雪高。

文章差底病,回首興滔滔。

(成都を出で青城縣に赴く陶・王二少尹に寄す)

老いて 樊籠【はんろう】の役を被い,貧して 出入の勞を嗟【なげ】く。

客情 異縣に投じ,詩態 吾曹に憶う。

東郭 滄江に合い,西山 白雪高し。

文章は底病に差【たが】い,首を回らせば興 滔滔【とうとう】たり。

赴青城縣出成都寄陶王二少尹 成都5-(4) 杜甫 <457  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2230 杜甫詩1000-457-640/1500

・乳酒 家畜の乳を発酵させてつくった酒。乳に含まれる乳糖を酵母で発酵させると,アルコール1%前後の酒ができるが,乳酸菌による乳酸発酵も併行しておこるため酸味を呈する。中央アジアの遊牧民族の間で古くから飲まれていた酒で,《隋書突厥伝(ずいしよとつくつでん)》(636)に馬乳酒を飲む風俗が記録され,唐代の詩人杜甫(712770)も〈山瓶(さんびよう)の乳酒青雲より下る〉とうたっている。カフカス山地のケフィール(ケフィア)は馬,羊,ヤギ,牛の乳にケフィールグレインと呼ぶある種の植物種子を加えて発酵させたアルコール性乳酸飲料である。

 

山瓶乳酒下青雲,氣味濃香幸見分。

さすがに靑城山に酒甕を持ってのぼり、乳酒をいれて雲の下に降りてくるほどのお酒であり、雰囲気や味は濃厚であり香りもよく、幸せなことにこのようなお酒にめぐり会えてのみわけることが出来きました。

見分 1 実際に立ち会って検査すること。調べ見届けること。「立地条件をする」2 見かけ。みてくれ。外見。

 

鳴鞭走送憐漁父,洗盞開對馬軍。

それは、あなたが馬に鞭を打って走って送りとどけてくださるということは、隠遁している爺では経験できないから憐れとおもっていただいたからで、盃を洗ってそれから盃をなめて口にさせていただきました、それで、このお酒は騎馬民族のお酒であるから、騎馬の兵士に十分対抗できるというものだと心強く感じたところです。

・漁父 隠遁者のお相手が猟師か漁師である。かれらにはこの乳酒がないので憐れと云った。

馬軍 馬に乗った兵士。騎兵。騎馬民族の飲むお酒であるから、騎兵に対抗できるといったもので、杜甫の三段論法の冗談である。
題新津北橋棲00 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一絕,奉答二絕,二首之二蜀中転々 杜甫 <530>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

嚴公雨中見寄一奉答兩,二首之二 ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

2013年8月18日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 
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中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二蜀中転々 杜甫 <530  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

 

 

卷別: 卷二二七  文體: 七言  

詩題: 中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二【嚴公雨中見寄一奉答兩,二首之二】 

交遊人物/地點: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 
  

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の二)

何日雨晴雲出溪,白沙青石先無泥。

何日のことだったのか、雨が晴れても雲は、谷から出て空に浮かんでいた、濯錦江の中洲の白沙があり、澄んだ水に石があり、まず泥などはない。

只須伐竹開荒徑,倚杖穿花聽馬嘶。

ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の二) 

何の日か雨か晴か 雲は溪より出づ,白沙 青石 先んずは無泥なり。

只だ須く竹を伐り荒徑を開き,杖に倚りて花を穿ち馬の嘶きを聽く。

 

 

『中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

竹林0021何日雨晴雲出溪,白沙青石先無泥。

只須伐竹開荒徑,倚杖穿花聽馬嘶。

 

詩文(含異文)

何日雨晴雲出溪,白沙青石先無泥【白沙青石洗無泥】。只須伐竹開荒徑,倚杖穿花聽馬嘶【拄杖穿花聽馬嘶】【拄杖穿花聽鳥啼】【倚杖穿花聽鳥啼】。 

 

 

(下し文)

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の二) 

何の日か雨か晴か 雲は溪より出づ,白沙 青石 先んずは無泥なり。

只だ須く竹を伐り荒徑を開き,杖に倚りて花を穿ち馬の嘶きを聽く。

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の二)

何日のことだったのか、雨が晴れても雲は、谷から出て空に浮かんでいた、濯錦江の中洲の白沙があり、澄んだ水に石があり、まず泥などはない。

ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

 

 

(訳注)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の二)

○厳中丞 厳武。

 

何日 雨晴 出溪 ,白沙 青石 無泥

何日のことだったのか、雨が晴れても雲は、谷から出て空に浮かんでいた、濯錦江の中洲の白沙があり、澄んだ水に石があり、まず泥などはない。

 

 

只須 伐竹 荒徑 ,倚杖 穿花 馬嘶

ただ、隠遁者の私は誰の訪問を期待しないがあなたが立ち寄ってくれるためには、とにかく、竹藪をを伐採し、荒れた小路でもいいから切り開くし、わたしは杖に寄りかかって花を斬って飾、あなたの馬のいななきを聞きたいと思っている。

 

★杜甫は厳武のことが大好きであった。この詩はそれが最もよくわかる詩である。

この詩の鑑賞は何度も読み返すとわかると思う。この二首は杜甫の詩集の中ではマイナーなものとされているが杜甫の人となりがよくわかるものであること、このブログの読者の方には理解していただきたいと願っている。
杜甫像0012 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一絕,奉答二絕,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

厳武に絶句二首之一 春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。


2013年8月17日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html  
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。  
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。  
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

 

杜甫詩1000-529-763/1500            

詩題:中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の529首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-763回目   40862

 

 

作者: 杜甫 

皇帝紀年: 寶應元年 

寫作時間: 762 

寫作年紀: 51 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一【嚴公雨中見寄一奉答兩,二首之一】 

交遊人物/地點: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

詩文:

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

 

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 
 

 くちなしの花






『中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

 

詩文(含異文)

雨映行宮辱贈詩【雨映行官辱贈詩】【雨映行雲辱贈詩】,元戎肯赴野人期【元戎欲動野人知】。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

 

 

(下し文)

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴むくとこの野人の私と約束をしてくれました。

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

 

 

(訳注)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

○厳中丞 厳武。杜甫は厳武について、これまでも多く詩に詠っている。

相逢歌贈嚴二別駕 楽府(七言歌行) 成都6-(23) 杜甫 <485  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2565 杜甫詩1000-485-707/1500

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雨映 行宮 贈詩 ,元戎 肯赴 野人

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

「行宮」成都尹である厳武が入る役所を指す。蜀の国の宮殿であった。「明皇出蜀,以行宮為道觀。」(明皇が蜀を出立され,それ以降成都にある宮殿は玄宗に因んだ道教の寺観となっていた。)

「辱」謙遜語。

「詩」絶句の詩のこと。

「元戎」元帥。厳武のこと。この段階では剣南西川節度使は別のものが幕府としていた。

「野人」杜甫のこと。隠棲しているものを野人と云い、しばしば使う。

「期」約束。

 

 

江邊 老病 雖無力 ,強擬 晴天 釣絲

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

「江邊」浣花渓草堂の前を流れる濯錦江のこと。

「強擬」から元気。

「釣絲」釣り糸を垂れること。釣りのポイントがいくつもあったようだ。

 成都関連地図 00

戲為六絕句,六首之六 蜀中転々 杜甫 <518>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2785 杜甫詩1000-518-751/1500

杜甫《戲為六句,六首之五 諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。


2013年8月5日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

戲為六句,六首之六 蜀中転々 杜甫 <518>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2785 杜甫詩1000-518-751/1500

 

 

 

6 戲為六句,六首之六

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん六番目)

未及前賢更勿疑,遞相祖述複先誰。

諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。

別裁偽體親風雅,轉益多師是汝師。

しかし特別に風雅の正体と風雅の精神を得ない偽体とは区別せねばならぬ、そしてその偽体はこれをきりすてて正体には親しむ。かくしていよいよ我が師とするものが多ければ多いほど、これが諸君にとっての真の良師なのである。

蛺蝶02 















 

『戲為六句,六首之六』 現代語訳と訳註

(本文)

未及前賢更勿疑,遞相祖述複先誰。

別裁偽體親風雅,轉益多師是汝師。

 

 

(下し文)

未だ前賢に及ばざるも更に疑うこと勿れ、遽【たがい】に相祖述す復誰をか先にせん。

別に債饅を裁して風雅に親しむ、轉【うた】た益【ますま】す 多師なるは是れ汝が師なり。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん六番目)

諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。

しかし特別に風雅の正体と風雅の精神を得ない偽体とは区別せねばならぬ、そしてその偽体はこれをきりすてて正体には親しむ。かくしていよいよ我が師とするものが多ければ多いほど、これが諸君にとっての真の良師なのである。

 

 

 

(訳注)

戲為六句,六首之六

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん六番目)

すべての良いものはみな師とすべしということの意をのべる。此の第六首により、杜甫が古今の諸長を集めて大成した所以を知ることができる。

 

 

未及前賢更勿疑,遞相祖述複先誰。

諸君は自己が前代のすぐれた作家に及ばないからとて少しも疑いの念をもつにはあたらないのである。我々は前代作家をたがいに祖述しゆくものであってだれを先にせねばならぬとかだれを後にせねばならぬとかいうことはないのである。

○前賢 第一首の前賢とは語は同じであるが意は異なる、ここは前代の作家をさす。

○祖述 祖として述べる、後人はその前代作家の作品を祖師としてこれに従って我が思想をのぺる。

○先誰 「誰をか先にせん」とは「誰をか先にし、また誰をか後にせん」との意である、甲乙の間に必ずしも優劣の差異を甚しくつけないことをいぅ、つまりいやしくも一長あるものは皆祖述すべしとのいみである。

 

 

別裁偽體親風雅,轉益多師是汝師。

しかし特別に風雅の正体と風雅の精神を得ない偽体とは区別せねばならぬ、そしてその偽体はこれをきりすてて正体には親しむ。かくしていよいよ我が師とするものが多ければ多いほど、これが諸君にとっての真の良師なのである。

○別 特別に。此の語は前代のものすべてを祖述すべしというのではないということを注意したものである。旧解に区別する意としているが、今は従わぬ。

○裁 刀でたってすてる。

○偽体 風雅にそむいているにせのすがた。富貴の者が詩文を買い取り発表するということが多くあったこと。

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戲為六絕句,六首之五 蜀中転々 杜甫 <517>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2780 杜甫詩1000-517-750/1500

杜甫《戲為六句,六首之五理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。


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孟浩然の詩 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
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孟郊詩 
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李商隠詩 
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戲為六句,六首之五 蜀中転々 杜甫 <517>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2780 杜甫詩1000-517-750/1500

 

 

1戲為六句,六首之一

(戲れということで六句をつくってみた,六首の一番目)

庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。

北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。

今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。

今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。

 

 

2 戲為六句,六首之二

(戲れということで六句をつくってみた,六首の二番目)

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。

初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。

爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。

汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。

つきぬごとくすたることのないものなのである。

 

3戲為六句,六首之三

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

 

4 戲為六句,六首之四

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

 

 

5 戲為六句,六首之五

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

 kairo10682

 








『戲為六
句,六首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

戲為六句,六首之五

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

 

 

(下し文)

今人を薄んぜず古人を愛せば、清詞麗句必ず隣を為す。

稿かに屈宋を攣じ宜しく駕を方ぶべし、恐らくは斉梁と後塵と作らん。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

 

 

(訳注)

5戲為六句,六首之五

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

古今を併せてしかも理想をたかくもつべきことをいった。

 

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

○薄 さげすんでみること。

○今人 比較的近代の人をさす、四傑の如きもこれである。

○古人 庾信をはじめ六朝以上の人々はみな古人である。

○為隣 わが手もとぢかくにあることをいう。

 

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

○攀 古代の人ゆえたかくよじのぼるといった。

○屈宋 屈原、宋玉。

〇方駕 車をひく馬がかじ棒をそろえてはしるようにする。

○與齊梁 与とは「於て」というのに似る、比較の辞である。

○作後塵 後塵とは車がはしるとき風下におこるちりほこりをいう、後塵と作るとは後塵を拝する人となることをいう、斉・梁は六朝の中期で文学が最も華麗綺靡となり、しかも雄健の風が衰えた時期である。
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戲為六絕句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775 杜甫詩1000-516-749/1500

杜甫《戲為六句,六首之三今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。


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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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孟浩然の詩 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
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孟郊詩 
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戲為六句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775

杜甫詩1000-516-749/1500

 

 

作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

掲 載; 杜甫1000首の516首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-749回目   40848

 

 

4 戲為六句,六首之四

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

 

 

『戲為六句,六首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

 

(下し文)

才力 応に数公を誇【まさ】り難かるべし、凡そ今誰か是れ出群の雄なる。

或は看る翡翠【ひすい】蘭苕【らんちょう】の上、未だ鯨魚を掣せず碧海【そうかい】の中。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

 

 

(訳注)

戲為六句,六首之四 

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

今人の中に大文豪のないことをいう。暗に自己の理想をのべた。

 

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

○才力 文学者の才能力量。

○誇 こえることをいう。

○数公 庚信や、初唐四傑の輩をさす。

○出章雄 抜葦の英雄。

○碧海 青い海。青海原。大海。

 

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

○翡翠 かわせみの鳥、その羽毛がうつくしい。

○蘭苕 らんのはなぶさ、此の句は作品の華麗なのにたとえる。六朝から続く、華麗華美、艶閨の詩を云う。

○掣 ひいでひしぐことをいう。

○鯨魚 いさな、海中の大魚、此の句は作品-の雄健なことにたとえる。

戲為六絕句,六首之三 蜀中転々 杜甫 <515>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2770 杜甫詩1000-515-748/1500

戲為六句,六首之三とえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

 

2013年8月2日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
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孟郊詩 
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李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


戲為六
句,六首之三 蜀中転々 杜甫 <515>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2770 杜甫詩1000-515-748/1500

 

 

1(戲れということで六句をつくってみた,六首の一番目)

北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。

今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。

戲れに六句を為る,六首の一

庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。

今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。

 

 

2 戲為六句,六首之二

(戲れということで六句をつくってみた,六首の二番目)

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。

初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。

爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。

汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。

つきぬごとくすたることのないものなのである。

 

3戲為六句,六首之三

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

 

縦【たと】い盧王【ろおう】をして翰墨【かんぼく】を操ること、漢魏の風騒に近きより劣らしむるも。

竜文 虎脊【こせき】皆 君が馭なり、歴塊【れきかい】過都【かと】爾が曹を見ん。

 

 

『戲為六句,六首之三』  現代語訳と訳註

(本文)

戲為六句,六首之三

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

 

 

(下し文)

縦【たと】い盧王【ろおう】をして翰墨【かんぼく】を操ること、漢魏の風騒に近きより劣らしむるも。

竜文 虎脊【こせき】皆 君が馭なり、歴塊【れきかい】過都【かと】爾が曹を見ん。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

岳陽樓詩人0051

















 

 

(訳注)

戲為六句,六首之三

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

此の第三首は初唐四傑を弁護する点で第二首と似ている。

 

 

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

縱使 この二字は次句までへかかる。

盧王 前詩にみえる、ここは慮王をいって楊齢をいわないがすべて四傑についていったものであろう。

操翰墨 ふでとすみをとる、文章をつづることをいう。○漢魏近風騷 風騒は「詩経」の詩には〇風で編纂しているをさしていう、騒は『楚辞、離騒』で屈原宋玉らの韻文をいう。漢覿時代の作品は風騒のおもかげがあると称せられる。

 

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

龍文虎脊 駿馬の姿をいう、四傑を駿馬にたとえる、竜文の語は「漢書」西域伝費にみえ、虎青は漢の「天馬歌」にみえる。

君馭 駁は御におなじ、馬をあやつること、ここはあやつるのにたえるものの意、君の字は人君をさすとする説と一般人をさすとする説とがあるが、余は一般人とみる。

塊過都 漢の王褒の「聖主ノ賢臣ヲ得ル頒」の「都ヲ過ギ国ヲ越エルトキハ蹴(ツマズ)クコト塊ヲ歴ルガ若シ」に本づく。ただしここはつまずくという意に用いたもののごとくである、「都を過ぐるとき塊を歴てつまずくごとく」といぅほどの意。

爾曹 軽薄文士の四傑をわらう者をさす。

戲為六絕句,六首之二 蜀中転々 杜甫 <514>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2765 杜甫詩1000-514-747/1500

杜甫《戲為六絕句,六首之二》  汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。


2013年8月1日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
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孟郊詩 
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李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

千畳敷0010戲為六絕句,六首之二 蜀中転々 杜甫 <514>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2765 杜甫詩1000-514-747/1500


作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の513首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-746回目   40845
作年: 寶應元年  762年  51歲 
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句 
詩題: 戲為六絕句,六首之一 

戯鳥六絶句(戯れに六絶句を為る)
作者が戯れにつくった六首の絶句である。しかしまじめな文学上の議論をのべるために戯れと云って主旨を和らげるというものである。

詩文:

戲為六絕句,六首之一
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。

今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。
戲れに六絕句を為る,六首の一
庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。
今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。


2 戲為六絕句,六首之二
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の二番目)
楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。
初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。
爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。
奉先寺005汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。
つきぬごとくすたることのないものなのである。

戲れに六絕句を為る,六首の二
楊王 盧駱 当時の体、軽薄 文を為って、哂うて未だ休まず。
爾が曹身 名と供に滅す、廃せず 江河 万古の流れ。


『戲為六絕句,六首之二』  現代語訳と訳註
(本文)

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。
爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。


(下し文)
(戲れに六絕句を為る,六首の二)
楊王 盧駱 当時の体、軽薄 文を為って、哂うて未だ休まず。
爾が曹身 名と供に滅す、廃せず 江河 万古の流れ。


(現代語訳)
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の二番目)
初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。
汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。


(訳注)
戲為六絕句,六首之二
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の二番目)
此の第二首は初唐四傑をわるくいう文士をそしった。

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。
初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。
○楊王盧駱 楊烱・王勃・盧照鄰・駱賓王、初唐の四傑と称される文学者。唐の則天武后の時代のすぐれた詩人4人,王勃(おうぼつ)(649‐676),楊炯(ようけい)(650‐695?),盧照鄰(ろしようりん)(637‐689),駱賓王(らくひんのう)(640?‐684?)をいう。略して王楊盧駱。


爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。
汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。
○軽薄 軽薄の文士をいう。
○爾曹 汝ら、軽薄文士をさす。
○江河万古流 四傑の作品をたとえていう。

戲為六絕句,六首之一 蜀中転々 杜甫 <513>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2760 杜甫詩1000-513-746/1500

杜甫《戲為六絕句,六首之一》 北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。


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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
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孟浩然の詩 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


戲為六絕句,六首之一 蜀中転々 杜甫 <513>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2760 杜甫詩1000-513-746/1500


作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の513首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-746回目   40845
作年: 寶應元年  762年  51歲 
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句 
詩題: 戲為六絕句,六首之一 
詩文:


戲為六絕句,六首之一
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。
今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。
戲れに六絕句を為る,六首の一
庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。
今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。


海棠花021










『戲為六絕句,六首之一』 現代語訳と訳註
(本文)
庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。
今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。


(下し文)
戲れに六絕句を為る,六首の一
庾信が文章老いて更に成る、凌雲 健筆 意 縱橫。
今人 嗤点す 流伝の賦、覚らず前賢後生を畏れしことを。


(現代語訳)
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。


(訳注)
戲為六絕句,六首之一
(戲れということで六絕句をつくってみた,六首の一番目)
此の一首は庾信の詩文が素晴らしいこと、そしてそれを今の軽薄文士の無識をそしっている。 
杜甫『奉贈王中允維』
中允聲名久,如今契闊深。共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。窮愁應有作,試誦白頭吟。
(王中允維に贈り奉る)
中允声名久し、如今契閥深し。共に伝う庚信を収むと、此せず陳琳を得るに。
一癖明主に縁る、三年独り此の心。窮愁応に作有るなるべし、試みに謂す白頭吟。
奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

杜甫『春日憶李白』
白也詩無敵,飄然思不羣。清新庚開府,俊逸鮑參軍。
渭北春天樹,江東日暮雲。何時一尊酒,重與細論文。
(春の日に李白をおもう)
李白よ、君は詩に於てだれも匹敵するものがない、凡俗を超越しているその思想は世間なみの衆人と並べることはできない。
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。
今わたしは渭北の春の大空に立つ大樹を仰ぎ見ている、あなたははるか江東の日暮の雲をみている。
いつかまた一樽の酒を酌みかわそう、ふたたびあなたとくわしく詩文、作物について論じあうことができるだろうか。

春日憶李白 杜甫


庾信 文章 老 更成,凌雲 健筆 意 縱橫。
北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。
○庚信 本名、庾信(南朝梁)。庾信(ゆ しん、513年(天監12年) - 581年(開皇元年))は、中国南北朝時代の文学者。字は子山。南陽郡新野の人。庾肩吾の子。南朝の梁に生まれ、前半生は皇太子蕭綱(後の簡文帝)配下の文人として活躍した。侯景の乱後の後半生は、やむなく北朝の北周に身を置くことになり、代表作「哀江南賦」をはじめ、江南を追慕する哀切な内容の作品を残した。
○老更成 老年に至ってさらに成熟する。
○凌雲健筆 健筆凌旨耳に同じ。


今人 嗤點 流傳 賦 ,不覺 前賢 畏 後生 。
今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。
○今人 庾信の詩文がきれいで、作者と同時代の軽薄文士をさす。
○嗤點 ここがどう、かしこがどう、とわらってゆびざしする。嗤う:ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。③. つぼみが開く,花が咲く。  ④. 果実が熟して割れ目ができる。
○流伝賦 庚信の名作として伝えられつつある航、信には「衷江南賦」、「枯樹賦」など有名なものが多い。
○不覚 今人はこれをさとらぬ。
○前賢長後生 「論語」(子窂)に見える孔子のことば「後世長ル可シ」にもとづく、前賢とは前代の賢人で孔子をさす、後生はわかもの、後進の意。庾信は風雅の作者で、屈原、宋玉、漢魏の作者らに対するならば後生というべきであるが、しかし後生にも畏るべきものがあり、たとえば庾信の如きはそうである。
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三絕句,三首之三 蜀中転々 杜甫 <512>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2755 杜甫詩1000-512-745/1500

《三絕句,三首之三》 家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)


2013年7月30日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
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孟郊詩 
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李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


三絕句,三首之三 蜀中転々 杜甫 <512>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2755 杜甫詩1000-512-745/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の512首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-745回目
卷別: 卷二二七  文體: 七言絕句 
詩題: 三絕句,三首之三 


詩文:
 
三絕句,三首
1   楸樹馨香倚釣磯,斬新花蕊未應飛。
    不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。

2   門外鸕鷀去不來,沙頭忽見眼相猜。
    自今已後知人意,一日須來一百回。

3   無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
    會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。



三絕句,三首之一
楸樹馨香倚釣磯、斬新花蕊未應飛。
楸の木々は芳しき香りを漂わせている、その木に寄りかかってここで岸辺に釣り糸を垂れる。咲き始めた新しい花弁はまだまだ飛び散ってはいない。
不如醉裏風吹盡,可忍醒時雨打稀。
この庭に宴をしてなかなか酔えないのは、風が吹いて来て酔いを醒ますからだ。酔いがさめる時が我慢できるというのは雨が降ってくることがないほどであるからである。
楸【きささげ】の樹は馨【かお】り香【かぐわ】しくして 釣りばの磯【いそ】に倚り、斬新の花蕊【かずい】は 未だ応【まさ】に飛ぶべからず。
裏 醉うに如かず 風吹き盡す,醒むる時に忍ぶ可く 雨打つは稀れなり。


三絕句,三首之二
門外鸕鶿去不來,沙頭忽見眼相猜。
ここの門の外に河鵜が去って行きそして戻ってくることはない。川岸の砂浜のほとりに歩いていて猜疑心を持った目で、辺りを見ていることだろう。
自今已後知人意,一日須來一百回。
それが今のことであり、これから後は人の思いを知ることによってもうすることはないだろう。このカワウは一日に百回くらいは餌をとっていることだろう。

門外 鸕鶿【ろじ】 去りて來らず,沙頭 忽ち見 眼は相に猜【ねた】む。
今自り 已後 知人の意,一日 須らく 一百回も來る。


三絕句,三首之三

無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
数しれぬ春のたけのこが林の中いっぱいにはえている。柴の門をとざしたままだし、だれも門前をとおるものはいない。
會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。

それは最初からたたけのこの成長を看まもって竹にしあげるつもりだ。家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)

無数の春筍 満林生じ、柴門密かに掩うて入行断ゆ。
会ず須らく上番看て竹と成すべし、客至るも填るに従す出で迎えず。



『三絕句,三首之二』 現代語訳と訳註
孟浩然詩00(本文)
無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。

(下し文)
無数の春筍 満林生じ、柴門密かに掩うて入行断ゆ。
会ず須らく上番看て竹と成すべし、客至るも填るに従す出で迎えず。


(現代語訳)
数しれぬ春のたけのこが林の中いっぱいにはえている。柴の門をとざしたままだし、だれも門前をとおるものはいない。
それは最初からたたけのこの成長を看まもって竹にしあげるつもりだ。家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)


(訳注)
三 絶 句(其三)
竹林0021宝応元年の作。これは第三首目。春の笋をよんだもの。隠者には「訪ねて行って会えないもの」というのを訪ねられる側の面白さを詠ったもの、杜甫らしい作品として取り上げられることが多い作品である。


無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
数しれぬ春のたけのこが林の中いっぱいにはえている。柴の門をとざしたままだし、だれも門前をとおるものはいない。
○筍 たけのこ。
○密掩 ひとしれず門をとざしておく。
★杜甫の家の周りは竹林である。特に南隣とは竹林で隔離されている。柴門は西南方向にある。


會須上番看成竹,客至從嗔不出迎。
それは最初から、たけのこの成長を看まもって竹にしあげるつもりだ。家のまわりを竹だらけにするとお客は入り口が分からず、勝手に怒らせたとしても、出迎えなどする気はないのだ。(古来より、隠棲しているものには「訪れても遭えない」というものだからだ。)
○会 必ず。
○上番 初回のこと、初回に出た筍のことをいう。
○看 みまもること。
○成竹 しあげて竹にする。
○客 来訪の賓客。
○従嗔 怒るにまかす。勝手に怒らせる。
○出迎 こちらがでむかえる。

--------------------------------------------------------------------------------
詩文(含異文):
無數春筍滿林生,柴門密掩斷人行。
會須上番【案:去聲。】看成竹,客至從嗔不出迎。

三絕句,三首之二 蜀中転々 杜甫 <511>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2750 杜甫詩1000-511-744/1500

杜甫《三絕句,三首之二》 ここの門の外に河鵜が去って行きそして戻ってくることはない。川岸の砂浜のほとりに歩いていて猜疑心を持った目で、辺りを見ていることだろう。


2013年7月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
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出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#10>Ⅱ中唐詩753 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2749
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor絕句,三首之二 蜀中転々 杜甫 <511>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2750 杜甫詩1000-511-744/1500
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