杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

歴史

767年- 29 杜少陵集-巻18-61 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之五》29 杜甫詩index-15-1188 <1638> 18-61漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5  自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

杜少陵集 卷一八61

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

 

杜甫詩index-15 767年大暦2年56歲 (29)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

 

 

 

 

杜甫詩1500-1188-1638/2500

18-61   29        暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -5

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-61

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

卷229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,絕域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

落日悲江漢,中宵淚滿床。 

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之五』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。

落日悲江漢,中宵淚滿床。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其五(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

 

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

22 濟世 救世とは世を濟助する人。 《莊子‧庚桑楚第二十三》「簡髮而櫛,數米而炊,竊竊乎又何足以濟世哉!舉賢則民相軋,任知則民相盜。」(髮を簡【えら】びて櫛り,米を數えって炊ぐ,竊竊【せつせつ】又、何ぞ以て世を濟うに足らんや!賢を舉ぐれば則ち 民 相い軋り,知に任ずれば則ち 民 相い盜む。)髪の毛を一本一本揃えて櫛をれたり、コメを一粒一粒数えて炊くといったような煩わしいやり方で、こそこそと事に処して着たものである果たしてそのようなことが、どれほどのようなことがどれほどこの世を救い助けたであろうか。彼らの下様に賢人を選んで用いれば、人民は誰もが選ばれようと争い合うことになり、知恵のあるものを抜き出して高い地位につければ、誰もが悪賢くなって欺き合うようになる。

濟世

 

卷八20  寄彭州高三十五使君適虢州岑二十七長史參三十韻  ((二)六三八)

濟世宜公等,安貧亦士常。

巻18-61 暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

《巻18-69 晚登瀼上堂》

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

卷二三06  暮秋枉裴道州手札率爾遣興寄遞呈蘇渙侍御((五)二○一六)

聖朝尚飛戰鬥塵,濟世宜引英俊人。

卷一三27 奉待嚴大夫((三)一○九九)

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

杜甫は、具体的な「濟世策」を提案しているのは、《乾元元年華州試進士策問五首》に見える。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

23 尚書郎 ここは工部員外郎であった杜甫自身を意味する。尚書台の官僚、官吏。 長官が、尚書令。 次官が、僕射。部門責任者が尚書で、尚書郎は各部門の官僚、官吏である。

 

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

24 豺虎鬥 賀蘭進明・第五琦などに呼応した朝廷の悪賢い者たち、各地に相当組織だった盗賊になったものが多かったことなどをいう。

25 鴛鷺行 朝廷内で文官が列をなして行動すること。

 

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

26 人事急 人民の生計が急速に窮迫してきたことをいう。

27 羽毛傷 鴛鷺の行列の一員である杜甫自身の体が病弱で弱ってきたことを言う。傷 羽毛は鴛鴬の縁語である。

 

落日悲江漢,中宵淚滿床。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

28 江漢 夔州の長江のほとりを言う。杜甫《23-11江漢》「江漢思歸客,乾坤一腐儒。」(江漢 歸えるを思う客,乾坤 一腐の儒。)江漢の名がるる地方において、自分は故郷に帰りたいと思っている旅客の人である茫々たる天地の間において、独りの腐儒者樽にとどまっているのである。

 


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杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

杜少陵集 卷一八55

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

杜甫詩index-15767年大暦2年56歲 (23)

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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 25 杜少陵集-巻18-57 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之一》25 杜甫詩index-15-1184 <1634> 18-57 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7567  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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夔州は、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は夔州都督府が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになり、唐代の赤甲山から白帝山方面にあった。

 

夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まったのである

夔州は、新旧唐書の地理志によれば、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は都督府(下)が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになる。政治的軍事的には一地方の重鎮であり、唐代にはそれ相応の人口もあり繁華でもあった。

 まず確認しておかなければならないのは、それらの役所の場所である。従来多く考えられてきたように、それは梅渓河(西瀼水)の西岸ではなかった。あとでも触れるが、いずれも今の子陽山(後掲の簡錦松氏によれば唐代の赤甲山)から白帝山方面にあった。夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まる。

 ほとんどの編年系のテキストで夔州詩の最初に置かれているのは、《1501_移居夔州作》の詩である。

移居夔州郭

(居を夔州に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。

春知催柳別,江與放船清。

春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事聞人說,山光見鳥情。

農事 人の說くを聞く,山光 鳥情を見る。

禹功饒斷石,且就土微平。

禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

 

夔州での詩は、巻十五から、巻二十一の真ん中まで、六巻半の分量である。夔州には766(大暦元)年の晩春から、768(大暦三)年正月の中頃まで滞在した。夔州に到着したのを仮に晩春の三月の真ん中だとして数えると、二十二ヶ月である。杜甫の五十五歳から五十七歳までにあたる。

 

 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。

 

 杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは《1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に《1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた《2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

簡呉郎司法

簡吳郎司法

 

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

 

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

 

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

 

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

 

客病留因藥,春深買為花。

客(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨頹沙。

 

問俗營寒事,將詩待物華。

 

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《巻20-66寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

 

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした《2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

 

杜甫詩1500-1184-1634/2500

18-57     暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-57

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

卷229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,絕域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。

百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

戰伐何由定,哀傷不在茲。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其一(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

 

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

安史の乱当時の勢力図
(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

1 瀼西の草堂 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。そして、すぐに杜甫は赤甲から瀼西へ引っ越した。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していた。

2 新賃 新たに借りいれる。

3 草屋 かやぶきの家。

 

久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

4 三峽 三峡(長江三峡)は中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。三峡地域には瞿塘峡・巫峡・西陵峡のような険しく幅の狭い峡谷の部分と、広くなだらかな寛谷の部分があるが、これは地質の違いによる。三峡独特の景観である峡谷部分は石灰岩が多く、風化には極めて強いが水には溶食されやすく、水の流れる部分だけが深く削られてゆく。また石灰岩には垂直の亀裂ができやすく、水が亀裂の中に入り、その底部を侵食してゆく。谷が深くなると両岸の岩が平衡を失い、垂直に発達した亀裂に沿って谷に落ちるため、両岸が切り立った崖になってゆく。砂岩や頁岩の多い地域は浸食がより進むため、うってかわって広い谷が形成されている。

 

百舌欲無語,繁花能幾時。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

5 百舌 「モズ」の鳥。

 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

6 日華  1.太陽的光華。 南朝・齊、謝朓《和徐都曹》「日華川上動, 風光草際浮。」

《謝朓全集︰和徐都曹出新亭渚詩》

宛洛佳遨游。春色滿皇州。

結軫青郊路。回瞰蒼江流。

日華川上動。風光草際浮。

桃李成蹊徑。桑榆蔭道周。

東都已俶載。言歸望綠疇。

宛・洛は 遨游するに佳く、春色は 皇州に満つ。

珍を青郊の路に結らし、囘かに蒼江の流れを瞰る。

日華は 川上に動き、風光は 草際に浮かぶ。

桃李 蹊徑を成し、桑檎 道周を蔭ふ。

東都 己に載を俶む、言に帰りて 緑の疇を望まん。

「日華」は日の輝き。光風とは、雨己み日掛でて風ふき、草木に光色有るを謂ふなり」すなわち、雨に濡れた草木の葉が日光に輝きながら風に翻っているさまという。五臣(李周翰)注には「風には、もともと光は無い。草上に光色があるというのは、風が草を吹き動かして光らせ、あたかも風に光が有るかのようであるためだ」という。要するに此の語は、『楚辞』を踏まえながらの造語で、風になびく草が日光に輝いているさまを言うのであろう。「草際浮」とは、その輝きが岸辺の草の上のあたりに浮かんでいるように見えるのを言う。

.

戰伐何由定,哀傷不在茲。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

7 哀傷不在茲 茲とは春の過ぎゆくさま、即ち「百舌」以下の四句の事をさす。仇氏は「茲」な戦伐をさすとし、不在茲を豈不在茲乎の義とせり。今従はず。

 

 

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在兹

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在兹言 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

767年- 24 杜少陵集-巻18-56 《卜居》24 杜甫詩index-15-1183 <1633> 18-56 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562

杜甫  卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

杜少陵集 卷一八56

卜 居

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (24)

1183 <1633>

 

 

 
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杜甫詩1500-1183-1633/2500

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲、此是大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。】

入宅,三首之一

卷229 43-1 /巻18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

卷229 43-2 /巻18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

卷229 43-3 /巻18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

卷229 44 /巻18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

卷229 45 /巻18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

卷229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

卷229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

卷229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,絕域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

卷229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

卷231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

 

18-55     24          赤甲

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

巻18-55

 

 

詩題:

卜居

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

卷229_45 《卜居》杜甫 

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『卜居』現代語訳と訳註解説
(
本文)

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。

(下し文)
(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。


(現代語訳)
卜居(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。


(訳注) 

卜居

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)大暦二年春の作。

1 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居し、さらに瀼西に移居した時のものである。

大暦二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟をじたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

2 遼東鶴 丁令威の故事。《續捜神記》にいう、丁令、遼東の華表の柱に鶴有り、其上に棲んで曰く、「有鳥有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙塜累累。」(鳥有り、鳥有り、丁令威、家里を去る今始めて歸る、城郭故の如く人民は非なり、何ぞ仙を學ばざる塜 累累たり。)

3 楚執珪 戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記‧張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷鄉の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。)

 

未成游碧海,著處覓丹梯。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

4 游碧海 仙界に続く滄海を意識させ、仙界、隠棲することを言う。

丹梯 幽遠なる自然の趣をたたえる深山ということ。《文選‧謝朓<敬亭山詩>》: “要欲追奇趣, 即此陵丹梯。(奇趣を追い要めんと欲し, 即ち此に丹梯に陵る。)

「丹梯」五臣(呂延済)注には「山高くして、峯は雲霞に入る処なり」とある。つまり仙人の棲んでいるところである。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に「惜無同懐客、共登青雲梯」(懐ひを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを惜しむ)という、よく似た表現があり、謝眺はそれにもとづいて此の語を作ったのではなかろうかと思われる。したがってその意味は、幽遠なる自然の趣をたたえる深山、ということになろう。

登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041

 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

雲障 山に雲がかかり屏風のように背後にそそり立つ状況を言う。常にかかっている雲があるということであろう。

寬江左 この地における、長江のほとりは山が長江に接近していて、平坦地が少ない、峡谷であるが、瀼西の地は比較的平坦地が広がっていると意味。

破 土壌を破る。

瀼西 瀼西の地は、草堂河の西側にある。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅がある。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は逆L字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 

桃紅客若至,定似昔人迷。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

昔人迷 俗界を離れた他界・仙境、武陵の桃源郷の故事を用いている。

 

参考

《續捜神記》にいう、丁令威はもと遼東のひとであった。道の教えを霊虚山(今の安徽省懐遠付近の霊山)で学んだという。後に変化して鶴となり、遼東に帰った。さて、遼東の街の城門前には石で作られた大きな記念柱(「華表」)があり、丁令威の化した鶴は、そこに止まったのである。すると、何も知らない若者が、これはよき獲物なり、と弓をとって射ようとしたそうだ。それに気づいた鶴は飛び立ち、空中を何度か旋回して、歌っていわく、

「有鳥有鳥丁令威、去家千年今始帰。城郭如故人民非、何不学仙冢塁塁。」(鳥あり鳥あり 丁令威、(家を去りて千年 今はじめて帰る。城郭はもとの如きも人民は非なり、何ぞ仙を学ばざる 冢塁々たるに。)

鳥がやってきた、鳥がやってきた、それはわたし、丁令威。家を出てから千年、仙道を学んで今はじめて帰ってきたが、町はいにしえと似ているが、ひとびとはまったく違っている、どうして仙道を学ばずに、みんな次々と死んでしまったのだろう。歌い終えるとついに高く天に舞い上ってそのまま見えなくなってしまった・・・。

 

戰國時越國人。 也稱越舄。 仕於楚, 病中思越而吟越聲。《史記‧張儀列傳》。 後以“莊舄越吟”指懷鄉之詠與感傷之情。 清趙翼《吏議左遷特蒙送部引見》詩: “老去賀公吳語慣, 病來莊舄越吟多。”亦省作“ ”。

戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記‧張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷鄉の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。)

 

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  卜居此是大厯二年自赤/甲将遷居瀼西而作

歸羡遼東鶴、吟同楚執珪。未成遊碧海、著渉畧/切處覔丹梯。

雲嶂陳作/障寛江北、一作/左春耕破瀼西。桃紅客若至、定似昔一作/晉人迷。

上四客居有感下欲託居瀼西也。 忘丁/公魂歸故里莊舄病而吟越皆不 故

鄉者故借以自方碧海丹梯歎不能水行而復山棲江/北、即瀼西其地寛平故可耕種

杜臆公以此地為桃源直作避秦計矣 

千遼東華表柱有鶴、棲其上曰、「有鳥/有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙塜累累。」

病猶為越吟 選注 越人莊舄起家寒微為楚執珪 

有十洲記 扶桑之東有碧海

謝靈運詩 灑歩臨丹梯東破是破土 劉希曰 瀼溪/在白帝城之 昔人迷指 晨阮肇

 

 

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杜甫  赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)  赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

杜少陵集 卷一八55

赤  甲

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7557 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (23)

1182<1632>

 

 
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杜甫詩1500-1182-1632/2500

 

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

入宅,三首之一

卷229 43-1 /巻18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

卷229 43-2 /巻18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

卷229 43-3 /巻18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

卷229 44 /巻18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

卷229 45 /巻18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

卷229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

卷229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

卷229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,絕域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

卷229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

卷231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

18-55     23          赤甲

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

巻18-55

 

 

詩題:

赤甲

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

卷229_44 《赤甲》杜甫 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。 

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。 

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

 

 

『赤甲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。


(下し文)
(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

(現代語訳)
赤甲(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。


(訳注) 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)前の「入宅」詩と同時の作。

1 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十絕句,十首之四

(夔州の歌十絕句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山巔。

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山巔【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る。

 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

2 兩見 夔州に来て二年目であることを言う。

 

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

3 炙背・美芹 心地よい日なたの背なかあぶりとおいしい芹の料理をいい、朝廷、天子への思慕の意をあらわす。

嵇康《絶交書》「野人有快炙背而美芹子者、欲獻之至尊、雖有區區之意、亦已疎矣。」(野人炙背を快しとして、芹子を美しとする者有り、之を至尊に獻ぜんと欲す、區區の意有りと雖も亦た已だはだ疎なり。)

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對鄉豪稱之鄉豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。」(宋國に田父有り東作して日に曝さる、綿纊狐貉有るを知らず、其の妻に謂いて曰く、日の暄きを負う、人之を知るもの莫し、以て吾君に獻せば、重賞を有んと将てす、里の富室之を告げて曰く、昔 人、戎菽を美とし、枲、莖、芹、萍子を甘しとするを有り、鄉豪に對して之を稱す、鄉豪 取りて 之を嘗める、口を蜇し、腹に慘む、衆哂いなして之を怨む、子は此の類なり、と。)

 

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

4 荆州、鄭・薛 鄭は江陵の少尹鄭審で、薛は石首縣の縣令薛璩をいう。

5 蜀客郄・岑 郄は梓州の刺史郄昂、岑は嘉州の刺史岑参である。 

 

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

6 笑接 接は近づくことを言う、ひざを突き合わせての談義をしたこと。

7 郎中 顧注「郎中應是呉郎司法葢刑曹也。郎中とは、秦の時代に「郎中令」が制定された。前漢に名称変更され「光禄勲」と称し、後漢にも引き継がれた。これは当時の官職の一つ。 役割は,当初は宮門護衛.やがて皇帝身辺警護,皇帝出駕時の随行・護衛,使者,など.

8 評事 昻評事、崔十三評事十六弟のことである。評事とは、大理寺(最高裁判所)に属する下級の裁判官。

9 深酌 たっぷりと杯に酒をつぐこと。

10 道吾真 本心を吐く。

 

 

杜詩詳註-清-仇兆鰲

  赤甲鶴注此與入/宅詩同時作

卜居赤甲遷居新、兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子、美芹由來知野人。

荆州鄭薛寄詩一作/書近、蜀客郄音/隙岑非我鄰。

笑接郎中評事飲、病從深酌道去/聲吾真。

此居赤甲而念知交也 在四句分截春公初遷赤甲而云兩見春色者自去春至夔已經兩 也。

炙背食芹 述春山景物兼有

朝野濶絶之感評 鄭薜 在荆寄詩頗近郄岑在蜀漸與/之逺惟接郎中 事喜得酌酒而道真精

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對鄉豪稱之鄉豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。」

嵇康絶交書 「野人有快炙背而美芹子者欲獻之至尊雖有區區之意亦已疎矣」

鶴注 鄭:是江陵鄭少尹審 薛是石首薛 

明府璩岑、是岑嘉州參 郄是梓州郄使君、昻評事必崔十三評事 公在夔州多有詩與之 顧注「郎中應是呉郎司法葢刑曹也。

 朱注文苑英華有苻載誌楊鷗墓云永甫泰二載相公杜公鴻漸奏授鷗犀浦縣令僚友杜員外

岑郎中參郄舍人、昻聞公殞落失聲 咨嗟則/郄為郄昻無疑 曹植 髑髏説是反吾真也

 朱瀚曰卜居遷居重複無法獻天子突甚由來知野/人筋脉不收中聨厄塞全無頓挫磊落氣象笑□不

 典郎中評事、豈律詩可著、或置題中可耳末句從近/識峩嵋老知余嬾是真偷出潦倒甚矣且抱病何能深酌與比來病酒/開涓滴㕘看自知

767年- 22 杜少陵集-巻18-54 《入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》22 杜甫詩index-15-1179 <1629>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542

杜甫  入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

杜少陵集 卷一八54

入宅,三首之三

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (22)

1176 <1629>

 

 
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杜甫詩1500-1179-1629/2500

18-54     22          入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-3

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-54

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

卷229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

唐時代 地図山南 東・西道50

 

『入宅,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。

(下し文)
(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

(現代語訳)
入宅,三首之三(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) 

入宅,三首之三

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

この第三首は旅居を歎せるなり。鄉未歸而嘆旅居也。

 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

18 宋玉宅 杜甫は、宋玉の家が二か所あることを認識しているので、「歸州宅」と表現している。この三字は、《唐書》「歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置」(歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置)《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州、一在荆州(宋玉宅は兩處有り、一は歸州に在り、一は荆州に在る)杜甫の詩にも、夔州にいるときには、歸州を言い、後に荊州に行ってもう一か所の宋玉宅に立ち寄っている。宋玉の宅は杜甫詩の言によって二種あり、《1837送李攻曹之荊州充、鄭侍御判官重贈》「曾聞宋玉宅,每欲到荊州。」(曾て聞く宋玉が宅、毎に荊州に到らんと欲す)は荊州にある宋玉の宅をいう、前詩の庾信が住んだという江陵城北の宋玉宅がそれである。《1854入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》「宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。」(宋玉が帰州の宅、雲は通ず白帝城。吾人老病に淹し,旅食 豈に才名にあらんや。)は帰州にある宋玉の宅をいう。「清一統志」に宅は帰州の東二里にあるといっている。此の詩は二種のうち其のいずれをさすか明らかでない。杜甫がこの詩を書く時期では荊州の宅を確認していない。

詠懷古跡,五首之二

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

(詠懷古跡,五首の二)

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。

「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

宋玉宅

卷一五56 奉漢中王手札

枚乘文章老,河間禮樂存。悲秋宋玉宅,失路武陵源。

卷一八37  送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈

曾聞宋玉宅,每欲到荊州。此地生涯晚,遙悲水國秋。

巻一八54  入宅三首其三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

 

 

吾人淹老病,旅食豈才名。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

19 淹 久しくとどまることを言う。

20 才名 宋玉を言うが、宋玉と同じようにこの地にとどまっていることを言うものである。

 

峽口風常急,江流氣不平。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

 

只應與兒子,飄轉任浮生。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

21 浮生 《莊子·外篇・刻意》「其生若浮、其死若休。」(其の生は浮ぶが若く、其の死は休するが若し。)にもとづく。

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背音/佩赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而□實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝㮣總六句

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此娛之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

詩 二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也。黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故鄉造次移居必擇/勝地且加修葺㸃綴如此襟懐自不可及郭林宗逆

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

(之二)

亂後居難定、春歸客未還。水生魚復音/腹浦、雲暖麝香山。

半樊作/頂梳頭白、過平/聲眉拄杖斑。相看平/聲多使去/聲者、一一問函關。

此遷宅而想故居也。下四 叙情 應客未還 三四 冩景承上春歸。顧注 陽和復至故曰春歸。

關半頂見髮之少 是老狀過眉見杖之長 是病狀問 函者望 亂定而還鄉也。

王胄詩 柳黄知節、變草緑識春歸

名地志 夔治、魚復、灔澦、風濤震射巨魚却歩不得上故 魚復浦

鶴注、寰宇記 麝香山 在秭歸縣、東南一百十里其山多麝

武徳二年前秭歸屬、夔州斑 魏武、陌上桑拄杖 挂枝佩 秋蘭 梁到 溉有 贈任新安

竹杖詩 文彩 既斑斕姿性甚綢直

桃王應麟 曰 潼關至函谷關 歴峽華二州之地俱謂之 林塞時、周智光 據華州反

(之三)

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

鄉未歸而嘆旅居也。

淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不逺 老病久留白帝豈才名不如宋玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故鄉亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

顧注 公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻 

《陸游入蜀記》宋王宅在秭歸縣東、今為酒家舊有石

宋玉宅 三字 唐書 歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州、一在荆州與杜/詩相合

 

767年- 21 杜少陵集-巻18-53 《入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》21 杜甫詩index-15-1178 <1628> 18-53 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537

杜甫  入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)  安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

杜少陵集 卷一八53

入宅,三首之一

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杜甫詩index-15

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杜甫詩1500-1178-1628/2500

18-53     21          入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

卷229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。

(下し文)
(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

(現代語訳)
入宅,三首之二(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。


(訳注) 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)大暦二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

9 春帰 昨年秋に、春には帰途に向かおうと決めていたことをいう。

10 客 自己をさす。

 

水生魚複浦,雲暖麝香山。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

11 魚復浦 奉節縣東南二里にある。

12 麝香山 奉節縣東四十里にある。出港して舟が向かう方向にある。

 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

13 半頂 頭のいただき半分に髪が残ること。

14 過眉 杖の高さが眼よりすこし上方に出ること。

15 拄杖斑 拄は支える、杖斑は斑杖、斑紋のある竹のつえ。瀟湘地域の特産の竹。

 

相看多使者,一一問函關。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

16 使者 京師と往来する官吏などをいう。夔州奉節は、重要な水路駅であるため、此処を通過する朝廷の使者を言う。

17 函関 函谷関。これを問うとはその治乱の状について問うことをいう。特に、杜甫が官を辞したのは、華州司法参軍であったためであり、生まれ故郷の洛陽偃師の近いので様子を聞きたかったのである。それに、桃王應麟が曰うのは、潼關から函谷關にかけ、峽州、華州の二州の地において、周智光が華州において反乱を起こしたことを言う。
李白の足跡003 

767年- 20 杜少陵集-巻18-52 《入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》20 杜甫詩index-15-1177 <1627> 18-52漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532 

杜甫  入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

杜少陵集 卷一八52

入宅,三首之一

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (20)

1176 <1626>

 

 
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  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1177-1627/2500

18-52     20          入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

卷229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

客居愧遷次,春酒漸多添。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

(下し文)
(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

(現代語訳)
入宅,三首之一(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。


(訳注) 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)大磨二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

3 奔峭 卲宝の注に、「山峯高峻如奔湧然」(山峯高峻、奔湧するが如く然り。)とといているが奔を山の形勢とみたものである。ここでは杜甫の成都紀行《木皮嶺》詩の「遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。」(遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。)“”成都紀行(2)” 木皮嶺 杜甫詩1000 <341>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1623 杜甫1500- 505”の句においては奔字についてほぼ類似の解をなし、乱れて走る形勢をいうかと注したが、謝霊運の《入彭蟸湖口》「洲島驟回合,圻岸屢崩奔。」(洲島【しゅうとう】は驟【しばし】ば廻合【かしごう】し、折岸【きがん】は屡【しばし】ば崩奔【ほうほん】す。)“入彭蟸湖口 謝霊運(康楽) 詩<59-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩454 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1179”、「七里瀬」詩の「孤客傷逝湍,徒旅苦奔峭。」(孤客は逝湍【せいたん】を傷み、徒旅は奔峭【ほんしょう】に苦しむ。)の句において李善は崩奔の奔は崩とおなじく、また奔峭の奔は落に同じと注している。“七里瀬 #2 謝霊運<16> 詩集 377”これによれば奔峭とは土石の崩落するけわしい山の意である。

4 背赤甲 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十絕句,十首之四

(夔州の歌十絕句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山巔。

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山巔【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る「奔峭背赤甲」とは「背赤甲之奔峭」と同意。

5 断崖当白塩 「当白塩之断崖」と同意。白塩も山の名、すでに見える。「清一統志」にいう、奉節県の東十七里にあり、江を隔つ、と。また祝穆の「方興勝覧」を引いていう、城東十七里にあり、崖壁五十余里、其の色柄躍、状、白塩の若し、と、ある。

 

客居愧遷次,春酒漸多添。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

6 遷次 次は舎ること、次を遷すとは居を移すことをいう。

 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

7 花亜 花が竹につぐ、言い換えれば竹が花を圧することをいう。

 

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

8 勝概 景色のよいさま。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背音/佩赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而□實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝㮣總六句

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此娛之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

詩 二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也。黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故鄉造次移居必擇/勝地且加修葺㸃綴如此襟懐自不可及郭林宗逆

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

亂後居難定春歸客未還水生魚復音/腹浦雲暖麝香山

半樊作/

 

頂梳頭白過平/聲眉拄杖斑相看平/聲多使去/聲者一一問函關

此遷宅而想故居也/下四叙情應客未還 三四冩景承上春歸/顧注陽和復至故曰

春歸關半頂見髮之少是老狀過眉見杖之長是病狀/問函 者望亂定而還鄉也 王胄詩柳黄知節變草

 

緑識春歸名地志夔治魚復灔澦風濤震射巨魚却歩/不得上故 魚復浦 鶴注寰宇記麝香山在秭歸縣

東南一百十里其山多麝武徳二年前秭歸屬夔州斑/魏武陌上桑拄杖挂枝佩秋蘭梁到溉有贈任新安

竹杖詩文彩既斑斕姿性甚綢直桃王應麟曰潼關至/函谷關歴峽華二州之地俱謂之 林塞時周智光據

華州/反

宋玉歸州宅雲通白帝城吾人淹老病旅食豈才名峽

口風常急江流氣不平只應平/聲與兒子飄轉任浮生此/故

鄉未歸而嘆旅居也淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不逺 老病久留白帝豈才名不如宋

玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故鄉亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因 顧

 

 

注公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻陸游入/蜀記宋王宅在秭歸縣東今為酒家舊有石 宋玉宅

三字唐書歸州屬山南東道武徳二年析夔州之秭歸/巴東置 湖廣通志宋玉宅有兩處一在歸州一在荆

州與杜/詩相合

 

767年-(19)杜少陵集 《18-87 晨雨》19 杜甫詩index-15-1176 <1626>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527

杜甫  晨雨

小雨晨光內,初來葉上聞。霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。麝香山一半,亭午未全分。 

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

杜少陵集 卷一八87

晨   雨

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (19)

1176 <1626>

 

 
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杜甫詩1500-1176-1626/2500

-(19)《18-87 晨雨》

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二三十70

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-87

 

 

詩題:

晨雨

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

  晨雨 黄鶴依梁氏編在大厯二年今姑仍之

小雨晨光内、初來葉上聞。霧交纔灑地、風折一作/逆旋去/聲隨雲。

暫起柴荆色、輕霑鳥獸羣。麝香山一半、亭午未全分。

黄生曰、光處始見葉上、始聞體物。既精而布置、風雨雲霧四字、能将是日景色、曲折描出、山色未分、應上雲霧之。趙汸注 必霧起而方能灑地、經風折而旋、即隨雲細甚也。

此與烟添纔有色、風引、更如絲相似。葢着題處所、必用者曰暫曰輕皆言其細小夢。自晨至午、全/詩、皆用順冩工細入妙、柴荆小木。

弼曰、䕫州圖經、麝香山、在䕫州東南一百二十里山出麝香故名

 黄生曰、讀微雨不滑道一章以為微雨難冩、故多從題外著筆、及閲此詩、能字、字實冩小雨以正靣還題真如化工肖物

 

 

卷230_70 《晨雨》杜甫 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

小雨晨光內,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

麝香山一半,亭午未全分。 

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

 

(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

denen03350 

『晨雨』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晨雨

小雨晨光內,初來葉上聞。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

麝香山一半,亭午未全分。

(下し文)
(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

(現代語訳)
晨雨(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。


(訳注) 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

 

小雨晨光內,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

晨光內 朝日が昇り始めて光が届き始めて間もないころをいう。

 

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

霧交 朝まだ期の内に霧に覆われていたところに雨が降り出したということを表現するもの。

風逆 通り雨が、風に逆らって、向きを変えられること。

 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

起柴荊色 杜甫の棲む草堂の入り口の荊で造った柴門、乾いた色であった茅屋が雨によって色濃くしたことを言う。

 

麝香山一半,亭午未全分。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

麝香山 麝香堡. 麝香山は四川奉節縣東四十裡に在る。杜甫    《18-53入宅三首其二》「水生魚復浦,雲暖麝香山。」(水は生ず 魚復の浦,雲は暖かなり 麝香山。)䕫州圖經には、麝香山は、䕫州東南一百二十里に在り、山より、麝香出す故に名づく、とみえるが、他の文献には、奉節縣、東40里とされて現在もその地にある。

767年-(18)杜少陵集 《月,三首之三》18-86 杜甫詩index-15-1175 <1625> 767年大暦2年56歲-(18) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7522

杜甫  月,三首之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)  故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

杜少陵集 卷一八86

月,三首之三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7517 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (18)

1175 <1625>

 

 

 

杜甫詩1500-1175-1625/2500

767年大暦2年56歲-(18) 18-86     月,三首之三

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二三十50-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-86

 

 

詩題:

月,三首之二

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜詩詳註-清-仇兆鰲

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦䗫没一作/動半輪。故園當北斗、直想一作/指照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三嵗小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/㸃巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客䕫二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落。庾信《馬射賦》横弧於楚水之蛟 

鮑照詩 銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡 春秋元命苞玉衡北兩星為玉繩

陶𢎞景《水仙賦》横帯玉繩。杜詩春星帯草堂取帯字為句腰亦伴玉繩横、又取横字着句尾知每字各有來歴

月三首之三

萬里瞿唐月、一作/峽春來上六弦。時時開暗室、故故滿青天。

爽合風襟靜、高當淚臉懸。南飛有烏鵲、夜久落江邊。

此章對月而念孤棲是專論半年之月風、杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室、則喜之而爽合 襟故滿青天則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也

夜落江邊、則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見、宋玉《風賦》有風颯然而至王乃披 而當之。張正詩、淚臉年年流出

魏武詩 烏鵲南飛。 

 

 

卷230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

羈棲愁裏見,二十四回明。 

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

 

 

月,三首之三

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

時時開暗室,故故滿青天。 

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

(月,三首之三)

萬里瞿唐峽、春來ること 六たび上弦。

時時 暗室を開き、故故 青天に満つ。

爽かに風襟に合して静に、高く淚臉に當りて懸る。

南飛 鳥鵲有り、夜久しくして江邊に落つ。

 

 

 

『月,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

時時開暗室,故故滿青天。

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

南飛有烏鵲,夜久落江邊。

(下し文)
(月,三首之三)

萬里瞿唐峽、春來ること 六たび上弦。

時時 暗室を開き、故故 青天に満つ。

爽かに風襟に合して静に、高く淚臉に當りて懸る。

南飛 鳥鵲有り、夜久しくして江邊に落つ。


(現代語訳)
(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。


(訳注) 

月,三首之三

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

 

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

春來六上弦 今年の春以来6か月の経過、尾聯に「烏鵲」とあることから7月7日、7回目の上弦の月を意識させる。夏が終わり秋が来ることを言う。

 

時時開暗室,故故滿青天。

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

開暗室 夔州巫山、瀼西、三峡峡谷の住まいは、熱い雲に覆われていれば、暗室状態であること、月が登り、暗室の扉を開けると月あかりが射し込むこと、月に照らされることを開くといった。

故故 故意に。

 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

爽合風襟靜 爽は月色の爽涼に感ぜられること、(六月であれば夔州には熱気があり、風が吹いてくれば、胸襟を開いて風を受けることを言う。靜は月影の静かなるをいう。

淚臉 涙が頬に伝わっている状況を言う。

 

南飛有烏鵲,夜久落江邊。

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

烏鵲 カササギは、銀河にわたる橋を作る鳥である。七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる。また鵲を見かければ、兄弟家族に会えるという逸話もある。烏鵲橋(うじゃくきょう)。《短歌行》 魏武帝 #3

越陌度阡、枉用相存。 契闊談讌、心念旧恩。

月明星稀、烏鵲南飛。 繞樹三匝、何枝可依。

山不厭高、海不厭深。 周公吐哺、天下帰心。

陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。

月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。

山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。

東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。

万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 

月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 

木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。

山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。

周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。

 

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2> 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553

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杜甫  月,三首之二

並照巫山出,新窺楚水清。羈棲愁裏見,二十四回明。 

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。 

杜少陵集 卷一八85

月,三首之二

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杜甫詩1500-1174-1624/2500

767年大暦2年56歲-(17) 18-85     月,三首之二

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二三十50-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-85

 

 

詩題:

月,三首之二

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜詩詳註-清-仇兆鰲

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦䗫没一作/動半輪。故園當北斗、直想一作/指照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三嵗小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/㸃巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客䕫二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落。庾信《馬射賦》横弧於楚水之蛟 

鮑照詩 銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡 春秋元命苞玉衡北兩星為玉繩

陶𢎞景《水仙賦》横帯玉繩。杜詩春星帯草堂取帯字為句腰亦伴玉繩横、又取横字着句尾知每字各有來歴

月三首之三

萬里瞿唐月、一作/峽春來上六弦。時時開暗室、故故滿青天。

爽合風襟靜、高當淚臉懸。南飛有烏鵲、夜久落江邊。

此章對月而念孤棲是專論半年之月風、杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室、則喜之而爽合 襟故滿青天則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也

夜落江邊、則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見、宋玉《風賦》有風颯然而至王乃披 而當之。張正詩、淚臉年年流出

魏武詩 烏鵲南飛。 

 

 

卷230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)
並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

羈棲愁裏見,二十四回明。 

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

扁舟 00 

 

月,三首之三

  萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

  爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

 

 

 

『月,三首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之二

並照巫山出,新窺楚水清。

羈棲愁裏見,二十四回明。

必驗升沉體,如知進退情。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

(下し文)
(月,三首の二)

並せて巫山を照らし出づ,新たに窺う 楚水の清きを。

羈棲 愁裏に見る,二十四回 明らかなり。

必らず驗あり 升沉の體,知るが如し 進退の情。

銀漢に違いては落ちず,亦た玉繩を伴いては橫たう。

(現代語訳)
月,三首之二(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

55moon 

(訳注) 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

 

並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

並照 此処に謂う並びには、其一の「照西秦」を受けていることを言う。彼の長安の杜曲も照らし、こちらも併せて照らす。

巫山出 巫山の山々、峰を照らし、はっきりと見えるようになることを言う

新窺 窺とは月がのぞき込むような低い位置になったことを言う。

楚水 夔州の瞿唐峽に入るまでの長江の流れ、支流である、大瀼水を言う。

 

羈棲愁裏見,二十四回明。

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

愁裏見 杜甫がこれらの愁いの多い風景を見て感慨の湧くことを言う。

二十四回明 二周年を経しをいう。

 

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

必験 験は旅をして各地で月を見たものより、必ず知るしかあるということ。月は同じように上っているが、その時々のしるしがあるということ。升沈によって誤ることなどない。

升沉體 升沈は出没をいう。體はすがた。

如知 月を知ること、月から派生するすべてを思うこと。

進退情 仇氏云ふ、進退に盈廠(清つると放けると) わいふと。慮案ずるに逝退に即ち上旬の升沈なり。盈鹿にてほ升沈といふ串箕より推如し柑べき隈に来らず。倍は==ろもち。

 

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

不違銀漢落 銀漢だけが落ちてゆくことなど間違ってもないことである。月が沈むのとともに落ちてゆく。

亦伴玉繩橫 北斗の第五星玉衡の北天乙、大乙の星。星屑の銀河とともに落ちてゆく《文選.張衡.西京賦》:「上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。」(飛闥に上りて仰ぎ眺れば,正に瑤光と玉繩とを睹る。)
泰山002 

767年-(16)杜少陵集 《月,三首之一》18-84 杜甫詩index-15-1173 <1623> 767年大暦2年56歲-(16) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7512

杜甫  月,三首之一

斷續巫山雨,天河此夜新。若無青嶂月,愁殺白頭人。 

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。故園當北斗,直指照西秦。 

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

杜少陵集 卷一八84

月,三首之一

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (13)

1170 <1620>

 

 

 
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杜甫詩1500-1173-1623/2500 

767年大暦2年56歲-(16) 18-84     月,三首之一

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二三十 50-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻14-84

 

 

詩題:

月,三首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦䗫没一作/動半輪。故園當北斗、直想一作/指照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三嵗小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/㸃巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字/承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客䕫二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中/所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩/而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之/月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落庾信馬射賦横弧於楚水/之蛟 鮑照詩銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡

春秋元命苞玉衡/北兩星為玉繩

 陶𢎞景水仙賦横帯玉繩杜詩春星帯草堂取帯字/為句腰亦伴玉繩横又取横字着句尾知每字各有來/歴

月三首之三

萬里瞿唐月一作/峽春來上六弦時時開暗室故故滿青

天爽合風襟靜高當淚臉懸南飛有烏鵲夜久落江邊

此章對月而念孤棲是專論半年之月風杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室則喜之而爽合 襟故滿青天

則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也/ 夜落江邊則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見宋玉風賦有風/颯然而至王乃披 而當之 張正 詩淚臉年年流

出烏鵲南飛/ 魏武詩

 

 

卷230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

 

月,三首之二

  並照巫山出,新窺楚水清。羈棲愁裏見,二十四回明。 

  必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

月,三首之三

  萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

  爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

 

 

 

『月,三首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之一

斷續巫山雨,天河此夜新。若無青嶂月,愁殺白頭人。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。故園當北斗,直指照西秦。

(下し文)
(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。


(現代語訳)
月,三首之一(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。


(訳注) 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

 

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

巫山雨 長雨が続き、巫山に雲がかかりっきりであることをいう。

天河 あまのがわ。銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。
詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

 

若無青嶂月,愁殺白頭人。

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

青嶂月 東の山にかかる月。10日月から、20日の月の間の満月に近い日が想定できる。

白頭人 杜甫自身のこと。

 

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

魍魎 水の神。川澤之神也 《淮南子》「狀如三嵗小兒 黒色赤目長耳美髮」(狀、三嵗の小兒の如く 黒色赤目長耳に美髮なり)とある。

移深樹 月が明るいから木陰の暗いところに移動する、それが月が西に傾いたので木陰が梳くなりさらに奥に移動することを言う。

蝦蟆 ひきがえる。月の真ん中に住んでいるという、此処では月のことを言う。

動半輪 満月ではないがそれに近い月が、西に沈みかけること杜甫の澄んでいる夔州瀼西の西には赤甲の山がそびえているから、まだよあけにはならず、早くても深夜二時以降、四時前後ではなかろうか。

 

故園當北斗,直指照西秦。

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

故園 長安、南に住んでいた杜曲をいう。

照西秦 時間経過して、月が西に傾いて沈みかけている。夔州で西にある月が同じように長安の西側にあることを言う。

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767年-(15)杜少陵集 《18-51懷灞上遊》杜甫詩index-15-1172 <1622> 767年大暦2年56歲-(15)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7507

杜甫  懷灞上游

悵望東陵道,平生灞上游。春濃停野騎,夜宿敞雲樓。 

離別人誰在,經過老自休。眼前今古意,江漢一歸舟。 

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

杜少陵集 卷一八51

懷 灞 上 遊

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767年大暦2年56歲 (15)

1172 <1622>

 

 
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杜甫詩1500-1172-1622/2500          767年大暦2年56歲-(15)

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷231_15

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻18-51

 

 

詩題:

懷灞上遊

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜甫詩1500-1172-1622/2500

767年大暦2年56歲-(15)

 

杜詩詳註-清-仇兆鰲

  懐灞上遊

  黄鶴編在大厯二年以詩有江漢歸舟/句也  楚漢春秋漢高帝西入武關居灞/上

悵望東陵道、平生灞上遊。春濃停野騎、去/聲夜敞宿舊作/宿敞雲樓。

離别人誰在、經過平/聲老自休。眼前今古意、江漢一歸舟。

上四、憶舊遊景事下、則念同遊而動歸思也。  

有晝停騎夜宿樓極盡、一時遊興、唯聚散無常、故古今之慨、即夜宿對春濃不工當云夜敞宿雲棲 

杜顧注 東陵道 長安城東門、乃秦東陵侯種𤓰處。 臆唐都關中、即、今西安城東三十里有灞水、又、東乃文帝霸陵、出長安東門、為東陵道、得名以此灞水橋、曰、灞橋、乃長安餞别之所、灞上當、即在其處詳詩意、則行樂之地/也。

楊炯少室山廟碑璇宫夜敞銀牓朝開 隋辛徳源詩戲笑上雲樓

 

 

  卷231_15 《懷灞上游》杜甫 

懷灞上游

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

悵望東陵道,平生灞上游。

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。 

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

離別人誰在,經過老自休。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

眼前今古意,江漢一歸舟。 

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

(灞上の游びを懷う)

悵望す 東陵の道,平生 灞上に游ぶ。

春 濃かにして 野騎を停め,夜 敞かにして雲樓に宿す。

離別の人 誰か在る,經過 老いて自ら休す。

眼前 今古の意,江漢 一歸舟。

長安付近図00 

『懷灞上游』現代語訳と訳註解説
(
本文)

懷灞上游

悵望東陵道,平生灞上游。

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。

離別人誰在,經過老自休。

眼前今古意,江漢一歸舟。

(下し文)
(灞上の游びを懷う)

悵望す 東陵の道,平生 灞上に游ぶ。

春 濃かにして 野騎を停め,夜 敞かにして雲樓に宿す。

離別の人 誰か在る,經過 老いて自ら休す。

眼前 今古の意,江漢 一歸舟。

(現代語訳)
懷灞上游(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。


(訳注) 

懷灞上游

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

杜甫は、隠遁の思いを東陵侯であり、李廣が灞陵であること、その地の灞陵亭であること、故郷に対する感慨をうかげたのである。もしかすると、李白の詩を思い浮かべたのであろうか。

 

悵望東陵道,平生灞上游。

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

東陵道 長安城の東門外は東陵の地なり、秦末に東陵侯邵平というものそこに隠れ、瓜を種う、東陵を経て灞橋に至る。秦東陵侯𤓰を種う處、東陵侯とは, 漢の邵平を指す。 以て “東陵瓜” 種えて著名となる。 北周 庾信 《擬詠懷》之二四に「昔日 東陵侯 ,惟有瓜園在。」とあり、唐 李白 《古風五十九首之九》「青門 種瓜人,舊日 東陵侯 。」

灞上 長安城、東十里に灞水があって、灞橋という。灞上にそのほとりということである。唐の詩人の東行するものを送るには灞橋に於ておこなう。

 

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

雲樓 雲の漂う楼閣。長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭である。ここを過ぎるとしばらくは、宿場町があるだけである。長の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。李白は《卷十六27灞陵行送別》では、「送君灞陵亭、 灞水流浩浩。」と“灞陵亭”と述べている。

 

離別人誰在,經過老自休。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

 

眼前今古意,江漢一歸舟。

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

 

函谷関長安地図座標001 

 

 

 

 

 

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

《卷十六27灞陵行送別》

灞陵行送別 
送君灞陵亭。 灞水流浩浩。 
灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
上有無花之古樹。 下有傷心之春草。 
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。 
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。
正當今夕斷腸處。 驪歌愁絕不忍聽。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

君を送る  灞陵亭(はりょうてい)、灞水(はすい)は流れて浩浩(こうこう)たり

上に無花(むか)の古樹(こじゅ)有り、下に傷心(しょうしん)の春草(しゅんそう)有り

我  秦人(しんじん)に向かって路岐(ろき)を問う、云う是れ 王粲(おうさん)が南登(なんと)の古道なりと

古道は連綿(れんめん)として西京(せいけい)に走り、紫関(しかん)  落日  浮雲(ふうん)生ず

正(まさ)に当たる 今夕(こんせき)断腸の処(ところ)、驪歌(りか)愁絶(しゅうぜつ)して聴くに忍(しの)びず

767年-(14)杜少陵集 《卷一五59 晴二首其二》15-59 杜甫詩index-15-1171 <1621> 767年大暦2年56歲-(14)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7502

杜甫  晴二首之二

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。下食遭泥去,高飛恨久陰。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。回首周南客,驅馳魏闕心。

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)  烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

杜少陵集 卷一五58

晴二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (13)

1170 <1620>

 

 

 
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杜甫詩1500-1171-1621/2500          767年大暦2年56歲-(14)

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二三十 48-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻15-59

 

 

詩題:

晴二首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

  晴二首

鶴注當是大厯元/年初到䕫州時作

晴二首之一

久雨巫山暗、新晴錦繡文。一作/紋

碧知湖外一作/上草、紅見海東雲。

竟日鶯相和、去/聲摩霄鶴數羣。

野花乾音/干更落、風處急紛紛。

此為久雨初晴而作也 晴三四新晴逺景、下四新晴近景、錦繡文光映於山色碧字

紅字 另讀與青惜峯嵐過黄知橘柚來句法相同 

鶯和鶴羣自慨羇孤花落紛紛歎已飄零也

劉繪琵琶峽詩 照爛虹蜿集 交錯 錦繡  陳 湖外謂洞庭湖之外

晴二首之二

啼烏爭引子、鳴鶴不歸林。

下去/聲食遭泥去、高飛恨久陰。

雨聲衝塞盡、日氣射音/石江深。

回首周南客、驅馳魏闕心。

此章 對晴景而感懐㸃啼烏 

下食鳴鶴髙飛見物情 

厭/雨而喜晴雨聲日氣 明

題意末傷羇旅不歸也。 衝塞射江與魏闕相照太易鳴鶴在陰談 

周南客 史記太史公留滯/ 周南公借以自喻 史公乃司馬 周南在今西安府涇陽縣在 

魏闕心 吕氏春秋 中山公子謂詹子曰、身 江湖之上心居魏闕之下

 

 

 

  卷230_48 《晴二首之一》杜甫 

杜少陵集  卷一五58

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧知湖外草,紅見海東雲。 

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野花幹更落,風處急紛紛。 

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

(晴二首の一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

 

晴二首之二

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

下食遭泥去,高飛恨久陰。 

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

回首周南客,驅馳魏闕心。 

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

(晴二首の二)

啼烏 子を引くを爭う,鳴鶴 林に歸らず。

下食 泥に遭いて去る,高飛 久しく陰になるを恨むを。

雨聲 塞に沖すこと盡き,日氣 江を射ること深し。

首を回らす 周南の客,驅馳にも 魏闕も心あり。

 

皇城005 

『晴二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晴二首之二

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

下食遭泥去,高飛恨久陰。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

回首周南客,驅馳魏闕心。

(下し文)
(晴二首の二)

啼烏 子を引くを爭う,鳴鶴 林に歸らず。

下食 泥に遭いて去る,高飛 久しく陰になるを恨むを。

雨聲 塞に沖すこと盡き,日氣 江を射ること深し。

首を回らす 周南の客,驅馳にも 魏闕も心あり。

(現代語訳)
晴二首之二(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。


(訳注) 

晴二首之二

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

 

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

 

下食遭泥去,高飛恨久陰。

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

1 下食 上より下ってきて食する。

2 遭泥去 雨が降っていると烏の餌が泥と交じってしまうので、取りやすいものだけを採ってすぐに子供に持って帰るという意。

3 高飛 雨ふりで、高く飛ぶことができなかったのを、晴れ上がったので喜んで飛び上がることを言う。

4 恨久陰 長雨どんよりした天気を恨んでいることを言う。

 

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

5 沖塞盡 塞にわきおこりつくすこと。塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったことをいう。沖:水が沸き上がる。上る。高く上がる。ここでは雨が塞に強くたたき衝けていたことをいう。

 

回首周南客,驅馳魏闕心。

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

6 周南客 長安近郊涇陽の人であるの漢の周南公が、洞庭湖に滞留されたことを言う。《史記、太史公》 、「留滯周南公、借以自喻 史公、乃司馬」 周南は今の西安府に在り、涇陽縣に在す。(長安付近圖E-4)

7 驅馳 処処を奔走する。

8 魏闕心 朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいる。《吕氏春秋》「中山公子謂詹子曰、身 江湖之上心居魏闕之下」(中山の公子詹子に謂うて曰く、身は 江湖の上にあるも、心は魏闕の下に居る。)
京兆地域図002 

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杜甫  晴二首之一

久雨巫山暗,新晴錦繡文。碧知湖外草,紅見海東雲。 

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。野花幹更落,風處急紛紛。 

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

杜少陵集 卷一五58

晴二首之一

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 (13)

1170 <1620>

 

 

 
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杜甫詩1500-1170-1620/2500          767年大暦2年56歲-(13)

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩 卷別:

卷二三十 48-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

巻15-58

 

 

詩題:

晴二首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

  晴二首

鶴注當是大厯元/年初到䕫州時作

晴二首之一

久雨巫山暗、新晴錦繡文。一作/紋

碧知湖外一作/上草、紅見海東雲。

竟日鶯相和、去/聲摩霄鶴數羣。

野花乾音/干更落、風處急紛紛。

此為久雨初晴而作也 晴三四新晴逺景、下四新晴近景、錦繡文光映於山色碧字

紅字 另讀與青惜峯嵐過黄知橘柚來句法相同 

鶯和鶴羣自慨羇孤花落紛紛歎已飄零也

劉繪琵琶峽詩 照爛虹蜿集 交錯 錦繡  陳 湖外謂洞庭湖之外

晴二首之二

啼烏爭引子、鳴鶴不歸林。

下去/聲食遭泥去、高飛恨久陰。

雨聲衝塞盡、日氣射音/石江深。

回首周南客、驅馳魏闕心。

此章對晴景而感懐㸃啼烏下食鳴鶴髙飛見物情厭/雨而喜晴雨聲日氣 明題意末傷羇旅不歸也衝塞

射江與魏闕相照太易鳴鶴在陰談史記太史公留滯/周南公借以自喻 史公乃司馬 周南在今西安府

涇陽縣在吕氏春秋中山公子謂詹/子曰身 江湖之上心居魏闕之下

 

 

 

  卷230_48 《晴二首之一》杜甫 

杜少陵集  卷一五58

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)
久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧知湖外草,紅見海東雲。 

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野花幹更落,風處急紛紛。 

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

(晴二首の一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

  啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。下食遭泥去,高飛恨久陰。 

  雨聲沖塞盡,日氣射江深。回首周南客,驅馳魏闕心。 

 

巫山十二峰003 

『晴二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晴二首之一

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

碧知湖外草,紅見海東雲。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

野花幹更落,風處急紛紛。

(下し文)
(晴二首之一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

(現代語訳)
晴二首之一(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

云亭
(訳注) 

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

 

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

1 久雨二句 杜甫《1552雨晴》と同じ意味と、雰囲気。

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

(雨晴)

雨時 山 改らず,晴罷く峽 新なるが如し。天路 殊俗を看,秋江 人を思殺す。

猿有れば 淚を揮い盡し,犬無ければ 附書を頻りにす。故國 愁眉の外,長歌 神を損せんと欲す。

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-153 <1025> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

2 巫山暗 巫山に厚い雲がかかり、暗い景色となる。巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。

 

碧知湖外草,紅見海東雲。

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

3 湖 洞庭湖。

4 海 東呉の海、

 

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

5 竟日 尽日。終日。

 

野花幹更落,風處急紛紛。

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

6 幹更落 雨に打たれた花びらが、急激な蒸発散により、乾き枯れておちる。

7 紛紛 散り落ちは花びらや風によって吹き飛ばされたものが飛び散り舞うこと。

767年-(11)杜少陵集 《暮春》18-49 杜甫詩index-15-1167 <1617> 767年大暦2年56歲-(11) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7482

杜甫  暮春

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

杜少陵集18-50

遣悶戲呈路十九曹長

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (10)

1166 <1616>

 

 
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杜甫詩1500-1167-1617/2500            767年大暦2年56歲-(11)        18-49     暮春

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1167-1617/2500           767年大暦2年56歲-(11)18-49   暮春

作時年:

767年

大暦2年

56歲

卷別:

全唐詩 卷230_47

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-49

 

 

詩題:

暮春

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

西閣 

瀟湘

洞庭 

交遊人物:

 

 

 

 

卷230_47 《暮春》杜甫  

暮春

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

(暮春)

病に臥して擁塞せられ 峽中に在り,瀟湘、洞庭 虛しく空に映ず。

楚天 斷えず四時の雨,巫峽 常に吹く 千里の風。

沙上の草閣 柳 新たに暗く,城邊の野池 蓮 紅ならんと欲す。

暮春 鴛鷺 洲渚に立つ,子を挾みて 翻飛す 還た一叢。

ゆりかもめ000 

『暮春』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。

(下し文)
(暮春)

病に臥して擁塞せられ 峽中に在り,瀟湘、洞庭 虛しく空に映ず。

楚天 斷えず四時の雨,巫峽 常に吹く 千里の風。

沙上の草閣 柳 新たに暗く,城邊の野池 蓮 紅ならんと欲す。

暮春 鴛鷺 洲渚に立つ,子を挾みて 翻飛す 還た一叢。

(現代語訳)
暮春(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

hasu005
(訳注) 

暮春

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)大暦二年春の作玩詩。

 

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

1 臥病の句 杜甫は、春には山峡を下って荊州、洞庭湖方面に旅立つ予定をしていた。それが持病が悪化し、その上雨の日が多く、舟を出すことができない、病気と天候によって妨げることの表現で、「卧病擁塞」といった。

2 瀟湘洞庭の句 則瀟湘不可到而虚/此映空水色矣。 瀟湘:湖南省、瀟水と湘水が洞庭湖に注ぐあたりの地方。洞庭湖:湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。

梁簡文帝採桑詩「春色映空來。先發院邊梅。」

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

3 四時雨 杜甫は、一年通して、床に臥す生活をしていた、四季を通じて雨が多かったことを言う。雨後は三峡の水量増加によって航行ができなかったことを言う。

 

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

4 柳新暗 風雨のため愁い、旅立てないために悶えが増してきて、やなぎがうっそうとしてくらくしげる、蓮紅は、夔州の地は暖いので、はうあいきせつで、蓮の花が紅く咲く。

 

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

5 鴛鷺立洲渚 鴛鴦と白鷺はつがいの鳥であり、山水詩の常套であり、牧歌的な光景である。魏文帝《短歌行》 「翩翩飛鳥,挾子巢棲。」

6 一叢 一塊になっている草むら。北周.庾信《春賦》:「一叢香草足礙人,數尺遊絲即橫路。」比喻忠貞的人。見「香草美人」條。蘭草的別名。見「蘭草」條。

767年-(10)杜少陵集 《即事》18-50 杜甫詩index-15-1166 <1616> 767年大暦2年56歲-(10) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫  即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

杜少陵集18-50

即   事

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (10)

1166 <1616>

 

 

 

杜甫詩1500-1166-1616/2500            767年大暦2年56歲-(10)        18-50     即事

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1166-1616/2500         

767年大暦2年56歲-(10) 18-50     即事

作時年:

767年

大暦2年

56歲

卷別:

全唐詩 卷231_19

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-50

 

 

詩題:

即事

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

西閣 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

卷231_19 《即事》杜甫 

杜少陵集巻18-50 即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。 

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

(即事)

暮春三月巫峽長し,皛皛たる行雲 日光を浮ぶ。

雷聲 忽ち送る 千峰の雨,花氣 渾て百和の香の如し。

黃鶯 水を過ぎて翻りて回り去る,燕子 泥を銜みて濕うも妨げず。

飛閣 簾を捲く 圖畫の裏,虛無 只だ少く 瀟湘に對するを。

miyajima594 

『即事』現代語訳と訳註解説
(
本文)

即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。

(下し文)
(即事)

暮春三月巫峽長し,皛皛たる行雲 日光を浮ぶ。

雷聲 忽ち送る 千峰の雨,花氣 渾て百和の香の如し。

黃鶯 水を過ぎて翻りて回り去る,燕子 泥を銜みて濕うも妨げず。

飛閣 簾を捲く 圖畫の裏,虛無 只だ少く 瀟湘に對するを。

(現代語訳)
即事(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。


(訳注) 

即事

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)大暦二年春の作。

 

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

1 皛皛 ともに明るいさま。白く明るい貌。

陶淵明:

辛丑歳七月赴假還江陵夜行塗口(辛丑の歳、七月 假還するに赴く、江陵夜行の塗口)

閒居三十載,遂與塵事冥。

閑居すること三十載、遂に塵事と冥し。

詩書敦夙好,園林無世情。

詩書 宿好を敦くし、林園 世情なし。

如何舍此去,遙遙至西荊!

如何ぞ 此を舍て去り、遙遙として西荊に至るや。

叩栧新秋月,臨流彆友生。

櫂を新秋の月に叩き、流に臨んで友生と別る。

涼風起將夕,夜景湛虛明。

良風 將に夕ならんとするに起り、夜景 虚明を湛ふ。

昭昭天宇闊,皛皛川上平。

昭昭として天宇闊く、皛皛として川上平らかなり。

懷役不遑寐,中宵尚孤征。

役を懷ひて寐ぬるに遑あらず、中宵 尚孤り征く。

商歌非吾事,依依在耦耕。

商歌は吾が事にあらず、依依たるは躬耕にあり。

投冠旋舊墟,不為好爵縈。

冠を投じて舊墟に旋り、 好爵の爲に繋がれざらん。

養真衡茅下,庶以善自名。

眞を衡茅の下に養ひ、庶くは善を以て自ら名づけん。

辛丑の歳といえば隆安五年(401)、陶淵明37歳。前年には桓玄に仕え、その任務を帯びて都に赴いたりしている。この年の前半には休暇をとって家でくつろいでいたようである。この詩は、休暇を終えて江陵へ赴く途上の作。(赴假は休暇を終えて帰任すること)当時江陵には、荊州刺史桓玄の本拠があった。尋陽を発った陶淵明は、武漢の西約50キロの地点にある塗口を通り過ぎた際にこの詩を作った。めざす江陵(荊州)までは更に200キロほど進まねばならない。淵明はここで、待ち受けている任務のつらさと、あとに残してきた田園の生活を対比させながら、ふたたびもとの生活にもどることをあこがれている。

30年もの間、閑居して俗世間とは無縁な生活を送ってきた。それが今になって、田園の生活を捨て、はるばる西の荊州まで行かねばならない。

新秋に舟を漕ぎ出し友人らと別れれば、良風が吹き渡り、水面には夜の空が映し出される。天も川も行く手を照らして明るい(昭昭皛皛はともに明るいさま)。待ち受ける任務を思うと寝られないほどだ、深夜なお孤独な旅を続けねばならない。

自分を売り込むようなマネはしたくはない、(商歌は淮南子にある故事、商歌を歌って権力者に取り立てられたことから、自分を売り込むことのたとえ)本当に望んでいるのは?耕(仲間とともに耕すこと)だ。辞職して家に帰りたい、地位などなんだ、あばら家でもいい、そこで真を養い、善と呼びうるような人になりたいものだ。

 

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

2 百和香 いろいろの材料なまぜわせた香り。

 

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。 

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

3 過水翻回 西閣の雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、雨がまた降るのかと恐れて翻るということ。

4 燕子銜泥 燕子は泥をくちにくわえる。杜少陵集に使う。

卷三40

去矣行

焉能作堂上燕,銜泥附炎熱。

卷九65

絕句漫興九首其三

銜泥點污琴書內,更接飛蟲打著人。

卷11- 70

春日梓州登樓二首其一

雙雙新燕子,依舊已銜泥。

卷12-09

雙燕

旅食驚雙燕,銜泥入北堂。

卷14-47

赤霄行

江中淘河嚇飛燕,銜泥卻落羞華屋。

巻18-50

即事

黃鶯過水翻迴去,燕子銜泥濕不妨。

卷23-34

燕子來舟中作

湖南為客動經春,燕子銜泥兩度新。

 

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

5 圖畫裏 図画の様な美しい景色のなかにいる。

6 虛無 むなしくひろい貌、雨の降る、どんよりとしたさまを言う。。

7 對瀟湘 杜甫は、此処でも山峡を下って、荊州、洞庭湖、瀟湘八景の方へ行きたい気持ちを表す。
楊貴妃清華池002 

767年-(9)杜少陵集 《遣悶戲呈路十九曹長》18-47 杜甫詩index-15-1165 <1615> 767年大暦2年56歲-(9)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7472

杜甫  遣悶戲呈路十九曹長

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。黃鸝並坐交愁濕, 白鷺群飛大劇幹。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。 

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)  昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

杜少陵集18-47

遣悶戲呈路十九曹長

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7472 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (9)

1165 <1615>

 

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦2年56歲-(7)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1165-1615/2500

767年大暦2年56歲-(9)

作時年:

767年

大暦2年

56歲

卷別:

全唐詩 卷234_31

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-47

 

 

詩題:

遣悶戲呈路十九曹長

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

遣悶戲呈路十九曹長

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。 

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

 

(悶を遣る、戲れに路十九曹長に呈す。)

江浦の雷聲 昨夜に喧し,春城の雨色 微寒を動かす。

黃鸝 並び坐して交ごも 濕うことを愁い,白鷺 群飛して大いに幹すに劇【あわただ】し。

晚節 漸く詩律に於て細なり,誰が家にか 數しば去って 酒杯寬ならん。

惟だ吾 最も愛す 清狂の客,百遍相い看る 意 未だ闌ならず。

 

夔州三峡 

『遣悶戲呈路十九曹長』現代語訳と訳註解説
(
本文)

遣悶戲呈路十九曹長

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。

(下し文)
(悶を遣る、戲れに路十九曹長に呈す。)

江浦の雷聲 昨夜に喧し,春城の雨色 微寒を動かす。

黃鸝 並び坐して交ごも 濕うことを愁い,白鷺 群飛して大いに幹すに劇【あわただ】し。

晚節 漸く詩律に於て細なり,誰が家にか 數しば去って 酒杯寬ならん。

惟だ吾 最も愛す 清狂の客,百遍相い看る 意 未だ闌ならず。

(現代語訳)
遣悶戲呈路十九曹長(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) 

遣悶戲呈路十九曹長

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

1 路十九曹長 路は拾遺と為る。院、西省(中書省)に在り、故に曺長と曰う。

2 この詩 大暦二年春の作。杜甫は、兩切州に公し、大厯元年の春に於て夔州に至り、夔州の中では数件の家を持ち、順次移居した、そして、夔州において、百遍の詩を作ったので、この詩を作った。夔州に来て一年目、大暦二年の春に作ったものである。

 

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

 

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

3 黃鸝 高麗鶯をいい、動物界脊索動物門鳥綱スズメ目コウライウグイス科に分類される鳥。

4 大劇幹 幹は干。濡れた羽を干すにいそがしそうである。

 

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

5 詩律細 詩の規則に精細になっていくことをいう。

6 酒杯寬 酒を飲むのに杯を酌み交わすことに寛容である。寬は酒の量が多大であることを言う。詩人の詩をその家の壁に題したり、したためてもらうことが自慢なことであったから、酒やご馳走をふるまったことをしめす。

 

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

7 客 清廉で詩づくりに専ら専心している飄蓬の旅人。

8 相看 この地に来て作った百篇の詩を順次見る。

9 闌 まだまだ作詩の意気は尽きることないどない。

767年-(8)杜少陵集 《晝夢》18-48 杜甫詩index-15-1164 <1614> 767年大暦2年56歲-(8)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7467

杜甫  晝夢  

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

故鄉門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。

(昼寝せし時の感をのべる。)  二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は犲虎の様なもののほとりにさまよっておられる。どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

杜少陵集18-48

晝  夢

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7467 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (8)

1164 <1614>

 

 
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杜甫詩1500-1164-1614/2500   767年大暦2年56歲-(8)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦2年56歲-(7)

作時年:

767年

大暦2年

56歲

卷別:

卷二百三十一  17

文體:

七言律詩

 

巻18-48

 

 

詩題:

晝夢

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

卷231_17 《晝夢》杜甫 

晝夢

(昼寝せし時の感をのべる。)

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

故鄉門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。 

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は犲虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。 

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

 

(晝夢)

二月 睡りは饒く 昏昏然たり,獨り夜の短きにのみならず晝分にも眠る。

桃花 氣暖かにして眼 自ら醉う,春渚 日落ちて夢 相い牽く。

故鄉の門巷 荊棘の底,中原も君臣 豺虎の邊。

安んぞ得ん 農を務めして 戰鬥を息め,普天 吏の橫さまに錢を索る無きを。

長安城図 作図00 

『晝夢』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晝夢

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

故鄉門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。

(下し文)
(晝夢)

二月 睡りは饒く 昏昏然たり,獨り夜の短きにのみならず晝分にも眠る。

桃花 氣暖かにして眼 自ら醉う,春渚 日落ちて夢 相い牽く。

故鄉の門巷 荊棘の底,中原も君臣 豺虎の邊。

安んぞ得ん 農を務めして 戰鬥を息め,普天 吏の橫さまに錢を索る無きを。

(現代語訳)
晝夢(昼寝せし時の感をのべる。)

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は犲虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。


(訳注) 

晝夢

(昼寝せし時の感をのべる。)大暦二年春の作。

 

 

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

1 饒睡 多く眠ること。

2 昏昏 1 暗くて物の区別がつかないさま。また、道理に暗いさま。2 意識がないさま。3 寝入っているさま

3 晝分 1 昼頃。昼どき。2 衣服などが古くなりかけていること。

 

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

4 春渚 春江のなぎさ。夔州の杜甫の住まいは、長江のほとりが多く、瀼西の草堂は、長江支流の大瀼水であるが、舟を繋留しておけるだけの大きな流れであった。

5 夢相牽 夢がよそえひきつけられる。

 

故鄉門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。 

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は犲虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

6 君臣豺虎邊 《18-44愁》でも「虎縱橫」とある。 長安に戻っても、杜甫は、朝廷からはじき出された、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこったままであること、貨幣の悪鋳造(一枚で十銭に相当する大銭を初めて鋳造する。面には「乾元重寶」)によるインフレの急伸、天下から青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」賀蘭進明と第五琦は、罪を得て左遷更されたが、悪法だけは残ったこと「虎」と表現した。房琯事件と賀蘭進明、第五琦の経済政策については下記に詳しく述べる。

 

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。 

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

7 安得 希望の辭であり、この語は下句までかかる。

8 普天 大地をあまねくおおっている広大な天。また、天がおおう限りの地。全世界。天下。

9 橫索錢 邪道な以て税金な乗り取ることをいう。青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」
三者の思惑が合致 

767年-(7)杜少陵集 《愁》18-44 杜甫詩index-15-1163 <1613> 767年大暦2年56歲-(7)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7462

杜甫  愁  【原註】強戲為吳體  

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)  江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。

杜少陵集18-44

愁

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (7)

1163 <1613>

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●薛濤の全詩 ●花間集(1巻 ●花間集(2巻 ●花間集(3巻 ●花間集(4巻 ●花間集(5巻  
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杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦2年56歲-(7)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦2年56歲-(7)

作時年:

767年

大暦2年

56歲

卷別:

卷二百三十一  16

文體:

五言律詩

 

巻18-44

 

 

詩題:

愁

序文・原註

 強戲為吳體

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

卷231_16 《愁(強戲為吳體)》杜甫 

愁

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為吳體

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(愁)

【原註】強いて戲れに 吳體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

 

『愁』現代語訳と訳註解説
(
本文)

愁

【原註】強戲為吳體

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

(下し文)
(愁)

【原註】強いて戲れに 吳體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

(現代語訳)
愁(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為吳體(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(訳注) 

愁

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)大厯二年の春夔州で作る

【原註】強戲為吳體

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

1 吳體 吴体とは詩體の一種である。語言は通俗であり,淺い俚俗なたとえ話を作るものであり,江南の民歌の風味を有す,故に稱す。仇兆鰲は黃生を注引して曰く「皮陸集中 亦吳體詩有り, 乃ち當時の俚俗は此の體を為すのみ。 詩流は之を效うを屑ぜず。 ▷ 杜公篇の什は既に眾す, 時に變調を出づ;凡そ集中の拗律は,皆 此體に屬す。」

  

原注 强戲為呉體。: 為黄生 注皮陸集中亦有呉/體詩乃當時俚俗 此體耳詩流不屑效之杜公篇什既衆時出變調凡集中拗律皆屬此體偶/發例於此曰戲者明其非正律也杜臆胸有抑鬱不平之氣而以拗體發之公之拗體詩大都如是 翫詩意當是大厯二年春夔州作。

黄生が注を為す皮陸集中、亦、呉體詩有り、乃ち當時俚俗なり、此の體のみの詩流は效之杜公篇の什は屑ぜず。既に衆時出變調、凡そ集中の拗律は皆此體に屬す。偶たま例を發す、此に於て、戲れにと曰う者は其の正律にるを明かにするなち。杜臆胸は抑鬱に有り の氣を平にせざるして、以て拗體は之を發し之を公す。拗體詩は大都是れ翫詩の意の如し。

 

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

喚愁生 江草が生ずるにつれて杜甫の愁いが喚起することをいう。生は江草が生ずることをいう。

泠泠 巫峽に流れる水の音。

非世情 人情に近くないことをいう。船を係留したままでいるため、とどまる自分を置いて、水の流れだけは東に去ってゆくのでこのように言う。

 

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

底 呉の俗語で、「何」である。

獨樹 一本立ちの樹。

自分明 独り、自然に分明であることで、自分とは無関心のさまをいう。

 

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

異域賓客 異境の賓客である自分をいう。

孤城 夔州の城郭を言う。

 

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。

渭水秦山 長安の山水。

虎縱橫 長安に戻っても、杜甫は、朝廷からはじき出された、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこったままであること、貨幣の悪鋳造(一枚で十銭に相当する大銭を初めて鋳造する。面には「乾元重寶」)によるインフレの急伸、天下から青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」賀蘭進明と第五琦は、罪を得て左遷更されたが、悪法だけは残ったこと「虎」と表現した。房琯事件と賀蘭進明、第五琦の経済政策については下記に詳しく述べる。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1)》 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2)》 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3)》 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4)》 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5)》 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500

 

 

760年

二年九月戊辰、絳州へ、乾元重寶の大銭を改鋳させた。重輪を銜えて、一枚を五十銭とする。

 戦費を優先した為、在京の百官へは俸禄が出せなかった。そこで、新銭を造って冬料を給付したのである。

 十一月、第五琦が乾元銭、重輪銭を造り、開元銭と併せて三種類の銭が流通した。

 民は争って偽造し、貨幣価値が下がって物価が上がった。穀物の価格は高騰し、餓死する者が相継いだ。上言する者は、皆、その罪を琦になすりつけた。

 庚午、琦を忠州長史へ降格する。御史大夫賀蘭進明は、琦の党類として有罪になり、湊州員外司馬へ降格となった。

 第五琦が任地へ出立した後、ある者が、「琦は二百両の金を受け取った。」と告発した。そこで、御史の劉期光を派遣して、詮議させた。

 琦は言った。

「琦は宰相だった時、二百両の金は持ち歩けなかった。もしも金を受け取って依頼事を聞いたというのなら、律に準じて罰を与えてください。」

 期光は帰ると、”琦は罪を認めた。”と上奏した。

 上元元年(760)二月庚戌、琦は有罪となり、除名のうえ、夷州へ長く流された。

 三種類の銭が流通して久しい上、飢饉になった。米は一斗が七千銭となり、人々は人肉まで食べた。京兆尹鄭叔清は銭の偽造者を捕まえたが、数ヶ月の間に八百余人を処刑して曝しても、偽造をやめさせる事はできなかった。

 六月、京畿へ敕が降りた。”開元銭と乾元の小銭は十銭に相当し、その重輪銭は三十銭に相当する。”と。

 諸州へ対しては、様子を見て施行することとした。

 この時、史思明も又順天銭を鋳造した。これ一枚で、開元銭百枚に相当した。だから、賊の支配領域では、物価が最も高騰した。

 癸丑、天下の重稜銭も、畿内同様、三十銭とするよう敕した。

767年-(6)杜少陵集 《18-46崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡》 index-15-1162 <1612> 767年大暦2年56歲-(6) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7457

杜甫  崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。浮雲不負青春色,細雨何孤白帝城。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。 

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)  わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

杜少陵集18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (6)

1162 <1612>

 

 
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦2年56歲-(4)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1162-1612/2500         

 

 

 

767年大暦2年56歲-(6)   18-46 

作時年:

767年

大暦2年

56歲

全唐詩

卷二百二十九  32

文體:

七言律詩

杜少陵集 

巻18-46

 

 

詩題:

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

序文

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

夔/州西閣 

 

 

交遊人物:

崔評事弟

 

 

 

 

 

卷229_32 《崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡》 

崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。 

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。 

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

 

(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色, 細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

 

 瞿塘峡・白帝城・魚復

現代語訳と訳註解説
(
本文)
崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。

(
下し文)
(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色, 細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

(
現代語訳)
崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡 (母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

夔州東川卜居図詳細 002 

(訳注) 

崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)大暦二年

1 崔評事弟 新巻十五23崔十三評事公輔と崔評事十六弟と崔評事と称するもの二人あり。この詩は、崔評事十六弟ということであり、作者の母方の従弟である。

贈崔十三評事公輔(卷一五(三)一二九○)

飄颻西極馬,來自渥洼池。颯飁寒山桂,低徊風雨枝。

我聞龍正直,道屈爾何為?且有元戎命,悲歌識者知。

官聯辭冗長,行路徙敧危。脫劍主人贈,去帆春色隨。

陰沉鐵鳳闕,教練羽林兒。天子朝侵早,雲臺仗數移。

分軍應供給,百姓日支離。黠吏因封己,公才或守雌。

燕王百駿骨,渭老得熊羆。活國名公在,拜壇群寇疑。

冰壺動瑤碧,野水失蛟螭。入幕諸彥集,渴賢高選宜。

騫騰坐可致,九萬起於斯。復進出矛戟,昭然開鼎彝。

會看之子貴,歎及老夫衰。豈但江曾決,還思霧一披。

暗塵生古鏡,拂匣照西施。舅氏多人物,無慚困翮垂。

766年-62杜甫 《1523贈崔十三評事公輔 -#5》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-62 <926-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6260

  卷221_25 《毒熱寄簡崔評事十六弟》杜甫 

  大暑運金氣,荊揚不知秋。林下有塌翼,水中無行舟。 

  千室但掃地,閉關人事休。老夫轉不樂,旅次兼百憂。 

  蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。 

  開襟仰內弟,執熱露白頭。束帶負芒刺,接居成阻修。 

  何當清霜飛,會子臨江樓。載聞大易義,諷興詩家流。 

  蘊藉異時輩,檢身非苟求。皇皇使臣體,信是德業優。 

  楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。短章達我心,理為識者籌。 

766年大暦元年55歲-20-3奉節-12 《15-41毒熱寄簡崔評事十六弟 -#3》 杜甫index-15 杜甫<894> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5355

別に以下の詩もある。

・戲寄崔評事表姪蘇五表弟韋大少府諸姪(卷二○(四)一七七七)

2 相迎 こちらか迎えにくること。

3 老夫 自己かさす。

4 愆佳期 約束の時期なまちがへてゆかね。

 

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

5 江閥 江辺の閣、西閣をさす。

6 要賓 賓客をむかえる、賓客とは先方の賓客にて自己をさす。

7 馬迎 馬もて迎へる。

 

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

8 不負 自分は~にそむくものではない。

9 何孤 孤はそむく、自分がどうして~にそむくことがあろうか。そうではない。

10 白帝城 白帝城の江閣に崔評事がいる。

〔瀼西宅と白帝城〕

白帝山(城)は、城塞の自宅からは西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(《1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。 

夔州歌十絕句,十首之二

(夔州の歌 十絕句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注'⑹'参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

 

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

11 虛疑 崔評事が~のことを疑っている。事実でもないことを疑う。

12 沖泥怯 沖は登ってゆく、泥道を上ってゆくことを恐れる。

恐泥 泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。《19-09 .槐葉冷淘》「路遠思恐泥,興深終不渝。」(路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。)「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。)子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

767年-9-#2杜甫 《19-09 .槐葉冷淘》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-9-#2 <1086> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7110 

 

13 銀鞍 崔評事がお迎えによこしてくれる馬。

14 傍險行 高いところにある白帝城に行くには石崖の道であり、杜甫は、杖をついて自力で上るには道が険しすぎる。
 

767年-(5)杜少陵集 《老病》15-16 杜甫詩index-15-1161 <1611> 767年大暦2年56歲-(5) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7452

杜甫  老病

老病巫山裏、稽留楚客中。藥殘他日裹、花發去年叢。

夜足霑沙雨、春多逆水風。合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなつている。夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

 

杜少陵集15-16

老   病

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7452 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (5)

1161 <1611>

 

 
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杜甫詩1500-1161-1611/2500    767年大暦2年56歲-(5)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1161-1611/2500          767年大暦2年56歲-(5)   15-16

767年大暦2年56歲-(4)   15-16     老病

作時年:

767年

大暦2年

56歲

卷別:

卷二百三十一 

文體:

五言律詩

 

巻18-45

 

 

詩題:

老病

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

老病

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

老病巫山裏、稽留楚客中。

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

藥殘他日裹、花發去年叢。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

夜足霑沙雨、春多逆水風。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

(老病)

老いて病む 巫山の裏、稽留す 楚客の中。

藥は殘る 他日の裹、花は發く 去年の叢。

夜には足る 沙を霑す雨、春には多し 水を逆す風。

合【まさ】に 雙賜筆を分たるべきに、猶お 一飄蓬と作る。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『老病』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

老病

老病巫山裏、稽留楚客中。

藥殘他日裹、花發去年叢。

夜足霑沙雨、春多逆水風。

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

(下し文)
(老病)

老いて病む 巫山の裏、稽留す 楚客の中。

藥は殘る 他日の裹、花は發く 去年の叢。

夜には足る 沙を霑す雨、春には多し 水を逆す風。

合【まさ】に 雙賜筆を分たるべきに、猶お 一飄蓬と作る。

(現代語訳)
老病(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。


(訳注)

老病

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

杜甫は、766年暮春、雲安より夔州に移居した。そして一年経過した三月、瀼西の草堂に移居した。夔州には三軒くらい家があったようだ。、

 

老病巫山裏、稽留楚客中。

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

1 巫山 巫山縣の東にあり、夔州より下流にある。

2 稽留 ぐづついてとどまる。

3 楚客 楚地の人人、夔州はむかしの楚國である。

 

藥殘他日裹、花發去年叢。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

4 他日 佳日なり。

5 裹 ふくろ。

 

夜足霑沙雨、春多逆水風。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

6 霑沙雨 こまかき雨をいう。

7 逆水風 下流から上流へむけて吹きつける風。

 

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

8 合分 分與さるべきはすだ。

9 雙賜筆 隻賜筆一対の御賜の筆、尚書の郎官は天子より赤管理の筆を二本賜った。《巻十四36 春日江村其三》・赤管 工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわったこと。漢代、尚書令・尚書僕射・尚書丞・尚書郎には毎月赤い軸で象牙で飾られた筆を支給されたり、右扶風渝麋県の墨を与えられていた。尚書令・僕・丞・郎月給赤管大筆一雙、篆題曰「北工作楷」於頭上、象牙寸半著筆下。尚書令・銀章 四品五品将軍、全て銀章を賜る。唐では、銀章はなく魚袋を有したのを漢になぞらえて銀章といった。

春日江村,五首之三

 

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

 (春日江村,五首之三)

經心石鏡月,到面雪山風。

種竹 翠を加え交り,栽桃 爛熳として紅なり。

赤管隨王命,銀章付老翁。

心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

赤管 王命に隨い,銀章 老翁に付す。

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)

自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。

成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

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767年-(4)杜少陵集 《王十五前閣會》18-45 杜甫詩index-15-1160 <1610> 767年大暦2年56歲-(4)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7447 

杜甫  王十五前閣會

楚岸收新雨,春台引細風。情人來石上,鮮膾出江中。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。病身虛俊味,何幸飫兒童。
(王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。)

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

杜少陵集18-45

王十五前閣會

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  (4)

1160 <1610>

 

 
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦2年56歲-(4)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

愁

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

767年大暦2年56歲-(3)   18-43     庭草

作時年:

767年

大暦2年

56歲

卷別:

卷二百三十一 

文體:

五言律詩

 

巻18-45

 

 

詩題:

王十五前閣會

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

王十五前閣會

(王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。)

楚岸收新雨,春台引細風。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

情人來石上,鮮膾出江中。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

病身虛俊味,何幸飫兒童。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

 

『王十五前閣會』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

王十五前閣會

楚岸收新雨,春台引細風。

情人來石上,鮮膾出江中。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

病身虛俊味,何幸飫兒童。


(下し文)
(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

(現代語訳)
王十五前閣會(王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。)

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。


(訳注)

前閣前閣會

(王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。)大暦二年春の作。

【1】   王十五 其の人、いまだ詳ならず。

【2】    前閣 白帝城の関連の江閣であり、その江閣の南面を言う、これまで杜甫が詠んでいる詩は以下の通り。

766年大暦元年55歲-28-#1奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#1》 杜甫index-15 杜甫<890-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5435

766年大暦元年55歲-28-#2奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#2》 杜甫index-15 杜甫<890-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5440

766年-71杜甫 《1711宿江邊閣【案:即後西閣。】》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-71 <934> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6305

766年-72杜甫 《1811夜宿西閣曉呈元二十一曹長》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-72 <935> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6310

766年-73杜甫 《1812西閣口號【案:呈元二十一。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-73 <936> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6315

766年-74杜甫 《1713西閣雨望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-74 <937> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6320 杜甫詩1500-937-1435/2500

766年-75杜甫 《1816不離西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-75 <938> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6325

766年-76杜甫 《1817不離西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-76 <939> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6330 杜甫詩

766年-77杜甫 《1714西閣三度期大昌嚴明府,同宿不到》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-77 <940> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6335

766年-78杜甫 《1715西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-78 <941> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6340 杜甫詩1500-941-1439/2500

766年-79杜甫 《1716西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-79 <942> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6345

766年-81杜甫 《1717西閣夜》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-81 <944> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6355 

 

楚岸收新雨,春台引細風。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

【3】    楚岸 夔州の江岸をいうが、特定の場所を言うのではない。

【4】    春臺 春景色の高台。

 

情人來石上,鮮膾出江中。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

【5】    情人 男女間の語、ここは会中の諸人をさて親しみをもっていう。

【6】    石上 高台の石の多い場所をさす。

【7】    鮮膾 新鮮な膾。鯉の生き造り。

 

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

【8】    鄰舍 となりの家、王十五が家をさす。

【9】    煩書劄 わざわざ手紙をよこしてくれる。札とは薄い木のふだ、この頃は髪が高価であったために紙の代りに用う、ここは語を借りていう。

【10】   肩輿 肩で担ぐみこし。

 

病身虛俊味,何幸飫兒童。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

【11】   強老翁 むりやりに、この老人にしてくれるという意。杜甫にしてくれる好意を言う。

【12】   虛俊味 虚とは見るばかり煮て食べられるを言う。俊味にすぐれた味わいの食物。

【13】   飫 あく、王十五がみやげにお膳をもたせて帰すにより家の児童もそれにあくことを得ることをいう。「杜臆」に「書札中に併せて其の子か招きしを見る」といっているが恐らくはあたらず。

 

 

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杜甫  秋風,二首之二

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。天清小城擣練急,石古細路行人稀。

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。

(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。

杜少陵集17-24

秋風,二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7427 

杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲  26

1156 <1606>

 

 
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杜甫詩1500-1156-1606/2500 

年:767年大暦2年56歲-26

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    秋風,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

秋風,二首之二

(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。

天清小城擣練急,石古細路行人稀。

天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。

うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。

會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。

とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。

 

(秋風,二首の二)

秋風、淅淅として我が衣を吹く、東流の外 西日 微なり。

天清くして小城 練を搗くこと急に、石古りて 細路行人稀なり。

知らず明月 誰が為にか好き、早晩 孤帆 他夜 帰らん。

会【かなら】ず 白髪を将て庭樹に倚らん、故園の池台は 今 是非。
京兆地域図002

65洛陽 函谷関751  

『秋風,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋風,二首之二

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。

天清小城擣練急,石古細路行人稀。

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。

會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。
詩文(含異文):     秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。天清小城擣練急【天晴小城擣練急】,石古細路行人稀。不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸【早晚孤帆也夜歸】。會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。


(下し文)
(秋風,二首の二)

秋風、淅淅として我が衣を吹く、東流の外 西日 微なり。

天清くして小城 練を搗くこと急に、石古りて 細路行人稀なり。

知らず明月 誰が為にか好き、早晩 孤帆 他夜 帰らん。

会【かなら】ず 白髪を将て庭樹に倚らん、故園の池台は 今 是非。

(現代語訳)
秋風,二首之二(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。

天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。

うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。

とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。


(訳注)

秋風,二首之二

(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

秋風 秋風が吹けば、①『蓴羮鱸膾』張翰(ちょうかん)が、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷したという故事。「晉書・張翰傳」の原文には「(張)翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。②宋玉の九弁にいう、「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰。」(悲しいかな秋の気たるや、蕭瑟たり草木揺落して変衰す)と。《1735詠懷古跡,五首之二》「搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。」(揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。)むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

杜甫  又上後園山腳 #5

秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。不及祖父塋,纍纍冢相當。

秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。

高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。

哀しむは 彼の遠征の人を,家を去りて 路旁に死すを。

祖父の塋に及ばず,纍纍として 冢 相い當る。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

767年-16 #5杜甫 《19-19 又上後園山腳》#5 杜甫詩index-15-1119 <1569> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7242 

 

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。

淅淅 雨がまばらに降るさま。(雨が)しとしとと静かに降るさま。風の音のするさま。淅淅として樹梢を払ふ風の声に・・・。

西日徴 西方にかたむく太陽の光がかすかである。

 

天清小城擣練急,石古細路行人稀。

天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。

小城 夔州の城をさす。

擣練急 せわしくねりぎねをうつ、留守居の妻が征夫のために寒衣の用意をするのである。

杜甫《巻七70 擣衣》
亦知戍不返,秋至拭清砧。
已近苦寒月,況經長別心。
寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
用盡閨中力,君聽空外音。

(衣を擣つ)
亦た知る戊【じゅう】の返らざるを、秋至りて清砧【せいちん】を拭【ぬぐ】う。
己に近し苦寒の月、況【いわ】んや長別の心を経たるをや。
寧【なん】ぞ辭せん擣衣【とうい】の倦【う】むを,一に塞垣【さいえん】の深きに寄す。
用い尽くす閨中【けいちゅう】の力 君聴け空外【くうがい】の音を。

今年もまた辺境のまもりにでている夫が返ってはこないことがわかったので、わたしは秋がきたから汚れを「きぬた」払って冬の寒さの仕度をする。
もはや貧しいものに厳しい苦寒の月もまぢかになってきた、ましてもう長く別れている妻の私の心もちにおいていえるのだ。
どうして衣を打つに疲れるぐらいのことを厭おうというのか、厭いはしない。心はただ一つ、着物を仕立てて奥まった遠い塞にいる人のところへ送ってやろうとおもうばかりなのである。
この閨に住んでいる女の力を精一杯だして衣を打つのであるが、あなたは空に伝わるその音をどうぞ心とめて聞いてください。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。
搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人 遠征を罷【や】めん。)

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

 謝惠連 『擣衣』 
衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空
幙,宵月皓中閨。
美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。
櫩高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。
紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。
盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。

 

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。

うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。

為誰好 だれにながめよとてかくうつくしく照っているぞと月をうらむこころをいう。

早晩 おそかれはやかれ。

他夜帰 他夜は他日の夜、ここは後目の夜の意、将来をさす、帰るは故郷へかえることをいう。

 

會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。

とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。

会 俗用で「必ず」の意。

倚庭樹 庭樹は故郷の家の庭の樹をいう、倚はよりかかりて立つことをいう。

故国 故郷の園、山野、田地、池や台は長安の住処をさす。

今是 非是とは旧のままのすがたであることをいい、非とは然らざること
安史の乱当時の勢力図 

767年-25 杜少陵集 《17-23 秋風,二首之一》 杜甫詩index-15-1155 <1605> 767年大暦2年56歲-25 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422

杜甫  秋風,二首之一

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。吳檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。

(秋風に自分のこころもちをのべている。)

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。

杜少陵集17-23

秋風,二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422 

杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲  25

1155 <1605>


 
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杜甫詩1500-1155-1605/2500

 

 

年:767年大暦2年56歲-25

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    秋風,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

巴州 (山南西道 巴州 巴州) 別名:巴中、巴  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

秋風,二首之一

(秋風に自分のこころもちをのべている。)

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。

吳檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。

いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。

中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。

西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。

 

(秋風,二首の一)

秋風淅淅として巫山を吹く、上牢下牢水関を修む。

呉檣楚柁百丈に牽かる、暖に成都に向かいて寒に未だ還らず。

要路何の日か長戟を罷めん、戦いは青羌より百蛮に連なる。

中巴得ず消息の好きを、瞑に伝う戍鼓 長雲の間。

 

 

『秋風,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋風,二首之一

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。

吳檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。

中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。
詩文(含異文):     秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。吳檣楚柁牽百丈,暖向神都【案:《唐志》:「光宅元年,號東都曰神都。」】寒未還【暖向成都寒未還】。要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻【戰自青羌連白蠻】。中巴不曾消息好【中巴不得消息好】,暝傳戍鼓長雲間。


(下し文)
(秋風,二首の一)

秋風淅淅として巫山を吹く、上牢下牢水関を修む。

呉檣楚柁百丈に牽かる、暖に成都に向かいて寒に未だ還らず。

要路何の日か長戟を罷めん、戦いは青羌より百蛮に連なる。

中巴得ず消息の好きを、瞑に伝う戍鼓 長雲の間。

(現代語訳)
秋風,二首之一(秋風に自分のこころもちをのべている。)

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。

呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)

いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。

西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。


(訳注)

秋風,二首之一

(秋風に自分のこころもちをのべている。)767年大暦2年56歲-この年25作目

1 秋風に対して世乱を傷むこころをのべている。大暦元年の作であろう。

 

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。

2 淅淅 風声をいう。

3 上牢下牢 関の名、上牢は巫峽、下牢は夷陵(今の湖北省宜昌府)のそれである。

4 修水關 修は修繕、秋に行なわれる。水関は水上に設ける関所。

 

吳檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)

5 吳檣楚柁 呉楚の船をいう。

6 百丈 竹素の長さをいう。

 

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。

いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。

7 要路 要害のみち。

8 罷長戟 長戟を用いることをやめる。長戟は賊を攻伐するのに用いるものである。○青光 吐春の売種。

9 百蠻 雋州(今の四川省寧遠府)の雋山は其の地が諸蛮部に接するが、その蛮部には烏蛮や白蛮がある。

 

中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。

西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。

中巴 《巻1531夔州歌十絕句,十首之一》「中巴之東巴東山,江水開闢流其間。白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。」(中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る。白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。)にも見えている、今の重慶府をいう。後漢の劉璋は益州の牧となり、墊江(今の合州)以上を以て巴郡とし、江州(今の重慶府巴県)より臨江(今の忠州)までを永寧郡(すなわち巴西)とし、眗腮(今の雲陽の西)より魚復までを固陵郡(すなわち巴東)とした。これが三巴であるが、巴県は中部に在るので、これを中巴とする。

766年-103杜甫 《巻1531夔州歌十絕句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-103 <966> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485

消息好 たよりのよいことというのは戦乱のしずまることをさす。

瞑傳 くらがりにひびきをつたえる。

戍鼓 番兵の太鼓のおと。

長雲間 長くひきはえている雲のあいだ。
秋風二首 

767年-24 #5杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#5》 杜甫詩index-15-1154 <1604> 767年大暦2年56歲-24 #5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7417 

杜甫詩1500-1154-1604/2500狄明府【寄狄明府博濟】#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。早歸來,黃土泥衣眼易眯。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

杜少陵集19-38-#5

狄 明 府  #5(5分割)

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年:767年大暦2年56歲-24 #4     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。
虎之飢,下巉巖。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。
蛟之橫,出清泚。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁より說かむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟を污さず。

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門戶をして旌棨多からしむべし。

#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 眯【まよ】わされ易し。

 

 長江三峡

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。

蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(下し文)
#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 眯【まよ】わされ易し。

(現代語訳)
#5

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。


(訳注) #5

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767年大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

46 岷漢 岷山・長江、漢水の水、蜀地にある。岷山山脈を水源とする流域。中国,四川省北部,甘粛との省境にあり,北西から南東にのびる山脈。〈びんざん〉とも読む。西は黄河をはさんでアニエマチェン(アムネマチン)山脈に連なり,東は嘉陵江をはさんで米倉山と接する。

47 千謁 求める所あって謁する。

48 侯王 地方の長官などをいう。

49 歴抵 抵の字はもと誌に作る。銭氏は抵に改める、諸本はこれによる。抵の字が正しい。歴抵とは二その門に至って謁することをいう。

 

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。

50 泥泥 蕗の濡うさま。

 

虎之飢,下巉巖。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。

51 巉巖 たかいいわお。

 

蛟之橫,出清泚。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

52 清批 池は水の清らかなこと。

 

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

53 歸來 《楚辭.宋玉.招魂》「魂兮歸來,南方不可以止些。」(魂よ歸り來れ,南方は不可以て止まるべからず。)陶潜「歸去來辭」

 

夔州三峡 


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767年-24 #4杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#4》 杜甫詩index-15-1153 <1603> 767年大暦2年56歲-24 #4漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7412

杜甫詩1500-1153-1603/2500 狄明府【寄狄明府博濟】#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。
これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

杜少陵集19-38-#4

狄 明 府  #4(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲 24 #4

1153<1603>

 

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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年:767年大暦2年56歲-24 #4     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。

蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁より說かむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟を污さず。

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門戶をして旌棨多からしむべし。

#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 眯【まよ】わされ易し。

 

京兆地域図002 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。

(下し文)
#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門戶をして旌棨多からしむべし。

(現代語訳)
#4

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。


(訳注) #4

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767年大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

38 太宗 唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

39 社稷 古代の天子・諸侯が土地の神である「社」や五穀の神である「稷」を祭ったことから,後には「社稷」が「国家」を表わすようになった.

40 漢官 漢は借りて唐をいう。

41 威儀 1 いかめしく重々しい動作。立ち居振る舞いに威厳を示す作法。2 仏語。㋐規律にかなった起居動作。また、その作法・規律。㋑袈裟 (けさ) につけた平ぐけのひも。袈裟をまとうとき肩にかける。

42 昭洗 席昭の倒用、けがれをあらいさり光明を復することをいう。

 

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

43 不世才 不世出の才、三十年ごとぐらいにきっと出るとはきまらぬほどの人才。

誰謂荼苦甘如薺 《詩経、邶風、(谷風)》「誰謂荼苦、其甘如薺。」(誰れか謂う荼【と】は苦しと、其の甘きこと薺【なずな】の如し。)人々は荼をとても苦いものだと言っているが、荼の苦味などは人生全体の苦味と比べれば、薺のように甘いものである。

『荼』とはニガナ(苦い菜っ葉)の事、『薺』とはアマナ(甘い菜っ葉)の事を意味している。この部分は食べ物である荼の苦さ・まずさを大げさに言う人は多いが、実際にはそんな荼(ニガナ)などよりも、人生や世間のほうがもっと何倍も苦くて大変だということ。梁公が艱難辛苦をいとわないことをいう。

 

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

列土食/列鼎食 鼎を多くならべて煮炊きして食べるとは美食することをいう。

旌棨 旌ははた、何かをそれによって表草する。棨は赤黒の繒をつけた棨戟をいう。三品以上の官は門に棨戟を列する。

長安城図 作図00 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、睿宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。)魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天啟 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

24 則天武后の時期 武皇后は自身に対する有力貴族の積極的支持が無いと自覚していたため、自身の権力を支える人材を非貴族層から積極的に登用した。この時期に登用された人材としては狄仁傑・姚崇・宋璟などがいる。これらは低い身分の出身であり、貴族制下では宮廷内での出世が見込めない人物だった。武皇后は人材の採用に当たっては、身分のみならず才能と武皇后への忠誠心を重視した。姚崇と宋璟は後に玄宗の下で朝政を行い、開元の治を導いた。

出自を問わない才能を発掘する一方で、武皇后は娘の太平公主や薛懐義・張易之・昌宗兄弟といった自身の寵臣、武三思・武承嗣ら親族の武氏一族を重用し、専横を招いた。また佞臣の許敬宗などを任用し、密告政治により反対者を排除、来俊臣・索元礼・周興ら「酷吏」が反対派を監視する恐怖政治を行った。この状況に高宗は武皇后の廃后を計画するが、武皇后は計画を事前に察知し皇帝の権力奪還を許さなかった。

25 則天武后の功績 長年の課題であった高句麗を滅ぼし唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績である。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、民衆の生活は安定していたとされる。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに優れていたことは事実であり、彼女の登用した人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。

26 狄公 狄人傑

27 末年 則天武后の末年期。

28 濁河・清濟 濁れる黄河、清める濟水、濟水は山東兗州にながれる。

29 國嗣 唐國を嗣いだ周をいう。

30 初將 その周の最初の将軍。 

31 諸武 則武天の一族一門のものをいう。

32 公 梁公。

33 廷諍 朝廷で諌諍することをいう。武則天の治世において最も重要な役割を果たしたのが、高宗の時代から彼女が実力を見い出し重用していた稀代の名臣、狄仁傑である。武則天は狄仁傑を宰相として用い、その的確な諫言を聞き入れ、国内外において発生する難題の処理に当たり、成功を治めた[13]。また、治世後半期には姚崇・宋璟などの実力を見抜いてこれを要職に抜擢した。後にこの二名は玄宗の時代の開元の治を支える名臣と称される人物である。武則天の治世の後半は狄仁傑らの推挙により数多の有能な官吏を登用したこともあり、宗室の混乱とは裏腹に政権の基盤は盤石なものとなっていった。

34 丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。殿前の庭は丹庭があり、丹陛(階段)となっており、丹陛(階段)には龍彫の装飾がある。

《巻八26兩當縣吳十侍禦江上宅》「餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。」(余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。)自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

35 禁中 朝廷のうち。

36 決冊/決策 はかりごとをきめる。

37 請房陵 房陵は中宗をいう。武后は唐を革めて周となし、中宗を廃して盧陵王となして房州に遷し、武三思(后の姪)を太子となそうと欲した。狄仁傑はしばしば諌めていうのに、子母と姑姪とどちらが親しい関係にあるか、もし三思を立てるならば廟には姑を祔(木主を合祭すること)するわけにはゆかぬと。武后は悔悟して即日中宗を迎えて宮中に還らせたという。

767年-24 #3杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#3》 杜甫詩index-15-1152 <1602> 767年大暦2年56歲-24 #3漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7407

杜甫詩1500-1152-1602/2500  狄明府【寄狄明府博濟】##3

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

杜少陵集19-38-#3

狄 明 府  #3(5分割)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7407

杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲  24  #3

1152 <1602>

 

 
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年:767年大暦2年56歲-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁より說かむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟を污さず。

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門戶をして旌棨多からしむべし。

 

8世紀唐と周辺国00 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

(下し文)
#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟を污さず。

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

(現代語訳)
#3

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

隋末群雄割拠図00
(訳注) #3

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767年大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

24 則天武后の時期 武皇后は自身に対する有力貴族の積極的支持が無いと自覚していたため、自身の権力を支える人材を非貴族層から積極的に登用した。この時期に登用された人材としては狄仁傑・姚崇・宋璟などがいる。これらは低い身分の出身であり、貴族制下では宮廷内での出世が見込めない人物だった。武皇后は人材の採用に当たっては、身分のみならず才能と武皇后への忠誠心を重視した。姚崇と宋璟は後に玄宗の下で朝政を行い、開元の治を導いた。

出自を問わない才能を発掘する一方で、武皇后は娘の太平公主や薛懐義・張易之・昌宗兄弟といった自身の寵臣、武三思・武承嗣ら親族の武氏一族を重用し、専横を招いた。また佞臣の許敬宗などを任用し、密告政治により反対者を排除、来俊臣・索元礼・周興ら「酷吏」が反対派を監視する恐怖政治を行った。この状況に高宗は武皇后の廃后を計画するが、武皇后は計画を事前に察知し皇帝の権力奪還を許さなかった。

25 則天武后の功績 長年の課題であった高句麗を滅ぼし唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績である。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、民衆の生活は安定していたとされる。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに優れていたことは事実であり、彼女の登用した人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。

 

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

26 狄公 狄人傑

27 末年 則天武后の末年期。

28 濁河・清濟 濁れる黄河、清める濟水、濟水は山東兗州にながれる。

 

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

29 國嗣 唐國を嗣いだ周をいう。

30 初將 その周の最初の将軍。 

31 諸武 則武天の一族一門のものをいう。

32 公 梁公。

33 廷諍 朝廷で諌諍することをいう。武則天の治世において最も重要な役割を果たしたのが、高宗の時代から彼女が実力を見い出し重用していた稀代の名臣、狄仁傑である。武則天は狄仁傑を宰相として用い、その的確な諫言を聞き入れ、国内外において発生する難題の処理に当たり、成功を治めた[13]。また、治世後半期には姚崇・宋璟などの実力を見抜いてこれを要職に抜擢した。後にこの二名は玄宗の時代の開元の治を支える名臣と称される人物である。武則天の治世の後半は狄仁傑らの推挙により数多の有能な官吏を登用したこともあり、宗室の混乱とは裏腹に政権の基盤は盤石なものとなっていった。

34 丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。殿前の庭は丹庭があり、丹陛(階段)となっており、丹陛(階段)には龍彫の装飾がある。

《巻八26兩當縣吳十侍禦江上宅》「餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。」(余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。)自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

 

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

35 禁中 朝廷のうち。

36 決冊/決策 はかりごとをきめる。

37 請房陵 房陵は中宗をいう。武后は唐を革めて周となし、中宗を廃して盧陵王となして房州に遷し、武三思(后の姪)を太子となそうと欲した。狄仁傑はしばしば諌めていうのに、子母と姑姪とどちらが親しい関係にあるか、もし三思を立てるならば廟には姑を祔(木主を合祭すること)するわけにはゆかぬと。武后は悔悟して即日中宗を迎えて宮中に還らせたという。

 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、睿宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。)魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天啟 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

767年-24 #2杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#2》 杜甫詩index-15-1151 <1601> 767年大暦2年56歲-24 #2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7402 

杜甫詩1500-1151-1601/2500  狄明府【寄狄明府博濟】#2

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

杜少陵集19-38-#2

狄 明 府  #2(5分割)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7402

杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲  24  #2

1151 <1601>

 

 

 

年:767年大暦2年56歲-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁より說かむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟を污さず。

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

大明宮 作図011 

 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。

在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。
詩文(含異文):

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。汝門請從曾翁說【汝門請從曾公說】,太后當朝多巧詆【太后當朝多巧計】。


(下し文)
#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁より說かむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

(現代語訳)
#2

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。


(訳注) #2

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767年大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。)魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

 

在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天啟 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

長安城図 作図00 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、睿宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

767年-24 #1杜少陵集 《19-38 狄明府【寄狄明府博濟】-#1》 杜甫詩index-15-1150 <1600> 767年大暦2年56歲-24 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7397

狄明府【寄狄明府博濟】

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

杜少陵集19-38-#1

狄 明 府  #1(5分割)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7397 

杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲  24  #1

1150 <1600>

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #1杜少陵集 《19-38 狄明府【寄狄明府博濟】-#1》 杜甫詩index-15-1150 <1600> 767年大暦2年56歲-24 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7397  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 15閻選《巻九25八拍蠻二首其一》『花間集』427全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7399  
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  杜甫詩1500-1150-1600/2500

年:767年大暦2年56歲-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓絕秉周禮。

在汝更用文章為,長兄白眉復天啟。

汝門請從曾翁說,太后當朝多巧詆。

#3

狄公執政在末年,濁河終不污清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門戶多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁より說かむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

 

 

『狄明府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

狄明府【寄狄明府博濟】

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

(下し文)


(現代語訳)
狄明府【寄狄明府博濟】(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。


(訳注)

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767年大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、睿宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

 

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

 

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、睿宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

767年-23 #7杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #7》 杜甫詩index-15-1149 <1599> 767年大暦2年56歲-23 #7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7392 

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。
先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

杜少陵集20-99-本文 -#4

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -#4

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杜詩index-15

767年大暦2年56歲23本#4

1149 <1599>

 

 

 
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杜甫詩1500-1149-1599/2500     767年大暦2年56歲-23 #7

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者吳人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

(下し文)
本文#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。


(現代語訳)
本文#4

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。


(訳注)

本文#4

觀公孫大娘弟子舞劍器行

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

62 金粟堆 山の名、玄宗の泰陵の所在地。奉先県の東北二十里にある、玄宗の泰陵の在る所である、玄宗が嘗て睿宗の橋陵(奉先県にある)に至り金粟山岡の竜盤虎鋸の勢いのあるのを見て、侍臣にむかっていうのに、吾、千秋万歳の後ここに葬られんと、崩ずるに及んで群臣は先旨にしたがって帝をここに葬った。広徳元年三月のことである。《1370韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》「君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。」(君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。)“それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。”とある。

63 木已拱 拱はひとかかえ、成長したこと、すなわち年数のたったことをいう。

64 瞿唐石城 瞿唐峽のあるところの石地の城、夔州の城をさす。

 

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

65 玳筵 うつくしいさかむしろ、垂州別窯元持の宅の席をいう。作者がこの李娘の歌を聞いたことはすでに作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注「都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌」(都督柏中丞が筵にて。梨園の弟子李仙奴の歌を聞く)と記していて、それに関して同詩の本文に、

秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

 

高宴諸侯禮,佳人上客前。

哀箏傷老大,華屋豔神仙。

南內開元曲,常時弟子傳。

法歌聲變轉,滿座涕潺湲。

高宴諸侯の禮,佳人上客の前。

哀箏老大を傷ましむ,華屋 神仙 豔なり。

南內 開元の曲,常時 弟子傳う。

法歌 聲 變轉,滿座 涕 潺湲たり。

とあるのによって知られる。今回はまた李の舞を観たのである。あわせて当時のさまを想見するに足りる。

66 急管 急に吹く竹管楽器。

 

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

67 老夫 杜甫自己をさす。

68 不知其所往 共は自己をさす、所往とは将来帰往すべき処である。この句は自己の前途につきひろくみわたして言った語である。

69 足繭 足には蚕のまゆのような豆ができる。道路に奔走することをいう。蘇秦が足に繭を重ねて日に百(百里)にして合ったことが「戦国策」に見える。

70 転愁疾 仇注に“足繭して行くこと遅きに、反って太だ疾きを愁うるは、去らんとするに臨みて、其の去るに忍びざるなり”といっているのは、疾を「とし」、「はやし」と訓じ、自己平日の緩行もこの場をたち去ろうとするときばかりははやすぎるように感ずると解いたのである。沈徳潜はその説を襲っている。これによれば「某所往」には仇氏は注していないが「其」を李に属させてみたのかもしれぬ。仇氏の説には服することができぬ。愁疾とは衰疾などの如く愁と疾との二事をならべた句とみるがよい、「愁え且つ疾む」ことをいうのである。

長安城図 作図00 

 

 


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觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。
先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

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 杜甫詩1500-1148-1598/2500   767年大暦2年56歲-23 #6

楊玉環(楊貴妃)、彼女は以千年後百年にもわたって絶世の美人として、また「女禍」として史上有名になった。しかし、人は往々この女性が天才的な舞踊家、音楽芸術家であったことを軽視する。彼女は多方面の芸術的才能を持っており、特に舞踊に長じ、「霓裳羽衣舞」の類いまれな踊り手として、千古の後までその名が伝えられている。彼女はまた胡旋舞等の舞いも踊ることができた。同時にまた音律にも長じ、多種多様な楽器にもよく通じていた。特に撃磐(石製の打楽器の演奏)が最も得意であり、その音声は冷たく清らかであり、またオリジナリティに富んでいて、宮廷の名楽師でも及ばなかった。また琵琶もたいへんL手で、梨園で演奏した時、音色は張りつめ澄みきって、雲外にただよう如くであった。それで、親王、公主、貴婦人たちは争って彼女の琵琶の弟子になろうとした。笛豊た上手であった。ある華、彼女は玄宗の兄賢の玉笛をこっそり借りて吹いたため、玄宗皇帝の不興をかった。しかし、風流文士たちは「梨花の静院に人の見ゆる無く、閑ろに寧王の玉笛を把りて吹く」(『楊太真外伝』に引く張詰の詩句)などといって、きわめで風流なことと褒めそやした。

 

楊貴妃の侍女張雲容も「霓裳羽衣舞」が上手だったので、楊貴妃は詩をつくって彼女の舞姿を誉めそやした。「羅袖 香を動かし 香己まず、紅蕖は嫋嫋 秋煙の裏。軽き雲は嶺上にて乍ち風に揺らぎ、嫩き柳は池塘にて初めて水を払う」(楊貴妃「阿那曲」)。

これと同じ時期、新豊(陝西省臨潼)の女俳優謝阿蛮は凌波曲を上手に踊った。常時、宮廷に出入りし、玄宗と楊貴妃からたいへん愛された。ある時、彼女が舞い、玄宗と楊貴妃が親しく自ら伴奏した。楊貴妃は特別に金を散りばめた腕輪を褒美として贈った(『楊太真外伝』、『明皇雑録』補遺)。

当時、公孫大娘の「剣器の舞」も非常に有名で、その演舞は雄壮で人々の魂まで揺り動かした。

杜甫は次のように詠っている。

 

杜甫《2099觀公孫大娘弟子舞劍器行》767年大曆二年56歲

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

爀如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

【爀は火+霍であるが字書にないため代用する】

 

公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行杜甫

昔 佳人の公孫氏有り、一たび剣幕を舞えば四方を動かす。

観る者は山の如くして色は沮喪し、天地も之が為に久しく低昂す。

爀として羿(伝説の弓の名人)の九日(九つの太陽)を射て落すが如く、矯として群帝(五帝)の龍を驂(二頭だての車)として翔るが如し。

来たるは雷霆の震怒を収むるが如く、罷むるは江海の清光を凝らすが如し。

緯唇 珠袖 両つながら寂寞、晩(晩年)に弟子有り、芬芳を伝う。

臨頴の美人(李十二娘)、はく帝に在り、妙みに此の曲を舞いて神揚揚たり。

余と問答す 既に以有り、時に感じ事を撫して惋傷を増す。

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

 

杜甫詩1500-1147-1597/2500

年:767年大暦2年56歲-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者吳人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

白紵舞001

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

(下し文)
本文#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

(現代語訳)
本文#3

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。


(訳注) 本文#3

觀公孫大娘弟子舞劍器行

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

53 先帝 玄宗。

54 侍女 宮女・妓優たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になった。玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、興慶宮、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。

 

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

55 五十年間 幷序に述べているように、開元三載より大暦二年までは五十三年であるが大略のところで五十という。

56 反掌 容易に変化したことをいう。

57 傾動/澒洞 もやくやとしたさま。

 

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

58 梨園/宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

59 女楽 女子の楽隊、妓女の群をさす。楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

散楽と劇  散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。

60 余姿 のこっているすがた。

61 寒日 冬の太陽の光。

興慶宮00 

 


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767年-23 #2杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #5》 杜甫詩index-15-1147 <1597> 767年大暦2年56歲-23 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7382 

杜甫  觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』
この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

杜少陵集20-99-本文 -#2

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -#2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7382 

杜詩index-15

767年大暦2年56歲23本#2

1147 <1597>

 

 

 
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杜甫詩1500-1147-1597/2500

年:767年大暦2年56歲-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者吳人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

長安城図 作図00 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

(下し文)
本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』

(現代語訳)
本文#2

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。


(訳注) 本文#2

觀公孫大娘弟子舞劍器行

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

41 絳唇珠袖 あかいくちびる。珠をかざったそで。唇は容貌についていい、袖は舞態についていう。「明皇雑録」の語を借りていえば絃唇は「折」をいい、珠袖は「妙」をいったものである。

42 兩寂寞 両とは唇袖の二つをさす。寂寞は死去した後をいう。

43 況/晩 いわんや/ 公孫大娘の晩年をいう。

44 弟子 李十二娘。

45 傳芬芳 かおりをつたえる。余風をつたえたこと。

 

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

46 臨穎美人 李十二娘。

47 白帝 白帝城。

48 此曲 剣器の曲をさす。

49 揚揚 得意のさま。

 

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

50 問答 序文に見える師弟の関係についての問答。

51 有以 以は所以、故に同じ。

52 椀傷 おしみいたむ。

興慶宮00 

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觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。
むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

杜少陵集20-99-本文 -#1

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7377 

杜詩index-15

767年大暦2年56歲23本#1

1146 <1596>

 

 
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杜甫詩1500-1146-1596/2500 

年:767年大暦2年56歲-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

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瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者吳人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』

#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

(下し文)
#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

(現代語訳)
本文#1

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。


(訳注)

本文#1

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 本文#1

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。
 

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

 

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

31 如山 観客が山ほどたくさんいることをいう。

32 色沮喪 圧倒され、気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまう様子を言う。

33 天地為之 剣舞の動きの速い剣を見ることで、気が動転し、圧倒された状況の表現で、実際に見たことのある人はよくわかる天地が上下転倒したように迫力あるものである。

34 久低昂 天地が上下転倒したよ鵜であり、その興奮状態が踊り終わってもしばらく続くことを言う。

 

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

35 燿 かがやくさまをいう。

36 羿射九日落 《淮南子》卷八「堯時十日並出,草木焦枯,堯命羿仰射十日,中其九日,日中九烏皆死,墮其羽翼,故留其一日也。」 (堯の時、十日並び出づ,草木焦枯し,堯 羿をして仰へ十日射て,其の九日中【あ】てしむ,日中の九烏 皆死し,其の羽翼を墮す,故に留るは其の一日なり。)

37 矯 あがること。

38 如群帝驂龍翔 群帝は天上の群仙、驂は添え馬にすること。夏侯玄の賦に「又如東方羣帝」夏候𤣥賦「又如東方羣帝兮、騰龍駕而翺翔、來如雷霆」(又東方の羣帝、龍駕を騰あげて翺翔するが如し、來りて雷霆の如し)とみえる。

 

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

39 雷霆收震怒 雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめる。

40 江海凝清光 海水が鏡面の如くしずかなさま。

 


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767年-23幷序⑶ 杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 幷序⑶》 杜甫詩index-15-1145 <1595> 767年大暦2年56歲-23幷序⑶

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者吳人張旭善草書書帖,

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!
むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

杜少陵集20-99-序⑶

觀公孫大娘弟子舞劍器行  并序 -⑶

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7372 

杜詩index-15

767年大暦2年56歲23序⑶

1145 <1595>

 

 

 
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年:767年大暦2年56歲-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘   

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-          ⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    ⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者吳人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』⑶ 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-         
⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

昔者吳人張旭善草書書帖,

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

(下し文)
-
⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

(現代語訳)
-         
⑶

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

-   
(訳注) ⑶

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑶

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

24 撫事 往事にそうてかんがえる。

 

昔者吳人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

25 張旭 張 旭は中国・唐代中期の書家。字は伯高。呉郡出身。官は左率府の長史になったことから張長史とも呼ばれた。 草書を極めるとともに、従来規範とされて来た王羲之と王献之、いわゆる「二王」の書風に真正面から異を唱え、書道界に改革の旋風を巻き起こすきっかけとなった。張旭のことは《巻二01飲中八仙歌》「張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。」“張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。”その他にみえる。韓愈《読巻四18送高閑上人序》(高閑上人を送るの序)に、「往時張旭善草書,不治他伎,喜怒、窘窮、憂悲、愉佚、怨恨、思慕、酣醉、無聊不平,有動於心,必於草書焉發之。觀於物,見山水、崖穀、鳥獸、蟲魚、草木之花實、日月、列星、風雨、水火、雷霆、霹靂、歌舞、戰鬥,天地事物之變,可喜可愕,一寓於書。故旭之書,變動猶鬼神,不可端倪,以此終其身,而名後世。」(往時、張旭 草書を善くして他伎を治めず。喜怒窘窮、憂悲愉佚、怨恨思慕、酣醉無聊不平、心に動く有れば、必ず草書に於いて之を発す。物に観ては、山水崖谷、鳥獣虫魚、草木の花実、日月列星、風雨水火、雷霆霹靂、歌舞戦闘、天地事物の変、喜ぶべく愕くべきを見て、一して書に寓す。 故に旭の書、変動 猶ほ鬼神の端倪すべからざるがごとし。此を以て、其の身を終ふれども後世に名あり。)といっているのも張旭の書風をうかがうことができよう。

 

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

26 鄴縣 河南省彰徳府臨渾県。

27 西河剣器 西河剣器も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

 

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

28 長進 わざすぐれすすむ。

29 豪蕩感激 書風をいう。

30 即公孫可知夫 知るべしとはその技の神妙なることの推して知るべきことをいう。

長安城図 作図00 

韓愈 

送高閑上人序

苟可以寓其巧智,使機應於心,不挫於氣,則神完而守固,雖外物至,不膠於心。堯舜禹湯治天下,養叔治射,庖丁治牛,師曠治音聲,扁鵲治病,僚之於丸,秋之於奕,伯倫之於酒,樂之終身不厭,奚暇外慕?夫外慕徙業者,皆不造其堂,不嚌其胾者也。

往時張旭善草書,不治他伎,喜怒、窘窮、憂悲、愉佚、怨恨、思慕、酣醉、無聊不平,有動於心,必於草書焉發之。觀於物,見山水、崖穀、鳥獸、蟲魚、草木之花實、日月、列星、風雨、水火、雷霆、霹靂、歌舞、戰鬥,天地事物之變,可喜可愕,一寓於書。故旭之書,變動猶鬼神,不可端倪,以此終其身,而名後世。今閑之於草書,有旭之心哉?不得其心,而逐其跡,未見其能旭也。為旭有道,利害必明,無遺錙銖,情炎於中,利欲鬥進,有得有喪,勃然不釋,然後一決於書,而後旭可幾也。今閑師浮屠氏,一死生,解外膠。是其為心,必泊然無所起;其於世,必淡然無所嗜。泊與淡相遭,頹墮委靡,潰敗不可收拾。則其於書,得無象之,然乎?

然吾聞浮屠人善幻,多技能,閑如通其術,則吾不能知矣。

(高閑上人を送る序)

苟くも以て其の巧智を寓し、機をして心に応じて気に挫けざらしむべければ、則ち神 完(まった)くして守ること固し。外物 至ると雖(いへど)も、其の心に膠せず。

堯・舜・禹・湯の天下を治むる、養叔の射を治むる、包丁の牛を治むる、師曠の音声を治むる、扁鵲の病を治むる、僚の丸に於ける、秋の奕に於ける、伯倫の酒に於ける、之(これ)を楽しみて終身 厭(いと)わず、奚(なん)ぞ外慕するに暇(いとま)あらん。 夫れ、外慕して業を徒(うつ)すは、皆 其の堂に造(いた)らず、其の胾を食らわざる者なり。

往時、張旭 草書を善くして他伎を治めず。喜怒窘窮、憂悲愉佚、怨恨思慕、酣醉無聊不平、心に動く有れば、必ず草書に於いて之を発す。

物に観ては、山水崖谷、鳥獣虫魚、草木の花実、日月列星、風雨水火、雷霆霹靂、歌舞戦闘、天地事物の変、喜ぶべく愕くべきを見て、一して書に寓す。 故に旭の書、変動 猶(な)ほ鬼神の端倪すべからざるがごとし。此(ここ)を以て、其の身を終ふれども後世に名あり。

今、閑の草書に於けるや、旭の心有るか。其の心を得ずして、其の跡を逐(お)はば、未だ其の能く旭を見ず。

旭と為るに道有り。利害必ず明らかにし、錨銖を遺す無く、情中に炎(も)え、利欲 闘い進み、得る有り、喪う有り、勃然として釈けず。然(しか)して後、一して書に決す。而(しか)して後、旭は畿すべきなり。

今、閑は浮屠氏を師とす。生死を一にし、外膠を解く。是れ、其の心為るや、必ず泊然と起(た)つ所 無からん。其の世に於いてや必ず淡然と嗜(たしな)む所無からん。 泊と淡、相遭(あ)へば、頽堕委靡、潰敗、収拾すべからず。則ち其れ書に於いて之に象(に)て然(しか)る無きを得んや。

然れど吾れ聞く、浮屠の人、幻を善くし、技能 多し。閑 如(も)し其の術に通ずれば、則ち吾れは知る能はず。

(現代語訳)

もし、すぐれた英知を表現し、精神の機能を心の思うままにできて、気分によって挫けないようにできたならば、精神は完成して、信念を固く持てるようになる。そうなれば外界の物が目に入っても、心にまとわりつかなくなるのである。

 

堯・舜・夏の禹王・殷の湯王が天下を治める場合、養叔が弓矢を射る場合、包丁が牛をさばく場合、師曠が音楽を演奏する場合、扁鵲が病を治療する場合、熊宜僚が球技をする場合、弈秋が碁を打つ場合、伯倫が酒を飲む場合、それぞれ自分のしていることを楽しんで、一生いやになることはなかった。どうして他のことに心をひかれる余地があったろうか。そもそも、他のことにあれこれ心をひかれて仕事や趣味をふらふら変えるような者は、たいした成果を得ることができない。屋敷の門をくぐっても家の中にまでは入らず、スープを飲んでも具の肉までは食べないようなものである。

 

昔、張旭は草書を得意として他の技術は習得しなかった。喜びや怒り、困りごと、憂いや悲しみ、楽しいこと、怨みごと、恋しいこと、酒に酔った心地、退屈な気分、不平に思うことなど、心に動くことがあれば、必ず草書に表現した。

 

物を観察する場合も、山や川、崖や谷、鳥や獣、虫や魚、草木の花実、太陽や月や星々、風や雨、水や火、稲光や雷鳴、歌や踊りや戦闘、天地の事物の変化など、喜ぶべきことや驚くべきことを見ては、その全てを書に表現した。 そのため張旭の書の筆の動きは、霊魂や神々と同様に、予測がつかないのである。このため張旭はその身は死んでも後世に名に名を残すようになったのである。

 

ひるがえって、高閑の草書に張旭のような心があるだろうか。その心なしに、ただ筆跡だけをなぞっても、張旭の境地には達しえないだろう。

 

張旭のようになるには方法がある。自分にとっての利害を必ずはっきりさせ、少しも不明な部分を残さず、感情が心の中で燃えさかり、欲望がわいて増進し、得ることにつけ、失うことにつけ、心が高ぶってほぐれることがない、そのような状態となって、その全てを書に結実させる。そのようにしてはじめて張旭の境地は期待できるのである。

 

ところが高閑は仏陀を師と仰いでいる。生と死を一つと見なし、外界へのこだわりをなくしている。その心はさっぱりしていて昂ぶることがないだろうし、世の中に生きていてもきっとあっさりしていて楽しむことがないだろう。そのように淡泊であったなら、気力がだんだんに衰えていき、くずれてバラバラになり、まとまりがつかなくなるだろう。そうなれば書にもその影響が現れないわけがないのである。

 

しかし、仏教の信徒は幻術をおこない、さまざまな技能を持っていると聞く。高閑がもしそのような幻術に通じているのであれば私には何ともいえないところだが。

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 【字解】

 

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

9 某所師 其とは李をさす。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

13 劉灘 なめらかなさま。

14 頓挫 激勢の急停止をいう。

15 独出 ひとり傑出する。

16 冠時 時の第一人者であること。

17 高頭宜春梨園二伎坊内人 宜春・梨園の二伎坊の高頭の内人の意。高頭の二字は内人へかかる。高頭は前頭の意、天子の御前にある優秀のものをさす。雀令軟の「教坊記」にいう、右教坊は光宅坊(坊は街の意)に在り、左教坊は延政坊に在り。右には善歌多く、左には工舞多し。妓女宜春院に入れば之を内人といい、亦前頭人ともいう、常に上の前に在るを以てなり、と。宜春・梨園については「薙録」に記事があり、それにはいう、開元二年正月、教坊(歌舞の教練場)を蓬莱宮側に置く。上(玄宗)自ら法曲を教う、之を梨園の弟子という。天宝の初め、東宮に即きて宜春北院を置き官女数百人に命じて梨園の弟子となす。梨園は光化門の北に在り。光化門とは禁苑南面の西頭第一門(最西端の門)なり、と。元来伎女のすぐれた者を宜春院に入れたものであり、更にその中よりすぐれた者を選んで梨園の弟子となしたのである。二伎坊とは宜春と梨園との二教坊をさす。

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

*楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 

18 泊 及に同じ。

19 外供奉舞女 宜春・梨園のもの以外のもので御ともをし御用をつとめる舞女。

20 聖文神武皇帝 玄宗の尊号。

21 玉貌錦衣 この句と下の 「況余白首」とは文気が相い接さぬ、必ずや脱文があるのであろうということを中海光がつとに指摘しているが、そのとおりである。脱文の処には公孫大娘が逝去したことに言及した一節があるはずである。

22 今茲弟子 弟子は李十二娘、李仙奴をさす。

23 波瀾莫二 舞の手ぶりの変化の工合が二つ無く、師弟同一なること。

767年-23 #2杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #2》 杜甫詩index-15-1144 <1594> 767年大暦2年56歲-23 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7367

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -    ⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。
その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

杜少陵集20-99-序⑵

觀公孫大娘弟子舞劍器行  并序 -⑵

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杜詩index-15

767年大暦2年56歲23序 ⑵

1144 <1594>

 

 

 
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年:767年大暦2年56歲-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:          

臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

交遊人物/地點:  

李十二娘              詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-          ⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

-    ⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者吳人張旭善草書書帖,數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

 

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』⑵現代語訳と訳註解説
(
本文)

-         
⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。

(下し文)
-
⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。

玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

(現代語訳)
-         
⑵

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。


(訳注) -   ⑵

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

瀏灕頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

13 劉灘 なめらかなさま。

14 頓挫 激勢の急停止をいう。

15 独出 ひとり傑出する。

16 冠時 時の第一人者であること。

 

自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

17 高頭宜春梨園二伎坊内人 宜春・梨園の二伎坊の高頭の内人の意。高頭の二字は内人へかかる。高頭は前頭の意、天子の御前にある優秀のものをさす。雀令軟の「教坊記」にいう、右教坊は光宅坊(坊は街の意)に在り、左教坊は延政坊に在り。右には善歌多く、左には工舞多し。妓女宜春院に入れば之を内人といい、亦前頭人ともいう、常に上の前に在るを以てなり、と。宜春・梨園については「薙録」に記事があり、それにはいう、開元二年正月、教坊(歌舞の教練場)を蓬莱宮側に置く。上(玄宗)自ら法曲を教う、之を梨園の弟子という。天宝の初め、東宮に即きて宜春北院を置き官女数百人に命じて梨園の弟子となす。梨園は光化門の北に在り。光化門とは禁苑南面の西頭第一門(最西端の門)なり、と。元来伎女のすぐれた者を宜春院に入れたものであり、更にその中よりすぐれた者を選んで梨園の弟子となしたのである。二伎坊とは宜春と梨園との二教坊をさす。

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

*楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 

18 泊 及に同じ。

19 外供奉舞女 宜春・梨園のもの以外のもので御ともをし御用をつとめる舞女。

 

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

20 聖文神武皇帝 玄宗の尊号。

 

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

21 玉貌錦衣 この句と下の 「況余白首」とは文気が相い接さぬ、必ずや脱文があるのであろうということを中海光がつとに指摘しているが、そのとおりである。脱文の処には公孫大娘が逝去したことに言及した一節があるはずである。

 

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。

いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

22 今茲弟子 弟子は李十二娘、李仙奴をさす。

23 波瀾莫二 舞の手ぶりの変化の工合が二つ無く、師弟同一なること。

 

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 【字解】

 

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

9 某所師 其とは李をさす。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

767年-23 #1杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #1》 杜甫詩index-15-1141 <1591> 767年大暦2年56歲-23 #1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352

杜甫  觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。開元三載,余尚童稚,記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

杜少陵集20-99-序⑴

觀公孫大娘弟子舞劍器行  并序 -⑴

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352 

杜詩index-15

767年大暦2年56歲23序 ⑴

1141 <1591>

 

 
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杜甫詩1500-1141-1591/2500

このころの音楽と歌舞

歌舞と女楽、これらは唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。その他、貴族や富豪が、自宅に家妓を抱えておく風習も盛んであった。彼らは専門家を招いて家妓を教育し、賓客の歓送迎会、家の慶事や誕生日などの御祝には、必ず家妓に芸を披露させて興趣を添えた。各地の官妓たちの歌舞や音楽の才能も人々から重視され、官庁の歓送迎会、宴会、遊覧の際には、彼女たちの出演は不可欠な漬物となっていた。妓優、姫妾たちが音楽、歌舞を得意としただけでなく、家庭の女性も音楽を習い楽器に通じることを家庭の娯楽、高雅な修養とみなしていた。こうした風潮によって、優秀な芸術家が数多く育成されたのである。

彼女たちの中には一声喉をころがせば長安の大通りに鳴り響いたといわれる歌手、曲を作り楽器を見事に奏でる音楽家、舞姿が美しく絶妙な芸を身につけた舞踊家、その他様々な方面に才能を発揮した芸術家がいた。

 

古来から儀礼として重視されていた音楽と舞踊であったが、外来音楽と楽器の流入により、相当な発展をとげた。唐代には娯楽性も向上し、楽器の種類も大幅に増加した。合奏も行われ、宮廷では大規模な楽団による演奏が度々行われた。

初唐では九寺の一つである太常寺が舞楽を司る中心となり、宮廷舞楽のうちの雅楽を取り扱った。714年に「梨園」が設置され、300人の楽工が梨園弟子になり、後に宮女も加えられた。教坊は内教坊か初唐から置かれていた。この上、玄宗期に雅楽と区分された俗楽や胡楽、散楽を扱うことを目的とした左右教坊が増設された。胡楽は西域を中心とした外来音楽で、唐代の宮廷舞楽の中心であった十部楽のうちの大半を占めた。

 

宮廷音楽で歌われる歌の歌詞は唐詩が採用された。民間にも唐詩を歌詞にし、音楽にあわせて歌うものが現れ、晩唐には音楽にあわせるために書かれた詞を作られた。また、「闘歌」という歌の上手を競わせる遊びも存在していた。

舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。

舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。

唐代の宮廷では、楽団の演奏にあわせて大勢が舞踊を行うことで多かった。また、「字舞」と呼ばれる音楽とともに踊り、身体を翻す瞬間に衣の色を換え、その後に地に伏して全員で字の形を描くという集団舞踏も存在し、多い時は百人単位で行われた。

唐代の皇帝の中でも、玄宗が特に音楽がすぐれており、外国の音楽を取り入れた「霓裳羽衣の曲」を作曲したとされる。この曲とともに、楊貴妃が得意とした「霓裳羽衣の舞」が行われ、宮人が数百人で舞うこともあった。

安史の乱以後は、戦乱や、梨園の廃止、教坊の縮小とともに、楽工や妓女は地方に流れ、音楽や舞踊の普及は進んでいくことになった

 

 

 

 

年:767年大暦2年56歲-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:          

臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

交遊人物/地點:  

李十二娘              詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行 

(并序)

大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊內人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊內人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者吳人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

(本文)

 

詩文(含異文)

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。火霍【案:音酷。】如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。來如雷霆收震怒【末如雷霆收震怒】,罷如江海凝清光。絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳【脫有弟子傳芬芳】【晚有弟子傳芬芳】。臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。與余問答既有以,感時撫事增惋傷。先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。五十年間似反掌,風塵傾動昏王室【風塵澒洞昏王室】。梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟【瞿唐石城暮蕭瑟】。玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾【足繭荒山轉愁寂】。

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

-⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-    ⑵

瀏灕頓挫,獨出冠時。自高頭宜春梨園二伎坊內人,洎外供奉,曉是舞者,聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦衣,況余白首!今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。

-    ⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者吳人張旭善草書書帖,數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

 

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-⑵

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-⑶

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

汜水関などの地図 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』⑴ 現代語訳と訳註解説
(
本文)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

開元三載,余尚童稚。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。

(下し文)
(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -⑴

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

(現代語訳)
觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。


(訳注)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -⑴

(大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

 

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

 

問其所師,曰︰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

9 某所師 其とは李をさす。

 

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

 

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾脫。

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

河南郾城05 

767年-22-#5杜少陵集 《21-05 可歎 #5》 杜甫詩index-15-1142 <1592> 767年大暦2年56歲-22-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7357

杜甫  可歎 #5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。
天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

杜少陵集21-05-#5

可 歎  #5

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  22-#5

1142 <1592>

 

 
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杜甫詩1500-1142 <1592>/2500

年:767年大暦2年56歲-22-#5

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

 

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり。

#5

用いて羲和を為さば 天の為に成らん,用いて水土を平げば 地の為に厚からん。

王や 論道 江湖を阻つ,李や 丞疑 前後を曠【むな】しくす。

死して星辰と為り 終に滅せず,君を堯舜に致す 焉んぞ肯えて朽ちん。

吾が輩碌は 碌 飯に飽きて行き,風后 力牧 長に 首を回らす。

 

李白の足跡003 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。
(異文)

用為羲和天為成,用平水土地為厚。王也論道阻江湖,李也疑丞曠前後【李也丞凝曠前後】。死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。


(下し文)
#5

用いて羲和を為さば 天の為に成らん,用いて水土を平げば 地の為に厚からん。

王や 論道 江湖を阻つ,李や 丞疑 前後を曠【むな】しくす。

死して星辰と為り 終に滅せず,君を堯舜に致す 焉んぞ肯えて朽ちん。

吾が輩碌は 碌 飯に飽きて行き,風后 力牧 長に 首を回らす。

(現代語訳)
#5

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。


(訳注) #5

可歎 #5

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

39 用為羲和天為成 伝説の天に仕えた義和の四人の者を用いたから天も完成した。・義和:古代の伝説上の人物で太陽の御者とか太陽を生んだ母といわれる。のちに東南西北のそれぞれの地の天文に関する任務を担当する羲仲 (ぎちゅう) ,羲叔 (ぎしゅく) ,和仲,和叔の4人兄弟の総称であるという説も生れた。神話の女神。帝俊の妻で10個の太陽を産み,毎日産湯をつかわせているという。のち太陽の御者とされ,馬または竜の引く車に太陽を載せて天空をかけるとも。なお,《書経》では非神話化され,羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人の総称で,天文をつかさどる官吏。・天為成:地平天成世の中が平穏で、天地が治まること。▽「地平」は地の変動がなく、世の中が平穏に治まること。「天成」は天の運行が順調で、万物が栄えることをいう。《尚書、大禹謨》: 帝曰:「俞!地平天成,六府三事允治,萬世永賴,時乃功。」

40 用平水土地為厚 舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造った。・平水土:治水に功があり,舜より禅譲を受けて夏の国を治めたといわれる。《尚書·虞書·舜典》. 帝曰:「俞!咨禹,汝平水土,惟時懋哉!」

 

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

41 王也論道 王は王季友であり、論道は、治國の大道を論ずることを言う。《尚書・周官篇》「三公論道經邦,燮理陰陽。」(三公は道を論じ邦を經し,燮は陰陽を理す)三公は官職の細務を議せず治國の大道を論ずものであり、宰相は森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から国を治めること。

42 阻江湖 長江、洞庭湖を間におくように朝廷から隔離されている状況を言う。

43 李也 李勉のこと。

44 丞疑 古代王者の顧問に備わる官職名。《尚書大傳》「古者天子必有四鄰,前曰疑,後曰丞,左曰輔,右曰弼。」

45 曠前後 前にも後にもその人を見ることはない。

 

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

46 死為星辰 人が死後、昇天して星になったということを言う。《莊子大宗師》「傅說得之,以相武丁,奄有天下,乘東維,騎箕尾,而比於列星。」

47 致君堯舜 君を堯舜のような地位にいたす。《孟子、中語》「致君堯舜上,再使風俗淳。」

48 焉肯朽 其の名は決して朽ちることはない。

 

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

49 碌碌 ごろごろとつまらなきさま。

50 飽飯行 ごはんをたらふくたべて、ぶらぶらしてあるいたりする。謙譲用語。

51 風后力牧 黃帝の時の相・将の名、「帝王世紀」にみえる。以て王季友と李勉に比す。

52 長回首 いつもそれにむかってふりむきながめる。理想をそこにおくなり。

 九曲黄河第一湾

 


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杜甫  可歎 #4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

。

杜少陵集21-05-#4

可 歎  #4

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杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲  22-#4

1141 <1591>

 

 

杜甫詩1500-1141 <1591>/2500

年:767年大暦2年56歲-22-#4

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり。

安史の乱当時の勢力図 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

(下し文)
#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり。
 

(現代語訳)
#4

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

今日のように不安の時世でたよりにすべきものは真に豪俊の人物だ。王と李の二人の如きは、これを天子のおそばに置くことができるかどうか。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。


(訳注) #4

可歎 #4

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。【明月無瑕:即指季友為妻所棄事。】

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

28 明月無瑕 明月は真珠であり、瑕はこれについた傷。即ち王季友が妻事を棄つる所を為すを指す。

29 紫気一句 酆城雷煥が剣の故事、雷煥は、それは宝剣の神光が天に当たっているのだと答えた。果たしてその通り、該当地の地中深くから石の箱が現れ、龍泉、太阿の宝剣が見つかった)という故事による。

《巻八24所思》

鄭老身仍竄、台州信始傳。

爲農山澗曲、臥病海雲邊。

世己疎儒素、人猶乞酒錢。

徒勞望牛斗、無計屬龍泉。

〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)

鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う

農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺

世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う

徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し

鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。

それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。

世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。

わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。

秦州抒情詩(26) 所思 杜甫 <311> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1400 杜甫詩 700- 431

むかし欧冶子がつくった三本の鉄剣の一つの名、もと竜淵という、唐は淵の字を諱名とするため泉の字にかえた、竜泉は単に剣の代わりとして用いる。牛斗・竜泉の二句は雷煥(孔章)が牛斗を射る剣気を見て豊城の獄で剣をはほりだした故事を用いている。
《巻八09 蕃剣》詩
致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。

けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。

○奇怪 あやしいこと。○光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。
○虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。○竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

 

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

今日のように不安の時世でたよりにすべきものは真に豪俊の人物だ。王と李の二人の如きは、これを天子のおそばに置くことができるかどうか。

30 可仗 頼るべきであることを言う。

31 豪俊 豪と俊の人物像を言う。

32 二人 李勉と王と。

33 得置君側否 李勉は大暦二年四月に入朝して京兆尹に拝したり。比の詩句によれば未だ京兆尹に拝せられざりし以前の作なるを推知すべし。

 

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

34 頃者嶺山南 李勉は粛宗の寶應の初、梁州刺史・山南西道観察使となれり。

35 邦人 山南即ち蜀地の人民。

 

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

36 王生早曾拜顏色 作者、王生に於て早く曾て其の顔色か拝せしをいう。王生が李の顔か拝せしというにはあらず。

37 高山 王季友を比す。

38 培塿 小土山をいい、他の小人物に此すことをいう。『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるが、儒教の型にはまって、結局他人と同じようにするせこせこした部分を批判し、もっと自然にすべきであると説いていることを示す。

杜甫《巻一02望嶽》

岱宗夫如何,齊魯青未了。

造化鍾神秀,陰陽割昏曉。

盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。

會當凌絶頂,一覽衆山小。

(嶽を望む)   

岱宗たいそう 夫それ如何いかん,齊魯せい ろ  靑  未まだ了らず。

造化は 神秀を鐘あつめ,陰陽は 昏曉を割わかつ。

胸を盪とどろかせば 層雲 生じ,眥まなじりを決すれば 歸鳥 入る。

會かならず當まさに 絶頂を凌しのぎて,一覽すべし 衆山の小なるを。

荘厳である泰山という山は一体いかなる山であるかといえば、斉のくに魯のくにまではてしなくその山の尊き青さが終わりはしないのだ。 

自然界の万物のつくり主が神秀の「気」をあつめている神山である、「陰」と「陽」の気を分け、南北とに分け、太陽と月の役割を分け、そして昼と夜とを分割しているのだ。

雲が次々と重なって湧きたつとわがこころのたかまりは最高潮になる、心に響くものが胸に迫り悟りの境地で目が張り裂けそうになり、悟り心は山に帰りゆく鳥のように心の奥まで入ってきた。

このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714年3月11日-794年12月18日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章东湖之滨。王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章东湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22歲時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山腳下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

19 豫章太守 豫章は郡の名、南昌をいう。太守は郡の長官、これは李勉をさす。

20 豫章郡は,漢書に但し “高帝置”と 云う。周振鶴は是れを高帝初年 廬江郡を分けて所置するを為しと認む。高帝五年(前202年)以て英布し、淮南王を,淮南國に置き,衡山、九江(包括後來的六安國)、廬江、豫章四郡を領すると為す。

因みに謝靈運に《豫章行》「短生旅長世,恒覺白日欹。覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。」(短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。)とある。豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299

21 高帝孫 唐の高祖李淵の末裔である李勉を言う。李勉は唐の高祖の13男子、鄭恵王元懿の曾孫である。その系統は、鄭恵王元懿の子が琳、琳の子が擇言、擇言の子が勉であるということである。

22 引為賓客 王季友を引くということ。

23 三年 李勉の在職期間を言う。李勉は河南尹を歴て、廣徳二年九月洪州(南昌)刺史張鎬の卒したことで其の後を継いでこれより大暦二年まで凡そ三年職務に就いた。

24 未曾語 妻が夫の王季友を棄てたことを一言も話さないこと。

25 小心恐懼閉其口 謹慎して口をとじているということ。

26 得之 太守李勉が王季友という人物を得たこと。

27 人生反覆看亦醜 これは、一般人情の常態をあげて太守の確信不疑を反映せしめることの意。

767年-22-#3杜少陵集 《21-05 可歎 #3》 杜甫詩index-15-1140 <1590> 767年大暦2年56歲-22-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7347

杜甫  可歎 #3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。
それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。 

杜少陵集21-05-#3

可 歎  #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7347 

杜甫詩index-15

767年大暦2年56歲 22-#3

1140 <1590>

 

 
  2016年2月16日 の紀頌之5つのBlog  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-22-#3杜少陵集 《21-05 可歎 #3》 杜甫詩index-15-1140 <1590> 767年大暦2年56歲-22-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7347  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:767年大暦2年56歲-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

 

楚州001 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

(下し文)
#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

(現代語訳)
#3

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。


(訳注) #3

可歎 #3

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

19 豫章太守 豫章は郡の名、南昌をいう。太守は郡の長官、これは李勉をさす。

20 豫章郡は,漢書に但し “高帝置”と 云う。周振鶴は是れを高帝初年 廬江郡を分けて所置するを為しと認む。高帝五年(前202年)以て英布し、淮南王を,淮南國に置き,衡山、九江(包括後來的六安國)、廬江、豫章四郡を領すると為す。

因みに謝靈運に《豫章行》「短生旅長世,恒覺白日欹。覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。」(短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。)とある。豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299

21 高帝孫 唐の高祖李淵の末裔である李勉を言う。李勉は唐の高祖の13男子、鄭恵王元懿の曾孫である。その系統は、鄭恵王元懿の子が琳、琳の子が擇言、擇言の子が勉であるということである。

22 引為賓客 王季友を引くということ。

 

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

23 三年 李勉の在職期間を言う。李勉は河南尹を歴て、廣徳二年九月洪州(南昌)刺史張鎬の卒したことで其の後を継いでこれより大暦二年まで凡そ三年職務に就いた。

24 未曾語 妻が夫の王季友を棄てたことを一言も話さないこと。

25 小心恐懼閉其口 謹慎して口をとじているということ。

 

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

26 得之 太守李勉が王季友という人物を得たこと。

27 人生反覆看亦醜 これは、一般人情の常態をあげて太守の確信不疑を反映せしめることの意。

李白の足跡003 

 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714年3月11日-794年12月18日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章东湖之滨。王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章东湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22歲時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山腳下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

767年-22-#2杜少陵集 《21-05 可歎 #2》 杜甫詩index-15-1139 <1589> 767年大暦2年56歲-22-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7342

杜甫  可歎 #2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。
このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

杜少陵集21-05-#2

可 歎  #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7342 

杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲  22-#2

1139 <1589>

 

 
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杜甫詩1500-1136-1586/2500

年:767年大暦2年56歲-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

安史の乱当時の勢力図 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

(下し文)
#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

(現代語訳)
#2

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。


(訳注) #2

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714年3月11日-794年12月18日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章东湖之滨。王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章东湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22歲時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山腳下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

 

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

 

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

李白の足跡0000 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

767年-22-#1杜少陵集 《21-05 可歎 #1》 杜甫詩index-15-1136 <1586> 767年大暦2年56歲-22-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327 

杜甫  可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

杜少陵集21-05-#1

可 歎  #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7312 

杜甫詩index-15-

767年大暦2年56歲  22-#1

1136 <1586>

 

 
  2016年2月14日 の紀頌之5つのBlog  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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杜甫詩1500-1136-1586/2500

年:767年大暦2年56歲-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

 

安史の乱当時の勢力図 

『可歎』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。


(下し文)
(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

(現代語訳)
可歎 #1(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。


(訳注)

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56歲、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

 

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

 

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。8世紀唐と周辺国00

767年-17 杜少陵集19-23 雨 -#4 杜甫詩index-15 1123 <1573> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7262 

杜甫  雨#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。杖策可入舟,送此齒髮暮。

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

767年-17

杜少陵集19-23

雨 -#4

杜甫詩index-15

1123 <1573>

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7262 

 

 
  2016年1月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260  
  ●孟浩然 詩 index ●李白詩index ●謝霊運 詩 index ●司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 ●揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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韓愈128《 巻01-13南山詩 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1657> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7261韓愈詩-韓愈128  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-17 杜少陵集19-23 雨 -#4 杜甫詩index-15 1123 <1573> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7262   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  339《太白巻三19-白頭吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7268 (01/30)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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年:767年大暦2年56歲-17  #4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    雨

作地點:              目前尚無資料

及地點:              洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠絕經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠絕なり曠絕目の趣。

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

豈無平肩輿,莫辨望鄉路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望鄉の路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 

#3

針灸阻朋曹,糠籺對童孺。

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

一命須屈色,新知漸成故。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

尪羸愁應接,俄頃恐違迕。

らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

#4

浮俗 何ぞ萬端なる,幽人 獨步有り。

龐公 竟に獨り往き,尚子 終に遇うを罕【まれ】にす。

宿留さん 洞庭の秋,天寒くして 瀟湘素し。

策を杖き 舟に入り,此の齒髮の暮れなんとするを送る可し。

三峡 巫山十二峰001 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

(下し文)
#4

浮俗 何ぞ萬端なる,幽人 獨步有り。

龐公 竟に獨り往き,尚子 終に遇うを罕【まれ】にす。

宿留さん 洞庭の秋,天寒くして 瀟湘素し。

策を杖き 舟に入り,此の齒髮の暮れなんとするを送る可し。

(現代語訳)
#4

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。

例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。

だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。

だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

16shisenseitomap
(訳注) #4

雨 #4

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。

 

浮俗何萬端,幽人有獨步。

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。

27 浮俗 軽薄な世俗。世間の軽薄な付き合い。

28 萬端 ある物事についての,すべての事柄。諸般。

29 幽人 世俗を避けてひっそりと隠れ住む人。隠者。

30 有獨步 独り高尚なあるきかたをする。

 

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。

31 龐公 龐徳公。東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。孟浩然《卷159_35 登鹿門山懐古孟浩然》「昔聞龐德公,采藥遂不返。」(昔聞く 龐徳公、藥を採りて遂に返らずと。)

孟浩然 登鹿門山懐古 #1 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -319

李白《寄弄月溪吳山人》「嘗聞龐德公,家住洞湖水。」(嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。)

124-2 《寄弄月溪吳山人》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<124-2> Ⅰ李白詩1306 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5078

32 獨往 独りで隠遁すること。《文選‧江淹<雜體詩‧效許詢“自序”>》に “遣此弱喪情, 資神任獨往。”とあり、李善 注に “ 淮南王 《莊子略要》曰: ‘江海之士, 山谷之人, 輕天下, 細萬物, 而獨往者也。 ’( 淮南王 《莊子略要》に曰く: ‘江海の士, 山谷の人,天下を輕んじ,萬物を細にして,獨り往く者なり。)

33 尚子 後漢逸民傳にみえる、尚長のことで、字を子平という。髙士として傳わる。隱居して仕えず。肆意して五岳名山に遊ぶ。竟に終る所を知らず謝靈運は、畢聚して尚子の類であるという。

34 罕遇 世人がまれに遭遇するだけを言うので、誰も会うことがないという意味。。

 

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。

35 宿留 漢の武帝が、海上に宿して、仙人の到来を待ったという故事《漢書、郊祀志第五》、「天子宿留海上,與方士傳車,及間使求神仙人以千數。」に基づく。ここは杜甫が夔州の渓谷で、詞を迎えるのなら海上に宿しとどまって死を迎える方がよいということを言う意。

36 洞庭秋 明代の《帝京景物略》中是這樣美譽什剎海的「西湖春,秦淮夏,洞庭秋。」とあるように、秋の洞庭湖が一番いい。

37 瀟湘素 瀟湘の水の神二女の素いはだで濁水も白水となる。。

 

杖策可入舟,送此齒髮暮。

だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

38 杖策可入舟 これは杜甫の病状が、良くなくて旅に出るような状態でないとしても、つえをついてでも、どうしても旅立ちたいと思っているということ。この詩の段階では、旅に出るには資金不足であるから決意を述べているのである。

39 齒髮暮 やせ衰えた老人の姿をいう。

 

 

 


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杜甫 .槐葉冷淘 #3

獻芹則小小,薦藻明區區。萬里露寒殿,開冰清玉壺。君王納涼晚,此味亦時須。

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉轟が清く置かれて中から氷がせりだされる。我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

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杜甫詩1500-1087-1555-#3/2500

年:767年大暦2年56歲-9-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    槐葉冷淘

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              無

交遊人物/地點:  

 

 

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生のしんぽいととなどどこかえ消えてしまいそうである。

(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。
#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。』

願隨金騕褭,走置錦屠蘇。

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

路遠思恐泥,興深終不渝。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。#3

#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉轟が清く置かれて中から氷がせりだされる。

君王納涼晚,此味亦時須。

我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

#3

獻芹は則ち小小なり,薦藻は明らかに區區たり。

萬里 露寒殿,開冰をけば玉壺清し。

君王納涼の晚,此の味 亦た時に須す。

槐002 

『槐葉冷淘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

君王納涼晚,此味亦時須。

(下し文)
#3

獻芹は則ち小小なり,薦藻は明らかに區區たり。

萬里 露寒殿,開冰をけば玉壺清し。

君王納涼の晚,此の味 亦た時に須す。

(現代語訳)
#3

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。

しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉轟が清く置かれて中から氷がせりだされる。

我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

漢長安城 00
(訳注) #3

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)大暦二年瀼西での作。

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にて濯いでさまし、ぬめりをとる。詩中の記事によるに槐葉をつきて汁と滓と共にこれをまぜて煮込んで冷まし、之にゆでた麪をいれて冷淘という。

 

獻芹則小小,薦藻明區區。

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。

24 獻芹 《卷一八55赤甲》「炙背可以獻天子,美芹由來知野人。」(炙背 以て天子に獻ず可し,美芹 由來 野人知る。)日向の背中炙りの快さは天子に奉ってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人である自分たちはよく知っている。

25 則小小 心持が即すごく小さい。

26 薦藻 誠心さえあれば藻の草であっても鬼神、王公に進めることができる。《左傳、隠公三年》「蘋蘩蘊藻之菜、可薦於鬼神,可羞於王公」(蘋蘩 蘊藻の菜、鬼神に薦む可し,王公に羞す可し)

27 區區 心が狭く小さいこと。

 

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉壺が清く置かれて中から氷がとりだされる。

28 露寒殿 漢の時、あったという御殿。唐大明宮を借用する。

29 玉壺 水を入れる器。

 

君王納涼晚,此味亦時須。

我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

30 時須 時を待って必要とする。

 

 

 

杜甫『槐葉冷淘』【宇解】

 

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にてゆすりてさわすによりていふならん、詩中の記事によるに槐葉ををつきて汁と滓と共に之を麪にこれをまぜてゆでて、そののち冷したる者なり。

3 采掇 とりひろふ。掇(敠)とは。意味や日本語訳。⊗拾う拾掇きちんと片付ける.掇弄修理する.

4 中廚 厨中におなじ、台所。

5 近市 ちかいところの市街、夔州城内の街にて瀼西に近さ部分をいう。

6 汁滓 槐葉のしるとかす。

7 宛相俱 宛然、さながら、相倶とは汁滓と麪といっしょにつきまぜしをいう。

8 入鼎 かなえのなかへいれて煮る。

9 資過熱 過熱とは沸騰させてぐらぐらに十分に煮たたせること、資とはそのおかげを蒙ることをいう。老人は歯が弱いから、に詰めて柔らかくすることを資という。

10 加餐 ごはんをいつもより多く食べる。

11 愁欲無 愁いがなくなろうとする。

 

12 碧鮮 碧色にして新鮮、根葉熱の色をいう。

13 倶照筋 倶とは麪と下句の香飯とをさしていう。筋は箸、ハシなり。

14 香飯 蘆芽をまぜて炊いた飯、故に香といふ。

15 苞蘆 芽ぐみたるアシ。苞とは十分ひらかずいくえにも重なっている姿をいう。

16 經齒 歯にさわることをいう。

17 勸人 人にすすめてたべさす。

18 投此珠 隋珠暗投ということあり、隋侯のひかる珠か暗夜に投ずる光り。文字を之に借りる。ここに人にやることを投という。珠に比すとは惜をいう。

19 金騕褭 黄金をかざった名馬。

20 錦屠蘇 うつくしい家、天子の屋をいう。仇注に云う、「屠蘇に三義あり、一は屋、二は酒の名、三は大いなる帽子の名、ここに第一の義なりと。

21 路遠思恐泥 「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。)子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

22 興深 興とは美味を食することを興ずる、味わい深いことを言う。

23 不渝 天子に献じたいというの意が一貫して変わらないということ。

24 獻芹 《卷一八55赤甲》「炙背可以獻天子,美芹由來知野人。」(炙背 以て天子に獻ず可し,美芹 由來 野人知る。)日向の背中炙りの快さは天子に奉ってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人である自分たちはよく知っている。

25 則小小 心持が即すごく小さい。

26 薦藻 誠心さえあれば藻の草であっても鬼神、王公に進めることができる。《左傳、隠公三年》「蘋蘩蘊藻之菜、可薦於鬼神,可羞於王公」(蘋蘩 蘊藻の菜、鬼神に薦む可し,王公に羞す可し)

27 區區 心が狭く小さいこと。

28 露寒殿 漢の時、あったという御殿。唐大明宮を借用する。

29 玉壺 水を入れる器。

30 時須 時を待って必要とする。

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杜甫  槐葉冷淘 #2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。經齒冷於雪,勸人投此珠。

願隨金騕褭,走置錦屠蘇。路遠思恐泥,興深終不渝。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。
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杜甫詩1500-1086-1555-#2/2500

年:767年大暦2年56歲-9-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    槐葉冷淘

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              無

交遊人物/地點:  

 

 

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生のしんぽいととなどどこかえ消えてしまいそうである。

(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。
#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。』

願隨金騕褭,走置錦屠蘇。

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

路遠思恐泥,興深終不渝。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

君王納涼晚,此味亦時須。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『槐葉冷淘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

願隨金騕褭,走置錦屠蘇。

路遠思恐泥,興深終不渝。

(下し文)
#2

碧鮮 俱に箸を照し,香飯 苞蘆を兼ぬ。

齒は經れば雪よりも冷なり,人に勸むるに投ずること珠に此す。

願わくば金騕褭に隨わしめて,走らせて錦屠蘇に置かん。

路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。

(現代語訳)
#2

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。』

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。


(訳注)

#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

12 碧鮮 碧色にして新鮮、根葉熱の色をいう。

13 倶照筋 倶とは麪と下句の香飯とをさしていう。筋は箸、ハシなり。

14 香飯 蘆芽をまぜて炊いた飯、故に香といふ。

15 苞蘆 芽ぐみたるアシ。苞とは十分ひらかずいくえにも重なっている姿をいう。

 

經齒冷於雪,勸人投此珠。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。

16 經齒 歯にさわることをいう。

17 勸人 人にすすめてたべさす。

18 投此珠 隋珠暗投ということあり、隋侯のひかる珠か暗夜に投ずる光り。文字を之に借りる。ここに人にやることを投という。珠に比すとは惜をいう。

 

願隨金騕褭,走置錦屠蘇。

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

19 金騕褭 黄金をかざった名馬。

20 錦屠蘇 うつくしい家、天子の屋をいう。仇注に云う、「屠蘇に三義あり、一は屋、二は酒の名、三は大いなる帽子の名、ここに第一の義なりと。

 

路遠思恐泥,興深終不渝。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。

21 路遠思恐泥 「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。)子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

22 興深 興とは美味を食することを興ずる、味わい深いことを言う。

23 不渝 天子に献じたいというの意が一貫して変わらないということ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

 

 

 

 

杜甫『槐葉冷淘』【宇解】

 

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にてゆすりてさわすによりていふならん、詩中の記事によるに槐葉ををつきて汁と滓と共に之を麪にこれをまぜてゆでて、そののち冷したる者なり。

3 采掇 とりひろふ。掇(敠)とは。意味や日本語訳。⊗拾う拾掇きちんと片付ける.掇弄修理する.

4 中廚 厨中におなじ、台所。

5 近市 ちかいところの市街、夔州城内の街にて瀼西に近さ部分をいう。

6 汁滓 槐葉のしるとかす。

7 宛相俱 宛然、さながら、相倶とは汁滓と麪といっしょにつきまぜしをいう。

8 入鼎 かなえのなかへいれて煮る。

9 資過熱 過熱とは沸騰させてぐらぐらに十分に煮たたせること、資とはそのおかげを蒙ることをいう。老人は歯が弱いから、に詰めて柔らかくすることを資という。

10 加餐 ごはんをいつもより多く食べる。

11 愁欲無 愁いがなくなろうとする。

 

12 碧鮮 碧色にして新鮮、根葉熱の色をいう。

13 倶照筋 倶とは麪と下句の香飯とをさしていう。筋は箸、ハシなり。

14 香飯 蘆芽をまぜて炊いた飯、故に香といふ。

15 苞蘆 芽ぐみたるアシ。苞とは十分ひらかずいくえにも重なっている姿をいう。

16 經齒 歯にさわることをいう。

17 勸人 人にすすめてたべさす。

18 投此珠 隋珠暗投ということあり、隋侯のひかる珠か暗夜に投ずる光り。文字を之に借りる。ここに人にやることを投という。珠に比すとは惜をいう。

19 金騕褭 黄金をかざった名馬。

20 錦屠蘇 うつくしい家、天子の屋をいう。仇注に云う、「屠蘇に三義あり、一は屋、二は酒の名、三は大いなる帽子の名、ここに第一の義なりと。

21 路遠思恐泥 「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。)子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

22 興深 興とは美味を食することを興ずる、味わい深いことを言う。

23 不渝 天子に献じたいというの意が一貫して変わらないということ。

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杜甫  槐葉冷淘 #1

青青高槐葉,采掇付中廚。新麵來近市,汁滓宛相俱。入鼎資過熟,加餐愁欲無。

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。

767年-9-#1杜甫 《19-09 .槐葉冷淘》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-9-#1 <1085> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7105

 

 
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杜甫詩1500-1085-1555-#1/2500

年:767年大暦2年56歲-9-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    槐葉冷淘

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              無

交遊人物/地點:  

 

 

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。

(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。
#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

願隨金騕褭,走置錦屠蘇。

路遠思恐泥,興深終不渝。

#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

君王納涼晚,此味亦時須。

槐001 

 

『槐葉冷淘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

槐葉冷淘 #1

青青高槐葉,采掇付中廚。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

(下し文)
(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。

(現代語訳)
槐葉冷淘 #1(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。


(訳注)

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)大暦二年瀼西での作。

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にて濯いでさまし、ぬめりをとる。詩中の記事によるに槐葉をつきて汁と滓と共にこれをまぜて煮込んで冷まし、之にゆでた麪をいれて冷淘という。

 

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

3 采掇 とりひろう。掇(敠)とは。意味や日本語訳。⊗拾う拾掇きちんと片付ける.掇弄修理する.

4 中廚 厨中におなじ。飲食物を調理する所。台所。廚房(ちゆうぼう)。また、そこで働く調理人。

 

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

5 近市 ちかいところの市街、夔州城内の街にて瀼西に近さ部分をいう。

6 汁滓 槐葉のしるとかす。

7 宛相俱 宛然、さながら、相倶とは汁滓と麪といっしょにつきまぜしをいう。

 

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。

8 入鼎 かなえのなかへいれて煮る。

9 資過熱 過熱とは沸騰させてぐらぐらに十分に煮たたせること、資とはそのおかげを蒙ることをいう。老人は歯が弱いから、に詰めて柔らかくすることを資という。

10 加餐 ごはんをいつもより多く食べる。

11 愁欲無 愁いがなくなろうとする。
槐002