漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詳注1500

杜甫の詩をあまり知られていないものも取り上げる予定。約1500首。(杜詩詳注・全唐詩・杜甫詩 総合案内時系列に整理した)青春期遊学から長安を中心に就職活動の10年、やっと就職できたら、安史の乱、騒乱の中で自分の生きる道を求めて苦悩、騒乱のない地方へ逃避紀行、成都浣花渓草堂、騒乱回避、夔州寓居、そして漂白の旅。 ブログも2011年~2018年の計画で掲載進行中。。。都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。(ここでは、訓読み下し分にできるだけルビをふりません。漢字の雰囲気で読んでほしいからで、また、意味、読みはすぐわかるようになります。)

杜甫の詩 誠実な詩人特集。2011・11月『士官がきまった。~安禄山の叛乱』期の詩。2011年12月は『反乱軍に捕まる。軟禁状態での詩』2012.1月は『反乱軍からの脱出劇、朝廷に到着・・・・』。2012.2月粛宗に許可をもらって家族を迎えに「北征」紀行を中心に掲載していきます。2012.3月は、朝廷での疎外感、やるせなさが伝わる詩です。2012.4月華州へ左遷、2012.5月三吏三別。秦州抒情9月、同谷紀行11月、成都紀行12月、2013.3現在、成都浣花渓の草堂、2013.12蜀中転々からふたたび成都草堂へ(杜甫全詩の約半分を掲載)・・・・・・そして成都を後にして、夔州へ、(2/3掲載)ここで人生の1/3の量の詩を書く。漂白の旅。紀行。杜甫の苦悩の内容的な変化、様子がよくわかります。
都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。
このブログ以外にも、李白1000首、李商隠150首、韓愈全詩・韓愈グループ、などは別のブログで掲載中 kanbuniinkai 検索で、いろんな漢文委員会HP,ブログ を今までの漢詩紹介とは違っています。
中華書局 発行 杜詩詳注 を基本に訳注解説しています。
杜甫詩の概要目録につては、http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/details1.html 参照。

左拾位での詩(9)

重經昭陵 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 230

重經昭陵 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 230

ふたたび、昭陵の地を経過したとき作る。此の詩は己に鄜州に到著の後、更に鄜州を発し長安に赴こうとするとき作ったもの。

(1)鄜州に向かう

晚行口號  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 199

徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200

九成宮」#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 201

行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203

玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

北 征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-207


(2)鄜州羌村において
喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

收京三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 227


(3)長安に向かう
・重經昭陵 杜甫 757年 冬(9月終わりころ~10月初めころ 46歳)
・左拾位
粛宗が10月19日に鳳翔を出発するのに、間に合うように、杜甫は10月の初めころには鳳翔に到着していたのであろう。

昭陵は唐の太宗の陵で、陝西省西安府醴泉県の西北六十里九嵕山に在り、封内は周囲百二十里、陪葬せられるものは諾王七、公主二十一、妃嬪八、宰相十二、丞郎三品五十三人、功臣大将軍等六十四人。太宗の乗った六駿の石像は陵後にあったが今は持ち出されている。又、陵そのものは「唐会要」に「昭陵は九嵕の層峰に因りて山の南面を穿ち、深さ七十五丈、玄宮を為る。巌に傍い梁を架して桟道を為る、懸絶すること百仞、繞回すること二百三十歩にして始めて玄宮の門に達す。頂上にも亦遊殿を起す。」とあるのによって大略をうかがうことを得る。



重經昭陵
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
風塵三尺劍,社稷一戎衣。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
翼亮貞文德,丕承戢武威。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
再窺松柏路,還見五雲飛。』

わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである


(重ねて昭陵を經【ふ】)
草昧【そうまい】 英雄 起る、謳歌【おうか】暦数【れきすう】帰す。
風塵 三尺の剣、社稷【しゃしょく】一戎衣【いちじゅうい】。
翼亮【よくりょう】文徳を貞【ただ】しくす、丕承【ひしょう】武威【ぶい】を戢【おさ】む。
聖図【せいと】天のごとく広大に、宗祀【そうし】日のごとく光輝あり。』
陵寝【りょうしん】空曲に盤【わだかま】る、熊羆【ゆうひ】翠徴【すいび】を守る。
再び窺【うかが】う 松柏の路、還た見る五雲の飛ぶを。』

杜甫乱前後の図003鳳翔

昭陵と杜甫関連地図


現代語訳と訳註
 (本文) 重経昭陵
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
風塵三尺劍,社稷一戎衣。
翼亮貞文德,丕承戢武威。
聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
再窺松柏路,還見五雲飛。』


(下し文)(重ねて昭陵を経る)
草昧【そうまい】 英雄 起る、謳歌【おうか】暦数【れきすう】帰す。
風塵 三尺の剣、社稷【しゃしょく】一戎衣【いちじゅうい】。
翼亮【よくりょう】文徳を貞【ただ】しくす、丕承【ひしょう】武威【ぶい】を戢【おさ】む。
聖図【せいと】天のごとく広大に、宗祀【そうし】日のごとく光輝あり。』
陵寝【りょうしん】空曲に盤【わだかま】る、熊羆【ゆうひ】翠徴【すいび】を守る。
再び窺【うかが】う 松柏の路、還た見る五雲の飛ぶを。』



(現代語訳)
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである


(訳注)
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
○草昧「まだ世が開けきらず、秩序が整っていないこと。未開。『易経』屯「天造草昧」とみえる。天地創造のとき、この世にまだ秩序がなく混沌こんとんとして定まらないこと。また、世の中に秩序がなく、天下のまだ定まらないことにもいう。▽「天造」は天が万物を創造すること、また、その創造物。「草」ははじめの意。また、乱雑の意。「昧」は暗い意。大宗の枕詞の様なもので、随末に世が乱れて混沌としていた時をさす。○英雄 草の秀でたものを英といい、獣の特なるものを雄という、すぐれた人物を英雄という、ここは太宗をさす。○謳歌 その人の徳をうたにつくってうたうこと。堯の民が堯亮の子を謳歌せずして舜を謳歌したことが「孟子」万章上にみえる。○暦数「論語」堯日篇にみえる、「天位ノ列次」と注する、天子の順位。○帰 太宗に帰著する。


風塵三尺劍,社稷一戎衣。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
○風塵 戦乱によっておこるかぜほこり。〇三尺剣 漢の高祖は三尺の剣を提げて天下を取った。太宗もまた同様であった。○社稷 天下をいう。〇一戎衣「尚書」武成篇に(ひとたび戎衣し、天下大いに定まる。)とみえる、周の武王がひとたび戎衣(軍服)をきて殷の紂王を討ち滅ぼしたのによって天下が大いに定まったという意、太宗も亦た同様でその国土の広さから言って実質天下統一を初めてした皇帝である。


翼亮貞文德,丕承戢武威。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
○翼亮 たすけ、たすける。太宗が高祖を輔佐したこと。○貞文徳 貞は正しくして固いこと、固く守ってかわらぬこと。文徳は平和の徳で、「尚書」大禹膜に「誕に文徳を敷く」とみえる。○丕承 丕は大に同じ、大にとは敬語である。承とは先代の意をうけること、「尚書」君牙篇、「孟子」滕文公下に「丕に承くる哉、武王の烈。」とみえる。周の武王の功烈は文王の意を継承したものだという意、太宗もまた同様である。○戢武威 戢は鳥が羽をすぼめること、その様に武力の威をとりかたづけてしまう。


聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
○聖図 太宗のはかりごと。○天広大 天のごとく広く大きい。○宗祀 宗としてまつること、宗とは祖についで大功ある君としてみることをいう。後嗣の天子が太宗をまつりそのはかりごとに遵うことをいう。〇日光輝 日のごとく光輝がある。


陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
○陵寝 山陵・寝廟。廟は木主を蔵し、寝は平生の衣冠等を蔵する建物。○盤 建築物の曲折して立つことをいう。○空曲 人無き山のくま。○熊羆 くま、びぐまのようなつよい番兵。○守 番をする。○翠徴 山の半腹以下をいう、空気がみどりにたちわたる処であるのによっていう。


再窺松柏路,還見五雲飛。』
わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである
○再窺 再とは第二回であるからいう。〇五雲 五色の雲。綵雲。


收京三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 229

收京三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 229

757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日には鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。杜甫も、10月中旬には鳳翔に帰り、粛宗と一緒に長安に帰ったのである。

製作時は757年至徳二載9月末か、10月初めの作。


收京三首其一

收京三首 其一 杜甫特集700- 227
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二

收京三首 其三 i紀頌之の漢詩 杜甫特集700- 229

生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。
兵馬に一汗かかせて長安の宮殿や御門闕を奪収した。これで明春までには叛乱軍が作った塹壕を気例に平らかにするであろう。
賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
官軍将士の凱旋するとき之を賞する歌には「杕杜」の詩篇があるし、その凱旋するころには宗廟に「さくらんぼ」がおいしい実となる仲夏のころではなかろうか。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。
これまでさまざまの異民族の騎兵軍たちが武威をかさにきていばったのである、功臣も論功行賞で高大な第宅を賜わったのである。
萬方頻送喜,無乃聖躬勞。

いまは四方から誰もがしきりに都奪回で喜んでいるのであるが、これからそんなことがくせになりそうではないか。我が唐の天子は将来のことを考慮すると却ってご自身、御労苦をされているのではあるまいか。


杜甫乱前後の図003鳳翔

現代語訳と訳註
(本文) 其三

汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。
賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。
萬方頻送喜,無乃聖躬勞。


(下し文) 京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


(現代語訳)
兵馬に一汗かかせて長安の宮殿や御門闕を奪収した。これで明春までには叛乱軍が作った塹壕を気例に平らかにするであろう。
官軍将士の凱旋するとき之を賞する歌には「杕杜」の詩篇があるし、その凱旋するころには宗廟に「さくらんぼ」がおいしい実となる仲夏のころではなかろうか。
これまでさまざまの異民族の騎兵軍たちが武威をかさにきていばったのである、功臣も論功行賞で高大な第宅を賜わったのである。
いまは四方から誰もがしきりに都奪回で喜んでいるのであるが、これからそんなことがくせになりそうではないか。我が唐の天子は将来のことを考慮すると却ってご自身、御労苦をされているのではあるまいか。

tsuki0882

 (訳注)
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。

汗馬宮閑を収め 春城賊壕を鎧らんとす。
兵馬に一汗かかせて長安の宮殿や御門闕を奪収した。これで明春までには叛乱軍が作った塹壕を気例に平らかにするであろう。
○汗馬 馬にあせをかかす、馬を労させたこと。○収 叛乱軍の手からとりおさめる。奪還する。○宮闕 長安のごてん。○春城 明春の長安城。この詩を作るのは冬であった。○鏟 けずって平らにする。○賊壕 賊は叛乱軍。防禦のために掘って置いた塹壕。

 
賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
質は応に杖杜を歌うなるべし 帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
官軍将士の凱旋するとき之を賞する歌には「杕杜」の詩篇があるし、その凱旋するころには宗廟に「さくらんぼ」がおいしい実となる仲夏のころではなかろうか。
〇杕杜(ていと) 『詩経』に「唐風」「秋杕之杜、其葉湑湑」ではじまる詩篇の名、凱旋する将帥をねぎらう詩作である。○帰 長安の都へもどること。凱旋すること。○薦桜桃 『礼記』月令篇に天子が仲夏の月に含桃を寝廟にすすめることを記してある。含桃と桜桃は同じ物でさくらんぼのこと。桃やナシ、李の花が咲き乱れるやがてさくらんぼの実を成す時節をいう。


雜虜橫戈數,功臣甲第高。
雑虜曳を横うること数主なり 功臣甲第高し
これまでさまざまの異民族の騎兵軍たちが武威をかさにきていばったのである、功臣も論功行賞で高大な第宅を賜わったのである。
○雑虜 回紇諸蕃が唐王朝軍を援助したものをさす。○橫戈 ほしいままに戈曳をふるう、武威をかりていばることをいう。○功臣 軍功ある武臣。○甲第 天子から功臣に賜わる第一等の第宅、第宅に甲乙の次第があるのである。


萬方頻送喜,無乃聖躬勞。
万方頻に書を送る 乃ち聖窮の労するなる無からんや
いまは四方から誰もがしきりに都奪回で喜んでいるのであるが、これからそんなことがくせになりそうではないか。我が唐の天子は将来のことを考慮すると却ってご自身、御労苦をされているのではあるまいか。
○萬方 四方のこと。○送喜 中央へおめでたいといいおくる。○無乃 反語、ではなかろうか、だろう。○聖窮 天子のおからだ。

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本 文

下し文

 收京三首  其一

 仙仗離丹極,妖星照玉除。

 須為下殿走,不可好樓居。

 暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。

 依然七廟略,更與萬方初。
 京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。
 其二

 生意甘衰白,天涯正寂寥。

 忽聞哀痛詔,又下聖明朝。

 羽翼懷商老,文思憶帝堯。

 叨逢罪己日,沾灑望青霄。
 京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。
 其三
 汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。

 賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。

 雜虜橫戈數,功臣甲第高。

 萬方頻送喜,無乃聖躬勞。
 京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。

收京三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 228

收京三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 228

757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日には鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。杜甫も、10月中旬には鳳翔に帰り、粛宗と一緒に長安に帰ったのである。

製作時は757年至徳二載9月末か、10月初めの作。
收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。
自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
叨逢罪己日,沾灑望青霄。
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。


京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。


京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。


京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


 DCF00206

 收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。


京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。

京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。

京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。



現代語訳と訳註
(本文) 其二

生意甘衰白,天涯正寂寥。
忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。
叨逢罪己日,沾灑望青霄。


(下し文) 京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。


(現代語訳)
自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。


(訳注)
生意甘衰白,天涯正寂寥。
生意裏白を甘んず 天涯正に寂蓼

自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
生意 いきているこころのなか。○衰白 老衰して頭髪の白いこと。○天涯 天のはて。鄜州は艱難をして行きついたいなかであるため長安よりみて天の果ての様なとところである。


忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
忽ち聞く哀痛の詔 又聖明の朝より下るを
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
哀痛詔 天子が自ずからをいたまれるみことのり。○又下 一回ではないことをいう。


羽翼懷商老,文思憶帝堯。
羽翼商老を懐い 文思帝亮を憶う
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
羽翼、商老 商老は商山の四皓(四人の老人)、漢の高祖のとき張良の計によって老人は山より出て来て高祖の太子の輔佐役となった。羽翼とは輔佐となることをいう。詩意は李泌が広平王僻の輔佐となってくれたならばとおもうことをいう。杜甫自身補佐役であることを示している。綺皓という表現をつかう。秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。○文思 「克典」 の序に見える。智が天地を経緯するに足ることを文といい、智の深いことを恩という、堯の徳をのべた辞である。○帝堯 玄宗をいう。


叨逢罪己日,沾灑望青霄。
叨りに己を罪するの日に逢い 沸を濾ぎて青零を望む
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。
 謙遜の辞。○罪己 天子が自己を罪せられること、自分がわるかったと仰せられること。○潅沸 沸は鼻水。○青零 あおぞら。長安の天をいう。

 

商山の四皓
唐の李陽氷の『草堂集』序には次のようにいっている。
天宝中、皇祖(玄宗) 詔を下して徴し、金馬(門)に就かしむ。輦を降り歩して迎え、綺皓を見るが如く、七宝の牀を以って食を賜う。御手もて羹を調え以って之に飯し、謂いて日わく、
「卿は是れ布衣にして、名は朕の知るところと為る、素より道義を蓄うるに非ざれは、何を以って此に及ばんと。」
金堂殿に置き、翰林中に出入せしめ、問うに国政を以ってし、潜かに詔誥を草せしむ。人知る者なし。
「金馬」門は、漢代の名で、唐では、大明宮の右銀台門を指し、この門を入ると、学士院・翰林院があり、その奥に金鑾殿がある。「綺皓」は秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。富貴に恬淡たる人物たちである。
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收京三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 227

收京三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 227

757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日には鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。
杜甫も、10月中旬には鳳翔に帰り、粛宗と一緒に長安に帰ったのである。

製作時は757年至徳二載9月末か、10月初めの作。


DCF00206

 收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。


京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。

京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。

京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。
天子の儀杖が御所から離れられる様に上皇玄宗はお逃げになった。妖星の光である叛乱軍が御殿の丹砂の土えんを照らしているのである。(即ち安禄山等の兵勢であった。)
須為下殿走,不可好樓居。
同じように梁の武帝も謀叛により、天子は御殿から逃げ出すのにはだしで走るというものである、もとより宮殿は天界か、仙界かというもので、驪山の梧桐生活を好んでいるという風であってはならないのである。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。
ここに及んで上皇が堯帝の様にたとえ耐え難い屈辱として駕を取って出直されたのであるし、また同じように燕将ともいうべき燕の地を本拠地とする安史軍の将を降す矢ぶみはすこしは発せられていることでもある。
依然七廟略,更與萬方初。

やがて天下ももとどおりに平定するであろうし、幸にも我が大唐の歴代の七廟略は依然として存在しているのである。天子は今後、天下四方とともに従前のしかたをやりなおす様にしなければならないのである。
其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。



京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。


京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。


京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


 現代語訳と訳註
(本文) 收京三首其一

仙仗離丹極,妖星照玉除。
須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。
依然七廟略,更與萬方初。


(下し文) 収  京三首 (京を収む 三首)
仙伎丹極を離れ 妖星玉除を照らす
須らく下殿の走を為すぺし 楼居を好む可らず
暫く汾陽の駕を屈す 柳か飛ばす燕将の書
依然たり七廟の略 更に万方と初めん


(現代語訳) 京を収む 三首 其一
天子の儀杖が御所から離れられる様に上皇玄宗はお逃げになった。妖星の光である叛乱軍が御殿の丹砂の土えんを照らしているのである。(即ち安禄山等の兵勢であった。)
同じように梁の武帝も謀叛により、天子は御殿から逃げ出すのにはだしで走るというものである、もとより宮殿は天界か、仙界かというもので、驪山の梧桐生活を好んでいるという風であってはならないのである。
ここに及んで上皇が堯帝の様にたとえ耐え難い屈辱として駕を取って出直されたのであるし、また同じように燕将ともいうべき燕の地を本拠地とする安史軍の将を降す矢ぶみはすこしは発せられていることでもある。
やがて天下ももとどおりに平定するであろうし、幸にも我が大唐の歴代の七廟略は依然として存在しているのである。天子は今後、天下四方とともに従前のしかたをやりなおす様にしなければならないのである。


(訳注) 京を収む 三首 其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。

仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
天子の儀杖が御所から離れられる様に上皇玄宗はお逃げになった。妖星の光である叛乱軍が御殿の丹砂の土えんを照らしているのである。(即ち安禄山等の兵勢であった。)
仙仗 天子の儀使、仙の字は天子をさす、仗は儀式のとき執って並ぶ旗刺物類。○ ごてんから離れ去ること。○丹極 御殿をいう、丹は宮廷に丹泥をぬるゆえにいう、極は動かないその中心をいう。天子の位居をいい、上皇(玄宗)についていう。○妖星 あやしい不祥の星、凡そ二十一種ある。○玉除 除は土えん、階下をいう、玉はうつくしいこと、此の句は叛乱軍(混成軍である)のトップ安禄山についていう。


須為下殿走,不可好樓居
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
同じように梁の武帝も謀叛により、天子は御殿から逃げ出すのにはだしで走るというものである、もとより宮殿は天界か、仙界かというもので、驪山の梧桐生活を好んでいるという風であってはならないのである。
下殿走 諺に(熒惑(星名)南斗に入り、天子殿を下って走る。」という、『玉台新詠』を編纂させた文人の梁の武帝は反乱勃発に、首都建康を包囲されたが、洗足で殿より下った。○好楼居 「漢書」武帝紀に公孫卿がいうのに、「仙人ハ楼居ヲ好ム」と、此の詩句は玄宗と楊貴妃とのことをいう、玄宗の驪山の梧桐生活は仙人楼居の生活のごとくである。


暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
ここに及んで上皇が堯帝の様にたとえ耐え難い屈辱として駕を取って出直されたのであるし、また同じように燕将ともいうべき燕の地を本拠地とする安史軍の将を降す矢ぶみはすこしは発せられていることでもある。
○暫屈 屈とは地位の高いものが身をかがめて卑いことを為すことをいう。○汾陽駕 「荘子」に堯が四子を藐姑射の山、汾水の陽に見、窅然(ようぜん)として其の天下を喪ったとある。玄宗が蜀へ出奔したことを堯が有道の人を見るために汾陽へ行ったことを以てたとえていう。○燕将書 燕将を降参させる手紙をいう。戦国の時、燕の将が聊城を攻め下してこれを守った、田単がこれを攻めても下すことができなかったが、魯仲連が矢に書をくくって城中に射こんだところが燕将は感じ泣いて自殺したことをいう。これは唐王朝軍より安史軍を降らしめる書をとばすことをいう。故事に言うがこの時の叛乱側には、書を読み取るものは全くいなかった。


依然七廟略,更與萬方初。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。
やがて天下ももとどおりに平定するであろうし、幸にも我が大唐の歴代の七廟略は依然として存在しているのである。天子は今後、天下四方とともに従前のしかたをやりなおす様にしなければならないのである。
依然 もとどおり。〇七廟略 天子は七廟を置く、長安北にある、廟にて国家の大事についての謀略を定めたとある。故に国謀を廟略という。〇万万 天下四方というのも同じ。○ 更始の義、これまでとはやり方を変えて新しく始めることをいう。
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喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 226

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 226


杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。


<#3 の要旨>
唐王朝軍の連合軍が長安に迫って、長安城の郊外を制圧した。鳳翔の行在所にはウイグルの兵士が警護をしている。状況だが、間もなく天子、粛宗が長安の都に入城されるであろう。
入城されたなら、これだけ多くの人が亡くなったのであるから喩え叛乱軍が降参しても許さず、生かしておいてはならない。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。


喜聞官軍已臨賊寇 二十韻

#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。
天子は今の御考えは、長安大明王宮の御所の丹墀のそばに帰れると思され、その行幸のときには飾り立てた御警衛の行列がかたくお守りをするものである。
花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。
此輩感恩至,羸浮何足操。
花門・拓羯の兵士たちは唐の天子に対する御恩を感じて参加している。叛乱軍の強いやつ等を退治してくれればそれでよいので、どうして老幼のような弱い兵士などをとらえる必要がありはしないのだ。
鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
味方の前鋒隊はまっさきかけて戦い、戦衣は血にそまるのだ、また、味方の騎隊は突出してそのふりかざす剣は毛皮の吹く毛をきりたつばかり切れ味がよいものだ。
喜覺都城動,悲連子女號。
これまでの状況は、戦死者の遺族である子女等が悲しんで泣き叫んでいるのをみると気の毒に思うのであるが、長安城の人の大体は大喜びでその喜びのために城郭内が揺れ動くかのように自覚するのである。
家家賣釵釧,只待獻春醪。」

城内の家々の婦人たちが簪、腕飾りを売って、それで買って春の一番の芳しい酒を連合軍がはいって来たら奉げてやろうと待っているのである。


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。
#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
#3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


現代語訳と訳註
(本文) #4

睿想丹墀近,神行羽衛牢。
花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。
鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。
家家賣釵釧,只待獻春醪。」


(下し文) #4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


(現代語訳)
天子は今の御考えは、長安大明王宮の御所の丹墀のそばに帰れると思され、その行幸のときには飾り立てた御警衛の行列がかたくお守りをするものである。
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。
花門・拓羯の兵士たちは唐の天子に対する御恩を感じて参加している。叛乱軍の強いやつ等を退治してくれればそれでよいので、どうして老幼のような弱い兵士などをとらえる必要がありはしないのだ。
味方の前鋒隊はまっさきかけて戦い、戦衣は血にそまるのだ、また、味方の騎隊は突出してそのふりかざす剣は毛皮の吹く毛をきりたつばかり切れ味がよいものだ。
これまでの状況は、戦死者の遺族である子女等が悲しんで泣き叫んでいるのをみると気の毒に思うのであるが、長安城の人の大体は大喜びでその喜びのために城郭内が揺れ動くかのように自覚するのである。
城内の家々の婦人たちが簪、腕飾りを売って、それで買って春の一番の芳しい酒を連合軍がはいって来たら奉げてやろうと待っているのである。


(訳注)
睿想丹墀近,神行羽衛牢。
天子は今の御考えは、長安大明王宮の御所の丹墀のそばに帰れると思され、その行幸のときには飾り立てた御警衛の行列がかたくお守りをするものである。
零想 天子のみおもい。○丹墀 御所のあかすなを敷いた土えん。丹の庭から階段謁見場所に至るすべて赤く作られている。○神行 天子の行をいう。○羽衛 羽をかざったはたさしものをたて並べた警衛。


花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。
花門 回紇ウイグルをさす。堡の名であるが回紇種族(ウイグル騎馬民族)そのものをさす。元来、居延海(寧夏省の西北境にある湖水)の北にある要塞の名であるが、当時その地点は回紇の領土としていたところからこの名前を使った。『唐書』地理志「甘州寧寇軍の東北に、居延海あり、又北三百里にして、花門山堡あり、又東北千里にして、回紇の衙帳に至る。」○ 勢いよく飛びあがる。騎馬兵であること。○絶漠 遠い沙漠。四方の地の果ては絶壁となって、海となる。○拓羯 拓羯は夷語、戦士の義という。ここでは安西(唐時交河城或は亀茲に都護府を置いた)の兵をさす。○臨洮 甘粛省鞏昌府岷州治。

 
此輩感恩至,羸浮何足操。
花門・拓羯の兵士たちは唐の天子に対する御恩を感じて参加している。叛乱軍の強いやつ等を退治してくれればそれでよいので、どうして老幼のような弱い兵士などをとらえる必要がありはしないのだ。
○此輩 花門・拓羯をさす。○唐の天子の恩。〇歳停 つかれたとりこ、賊中の老幼のとりこをいう。○ 執に同じ、とらえること。


鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
味方の前鋒隊はまっさきかけて戦い、戦衣は血にそまるのだ、また、味方の騎隊は突出してそのふりかざす剣は毛皮の吹く毛をきりたつばかり切れ味がよいものだ。
○鋒先 先は先だちすすむこと、鋒は官軍の鋭鋒。○騎突 突は突き出ること、騎は官軍の騎兵。○剣吹毛 千将の名剣は吹く毛や遊べる塵を決つという。


喜覺都城動,悲連子女號。
これまでの状況は、戦死者の遺族である子女等が悲しんで泣き叫んでいるのをみると気の毒に思うのであるが、長安城の人の大体は大喜びでその喜びのために城郭内が揺れ動くかのように自覚するのである。
喜覚、悲憐 書は都城の人に、悲は子女に属す、覚と憐とは作者に属す。○都城動 都城は長安をいう。動はさわぐことの甚しいことをいう。○子女号 男子女児等の泣きさけぶこと、これはなかには戦死者の家族のあることをいう、此の句は喜覚の句が主で、倒句のように読む。


家家賣釵釧,只待獻春醪。」
城内の家々の婦人たちが簪、腕飾りを売って、それで買って春の一番の芳しい酒を連合軍がはいって来たら奉げてやろうと待っているのである。
釵釧 簪、腕飾り。○ 官軍にささげる、たてまつる。○春醪 春の一番の芳しい酒。


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喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 225

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 225

杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。

<#1の要旨>
唐王朝軍の連合軍が長安に迫って、長安城の郊外を制圧した。鳳翔の行在所にはウイグルの兵士が警護をしている。状況だが、間もなく天子、粛宗が長安の都に入城されるであろう。
入城されたなら、これだけ多くの人が亡くなったのであるから喩え叛乱軍が降参しても許さず、生かしておいてはならない。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。
天下兵馬大元帥の職はかたじけなくも皇族のお方(広平王倣)に帰したし、司空(郭子儀)は副元帥となって豹韜の軍略をにぎっておられる。
前軍蘇武節,左將呂虔刀。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。
唐の軍、連合軍の兵力と意気のいかめしさは飛ぶ鳥もおそれてそこから避けて方向を転じている、連合軍の威名でもって、大きなうみがめ(叛乱軍の魁)を水底に沈ませることができるというものだ。
戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
官軍の戈や小矛は隊列が整得られ勝ち組である雪の様な白いてんかいとなるのだ、そうなると弓や矢はどんな毛筋ほどのちいさなものに向ってよく射あてるのだ。(叛乱軍かどこに隠れても見逃さない)
天步艱方盡,時和運更遭。
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。
誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」

毒や虫の針のような悪者どもがまだのこっているとだれがいうか、そんなものは残りはしない。もはや叛乱軍のいかがわしさにはすっかり熱湯をかけてあらいきよめた様なものだ。』
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。
#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
#3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」

#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』



現代語訳と訳註
(本文) #3

元帥歸龍種,司空握豹韜。
前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。
戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。
誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」


(下し文) #3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」


(現代語訳)
天下兵馬大元帥の職はかたじけなくも皇族のお方(広平王倣)に帰したし、司空(郭子儀)は副元帥となって豹韜の軍略をにぎっておられる。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
唐の軍、連合軍の兵力と意気のいかめしさは飛ぶ鳥もおそれてそこから避けて方向を転じている、連合軍の威名でもって、大きなうみがめ(叛乱軍の魁)を水底に沈ませることができるというものだ。
官軍の戈や小矛は隊列が整得られ勝ち組である雪の様な白いてんかいとなるのだ、そうなると弓や矢はどんな毛筋ほどのちいさなものに向ってよく射あてるのだ。(叛乱軍かどこに隠れても見逃さない)
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。
毒や虫の針のような悪者どもがまだのこっているとだれがいうか、そんなものは残りはしない。もはや叛乱軍のいかがわしさにはすっかり熱湯をかけてあらいきよめた様なものだ。』


(訳注)#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。

天下兵馬大元帥の職はかたじけなくも皇族のお方(広平王倣)に帰したし、司空(郭子儀)は副元帥となって豹韜の軍略をにぎっておられる。
元帥 広平王をいう。○竜種 皇族であることをいう。龍は唐王朝の太宗の子孫血縁の天子をいう。○司空 郭子儀、時に副元帥となる。朔方軍の司令官で、安禄山が叛乱して後、この時までの最大の功労者。。○豹韜 中国の兵法の書「六韜」は文・武・竜・虎・豹・犬の六部に分かち、豹の部が豹韜である。
 
前軍蘇武節,左將呂虔刀。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
前軍 前鋒、李嗣業の軍をいう。○蘇武節 漢の武帝の時、蘇武は匈奴に使者となり、帰って典属国(外国との交渉掛り)の官となった。李嗣業の軍はウイグルの兵を率いるので蘇武を以て比する、節は使者の見印のはた。○左将 朔方左廂兵馬使僕固懐恩をいう、香積の戦に懐恩は賊を撃って殆どこれを殲滅した。○呂虔刀 晋の呂虔が徐州の刺史として王祥を召して司馬となした。虔の佩刀を刀工が相していうには三公の服すべきものであると。虔は乃ちこれを王祥に与えた。懐恩も亦た公位に居るべきほどのものであることをいう。


兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。
唐の軍、連合軍の兵力と意気のいかめしさは飛ぶ鳥もおそれてそこから避けて方向を転じている、連合軍の威名でもって、大きなうみがめ(叛乱軍の魁)を水底に沈ませることができるというものだ。
兵気 兵は官軍の武器をいう、兵気は武器精鋭の気。○回飛鳥 回は回避せしめることをいう。○威声 官軍のつよいという評判。○没巨鰲 没とは水の底に深くしずんでしまう。巨鰲はうみがめ、安禄山が200㎏とも250㎏といわれおなかが床に付きそうなくらいに肥満であったという。それ以来、叛乱軍の魁(かしら)をたとえていう。巨鰲は酔い喩えには使われない。


戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
官軍の戈や小矛は隊列が整得られ勝ち組である雪の様な白いてんかいとなるのだ、そうなると弓や矢はどんな毛筋ほどのちいさなものに向ってよく射あてるのだ。(叛乱軍かどこに隠れても見逃さない)
戈鋌 鋌は小さい矛。○雪色 刃のしろいことをいう。隊列がそろうためその刃の白さが集まってゆきのようだとする。逃げる軍は黒である。蜘蛛の子を散らすなどと。城が勝ち、黒が負けということ。○向秋毫 秋毫は秋の獣毛、秋になると同じ毛根からけが多く生えて毛が細くて多くなる。「向秋毫」とはどんな微細なものにも中(あた)ることをいう。ここではどんな小さな的でも必ず外さないことをいう。


天步艱方盡,時和運更遭。
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。
○天歩 天も味方をする「天のあゆみ」というのは天運という国家の運命。○ なんぎ 〇時和 四時陰陽の気がよく調和すること。五行思想で四時の気は木・火・金・水であり、春夏秋冬、東西南北、すべての時が一致する。何もかにも味方することをいう。○運更遭 そのめぐりあわせにまたあう。
 
誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
毒や虫の針のような悪者どもがまだのこっているとだれがいうか、そんなものは残りはしない。もはや叛乱軍のいかがわしさにはすっかり熱湯をかけてあらいきよめた様なものだ。』
遺毒螫 遺は残存すること、毒螫ほどく虫のはり、叛乱軍をさしていう。○沃腥臊 沃とは熱湯をそそぎかけること、腥臊はなまぐさいこと、なまぐさいとは叛乱軍のいかがわしさをさす。

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喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 224

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杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。


<#1の要旨>
唐王朝軍の連合軍が長安に迫って、長安城の郊外を制圧した。鳳翔の行在所にはウイグルの兵士が警護をしている。状況だが、間もなく天子、粛宗が長安の都に入城されるであろう。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
五原空壁壘,八水散風濤。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
今日看天意,遊魂貸爾曹。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
乞降那更得,尚詐莫徒勞。」

あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』

#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。
#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。

#3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


現代語訳と訳註
(本文) #2

路失羊腸險,雲橫雉尾高。
五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。
乞降那更得,尚詐莫徒勞。」


(下し文) #2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。


(現代語訳)
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』


(訳注)#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
路失 失はこれまで有ったが今はなくなること。○羊腸険 羊のはらわたのようにうねうねと曲った路のある山険。○雲横 この雲は実物ではなく雉尾扇のむらがるのをたとえていう辞。天上と朝廷、仙人・天上の神は天子、であり、時には天子は雲に乗った龍なのである。○雉尾高 天子の大駕の歯簿には雉尾障扇・小団雉尾扇・方雑尾扇・小雉尾扇等のたぐいがある。雉尾とは雉の尾で作ったうちわ。天子の行くところは、天上と同じということを示すもの。天子の神聖化、カリスマ化のための雰囲気づくりの一貫。


五原空壁壘,八水散風濤。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
五原 長安附近の五つの原(高地)をいう、畢原(ひつげん)・白鹿原・少陵原・高陽原・細柳原のこと。○空壁墨 とりでだけがいたずらに存する、無用となり役に立たぬこと。〇八水 涇水・滻水・㶚水・澇水・滈水・灃水・潏水の八つを関内八水と称する。○散風涛 散とは集の反対、今までは風涛が多く集まっていたが今は散らばってなくなった。

長安 五原八水00

今日看天意,遊魂貸爾曹。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
天意 天のこころ。○遊魂 ふらふらしたたましい。○貸爾曹 爾菅は汝等、汝等とは賊軍をさす、貸はかしあたえる。


乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』
乞降 降参をたのむ。○那更得 どうしてできようぞ、降参もできぬとは必ず誅殺されるべきことをいう。○尚詐いつわりをとうとぶ、官軍に対し詐略を用いること。○莫徒労 莫は反語、徒労はむだばねをおること。


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9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。

都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。

#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。

#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
#3
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


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現代語訳と訳註
(本文) #1

胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。


(下し文) #1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。


(現代語訳)
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。


(訳注)
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。

叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
胡虜 異民族の騎兵。異民族は騎馬民族であり、騎兵戦法をとる。農耕民族は歩兵、兵車戦法をとる。異民族の騎兵軍隊には騎士の数より2倍以上の駿馬を用意している。○ のがれかくれる。○京県 都近くの県。○官軍 広平王の率いる連合軍をさす。この時ウイグル軍は駿馬を一万五千頭揃えたといわれている。その引き起こす砂塵で叛乱軍は退いたといわれる。○擁賊壕 叛乱軍の拠った塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。


鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
鼎魚 かなえの中で煮られる魚、賊の危いことをたとえていう。○仮息 いきふくことをかし与えてある、しばし生命をあずけておくこと。○穴蟻 穴のなかのあり、これも賊の危さをたとえていう。○何逃 何は何処の意。


帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
帳殿 本殿の周りにテント張りで守りをつくる御殿、皇帝の旅の仮のお住まいという意味。鳳翔の行在所をいう。○ ならぶこと。○玄冕(げんべん) くろいかんむり、公卿の礼冠。○轅門 軍門、軍中の門は轅(くるまのながえ)を以てつくる。○ でりかがやく。〇白袍 白いうわざ、これは援助に来た回紇のきる衣。イスラム地域の服装。
 

秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。
泰山 長安附近の山をいう。○当警蹕(けいひつ) 当(あたる)とは警蹕すべき地位にあることをいう、警蹕は天子の出入に道路上の人払いをすること、出る時には警といい、入る時は蹕と称する。○漢苑 長安にある唐の御苑をいう。〇入旌旄(せいぼう) 旌旄は王朝軍のはた。入るとは、皇帝の行軍にはおびただしい数のはたのたてられる範囲内にはいることをいう。


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羌村三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 222

羌村三首 其三
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。
駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。
父老四五人、問我久遠行。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。
手中各有携、傾榼濁復清。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。
莫辞酒味薄、黍地無人耕。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
兵革既未息、児童尽東征。
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
請為父老歌、艱難愧深情。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。
歌罷仰天嘆、四座涙縦横。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ


其の三 
群鶏(ぐんけい)  正(まさ)に乱叫(らんきょう)し、客至るとき鶏(にわとり)闘争す。
鶏を駆(か)って樹木に上(のぼ)らしめ、始めて柴荊(さいけい)を扣(たた)くを聞く。
父老(ふろう)  四五人、我が久しく遠行(えんこう)せしを問う。
手中(しゅちゅう) 各々(おのおの)携うる有り、榼(こう)を傾くれば  濁(だく)復(ま)た清(せい)。

辞する莫(なか)れ 酒味(しゅみ)の薄きを、黍地(しょち)  人の耕(たがや)す無し。
兵革(へいかく)  既に未(いま)だ息(や)まず、児童(じどう)  尽(ことごと)く東征す。
請(こ)う  父老(ふろう)の為に歌わん、艱難(かんなん)  深情(しんじょう)に愧(は)ず」と。
歌(うた)罷(や)んで  天を仰いで嘆(たん)ずれば、四座(しざ)  涙縦横(じゅうおう)たり。


現代語訳と訳註
(本文)
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
父老四五人、問我久遠行。
手中各有携、傾榼濁復清。
莫辞酒味薄、黍地無人耕。
兵革既未息、児童尽東征。
請為父老歌、艱難愧深情。
歌罷仰天嘆、四座涙縦横。


(下し文)
群鶏(ぐんけい)  正(まさ)に乱叫(らんきょう)し、客至るとき鶏(にわとり)闘争す。
鶏を駆(か)って樹木に上(のぼ)らしめ、始めて柴荊(さいけい)を扣(たた)くを聞く。
父老(ふろう)  四五人、我が久しく遠行(えんこう)せしを問う。
手中(しゅちゅう) 各々(おのおの)携うる有り、榼(こう)を傾くれば  濁(だく)復(ま)た清(せい)。

辞する莫(なか)れ 酒味(しゅみ)の薄きを、黍地(しょち)  人の耕(たがや)す無し。
兵革(へいかく)  既に未(いま)だ息(や)まず、児童(じどう)  尽(ことごと)く東征す。
請(こ)う  父老(ふろう)の為に歌わん、艱難(かんなん)  深情(しんじょう)に愧(は)ず」と。
歌(うた)罷(や)んで  天を仰いで嘆(たん)ずれば、四座(しざ)  涙縦横(じゅうおう)たり。


(現代語訳)
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ。



(訳注) 羌村三首 其の三
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。


駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。


父老四五人、問我久遠行。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。


手中各有携、傾榼濁復清。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。


莫辞酒味薄、黍地無人耕。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
黍地 きびの畑。耕す人は酒をつくる人が少ないこと。


兵革既未息、児童尽東征
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
兵革 「兵」は刀・槍などの武器、「革」は鎧(よろい)・兜(かぶと)の意。古くは「へいがく」とも》 1 戦争のための武器・甲冑(かっちゅう)。兵甲。 2 戦争。たたかい。


請為父老歌、艱難愧深情。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。


歌罷仰天嘆、四座涙縦横。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ。


解説

 鶏が騒ぐので村の長老たちも帰還の祝いにやってきたのがわかった。都朝廷の左拾遺である。村人たちにとっては天子の謁見できる高官である。村人の心深い酒を情けに涙するのである。

村の長老たちは酒の味が薄いのは、若者が戦争に出てしまって畑を耕す者がいないからだと弁解なのか、苦しみを訴えるのか、早くいくさがなくなることを心から願うのである。
 杜甫は村人のために詩を詠うのである。艱難辛苦の時代、誰もが同じ思いの宴であった。
この詩の特徴は、杜甫には珍しく平易な語句で作られている。おそらく、村人にその場で披露し他ものであろう。平易で心温まる詩である。

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羌村三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 221

羌村三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 221


杜甫は鳳翔からごしゅう鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-宜君県-鄜州という経路で帰っていった。
「遠愧梁江總,還家尚黑頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
鄜州の羌村に到著し家族にやっとあえた。鄜州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。
 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳


羌村三首
其一
崢嶸赤雲西,日腳下平地。柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。夜闌更秉燭,相對如夢寐。』
其二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。嬌兒不離膝,畏我複卻去。
憶昔好追涼,故繞池邊樹。蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
賴知禾黍收,已覺糟床注。如今足斟酌,且用慰遲暮。』
其三
群雞正亂叫,客至雞鬥爭。驅雞上樹木,始聞叩柴荊。
父老四五人,問我久遠行。手中各有攜,傾榼濁複清。
苦辭酒味薄,黍地無人耕。兵革既未息,兒童盡東徵。
請為父老歌,艱難愧深情。歌罷仰天嘆,四座淚縱橫。


羌村三首 其二
晩歳迫偸生、還家少歓趣。
この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
嬌児不離膝、畏我復却去。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
憶昔好追涼、故繞池辺樹。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
蕭蕭北風勁、撫事煎百慮。
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると  胸に憂いが満ちてくるのである。
頼知禾黍収、已覚糟牀注。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
如今足斟酌、且用慰遅暮。

この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。

羌村 三首  其の二
晩歳(ばんさい)  生を偸(ぬす)むに迫られ、家に還(かえ)れども歓趣(かんしゅ)少なし。
嬌児(きょうじ)は膝(ひざ)を離れざりしも、我を畏(おそ)れて復(ま)た却(しりぞ)き去る。
憶う昔  好(よ)く涼(りょう)を追い、故に池辺(ちへん)の樹(じゅ)を繞(めぐ)りしを。
蕭蕭(しょうしょう)として北風(ほくふう)勁(つよ)く、事を撫(ぶ)すれば百慮(ひゃくりょ)煎(に)る。
頼(さいわい)に知る  禾黍(かしょ)の収めらるるを、已に覚(おぼ)ゆ  糟牀(そうしょう)に注ぐを。
如今(じょこん)   斟酌(しんしゃく)するに足る、且(か)つ用(も)って遅暮(ちぼ)を慰めん。


現代語訳と訳註
(本文) 羌村三首 其二

晩歳迫偸生、還家少歓趣。
嬌児不離膝、畏我復却去。
憶昔好追涼、故繞池辺樹。
蕭蕭北風勁、撫事煎百慮。
頼知禾黍収、已覚糟牀注。
如今足斟酌、且用慰遅暮。

(下し文) 羌村 三首  其の二
晩歳(ばんさい)  生を偸(ぬす)むに迫られ、家に還(かえ)れども歓趣(かんしゅ)少なし。
嬌児(きょうじ)は膝(ひざ)を離れざりしも、我を畏(おそ)れて復(ま)た却(しりぞ)き去る。
憶う昔  好(よ)く涼(りょう)を追い、故に池辺(ちへん)の樹(じゅ)を繞(めぐ)りしを。
蕭蕭(しょうしょう)として北風(ほくふう)勁(つよ)く、事を撫(ぶ)すれば百慮(ひゃくりょ)煎(に)る。
頼(さいわい)に知る  禾黍(かしょ)の収めらるるを、已に覚(おぼ)ゆ  糟牀(そうしょう)に注ぐを。
如今(じょこん)   斟酌(しんしゃく)するに足る、且(か)つ用(も)って遅暮(ちぼ)を慰めん。


(現代語訳)
この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると  胸に憂いが満ちてくるのである。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。


(訳注) 羌村 三首  其の二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。

この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
晚歲 年の暮れ。歳末。年末。ここでは、閏八月を年の暮れとは言えないので46歳になっていることを強調している晩年ということ。○偷生 順序、次第のある生活。すじみちのある生活。士官かなって先祖の順番に会うことになる。○歡趣 そのものが感じさせる風情。しみじみとした味わい。


嬌兒不離膝,畏我複卻去。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
嬌兒不離膝 『北征』では「見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。」(耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。)とある。北徵 #5(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212を参照。


憶昔好追涼,故繞池邊樹。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
 756年夏、白水県からこの地に疎開してきたときのことを言う。


蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると 胸に憂いが満ちてくるのである。
○撫 いろいろ考えて心の中で撫でまわす。


賴知禾黍收,已覺糟床注。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
賴知 都合よく~を知る。 ○禾黍收 稲と黍の豊作であった。前年までは長雨と日照りが交互に続いていた心配事の一つである。○糟床 酒を搾る台。


如今足斟酌,且用慰遲暮。』
この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。



解説
 杜甫も、生死の際を歩いてきた。霊武に向かうのに馬を強奪され、蘆子関で捕縛された時は死を意識している。そして、このたび鳳翔から帰ってくるにも当初は徒歩で旅を始めている。そうした苦労を経てきつい顔をしていたのであろう、なついていたわが児が、久しぶりに帰ってきた父親が時に変化するので怖かったのではなかろうか。
 ここ数年、天候は不順で餓死者が多く出たが、今年は本作だったことは何よりである。
 妻は、夫のためを思い、酒を搾ってくれたのであろう。朝廷の左拾位であることは、親族にとって自慢のことで嬉しいのである。
 杜甫の視点は男尊女卑、身分制度の厳格な貴族時代にあって、他の詩人と違って妻子、女性に対する優位性、支配性というのもが感じられない。
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杜甫は鳳翔から鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-銅川―宜君県-鄜州・羌村という経路で帰ってきた。
杜甫乱前後の図003鳳翔

「遠愧梁江總,還家尚黑頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
鄜州の羌村に到著し家族にやっとあえた。鄜州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。

 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳

220.羌村三首
其一
崢嶸赤雲西,日腳下平地。柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。夜闌更秉燭,相對如夢寐。』
其二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。嬌兒不離膝,畏我複卻去。
憶昔好追涼,故繞池邊樹。蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
賴知禾黍收,已覺糟床注。如今足斟酌,且用慰遲暮。』
其三
群雞正亂叫,客至雞鬥爭。驅雞上樹木,始聞叩柴荊。
父老四五人,問我久遠行。手中各有攜,傾榼濁複清。
苦辭酒味薄,黍地無人耕。兵革既未息,兒童盡東徵。
請為父老歌,艱難愧深情。歌罷仰天嘆,四座淚縱橫。


羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』

久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。

羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。



現代語訳と訳註
(本文)羌村 三首 其一

崢嶸赤雲西,日腳下平地。
柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。
世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。
夜闌更秉燭,相對如夢寐。』

(下し文) 羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

(現代語訳)
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。


(訳注)
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
〇崢たかくそびえるさま。○赤雲西 赤雲は夕焼けの赤いくも。とり西とは「西より」の意、下句の「日脚」と関係する。○日脚 太陽の光線の横あし。雲間を透して斜めに地上に続いた太陽光線をいう。杜甫『茅屋爲秋風所破歌』「雨脚如麻未断絶」とつかう。○平地 黄土高原の雄大な平地において日が落ちるに従って光線は地平線と平行するようになる。平原の雄大さを強調する語の使い方である。


柴門鳥雀噪、帰客千里至
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
鳥雀噪 鵠(かささぎ)がさわげば旅人がかえってくると故事がある。杜甫の詩では子供らが騒がしくしていることを雀に喩える。故事の意味と実際の騒ぎとをとったものである。○帰客 もどってきた旅人。


妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
妻孥 妻子。○怪我在 在は存在、生存をいう。○驚定定とはおちつくこと。


世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
飄蕩 あちらこちらとただよわされる、漂泊の生活をいう。○生還 いきてもどる。○偶然遂 ふとなしとげ得た、予定はできなかったことをいう。


隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
隣人 近所の人たち。○牆頭 我が家の土塀の頭越し。○亦 彼等もまた我等とともに。○歔欷 すすりなきする。


夜闌更秉燭、相対如夢寐。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。
夜闌 闌はさかりをすぎるころ。○更秉燭 さらにろうそくをとって火をつけたす。夜を徹しての長話を意味する。○相対 家人とむきあう。○如夢寐 ねて夢をみているようだ、自分で自分の存在が疑われることをいう。ほっぺをつねってみるという意味のこと。
 


解説
 「羌村三首」 其一 は、杜甫自身、黄土高原の雄大な夕景色がまず印象的に描かれている。杜甫が前年この景色を見るのは華族で命からがら逃げのびてきたときである。唐王朝も玄宗皇帝は蜀に逃げ、上皇になり、霊武に行在所を置く、不安定な状況下の中に有った。家族と別れることを前提とした景色と家族と一緒になれるという景色の違いをこの詩の見どころであるといえる。今見る平原は夢のようなものと映っていたのである。杜甫は夕刻に到着した。馬に乗り従者を従えた杜甫が通ると門のあたりで、帰りを知らせる鳥が騒いでくれた。迎えた家族の喜び、近所の人のようすが、時間の経過を追っていきいきと描かれ、杜甫の誠実な性格が表れている。

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