杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

王朝・社会的批判詩

哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 163

哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 163

唐詩三百首   樂府  杜甫 哀江頭(哀いかな江頭)

長安の南郊、少陵の故居へかえらんとして賊軍の間をくぐりぬけ、曲江のほとりを経過して見る所、感ずる所を詠ったものである。製作時は至徳二載の春。757年 46歳 杜甫の佳作詩。

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哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 162
哀江頭  
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。』
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。
翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。』
体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。
明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。
美しく澄んだ瞳、あの白い歯、馬嵬で殺された美女は、今、どこにいったのだろうか。 血で穢されて、さすらっている霊魂は帰れないでいる。
清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。
清らかに澄んだ渭水は楊貴妃が葬られた馬嵬の傍を流れ、東流して長安にまで流れつくのだが、肝心の玄宗はいない、剣閣の奥く深く、はるか蜀の成都に落ち延びているのだ。去っていった玄宗と留まる楊貴妃の魂とは、相互に心のやり取りさえ無いのだ。
人生有情涙霑臆,江草江花豈終極。
人と生まれては、感情の働きがあり、人の世の儚い営みに対して涙が胸を潤してくる。ところが、川辺に生えている草や川辺の花には、どうして尽きはてることがあるのだろうか。自然の営みは、終わることが無く続いていくことである。
黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。』

夕闇の迫るなかに、叛乱軍の軍勢は長安の街全体に戦さの騒ぎを引き起こしてきたのだ。自分の住まいであった城南の少陵、杜曲の方へ行こうとして、城北のはるか先に霊武に粛宗がいる方ので、その空を眺めるのだ。


江頭を哀しむ      
少陵(せうりょう)の野老(やらう)  聲を呑(の)みて 哭(こく)し,春日 潛行す  曲江の曲(くま)。
江頭(かうとう)の宮殿  千門を 鎖(とざ)し,細柳 新蒲  誰(た)が爲にか綠なる。
憶(おも)ふ 昔  霓旌(げいせい)の南苑(なんゑん)に下(くだ)りしとき,苑中の萬物  顏色を生ぜしを。
昭陽殿裏  第一の人,輦(れん)を同じくし 君に隨(したが)ひて  君側に侍す。
輦前の才人  弓箭(きゅうせん)を 帶び,白馬 嚼噛(しゃくげつ)す  黄金の勒(くつわ)。

身を 翻(ひるがへ)して 天に 向ひ  仰(あふ)ぎて 雲を射れば,一笑 正(まさ)に堕(お)つ  雙飛翼。

明眸晧齒(めいぼうかうし)  今 何(いづ)くにか在(あ)る,血汚(けつを)の遊魂  歸り得(え)ず。

清渭(せいゐ)は 東流して  劍閣は 深く,去住(きょぢゅう) 彼比(ひし)  消息 無し。

人生 情(じゃう) 有り  涙 臆(むね)を霑(うるほ)す,江草(かうさう) 江花(かうくゎ)  豈(あ)に 終(つひ)に極(きは)まらんや。

黄昏 胡騎  塵は 城に滿ち,城南に 往(ゆ)かんと欲(ほっ)して  城北を望む。




江頭を哀しむ 現代語訳と訳註
(本文)

翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。』
明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。
清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。
人生有情涙霑臆,江草江花豈終極。
黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。』

(下し文)
身を 翻(ひるがへ)して 天に 向ひ  仰(あふ)ぎて 雲を射れば,一笑 正(まさ)に堕(お)つ  雙 飛翼。
明眸晧齒(めいぼうかうし)  今 何(いづ)くにか在(あ)る,血汚(けつを)の遊魂  歸り得(え)ず。
清渭(せいゐ)は 東流して  劍閣は 深く,去住(きょぢゅう) 彼比(ひし)  消息 無し。
人生 情(じゃう) 有り  涙 臆(むね)を霑(うるほ)す,江草(かうさう) 江花(かうくゎ)  豈(あ)に 終(つひ)に極(きは)まらんや。
黄昏 胡騎  塵は 城に滿ち,城南に 往(ゆ)かんと欲(ほっ)して  城北を望む。

(現代語訳)
体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。
美しく澄んだ瞳、あの白い歯、馬嵬で殺された美女は、今、どこにいったのだろうか。 血で穢されて、さすらっている霊魂は帰れないでいる。
清らかに澄んだ渭水は楊貴妃が葬られた馬嵬の傍を流れ、東流して長安にまで流れつくのだが、肝心の玄宗はいない、剣閣の奥く深く、はるか蜀の成都に落ち延びているのだ。去っていった玄宗と留まる楊貴妃の魂とは、相互に心のやり取りさえ無いのだ。
人と生まれては、感情の働きがあり、人の世の儚い営みに対して涙が胸を潤してくる。ところが、川辺に生えている草や川辺の花には、どうして尽きはてることがあるのだろうか。自然の営みは、終わることが無く続いていくことである。
夕闇の迫るなかに、叛乱軍の軍勢は長安の街全体に戦さの騒ぎを引き起こしてきたのだ。自分の住まいであった城南の少陵、杜曲の方へ行こうとして、城北のはるか先に霊武に粛宗がいる方ので、その空を眺めるのだ。



陝西甘粛出塞 杜甫65
(訳注)
翻身向天仰射雲、一笑正墜雙飛翼。

体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。
翻身 〔ほんしん〕体の向きを変える。身を翻(ひるがえ)す。裏切りをする、安禄山の行動を暗示する。 ○向天 天子に向かって。 ○仰射雲 仰向(あおむ)いて、雲に射掛ける。天子に、天下に矢を射る。 ○一笑 一笑は嫣薫、傾国、笑牽牛、多くの詩人に国を滅ぼす王朝の奢侈と頽廃を象徴する語として使われる。天子は貴妃の微笑に満足する。楊貴妃との宮廷生活のようす。ここはその微笑が安禄山の叛乱を生んだ。 ○ ちょうど。正(まさ)しく。 ○ おちる。おとす。 ○雙飛翼 つがいになって翼を並べて飛ぶ鳥。ここは、玄宗と楊貴妃の悲劇を暗示する。
○杜甫は叛乱軍の拘束の中で作詩している。したがって直接的な語は使っていない。輦前の才人の行為は、実に大胆な振る舞いで、安禄山の謀叛を暗示するものである。 


明眸皓齒今何在、血汚遊魂歸不得。
美しく澄んだ瞳、あの白い歯、馬嵬で殺された美女は、今、どこにいったのだろうか。 血で穢されて、さすらっている霊魂は帰れないでいる。
明眸 めいぼう、美しく澄んだ瞳。 ○皓齒 白い歯。美人の表現。 ○何在 どこにいったのか。○血汚 血で穢された。○遊魂 さすらっている魂。遊離した霊魂。ここでは血で穢されさすらう魂。馬嵬で殺された楊貴妃の霊魂のことになる。 ○歸不得 帰りおおせない。帰れない。

清渭東流劍閣深、去住彼此無消息。
清らかに澄んだ渭水は楊貴妃が葬られた馬嵬の傍を流れ、東流して長安にまで流れつくのだが、肝心の玄宗はいない、剣閣の奥く深く、はるか蜀の成都に落ち延びているのだ。去っていった玄宗と留まる楊貴妃の魂とは、相互に心のやり取りさえ無いのだ。
清渭 清らかに澄んだ渭水。楊貴妃が殺され葬られた馬嵬の傍を渭水が流れ 、長安の北に流れ到る。 ○東流 東に向かって流れる。川は東流の通常の姿であり、常識、摂理、天理でもある。ここは、楊貴妃の魂が、馬嵬の傍を流れる渭水に乗って、東流して、帝都長安に還ることをいう。 ○劍閣 剣門関。剣閣。陝西省の長安から四川の成都へ到る街道の、四川側の関山。○去住 去る者と留まる者。蜀に避れた玄宗と、馬嵬で殺されて、そこに埋葬されとどまることとなった楊貴妃のこと。ここでは、死別をいう。 ○彼此 あちらとこちら。お互いに。蜀の玄宗と、馬嵬の楊貴妃の魂。 ○消息 音信。たより。手紙。動静。消長。消えることと生じること。ここでは心のやり取りという意味である。

人生有情涙霑臆、江草江花豈終極。
人と生まれては、感情の働きがあり、人の世の儚い営みに対して涙が胸を潤してくる。ところが、川辺に生えている草や川辺の花には、どうして尽きはてることがあるのだろうか。自然の営みは、終わることが無く続いていくことである。 
人生 人と生まれる。人が生きていく。生きていくための道理。 ○有情 感情の働きがある。 ○ うるおす。うるおう。湿る。 ○ 胸。心。思い。考え。○江草 川辺に生えている草。 ○江花 川辺の花。 ○ どうして…なのだろうか。あに…(ならん)や。強い反語。 ○終極 尽きはてる。最後に極まる。物事の最後になる。究極となる。


黄昏胡騎塵滿城、欲往城南望城北。
夕闇の迫るなかに、叛乱軍の軍勢は長安の街全体に戦さの騒ぎを引き起こしてきたのだ。自分の住まいであった城南の少陵、杜曲の方へ行こうとして、城北のはるか先に霊武に粛宗がいる方ので、その空を眺めるのだ。
黄昏 夕方の薄暗い時。夕闇の迫るさま。薄暮の薄暗さをいう。たそがれ時。夕暮れ。○胡騎 安禄山の軍勢。安禄山は突厥、ソグドの混血児で、その軍勢も、ソグド、突厥、奚、契丹…と、多くの西北異民族が関わっている。○ 戦塵。戟塵。戦さの騒ぎ。 ○ 長安の街。長安城。城郭都市。当時世界一の国際都市。○ …しようとする。…たいと思う。(…と)ほっす。  ○城南 長安城の南側。杜甫の家のあるところ。少陵の近くになる。 ○望城北 粛宗がいた長安城の北方にある霊武をのぞむ。


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唐詩三百首   樂府  杜甫 哀江頭(哀いかな江頭)

長安の南郊、安禄山の叛乱で家族と離れ離れになって、叛乱軍に捕縛された。杜曲の旧居へ帰ろうとして叛乱軍の間をくぐりぬけ、曲江のほとりを経過して見る所、感ずる所を詠ったものである。製作時は757年至徳二載の春。46歳 杜甫の佳作詩。10韻の長詩のために5韻で分割して紹介する。杜甫が杜曲の家で作っていた主な詩は以下のものである。
(長安城外に林、畑が広がる。古くから、桑畑がひろがる一体である。声をかければ聞こえる程度の広がりを持った杜曲に家を借りていた。この家から出かけて、

75342歳 陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一  55 ~64  重過何氏五首其一 6872   渼陂行66  75443 陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首其一  73 奉陪鄭駙馬韋曲二首其一  75  夏日李公見訪   83

              
何将軍山林で遊び、渼陂の水面に舟遊びし、丈八溝携妓納涼の晩際に雨に遇う、鄭駙馬につきそって韋曲で遊んだのも754年天宝13載43歳の夏のことだ。
 同じ夏のある日、皇太子の家令李炎が杜曲の家を訪ねてきたのだ。公子は遠き林のなかからやって来た。)


哀江頭  #1
曲江の畔で哀しむ
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
少陵先の杜曲の野良爺であるわたしは、叛乱軍に捕縛され拘束されて、深い悲しみのあまり声に出して泣きたいけれど我慢している。春のある日に、目立たないようにこっそりと曲江の奥深いところに行ったのだ。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。」
曲江の畔の紫雲楼などの宮殿の全ての門が閉ざされている。新芽の吹き出るしだれヤナギに若々しい緑色をしたガマは、こんなことが起こっていても誰のために緑色にるのか知らずに色吹くのである。
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
天寶の昔を思い起こせば、天子が五彩旗を掲げて曲江の南苑、芙蓉苑に行幸をされたものだ。御苑にあるあらゆるものは、生き生きとし、それぞれが輝かしく動いていた。 
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
昭陽殿での中で承知のように第一人者は楊貴妃であった。楊貴妃はその折、天子の輦に同乗して、天子に随伴し、あたかも楊貴妃のおそばに天子がいつも帯同していたかのようであった。  
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。

天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。
翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」
明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。
清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。
人生有情涙霑臆,江草江花豈終極。
黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。」


江頭を哀しむ      

少陵(せうりょう)の野老(やらう)  聲を呑(の)みて 哭(こく)し,春日 潛行す  曲江の曲(くま)。

江頭(かうとう)の宮殿  千門を 鎖(とざ)し,細柳 新蒲  誰(た)が爲にか綠なる。

憶(おも)ふ 昔  霓旌(げいせい)の南苑(なんゑん)に下(くだ)りしとき,苑中の萬物  顏色を生ぜしを。

昭陽殿裏  第一の人,輦(れん)を同じくし 君に隨(したが)ひて  君側に侍す。

輦前の才人  弓箭(きゅうせん)を 帶び,白馬 嚼噛(しゃくげつ)す  黄金の勒(くつわ)。


身を 翻(ひるがへ)して 天に 向ひ  仰(あふ)ぎて 雲を射れば,一笑 正(まさ)に堕(お)つ  雙 飛翼。
明眸晧齒(めいぼうかうし)  今 何(いづ)くにか在(あ)る,血汚(けつを)の遊魂  歸り得(え)ず。
清渭(せいゐ)は 東流して  劍閣は 深く,去住(きょぢゅう) 彼比(ひし)  消息 無し。
人生 情(じゃう) 有り  涙 臆(むね)を霑(うるほ)す,江草(かうさう) 江花(かうくゎ)  豈(あ)に 終(つひ)に極(きは)まらんや。
黄昏 胡騎  塵は 城に滿ち,城南に 往(ゆ)かんと欲(ほっ)して  城北を望む。

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哀江頭 現代語訳と訳註
(本文) 哀江頭  
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。」
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。


(下し文) 哀江頭  
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。」
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。


(現代語訳)
曲江の畔で哀しむ。
少陵先の杜曲の野良爺であるわたしは、叛乱軍に捕縛され拘束されて、深い悲しみのあまり声に出して泣きたいけれど我慢している。春のある日に、目立たないようにこっそりと曲江の奥深いところに行ったのだ。
曲江の畔の紫雲楼などの宮殿の全ての門が閉ざされている。新芽の吹き出るしだれヤナギに若々しい緑色をしたガマは、こんなことが起こっていても誰のために緑色にるのか知らずに色吹くのである。
天寶の昔を思い起こせば、天子が五彩旗を掲げて曲江の南苑、芙蓉苑に行幸をされたものだ。御苑にあるあらゆるものは、生き生きとし、それぞれが輝かしく動いていた。 
昭陽殿での中で承知のように第一人者は楊貴妃であった。楊貴妃はその折、天子の輦に同乗して、天子に随伴し、あたかも楊貴妃のおそばに天子がいつも帯同していたかのようであった。  
天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。


(訳注)
哀江頭

曲江の畔で哀しむ
○安禄山の乱で殺された楊貴妃を悼み、先行きが見えない我が身を痛む詩。曲江池の辺で思い描いたのである。


少陵野老呑聲哭、春日潛行曲江曲。
少陵先の杜曲の野良爺であるわたしは、叛乱軍に捕縛され拘束されて、深い悲しみのあまり声に出して泣きたいけれど我慢している。春のある日に、目立たないようにこっそりと曲江の奥深いところに行ったのだ。
少陵:〔しょうりょう〕杜甫の住んでいたところの名。杜甫自身のことを謂う。やがて杜甫の号となる。漢・許后の陵墓名に由来する。漢・宣帝は長安の南郊の杜陵に葬られ、その東南に皇后の許后が葬られた。これを小陵と謂い、やがて、少陵と呼ばれるようになった、そのところに住んでいたことに由る。 ・野老:田舎の老人。杜甫自身のこと。 ・呑聲哭:深い悲しみのあまり泣き声に出さないで、傷みなく。 ・呑聲:〔どんせい〕忍びなく。声に出さないようにしてなく。また、声に出せない。悲しみのあまり、声が出ない。黙る。沈黙する。・春日:現実ののどかな春を詠い、物是人非の哀しさを強調する。 ・潛行:〔せんこう〕こっそりと行く。目立たないように人目を避けて行く。人目をしのんで行く。ひそやかに行く。微行。 ・曲江:長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。風光明媚な所。漢・武帝がここに宜春苑を造営した。(地図の赤線は長安城の城郭、青印が曲江) ・曲:くま。この池はかなり曲線があり、池の奥深いところ。池の湾曲した部分をいう。
長安・杜曲韋曲
 

江頭宮殿鎖千門、細柳新蒲爲誰綠。
曲江の畔の紫雲楼などの宮殿の全ての門が閉ざされている。新芽の吹き出ているしだれヤナギに、若々しい緑色をしたガマは、こんなことが起こっていても誰のために緑色になるのか、知らずに色吹くのである。
江頭:曲江の畔。 ・宮殿:紫雲楼を謂う。 ・:閉ざす。 ・千門:全ての門。多くの門。 ・細柳:若葉が出たばかりで、枝が細く見えるヤナギ。 ・新蒲:初々しい緑色をしたガマ。 ・爲誰:いったい誰のために。甲斐もなく。誰(た)がために。 ・:緑になる。動詞。ここでは、動乱で変化を来した世上の光景をいい、変わることのない自然、春の情景を謂う。


憶昔霓旌下南苑、苑中萬物生顏色。
天寶の昔を思い起こせば、天子が五彩旗を掲げて曲江の南苑、芙蓉苑に行幸をされたものだ。御苑にあるあらゆるものは、生き生きとし、それぞれが輝かしく動いていた。 
・憶:開元の治、天寶の平安な時代を思い起こす。 ・霓旌:〔げいせい〕虹色の旗。鳥の羽を五色に染め、それを綴って虹を象(かたど)って作った五色旗。天子の儀式や行列に掲げる。 ・:行幸する。 ・南苑:曲江の南にあった庭園。芙蓉苑のこと。 ・苑中:御苑の。 ・萬物:あらゆるもの。 ・生顏色:生き生きとし出す。元気を出す。


昭陽殿裏第一人、同輦隨君侍君側。
昭陽殿での中で承知のように第一人者は楊貴妃であった。楊貴妃はその折、天子の輦に同乗して、天子に随伴し、あたかも楊貴妃のおそばに天子がいつも帯同していたかのようであった。  
昭陽殿:漢の成帝の建てた宮殿で、皇后の趙飛燕とその妹が住んでいた。ここでは、玄宗の宮殿で、楊貴妃が住んでいた宮殿を指す。・:…の中で。・第一人:ここでは、楊貴妃を指す。昭陽殿での第一人者の意。通常詩に使われる場合、漢・成帝の皇后の趙飛燕のことになる。・同輦:天子の輦に同乗する。非常な寵愛を賜っている女性をいう。 ・:〔れん〕天子の乗り物。 ・隨君:天子が楊貴妃に随伴しているようだ。 ・:側近く仕えること。はべる。さぶらう。この場合常時いることを指す。 ・君側:君は楊貴妃で、楊貴妃日のそば。


輦前才人帶弓箭、白馬嚼齧黄金勒。
天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。
輦前:天子の乗り物の前に(供奉している)。 ・才人:女官の位。蛇足になるが、武則天も才人だったときがあったように思う。未確認。 ・:おびる。携える。 ・弓箭:〔きゅうせん〕弓と矢。弓矢。 ・嚼齧:〔しゃくげつ〕歯でかむ。 ・:〔ろく〕くつわ。


女官により騎兵隊を組ませていたことは、近衛兵の参軍とは別に組織するもので贅沢の極みということをあらわしている。年を取って、妖艶な貴妃との生活、天寶の世の豪奢な宮廷風俗描写の聯である。杜甫の描写にその生活態度にたいして尊敬の念はまったくないものと映る。


春望  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 155

春望  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 155
 至徳二載 757年 46歳

長安の春にあい、ながめつつ感じをのべる。製作時は至徳二載の三月。ここに至るまでを杜甫の詩を振り返ってみる。

755年 秋に長雨があった。米の値が高騰した。

秋雨嘆三首 其一 杜甫 86

755年 冬11月に家族に会いに奉先に行った。子どもが。餓死していた。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 106 

755年 11月家族を白水へ避難させる逃避行。

三川觀水漲二十韻 杜甫 130 

755年 12月家族を羌村へ避難させる逃避行。王砅に助けられる。

彭衙行 杜甫 132 

756年 8月家族を羌村に残して、霊州の粛宗皇帝のもとへ参じる途中叛乱軍に掴まる。長安に護送される。9月長安で逃亡中の王家の孫に会う。

哀王孫 杜甫140

75610月妻、家族を思って作る不朽の名作。杜甫につぃては珍しい、閨情詩。

月夜 杜甫 - 144

この頃の季節区分  春:1.2.3月 夏:4.5.6月  秋:7.8.9月  冬:10.11.12

75611,12月妻、家族を思って作る。王朝軍大敗に落胆する。

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154


中國の中心であった、東都洛陽、世界最大の国際都市であった長安、幽州(現在の北京)から反旗を立て、2年で主要な都市をほとんど陥落させ、略奪の限りを尽くし、大量の殺戮を行った叛乱軍は、唐王朝に嫌気を向けていた民衆の支持をすぐに失うのである。そして、内部分裂を起こすため、唐王朝に、奪回のチャンスが生まれてきていた。


 春望     
國破山河在,城春草木深。
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
烽火連三月,家書抵萬金。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。



春望       

國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。

時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを恨んでは  鳥にも 心を驚かす。

烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。

白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。



(757) 全く期待を裏切る戦いで 、落胆していた。(三月三首さんげつさんしゅ悲陳陶 - 152   悲青坂 - 153    対雪 - 154明けて至徳二年(757)の春も、杜甫は城内にあって囚われのままである。
 五言律詩「春望」(しゅんぼう)は杜甫の名作である。
詩中の「簪」は冠(かんむり)をとめるピンのことで、冠は成人男子であることを示す被り物である。「渾て簪に勝えざらんと欲す」は心配で髪が薄くなり、冠も留めて置けなくなったと解される。
わざわざこの詩結句でいう、裏の気持ちとしては、自分が仕官をするため10年余りも長安で過ごした。その間、威張り腐っていた役人が、安禄山らの叛乱軍に圧倒的な戦力があったにもかかわらず簡単に(半年で東都と、長安が)敗れ、さらに、その後、なめきって油断してきている状況下でも、陳陶 、 青坂  で敗れ去っている。中国人の表現方法の特徴で自分の白髪頭をいうのは「自分の髪が少なくて恥ずかしいよ」であり、「おまえはどうなんだ、恥ずかしくないのか」といっているのである。「「月夜」の背景  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 143 では、相手を思いやる表現法につぃて述べた。ここは相手を批判する表現法の一つである。もう一つの意味合いは、この後、多くの詩に出てくる「白髪頭」であるが、杜甫は、これから、元気出して頑張るぞという時にもちるのである。
この「春望」詩は、そういったことを前提に読んでほしい。


現代語訳と訳註
(本文)

國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。

(下し文)
國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。
時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを 恨んでは  鳥にも 心を驚かす。
烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。
白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。

(現代語訳)
春の眺め
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。


(訳注)

春望
春の眺め。杜甫は『野望』と野の眺めの歌も作っている。ここは、『野望』ならぬ「堂屋が消失し、雑草の茂る首都、春の長安の都の光景」を詠う。
五言律詩「野望」 秦州での作。759年乾元2年 48歳
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
すみきった秋の遠望ははてしがないが、高低の地勢には幾重かの夕曇りが起こり始めた。それで遠方の水面とともに天もすっきりしているが、この一つ城はだんだん隠れて霧が深く立ち込めた。それからたださえ稀になった木の葉が風のために一層振るわれて落ち、遥かなる山のかなたには太陽がやっと沈んでしまった。このとき日暮れの烏は、もはや林に一杯留まったのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。鶴は自己を比していうのであろう。)

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

國破山河在、城春草木深。
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
國破 下の句に城とあり、城は長安を示す。対句なのでこの国を長安と解すものも多いが、国は、唐王朝を示すとしたほうが杜甫の意図を組んでわかりやすい。 
こわれる。やぶれる。安禄山に因る756年6月至徳元年の潼関を破られ、12日玄宗は蜀へ逃行し譲位、霊武に逃避した粛宗が討伐を始める。 ・山河在:国都長安は破壊されてしまったが、自然の)山河(残って存在し。 
存在している。そこにある。ここでは、ただそれだけが残ってそこにあるの意。
荊叔(生歿未詳)の『唐詩選』「題慈恩塔」には(慈恩塔と御陵を詠うので740年ごろの作品で、杜甫に先行するものではなかろうか)
漢國山河在,秦陵草樹深。
この詩でいう「漢國」とは、国都長安のことになる。
城春 都長安が破壊されたが街は春になった。 
城郭都市であったので現代語ではまち、都市。城市。ここでは、長安の街。
草木深 (街中の光景なのに)草木が生い茂って、荒れ果ててしまった。

暮雲千里色,無處不傷心。
国都長安は、山は緑が豊かで、河は青々と流れている。秦・始皇の陵には、草木が生い茂っている。夕暮れ時の美しい空の色は遥か彼方まで続いている。長安の自然の景色は、昔と少しも変わらず心をいためないところはない。)


時花濺涙、恨別鳥驚心。
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
感時 時世時節の変異に感じる。それは自然の息吹、国家の運命、家族への思い、に感じるところがある。 
花濺涙 こんな事節でありながら、大自然は春を与えてくださる。大殺戮の冬、暗雲立ち込めていることしか思わなかったこの時期、花を咲かせて、前向きに生きることを自然が教えてくれる、その象徴としての花である。しかし現実は、涙することばかりなのだ。このギャップを、見事にこの五文字に詠いあげ、杜甫はこれだけの意味、味わい深さを詠っているのである。 
恨別 家族との別離をうらめしく思う。戦乱のため、杜甫の家族は羌村に居て、自身は長安にいるという別居生活になっていることをいう。 
鳥驚心 杜甫が、花や鳥を見るにつけ、心を痛めると言う意である。


烽火連三月、家書抵萬金。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
烽火 のろし火。兵乱、戦争。ここでは、ここは、後者の戦火の意。 
続く。つながる。或いは、亘る。 
三月 〔さんげつ〕三箇月。戦火が九十日も続いたため、家書が「抵萬金」という値打ちに感じられるということ。至徳元年(756年)末、悲陳陶 - 152   悲青坂 - 153    対雪 - 154(この三月を採って三月三首と名付ける)などの至徳二年初までの戦乱を指す。
家書 家族からの手紙。 ・抵:あたる。 
萬金 大金。かけがえが無く貴重であることをいう。


白頭掻更短、渾欲不勝簪。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。
白頭 白髪頭。 
(痒くて)かく。かきむしる。戦乱のために一家離散し、今後の方策も立たなくて悩むようす。 
更短 一層短くなった。一層短く、少なくなった。苦労で老けたことをいう。耳よりも下まで、髪の毛が垂れていたのだ。 
すっかり、まるで、ほとんど。すべて、まったく。  
不勝 〔ふしょう〕…に堪えない。…できない。 
カンザシを挿すこと。男子の頭髪を束ねるためのもの。冠を止める簪。


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対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154

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封  雪(雪に対す)
絶対有利であった戦い、勝ってくれるはずであった戦い、それが真逆の大敗。陳陶斜に続く青坂における王朝軍の敗北、そして、天下、九州各地で叛乱軍に落ちていくのである。長安にいる杜甫にいい情報は入ってこなかった。落胆は大きく、先行きが全く見えないのである。その状況の中で、雪に対しての感を述べるのである。製作時は至徳元載の冬の作。
至徳元年 756年 11月

落胆三首
悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154

     
対雪
戦哭多新鬼、愁吟独老翁。
乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
数州消息断、愁坐正書空。


雪に対す
戦哭(せんこく)   新鬼(しんき)多く、愁吟(しゅうぎん)  独り老翁。
乱雲(らんうん)   薄暮(はくぼ)に低(た)れ、急雪(きゅうせつ) 廻風(かいふう)に舞う。
瓢(ひょう)棄てられて  樽(たる)に淥(ろく)無く、炉(ろ)存して  火は紅(くれない)に似たり。
数州  消息(しょうそく)断たれ、愁え坐して  正(まさ)に空(くう)に書す。


対雪 現代語訳と訳註
(本文) 対雪

戦哭多新鬼、愁吟独老翁。
乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
数州消息断、愁坐正書空。


(下し文) 雪に対す
戦哭(せんこく)   新鬼(しんき)多く、
愁吟(しゅうぎん)  独り老翁。
乱雲(らんうん)   薄暮(はくぼ)に低(た)れ、
急雪(きゅうせつ) 廻風(かいふう)に舞う。
瓢(ひょう)棄てられて  樽(たる)に淥(ろく)無く、
炉(ろ)存して  火は紅(くれない)に似たり。
数州  消息(しょうそく)断たれ、
愁え坐して  正(まさ)に空(くう)に書す。


(現代語訳)
至るところが戦場で、そこでの号泣がひびきわたる、それは多くの新しい戦死者の声である。その声を聞きつつ愁えて吟じるものはただ一人、筋を通し生き抜いてきた初老のわたしである。
それなのに乱れた雲、崩れた王朝にたそがれが低くたれさがるのである。そこに急にふりそそいできた雪が吹き、風につれて舞いくるうように、異民族たちが街を覆うのである。
清酒を飲むため、自然その酒を小出しにする瓢もなげすてられている、樽盃には清酒の透き通った色が無くなってしまった。談義ができるわけもないのに炉のみは消えずにいて火が紅色を呈している。
天下九州の内二三の州は叛乱軍の手にでも落ちたものかどうか消息がとだえている。それがため自分は愁えた気持ちで座敷に座り、ちょうど殷浩の様に手で空中に文字を書いて不安な気持ちを抑えるのだ。


(訳注)
戦哭多新鬼、愁吟独老翁。

至るところが戦場で、そこでの号泣がひびきわたる、それは多くの新しい戦死者の声である。その声を聞きつつ愁えて吟じるものはただ一人、筋を通し生き抜いてきた初老のわたしである。
新鬼 新しい戦死者。○老翁 自己をさす。筋を通し生き抜いてきた初老のわたしである


乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
それなのに乱れた雲、崩れた王朝にたそがれが低くたれさがるのである。そこに急にふりそそいできた雪が吹き、風につれて舞いくるうように、異民族たちが街を覆うのである。
薄暮 たそがれ。○急雪 雪が吹雪となって降り出すことと、北方の異民族は雪に強く生き生きしていることを示す。○廻風 吹きまわす風。

瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
清酒を飲むため、自然その酒を小出しにする瓢もなげすてられている、樽盃には清酒の透き通った色が無くなってしまった。談義ができるわけもないのに炉のみは消えずにいて火が紅色を呈している。
瓢棄 略奪した酒なので、空になれば、邪魔になる。投げ捨てられるものではないものなのだ。○ 盃の大きめのものを言う。酒樽ではない。〇 清と通ずる、清酒の色をいう。濁り酒に対する語。○ 示と同じ。過去の歴史上、弾圧されていても、酒を飲んで談義をしたが、今はそれすらできないということを示す2句である。


数州消息断、愁坐正書空。
天下九州の内二三の州は叛乱軍の手にでも落ちたものかどうか消息がとだえている。それがため自分は愁えた気持ちで座敷に座り、ちょうど殷浩の様に手で空中に文字を書いて不安な気持ちを抑えるのだ。
書空 晋末に殷浩というものが官を辞めさせられ、終日手を以て空中に「咄咄怪事」の四字を書いていたという。不平のさま。




雪に対す 解説
 杜甫は、陳陶斜、青坂の敗戦がよほどショックだった。勝ち進んで長安解放を夢見ていた。軟禁状態とはいえ、叛乱軍が闊歩している都長安である。雪が降る空を見上げてこの詩を書いたのだ。
五言律詩で、はじめの二句で戦場の死者を悼み、自分は詩を吟ずるくらいしかできない老翁であると。中の四句は雪が降ったら長安の住民は何もできないのに、叛乱軍は元気いっぱい。略奪した酒は底をついたら、おいしくなるまで大事にしていた瓢箪の酒を打ち捨てている。酒を飲んで談義をするのはどんな時代でも酒で許されたものだが、今はダメなのだ。杜甫が坐している堂房から見える外の景色と室内のようすを描いているが、頼りにする王朝軍のふがいなさ、自らのわびしさ、無力感が色濃くただよっている。先行きが全く見えないからである。
最後の二句、天下は九州である。幾つかの州が反乱軍の手に落ちたことをしめしている。蜀州、霊州以外はよくて中立、ほとんど叛乱軍の手に落ちたのだ。叛乱軍に統率者がいれば、唐王朝は間違いなく滅亡していた。
 「愁え坐して正に空に書す」と言って、故事、「咄咄怪事」を空中に書いた。晋末に殷浩が時の政事を愁えて、毎日空中に「咄咄怪事」の四文字を書いていたことに基づいている。「もう、まったくなにやってるんだ」という意味の呟きであう。 杜甫も同様に「憤懣の文字を虚空に書きつけている」と言っているのだ。

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153
 
ぜったい有利であった陳陶斜に続く青坂における王朝軍の敗北が長安にいる杜甫に知らせれ、それを悲しんで作った詩である。
756年至徳元載十月に、杜甫の幼友達の房琯は自ずから安禄山の軍を討とうと請い、軍を南中北の三派分け、楊希文は南軍に将として宜寿より入り、劉恵は中軍に将として武功より入り、李光進は北軍に将として奉天より入り、房琯は自ずから中軍に将として前鋒であった。10月21日の9日目(辛丑)、中軍・北軍は賊と陳陶斜に遇って敗績し、10月23日の11日目(癸卯)に房琯は自ずから南軍を以て青坂で戦い又敗れた。このとき房琯は古法にならって車戦を用いたが、安禄山軍は風に順って火を縦って之を焚いたために人畜は大いに乱れ王朝軍の死傷する者は四万余人。陳陶斜、は咸陽県の東にあり、斜とは山沢をいう。故に詩中に陳陶沢ともいう。咸陽の東門ちかく青坂があった。製作時は至徳元載十月。五行思想での日にち計算により、辛丑:9日目、癸卯:11日目、たった11日間で敗れたのである。兵力の多さを過信した作戦面で失敗である。

官軍が10月21日、青坂で敗れたことを悲しんで作る。製作時は至徳元載十月二十三日以後。
至徳元年  756年 45歳

悲青坂   
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(王朝軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。

青坂を悲しむ

我れ青坂(せいはん)に軍して東に門在り、天寒くして馬に飲(みずか)う太白の窟(いわや)

黄頭(こうとう)の奚児(けいじ) 日に西に向かう、数騎  弓を彎()いて敢(あえ)て馳突(ちとつ)す。

山雪  河冰 野に蕭瑟(しょうしつ)たり、青(せい)は是れ烽煙(ほうえん)  白は人骨。

(いずくん)ぞ書を付して我が軍に与え、忍んで明年を待って倉卒(そうそつ)なる莫かれと言い得む。




悲青坂 現代語訳と訳註
(本文) 悲青坂 
  
我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。


(下し文) 青坂を悲しむ
我れ青坂(せいはん)に軍して東に門在り、天寒くして馬に飲(みずか)う太白の窟(いわや)。
黄頭(こうとう)の奚児(けいじ)  日に西に向かう、数騎  弓を彎(ひ)いて敢(あえ)て馳突(ちとつ)す。
山雪  河冰 野に蕭瑟(しょうしつ)たり、青(せい)は是れ烽煙(ほうえん)  白は人骨。
焉(いずくん)ぞ書を付して我が軍に与え、忍んで明年を待って倉卒(そうそつ)なる莫かれと言い得む。


(現代語訳)
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(官軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。


(訳注)
悲青坂 
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
青坂 咸陽の東門外にある地。

我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
官軍と賊軍 勝てば官軍である。時限的にとらえると表現が難しい。客観性を持たせるため、唐の王朝軍に対して、叛乱軍、安禄山軍という。賊軍というものには、この反乱に便乗して、略奪をするためだけの盗賊が含まれていたのだ。○東門 咸陽城の東の門。○飲馬 馬に水をのませること。○太白窟、太白は山の名、武功県にあり、長安を去る二百里、武功を経て東門に来たことをいう。平坦部は安禄山軍に抑えられていた。北と南から際しい山を越え鳳翔をから西を制圧し、徐々に東方の長安に迫る作戦長安から20km位の地点であった。
 
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(官軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
黄頭奚児 黄頭とは黄色の狐皮で頭をつつむことをいう。葵は東夷の部種の名、異民族の帽子の奚部族、児とは漢民族の兵士をいう。〇 日々。○向西 西とは安禄山軍は洛陽から長安そして咸陽に攻め入ろうとしている。ことを方角で示している、官軍の居る方を西という。○数騎 官退却しながら、その軍の中の三、四の騎兵。○敢馳突 安禄山軍の攻める速さを抑えるため、食い止めるために、突撃隊を編成して攻める。勝つためのものではない。
 
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
山雪河氷 山には雪がふり、河には泳が結ぶ。○蕭瑟 風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いている。○蜂煙 のろし火のけむり。○白足骨 山の白雪、河冰、川風が吹きあげ、大殺戮による屍が、おびただしい数であった様子をいう。


焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。
焉得 希望の辞。○附書 手紙をとどける。○忍待 以下が書中の意である。○倉卒 あわてるかたち。こちらの用意がととのわれ打に叛乱軍へ攻めかかることをいう。



青坂を悲しむ 解説
 陳陶斜の敗戦は彼我の戦闘方法に違いがあった。
安禄山の幽州の兵は、騎兵を中心とした機動性・突撃力の高い兵であった。対する王朝軍の総司令官の房琯は伝統的な兵法を用いた。兵車を並べ歩兵力で戦うというものだ。反乱軍の将の安守忠は川風を利用、風上から草に火を放って火煙で歩兵軍は大混乱になるのだ、無理な突撃はもはや戦いではない、ひとたまりものであった。
 敗れた房琯は太白山(陝西省武功県)の麓で兵を整えて、二日後の11月23日に青坂で対峙した。軍は西から攻めているので、東方向の門に対して布陣したことになる。「黄頭の奚児」は黄色の狐の皮物で頭を包んだ胡族の兵で、門を出た城外で挑発してきた。これに兵数騎が挑発に乗って突出し、またも大敗を喫してしまった。
 杜甫は、「国軍は力を蓄え、体制を整えてから攻め込め、今は忍耐して明年を待て」と言ってやりたいと悔しい思いを歌う。

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

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(詩の背景)
長安にいる杜甫にぜったい有利であった陳陶斜における王朝軍の敗北がしらせれ、それを悲しんで作った詩である。
756年至徳元載十月に、杜甫の幼友達の房琯は自ずから安禄山の軍を討とうと請い、軍を南中北の三派分け、楊希文は南軍に将として宜寿より入り、劉恵は中軍に将として武功より入り、李光進は北軍に将として奉天より入り、房琯は自ずから中軍に将として前鋒であった。二十一日の9日目(辛丑)、中軍・北軍は賊と陳陶斜に遇って敗績し、二十三日の11日目(癸卯)に房琯は自ずから南軍を以て戦い又敗れた。このとき房琯は古法にならって車戦を用いたが、安禄山軍は風に順って火を縦って之を焚いたために人畜は大いに乱れ王朝軍の死傷する者は四万余人。陳陶斜は咸陽県の東にあり、斜とは山沢をいう。故に詩中に陳陶沢ともいう。製作時は至徳元載十月。五行思想での日にち計算により、たった11日間で敗れたのである。兵力の多さを過信した作戦面で失敗である。
 
至徳元年 756年 10月
悲陳陶     
孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。
冬の初めの月に凡そ十郡の良家出身の兵卒たちで構成されたものだった。しかし彼等の血は流れて陳陶の沢の水となってしまったのだ。
野曠天清無戦声、四万義軍同日死。
死の後には戦場の野原はむなしくひろい、空も青々として寂しい、さらに戦の声はまったくしないのだ。あれだけの兵士、四万という忠義の兵士がたった一日のうちで死んだのである。
群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。
勝ちほこった異民族の入り混じった叛乱軍の兵士どもはもどって来て血の箭をあらい流した。そして、そのまま異民族の歌を唱えながら、長安の繁華街で酒を飲んでいるのである。
都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。
都の人たちは之を見て面をそむけて北方に向いて啼いたのだ、昼となく夜となく王朝の官軍が到著してくれればよいとみんなが望んでいるのである。

陳陶を悲しむ

孟冬(もうとう)  十郡の良家(りょうか)の子()、血は陳陶(ちんとう)沢中(たくちゅう)の水と作()る。

()(むな)しく天清くして戦声(せんせい)無し、四万の義軍  同日に死す。

群胡(ぐんこ)帰り来たって血もて箭()を洗い、仍()お胡歌(こか)を唱(うた)って都市に飲む。

都人  面(かお)を廻(めぐ)らして北に向かって啼き、日夜  更に官軍の至るを望む。





悲陳陶 現代語訳と訳註
(本文)

孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。
野曠天清無戦声、四万義軍同日死。
群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。
都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。

(下し文)
孟冬(もうとう)  十郡の良家(りょうか)の子(こ)、血は陳陶(ちんとう)沢中(たくちゅう)の水と作(な)る。
野(の)曠(むな)しく天清くして戦声(せんせい)無し、四万の義軍  同日に死す。
群胡(ぐんこ)帰り来たって血もて箭(や)を洗い、仍(な)お胡歌(こか)を唱(うた)って都市に飲む。
都人  面(かお)を廻(めぐ)らして北に向かって啼き、日夜  更に官軍の至るを望む。

(現代語訳)
冬の初めの月に凡そ十郡の良家出身の兵卒たちで構成されたものだった。しかし彼等の血は流れて陳陶の沢の水となってしまったのだ。
死の後には戦場の野原はむなしくひろい、空も青々として寂しい、さらに戦の声はまったくしないのだ。あれだけの兵士、四万という忠義の兵士がたった一日のうちで死んだのである。
勝ちほこった異民族の入り混じった叛乱軍の兵士どもはもどって来て血の箭をあらい流した。そして、そのまま異民族の歌を唱えながら、長安の繁華街で酒を飲んでいるのである。
都の人たちは之を見て面をそむけて北方に向いて啼いたのだ、昼となく夜となく王朝の官軍が到著してくれればよいとみんなが望んでいるのである。


(訳注)
このブログでは、○官軍と賊軍 勝てば官軍である。時限的にとらえると表現が難しい。客観性を持たせるため、唐の王朝軍に対して、叛乱軍、安禄山軍という。賊軍というものには、この反乱に便乗して、略奪をするためだけの盗賊が含まれていたのだ。王朝軍に対して、叛乱軍、安禄山軍ということにしている。
孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。

冬の初めの月に凡そ十郡の良家出身の兵卒たちで構成されたものだった。しかし彼等の血は流れて陳陶の沢の水となってしまったのだ。
孟冬 冬の初めの月、即ち十月。〇十郡 長安から北部十か所の郡。○良家子 良属の子弟で兵卒となったもの、囚人又は寝返りの多い召募の無頼漢ではないことをいう。

野曠天清無戦声、四万義軍同日死。
死の後には戦場の野原はむなしくひろい、空も青々として寂しい、さらに戦の声はまったくしないのだ。あれだけの兵士、四万という忠義の兵士がたった一日のうちで死んだのである。
野曠 原野の広いことがむなしく見えるさま。○無戦声 これは倒装の法で下旬の事実がある故に戦の声がないのである。仇氏は察注によって戦わずして敗れたことをいうといっているが取らぬ。○義軍 忠義の兵士、軍、即ち王朝の軍。


群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。
勝ちほこった異民族の入り混じった叛乱軍の兵士どもはもどって来て血の箭をあらい流した。そして、そのまま異民族の歌を唱えながら、長安の繁華街で酒を飲んでいるのである。
羣胡 多くの賊兵。○帰来 戦場から都市へかえってくる。○血洗箭 雪洗はそそぎあらうこと、箭の血をきよめることをいう。血沈レ箭ならば水で應鳩わず血の節を血を以て洗うということ。血の字が却って勝っているように思われる。○ そのまま。○胡歌 異民族の歌。以前から、反体制の詩として、歌われていたもの。○ 酒をのむ。○都市 長安の街のにぎやかな部分、繁華街をいう。

都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。
都の人たちは之を見て面をそむけて北方に向いて啼いたのだ、昼となく夜となく王朝の官軍が到著してくれればよいとみんなが望んでいるのである。
廻面 面を胡兵からそむけることをいう。○向北 北とは粛宗の居られる霊武の地の方向をさす。乱以前は、北方異民族の戦いに出征している人を心配することを意味したが、南にいる玄宗への期待は全くなかったのである。○官軍 粛宗のところへ賢臣たちが集結し始めたのである。太原の顔真卿の兄弟軍。粛宗のもとへは、郭子儀が参じていた。



(解説)
 杜甫が長安に軟禁されていた至徳元年(756)の八月、霊州の粛宗は自分への譲位を玄宗に求めた。その要請が成都に届くと玄宗はやむなく承認し、譲位の詔勅を起草して宰相の房琯(ぼうかん)を使者として粛宗のもとに届けさせたのだ。

 粛宗は朔方郡に出陣していた朔方節度使郭子儀(かくしぎ)の軍を霊武に呼びもどし、体制を調え、南下を始め、九月に順化(甘粛省慶陽県)にいた。房琯が譲位の詔勅をとどけたことで喜び、房琯をとどめて自分の政府の宰相に任じた。

 粛宗は房琯に首都の奪還を命じた。房琯は十郡の兵六万余を率いて南下し、西から長安に迫ったのだ。安禄山の軍との戦闘は10月21日に中軍と南軍が敗れ、23日に北軍まで敗れた。咸陽(長安の西北)の西の陳陶斜で行われ、房琯率いる王朝軍は命が下って、わずか11日で、完膚無き大敗を喫するのである。


 杜甫は長安にあって王朝軍が勝利するものと確信していたので落胆は大きかった。略奪と殺戮の叛乱軍に怒りが込み上げてくるものの、むき出しに詩にすることはできなかったのである。

 反乱軍に略奪を抑え、統治する意識を持った統率者がいたら、唐王朝は滅亡していたはずである。唐王朝の中心は何から何まで腐っていたのである。ただ、日増しに横暴になっていく叛乱軍にたいして、大敗してはいるが王朝軍への期待、世論は王朝軍へ味方していくのである。


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紀 頌之

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