杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
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七言歌行

766年大暦元年55歲-12奉節-4《縛雞行》 杜甫index-15 杜甫<881> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5215

奉節-4杜甫《縛雞行》(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

 
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766年大暦元年55-12奉節-4《縛雞行》 杜甫index-15 杜甫<881 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5215

 

 

杜甫詩1500-881-1214/2500766年大暦元年55-12

 

作年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    縛雞行

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

縛雞行

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

 

 (縛雞の行)

小奴 雞を縛りて 市向うて賣らんとし,雞は 縛らるること急しくして 相い喧爭す。

家中は雞の蟲蟻を食うを厭い,雞の賣らるれば 還た烹らるるに遭うを知らず。

蟲雞と人とは何が厚く なんぞ薄きか,吾は奴人を叱って其の縛れるを解かしむ。

雞と蟲は 得失 了の時無し,注目す 寒江 山閣に倚るを。

瞿塘峡001 

 

『縛雞行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

縛雞行

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

 

 

(下し文)

(縛雞の行)

小奴 雞を縛りて 市向うて賣らんとし,雞は 縛らるること急しくして 相い喧爭す。

家中は雞の蟲蟻を食うを厭い,雞の賣らるれば 還た烹らるるに遭うを知らず。

蟲雞と人とは何が厚く なんぞ薄きか,吾は奴人を叱って其の縛れるを解かしむ。

雞と蟲は 得失 了の時無し,注目す 寒江 山閣に倚るを。

 

 

(現代語訳)

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

云亭 

(訳注)

縛雞行

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

輪廻転生の仏教的精神科、博愛的儒教精神の表れということであるが、私に叱られる奴僕、鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏を対比させ慈愛の念を述べるが、それらの出来事も、神霊から巫山までの大きな山の連なり、前には長江の豊かな流れを前にして、小さき出来事であろうか。杜甫が「泰山に昇って孔子の小山を見下ろす」《望嶽》詩の様に儒学的に詠ったものである。《望嶽》         杜甫「會當凌絶頂,一覽衆山小。」このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとある。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

 

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

 

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

 

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

寒江 長江。

山閣 西閣。
三峡 巫山十二峰001 

766年大暦元年55歲-8 《折檻行》 杜甫index-15 杜甫<871> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

杜甫《折檻行》太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

 
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27-#7 《此日足可惜贈張籍-7》韓愈(韓退之)ID <1236> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5164韓愈詩-27-#7 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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766年大暦元年55-8 《折檻行》 杜甫index-15 杜甫<871 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

杜甫詩
1500-871-1204/2500766年大暦元年55-8

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    折檻行

 

 

折檻行

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

科挙受験のために頼る門閥に入る書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

 

(折檻の行【うた】)

嗚呼 房・魏 復た見えず,秦王の學士 時に羨み難し。

青衿の冑子 困って泥塗すれど,白馬の將軍 雷電の若し。

千載 少くも似る 朱雲の人,至今 折檻すれど 空しく嶙峋たり。

婁公は語れず 宋公は語る,尚お憶う 先皇 直臣を容す。

蜀中転々圖 

 

『折檻行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

 

 

(下し文)

(折檻の行【うた】)

嗚呼 房・魏 復た見えず,秦王の學士 時に羨み難し。

青衿の冑子 困って泥塗すれど,白馬の將軍 雷電の若し。

千載 少くも似る 朱雲の人,至今 折檻すれど 空しく嶙峋たり。

婁公は語れず 宋公は語る,尚お憶う 先皇 直臣を容す。

 

(現代語訳)

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

科挙受験のために頼る門閥に入る書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

華州から秦州同谷成都00 

(訳注)

折檻行

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

嗚呼房魏不復  秦王學士時難羨
青衿冑子困泥塗  白馬將軍若雷
千載少似朱雲  至今折檻空嶙
婁公不語宋公語  尚憶先皇容直

○○○●△●●  ○△●●○△○

○○●●●△○  ●●△○△○●

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○○△●●○●  △●△○○●○

 

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

房魏 初唐の房玄齡と魏徵のこと。

○房玄齢(ぼうげんれい 578 - 648年)は中国唐代の政治家・歴史家。玄齢は字で、諱は喬。杜如晦と共に太宗の謀臣として玄武門の変において太宗の権力奪取を助け、貞観の治の立役者の一人とされる。また正史編纂にも関わり、『北斉書』などを総監した。高祖李淵が統一を果たして以後、優秀な人材の確保に努め、貞観の治のもう一人の立役者である杜如梅を見出し、太宗に推挙もおこなっている。建国間もない唐の王朝で皇太子・建成と世民の間で継承争いが起きると、房玄齢杜如晦はその謀略の才を建成側に恐れられ、讒言を受けて秦王府への立ち入りを禁じられた。世民も建成に悟られないように策謀を進め、直前に二人に連絡を取り、玄武門の変を成功させて建成を殺して即位した。

○魏 (ぎ ちょう、580 - 643年)は唐の政治家。字は玄成。太宗らに仕え、諫議大夫・左光禄大夫に任じられ、鄭国公に封じられた。直諫(じかに諫言)することで有名であり、そのやりとりは『貞観政要』に多く載せられている。巨鹿曲城(今の河北省)の人。幼少時貧困で、隋末に李密(瓦崗軍)のもとへ身を寄せ、敗戦して唐へ帰する。竇建徳の捕虜となり、才能を見出される。建徳の兵が敗れ、唐へ帰り、太子洗馬つまり李建成の側近の地位を得た。玄武門の変で建成が死ぬと、太宗は率直さを評価して諫議大夫へ昇進させた、後に秘書監、侍中等の職を転任。癇癪を起こした太宗を二百回余りも諌めた。死亡時、太宗は非常に哀しみ、侍臣へ以下のように言ったという。

「人は銅を以て鏡と為し、衣冠を正すべし、古きを以て鏡と為し、興替を見るべし、人の為す鏡を以て、得失を知るべし。魏徴の沒、朕亡くせし一鏡矣。」(『資治通鑑』巻一九六)。

太宗の命で編纂した『隋書』の序論、『梁書』、『陳書』、『齊書』の総論など、多くの著作がある。その言論は『貞観政要』に多く収められている。「人生意気に感ず」の句で有名な「述懐」という詩を詠んだ。

○秦王 唐太宗(李世民)(598年-649年),太宗は、唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

隋末唐初の混乱から国土を回復させ、後の唐の土台を築く治世を行ったこと、唐の領土を広げ、北方異民族の脅威を長年に渡って取り除いたこと、兄の李建成に、李世民の存在が皇太子の座を危うくしていること感じて殺害することを進言した魏徴の命を助け、彼を始めとする部下たちの諫言をよく聞き入れたことなどから、中国史上でも有数の名君と称えられる。

 

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

科挙受験のために頼る門閥に入るの書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

青衿冑子 科挙受験のために頼る門閥に入るの書生のころ。

困泥塗 貧困で泥に見える苦労をした。・泥塗:泥まみれになること。また,ぬかるみ。低い地位の喩え。けがれ汚れた場所。

白馬將軍 東魏からの投降将軍であった南朝梁の南予州刺史の侯景がおこした反乱をいう。

杜甫《洗兵行》「青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。」(青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。)にあるように

 

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

朱雲・折檻 君主を強く諫(いさ)める意。わが国では転じて、広く、きびしく意見して戒める意。《漢書・朱雲伝》「上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。」

嶙峋 山の岩石が)ごつごつと重なっている.

 

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

婁公 漢の劉敬のこと。(前漢紀元前200年ごろ)は、中国前漢時代の政治家。斉の人。元の名は婁敬。劉敬は国境警備の兵として隴西へ行く途中劉邦のいる洛陽を通ったとき、同じ斉出身の虜将軍に劉邦と会わせて貰えるように頼んだ。この時劉敬は羊の皮の服を着ていたので虜将軍に新しい服を着るように言ったが、結局劉敬はそのまま劉邦に謁見することにした。劉敬は劉邦に洛陽を都とした周と漢との違いを述べ、天然の要害である秦の故地長安を都にすべきと進言した。しかし群臣の多くは秦が短命に終わり、周が長く続いたことをもって洛陽を推した。劉邦は決めかねていたが張良が長安を推したために長安に決した。最初に長安を勧めた功により劉敬は劉姓を賜り、婁敬から名を改め劉敬とし、郎中に任じられ奉春君の称号を貰った。

韓王信謀反の報を聞いた劉邦は軍を率いこれを討とうしたが、韓王信が匈奴と手を結んだことを聞き大いに怒り匈奴に使者を送った。匈奴は壮士や良馬は隠し、老弱な者ややせた家畜しか使者に見せなかったので、使者は皆大いに侮り劉邦に匈奴を攻撃するよう進言した。しかし同じく匈奴に使者としていった劉敬は「国同士が争うときは自国の良い所を相手に見せ誇るものです。しかし匈奴は老弱な者ややせた家畜しか見せない。これはわざと弱いところを見せて、伏兵によって勝利しようとしようとしてるのです。匈奴を攻撃するのはやめるべきです」と進言したが、この時すでに二十万余りの兵を発していた劉邦は進言を怒り劉敬を拘束してしまった。その後劉邦は平城にて匈奴の伏兵により囲まれ、陳平の奇策によってなんとか難を逃れると、劉敬の拘束を解き自分の非を認め、劉敬を関内侯とし二千戸の領地と建信侯の称号を与えた。

宋公 宋公(待考)戦国宋の襄公のここと。

泓水の戦いで、圧倒的に自軍が不利にも拘らず「敵が渡河している間に攻撃するべきだ」と言った意見を、襄公はこれを許さず、大敗した。こような行動をとったことから、身の程知らずの情けのことを「宋襄の仁」と呼ぶようになった。

先皇 代宗の前の皇帝は肅宗で、杜甫は、諫言した「房琯擁護事件」により、肅宗の逆鱗に触れた。唐王朝の先帝、太宗は諫言をよく聞き入れ、聖天子といわれる「貞観の治」を行った。

容直臣 肅宗は後宮と宦官などに都合のいい、意見を取り入れた。杜甫の「房琯擁護事件」の真相は、房琯杜甫ら一党の経済政策と賀蘭進明・第五琦らの経済政策との対立が原因である。

三者の思惑が合致 

 

 

《洗兵行》「青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。」(青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。

もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。 

○青袍白馬 梁の侯景の故事。大同中に「青糸白馬寿陽より来たる」という童謡がはやった。景が渦陽の敗に錦を求めたところ、朝廷は給するのに青布を以てした。景はことごとく用いて袍となし、白馬に乗り青糸を轡となして童謡の語に応じょぅとした。青袍白馬は侯景が叛いたときのいでたちであり、今借りて安史軍の史思明・安慶緒等をさす。○更何有 意とするに足らないことをいう。○後漢今周  後漢は光武帝の中興をさし、今周は今日において周の宜王の再起したことをいう、竝に粛宗をたとえていう。○再昌 「攀竜」の句より「後漢」の句までは、功臣は恩寵をたのむべからず、宰相は其の人を得て、唐朝復興の兆のあることを喜ぶことをいう。

侯景が身に靑袍を着け、靑袍白馬といふのは"梁の侯景の故事

【侯景の乱】

中国,南朝梁の武帝治下の548(太清2)8月,南予州刺史の侯景がおこした反乱。侯景は羯族(かつぞく)の出身,東魏からの投降将軍であった。反乱軍は寿春(安徽省寿県)からただちに都の建康(南京)を突き,翌年3月,数ヵ月にわたる籠城のすえ宮城は陥落。55111月に侯景は即位して国号を漢と定めたが,王僧弁と陳霸先の連合軍の攻撃をうけて敗死した。この乱によって,50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢がやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。

 

折檻 君主を強く諫(いさ)める意。わが国では転じて、広く、きびしく意見して戒める意。《漢書・朱雲伝》「上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。」

漢の朱雲が悪臣の張禹(ちょうう)を殺させてほしいと成帝に願い出た時、帝は大いに怒って朱雲を死罪にしようとした。御史(ぎょし)が朱雲を殿上から引きおろそうとしたが、朱雲が檻(てすり)にしがみついて動かないので檻が折れたという故事による。

上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。

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《閬水歌》巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてか故郷の景色に重なり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。


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同時期の作品

・閬山歌

・閬水歌

・草堂

・四松

・水檻

・破船

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 (七言歌行)

詩題: 閬水歌 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點: 閬水 (山南西道 閬州 閬州)     

 

閬水歌

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてか故郷の景色に重なり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

翠冠001 

『閬水歌』 現代語訳と訳註

(本文)閬水歌

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

 

(下し文)

(閬水の歌)

嘉陵の江色 何の似たる所ぞ、石黛 碧玉 相い因り依る。

正に憐れむ日の浪花を破りて貯づるを、更に復た春沙際より帰る。

巴童薬を蕩かして敵側して過ぎ、水難魚を街みて来去して飛ぶ。

間中の勝事腸断ゆるにたえたり、閲州城南は天下に稀なり。

 

(現代語訳)

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてかこきょうのけしきにかさなり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

 

(訳注)

閬水歌

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)広徳二年の作。

○閬水 閬州の川をいう、すなわち嘉陵江。この川の源は陝西省の鳳県の嘉陵谷からでており、閬中県ではその西、南、東の三方を流れる。

山南西道02 

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

○嘉陵江色 素陵江は題の閬水である。江色とはこの地域で作り出す江の水の色をいう。

○石黛 いしずみ、青黒色で女性の眉をえがくのに用いる、これは水の深い処の色をいう。

○碧玉 みどりのぎょく、これは水の浅い場処の色をいう。

○因依 よりそう、くっつきあう。

 

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

〇日破浪花 浪花のあいだから太陽のあらわれ出たという意味の破とはその中央からでることをいう。

○春従沙際帰 春節にあたって自己が帰って来たこと、帰るとは梓州よりこの閬州にかえったことをいうのであろう

 

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

○巴童 土地のこどもら、間中は巴国の地である。

○蕩槳 かいをうごかす、舟をあやつること。

○根側 かたむき、かたむく、水流の急なため舟体がよこになることをいう。

○水雞 くいな。

○銜 口でくわえること。

 

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてかこきょうのけしきにかさなり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

○勝事 風景のすぐれていることども。

○可腸断 可はたえたりの意、腸断というのは前詩の「中原未ダ帰ラズ」というのと同意で、佳景をみてかえって故郷をおもい悲しんではらわたをたつこと。

○城南 この語によれば作者は城の南面の江水をながめて此の詩をよんだのである。

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杜甫《閬山歌》 わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-20 《閬山歌》 蜀中転々 杜甫 <660>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3705 杜甫詩1000-660-935/1500754

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 (七言歌行)

詩題: 閬山歌 

関係地点

閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城     

靈山 (山南西道 閬州 靈山)     

玉臺山 (山南西道 閬州 閬州) 別名:玉臺     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳     

 

 

閬山歌

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

 

(閬山の歌)

閬州城東 霊山白く、閬州城北玉台碧なり。

松には浮かぶ 尽きんと欲して 尽きざるの雲、江には動く将に崩れんとして 未だ崩れざるの石。

那ぞ知らん根に鬼神の会する無きを、己に覚ゆ気嵩華と敵するを。

中原 格闘 且つ未だ帰らず、応に茅斎を結びて青壁に著くべし。

 

nat0001 

閬山歌』 現代語訳と訳註

(本文)

閬山歌

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

 

 

(下し文)

(閬山の歌)

閬州城東 霊山白く、閬州城北玉台碧なり。

松には浮かぶ 尽きんと欲して 尽きざるの雲、江には動く将に崩れんとして 未だ崩れざるの石。

那ぞ知らん根に鬼神の会する無きを、己に覚ゆ気嵩華と敵するを。

中原 格闘 且つ未だ帰らず、応に茅斎を結びて青壁に著くべし。

 

 

(現代語訳)

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

 

 

(訳注)

閬山歌

○閬山 閬州の山。

閬州の山を見て感ずる所をのべた。広徳二年間州にあっての作。

梓州において杜甫は、頻繁に周辺の各地に出かけている。その年の秋には綿州に行き、冬には射洪県、通川県に行き、翌年の春には涪城県に出向き、梓州に帰ってくると、すぐまた塩亭県に行く。その次には漢州に出かけて夏まで逗留。秋になると閬州へ行き、冬になって梓州に帰る、という調子である。おそらくこれは、各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていたものと思われる。したがってこの時期には送別の作や宴席に陪しての作が多い。

 

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

○閬州 四川省保寧府閬中県、梓潼の南にあたる。

○城東 東とはおおよその方位をいう、実は東北である。

○霊山 現在名雲台山、当時の別名仙穴山といい、閬中県の東北十里にあるという。(e

○玉台 山の名、聞州城北七里にある。

 

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

○雲 山上にあるくも。

○江 嘉陵江。

○石 江流に横たわる石。

 

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

○根 山根をいう、深谷の洞窟などをさすのであろう。

○鬼神 神仙をいう。

○会 集合する。

○気 雲気。

○与嵩華敵 嵩華は五岳の中にある中岳嵩山と西岳華山。敵は匹敵、雲気のたちのぼる高さが嵩葦とひとしいことをいう。

 

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

○中原 洛陽地方。

○格闘 うちあいたたかう、戦争のあることをいう。

○結 構えること。

○茅斉 かやぶきの書斎。

○著 その処にくっつけて置く。

○青壁 あおい山崖の絶壁。

 山南西道02

665七言歌行 《嚴氏溪放歌行》 蜀中転々 杜甫 <571-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3155 杜甫詩1000-571-#2-825/1500

《嚴氏溪放歌行》#2東の閬州に遊びに行ったら、次には西の漢州へ廻る、そうした力が実に飽きては北のだ。まさにこの身はさらに何してやればいいというのだろうか。

 

2013年10月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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七言歌行 《嚴氏溪放歌行》 蜀中転々 杜甫 <571-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3155 杜甫詩1000-571-#2-825/1500

 

 

嚴氏溪放歌行〔溪在閬州東百餘里。〕#1

(閬州の東、百餘里はなれた嚴氏溪に舟を浮かべての歌)

天下甲馬未盡銷,豈免溝壑常漂漂。 

今まだ、天下に戦火がなくなってはいない、それなのにこの谷や渓谷にはいつもと変わらない飄々とした水面漂うのである。

劍南月不可度,邊頭公卿仍獨驕。 

自分もこの剣南に来て何年も月日が過ぎているがこの渓谷を渡ったことはなかったし、この川べりに厳武公は独りでここを気に入っているようだ。

費心姑息是一役,肥肉大酒徒相要。 

子の舟遊びは世情が落ち着かず心が疲れ、いらだっているのでこれに一役買ったのである。おいしい肉を用意し、たくさんの酒も用意してひたすらに互いに食べたのである。

嗚呼古人已糞土,獨覺志士甘漁樵。 

ああ、それにしても古人から培っていたこの地が踏みにじられてしまっているのであるし、この乱れた地を平安なものにしようとする志士は漁師や木こりをりかいさせ満足させるというのが、一人、分かったのである。

#2

況我飄轉無定所,終日慼慼忍羈旅。 

況やこの私は転蓬のように定まった場所のない生活をしているし、朝から晩まで、憂欝な思いで旅をして我慢をしているのだ。

秋宿霜溪素月高,喜得與子長夜語。 

既に秋になっても宿にも、霜が降りた渓谷や、満月も高く上がっている。嬉しいことと云えば子供と長い用話を聞かせてやることだろうか。

東遊西還力實倦,從此將身更何許。 

東の閬州に遊びに行ったら、次には西の漢州へ廻る、そうした力が実に飽きては北のだ。まさにこの身はさらに何してやればいいというのだろうか。

知子松根長茯苓,遲暮有意來同煮。 

夜話ができるのは、子供が知識を得ることであり、松の根が張っていくことと同じであり、薬になる茯苓茸よりも良いことであるということだ。こんなことで、今年も暮れるのが遅くなれば、学問に対する意識を持っていて勉学の木の根っこや筍を煮込んでいくということだ。

 

嚴氏溪に放っての歌行【うた】〔溪は閬州の東、百餘里に在る。〕#1

天下 甲馬 未だ盡銷【じんそう】せず,豈に溝壑【こうこく】常に漂漂とするを免す。 

劍南 月 度る可からず,邊頭 公卿 仍ち獨り驕す。 

心を費す 姑息 是れ一役なり,肥肉 大酒 徒らに相い要う。  

嗚呼、古人 已に糞土たり,獨り覺る 志士 漁樵を甘くす。

 

況や我は 飄轉 定むる所無し,終日 慼慼【しゅくしゅく】として羈旅を忍ぶ。 

秋宿 霜溪 素月高く,喜ぶは子と長夜語るを得る。 

東に遊び 西に還る 力實倦き,此に從り將に身更に何ぞ許す。 

子を知るは松根 茯苓を長し,遲暮 意有り來りて同煮す。    

 

 

 

『嚴氏溪放歌行』 現代語訳と訳註

aki03(本文) #2

況我飄轉無定所,終日慼慼忍羈旅。 

秋宿霜溪素月高,喜得與子長夜語。 

東遊西還力實倦,從此將身更何許。 

知子松根長茯苓,遲暮有意來同煮。 

 

 

(下し文) #2

況や我は 飄轉 定むる所無し,終日 慼慼として羈旅を忍ぶ。 

秋宿 霜溪 素月高く,喜ぶは子と長夜語るを得る。 

東に遊び 西に還る 力實倦き,此に從り將に身更に何ぞ許す。 

子を知るは松根 茯苓を長し,遲暮 意有り來りて同煮す。 

 

 

 

(現代語訳)

況やこの私は転蓬のように定まった場所のない生活をしているし、朝から晩まで、憂欝な思いで旅をして我慢をしているのだ。

既に秋になっても宿にも、霜が降りた渓谷や、満月も高く上がっている。嬉しいことと云えば子供と長い用話を聞かせてやることだろうか。

東の閬州に遊びに行ったら、次には西の漢州へ廻る、そうした力が実に飽きては北のだ。まさにこの身はさらに何してやればいいというのだろうか。

夜話ができるのは、子供が知識を得ることであり、松の根が張っていくことと同じであり、薬になる茯苓茸よりも良いことであるということだ。こんなことで、今年も暮れるのが遅くなれば、学問に対する意識を持っていて勉学の木の根っこや筍を煮込んでいくということだ。

 

 

(訳注)

嚴氏溪放歌行〔溪在閬州東百餘里。〕#2

(閬州の東、百餘里はなれた嚴氏溪に舟を浮かべての歌)

各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていた。この詩もそうしたものの一首である。

 

 

況我 飄轉 定所 ,終日 慼慼 羈旅

況やこの私は転蓬のように定まった場所のない生活をしているし、朝から晩まで、憂欝な思いで旅をして我慢をしているのだ。

「飄轉」飄泊。

「慼慼」憂欝な思い、負面情感(憂愁掛慮)、慼。

「羈旅」当てもない旅。

 

 

秋宿 霜溪 素月 ,喜得 與子 長夜

既に秋になっても宿にも、霜が降りた渓谷や、満月も高く上がっている。嬉しいことと云えば子供と長い用話を聞かせてやることだろうか。

「秋宿」旅の宿で、秋になった。

「霜溪」渓谷には霜がおりる。

「素月」仲秋の月の白さを云い、寒さが増してきた様子を云う。

「高」仲秋をあらわす。月が一番高くなるころ。

「長」秋の夜長。

「夜語」長い夜を語って過ごすこと。

 

 

東遊 西還 實倦 ,從此 將身 更何許。

東の閬州に遊びに行ったら、次には西の漢州へ廻る、そうした力が実に飽きては北のだ。まさにこの身はさらに何してやればいいというのだろうか。

「東遊」梓州を中心にして東の閬州に行く。

「西還」梓州を中心にして西の漢州へ行く。

「倦」物事をしとげられないで、どうしてよいか困る。 同じ状態が長くつづいて、いやになる。もてあます。あぐねる。 「攻め倦む」. 【倦む】うむ. 物事にあきて、いやになる。退屈する。 くたびれる。疲れる。 「倦まず ( たゆ ) まず」. 【倦厭】けんえん. あきていやになること。

「從此」範圍時間(今昔)、從此。

蜀中転々圖 

 

知子 松根 茯苓 ,遲暮 有意 同煮

夜話ができるのは、子供が知識を得ることであり、松の根が張っていくことと同じであり、薬になる茯苓茸よりも良いことであるということだ。こんなことで、今年も暮れるのが遅くなれば、学問に対する意識を持っていて勉学の木の根っこや筍を煮込んでいくということだ。

「松根」生物、植物專名(木本)、松、根。

「茯苓」主としてマツ類の根につくブクリョウタケの菌核で,重要な漢方薬とされる。またマツの根の通ったものは茯神(ぶくしん)の名で区別されている。
nat0001 

《嚴氏溪放歌行》 蜀中転々 杜甫 <571>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3150 杜甫詩1000-571-824/1500 40923

《嚴氏溪放歌行》#1ああ、それにしても古人から培っていたこの地が踏みにじられてしまっているのであるし、この乱れた地を平安なものにしようとする志士は漁師や木こりをりかいさせ満足させるというのが、一人、分かったのである。

 

 

2013年10月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

魚玄機 詩 全首130賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876

薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227

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温庭筠 70『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620

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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107

 

『花間集』継続中

 
《嚴氏溪放歌行》

蜀中転々 杜甫 <571-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3150 杜甫詩1000-571-824/1500             40923

 

 

厳武の下にあった剣南兵馬使の徐知道が反乱を起こした。徐知道は兵を北に派遣して剣門の道を塞ぎ、西は卭州を攻め取り、中国西境を寇略していた羌族と手を結んだ。このために成都は大混乱に陥った。

杜甫は道路が塞がれたために成都に帰れなくなり、そのまま梓州に留まって、その地の刺史になっていた杜済のもとに身を寄せた。一方、都に出発した厳武も、途中で進めなくなり、巴州のあたりで立往生していた。

 

梓州において杜甫は、頻繁に周辺の各地に出かけている。その年の秋には綿州に行き、冬

には射洪県、通川県に行き、翌年の春には涪城県に出向き、梓州に帰ってくると、すぐまた塩亭県に行く。その次には漢州に出かけて夏まで逗留。秋になると閬州へ行き、冬になって梓州に帰る、という調子である。おそらくこれは、各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていたものと思われる。したがってこの時期には送別の作や宴席に陪しての作が多い。

 

作者: 杜甫  763 廣德元年 杜甫52

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 

詩題: 嚴氏溪放歌行〔溪在閬州東百餘里。〕 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  嚴氏溪 (山南西道 閬州 閬州)     

掲 載; 杜甫1000首の571首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-824回目

蜀中転々圖 

 

嚴氏溪放歌行〔溪在閬州東百餘里。〕#1

(閬州の東、百餘里はなれた嚴氏溪に舟を浮かべての歌)

天下甲馬未盡銷,豈免溝壑常漂漂。 

今まだ、天下に戦火がなくなってはいない、それなのにこの谷や渓谷にはいつもと変わらない飄々とした水面漂うのである。

劍南月不可度,邊頭公卿仍獨驕。 

自分もこの剣南に来て何年も月日が過ぎているがこの渓谷を渡ったことはなかったし、この川べりに厳武公は独りでここを気に入っているようだ。

費心姑息是一役,肥肉大酒徒相要。 

子の舟遊びは世情が落ち着かず心が疲れ、いらだっているのでこれに一役買ったのである。おいしい肉を用意し、たくさんの酒も用意してひたすらに互いに食べたのである。

嗚呼古人已糞土,獨覺志士甘漁樵。 

ああ、それにしても古人から培っていたこの地が踏みにじられてしまっているのであるし、この乱れた地を平安なものにしようとする志士は漁師や木こりをりかいさせ満足させるというのが、一人、分かったのである。

金燈花03#2

況我飄轉無定所,終日慼慼忍羈旅。 

秋宿霜溪素月高,喜得與子長夜語。 

東遊西還力實倦,從此將身更何許。 

知子松根長茯苓,遲暮有意來同煮。 

 

嚴氏溪に放っての歌行【うた】〔溪は閬州の東、百餘里に在る。〕#1

天下 甲馬 未だ盡銷【じんそう】せず,豈に溝壑【こうこく】常に漂漂とするを免す。 

劍南 月 度る可からず,邊頭 公卿 仍ち獨り驕す。 

心を費す 姑息 是れ一役なり,肥肉 大酒 徒らに相い要う。  

嗚呼、古人 已に糞土たり,獨り覺る 志士 漁樵を甘くす。   

 

『嚴氏溪放歌行』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴氏溪放歌行〔溪在閬州東百餘里。〕#1

天下甲馬未盡銷,豈免溝壑常漂漂。 

劍南月不可度,邊頭公卿仍獨驕。 

費心姑息是一役,肥肉大酒徒相要。 

嗚呼古人已糞土,獨覺志士甘漁樵。 

 

 

(下し文)

嚴氏溪に放っての歌行【うた】〔溪は閬州の東、百餘里に在る。〕#1

天下 甲馬 未だ盡銷【じんそう】せず,豈に溝壑【こうこく】常に漂漂とするを免す。 

劍南 月 度る可からず,邊頭 公卿 仍ち獨り驕す。 

心を費す 姑息 是れ一役なり,肥肉 大酒 徒らに相い要う。 

嗚呼、古人 已に糞土たり,獨り覺る 志士 漁樵を甘くす。 

 

 

(現代語訳)

(閬州の東、百餘里はなれた嚴氏溪に舟を浮かべての歌)

今まだ、天下に戦火がなくなってはいない、それなのにこの谷や渓谷にはいつもと変わらない飄々とした水面漂うのである。

自分もこの剣南に来て何年も月日が過ぎているがこの渓谷を渡ったことはなかったし、この川べりに厳武公は独りでここを気に入っているようだ。

子の舟遊びは世情が落ち着かず心が疲れ、いらだっているのでこれに一役買ったのである。おいしい肉を用意し、たくさんの酒も用意してひたすらに互いに食べたのである。

ああ、それにしても古人から培っていたこの地が踏みにじられてしまっているのであるし、この乱れた地を平安なものにしようとする志士は漁師や木こりをりかいさせ満足させるというのが、一人、分かったのである。

 

 

(訳注)

嚴氏溪放歌行〔溪在閬州東百餘里。〕

(閬州の東、百餘里はなれた嚴氏溪に舟を浮かべての歌)

各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていた。この詩もそうしたものの一首である。

 

天下 甲馬 盡銷,豈免溝壑 常漂漂

今まだ、天下に戦火がなくなってはいない、それなのにこの谷や渓谷にはいつもと変わらない飄々とした水面漂うのである。

「甲馬」戰爭活動、戰爭。

「溝」川溝。

「壑」洞穴坑谷、壑。

「漂漂」ただようさま。たかくあがるさま。飄。

 

 

劍南 不可 ,邊頭 公卿 仍獨驕。

自分もこの剣南に来て何年も月日が過ぎているがこの渓谷を渡ったことはなかったし、この川べりに厳武公は独りでここを気に入っているようだ。

「劍南」四川地方。綿竹大曲から発展してきた。唐代の人に「春」の名酒とされ、また綿竹県が剣山の南に位置することから、「剣南春」と名づけられた。濃香タイプの白酒で、芳香馥郁、まろやかで甘く、清冽で爽やか、香りがいつまでも残り、独特の「麦麹の香りがある。

月」浣花渓草堂を出て梓州を中心に行動する月。

「邊頭」語義類別:地、地理、場域概稱、邊。

「公卿」各地の刺史や県令、厳武公卿。

 

 

費心 姑息 一役 ,肥肉 大酒 徒相要

子の舟遊びは世情が落ち着かず心が疲れ、いらだっているのでこれに一役買ったのである。おいしい肉を用意し、たくさんの酒も用意してひたすらに互いに食べたのである。

「心」語義類別:人、狀態、心神氣力、心。

「姑息」いらだち。

「要」ひつようとする。

 

 

嗚呼 古人 已糞土 ,獨覺 志士 漁樵

ああ、それにしても古人から培っていたこの地が踏みにじられてしまっているのであるし、この乱れた地を平安なものにしようとする志士は漁師や木こりをりかいさせ満足させるというのが、一人、分かったのである。

「甘」論理的に理解させ満足させる。納得させる。

「漁樵」隠遁者と対等に話だできていた漁師と樵。彼らを納得させるだけの勉強が足らないということを云う。

 

 

況我 飄轉 定所 ,終日 慼慼 羈旅

況やこの私は転蓬のように定まった場所のない生活をしているし、朝から晩まで、憂欝な思いで旅をして我慢をしているのだ。

「飄轉」飄泊。

「慼慼」憂欝な思い、負面情感(憂愁掛慮)、慼。

「羈旅」当てもない旅。

 

aki010 

657 《短歌行送祁錄事歸合州因寄蘇使君【短歌行送祁錄事歸邛州因寄蘇使君】》 蜀中転々 杜甫 <562>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3045 杜甫詩1000-562-803/1500

寄蘇使君幸運にして書簡が達してみると賢い幕府の主であることがある。大江のほとりに花が咲き誇る、しばしば会見した川べりの高楼にいまだにあなたは来ていない。

 

2013年9月26日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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作者: 杜甫  763年 廣德元年  52

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 

詩題: 短歌行送祁錄事歸合州因寄蘇使君【短歌行送祁錄事歸邛州因寄蘇使君】 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 合州 (山南西道 合州 合州)     

交遊人物: 祁錄事 、蘇使君

掲 載; 杜甫1000首の562首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-803回目   40902

 

 

短歌行送祁錄事歸合州因寄蘇使君【短歌行送祁錄事歸邛州因寄蘇使君】

(短歌行、祁錄事が合州に歸るを送る因って蘇使君に寄せる。)

前者途中一相見,人事經年記君面。 

少し前のこと旅の途中で一度であったことがある。その仕事としてこれまでの間、君に面会したことを記録した。

後生相動何寂寥,君有長才不貧賤。 

後になってからたがいにどういうわけか寂しが募って來るのです。あなたはとっても才能があり貧乏でも賤しい地位にもならないというものです。

君今起柁春江流,余亦沙邊具小舟。 

あなたは今、春水の大江の流れにのってかじをとろうとしている。わたしは、また川辺の砂浜に小舟を用意しよう。

幸為達書賢府主,江花未盡會江樓。 

幸運にして書簡が達してみると賢い幕府の主であることがある。大江のほとりに花が咲き誇る、しばしば会見した川べりの高楼にいまだにあなたは来ていない。

 

(短歌行、祁錄事が合州に歸るを送る因って蘇使君に寄せる。)

前者 途中 一び相い見る,人事 經年 君の面に記す。 

後生 相にに何んぞ寂寥とし動き,君は長才有りて貧賤ならず。 

君 今 柁を起す 春江の流,余 亦た 沙邊 小舟を具う。 

幸に達書 賢府の主を為し,江花 未だ盡ば江樓に會う。  

nat0005 

 

『短歌行送祁錄事歸合州因寄蘇使君』 現代語訳と訳註

(本文)

短歌行送祁錄事歸合州因寄蘇使君【短歌行送祁錄事歸邛州因寄蘇使君】

前者途中一相見,人事經年記君面。 

後生相動何寂寥,君有長才不貧賤。 

君今起柁春江流,余亦沙邊具小舟。 

幸為達書賢府主,江花未盡會江樓。 

 

 

(下し文)

(短歌行、祁錄事が合州に歸るを送る因って蘇使君に寄せる。)

前者 途中 一び相い見る,人事 經年 君の面に記す。 

後生 相にに何んぞ寂寥とし動き,君は長才有りて貧賤ならず。 

君 今 柁を起す 春江の流,余 亦た 沙邊 小舟を具う。 

幸に達書 賢府の主を為し,江花 未だ盡ば江樓に會う。 

 

 

(現代語訳)

(短歌行、祁錄事が合州に歸るを送る因って蘇使君に寄せる。)

少し前のこと旅の途中で一度であったことがある。その仕事としてこれまでの間、君に面会したことを記録した。

後になってからたがいにどういうわけか寂しが募って來るのです。あなたはとっても才能があり貧乏でも賤しい地位にもならないというものです。

あなたは今、春水の大江の流れにのってかじをとろうとしている。わたしは、また川辺の砂浜に小舟を用意しよう。

幸運にして書簡が達してみると賢い幕府の主であることがある。大江のほとりに花が咲き誇る、しばしば会見した川べりの高楼にいまだにあなたは来ていない。

 

(訳注)

短歌行送祁錄事歸合州因寄蘇使君

〔短歌行送祁錄事歸州因寄蘇使君〕

(短歌行、祁錄事が合州に歸るを送る因って蘇使君に寄せる。)

 

 

前者 途中 一相見 ,人事 經年 君面

少し前のこと旅の途中で一度であったことがある。その仕事としてこれまでの間、君に面会したことを記録した。

「前者」以前のこと。

「途中」街道を行き交うその途中。

「人事」人の仕事。

 

 

後生 相動何寂寥 ,君有 長才 貧賤

後になってからたがいにどういうわけか寂しが募って來るのです。あなたはとっても才能があり貧乏でも賤しい地位にもならないというものです。

「後生」あとになって。

「寂寥」環境狀態がさびしく切ない。

「長才」才能。

「貧賤」生活狀態が貧困。地位の貴賤が卑しい。

 

 

君今 起柁 春江 ,余亦 沙邊 小舟

あなたは今、春水の大江の流れにのってかじをとろうとしている。わたしは、また川辺の砂浜に小舟を用意しよう。

「起柁」船の柁を起こそう。

「春江」春水の増水した大江。

「沙邊」川辺の砂浜。

「具」準備。

 

 

幸為 達書 賢府 ,江花 未盡 江樓

幸運にして書簡が達してみると賢い幕府の主であることがある。大江のほとりに花が咲き誇る、しばしば会見した川べりの高楼にいまだにあなたは来ていない。

「府」幕府。

「江」大江のほとりに咲く花。

「未」語義類別:其他、其他詞彙、否定詞、不。

「會」会見。

「江樓」大江の川縁に立つ高樓。
pla030 

652 楽府 《天邊行》 蜀中転々 杜甫 <557>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3015 杜甫詩1000-557-797/1500

杜甫《天邊行》 蜀中転々 わたしは九回も他人に手紙を頼み預けて洛陽へやったが、十年ばかり兄弟からのたよりが無いのが気になっているのである。

 

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

652 楽府 《天邊行》 蜀中転々 杜甫 <557>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3015 杜甫詩1000-557-797/1500

 

卷別: 卷二一九  文體: 樂府 

作者: 杜甫  763  廣德元年52

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 隴右節度使 (隴右道東部 鄯州 隴右節度使) 、洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

起句の二字を切りとって題とする、故郷の弟を思うことをのべる。永泰元年三月草堂にあっての作。

 

 

天邊行

天邊老人歸未得,日暮東臨大江哭。

天のはて、国境近くにいるこの老人はいまだに故郷にかえることができずにいる、この日も日ぐれになって、東のかた大江にのぞんでなげいているのである。

隴右河源不種田,胡騎羌兵入巴蜀。

隴右・河源の地方は戦乱のために田地にうえつけができず、それは胡騎や羌兵がこの蜀までいりこんできたからである。

洪濤滔天風拔木,前飛禿鶖後鴻鵠。

また春水に川水が増水し、おおきな波は天にはびこり、大風は木を抜き、前には禿鷲が吹きとばされ、うしろには鴻鵠がとばされている。

九度附書向洛陽,十年骨肉無消息。

わたしは九回も他人に手紙を頼み預けて洛陽へやったが、十年ばかり兄弟からのたよりが無いのが気になっているのである。

 

(天辺行)

天辺の老人帰ること未だ得ず、日暮東大江に臨みて笑す。

隴右 河源 田を種えず、胡騎 羌兵 巴蜀に入る。

洪涛 天に滔り 風木を抜く、前に飛ぶは禿鶖 後には鴻鵠。

九度書を附して洛陽に向かわしむ、十年骨肉消息なし。

 

 

『天邊行』 現代語訳と訳註

(本文)

天邊行

天邊老人歸未得,日暮東臨大江哭。

隴右河源不種田,胡騎羌兵入巴蜀。

洪濤滔天風拔木,前飛禿鶖後鴻鵠。

九度附書向洛陽,十年骨肉無消息。

 

 

(下し文)

(天辺行)

天辺の老人帰ること未だ得ず、日暮東大江に臨みて笑す。

隴右 河源 田を種えず、胡騎 羌兵 巴蜀に入る。

洪涛 天に滔り 風木を抜く、前に飛ぶは禿鶖 後には鴻鵠。

九度書を附して洛陽に向かわしむ、十年骨肉消息なし。

 

 

(現代語訳)

天のはて、国境近くにいるこの老人はいまだに故郷にかえることができずにいる、この日も日ぐれになって、東のかた大江にのぞんでなげいているのである。

隴右・河源の地方は戦乱のために田地にうえつけができず、それは胡騎や羌兵がこの蜀までいりこんできたからである。

また春水に川水が増水し、おおきな波は天にはびこり、大風は木を抜き、前には禿鷲が吹きとばされ、うしろには鴻鵠がとばされている。

わたしは九回も他人に手紙を頼み預けて洛陽へやったが、十年ばかり兄弟からのたよりが無いのが気になっているのである。

 

 

(訳注)

天邊行

起句の二字を切りとって題とする、故郷の弟を思うことをのべる。永泰元年三月草堂にあっての作。

 

天邊老人歸未得,日暮東臨大江哭。

天のはて、国境近くにいるこの老人はいまだに故郷にかえることができずにいる、この日も日ぐれになって、東のかた大江にのぞんでなげいているのである。

○天辺老人 天のはて、国境近くにいる老人、自己をさす。

○帰 故郷にかえる。

○大江 錦江。

 

隴右河源不種田,胡騎羌兵入巴蜀。

隴右・河源の地方は戦乱のために田地にうえつけができず、それは胡騎や羌兵がこの蜀までいりこんできたからである。

○隴右・河源 甘粛省西北部、吐蕃に陥った地方をいう、広徳元年に吐蕃は隴右を陥れた。

○胡騎 吐蕃をさす。

○羌兵 党項売、揮奴刺の類をさす。

○巴蜀 蜀地をさす、広徳元年十二月、吐蕃は松・維・の三州を陥れた。

 

洪濤滔天風拔木,前飛禿鶖後鴻鵠。

また春水に川水が増水し、おおきな波は天にはびこり、大風は木を抜き、前には禿鷲が吹きとばされ、うしろには鴻鵠がとばされている。

○滔天 天にみなぎる、天までみなぎること。きわめて勢いが盛んなこと。「尚書」(尭典)にみえる。

○風抜木 永泰元年三月辛亥、大風が木を抜いた。

○禿鶖 はげたか。

○鴻鵠 鴻はおおとり。鵠は白鳥の類。

 

九度附書向洛陽,十年骨肉無消息。

わたしは九回も他人に手紙を頼み預けて洛陽へやったが、十年ばかり兄弟からのたよりが無いのが気になっているのである。

〇九度 九回も、たびたびの意であろう。

○附書 手紙をひとにあつらえる。

○洛陽 杜甫の故郷。

〇十年 天宝十四載より永泰元年まで。

○骨肉 洛陽にあった弟をさす。

○消息 たより。

少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500

杜甫《少年行》 馬上で我が物顔で振る舞うのは、どこの富貴の家の御曹司のものだろうか、酒屋のきざはしの前から馬をおり、人が座っていた長椅子に、どっかと腰をかけるのだ。


2013年7月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の501首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-733回目


少年行,二首之一
莫笑田家老瓦盆,自從盛酒長兒孫。 
傾銀注瓦驚人眼,共醉終同臥竹根。 
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
農家の古ぼけたかわらけの盃や肴を盛り付ける大皿食器を、笑うことをしてはいけない。こんな農家だとその食器でしか富貴の者の子や孫に提供して酒宴をさかんにするだけなのだ。
銀の飾り物を盃にしたり、瓦の盆にさけをついだり、村の人々を困らせるだけである。あげく、みんな酔っぱらって、ついに同じように静寂で隠棲の場所である竹林で寝てしまうしまつである。

少年行,二首之二
巢燕養雛渾欲去、江花結子也無多。
黄衫年少來宜敷、不見堂前東逝波。
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
巣で雛を育てる多くのツバメというものはせいちょうすれば全員去ってゆくものであるということや、濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。
それなのに、片肌脱いだ貴族の息子どもはここに来て勝手に座っているし、奥座敷の前入るやつらはそれがこの国の常識であることを知ってはいないのだろうか。


少年行
(少年行)
DCF00019馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
馬上で我が物顔で振る舞うのは、どこの富貴の家の御曹司のものだろうか、酒屋のきざはしの前から馬をおり、人が座っていた長椅子に、どっかと腰をかけるのだ。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
それから横柄な態度で、何処の誰とも名のらず、「あれをくれ」と、銀の酒瓶を指ざしして酒をもとめ、瓶の紐をもって瓶ごと直に呑んでいるのだ。

(少年行)
馬上 誰が家の白面郎ぞ、馬より下りて階に臨み、人牀に坐す。
姓氏を通ぜず麤豪【そごう】甚し、銀瓶【ぎんべい】を指点して酒を索もとめて嘗【な】む。


『少年行』 現代語訳と訳註
(本文)
少年行
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。


(下し文)
(少年行)
馬上 誰が家の白面郎ぞ、馬より下りて階に臨み、人牀に坐す。
姓氏を通ぜず麤豪【そごう】甚し、銀瓶【ぎんべい】を指点して酒を索もとめて嘗【な】む。


(現代語訳)
(少年行)
馬上で我が物顔で振る舞うのは、どこの富貴の家の御曹司のものだろうか、酒屋のきざはしの前から馬をおり、人が座っていた長椅子に、どっかと腰をかけるのだ。
それから横柄な態度で、何処の誰とも名のらず、「あれをくれ」と、銀の酒瓶を指ざしして酒をもとめ、瓶の紐をもって瓶ごと直に呑んでいるのだ。


(訳注)
少 年 行
・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。
・貴族の子弟が酒屋において傲慢に酒を貪ったさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句の形式の歌行である。同種の『貧孝行』がある。


馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
馬上で我が物顔で振る舞うのは、どこの富貴の家の御曹司のものだろうか、酒屋のきざはしの前から馬をおり、人が座っていた長椅子に、どっかと腰をかけるのだ。
○白面郎 かおのしろいわかもの。過保護で育ち、労働をしていない若者。  
○階 さかやのきざはし。 階は家の一部で道路からはたたきの様な部分があり、道路で下馬し、歩いて階まで行くべきところ、無礼な態度を云う。 
〇人牀 他人が座るべき酒屋の家の長いす。


不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
それから横柄な態度で、何処の誰とも名のらず、「あれをくれ」と、銀の酒瓶を指ざしして酒をもとめ、瓶の紐をもって瓶ごと直に呑んでいるのだ。
○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。 名乗らず大金を「付け」にして払わないことを云う。 
○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな横柄な態度をいう。  
○指点 あれと指ざしする。もっとも無礼な態度。
○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。
○索酒嘗 亀にひもがついており、それを以て、亀の酒を直に飲む様子を云う。
●韻 郎、牀、嘗
DCF00006

少年行,二首之二 蜀中転々 杜甫 <499>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2685 杜甫詩1000-499-731/1500

杜甫《少年行,二首之二》 巣で雛を育てる多くのツバメというものはせいちょうすれば全員去ってゆくものであるということや、濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

少年行,二首之二  蜀中転々 杜甫 <499>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2685 杜甫詩1000-499-731/1500

詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の499首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-731回目
卷別: 卷二二六  文體: 樂府 
寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

少年行,二首之一
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
莫笑田家老瓦盆,自從盛酒長兒孫。 
農家の古ぼけたかわらけの盃や肴を盛り付ける大皿食器を、笑うことをしてはいけない。こんな農家だとその食器でしか富貴の者の子や孫に提供して酒宴をさかんにするだけなのだ。
傾銀注瓦驚人眼,共醉終同臥竹根。 
銀の飾り物を盃にしたり、瓦の盆にさけをついだり、村の人々を困らせるだけである。あげく、みんな酔っぱらって、ついに同じように静寂で隠棲の場所である竹林で寝てしまうしまつである。

少年行,二首之二
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
巢燕養雛渾欲去、江花結子也無多。
巣で雛を育てる多くのツバメというものはせいちょうすれば全員去ってゆくものであるということや、濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。
黄衫年少來宜敷、不見堂前東逝波。
それなのに、片肌脱いだ貴族の息子どもはここに来て勝手に座っているし、奥座敷の前入るやつらはそれがこの国の常識であることを知ってはいないのだろうか。


『少年行,二首之二』 現代語訳と訳註
DCF00055(本文)
巢燕養雛渾欲去、江花結子也無多。
黄衫年少來宜敷、不見堂前東逝波。


(下し文)
巢燕 雛を養う 渾べて去らんと欲す、江花 子を結んで 也【ま】た 多く無し。
黄衫め年少 來ること宜しく數すべし
見ずや堂前東遯の波


(現代語訳)
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
巣で雛を育てる多くのツバメというものはせいちょうすれば全員去ってゆくものであるということや、濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。
それなのに、片肌脱いだ貴族の息子どもはここに来て勝手に座っているし、奥座敷の前入るやつらはそれがこの国の常識であることを知ってはいないのだろうか。


(訳注)
少年行,二首之二
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその二)


巢燕 養雛 渾去盡,江花 結子 已無 多 。
巣で雛を育てる多くのツバメというものはせいちょうすれば全員去ってゆくものであるということや、濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。
「巢燕」(飛禽)、燕。
「江花結子」濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。


黃衫 年少 來 宜數,不見 堂前 東逝 波 。
それなのに、片肌脱いだ貴族の息子どもはここに来て勝手に座っているし、奥座敷の前入るやつらはそれがこの国の常識であることを知ってはいないのだろうか。
・「黃衫」黃。絲帛服飾(衣冠腰帶)、衫。片肌脱ぐこと。
・「年少」富貴の息子たち。貴公子。
・東逝波 川の流れは東流するものである。常識である。

--------------------------------------------------------------------------------
 海棠花021











詩文(含異文):
巢燕養雛渾去盡【巢燕養兒渾去盡】【巢燕引雛渾去盡】【巢燕引兒渾去盡】,江花結子已無多【江花結子也無多】。
黃衫年少來宜數【黃衫年少宜來數】,不見堂前東逝波。


少年行,二首之一 蜀中転々 杜甫 <498>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500

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女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


少年行,二首之一  蜀中転々 杜甫 <498>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳
掲 載; 杜甫1000首の498首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-730回目


作年: 寶應元年  762年51歲 
卷別: 卷二二六  文體: 樂府 
詩題: 少年行,二首之一 
寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 
詩文:


少年行,二首之一
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
莫笑田家老瓦盆,自從盛酒長兒孫。 
農家の古ぼけたかわらけの盃や肴を盛り付ける大皿食器を、笑うことをしてはいけない。こんな農家だとその食器でしか富貴の者の子や孫に提供して酒宴をさかんにするだけなのだ。
傾銀注瓦驚人眼,共醉終同臥竹根。 
銀の飾り物を盃にしたり、瓦の盆にさけをついだり、村の人々を困らせるだけである。あげく、みんな酔っぱらって、ついに同じように静寂で隠棲の場所である竹林で寝てしまうしまつである。
 

『少年行,二首之一』 現代語訳と訳註
(本文)
ダリヤ00少年行,二首之一
莫笑田家老瓦盆,自從盛酒長兒孫。 
傾銀注瓦驚人眼,共醉終同臥竹根。 


(下し文)
少年の行【うた】,二首の一
笑ふこと莫れ 田家の老瓦盆【がぼん】を、自ら盛酒を從【ほしいま】まにするは長兒の孫なり。
銀を傾けて 瓦に注ぎ 人眼【じんがん】を驚かし、共に醉う 終に同じうする 竹根に臥さんと。


(現代語訳)
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
農家の古ぼけたかわらけの盃や肴を盛り付ける大皿食器を、笑うことをしてはいけない。こんな農家だとその食器でしか富貴の者の子や孫に提供して酒宴をさかんにするだけなのだ。
銀の飾り物を盃にしたり、瓦の盆にさけをついだり、村の人々を困らせるだけである。あげく、みんな酔っぱらって、ついに同じように静寂で隠棲の場所である竹林で寝てしまうしまつである。

(訳注)
少年行,二首之一
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
村の悪童であるとか街の貴族の息子たちが徒党を組んで悪行をする。農家の家に立ち寄り酒を用意させ、ごちそうを用意をさせてそこで飲み始めたのである。


莫笑 田家 老瓦盆 ,自從盛酒 長兒孫 。
農家の古ぼけたかわらけの盃や肴を盛り付ける大皿食器を、笑うことをしてはいけない。こんな農家だとその食器でしか富貴の者の子や孫に提供して酒宴をさかんにするだけなのだ。
「莫笑」この語に富貴の少年に対する批判を込めている。
「田家」語義類別:地、地理、郊原村野、田。
「瓦盆」生活用品(裝置容器)、盆。
「盛酒」酒の席が盛んである。
「兒孫」子供や孫、兒孫。


傾銀 注瓦 驚人 眼 ,共醉 終同臥 竹根 。
銀の飾り物を盃にしたり、瓦の盆にさけをついだり、村の人々を困らせるだけである。あげく、みんな酔っぱらって、ついに同じように静寂で隠棲の場所である竹林で寝てしまうしまつである。
・「竹根」農家の竹林の小路。農家での竹林は、隣家との境であり、俗世界と隠棲を仕切るところである。
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
莫笑田家老瓦盆,自從盛酒長兒孫【自從盛酒養兒孫】。
傾銀注瓦驚人眼【傾銀注玉驚人眼】,共醉終同臥竹根。

光祿阪行 楽府(七言歌行) 成都6-(22) 杜甫 <484>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2560 杜甫詩1000-484-706/1500

杜甫 《光祿阪行》 山路をすすんで行くと日の落ちかかる時に嶮しい坂道を下っていく。西の方を望めば四方のかこまれる千山、萬山の連峰はみな夕日に赤く染まっているのである。


2013年6月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

光祿阪行 楽府(七言歌行) 成都6-(22) 杜甫 <484>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2560 杜甫詩1000-484-706/1500 


詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の484首目-場面6-(22)
杜甫ブログ1500回予定の-706回目   40805
卷別: 卷二二○  文體: 樂府 
詩題: 光祿阪【案:在梓州銅山縣。】行 
作地: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州) 
及地: 光祿阪 (劍南道北部 梓州 銅山)     
 
 
光祿阪行
山行落日下絕壁,西望千山萬山赤。
山路をすすんで行くと日の落ちかかる時に嶮しい坂道を下っていく。西の方を望めば四方のかこまれる千山、萬山の連峰はみな夕日に赤く染まっているのである。
樹枝有鳥亂鳴時,暝色無人獨歸客。
折しも樹々の枝には巣に戻った鳥が乱れ鳴き、だんだん暗くなってゆくなかに、通る人は誰もなく、ひとり帰る旅びとの自分があるばかりである。
馬驚不憂深谷墜,草動只怕長弓射。
峻い道で馬が驚いて深い谷に落ちることを心配はせぬが、草むらが動くと、山賊があらわれて、長い弓で射かけはせぬかとビクビクする。
安得更似開元中。道路即今多擁隔。
ああどうしたならば、もういちど、あの開元の治の全盛の日のようになることができるのだろう。あのころとちがって、今では、道路がふさがれて通れないことが多いのである。


----------------------------------------------------------------------

詩文・異文:
山行落日下絕壁,西望千山萬山赤【西望千山萬水赤】。
樹枝有鳥亂鳴時【樹枝有鳥亂棲時】,暝色無人獨歸客。
馬驚不憂深谷墜,草動只怕長弓射。
安得更似開元中。道路即今多擁隔【道路即今何擁隔】。 

024








『光祿阪行』 現代語訳と訳註
(本文) 光祿阪行
山行落日下絕壁,西望千山萬山赤。
樹枝有鳥亂鳴時,暝色無人獨歸客。
馬驚不憂深谷墜,草動只怕長弓射。
安得更似開元中。道路即今多擁隔。


(下し文)
光祿【こうろく】阪行【はんこう】
山行して落日に絕壁を下り,西望すれば千山萬山赤し。
樹枝 鳥有り亂れ鳴時,暝色 人無く 獨り歸る客。
馬驚くも深谷に墜るを憂えず,草動けば只だ長弓の射むことを怕る。
安んぞ更に開元の中に似るを得む。道路 即今 擁隔【ようかく】を多くす。


(現代語訳)
山路をすすんで行くと日の落ちかかる時に嶮しい坂道を下っていく。西の方を望めば四方のかこまれる千山、萬山の連峰はみな夕日に赤く染まっているのである。
折しも樹々の枝には巣に戻った鳥が乱れ鳴き、だんだん暗くなってゆくなかに、通る人は誰もなく、ひとり帰る旅びとの自分があるばかりである。
峻い道で馬が驚いて深い谷に落ちることを心配はせぬが、草むらが動くと、山賊があらわれて、長い弓で射かけはせぬかとビクビクする。
ああどうしたならば、もういちど、あの開元の治の全盛の日のようになることができるのだろう。あのころとちがって、今では、道路がふさがれて通れないことが多いのである。


(訳注)
光祿阪行
作者が綿州から、東南に当たる梓州(今川川省三台縣にゆく途中、この山道を経過して作る。光禄坂は梓州銅山県(今四川中江県)にあった。


山行 落日 下 絕壁 ,西望 千山 萬山 赤 。
山路をすすんで行くと日の落ちかかる時に嶮しい坂道を下っていく。西の方を望めば四方のかこまれる千山、萬山の連峰はみな夕日に赤く染まっているのである。
山行」山路を行く。
絶壁」きり立ったがけ。
西望」蜀盆地における西は吐蕃国境を意識している。
千山萬山」蜀盆地の四方の連峰、山峰崖嶺をいう。


樹枝 有鳥 亂鳴 時 ,暝色 無人 獨歸客 。
折しも樹々の枝には巣に戻った鳥が乱れ鳴き、だんだん暗くなってゆくなかに、通る人は誰もなく、ひとり帰る旅びとの自分があるばかりである。


馬驚 不憂 深谷 墜 ,草動 只怕 長弓 射 。
峻い道で馬が驚いて深い谷に落ちることを心配はせぬが、草むらが動くと、山賊があらわれて、長い弓で射かけはせぬかとビクビクする。
長弓 射」山賊が現われて、旅人に長い弓で射かけること。


安得更似開元 中。道路 即今 多 擁隔 。
ああどうしたならば、もういちど、あの開元の治の全盛の日のようになることができるのだろう。あのころとちがって、今では、道路がふさがれて通れないことが多いのである。
開元」玄宗時代の年号(713‐741)。このとき唐朝は安定と繁栄を見たので,〈開元の治〉といい,太宗の〈貞観(じようがん)の治〉に擬せられる。玄宗李隆基は2度にわたるクーデタによって韋后と太平公主(則天武后の娘)の勢力を一掃し,712年(先天1)帝位についた。以後姚崇,宋璟らの名臣を用いて政権の公的性格を回復することにつとめた。則天武后の革命は貴族政治の因循さを打破して能力主義の政治を切り開くことに寄与したが,それは一方で皇后,公主,外戚,寵臣などの側近勢力を通じて行われたので,政権の私物化を伴った。
「擁隔」障礙隔絶。

古桟道0001

相逢歌贈嚴二別駕 楽府(七言歌行) 成都6-(23) 杜甫 <485>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2565 杜甫詩1000-485-707/1500

杜甫 《相逢歌贈嚴二別駕》我々はこの度、東川節度使の本拠地に入る。門から十歩入って、そこでグルット見回すのである。の城郭も中心部も少し前まで叛乱があり、さびしげな風が吹きさらしているのを止めることが出来たところだ。私の浣花渓の草堂はまたどうにかなっているのだろうか。

 

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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相逢歌贈嚴二別駕 楽府(七言歌行) 成都6-(23) 杜甫 <485>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2565 杜甫詩1000-485-707/1500 



作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
卷別: 卷二二○  文體: 樂府 
詩題: 相逢歌贈嚴二別駕【相從行贈嚴二別駕】【嚴別駕相逢歌】 
掲 載; 杜甫1000首の485首目-場面6-(23)
杜甫ブログ1500回予定の-707回目   40806
作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州) 
及地點:  草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍     
劍南東川節度使 (無第一級行政層級 無第二級行政層級 劍南東川節度使) 別名:東川     
交遊人物/地點: 嚴別駕 書信往來(劍南道北部 梓州 梓州)


相逢歌贈嚴二別駕
(「相逢歌」を作って、同行している別の車に乗る厳武君に贈る)
我行入東川,十步一回首。
城都亂罷氣蕭颯,浣花草堂亦何有。 
我々はこの度、東川節度使の本拠地に入る。門から十歩入って、そこでグルット見回すのである。
の城郭も中心部も少し前まで叛乱があり、さびしげな風が吹きさらしているのを止めることが出来たところだ。私の浣花渓の草堂はまたどうにかなっているのだろうか。

梓中豪俊大者誰,本州從事知名久。 
梓州の州都に豪傑俊才の素晴らしい人が誰アラン居るのだ。この州は事があってもそれを見事に沈めたことにより名声もひろく久しく知れ渡っている。
把臂開尊飲我酒,酒酣擊劍蛟龍吼。 
肘を抱えて大盃を開いて我々は酒を呑むことになる。おいしい酒を与えられ、剣をうちふるって舞うと、天上の竜も水中の蛟も叫ぶのである。
烏帽拂塵青騾粟,紫衣將炙緋衣走。 
成人以上の者たちは烏帽子の塵を払って若い元気のよい騾馬や粟のようにやくだってくれ、紫衣の官職のものは自分の肉を炙るかのように頑張り、緋衣の職にあるものでさえ自ら走って頑張ったのである。

銅盤燒蠟光吐日,夜如何其初促膝。 
黃昏始扣主人門,誰謂俄頃膠在漆。 
萬事盡付形骸外,百年未見歡娛畢。
神傾意豁真佳士,久客多憂今愈疾。

高視乾坤又可愁,一軀交態同悠悠。
垂老遇君未恨晚,似君須向古人求。


「相逢歌」別に駕する嚴二に贈る
我れ行きて東川に入り,十步 一たび首を回らす。
城都には亂れて蕭颯たるを氣するを罷む,浣花の草堂は亦た何ず有らん。 
梓中 豪俊 大いる者誰あらん,本州 事に從って知名久す。 
臂を把めば開尊し我も酒を飲まん,酒酣 擊劍 蛟龍の吼。 
烏帽 塵を拂い青騾の粟,紫衣 將って炙り緋衣の走。 

銅盤 燒蠟 光吐日,夜如何其 初促膝。 
黃昏 始扣 主人門,誰謂 俄頃 膠在漆。 
萬事 盡付 形骸外,百年 未見 歡娛畢。
神傾 意豁 真佳士,久客 多憂 今愈疾。

高視 乾坤 又可愁,一軀 交態 同悠悠。
垂老 遇君 未恨晚,似君 須向 古人求。


『相逢歌贈嚴二別駕』 現代語訳と訳註
(本文)
我行入東川,十步一回首。
城都亂罷氣蕭颯,浣花草堂亦何有。 
梓中豪俊大者誰,本州從事知名久。 
把臂開尊飲我酒,酒酣擊劍蛟龍吼。 
烏帽拂塵青騾粟,紫衣將炙緋衣走。 


(下し文)
「相逢歌」別に駕する嚴二に贈る
我れ行きて東川に入り,十步 一たび首を回らす。
城都には亂れて蕭颯たるを氣するを罷む,浣花の草堂は亦た何ず有らん。 
梓中 豪俊 大いる者誰あらん,本州 事に從って知名久す。 
臂を把めば開尊し我も酒を飲まん,酒酣 擊劍 蛟龍の吼。 
烏帽 塵を拂い青騾の粟,紫衣 將って炙り緋衣の走。


(現代語訳)
(「相逢歌」を作って、同行している別の車に乗る厳武君に贈る)
我々はこの度、東川節度使の本拠地に入る。門から十歩入って、そこでグルット見回すのである。
の城郭も中心部も少し前まで叛乱があり、さびしげな風が吹きさらしているのを止めることが出来たところだ。私の浣花渓の草堂はまたどうにかなっているのだろうか。
梓州の州都に豪傑俊才の素晴らしい人が誰アラン居るのだ。この州は事があってもそれを見事に沈めたことにより名声もひろく久しく知れ渡っている。
肘を抱えて大盃を開いて我々は酒を呑むことになる。おいしい酒を与えられ、剣をうちふるって舞うと、天上の竜も水中の蛟も叫ぶのである。
成人以上の者たちは烏帽子の塵を払って若い元気のよい騾馬や粟のようにやくだってくれ、紫衣の官職のものは自分の肉を炙るかのように頑張り、緋衣の職にあるものでさえ自ら走って頑張ったのである。

楠樹02







(訳注)
相逢歌贈嚴二別駕
「相逢歌」を作って、同行している別の車に乗る厳武君に贈る


我行 入 東川 ,十步 一 回首 。
我々はこの度、東川節度使の本拠地に入る。門から十歩入って、そこでグルット見回すのである。
東川」剣南東川節度使の略称。行政地名、東川。


城都 亂罷氣 蕭颯 ,浣花 草堂 亦何有 。
この城郭も中心部も少し前まで叛乱があり、さびしげな風が吹きさらしているのを止めることが出来たところだ。私の浣花渓の草堂はまたどうにかなっているのだろうか。
「城」梓城。
「都」都城。
「浣花」浣花溪。杜甫の草堂のある地域のこと。
「草堂」室屋廬の草堂。


梓中 豪俊 大者 誰 ,本州 從事 知名 久 。
梓州の州都に豪傑俊才の素晴らしい人が誰アラン居るのだ。この州は事があってもそれを見事に沈めたことにより名声もひろく久しく知れ渡っている。
「梓」梓州。
「豪俊」尊稱美稱で、豪傑俊才をいう。
「大者」素晴らしい人、大者。
「從事」徐知道の乱を平らげたことを云う。


把臂 開尊 飲 我酒 ,酒酣 擊劍 蛟龍 吼 。
肘を抱えて大盃を開いて我々は酒を呑むことになる。おいしい酒を与えられ、剣をうちふるって舞うと、天上の竜も水中の蛟も叫ぶのである。
「把臂」臂をかかえる。一般的に戦闘態勢のことを謂うが、ここでは酒を呑む前の姿勢。
「開尊」尊は樽で大きめの盃のこと。
「酒酣」酒を呑み醉うこと。
「擊劍」剣を持って踊ること。
「蛟」水中にいる伝説の動物で、鬚のない竜、蛟。
「龍」天上界を支配する龍。


烏帽 拂塵 青騾 粟 ,紫衣 將炙 緋衣 走 。
成人以上の者たちは烏帽子の塵を払って若い元気のよい騾馬や粟のようにやくだってくれ、紫衣の官職のものは自分の肉を炙るかのように頑張り、緋衣の職にあるものでさえ自ら走って頑張ったのである。
「烏帽」成人になってかぶる烏帽子、黑である。
「」器物、絲帛服飾(衣冠腰帶)、帽。
「拂塵」身繕いをする。制服に着替える。脱俗する。
「青騾」若い元気のよい騾馬。役に立つ喩えに使われる。《神仙別傳》李少君死,後有人見之,在河東蒲阪,乗靑騾。
「」語義類別:物、生物、動物專名(走獸)、騾。
「粟」【粟】あわ. イネ科の一年草。五穀の一つ。 Wikipedia「アワ」. 【粟立つ】かゆ. 寒さや恐怖などのために毛穴が収縮して、皮膚に 粟 ( あわ ) 粒のようなぶつぶつができる。鳥肌が立つ。 「あまりの恐怖で、総身に粟立つ」. 【粟米草】ざくろそう. ザクロソウ科の一年草。
「紫衣」絲帛服飾(衣冠腰帶)、官から与えられた制服(紫衣)。
「炙」語義類別:物、飲食、食材、肉。
「緋衣」絲帛服飾(衣冠腰帶)、五位以上の官服(緋衣)。

姜楚公畫角鷹歌【案:姜皎,上邽人,善畫鷹鳥,官至太常,封楚國公。】 楽府(七言歌行) 成都6-(21) 杜甫 <483>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2555 杜甫詩1000-483-705/1500

杜甫《姜楚公畫角鷹歌》 詩人で画家の楚公であった姜皎が絵に描いた鷹、その鷹は岩のとがった角に載っている。鷹は殺気をいっぱいに示しひっそりとした樹木がこんもり茂っている北の方に行ったようだ。


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


姜楚公畫角鷹歌【案:姜皎,上邽人,善畫鷹鳥,官至太常,封楚國公。】 楽府(七言歌行) 成都6-(21) 杜甫 <483>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2555 杜甫詩1000-483-705/1500 


作時:寶應元年  762年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の483首目-場面6-(21)
杜甫ブログ1500回予定の-705回目
卷別: 卷二二○  文體: 樂府 
詩題: 姜楚公畫角鷹歌【姜皎,上邽人(現在秦州天水),鷹鳥の善い畫をかく,官位は太常に至り,楚の國公に封ぜられる。】 
作地: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州) 


姜楚公畫角鷹歌
(姜皎が江南において絵を公開を見て、飛び出た角の上にとまっている鷹の歌。)
楚公畫鷹鷹戴角,殺氣森森到幽朔。
詩人で画家の楚公であった姜皎が絵に描いた鷹、その鷹は岩のとがった角に載っている。鷹は殺気をいっぱいに示しひっそりとした樹木がこんもり茂っている北の方に行ったようだ。
觀者貪愁掣臂飛,畫師不是無心學。
この画を見るものは寂しさを貪る感じになり鷹は足の爪を武器にして飛び立つのだ。絵師はここにはいないということなら鷹に襲われる心配の気持ちは持つことはないということを学ぼうではないか。
此鷹寫真在左綿,卻嗟真骨遂虛傳。
この鷹を真に迫るように描いておいてあるのは左綿の公舎である。ああ、そんなふうにであっても真に迫るこの絵はついに後世に正当に伝えられることをされていないのである。
梁間燕雀休驚怕,亦未摶空上九天。

しかし、この画鷹を見れば建物の梁の上に巣作りをするツバメや雀が隠れ、驚き恐れるのである。又、いまだ空にはばたいて九天の大空にのぼってはいないのである。
-----------------------------------------------------------------------
姜楚公畫角鷹歌(含異文):
楚公畫鷹鷹戴角,殺氣森森到幽朔【殺氣森如到幽朔】。
觀者貪愁掣臂飛【觀者貪愁掣壁飛】【觀者徒驚掣臂飛】【觀者徒驚掣壁飛】,畫師不是無心學。
此鷹寫真在左綿,卻嗟真骨遂虛傳。
梁間燕雀休驚怕,亦未摶空上九天。  
 鶻


『姜楚公畫角鷹歌』 現代語訳と訳註
(本文)
楚公畫鷹鷹戴角,殺氣森森到幽朔。
觀者貪愁掣臂飛,畫師不是無心學。
此鷹寫真在左綿,卻嗟真骨遂虛傳。
梁間燕雀休驚怕,亦未摶空上九天。


(下し文)
姜楚の公畫 角鷹の歌
楚公の畫鷹 鷹 角に戴り,氣を殺し 森森として幽朔に到る。
觀者 愁を貪し 臂を掣して飛び,畫師 是にあらずんば心無く學ばん。
此の鷹は真に寫し左綿に在し,卻て嗟 真骨遂虛傳。
梁間 燕雀 休み驚き怕れ,亦た未だ空しく九天に上る摶らざらん。


(現代語訳)
(姜皎が江南において絵を公開を見て、飛び出た角の上にとまっている鷹の歌。)
詩人で画家の楚公であった姜皎が絵に描いた鷹、その鷹は岩のとがった角に載っている。鷹は殺気をいっぱいに示しひっそりとした樹木がこんもり茂っている北の方に行ったようだ。
この画を見るものは寂しさを貪る感じになり鷹は足の爪を武器にして飛び立つのだ。絵師はここにはいないということなら鷹に襲われる心配の気持ちは持つことはないということを学ぼうではないか。
この鷹を真に迫るように描いておいてあるのは左綿の公舎である。ああ、そんなふうにであっても真に迫るこの絵はついに後世に正当に伝えられることをされていないのである。
しかし、この画鷹を見れば建物の梁の上に巣作りをするツバメや雀が隠れ、驚き恐れるのである。又、いまだ空にはばたいて九天の大空にのぼってはいないのである。


(訳注)
姜楚公畫角鷹歌

姜皎が江南において絵を公開を見て、飛び出た角の上にとまっている鷹の歌。


楚公 畫鷹 鷹戴角 ,殺氣 森森 到幽朔 。
詩人で画家の楚公であった姜皎が絵に描いた鷹、その鷹は岩のとがった角に載っている。鷹は殺気をいっぱいに示しひっそりとした樹木がこんもり茂っている北の方に行ったようだ。
「楚公」姜皎(唐663—722)。現在秦州天水),鷹鳥の善い畫をかく,官位は太常に至り,楚の國公に封ぜられる。監修國史にまでなっている。詩人であり、鷹の絵をよく書く。《全唐詩》には詩1首みえ、他一首ある。
「角」岩の飛び出た角。
「殺氣」天候氣象、風霜雪露でいう氣がすべて殺されている。
「森森」景物形態、樹木の多いさま。樹木が高く聳える。樹木がこんもり茂っている。
「幽」ひっそりとした様子。
「朔」方向、北。


觀者 貪愁 掣臂 飛 ,畫師 不是 無心 學 。
この画を見るものは寂しさを貪る感じになり鷹は足の爪を武器にして飛び立つのだ。絵師はここにはいないということなら鷹に襲われる心配の気持ちは持つことはないということを学ぼうではないか。
「掣臂」鷹であるから爪でひっかくという意味であろう。
「畫師」職業身份で、畫家。
「不是」もし…でなかったら。もしここにいないのならば。


此鷹 寫真 在 左綿 ,卻嗟 真骨 遂虛傳 。
この鷹を真に迫るように描いておいてあるのは左綿の公舎である。ああ、そんなふうにであっても真に迫るこの絵はついに後世に正当に伝えられることをされていないのである。
「左綿」語義類別:地、地名、行政地名、綿州。
・卻…) N(である)+にもかかわらず な形+なの / な形である +にもかかわらず 普通体+にもかかわらず. 《意味》「~のに/~が、それでも、関係なく」「本来(ほんらい)は反対(はんたい)の結果や判断(はんだん)になっていたはずだが、そう ...


梁間 燕雀 休驚怕 ,亦未 摶空 上 九天 。
しかし、この画鷹を見れば建物の梁の上に巣作りをするツバメや雀が隠れ、驚き恐れるのである。又、いまだ空にはばたいて九天の大空にのぼってはいないのである。
「梁間」樑空間。梁と屋根の間に巣をつくること。
「燕雀」燕と雀。軒下に巣作りをすることを云う。
「摶空」空を転回して飛び回ること。
「九天」語義類別:物、天文、天空、天空。
少陵台

海棕行 楽府(七言歌行) 成都6-(20) 杜甫 <482-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2550 杜甫詩1000-482-#2-704/1500

杜甫《海棕行》 綿州の左綿におかれる役所の館は涪江の水の綺麗なほとりにある。椰子の木が一本植えられており、まるで雲の中に入るかのように高くある。

2013年6月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集海棕行 楽府(七言歌行) 成都6-(20) 杜甫 <482-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2550 杜甫詩1000-482-#2-704/1500
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



海棕行 楽府(七言歌行) 成都6-(20) 杜甫 <482-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2550 杜甫詩1000-482-#2-704/1500
 
作時:762年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の482-#2首目-場面6-(20)
杜甫ブログ1500回予定の-704回目

作者: 杜甫 
作年: 寶應元年   762年   51歲 
卷別: 卷二二○  文體: 樂府 
詩題: 海棕行
〔亦棕類,但不皮而幹葉菆於杪。一云波斯棗,木無旁枝,三五年一著子。〕 
寫作地點: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州) 


海棕行
(椰子の木のうた。)
〔亦棕類,但不皮而幹葉菆於杪。一云波斯棗,木無旁枝,三五年一著子。〕
此れもまた棕櫚の木の類いであり、ただし、木皮ではなく幹は葉をとった根もとだけであり、一か所雲の波のように茂らせ、幹には枝はなく、3年から5年に一度実をつける。
左綿公館清江濆,海棕一株高入雲。 
綿州の左綿におかれる役所の館は涪江の水の綺麗なほとりにある。椰子の木が一本植えられており、まるで雲の中に入るかのように高くある。
龍鱗犀甲相錯落,蒼稜白皮十抱文。 
竜の鱗をつけ、犀の渦中を装備し、そのほかの物はすべて剝ぎ落している。青くとがった葉に、白色の皮があり、そこには高さんの詩文をだいている。
自是眾木亂紛紛,海棕焉知身出群。 
これよりこの木が集められると乱れバラバラに散ってしまう。この椰子の木はどうしてこのような樹になったのであろうかその出自はどこなのだろうか。
移栽北辰不可得,時有西域胡僧識。 
この木は場所を変えて移植しても北の方では育たないという。このいきさつについては何時か西域の異民族の御坊様にでも聞いてみることにしよう。


詩文(含異文):
左綿公館清江濆,海棕一株高入雲。
龍鱗犀甲相錯落,蒼稜白皮十抱文。
自是眾木亂紛紛【但是眾木亂紛紛】,海棕焉知身出群。移栽北辰不可得,時有西域胡僧識。



『海棕行』 現代語訳と訳註
(本文)
左綿公館清江濆,海棕一株高入雲。 
龍鱗犀甲相錯落,蒼稜白皮十抱文。 
自是眾木亂紛紛,海棕焉知身出群。 
移栽北辰不可得,時有西域胡僧識。 


(下し文)
左綿の公館 清江の濆,海棕一株高くて雲に入る。 
龍鱗 犀甲 相い錯落す,蒼稜 白皮 十抱の文。 
是れより眾木して亂れ紛紛たり,海棕 焉ぞ身は群を出するを知らん。 
移栽 北辰 得るべからず,時有れば西域の胡僧に識す。 


(現代語訳)
(椰子の木のうた。)
綿州の左綿におかれる役所の館は涪江の水の綺麗なほとりにある。椰子の木が一本植えられており、まるで雲の中に入るかのように高くある。
竜の鱗をつけ、犀の渦中を装備し、そのほかの物はすべて剝ぎ落している。青くとがった葉に、白色の皮があり、そこには高さんの詩文をだいている。
これよりこの木が集められると乱れバラバラに散ってしまう。この椰子の木はどうしてこのような樹になったのであろうかその出自はどこなのだろうか。
この木は場所を変えて移植しても北の方では育たないという。このいきさつについては何時か西域の異民族の御坊様にでも聞いてみることにしよう。


(訳注)
yashi02海棕行
(椰子の木のうた。)
〔亦棕類,但不皮而幹葉菆於杪。一云波斯棗,木無旁枝,三五年一著子。〕
此れもまた棕櫚の木の類いであり、ただし、木皮ではなく幹は葉をとった根もとだけであり、一か所雲の波のように茂らせ、幹には枝はなく、3年から5年に一度実をつける。


左綿 公館 清 江濆 ,海棕 一株 高 入雲 。
綿州の左綿におかれる役所の館は涪江の水の綺麗なほとりにある。椰子の木が一本植えられており、まるで雲の中に入るかのように高くある。
「左綿」地、地名、綿州。左綿安昌(今の四川省綿陽)、
「公館」宮室屋廬、左綿の館。
「江」涪江。
「濆」自然景觀で、水澤湖のほとり。
「海棕」物、生物、植物專名(木本)、棕。  棕櫚/棕梠1 ヤシ科の常緑高木。高さは5メートル以上になり、幹は直立し、枝がなく、麻のような毛で覆われる。頂上に群生する葉は長い柄をもち、手のひら状で大きい。雌雄異株。5、6月ごろ、淡黄色の小花を多数つけ、のち、青黒色で球形の実を結ぶ。南九州の原産。材を書斎・亭などの柱や器物に、毛状の棕櫚皮を縄・たわし・ほうきなどに、葉を帽子・敷物・うちわなどの材料に用いる。わじゅろ。すろ。《季 花=夏》
2 紋所の名。1の葉の開いた形を図案化したもの。


龍鱗 犀甲 相錯落,蒼稜 白皮 十抱文。
竜の鱗をつけ、犀の渦中を装備し、そのほかの物はすべて剝ぎ落している。青くとがった葉に、白色の皮があり、そこには高さんの詩文をだいている。
「龍鱗」語義類別:物、生物、神物(動物)、龍の鱗。ヤシ科の植物。
「犀甲」犀の皮で作った甲冑。堅固なよろい。
蒼稜 ・稜:1)物のかど。とがった所。[名義抄] (2)袴(はかま)のももだち。
十抱文 しょくぶつのじょうきょうをいう


自是 眾木 亂 紛紛 ,海棕 焉知 身 出群 。
これよりこの木が集められると乱れバラバラに散ってしまう。この椰子の木はどうしてこのような樹になったのであろうかその出自はどこなのだろうか。
・「紛紛」 ・紛紛 わずらわしいさま。 葉蔓にさす月光のゆらいでみだれるさま。おおいさま。杜甫『貧交行』「翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。」。『麗春』「百草競春華,麗春應最勝。少須好顏色,多漫枝條剩。紛紛桃李枝,處處總能移。如何貴此重,卻怕有人知。」
「海棕」椰子の木、棕は棕櫚。


移栽 北辰 不可 得,時有 西域 胡僧 識 。
この木は場所を変えて移植しても北の方では育たないという。このいきさつについては何時か西域の異民族の御坊様にでも聞いてみることにしよう。
「移栽」椰子の木を移植する。
「北辰」北の星、北の寒い所というほどの意味。
「不可」 椰子の木は北には移植できない。。
「時有」いつか。
「胡」西域の異民族。ウイグ

越王樓歌 楽府(七言歌行) 成都6-(19) 杜甫 <482-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2545 杜甫詩1000-482-#1-703/1500

杜甫《越王樓歌》綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。

2013年6月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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越王樓歌 楽府(七言歌行) 成都6-(19) 杜甫 <482-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2545 杜甫詩1000-482-#1-703/1500

 
卷別: 卷二二○  文體: 樂府
詩 題: 作時:寶應元年762年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の482-#1首目-場面6-(19)
杜甫ブログ1500回予定の-703回目   40802
作地: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州) 
   :  越王樓 (劍南道北部 綿州 綿州)     
          
〔太宗子越王貞為綿州刺史,作臺於州城西北,樓在臺上。〕 
越王貞が建てた綿州の城外の楼にのぼってつくった歌。宝応元年綿州にあっての作。



越王樓歌
(越王の樓閣のうた)
〔太宗子越王貞為綿州刺史,作臺於州城西北,樓在臺上。〕 
越王は名を貞といい、唐の太宗の第八子である、嘗て綿州の刺史であった。綿州城外西北に台を建設して、その上に高さ百尺の楼がある。
綿州州府何磊落,顯慶年中越王作。
綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。
孤城西北起高樓,碧瓦朱甍照城郭。
その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。』
樓下長江百丈清,山頭落日半輪明。
この楼にのぼってみると楼の下には長江に注ぐ涪江が百丈の水を清らかにたたえている。附近の山の端には落ちかかる半輪の太陽があかるくかがやいている。
君王舊跡今人賞,轉見千秋萬古情。 
むかしの君王のたてられた旧跡をいま我々が見てこれを賞賛するものである。これによってさらに今後千年万年の後の人々のこころもまた我々とおなじく君王の旧跡を讃えて、なつかしむであろうことがわかるのである。』


岳陽樓詩人0051











『越王樓歌』 現代語訳と訳註
(本文)

綿州州府何磊落,顯慶年中越王作。
孤城西北起高樓,碧瓦朱甍照城郭。
樓下長江百丈清,山頭落日半輪明。
君王舊跡今人賞,轉見千秋萬古情。 


(下し文)
(越王楼の歌)
綿州の州府何ぞ磊落なる、顕慶年中越王の作
孤城の西北に高楼を起こす、碧瓦朱鷺城郭を照らす』
楼下の長江百丈精し、山頭の落日半輪明らかなり
君王の旧跡今入賞す、転た見る千秋万古の情』


(現代語訳)
(越王の樓閣のうた)
越王は名を貞といい、唐の太宗の第八子である、嘗て綿州の刺史であった。綿州城外西北に台を建設して、その上に高さ百尺の楼がある。
綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。
その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。』
この楼にのぼってみると楼の下には長江に注ぐ涪江が百丈の水を清らかにたたえている。附近の山の端には落ちかかる半輪の太陽があかるくかがやいている。
むかしの君王のたてられた旧跡をいま我々が見てこれを賞賛するものである。これによってさらに今後千年万年の後の人々のこころもまた我々とおなじく君王の旧跡を讃えて、なつかしむであろうことがわかるのである。』


(訳注)
越王樓歌

(越王の樓閣のうた)
〔太宗子越王貞為綿州刺史,作臺於州城西北,樓在臺上。〕
越王は名を貞といい、唐の太宗の第八子である、嘗て綿州の刺史であった。綿州城外西北に台を建設して、その上に高さ百尺の楼がある。
○越王楼 唐の太宗の第八子である越王がたてた棲、綿州の刺史であった。綿州城外西北に台があり、高さ百尺、上に楼があり、州城を下轍する、高宗の顕慶中の作である。


綿州州府何磊落,顯慶年中越王作。
綿州の府治はなんでこんなに壮大であるか、それは顕慶年間に越王貞がおたでになったものである。
○州府 府の治所をいう。
○磊落 壮大なさま。おおざっぱ。ゆうそうなおおきさ。
○顕慶 高宗の年号、六五六年より六六〇年に至る。


孤城西北起高樓,碧瓦朱甍照城郭。
その城の西北にポツンと、また高い楼を起工された。その楼の碧色の瓦、朱色の簷瓦は逢かに城郭を照らしている。』
○朱甍 簷瓦にあたるかわら。


樓下長江百丈清,山頭落日半輪明。
この楼にのぼってみると楼の下には長江に注ぐ涪江が百丈の水を清らかにたたえている。附近の山の端には落ちかかる半輪の太陽があかるくかがやいている。
○長江 涪江のこと。涪江は綿州、梓州、遂州と南下して長江に合流するが、ここでは大江のことをいう。


君王舊跡今人賞,轉見千秋萬古情。 
むかしの君王のたてられた旧跡をいま我々が見てこれを賞賛するものである。これによってさらに今後千年万年の後の人々のこころもまた我々とおなじく君王の旧跡を讃えて、なつかしむであろうことがわかるのである。』
○君王 越王をさす。
○千秋万古情 後世の人の情、越王は蔡州の刺史となり、則武天が独立したとき兵を起こして唐の興復をはかったが勝たずに死んでしまった、賢王であったと思われる、故に後世の人はその旧跡を見て必ず無限の懐古の情をいだくであろうことをいう。

又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(18) 杜甫 <481-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2540 杜甫詩1000-481-#2-702/1500

杜甫 《又觀打魚》 このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。



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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(18) 杜甫 <481-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2540 杜甫詩1000-481-#2-702/1500 


詩 題: 作時:762年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の481-#2首目-場面6-(18)
杜甫ブログ1500回予定の-702回目   40801
また魚をとるのを観てよんだうた。前詩とほとんど同時の作。觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(15) 杜甫 <480-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2525 杜甫詩1000-480-#1-699/1500


又觀打魚
(また、打魚漁をみる。)
蒼江魚子清晨集,設網提綱萬魚急。
静かにきれいな江に漁師たちが朝方から集まり、網を設け大綱をいろんな魚をせっせと取っている。
能者操舟疾若風,撐突波濤挺叉入。
舟をあやつるに巧みなものは船を風のごとくはやくあやつり、さすまたをぬきんでながら波にぶっつかってのりこんでゆく。
小魚脫漏不可記,半死半生猶戢戢。
小さな魚は魚網からどれほどぬけでたか記しすことなどもできないがそれでも半死半生の姿で沢山あつまっている。
大魚傷損皆垂頭,屈強泥沙有時立。』
大きな魚はからだをきずつけられて 皆 頭を垂れてよわりこんでいるが、時としては泥沙のうえにしゃちほこばって 突っ立ちあがることもある。』
#2
(また、打魚漁をみる。)―#2
東津觀魚已再來,主人罷鱠還傾杯。
自分は綿州東津へ魚漁を観るためにはこれで二度きているのだ。綿州の刺史の主人は鱠をやめてもまだ酒盃を傾けてもてなしてくれる。
日暮蛟龍改窟穴,山根鱣鮪隨雲雷。
日ぐれになると蛟竜も不安を感じてか奥深い川底の穴を移し、山のふもとにすむ鱣や鮪も雲雷の起こるにつれてどこへかうつって魚も身の安全をはかりつつある。
干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
今や天下は干戈を用いて人間、兵隊どうしがうちあいたたかうことがまだやまないでいる。鳳凰だの麟鱗だのの瑞鳥瑞獣はいったいどこにか在るのだろうか。
吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。』

このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。』


蒼江漁子清晨【せいしん】に集まる、網を設け 綱を提げて魚を取ること急なり。
能者は舟を操る疾きこと風の若く、波涛に撐突して叉を挺して入る。
小魚の脱漏 記す可からず、半死半生 猶お戢戢【しゅうしゅう】たり。
大魚は傷損 皆頭を垂る、泥抄に屈強して時有りてか立つ。』
東津 魚を観て己に再び来たる、主人鱠を罷めて還た盃を傾く。
日暮れて蛟竜【こうりゅう】窟穴を改む、山根の鱣鮪【てんい】雲雷に随う。
干戈 兵革 闘い未だ己まず、鳳凰 麟麟安に在りや。
吾が徒 胡為【なんす】れぞ此の楽しみを縦にする、天物を暴殄するは聖の哀れむ所なり。』



『又觀打魚 杜甫』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
東津觀魚已再來,主人罷鱠還傾杯。
日暮蛟龍改窟穴,山根鱣鮪隨雲雷。
干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。』


(下し文)
東津 魚を観て己に再び来たる、主人鱠を罷めて還た盃を傾く。
日暮れて蛟竜【こうりゅう】窟穴を改む、山根の鱣鮪【てんい】雲雷に随う。
干戈 兵革 闘い未だ己まず、鳳凰 麟麟安に在りや。
吾が徒 胡為【なんす】れぞ此の楽しみを縦にする、天物を暴殄するは聖の哀れむ所なり。』


(現代語訳)
(また、打魚漁をみる。)―#2
自分は綿州東津へ魚漁を観るためにはこれで二度きているのだ。綿州の刺史の主人は鱠をやめてもまだ酒盃を傾けてもてなしてくれる。
日ぐれになると蛟竜も不安を感じてか奥深い川底の穴を移し、山のふもとにすむ鱣や鮪も雲雷の起こるにつれてどこへかうつって魚も身の安全をはかりつつある。
今や天下は干戈を用いて人間、兵隊どうしがうちあいたたかうことがまだやまないでいる。鳳凰だの麟鱗だのの瑞鳥瑞獣はいったいどこにか在るのだろうか。
このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。』


(訳注) #2
又觀打魚

また、打魚漁をみる。
○打魚 綿州の涪江の東津で水面を打撃して魚を、囲みに追い込む浅瀬の漁法。やなのようなところに追い込む。


江上のツバメ02東津觀魚已再來,主人罷鱠還傾杯。
自分は綿州東津へ魚漁を観るためにはこれで二度きているのだ。綿州の刺史の主人は鱠をやめてもまだ酒盃を傾けてもてなしてくれる。
○観魚 魚漁をみるためにの意。
○主人 綿州の刺史杜便君をいうもの。
○罷鱠 鱠を初めには作ってたべた。たべあきてから食べるのをやめた。なます、いきづくりといってもすべて酢を通している。日本の刺身とは異なる。なます、いきづくりといってもすべて酢を通している。日本の刺身とは異なる。


日暮蛟龍改窟穴,山根鱣鮪隨雲雷。
日ぐれになると蛟竜も不安を感じてか奥深い川底の穴を移し、山のふもとにすむ鱣や鮪も雲雷の起こるにつれてどこへかうつって魚も身の安全をはかりつつある。
○改窟穴 べつな淵の奥底の穴へ遷ることをいう。
○鱣鮪 みな魚の名。
○随雲雷 雲雷の次々に起こり、それにつれてどこへかうつることをいう。


干戈兵革鬥未止,鳳凰麒麟安在哉。
今や天下は干戈を用いて人間、兵隊どうしがうちあいたたかうことがまだやまないでいる。鳳凰だの麟鱗だのの瑞鳥瑞獣はいったいどこにか在るのだろうか。
○鳳凰麟麟 端物で聖人があれば徳に感じて至ると称せられる。想像上の動物の名。「麟鳳(りんぽう)/獲麟・麒麟(きりん)」 中国の伝説上の霊鳥。鳳が雄,凰が雌。鳳皇とも書く。餌は竹の実で,梧桐の木にしか止まらぬとされる。殷墟卜辞に,風神として鳳の字が用いられ,天帝の使者だともされている。その字体から見て,孔雀のような鳥が鳳凰の原像となったのであろう。この殷の鳳凰と同じ特徴的な冠羽を持つ鳥が,殷末から西周期の青銅器の文様に見え,おそらくこれは,鳥形をとって祭祀の場に降臨する祖霊の観念と結びついていたのであろう。《書経》に,舜帝が天下を安定させると,音楽につれて祖霊とともに鳳凰がやってきたとあるのは,祖霊と祥瑞との二つの性格をあわせみせている。


吾徒胡為縱此樂,暴殄天物聖所哀。』
このときにあたって我我はなんでこんな魚漁などという楽しみをほしいままにするのであろうか、天の生じたものをむやみに殺すことはむかしの聖人をかなしませることになることである。』
○暴殄天物 滅び絶える。 【殄熄】てんそく. 絶やして尽きること。 【殄滅】てんめつ. 滅び絶える。また、滅ぼし絶やす。死に絶える。 「 絶滅 ( ぜつめつ ) 」.「書経」(武成篇)の語、天の生じたものをむやみにころしたりすること。
○聖 むかしの聖人。

觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(16) 杜甫 <480-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2530 杜甫詩1000-480-#2-700/1500

杜甫 《觀打魚歌楽府》(七言歌行) 料理人が左右に動き回り、霜の如くとぎすました庖刀をふるう。鱠の肉は飛ぶがごとく黄金の盤上に、蒸された肉は白雪のように高くもりあげられる。

2013年6月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(16) 杜甫 <480-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2530 杜甫詩1000-480-#2-700/1500


卷別: 卷二二○  文體: 樂府 
作時:寶應元年  762年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の480-#1首目-場面6-(15)
杜甫ブログ1500回予定の-699回目   40798
作地點: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州) 
徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方   
 


綿州の涪江の東津で魴魚の網打ちを観てつくったうた。宝応元年綿州にあっての作。

觀打魚歌
綿州江水之東津,魴魚鱍鱍色勝銀。
綿州の涪江の東津でやれている。そこでは魴魚がぴちぴちとはね色は銀よりも白くかがやいている。
漁人漾舟沈大網,截江一擁數百鱗。
漁師が舟を川一線にただよわせて大きな網を沈める、そうして水面をたたきよこ一文字に江水をたちきってあみをひくと一ぺんに数百匹の魴がだきこまれる。
眾魚常才盡卻棄,赤鯉騰出如有神。
網の中にかかった平凡なおおくのさかなはみんなのけてすててしまう。まごいは神力あるかの如くあみからおどりだして飛び出ていってしまう。
潛龍無聲老蛟怒,回風颯颯吹沙塵。
淵の奥深い穴に潜んでいる水竜は声をたてずひっこんでいるし、としふけた蛟は魚たちが害せられるのを見て怒っている、吹きまわす風が颯颯として沙や塵をとばしている。』
#2
饔子左右揮雙刀,膾飛金盤白雪高。
料理人が左右に動き回り、霜の如くとぎすました庖刀をふるう。鱠の肉は飛ぶがごとく黄金の盤上に、蒸された肉は白雪のように高くもりあげられる。
徐州禿尾不足憶,漢陰槎頭遠遁逃。
鱠の味にくらべると徐州の禿尾魚の煮つけはおもうにも足らぬし、漢陰の槎頭のとれたての鮪もはだしでとおくにげだしてしまう。
魴魚肥美知第一,既飽歡娛亦蕭瑟。
ふとってうまいのは魴魚が第一品だということがわかるが、既にその味に飽きてしまったら、楽しみも秋風が吹くように寂しくなる感じがある。
君不見朝來割素鬐,咫尺波濤永相失。
諸君見られたことはあるだろうか、なぜかというと、朝からかけて我我はやたらに魴魚の白いひれを割いたが、彼らは咫尺の間にこの江上の波涛と永久に別れてしまったので気の毒にたえないことである。』


打魚を觀る歌
綿州 江水の東津【とうしん】、魴魚【ほうぎょ】鱍鱍【はつはつ】として色銀に勝る。
漁人舟を漾【ただよ】わして大網を沈み、江を截【き】りて一擁す数百鱗。
衆魚は常才なり尽く却棄し、赤鯉は騰出す 神有るが如し。
潜竜 声無く老蛟【ろうこう】怒り、回風 颯颯として沙塵を吹く。』
#2
饔子【ようし】左右に霜刀を揮い、膾 飛んで金盤に白雪高し。
徐州の禿尾【とくび】は憶うに足らず、漢陰【かんいん】の槎頭【さとう】遠く遁逃【】とんとうす。
魴魚の肥美知る第一、既に飽きては歡娛【かんご】も亦た蕭瑟【しょうしつ】たり。
君見ずや朝来素鬐【そき】を割き、咫尺【しせき】波濤【はとう】永く相い失す。』


『觀打魚歌』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
饔子左右揮雙刀,膾飛金盤白雪高。
徐州禿尾不足憶,漢陰槎頭遠遁逃。
魴魚肥美知第一,既飽歡娛亦蕭瑟。
君不見朝來割素鬐,咫尺波濤永相失。


(下し文) #2
饔子【ようし】左右に霜刀を揮い、膾 飛んで金盤に白雪高し。
徐州の禿尾【とくび】は憶うに足らず、漢陰【かんいん】の槎頭【さとう】遠く遁逃【】とんとうす。
魴魚の肥美知る第一、既に飽きては歡娛【かんご】も亦た蕭瑟【しょうしつ】たり。
君見ずや朝来素鬐【そき】を割き、咫尺【しせき】波濤【はとう】永く相い失す。』


(現代語訳)
料理人が左右に動き回り、霜の如くとぎすました庖刀をふるう。鱠の肉は飛ぶがごとく黄金の盤上に、蒸された肉は白雪のように高くもりあげられる。
鱠の味にくらべると徐州の禿尾魚の煮つけはおもうにも足らぬし、漢陰の槎頭のとれたての鮪もはだしでとおくにげだしてしまう。
ふとってうまいのは魴魚が第一品だということがわかるが、既にその味に飽きてしまったら、楽しみも秋風が吹くように寂しくなる感じがある。
諸君見られたことはあるだろうか、なぜかというと、朝からかけて我我はやたらに魴魚の白いひれを割いたが、彼らは咫尺の間にこの江上の波涛と永久に別れてしまったので気の毒にたえないことである。』


(訳注) #2
饔子左右揮雙刀,膾飛金盤白雪高。

料理人が左右に動き回り、霜の如くとぎすました庖刀をふるう。鱠の肉は飛ぶがごとく黄金の盤上に、蒸された肉は白雪のように高くもりあげられる。
○饔子 料理人。
○雙刀 とぎすました自刃の庖刀。
〇膾 なます、いきづくりといってもすべて酢を通している。日本の刺身とは異なる。
○白雪 うず高く盛られた蒸した肉の形容。


徐州禿尾不足憶,漢陰槎頭遠遁逃。
鱠の味にくらべると徐州の禿尾魚の煮つけはおもうにも足らぬし、漢陰の槎頭のとれたての鮪もはだしでとおくにげだしてしまう。
○徐州禿尾 徐州においてうまいとされる禿尾の魚であろう、其の地の名物。
○漢陰槎頭 漢陰は漢水のほとりの襄陽の地名、柴木を水中に積み中に魚を養う、その柴木のことを槮という、嚢陽では槮をなまって槎という、槎頭とは槮のことという、ただし嚢陽では養魚のためでなく水を断つために槮を用いるという、槮頭は槮のほとりでとった魚のこと、魚の名は鯿という、この魚はあたまがつぶれたようなものと見え縮頂鯖の名がある。とれたてのものという意味であろう。孟浩然の詩句に、「試ミニ竹竿ノ釣ヲ垂レシこ、果タシテ得タリ槎頭ノ鯿」(孟浩然『峴潭作』)などがある。
孟浩然『峴潭作』
  石潭傍隈隩,沙岸曉夤緣。
  試垂竹竿釣,果得槎頭鯿。
  美人騁金錯,纖手膾紅鮮。
  因謝陸内史,蓴羹何足傳。
○遁逃 競争したくないので逃げ出す。


魴魚肥美知第一,既飽歡娛亦蕭瑟。
ふとってうまいのは魴魚が第一品だということがわかるが、既にその味に飽きてしまったら、楽しみも秋風が吹くように寂しくなる感じがある。
○肥美 ふとってうまい。
○既飽 十分満腹するまでたべあきてきた。
○蕭瑟 秋風が寂しく吹くこと。また、さびしいさま。


君不見朝來割素鬐,咫尺波濤永相失。
諸君見られたことはあるだろうか、なぜかというと、朝からかけて我我はやたらに魴魚の白いひれを割いたが、彼らは咫尺の間にこの江上の波涛と永久に別れてしまったので気の毒にたえないことである。』
〇割素誓 魴魚のしろいひれをさく、鰭をつくるために三枚におろすこと。殺してしまうのは気の毒だ。
○咫尺 八寸一尺の極間近で。
花蕊夫人006

觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(15) 杜甫 <480-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2525 杜甫詩1000-480-#1-699/1500

觀打魚歌楽府(七言歌行) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(15))  綿州の涪江の東津でやれている。そこでは魴魚がぴちぴちとはね色は銀よりも白くかがやいている。漁師が舟を川一線にただよわせて大きな網を沈める、そうして水面をたたきよこ一文字に江水をたちきってあみをひくと一ぺんに数百匹の魴がだきこまれる。


2013年6月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2> 劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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Ⅲ杜甫詩1000詩集觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(15) 杜甫 <480-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2525 杜甫詩1000-480-#1-699/1500
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性春郊游眺寄孫處士二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-196-62-#56  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2527
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(15) 杜甫 <480-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2525 杜甫詩1000-480-#1-699/1500


詩 題:觀打魚歌楽府(七言歌行) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(15)) 
卷別: 卷二二○  文體: 樂府 
作時:寶應元年  762年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の480-#1首目-場面6-(15)
杜甫ブログ1500回予定の-699回目   40798
作地點: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州) 
徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方   
 


綿州の涪江の東津で魴魚の網打ちを観てつくったうた。宝応元年綿州にあっての作。



觀打魚歌
綿州江水之東津,魴魚鱍鱍色勝銀。
綿州の涪江の東津でやれている。そこでは魴魚がぴちぴちとはね色は銀よりも白くかがやいている。
漁人漾舟沈大網,截江一擁數百鱗。
漁師が舟を川一線にただよわせて大きな網を沈める、そうして水面をたたきよこ一文字に江水をたちきってあみをひくと一ぺんに数百匹の魴がだきこまれる。
眾魚常才盡卻棄,赤鯉騰出如有神。
網の中にかかった平凡なおおくのさかなはみんなのけてすててしまう。まごいは神力あるかの如くあみからおどりだして飛び出ていってしまう。
潛龍無聲老蛟怒,回風颯颯吹沙塵。
淵の奥深い穴に潜んでいる水竜は声をたてずひっこんでいるし、としふけた蛟は魚たちが害せられるのを見て怒っている、吹きまわす風が颯颯として沙や塵をとばしている。』
#2
饔子左右揮雙刀,膾飛金盤白雪高。
徐州禿尾不足憶,漢陰槎頭遠遁逃。
魴魚肥美知第一,既飽歡娛亦蕭瑟。
君不見朝來割素鬐,咫尺波濤永相失。


打魚を觀る歌
綿州 江水の東津【とうしん】、魴魚【ほうぎょ】鱍鱍【はつはつ】として色銀に勝る。
漁人舟を漾【ただよ】わして大網を沈み、江を截【き】りて一擁す数百鱗。
衆魚は常才なり尽く却棄し、赤鯉は騰出す 神有るが如し。
潜竜 声無く老蛟【ろうこう】怒り、回風 颯颯として沙塵を吹く。』

#2
饔子【ようし】左右に霜刀を揮い、膾 飛んで金盤に白雪高し。
徐州の禿尾【とくび】は憶うに足らず、漢陰【かんいん】の槎頭【さとう】遠く遁逃【】とんとうす。
魴魚の肥美知る第一、既に飽きては歡娛【かんご】も亦た蕭瑟【しょうしつ】たり。
君見ずや朝来素鬐【そき】を割き、咫尺【しせき】波濤【はとう】永く相い失す。』

ogawa09




『觀打魚歌』 現代語訳と訳註
(本文)
綿州江水之東津,魴魚鱍鱍色勝銀。
漁人漾舟沈大網,截江一擁數百鱗。
眾魚常才盡卻棄,赤鯉騰出如有神。
潛龍無聲老蛟怒,回風颯颯吹沙塵。


(下し文)
打魚を觀る歌
綿州 江水の東津【とうしん】、魴魚【ほうぎょ】鱍鱍【はつはつ】として色銀に勝る。
漁人舟を漾【ただよ】わして大網を沈み、江を截【き】りて一擁す数百鱗。
衆魚は常才なり尽く却棄し、赤鯉は騰出す 神有るが如し。
潜竜 声無く老蛟【ろうこう】怒り、回風 颯颯として沙塵を吹く。』


(現代語訳)
綿州の涪江の東津でやれている。そこでは魴魚がぴちぴちとはね色は銀よりも白くかがやいている。
漁師が舟を川一線にただよわせて大きな網を沈める、そうして水面をたたきよこ一文字に江水をたちきってあみをひくと一ぺんに数百匹の魴がだきこまれる。
網の中にかかった平凡なおおくのさかなはみんなのけてすててしまう。まごいは神力あるかの如くあみからおどりだして飛び出ていってしまう。
淵の奥深い穴に潜んでいる水竜は声をたてずひっこんでいるし、としふけた蛟は魚たちが害せられるのを見て怒っている、吹きまわす風が颯颯として沙や塵をとばしている。』


(訳注)
觀打魚歌
○打魚
 水面を打撃して魚を、囲みに追い込む浅瀬の漁法。やなのようなところに追い込む。


綿州江水之東津,魴魚鱍鱍色勝銀。
綿州の涪江の東津でやれている。そこでは魴魚がぴちぴちとはね色は銀よりも白くかがやいている。
○江水 江は涪江。
○東津 ひがしのわたりば。
○紡魚 魚の名、鯖という魚と同種であるという。
○鰭鰻 はねるさま。


漁人漾舟沈大網,截江一擁數百鱗。
漁師が舟を川一線にただよわせて大きな網を沈める、そうして水面をたたきよこ一文字に江水をたちきってあみをひくと一ぺんに数百匹の魴がだきこまれる。
○截江 江水をよこ一文字にたちきる、網をびきはえるさま。
〇一擁 一ぺんでなかへかかえこむ。網を搾っていく。
○鱗 魴魚の鱗をさす。


眾魚常才盡卻棄,赤鯉騰出如有神。
網の中にかかった平凡なおおくのさかなはみんなのけてすててしまう。まごいは神力あるかの如くあみからおどりだして飛び出ていってしまう。
○衆魚 紡以外の多くのうお。
○常才 平凡なやつ。
○却棄 しりぞけすてる。
○赤鯉 まごい。
○騰出 あみからおどって飛び出てしまう。


潛龍無聲老蛟怒,回風颯颯吹沙塵。
淵の奥深い穴に潜んでいる水竜は声をたてずひっこんでいるし、としふけた蛟は魚たちが害せられるのを見て怒っている、吹きまわす風が颯颯として沙や塵をとばしている。』
○無声 機を知って害をうけぬように声をださぬこと。○怒 同類の魚がとられることを怒ること。
○回風 吹きまわすかぜ。
○颯颯 風の吹くさま。


成都遂州00

去秋行 楽府(七言歌行) 成都6-(14) 杜甫 <479>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2520 杜甫詩1000-479-698/1500

杜甫《去秋行 楽府(七言歌行)》秋も終わろうとしているここ涪江のあたりに木の葉も落ちるころなのだ。剣や槍鎧をつけて馬を走らせているのはどこの男か。


 

2013年6月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅲ杜甫詩1000詩集去秋行 楽府(七言歌行) 成都6-(14) 杜甫 <479>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2520 杜甫詩1000-479-698/1500
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江亭餞別 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-195-61-#55  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2522
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

去秋行 楽府(七言歌行) 成都6-(14) 杜甫 <479>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2520 杜甫詩1000-479-698/1500

 
詩 題:去秋行楽府(七言歌行) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(14)) 
卷別: 卷二一九  文體: 樂府 
作時:寶應元年 762年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の479首目-場面6-(14)
杜甫ブログ1500回予定の-698回目 
寫及地點:  遂州 (劍南道北部 遂州 遂州)     
洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     
長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     
 
 
 
去秋行
去秋涪江木落時,臂槍走馬誰家兒。
秋も終わろうとしているここ涪江のあたりに木の葉も落ちるころなのだ。剣や槍鎧をつけて馬を走らせているのはどこの男か。
到今不知白骨處,部曲有去皆無歸。
今ここに至って戦死者の屍を埋めるところがどこかを知らないのか。戦が終わったというのに軍隊は去って行くのだろうが皆帰るところがないのだろうか。
遂州城中漢節在,遂州城外巴人稀。
涪江が下って梓州の東南に位置する遂州の城郭の中では漢との和平の約束がなされ符節され落ち着きを取り戻した。遂州の城郭の外側、郊外には逃村で巴の人々が稀にしか見られなくなっている。
戰場冤魂每夜哭,空令野營猛士悲。

戦場には無念であったり、巻き添え、無実なのに死んでいった魂の声が毎晩のようにさけび鳴いている。郊外の野原には闘い終わった軍隊の野営がむなしく残り、獰猛に戦った者たちも悲しさだけが残っている。

四川省西部地区略図




























『去秋行』 現代語訳と訳註
(本文)
去秋涪江木落時,臂槍走馬誰家兒。
到今不知白骨處,部曲有去皆無歸。
遂州城中漢節在,遂州城外巴人稀。
戰場冤魂每夜哭,空令野營猛士悲。
去秋涪江木落時,臂槍走馬誰家兒。
到今不知白骨處,部曲有去皆無歸。
遂州城中漢節在,遂州城外巴人稀。
戰場冤魂每夜哭,空令野營猛士悲。


(下し文)
去秋涪江木落時,臂槍走馬誰家兒。
到今不知白骨處,部曲有去皆無歸。
遂州城中漢節在,遂州城外巴人稀。
戰場冤魂每夜哭,空令野營猛士悲。
去秋涪江木落時,臂槍走馬誰家兒。
到今不知白骨處,部曲有去皆無歸。
遂州城中漢節在,遂州城外巴人稀。
戰場冤魂每夜哭,空令野營猛士悲。


(現代語訳)
秋も終わろうとしているここ涪江のあたりに木の葉も落ちるころなのだ。剣や槍鎧をつけて馬を走らせているのはどこの男か。
今ここに至って戦死者の屍を埋めるところがどこかを知らないのか。戦が終わったというのに軍隊は去って行くのだろうが皆帰るところがないのだろうか。
涪江が下って梓州の東南に位置する遂州の城郭の中では漢との和平の約束がなされ符節され落ち着きを取り戻した。遂州の城郭の外側、郊外には逃村で巴の人々が稀にしか見られなくなっている。
戦場には無念であったり、巻き添え、無実なのに死んでいった魂の声が毎晩のようにさけび鳴いている。郊外の野原には闘い終わった軍隊の野営がむなしく残り、獰猛に戦った者たちも悲しさだけが残っている。


(訳注)
去秋行
詩の先頭二字をとって詩題としている。この詩では実際の戦場に立って作ったものかどうかはわからない。唐代の戦争を題材にしたもののほとんどは、空想で書かれたものが多い。この詩も現実感がないように感じる。


去秋 涪江 木落 時 ,臂槍 走馬 誰家 兒 。
秋も終わろうとしているここ涪江のあたりに木の葉も落ちるころなのだ。剣や槍鎧をつけて馬を走らせているのはどこの男か。
「秋」四時節氣、四季、秋。
「涪江」地名、河湖地名(江河溪流)、涪江。
「木落」植物泛稱(木)、木。植物生命狀態、落。
「臂」身體四肢、臂。
「槍」器物、工具用品(兵器單稱)、槍。
「走馬」動物動作、走。動物專名(走獸)、馬。


到今 不知 白骨 處 ,部曲 有去 皆無歸 。
今ここに至って戦死者の屍を埋めるところがどこかを知らないのか。戦が終わったというのに軍隊は去って行くのだろうが皆帰るところがないのだろうか。
「部曲」職業身份、軍。


遂州 城中 漢節 在,遂州 城外 巴人 稀 。
涪江が下って梓州の東南に位置する遂州の城郭の中では漢との和平の約束がなされ符節され落ち着きを取り戻した。遂州の城郭の外側、郊外には逃村で巴の人々が稀にしか見られなくなっている。
「遂州」行政地名、遂州。
「城」邦國都城。
「漢節」符節。木・竹・紙などの札に文字を書き,印を押して二つに割り契約の証拠とするもの。割符。
「巴人」巴人。戦争になれば、軍人以外は、城内、あるいはどこか安全な場所へ逃げるのである。


戰場 冤魂 每夜 哭 ,空令野營 猛士 悲 。
戦場には無念であったり、巻き添え、無実なのに死んでいった魂の声が毎晩のようにさけび鳴いている。郊外の野原には闘い終わった軍隊の野営がむなしく残り、獰猛に戦った者たちも悲しさだけが残っている。
「戰場」特殊場域、戰場。
「冤」無念であったり、巻き添え、無実なのに死んでいったものことをいう。
「魂」神鬼泛稱、魂。
「哭」 泣き叫ぶ。慟哭。
「野營」郊原村野、野に、公署建築、軍營していること。
「猛士」壯士。
「悲」負面情感(悲哀傷痛)、悲しむこと。 
 成都遂州00

苦戰行 楽府(五言律詩) 成都6-(13) 杜甫 <478>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2515 杜甫詩1000-478-697/1500

杜甫 《苦戰行》 楽府(五言律詩) 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(13))   苦戦をして死んでしまった漢の馬将軍のような人物がいる。彼はみずからを伏波将軍の子孫だとして公言している。天下は戦乱いまだ定まらないのに彼のような勇壮な士を失った。このことは自分は嘆き恨んで酷く心を傷めさせられるのである。

2013年6月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3> 劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩酬藍田崔丞立之詠雪見寄 韓愈(韓退之) <144-#1>Ⅱ中唐詩707 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2519
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集苦戰行 楽府(五言律詩) 成都6-(13) 杜甫 <478>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2515 杜甫詩1000-478-697/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送鄭資州 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-194-60-#54  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2517
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦戰行 楽府(五言律詩) 成都6-(13) 杜甫 <478>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2515 杜甫詩1000-478-697/1500


詩 題:苦戰行楽府(五言律詩) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(13)) 
卷別: 卷二一九  文體: 樂府  (七言歌行)
作時:寶應元年   762年   51歲
掲 載; 杜甫1000首の478首目-場面6-(13)
杜甫ブログ1500回予定の-697回目   40796
馬将軍が賊を討ち苦戦して死んだことを惜しんでよんだうたで、宝応元年の作とされる。



(大唐朝史から抜粋)
上元2年(761) 4月19日
 梓州刺史の段子璋が造反した。 段子璋は驍勇で、上皇に随従して蜀にて功績を建てた。東川節度使・李奐がこれを替えるよう奏したので、 段子璋は挙兵して綿州にて李奐を襲撃しようとした。 途中、遂州を通過すると、虢王巨が郡の官吏を正装させてこれを迎えた。 段子璋は、これを殺す。 李奐は戦って敗れ、成都へ逃げた。
 段子璋は梁王と自称し、黄龍と改元する。綿州を龍安府と改称し、 百官を設置する。また、剣州を落とす。
 5月2日 西川節度使の崔光遠と東川節度使・李奐が、共に綿州を攻めた。
 5月7日 これを抜き、段子璋を斬って叛乱を鎮圧した。


苦戰行
(苦戦をして死んでしまった人の歌)
苦戰身死馬將軍,自雲伏波之子孫。
苦戦をして死んでしまった漢の馬将軍のような人物がいる。彼はみずからを伏波将軍の子孫だとして公言している。
干戈未定失壯士,使我歎恨傷精魂。』
天下は戦乱いまだ定まらないのに彼のような勇壮な士を失った。このことは自分は嘆き恨んで酷く心を傷めさせられるのである。』
去年江南討狂賊,臨江把臂難再得。
彼が去年南方へ賊をうちにでかけたとき江にのぞみ、臂をとりあって親しく物語りをして別れたが、それをまたすることはできないことになった。
別時孤雲今不飛,時獨看雲淚橫臆。』
 その別れた時に見た天上の孤雲は今は飛んではいない。わたしは時時、ひとりで別の雲をみては、胸のなかで涙をながしているのである。

浮桟橋00












『苦戰行』 現代語訳と訳註
(本文)
苦戰身死馬將軍,自雲伏波之子孫。
干戈未定失壯士,使我歎恨傷精魂。』
去年江南討狂賊,臨江把臂難再得。
別時孤雲今不飛,時獨看雲淚橫臆。』


(下し文)
(苦戦行)
苦戦身死す馬将軍、自ら云う伏波【ふくは】の子孫なりと。
干戈【かんか】未だ定まらず壮士を失う、我をして嘆恨【たんこん】精魂【せいこん】を傷ましむ。』
去年 南行 狂賊【きょうぞく】を討つ、江に臨み臂【ひじ】を把るは再び得るを難し。
別時の孤雲 今飛ばず、時に独り雲を看て 涙 臆【おく】に横たわる。』


(現代語訳)
(苦戦をして死んでしまった人の歌)
苦戦をして死んでしまった漢の馬将軍のような人物がいる。彼はみずからを伏波将軍の子孫だとして公言している。
天下は戦乱いまだ定まらないのに彼のような勇壮な士を失った。このことは自分は嘆き恨んで酷く心を傷めさせられるのである。』
彼が去年南方へ賊をうちにでかけたとき江にのぞみ、臂をとりあって親しく物語りをして別れたが、それをまたすることはできないことになった。
 その別れた時に見た天上の孤雲は今は飛んではいない。わたしは時時、ひとりで別の雲をみては、胸のなかで涙をながしているのである。


(訳注)
苦戰行

(苦戦をして死んでしまった人の歌)
苦戦 初句二字をとる。馬援(漢)。将軍なる者が苦戦して死んだことを惜しんでよんだうた。其の事実が何年の事であるかには諸家に異説がある、上元二年段子璋が反して遂州綿州を陥れた時であるとする者が多いが疑うべき点もおおい。厳武との交遊が盛んで政治談議の中で生まれた作品には違いない。ここでは、成都尹に兼任し、厳武が中央朝廷に呼び戻されるわずかな期間の作品とした。


苦戰身死馬將軍,自雲伏波之子孫。
苦戦をして死んでしまった漢の馬将軍のような人物がいる。彼はみずからを伏波将軍の子孫だとして公言している。
○馬将軍 名は詳らかでない。
○伏波 後漢の伏波将軍馬援。


干戈未定失壯士,使我歎恨傷精魂。』
天下は戦乱いまだ定まらないのに彼のような勇壮な士を失った。このことは自分は嘆き恨んで酷く心を傷めさせられるのである。』
○干戈 1 武器。また、武力。 2 戦争。
○壮士 馬将軍をさす。


去年江南討狂賊,臨江把臂難再得。
彼が去年南方へ賊をうちにでかけたとき江にのぞみ、臂をとりあって親しく物語りをして別れたが、それをまたすることはできないことになった。
○去年 戦死の事実が上元二年のこととするものは此の語によって此の詩を宝応元年とし、宝応元年から前年の上元二年をさして去年といったものとみる。
〇江南 遂州の方へいったこと。涪江の南の流域、遂州は今の渡川府逐寧県である。一に南行をに作るもある。
○狂賊 段子璋。
臨江把臂 綿州、梓州、遂州を流れる涪江をいうとみることが至当である。上元二年に作者は涪江には居らず成都にあった。把臂はひじをとって親しく語りあう。膝詰よりさらに親密であることを云う。


別時孤雲今不飛,時獨看雲淚橫臆。』
その別れた時に見た天上の孤雲は今は飛んではいない。わたしは時時、ひとりで別の雲をみては、胸のなかで涙をながしているのである。




参考

『戲作花卿歌』 現代語訳と訳註
(本文)
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?
(下し文) (戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』
(現代語訳)
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。)
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)

大麥行  楽府(七言歌行) 成都6-(12) 杜甫 <477>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2510 杜甫詩1000-477-696/1500

杜甫 《大麥行》 天候不順で大麦は成長せず乾燥敷かれている、小麦は実らず黄色くなっている。食べることが期待できないことになって婦女子は鳴きながら売られていく、その夫はその金で貯蔵の蔵に向かう。


 

2013年6月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和武相公鎮蜀時,詠使宅韋太尉所養孔雀 韓愈(韓退之) <143>Ⅱ中唐詩706 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2514
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和郭員外題萬里橋 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-193-59-#53  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2512
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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大麥行  楽府(七言歌行) 成都6-(12) 杜甫 <477>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2510 杜甫詩1000-477-696/1500




  
詩 題:大麥行楽府(七言歌行) 杜甫 成都(6部)浣花渓の草堂(6-(12)) 
卷別: 卷二一九  文體: 樂府 
作時:762年寶應元年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の477首目-場面6-(12)
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成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 
・集州 (山南西道 集州 集州)     
・梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中
・壁州 (山南西道 壁州 壁州)     
・洋州 (山南西道 洋州 洋州)     
 

詩題: 大麥行 
大麥乾枯小麥黃,婦女行泣夫走藏。 
天候不順で大麦は成長せず乾燥敷かれている、小麦は実らず黄色くなっている。食べることが期待できないことになって婦女子は鳴きながら売られていく、その夫はその金で貯蔵の蔵に向かう。
東至集壁西梁洋,問誰腰鐮胡與羌。 
巴水側の集州から東へ璧州に至り、その北、漢水の最西側にある梁州と洋州がある。ここでまた反乱がおこったのだ。誰に問いただすのかかまを腰につけるものが異民族の胡と羌のようになるのかどうかを。
豈無蜀兵三千人,部領辛苦江山長。 
どうして三千人もの蜀の兵がいないのだ。部門の領袖はこれまで大江、山南を長い間辛苦を舐めてきたのである。
安得如鳥有羽翅,托身白雲還故鄉。  

どうやったら羽や羽の骨を取りのように得ることが出来るだろうか。鳥のようにいかないものなら、せめてあの白い雲にこの身を託して故郷に帰りたいと思いのである。

大麥 乾枯して 小麥黃となる,婦女は泣きて行く 夫は藏に走る。
東至るは集と壁 西は梁と洋,誰にか問う 腰に鐮して 胡と羌とならんや。
豈に 蜀兵 三千人無しか,部領は辛苦して 江山の長たり。
安んぞ得ん 鳥の如く 羽翅に有んや,身を托して 白雲 故鄉に還らん。

-----------------------------------------------------------------------
大麥乾枯小麥黃,婦女行泣夫走藏【婦人行泣夫走藏】。
東至集壁西梁洋,問誰腰鐮胡與羌。
豈無蜀兵三千人,部領辛苦江山長【簿領辛苦江山長】。
安得如鳥有羽翅,托身白雲還故鄉。 

DCF00106
大麥行 
大麥 乾枯 小麥黃,
婦女 行泣 夫走藏。
東至 集壁 西梁洋,
問誰 腰鐮 胡與羌。
豈無 蜀兵 三千人,
部領 辛苦 江山長。
安得 如鳥 有羽翅,
托身 白雲 還故鄉。 


『 大麥行』 現代語訳と訳註
(本文) 
大麥 乾枯 小麥黃,婦女 行泣 夫走藏。
東至 集壁 西梁洋,問誰 腰鐮 胡與羌。
豈無 蜀兵 三千人,部領 辛苦 江山長。
安得 如鳥 有羽翅,托身 白雲 還故鄉。 


(下し文)
大麥行
 
大麥 乾枯して 小麥黃となる,婦女は泣きて行く 夫は藏に走る。
東至るは集と壁 西は梁と洋,誰にか問う 腰に鐮して 胡と羌とならんや。
豈に 蜀兵 三千人無しか,部領は辛苦して 江山の長たり。
安んぞ得ん 鳥の如く 羽翅に有んや,身を托して 白雲 故鄉に還らん。 


(現代語訳)
天候不順で大麦は成長せず乾燥敷かれている、小麦は実らず黄色くなっている。食べることが期待できないことになって婦女子は鳴きながら売られていく、その夫はその金で貯蔵の蔵に向かう。
巴水側の集州から東へ璧州に至り、その北、漢水の最西側にある梁州と洋州がある。ここでまた反乱がおこったのだ。誰に問いただすのかかまを腰につけるものが異民族の胡と羌のようになるのかどうかを。
どうして三千人もの蜀の兵がいないのだ。部門の領袖はこれまで大江、山南を長い間辛苦を舐めてきたのである。
どうやったら羽や羽の骨を取りのように得ることが出来るだろうか。鳥のようにいかないものなら、せめてあの白い雲にこの身を託して故郷に帰りたいと思いのである。


(訳注)
大麥行 
冬に雪が少なく、本来雪解けは山間部の富養なものを田畑に運んでくる農業にとって重要なものであった。それが無くて春夏の天候不順が飢饉を起こし、これが徐知道の乱につながっていく。


大麥 乾枯 小麥黃,婦女 行泣 夫走藏。
天候不順で大麦は成長せず乾燥敷かれている、小麦は実らず黄色くなっている。食べることが期待できないことになって婦女子は鳴きながら売られていく、その夫はその金で貯蔵の蔵に向かう。
・大麦 大麦の収穫. 6月(旧暦5・6月)、穂が出てから40日ほどたつと収穫できる。小麦は前年秋に種をまき同時期に収穫する。
・乾枯 乾ききって枯れること。人の言説などが味わいに欠けること。


東至 集壁 西梁洋,問誰 腰鐮 胡與羌。
巴水側の集州から東へ璧州に至り、その北、漢水の最西側にある梁州と洋州がある。ここでまた反乱がおこったのだ。誰に問いただすのかかまを腰につけるものが異民族の胡と羌のようになるのかどうかを。
・東集壁/西梁洋 山南西道の北部に位置する四州のこと。集州と壁州は巴水側で梁州と洋州は漢水側のみねをへだててせっしているちいきである
・腰鐮 蘇軾の七言絶句『山邨五絶其三』「老翁七十自腰鎌、慚愧春山筍蕨甜。豈是聞韶解忘味、邇來三月食無鹽。」(老翁七十にして自から鎌を腰にし、慚愧す春山筍蕨の甜きに。豈に是れ韶を聞いて解(よ)く味を忘れんや、邇來三月食に鹽無し。)
老翁は七十にもなって鎌を腰にさし、春山の筍や蕨をとってはその味に満足している、だが別に孔子のように肉の味を忘れたわけではない、もう三ヶ月も塩のない生活が続いているだけだ。
・胡與羌 異民族をいうが、ここでは唐王朝に対して反乱を起こすものを示す。


豈無 蜀兵 三千人,部領 辛苦 江山長。
どうして三千人もの蜀の兵がいないのだ。部門の領袖はこれまで大江、山南を長い間辛苦を舐めてきたのである。


安得 如鳥 有羽翅,托身 白雲 還故鄉。 
どうやったら羽や羽の骨を取りのように得ることが出来るだろうか。鳥のようにいかないものなら、せめてあの白い雲にこの身を託して故郷に帰りたいと思いのである。
麦畑02

戲作花卿歌  七言歌行  成都5-(22) 杜甫 <471>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2320 杜甫詩1000-471-658/1500

杜甫 七言歌行《戲作花卿歌》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(22)) 

「日平」事件である。武将花驚定は段子璋を誅したのち大いに東蜀を掠めたが、天子は崔光遠が軍を収めることができないのを怒って彼を罷免した。崔光遠はかかる悪将であるが詩は段子璋の反を平らげた点についてのみをいうことで、粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。杜甫が「戯れ」と題す場合ただの戯れではない皇帝の施政批判をしているのである。

2013年5月4日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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詩 題:戲作花卿歌 七言歌行 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(22)) 
卷別: 卷二一九  文體: 樂府(七言歌行)
作時761年10・11月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の471首目-場面5-(22)
杜甫ブログ1500回予定の-658回目   40757


757年至徳二載正月、丙寅、剣南兵の賈秀等五千人が造反した。将軍席元慶、臨工(「工/里」)太守柳奕が討って、これを誅した。
761年4月剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
ここれらの乱を制圧するため成都の武将花驚定という者が綿州の反乱を平らげ、李奐は剣南東川節度使に復権したことをほめて戯れに作った歌である。

戲作花卿歌
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。)
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)

(戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』


『戲作花卿歌』 現代語訳と訳註
金燈花01(本文)

成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?


(下し文) (戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』


(現代語訳)
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。)
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)


(訳注)
戯作 花卿歌

成都遂州00○戯作 戯れの意は末の二句にある、表面はすこぶる花卿をほめたのに似ているが其の実はそうでない、故に
「戯」という。
○花卿 花驚定【かけいてい】のこと。
761年上元二年四月、梓州の剣南東川節度兵馬使の刺史段子璋が反し、東川節度使李奐奥を綿州に襲い、自ずから梁王と称し、黄竜と改元し、綿州を以て黄竜府となし、百官を置いたが、五月、剣南西川節度使、成都尹の崔光遠は武将花驚定を率い、攻めて綿州を抜き、段子璋を斬った。
以上が本詩にのべる所の「日平」事件である。武将花驚定は段子璋を誅したのち大いに東蜀を掠めたが、天子は崔光遠が軍を収めることができないのを怒って彼を罷免した。崔光遠はかかる悪将であるが詩は段子璋の反を平らげた点についてのみをいうことで、粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。杜甫が「戯れ」と題す場合ただの戯れではない皇帝の施政批判をしているのである。
この詩の解釈について『杜詩』第四冊 鈴木虎雄・黒川洋一訳注 岩波文庫P-9294 の解釈は若干うすく、間違っている。


成都 猛將 有 花卿 ,學語 小兒 知 姓名 。
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
○学語小児 ことばを学び始めたこども、幼児をいぅ。


用如 快鶻 風火 生 ,見賊 唯多 身 始輕
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
○快鶻 快は速いこと、鶻はたかのたぐい。成都にたくさんいる。あまりいい意味で使っているのではない。
杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

○風火 風にあおられる火、勢いの猛烈なことをいう。○惟多始身軽 賊が多けれぼやっと身をかるくはたらかす。


綿州 副使 著 柘黃 ,我卿 掃除 即日平 。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
○綿州副使 副使は節度使の副使をいう、段子璋は梓州の刺史、兵馬使であるが、節度使が放棄して成都に逃げたことで、副使と呼ぶことでこれらの任命者の批判に変えている。しかも成都に逃げたのに後に復権させている。粛宗は過去房琯が積極的に攻める姿勢がないというだけで姻戚一族のみにとどまらず、杜甫らそのグループ根こそぎ改易左遷したのである。杜甫はこのため左遷され、官を辞したので粛宗の場当たり的政治には批判的な意見を持っているのだ。
〇著 柘黃を身に着けひけらかすこと。
○柘黄 天子の御衣の色、赭色といわれ赤と黄とのまざりの色をいう。「衣冠腰帶天子服。」
○我卿 花卿をさす、我とは花卿を親しむ辞である。
○掃除 騒乱をはききよめる。
○日平 叛乱を平らげて「日平」事件として治め報告した。即日、平定した、というのは間違い。2か月平定に擁している。


子璋 髑髏 血 糢糊 ,手提 擲還 崔大夫 。
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
○子璋 段子璋
○濁棲 むくろ。
○模糊 切り取った首を布に包むが地がべとべとと滴り落ちている状況を云う。
○手提 むくろを手ずから持ち歩く。
○擲還 なげうってそれが転ぶこと。
○雀大夫 崔光遠大夫。剣南西川節度使、成都尹の崔光遠。


李侯 重有 此節度 ,人道 我卿 絕世 無 。
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。) 
○李侯 侯は敬語、成都に逃げた剣南東川節度使李奐をいう。
○重有 李奐は反乱が起こって成都に奔り、乱が平らいでまた綿州へもどったのにより、「重ねて有す」と嘲笑していう。
〇人道 一般の人人がいう。これも嘲笑していること。


既稱 絕世 無 ,天子 何不 喚取 守 京都 。
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)
○守東都 東都は洛陽のこと、時に安史軍史思明が洛陽に拠っていた。 


戲作花卿歌
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?

(戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』

徐卿二子歌楽府(七言歌行) 成都5-(21) 杜甫 <470>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2315 杜甫詩1000-470-657/1500

楽府 《徐卿二子歌》 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(21)) 

君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。

2013年5月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩上責躬應詔詩表 曹植 魏詩<74-#7>古詩源 巻三 女性詩753 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2313
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


徐卿二子歌楽府(七言歌行) 成都5-(21) 杜甫 <470>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2315 杜甫詩1000-470-657/1500


卷別: 卷二一九  文體: 樂府
詩 題:徐卿二子歌 楽府(七言歌行) 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(21)) 
作時761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の470首目-場面5-(21)
杜甫ブログ1500回予定の-657回目


徐卿二子歌
君不見徐卿二子生絕奇,感應吉夢相追隨。
君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。
孔子釋氏親抱送,並是天上麒麟兒!
それは孔子とお釈迦様が親しくしてくれと抱かれたいとは知ってくるようであるし、誰も比べることが出来ないほどの将来素晴らしい大物になると期待される少年なのだ。
大兒九齡色清澈,秋水為神玉為骨。
上の子供は10歳になり顔つきはさわやかで凛々しい。秋の澄み切った水のような心は神のようであり、輝かしい宝玉でその身の骨を作られている。
小兒五歲氣食牛,滿堂賓客皆回頭。
下の子は5歳でありながら精気・元気ですでに牛を食べるというし、宴席に集まった賓客でさえ全員が顔を見合わせて驚くという。
吾知徐公百不憂,積善袞袞生公侯。
わたしはここにおられる徐卿には人生における「百憂」なんかありはしないだろうと思うし、仁徳・善徳を積み重ね、立派な九等爵位の諸侯としてこれからも相い続いて絶えないことでありましょう。
丈夫生兒有如此二雛者,名位豈肯悲微休!

こんなにも健康に恵まれて生まれてきた寵児であってこれに匹敵するものがありはしない。名を挙げ、くらいをたかめていくものであり、どうして低い身分などのことを考える必要があろうか。

徐卿二子の歌
君見ずや徐卿の二子 絕奇に生れしを,感 應に吉夢相いに追隨す。
「孔子」 「釋氏」 親として抱送し,是れと並ぶは天上の麒麟兒!
大兒九齡は 色 清澈たり,秋水神と為して玉は骨と為す。
小兒五歲は氣 食牛し,滿堂の賓客 皆頭を回らす。
吾知る 徐公 「百」憂えず,積善 袞袞として公侯に生ず。
丈夫 兒を生みて二雛の者を此の如く有り,名位 豈に肯に悲しむは微休なり!

成都遂州00




















『徐卿二子歌』 現代語訳と訳註
(本文)
徐卿二子歌
君不見徐卿二子生絕奇,感應吉夢相追隨。
孔子釋氏親抱送,並是天上麒麟兒!
大兒九齡色清澈,秋水為神玉為骨。
小兒五歲氣食牛,滿堂賓客皆回頭。
吾知徐公百不憂,積善袞袞生公侯。
丈夫生兒有如此二雛者,名位豈肯悲微休!


(下し文)
徐卿二子の歌
君見ずや徐卿の二子 絕奇に生れしを,感 應に吉夢相いに追隨す。
「孔子」 「釋氏」 親として抱送し,是れと並ぶは天上の麒麟兒!
大兒九齡は 色 清澈たり,秋水神と為して玉は骨と為す。
小兒五歲は氣 食牛し,滿堂の賓客 皆頭を回らす。
吾知る 徐公 「百」憂えず,積善 袞袞として公侯に生ず。
丈夫 兒を生みて二雛の者を此の如く有り,名位 豈に肯に悲しむは微休なり!


(現代語訳)
君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。
それは孔子とお釈迦様が親しくしてくれと抱かれたいとは知ってくるようであるし、誰も比べることが出来ないほどの将来素晴らしい大物になると期待される少年なのだ。
上の子供は10歳になり顔つきはさわやかで凛々しい。秋の澄み切った水のような心は神のようであり、輝かしい宝玉でその身の骨を作られている。
下の子は5歳でありながら精気・元気ですでに牛を食べるというし、宴席に集まった賓客でさえ全員が顔を見合わせて驚くという。
わたしはここにおられる徐卿には人生における「百憂」なんかありはしないだろうと思うし、仁徳・善徳を積み重ね、立派な九等爵位の諸侯としてこれからも相い続いて絶えないことでありましょう。

こんなにも健康に恵まれて生まれてきた寵児であってこれに匹敵するものがありはしない。名を挙げ、くらいをたかめていくものであり、どうして低い身分などのことを考える必要があろうか。

(訳注)
徐卿二子歌

翌年(762)7月に成都で乱を起こす人物の宴席で、この人物を持ち上げる詩を作った。この時は乱を起こすとは思っていなかったようだ。
757年至徳二載正月、丙寅、剣南兵の賈秀等五千人が造反した。将軍席元慶、臨工(「工/里」)太守柳奕が討って、これを誅した。
761年4月剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
これらの乱を制圧するための実践での功勲で力をつけて行ったもの。
○この詩で杜甫は徐知道を褒めちぎっているが、おごり高ぶった、独善的な徐知道に対してこういう表現をしたものである。


君 不見 徐卿 二子 生 絕奇,感應 吉夢 相追隨 。
君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。
・徐卿 徐知道。剣南兵馬使で劍南道北部、益州において「宣揚功德」といわれて嘱望されていた人物。
宣揚功德とは ・宣揚:広く世の中にはっきりと示すこと。 功德:善い行為には,すぐれた結果を招く力が徳としてそなわっていることをいう。善を積み,あるいは修行の結果,むくいとして得られる果報,恵みという意味で福徳。
・二子 親人眷屬、子。
「感」語義類別:人、感官詞、綜合感覺詞、感。
・吉夢 善い夢。


孔子 釋氏 親抱送 ,並是 天上 麒麟 兒 。
それは孔子とお釈迦様が親しくしてくれと抱かれたいとは知ってくるようであるし、誰も比べることが出来ないほどの将来素晴らしい大物になると期待される少年なのだ。
・孔子 孔丘(周)。
・釋氏 釋迦牟尼。
・是 形容詞彙、對比詞、是非(是)。
・天上 語義類別:地、閬苑仙境、仙境、天上。
・麒麟児 将来素晴らしい大物になると期待される少年。特にすぐれた才能をもつ少年。神童。


大兒 九齡 色清澈,秋水 為神 玉 為骨 。
上の子供は10歳になり顔つきはさわやかで凛々しい。秋の澄み切った水のような心は神のようであり、輝かしい宝玉でその身の骨を作られている。
・兒 ①子供。幼い子。わらべ。②(親に対して)子。「児孫/豚児」③若者。男子。健児・寵児。
・九齡 齢は生まれてからの年数。奇数が縁起の上でよいので、このころの通常は数え年であるから、10歳。
・秋水 秋の長雨に後しばらく晴天が続くと水が澄んでくる。それに青空が映ることできわまりなく澄んだ様子を云う。仲秋から晩秋にかけてをいう。
・神 心神氣力は神というもの。
・玉 玉石、玉。かがやかしいこと。
・骨 身體器官、五臟器官、骨。


小兒 五歲 氣 食牛 ,滿堂 賓客 皆回頭 。
下の子は5歳でありながら精気・元気ですでに牛を食べるというし、宴席に集まった賓客でさえ全員が顔を見合わせて驚くという。
・氣 心神氣力、精気・元気。
・食牛 子供は豚を食べるもので牛はかみきれないものとされる。內涵氣質が食牛するほどであるこという。
・滿 満座のもの。
・堂 奥座敷。講堂。宴席の座敷。
・賓客 一般稱謂、客。宴席に招かれたお客。剣南兵馬使であるから益州において軍事的にはトップということで蜀の富貴の者が集まっている。
・回頭顔を見合わせて驚くというほどの意味。


吾知 徐公 百 不憂 ,積善 袞袞 生 公侯 。
わたしはここにおられる徐卿には人生における「百憂」なんかありはしないだろうと思うし、仁徳・善徳を積み重ね、立派な九等爵位の諸侯としてこれからも相い続いて絶えないことでありましょう。
・徐公 徐知道(唐)。
・百 人生百年、百憂あり。
・積善 仁徳・善徳を積み重ねること。
・袞袞 相い続いて絶えないさま。多少(多)。杜甫『醉時歌』「諸公袞袞登臺省,廣文先生官獨冷。」
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。○諸公 当時、仕官している人々をさす。○袞袞 こんこん相い続いて絶えないさま醉時歌

・公侯 公・侯・伯・子・男を擬古的に復活させた。魏の文帝の黄初年間に王・公・侯・伯・子・男・県侯・郷侯(最初郷侯の下に亭侯が置かれていたが後に省かれる)・関内侯の九等の爵制が定められた。


丈夫 生兒 有 如此二 雛者 ,名位 豈肯 卑微 休。
こんなにも健康に恵まれて生まれてきた寵児であってこれに匹敵するものがありはしない。名を挙げ、くらいをたかめていくものであり、どうして低い身分などのことを考える必要があろうか。
・丈夫 丈夫。健康に恵まれて
・雛者 雛みたいな者。とるにたらないもの。
・名 人の形容詞彙、官位における境遇、名声。
・肯 あえて。ここではかんがえる。。
・卑微 人の形容詞彙、身分背景が卑。低い身分、中途半端な身分。

・公侯 公・侯・伯・子・男を擬古的に復活させた。魏の文帝の黄初年間に王・公・侯・伯・子・男・県侯・郷侯(最初郷侯の下に亭侯が置かれていたが後に省かれる)・関内侯の九等の爵制が定められた。

百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500

 杜甫 七言歌行 《百憂集行》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(20))
百憂集行(憶年十五心尚孩)
人生百年、百憂ありというのが中国の考え方。何も百年生きるのが当たり前というのではなく60歳を越えれば百歳ということなのだ。
この詩は、その貧乏を、病気がちなことを歎いたり悲しんだりはしていない。今この時を愉しんでいる。
自分は小さい時はよく勉強したが、子供らは勉強しない。しかし、うるさくは言わない。妻と子供に暖かい目を以てこの詩をのべているのである。多くの本で「百憂」ということで人生を悲観してこの詩を書いたとするものがあるが、それは杜甫と詩とを理解していない「無知」というものである。



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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500

詩 題:百憂集行 七言歌行 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(20)) 
作時761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の469首目-場面5-(20)
杜甫ブログ1500回予定の-656回目


この年の情勢(新唐書)
・  二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。
・  二月己未、奴剌・党項羌が宝を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。
・  三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。
・  四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
・  五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。
・  七月癸未朔、日食があった。
  八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。
・  九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、寶應元年を称し、十一月を歳首とし、月以斗所建辰為名。文武の官に階・勲・爵を賜り、版授侍老官、先授者進之。停四京号。

・  元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛と戦い、これを破った。己亥、朝聖皇天帝于西内。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。
・  建丑月辛亥、有事于南郊。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。



百憂集行
憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。
年を憶えば 十五にて 心は尚お孩【がい】にして、健なること黄犢【こうとく】の如く走りて復た来たり。
庭前 八月に  梨棗【りそう】熟すれば、一日 樹【じゅ】に上ること能【よ】く千迴【せんかい】なりき。
即今【そくこん】 倐忽【しゅくこつ】にして已【すで】に五十、坐臥【ざが】只だ多く行立【こうりゅう】少なし。
強【し】いて笑語【しょうご】を将【もっ】て主人に供し、悲しみ見る生涯 百憂【ひゃくゆう】の集まるを。
門に入れば 旧に依りて四壁【しへき】空【むな】し、老妻の我を覩る  顔色【がんしょく】同じ。
痴児【ちじ】は知らず父子の礼、叫怒【きょうど】飯【はん】を索【もと】めて 門東に啼く。


『百憂集行』 現代語訳と訳註
ogawa010(本文)

憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。


(下し文)
年を憶えば 十五にて 心は尚お孩【がい】にして、健なること黄犢【こうとく】の如く走りて復た来たり。
庭前 八月に  梨棗【りそう】熟すれば、一日 樹【じゅ】に上ること能【よ】く千迴【せんかい】なりき。
即今【そくこん】 倐忽【しゅくこつ】にして已【すで】に五十、坐臥【ざが】只だ多く行立【こうりゅう】少なし。
強【し】いて笑語【しょうご】を将【もっ】て主人に供し、悲しみ見る生涯 百憂【ひゃくゆう】の集まるを。
門に入れば 旧に依りて四壁【しへき】空【むな】し、老妻の我を覩る  顔色【がんしょく】同じ。
痴児【ちじ】は知らず父子の礼、叫怒【きょうど】飯【はん】を索【もと】めて 門東に啼く。


(現代語訳)
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。


(訳注)
百憂集行

人生百年、百憂ありというのが中国の考え方。何も百年生きるのが当たり前というのではなく60歳を越えれば百歳ということなのだ。この詩は15歳が成人の年、大人の仲間入りをしたころにはそれなりの愁いを持っていたが何せ健康であった。今はどうかというと年を重ねて愁いが多くなった。杜甫は喘息・糖尿病など持病になやまされていた。自分の健康のことを考えると50という年相応の愁いを遙かに超えて100の愁いが集まってくるというもので、この詩に限らず、儒者で隠棲している杜甫は、苦しいこと、愁いていることをかなり誇張して描いて書くのが特徴である。富貴で、安楽な普通の人間が「詩人」として成り立つことない。病気がちで、貧乏でないと詩は書けない。
しかし、この詩は、その貧乏を、病気がちなことを歎いたり悲しんだりしていない。今この時を愉しんでいる。自分は小さい時はよく勉強したが、子供らは勉強しないがうるさくは言わない。妻と子供に暖かい目を以てこの詩をのべているのである。多くの本で「百憂」ということで人生を悲観してこの詩を書いたとするものがあるが、杜甫理解しない無知というものである。


憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
・憶年 おもいおこせば。今の年齢から考えると。
・十五 成人の歳。結髪をする。
・孩 ちのみご。すべての出来事を吸収できる能力を持っていた。
・健 健康そのもの。
・黃犢 飴色の子牛。
・走複來 孔子の故事に基づいている。「趨庭」 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。


庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
・庭前 意味は語のままだが、庭を出して『論語』を連想させる。


即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
・倏忽 たちまち。


強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
・主人 家を建てるのにお世話になったり、成都の街、青城、新津で官僚の先輩、上人と歓談している。


入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
・四壁空 飾り物が何にもない部屋を意味する。とばり、幔幕、衝立などがないこと。この頃、暴風雨で200年の大樹の楠樹が折れ、屋根がふっとんだ災害の修復がままならないことを意味している。


癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。
・癡兒 元気ばかりで何の分別もない子供たち。癡:①知恵が足りない。おろか。②男女関係で理性を失ったさま。③物事に夢中になること。
・父子禮 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。ここは儒教でいう五常・五倫の父子禮
・門東 杜甫草堂の門は西南にあった。台所は東にあるので門から東に向かって叫んだことを云う。門頭:門のあたりという意味か。
杜甫草堂詳細図02

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-3) 杜甫 <465-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2290 杜甫詩1000-465-#3-652/1500

杜甫 七言歌行《茅屋為秋風所破歌》
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。

2013年4月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第九段―#6 宋玉  <00-#32>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 661 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2289
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-3) 杜甫 <465-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2290 杜甫詩1000-465-#3-652/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻)<58> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2291 (04/28)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬人雨後玩竹 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-149-21-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2292
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

茅屋為秋風所破歌  成都5-(12-3) 杜甫 <465-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2290 杜甫詩1000-465-#3-652/1500


 
詩 題:茅屋為秋風所破歌 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-3)) 
作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465-#3首目-場面5-(12-3)
杜甫ブログ1500回予定の-652回目   40751


杜甫草堂柴門04茅屋為秋風所破歌
・上元2年 761年3月、大燕皇帝を称した史思明は息子の史朝義に殺される。攻撃のチャンスなのに、王朝側も体制が整わず、とうばつできない状態である。
・同年の4月、梓州:四川省三台県)の刺史段子璋が叛乱、剣南東川節度使を追い払って独立宣言をする。剣南西川節度使・成都尹の崔光遠は武将の花敬定を討伐に差し向け、段子璋の叛乱を鎮める。
・同年の6月、その花敬定が現地で略奪を働き、東川地域は乱れる。
・この間、杜甫は年の初めに新津で遊び(成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(成都4部)。
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


七言歌行《茅屋為秋風所破歌》#1
八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。

南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。
南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろぼうをはたらかれることなのだ。
#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
私自身、喪乱以来、熟睡することがすくないのである。こんな風雨によるしめりをうけては、どうやって秋の長夜のこの期間を通して過ごすことができようか。』
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?
どうしたら千万間もあるひろいやねの家を得られるのか、そして、天下の貧乏に瀕しているものをそれでおおい、みんなが嬉しい顔ができるようにするか、そして、これほどの風雨があっても安泰である山のようであることができるのであることができるのだろうか。
嗚呼!
ああ
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!

いつの日にか、眼前にたかくある「不動安如山」のような家を見ることができるであろうか。それを見ることができさえしたら、自分のいおりがうちこわされてこごえ死ぬようなきょうぐうになろうとも満足するのである。』

(茅屋、秋風の破る所と為る歌)
八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。

公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。

喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。



七言歌行『茅屋為秋風所破歌』 #1現代語訳と訳註
(本文)
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?嗚呼!
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!


(下し文)
喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。


(現代語訳)
私自身、喪乱以来、熟睡することがすくないのである。こんな風雨によるしめりをうけては、どうやって秋の長夜のこの期間を通して過ごすことができようか。』
どうしたら千万間もあるひろいやねの家を得られるのか、そして、天下の貧乏に瀕しているものをそれでおおい、みんなが嬉しい顔ができるようにするか、そして、これほどの風雨があっても安泰である山のようであることができるのであることができるのだろうか。
ああ
いつの日にか、眼前にたかくある「不動安如山」のような家を見ることができるであろうか。それを見ることができさえしたら、自分のいおりがうちこわされてこごえ死ぬようなきょうぐうになろうとも満足するのである。』


(訳注)#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
私自身、喪乱以来、熟睡することがすくないのである。こんな風雨によるしめりをうけては、どうやって秋の長夜のこの期間を通して過ごすことができようか。』
○喪亂 入の死ぬること、世のみだれること。
○長夜 よなが。
○清湿 うるおう。
○徹 長夜へかかる辞、徹は通に同じ、徹二長夜】とは夜をひとぽんとおしてすごすことり


安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?
どうしたら千万間もあるひろいやねの家を得られるのか、そして、天下の貧乏に瀕しているものをそれでおおい、みんなが嬉しい顔ができるようにするか、そして、これほどの風雨があっても安泰である山のようであることができるのであることができるのだろうか。
○安得 希望の辞、安如山までかかる。
○広屠 ひろい大屋根。
〇千万間 千聞方間のひろさ、間とは柱と柱とのあいだをいう。
○寒士 凍寒にあっている貧乏もの。


嗚呼!
ああ


眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!
いつの日にか、眼前にたかくある「不動安如山」のような家を見ることができるであろうか。それを見ることができさえしたら、自分のいおりがうちこわされてこごえ死ぬようなきょうぐうになろうとも満足するのである。』
○突冗 たかくそびえるさま。
○此屋 千万間の広度をさす。

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杜甫 《茅屋為秋風所破歌》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-2)) 
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。

2013年4月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-2) 杜甫 <465-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2285 杜甫詩1000-465-#2-651/1500
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

茅屋為秋風所破歌  成都5-(12-2) 杜甫 <465-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2285 杜甫詩1000-465-#2-651/1500



詩 題:茅屋為秋風所破歌 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-2)) 
作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465-#2首目-場面5-(12-2)
杜甫ブログ1500回予定の-651回目  



七言歌行《茅屋為秋風所破歌》#1
八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。
南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。
南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。

#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
杜甫草堂柴門06俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?嗚呼!
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!


(茅屋、秋風の破る所と為る歌)

八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。

公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。

喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。



『茅屋為秋風所破歌』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。


(下し文)
公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。


(現代語訳)
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。


(訳注)#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
○公然 ① 世間一般に知れ渡っているさま。また、他人に隠さずおおっぴらにするさま。「―と酒を飲む」「―たる事実」② 不特定または多数の人が知ることのできる状態にあるさま。
○唇焦口燥 のどをからしてさけぶこと。
○呼不得 もはやさけぺぬ。


俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
○俄頃 しばらくして。
○墨色 くろいこと。
○漠漠 ひろいこと。
○昏黑 たそがれのくらさ。


布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
○布衾 ぬののかいまき。衾は布などで長方形に作り、寝るときにからだに掛ける夜具。綿を入れるのを普通とするが、袖や襟を加えたものもある。現在の掛け布団にあたる。
○驕兒 婿は或は鏑につくる、騎児はやんちゃのこども。○悪臥 ねぎょうざのわるいこと。
○踏裡裂 ふみつけるあいだにひきさける。


牀床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。
○牀 ねだい。
○屋漏 やねからの雨もり。
杜甫像0012

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500

杜甫《茅屋為秋風所破歌》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-1)) 
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。

2013年4月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 曹植 魏詩<73-#3> 女性詩746 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2278
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽)<56> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2281 (04/26)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性罰赴邊有懷上韋令公二首其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-147-19-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2282
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

茅屋為秋風所破歌  成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
 
詩 題:茅屋為秋風所破歌 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-1)) 
作時761年8・9月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465-#1首目-場面5-(12-1)
杜甫ブログ1500回予定の-650回目  
草堂のかやぶきの屋根があきかぜにうちこわされたことをのべた詩。上元二年秋の作。


茅屋為秋風所破歌 のころ
・上元2年 761年3月、大燕皇帝を称した史思明は息子の史朝義に殺される。攻撃のチャンスなのに、王朝側も体制が整わず、とうばつできない状態である。
・同年の4月、梓州:四川省三台県)の刺史段子璋が叛乱、剣南東川節度使を追い払って独立宣言をする。剣南西川節度使・成都尹の崔光遠は武将の花敬定を討伐に差し向け、段子璋の叛乱を鎮める。
・同年の6月、その花敬定が現地で略奪を働き、東川地域は乱れる。
・この間、杜甫は年の初めに新津で遊び(成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(成都4部)。
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


七言歌行《茅屋為秋風所破歌》#1
八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。

南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。

南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。
#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?嗚呼!
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!

(茅屋、秋風の破る所と為る歌)#1
八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。
#2
公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。
#3
喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。


『茅屋為秋風所破歌』 現代語訳と訳註
(本文)

八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,
下者飄轉沉塘坳。南村群童欺我老無力,
忍能對面為盜賊。公然抱茅入竹去,


(下し文)
(茅屋、秋風の破る所と為る歌)
八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。


(現代語訳)
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。


(訳注)
茅屋為秋風所破歌

私の浣花渓の草堂の茅葺の屋根が秋の風雨によって吹き飛ばされたことを歌う。


八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
○茅屋 草堂の茅屋。
〇三重茅 三重に葺いた茅の屋根。


茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。
○江 濯錦江。
○江郊 江沿いの野原。
〇灑 あめのそそぐようにふりそそぐ。 接写 かかる。
○掛罥 ひっかかる。
○長林梢 たかい木の林の長いこずえ。

○塘坳 いけのくぼみ。

南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。
南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。、
○欺 俗語である。ばかにする。
○忍 むごく。
○対面 めんとむかって。
杜甫像0012

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-2) 杜甫 <464-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2275 杜甫詩1000-464-#2-649/1500

楠樹為風雨所拔嘆 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-2)) 
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。

2013年4月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

楠樹為風雨所拔嘆  成都5-(11-2) 杜甫 <464-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2275 杜甫詩1000-464-#2-649/1500
 杜甫像0012
詩 題:楠樹為風雨所拔嘆 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-2)) 
作時761年8・9月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の464-#2首目-場面5-(11-2)
杜甫ブログ1500回予定の-649回目   40750
風雨のために栴樹がぬかれたについての欺きをのべる。上元二年成都の作。


・上元2年 761年3月、大燕皇帝を称した史思明は息子の史朝義に殺される。攻撃のチャンスなのに、王朝側も体制が整わず、とうばつできない状態である。
・同年の4月、梓州:四川省三台県)の刺史段子璋が叛乱、剣南東川節度使を追い払って独立宣言をする。剣南西川節度使・成都尹の崔光遠は武将の花敬定を討伐に差し向け、段子璋の叛乱を鎮める。
・同年の6月、その花敬定が現地で略奪を働き、東川地域は乱れる。
・この間、杜甫は年の初めに新津で遊び(成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(成都4部)。
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


楠樹為風雨所拔嘆
倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』

樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』

滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
そこを通る野良仕事の人や旅人が雪や霜を懼れてその下にしきりにとどまったのだ。行き過ぎる人々は葉擦れの音を笙の音のように聞き入り素通りするものはいなかったのだ。
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
いまやそれが虎がぶったおれたように竜がかいてんしたように荊棘のあいだにねているのだ。それをみると自分はなみだのあとが血のようにぽとぽとむねのところに垂れおちるのをおぼえるのであった。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』

これからわたしは新しい詩をどこで吟じたらよいのだろうか。この樹が無くなって、わが草堂も全く顔色をなくしたものになってしまったのだから。』

(楠樹風雨の抜く所と為るの嘆き)
江に倚る楠樹【なんじゅ】は草堂の前、古老相伝う二百年と。
茅を誅し居を卜するは総て此れが為なり、五月には仿佛【ほうふつ】して寒蝉【かんせん】を聞く。』
東南の飄風【ひょうふう】は地を動かして至る、江翻り石走りて雲気流る。
幹は雷雨を排して猶お力争す、根は泉源に断ゆ豈天意ならんや。』
滄波と老樹は性の愛する所、浦上 童童たり 一青蓋。
野客は頻りに留まりて雪霜を懼れ、行人は過ぎずに竽籟を聴く。』
虎倒れ 竜顛して荊棘に委す、涙痕 血点して胸臆に垂る。
我に新詩有るも何の処にか吟ぜん、草堂此れより顔色無からん。』


『楠樹為風雨所拔嘆』 現代語訳と訳註
(本文)

滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』


(下し文)
滄波と老樹は性の愛する所、浦上 童童たり 一青蓋。
野客は頻りに留まりて雪霜を懼れ、行人は過ぎずに竽籟を聴く。』
虎倒れ 竜顛して荊棘に委す、涙痕 血点して胸臆に垂る。
我に新詩有るも何の処にか吟ぜん、草堂此れより顔色無からん。』


(現代語訳)
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。
そこを通る野良仕事の人や旅人が雪や霜を懼れてその下にしきりにとどまったのだ。行き過ぎる人々は葉擦れの音を笙の音のように聞き入り素通りするものはいなかったのだ。
いまやそれが虎がぶったおれたように竜がかいてんしたように荊棘のあいだにねているのだ。それをみると自分はなみだのあとが血のようにぽとぽとむねのところに垂れおちるのをおぼえるのであった。

これからわたしは新しい詩をどこで吟じたらよいのだろうか。この樹が無くなって、わが草堂も全く顔色をなくしたものになってしまったのだから。』


(訳注)
楠樹為風雨所拔嘆

杜甫は年の初めに新津で遊び(カテゴリー成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(カテゴリー成都4部)。
(カテゴリー成都5部)夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。
○滄波老樹 東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある濯錦江の波とこの老楠樹と。
○亭亭 ① 樹木などが高くまっすぐにそびえているさま。② 遠くはるかなさま。
『從韋二明府續處覓綿竹』
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。
○青蓋 楠樹が草堂にとっての青い傘のようにおおわれていたことをいう。蓋は車のおおい、からかさ。
杜甫『高楠』五言律詩  
楠樹色冥冥,江邊一蓋青。近根開藥圃,接葉製茅亭。
落景陰猶合,微風韻可聽。尋常絕醉困,臥此片時醒。


野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
そこを通る野良仕事の人や旅人が雪や霜を懼れてその下にしきりにとどまったのだ。行き過ぎる人々は葉擦れの音を笙の音のように聞き入り素通りするものはいなかったのだ。
○懼雪霜 雪霜をおそれるものが樹陰に避けることをいう。○不過 ゆきすぎず、たちどまることをいう。
○竽籟 竽は笠のたぐい、竽籟はその葉擦れ音、樹声をたとえる。


虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
いまやそれが虎がぶったおれたように竜がかいてんしたように荊棘のあいだにねているのだ。それをみると自分はなみだのあとが血のようにぽとぽとむねのところに垂れおちるのをおぼえるのであった。
○虎倒龍顛 虎の如く倒れ竜のごとくひっくりかえる、樹のぬけた形容。
○委 ゆだねる、ねていること。
○荊棘 はり、からたち。
○血点 血は涙の血、樹の抜けたことを悲しむために血の涙をこぼすのである。


我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』
これからわたしは新しい詩をどこで吟じたらよいのだろうか。この樹が無くなって、わが草堂も全く顔色をなくしたものになってしまったのだから。』


『高楠』五言律詩  
楠樹色冥冥,江邊一蓋青。近根開藥圃,接葉製茅亭。
落景陰猶合,微風韻可聽。尋常絕醉困,臥此片時醒。


楠樹為風雨所拔嘆
倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』
滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』


枯楠  
梗楠枯崢嶸,鄉黨皆莫記。不知幾百歲,慘慘無生意。
上枝摩蒼天,下根蟠厚地。巨圍雷霆折,萬孔蟲蟻萃。
涷雨落流膠。沖風奪嘉氣。白鵠遂不來,天雞為愁思。
猶含棟梁具,無複霄漢誌!良工古昔少,識者出涕淚。
種榆水中央,成長何容易?截承金露盤,裊裊不自畏。

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500

杜甫 《楠樹為風雨所拔嘆》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-1))  

自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。

2013年4月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 魏詩<73-#1> 女性詩744 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2268
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

楠樹為風雨所拔嘆  成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500


詩 題:楠樹為風雨所拔嘆 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-1))  作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の464-#1首目-場面5-(11-1)杜甫ブログ1500回予定の-648回目
風雨のために栴樹がぬかれたについての欺きをのぺる。上元二年成都の作。

倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』
樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』

滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』

(楠樹風雨の抜く所と為るの嘆き)
江に倚る楠樹【なんじゅ】は草堂の前、古老相伝う二百年と。
茅を誅し居を卜するは総て此れが為なり、五月には仿佛【ほうふつ】して寒蝉【かんせん】を聞く。』
東南の飄風【ひょうふう】は地を動かして至る、江翻り石走りて雲気流る。
幹は雷雨を排して猶お力争す、根は泉源に断ゆ豈天意ならんや。』

滄波と老樹は性の愛する所、浦上 童童たり 一青蓋。
野客は頻りに留まりて雪霜を懼れ、行人は過ぎずに竽籟を聴く。』
虎倒れ 竜顛して荊棘に委す、涙痕 血点して胸臆に垂る。
我に新詩有るも何の処にか吟ぜん、草堂此れより顔色無からん。』


『楠樹為風雨所拔嘆』 現代語訳と訳註
草堂002(本文)

倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』


(下し文)
(楠樹風雨の抜く所と為るの嘆き)
江に倚る楠樹【なんじゅ】は草堂の前、古老相伝う二百年と。
茅を誅し居を卜するは総て此れが為なり、五月には仿佛【ほうふつ】して寒蝉【かんせん】を聞く。』
東南の飄風【ひょうふう】は地を動かして至る、江翻り石走りて雲気流る。
幹は雷雨を排して猶お力争す、根は泉源に断ゆ豈天意ならんや。』


(現代語訳)
濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。
樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』


(訳注)
倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。

濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
杜甫草堂詳細図02○柵樹 楠のこと、樹木の名、杜甫はしばしばこの樹について詠っている。成都の街から帰るときに目標となる木であり、新津から帰る船の目標物であった。
杜甫『高楠』五言律詩  
楠樹色冥冥,江邊一蓋青。近根開藥圃,接葉製茅亭。
落景陰猶合,微風韻可聽。尋常絕醉困,臥此片時醒。
杜甫『枯楠』五言古詩「梗楠枯崢嶸,鄉黨皆莫記。不知幾百歲,慘慘無生意。」  
○草堂 浣花渓の草堂。


誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
○誅茅 かやをきる、屋根をふくため。
○為此 此は樹をさす。
○仿佛 類似する,似ている.两人情况相仿佛二人の状況は類似している.彷彿髣髴。 [副]まるで(…のようだ)仿佛在听童话似的まるで童話を聞いているようだ.
○寒蝉 ひぐらし、樹葉の鳴るおとをたとえていう。


東南飄風動地至,江翻石走流雲氣
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。


幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』
樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』
○力争 ぬかれまいと骨おってあらそう。
○断泉源 大地のそこの水のあるところと縁がきれる。
○豈天意 不自然なことの極みをいう。
 

戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-2)  <382> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1855 杜甫詩1000-382-563/1500

戲韋偃為雙松圖歌 杜甫



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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-2)  <382> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1855 杜甫詩1000-382-563/1500


詩 題:戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-2) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の382首目-#2 -19-2
杜甫ブログ1500-563回目


戲韋偃為雙松圖歌 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。2分割の2回目
韋偃屈曲した松をたくみに画いたのをみてまっすぐな幹をかけというのは戯れである。



戲韋偃為雙松圖歌
天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』
苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』

松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
松の根もとに胡僧が画かれ、ひっそりとしたさびしいところにやすんでいるのだ。その僧はふさふさした濃い眉で白髪あたまの老人のようで、修業か、説法をする場所を得ていないようすだ。
偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
そして、僧は右の肩の方をかたはだぬぎになっており、おまけに両足はだしである。僧の前には葉のなかに松ぼっくりが落ちちっているという絵図だ。』
韋侯韋侯數相見;
 「我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
韋侯、韋侯、 わたしはあなたにしばしばおあいしているからお頼みしたい;
「わたしはいい東絹を一匹もっています。それは錦繍の段通織物にもまけないものでとても大切にしているのです。」

已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。」』

そして「その絹はほこりをはらわせてきらきらひかるようになっている。どうぞ先生の筆にまかせてまっすぐな松の幹をかいていただきたいのです。」

(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』

松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光 凌乱【りょうらん】たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。」と。』

峨眉山003

『戲韋偃為雙松圖歌』 現代語訳と訳註
 (本文)
松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
韋侯韋侯數相見;我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。』


(下し文)
松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光 凌乱【りょうらん】たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。」と。』


(現代語訳)
松の根もとに胡僧が画かれ、ひっそりとしたさびしいところにやすんでいるのだ。その僧はふさふさした濃い眉で白髪あたまの老人のようで、修業か、説法をする場所を得ていないようすだ。
そして、僧は右の肩の方をかたはだぬぎになっており、おまけに両足はだしである。僧の前には葉のなかに松ぼっくりが落ちちっているという絵図だ。』
韋侯、韋侯、 わたしはあなたにしばしばおあいしているからお頼みしたい;「わたしはいい東絹を一匹もっています。それは錦繍の段通織物にもまけないものでとても大切にしているのです。」
そして「その絹はほこりをはらわせてきらきらひかるようになっている。どうぞ先生の筆にまかせてまっすぐな松の幹をかいていただきたいのです。」


(訳注)
戲韋偃為雙松圖歌
 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。2分割の2回目
韋偃屈曲した松をたくみに画いたのをみてまっすぐな幹をかけというのは戯れである。


松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
松の根もとに胡僧が画かれ、ひっそりとしたさびしいところにやすんでいるのだ。その僧はふさふさした濃い眉でしらがあたまの老人のようで、修業か、説法をする場所を得ていないようすだ。
○胡僧 西域より来た外国僧。ペルシャ、ウイグルの仏教の奏であろう。イスラムやヒンドゥーでは違った表現になるはずである。
○寂寞 1 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。「人居を遠く離れた―たる別世界にも」〈柳田・山の人生〉2 心が満たされずにもの寂しいさま。松樹のはえた場所をさす。
○龐眉 濃い眉のこと。 ふさふさしたまゆ。
〇皓首 しらがあたま。「商山の四皓」という表現で皓は白髪の老人を意味するもの。イスラム教の帽子だと白となる。。
○無住著 行跡のきまりのないこと。修業か、説法をする場所を得ていない。


偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
そして、僧は右の肩の方をかたはだぬぎになっており、おまけに両足はだしである。僧の前には葉のなかに松ぼっくりが落ちちっているという絵図だ。』
○偏袒 かたはだをぬぐ。
○露 はだしをいう。
○葉裡 地につもっている葉のなか。


韋侯韋侯數相見;我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
韋侯、韋侯、 わたしはあなたにしばしばおあいしているからお頼みしたい;「わたしはいい東絹を一匹もっています。それは錦繍の段通織物にもまけないものでとても大切にしているのです。」
○東絹 或は関東の絹という、或は鷲渓の絹という、鷲渓は梓州塩草県にあり、成都の東にあたる。
○錦繍段 張衝の「四愁詩」のなかの語、段は一くぎりをいう。


已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。』
そして「その絹はほこりをはらわせてきらきらひかるようになっている。どうぞ先生の筆にまかせてまっすぐな松の幹をかいていただきたいのです。」
○払拭 ほこりをはらいぬぐう。
○凌乱 みだれるさま。
○放 ほしいままにする。
○直幹 まっすぐなみき。


(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』

松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光 凌乱【りょうらん】たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。」と。』
 

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孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-1)  <382> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1851 杜甫詩1000-382-562/1500

詩 題:戲韋偃為雙松圖歌  七言歌行
杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(19首-1)
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の382首目-#2 -19-1
杜甫ブログ1500-562回目


 
戲韋偃為雙松圖歌 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。

天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』

苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』

松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
韋侯韋侯數相見;我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。』

(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』

松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光凌【こうりょう】乱たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。』

matsu00

『戲韋偃為雙松圖歌』 現代語訳と訳註
(本文)
天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』


(下し文)
(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』


(現代語訳)
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』


(訳注)
戲韋偃為雙松圖歌
 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。韋偃屈曲した松をたくみに画いたのをみてまっすぐな幹をかけというのは戯れである。
○韋偃 京兆の人にして蜀に寓居した。
杜甫『題壁上韋偃畫馬歌』
韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
と続く七言歌行がある。
○双松 並んだ二本の松樹。


天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
○畢宏 唐・河南偃師の人。742―756年天寶年間の中官の御史であった。のちに大暦二年に給事中となり、京兆少ヂ・左庶子等の官となった、古松においでは古風を変じたと称せられる。王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。木と石の画に長けており、松石図を門下省の壁に描き、杜甫など多くの詩人に詩で称えられた。


絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
○絶筆 筆をやめること、かき終る。
○長風 遠く吹くかぜ。
○絨末 松の菓ずえをいう。
○満堂 満堂の人。
○動色 色は顔色、動色は驚いて色をかえること。


兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
○屈鉄 まがったくろがね、枝の形容。
○交錯 まじわる。
○過 回曲すること。


白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』
苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』
○白 松樹の皮の色。
○黒 回曲した枝の色。
○太陰 積陰に同じ、極北の地を太陰という。極寒の積雲の暗い中。大雨が北の方から迫ってくることを云う。

戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-2)  <381> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1847 杜甫詩1000-382-561/1500

戲題王宰畫山水圖歌 杜甫


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-2)  <381> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1847 杜甫詩1000-382-561/1500 "

詩 題:戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-2) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000掲載予定のの382首目-#成都2 -18首目-の2回目
杜甫ブログ予定回数1500回の-561回目  


戲題王宰畫山水圖歌
十日畫一水,五日畫一石。
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』
 何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。

巴陵洞庭日本東,
  赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。

巴陵の洞庭湖の水から方丈山の画かれた日本東海の水、それに揚州の赤岸あたりの水、それが天上銀河の水にまで通じてかかれていて、中央部にはそらとぶ竜について雲気のわきたっているところがあるという画だ。
州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
それに、船頭や漁子らはみな入江奥の船溜まりに逃げ込んでいる、山の樹木は下方にかかれ、その上方にはすばらしく風立ったおおなみがかかれているのだ。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
もっともたくみな遠景がえがかれることは古人の絵に比べられるものはないだろう、咫尺の大きさの山水の図はこうあるべきで、このせまい画の中で近接から万里の遠景までかくちからがあるかどうかを論ずべきでものある。
焉得幷州快剪刀,剪取吳淞半江水。』
この画を見て、わたしはどうかして幷州のよくきれる小太刀を得たいものだ。その刀で呉の松江の水に似たところの半分ほどをきり取ってしまいたいとおもっているところだ。』


(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』


巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。


州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ幷州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』


蜀の山50055蜀峨眉山


『戲題王宰畫山水圖歌』 現代語訳と訳註
 (本文)

巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。

州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
焉得並州快剪刀,剪取吳淞半江水。』


(下し文)
巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。

州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ幷州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』


(現代語訳)
巴陵の洞庭湖の水から方丈山の画かれた日本東海の水、それに揚州の赤岸あたりの水、それが天上銀河の水にまで通じてかかれていて、中央部にはそらとぶ竜について雲気のわきたっているところがあるという画だ。
それに、船頭や漁子らはみな入江奥の船溜まりに逃げ込んでいる、山の樹木は下方にかかれ、その上方にはすばらしく風立ったおおなみがかかれているのだ。』
もっともたくみな遠景がえがかれることは古人の絵に比べられるものはないだろう、咫尺の大きさの山水の図はこうあるべきで、このせまい画の中で近接から万里の遠景までかくちからがあるかどうかを論ずべきでものある。
この画を見て、わたしはどうかして幷州のよくきれる小太刀を得たいものだ。その刀で呉の松江の水に似たところの半分ほどをきり取ってしまいたいとおもっているところだ。』


(訳注)
巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。
巴陵の洞庭湖の水から方丈山の画かれた日本東海の水、それに揚州の赤岸あたりの水、それが天上銀河の水にまで通じてかかれていて、中央部にはそらとぶ竜について雲気のわきたっているところがあるという画だ。
○巴陵 西晋時代の今の湖南省岳州府の名称。秦による中国が統一されると岳陽市の大部分は長沙郡羅県とされ、漢代は長沙国の雋県に属していた。210年(建安十五年)、孫権は現在の平江県東南に漢昌郡を設置し、今日の岳陽の行政範囲の祖形となった。
西晋が成立すると280年(太康元年)には巴陵県が、291年(元康元年)には巴陵郡へと改編されている。隋代になると新たに州制が施行され巴州が設置され、591年(開皇11年)には岳州と改称されている
岳州は中華民国まで踏襲され、1913年に岳州巴陵県を岳陽県と改称している。1983年に地級市に昇格し現在に至っている。
○洞庭 巴陵の西にある。湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。
○赤岸 揚子江南部の山岳の名、揚州江都県にある。揚子江(江水)を中心に、北は淮水から南は南嶺山脈までの地域のことである。現在の江蘇省全体よりも広く、江南(揚子江の南部)の広大な地域をも含んでおり、魏晋南北朝においては、全国一の重要な地位を占める地域であった。
楊州は北に徐州、豫州と接し、西は荊州、南は交州に接していた。楊州は三国時代、呉の孫策・孫権によって支配された土地である。楊州は南部が山岳地帯であるために、人も物資も北部に集中した。このため、三国時代の呉では戦争が相次いで人口不足に陥り、兵力が減少して国が滅亡する一因を成した。しかし楊州は中国南部の要衝地帯であり、晋滅亡後に建国された東晋は、楊州を本拠地としている
○銀河 あまのがわ。
○中有 中とは画面の中央と思われる処をいう、この一句は巴陵・赤岸の二句をまとめた句で単句である。


州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
それに、船頭や漁子らはみな入江奥の船溜まりに逃げ込んでいる、山の樹木は下方にかかれ、その上方にはすばらしく風立ったおおなみがかかれているのだ。』
○州人 川に中にいる船頭が逃げ込むような姿。浦に逃げ込んだ船頭と同じ雰囲気に描いていること。
○漁子 りょうし。この画には船頭と漁師が見分けられるほど明確に描かれていたのだろう。
○入浦漵 浦と漵は入江、浦、湊のこと、風が怒り波濤がうずまくので舟人漁子らが皆浦に入ることをいう。
○山木 山に生えている樹木。
○亜 画面についていい、山木が下方にあり、波濤が上部にあることをいう。
○洪濤風 風がおおなみを吹くさまをいう。絵の雰囲気は違うのだろうが、「富嶽三十六景」のの情景のようであろう。


尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
もっともたくみな遠景がえがかれることは古人の絵に比べられるものはないだろう、咫尺の大きさの山水の図はこうあるべきで、このせまい画の中で近接から万里の遠景までかくちからがあるかどうかを論ずべきでものある。
○遠勢 遠方をながめた景色。
○咫尺 画幅の面積。
○万里 遠景をいう。


焉得幷州快剪刀,剪取吳淞半江水。』
この画を見て、わたしはどうかして幷州のよくきれる小太刀を得たいものだ。その刀で呉の松江の水に似たところの半分ほどをきり取ってしまいたいとおもっているところだ。』
○幷州 今の山西省の地、切れもののでるところ。
○快剪刀 きもちよくきれるたちものがたな。
○剪取 この二字はこの画幅についていうものと思われる、画面に松江に似たところがあるのでその部分をきってとりたいというのである、題に「戯れに」とあるのはそのゆえである。
○呉松 呉の松江、松江は禹貢の三江の一つ、松江府の南四十五里にある、作者が青年のころ李白高適と呉越に遊びその地方の風景を思って忘れなかったのでこの言葉を発したものである。


富岳百景01


十日畫一水,五日畫一石。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』
巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。
州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
焉得並州快剪刀,剪取吳淞半江水。』


(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』
巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。

州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ並州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』

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王宰のかいた山水の図をみて戯れにこれに題した詩。

 


戲題王宰畫山水圖歌
十日畫一水,五日畫一石。
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
 そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』

何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。

巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。

州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
焉得並州快剪刀,剪取吳淞半江水。』

(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』

巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。

州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ並州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』

蜀の山50055

『戲題王宰畫山水圖歌』 現代語訳と訳註
(本文)
戲題王宰畫山水圖歌
十日畫一水,五日畫一石。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』


(下し文)
(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』


(現代語訳)
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。
 そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。

峨眉山003

(訳注)
戲題王宰畫山水圖歌
○王宰
 蜀の人で蜀の山を画くことを能くしたという。


十日畫一水,五日畫一石。
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。


能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
○能事 能力を発揮すること、絵画のことをさす。
○促迫 さいそくする、期限をいそぐこと。
○真跡 真の筆として納得したあとを残す。


壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』
何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。
○崑崙 仙山。西王母の宮殿があるという。たびたび出るので詳細は、ブログ検索で。
○方壺 海中の三山を神仙三山、三壺という、方丈を方壷、蓬莱を蓬壷、瀛州を瀛壷という。
○君 王事をさす。
○素壁 しろいかぺ。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

杜鵑行 杜甫



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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500


詩 題:杜鵑行  七言歌行 成都2部 浣花渓の草堂(2-16-2) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の379首目『杜鵑行』の2回目
杜甫ブログ1500-558回目


紀元前10世紀頃の蜀が荒れ果てていた時、杜宇という男が現れ、農耕を指導、蜀を再興した。彼は帝王となり、望帝と称した。
望帝杜宇は長江の氾濫に悩まされたが、それを治める男が出現、彼は宰相(帝王、補佐)に抜てきされた。
 やがて望帝から帝位を譲られ、叢帝となり、望帝は山中に隠棲した。実は、望帝が叢帝の妻と親密になったのがばれたので望帝は隠棲したともいわれる。
 望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身した。そして、杜宇が得意とした農耕を始める季節゜(春~初夏)が来ると、そのことを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったという。
 月日は流れて、蜀は秦(中国初の古代統一国家。始皇帝が建国)に攻め滅ぼされた。


杜鵑行
君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。

其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。
その声は悲しくて痛ましいものでそれはほととぎすが啼いて血を吐くほどのものであったという。そのうったえる所のものをどうやって常にさまざまなことがあるのだろうか。
爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
諸君、どうして崩壊寸前のこの事態を始めからの怒りをぶっつけたいきもちなるのであろうか。今やこのような王朝の官僚でいることは恥ずかしい限りであろうし、その持っている優雅なもの羽翼はその形も崩れ傷ついてしまってるのだ。
蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
何処までも澄みきったこの大空はこんな暗雲の立ち込めたものに変化している誰がその度量を謀れるというのだろうか、過去の歴史はすべてくりかえしておこなわれて裏切りや国家転覆がなされてきた安住の場所はどこにもないのか。
萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?

なにごとにおいて造反の繰り返しでどうしようもないということであっても、どうして今の朝廷には烏合の衆のような家臣団しかいないのだろうか。


杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。

其の聲 哀痛して口に流血し,訴える所は何事ぞ常に區區とす。
爾 豈に摧殘し始めて憤を發し,羞帶して羽翮 形愚を傷む。
蒼天 變化して 誰か 料得せん,萬事 反覆して 何に所する無し。
萬事 反覆して何に所する無くすれど,豈に當殿の群臣の趨するを憶わん?

tsuzji00

『杜鵑行』2回目 現代語訳と訳註
(本文)

其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。
爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?


(下し文)
其の聲 哀痛して口に流血し,訴える所は何事ぞ常に區區とす。
爾 豈に摧殘し始めて憤を發し,羞帶して羽翮 形愚を傷む。
蒼天 變化して 誰か 料得せん,萬事 反覆して 何に所する無し。
萬事 反覆して何に所する無くすれど,豈に當殿の群臣の趨するを憶わん?


(現代語訳)
その声は悲しくて痛ましいものでそれはほととぎすが啼いて血を吐くほどのものであったという。そのうったえる所のものをどうやって常にさまざまなことがあるのだろうか。
諸君、どうして崩壊寸前のこの事態を始めからの怒りをぶっつけたいきもちなるのであろうか。今やこのような王朝の官僚でいることは恥ずかしい限りであろうし、その持っている優雅なもの羽翼はその形も崩れ傷ついてしまってるのだ。
何処までも澄みきったこの大空はこんな暗雲の立ち込めたものに変化している誰がその度量を謀れるというのだろうか、過去の歴史はすべてくりかえしておこなわれて裏切りや国家転覆がなされてきた安住の場所はどこにもないのか。
なにごとにおいて造反の繰り返しでどうしようもないということであっても、どうして今の朝廷には烏合の衆のような家臣団しかいないのだろうか。


(訳注)
其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。

その声は悲しくて痛ましいものでそれはほととぎすが啼いて血を吐くほどのものであったという。そのうったえる所のものをどうやって常にさまざまなことがあるのだろうか。
・区々 物事や意見などが、それぞれ異なっていること。また、そのさま。さまざま。


爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
諸君、どうして崩壊寸前のこの事態を始めからの怒りをぶっつけたいきもちなるのであろうか。今やこのような王朝の官僚でいることは恥ずかしい限りであろうし、その持っている優雅なもの羽翼はその形も崩れ傷ついてしまってるのだ。
・摧殘 きれいな花が色あせて凋み落ちる前の状態。ここでは粛宗が玄宗を興慶宮に追いやっていて、王朝も洛陽以東を終息させられないふがいなさを云う。
・羞帶 官僚であったこと。恥ずかしくも帯をしていたころ。帯をすることが恥ずかしいことだ。杜甫の造語。


蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
何処までも澄みきったこの大空はこんな暗雲の立ち込めたものに変化している誰がその度量を謀れるというのだろうか、過去の歴史はすべてくりかえしておこなわれて裏切りや国家転覆がなされてきた安住の場所はどこにもないのか。
・反覆 (1)(天下や国家などが)ひっくり返ること。また、ひっくり返すこと。  (2)心が離れること。裏切ること。


萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?
なにごとにおいて造反の繰り返しでどうしようもないということであっても、どうして今の朝廷には烏合の衆のような家臣団しかいないのだろうか。
當殿 今の朝廷のこと。
・群臣趨 ご都合主義で趨勢に流されていく官僚たちのこと。




756年(至徳元載)には哥舒翰は安禄山側に大敗し捕らえられ、潼関も陥落した。玄宗は首都・長安を抜け出し、蜀地方へ出奔することに決め、楊貴妃、楊国忠、高力士、李亨らが同行することになった。

しかし、馬嵬(陝西省興平市)に至ると、乱の原因となった楊国忠を強く憎んでいた陳玄礼と兵士達は、楊国忠と韓国夫人たちを殺害した。さらに陳玄礼らは玄宗に対して、「賊の本」として楊貴妃を殺害することを要求した。玄宗は「楊貴妃は深宮にいて、楊国忠の謀反とは関係がない」と言ってかばったが、高力士の進言によりやむなく、楊貴妃に自殺を命ずることを決意した。

『楊太真外伝』によると、楊貴妃は「国の恩に確かにそむいたので、死んでも恨まない。最後に仏を拝ませて欲しい」と言い残し、高力士によって縊死(首吊り)させられた。この時、南方から献上のライチが届いたので、玄宗はこれを見て改めて嘆いたと伝えられる。陳玄礼らによって、その死は確認され、死体は郊外に埋められた。

玄宗は後に彼女の霊を祀り、長安に帰った後、改葬を命じたが、礼部侍郎・李揆からの反対意見により中止となった。しかし、玄宗は密かに宦官に命じて改葬させた。この時、残っていた錦の香袋を宦官は献上したという。また、玄宗は画工に彼女の絵を描かせ、それを朝夕眺めていたという。

これは悲しくて血を吐いてうったえることであろう。成都に来て、なおも叛乱軍を掃討できない王朝軍を見るにつけ、杜甫の胸は痛んだのであろう。そして、周辺国は唐の現状を見てチャンスをうかがっているのである。
杜甫には叛乱軍からの逃亡のおり、死ぬ思いを何度も経験しているトラウマが過るのである。したがって、戦争状態が続いているのは、な悲しい、苦しい、恐ろしいことなのである。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500


詩 題:杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の379首目-成都2部 -16首目の-2分割中の1回目
杜甫ブログ1500-557回目


 詩人にとっては園林を作るだけではなく、それを詩で描写する行為も重要である。園林の自然景観、園林での具体的な農業や生業の生活、園林での感情や心の動きの精神生活、それらをいろいろな角度から、時々に応じて繰り返し描写する。園林は元来は世俗や政治世界から隔離されて個人の自由世界を守るために営まれた物理的空間であるが、その園林で実際に生活することだけではなく、園林の詩を作るという文学的営為こそが、実は最も詩人を救うのであろう。詩人たちはそのことをよく知っていたので、後にはそれが中国の詩人たちの伝統ともなっていったのではなかろうか。

蚕叢(さんそう)、柏灌(はくかん)、魚鳧(ぎょふ)に次いで蜀(四川省)を治めたとされる中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。
 望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。天から朱提山(しゅていざん)に降り、江源(こうげん)の井戸の中から現れた利という女を妻とした後、蜀王となって望帝と称した。
 その望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。


杜鵑行
君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。

役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。
其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。
爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?


杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。

其の聲 哀痛して口に流血し,訴える所は何事ぞ常に區區とす。
爾 豈に摧殘し始めて憤を發し,羞帶して羽翮 形愚を傷む。
蒼天 變化して 誰か 料得せん,萬事 反覆して 何に所する無し。
萬事 反覆して何に所する無くすれど,豈に當殿の群臣の趨するを憶わん?


『杜鵑行』 現代語訳と訳註
(本文) 杜鵑行

君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。


(下し文)
杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。


(現代語訳)
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。


(訳注)
杜鵑行

○杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑


君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。


寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。


雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。


業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。
業工 朝廷の官僚のこと。工:役人。
・竄伏【ざんぷく】.のがれかくれること。
・深樹裡 深い森の真っ只中。
・四月五月 蜀の望帝が隠棲の後に復帰しようと泣き叫ぶのと同じように長安洛陽を奪還して、長安に帰還したが、興慶宮に軟禁状態にされたのである。
ツツジ属の植物はおおむね常緑若しくは落葉性の低木から高木で、葉は常緑または落葉性で互生、果実は蒴花である。4月から5月の晩春から初夏にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。また花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができる。


安禄山の攻撃に、玄宗たちは蜀(四川省)へと避難を余儀なくされる。避難の途中で兵士たちにより楊国忠が殺害され、また楊貴妃も玄宗により殺されることとなった。国内が混乱する中の756年、玄宗は皇太子の李亨に位を譲り太上皇となった。安史の乱終結後、長安に戻った玄宗は半軟禁状態となり、762年に崩御した。

石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2)  <378> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1827 杜甫詩1000-378-556/1500

石筍行 杜甫


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2)  <378> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1827 杜甫詩1000-378-556/1500

詩 題:石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の378首目—2回目
杜甫ブログ1500-556回目




石筍行
君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。

惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。
おしいことには過去の歴史には何にもできないありふれたもので浪費だけするものあったり、謀反を起したりするものであった。又、小物の臣下たちには天子にただ媚いることだけのものであった。
政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
政治、施策は変化し、異民族のものも入交ってしまい盤石であった王朝の体制が崩れようとしているのである。こうしてこのところの情勢を見ていくと、国が傾いて危ないというのに平気で媚びて天子から厚遇にされる者がいるのである。
嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
ああ、汝らよ、この石筍の壇にある事実と異なったうそでも刻まれて残したいというのか、そうであればこの後その嘘を信じて急いで馳せ参じるものがなおあるであろうし、そのことを認識することはないだろう。
安得壯士擲天外,使人不疑見本根。

虚名がまかり通るというなら、どうして血気盛んな男子はこれを天の果てに投げ捨ててしまことができるのであろうか。人を遣わして物事の本質・根本を見ることを疑わないようにしてもらいたいものである。


石筍行 #1
君見ずや 益州 城西の門,陌上 石筍 雙つながら高く蹲。
古來 相い是を傳う海眼,苔蘚 蝕盡くす波濤の痕。
雨多くして往往 瑟瑟を得ん,此事 恍惚 明論するを難し。
是を恐れるは昔時 卿相の墓,立石 表に今仍を存するを為す。
#2
惜しい哉 俗態にして好く蒙蔽【もうへい】し,亦た小臣 媚びて至尊するが如し。
政化するは錯迕【さくご】 大體を失い,坐して看る傾危し厚恩を受る。
嗟あ爾じ石筍 擅虛の名,後來 未だ猶お駿奔するを識らず。
安にして壯士 天外に擲するを得んや,人を使わして本根を見るを疑わず。

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『石筍行』 現代語訳と訳註
(本文)

惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。
政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
安得壯士擲天外,使人不疑見本根。


 (下し文)
惜しい哉 俗態にして好く蒙蔽【もうへい】し,亦た小臣 媚びて至尊するが如し。
政化するは錯迕【さくご】 大體を失い,坐して看る傾危し厚恩を受る。
嗟あ爾じ石筍 擅虛の名,後來 未だ猶お駿奔するを識らず。
安にして壯士 天外に擲するを得んや,人を使わして本根を見るを疑わず。


(現代語訳)
おしいことには過去の歴史には何にもできないありふれたもので浪費だけするものあったり、謀反を起したりするものであった。又、小物の臣下たちには天子にただ媚いることだけのものであった。
政治、施策は変化し、異民族のものも入交ってしまい盤石であった王朝の体制が崩れようとしているのである。こうしてこのところの情勢を見ていくと、国が傾いて危ないというのに平気で媚びて天子から厚遇にされる者がいるのである。
ああ、汝らよ、この石筍の壇にある事実と異なったうそでも刻まれて残したいというのか、そうであればこの後その嘘を信じて急いで馳せ参じるものがなおあるであろうし、そのことを認識することはないだろう。
虚名がまかり通るというなら、どうして血気盛んな男子はこれを天の果てに投げ捨ててしまことができるのであろうか。人を遣わして物事の本質・根本を見ることを疑わないようにしてもらいたいものである。


(訳注)
惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。

おしいことには過去の歴史には何にもできないありふれたもので浪費だけするものあったり、謀反を起したりするものであった。又、小物の臣下たちには天子にただ媚いることだけのものであった。
・俗体 1 僧でない一般の人の姿。⇔僧体。 2 詩歌などのありふれた様式。 3 漢字の俗字。
・蒙蔽 (真相を隠して人を)欺く 蒙蔽人 人を欺く. 蒙混 [動] ごまかす,欺く.
・至尊 1 この上なくとうといこと。また、そのもの。 2 天子。皇帝。


政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
政治、施策は変化し、異民族のものも入交ってしまい盤石であった王朝の体制が崩れようとしているのである。こうしてこのところの情勢を見ていくと、国が傾いて危ないというのに平気で媚びて天子から厚遇にされる者がいるのである。
・錯迕 いりまじる。「迕」とは、違う方向から来たものが交錯すること、転じて歯向かうこと。安禄山やウィグルに援軍を要請し合うこと。安禄山の乱勃発に際して、王朝はウィグルに応援要請し、妹を第二夫人に嫁がせることで旧知を回避できたが1年半後史忠明がウィグルと手を結びかけた、そのまま連合軍として王朝を攻めたてられていたら危なかった。
・傾危 傾いてあぶないこと。
・厚恩 人から受ける非常に深い恩。 a great obligation


嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
ああ、汝らよ、この石筍の壇にある事実と異なったうそでも刻まれて残したいというのか、そうであればこの後その嘘を信じて急いで馳せ参じるものがなおあるであろうし、そのことを認識することはないだろう。
・虛名 (1)実質を伴わない表面だけの名声。 (2)事実と異なった悪いうわさ。うそ。
・後來 こののち。将来。今後。
・駿奔 信じて急いで馳せ参じる。


安得壯士擲天外,使人不疑見本根。
虚名がまかり通るというなら、どうして血気盛んな男子はこれを天の果てに投げ捨ててしまことができるのであろうか。人を遣わして物事の本質・根本を見ることを疑わないようにしてもらいたいものである。
・壯士 血気盛んな男子。
・擲 投げ出すこと。捨ててかえりみないこと。
・天外 (1)天のそと。天のはるかかなた。 (2)非常に遠い所、高い所。思いがけない所。

石筍行 杜甫 <378> 1 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1823 杜甫詩1000-377-555/1500




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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
         http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
         http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
         http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
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石筍行 杜甫 <378> 1 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1823 杜甫詩1000-377-555/1500

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 石筍行
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の378首目-#2 -15-1
杜甫ブログ1500-555回目


石筍行
君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。

惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。
政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
安得壯士擲天外,使人不疑見本根。


石筍行 #1
君見ずや 益州 城西の門,陌上 石筍 雙つながら高く蹲。
古來 相い是を傳う海眼,苔蘚 蝕盡くす波濤の痕。
雨多くして往往 瑟瑟を得ん,此事 恍惚 明論するを難し。
是を恐れるは昔時 卿相の墓,立石 表に今仍を存するを為す。
#2
惜しい哉 俗態にして好く蒙蔽【もうへい】し,亦た小臣 媚びて至尊するが如し。
政化するは錯迕【さくご】 大體を失い,坐して看る傾危し厚恩を受る。
嗟あ爾じ石筍 擅虛の名,後來 未だ猶お駿奔するを識らず。
安にして壯士 天外に擲するを得んや,人を使わして本根を見るを疑わず。


『石筍行』 現代語訳と訳註
(本文)
君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。


(下し文)
石筍行
君見ずや 益州 城西の門,陌上 石筍 雙つながら高く蹲。
古來 相い是を傳う海眼,苔蘚 蝕盡くす波濤の痕。
雨多くして往往 瑟瑟を得ん,此事 恍惚 明論するを難し。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。


(現代語訳)
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。


(訳注)
石筍行
成都の西門の近くに大通り石筍があり、石筍街という。草堂建設前に石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を分けてもらっている。杜甫 <358>『詣徐卿覓果栽 』にある所だ。少し落ち着いてきたので草堂から5・6kmの所にある石筍街を訪れたのだ。


君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
・蹲 「しゃがむ」「うずくまる」「かがむ」などを意味する動詞「つくばう」から始まった言葉で水鉢を中心に、手水を使うために乗る前石、夜の宴会時に手燭を置くための手燭石、寒中に暖かい湯の入った桶を出すための湯桶


古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
・海眼 海水が陸中を通って噴き出す泉。潮の干満と共に出現する泉。海眼石という玉の名。

杜甫『太平寺泉眼』 「招提憑高岡,疏散連草莽。出泉枯柳根,汲引歲月古。石間見海眼,天畔縈水府。廣深丈尺間,宴息敢輕侮。」太平寺泉眼 杜甫 <284-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1310 杜甫詩 700- 401

雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
・往往 ときどき。ところどころ。あちこち。
・瑟瑟 1 風が寂しく吹くさま。さみしいようす。2 波の立つさま。3 珠玉の名。【瑟瑟座】仏像の台座の一。角形の材
・恍惚 1 物事に心を奪われてうっとりするさま。2 意識がはっきりしないさま。
・明論 はっきりしたよくわかる論理。


恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。
・卿相墓 卿相天子をたすけて政治をとる人々。公卿(くぎよう)。


石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-2)  <377> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1819 杜甫詩1000-377-554/1500

石犀行 杜甫

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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-7>Ⅱ中唐詩563 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1818 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-2)  <377> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1819 杜甫詩1000-377-554/1500 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩春日野行 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-51-4-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1820 
      
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-2)  <377> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1819 杜甫詩1000-377-554/1500

詩 題:石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2部-14首目-2回目)  七言歌行
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の377首目-#2 -14-2
杜甫ブログ1500-554回目
・成都の石犀を見てよんだ歌。・上元二年秋七月の長雨による被害について詠ったもの。



戦国時代末期に巴蜀を領土とした秦の孝文王(紀元前225年)のころ、蜀郡の太守に赴任した李氷(リーピン)は、氾濫する岷江(ピンコウ)を改修するため、四川盆地の治水工事に挑んだ。成都の北西50キロの灌県にある世界遺産「都江堰(トコウエン)」が、その代表的な治水工事である。これは水路を開削して流れを分ける離堆を築く工事である。李氷がこの治水にあたって龍を降し、石犀牛を三(五)作らせ守り神とし、祖先伝来の開山大斧を三度振るって玉塁山を開削したと語り伝えられている。
李氷は、潅漑により干ばつや水害から田畑を守り、実り豊かな天府の国の礎を築いた恩人として、農業の神様に祀られた。現在、三星堆遺跡の発掘により、成都地方の文明が黄河流域の文明と比較して筵優っていたのではないかということも云われているほど肥沃なところであったことがわかるのである。


石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見なさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!

今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
#2
修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
それで天高く清々しい秋になってから木や石でもって護岸を高く築きかえるのに、多人数のカをだして堤防修築を行ったのである。
先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
古代の賢い王が法をこしらえたのはみな聖人の道ばかりだ、鬼怪なまじない法などがどうして人のはかりごとのなかにくわえていいものだろうか。
嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
ああ、汝、三体の石犀牛のようなものはさっぱり不経済なものでしかないのだ、洪水による欠けて遠く流れるようになった部分の水といっしょにどこかへいってしまったらいいのだ。
但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
ただ問題は天地の間の再生の活力が常に発揮、調和するなら、ひとりでに洪水を疲れさせることになっていき、その災難を免れさすことができるということなのだ。
安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。

どうかおおくの壮士を得ることである、そうすれば天の施政の大本を提げてふたたび洪水を治めることができる、石犀牛のようなものはこのまま行方不明になってしまった方がよいとおもうのだ。

(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。
終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。

都江堰002

『石犀行』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。


(下し文)
終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。


(現代語訳)
それで天高く清々しい秋になってから木や石でもって護岸を高く築きかえるのに、多人数のカをだして堤防修築を行ったのである。
古代の賢い王が法をこしらえたのはみな聖人の道ばかりだ、鬼怪なまじない法などがどうして人のはかりごとのなかにくわえていいものだろうか。
ああ、汝、三体の石犀牛のようなものはさっぱり不経済なものでしかないのだ、洪水による欠けて遠く流れるようになった部分の水といっしょにどこかへいってしまったらいいのだ。
ただ問題は天地の間の再生の活力が常に発揮、調和するなら、ひとりでに洪水を疲れさせることになっていき、その災難を免れさすことができるということなのだ。
どうかおおくの壮士を得ることである、そうすれば天の施政の大本を提げてふたたび洪水を治めることができる、石犀牛のようなものはこのまま行方不明になってしまった方がよいとおもうのだ。


(訳注) #2
○石犀行
 石で作った犀のうた。秦の孝文王の時、李冰氷を蜀の太守となしたが、李冰は江南の石犀溪で石犀五頭を作って水の精(かみ)を圧したという。晋の「華陽国志」に犀牛の一つは府中市橋門(石牛門是)にあり、一つは淵の中にあるという。唐のころ何個存在していたかは明らかでない、「立作五犀牛」の五とも三ともいう。
○成都の李太伯の廟内に在るとされている。太伯(たいはく)は、中国周王朝の古公亶父の長男で、呉の祖とされる人物。泰伯とも。虞仲(ぐちゅう)は古公亶父の次男。『史記』「周本紀」では弟が虞仲とあるが、「呉世家」では仲雍とある。季歴の兄、文王の伯父に当たる。姓は姫(き)。紀元前12世紀・紀元前11世紀頃の人物。


修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
それで天高く清々しい秋になってから木や石でもって護岸を高く築きかえるのに、多人数のカをだして堤防修築を行ったのである。
○この二句は倒句して読む。
高擁 擁壁を高くする。
清秋 秋雨前線の停滞による長雨が晴れて「天高く清々しい秋」、仲秋ということ。


先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
古代の賢い王が法をこしらえたのはみな聖人の道ばかりだ、鬼怪なまじない法などがどうして人のはかりごとのなかにくわえていいものだろうか。
先王 1 先代の王。2 昔のすぐれた君主。三皇五帝を指すことが多い。
鬼怪 あやしいこと、まじないの法をいう。


嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
ああ、汝、三体の石犀牛のようなものはさっぱり不経済なものでしかないのだ、洪水による欠けて遠く流れるようになった部分の水といっしょにどこかへいってしまったらいいのだ。
不経済 経レ国済レ民(国をおさめ民をすくう)の能力のないことをいう。
缺訛 訛は形のかわることをいうのであろう。


但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
ただ問題は天地の間の再生の活力が常に発揮、調和するなら、ひとりでに洪水を疲れさせることになっていき、その災難を免れさすことができるということなのだ。
○元気 天地間に流行する大気。天地の再生の活力。
○調和 陰陽よくととのう。
○凋瘵 しぼむ、やむ、洪水を疲らせること。


安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。
どうかおおくの壮士を得ることである、そうすれば天の施政の大本を提げてふたたび洪水を治めることができる、石犀牛のようなものはこのまま行方不明になってしまった方がよいとおもうのだ。
○壮士 壮年の男性。意気盛んな男性。
○天網 天の大あみ、施政の大本をいう。
○平水土 洪水のないようにする。
○犀奔茫 奔茫の語は詳らかでない、茫洋の地に奔り赴かせる意であろうか。
浣花峡556

石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1)  <376> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1815 杜甫詩1000-376-553/1500

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石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1)  杜甫 <376> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1815 杜甫詩1000-376-553/1500


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1) 石犀行
作時760年9月杜甫49歳 七言歌行
掲 載; 杜甫1000の376首目-#1 2部-14-1
杜甫ブログ1500-553回目 2回分割の1回目。
成都の石犀を見てよんだ歌。上元二年秋七月の長雨による被害について詠ったもの。


石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見てごらんなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
#2
修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。


(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。


終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。


都江堰002

『石犀行』 現代語訳と訳註
(本文)
石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!

(下し文)(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。
終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。

(現代語訳)
諸君見てごらんなさいなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』


(訳注)
石犀行
 #1
○石犀行 石で作った犀のうた。秦の孝文王の時、李冰氷を蜀の太守となしたが、李冰は江南の石犀溪で石犀五頭を作って水の精(かみ)を圧したという。晋の「華陽国志」に犀牛の一つは府中市橋門(石牛門是)にあり、一つは淵の中にあるという。唐のころ何個存在していたかは明らかでない、「立作五犀牛」の五とも三ともいう。
揚雄云蜀有李冰渠秦蜀守通 華陽國志秦孝文王以李冰為蜀守 冰乃壅江作堋穿郫江檢江别支流雙過郡下以行舟船岷山多梓柏大竹頽隨水流坐致材木功省 ... 人不知饑饉時無荒年天下謂之天府也外作石犀五頭以厭水精穿石犀溪於江南命曰犀牛里後轉置犀牛二頭一在府市市橋門今所謂石牛門是也一在淵中乃


君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見てごらんなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
○秦時蜀太守 「秦孝文王以李冰為蜀守」。都江堰を築工して石犀をつくった。紀元前3世紀、戦国時代の秦国の蜀郡の太守李冰(中国語版)(り ひょう)が、洪水に悩む人々を救うために紀元前256年から紀元前251年にかけて原形となる堰を築造した。


自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
○厭勝法 まじないの法。「厭」が「壓(圧)」に通じるところから、災難をはらう,悪魔を圧伏するという意味がある。厭勝銭に代表される。
○江水 錦江・長江の水をふくむもの、ここは常識を云うもので、大江ということで、中国四大河川を指すもの。


蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
○矜誇 ほこりはこる。
○芝溢 江水のあふれること。長江水系岷江の支流、錦江は洪水調整の都江堰と成都詩に数本の細流に枝分かれさせて流れている。その川が増水し溢れたということ。
○張儀楼 成都の少城―西城は張儀の築いた所ということ。


今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
灌口 上元二年の七月に長雨があり八月に至って止んだが、灌口に損害があった。灌口とは成都市北方の山岳地帯の入口にあり、岷江が流れ、世界遺産ともなった景勝地で道教の聖地でもある青城山がある。漢代に蜀郡太守を務め蜀の学問を盛んにした文翁が漕江を穿って灌漑をおこない、金灌口と呼ばれるようになった。都江堰の分流の地点辺りを云う。
○戸口 人家人口。
○神羞 石犀の神霊の恥辱。災難除けの神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというもの。

洗兵行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1001 杜甫特集700- 298

洗兵行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1001 杜甫特集700- 298
(洗兵行)


洗兵行(洗兵馬)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。
#1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』

攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』

唐宋時代鄴城05



現代語訳と訳註
(本文) 
#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』

(下し文) #4
寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』

(現代語訳)
僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。


(訳注)#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。

僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
寸地尺天 いかにわずかの土地、空間までも。この語は心小さいことを示す使い方をすることから、価値のないものでも、媚びるために貢ぐことをいう。この句より、その様子を詠う。寸地は少しの土地。『唐書、李光弼傳』「李光弼曰、両軍相敵、尺寸地必争。」(李光弼曰く、両軍相敵すれば、尺寸の地も必ず争う。)尺天はわずかな空・すきま、寸田尺宅:わずかの資産、寸善尺魔:わずかな良いことにも大きな邪魔の入る意味で、成就しがたいことをいう、寸兵尺鉄:少しの武器。○入貢 中央朝廷の方へやって来て貢をたてまつる。○奇祥異端 めずらしくかわっためでたいしるしのもの、次聯にいう白環や銀甕等をさす。○来送 中央へおくりこす。


不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
致白環 「竹書紀年」に帝舜の九年に西王母が来朝し、白環宝珠を献じたとの記載がある。白自環は白玉の環、致とはこちらへよこすこと。美女を示す場合が多い。○ 世間で一般的に言う。○銀甕 茶道具で銀製の湯沸し。ぎんのもたい、みか。六朝から高貴な趣向として、「茶」が盛んになってきたので貢物として茶道具を送ったもの。


隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
隠士 隠遁者。よすてびと。○休歌 歌うのをやめよとはかくれず世にいでよということ。○紫芝曲 商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。東洋画の画題として描かれた。杜甫『題李尊師松樹障子歌』○詞人 文学者。○解撰 つくることを心得ている。撰は法則、述べ、つくる。○清河頌 平穏なことを待っていてなれば喜ばしいこと。南朝、宋の元嘉中に河水、清水ともに清んだ、時に飽照は「河清頒」をつくった。黄河の澄むのは太平の象とせられる。「河清難俟」“いつも濁っている黄河の水が澄むのを待っていても当てにならない” ということに基づいている。


田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
田家 農家。孟浩然『田家元日』『田園作』参照。○望望 がっかりするさま。失意のさま。〇雨乾 ひでりで雨のないこと。乾元二年春にはひでりがあった。その前は、長雨で、杜甫は『喜晴』(晴れを喜ぶ)を詠っている。○布穀 カッコウの別名。鳩の一種、戴勝のことという。○ はとがなくのは節をしらせてたねまきをさせるためである。○春種 はるたねまきすること。


淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
淇上健児 淇は水の名、衛州(衛輝府汲県)にある、相州(鄴城)の南隣の地、淇上とは淇水のほとり。健児は武卒のこと。淇上の健児とは鄴城を囲むためにでむいている郭子儀など九節度使の王朝軍の兵卒をさす。○帰莫懶 もたもたせずと早くかえれ。懶はゆっくりとして物憂し、ただし早く功をなしとげたうえはやくかえれとの意。○城南 長安城南。○思婦 征伐に出ている夫をおもうている妻。出征兵の寡婦。○愁多夢 夢は夫についてのゆめ。 


安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。
安得 希望のことば。○壮士 兵卒。○天河 あまのがわ、そのかわみずをいう、かわ水で兵を洗うことはないけれども、雨が兵をあらうということはある。「説苑」に周の武王が殿の紺王を伐ったときに大雨がふった。(散宜生がこれは妖ではないかといったところ、武王は、しからず、これ天、兵を洗うなりといったという。)天河というのは日照り続きで、農民も兵も雨を待っていることを作者杜甫が想像をもちいて云ったものである。○洗甲兵 よろい、武器をあらう、洗兵のことは上にみえる。「寸地尺天」以下#4の末段はいよいよ太平の来る可能性が出てきたために、杜甫が期待していることをいい、早く戦争の終結することをいっている。


解説
●この詩の時期までは、唐の王朝軍が優勢であった。杜甫は間もなく王朝軍が勝利宣言をするものと思っていたのだろう。安禄山が反乱を起こすことが分かっていて、都長安から逃避し、鳳翔で左拾遺の地位にあって、長安、洛陽の脱会の折も、羌村に避難した。戦況のターニングポイントでその場をすべて回避している。この詩の時も唐王朝軍が勝つものと思い込んでいる。誠実実直な杜甫であるが、戦況、状況を見極める戦略師的な部分化欠如していたと見なければなるまい。

● この勝つべきものと思っていた戦いに大敗を喫するわけであるから杜甫が受けたショックは計り知れないものがあり、したがってだれよりも強い恐怖が杜甫を襲ったに違いないと思うのである。

●この時安慶緒は単独軍で戦って鄴城に追い詰められたのである。史思明は唐王朝と、安慶緒、そして史思明自身の軍の三権鼎立を模索して、唐王朝と安慶緒と、等間隔で対処していたのである。ここで史思明が安慶緒を援護に回ったことで、形勢が逆転したのだ。

●此の詩は、杜甫が官を辞したことの心情がくみ取れるものである。詩自体の出来はともかく官を辞す決意をさせることになった意味を知る作品である。左拾遺での仕事もほとんどしていないし、華州での仕事もしていない。結局、詩人として生きていくことの道を選ぶのである。

洗兵行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ998 杜甫特集700- 297

洗兵行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ998 杜甫特集700- 297
(洗兵行)


洗兵行(洗兵馬)#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

#2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』

#3
攀龍附鳳勢莫當, 天下盡化為侯王。
この時にあたって竜鳳の勢に随って栄達したものの権勢はこれ以上ないほど凄いことであり、天下中が通津浦々までほとんど誰もかれもみんな侯とか王とかいう身分のものへと早がわりした。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
汝等はよもや気がつくまいがすべて天子の御恩徳のおかげをこうむっただけのことなのである、好運がきたからとてわが身が強く、賢いからだといったためこんにちの位置を得たなどと奢ってはならないのである。
關中既留蕭丞相, 幕下複用張子房。
関内では己に漢の蕭何の役割を果たした杜鴻漸をのこしおかれ、惟幄の謀臣としては同じく張良に此すべき張鎬をお用いになっている。
張公一生江海客, 身長九尺須眉蒼。
張公はその一生は江海の武人で豪傑である、身のたけといえば九尺もありほほひげや眉毛は蒼然としている。
徵起適遇風雲會, 扶顛始知籌策良。
この人が天子よりめされてたちあがったことによって風雲重なる乱世の時節にであい、国家がまさに顛覆されんとするのを助け起したので、初めていかにこの人のはかりごとがよかったかが知られることになったというものだ。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』

もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。』


攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』

tsuki0882

現代語訳と訳註
(本文) #3

攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』


(下し文)#3
攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』


(現代語訳) #3
この時にあたって竜鳳の勢に随って栄達したものの権勢はこれ以上ないほど凄いことであり、天下中が通津浦々までほとんど誰もかれもみんな侯とか王とかいう身分のものへと早がわりした。
汝等はよもや気がつくまいがすべて天子の御恩徳のおかげをこうむっただけのことなのである、好運がきたからとてわが身が強く、賢いからだといったためこんにちの位置を得たなどと奢ってはならないのである。
関内では己に漢の蕭何の役割を果たした杜鴻漸をのこしおかれ、惟幄の謀臣としては同じく張良に此すべき張鎬をお用いになっている。
張公はその一生は江海の武人で豪傑である、身のたけといえば九尺もありほほひげや眉毛は蒼然としている。
この人が天子よりめされてたちあがったことによって風雲重なる乱世の時節にであい、国家がまさに顛覆されんとするのを助け起したので、初めていかにこの人のはかりごとがよかったかが知られることになったというものだ。
もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。』

安史期のアジアssH

(訳注)
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。

この時にあたって竜鳳の勢に随って栄達したものの権勢はこれ以上ないほど凄いことであり、天下中が通津浦々までほとんど誰もかれもみんな侯とか王とかいう身分のものへと早がわりした。
攀竜附鳳 「漢書」の伝賛に「竜に攀じ鳳に附し、並んで天衛に乗じ、雲起り竜驤り、化して侯王と為る。」とみえる、竜鳳は天子、皇帝をさす、そのうろこ、つばさにつかまりくっついて英雄豪傑が高い地位にのぼることをいう。○勢莫当 その英雄らの権勢さかんにして他のものはこれに対当することができぬ。○化為侯王 此の詩の中で出て來る人物を指す<広平王俶、郭子儀、李光弼、王思礼>。人物がみな功によって侯とか王とかの貴爵をもらう。


汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
汝等はよもや気がつくまいがすべて天子の御恩徳のおかげをこうむっただけのことなのである、好運がきたからとてわが身が強く、賢いからだといったためこんにちの位置を得たなどと奢ってはならないのである。
汝等 侯王をさす。○豈知 知らぬ、というのは知らぬまに被っていることをいう。○蒙帝力 天子のおかげをこうむっている。〇時来 時運の到来すること。○身強 強くして武功をたでたことをいう。本当に力があって勲功を立てたわけではなく、チャンスが来ただけのことであろう。


關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
関内では己に漢の蕭何の役割を果たした杜鴻漸をのこしおかれ、惟幄の謀臣としては同じく張良に此すべき張鎬をお用いになっている。
関中 函谷関から西、長安一帯までをいう、長安地方ということ。此の句及び次の句は、漢の事を以て唐の事をいう。○蕭丞相 漢の高祖の臣蕭何、唐の杜鴻漸をさす。粛宗即位の初めにおいて杜鴻漸は糧食器械等の事にカをつくした。粛宗は喜んで「霊武(粛宗即位の地)は吾の関中、卿は乃ち吾の蕭何ナリ。」といった。(或は蕭華または房琯をいうとの説がある。)○幕下 惟幄のもと、はかりごとをめぐらす場所をいう。○張子房 漢の三傑の一人張良。これは唐の張鎬をさす。757年至徳二載の五月に房琯が相を罷め、鎬がこれに代わった、758年両京を奪回したのはみな張鎬が相であった時のことである。


張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
張公はその一生は江海の武人で豪傑である、身のたけといえば九尺もありほほひげや眉毛は蒼然としている。
張公 張鎬のこと、張子房の張の字をうける。○江海客 心を江湖にほしいままにする人、蓋し志気闊大にして吏僚の習気なき人であることをいう。○ ほほびげ。


徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
この人が天子よりめされてたちあがったことによって風雲重なる乱世の時節にであい、国家がまさに顛覆されんとするのを助け起したので、初めていかにこの人のはかりごとがよかったかが知られることになったというものだ。
徵起 天子よりめされてたちあがる。張鎬は布衣より左拾遺に任ぜられ、玄宗が局に弄ったときこれに従い、玄宗の使者として鳳翔の粛宗の行宮にいたり、のち諌議大夫となりまた房琯に代わって宰相となった。杜甫は房琯事件のとき張鎬に救われたのである。○風雲会 雲が風にただよえるとき即ち乱世にであう、会は機会。○扶顛 家屋のくつがえらんとするのを手をそえてささえる、国家の顛覆をふせぐことをいう。○籌策良 はかりごとのよいこと。

 
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。』 
青袍白馬 梁の侯景の故事。大同中に「青糸白馬寿陽より来たる」という童謡がはやった。景が渦陽の敗に錦を求めたところ、朝廷は給するのに青布を以てした。景はことごとく用いて袍となし、白馬に乗り青糸を轡となして童謡の語に応じょぅとした。青袍白馬は侯景が叛いたときのいでたちであり、今借りて安史軍の史思明・安慶緒等をさす。○更何有 意とするに足らないことをいう。○後漢今周  後漢は光武帝の中興をさし、今周は今日において周の宜王の再起したことをいう、竝に粛宗をたとえていう。○再昌 「攀竜」の句より「後漢」の句までは、功臣は恩寵をたのむべからず、宰相は其の人を得て、唐朝復興の兆のあることを喜ぶことをいう。

洗兵行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ995 杜甫特集700- 296

洗兵行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ995 杜甫特集700- 296
(洗兵行)


この詩の結句「淨洗甲兵長不用」(浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん)とある「洗兵」の二句をとって題とする。
天の河の水で武器をあらい去り、永久に用いない様にしたいという意味をのべた詩である。九節度の官軍が相州の鄴城に敗れたのは乾元二年三月三日壬中であり、此の詩はしきりに官軍の捷報を得て未だ敗れなかったときに成ったものであるから、そのことにより同年二月中の作で、洛陽での作とする。原注に「収京後作」とある。


洗兵行(洗兵馬)#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
#2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』

#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』
#3
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』



現代語訳と訳註
(本文) #2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』


(下し文)
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』


(現代語訳)
いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』


(訳注)
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。

いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
成王 粛宗の子、広平王俶、俶ははじめ楚王となり、758乾元元年二月成王に封ぜられ、四月皇太子となった、俶は南京を収復するのに大功があったのでここに言及するもの。○心転小 小心とは細慎な注意をすることで、小心者ではない、功を花にかけて慢心しないつつましいことをいう。○郭相 中書令(即ち宰相)郭子儀をいう、唐王朝軍の実質の総指揮官である。安史の乱の初めは、霊武にある郭子儀の朔方軍だけが王朝軍の中で唯一の軍であり、粛宗が霊武に行在所を置いた。それから、ウイグルの援軍を得て反撃したのである。長安洛陽の奪還も郭子儀なくしては奪還は不可能であったといわれている。


司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
司徒 李光弼、時に検校司徒を加えられる。○清鑒 人物をみぬく力のあることをいう。○懸明鏡 かがみにたとえる。○尚書 王思礼をいう、時に兵部尚書に遷る、安慶緒を討つときに粛宗は河東の李光弼、沢潞の王思礼の二節度使をして、部下の兵をひきいてこれを助けさせた。○気与秋天香 気は人の気象をいう、その気象は、秋の澄みわたった気が天とともに高く遙かなのに似ている、思礼の意気の爽かなさまをいう。


二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
二三豪傑 上に列挙した人々をさす、万人に徳をするものを俊、千人に徳をするものを豪というという。〇 その時世。○整頓乾坤 天地のかたむきみだれているのを正しくととのえなおす。○済時 時代を難儀から救う。


東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身がこいしいなどいって、朝廷からにげだすものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
東走無複憶鱸魚 晋の張翰が世の乱れたのを見、秋風の起るにあたって、故郷である呉の蒪羹、鱸魚を思うといって官を辞してかえったが、今は世が治まっているのでさようの人物が無いということ。東走とは呉は東南であるから東という。世の中が安定してくれば自分の役割は終了した、高級官僚に未練はなく故郷に帰って隠棲するということである。○南飛覺有安巢鳥 南の方から飛んできた鳥は南の枝を選ぶという故事。南の枝については、梅の南側の枝に蕾が付くもの、民衆は南の枝のツボミ、花ということという故事から来ている。古詩に「越鳥は南枝に巣くう」とある。越(今の浙江省)は南の国であるからその国の鳥はもし北方へゆけば木に巣をかまえるのにも南の枝をえらんですくうとの意。


青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
青春複隨冠冕入 青春ははるのこと。冠冕は高位の官のかぶりもの、これをかぶる人々をさす。人とは春もこれらの人々について都にはいったということ。冕は高官の冠に付け下げる珠。○紫禁 天子の居は天の紫微宮にかたどる、因って宮中を紫禁、禁中という。○煙花繞 春の煙霞や花がとりかこむ、春色のたけなわであることをいう。


鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』
鶴駕 太子の駕をいう、周の霊王の太子晋が白鶴に乗じて仙となって去ったのによって太子の駕を鶴駕という。ここでは太子俶の駕をさす。○通宵 夜通しのことであるが俶が、夜、粛宗の安否をとうことをいう。○鳳輩 天子ののる御手車、上に鳳鳥をのせる、粛宗の乗ずる所のものをいう。宮殿内の移動に使う。○ その用意をととのえることをいう。○雞鳴問寢 粛宗と供と、父子相い随って玄宗の安否を南内(興慶宮)に問うことをいう、「礼記」文王世子に文王が太子であったときその親の安否をたずねたことをのべて、「鶏初めて鳴き、寝門の外に至り、内竪の御者に問うて日く、今日 安否 如何と。」という。○問寝 寝門にいたって問うことをいう。竜楼暁は粛宗が子としての礼を玄宗につくすことは漢の成帝に似ていることをいう。成帝が太子であったとき元帝が急に太子を召したとき、太子は竜楼門より出て敢て馳道(天子の通るみち)をよこぎらなかったという。竜楼は門の名でその上に銅竜があるのによってかく名づけるという。粛宗の即位の制に「宗廟ヲ函雒に復し、上皇(玄宗)を巴萄より迎え、鑾輿を導きて、正に反し、寝門に朝して以て安きを問えば、朕の願は畢れり。」とある。「成王」の句より「雞鳴」の句までは粛宗の即位の制に報いられる将相の姿を故事を使ってといたもので、杜甫の官に対する未練を感じるものである。儒教的発想。

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295
(洗兵の行【うた】) (4分割の1回目)



この詩の結句「淨洗甲兵長不用」(浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん)とある「洗兵」の二句をとって題とする。
天の河の水で武器をあらい去り、永久に用いない様にしたいという意味をのべた詩である。九節度の官軍が相州の鄴城に敗れたのは乾元二年三月三日壬中であり、此の詩はしきりに官軍の捷報を得て未だ敗れなかったときに成ったものであるから、そのことにより同年二月中の作で、洛陽での作とする。原注に「収京後作」とある。



洗兵行(洗兵馬)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』

成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』
#1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』

攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』


(下し文) #1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』


(現代語訳)
わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』


(訳注)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。

わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
中興諸将 郭子儀等をいう。758年乾元元年十月郭子儀は杏園より黄河を渡り、東にむかい獲嘉に至り、安太清を破った。太清は衛州に敗走したが、郭子儀はこれを囲んで勝った。太清は史思明のもとに敗走した。また魯炅は陽武より渡り、李光環・雀光速は酸棗より渡り、李嗣業とともに皆衛州の郭子儀のもとに集結した。安慶緒は鄴城一帯の衆七万を以て鄴城に逃げ込むものを救ったが、郭子儀は次第に追い詰めていった。そして、安慶緒の弟安慶和を獲てこれを殺し、遂に衛州を手中にした。衛州は今の河南省衛輝府の汲県治である。この時から安慶緒は鄴城に籠城する。ネズミ一匹二千両、壁土のわらを馬糞と混ぜて馬に食わせたといわれる。これを救ったのが史思明である。(この詩の後のこと)○収山東 収とは回収したこと、山東とは大行山の東、河北の地をさす。○捷書 帛に文字をかき竿にかかげ、勝ち戦をしらすもの伝聞させる。〇清昼同 昼も夜と同じようにかちの報せがくる。


河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
河広 河は黄河。〇一葦 「詩経」衛風河広に「誰謂河広、一葦杭之。」(誰か河を広しと謂う、一葦をもて之を杭【わた】らん。)とみえる。一葦は、ひとたばのあしをいぅ。黄河の水が広くても一束の葦をうかべいかだのごとくにして渡れるということ、一葦過とは一葦杭のごとく容易にわたることをいう。○胡危 安史軍の形勢のあやういこと。○ 運命。○破竹中 晉書『杜預伝』に「今兵威己振。譬如破竹、数節之後、皆迎刃而解。」(今 兵威は己に振う。たとえば竹を破るが如し、数節の後も、皆刃を迎えて解く。」とある。竹を割る時は、一節割れば他の節はたやすくからからとわれてゆく、もろく割れようとする勢いのなかにあり、抑えがたい様子をいう。○砥残 ただあますことをいう。


秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
鄴城 相州をいう。相州は武徳元年に置かれ、天宝元年には鄴郡と改め、乾元二年に鄴城となった、即ち河南省彰徳府安陽県治である。安史軍安慶緒が破れて鄴に敗走したのを以て郭子儀は許叔冀・董泰・王思礼等とこれを囲んだ。○不日 多くの日かずをまたず。○ 王朝軍の手に得ること。○朔方 朔方節度使郭子儀をいう、朔方軍は初めは霊州に鎮したが、のち邠州に鎮した。○無限功 大功勲。


京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
京師 長安、京は大、師は衆。大にして人口が多いので、京師という。○皆騎 回紇の兵は騎馬民族なので、兵の全員が皆騎ることをいう。○汗血馬 血の汗をだす名馬。もてる力を十分出すことができる馬のこと。〇回紇 ウイグル騎馬民族の名、唐の官軍の援助に来たのである。○喂肉  唐王朝が彼等を養うことをいう、喂ははぐくみ養う。畏れる意味を含む。『中華大辞典』喂は俗に用いて哺飼の意味に使う。○葡萄宮 漢の上林苑にあった宮の名、唐の御苑内の宮をいうのに天子を指すことになるので、古い呼び名をかり用いる。事実は758年乾元元年八月、回紇が其の臣骨啜特勅及び帝徳をつかわし、驍騎三千をもって安慶緒を討つことを助けさせた。天子は、朔方左武鋒便僕国懐恩をして、これを領せしめたということがある。


已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
皇威 天子のご威光。○清海岱 海は渤海、岱は泰山、海岱にて山東省より河北省北部をかけていう、安史軍史思明の根拠地である。この時、一時的に史思明が唐王朝に随うように噂されていた。実際には史思明は三権鼎立を模索していたようだ。清とは風塵をきよめ、乱を鎮定すること。


三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』
常思 いつもおもう、杜甫がいつもおもうこと。○仙仗過崆峒 粛宗の霊武に往来されたことをさす、仙仗は天子の道路行列にたでるもの、崆峒は山の名、甘粛省平涼府固原州の西百里(約8km)にある。〇三年 至徳元載より今乾元二年の初めまでをいう。○笛裏関山月 「関山月」は従軍の意をうたった笛の曲の名、笛曲中にこれを吹き奏すというは戦のつづいたことをさす。李白31 関山月李白『關山月』 「明月出天山、蒼茫雲海間。長風幾萬里、吹度玉門關。漢下白登道、胡窺青海灣。由來征戰地、不見有人還。戍客望邊色、思歸多苦顏。高樓當此夜、歎息未應閑。」とある〇万国 天下の諸地をさす。○兵前 王朝軍の討伐の前面。○草木風 草木が風になびきふすごとくに服従しょうとすることをいう。「三年」の句は「仙仗」の句を承け、「万国」の旬は「皇威」の句を承けていう、「中興諸将」より「万国兵前」まで河北の捷報をきき王朝軍の必勝の望みのあることをいう。この気持ちを持っていたから、その後、史思明が安慶著を助け、大逆転がおこったことで、杜甫が官を辞することになっていくのである。


黄河二首 杜甫

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 288

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 288

(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)



冬末以事之東都、湖城東遇孟雲卿、複歸劉顥宅宿、宴飲散因為醉歌

疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
そうしてこれから心の打ち解けた歌曲を歌いその日の夕方まで続いた。間が開いて座が白けるなどの座を困難な状態にはならず、なお、酒を酌み交わすのは飲み比べとなって競った。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
明るい部屋には火の赤く燃えているいろり、夜明けの光を促している。窓には白く冴えた月がまとわりつくようにかがやき、彩模様のある練り絹の賭場るがしずかに垂れている。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
天子は、天を開いて、地を避けるように長安の大通りで叛乱軍を破裂させてる、今は冬の寒さが厳しい時である間もなく春の景色に洛陽城は包まれるであろう。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
こうしてまた知ることになった兵車、騎馬でもってふたたび天下を統一平定されであろうことを、惜しいと思うけれど、我われは年もとってきたし、こうして水時計が時を知らせてくれるのに任せて過ごすしかないのである。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』
人生の中でこうして相談義するということは常庇護できるものではないのである。庭の木に止まっている時を告げる鳥が啼きだした、互いに別れることを思って涙が一筋ののせんとなって止まらないのである。


(冬末 以って事にて東都に之く,湖城の東 孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』
且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。』


現代語訳と訳註
(本文)#2

且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』

(下し文)#2
且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。』


(現代語訳)
そうしてこれから心の打ち解けた歌曲を歌いその日の夕方まで続いた。間が開いて座が白けるなどの座を困難な状態にはならず、なお、酒を酌み交わすのは飲み比べとなって競った。
明るい部屋には火の赤く燃えているいろり、夜明けの光を促している。窓には白く冴えた月がまとわりつくようにかがやき、彩模様のある練り絹の賭場るがしずかに垂れている。
天子は、天を開いて、地を避けるように長安の大通りで叛乱軍を破裂させてる、今は冬の寒さが厳しい時である間もなく春の景色に洛陽城は包まれるであろう。
こうしてまた知ることになった兵車、騎馬でもってふたたび天下を統一平定されであろうことを、惜しいと思うけれど、我われは年もとってきたし、こうして水時計が時を知らせてくれるのに任せて過ごすしかないのである。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。
人生の中でこうして相談義するということは常庇護できるものではないのである。庭の木に止まっている時を告げる鳥が啼きだした、互いに別れることを思って涙が一筋ののせんとなって止まらないのである。


(訳注)
且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。

且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
そうしてこれから心の打ち解けた歌曲を歌いその日の夕方まで続いた。間が開いて座が白けるなどの座を困難な状態にはならず、なお、酒を酌み交わすのは飲み比べとなって競った。
款曲 打ち解けた心の曲。真心で歌う曲。よしみの曲。「款待・款談/交款」


照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
明るい部屋には火の赤く燃えているいろり、夜明けの光を促している。窓には白く冴えた月がまとわりつくようにかがやき、彩模様のある練り絹の賭場るがしずかに垂れている。
紅爐 火の赤く燃えているいろり。促曙光 夜明けの明かりをうながす。 ○縈窗 まどとに、まとわりついている。○素月 白くさえた月。陰暦八月のこと。○文練 彩模様のある練り絹。


天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
天子は、天を開いて、地を避けるように長安の大通りで叛乱軍を破裂させてる、今は冬の寒さが厳しい時である間もなく春の景色に洛陽城は包まれるであろう。


豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
こうしてまた知ることになった兵車、騎馬でもってふたたび天下を統一平定されであろうことを、惜しいと思うけれど、我われは年もとってきたし、こうして水時計が時を知らせてくれるのに任せて過ごすしかないのである。
同軌 車輪の間隔を同じようにする。天下が統一されていることをいう。○更箭 水時計の時刻を示す矢。


人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し
人生の中でこうして相談義するということは常庇護できるものではないのである。庭の木に止まっている時を告げる鳥が啼きだした、互いに別れることを思って涙が一筋ののせんとなって止まらないのである。



この詩からは職務に関する、杜甫の前向きな姿勢は全く感じられない。唐王朝軍が頽廃を期す前であるが、漢を辞したい気持ちが強くなっているのであろうと思う。

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 287

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 287
(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)


冬末以事之東都湖城東遇孟雲卿複歸劉顥宅宿宴飲散因為醉歌
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。

且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』


(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』

且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。』


現代語訳と訳註
(本文)
冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』


(下し文) (冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,懶回 鞭轡 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』


(現代語訳)
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子 手を隔て 相見えず。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。


(訳注)
冬末以事之東都湖城東遇孟雲卿、複歸劉顥宅宿宴飲散因為醉歌

(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
東都 洛陽。杜甫は華州から洛陽に仕事来た。○湖城 湖城縣,治今河南靈寶縣(戰國時,函谷關のこと。湖城縣故城は曹彰の任城のこと。曹植『上責躬応詔詩表 五』「孤魂翔故城、霊柩寄京師。」(孤魂 故城に翔【かげ】り、霊柩 京師に寄す)洛陽で孤立して死んだ曹彰を偲んで詠った詩に基づいている。○孟雲卿 孟雲卿は725年(唐の開元10年)生まれ、没年未詳。字名升之。平昌(商河県、山東省済南市に位置する県。)の人。商河県は山東賞西北部、徒駭河北岸に位置する。南北は51km、東西は43kmである。天宝年間30歳を過ぎて進士及第、長安に入る。残存詩17首。平易な言葉で、自尊心が強く社会的現実的な詩は、杜甫、元結などと共有する。758年、6月、杜甫、華州司公參軍に左遷される前夜、酒を酌み交わしている。半年後に再会した。○劉顥 杜甫の若いころ30~35歳くらいまで洛陽で過ごした。その頃の友人で、東都の役人になっていたもの。


疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子 手を隔て 相見えず。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
河縣 河北省河縣。安慶緒が父の安禄山を殺して以来、史思明は范陽に帰って、一線を画していたが、郭子儀の唐王朝軍が鄴城を包囲していたのを安慶緒と連絡し合い、郭子儀をしりぞけた。郭子儀軍は洛陽城に入り、洛陽を守ると同時に、戦力を整え増強を図ることとした。しかし、河南、洛陽一帯は不安定な状況であった。○行子 旅人。旅客。


湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
湖城縣,治今河南靈寶縣(戰國時,函谷關のこと。湖城縣故城は曹彰の任城のこと。曹植『上責躬応詔詩表 五』「孤魂翔故城、霊柩寄京師。」(孤魂 故城に翔【かげ】り、霊柩 京師に寄す)洛陽で孤立して死んだ曹彰を偲んで詠った詩に基づいている、


向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
懶回 ゆっくりと帰ること。懶は朝廷の仕事を怠けるという意味。


劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。

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李鄠縣丈人胡馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 285

李鄠縣丈人胡馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 285
鄠県の県令李某の外国産の馬のことをよんだうた。乾元元年冬洛陽へ赴くときの作


李鄠縣丈人胡馬行
丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』
頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
いい馬は、馬の耳は小さくして竹を削ったように鋭くシャキッとしているのがとよいのである。馬脚について、馬の蹄は高く蹴上げることができ、寒い時堅い玉のような地表を削り蹴ることができるような脚力を希望する。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
叛乱軍で汚された洛陽の大道は再び清らかなものに戻された。連日ともに東方面に行くことができるようになったことは喜ばしいものである。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
初めて知ったのは、神や天からの不思議な力だけでなく別にそんな割った血筋の受け継ぎというものがあるということを。なんとなくただ食欲旺盛な普通の馬と比べられるものではない。
鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』

馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりといい、龍のように活動的ということだが知識ではわかっても実物の馬に合わせるとわかりづらい。馬の横側は疾風のように走る風を切っていくように見える姿に注目される。

(李鄠縣丈人が胡馬の行)#1
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。』
#2
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。』

現代語訳と訳註
(本文)#2

頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』

(下し文) (李鄠縣丈人が胡馬の行)
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。』


(現代語訳) #2
いい馬は、馬の耳は小さくして竹を削ったように鋭くシャキッとしているのがとよいのである。馬脚について、馬の蹄は高く蹴上げることができ、寒い時堅い玉のような地表を削り蹴ることができるような脚力を希望する。
叛乱軍で汚された洛陽の大道は再び清らかなものに戻された。連日ともに東方面に行くことができるようになったことは喜ばしいものである。
初めて知ったのは、神や天からの不思議な力だけでなく別にそんな割った血筋の受け継ぎというものがあるということを。なんとなくただ食欲旺盛な普通の馬と比べられるものではない。
馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりといい、龍のように活動的ということだが知識ではわかっても実物の馬に合わせるとわかりづらい。馬の横側は疾風のように走る風を切っていくように見える姿に注目される。


(訳注)
頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
いい馬は、馬の耳は小さくして竹を削ったように鋭くシャキッとしているのがとよいのである。馬脚について、馬の蹄は高く蹴上げることができ、寒い時堅い玉のような地表を削り蹴ることができるような脚力を希望する。
睨耳秋竹云云。馬の耳は小さくして竹を削るが如きを良とす。 杜甫 『房兵曹胡馬詩 杜甫 9 (青春期の詩)』 『天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85』 『驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102』 『痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258洗兵行』『病馬』に詠う。
高蹄削寒玉。馬の蹄は高く蹴上げることができ、堅く玉を削るが如きを欲するなり。


始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
初めて知ったのは、神や天からの不思議な力だけでなく別にそんな割った血筋の受け継ぎというものがあるということを。なんとなくただ食欲旺盛な普通の馬と比べられるものではない。


洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
叛乱軍で汚された洛陽の大道は再び清らかなものに戻された。連日ともに東方面に行くことができるようになったことは喜ばしいものである。
洛陽。河南、長安よりは東なり、粛宗已に東都を回復す、霊武より洛陽に至るまで皆東に向って行く。○累日 日を重ねる。連日。


鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。
馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりといい、龍のように活動的ということだが知識ではわかっても実物の馬に合わせるとわかりづらい。馬の横側は疾風のように走る風を切っていくように見える姿に注目される。
鳳臆。鳳の如き胸。O龍鬐。龍の輦、相馬経に馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりとあり。O長風生ず。馬の行く疾くして風おのづから生ずるなり。

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痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。この時期の杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。
駿馬02

痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


現代語訳と訳註
(本文)

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

(下し文)
去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


(現代語訳)
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

駿馬01

(訳注)
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。

去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
去歳 757年至徳二載。○奔波 狂奔すること、官兵がはしりまわること。○逐余寇 余寇とは安禄山の叛乱軍ののこり、速とは官兵がこれをおうこと。安禄山軍と史忠明の軍と十年近く続いたので安史の乱、叛乱軍全体を安史軍という。このブログでは、官軍・賊軍という語は使わない。○驊騮 千里の馬。○不慣 騎るになれぬ。一説にのりならされておらぬものととく。○不得将 将は騎りひきいること。


士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
士卒 王朝軍の兵卒。○内厩 天子のおうまや、そこには調練を経た名馬がたくわえてある。○惆悵 うらむさま、杜甫が今日よりさかのぼってうらむ。馬がここまで弱るには、かなりの経過した時間がある。○恐是 恐とはきづかうこと、動物は気遣う気持ちがなければいけない。これも杜甫がきづかう。○病乗黄 病める乗黄、乗黄とは神馬、内厩の駿馬で上旬の「騨騒」というのも同じ。この痩馬は乗黄ではあるが不幸にもその病めるものであったのであろう、というのである。


當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
当時 逐冠のときをさす。○歴塊 漢の王表の「聖主ノ賢臣ヲ得ル頒」にみえる、一箇のつちくれをとおる、歴はへる。○蹴 つまずく。○委棄 うちすてる。○ 痩馬をさす。○能周防 非汝能周防は非三汝之所二能周防一というのに同じ。周防はておちなくふせぐこと。ふせぐことのできるものでないとは、運命だというはかなしということ。


見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
見入 他人をみる。○惨澹 ものがなしいさま。○失主 かいぬしをなくする。○錯莫 さびしいさま。〇晶光 すきとおりかがやくひかり。眼光をいうのであろう。


天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
天寒 ふゆぞらをいう。○遠放 かいての無いゆえ遠方まではなたれてある。○不収 収とは人がうまやへいれてくれることをいう。○啄瘡 きりきずのある処をくちばしでつっく。


誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ
且養 しばらく飼養してくれる。○願終恵 顔延年「赤白馬賊」に「願ワクハ恵養ヲ終エテ本枝二蔭セン」とあるのに本づく、願は馬がねがう、終恵とは始め飼養するという恵をあたえるならばそれを最終まであたえでくれることをいう。○更試 試とは行走の脚力をためしみること。○明年 単につぎのとし


 757年十月に洛陽を敗退した安慶緒は、この年になると相州(河南省安陽市)の鄴城(ぎょうじょう)に拠って兵六万を集め、周囲の七郡を支配する勢力に復活した。唐王朝は九月になると、朔方軍節度使郭子儀(かくしぎ)ら九節度使の軍を派遣して鄴城を包囲した。
 秋のはじめに杜甫は、杜観ひとりを洛陽にやったが、戦線が河北と河南の境にある相州に集中した冬になっても、杜観はもどってこなかった。

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

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騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。


痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』
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現代語訳と訳註
(本文) 痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』


(下し文)
東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

(現代語訳)
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』


(訳注)
痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。

長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
東郊 長安の城の東の野外。○骨骼 はねぐみ。○硉兀 骨だかいさま。○堵牆 ついじ、かき、骨体が壁のごとくに立つことをいう。


絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
 なわでからげる。○欲動 馬がうごこうとする。○ いよいよ。○欹側 そばだち、かたむく。直立せぬこと。○ 馬のその態度をさす。○ いままでのように。○騰驤 おどってあがる、馬のいさむさま。


細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
細看 くわしくみる。〇六印 六か所の焼き印、一に六を火に作る、火印ならば焼き印をいう。○帯官字 唐の官馬は其の種類用途如何により馬の尾側、左右牌(もも)、左右縛(かた)、項(うなじ)、頼(ほお)等に焼き印を押した。其の文字には年時・牧監の名があり、竜形・三花の印があり、又、「官」の字、「飛」の字、「風」の字、「賜」の字、「出」の字の印があった。この馬は六か所に官で押した印のあるものであろう。上旬をもし「火印」とするならば帯官字は「官」の字をおぶと解すべきである。○衆道 衆人がいう。〇三軍 王朝軍の陣勢。神策軍、龍武軍、羽林軍がそれぞれ上中下、左右中央、地方にあった。天子の軍。国軍。○ 遺棄する。


皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』
皮乾 脂肪光沢のなくなったさま。○剥落 剥げ落ちている。傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている。はげちょろ。○泥滓 どろ、にごりかす。○毛暗 暗とは光沢を失ったことをいう。○蕭條 草木の間を風が抜けるときに起こす音を指し、さびしいさま。○連雪霜 雪霜連と同じ、雪霜とは白っぽい色をたとえていう。馬の病むときは毛のさきがほこりを帯び、色つやがわるく、そのさまが雪霜のつらなっているのに似る。

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256
(李尊師が松樹の障子に題する歌)

玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。乾元元年の作とする説に従う。


題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』

自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』

老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』



現代語訳と訳註
(本文)

老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』


(下し文) (李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』


(現代語訳)
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』


(訳注)
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。

このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
奇古 かわったふるめかしいもの。○対此 此とは画をさす。○ 作者の感興。○精霊 画者の精神。


已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
仙客 李尊師をさす。○意相親 この画陣をわざわざもってきて見せてくれたのはこちらと親密であるからである。○良工 画の名人、この画陣の筆者をさす。○心独苦 びとりで苦心する。

 
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである
松下文人 文人は老人、松下の老人とは画中の人物をさす。○巾履同 文人等のずきんとくつが互に同じ。一説に文人等の巾医が商山の老人たちと同様である。○偶坐 対坐に同じ、我(作者)が画中の人物と対して坐することをいう。○商山翁 漢の高祖の時、秦の乱を避けて商山に隠れた東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。


悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。
悵望 うらめしくながめる。○紫芝曲 商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。〇時危 時世の安泰ならぬこと、安史(安禄山・史思明)の乱がいまだに平定していないことをいう。○惨澹 ものがなしいさま。○悲風 人をかなしませるようなかぜ。 
 


商山の四皓(四人の老人)、漢の高祖のとき張良の計によって老人は山より出て来て高祖の太子の輔佐役となった。羽翼とは輔佐となることをいう。詩意は李泌が広平王僻の輔佐となってくれたならばとおもうことをいう。杜甫自身補佐役であることを示している。綺皓という表現をつかう。秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。

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