杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

三吏三別・辞官

758年冬 華州司公参軍から759年秋官を辞しして秦州へ 杜甫詩

758年冬 華州司公参軍から759年秋官を辞しして秦州へ 杜甫詩

758年の冬から翌759年の二月ごろまで、杜甫は洛陽の東、肇県にある旧居に、どのような事情があったのか分からないが、帰っている。時に郭子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を鄴城に包囲していたが、759年の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して鄴城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。郭子儀は敗軍をまとめ、洛陽を守るために河陽に陣を布いた。所用をすませて鞏県から洛陽を経て華州へ帰る途中、杜甫は鄴城で大敗した官軍が、潼関で、あるいは河陽で、洛陽防衛のための準備を急遽行なっているのに、出会った。
杜甫が華州へ着いたとき、すでに初夏になっており、近畿地方一帯は天が続いて、飢饉の気配が濃厚であった。秋になると、果たせるかな近畿の地は飢饉となり、杜甫は棄官を決意する。
あれほど執着していた官を、あっさりと棄て去るには、食糧事情の悪化のほかに、当時の政治事情も関係していたにちがいない。すなわち新帝の粛宗側は、長安に帰遺して以来、その地位を確かなものにするために、玄宗側の人々を朝廷から追い落とそうとしており、房琯グループの追放はその一端を示すものであった。このような状況にあって、杜甫は官界における自分の将来に絶望したものと思われる。

かくして杜甫は759年乾元二年の秋、四十八歳のときに長安を去ってから、770年大暦五年の冬に五十九歳で亡くなるまでの十一年間を、家族を伴っての放浪のうちに過ごすことになる。

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268
贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 269

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270
望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 272
觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 273

酬孟雲卿 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274
留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275
早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277
所思 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276
崔氏東山草堂  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 279


至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 700- 280


至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

路逢嚢陽楊少府入城戯呈楊四員外綰  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 282
孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283

李鄠縣丈人胡馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 284
李鄠縣丈人胡馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 285
觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286

252 冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌 
  疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
  湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
  向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
  劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。
  且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
  照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
  天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
  豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
  人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。
  
  
253 閿鄉薑七少府設膾,戲贈長歌 
  姜侯設膾當嚴冬,昨日今日皆天風。
  河凍未漁不易得,鑿冰恐侵河伯宮。
  饔人受魚鮫人手,洗魚磨刀魚眼紅。
  無聲細下飛碎雪,有骨已剁觜春蔥。
  偏勸腹腴愧年少,軟炊香飯緣老翁。
  落砧何曾白紙濕,放箸未覺金盤空。
  新歡便飽姜侯德,清觴異味情屢極。
  東歸貪路自覺難,欲別上馬身無力。
  可憐為人好心事,於我見子真顏色。
  不恨我衰子貴時,悵望且為今相憶。
  
254 戲贈閿鄉秦少公短歌 
  去年行宮當太白,朝回君是同舍客。
  同心不減骨肉親,每語見許文章伯。
  今日時清兩京道,相逢苦覺人情好。
  昨夜邀歡樂更無,多才依舊能潦倒。
  
255 李鄠縣丈人胡馬行 
  丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
  回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
  自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
  一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。
  頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
  始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
  洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
  鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。
  
憶弟二首其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 290
 46.憶弟二首 
256 其一 
 喪亂聞吾弟,饑寒傍濟州。人稀書不到,兵在見何由。
 憶昨狂催走,無時病去憂。即今千種恨,惟共水東流。
 憶 弟 二首 其二(弟を憶う 二首其二) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 291 
257 其二 
 且喜河南定,不問鄴城圍。百戰今誰在?三年望汝歸。
 故園花自發,春日鳥還飛。斷絕人煙久,東西消息稀。


贈衛八処士 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 292


得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289
258 47.得舍弟消息 
  亂後誰歸得,他鄉勝故鄉。直為心厄苦,久念與存亡。
  汝書猶在壁,汝妾已辭房。舊犬知愁恨,垂頭傍我床。
 
觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286
259  1022.觀兵
  北庭送壯士,貔虎數尤多。精銳舊無敵,邊隅今若何?
  妖氛擁白馬,元帥待雕戈。莫守鄴城下,斬鯨遼海波。

  不歸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1013 杜甫特集700- 302
260  1023.不歸
  河間尚徵伐,汝骨在空城。從弟人皆有,終身恨不平。
  數金憐俊邁,總角愛聰明。面上三年土,春風草又生。

獨立 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1016 杜甫詩集700-303
261  1024.獨立
  空外一鷙鳥,河間雙白鷗。飄搖搏擊便,容易往來遊。
  草露亦多濕,蛛絲仍未收。天機近人事,獨立萬端憂。
  
洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295
262  510.洗兵馬
 #1 中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
     河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
     只殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
     京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
 #2 已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
     三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。
     成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
     司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
 #3 二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
     東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
     青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
     鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。
 #4 攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
     汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
     關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
     張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
 #5 徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
     青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。
     寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
     不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
 #6 隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
     田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
     淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
     安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!

重題鄭氏東亭 杜甫 <221> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321
263  1025.重題鄭氏東亭
  華亭入翠微,秋日亂清暉。崩石欹山樹,清漣曳水衣。
  紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。向晚尋徵路,殘雲傍馬飛。
  


  ***** 三吏三別**********************************

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
264  49.新安吏
  客行新安道,喧呼聞點兵。借問新安吏﹕縣小更無丁?
  府帖昨夜下,次選中男行。中男絕短小,何以守王城?
  肥男有母送,瘦男獨伶俜。白水暮東流,青山猶哭聲。
  莫自使眼枯,收汝淚縱橫。眼枯即見骨,天地終無情。
  我軍取相州,日夕望其平。豈意賊難料,歸軍星散營。
  就糧近故壘,練卒依舊京。掘壕不到水,牧馬役亦輕。
  況乃王師順,撫養甚分明。送行勿泣血,僕射如父兄。
  
潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310
265  54.潼關吏
  士卒何草草,築城潼關道。大城鐵不如,小城萬丈餘。
  借問潼關吏﹕修關還備胡。要我下馬行,為我指山隅。
  連雲列戰格,飛鳥不能逾。胡來但自守,豈複憂西都?
  丈人視要處,窄狹容單車。艱難奮長戟,千古用一夫。
  哀哉桃林戰,百萬化為魚!請囑防關將,慎勿學哥舒!
  
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 
266  52.石壕吏
  暮投石壕村,有吏夜捉人。老翁逾牆走,老婦出門看。
  吏呼一何怒!婦啼一何苦!聽婦前致詞﹕三男鄴城戍。
  一男附書至,二男新戰死。存者且偷生,死者長已矣。
  室中更無人,惟有乳下孫。孫有母未去,出入無完裙。
  老嫗力雖衰,請從吏夜歸。急應河陽役,猶得備晨炊。
  夜久語聲絕,如聞泣幽咽。天明登前途,獨與老翁別。
 
新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312
新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313
新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314  
267  53.新婚別
  兔絲附蓬麻,引蔓故不長。嫁女與徵夫,不如棄路旁。
  結發為君妻,席不暖君床。暮婚晨告別,無乃太匆忙。
  君行雖不遠,守邊赴河陽。妾身未分明,何以拜姑嫜?
  父母養我時,日夜令我藏。生女有所歸,雞狗亦得將。
  君今往死地,沈痛迫中腸。誓欲隨君去,形勢反蒼黃。
  勿為新婚念,努力事戎行。婦人在軍中,兵氣恐不揚。
  自嗟貧家女,久致羅襦裳。羅襦不複施,對君洗紅妝。
  仰視百鳥飛,大小必雙翔。人事多錯迕,與君永相望。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317   
268  50.無家別
  寂寞天寶後,園廬但蒿藜。我裡百餘家,世亂各東西。
  存者無消息,死者為塵泥。賤子因陣敗,歸來尋舊蹊。
  久行見空巷,日瘦氣慘淒。但對狐與狸,豎毛怒我啼。
  四鄰何所有?一二老寡妻。宿鳥戀本枝,安辭且窮棲。
  方春獨荷鋤,日暮還灌畦。縣吏知我至,召令習鼓鼙。
  雖從本州役,內顧無所攜。近行只一身,遠去終轉迷。
  家鄉既蕩盡,遠近理亦齊。永痛長病母,五年委溝溪。
  生我不得力,終身兩酸嘶。人生無家別,何以為蒸黎?
 
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 3
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320  
269  51.垂老別 (秦州 寓居)
  四郊未寧靜,垂老不得安。子孫陣亡盡,焉用身獨完?
  投杖出門去,同行為辛酸。幸有牙齒存,所悲骨髓乾。
  男兒既介冑,長揖別上官。老妻臥路啼,歲暮衣裳單。
  孰知是死別?且複傷其寒。此去必不歸,還聞勸加餐。
  土門壁甚堅,杏園度亦難。勢異鄴城下,縱死時猶寬。
  人生有離合,豈擇衰盛端。憶昔少壯日,遲回竟長嘆。
  萬國盡徵戍,烽火被岡巒。積屍草木腥,流血川原丹。
  何鄉為樂土?安敢尚盤桓?棄絕蓬室居,塌然摧肺肝。
  
夏日嘆 <222#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1073 杜甫特集700- 32
夏日嘆 <222-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323
270  1026.夏日嘆
  夏日出東北,陵天經中街。朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
  上蒼久無雷,無乃號令乖?雨降不濡物,良田起黃埃。
  飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
  至今大河北,化作虎與豺。浩蕩想幽薊,王師安在哉?
  對食不能餐,我心殊未諧。眇然貞觀初,難與數子偕!
  
夏夜嘆 <223#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323
271  夏夜嘆 1027
  永日不可暮,炎蒸毒中腸。安得萬裡風,飄搖吹我裳?
  昊天出華月,茂林延疏光。仲夏苦夜短,開軒納微涼。
  虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。物情無巨細,自適固其常。
  念彼荷戈士,窮年守邊疆。何由一洗濯,執熱互相望?
  竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。青紫雖被體,不如早還鄉。
  北城悲笳發,鸛鶴號且翔。況複煩促倦,激烈思時康。
  
 
272  立秋後題102 8
  日月不相饒,節序昨夜隔。玄蟬無停號,秋燕已如客。
  平生獨往願,惆悵年半百。罷官亦由人,何事拘形役?

立秋後題 <224>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1088 杜甫特集700- 327

杜甫 立秋後題(日月不相饒) 
立秋後題 <224>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1088 杜甫特集700- 327
(立秋の後に題す)乾元2年 759年 48歳

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は付近の不満足な住民から徴兵し、洛陽を守ろうとしている。この姿勢は千年前の春秋戦国の戦法、歩兵戦であった。元気のいい戦力と年長者を交えた戦力であれば勝てるわけはない。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。



立秋後題
立秋の後に題す
日月不相饒、節序昨夜隔。
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
玄蝉無停号、秋燕已如客。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
平生独往願、惆悵年半百。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
罷官亦由人、何事拘形役。

官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。


(立秋の後に題す)
日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。
玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。
平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。
官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。

秦州同谷成都紀行地図

現代語訳と訳註
(本文)
立秋後題
日月不相饒、節序昨夜隔。
玄蝉無停号、秋燕已如客。
平生独往願、惆悵年半百。
罷官亦由人、何事拘形役。


(下し文)
(立秋の後に題す)
日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。
玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。
平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。
官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。


(現代語訳)
立秋の後に題す
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。


(訳注)
立秋後題

立秋の後に題す
○立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。
昼夜の長短を基準にした季節区分
(各季節の中間点) - 春分・夏至・秋分・冬至
(各季節の 始期)- 立春・立夏・立秋・立冬
気温 - 小暑・大暑・処暑・小寒・大寒
気象 - 雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪
物候 - 啓蟄・清明・小満
農事 - 穀雨・芒種

日月不相饒、節序昨夜隔。
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
不相饒 互いにゆたか有り余るほど多いというわけではない。昼と夜の長さが同じになることをいう。夏、昼が長いと時間の経過が遅いといわれ、冬、夜の時間が長くなると日の進み方が光陰矢の如しになるという。 ○昨夜隔 夜が長くなる。


玄蝉無停号、秋燕已如客。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
玄蝉 蜩(ひぐらし)○無停号 啼くのが止まらない。○秋燕已如客 秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。


平生独往願、惆悵年半百。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
平生 ひごろから。○独往願、一人静かな隠棲生活を願望していること。○惆悵 嘆き悲しむこと。○年半百 五十年。

罷官亦由人、何事拘形役。
官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。
罷官 官を辞める。○亦由人 その理由がまた人間関係にある。○形役 参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものである。


(解説)
 詩は職を辞して華州を離れる直前に作られているが、辞職の理由については「官を罷むるも亦た人に由る」と一言述べているだけである。杜甫は、地位があれば仕事を中心に生きていくということではない、この詩句でみると、人間関係でなにか我慢のならないことが起きたことをうかがわせるのであるが平穏な時なら官を辞めはしない。非常のときに二か月余も任地を離れることは鳳翔の行在所から「北征」した時と、今回の司公参軍の文官であって、所用で洛陽に行き、その後は、私用で鞏県まで行ったこと、そこで共通なこととして、杜甫が官僚であるから、そこでの詩ができたものが多い。したがって、此の詩で杜甫が官を辞した問題を判断することはできない。

 ただ、司公参軍の事務官という地位は杜甫自身の生きて上で男の拘束になるものではない。つまり、房琯一派とされ、徹底した疎外感しかなかったのである。将来に掛ける希望は全くなかった。

こうして彼は759年、乾元二年秋、遂に官を棄てて、1族杜佐の寄寓しているときく秦州(甘粛省天水)に、家族をつれて移って行ったり、杜甫の政治生活というものは、その誠実な努力、大きな理想にも係わらず、結局は何らなすこともなく、社会の矛盾と、自己の無力に、絶望を感ぜずにはいられなかった。

それにしてもこれからさき、この世の中はどうなってゆくのか、そしてまた自分はこれから、どうしてゆけばよいのか、彼には分からなかった。このころの作かと思われる遣興五首という詩には、その昔の賢人たちも、時運に遇わぬときは、きっと今の自分のような心持ちであったろう、と、かの山中の処士として身を終えた後漢の龐徳公、世俗をさけた陶淵明、道士となって故郷にかえった賀知章、貧窮に死んだ孟浩然らを慕って、その人々を詩に詠っている。しかし、他方でそういうすがすがしい心境に引かれながらも、やはり世を捨てて隠居する心持ちにはなりえないのが牡浦の性格であり、またその境遇でもあった。たとえ秦州という隴西の山中にいても、その心はいつも国家の危機、社会の変動、人民の苦難に対する限りない憂愁で満ちていたのである。

夏夜嘆 <223-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1085 杜甫特集700- 326

夏夜嘆 <223-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1085 杜甫特集700- 326

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。杜甫『夏日嘆』「雨降不濡物,良田起黃埃。飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。」良い田畑が黄色の砂地になり、飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。

人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は何をしているのか一向にふるわぬ。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。

夏の夜は短い、昼日中が長いこと、その灼熱は夜を苦しいものにする。唐王朝軍が洛陽の守りをし、体勢を立て直しているが、形勢的には不利な状況である。洛陽は経済の要衝の地であること、それは逆に守りには適していないことを意味する。郭子儀軍がまもっているのは、『三吏三別の詩』で見た様に動きの悪い兵士たち、老人たちまでかき集めたよわい兵軍でしかない。杜甫は飢饉に見舞われた中、その上おさまりそうにないこの叛乱、そして彼自身、家族を伴った死にもの狂いの逃走、その上で安史軍に拘束・軟禁、これらのことがあって、悲観的に考えないでおられようか。こうした中で『夏夜嘆』を作っている。そして、秋になって、決意するのである。

夏夜嘆
夏の夜の暑さを嘆く
永日不可暮,炎蒸毒中腸。
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。
昊天出華月,茂林延疏光。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこん躬伸びている。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
ましてやふたたび、安史軍による洛陽城の陥落という煩わしくていやらしいことになるという。そして今、こんなに激しく強烈に安らかなる世のことを思うことはないのだ。
何由一洗濯,執熱互相望?」

どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。
#3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
その日の夕方になってついに安史軍による悪辣な攻撃に大敗した。その騒ぎの声は国のすべての方向につたわった。
青紫雖被體,不如早還鄉。
大敗した九節度使の唐王朝連合軍は靑と紫のしるしをからだにつけてはいたが、急いでそれぞれの故郷に帰るわけにはいかない。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
北の城では胡のあし笛と鼓を打ち鳴らしているのが悲しい。コウノトリは泣き叫びそして飛んで行った。
況複煩促倦,激烈思時康。」
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。

(夏の夜の嘆き)  #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒さる。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光延ぶ。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」
#2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」
#3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」



現代語訳と訳註
(本文)
#3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
況複煩促倦,激烈思時康。」


(下し文) #3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」


(現代語訳)
その日の夕方になってついに安史軍による悪辣な攻撃に大敗した。その騒ぎの声は国のすべての方向につたわった。
大敗した九節度使の唐王朝連合軍は靑と紫のしるしをからだにつけてはいたが、急いでそれぞれの故郷に帰るわけにはいかない。
北の城では胡のあし笛と鼓を打ち鳴らしているのが悲しい。コウノトリは泣き叫びそして飛んで行った。
ましてやふたたび、安史軍による洛陽城の陥落という煩わしくていやらしいことになるという。そして今、こんなに激しく強烈に安らかなる世のことを思うことはないのだ。


(訳注) #3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。

その日の夕方になってついに安史軍による悪辣な攻撃に大敗した。その騒ぎの声は国のすべての方向につたわった
刁鬥 悪辣な感じの争い。安史軍の戦い。幽州の史思明が落城寸前であった鄴城の安慶緒を助け、王朝連合軍を打ち破った。


青紫雖被體,不如早還鄉。
大敗した九節度使の唐王朝連合軍は靑と紫のしるしをからだにつけてはいたが、急いでそれぞれの故郷に帰るわけにはいかない。


北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
北の城では胡のあし笛と鼓を打ち鳴らしているのが悲しい。コウノトリは泣き叫びそして飛んで行った。
北城 鄴城。笳 胡笳。○鸛鶴【こうづる】コウノトリの別名。


況複煩促倦,激烈思時康。」
ましてやふたたび、安史軍による洛陽城の陥落という煩わしくていやらしいことになるという。そして今、こんなに激しく強烈に安らかなる世のことを思うことはないのだ。


夏夜嘆 <223-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1082 杜甫特集700- 325

夏夜嘆 <223-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1082 杜甫特集700- 325


田舎の官吏としての自分の立場に、いやでも多くの矛盾を感じたにちがいない。その間、人間関係の煩わしい事情もあったかも知れぬ。華州を去ってゆこうとする頃、「立秋後過す」という詩に、「官ヲ罷ムルモ亦夕人二由ル.」と詠じているのを見ると、なにかかくれた事情があったようにも想像される。そうでなくても、すでに朝廷から排斥される房琯一派につながる者とされている杜甫に、政治上の山路は与えられるべくもない。ともかく、杜甫にとって、華州司功参軍という役人仕事をつづけることはもはや苦痛であった。こうして、暫く立った立秋には官を辞して秦州に紀行の旅に出るのである。


夏夜嘆
永日不可暮,炎蒸毒中腸。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
昊天出華月,茂林延疏光。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
何由一洗濯,執熱互相望?」

どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。

#3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
況複煩促倦,激烈思時康。」


(夏の夜の嘆き)  #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒さる。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光延ぶ。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」
#2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」

#3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」


現代語訳と訳註
(本文)
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
物情無巨細,自適固其常。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
何由一洗濯,執熱互相望?」


(下し文) #2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」


(現代語訳) #2
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。


(訳注) #2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。

うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
虛明 虚1 備えのないこと。油断。すき。「敵の―に付け入る」2 事実でないこと。うそ。いつわり。「―と実が入りまじる」⇔実(じつ)。3 中身・実体がないこと。むなしいこと。うつろ。から。○纖毫  (1)細い毛。 (2)きわめてわずかなこと。また、非常に小さいことのたとえ。○羽蟲  (1)ハジラミの別名。 (2)ハアリの通称。 ... 羽蟲と同じ種類の言葉. 虫に関連する言葉 • 林檎綿虫(りんごわたむし) 根喰葉虫(ねくいはむし) 羽虫(はむし) 喇叭虫(らっぱむし) 「羽蟲」(鳥)・「毛蟲」(獣)・「鱗蟲」(魚および爬虫類)・「介蟲」(カメ、甲殻類および貝類)・「裸蟲」(ヒト)


物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
物情 1 物のようす・性質。 2 世人の心情。世間のありさま。 ○自適 思うがままに楽しむこと。自分の心にかなった生活をする。自分で行く。


念彼荷戈士,窮年守邊疆。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
念彼「法華経(普門品)」「念彼観音力」観音菩薩の力を念ずればの意。○【か】中国の殷・周時代から前漢時代にかけて,もっともよく使用された中国独特の武器で,戟(げき)とあわせて句兵(こうへい)と総称される。長い柄の先端に,柄と直角に短剣状のものをとりつけたもので,敵の首や頭にうちこんで,手前に引き倒したり,斬りつけたりするものである。やや湾曲した両刃の短剣の部分を援(えん),その下についた長くのびた部分を胡(こ)といい,内(ない)と呼ばれる部分を柄に通して戈を安定させる。柄は古名で柲(ひつ)といわれ,木や竹を合わせたものがある。○窮年 窮年累世とは。意味や解説。自分の一生から孫子の代までも。▽「窮年」は人の一生涯。「累世」は子々孫々の意。「年を窮め、世を累【かさ】ぬ」


何由一洗濯,執熱互相望?」
どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。
洗濯 (1)衣服などを洗って汚れを落としきれいにすること。 「川で―する」 (2)わだかまりや苦労を捨てさっぱりすること。○執熱 執熱不濯 読み:しゅうねつふたく 意味:熱いものを手で直接掴めないので、先ずは水を入れてからでないと洗えないということから転じて、困難を克服するためには、賢人を起用しなければならないのに、それをしないことのたとえ。

杜甫が旅の目的地を秦州と決めた理由としては、洛陽は胡賊が迫っていて危険であり(九月には史思明の攻撃によって再び陥落)、長安は飢饉で物価高。それに比べて秦州には従姪の杜佐が住んでいたし、また房棺に親しい者として先ごろ長安を追放された僧の賛公もそこにいた、などのことが考えられよう。

夏夜嘆 <223#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

夏夜嘆 <223#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。杜甫『夏日嘆』「雨降不濡物,良田起黃埃。飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。」良い田畑が黄色の砂地になり、飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は何をしているのか一向にふるわぬ。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。


夏夜嘆
夏の夜の暑さを嘆く
永日不可暮,炎蒸毒中腸。
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。
昊天出華月,茂林延疏光。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこん躬伸びている。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。

虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
物情無巨細,自適固其常。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
何由一洗濯,執熱互相望?」

竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
況複煩促倦,激烈思時康。」


夏の夜の嘆き  #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒る。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光延る。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」

#2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」
#3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」

kagayak460

現代語訳と訳註
(本文)
夏夜嘆

永日不可暮,炎蒸毒中腸。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
昊天出華月,茂林延疏光。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」

(下し文) #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒る。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光 延る。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」


(現代語訳)
夏の夜の暑さを嘆く
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこんで、伸びている。
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。


(訳注)
夏夜嘆

夏の夜の暑さを嘆く
○近畿地方は、756年天宝十五載六月の敗戦以来、二年間戦乱に見舞われ、農耕面積が激減、人口激減、農地は荒れ果て、そのうえ、食料の半分を頼っていた江南の物資が洛陽付近の不安定な政治情勢のため届きにくくなっていた。加えて759年乾元二年の夏は暑くなるとともに日照りがつづき、蝗旱(こうかん)の害がひろがった。
 物価は騰貴し、食糧の入手は困難になっていたが、州の司功参軍である杜甫の一家はただちに飢餓に瀕することはなかった。
長安は当時の国家体制から重要地点ではあったがここに100万人以上の人口が集結していたことは、戦乱だけでも食糧不足を起こし、その上日照りが重なると飢饉になる地点でもあった。安史の乱のきっかけも長雨により食糧不足、物価高騰にあった。戦乱と飢饉で生きる地獄を見るのである。


永日不可暮,炎蒸毒中腸。
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
謝霊運『南樓中望所遲客』「孟夏非長夜,晦明如歲隔。」(孟夏【もうか】は長き夜に非ざるも、晦明【かいめい】は歳の隔つるが如し。)


安得萬裡風,飄搖吹我裳?
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。


昊天出華月,茂林延疏光。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこんで、伸びている。
昊天【こうてん】1 夏の空。2 広い空。大空。○華月 美しい月。盛んなとき。


仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。



 華州参軍の官吏としての自分の立場に、いやでも多くの矛盾を感じたにちがいない。その間、人間関係の煩わしい事情もあったかも知れぬ。華州を去ってゆこうとする頃「立秋後題」詩に、「罷官亦由人」(官を罷むるも亦た人に由る。)と詠じているのを見ると、なにかかくれた事情があったようにも想像される。そうでなくても、すでに朝廷から排斥される房琯一派につながる者とされている杜甫に、政治上の山路は与えられるべくもない。ともかく、杜甫にとって、華州司功参軍という役人仕事をつづけることはもはや苦痛であった。こうして、暫く立った立秋には官を辞して秦州に紀行の旅に出るのである。
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夏日嘆 <222-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

夏日嘆 <222-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は何をしているのか一向にふるわぬ。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。


夏日嘆
夏日出東北,陵天經中街。
朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
上蒼久無雷,無乃號令乖?
雨降不濡物,良田起黃埃。
飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』
萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである。
至今大河北,化作虎與豺。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
浩蕩想幽薊,王師安在哉?
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
對食不能餐,我心殊未諧。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
眇然貞觀初,難與數子偕!』

理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。

(夏の日嘆く)
夏日 東北に出ず,陵天 經中の街。
朱光 厚地に徹し,鬱蒸して何ぞ由く開くや?
上蒼 久しく雷無し,乃れ無くして號令を乖らんや?
雨降るは物を濡らさず,良田 黃埃【こうあい】を起こす。
飛鳥 苦しみて熱死す,池魚 其泥を涸らす。』
萬人 尚 冗を流す,舉目を唯 萊を蒿む。
今に至り大河の北,作を化すは虎與豺。
浩蕩 幽薊を想う,王師 安んぞ在り哉?
食に對して餐能たわず,我 心は殊に未だ諧さず。
眇然として貞觀の初め,與に數子偕し難たし!


夏の日照りを嘆く
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。


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現代語訳と訳註
(本文)

萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
至今大河北,化作虎與豺。
浩蕩想幽薊,王師安在哉?
對食不能餐,我心殊未諧。
眇然貞觀初,難與數子偕!』


(下し文)
萬人 尚 冗を流す,目を舉げて 唯 萊を蒿む。
今に至り大河の北,作を化すは虎與豺。
浩蕩 幽薊を想う,王師 安んぞ在り哉?
食に對して餐能たわず,我 心は殊に未だ諧さず。
眇然として貞觀の初め,與に數子偕し難たし!』


(現代語訳)
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。


(訳注)
萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである
【ジョウ】1 よけいな。むだ。余分。「冗員・冗談・冗費」 2 むだが多く締まりがない。くだくだしい。「冗長・冗漫/煩冗」 .


至今大河北,化作虎與豺。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
虎與豺 安・史軍、安慶緒の軍と史思明の軍。この7月末から8月初めの時期、史思明の軍勢は洛陽に迫っていた。晩秋9月には史思明軍が洛陽を落すのである。


浩蕩想幽薊,王師安在哉?
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
浩蕩 広広として大きなさま。○王師【おうし】王の軍勢。官軍。帝王の師範。9節度使軍は3月に大敗し、その後郭子儀軍が再編成し洛陽で史思明軍と対峙していた。


對食不能餐,我心殊未諧。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
【カイ】 1 調和する。やわらぐ。「諧声・諧調・諧和/和諧」 2 冗談。ユーモア。心置きなく食事ができ、生活ができることができないので食事も進まないことをいう。杜甫にとって、あれほどこだわって士官できたが、官職について2年間少しもいいことはなかった。その上の戦乱、飢饉である。


眇然貞觀初,難與數子偕!』
理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。
眇然 小さいさま。取るに足りないさま。○貞觀 貞観 (唐):唐代に使用された元号(627年-649年)。貞観の治(じょうがんのち)とは中国唐(618年 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代で、後世、政治的な理想時代とされた。僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をするほど治安が良い)との評がある。
 夫婦が仲むつまじく添い遂げること。夫婦の契りがかたく仲むつまじいたとえ。夫婦がともにむつまじく年を重ね、死後は同じ墓に葬られる意から。「偕」はともにの意。

夏日嘆 <222#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1073 杜甫特集700- 322

夏日嘆 <222#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1073 杜甫特集700- 322

杜甫が二月に洛陽を出発し、新安、石豪、潼関を通過、途中見聞きしたことは「三吏三別詩」にあらわした。春に出発したが、華州へ着いたとき、すでに初夏になっており、近畿地方一帯は早天が続いて飢饉の気配が濃厚であった。秋になると、果たせるかな近畿の地は飢饉となり、すべての出来事が悲観的に感じられ、それを脱却するため、杜甫は棄官を決意することになる。
十五年にわたって執着していた官を、あっさりと棄て去るには、食糧事情の悪化だけではなく、政治事情も関係していた。すなわち新帝の粛宗側は、その地位を確かなものにするために、玄宗側の人々を朝廷から追い落としており、特に房琯グループの追放は徹底したものであった。まぎれもなく杜甫は玄宗を慕い、房琯を師とするところであった。
杜甫は左拾位になって1年、その後華州司公参軍で1年、官界に絶望した2年であった。
かくして杜甫は759年乾元二年の秋、四十八歳のときに長安を去ってから、770年大暦五年の冬に五十九歳で亡くなるまでの十一年間を、家族を伴っての放浪のうちに過ごすことになるのである。


夏日嘆
夏の日照りを嘆く
夏日出東北,陵天經中街。
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
上蒼久無雷,無乃號令乖?
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
雨降不濡物,良田起黃埃。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』

飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。
萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
至今大河北,化作虎與豺。
浩蕩想幽薊,王師安在哉?
對食不能餐,我心殊未諧。
眇然貞觀初,難與數子偕!』


(夏の日嘆く)
夏日 東北に出ず,陵天 經中の街。
朱光 厚地に徹し,鬱蒸して何ぞ由く開くや?
上蒼 久しく雷無し,乃れ無くして號令を乖らんや?
雨降るは物を濡らさず,良田 黃埃【こうあい】を起こす。
飛鳥 苦しみて熱死す,池魚 其泥を涸らす。』

萬人 尚 冗を流す,舉目を唯 萊を蒿む。
今に至り大河の北,作を化すは虎與豺。
浩蕩 幽薊を想う,王師 安んぞ在り哉?
食に對して餐能たわず,我 心は殊に未だ諧さず。
眇然として貞觀の初め,與に數子偕し難たし!』


現代語訳と訳註
(本文)
夏日嘆
夏日出東北,陵天經中街。
朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
上蒼久無雷,無乃號令乖?
雨降不濡物,良田起黃埃。
飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』


(下し文)
(夏の日嘆く)
夏日 東北に出ず,陵天 經中の街。
朱光 厚地に徹し,鬱蒸して何ぞ由く開くや?
上蒼 久しく雷無し,乃れ無くして號令を乖らんや?
雨降りて物濡れず,良田 黃埃 起こす。
飛鳥 苦しみて熱死す,池魚 其泥を涸らす。』


(現代語訳)
夏の日照りを嘆く
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。


(訳注)夏日嘆
夏の日照りを嘆く
近畿地方は、756年天宝十五載六月の敗戦以来、二年間戦乱に見舞われ、農耕面積が激減、人口激減、農地は荒れ果て、そのうえ、食料の半分を頼っていた江南の物資が洛陽付近の不安定な政治情勢のため届きにくくなっていた。加えて759年乾元二年の夏は暑くなるとともに日照りがつづき、蝗旱(こうかん)の害がひろがった。
 物価は騰貴し、食糧の入手は困難になり、州の司功参軍である杜甫の一家はただちに飢餓に瀕することはなかった。
長安は当時の国家体制から重要地点ではあったがここに100万人以上の人口が集結していたことは、戦乱だけでも食糧不足を起こし、その上日照りが重なると飢饉になる地点でもあった。安史の乱のきっかけも長雨により食糧不足、物価高騰にあった。戦乱と飢饉で生きる地獄を見るのである。


夏日出東北,陵天經中街。
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
東北 華州で東北というと同州というところで、渭水、洛水、黄河の合流点で近畿地方の穀倉地帯であったところ。○ きびしい。おそれる。『荀子、致仕』「凡節奏欲陵、而生民欲寛。」(凡そ節奏は陵を欲して、而して生民は寛を欲す。)『玉篇』「陵慄也。」

杜甫乱前後の図003鳳翔

朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
朱光 太陽の別名。赤い光。○徹厚地,太陽の熱と光が大地に深く照り続くことをあらわす。○鬱蒸 鬱積した水蒸気。


上蒼久無雷,無乃號令乖?
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
上蒼 空の蒼いこと。カンカン照り。○號令乖 天が号令をかけることが遠ざかり、かけ離れてしまう。天の秩序が遠のくこと。


雨降不濡物,良田起黃埃。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
良田 良い田畑。○起黃埃 水田や畑の畝が黄色の砂塵をおこしてしまう。


飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』
飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。
 枯渇すること。○其泥 死んでしまって泥に化すこと。

重題鄭氏東亭 杜甫 <221> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321

重題鄭氏東亭 杜甫 <221> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321


重題鄭氏東亭
  杜甫原注 在新安界
華亭入翠微,秋日亂清暉。
華彩ある亭は山の中腹、緑に囲まれた中に入っていくとある。既に秋の日は少し傾きかけてきたので清らかに輝き乱れている。
崩石欹山樹,清漣曳水衣。
途中大岩が崩れかけて道に逼っていて山にある木々は傍に立っている、白衣を落すような滝があり岩陰の淵には水紋をひろげている。
紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。
渓流魚は淵の岸をかすめて跳ね上がる、ハヤブサは飛び、巣を守るためにかえる。
向晩尋徴路,殘雲傍馬飛。
あたりは夕暮れになって薄暗くなりかけた道を尋ね行く。ちぎれ雲が馬を進めるのに合わせて飛んでいる。

重ねて鄭氏が東亭に題す
華亭 翠微【すいび】に入リ、秋日 清輝【せいき】 亂る。
崩石【ほうせき】 山樹 黻【そばた】ち、清漣【せいれん】 水衣を曳く。
紫鱗【しりん】 岸を衝いて躍り、蒼隼【そうしゅん】 巣を護りて歸る。
晩に向【なんな】ん として征路を尋ね、殘雲 馬に傍【そ】うて飛ぶ。

現代語訳と訳註
(本文)
重題鄭氏東亭  杜甫原注 在新安界
華亭入翠微,秋日亂清暉。
崩石欹山樹,清漣曳水衣。
紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。
向晩尋徴路,殘雲傍馬飛。

(下し文) 重ねて鄭氏が東亭に題す
華亭 翠微【すいび】に入リ、秋日 清輝【せいき】 亂る。
崩石【ほうせき】 山樹 黻【そばた】ち、清漣【せいれん】 水衣を曳く。
紫鱗【しりん】 岸を衝いて躍り、蒼隼【そうしゅん】 巣を護りて歸る。
晩に向【なんな】ん として征路を尋ね、殘雲 馬に傍【そ】うて飛ぶ。


(現代語訳)
華彩ある亭は山の中腹、緑に囲まれた中に入っていくとある。既に秋の日は少し傾きかけてきたので清らかに輝き乱れている。
途中大岩が崩れかけて道に逼っていて山にある木々は傍に立っている、白衣を落すような滝があり岩陰の淵には水紋をひろげている。
渓流魚は淵の岸をかすめて跳ね上がる、ハヤブサは飛び、巣を守るためにかえる。
あたりは夕暮れになって薄暗くなりかけた道を尋ね行く。ちぎれ雲が馬を進めるのに合わせて飛んでいる。


(訳注)
重題鄭氏東亭

重ねて鄭駙馬氏の東の亭に題す。
鄭氏。駙馬鄭潜躍。東山は藍田県の東南にある藍田山、即ち玉山であり、草堂はかやぶきの堂である。此の堂は前詩の別荘とは異なるものである。此の詩は崔氏の東山の草堂において作る。前詩と同時期の作。西隣に王維の輞川荘があるが、王維は自身傷心の身であると同時に朝廷に嫌気を覚えていた。安史の乱までに輞川荘を完成させ、二十首の『輞川集』を完成させたことも官僚勤めを遠ざけるもので、仏教に傾倒深くなっていたのである。
東亭 新安の界に在り河南府に属す。洛陽から華州に帰る際に立ち寄ったもの。藍田の東山草堂とはべつもの。
 

華亭入翠微,秋日亂清暉。
華彩ある亭は山の中腹、緑に囲まれた中に入っていくとある。既に秋の日は少し傾きかけてきたので清らかに輝き乱れている。
華亭。華彩ある亭。鄭県の宿場か、駅である。○翠微 山の中腹。山中、木々がうっそうと茂り、薄暗い様子。○秋日 秋の日、沈みかけた夕日。○【き】 1 ひかり。かがやき。「落暉」 2 かがやく。ひかる。


崩石欹山樹,清漣曳水衣。
途中大岩が崩れかけて道に逼っていて山にある木々は傍に立っている、白衣を落すような滝があり岩陰の淵には水紋をひろげている。
崩石 樹や崩石に圧迫させられる、そばたつ様子をいう。○ 清漣。詩に河水清うして且つ漣猗とあり、水紋を成すを漣といふ


紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。
渓流魚は淵の岸をかすめて跳ね上がる、ハヤブサは飛び、巣を守るためにかえる。
紫鱗 魚○ 蒼隼。ハヤフサ


向晩尋徴路,殘雲傍馬飛。
あたりは夕暮れになって薄暗くなりかけた道を尋ね行く。ちぎれ雲が馬を進めるのに合わせて飛んでいる。


崔氏東山草堂  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 27

崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?

(崔氏が東山の草堂)
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。

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奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 76

 

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

 

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270


題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。

 
(鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。

(現代語訳)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320
 759年乾元2年秋~冬 48歳 秦州で華州で見たことを思い出し詩にした時の作。(3回分割の3回目)


新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310
潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311

新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312
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無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 
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無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320

垂老別       杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
投杖出門去、同行為辛酸。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
男児既介冑、長揖別上官。』
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
孰知是死別、且復傷其寒。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」
#3
人生有離合、豈択衰盛端。
人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積屍草木腥、流血川原丹。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』

こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』

老いて垂【なんな】んとする別れ #1
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。
#2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。
昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国 尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
人生有離合、豈択衰盛端。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
積屍草木腥、流血川原丹。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』


(下し文)#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。
昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国 尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。


(現代語訳)
人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』


(訳注)
人生有離合、豈択衰盛端。
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。
人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
離合 わかれたり、であったり。○豈択 どうしてえらぼうか、選びはしない。。○衰盛端 元気の衰えた時と盛んなとき、離合と対句であるがどちらも定められたものでない。


憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。
昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
遅廻 ぐずぐずして前へすすまない様子をいう。○長嘆 ためいきしてなげく。


萬国尽征戍、烽火被岡巒。
萬国 尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
万国 天下じゅう。○征成 征伐や成衛。○ まるいみね。


積屍草木腥、流血川原丹。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。


何郷為楽土、安敢尚盤桓。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
何郷 どのむらさと。○楽土 楽土・楽国は「詩経」(碩鼠)に見える、安楽な土地。○盤桓 ぶらぶらしていること。


棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』
蓬室 よもぎのいえ。荒れ果てた自分の家をいう。○搨然 地面の低下しおちるさま、意気のくずれるさま。
・家を棄てることは土地を基本にした唐の体制を崩壊させることである。
唐の税制は北周以来の均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制である。この両制度は互いが互いに不可欠な制度である。均田制はまず全国の丁男(労働に耐えうる青年男性)一人につき永業田(その後、永久にその土地を所有することが認められ、子孫に受け継がれる)を20畝、口分田(当人が死亡するか、60歳になるかすると国家に返却する)が80畝支給される。

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319
 759年乾元2年秋~冬 48歳 秦州で華州で見たことを思い出し詩にした時の作。(3回分割の2回目)

垂老別       杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
投杖出門去、同行為辛酸。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
男児既介冑、長揖別上官。』
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
孰知是死別、且復傷其寒。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。

#3
人生有離合、豈択衰盛端。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
積屍草木腥、流血川原丹。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』

老いて垂【なんな】んとする別れ #1
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。
#2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。う昔,昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。


四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』

やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。


人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』


垂老別 現代語訳と訳註
(本文)
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
孰知是死別、且復傷其寒。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」


(下し文) #2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」


(現代語訳)
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。


(訳注)
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。

老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
○老 年老いた妻、この老人の妻である。○歳暮 必ずしも年末をささず、寒いことをいうため、晩秋以後はみな歳暮という、ここは759年乾元二年9月末から10月10日の間と推察する。○ 寒空の下単衣のものをきている。


孰知是死別、且復傷其寒。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また老妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
孰知 誰か知る。知るものがいない、気がつかない。○死別 死にわかれ。○傷其寒 傷とは老人がいたむこと、其寒とは老妻のさむいこと。


此去必不帰、還聞勧加餐。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
此去 此処を去るとこののちと意を兼ねる。○不帰 老人はもうもどって来ないこと。○ 老人がきく。○勧加餐 老妻が老人に加餐せよとすすめるのである、加餐とは少しでも食物を多くとってもらいたいこと。


土門壁甚堅、杏園度亦難。
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。

絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
土門 河北省正定府の井隆県にある井隆関であるとする、しからば賊の山西省に入るのを防ぐ処である。○ 城壁。○杏園 河南省衛輝府汲県の香園鋲をひく、「唐書」に「郭子儀香園ヨリ河ヲ渡リテ衛州ヲ囲ム」 の記事があるので香園は黄河の南岸にある。香園は河陽(浦氏は河陽を河の南岸とする)の附近の地であるという説もある。〇 渡と同じ、安史軍がわたること。


勢異鄴城下、縦死時猶寛。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。
勢異 今回の官軍の形勢が以前とちがうことをいう。○鄴城下 乾元二年三月鄴城の下で九節度の軍が大敗したこと。○ 切迫せぬこと、余裕あること。

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
 759年乾元2年秋~冬 48歳 秦州で華州で見たことを思い出し詩にした時の作。

「三吏」・「三別」は乾元二年春洛陽より華州へかえる途中の作とされるが、此の題の#2の「歳暮衣裳単」(歳し暮れて衣裳は単【ひとえ】)は季節の歳象をあらわすもので、759年乾元二年の秋から冬初とする。下文に「勢異鄴城下」(勢は鄴城下と異なる)とあり、759年乾元二年三月四日九節度の大敗以後であることを示すが、秋初には杜甫は秦州に赴いている。此の詩を乾元二年冬晩の作とする説もあるが、冬には杜甫は同谷に赴いている。史を案ずるのに759年乾元二年秋七月李光弼は郭子儀に代って朔万節度使兵馬元帥となり洛陽に赴き、十月史思明と河陽に戦って敗れている。詩中の「土門、杏園」は洛陽の地名で河陽に赴くものであるところから、老人は光弼の軍に赴くものとされる。時期は秋以後のことであろう。製作地は「遣興」・「佳人」等が秦州の作であることと、此の篇には冬十月の河陽の勝利を予想しておらないこととによって秦州であると考えるのが妥当である。「垂老別」はその内容から華州途上の作ではないが、「三吏三別」のくくりとしてここに置くものである。


垂老別       杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
投杖出門去、同行為辛酸。
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
男児既介冑、長揖別上官。』

しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』

#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
孰知是死別、且復傷其寒。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」
#3
人生有離合、豈択衰盛端。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
積屍草木腥、流血川原丹。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』

老いて垂【なんな】んとする別れ #1
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。

#2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。う昔,昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。



四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』

やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。

人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』


現代語訳と訳註
(本文) 垂老別 
      杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
投杖出門去、同行為辛酸。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
男児既介冑、長揖別上官。』

(下し文)
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。


(現代語訳)
四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』


(訳注)
垂老別

垂老 老ゆるになんなんとす、老境にちかづくことをいう。ここは、年をとって徴兵され、河陽方面へ出かける老人の悲しみを詠う。

四郊未寧静、垂老不得安。
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
四郊 通常王城の四方の郊外をいう、ここでは場所の特定を意識させない四方をいう。どこもかしこも。○寧静 やすらかにしずか、平和をいう。○ 自身の安泰をいう。


子孫陣亡尽、焉用身獨完。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。』
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
○陣亡 戦死。○焉用 用がない。○身独完 わがからだがひとり完全に生存する。


投杖出門去、同行為辛酸。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
投杖 つえをなげだす。○出門 我が家の門を出て征役に従おうとするのである。○同行 いっしょにゆく人人。○ わがために。○辛酸 かなしくつらいおもいをしてくれる。


幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。 
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
幸有四句 これは老人が同行者に示す意気ごみである。○骨髄乾 乾は内分泌液のなくなること。


男児既介冑、長揖別上官。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』
男児 老人自ずから称する、丈夫というたぐい。○介冑 よろい、かぶと。○長揖 起立しながらえしゃくすること。○上官 自己を徴発に来た役人の長であろう。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 
母も妻子も亡くなった孤独な男が、戦場から帰って来たばかりで、また征役に出されようとして,その家に別れ去る心を述べた詩。華州での作。
乾元2年 759年 48歳

無家別    杜 甫
寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
我里百余家、世乱各東西。
存者無消息、死者為塵泥。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
久行見空巷、日痩気惨凄。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

四隣何所有、一二老寡妻。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
雖従本州役、内顧無所携。

近行止一身、遠去終轉迷。
たとえ県内だけの近い所を行くにも我が身ひとつであるし、もしもっと遠方の地に行くのであったら、結局、どうしようもないことであり、前途わけのわからぬ境涯になってしまうことである。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
しかし妻子眷屬誰もいない中で自分が出征したのは一家一郷、すでに何もすっかり無くなっていることだ、だから、遠かろうが近かろうが何処であっても、良い運命に出会っていないという道理が同じことでどうでもよいことなのだ。』
永痛長病母、五年委溝谿。
自分(杜甫)がことに永久痛ましく思うことは、自分の長患いをした母親のことだが、五年の間、みぞやたににうちすててあるのと同じことだ。
生我不得力、終身両酸嘶。
自分(杜甫)を産んでくれたのに自分から扶養してあげられなかった、これについては母も自分も酷く辛く思って泣いたのだ。
人生無家別、何似為蒸黎。』

人が生きていく上で、別れるべき家人を持たない別れをすること、帰る場所、待ってくれる人がいない別れというものがあるのだ。このように根無し草になってしまうことなのに、どうして国の民ということができるのか!。』

(無家の別れ)
寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』
#2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し。

#3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


現代語訳と訳註
(本文)

近行止一身、遠去終轉迷。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
永痛長病母、五年委溝谿。
生我不得力、終身両酸嘶。
人生無家別、何似為蒸黎。』

(下し文) #3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


(現代語訳)
たとえ県内だけの近い所を行くにも我が身ひとつであるし、もしもっと遠方の地に行くのであったら、結局、どうしようもないことであり、前途わけのわからぬ境涯になってしまうことである。
しかし妻子眷屬誰もいない中で自分が出征したのは一家一郷、すでに何もすっかり無くなっていることだ、だから、遠かろうが近かろうが何処であっても、良い運命に出会っていないという道理が同じことでどうでもよいことなのだ。』
自分(杜甫)がことに永久痛ましく思うことは、自分の長患いをした母親のことだが、五年の間、みぞやたににうちすててあるのと同じことだ。
自分(杜甫)を産んでくれたのに自分から扶養してあげられなかった、これについては母も自分も酷く辛く思って泣いたのだ。
人が生きていく上で、別れるべき家人を持たない別れをすること、帰る場所、待ってくれる人がいない別れというものがあるのだ。このように根無し草になってしまうことなのに、どうして国の民ということができるのか!。』


(訳注)
近行止一身、遠去終轉迷。
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
たとえ県内だけの近い所を行くにも我が身ひとつであるし、もしもっと遠方の地に行くのであったら、結局、どうしようもないことであり、前途わけのわからぬ境涯になってしまうことである。
近行 近郊の州、ここでは華州の役に従うということさす。○ とどまると訓じてもおなじ、便宜上“ただ”とする。〇一 わがみひとつ。○遠去 自己が遠方他処へゆくこと。○ しまいには、結局。○轉迷 案ずるに前程にめあてのないことを迷という。轉蓬を意識させる。


家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
しかし妻子眷屬誰もいない中で自分が出征したのは一家一郷、すでに何もすっかり無くなっていることだ、だから、遠かろうが近かろうが何処であっても、良い運命に出会っていないという道理が同じことでどうでもよいことなのだ。』
家郷 自家も故郷も。○盪尽 人も物もすっかりなくなることをいう。前の句の轉迷が轉蓬を意識させ、この語につながる。○遠近 上の近行、遠去をうけている。○理亦斉 よい運命にであわぬという道理は相いひとしい。どうでもよいこと。


永痛長病母、五年委溝谿。
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
自分(杜甫)がことに永久痛ましく思うことは、自分の長患いをした母親のことだが、五年の間、みぞやたににうちすててあるのと同じことだ。
*前二句のどうしようもないことを受けていて、作者自身にもどうしようもないことを抱えているということ。○永痛 永久に心をいためる。○長病母 ながわずらいのははおや。〇五年 五年間、天宝十四載より乾元二年まで。(755~759) ○委溝谿 みぞやたににうちすててある、死んで泉下(しぜん)に帰したことをいう、溝谿は溝壑の意に用いている。


生我不得力、終身両酸嘶。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
自分(杜甫)を産んでくれたのに自分から扶養してあげられなかった、これについては母も自分も酷く辛く思って泣いたのだ。
不得力 我が扶養を得ないことをいう。○終身 しょうがい。母と己とについていう。〇 ふたりながら、ともに。○酸噺 酷く辛く思って泣く。


人生無家別、何似為蒸黎。』
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』
人が生きていく上で、別れるべき家人を持たない別れをすること、帰る場所、待ってくれる人がいない別れというものがあるのだ。このように根無し草になってしまうことなのに、どうして国の民ということができるのか!。』
自分はこれからもその気持ちは無くならない。ああ人間世界において。
無家別 家に人なくしてしかも我が家にわかれさること、じつはわかるべきあいてのなきわかれである。○蒸黎 蒸は衆に同じ、もろもろ、おおくの意で人民。黎は黒いこと、頭になにもかぶらずかみの黒いことをあらわしておる人民をいう。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 

無家別 杜甫 三吏三別詩<219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 
母も妻子も亡くなった孤独な男が、船上から帰って来たばかりで、また征役に出されようとして,その家に別れ去る心を述べた詩。華州での作。
乾元2年 759年 48歳



無家別    杜 甫
寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
我里百余家、世乱各東西。
存者無消息、死者為塵泥。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
久行見空巷、日痩気惨凄。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

四隣何所有、一二老寡妻。
また四方の隣りや近所には何があるかと見ると、一人二人と年寄りや寡婦がいるばかりである。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
樹に宿る鳥であってももと住んだ枝が恋しいく、荒れ果てているが故郷が恋しいというもの。窮々としてひとり住むことでもどうしてわたしは故郷の恋しさ、安寧することを否めないのだ。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
ちょうどいまは春なのでわたしはただひとり鋤を担っていて日が暮れてもまだ畑に畦を作り、畝に水を注ぎいれているときだ。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
ところがわが県の下役人はわたしが戻ってきたことを知って、わたしを呼び出して戦太鼓や小鼓を打つことを習わせる。
雖従本州役、内顧無所携。
わたしはお上のため仕方なしに所属の華州の仕事だから従事せざるをえないのである。さて、私自身の親族縁者をかえりみると、手をひきあう所の妻子眷属というものがないのだ。

近行止一身、遠去終轉迷。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
永痛長病母、五年委溝谿。
生我不得力、終身両酸嘶。
人生無家別、何似為蒸黎。』

(無家の別れ)
寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』
#2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し


#3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


現代語訳と訳註
(本文)

四隣何所有、一二老寡妻。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
雖従本州役、内顧無所携。

(下し文) #2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し


(現代語訳)
また四方の隣りや近所には何があるかと見ると、一人二人と年寄りや寡婦がいるばかりである。
樹に宿る鳥であってももと住んだ枝が恋しいく、荒れ果てているが故郷が恋しいというもの。窮々としてひとり住むことでもどうしてわたしは故郷の恋しさ、安寧することを否めないのだ。
ょうどいまは春なのでわたしはただひとり鋤を担っていて日が暮れてもまだ畑に畦を作り、畝に水を注ぎいれているときだ。』
ところがわが県の下役人はわたしが戻ってきたことを知って、わたしを呼び出して戦太鼓や小鼓を打つことを習わせる。
わたしはお上のため仕方なしに所属の華州の仕事だから従事せざるをえないのである。さて、私自身の親族縁者をかえりみると、手をひきあう所の妻子眷属というものがないのだ。


(訳注)
四隣何所有、一二老寡妻。

四隣は何の有る所ぞ,一二の老寡妻
また四方の隣りや近所には何があるかと見ると、一人二人と年寄りや寡婦がいるばかりである。
四隣 四方のとなりや。○何所有 なにがあるか、あるものはなにか。○寡妻 やもめおんな。


宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
宿鳥本枝を恋う,安んぞ且つ窮棲するを辞せん
樹に宿る鳥であってももと住んだ枝が恋しいく、荒れ果てているが故郷が恋しいというもの。窮々としてひとり住むことでもどうしてわたしは故郷の恋しさ、安寧することを否めないのだ。
宿鳥 木にやどるとり。〇本枝 もとすんでいたえだ。○安辞 どうしていなもう、いなま竃い、甘んずる。○且窮棲 まあまあこまりながらすんでおること。


方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
方に春にして獨り鋤を荷う,日暮還た畦に潅ぐ
ちょうどいまは春なのでわたしはただひとり鋤を担っていて日が暮れてもまだ畑に畦を作り、畝に水を注ぎいれているときだ。』
方春 ち上うど春のおりに、この春は乾元二年の春をいうのであろう。○荷鋤 すきをになう、耕作に従事すること。○潅畦 潅は水をそそぎいれること。畦はうね。


県吏知我至、召令習鼓鞞。
県吏我が至るを知る,召して鼓鞞(こへい)を習わ令む
ところがわが県の下役人はわたしが戻ってきたことを知って、わたしを呼び出して戦太鼓や小鼓を打つことを習わせる。
鼓鞞 鼓はたいこ、鞞はこつづみ。


雖従本州役、内顧無所携。
本州の役に従と雖も,内に顧みるに携える所無し

わたしはお上のため仕方なしに所属の華州の仕事だから従事せざるをえないのである。さて、私自身の親族縁者をかえりみると、手をひきあう所の妻子眷属というものがないのだ。
 従事する。○本州役 自己の県の属する華州のしごとをいう。此の句は他郷へゆかないことをいう。○内顧 みずから内部:親族縁者をかえりみる。○所携 てをひきあうもの、妻子眷属をいう。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 
母も妻子も亡くなった孤独な男が、船上から帰って来たばかりで、また征役に出されようとして,その家に別れ去る心を述べた詩。華州での作。
乾元2年 759年 48歳

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305
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石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

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垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320


無家別    杜 甫
妻・家族のいないわかれ。
寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
天宝十四載の安禄山が幽州で反旗を挙げ以後はわが国土は荒れて寂しくなり、田畑や庵小屋にはただ「よもぎ」だの「あかざ」が生えはびこるばかりとなっている。
我里百余家、世乱各東西。
自分の村里には百軒あまりの家があるのだが、このように世が乱れてからというもの村人はそれぞれ土地放棄して東や西に散ってしまっている。
存者無消息、死者為塵泥。』
生きている者といってもたよりがあるわけではないし、死んだ者は塵か泥に変わってしまったろう。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
自分は戦が負けたことで村へ逃げ帰ってきて、懐かしいもとの小道を尋ねてみる。
久行見空巷、日痩気惨凄。
久しぶりに見る村の小径に人かげはなく、日の光もやせたように力なくて、辺りに物悲しい空気がただよっている。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

ただ村で誰もいない代わりに狐や狸に出あうばかりなのだ、そして彼らは私をよそ者として向かって毛をさか立てて怒って啼くのである。』

#2

四隣何所有、一二老寡妻。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
雖従本州役、内顧無所携。
#3

近行止一身、遠去終轉迷。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
永痛長病母、五年委溝谿。
生我不得力、終身両酸嘶。
人生無家別、何似為蒸黎。』


(無家の別れ)

寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』

#2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し。

#3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


現代語訳と訳註
(本文)

寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
我里百余家、世乱各東西。
存者無消息、死者為塵泥。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
久行見空巷、日痩気惨凄。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

(下し文)

寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』

(現代語訳)
妻・家族のいないわかれ。
天宝十四載の安禄山が幽州で反旗を挙げ以後はわが国土は荒れて寂しくなり、田畑や庵小屋にはただ「よもぎ」だの「あかざ」が生えはびこるばかりとなっている。
自分の村里には百軒あまりの家があるのだが、このように世が乱れてからというもの村人はそれぞれ土地放棄して東や西に散ってしまっている。
生きている者といってもたよりがあるわけではないし、死んだ者は塵か泥に変わってしまったろう。』
自分は戦が負けたことで村へ逃げ帰ってきて、懐かしいもとの小道を尋ねてみる。
久しぶりに見る村の小径に人かげはなく、日の光もやせたように力なくて、辺りに物悲しい空気がただよっている。
ただ村で誰もいない代わりに狐や狸に出あうばかりなのだ、そして彼らは私をよそ者として向かって毛をさか立てて怒って啼くのである。』


(訳注)無家別 #1
妻・家族のいないわかれ。
無家 家とは室家の意であり、妻をさす。ここでは無家とは妻のない、家族のいないことをいう。


寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
寂寞たり天宝の後,園盧但だ蒿藜
天宝十四載の安禄山が幽州で反旗を挙げ以後はわが国土は荒れて寂しくなり、田畑や庵小屋にはただ「よもぎ」だの「あかざ」が生えはびこるばかりとなっている。
寂寞 さびしいさま。○天宝後 755年天宝十四載11月安禄山の叛いた以後、安禄山・安慶緒と史思明へと続き763年までの叛乱が安史の乱である。○園慮 はたけ、いおり。はたけの中の小屋。○嵩褒 よもぎ、あかざ。


我里百余家、世乱各東西。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
自分の村里には百軒あまりの家があるのだが、このように世が乱れてからというもの村人はそれぞれ土地放棄して東や西に散ってしまっている。
○里 村里。○東西 人が東に西にちりぢりになったこと。


存者無消息、死者為塵泥。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
生きている者といってもたよりがあるわけではないし、死んだ者は塵か泥に変わってしまったろう。』
存者 いきのこっているもの。○消息 たより。○為塵泥 死骸がくちてちりどろにかわる。


賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる
自分は戦が負けたことで村へ逃げ帰ってきて、懐かしいもとの小道を尋ねてみる。
賊子 いやしいもの、この別れをなすおとこの謙称。○陣敗 いくさのまけ、これは乾元二年三月四日の鄴城包囲総崩れの大敗をさす。○旧蹊 村にあったもとからのこみち。


久行見空巷、日痩気惨凄。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
久しぶりに見る村の小径に人かげはなく、日の光もやせたように力なくて、辺りに物悲しい空気がただよっている。
久行 久しく他方へであるいておったこと。○空巷 だれも人のいないこうじ。〇日痩 太陽の光のカないさま。○ 気象。空気○惨憤 ものがなしいさま。


但對狐與狸,豎毛怒我啼。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』
ただ村で誰もいない代わりに狐や狸に出あうばかりなのだ、そして彼らは私をよそ者として向かって毛をさか立てて怒って啼くのである。』
竪毛 毛をさかだてる。

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314
新婚夫婦の生き別れするものがあるのを見て、婦人のこころもちをのべた詩である。製作時は前詩に同じ乾元2年 759年 48歳。


新婚別 #1
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
君今往死地、沈痛迫中腸。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
こうして出征された限りには新婚のことを心にとめ置くことはなりません、努めて戦の仕事やくわりをなさるようにしてください。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
心の中でも婦人がいるとなれば軍隊のなかですからみんなそうでしょう、だから恐らくは軍隊の士気の奮い興ることが難しくなるでしょう。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
ああ、わたくしは貧しい家のむすめです、嫁に来たてとはいえ、長々うすぎぬの袖無し上着やした絹を身につけており単衣で過ごしていたわけではありません。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
うすぎぬの袖無し上着やした絹などは二度とは着ることはないでしょう。そしてあなたの目の前で紅やおしろいもすっかり洗いおとすことにしてしまいましょう。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
視線を上に仰ぎ見るとさまざまの鳥の飛ぶのを見てみるのに、大きなとりも小さなとりも必ず雌と雄とがならびかけているでしょう。
人事多錯迕、與君永相望。』
それなのに人間の事象はままならぬ縺れの多いもので、お別れするはしかたのないこと、ただいつまでもお互い心をかえず、再会するそのときを心待ちに暮らしております。』

(新婚の別れ)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』
#2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。

#3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【なら】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』



現代語訳と訳註
 (本文)
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
人事多錯迕、與君永相望。』


(下し文) #3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【なら】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』


(現代語訳)
こうして出征された限りには新婚のことを心にとめ置くことはなりません、努めて戦の仕事やくわりをなさるようにしてください。
心の中でも婦人がいるとなれば軍隊のなかですからみんなそうでしょう、だから恐らくは軍隊の士気の奮い興ることが難しくなるでしょう。
ああ、わたくしは貧しい家のむすめです、嫁に来たてとはいえ、長々うすぎぬの袖無し上着やした絹を身につけており単衣で過ごしていたわけではありません。
うすぎぬの袖無し上着やした絹などは二度とは着ることはないでしょう。そしてあなたの目の前で紅やおしろいもすっかり洗いおとすことにしてしまいましょう。』
視線を上に仰ぎ見るとさまざまの鳥の飛ぶのを見てみるのに、大きなとりも小さなとりも必ず雌と雄とがならびかけているでしょう。
それなのに人間の事象はままならぬ縺れの多いもので、お別れするはしかたのないこと、ただいつまでもお互い心をかえず、再会するそのときを心待ちに暮らしております。』


(訳注)
勿為新婚念、努力事戎行。
こうして出征された限りには新婚のことを心にとめ置くことはなりません、努めて戦の仕事やくわりをなさるようにしてください。
新婚念 新婚のことを心にとめる。○ わが大切なしごととする。○戎行 軍中の行伍のこと、いくさなかまのこと、ただなかまの人をいうのではなく、なかまの仕事をいうのである。


婦人在軍中、兵気恐不揚。
心の中でも婦人がいるとなれば軍隊のなかですからみんなそうでしょう、だから恐らくは軍隊の士気の奮い興ることが難しくなるでしょう。
兵気 軍隊の士卒の意気。○ ふるいおこることをいう。


自嗟貧家女、久致羅襦裳。
ああ、わたくしは貧しい家のむすめです、嫁に来たてとはいえ、長々うすぎぬの袖無し上着やした絹を身につけており単衣で過ごしていたわけではありません。
久致 致とは使用しておったこと。○羅禰裳 羅補(うすぎぬの袖無しのうわぎ)羅裳(うすぎぬの下衣裳)。


羅襦不復施、対君洗紅粧。』
うすぎぬの袖無し上着やした絹などは二度とは着ることはないでしょう。そしてあなたの目の前で紅やおしろいもすっかり洗いおとすことにしてしまいましょう。』
 身につけること。○対君 あなたの面とむっかて、見ている目の前で。○洗紅粧 紅粧は紅粉の粧をいう、ぺに、おしろいのよそおい、洗はあらい流すこと。


仰視百鳥飛、大小必双翔。
視線を上に仰ぎ見るとさまざまの鳥の飛ぶのを見てみるのに、大きなとりも小さなとりも必ず雌と雄とがならびかけているでしょう。
双翔 雌と雄とならびかける。


人事多錯迕、與君永相望。』
それなのに人間の事象はままならぬ縺れの多いもので、お別れするはしかたのないこと、ただいつまでもお互い心をかえず、再会するそのときを心待ちに暮らしております。』
錯迂 錨はまじわる、迂はさからいたがう、いろいろのもつれをいう。○永相望 あえるときまで永久にながめてまつ。



此の詩は、杜甫が乾元二年華州司功であったときの作。洛陽に所用で出かけ、鞏州まで足を延ばし、兄弟家族の安否を確かめたのち、華州に帰る途中で見聞きしたものを詩篇にまとめた。いわゆる「三吏三別詩」である。同じ杜甫作の兵車行と比較して人民の側に立った見方をしていない、中間的な立場で見ているといわれている紀行詩である。兵車行の時点では杜甫は仕官活動がうまく行かず、世の矛盾をストレートに表現できたがこの詩の時点では、華州幕府に務める文官であったことでストレートな表現はない。
 詩人は特殊な条件を設定しその時代の矛盾点を詠いあげるのである。安禄山の謀叛は早期に終息すると思っていたが、危うい状況が続いていてどうなるかわからない。戦は嫌いであっても戦わなければ終わらないとういうジレンマの中で戦を考えているから、兵車行の時の北方異民族との戦のための徴兵されたものと叛乱軍に対する戦いを単に戦いと同一視することはない。杜甫は内戦というものは人民にとって悲劇であるが、戦わなければ悲劇は終わらないと詠っているのだろう。

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313
新婚夫婦の生き別れするものがあるのを見て、婦人のこころもちをのべた詩である。製作時は前詩に同じ乾元2年 759年 48歳。


新婚別 #1
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
わたくしの両親がわたくしを養い育ててくれたときのこと、昼も夜もわたくしに幸福であってほしいとそだてられた。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
娘を産んでそれをほかへ嫁入らせるときには、家つきの鶏や犬さえもそれを送ってゆけるというのに、私は嫁に来たばかりの家付きになっていない身なので夫の出征の旅立ちに、お送りすることができないのです。
君今往死地、沈痛迫中腸。
あなたにとって、今からは死なねばならぬような場所へいかないといけないこともある、それを思えば心の奥底の痛みがはらわたの内へひしひしとせまるような心地がするのです。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』

心にはあなたについてゆきたいとかんがえるのですが、それではあんまりあわてた様子、はしたなくみえましょう。』
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
人事多錯迕、與君永相望。』

(新婚の別れ)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』
#2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。

#3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【なら】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
君今往死地、沈痛迫中腸。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』


(下し文) #2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。


(現代語訳)
わたくしの両親がわたくしを養い育ててくれたときのこと、昼も夜もわたくしに幸福であってほしいとそだてられた。
娘を産んでそれをほかへ嫁入らせるときには、家つきの鶏や犬さえもそれを送ってゆけるというのに、私は嫁に来たばかりの家付きになっていない身なので夫の出征の旅立ちに、お送りすることができないのです。
あなたにとって、今からは死なねばならぬような場所へいかないといけないこともある、それを思えば心の奥底の痛みがはらわたの内へひしひしとせまるような心地がするのです。
心にはあなたについてゆきたいとかんがえるのですが、それではあんまりあわてた様子、はしたなくみえましょう。』


(訳注)
父母養我時、日夜令我蔵。
わたくしの両親がわたくしを養い育ててくれたときのこと、昼も夜もわたくしに幸福であってほしいとそだてられた。
養我 我とは婦人みずからをいう。〇 『詩経、邶風、雄雉』の「不忮不求、何用不蔵。」(忮わず求めざれば、何を用って蔵からん。)、蔵は善の意で、「よからしむ」とは幸福にしてくれたことをいう。『草堂詩箋』に秘内護惜とし、奥深く育てたこととしている。

 
生女有所帰、鶏狗亦得将。
娘を産んでそれをほかへ嫁入らせるときには、家つきの鶏や犬さえもそれを送ってゆけるというのに、私は嫁に来たばかりの家付きになっていない身なので夫の出征の旅立ちに、お送りすることができないのです。
所帰 帰は嫁をいう、とつぐことである。○鶏狗亦得将 将の字、旧解には領帯、将行の意とする、「ひきいる」 こと、これに従うならば、鶏狗亦得レ将と訓ずるのがよい、鶏狗をつれてゆくのは、宗家長久の計を為そうと欲するためであるといっているが、それでは下文との関係がうすいように思われる。ここではこの将は『詩経、召南、鵲巣』君主の夫人の結婚を祝う詩の「之子于歸、百両之将。」(之の子于き歸る、百両之を将らん。)の将のごとく「送る」意かとおもう、送の意をとるのは嫁いだばかりでその家のものになっていないので、夫をいえのものとして送りだすことができないのをいう。


君今往死地、沈痛迫中腸。
あなたにとって、今からは死なねばならぬような場所へいかないといけないこともある、それを思えば心の奥底の痛みがはらわたの内へひしひしとせまるような心地がするのです。
往死地 死地とは河陽の征成地をさす。○沈痛 ふかい心のいたみ。○中腸 はらわたの内部。


誓欲随君去、形勢反蒼黄。』
心にはあなたについてゆきたいとかんがえるのですが、それではあんまりあわてた様子、はしたなくみえましょう。』
形勢反蒼黄 草堂箋に「行役ノ急ナルヲ謂り」ととく。しからば形勢とは時事のありさまをいう、しかしながら余は自己夫妻間のありさまをいうものと考える、反ってとはその然るべからざることをいう。蒼黄は倉皇に同じ、あわただしいきま、妻の身として夫につき従ってゆくのはあまりにあわてふためくかのごとくはしたないことである。


新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312

新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312
新婚夫婦の生き別れするものがあるのを見て、婦人のこころもちをのべた詩である。製作時は前詩に同じ乾元2年 759年 48歳。

新婚別(新婚の別れ) 
杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たった。華州にもどる必要を感じていたところへ、相州・鄴城の敗報を聞いて、華州への帰途についた。
 石濠村を出てほどなく、杜甫は新婚の若い婦人と出会った。詩は女性の一人称形式で書かれており、全篇は妻が出征する夫に語りかけるように別れの悲しみを訴える。華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったものだ。この詩は、三別の代表作といえるものである。

新婚別 #1
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
根無し葛が「よもぎ」や「あさ」の茎にくっついて、その蔓の引っ張り方は長く伸びるわけのものではない。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
女子もただの人に嫁にやればその行く末も伸びるであろうが、征伐にやられる男などに嫁にやったのでは末がのびない。征伐にゆくおとこにやるくらいなら道端へ捨てた方がましなくらいである。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
わたくしは髪をとりあげてむすぶ年ごろにあなたの妻となりましたが、嫁に来たてであって、あなたの寝台にしいてある席がまだ温まらぬほどしか日数が経たぬ。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
ゆうぐれに婚礼をして翌朝は早別れを告げるとは、あんまりせわしないことではありませんか。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
あなたの出生地に行かれるのは遠くはないとはいうものの、片田舎の地方を守るために河陽へとおゆきなされるのである。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』

嫁になったとはいえ、嫁いで三か月たたねば嫁としての身分がまだはっきりきまらないのです。一日や二日でどうして嫁だといって舅、姑さまに拝礼ができるというのでしょう。』
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
君今往死地、沈痛迫中腸。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
人事多錯迕、與君永相望。』

(新婚の別れ)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』
#2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。

#3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』


現代語訳と訳註
(本文)#1

兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』


(下し文)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』


(現代語訳)
根無し葛が「よもぎ」や「あさ」の茎にくっついて、その蔓の引っ張り方は長く伸びるわけのものではない。
女子もただの人に嫁にやればその行く末も伸びるであろうが、征伐にやられる男などに嫁にやったのでは末がのびない。征伐にゆくおとこにやるくらいなら道端へ捨てた方がましなくらいである。』
わたくしは髪をとりあげてむすぶ年ごろにあなたの妻となりましたが、嫁に来たてであって、あなたの寝台にしいてある席がまだ温まらぬほどしか日数が経たぬ。
ゆうぐれに婚礼をして翌朝は早別れを告げるとは、あんまりせわしないことではありませんか。
あなたの出生地に行かれるのは遠くはないとはいうものの、片田舎の地方を守るために河陽へとおゆきなされるのである。
嫁になったとはいえ、嫁いで三か月たたねば嫁としての身分がまだはっきりきまらないのです。一日や二日でどうして嫁だといって舅、姑さまに拝礼ができるというのでしょう。』


(訳注)
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
根無し葛が「よもぎ」や「あさ」のくきにくっついて、その蔓の引っ張り方は長く伸びるわけのものではない。
免糸 ネナシカツラ。古詩十九首『冉々孤竹生詩』「與君爲新婚、免糸附女蘿。」とある。○ くっついて生じる。○蓬麻 ヨモギ、アサ。○引蔓 つるをひきはえる。〇 固と同じ、もとより。○不長 みじかいことをいう、「免糸」二句は「興」の体のたとえ、女藻は松柏のうえにかかって生ずるゆえにそのつるがながい、兎糸は蓬麻のごとき草のうえにかかるゆえにつるが短い、つるの短長を以て婦人の運命が末までのびるのとそうでないのとをたとえたものである。
*古来女性が夫に嫁すことの喩えに使われた。ここで本らいなら常緑の松柏掛かるとよいのだが出征兵士の妻をヨモギ、アサを夫の兵士に喩えるため、兎絲である出征兵士の妻の人生は狂わされていくということだ。詩経、唐風『葛生』「葛生蒙楚、蘞蔓于野。予美亡此、誰與獨處。」(葛は生いて楚を蒙い、蘞は野于に蔓う。予が美きひとは此に亡し、誰と與とて獨り處る。)
葛はいばらの上においしげり、五葉葛は野づらにはう。〔草さえも寄り添うものがあるのに〕私の大事な人はここにいない。誰も相手をしてくれるものがなくてひとりねす。


嫁女與征夫、不如棄路傍。』
女子もただの人に嫁にやればその行く末ものびるであろうが、征伐にやられる男などに嫁にやったのでは末がのびない。征伐にゆくおとこにやるくらいなら道端へ捨てた方がましなくらいである。』
嫁女 むすめをよめにやる。○征夫 征戊にでかけるおとこ、此の句まで起四句は詩人としての叙述、以下は婦人としてのべている。


結髪為君妻、席不煖君牀。
わたくしは髪をとりあげてむすぶ年ごろにあなたの妻となりましたが、嫁に来たてであって、あなたの寝台にしいてある席がまだ温まらぬほどしか日数が経たぬ。
結髪 かみをゆう、男女ともこどものときはつのがみ、さげがみである、成人すればかみ々ゆう、男は二十歳にして冠し、女は十五にして結ぶ。蘇武詩「結髪爲夫婦、恩愛兩不疑。」と、成人になったばかりで夫婦になる。○君妻 君とは婦人よりおっとをさす。○ むしろ。○不煙 あたためるのにいとまのないことをいう。○君牀 おっとの寝台。
 

暮婚晨告別、無乃太怱忙。
ゆうぐれに婚礼をして翌朝は早別れを告げるとは、あんまりせわしないことではありませんか。
無乃 無の字は反語によむ。○大患忙 あんまりせわしい。


君行雖不遠、守辺赴河陽。
あなたの出生地に行かれるのは遠くはないとはいうものの、片田舎の地方を守るために河陽へとおゆきなされるのである。
守辺 かたいなかの地方をまもる。○河陽 前詩の地と同じ。


妾身未分明、何似拝姑嫜。』
嫁になったとはいえ、嫁いで三か月たたねば嫁としての身分がまだはっきりきまらないのです。一日や二日でどうして嫁だといって舅、姑さまに拝礼ができるというのでしょう。』
妾身 妾は婦人の謙遜の自称、身は身分、資格をいう。○未分明 はっきりきまらぬ、古礼に婦人は嫁してのち三月たってそのことを夫家の廟に告げ、墓まいりをし、始めて成婚となす、成婚以後に婦と舅・姑の名分が定まる。○ 礼拝する。○ しうとめ。○ 男姑を併せていう語、わけていうときは姥は姑の夫、すなわち舅のことであるという。
*女性は古礼に女、嫁して三月、夫家の祖廟に告げて初めて血痕が成立する。したがって一日や二日ではその夫家においての地位身分が明確でないことをいう。

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311
潼関吏 (三吏三別)
(潼関の吏)
官軍は相州を囲んで敗れたために、いんかん潼関を修理して賊の人造を防ごうとした。作者はたまたまその防禦築城の場所をすぎ、役人と問答してこの詩を作った。759年乾元2年春48歳

新安吏 #1 杜甫 三吏三別の詩 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304~306 

石壕吏 #1 杜甫 三吏三別の詩 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307~309 



潼関吏 #1
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
丈人視要處、窄狹容單車。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』

(潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
#2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


現代語訳と訳註
(本文)#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要處、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』


(下し文) #2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


(現代語訳)
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』


(訳注)
胡来但自守、豈復憂西都:
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
胡来六句 吏のことばで、胡来は安史軍が攻めてくること。〇日守 こちらでまもりふせぐ。○前回に対して「また」という。○西都 長安をさす。


丈人視要処、窄狹容單車:
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
丈人 長者に対する敬称、吏が作者をさしていう。○要処 要害のばし上。○窄狭 みちはばせまし。○容単車 敵が攻めこむにもひとつの兵事だけしかいれられぬ。


艱難奮長戟、萬古用一夫:
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
艱難 国事なんぎのときをいう。○奮長戟 奮は用カをいう、いきおいこんで長い戈を使うこと、味方についていう。○万古 永久、いつもの意。○用一夫 一人の武夫を用いるならば事足ることをいう。


哀哉桃林戦、百萬化為魚:
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
桃林戦 756年6月9日天宝十五載六月哥舒翰の霊宝の敗戦をいう、桃林とは塞の名、河南府霊宝県の西にあり、秦の函谷関の地、およそここより西、潼関まではみな桃林と称する。周の武王が牛を桃林の野に放った処であるのによる。元和郡国志に桃林塞は霊宝より以西、潼関に至るまで皆これなり〕という、そして、書経『武成篇』に昔の周の武王が「牛を桃林の野に放つ」たのがこの地点であったという。〇百万化為魚 百万とは多くの兵卒をいう、時に哥舒翰の兵は二十万、「北征」詩にも「潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。」(潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。)とみえる。翰は楊国忠の督促によりやむを得ず兵を率いて潼関より出て霊宝の西原に至って安禄山軍に突撃し敗した。黄河に落ちて死んだもの数万人。化為魚とは溺死したことをいう。

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塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299



請嘱防関将、慎勿学哥舒:
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』
 たのむこと。○防関将 このせき所を防禦する大将。○哥舒 哥舒翰。王朝軍は歩兵戦が基本で潼関の守りも大軍で敵が迫っても通路幅が小さいので大丈夫と言っているが騎馬軍団が襲うので突破されるかもしれないという心配をしている。



潼関吏 
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要處、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』

(潼関の吏)
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


潼関駅の吏を見る
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』




潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310

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潼関吏 (三吏三別)

(潼関の吏)
官軍は相州(鄴城)を囲んで敗れ、その後、らくよもおちる。そのたため、潼関を修理して安氏軍の攻撃から防ごうとした。作者はたまたまその防禦築城の場所を通りかかり、役人と問答してこの詩を作った。
759年乾元2年春48歳

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
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潼関吏 #1
潼関駅の吏を見る
士卒何草草、築城潼関道。」
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
大城鉄不如、小城満丈余。
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
借問潼関吏、修関還備胡。」
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
要我下馬行、為我指山隅。
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』

その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要処、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防関将、慎勿学哥舒。』

(潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』

#2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


現代語訳と訳註
(本文) 潼関吏 #1
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』


(下し文) (潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』


(現代語訳)
潼関駅の吏を見る
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』


(訳注)潼関吏
潼関駅の吏を見る
潼関駅 陝西省華州華陰県の東北、河南省河南府関郷県の西六十里35kmにある。

杜甫乱前後の図003鳳翔

士卒何草草、築城潼関道:
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
士卒 兵卒。○草草 労苦するさま、せわしそうなさま。○築城 城は城壁。潼関は黄河が南下して槻そして直角に曲がり東流して行く地点で、北と東から長安を目指して來る敵軍を守る要衝の地である。


大城鉄不如、小城満丈余:
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
大城 大きな城壁。○鉄不如 鉄の堅きもそれにおよはぬ、城の極めて堅固なことをいう。○小城小さい城壁。〇万丈余 これは山巌にまたがって、尾根に沿ってきずくために甚だ高いのである。


借問潼関吏、修関還備胡:
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
借問 作者が試みに問う。○修関還備胡 此の句は更が答えたことばである、修関とはこの潼関を修理すること、還はまた、この前に755年11月安禄山が叛乱し、約1カ月755年12月で洛陽城が落ち、756年6月戦力は圧倒的に多かった哥舒翰軍が大敗した(この詩の最終句に引用)。同月長安も落ちた。その後唐王朝は757年長安、洛陽を回紇(ウイグル)との連合軍で戦って兩京を奪還した。そして758年冬相州鄴城に九節度使軍が安慶緒を包囲したが、范陽の史思明が安慶緒を撃ち、安慶緒軍を手中に入れ、再度洛陽を落した。史思明軍が長安に攻め込むというので潼関の守りを整えている時期であった。は哥舒翰が敗れたにかかわらずこんどもまたの意、とは安慶緒・史思明らの安史軍をいう。


要我下馬行、為我指山隅。
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
 遇に同じ、むかえること。たいすること。○ 作者。○指 吏がゆぴざしてしめす。○山隅 山のすみのかた。


連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
連雲 雲につらなるとは高いことをいう。○戦格 格とは障害物をいう、戦格は防禦用の柵。○不能踰 厳重にして飛びこえることができぬ。

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石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩「 新安吏 」に同じ759年乾元2年48歳

 杜甫が衛八(家に泊まり『贈衛八処士』を作)に泊ったのは、二月末のことだ。まだ相州の敗戦(三月四日)のことを知るわけもないが、、。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっているので、華州に帰ろうとしていた。そのとき相州の敗報を聞いて驚愕した。
 華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったもの。
 石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めた。そこでの役人と差し出す家族との様子をあらわした。
役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとする。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る。杜甫はその様子を客観的に見ていた。
杜甫乱前後の図003鳳翔

石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
老翁逾墻走,老婦出門看。」
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』
#2
一男附書至,二男新戰死。
存者且偸生,死者長已矣。」
室中更無人,惟有乳下孫。
有孫母未去,出入無完裙。』
#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
わたしは、老婆で、体力も衰えてはいますが、どうか、石壕の吏さまが夜に帰られる際、連れて行かせていただきたいのです。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
国家の危急存亡の河陽の役に、お応【こた】えしてお役に立ちたいと存じます。これでもまだ、朝ご飯の準備くらいは、できるでしょう。』
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
夜は長く、話し声も途絶えたころになると、さすがに、幽【かす】かに咽【むせ】び泣いているのが聞こえてくる。
天明登前途,獨與老翁別。』

翌朝、空が明るくなると、わたしは華州への旅路に向かって出発するため、ひとりだけになったおじいさんと別れた。』

石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」
#2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』
#3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


現代語訳と訳註
(本文)#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
天明登前途,獨與老翁別。』


(下し文) #3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


(現代語訳) #3
わたしは、老婆で、体力も衰えてはいますが、どうか、石壕の吏さまが夜に帰られる際、連れて行かせていただきたいのです。国家の危急存亡の河陽の役に、お応【こた】えしてお役に立ちたいと存じます。これでもまだ、朝ご飯の準備くらいは、できるでしょう。』
夜は長く、話し声も途絶えたころになると、さすがに、幽【かす】かに咽【むせ】び泣いているのが聞こえてくる。
翌朝、空が明るくなると、わたしは華州への旅路に向かって出発するため、ひとりだけになったおじいさんと別れた。』


(訳注)
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。

わたしは、老婆で、体力も衰えてはいますが、どうか、石壕の吏さまが夜に帰られる際、連れて行かせていただきたいのです。
老嫗〔ろうおう〕老女。老婆。おうな。ここでは、自称になる。○ …ではあっても、…とはいうものの。…といえども。○ どうぞ、お願い致します。お願いする。こう。○ したがえる。○夜歸 吏が夜に本営に帰る。


急應河陽役,猶得備晨炊。」
国家の危急存亡の河陽の役に、お応【こた】えしてお役に立ちたいと存じます。これでもまだ、朝ご飯の準備くらいは、できるでしょう。
 *ここまでが老婆の言葉になる。○ 緊急事態。切迫した事態。にわかな変事。また、事態のさしせまったさま。いそいで。○ (相手のことがこちらの心に響き)こたえる。ここでは切迫した事態に対応するということになる。○河陽役 洛陽を繞る争いで、759年乾元二年の河陽での戦役になる。当時作者が泊まったこの詩の石壕村の近く。○…できる。○晨炊 朝の炊事。


夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
夜は長く、話し声も途絶えたころになると、さすがに、幽【かす】かに咽【むせ】び泣いているのが聞こえてくる。
*この出来事の後、残された村人や老翁の描写になる。○夜久 夜が長い。夜長。○語聲 話し声。語る声。○絶 途絶える。○如聞 聞こえてきたようだ。○泣 涙を流して泣く。○幽咽 〔いうえつ〕秘かに咽(むせ)び泣く。喉をつまらせて泣く。


天明登前途,獨與老翁別。』
翌朝、空が明るくなると、わたしは華州への旅路に向かって出発するため、ひとりだけになったおじいさんと別れた。
天明 夜が明ける。空が明るくなる。○ (意識上、高い所に占める場所へ向かって)出発する。主語は作者・杜甫になる。○前途 目的地までの道のり。これから先の行程。杜甫は、ここ陜県の石壕村を発った後、潼關を通り、華州の参軍を目指していた。ここでは華州への旅程。○ 作者は最初からひとり、老婆が夜出たから、逃げていたおじいさんが一人になったのだ。その年老いた男性と別れる。○ 共に一人。

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308

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石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳


 杜甫が衛八(家に泊まり『贈衛八処士』を作)に泊ったのは、二月末のことだ。まだ相州の敗戦(三月四日)のことを知るわけもないが、、。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっているので、華州に帰ろうとしていた。そのとき相州の敗報を聞いて驚愕した。
 華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったもの。
 石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めた。そこでの役人と差し出す家族との様子をあらわした。
役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとする。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る。杜甫はその様子を客観的に見ていた。


杜甫乱前後の図003鳳翔

石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
老翁逾墻走,老婦出門看。」
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』
#2
一男附書至,二男新戰死。
(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
存者且偸生,死者長已矣。」
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。』
室中更無人,惟有乳下孫。
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
有孫母未去,出入無完裙。』
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。』

#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
天明登前途,獨與老翁別。』



石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」
#2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』

#3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


現代語訳と訳註
(本文) #2

一男附書至,二男新戰死。
存者且偸生,死者長已矣。」
室中更無人,惟有乳下孫。
有孫母未去,出入無完裙。』


(下し文) #2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』


(現代語訳)
(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。』
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。』


(訳注)
一男附書至,二男新戰死。

(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
 *「一男」の寄こした手紙の内容になる。○一男 「三男」(三人の息子)のうちの一人の息子。○ 託(たく)す。託(ことづ)ける。○ 手紙。○ くる。○二男 ふたりの息子。「三男」(三人の息子)のうちの息子二人。○ あらたに。


存者且偸生,死者長已矣。」
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。
存者 生きている者。○且 しばらく。しばし。○偸生〔とうせい〕こっそりと生きる。ひっそりと生きる。生をぬすむ。○長 とこしえに。永久に。 ・已矣 おしまいだ。終わってしまった。やんぬるかな。「已矣哉」は屈原の『楚辞・離騒』「亂曰: 已矣哉!國無人莫我知兮,又何懷乎故都? 既莫足與爲美政兮,吾將從彭咸之所居!」)、「已矣乎」は陶淵明の『帰去来兮辞』「已矣乎,寓形宇内復幾時。」にある。


室中更無人,惟有乳下孫。
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
室中 部屋の中。○ この上に。ましてや。さらに。○無人 ここでは、壮丁となるべき人物はいない。○惟有 ただ…だけがある。惟≒唯。○乳下孫 乳離れをしていない孫。まだお乳を飲んでいる孫。


有孫母未去,出入無完裙。』
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。
○有孫 孫はいるが。○ 孫の母=息子の嫁。○未去 まだ、実家へ戻ってはいない。○出入 家を出入りして、ご近所とお付きあいをするといった日常生活。○完裙 ちゃんとした当時のスカート。完全な形をしたスカート。嫁としての実態が完全でないことをいう。

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 

 
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石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 


石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳

 杜甫が衛八(家に泊まり『贈衛八処士』を作)に泊ったのは、二月末のことだ。まだ相州の敗戦(三月四日)のことを知るよしもないが、、。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっているので、華州に帰ろうとしていた。そのとき相州の敗報を聞いて驚愕した。

 華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったもの。
 石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めた。そこでの役人と差し出す家族との様子をあらわした。
役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとする。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る。杜甫はその様子を客観的に見ていた。


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石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
日暮になって石壕の村にはいって泊まることになった。役人が徴兵のため夜になって(壮丁となる)男をつかまえようとしている。 
老翁逾墻走,老婦出門看。」
宿のおじいさんはつかまえられぬようにと垣根をこえて走りだす、おばあさんは門から出て外を見つめている。」
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
一体なんであのように役人が大声をだしておこるのか。どうしてあのようにおばあさんが苦しそうに啼いているのだろうか。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』

おばあさんがすすみでて役人に申しだす所をよくきいていると、次の如くいう、「わたくしに三人の男の児がありますがみんな国のまもりで鄴城へいっております。』

#2
一男附書至,二男新戰死。
存者且偸生,死者長已矣。」
室中更無人,惟有乳下孫。
有孫母未去,出入無完裙。』
#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
天明登前途,獨與老翁別。』

石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」

#2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』
#3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


現代語訳と訳註
(本文) 石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
老翁逾墻走,老婦出門看。
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』


(下し文) 石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」


(現代語訳)
日暮になって石壕の村にはいって泊まることになった。役人が徴兵のため夜になって(壮丁となる)男をつかまえようとしている。 
宿のおじいさんはつかまえられぬようにと垣根をこえて走りだす、おばあさんは門から出て外を見つめている。」
一体なんであのように役人が大声をだしておこるのか。どうしてあのようにおばあさんが苦しそうに啼いているのだろうか。
おばあさんがすすみでて役人に申しだす所をよくきいていると、次の如くいう、「わたくしに三人の男の児がありますがみんな国のまもりで鄴城へいっております。』


(訳注)石壕吏
石壕の役人。徴兵の様子を詠う。この詩の詠われた時代は安禄山の乱(755年~763年)のうち、758年乾元元年(冬)~759年乾元二年(春)のできごとになる。人民の生活は、疲弊しきっていたことを記録した詩。○石壕〔せきごう〕洛陽と潼關の間にある陜県にある村の名。河南省の三門峡ダムのある近くの陜県(東南の)東観音堂鎮(の西北の)山間で、現・甘壕村。陝州東南部、陝州、陝県(現・三門峡市)の東南40キロメートルに石壕鎮としされていた。・〔り〕下級役人。ここでは、徴兵の係官のことになる。事実、このころまでは女性の従軍もあった。

杜甫乱前後の図003鳳翔

暮投石壕邨,有吏夜捉人。
日暮になって石壕の村にはいって泊まることになった。役人が徴兵のため夜になって(壮丁となる)男をつかまえようとしている。 
 夕暮れ。○ 投宿する。泊まる。とどまる。○ 村むら。鎮。○捉人 男をつかまえる。当時の徴兵制の一になる。○ とらえる。からめとらえる。つかまえる。○ 男。ここでは、壮丁となる男のことになる。『新安吏』に「府帖昨夜下,次選中男行。中男絶短小,何以守王城。」と詳しい。唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三載には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした


老翁逾墻走,老婦出門看。」
宿のおじいさんはつかまえられぬようにと垣根をこえて走りだす、おばあさんは門から出て外を見つめている。」
老翁 年老いた男性。おじいさん。○逾 乗り越える。こす。「踰」ともする。「逾」〔ゆ〕「踰」〔ゆ〕は、同義。「逾」:向こうへ進み越える。「踰」:跨いで越える。○ 〔しょう〕かき。かきね。塀。○ 逃げる。○老婦 年老いた女性。おばあさん。○出門 門を出る。外に出る。


吏呼一何怒,婦啼一何苦。
一体なんであのように役人が大声をだしておこるのか。どうしてあのようにおばあさんが苦しそうに啼いているのだろうか。
 大声でいう。怒鳴る。○一何 いったいどうして。本当に何と。何とまあ。一は語気助詞で、強調を表す。○ 勢い盛んな。はげしい。いかる。詩の前後の展開から見て、老婦がさっさと戸を開けなかったことへの怒りの声になろう。○ 女性。○ 声をあげて悲しみなく。○苦 くるしい。苦しむ。なやむ。つらい。きびしい。はげしい。


聽婦前致詞,三男鄴城戍。』
おばあさんがすすみでて役人に申しだす所をよくきいていると、次の如くいう、「わたくしに三人の男の児がありますがみんな国のまもりで鄴城へいっております。』
*ここから後は老婆の言葉になる。○ これは、杜甫が耳を欹(そばだ)てて聴いたということ。「聽」は、「聴こうとして聴く、よく聴く」こと。 ○ 前に進み出る。○致詞 〔ちし〕挨拶言葉を言う。○三男 三人の息子。○鄴城 〔ぎょうじょう〕相州。現・河南省安陽県。殷墟の近くになる。安慶緒を追いこんでいた。『舊唐書・肅宗李亨』乾元元年九月「大舉討安慶緒於相州。…王思禮破賊二萬於相州。」と、758年の暮れから翌年の春まで戦闘があった。 ○ 〔じゅ〕(国境を敵から)まもる。

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306
 
三吏三別:三吏
1. 新安の吏 2.石蒙の吏 3.潼関の吏
三吏三別:三別
4.新婚の別れ 5.無家の別れ 6.垂老の別れ

1.新安吏 

1019304新安吏 #1
1022305新安吏 #2
1025306

新安吏 #3



新安吏

 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏、縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絕短小、何以守王城。』
#2
肥男有母送、瘦男獨伶俜。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
眼枯即見骨、天地終無情。』
#3
我軍取相州、日夕望其平。
我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
豈意賊難料、歸軍星散營。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
就糧近故壘、練卒依舊京。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
況乃王師順、撫養甚分明。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
送行勿泣血、僕射如父兄。』

出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』

(新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』
#3

我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。

唐宋時代鄴城05


現代語訳と訳註
(本文)

我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』


(下し文)
我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。


(現代語訳)
我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』


(訳注)
我軍取相州、日夕望其平。

我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
我軍 唐王朝・回紇連合軍。王朝軍は郭子儀たち九節度使軍、節度使が連合していない。○相州 鄴城。洛陽から東北へ太行山脈を越て350km。○日夕 旦夕(旦は朝の初めから昼まで、夕葉日が落ち始めた2時以降しずむ頃まで)として用いる。○ こちらが希望する。


豈意賊難料、歸軍星散營。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
豈意 意外にも。安慶緒に范陽の史思明が援軍を送ることを予想していなかった。○ 予想する。○帰軍 九節度の敗軍をいう、帰(もどってくる)の字を用いたのはまさに予想以上の大敗で攻める余地のないほど圧倒されたことを示す。○星散営 敗軍がそれぞれの軍営に星のごとくばらばらにちらはってかえる。以下の詩は同じように大敗をしたことに対する詩である。

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153



就糧近故壘、練卒依舊京。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた
○就 兵食のある場所につく。○故塁 洛陽ちかくのもとのとりで。○練卒 兵卒を訓練する。○ 根拠とする。○旧京 洛陽をさす。


掘壕不到水、牧馬役亦輕。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
掘凌 ほりをほる。○不到水 浅くほることをいう。騎馬を走りにくくするための壕。○牧馬 うまをまきばでかう。○ 力しごと。


況乃王師順、撫養甚分明。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
王師順 王師は勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっていることをいう。○撫養 兵卒を愛撫し食物をあたえること。○分明 その事の疑うべからざることをいう、だれにもはっきりわかっている。


送行勿泣血、僕射如父兄。』
出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』
送行 ここで中男が戦争にゆくのを見おくる。○泣血 血のなみだをだして哭く。○僕射 郭子儀をさす、子儀は至徳二載五月に潏水に敗れ、司徒より降されて左僕射となった。乾元の初めには中書令であったので前の「洗兵行」には「郭相」といっているが、この詩はまた貶官を用いて僕射と称している、僕射は射をつかさどるという意味であるという。○如父兄 兵卒に対して親切なことをいう。郭子儀は李白の助命嘆願をしている。部下を可愛がる。


新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305 


三吏三別:三吏;
2. 新安の吏 2.石蒙の吏 3.潼関の吏
三吏三別:三別;
4.新婚の別れ 5.無家の別れ 6.垂老の別れ

1.新安吏 

1019304新安吏 #1
1022305新安吏 #2
1025306新安吏 #3


新安吏
 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏、縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絕短小、何以守王城。』
#2
肥男有母送、瘦男獨伶俜。
中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
白水暮東流、青山猶哭聲。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
眼枯即見骨、天地終無情。』

泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)

我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』


(新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』

我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。


現代語訳と訳註
(本文) #2

肥男有母送、瘦男獨伶俜。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
眼枯即見骨、天地終無情。』


(下し文)#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』


(現代語訳)#2
中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)


(訳注) #2
肥男有母送、瘦男獨伶俜。

中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
中男 唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三歳には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした、ここは丁が無いので中男をとることをいう。○肥男、痩男 中男についての肥痩をいう、肥はふとり痩はやせた体格のものをいう。○母送 ははおやが見おくりにきている、こえた男はこの母に愛してそだてられたものであろう、これに反してやせた男は母もなくみじめな境遇のものであろう。○伶俜 ひとりぼっちのさま。


白水暮東流、青山猶哭聲。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
白水 しろく暮れのこる渓流。○東流 東とは男のゆく方向をいう。戦は東方向になる。○青山 春霞の山、附近の山をいう。○ ゆく人はすでに見えないのになおの意。○笑声 母やその他の見送る人人の哭くこえ、「肥男」より「青山」までの四句は叙事叙景をはさむ。


莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
美白使眼枯 此の句より末尾の「僕射」の句までは作者が送行者をなぐさめる語である。慰めの形で、戦争に駆り立てる状況にしている政治体制を批判している。○眼枯 あまりに泣きつくして涙が枯れ尽くしてしまったことをいう。○ とりかたづける。○縦横 次第もなくながれるさま。


眼枯即見骨、天地終無情。』
泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)
即見骨 もしもの意、○見骨 はなきかなしみやせて顔面の骨をあらわすにいたることをいう。○天地終無情 天地はつれない、とは戦争にゆかなければいけない状況を変えるようにはしてくれない。

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 

 
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新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 

   三吏三別:三吏;
    1. 新安の吏 2.石蒙の吏 3.潼関の吏
   三吏三別:三別;
    4.新婚の別れ 5.無家の別れ 6.垂老の別れ

その年の冬から翌年の二月ごろまで、杜甫は洛陽の東、鞏県にある旧居に、どのような事情があったのか分からないが、帰っている。時に都子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を鄴城に包囲していたが、乾元二年(759)の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して鄴城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。郭子儀は敗軍をまとめ、洛陽を守るために河陽に陣を布いた。所用をすませて鞏県から洛陽を経て華州へ帰る途中、杜甫は都城で大敗した官軍が、新安、石蒙剛の河陽で、あるいは潼関で洛陽防衛のための準備を急遽行なっているのに、出会った。

彼は帰途の見聞を「新安の吏」「石蒙の吏」「潼関の吏」および「新婚の別れ」「垂老の別れ」「無家の別れ」の、いわゆる三吏三別の詩に詠んだ。何年か前、長安で仕途を求めていたころに作った「兵車行」のころの社会情勢といえば、唐の軍隊と人民という構造で人民が強制的に徴兵、調達されていく中で完全に人民の側に立って見ている社会詩であった。しかし、この時の社会情勢は、唐王朝軍を支えなければ国が危うい。安史軍に国を目壺させられると人民は苦しむ。ウイグルの援軍をもって唐王朝が勝利してもウイグルとの間に禍根を残す、それらが人民にのしかかってくる。

「兵車行」がひたすら人民の立場に立って当時の辺境政策を批判したものであったのに比べ、三吏三別は、国難に際して、安史軍の撃退を切に願う思いと、戦乱の中で苦しんでいる人民への同情とがからみあった、矛盾の表現とならざるをえないものになっている。いま、それら「新安の吏」「石蒙の吏」「潼関の吏」の順で見てみよう。「新婚の別れ」「無家の別れ」「垂老の別れ」と見る。 

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
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新安吏
 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。”
客行新安道、喧呼聞點兵。
わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
借問新安吏、縣小更無丁。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
府帖昨夜下、次選中男行。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
中男絕短小、何以守王城。』

中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』
肥男有母送、瘦男獨伶俜。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
眼枯即見骨、天地終無情。』
我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』

haru0005g
(新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』

肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』

我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。


杜甫乱前後の図003鳳翔

現代語訳と訳註
(本文) 新安吏

 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏?縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絕短小、何以守王城。』


(下し文) (新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』


(現代語訳)
新安の吏
“杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。”

わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』


(訳注)
新安の吏
 *原注 収京後作。雖収両京。賊猶充斥。
“杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。
○新安 河南省河南府の新安県。○収束 京は長安及び洛陽をさす。○賊 安慶緒らの軍。kanbuniinkaiでは官軍と賊軍という分けかたはしないで、叛乱軍。叛乱軍は大別して安慶緒軍と史思明の軍で構成、節度使、潘鎮が混入、異民族の軍隊、傭兵軍で集散するのである。そのため10年も続くのである。独自の動きをした叛乱もある。潘鎮、王朝血族の叛乱もある。その間、叛乱軍の権力構造閒変わるので史実に合わせ、訳していく。ここは、相州、鄴城に立て籠もった安慶緒軍をいう。○充斥 『左伝、㐮公三十一年』にみえる、みちひろがること。


客行新安道、喧呼聞點兵。
わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
○客 旅客、作者自ずからをいう。○喧呼 やかましく大ごえをだす。○点兵 兵籍に点つけをして人数をしらべる。


借問新安吏、縣小更無丁。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
〇借 作者がかりにたずねる。○ 県の小役人。○県小 此の句より「次選」の句までは更のことばである。○無丁は壮丁、兵卒としてめしだされるわかい働き盛りの男子。


府帖昨夜下、次選中男行。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
府帖 府がだした兵籍、府は幕府、県の上級官庁。○ 県へきたこと。○次選 第一位のものがなくなったために、第二位のものをえらぶこと。○中男 唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三載には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした、ここは丁が無いので中男をとることをいう。○ 東都をまもるためにゆく。


中男絕短小、何以守王城。』
中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』
中男絶短小 此の句及び次句は作者の胸中をいう、短小はからだのせいがひくくちいさいこと。○王城 東都洛陽の城

獨立 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1016 杜甫詩集700-303

獨立 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1016 杜甫詩集700-303



獨立
空外一鷙鳥,河間雙白鷗。
はるかな天空に一羽の猛鳥がいる。黄河の流れの間に二羽の白い羽のかもめがいる。(一鷙鳥は安禄山で河北で叛乱した。雙白鷗は玄宗を指すもの)
飄搖搏擊便,容易往來遊。
動揺して定まらないこと(数年前から、安禄山が叛乱を起すといわれてきたのを玄宗と楊貴妃とは安禄山を可愛がった)、その間隙をついて襲ったのだ。はっきりしていること(安禄山のもとに傭兵が集結していたし、不満を持っていた潘鎮・節度使も呼応していた)は、不満の者たちの往来を自由にさせていたことだ。
草露亦多濕,蛛絲仍未收。
草に着いた露に更に高温多湿な状態が加わった(ただでさえ自由に兵力を整えていたものに朝廷玄宗の頽廃、楊国忠と安禄山の対立激化をいう)。そして蜘蛛の糸で覆われてしまったのだがいまだにそれを治め平定することができないのだ。
天機近人事,獨立萬端憂。

天子のきまぐれな機嫌が近頃の人事の差配にあらわれた。こうして、官を辞して独立するとしてもすべての事柄に心配事がありすぎるのが現状なのだ。


獨り立つ
空外に 一鷙鳥あり,河間に 雙いの白鷗ある。
飄搖して 搏擊の便,容易にして 往來を遊ぶ。
草露あり 亦 多濕なり,蛛絲 仍【な】お未だ收らん。
天機にして 近ごろの人事あり,獨立すれども 萬端の憂。


五言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。


現代語訳と訳註
(本文)
獨立
空外一鷙鳥,河間雙白鷗。
飄搖搏擊便,容易往來遊。
草露亦多濕,蛛絲仍未收。
天機近人事,獨立萬端憂。


(下し文)
獨り立つ
空外に 一鷙鳥あり,河間に 雙いの白鷗ある。
飄搖して 搏擊の便,容易にして 往來を遊ぶ。
草露あり 亦 多濕なり,蛛絲 仍【な】お未だ收らん。
天機にして 近ごろの人事あり,獨立すれども 萬端の憂。


(現代語訳)
はるかな天空に一羽の猛鳥がいる。黄河の流れの間に二羽の白い羽のかもめがいる。(一鷙鳥は安禄山で河北で叛乱した。雙白鷗は玄宗を指すもの)
動揺して定まらないこと(数年前から、安禄山が叛乱を起すといわれてきたのを玄宗と楊貴妃とは安禄山を可愛がった)、その間隙をついて襲ったのだ。はっきりしていること(安禄山のもとに傭兵が集結していたし、不満を持っていた潘鎮・節度使も呼応していた)は、不満の者たちの往来を自由にさせていたことだ。
草に着いた露に更に高温多湿な状態が加わった(ただでさえ自由に兵力を整えていたものに朝廷玄宗の頽廃、楊国忠と安禄山の対立激化をいう)。そして蜘蛛の糸で覆われてしまったのだがいまだにそれを治め平定することができないのだ。
天子のきまぐれな機嫌が近頃の人事の差配にあらわれた。こうして、官を辞して独立するとしてもすべての事柄に心配事がありすぎるのが現状なのだ。


(訳注)
獨立

一人立つ。孤独な状態に置かれる。758年左拾遺を授かった直後、房琯を弁護することにより、粛宗の逆鱗に触れて以来、朝廷内で約一年疎外され、後、華州へ左遷。その間、ほとんど仕事らしきもの、公と思われる詩文はない。すべて私的なものである。この詩題は、杜甫が、詩人として生きていくこと決意した詩といわれている。詩題としてより、内容的に薄い感じである。


空外一鷙鳥,河間雙白鷗。
はるかな天空に一羽の猛鳥がいる。黄河の流れの間に二羽の白い羽のかもめがいる。(一鷙鳥は安禄山で河北で叛乱した。雙白鷗は玄宗を指すもの)
空外 はるかな天空。杜甫『擣衣詩』「用い盡くす閨中の力、君聽け空外の音を。」(用盡閨中力、君聽空外音。)○ 猛鳥の意。ワシやタカなど、他の動物を捕らえて食う鳥。猛禽(もうきん)。安史軍を指す。 ○河間 黄河の流れのあいだに。今の河北省献縣の東南。また、河北省河間縣。安史軍の拠点。○白鷗 はねの白いカモメ。鮑照『還都道中作詩』「騰沙鬱黄霧、飜浪揚白鷗。」(沙を騰げて黄霧を鬱にし、浪を飜して白鷗を揚ぐ。)


飄搖搏擊便,容易往來遊。
動揺して定まらないこと(数年前から、安禄山が叛乱を起すといわれてきたのを玄宗と楊貴妃とは安禄山を可愛がった)、その間隙をついて襲ったのだ。はっきりしていること(安禄山のもとに傭兵が集結していたし、不満を持っていた潘鎮・節度使も呼応していた)は、不満の者たちの往来を自由にさせていたことだ。
飄搖 ひるがえり、ゆらぐ。動揺して定まらない様子。張華『鷦鷯賦』「提挈萬里、飄搖逼畏。」(挈して萬里に提、飄搖として逼り畏そ。)○搏擊便 (1)手でうつこと。殴ること。 (2)攻めること。うち負かすこと。容易 ○往來遊。


草露亦多濕,蛛絲仍未收。
草に着いた露に更に高温多湿な状態が加わった(ただでさえ自由に兵力を整えていたものに朝廷玄宗の頽廃、楊国忠と安禄山の対立激化をいう)。そして蜘蛛の糸で覆われてしまったのだがいまだにそれを治め平定することができないのだ。
草露 草に置くつゆ。はかないもののたとえにいう。○亦多濕 湿気が多いこと。湿度が高いこと。また、そのさま。○蛛絲 蜘蛛の糸。安史軍が下方句を拠点として勢いが衰えていない。○仍未收 戦がおさまっていない。


天機近人事,獨立萬端憂。
天子のきまぐれな機嫌が近頃の人事の差配にあらわれた。こうして、官を辞して独立するとしてもすべての事柄に心配事がありすぎるのが現状なのだ。
天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。 2 生まれつきの才能。 3 天子の機嫌。天気。○近人事 房琯のグループは一切左遷された。○獨立 ○萬端 ある物事についての、すべての事柄。諸般。


(杜甫の言う「天機近人事」とは)
安禄山が反乱を起こし洛陽長安が陥落し、玄宗は退位し蜀へ逃走。粛宗は北辺の霊武に行在所を置いた。この霊武には朔方軍の司令官として郭子儀がいた。ここしか頼るところがなかった。郭子儀しか成果を上げていないし、顔真卿兄弟などを軽視し、適切な作戦がとられていない。兵力はウイグルの援軍を得なくても唐王朝の軍隊を整備し、適切な配備をしておればよかったが、奸臣、宦官の言いなりで、作戦はことごとく失敗した。ただ、安禄山の側も、史思明が范陽に帰り一枚岩ではなかった。史思明は粛宗の唐と安禄山の燕大国と史思明の三権鼎立を模索していた。この時、ウイグルは安禄山、史思明にも一部兵士を出していた。そのことに以上に恐れをなした粛宗はウイグルに泣きついた格好で援軍を依頼した。唐軍の諸公の中にはウイグル援軍を不満に思うものは少なくなかった。少なくとも敵に回さなければよい程度の対応すればよかったのである。焦った対応で安禄山を過大評価し、作戦を誤った。

 杜甫はこの間、役立つことを一切させてもらっていないばかりか、状況も知らせれていなかったものと思われる。
 安禄山は息子安慶緒に殺害され、史思明は安慶緒と一定の距離をとり始めていたことで、唐王朝軍は長安洛陽を奪還し得たのであるが、ここでさらに、王朝内を固めていかなければいけない時期に、粛宗は房琯グループの一掃ということで、まじめな軍人、文人を左遷させたのだ。高適、厳武、杜甫と仲の良かったものは誰もいなくなった。高適は永王璘の叛乱を抑え功績をあげていた。厳武は長安、洛陽奪還に功績をあげていた。功績について一切報われることはなく左遷された。朝廷内には郭子儀だけであった。しかし、粛宗は宦官の意見を取り入れていた。

不歸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1013 杜甫特集700- 302

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獨立

重題鄭氏東亭

三吏三別


不歸

もう帰らない。
河間尚
伐,汝骨在空城。

黄河流域、河南一帯は、いまだに平定されず戰が続いている、安慶緒を成敗してもう鄴城には兵士のいなくなってるだろうが、君たちはどうしているのだろうか。そのままでいるのか
從弟人皆有,終身恨不平。

我弟たちにとっては、ひとにはそれぞれ限られた人生があるというものだ、私のように年老いた身にとっては、戦が終わらず、平らげられることがないことへの怨みの気持ちでいる。
數金憐俊邁,總角愛聰明。

金を数え、利害のために賢いすぐれた俊秀をいかさずにおるものにたいして憐れに思う。しかし、叛乱軍の子供じみたことには辟易だが、これからの子供にたいしては道理に通じて聡いものが愛されるのである。
面上三年土,春風草又生。

目の当たりにしたこと、戰の塵埃はもう三年も積重ねられているが、万物が芽生える春の息吹があるということ草花木は帰ってきてまた生まれているではないか。


(歸らず)
河間 尚 徵伐,汝の骨 空城に在り。
從弟!人皆有り,終身!不平を恨む。
金を數えれば俊邁【しゅんまい】を憐れみ,總角【かみたば】ねて 聰明【そうめい】を愛でる。
面上【まのあた】りにして 三年の土,春風は 草を又 生ず。


haru0005g


現代語訳と訳註
(本文) 不歸

河間尚徵伐,汝骨在空城。
從弟人皆有,終身恨不平。
數金憐俊邁,總角愛聰明。
面上三年土,春風草又生。


(下し文)(歸らず)
河間 尚 徵伐,汝の骨 空城に在り。
從弟!人皆有り,終身!不平を恨む。
金を數えれば俊邁【しゅんまい】を憐れみ,總角【かみたば】ねて 聰明【そうめい】を愛でる。
面上【まのあた】りにして 三年の土,春風は 草を又 生ず。


(現代語訳)
もう帰らない。
黄河流域、河南一帯は、いまだに平定されず戰が続いている、安慶緒を成敗してもう鄴城には兵士のいなくなってるだろうが、君たちはどうしているのだろうか。そのままでいるのか
我弟たちにとっては、ひとにはそれぞれ限られた人生があるというものだ、私のように年老いた身にとっては、戦が終わらず、平らげられることがないことへの怨みの気持ちでいる。
金を数え、利害のために賢いすぐれた俊秀をいかさずにおるものにたいして憐れに思う。しかし、叛乱軍の子供じみたことには辟易だが、これからの子供にたいしては道理に通じて聡いものが愛されるのである。
目の当たりにしたこと、戰の塵埃はもう三年も積重ねられているが、万物が芽生える春の息吹があるということ草花木は帰ってきてまた生まれているではないか。


(訳注)
不歸
もう帰らない。
○官を辞することを示唆する。また、家族が帰ってこない。平穏な生活が帰ってこない。五言律詩。【首聯】では黄河流域に平穏な生活が帰らない。【頷聯】自分の親族、自分自身の夢に向けての人生生活が帰ってこない。【頸聯】金を目当てに反乱を起こした奴らに憐れんでいるが、これからの子供の英知を期待する。【尾聯】もう三年になるが自然のいとなみは、「不歸」ではなく、「又生」なのだ。押韻 城。平。明。生。


河間尚徵伐,汝骨在空城。
黄河流域、河南一帯は、いまだに平定されず戰が続いている、安慶緒を成敗してもう鄴城には兵士のいなくなってるだろうが、君たちはどうしているのだろうか。そのままでいるのか
河間 黄河流域、河南一帯。○徵伐 叛乱軍に対する征伐の戦いをしている。○汝骨 ここでいう汝は次句の従弟に対して○空城 兵士がいなくなった城郭。


從弟人皆有,終身恨不平。
我弟たちにとっては、ひとにはそれぞれ限られた人生があるというものだ、私のように年老いた身にとっては、戦が終わらず、平らげられることがないことへの怨みの気持ちでいる。
從弟 杜甫の親族、異母弟。済南に避難していた。杜亞は河西の判官に赴ている。 ○人皆有 ひとにはそれぞれ限られた人生がある。自然の草花には季節が廻って芽吹いてくるという最終句にかかる。○終身 若い従弟に対して、自分は年老いている。この身を終わろうとしている。○恨不平 恨みに思うことは平定されない、平穏でないこと。安史の乱により、死に直面し、家族とは離散してしまったこと。


數金憐俊邁,總角愛聰明。
金を数え、利害のために賢いすぐれた俊秀をいかさずにおるものにたいして憐れに思う。しかし、叛乱軍の子供じみたことには辟易だが、これからの子供にたいしては道理に通じて聡いものが愛されるのである。
數金 金を数える。金で雇われて兵士になる。この頃、武芸者に対して、通常以上の金が支払われた。武力を頼りに略奪をおこない蓄財していくものが多かった。それに対し、文人の詩歌に対する評価、売文はほとんどなかった。平穏時には、売文はそこそこあったのだ。○ 憐れむ。心配する。○俊邁 すぐれていること。俊秀。晋書『陸喜傳』「神情俊邁。」○總角 髪を束ねる。こどもをしめす。叛乱軍に対して幼稚な子供という表現をしている。○聰明 道理に通じてさといやつ。書経『皐陶謨』「天聰明、自我民聰明。」(天の聰明は、我が民の聰明に自【した】がう。)


面上三年土,春風草又生。
目の当たりにしたこと、戰の塵埃はもう三年も積重ねられているが、万物が芽生える春の息吹があるということ草花木は帰ってきてまた生まれているではないか。
面上 目の当たりにしたことなど。○三年土 安史の乱が始まって三年経過している。○春風 万物が芽生える春の息吹のこと。○ 草花。草木。強く生きていく人々。○又生 また生まれてくる。


natsusora01


二年前の春は叛乱軍に拘束され長安で迎えた春であった。どちらも官に対して、仕事に対しての思い入れは皆無で、春の息吹に生きていく力を感じている。詩人として生きていくこと、詩人の矜持についてはどちらも、強いものを感じる。


春望

 (本文)
國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。
(下し文)
國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。
時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを 恨んでは  鳥にも 心を驚かす。
烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。
白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。
(現代語訳)
春の眺め
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。

謝霊運詩登池上樓00


 


 


 


 

留花門 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1010 杜甫特集700- 301

留花門 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1010 杜甫特集700- 301
(花門すなわち回紇種族<ウイグル騎馬民族>の兵を内地にどめておくこと)

花門すなわち回紇種族の兵を内地にとどめておくことにつき、そのとどめておくべからざることをのべた詩である。製作時は乾元元年秋とする。
 

留花門 #1
北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
渡河不用船,千騎常撇烈。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』

(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』
#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


現代語訳と訳註 #3
(本文) #3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(下し文) #3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


(現代語訳) #3
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』


(訳注)#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
 ○沙苑 牧馬場の名。唐の時、同州鴻功県(陝西省同州府大茘県)の南十二里に置かれる。東西八十里、南北三十里、長官として沙苑監を置く。天宝十三載安禄山を以て監事を総べさせた○ 長安を西から東へ流れる水の名。○泉香 わきでるいずみの水がかんぱしい。○豊潔 多くてきよらか。


渡河不用船,千騎常撇烈。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
渡河 黄河をわたる。○不用船 騎馬のままわたることをいう。○千騎 多くの騎兵。○撇烈【へつれつ】 激烈に撃つさま。文選、王襃『四子講徳論』「膺騰撇波而済水、不如乘舟之逸也。」(膺騰波を撇ちて而水を済るは、舟に乘る之を逸きに如かざる也。)〔注〕撇は撃なり。水を撃ち蹴立てて渡る。


胡塵逾太行,雜種抵京室。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
胡塵 安・史の兵馬の塵。○逾太行 太行は河北・山西のあいだに在る山脈の名、兵塵が東より西へひろがり、山西の方へ入ることをいう。○雑種 安・史の族はみな雑種である、国内の野望を持った不満分子、異民族の傭兵、蒙古、鮮卑、ウイグルなどにより構成されていた。これは安史軍をさす。○抵京室 長安の宮室の処まで至ろうとする。(一説には史思明は759年乾元二年九月に安慶緒、大梁を取り、洛陽を陥れたために、作者は更にその軍が長安に汲ばんことをおそれてかくいったものであろう。又、この詩の段階では、郭子儀など9節度使軍が史思明軍に大敗を喫した段階で、759年春、唐王朝軍が極めて劣勢な戦況であった段階の表現と考える場合もある。しかしここでは、史思明についての恐怖は太行山脈を越えていないので758年冬から759年春の段階である。)


花門既須留,原野轉蕭瑟。』
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』
須留 沙苑にとどまることを必要とするならば。○原野 耕作物の地をいう、上の麦桑の語と応ずる。騎馬民族の戦いは戦傷者が略奪の限りを尽くし、反撃の火種を残さないことを原則とする。そのため、彼らが通った後は原野になるという。○ いよいよ、これは安・史らの兵禍に対比していう。○蕭瑟 さびしいさま、掠奪後の一物もない状態をいう。この最後の聯の意味合いで759年3月郭子儀軍の大敗以前の作品と思われる。



留花門 #1
北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』
#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』

#1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』

#2
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えておる。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。

#3
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』


留花門 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1007 杜甫特集700- 300

留花門 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1007 杜甫特集700- 300
(花門すなわち回紇種族<ウイグル騎馬民族>の兵を内地にどめておくこと)

花門すなわち回紇種族の兵を内地にとどめておくことにつき、そのとどめておくべからざることをのべた詩である。製作時は乾元元年秋とする。
 

留花門 #1
北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
公主歌黄鵠,君王指白日。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
連雲屯左輔,百里見積雪。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えている。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』

農家は彼らが騎馬民族で農耕が分からないので最も恐れ、怖がる。それは、麦がたおされ、桑の枝が折られたりするからである。』(農耕民族の軍隊は、田畑を荒らすことは避ける作戦をとるものであるが、騎馬民族は、戦を勝つことのみで作戦をとる。)
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』

#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


現代語訳と訳註 #2
(本文)   #2 
 
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』


(下し文) #2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』


(現代語訳) #2
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えておる。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。

農家は彼らが騎馬民族で農耕が分からないので最も恐れ、怖がる。それは、麦がたおされ、桑の枝が折られたりするからである。』(農耕民族の軍隊は、田畑を荒らすことは避ける作戦をとるものであるが、騎馬民族は、戦を勝つことのみで作戦をとる。)


(訳注)#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
中原 洛陽方面をさす。○駆除 駆り除くべきもの、安史軍、安慶緒・史思明らをさす。○隠忍 がまんして。○此物 回紇(ウイグル騎馬民族)のえぴすをさしていう。


公主歌黄鵠,君王指白日。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
公主歌黄鵠 公主は天子の姫宮をいう、「公羊伝」に「天子至尊、嫁女不自主娘、使同姓主之、故曰公主」(天子至尊、女として嫁してより娘を主とせざる、同姓之を主として使う、故に公主と曰う)とある。○歌黄鵠 ・黄鵠:おおとりの名。前漢の昆莫の故事がある、漢の武帝の元封中に、匈奴、大宛国を抑えるため、江東王建の娘の細君を公主にして、西域の鳥孫国を建国した昆莫に妻わせた、昆莫は時老人であり、またことぱも通じず、公主は悲しんで歌を作ったが、その中に「願わくは黄鵠と為りて故郷に帰らん」の句がある。事実は唐より回紇ヘ女を嫁にやったことをいう、756年乾元元年七月、粛宗はその幼女寧国公主を回紇可汗に妻わせた、可汗は公主を可敦(回紇の皇后)とし、三千騎を唐の二都奪還のための援軍とした。本ブログ、杜甫『黄河二首』に概要概説があるこれが成功し、安慶緒を鄴城に追い詰めることができたのだ。○君王指白日 天子が回紇と親睦のかたい誓約をなすことをいう、君とは天子粛宗をさす、王とは回紇可汗、「指白日」とは誓いの方法で、白日に誓うである。誰もが明白なものとしているもの指して誓う。これは古の風習で、太陽をさし、或は長江黄河の水をさすといった類、北斗七星の場合もある。


連雲屯左輔,百里見積雪。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えている。
雲多いことをいう。○ あつまる、たむろする。○左輔 沙苑の牧馬楊地方をさす、詳しくは『沙苑行』沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91沙苑 牧馬場の名。唐の時、同州鴻功県(陝西省同州府大茘県)の南十二里に置かれる。東西八十里、南北三十里、長官として沙苑監を置く。天宝十三載安禄山を以て監事を総べさせた。○左輔 漢の時、京兆尹(けいちょういん)・左馮翊(さふうよく)・右扶風(長安及びその附近の行政区域)を三輔と称した。同州は馮翊郡に属していたので左輔という、左は東方を意味する。○白沙 東方沙苑の白い抄をいう。○如白水 沙色の白いことが水の白いがごとくである。○見積雪 或は回紇の衣冠は回教徒であり、白色を用うる。衣服、頭、旗幟、に白色を用いるため、白雪であり、白砂である。「沙苑行」に「左輔の白沙は白水の如し」とある。暗い色が主体の唐王朝軍に、白色の軍隊はかなり目立ち、勇猛果敢に見え圧倒したことをいうものである。


長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。
長戟 ながいほこ。○休飛 武器のいかめしさにおそれること。
 

田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
農家は彼らが騎馬民族で農耕が分からないので最も恐れ、怖がる。それは、麦がたおされ、桑の枝が折られたりするからである。』(農耕民族の軍隊は、田畑を荒らすことは避ける作戦をとるものであるが、騎馬民族は、戦を勝つことのみで作戦をとる。)
田家 農家。

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299
(花門すなわち回紇種族<ウイグル騎馬民族>の兵を内地にどめておくこと)

花門すなわち回紇種族の兵を内地にとどめておくことにつき、そのとどめておくべからざることをのべた詩である。製作時は乾元元年秋とする。
 

留花門 #1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
北門天驕子,飽肉氣勇決。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
修德使其來,羈縻固不絕。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』

ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』
#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


現代語訳と訳註 #1
(本文)

北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』


(下し文) (花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。


(現代語訳) #1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』


 (訳注)
留花門

花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
 唐の方へひきとめておくことをいう。ウイグルの援助がなければ、唐王朝は消滅し、奪回等及びもつかなかった。○花門 堡の名であるが回紇種族(ウイグル騎馬民族)そのものをさす。元来、居延海(寧夏省の西北境にある湖水)の北にある要塞の名であるが、当時その地点は回紇の領土としていたところからこの名前を使った。『唐書』地理志「甘州寧寇軍の東北に、居延海あり、又北三百里にして、花門山堡あり、又東北千里にして、回紇の衙帳に至る。」

哀王孫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫集700- 140-#1

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫集700- 223



北門天驕子,飽肉氣勇決。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
天驕子 漢書の匈奴伝に「胡は、天の驕子なり」とみえる、えびすは天の“いたずら坊や”であるといっている。○飽肉 肉食に十分あきる。757年9月援軍に参加したウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さることが約束され実行された。「飽肉」という表現は、この事実に基づいている。.○ 気象。
 

高秋馬肥健,挾矢射漢月。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
射漢月 漢の月に向かって矢をいる、漢とは唐をいう。彼ら騎馬軍団は、弓矢についても的中率が高かった。


自古以爲患,詩人厭薄伐。
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
詩人「詩経」の詩の作者をさす。○厭薄伐「詩経」(六月)に周の宜王が北秋をうつことをのべて、「薄【いささ】か玁狁【けんいん】を伐ち、太原に至る」といっている、薄伐の二字はこれより借用する、玁狁は後世の匈奴である。


修德使其來,羈縻固不絕。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
修徳 中国の天子たるものが自己の徳を修めること、『易経、蹇』「山上有る水蹇、君子以て反身修徳。」(山上水有る蹇、君子以て身に反みて徳を修む。)また[国語]に「先王の制、戎瞿荒服なる者、王ならざるあらば、則ち徳を修む」とみえる。○使其来 其とはえびすをさす、来は来たり従わしめることをいう。○羈縻 どちらも「つなぐ」こと、馬には羈といい、牛には縻という、四方の夷狄をこちらへつけておくことが、牛馬をつなぎとめておくがごとくであることをいう。


胡爲傾國至,出入暗金闕。』
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』
胡為 胡は何と同じ、「なんすれぞ」、どういうわけで。○傾国至 自分の国の勢力のほとんどを中国の方へむけている。○出入 ウイグル兵の出入りすること。○ 無数なるゆえ「くらし」という。ウイグル兵は馬で移動するため、砂塵がけたたましく上がったこともある。○金闕 黄金をかざった天子の宮殿の脇の潜りの御門。


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