杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

歴史

767年- 29 杜少陵集-巻18-61 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之五》29 杜甫詩index-15-1188 <1638> 18-61漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5  自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

杜少陵集 卷一八61

暮春題西新賃草屋,五首之五

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (29)

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杜甫詩1500-1188-1638/2500

18-61   29        暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -5

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-61

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

落日悲江漢,中宵淚滿床。 

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之五』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。

落日悲江漢,中宵淚滿床。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其五(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

 

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

22 濟世 救世とは世を濟助する人。 《莊子庚桑楚第二十三》「簡髮而櫛,數米而炊,竊竊乎又何足以濟世哉!舉賢則民相軋,任知則民相盜。」(髮を簡【えら】びて櫛り,米を數えって炊ぐ,竊竊【せつせつ】又、何ぞ以て世を濟うに足らんや!賢を舉ぐれば則ち 民 相い軋り,知に任ずれば則ち 民 相い盜む。髪の毛を一本一本揃えて櫛をれたり、コメを一粒一粒数えて炊くといったような煩わしいやり方で、こそこそと事に処して着たものである果たしてそのようなことが、どれほどのようなことがどれほどこの世を救い助けたであろうか。彼らの下様に賢人を選んで用いれば、人民は誰もが選ばれようと争い合うことになり、知恵のあるものを抜き出して高い地位につければ、誰もが悪賢くなって欺き合うようになる。

濟世

 

卷八20  寄彭州高三十五使君適虢州岑二十七長史參三十韻  ((二)六三八)

濟世宜公等,安貧亦士常。

18-61 暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

《巻18-69 晚登瀼上堂》

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

卷二三06  暮秋枉裴道州手札率爾遣興寄遞呈蘇渙侍御((五)二○一六)

聖朝尚飛戰鬥塵,濟世宜引英俊人。

卷一三27 奉待嚴大夫((三)一○九九)

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

杜甫は、具体的な「濟世策」を提案しているのは、《乾元元年華州試進士策問五首》に見える。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

23 尚書郎 ここは工部員外郎であった杜甫自身を意味する。尚書台の官僚、官吏。 長官が、尚書令。 次官が、僕射。部門責任者が尚書で、尚書郎は各部門の官僚、官吏である。

 

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

24 豺虎鬥 賀蘭進明・第五琦などに呼応した朝廷の悪賢い者たち、各地に相当組織だった盗賊になったものが多かったことなどをいう。

25 鴛鷺行 朝廷内で文官が列をなして行動すること。

 

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

26 人事急 人民の生計が急速に窮迫してきたことをいう。

27 羽毛傷 鴛鷺の行列の一員である杜甫自身の体が病弱で弱ってきたことを言う。傷 羽毛は鴛鴬の縁語である。

 

落日悲江漢,中宵淚滿床。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

28 江漢 夔州の長江のほとりを言う。杜甫《23-11江漢》「江漢思歸客,乾坤一腐儒。」(江漢 歸えるを思う客,乾坤 一腐の儒。)江漢の名がるる地方において、自分は故郷に帰りたいと思っている旅客の人である茫々たる天地の間において、独りの腐儒者樽にとどまっているのである。

 


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杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

杜少陵集 卷一八55

暮春題西新賃草屋,五首之一

杜甫詩index-15767年大暦256 (23)

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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 25 杜少陵集-巻18-57 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之一》25 杜甫詩index-15-1184 <1634> 18-57 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7567  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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夔州は、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は夔州都督府が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになり、唐代の赤甲山から白帝山方面にあった。

 

夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まったのである

夔州は、新旧唐書の地理志によれば、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は都督府(下)が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになる。政治的軍事的には一地方の重鎮であり、唐代にはそれ相応の人口もあり繁華でもあった。

 まず確認しておかなければならないのは、それらの役所の場所である。従来多く考えられてきたように、それは梅渓河(西瀼水)の西岸ではなかった。あとでも触れるが、いずれも今の子陽山(後掲の簡錦松氏によれば唐代の赤甲山)から白帝山方面にあった。夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まる。

 ほとんどの編年系のテキストで夔州詩の最初に置かれているのは、《1501_移居夔州作》の詩である。

移居夔州郭

(居を夔州に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。

春知催柳別,江與放船清

春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事聞人,山光見鳥情。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。

禹功饒斷石,且就土微平。

禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

 

夔州での詩は、巻十五から、巻二十一の真ん中まで、六巻半の分量である。夔州には766(大暦元)年の晩春から、768(大暦三)年正月の中頃まで滞在した。夔州に到着したのを仮に晩春の三月の真ん中だとして数えると、二十二ヶ月である。杜甫の五十五歳から五十七歳までにあたる。

 

 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。

 

 杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

簡呉郎司法

郎司法

 

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

 

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

 

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

 

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

 

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

 

問俗營寒事,將詩待物華。

 

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

 

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

 

杜甫詩1500-1184-1634/2500

18-57     暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-57

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。

百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

戰伐何由定,哀傷不在茲。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其一(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

 

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

安史の乱当時の勢力図
(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

1 瀼西の草堂 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。そして、すぐに杜甫は赤甲から瀼西へ引っ越した。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していた。

2 新賃 新たに借りいれる。

3 草屋 かやぶきの家。

 

久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

4 三峽 三峡(長江三峡)は中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。三峡地域には瞿塘峡・巫峡・西陵峡のような険しく幅の狭い峡谷の部分と、広くなだらかな寛谷の部分があるが、これは地質の違いによる。三峡独特の景観である峡谷部分は石灰岩が多く、風化には極めて強いが水には溶食されやすく、水の流れる部分だけが深く削られてゆく。また石灰岩には垂直の亀裂ができやすく、水が亀裂の中に入り、その底部を侵食してゆく。谷が深くなると両岸の岩が平衡を失い、垂直に発達した亀裂に沿って谷に落ちるため、両岸が切り立った崖になってゆく。砂岩や頁岩の多い地域は浸食がより進むため、うってかわって広い谷が形成されている。

 

百舌欲無語,繁花能幾時。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

5 百舌 「モズ」の鳥。

 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

6 日華  1.太陽的光華。 南朝・齊、謝朓《和徐都曹》「日華川上動, 風光草際浮。」

《謝朓全集和徐都曹出新亭渚詩》

宛洛佳遨游。春色滿皇州。

結軫青郊路。回瞰蒼江流。

日華川上動。風光草際浮。

桃李成蹊徑。桑蔭道周。

東都已俶載。言歸望綠疇。

宛・洛は 遨游するに佳く、春色は 皇州に満つ。

珍を青郊の路に結らし、囘かに蒼江の流れを瞰る。

日華は 川上に動き、風光は 草際に浮かぶ。

桃李 蹊徑を成し、桑檎 道周をふ。

東都 己に載を俶む、言に帰りて 緑の疇を望まん。

「日華」は日の輝き。光風とは、雨己み日掛でて風ふき、草木に光色有るを謂ふなり」すなわち、雨に濡れた草木の葉が日光に輝きながら風に翻っているさまという。五臣(李周翰)注には「風には、もともと光は無い。草上に光色があるというのは、風が草を吹き動かして光らせ、あたかも風に光が有るかのようであるためだ」という。要するに此の語は、『楚辞』を踏まえながらの造語で、風になびく草が日光に輝いているさまを言うのであろう。「草際浮」とは、その輝きが岸辺の草の上のあたりに浮かんでいるように見えるのを言う。

.

戰伐何由定,哀傷不在茲。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

7 哀傷不在茲 茲とは春の過ぎゆくさま、即ち「百舌」以下の四句の事をさす。仇氏は「茲」な戦伐をさすとし、不在茲を豈不在茲乎の義とせり。今従はず。

 

 

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

767年- 24 杜少陵集-巻18-56 《卜居》24 杜甫詩index-15-1183 <1633> 18-56 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562

杜甫  卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

杜少陵集 卷一八56

卜 居

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (24)

1183 <1633

 

 

 
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杜甫詩1500-1183-1633/2500

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲、此是大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

 

18-55     24          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

卜居

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_45 《卜居》杜甫 

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『卜居』現代語訳と訳註解説
(
本文)

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。

(下し文)
(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。


(現代語訳)
卜居(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。


(訳注) 

卜居

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)大暦二年春の作。

1 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居し、さらに瀼西に移居した時のものである。

大暦二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟をじたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

2 遼東鶴 丁令威の故事。《續捜神記》にいう、丁令、遼東の華表の柱に鶴有り、其上に棲んで曰く、「有鳥有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」(鳥有り、鳥有り、丁令威、家里を去る今始めて歸る、城郭故の如く人民は非なり、何ぞ仙を學ばざる 累累たり。

3 楚執珪 戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

未成游碧海,著處覓丹梯。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

4 游碧海 仙界に続く滄海を意識させ、仙界、隠棲することを言う。

丹梯 幽遠なる自然の趣をたたえる深山ということ。《文選謝朓<敬亭山詩>》:要欲追奇趣, 即此陵丹梯。(奇趣を追い要めんと欲し, 即ち此に丹梯に陵る。

丹梯五臣(呂延済)注には「山高くして、峯は雲霞に入る処なり」とある。つまり仙人の棲んでいるところである。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に「惜無同懐客、共登青雲梯」(懐ひを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを惜しむ)という、よく似た表現があり、謝眺はそれにもとづいて此の語を作ったのではなかろうかと思われる。したがってその意味は、幽遠なる自然の趣をたたえる深山、ということになろう。

登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041

 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

雲障 山に雲がかかり屏風のように背後にそそり立つ状況を言う。常にかかっている雲があるということであろう。

寬江左 この地における、長江のほとりは山が長江に接近していて、平坦地が少ない、峡谷であるが、瀼西の地は比較的平坦地が広がっていると意味。

破 土壌を破る。

瀼西 瀼西の地は、草堂河の西側にある。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅がある。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は逆L字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 

桃紅客若至,定似昔人迷。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

昔人迷 俗界を離れた他界・仙境、武陵の桃源郷の故事を用いている。

 

参考

《續捜神記》にいう、丁令威はもと遼東のひとであった。道の教えを霊虚山(今の安徽省懐遠付近の霊山)で学んだという。後に変化して鶴となり、遼東に帰った。さて、遼東の街の城門前には石で作られた大きな記念柱(「華表」)があり、丁令威の化した鶴は、そこに止まったのである。すると、何も知らない若者が、これはよき獲物なり、と弓をとって射ようとしたそうだ。それに気づいた鶴は飛び立ち、空中を何度か旋回して、歌っていわく、

「有鳥有鳥丁令威、去家千年今始帰。城郭如故人民非、何不学仙冢塁塁。」(鳥あり鳥あり 丁令威、(家を去りて千年 今はじめて帰る。城郭はもとの如きも人民は非なり、何ぞ仙を学ばざる 冢塁々たるに。

鳥がやってきた、鳥がやってきた、それはわたし、丁令威。家を出てから千年、仙道を学んで今はじめて帰ってきたが、町はいにしえと似ているが、ひとびとはまったく違っている、どうして仙道を学ばずに、みんな次々と死んでしまったのだろう。歌い終えるとついに高く天に舞い上ってそのまま見えなくなってしまった・・・。

 

戰國時越國人。 也稱越舄。 仕於楚, 病中思越而吟越聲。《史記張儀列傳》。 後以“莊舄越吟”指懷之詠與感傷之情。 清趙翼《吏議左遷特蒙送部引見》詩:老去賀公語慣, 病來莊舄越吟多。”亦省作“

戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  卜居此是大厯二年自赤/甲将遷居瀼西而作

歸羡遼東鶴、吟同楚執珪。未成遊碧海、著渉畧/處覔丹梯。

雲嶂陳作/寛江北、一作/春耕破瀼西。桃紅客若至、定似昔一作/人迷。

上四客居有感下欲託居瀼西也。 忘丁/公魂歸故里莊舄病而吟越皆不

者故借以自方碧海丹梯歎不能水行而復山棲江/北、即瀼西其地寛平故可耕種

杜臆公以此地為桃源直作避秦計矣 

千遼東華表柱有鶴、棲其上曰、「有鳥/有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」

病猶為越吟 選注 越人莊舄起家寒微為楚執珪 

有十洲記 扶桑之東有碧海

謝靈運詩 灑歩臨丹梯東破是破土 劉希曰 瀼溪/在白帝城之 昔人迷指 晨阮肇

 

 

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杜甫  赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)  赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

杜少陵集 卷一八55

赤  甲

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杜甫詩index-15

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11821632

 

 
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杜甫詩1500-1182-1632/2500

 

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

18-55     23          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

赤甲

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_44 《赤甲》杜甫 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。 

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。 

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

 

 

赤甲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。


(下し文)
(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

(現代語訳)
赤甲(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。


(訳注) 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)前の「入宅」詩と同時の作。

1 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る。

 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

2 兩見 夔州に来て二年目であることを言う。

 

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

3 炙背・美芹 心地よい日なたの背なかあぶりとおいしい芹の料理をいい、朝廷、天子への思慕の意をあらわす。

嵇康《絶交書》「野人有快炙背而美芹子者、欲獻之至尊、雖有區區之意、亦已疎矣。」(野人炙背を快しとして、芹子を美しとする者有り、之を至尊に獻ぜんと欲す、區區の意有りと雖も亦た已だはだ疎なり。

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。」(宋國に田父有り東作して日に曝さる、綿纊狐貉有るを知らず、其の妻に謂いて曰く、日の暄きを負う、人之を知るもの莫し、以て吾君に獻せば、重賞を有んと将てす、里の富室之を告げて曰く、昔 人、戎菽を美とし、枲、莖、芹、萍子を甘しとするを有り、豪にして之を稱す、豪 取りて 之を嘗める、口を蜇し、腹に慘む、衆哂いなして之を怨む、子は此の類なり、と。

 

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

4 州、鄭・薛 鄭は江陵の少尹鄭審で、薛は石首縣の縣令薛璩をいう。

5 蜀客郄・岑 郄は梓州の刺史郄昂、岑は嘉州の刺史参である。 

 

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

6 笑接 接は近づくことを言う、ひざを突き合わせての談義をしたこと。

7 郎中 顧注「郎中應是呉郎司法葢刑曹也。郎中とは、秦の時代に「郎中令」が制定された。前漢に名称変更され「光禄勲」と称し、後漢にも引き継がれた。これは当時の官職の一つ。 役割は,当初は宮門護衛.やがて皇帝身辺警護,皇帝出駕時の随行・護衛,使者,など.

8 評事 昻評事、崔十三評事十六弟のことである。評事とは、大理寺(最高裁判所)に属する下級の裁判官。

9 深酌 たっぷりと杯に酒をつぐこと。

10 道吾真 本心を吐く。

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  赤甲鶴注此與入/宅詩同時作

卜居赤甲遷居新、兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子、美芹由來知野人

州鄭薛寄詩一作/近、蜀客郄/岑非我鄰

笑接郎中評事飲、病從深酌道/吾真。

此居赤甲而念知交也 在四句分截春公初遷赤甲而云兩見春色者自去春至夔已經兩 也。

炙背食芹 述春山景物兼有

朝野濶絶之感評 鄭薜 寄詩頗近郄岑在蜀漸與/惟接郎中 事喜得酌酒而道真精

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。

嵇康絶交書 「野人有快炙背而美芹子者欲獻之至尊雖有區區之意亦已疎矣」

鶴注 鄭:是江陵鄭少尹審 薛是石首薛 

明府璩岑是岑嘉州參 郄是梓州郄使君、昻評事必崔十三評事 公在夔州多有詩與之 顧注郎中應是呉郎司法葢刑曹也。

 朱注文苑英華有苻載誌楊鷗墓云永甫泰二載相公杜公鴻漸奏授鷗犀浦縣令僚友杜員外

岑郎中參郄舍人、昻聞公殞落失聲 咨嗟則/郄為郄昻無疑 曹植 髑髏説是反吾真也

 朱瀚曰卜居遷居重複無法獻天子突甚由來知野/人筋脉不收中聨厄塞全無頓挫磊落氣象笑

 典郎中評事豈律詩可著或置題中可耳末句從近/識峩嵋老知余嬾是真出潦倒甚矣且抱病何能深酌與比來病酒/開涓滴看自

767年- 22 杜少陵集-巻18-54 《入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》22 杜甫詩index-15-1179 <1629>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542

杜甫  入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

杜少陵集 卷一八54

入宅,三首之三

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (22)

1176 <1629

 

 
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杜甫詩1500-1179-1629/2500

18-54     22          入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-3

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-54

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

唐時代 地図山南 東・西道50

 

『入宅,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。

(下し文)
(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

(現代語訳)
入宅,三首之三(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) 

入宅,三首之三

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

この第三首は旅居を歎せるなり。未歸而嘆旅居也。

 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

18 宋玉宅 杜甫は、宋玉の家が二か所あることを認識しているので、「歸州宅」と表現している。この三字は、《唐書》「歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置」(歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置)《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州、一在宋玉宅は兩處有り、一は歸州に在り、一は州に在る)杜甫の詩にも、夔州にいるときには、歸州を言い、後に荊州に行ってもう一か所の宋玉宅に立ち寄っている。宋玉の宅は杜甫詩の言によって二種あり、《1837送李攻曹之荊州充、鄭侍御判官重贈》「曾聞宋玉宅,每欲到荊州。」(曾て聞く宋玉が宅、毎に荊州に到らんと欲す)は荊州にある宋玉の宅をいう、前詩の庾信が住んだという江陵城北の宋玉宅がそれである。《1854入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》「宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。」(宋玉が帰州の宅、雲は通ず白帝城。吾人老病に淹し,旅食 豈に才名にあらんや。)は帰州にある宋玉の宅をいう。「清一統志」に宅は帰州の東二里にあるといっている。此の詩は二種のうち其のいずれをさすか明らかでない。杜甫がこの詩を書く時期では荊州の宅を確認していない。

詠懷古跡,五首之二

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

(詠懷古跡,五首の二)

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。

「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

宋玉宅

卷一五56 奉漢中王手札

枚乘文章老,河間禮樂存。悲秋宋玉宅,失路武陵源。

卷一八37  送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈

曾聞宋玉宅,每欲到荊州。此地生涯晚,遙悲水國秋。

巻一八54  入宅三首其三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

 

 

吾人淹老病,旅食豈才名。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

19 淹 久しくとどまることを言う。

20 才名 宋玉を言うが、宋玉と同じようにこの地にとどまっていることを言うものである。

 

峽口風常急,江流氣不平。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

 

只應與兒子,飄轉任浮生。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

21 浮生 《莊子·外篇・刻意》「其生若浮、其死若休。」(其の生は浮ぶが若く、其の死は休するが若し。)にもとづく。

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背/赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝總六

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也。黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故造次移居必擇/勝地且加修葺綴如此襟懐自不可及郭林宗

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

(之二)

亂後居難定、春歸客未還。水生魚復/浦、雲暖麝香山。

樊作/頂梳頭白、過/眉拄杖斑。相看/多使/者、一一問函關。

此遷宅而想故居也。下四 叙情 應客未還 三四 冩景承上春歸。顧注 陽和復至故曰春歸。

關半頂見髮之少 是老狀過眉見杖之長 是病狀問 函者望 亂定而還也。

王胄詩 柳黄知節、變草緑識春歸

名地志 夔治、魚復、灔澦、風濤震射巨魚却歩不得上故 魚復浦

鶴注寰宇記 麝香山 在秭歸縣、東南一百十里其山多麝

武徳二年前秭歸屬、夔州斑 魏武、陌上桑拄杖 挂枝佩 秋蘭 梁到 有 贈任新

竹杖詩 文彩 既斑斕姿性甚綢直

桃王應麟 曰 潼關至函谷關 歴峽華二州之地俱謂之 林塞時、周智光 據華州反

(之三)

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

未歸而嘆旅居也

淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不 老病久留白帝豈才名不如宋玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

注 公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻 

《陸游入蜀記》宋王宅在秭歸縣東、今為酒家舊有石

宋玉宅 三字 唐書 歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州一在州與杜/詩相合

 

767年- 21 杜少陵集-巻18-53 《入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》21 杜甫詩index-15-1178 <1628> 18-53 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537

杜甫  入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)  安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

杜少陵集 卷一八53

入宅,三首之一

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杜甫詩1500-1178-1628/2500

18-53     21          入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。

(下し文)
(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

(現代語訳)
入宅,三首之二(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。


(訳注) 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)大暦二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

9 春帰 昨年秋に、春には帰途に向かおうと決めていたことをいう。

10 客 自己をさす。

 

水生魚複浦,雲暖麝香山。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

11 魚復浦 奉節縣東南二里にある。

12 麝香山 奉節縣東四十里にある。出港して舟が向かう方向にある。

 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

13 半頂 頭のいただき半分に髪が残ること。

14 過眉 杖の高さが眼よりすこし上方に出ること。

15 拄杖斑 拄は支える、杖斑は斑杖、斑紋のある竹のつえ。瀟湘地域の特産の竹。

 

相看多使者,一一問函關。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

16 使者 京師と往来する官吏などをいう。夔州奉節は、重要な水路駅であるため、此処を通過する朝廷の使者を言う。

17 函関 函谷関。これを問うとはその治乱の状について問うことをいう。特に、杜甫が官を辞したのは、華州司法参軍であったためであり、生まれ故郷の洛陽偃師の近いので様子を聞きたかったのである。それに、桃王應麟が曰うのは、潼關から函谷關にかけ、峽州、華州の二州の地において、周智光が華州において反乱を起こしたことを言う。
李白の足跡003 

767年- 20 杜少陵集-巻18-52 《入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》20 杜甫詩index-15-1177 <1627> 18-52漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532 

杜甫  入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

杜少陵集 卷一八52

入宅,三首之一

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (20)

1176 <1626

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 20 杜少陵集-巻18-52 《入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》20 杜甫詩index-15-1177 <1627> 18-52漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1177-1627/2500

18-52     20          入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

客居愧遷次,春酒漸多添。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

(下し文)
(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

(現代語訳)
入宅,三首之一(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。


(訳注) 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)大磨二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

3 奔峭 卲宝の注に、「山峯高峻如奔湧然」(山峯高峻、奔湧するが如く然り。)とといているが奔を山の形勢とみたものである。ここでは杜甫の成都紀行《木皮嶺》詩の「遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。」(遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。)“”成都紀行(2)” 木皮 杜甫詩1000 <341>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1623 杜甫1500- 505”の句においては奔字についてほぼ類似の解をなし、乱れて走る形勢をいうかと注したが、謝霊運の《入彭蟸湖口》「洲島驟回合,圻岸屢崩奔。」(洲島【しゅうとう】は驟【しばし】ば廻合【かしごう】し、折岸【きがん】は屡【しばし】ば崩奔【ほうほん】す。)“入彭蟸湖口 謝霊運(康楽) 詩<59-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩454 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1179”、「七里瀬」詩の「孤客傷逝湍,徒旅苦奔峭。」(孤客は逝湍【せいたん】を傷み、徒旅は奔峭【ほんしょう】に苦しむ。)の句において李善は崩奔の奔は崩とおなじく、また奔峭の奔は落に同じと注している。“七里瀬 # 謝霊運<16> 詩集 377”これによれば奔峭とは土石の崩落するけわしい山の意である。

4 背赤甲 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る「奔峭背赤甲」とは「背赤甲之奔峭」と同意。

5 断崖当白塩 「当白塩之断崖」と同意。白塩も山の名、すでに見える。「清一統志」にいう、奉節県の東十七里にあり、江を隔つ、と。また祝穆の「方興勝覧」を引いていう、城東十七里にあり、崖壁五十余里、其の色柄躍、状、白塩の若し、と、ある。

 

客居愧遷次,春酒漸多添。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

6 遷次 次は舎ること、次を遷すとは居を移すことをいう。

 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

7 花亜 花が竹につぐ、言い換えれば竹が花を圧することをいう。

 

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

8 勝概 景色のよいさま。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背/赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝總六

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故造次移居必擇/勝地且加修葺綴如此襟懐自不可及郭林宗

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

亂後居難定春歸客未還水生魚復/浦雲暖麝香山

樊作/

 

頂梳頭白過/眉拄杖斑相看/多使/者一一問函關

此遷宅而想故居也/下四叙情應客未還 三四冩景承上春歸/顧注陽和復至故曰

春歸關半頂見髮之少是老狀過眉見杖之長是病狀/問函 者望亂定而還 王胄詩柳黄知節變草

 

緑識春歸名地志夔治魚復灔澦風濤震射巨魚却歩/不得上故 魚復浦 鶴注寰宇記麝香山在秭歸縣

東南一百十里其山多麝武徳二年前秭歸屬夔州斑/魏武陌上桑拄杖挂枝佩秋蘭梁到有贈任新

竹杖詩文彩既斑斕姿性甚綢直桃王應麟曰潼關至/函谷關歴峽華二州之地俱謂之 林塞時周智光據

華州/

宋玉歸州宅雲通白帝城吾人淹老病旅食豈才名峽

口風常急江流氣不平只應/與兒子飄轉任浮生/

未歸而嘆旅居也淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不 老病久留白帝豈才名不如宋

玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

 

 

注公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻陸游入/蜀記宋王宅在秭歸縣東今為酒家舊有石 宋玉宅

三字唐書歸州屬山南東道武徳二年析夔州之秭歸/巴東置 湖廣通志宋玉宅有兩處一在歸州一在

州與杜/詩相合

 

767年-(19)杜少陵集 《18-87 晨雨》19 杜甫詩index-15-1176 <1626>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527

杜甫  晨雨

小雨晨光,初來葉上聞。霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。麝香山一半,亭午未全分。 

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

杜少陵集 卷一八87

晨   雨

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (19)

1176 <1626

 

 
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杜甫詩1500-1176-1626/2500

-(19)18-87 晨雨》

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十70

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-87

 

 

詩題:

晨雨

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

  晨雨 黄鶴依梁氏編在大厯二年今姑仍之

小雨晨光内初來葉上聞。霧交纔灑地、風折一作//隨雲。

暫起柴輕霑鳥獸羣麝香山一半亭午未全分

黄生曰光處始見葉上始聞體物既精而布置、風雨雲霧四字、能将是日景色、曲折描出、山色未分、應上雲霧之。趙汸注 必霧起而方能灑地、經風折而旋、即隨雲細甚也。

此與烟添纔有色風引更如絲相似葢着題處所、必用者曰暫曰輕皆言其細小夢自晨至午、全/詩、皆用順冩工細入妙、柴小木

弼曰經、麝香山、在州東南一百二十里山出麝香故名

 黄生曰、讀微雨不滑道一章以為微雨難冩、故多從題外著筆、及閲此詩、能字、字實冩小雨以正靣還題真如化工肖物

 

 

230_70 《晨雨》杜甫 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

小雨晨光,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

麝香山一半,亭午未全分。 

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

 

(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

denen03350 

『晨雨』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晨雨

小雨晨光,初來葉上聞。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

麝香山一半,亭午未全分。

(下し文)
(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

(現代語訳)
晨雨(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。


(訳注) 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

 

小雨晨光,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

晨光 朝日が昇り始めて光が届き始めて間もないころをいう。

 

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

霧交 朝まだ期の内に霧に覆われていたところに雨が降り出したということを表現するもの。

風逆 通り雨が、風に逆らって、向きを変えられること。

 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

起柴荊色 杜甫の棲む草堂の入り口の荊で造った柴門、乾いた色であった茅屋が雨によって色濃くしたことを言う。

 

麝香山一半,亭午未全分。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

麝香山 麝香堡. 麝香山は四川奉節縣東四十裡に在る。杜甫    18-53入宅三首其二》「水生魚復浦,雲暖麝香山。」(水は生ず 魚復の浦,雲は暖かなり 麝香山。)州圖經には、麝香山は、州東南一百二十里に在り、山より、麝香出す故に名づく、とみえるが、他の文献には、奉節縣、東40里とされて現在もその地にある。

767年-(18)杜少陵集 《月,三首之三》18-86 杜甫詩index-15-1175 <1625> 767年大暦2年56歲-(18) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7522

杜甫  月,三首之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)  故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

杜少陵集 卷一八86

月,三首之三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7517 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (18)

1175 <1625

 

 

 

杜甫詩1500-1175-1625/2500

767年大暦256-(18) 18-86     月,三首之三

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十50-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-86

 

 

詩題:

月,三首之二