杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

辞官・秦州転逢の旅へ

遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364

遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364


其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二   (長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。)  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


其三    (寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。)
漆有用而割,膏以明自煎;
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。

其四    (権威をかさに横暴をふるった富貴のものがその栄耀栄華が続くものではないことをいう)
猛虎憑其威,往往遭急縛。
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。
猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。

其五   (富貴のものがどんな大きな葬儀をしようとも死によって解消し、意昧がなくなってしまう) 
朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君看束縛去,亦得歸山岡。

君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)

朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


現代語訳と訳註
(本文) 其五
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


(下し文)
朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


(現代語訳)
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


(訳注) 其五 の詩の前提(この詩の理解のため、儒教の葬儀)
儒教の五経典(易経、書経、詩経、儀礼、春秋)のうち『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼であり、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、周王朝(前1100頃~前256)の創始者であった周公が制定したものとされているが、孔子(前551~前479) が『書経』『詩経』とともに尊重した。
 『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。

魂呼びの風習はどこにおいても行われ、旅館で死ぬと旅館、戦場で死ぬと戦場で矢をもって復を行った。招魂の儀式を行なっても死者が生き返らぬことがわかったら、葬送の準備が始められる。主君への死亡通知。⇒主君も使者を遣わして弔問。⇒「哭(こく)」と「足ふみ」。⇒主君は死者に衣服を贈る⇒翌日、死者を衣でぐるぐる巻きにする(小斂)⇒3日目死者を衣服でくるみ絞で縛ること(大斂)⇒3カ月の仮埋葬⇒柩を宗廟に移し、先祖の霊とまみえさせる
この時にこの詩で詠われる「大行列」を見るのである。五服という期間に応じた服を着る。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。


朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
富家葬 仮埋葬の邸宅から宗廟に向かうのである。先頭に依代(よりしろ)を持った者が立ち、次に前日の供物を持った者、明りを待った者、車に乗った柩、燭を持つた者、そのあとに3台の魂車がつき、そして喪主たちが従う。富貴の度合いで輝きものが増減する。


共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
緦麻 五服の地、3か月間着ている服である。○百夫 百人の兵隊。多くの男子が列に続いている様子をいう。儒教に基づく葬儀であるが、限られたものしかできなかった。儒教の精神とはかけ離れた、賄賂、頽廃に染まったものほど葬儀に費やした。


送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。


君看束縛去,亦得歸山岡。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


中國の五服と喪の期間
(1)中国古代、王城の周囲を王城から五百里(周代の一里は約405メートル)ごとに区切って定めた五つの方形の地域。内より甸服(でんぷく)・侯服・綏服(すいふく)・要服・荒服。(2)中国で、喪に服す期間によって分けた五等の喪服。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。と三年喪に伏すのである。

遣興五首其四 杜甫 <249>遣興22首の⑱番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1196 杜甫特集700- 363

遣興五首其四 杜甫 <249>遣興22首の⑱番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1196 杜甫特集700- 363


(権力者、富貴者の一時の暴威も、忽ち猛虎の縛につけられ敷物になるが、それより悲惨な末路であることをいう。)
其四
猛虎憑其威,往往遭急縛。
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。

猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。


現代語訳と訳註
(本文)其四

猛虎憑其威,往往遭急縛。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
人有甚於斯,足以勸元惡。


(下し文)
猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。


(現代語訳)
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。


(訳注)
其四
猛虎憑其威,往往遭急縛。

獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
 よる。○急縛 にわかにしばること。


雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
雷吼 雷のごとくほえる。○咆哮 はえたてる。○枝撐  枝で組み合わせた折をつくること。木の根を組み合わせた足枷をいう、撐は材木をくみあわせること。杜甫『同諸公登慈恩寺墖』(慈恩寺の塔に登る」「方知象教力,足可追冥搜。仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。」(方に知る象教の力 冥捜を追うべきに足るを。仰いで穿つ竜蛇の窟 始めて甘づ枝撐の幽なるを。)つかえ柱、枝撐はつかえ柱をくむことで、ここでは道路の橋の骨組みの意味である。。


忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
皮寝処 『左伝、㐮公二十一年』「臣食其肉、而寝処其皮。」(臣は其の肉を食いて、而して其の皮に寝処す」とあるのに本づく、寝処はねおきする。起臥すること、その上にねたり、すわったりすること。○ ひとみ。○閃爍 きらめきかがやく。


人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。
 猛虎の場合をさす。○ 勧善懲悪をいう。楊貴妃一族が、安禄山が、富豪がその財力、権力で好き勝手なこと、極悪な事はかならず猛虎なら敷物になって役立つが人の場合には凄惨な、悲惨な末路を迎えるものであり、大悪を「勧」と勧めるということで、意味を強調している。○元悪 大悪。惡が栄えてためしがないということに基づく。

遣興五首其三 杜甫 <248>遣興22首の⑰番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1193 杜甫特集700- 362

遣興五首其三 杜甫 <248>遣興22首の⑰番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1193 杜甫特集700- 362

(寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。)


其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二   (長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。)  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


其三   
(寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。) 漆有用而割,膏以明自煎;
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。

其四    ⑱
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    ⑲
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


現代語訳と訳註
(本文)其三
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。


(下し文)
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。


(現代語訳)
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 


(訳注)
漆有用而割,膏以明自煎;

漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
漆有用而割,膏以明自煎 『荘子、人間世』に基づく。功用あるものは、その功用あることが身に禍してそこなわれるにいたることをいう。
「山木自寇也、膏火自煎也、桂可食故伐之、漆可用故割之、人皆知有用之用、而莫知无用之用也。山の木は自らに寇(あだ)なし、膏火(灯火)は自ら煎(に)ている。桂は食べられるが故に伐(き)られ、漆は役にたつが故に割(さ)かれる。人は皆、”有用之用”は知っているが、”无用之用”は知らない。この聯の意味をこれ以降の聯句で比喩している。
 ウルシ科のウルシノキ(漆の木;Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。塗料とし、漆工などに利用されるほか、接着剤としても利用される。・ 1 動物のあぶら。「膏血・膏油」 2 うまい食物。「膏梁(こうりょう)」 3 心臓の下の部分。「膏肓(こうこう)」 4 半練り状の薬。「膏薬/軟膏・絆創膏(ばんそうこう)」5 うるおす。めぐむ。「膏雨」6 地味が肥える。「膏沃(こうよく)」


蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
蘭、桂 蘭の花、桂の花はかんばしいが、風露にあうとかかる香のある草木もそこなわれる。


府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
府中 府は幕府組織、宰相の役所をいう。○羅 多くならぶこと。○旧尹 尹は京兆尹、都長安の市長、長官のこと、旧尹とは元京兆尹ということ、以前この尹をつとめた人たちをいう、唐の宰相は自分の親しい者を京兆尹に任命した。○沙道 砂を敷いた道路、宰相がとおるときには砂を敷くのでこのようにいう。○依然 もとどおりに。○桂折秋風前 玄宗皇帝と楊貴妃のことを言う。梧桐を追い出された鳳凰夫婦のこと。

赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
赫赫 威権のかがやくさま。○粛京兆 京兆尹粛炅(ケイ)。炅は宰相李林甫にとりいって京兆尹にとりたでられたが賄賂をうけたかどによって天宝八載に汝陰の太守に遷された。○ この詩を作った今の世をさす。〇時所憐 時は当代をさす、憐れむとは気のどくがられる、上の官を遷されたことをいう。
杜甫が、官を辞したのも粛宗による偏見と疎外政治を批判できるようになったということである。

遣興五首其二 杜甫 <247>遣興22首の⑯番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1190 杜甫特集700- 361

遣興五首其二 杜甫 <247>遣興22首の⑯番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1190 杜甫特集700- 361

其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

 朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。

其三    
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

其四    ⑱
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    ⑲
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。

長安の近郊は五陵

現代語訳と訳註
(本文) 其二
長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。


(下し文)
長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


(現代語訳)
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。


(訳注)
其二
長陵銳頭兒,出獵待明發。

長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
銳頭兒 貴公子の特徴として頭にちょこんと小さな帽子をかぶっていること。・ 野生の鳥や獣をとること。猟(りよう)。狩猟。・明發夕方から明け方まで夜通し。
李白『少年行』      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
王維の「少年行四首」は漢時代を借りて四場面の劇構成になっている。
王維『少年行四首』 其一   
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
杜甫『少年行』を一首と二首の三首,作っている
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。


騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
騂弓 騂はあかうま。『詩経‧小雅‧角弓』「騂騂角弓, 翩其反矣。」『毛傳』「騂騂, 調利也・金爪鏑」・相続争いをすること。貴族はその血筋だけ重要なものとされていたため、醜い争いをそれぞれの門閥できそう。その争いのカヤの外の貴公子たちは遊侠の徒となっていた。
【かぶら】とは。意味や解説。1 矢の先と鏃(やじり)との間につけて、射たときに鳴るように仕掛けた卵形の装置。角・木・竹の根などを用い、内部を空洞にして「目」とよぶ窓をあける。2 「鏑矢」の略。


未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
馳逐(ちちく) 競い馬のこと。


歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。
兩狼 競い馬をする二人の貴公子の横暴な振る舞いという意味と、もう一方で、住民は叛乱軍の残虐な行為を経験している。住民にとってはどちらもかかわりたくないオオカミのようなものだということ。・旌節 【せい】旗竿(はたざお)のさきに旄(ぼう)という旗飾りをつけ、これに鳥の羽などを垂らした旗。天子が士気を鼓舞するのに用いる。・ 人日、上巳、端午、七夕、重用など、五節句という。ここでは、富豪の家の権勢、威厳、などをあらわすこととして使う。


長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちつい】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。

長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。

遣興五首其一 杜甫 <246>遣興22首の⑮番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1187 杜甫特集700- 360

遣興五首其一 杜甫 <246>遣興22首の⑮番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1187 杜甫特集700- 360

やっと口にできるようになった富豪の者たちへの批判のシリーズ。

其一    
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

其二    
長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

其三    
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

其四    
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


「遣興五首」(    )について、『杜詩詳注』は「此詩梁権道編在乾元二年秦州詩内。今姑但之。(此の詩は梁権道編して乾元二年秦州の詩の内に在り。今姑く之に但る。)」と、乾元二年(七五九)秦州における作にひとまず編年している。
杜甫は、日ごろから、この富貴の者たちの言動が腹に据えかねていた。士官を目指しているときや、官僚の時には言えなかったことが、官を辞して初めて批判できるのである。この二十年の思いをぶっつけるのである。この五首それぞれの思いで、「北里・長陵・蕭京兆・元悪・富家葬」と、いきいきと述べている。このことで、作時を長安時代の作であろうと推測している説もあるが、わたしはやはり旧注の乾元二年とする。杜甫は、言えなかったことが初めて言えるようになった、官を辞して、秦州に来たからこそであり、腹に溜めていた「興」を吐き出すというもので、そう考えると全体が味わい深いものである。この「遣興」というシリーズの存在感はそこにあるというものだ。

其一(寒さの時になって富家の驕りのさまと貧窮のものをのべた詩である。)
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。



現代語訳と訳註
(本文)

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。

(下し文)
 朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。

(現代語訳)
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。


(訳注)
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。

冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
朔風 北からふく風。五行思想で朔・北・黒(玄)・冬をあらわす風がまだ秋なのに吹いてくる、季節の変わり目をあらわしている。○胡雁 北方異民族の地より飛び来る雁。この語も冬の到来を示すもの。『秋雨嘆三首、其三』
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?
秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88
惨澹 薄暗く物凄まじいさま。ものがなしいさま。心を悩ますさま。杜甫『送從弟亞赴河西判官』「踴躍常人情,慘澹苦士誌。」(踴躍するは常人の情なり、惨澹たるは苦士の志なり。)

送從弟亞赴河西判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184


 ともにもち来ること。○砂礫 すな、こいし。


長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
長林 背のたかい木の生えたはやし。○ しげるさま。


北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
北里 城の北方の地区。長安五陵(北里・長陵・蕭京兆・元悪・富家葬)の富貴・遊侠の者の住む地域のこと。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。○燻天 富を火焔にたとえていう、薫は火でくすべること。○高楼 富家のたかどの。


焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。
○南隣客 自己をさす。○絺綌 細い糸の葛のあさ、ふと糸のくずあさ。貧しい者が秋の終わりになっても葛布のひとえを着ていることを言う。


<解説>
 前半の四句は、秋が深まり北風が砂礫を巻き上げ、蕭蕭と林に吹き付ける中、冬がもうすぐというのに秋草がなお茂る九月の情景を描く。第五、六句は、そうした季節の訪れも意に介さず宴楽の限りを尽くす富貴な者たちのことをうたう。「九月猶絺綌」は、『杜詩詳注』に「見貧人衣服失寒暑之宜。」(貧人の衣服寒暑の宜しきを失ふを見す。)とあるように、貧しい者が秋の終わりになっても葛布のひとえを着ていることを言う。
 この作品は、富貴と貧賤の対立構造をめいかくにしており、ここでは両者の大きな隔たりが対比的に描かれたのは、杜甫が官を辞したからということであるからだ。北風の吹く陰暦九月になってもなお貧しい者の身につける葛布の単衣を着ている「南隣」の人々と「客」の杜甫との対比によってこの詩の表現視点が「南隣客」にあり、富貴の者を否定的に表している。「遣興」と題することに、単に憂さを晴らすというだけでなく杜甫自身「官を辞した」からこそできる表現であるということに注目されるのである。

朔風胡雁を諷す 惨澹として砂磯を帯ぶ
長林何ぞ粛粛たる 秋草妻として更に碧なり
北里富天を煮ず 高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客 九月に猶お締給なるを

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

759乾元二年秋在秦州作

遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強くす。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。

遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
此日千裡鳴,追風可君意。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。
君看渥窪種,態與駑駘異。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。

ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。

natsusora01

現代語訳と訳註
(本文)
⑭遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。


(下し文) ⑭興を遣る二首 其の二
地の用は馬の如く莫れ,良 無くして複た誰か記すや?
此の日 千裡の鳴,風を追う 君の意とす可し。
君 渥窪【あくわ】に種えるを看る,態【ことさら】 駑駘【どたい】の異を與う。
蹄嚙【ていし】の間を雜せず,逍遙【しょうよう】能く事する有り。


(現代語訳)
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。


(訳注) ⑭遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
 悪いものの喩。『楚辞、東方朔、七諫、怨世』「馬蘭踸踔而日加。」(馬蘭 踸踔【ちんたく】して 而して日に加う。)また、ののしる。


此日千裡鳴,追風可君意。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。


君看渥窪種,態與駑駘異。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
渥窪 潤いのある窪地。・態與 わざと・・・・する。1 意識して、また、意図的に何かをするさま。ことさら。故意に。わざわざ。2 とりわけ目立つさま。格別に。官を辞して秦州へ逃避したこの地が『渥窪』であるということ。李白、王維、岑参、高適らに言おうとしている。
駑駘【どたい】 [1]のろい馬。駄馬。[2]転じて、才能が劣っていること。また、その人。おろかもの。


不雜蹄嚙間,逍遙有能事。
ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。
蹄嚙 ひずめで蹴り、歯で噛むこと。有蹄(ゆうてい)類など主として草原をかける大型草食動物に発達する爪(つめ)が変形したもの。爪(そう)板(爪体)が筒状に発達して指の先端をとり囲み,爪掌が底面を構成,後方の肉指は角皮層が発達して丈夫な蹄甲となる。  ・逍遙 1.そこここをぶらぶらと歩くこと.散歩. 2.心を俗世間の外に遊ばせること.悠々自適して楽しむこと.

遣興二首其一 杜甫 <240>遣興22首の⑬番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1169 杜甫特集700- 354

遣興二首其一 杜甫 <240>遣興22首の⑬番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1169 杜甫特集700- 354


遣興詩特集
 遣興 756年 反乱軍拘束、長安で軟禁状態であったとき
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

遣興三首 758 乾元元年 房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ


我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!

昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

遣興三首 759乾元二年秋在秦州作 
下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
遣興三首 其一 <226>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
遣興三首 其二 <227>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
遣興三首 其三 <228>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331

1033.遣興五首 759乾元二年秋在秦州作
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。

遣興二首   759乾元二年秋在秦州作
天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。

地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。


遣興二首 其一  
天用莫如龍,有時系扶桑。
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
⑬興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強し。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。

遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。

遣興五首  759年乾元二年秋在秦州作

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。

浣花渓草堂 760年成都 ***********************
遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。衰疾那能久,應無見汝期。


21遣意二首    760
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊絕,幽居不用名。
22
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿雁聚圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。


現代語訳と訳註
(本文)
⑬遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。
頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。


(下し文) ⑬興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強し。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。


(現代語訳)
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。


(訳注) ⑬遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。

天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
 神のいる天上、空、天体、気候  天子。
 1 必要にこたえる働きのあること。役に立つこと。また、使い道。用途。「―をなさない」「―のなくなった子供服」2 なすべき仕事。用事。
扶桑【ふそう】中国伝説で東方海上にある島国(扶桑国とも)または巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。『山海経』「下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝」“東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇るという。 ”


頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
 1 いちずなさま。ひたすら。「―な態度」「―に思いを寄せる」 2 完全にその状態であるさま。「―に煙にだになし果ててむと思ほして」〈源・夕霧〉 3 向こう見ずなさま。また、強引で粗暴なさま。


性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
性命【せいめい】 1 生まれながら天から授かった性質と運命。2 いのち。生命。・苟存【こうそん】 かりそめの安楽を盗んで生きながらえる。『晉書‧、劉毅傳』「往年國難滔天, 故志竭愚忠, 靦然苟存。」 “
・苟 いやしくも まことに かりそめに。一時的。「苟安・苟且(こうしょ)」 [難読]苟且(かりそめ)


吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
真宰 真の主宰者。老荘思想で天をいう。天地の主宰者。造物者。『荘子、齊物論』分裂した魂を救い世の論争を統一しようと試みる論文で「若有眞宰、而特不得其眹。可行已信、而不見其形、有情而無形。」(真の主宰者がいるようであるが、その形跡は得られない。 はたらきの結果は確かであるが、そうさせたものの形は見えない。 実質はあるが、姿形はないのである。)
茫茫1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」 2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉 3 草・髪などが伸びて乱れている。

遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の⑫番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353

遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353



其一  
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。
(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


其二   
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
(其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。


其三   
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?

彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。
(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四   
賀公雅吳語,在位常清狂。
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
山陰一茅宇,江海日淒涼。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。
(其の四)
賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。


遣興 其五  
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
每望東南雲,令人幾悲吒。

何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
(其の五) 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる。


 孟浩然が官に就くことなく優れた詩を残して貧窮の中に世を去ったことを悼む詩である。杜甫は、「解悶十二首」其六で孟浩然について次のように詠う。
復憶襄陽孟浩然,清詩句句盡堪傳。
即今耆舊無新語,漫釣槎頭縮頸鯿。
復た憶ふ 襄陽の孟浩然、清詩 句句 尽く伝ふるに堪へたり。
即今 耆旧 新語無く、漫に釣る 槎頭 縮頸の鯿。

 つくづく思うのは、孟浩然の清新な詩句はことごとく後世に伝えられるものである、しかし、彼以後、襄陽の詩人達には新しく作られる佳句がないのであり、ただ漫然と万丈潭で釣り糸を垂れているまるで詩人を筏で繋いだようであり、首をちじめているおしき魚ではないか。

とつぶやいているのである。秦州での作、遣興詩⑫と比べると、孟浩然の文学を称えることは共通しているが、成都に来て以降の杜甫はその生活からも物事を客観的に見るようになっていて、孟浩然が布衣として世を去ったことと深い哀悼の表現が解悶詩には見られなくなっている。



遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
每望東南雲,令人幾悲吒。

(興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。


(下し文) (興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


(現代語訳)
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。


(訳注)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。

私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
短褐 短褐穿結ということ。貧しい人や卑しい人の着る衣服。貧者の粗末な姿の形容。・短褐は短い荒布でできた着物。・穿結は破れていたり、結び合わせてあったりすること。


賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
鮑謝 ここでは、鮑照と謝朓のことであるが孟浩然の詩は謝霊運の詩にかなり強く影響されている。儒者からの人物評価において、謝靈運に対する偏見が多く正当な評価がされていない。○顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。
・六朝からの山水詩人たちを凌駕したということ。


清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
舊魚 死んだ魚。・甘蔗【かんしゃ】サトウキビの別名。
・あれだけ、襄陽に在住し、実績を残した孟浩然の詩を受け継ぎ、越えて行こうというものがいないことをいう。


每望東南雲,令人幾悲吒。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
令人 よいひと。通常夫を亡くした妻ということであるが、ここでは孟浩然を亡くした詩人の仲間たちということ。
・杜甫が秦州に来たのは、長安、華州、洛陽、それ以東、乱れ、不安定な戦況から逃れ、詩人として生きていくことを決意したのである。



 杜甫の遣興詩は、当初、心にわき起こった様々な心情のうち、ことに愁の感情を詩によってはらうという作品であった。杜甫の「遣興」と題されたものを時系列に番号を付与したもので見ていく。特に連作の場合、その表現は共通する一定の枠組みを持っており、底辺に流れる感情や心情も同一のものであると考えられる。⑧~⑫については、詩人として生きていくことを決意した杜甫が心にとめる詩人のその詩の背景について評論しているものである。⑩の「遣興五首」其三「陶潜避俗翁」詩については、陶淵明批判の有無、自嘲の有無ということを中心にいくつかの解釈がなされているが、この連作のなかでそれぞれの詩の背景、共通の枠組みと底辺に流れる感情を措定し、枯楕を恨む陶淵明の中に自らとの同一性を見いだし、親近感を抱き、諧謔を含んだ表現を展開しているものとして理解することができる。「陶潜避俗翁」は、枯楕を恨む現在の自分の姿を改めて確認しているのであり、「賀公雅呉語」は、自らが手の届かない道士、黄冠の人であることを客観的に感じ、清狂なる官吏としての人生を表現し、「吾憐孟浩然」は、貧賤のなかで詩人として生き、幾ばくかの詩編を留めて世を去るであろう残された人生を自らの人生重ねている作品としてそれぞれ読むことができる。



遣興 756年 叛乱軍安禄山軍に拘束、長安で軟禁。
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151


遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!

昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。



遣興三首 759乾元二年秋在秦州作 ⑤
下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
遣興三首 其一 <226>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
遣興三首 其二 <227>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
遣興三首 其三 <228>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331



遣興五首 759乾元二年秋在秦州作 ⑧
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。



遣興二首   759乾元二年秋在秦州作⑬
天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。

地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。



遣興五首  759乾元二年秋在秦州作⑮
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


浣花渓草堂  *****760年**********************
⑳遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。衰疾那能久,應無見汝期。





21遣意二首    760
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊絕,幽居不用名。
22
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿雁聚圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。

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漫成二首-------------------------
野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。
只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。

江皋已仲春,花下複清晨。仰面貪看鳥,回頭錯應人。
讀書難字過,對酒滿壺頻。近識峨眉老,知予懶是真。

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の⑪番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352


其一  ⑧
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである

(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


其二  
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、

(其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。

其三  
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。

(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四  
賀公雅吳語,在位常清狂。
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
山陰一茅宇,江海日淒涼。

会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。


(其の四)

賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。


其五  
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
(其の五) 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文) 其の四
賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。


(下し文)
賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰一茅宇、江海日に凄涼たり。


(現代語訳)
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。


(訳注)
賀公雅吳語,在位常清狂。

賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
雅呉語 飲酒ではなく、いつも方言まるだしであったこと。・清狂 四明狂客と号し、個償不輯、おおらかで権力の争いに加わることがなかった。
李白『對酒憶賀監二首 其二』
狂客歸四明。 山陰道士迎。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。


上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
それ以上の出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
乞骸骨 主君に一身をささげて仕えた身だが、老いさらばえた骨だけは返していただきたいの意。辞職を願い出る。『晏子春秋』外篇「臣愚不能復治东阿,愿乞骸骨,避贤者之路」。・黃冠 道教指導者の發布巾。玄冠のこと。星冠、蓮花冠、五嶽冠、五老冠。


爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。


山陰一茅宇,江海日淒涼。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。
茅宇【ぼう‐う】茅ぶきの家。また、あばら屋。茅屋。



・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。〇台沼 高台や沼。

賀公、すなわち賀知章を追慕した作品である。賀知章は盛唐期の士人の代表ともいうべき人物であり、自ら四明狂客と号し、個償不輯、おおらかで権力の争いに加わることがなかった。その人柄は当時の多くの詩人達のあこがれであった。
杜甫『飲中八仙歌』
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。
宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。
*赤に示すのが八仙の人々。

*賀知章のページは回鄕偶書  盛唐の詩人たち を参考。


杜甫は「飲中八仙歌」の中で、「知章騎馬似乗船、眼花落井水底眠。(知章 馬に騎ること船に乗るに似、眼花さき 井に落ち 水底に眠る。)」と、その飲酒の様子を詠じている。しかし、「遣興五首」では飲酒ではなく、いつも方言まるだしであったこと(「雅呉語」)、官吏としてきままであったこと(「在位常清狂」)、官吏として老境にいたって致仕して帰郷したこと(「乞骸骨」「帰故郷」)、道士となったこと(「黄冠」)を挙げ、彼の人生を総括するように「爽気不可致」と詠じている。「爽気」は、賀知章の人柄、そして官吏として生きた人生をも概括することばであろう。
李白『送賀賓客帰越』 
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。


遣興五首其三 杜甫 <237>遣興22首の⑩番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1160 杜甫特集700- 351

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陶淵明に自らを重ねて心情を表出しているのか、さらに自嘲を陶淵明は世俗を避けた老人ではあるが、まだ隠者としての道を究めることができていないとし、その根拠として陶淵明は詩中において、いささか枯楕を恨んでいることを挙げ、さらに生を達観し、道を悟っていれば子供の賢愚など気にかけることはないはずである


遣興五首 其三  
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?

彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。


(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦た枯槁を恨む。
達生豈に是れ足らんや、黙識蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


現代語訳と訳註
(本文)
遣興五首 其三
陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?


(下し文) (其の三)
陶潜は避俗【ひぞく】の翁なるも、未だ必ずしも達道【たっとう】する能【あた】はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿【ここう】を恨む。
達生【たつせい】豈に是れ足らんや、黙識【もくしき】蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱【かいほう】に桂けんや。


(現代語訳)
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。


(訳注)
遣興五首 其三
陶潛避俗翁,未必能達道。

東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
達道《「たっとう」とも》古今東西を通じて一般に行われるべき道徳。君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の五つの道。達徳。「陶潜避俗翁」(⑩)においても、杜甫は陶淵明を「恨枯楕(枯楕を恨む)」人物であるととらえている。「恨枯楕」とは、『杜詩詳注』他、諸注の指摘するように、陶淵明の「飲酒二十首」其十一、「顔生称為仁、栄公言有道。屡空不獲年、長飢至於老。雖留身後名、一生亦枯楕。死去何所知、称心固為好。客養千金躯。臨化消其宝。裸葬何必悪。人当解意表。(顔生仁を為すと称せられ、栄公道有りと言はる。
屡空しくして年を獲ず、長く飢えて老に至る。身後の名を留むと雖も、一生亦た枯楕す。死し去れば何の知る所ぞ、心に称ふを固より好しと為す。千金の躯を客養し、化に臨みて其の宝を消す。裸葬何ぞ必ずしも悪しからん。人当に意表を解すベし。)」に「一生亦枯楕」とあるのに基づく。ここでは貧賤や飢寒に苦しみ、樵悴してやつれはてる意味であるが、杜甫は貧賤、飢寒によって樵悴した陶淵明をその作品のうちに見いだしたのである。陶淵明が決して悟りきった隠者ではなく、現在の目分と同じように社会との対峙において樵悴する人物であると理解した時、「無上の親しみ」を陶淵明に対して感じたことは容易に想定することができる。


觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
・枯槁 落ちぶれて衰えた人のこと。 ・「枯槁」は草木がしぼんで枯れること。転じて、人がやつれやせ衰える意に用いる。 『荘子』徐無鬼(じょむき)「枯槁の士となる」など。


達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
達生 荘子、達生(自己を棄てようと思う者、 世を棄てられなくて「天と一為る」ことができるものか。・默識 口に出さずに心中に会得すること。 


有子賢與愚,何其掛懷抱?
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。
儒者、隠者として、官を辞したのではなく、仕官していても、隠遁しても生活に変わりがなかったということで、杜甫が陶淵明に借りて自らを詠ったというより、決して『高士』陶ではない淵明の低俗性をいっているのである。
杜甫自身が、陶淵明と相似た境遇におかれたことが両者の距離をちぢめ、彼が淵明の作品に、自己の影を発見したであろうことは否定できない。それだけ彼は、陶淵明と重なりあう自己を感じ、陶淵明に無上の親しみと、時には反撥をも示している。」と述べ、杜甫が陶淵明の作品に自らと共通する部分を見いだし、親しみと時には反発を示すという分析を加えている。
陶淵明 .『責子』
白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350
(興を遣る五首 其の二)


遣興五首其二(龐徳公の事を叙して、暗に自己の志す所もまた彼と同じであることをしめした。)
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。


(興を遣る五首 其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。



現代語訳と訳註
(本文)
遣興五首其二
昔者龐德公,未曾入州府。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

(下し文) (興を遣る五首 其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。


(現代語訳)
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、

だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。
嚢陽一帯00

(訳注)
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
龐徳公【ほうとくこう】生年不詳~没年不詳、襄陽の名士であり、人物鑑定の大家。「徳公」は字で、名は不詳。子に龐山民、孫に龐渙、従子に龐統がいる。東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。
 

襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
襄陽 湖北省襄陽府。○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書 故老。○処士 官に出で仕えぬ人。○節 節操。


豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
済時策 時世の艱難をすくうはかりごと。○網罟 ともにあみのこと、罪禍の拘束にたとえる。


林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
鳥、魚 生物が本性を遂げようとするさまをいう、龐德公も世俗のことにかかわりたくないというのである。


舉家隱鹿門,劉表焉得取。
だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。
挙家一家みんな。○鹿門 嚢陽にある山の名。○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(25~56年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。○劉表 刑州刺史、その時代この地方の長官、事は上にみえる。 


昔者威徳公 未だ曾て州府に入らず
嚢陽膏旧の間 処士節独り苦しむ
豊に時を済うの策なからんや 終に寛に羅署を茂る
林茂れば鳥帰する有り 水深ければ魚衆まるを知る
家を挙って鹿門に隠る 劉表焉んぞ取ることを得ん




遣興
驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。

杜甫 『遣興』 五言排律 757年46歳 長安。



孟浩然 『登鹿門山懐古』 


孟浩然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをし、季節の訪れも気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠然と自然にとけ入った世界が歌われている。
「ぬくぬく春の眠りを貪っている」のは、宮仕えの生活を拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている入物であり、詩人にとってあこがれの生活である。立身出世とは全く縁のない世界、悠然たる『高士』の世界である。


遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349

遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349
(興を遣る五首 其の一)

遣興五首(詩の背景、人生のこと、好機と運命、を述べたシリーズ。)
其一  
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、軍師の諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。


其一
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。

其二
昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。

其三
陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四
賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。

其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文) 其一

蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。
又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。


(下し文) (其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


(現代語訳)
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。


(訳注)
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。

冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
蟄竜 穴ごもりの竜。〇三冬 冬三か月。〇万里心 万里の大空を飛ぼうと欲する心、二句は自己をたとえていう。


昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
賢俊 かしこくすぐれた人。○未遇 よい時運にであわなかったとき。○視今 自己が現今の時をみること、現今の時はやはり賢人は不遇の地位に居る。


嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
嵇康 嵆 康(けい こう、224年 - 262年あるいは263年)は、中国三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、その主導的な人物の一人。字は叔夜。非凡な才能と風采を持ち、日頃から妄りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、鍛鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭した。気心の知れた少数の人々と、清談と呼ばれる哲学論議を交わし名利を求めず、友人の山濤が自分の後任に、嵆康を吏部郎に推薦した時には、「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて彼との絶交を申し渡し、それまで通りの生活を送った。嵆康の親友であった呂安は、兄の呂巽が自分の妻と私通した事が原因で諍いを起こし、兄を告発しようとしたところ、身の危険を感じた呂巽によって先に親不孝の罪で訴えられた。この時嵆康は呂安を弁護しようとしたが、鍾会は以前から嵆康に怨恨があり、この機会に嵆康と呂安の言動を風俗を乱す行いだと司馬昭に讒言した。このため嵆康と呂安は死罪となった。
  阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩   幽憤詩 嵆康 訳注篇
不得死 善死を得ぬこと。人生を全うできなかった。○孔明 諸葛 亮(しょかつ りょう)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。劉備が諸葛亮をむかえるに三顧の礼で迎えたのも有名。若いころ、諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然○知音 知己。自分の琴の演奏の良さを理解していくれる親友のこと。伯牙は琴を能くしたが、鍾子期はその琴の音によって、伯牙の心を見抜いたという。転じて自分を理解してくれる知人。 孟浩然孟浩然『留別王侍御維』「寂寂竟何待,朝朝空自歸。欲尋芳草去,惜與故人違。當路誰相假,知音世所稀。祗應守索寞,還掩故園扉。」


又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
隴坻松 秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約2000mの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしくその坂道を隴坻という。坻はなきさ、 きざはし、 さか、 には、 とまる、 なぎさ、 にわ。隴坻は陳坂、甘粛地方の大坂である、坂を隴坻。杜甫がこの坂を超えて秦州に入るのに7日間要した。○用舎 用いるとすておくと。○在所尋 その材をたずねるところの人如何に存する。


大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。
霜雪幹 霜雪を犯して立つ松のみき。


其一
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#3> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1151 杜甫特集700- 348

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#3> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1151 杜甫特集700- 348
(台州の鄭十八司戶虔を懷う有り)


秦州に来てある日、儒者である鄭虔を懐かしく思い出した。杜甫30代後半長安で就職活動をしているときこの鄭虔には人からならぬお世話になっている。当時、廣文館博士であった鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。杜甫、五言律詩篇『陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 』から『十首』に心安らぐ様子をあらわしている。
 また鄭虔は房琯に連座して台州の書記官に左遷された様子を杜甫、七言律詩『送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 』「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」(鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。)とあらわしていた。

有懷台州鄭十八司戶虔
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
性命由他人,悲辛但狂顧。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
呼號傍孤城,歲月誰與度?
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
從來禦魑魅,多為才名誤。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。

それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
黃帽映青袍,非供折腰具。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
平生一杯酒,見我故人遇。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
相望無所成,乾坤莽回互。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


(台州の鄭十八司戶虔を懷う有り)
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。


山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫子 阮流に嵇し,更に時に俗惡を被う。


海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。


(下し文)
海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


(現代語訳)
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


(訳注) #3
海隅微小吏,眼暗發垂素。

先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
發垂素 發は髪の毛。垂は老年の力のない髪が垂れてくること。素は白髪頭。


帽映青袍,非供折腰具。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
黃帽映青袍 黃青袍も身分の低いものが身に着けるもの。ここでは、隠遁生活のことをいっている。


平生一杯酒,見我故人遇。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
平生 隠遁生活での日常のことを言う。・故人 親しい友人。


相望無所成,乾坤莽回互。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。
乾坤 1 易(えき)の卦(け)の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。
 1 草。草むら。「草莽」 2 草深いさま。

有懷台州鄭十八司
(台州の鄭十八司虔を懷う有り)  
天臺隔三江,風浪無晨暮。
鄭公縱得歸,老病不識路。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
性命由他人,悲辛但狂顧。
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。
(台州司で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。)
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
山鬼獨一,蝮蛇長如樹。
呼號傍孤城,
月誰與度?
從來禦魑魅,多為才名誤。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。
山鬼 獨り一し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,
月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫子 阮流に嵇し,更に時に俗惡を被う。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
海隅微小吏,眼暗發垂素。
黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。
相望無所成,乾坤莽回互。
海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯酒,我を見て故人に遇う。
相望するは成す所無く,乾坤は互に回り莽す。
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1148 杜甫特集700- 347

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1148 杜甫特集700- 347



秦州に来てある日、儒者である鄭虔を懐かしく思い出した。杜甫30代後半長安で就職活動をしているときこの鄭虔には人からならぬお世話になっている。当時、廣文館博士であった鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。杜甫、五言律詩篇『 陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 』から『十首』に心安らぐ様子をあらわしている

 また鄭虔は房琯に連座して台州の書記官に左遷された様子を杜甫、七言律詩送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 』「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」(鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。)とあらわしていた。



有懷台州鄭十八司戶虔
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
性命由他人,悲辛但狂顧。

その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
呼號傍孤城,歲月誰與度?
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
從來禦魑魅,多為才名誤。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。

それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。



台州の鄭十八司戶虔を懷う有り
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。

山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫れ子は 嵇阮の流にし,更に時に俗惡を被う。

海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
呼號傍孤城,歲月誰與度?
從來禦魑魅,多為才名誤。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。


(下し文)
山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫れ子は 嵇阮の流にし,更に時に俗惡を被う。


(現代語訳)
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。


(訳注) #2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
山鬼 山中の怪物。大型のヒヒの類をいう。・蝮蛇 マムシとサソリ、転じて凶悪なものの喩え。


呼號傍孤城,歲月誰與度?
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。


從來禦魑魅,多為才名誤。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
魑魅 山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物のことと言われている。顔は人間、体は獣の姿をしていて、人を迷わせる。


夫子嵇阮流,更被時俗惡。
それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
嵇阮 嵇康と阮籍
嵆 康(けい こう、224年 - 262年あるいは263年)は、中国三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、その主導的な人物の一人。字は叔夜。非凡な才能と風采を持ち、日頃から妄りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、鍛鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭した。気心の知れた少数の人々と、清談と呼ばれる哲学論議を交わし名利を求めず、友人の山濤が自分の後任に、嵆康を吏部郎に推薦した時には、「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて彼との絶交を申し渡し、それまで通りの生活を送った。ただし死の直前に、息子の嵆紹を山濤に託しているように、この絶交書は文字通りのものではなく、自らの生き方を表明するために書かれたものである。
阮 籍(げん せき、210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、陳留尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸(げんかん)も竹林の七賢の一人である。子は阮渾、兄は阮煕をもつ。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行い、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。
俗惡 風俗がわるい。劣悪なこと。

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346



秦州に来てある日、儒者である鄭虔を懐かしく思い出した。杜甫30代後半長安で就職活動をしているときこの鄭虔には人からならぬお世話になっている。当時、廣文館博士であった鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。杜甫、五言律詩篇『 陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 』から『十首』に心安らぐ様子をあらわしている

 また鄭虔は房琯に連座して台州の書記官に左遷された様子を杜甫、七言律詩送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 』「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」(鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。)とあらわしていた。


有懷台州鄭十八司戶虔
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
性命由他人,悲辛但狂顧。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。呼號傍孤城,歲月誰與度?
從來禦魑魅,多為才名誤。夫子嵇阮流,更被時俗惡。
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。


台州の鄭十八司戶虔を懷う有り
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。

山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫れ子は 嵇阮の流にし,更に時に俗惡を被う。

海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


現代語訳と訳註
(本文)

有懷台州鄭十八司戶虔
天臺隔三江,風浪無晨暮。
鄭公縱得歸,老病不識路。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
性命由他人,悲辛但狂顧。


(下し文)
台州の鄭十八司戶虔を懷う有り
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。


(現代語訳)
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。


(訳注)
有懷台州鄭十八司戶虔

台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
台州 浙江省の東部、東シナ海に面する。寧波市、紹興市、金華市、麗水市、温州市に接する。西漢の始元二年(前85年)回浦県が置かれる。唐の武徳四年(621年)に海州となり、翌年に台州と改称される。
758年鄭虔が台州の司戸参軍に貶められてゆくのを送る詩である。鄭虔が老境になって安史軍に陥るに至った次第をきのどくに思い、自分はじかに面会して別れを告げることをしないのだ、自分の心持はこの詩のなかにあらわしているということとしてこの詩を作る。
送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!


天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
天臺 三大河川を超えて更に銭塘江を渡り天台に入り、それより南東に進んで台州があるという意味である。・三江 中國三大河川のこと。黄河・淮河・長江をいう。


鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。


昔如水上鷗,今如罝中兔
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
罝中兔 罝は兔取りの網。網にかかった兔をいうが、左遷された鄭虔を兔に喩えたもの。詩経には多く出て來る用語である。詩経、周南三章、『兔罝』「肅肅兔罝、椓之丁丁。赳赳武夫、公侯干城。 肅肅兔罝、施于中逵。赳赳武夫、公侯好仇。 肅肅兔罝、施于中林。赳赳武夫、公侯腹心。」とみえる。詩経では、文王が賢人を低い身分から取り立てて自由に登用したことを詠っている。ここでは有能な賢人がそのまま網の中にいるだけであると杜甫が言っているのである。


性命由他人,悲辛但狂顧。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
狂顧 あわてて振り返る。楚辞、九章、『抽思』「長瀬淵流沂江潭兮、狂顧南行、聊以娯心兮。」(長瀬 淵流 江潭に沂り、狂顧 南行して、聊か以って心を娯しましむ。)



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天末懷李白 杜甫 <233> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345

天末懷李白 杜甫 <233> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345
(天末にて李白を懐う)
秦州の天涯に居て李白のことを憤って作った詩。乾元二年秦州での作。


天末懷李白
天涯の天水において李白を懐かしく思う
涼風起天末,君子意如何?
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか。
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
文章憎命達,魑魅喜人過。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。


(天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


現代語訳と訳註
(本文) 天末懷李白
涼風起天末,君子意如何?
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
文章憎命達,魑魅喜人過。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。


(下し文) (天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


(現代語訳)
天涯の天水において李白を懐かしく思う
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。


(訳注) 天末懷李白
天涯の天水において李白を懐かしく思う。
天末 天水、天のはて天涯。杜甫は天涯にいるし、。李白は南に果てに隔たっている。故に作者自己の居処秦州をさして天のはてという。ここではもうひとつの意味として、李白がこのとき流刑の地である夜郎をさしているともいえる。


涼風起天末,君子意如何?
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか
君子 徳のある人、ここでは李白をさす。


鴻雁幾時到,江湖秋水多。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
鴻雁 おおとり、かり、李白からのでがみをさす。漢の武将蘇武は、匈奴にとらわれていたが、匈奴はそれを隠しすでに死んだと伝えた。漢の使者が、武帝の射た雁の足に蘇武の手紙が結ばれていたから生きているはずだと鎌をかけると、匈奴の単于はやむなく認めて蘇武を釈放した(『漢書』蘇武伝)。その故事から「雁」は手紙を届けてくれる鳥。○幾時いつ。○ 杜甫の方へ到著する。○江湖 江や湖のある地、南方李白の居るところをさす。○秋水多 多は水量の多いことをいうのではなく、水面の多種なことをいう。しかし、この年、秋の長雨による増水があり、むしろ水の減ずる秋なのに増水を心配している。当時の交通機関はおおくはふねでのいどうであったからである。この詩が759年秋に書かれたもの、杜甫に李白の消息が伝えられていないということがわかる。


文章憎命達,魑魅喜人過。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
憎命達 命達とは運命が順調に開けていくこと、文章力、表現力の長じている人はかえって逆境に居ることで良い文章になるものなのでで、其の人の運命が開けると文章の神は憎むのである。文章の評価と生活が比例して向上することがないこと言う。杜甫も、李白も詩文章力の向上に伴って、生活が苦しくなっていったことからこうした考えをするようになった。○魑魅 冤鬼。山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物のことと言われている。顔は人間、体は獣の姿をしていて、人を迷わせる。○善人過 鬼は人がとおればそれをつかまえて食べる。


應共冤魂語,投詩贈汨羅。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。
 旧解は次の句までかけるが予は上旬のみにかけてみる。○寛魂 屈原の魂、屈原は楚の嚢王に斥けられ遂に洞羅の淵に身を投げて死んだ。○ 白がはなしをする。○投詩 作者が投ずる。後楚は秦によって滅ぼされ、屈原の諫言の正しさを知った人々は、汨羅に眠る屈原の霊を慰める為に、毎年5月5日、粽を作って汨羅の淵に投げ入れるようになったという。このことに基づいている。○贈 漢の賈誼は左遷されて長抄に至り「弔屈賦」を作って屈原を弔った故事に基づく。李白も屈原と同じで無実の罪であるということをいったものである。○汨羅 湖南省長沙市の北にある淵の名。


天末懷李白
涼風起天末,君子意如何?
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
文章憎命達,魑魅喜人過。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。

(天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#4> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1139 杜甫特集700- 344

寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#4> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1139 杜甫特集700- 344


此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。


寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』

#3
才高心不展,道屈善無鄰。
君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
君が流されたところは五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。

#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?
漢の蘇武は匈奴へ19年間降服せず漢へ帰還した、秦の夏黄公は秦に事えず四皓として商山にかくれていた、君の潔白忠誠な心は蘇武だ、夏黄公なのだ。
楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
穆生は楚王戊の醴を辞退した、雛陽は獄中から梁の孝王を諌める書を上奏した、君は穆生であり、雛陽なのだ、だから永王璘の無法な好遇をうけたり、謀反に加わったりしたのではないのだ。
已用當時法,誰將此議陳?
それにもかかわらず君は当時の刑法を施行されて流刑にされたのだが、誰か君がそんな男ではないという意見を陳べたてくれる者はいないのであろうか。
老吟秋月下,病起暮江濱。
君は年老いて秋月の下で詩を吟じているだろう、君は夕ぐれの長江のほとりで宿していて病みあがりのすがたをしているだろう。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』
君は君自身昔の栄華時代に比べてこんな僻地に居て天子の恩沢の波と隔てたところにいるということなどと不思議がることがないようにしてくれ!。わたしは故事にあるように君のために桴に乗って天の川へ行きそこで渡場を尋ねて天帝の所へ行き、君の無実を訴えてやろうと思っている。』


#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。
#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』
#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』



現代語訳と訳註
(本文)
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?
楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?
老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』


(下し文) #4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


(現代語訳) #4
漢の蘇武は匈奴へ19年間降服せず漢へ帰還した、秦の夏黄公は秦に事えず四皓として商山にかくれていた、君の潔白忠誠な心は蘇武だ、夏黄公なのだ。
穆生は楚王戊の醴を辞退した、雛陽は獄中から梁の孝王を諌める書を上奏した、君は穆生であり、雛陽なのだ、だから永王璘の無法な好遇をうけたり、謀反に加わったりしたのではないのだ。
それにもかかわらず君は当時の刑法を施行されて流刑にされたのだが、誰か君がそんな男ではないという意見を陳べたてくれる者はいないのであろうか。
君は年老いて秋月の下で詩を吟じているだろう、君は夕ぐれの長江のほとりで宿していて病みあがりのすがたをしているだろう。
君は君自身昔の栄華時代に比べてこんな僻地に居て天子の恩沢の波と隔てたところにいるということなどと不思議がることがないようにしてくれ!。わたしは故事にあるように君のために桴に乗って天の川へ行きそこで渡場を尋ねて天帝の所へ行き、君の無実を訴えてやろうと思っている。』


(訳注) #4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?

漢の蘇武は匈奴へ19年間降服せず漢へ帰還した、秦の夏黄公は秦に事えず四皓として商山にかくれていた、君の潔白忠誠な心は蘇武だ、夏黄公なのだ。
蘇武元還漢 漢の蘇武は匈奴に使いして十九年間囚われ匈奴に屈服傾降しなかったが、その後漢に還った。李白の性格が蘇武に似ていてけっして謀反を起こしたのではない。漢の武将蘇武は、匈奴にとらわれていたが、匈奴はそれを隠しすでに死んだと伝えた。漢の使者が、武帝の射た雁の足に蘇武の手紙が結ばれていたから生きているはずだと鎌をかけると、匈奴の単于はやむなく認めて蘇武を釈放した(『漢書』蘇武伝)。その故事から「雁」は手紙を届けてくれる鳥。杜甫喜聞官軍己臨賊寇二十韻』、『送楊六判官使西蕃』、『遣興』 李商隠『春雨』、『茂陵』。○黄公豈事秦 黄公は夏黄公、商山の四皓の一人、秦末の乱を避けて出なかった、李白が永王燐の敷革に従わなかったのは黄公が秦につかえなかったのと似ている。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その「紫芝曲」歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。東洋画の画題として描かれた。杜甫『題李尊師松樹障子歌』、『洗兵行』、 『收京三首 其二』、『喜晴』、『昔遊』、李白『贈從弟南平太守之遙二首』、『重憶


楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
穆生は楚王戊の醴を辞退した、雛陽は獄中から梁の孝王を諌める書を上奏した、君は穆生であり、雛陽なのだ、だから永王璘の無法な好遇をうけたり、謀反に加わったりしたのではないのだ。
楚筵辭醴日 漢の穆生の故事、楚の元王は穆生のために醴を設けたが、王の孫の戊の時にいたって醴を設けることを忘れたため穆生はついに去った。此の句は穆生が自発的に醴を辞したということであるが、ここでは李白は永王璘の偽官を受けなかったとの意に用いたものである。杜甫『贈特進汝陽王二十韻』○梁獄上書辰 漢の雛陽が梁の孝王の為めに獄に下さされたとき、獄中より書をたてまつって彼を諌めた、ここでは李白が雛陽のごとく永王璘の悪事をいさめたことをいう。
 

已用當時法,誰將此議陳?
それにもかかわらず君は当時の刑法を施行されて流刑にされたのだが、誰か君がそんな男ではないという意見を陳べたてくれる者はいないのであろうか。
当時法 当時法とはその時の刑法をいう、至徳元年永王璘の軍が丹陽に敗れ、李白は宿松に逃げたが、掴まり潯陽の獄に繋がれ、明年乾元二載宋若思によって囚を釈かれその参謀にめされた、刑をおかしたことをいう。○此議 この詩の楚筵~梁獄二句の事実、李白は永王璘に組する者ではないとの意見をいう。


老吟秋月下,病起暮江濱。
君は年老いて秋月の下で詩を吟じているだろう、君は夕ぐれの長江のほとりで宿していて病みあがりのすがたをしているだろう。
○老吟 李白のことをいう、李白は759年乾元二年には六十一歳である。○秋月下 この詩が秋作られたことを知る。○暮江浜 江は長江、辟仲邕の「李白年譜」をみると、李白は一度、獄より出されたが、758年乾元元年永王璘に事をなしたとされたのに坐せられて夜郎に流されることとなり、759年乾元二年に途中で恩命によって白帝山で放還され、同年三月には瞿塘峡を下り、漢陽で酒癖にかかり、江夏の地に居てさらに下江した、


莫怪恩波隔,乘槎與問津。』
君は君自身昔の栄華時代に比べてこんな僻地に居て天子の恩沢の波と隔てたところにいるということなどと不思議がることがないようにしてくれ!。わたしは故事にあるように君のために桴に乗って天の川へ行きそこで渡場を尋ねて天帝の所へ行き、君の無実を訴えてやろうと思っている。』
○莫怪 白に向かっていう。○恩波隔 天子の恩沢の波からとおくはなれている。○乘槎與問津 作者の希望をのべる。むかし海辺に一人の男がすんでいた、毎年八月になると桴がやって来たが、その人はこれに乗ってついに天の河に至ったという。事は張華の「博物志」にみえる。桴に乗ってあまの河に至りその津ばを問いたいといっているのである、杜詩は其の用語を借りているけれども意は同じくない、杜は天上に至って天の河のわたりばをたずね、李白のためにその無実を訴えたいといっているのである。
「与」は俗用で「為めに」と同じ。


寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
#2
白日來深殿,青雲滿後塵。乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
#3
才高心不展,道屈善無鄰。處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』


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此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。


寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』

#3
才高心不展,道屈善無鄰。
君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
君が流されたところが五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。

君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。

#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。
#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』
#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。

#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#3
才高心不展,道屈善無鄰。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。


(下し文) #3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。


(現代語訳)
君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
君が流されたところは五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。


(訳注)#3
才高心不展,道屈善無鄰。

君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
道屈 道の行われぬことをいう、此の句は自ずからいう。○善無隣 善道を行いながら隣をなすものがない、『論語里仁』「徳不孤、必有隣徳」(徳は孤ならず、必ず隣りあり)の反対。徳のある者は孤立することがない。必ず共鳴する人が現れるものである。 


處士隬衡俊。諸生原憲貧。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
処士隬衡俊 李白をいう、処士は在野の士、禰衝は後漢末の文学者。後漢の禰衡は文才があったが、曹操は彼を穀そうと思い、黄祖が性急であることを知って祖のもとに赴かせたところ、祖はついに彼を殺した。○諸生原憲貧 自ずからいう、原憲の貧とは。道にそむかぬ生活を楽しみ、貧乏を苦にしないこと。清貧。儒教者の道。


稻粱求未足,薏苡謗何頻?
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
稲梁求未足 此の句は自ずからいう、生活に足るだけの食糧がない。○薏苡謗何頻? 薏苡仁(ヨクイニン)は、イネ科ジュズダマ属種ハトムギの種皮を除いた種子。後漢の馬援が交址を征し、薏苡仁の種を載せて帰った、人はこれを謗って、人から賄賂にもらった明珠大貝をもちきたったという、李白が讒せられるのはこれに似ている。


五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
君が流されたところが五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
五嶺 五嶺山脈は広東の北部において東西に走っている山脈で、大庾・始安・臨賀・桂陽・掲陽のこと、李白がは流された夜郎は貴州省遵義府桐梓県西二十里(11.5km)の地である。ここで当時の流刑は、五聯山脈を越えることがほとんどであった。杜甫に正確な情報がもたらされていなかったということ。〇三危 山名、甘粛省安西州敦煌県東南二十里(11.5km)にあり、山には三峰があるので三危という、むかし舜は三苗の種族を三危に竄(投棄すること)した故事、三苗は江水(長江)と淮水(淮河)に在り、荊州で数々の乱を起した。舜が帰還して帝堯に(各々の責任を取らせ)共工を幽陵に流刑、驩兜を崇山に放逐、三苗を三危に遷す、鯀を羽山に閉じ込めることを請うた。李白の夜郎に流されるのはそれと似ている。


幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。
幾年遭鵩鳥 幾年とはいくぱく年を経は、やがての意、漢の賈誼が長沙に謫せられ三年にして鵩が飛んで合に入った、誼は傷んで「鵩賦」を作った。賈誼(前200年-前168年),西漢洛陽(今河南省洛陽市)人。由於當過長沙王太傅,故世稱賈太傅、賈生、賈長沙。漢朝著名的思想家、文學家。賈誼(賈生) 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した○独泣向麒麟 麒麟に向かって独りで泣く、「春秋」(哀公十四年)に「西に狩して麟を獲たり」といい、「公羊伝」にはそのとき孔子は「訣を反し面を拭い、涕の袍を沾して日く、吾が道窮せりと」といったと記している、李白もその道の窮まったことをなげいて泣くのである。

賈生 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64


寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1133 杜甫特集700- 342

寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1133 杜甫特集700- 342



此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。



寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』

#3
才高心不展,道屈善無鄰。處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。
#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』

#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』


(下し文) #2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』


(現代語訳)
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』


(訳注)#2
白日來深殿,青雲滿後塵。

君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
白日 昼日中。昼中。○来深殿 白は奥ふかい宮殿までやってくる。○青雲 白の居る高い地位をさす。〇滿後塵 白の事後の塵を拝するもの、即ち李白に追随する文士が多くあること。


乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
乞帰 日が故郷にかえりたいということを玄宗にこう。高力士の讒言によったものである。○遇我 我とは作者みずからいう、杜甫が李白に遇ったのは、白の乞帰後のこと、天宝三載のことである。○夙心 平生からもっていた心。


未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
幽棲志 山林生活の念。○寵辱身 「老子」(十三章)に「寵辱は驚くが若し」とある、人は君寵をうけて栄えるときがあり、またそれを失って辱められるときがある、故にこれをいましめねばならぬことをいう、白は早く退いた故に辱にあうことが少ない。


劇談憐野逸。嗜酒見天真
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
劇談 はげしくものがたる。○憐野通 李白が杜甫らの在野におかれた不遇をあわれむこと、野逸は田野に退居することである。 ○見天真 杜甫が李白の天真なことを見ること。


醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』
 ○酔舞二句 李杜共同の以下の詩に詠われた頃のしわざである。○梁園 漢の時、梁の孝王がつくったもの、河南省帰徳府城東にあるという。・泗水 山東省兗州府にあり、杜甫が李白・高適と梁宋に遊んだのは744年天宝三載のことである、李・杜が魯斉の地方にあったのは明年四載のことである。李白44歳、杜甫33歳であった。

遣懐(昔我遊宋中) 杜甫 15

贈李白 杜甫16(李白と旅する)

贈李白 杜甫17 (李白と旅する)

昔遊 杜甫19(李白と旅する)

陪李北海宴歴下亭 杜甫 20

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

與李十二白同尋范十隱居 李白を詠う(5

春日憶李白 杜甫25

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白 杜甫

飲中八仙歌 杜甫28


寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1130 杜甫特集700- 341

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(李十二白に寄す 二十韻)



永王璘は、玄宗の第十六子である。母が早く亡くなったので、粛宗が養育した。安禄山が反すると、玄宗は蜀に逃避するが、途中で、荊州大都督たる璘を山南・江西・嶺南・黔中の四道の節度使に任命して、ようし長江中流以下一帯の防衛を命じた。命を受けて璘は江陵に赴き、将士数万人を募った。そして、長江を下り、江南地方をねらった。粛宗はこれを見て、天下の実権をとり、帝位を奪取するのではないかと危惧して、璘に蜀の玄宗の下に行くよう命じた。璘は命を聞かず、舟師を率いて長江を下り、抵抗する者を破って金陵を取り、広陵に向かおうとしたため、江准地方は著しく動揺を来たすことになった。

李白は、永王璘から再三要請されたため結局応じたが、むろん安禄山に対する憤激の念と王室の回復のためであって、璘の心中など知る由もない。璘は賊軍討伐を旗じるしにしているので、李白ならずとも、この一帯の人々は疑う者なく、むしろ応援して幕下にはせ参ずる者が多かった。

李白は、後年、永王璘の幕府に参加したことを、「半夜に水軍来たり、尋陽(九江)は旗旅に満つ。空名のため適たま自からを誤り、迫脅されて楼船に上せらる。徒らに五百金を賜わり、之を棄つること浮煙の如し。官を辞し賞を受けざるに、翻って夜郎の天に謫せらる」(「乱離を経て、天恩にて夜郎に流さる。旧遊を憶い懐いを害して、江夏の毒太守良宰に贈る」)というが、脅迫されて水軍に連れ去られたとは、永王璘の強い要請を、あとからの反省でそう思ったので、当時は李白も積極的に出たものであろう。

永王璘の幕下に入ったのは、756年至徳元年十二月のことである。幕下に入ってからの李白の行動は明らかではないが、翌至徳二年に作った「永王東巡歌」十一首を見ると、水軍に従って東に向かったようでもある。そして、水軍に従ったことを喜んでおり、賊軍を一掃して、長安の都に入りたいと望んでいる。「東巡歌」全体を通じて璘を疑うことなく、挙兵を美挙として賛美している。この歌によると、至徳二年正月、永王の楼船は大江を下り、武昌を過ぎ、尋陽を過ぎ、金陵に着く。さらに丹陽(丹徒)から太湖辺まで行って揚州に泊まる。「戦艦は森森んにして虎しき士を蘿ね、征く帆は一一に竜駒を押す」という威武ある水軍を率いて行った。そしてやがて、「南風一掃して胡塵静まり、西のかた長安に入りて日辺に到らん」ということになるであろうという。いずれは長安の都に入って天子に仕えることができるであろうと、希望に胸をふくらませている。以上「中國の詩人、李白」小尾郊一著。



此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。



寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
#3
才高心不展,道屈善無鄰。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?
楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?
老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。

#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』
#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)

寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

(下し文) #1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。


(現代語訳)
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。


(訳注)
寄李十二白 十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。

前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
狂客 賀知事をいう。太子賓客賀知事は四明の人、自ずから四明狂客と号する。

對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135

「重憶」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白136

送賀賓客帰越 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

送賀監歸四明應制 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白13

 汝、李白をさす。○謫仙人 罪によって天上より下界へ流しくだされた仙人、賀知章は紫極宮において李白を一見して謫仙人だと評したという。


筆落驚風雨,詩成泣鬼神。 
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
驚風雨 快速なことをいう。


聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
汩沒 水平に沈む。転じて、へき地に埋もれて世に出ないたとえ。 
 

文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
文彩 李白の文章が彩のあること。○殊渥 特別にあつい御恩、翰林供奉に任ぜられた類のことをさす。○流伝 世間へったわる作物、宮中行樂詞、清平調の詩の類をさす。
侍従遊宿温泉宮作 李白129  都長安(翰林院供奉)

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

清平調詞 三首 其一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白154


龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。
竜舟 天子のおふね、頭に竜の飾りがある。○移植晩 舟を漕ぎうつさずにしばらくまっておる。玄宗が白蓮池に浮かんで李白を召し、序を作らせようとしたとき李白は己に翰苑において酒を被っていたので高力士に命じて李白を扶けて舟に上らせたという。○獣錦奪袍新 「新たに獣錦袍を奪う」の意。錦袍はにしきのうわぎ、獣はその模様がらである、則天武后が竜門に幸したとき従臣に詩をつくらせて先にできたものに錦袍を賜わろうという、東方虬が先ずできあがり、袍を賜わった、宋之問の詩がつぎにできあがった、もっとも巧みであったので虬より袍を奪って之間に賜わったという、李白に関し、類似の事があったのであろう。

夢李白二首 其二 <231-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1127 杜甫特集700- 340

夢李白二首 其二 <231-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1127 杜甫特集700- 340


(李白を夢む その二)
華州から秦州への旅の途中、杜甫は李白の夢を三晩もつづけて李白の夢を見た。それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑ったのだ。夢の中で李白は「もう帰る」といいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。
 夢の中の李白に、いつもの傲然としたところがなく、しょぼい白髪頭を掻いている。「まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうか」と、杜甫は李白の死を心配している。
759年乾元二年7月48歳秦州に向かう道中で書いたもの。


其二
浮雲終日行、遊子久不至。  
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
三夜頻夢君、情親見君意。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
告歸常局促、苦道來不易。
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
江湖多風波、舟楫恐失墜。』
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。
#2
出門搔白首、若負平生志。
夢の中で君が我が家の門から出て白髪頭をかいているのであるが、それを見ると君が平生から思っている志を為しとげられず、それに負けたとかんがえているかのようである。
冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
都には冠蓋をつけた富貴の人々がたくさんいるのだが、この李白のような男だけが一人やつれて浮ばずにいるのである。
孰云網恢恢、將老身反累。
古人が言う、天の網はひろくて大きく、網目も小さいというが、その天の網で李白を掬ってくれ、そうしてくれれば老人の身にとって禍を避けるということになるから。
千秋萬歲名、寂寞身後事。』
(あれだけの大詩人であって)永遠不朽の名などいうものは生きている時には望んでいるのではない、ただそれは寂寞たる死後、いわれる事である。(今は天が救ってくれ。)』


(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。』
#2
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
出門搔白首、若負平生志。
冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
孰云網恢恢、將老身反累。
千秋萬歲名、寂寞身後事。』


(下し文) #2
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。』


(現代語訳)
夢の中で君が我が家の門から出て白髪頭をかいているのであるが、それを見ると君が平生から思っている志を為しとげられず、それに負けたとかんがえているかのようである。
都には冠蓋をつけた富貴の人々がたくさんいるのだが、この李白のような男だけが一人やつれて浮ばずにいるのである。
古人が言う、天の網はひろくて大きく、網目も小さいというが、その天の網で李白を掬ってくれ、そうしてくれれば老人の身にとって禍を避けるということになるから。
(あれだけの大詩人であって)永遠不朽の名などいうものは生きている時には望んでいるのではない、ただそれは寂寞たる死後、いわれる事である。(今は天が救ってくれ。)』


(訳注)
出門搔白首、若負平生志。
夢の中で君が我が家の門から出て白髪頭をかいているのであるが、それを見ると君が平生から思っている志を為しとげられず、それに負けたとかんがえているかのようである。
出門二句 上旬は李白のさま、下旬は作者がそれをながめてくだした語、出門・掻首は共に李白がする動作。○平生志 李白の平生の志。


冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
都には冠蓋をつけた富貴の人々がたくさんいるのだが、この李白のような男だけが一人やつれて浮ばずにいるのである。
○冠蓋 かんむり、車のおおい。高官が用いたものなので貴族の人をさす。○京華 都のはなやかな地、都をさす。○斯入 日をさす。○憔悴 やつれる。


孰云網恢恢、將老身反累。
古人が言う、天の網はひろくて大きく、網目も小さいというが、その天の網で李白を掬ってくれ、そうしてくれれば老人の身にとって禍を避けるということになるから。
網恢恢 『老子、七十三章』「天網恢恢、疎而不失」(天網恢恢、疎にして漏らさず」、恢恢は大なるさま、天網は目があらいようだが、悪人を漏らさず捕らえる。天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。ここの詩の網は好運のあみをいぅ。○老 李白が老いること。○ 李白の身。○ 煩いをうける。


千秋萬歲名、寂寞身後事。」
(あれだけの大詩人であって)永遠不朽の名などいうものは生きている時には望んでいるのではない、ただそれは寂寞たる死後、いわれる事である。(今は天が救ってくれ。)』
千秋万歳名 永遠不朽の名。○寂寞 孤独でいることのさびしいさま。


(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。」
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。


浮雲は終日流れてくるのに、あなたとはなかなか会えない、三夜にかけてあなたの夢を見ました、そのなかであなたの暖かい志に接することが出来ました
でもあなたは急いで帰らねばならぬという、またここへやってくるのは大変だったともいった、途中江湖には風波が立って、船が沈没しそうになったと


 李白は13年前、長安を追われた自分を逐客と称していた。杜甫は李白の夢を見て、自分の憶いが李白に通じたと喜ぶのだが、夢の中の李白の様子がいつもと違っている。

 杜甫は李白が永王の軍に参加して捕らわれ、獄舎に入れられ、資材の可能性があるとは聞いていた。李白の魂魄が夢の中に現われたのである。それを考え眠れずにいて、落ちた月の光に照らされた梁の光が反射したように、李白の顔が蒼白かった。それで、李白が不運な目に会って命を落とすのではないかと杜甫は心配でならなかったのだ。

 杜甫は三晩もつづけて李白の夢を見た。李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑った。もう帰るといいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。

 夢の中の李白には、いつもの謫仙人の傲然としたところがないのである。しょぼしょぼと白髪頭を掻いているのだ。まさかとは思うが、あれほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうかと、杜甫は李白の死を心配した。杜甫は暗く愁いに満ちた気持ちを胸に、秦州への旅をつづけたのだ。 

夢李白二首 其二 <231-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1124 杜甫特集700- 339

夢李白二首 其二 <231-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1124 杜甫特集700- 339

(李白を夢む その二)
華州から秦州への旅の途中、杜甫は李白の夢を三晩もつづけて李白の夢を見た。それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑ったのだ。夢の中で李白は「もう帰る」といいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。
 夢の中の李白に、いつもの傲然としたところがなく、しょぼい白髪頭を掻いている。「まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうか」と、杜甫は李白の死を心配している。
759年乾元二年7月48歳秦州に向かう道中で書いたもの。


其二
浮雲終日行、遊子久不至。  
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
三夜頻夢君、情親見君意。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
告歸常局促、苦道來不易。
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
江湖多風波、舟楫恐失墜。』
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。
#2
出門搔白首、若負平生志。
冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
孰云網恢恢、將老身反累。
千秋萬歲名、寂寞身後事。』


(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。』
#2
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。』


現代語訳と訳註
(本文) 其二
浮雲終日行、遊子久不至。  
三夜頻夢君、情親見君意。
告歸常局促、苦道來不易。
江湖多風波、舟楫恐失墜。」


(下し文)
(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。」


(現代語訳)
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。


(訳注) 其二
浮雲終日行、遊子久不至。 
 
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
終日行一日中うごき去る、遊子のかえらぬことの比喩。○遊子 旅人、李白をさす。○ 自己の居る処へくる。


三夜頻夢君、情親見君意。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
情親 心のしたしいこと。○君意 李白の情親しむの意。情親見君意とは見二君情親恵一というのにおなじ。○告帰 李白がもはや商へかえるべきことを作者につげる。


告歸常局促、苦道來不易。
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
 三夜ともいつも。○局促 心ののびのびせぬ様子。○苦道 李白が苦々しく云う。容疑の事実に不満足であること。○来不易 ここへくることは容易でなかった。


江湖多風波、舟楫恐失墜。』
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。
江湖二句 李白の言とする。

夢李白二首 其一 <230-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1121 杜甫特集700- 338

夢李白二首 其一 <230-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1121 杜甫特集700- 338



夢李白  二首 其一    杜甫
李白を夢で見る。
#1
死別已吞聲、 生別常惻惻。  
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
江南瘴癘地、 逐客無消息。』
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
故人入我夢、 明我長相憶。
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
恐非平生魂、 路遠不可測。」

さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。


#2
魂來楓林青、 魂返關塞黑。』
李白の魂は楓林の青くぼんやりとしたところからここへとやって来たのであろう。こんどは魂が帰っていくのは関所や塞の夜の黒闇に向かっていったのである。
君今在羅網、 何以有羽翼。
君は今、罪人で網檻のなかにはいっているはずではないか、どうして羽の翼があってここへとんでくることができたのだろうが、(もしかしたら処刑されたのだろうか。)』
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
わたしは寝室で横になったまま明け方落ちかかる満月の光が梁の木を明るく照らすのを見続ける、その光はまだ李白の顔を照らしているのか疑われるのである。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。』
南方江湖の水が深く、波浪を起こし、広くひろがっていくから、蛟竜に良いように為され、それに害せられないようにしないといけないのだ。』

#1
死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。
#2
魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
魂來楓林青、 魂返關塞黑。』
君今在羅網、 何以有羽翼。
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。』


(下し文) #2
魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』


(現代語訳)
李白の魂は楓林の青くぼんやりとしたところからここへとやって来たのであろう。こんどは魂が帰っていくのは関所や塞の夜の黒闇に向かっていったのである。
君は今、罪人で網檻のなかにはいっているはずではないか、どうして羽の翼があってここへとんでくることができたのだろうが、(もしかしたら処刑されたのだろうか。)』
わたしは寝室で横になったまま明け方落ちかかる満月の光が梁の木を明るく照らすのを見続ける、その光はまだ李白の顔を照らしているのか疑われるのである。
南方江湖の水が深く、波浪を起こし、広くひろがっていくから、蛟竜に良いように為され、それに害せられないようにしないといけないのだ。』


(訳注)
魂來楓林青、 魂返關塞黑

李白の魂は楓林の青くぼんやりとしたところからここへとやって来たのであろう。こんどは魂が帰っていくのは関所や塞の夜の黒闇に向かっていったのである。
魂来 李白の魂が杜甫の居る所へくる。○楓林青 楓林は江南の名木、江南地方の物であるが青は夜の霞でぼんやりとはっきり見えない状況をいう遠近法である。○魂返 李白の魂が江南の楓林なのか、獄舎なのかわからないが、かえること言う。○関塞 関所、塞、獄舎など即ち官舎などの物である。○ 遠近法で暗い闇の状態の中に「関所・塞」がみえないほどのなかにあることをいう、夜の色のこと。靑は生まれてくる色、初めの色であり、黒は終わりの色、透明の色、亡くなる色として使っている。


君今在羅網、 何以有羽翼。
君は今、罪人で網檻のなかにはいっているはずではないか、どうして羽の翼があってここへとんでくることができたのだろうが、(もしかしたら処刑されたのだろうか。)』
君今在羅網、何以有羽巽 君は李白をさし、羅網は罪禍のあみのこと監獄、罪人は鳥が網の中へ入れられているように拘束されている。自分の夢に出てきたということは、もしかして処刑されて、魂だけが、ここへ来たのだろうか。
靑は生まれてくる色、初めの色であり、黒は終わりの色、透明の色、亡くなる色として使っている。


落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
わたしは寝室で横になったまま明け方落ちかかる満月の光が梁の木を明るく照らすのを見続ける、その光はまだ李白の顔を照らしているのか疑われるのである。
落月 落ちかかる月の光。○屋梁 やねのはりの木。寝た状態で見るときの表現法である。寝ているのか起きているのかわからない状態をいう写実的な表現法である。○猶疑 猶とは夢のさめたのちまだの意。○顔色 李白のかおつき。


水深波浪闊、 無使蛟龍得。」
南方江湖の水が深く、波浪を起こし、広くひろがっていくから、蛟竜に良いように為され、それに害せられないようにしないといけないのだ。』
水深 水は南方の江湖の水をいう。〇蛟龍 人を害するみずち。○ 得意、好き勝手にされる、せしめることをいう。


夢李白
 杜甫と李白は745年魯郡の石門山で別れて以来、会っていない。その李白が安史の乱・永王李璘の水軍に入り、て生死不明と聞き、杜甫は李白の夢を見たことで、この詩を作った。李白の情報は、757年2月永王璘敗れ、李白彭澤に逃げ、秋に長安・洛陽、奪回、李白が捕えられ、粛宗、玄宗長安に帰る。李白は潯陽の獄に捕えられる。758年李白は死罪という情報を杜甫は華州で知る。杜甫が華州から秦州へ旅立つ758年7月段階では、いつ処刑されるかわからないが、おそらく近々施されるという段階であった。
758年8月、死罪を言い渡される直前に長安奪還の功労者郭子儀の助言で、夜郎に流刑となった。しかしこの詩の段階では知る由もない。

夢李白  二首 其一    杜甫
死別已吞聲、 生別常惻惻。  死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南瘴癘地、 逐客無消息。江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人入我夢、 明我長相憶。故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐非平生魂、 路遠不可測。恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。
魂來楓林青、 魂返關塞黑。魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君今在羅網、 何以有羽翼。君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』

夢李白二首 其一 <230-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1118 杜甫特集700- 337

夢李白二首 其一 <230-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1118 杜甫特集700- 337

華州から秦州への旅の途中、杜甫は李白の夢を三晩もつづけて李白の夢を見た。それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑ったのだ。夢の中で李白は「もう帰る」といいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。
 夢の中の李白に、いつもの傲然としたところがなく、しょぼい白髪頭を掻いている。「まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうか」と、杜甫は李白の死を心配している。
759年乾元二年7月48歳秦州に向かう道中で書いたもの。


夢李白  二首 其一    杜甫
李白を夢で見る。
#1

死別已吞聲、 生別常惻惻。  
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
江南瘴癘地、 逐客無消息。』
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
故人入我夢、 明我長相憶。
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
恐非平生魂、 路遠不可測。」
さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。
#2
魂來楓林青、 魂返關塞黑。』
君今在羅網、 何以有羽翼。
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。』

#1
死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。

#2
魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』


現代語訳と訳註
(本文)
夢李白  二首 其一  #1
死別已吞聲、 生別常惻惻。  
江南瘴癘地、 逐客無消息。』
故人入我夢、 明我長相憶。
恐非平生魂、 路遠不可測。」


(下し文) #1
死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。


(現代語訳)
李白を夢で見る。
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。


(訳注)#1
夢李白
李白を夢で見る。
 杜甫と李白は745年魯郡の石門山で別れて以来、会っていない。その李白が安史の乱・永王李璘の水軍に入り、て生死不明と聞き、杜甫は李白の夢を見たことで、この詩を作った。李白の情報は、757年2月永王璘敗れ、李白彭澤に逃げ、秋に長安・洛陽、奪回、李白が捕えられ、粛宗、玄宗長安に帰る。李白は潯陽の獄に捕えられる。758年李白は死罪という情報を杜甫は華州で知る。杜甫が華州から秦州へ旅立つ758年7月段階では、いつ処刑されるかわからないが、おそらく近々施されるという段階であった。
758年8月、死罪を言い渡される直前に長安奪還の功労者郭子儀の助言で、夜郎に流刑となった。しかしこの詩の段階では知る由もない。


死別已吞聲、生別常惻惻。  
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
死別己春声 此の句については諸説があるが、①死別は745年李白と魯郡の石門山で別れて別れたとき死別だとおもった、己とは往時をさす語である。②およそ死別というものは哀しいもの、生別れもそれに劣らず常に忘れることなく心を痛めるもの。というものである。③ここでは死刑宣告を受けたものとして夢に出ている。杜甫自身、官僚になったものの、天子の良き助言者となり得なく夢破れている。李白も朝廷を追われ、永王璘軍に於けるという軍師としての夢が破れている。互いに将来に対する希望がないという意味で捉えることである。○生別 現在なお存在して別離していることをいう。○側側 心のいたむさま。


江南瘴癘地、逐客無消息。
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
江南 長江の下流域の南、宜城、秋浦、天台山、会稽、白の居た地。○瘴癘 わるい水蒸気。マラリアの発症率が高い湿気の多い所。当時は、蚊が媒体するのではなく毒ガスがマラリアの病原と考えられていた。○逐客 朝廷からおいだされたもの、李白をさす、李白は永王璘の挙兵に関係した罪により759年8月乾元2年に夜郎に流され、二年に途中より赦されてもどった。詩は赦されたことをしらない、以前のもののため逐客という。○消息 たより。


故人入我夢、 明我長相憶。
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
○故人 ふるなじみ。李白をさす。○ 李白が明らかに知ること、句意は明知しているために夢にあらわれたというのである。○長相憶 いつまでも思う。


恐非平生魂、 路遠不可測。」
さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。
平生魂 ふだんのたましい、ふだんとは在世のことをいう。○不可測 なぜ遠路を来たのかそのわけがはかり知られぬ。

佳人 <229-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1115 杜甫特集700- 336

佳人 <229-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1115 杜甫特集700- 336


佳人
絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
官高何足論?不得收骨肉。』
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』

#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
但見新人笑,那聞舊人哭?』

ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』

#3
在山泉水清,出山泉水濁。
湧き出る泉も山に在るときは澄んでいるものだが、山を出れば濁るのだ。(この佳人の境遇の変化もまたこれに似ている。昨日の富貴は今の貧困と変わった。しかし、清らかさを守る為人目を避けて山の中で暮らしている。)
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
暮らしていくため、美人の彼女のお付の侍女は真珠を売って戻ってくる。家に目をやると茅葺きの屋根の破れはひめかつらの蔓を引っぱって補っている。
摘花不插發,采柏動盈掬。
花を摘み取るが、しかし、それを髪に挿すことはしない。それは食料に充てられるためで、やがて実を成した「かやの実」はともすると両手にいっぱいになるほど掬い取られるのだ。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』
この寒空にこの美人の彼女は薄い翠の袖をつけている、日暮れになれば居寂しく背高い竹の傍に寄り添うようにたたずんでいるのである。(華やかだったありし日を思い浮かべているのだ)』


佳人 
#1

絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』
#2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』
#3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』



現代語訳と訳註
(本文)
#3
在山泉水清,出山泉水濁。
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
摘花不插發,采柏動盈掬。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』


(下し文) #3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』


(現代語訳)
湧き出る泉も山に在るときは澄んでいるものだが、山を出れば濁るのだ。(この佳人の境遇の変化もまたこれに似ている。昨日の富貴は今の貧困と変わった。しかし、清らかさを守る為人目を避けて山の中で暮らしている。)
暮らしていくため、美人の彼女のお付の侍女は真珠を売って戻ってくる。家に目をやると茅葺きの屋根の破れはひめかつらの蔓を引っぱって補っている。
花を摘み取るが、しかし、それを髪に挿すことはしない。それは食料に充てられるためで、やがて実を成した「かやの実」はともすると両手にいっぱいになるほど掬い取られるのだ。
この寒空にこの美人の彼女は薄い翠の袖をつけている、日暮れになれば居寂しく背高い竹の傍に寄り添うようにたたずんでいるのである。(華やかだったありし日を思い浮かべているのだ)』


(訳注)
在山泉水清,出山泉水濁。

山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
湧き出る泉も山に在るときは澄んでいるものだが、山を出れば濁るのだ。(この佳人の境遇の変化もまたこれに似ている。昨日の富貴は今の貧困と変わった。しかし、清らかさを守る為人目を避けて山の中で暮らしている。)
在山泉水清,出山泉水濁。 境遇の変化をたとえたもの。いろんな意味に解釈できる。①佳人のなお富貴であったときが泉清にあたり、今貧困に居ることが泉濁にあたる。②在山二句は天寒二句にかかっており、貞操を保つ意味がないと合致しない。もとより、杜甫は、佳人に朝廷の不甲斐なさをかけている。③安史の乱の前の十数年、乱の要因を作りつつ、一方で唐期最大の繁栄を誇っていた。乱以降、破れ屋根に膏薬張りのような対応を繰り返し、あまた優秀な人材を死なせたり、遠ざけたり、左遷させた。この詩の新人とは、この時期以降飛躍的にその勢力を拡大伸長した宦官を意味していると考えることもできる。④叛乱軍・安史軍から恥辱を受けること避ける。
「終南別業」
(入山寄城中故人)王維
中歳頗好道、晩家南山陲。
興来毎独往、勝事空自知。
行到水窮処、坐看雲起時。
偶然値林叟、談笑無還期。


侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
暮らしていくため、美人の彼女のお付の侍女は真珠を売って戻ってくる。家に目をやると茅葺きの屋根の破れはひめかつらの蔓を引っぱって補っている。
侍脾 こしもと。○売珠回 佳人の所有の真珠をうってもどる、生活のたしまえにするのである。○牽蘿 ひめかつらをひっぱって。○ 屋根の破れ目を足し繕う。


摘花不插發,采柏動盈掬。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
花を摘み取るが、しかし、それを髪に挿すことはしない。それは食料に充てられるためで、やがて実を成した「かやの実」はともすると両手にいっぱいになるほど掬い取られるのだ。
摘花 花は実物である。○不挿髪 粧飾を念としないこと。○采柏 かやの実をとる、食料にあてるのである。○ ひとすくい。
 

天寒翠袖薄,日暮倚修竹。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』
この寒空にこの美人の彼女は薄い翠の袖をつけている、日暮れになれば居寂しく背高い竹の傍に寄り添うようにたたずんでいるのである。(華やかだったありし日を思い浮かべているのだ)』
翠袖 翠色のそで。〇倚修竹 若たけののびた竹によりそう、さびしい様子をうつす。修竹はしなやかである。薄絹と共に秀麗さ、艶めかしさを感じさせる。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335


佳人
絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
官高何足論?不得收骨肉。』
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』

#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
但見新人笑,那聞舊人哭?』

ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』

#3
在山泉水清,出山泉水濁。
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
摘花不插發,采柏動盈掬。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』


佳人 #1
絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』
#2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』

#3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
但見新人笑,那聞舊人哭?』


(下し文) #2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』


(現代語訳)
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』


(訳注)
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
世情 普通世間の人にたいする情というものは。○哀歇 色衰え芳歇むことをいう、肢体顔色の衰えることをいう。○随転燭 転燭とは燭の影、風に吹かれれば転揺して定まらないことをいう、世態の定まらぬたとえである、随とはそれにまかせそのとおりになること。


夫婿輕薄兒,新人美如玉。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
夫婿 おっと。○軽薄児 うわきもの。○新人 あらたに迎えいれた女。


合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
合昏 合歓に同じ、ねむの花、ねむは夕方になるとその葉が左右相い合する。○尚知時 時とは夕方の時刻をいう、尚とは木すらなおの意。○鴛意 おしどり。


但見新人笑,那聞舊人哭?
ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』
 よろこぶさま。○旧人 ふるくからいる人、即ち佳人。

佳人 <229-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1109 杜甫特集700- 334

佳人 <229-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1109 杜甫特集700- 334

秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約2000mの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしく、山越えのためには七日を要したといわれる。
秦州の山谷において貴族出身の一婦人のおちぶれているのを見て、その有様を叙した詩である。759年乾元二年秋冬48歳のころの作。 安禄山の叛乱から丸4年、安史の乱は足かけ9年間続いたのだから、この時期は安史の乱の真ん中あたり。

佳人
絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
官高何足論?不得收骨肉。』

兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』
#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
但見新人笑,那聞舊人哭?』
#3
在山泉水清,出山泉水濁。
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
摘花不插發,采柏動盈掬。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』


佳人 #1
絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』

#2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』
#3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』


現代語訳と訳註
(本文)
佳人 #1
絕代有佳人,幽居在空穀。
自雲良家子,零落依草木。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
官高何足論?不得收骨肉。』


(下し文) 佳人 #1
絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』


(現代語訳)
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』


(訳注)佳人
貴族出身の一婦人。『曲江對雨』(曲江にて雨に対す)「城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?」(城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】)
『陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首、其一』(諸貴公子に陪して、丈八溝に妓を携えて涼を納(いるる)、晩際に 雨に遇う 二首  其の一)「落日放船好、軽風生浪遅。竹深留客処、荷浄納涼時。公子調氷水、佳人雪藕糸。片雲頭上黒、応是雨催詩。」(落日  船を放つに好(よろ)しく、軽風浪を生ずること遅かりし。竹は深くし客を留まる処、荷(はす)は浄(きよ)し 涼(りょう)を納(いるる)の時。公子は氷水(ひょうすい)を調(ととの)え、佳人(かじん)は藕糸(ぐうし)を雪(ぬぐ)う。片雲(へんうん)  頭上(ずじょう)に黒(くろし)、応(まさ)に 是(これ)  雨の詩を催(うなが)す なるべし。)


絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
佳人 美人。○絶代 絶世と同じ〔唐代は李世民の諱を忌避した〕、絶えて世間にないほどのうつくしさのあることをいう。漢の李延年『歌』「北方有佳人,絶世而獨立。一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。」(北方に佳人有り,絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を 傾け,再顧(さいこ)すれば  人の國を 傾く。寧んぞ 傾城と傾國とを知らざらんや, 佳人は再び 得難し。)とあるのに基づく。○幽居 ひっこんでしずかにくらす。○空谷 人のいない壑。


自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
良家 しかるべきよい家がら。貴族の家系。○零落 おちちること、草には零といい、木には落という。○依草木 依はたよること、草木とは谷中の居宅のまぢかに生じたくさきをいう、句意は零落した草木に依ることをいう。草木は平民という意味がある。


關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
関中 函谷関の以西、長安地方をいう。○喪乱 喪は人の亡くなること、乱は世のみだれること、755年11月反旗を翻し、12月には洛陽を陥落した。756年天宝十五年六月安禄山の軍が長安を陥れたことをさす。長安の王朝軍は三十万人の兵士がおり、叛乱軍十万の兵で誰もが、長安が落ちるとは思っていなかった。


官高何足論?不得收骨肉。』
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』
官高 兄弟なるものの官位の高いこと。○何足論 言うにたらぬ、高官といっても値打ちのないことをいう、理由は下句にいう。○収骨肉 骨肉は親しい身内のものをいう、佳人が自己をさす辞、自己はその官の高い兄弟にとっては骨肉の親にあたる。収とは引き取り入れてくれること。

秦州における85首その2<325-358>33首 <000-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1106 杜甫特集700- 333

秦州における85首その2<325-358>33首 <000-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1106 杜甫特集700- 333
325  天河
  當時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。
  含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。
  
  1049
326  初月
  光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。
  河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。
  
  1050
327  歸燕
  不獨避霜雪,其如儔侶稀。四時無失序,八月自知歸。
  春色豈相訪?眾雛還識機。故巢倘為毀,會傍主人飛。
  
  1051
328  擣衣
  亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。
  寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。
  
  
329  60.促織
  促織甚微細,哀音何動人。草根吟不穩,床下意相親。
  久客得無淚?故妻難及晨。悲絲與急管,感激異天真。
  
  
330  61.螢火
  幸因腐草出,敢近太陽飛。未足臨書卷,時能點客衣。
  隨風隔幔小,帶雨傍林微。十月清霜重,飄零何處歸。
  
  1052
331  蒹葭
  摧折不自守,秋風吹若何?暫時花戴雪,幾處葉沈波。
  體弱春苗早,叢長夜露多。江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。
  
  1053
332  苦竹
  青冥亦自守,軟弱強扶持。味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
  軒墀曾不重,剪伐欲無辭。幸近幽人屋,霜根結在茲。
  
  1054
333  除架
  束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。幸結白花了,寧辭青蔓除。
  秋蟲聲不去,暮雀意何如?寒事今牢落,人生亦有初。
  
  1055
334  廢畦
  秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。暮景數枝葉,天風吹汝寒。
  綠沾泥滓盡,香與歲時闌。生意春如昨,悲君白玉盤。
  
  1056
335  夕峰
  夕峰來不近,每日報平安。塞上傳光小,雲邊落點殘。
  照秦通警急,過隴自艱難。聞道蓬萊殿,千門立馬看。
  
  1057
336  秋笛
  清商欲盡奏,奏苦血沾衣。他日傷心極,徵人白骨歸。
  相逢恐恨過,故作發聲微。不見秋雲動,悲風稍稍飛。
  
  
337  2112.日暮
  日落風亦起,城頭烏尾訛。黃雲高未動,白水已興波。
  羌婦語還笑,胡兒行且歌。將軍別換馬,夜出擁雕戈。
  
  1058
338  野望
  清秋望不極,迢遞起層陰。遠水兼天淨,孤城隱霧深。
  葉稀風更落,山迥日初沈。獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
  
  1059
339  空囊
  
  翠柏苦猶食,明霞高可餐。世人共鹵莽,吾道屬艱難。
  不爨井晨凍,無衣床夜寒。囊空恐羞澀,留得一錢看。
  
  1060
340  病馬
  乘爾亦已久,天寒關塞深。塵中老盡力,歲晚病傷心。
  毛骨豈殊眾?馴良猶至今。物微意不淺,感動一沉吟!
  
  1061
341  蕃劍
  致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
  虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
  
  1062
342  銅瓶
  亂後碧井廢,時清瑤殿深。銅瓶未失水,百丈有哀音。
  側想美人意,應悲寒甃沈。蛟龍半缺落,猶得折黃金。
  
  1063
343  送遠
  帶甲滿天地,胡為君遠行?親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
  草木歲月晚,關河霜雪清。別離已昨日,因見古人情。
  
  1064
344  送人從軍
  弱水應無地,陽關已近天。今君度沙磧,累月斷人煙。
  好武寧論命,封侯不計年。馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
  
  1065
345  示侄佐
  多病秋風落,君來慰眼前。自聞茅屋趣,只想竹林眠。
  滿穀山雲起,侵籬澗水懸。嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。
  
  1066
346  佐還山後寄三首
347 1 山晚黃雲合,歸時恐路迷。澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
  野客茅茨小,田家樹木低。舊諳疏懶叔,須汝故相攜。
  
348 2 白露黃粱熟,分張素有期。已應舂得細,頗覺寄來遲。
  味豈同金菊,香宜配綠葵。老人他日愛,正想滑流匙。
  
349 3 幾道泉澆圃,交橫幔落坡。葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
  隔沼連香芰,通林帶女蘿。甚聞霜薤白,重惠意如何。
  
  1067
350  從人覓小胡孫許寄
  人說南州路,山猿樹樹懸。舉家聞若駭,為寄小如拳。
  預哂愁胡面,初調見馬鞭。許求聰慧者,童稚捧應癲。
  
  1068
351  秋日阮隱居致薤三十束
  隱者柴門內,畦蔬繞舍秋。盈筐承露薤,不待致書求。
  束比青芻色,圓齊玉箸頭。衰年關鬲冷,味暖並無憂。
  
  1069
352  秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
  大雅何寥闊,斯人尚典刑。交期余潦倒,才力爾精靈。
  二子聲同日,諸生困一經。文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
  舊好何由展,新詩更憶聽。別來頭並白,相見眼終青。
  伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
  俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
  遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。華夷相混合,宇宙一羶腥!
  帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
  雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
  法駕初還日,群公若會星。宮宦仍點染,柱史正零丁。
  官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
  掘劍知埋獄,提刀見發硎。侏儒應共飽,漁父忌偏醒。
  旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
  師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
  上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。
  隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
  
  1070
353  寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
  故人何寄寞?今我獨淒涼。老去才難盡,秋來興甚長。
  物情尤可見,詞客未能忘。海內知名士,雲端各異方。
  高岑殊緩步,沈鮑得同行。意愜關飛動,篇終接混茫。
  舉天悲富駱,近代惜盧王。似爾官仍貴,前賢命可傷。
  諸侯非棄擲,半刺已翱翔。詩好幾時見,書成無使將。
  男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
  三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
  徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。何太龍鐘極,於今出處妨。
  無錢居帝裡,盡室在邊疆。劉表雖遺恨,龐公至死藏。
  心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
  彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
  烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
  竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。更得清新否?遙知對屬忙。
  舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。濟世宜公等,安貧亦士常。
  蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。會待妖氛靜,論文暫裹糧。
  
  1071
354  寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
  衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
  開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。
  憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。討胡愁李廣,奉使待張騫。
  無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。
  畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。小儒輕董卓,有識笑苻堅。
  浪作禽填海,那將血射天。萬方思助順,一鼓氣無前。
  陰散陳倉北,晴燻太白巔。亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。
  法駕還雙闕,王師下八川。此時沾奉引,佳氣拂周旋。
  貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
  花動朱樓雪,城凝碧樹煙。衣冠心慘愴,故老淚潺湲。
  哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
  內蕊繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
  晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。
  每覺升元輔,深期列大賢。秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
  禁掖朋從改,微班性命全。青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
  弟子貧原憲,諸生老伏虔。師資謙未達,鄉黨敬何先?
  舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
  賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
  貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
  地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
  典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
  去去才難得,蒼蒼理又玄。古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
  隴外翻投跡,漁陽複控弦。笑為妻子累,甘與歲時遷。
  親故行稀少,兵戈動接聯。他鄉饒夢寐,失侶自忳? 。
  多病加淹泊,長吟阻靜便。如公盡雄俊,誌在必騰騫。
  *
  衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
  開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
  憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。討胡愁李廣,奉使待張騫。
  無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。
  畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。小儒輕董卓,有識笑苻堅。
  浪作禽填海,那將血射天。萬方思助順,一鼓氣無前。
  陰散陳倉北,晴燻太白巔。亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。
  法駕還雙闕,王師下八川。此時沾奉引,佳氣拂周旋。
  貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
  花動朱樓雪,城凝碧樹煙。衣冠心慘愴,故老淚潺湲。
  哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
  內蕊繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
  晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』
  每覺升元輔,深期列大賢。秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
  禁掖朋從改,微班性命全。青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
  弟子貧原憲,諸生老伏虔。師資謙未達,鄉黨敬何先?
  舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
  賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
  貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
  地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
  典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
  去去才難得,蒼蒼理又玄。』
  古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
  隴外翻投跡,漁陽複控弦。笑為妻子累,甘與歲時遷。
  親故行稀少,兵戈動接聯。他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。
  多病加淹泊,長吟阻靜便。如公盡雄俊,誌在必騰騫。』
  
  1072
355  寄張十二山人彪三十韻
  獨臥蒿陽客,三違潁水春。艱難隨老母,慘澹向時人。
  謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。群凶彌宇宙,此物在風塵。
  歷下辭薑被,關西得孟鄰。早通交契密,晚接道流新。
  靜者心多妙,先生藝絕倫﹕草書何太古,詩興不無神。
  曹植休前輩,張芝更後身。數篇吟可老,一字賣堪貧。
  將恐曾防寇,深潛托所親。寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
  疏懶為名誤,驅馳喪我真。索居尤寂寞,相遇益愁辛。
  流轉依邊徼,逢迎念席珍。時來故舊少,亂後別離頻。
  世祖修高廟,文公賞從臣。商山猶入楚,渭水不離秦。
  存想青龍秘,騎行白鹿馴。耕岩非穀口,結草即河濱。
  肘後符應驗,囊中藥未陳。旅懷殊不愜,良覿眇無因。
  自古多悲恨,浮生有屈伸。此邦今尚武,何處且依仁。
  鼓角淩天籟,關山倚月輪。官場羅鎮磧,賊火近洮岷。
  蕭索論兵地,蒼茫鬥將辰。大軍多處所,餘孽尚紛綸。
  高興知籠鳥,斯文起獲麟。窮秋正搖落,回首望松筠。
  
  1073
356  寄李十二白二十韻
  昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
  聲名從此大,汩沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必絕倫。
  龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。白日來深殿,青雲滿後塵。
  乞歸優詔許,遇我夙心親。未負幽棲誌,兼全寵辱身。
  劇談憐野逸。嗜酒見天真,醉舞梁園夜,行歌泗水春。
  才高心不展,道屈善無鄰。處士隬衡俊。諸生原憲貧。
  稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
  幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。蘇武元還漢,黃公豈事秦?
  楚筵辭醴日,梁獄上書辰。已用當時法,誰將此議陳?
  老吟秋月下,病起暮江濱。莫怪恩波隔,乘槎與問津。
  
  1074
357  別贊上人
  百川日東流,客去亦不息。我生苦漂蕩,何時有終極?
  贊公釋門老,放逐來上國。還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
  楊枝晨在手,豆子雨已熟。是身如浮雲,安可限南北。
  異縣逢舊友,初欣寫胸臆。天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
  野風吹徵衣,欲別向曛黑。馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
  古來聚散地,宿昔長荊棘。相看俱衰年,出處各努力!
  
  1075
358  兩當縣吳十侍禦江上宅
  寒城朝煙淡,山谷落葉赤。陰風千裡來,吹汝江上宅。
  雞號枉渚,日色傍阡陌。借問持斧翁﹕幾年長沙客?
  哀哀失木柼,矯矯避弓翮。亦知故鄉樂,未敢思宿昔。
  昔在鳳翔都,共通金閨籍。天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
  兵家忌間諜,此輩常接跡。台中領舉劾,君必慎剖析。
  不忍殺無辜,所以分白黑。上官權許與,失意見遷斥。
  仲尼甘旅人,向子識損益。朝廷非不知,閉口休嘆息。
  餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。相看受狼狽,至死難塞責。
  行邁心多違,出門無與適。於公負明義,惆悵頭更白。

秦州における85首その1<273-324>52首 <000-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1103 杜甫特集700- 332

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  1029
273  貽阮隱居
  陳留風俗衰,人物世不數。塞上得阮生,迥繼先父祖。
  貧知靜者性,白益毛發古。車馬入鄰家,蓬蒿翳環堵。
  清詩近道要,識子用心苦。尋我草徑微,褰裳踢寒雨。
  更議居遠村,避喧甘猛虎。足明箕潁客,榮貴如糞土。
  
  1030
274  遣興三首
 1 下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
  朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
  漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
  
275 2 高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
  穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
  鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
  
 3 豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
  春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
  時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
  
  1031
  佳人
276  絕代有佳人,幽居在空穀。自雲良家子,零落依草木。
  關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。官高何足論?不得收骨肉。
  世情惡衰歇,萬事隨轉燭。夫婿輕薄兒,新人美如玉。
  合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。但見新人笑,那聞舊人哭?
  在山泉水清,出山泉水濁。侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
  摘花不插發,采柏動盈掬。天寒翠袖薄,日暮倚修竹。
  
  
277  57.夢李白二首
 1 死別已吞聲,生別常惻惻。江南瘴癘地,逐客無消息。
  故人入我夢,明我長相憶。恐非平生魂,路遠不可測。
  魂來楓林青,魂返關塞黑。君今在羅網,何以有羽翼?
  落月滿屋樑,猶疑照顏色。水深波浪闊,無使蛟龍得。
  
278 2 浮雲終日行,遊子久不至。三夜頻夢君,情親見君意。
  告歸常局促,苦道來不易。江湖多風波,舟楫恐失墜。
  出門搔白首,若負平生誌。冠蓋滿京華,斯人獨憔悴。
  孰雲網恢恢,將老身反累。千秋萬歲名,寂寞身後事。
  
  1032
279  有懷台州鄭十八司戶虔
  天臺隔三江,風浪無晨暮。鄭公縱得歸,老病不識路。
  昔如水上鷗,今如罝中兔。性命由他人,悲辛但狂顧。
  山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。呼號傍孤城,歲月誰與度?
  從來禦魑魅。多為才名誤。夫子嵇阮流,更被時俗惡。
  海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
  平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。
  
  1033
280 1 遣興五首
  蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
  嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
  大哉霜雪幹,歲久為枯林。
  
281 2 昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
  豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
  舉家隱鹿門,劉表焉得取。
  
282 3 陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
  達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?
  
 4 賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
  爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。
  
283 5 吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
  清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
  
  1034
284  遣興二首
 1 天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
  性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。
  
285 2 地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
  君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。
  
  1035
  遣興五首
286 1 朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
  北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。
  
287 2 長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
  未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。
  
288 3 漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
  府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。
  
289 4 猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
  忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。
  
290 5 朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
  送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。
  
  
291  58.秦州雜詩二十首
 1 滿目悲生事,因人作遠遊。遲回度隴怯,浩蕩及關愁。
  水落魚龍夜,山空鳥鼠秋。西徵問烽火,心折此淹留。
  
292 -2 秦州城北寺,勝跡隗囂宮。苔蘚山門古,丹青野殿空。
  月明垂葉露,雲逐渡溪風。清渭無情極,愁時獨向東。
  
293 3 州圖領同穀,驛道出流沙。降虜兼千帳,居人有萬家。
  馬驕朱汗落,胡舞白題斜。年少臨洮子,西來亦自誇。
  
294 4 鼓角緣邊郡,川原欲夜時。秋聽殷地發,風散入雲悲。
  抱葉寒蟬靜,歸山獨鳥遲。萬方同一概,吾道竟何之!
  
295 5 南使宜天馬,由來萬匹強。浮雲連陣沒,秋草遍山長。
  聞說真龍種,仍殘老驌驦。哀鳴思戰鬥,迥立向蒼蒼。
  
296 6 城上胡笳奏,山邊漢節歸。防河赴滄海,奉詔發金微。
  士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。那堪往來戍,恨解鄴城圍。
  
297 7 莽莽萬重山,孤城山谷間。無風雲出塞,不夜月臨關。
  屬國歸何晚?樓蘭斬未還。煙塵一長望,衰颯正摧顏。
  
298 8 聞道尋源使,從天此路回。牽牛去幾許,宛馬至今來。
  一望幽燕隔,何時郡國開。東徵健兒盡,羌笛暮吹哀。
  
299 9 今日明人眼,臨池好驛亭。叢篁低地碧,高柳半天青。
  稠疊多幽事,喧呼閱使星。老夫如有此,不異在郊垌。
  
300 10 雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。羌童看渭水,使節向河源。
  煙火軍中幕,牛羊嶺上村。所居秋草靜,正閉小蓬門。
  
301 11 蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
  薊門誰自北,漢將獨徵西。不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
  
302 12 山頭南郭寺,水號北流泉。老樹空庭得,清渠一邑傳。
  秋花危石底,晚景臥鐘邊。俯仰悲身世,溪風為颯然。
  
303 13 傳道東柯谷,深藏數十家。對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
  瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。船人近相報,但恐失桃花。
  
304 14 萬古仇池穴,潛通小有天。神魚今不見,福地語真傳。
  近接西南境,長懷十九泉。何當一茅屋,送老白雲邊。
  
305 15 未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。塞門風落木,客舍雨連山。
  阮籍行多興,龐公隱不還。東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
  
306 16 東柯好崖谷,不與眾峰群。落日邀雙鳥,晴天卷片雲。
  野人矜險絕,水竹會平分。采藥吾將老,兒童未遣聞。
  
307 17 邊秋陰易久,不複辨晨光。簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
  鸕? 窺淺井,蚯蚓上深堂。車馬何蕭索,門前百草長。
  
308 18 地僻秋將盡,山高客未歸。塞雲多斷績,邊日少光輝。
  警急烽常報,傳聞檄屢飛。西戎外甥國,何得迕天威。
  
309 19 鳳林戈未息,魚海路常難。候火雲峰峻,懸軍幕井幹。
  風連西極動,月過北庭寒。故老思飛將,何時議築壇?
  
310 20 唐堯真自聖,野老複何知。曬藥能無婦?應門亦有兒。
  藏書聞禹穴,讀記憶仇池。為報鴛行舊,鷦鷯寄一枝。
  
  1036
311  月夜憶舍弟
  戍鼓斷人行,秋邊一雁聲。露從今夜白,月是故鄉明。
  有弟皆分散,無家問死生。寄書長不達,況乃未休兵。
  
  1037
312  天末懷李白
  涼風起天末,君子意如何?鴻雁幾時到,江湖秋水多。
  文章憎命達,魑魅喜人過。應共冤魂語,投詩贈汨羅。
  
  1038
313  宿贊公房
  杖錫何來此,秋風已颯然。雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
  放逐寧違性?虛空不離禪。相逢成夜宿,隴月向人圓。
  
  1039
314  赤穀西崦人家
  躋險不自安,出郊始清目。溪回日氣暖,徑轉山田熟。
  鳥雀依茅茨,藩籬帶松菊。如行武陵暮,欲問桃源宿。
  
  
315  311.西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首
  出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
  贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。
  怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
  要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。
  卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。
  
316  天寒鳥以歸,月出山更靜。土室延白光,松門耿疏影。
  躋攀倦日短,語樂寄夜永。明燃林中薪,暗汲石底井。
  大師京國舊,德業天機秉。從來支許遊,興趣江湖迥。
  數奇謫關塞,道廣存箕潁。何知戎馬間,複接塵事屏。
  幽尋豈一路,遠色有諸嶺。晨光稍朦朧,更越西南頂。
  
  1040
317  寄贊上人
  一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
  重岡北面起,竟日陽光留。茅屋買兼土,斯焉心所求。
  近聞西枝西,有穀杉漆稠。亭午頗和暖,石田又足收。
  當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。
  柴荊具茶茗,逕路通林丘。與子成二老,來往亦風流。
  
  1041
318  太平寺泉眼
  招提憑高岡,疏散連草莽。出泉枯柳根,汲引歲月古。
  石間見海眼,天畔縈水府。廣深丈尺間,宴息敢輕侮。
  青白二小蛇,幽姿可時睹。如絲氣或上,爛漫為雲雨。
  山頭到山下,鑿井不盡土。取供十方僧,香美勝牛乳。
  北風起寒文,弱藻舒翠縷。明涵客衣淨,細蕩林影趣。
  何當宅下流,餘潤通藥圃。三春濕黃精,一食生毛羽。
  
  1042
319  東樓
  萬裡流沙道,西行過此門。但添新戰骨,不返舊徵魂。
  樓角淩風迥,城陰帶水昏。傳聲看驛使,送節向河源。
  
  1043
320  雨晴
  天際秋雲薄,從西萬裡風。今朝好晴景,久雨不妨農。
  塞柳行疏翠,山梨結小紅。胡笳樓上發,一雁入高空。
  
  1044
321  寓目
  一縣蒲萄熟,秋山苜蓿多。關雲常帶雨,塞水不成河。
  羌女輕烽燧,胡兒製駱駝。自傷遲暮眼,喪亂飽經過。
  
  1045
322  山寺
  野寺殘僧少,山園細路高。麝香眠石竹,鸚鵡啄金桃。
  亂水通人過,懸崖置屋牢。上方重閣晚,百裡見秋毫。
  
  1046
323  即事
  聞道花門破,和親事卻非。人憐漢公主,生得渡河歸。
  秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。群凶猶索戰,回首意多違。
  
  1047
324  遺懷
  愁眼看霜露,寒城菊自花。天風隨斷柳,客淚墮清笳。
  水靜樓陰直,山昏塞日斜。夜來歸鳥盡,啼殺後棲鴉。
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遣興三首 其三 <228>杜甫 遣興22首の⑦番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331

遣興三首 其三 <228>杜甫 遣興22首の⑦番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331
(興を遣る 三首 其の三)

遣興三首 其一   
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。

其二             
高秋登塞山,南望馬邑州。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。

其三       
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
春苗九月交,顏色同日老。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
時來展才力,先後無醜好。
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。

ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)

(興を遣る 三首 其の三)
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。

現代語訳と訳註       
(本文) 其三
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。


(下し文)
(興を遣る 三首 其の三)
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。



(現代語訳)
穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)


(訳注)
豐年孰雲遲,甘澤不在早。

穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
豊年 耕作物の収穫の多い年。○執云遅 遅くてもおそいなどとだれがいおうか。遅速は論ずるに足らぬことをいう。○甘沢 雨露のよい潤しをいう。甘露の露。天地の恵み。○不在早 「早きに在らず」とは早いのが貴いというわけではないということ。


耕田秋雨足,禾黍已映道。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
禾黍 アワまたはイネと、キビ.穀物の総称。○映道 みのりの色が道路にてりはえている。


春苗九月交,顏色同日老。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
春苗 春の萌木色のなえ。〇九月交 九月と十月、秋と冬の移行の季節をいう。○顔色 苗の色。○同日老 この老は老熟の意、同日とは一般に同時にということ。


勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
衡門士 衡門を建て隠棲をしている隠者をいう、但し自己を他人におきかえていう、衡門というのは柱を立て、その上方に一本わたした門で隠者の家の門である。○尚 晩年に至ってもなおの意。○枯稿 かれてうるおいの無いこと、貧餞のすがたである。


時來展才力,先後無醜好
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
時来 よい時運が到来するならば。○展才力 自己の才能実力をのばす。○先後無醜好 先後はあとさき、醜好はみにくいことと、かおよいことと、好は壮年で先、醜は晩年で後である、「先後無醜好」とは(先後に醜好は無し)ということ。


但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)
 あやしくおもう。○鹿皮翁 仙人。淄川の人で若い時に府の小吏となった。岑山のうえに神泉があり、翁は屋を作ってその傍に留まり、芝を食し泉を飲むこと七十余年、あるとき潜水があふれ出た、翁は宗族家室を呼んで山の中腹に上らせたところが、水がでて尽く一郡をただよわせた。翁はまた宗族たちを下山させ、自分は鹿皮衣を着けてまた山に上った、百余年の後、山より下って薬を斉の市に売ったという。○忘機 からくりの心を忘れる、機心ということが荘子(天地)にみえる。「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」。 「有機械者必有機事、有機事者必有機心。機心存於胸中、則純白不備、純白不備、則神生不定。神生不定者、道之所不載也。」機械を持てば機械を用いて行う仕事(=機事)が出て来るし、機械を用いる仕事が出て来ると、機械にとらわれる心(=機心)が必ず起きる。機械にとらわれる心が胸中にわだかまると、心の純白の度合いが薄くなり、心の純白の度合いが薄くなると、精神が定まらない。精神の定まらないところには《道》が宿らないと。鹿皮翁は(機械というものを)知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ○対芝草 鹿皮翁は芝草を食べたゆえに、これに対すという。


遣興三首 其一
下馬古戰場,四顧但茫然。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
(興を遣る 三首)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


其三
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。

遣興三首 其二 <227>杜甫 遣興22首の⑥番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

遣興三首 其二 <227>杜甫 遣興22首の⑥番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330


遣興三首 其一   
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。
其二    
興を遣る 三首 其の二
高秋登塞山,南望馬邑州。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
諸將已茅土,載驅誰與謀?

このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。

(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


現代語訳と訳註   
(本文)

遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?


(下し文)
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


(現代語訳)その二
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。


(訳注)
遣興三首 其二

(興を遣る 三首 其の二)
秦州に至って身に危険を感じることがなくなったので、折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年9月の始め、重陽の節句、秋の作、洛陽陥落の前と考える。


高秋登塞山,南望馬邑州
高秋【こうしゅう】塞山【さいざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
高秋 天高き秋。○塞山 辺境の山。〇南望 秦州よりさして南の方をのぞむ。○馬邑州 唐の開元十七年秦州と成州との間に置いた州名で宝応元年成州の塩井にうつした。秦州都督府に属する。


降虜東擊胡,壯健盡不留。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
降虜 秦州附近の降参した異民族軍をいう。○ 安・史の残党をいう。○壮健 降虜の壮健なもの。○留 いのこる。


穹廬莽牢落,上有行雲愁。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
穹廬 テントをはったイオ。○ はっきりしないさま。○牢落 さびしいさま。○ テントの上方。○行雲 とんでゆく雲。


老弱哭道路,願聞甲兵休。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
老弱 居民の老いたもの、よわいもの、弱とは婦児をさす。○甲兵休 よろい、武器の事の終わること、戦のなくなることをいう。


鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
鄴中 鄴城のこと、河南省の彰徳府臨漳県。

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事反覆 唐王朝軍が勝つとおもったのに反対にひっくりかえって大敗したこと。○如丘 多いことをいう。死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっているさまをいう。


諸將已茅土,載驅誰與謀?
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。
諸将 官軍の諸将。朔方大将軍孫守亮ら九人を異姓王とし、李商臣ら十三人を同姓王となした等の事をさす。○茅土 王侯に封ずること。「尚書」(禹貢)の「蕨の貢は惟れ士の五色」の句の注に、王者が諸侯を建てるときには、これを封ずる方位に従って、その五行思想に言う方位の色の士(東方は青色、南方は赤、西は白、北は黒、中央は黄)を割いてこれに与えて社を立てさせ、その土は黄土をもっておおい、白い茅をもってつつむ、とみえる。因って王侯に封ぜられることを茅土という。此の句は厚顔無恥の甚しいものではないかと憤激してのべたものである。○載駆 「詩経」(載馳)に、「載馳載駆、帰唱衛侯」(載ち馳せ載ち駆り、帰って衛侯を唱わん)とみえる、載駆の二字はこれより借用したものであるが、ここは単に自己が馬を駆る意である、第一首に「下馬」とあり、作者は馬にのっていたのである。○謀 安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているのか。




遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。

遣興三首其一 杜甫 <226>遣興22首の⑤番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

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(興を遣る 三首)
秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約二〇〇〇メートルの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしく、山越えのためには七日を要したといわれる。759年乾元二年の秋七月、官を棄てた杜甫は、家族を連れてこの隴山を越え、秦州に向かった。
 秦州同谷成都紀行地図

杜甫が旅の目的地を秦州と決めた理由としては、洛陽は安史軍史忠明が迫っていて危険であり(九月には史思明の攻撃によって再び陥落)、長安は餞饉で物価高。それに比べて秦州には従姪の杜佐が住んでいたし、また房棺に親しい者として先ごろ長安を追放された僧の賛公もそこにいた、などのことが考えられよう。
杜甫が秦州に至って折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年秋の作。


遣興三首 其一 
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?

どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。


(興を遣る 三首 其の一)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


現代語訳と訳註  
(本文)

遣興三首 其一
下馬古戰場,四顧但茫然。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。
安得廉頗將,三軍同晏眠?


(下し文)
(興を遣る 三首 其の一)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


(現代語訳)
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。


(訳注)
遣興三首 其一
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
秦州に至って身に危険を感じることがなくなったので、折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年秋の作。


下馬古戰場,四顧但茫然。
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である
○古戦場 秦州城の附近にあるものをいう。


風悲浮雲去,黃葉墮我前。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。


朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
朽骨 戦死者のくちたほね。○穴螻蟻 穴はあなをつくることをいう。螻蟻はけらむし、あり。○為蔓草纏 「為蔓草所纏」(蔓草は纏う所と為す)の略、つるぐさにまとわれる。南朝、江淹の「恨賦」に「試望平原,蔓草縈骨,拱木斂魂。人生到此,天道寧論!」(蔓草骨に紫れ、扶木は魂を敷む)とみえる。江 淹(こう えん、444年 - 505年)は、中国南北朝時代の文学者。字は文通。本籍地は済陽郡考城県(現在の河南省蘭考県)。門閥重視の貴族社会であった六朝時代において、寒門の出身でありながら、その文才と時局を的確に見定める能力によって、高位に上りつめ生涯を終えた。


故老行嘆息,今人尚開邊。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
故老 在来の老人たち。○尚開辺 今日もなお辺鄙の土地を開いて広めようとする、尚の字には怪訝におもうこととする意がある。


漢虜互勝負,封疆不常全。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ
○漢虜 唐と、胡の異民族と。○封疆 くにざかい。○全 一進一退、きまって欠損のないことをいう。


安得廉頗將,三軍同晏眠?
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか
安得 希望をしめす語。○廉頗 廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。紀元前283年、将軍となり秦を討ち、昔陽を取る。紀元前282年、斉を討ち、陽晋(現在の山東省)を落とした。この功により上卿に任ぜられ、勇気のあることで諸侯の間で有名となる。〇三軍 古代中国、周の兵制で、一軍は一万二五〇〇人〕大国のもつ三万七五〇〇人の軍隊。また、大軍。 (2)陸軍・海軍・空軍の総称。 (3)軍勢の前鋒・中堅・後拒、または左翼・中軍・右翼。また、全軍。上中下の三軍、全軍の意。○晏眠 おそくまでねむる、安泰のさま。

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