杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

他詩人の杜甫に寄せる・唱和の詩

與高適薛據同登慈恩寺浮圖  岑參 訳注解説ブログ


與高適薛據同登慈恩寺浮圖  岑參 訳注解説ブログ

 

1.<杜詩と其の詩の読み下し文>

 

與高適薛據同登慈恩寺浮圖  岑參 (高適と薛據と同【とも】に慈恩寺の浮圖【ふと】に登る。)

 

塔勢如湧出,孤高聳天宮。

塔勢 湧出するが 如く,孤高 天宮に聳ゆ。

 

登臨出世界,磴道盤虚空。

登臨 世界を出で,磴道 虚空に盤【わだかま】る。

 

突兀壓神州,崢嶸如鬼工。

突兀として神州を壓し,崢嶸として 鬼工の如し。

 

四角礙白日,七層摩蒼穹。

四角 白日を礙【ささ】へ,七層 蒼穹を摩す。

 

下窺指高鳥,俯聽聞驚風。

下窺して高鳥を指し,俯聽して驚風を聞く。

 

連山若波濤,奔走似朝東。

連山波濤の若く,奔走 東に朝【むか】うに似たり。

 

靑松夾馳道,宮觀何玲瓏。

青松 馳道を夾み,宮觀 何ぞ玲瓏たる。

 

秋色從西來,蒼然滿關中。

秋色 西より來り,蒼然として關中に滿つ。

 

五陵北原上,萬古靑濛濛。

五陵 北原の上【ほとり】,萬古青濛濛。

 

淨理了可悟,勝因夙所宗。

淨理 了【つひ】に悟る可し,勝因 夙【つと】に宗とする所。

 

誓將挂冠去,覺道資無窮。

誓ひて將に冠を挂けて去り,覺道無窮に資せんとす。

 

2.<現代語訳>

塔の高く聳え立っているありさまは、水が勢いよく噴き出しているかのようで、塔は群を抜いてひとり高く、大空に聳えている。
高い所に登って、世の中から突出して下方をながめれば、石段は、天と地の間を曲がりくねって蟠(わだかま)っている。 
高く突き出ていて、中国を圧しており。高く険しいさまは、人間わざとは思えないほどすぐれたできばえである。 
塔の四隅の軒先は、しっかりと張り出して照り輝く太陽を支えており、七重の塔は、ドーム状になった青空に迫っている。
塔の上から下の方をうかがい見て、高い空を飛んでいる鳥を下方に指さし、塔の上から、うつむいて聞き耳を立てると、激しい風音が聞こえてくる。 
連なり続いている山々は大きな波のようであり、東に向かって、勢いよく走り赴くかのようである。
青い松は、お成り道の両側に道を夾んで並木が植えられており、宮殿は、なんとすっきりと澄んでいることか。

秋の気配は、西方から来て秋になり、いま、時刻も日暮れとなり、古さびた色が、長安のある関中平原に満ちてこようとしている。
漢の五陵は、北原のほとりにあって、大昔から今に至るまで、鬱蒼として暗い。 

仏教の勝因夙所宗清らかな道理は、ついに悟ることができ、善果をもたらす善因については、早くから心懸けていることがらだ。
誓って官員の冠を掛けて置き、官を辞して去ろうとおもう。仏法の真理の修行をして、永遠の悟りへのたすけとする。

 

   長安と付近図 001

 

3. 訳注解説

岑參:〔しんじん〕盛唐の詩人。開元三年(715年)~大暦五年(770年)。南陽の人。安西節度使に仕え、当時西の地の涯までいった。ために、辺塞詩をよくする。蛇足になるが、岑參の「參」字は〔さん〕〔じん〕とあるが、彼の名は〔じん〕。(『中国大百科全書・中国文学 Ⅰ』(中国大百科全書出版)。

 

與高適薛據同登慈恩寺浮圖高適(こうせき)と薛據(せつきょ)とで、慈恩寺の寺塔に登った。 
:…と。 
高適:〔かうせき〕盛唐代の詩人。(702年頃~765年:廣德二年)。字は達夫。滄州・勃海の人。辺塞の離情を多くよむ。
薛據:〔せつきょ〕盛唐の詩人。河中・寶鼎の人。開元年間の登第。官は尚書水部郎中になる。硬骨漢で気魄がある人物。王維、杜甫とも善く交わる。詩十二首を残す。
:いっしょに。ともに。
慈恩寺:陝西省長安の南東3キロメートル、曲江の北にある。唐の高宗が太子の時、文徳皇后のために貞観二十二年(648年)、造営した寺院。玄奘を首座として、仏典漢訳事業を遂行した。寺内に大雁塔がある。=大慈恩寺。荊叔に『題慈恩塔』「漢國山河在,秦陵草樹深。暮雲千里色,無處不傷心。」 がある。
浮圖:〔ふと:buddhaの音訳:ブッダ)寺塔。仏塔。ここでは、慈恩寺の塔のことになる。=浮屠。

 

塔勢如湧出、孤高聳天宮。

塔の高く聳え立っているありさまは、水が勢いよく噴き出しているかのようで、塔は群を抜いてひとり高く、大空に聳えている。 

・塔勢:塔の高く聳え立っているありさま。 

・湧出:〔ゆうしゅつ〕水がわき出る。初唐・上官婉兒の『九月九日上幸慈恩寺登浮圖群臣上菊花壽酒』に「帝里重陽節,香園萬乘來。卻邪萸入佩,獻壽菊傳杯。塔類承天湧,門疑待佛開。睿詞懸日月,長得仰昭回。」とある。

・孤高:群を抜いてひとり高く聳えている。ひとりぼっちで超然としている。 

・聳:そびえる。 

・天宮:天帝の宮殿で、転じて、大空。

登臨出世界、磴道盤虚空。

高い所に登って、世の中から突出して下方をながめれば、石段は、天と地の間を曲がりくねって蟠(わだかま)っている。 

・登臨:高い所に登って、下方をながめる。 

・世界:過去・現在・未来を世といい、上下東西南北を界という。仏語。世の中。宇宙。天地。

・磴道:〔とうだう〕石をたたみあげて作った道。石段。石坂。 

・盤:〔はん〕まがる。曲がりくねる。わだかまる。=蟠。 

・虚空:〔こくう〕天と地の間。そら。大空。なにもないところ。一切のものの存在する場所としての空間。仏語。

 

突兀壓神州、崢嶸如鬼工。

高く突き出ていて、中国を圧しており。高く険しいさまは、人間わざとは思えないほどすぐれたできばえである。 

・突兀:〔とっこつ〕山などの高く突き出るさま。事変などがにわかに起こるさま。 

・壓:圧する。 

・神州:中国の美称。 胡世將の『江月』「神州沈陸,問誰是、一范一韓人物。北望長安應不見,抛卻關西半壁。塞馬晨嘶,胡笳夕引,得頭如雪。三秦往事,只數漢家三傑。   試看百二山河,奈君門萬里,六師不發。外何人迴首處,鐵騎千群都滅。拜將臺欹,懷賢閣杳,空指衝冠髮。欄干拍遍,獨對中天明月。」とする。

・崢嶸:〔さうくゎう〕高く聳えるさま。高く険しいさま。転じて、才能が特に優れているさま。南宋・陸游『秋風亭拜寇莱公遺像』「豪傑何心居世名,材高遇事即崢嶸。巴東詩句州策,信手拈來盡可驚。」と使う。 

・鬼工:鬼神の細工。人間わざとは思えないほどすぐれたできばえ。神わざ。

 

四角礙白日、七層摩蒼穹。

塔の四隅の軒先は、しっかりと張り出して照り輝く太陽を支えており、七重の塔は、ドーム状になった青空に迫っている。

・四角:塔の四隅の軒先。 

・礙:〔がい〕支える。また、さまたげる。ここは、前者の意。=碍。 

・白日:照り輝く太陽。昼間の太陽光。

・七層:七重の(塔)。七階建て。 

・摩:〔ま〕かすめる。迫る。 

・蒼穹:〔さうきゅう〕あおぞら。蒼天。大空がドーム状になっている、という感覚から生まれた表現。

 

下窺指高鳥、俯聽聞驚風。

塔の上から下の方をうかがい見て、高い空を飛んでいる鳥を下方に指さし、塔の上から、うつむいて聞き耳を立てると、激しい風音が聞こえてくる。 

・下窺:〔かき〕下の方をうかがう。 

・指:ゆびさす。動詞。 

・高鳥:高い空を飛んでいる鳥。

・俯聽:うつむいて、聞き耳を立てる。 

・聞:聞こえてくる。「聽」「聞」については、「聽」:(本人の意志で)聞こうとして聞く。よく(注意して)聞く。 「聞」:(自然と)耳に入ってくる。聞こえる。 

・驚風:〔きゃうふう;jing1feng1○○〕はげしい風。

 

連山若波濤、奔走似朝東。

連なり続いている山々は大きな波のようであり、東に向かって、勢いよく走り赴くかのようである。

・連山:つらなり続いている山。連峰。 

・若:…のようである。如し。 

・波濤:大きな波。

・奔走:〔ほんそう〕急いで走り赴く。忙しく走りまわって人の用をする。 ・似:似る。如し。 ・朝:〔てう〕向かう。動詞。蛇足になるが、名詞「あさ」の意は:〔てう〕。ここは、前者の意。

 

青松夾馳道、宮觀何玲瓏。

青い松は、お成り道の両側に道を夾んで並木が植えられており、宮殿は、なんとすっきりと澄んでいることか。

・夾:〔けふ〕はさむ。道の両側に並木状に植えられているさまの表現。 

・馳道:〔ちだう〕天子の通る道。輦道。范成大の『州橋』「南北是天街,父老年年等駕迴。忍涙失聲詢使者,幾時眞有六軍來。」とある。

・宮觀:〔きゅうくゎん〕御殿。宮殿。また、道教の寺。ここは、前者の意。 

・何:なんと。感嘆を表す。 

・玲瓏:〔れいろう〕すっきりと澄んでいるさま。玉などの透きとおっているさま。明るく光り輝くさま。唐・李白の『玉階怨』に「玉階生白露,夜久侵羅襪。却下水精簾,玲瓏望秋月。」とある。

 

秋色從西來、蒼然滿關中。

秋の気配は、西方から来て秋になり、いま、時刻も日暮れとなり、古さびた色が、長安のある関中平原に満ちてこようとしている。

・秋色:秋の景色。秋の気配。 

・從:…より。…から。

・蒼然:〔さうぜん〕日暮れのうす暗いさま。古びた色の形容。また、あおいさま。 

・關中:〔くゎんちゅう〕陝西省中南部。函谷関以西の関中平原。北方の政治の中心地。函谷関、武関、散関、蕭関の四つの関の中にある地域のことで、渭水盆地一帯のこと。唐代までは歴代の首都(周…鎬京、秦…咸陽、漢以降、隋、唐…長安)が置かれ、政治の中心地であった。南宋・陸游の『山南行』「我行山南已三日,如縄大路東西出。平川沃野望不盡,麥隴靑靑桑鬱鬱。地近函秦氣俗豪,鞦韆蹴鞠分朋曹。苜蓿連雲馬蹄健,楊柳夾道車聲高。古來歴歴興亡處,擧目山川尚如故。將軍壇上冷雲低,丞相祠前春日暮。國家四紀失中原,師出江淮未易呑。會看金鼓從天下,却用關中作本根。」 や、同・陸游の『書事』「關中父老望王師,想見壺漿滿路時。寂寞西溪衰草裏,斷碑猶有少陵詩。」とする。

 

五陵北原上、萬古青濛濛。

漢の五陵は、北原のほとりにあって、大昔から今に至るまで、鬱蒼として暗い。 

・五陵:漢の五帝の陵。長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵(時代順)の陵墓。なお、現在では地名となっているものもあり、地名と陵名とを区別するためにか、陵名は「漢茂陵」という風に「漢-陵」や「唐-陵」と呼ぶ。 

・北原:五陵原。長安の北郊を流れる渭水の対岸。咸陽を取り巻く一帯。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)の40-41ページ「京畿道 関内道」にはその地名としては出てこないが、長安(現・西安)の西北、渭水を夾んで接している咸陽の北側の西北~北~東北一帯に、咸陽を取り巻くように漢の五帝の陵がある。 

・上:辺り。ほとり。漠然と場所を指す。「江上」(河の畔)。この用例には、金・完顏亮の『呉山』「萬里車書盡混同,江南豈有別疆封。提兵百萬西湖上,立馬呉山第一峰。」や盛唐・岑參の『與高適薛據同登慈恩寺浮圖』「塔勢如湧出,孤高聳天宮。登臨出世界,磴道盤虚空。突兀壓神州,崢嶸如鬼工。四角礙白日,七層摩蒼穹。下窺指高鳥,俯聽聞驚風。連山若波濤,奔走似朝東。靑松夾馳道,宮觀何玲瓏。秋色從西來,蒼然滿關中。五陵北原上,萬古靑濛濛。淨理了可悟,勝因夙所宗。誓將挂冠去,覺道資無窮。」や中唐・白居易の『送春』「三月三十日,春歸日復暮。惆悵問春風,明朝應不住。送春曲江上,拳拳東西顧。但見撲水花,紛紛不知數。人生似行客,兩足無停歩。日日進前程,前程幾多路。兵刃與水火,盡可違之去。唯有老到來,人間無避處。感時良爲已,獨倚池南樹。今日送春心,心如別親故。」や中唐・張籍の『征婦怨』「九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。」や元・楊維楨の『西湖竹枝歌』「蘇小門前花滿株,蘇公堤上女當壚。南官北使須到此,江南西湖天下無。」がある。現代でも張寒暉の『松花江上』「我的家在東北松花江上,那裡有森林煤鑛,還有那滿山遍野的大豆高粱。我的家在東北松花江上,那裡有我的同胞,還有衰老的爹娘。」がある。

・萬古:大昔から今に至るまで。遠い昔。ここは、前者の意。 

・青濛濛:〔せいもうもう〕黒々とした。鬱蒼とした。形容詞のABB表現。 

・青:黒い。暗い。 

・濛濛:〔もうもう〕うす暗い。ぼんやりとしている。

 

淨理了可悟,勝因夙所宗。

仏教の勝因夙所宗清らかな道理は、ついに悟ることができ、善果をもたらす善因については、早くから心懸けていることがらだ。

・淨理:〔じゃうり〕(仏教の)清らかな道理。 

・了:〔れう;liao3〕ついに。 

・可:…べし。…ことができる。 

・悟:〔ご〕さとる。

・勝因:すぐれた因縁。善果をもたらす善因。すぐれた善因縁。仏語。 

・夙:〔しゅく〕はやく。昔から。つとに。 

・所:…ところ。こと。名詞を動詞化する働きをする。 

・宗:むねとする。

 

誓將挂冠去,覺道資無窮。

誓って官員の冠を掛けて置き、官を辞して去ろうとおもう。仏法の真理の修行をして、永遠の悟りへのたすけとする。  *隠退を心に期すが、「直ちに」ではない。

・誓將:誓って…をしようとする。…しようことを誓う。後世、南宋・岳飛は『題新淦蕭寺壁』(『題青泥市寺壁』)で、「雄氣堂堂貫斗牛,誓將直節報君讐。斬除頑惡還車駕,不問登壇萬戸侯。」と使う。 

・挂冠:(官員の冠を掛けて置き、)辞職して官を去ること。 

-去:「挂冠去」と〔動詞+名詞+去〕…を…して去る。

・覺道:悟りへの道。仏法の真理を悟る大道。正覚の大道。仏語。 

・資無窮:永遠の悟りへのたすけとする。 

・資:たすける。積む。資す。 

・無窮:窮まりが無いこと。無限。永遠。無極。

 

長安城郭015


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酬別杜二 厳武  蜀中転々 杜甫 <534(附-#2)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#2)-770/1500

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李商隠詩 
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酬別杜二 厳武  蜀中転々 杜甫 <534(-#2)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(-#2)-770/1500

 

杜甫は厳武を送って綿州に至って別れた。厳武が杜甫にむくいて別れる詩である。

 

 

酬別杜二  厳武

(杜甫は厳武を送って綿州に至って別れた。厳武が杜甫の詩に対して酬いて別れる詩。)

獨逢堯典日、再観漢宮儀。

こんな「堯典の日」ともいうべき良い秋分の日に一人で逢う、そしてふたたび見たいのはあの漢の朝廷のような政治なのだ。

未効風霜勁、空噺雨露私。

いまだに風霜のようにこの天下が平定される保護の動きはない、ただ雨露のようにうるさくわたしにささやいてくる空しいオチはなしばかりである。

夜鐘清萬戸、曙漏彿千旗。

しかし、夜の鐘はすがすがしく万戸に響き渡るように、、夜明けを告げる水漏時計の知らせで千本の旗が打ち立てられる様に天下を治めるのである。

並向殊庭謁、倶承別館遮。

それに並んでいることは今から天子の前庭の丹庭を抜け階を昇って謁見し、賊共が別館を開いているのを遮断することを承るのだ。

斗城憐菰路、渦水惜餉期。

北斗七星のように偉大な長安城が茨の道ように運河や水路が菰で乱れていることはなげかわしいことである。そこに大水が出て刈りいれのころにおこった事は惜しい限りである。

2

峰樹逞相俘、江言更對垂。

秦嶺山脈の木樹はずっと連なってまたつづく、大江に浮かぶ雲は今度は誰に対して言うことになるか。

試廻溶海擢、莫妬敬亭詩。

こうなったら試みに東海の三山に向かう滄海に棹を廻していこうか、六朝の謝朓が敬亭山を詠った時のように自然に浸っていることを羨んではいけないのだ。

祇是書唐寄、無忘酒共待。

ただ、ここに示すように心の為すままに書を書き寄せることであり、酒をいつも持参して呑むことだけは忘れてはいけない。

但令心事在、未肯鬢毛衰。

そして、心に思うことだけはどうしてもやり遂げることとして、まだまだ鬢毛が衰えるからというのを理由にしてはいけない。

最恨巴山裏、清猨醒夢思。

こうしていても、最も腹に据えかねることは、巴山の里におこった事である。憎たらしい猿のような奴に夢の思いを破られ悩まされたことである。

 

 

杜二に酬い別る       厳 武

独り逢う尭典の日、再び観る漢官の儀。

未だ効さず風霜の勤、空しく怒ず雨露の私。

夜鐘は万戸に清く、曙漏は千旗を払う。

拉びに殊庭に向かって謁す、供に承く別館の追。

斗城に旧路を憐れみ、清水に帰期を惜しむ。

#2

峰樹環た相い伴う、江雲更に誰にか対する。

試みに滄海の棹を廻せ、妬む莫れ敬亨の詩。

祇だ是れ書をば応に寄すべし、忘るる無かれ酒共に持せしことを。

但だ心事をして在らしめば、未だ肯て鬢毛衰えたりとせず。

最も恨む巴山の裏、清猨の夢思を悩ますことを。

2012new02 

 




『酬別杜二』 現代語訳と訳註

(本文)

峰樹環相伴、江雲更對垂。

試廻滄海櫂、莫妬敬亭詩。

祇是書應寄、無忘酒共持。

但令心事在、未肯鬢毛衰。

最恨巴山裏、清猨悩夢思。

 

 

(下し文)

峰樹環た相い伴う、江雲更に誰にか対する。

試みに滄海の棹を廻せ、妬む莫れ敬亨の詩。

祇だ是れ書をば応に寄すべし、忘るる無かれ酒共に持せしことを。

但だ心事をして在らしめば、未だ肯て鬢毛衰えたりとせず。

最も恨む巴山の裏、清猨の夢思を悩ますことを。

 

(現代語訳)

秦嶺山脈の木樹はずっと連なってまたつづく、大江に浮かぶ雲は今度は誰に対して言うことになるか。

こうなったら試みに東海の三山に向かう滄海に棹を廻していこうか、六朝の謝朓が敬亭山を詠った時のように自然に浸っていることを羨んではいけないのだ。

ただ、ここに示すように心の為すままに書を書き寄せることであり、酒をいつも持参して呑むことだけは忘れてはいけない。

そして、心に思うことだけはどうしてもやり遂げることとして、まだまだ鬢毛が衰えるからというのを理由にしてはいけない。

こうしていても、最も腹に据えかねることは、巴山の里におこった事である。憎たらしい猿のような奴に夢の思いを破られ悩まされたことである。

 natsusora01




 

(訳注)

峰樹環相伴、江雲更對垂。

秦嶺山脈の木樹はずっと連なってまたつづく、大江に浮かぶ雲は今度は誰に対して言うことになるか。

・峰樹 秦嶺山脈の木樹。

 

試廻溶海擢、莫妬敬亭詩。

こうなったら試みに東海の三山に向かう滄海に棹を廻していこうか、六朝の謝朓が敬亭山を詠った時のように自然に浸っていることを羨んではいけないのだ。

・遊敬亭山詩 謝朓宣城太守時の作。

茲山亙百里,合杳與雲齊,隱淪既已托,靈異居然棲。

李白『聽胡人吹笛』

胡人吹玉笛。 一半是秦聲。 十月山曉。 梅花落敬亭。

愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。 卻望長安道。 空懷戀主情。

李白『獨坐敬亭山』

眾鳥高飛盡。 孤云獨去閑。

相看兩不厭。 只有敬亭山。

 

祇是書應寄、無忘酒共待。

ただ、ここに示すように心の為すままに書を書き寄せることであり、酒をいつも持参して呑むことだけは忘れてはいけない。

 

但令心事在、未肯鬢毛衰。

そして、心に思うことだけはどうしてもやり遂げることとして、まだまだ鬢毛が衰えるからというのを理由にしてはいけない。

 

最恨巴山裏、清猨悩夢思。

こうしていても、最も腹に据えかねることは、巴山の里におこった事である。憎たらしい猿のような奴に夢の思いを破られ悩まされたことである。

清猨 ここ数年、三巴や蜀地方において、叛乱が立て続ききに起こり、モグラたたきのように厳武が平定していたことをいう。

酬別杜二  厳武 蜀中転々 杜甫 <534(附-#1)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#1)-770/1500

酬別杜二 厳武(杜甫は厳武を送って綿州に至って別れた。厳武が杜甫の詩に対して酬いて別れる詩。)こんな「堯典の日」ともいうべき良い秋分の日に一人で逢う、そしてふたたび見たいのはあの漢の朝廷のような政治なのだ。

 

2013年8月24日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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杜甫は厳武を送って綿州に至って別れた。厳武が杜甫にむくいて別れる詩である。

 

 

酬別杜二  厳武

(杜甫は厳武を送って綿州に至って別れた。厳武が杜甫の詩に対して酬いて別れる詩。)

獨逢堯典日、再観漢宮儀。

こんな「堯典の日」ともいうべき良い秋分の日に一人で逢う、そしてふたたび見たいのはあの漢の朝廷のような政治なのだ。

未効風霜勁、空噺雨露私。

いまだに風霜のようにこの天下が平定される保護の動きはない、ただ雨露のようにうるさくわたしにささやいてくる空しいオチはなしばかりである。

夜鐘清萬戸、曙漏彿千旗。

しかし、夜の鐘はすがすがしく万戸に響き渡るように、、夜明けを告げる水漏時計の知らせで千本の旗が打ち立てられる様に天下を治めるのである。

並向殊庭謁、倶承別館遮。

それに並んでいることは今から天子の前庭の丹庭を抜け階を昇って謁見し、賊共が別館を開いているのを遮断することを承るのだ。

斗城憐菰路、渦水惜餉期。

北斗七星のように偉大な長安城が茨の道ように運河や水路が菰で乱れていることはなげかわしいことである。そこに大水が出て刈りいれのころにおこった事は惜しい限りである。

2

峰樹逞相俘、江言更對垂。試廻溶海擢、莫妬敬亭詩。祇是書唐寄、無忘酒共待。

但令心事在、未肯鬢毛衰。最恨巴山裏、清猨醒夢思。

 

 

杜二に酬い別る       厳 武

独り逢う尭典の日、再び観る漢官の儀。

未だ効さず風霜の勤、空しく怒ず雨露の私。

夜鐘は万戸に清く、曙漏は千旗を払う。

拉びに殊庭に向かって謁す、供に承く別館の追。

斗城に旧路を憐れみ、清水に帰期を惜しむ。

#2

峰樹遠た相い伴う、江雲更に誰にか対する。

試みに槍海の樺を回せ、妬む莫れ敬亨の詩。

祇だ足れ書をば応に寄すべし、忘るる無かれ酒共に持せしことを。

但だ心事をして在らしめば、未だ肯て鬂毛衰えたりとせず。

最も恨む巴山の裏、清猿の夢思を悩ますことを。

 

 

『酬別杜二』 現代語訳と訳註

(本文)

酬別杜二

獨逢堯典日、再観漢宮儀。

未効風霜勁、空噺雨露私。

夜鐘清萬戸、曙漏彿千旗。

並向殊庭謁、倶承別館遮。

斗城憐菰路、渦水惜餉期。

 

 

(下し文)

杜二に酬い別る

独り逢う尭典の日、再び観る漢官の儀。

未だ効さず風霜の勤、空しく怒ず雨露の私。

夜鐘は万戸に清く、曙漏は千旗を払う。

拉びに殊庭に向かって謁す、供に承く別館の追。

斗城に旧路を憐れみ、清水に帰期を惜しむ。

 

 

(現代語訳)

(杜甫は厳武を送って綿州に至って別れた。厳武が杜甫の詩に対して酬いて別れる詩。)

こんな「堯典の日」ともいうべき良い秋分の日に一人で逢う、そしてふたたび見たいのはあの漢の朝廷のような政治なのだ。

いまだに風霜のようにこの天下が平定される保護の動きはない、ただ雨露のようにうるさくわたしにささやいてくる空しいオチはなしばかりである。

しかし、夜の鐘はすがすがしく万戸に響き渡るように、、夜明けを告げる水漏時計の知らせで千本の旗が打ち立てられる様に天下を治めるのである。

それに並んでいることは今から天子の前庭の丹庭を抜け階を昇って謁見し、賊共が別館を開いているのを遮断することを承るのだ。

北斗七星のように偉大な長安城が茨の道ように運河や水路が菰で乱れていることはなげかわしいことである。そこに大水が出て刈りいれのころにおこった事は惜しい限りである。

 

 

(訳注)

酬別杜二

(杜甫は厳武を送って綿州に至って別れた。厳武が杜甫の詩に対して酬いて別れる詩。)

・酬別 酬いて別れる。杜甫が成都から梓州まで送ってきて、その間に多くの詩を厳武とやり取りしている。

 

獨逢堯典日、再観漢宮儀。

こんな「堯典の日」ともいうべき良い秋分の日に一人で逢う、そしてふたたび見たいのはあの漢の朝廷のような政治なのだ。

・堯典 書経の偽古文尚書. 虞書, 堯典とある。堯典日とは天候も気候も素晴らしい天下一の日という意味で、秋分の日というほどの意味。

 

未効風霜勁、空噺雨露私。

いまだに風霜のようにこの天下が平定される保護の動きはない、ただ雨露のようにうるさくわたしにささやいてくる空しいオチはなしばかりである。

 

夜鐘清萬戸、曙漏彿千旗。

しかし、夜の鐘はすがすがしく万戸に響き渡るように、、夜明けを告げる水漏時計の知らせで千本の旗が打ち立てられる様に天下を治めるのである。

 

並向殊庭謁、倶承別館遮。

それに並んでいることは今から天子の前庭の丹庭を抜け階を昇って謁見し、賊共が別館を開いているのを遮断することを承るのだ。

 

斗城憐菰路、渦水惜餉期。

北斗七星のように偉大な長安城が茨の道ように運河や水路が菰で乱れていることはなげかわしいことである。そこに大水が出て刈りいれのころにおこった事は惜しい限りである。

・斗 北斗七星のように偉大な長安城。二十八宿にいう正月…「室」、二月…「奎」、三月…「胃」、四月…「畢」、五月…「参」、六月…「鬼」、七月…「張」、八月…「角」、九月…「氏」、十月…「心」、十一月…「斗」、十二月…「虚」

・菰路 菰のみち、茨の道ように運河や水路が乱れていること。

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厳武が杜甫に贈った詩 《寄題杜二錦江野亭》あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。  
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。  
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

《寄題杜二錦江野亭》 厳武蜀中転々 杜甫 <528()>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528()-762/1500

 

 

寄題杜二錦江野亭 (寄題杜拾遺錦江野亭) 厳武

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

莫倚蓄題鸚鵡賦何須不著鵔義

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

 くちなしの実01






 

『寄題杜二錦江野亭』 現代語訳と訳註

(本文)

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

莫倚蓄題鸚鵡賦何須不著鵔義

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

 

 千畳敷0010

(下し文)

(杜二が錦江の野亭に寄せ題す)    厳武

漫りに江頭に向かって釣竿【ちょうかん】を把る、懶【らん】にして沙草に眠り風瑞を愛す。

善く鸚鵡の賦を題するに倚ること莫れ、何ぞ夋義の冠を着けざるを須いん。

腹中の書籍幽時に曬【さら】し、肘後の医方は静処に看る。

興発せば会ず能く駿馬を馳せ、終に当に直に使君灘に到るべし。

 

 

(現代語訳)

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

 

 

(訳注)

寄題杜二錦江野亭 (寄題杜拾遺錦江野亭) 厳武

(友人の杜甫殿の錦江の野亭にこの詩を寄せる。)

○杜二(拾遺) 杜甫をさす。

○錦江野亭 草堂をさす。

 

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

あなたはそんなことをせずともよいのに錦江ほとりに釣竿を把ったり、無精もので砂の原の草に眠ったり、風に音する早瀬の音を愛したりしている。

○江頭 錦江のほとり。

○把釣竿 杜の隠居生活をいう。

○懶 らん 杜甫のぶしょうなこと。隠遁者には誉め言葉になる。

○沙草 沙上のくさ。風瑞 風声をおびたはやせのおと。

★この二句は隠遁者の風流を云う。

 

莫倚蓄題鸚鵡賦、何須不著鵔義冠。

禰衛のごとく「鸚鵡の賦」をよくつくれるといってもそんなことをたのむことはないし、あくまで仕官しないと鵔義の冠を着けないといって頑張っている必要がどこにある。

〇禰 衡(でい こう、あるいは「ねい こう」とも、173年-199年)は、中国後漢末期の人。字は正平。青州平原郡般県 の人。興平年間、荊州に避難した。建安年間の初め、遷都されたばかりの許に上京した。しかし、才能を鼻にかけて傲慢な態度をとったうえ、他人の評価に対しては酷評を行なったため、人々から憎まれた。ただ、孔融だけは禰衡を高く評価し、曹操にも推薦していた。

○倚 たよりにする、誇る意となる。

○題 つくること。

○鸚鵡賦 後漢の禰衛は、章陵の太守黄射のところにあってこの賦を作った。

○何須 そんな必要はない。

○鵔義冠 錦鷄鳥のはねでかざったかんむり、漢の時、侍中の官のかむったもの。

 

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

おまえはしずかなときに腹のなかの書物を虫ぼしにしたり、てぢかな医術の心得の本などを静かな処で看ている。

○幽時 しずかなとき。

○曬さらし むしばしする、郝隆というものが七月七日に腹中の書をさらすのだといって日向で仰向けに寝そ べり,これを書物の虫干しと称した。

○肘後医方 肘にかける医術の書、菅の葛洪は「肘後急要方四巻」をあらわした。○興発 此より二句は武自ずからいう、発はおこること。

 

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

自分は風流の興がおこったならば必ず駿馬をとはしてすぐおまえのそばの「使君灘」までゆこうとおもっている。

○会 必ずに同じ、俗語である。

使君灘 浣花渓の近傍にかかる名の灘があったのであろう。杜甫が忠義のものであることは私は分かっていて、その君が住んでいる早瀬があるところというほどの意味。

王維 口號又示裴迪 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 253

王維 口號又示裴迪 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 253

(2)王維
両作ともほぼ同時と思われるのが、次の「口号して又に裴迪に示す」と題する七言絶句である。


前作を話して、王維の昂奮はいっそう高まったのであろう。「又」の字はよくそれを示していなお『万首句人絶唐』はこれを「菩提寺の禁にて裴迪に示す」と題する。

口號又示裴迪
安得捨塵網、沸衣辭世喧。
悠然策藜杖、歸向桃花源。
(口号して又に裴迪に示す)
安くにか塵網を捨つるを得て、衣を払いて世の喧しきを辞し。
悠然として藜の杖を策き、帰りて桃花源に向かわん。


現代語訳と訳註
(本文)

口號又示裴迪
安得捨塵網、沸衣辭世喧。
悠然策藜杖、歸向桃花源。

(下し文) (口号して又に裴迪に示す)
安くにか塵網を捨つるを得て、衣を払いて世の喧しきを辞し。
悠然として藜の杖を策き、帰りて桃花源に向かわん。


(現代語訳)
とても難しいことだけど俗世界を捨てたいのだ、煩わしい衣についてくる塵のように私に要求してくることを払いのけたい、そして隠棲したいのだ。
ゆったりと落ち着いた気分で藜杖をついて、散策する桃源郷に向かって帰りたい。

(訳注)
安得捨塵網、沸衣辭世喧。

とても難しいことだけど俗世界を捨てたいのだ、煩わしい衣についてくる塵のように私に要求してくることを払いのけたい、そして隠棲したいのだ。
安得 難しいことだがなんとかしての意。ほとんど実行不可能を予想していう言葉。○塵網 脱出が難しい俗世のこと。俗界。『文選、江淹、雜體、許徴君自序詩』「五難既に儷落、超迹絶塵網」陶淵明『帰田園居』(田園の居に帰る)
歸園田居五首       其一
少無適俗韻,性本愛邱山。
誤落塵網中,一去三十年。
羈鳥戀舊林,池魚思故淵。
開荒南野際,守拙歸園田。
方宅十餘畝,草屋八九間。
楡柳蔭後簷,桃李羅堂前。
曖曖遠人村,依依墟里煙。
狗吠深巷中,鷄鳴桑樹巓。
戸庭無塵雜,虚室有餘閒。
久在樊籠裡,復得返自然。
「誤って塵網の中に落ち、一たび去りて十三年」と見える。
○払衣 衣の塵をはらって隠遁する意、
歸園田居五首    其一
少より 俗韻に適ふこと無く,性本と邱山を愛す。
誤りて塵網の中に落ち,一たび去ること 三十年。
羈鳥 舊林を戀ひ,池魚 故淵を思ふ。
荒を開く 南野の際,拙を守りて 園田に歸る。
方宅 十餘畝,草屋 八九間。
楡柳 後簷(えん)を蔭(おほ)ひ,桃李堂前に羅(つらな)る。
曖曖たり 遠人の村,依依たり 墟里の煙。
狗は吠ゆ 深巷の中,鷄は鳴く 桑樹の巓。
戸庭 塵雜 無く,虚室 餘閒有り。
久しく樊籠の裡に在れども,復(ま)た自然に返るを得(う)。
謝霊運「述祖徳詩」其二祖(徳を述ぶ)に謝霊運の『述祖德詩』に「達人貴自我,高情屬天雲。兼抱濟物性,而不纓垢氛。段生蕃魏國,展季救魯人。」「高く七州の外に揖り、衣を五湖の蓑に払う」と見える。


悠然策藜杖、歸向桃花源。
ゆったりと落ち着いた気分で藜杖をついて、散策する桃源郷に向かって帰りたい。
○悠 ゆったりと落ち着いたさま。『文選、陶淵明、雑詩』「飲酒其五 陶淵明
結廬在人境,而無車馬喧。
問君何能爾?心遠地自偏。
采菊東籬下,悠然見南山。
山氣日夕佳,飛鳥相與還。
此中有真意,欲辨已忘言。」(菊を采る東籬の下、悠然として南山を望む)○藜杖【あかざのつえ】 『荘子』譲王篇に子頁が貧乏な原意を訪ねたとき、原意は「藜を杖つきて門に応じ」たと見える。藜はアカザ科の一年草、葉は食用・薬用に供せられ、茎は軽くて堅いので老人の杖に用いられる。「桃花源」は古代の質朴さを留めた理想社会。陶淵明に「桃花源記」がある。王維はこのとき「塵網」と「世喧」につくづく安禄山に愛想が尽きていたのであろう。隠者となって、嘘と偽りのない古代社会に帰りつくことを、ひたすら願望していた。


756年至徳元載七月、粛宗は霊武に即位した(はじめ文武官は三十人ほど)のち、態勢を整え、長安回復をはかりつつあったが、帰属する官僚や軍人は次第に増加し、特に郭子儀・李光弼の両名将の到着は臨時政府の大きなささえとなった。勇将の顔真卿は敵の根拠地河北を中心に力戦していたが、房琯が率いた五万の兵が十月に陳涛斜(隣西成陽東)青坂で大敗を喫し、十二月、四道の節度使を兼ねた、永王璘(李白はその幕僚となった)が叛意を抱いて江陵(湖北省)から金陵(南京)をめざしたのは、ともに大きな痛手であった。

当時、山西の地で李光弼とともに、要衝の大原を守っていたのは、大原少尹(副長官、従四品下)の職にあった王維の弟王縉である。
757年至徳二載(時に王維五十七歳)正月、安慶緒は父の安禄山を殺して、大燕皇帝となった。大原が史思明の大軍十万に包囲され、李光弼が嘉の弱卒を率い、知略の限りを尽くして守り抜いたのもこの一月のことである。

二月には粛宗は行在所を寧夏の霊武から、長安の西140kmの鳳翔に移し、隴右・河西・安西など西海の辺境守備軍やウイグル異民族の兵を集め、永王璘の反乱も鋲圧し、両都回復の態勢を撃え、各地における官軍の善戦もあって、
九月には広平主催(のちの代宗)を総帥とする十五万の兵を発して両都に向かわせ、
九月二十七日、敵十万を長安の西で破り、
九月二十八日には長安を、
十月十八日には洛陽を回復した。
十月二十三日に粛宗が鳳翔から、
十二月四日に上皇(玄宗)が蜀から長安に帰ってきた。

■河北を中心に兵乱はなお続いていたが、中興の業はほぼ成り、論功行賞とあわせて、偽政府に従った官僚の処罰が議せられた。御史中盃の程器・呂詮は、敵に降った官僚は「国に背き偽に従ったもの」ゆえ、法律どおりすべて死刑に処すべしと主張し、粛宗も一時はそれに賛成したが、皇族の李幌が処分をゆるめるように進言するや、結局、李幌の意見が採択されて、見せしめの死刑から流罪、左遷に至る六等の刑によって処分することが確定した。

このとき、いちばん問題になったのは張均・張泊兄弟の処分であった。彼ら兄弟はかつての重臣張説の子で、張泊は唐王室と婚姻関係までありながら、ともに安禄山に従い、均は偽政府の中書令に、泊は宰相に就いた。上皇は両者の死罪を当然としたが、粛宗は兄弟の力で李林甫の毒手を免れえたのを理由に助命を願ったので、均は死罪、泊は広東方面への永久配流と決定した(以上は『賢治通鑑』巻二二〇による。両『唐吾』は均は合浦(広東省)に配流、泊は賊中で死亡と記す)。その他、達臭均ら十八人は死刑、陳希烈ら七人には自尽を賜わった。王維は長安におれば、上述のように九月二十八日に解放されたであろうが、「貴公の神道碑」の自述によれば、十か月ほどの拘禁生活を経たのち、ついに堪えきれず給事中の偽職を受けたようであるので、職掌柄洛陽に移っていたとも察せられる(至徳二我の五、六月ごろからか)。とすれば、彼は十月十八日洛陽で官軍により、解放されたことになる。ただ、彼はそれ以後も十二月の処分決定まで、未決囚としてまず京兆府の獄に、ついで楊国忠の旧邸に身体を拘束されたであろうから、安禄山軍の長安占領以後約一年半ほどを、拘禁またはそれに近い状態で生活を送ったことになる。その間、彼は生命の危険を幾度か覚えたはずである。崖器らの意見が通れば、王維も死罪に処せられるところであったが、彼に対する処分は意外に軽かった。このあたりの事情を『旧唐書』本伝は次のようにいう。

賊平らぎ、賊に陥ちし官は三等にて罪是めらる。王維は「擬碧」の詩行在に聞こゆるを以って、粛宗之差したまう。会【たま】たま王縉己が刑部侍即を削りて、兄の罪を贖【あがな】わんと請う。特に之を宥【ゆる】し、太子中允を責授さる。

『新唐書』本伝の記事もほぼ同じであるが、「擬碧」の詩が自然に行在所に伝わったのではなく、ある人がわざわざその詩を行在所の粛宗に伝えたと記述している。「三等」は本来「六等」が正しいが、ここでは、見せしめの死刑・自尽・杖刑の比較的重い「三等」の刑をあげたのであろう。王維に対する処分は「責授」(罪芸めつつ官を授ける。左遷に同じ)であるので、「三等」以下の監当たる。それゆえ「特に宥す」と表現したのであろう。「刑部侍郎」は尚書六部の一つで、刑法を管掌する。侍即は次官で正四雫。王潜は大原少冒して大原防衛に功績があったので、刑部侍郎(当時は『新唐害』本伝誓うように計と呼ばれていた)覧進したのである。

かくして偽政府に投降した行為は、最も軽い処分で決着したが、この拭いようのない汚点は、彼姦しい自責に駆。たてた。彼が太子中允(李中允といっても、彼の「集賢学士を謝する表」に「朝議大夫雲子中允臣維」というように、正官ではなく試官であり、正確には李中允待遇というべきである)に任ぜられたとき、恩命を謝して奉った表(文体の名称で上奏文の一撃あり、事柄を明らかにする目的で、陳情に用いる)の「太子中允に除せらるるを謝する表」に、当時の心境をよく綴いる。


詔は宸衷【しんちゅう】より出で、恩は望表【ぼうひょう】に過ぐ。捧戴【ほうたい】して裁【な】す所知らず。臣は聞く、君の禄を食むものは、君の難に死すと。逆胡の紀を干し、上皇の官を出でたまうに当たり、臣は進みて従行するを得ず、退きて自殺する能わず。情は察すべしと雖ども、罪は誅を容されず。……仍ち、網を祝するの恩を開き、臣を鼓に釁【ちぬ】るの戮【りく】より免【まぬか】れしめたまい、書を投じて罪を削り、襟を端【ただ】して朝に立たしめたもう。穢汚【わいお】の残骸、死滅の余気、伏して明主に謁【まみ】ゆるに、豈に自から心に娩【は】じざらんや。仰ぎて勲臣に廁【まじ】わるに、亦た何をか其の面に施さん。天に媚みて内を省みるに、地として自ら容るる無し。……朝に罪人の禄を食むを容さは、必ずや法を屈ぐるの嫌【うたが】いを招かん。臣は仏を奉じ恩に報ゆるを得て、白から死せざるの痛みを寛【ゆる】うせん。


「望表」は望外に同じ、『南史』王藻伝に「栄は望表に出ず」と見える。「網を祝す」とは「解網祝禽」の略で、殿の湯王が網の三面を開けて、閉じこめられた鳥を解き放ち、その前途を祝福した故事にもとづく。「鼓に馨る」とは人を殺してその血を太鼓に塗ること。戦争時の勝利を祈る儀式であった。『左伝』僖公三十三年に「孟明稽首して日わく、君の恵みは囚われの臣を以って鼓に費らざることなり」と見える。「天に指む」とは天が高いのに、つかえはしないかと身をかがめることで、恐れのため過度に行動を慎重にするたとえ。『詩経』小雅、正月にもとづく言葉。彼は前述のように、裴迪に示した作品で、隠退して桃源郷に赴きたいといい、ここでは仏道に帰依して、贖罪と報恩のうちに一生を終わりたいという。彼は太子中允の職に任ぜられて、出仕する毎日ではあったが、顔に厚化粧を施すか、仮面でもかぶらねは過ごせないほどの思いをいだいていたのであろう。



さて王維の作品は、次のような裴迪と昌号した七言絶句と長い題名がついているものとある。それはこの作品が書きつけたものでなく、口頭による即興吟(いわゆる「口号」)であった関係によるのであろう。

問題はこの状況下で杜甫が一年前に房琯について僭越にも余計なことをいってしまったこと。そして、兩都を奪還し、朝廷内での地位が固まってきた段階でまた余計なことをいったことになる。この詩の後左遷ということになってしまうのである。あくまでも此の視点は朝廷側、粛宗側から見たのである。粛宗は基本的に文人が嫌いなのである。

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

(1)王維
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

太子中允である王維に贈った詩。乾元元年の作。王維は天宝の末年に給事中の官であったが玄宗が蜀に奔ったとき従うに及ばず、叛乱軍にとらえられた。王維は薬をのんで痢を取り詐って痔の病と称した。安禄山はもとよりこれを憐んだが、人を遣わして洛陽に迎え来らせ菩提寺(或は普施寺という)に拘した。
杜甫は房琯の擁護をして粛宗の逆鱗に触れ、長安・洛陽奪還の肝心な時に鄜州羌村の家族のもとにあった。
朝廷内では他の官僚との交流もなく、疎外されていた。この間の詩については掲載の通り、内容的に、朝廷内で仕事は全くされてない状況であった。そうした中で王維に対して出過ぎた詩を贈ってしまった。杜甫が左遷されられる原因の一つに王維に対する詩をあげる。

この時期に至る王維の情況、朝廷の情況を見ていく。王維については、叛乱軍の中で口号して作った二首についてみる。その後に杜甫の王維に送る詩を見る。
(1)王維 菩提寺禁、誦示裴廸―『万首句人絶唐』引用の詩題
(2)王維 口號又示裴迪
(3)杜甫 奉贈王中允維

《菩提寺禁、誦示裴廸》(略題)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
《菩提寺禁、誦示裴廸》
萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。

秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)。
(菩提寺の禁にて裴迪に示す」)
万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す

10risho長安城の図035

現代語訳と訳註
(本文)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。


(下し文)
(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)

万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す


(現代語訳)
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(訳注)
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
○此の詩は、王維が安禄山に拘禁されていた時の作として知られる。○菩提寺 長安の平康坊南門の東にあったという。(長安城図参考)○ 王維が監禁されているところ、監獄。○裴迪 王維の友人。 
 王維詩 年賦・詩の時系序列
 王維 詩目次と詩のタイトル
 王維のアウトライン
 王維ものがたり


萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
野煙 野のかすみ。○朝天 朝廷に出仕する。
詩題でも裴迪(長安に住んでいた)の面会を言い、『洛陽伽藍記』の「菩提寺」の項にも、王維の拘禁について記述がない。王維はこの時長安にいた。裴迪も長安を居住としていた。「万戸」「百官」と対をなす語からも、首都長安のイメージが濃厚であり、賈至、王維、杜甫、岑参の「早朝大明宮」に
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
「金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。」と見えるのが、そのイメージを支える例証となる。「秋槐」の句は長安・洛陽いずれの宮殿にかけてよく、結びは洛陽についていう。ここで重要なことは、安禄山の酒宴に王維が参加していないということである。彼は756年天宝十五載(七月に至徳元我と改元)の六、七月ごろ、安禄山軍の捕虜となり、やがて洛陽に送られて、安禄山から偽官に就くことを要求されたが、それを拒否し、再び長安に連れもどされて、菩提寺に拘禁されていたのであろう。この作品が両都回復後に行なわれた功賞と処罰において、彼が寛大な処分を受ける大きな原因となった


秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。
 えんじゅ。○逆賊等 安史軍安縁山叛乱軍を指す。○凝碧池 唐の東の都、洛陽の禁苑にある池。○供奉人 宮廷の楽士。○挙声 楽器の音を出す。○口号 詩の体裁の一。口に隨って吟詠する意という。○誦示 文字に記さず、口づたえに示す。○なおこの時、王維と共に捕えられ、安禄山の官位を受けたものは、すべて罪せられたが、王維は此の詩のお陰で免かれたという。安縁山が凝碧池で宴した様子は「明皇雜録」にくわしい。抜粋して載せる。

「明皇雜録」 
 「天宝末、群賊両京(長安と洛陽)を陥し、大いに文武の朝臣及び黄門(宦官)、宮嬪(女官)を掠め、楽工、騎士、数百人を獲る毎に、兵仗を以て厳に衛り、洛陽に送る。山谷に逃るる者有るに至るも、而かも卒に能く羅捕迫脅し、授くるに冠帯(官位)を以てす。安禄山、尤も意を楽工に致し、求訪すること頗る切なり。旬日にして梨園の弟子数百人を獲だり。群賊、因りて相い与に大いに凝碧池に会して宴す。偽官数十人、大いに御庫(天子の宝物庫)の珍宝を陳べ、前後に羅列す。楽既に作る。梨園の旧人(かつての玄宗皐粧肛属の歌舞音曲団員)、覚えず歔欷(すすりなき)し、相い対し涙下る。群逆、皆な刃を露わし満を持し以て之れを脅かすも、已むあたわず。楽工の雷海青なる者有り。楽器を地に投じ、西向(玄宗皇帝のいる方角)して慟哭す。逆党(逆賊の一昧)乃わち海青を戯馬殿に縛し、支解(手足をばらばらにする酷刑)して以て衆に示す。之れを聞く者、傷痛せざるなし。禄山素より其の才を知る。迎えて洛陽に置き、迫って給事中と為すっ禄山大いに凝碧池に宴し、悉く梨園の諸工を召して合楽せしむ。諸工皆な泣く。維聞きて悲しむこと甚だしく、詩を賦りて悼痛めり。王維、時に賊の為に菩提仏寺に拘われ、之れを聞きて詩を賦す云云」とある。
《大意》
この凝碧池の宴会は、それによれば、安禄山軍以外に、偽政府のもと朝臣数十人も列席したという。安禄山は至徳二我の春正月六日早朝に子の安慶緒に殺されているから、この宴会は至徳元載(757)(時に王維五十六歳)の秋でなければならない。これに王維は出席していないから、当時は安禄山が与えようとした官(給事中)を拒否しつづけて、菩提寺(杜甫「崔氏東山草堂」原注を信すれば「東山北寺」)に拘禁されていたのであろう。 なおこのとき、音楽が始まったものの、梨園に席を置いた楽師たちは泣きだし、兵士たちは自刃で脅かしたが彼らは泣きやまず、雷海青という琵琶の名手は楽器を投げだし、玄宗が住む西方の覇に向かって慟哭した。怒った安禄山軍は彼の身体をばらばらに切り離して、見せしめにしたという。


王維が安禄山叛乱軍に捕らわれ、やむなえぬ事情ということで投降して、叛乱軍の政府の官僚となったことは、唐王朝に対する反逆である。男女別なくとらわれれば、敵の収穫物となるのであり。したがって、やむを得ない投降はないのであり、死か、反逆かしかないのであった。首都を回復した唐王朝としては叛乱者の官僚になるということは、許しがたい犯罪的行為であったのだ。彼は弟王潜の懸命な嘆願や後述する虜囚中の作品によって、微罪となったわけだが、この時代としては表面的なものでしかなく、王維自身には終生解決しえない重荷を負ったのである。

王維 輞川集

1孟城幼 もうじょうおう
2華子岡 かしこう
3文杏館ぶんきょうかん
4斤竹嶺 きんちくれい
5鹿柴   ろくさい 
6木蘭柴 もくらんさい
7茱萸拌 しゅゆはん
8宮塊陌 きゅうかいはく
9臨湖亭 りんこてい
10南 陀 なんだ
11欹 湖 いこ
12柳 浪 りゅうろう
13欒家瀬らんからい
14金屑泉 きんせつせん
15白石灘はくせきたん
16北 陀 ほくだ
17竹里館 ちくりかん
18辛夷塢 しんいお
19漆 園 しつえん
20椒 園 しょうえん


岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249

岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249
寄左省杜拾遺(左省の杜拾遺に寄よす)岑参
五言律詩。微・歸・飛・稀(平声微韻)。

杜甫に推薦してもらって、補闕に採用された新人であるが、朝廷の中で、仕事がなく、相手にされず疎外感をもって、自棄になっている杜甫に対して、わたしも同じように仕事はないのだと詠ったものである。


寄左省杜拾遺
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。

唐朝 大明宮2000


現代語訳と訳註
(本文)
寄左省杜拾遺
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。


(下し文) (左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。


(現代語訳)
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(訳注)
寄左省杜拾遺

門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
左省  門下省。○杜拾遺  杜甫。拾遺は官名。左拾位であった。天子の過失をいさめる役。


聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
丹陛  朱で塗った宮殿の階段。○  部局。○紫微  紫微宮。外朝(含元殿)、中朝(宣政殿)、内朝(紫宸殿)これらをつなぐ庭は丹く塗られていた。


曉隨天仗入、暮惹御香歸。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。

朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る
天仗  天子の行列を護衛する兵。○御香  宮中で焚かれる香の香り。


白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。


聖朝無闕事、自覺諫書稀。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。
聖朝  時の朝廷を尊んでいうことば。○闕事  政治上の欠陥。○諫書  天子をいさめる書。


この頃の岑参の詩
HP漢文委員会岑参詩しい参照
758年
2月、載を年と改む。
6月、房官、分州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。王之渙、王翰

44歳  在長安,任右補闕。  「寄左省杜拾遺」
乾元元年   詩
127  奉和中書賈至舍人早朝大明宮(春末作
128  西掖省即事(春末)
129  寄左省杜拾遺(春末)
130  送人歸江寧(姑繫此年)
131  送揚州王司馬(同上)
132  送許拾遺恩歸江寧拜親(本年春夏間作于長安)
133  懷葉縣關操姚擴韓涉李叔齊
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奉和中書賈至舍人早朝大明宮 岑參 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 235

奉和中書賈至舍人早朝大明宮 岑參 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 235

758年春、賈至、王維、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃った。杜甫にとっては生涯で一番幸福な時期であった。王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっている。賈至が伝統的な七言律詩で宮廷風の詩『早朝大明宮呈両省僚友』を詠ったこれに対して、三人が唱和した・    

和賈舎人早朝大明宮之作   王維 
奉和賈至舍人早朝大明宮   杜甫

奉和中書賈至舍人早朝大明宮(頁一九六)
作於乾元元年(758四十四歲)春末,時岑參在長安任右補闕。

奉和中書賈至舍人早朝大明宮
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
朝を知らせる鶏が鳴いて都大路には曙光はまだ寒さをのこしている、鶯はさえずり天子のお住まいのこの街には春景色が爛漫としている。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
天子の宮殿の御門に暁の鐘が鳴らされ城郭の萬戸の家に対して開かれる、宮殿のきざはしはひかり輝き朝の儀式のために旗刺物と官僚が並んでいる。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
春に花は剣を佩びた者たちを迎えてくれ夜明けを迎えて星は見えなくなっている。柳は揺れ、天子の御旗も揺れていて夜露はまだ乾いていない。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

ただひとり宮殿の鳳凰池の辺に来ている穏やかな春の日はこの詩をうかんでくるだけどみんなと一緒に唱和することは難しい。


171 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。


現代語訳と訳註
(本文)

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。


(下し文)
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。


(現代語訳)
朝を知らせる鶏が鳴いて都大路には曙光はまだ寒さをのこしている、鶯はさえずり天子のお住まいのこの街には春景色が爛漫としている。
天子の宮殿の御門に暁の鐘が鳴らされ城郭の萬戸の家に対して開かれる、宮殿のきざはしはひかり輝き朝の儀式のために旗刺物と官僚が並んでいる。
春に花は剣を佩びた者たちを迎えてくれ夜明けを迎えて星は見えなくなっている。柳は揺れ、天子の御旗も揺れていて夜露はまだ乾いていない。
ただひとり宮殿の鳳凰池の辺に来ている穏やかな春の日はこの詩をうかんでくるだけどみんなと一緒に唱和することは難しい。


(訳注)
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
朝を知らせる鶏が鳴いて都大路には曙光はまだ寒さをのこしている、鶯はさえずり天子のお住まいのこの街には春景色が爛漫としている。
紫陌 都大路。都の街路。都の市街。・東西陌 曹植『吁嗟篇』「東西經七陌」(東西 七陌を経て)に基づく。○皇州 皇帝の住まう地域である。○春色闌 春景色爛漫。


金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
天子の宮殿の御門に暁の鐘が鳴らされ城郭の萬戸の家に対して開かれる、宮殿のきざはしはひかり輝き朝の儀式のために旗刺物と官僚が並んでいる。
仙仗 天子の儀使、仙の字は天子をさす、仗は儀式のとき執って並ぶ旗刺物類。


花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
花は剣珮を迎えて星初めて落ち、柳は旌旗を払って露未だ乾かず。
春に花は剣を佩びた者たちを迎えてくれ夜明けを迎えて星は見えなくなっている。柳は揺れ、天子の御旗も揺れていて夜露はまだ乾いていない。
剣珮 刀剣などを腰につける。古代の装身具の一。腰帯とそれにつりさげた玉(ぎよく)・金属器などの総称。○旌旗 軍隊のはた。


獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。
独り鳳凰池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
ただひとり宮殿の鳳凰池の辺に来ている穏やかな春の日はこの詩をうかんでくるだけどみんなと一緒に唱和することは難しい。
○鳳池 大明宮の大掖池。○ 金鑾殿の役務室。
唐朝 大明宮01

位置葉大明宮の配置図参照。

和賈舎人早朝大明宮之作 王維 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 234

和賈舎人早朝大明宮之作 王維 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 234

758年春、賈至、王維、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃った。杜甫にとっては生涯で一番幸福な時期であった。王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっている。賈至が伝統的な七言律詩で宮廷風の詩『早朝大明宮呈両省僚友』を詠ったこれに対して、三人が唱和した・    

和賈舎人早朝大明宮之作   王維 
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
奉和賈至舍人早朝大明宮   杜甫


miyajima 693

   
和賈舎人早朝大明宮之作
絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。
赤い制帽の時を知らせる役目の鶏人が 夜明けの時刻を告げると、天子は尚衣のものを召して深みどりの輝く御衣を着けられる。
九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。
九の天の真ん中、九重の天子の宮殿の御門が開かれる、すべての国王、諸侯は、賜った制服と冠を正している、それから冕旒の珠玉の飾の冠の天子を拝する。
日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。
朝日が入ってきて部屋の中が次第にはっきり、色鮮やかになってくる天子御台が動く、御香があたりただよい、その中からおごそかに袞龍の天子は浮かび上がる。
朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。
朝賀の礼が終わるときまって五色の紐に飾られた詔勅の採下をいただく、官僚たちは佩玉の音を鳴らして   鳳池の金鑾殿の役務室にもどっていく。

賈舎人の「早に大明宮に朝す」の作に和す
絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。
九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す
日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。
朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

長安城郭015


現代語訳と訳註
(本文)

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。
九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。
日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。
朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

(下し文)
絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。
九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す
日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。
朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

(現代語訳)
赤い制帽の時を知らせる役目の鶏人が 夜明けの時刻を告げると、天子は尚衣のものを召して深みどりの輝く御衣を着けられる。
九の天の真ん中、九重の天子の宮殿の御門が開かれる、すべての国王、諸侯は、賜った制服と冠を正している、それから冕旒の珠玉の飾の冠の天子を拝する。
朝日が入ってきて部屋の中が次第にはっきり、色鮮やかになってくる天子御台が動く、御香があたりただよい、その中からおごそかに袞龍の天子は浮かび上がる。
朝賀の礼が終わるときまって五色の紐に飾られた詔勅の採下をいただく、官僚たちは佩玉の音を鳴らして   鳳池の金鑾殿の役務室にもどっていく。

唐朝 大明宮01


(訳注)
絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。
赤い制帽の時を知らせる役目の鶏人が 夜明けの時刻を告げると、天子は尚衣のものを召して深みどりの輝く御衣を着けられる。
絳幘 赤い制帽。○鶏人【けいじん】 中国周代の時を知らせる役目の官名。○尚衣 皇帝の衣服を管理する部門の責任者。○翠雲裘 深みどりの輝く御衣。【裘】かわごろも. 毛皮で作った防寒用の衣。かわぎぬ。 僧衣。また、僧。 修行中の釈迦が鹿の皮をまとったという故事から. 【裘葛】きゅうかつ. 皮衣と 葛 ( くず ) 帷子 ( かたびら ) 。冬の衣服と夏の衣服。 転じて、冬から夏まで。一年。


九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。
九の天の真ん中、九重の天子の宮殿の御門が開かれる、すべての国王、諸侯は、賜った制服と冠を正している、それから冕旒の珠玉の飾の冠の天子を拝する。
九天 九の天の真ん中。○閶闔 仙界の門。天の門。 東藩を「左垣墻」、西藩を「右垣墻」とすることもある。また垣の南側の終点である左枢と右枢の間を「閶闔門」ということからいう。李白『梁甫吟』、『杜鵑花』、『燕臺詩四首』○衣冠 天子から賜った制服と冠。 ○冕旒 冕冠に垂らす、ひもで連ねた珠玉の飾り。
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日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。
朝日が入ってきて部屋の中が次第にはっきり、色鮮やかになってくる天子御台が動く、御香があたりただよい、その中からおごそかに袞龍の天子は浮かび上がる。
日色 朝日が入ってきて部屋の中がはっきり、色鮮やかになってくるさま。○ わずかに。ついちょっと。○仙掌 「仙掌」とは河の神が華山を支える時に残した手形跡。○袞龍 天子の普段着であり、一日のスケジュールを始めて国政の仕事を務める間はもちろん、宮中パーティーの際にも装う。天子の帽子である翼善冠とともに、生涯を通して最も頻繁に着衣していた袞龍袍は、単なる衣服に止まらず、天子そのものを象徴する。


朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。
朝賀の礼が終わるときまって五色の紐に飾られた詔勅の採下をいただく、官僚たちは佩玉の音を鳴らして   鳳池の金鑾殿の役務室にもどっていく。
 朝礼、朝賀。○五色詔 五色の紐に飾られた詔勅。○佩声 官僚たちは佩玉の音を鳴らす。○鳳池 大明宮の大掖池。○ 金鑾殿の役務室。


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早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233


758年春、賈至、王維、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃った。杜甫にとっては生涯で一番幸福な時期であった。王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっている。賈至が伝統的な七言律詩で宮廷風の詩『早朝大明宮呈両省僚友』を詠ったこれに対して、三人が唱和した・    

和賈舎人早朝大明宮之作   王維 
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
奉和賈至舍人早朝大明宮   杜甫


早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。
天子の宮殿の銀製の燭台のともしびは夜明けまで燃え続け、都大路はその前に、長く横たわっている。禁裡の春景色も、明けがたのことだから、まだ薄暗い。
千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。
細い柳の枝は、何千という筋を、青く塗った門の窓の外に垂らしており、さまざまに鳴きかわす鶯が枝々を飛びわたりながら、建章宮をめぐって飛ぶ。
劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。
私の腰にさげた剣や佩玉は、玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたて、身につけた衣冠には、みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。
共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。
おたがいにこの鳳凰池で、わが天子の恵みの波を浴(ゆあ)みするとは、なんとありがたいことだろう。されば朝ごとに筆をそめつつ、みかどのおそばにつかえて、翰林院の職務にはげもうと思う。

銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。
千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。
剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。
共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

韻  蒼、章、香、王。
長安城郭015

現代語訳と訳註
(本文)

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。
千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。
劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。
共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。


(下し文)
銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。
千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。
剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。
共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

(現代語訳)
天子の宮殿の銀製の燭台のともしびは夜明けまで燃え続け、都大路はその前に、長く横たわっている。禁裡の春景色も、明けがたのことだから、まだ薄暗い。
細い柳の枝は、何千という筋を、青く塗った門の窓の外に垂らしており、さまざまに鳴きかわす鶯が枝々を飛びわたりながら、建章宮をめぐって飛ぶ。
私の腰にさげた剣や佩玉は、玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたて、身につけた衣冠には、みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。
おたがいにこの鳳凰池で、わが天子の恵みの波を浴(ゆあ)みするとは、なんとありがたいことだろう。されば朝ごとに筆をそめつつ、みかどのおそばにつかえて、翰林院の職務にはげもうと思う。

唐朝 大明宮01

(訳注)
銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

天子の宮殿の銀製の燭台のともしびは夜明けまで燃え続け、都大路はその前に、長く横たわっている。禁裡の春景色も、明けがたのことだから、まだ薄暗い。
銀燭 銀製の燭台。美しく輝くともしび。○熏朝  夜明けまで燃え続けるさま。○紫陌 都大路。都の街路。都の市街。・東西陌 曹植『吁嗟篇』「東西經七陌」(東西 七陌を経て)に基づく。李白『古風 其二十四』「大車揚飛塵。 亭午暗阡陌。」(長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。) 阡:たて南北。:よこ東西のみち。[陌(はく)とは、中国の晋から南北朝時代(魏晋南北朝時代)にかけて使われた通貨単位である。銭貨100枚を1陌とした。]○禁城 天子のいる御殿。宮城。○春色 春景色。○蒼蒼 明けがたのまだ薄暗いさま。


千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。
細い柳の枝は、何千という筋を、青く塗った門の窓の外に垂らしており、さまざまに鳴きかわす鶯が枝々を飛びわたりながら、建章宮をめぐって飛ぶ。
千条 何千という筋。○弱柳 細い柳の枝○青瑣 青く塗った門の窓。五行思想で春、東を示す色は青であり、春明門。○百囀 鳥などがさまざまにさえずること。侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白流鶯 鶯が枝々を飛びわたること。○建章 漢の武帝太初元年、柏梁殿が火災に遭ったため、二月に建設を始めたのが建章宮である。 建章宮は長安城外、未央宮の西にある。建章宮は長安城外にあるが、閣道によって未央宮と連絡している。


劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。
私の腰にさげた剣や佩玉は、玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたて、身につけた衣冠には、みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。
剣佩 腰にさげた剣や佩玉。○玉墀 玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたてる。○衣冠 天子から賜った制服と冠。○御炉香 みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。


共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。
おたがいにこの鳳凰池で、わが天子の恵みの波を浴(ゆあ)みするとは、なんとありがたいことだろう。されば朝ごとに筆をそめつつ、みかどのおそばにつかえて、翰林院の職務にはげもうと思う。
 あらう。うるおう。恵みを受ける。漢の時代から、5日ごとに家に帰り、髪を洗いきよめたことに基づく。○恩波 天子の恵みの波。○鳳池 鳳凰池。大明宮の大掖池のこと。○朝朝 朝毎のこと。○染翰 翰は筆を執ることであるが、玄宗が作った文人の控えの場所としての翰林院を示すものである。

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