杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

送別、感謝、贈答

中丞嚴公雨中垂寄見憶一絕,奉答二絕,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

厳武に絶句二首之一 春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。


2013年8月17日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 
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中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

 

杜甫詩1000-529-763/1500            

詩題:中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の529首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-763回目   40862

 

 

作者: 杜甫 

皇帝紀年: 寶應元年 

寫作時間: 762 

寫作年紀: 51 

卷別: 卷二二七  文體: 七言 

詩題: 中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一【嚴公雨中見寄一奉答兩,二首之一】 

交遊人物/地點: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

詩文:

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

 

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 
 

 くちなしの花






『中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

雨映行宮辱贈詩,元戎肯赴野人期。 

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

 

詩文(含異文)

雨映行宮辱贈詩【雨映行官辱贈詩】【雨映行雲辱贈詩】,元戎肯赴野人期【元戎欲動野人知】。

江邊老病雖無力,強擬晴天理釣絲。 

 

 

(下し文)

(中丞嚴公の雨中垂れる一憶うを見寄せる,二答え奉つる,二首の一) 

雨に映るは行宮して辱しくも詩を贈り,元戎 肯して赴き 野人の期を。 

江邊 老病 雖ど力無く,強と擬して晴天 釣絲を理す。 

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴むくとこの野人の私と約束をしてくれました。

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

 

 

(訳注)

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 

(厳武中丞が雨の中私に絶句一首贈り寄せ届けてくれたので私は絶句二首を作って贈り奉る。二首の其の一)

○厳中丞 厳武。杜甫は厳武について、これまでも多く詩に詠っている。

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雨映 行宮 贈詩 ,元戎 肯赴 野人

春も過ぎて雨に草木が映える季節になり成都の役所に出かけ恥ずかしながら詩を贈ります。元帥殿には敢て赴くとこの野人の私と約束をしてくれました。

「行宮」成都尹である厳武が入る役所を指す。蜀の国の宮殿であった。「明皇出蜀,以行宮為道觀。」(明皇が蜀を出立され,それ以降成都にある宮殿は玄宗に因んだ道教の寺観となっていた。)

「辱」謙遜語。

「詩」絶句の詩のこと。

「元戎」元帥。厳武のこと。この段階では剣南西川節度使は別のものが幕府としていた。

「野人」杜甫のこと。隠棲しているものを野人と云い、しばしば使う。

「期」約束。

 

 

江邊 老病 雖無力 ,強擬 晴天 釣絲

濯錦江のほとりに住まいする持病に悩む此の老いぼれは元気を出そうとすれどもやっぱり力が出ません。カラ元気かもしれないが晴天の日には釣竿に糸を垂れることが一番だと悟っております。

「江邊」浣花渓草堂の前を流れる濯錦江のこと。

「強擬」から元気。

「釣絲」釣り糸を垂れること。釣りのポイントがいくつもあったようだ。

 成都関連地図 00

送重表姪王砅評事便南海 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

送重表姪王砅評事便南海 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131
770年58歳の作品
杜甫乱前後の図003鳳翔

 756年六月に入って哥舒翰の軍が潼関で大敗し、叛乱軍が長安に迫ってきたため、杜甫は家族を連れて危険の迫った白水県を去り、多くの避難民に混じって洛水ぞいに葦原を経てさらに北に進んだ。
「華原を過ぎてからは、もはや平らな土地は見られない。北に向かってゆくが、ただ土山が続いているばかり。来る日も来る日も、せばまった深い谷間を通ってゆく。空には赤くやけた雲が時となくわき立ち、電光がきらめく。山が深いために雨がよく降り、道は川になって激流がぶつかりあう」。その中を杜甫の一行は手を引きあって進んでゆく。
このとき、杜甫の遠い親戚にあたる王砅一家もいっしょに避難したが、のちに770年大暦五年、といえは、杜甫が亡くなる年に潭州で、南海に使者として赴く王砅を送る際に作った「送重表姪王砅評事便南海」(重表姪の王砅評事の南海に使いするを送る)には、避難の途中における危難の様子が次のように詠われている。

往者胡作逆,乾坤沸嗷嗷。
その昔、安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした、天地はそのことでごうごうと沸きかえったのである。
吾客左馮翊,爾家同遁逃。
私は左馮翊の地に乱を避けようとしていたのだが、そのとき、君の家族もいっしょに逃げた。
爭奪至徒步,塊獨委蓬蒿。
途中、馬を奪われた私は徒歩になり、独り背丈の高い草草むらの中に残されていた。
逗留熱爾腸,十裡卻呼號。
私があまり遅れるので、おまえはじっとしておれなくなり、十里も先から私の名を呼んで引き返してきた。
自下所騎馬,右持腰間刀。
自分の乗っていた馬を下りて私を乗せ、右手には腰の刀を抜き放ちかまえた。
左牽紫遊韁,飛走使我高。
そしてこんどは左手にうまく紫の手綱を引き、私を守って飛ぶように走った。
苟活到今日,寸心銘佩牢。
なんとか今日まで生きてこられたのは君のおかげ、心に深く刻みこんでけっして忘れはしない。

往者 胡の逆を作すや、乾坤は沸きて吸吸たり。
吾は左清朝に客たらんとし、爾が家も同に遁逃す。
争奪されて徒歩するに至り、塊独 蓬高に委ぬ。
逗留して爾が腸を熱せしめ、十里 御きて呼号す。
自ら 騎る所の馬を下り、右に腰間の刀を持す。
左に紫の遊竜を牽き、飛走 我をして高からしむ。
筍しくも活きて今日に到る、寸心 銘侭すること牢し。

 
送重表姪王砅評事便南海 現代語訳と訳註
作時 770年 大暦五年
756年東都の洛陽が叛乱開始一か月で陥落した。大混乱になったが、叛乱軍は、国軍、支持者など卑劣で容赦しなかった。要求が通らなければすべて殺戮した。略奪、謀略の限りを尽くした。中國の町民、住民全てが震え上がったのだ。長安を守るための最後の砦として函谷関、潼関であったが、6月初めここでも王朝内の讒言で作戦を誤り、大敗をしたのである。(安禄山の乱と杜甫参照)一気に長安は叛乱軍の手に落ちるのである。潼関が破られたことが長安にもすぐ伝わった。安禄山が入場するまでの少しの間に三方ににげた。杜甫も川筋の道を通れば、2,3日のところ、山道を大勢の人と逃げたのだ。大雨の降りしきる中逃げる様子は、「三川觀水漲二十韻 で詳しく述べられている。この詩は、杜甫が逃げる際、自分の愛馬を叛乱軍に奪われるのである。そのため逃げ遅れていたところをこの詩の主人公“王砅”に助けられる。このことはこの詩にだけでてくるのでここで取り上げた。長詩であるので関係部分を取り上げる、

(本文)全文
我之曾祖姑,爾之高祖母。爾祖未顯時,歸為尚書婦。
隋朝大業末,房杜俱交友。長者來在門,荒年自糊口。
家貧無供給,客位但箕帚。俄頃羞頗珍,寂寥人散後。
入怪鬢髮空,籲嗟為之久。自陳翦髻鬟,鬻市充杯酒。
上雲天下亂,宜與英俊厚。向竊窺數公,經綸亦俱有。
次問最少年,虯髯十八九。子等成大名,皆因此人手。
下雲風雲合,龍虎一吟吼。願展丈夫雄,得辭兒女醜。
秦王時在坐,真氣驚戶牖。及乎貞觀初,尚書踐台鬥。
夫人常肩輿,上殿稱萬壽。六宮師柔順,法則化妃後。
至尊均嫂叔,盛事垂不朽。鳳雛無凡毛,五色非爾曹。
 
往者胡作逆,乾坤沸嗷嗷。
吾客左馮翊,爾家同遁逃。
爭奪至徒步,塊獨委蓬蒿。
逗留熱爾腸,十裡卻呼號。
自下所騎馬,右持腰間刀。
左牽紫遊韁,飛走使我高。
苟活到今日,寸心銘佩牢。

亂離又聚散,宿昔恨滔滔。

水花笑白首,春草隨青袍。廷評近要津,節制收英髦。
北驅漢陽傳,南泛上瀧舠。家聲肯墜地,利器當秋毫。
番禺親賢領,籌運神功操。大夫出盧宋,寶貝休脂膏。
洞主降接武,海胡舶千艘。我欲就丹砂,跋涉覺身勞。
安能陷糞土,有志乘鯨鼇。或驂鸞騰天,聊作鶴鳴皋。

(下し文)
往者 胡の逆を作すや、乾坤(けんこん)は沸きて嗷嗷(ごうごう)たり。
吾は左馮翊に客たらんとし、爾が家も同に遁逃(とんとう)す。
争奪されて徒歩するに至り、塊独(かいどく) 蓬蒿(ほうこう)に委(ゆだ)ぬ。
逗留して爾が腸を熱せしめ、十里 御きて呼号す。
自ら 騎(の)る所の馬を下り、右に腰間の刀を持す。
左に紫の遊覊(たづな)を牽き、飛走 我をして高からしむ。
筍(いや)しくも活きて今日に到る、寸心 銘佩(めいはい)すること牢し。

(現代語訳)
その昔、安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした、天地はそのことでごうごうと沸きかえったのである。
私は左馮翊の地に乱を避けようとしていたのだが、そのとき、君の家族もいっしょに逃げた。
途中、馬を奪われた私は徒歩になり、独り背丈の高い草草むらの中に残されていた。
私があまり遅れるので、おまえはじっとしておれなくなり、十里も先から私の名を呼んで引き返してきた。
自分の乗っていた馬を下りて私を乗せ、右手には腰の刀を抜き放ち、左手は紫の手綱を引き、私を守って飛ぶように走った。
なんとか今日まで生きてこられたのは君のおかげ、心に深く刻みこんでけっして忘れはしない。


 
(訳注)
往者胡作逆,乾坤沸嗷嗷。
その昔、安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした、天地はそのことでごうごうと沸きかえったのである。
○往者 その昔。○胡作逆 安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした ○嗷嗷 ごうごうとしたさま。

吾客左馮翊,爾家同遁逃。
私は左馮翊の地に乱を避けようとしていたのだが、そのとき、君の家族もいっしょに逃げた。
 乱を避けようと客人になること。○左馮翊 (さひょうよく)現在の陝西省、前漢から後漢にかけて設置され、当時の都城である長安付近の県を管轄した。陝西省同州府という広い意味で奉先、白水も左馮翊に入る。○爾家 君の家族。○同遁逃 いっしょに逃げた。
長安黄河

爭奪至徒步,塊獨委蓬蒿。
途中、馬を奪われた私は徒歩になり、独り背丈の高い草草むらの中に残されていた。
爭奪 争って奪われた。このと時杜甫は何時もの愛馬で逃げていた。○塊獨 一人ぼっちになること。独り立ちする。○委 ゆだねる。○蓬蒿 蓬科の背丈の高い草。


逗留熱爾腸,十裡卻呼號。
私があまり遅れるので、おまえはじっとしておれなくなり、十里も先から私の名を呼んで引き返してきた。
逗留 その場にとどまって進まないこと。○熱爾腸 じっとしておれなくなったさまをいう。○卻呼號 呼んで引き返えしてくる。


自下所騎馬,右持腰間刀。
自分の乗っていた馬を下りて私を乗せ、右手には腰の刀を抜き放ちかまえた。


左牽紫遊韁,飛走使我高。
そしてこんどは左手にうまく紫の手綱を引き、私を守って飛ぶように走った。
紫遊韁 うまく遊びを持たせ紫の手綱を引くこと。○飛走 飛ぶように走る。○使我高 私を安心させ悠然とした。


苟活到今日,寸心銘佩牢。
なんとか今日まで生きてこられたのは君のおかげ、心に深く刻みこんでけっして忘れはしない。
銘佩牢 肝に銘じて体に佩びること。佩は腰につける飾り。




こうして必死の思いで避難を続ける杜甫とその家族は、三川県の周家窪という村にやっとたどり着いたが、その村で杜甫は思いもかけず、知り合いの孫宰に出会い、手厚いもてなしを受けることになった。

そのことはのちに「彭衙行」(ほうがこう)の中に、道中の苦労とともに詳しく詠われている。「彭衙」とは白水県の古名である。


彭衙行につづく。
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