杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

人生生き方

大雲寺贊公房四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168

大雲寺贊公房四首 其四 #1杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168
杜甫は叛乱軍の拘束中に大雲寺の僧贊公の宿坊に泊まった時に書いたものである。

大雲寺贊公房四首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166
大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167



其四 #1-5
童兒汲井華,慣捷瓶手在。
未成年の子供と幼児が井花水を汲んでどう生かすか、おなじように敏捷にして慣れ親しんだ瓶は手の中にあったとしてどういかすか。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
天から雨が降り、びっしょり濡れたとしてもその地がうるおってはいない、掃除をしたといっても少しも掃き清められていない。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
輝く光の中かすみがはれてあふれんばかりに光り輝き、そしてりっぱな建物であり、霧がすっきり晴れていると高窓をあけるのである。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
側には山がせり出して道をふさいでいて、小路に花が咲き乱れ被っている。揺れて漂っていて掘割の柳も風任せに揺れている。
艱難世事迫,隱遁佳期後。

艱難辛苦というものは今の世には逼っている。私が隠遁できるようになるにももっと良い時節にならないと無理なのだ。


#2-6
晤語契深心,那能總鉗口?
奉辭還杖策,暫別終回首。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
既未免羈絆,時來憩奔走。
近公如白雪,執熱煩何有?

1

童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。

沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。

明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高(こうりょ)を搴(ぬ)く。

側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) (くつりゅう)に委ねる。

艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。


#2
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩 何んぞ有りや?



tsuki0882
其四 #1 現代語訳と訳註
(本文)

童兒汲井華,慣捷瓶手在。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
艱難世事迫,隱遁佳期後。


(下し文) #1
童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。
沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。
明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高牖(こうりょ)を搴(ぬ)く。
側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) 墀柳(くつりゅう)に委ねる。
艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。

(現代語訳)
未成年の子供と幼児が井花水を汲んでどう生かすか、おなじように敏捷にして慣れ親しんだ瓶は手の中にあったとしてどういかすか。
天から雨が降り、びっしょり濡れたとしてもその地がうるおってはいない、掃除をしたといっても少しも掃き清められていない。
輝く光の中かすみがはれてあふれんばかりに光り輝き、そしてりっぱな建物であり、霧がすっきり晴れていると高窓をあけるのである。
側には山がせり出して道をふさいでいて、小路に花が咲き乱れ被っている。揺れて漂っていて掘割の柳も風任せに揺れている。
艱難辛苦というものは今の世には逼っている。私が隠遁できるようになるにももっと良い時節にならないと無理なのだ。


(訳注)
童兒汲井華,慣捷瓶手在。

未成年の子供と幼児が井花水を汲んでどう生かすか、おなじように敏捷にして慣れ親しんだ瓶は手の中にあったとしてどういかすか。
井華「井花水(せいかすい)」に同じ。

沾灑不濡地,掃除似無帚。
天から雨が降り、びっしょり濡れたとしてもその地がうるおってはいない、掃除をしたといっても少しも掃き清められていない。
沾灑 しゃ・さい 水をまき散らす。すすぐ。
沾 てん(1) ちょっと触れる。脚不沾地 di 飞跑足も地に触れないみたいに速く走る.(2) (利益・恩恵などを)被る,あずかる.(1) しみる,ぬれる沾湿了衣服服がびっしょりぬれた.(2) 付着する,くっつく鞋上沾了点儿泥靴に泥が少しついた.


明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
輝く光の中かすみがはれてあふれんばかりに光り輝き、そしてりっぱな建物であり、霧がすっきり晴れていると高窓をあけるのである。
1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛(びらん)・腐爛」 2 あふれんばかりに光り輝く。あざやか。「爛然・爛漫・爛爛/絢爛(けんらん)・燦爛(さんらん)」
 高い建物。宮殿。収蔵庫。○霽霧  [1]雲や霧が消える。空が真っ青に―・れるこの霧はお昼頃には―・れるだろう[2]雨・雪が降りやむ。あがる。○搴 とる。ぬく○ 杜甫『晦日尋崔戢李封』「朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。」貧乏家屋の丸い土窓に朝の日光がさしこんできた、死んだようにうつ伏せてねていたわたしは目をさましてやぶれた着物を着ているのに驚いた。 ○甕牖 甕牖縄枢 おうようじょうすう貧しく粗末な家の形容。かめの口のように小さな丸窓と縄を枢(とぼそ:戸の開閉をする軸)の代わりにした家の意。(「甕」はかめ、「牖」は窓。)


側塞被徑花,飄搖委墀柳。
側には山がせり出して道をふさいでいて、小路に花が咲き乱れ被っている。揺れて漂っていて掘割の柳も風任せに揺れている。
 流れをさえぎってとめる。せき止める。 物事の進行、人の行動などをさまたげる。人を隔てて遠ざける。



艱難世事迫,隱遁佳期後。
艱難辛苦というものは今の世には逼っている。私が隠遁できるようになるにももっと良い時節にならないと無理なのだ。
艱難 人生でぶつかる困難や苦労。都が叛乱軍によって落とされ、略奪が横行。自分は、拘束されたことなど、自分だけでなくみんなの苦労を言う。○世事 大人などがかかわる世事俗事 ・ 雑事 ・ やぼ用 ・ (世の中の)約束事 ・ (浮き世の)しきたり ・ (人の)しがらみ ・ (社会的な)義務世事にうとい俗情にうという。○佳期 平和な時期。佳 都合がよい。 期 約束。時期。

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遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151
五言排律
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳


遣興
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
 問知人客姓,誦得老夫詩。
   客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
儻歸免相失,見日敢辭遲。

もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。


遣興
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや


遣興 現代語訳と訳註
(本文) 遣興

驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。

世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。


(下し文)

驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや


(現代語訳)

驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。


(訳注)
はじめの2句の意味が次の二句にかかる。
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
学語 言語をならいおぼえること。

問知人客姓,誦得老夫詩。
客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
〇人客 客人をいう。○老夫 作者杜甫自ずからをさす。


世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ
 驥子をさす。○ 驥子の母、杜甫の妻。


鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
鹿門 山の名、湖北省嚢陽府に在り、後漢の龐徳公が妻子をたずさえてこの山に登り薬を採って返らなかった、杜甫も隠遁の念があることをいう。○雁足 蘇武の故事。妻からの手紙をいう。蘇武が漢の使となって匈奴に捕えられていたとき、漢より別の使者がいって匈奴をあざむいていうのに、天子が上林中において弓を射て雁を得たところ、雁の足に帛書が繋いであった「蘇武は大沢の中にある」により蘇武の所在がわかり、救出できた。○ 約束。


天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
軍麾 麾は旗のたぐい。○戦角  角はつのぶえ。

儻歸免相失,見日敢辭遲。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。
 ひょっと、万一。 〇相失 みうしなう。○見日 面会する時日。
 

 杜甫は国のゆくすえを心配すると同時に、羌村に残したまま音信不通になっている家族のことも気になる。詩題の「遣興」というのは湧き出る思いを吐き出すという意味で、即興的な詩ですが感情がこもっている。
 「驥子」というのは次男宗武の幼名で、このとき五歳である。五歳で父親の詩を暗誦したりして賢いところのある次男に杜甫は注目しており、言葉を覚え始めるくらいの幼さで戦乱の世に遭遇した幼児にあわれを寄せているのだ。そして占領下、囚われの身では家族に便りを出すこともできないと述べている。

晦日尋崔戢李封 杜甫 120 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 118#3

晦日尋崔戢李封 杜甫 120 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 118#3


#3
威鳳高其翔,長鯨吞九洲。
鳳凰ともいえる威風の賢者は高くかけり去ってしまい、小魚を一気に飲みこむ長鯨のような悪人が九州を呑もうとしている。
地軸為之翻,百川皆亂流。
大地を作り出す軸というものも之がためにひっくりかえってしまった、多くの運河や用水路はみなみだれて流れている。
當歌欲一放,淚下恐莫收。
自分は十分きままに一つ歌をうたおうとおもうが、うたいだしたら涙が垂れてきて止めることができなくなるほどになるかと恐れるのである。
濁醪有妙理,庶用慰沉浮。』

こんな時だから、このにごり酒というやつはなんというふしぎな道理作用をもったものか、自分に涙を流させる思いを忘れさせる効果をもっている、願うことなら、自分はこの酒をのんでそれでもって我が身の浮き沈みの鬱憤をなぐさめることとしよう。』



(下し文)

威鳳高く其れ翔る 長鯨九州を呑む

軸之が為めに翻り 百川皆乱流す

当歌一放せんと欲す 涙下りて恐らくは収むる莫らん

濁醒(だくりょう)妙理(みょうり)有り 庶(こいねがわ) くば 用て沈浮を慰せん』




晦日尋崔戢李封#3 現代語訳と訳註 
(本文)

威鳳高其翔,長鯨吞九洲。
地軸為之翻,百川皆亂流。
當歌欲一放,淚下恐莫收。
濁醪有妙理,庶用慰沉浮。』

(下し文)
威鳳高く其れ翔る 長鯨九州を呑む
地軸之が為めに翻り 百川皆乱流す
当歌一放せんと欲す 涙下りて恐らくは収むる莫らん
濁醒(だくりょう)妙理(みょうり)有り 庶(こいねがわ) くば 用て沈浮を慰せん』

(現代語訳) #3
鳳凰ともいえる威風の賢者は高くかけり去ってしまい、小魚を一気に飲みこむ長鯨のような悪人が九州を呑もうとしている。
大地を作り出す軸というものも之がためにひっくりかえってしまった、多くの運河や用水路はみなみだれて流れている。
自分は十分きままに一つ歌をうたおうとおもうが、うたいだしたら涙が垂れてきて止めることができなくなるほどになるかと恐れるのである。
こんな時だから、このにごり酒というやつはなんというふしぎな道理作用をもったものか、自分に涙を流させる思いを忘れさせる効果をもっている、願うことなら、自分はこの酒をのんでそれでもって我が身の浮き沈みの鬱憤をなぐさめることとしよう。』


(訳註)
威鳳高其翔,長鯨吞九洲。
鳳凰ともいえる威風の賢者は高くかけり去ってしまい、小魚を一気に飲みこむ長鯨のような悪人が九州を呑もうとしている。
威鳳 威厳ある鳳皇、賢人をたとえていう。○長鯨 身長のながいくじら、悪人をたとえていう、これは安禄山をさす。〇九州 天下、国じゅう。

地軸為之翻,百川皆亂流。
大地を作り出す軸というものも之がためにひっくりかえってしまった、多くの運河や用水路はみなみだれて流れている。
地軸 地球のじく。

當歌欲一放,淚下恐莫收。
自分は十分きままに一つ歌をうたおうとおもうが、うたいだしたら涙が垂れてきて止めることができなくなるほどになるかと恐れるのである。
当歌 うたをいう、曹操の詩に「酒二対シテハ当二歌夕べシ」とみえる。〇一放 ひとたびかってにうたう。○莫収 おさめること、かたづけることができない。


濁醪有妙理,庶用慰沉浮。』
こんな時だから、このにごり酒というやつはなんというふしぎな道理作用をもったものか、自分に涙を流させる思いを忘れさせる効果をもっている、願うことなら、自分はこの酒をのんでそれでもって我が身の浮き沈みの鬱憤をなぐさめることとしよう。』
濁醸 にごりざけ。○有妙理 ふしぎな道理作用がある。○ ねがわくは。○ その酒を以て。○沈浮 身の境遇のうきしずみ。


(解説)
重税を逃れ兵士となったもの、知識階級の不平と不満を持っていた者たちが安禄山の陣営に加わったのである。この傾向は、750年代には顕著になり、755年ピークを迎えた。11月幽州において、反旗を建て黄河を渡るころには15万とも20万ともいわれる勢力になっていた。日に日に残虐性を露呈し、略奪の限りを尽くし、人心から遊離し、内部抗争を繰り返したために唐王朝滅亡に至らなかったのであろう。
 この詩のころは、安禄山は絶頂であり、中国全土に激震が走ったのだ。
 杜甫は、奉先、白水、三川と北上して逃避したのであるが、家族はさらに北上して鄭州羌村村まで逃避させたのである。
杜甫乱前後の図003鳳翔


晦日尋崔戢李封
(晦日 尋崔戢李封を尋ぬ)
正月のみそかに崔戢、及び李封をたずねた詩。製作時は天宝十五載正月であろうという。


晦日尋崔戢李封
朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。起行視天宇,春氣漸和柔。
興來不暇懶,今晨梳我頭。出門無所待,徒步覺自由。』
杖藜複恣意,免值公與侯。晚定崔李交,會心真罕儔。
每過得酒傾,二宅可淹留。喜結仁裡歡,況因令節求。』

李生園欲荒,舊竹頗修修。引客看掃除,隨時成獻酬。
崔侯初筵色,已畏空尊愁。未知天下士,至性有此不?』
草牙既青出,蜂聲亦暖遊。思見農器陳,何當甲兵休?
上古葛天氏,不貽黃屋憂。至今阮籍等,熟醉為身謀。』

威鳳高其翔,長鯨吞九洲。地軸為之翻,百川皆亂流。
當歌欲一放,淚下恐莫收。濁醪有妙理,庶用慰沉浮。』


#1
貧乏家屋の丸い土窓に朝の日光がさしこんできた、死んだようにうつ伏せてねていたわたしは目をさましてやぶれた着物を着ているのに驚いた。
それから起きだして歩き始め空をよく眺めてみたのだ、もう春の気配がふわりとやわらかに感じられてくるようだ。
かく風流な趣向の気持ちがうごいてくるとぶしょうをやっている暇はない、きょうの朝は、いつもとちがって自分の頭髪をくしできれいにとかすのである。(友を訪問する用意をする)。
この家の門から出かけるに他人に借りてまで持っていくものは何もない、自分の足で歩くのは自由でぐあいがいいとおもう。』

あかぎの杖をつきつつゆくのもきままでいい。公だの侯だのという官僚連中にあう世話がないというものだ。
わたしは崔、李の二君とは最近知り合ったが、こんなに自分の心にぴったりあうことは真のことで類い稀なことである。
この二人を訪問するたびに酒を傾けることを得ている、この二人の家ならばながく逗留とするこができるのである。
二君のような「仁者の居る里」でたがいによろこびかわすことのできるのはとてもうれしいことなのだ、ましてきょうの訪問は正月の晦日という祝日にあたって訪ねられたのということがまことにうれしいのである。』

#2
李君はその小園が荒れかかっている、まえからある竹がよほどながくのび放題でおおわれている。
ふだんは庭そうじもしてないのだが客がきたというのでわたしを案内してくれながらみるみるうちに掃除をやっている、時の過ぎゆくままに差出したり、出されたり酒杯のやりとりをするわけだ。
崔君は酒筵の開けはじめたときからすでにその顔つきがあおざめている、すでに酒樽が空になりはせぬかときづかう様子なのである。
今の世間の人たちはここに勇士がいるとは知らない、ましてその至誠の性情というものがのこんなに有るということがかわからないだろう。』
草の芽はすでに青みが出している。蜂も飛び交う音をだして暖かさの中遊んでいる。
こんな春であるから耕作につかう農具がもちだされるのを見たいと思うのだ。いったいいつになったら甲胃や兵器など使う状況を止めることができるのだろう。
上古葛天氏の時代の人民は平和でいたものだ、今のように天子に謀叛を起して心配をかけるようなことはしなかった。
今ここでは阮籍の様な賢者たちといわれるものがいる、賢者は酒にのみ酔いどれて、天下のためにこの一身をいかにするのか良い工夫をするものなのだ。』

#3
鳳凰ともいえる威風の賢者は高くかけり去ってしまい、小魚を一気に飲みこむ長鯨のような悪人が九州を呑もうとしている。
大地を作り出す軸というものも之がためにひっくりかえってしまった、多くの運河や用水路はみなみだれて流れている。
自分は十分きままに一つ歌をうたおうとおもうが、うたいだしたら涙が垂れてきて止めることができなくなるほどになるかと恐れるのである。
こんな時だから、このにごり酒というやつはなんというふしぎな道理作用をもったものか、自分に涙を流させる思いを忘れさせる効果をもっている、願うことなら、自分はこの酒をのんでそれでもって我が身の浮き沈みの鬱憤をなぐさめることとしよう。』


#1
朝光嚢隙に入る 戸寝微衷に驚く
起行して天字を視る 春気漸く和柔なり
興来って媚なるに暇あらず 今最我が頭を杭る
門を出づるに待つ所無し 徒歩自由なるを覚ゆ』
杖葬復た意を窓にす 公と侯とに値うことを免る
晩に定む崖李の交り 会心兵に博学なり
過ぐる毎に酒を得て傾く 二宅掩留す可し
仁里の懐を結ぶことを喜ぶ 況や令節に因て求むるをや』
#2
李生園荒れんと欲す 旧竹頗る情情たり
客を引いて看るみる掃除す 時に随って献酬を成す
崖侯初産の色 己に茂る空将の愁あらんかと
未だ知らず天下の士 至性此有るや不や』
草芽既に青出す 蜂声亦暖遊す
農器の陳ぜらるるを見んと思う 何か当に甲兵休すべき
上古葛天の民 黄屋の憂を胎きず
今に至って院籍の等 熟酔身の謀を為す』
#3
威鳳高く其れ翔る 長鯨九州を呑む
地軸之が為めに翻り 百川皆乱流す
当歌一放せんと欲す 涙下りて恐らくは収むる莫らん
濁醒(だくりょう)妙理(みょうり)有り 庶(こいねがわ) くば 用て沈浮を慰せん』



○押韻  裘。柔。頭。由。』侯。儔。留。求。』
○押韻 修。酬。愁。不。/遊。休。憂。謀。
○押韻 洲。流。收。浮。

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晦日尋崔戢李封 #2
李生園欲荒,舊竹頗修修。
李君はその小園が荒れかかっている、まえからある竹がよほどながくのび放題でおおわれている。
引客看掃除,隨時成獻酬。
ふだんは庭そうじもしてないのだが客がきたというのでわたしを案内してくれながらみるみるうちに掃除をやっている、時の過ぎゆくままに差出したり、出されたり酒杯のやりとりをするわけだ。
崔侯初筵色,已畏空尊愁。
崔君は酒筵の開けはじめたときからすでにその顔つきがあおざめている、すでに酒樽が空になりはせぬかときづかう様子なのである。
未知天下士,至性有此不?』
今の世間の人たちはここに勇士がいるとは知らない、ましてその至誠の性情というものがのこんなに有るということがかわからないだろう。』
草牙既青出,蜂聲亦暖遊。
草の芽はすでに青みが出している。蜂も飛び交う音をだして暖かさの中遊んでいる。
思見農器陳,何當甲兵休?
こんな春であるから耕作につかう農具がもちだされるのを見たいと思うのだ。いったいいつになったら甲胃や兵器など使う状況を止めることができるのだろう。
上古葛天氏,不貽黃屋憂。
上古葛天氏の時代の人民は平和でいたものだ、今のように天子に謀叛を起して心配をかけるようなことはしなかった。
至今阮籍等,熟醉為身謀。』
今ここでは阮籍の様な賢者たちといわれるものがいる、賢者は酒にのみ酔いどれて天下のためにこの一身をいかにするのか良い工夫をするものなのだ。』


晦日尋崔戢李封 #2

(本文)
李生園欲荒,舊竹頗修修。引客看掃除,隨時成獻酬。
崔侯初筵色,已畏空尊愁。未知天下士,至性有此不?』
草牙既青出,蜂聲亦暖遊。思見農器陳,何當甲兵休?
上古葛天氏,不貽黃屋憂。至今阮籍等,熟醉為身謀。』
  
(下し文)
李生園荒れんと欲す 旧竹頗る情情たり
客を引いて看るみる掃除す 時に随って献酬を成す
崖侯初産の色 己に茂る空将の愁あらんかと
未だ知らず天下の士 至性此有るや不や』
草芽既に青出す 蜂声亦暖遊す
農器の陳ぜらるるを見んと思う 何か当に甲兵休すべき
上古葛天の民 黄屋の憂を胎きず
今に至って院籍の等 熟酔身の謀を為す』
  
(現代語訳)
李君はその小園が荒れかかっている、まえからある竹がよほどながくのび放題でおおわれている。
ふだんは庭そうじもしてないのだが客がきたというのでわたしを案内してくれながらみるみるうちに掃除をやっている、時の過ぎゆくままに差出したり、出されたり酒杯のやりとりをするわけだ。
崔君は酒筵の開けはじめたときからすでにその顔つきがあおざめている、すでに酒樽が空になりはせぬかときづかう様子なのである。
今の世間の人たちはここに勇士がいるとは知らない、ましてその至誠の性情というものがのこんなに有るということがかわからないだろう。』
草の芽はすでに青みが出している。蜂も飛び交う音をだして暖かさの中遊んでいる。
こんな春であるから耕作につかう農具がもちだされるのを見たいと思うのだ。いったいいつになったら甲胃や兵器など使う状況を止めることができるのだろう。
上古葛天氏の時代の人民は平和でいたものだ、今のように天子に謀叛を起して心配をかけるようなことはしなかった。
今ここでは阮籍の様な賢者たちといわれるものがいる、賢者は酒にのみ酔いどれて天下のためにこの一身をいかにするのか良い工夫をするものなのだ。』


  
(語訳と訳註)
李生園欲荒,舊竹頗修修。
李君はその小園が荒れかかっている、まえからある竹がよほどながくのび放題でおおわれている。
李生 封をいう。〇修修 長いさま。

引客看掃除,隨時成獻酬。
ふだんは庭そうじもしてないのだが客がきたというのでわたしを案内してくれながらみるみるうちに掃除をやっている、時の過ぎゆくままに差出したり、出されたり酒杯のやりとりをするわけだ。
引客 お客をみちびく、お客とは自己をいう。○ みるみるうちに。○掃除 そうじする。○随時 つごうのいい時に。○献酬 献は主人より客へ杯をさすこと。次に客より主人へかえすのを酢という、次にまた主人より客へさすのを酬という。

崔侯初筵色,已畏空尊愁。
崔君は酒筵の開けはじめたときからすでにその顔つきがあおざめている、すでに酒樽が空になりはせぬかときづかう様子なのである
崔侯 戢李封をいう。○初筵色 酒蓮の開け初めたときからの顔色。○空尊愁 さかだるがからになるとのしんばい。

未知天下士,至性有此不?』
今の世間の人たちはここに勇士がいるとは知らない、ましてその至誠の性情というものがのこんなに有るということがかわからないだろう。』
天下士 一般世上の人。○至性 至誠の性情。○此不 是も知らないだろう。


草牙既青出,蜂聲亦暖遊。
草の芽はすでに青みが出している。蜂も飛び交う音をだして暖かさの中遊んでいる。
青出 育みがでた。○暖遊 あたたかさにあそぶ。


思見農器陳,何當甲兵休?
こんな春であるから耕作につかう農具がもちだされるのを見たいと思うのだ。いったいいつになったら甲胃や兵器など使う状況を止めることができるのだろう。
思見 作者杜甫がおもう。○農器 耕作の器具。○ 陳列。○ 何時、いつか。○甲兵休 甲冑兵器の使用を止めること。

上古葛天氏,不貽黃屋憂。
上古葛天氏の時代の人民は平和でいたものだ、今のように天子に謀叛を起して心配をかけるようなことはしなかった。
葛天氏 葛天氏は上古の君、葛天氏は其の時の人民。○胎 人におくりのこす。○黄屋憂 天子のごしんばい。黄屋とは天子の馬車のほろのうらが黄色のきぬで作られているものをいい、黄色のもので飾られる天子のことである。
 
至今阮籍等,熟醉為身謀。』
今ここでは阮籍の様な賢者たちといわれるものがいる、賢者は酒にのみ酔いどれて天下のためにこの一身をいかにするのか良い工夫をするものなのだ。』
阮籍等 阮籍は魏の世の人、竹林七賢人の一人、ここに集う杜甫たちをさす。○熟酔 よいどれになる。○為身謀一身の謀をなす。世情が三国騒乱の時代に極似していること言う。


修。酬。愁。不。/遊。休。憂。謀。

晦日尋崔戢李封 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 118

晦日尋崔戢李封 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 118
正月のみそかに崔戢、及び李封をたずねた詩。製作時は天宝十五載正月である。


晦日尋崔戢李封#1
朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。
貧乏家屋の丸い土窓に朝の日光がさしこんできた、死んだようにうつ伏せてねていたわたしは目をさましてやぶれた着物を着ているのに驚いた。
起行視天宇,春氣漸和柔。
それから起きだして歩き始め空をよく眺めてみたのだ、もう春の気配がふわりとやわらかに感じられてくるようだ。
興來不暇懶,今晨梳我頭。
かく風流な趣向の気持ちがうごいてくるとぶしょうをやっている暇はない、きょうの朝は、いつもとちがって自分の頭髪をくしできれいにとかすのである。(友を訪問する用意をする)。
出門無所待,徒步覺自由。』
この家の門から出かけるに他人に借りてまで持っていくものは何もない、自分の足で歩くのは自由でぐあいがいいとおもう。』
杖藜複恣意,免值公與侯。
あかぎの杖をつきつつゆくのもきままでいい。公だの侯だのという官僚連中にあう世話がないというものだ。
晚定崔李交,會心真罕儔。
わたしは崔、李の二君とは最近知り合ったが、こんなに自分の心にぴったりあうことは真のことで類い稀なことである。
每過得酒傾,二宅可淹留。
この二人を訪問するたびに酒を傾けることを得ている、この二人の家ならばながく逗留とするこができるのである。
喜結仁裡歡,況因令節求。』

二君のような「仁者の居る里」でたがいによろこびかわすことのできるのはとてもうれしいことなのだ、ましてきょうの訪問は正月の晦日という祝日にあたって訪ねられたのということがまことにうれしいのである。』




(晦日 尋崔戢李封を尋ぬ)#1
朝光嚢隙に入る 戸寝微衷に驚く
起行して天字を視る 春気漸く和柔なり
興来って媚なるに暇あらず 今最我が頭を杭る
門を出づるに待つ所無し 徒歩自由なるを覚ゆ』
杖葬復た意を窓にす 公と侯とに値うことを免る
晩に定む崖李の交り 会心兵に博学なり
過ぐる毎に酒を得て傾く 二宅掩留す可し
仁里の懐を結ぶことを喜ぶ 況や令節に因て求むるをや』



晦日尋崔戢李封#1 現代語訳と訳註 
(本文)

朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。起行視天宇,春氣漸和柔。
興來不暇懶,今晨梳我頭。出門無所待,徒步覺自由。』
杖藜複恣意,免值公與侯。晚定崔李交,會心真罕儔。
每過得酒傾,二宅可淹留。喜結仁裡歡,況因令節求。』

(下し文)
朝光嚢隙に入る 戸寝微衷に驚く。
起行して天字を視る 春気漸く和柔なり。
興来って媚なるに暇あらず 今最我が頭を杭る。
門を出づるに待つ所無し 徒歩自由なるを覚ゆ。』
杖葬復た意を窓にす 公と侯とに値うことを免る。
晩に定む崖李の交り 会心兵に博学なり。
過ぐる毎に酒を得て傾く 二宅掩留す可し。
仁里の懐を結ぶことを喜ぶ 況や令節に因て求むるをや。』


(現代語訳)
貧乏家屋の丸い土窓に朝の日光がさしこんできた、死んだようにうつ伏せてねていたわたしは目をさましてやぶれた着物を着ているのに驚いた。
それから起きだして歩き始め空をよく眺めてみたのだ、もう春の気配がふわりとやわらかに感じられてくるようだ。
かく風流な趣向の気持ちがうごいてくるとぶしょうをやっている暇はない、きょうの朝は、いつもとちがって自分の頭髪をくしできれいにとかすのである。(友を訪問する用意をする)。
この家の門から出かけるに他人に借りてまで持っていくものは何もない、自分の足で歩くのは自由でぐあいがいいとおもう。』

あかぎの杖をつきつつゆくのもきままでいい。公だの侯だのという官僚連中にあう世話がないというものだ。
わたしは崔、李の二君とは最近知り合ったが、こんなに自分の心にぴったりあうことは真のことで類い稀なことである。
この二人を訪問するたびに酒を傾けることを得ている、この二人の家ならばながく逗留とするこができるのである。
二君のような「仁者の居る里」でたがいによろこびかわすことのできるのはとてもうれしいことなのだ、ましてきょうの訪問は正月の晦日という祝日にあたって訪ねられたのということがまことにうれしいのである。』


(訳註)
朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。

乏家屋の丸い土窓に朝の日光がさしこんできた、死んだようにうつ伏せてねていたわたしは目をさましてやぶれた着物を着ているのに驚いた。
朝光 朝の日光。○甕牖 甕牖縄枢 おうようじょうすう貧しく粗末な家の形容。かめの口のように小さな丸窓と縄を枢(とぼそ:戸の開閉をする軸)の代わりにした家の意。(「甕」はかめ、「牖」は窓。)○甕牖 戸は屍(しかばね)、死人の如く下ぶしになってねることをいう。○敞裘 やぶれた毛ごろも。
 
起行視天宇,春氣漸和柔。
それから起きだして歩き始め空をよく眺めてみたのだ、もう春の気配がふわりとやわらかに感じられてくるようだ。
起行 おきてあるく。○天字 やねに似た天空。○春氣 春の陽気 ○漸和柔 ふわりとやわらかに感ぜられる


興來不暇懶,今晨梳我頭。
かく風流な趣向の気持ちがうごいてくるとぶしょうをやっている暇はない、きょうのあさは、いつもとちがって自分の頭髪をくしできれいにとかすのである。(友を訪問する用意をする)。
不暇懶 ぶしょうをしているひまがない。○今晨 きょうのあさ○ 頭髪をくしでとかす。


出門無所待,徒步覺自由。』
この家の門から出かけるに他人に借りてまで持っていくものは何もない、自分の足で歩くのは自由でぐあいがいいとおもう。』
出門 わが家の門からでかける。○無所待 待つとはそれを誰かに借りなければならいということ。車馬僕従の類をさす。○徒歩 長安の杜曲の時には馬で歩いた。ここは初めて徒歩であるのであろう。


杖藜複恣意,免值公與侯。
あかぎの杖をつきつつゆくのもきままでいい。公だの侯だのという官僚連中にあう世話がないというものだ。
枚褒 あかぎの杖をつく。〇恣意 かってにする。○免值 世話がない○公與侯 貴爵をもつ人。この時、人狩りが行われていた。王朝軍、反乱軍側のどちらも明確にすると危険だった。


晚定崔李交,會心真罕儔。
わたしは崔、李の二君とは最近知り合ったが、こんなに自分の心にぴったりあうことは真のことで類い稀なことである。
晩定 晩年になってからきめる。○崔李交 崔戢・李封との交際。○会心 我が心にぴったりあうこと。○罕儔 類い稀なこと。罕:めったにない。儔:同じ仲間。等しい。匹敵する。

每過得酒傾,二宅可淹留。
この二人を訪問するたびに酒を傾けることを得ている、この二人の家ならばながく逗留とするこができるのである。
毎過 過とはこちらから先方の宅へ過訪すること。〇二宅 雀、李との宅。○掩留 ひさしく逗留する。


喜結仁裡歡,況因令節求。』
二君のような「仁者の居る里」でたがいによろこびかわすことのできるのはとてもうれしいことなのだ、ましてきょうの訪問は正月の晦日という祝日にあたって訪ねられたのということがまことにうれしいのである。』
結・歡 たがいによろこびかわすこと。○仁裡 仁者のおる賂処。雀李の居地をさす。文字は「論語」に本づく。○令節 唐の時は正月晦日を令節とした、令節は祝日。○ 尋ねてゆくことをいう。


○押韻 裘。柔。頭。由。』侯。儔。留。求。』

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 114 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#10

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 114 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#10


自京赴奉先縣詠懷五百字 #10 
生常免租税、名不隸征伐。
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
默思失業徒、因念遠戍卒。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』


()に知らんや秋禾(しゅうか)の登(みの)るに、貧窶(ひんく)には倉卒(そうそつ)たる有り。

(せい)は常に租税を免(まぬ)かれ、

名は征伐に隸(れい)せず。

(あと)を撫()すれば猶()お酸辛(さんしん)たり、平人(へいじん)は固(もと)より騒屑(そうせつ)たらん。

(もく)して失業の徒()を思い、因()りて遠戍(えんじゅ)の卒(そつ)を念(おも)う。

憂端(ゆうたん)は終南(しゅうなん)に斉(ひと)しく、鴻洞(こうどう)として(ひろ)う可()からず。





自京赴奉先縣詠懷五百字 #10 訳註と現代語訳 解説
(本文)

生常免租税、名不隸征伐。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。
默思失業徒、因念遠戍卒。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。

(下し文)
豈(あ)に知らんや秋禾(しゅうか)の登(みの)るに、貧窶(ひんく)には倉卒(そうそつ)たる有り。
生(せい)は常に租税を免(まぬ)かれ、
名は征伐に隸(れい)せず。
迹(あと)を撫(ぶ)すれば猶(な)お酸辛(さんしん)たり、平人(へいじん)は固(もと)より騒屑(そうせつ)たらん。
默(もく)して失業の徒(と)を思い、因(よ)りて遠戍(えんじゅ)の卒(そつ)を念(おも)う。
憂端(ゆうたん)は終南(しゅうなん)に斉(ひと)しく、鴻洞(こうどう)として掇(ひろ)う可(べ)からず。

(現代語訳)
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』


生常免租税、名不隸征伐。
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
○生 生活をいう。○免租 税は租庸調とあったわけで、祖父、父親も高級官僚であり、その嫡子であることから、最初から税負担はない。この詩の時、杜甫は右衛率府兵曹参軍であった。○隷征伐 隷は属すること、庸と府兵制の義務にあたる3年の兵役負担のことを言う。征伐にやられるべき人名の部類に属する、即ち軍務に服せしめられることをいう。


撫迹猶酸辛、平人固騒屑。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
撫跡 跡は平生の行跡、撫とはそれにそうて考えてみること。○ 自分でさえなお。○酸辛 つらし。○平人 一般の人々、特典にあずからぬ人々。○騒屑 紛擾のさま、四苦八苦している。


默思失業徒、因念遠戍卒。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
黙息だまってかんがえる。○失業徒 農民が兵役にやられ農業に従うことができぬのは業を失うことである。○遠戍卒 遠地へまもりにやられている兵卒。


憂端斉終南、鴻洞不可掇。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』
憂端 憂のはし。○ 高さのひとしいことをいう。○終南 山の名、長安の南にある。○鴻洞 天地の初め、気の分かれぬさま、もやもやとしたさま。○ 音タツ、拾うこと、手に取ることをいう。


#10 解説
  杜甫は、それでも士族のはしくれゆえ納税の義務もないし、兵役の名簿に載せられてもいない。それにもかかわらず、思えばつらいことばかり、一般の人々は、さぞかしたいへんなことだろう。生業を失った人たちのことを、じっと思いつづけ、さらに、遠く戦場にやられている兵士の辛いこととは比べようのないことかもしれない。
 世情は飢饉が続き、生活もままならない。やっと、杜甫自身、役人に取り立てられたが、俸禄は無いにひとしい低いものだ。まして、昨今、戦争の準備がされており、先行き不安な思いは、終南山の山の高さほどなのだ。
 生活困窮者、餓死、一家離散、革命前夜の様相。楊国忠のやり方により、謀反が起こる予感を感じていたのは杜甫だけでなく、誰もが思っていたことなのである。




第一段(#1~#3)
#1
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
#2
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
#3
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
#4
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
#5
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
#6
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
#7
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』
#8
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
#9
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
#10
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』


#1
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』

#2
かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』

#3
よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。

#4
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ。

#5
底冷えのする寒空には先行き不安をつげるような蛍尤の旗雲が塞いでいる、山路をふみゆくと崖や谷の路が氷結してすべりそうだ。
温泉のあたりは湯気がたてこめていて、羽林軍のたてならべている儀仗の武器や道具の器がからからすれおうて音をたてている。
天子とその従臣とがここに逗留して娯楽に興じているので、山山石高険なところに音楽を奏する音が殿々とひびきわたって帰ってくる。
我が君から浴みを賜わるものは皆長い樫を垂れた貴い位の人々であるし、御宴に加わるものは短裾を著た貧乏人ではない。』

#6
御所のお庭から臣下へお分ち賜う帛はもともと貧乏な女が織ったものでそこから出たものなのだ。
その女の夫の働きが悪いとして家にむちをあてるようにして、過分に織らせ、それを御城門へ納税、貢物を差し出し収めさせたものだ。
この唐国の民が活気づくようにとおぼしめされてのことだ。
臣下たるものがもしこの国家の最上に治まることについての理由がわからず怠るならすまぬことだ。天子はまさかその品物をお棄てになるおつもりではないだろう。

#7
ましてや聞けば宮廷内の黄金の大皿の様な貴重品もすっかり衛氏や雀氏というべき楊氏の室へいっているとのことでないか。
また奥ふかき御座敷には神仙道教の舞をする美人がいて煙霧のような薄絹物で玉の肌をおおいかくしておられるとのことである。
天子の寵愛を受けて寒さ知らずの貴い人たちは「てん」の毛衣を着て、悲管笛の音はすんだ音をだす錦瑟の音をおい奏でている。
御馳走には「らくだ」の蹄肉を煮たあたたかな料理をすすめ、芳しい蜜柑の上には色づきの良い橙がうず高く積まれている。
このように赤い御門の富貴の者には酒や肉が贅を尽くして余ったものが腐敗臭をだしているが、そのそばの路傍には凍えて死んでいる人の骨が横たわっているのである。
わずか八寸か一尺離れるというだけで豪奢そのものと悲惨な有様がこんなに違っているのである、こんな恨めしい思いというものは繰り返して述べることをしたくないことである。』

#8
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』

#9
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』

#10
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』

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自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 113 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#9

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 113 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#9

第三段は、長く別れて暮らす妻への厚い思いやりの情に始まる。


第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』


自京赴奉先縣詠懷五百字 #9 
老妻寄異県、十口隔風雪。
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
誰能久不顧、庶往共饑渇。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
入門聞号咷、幼子飢已卒。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
所愧為人父、無食到夭折。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。

もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』


老妻(ろうさい)は異県(いけん)に寄(あず)け、十口(じつこう)は風雪(ふうせつ)を隔(へだ)つ。

誰か能()く久しく顧(かえり)みざらん、庶(ねが)わくは往()いて饑渇(きかつ)を共にせん。

門に入れば号(ごうとう)を聞く、幼子(ようし)の飢えて已(すで)に卒(しゅつ)す。

(われ)(なん)ぞ一哀(いちあい)を捨(おし)まんや、里巷(りこう)も亦()た鳴咽(おえつ)す。

()ずる所は人の父と為()り、食(しょく)無くして夭折(ようせつ)を到(いた)せしを。



自京赴奉先縣詠懷五百字 #9 現代語訳と訳註 解説
(本文)

老妻寄異県、十口隔風雪。
誰能久不顧、庶往共饑渇。
入門聞号咷、幼子飢已卒。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
所愧為人父、無食到夭折。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。


(下し文)
老妻(ろうさい)は異県(いけん)に寄(あず)け、十口(じつこう)は風雪(ふうせつ)を隔(へだ)つ。
誰か能(よ)く久しく顧(かえり)みざらん、庶(ねが)わくは往(ゆ)いて饑渇(きかつ)を共にせん。
門に入れば号咷(ごうとう)を聞く、幼子(ようし)の飢えて已(すで)に卒(しゅつ)す。
吾(われ)寧(なん)ぞ一哀(いちあい)を捨(おし)まんや、里巷(りこう)も亦(ま)た鳴咽(おえつ)す。
愧(は)ずる所は人の父と為(な)り、食(しょく)無くして夭折(ようせつ)を到(いた)せしを。

  
(現代語訳)
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』


  
(語訳と訳註)
  
老妻寄異県、十口隔風雪。

いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
老妻 年よりの妻、楊氏をさす。○寄寄寓。○異県 他県、奉先をさす。〇十口 家族十人。○風雪 時節のものをあげる。士官が思わしくなく生活ができないため妻の実家に預けた。


誰能久不顧、庶往共饑渇。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
 訪問してみまってやること。○ 庶幾、こいねがわくは。


入門聞号咷、幼子飢已卒。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
入門 奉先に到著して我が寓居の門にはいる。〇号眺 さけぶ、なく。眺は児どものなきやまぬことをいう字であるが、ここは家人等がなくことをいう。


吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
○捨一哀捨はおく、やめて為さぬこと。一哀は一度哀しむこと、文字は「礼記」檀弓上にみえる、死児に対してなくことを惜しまぬことをいう。○里巷 村の小路にいる人々。○亦鳴咽 むせびなきする、亦とは我と共にの義。

所愧為人父、無食到夭折。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
○無食 食物のないこと。○到夭折 わかじにをまねく。幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまった。


豈知秋禾登、貧窶有倉卒。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』
豈知秋禾登 禾は穀類をいう。豈はみのることをいう。豈知とは今かく穀物ができようとは知らなかったとの意。児の死後に実ったのが残念であるとの意味。○貧窶 窶はみすぼらしいこと。○倉卒 ひたすらあわただしくする


(解説)
わが妻は他県に預けてあり、人の家族は風雪を隔てた所に住んでいる。どうしていつまでも、そのままにしておけようぞ。そこに行って、飢えと渇きを共にしたいと思う。門を入ると家の者が号き叫ぶ声がする、幼い子が飢えて死んでいたのだった。私はどうして悲しみを尽くさずにおれよう、村の人たちもまた鳴咽している。人の子の父となりながら、食べ物がなくて天折させたのが悦ずかしい。それにしても今年の秋は豊作ということだったのに、貧乏人には思いもよらぬことが起きるものだ。
 予期せぬこととはいえ、これ以上の悲しみがあろうか。杜甫の真骨頂の部分である。飢饉のため疎開させたのにここまでのこととは思わなかったのである。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 112 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#8

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第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』

第一段は、己れの素志と、それがいつまでたってもかなえられない悲しみを述べた杜甫は、一転して、奉先県への出発と、道中の様子を詠う。都から東に向かって車を進め、鷹山の離宮の下を通り、やがて北に進路を変えて軽水・澗水を渡る。

歳は暮れて百草は枯れ、疾風のために高い岡は裂けんばかり。空は曇ってどんよりとしており、旅人なる私は、その中を夜ふけに出発した。霜は厳しく、衣服の帯は絶れてしまったが、指はこごえて結ぶこともできない。夜明けをついて鷹山のふもとを過ぎれば、その高々とそびえるあたりに天子の玉座はある。禁軍の寅尤の旗は寒空をいっぱいにふさぎ、凍りついた滑らかな崖や谷に、ひしめき立っている。瑞の池のごとき温泉からは湯気が立ちこめて、近衛兵の物の具の触れあう音が響く。


第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』

北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』

わが君とその従臣たちが、ここに逗留して歓楽を尽くしており、楽の音は、その険しきあたりに響きわたっている。ここで浴を賜わるのは、冠の樫を長く垂らした貴人ばかり、宴会に加わるのは、短い着物を着た貧乏人ではない。離宮の庭で天子が分かち下される絹は、もともと貧しい女たちが織ったもの。役人が、その主人を鞭打って、取り集めて朝廷にさし出したものである。わが君が、それを竹かごに入れて下賜されるのは、臣下の家国に活力をもたらそうとしてのことである。その御心を、諸臣がおろそかにするようなことがあるならば、わが君は、これらの品々を無駄に棄てられたことになる。朝廷には多くの臣が満ちあふれているが、心ある者は戦傑して恐れ入らねばならぬ。

「朱門に酒肉は臭く、路に凍死の骨あり」とは、戦国時代孟子が、梁の恵王に王道政治を説く中で、「厨に肥肉あり、厩に肥馬あり。民に飢色あり、野に餓莩あり」(『孟子』梁恵王・上)“王宮の台所には、よく肥えた肉塊があり、厩にはよく肥えた馬がいながら、人民は飢えに迫られ、野には餓死者の屍が横たわっている“ というのを踏まえたもので、儒家の伝統である人道主義にもとづく発想である。そうして、それが口先だけの借りものでなく、世の現実の姿を直視しての杜甫の怒りの表現であるところに鋭い説得力がある。
さて、涇水・渭水を渡って東北に進んだ杜甫は、家族の住む奉先県へと近づいてゆく。


自京赴奉先縣詠懷五百字 #8 
北轅就涇渭、官渡又改轍。
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
羣冰従西下、極目高崒兀。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
疑是崆峒来、恐觸天柱折。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
河梁幸未坼、枝撐声悉窣。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
行旅相攀援、川李不可越。

それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』


轅(ながえ)を北にして涇渭(けいい)に就(つ)き、官渡(かんと)にて又(ま)た轍(わだち)を改む。
群氷(ぐんぴょう)  西(にし)従(よ)り下り、極目(きょくもく)  高くして崒兀(しゅつごつ)たり。疑うらくは是(こ)れ崆峒(くうどう)より来たるかと、恐らくは触(ふ)れなば天柱(てんちゅう)も折れん。
河梁(かりょう)は幸いにして未だ坼(くだ)けず、枝撑(ししょう)  声  悉窣(しつしゅつ)たり。
行旅(こうりょ)は相い攀援(はんえん)すれども、川は広くして越ゆる可(べ)からず。


自京赴奉先縣詠懷五百字 #8 現代語訳と訳註 解説

(本文)
北轅就涇渭、官渡又改轍。
羣冰従西下、極目高崒兀。
疑是崆峒来、恐觸天柱折。
河梁幸未坼、枝撐声悉窣。
行旅相攀援、川李不可越。

(下し文)
轅(ながえ)を北にして涇渭(けいい)に就(つ)き、官渡(かんと)にて又(ま)た轍(わだち)を改む。
群氷(ぐんぴょう)  西(にし)従(よ)り下り、極目(きょくもく)  高くして卒兀(しゅつごつ)たり。
疑うらくは是(こ)れ崆峒(くうどう)より来たるかと、恐らくは触(ふ)れなば天柱(てんちゅう)も折れん。
河梁(かりょう)は幸いにして未だ坼(くだ)けず、枝撑(ししょう)  声  悉窣(しつしゅつ)たり。
行旅(こうりょ)は相い攀援(はんえん)すれども、川は広くして越ゆる可(べ)からず。

 
現代語訳
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』


(訳註)

北轅就涇渭、官渡又改轍。
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
北轅 車のかじ棒を北へむける。○涇渭 二つの川の名、長安から奉先へゆくには北に路をとりこの二水をわたる。○官渡 官から設置してある渡りば。○改轍 別な車跡を通過する、或は出水のために官渡の位置がかわっているためとおもわれる。


羣冰従西下、極目高卒兀。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
羣冰 羣冰は多くの河が凍り始めて流れている。○崒兀 高く峻しいさま。


疑是崆峒来、恐触天柱折。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
崆峒 甘粛省鞏昌府岷州にある山の名。(涇水の水源の山-地図参照)○天柱折「列子」湯問篇に共工氏が顓頊と帝たらんことを争い、怒って不周の山に頭を触れ、天柱を折り、地維を絶ったことをふまえる。


河梁幸未坼、枝撑声悉窣。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
○河梁 梁はふなはし。○ 裂けること。破壊。〇枝撑 杜甫「同諸公登慈恩寺塔」詩では道を支える支柱。ここでは舟橋を支える仕え柱をいう。○悉窣 声の安からぬさま。氷交じりの水流が急なためギュウギュウ音をたてているさま。


行李相攀援、川広不可越。
それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』
行李 いろんな旅人がいることをあらわす。一般旅客をさす。○攀援 よじる、ひく。○不可越 こえにくいことをいう。

(解説)
○押韻 轍。兀。折。窣。越。

 奉先県へ行くには、驪山の麓で左折し、北へ向かうことになる。涇水が渭水に合流する地点から少し下流に臥舟橋の地点になる。管の橋と一般の橋とあった。そこで渭水を渡る。流氷が西から流れてきますが、それはおおよそ涇水の上流の崆峒山から流れてきたものである。役人の身分の杜甫は渡橋用の別の車に乗り換え、一般の人は揺れる浮梁(小舟を横につなぎ合わせて板を敷き並べた舟橋)の上を手を取り合って渡ってゆくことになるのだ。

ここでこの詩の2段目は終了する。
杜甫乱前後の図002奉先

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 111 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#7

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#7 自京赴奉先県詠懐  五百字
況聞内金盤、尽在衛霍室。
ましてや聞けば宮廷内の黄金の大皿の様な貴重品もすっかり衛氏や雀氏というべき楊氏の室へいっているとのことでないか。
中堂舞神仙、煙霧蒙玉質。
また奥ふかき御座敷には神仙道教の舞をする美人がいて煙霧のような薄絹物で玉の肌をおおいかくしておられるとのことである。
煖客貂鼠裘、悲管逐清瑟。
天子の寵愛を受けて寒さ知らずの貴い人たちは「てん」の毛衣を着て、悲管笛の音はすんだ音をだす錦瑟の音をおい奏でている。
勧客駝蹄羮、霜橙圧香橘。
御馳走には「らくだ」の蹄肉を煮たあたたかな料理をすすめ、芳しい蜜柑の上には色づきの良い橙がうず高く積まれている。
朱門酒肉臭、路有凍死骨。
このように赤い御門の富貴の者には酒や肉が贅を尽くして余ったものが腐敗臭をだしているが、そのそばの路傍には凍えて死んでいる人の骨が横たわっているのである。
栄枯咫尺異、惆悵難再述。』

わずか八寸か一尺離れるというだけで豪奢そのものと悲惨な有様がこんなに違っているのである、こんな恨めしい思いというものは繰り返して述べることをしたくないことである。』


況(いわ)んや聞く  内(うち)の金盤(きんばん)は、尽(ことごと)く衛(えい)と霍(かく)の室に在りと
中堂(ちゅうどう)に神仙(しんせん)を舞わせ、煙霧(えんむ)は玉質(ぎょくしつ)に蒙う
客を煖(あたた)むるは貂鼠(ちょうそ)の裘(きゅう)、悲管(ひかん)は清瑟(せいしつ)を逐(お)う
客に勧(すす)むるは駝蹄(だてい)の羮(あつもの)、霜橙(そうとう)は香橘(こうきつ)を圧(あつ)す
朱門(しゅもん)には酒肉(しゅにく)臭(くさ)きに、路(みち)には凍死(とうし)の骨有り
栄枯(えいこ)は咫尺(しせき)にて異なり、惆悵(ちゅうちょう)して再び述べ難(がた)し


自京赴奉先縣詠懷五百字 #7 現代語訳と訳註 解説

(本文)
況聞内金盤、尽在衛霍室。
中堂舞神仙、煙霧散玉質。
煖客貂鼠裘、悲管逐清瑟。
勧客駝蹄羮、霜橙圧香橘。
朱門酒肉臭、路有凍死骨。
栄枯咫尺異、惆悵難再述。

(下し文)
況(いわ)んや聞く  内(うち)の金盤(きんばん)は、尽(ことごと)く衛(えい)と霍(かく)の室に在りと
中堂(ちゅうどう)に神仙(しんせん)を舞わせ、煙霧(えんむ)は玉質(ぎょくしつ)に散ず
客を煖(あたた)むるは貂鼠(ちょうそ)の裘(きゅう)、悲管(ひかん)は清瑟(せいしつ)を逐(お)う
客に勧(すす)むるは駝蹄(だてい)の羮(あつもの)、霜橙(そうとう)は香橘(こうきつ)を圧(あつ)す
朱門(しゅもん)には酒肉(しゅにく)臭(くさ)きに、路(みち)には凍死(とうし)の骨有り
栄枯(えいこ)は咫尺(しせき)にて異なり、惆悵(ちゅうちょう)して再び述べ難(がた)し


  
(現代語訳)
ましてや聞けば宮廷内の黄金の大皿の様な貴重品もすっかり衛氏や雀氏というべき楊氏の室へいっているとのことでないか。
また奥ふかき御座敷には神仙道教の舞をする美人がいて煙霧のような薄絹物で玉の肌をおおいかくしておられるとのことである。
天子の寵愛を受けて寒さ知らずの貴い人たちは「てん」の毛衣を着て、悲管笛の音はすんだ音をだす錦瑟の音をおい奏でている。
御馳走には「らくだ」の蹄肉を煮たあたたかな料理をすすめ、芳しい蜜柑の上には色づきの良い橙がうず高く積まれている。
このように赤い御門の富貴の者には酒や肉が贅を尽くして余ったものが腐敗臭をだしているが、そのそばの路傍には凍えて死んでいる人の骨が横たわっているのである。
わずか八寸か一尺離れるというだけで豪奢そのものと悲惨な有様がこんなに違っているのである、こんな恨めしい思いというものは繰り返して述べることをしたくないことである。』
  
(語訳と訳註)

況聞内金盤、尽在衛霍室。
ましてや聞けば宮廷内の黄金の大皿の様な貴重品もすっかり衛氏や雀氏というべき楊氏の室へいっているとのことでないか。
内金盤 内は大内、禁中後宮をさす。金盤は黄金の大皿、食器の類。○衛霍室 衛客とは漢の衛青・霍去病をさす、共に皇后の外戚の故を以て貴位に居った。ここはそれを用いて楊貴妃の親戚にあたる楊国忠等に此している。室は家をいう。
 
中堂舞神仙、煙霧蒙玉質。
また奥ふかき御座敷には神仙道教の舞をする美人がいて煙霧のような薄絹物で玉の肌をおおいかくしておられるとのことである
中堂 奥の中心となる座敷。○神仙 これは楊貴妃となる前太真女道士としていたことからこれををさす。美しきこと仙人のごときもある。○煙霧これは衣類のうすく美しいことをたとえたものであろう。当時は朝霞の衣などがあった。或は堂上で焚く所の香の煙をいうという。○こうむらす、おおう。○玉質 白玉の如き肌をいう。


煖客貂鼠裘、悲管逐清瑟。
天子の寵愛を受けて寒さ知らずの貴い人たちは「てん」の毛衣を着て、悲管笛の音はすんだ音をだす錦瑟の音をおい奏でている
媛客 あたたかな人、寒さ知らずの人、君寵をうけ貴い人をいう。○窮鼠裏てんの毛皮のころも。○悲管 かなしそうな音をだすふえ。○あとから節をおってしたごう。〇瑟すんだ音をだす瑟。


勧客駝蹄羮、霜橙圧香橘。
御馳走には「らくだ」の蹄肉を煮たあたたかな料理をすすめ、芳しい蜜柑の上には色づきの良い橙がうず高く積まれている。
勧客 客は賓客。○駝蹄羮 らくだの蹄の肉を煮たあたたかな料理。○霜橙 霜を経ただいだいは色づきがよく、甘みが増す。○一つが他のうえにおいかぶさる、堆積の状をいう。○香橘 芳しい蜜柑。


朱門酒肉臭、路有凍死骨。
このように赤い御門の富貴の者には酒や肉が贅を尽くしてあまったものが腐敗臭をだしているが、そのそばの路傍には凍えて死んでいる人の骨が横たわっているのである。
朱門 富貴の家のあけの門。家の側からは南の門。客が入る際は北に向かってはいることになる。○酒肉臭 臭とはあまりに多くある故、のこって腐敗し、くさいにおいをいだす。○ 人骨。


栄枯咫尺異、惆悵難再述。』
わずか八寸か一尺離れるというだけで豪奢そのものと悲惨な有様がこんなに違っているのである、こんな恨めしい思いというものは繰り返して述べることをしたくないのである。』
栄枯 宮中の豪奢は栄であり、路傍の凍死は枯である。○咫尺 八寸、一尺の距離。○惆悵 うらめしいさま。○再述二度言い


# 7 解説

○押韻  室。質。瑟。橘。骨。述。


 漢の武帝期には現実的に、宮中の宝物はすべて王妃の兄弟親族、衛青や霍去病(漢の武帝の寵臣)といった奸臣の家に移し、栄華を極めたと杜甫は詠っている。それは、漢代の名を借りて、楊貴妃一族の贅沢な生活を指摘しているのである。杜甫は、極貧生活の中で目の当たりにして、人として理不尽なことと批判し、「惆悵して再び述べ難し」といわないことを強調し、云うべきことをクローズアップしている。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 110 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#6

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 110 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#6


彤庭所分帛,本自寒女出。
御所のお庭から臣下へお分ち賜う帛はもともと貧乏な女が織ったものでそこから出たものなのだ。
鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
その女の夫の働きが悪いとして家にむちをあてるようにして、過分に織らせ、それを御城門へ納税、貢物を差し出し収めさせたものだ。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。
この唐国の民が活気づくようにとおぼしめされてのことだ。
臣如忽至理。君豈棄此物?
臣下たるものがもしこの国家の最上に治まることについての理由がわからず怠るならすまぬことだ。天子はまさかその品物をお棄てになるおつもりではないだろう。
多士盈朝廷,仁者宜戰栗。』

朝廷には多士多芸の者がたくさんいるが、この事を考えると仁慈の心あるものはみぶるいして畏れおおいといってくれなければならないのだ。』

(下し文)

彤庭(とうてい)にて分(わか)つ所の帛(はく)は、本(も)と寒女(かんじょ)より出ず
其の夫家(ふか)を鞭撻(べんたつ)して、聚斂(しゅうれん)して城闕(じょうけつ)に貢がしむ
聖人  筐篚(きょうひ)の恩、実に邦国(ほうこく)の活(い)きむことを願う
臣  如(も)し至理(しり)を忽(ゆるが)せにせば、君は豈(あ)に此の物を棄(す)つるや
多士(たし)  朝廷に盈(み)つるも、仁者(じんしゃ)は宜(よろ)しく戦慄(せんりつ)すべし




自京赴奉先縣詠懷五百字 #6 現代語訳と訳註 解説

(本文)#6 
彤庭所分帛、本自寒女出。
鞭撻其夫家、聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩、実願邦国活。
臣如忽至理、君豈棄此物。
多士盈朝廷、仁者宜戦慄。
  
(下し文)
彤庭(とうてい)にて分(わか)つ所の帛(はく)は、本(も)と寒女(かんじょ)より出ず
其の夫家(ふか)を鞭撻(べんたつ)して、聚斂(しゅうれん)して城闕(じょうけつ)に貢がしむ
聖人  筐篚(きょうひ)の恩、実に邦国(ほうこく)の活(い)きむことを願う
臣  如(も)し至理(しり)を忽(ゆるが)せにせば、君は豈(あ)に此の物を棄(す)つるや
多士(たし)  朝廷に盈(み)つるも、仁者(じんしゃ)は宜(よろ)しく戦慄(せんりつ)すべし
  
(現代語訳)
御所のお庭から臣下へお分ち賜う帛はもともと貧乏な女が織ったものでそこから出たものなのだ。
その女の夫の働きが悪いとして家にむちをあてるようにして、過分に織らせ、それを御城門へ納税、貢物を差し出し収めさせたものだ。
この唐国の民が活気づくようにとおぼしめされてのことだ。
臣下たるものがもしこの国家の最上に治まることについての理由がわからず怠るならすまぬことだ。天子はまさかその品物をお棄てになるおつもりではないだろう。

  
(語訳と訳註)
彤庭所分帛,本自寒女出。

御所のお庭から臣下へお分ち賜う帛はもともと貧乏な女が織ったものでそこから出たものなのだ。
彤庭 聖殿の前の丹を以て飾った庭、天子の庭をいう。〇 分かち賜う。○ きぬ。○寒女 貧しい女。


鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
その女の夫の働きが悪いとして家にむちをあてるようにして、過分に織らせ、それを御城門へ納税、貢物を差し出し収めさせたものだ。
鞭棲むちを以てうつ。○聚斂 あつめ、おさめる。こちらへとりこむこと。○ みつぎものとする。○城闕 天子の城門。○聖人天子をいう。
律令体制の均田制と租庸調。 この中の調は、絹2丈と綿3両または、麻布2丈5尺と麻3斤であった。庸の勞役の代わりに絹綿などに代用献上もできた。


聖人筐篚恩、実願邦国活。
聖天子がそれを竹の籠にいれて御恩寵として賜わるのはこの唐国の民が活気づくようにとおぼしめされてのことだ。
筐篚 竹のかご。それに恩賜の物を盛って臣下に賜わるのである。


臣如忽至理、君豈棄此物。
臣下たるものがもしこの国家の最上に治まることについての理由がわからず怠るならすまぬことだ。天子はまさかその品物をお棄てになるおつもりではないだろう。
○忽怠ることをいう。○至理 理は治に同じ、韋左相二十韻 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 92詩にも「廟堂知至理,風俗盡還淳。」(廟堂(びょうどう)至理を知らば 風俗尽く淳に還らん)の語がある、至治とは天下の治まれることの至極をいう。○棄此物 此の物とは下賜の幣南の類をさす。


多士盈朝廷、仁者宜戦慄
朝廷には多士多芸の者がたくさんいるが、この事を考えると仁慈の心あるものはみぶるいして畏れおおいといってくれなければならないのだ。』
多士 朝廷に人物の多くあることをいうが奸臣が朝廷を握り、天子は楊貴妃のことばかり考えていた時期である。。○仁者民に対し仁愛の心のあるもの。○戦慄 おののきおそれる。
  
(解説)
押韻 出。闕。活。物。栗。


(朝廷で臣下に賜わる「帛」(絹布)など、貧しい家の娘が織ったもので、貢ぎの品として強制的に集めたものー律令体制化の税などについて解説の後部に示す) それを天子が臣下に下賜するのは、民の生活を活気づけようとの考えからなのだと、だから臣下たるものは、このおぼし召しを疎かにしてはならないのだ。臣下の心掛けに批判の目を向け、「仁者は宜しく戦慄すべし」と奸臣に猛省を促している。 


  唐の税制は北周以来の均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制である。この両制度は互いが互いに不可欠な制度である。
均田制はまず全国の丁男(労働に耐えうる青年男性)一人につき永業田(その後、永久にその土地を所有することが認められ、子孫に受け継がれる)を20畝、口分田(当人が死亡するか、60歳になるかすると国家に返却する)が80畝支給される。また官職にある者は職分田が与えられる(これは辞職した時に返却する)。その他にも丁男がいない戸、商工業者、僧侶・道士などの特別な戸に対してもそれぞれ支給量が決められている。
そしてこれらの支給に対して、租庸調と呼ばれる税を納める義務を負う。租は粟(穀物)2石、調は絹2丈と綿3両を収める。年間20日の労役の義務があり、それを免れるために収める税を庸と言い、労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収める。


 府兵制はこれらの戸籍に基づいて3年に1度、丁男に対して徴兵の義務を負わせた。
均田制・府兵制の両制度の実施には戸籍が必要不可欠であるが、玄宗期になると窮迫した農民が土地を捨てて逃亡する(逃戸と呼ばれる)事が多くなり、また窮迫した農民から買い取ることにより、土地の兼併が進んだために戸籍を正確に把握することが難しくなった。均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止)し、それに代わる新しい税制・兵制が必要となる。
 新しい兵制は節度使・募兵制である。それまでは労働税として兵役に就かせていたが、節度使制ではその土地の租税を節度使が徴収し、それを基に兵士を雇い入れて国境防備に使うというものである。

  710年に安西節度使(天山山脈南路の防衛)を置いたのを初めとして719年までに10の節度使を設置している。当初はあくまで国境警備のためのものであり、辺境地域にしか置かれていない。しかしこの制度は節度使に過度の権力を持たせることになり、安史の乱の原因となったことは前述した。安史の乱後は内地にも節度使が置かれるようになる。このことで唐は半割拠状態となり、地方の節度使は唐に対する税の貢納は行っていたものの、徐々に自立色を深めていき、最終的には節度使により唐は滅ぼされることになる。
780年に施行された新しい税制は、それまで貧乏・富裕関らずに均等な額の税を徴収していたのを財産に応じた額に改めたものである。夏(6月)と秋(11月)の年2回徴収するので、両税法と呼ばれる。ただし夏に収めるものは麦であり、秋に収めるものは粟と稲である。税額は一定しておらず、まずその年に使われる年間予算を計算し、それに併せて税額を各地に割り当てるというものである。

  かつて安禄山軍から投降した3人の武将に授けた節度使職を元とする成徳軍・盧竜軍・天雄軍の3つの節度使は特に独立傾向が強く、節度使の地位を世襲化し、中央に納めるべき税を納めなかった。この3つを河朔三鎮と呼んでいる。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 109 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#5

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 109 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#5


#5 
蚩尤塞寒空、蹴踏崖谷滑。
底冷えのする寒空には先行き不安をつげるような蛍尤の旗雲が塞いでいる、山路をふみゆくと崖や谷の路が氷結してすべりそうだ。
瑤池気鬱律、羽林相摩戛、
温泉のあたりは湯気がたてこめていて、羽林軍のたてならべている儀仗の武器や道具の器がからからすれおうて音をたてている。
君臣留懽娯、楽動殷膠嵑。
天子とその従臣とがここに逗留して娯楽に興じているので、山山石高険なところに音楽を奏する音が殿々とひびきわたって帰ってくる。
賜浴皆長纓、与宴非短褐。
我が君から浴みを賜わるものは皆長い樫を垂れた貴い位の人々であるし、御宴に加わるものは短裾を著た貧乏人ではない。』



自京赴奉先縣詠懷五百字 #5 現代語訳と訳註 解説

(本文)
蚩尤塞寒空、蹴踏崖谷滑。
瑤池気鬱律、羽林相摩戛、
君臣留懽娯、楽動殷膠嵑。
賜浴皆長纓、与宴非短褐。』

(下し文)
蚩尤(しゆう)は寒空(かんくう)に塞(ふさ)がり、崖谷(がいこく)の滑かなるに蹴踏(しゅくとう)す。
瑤池(ようち)に気は鬱律(うつりつ)として、羽林(うりん)は相い摩戛(まかつ)す。
君臣  留(とど)まりて懽娯(かんご)し、楽(がく)は動きて膠嵑(こうかつ)に殷(いん)たり。
浴(よく)を賜わるは皆(み)な長纓(ちょうえい)、宴(えん)に与(あず)かるは短褐(たんかつ)に非ず。
  
(現代語訳)
底冷えのする寒空には先行き不安をつげるような蛍尤の旗雲が塞いでいる、山路をふみゆくと崖や谷の路が氷結してすべりそうだ。
温泉のあたりは湯気がたてこめていて、羽林軍のたてならべている儀仗の武器や道具の器がからからすれおうて音をたてている。
天子とその従臣とがここに逗留して娯楽に興じているので、山山石高険なところに音楽を奏する音が殿々とひびきわたって帰ってくる。
我が君から浴みを賜わるものは皆長い樫を垂れた貴い位の人々であるし、御宴に加わるものは短裾を著た貧乏人ではない。』


(語訳と訳註)

蚩尤塞寒空、蹴踏崖谷滑。
底冷えのする寒空には先行き不安をつげるような蛍尤の旗雲が塞いでいる、山路をふみゆくと崖や谷の路が氷結してすべりそうだ。
蚩尤 蚩尤は古王の名、後に星の名、旗雲の名となる、ここは旗雲をいう。この雲は兵乱など先行き不安をつげるような雲である。○蹴踏 山路をふみゆく。

瑤池気鬱律、羽林相摩戛、
温泉のあたりは湯気がたてこめていて、羽林軍のたてならべている儀仗の武器や道具の器がからからすれおうて音をたてている。
瑤池、崑崙山頂、西王母の居る池をさすが、ここは驪山の温泉をさしていう。○ 温泉の気をいう。○鬱律 気のふさがるさま。○羽林 羽林軍をいう。参軍(羽林軍、龍武軍、神策軍)のこと。○摩戛 すれあってからからと昔がする。これは衛卒のいる所の旗竿儀仗など武器や道具の器がからからすれおうて音をたてていること。


君臣留懽娯、楽動殷膠嵑。
天子とその従臣とがここに逗留して娯楽に興じているので、山山石高険なところに音楽を奏する音が殿々とひびきわたって帰ってくる。
君臣 玄宗及びその庖従の臣。○ 音楽。○ とどろく声をいう。○膠嵑 山石高険なさま。


賜浴皆長纓、与宴非短褐。』
我が君から浴みを賜わるものは皆長い樫を垂れた貴い位の人々であるし、御宴に加わるものは短裾を著た貧乏人ではない。』
賜浴 浴をたまわる人々をいう、華清宮には浴槽が数十か所あって従臣に浴を賜わった。○長纓 ながい冠のひも、顕貴の人々をさす。○与宴 与はそれにくわわることをいう。○短褐 みじかい粗末な毛おりもの、かかる服をきた賤人をいう。



(解説)
 長安を出発して㶚陵橋須過ぎてしばらく行くと、右側(南)に驪山の華清宮が山の高い所にある。宮殿のまわりに、兵士たちが護衛に立ち、温泉からは湯気が立ちのぼっている。天子や高官たちは楽しみに耽っているけれども、入浴できるのは高位の者だけで、位の低い者は宴席にも関係ない。
 朝廷で臣下に賜わる「帛」(絹布)など、もともとは貧しい家の娘が織ったもので、貢ぎの品として税として、強制的に集めたものだと詠っているのである。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 108 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-4

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 108 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-4


自京赴奉先縣詠懷五百字 #4


#4 
歳暮百草零、疾風高岡裂。
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
天衢陰崢嶸、客子中夜発。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
霜厳衣帯断、指直不能結。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ。
淩晨過驪山、御榻在帶臬。』
日の出かかる頃に驪山を過ぎようとしている、いまはこの山の高いところに我が君の御椅子が設けられてある。』


歳(とし)暮れて百草(ひゃくそう)零(お)ち、疾風に高岡(こうこう)裂く。
天衢(てんく)  陰として崢嶸(そうこう)たり、客子(かくし)  中夜(ちゅうや)に発す。
霜は厳しくして衣帯(いたい)断(た)え、指は直(ちょく)にして結ぶ能(あた)わず。
晨(あした)を凌(しの)いで驪山(りざん)を過ぐれば、御榻(ぎょとう)は帶臬(てつげつ)に在り。


自京赴奉先縣詠懷五百字 #4 現代語訳と訳註 解説

(本文)#4 
歳暮百草零、疾風高岡裂。
天衢陰崢嶸、客子中夜発。
霜厳衣帯断、指直不能結。
淩晨過驪山、御榻在帶臬。

(下し文)
歳(とし)暮れて百草(ひゃくそう)零(お)ち、疾風に高岡(こうこう)裂く。
天衢(てんく)  陰として崢嶸(そうこう)たり、客子(かくし)  中夜(ちゅうや)に発す。
霜は厳しくして衣帯(いたい)断(た)え、指は直(ちょく)にして結ぶ能(あた)わず。
晨(あした)を凌(しの)いで驪山(りざん)を過ぐれば、御榻(ぎょとう)は帶臬(てつげつ)に在り。

(現代語訳)
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ。


(語訳と訳註)

歳暮百草零、疾風高岡裂。
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
百草 すべての草。○ 零落。


天衢陰崢嶸、客子中夜発。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
天衛 そらのみち、気のゆきかよう処、天上をいう。〇時嘆 陰気のたかくそびえるさま。○客子 たびびと、杜甫自身のこと。○中夜 よなか。○ 出発。


霜厳衣帯断、指直不能結。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ
持直 ゆびが棒のようになる。○ 衣帯をむすぶこと。


淩晨過驪山、御榻在帶臬。
日の出かかる頃に驪山を過ぎようとしている、いまはこの山の高いところに我が君の御椅子が設けられてある。』
凌晨 日出の頃をおかして。○驪山 長安の東臨潼県にある山の名、山下に温泉があり、玄宗の離宮である華清宮挙措宮はここにある。
杜甫乱前後の図002奉先

御榻 おんいす。○帶臬 山の高いさま。玄宗は大抵毎年十月離宮に行幸したが、此の時も楊貴妃と滞在中であった。
 
 
(解説)

杜甫は長安の朝のひとごみを避け真夜中に都を出た。初冬の暗い中馬車を進めている。寒さは厳しく、帯がほどけても指がかじかんで結ぶことができないのだ。やがて夜が明けになり、驪山の麓(長安から二十数km)にさしかった。ここには皇帝の離宮華清宮(楊貴妃と過ごすようになって名称をこれに変えた。それまでは、温泉宮。りはく「」)が築かれていて、山の険しいところに玉座のある宮殿が建っているのが見える。参照、李白朝廷翰林院の時、三首がある。

侍従遊宿温泉宮作 

駕去温泉宮後贈楊山人 

溫泉侍從歸逢故人 


自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 107 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-3

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 107 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-3




自京赴奉先縣詠懷五百字 #3
顧惟螻蟻輩、但自求其穴。
よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
胡為慕大鯨、輒擬偃溟渤。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
以茲悟生理、独恥事干謁。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
兀兀遂至今、忍為塵埃没。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
終愧巣与由、未能易其節。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。
沈飲聊自遣、放歌破愁絶。』

隠遁しないから飲酒にひたり深酒をする、それはひとまずおしのけておいて、きままに歌をうたい、強烈な愁をはらしているのだ。』



京より奉先県に赴くときの詠懐 五百字

顧みて惟(おも)うに螻蟻(ろうぎ)の輩(はい)は、但()だ自(みずか)ら其の穴を求むるに。

胡為(なんす)れぞ大鯨(たいげい)を慕(した)いて、輒(すなわ)ち溟渤(めいぼつ)に偃()せんと擬するや。

(ここ)を以て生理(せいり)を悟(さと)り、独り干謁(かんえつ)を事とするを恥ず。

兀兀(ごつこつ)として遂(つい)に今に至り、忍(しの)んで塵埃(じんあい)に没せ為()る。

(つい)に巣(そう)と由(ゆう)とに愧()ずるも、未だ其の節(せつ)を易()うる能(あた)わず。

(ちんいん)  聊(いささ)か自ら遣()り、放歌(ほうか)して愁絶(しゅうぜつ)を破る。






自京赴奉先縣詠懷五百字 #3 現代語訳と訳註 解説

(本文)
顧惟螻蟻輩、但自求其穴。
胡為慕大鯨、輒擬偃溟渤。
以茲悟生理、独恥事干謁。
兀兀遂至今、忍為塵埃没。
終愧巣与由、未能易其節。
沈飲聊自遣、放歌破愁絶。』

(下し文)
京より奉先県に赴くときの詠懐 五百字
顧みて惟(おも)うに螻蟻(ろうぎ)の輩(はい)は、但(た)だ自(みずか)ら其の穴を求むるに。
胡為(なんす)れぞ大鯨(たいげい)を慕(した)いて、輒(すなわ)ち溟渤(めいぼつ)に偃(ふ)せんと擬するや。
茲(ここ)を以て生理(せいり)を悟(さと)り、独り干謁(かんえつ)を事とするを恥ず。
兀兀(ごつこつ)として遂(つい)に今に至り、忍(しの)んで塵埃(じんあい)に没せ為(ら)る。
終(つい)に巣(そう)と由(ゆう)とに愧(は)ずるも、未だ其の節(せつ)を易(か)うる能(あた)わず。
飲(ちんいん)  聊(いささ)か自ら遣(や)り、放歌(ほうか)して愁絶(しゅうぜつ)を破る。』


(現代語訳)
よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。
隠遁しないから飲酒にひたり深酒をする、それはひとまずおしのけておいて、きままに歌をうたい、強烈な愁をはらしているのだ。』


(訳註)
顧惟螻蟻輩、但自求其穴。

よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
蛙蟻輩 けら・ありのやから、世上の貴公子や富豪の徒をさす。○求其穴 自己の窟穴を営み求めることをいう。

胡為慕大鯨、輒擬偃溟渤。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
胡為 騎馬民族は先頭の馬に慕って行動する。盲目的に追随すること。○ まちかまえる。〇偃溟渤 溟渤は海面のひろくくらいことをいう。上の大鯨をいう。此の句は「白鴎準一浩蕩この如く世俗より離れて高踏することをいう、二句は自己を嘲っていう。
 
以茲悟生理、独恥事干謁。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
○以茲 茲とは、彼等のようにして始めて富貴を得ることができるのであり、しなければこれを得ることはできない。〇悟生理 生活の方法についてどうするのかを悟る。○ その事に従うこと。〇千謁 なにかをたのみこむために貴人に面会する。杜甫は仕官活動の初めのころ一時期面会し、詩を贈っている。いやで仕方なかったことを示す。

贈特進汝陽王二十韻  杜甫27

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫32

贈翰林張四學士 杜甫36

樂遊園歌  杜甫38

奉贈鮮於京兆二十韻 杜甫 53

陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首其一  73

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 89



兀兀遂至今、忍為塵埃没。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
兀兀 不動のさま、又不安のさま。○ 反語に用いる。○為塵埃没 (為塵埃竣所没)の「所」の字を略したかきかたで、塵攻に埋没せられること。


終愧巣与由、未能易其節。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。
巣、由 巣父と許由と。古代の隠遁者。勇が位を許由に譲ろうとしたとき、許由がその話を巣父に告げたところが、巣父は汝は我が友ではないとて清冷の水にいたってその耳を洗ったという。○易其節 節は節操、聖君に事えで万民を済わんというのが作者の志節であり、隠遁するのは其の志節を変易することとなる。


沈飲聊自遣、放歌破愁絶。』
隠遁しないから飲酒にひたり深酒をする、それはひとまずおしのけておいて、きままに歌をうたい、強烈な愁をはらしているのだ。』
沈飲 飲酒にひたる。○ いささか。頼る。安心する。○自遣 煩悶をおいのける、遣はこちらからあちらへやってしまうこと。○放歌 きままにうたう。○破愁絶 愁絶は絶愁に同じ、絶は下へつけた形容詞、はなはだしきの義、破は散ずる意をつよめている。

# 3 解説
「聖天子の世」であり、朝廷には有能な人材もたくさんいるが、つまらぬ「螻蟻の輩」がはびこっていること、分不相応なことをしている宮廷の官吏を批判する。このころは、李林逋から楊貴妃一族が取って代わって朝廷を握り、西方で、南方で大失策、大敗をきっしている。杜甫は大官達に取り入ることをまったくしないので、今日まで塵芥の中に埋もれてきたと述べます。そして隠者のように山林に住むことができないのは恥ずかしいことだが、自分の主義を曲げることはできないので、酒を飲み、詩を作って、愁いを晴らしてきたのだと述べている。


第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』

第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』



1

杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。

そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。

そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。

自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


2

かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。

少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。

彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。

せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。

ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』


3

よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。

盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。

こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。

かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。

昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。』


 

 

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 106 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-2

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 106 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-2



自京赴奉先縣詠懷 五百字 2/10 2

窮年憂黎元,嘆息腸熱。

かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
取笑同學翁,浩歌彌激烈。

少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
非無江海誌,蕭灑送日月。

彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
生逢堯舜君,不忍便永訣。

せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?

今にあたって、朝廷の政務を担う人物は唐王朝を構える良材として欠けているとまではいわないのではあるが。
傾太陽,物性固莫奪。

ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』


窮年(きゅうねん)黎元(れいげん)を憂え、嘆息(たんそく)して腸内(ちょううち)に熱す。

笑いを同学(どうがく)の翁(おう)に取るも、浩歌(こうか)すること弥々(いよいよ)激烈なり。

江海(こうかい)の志の瀟洒(しょうしゃ)として日月(じつげつ)を送る無きに非(あら)ざるを。

生まれて堯舜(ぎょうしゅん)の君(きみ)に逢い、便(すなわち)、永訣(えいけつ)するに忍(しの)びず。

当今(とうこん) 廊廟(ろうびょう)の具、構廈(こうか) 豈(あに)、欠けたりと云わんや。

(きかく)太陽に傾く、物性(ぶつせい)  固(まこと)に 奪い難し。


(本文)
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。
取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。
生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?
葵藿傾太陽,物性固莫奪。』


(下し文)
窮年(きゅうねん)黎元(れいげん)を憂え、嘆息(たんそく)して腸内(ちょううち)に熱す。
笑いを同学(どうがく)の翁(おう)に取るも、浩歌(こうか)すること弥々(いよいよ)激烈なり。
江海(こうかい)の志の瀟洒(しょうしゃ)として日月(じつげつ)を送る無きに非(あら)ざるを。
生まれて堯舜(ぎょうしゅん)の君(きみ)に逢い、便(すなわち)、永訣(えいけつ)するに忍(しの)びず。
当今(とうこん) 廊廟(ろうびょう)の具、構廈(こうか) 豈(あに)、欠けたりと云わんや。
葵藿(きかく)太陽に傾く、物性(ぶつせい)  固(まこと)に 奪い難し。

(現代語訳)
かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
今にあたって、朝廷の政務を担う人物は唐王朝を構える良材として欠けているとまではいわないのではあるが。
ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』




#2 (訳註)
 
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。
かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
窮年 ねんじゅう。○黎元 黒首の義とし民衆のこととする。秦の時、民衆を黔首(くろいくび)といった。或は、元は性善説では善の意で、善人をさし、一般の人を意味する。○ 杜甫は「嘆」をよく使うが、嘆くと訳すと少し違う。どうしようもないもどかしさで訴えるように。嘆くのである。


取笑同學翁,浩歌彌激烈。
少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
同学翁 いっしょに学問をなした老人。○浩歌 大声で歌う。


非無江海誌,蕭灑送日月。
彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
江海志 江海の地に隠遁して現状から去る陶淵明の志。○蕭灑 あっさり、人事に拘泥せぬさま。


生逢堯舜君,不忍便永訣。
せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
尭舜君 尭舜の如き聖天子、玄宗をさす。○便永訣 すぐに永久のわかれをする。


當今廊廟具,構廈豈雲缺?
今にあたって、朝廷の政務を担う人物は唐王朝を構える良材として欠けているとまではいわないのではあるが。
廊廟具 廟堂の器をいう、宗廟朝廷に立って仕事をしてゆける人物。宰相、宦官の長など人材。宰相楊国忠と宦官高力士を指す。○構虜 木材をくみたてて大屋をつくること。○ 木材のよいもののないことをいう。


葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』
葵藿 ひまわり。○ 菓花がそちらへむく。曹植の「親 親ヲ通ゼンコトヲ求ムル表」に「英幸ノ葉ヲ傾クルハ、太陽ノ為二光ヲ廻ラサズト錐モ、然レドモ終二之二向コウ者ハ誠ナリ。」とみえる、己が心のつねに君に向こうことをたとえていう。○物性 物とは葵章をさす、性は性質、すなわち太陽の方へむくという本性。○ うばいとる。


(解説)
この時代から、詩人は文人で、政治家、軍人ではなくなってきた。文人は、官僚にならなければ生きていけなかった。唐王朝、律令制のなかで、詩人であり続けたい、官僚に採用されたいと願っても、宰相、執務を取る宦官が良くなかった。無学のものが高官を占めると文人は徹底的に排除されたのだ。杜甫も他の高官との交際をしていたので自己の不遇をひしひしと感じていたのである。


「葵藿」(ひまわり)が太陽のほうを向くように人の本性を奪われることはない。だから、ときには隠遁のことも考えなかったわけではないが、きっと堯や舜のような聖天子の世に生まれたのだから、なんとしてでも官に就いて力を尽くしたい希望にあふれていた。逃避、隠遁は貧困、自給自足を意味し、家族十人を抱えた杜甫の選択指は士官しかないのである。



第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』

顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1


 任官ということになった杜甫は、そのことを家族に知らせ、長安へ連れて帰るため、十一月に入って奉先県に出かけた。それは、安禄山が君側の紆臣「楊国忠」を除くことを名目に挙兵した十一月九日に先だつ5日である。このときの旅行を詠んだのが「自京赴奉先縣詠懷五百字」(京より奉先県に赴き、懐いを詠ずる五百字)は五言古詩、百句五十韻に及ぶ長篇で、のちの「北征」の詩、五言古詩 百四十句と並ぶ雄篇と称されている。この長い詩を一気に掲載すると雑になるので、10分割(区切りは””で示す)して掲載することになる。その後、本来の詩の三段にまとめて解説する。(これまでの長編は、就職活動の詩なので、資料として一括で掲載する方が良いと考えて行った。これからは、「魂の叫び」ともいえるもの丁寧に見ていきたい。)
杜甫乱前後の図001奉先


詩の概要を示す。すなわち第一段は、若いころから持ちつづけている自己の抱負と、それがなかなかかなえられないこと。#1~#3
第二段は旅中の見聞で、君臣ともに歓楽にふけっている驪山のふもとを通りすぎるときの感懐が中心。#4~#8
第三段は、家族と再会して幼子の餓死を知らされての深い嘆きと、世人への思いを詠う。#9~10




第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成
濩落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』

彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述
。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』



 天宝十四載(755)冬十一月の初め、杜甫は馬車で真夜中に長安を発った。奉先県への路は、冷たい風が北の砂漠地帯から吹きつけてくる。杜甫は四十四歳を過ぎて、やっと官職につけた。詩は、まず、現況から始まる。

白京赴奉先牒詠懐 五百字 1/10 1段目の#1
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
居然成
濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫特集700-105-1 現代語訳と訳註

(本文)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
許身一何愚?竊比稷與契。
居然成濩落,白手甘契闊。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

(下し文)
杜陵(とりょう)に布衣(ふい)有り
老大(ろうだい)にして意(い)転(うた)た拙(せつ)なり
身(み)を許すこと一(いつ)に何ぞ愚(ぐ)なる
窃(ひそ)かに稷(しょく)と契(せつ)とに比す
居然(きょぜん)  濩落(かくらく)を成(な)し
白首(はくしゅ)  契闊(けいかつ)に甘んず
棺(かん)を蓋(おお)えば事は則ち已(や)むも
此の志  常に豁(ひら)けむことを覬(ねが)う

(現代語訳)
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


(訳註)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
杜陵 作者の住地。長安城の東に薪陵(漢の文帝の陵)があり、その南五里に楽遊原がある、漠の宜帝の葬られた処で、これを杜院という。杜陵の東南十余里に又一陵があり、宜帝の皇后許氏の葬られた処であり、これを少陵という。少陵の東は杜曲であり、西は杜甫が宅した地である。作者は自己の居を称するのに、杜陵、少陵、杜曲、下杜などというのは皆少陵を本としてその近地についていったものである。この年かいた詩の中でで杜甫の杜曲の住まいを覗わせるものである

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長安・杜曲韋曲
 
布衣 仕官せぬものをいう。○意転拙 その抱く所の意識、意見、物の見方がかたくなで世間向きでなく、処世術がへたである。


許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
許身 我と我が身はかくかくの資格ありとゆるす。○ 二人とも儒教でいう賢臣で舜の賢臣。稷は官の名、本名は棄、農事を掌る、契は教育の事を掌る。『論語』・泰伯篇  「舜には五人の臣(瑀・稷・契・咎陶・伯益)がいて、天下が治まった。武王はいった、「わたしには賢臣が十人いる」 孔子はいった、「才能ある人物は得がたいものだ。そうではないか。尭が舜に禅譲してからは、周の初めにおいて盛んであった。(武王の賢臣のうち、)婦人が一人いるので、賢臣は九人のみであった。文王が西伯となって、天下を三分してその二を保ち、それで殷に服事した。周の徳こそは至徳というべきである」 *周が賢臣を得て国を治めたことを讃えた。


居然成濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
居然 そのままの意。○濩落 濩は雨だれがしたたり落ちること。○契闊 苦労すること。逢うことと離れること。慕う。約束する。ここでは艱難辛苦をいう。
 
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』
蓋棺 棺の蓋をする。人が死ぬことを指す。人は死後に其の行いや事の評価が決定することをいう。○此志 自己の志意をいう。○ 冀と同じ、こいねがう。○ 寛裕にする、ひろびろとする。



 

示従孫済  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 84

示従孫済  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82就職活動中 杜曲の家)
五言古詩。七五四(天宝十三)年、四十三歳のとき、従孫つまり一族の孫の世代にあたる杜済の家を訪問しての詩。杜済は字を応物といい、後に東川節度使・兼京兆尹となった人で、杜甫より八つ年下である。


この詩大意
 騒々しかった杜曲の家は、異母弟の杜観・杜占との三人暮らしになった。しかし、杜甫には仕事がない。「従孫」当主の孫の世代に属する同族のこと。従孫の杜済(とせい)という者が近くに住んでいたので、夜明けに驢馬に乗って訪ねたのだ。
 杜甫43歳、杜済35歳である。杜甫よりも八歳しか年少で、のちに東川節度使兼京兆尹(京兆尹は寄禄官)に出世する。
杜甫は「宅舎は荒村の如し」と言っている。「堂」というのは住宅の主室のことだが、堂前堂後は荒れた冬景色、貧しいようすがうかがえる
 杜甫が来たというので、家人は急いで食事の支度をはじめた。杜甫は家事に託して事柄の本源を大切にしなければならないことを説いている。説きながら、自分は「嬾惰なること久しく」、お前たちの働く様子を見ていると走っているようだと、ほめている。
食糧不足の折であるので、自分が食事めあてに訪ねてきたのではないかと思われるのを恐れて弁解をしている。


示従孫済
平明跨驢出、未知適誰門。
夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
権門多噂沓、且復尋諸孫。』
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
諸孫貧無事、宅舎如荒村。
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
堂前自生竹、堂後自生萱。』
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
萱草秋已死、竹枝霜不蕃。
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
淘米少汲水、汲多井水渾。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
刈葵莫放手、放手傷葵根。』
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
阿翁嬾惰久、覚児行歩奔。
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
所来為宗族、亦不為盤飧。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
小人利口実、薄俗難可論。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
勿受外嫌猜、同姓古所敦。』
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』


夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』



孫の済に示す   
平明(へいめい)  驢(ろ)に跨(またが)って出(い)ず、未だ誰の門に適(ゆ)くかを知らず。
権門(けんもん)には噂沓(そんとう)多し、且(か)つ復(ま)た諸孫(しょそん)を尋ねん。』
諸孫は貧にして事(こと)無く、宅舎(たくしゃ)は荒村(こうそん)の如し。
堂前(どうぜん)には自(おのずか)ら竹を生じ、堂後(どうご)には自ら萱(けん)を生ず。』
萱草(けんそう)は秋に已(すで)に死し、竹枝(ちくし)は霜に蕃(しげ)らず。
米(こめ)を淘(と)ぐには少しく水を汲(く)め、汲むこと多ければ井水(せいすい)渾(にご)る。
葵(あおい)を刈るには手を放ままにする莫(な)かれ、手を放(ほしい)ままにすれば葵根(きこん)を傷つく』
阿翁(あおう)は嬾惰(らんだ)なること久しく、児(じ)の行歩(こうほ)して奔(はし)るを覚(おぼ)ゆ。
来たる所は宗族(そうぞく)の為なり、亦(ま)た盤飧(ばんそん)の為ならず。
小人(しょうじん)は口実(こうじつ)を利す、薄俗(はくぞく)は論ず可きに難(かた)し。
外(ほか)の嫌猜(けんさい)を受くる勿(なか)れ、同姓の古(いにしえ)より敦(あつ)くする所なり』



示従孫済
従孫「左伝」哀公二十五年の疏に「男子ノ兄弟ノ孫ヲ謂イテ、従孫卜為ス」とみえるのからすれば、姪の子が従孫になる。とすれば自己と従孫とは二代を隔てるはずであるが、唐の宰相世系表・顔兵卿の神道碑によれば杜甫は杜預の十三代の孫、杜済は十四代の孫とあり、二者は一代をへだてるのみである。
○ 杜済、字は応物、後に給事中・東川節度使・兼京兆尹となった。



平明跨驢出、未知適誰門。
夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
平明 しらしらあけ。



権門多噂沓、且復尋諸孫。』
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
権門 権力ある家。○噂沓 「詩経」十月之交簾にみえる。朱子の解に「噂ハ来ナリ、沓ハ重複ナリ、多言以テ相イ説ク」という。ことばかずの多い義ととく。主人の気に入るようなことを多くいうこと。



諸孫貧無事、宅舎如荒村。
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
諸孫 自己と下へ二代をへだてた列にある子弟ども。



堂前自生竹、堂後自生萱。』
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
○堂 宅の主室、座敷。○竹、萱たけ、かん草、わすれ草。ここでは実際の竹は兄弟輩、杜甫をもとめたもの。萱は母にたとえたものである。実景とたとえをかねていう。



萱草秋已死、竹枝霜不蕃。
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
 ふえる。



淘米少汲水、汲多井水渾。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
米を水にゆりながらあらうこと。



刈葵莫放手、放手傷葵根。』
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
あおい、食物である。○放手 この二字「後漢書」明帝紀(中元二年十二月詔)にみえる。乱暴な手刀をもちいることをいう。此の淘米・刈葵の二事は食事上の事について実景と例えとを兼ねている。実景としてはただその事についての注意すべきことをいうにすぎぬが、裏面のたとえとしては「根源を培養し、宗族を敦陸にすべし」との意をふくんでいる。



阿翁嬾惰久、覚児行歩奔。
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
阿翁 阿は親しむ辞。翁は老人。諸孫らがよぶべき辞を以て作者自ずから称する。○ しっている。○ 杜済等をさす。○行歩奔 老翁を迎えるために、淘米・刈葵等の事のため奔走に労することをいう。



所来為宗族、亦不為盤飧。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
所来 来たわけをいう。○宗族 表の誼を重んずることをいう。○盤餐 大皿にもった食物。



小人利口実、薄俗難可論。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
利口実 口実とはその事をわが言わんとすることのたねにすること、利は利用すること。杜南がしばしば来訪するのは飲食のためだなどという人のうわさを種にして同族離間のたねに利用する。○薄俗 世間の軽薄なならわし。○可論 一々論じたてる。



勿受外嫌猜、同姓古所敦。』
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』
 族以外の人。○嫌猜 嫌疑、猿忌。○古所敦 古来敦くして交りをかたくする。







贈陳二補闕  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 81

贈陳二補闕  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 81

補関の官職にある陳某に贈った詩。

754年天宝13載              43



贈陳二補闕
世儒多汨沒,夫子獨聲名。
世の多くの儒学者は、取り上げられず下流の地位のままで沈んでいる。夫子たる陳公はただ一人名声が上がっている。
獻納開東觀,君王問長卿。
道教寺院を重んじ、東観から道教の書物をひも解いて奉献をしなさい、玄宗皇帝は、今、司馬相如たる陳長卿に道教についてお尋ねになるであろうから。
皂雕寒始急,天馬老能行。
熊鷹と呼ばれる役目柄であることは寒くなれば元気づくものだ、朝廷内での逆風も君の今後のためにもいいことだ、天馬というものはたとえ老いるまでは千里の道を歩き続けるものだ。
自到青冥裡,休看白發生。

青空のように高い地位に上り詰めたからには、たとえ白髪が増えようときにしないで突き進めるのだ。



世の多くの儒学者は、取り上げられず下流の地位のままで沈んでいる。夫子たる陳公はただ一人名声が上がっている。
道教寺院を重んじ、東観から道教の書物をひも解いて奉献をしなさい、玄宗皇帝は、今、司馬相如たる陳長卿に道教についてお尋ねになるであろうから。
熊鷹と呼ばれる役目柄であることは寒くなれば元気づくものだ、朝廷内での逆風も君の今後のためにもいいことだ、天馬というものはたとえ老いるまでは千里の道を歩き続けるものだ。
青空のように高い地位に上り詰めたからには、たとえ白髪が増えようときにしないで突き進めるのだ。



陳二補闕に贈る
世儒多く汨沒たり 夫子独り声名あり
献納東観開く 君王長卿を問う
皂雕寒くして始めて急に 天馬老いて能く行く
青冥の裡に到りし自り 白髪の生ずるを看ることを休めよ




世儒多汨沒,夫子獨聲名。
世の多くの儒学者は、取り上げられず下流の地位のままで沈んでいる。夫子たる陳公はただ一人名声が上がっている。
世儒 世上の儒者。○汨沒 汨はしずむ、汨没とは世間の下流にしずんでいること。唐王朝は道教を国教としたために、「儒学は国を滅ぼす」と儒学者は疎んじられた。○夫子 陳補閲を尊敬してかく称する、陳は蓋し時の老儒と思われる。



獻納開東觀,君王問長卿。
道教寺院を重んじ、東観から道教の書物をひも解いて奉献をしなさい、玄宗皇帝は、今、司馬相如たる陳長卿に道教についてお尋ねになるであろうから。
献納開東観 ここで道教の寺観に献納、仕えることができるかということを天子から問われた時のことを詠っている。侍従の臣の職務はかくの如くであり、補闕・拾遺等の官は天子に過失非違があったとき之をお諌めもうす官である。儒学を勉強してきた陳補闕が道教を重んじる玄宗に対していかなる態度、意見を述べるのか杜甫の最大の関心事であった。
東観は後漢の時の図書を蔵する所で、唐では集賢殿がそれにあたる。道教の書典を数多く収められている。○君王 玄宗。○問長卿 長卿は漢の司馬相如の字である。武帝は相如の「子虚賦」を読みこの人と時を同じくしたいものだといわれたところが、狗監楊得意という者がこれは臣の邑人司馬相知の作だと答えたので、帝は驚き召して相加を問うた。ここは陳を相如に此する。



皂雕寒始急,天馬老能行。
熊鷹と呼ばれる役目柄であることは寒くなれば元気づくものだ、朝廷内での逆風も君の今後のためにもいいことだ、天馬というものはたとえ老いるまでは千里の道を歩き続けるものだ。
皂雕 くろいくまだか。唐の王志情が左台御史となったとき人は之を皂雕とよんだという、御史も補闕も非違を弾劾する茂るべき官であるからかくたとえていった。○寒始急 急とはその勢いの厳急なことをいう。寒とは秋より冬にかけていう、そのころから鷹は勢いがつよくなる。○天馬 大宛の名馬、これも陳をたとえていう。



自到青冥裡,休看白發生。
青空のように高い地位に上り詰めたからには、たとえ白髪が増えようときにしないで突き進めるのだ。
青冥 あおぞら、高い地位をいう。○休看 看るとは気にしてみることをいう。看るをやめよとは気にするな、老いをわすれて職務につとめよということ。



○韻   名、卿、行、生。

送裴二虬尉永嘉  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 78

送裴二虬尉永嘉  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 78

送裴二虬尉永嘉
裴二虬が永嘉の尉に任ぜられて赴くのを送る詩。
作時は754年天宝13載43歳。

送裴二虬尉永嘉
孤嶼亭何處、天涯水氣中。
謝霊運の遺蹟である孤暁の亨はどこにあるのであろうか、天の果てはるかなところに、水蒸気、邪気のただよっているあたりという。
故人官就此,絕境與誰同。
わが友人たる君はその地へ官とし赴任する、あの地の境のような場所で君はだれとその風景を味わう趣を一緒にするか。
隱吏逢梅福,遊山憶謝公。
君がそこに任官するのは半隠半吏として隠れ役人だった漢の梅福にであったようなものである、同時にあの遊山ずきであった謝公を憶わずにはおれないのだ。
扁舟吾已僦,把釣待秋風。

わたしは小さな釣り舟をかりうける。秋風の吹く頃を待ってそちらにでかけて釣竿を手にしようと思っている。



謝霊運の遺蹟である孤暁の亨はどこにあるのであろうか、天の果てはるかなところに、水蒸気、邪気のただよっているあたりという。
わが友人たる君はその地へ官とし赴任する、あの地の境のような場所で君はだれとその風景を味わう趣を一緒にするか。
君がそこに任官するのは半隠半吏として隠れ役人だった漢の梅福にであったようなものである、同時にあの遊山ずきであった謝公を憶わずにはおれないのだ。
わたしは小さな釣り舟をかりうける。秋風の吹く頃を待ってそちらにでかけて釣竿を手にしようと思っている。



裴(はい)二虬(きゅう)が永嘉に尉たるを送る
孤嶼亭(こしょてい)何の処ぞ、天涯 水気の中。
故人官(こじんかん)此に就く 絶境 興誰とか同じくする。
隠吏(いんり)梅福(ばいふく)に逢う 遊山(ゆうざん)謝公(しゃこう)を憶う。
扁舟(へんしゅう)吾己に僦(やと)いぬ 釣を把るには秋風を待つ。





送裴二虬尉永嘉
裴二虬が永嘉の尉に任ぜられて赴くのを送る詩。
裴二虬 裴虬、字は深原。後ち769年大暦四年に道州刺史となった。刺史裴使君に陪して岳陽楼にのぼったことをよんだ詩。大暦四年春初の作。「陪裴使君登岳陽樓」○ 県の警察を掌る官、令の下官である。○永嘉 今の浙江省温州府。謝霊運が左遷された地であり、謝霊運はここの山水を愛し遊んだ。



孤嶼亭何處、天涯水氣中。
謝霊運の遺蹟である孤暁の亨はどこにあるのであろうか、天の果てはるかなところに、水蒸気、邪気のただよっているあたりという。
孤嶼亭(こしょうてい)  孤嶼は温州の永嘉江の中に在る。宋の謝霊運に「登江中孤嶼」詩(文選26巻「行旅」)があり、後人が亭を其の上に建てた。甌江の下流、海との接点に 孤嶼山がある。謝霊運は神仙の地ととらえていた。



故人官就此,絕境與誰同。
わが友人たる君はその地へ官とし赴任する、あの地の境のような場所で君はだれとその風景を味わう趣を一緒にするか。
故人 ふるなじみ、 裴虬をさす。○ 永嘉の地をさす。○絶境塵 世とかけはなれた境地。○ 風景に対しそれを味わう興味。



隱吏逢梅福,遊山憶謝公
君がそこに任官するのは半隠半吏として隠れ役人だった漢の梅福にであったようなものである、同時にあの遊山ずきであった謝公を憶わずにはおれないのだ。
隠吏 隠遁者の性質を帯びている吏。○梅福 漢末九江の人、南昌尉となる、王芥が政を尊にするや一朝妻子を棄て去って会稽に隠れた。人は伝えて仙となした。ここは裳をあてていう。○謝公 謝霊運をいう。霊運は山水の遊を好み、山水に関する詩賦を以て著名である。



扁舟吾已僦,把釣待秋風。
わたしは小さな釣り舟をかりうける。秋風の吹く頃を待ってそちらにでかけて釣竿を手にしようと思っている。
扁舟 小さな平べたい舟。○ かりうける。○把釣待秋 把釣とは釣竿を手にとろうとすることをいう。
ここは謝霊運の境地で詠っているにすぎない。まさかこの二人が15年後に岳陽楼に一緒に登ることなど予想だにしなかったことである。




○韻 中、同、公、風。


醉時歌  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の 漢詩ブログ 誠実な詩人 杜甫 特集 77

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醉時歌  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の 漢詩ブログ 誠実な詩人 杜甫 特集 77

酔ったときの気もちを詠ったもの。杜甫の親友である広文館の博士鄭虔に贈ったもの。作時は754年天宝13載43歳。長安。〔原注〕に贈虞文館博士鄭虔。とある。別に、755年春の「酔歌行」がある。


酔時歌 
#1
諸公袞袞登臺省,廣文先生官獨冷。
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。
甲第紛紛厭粱肉,廣文先生飯不足。
また他の諸官員は上等の邸宅を無数にかまえて梁肉の御馳走にあききっておるが、我が広文先生はご飯も不足がちである。
先生有道出羲皇,先生有才過屈宋。
先生は身に道義をそなえていることは三皇五帝以上である、また文才をもっておられること屈原や宋玉よりもまさっておられる。
德尊一代常坎軻,名垂萬古知何用。』
道や徳が生きている一代にどんなに尊いものであってもいつも不遇でおられる、之を見ると後の世にその名を遺したとしても何の役に立つかというような気がする。』
#2
杜陵野客人更嗤,被褐短窄鬢如絲。
杜陵近くに住む無冠の自分に至ってはいっそう他人から笑われている。きている毛織物は着丈が短くて身はばがせまく、髪の毛は白糸混じりのようだ。
日糴太倉五升米,時赴鄭老同襟期。
日々御米屋から五升ずつの米をかいいれ、詩文を売り金を手にすると、同志たる鄭虔老先生のところへでかけるのである。
得錢即相覓,沽酒不複疑,
自分は銭を得さえすればすぐ先生をもとめ、何等のためらうことなく酒をかう。
忘形到爾汝,痛飲真吾師。』
そうして外形を忘れて貴様とよびあうほどになる、ひどく酒を飲めば飲のむほど吾が師とすべき人である。』

こんなことを言いはしましたがそれをきいて哀しみ痛む必要はありません、生前にこうして遭遇した以上、盃を口にすることが一番です。

#3
清夜沈沈動春酌,燈前細雨簷花落。
きょうもこの清らかな夜にあたり、人の寝静まるころ春酒を酌みはじめた。燈の前には雨がほそほそとふりそそいで簷花がちらちらする。
但覺高歌有鬼神,焉知餓死填溝壑。
興に乗じて声高に歌をうたいだすたびに人の霊魂と天の神のたすけがあるかと覚えるのだが、あすにも餓死して溝やたにに屍をうずめるかも知れぬなどの心配の念はちっともおこらぬものだ。
相如逸才親滌器,子雲識字終投閣。』
司馬相如ほどのすぐれた才人は窮したときには自分みずから食器あらいをしたし、揚子雲ほどの字を知った学者でも結局一人合点で高い楼閣から地上に身を投げた。』
#4
先生早賦歸去來,石田茅屋荒蒼苔。
先生、早く賦を書かれたらよいのでは、陶淵明の帰去来の辞ように、故郷の石ころのあるわるい田地や茅屋には蒼苔などであれはててしまいますよ。
儒術於我何有哉、孔丘盜跖俱塵埃。
儒者の学術などは我々にとって何の効があるというのか、聖人孔子も大泥棒の拓もひとしくともに死して塵攻にかわるだけである。
不須聞此意慘愴,生前相遇且銜杯。』



#1
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。
また他の諸官員は上等の邸宅を無数にかまえて梁肉の御馳走にあききっておるが、我が広文先生はご飯も不足がちである。
先生は身に道義をそなえていることは三皇五帝以上である、また文才をもっておられること屈原や宋玉よりもまさっておられる。
道や徳が生きている一代にどんなに尊いものであってもいつも不遇でおられる、之を見ると後の世にその名を遺したとしても何の役に立つかというような気がする。』

#2
杜陵近くに住む無冠の自分に至ってはいっそう他人から笑われている。きている毛織物は着丈が短くて身はばがせまく、髪の毛は白糸混じりのようだ。
日々御米屋から五升ずつの米をかいいれ、詩文を売り金を手にすると、同志たる鄭虔老先生のところへでかけるのである。
自分は銭を得さえすればすぐ先生をもとめ、何等のためらうことなく酒をかう。
そうして外形を忘れて貴様とよびあうほどになる、ひどく酒を飲めば飲のむほど吾が師とすべき人である。』

#3
きょうもこの清らかな夜にあたり、人の寝静まるころ春酒を酌みはじめた。燈の前には雨がほそほそとふりそそいで簷花がちらちらする。
興に乗じて声高に歌をうたいだすたびに人の霊魂と天の神のたすけがあるかと覚えるのだが、あすにも餓死して溝やたにに屍をうずめるかも知れぬなどの心配の念はちっともおこらぬものだ。
司馬相如ほどのすぐれた才人は窮したときには自分みずから食器あらいをしたし、揚子雲ほどの字を知った学者でも結局一人合点で高い楼閣から地上に身を投げた。』

#4
先生、早く賦を書かれたらよいのでは、陶淵明の帰去来の辞ように、故郷の石ころのあるわるい田地や茅屋には蒼苔などであれはててしまいますよ。
儒者の学術などは我々にとって何の効があるというのか、聖人孔子も大泥棒の拓もひとしくともに死して塵攻にかわるだけである。
こんなことを言いはしましたがそれをきいて哀しみ痛む必要はありません、生前にこうして遭遇した以上、盃を口にすることが一番です。



(酔時の歌)
#1
諸公袞袞として台省に登る、広文先生官独り冷かなり。
甲第紛紛梁肉に厭く、広文先生飯足らず。
先生道有り義皇よりも出づ、先生才有り屈宋よりも過ぐ
徳一代に尊くして常に坎軻たり、名 万古に垂るるも知らず何の用ぞ』
#2
杜陵の野客人更に嗤う、被褐短窄賓糸の如し。
日に糴う大倉五升の米、時に鄭老が襟期を同じくするに赴く。
銭を得れば即ち相覓む、酒を清うて復た疑わず。
形を忘れて爾汝に到る、痛飲兵に吾が師なり。』
#3
晴夜沈沈春酌を動かす、燈前細雨に箸花落つ。
但だ覚ゆ高歌鬼神有るを、焉んぞ知らん餓死して溝壑に填するを
相如逸才なるも親ら器を滌う、子雲字を識るも終に闇より投ず』
#4
先生早く賦せよ帰去来、石田茅屋蒼苔荒れん。
儒術我に於で何か有らん哉、孔丘盗跖倶に塵挨なり
須いず此を聞いて意惨愴なるを、生前相遇う且つ杯を銜め。』


#1
諸公袞袞登臺省,廣文先生官獨冷。
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。
諸公 当時、仕官している人々をさす。○袞袞 こんこん相い続いて絶えないさま。〇台省 三省六部、九寺、一台(御史台) 御史台は台院・殿院・察院に分かれ、台院は侍御史を長として百官を糾察し、殿院は殿中侍御史を長として殿廷供奉の儀式を担当し、察院は監察御史を長として州県を巡察した。三省とは、中書省・門下省・尚書省の三つの機関を指す。○広文先生 鄭虔をさす。天宝九載に国子監に広文館博士一人、助教一人を置き、生徒の進士たるものを領させた。これは玄宗が鄭虔を優遇しようと創設した機関であるが、優遇といえるものであったのか。○官独冷 冷とは熱の反対、人がよりつかないことを冷といぅ。



第紛紛厭粱肉,廣文先生飯不足。
また他の諸官員は上等の邸宅を無数にかまえて梁肉の御馳走にあききっておるが、我が広文先生はご飯も不足がちである。
甲第 上等の邸宅。○紛紛 多くあるさま。○梁肉 よいこめ、にく。



先生有道出羲皇,先生有才過屈宋。
先生は身に道義をそなえていることは三皇五帝以上である、また文才をもっておられること屈原や宋玉よりもまさっておられる。
有道 道義を身につける。○出 超出することをいう。○義皇 三皇五帝のこと。中国の神話伝説時代の帝王。現在ではこれらは実在の人物とは考えられていない。
三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた。
有才 才は文才をいう。○屈宋 楚の屈原、宋玉。騒賦の作家である。



德尊一代常坎軻,名垂萬古知何用。』
道や徳が生きている一代にどんなに尊いものであってもいつも不遇でおられる、之を見ると後の世にその名を遺したとしても何の役に立つかというような気がする。』
坎軻 不遇のさま。○知何用 何の役に立つかを知らず、用なしということ。意味がないのではなかろうか。



#2
杜陵野客人更嗤,被褐短窄鬢如絲。
杜陵近くに住む無冠の自分に至ってはいっそう他人から笑われている。きている毛織物は着丈が短くて身はばがせまく、髪の毛は白糸混じりのようだ。
杜陵野客 杜甫自ずから称する。杜陵は即ち少陵。官に仕えぬ故に野客という。〇 他の人。○ 自分の事をわらう。○被褐 きている粗末な毛織りもの。○ 着たけのみじかいこと。○ 身はばのせまいこと。前合わせ幅が足らない。体に合っていない。粗末な見栄えをいう。○如糸 頭髪の白髪のようす。



日糴太倉五升米,時赴鄭老同襟期。
日々御米屋から五升ずつの米をかいいれ、詩文を売り金を手にすると、同志たる鄭虔老先生のところへでかけるのである。
 日々。○糴 かいいれる。○太倉 天子の御米蔵。米屋。〇五升米 一家の買い得る制限額であろう。前年の天宝十二載八月に雨があって米価が騰貴したために、大倉の米十万石を出し価を減じて貧人にはらいさげた。〇時赴 時あって赴く。○鄭老 虔をさす。○同襟期 襟期は心期、心に期する所、同襟期は同志であることをいう。



得錢即相覓,沽酒不複疑
自分は銭を得さえすればすぐ先生をもとめ、何等のためらうことなく酒をかう。
○得銭 銭を得さえすれば。○相覓 互いにではなく杜甫の方から鄭慶をもとめる。○沽酒 杜甫が酒をかうこと。○不複疑 ぐずぐずせずすぐさま買う。ためらわずに。



忘形到爾汝,痛飲真吾師。』
そうして外形を忘れて貴様とよびあうほどになる、ひどく酒を飲めば飲のむほど吾が師とすべき人である。』
忘形 精神を互いに契って外形を忘れる。○到爾汝 爾汝の間柄に達する。親友となればお互いに俺、貴様といいあうものであり、親交がそこまでに到るということ。○痛飲 ひどく酒をのむ。



#3
清夜沈沈動春酌,燈前細雨簷花落。
きょうもこの清らかな夜にあたり、人の寝静まるころ春酒を酌みはじめた。燈の前には雨がほそほそとふりそそいで簷花がちらちらする。
清夜 清は聖人を示し、女気のない夜。○沈沈 しずかなさま。○ 為しはじめることをいう。○春酌 通常女性と性的な交じりを込めた酒を酌み交わすことであるが、女気のないのを強調している。○簷花 軒端より雨のしたたるさまを花にみたてている。通常は軒端に立っている女性を示すが、女がいないので雨をことさら女性のようにあらわしたもの。



但覺高歌有鬼神,焉知餓死填溝壑。
興に乗じて声高に歌をうたいだすたびに人の霊魂と天の神のたすけがあるかと覚えるのだが、あすにも餓死して溝やたにに屍をうずめるかも知れぬなどの心配の念はちっともおこらぬものだ。
高歌有鬼神 声高に歌をうたいだすと人の霊魂と天の神のたすけがある○墳溝壑 死んで骨を溝や壑(たに)にうずめること。



相如逸才親滌器,子雲識字終投閣。』
司馬相如ほどのすぐれた才人は窮したときには自分みずから食器あらいをしたし、揚子雲ほどの字を知った学者でも結局一人合点で高い楼閣から地上に身を投げた。』
相如 漢の司馬相如。卓文君に詩を書き、駆け落ちし、酒店をひらき、文君と二人で財を成した。みずから雑役をなし飲食の器物をすすいだ。○逸才 文学にすぐれた才。○滌器 よごれた食器をあらいすすぐこと。○子雲 漢の揚雄、字は子雲。王莽の後継者問題に巻き込まれ、司直の手を逃れられぬと感じた揚雄は、思い余った末に天禄閣の上から投身自殺を図る。○識字 揚雄は大学者にして特に古代の文字に精通していた。



#4
先生早賦歸去來,石田茅屋荒蒼苔。
先生、早く賦を書かれたらよいのでは、陶淵明の帰去来の辞ように、故郷の石ころのあるわるい田地や茅屋には蒼苔などであれはててしまいますよ。
帰去来 晋の陶淵明は彰沢の県令となったが、80数日で「帰去来の辞」を賦して官を辞した。○石田 石ころのあるわるい田地。○ 蒼ゴケや草などの生い茂ること。



儒術於我何有哉、孔丘盜跖俱塵埃。
儒者の学術などは我々にとって何の効があるというのか、聖人孔子も大泥棒の拓もひとしくともに死して塵攻にかわるだけである。
儒術儒者の学術。○何有哉何の効があろうか、ない。○孔丘孔夫子、大聖人である。○盗拓 大泥棒である拓。○倶塵挨 聖も盗も善悪の極端なるにかかわらずつまりはともに死んでちりほこりにかわるだけである。ちょっと道教的な文になっているのは鄭虔が道士であるため。



不須聞此意慘愴,生前相遇且銜杯。』
こんなことを言いはしましたがそれをきいて哀しみ痛む必要はありません、生前にこうして遭遇した以上、盃を口にすることが一番です。
不須 必要がない。○此 この歌をさす。○惨槍 かなしくいたむ。○相遇 知己のものが遭遇した。○まあまあということ。○銜杯 酒杯を口にくわえる。



○韻 省、冷/肉、足/皇、宋、用。/嗤、絲、期、疑、師。/酌、落、壑、閣。/來、苔、埃、杯。


 杜甫も鄭虔も気まぐれな玄宗の犠牲者の一人であろう。玄宗としては、優遇したつもりであろうが、命を下しても宦官の高力士や、李林甫が受けるのである。文人を嫌い排除していった人物である。
 小賢しいものであれば玄宗にお目どおりして実情を訴えるであろうが立派な人物なのだろう、姑息なことをしないのである。
 李白が都を追われて以降、玄宗は「一芸に秀でたものを登用」と天下に詔を下したが、実際は文人を冷遇していたのは有名なことだ。

白絲行 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 54

白絲行  七言歌行
白絲行 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 54


 杜甫は曲江三章で自分の心境を吐露したが、、このままでは家族の生活ができない。焦る気持ちで、手当たり次第に詩を贈り、口添えを頼んだ。媚びた詩に嫌気がしたのだろう原点に返った詩を書いた。
白糸は染められて彩糸となり、彩糸は織られて羅錦(らきん)となる。羅錦はさらに裁縫を経て美人の舞衣となる。
ただ衣の新しきものは用いられてもふるびて汗(よご)れると直ちに放棄される。

杜甫は、10年近く前に李白が天子に召され1年半年で都から追われたことをよく知っている。李白は道教による引張で、才能を生かすはずであったが、うまくいかなかった。本当に詩文の才能を評価されて召されないと、引張という華麗なものだけだと切れたら捨てられる。自分は、この詩文の才能を評価されるまで耐え忍んでいく。詩中には、李白のことは全くないが、ただ、尾聯の「君不見才士汲引難」才士汲引せらるること難きを。の「才士汲引」はりはくである。
752年天宝11載41歳長安に客寓していたときの作。

白絲行
繅絲須長不須白,越羅蜀錦金粟尺。
繅は繭から取りだす糸というものは長くさえあればよいので白ければいいというものではない。越羅や蜀錦のように織られて初めて物の価値が出てくる、だから、その長短を金の星の度盛りのついたものさしではかるのである。
象牀玉手亂殷紅,萬草千花動凝碧。
機織りの女が象床に坐って玉のような手で花模様の深紅が咲き乱れ、また万草の静かな碧色が深紅の花を包み動かすのだ。
已悲素質隨時染,裂下鳴機色相射。
元来白の糸地が時流にそうて染められるということは、本来の良さを殺すことであり悲しむべきものである。仕上がって、その織物を機から切り下す際には嫌がって機織り機が声を出すが模様の色が美しく輝きを放つのである。
美人細意熨貼平,裁縫滅盡針線跡。』
之を上手な織人はこまかいこころくばりをし、火小手と糊張りでしわをのばして反物にした。裁縫はしつけの針線あとをすべてなくすことで衣裳に仕立られるのである。』
春天衣著為君舞,蛺蝶飛來黃鸝語。
こののどかな春の空は出来上がったうつくしい衣裳をみにつけてあなたのために舞い踊った、衣装の深紅の花に草花ともみまちがえ、蛺蝶も飛び乗り、緑のこずえに鶯もさえずりのである。
落絮遊絲亦有情,隨風照日宜輕舉。
舞おちちる柳絮の花綿、萌えあがる陽炎にもまた風情がある、風のふくままただよって、日の光に照らされて軽らかにまいあがる衣裳とよくあって似つかわしいものだ。
香汗清塵汙顏色,開新合故置何許?
けれども香しき酒やあせ、清らかな化粧のちり、ほこりがその衣裳の模様の色をけがして取り返しのつかないことしてしまった、すぐに新しい着物を笥から出して汚した着物はどこかへ片づけられてしまうのだ。
君不見才士汲引難,恐懼棄捐忍羈旅。』

君は見たことはいないのか、才能を持った士であっても他の人からひっぱって用いてもらうことはなかなか難しいものであるということを。 恐れていることは、自分も容易に用いられても、容易に棄てられてしまうものだということ。仕官できず都に寓居している境遇をしのびこらえているのである。




繅は繭から取りだす糸というものは長くさえあればよいので白ければいいというものではない。越羅や蜀錦のように織られて初めて物の価値が出てくる、だから、その長短を金の星の度盛りのついたものさしではかるのである。
機織りの女が象床に坐って玉のような手で花模様の深紅が咲き乱れ、また万草の静かな碧色が深紅の花を包み動かすのだ。
元来白の糸地が時流にそうて染められるということは、本来の良さを殺すことであり悲しむべきものである。仕上がって、その織物を機から切り下す際には嫌がって機織り機が声を出すが模様の色が美しく輝きを放つのである。
之を上手な織人はこまかいこころくばりをし、火小手と糊張りでしわをのばして反物にした。裁縫はしつけの針線あとをすべてなくすことで衣裳に仕立られるのである。』
こののどかな春の空は出来上がったうつくしい衣裳をみにつけてあなたのために舞い踊った、衣装の深紅の花に草花ともみまちがえ、蛺蝶も飛び乗り、緑のこずえに鶯もさえずりのである。
舞おちちる柳絮の花綿、萌えあがる陽炎にもまた風情がある、風のふくままただよって、日の光に照らされて軽らかにまいあがる衣裳とよくあって似つかわしいものだ。
けれども香しき酒やあせ、清らかな化粧のちり、ほこりがその衣裳の模様の色をけがして取り返しのつかないことしてしまった、すぐに新しい着物を笥から出して汚した着物はどこかへ片づけられてしまうのだ。
君は見たことはいないのか、才能を持った士であっても他の人からひっぱって用いてもらうことはなかなか難しいものであるということを。 恐れていることは、自分も容易に用いられても、容易に棄てられてしまうものだということ。仕官できず都に寓居している境遇をしのびこらえているのである。




糸を繅(たぐ)るには長きを須うるも白きを須いず、越羅蜀錦金粟(きんぞく)の尺。
象牀(ぞうしょう)玉手(ぎょくしゅ)殷紅(あんこう)乱る、万草千花凝碧(ぎょうへき)を動かす。
己に悲む素質の時に随いて染まることを、鳴機(めいき)より裂下(れつか)すれば色相射る。
美人 細意 慰賠(いちよう)平かなり、裁縫 滅し尽す針線の跡』
春天 衣著して君が為めに舞う、蛺蝶(ちょうちょう)飛び来って黃鸝(こうり)語る。
落架遊糸も亦た情有り、風に随い日に照らされて軽挙(けいきょ)に宜し。
香汗(こうかん)清塵(せいじん)顔色を汗(けが)せば、新を開き故を合じて何の許にか置く。
君見ずや才士 汲引(きゅういん)せらるること難きを、棄捐(きえん)せられんことを恐催して韓旅を忍ぶ』



繅絲須長不須白,越羅蜀錦金粟尺。
繅は繭から取りだす糸というものは長くさえあればよいので白ければいいというものではない。越羅や蜀錦のように織られて初めて物の価値が出てくる、だから、その長短を金の星の度盛りのついたものさしではかるのである。
繅絲 繅は繭から糸を取りだすこと。絲は絹糸。○須長 須はまつ、長くさえあればいいということ。○越羅 越の国(今の浙江省地方)でできる薄絹。○蜀錦 蜀の国(今の四川省地方)でできる錦。○金粟尺 尺はものさし、長短をはかる器、金粟はものさしの分・寸の度をもるところにめじるしとして黄金の星点を附したもの。



象牀玉手亂殷紅,萬草千花動凝碧。
機織りの女が象床に坐って玉のような手で花模様の深紅が咲き乱れ、また万草の静かな碧色が深紅の花を包み動かすのだ。
象牀 象牙でかざったこしかけ。或は機の台という。○玉手 機を織る美人の美しい手。この頃のはたおりの女性は最高に尊ばれた。○乱殷紅 殷紅とは深黒の紅色、主として花についていう。乱とは色のさまざまに動くこと、咲き乱れるをいう。〇万草千花 羅錦に織りだしてある模様。○  玉の手がうごく。○凝碧 しずかな碧色、主として草についていう。深紅を引き立たせてあでやかな模様に仕上がっていくさま。
 

已悲素質隨時染,裂下鳴機色相射。
元来白の糸地が時流にそうて染められるということは、本来の良さを殺すことであり悲しむべきものである。仕上がって、その織物を機から切り下す際には嫌がって機織り機が声を出すが模様の色が美しく輝きを放つのである。
己悲 悲とは染められて之をかなしむこと。時流に流されることを指す。○素質 糸の白い性質。そのものの持っている本来の性質、素質。○随時染 時世のはやりにしたがってそめられる。○裂下 出来あがった織物を刀できりたっておろす。○ 機織り声をたてているはた。○色相射 草花の模様の色が美しく輝きを放つ。



美人細意熨貼平,裁縫滅盡針線跡。』
之を上手な織人はこまかいこころくばりをし、火小手と糊張りでしわをのばして反物にした。裁縫はしつけの針線あとをすべてなくすことで衣裳に仕立られるのである。』
美人 これは裁縫をなす美人、織物の出来はすべて織女にかかっており、上手におる女性を示す表現で美人としている。○細意 こまかいこころくばりがなされていること。○熨貼 火小手と糊張りでしわをのばす。○裁 刀できれをたちきる。○ 糸でぬう。○滅尽 なくする。○針線跡 はりといとをはこんだ痕跡。しつけの針線あとをなくすこと。


春天衣著為君舞,蛺蝶飛來黃鸝語。
こののどかな春の空は出来上がったうつくしい衣裳をみにつけてあなたのために舞い踊った、衣装の深紅の花に草花ともみまちがえ、蛺蝶も飛び乗り、緑のこずえに鶯もさえずりのである。
春天 はるのそら。○衣著 前の句で出来上がった衣を身に着けること。○ あいてをさす、だれでもよい。○峡蚊ちょう。○黃鸝 うぐいす。



落絮遊絲亦有情,隨風照日宜輕舉。
舞おちちる柳絮の花綿、萌えあがる陽炎にもまた風情がある、風のふくままただよって、日の光に照らされて軽らかにまいあがる衣裳とよくあって似つかわしいものだ。
落絮  おちちる柳の花。柳絮。○遊糸 いとゆう、かげろう。○有情風情のあることをいう。○随風照日 系架のさま。○宜ふさわしい、につかわしい。○軽挙 舞うとき衣裳のひらひらすることをいう。



香汗清塵汙顏色,開新合故置何許?
けれども香しき酒やあせ、清らかな化粧のちり、ほこりがその衣裳の模様の色をけがして取り返しのつかないことしてしまった、すぐに新しい着物を笥から出して汚した着物はどこかへ片づけられてしまうのだ。
香汗 香しき酒やあせ。○清塵 清らかな化粧のちり。○顔色 衣裳の模様の色をいう。○開新合故 新故は新衣旧衣をいう。開合とはその衣をいれる笥をひらくことととじること。開新は新衣を笥からだしてきること、合故は旧衣を梱箪笥にかたづけてしまうこと。○置何許 許とは処というのに同じ、何許は何処に同じ。この三字は故衣についていう、故衣なんどはどこにおくか、置き場所もわからぬほどにしまいこむことをいう。



君不見才士汲引難,恐懼棄捐忍羈旅。』
君は見たことはいないのか、才能を持った士であっても他の人からひっぱって用いてもらうことはなかなか難しいものであるということを。 恐れていることは、自分も容易に用いられても、容易に棄てられてしまうものだということ。仕官できず都に寓居している境遇をしのびこらえているのである。
○君不見 君は見たことはいないのか。〇才士 才能ある人物。○汲引難 汲引とは水を汲みつるぺなわを引くこと。その如くに甲が乙をひっぱりよせることをいう。○棄捐 自分を用いる人からうちすてられる。○羈旅 羈は寄。旅は客。たびずまいのこと、仕官できず都に寓居しているさまをさす。

曲江三章 章五句(1) 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52 




曲江三章 章五句 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52 曲江三章 章五句 (1)



曲江  唐の都長安の中心部より東南東数㎞の風光明媚なところに、曲江池という池があった。池は、「隋の長安建都の時に黄渠の水を引いて池を作り、これを曲江と呼んだ」とされる。宋代(南宋1127~1279)の趙彦衛が撰した『雲麓漫鈔』に記述があるが、隋はこの地に「芙蓉園」を造って離宮とした。
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 この地には、かつて漢の武帝も「宣春下苑」という離宮を造っており、唐代になって第6代皇帝玄宗(在位712~752)の開元年間(713~741)に大規模な再開発が行われたようだ。
  北には元殿を含む大明宮があり、周囲を取り囲む曲江池、杏園、楽遊原の風景も非常に美しい場所である。
近くには杏園、楽遊原、大慈恩寺などの名所があり、貴族達の行楽地として春や秋には賑わい、特に唐の科挙試験に及第して進士となった者は、曲江のほとりの杏園で宴を賜ったと伝えられている。
  しかしこの場所も、安史の乱(756~763)の時に建築物は尽く破壊され、一部は後に修復されたのだが、また、唐末の戦乱で破壊されてしった。
  現在は曲江地遺跡として石碑なども建っているが、池は干上がって農地化している。

このしは、生活が杜甫にかかっており、ここ数年士官のため、全力を挙げて取り組んだが、この秋まですべてうまくいかなかった。曲江の東に弟杜侄を寓居としていた。絶望感を漂わせる秋時の感を述べている。752年41歳の作。七言雑詩、絶句の一聯に七言の句を追加して構成される珍しいものである。特にこの詩は三首を一つとしてとらえることも必要だ。


曲江三章 章五句 
曲江三章 第一章五句
曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

曲江三章 第二章五句
即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?

曲江三章 第三章五句
自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

曲江三章 章五句 

曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?

自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

1.
曲江のあたり、草木は枯れもの寂しく大空が澄み渡りすっかり秋の気配になった、池の菱と蓮は枯れ、折れなどで荒れた模様で 風が吹き、大波よってゆれうごいている。
故郷を離れ、仕官もできていない自分、むなしくため息をし、そして白髪交じりになろうとしてきた。
白石があり、ただ沙もむなしく白く互いに落ち着いていない。哀れにも大雁は、一羽で叫んでいたその群れを求めているのだろう。
2.
目前にあるものをそのままに、現在ではないし、亦、昔のことでもない。聞いたことのある長歌がこの夜は盛んに歌われているが、林やくさむらによって消されている。ここにある屋敷は豪華なものであり、おおきな一棟は分かるがあとは数えられない。
自分は人として、少し甘くて心が塵灰のようになってしまった。弟の侄は心を痛めて涙が雨のようにとめどなく流している。
3.
自分はこの世の生涯の望み、仕官の願いを断ってしまったから運命の窮通について天に問う必要もない。幸に杜曲には桑麻を作りうる田地がある、だから此処(曲江)から南山ちかく(杜曲)へひきうつってきたのだ。
気軽に衣単衣で一匹の馬にまたがり、李広のような男のあとについていく、猛虎でも射るのを桑畑でみながらこの老いさきを終ろうとおもう。

choan9ryo

 

(2)続く


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