杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

五言排律 遣興 詩集

760年成都 遣意二首 杜甫 <253>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366

760年成都 遣意二首 杜甫 <253>遣興22首の21 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366


意を遣る。(世話になった人、家族に草堂の春夜をのべること。近況を知らせる)


遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。
日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れは一脈と一脈に斜めに流れている。
野船明細火,宿鷺聚圓沙。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
雲掩初弦月,香傳小樹花。
この月のはじめの上弦のせっかくの月が雲におおわれている、そんな暗がりなのに香がつたわってくるからわかるちいさい樹に花がさいているのだ。
鄰人有美酒,稚子也能賒。
となりにはうまい酒をもっているものがいる、夜だけどこどもに行って掛買してきてもらう。
意を遣る。
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。

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現代語訳と訳註
(本文)
遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。
野船明細火,宿鷺起圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。
鄰人有美酒,稚子也能賒。

(下し文)
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。


(現代語訳)
日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れは一脈と一脈に斜めに流れている。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
この月のはじめの上弦のせっかくの月が雲におおわれている、そんな暗がりなのに香がつたわってくるからわかるちいさい樹に花がさいているのだ。
となりにはうまい酒をもっているものがいる、夜だけどこどもに行って掛買してきてもらう。


(訳注) 遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。

日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れは一脈と一脈に斜めに流れている。
 地上によこたわることをいう。○津流 浣花の渓流をさす。○脈脈一すじ一すじに。
『宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖)』 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240


野船明細火,宿鷺起圓沙。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
細火 小火。○ 起立していること。聚に作るもある。〇円沙 まるい砂はら。

雲掩初弦月,香傳小樹花。
この月のはじめの上弦のせっかくの月が雲におおわれている、そんな暗がりなのに香がつたわってくるからわかるちいさい樹に花がさいているのだ。
初弦 陰暦で、上旬の弓形の月。上弦。

鄰人有美酒,稚子也能賒。
となりにはうまい酒をもっているものがいる、夜だけどこどもに行って掛買してきてもらう。
 かけで買う。

(意を遣る 二首)
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。

760年成都 遣意二首 杜甫 <252>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366

760年成都 遣意二首 杜甫 <252>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366
意を遣る。(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)



遣意二首 其一
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
一徑野花落,孤村春水生。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
衰年催釀黍,細雨更移橙。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
漸喜交遊絕,幽居不用名。

ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。

其の一
枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。
一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。
衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。
漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。


現代語訳と訳註
(本文) 其一
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。
漸喜交遊絕,幽居不用名。


(下し文) 其の一
枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。
一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。
衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。
漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。


(現代語訳)
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。


(訳注) 其一
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
上元元年(七六〇)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの家(草堂)を設けた。杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、韋班には松の木の苗を、石筍街果園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に犬邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。
 草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。


囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
黃鳥 うぐいす。杜甫『曲江對酒』
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。
(曲江にて酒に對す)
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時兼【とも】にして白鳥と飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う。吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを。
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。

曲江封酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246


一徑野花落,孤村春水生。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
杜甫の同時期の詩に『客至』がある。
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。
舎南(しゃなん)舎北(しゃほく)皆 春水(しゅんすい)、但見る群鷗の日日に來るを
花径 曾(かつ)て客に縁って掃(はら)わず、篷門(ほうもん)今始めて君が為に開く
盤飧(ばんそん)市 遠くして兼味(けんみ)無く、樽酒(そんしゅ) 家貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あるのみ
肯(あえ)て隣翁と相(あい)対して飲まんや、籬(まがき)を隔てて呼び取りて余杯(よはい)を尽さしめん


衰年催釀黍,細雨更移橙。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
衰年【すいねん】体力の衰える年齢。老年。衰齢。○ せきたてること。○醸黍 きびを用いて酒を醸す。○移樫 だいだいをうつしかえてうえる。


漸喜交遊絕,幽居不用名。
ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。
交遊 人との交際。○ 他人から名声を得ること、名誉。

760年遣興 杜甫 <251>遣興22首の⑳番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1202 杜甫特集700- 365

760年遣興 杜甫 <251>遣興22首の⑳番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1202 杜甫特集700- 365


760年とはどんな年であったのか?
760年 上元元年 ・ 7月李輔国ら、玄宗を長安に遷す。・長安で大雨のために飢饉となり、叛乱軍への有効な反撃ができず。 

≪杜甫≫・760 49歳 成都にあり。春、西郭の浣花里に居を卜し、春末、落成す。秋末、蜀州に至り、高適と語る。冬、また成都にあり。  
≪李白≫・760 李白60歳 長江上流と下流の各地に遊ぶ。
≪王維≫ ・760 王維62歳 給事中から尚書右丞(正四品上)に昇進 ・飢饉に際して、王維は天子の許しを得て自分の禄米のほとんどを窮民に施す。


『遣興』という題ではこれ以降無い最終のもの、ただし、同年、同じ成都草堂で、内容もよく似た『遣意二首』があり、『遣興』シリーズと比較してどう違うのか、なぜ遣興は終了したのかが読み取れる。

遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
衰疾那能久,應無見汝期。

老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。

(興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし



現代語訳と訳註
(本文) 遣興

干戈猶未定,弟妹各何之!
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
衰疾那能久,應無見汝期。


(下し文) (興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし


(現代語訳)
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。


(訳注) 遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
・干戈猶未定 上元元年は粛宗の治世で使用された元号。760年閏4月~ 761年9月。依然として、史思明軍が洛陽を占領している。翌761年史思明が息子史朝義に殺害され、2年後安史の乱は平定するが、弱体化した唐王朝に隣国「吐蕃」が再三攻め入る。杜甫は依然戦争パニックに陥っている。
弟妹各何之 弟たちは、洛陽より東にいるため、長安にいた時でも連絡は取れにくかった。まして、杜甫はひと山脈越えた秦州(天水)に、さらにひと山越えた同谷へ、そうして成都紀行で、さらにさらに急峻難所を経て成都にたどり着き、知人の助けを借りて草堂を立てたばかりの所だ。弟たちからの連絡は届かなくても不思議ではない。成都郊外、浣花渓の畔、隠棲にはうってつけの場所である。杜甫にとってはこの20年の間、はじめて自己所有の家に、家族と過ごせるものであった。


拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
拭淚 なみだをぬぐう。「官を辞して」杜甫は秦州で落ち着きたかったのであるが、わずか数カ月で移動しなければいけなかった状況は杜甫にとって、血のにじむ辛いことであった。ここ浣花渓草堂で、追い詰められたものの歎き、怨み、望郷の思いでいっぱいの毎日から脱却できたのか。


地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようで、平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
地卑 上元元年(七六〇)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの家(草堂)を設けた。杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、韋班には松の木の苗を、石筍街果園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に犬邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。
 草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。


衰疾那能久,應無見汝期。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。
尾聯で、年を取ったこと、病気のこと、述べてから、希望・目標を否定的に述べるのは、希望目標を強調すためで杜甫は公式ともいえる「遣・・・・」「感・・・・」「〇・・・・」と題したものにおおく使っている。


<遣興について>
長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳 この時遣興のシリーズの先頭である。これが20首も続くとは思っていなかったのである。758年 乾元元年罷諌官後作 ②房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ「我今日夜憂,諸弟各異方。」ではじまり、③「客子念故宅,三年門巷空。」旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。④「丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。」家族みんなが元気でなければいけないと①~④まで自分の思いを分散している家族に「派遣」するのである。
⑤~⑦については「官を辞して」秦州に来た旨を知らせる内容で、続いて⑧~⑫は杜甫が詩人として生きていくことを決意したこと、過去の詩人たちと隠棲を述べながら家族に知らせるものである。⑬~⑭は杜甫が今まで胸に抑えてきたものをこれから堂々と詩に詠っていくことの決意を示している。⑮~⑲は「官を辞し」た自分は富貴者、官僚に対して決して媚は売らないというものである。こうして、⑳で艱難辛苦の上、成都草堂に来たのだが早く会いたいものだ、と述べている。

遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364

遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364


其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二   (長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。)  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


其三    (寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。)
漆有用而割,膏以明自煎;
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。

其四    (権威をかさに横暴をふるった富貴のものがその栄耀栄華が続くものではないことをいう)
猛虎憑其威,往往遭急縛。
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。
猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。

其五   (富貴のものがどんな大きな葬儀をしようとも死によって解消し、意昧がなくなってしまう) 
朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君看束縛去,亦得歸山岡。

君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)

朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


現代語訳と訳註
(本文) 其五
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


(下し文)
朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


(現代語訳)
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


(訳注) 其五 の詩の前提(この詩の理解のため、儒教の葬儀)
儒教の五経典(易経、書経、詩経、儀礼、春秋)のうち『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼であり、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、周王朝(前1100頃~前256)の創始者であった周公が制定したものとされているが、孔子(前551~前479) が『書経』『詩経』とともに尊重した。
 『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。

魂呼びの風習はどこにおいても行われ、旅館で死ぬと旅館、戦場で死ぬと戦場で矢をもって復を行った。招魂の儀式を行なっても死者が生き返らぬことがわかったら、葬送の準備が始められる。主君への死亡通知。⇒主君も使者を遣わして弔問。⇒「哭(こく)」と「足ふみ」。⇒主君は死者に衣服を贈る⇒翌日、死者を衣でぐるぐる巻きにする(小斂)⇒3日目死者を衣服でくるみ絞で縛ること(大斂)⇒3カ月の仮埋葬⇒柩を宗廟に移し、先祖の霊とまみえさせる
この時にこの詩で詠われる「大行列」を見るのである。五服という期間に応じた服を着る。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。


朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
富家葬 仮埋葬の邸宅から宗廟に向かうのである。先頭に依代(よりしろ)を持った者が立ち、次に前日の供物を持った者、明りを待った者、車に乗った柩、燭を持つた者、そのあとに3台の魂車がつき、そして喪主たちが従う。富貴の度合いで輝きものが増減する。


共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
緦麻 五服の地、3か月間着ている服である。○百夫 百人の兵隊。多くの男子が列に続いている様子をいう。儒教に基づく葬儀であるが、限られたものしかできなかった。儒教の精神とはかけ離れた、賄賂、頽廃に染まったものほど葬儀に費やした。


送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。


君看束縛去,亦得歸山岡。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


中國の五服と喪の期間
(1)中国古代、王城の周囲を王城から五百里(周代の一里は約405メートル)ごとに区切って定めた五つの方形の地域。内より甸服(でんぷく)・侯服・綏服(すいふく)・要服・荒服。(2)中国で、喪に服す期間によって分けた五等の喪服。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。と三年喪に伏すのである。

遣興五首其四 杜甫 <249>遣興22首の⑱番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1196 杜甫特集700- 363

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(権力者、富貴者の一時の暴威も、忽ち猛虎の縛につけられ敷物になるが、それより悲惨な末路であることをいう。)
其四
猛虎憑其威,往往遭急縛。
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。

猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。


現代語訳と訳註
(本文)其四

猛虎憑其威,往往遭急縛。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
人有甚於斯,足以勸元惡。


(下し文)
猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。


(現代語訳)
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。


(訳注)
其四
猛虎憑其威,往往遭急縛。

獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
 よる。○急縛 にわかにしばること。


雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
雷吼 雷のごとくほえる。○咆哮 はえたてる。○枝撐  枝で組み合わせた折をつくること。木の根を組み合わせた足枷をいう、撐は材木をくみあわせること。杜甫『同諸公登慈恩寺墖』(慈恩寺の塔に登る」「方知象教力,足可追冥搜。仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。」(方に知る象教の力 冥捜を追うべきに足るを。仰いで穿つ竜蛇の窟 始めて甘づ枝撐の幽なるを。)つかえ柱、枝撐はつかえ柱をくむことで、ここでは道路の橋の骨組みの意味である。。


忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
皮寝処 『左伝、㐮公二十一年』「臣食其肉、而寝処其皮。」(臣は其の肉を食いて、而して其の皮に寝処す」とあるのに本づく、寝処はねおきする。起臥すること、その上にねたり、すわったりすること。○ ひとみ。○閃爍 きらめきかがやく。


人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。
 猛虎の場合をさす。○ 勧善懲悪をいう。楊貴妃一族が、安禄山が、富豪がその財力、権力で好き勝手なこと、極悪な事はかならず猛虎なら敷物になって役立つが人の場合には凄惨な、悲惨な末路を迎えるものであり、大悪を「勧」と勧めるということで、意味を強調している。○元悪 大悪。惡が栄えてためしがないということに基づく。

遣興五首其三 杜甫 <248>遣興22首の⑰番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1193 杜甫特集700- 362

遣興五首其三 杜甫 <248>遣興22首の⑰番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1193 杜甫特集700- 362

(寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。)


其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二   (長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。)  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


其三   
(寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。) 漆有用而割,膏以明自煎;
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。

其四    ⑱
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    ⑲
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


現代語訳と訳註
(本文)其三
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。


(下し文)
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。


(現代語訳)
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 


(訳注)
漆有用而割,膏以明自煎;

漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
漆有用而割,膏以明自煎 『荘子、人間世』に基づく。功用あるものは、その功用あることが身に禍してそこなわれるにいたることをいう。
「山木自寇也、膏火自煎也、桂可食故伐之、漆可用故割之、人皆知有用之用、而莫知无用之用也。山の木は自らに寇(あだ)なし、膏火(灯火)は自ら煎(に)ている。桂は食べられるが故に伐(き)られ、漆は役にたつが故に割(さ)かれる。人は皆、”有用之用”は知っているが、”无用之用”は知らない。この聯の意味をこれ以降の聯句で比喩している。
 ウルシ科のウルシノキ(漆の木;Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。塗料とし、漆工などに利用されるほか、接着剤としても利用される。・ 1 動物のあぶら。「膏血・膏油」 2 うまい食物。「膏梁(こうりょう)」 3 心臓の下の部分。「膏肓(こうこう)」 4 半練り状の薬。「膏薬/軟膏・絆創膏(ばんそうこう)」5 うるおす。めぐむ。「膏雨」6 地味が肥える。「膏沃(こうよく)」


蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
蘭、桂 蘭の花、桂の花はかんばしいが、風露にあうとかかる香のある草木もそこなわれる。


府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
府中 府は幕府組織、宰相の役所をいう。○羅 多くならぶこと。○旧尹 尹は京兆尹、都長安の市長、長官のこと、旧尹とは元京兆尹ということ、以前この尹をつとめた人たちをいう、唐の宰相は自分の親しい者を京兆尹に任命した。○沙道 砂を敷いた道路、宰相がとおるときには砂を敷くのでこのようにいう。○依然 もとどおりに。○桂折秋風前 玄宗皇帝と楊貴妃のことを言う。梧桐を追い出された鳳凰夫婦のこと。

赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
赫赫 威権のかがやくさま。○粛京兆 京兆尹粛炅(ケイ)。炅は宰相李林甫にとりいって京兆尹にとりたでられたが賄賂をうけたかどによって天宝八載に汝陰の太守に遷された。○ この詩を作った今の世をさす。〇時所憐 時は当代をさす、憐れむとは気のどくがられる、上の官を遷されたことをいう。
杜甫が、官を辞したのも粛宗による偏見と疎外政治を批判できるようになったということである。

遣興五首其二 杜甫 <247>遣興22首の⑯番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1190 杜甫特集700- 361

遣興五首其二 杜甫 <247>遣興22首の⑯番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1190 杜甫特集700- 361

其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

 朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。

其三    
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

其四    ⑱
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    ⑲
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。

長安の近郊は五陵

現代語訳と訳註
(本文) 其二
長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。


(下し文)
長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


(現代語訳)
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。


(訳注)
其二
長陵銳頭兒,出獵待明發。

長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
銳頭兒 貴公子の特徴として頭にちょこんと小さな帽子をかぶっていること。・ 野生の鳥や獣をとること。猟(りよう)。狩猟。・明發夕方から明け方まで夜通し。
李白『少年行』      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
王維の「少年行四首」は漢時代を借りて四場面の劇構成になっている。
王維『少年行四首』 其一   
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
杜甫『少年行』を一首と二首の三首,作っている
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。


騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
騂弓 騂はあかうま。『詩経‧小雅‧角弓』「騂騂角弓, 翩其反矣。」『毛傳』「騂騂, 調利也・金爪鏑」・相続争いをすること。貴族はその血筋だけ重要なものとされていたため、醜い争いをそれぞれの門閥できそう。その争いのカヤの外の貴公子たちは遊侠の徒となっていた。
【かぶら】とは。意味や解説。1 矢の先と鏃(やじり)との間につけて、射たときに鳴るように仕掛けた卵形の装置。角・木・竹の根などを用い、内部を空洞にして「目」とよぶ窓をあける。2 「鏑矢」の略。


未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
馳逐(ちちく) 競い馬のこと。


歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。
兩狼 競い馬をする二人の貴公子の横暴な振る舞いという意味と、もう一方で、住民は叛乱軍の残虐な行為を経験している。住民にとってはどちらもかかわりたくないオオカミのようなものだということ。・旌節 【せい】旗竿(はたざお)のさきに旄(ぼう)という旗飾りをつけ、これに鳥の羽などを垂らした旗。天子が士気を鼓舞するのに用いる。・ 人日、上巳、端午、七夕、重用など、五節句という。ここでは、富豪の家の権勢、威厳、などをあらわすこととして使う。


長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちつい】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。

長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。

遣興五首其一 杜甫 <246>遣興22首の⑮番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1187 杜甫特集700- 360

遣興五首其一 杜甫 <246>遣興22首の⑮番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1187 杜甫特集700- 360

やっと口にできるようになった富豪の者たちへの批判のシリーズ。

其一    
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

其二    
長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

其三    
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

其四    
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


「遣興五首」(    )について、『杜詩詳注』は「此詩梁権道編在乾元二年秦州詩内。今姑但之。(此の詩は梁権道編して乾元二年秦州の詩の内に在り。今姑く之に但る。)」と、乾元二年(七五九)秦州における作にひとまず編年している。
杜甫は、日ごろから、この富貴の者たちの言動が腹に据えかねていた。士官を目指しているときや、官僚の時には言えなかったことが、官を辞して初めて批判できるのである。この二十年の思いをぶっつけるのである。この五首それぞれの思いで、「北里・長陵・蕭京兆・元悪・富家葬」と、いきいきと述べている。このことで、作時を長安時代の作であろうと推測している説もあるが、わたしはやはり旧注の乾元二年とする。杜甫は、言えなかったことが初めて言えるようになった、官を辞して、秦州に来たからこそであり、腹に溜めていた「興」を吐き出すというもので、そう考えると全体が味わい深いものである。この「遣興」というシリーズの存在感はそこにあるというものだ。

其一(寒さの時になって富家の驕りのさまと貧窮のものをのべた詩である。)
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。



現代語訳と訳註
(本文)

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。

(下し文)
 朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。

(現代語訳)
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。


(訳注)
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。

冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
朔風 北からふく風。五行思想で朔・北・黒(玄)・冬をあらわす風がまだ秋なのに吹いてくる、季節の変わり目をあらわしている。○胡雁 北方異民族の地より飛び来る雁。この語も冬の到来を示すもの。『秋雨嘆三首、其三』
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?
秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88
惨澹 薄暗く物凄まじいさま。ものがなしいさま。心を悩ますさま。杜甫『送從弟亞赴河西判官』「踴躍常人情,慘澹苦士誌。」(踴躍するは常人の情なり、惨澹たるは苦士の志なり。)

送從弟亞赴河西判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184


 ともにもち来ること。○砂礫 すな、こいし。


長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
長林 背のたかい木の生えたはやし。○ しげるさま。


北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
北里 城の北方の地区。長安五陵(北里・長陵・蕭京兆・元悪・富家葬)の富貴・遊侠の者の住む地域のこと。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。○燻天 富を火焔にたとえていう、薫は火でくすべること。○高楼 富家のたかどの。


焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。
○南隣客 自己をさす。○絺綌 細い糸の葛のあさ、ふと糸のくずあさ。貧しい者が秋の終わりになっても葛布のひとえを着ていることを言う。


<解説>
 前半の四句は、秋が深まり北風が砂礫を巻き上げ、蕭蕭と林に吹き付ける中、冬がもうすぐというのに秋草がなお茂る九月の情景を描く。第五、六句は、そうした季節の訪れも意に介さず宴楽の限りを尽くす富貴な者たちのことをうたう。「九月猶絺綌」は、『杜詩詳注』に「見貧人衣服失寒暑之宜。」(貧人の衣服寒暑の宜しきを失ふを見す。)とあるように、貧しい者が秋の終わりになっても葛布のひとえを着ていることを言う。
 この作品は、富貴と貧賤の対立構造をめいかくにしており、ここでは両者の大きな隔たりが対比的に描かれたのは、杜甫が官を辞したからということであるからだ。北風の吹く陰暦九月になってもなお貧しい者の身につける葛布の単衣を着ている「南隣」の人々と「客」の杜甫との対比によってこの詩の表現視点が「南隣客」にあり、富貴の者を否定的に表している。「遣興」と題することに、単に憂さを晴らすというだけでなく杜甫自身「官を辞した」からこそできる表現であるということに注目されるのである。

朔風胡雁を諷す 惨澹として砂磯を帯ぶ
長林何ぞ粛粛たる 秋草妻として更に碧なり
北里富天を煮ず 高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客 九月に猶お締給なるを

遣興三首其二 杜甫 <244>遣興22首の③番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1181 杜甫特集700- 358

遣興三首其二 杜甫 <244>遣興22首の③番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1181 杜甫特集700- 358


房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ
遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
生涯能幾何,常在羈旅中!

私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。

蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。



現代語訳と訳註
(本文) 其二
 ③
蓬生非無根,漂蕩隨高風。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。
悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!


(下し文) 其二 ③
蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


(現代語訳)
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。


(訳注) 其二 ③
蓬生非無根,漂蕩隨高風。

ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
蓬生 ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所。轉蓬。 ・漂蕩 1 水にただようこと。 2 さまようこと。さすらうこと。漂泊。


天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
本叢 1 草が群がり生える。くさむら。「叢生/淵叢(えんそう)」 2 群がり集まる。多くのものの集まり。


客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
客子 旅人。遊子。・門巷空 門や門前の小道。門と巷ちまたのこと。門巷填隘。門や門前の小道が、人が多く集まることでふさがってしまい、通れなくなるほど狭くなってしまうこと。人が多く集まり、密集しているさまをいう。


悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。・戎車 戦車のこと。戦時、君主が乗車して作戦を指揮するのに使われる戦車をいう。あるいは「戎路」と呼ばれる。春秋時代中期以降、戎車は将軍の指揮車となり、「元戎」と呼ばれ、戦列の先頭にたった。


生涯能幾何,常在羈旅中!
私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。


遣興三首其一 杜甫 <243>遣興22首の②番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

遣興三首其一 杜甫 <243>遣興22首の②番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356




遣興三首 758年 乾元元年罷諌官後作 房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ

我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!
蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

昔在【むかし】 洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


現代語訳と訳註
(本文) 遣興三首 其一 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。
不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。


(下し文) 遣興三首 其一 ②
我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


(現代語訳)
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。


(訳注) 遣興三首 其一 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
諸弟各異方 この時妻子は邠州羌村に、弟は洛陽の東の村に、義母と義弟山東済州、叔弟秦州と分散していた。


不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
・この句から4句は杜甫自身が逃げ回って生死の線上をさまよったことを述べる


避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
 755年11月に叛乱蜂起し、12月に洛陽を陥落させ、略奪の限りを尽くし756年6月には都長安を奪取し暴略・残虐、大虐殺を伴ったものであったため寇という表現をした。・饑寒 杜甫のこの時の苦労を述べる詩。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

安禄山の乱と杜甫

三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

饑 うえる1 作物が実らないで乏しい。 2 食糧が乏しくてひもじい。


豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
柴門 柴垣の門。借家の門。郊外、田舎の貧しい家の門。・虎狼 安史軍。安禄山と史思明の叛乱軍を指す。


仰看雲中雁,禽鳥亦有行。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。
禽鳥【きんちょう】鳥。鳥類。家つ鳥。漢民族が異民族を見下して呼んだ言葉。「夷狄」は、えびす・未開人。 「西戎東夷( せいじゅうとうい )」「南蛮北狄( なんばんほくてき ) 」「 夷蛮戎狄(いばんじゅうてき )」.

遣興 杜甫 <242>遣興22首の①番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

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五言排律
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳 この時遣興のシリーズの先頭である。これが20首も続くとは思っていなかったのである。しかし、この先頭と20首目、21,22番目の詩にこのシリーズの「ワケ」がある。(20~21参照)


遣興 
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
問知人客姓,誦得老夫詩。
客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
儻歸免相失,見日敢辭遲。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。

(興を遣る)①
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや


遣興 現代語訳と訳註
(本文) 遣興

驥子好男兒,前年學語時:
問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。
鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。
儻歸免相失,見日敢辭遲。

(下し文)
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや。

(現代語訳)
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。


(訳注)
はじめの2句の意味が次の二句にかかる。
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
○学語 言語をならいおぼえること。


問知人客姓,誦得老夫詩。
客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
人客 客人をいう。○老夫 作者杜甫自ずからをさす。


世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
 驥子をさす。○母 驥子の母、杜甫の妻。


鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
鹿門 山の名、湖北省嚢陽府に在り、後漢の龐徳公が妻子をたずさえてこの山に登り薬を採って返らなかった、杜甫も隠遁の念があることをいう。○雁足 蘇武の故事。妻からの手紙をいう。蘇武が漢の使となって匈奴に捕えられていたとき、漢より別の使者がいって匈奴をあざむいていうのに、天子が上林中において弓を射て雁を得たところ、雁の足に帛書が繋いであった「蘇武は大沢の中にある」により蘇武の所在がわかり、救出できた。○期 約束。


天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
軍麾 麾は旗のたぐい。○戦角  角はつのぶえ。


儻歸免相失,見日敢辭遲。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。
 ひょっと、万一。 〇相失 みうしなう。○見日 面会する時日。
 

 杜甫は国のゆくすえを心配すると同時に、羌村に残したまま音信不通になっている家族のことも気になる。詩題の「遣興」は湧き出る思いを吐き出すという意味で、即興的な詩で感情的なものである。
 「驥子」というのは次男宗武の幼名で、このとき五歳である。五歳で父親の詩を暗誦したりして賢いところのある次男に杜甫は注目しており、言葉を覚え始めるくらいの幼さで戦乱の世に遭遇した幼児にあわれを寄せているのだ。そして占領下、囚われの身では家族に便りを出すこともできないと述べている。



鹿門(一首。山名。鹿門山のこと。嚢陽城の東、漢水東岸にある山。峴山とともに襄陽を代表する山。『嚢陽香旧記』に「鹿門山、旧名蘇嶺山。建武中、習郁為侍中、時従光武幸黎丘、与帝通夢、見蘇嶺山神、光武嘉之、拝大鴻櫨。録其前後功、封裏陽侯、使立蘇嶺祠。刻二石鹿、爽神道口、百姓謂之鹿門廟、或呼蘇嶺山為鹿門山」とある。

後漢の逸民・䴇龐廟徳公、唐詩人の孟浩然、皮日休隠棲の地として知られる)孟浩然は四季、一日を詩にした。

曉朝 登鹿門山懐古 

真昼:澗南園即時貽皎上入  

輿黄侍御北津泛舟 

真夏: 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 

夏日南亭懷辛大 

夕夜: 夜歸鹿門山歌 



元旦: 田家元日 

鹿門山: 田園作 

南山下與老圃期種瓜 

秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然 

夏日辮玉法師茅齋 孟浩然

萬山潭作 


洞湖(一首。後漢の逸民・寵徳公隠棲の地。孟浩然「尋張五回夜園作」に「聞就廟徳公、移居近河湖」とあり、李白も「嘗聞鹿徳公、家住減湖水」と語っている。また、『後漢書』「逸民伝」に「鹿公者、南郡裏陽人也。居山之南、未嘗入府城」とあることから、洞湖は幌山の南にあっ たと推定される。『輿地紀勝』巻八二「嚢陽府」に「鹿徳公宅、在山南広昌里、今廃」とある)

杜甫『喜晴』  喜晴  159
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』


雁書・雁足の逸話
 果てしない空、そして、その下には目路のかぎりつづくかとみえる、
海のような湖、また湖のまわりの大密林。人かげもない。だが今、とある丸木小屋から、その湖のほとりにさまよいでた男があった。手には弓矢、頭から毛皮をかぶり、髭はぼうぼうと顔をおおう。まるで山男だ。
だが、その眼のなかには、澄んだ不屈の輝きがある。頭の上をこうこうとなきわたる音に、彼はふっと空をみあげた。
  「雁がもう渡るそうな。」
  この人、名を蘇武という。
 
 蘇武は漢の中郎将であった。武帝の天漢元年彼は使いとして、北のかた匈奴の国に赴いた。捕虜交換のためである。だが、匈奴の内紛にまきこまれて、使節団はすべて捕えられ、匈奴に降るか、それとも死ぬか、と脅かされた。そして、蘇武だけはついに降らなかったのである。彼は山腹の窖にとじこめられ、食を絶たれた。そのとき、彼は毛氈をかみ、雪をのんで飢えをしのいだという。蘇武が何日たっても死なないのを見た匈奴は、これを神かとおどろき、北海(バイカル湖)のほとりの人けもないところにやって、羊を飼わせることにした。だが与えられたのは牧羊ばかりであり、そしてこう言われたのである。
  「牧羊が子をうんだら、国に帰してやろうさ。」
 
 そこにあるのは空、森、水、きびしい冬、そして飢えだった。盗賊が彼の羊をぬすんでしまった。彼は野鼠を掘って飢えをしのいだ。それでも彼は匈奴に降ろうとはしなかった。いつかは漢に帰れる、と期待したからではない。ただ、降ろうとしなかったのだ。
 
 この荒れはてた地の果てに流されて、もう何年の歳月がたったのか、
それすらもおぼろであった。きびしい、単調な日々。しかし、ひろびろとした空を渡る雁は、蘇武にその故郷を想わせるのだ。‥‥
 
 武帝が死に、つぎの昭帝の始元六年、漢の使いが匈奴のもとに来た。
漢使は、先頃匈奴に使いしたまま消息を絶った蘇武を還してほしい、と要求した。匈奴は、蘇武はもう死んだ、この世の者ではない、と答えた。真偽を押してたしかめるすべは、漢使にはなかった。だが、その夜のことである。さきに蘇武とともに来て、ここに留まっていた常恵というものが、漢使をたずねて、なにごとか教えた。つぎの会見のとき、漢使は言った。
 
 「漢の天子が、上林苑で狩りをしておられたとき、
  一羽の雁をしとめられた。
  ところが、その雁の足には帛がつけられ、
  帛にはこう書いてあったのだ。[蘇武は大沢の中にある]と。
  蘇武が生きているのは明白だ。」
 
 匈奴の単于(酋長)は驚きの色をみせ、なにか臣下とうちあわせた。そして言った。
 
 「まえに言ったのはまちがいだった。蘇武は生きているそうだ。」
  作り話は、巧くあたった。たちまち使者がバイカル湖めざして奔り、蘇武はつれもどされた。髪もひげもことごとく白く、破れた毛皮をまとった姿は牧人と変わりなかったが、その手には、漢の使者の手形である符節をしっかりとにぎっていた。
  蘇武は国に帰ることになった。捕らえられ、北海のほとりで飢えや寒さとたたかううちに、いつか十九年がたっていた(「漢書」蘇武伝、「十八氏略」)。
 
 この故事がおこりとなって、手紙やおとずれのことを、「雁書」と言いならわすようになった。また雁札、雁信、雁帛などともいう。わが国でも古くからよく使われることばである。雁の玉章、かりの便り、かりの使い、雁の文章などとも言いならわす。
  風が立ちそめるころ、大空をこうこうと鳴きわたる雁のむれは、たしかに何かをわたしたちのもとにもたらすのだ。そして、よし手紙ではないにしても、わたしたちの心のなにかを、ともに運んでゆくのである。
わたしたちの想いはそれを追って遠くのかなたへかけてゆく。


 

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

759乾元二年秋在秦州作

遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強くす。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。

遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
此日千裡鳴,追風可君意。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。
君看渥窪種,態與駑駘異。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。

ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。

natsusora01

現代語訳と訳註
(本文)
⑭遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。


(下し文) ⑭興を遣る二首 其の二
地の用は馬の如く莫れ,良 無くして複た誰か記すや?
此の日 千裡の鳴,風を追う 君の意とす可し。
君 渥窪【あくわ】に種えるを看る,態【ことさら】 駑駘【どたい】の異を與う。
蹄嚙【ていし】の間を雜せず,逍遙【しょうよう】能く事する有り。


(現代語訳)
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。


(訳注) ⑭遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
 悪いものの喩。『楚辞、東方朔、七諫、怨世』「馬蘭踸踔而日加。」(馬蘭 踸踔【ちんたく】して 而して日に加う。)また、ののしる。


此日千裡鳴,追風可君意。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。


君看渥窪種,態與駑駘異。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
渥窪 潤いのある窪地。・態與 わざと・・・・する。1 意識して、また、意図的に何かをするさま。ことさら。故意に。わざわざ。2 とりわけ目立つさま。格別に。官を辞して秦州へ逃避したこの地が『渥窪』であるということ。李白、王維、岑参、高適らに言おうとしている。
駑駘【どたい】 [1]のろい馬。駄馬。[2]転じて、才能が劣っていること。また、その人。おろかもの。


不雜蹄嚙間,逍遙有能事。
ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。
蹄嚙 ひずめで蹴り、歯で噛むこと。有蹄(ゆうてい)類など主として草原をかける大型草食動物に発達する爪(つめ)が変形したもの。爪(そう)板(爪体)が筒状に発達して指の先端をとり囲み,爪掌が底面を構成,後方の肉指は角皮層が発達して丈夫な蹄甲となる。  ・逍遙 1.そこここをぶらぶらと歩くこと.散歩. 2.心を俗世間の外に遊ばせること.悠々自適して楽しむこと.

遣興二首其一 杜甫 <240>遣興22首の⑬番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1169 杜甫特集700- 354

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遣興詩特集
 遣興 756年 反乱軍拘束、長安で軟禁状態であったとき
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

遣興三首 758 乾元元年 房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ


我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!

昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

遣興三首 759乾元二年秋在秦州作 
下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
遣興三首 其一 <226>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
遣興三首 其二 <227>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
遣興三首 其三 <228>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331

1033.遣興五首 759乾元二年秋在秦州作
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。

遣興二首   759乾元二年秋在秦州作
天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。

地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。


遣興二首 其一  
天用莫如龍,有時系扶桑。
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
⑬興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強し。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。

遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。

遣興五首  759年乾元二年秋在秦州作

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。

浣花渓草堂 760年成都 ***********************
遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。衰疾那能久,應無見汝期。


21遣意二首    760
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊絕,幽居不用名。
22
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿雁聚圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。


現代語訳と訳註
(本文)
⑬遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。
頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。


(下し文) ⑬興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強し。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。


(現代語訳)
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。


(訳注) ⑬遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。

天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
 神のいる天上、空、天体、気候  天子。
 1 必要にこたえる働きのあること。役に立つこと。また、使い道。用途。「―をなさない」「―のなくなった子供服」2 なすべき仕事。用事。
扶桑【ふそう】中国伝説で東方海上にある島国(扶桑国とも)または巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。『山海経』「下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝」“東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇るという。 ”


頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
 1 いちずなさま。ひたすら。「―な態度」「―に思いを寄せる」 2 完全にその状態であるさま。「―に煙にだになし果ててむと思ほして」〈源・夕霧〉 3 向こう見ずなさま。また、強引で粗暴なさま。


性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
性命【せいめい】 1 生まれながら天から授かった性質と運命。2 いのち。生命。・苟存【こうそん】 かりそめの安楽を盗んで生きながらえる。『晉書‧、劉毅傳』「往年國難滔天, 故志竭愚忠, 靦然苟存。」 “
・苟 いやしくも まことに かりそめに。一時的。「苟安・苟且(こうしょ)」 [難読]苟且(かりそめ)


吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
真宰 真の主宰者。老荘思想で天をいう。天地の主宰者。造物者。『荘子、齊物論』分裂した魂を救い世の論争を統一しようと試みる論文で「若有眞宰、而特不得其眹。可行已信、而不見其形、有情而無形。」(真の主宰者がいるようであるが、その形跡は得られない。 はたらきの結果は確かであるが、そうさせたものの形は見えない。 実質はあるが、姿形はないのである。)
茫茫1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」 2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉 3 草・髪などが伸びて乱れている。

遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の⑫番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353

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其一  
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。
(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


其二   
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
(其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。


其三   
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?

彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。
(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四   
賀公雅吳語,在位常清狂。
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
山陰一茅宇,江海日淒涼。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。
(其の四)
賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。


遣興 其五  
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
每望東南雲,令人幾悲吒。

何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
(其の五) 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる。


 孟浩然が官に就くことなく優れた詩を残して貧窮の中に世を去ったことを悼む詩である。杜甫は、「解悶十二首」其六で孟浩然について次のように詠う。
復憶襄陽孟浩然,清詩句句盡堪傳。
即今耆舊無新語,漫釣槎頭縮頸鯿。
復た憶ふ 襄陽の孟浩然、清詩 句句 尽く伝ふるに堪へたり。
即今 耆旧 新語無く、漫に釣る 槎頭 縮頸の鯿。

 つくづく思うのは、孟浩然の清新な詩句はことごとく後世に伝えられるものである、しかし、彼以後、襄陽の詩人達には新しく作られる佳句がないのであり、ただ漫然と万丈潭で釣り糸を垂れているまるで詩人を筏で繋いだようであり、首をちじめているおしき魚ではないか。

とつぶやいているのである。秦州での作、遣興詩⑫と比べると、孟浩然の文学を称えることは共通しているが、成都に来て以降の杜甫はその生活からも物事を客観的に見るようになっていて、孟浩然が布衣として世を去ったことと深い哀悼の表現が解悶詩には見られなくなっている。



遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
每望東南雲,令人幾悲吒。

(興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。


(下し文) (興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


(現代語訳)
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。


(訳注)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。

私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
短褐 短褐穿結ということ。貧しい人や卑しい人の着る衣服。貧者の粗末な姿の形容。・短褐は短い荒布でできた着物。・穿結は破れていたり、結び合わせてあったりすること。


賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
鮑謝 ここでは、鮑照と謝朓のことであるが孟浩然の詩は謝霊運の詩にかなり強く影響されている。儒者からの人物評価において、謝靈運に対する偏見が多く正当な評価がされていない。○顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。
・六朝からの山水詩人たちを凌駕したということ。


清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
舊魚 死んだ魚。・甘蔗【かんしゃ】サトウキビの別名。
・あれだけ、襄陽に在住し、実績を残した孟浩然の詩を受け継ぎ、越えて行こうというものがいないことをいう。


每望東南雲,令人幾悲吒。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
令人 よいひと。通常夫を亡くした妻ということであるが、ここでは孟浩然を亡くした詩人の仲間たちということ。
・杜甫が秦州に来たのは、長安、華州、洛陽、それ以東、乱れ、不安定な戦況から逃れ、詩人として生きていくことを決意したのである。



 杜甫の遣興詩は、当初、心にわき起こった様々な心情のうち、ことに愁の感情を詩によってはらうという作品であった。杜甫の「遣興」と題されたものを時系列に番号を付与したもので見ていく。特に連作の場合、その表現は共通する一定の枠組みを持っており、底辺に流れる感情や心情も同一のものであると考えられる。⑧~⑫については、詩人として生きていくことを決意した杜甫が心にとめる詩人のその詩の背景について評論しているものである。⑩の「遣興五首」其三「陶潜避俗翁」詩については、陶淵明批判の有無、自嘲の有無ということを中心にいくつかの解釈がなされているが、この連作のなかでそれぞれの詩の背景、共通の枠組みと底辺に流れる感情を措定し、枯楕を恨む陶淵明の中に自らとの同一性を見いだし、親近感を抱き、諧謔を含んだ表現を展開しているものとして理解することができる。「陶潜避俗翁」は、枯楕を恨む現在の自分の姿を改めて確認しているのであり、「賀公雅呉語」は、自らが手の届かない道士、黄冠の人であることを客観的に感じ、清狂なる官吏としての人生を表現し、「吾憐孟浩然」は、貧賤のなかで詩人として生き、幾ばくかの詩編を留めて世を去るであろう残された人生を自らの人生重ねている作品としてそれぞれ読むことができる。



遣興 756年 叛乱軍安禄山軍に拘束、長安で軟禁。
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151


遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!

昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。



遣興三首 759乾元二年秋在秦州作 ⑤
下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
遣興三首 其一 <226>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
遣興三首 其二 <227>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
遣興三首 其三 <228>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331



遣興五首 759乾元二年秋在秦州作 ⑧
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。



遣興二首   759乾元二年秋在秦州作⑬
天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。

地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。



遣興五首  759乾元二年秋在秦州作⑮
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


浣花渓草堂  *****760年**********************
⑳遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。衰疾那能久,應無見汝期。





21遣意二首    760
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊絕,幽居不用名。
22
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿雁聚圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx
漫成二首-------------------------
野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。
只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。

江皋已仲春,花下複清晨。仰面貪看鳥,回頭錯應人。
讀書難字過,對酒滿壺頻。近識峨眉老,知予懶是真。

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の⑪番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352


其一  ⑧
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである

(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


其二  
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、

(其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。

其三  
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。

(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四  
賀公雅吳語,在位常清狂。
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
山陰一茅宇,江海日淒涼。

会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。


(其の四)

賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。


其五  
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
(其の五) 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文) 其の四
賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。


(下し文)
賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰一茅宇、江海日に凄涼たり。


(現代語訳)
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。


(訳注)
賀公雅吳語,在位常清狂。

賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
雅呉語 飲酒ではなく、いつも方言まるだしであったこと。・清狂 四明狂客と号し、個償不輯、おおらかで権力の争いに加わることがなかった。
李白『對酒憶賀監二首 其二』
狂客歸四明。 山陰道士迎。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。


上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
それ以上の出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
乞骸骨 主君に一身をささげて仕えた身だが、老いさらばえた骨だけは返していただきたいの意。辞職を願い出る。『晏子春秋』外篇「臣愚不能復治东阿,愿乞骸骨,避贤者之路」。・黃冠 道教指導者の發布巾。玄冠のこと。星冠、蓮花冠、五嶽冠、五老冠。


爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。


山陰一茅宇,江海日淒涼。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。
茅宇【ぼう‐う】茅ぶきの家。また、あばら屋。茅屋。



・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。〇台沼 高台や沼。

賀公、すなわち賀知章を追慕した作品である。賀知章は盛唐期の士人の代表ともいうべき人物であり、自ら四明狂客と号し、個償不輯、おおらかで権力の争いに加わることがなかった。その人柄は当時の多くの詩人達のあこがれであった。
杜甫『飲中八仙歌』
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。
宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。
*赤に示すのが八仙の人々。

*賀知章のページは回鄕偶書  盛唐の詩人たち を参考。


杜甫は「飲中八仙歌」の中で、「知章騎馬似乗船、眼花落井水底眠。(知章 馬に騎ること船に乗るに似、眼花さき 井に落ち 水底に眠る。)」と、その飲酒の様子を詠じている。しかし、「遣興五首」では飲酒ではなく、いつも方言まるだしであったこと(「雅呉語」)、官吏としてきままであったこと(「在位常清狂」)、官吏として老境にいたって致仕して帰郷したこと(「乞骸骨」「帰故郷」)、道士となったこと(「黄冠」)を挙げ、彼の人生を総括するように「爽気不可致」と詠じている。「爽気」は、賀知章の人柄、そして官吏として生きた人生をも概括することばであろう。
李白『送賀賓客帰越』 
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。


遣興五首其三 杜甫 <237>遣興22首の⑩番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1160 杜甫特集700- 351

遣興五首其三 杜甫 <237>遣興22首の⑩番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1160 杜甫特集700- 351


陶淵明に自らを重ねて心情を表出しているのか、さらに自嘲を陶淵明は世俗を避けた老人ではあるが、まだ隠者としての道を究めることができていないとし、その根拠として陶淵明は詩中において、いささか枯楕を恨んでいることを挙げ、さらに生を達観し、道を悟っていれば子供の賢愚など気にかけることはないはずである


遣興五首 其三  
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?

彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。


(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦た枯槁を恨む。
達生豈に是れ足らんや、黙識蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


現代語訳と訳註
(本文)
遣興五首 其三
陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?


(下し文) (其の三)
陶潜は避俗【ひぞく】の翁なるも、未だ必ずしも達道【たっとう】する能【あた】はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿【ここう】を恨む。
達生【たつせい】豈に是れ足らんや、黙識【もくしき】蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱【かいほう】に桂けんや。


(現代語訳)
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。


(訳注)
遣興五首 其三
陶潛避俗翁,未必能達道。

東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
達道《「たっとう」とも》古今東西を通じて一般に行われるべき道徳。君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の五つの道。達徳。「陶潜避俗翁」(⑩)においても、杜甫は陶淵明を「恨枯楕(枯楕を恨む)」人物であるととらえている。「恨枯楕」とは、『杜詩詳注』他、諸注の指摘するように、陶淵明の「飲酒二十首」其十一、「顔生称為仁、栄公言有道。屡空不獲年、長飢至於老。雖留身後名、一生亦枯楕。死去何所知、称心固為好。客養千金躯。臨化消其宝。裸葬何必悪。人当解意表。(顔生仁を為すと称せられ、栄公道有りと言はる。
屡空しくして年を獲ず、長く飢えて老に至る。身後の名を留むと雖も、一生亦た枯楕す。死し去れば何の知る所ぞ、心に称ふを固より好しと為す。千金の躯を客養し、化に臨みて其の宝を消す。裸葬何ぞ必ずしも悪しからん。人当に意表を解すベし。)」に「一生亦枯楕」とあるのに基づく。ここでは貧賤や飢寒に苦しみ、樵悴してやつれはてる意味であるが、杜甫は貧賤、飢寒によって樵悴した陶淵明をその作品のうちに見いだしたのである。陶淵明が決して悟りきった隠者ではなく、現在の目分と同じように社会との対峙において樵悴する人物であると理解した時、「無上の親しみ」を陶淵明に対して感じたことは容易に想定することができる。


觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
・枯槁 落ちぶれて衰えた人のこと。 ・「枯槁」は草木がしぼんで枯れること。転じて、人がやつれやせ衰える意に用いる。 『荘子』徐無鬼(じょむき)「枯槁の士となる」など。


達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
達生 荘子、達生(自己を棄てようと思う者、 世を棄てられなくて「天と一為る」ことができるものか。・默識 口に出さずに心中に会得すること。 


有子賢與愚,何其掛懷抱?
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。
儒者、隠者として、官を辞したのではなく、仕官していても、隠遁しても生活に変わりがなかったということで、杜甫が陶淵明に借りて自らを詠ったというより、決して『高士』陶ではない淵明の低俗性をいっているのである。
杜甫自身が、陶淵明と相似た境遇におかれたことが両者の距離をちぢめ、彼が淵明の作品に、自己の影を発見したであろうことは否定できない。それだけ彼は、陶淵明と重なりあう自己を感じ、陶淵明に無上の親しみと、時には反撥をも示している。」と述べ、杜甫が陶淵明の作品に自らと共通する部分を見いだし、親しみと時には反発を示すという分析を加えている。
陶淵明 .『責子』
白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350
(興を遣る五首 其の二)


遣興五首其二(龐徳公の事を叙して、暗に自己の志す所もまた彼と同じであることをしめした。)
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。


(興を遣る五首 其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。



現代語訳と訳註
(本文)
遣興五首其二
昔者龐德公,未曾入州府。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

(下し文) (興を遣る五首 其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。


(現代語訳)
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、

だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。
嚢陽一帯00

(訳注)
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
龐徳公【ほうとくこう】生年不詳~没年不詳、襄陽の名士であり、人物鑑定の大家。「徳公」は字で、名は不詳。子に龐山民、孫に龐渙、従子に龐統がいる。東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。
 

襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
襄陽 湖北省襄陽府。○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書 故老。○処士 官に出で仕えぬ人。○節 節操。


豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
済時策 時世の艱難をすくうはかりごと。○網罟 ともにあみのこと、罪禍の拘束にたとえる。


林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
鳥、魚 生物が本性を遂げようとするさまをいう、龐德公も世俗のことにかかわりたくないというのである。


舉家隱鹿門,劉表焉得取。
だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。
挙家一家みんな。○鹿門 嚢陽にある山の名。○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(25~56年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。○劉表 刑州刺史、その時代この地方の長官、事は上にみえる。 


昔者威徳公 未だ曾て州府に入らず
嚢陽膏旧の間 処士節独り苦しむ
豊に時を済うの策なからんや 終に寛に羅署を茂る
林茂れば鳥帰する有り 水深ければ魚衆まるを知る
家を挙って鹿門に隠る 劉表焉んぞ取ることを得ん




遣興
驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。

杜甫 『遣興』 五言排律 757年46歳 長安。



孟浩然 『登鹿門山懐古』 


孟浩然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをし、季節の訪れも気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠然と自然にとけ入った世界が歌われている。
「ぬくぬく春の眠りを貪っている」のは、宮仕えの生活を拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている入物であり、詩人にとってあこがれの生活である。立身出世とは全く縁のない世界、悠然たる『高士』の世界である。


遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349

遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349
(興を遣る五首 其の一)

遣興五首(詩の背景、人生のこと、好機と運命、を述べたシリーズ。)
其一  
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、軍師の諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。


其一
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。

其二
昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。

其三
陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四
賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。

其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文) 其一

蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。
又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。


(下し文) (其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


(現代語訳)
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。


(訳注)
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。

冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
蟄竜 穴ごもりの竜。〇三冬 冬三か月。〇万里心 万里の大空を飛ぼうと欲する心、二句は自己をたとえていう。


昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
賢俊 かしこくすぐれた人。○未遇 よい時運にであわなかったとき。○視今 自己が現今の時をみること、現今の時はやはり賢人は不遇の地位に居る。


嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
嵇康 嵆 康(けい こう、224年 - 262年あるいは263年)は、中国三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、その主導的な人物の一人。字は叔夜。非凡な才能と風采を持ち、日頃から妄りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、鍛鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭した。気心の知れた少数の人々と、清談と呼ばれる哲学論議を交わし名利を求めず、友人の山濤が自分の後任に、嵆康を吏部郎に推薦した時には、「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて彼との絶交を申し渡し、それまで通りの生活を送った。嵆康の親友であった呂安は、兄の呂巽が自分の妻と私通した事が原因で諍いを起こし、兄を告発しようとしたところ、身の危険を感じた呂巽によって先に親不孝の罪で訴えられた。この時嵆康は呂安を弁護しようとしたが、鍾会は以前から嵆康に怨恨があり、この機会に嵆康と呂安の言動を風俗を乱す行いだと司馬昭に讒言した。このため嵆康と呂安は死罪となった。
  阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩   幽憤詩 嵆康 訳注篇
不得死 善死を得ぬこと。人生を全うできなかった。○孔明 諸葛 亮(しょかつ りょう)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。劉備が諸葛亮をむかえるに三顧の礼で迎えたのも有名。若いころ、諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然○知音 知己。自分の琴の演奏の良さを理解していくれる親友のこと。伯牙は琴を能くしたが、鍾子期はその琴の音によって、伯牙の心を見抜いたという。転じて自分を理解してくれる知人。 孟浩然孟浩然『留別王侍御維』「寂寂竟何待,朝朝空自歸。欲尋芳草去,惜與故人違。當路誰相假,知音世所稀。祗應守索寞,還掩故園扉。」


又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
隴坻松 秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約2000mの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしくその坂道を隴坻という。坻はなきさ、 きざはし、 さか、 には、 とまる、 なぎさ、 にわ。隴坻は陳坂、甘粛地方の大坂である、坂を隴坻。杜甫がこの坂を超えて秦州に入るのに7日間要した。○用舎 用いるとすておくと。○在所尋 その材をたずねるところの人如何に存する。


大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。
霜雪幹 霜雪を犯して立つ松のみき。


其一
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。

遣興三首 其三 <228>杜甫 遣興22首の⑦番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331

遣興三首 其三 <228>杜甫 遣興22首の⑦番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331
(興を遣る 三首 其の三)

遣興三首 其一   
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。

其二             
高秋登塞山,南望馬邑州。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。

其三       
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
春苗九月交,顏色同日老。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
時來展才力,先後無醜好。
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。

ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)

(興を遣る 三首 其の三)
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。

現代語訳と訳註       
(本文) 其三
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。


(下し文)
(興を遣る 三首 其の三)
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。



(現代語訳)
穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)


(訳注)
豐年孰雲遲,甘澤不在早。

穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
豊年 耕作物の収穫の多い年。○執云遅 遅くてもおそいなどとだれがいおうか。遅速は論ずるに足らぬことをいう。○甘沢 雨露のよい潤しをいう。甘露の露。天地の恵み。○不在早 「早きに在らず」とは早いのが貴いというわけではないということ。


耕田秋雨足,禾黍已映道。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
禾黍 アワまたはイネと、キビ.穀物の総称。○映道 みのりの色が道路にてりはえている。


春苗九月交,顏色同日老。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
春苗 春の萌木色のなえ。〇九月交 九月と十月、秋と冬の移行の季節をいう。○顔色 苗の色。○同日老 この老は老熟の意、同日とは一般に同時にということ。


勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
衡門士 衡門を建て隠棲をしている隠者をいう、但し自己を他人におきかえていう、衡門というのは柱を立て、その上方に一本わたした門で隠者の家の門である。○尚 晩年に至ってもなおの意。○枯稿 かれてうるおいの無いこと、貧餞のすがたである。


時來展才力,先後無醜好
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
時来 よい時運が到来するならば。○展才力 自己の才能実力をのばす。○先後無醜好 先後はあとさき、醜好はみにくいことと、かおよいことと、好は壮年で先、醜は晩年で後である、「先後無醜好」とは(先後に醜好は無し)ということ。


但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)
 あやしくおもう。○鹿皮翁 仙人。淄川の人で若い時に府の小吏となった。岑山のうえに神泉があり、翁は屋を作ってその傍に留まり、芝を食し泉を飲むこと七十余年、あるとき潜水があふれ出た、翁は宗族家室を呼んで山の中腹に上らせたところが、水がでて尽く一郡をただよわせた。翁はまた宗族たちを下山させ、自分は鹿皮衣を着けてまた山に上った、百余年の後、山より下って薬を斉の市に売ったという。○忘機 からくりの心を忘れる、機心ということが荘子(天地)にみえる。「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」。 「有機械者必有機事、有機事者必有機心。機心存於胸中、則純白不備、純白不備、則神生不定。神生不定者、道之所不載也。」機械を持てば機械を用いて行う仕事(=機事)が出て来るし、機械を用いる仕事が出て来ると、機械にとらわれる心(=機心)が必ず起きる。機械にとらわれる心が胸中にわだかまると、心の純白の度合いが薄くなり、心の純白の度合いが薄くなると、精神が定まらない。精神の定まらないところには《道》が宿らないと。鹿皮翁は(機械というものを)知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ○対芝草 鹿皮翁は芝草を食べたゆえに、これに対すという。


遣興三首 其一
下馬古戰場,四顧但茫然。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
(興を遣る 三首)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


其三
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。

遣興三首 其二 <227>杜甫 遣興22首の⑥番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

遣興三首 其二 <227>杜甫 遣興22首の⑥番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330


遣興三首 其一   
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。
其二    
興を遣る 三首 其の二
高秋登塞山,南望馬邑州。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
諸將已茅土,載驅誰與謀?

このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。

(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


現代語訳と訳註   
(本文)

遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?


(下し文)
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


(現代語訳)その二
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。


(訳注)
遣興三首 其二

(興を遣る 三首 其の二)
秦州に至って身に危険を感じることがなくなったので、折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年9月の始め、重陽の節句、秋の作、洛陽陥落の前と考える。


高秋登塞山,南望馬邑州
高秋【こうしゅう】塞山【さいざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
高秋 天高き秋。○塞山 辺境の山。〇南望 秦州よりさして南の方をのぞむ。○馬邑州 唐の開元十七年秦州と成州との間に置いた州名で宝応元年成州の塩井にうつした。秦州都督府に属する。


降虜東擊胡,壯健盡不留。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
降虜 秦州附近の降参した異民族軍をいう。○ 安・史の残党をいう。○壮健 降虜の壮健なもの。○留 いのこる。


穹廬莽牢落,上有行雲愁。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
穹廬 テントをはったイオ。○ はっきりしないさま。○牢落 さびしいさま。○ テントの上方。○行雲 とんでゆく雲。


老弱哭道路,願聞甲兵休。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
老弱 居民の老いたもの、よわいもの、弱とは婦児をさす。○甲兵休 よろい、武器の事の終わること、戦のなくなることをいう。


鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
鄴中 鄴城のこと、河南省の彰徳府臨漳県。

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事反覆 唐王朝軍が勝つとおもったのに反対にひっくりかえって大敗したこと。○如丘 多いことをいう。死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっているさまをいう。


諸將已茅土,載驅誰與謀?
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。
諸将 官軍の諸将。朔方大将軍孫守亮ら九人を異姓王とし、李商臣ら十三人を同姓王となした等の事をさす。○茅土 王侯に封ずること。「尚書」(禹貢)の「蕨の貢は惟れ士の五色」の句の注に、王者が諸侯を建てるときには、これを封ずる方位に従って、その五行思想に言う方位の色の士(東方は青色、南方は赤、西は白、北は黒、中央は黄)を割いてこれに与えて社を立てさせ、その土は黄土をもっておおい、白い茅をもってつつむ、とみえる。因って王侯に封ぜられることを茅土という。此の句は厚顔無恥の甚しいものではないかと憤激してのべたものである。○載駆 「詩経」(載馳)に、「載馳載駆、帰唱衛侯」(載ち馳せ載ち駆り、帰って衛侯を唱わん)とみえる、載駆の二字はこれより借用したものであるが、ここは単に自己が馬を駆る意である、第一首に「下馬」とあり、作者は馬にのっていたのである。○謀 安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているのか。




遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。

遣興三首其一 杜甫 <226>遣興22首の⑤番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

遣興三首其一 杜甫 <226>遣興22首の⑤番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329
(興を遣る 三首)
秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約二〇〇〇メートルの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしく、山越えのためには七日を要したといわれる。759年乾元二年の秋七月、官を棄てた杜甫は、家族を連れてこの隴山を越え、秦州に向かった。
 秦州同谷成都紀行地図

杜甫が旅の目的地を秦州と決めた理由としては、洛陽は安史軍史忠明が迫っていて危険であり(九月には史思明の攻撃によって再び陥落)、長安は餞饉で物価高。それに比べて秦州には従姪の杜佐が住んでいたし、また房棺に親しい者として先ごろ長安を追放された僧の賛公もそこにいた、などのことが考えられよう。
杜甫が秦州に至って折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年秋の作。


遣興三首 其一 
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?

どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。


(興を遣る 三首 其の一)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


現代語訳と訳註  
(本文)

遣興三首 其一
下馬古戰場,四顧但茫然。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。
安得廉頗將,三軍同晏眠?


(下し文)
(興を遣る 三首 其の一)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


(現代語訳)
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。


(訳注)
遣興三首 其一
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
秦州に至って身に危険を感じることがなくなったので、折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年秋の作。


下馬古戰場,四顧但茫然。
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である
○古戦場 秦州城の附近にあるものをいう。


風悲浮雲去,黃葉墮我前。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。


朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
朽骨 戦死者のくちたほね。○穴螻蟻 穴はあなをつくることをいう。螻蟻はけらむし、あり。○為蔓草纏 「為蔓草所纏」(蔓草は纏う所と為す)の略、つるぐさにまとわれる。南朝、江淹の「恨賦」に「試望平原,蔓草縈骨,拱木斂魂。人生到此,天道寧論!」(蔓草骨に紫れ、扶木は魂を敷む)とみえる。江 淹(こう えん、444年 - 505年)は、中国南北朝時代の文学者。字は文通。本籍地は済陽郡考城県(現在の河南省蘭考県)。門閥重視の貴族社会であった六朝時代において、寒門の出身でありながら、その文才と時局を的確に見定める能力によって、高位に上りつめ生涯を終えた。


故老行嘆息,今人尚開邊。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
故老 在来の老人たち。○尚開辺 今日もなお辺鄙の土地を開いて広めようとする、尚の字には怪訝におもうこととする意がある。


漢虜互勝負,封疆不常全。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ
○漢虜 唐と、胡の異民族と。○封疆 くにざかい。○全 一進一退、きまって欠損のないことをいう。


安得廉頗將,三軍同晏眠?
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか
安得 希望をしめす語。○廉頗 廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。紀元前283年、将軍となり秦を討ち、昔陽を取る。紀元前282年、斉を討ち、陽晋(現在の山東省)を落とした。この功により上卿に任ぜられ、勇気のあることで諸侯の間で有名となる。〇三軍 古代中国、周の兵制で、一軍は一万二五〇〇人〕大国のもつ三万七五〇〇人の軍隊。また、大軍。 (2)陸軍・海軍・空軍の総称。 (3)軍勢の前鋒・中堅・後拒、または左翼・中軍・右翼。また、全軍。上中下の三軍、全軍の意。○晏眠 おそくまでねむる、安泰のさま。

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紀 頌之

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