杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

左拾位での詩(11)

遣興三首其三 杜甫 <245>遣興22首の④番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1184 杜甫特集700- 359

遣興三首其三 杜甫 <245>遣興22首の④番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1184 杜甫特集700- 359



房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ
遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
涯能幾何,常在羈旅中!

私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。

蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。
少し前のころ、所用で洛陽にいた時のことである、互いのことを話して、その親友とは別れを惜しんだのだ。
送客東郊道,遨遊宿南山。
湖城の城郭の東郊外で旅に出る客孟雲卿をおくるのだが、気ままに遊び回って、ここの南にある嵩山の麓に宿したのだ。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
回首載酒地,豈無一日還?
このあたりをめぐらせると酒の積だし地域であり、ここらがどうしてたった一日で奪還できないということだ。
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

確実なことは壮健であることを貴しとすることであり、悼みに憂えることで顔を赤らめたりすることはない。
昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


現代語訳と訳註
(本文) 其三 ④

昔在洛陽時,親友相追攀。
送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。
回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。


(下し文) 其三 ④
昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


(現代語訳)
少し前のころ、所用で洛陽にいた時のことである、互いのことを話して、その親友とは別れを惜しんだのだ。
湖城の城郭の東郊外で旅に出る客孟雲卿をおくるのだが、気ままに遊び回って、ここの南にある嵩山の麓に宿したのだ。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
確実なことは壮健であることを貴しとすることであり、悼みに憂えることで顔を赤らめたりすることはない。



(訳注) 其三 ④
昔在洛陽時,親友相追攀。
少し前のころ、所用で洛陽にいた時のことである、互いのことを話して、その親友とは別れを惜しんだのだ。
昔在 昔。少し前のころ。在は助辞。・親友 孟雲卿。追攀 別れがたいこと。・【はん】 [訓]よじる1 よじ登る。「攀縁/登攀」2 上の人にすがりつく。王粲『七哀詩』「西京亂無象,豺虎方遘患.復棄中國去,委身適荊蠻.親戚對我悲,朋友相追攀.出門無所見,白骨蔽平原.」(西京 乱れて象(みち)無く、豺虎(さいこ) 方(まさ)に患(わざわい)を遘(かま)う。復た中国を棄てて去り、身を委ねて荊蛮(けいばん)に適(ゆ)く。親戚 我に対して悲しみ、朋友 相追攀(ついはん)す。門を出づるも見る所無く、白骨 平原を蔽(おお)う)


送客東郊道,遨遊宿南山。
湖城の城郭の東郊外で旅に出る客孟雲卿をおくるのだが、気ままに遊び回って、ここの南にある嵩山の麓に宿したのだ。
遨遊 きままにあそびまわる。行き来して間をとりもつ。・南山 冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。ここでは、宿の南に嵩山があり、その麓という意味。杜甫『冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌』(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)一般的には、長安南の終南山をいう。


煙塵阻長河,樹羽成皋間。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
煙塵 [1]煙とちり。塵埃(じんあい)。[2]心や世の中のけがれ。俗塵。[3]煙突から出る煙に含まれている微粒子。[4]戦場で人馬の立てる煙や塵。戦乱。・長河 ・樹羽 羽を着に置く。『詩経、周頌、有瞽』「崇牙樹羽。」・成皋間 洛陽と開封の間、杜甫がこの時行っていた鞏県のあたり、三国時代の戦いの迹があるのでその頃の地名を使っている。この時、相州鄴城で大敗する以前の詩である。


回首載酒地,豈無一日還?
このあたりをめぐらせると酒の積だし地域であり、ここらがどうしてたった一日で奪還できないということだ。


丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。
確実なことは壮健であることを貴しとすることであり、悼みに憂えることで顔を赤らめたりすることはない。
丈夫 1 健康に恵まれているさま。達者。「―で、病気ひとつしたことがない」「からだが―な子」 2 物が、しっかりしていて壊れにくいさま。「―なひも」「値段の割に―な靴」 3 確かなさま。確実。
慘戚 いたみかなしむ。悼みに憂える。


昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


遣興について
 ②③④の三首について、②第一首では「我今日夜憂、諸弟各異方(我今日夜憂ふ、諸弟各方を異にす)」と兄弟と離れていることを愁い、いずれも故郷を離れ、戦乱のために帰れぬ者の視点から、それぞれ自分の弟にたいして。③第二首では「客子念故宅、三年門巷空(客子故宅を念ひ、三年門巷空し)」と故郷の住まいを思い(故郷の故宅)。④第三首は「昔在洛陽時、親友相追単。(昔洛陽に在りし時、親友相追単す)」と洛陽における旧友達との交友を思い起こしており、内容は一定していない。親友たちとの交友の日々を思い、自らの衰えを嘆く。



この頃の交友を示す詩

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 287


重題鄭氏東亭 杜甫 <221
> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321



贈衛八処士 #
1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 292




遣興三首其二 杜甫 <244>遣興22首の③番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1181 杜甫特集700- 358

遣興三首其二 杜甫 <244>遣興22首の③番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1181 杜甫特集700- 358


房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ
遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
生涯能幾何,常在羈旅中!

私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。

蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。



現代語訳と訳註
(本文) 其二
 ③
蓬生非無根,漂蕩隨高風。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。
悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!


(下し文) 其二 ③
蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


(現代語訳)
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。


(訳注) 其二 ③
蓬生非無根,漂蕩隨高風。

ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
蓬生 ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所。轉蓬。 ・漂蕩 1 水にただようこと。 2 さまようこと。さすらうこと。漂泊。


天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
本叢 1 草が群がり生える。くさむら。「叢生/淵叢(えんそう)」 2 群がり集まる。多くのものの集まり。


客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
客子 旅人。遊子。・門巷空 門や門前の小道。門と巷ちまたのこと。門巷填隘。門や門前の小道が、人が多く集まることでふさがってしまい、通れなくなるほど狭くなってしまうこと。人が多く集まり、密集しているさまをいう。


悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。・戎車 戦車のこと。戦時、君主が乗車して作戦を指揮するのに使われる戦車をいう。あるいは「戎路」と呼ばれる。春秋時代中期以降、戎車は将軍の指揮車となり、「元戎」と呼ばれ、戦列の先頭にたった。


生涯能幾何,常在羈旅中!
私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。


遣興三首其一 杜甫 <243>遣興22首の②番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

遣興三首其一 杜甫 <243>遣興22首の②番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356




遣興三首 758年 乾元元年罷諌官後作 房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ

我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!
蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

昔在【むかし】 洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


現代語訳と訳註
(本文) 遣興三首 其一 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。
不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。


(下し文) 遣興三首 其一 ②
我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


(現代語訳)
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。


(訳注) 遣興三首 其一 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
諸弟各異方 この時妻子は邠州羌村に、弟は洛陽の東の村に、義母と義弟山東済州、叔弟秦州と分散していた。


不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
・この句から4句は杜甫自身が逃げ回って生死の線上をさまよったことを述べる


避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
 755年11月に叛乱蜂起し、12月に洛陽を陥落させ、略奪の限りを尽くし756年6月には都長安を奪取し暴略・残虐、大虐殺を伴ったものであったため寇という表現をした。・饑寒 杜甫のこの時の苦労を述べる詩。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

安禄山の乱と杜甫

三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

饑 うえる1 作物が実らないで乏しい。 2 食糧が乏しくてひもじい。


豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
柴門 柴垣の門。借家の門。郊外、田舎の貧しい家の門。・虎狼 安史軍。安禄山と史思明の叛乱軍を指す。


仰看雲中雁,禽鳥亦有行。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。
禽鳥【きんちょう】鳥。鳥類。家つ鳥。漢民族が異民族を見下して呼んだ言葉。「夷狄」は、えびす・未開人。 「西戎東夷( せいじゅうとうい )」「南蛮北狄( なんばんほくてき ) 」「 夷蛮戎狄(いばんじゅうてき )」.

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275
(賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る)

757年6月 鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。

七月に鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものであった。

「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757年46歳である。
6月杜甫は、房琯を弁護する発言をした。それは粛宗の逆鱗に触れるものであり、臣にあるまじき行為として、処罰されるところ、郭子儀他近臣の助言により、鄜州の家族のもとに帰省する暇を与えることとなった。
この詩は、鄜州に出発を前にして、中書舎人賈至、給事中厳武、左右両院の拾遺補闕の諸公に留別の詩としたものである。厳挺之


留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字
賈至・
厳挺之の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。

田園須暫往,戎馬惜離群。
私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
去遠留詩別,愁多任酒醺。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
一秋常苦雨,今日始無雲。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
山路晴吹角,那堪處處聞!

これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。

賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!

DCF00218

現代語訳と訳註
(本文) 留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字

田園須暫往,戎馬惜離群。
去遠留詩別,愁多任酒醺。
一秋常苦雨,今日始無雲。
山路晴吹角,那堪處處聞!

(下し文) 賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!


(現代語訳)
賈至・厳挺之の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。

私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。


(訳注)
留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字
賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る。
賈至・厳武の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。
 中書舎人賈 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

送賈閣老出汝州 杜甫

詩人賈至、王維、岑参、裴迪、高適らとにともに唱和している。
 厳挺之 杜甫詩『奉贈巌八閣老
厳二 厳挺之。厳八は厳武、厳武の父挺之は作者の友人であり、武は後輩である。杜甫の強力な援助者である。特に成都紀行、成都浣花渓草堂期に世話になる。厳武が没して成都を離れる。 
閣老 唐人は給事中をよぶのに閣老といった。また、宰相は堂老といい、両省のものは閣老といった。閣老は両省呼びあうので、給事中をよぶのに限られるわけではない。又このとき厳武は給事中、杜甫は左拾遺であるから同じく門下省に属し同省であるが、両省で呼び合う口称しあったとおもわれる。
兩院補缺 門下省に左右の院があり、補闕はそれぞれ2名いた。
得雲字 押韻それぞれで分けてつくったもの。


田園須暫往,戎馬惜離群。
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
田園 鄜州羌村。○須暫往 どうしてもしばらくの間行ってこないといけない。○戎馬 兵馬。長安、洛陽の奪還の準備をしていたので杜甫は、徒歩で出発した。徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200。○離群 詩題の詩人の仲間から離れることと、戎馬を自分が使用すると戦力が落ちるのでという意味と解釈できる。


去遠留詩別,愁多任酒醺。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
去遠 遠い所へ出発しようとしているさま。○留詩別 この詩を別れに際しておいて行く。○愁多任 思い悩むことばかりで、しかもそれを解決しないままで。○酒醺 酒の酔いに任せてしまうこと。


一秋常苦雨,今日始無雲。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
一秋常 この秋はずっと降り続いた。○苦雨 雨が降り続くことで困ってしまうさま。○始無雲 初めて雲のない御天気になること。喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

山路晴吹角,那堪處處聞!
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!
これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。
山路晴 山道も晴れ渡っている。街道沿いには安史軍でいっぱいなので歩くわけにいかない。○吹角 杜甫は、安禄山が洛陽長安を攻め落とすとき、白水奉先ルートを家族と共に避行している。その時に北方の異民族の角笛を聞いて恐怖を覚えた。彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
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端午日賜衣  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

端午日賜衣  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

左拾遺であったとき、宮中より衣をたまわったことをのべている。杜甫が子供のように喜んでいる。杜甫人生、全詩の中から唯一無二の作品である。
この一年間、杜甫は、左拾位としての仕事はさせてもらえなかった。朝廷内において、だれからも相手にされない、公的な詩も残していない。この間の詩はこのブログではカテゴリー『左拾位での詩(11)』ということで検索できる。どこか疎外感、寂しさを感じさせる索引である。その中にあって、この作品は「端午日賜衣」異彩を放っている。この後、左遷されるのであり、そのことを全く感じさせない作品であり、哀れと刹那を感じずにはいられない作品である。

五言律詩『端午日賜衣』
758乾元元年の五月五日 杜甫47歳


端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
自天題處濕,當暑著來清。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
意內稱長短,終身荷聖情。

腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう


現代語訳と訳註
(本文)
端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。


(下し文)
(端午の日衣を賜う)

宮衣【きゅうい】亦 名【な】有り、 端午【たんご】恩栄【おんえい】を被【こうむ】る。
細葛【さいかつ】風を含んで軟【やわら】かに、 香羅【こうら】雪を畳【たた】んで軽【かろ】し。
天よりして題する処 湿【うるお】い、 署【しょ】に当って 著【け】け 来れば 清【きよ】し。
意内【いない】 長短【ちょうたん】に 称【かの】う、 終身【しゅうしん】 聖情【せいじょう】を 荷【にの】う


(現代語訳)
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。

miyajima 693

(訳注) 
端午日賜衣

端午の日衣を賜る
端午(たんご) 五節句の一。端午の節句、菖蒲の節句ともとも呼ばれる。五行思想では、土にあたる。色は黄、方向は中、季節は土用を示す。


宮衣亦有名,端午被恩榮
宮衣【きゅうい】亦 名【な】有り、 端午【たんご】恩栄【おんえい】を被【こうむ】る。
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
宮衣 宮女のつくった衣、即ち下の葛、羅を以て製したもの。 ○亦有名 「我亦た名有り」の義、宮中に名札版があり、賜衣者の列内に自分の姓名を確認できたのだ。最高に喜んでいる雰囲気を感じ取れる。○端午 夏暦では正月を寅とし、五月は午にあたる。五月が午であるために五の日をまた午とする、端は初の義、端午とは五月の初旬の午の日の義であるという。五行思想では土用である。○恩栄 天子の御恩による栄誉。


細葛含風軟,香羅疊雪輕
細葛【さいかつ】風を含んで軟【やわら】かに、 香羅【こうら】雪を畳【たた】んで軽【かろ】し。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
細葛 ほそいくずのいとでつくった衣をいう。 ○含風気孔が多くて風をいれやすいこと。 ○ しなやかなこと。 ○香羅 かんばしいうすぎぬの衣、香とは香をたきこめたのであろう。○畳雪 雪とは純白色をたとえていう、白衣を畳んであるのをみて雪をたたむと表現したもの。○ ふわりとしている。


自天題處濕,當暑著來清。
天よりして題する処 湿【うるお】い、 署【しょ】に当って 著【け】け 来れば 清【きよ】し。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
自天 「題署自天子」( 天子 自ら題署す)を省略して、題の字を下におく。役職名と名前を書いてある、天子みずから名を題したまえることをいう。○題処 かき記されたもの、此の句は首句の「有名」を承けるもの。○湿 墨の痕がうるおう、かきたてであることをいう。○当暑 あつさのおりに。 ○ さっぱりしてすがすがしいこと。


意內稱長短,終身荷聖情
意内【いない】 長短【ちょうたん】に 称【かの】う、終身【しゅうしん】 聖情【せいじょう】を 荷【にの】う。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。
意内 自己のこころのなかではかってみる。一説に天子の意内とするが、恐らくは天子は一々臣下の身の寸法をはからせることはあるまい。 ○ つりあいのよろしいこと、去声によむ。○長短 きもののせたけ、そでたけ等の長いこと、短いこと。○ いただいている。○聖情 聖君のお情け心。


○韻 名,榮、軽、清、情。

端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう

畫鶻行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

畫鶻行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265
(五言古詩 画鶻行がこつこう)便宜的に2分割して掲載。
鶻鶴の画をみて感じた所をのべた詩である。758年乾元元年、なお朝廷にあって疎外感を持っていた時の作。
乾元元年 758年 47歳

畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。寫此神俊姿,充君眼中物。』
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
側腦看青霄,寧為眾禽沒。
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない。
長翮如刀劍,人寰可超越。
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。
はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。

 (画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』
#2
烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』

(下し文) (画鶻行がこつこう)
#2
烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』

(現代語訳)
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない。
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。

(訳注)
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出
烏鵲樛枝に満つ 軒然として其の出でんことを恐る
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
樛枝 下方へまがりたれている枝。○軒然 あがるさま。○其出 共は画鶻をさす、出とはそとへとびだすこと。


側腦看青霄,寧為眾禽沒
脳を側けて 青霄を看る 寧ぞ眾禽の没を為さんや
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない
側脳 あたまをかたむける。○青霄 あおぞら。○寧為 なんぞなさんや、反語。○衆禽没 もろもろの鳥のごとく草樹の間に埋没すること。小虫を取ったり、果実をついばむような姑息なことをすること。


長翮如刀劍,人寰可超越
長翮 刀剣の如し 人寰 超越す可し
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
長翮 たちばね。〇人寰 人間世界。


乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
乾坤空しく崢嶸たり 粉墨 且 蕭瑟たり
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
乾坤 天地。○空崢嶸 崢嶸はたかくひろいさま。もし闊大な天地の間に飛ぶことができるならば感嘆たることに意義があるが、画なので実際には飛ぶことができない、したがって「空しく」という。○粉墨 画の色彩をいう、粉は画色粉。○且蕭瑟 蕭瑟はさびしいさま、且はまあまあの意。


緬思雲沙際,自有煙霧質
緬かに思う雲沙の際 自ら煙霧の質有るを

はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
○雲沙際 雲抄は沙漠地方の雲や抄をいう。○煙霧質 飽照の「舞鶴賦」に鶻の毛色の煙霧と同じであることをのべて、「煙交り霧凝り、毛質ナキガ若シ。」という、いま鶻に借用する。煙霧質とは煙霧のごとき毛質、真の鶻の毛をさす。


吾今意何傷,顧步獨紆鬱
吾今意何をか傷む 顧歩して独り紆鬱たり
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。
何傷 何をかいたむ。○顧歩 左右をふりかえりみてあゆむ。○紆鬱 こころに憂鬱感がありこれが晴れないことをいう。鶻のごとく雄飛することができぬことをかなしむこと。雄飛できるものの存在と朝廷の閉塞感、疎外感をいうことによって自らを慰めるものである。杜甫の作品で描かれたものを批評するものが多いが、馬、雁、鶻、など心情は同じところに立つものが多い。

畫鷹  杜甫 10 (青年期・就活の詩)

奉先劉少府新畫山水障歌 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136



高堂生鶻を見る 颯爽として秋骨動く
初は驚く拘攣無きに 何ぞ立つこと突兀たるを得るやと
乃ち知る画師の妙 巧に造化の窟を刮り
此の神俊の姿を写して 君が眼中の物に充つるを』
烏鵲樛枝に満つ 軒然として其の出でんことを恐る
脳を側けて青霄を看る 寧ぞ眾禽の没を為さんや
長翮 刀剣の如し 人寰 超越す可し
乾坤空しく崢嶸たり 粉墨 且 蕭瑟たり』
緬かに思う雲沙の際 自ら煙霧の質有るを
吾今意何をか傷む 顧歩して独り紆鬱たり』

畫鶻行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 264

畫鶻行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 264
(五言古詩 画鶻行がこつこう)便宜的に2分割して掲載。
鶻鶴の画をみて感じた所をのべた詩である。758年乾元元年、なお朝廷にあって疎外感を持っていた時の作。

乾元元年 758年 47歳

畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
初驚無拘攣,何得立突兀!
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
乃知畫師妙,巧刮造化窟。

よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
寫此神俊姿,充君眼中物。』
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』


 (画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』

烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』
 
畫 鶻 行
現代語訳と訳註
(本文)
畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。
初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。
寫此神俊姿,充君眼中物。』

(下し文)
(画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』


(現代語訳)
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』


(訳注)
高堂見生鶻,颯爽動秋骨

高堂生鶻を見る 颯爽として秋骨動く
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
高堂 たかいざしき。この画を見たばしょ。○生鶻 生はいきていること、画とは見えないほどのもの。○颯爽 威風あたりをはらうさま。○動秋骨 秋節における鶻の骨のふしぶしが動いているようだ。


初驚無拘攣,何得立突兀!
初は驚く拘攣無きに 何ぞ立つこと突兀たるを得るやと
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
初鴬 この画をみた最初、鷺は作者がおどろくこと。○拘攣 拘束に同じ、攣はつなぐ、抄もでくくりおくことをいう。○立突兀 突冗立に同じ、突先はそびえたつさま。


乃知畫師妙,巧刮造化窟
乃ち知る画師の妙 巧に造化の窟を刮り
よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
乃知 よくみてそこで知る。○ けずりとる。○造化窟 造化は天然、窟はいわあな、おくそこをいう。


寫此神俊姿,充君眼中物。』
此の神俊の姿を写して 君が眼中の物に充つるを
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』
神俊姿 すぐれたすがた。○ 主人をさす。○ もてあそびもの。

義鶻行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 263

義鶻行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 263
(義鶻行ぎこつこう)

義理ある鶻のことをよんだうたである。
鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。

   コツ、ハイタカ(haitaka),はやぶさ、ワシタカ科の

季節 

鶻

杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
 

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
#2
鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』
#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。
ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた。
人生許與分,只在顧盼間。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
聊為義鶻行,永激壯士肝。』

そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』
#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


現代語訳と訳註
(本文)

近經潏水湄,此事樵夫傳。
飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。
聊為義鶻行,永激壯士肝。』


(下し文)
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


(現代語訳)
ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
長安 五原八水00

(訳注)#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。

ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
潏水 長安の杜陵にある。皇子陵より西北流して渭水に入る。
 

飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた
諷薫 風にふかれるさま。○素髪 しらが。○凛 ひきしまり、ぞっとするさま。○沖儒冠 髪がたちあがって冠をつきさそうとする。儒冠は儒者のかんむり、自己の冠をいう。


人生許與分,只在顧盼間。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
許与分 許与は我が意気を人にゆるしあたえること。分は情分、分誼、あいてあいてに応ずる心づくし。○顧扮 ちょっとよこをふりむいてみること、つかのまをいう。


聊為義鶻行,永激壯士肝。』
そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
○激 はげます。○壮士 天下の勇壮な人たち。

義鶻行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 262

義鶻行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 262
(義鶻行ぎこつこう)

義理ある鶻のことをよんだうたである。鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。
杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
 

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。
この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
物情可報複,快意貴目前。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
功成失所往,用舍何其賢!』

仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』

近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』
#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』

#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


現代語訳と訳註
(本文)

生雖滅眾雛,死亦垂千年。
物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。
功成失所往,用舍何其賢!』

(下し文)#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』


(現代語訳)
この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』


(訳注)#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。

この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
垂千年 垂とは躯【むくろ】を垂れ晒【さら】すことを後世までのこすことをいう。
 

物情可報複,快意貴目前。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
物情 事物の実情。○報復 しかえし。○快意 こころよいこと。○貴目前 目のまえ手近にみるほど貴くありがたい。


茲實鷙鳥最,急難心炯然。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
 鶻のした行為をさす。○鷲鳥 つよいとり。○ いちばん。○急難 危急難難を救うことをいう ○心桐然 心、公明正大なことをいう。
 

功成失所往,用舍何其賢!』
仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』
功成 功とは蛇を殺したことをさす。○失所往 ゆくえがわからなくなる。○用舎 世に用いられると出て自己の道を行い、捨てられると退いて身を隠す行蔵の義。用舎行蔵は『論語、述而』 「子謂顔淵曰、用之則行、舎之則蔵。唯我興爾有是夫。」(子顔淵【がんえん】に謂ひて曰はく、之を用ふれば則ち行ひ、之を舎【す】つれば則ち蔵【かく】る。唯我と爾【なんぢ】と是れ有るかな)。

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(義鶻行【ぎこつこう】)

義鶻行
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
#2

鬥上捩孤影,咆哮來九天。
それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
折尾能一掉,飽腸皆已穿。』

折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』

生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
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近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』

#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』

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現代語訳と訳註
(本文)

鬥上捩孤影,咆哮來九天。
修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
折尾能一掉,飽腸皆已穿。』

(下し文) #2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』


(現代語訳)
それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』


(訳注)#2
鬥上捩孤影,咆哮來九天。

それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
斗上 斗は随に同じ、たちまち、いきなり。上はのぼること。○ ねじる、螺旋状に舞いつつ降る。○孤影 鶻のただひとつの身影。○咆哮 はげしく鳴く。〇九天 八方及び中央の天の周りに八の天がある。。


修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
修鱗 修は脩に同じ、長いこと、長いうろことは蛇の身をいう。○脱遠枝 脱は脱離、柏の枝にからみついていたのを、そこからはなされること、遠枝とは幹から離れ梢ちかい枝。○巨顙 大きなひたい、蛇首をいう。○老拳 鶻のかたいこぶし。


高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
高空 たかいそら。○得蹭蹬 蹭蹬はつかれるさま、それを得とは蛇のよわることをいう。○短草 地上の短い草。○辞蜿蜒 蜿蜒はうねるさま、それを辞すとはそうあることができないことをいう。


折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』
折尾 おれた尾。○ ふるいうごかす。○飽腸 たかの子にたぺあきたはらわた。○穿 穴をあける。


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
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義鶻行#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 260

義鶻行#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 260
(義鶻行ぎこつこう)
義理ある鶻のことをよんだうたである。鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。
杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
長安の近郊

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。
北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
力強不可製,黃口無半存。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
其父從西歸,翻身入長煙。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行き、暫くするとつよい鶻を連れて来た。
斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』
#2

鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』


#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』

#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』

#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』

 

現代語訳と訳註
(本文)

陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。
白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。
斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

(下し文) 義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』


(現代語訳)
北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行き、暫くするとつよい鶻を連れて来た。
そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』


(訳注) 義鶻行 #1
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。

北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
陰崖 北むきのがけ。杜甫『題李尊師松樹障子歌』「陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』『三川觀水漲二十韻』「清晨望高浪,忽謂陰崖踣。」〇二蒼鷹 二を或は有に作る、有の字が自然であるように思われる、二とは雌雄をさす。 李白『行路難 三首 其三』「華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。」○黒柏 柏の葉の色が黒いのであろう、老柏をいう。


白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
 かむ。


雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
辛酸 つらい思いをする。


力強不可製,黃口無半存。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
力強自蛇のカのつよいこと。○黃口 こだかのくちばしの黄色な者。生まれて間もない時は黄色をしている。○無半存 子の半数さえも残存しない。
 

其父從西歸,翻身入長煙。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行った。
其父 父とは雄をさす。


斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』
斯須 須臭に同じ、しばしのま。○ ひきいる、つれてくる。○ 力のつよいこと。○痛憤 雄鷹のいたましいいきどおり。○寄所宜 所宜とは鶴に向かってのべ訴える所の言辞をいう。寄とは寄せ託する、憤りを辞に託すること。

痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。この時期の杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。
駿馬02

痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


現代語訳と訳註
(本文)

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

(下し文)
去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


(現代語訳)
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

駿馬01

(訳注)
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。

去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
去歳 757年至徳二載。○奔波 狂奔すること、官兵がはしりまわること。○逐余寇 余寇とは安禄山の叛乱軍ののこり、速とは官兵がこれをおうこと。安禄山軍と史忠明の軍と十年近く続いたので安史の乱、叛乱軍全体を安史軍という。このブログでは、官軍・賊軍という語は使わない。○驊騮 千里の馬。○不慣 騎るになれぬ。一説にのりならされておらぬものととく。○不得将 将は騎りひきいること。


士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
士卒 王朝軍の兵卒。○内厩 天子のおうまや、そこには調練を経た名馬がたくわえてある。○惆悵 うらむさま、杜甫が今日よりさかのぼってうらむ。馬がここまで弱るには、かなりの経過した時間がある。○恐是 恐とはきづかうこと、動物は気遣う気持ちがなければいけない。これも杜甫がきづかう。○病乗黄 病める乗黄、乗黄とは神馬、内厩の駿馬で上旬の「騨騒」というのも同じ。この痩馬は乗黄ではあるが不幸にもその病めるものであったのであろう、というのである。


當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
当時 逐冠のときをさす。○歴塊 漢の王表の「聖主ノ賢臣ヲ得ル頒」にみえる、一箇のつちくれをとおる、歴はへる。○蹴 つまずく。○委棄 うちすてる。○ 痩馬をさす。○能周防 非汝能周防は非三汝之所二能周防一というのに同じ。周防はておちなくふせぐこと。ふせぐことのできるものでないとは、運命だというはかなしということ。


見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
見入 他人をみる。○惨澹 ものがなしいさま。○失主 かいぬしをなくする。○錯莫 さびしいさま。〇晶光 すきとおりかがやくひかり。眼光をいうのであろう。


天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
天寒 ふゆぞらをいう。○遠放 かいての無いゆえ遠方まではなたれてある。○不収 収とは人がうまやへいれてくれることをいう。○啄瘡 きりきずのある処をくちばしでつっく。


誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ
且養 しばらく飼養してくれる。○願終恵 顔延年「赤白馬賊」に「願ワクハ恵養ヲ終エテ本枝二蔭セン」とあるのに本づく、願は馬がねがう、終恵とは始め飼養するという恵をあたえるならばそれを最終まであたえでくれることをいう。○更試 試とは行走の脚力をためしみること。○明年 単につぎのとし


 757年十月に洛陽を敗退した安慶緒は、この年になると相州(河南省安陽市)の鄴城(ぎょうじょう)に拠って兵六万を集め、周囲の七郡を支配する勢力に復活した。唐王朝は九月になると、朔方軍節度使郭子儀(かくしぎ)ら九節度使の軍を派遣して鄴城を包囲した。
 秋のはじめに杜甫は、杜観ひとりを洛陽にやったが、戦線が河北と河南の境にある相州に集中した冬になっても、杜観はもどってこなかった。

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。


痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』
駿馬02

現代語訳と訳註
(本文) 痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』


(下し文)
東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

(現代語訳)
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』


(訳注)
痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。

長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
東郊 長安の城の東の野外。○骨骼 はねぐみ。○硉兀 骨だかいさま。○堵牆 ついじ、かき、骨体が壁のごとくに立つことをいう。


絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
 なわでからげる。○欲動 馬がうごこうとする。○ いよいよ。○欹側 そばだち、かたむく。直立せぬこと。○ 馬のその態度をさす。○ いままでのように。○騰驤 おどってあがる、馬のいさむさま。


細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
細看 くわしくみる。〇六印 六か所の焼き印、一に六を火に作る、火印ならば焼き印をいう。○帯官字 唐の官馬は其の種類用途如何により馬の尾側、左右牌(もも)、左右縛(かた)、項(うなじ)、頼(ほお)等に焼き印を押した。其の文字には年時・牧監の名があり、竜形・三花の印があり、又、「官」の字、「飛」の字、「風」の字、「賜」の字、「出」の字の印があった。この馬は六か所に官で押した印のあるものであろう。上旬をもし「火印」とするならば帯官字は「官」の字をおぶと解すべきである。○衆道 衆人がいう。〇三軍 王朝軍の陣勢。神策軍、龍武軍、羽林軍がそれぞれ上中下、左右中央、地方にあった。天子の軍。国軍。○ 遺棄する。


皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』
皮乾 脂肪光沢のなくなったさま。○剥落 剥げ落ちている。傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている。はげちょろ。○泥滓 どろ、にごりかす。○毛暗 暗とは光沢を失ったことをいう。○蕭條 草木の間を風が抜けるときに起こす音を指し、さびしいさま。○連雪霜 雪霜連と同じ、雪霜とは白っぽい色をたとえていう。馬の病むときは毛のさきがほこりを帯び、色つやがわるく、そのさまが雪霜のつらなっているのに似る。

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 257

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 257

舎弟は家弟に同じ、弟をいう、名は詳でない〈蓋し「得舎弟消息」(得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160)の詩の舎弟し」同一人。時に弟は前年の河南でおなじであり、杜甫は前年は鳳翔、この時長安に在った。弟のたよりを得て作った詩。758年春の作。

得舎弟消息
風吹紫荊樹、色興春庭暮。
花落辭故枝、風迴返無處。
骨肉恩書重、漂泊難相遇。
猶有涙成河、經天復東注。

風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。

(舎弟の消息を得たり)
風は吹く紫荊樹、色は春庭と暮る。
花落ちて故枝を辞す、風迴りて返るに処無し。
骨肉恩書重し、漂泊相遇い難し。
猶涙の河を成す有り 天を経りて復た東に注ぐ。

現代語訳と訳註
(本文) 得舎弟消息
風吹紫荊樹、色興春庭暮。
花落辭故枝、風迴返無處。
骨肉恩書重、漂泊難相遇。
猶有涙成河、經天復東注。

(下し文) (舎弟の消息を得たり)
風は吹く紫荊樹、色は春庭と暮る。
花落ちて故枝を辞す、風迴りて返るに処無し。
骨肉恩書重し、漂泊相遇い難し。
猶涙の河を成す有り 天を経りて復た東に注ぐ。

(現代語訳)
風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。


(訳注)得舎弟消息
756年 安禄山が反乱を起こして、洛陽近郊にいた実弟の消息だけが分かって、詠ったものである。杜甫は叛乱軍に軟禁されており、互いに詳しいことは、云えなかったものである。
得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160
遠方にいる弟との再会が困難なさまを、 「客人の到来を告げるとされる烏鵲 (カササギ)」 と 「兄弟の情愛の象徴とされる鶺鴒 (セキレイ)」 とを対にして詠う。
得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161 


風吹紫荊樹、色興春庭暮。
風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
○紫荊樹 「続斉諧記」に、田広・田臭・田慶の兄弟三人が財を分け、最後に堂前の一株の紫荊樹を三分しようとしてこれを切りかけたが、たちまち樹が枯れて、まるで火の燃えるようなさまになったので切るのをやめた。するとまたもとのように勢いよく茂ったので、兄弟達は兄の言葉に感動し、三人抱き合って泣き出した。 「決して樹を切るまい」 そう誓った言葉に応じるかのように、枯れたはずの紫荊が生き返り、葉を茂らせ、花をつけた。 兄弟はこの奇跡に感じ入り、元通り一つ家に住むことにした。 (六朝『続斉諧記』)


花落辭故枝、風迴返無處。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
○辭故枝 落花または落葉がもとの樹枝を離れることを子弟が父母の郷をはなれて居ることに用いるのは、六朝以来の習わしである。○風迴 過は吹きめぐること。花もしたがって吹かれる。去っていくだけでなく戻ってくることをいう。○返 枝にかえる。


骨肉恩書重、漂泊難相遇。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
○骨肉 兄弟のちすじ。○恩書 恩愛の情のこもった手紙。○重 貴重なこと。倒句でよむ。


猶有涙成河、經天復東注。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。
○猶 今もなお。○河 あまのがわら。○経天 経はわたる、つながる、上句の河の縁語。○東注 東方に向かってそそぐ、河南は長安の東にある。

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256
(李尊師が松樹の障子に題する歌)

玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。乾元元年の作とする説に従う。


題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』

自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』

老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』



現代語訳と訳註
(本文)

老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』


(下し文) (李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』


(現代語訳)
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』


(訳注)
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。

このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
奇古 かわったふるめかしいもの。○対此 此とは画をさす。○ 作者の感興。○精霊 画者の精神。


已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
仙客 李尊師をさす。○意相親 この画陣をわざわざもってきて見せてくれたのはこちらと親密であるからである。○良工 画の名人、この画陣の筆者をさす。○心独苦 びとりで苦心する。

 
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである
松下文人 文人は老人、松下の老人とは画中の人物をさす。○巾履同 文人等のずきんとくつが互に同じ。一説に文人等の巾医が商山の老人たちと同様である。○偶坐 対坐に同じ、我(作者)が画中の人物と対して坐することをいう。○商山翁 漢の高祖の時、秦の乱を避けて商山に隠れた東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。


悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。
悵望 うらめしくながめる。○紫芝曲 商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。〇時危 時世の安泰ならぬこと、安史(安禄山・史思明)の乱がいまだに平定していないことをいう。○惨澹 ものがなしいさま。○悲風 人をかなしませるようなかぜ。 
 


商山の四皓(四人の老人)、漢の高祖のとき張良の計によって老人は山より出て来て高祖の太子の輔佐役となった。羽翼とは輔佐となることをいう。詩意は李泌が広平王僻の輔佐となってくれたならばとおもうことをいう。杜甫自身補佐役であることを示している。綺皓という表現をつかう。秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。

題李尊師松樹障子歌 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 255

題李尊師松樹障子歌 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 255
(李尊師が松樹の障子に題する歌)

玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。乾元元年の作とする説に従う。


題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子立をかかえている。』
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』

日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』

(李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』

老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』



現代語訳と訳註
(本文)

老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。」
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』


(下し文)  (李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』


(現代語訳)
自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子立をかかえている。』
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』


(訳注)
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。

自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
老夫 杜甫のこと。○清晨 ほれたあした。○ くしでとかす。○玄都道士 玄都は観(道教のてら)の名、長安の朱雀街崇業坊にあったもの。道士は道教の僧、即ち題の李尊師をさす、尊師は尊者というごとく道士を敬していう。


握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子屏風をかかえている。』
握髪 とかしっつあったかみのけをにぎりつついそいで賓客をむかえるさま。延 こちらへと招請する。○手提 手は李の手。○ 題の障子の屏風。


障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
香冥 はるかなかんじでうすぐらいこと。○憑軒 軒端の欄干によってながめる。○若無丹青 丹青とは画の彩色をいう、若無とは画そのものは無いようで、実物があるようだということ。


陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』
日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』
陰崖 山の北側のがけ。逆光、日の当たらぬがけ。○卻承 松幹が崖をしりぞけるさま。○霜雪幹 霜雪をしのぐみき、松のみきをいう。〇偃蓋 ふせた笠。その形をした松。松の枝葉のかさなりあったさまをいう。○反走 幹が走るならば普通であるが、これは偃蓋のすがたがかえってそのようだというのである。○虬龍形 みずち、竜のようにうねりくねっているかたち。

奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254
(3)

彼は杜甫から「高人王維」と呼ばれたが杜甫に「王中允経に贈り奉る」と題する五言律詩があり、これは758年乾元元年(時に杜甫47歳)の作とされているが、私は同年六月彼が左拾遺から、房琯のことで、朝廷内で疎外を受けて悩み、苦しんだのだ。そして王維に詩を贈って、結果こんどは華州司功参軍に左遷された以後のものではないかと推察している。詩題に王維の官を「中允」(太子中允)というのと、詩の内容に、杜甫自身のかげりある心境が反映されているためである。太子中允は正五品下で、東宮官の太子左春坊に属する侍従職で、天子への上奏を批正したり諌言を口上することを任務とする。王維は前職の給事中より一段階おとされただけの軽い処分ですんだのである。

奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。
あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
共傳收庾信,不比得陳琳。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
一病緣明主,三年獨此心。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
窮愁應有作,試誦白頭吟。

あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。

中允声名久し 如今契閥深し
共に伝う庚信を収むと 此せず陳琳を得るに
一癖明主に縁る 三年独り此の心
窮愁応に作有るなるぺし 試みに謂す白頭吟

賊は迫って偽官に著した。賊が平いで、賊に陥った官吏は罪されるはずであったが、そのとき前詩を奏したので、粛宗は王維を宥して太子中允を授けた。此の詩は作者が其の頃に王維に贈ったもの。


現代語訳と訳註
(本文)
奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。
共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。
窮愁應有作,試誦白頭吟。


(下し文)
中允声名久し 如今契閥深し
共に伝う庚信を収むと 此せず陳琳を得るに
一癖明主に縁る 三年独り此の心
窮愁応に作有るなるぺし 試みに謂す白頭吟


(現代語訳)
あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。


(訳注)奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。

あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
中允 王維をさす。○如今 いま。○契閲 勤苦なるさま。


共傳收庾信,不比得陳琳。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
共伝 世間の人がともにいいつたえる。○収庚信 梁の侯景の乱の時、簡文帝は庚信をして朱雀航に営せしめたが、景が至るや信は衆を以て江陵に奔った。しかし乱がおさまるに及び、元帝は信を以て御史中兎となした。収とは収録し、採用すること。○不比 くらべられぬ。○得陳琳 魂の曹操と衰絹と相い争ったとき、初め陳琳は絹のために挽を討つ散文を草したが後に、挽に事えた。得とは操が琳を得て用いることをいう。


一病緣明主,三年獨此心。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
一病 癖といつわったこと。○明主 天子(玄宗)をさす。〇三年 天宝末より乾元初年までの間。○此心 節を守る心。


窮愁應有作,試誦白頭吟。
あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。
窮愁 戦国超の虞卿の故事、窮して愁うる、経の困窮をいう。○ 詩をつくること。○試諦 作者が詞する。○白頭吟 漢の司馬相如の妻卓文君が夫が妾を買おうとするのをきいて賦した「白頭吟」を引き、王維の詩が君に対して二心なきをいうのはこれと似ている。又、飽照の「白頭吟」の「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。

ここでは杜甫自身も、華州司功参軍へ左遷処分をうけるわけで、王維が悶々たる心情をいだいているのが、よく理解できるのだ。「試みに誦られよ」と読んで、王維に身の証しを立てるように、杜甫が勧めたのであろう。杜甫も同じく賊中に捕らわれて「哀王孫」「春望」の詩を作り、のち脱出して鳳翔で粛宗に会い、左拾遺の官を授けられただけに、王維の心情が痛いほど理解できたのである。白頭吟とは作者が自己の詩、即ち此の詩篇をさしていうものとみる。作者の『寄楊五桂州譚』詩に、
五嶺皆炎熱,宜人獨桂林。
梅花萬裡外,雪片一冬深。
聞此寬相憶,為邦複好音。
江邊送孫楚,遠附白頭吟。
(楊五桂州譚に寄す)
五嶺は皆炎熱なり 人に宜しきは独り桂林のみ
梅花万里の外 雪片一冬深し
此れを聞いて相憶を寛にす 邦を為むる復好音
江辺孫楚を送る 遠く附す白頭吟

「あなたの名声はまことに久しいものだ。それが今大変苦しんでいられる。世間では庚信の任用に似ておって、曹操の陳琳採用と大違いという。明主を思えばこそ口のきけぬ病いとなり、三年間ひたすら忠誠の心を守られた。やりきれぬ悲しみに近作がおありでしょう。私も試みに 『白頭吟』を口ずさんでおります」し「庚信を収む」とは、六朝末のすぐれた詩人庚信(513一581)敵防衛の任を放棄して逃亡したが、元帝は彼を御史中丞に任じたことをさす。「陳琳を得」建安七子の一人陳琳(未詳―217)ははじめ蓑紹に仕えて曹操攻撃の猛烈な檄文を書いたがが敗れると曹操に許しを乞い、その幕下に加えられた。庾信の場合は敵前逃亡であったが、陳琳は一時、敵対した。両者の再雇用は事情が異なり、王維の場合は前者に当たるという「三年」の句には、王維の虜囚時の作を唐朝に忠誠を示すものとの認定がこめられている。「窮愁」は『史記』虞卿伝に見える語「白頭吟」は楽府題で相和歌に属し、劉宋の飽照の「白頭吟」には「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。ここでは杜甫自身も、華州司功参軍へ左遷処分受けた身であり、王維が不幸な境遇に陥って悶々たる心情をいだいているのが、よく理解できるとの意にとったが「試みに誦られよ」と読んで、王維に身の証しを立てるように、杜甫が勧めたと解釈することも可能であろう。杜甫も同じく賊中に捕らわれて「春望」の詩を作り、のち脱出して鳳翔で粛宗に会い、左拾遺の官を授けられただけに、王維の心情が痛いほど理解できたのであろう。
しかし、後世の王維に対する批判には厳しいものがあり、南宋の朱熹や明・清の交の雇炎武(1613-1682)はなかなかに痛烈である。朱熹は「禄山の乱に遭いて、賊中に陥るも死する能わず、事平らぎて復た幸いに誅されず、其の人民に言うに足らず」(『楚辞後語』)といい、顧炎武は王維の虜囚時の作を挙げて、「古来、文辞を以って人を欺く者は謝霊運に若くは莫く、次は則ち王維なり」(『日知録』巻二一)ときめつけ、杜甫が王維を高人と評したことを、「天下に高人にして賊に仕うる者有りや」と杜甫にまで駁撃を加える。

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

岑参44歳  長安在り,右補闕に任。  「寄左省杜拾遺」



奉答岑參補闕見贈
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
君隨丞相後,我往日華東。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
故人有佳句,獨贈白頭翁。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


現代語訳と訳註
(本文)
奉答岑參補闕見贈
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
君隨丞相後,我往日華東。
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
故人有佳句,獨贈白頭翁。


(下し文) 岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


(現代語訳)
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


(訳注)
奉答岑參補闕見贈

岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
長く節度使の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった757年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その10月には粛宗に従って長安に赴く。


窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
窈窕 頭がよく顔も美しいしとやかな美人。『詩経、周南、關睢』「窈窕淑女、君子好逑」(窈窕たる淑女は、君子の好逑)○清 ○禁闥 宮中の小門。転じて宮中。『史記、汲黯傳』「出入禁闥、補過拾遺、臣之願也」(入し禁闥に出、過ちを補い遺を拾うは、臣之願い也)


君隨丞相後,我往日華東。
君 丞相の後に隨い,我 日華の東に往く。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
○日華 日の光。『文選、謝朓、和徐都曹詩』「日華川上動、風光草際浮。」(日華 川上に動き、風光草際に浮ぶ。)杜甫は、この後秋になって東方の華州に左遷されることが予想されていたのであろうか。


冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
○冉冉 やわらかに垂れ下がり形容。○柳絲 柳の小枝。柳条。○娟娟 曲がりうねる。清く明るい様子。蝶などが美しく飛ぶさま。


故人有佳句,獨贈白頭翁。
故人は佳句有り,獨り白頭翁に贈る。

友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その中の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。
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曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

758年乾元元年春、左拾遺であった頃の作。

 臘日   
 送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 送賈閣老出汝州

 送翰林張司馬南海勒碑





 曲江二首 其一

 曲江二首 其二

 曲江封酒 
 曲江封雨 
 曲江陪鄭八丈南史飲
 奉陪贈附馬韋曲二首 其一
 奉陪贈附馬韋曲二首 其二

 奉贈王中允維
 送許八拾遺歸江寧覲省。甫昔時嘗客遊此縣,於許生處乞瓦棺寺維摩圖樣,誌諸篇末
 因許八奉寄江寧旻上人
 題李尊師松樹障子歌
 得舎弟消息(乱後誰帰得
 送李校書 二十六韻  
 逼仄行,贈畢曜(逼側行贈畢曜)

杜甫の詩が曲江其一より次第に変化している。

曲江陪鄭八丈南史飲
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?

といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん?


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江陪鄭八丈南史飲
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
丈人才力猶強健,覬傍青門學種瓜!


(下し文) 曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!


(現代語訳)
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩

雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

(訳注)
曲江陪鄭八丈南史飲

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
陪 鄭八丈南史 同時期の詩人に張南史がいる。ここではその人を指すのであろうか。

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75
陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55
鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。

雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
雀啄【じゃくたく】 雀が啄ばむ 鳼【ぶん】ウズラのひな。鶄【せい】 ごいさぎ。鸂鶒【けいせき】紫おしどり。謝霊運『鸂鶒賦』「覧水禽之萬族、信莫麗干鸂鶒。」(水禽之萬族を覧るに、信に干鸂鶒麗しきは莫し。) 


自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
○芳尊 酒樽をいうのであるが、盃の大き湾のようなもの。芳醇な香りの盃椀。○物華 1.物の光。宝物の輝き。2.景色。風景。


近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
○近侍 天子のおそばに控えている官僚職。杜甫は左拾位であるので、近侍職である。近習、近臣。


丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。
丈人【じょうじん】1 年寄りを敬っていう語。 2 妻の父。岳父。○學種瓜 瓜を植えることを学ぶとは、秦の邵平が官を辞して、隠棲して、杜陵で瓜と桑を植えた、故事をふまえ、杜甫が隠遁したい旨を述べる。邵平は長安城の青門で瓜を売った。杜陵に植えたのは五色の瓜であった。官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
『文選』巻二三)其六に卲平東陵の瓜は五色であると。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)

南山下與老圃期種瓜  孟浩然
樵牧南山近,林閭北郭賒。
先人留素業,老圃作鄰家。
不種千株橘,惟資五色瓜。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
(下し文) 南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧 南山に近く、林閭 北郭に賒(とお)し。
先人 富農を留め、老圃 鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資(と)る。
邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬の旅をしたり、単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316


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曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247

曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247
曲江にて雨に対して作る。乾元元年三月上巳節の作であろう。三月最初の巳の日であったが、三月三日に固定された。

曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。


(曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】。

宮島(7)

現代語訳と訳註
(本文) 曲江對雨

城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?


(下し文) (曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】


(現代語訳) 曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。

 
(訳注)
曲江對雨

曲江池の辺で雨に逢う


城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
城上 曲江芙蓉苑の離宮の城楼のうえ。○苑牆 芙蓉苑のかき、土塀。○江亭 曲江のほとりの亭、作者の坐している四阿。○晩色 夕暮れがたのようす。黄昏時の景色。○ 閑静。〇年芳 一年のうちのかんばしいもの、花草の類をさす。


林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
燕支 べに。燕脂、臙脂色(濃紅藍)。○水荇 水草の名。あきざ。杜甫『醉歌行』「春光潭沱秦東亭,渚蒲牙白水荇青。」翠帯 みどり色のおびのように見える草木の枝や茎。


龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛られて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、この芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
竜武新軍 新たにおかれた竜武軍、竜武はその軍隊の名、禁中護衛の兵。○深駐輩 肇は手でひく車、粛宗は玄宗上皇を大極殿の奥に軟禁したので、深く輦をとどむという。杜甫は、玄宗の使いで鳳翔に来ていた房琯を擁護したこともあり、玄宗に肩入れをする以外に方法はなかったのだろう。○芙蓉別殿 芙蓉苑にある離宮。○謾焚香 留守居の官女などが香を焚く、謾とは玄宗の出遊もないのにいたずらにということ。


何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。
 粛宗の御命令をいう。○金銭会 上巳節に3月3日に固定された。中国では川で身を清めて不浄払いをする風習であったひな祭りにつながるが、曲江の山草において臣僚に宴を賜わることがあり、又、東天門に宴して、余興として楼下に金銭を撒いて臣下をしてこれを拾わせたことがあるのから、昔の頽廃した金銭会をいう。○佳人 ここの妓女のことを美人、教坊の民妓をいう。○錦瑟 錦の模様ある瑟。こない人を待ち続けることをたとえる妓女の常套語。玄宗をいくら待っても来ない人を待つかつては楊貴妃が待っていたが、今は妓女が待っている。
李商隠 1 錦瑟
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
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曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江のほとりで酒にむかって作った詩。前詩と同年の作。
758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。

l  送鄭十八虔貶台州司

l  臘日

l  宣政殿退朝出左掖

l  紫宸殿退朝口號

l  春宿左省

l  出左掖

l  題省中院壁

l  奉和賈至舍人早朝大明宮

l  送賈閣老出汝州

l  送翰林張司馬南海勒碑

l  曲江二首 其一

l  曲江二首 其二

l  曲江封酒

l  曲江封雨

l  曲江陪鄭八丈南史飲

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其一

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其二


曲江對酒
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(曲江にて酒に對す)
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時兼【とも】にして白鳥と飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを


現代語訳と訳註
(本文) 曲江對酒

苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

(下し文)曲江にて酒に對す
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時に白鳥と兼に飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを。


(現代語訳)
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(訳注)曲江對酒
曲江其三というべき連続の作品である。七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。


苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。 【首聯】
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
 芙蓉苑。○ 曲江。○水精、宮殿 水に映り輝く宮殿。水精は水の精。水星、辰星。水の中から産する珠。水の妖精。「珠水精、故以禦火灾」(珠は水精、故に以て火灾を禦【ふせ】ぐ)とある。また、水精宮とすれば、水晶で飾られた宮殿と見る場合も考えられるが、詩の雰囲気と杜甫のその時の心情を合わせて水晶の宮殿ではない。○ いよいよ、看るみるうちにいよいよ。○霏微 春光掩映のさまと、水気のこまかに飛散とぶさまのふたつの意味をいう。
 

桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。 【頷聯】
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
 花なる徴小物が微小物を逐う故にこまかという。○ 元来はおいはらう義であるが、唐時の俗用にあって後おいすがる義にも用いる。追涼というべきを逐涼という類であり、ここでは後追いの意味。○梨花 諸本楊花に作る、桃と楊と開花の時が同じくないからとて梨花という説もあるが、楊花、柳架とする。○ 「ともに」と訓ずるものがおおいのでしたがうが、読みにより意味は変わらない。


縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。 【頸聯】
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
縦飲 勝手きままにすきなだけ酒をのむ。○久判 「重過何氏」詩の第五首に見える。物を揮い棄てること、ここは自棄の義で、すて身、やけくそ、の意。
重過何氏五首  其五
到此應常宿、相留可判年。
蹉跎暮容色、悵望好林泉。
何日霑微祿、歸山買薄田。
斯遊恐不遂、把酒意茫然。
人共棄 世間の人はみなともに我をすてる、あいてにせぬことをいう。○懶朝 朝廷へ参向するのにものうい、病気欠勤をすること。○与世相違 世人と相そむいていること、人交流をしない。 


吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。 【尾聯】
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。
吏情 官吏としてのこころ、作者杜甫はこの時左拾遺を拜命している。○更覚 更とはこれまでも思っていたがそれよりもさらに、これまでよりももっとの義。半官半隠が理想であるが、それより、完全に隠棲したいという意味で次の「滄洲」を意識する。○滄洲 蒼海の向こうにある仙境をいう。○ こちらとへだたりがある。○老大 自己のとしよりの身であることをいう。こんなに年を取ってからでは。○悲傷 別には徒傷とするその場合 むだにかなしみいたむこと。○払衣 衣のちりをはらいさり、ここを去り滄洲に向かうことをいう。


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長安城郭015

曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。

曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。

花と張0104


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

(下し文) 曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。


 (現代語訳)
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。


(訳注) 曲江二首 其二
七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

 朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。 【首聯】

自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
朝回 朝廷よりかえる。○ 質におく。○江頭 江は曲江。頭はほとり。○尽酔 十分によう。


酒債尋常行処有、人生七十古来稀。 【頷聯】
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
酒債 飲酒料金の負債。○尋常 あたりまえ、めずらしくもなく。○行処 でかけてゆく先き先き。○人生(一句) 古諺であろう。『禮記』に「人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。四十曰強,而仕。五十曰艾,服官政。六十曰耆,指使。七十曰老,而傳。」とある。この句に基づいて、白居易に「人生七十稀,我年幸過之。」や「得見成陰否,人生七十稀。」の句がある。 ・人生:人が生きる。人が生きている間。人の生命。左氏『成公二』「人生実難。其有不獲死乎」(人生実に難し。其れ死を獲ざる有らん乎)律詩の不可欠としてこの聯の対句は酒債:人生、尋常:七十、行処有:古来稀である。○尋常 わずかな距離、ひろさ、土地。あるいは、「一尋=八尺」「一常=十六尺(一尋の倍)」と、やはり数になるからということもある。


穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。 【頸聯】
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
穿花 穿とは花のしげみを奥ふかくいりこむこと。○峡蚊 蝶々。○深深 おくふかいさま。○点水 点はぼちぼちと尻でたたくさま。○蛸挺 とんぼ。○欺欺 緩緩と同じ、ゆるやか。
 

伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。 【尾聯】
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。
伝語 ことづてする、風光に向かっていう。○風光 春景色。○ 我、汝(風光)とともに。○流転 移転、漂泊、排禍等の意。○相賞 風光を賞する。○莫相違 汝、我と違背することなかれ。


一つには、安史の乱の始まりから、叛乱軍に捕縛され、逃げ出し、そして「北征」し、鳳翔に戻り、又、鄜州羌村に、そして鳳翔へ、その後、長安に帰ったが、別には、朝廷の中での疎外感、自分の理想は、隠遁して「半官半隠」と心も流転している。風に、光にと行き来してみたいということも理解できる。杜甫の精神的な不安定さがピークと考えられる。
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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244

曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244


至徳三載は二月に乾元と改元され、載から年にかわる。
杜甫は左拾位ではあるが朝廷においての疎外感はますます大きくなっていったようだ。玄宗上皇は興慶宮から大極殿の奥に移され、旧臣との接触を断たれた。羌村から鳳翔に帰るまでの紀行文はあるものの鳳翔から長安に入城に関しての詩がない。徹底的な疎外を受けていたのだろうか。この曲江二首を詠うまで以下の十詩があるだけだ。杜甫のこころの動きがよくわかるのでこの時期はすべて掲載する。
 この曲江の詩から刹那感が出始める。(3/18のブログ杜甫詩集「北征」後、の鳳翔での作はなく、長安入城の作品もない。苦悶する左拾位そして左遷。58首 参照)

758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。この間の作順は時系列よっており、漏れはないと思う。

 ・送鄭十八虔貶台州司

 ・臘日

宣政殿退朝出左掖

紫宸殿退朝口號

春宿左省

出左掖

題省中院壁

奉和賈至舍人早朝大明宮

送賈閣老出汝州

送翰林張司馬南海勒碑

・  曲江二首 其一
・ 曲江二首 其二
・ 曲江封酒
・ 曲江封雨
・ 曲江陪鄭八丈南史飲
・ 奉答岑參補闕見贈
・ 奉贈王中允維
・ 送許八拾遺歸江寧覲省
・ 因許八奉寄江寧旻上人
・ 題李尊師松樹障子歌
・ 得舍弟消息
・ 送李校書二十六韻
・ 逼側行贈畢曜
・ 贈畢四曜
・ 題鄭十八著作丈
・ 瘦馬行
・ 義鶻行
・ 畫鶻行
・ 端午日賜衣
・ 酬孟雲卿
・ 至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。
・ 寄高三十五詹事
・ 贈高式顔
・ 題鄭縣亭子
・ 望嶽
・ 早秋苦熱堆案相仍
・ 觀安西兵過赴關中待命二首 其一
・ 同            其二
・ 路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
・ 贈衛八處士
・ 冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
・ 閿鄉薑七少府設膾,戲贈長歌
・ 戲贈閿鄉秦少公短歌
・ 李鄠縣丈人胡馬行
・ 憶弟二首 其一
・ 同    其二
・ 得舍弟消息
・ 觀兵
・ 不歸
・ 獨立
・ 洗兵馬
・ 重題鄭氏東亭



曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。



江 二首  其の一
一片  花飛びて  春を減却【げんきゃく】し、風 万点を飄【ひるが】えして  正に人を愁えしむ。
且つ看る尽きんと欲するの花眼を経【ふ】るを、厭【いと】う莫れ 多きを傷【そこな】わるる酒の唇に入るを。
江上【こうじょう】の小堂に翡翠【ひすい】巣 くい、苑辺【えんぺん】の高塚【こうちょう】に麒麟臥【が】す。
細かに物理【ぶつり】を推【お】すに 須らく行楽すべし、何ぞ用いん 浮名 此の身を絆【ほだ】すことを

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現代語訳と訳註
(本文)曲江二首 其一

一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。


(下し文) 其の一
一片  花飛びて  春を減却【げんきゃく】し、風 万点を飄【ひるが】えして  正に人を愁えしむ。
且つ看る尽きんと欲するの花眼を経【ふ】るを、厭【いと】う莫れ 多きを傷【そこな】わるる酒の唇に入るを。
江上【こうじょう】の小堂に翡翠【ひすい】巣 くい、苑辺【えんぺん】の高塚【こうちょう】に麒麟臥【が】す。
細かに物理【ぶつり】を推【お】すに 須らく行楽すべし、何ぞ用いん 浮名 此の身を絆【ほだ】すことを



(現代語訳)
ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。


長安城郭015
                      上図の右下に曲江池、芙蓉苑がある。

(訳注)曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。

ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
減却 へらす。そぐ。○ 春景色をいう。〇万点 万片の花。〇愁人 春景に対する喜びよりあわれを感じる人々。長安では多くの人が死んで間もない。もののあわれを感じる人。『文選、傅玄、雑詩』「志士惜日短、愁人知夜長」志士は日の短かきを惜しみ、愁人は夜の長きを知る)に基づく。


且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
且看 ゆく春は仕方なしとしてまあまあとながめること。○欲尽花 散り散りてなくなろうとする花。○経眼 我が眼前を経過する。○ きらう。○傷多 傷は害に同じ、飲む者の身体をそこなうこと、傷多とは多く飲んで我がからだを傷める。〇酒人唇 傷害する酒をくちにする、飲むこと。ヤケ酒の模様をいう。


江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
江上 江は曲江。○小堂 ちいさな座敷。○翡翠 かわせみ、鳥が巣くうとは住む人のないさまをいう。○苑辺 苑は曲江のほとりにある芙蓉苑。○高塚 貴人のつか。○臥 たおれふす。○麒麟 墓道にある石造の置きもの。


細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。
推物理 事物の道理を推しはかってみる。○行楽 山簡公のように池の辺を酒を飲みぶらぶら歩きたのしむことをいう。杜甫『陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八』李白『秋浦歌十七首 其七』の注釈参照。 ○何用 無用。○浮名 虚名、空名の意、官にあってその職を尽くさずただ官名をになう、これは実のない名である。○ つなぐ。○此身 自己のからだ。この聯は、西晋の山簡が荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。その故事に基づいている。
曲江の池を廻りながら、山間と自分を重ねて詠ったものである。一年近く飼い殺しのような身分に置かれて刹那感を山簡に置き換えることで紛らわせたのかもしれない。




曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。

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