杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

リベラル抒情詩

後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99

後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99




後出塞五首 其五
我本良家子,出師亦多門。
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。

謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


我は本良家の子なり  出師亦た悶多し

将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず

馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る

坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し

中夜間道より帰れば  故里但空郁なり

悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し




後出塞五首 其五  訳註と解説

(本文)
我本良家子,出師亦多門。
將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜間道歸,故裡但空村。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。


(下し文)
我は本良家の子なり  出師亦た悶多し
将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず
馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る
坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し
中夜間道より帰れば  故里但空郁なり
悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し

(現代語訳)
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


(語訳と訳註)
我本良家子,出師亦多門。

自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
良家子 良家とは普通のよい人家をいう。北方辺境の部隊には素性のわからない傭兵もいた。この詩の主人公は無頼の餞民、若しくは罪人などの出身ではないことをいっている。○出師 師をだすのは大将がだすのであり、ここはそのだす師に従ってでることをいう。従レ征多レ門と同様に用いる。○多門 門は将門をいう。いろいろな大将の門。


將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
愁息 謀叛でもしそうな様子ゆえしんはいする。○身貴 自分のからだが貴位にのぼって出世する。○不足論 そんなことはどうでもよい、とりあげていうほどのことはない。



躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
明主 唐の明主、天子、玄宗をさす。



坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
坐見 毎日同じように見ていると。(異常に気が付く。)○幽州騎 漁陽は幽州に属している、幽州の騎とは禄山部下の騎兵をいう。○長駆 遠のりする。○河洛昏 河は黄河、格は洛水、洛陽にせまることをいう。昏とは兵馬のため塵攻が起って暗くなること。


中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっている。
間道 ぬけみち。○故裡 ふるさと。○空村 住民たちがさり、だれもいない村。



惡名幸脫兔,窮老無兒孫。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。
悪名 天下に対しての悪い名称。謀叛人の仲間という。○脱免 そのなかからのがれでる。○窮老 貧乏な年より。○無児孫 子も孫もない。守るものがない。軍隊に二十年青春をささげたのである。


 
(解説)
 謀反を起こす前の安禄山はかなり横暴になり、庶民的な目からもそれがわかるようになっていた。
李林逋宰相、前の張九齢との権力闘争、その後18年李林逋の圧制が続きます。その間に軍事的功績を積み重ねた節度使の安禄山。楊貴妃一族の台頭、李林逋の死(752)、と10年間で、特に叛乱の前五年の間にめまぐるしく権力構図が塗り替えられます。其の中で、はっきりしていることは、①皇帝の権威が著しく低下した、②朝廷は楊貴妃一族による腐敗したものとなる、③軍事的には安禄山を抑えようがないというのが750年代の情勢分析である。

 杜甫が述べているようにひとつの村が空っぽに為ったというのは戦になると予想されて逃げたのである。もし安禄山の側が、統制が取れた軍隊であったのなら庶民対策を万全にしたでしょうから支持を得た。叛乱か革命かの分岐点は、民衆の動向である。古今東西、すべて民衆の支持に後押しされたものでないと続くものではないのだ。権力は握れても大儀がなかった安禄山は翌年息子に殺される。
そして、この乱は10年近くも続く。

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98


後出塞五首其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。


凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと

漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く

雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る

越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す

主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ

辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す




後出塞五首 其四  訳註と解説

(本文)
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。
邊人不敢議,議者死路衢。

(下し文)
凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと
漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く
雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る
越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す
主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ
辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す

(現代語訳)
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。



(語訳と訳註)

獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
献凱 「周礼」大司楽に王の師が大いに勝ったときは凱楽を奏させたとある。凱は或は愷に作る、やわらぐこと、かちいくさにはやわらいだ音楽を奏してかえってくる、この献凱は捷報を奉ることをいう。○継踵 使者の足があとからあとからつづくことをいう。禄山は754年天宝十三載の二月、四月、755年十四載の四月にみな奚・契丹を破ったことを奏上したのだ。〇両蕃 奚・契丹の二蕃。○ しんばい。


漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
漁陽 今の河北省順天府の地方をいう、唐のときは、幽州といい、苑陽郡といい、又そのうちに前州を分かって、漁陽郡といった。○豪快 おとこだての気風。○鼓、笙、竽 みな軍中の宴楽に用いる。


雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
雲帆 雲を帯びた帆、船団をいう。○ 船団を組んだので、運河での航行が難しく、領海にうつってゆく。○遼海 遼東方面の海。唐の時は揚州(江蘇省)に倉を置き水運によって貨物を東北に輸送した。禄山が苑陽に居るのによって南方より船が赴くのである。〇校稲 うるしね。○東呉 山東地方と江蘇省地方。



越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
越羅 漸江省地方でできるうすぎぬ。○楚練 湖南・湖北辺でできるねりぎぬ。○照耀 てりかがやかす。○輿台 「左伝」昭公七年に士以下の臣を順に臭、輿、隷、僚、僕、台とかぞえあげている。いやしきもの、ここは現に兵士となっておるものをさす。○ み、からだ。



主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
主将 主人である大将、安禄山。○氣驕 威張る気性と横柄な態度。○上都 天子の都をいう。



邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。
辺入国の辺都の地に居るもの、禄山の管内のものをさす。0 かれこれうわさする。○ 殺されてしぬ。○路衝 衝はちまた。



(解説)
 もともと、身分賎しい者が、貴族内の問題、府兵制度の崩壊、忠誠心の欠如、傭兵性の開始など様々な事柄の場当たり的解決策として、軍隊内の均衡化策をとり、異民族系のものを重用した。また、潘鎮の2極分化により、勢力の強くなるものを抑えるためと、地方の税徴収が上手くいかなくなったことにより、節度使を置いた。東の幽州を拠点にした安禄山、西の安西を拠点にした哥舒翰という構図になっていた。長安の朝廷には、楊国忠が宰相で、そこに宦官勢力も5,6000名に膨れ上がり、軍隊化していた。これ以外にも地方の潘鎮は君王化していた。

 玄宗は裸の大さま状態であったと思われる。忠義な家臣を味方に改革が必要であったが、ここまでの20年近く李林保と楊国忠によって徹底的な粛清がなされていて、忠義な家臣は遠ざけられていたのである。
かくして、誰が、クーデター、叛乱を起してもおかしくない状況になったのである。これに火をつけたのは、3年続きの干ばつ、長雨による物価高騰であった。国民のフラストレーションは最高潮に達していた。

杜甫の詩、750年頃から755年のものに彼らのことはすべて指摘している。罪にならない、当たり障りのない程度に詩を作ったのだ。

後出塞五首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 97

後出塞五首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 97


後出塞五首 其三
古人重守邊,今人重高勛。
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
豈知英雄主,出師亙長雲。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
六合已一家,四夷且孤軍。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
遂使貔虎士,奮身勇所聞。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
誓開玄冥北,持以奉吾君。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。



後出塞五首 其三 訳註と解説
(本文)
古人重守邊,今人重高勛。
豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。
遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。
誓開玄冥北,持以奉吾君。

(下し文)
古人は守辺を重んず 今人は高勲を重んず
豈に知らんや英雄の主 師を出して長雲亙る
六合己に一家なるに  四夷に且つ孤軍
遂に貌虎の士をして 身を奮って聞く所に勇ならしむ
剣を抜いて大荒を撃ち 日に胡馬の葦を収め
誓って玄冥の北を開いて 持して以て吾が君に奉ぜん

(現代語訳)
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。


古人重守邊,今人重高勛。
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
守辺 国ざかいをまもること。敵を攻めず、敵から侵されぬようにつとめることをいう。○高勲 高いいさおしをたてること、これは戦争をしてたてるのである。



豈知英雄主,出師亙長雲。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
豈知 意外なことをいう。○英雄 主えらい人主、玄宗をさす。○亙長 その出陣の砂塵はまるで雲長い雲の引き生えているようであることをいう。



六合已一家,四夷且孤軍。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
六合 天地と四方。〇一家 天下一統して一家のごとし。〇四夷且孤軍 此の句は孤軍の二字に属すべき動詞を省略した不完全句であり、孤軍を「出だす」とか「留どむ」とかいう語を添えてみるべきである。四夷は四方のえびす、四夷に対して孤軍をいだす。



遂使貔虎士,奮身勇所聞。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
貌虎士 つよい兵士、親は豹の如き獣。○奮身 身の力をふるう。○勇所聞 我が耳にした所に対して勇気をだす、耳にした所とは「天子が四夷にむかって兵を用いるおぼしめしである」とのことをさす。



拔劍擊大荒,日收胡馬群。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
抜剣以下四句は兵士の決心をいう、即ち「勇所聞」の事実である。○大荒 遠方不毛の地をさす。○日収 毎日とりこむ。○胡馬北方のえびすの馬。



誓開玄冥北,持以奉吾君。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。
玄冥 玄冥喝神、北方の神の名、北方の地をさしていう。○ たてまつる、ささげる。


(解説)
過去の王朝は、領土を守ることに重点を置いてきた。唐王朝は領土拡大を進めてきた。結果、世界最大の国家になっていた。当時の人々も巨大な唐王朝を誇りに思っていた。律令体制も府兵制もうまくいっていた。ただこの律令体制の府兵制が崩壊し、傭兵性に変わったのである。杜甫のこの詩でこのあたりの点に触れている。杜甫は胡のこの地に行ったことは全くないのである。

後出塞五首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 96

後出塞五首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 96

755年の三月、村人に見送られて薊門(幽州の花陽)に出征した一兵士が、将軍(安禄山)の軍に従って奚・契丹の軍と戦うが、戦いに勝った将軍の位はますます高くなってくこと、その驕りは天子を軽んじることが目立ち始め、ついにこの兵士は脱走して故郷に帰ってくるが、わが里は荒れ果てて人一人いない空村になっていた、という筋の其の二である。


後出塞五首 其二
朝進東門營,暮上河陽橋。
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
平沙列萬幕,部伍各見招。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
中天懸明月,令嚴夜寂寥。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
借問大將誰,恐是霍嫖姚。

かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。

朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る

落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり

平沙万幕列す 部伍各i招かる

中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり

悲節数声動く 壮士惨として縞らず

借間す大将は誰ぞ 恐らくは是霍嫖姚ならん



Ta唐 長安近郊圖  新02

後出塞五首  訳註と解説

(本文)其二
朝進東門營,暮上河陽橋。
落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。
中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。
借問大將誰,恐是霍嫖姚。

(下し文)
朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る
落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり
平沙万幕列す 部伍各i招かる
中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり
悲節数声動く 壮士惨として縞らず
借間す大将は誰ぞ 恐らくは是甚療桃ならん


(現代語訳)
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。



朝進東門營,暮上河陽橋。
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
 前へ進出する。○東門営 東門は洛陽の東門城外の軍営所。○河陽橋 河陽は県の名、古の孟津、洛陽の東北、黄河の近くにあり、そこに舟橋を設けて北へわたす。



落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
馬鳴風粛粛「詩経」の車攻詩に「粛粛トシテ馬鳴ク」とあるのに本づくという、粛々はしずかなさま。〇万幕多くのまく、兵舎の用に供するもの。


沙列萬幕,部伍各見招。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
部伍 分隊をいう。○見招人員の点呼をうけること。



中天懸明月,令嚴夜寂寥。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
指揮官の号令。○寂蓼 ひっそり。


悲笳數聲動,壯士慘不驕。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
悲節かなしげなあしぶえ。○なりだす。○壮士 血気盛んな青年兵士。○ ものがなし。○不騎 いばっている気色のないこと。意気消沈。


借問大將誰,恐是霍嫖姚。
かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。
借間 かりにとう。○霍嫖姚 漢の武帝の時の名将霍去病かくきょへい。彼は嫖姚校尉となった。騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、3万の首を上げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。





後出塞五首其一
男兒生世間,及壯當封侯。戰伐有功業,焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。
千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。

其二
朝進東門營,暮上河陽橋。落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。借問大將誰,恐是霍嫖姚。

朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る
落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり
平沙万幕列す 部伍各i招かる
中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり
悲節数声動く 壮士惨として縞らず
借間す大将は誰ぞ 恐らくは是甚療桃ならん

其三
古人重守邊,今人重高勛。豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。誓開玄冥北,持以奉吾君。

其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。邊人不敢議,議者死路衢。

其五
我本良家子,出師亦多門。將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜問道歸,故裡但空村。惡名幸脫兔,窮老無兒孫。


後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

後出塞五首の背景 概要
755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。
安禄山は北方にあって着々と反乱の準備をととのえており、二月には、配下にいる漢人の将軍三十二名をすべて蕃将に代えたいと請い、朝廷の許可を得ている。また七月には、蕃将二十二人に兵六千人を率いさせ、馬三千頭を献上したいと玄宗に願い出た。北方で兵を挙げたときに都で内応させようという計画であったものだが、安禄山を信用しきっていた玄宗も、これだけは許可せずに冬まで延期させた。

杜甫は、このような事態を背景にして、「後出塞」五首を作っている。それは、この年の三月、村人に見送られて薊門(幽州の花陽)に出征した一兵士が、将軍(安禄山)の軍に従って奚・契丹の軍と戦うが、戦いに勝った将軍の位はますます高くなってくこと、その驕りは天子を軽んじることが目立ち始め、ついにこの兵士は脱走して故郷に帰ってくるが、わが里は荒れ果てて人一人いない空村になっていた、という筋である。その中で作者杜甫は、「後出塞」五首其四で
主將位益崇、気騎凌上都。
邊人不敢議、議者死路衢。
主将 位は益ます崇く、気は驕りて上都を凌ぐ。
辺人 敢えて議せず、議する者は路衢に死なん

にあるように、安禄山の目に余る行為は、誰もが知るところであった。しかし、玄宗は安禄山にかぎらず、誰れであってもその権威で、圧倒することはできない位弱体化し、頽廃していたのである。したがって、だれが反乱を企ててもおかしくない状況になっていたのである。朝廷内は楊貴妃一族と高力士を筆頭に宦官が大きな力を持ってきており、皇帝自身は楊貴妃に骨抜きにされていたので、正論が通る時代では全くなくなっていたのである。




後出塞五首 其一
男兒生世間。及壯當封侯。
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
戰伐有功業。焉能守舊丘?
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
召募赴薊門,軍動不可留。』
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。』

千金買馬鞍,百金裝刀頭。
思い起こせば、自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けたのだ。
閭裡送我行,親戚擁道周。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
斑白居上列,酒酣進庶羞。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
少年別有贈,含笑看吳鉤。』

青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。

 

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし

戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん

召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず』


千金馬鞭(鞍)を装い 百金刀頭を装う

閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す

斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む

少年は別に贈有り 笑を含みて呉を看る』





後出塞五首  訳註と解説


(本文)
男兒生世間。及壯當封侯。
戰伐有功業。焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。』

千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。
斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。』

(下し文)
男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。』

千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。』

(現代語訳)
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。

思い起こせば、自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けたのだ。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。


(訳註)
男兒生世間。及壯當封侯。
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
及壮封侯 後漢の班超・梁辣、などが述べている。

戰伐有功業。焉能守舊丘?
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
旧丘 故郷のおかをいう。○召募 上から召されつのられる。



召募赴薊門,軍動不可留。』
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。』
薊門 関の名、今河北省順天府薊州にある。安禄山の根拠地の方面である。



千金買馬鞍,百金裝刀頭。
自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けるのだ。
 装飾する。○馬鞭 鞭を鞍に作る本があるが、鞍の方がよろしいであろう。○刀頭 刀具、馬の環。



閭裡送我行,親戚擁道周。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
閭裡 閭も裡も二十五家をさす。ここは自分の村をいう。○ だきかかえる、包囲状をなすこと。○道周 周とは道の曲りめをいう。

 
斑白居上列,酒酣進庶羞。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
斑白 ごましおあたまの老人。○上列 上席。○進庶羞 進とは行者の前へもちだすこと、庶羞はもろもろのすすめもの、御馳走の品々。

少年別有贈,含笑看吳鉤。』
青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。』
少年 青年のわかき人。○ 行者に対する贈りもの、即ち次句の吳鉤。○含笑 行者がにっこりする、吳鉤を贈られたのがうれしいのである。○吳鉤 呉の地方でできる攣曲したつるぎ。



韻  侯/丘、留、/頭、周、羞、鉤。



後出塞五首其一
男兒生世間,及壯當封侯。戰伐有功業,焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。
千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。



其二
朝進東門營,暮上河陽橋。落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。借問大將誰,恐是霍嫖姚。

其三
古人重守邊,今人重高勛。豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。誓開玄冥北,持以奉吾君。

其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。邊人不敢議,議者死路衢。

其五
我本良家子,出師亦多門。將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜問道歸,故裡但空村。惡名幸脫兔,窮老無兒孫。

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85
天子のお厩である天育厩において養われた驃馬の図をみて作った歌。製作時は天宝13載 754年 43歳。 
雑言古詩


天育驃騎歌
吾聞天子之馬走千裡,今之畫圖無乃是?
自分が聞く所に周の穆王の馬は日に千里走ったというが、今ここにある画の馬はまちがいなくそのような馬ではないのだろうか。
是何意態雄且傑,騣尾蕭梢朔風起。
その雄々しく傑出した様子はなんとすばらしいのだろう、たてがみや尾からさわさわと北風が吹き起っているように凛々しいのだ。
毛為綠縹兩耳黃,眼有紫焰雙瞳方。
毛は緑と縹との二色をなし、両耳は黄色である。眼からは紫のほのおをだし一対のひとみは菱形をしている。
矯矯龍性合變化,卓立天骨森開張。』
矯々とうねりあがる竜の如き本性はいかなる活動の変化をもするようすをもっているし、たかくそびえた天成の骨格がいかめしくのびやかに張っている。』
伊昔太樸張景順,監牧攻駒閱清峻。
昔といってもちょっと前、開元の頃、太僕 張景順は牧場を監督し、駒をならして、そのなかから贅肉のない肉ひきしまった馬を繰り返し選び出し、遂にそれを種馬として牧馬奴に子を産せるようにしたのだ。
遂令大奴守天育,別養驥子憐神駿。
そのうまれた千里の馬の駒(驃)は他の馬と区別して之を養育して、その不思議に優れた点を引き出して育てさせた。
當時四十萬匹馬,張公嘆其材盡下、故獨寫真傳世人。
そのころ四十万匹、馬の頭数がいたが、景順はその素質、性質など材質がどれもみなこれよりは劣っていることを歎惜した。
そういうことだからこの驃だけの画姿を写させて世の人に伝えるために残した。
見之座右久更新。』
座右で之を見ていると、いつまで見ても目新しく感じるものだ。』
年多物化空行影,鳴呼健步無由騁!
今では数十年の歳月が流れ、馬たちも死んで代が変わり、この画すがたにその形影をのこしているだけなのだ。ああ、そうして生きていたときのようなすこやかなあゆみを馳せるということはもうないだろう。
如今豈無騕褭與驊騮,時無王良伯樂死即休!

ただ今では、まさか「騕褭」や「驊騮」の名馬がいないわけでもないだろうが、天下が気の緩みで、名馬を名馬としてみわけてくれる伯楽、調教の上手い王良がいなくなり、名馬がいたとしても、凡馬のあつかいをうけていてそのまま死んでしまうことをしているのだろう。


自分が聞く所に周の穆王の馬は日に千里走ったというが、今ここにある画の馬はまちがいなくそのような馬ではないのだろうか。
その雄々しく傑出した様子はなんとすばらしいのだろう、たてがみや尾からさわさわと北風が吹き起っているように凛々しいのだ。
毛は緑と縹との二色をなし、両耳は黄色である。眼からは紫のほのおをだし一対のひとみは菱形をしている。
矯々とうねりあがる竜の如き本性はいかなる活動の変化をもするようすをもっているし、たかくそびえた天成の骨格がいかめしくのびやかに張っている。』
昔といってもちょっと前、開元の頃、太僕 張景順は牧場を監督し、駒をならして、そのなかから贅肉のない肉ひきしまった馬を繰り返し選び出し、遂にそれを種馬として牧馬奴に子を産せるようにしたのだ。
そのうまれた千里の馬の駒(驃)は他の馬と区別して之を養育して、その不思議に優れた点を引き出して育てさせた。
そのころ四十万匹、馬の頭数がいたが、景順はその素質、性質など材質がどれもみなこれよりは劣っていることを歎惜した。
そういうことだからこの驃だけの画姿を写させて世の人に伝えるために残した。座右で之を見ていると、いつまで見ても目新しく感じるものだ。』
今では数十年の歳月が流れ、馬たちも死んで代が変わり、この画すがたにその形影をのこしているだけなのだ。ああ、そうして生きていたときのようなすこやかなあゆみを馳せるということはもうないだろう。

ただ今では、まさか「騕褭」や「驊騮」の名馬がいないわけでもないだろうが、天下が気の緩みで、名馬を名馬としてみわけてくれる伯楽、調教の上手い王良がいなくなり、名馬がいたとしても、凡馬のあつかいをうけていてそのまま死んでしまうことをしているのだろう。





(天青の驃の図の歌)
吾聞く天子の馬走ること千里なりと、今の画図は乃ち是なる無からんや
是れ何の意態(いたい)ぞ雄にして且つ傑なり、騣尾粛梢(そうびしょうしょう)として朔風(さくふう)起る
毛は緑縹(りょくひょう)を為して両耳は黄なり、眼に紫焔(しえん)有りて双瞳(そうどう)方なり
矯矯(きょうきょう)たる竜性(りょうせい)変化を含む、卓立せる天骨森(てんこつしん)として開張す』
伊(これ)昔 太僕(たいぼく)張景順(ちょうけいじゅん)、牧を監し駒を攻して清峻(せいしゅん)なるを閲(えつ)す
遂に大奴をして天青に字せ令(し)む、別に驥子(きし)を養うて神駿(しんしゅん)なるを憐む
当時四十万匹の馬、張公 其の材の尽く下れるを歎ず、故に独り兵を写して世人に伝う』
之を座右に見れば久しくして更に新なり。
年多く物化して空しく形影あり、鳴呼!健歩(けんぽ)騁(は)するに由無し!
如今(じょこん)豈に騕褭(ようじょう)と驊騮(かりゅう)と無からんや、時に王艮(おうりょう) 伯楽(はくらく)無く死して即ち休す!』




天育驃騎歌
○天育或は厩の名。「天子ノ育テル所」の義とする。○驃「黄馬ノ白色ヲ発スルもの。○図 絵。或は図を騎に作り驃騎とする。


吾聞天子之馬走千裡,今之畫圖無乃是?
自分が聞く所に周の穆王の馬は日に千里走ったというが、今ここにある画の馬はまちがいなくそのような馬ではないのだろうか。
天子之馬走千里 「穆天子伝」の語。穆王の八駿は一日によく千里を走る。○今之画図 いま眼前見る所の驃図をいう。○無乃是  是とは上の千里馬をさす。



是何意態雄且傑,騣尾蕭梢朔風起。
その雄々しく傑出した様子はなんとすばらしいのだろう、たてがみや尾からさわさわと北風が吹き起っているように凛々しいのだ。
 図の馬をさす。○意態 馬の意気態度。○雄且傑 おおしくすぐれている。○騣尾・騣は葉、たてがみ。尾はしっぼ。○蕭梢 さわさわと風の起こるさま。○朔風 北風。



毛為綠縹兩耳黃,眼有紫焰雙瞳方。
毛は緑と縹との二色をなし、両耳は黄色である。眼からは紫のほのおをだし一対のひとみは菱形をしている。
綠縹 綠は黒いことをいう、縹は青黄色。○紫焔 むらさきのほのお。○双瞳 一対のひとみ。〇 四角、菱形。ひとみは馬と雑も四角ではないが、まぶたの囲んでいる処は菱形をなしているので「方」といった。


矯矯龍性合變化,卓立天骨森開張。』
矯々とうねりあがる竜の如き本性はいかなる活動の変化をもするようすをもっているし、たかくそびえた天成の骨格がいかめしくのびやかに張っている。』
矯矯 うねうねとあがるさま。○竜性 竜の如き性質。○含変化 いかようにも変化に応ずべき様子をもっている。○卓立 たかくそびえる。○天骨森 天よりうけた骨であっていかめしい。○開張 のびやかに張っている。



昔太樸張景順,監牧攻駒閱清峻。
昔といってもちょっと前、開元の頃、太僕 張景順は牧場を監督し、駒をならして、そのなかから贅肉のない肉ひきしまった馬を繰り返し選び出し、遂にそれを種馬として牧馬奴に子を産せるようにしたのだ。
伊昔 伊とは辞である。○太僕 厩牧輿車を掌る官。○張景順 開元時の人。開元十三年張説の「陳右監牧頒徳碑」の序に「元年、牧馬二十四万匹、十三年乃チ四十三万匹。上(玄宗)顧ミテ太僕少卿・兼秦州都督・監牧都副使・張景順二謂イテ日ク、吾ガ馬幾何力蕃育セシハ、卿ノカナリト。対エテ日ク、帝ノカナリ、仲(王毛仲)ノ令ナリ、臣何ノカカ之有ラント」とあるのは、この張景順である。○監牧 牧場を監督する。○攻駒 あら駒をのりこなす。○清唆 すこし痩せてひきしまった様子をした馬。



遂令大奴守天育,別養驥子憐神駿。
そのうまれた千里の馬の駒(驃)は他の馬と区別して之を養育して、その不思議に優れた点を引き出して育てさせた。
○大奴 身体長大な奴。景順の下に居る「馬ヲ牧スル奴」をいう。○守天育 守はみまもることをいう。天青において馬に子を産せしめることをいう。これは上句の清峻な馬を種馬として牝馬に産ませること。○別養驥子 驥子は上の方法によって新しくうまれた千里馬の駒、即ち驃馬のこと。別義は他の天青の羣馬とは別に養育することをいう。○神駿 ふしぎにすぐれていることをいう。



當時四十萬匹馬,張公嘆其材盡下。
そのころ四十万匹、馬の頭数がいたが、景順はその素質、性質など材質がどれもみなこれよりは劣っていることを歎惜した。
張公 景順。○ 材質。○下 劣ること。 



故獨寫真傳世人,見之座右久更新。』
そういうことだからこの驃だけの画姿を写させて世の人に伝えるために残した。座右で之を見ていると、いつまで見ても目新しく感じるものだ。』
独写真 この際だけにその実の姿を画にうつす。○座右 座席の右。○久更新 いつまでみてもめあたらしい。



年多物化空行影,鳴呼健步無由騁!
今では数十年の歳月が流れ、馬たちも死んで代が変わり、この画すがたにその形影をのこしているだけなのだ。ああ、そうして生きていたときのようなすこやかなあゆみを馳せるということはもうないだろう。
年多 開元より天宝末まで数十年、多くの年を経ている。○物化馬の実物が変化する。死去したことをい
う。○空形影実体はなくなり、いたずらに形や影がある、この画すがたのみ存在することをいう。○健歩すこやかなあゆみ。



如今豈無騕褭與驊騮,時無王良伯樂死即休!
ただ今では、まさか「騕褭」や「驊騮」の名馬がいないわけでもないだろうが、天下が気の緩みで、名馬を名馬としてみわけてくれる伯楽、調教の上手い王良がいなくなり、名馬がいたとしても、凡馬のあつかいをうけていてそのまま死んでしまうことをしているのだろう。
○如今いま。○騕褭 赤い鼻づらの黒馬、一日に万里を行くという。○驊騮 穆王八駿の一つ。○王艮 戦国の趙簡子の時の人で調教を善くした。○伯楽孫陽のこと、秦の穆公の時の人で善く馬相をみた。○やむ、おわる。




  この頃の天下の情勢は、頽廃的な緊張感のない時代を過ごしてきており、局地戦に馬が使われるくらいで、大量の両刃を育てる意欲が消失していたことを指摘している。賄賂全盛で、役人はまじめに仕事をしていなかった。馬が好きな杜甫らしい観点でリベラルな論評をしている。



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麗人行の世界

歴史絵巻は私たちに唐代の女性の生き生きとした姿を示してくれる。

彼女たちはいつも外出して活動し、人前に顔をさらしたまま郊外、市街、娯楽場に遊びに行き、芝居やポロを見物した。毎年春には、男たちと一緒に風光明媚な景勝地に遊びに行き、思うぞんぶん楽しむことさえできた。

·施肩吾少婦游春詞

簇錦攢花勝遊,萬人行處最風流。無端自向春園裏,笑摘青梅阿侯。

(錦を集め、花を潜めて 勝游を闘わせ、万人行く処 最も風流。端無くも自ら向う春園の裏,笑うて摘む青梅阿侯。)(七言句押尤韻)

「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」(杜甫「麗人行」)などの詩句は、みな上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。

杜甫《卷二41 麗人行》

三月三日天氣新,長安水邊多麗人。

三月三日 天氣新たに,長安の水邊 麗人多し。

態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

態は濃く 意は遠くして淑且かつ真に,肌理きりは 細膩さい ぢ にして  骨肉は勻ひとし。

繡羅衣裳照暮春,蹙金孔雀銀麒麟。

繍羅しう ら の衣裳は 莫春に 照はゆる,蹙金しゅくきんの孔雀 く じゃく  銀の麒麟 き りん。

頭上何所有,翠微盍葉垂鬢脣。

頭上何の有る所ぞ, 翠を盎葉おうようと爲して鬢びん脣しんに 垂たる。

背後何所見,珠壓腰衱穩稱身。

背後何の見る所ぞ,珠は腰衱えうけふを壓して穩やかに身に稱かなふ。』

就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

就中なかんづく 雲幕の椒房せうばうの親しん,名を賜ふ 大國  虢くゎくと秦しんと。

紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。

紫駝しだの峰を翠釜すゐ ふ より 出いだし,水精の盤に  素鱗 行くばる。

犀箸厭飫久未下,鑾刀縷切空紛綸。

犀箸さいちょ 厭飫えんよして久しく未だ下さず,鸞刀らんたう 縷切る せつして  空しく紛綸たり。

黃門飛鞚不動塵,御廚絡繹送八珍。

黄門 鞚くつわを飛ばして塵を動かさず,御廚ぎょちゅう 絡繹らくえきとして 八珍を送る。

簫鼓哀吟感鬼神,賓從雜遝實要津。

簫管 哀吟して 鬼神をも感ぜしめ,賓從ひんじゅう 雜遝ざったふして  要津えうしんに實みつ。』

後來鞍馬何逡巡,當軒下馬入錦茵。

後れ來たる鞍馬は何ぞ 逡巡んする,軒に當たりて 馬より下りて  錦茵きんいんに入る。

楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。

楊花やうくゎ 雪のごとく落ちて  白蘋はくひんを覆ひ,靑鳥 飛び去りて  紅巾こうきんを銜ふくむ。

炙手可熱勢倫,慎莫近前丞相嗔。

手を炙あぶらば 熱す可べし  勢は絶倫なり,慎みて 近前する莫れ  丞相じょうしゃう 嗔いからん。』

麗人行  杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65

彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。白居易の「琵琶行」という詩に出てくる、夫の帰りを待つ商人の妻は夜半に見知らぬ男たちと同船し、話をしたり琵琶を演奏しあったりしている。それで、宋代の文人洪遇は、慨嘆して「瓜田李下の疑い、唐人は譏らず」(『容斎三筆』巻六)といった。

「瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」(瓜田李下の疑い、唐人は譏らず。)

「瓜田に履を入れず、李下(すももの木の下)に冠を正さず」 の格言に基づく、疑われやすい状況のたとえ。

宋の洪邁《容齋三筆‧白公夜聞歌者》「然鄂州所見, 亦一女子獨處, 夫不在焉。 瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」

 

彼女たちは「胡服騎射」を好む気風があり、胡服戎装(北方民族の軍装)をしたり、男装したりすることを楽しみ、雄々しく馬を走らせ鞭を振い、「撃を露わにして〔馬を〕馳験せた」(『新唐書』車服志)。

またポロや狩猟などの活動に加わることもできた。

杜甫の《卷四32哀江頭》詩に「輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」(輦前の才人 弓箭【きゅうせん】を 帶び,白馬 嚼噛【しゃくげつ】す 黄金の勒【くつわ】。身を翻して天に向ひ 仰ぎて雲を射れば,一笑 正に堕つ 雙飛翼。天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。卷四32哀江頭》と描写されている。馬上で矢を射る女たちの何と雄々しき姿であることか。彼女たちは勇敢かつ大胆で、よく愛し、よく恨み、また、よく怒りよく罵り、古来女性に押しつけられてきた柔順、謙恭、忍耐などの「美徳」とはほとんど無縁のようだった。誰にも馴れない荒馬を前にして、武則天は公衆に言った。「私はこの馬を制することができる。それには三つの物が必要だ。一つめは鉄鞭、二つめは鉄樋(鉄杖、武器の一種)、三つめは短剣である。鉄鞭で撃っても服さなければ馬首を鉄樋でたたき、それでもなお服さなければ剣でその喉を断つ」(『資治通鑑』巻二〇六、則天后久視元年)と。この話は唐代の女性たちに特有の勇敢で、剛毅な性格をじつに生々と表わしている。

彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。『西廟記』『人面桃花』『侍女離魂』『蘭橋遇仙』『柳毅伝書』等の、儒教道徳に反した恋愛物語が、どれも唐朝に誕生したことは、この常よい証拠である。

 

彼女たちの家庭における地位は比較的高く、「婦は強く夫は弱く、内(女)は齢く外(男)は柔かい」(張鷲『朝野愈載』巻四)といった現象はどこにでも見られた。唐朝の前期には上は天子から下は公卿・士大夫に至るまで、「恐妻」がなんと時代風潮にさえなったのである。ある道化の楽人は唐の中宗の面前で、「かかあ天下も大いに結構」(孟築『本事詩』嘲戯)と歌ったことで、韋皇后から褒美をもらったという。御史大夫の襲談は恐妻家としてたいへん有名であったばかりか、妻は恐るべしという理論までもっていた。妻たちが家で勝手気ままに振舞っているのを見聞したある人は、大いに慨嘆して次のようにいった。「家をもてば妻がこれをほしいままにし、国をもてば妻がそれを占拠し、天下をもてば妻がそれを指図する」(干義方『異心符』)と。

この時代には、まだ「女子は才無きが輒ち是れ徳なり」(清の石成金の『家訓抄』が引く明の陳眉公の語)という観念は形成されていなかった。宮廷の妃嫁、貴婦人、令嬢から貧しい家の娘、尼僧や女道士、娼妓や女俳優、はては婦女にいたるまで文字を識る者がきわめで多く、女性たちが書を読み文を作り、詩を吟じ賊を作る風潮がたいへん盛んであった。これによって唐代には数多くの才能ある女性詩人が生れたのである。女道士の魚玄機はかつて嘆息して、「自ら恨む 羅衣の 詩句を掩うを、頭を挙げて空しく羨む 模中の名(女に生れて詩文の才を発揮できないのが恨めしい。むなしく科挙合格者の名簿を眺める)」(「崇真観の南楼に遊び、新及第の題名の処を括る」)と詠んだ。この詩句は、女性が才能の点で男性に譲らぬ自信をもってはいるが、男とともに金棒(科挙合格者発表の掲示板)に名を載せ、才能を発揮できない無念さをよく表している。

 

 

年:753年天寶十二年42

卷別:    卷二一六              文體:    樂府

詩題:    麗人行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

交遊人物/地點:  

 

 

 

麗人行(麗人の体貌服飾の美を詠う。)

三月三日天氣新,長安水邊多麗人。

三月三日に大空が晴れあがって気持ちも新たになる、長安の曲江池の水辺には麗しい美人が多くあそんでいる。

態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

態度が美しく、品位気高くしとやかで人柄がよくて、真実の意識がある、肌のきめこまかになめらかに、骨と肉がつりあい体型、背たけも良い。

繡羅衣裳照莫春,蹙金孔雀銀麒麟。

刺繍をした薄い絹の上衣、その下の衣裳は暮春のそらをてりかがやかし、金のより糸で孔雀、銀のより糸で麒麟を縫い取りされている。

頭上何所有、翠微盎葉垂鬢唇。

頭上の飾りものは何かといえば翡翠の羽で造花の葉にした飾が鬢に垂れている。

背衱何所見、珠壓腰衱穩稱身。』

背のあたりはどんなものが何かといえば腰帯のあたりにたくさんの真珠が重くなるほどついて体に似合っている。』

#2

就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

それらの美人たちのうちでも幕を雲のように張りつらねた皇后様の御身内、それは我国、秦国という大国の国号を賜わっている貴夫人方である

紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。

紫色の駱駝の峰肉が翠色の釜からやき肉に調理して出され、水桶の大皿には銀鱗の魚のなますが盛られてもちだされる。

犀筋厭飫久未下,鸞刀縷切空紛綸。

犀の角で作った箸をなかなかつけようとしない、そこで料理人が腕のさえを見せようと鳳凰の彫刻の料理刀で細作りに肉を切るには切るがその肉片はいたずらにみだれているばかりだ。

黃門飛鞚不動塵,禦廚絡繹送八珍。

後宮の宦官が塵もたたせず馬の口手綱をとばして来て大膳職からひっきりなしに八珍の御料理を送りこされる。

簫管哀吟感鬼神,賓從雜還實要津。』

簫や笛が奏でられる哀調をおびて鬼神をも感動させるほどあわれに妙であり、賓客と僕従とが要処要処にいっぱいに集結している。』

#3

後來鞍馬何逡巡!當軒下馬入錦茵。

最後にやってくる鞍馬はどうしてあんなにゆっくりとくるのか。やがて幔幕の舎の軒のところへくると馬からおりて錦のしとねの方へはいりこんだ。

楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。

楊柳の花が雪のように舞落ちて水面の白蘋におおいかぶさっている。また仙女の使いの青鳥が飛び去って美人たちの紅巾をくわえたりするように姫妃にざれている。

炙手可熱勢倫,慎莫近前丞相嗔。』

この貴妃の権勢は絶大なもので、もし手をあぶればやけどをする、進みちかづけはしない、ちかづけば丞相殿にお怒りを頂戴することになる。』

 

長安城図 作図00 

 

 

 

『麗人行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

麗人行

三月三日天氣新,長安水邊多麗人。

態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

繡羅衣裳照暮春,蹙金孔雀銀麒麟。

頭上何所有,翠微盍葉垂鬢脣。

背後何所見,珠壓腰衱穩稱身。

就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。

犀箸厭飫久未下,鑾刀縷切空紛綸。

黃門飛鞚不動塵,御廚絡繹送八珍。

簫鼓哀吟感鬼神,賓從雜遝實要津。

後來鞍馬何逡巡,當軒下馬入錦茵。

楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。

炙手可熱勢倫,慎莫近前丞相嗔。

 

詩文(含異文)    

三月三日天氣新,長安水邊多麗人。

態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

繡羅衣裳照暮春【畫羅衣裳照暮春】,蹙金孔雀銀麒麟。

頭上何所有,翠微盍【案:烏合反。】葉垂鬢脣【翠微匌盍垂鬢脣】【翠為盍葉垂鬢脣】【翠為匌盍垂鬢脣】。

背後何所見【身後何所見】,珠壓腰衱穩稱身【珠壓腰襻穩稱身】【珠壓腰肢穩稱身】。

就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

紫駝之峰出翠釜【紫駝之珍出翠釜】,水精之盤行素鱗。

犀箸厭飫久未下,鑾刀縷切空紛綸【鑾刀縷切坐紛綸】。

黃門飛鞚不動塵,御廚絡繹送八珍【御廚絲絡送八珍】。

簫鼓哀吟感鬼神【簫管哀吟感鬼神】,賓從雜遝實要津【賓從合遝實要津】。

後來鞍馬何逡巡,當軒下馬入錦茵【當道下馬入錦茵】。

楊花雪落覆【案:音副。】白蘋,青鳥飛去銜紅巾。

炙手可熱勢倫【炙手可熱世倫】,慎莫近前丞相嗔【慎莫向前丞相嗔】。


(下し文)
(麗人行)

三月三日 天氣新たに,長安の水邊 麗人多し。

態は濃く 意は遠くして淑且つ真に,肌理は 細膩さい ぢ にして 骨肉は勻ひとし。

繍羅の衣裳は 莫春に 照はゆる,蹙金しゅくきんの孔雀 銀の麒麟 。

頭上何の有る所ぞ, 翠を盎葉と爲して鬢びん脣に 垂る。

背後何の見る所ぞ,珠は腰を壓して穩やかに身に稱ふ。』

就中く 雲幕の椒房の親,名を賜ふ 大國 虢と秦と。

紫駝の峰を翠釜 より 出いだし,水精の盤に  素鱗 行くばる。

犀箸 厭飫して久しく未だ下さず,鸞刀 縷切して  空しく紛綸たり。

黄門 鞚を飛ばして塵を動かさず,御廚絡繹として 八珍を送る。

簫管 哀吟して 鬼神をも感ぜしめ,賓從 雜遝して  要津に實つ。』

後れ來たる鞍馬は何ぞ 逡巡する,軒に當たりて 馬より下りて  錦茵に入る。

楊花 雪のごとく落ちて 白蘋を覆ひ,靑鳥 飛び去りて 紅巾を銜む。

手を炙らば熱す可べし 勢は絶倫なり,慎みて近前する莫れ 丞相 嗔らん。』


(現代語訳)
(麗人の体貌服飾の美を詠う。)

三月三日に大空が晴れあがって気持ちも新たになる、長安の曲江池の水辺には麗しい美人が多くあそんでいる。

態度が美しく、品位気高くしとやかで人柄がよくて、真実の意識がある、肌のきめこまかになめらかに、骨と肉がつりあい体型、背たけも良い。

刺繍をした薄い絹の上衣、その下の衣裳は暮春のそらをてりかがやかし、金のより糸で孔雀、銀のより糸で麒麟を縫い取りされている。

頭上の飾りものは何かといえば翡翠の羽で造花の葉にした飾が鬢に垂れている。

背のあたりはどんなものが何かといえば腰帯のあたりにたくさんの真珠が重くなるほどついて体に似合っている。』

それらの美人たちのうちでも幕を雲のように張りつらねた皇后様の御身内、それは我国、秦国という大国の国号を賜わっている貴夫人方である

紫色の駱駝の峰肉が翠色の釜からやき肉に調理して出され、水桶の大皿には銀鱗の魚のなますが盛られてもちだされる。
犀の角で作った箸をなかなかつけようとしない、そこで料理人が腕のさえを見せようと鳳凰の彫刻の料理刀で細作りに肉を切るには切るがその肉片はいたずらにみだれているばかりだ。

後宮の宦官が塵もたたせず馬の口手綱をとばして来て大膳職からひっきりなしに八珍の御料理を送りこされる。

簫や笛が奏でられる哀調をおびて鬼神をも感動させるほどあわれに妙であり、賓客と僕従とが要処要処にいっぱいに集結している。』

最後にやってくる鞍馬はどうしてあんなにゆっくりとくるのか。やがて幔幕の舎の軒のところへくると馬からおりて錦のしとねの方へはいりこんだ。

楊柳の花が雪のように舞落ちて水面の白蘋におおいかぶさっている。また仙女の使いの青鳥が飛び去って美人たちの紅巾をくわえたりするように姫妃にざれている。

この貴妃の権勢は絶大なもので、もし手をあぶればやけどをする、進みちかづけはしない、ちかづけば丞相殿にお怒りを頂戴することになる。』

(訳注)

麗人行

長安城東南の曲江池の辺に春遊をたのしむ貴妃、宮女をうたっている。楊国忠らの豪薯を写しだしたもの。753年天宝12載春42歳の作。前年の十一月に李林甫が病死変わって、国忠は右丞相となったので、詩中に「丞相」と詠っている。

大明宮 作図011


三月三日天氣新,長安水邊多麗人。

三月三日に大空が晴れあがって気持ちも新たになる、長安の曲江池の水辺には麗しい美人が多くあそんでいる。

三月三日 陰暦の桃の節句で、唐時には宮女、士女の遊覧の盛んなときであった。○天気新 天色の新たに晴れわたることをいう。○水辺 曲江池の水のほとりをいう。○麗人 うつくしい婦女。

 

態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

態度が美しく、品位気高くしとやかで人柄がよくて、真実の意識がある、肌のきめこまかになめらかに、骨と肉がつりあい体型、背たけも良い。

態濃 態度がすべてそなえてうつくしい。○意遠 品位に奥ゆきがあって、気高い。○淑且真 人柄がよくて、真実の意識がある。○肌理 はだがこまやか。○細威 こまかにすべすべ、なめらか。○骨肉勻 勻は勻称のことで、つりあいのとれてあることをいう。即ち骨と肉と平均していてこえすぎず、やせすぎぬことをいう。

 
 

繡羅衣裳照莫春,蹙金孔雀銀麒麟。

刺繍をした薄い絹の上衣、その下の衣裳は暮春のそらをてりかがやかし、金のより糸で孔雀、銀のより糸で麒麟を縫い取りされている。

繍羅 刺繍をした薄い絹の上衣。○照暮春 莫は暮と同じ。三月は春の暮れである。照とはあたりもまばゆげにかがやくことをいう。○蹙金 撚金、即ち黄金をうちのばしてまたちぢませたもの。金細工の糸で綿糸として用いるものであろう。○孔雀、麒麟 竝に衣上のぬいとりの模様。



頭上何所有、翠微盎葉垂鬢唇。

頭上の飾りものは何かといえば翡翠の羽で造花の葉にした飾が鬢に垂れている。

何所有 有るものは何か。○翠微盎葉 翠は翡翠の羽、盎は盎綵(女の髻にかざる造り花)のことという。盎葉はその造り花の葉をいう。○鬢脣 鬢のほとりをいう。○珠 真珠。○ 多くぶらさげでいることをいう。

 

 

背衱何所見、珠壓腰衱穩稱身。』

背のあたりはどんなものが何かといえば腰帯のあたりにたくさんの真珠が重くなるほどついて体に似合っている。』

腰衱 衱とは上衣の後裾(うしろの下端)をいう、襟帯(はかまのおび)のところにあたる。○穏称身 わざとらしくなく、ほどよく身体につりあう。



(楊一族の有様を詠う。)

就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

それらの美人たちのうちでも幕を雲のように張りつらねた皇后様の御身内、それは我国、秦国という大国の国号を賜わっている貴夫人方である。

就中 それらの多くの遊覧美人のなかにおいて。○雲幕 雲霧の如く多く設けた幕。○椒房親 椒房とは椒(山椒の粉)を泥にまぜて壁に塗った部屋のこと、后妃の室はかくする故に后妃のことを椒房という。椒房の親とは皇后方の親戚のこと、即ち楊貴妃の身内、親戚の人々をさす。○賜名 名とは国号をいう。○大国 即ち下の我国・秦国をさす。○虢與秦 楊貴妃の大姉は韓国夫人に封ぜられ、三姨は我国夫人に、八姨は秦国夫人に封ぜられた。三姨とは三番目の姉妹、八姨とは八番目の姉妹。



紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。

紫色の駱駝の峰肉が翠色の釜からやき肉に調理して出され、水桶の大皿には銀鱗の魚のなますが盛られてもちだされる。

紫駝之峰 紫色の駱駝の峰肉(駱駝の背、隆起している肉)のこと。それをあぶり肉としてたべる。○出翠釜  出とはあぶられ調理されてそこからだされること。翠は釜の色のことであろう、釜はかま。○水精 ガラスのこと。○ ひらたい大皿。○ 客のまえへもちだすこと。○素鱗 銀白色のうろこをした魚、これはその内をいきづくりなどにしたもの。



犀筋厭飫久未下,鸞刀縷切空紛綸。

犀の角で作った箸をなかなかつけようとしない、そこで料理人が腕のさえを見せようと鳳凰の彫刻の料理刀で細作りに肉を切るには切るがその肉片はいたずらにみだれているばかりだ。

犀筋 犀のつので作った箸、筋は箸に同じ。○厭飫 たべものにあく。○下 箸を下すことをいう、はしをつけること。○鸞刀 刀の柄に鳳凰の彫刻のある刀。○縷切 いとすじのように細く肉をきる。○空紛綸 紛綸は肉片のみだれるさま。空しくとは徒らにと同じ、切ってお客から食われるならば切ったかいがあるけれども、食わなければ骨折りはむだごとである。

 

 

黃門飛鞚不動塵,禦廚絡繹送八珍。

後宮の宦官が塵もたたせず馬の口手綱をとばして来て大膳職からひっきりなしに八珍の御料理を送りこされる。

○黄門 大奥につかえる宦官をいう、宮中より使いにくるのである。○飛鞚 鞚は馬の口ばみにあたるつなをいうのであろう。○不動塵 ちりを立てぬ、馬のあしをうまくはこぼせること。○禦廚 おだいどころ、大膳職。○絡繹  陸続、たえまなく、ひきつづいて。○ こちらへおくりこす。〇八珍 八種の珍味、



簫管哀吟感鬼神,賓從雜還實要津。』

簫や笛が奏でられる哀調をおびて鬼神をも感動させるほどあわれに妙であり、賓客と僕従とが要処要処にいっぱいに集結している。』

簫管 簫や笛、管楽器。○哀吟 かなしくあわれな音をだす。○感鬼 神神をさえ感動させる。○賓従 お客たちや、お伴のもの。○雜還 こみあうこと。○ いっぱいになる。○要津 かなめなわたしばのところ。要処という意。



(楊国忠や荒淫のことを詠う。)

後來鞍馬何逡巡!當軒下馬入錦茵。

最後にやってくる鞍馬はどうしてあんなにゆっくりとくるのか。やがて幔幕の舎の軒のところへくると馬からおりて錦のしとねの方へはいりこんだ。

後来 あとから来る。○鞍馬 くらを置いたうま、楊国忠の馬。○逡巡 ためらうさま、これは速くゆかずゆっくりやってくるさまをいぅ。○当軒 この軒は軒墀(のきち)のことという。蓋し幔幕をひきめぐらして内部に簡単なとばり類があるものと思われるが、その舎の軒端、土階にあたるあたりを軒といったもの。○錦茵 敷筵にしいてある錦のしとね。



楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。

楊柳の花が雪のように舞落ちて水面の白蘋におおいかぶさっている。また仙女の使いの青鳥が飛び去って美人たちの紅巾をくわえたりするように姫妃にざれている。

楊花 楊柳の花。柳絮をいう。○雪落 雪のように落ちちる。○ かぶさる。○白蘋 蘋はあさざの類、白い花のさく水草。○青鳥 仙女西王母の使いという。この宮女たちを仙女の使者の青鳥の故事を借りている。○銜紅巾 銜は口でくわえること。紅巾は婦人の用いる衿のかざりのきれ。青鳥も馴れ親しむことをいう。



炙手可熱勢倫,慎莫近前丞相瞋。』

この貴妃の権勢は絶大なもので、もし手をあぶればやけどをする、進みちかづけはしない、ちかづけば丞相殿にお怒りを頂戴することになる。

灸手可熟 手をあぶればやけどしそうだという意味。○勢絶倫 権勢の強盛なことたぐいなし。○近前 前の字は動詞として用い、前へすすみでること。近前は近づき進みでること。○丞相 右丞相楊国忠をいう。○ この字は或は境に作る、嗔は気を盛んにする。瞋は目をみはって怒る。楊国忠は我国夫人とは従兄妹の仲で私通したものである、青鳥云々というのはそれれとなく不義、荒淫の行いがあるのをうたっている。
長安付近図00 

貧交行 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 48 

貧交行 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 48 



貧交行 
貧賎であったときには交りがあったものが富貴となってのちはその交りを棄てて省みないこと嘆いて作った詩。作者は賦を献じて後久しく長安に寓居していたが、時代は最悪の状態。李林甫の横暴はすさまじいもので、皇帝の近親者までも捕縛される始末で宦官の陰湿な動きも時代を暗くしていったのである。その状態の中で此の作を作った。752年、天宝十一載の作。

天宝10載  751年 40歳


貧交行     杜甫 
翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。
手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる、入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。
君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。
ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。 


貧交行    
手を翻(ひるがへ)せば雲と 作(な)り 手を覆(くつがへ)せば 雨となる。
紛紛たる輕薄  何ぞ 數ふるを 須(もち)ゐん。
君見ずや  管鮑(くゎんんぱう) 貧時の交はりを,
此(こ)の道  今人(こんじん) 棄つること 土の如し。



貧しい時代の交友の歌。
手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる、入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。
ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。 



貧交行:貧しい時代の交友の歌。 ・行:歌。

翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數
手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる。入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。 

翻手作雲覆手雨:手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる。  ・翻手:掌(たなごころ)をひるがえす。掌(てのひら)を上に向ける 。・作雲:雲になる。雲となる。 ・覆手:掌(たなごころ)をくつがえす。掌(てのひら)を下に向ける。 ・:〔名詞〕雨。〔動詞〕雨ふる。
紛紛輕薄何須數:入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。 ・紛紛:乱れ散るさま。混じり乱れるさま。

杜甫「陪鄭廣文游何將軍山林十首」其九
牀上書連屋,階前樹拂雲。將軍不好武,稚子總能文。
醒酒微風入,聽詩靜夜分。絺衣掛蘿薜,涼月白紛紛。

杜甫「孤雁」
孤雁不飲啄,飛鳴聲念群。誰憐一片影,相失萬重雲。
望盡似猶見,哀多如更聞。野鴉無意緒,鳴噪自紛紛。

李白「牛泊牛渚懐古」
牛渚西江夜、青天無片雲。
登舟望秋月、空憶謝勝軍。
余亦能高詠、斯人不可聞。
明朝挂帆席、楓葉落紛紛。
中唐・白居易「送春」
三月三十日,春歸日復暮。
惆悵問春風,明朝應不住。
送春曲江上,拳拳東西顧。
但見撲水花,紛紛不知數。
人生似行客,兩足無停歩。
日日進前程,前程幾多路。
兵刃與水火,盡可違之去。
唯有老到來,人間無避處。
感時良爲已,獨倚池南樹。
今日送春心,心如別親故。

杜牧の「淸明」
淸明時節雨紛紛,路上行人欲斷魂。
借問酒家何處有,牧童遙指杏花村。
輕薄:うわすべりで、真心がない。 ・何須:…する必要はない。 ・數:数える。


君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。
ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。
この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。
君不見管鮑貧時交:ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。 ・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩を読んでいる人(聞いている人)に対する呼びかけ、強調。樂府体に使われる。「君不聞」もあり、そこでは強調するためなので、詩のリズムが大きく変化する。

紀頌之漢詩ブログ 李白48『襄陽歌』君不見晉朝羊公一片石。龜頭剝落生莓苔。

紀頌之漢詩ブログ 李白89『將進酒』
君不見黄河之水天上來,奔流到海不復迴。
君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。
人生得意須盡歡,莫使金樽空對月。

紀頌之漢詩ブログ 杜甫37『兵車行』
君不見青海頭,古來白骨無人收。
新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。

白居易『新豐折臂翁』
君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。
又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。
邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。

白居易「杏爲梁」君不見馬家宅尚猶存

白居易「馴犀」君不見貞元末
白居易「太行路」、「上陽白髪人」、「澗底松」、「李夫人」、「天可度」、「采詩官」

岑参「胡笳曲送顔真卿使赴隴西」
君不聞胡笳聲最悲,紫髯綠眼胡人吹。
管鮑:かんぽう〕春秋時代の管仲と鮑叔牙のことで、「管鮑の交わり」をいう。深く理解し合った親密な交わり、仲むつまじい交際で、とりわけ鮑叔牙が管仲を深く理解していた。管仲は斉の宰相。安徽省の人。親友鮑叔牙の勧めで桓公に仕え、斉を強国とした人物。鮑叔は、欠点の多い管仲の好き理解者。・貧時:管仲と鮑叔が成功をまだ収めていない時期。貧しい時期。 ・:交際。交わり。

此道今人棄如土:この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。 ・此道:この道。交友を指す。管鮑の交わりのような交友。「管鮑之交」。 ・今人:現在の人。作者と同時代人を指す。ここでは、作者の周りの軽薄な人々のことになる。 ・:すてる。廃棄する。 ・:…のよう。 ・:つちくれ。ここでは、価値の無い物をいう。



■管鮑の交わり
 管仲は若い頃に鮑叔と親しく交わっていた。ある時、金を出し合って商売をしたが、失敗して大きな損失を出した。しかし鮑叔は管仲を無能だとは思わなかった。商売には時勢がある事を知っていたからである。また商売で利益が出た時、管仲は利益のほとんどを独占したが、鮑叔は管仲が強欲だとは思わなかった。管仲の家が貧しい事を知っていたからである。 このような鮑叔の好意に管仲は感じ入り、「私を生んだのは父母だが、私を知る者は鮑叔である」と言った。二人は深い友情で結ばれ、それは一生変わらなかった。管仲と鮑叔の友情を後世の人が称えて管鮑の交わりと呼んだ



■貧交行のころの杜甫
 この頃の杜甫は、任官の機会を得られないまま四十一歳になった。父、杜閑が死んでしまってからの収入は杜甫の手にかかっていた。どうしても官職を得ないといけないのだが、特別試験にも落第して、なりふり構わず、大臣の屋敷に頭を下げて出入りし、書家、画家、楽士の文士となって生活費にしていたのだ。また、薬草の知識を生かして、山野から採取し、副収を得るようにもしている。
天宝十載(751)正月に、杜甫は延恩匭(えんおんき)に「三大礼の賦」とそれに付した表(上書)を投函した。延恩匭というのは、大明宮の東西南北、四つの門に設けられた投書箱で、一般の民が天子に意見を述べられるもので、杜甫は直接天子に訴えたのだ。
甲斐あって、集賢院待制(しゅうけんいんたいせい)に任じられたのだが、待制というのは御用掛り待機候補といったものである。順番が来れば選考・登用の機会が与えられるという程度のものだ。それでも、期待していても呼び出しはなかった。この辛さが詩人を成長させていく。

前出塞九首 其九 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 48

前出塞九首 其九 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 48
天宝10載751年 40歳


前出塞九首 其九
從軍十年餘,能無分寸功?
自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
眾人貴苟得,欲語羞雷同。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
中原有鬥爭,況在狄與戎?
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
丈夫四方誌,安可辭固窮?

丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。



自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。


軍に従うこと十年余  能く分寸の功無からんや
衆人苟(いやしく)も得るを貴ぶ  語らんと欲して雷同を羞ず
中原にすら闘争有り  況んや秋と戎とに在るをや
丈夫 四方の志    安(いずく)んぞ固窮を辞す可けん



從軍十年餘,能無分寸功?
自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
能無 能は豈に似て、反語によむ。〇分寸 すこし。
 

眾人貴苟得,欲語羞雷同。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
○筍得 かりにも利得にさえなればよいとする。 ○雷同 雷音の発生するとき、諸物は同時にこれに応じて起こる。故に他人にあいづちをうつことを雷同という。尻馬に乗る。



中原有鬥爭,況在狄與戎?
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
中原 黄河流域。文明の開かれている中国の中央。○ 於いてというのに同じ。○狄、戎 西方や北方の異民族。



丈夫四方誌,安可辭固窮?
丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。
〇四方 杜甫「北征」四方服勇決。(四方 勇決に服す。-四方の国々は勇敢果決さに服従している。)回紇、吐蕃などに対して勇敢果決さを志すことを示す。○固窮 「論語」衛霊2公に「君子固ヨリ窮ス」とあり、もとより困窮すること。
 

出塞のものがたり 9
其一で初めて出征するものの心細さを詠ったのであるが、其八、其九では少しの手柄を立てるのは当たり前で、異民族に対し、勇敢果決を志すことが大切なことだといっている。士官のための即興の詩を披露したのであろう。しかし、宮廷には、表側では、李林甫が、その裏では、宦官の高力氏が牛耳っていたので、難しかったのだ。


前出塞九首 其八 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 47

前出塞九首 其八 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 47
天宝10載751年 40歳



前出塞九首 其八
單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
潛身備行列,一勝何足論?

そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。


敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。



前出塞九首 其の八
単干我が壘に寇す 百里風塵昏し
雄剣四五動き 彼の軍我が為めに奔る
其の名王を虜にして帰り 頸を繋ぎて轅門に授く
身を潜めて行列に備わる 一勝何ぞ論ずるに足らん




單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
単干 匈奴の酋長、ここは吐蕃の王をいう。○ 防塁。 ○ 急襲して攻め入る、こちらへ侵入してくる。
 

雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
○雄剣 ウィキペディアには次の通りである。干将・莫耶(かんしょう・ばくや。干将は本来干將。莫耶は莫邪とも)とは、中国における名剣、もしくはその剣の製作者である夫婦の名である。剣については干将が陽剣(雄剣)、莫耶が陰剣(雌剣)である(この陰陽は陰陽説に基づくものであるため、善悪ではない)。また、干将は亀裂模様(龜文)、莫耶は水波模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる(『呉越春秋』による)。なお、この剣は作成経緯から、鋳剣(鋳造によって作成された剣)である。〇四五動 四、五回振り動かす。



虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
○其 単干の軍をさす。○名王 単干の部下の有名な王。○繋頸 くびを縄でつなぐ。○授 ひきわたすことをいう。○轅門 軍営の門、むかしは陣営の門は車の柁棒をむかい合わせにならべてつくるという。



潛身備行列,一勝何足論?
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。
潜身 からだをこっそりひっこめる。〇備行列 部隊の行列のなかへくわわっている。○何足論 論じてことごとしくいいたてるに足らぬ、これは全勝を得るまでは得意にならぬことをいう。



出塞のものがたり  8
 騎馬民族の戦法は奇襲戦にあったのであろうが、との戦いに対して、長剣は有効な武器であっただろう。馬の足を拂われそうで、逃げていったのもよくわかる。
かわいた砂漠に防塁を築いている。敵からすれば騎馬で一気に乗り越えようとする奇襲したのである。紀元前の春秋戦国の時代の名剣の威力は実績済みのものだ。

前出塞九首 其七 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 46

前出塞九首 其七 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 46
天宝10載751年 40歳

前出塞九首 其七
驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
浮雲暮南徵,可望不可攀。

大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。


我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。



馬を駆れば天雪を雨らす、軍行いて高山に入る。
逕危くして寒石を抱く、指は落つ曾氷の間。
己に去って漢月遠し、何の時か城を築きて還らん。
浮雲碁に南に征く、望む可くして攀ず可からず。




驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
 空からあめの降るようにふる。 人に施しを与える。



逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
・逕 細道。こみち。 ・ 崖の土が石をはらんで今にもおちそうにある。・指落 凍傷にかかっておちる。○曾冰 曾は層と同じ、つみかさなった氷。



已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
 離れ去る。○漢月 漢の月とは唐の月、本国の月をいう。



浮雲暮南徵,可望不可攀。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。
南征 南とは故郷のある方位、征はゆくこと。○ よじのぼる、よじのぼることができたら南へつれていってもらう。


出塞のものがたり
751年天宝十年、杜甫はすでに四十歳になった。前年には長男の宗文が生まれており、杜甫の心の中には、ここらでどうしても仕官しなければ、という焦りがあった。この年「三大礼の賦」を作り、投書箱を通して直接に天子に奉っている。
この投書箱は則天武后のときに作られた制度によるもので、その箱には四面に口があり、東は「延恩」、西は「伸冤」、南は「招諌」、北は「通玄」と名づけられており、自分の才能を信じて立身を願う者は、このうち「延恩」の口にその作品を投ずるというものであった。
経済的に追いつめられた杜甫の求職運動はますます激しく、誰彼の見さかいもなく高位高官のもとを訪れ、その推挙を依頼してまわっている。たとえば、753年天宝十二年には、楊国忠にこの頃、京兆尹(長安市長)に引き上げてもらい、成り上がりの鮮干仲通に詩を奉り、宰相の楊国忠に推薦してくれるように頼んでいる。

前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45

前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其六 杜甫45


前出塞九首 其六
挽弓當挽強,用箭當用長;
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。
射人先射馬,擒賊先擒王。
意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
苟能製侵陵,豈在多殺傷?

いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。



弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。


弓を挽(ひ)かば当に強きを挽くべし、箭(や)を用いは当に長きを用うべし、人を射ば先ず馬を射よ。敵を擒(とりこ)にせば先ず王を檎にせよ
人を殺すも亦た限り有り、国を立つるに自ら疆(きょう)有り。
苛も能く侵陵(しんりょう)を制せば、豈多く殺傷するに在らんや。



挽弓當挽強,用箭當用長;射人先射馬,擒賊先擒王。
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
 つよい弓。○長 ながいや。○ いけとりにする、初めの四句においでは「檎王」の句が主であり、前三句はこれを言うためのまえおきである。



殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
殺人 戦争による殺戮。 ○有限 一定の限界がある、人はことごとく殺しつくせるわけのものでない。 ○ くにざかい。○ 抑制する、制限する。



苟能製侵陵,豈在多殺傷?
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。
侵陵 陵は濠に通じ、しのぐ。敵国からの侵略をしのぐ。○豈在 在とは戦争の目的がそこに存在するということ。



出塞兵士の物語 6
 防衛のための戦争にとどめるべきで、侵略し、略奪、殺戮が目的化してはいけない。最新兵器、戦略練って、その戦力を圧倒して、守るのであれば、おおきな血は流されないで済むのではないか。
 将を射んと欲すればまず馬を射よ。生け捕りをするなら王を生け捕れ。セオリーを守れ、と杜甫は述べたのではない。個々の兵士たちに家族がある。守るための戦いにとどめたら少しでも、死ぬ人間が少ないものにとどめるべきだといっている。


唐の体制について
 均田制・府兵制の両制度の実施には戸籍が必要不可欠であったが、685年ごろ武則天期になると解禁された大地主による兼併や高利貸によって窮迫した農民が土地を捨てて逃亡する(逃戸と呼ばれる)事例が急増した。事前通告しない土地の売買を解禁したため、売買が急激にがふえたのだ。戸籍の正確な把握が困難になっていった。また、華北地域では秋耕の定着による2年3作方式が確立され、農作業の通年化・集約化及びそれらを基盤とした生産力の増大が進展したことによって、期間中は農作業が困難となる兵役に対する農民の嫌気が増大していった。かくして735年均田・租庸調制と府兵制は破綻をきたし、代わる税制・兵制が必要となる。
 
辺境において実施された藩鎮・募兵制は、府兵制は徴兵により兵役に就かせたのに対して、徴収した土地の租税の一部を基に兵士を雇い入れる制度である。710年に安西四鎮(天山山脈南路の防衛)を置いたのを初めとして719年までに10の藩鎮を設置している。当初は辺境地域にしか置かれていない。ここに節度使の権力、資力の集約が始まるのである。

前出塞九首 其五 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 44

前出塞九首 其五 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 44
天宝10載751年 40歳



前出塞九首其五
迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
我始為奴樸,幾時樹功勛?

これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。



はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。


迢迢万里余、我を領して三軍に赴く。
軍中苦楽異なり、主将寧ぞ尽(ことごと)く聞かんや
河を隔てて胡騎を見る、倏忽(しゅくこつ)数百羣。
我始めて奴僕たり 幾時か功勲を樹てん




迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもも地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
迢迢 はるばる。○領我 自分をひきつれて。〇三軍 軍制は上・中・下の三軍に分れて構成されていた。ここは主将の居る本隊をさす。



軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
異苦楽 兵卒たる者はその部隊長の人物如何によって苦と楽とのちがいがあるが、この句から判断するとこの戍卒の属していた人は主将・隊長としていい人物ではなかったので苦労の多かったということだろう。○主将 総司令官。○ 苦楽の状を聞きしる。



隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
隔河 河は交河、土魯番の西にある。○胡騎 えびす、吐蕃の騎兵。○ たちまち。



我始為奴樸,幾時樹功勛?
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。
 やっと今。○為奴僕 「漢書」の公孫弘伝賛に「衛青奴僕より奮う」とあり、武帝の大将軍衛青は奴僕の賤しい身分からふるいおこって栄達したといっている。○幾時 何時と同じ。○功勲 手柄を立てる。いさおし。
 


出塞兵士の物語 5

 出征した兵士たちの部隊によって、扱いが違ったようだ。部隊長の力関係が大きく影響する。すべての基本が弱肉強食の時代である。違いは極端なものであってもおかしくなかったであろう。違いがあるほどコントロールしやすいからである。
 抜け駆けしてでも手柄を立てたいと競い合わせたのある。生活様式の違う異民族との戦い。別の表現では、農耕民族と、遊牧民族・騎馬民族の戦いである。農耕民族はだらだらと隊を集結させるが、騎馬民族は、「瞬く間に群をなした」としているが、初めて、騎馬民族の戦い方を見たものは、その様相だけでも震え上がったとされる。

唐の税制・兵制
 税制は北周時代から均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制であった。この両制度は車の両輪で相互不可分な制度なのである。
均田制は労働に耐えうる青年男性一人につき、相続が許されるな土地が20畝まで認められ、割り当ての口分田は死亡や定年60歳になると国家に返却する土地を可能な範囲最大80畝まで支給された。また職分田(これは辞職した時に返却する)。丁男がいない戸、商工業者、僧侶・道士などの特別な戸に対してもそれぞれ支給量が決められていた。そこから生産されるものに対して、租庸調と呼ばれる税を納めるのである。租は粟(穀物)2石、調は絹2丈と綿3両を収め、年間20日の労役の義務があり、免除して貰うためには、労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収めることになっていた。
 田地を貸し与えるために戸籍制度が出来上がった。府兵制はこれらの戸籍に基づいて3年に1度、丁男に対して徴兵の義務を負わせた。

前出塞九首 其四 杜甫

前出塞九首 其四 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 43
天宝10載 751年 40歳

其四
送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
哀哉兩決絕,不複同苦辛!

ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。


我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。



徒を送るに既に長あり 遠く戍まもるに亦た身あり
生死前に向って去る  吏の怒噴することを労せず
路に相識の人に逢う  書を附して六親に与う
哀い哉両ふたつながら決絶す   復た苦辛を同じくせず



送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
送徒 徒は徒旅の徒、戍卒をいう。送とはこれを引きつれて吐蕃の方へ送りとどけること。○長 かしら、引率者。○遠戍 遠地のまもりにゆく。○ 身体、自己の身体をいう。遠隔地の守りにつくための引率の隊長に対して不平不満が爆発する寸前になる、奴隷のようにやたらに鞭などあてられてはならないというのである。
 

生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
生死 生死にかかわらずの意。○向前 前方へと。○不労 労はわずらわす、苦労をかける。○ 軍吏、即ち上句の「長」と同じ人。 杜甫に吏につぃてに三首がある。「石壕吏」石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳、「新安吏」乾元元年冬末、華州をはなれて洛陽に至り、二年に洛陽より華州にかえるとき、途上において新安の吏と問答の詩。「潼関吏」官軍は相州を囲んで敗れたために、潼関を修理、防禦築城の場所をすぎ、役人と問答の詩。○ 気を盛んにしていかる。吏がいかるのは途中で立ち話をしたり手紙をたのんだりするのについてであろう。
 

路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
相識人 ふだん知りあいの人。○附書 附は附託、書はてがみ。〇六親 父母兄弟妻子をいう。′



哀哉兩決絕,不複同苦辛!
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。
 六親の方と彼によるつながりの両方。○決絕 わかれきる。完全に切れること。○ ふたたび。○同苦辛  艱難辛苦をともにする。



出塞兵士の物語 4
武器、兵車と生活物資のすべてを運ぶのである。兵士は隊列を組んで行進するわけではない。イメージとしては避難民の行列の方が近いかもしれない。勝手な動きをされては困るので隊長の吏は鞭をもって指図するわけである。それは、長安の街の中でも見たことであった。
 家族と離れ、国に命を預けて出征するものでも奴隷のように鞭で追われるように指図を受けて不満もないというわけにはいかない。
 隊長の吏としては、日程通りに進んでくれないといけないし、勝手に休憩するし、知り合いと出会えば長話をする。怒鳴るように指示をしても鞭を振り上げないと云うことを聞かない。異民族からの侵略に対して守りにつくのであり、もう一つはシルクロードの守りにあるのである。長安は国際都市であった。

前出塞九首 其三 杜甫

前出塞九首 其三 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 42
五言律詩

其三
磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
功名圖麒麟,戰骨當速朽。

麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。



隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。



刀を嗚咽の水に磨けばけば、水赤くして刃手を傷く。
腸断の声を軽んぜんと欲するも、心緒乱るること己に久し。
丈夫誓って国に許す、憤惋復た何ぞ有らん。
功名麒麟に図せられん、戦骨当に速に朽つべし。

 
陝西甘粛出塞 杜甫65


磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
鳴咽水、腸断声 「三秦記」にいう「隴山の頂に泉有りて、清水四に注ぐ、東のかた秦川を望めば四五里なるが如し。俗歌に『陣頭の流水、鳴声幽咽す。遙かに秦川を望めば、肝腸断絶す』という」と。隴山は今の陝西省鳳翔府隴州の北西にあって、ここを経て甘粛省の方へ赴くが、長安地方の眺望がこれよりみえなくなる様子を詠った歌である。鳴咽の水とはむせびなくような水流をいう。腸断声とは水自身に人をして腸をたたしめるような声のあることをいう。○水赤刃傷手 事実は刃が手をきずつけるから血が染まって水が赤くなるのであるが、我々がであう経験からすれば水が赤いのではっとおどろいてみると刃が手をきずつけていることが知られるということになる。



欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。(それがつい誤って手をきずつけさせたのだ。)
○軽 軽く視る、なんでもないものと見なそうとすること。○心緒 さまざまのものおもい。このものおもいのみだれが手をきずつけたわけである。



丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
丈夫 ますらお、自ずからをいう。○許国 心身をささげることを国に対して許す。よいとする。○憤椀 いきどおり、おどろきうらむ。


功名圖麒麟,戰骨當速朽。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。
功名 自己の戦功をたでた名。○図 画かれること。○戰骨當速朽 戦死したあとの骨など速にくちはつるがいい、骨はくちても芳名が千歳にのこるのだ。
麒麟 宮殿閣の名。漢の宜帝の甘露三年に大将軍容光ら十二人を麒麟閣にえがいた。


長安洛陽鳳翔Map


出塞兵士の物語 3
 戦場で骨は朽ち果て土に帰るが、手柄を立てれば、その名はいつまでも残る。国のために心身を捧げものは、女々しくするものではない。
 詩の場所は、長安からスタートしたシルクロードを西に進む。河川が急激に急流になる。滝のような場所もたくさんある。轟音を立てて流れる。標高2000mを超える峠まで、両岸は切り立っている。
 出征した兵士のほとんどは、こんな嶮しいところは初めてである。それでなくても都から離れていくし、さびしくなるうえにむせび泣く声の水流の音、はらわたを断ち切るような水流の音などにより、かなり追い詰められていく様子を詠いあげている。

前出塞九首 其二 杜甫

前出塞九首 其二 杜甫紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 41
五言律詩



前出塞九首 其二
出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
捷下萬仞岡,俯身試搴旗。

すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。


我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。

門を出でて日に己に遠し、 徒旅の欺(あなどり)を受けず。
骨肉恩豈に断えんや、 男児死するに時無し。
馬を走らせて轡頭(ひとう)を脫し、手中に青糸を挑(かか)げ。
捷(と)く万仞(ばんじん)の岡より下り、身を俯して試に旗を搴(むきと)る。



出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
出門:門は家の門。 徒旅:徒は成卒、旅とは衆。衆卒を徒旅という、なかまのもの。 :だますことではなく、あなどること。こばかにされる。 

骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
骨肉:親子兄弟。 恩豊断:ふりきろうとしても実はたちきれぬことをいう。 無時:一定の時のないことをいう、いつでも死すべき時には死なねばならぬの意。 
 

走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
脱轡頭:轡頭とは馬韁(ばきゅう馬のはなかわ、おもづら)のこと。脱とは蓋しかけてある鐶から馬韁をはずすことであろう。 青糸:これは轡頭からつづく手綱をいう。 



捷下萬仞岡,俯身試搴旗。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。
:はやく。仞:八尺。 :身からだを地面へむけてうつむく。



出塞兵士の物語 2
 この当時の唐の国は、世界一の領土を誇った強大な国であった。国の制度も、律令国家として、最も進んだくにであった。租庸調の人民への負担と貿易など国力は周辺諸国を圧倒していた。しかし、北方と、西方については、生活様式の違いが大きく唐への帰属(漢化)はなかなかできないものであり、周辺の局地戦は、季節が巡るように繰り返された。広大な領土を守るため、常時兵力補充が行われた。
 戦で勲功をあげれば、出身がなんであろうと出世した。徴兵によって狩出されたものが勲功をあげることはなく、異民族、騎馬民族出身者が、手柄を立てのし上がっていったのである。哥舒翰、安禄山など異民族出身者である。
 杜甫の出塞九首は、その名もない兵士の物語なのだ。第二話は、訓練をしてやっと仲間の兵士から小ばかにされなくなったところまでである。

前出塞九首 其一 杜甫

「前出塞九首 其一」 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 40
751年天宝10載 40歳


〔詩の背景〕
・正月、三大礼行なわれる。
(楊貴妃にのめりこみ宦官に任せる。李林甫の圧政)
・2月安禄山、河東節度使を兼ねる。
・4月鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討つ
・8月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗。
・均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止)
・杜甫、長安にあり。三大礼賦を献ず。玄宗これを奇とし、命じて制を集賢院預かりになる。待機ということ。秋、瘧(おこり、間欠熱、マラリア)を病む。



〔詩題の説明〕前出塞九首
この詩は天宝の未年哥舒翰が吐蕃に兵を出して戦功を貪るのにつき、従軍者の立場でうたったものである。唐王朝は領土欲が特に強くこの時過去最大の領土を誇った。領土拡大は其の地の富を収奪・略奪することにあった。しかし、各都市の領地の管理負担は律令制度に托されて、人民、民衆の負担は大きかったのである。杜甫はこのことに義憤を抱いていた。



(前)出塞 九首 其一
戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
棄絕父母恩,吞聲行負戈。

天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


(前)塞より出ず 九首 其の一
戚戚としで故里より去り、悠悠交河に赴く。
公家頼期有り、 亡命すれば禍羅に嬰る。
君己に上境に羅めり、 辺を開くこと一正何ぞ多き。
父母の恩を棄施し、 声を呑みて行くゆく曳を負う。



前出塞:あとに「後出塞」五首があり、「後」ができてからそれと区別するために「前」をつけ加えたもので、始めは単に「出塞」とあった。塞はほとりで、ここでは長城のことをいう、長城をこえて出るのにより出塞という。 



戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
戚戚:がまんをしておしだまっているため、ものしずかになる。うれえるさま。15歳から、40歳まで兵役がある(庸)。 故裡:故郷。○悠悠はるか。 交河:県の名、今の新疆ウィグル地区の土魯番の附近。



公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
公家:官家、おかみ。権力者。 程期:道程期限、何時までにどれほどの路をあるかねばならぬとのきまり。亡命:「命より亡する」義。命は名に同じ、姓名をかいた簿籍をいう。亡とは名籍から脱して逃亡することをいう。税と徴兵負担が大きかったので亡命者が多かった。与えられた耕作地を放棄するものが出始め、府兵制が崩れていく。ただ、徴兵がなくなるわけではない、傭兵に重点を置くだけで、農民への負担は変わりなかったのである。 禍羅:羅はあみのこと、禍のあみとは刑罰にふれることをいう。家族に災いが及ぶので、絶対服従状態である。 



君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
:天子。 土境:領土。 開辺:辺境を成敗して開拓する。 



棄絕父母恩,吞聲行負戈。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
棄絶:ふりすてる。 吞声:すすりなきする、こえをたでぬ。:兵車をひく。ほこを引く。

兵車行  杜甫

兵車行  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 37

天宝九載(750) 39歳 杜甫は長安に在す。初めて鮮度に遇う。この年、長子宗文生まれ、家族4人。
749哥舒翰、吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。

 西方では吐蕃(チベット)が勢力を増し、唐西域の交易路を侵すようになる。玄宗は外征に力を入れ、安西副都護の高仙芝は遠く西方(現在のウイグル自治区の西側)に兵をすすめ、董延光将軍は吐蕃の石堡城(青海省湟源県付近)を攻めている。董延光の軍は吐蕃に敗れて敗走するが、河西節度使の哥舒翰が六万三千の大軍を率いて再度石堡城を攻め、多数の犠牲者を出してやっと攻め落とす。


 杜甫は、長安の状態は一時不安な状態で、一旦洛陽に帰っていたが、哥舒翰勝利で。再度長安に出る。 長安に着くと、西征の兵馬の列が連日のように都門を出て西に向かっている。杜甫はこれを「兵車行」に詠う。この「兵車行」は杜甫のリアリズム詩の最初の名作。府兵制、募兵制に対する批判の意を込めた詩であり、外国人を安直に節度使においていく政策にも批判を持っている。この後、朝廷の政策批判、リアリズムに徹した数々の詩作を作る。

吐蕃だけでなくペルシャなど西方の緊張が増しており、局地戦は常時あったので、兵員は増強され、長安の街から西方に行く隊列は数日続いた。兵車の声をきいて感じて作ったうた。
 
七言歌行  兵車行


兵車行
車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。
車はガラガラ。馬はヒヒーン。出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
牽衣頓足闌道哭,哭聲直上干雲霄。
 (1)』
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
道旁過者問行人,行人但云點行頻。
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる。出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或從十五北防河,便至四十西營田。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
去時里正與裹頭,歸來頭白還戍邊。
 (2)』
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。
邊庭流血成海水,武皇開邊意未已。
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
君不聞漢家山東二百州,千邨萬落生荊杞。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
縱有健婦把鋤犁,禾生隴畝無東西。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
況復秦兵耐苦戰,被驅不異犬與鷄。
 (3)』
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。
長者雖有問,役夫敢申恨。
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
且如今年冬,未休關西卒。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
縣官急索租,租税從何出。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
信知生男惡,反是生女好。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。
 (4)』
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。
君不見青海頭,古來白骨無人收。
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。 
(5)』
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。


(1)
車はガラガラ。馬はヒヒーン。出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
(2)
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる。出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。

(3)
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。

(4)
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。
これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。

(5)
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。




兵車行
(1)       
車 轔轔(りんりん),馬 蕭蕭(しょうしょう),行人の 弓箭(きゅうせん)各ゝ(おのおの)腰に在り。
耶孃(やぢゃう) 妻子  走りて 相(あ)ひ送り,
塵埃(じんあい)に 見えず  咸陽橋(かんようきょう)。
衣を牽(ひ)き足を頓し 道を闌(さえぎ)りて 哭し,
哭聲 直に上りて  雲霄(うんしょう)を干(おか)す。
道旁の 過ぐる者  行人に 問へば,
行人 但(た)だ云(い)ふ 點行頻(しき)りなりと。
(2)
或は 十五 從(よ)り  北のかた 河に防ぎ,
便(すなは)ち 四十に至るも  西のかた 田を營む。
去る時 里正  與(ため)に 頭を裹(つつ)み,
歸り來(きた)れば 頭 白くして  還(ま)た 邊を戍(まも)る。
(3)
邊庭の流血  海水を 成せど,
武皇 邊を開く  意は 未だ已(や)まず。
君 聞かずや  漢家 山東の二百州,
千村 萬落  荊杞(けいき)を 生ずるを。
縱(たと)い健婦の鋤犁(じょり)を把(と)る有りとも,
禾(いね)は 隴畝(ろうほ)に生じて東西(とうざい)無し。
況(いわ)んや復(ま)た  秦兵は 苦戰に耐ふとて,
驅らるること   犬と鷄とに 異らず。
(4)
長者  問ふ有りと雖(いへど)も,
役夫(えきふ)  敢(あえ)て恨みを申べんや。
且つ  今年の冬の 如きは,
未だ  關西(かんせい)の卒を 休(や)めざるに。
縣官  急に租を索(もと)め,
租税  何(いづ)くより 出(い)ださん。
信(まこと)に 知る  男を生むは惡(あ)しく,
反って是れ  女を生むは好(よ)きを。
女を生まば猶(な)お 比鄰(ひりん)に嫁するを得るも,
男を生まば 埋沒して  百草に隨(したが)う。
(5)
君 見ずや  青海の頭(ほとり),
古來 白骨  人の收むる 無く。
新鬼 煩冤(はんえん)し  舊鬼 哭し,
天陰(くも)り雨濕(しめ)るとき聲啾啾(しゅうしゅう)たるを


兵車行:戦いに使う車の歌。「行」は楽府の「詩・歌」の意。『代朗月行』『前有樽酒行』『蒿里行』など。
府兵制、募兵制に対する批判の意を込めた詩であり、リアリズムに徹した詩作に没入していく.


 
兵車行
兵車 いくさぐるま。此の詩は兵車の動く声をきいて感じて作る、故に兵車行と題する。


車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。
車はガラガラ。馬はヒヒーン。出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
轔轔 車のがらがらなるおと。○粛粛 しめやかにしずかなさま。○行人 兵役に赴くひと。○在腰 こしにつけている。


耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
○耶 爺と同じ、ちち。○嬢 はは。○咸陽橋 咸陽は県の名、渭水をへだてて長安より北の岸にある。橋は成陽へわたるためのはしで、或は西渭橋のことといい、或は中渭橋のことというが、はっきりしない。
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牽衣頓足闌道哭,哭聲直上干雲霄。 (1)』
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
牽衣 ゆく人をやるまいとしてとりすがる。○頓足 足にてとんとんと地をふむ、じだんだふむ、慟哭のときにするさま。○闌道 道路をさえぎる、ゆくてのじゃまになること。牽、頓、欄、実などはみな耶嬢妻子らの為す所である。○ あおぞら。



道旁過者問行人,行人但云點行頻。
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる。出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
道勇 退者 みちをとおりすぎるもの、第三者をいう。○点行 点とは人名の頭に筆を以て点をつける、すなわち点つけをしてしらべること、行とは兵行。兵役に赴かしめることについて点検すること。此の「点行頻」より最後の「声秋秋」までは行人の答辞である。



或從十五北防河,便至四十西營田。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
十五、四十 開元十五年に十五歳のものであるならば天宝九載に至っては三十八歳である、四十というのは成数を挙げたもの。○防河 河は黄河、河を防ぐとは夷狄の侵入を黄河の辺に至ってふせぐことをいう。開元十五年秋、吐蕃が害をなしたので関中の兵万人を徴して臨桃に集め、これを防がせたことがある。○営田 耕田のしごとをする、これは屯田することをいう、屯田しながら吐巷の防備をすること。



去時里正與裹頭,歸來頭白還戍邊。 (2)』
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。
去時 防河に赴いたときをいう。○里正 村長。○与 我がために、の意。○裏頭 鉢巻き、鳥雄三尺を以て頭をつつむ。成人になれば裏頭にするという、出陣のすがたである。○帰来  北からもどる。○頭白 年よることをいう。○ また、俗語である。○成辺 辺は辺境、国境、吐蕃の地方をいう、これは長安より西方にあたる。営田と戍辺とは同一事である。「去時」の句は「十五」の句を承け、「帰来」の句は「四十」の句を承ける組み立てになって居る。



邊庭流血成海水,武皇開邊意未已。
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。(唐・玄宗を暗示)
辺庭 国境にちかい戦場。○成海 水多くあふれる。○武皇 漢の武帝をいう。武帝は西域地方まで侵略して辺境を開拓した人で、唐の玄宗をたとえていう。○開辺 辺地をひろげて我が方へとりいれるという意、開辺のこころ。



君不聞漢家山東二百州,千邨萬落生荊杞。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
漢家 漢の国家、ここでは唐の国家をいう。○山東 華山より東。〇二百州 唐では函谷関より東に七道、二百十七州があった。二百とはおおよそをいう。〇万落 落は散在している民居をいう、むらのこと。○刑 いばら。○杷 くこ。



縱有健婦把鋤犁,禾生隴畝無東西。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
健婦 強健なおんな、夫の留守をするもの。○ 手にとる。○鋤撃 鋤も撃もすき。○ すべて穂をだす植物をいう、むぎ、きびの類。○陳畝おか、うね。○無東 西西も東もないとは行列が正しくなくて乱雄であることをいう。



況復秦兵耐苦戰,被驅不異犬與鷄。 (3)』
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。
秦兵 秦とは地理上よりいう、長安の地方、即ちこの行進の人の出生地、ここの兵は昔より強いといわれる。○耐苦戦 難儀な戦いにたえることができる。○ あとからおいたてる。



長者雖有問,役夫敢申恨。
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
長者 年うえのおかた、質問をした人をさす敬称。○役夫 兵役に従うもの、行進の人、自分を謙遜していうことば。○伸恨 うらみの心を十分に晴らすようにする。



且如今年冬,未休關西卒。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
今年 天宝九載、王難得が吐蕃を撃ったときをさす。○ 休息、帰休。○関西卒 関中に対して関西は陝西省の西のこと。関西卒とは陳西・吐蕃ではたらく兵。



縣官急索租,租税從何出。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
県官は国家の代表のこと。○索 はたる。○ 唐の税制は租・調・庸の三つより成り、租は穀を出し、調は兵を出し、庸は絹を出す。○従何 何処から。



信知生男惡,反是生女好。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
この句とおなじような意味の詩、三国時代の
陳琳「飲馬長城窟行」 (1)
車はガラガラ。馬はヒヒーン。
出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。
砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
(2)
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる(と)。
出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。

(3)
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。

(4)
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。
これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。

(5)
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
(1)
車はガラガラ。馬はヒヒーン。
出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。
砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
(2)
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる(と)。
出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。

(3)
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。

(4)
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。
これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。

(5)
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
陳琳と汪遵 邊塞詩
飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。



生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。 (4)』
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。
 よめにゆく。○此鄰 比も鄰も五家、近所をいう。○埋没 死んで土中にうずめられる。○ まにまに。○百草 種々の雑草。



君不見青海頭,古來白骨無人收。
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
青海 今の甘粛省と西蔵との中間に横たわる地、その地に湖があって青海という。唐の時の吐谷津の地で、吐春の居る処。○白骨 戦死者のさらされたはね。○ とりかたづける。



新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。 (5)』
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
新鬼、旧鬼 鬼とは人の死者をいう。○煩冤 心もだえて不平なさま。○啾啾 しゅうしゅうとなく。

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