杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

七言古詩

廣徳2年764-7-#2 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3670 杜甫詩1000-657-2-928/1500751-2

杜甫《釋悶》この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。


2014年1月29日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(5) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <937>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3669韓愈詩-242-(5)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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廣徳2764-7-#2 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3670 杜甫詩1000-657-2-928/1500751-2

 

 

詩 題:釋悶 作時:764 廣德二年 杜甫53歳 

作時年:  764  廣德二年  53 

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 釋悶 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

掲 載; 杜甫1000首の657-2首目

杜甫ブログ1500回予定の-928回目

 

 

釋悶

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

四海十年不解兵,犬戎也復臨咸京。

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

失道非關出襄野,揚鞭忽是過胡城。

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

豺狼塞路人斷烽火照夜屍縱橫。

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

 

天子亦應厭奔走,群公固合思升平。

この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。

但恐誅求不改轍,聞道嬖孽能全生。

ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。

江邊老翁錯料事,眼暗不見風塵清。

大江のほとりのこの老人にはこの事態に対しての仕事というのはやりようもつかない。この眼も暗くてよく見ることもできない。そこにこの塵蒙を風で吹き飛ばしてすがすがしくしてくれてもだめだと思う。

 

(釋悶【しゃくもん】)

四海の十年 兵を解けず,犬戎 也し復た咸京【かんきょう】を臨む。

道を失い關に非らずして襄野に出づ,鞭を揚げ忽ち是に胡城を過る。

豺狼 路を塞ぎ 人斷烽火 照夜 屍 縱橫す。

 

天子 亦た應えて厭し奔走し,群公 固より合して升平を思う。

但し 誅求し改轍をめざるを恐れん,聞道ならく嬖孽【へきげつ】 能く生を全うす。

江邊 老翁 事を料るを錯し,眼 暗く風塵 清くするをも見えず。

 

隋堤01

 

『釋悶』 現代語訳と訳註

(本文)

釋悶 #2

天子亦應厭奔走,群公固合思升平。

但恐誅求不改轍,聞道嬖孽能全生。

江邊老翁錯料事,眼暗不見風塵清。

 

(下し文)

天子 亦た應えて厭し奔走し,群公 固より合して升平を思う。

但し 誅求し改轍をめざるを恐れん,聞道ならく嬖孽【へきげつ】 能く生を全うす。

江邊 老翁 事を料るを錯し,眼 暗く風塵 清くするをも見えず。

 

(現代語訳)

この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。

ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。

大江のほとりのこの老人にはこの事態に対しての仕事というのはやりようもつかない。この眼も暗くてよく見ることもできない。そこにこの塵蒙を風で吹き飛ばしてすがすがしくしてくれてもだめだと思う。

珠櫻001 

 

(訳注)

釈悶 

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

釈とは?隠語辞典。 (1) ()仏教徒が、釈迦の宗教的一族であるとして、法名の上に姓として付ける語。 ()浄土真宗で、戒名の上に付ける語。 (2)経や論に対し、中国や日本の仏教徒の書いた注釈のこと。 (3)文章・語句.

悶とは。意味や解説。非常な苦しみの形容。立っていることができないほど悶 もだ え苦しんで、転がってはいずり回ること。▽「悶絶」は悶え苦しんで意識を失うこと。苦しんで気絶すること。「

迹門しゃくもん【迹門】とは。意味や解説。天台宗で、法華経28品のうち、序品(じょぼん)から安楽行品までの前半14品の称。

 

天子 亦應 奔走 ,群公 固合思 升平

この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。

「天子」代宗、天子。

「應」語義類別:人、狀態、心理能願、應。

「升平」世局が太平であること。世の中が平和でよく治まっていること。

杏の花0055 

 

但恐 誅求 改轍 ,聞道 嬖孽 全生

ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。

「恐」語義類別:人、情感詞(綜合情感)、負面情感(擔驚受怕)、恐。

「誅求」問題点が起こる前に対処することをしないで、侵入者、謀反が起これば殺すということをする。

「改轍」王朝軍の整備異民族との連合軍という在り方を改める事。

「嬖孽」庶妾をさす。ここでは禍の元凶である宦官をいう。嬖臣【へいしん】お気に入りの家来。寵臣(ちょうしん)。 孽:わきばら、 ひこばえ、 わざわい

 

 

江邊 老翁 錯料 ,眼暗 不見 風塵

大江のほとりのこの老人にはこの事態に対しての仕事というのはやりようもつかない。この眼も暗くてよく見ることもできない。そこにこの塵蒙を風で吹き飛ばしてすがすがしくしてくれてもだめだと思う。

「江邊」自然景觀、大江のほとり。杜甫がこの5年錦江であり、涪江、西漢水のほとりに住まいしたこと。

「老翁」老人、杜甫のこと。

「料事」厳武の尽力で再びに朝廷に迎えられ、どれほどの仕事をすることができるというのか。

「風塵」戦火による風塵。

廣徳2年764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1

《釋悶》天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。


2014年1月28日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <936>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3664韓愈詩-242-(4)
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
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廣徳2764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1

 

 

 

作時年:  764  廣德二年  53 

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 釋悶 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

 

釋悶

四海十年不解兵,犬戎也復臨咸京。

失道非關出襄野,揚鞭忽是過胡城。

豺狼塞路人斷烽火照夜屍縱橫。

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

 

天子亦應厭奔走,群公固合思升平。

但恐誅求不改轍,聞道嬖孽能全生。

江邊老翁錯料事,眼暗不見風塵清。

 

(釋悶【しゃくもん】)

四海の十年 兵を解けず,犬戎 也し復た咸京【かんきょう】を臨む。

道を失い關に非らずして襄野に出づ,鞭を揚げ忽ち是に胡城を過る。

豺狼 路を塞ぎ 人斷烽火 照夜 屍 縱橫す。

 

天子 亦た應えて厭し奔走し,群公 固より合して升平を思う。

但し 誅求し改轍をめざるを恐れん,聞道ならく嬖孽【へきげつ】 能く生を全うす。

江邊 老翁 事を料るを錯し,眼 暗く風塵 清くするをも見えず。

 

 

『釋悶』 現代語訳と訳註

(本文)

釋悶

四海十年不解兵,犬戎也復臨咸京。

失道非關出襄野,揚鞭忽是過胡城。

豺狼塞路人斷烽火照夜屍縱橫。

 

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

 

 

(訳注)

釈悶 

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

釈とは?隠語辞典。 (1) ()仏教徒が、釈迦の宗教的一族であるとして、法名の上に姓として付ける語。 ()浄土真宗で、戒名の上に付ける語。 (2)経や論に対し、中国や日本の仏教徒の書いた注釈のこと。 (3)文章・語句.

悶とは。意味や解説。非常な苦しみの形容。立っていることができないほど悶 もだ え苦しんで、転がってはいずり回ること。▽「悶絶」は悶え苦しんで意識を失うこと。苦しんで気絶すること。「

迹門しゃくもん【迹門】とは。意味や解説。天台宗で、法華経28品のうち、序品(じょぼん)から安楽行品までの前半14品の称。

 

 

四海 十年 解兵 ,犬戎 也復臨 咸京

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

「四海」中國全域、四海。

「十年」755年安史の乱以来の、十年。

「犬戎」ウイグルから吐蕃にかけて、中国の西域にあった、民族邦國名、犬戎。

「咸京」咸陽、長安。

 

 

失道 非關 襄野 ,揚鞭 忽是 胡城

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

「出襄野」《莊子》雜篇·卷八中《徐無鬼》に基づく。

黃帝將見大隗乎具茨之山,方明為御,昌驂乘,張若朋前馬,昆閽滑稽後車;至於襄城之野,七聖皆迷,無所問塗。適遇牧馬童子,問塗焉,曰:「若知具茨之山乎?」曰:「然。」「若知大隗之所存乎?」曰:「然。」 黃帝曰:「異哉小童!非徒知具茨之山,又知大隗之所存。請問為天下。」 小童曰:「夫為天下者,亦若此而已矣,又奚事焉!予少而自遊於六合之,予適有瞀病,有長者教予曰:『若乘日之車而遊於襄城之野。』今予病少痊,予又且復遊於六合之外。夫為天下亦若此而已。予又奚事焉!」 黃帝曰:「夫為天下者,則誠非吾子之事。雖然,請問為天下。」

小童辭。黃帝又問。小童曰:「夫為天下者,亦奚以異乎牧馬者哉!亦去其害馬者而已矣!」黃帝再拜稽首,稱天師而退。

 

豺狼 塞路 ,烽火 照夜 縱橫

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

「豺狼」各地で反乱を起こした者たち、重税に堪えかね逃亡した者たちが山野に住み、農村を襲ったため狼豺という。

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杜甫《憶昔,二首之二》#3私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。


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746廣徳2764年―6-3 《憶昔,二首之二》#3 蜀中転々 杜甫 <6563>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3660 杜甫詩1000-6563-926/1500 750-3

 

 

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

杏の花0055


 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

心は傷んで、年よりたちに尋ねるにはもう忍びない。尋ねたならば、きっとまた私の大嫌いな戦乱のはじめから説きおこさねばならないからである。

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。

杏の白花012 

 

『憶昔,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)#3

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

(下し文)

傷心 忍びず耆舊に問うに,複た恐る初め從亂離よりかんことを

小臣 魯鈍【ろどん】能くする所無し,朝廷 記識して祿秩【ろくちつ】を蒙【こうむ】る。

周宣の中興 我が皇に望み,血を江漢に灑【そそ】いで身は衰疾【すいしつ】なり。

 

 (現代語訳)

心は傷んで、年よりたちに尋ねるにはもう忍びない。尋ねたならば、きっとまた私の大嫌いな戦乱のはじめから説きおこさねばならないからである。

このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。

私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。

miyajima0033221107930 

 

(訳注)

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

心は傷んで、年よりたちに尋ねるにはもう忍びない。尋ねたならば、きっとまた私の大嫌いな戦乱のはじめから説きおこさねばならないからである。

○耆旧 老人たちをいう。耆は年六十の人。

○乱離 世がみだれて人人のちりぢりになること。

 

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。

○小臣 つまらないけらい、謙辞で、自己をさす。

 

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。

○周宜 周の宣王は夷秋を撰い中興をなした。

○我皇 代宗。

○江漢 江は錦江、漢は閬州の西漢江(嘉陵江)、西漢水、涪江などいうもの、成都と閬州地方とに奔走したゆえに二水を挙げる。古代の移動は基本が川である。もしこの漢の字に重きを置くならば本第は浦氏の説のごとく広徳元年聞州にあっての作とすべきが如くであるが、「尚書郎」(その一の詩)といい、「蒙禄秩」というのは厳武が都に迎え入れたいということ。杜甫は長安には帰りたくなかった。天子は吐蕃にまたいつか占領されるかもしれない所に留まるべきではなく、外敵の侵入のない、叛乱なども比較ていない江陵が一番良い所であると考え、そこに向かいたいと考えていたのだ。

○衰疾 おとろえ、やむ。以上は天宝末以来の変乱をのべて復興をいのることをのべている。
洞庭湖鄂州02 

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(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―6-#1 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3650 杜甫詩1000-656-1-924/1500 750-1
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -11 南鄉子八首 其七 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-421-11-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3652
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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746
廣徳2764年―6-1 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <6561>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3650 杜甫詩1000-6561-924/1500 750-1

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 憶昔,二首之一 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   霊武  

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

陰山 ( 豐州 陰山)     

相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中     

未央宮 (京畿道 京兆府 長安

 

 

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

 

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

カンナ223 

 

『憶昔二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

憶昔二首之二

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

 

 

(下し文)

憶昔二首之二

憶う昔 開元の全盛なる日び,小邑 猶お藏し 萬家室とす。

稻米 脂を流し 粟米 白く,公私の倉廩【そうりん】俱に豐實たり。

九州の道路 豺虎無く,遠行にも勞せず吉日に出づるを。

齊の紈 魯の縞 車班班にし,男は耕し 女は桑す 相い失わず。

 

 

(現代語訳)

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

杏の花01 

(訳注)

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔とは、この詩の首二字をとって名づけたもの。広徳二年成都において作る。

 

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

○開元 開元の治のこと。 唐の玄宗の年号(713741)。「開元の治」といわれ唐時代最高の時期といわれる。杜甫は712年生まれ。『丹青引』「開元之中常引見,承恩數上南熏殿。」(開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。)

○全盛 極盛のとき。

○小邑 小県。

〇万家 万戸。

○租庸調の重税と賄賂政治がない時代である。杜甫がこの制度の崩壊を『三吏三別』詩に触れている。

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 

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無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

 

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

稲米 いねになっている米。

・粟米 もみの米。どちらも白く脂ぎって、豊作であったことをいう。

倉廩 穀蔵を倉、米蔵を魔というと。

 

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

九州 都を中心に九ブロックに分ける中華思想。天下というに同じ。

豺虎 盗賊の類い。重税から逃れて、山野に住み農家を襲うもの。

 

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

齊紈魯縞 斉(山東臨溜地方)の白いねりぎぬ。魯(山東臨溜地方)のしろぎぬ。

班班 衆多のさま。物資を積んだ車が行き交うこと。

不相失 それぞれその生業の大切な時期をあやまたぬこと。
木蘭02 

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杜甫《憶昔,二首之一》私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。


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作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 憶昔,二首之一 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   霊武  

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

陰山 ( 豐州 陰山)     

相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中     

未央宮 (京畿道 京兆府 長安

 

 

憶昔二首之一

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

 

憶昔二首之二

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

 

『憶昔,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

 

(下し文)

我が昔 近侍にありて奉引を叨す,出兵には整肅して當る可らず。

留るを為すは猛士が未央を守れども,使致りて岐雍 西羌を防ぐ。

犬戎 直ちに來りて禦林に坐し,百官 跣足し 天王に隨う。

願わくば見よ北地の傅介子を,老儒は尚書郎に用いず。

唐長安城図 

(現代語訳)

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

 

(訳注)#2

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

「憶昔」詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に失政・遺憾の点のあることをいう。

粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。

 

我昔 近侍 叨奉引 ,出兵 整肅 不可 當。

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

「近侍」天子のおそば近くの職。当時、左拾遺を拝命していた。

「奉引」四書五経を引用して諫言すること。

「出兵整肅」粛宗は、古くからの賢臣を排斥し、気まぐれ人事で唐国軍を無統率なものにしていた。杜甫は、ウイグルなどの外国軍を頼りにするのではなく子飼いの重臣を中心にして態勢を整え出兵すべきと諫言した。粛宗は逆に玄宗皇帝時代の重臣を根こそぎ排斥したのである。

「整肅」 行儀作法などの整っておごそかな・こと(さま)。

 

為留 猛士 守 未央 ,致使岐雍 防 西羌 。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

「未央」漢の長安の未央宮。ここでは、大明宮をいう。

「岐雍」西、玉門関を破られると、隴西、秦州で防御し、更に雍州、岐山が長安最終の守りの塞となる。

「防西羌」西羌は、西の異民族国家のこと。ここでは、吐蕃、ウイグル、匈奴である。

 

犬戎 直來 坐 御床 ,百官 跣足 隨 天王 。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

「犬戎」【けんじゅう】古代中国の西戎(せいじゅう)の一。殷・周・春秋の時代に陝西省方面で勢力を振るったが、秦に圧迫されて衰えた。犬夷(けんい)。昆夷(こんい)

『愁坐』

高齋常見野,愁坐更臨門。 

十月山寒重,孤城月水昏。 

葭萌氐種迥,左擔犬戎 

終日憂奔走,歸期未敢論。 

738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)

「天王」763年吐蕃が長安に攻め入り、軍は総崩れとなったために天子:代宗は王:郭子儀に守られて、陜州に回避したことを言う。この事を杜甫『江陵望幸』で希望を持った表現で歌っている。724 《江陵望幸〔註:廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕》 蜀中転々 杜甫 <631  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3465 杜甫詩1000-631-887/1500

 

 

 

願見 北地 傅介子 ,老儒 不用 尚書郎 。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

「願」語義類別:人、狀態、心智狀態、願。

「見」語義類別:人、感官詞、視覺、見。

「北地」傅介子の出身地。

「傅介子」傅 介子(ふ かいし、未詳 - 紀元前65年)は、前漢の人。北地郡義渠の人。傅介子は大宛への使者となりそれまで漢の使者を殺していた楼蘭、亀茲を責める役を負い、策略をもって攻め落とした。

「老儒」老人の儒者。杜甫自身のこと。

「不」語義類別:其他、其他詞彙、否定詞、不。

「用」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、用。

「尚書郎」尚書省の課長職といったもの。厳武・高適のはからいで、杜甫を京兆府の功曹参軍(庶務課長)に任ずる命が下ったこと。 
長安洛陽鳳翔Map 

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杜甫《憶昔,二首之一》昔のことを憶って作る。「憶昔」というのは詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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746
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作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 憶昔,二首之一 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   霊武  

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

陰山 ( 豐州 陰山)     

相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中      

未央宮 (京畿道 京兆府 長安

 

 

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

 

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

 

憶昔二首之二

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

(昔を憶う二首の一)

昔を憶う 先皇 朔方を巡り,千乘 萬騎 咸陽に入る。

陰山 驕子 汗血の馬,長驅 東胡 胡 藏に走る。

鄴城 反覆し怪むに足らず,關中 小兒 紀綱を壞し,張後に上は忙と為し樂しまず。

今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。

 

我れ昔 近侍にして奉引を叨し,出兵 整肅し當る可からず。

為留の猛士は未央を守り,使を致して岐雍 西羌を防ぐ。

犬戎 直ちに來り 禦林に坐し,百官 跣足し 天王に隨う。

願わくば見ん 北地 介子に傅し,老儒 尚書郎を用いず。

 

 

『憶昔二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

憶昔二首之一

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

 

(下し文)

(昔を憶う二首の一)

昔を憶う 先皇 朔方を巡り,千乘 萬騎 咸陽に入る。

陰山 驕子 汗血の馬,長驅 東胡 胡 藏に走る。

鄴城 反覆し怪むに足らず,關中 小兒 紀綱を壞し,張後に上は忙と為し樂しまず。

今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。

 

 

(現代語訳)

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

(訳注)

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

「憶昔」詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に失政・遺憾の点のあることをいう。

粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。

 

 

憶昔 先皇 巡 朔方 ,千乘 萬騎 入 咸陽 。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

「先皇」謂肅宗。皇室稱謂、皇帝。

「巡」語義類別:人、行為動作、一般行為(辵部)、巡。

「朔方」朔方。

○ 7566,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。

○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.

○ 756613日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。

○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地.

75607,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。

75609,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.

このあたりは、黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

「咸陽」西側から攻め、咸陽側から長安に入城した。広い意味では咸陽≒長安ということ。

toubanrimap044

 

陰山 驕子 汗血馬 ,長驅 東胡 胡 走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

「陰山」語義類別:地、地名、山嶺地名、陰山山脈。

「驕子」ウイグル、胡人。

「汗血馬」大宛国の駿馬。血のような汗をかくことでいう。杜甫の詩にはよくでる。朱汗 あかい汗、駿馬は血のあせを流すという。。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。房兵曹胡馬詩
胡馬
大宛名、鋒稜痩骨成。
竹批双耳峻、風入四蹄軽。
所向無空闊、真堪託死生。
驍騰有如此、万里可横行。
『房兵曹胡馬詩』 杜甫
杜甫『沙苑行』
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
食之豪健西域無,每
攻駒冠邊鄙。』

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85

杜甫『洗兵行(洗兵馬)』
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎
汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

『洗兵行(洗兵馬)』#1
中興諸將收山東,捷書夜報
清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎
汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295

 

鄴城 反覆不足 怪 ,關中 小兒 壞 紀綱 ,張后 不樂 上為忙 。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。粛宗の張皇后を結託し、専権を古い、上奏すべき意見や要望さえも取り次ぐこともしないで皇帝に不自由な生活を強いていたのだ。

「鄴城」行政地名、鄴城。(下図H5

「關中小兒」 李輔国(李輔國、り ほこく、704 - 762年)は唐代粛宗の時代に専権をふるった宦官。本名は静忠、後に護国と賜名され、更に輔国と改名している。 元来は宦官である高力士の僕役として宮廷に入り、40歳以降になり閒を掌握、後に太子李亨に入侍した。宦官、五坊小兒が横暴な振る舞いをしていること。〔李輔國,閑馬家小兒。〕

「紀綱」刑責法規、法規、法。

「張后」張皇后(唐)。皇后張氏(?~762)

  唐の肅宗(李亨)の張皇后。鄧州向城の人。李亨が忠王のとき、宮に入り、良娣となった。安禄山が叛乱を起こすと、太子李亨に霊武にうつるよう勧めた。肅宗が立つと、寵愛を受けて淑妃となった。乾元元年(758)、皇后に立てられた。宦官の李輔国と結んで専権をふるった。建寧王李倓をひそかに殺し、太上皇(玄宗)を幽閉し、太子李豫の廃立をはかるなど、粛宗にも掣肘できなかった。のちに李輔国と権を争った。粛宗が危篤におちいると、越王李系を立てようとはかったため、李輔国と程元振が兵を率いて宮殿に入り、このとき殺された。

「不樂」粛宗が宦官と張皇后によって不自由な生活を強いられていた。

「忙」忙しいと天子に上奏を一切しなかった。。

洛陽・鄴州00 

 

至今 今上 猶撥亂 ,勞身 焦思 補 四方 。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

「今」語義類別:時、時間、範圍時間(今昔)、今。

「今上」代宗のこと謂う。稱謂、皇室稱謂、皇帝。

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

杜甫《丹青引,贈曹將軍霸》  人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。


2014年1月17日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(10)#5(永平の治)-1 文選 賦<113―8>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1012 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3608
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《初南食貽元十八協律 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <925>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3609韓愈詩-238-3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 257 《秋懐詩十一首之七(7)》韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3611 (01/17)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -3 浣渓沙 三首 其三 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-413-11-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3612
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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746廣徳2764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/15007465

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

将軍の弟子の韓幹は、早くから師の奥儀を極め、彼もまた馬の画が上手で、すぐれた貌を十分に描いたが、惜しいことではあるが、彼はただ馬の肉を描いて骨を描いてはいないのである。従っていかなる駿馬を描いても、気骨というものが現われず、みすみすその意気が凋んでしまう。これにくらべて将軍の絵は実にりっばだが、それは思うにその絵に魂がこもっているからだ。だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。ところが今はこの戦乱の時世にあい、漂泊の身の上となって、糊口のために、しばしばつまらぬ行きずりの人を写している。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

このように人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【ひ】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』 

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

玄武門 

 

『丹青引』#5 現代語訳と訳註

(本文)

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(下し文)

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

 

(現代語訳)

将軍の弟子の韓幹は、早くから師の奥儀を極め、彼もまた馬の画が上手で、すぐれた貌を十分に描いたが、惜しいことではあるが、彼はただ馬の肉を描いて骨を描いてはいないのである。従っていかなる駿馬を描いても、気骨というものが現われず、みすみすその意気が凋んでしまう。これにくらべて将軍の絵は実にりっばだが、それは思うにその絵に魂がこもっているからだ。だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。

だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。ところが今はこの戦乱の時世にあい、漂泊の身の上となって、糊口のために、しばしばつまらぬ行きずりの人を写している。

このように人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。

だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。

 

 

(訳注)

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

将軍の弟子の韓幹は、早くから師の奥儀を極め、彼もまた馬の画が上手で、すぐれた貌を十分に描いたが、惜しいことではあるが、彼はただ馬の肉を描いて骨を描いてはいないのである。従っていかなる駿馬を描いても、気骨というものが現われず、みすみすその意気が凋んでしまう。これにくらべて将軍の絵は実にりっばだが、それは思うにその絵に魂がこもっているからだ。だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。

画善 えがうまい。

有神 不思議な妙処。

佳士 よい人物。立派な人物。

写真 その真相をうつす。

 

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。ところが今はこの戦乱の時世にあい、漂泊の身の上となって、糊口のために、しばしばつまらぬ行きずりの人を写している。

即今 いま。

貌 えがく。

常行路人 ゆきずりのただのひとたち。

 

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

このように人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。

途窮・眼自 ともに院籍の故事、すでにしばしば見える。

遭俗眼白 『晋書・巻四十九・阮籍伝』「籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。」(籍、又能く青白眼を為し、禮俗の士に見ゆるに、白眼を以て之に對す。)阮籍は、黒目と白目を使い分ける事ができ、礼儀作法にとらわれている俗人と会う時には、白目をむいて向かい合った。

 

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。

盛名 さかんな名声。

下 名声の下にあるもの、名声を荷なうものの意。

坎壈 車の行くことの平らかでないさま、人の不遇、逆境にあるをま、以上は曹覇が妙技を抱いて不遇なのに同情する。こころざしをえずふぐうなさま。
駿馬02 

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杜甫《丹青引》#4  至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。


2014年1月16日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 256 《秋懐詩十一首之六(6)》韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ3606 (01/16)
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『花間集』継続中 
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746廣徳2764年―3-4 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <655>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3605 杜甫詩1000-655-915/15007464

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【ひ】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』 

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

DCF00048 

 

『丹 青 引』 現代語訳と訳註

(本文) #4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

 

(下し文)

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

 

 

(現代語訳)

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

 

珠櫻001 

(訳注) #4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

玉花 玉玉花驄をいう。

御榻 おんこしかけ、長く狭くしてひくいものである。

榻上 画馬をいう。

庭前 実物の御馬。

屹 聾え立つさま。

相向 相い対することをいう。

 

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

至尊にはにっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

至尊 天子、玄宗のこと。

圉人【ぎょじん】 馬を養い牧場をつかさどる役人。

太僕 天子の輿や馬を掌る官。

惆悵 うらみいたむこと、ここはあまりに画のよくできたことを驚歎するさまに用いている。

 

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

弟子韓幹 幹は大梁の人、官は大府寺丞に至った、善く人物をえがき、甚だ鞍馬に巧みであった、初め曹覇を師としたが、のち独り自ずからほしいままにした。王維は幹を見て推奨した。玄宗は大馬を好み、西域大宛より年年来たり献ずるものがあれば幹に命じてことごとくえがかせた、玄宗の駿馬には玉花驄・照夜白などがあり、時に岐・薛・申・寧諸王の厩中にもみな善馬があったが、幹はこれらの馬をえがいて遂に古今独歩となった。杜甫にはまた幹の画馬の讃がある。

入室 「論語」(先進)に、「由や堂に升れり、未だ室に人らざるなり」とみえる、堂はおもて座敷、講堂、室はもひとつその奥のへやである、入室は技能の奥まで入りこんだことをいう。

殊相 特絶のすがた。

 

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

画肉 肥大に失することをいう。

画骨 内部の骨ぐみをかく。

忍 反語によむ。

驊騮【かりゅう】 周の穆王八駿の一つ、ここは単に駿馬をいう。

気凋喪 意気のしぼみうせること。以上は曹馬の妙をいい陪客として韓馬を説く。

746廣徳2年764年―3-3 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/1500746-3

杜甫《丹青引》  先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

 

 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【ひ】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

 

大明宮-座標02 

 

『丹青引』 現代語訳と訳註

(本文)#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

 

(下し文)

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』 

 

(現代語訳)

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

 

 

(訳注)#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

先帝 玄宗。

御馬 御の字は一に天に作る、御馬・天馬ともに天子の御乗馬をいう。

花驄 玄宗が乗る所の馬に玉花驄・照夜目があったことが「明皇雜録」にみえる。

画工如山 山の如し、とは多いことをいう。

貌 かたちをえがくこと。

不同 画く所が兵馬と異なることをいう。

 

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし、丹砂をしいた階下のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

是日 官需が筆を揮った当日。

牽来 玉花組をたづなでひいてくる。

赤墀 丹砂をしいた階下の土縁。

過立 まだ遠くに立つ。

闇聞 天の紫微官の門をいう、ここは宮門をさす。

生長風 遠くから風が吹きおこる、馬の威風あることをいう。

 

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

払絹素 絹素はしろいえぎぬ、払とは塵境をはらってのぺ画く用意をすること。

意匠 陸機の「文賦」に「憲契りを司りて匠を為す」とみえる、匠は木工である、意を巧みに運用するものが意匠であり、意匠は工夫(くふう)というがごとくである。

惨澹 苦心するさま。

経営 「詩経」(霊台)にみえる、孔穎達は「縄もて度り表(ひどけい)を立つること」とといている、建築をするときのことばである、ここは画図を構造する意に用いている、画の六法の一つに「位置を経営す」ということがあり、構図のことをさす。

 

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

須臾 しばしのまに。

九重 君門九重ということが「楚辞」にみえる、最も速い外方より内方へかぞえて関門・遠郊門・近郊門・城門・皐門・雉門・応門・庫門・路門の九種があるが、九重は九重の門の奥にある宮中をいう。

真竜 いま画きだされて真に迫る御馬をいう。

万古凡馬 古来えがかれたつまらぬ馬。以上は曹覇が詔をうけて始めて真の御馬を写しいだしたことをのべる。
長安城皇城図
長安城図 座標






























 






 

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

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丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

oushokun01 

 

『丹青引』 現代語訳と訳註

(本文) #2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

 

(下し文) #2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

 

(現代語訳)

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

帽子03 

 (訳注) #2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

○開元 盛唐の玄宗の年号(713741)。「開元の治」といわれ唐時代最高の時期といわれる。杜甫は712年生まれ。

○常 つねに、一に嘗に作る。常は嘗と通ずる字であるがここでは常の本義による。

○引見 みちびかれてお目みえする。

○承恩 天子の御恩寵をうける。

○南薫殿 唐の長安の南内である興慶宮内の正殿を興慶殿という、殿前に瀛州門があり、門内に南薫殿があり、殿の北には竜池がある。

 

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

○凌煙功臣 凌煙は閣の名、唐の太宗の貞観十七年二月、長孫無忌ら勲臣二十四人を凌煙閣に図画した。「五代会要」によると凌煙閣は西内の三清殿の側にあり、閣内にはしきりがあり、しきりの内には北に面して功の高い宰輔を写し、南に面して功の高い侯王を写し、しきりの外には次第に図画にされた功臣の題賛を書した。

○少顔色 丹青が剥落して旧跡の消えうせようとすることをいう。

○開生面 生きたような面色があらわれでる。

 

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

○良相 賢良な宰相、房玄齢・杜如晦の類い。

○進賢冠 緇布(くろぬの)でつくった冠。

○猛将 尉遅敬徳・段志玄の輩。

○大羽箭 四羽(よつぱ)の太笴(ふとみき)の長箭。

 

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

○褒公 褒国大将軍・揚州都督・褒国息壮公段志玄。

○鄂公 開府儀同三司・郡国公尉遅敬徳。

○毛筆動 画容の生動しているさま。

○英姿 ひいでたすがた。

○颯爽 威風あたりをはらうさま。

○来酣戦 戦いの酣な処からここへ来ているよう。以上は功臣の人物を写すのに巧みなことをのべる。
長安城皇城図 

746廣徳2年764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 746-1

杜甫《丹青引》曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。


2014年1月13日  の紀頌之5つのブログ
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746廣徳2764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 7461

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

美女004
 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数しばしば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【】き来たる赤墀せきちの下、迥かに閶闔しょうこうに立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素けんそを払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中うち】。

須臾しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻ぎょとうの上に在り、榻上 庭前屹きつとして相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人ぎょじん太僕たいぼく皆惆悵ちゅうちょうす。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡しばしばくす尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈かんらん其の身を纏うを。』

楊貴妃清華池002 

 

丹青引』 現代語訳と訳註

(本文)

丹青引,贈曹將軍霸

〔原注〕 贈曹将軍覇(曹将軍薪に贈る)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

 

 

(下し文)

(丹青の引、曹将軍薪に贈る)

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

 

(現代語訳)

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

 

(訳注)

丹青引

〔原注〕 贈曹将軍覇

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

丹青引 丹青は画をいうが基本の色である丹の赤と青とでかかれたことからくる、引は歌の一種である。

曹将軍覇 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である、髦は画を以て魏の代に称せられた、覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

この一代の名人も、安史の乱後は、おちぶれて蜀の地に流れて来ていた。作者はこの人の不遇に同情し、あわせて自身の感慨を托したのである。

杏の白花012 

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

将軍 曹覇をさす。左武衛将軍曹覇(そうは)は、三国志に登場する曹操の曾孫で、文学を好みことに絵画に才能を発揮した。唐の時代、度々宮中に呼ばれ、建国の功臣たちの肖像画が歳月と共に色あせてきたのでその修復を命じられた。曹覇がひとたび筆を下ろすと、たちまち生き生きとした相貌をあらわした。勇将たちは毛髪も動き出すかと思われ、その颯爽とした英姿は、たった今、戦場から出てきたかのように思われた。また名馬を描いては真の名馬が再現され、古来描かれてきた平凡な馬を完全に一洗した。それはその絵に魂がこもっているからだ。また立派な人物に出逢ったら、きっとその真の姿を写しだすだろう。(落詩選杜甫、目加田誠訳)“必逢佳士亦写真”これが文献に出て来た最初の「写真」で、今から1250年前なのだ。

魏武 魏の武帝曹操をいう、操の後商が髦となり、髦の後商が覇となったのである。

於今為庶 「左伝」(昭公三十二年)に、晋の史墨が璃簡子に答えたことばに、「三后の姓、今に於て庶たるは、主の知る所なり」とみえる。三后は虞・夏・商の君である、昔三王の姓であったものも其の子孫となれば耗簡子の時代には庶人となったというのである、庶人は普通の人民をいう。玄宗の末年に覇が罪を得て籍を削られ庶人とされたことを引いているが、それまでを引くのはどうであろうか。作者の意は曹覇は昔ならば国姓の家すじにあたるはずの人であるが、唐の今では同姓は「李」であるので、ただの人民であるというにとどまるであろう。

清門 上品の家がら。

 

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

英雄割拠 魏の曹操は蜀の劉備、呉の孫権と天下を三分して相い争ったことをさしていう。

文彩風流  曹操は武人でありながら、詩賦をよくし、風流の心がけがあった。その子曹丕・曹値もみな一流の詩人であった。

 

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

学書 書は文字の書法。

衛夫人 晋の衛鑠、字は茂猗、廷尉展の妹で恒のめいにあたり、汝陰の太守李矩に嫁した、隷書にはなはだすぐれ魂の鍾繇を手本とした、王右軍は若いとき嘗て彼女を師としたことがある、永和五年(西紀349年)に卒した。

王右軍 晋の右軍将軍・会稽内史王義之をいう。義之、字は逸少、家より起こって秘書郎となり、のち右軍将軍に至った。古今の書聖として知られる。義之の父は王曠といい王導の従弟である、曠は衛氏と親戚の関係によって衛鑠より蔡邕の書法を得て、これを子の義之に授けた。

 

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。

《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」

《論語注疏述而》「不義而富且貴,於我如浮雲。」
miyajima0033221107930 

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743

杜甫《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』
宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。
今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

 

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

これについてわたしは憶う、昔先帝(玄宗)が新豊の離宮へ御巡幸あそばされたとき、翠華の御旗を天になびかせて東へとおでかけになった。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

 楊貴妃清華池002

 

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文) #4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(下し文) #4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

 

 (現代語訳)

これについてわたしは憶う、昔先帝(玄宗)が新豊の離宮へ御巡幸あそばされたとき、翠華の御旗を天になびかせて東へとおでかけになった。

あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。

それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。

それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。』

駿馬02 

(訳注) #4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

これについてわたしは憶う、昔先帝(玄宗)が新豊の離宮へ御巡幸あそばされたとき、翠華の御旗を天になびかせて東へとおでかけになった。

昔 開元の頃をさす。

巡幸 天子がおでましになる。

新豐宮 新豊は県の名、長安の東にある、のちには会昌県、昭応県などを分けたがはじめは新豊である、その東南にあたり驪山の温泉宮(後には華清宮と名づける)があり、新豊の宮とは温泉宮をさす。

翠華 天子の旗、翠羽を以て旗を飾るのによって名づける。司馬相如『上林賦』「建翠華之旗,樹靈鼉之鼓。」とみえる。打ち鳴らし、劣翠の旗を建て、わに皮の鼓を設ける。

払天 高くなびかすことをいう。

東 長安よりいえば新豊は東にあたる。

 

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。

騰驤 騰は超えること、驤は馳せること。

磊落 衆多なさま。

三万匹 検校内外閑厩・兼知監牧使・霍国公王毛仲が開元十三年に玄宗の泰山の封に従ったときには、牧馬数万匹を取り、毛色により一色ごとに一隊となし、相いまじわること錦繍のごとくであったというから、新豊の巡幸にもおびただしい馬隊の随従があったと思われる。

此図 九馬の図をさす。

 

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。

自從 二字で「より」の意。

献宝朝河宗「穆天子伝」に「天子西に征き、陽紵の山に至る、河伯馮夷の都居する所なり、是れ惟れ河宗氏。天子 乃ち珪璧を沈めて焉に礼す。河伯乃ち天子と図を披(ひら)き典を視、以て天子の宝器なる玉果・璇珠・燭銀・金膏等の物を観る。」とみえる。献宝とは河伯が玉果以下のたからものを天子に献上したことをいう。朝河宗とは河宗(河伯)が天子に朝したことをいう。周の穆王の西征の事を借りて玄宗の蜀に幸したことに比する。

射蛟江水中 漢の武帝は元封五年に蒋陽より長江に浮かび親ら蛟(みずち)を江中に射てこれを獲た。玄宗も生存されたならば南に巡幸して武帝のごとくされたであろうが、崩御されたのでそのことはなかった。故に上に「無復」という。

 

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。』

金粟堆 山の名、奉先県の東北二十里にある、玄宗の泰陵の在る所である、玄宗が嘗て睿宗の橋陵(奉先県にある)に至り金粟山岡の竜盤虎鋸の勢いのあるのを見て、侍臣にむかっていうのに、吾、千秋万歳の後ここに葬られんと、崩ずるに及んで群臣は先旨にしたがって帝をここに葬った。広徳元年三月のことである。

松柏 御陵にうえてあるまつ、東に松、西に柏をうえる。。

龍媒 天馬をいう。『沙苑行』に「龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。」昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。

○竜媒、渥洼 「漢書」武帝紀によれば、武帝の元鼎四年(礼楽志には元狩三年)に馬が渥洼水中に生じたので天馬の歌を作った。又太初四年にも作る。渥洼は川の名、沙州(今の敦煌)の境にあり、竜媒は天馬をいう。「天馬歌」に「天馬徠タル、竜ノ媒」とみえる○昔 漢の元狩・元鼎の時代をさす。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。○

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

鳥呼風 風の吹くのに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。とはさびしい様子をいったものである。以上は玄宗の盛時をのべ其の崩後に及び感慨を以て結んだ。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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743廣徳2764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#3》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3570 杜甫詩1000-652-908/1500

 

 

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』
宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。
今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

 

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』


駿馬02
 
 

『韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文) #3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

 

(下し文)

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

 

(現代語訳)

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

 

玄武門 

(訳注) #3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

此 二馬をさす。

騎戦 騎って戦うことをいう。

一敵万 一人を以て万人に相当する。

縞素 白いきぬ、画絹のこと。

漠漠 ひろく散敷するさま。

開風沙 開とは眼前に展開しあらわれでること。「開生面」の開に同じ、風抄は沙漠の風抄をいう。

 

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

七匹 九馬の図において上に二馬を挙げたのでのこりは七匹である。

殊絶 特別に良い馬であることをいう。

 はるか、迢遠のさま。

寒空動煙雪 風沙の状をたとえる。寒天のおり、煙や雪のうごくがごとくである、それは馬が駆け砂塵をあげるためである。

 

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

霜蹄 霜を践むひづめ。

蹴踏 ける、ふむ。

長楸 「かや」の木の類、長とは遠くまで連なることをいう。

馬官 馬のかかりの役人。

廝養 兵卒で薪をさくものを廝、炊烹をなすものを養という。

森成列 森は木の多いさま、列は行列。以上は九馬図の本題に入って正写する。

 

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

○可憐 愛すべきことをいう。

争神駿 争は競う、神駿はふしぎにすぐれていること。

顧視 思うに二つのことをいい、顧は横をふりむくこと、視は前面を直視すること。馬が首をもちあげながら為す態度である。

清高 きよらかにたかい、眼つきがすんでうえの方をみる。

気 気象、意気。

深穩 おちついておだやか、馬の順良なさま。

 

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

借間 かりに質問する。

苦心 心をくるしませるほど。

愛 この馬の姿を愛することをいう。

支遁 晋の僧である、「世親」にいう、支道林(支遁)嘗て数匹の馬を養う、或るひと言う、道人馬を番うは韻(おもむき)あらずと、支が日く、貧道は其の神駿なるを重んずるのみ、と。以上は支遁を陪客として韋諷が馬を愛することをいう。
楊貴妃清華池002 

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#2》 蜀中転々 杜甫 <651>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3565 杜甫詩1000-651-907/1500743

杜甫《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#2》宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』


2014年1月8日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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743廣徳2764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#2》 蜀中転々 杜甫 <651>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3565 杜甫詩1000-651-907/1500743

 

 

743     廣徳2764-1

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

〔韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌〕

〔曹霸官左武衛將軍。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 龍池 (京畿道 京兆府 長安・新豐宮 (京畿道 京兆府 驪山・金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)     

交遊人物/地點: 韋諷 當地交遊(劍南道北部 益州成都) 曹霸 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』
宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。
今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

80022008 






玄武門









『韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文)#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

 

(下し文)#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

 

(現代語訳)

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

 

青城山06(訳注)

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。) #2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

碗賜 碗は#1の瑪瑙碗。

拝舞 将軍が賜を拝して舞うこと。

軽執細綺相迫飛 此の句も仇注は「杜臆」を引いて貴戚権門の画を求めるものをさすとし、倒插法(あとにいうべきことをさきにのべる法)としているが、これも其の説に従いがたい、倒插法も一句飛びこえようなことはありえないことである。此の「軽執」一句は、明らかに「碗賜将軍」の句を順当に受けているもので、将軍に対する従賜の物のことをのべたものとみるべきである。紈・綺はうすぎぬ、あやぎぬ、相追飛とは将軍が御殿を退出したあとから碗だけではまだ足らぬとして追いかけて至急に持たせておつかわしになることをいう。

 

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』

宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

貴戚 身分の貴い皇室の御親戚。

権門 権勢ある家。

筆跡 将軍の揮毫。

屏障 屏風、ついたて。障壁

生光輝 かがやきわたる。以上は将軍が御馬をかいて賞品を賜わったこととその画が権貴の家にも重んぜられることをのべる。

 

 

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。

拳毛駒 太宗の六駿の一つ、劉黒闥を平らげたとき乗った馬である、太宗の昭陵の北闕の六駿石刻第五に存している、駒は黄馬黒喙(くりげでくちもとのくろいこと)の馬をいう、拳毛はちぢれげ。拳毛騧(昭陵六駿)【和:けんもうか】隋・唐・五代|彫刻・書画|>拳毛騧(昭陵六駿)唐時代高172cm 幅204cm

近時 代宗の朝廷をさす。

郭家 郭子儀の家。

獅子花 馬の名、九花虯のことであるという、代宗が陝州より帰還されたとき御馬の九花虯・紫玉鞭・轡(たづな)を郭子儀に賜わったという。九花虯は額高九寸、拳毛、麟の如くであったという。

 

今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

今之新図 今日眼前に見る所の曹覇のこの図。

二馬 拳毛騧と獅子花。

復 従前画いた所のものにそえでまたという。

識者 眼識のあるもの。

歎嗟 感歎する。

長安城皇城図 

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廣徳2764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》 蜀中転々 杜甫 <650>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3560 杜甫詩1000-650-906/1500743

 

743     廣徳2764-1

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

〔韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌〕

〔曹霸官左武衛將軍。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 龍池 (京畿道 京兆府 長安・新豐宮 (京畿道 京兆府 驪山・金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)     

交遊人物/地點: 韋諷 當地交遊(劍南道北部 益州 成都) 曹霸 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

長安城郭015 

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文)

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

 

(下し文)

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

 

(現代語訳)

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

 

 

(訳注)

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

諷録事 録事参軍諷。前年に『東津送韋諷攝閬州錄事』があり、後に諷が閬州にゆくのを送る詩『送韋諷上閬州錄事參軍』がある。

650五言律詩 《東津送韋諷攝閬州錄事》 蜀中転々 杜甫 <555  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3000 杜甫詩1000-555-794/1500

○宅 閬州の韋諷の宅。

○曹将軍 曹将軍覇で唐の左武衛将軍曹覇をいう、曹覇は魏の曹操の後商である、毫は画を以て魏の代に称せられた、曹覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

○画馬図 これは九馬図をいう、後に宋に入り、この図は薛紹彰の家に伝わり、蘇東陂がその贅を作っている。

 

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

国初 唐の開国の初め。

巳来 以来。

江都王 名を緒といい、霍王元軌の子で太宗のおいである。才芸に富み書画を善くした、鞍馬に名を接にし、官は金州刺史に至った。

 

將軍得名三十載,人間又見真乘黃。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

将軍 曹覇。

得名 画名を世間から得る。

真乘黃 乘黃は神馬であり、この画に見える兵の駿馬の姿をさしていう。ただ「瑞応図」・「竹書紀年」・「山海経」などにみえる、又「穆天子伝」に「渠黄ノ乗」があり、この馬は一に飛黄ともいい、狐に似ていて背の上に両角があるという怪獣をいうばあいもある。詩意は江都王李緒を陪客として曹将軍の画馬に妙であることをのべるもの。

 

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

貌 えがく。

先帝 この詩では玄宗のこと。玄宗から粛宗、そして代宗になって二年目であるから、実際は先々帝になる。

照夜白 玄宗の愛乗の馬の名。

竜池 南薫殿の北にある池である。玄宗がまだ王であった時の故宅であったが、井戸があふれて池となり、深さ数丈、其の中より黄竜がおどり出ることがあった。玄宗は即位ののちここに興慶宮を建て池を竜池と呼んだ。南薫殿は唐の長安の南内である興慶宮内の正殿を興慶殿という、殿前に瀛州門があり、門内に南薫殿があり、殿の北には竜池がある。

 

十日 画の期間である。

飛霹靂 霹靂はいなずま、急疾の宵をいう、此の句は地中の竜が動きだしたことをいう、動きだしたことをいうのは将軍の画鳥が霊奇なのによってそれに感動したことをいうのである。

 

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

内府 御宝物の蔵。

殿紅殿とは赤黒色のこと。

馬腦碗 めのうの大皿。

婕妤 倢伃(せつよ、慣用として「しょうよ」とよむ)は中国前漢以降の後宮における皇帝の側室の称号である。、正三品官で九人ある。

才人 文芸・歌舞をもって後宮に仕えた女官。、正四品で七人ある。

索 内府に就いて碗盤を索め取ることをいう。画はすでにかき終ってここはそれに対する賞賜物をさがし出すことをのべる所である。
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《發閬中》前には毒蛇がいて道をふさぎ、うしろには猛虎の徐知道が成都で暴れている、朝から晩まで谷川に沿うてゆくが村の土手の様なものはみあたらない。嘉陵江に吹く風はさびしく吹いて雲は地面を払い、山の木はものがなしそうでいまにも雨が降り出しそうな空だ。

 

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作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 發閬中 

作地點:梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:閬中 (山南西道 閬州 閬中)     

掲 載;杜甫1000首の572首目-5場面

杜甫ブログ1500回予定の-826回目   40925   

閬中から出発して梓州へかえったときの詩。広徳元年十二月の作。

 

 

發閬中

(閬中縣を出発する)

前有毒蛇後猛虎,溪行盡日無村塢。

前には毒蛇がいて道をふさぎ、うしろには猛虎の徐知道が成都で暴れている、朝から晩まで谷川に沿うてゆくが村の土手の様なものはみあたらない。

江風蕭蕭雲拂地,山木慘慘天欲雨。

嘉陵江に吹く風はさびしく吹いて雲は地面を払い、山の木はものがなしそうでいまにも雨が降り出しそうな空だ。

女病妻憂歸意速,秋花錦石誰複數。

書面でむすめは病気でなり、妻は心配しているというもので自分のかえりたいこころはいそいでいるのだ。秋草の花だの錦紋の石などが渓のそばにあったとてそんな風流のものをだれがかぞえたてていられようぞ。

別家三月一得書,避地何時免愁苦。

梓州の家から別れて三ケ月目に一本の手紙がきたのだ。騒乱の土地をさけていて、いつ愁苦から免れることができようか。

 

(閬中より発す)

前には毒蛇有り後には猛虎ある、渓行 尽日 村塢【そんお】無し。

江風 蕭蕭として雲地を払う、山木 惨惨として天雨ふらんと欲す。

女病み 妻憂えて 帰意急なり、秋花 錦石 誰か能く数えん。

家に別れて 三月一書来たる、避地 何の時か 愁苦を免れん。

蜀中転々圖 

 

『發閬中』 現代語訳と訳註

(本文)

發閬中

前有毒蛇後猛虎,溪行盡日無村塢。

江風蕭蕭雲拂地,山木慘慘天欲雨。

女病妻憂歸意速,秋花錦石誰複數。

別家三月一得書,避地何時免愁苦。

 

 

(下し文)

(閬中より発す)

前には毒蛇有り後には猛虎ある、渓行 尽日 村塢【そんお】無し。

江風 蕭蕭として雲地を払う、山木 惨惨として天雨ふらんと欲す。

女病み 妻憂えて 帰意急なり、秋花 錦石 誰か能く数えん。

家に別れて 三月一書来たる、避地 何の時か 愁苦を免れん。

 

aki03

(現代語訳)

(閬中縣を出発する)

前には毒蛇がいて道をふさぎ、うしろには猛虎の徐知道が成都で暴れている、朝から晩まで谷川に沿うてゆくが村の土手の様なものはみあたらない。

嘉陵江に吹く風はさびしく吹いて雲は地面を払い、山の木はものがなしそうでいまにも雨が降り出しそうな空だ。

書面でむすめは病気でなり、妻は心配しているというもので自分のかえりたいこころはいそいでいるのだ。秋草の花だの錦紋の石などが渓のそばにあったとてそんな風流のものをだれがかぞえたてていられようぞ。

梓州の家から別れて三ケ月目に一本の手紙がきたのだ。騒乱の土地をさけていて、いつ愁苦から免れることができようか。

 

 

(訳注)

發閬中

(閬中縣を出発する)

○閬中 閬州の閬中県。

梓州において杜甫は、頻繁に周辺の各地に出かけている。その年の秋には綿州に行き、冬には射洪県、通川県に行き、翌年の春には涪城県に出向き、梓州に帰ってくると、すぐまた塩亭県に行く。その次には漢州に出かけて夏まで逗留。秋になると閬州へ行き、冬になって梓州に帰る、という調子である。おそらくこれは、各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていたものと思われる。したがってこの時期には送別の作や宴席に陪しての作が多い。

 

 

前有毒蛇後猛虎,溪行盡日無村塢。

前には毒蛇がいて道をふさぎ、うしろには猛虎の徐知道が成都で暴れている、朝から晩まで谷川に沿うてゆくが村の土手の様なものはみあたらない。

前毒蛇後猛虎 厳武の下にあった剣南兵馬使の徐知道が反乱を起こした。徐知道は兵を北に派遣して剣門の道を塞ぎ、西は卭州を攻め取り、中国西境を寇略していた羌族と手を結んだ。このために成都は大混乱に陥った。

○渓行 渓辺をあるく。

○村塢 はどて。

 

江風蕭蕭雲拂地,山木慘慘天欲雨。

嘉陵江に吹く風はさびしく吹いて雲は地面を払い、山の木はものがなしそうでいまにも雨が降り出しそうな空だ。

 嘉陵江。

 

女病妻憂歸意速,秋花錦石誰複數。

書面でむすめは病気でなり、妻は心配しているというもので自分のかえりたいこころはいそいでいるのだ。秋草の花だの錦紋の石などが渓のそばにあったとてそんな風流のものをだれがかぞえたてていられようぞ。

○女病妻憂 これは後にある書中の内容である、梓州においてむすめが病み、妻がしんばいしていることをいう。

歸意速 家へかえろうとの意で急ぐ。

○秋花 今は冬であるが秋から咲いている花をいう。

○錦石 うつくしい石。

 

別家三月一得書,避地何時免愁苦。

梓州の家から別れて三ケ月目に一本の手紙がきたのだ。騒乱の土地をさけていて、いつ愁苦から免れることができようか。

○別家 家は梓州の家。

〇三月 九月に閬州へきたのであるから、十二月で三か月になる。

○避地 騒乱の土地をさける。

 

七言古詩《發閬中》蜀中転々5P42 杜甫 <572>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3160 杜甫詩1000-572-826/1500

662 《桃竹杖引贈章留後》 蜀中転々 杜甫 <568-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3115 杜甫詩1000-568-#3-817/1500

《桃竹杖引贈章留後》 わたしをして、おまえのたすけをまったく得られず、洞庭湖のなかにある青峰君山のあたりでゆくえ不明にならせるようなことをしてほしくはないのだ。

 

2013年10月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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《桃竹杖引贈章留後》 蜀中転々 杜甫 <568-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3115 杜甫詩1000-568-#3-817/1500

 

 

作者: 杜甫  763  廣德元年52

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 桃竹杖引贈章留後〔竹兼可為簟,名桃笙〕 

及地點:  梓潼 (劍南道北部劍州 梓潼) ・白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

交遊人物:章彝 交友者の地點: (山南西道 閬州 閬州)

 

 

桃竹杖引,贈章留後

(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)

〔竹兼可為簟,名桃笙〕

〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

江心蟠石生桃竹,蒼波噴浸尺度足。

涪江の中心に堵屈していた石に桃竹がはえた。この広い河の波がふきつけ浸していたのだが長さは十分にある。

斬根削皮如紫玉,江妃水仙惜不得。

杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。

梓潼使君開一束,滿堂賓客皆歎息。』

の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。』

 

憐我老病贈兩莖,出入爪甲鏗有聲。

章君はわたしが老人で病気なのを気の毒におもってくれて二本も贈ってくれたが、これをつかって出入りすると、爪甲が当たると「かちん」と音がする。

老夫複欲東南征,乘濤鼓枻白帝城。

じぶんはこれからまた東南の地方へでかけたいとおもっている、舟楫をうごかし涛にのっていけば、あの劉備の最期をみとった白帝城をとおるだろう。

路幽必為鬼神奪,拔劍或與蛟龍爭。』

途中には静かでひっそりした路を経るときは鬼神にこの杖を奪われようとするかも知れない。或は、また剣をぬいて蛟竜と争うかも知れないというものだ。』

 

重為告曰:杖兮杖兮,

そこでかさねてこの杖にむかっていいきかせる。「杖よ、杖よ、」

爾之生也甚正直,慎勿見水踴躍學變化為龍、

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見てもおどりだして変化して竜となるようなまねをしている。」

使我不得爾之扶持,滅跡於君山湖上之青峰。

わたしをして、おまえのたすけをまったく得られず、洞庭湖のなかにある青峰君山のあたりでゆくえ不明にならせるようなことをしてほしくはないのだ。

噫,風塵澒洞兮豺虎咬人,忽失雙杖兮吾將曷從。

「ああ、それなのにいまは兵乱の塵がもやくやと湧き立ち、各地で財虎のごときものが人をかむ時節なのだ。」

「こんなとき、突然に、この二本の杖をなくしたら、自分はどこにいったらよいやらわからないことになるというものだ。』

 

(桃竹杖の引、章留後に贈る)

〔竹 兼ねて簟,桃笙を名すを為す可し〕

江心の蟠石 桃竹を生ず、蒼波 噴浸 尺度足る。

根を斬り皮を削れば紫玉の如し、江妃 水仙 惜しみ得ず。

梓潼の便君開くこと一束、満堂の賓客皆嘆息す。』

#2

我が老病なるを憐れみて両茎を贈る、出入するに爪甲 鏗として声有り。

老夫復た東南に征かんと欲す、濤に乗じ 枻を鼓す白帝城。

路幽にして必ず鬼神に奪わるるをなさん、剣を抜きて或は蚊竜と争わん。』

#3

重ねて為に告げて日く、「杖や杖や、爾の生や甚だ正直なり。

慎みて水を見て踴躍して変化して竜となるを学び、我をして爾の扶持を得ず。

跡を君山湖上の青峰に滅せしむること勿れ、

噫ああ、風塵 澒洞 豺虎 人を咬む、忽ち双杖を失わば吾将に曷にか従わんとする。』

doteiko012 

 

『桃竹杖引贈章留後』 現代語訳と訳註

(本文) #3

重為告曰:杖兮杖兮,爾之生也甚正直,

慎勿見水踴躍學變化為龍、使我不得爾之扶持,滅跡於君山湖上之青峰。

噫,風塵澒洞兮豺虎咬人,忽失雙杖兮吾將曷從。

 

 

(下し文) #3

重ねて為に告げて日く、「杖や杖や、爾の生や甚だ正直なり。

慎みて水を見て踴躍して変化して竜となるを学び、我をして爾の扶持を得ず。

跡を君山湖上の青峰に滅せしむること勿れ、

噫ああ、風塵 澒洞 豺虎 人を咬む、忽ち双杖を失わば吾将に曷にか従わんとする。』

 

 

(現代語訳)

そこでかさねてこの杖にむかっていいきかせる。「杖よ、杖よ、」

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見てもおどりだして変化して竜となるようなまねをしている。」

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見ても壷公の故事のように、踊りだして変化して竜となるようなまねをしている。」

わたしをして、おまえのたすけをまったく得られず、洞庭湖のなかにある青峰君山のあたりでゆくえ不明にならせるようなことをしてほしくはないのだ。

「ああ、それなのにいまは兵乱の塵がもやくやと湧き立ち、各地で財虎のごときものが人をかむ時節なのだ。」

「こんなとき、突然に、この二本の杖をなくしたら、自分はどこにいったらよいやらわからないことになるというものだ。』

 

 

(訳注)

篠竹0004重為告曰 :「杖兮!杖兮

そこでかさねてこの杖にむかっていいきかせる。「杖よ、杖よ、」

 

爾之 生也 甚正直 ,慎勿 見水 踴躍 學變 化為龍

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見ても壷公の故事のように、踊りだして変化して竜となるようなまねをしている。」

○爾 汝、杖をさす。

○学変化為竜 壷公という仙人が費長房をやり帰すとき一本の竹杖を与えて、これに騎るならば家にかえることができようといった。長房は杖にのったところ忽然として眠るがごとくにして家に到った。竹杖を葛肢(河南省にある沼沢)の中に投じてこれを見ると青竜であったとの話がある。

 

 

使我 不得 爾之 扶持 ,滅跡 於君 山湖 上之 青峰

わたしをして、おまえのたすけをまったく得られず、洞庭湖のなかにある青峰君山のあたりでゆくえ不明にならせるようなことをしてほしくはないのだ。

○扶持 たすけ。

○滅跡 ゆくえ不明になる。

○君山湖上之青峰 湖上之青峰と君山とは同じものである、君山は洞庭湖のなかにある山の名である、湖上の湖は洞庭湖である。

 

 

!風塵 澒洞 兮豺虎 咬人

「ああ、それなのにいまは兵乱の塵がもやくやと湧き立ち、各地で財虎のごときものが人をかむ時節なのだ。」

澒洞 もやくやとしたさま。

豺虎 盗賊をたとえていう。

 

 

忽失 雙杖 兮吾將 曷從?」

「こんなとき、突然に、この二本の杖をなくしたら、自分はどこにいったらよいやらわからないことになるというものだ。』

○双杖 二本のつえ、前には「両茎」とあった。

曷從 は何に同じ、どこへゆこうか
 

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《桃竹杖引贈章留後》自分はこれからまた東南の地方へでかけたいとおもっている、舟楫をうごかし涛にのっていけば、あの劉備の最期をみとった白帝城をとおるだろう。途中には静かでひっそりした路を経るときは鬼神にこの杖を奪われようとするかも知れない。或は、また剣をぬいて蛟竜と争うかも知れないというものだ。』

 

2013109

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作者: 杜甫  763  廣德元年52

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 桃竹杖引贈章留後〔竹兼可為簟,名桃笙〕 

及地點:  梓潼 (劍南道北部 劍州 梓潼) 白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

交遊人物:章彝 交友者の地點: (山南西道 閬州 閬州)

 

 

桃竹杖引,贈章留後

(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)

〔竹兼可為簟,名桃笙〕

〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

江心蟠石生桃竹,蒼波噴浸尺度足。

涪江の中心に堵屈していた石に桃竹がはえた。この広い河の波がふきつけ浸していたのだが長さは十分にある。

斬根削皮如紫玉,江妃水仙惜不得。

杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。

梓潼使君開一束,滿堂賓客皆歎息。』

の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。』

 

憐我老病贈兩莖,出入爪甲鏗有聲。

章君はわたしが老人で病気なのを気の毒におもってくれて二本も贈ってくれたが、これをつかって出入りすると、爪甲が当たると「かちん」と音がする。

老夫複欲東南征,乘濤鼓枻白帝城。

じぶんはこれからまた東南の地方へでかけたいとおもっている、舟楫をうごかし涛にのっていけば、あの劉備の最期をみとった白帝城をとおるだろう。

路幽必為鬼神奪,拔劍或與蛟龍爭。』

途中には静かでひっそりした路を経るときは鬼神にこの杖を奪われようとするかも知れない。或は、また剣をぬいて蛟竜と争うかも知れないというものだ。』

 

重為告曰:杖兮杖兮,爾之生也甚正直,

慎勿見水踴躍學變化為龍、使我不得爾之扶持,滅跡於君山湖上之青峰。

噫,風塵澒洞兮豺虎咬人,忽失雙杖兮吾將曷從。

 

(桃竹杖の引、章留後に贈る)

〔竹 兼ねて簟,桃笙を名すを為す可し〕

江心の蟠石 桃竹を生ず、蒼波 噴浸 尺度足る。

根を斬り皮を削れば紫玉の如し、江妃 水仙 惜しみ得ず。

梓潼の便君開くこと一束、満堂の賓客皆嘆息す。』

#2

我が老病なるを憐れみて両茎を贈る、出入するに爪甲 鏗として声有り。

老夫復た東南に征かんと欲す、濤に乗じ 枻を鼓す白帝城。

路幽にして必ず鬼神に奪わるるをなさん、剣を抜きて或は蚊竜と争わん。』

#3

重ねて為に告げて日く、「杖や杖や、爾の生や甚だ正直なり。

慎みて水を見て踴躍して変化して竜となるを学び、我をして爾の扶持を得ず。

跡を君山湖上の青峰に滅せしむること勿れ、

噫ああ、風塵 澒洞 豺虎 人を咬む、忽ち双杖を失わば吾将に曷にか従わんとする。』

komichi03 

 

『桃竹杖引,贈章留後』 現代語訳と訳註

(本文)

憐我老病贈兩莖,出入爪甲鏗有聲。

老夫複欲東南征,乘濤鼓枻白帝城。

路幽必為鬼神奪,拔劍或與蛟龍爭。』

 

 

(下し文)#2

我が老病なるを憐れみて両茎を贈る、出入するに爪甲 鏗として声有り。

老夫復た東南に征かんと欲す、濤に乗じ 枻を鼓す白帝城。

路幽にして必ず鬼神に奪わるるをなさん、剣を抜きて或は蚊竜と争わん。』

 

(現代語訳)

章君はわたしが老人で病気なのを気の毒におもってくれて二本も贈ってくれたが、これをつかって出入りすると、爪甲が当たると「かちん」と音がする。

じぶんはこれからまた東南の地方へでかけたいとおもっている、舟楫をうごかし涛にのっていけば、あの劉備の最期をみとった白帝城をとおるだろう。

途中には静かでひっそりした路を経るときは鬼神にこの杖を奪われようとするかも知れない。或は、また剣をぬいて蛟竜と争うかも知れないというものだ。』

 

 

(訳注)

憐我 老病 贈 兩莖 ,出入 爪甲 鏗 有聲 。

章君はわたしが老人で病気なのを気の毒におもってくれて二本も贈ってくれたが、これをつかって出入りすると、爪甲が当たると「かちん」と音がする。

〇両茎 ふたもと。

○出入 家よりではいりする。

○爪甲 つめ。

 「かちん」という音。

 

 

老夫 復欲 東南 征 ,乘濤 鼓枻 白帝城 。

じぶんはこれからまた東南の地方へでかけたいとおもっている、舟楫をうごかし涛にのっていけば、あの劉備の最期をみとった白帝城をとおるだろう。

○老人 おやじ、自ずからをさす。

○東南征 呉楚の方へゆく。

○鼓枻 かじをうごかす。

○白帝城 夔州府の城、梓州より涪江を下れば先ずここへでる。白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

 

 

路幽 必為 鬼神 奪 ,拔劍 或與蛟龍 爭 。

途中には静かでひっそりした路を経るときは鬼神にこの杖を奪われようとするかも知れない。或は、また剣をぬいて蛟竜と争うかも知れないというものだ。』

○為鬼神奪  奪の上に、「所」の字をいれてみる。
孟浩然詩00 

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《桃竹杖引贈章留後》杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。梓の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。


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作者: 杜甫  763  廣德元年52

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 桃竹杖引贈章留後〔竹兼可為簟,名桃笙〕 

及地點:  梓潼 (劍南道北部 劍州 梓潼) ・白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

交遊人物:章彝 交友者の地點: (山南西道 閬州 閬州)

 

 

桃竹杖引,贈章留後

(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)

〔竹兼可為簟,名桃笙〕

〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

江心蟠石生桃竹,蒼波噴浸尺度足。

涪江の中心に堵屈していた石に桃竹がはえた。この広い河の波がふきつけ浸していたのだが長さは十分にある。
斬根削皮如紫玉,江妃水仙惜不得。

杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。

梓潼使君開一束,滿堂賓客皆歎息。』

の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。』

 

憐我老病贈兩莖,出入爪甲鏗有聲。

老夫複欲東南征,乘濤鼓枻白帝城。

路幽必為鬼神奪,拔劍或與蛟龍爭。』

 

重為告曰:杖兮杖兮,爾之生也甚正直,

慎勿見水踴躍學變化為龍、使我不得爾之扶持,滅跡於君山湖上之青峰。

噫,風塵澒洞兮豺虎咬人,忽失雙杖兮吾將曷從。

 

(桃竹杖の引、章留後に贈る)

〔竹 兼ねて簟,桃笙を名すを為す可し〕
江心の蟠石 桃竹を生ず、蒼波 噴浸 尺度足る。

根を斬り皮を削れば紫玉の如し、江妃 水仙 惜しみ得ず。

梓潼の便君開くこと一束、満堂の賓客皆嘆息す。』

#2

我が老病なるを憐れみて両茎を贈る、出入するに爪甲 鏗として声有り。

老夫復た東南に征かんと欲す、濤に乗じ 枻を鼓す白帝城。

路幽にして必ず鬼神に奪わるるをなさん、剣を抜きて或は蚊竜と争わん。』

#3

重ねて為に告げて日く、「杖や杖や、爾の生や甚だ正直なり。

慎みて水を見て踴躍して変化して竜となるを学び、我をして爾の扶持を得ず。

跡を君山湖上の青峰に滅せしむること勿れ、

噫ああ、風塵 澒洞 豺虎 人を咬む、忽ち双杖を失わば吾将に曷にか従わんとする。』

篠竹000 

 

『桃竹杖引贈章留後』 現代語訳と訳註

(本文)

桃竹杖引,贈章留後〔竹兼可為簟,名桃笙〕

江心蟠石生桃竹,蒼波噴浸尺度足。

斬根削皮如紫玉,江妃水仙惜不得。

梓潼使君開一束,滿堂賓客皆歎息。』

 

 

(下し文)

(桃竹杖の引、章留後に贈る)
〔竹 兼ねて簟,桃笙を名すを為す可し〕

江心の蟠石 桃竹を生ず、蒼波 噴浸 尺度足る。

根を斬り皮を削れば紫玉の如し、江妃 水仙 惜しみ得ず。

梓潼の便君開くこと一束、満堂の賓客皆嘆息す。』

 

 

(現代語訳)

(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)

〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

涪江の中心に堵屈していた石に桃竹がはえた。この広い河の波がふきつけ浸していたのだが長さは十分にある。

杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。

の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。』

 

 

(訳注)

桃竹杖引贈章留後

(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)

○桃竹杖  しゅろ竹のつえ。広徳元年冬の作。

〔竹兼可為簟,名桃笙〕

〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

/竹席【たかむしろ】. 細く割った竹をむしろのように編んだ夏季用の敷物。

 

江心 蟠石 桃竹 ,蒼波 噴浸 尺度 足。

涪江の中心に堵屈していた石に桃竹がはえた。この広い河の波がふきつけ浸していたのだが長さは十分にある。

○江心 涪江の中心。

蟠石 堵屈した石。蟠:1 輪状に曲がって巻いている。とぐろを巻く。「―・っている蛇」 2 入り組んで複雑に絡み合っている。「老松の根が―・っている」 3 心に不平・不満・不安などがあって晴れ晴れしない。

○噴浸 ふきつけ、ひたす。

○尺度 足 杖とするだけの長さが十分にそなわる。

 

 

斬根 削皮 如紫玉 ,江妃 水仙 不得

杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。

○紫玉 枝の色。

○江妃 漢江のめがみ。

○水仙 鴻夷という仙人。

〇倍不得 「不レ得レ惜」とおなじ、惜しんでもってゆかせまいとしてもだめだ。

 

 

梓潼 使君 一束 ,滿堂 賓客 皆歎息

の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。』

○梓潼 使君 梓州は唐のとき、梓潼郡といった、使君は刺史、章をさす。

○開一束 ひとたばの杖をあける。

息 みごとなことをなげく。
孟浩然詩00 

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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー 
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孟浩然の詩 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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女性詩人 
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李商隠詩 
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656 七言古詩 《春日戲題惱郝使君兄》 蜀中転々 杜甫 <561-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3040 杜甫詩1000-561-#2-802/1500

 

 

作時:762 寶應元年 杜甫51

掲 載; 杜甫1000首の561-#2首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-802回目   40901

 

 

杜甫

春日戲題惱郝使君兄 #1

(春の日に天子の使いできている惱郝兄君に戯れに題してみた。)

使君意氣淩青霄,憶昨歡常見招。

天子の使いの君はその意気込みはこの大空をもしのぐものである。それで最近の出来事、楽しく歓談したこと、通常の付き合いの中でのことを思い出す。

細馬時鳴金騕褭佳人屢出董嬌饒。

小さくまだ細い馬が鳴いていたものが、輝かしい名馬の「騕褭」になった。美人はというとしばしば出てくるのは「董嬌饒」という美人の名前だ。

東流江水西飛燕,可惜春光不相見。

川の流れはというと逗留するもので、長江の水もそうである。西に向かうのは燕が飛ぶときであろう。春の風光はというと行く春を惜しむものであり、互いに見ることはない。

#2

願攜王趙兩紅顏,再騁肌膚如素練。

女を携えるとすれば、王昭君、趙飛燕という二つの紅顏というのがよいもので、それに単刀直入に肌がきめが細やかで色白であることである。

通泉百里近梓州,請公一來開我愁。

通泉という町は梓州から百里ほど南に行った近い所にある。きみは朝廷に呼ばれて此処を立つという人旅立てば、我憂いは前回になるだろう。

舞處重看花滿面,尊前還有錦纏頭。

この宴席の舞う場所では重ねて花が満面に咲くのを見る。そんなことをしていて帰ってみると柳絮が飛び交うような白髪頭になってしまっていることに気が付いた。

 

(唐・杜甫)

春日戲題惱郝使君兄 #1

使君 意氣 青霄を凌ぐ,昨を憶い歡ぶ常に招を見る。

細馬 鳴く時 金,佳人 屢ば董の驕饒を出ず。

東流 江水 西に燕飛び,惜む可し春光 相い見ず。

#2

願わくば王趙を攜え 兩紅顏,再騁 肌膚 素練の如し。

通泉 百里 梓州近し,請公 一び來る 我愁を開く。

舞う處 重ねて花滿面に看て,尊前 還って錦纏の頭を有る。

 

 

『春日戲題惱郝使君兄』 現代語訳と訳註

(本文) #2

願攜王趙兩紅顏,再騁肌膚如素練。

通泉百里近梓州,請公一來開我愁。

舞處重看花滿面,尊前還有錦纏頭。

 

 

(下し文) #2

願わくば王趙を攜え 兩紅顏,再騁 肌膚 素練の如し。

通泉 百里 梓州近し,請公 一び來る 我愁を開く。

舞う處 重ねて花滿面に看て,尊前 還って錦纏の頭を有る。

 

 

(現代語訳)

女を携えるとすれば、王昭君、趙飛燕という二つの紅顏というのがよいもので、それに単刀直入に肌がきめが細やかで色白であることである。

通泉という町は梓州から百里ほど南に行った近い所にある。きみは朝廷に呼ばれて此処を立つという人旅立てば、我憂いは前回になるだろう。

この宴席の舞う場所では重ねて花が満面に咲くのを見る。そんなことをしていて帰ってみると柳絮が飛び交うような白髪頭になってしまっていることに気が付いた。

海棠花021

 

(訳注) #2

願攜王趙兩紅顏,再騁肌膚如素練。

女を携えるとすれば、王昭君、趙飛燕という二つの紅顏というのがよいもので、それに単刀直入に肌がきめが細やかで色白であることである。

・王趙 王昭君、趙飛燕

・騁 曲がったものを、真っ直ぐ抜き出す。

 

通泉百里近梓州,請公一來開我愁。

通泉という町は梓州から百里ほど南に行った近い所にある。きみは朝廷に呼ばれて此処を立つという人旅立てば、我憂いは前回になるだろう。

・請公 僧侶が、朝廷から法会(ほうえ)や講義に召されること。また、その僧。

 

舞處重看花滿面,尊前還有錦纏頭。

この宴席の舞う場所では重ねて花が満面に咲くのを見る。そんなことをしていて帰ってみると柳絮が飛び交うような白髪頭になってしまっていることに気が付いた。
成都遂州00 

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《春日戲題惱郝使君兄》天子の使いの君はその意気込みはこの大空をもしのぐものである。それで最近の出来事、楽しく歓談したこと、通常の付き合いの中でのことを思い出す。小さくまだ細い馬が鳴いていたものが、輝かしいめいばの「騕褭」になった。美人はというとしばしば出てくるのは「董嬌饒」という美人の名前だ。

 

2013年9月24日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html
 Ⅰ李商隠150首

 

656 七言古詩 《春日戲題惱郝使君兄》 蜀中転々 杜甫 <561  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3035 杜甫詩1000-561-801/1500 

 

 

作時:763 廣德元年 杜甫51

掲 載; 杜甫1000首の561首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-801回目   40900

 

 

杜甫

春日戲題惱郝使君兄 #1

(春の日に天子の使いできている惱郝兄君に戯れに題してみた。)

使君意氣淩青霄,憶昨歡常見招。

天子の使いの君はその意気込みはこの大空をもしのぐものである。それで最近の出来事、楽しく歓談したこと、通常の付き合いの中でのことを思い出す。

細馬時鳴金騕褭佳人屢出董嬌饒。

小さくまだ細い馬が鳴いていたものが、輝かしい名馬の「騕褭」になった。美人はというとしばしば出てくるのは「董嬌饒」という美人の名前だ。

東流江水西飛燕,可惜春光不相見。

川の流れはというと逗留するもので、長江の水もそうである。西に向かうのは燕が飛ぶときであろう。春の風光はというと行く春を惜しむものであり、互いに見ることはない。

#2

願攜王趙兩紅顏,再騁肌膚如素練。

通泉百里近梓州,請公一來開我愁。

舞處重看花滿面,尊前還有錦纏頭。

 

(唐・杜甫)

春日戲題惱郝使君兄 #1

使君 意氣 青霄を凌ぐ,昨を憶い歡ぶ常に招を見る。

細馬 鳴く時 金,佳人 屢ば董の驕饒を出ず。

東流 江水 西に燕飛び,惜む可し春光 相い見ず。

#2

願わくば王趙を攜え 兩紅顏,再騁 肌膚 素練の如し。

通泉 百里 梓州近し,請公 一び來る 我愁を開く。

舞う處 重ねて花滿面に看て,尊前 還って錦纏の頭を有る。

 

成都遂州00 

 

『春日戲題惱郝使君兄』 現代語訳と訳註

(本文) #1

春日戲題惱郝使君兄 

使君意氣淩青霄,憶昨歡常見招。

細馬時鳴金騕褭佳人屢出董嬌饒。

東流江水西飛燕,可惜春光不相見。

 

 

(下し文) 春日戲題惱郝使君兄 #1

使君 意氣 青霄を凌ぐ,昨を憶い歡ぶ常に招を見る。

細馬 鳴く時 金,佳人 屢ば董の驕饒を出ず。

東流 江水 西に燕飛び,惜む可し春光 相い見ず。

 

 

(現代語訳)

(春の日に天子の使いできている惱郝兄君に戯れに題してみた。)

天子の使いの君はその意気込みはこの大空をもしのぐものである。それで最近の出来事、楽しく歓談したこと、通常の付き合いの中でのことを思い出す。

小さくまだ細い馬が鳴いていたものが、輝かしい名馬の「騕褭」になった。美人はというとしばしば出てくるのは「董嬌饒」という美人の名前だ。

川の流れはというと逗留するもので、長江の水もそうである。西に向かうのは燕が飛ぶときであろう。春の風光はというと行く春を惜しむものであり、互いに見ることはない。

 

 

(訳注)

春日戲題惱郝使君兄

(春の日に天子の使いできている惱郝兄君に戯れに題してみた。)

 

使君意氣淩青霄,憶昨歡常見招。

天子の使いの君はその意気込みはこの大空をもしのぐものである。それで最近の出来事、楽しく歓談したこと、通常の付き合いの中でのことを思い出す。

 

細馬時鳴金騕褭佳人屢出董嬌饒。

小さくまだ細い馬が鳴いていたものが、輝かしいめいばの「騕褭」になった。美人はというとしばしば出てくるのは「董嬌饒」という美人の名前だ。

・董嬌饒 美人名。指美人。後漢の宋子侯の「董嬌饒」詩(『玉臺新詠』巻1

騕褭 か細くて弱々しい。古代の良馬の名。淮南子.齊俗:「夫待騕褭、飛兔而駕之,則世莫乘車。」

 

東流江水西飛燕,可惜春光不相見。

川の流れはというと東流するもので、長江の水もそうである。西に向かうのは燕が飛ぶときであろう。春の風光はというと行く春を惜しむものであり、互いに見ることはない。

・東流 中國の大江は東流するというのが常識である。
四川省西部地区略図 

陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【東山在潼川涪江上。】 蜀中転々 杜甫 <496ー#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2670 杜甫詩1000-496ー#2-728/1500

杜甫 《陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江》 笛の音が聞こえてくる、その音色には憤怒の気持ちが込められて、悲しい中どこかへ消えていく。そして妖艶な踊りに変わり、くねくねと踊る姿は世々しまい、休むことはないのだ。燈火、かがり火が焚かれたその前には大きな魚が行ったり来たりして出て來る。曲の調べを低く次にはたかく抑揚があり、求められるままに応じて演じられる。



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陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【東山在潼川涪江上。】  蜀中転々 杜甫 <496ー#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2670 杜甫詩1000-496ー#2-728/1500 



詩 題: 作時:762年 寶應元年 杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の496ー#2首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-728回目



陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江
(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)
姚公美政誰與儔,不減昔時陳太丘。
姚公は公平無私で寛容な政治を行うということで誰がその類になるのだろうか、昔のころでいえば「陳太丘」(陳寔)を置いてほかにはいないだろう。
邑中上客有柱史,多暇日陪驄馬遊。
梓州の城郭の街中のこれといった上客とされるのは「柱史」とされる王御史であろう。ゆっくりとした暇が多い時でも日がな一日、後漢の桓典侍御史のように驄馬につきっきりでいるのだ。
東山高頂羅珍羞,下顧城郭銷我憂。
ここ東山の一番高い所に昇ってきてうまい食い物を手にしている。下の方を見てみると平穏な梓州の城郭があり、それを見ると政局不安な時で心配していることが消え失せる。
清江白日落欲盡,復攜美人登綵舟。」
涪江支流潼川は清らかに流れ、太陽が沈んでいこうとしている。また、謝安が美人を携える五彩に飾られた船に乗るのである。
#2
笛聲憤怨哀中流,妙舞逶迤夜未休。
笛の音が聞こえてくる、その音色には憤怒の気持ちが込められて、悲しい中どこかへ消えていく。そして妖艶な踊りに変わり、くねくねと踊る姿は世々しまい、休むことはないのだ。
燈前往往大魚出,聽曲低昂如有求。」
燈火、かがり火が焚かれたその前には大きな魚が行ったり来たりして出て來る。曲の調べを低く次にはたかく抑揚があり、求められるままに応じて演じられる。
三更風起寒浪湧,取樂喧呼覺船重。
真夜中の三更の時となり、風は起き、寒い波浪が湧いてくるようになる。音楽はとられ、掛け声がかけられるやがて船はゆっくりと動くようである。
滿空星河光破碎,四座賓客色不動。
空には満天の星が、銀河がいっぱいでその光は瞬いている。出席の全員は賓客ぞろいで、どんなによってもかおひとつうごかしはしない。
請公臨深莫相違,回船罷酒上馬歸。
この宴席を受け持ったお役目の人は深い夜の静寂を望んでいるが何一つ違ってはいない。船を廻して帰るともう酒はやめにして馬に乗って帰る。
人生歡會豈有極,無使霜過霑人衣。」
人生というものは喜びにであうということはどんなにうれしいことか、こうして夜露に濡れ、人の着物を濡らしても、こうして過ごすことに悔いはないのである。

(王侍御に陪し、同じく東山最高頂に登り、通泉の晚に酒を攜え江に泛び姚を宴す)
姚公 美政 誰と儔にし,昔時 陳太の丘を減せず。
邑中 上客 柱史有り,暇を多くし日ち陪して驄馬の遊。
東山 高頂 羅珍の羞,下顧 城郭 我憂を銷す。
清江 白日 落ちて盡さんことと欲,復た美人を攜えて綵舟に登る。
#2
笛聲 憤怨 中流を哀み,妙舞 逶迤 夜未だ休まず。
燈前 往往 大魚出で,曲 低昂を聽きて 有求の如し。
三更 風起 寒浪湧き,取樂 喧呼 船重を覺える。
滿空 星河 光 破碎し,四座 賓客 色 動かず。
請公 臨深 相違する莫ことれ,回船 酒を罷め 上馬して歸る。
人生 歡會 豈に極め有らんや,霜 霑人の衣を過らしむなし。


『陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江』 現代語訳と訳註
王屋山01(本文)
#2
笛聲憤怨哀中流,妙舞逶迤夜未休。
燈前往往大魚出,聽曲低昂如有求。」
三更風起寒浪湧,取樂喧呼覺船重。
滿空星河光破碎,四座賓客色不動。
請公臨深莫相違,回船罷酒上馬歸。
人生歡會豈有極,無使霜過霑人衣。」


(下し文)#2
笛聲 憤怨 中流を哀み,妙舞 逶迤 夜未だ休まず。
燈前 往往 大魚出で,曲 低昂を聽きて 有求の如し。
三更 風起 寒浪湧き,取樂 喧呼 船重を覺える。
滿空 星河 光 破碎し,四座 賓客 色 動かず。
請公 臨深 相違する莫ことれ,回船 酒を罷め 上馬して歸る。
人生 歡會 豈に極め有らんや,霜 霑人の衣を過らしむなし。


(現代語訳)
笛の音が聞こえてくる、その音色には憤怒の気持ちが込められて、悲しい中どこかへ消えていく。そして妖艶な踊りに変わり、くねくねと踊る姿は世々しまい、休むことはないのだ。
燈火、かがり火が焚かれたその前には大きな魚が行ったり来たりして出て來る。曲の調べを低く次にはたかく抑揚があり、求められるままに応じて演じられる。
真夜中の三更の時となり、風は起き、寒い波浪が湧いてくるようになる。音楽はとられ、掛け声がかけられるやがて船はゆっくりと動くようである。
空には満天の星が、銀河がいっぱいでその光は瞬いている。出席の全員は賓客ぞろいで、どんなによってもかおひとつうごかしはしない。
この宴席を受け持ったお役目の人は深い夜の静寂を望んでいるが何一つ違ってはいない。船を廻して帰るともう酒はやめにして馬に乗って帰る。
人生というものは喜びにであうということはどんなにうれしいことか、こうして夜露に濡れ、人の着物を濡らしても、こうして過ごすことに悔いはないのである。


(訳注)
(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)

笛聲 憤怨 哀中 流 ,妙舞 逶迤 夜 未休 。
笛の音が聞こえてくる、その音色には憤怒の気持ちが込められて、悲しい中どこかへ消えていく。そして妖艶な踊りに変わり、くねくねと踊る姿は世々しまい、休むことはないのだ。
「笛聲」笛聲。喘息という意味もある。
「逶迤」 (山道・山脈・河川などが)くねくねと長く伸びている.


燈前 往往大魚 出 ,聽曲 低昂 如有求 。
燈火、かがり火が焚かれたその前には大きな魚が行ったり来たりして出て來る。曲の調べを低く次にはたかく抑揚があり、求められるままに応じて演じられる。
「低昂」音楽の抑揚を指す。
「如有求」ご要望にこたえる。
 


三更 風起 寒浪 湧,取樂 喧呼 覺 船重 。
真夜中の三更の時となり、風は起き、寒い波浪が湧いてくるようになる。音楽はとられ、掛け声がかけられるやがて船はゆっくりと動くようである。
「三更」日が暮れてから夜明けまでを御分割した三番目の時刻、真夜中。


滿空 星河 光 破碎 ,四座 賓客 色 不動 。
空には満天の星が、銀河がいっぱいでその光は瞬いている。出席の全員は賓客ぞろいで、どんなによってもかおひとつうごかしはしない
「四座」宴席のこと


請公 臨深 莫 相違 ,回船 罷酒 上馬 歸 。
この宴席を受け持ったお役目の人は深い夜の静寂を望んでいるが何一つ違ってはいない。船を廻して帰るともう酒はやめにして馬に乗って帰る。
「請公」僧侶が、朝廷から法会(ほうえ)や講義に召されること、また、その僧をいうのであるが、転じて、ここでは宴をお開きにすること。
「臨深」夜の静寂を臨む。。


人生 歡會 豈有極 ,無使 霜過 霑 人衣 。
人生というものは喜びにであうということはどんなにうれしいことか、こうして夜露に濡れ、人の着物を濡らしても、こうして過ごすことに悔いはないのである。
「衣」我が衣手は露に濡れつつ。
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文): 姚公美政誰與儔,不減昔時陳太丘。邑中上客有柱史,多暇日陪驄馬遊。東山高頂羅珍羞,下顧城郭銷我憂。清江白日落欲盡,復攜美人登綵舟。笛聲憤怨哀中流【笛聲憤怒哀中流】,妙舞逶迤夜未休。燈前往往大魚出,聽曲低昂如有求。三更風起寒浪湧,取樂喧呼覺船重。滿空星河光破碎,四座賓客色不動。請公臨深莫相違【請公臨江莫相違】,回船罷酒上馬歸。人生歡會豈有極,無使霜過霑人衣【無使霜露霑人衣】。 
月明峡01

陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】 成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500

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陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】  成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500


作年: 寶應元年 762年 51歲 
卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 
詩題: 陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江〔東山は涪江支流の潼川の上【ほとり】に在る〕。 
寫作地點: 目前尚無資料 
寫及地點:  東山 (劍南道北部 梓州)     
通泉 (劍南道北部 梓州 通泉) 別名:沈家坑     
交遊人物/地點: 王掄 當地交遊(劍南道北部 梓州 通泉)


詩文:

陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江
(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)
姚公美政誰與儔,不減昔時陳太丘。
姚公は公平無私で寛容な政治を行うということで誰がその類になるのだろうか、昔のころでいえば「陳太丘」(陳寔)を置いてほかにはいないだろう。
邑中上客有柱史,多暇日陪驄馬遊。
梓州の城郭の街中のこれといった上客とされるのは「柱史」とされる王御史であろう。ゆっくりとした暇が多い時でも日がな一日、後漢の桓典侍御史のように驄馬につきっきりでいるのだ。
東山高頂羅珍羞,下顧城郭銷我憂。
ここ東山の一番高い所に昇ってきてうまい食い物を手にしている。下の方を見てみると平穏な梓州の城郭があり、それを見ると政局不安な時で心配していることが消え失せる。
清江白日落欲盡,復攜美人登綵舟。」
涪江支流潼川は清らかに流れ、太陽が沈んでいこうとしている。また、謝安が美人を携える五彩に飾られた船に乗るのである。
花蕊夫人006#2
笛聲憤怨哀中流,妙舞逶迤夜未休。
燈前往往大魚出,聽曲低昂如有求。」
三更風起寒浪湧,取樂喧呼覺船重。
滿空星河光破碎,四座賓客色不動。
請公臨深莫相違,回船罷酒上馬歸。
人生歡會豈有極,無使霜過霑人衣。」


(王侍御に陪し、同じく東山最高頂に登り、通泉の晚に酒を攜え江に泛び姚を宴す)
姚公 美政 誰と儔にし,昔時 陳太の丘を減せず。
邑中 上客 柱史有り,暇を多くし日ち陪して驄馬の遊。
東山 高頂 羅珍の羞,下顧 城郭 我憂を銷す。
清江 白日 落ちて盡さんことと欲,復た美人を攜えて綵舟に登る。
#2
笛聲 憤怨 中流を哀み,妙舞 逶迤 夜未だ休まず。
燈前 往往 大魚出で,曲 低昂を聽きて 有求の如し。
三更 風起 寒浪湧き,取樂 喧呼 船重を覺える。
滿空 星河 光 破碎し,四座 賓客 色 動かず。
請公 臨深 相違する莫ことれ,回船 酒を罷め 上馬して歸る。
人生 歡會 豈に極め有らんや,霜 霑人の衣を過らしむなし。


『陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江』 現代語訳と訳註
(本文)
姚公美政誰與儔,不減昔時陳太丘。
邑中上客有柱史,多暇日陪驄馬遊。
東山高頂羅珍羞,下顧城郭銷我憂。
清江白日落欲盡,復攜美人登綵舟。」


(下し文)
(王侍御に陪し、同じく東山最高頂に登り、通泉の晚に酒を攜え江に泛び姚を宴す)
姚公 美政 誰と儔にし,昔時 陳太の丘を減せず。
邑中 上客 柱史有り,暇を多くし日ち陪して驄馬の遊。
東山 高頂 羅珍の羞,下顧 城郭 我憂を銷す。
清江 白日 落ちて盡さんことと欲,復た美人を攜えて綵舟に登る。


(現代語訳)
(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)
姚公は公平無私で寛容な政治を行うということで誰がその類になるのだろうか、昔のころでいえば「陳太丘」(陳寔)を置いてほかにはいないだろう。
梓州の城郭の街中のこれといった上客とされるのは「柱史」とされる王御史であろう。ゆっくりとした暇が多い時でも日がな一日、後漢の桓典侍御史のように驄馬につきっきりでいるのだ。
ここ東山の一番高い所に昇ってきてうまい食い物を手にしている。下の方を見てみると平穏な梓州の城郭があり、それを見ると政局不安な時で心配していることが消え失せる。
涪江支流潼川は清らかに流れ、太陽が沈んでいこうとしている。また、謝安が美人を携える五彩に飾られた船に乗るのである。


(訳注)
陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江
(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)
・王侍御 一年前に浣花渓の杜甫の家に訪れている。『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。)
○王十七侍禦掄 侍御史王掄。
○高三十五便君 蜀州の刺史高適、使君は刺史の敬称、高適はこのころ何かの事について成都へでてきていたものとみえる。


姚公 美政 誰與 儔 ,不減 昔時 陳太丘 。
姚公は公平無私で寛容な政治を行うということで誰がその類になるのだろうか、昔のころでいえば「陳太丘」(陳寔)を置いてほかにはいないだろう。
「姚公」姚公とは不明の人物。今後の考証に待つとされている。段文昌と唱和している姚向はこの時期より7・80年後世である。ここではおそらく三国時代の蜀漢のこの梓州の長官クラスのものと解する。
「美政」諫言を受け入れる君主であること、屈原の理想とする政治をいう。
「儔」類とする。
「昔時」(今昔)、昔であった時。
「陳太丘」語義類別:人、人名、他稱、陳寔(漢)。陳寔(ちんしょく、104年 - 187年)は、後漢の人。字は仲弓である。 子に陳紀。三国時代の陳羣は孫。玄奘三蔵や小説家陳舜臣の祖先ともされる。穎川許の出身。太丘県の長を務めていたので陳太丘とも呼ばれた。潁川陳氏の高祖であり、潁川清流派の中心人物でもある。 貧しい家に生まれた陳寔は若い頃から学に親しみ、また公平無私で寛容な政治を行ったので民からすこぶる評判がよかったが、宦官の専横に反対したため、党錮の禁を受けることとなる。


邑中 上客 有 柱史 ,多暇 日陪 驄馬 遊 。
梓州の城郭の街中のこれといった上客とされるのは「柱史」とされる王御史であろう。ゆっくりとした暇が多い時でも日がな一日、後漢の桓典侍御史のように驄馬につきっきりでいるのだ。
「邑中」都城の街中。
「上客」上位の客。
「柱史」古代の官職。内記の別称。
「日」日日。
「驄馬」後漢の桓典が侍御史となると剛直な性格のため役人たちが恐れたという故事。桓典はいつも驄馬に乗って往来した。驄馬は白黒混ざった毛の馬のこと。職官爵位、御史。


東山 高頂 羅 珍羞 ,下顧 城郭 銷我憂 。
ここ東山の一番高い所に昇ってきてうまい食い物を手にしている。下の方を見てみると平穏な梓州の城郭があり、それを見ると政局不安な時で心配していることが消え失せる。
「東山」東山は涪江支流の潼川の上【ほとり】に在る。
「珍羞」珍しくてうまいごちそう。珍しい料理。珍肴(ちんこう)。珍膳(ちんぜん)。


清江 白日 落 欲盡,復攜 美人 登 綵舟 。
涪江支流潼川は清らかに流れ、太陽が沈んでいこうとしている。また、謝安が美人を携える五彩に飾られた船に乗るのである。
・「清江」杜甫はここ涪江にこの語をよく使う。清らかな川の水が静かに流れている状況を云う。
・「白」語義類別:其他、顏色、原色、白。
・「美人」携えるのは、美人である。謝安の故事にならう
・「登」登る。
・「綵舟」:綵女(穿著花衣的宮女);綵舟(結綵或飾以五彩的船). 染め模様の美しい絹。また、美しい色を取り合わせて染めた絹。 ・あや。模様。また、いろどり。
四川省西部地区略図

玄都壇歌寄元逸人 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 51

玄都壇歌寄元逸人 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 51

玄都壇のさまを述べて元逸人に寄せた詩。752天宝十一載の作。この詩は、李白の「西岳云台歌送丹邱子」と雰囲気を同じくしている。
元都壇歌寄元逸人 杜甫 51

この年の出来事。
752天宝 11載・11月宰相李林甫(65歳位)が病死、楊国忠、右相となる。18年間の圧制も今度は楊貴妃一族に取って代わる。 
杜甫:・752 41歳 長安にあり。召されて文章を試み、有司に送り隷して選序に参列することができた。暮春、しばらく洛陽に帰る。冬、長安にて岑参、高適、儲光羲と交わる。就職活動をやみくもに進める。 「 同諸公登慈恩寺塔」 「麗人行」
王維:・752 王維54歳 文部郎中(従五品上)に任ぜられる 王維 「送秘書晁監還日本国」
岑参:38歳 長安に帰る。秋、杜甫高適と慈恩寺塔に登る。

玄都壇歌寄元逸人
故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。
我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。
故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』
君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』
屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。
その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。
子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』
夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』
知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。
君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。
鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』



我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。
君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』

その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。
夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』

君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。
そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』


玄都壇の歌元逸人に寄す
故人昔隠る東蒙峰、己に佩ぶ含景の蒼精竜。
故人今居る子牛谷、独り陰崖に在って茅屋を結ぶ。』
屋前太古の玄都壇、青石漠漠として常に風寒し。
子規夜啼いて山竹裂け、王母昼下りて雲旗翻る。』
知る君が此の計長往を成すを、芝草瑯玕日に応に長ずるなるべし。
鐵鎖高く垂れて攣す可からず、身を福地に致す何ぞ粛爽なる。』




玄都壇歌寄元逸人
○玄都壇 玄都とは道家のかんがえた一つの仙郷。「十洲記」に「玄洲ハ北海二在り、岸ヲ去ルコト三十六万里、上二大玄都有り、仙伯真公ノ治ムル所ナリ」とある。玄都壇は漢の武帝の築く所で長安の南山の子牛谷の中に在る。元逸人はここに隠れていたのである。
①--- 
東海 祖州・・・方円五百里にして中國東方七万里という。不死の草あり。死者の上にその草を置くだけでよみがえるのである。
②東方大海中 瀛州・・・方円四千里。揚子江口から七十万里という。神芝仙草というのが生えている。また、玉石ありて高さ一千丈という。酒の味がする玉醴泉がある。これを飲むと長生するといい、神仙の家が多い。
③北海 玄州・・・中國の北西の間の方向に、三十六万里離れて在り。方円七千二百里。崑崙山のかなたにある。山々にかこまれ太玄都がある。神仙である真君が支配しているという。しかし、その太玄都近くに風山がある。この山には大いなる風が吹き止むことなく、また雷電の音と光が絶えるときがない。この山の上に天地の西北の門があるの。その門から、時に多数の大きな仙人たちの住居が見える。
④南海 炎州・・・中國から南へ九万里、方円二千里。この世界には不思議なドウブツがいるので名高い。
⑤南海 長州・・・中國の南東二十万里、方円五千里。山川が多く、森に覆われている。森には巨木多く、二千人で抱えてようやく一回りできるような大きなものもある。森が多いことから「青丘」とも言われる。仙草、霊薬、甘液、玉英を産する。
この大陸にも風山があり、その山はつねに震動し、轟々とうなっている。
⑥北海 元州・・・中國の北方十万里、方円三千里。この大陸には五芝玄澗と名づけられる谷があって、そこの水は蜜のように甘く、長生の効能がある。またこの谷に生えている五芝の方にも長生の効能があるのである。
⑦西海 流州・・・中國の西方十九万里、方円三千里。多くの山と川があるのであるが、特に大きな石の嶺があり「崑吾」と名づけられている。この露頭から掘削される鉄鉱を用いて製せられた剣は光かがやいてしかも透き通りまるで水晶のごとしという。この剣を以って玉を斬ればまるで泥を斬るようだとのこと。
⑧東海 生州・・・中國の東北方二十三万里、方円二千五百里。(蓬莱を離れること七十万里、ともいうのですが、蓬莱とチュウゴクと、この生洲との位置関係がよくわからない。)数万の神仙が住むといい、天気は常に晴朗で温暖、寒暑なく、万物がいつも生長しやすい環境にある。もちろん長生に資する霊芝や仙草もどんどこ成長する。飲み水もとても甘いという。
⑨西海 鳳鱗州・・・方円一千五百里。四方を波風の無い海の囲まれているゆえ人間には渡ることができないらしい。ここには鳳凰・麒麟が何万と住んでいる。もちろん神仙も多く住んでおられるのだ。鳳凰のくちばしと麒麟の角を煮て作ったにかわがあり、切断した弓の弦や刀をつなぎあわせることができるという。
⑩西海 集窟州・・・中國の西南、崑崙を離れること南に二十六万里、中國を離れること西に二十四万里という。神仙が多く住んで数え尽くせない。この大陸には獅子、避邪、サク歯、天鹿、長牙、銅頭、鉄額といった動物、人間の頭を持つ鳥がいる。この鳥の住む山を人鳥山というが、人鳥山には楓に似た樹木あり、還魂樹とよばれ、この木は香りがよい。
元逸人 李太白の集に元丹邸という人がみえるが元丹邱については12首ある。逸人と同一人であろう。
李白は、元丹邱との関係が深い。その関係を表す詩だけでも、以下の12首もある。
1.西岳云台歌送丹邱子
2.元丹邱歌                         
3.潁陽元丹邱別准陽之
4.詩以代書答元丹邱
5.酬岑勛見尋就元丹邱對酒相待以詩見招
6.尋高鳳石門山中元丹邱
 7.觀元丹邱坐巫山屏風
 8.題元丹邱山居
 9.題元丹邱潁陽山居 并序
10.題嵩山逸人元丹邱山居 并序
11.聞丹邱子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡、
12.與元丹邱方城寺談玄作、




故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。
我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。
故人 旧知の人、元逸人をさす。作者と逸人とは山東時代(開元二十三四年頃)よりの知己であり、
與李十二白同尋范十隱居  杜甫
李侯有佳句,往往似陰鏗。
余亦東蒙客,憐君如弟兄。』
醉眠秋共被,攜手日同行。
更想幽期處,還尋北郭生。』
入門高興發,侍立小童清。
落景聞寒杵,屯雲對古城。』
向來吟橘頌,誰欲討蓴羹。
不願論簪笏,悠悠滄海情。』

「同二太白一訪二苑隠居こ詩の「余モ亦東蒙ノ客、君ヲ憐ムコト弟兄ノ如シ」、東蒙時代に関する句である。○東蒙峰 蒙山をいう。蒙山は山東省折州府蒙陰県の西南にあり、魯(究州曲阜県)よりすれば東にあたるので東蒙という。
含景蒼精竜 景は影と同じ、隴山には、蒼精竜が棲むとされた、杜甫「前出塞九首」李商隠「桂林」
城窄山將壓、江寛地共浮。
東南通絶域、西北有高樓。
紳護青楓岸、龍移白石湫。
殊郷竟何禱、簫鼓不曾体。
姿を隠すための蒼精竜の御札を示す。




故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』
君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』
 作詩の時。○子牛谷 長安県南の山中にあり、長さ六百六十里、北の口を子という、西安府の南百里にあり、南の口を午という、漢中府洋県の東百六十里にある。終南山に元丹邱の庵があった。○陰崖 北むきのがけ。長安側。



屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。
その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。
○漠漠 広く平かなさま。○ いつも、或は常を松に作る。



規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』
夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』
子規 ほととぎす。○山竹裂 裂帛、裂竹はみな声の形容。○王母 西王母をいい、ここでは、道を開いた女道士を指す。ものとおもう。○雲旗 くものはた、道士、元丹邱など仙人の行列をいう。
 

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。
君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。
此計 此の山中生活のはかりごと。○誠長往 長往とは自然界と一体化のことをいう。○芝草瑯玕 芝草、瑯玕共に仙薬。○ 不老になる。



鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』
そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。
鐵鎖 鎖に同じ、くさり。岩場に上から鉄の鎖が設置されている。○高垂 高い処からたれる、これは壇の所在の地の高いことをいうが、高いところに登るため、鐵鎖を伝って攀じ登るのである。道教の修行場は、ほとんど同様なものであった。その麓に道観(寺院のこと、道教の場合寺を観という)がある。○致身 道教は万物の一体化が基本である、身をそこに置くことを重視する。○福地 壇の在る所は道教でいう福地であるとの意。洞天福地説があり、「神山訣録」に「天仙・地仙・三十六洞天・八十一福地有り、地仙由り功行ヲ積累シ、遂二天仙二超昇ス」という。○粛爽 しずかにさわやか。


 

道教--この詩のための要旨--
 仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。

飲中八仙歌 杜甫

飲中八仙歌 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  28

長安にあったときの作。当時長安では愛酒家として名の高い人物として八人が知られていた。杜甫はそれらの一人一人について、伝え聞きも交えてこの作品を作った。これを描いたとき、賀知章、李左相、蘇晉はすでに死んでいたし、李白は長安にいなかった。これらの八人のうち、李白に最も多くの字をあてているのは、杜甫の李白への敬愛振りの表れだろう。
竹林の七賢、竟陵の八友、初唐の四傑、竹渓の六逸、唐宋八大家などとこの飲中八仙とは異なったものである。


飲中八仙歌
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,
恨不移封向酒泉。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,
銜杯樂聖稱避賢。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,
皎如玉樹臨風前。』

崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,

天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。』
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,
揮毫落紙如雲煙。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』


(下し文)飲中八仙歌
知章 馬に騎ること船に乘るに似たり、眼は花さき井に落ちて水底に眠る。』 
汝陽 三斗 始めて天に朝す、道に曲車に逢ひ 口涎を流す、恨むらくは封を移して酒泉に向はざるを。』
左相 日興 万錢を費す、飲むこと長鯨の百川を吸ふが如し、杯を銜み聖を樂しみ賢を避くと稱す。』

宗之 瀟洒たる美少年,觴を舉げ 白眼青天を望む、皎として玉樹の風前に臨むが如し。』
蘇晉 長齋す繡佛の前、醉中 往往 逃禪を愛す』

李白 一斗 詩百篇、長安市上酒家に眠る。
天子呼び來れど船に上らず、自ら稱す 臣は是酒中の仙なりと。』

張旭 三杯 草聖傳ふ、脱帽して頂を露す王公の前、毫を揮って紙に落とせば云煙の如し。』
焦遂 五斗 方に卓然、高談雄辨 四筵を驚かす。』


飲中八仙歌
○飲中八仙 酒飲み仲間の八人の仙とよばれるもの、即ち
・蘇晉 735年(開元二十二年卒)
・賀知章744年(天宝三載卒)
・李適之746年(天宝五載卒)
・李璡  750年(天宝九載卒)
・崔宗之 崔日用の子齊國公に世襲して封ぜられる。侍御史でもあった。
・張旭
・焦遂
・李白   763年(宝応元年卒)らをいう。



知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』
知章 賀知章。会稽永興の人、自から四明狂客と号し、太子賓客・秘書監となった。天宝三載、疏を上って郷に帰るとき、玄宗は詩を賦して彼を送った。○乗船 ゆらゆらする酔態をいう。知章は出身が商人で、商人は船に乗るので、騎馬にまたがった状態をいったのだ。○眼花 酔眼でみるとき現象のちらつくことをいう。



汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
汝陽王李礎は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

汝陽 ブログ贈特進汝陽王二十韻  杜甫27
三斗 飲む酒の量をいう。○朝天 朝廷へ参内すること。○麹車 こうじを載せた車。○移封 封は領地をいう、移は場所をかえる。汝陽よりほかの地へうつしてもらうこと。○酒泉 漢の時の郡名、今の甘粛省粛州。これは地名を活用したもの。



左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。』
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』
左相 李適之。天宝元年、牛仙客に代って左丞相となったが、天宝五載にやめ、七月歿した。○日興 毎日の酒興。○費万銭 唐時代の酒価は一斗三百銭、万銭を以ては三石三斗余りを買うことができた。○長鯨 身のたけのながいくじら。〇百川 多くの川水。○銜杯 銜とは口にくわえること、含とは異なる。含むは口の中へいれておくこと。○楽聖称避賢 適之が相をやめたとき、親交を招き詩を賦して、「賢を避けて初めて相を辞め、聖を楽しみて且つ盃を銜む、為に問う門前の客、今朝幾個から来ると」といった。此の聖・賢の文字には両義を帯用させたものであろう。魏の時酒を禁じたところが酔客の間では清酒を聖人といい濁酒を賢人といったが、前詩は表には通常の聖人・賢人の表現を、裏には清酒・濁酒の表現をもたせたものである。竹林の七賢参照。



宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○瀟灑 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○ しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。


蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』
蘇曹 蘇珦の子、先の皇帝のときに中書舎人であった。玄宗が監国であったときの別命は蘇晋と賈曾との筆によったものだ。吏部・戸部の侍郎を歴て太子庶子に終った。○長斎 一年中喪の忌をしている。○繍仏 ぬいとりしてつくった仏像、これは六朝以来あったもの。○逃禅 これは酒を飲むことは破戒であるから教外へにげだすこと。居眠りでもしていること。



李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』
酒家眠 玄宗が嘗て沈香華に坐して、翰林供奉の李白をして楽章をつくらせようとして李白を召して入らせたところ、李白はすでに酔っていた。左右のものは水をその面にそそいでようやく酔いを解いたという。○不上船 玄宗が白蓮池に遊んだとき、李白を召して序をつくらせようとしたところ、李白はすでに翰苑にあって酒を被っており、高力士に命じて李白をかかえて舟に登らせた。


張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』
張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。○草聖伝 後漢の張芝は草書の聖人とよばれたが、旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるが如くであった。○脱帽露頂 帽をいただくのが礼であり、帽をぬいで頂きをあらわすのは礼儀を無視するさま。○王公 地位高き人々。○揮毫 毫は「け」、筆をいう。○雲煙 草書のさま。


焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』
焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』
焦遂 この人物は未詳。○卓然 意気の高くあがるさま。○高談 高声でかたる。○雄弁 カづよい弁舌。〇四筵 満座、一座。

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紀 頌之

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