杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

秦州抒情詩

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

 
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兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
陰風千裡來,吹汝江上宅。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
借問持斧翁﹕幾年長沙客?
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』
#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
兵家忌間諜,此輩常接跡。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
台中領舉劾,君必慎剖析。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
不忍殺無辜,所以分白黑。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
上官權許與,失意見遷斥。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。

#3
朝廷非不知,閉口休嘆息。
朝廷ではその真相がわかっていないわけではなかった、あなたはそれでもだまって口を閉じたままでなげきもしなかった。
仲尼甘旅人,向子識損益。』
あたかも孔子が東西に奔走する旅人でいつづけることを甘んじてされた、後漢の向長が損益の卦を読んで富貴貧餞の道理をさとっていたとおなじような態度でいた。』
餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。
自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。
相看受狼狽,至死難塞責。
自分はこれから旅路にでかけるが心に思うことと違っていることが多いものである。
行邁心多違,出門無與適。
一旦、門から出れば自分の気にかなわないことおもしろくないことばかりである。
於公負明義,惆悵頭更白。』
あなたに対してはしかく明明白白の義理にさえそむいておる、これをおもえばうらめしくおもわれてたださえ白い頭が一層白うなるような気持ちがする。』


現代語訳と訳註
(本文)
#3
朝廷非不知,閉口休嘆息。仲尼甘旅人,向子識損益。』
餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。相看受狼狽,至死難塞責。
行邁心多違,出門無與適。於公負明義,惆悵頭更白。』


(下し文)
朝廷知らざるに非ず、口を閉じて欺息するを休む。
仲尼 旅人を甘んず、向子 損益を識る。』
余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。
相看て狼狽【ろうばい】を受く、死に至るも責めを塞【ふさ】ぎ難し。
行邁【こうまい】心違うこと多し、門を出づれば与に適【かな】うものなし。
公に於て明義に負【そむ】けり、惆悵【ちょうちょう】頭更に白し。』


(現代語訳)
朝廷ではその真相がわかっていないわけではなかった、あなたはそれでもだまって口を閉じたままでなげきもしなかった。
あたかも孔子が東西に奔走する旅人でいつづけることを甘んじてされた、後漢の向長が損益の卦を読んで富貴貧餞の道理をさとっていたとおなじような態度でいた。』
自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。
自分はこれから旅路にでかけるが心に思うことと違っていることが多いものである。一旦、門から出れば自分の気にかなわないことおもしろくないことばかりである。


(訳注) #3
兩當縣吳十侍禦江上宅
両当県 中國歴史地図で確認すると、唐の時山南西道漢中府鳳州に属していた。成州の東隣にあたる。今は秦州に属し、州治の東南にあたっている。
呉十侍御 侍御史呉郁のこと、何処の人であるかは明らかでない、詩によれば罪されて此の地に在った者である。
江上宅 江は嘉陵江。呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。


朝廷非不知,閉口休嘆息。
朝廷ではその真相がわかっていないわけではなかった、あなたはそれでもだまって口を閉じたままでなげきもしなかった。
朝廷 朝廷の大臣たち。
非不知 事情を知らぬのではなく、知ってはいるがそのままにしておいて呉を救おうとしないことをいう。
閉口 呉が無言、自己弁護もしない。
休歎息 呉が悟って歎きもせぬこと。
 

仲尼甘旅人,向子識損益。』
あたかも孔子が東西に奔走する旅人でいつづけることを甘んじてされた、後漢の向長が損益の卦を読んで富貴貧餞の道理をさとっていたとおなじような態度でいた。』
仲尼甘旅人,向子識損益 呉の悟りきったさまをたとえていう。・:孔子の字。・旅人:孔子はつねに東西に奔走して、旅人しての生活をした。・向子:後漢の向長、字は子平は「易」を読んで損・益の卦に至り唱然としで嘆じていうのに、「吾己に富の貧に如かず、貴の賤に知かざるを知る、但だ未だ死の生に何如なるやを知らざるのみ」と。・識損益 悟りきったさま。


餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。
自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。
 杜甫。
諍臣 天子をいさめる官、左拾遺をいう。
丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。
咫尺 八寸一尺、まじかのこと。


相看受狼狽,至死難塞責。
しかるにこのさまをみていながら君が地方へ遷話されるようなさわざを見るに至ったことは、なんとも申し訳のないことで死にいたるとも自己の責めをふさぐことはできぬのである。
相看 互いにうちみつつ。
受狼狽 狼狽はうろたえるさま、狼狽を受けるとは呉が罪されて地方へ出ねばならぬようになったことの結果を見るに至ったことをいう。
至死 いのちを失うにいたっても。


行邁心多違,出門無與適。
自分はこれから旅路にでかけるが心に思うことと違っていることが多いものである。一旦、門から出れば自分の気にかなわないことおもしろくないことばかりである。
行邁 みちをゆくこと。
心多違 違の字は違背の意である、心多違は心に背くことのみ多いことをいう。
出門 自家の門外へでること。
漢の無名氏『東門行』
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
拔劍出門去,兒女牽衣啼。
東門行 漢の無名氏 詩<82>Ⅱ李白に影響を与えた詩512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1353

謝靈運『順東門行』
出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉,
信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
順東門行 謝霊運(康楽) 詩<79>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

無与通「無与我意適者」(適者 我意を与うる無し。)をいう、おもしろくないことばかり。


於公負明義,惆悵頭更白。』
あなたに対してはしかく明明白白の義理にさえそむいておる、これをおもえばうらめしくおもわれてたださえ白い頭が一層白うなるような気持ちがする。』
 呉をさす。
明義 顕明な義理、友人を救うべきことの当然をいう。○悔恨 うらむさま。
頭更日 本来白い頭が自責の念のため、いっそうしろくなることをいう。杜甫が白髪頭を云う場合、思いを押し殺し、あるいは、異なる考えを持ちながら筋を通して生きていく場合に使う言葉である。

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1505 杜甫詩 700- 466

 
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兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1505 杜甫詩 700- 466


#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
兵家忌間諜,此輩常接跡。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
台中領舉劾,君必慎剖析。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
不忍殺無辜,所以分白黑。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
上官權許與,失意見遷斥。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
兵家忌間諜,此輩常接跡。台中領舉劾,君必慎剖析。
不忍殺無辜,所以分白黑。上官權許與,失意見遷斥。


(下し文)
昔鳳翔の都に在り、共に金閏の籍を通ず。
天子も猶お蒙塵、東郊 長戟【ちょうげき】暗し。
兵家 間諜を忌む、此の輩 常に跡を接す。
台中 挙劾【きょがい】を領す、君必ず剖析【ぼうせき】を慎【つつし】む。
無事を殺すに忍びず、所以【ゆえ】に黒白を分かてり。
上官 権【うわべ】に許与す、意を失いて遷斥【せんそ】せらる。


(現代語訳)
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。


(訳注) #2
兩當縣吳十侍禦江上宅
両当県 中國歴史地図で確認すると、唐の時山南西道漢中府鳳州に属していた。成州の東隣にあたる。今は秦州に属し、州治の東南にあたっている。
呉十侍御 侍御史呉郁のこと、何処の人であるかは明らかでない、詩によれば罪されて此の地に在った者である。
江上宅 江は嘉陵江。呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。


昔在鳳翔都,共通金閨籍。
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
鳳翔都 粛宗の鳳翔の行在所をいう、鳳翔府扶風県に在った。
金閨籍 名籍を金馬門に通じおく、官に仕えること。杜甫『送李校書二十六韻』「顧我蓬屋資,謬通金閨籍。」
《文選‧謝朓詩》: “既通金閨籍, 復酌瓊筵醴。・金閨は金鑾殿の側に翰林院、学士院、左蔵庫があり、東海の蒼海を模した太液池があり園池に蓬莱山があり、太液亭があった。そこに至る右銀台門を金馬門といった。金馬門は漢の時、臣下が官を授けられる詔を待つ処。
杜甫『贈李白』
二年客東都,所歷厭機巧。
野人對腥羶,蔬食常不抱。
豈無青精飯,使我顏色好?』
苦乏大藥資,山林跡如掃。』
李侯金閨彥,脫身事幽討。
亦有梁宋游,方期拾瑤草。』

贈李白 杜甫16(李白と旅する)


天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
蒙塵 よそへ出奔されて居ったこと。
東郊 長安、洛陽の二都から東の地域一体の郊外。
暗長戟 長いほこをふるう者におおいかぶされてくらくなっている。安史軍が兩都を手中にしていて世をみだしていることをいう。


兵家忌間諜,此輩常接跡。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
兵家 兵法家。
間諜 敵方へいれてあるしのびのもの、まわしもの。
此輩 間諜をさす。
接跡 ひっきりなしに多くあること。


台中領舉劾,君必慎剖析。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
台中 御史台のうち、台は御史の役所の名。○領挙劾領は支配すること、挙劾は善なるものを推挙し罪あるものを弾劾すること、劾はかんがえきわめる意である。
君 呉をさす。
割析 解剖し分析する、こまかな点をしらべること。


不忍殺無辜,所以分白黑。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
無辜 罪のないもの、良民で間諜だと疑われるものがあり、呉がその無罪を弁護したという。また、敵の間諜が入りこんで甲なる顕官に売国・内応等の事があると言いふらした時にも甲は被疑者で、侍御史は其の無罪を主張したし、上官が他人を誣いんとするのは一良民に対するよりも寧ろこの甲の場合の方が多かったとされる。
分黒白 正邪曲直を区別する。


上官權許與,失意見遷斥。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。
上官 呉のうわやく。
権許与 かりに呉の説をみとめて賛成する。
失意 呉が上官の意を失う。

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1502 杜甫詩 700- 465

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兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1502 杜甫詩 700- 465

呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。


兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。陰風千裡來,吹汝江上宅。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。借問持斧翁﹕幾年長沙客?
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
兵家忌間諜,此輩常接跡。台中領舉劾,君必慎剖析。
不忍殺無辜,所以分白黑。上官權許與,失意見遷斥。
#3
朝廷非不知,閉口休嘆息。仲尼甘旅人,向子識損益。』
餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。相看受狼狽,至死難塞責。
行邁心多違,出門無與適。於公負明義,惆悵頭更白。』



兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
陰風千裡來,吹汝江上宅。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
借問持斧翁﹕幾年長沙客?
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』


現代語訳と訳註
(本文)
兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。陰風千裡來,吹汝江上宅。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。借問持斧翁﹕幾年長沙客?
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』


(下し文)
(兩當縣の吳十侍御が江上の宅)
寒城朝煙淡し 山谷落葉赤し
陰風千里より来たる 吹く汝が江上の宅
騰難柾渚に号ぶ 日色肝隋に傍う
借問す持斧の翁 幾年ぞ長抄の客
表裏たり矢木の訳 矯矯たり避弓の副
亦た知る故郷の楽しきを 未だ敢て宿昔を思わず』


(現代語訳)
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』


(訳注)#1
兩當縣吳十侍禦江上宅

両当県 中國歴史地図で確認すると、唐の時山南西道漢中府鳳州に属していた。成州の東隣にあたる。今は秦州に属し、州治の東南にあたっている。
呉十侍御 侍御史呉郁のこと、何処の人であるかは明らかでない、詩によれば罪されて此の地に在った者である。房琯の関係者ということであろう。
江上宅 江は嘉陵江。呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。
 秦州0002k51

寒城朝煙淡,山谷落葉赤。
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
寒城 冬の両当県城。


陰風千裡來,吹汝江上宅。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
陰風 冬の風。朔風。北より吹く陰気な風。○汝 呉郁。
江上宅 江は嘉陵江。


鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
○鵾雞 鶤雞 ①大雞。②鶴に似た大きい水鳥。③鳳凰の別名。④大鳥。 樂曲名。《鵾雞曲》
○柾渚 まがっているなぎさ。○阡陌 田園の南北・東西にわたっている十字道。


借問持斧翁﹕幾年長沙客?
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
持斧翁 呉郁をさす、漢の武帝の末に繍衣の御史暴勝之というものが使いとなり斧を持って盗賊を逐捕した、郁は侍御史であるゆえ持斧翁という。【孟子:告子章句上八】 『原文』 孟子曰、 牛山之木嘗美矣、 以其郊於大國也、 斧斤伐之、可以爲美乎。(孟子曰く、 牛山の木は 嘗て美なり。 其の大国に 郊するを以て、 斧斤【ふきん】之を伐る、以て美と為す可けんや。)○幾年 いくとせ。
長沙客 漢の賈誼は長沙に貶謫された、今借用して呉郁をさしていう。・賈誼は漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した


哀哀失木柼,矯矯避弓翮。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
失木柼 柼は尾長くろざる、しし鼻で尾の長さが四五尺あるという、失木柼は本来離れるはずのない木からはなれた猿をいう、呉がその地位を普通ではないことで失ったことをいう。ここでは讒言によることを謂う。○矯矯 あがるさま。
避弓翮 翮は鳥のたちばね、ここは雁をいう、雁は蘆の葉を銜えて飛び、弓を避ける、此の句はかつて朝廷においていわれのない誹謗にさらされた呉の難害を避けることをたとえる。


亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』
亦知 責められたことをいくら雁のようにかわしても辛い生活により認知させられる。
宿昔 過去の高級官僚の時をいう。

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上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐
別贊上人 杜甫 <319-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1499 杜甫詩 700- 464


別贊上人#1
百川日東流,客去亦不息。
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
我生苦漂蕩,何時有終極?
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
贊公釋門老,放逐來上國。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。

#2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
是身如浮雲,安可限南北。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。

#3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。
冬の厳しい風になりつつある野に吹く風は次の土地に向えと旅の衣に吹き込んでくる。日暮れになってきたので上人と別れをしなければいけないとおもっている。
馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
愛馬はいつも使っているかいば桶を思い出しては嘶くのであり、鳥にしたって羽をはばたきつくして襲撃のためにいったん高い所に飛び上がっていてもやはり古巣へ帰るものである。
古來聚散地,宿昔長荊棘。
この秦州は古くから、生産地から集めた品物を消費地へ送り出す場所であり、従来より、自分の進むのはいばらの道が長いのである。
相看俱衰年,出處各努力!
こうして見ているとお互い同じように年を重ね衰えもしてきている。そうはいっても各々が努力をして行くということでここを出て行くことにしよう。


(贊上人に別る)#1
百川は 日び東流し、客の去りゆくことも 亦た息まず。
我が生は 飄(ただよ)い蕩(さまよ)うことに苦しむ、何れの時にか 終り極まること有らん。
贊公 釋門の老,放逐されて上國に來る。
還って世塵の嬰に為さん,頗る帶びるは 憔悴の色。
#2
楊枝 晨に手に在り,豆子 雨は已に熟し。
是身は浮雲の如く,安んぞ南北に限すべけん。
異縣 舊友に逢い,初欣 胸臆を寫す。
天長くして 関塞は寒からん,歳の暮れちかければ 饑えと凍えに逼(せま)られん。
#3
野の風は 征(たび)の衣を吹き,別れんと欲すれば 曛黒(ひぐれ)に向(なんなん)とす。
馬嘶いて故櫪を思い,歸鳥して斂翼を盡す。
古來 聚散の地なり,宿昔 荊棘を長す。
相看れば俱に衰年なり,出處して各努力するのみ!


現代語訳と訳註
(本文)
#3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
古來聚散地,宿昔長荊棘。相看俱衰年,出處各努力!


(下し文) #3
野の風は 征(たび)の衣を吹き,別れんと欲すれば 曛黒(ひぐれ)に向(なんなん)とす。
馬嘶いて故櫪を思い,歸鳥して斂翼を盡す。
古來 聚散の地なり,宿昔 荊棘を長す。
相看れば俱に衰年なり,出處して各努力するのみ!


(現代語訳)
冬の厳しい風になりつつある野に吹く風は次の土地に向えと旅の衣に吹き込んでくる。日暮れになってきたので上人と別れをしなければいけないとおもっている。
愛馬はいつも使っているかいば桶を思い出しては嘶くのであり、鳥にしたって羽をはばたきつくして襲撃のためにいったん高い所に飛び上がっていてもやはり古巣へ帰るものである。
この秦州は古くから、生産地から集めた品物を消費地へ送り出す場所であり、従来より、自分の進むのはいばらの道が長いのである。
こうして見ているとお互い同じように年を重ね衰えもしてきている。そうはいっても各々が努力をして行くということでここを出て行くことにしよう。


(訳注) #3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。

冬の厳しい風になりつつある野に吹く風は次の土地に向えと旅の衣に吹き込んでくる。日暮れになってきたので上人と別れをしなければいけないとおもっている。
・曛黑  日が暮れ天が黑になっていく。南朝宋謝靈運『擬魏太子鄴中集詩‧陳琳』「夜聽極星闌, 朝遊窮曛黑。」(夜聽いて星闌を極め, 朝に遊んで曛黑を窮む。)


馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
愛馬はいつも使っているかいば桶を思い出しては嘶くのであり、鳥にしたって羽をはばたきつくして襲撃のためにいったん高い所に飛び上がっていてもやはり古巣へ帰るものである。
故櫪 いつも使っているかいばおけ。
斂翼 わしが襲撃のためにいったん高い所に飛び上がる様子をいう。


古來聚散地,宿昔長荊棘。
この秦州は古くから、生産地から集めた品物を消費地へ送り出す場所であり、従来より、自分の進むのはいばらの道が長いのである。
聚散 1 集まったり散ったりすること。「離合―」2 生産地から集めた品物を消費地へ送り出すこと。
宿昔 昔から今までの間。従来。また、むかし。以前。
荊棘 [1]イバラなどとげのある低木。また、イバラなどの生い茂る荒れた土地。[2]障害・妨げとなるもの。困難。いばらの道


相看俱衰年,出處各努力!
こうして見ているとお互い同じように年を重ね衰えもしてきている。そうはいっても各々が努力をして行くということでここを出て行くことにしよう。



■大雲寺贊公房四首
心在水精域,衣沾春雨時。
洞門盡徐步,深院果幽期。』
到扉開複閉,撞鐘齋及茲。
醍醐長發性,飲食過扶衰。-
把臂有多日,開懷無愧辭。』
黃鸝度結構,紫鴿下罘罳。
愚意會所適,花邊行自遲。
湯休起我病,微笑索題詩。』-
心は水精の域に在り 衣は需う春雨の時
洞門尽く徐歩 深院果して幽期』
到扉開いて復た閉ず 撞鐘斎蓋に及ぶ
醍醐長えに性を発せしむ 飲食裏を扶くるに過ぐ-
轡を把る多目有り 懐を開く塊辞無し』
黄鶴結構を度り 紫鵠宋恩より下る
愚意適する所に会う 花辺行くこと自ら遅し
揚休我が病めるを起たしむ 微笑して題詩を索む』

其二
細軟青絲履,光明白氎巾。
深藏供老宿,取用及吾身。
自顧轉無趣,交情何尚新。
道林才不世,惠遠得過人。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。
細軟 青絲を履き,光明 白氎の巾。
深藏 供に老いて宿し,取を用って 吾身に及び。
自ら顧みて 轉 趣き無し,交情 何んぞ尚お新し。
道林 才 不世,惠遠 過る人を得る。
雨瀉ぐ 簷竹に暮し,風吹き 春井芹。
天陰 圖畫に對し,最も覺して龍鱗に潤う。

其三
燈影照無睡,心清聞妙香。
夜深殿突兀,風動金瑯璫。
天黑閉春院,地清棲暗芳。
玉繩迥斷絕,鐵鳳森翱翔。
梵放時出寺,鐘殘仍殷床。
明朝在沃野,苦見塵沙黃。』
燈影照らして睡(ねむ)る無し、心清くして妙香を聞く。
夜深くして殿突(でんとつ)兀(ごつ)たり、風動かして金瑯璫たり。
天黒くして春院閉ず、地清くして暗芳棲む。
玉縄迥に断絶す、鉄鳳森として翱翔す。
梵放たれて時に寺を出づ、鐘残って仍牀に殷たり。
明朝沃野に在らん、塵沙の黄なるを見るに苦しむ。

其四
童兒汲井華,慣捷瓶手在。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
艱難世事迫,隱遁佳期後。
晤語契深心,那能總鉗口?
奉辭還杖策,暫別終回首。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
既未免羈絆,時來憩奔走。
近公如白雪,執熱煩何有?
童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。
沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。
明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高牖(こうりょ)を搴(ぬ)く。
側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) 墀柳(くつりゅう)に委ねる。
艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩 何んぞ有りや?


■宿贊公房
宿贊公房
 〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。
杖錫何來此,秋風已颯然。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
放逐寧違性?虛空不離禪。
相逢成夜宿,隴月向人圓。
(賛公が房に宿す)
(賛は、京師の大雲寺の主なり、此に謫して安置せらる。)
錫【しゃく】を杖【つ】きて何か此に来たれる、秋風己に颯然【さつせん】たり。
雨には荒る深院【しんいん】の菊、霜には倒る半池の蓮【れん】。
放逐【ほうちく】寧ぞ性に違【たが】わんや、虚空【こくう】禅を離【さ】らず。
相逢うて夜宿【やしゅく】を成せば、隴月【ろうげつ】人に向こうて円【まど】かなり。


■寄贊上人
一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
重岡北面起,竟日陽光留。茅屋買兼土,斯焉心所求。
近聞西枝西,有穀杉漆稠。
亭午頗和暖,石田又足收。當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。
徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。柴荊具茶茗,逕路通林丘。
與子成二老,來往亦風流。
(下し文)
一昨は あなたの錫杖【しゃくじょう】に陪し、隣を卜す 南山の幽なるに。
年の侵して われは腰や脚の衰うれば、陰の崖の秋には 未だ便ならず。
重なれる岡【やま】の 北面に起これば、竟日 陽光は留まらん。
茅屋は 買うに土を兼ぬれば、斯【すなわ】ち焉【ここ】ぞ 心の求むる所なり。
近ごろ聞く 西枝の西に、谷有りて 杉と漆の稠【おお】く。
亭午は 頗る和暖にして、石田は 又た収むるに足ると。
当【まさ】に期す この塞の雨の乾き、宿昔の 歯の疾【やまい】の瘳【い】ゆるときを。
虎穴の上【ほと】りを 徘徊し、竜泓【りゅうおう】の頭【ほと】りに 面勢せん。
柴荊【さいけい】に 茶茗を具え、逕路は あなたのすまう林丘に通ず。
子【し】とわれと 二老と成り、来往すれば 亦た風流ならん。

別贊上人 杜甫 <319-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1496 杜甫詩 700- 463

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上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐
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#2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
是身如浮雲,安可限南北。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
天長關塞寒,歲暮饑凍逼。

天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。


現代語訳と訳註
(本文) #2

楊枝晨在手,豆子雨已熟。是身如浮雲,安可限南北。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。天長關塞寒,歲暮饑凍逼。


(下し文)
#2
楊枝 晨に手に在り,豆子 雨は已に熟し。
是身は浮雲の如く,安んぞ南北に限すべけん。
異縣 舊友に逢い,初欣 胸臆を寫す。
天長くして 関塞は寒からん,歳の暮れちかければ 饑えと凍えに逼(せま)られん。


(現代語訳)
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。


(訳注) #2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
楊枝 古来、柳を折って旅人の安全を祈りそして無事に帰って來ることを願った。そための柳の枝。
豆子 お茶のこと。別れの前にお茶を飲む。豆子茶【とうずちゃ】。古来、楚の国の名産で全土に広がった。。


是身如浮雲,安可限南北。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。


異縣逢舊友,初欣寫胸臆。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
【欣快】きんかい. 非常にうれしく気持ちのよいこと。喜び。 「欣快の至り」「ご病気御全快の由、欣快に存じます」. 【欣喜】きんき. 非常に喜ぶこと。 【欣喜雀躍】きんきじゃくやく. 躍り上がって大喜びすること。喜んで小躍りすること。 「雀躍」はスズメが飛び跳ねることで


天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。
天長 天の悠久な事。

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別贊上人#1
百川日東流,客去亦不息。
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
我生苦漂蕩,何時有終極?
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
贊公釋門老,放逐來上國。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。
#2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。是身如浮雲,安可限南北。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
#3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
古來聚散地,宿昔長荊棘。相看俱衰年,出處各努力!

(贊上人に別る)#1
百川は 日び東流し、客の去りゆくことも 亦た息まず。
我が生は 飄(ただよ)い蕩(さまよ)うことに苦しむ、何れの時にか 終り極まること有らん。
贊公 釋門の老,放逐されて上國に來る。
還って世塵の嬰に為さん,頗る帶びるは 憔悴の色。

#2
楊枝 晨に手に在り,豆子 雨は已に熟し。
是身は浮雲の如く,安んぞ南北に限すべけん。
異縣 舊友に逢い,初欣 胸臆を寫す。
天長くして 関塞は寒からん,歳の暮れちかければ 饑えと凍えに逼(せま)られん。
#3
野の風は 征(たび)の衣を吹き,別れんと欲すれば 曛黒(ひぐれ)に向(なんなん)とす。
馬嘶いて故櫪を思い,歸鳥して斂翼を盡す。
古來 聚散の地なり,宿昔 荊棘を長す。
相看れば俱に衰年なり,出處して各努力するのみ!



現代語訳と訳註
(本文)
百川日東流,客去亦不息。我生苦漂蕩,何時有終極?
贊公釋門老,放逐來上國。還為世塵嬰,頗帶憔悴色。

(下し文)
百川は 日び東流し、客の去りゆくことも 亦た息まず。
我が生は 飄(ただよ)い蕩(さまよ)うことに苦しむ、何れの時にか 終り極まること有らん。
贊公 釋門老,放逐されて上國に來る。
還って世塵の嬰に為さん,頗る帶びるは 憔悴の色。


(現代語訳)
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。


(訳注)
別贊上人

秦州出発の前に、心の師であり友であった賛上人に『賛上人に別る』の留別の詩を書いた。杜甫はその詩の冒頭から、東へ流れ去る川が尽きるときがないように、自分の流浪の人生も終わるときがないのではないかと、ひどく悲観的になっている。
■大雲寺贊公房四首 
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■宿贊公房

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■寄贊上人

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百川日東流,客去亦不息。
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
百川 多くの川。『詩経、小雅、十月之交』「百川沸騰、山冢崒崩。高岸爲谷、深谷爲陵。」(百川沸騰し、山冢【さんちょう】崒【ことごと】く崩る。高岸 谷と爲し、深谷 陵と爲る。)詩経小雅、十月之交の時期、場面がかぶさっている。詩経では天変地異の災禍を悲しんでいる。杜甫は長安以東、戦火で落ち着いていないことを憂いている。
東流 向東。秦州雜詩二十首 其二「清渭無情極、愁時独向東。」東は長安、作者の故郷とする地であるが、当たり前のこととして流れて行く。この地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿がむなしく寺に変わり、自分は官を辞してこうした西の果てに来ていて、天他の安寧を願い、今の世を愁いている。しかし、渭水の水は愁いも辛苦も知らぬ顔をして無情に東流して行く。秦州雜詩二十首 其二 杜甫 第1部 <255> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1214 杜甫詩 700- 369『新安吏』「白水暮東流、青山猶哭聲。」新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305



我生苦漂蕩,何時有終極?
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
漂蕩 1 水にただようこと。 2 さまようこと。さすらうこと。漂泊。


贊公釋門老,放逐來上國。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
釋門 仏門。『大雲経』をを納める「大雲経寺」を全国の各州に造らせた。これは後の日本の国分寺制度の元になった総本山の僧侶であった。そこの長老であった。


還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。
 生まれたばかり


 

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1490 杜甫詩 700- 461

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寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1490 杜甫詩 700- 461



寄張十二山人彪三十韻
時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
耕岩非穀口,結草即河濱。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。

肘後符應驗,囊中藥未陳。
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
自古多悲恨,浮生有屈伸。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
此邦今尚武,何處且依仁。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。

官場羅鎮磧,賊火近洮岷。
唐軍の防禦用の環濠は兵屯所や沙漠に随所にならんでおり、洮州、岷州、並に隴西の地に近く吐蕃軍の焚掠の火がせまってきている。
蕭瑟論兵地,蒼茫鬥將辰。
西方各方面から敵軍が攻めてくるどこを重点にするか議論のしどころであるがどの地点もさびし良いものとなっている。その上、唐軍に裏切りが出ており、諸将が敵味方に分かれて相闘う時となって、勝敗の行方がはっきりしないのだ。
大軍多處所,餘孽尚紛綸。
唐王朝軍は大部隊を多くの処にあつめている、それは安史軍とそれを助けている者たちもまだ入り乱れているからである。
高興知籠鳥,斯文起獲麟。
わたしは心には高興をいだいているとはいうものの籠のなかの鳥であることを知っている。しかし私もあなたも孔子のように獲麟に感じて著述の筆をそこからおこそうとしているのだ。
窮秋正搖落,回首望松筠。

いま秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ、木の葉もゆれおちるときになってしまった、わたしは振り返ってあなたの意志を示す松と竹の宅の方を眺め遣るのである。

官壕【かんごう】鎮磧【ちんせき】に羅【つら】なる、賊火【ぞくか】洮岷【とうびん】に近し。
蕭瑟【しょうしつ】たり論兵【ろんぺい】の地、蒼茫【そうぼう】たり闘将【とうしょう】の辰【とき】。
大軍処所【しょしょ】多し、余孽【よげつ】尚お紛綸【ふんりん】たり。
高興【こうきょう】籠鳥【ろうちょう】なるを知る、斯文【しぶん】獲麟【かくりん】に起こらん。
窮秋【きゅうしゅう】正に搖落す、首を回らして松筠【しょういん】を望む。』


現代語訳と訳註
(本文)

官場羅鎮磧,賊火近洮岷。蕭索論兵地,蒼茫鬥將辰。
大軍多處所,餘孽尚紛綸。高興知籠鳥,斯文起獲麟。
窮秋正搖落,回首望松筠。


(下し文)
官壕【かんごう】鎮磧【ちんせき】に羅【つら】なる、賊火【ぞくか】洮岷【とうびん】に近し。
蕭瑟【しょうしつ】たり論兵【ろんぺい】の地、蒼茫【そうぼう】たり闘将【とうしょう】の辰【とき】。
大軍処所【しょしょ】多し、余孽【よげつ】尚お紛綸【ふんりん】たり。
高興【こうきょう】籠鳥【ろうちょう】なるを知る、斯文【しぶん】獲麟【かくりん】に起こらん。
窮秋【きゅうしゅう】正に搖落す、首を回らして松筠【しょういん】を望む。』


(現代語訳)
唐軍の防禦用の環濠は兵屯所や沙漠に随所にならんでおり、洮州、岷州、並に隴西の地に近く吐蕃軍の焚掠の火がせまってきている。
西方各方面から敵軍が攻めてくるどこを重点にするか議論のしどころであるがどの地点もさびし良いものとなっている。その上、唐軍に裏切りが出ており、諸将が敵味方に分かれて相闘う時となって、勝敗の行方がはっきりしないのだ。
唐王朝軍は大部隊を多くの処にあつめている、それは安史軍とそれを助けている者たちもまだ入り乱れているからである。
わたしは心には高興をいだいているとはいうものの籠のなかの鳥であることを知っている。しかし私もあなたも孔子のように獲麟に感じて著述の筆をそこからおこそうとしているのだ。
いま秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ、木の葉もゆれおちるときになってしまった、わたしは振り返ってあなたの意志を示す松と竹の宅の方を眺め遣るのである。


(訳注)
官場羅鎮磧,賊火近洮岷。
唐軍の防禦用の環濠は兵屯所や沙漠に随所にならんでおり、洮州、岷州、並に隴西の地に近く吐蕃軍の焚掠の火がせまってきている。
官壕 官軍が防禦のためにはったほり。
 羅列。○鎮磧 鎮は成兵の屯所、磧は沙漠。
賊火 この頃吐蕃が沙州を占拠し領土拡大をしてきた。焚掠の兵火。
洮岷 洮州、岷州、並に隴西の地。唐は西の拠点を隴西に置き、岷州、洮州、沙州と西に領土としていた。安史の乱で手薄になった西を吐蕃により攻められたのである。杜甫秦州雑詩二十首』(第二部(其五其六其七其八)に辺境の地が変化していく様子が描かれている。


蕭瑟論兵地,蒼茫鬥將辰。
西方各方面から敵軍が攻めてくるどこを重点にするか議論のしどころであるがどの地点もさびし良いものとなっている。その上、唐軍に裏切りが出ており、諸将が敵味方に分かれて相闘う時となって、勝敗の行方がはっきりしないのだ。
蕭瑟 さびしいさま。
論兵地 隴西、秦州は吐蕃軍により西方,北西方の二方向から攻められ、秦州は南西方向から攻められることが世遅くされた。吐蕃軍に対する用兵を論ずることを示す。
蒼茫 はっきりせぬさま。
闘将辰 辰は時、韻字の都合で辰の字を用いたが時というのも処というのもほとんど大差はない、闘将は諸将が敵味方で相闘うことをいう。吐蕃軍に寝返った将校がいたことを示す。


大軍多處所,餘孽尚紛綸。
唐王朝軍は大部隊を多くの処にあつめている、それは安史軍とそれを助けている者たちもまだ入り乱れているからである。
大軍 唐王朝軍をいう。
多処所 その居る場所が多くあること、これはひろく遠方の諸地へかけていう。
余孽 虫豸の妖を孽という、凶賊ののこりのものをいう。
紛縮 みだれているさま、多くあることをいう。


高興知籠鳥,斯文起獲麟。
わたしは心には高興をいだいているとはいうものの籠のなかの鳥であることを知っている。しかし私もあなたも孔子のように獲麟に感じて著述の筆をそこからおこそうとしているのだ。
高興 私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるもの。『北征』詩
「青雲動高興,幽事亦可悅。」
(青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。)
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
北徵 #4(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 211

知籠烏 杜甫が秦州の東柯谷に隠遁したいと思っていても買い取る資金もなく、戦地近くでもあり出るに出られない状況をいう。これは龍中の烏に似ていることを知ることをいうのである、
斯文 張彪につけていう、斯文は彪の著述をさす、起は筆をそこからおこしはじめることをいう、
獲麟 孔子が「春秋」を著わしたときに「西狩獲麟」にて筆を止めたことをさす、杜預の「左伝」の序に、「孔子ノ筆ヲ獲麟の句に絶ちしは感じて起こりし所なるも、固より終りを為す所以なり」、とある、孔子が獲麟に感じたのは、麟が其の出現すべき時ではないのに出現したことを傷んだのであるといわれる、故に孔子は獲麟に感じて筆を起こしたが亦たそこで止めたのである、彪も必ずや孔子のごとく獲麟に感じて筆を起こしたのであろう、此の二句は杜甫自ずからと張彪のことをいいふたりにきょうつうしたものであるということ。


窮秋正搖落,回首望松筠。
いま秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ、木の葉もゆれおちるときになってしまった、わたしは振り返ってあなたの意志を示す松と竹の宅の方を眺め遣るのである。』
窮秋 秋のすえ。秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ。
揺落 木の葉のゆられておちること。
望松筠 張彪が隠居をのぞむこと、筠は竹の色であるが竹をいう、松筠は松竹の意、裡面には松竹の晩節を保つ意味をもふくむ。松は筋を通す生き方に比喩される。竹は意志を枉げない意味と隠遁をあらわす語である。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1487 杜甫詩 700- 460

      
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寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1487 杜甫詩 700- 460


肘後符應驗,囊中藥未陳。
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
自古多悲恨,浮生有屈伸。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
此邦今尚武,何處且依仁。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。
肘後【ちゅうご】符【ふ】応【まさ】に験【けん】あるなるべし、嚢中【のうちゅう】薬【くすり】未だ陳ならず。
旅懐殊【こと】に愜【かな】わず、良覿【りょうてき】眇【びょう】として因無し。
古【いにしえ】自【よ】り皆 悲恨【ひこん】あり、浮生屈伸あり。
此の邦【くに】今武を尚ぶ、何【いずれ】の処にか且つ仁に依らん。
鼓角天籟【てんらい】を凌ぐ、関山月輪に倚る。

少陵台

現代語訳と訳註
(本文)

肘後符應驗,囊中藥未陳。旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自古多悲恨,浮生有屈伸。此邦今尚武,何處且依仁。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。


(下し文)
肘後【ちゅうご】符【ふ】応【まさ】に験【けん】あるなるべし、嚢中【のうちゅう】薬【くすり】未だ陳ならず。
旅懐殊【こと】に愜【かな】わず、良覿【りょうてき】眇【びょう】として因無し。
古【いにしえ】自【よ】り皆 悲恨【ひこん】あり、浮生屈伸あり。
此の邦【くに】今武を尚ぶ、何【いずれ】の処にか且つ仁に依らん。
鼓角天籟【てんらい】を凌ぐ、関山月輪に倚る。


(現代語訳)
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。

終南山03

(訳注)
肘後符應驗,囊中藥未陳。
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
肘後符応験 晋の葛洪は「金匱薬方一百巻」・「肘後安息方四巻」を著わした、肘後:手許のこと、符:医療のまじないのふだ、験;ききめのしるし。
 ふるくなる。陳腐。


旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
旅懐 杜甫の客中のおもい。○ きにあう。
良覿 親友と相い見ること。
眇無因 はるかにして遭うに由無いこと。


自古多悲恨,浮生有屈伸。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
悲恨 悲しみうらむ。仇に思うこと。遺恨まで行かないものと解釈する。『漢書、刑法志』「不辜蒙戮、父子悲恨」
屈伸 一身のかがむとのびると、伸縮。しゃがんでいるものと思っていたものが謀叛ということで、起き上がり、身の程知らずに皇帝を名乗ったこと。あるいは不満分子の集合体、集散離合の状況をいう。


此邦今尚武,何處且依仁。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
此邦 この国は秦州ばかりでなくどこでも。
依仁 仁人にたよって生活すること、仁人は彪をさす、この依仁は「論語」の「里仁」の意のごとくである。


鼓角淩天籟,關山倚月輪。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。
凌天籟 そらふくからかぜをもしのぐ、高くのぼること。
倚月輪 といっているのは関山が倚るとみるものである。「地勢の高きを言う」「秦州雑詩」にこれらの雰囲気をつかむことが出来る。
秦州雜詩二十首 其四
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
万方声一慨、吾道竟何之。
鼓角【こかく】 縁辺【えんぺん】の郡、川原【せんげん】  夜ならんと欲する時。
秋に聴けば地に殷【どよ】もして発【おこ】り、風に散【さん】じて雲に入り 悲しむ。
葉を抱【いだ】ける寒蝉【かんせん】は静かに、山に帰る独鳥【どくちょう】は遲。
万方【ばんぽう】 声 一慨【いちがい】、吾 【わ】が道  竟【つい】に何【いず】くにか之【ゆ】かん。


秦州雜詩二十首 其六
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。
城上に胡茄【こか】奏せらる 山辺に漢節【かんせつ】帰る。
防河【ぼうが】として滄海【そうかい】に赴く 詔を奉じて金微【きんぴ】より発す。
士苦しみて形骸【けいがい】黒く 林 疎【そ】にして鳥獣【ちょうじゅう】稀なり。
那ぞ堪えん往来の戊の、鄴城【ぎょうじょう】の囲みを解きしことを恨むに。


秦州雑詩二十首 其七
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。
莽莽【もうもう】たり万重【ばんちょう】の山、孤城  山谷【さんこく】の間。
風無くして雲は塞を出で、夜ならざるに月は関【かん】に臨む。
属国  帰ること何ぞ晩【おそ】き、楼蘭【ろうらん】  斬らんとして未だ還【かえ】らず。
烟塵【えんじん】に独り長望【ちょうぼう】し、衰颯【すいさつ】として正【まさ】に顔を摧【くだ】く。


秦州雜詩二十首 其四 杜甫 第1部 <257> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1220 杜甫詩 700- 371

秦州雜詩二十首 其六 杜甫 第2部 <259> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1226 杜甫詩 700- 373

秦州雜詩二十首 其七 杜甫 第2部 <260> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1229 杜甫詩 700- 374


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 杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩 
 李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人  
 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
      
寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1484 杜甫詩 700- 459


時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
耕岩非穀口,結草即河濱。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。


現代語訳と訳註
(本文)

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。
商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。
耕岩非穀口,結草即河濱。


(下し文)
時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり
世祖高廟を修む 文公従臣を賞す
商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず
想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに
巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜


(現代語訳)
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。


(訳注)
時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
時来 太平の時節が到来した、下句の乱後に対して。倒句で読むほうがよい。
故旧 ふるなじみの友人知人。
別離頻 このわかれのなかに今回の張彪とのわかれをふくめていう。


世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
世祖 後漢の光武帝の廟号。○修 修繕。○高廟 漢の高祖の廟、光武は建武二年正月に高祖の廟を洛陽に立てたことをいい、ここではどうように粛宗が乾元元年四月に九廟が落成して神儀を迎えて新廟に入れたことをいう。
文公賞従臣 「左伝」(僖公廿四年)にみえる、晋の文公が本国を出て諸国をさまよい国にかえるに及んで従者を賞した。粛宗の至徳二載十二月、玄宗に蜀に従ったもの及び粛宗に霊武に従った諸臣に封爵を加えたことをいう。


商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
商山猶入楚 隠棲地である商山は今なお唐の支配下の中に有る。商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。
渭水不離秦 渭水は安史軍を排除して、唐の支配下にある。
渭水で釣りをしていたところを文王が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えた周の軍師となり、文王の子武王を補佐し、殷の帝辛(受王)を牧野の戦いで打ち破る。後に斉に封ぜられる。兵法書『六韜』の著者とされた


存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、あなたはまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
存想青竜秘 存想は思想をそこにとどめること、青竜秘とは青竜が斎室の前後をまもっておるものと考えるなどの神秘的なことをいう。二十八宿を7宿ごとにまとめた四象があり、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀に四分された。
騎行 普通は馬にのってあるく。ここでは鹿。〇白鹿 仙人ののるもの。


耕岩非穀口,結草即河濱。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。
耕巌非谷口 漢の鄭撲字は子真が長安の南、谷口に居り、巌石の下に耕したということが「揚子法言」に有ることに基づく。此の句は張彪の隠れる地が長安近くではないことをいう。『鄭駙馬宅宴洞中』「自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。」(自ら是 秦楼  鄭谷を圧す、時に聞く 雑佩の声珊珊たるを。) 
結草即河浜 「神仙伝」に、“漢の文帝の時、河上公が草庵を河浜につくり、老子を読んだ。ここに文帝が駕してここに詣る。”とある。道家着流の作り話であるが、河は黄河、此の句は張彪の隠れるところが洛陽近くであることをいう。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1481 杜甫詩 700- 458

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上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐
寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1481 杜甫詩 700- 458
《『寄張十二山人彪三十韻』 杜甫700の318-#3首目、杜甫ブログ458回目》


寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は道家で嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣り住いをすることができたのだ。
独り臥す嵩陽【すうよう】の客、三たび違う潁水【えいすい】の春。
艱難【かんなん】老母に随い、惨澹【さんたん】時人に向こう。
謝氏【しゃし】山を尋ぬる屐【げき】、陶公【とうこう】酒を漉【ろく】する巾【きん】。
群凶【ぐんきょう】宇宙に弥【わた】る、此の物、風塵に在り。
歴下【れきか】羌被【きょうひ】を辞す、関西孟鄰を得。

早通交契密,晚接道流新。
君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
草書何太古,詩興不無神。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
曹植休前輩,張芝更後身。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
數篇吟可老,一字賣堪貧。
その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。
早く交契【こうけい】を通ずること密に、晩に道流に接する新たなり。
静者 心 妙多し、先生 芸 絶倫なり。
草書何ぞ太【はなは】だ古なる、詩 興神 無くんばあらず。
曹植【そうしょく】前輩休む、張芝【ちょうし】更に後身あり。
数篇吟じて老すべし、一字 売れば貧なるに堪えたり。
将 恐 曾て 寇を防ぐ、深く潜みて所親に託す。

#3
將恐曾防寇,深潛托所親。
その間よく夕に母親を門に倚りかかるほど待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
その間よく夕に母親を門に倚り待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
疏懶為名誤,驅馳喪我真。
わたしは生来、儒者で無精者であるのになまじ名声を博したため、身を誤って世間へとびだしてしまった、北征し、東西に駆けずり回ってしまい本来の自分を失ってしまったのだ。
索居尤寂寞,相遇益愁辛。
親友とちりぢりになっての生活は甚ださびしいもので心が満たされないものだった、しかし君と出会ってみるとこれまたますます愁い、辛さをますばかりである。
流轉依邊徼,逢迎念席珍。
自分は処処転転してこの秦州の辺境に身を託しておるので、『礼記』に「席珍待聘」といわれるように珪璋のような“席上の珍”たるあなたをお迎えしたく思っているのである。
将恐【しょうきょう】曾て寇【こう】を防ぐ、深く潜【ひそ】みて所親【しょしん】に託す。
寧ぞ聞かんや「倚門【いもん】のタ【ゆうべ】、力を尽す潔飧【けっさん】の晨【あした】」。
疎懶【そらん】名に誤らるるを為す、駆馳【くち】我が眞【しん】を喪【うしな】う
索居【さくきょ】尤【もっと】も寂寞【せきばく】、相遇うて益【ますま】す愁辛【しゅうしん】。
流転 辺徼【へんきょう】に依る、逢迎【ほうげい】席珍【せきちん】を念う。


現代語訳と訳註
(本文)

將恐曾防寇,深潛托所親。寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
疏懶為名誤,驅馳喪我真。索居尤寂寞,相遇益愁辛。
流轉依邊徼,逢迎念席珍。


(下し文)
将恐【しょうきょう】曾て寇【こう】を防ぐ、深く潜【ひそ】みて所親【しょしん】に託す。
寧ぞ聞かんや「倚門【いもん】のタ【ゆうべ】、力を尽す潔飧【けっさん】の晨【あした】」。
疎懶【そらん】名に誤らるるを為す、駆馳【くち】我が眞【しん】を喪【うしな】う
索居【さくきょ】尤【もっと】も寂寞【せきばく】、相遇うて益【ますま】す愁辛【しゅうしん】。
流転 辺徼【へんきょう】に依る、逢迎【ほうげい】席珍【せきちん】を念う。


(現代語訳)
その間よく夕に母親を門に倚りかかるほど待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
その間よく夕に母親を門に倚り待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
わたしは生来、儒者で無精者であるのになまじ名声を博したため、身を誤って世間へとびだしてしまった、北征し、東西に駆けずり回ってしまい本来の自分を失ってしまったのだ。
親友とちりぢりになっての生活は甚ださびしいもので心が満たされないものだった、しかし君と出会ってみるとこれまたますます愁い、辛さをますばかりである。
自分は処処転転してこの秦州の辺境に身を託しておるので、『礼記』に「席珍待聘」といわれるように珪璋のような“席上の珍”たるあなたをお迎えしたく思っているのである。


(訳注)
將恐曾防寇,深潛托所親。
われわれはこれまで安史軍の横暴・略奪などの難を避けなければいけなかった、人目を避けこうして潜んでここにきてそれぞれ親類縁者をたよってきている。
将恐 「詩経、邶風」(谷風)に「將恐將懼,維予與女。」(将に恐れんとし将に懼れんとす、維れ予ぼく女とのみ。)とある、恐懼は厄難勤苦の事に遭うこと、ここは上の「将恐」二字を切り取って借用したまでで、賊難にあって恐懼することである。
 まえかた。755年冬安史の乱が起こって以来のこと。
防寇 安史軍の難を予防することをいう。1 外から侵入して害を加える賊。「外寇・元寇・倭寇(わこう)」 2 外から攻めこむ。あだする。「侵寇・入寇・来寇」
 身をよせる。
所親 したしむ所のもの、親類縁者のたぐい。秦州に来たこと、そして、隠棲地を取得するために親類縁者の支援を頼りにしていること。
詩経・小雅・谷風之什(谷風)
習習谷風,維風及雨。 習習たる谷風、これ風と雨と將恐將懼,維予與女。 はた恐れはた懼る。
將安將楽,女轉棄予。 はた安んじ將楽しめば,女 轉って予を棄つ。


寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
その間よく夕に母親を門に倚りかかるほど待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
寧聞 反語である、きいたことがない。
倚門夕 「夕倚門」を逆にいったものである、斉の王孫賈の母はその子が家を出て晩に帰るときは門に侍って望んだということが「戦国策」にみえるが、此の句は張彪は母にかく心配をかけたことのないことをいう。
尽力 ほねをおる。せい一杯のカをだすこと。
潔飧晨 韻字の都合で「晨潔飧」をおきかえている。晋の束晳【そくせき】の「補亡」詩の「南陔」に孝子が親に仕えることをのべ、「爾のタ膳を馨しくし、爾の晨餐を潔くす」といっている、強は餐と通ずる、食事のこと、潔は清潔にすること。


疏懶為名誤,驅馳喪我真。
わたしは生来、儒者で無精者であるのになまじ名声を博したため、身を誤って世間へとびだしてしまった、北征し、東西に駆けずり回ってしまい本来の自分を失ってしまったのだ。
疏懶 隠遁者のぶしょうをいう。以下杜甫自ずからいう。秦州雑詩二十首其十五「東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。」
為名誤 「為名所誤。」(名は誤る所と為す。)の略、名声のため世間へひきだされ一身の処置をあやまるということ。
駆馳 東西にかけめぐる。○喪我真 おのれの本姓、ありのままのところをうしなう、虚偽の生活をせねばならなくなったことをいう。


索居尤寂寞,相遇益愁辛。
親友とちりぢりになっての生活は甚ださびしいもので心が満たされないものだった、しかし君と出会ってみるとこれまたますます愁い、辛さをますばかりである。
索居 親友とちりぢりになっていることをいう。
寂寞 1 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。2 心が満たされずにもの寂しいさま。
相遇 張彪とここであうことが出来たこと。
愁辛 うれいつつ、またつらいこと。


流轉依邊徼,逢迎念席珍。
自分は処処転転してこの秦州の辺境に身を託しておるので、『礼記』に「席珍待聘」といわれるように珪璋のような“席上の珍”たるあなたをお迎えしたく思っているのである。
流転 処処を転転してうつる。
依辺徼 徼は木柵でつくった界、辺徼は辺境をいう、秦州の地をさす、依は依託。依頼。
逢迎 むかえて逢うこと。
席珍 席珍待聘「礼記」(儒行)の語、珪璋の如き美玉をさす、これを張彪にたとえていう。
 「礼記」(儒行): 席上の珍
《禮記•儒行》:“儒有席上之珍以待聘,夙夜強學以待問,懷忠信以待舉,力行以待取。
・聘 1 贈り物を持って人を訪問する。「聘物(へいもつ)・聘問/使聘・来聘」 2 礼を尽くして人を招く。


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寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1478 杜甫詩 700- 457


寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は道家で嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣り住いをすることができたのだ。

早通交契密,晚接道流新。
君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
草書何太古,詩興不無神。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
曹植休前輩,張芝更後身。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
數篇吟可老,一字賣堪貧。

その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。


現代語訳と訳註
(本文)

早通交契密,晚接道流新。靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
草書何太古,詩興不無神。曹植休前輩,張芝更後身。
數篇吟可老,一字賣堪貧。


(下し文)
早く交契【こうけい】を通ずること密に、晩に道流に接する新たなり。
静者 心 妙多し、先生 芸 絶倫なり。
草書何ぞ太【はなは】だ古なる、詩 興神 無くんばあらず。
曹植【そうしょく】前輩休む、張芝【ちょうし】更に後身あり。
数篇吟じて老すべし、一字 売れば貧なるに堪えたり。
将 恐 曾て 寇を防ぐ、深く潜みて所親に託す。


(現代語訳)
君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。


(訳注)
早通交契密,晚接道流新。

君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
早通 詩文を通いあわす。
交契 張彪との交際、ちぎり。
 親密。○晩 あとには、おそく。○ 接近。
道流 道家の教えを汲むものたち。
 接の字へかかる、最近にはの意。


靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
静者 隠遁者の静寂さ、幽静を好む人、張彪をさす。隠遁者には幽を使う。
多妙 文人・書家の道の妙味に通ずる所が多い。
先生 張彪をさす。


草書何太古,詩興不無神。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
草書 速く書くことができるように、同じく漢字の筆書体である行書とは異なり、字画の省略が大きく行われる。文字ごとに決まった独特の省略をする。この書体は古めかしいほど雰囲気は良い。
 ふるめかしい。
詩興 詩の興趣。○ 人間わざとおもえぬ力。


曹植休前輩,張芝更後身。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
曹植 建安時代魂の第一流の詩人。
 そのことのやんでしまうことをいう。
前輩 先輩に同じ。
張芝 後漢時代、弘農の人で草聖と称せられた人。
後身 生まれかわり。


數篇吟可老,一字賣堪貧。
その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。
数篇 張彪の作った詩四五簾。
吟可老 他人がこれを吟じ楽しんで老を送るに足ることができることをいう。
一字 張彪の草書の一字。
売堪貧 張彪の草書は一字千金ともいうことができるほど大へん貴いものであるから、他人がもしこれを買うときはその人は貧乏になるのに十分であるとの意。日本的表現であれば「買う」行為は他人であり、貧乏になるのも他人であるから、ここは買うというのが正しいとされる本もある。中華思想では自分から見たことをいうのであるから、「売れば」相手が貧乏になるということである。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1475 杜甫詩 700- 456

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寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1475 杜甫詩 700- 456


寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1475 杜甫詩 700- 456

杜甫は秦州において、友人知人の援助を待っているが、連絡はこず、発進した連絡も届いたのかどうかも分からないのである。
この詩は、甥の杜佐(秦州東柯谷で隠棲している)と同様この地に隠棲している張彪に対して寄せたものである。     

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         秦州雜詩二十首 其十三 杜甫 4部 <266> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1247 杜甫詩 700- 380

         秦州雜詩二十首 其十六 杜甫 4部 <269> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1256 杜甫詩 700- 383

五韻で分割して全六回で掲載する。



寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。

自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣りずまいをすることができたのだ。
早通交契密,晚接道流新。靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
草書何太古,詩興不無神。曹植休前輩,張芝更後身。
數篇吟可老,一字賣堪貧。

將恐曾防寇,深潛托所親。寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
疏懶為名誤,驅馳喪我真。索居尤寂寞,相遇益愁辛。
流轉依邊徼,逢迎念席珍。

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。
商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。
耕岩非穀口,結草即河濱。

肘後符應驗,囊中藥未陳。旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自古多悲恨,浮生有屈伸。此邦今尚武,何處且依仁。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。

官場羅鎮磧,賊火近洮岷。蕭索論兵地,蒼茫鬥將辰。
大軍多處所,餘孽尚紛綸。高興知籠鳥,斯文起獲麟。
窮秋正搖落,回首望松筠。


現代語訳と訳註
(本文)
寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。艱難隨老母,慘澹向時人。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。群凶彌宇宙,此物在風塵。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。


(下し文)
独り臥す嵩陽【すうよう】の客、三たび違う潁水【えいすい】の春。
艱難【かんなん】老母に随い、惨澹【さんたん】時人に向こう。
謝氏【しゃし】山を尋ぬる屐【げき】、陶公【とうこう】酒を漉【ろく】する巾【きん】。
群凶【ぐんきょう】宇宙に弥【わた】る、此の物、風塵に在り。
歴下【れきか】羌被【きょうひ】を辞す、関西孟鄰を得。


(現代語訳)
君は嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣りずまいをすることができたのだ。


(訳注)
寄張十二山人彪三十韻

張十二山人彪 山人は仕えない人をいう、「唐詩紀事」によれば、張彪は穎水洛水の間(河南省萱封県地方)に生まれた隠者で、天宝の末に母を奉じて乱を避けたとある。張彪の「北遊して遠く孟雲卿に酬ゆ」詩にいう、「善道貧賎に居り、潔服塵挨を蒙る、行き行きて定心なく、壈坎帰来かたし、慈母は疾疹を憂こう、家宝は栖栖を念う。」と。また全唐詩四 卷259_20 『神仙』 張彪
神仙可學無,百歲名大約。天地何蒼茫,人間半哀樂。 浮生亮多惑,善事翻為惡。爭先等馳驅,中路苦瘦弱。 長老思養壽,後生笑寂寞。五穀非長年,四氣乃靈藥。
と。それらにより其の人となりを知ることができる。


獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
独臥 世人とはなれてひとり隠棲生活をして居る。○嵩陽客 彪をさす、嵩陽は崇山の南である、嵩山は河南省登封県治東北にあり、東峰を太室、西峰を少室という、相い去ること十七里、五岳の一つでその中岳である。〇三違 違はそむいて逢わないことをいう。三たびたがうのは足かけ三年を経ることをいう。○穎水春 穎水は少室山より出て東南して淮水に入る、穎水春は張彪の故郷の春をいう。


艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
艱難 国難、世難。安禄山の乱を示す。○老母 張彪の母。○惨澹 ものがなしいさま。〇時人 世間の人人。


謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
謝氏 朱の謝霊運。○尋山履 霊運は登山を好み特別の木履を製し、上るときはその前歯を去り、下るときはその後歯を去ったという。○陶公 陶淵明。○漉酒巾 にごりさけをこす頭巾、淵明は頭巾で酒をこしまたそれを平気でかぶっていたという。賢者の隠遁者と尊敬をこめた言い方。


群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
群凶 安禄山・史忠明ら叛乱軍の多くのわるもの。○弥宇宙 天地間いっぱいにひろがる。○此物 上句の山屐と巾とをうけた、賢者の隠遁者、張彪を意味する。○風塵 世上のちりほこり、山から俗界へでてきたことをいう。


歷下辭薑被,關西得孟鄰。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣りずまいをすることができたのだ。
歴下 山東省済南府。○辞薑被 後漢の姜肱は継母に仕えて孝、兄弟四人が同一布被に寝た、被はかいまき、姜肱を張彪に此する、姜被を辞すというのは張彪にいとまをつげて別れたことをいう、杜甫が往年歴下に在って張彪を識り、そこで別れたものと思われる。○関西 潼関以西とし華州を指していうのである。「兵車行」の「且如今年冬,未休關西卒。」(且つ今年の冬の如きは,未だ関西の卒を休めず)の関西と同じでイメージとしては隴西:秦州を指すもの。○得孟隣 孟隣は孟氏のとなりをいう、孟子の母はその子を教育せんために三たび居を遷して隣りをえらんだ、彪が母を奉ずるのにより彼を孟子に此する、孟隣は彪とのとなりあいをいう、此の句は秦州においてまた彪と隣居するに至ったことをいうのであろう。


独り臥す嵩陽【すうよう】の客、三たび違う潁水【えいすい】の春。
艱難【かんなん】老母に随い、惨澹【さんたん】時人に向こう。
謝氏【しゃし】山を尋ぬる屐【げき】、陶公【とうこう】酒を漉【ろく】する巾【きん】。
群凶【ぐんきょう】宇宙に弥【わた】る、此の物、風塵に在り。
歴下【れきか】羌被【きょうひ】を辞す、関西孟鄰を得。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1472 杜甫詩 700- 455

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#1~#9の最終回
§4#9
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
むかし漢の穆生の故事では天子に愛想をつかして、「可以逝矣」“我等がいても仕方がない”と言ったのは、今の君たちと一緒だし、私にしてもここ東柯谷で隠棲の終焉の地を選び取得しつつある。
隴外翻投跡,漁陽複控弦。
そこで都から外れた隴右道のこんなところまで入り込んできたが、漁陽の地方からまた弓づるを引いて安史軍が攻勢をかけているという。
笑為妻子累,甘與歲時遷。
わたしは体調が悪く妻子に面倒をかけることがあっておかしくおもいながら時間の経過するままに移している。
親故行稀少,兵戈動接聯。
親族、親しい友人が近くにだんだん少なくなってきたし、兵乱のある地域は今また点から線へ、面へと変化してゆくようだ。
他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。
こんな他郷の空の下で夢みることが多く、友だちに連絡も取れず、失意の気分であるのもあたりまえのことだ。
多病加淹泊,長吟阻靜便。
そのうえ、多病のためここに長逗留をすることになったし、いたずらに長吟しつつ静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのをじゃまされることになっている。
如公盡雄俊,誌在必騰騫。』
両君はともに雄俊の人たちであることに間違いなく、その志は必ず猛鳥駿馬のように舞い上がり躍り上がるところに在る、わたしはと云えばそうはいかないのだ。』
古人「逝矣【せいい】」を称す、吾が道終焉を卜す。
隴外【りょうがい】翻って跡を投ず、漁陽【ぎょよう】復た弦を控【ひ】く。
笑う妻子に累せらるるを為すを、甘んじて歳時と遷【うつ】る。
親故行くゆく稀少なり、兵戈動ややもすれば接連す。
他鄉【たきょう】夢寐【むび】饒【おお】し、侶【りょ】を失して自ずから忳邅【ちゅうてん】なり。
多病淹泊【えんぱく】を加う、長吟静便【せいべん】を阻【そ】せらる。
公が如きは尽く雄俊なり、志 必ず騰騫(鶱)【とうけん】するに在らん。』


現代語訳と訳註
(本文)
§4#9
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。隴外翻投跡,漁陽複控弦。
笑為妻子累,甘與歲時遷。親故行稀少,兵戈動接聯。
他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。多病加淹泊,長吟阻靜便。
如公盡雄俊,誌在必騰騫。』


(下し文)
古人「逝矣【せいい】」を称す、吾が道終焉を卜す。
隴外【りょうがい】翻って跡を投ず、漁陽【ぎょよう】復た弦を控【ひ】く。
笑う妻子に累せらるるを為すを、甘んじて歳時と遷【うつ】る。
親故行くゆく稀少なり、兵戈動ややもすれば接連す。
そのうえ、多病のためここに長逗留をすることになったし、いたずらに長吟しつつ静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのをじゃまされることになっている。
他鄉【たきょう】夢寐【むび】饒【おお】し、侶【りょ】を失して自ずから忳邅【ちゅうてん】なり。
多病淹泊【えんぱく】を加う、長吟静便【せいべん】を阻【そ】せらる。
公が如きは尽く雄俊なり、志 必ず騰騫(鶱)【とうけん】するに在らん。』


(現代語訳)
むかし漢の穆生の故事では天子に愛想をつかして、「可以逝矣」“我等がいても仕方がない”と言ったのは、今の君たちと一緒だし、私にしてもここ東柯谷で隠棲の終焉の地を選び取得しつつある。
そこで都から外れた隴右道のこんなところまで入り込んできたが、漁陽の地方からまた弓づるを引いて安史軍が攻勢をかけているという。
わたしは体調が悪く妻子に面倒をかけることがあっておかしくおもいながら時間の経過するままに移している。
親族、親しい友人が近くにだんだん少なくなってきたし、兵乱のある地域は今また点から線へ、面へと変化してゆくようだ。
こんな他郷の空の下で夢みることが多く、友だちに連絡も取れず、失意の気分であるのもあたりまえのことだ。
両君はともに雄俊の人たちであることに間違いなく、その志は必ず猛鳥駿馬のように舞い上がり躍り上がるところに在る、わたしはと云えばそうはいかないのだ。』


(訳注) §4#9
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
むかし漢の穆生の故事では天子に愛想をつかして、「可以逝矣」“我等がいても仕方がない”と言ったのは、今の君たちと一緒だし、私にしてもここ東柯谷で隠棲の終焉の地を選び取得しつつある。
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。 上句は賈至・厳武についていい、下句は杜甫のこと。
称逝矣 穆生の故事。
《漢書》卷三十六《楚元王傳》
初,元王敬禮申公等,穆生不耆酒,元王每置酒,常為穆生設醴。及王戊即位,常設,後忘設焉。
穆生退曰:「可以逝矣!醴酒不設,王之意怠,不去,楚人將鉗我於市。」稱疾臥。
古代、楚の元王は、穆生、白生、申公の三人に学問を学んだ。
酒好きの元王は講義が終わってから酒を酌み交わすのが常で、酒を好まない穆生には、醴酒(甘酒)を用意することにしていた。
ところが、元王の孫・戊王の時代になると、学者を軽んじ、甘酒を出すのも忘れるようになったので、穆生は病気と称し、寝込んでしまった。白生と申公が、今王が多少礼を欠いたからといってそうまでしないでいいだろう、というと、「先王が我等に厚くしたのは、道を行おうとしたからだ。今王はその意がない。道を行う意志のないところに我等がいても仕方がないというわけだ」と答えた故事による。
吾道 儒者としての無形の道をいう。
卜終焉 身を終わる地を卜する。東柯谷で隠棲を送ろうとすることをいう。


隴外翻投跡,漁陽複控弦。
そこで都から外れた隴右道のこんなところまで入り込んできたが、漁陽の地方からまた弓づるを引いて安史軍が攻勢をかけているという。
隴外 隴右道東部のうち、秦州をさす。○翻 反って。
投跡 あしあとをいれる、ふみこんで来たことをいう。
漁陽 范陽のこと、史思明はその地において叛した。この時期、相州彭城で九節度使軍を破り、洛陽を再奪回しつつあった。
控弦 ゆみづるをひく、弓をいることをいう。


笑為妻子累,甘與歲時遷。
わたしは体調が悪く妻子に面倒をかけることがあっておかしくおもいながら時間の経過するままに移している。
 作者みずからわらう。
為妻子累 (為に妻子累する所)の意、妻子の係累を受けること。妻子に面倒をかける、あるいは面倒を見る。
与歳時遷 時は四時、一歳四時のうつるままにうつる。


親故行稀少,兵戈動接聯。
親族、親しい友人が近くにだんだん少なくなってきたし、兵乱のある地域は今また点から線へ、面へと変化してゆくようだ。
親政 親戚故旧。親族、親しい友人が近くにいないこと。手紙を自由にやり取りできないことをいう。
 だんだん。○兵戈 武器、兵乱をいう。
接連 場所的につづくことをいう。范陽から洛陽に点から線へ、面へと変化していることをいう。
 

他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。
こんな他郷の空の下で夢みることが多く、友だちに連絡も取れず、失意の気分であるのもあたりまえのことだ。
他郷 秦州をいう。○饒夢寐 親故を思うゆえにゆめみることが多い、寐は寢こと。同時期に夢李白などを作っている。

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失侶 なかまを失う。○忳邅 行きて進まぬさま、失意のさま。


多病加淹泊,長吟阻靜便。
そのうえ、多病のためここに長逗留をすることになったし、いたずらに長吟しつつ静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのをじゃまされることになっている。
淹泊 溢れるほど泊まるさま。一か処にひさしくとまっている。
長吟 声をながくひいて吟ずる、歎息の詩をうたうこと。
阻静便 静便は幽静を好む者の都合のよいことをいう、阻はじゃまされること。謝霊運の「過始寧墅」詩に、「拙疾相倚薄、還得静者便。」(拙と疾と相い倚薄【いはく】して、還【かえ】って静者の便を得たり。)“それでも世渡りの下手なことと病気とが相寄り一緒になって、閑職に任ぜられたことが、かえってそのために静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのである。 
”と謝靈運も病気がちで、官を辞しており、杜甫の心境とおなじようであったのである。

過始寧墅 謝霊運 #1 詩集 374

過始寧墅 謝霊運 #2 詩集 375


如公盡雄俊,誌在必騰騫。』
両君はともに雄俊の人たちであることに間違いなく、その志は必ず猛鳥駿馬のように舞い上がり躍り上がるところに在る、わたしはと云えばそうはいかないのだ。』
如公 公は賈至・厳武の二人をさす。○雄俊 おおしくすぐれている。○ 二人の志。○騰騫 鳥のあがること、騰は馬のあがることである。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1469 杜甫詩 700- 454

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寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1469 杜甫詩 700- 454


§3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
禁掖朋從改,微班性命全。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
弟子貧原憲,諸生老伏虔。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
師資謙未達,鄉黨敬何先?
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。
#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
定知深意苦,莫使眾人傳。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。
#8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。
君たちのような才智の者が去ってしまったら再び諸両君のような才知のものを得ることが難しいというもので、実に天道というものはその理が深くてわからぬものだ。(讒言を聞き入れ我々(房琯のグループとされた一派)を左遷をした粛宗のやることは訳のわからないことをやっているということだ)』
賈君の処はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスがいりまじっているかたよってところだし、厳君の処は山だらけで巌や泉のみで地面が窮屈なことであろう。
且將棋度日,應用酒為年。
今の二人は、日がな一日棋や酒ですごし、年をすごしていることだろう。
典郡終微眇。治中實棄捐。
君らが一郡の長官におかれていているのはつまりひくい地位におかれたままなのだ。一「治中」の職では棄てられていることと同じではないか。
安排求傲吏,比興展歸田。
その地位におかれるがままに運命に身をまかせ『荘子』にいうような傲吏の生活を求めるのだろうか、あるいは。『詩経』の六義の比と興にのっとり辞賦を詠い、 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい思いをのべられるのだろうか。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』


現代語訳と訳註
(本文) #8

地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』


(下し文)
地僻【ちへき】にして炎瘴【えんしょう】昏【くら】く、山 稠【おお】くして石泉【せきせん】隘【おお】し。
且つ棋【き】を将【もっ】て日【ひ】を度るならん、応【まさ】に酒を用いて年を為すなるべし。
典郡【てんぐん】終【つい】に微眇【びびょう】なり、 治中【ちちゅう】実に棄捐【きえん】せらる。
安排【あんはい】傲吏【ごうり】を求め、此興【ひきょう】帰田を展【の】ぶ。
去去【きょきょ】才 得難し、蒼蒼【そうそう】理 又た玄なり。』


(現代語訳)
賈君の処はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスがいりまじっているかたよってところだし、厳君の処は山だらけで巌や泉のみで地面が窮屈なことであろう。
今の二人は、日がな一日棋や酒ですごし、年をすごしていることだろう。
君らが一郡の長官におかれていているのはつまりひくい地位におかれたままなのだ。一「治中」の職では棄てられていることと同じではないか。
その地位におかれるがままに運命に身をまかせ『荘子』にいうような傲吏の生活を求めるのだろうか、あるいは。『詩経』の六義の比と興にのっとり辞賦を詠い、 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい思いをのべられるのだろうか。
君たちのような才智の者が去ってしまったら再び諸両君のような才知のものを得ることが難しいというもので、実に天道というものはその理が深くてわからぬものだ。(讒言を聞き入れ我々(房琯のグループとされた一派)を左遷をした粛宗のやることは訳のわからないことをやっているということだ)』


 (訳注) #8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。

賈君の処はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスがいりまじっているかたよってところだし、厳君の処は山だらけで巌や泉のみで地面が窮屈なことであろう。
地僻 此の句は賈至の地をいう、僻はかたよっていること。
昏炎瘴 炎熱の気、悪い水蒸気におおわれてくらい。瘴癘:マラリア。当時はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスであると考えられていたことによる。
隘石泉 石や泉のためにその地形がせばまっていることをいう。谷底には人は住めなかったこと、中腹より上に住居を構えた。
江南の湿地帯、洞庭湖などは洪水時には十倍の広さになって平地に住めない状況のことを謂う。


且將棋度日,應用酒為年。
今の二人は、日がな一日棋や酒ですごし、年をすごしていることだろう。
且将棋 二人に通じていう、将棋は棋をうつことによっての意。
度日 時日を経過する。
為年一年をわたること。


典郡終微眇。治中實棄捐。
君らが一郡の長官におかれていているのはつまりひくい地位におかれたままなのだ。一「治中」の職では棄てられていることと同じではないか。
典郡 郡をつかさどるもの、刺史の官をいう、厳武をさしていう。
微眇 ひくい地位にいること。
治中 官職の名、晋の時、州に別駕・治中・従事があり、隋唐以後治中を改めて司馬という、賈至をさす。
棄捐 朝廷からすてておかれることをいう。


安排求傲吏,比興展歸田。
その地位におかれるがままに運命に身をまかせ『荘子』にいうような傲吏の生活を求めるのだろうか、あるいは。『詩経』の六義の比と興にのっとり辞賦を詠い、 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい思いをのべられるのだろうか。
安排 事の推移に甘んじ、変化に従っていくこと。『荘子、大宗師、第六』
「造適不及笑、獻笑不及排、安排而去化、乃入於寥天一。」(造るところに適すれば笑うに及ばず、獻もて笑えば排するに及ばず、排に安んじて化に去れば、乃ち寥に入りて天と一たらん。)≪どこに行っても楽しいなら特別に楽しみ笑うには及ばないし、良いことをして楽しむならそこには選択があるのだから事の推移に従えない。事の推移に甘んじ、変化に従っていくならば広々としたところに入り、天と一体になるでしょう。≫
求傲吏 傲吏たることを求めること、傲吏は人に屈せずいばっている下役人である、荘周が漆園の吏となったとき、楚の威王が彼を採り立てて丞相となそうとしたところ、周が使者に告げていうのに「すみやかに去って我を汚すことなかれ」と。晋の郭璞の「遊仙詩」に「漆園二傲吏アリ」とある。
比興 たとえを以て自然界の景物に托して思いをのぺる方法で、そうして本心をのべる詠い方をいう。『詩経』の六義の比と興。『詩経、大序』「故詩有六義焉、一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。」に基づいている。
展帰田 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい、郷土の情をのべる、後漢の張衡(平子)に「帰田賦」がある。


去去才難得,蒼蒼理又玄。』
君たちのような才智の者が去ってしまったら再び諸両君のような才知のものを得ることが難しいというもので、実に天道というものはその理が深くてわからぬものだ。(讒言を聞き入れ我々(房琯のグループとされた一派)を左遷をした粛宗のやることは訳のわからないことをやっているということだ)』
去去 其の人の去って留まることしないことをいう。
才難得 人才は得ることがむずかしい。
蒼蒼 天の色をいい、天をさす。
理又玄 玄は黒、奥深いことをいう、「老子」(一章)に「玄之又玄、衆妙之門」(玄の又た玄、衆妙の門)≪この奥深いかすかな所、これが様々な現象を生み出す門なのである。≫とあるに基づいて作る。 


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#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。
浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。


現代語訳と訳註
(本文) #7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。


(下し文)
旧好 腸【はらわた】断【た】ゆるに堪えたり、新愁【しんしゅう】眼【め】穿【うが】たれんと欲す。
翠は乾く危桟【きさん】の竹、紅は膩【じ】なり小湖の蓮。
賈筆 孤憤【こふん】を論ず、厳詩 賦すること幾篇ぞ。
定めて知る深意の苦しめるを、衆人をして伝えしむること莫れ。
貝錦【ばいきん】停織【ていしょく】無く、朱糸【しゅし】断絃【だんげん】あり。
浦鴎【ほおう】砕首【さいしゅ】を防ぐ、霜鶻【そうこつ】空拳【くうけん】あらず。


(現代語訳)
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。


(訳注) #7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
○旧好 ふるい時の仲のよさ、此の句は「旧好を憶いては」の意。○新愁 今日のうれい、新愁をいだいてはの意。○眼欲穿 眼に穴があきそう、質厳の居る地を見つめることをいう。


翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
○翠乾 みどりの色がかわいて生色のうすいこと。○危桟竹 あぶなげなかけはしの竹、桟道の通路に叢生した竹をさすもの、厳の居地についていう。○紅膩 膩はあぶらざること、此の句は賈の居地についていう。


賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
○賈筆 賈至の詩文。筆は筆を執る。○孤憤 一人のいかり、韓非は「孤憤」の篇を著わした。


定知深意苦,莫使眾人傳。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
○深意 詩文にふくめたおく深いこころ。旧友だからわかる真意。○伝 伝播させる。


貝錦無停織,朱絲有斷弦。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
○貝錦 『詩経、小雅、巷伯』「萋兮斐兮、成是貝錦。彼譖人者、亦已大甚。」(萋【せい】たり斐たり、この貝錦を成す。かの人を譖【そし】る者、亦た已【すで】に大いに甚し。)に本づく、萋斐は文章あるさまをいい、貝錦は貝の錦紋である、女工が彩色の糸を集めて錦紋を織ってゆくが、讒人というものは他人の過ちをよせあつめて罪を構成するのでそれと似ている。
○無停織 織ることをとどめるものがない、断えず織ることをいう。讒言をいうものを止める方法はない。それを聞く天子の徳、才知に頼るしかない。○朱糸有断絃 宋の鮑照の「白頭吟」詩に
擬樂府白頭吟 鮑照《玉臺新詠》採桑詩
白頭吟
直如朱絲繩、清如玉壺冰。
何慙宿昔意、猜恨坐相仍。
人情賤恩舊、世義逐衰興。
毫髮一為瑕、丘山不可勝。
食苗實碩鼠、點白信蒼蠅。
鳧鵠遠成美、薪芻前見凌。
申黜褒女進、班去趙姬升。
周王日淪惑、漢帝益嗟稱。
心賞猶難恃、貌恭豈易憑。
古來共如此、非君獨撫膺。
「直ちに朱糸の縄の如し、 清きは 玉壷の冰(こおり)の如し」とある、朱糸縄は琴舷である、杜句はこれを借用して、絃がまっすぐであると断絶することのあることをいう。
白頭吟 卓文君
皚如山上雪,皎若雲間月。
聞君有兩意,故來相決絶。
今日斗酒會,明旦溝水頭。
躞蹀御溝上,溝水東西流。

淒淒復淒淒,嫁娶不須啼。
願得一心人,白頭不相離。
竹竿何嫋嫋,魚尾何簁簁。
男兒重意氣,何用錢刀爲。
卓文君、鮑照の詩どちらも貞操を守る女性を裏切った夫に対する歌ではじめにともに白髪の映えるまでと約束して一緒になったのに裏切られたことを詠うものであり、どんなに清廉潔白であっても讒言を聞く人によっては清廉潔白の「絲」は断ち切られてしまう、という意味である。杜甫が前聯「定知深意苦,莫使眾人傳。」行ったことは粛宗が宦官などの讒言を聞いて賢臣を左遷したことの批判をしているのである。


浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。
○浦鴎 入り江の静かな水面にいるカモメ。○防砕首 猛鳥に首をくだかれぬようにふせぐ必要がある。○霜鶻 霜のおくころの鶻(はやぶさ)、法を執る官吏をたとえていう。○不空拳 むだなこぶしをふるわない、必ず他の鳥を持撃することをいう。他の獲物の動きが悪くなるに比して逆に鋭くなることをいう。狙った獲物は逃がさない。

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§3:前皇帝玄宗一派の排除ということで、有能な人材がことごとく左遷されたり、免職されたりしている。賈至、厳武、高適、岑参らも左遷された。宦官の影響もあった。特に杜甫は、左拾遺任官直後に玄宗系房琯を擁護する発言をしたことがその後の朝廷での疎外されることにつながった。


§3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
禁掖朋從改,微班性命全。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
弟子貧原憲,諸生老伏虔。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
師資謙未達,鄉黨敬何先?
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。
#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。
浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
#8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。
且將棋度日,應用酒為年。
典郡終微眇。治中實棄捐。
安排求傲吏,比興展歸田。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』


#6
毎【つね】に覺ゆ元輔に昇らんことを、深く期す大賢に列せられんと。
秉鈞【へいきん】方に咫尺、鎩翮 再び聊翩たり。
禁掖朋從改まり、徴班性命全し。
青蒲甘んじて戮を受く、白髪竟に誰か憐れまん。
弟子 原憲貧しく、諸生伏(服)虔老ゆ。
師資謙して未だ達せずとす、郷党敬すること何ぞ先にする。

#7
旧好 腸断ゆるに堪えたり、新愁眼穿たれんと欲す。
翠は乾く危桟の竹、紅は膩なり小湖の蓮。
賈筆 孤憤を論ず、厳詩賦すること幾篇ぞ。
定めて知る深意の苦しめるを、衆人をして伝えしむること莫れ。
貝錦 停織無く、朱糸断絃あり。
浦鴎 砕首を防ぐ、霜鶻 空拳あらず。
#8
地僻にして炎瘴昏く、山稠くして石泉隘し。
且つ棋を将て日を度るならん、応に酒を用いて年を為すなるべし。
典郡 移【つい】に微眇なり、治中実に棄捐【きえん】せらる。
安排 傲吏を求め、此興帰田を展のぶ。
去去才 得難し、蒼蒼理 又た玄なり。』


現代語訳と訳註
(本文) §3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
禁掖朋從改,微班性命全。
青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
弟子貧原憲,諸生老伏虔。
師資謙未達,鄉黨敬何先?


(下し文) #6
毎【つね】に覺ゆ元輔に昇らんことを 深く期す大賢に列せられんと
秉鈞【へいきん】方に咫尺 鎩翮 再び聊翩たり
禁掖朋從改まり 徴班性命全し
青蒲甘んじて戮を受く 白髪竟に誰か憐れまん
弟子 原憲貧しく 諸生伏(服)虔老ゆ
師資謙して未だ達せずとす 郷党敬すること何ぞ先にする


(現代語訳)
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。


(訳注) §3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
毎覚 覚は知るというほどの意。
昇元輔 賈厳が大臣宰相の地位にのぼること。
列大賢 賢人の居るべき位に列する、これも賈厳についていう。同じ意味のことを語を変えていうことで出世をすることを強調している。


秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
秉鈞 『詩経、小雅、節南山』に「秉国之鈞、四方是維。」(国の釣を乗る、四方を是れ維ぐ。)とある、宰相は国中の均衡をたもつものである、ここは宰相の地位をさしていう。
杜甫『奉贈鮮於京兆二十韻』「破膽遭前政,陰謀獨秉鈞。」(破胆前政の陰謀独り鈞を秉るに遭う) 宰相たる者は一国の公平を手にするものであるということを独りで独占する。
咫尺 すぐそこにあること。「咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸。1 距離が非常に近いこと。2 貴人の前近くに出て拝謁すること。○鎩翮 立羽根をそこなわれる、賈厳が罪によって貶められたことを鳥にたとえていう
○聊翩
 ともに羽をつらねてとぶ。


禁掖朋從改,微班性命全。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
○禁掖 宮禁の掖門、ここは諌官等の出入する門である。宮殿の正門の左右にある小さな門。旁門(ぼうもん)。杜甫『宣政殿退朝晚出左掖』『紫宸殿退朝口號』『晚出左掖』。
朋従改 ともだちがかわる。
徴班 微小な位、杜甫の左拾遺の地位をさしていう。
性命全 無事にいきる。


青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
青蒲甘受教 青蒲は青色の蒲席をいう、これは天子の臥床の下敷きにするもの、むかし漢の元帝が太子を変えようとしたとき史丹というものが直ちに天子の臥内に入り青蒲のうえに伏して泣諌したという、此の句は杜甫が房琯の事について必死で強諌したことをいう、戮は誅殺。
白髪 杜甫ことでその老容。


弟子貧原憲,諸生老伏虔。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
弟子 杜甫の事、弟子は孔子の弟子であることをいう。
原憲 貧を以て有名である。
○諸生 書生。○老伏虔 伏は服。服虔は後漢の儒者。


師資謙未達,鄉黨敬何先?
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。
師資 師となり、もとでとなるもの、「老子」(二十七草)に「善人ハ不善人ノ師、不善人ハ善人ノ資」とみえる。
謙未達 杜甫自身、師資ある地位の所に至らないと謙遜する。
郷党 秦州に来て周囲の人人をさす。○敬何先 郷においては年長者を敬して先とする。この地において住むにつけてよい処であることを示す。援助に結びつくところである。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1460 杜甫詩 700- 451

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§2
#2
憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
討胡愁李廣,奉使待張騫。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
無複雲台仗,虛修水戰船。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
蒼茫城七十,流落劍三千。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)
#3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。
我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
浪作禽填海,那將血射天。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
萬方思助順,一鼓氣無前。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
陰散陳倉北,晴燻太白巔。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。

衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。
#4
法駕還雙闕,王師下八川。
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
此時沾奉引,佳氣拂周旋。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
衣冠心慘愴,故老淚潺湲。
百官はいままで心ものがなしくいためておったのであり、古老たちは水の流れるおとをさせんばかりの涙を流してむかえた。
#5
哭廟悲風急,朝正霽景鮮。
吾が天子は先ず宗廟において哭礼をせられ、悲しみの風気が急がれた、元日の朝は晴れ渡った日の光が鮮やかに輝いて、太平の正気におおわれた。
月分梁漢米,春給水衡錢。
官吏に対して長江流域の梁漢の地から奉った米を毎月分けてくだされ、春にあたっては水衡の内蔵金を支給し下される。
內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。
大明宮苑内の花は麗しく彩絹でくくって織物のかざりのように繁り、莎草は綿よりも軟らかそうに生えている。
恩榮同拜手,出入最隨肩。
そこで我らは同じように恩寵栄誉を拜手した、それから肩下りに伴行して出入りしたのである。
晚著華堂醉,寒重繡被眠。
晩になると華堂で酔ことにひたった、寒ければともにぬいとりのかいまきを重ねて眠った。
轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』

また日中は馬を並べ手綱をそろえて遊んで、さらに夜まで燭をとってあそびつづけ、懐中に一ばいになるほどの詩文箋をもらって兩君と親しく交わったのである。』


現代語訳と訳註
(本文) #5

哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』


(下し文)
哭廟【こくびょう】悲風急に、朝正 霽景【せいけい】鮮かなり。
月に分かつ梁漢の米、春には給す水衡の銭。
內蘂【ないずい】は纈【けつ】よりも繁く、宮莎【きゅうさ】は軟らかくして綿に勝れり。
恩栄同じく拝手す、出入最も肩を随う。
晩には著す 華堂の酔い、寒には繍被【しゅうひ】を重ねて眠る。
轡【ひ】斉【ひと】しくして兼ねて燭を秉【と】り、書は枉【ま】ぐ滿懷【まんかい】の箋【せ】ん。』


(現代語訳)
吾が天子は先ず宗廟において哭礼をせられ、悲しみの風気が急がれた、元日の朝は晴れ渡った日の光が鮮やかに輝いて、太平の正気におおわれた。
官吏に対して長江流域の梁漢の地から奉った米を毎月分けてくだされ、春にあたっては水衡の内蔵金を支給し下される。
大明宮苑内の花は麗しく彩絹でくくって織物のかざりのように繁り、莎草は綿よりも軟らかそうに生えている。
そこで我らは同じように恩寵栄誉を拜手した、それから肩下りに伴行して出入りしたのである。
晩になると華堂で酔ことにひたった、寒ければともにぬいとりのかいまきを重ねて眠った。
また日中は馬を並べ手綱をそろえて遊んで、さらに夜まで燭をとってあそびつづけ、懐中に一ばいになるほどの詩文箋をもらって兩君と親しく交わったのである。』


(訳注) #5
哭廟悲風急,朝正霽景鮮。
吾が天子は先ず宗廟において哭礼をせられ、悲しみの風気が急がれた、元日の朝は晴れ渡った日の光が鮮やかに輝いて、太平の正気におおわれた。
哭廟 唐の太廟が安史軍に焚かれたので、郭子儀が長安を回復するや神主(いわい)を大内の長安殿に移し、粛宗は古礼に従って素い服をき三日間廟に向かって哭された。
朝正 正月元日に参朝すること、乾元元年正月元日戊寅の日に玄宗(時に上皇であった)は宜政殿に出御されて粛宗に受命伝国の宝(印)を授けられた。○雰景 ほれた日光。


月分梁漢米,春給水衡錢。
官吏に対して長江流域の梁漢の地から奉った米を毎月分けてくだされ、春にあたっては水衡の内蔵金を支給し下される。
月分 毎月の分給。
梁漢米 南朝梁の地域、長江流域、三巴・湖北の地方の年貢米、禄米としてたまわるものである。
水衡銭 水衝は官名、税をつかさどる、漢の時、財用をつかさどるものに司農・少府・水衝の三つがあり、少府・水衝は天子の私蔵をつかさどる。


內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。
大明宮苑内のはなは麗しく彩絹でくくって織物のかざりのように繁り、莎草は綿よりも軟らかそうに生えている。
内蘂 大明宮苑内のはな。
 彩絹をくくって織物のかざりとする仕方である。
○宮莎 莎は一に香附子ともいい茎は三稜に似、根のぐるりに毛の多い草であるという。ささめ【莎草】 スゲやチガヤのようなしなやかな草。編んで蓑(みの)やむしろを作った。


恩榮同拜手,出入最隨肩。
そこで我らは同じように恩寵栄誉を拜手した、それから肩下りに伴行して出入りしたのである。
恩栄 恩寵栄誉。
同拝手 賈至・厳武と同じく敬礼拝受する、賈至は時に中書舎人、厳武は給事中である。
出入 朝廷へではいりする。
随肩一歩おくれてついてゆくこと。


晚著華堂醉,寒重繡被眠。
晩になると華堂で酔ことにひたった、寒ければともにぬいとりのかいまきを重ねて眠った。
著酔 酔いをおびること。○華堂 宮中のうつくしい堂。○繍被 ぬいとりのかいまき。


轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』
また日中は馬を並べ手綱をそろえて遊んで、さらに夜まで燭をとってあそびつづけ、懐中に一ばいになるほどの詩文箋をもらって兩君と親しく交わったのである。』
轡斉 たづなをそろえて馬を進める。
乗燭 ひるより遊びつづけて夜になってともし火をとる。
書枉 書は詩文箋、枉とはこちらへよこしてくれること。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1457 杜甫詩 700- 450

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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     
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#4
法駕還雙闕,王師下八川。
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
此時沾奉引,佳氣拂周旋。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
衣冠心慘愴,故老淚潺湲。」
百官はいままで心ものがなしくいためておったのであり、古老たちは水の流れるおとをさせんばかりの涙を流してむかえた。



現代語訳と訳註
(本文) #4

法駕還雙闕,王師下八川。
此時沾奉引,佳氣拂周旋。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
衣冠心慘愴,故老淚潺湲。」


(下し文)
法駕【ほうが】双闕【そうけつ】に還り、王師【おうし】八川【はちせん】に下る。
此の時奉引【ほういん】に沾う、佳気【けいき】払うて周旋【しゅうせん】す。
貔虎【ひこ】金甲開き、麟麟【きりん】玉鞭【ぎょくべん】を受く。
侍臣【じしん】入仗【にゅうじょう】を諳【そら】んじ、厩馬【きゅうば】登仙を解す。
花は動く朱楼【しゅろう】の雪、城には凝【こお】る碧樹【へきじゅ】の煙。
衣冠【いかん】心惨槍【さんそう】、故老【ころう】涙 潺湲【せんえん】たり


(現代語訳)
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
百官はいままで心ものがなしくいためておったのであり、古老たちは水の流れるおとをさせんばかりの涙を流してむかえた。


(訳注) #4
法駕還雙闕,王師下八川。
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
法駕 天子の正式のおのりもの、粛宗の長安への遷幸は至徳二載十二月のこと。
双闕 宮城正門の左右の小門。
王師 官軍、唐王朝連合軍。
下八 川下とは八川の流れる地方へ降りてきたことをいう、行在所は鳳翔にあったし、上流から下った。その地形が高い、故に「下る」ということでもある。八川は関中の八つの川、渭水に流れ込む長安の中心にした周辺の軍事的にも重要な川。黒水・澇水・灃水・潏水・滻水・㶚水・涇水・滄水。
喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

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此時沾奉引,佳氣拂周旋。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
 君のめぐみの露にうるおう。
奉引 前導して車を引くこと、作者は拾遺として粛宗に屈従して長安にかえった。
佳気 めでたい気、帝王勃興の気をいう。○払 こちらが佳気を払うこと。
周旋 天子に首を垂れてそのまま身体を一回転させること(体操の「まわれ右」に似る)、朝廷における動作の様子である。


貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
○貌虎 猛獣の名、近衛兵の武士をいう、「尚書」(牧誓)に「虎の如く貌の如く」とある。
開金甲 開は耀光があらわれでることをいう、金はかねで作ったよろいが日の光で輝くさま。
麒麟 天子の御馬をいう。
 むちをあてられること。○玉鞭 玉にてかざったむちで、これも輝く。


侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。 
侍臣 天子おそばの臣。
諳人仗 諳はそらでおぼえていること、人仗は儀仗の列内にはいること。○厩馬 おうまやのうま。
解登仙 今まで他所にあった馬がこのたび宮城に入りこんで来たことをさして登仙といったものかと考える、宮城を人間に対して天上と看倣していったもの。重ねて、黄帝が飛黄という馬に乗って仙人となって去ったと「淮南子」にある話に基づき、玄宗の舞馬が回復されたことをいみする。
玄宗の舞馬とは、玄宗百匹の馬に舞を教え杯をくわえて寿をたてまつらしめたということ。
かいふくとは、その馬を安禄山軍に奪われ洛陽に持ちいかれたもの、長安・洛陽の奪回により、馬を取り戻せたこと言う。


花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
花動 花枝のゆれるさま。
朱楼雪 雪は花をたとえていう。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1454 杜甫詩 700- 449

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§2 #2~#5
#3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。
我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
浪作禽填海,那將血射天。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
萬方思助順,一鼓氣無前。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
陰散陳倉北,晴燻太白巔。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」
衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。


現代語訳と訳註
(本文) #3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。浪作禽填海,那將血射天。
萬方思助順,一鼓氣無前。陰散陳倉北,晴燻太白巔。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」


(下し文)
小儒【こじゅ】董卓【とうたく】を軽んず、有識苻堅【ふけん】を笑う。
浪【みだ】りに禽【きん】の海を填【てん】するを作す、那ぞ血を将て天を射るや。
万方【ばんぽう】助順【じょじゅん】を思う、一鼓 気前を無【な】みす。
陰は散ず陳倉【ちんそう】の北、晴は燻【くん】ず太白【たいはく】の巔【いただき】。
乱麻【らんま】屍【かばね】衛に積み、破竹勢い燕に臨む。


(現代語訳)
我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。


(訳注) #3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。

我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
小儒 儒者である自分。
董卓 後漢末宦官誅滅計画にのって洛陽に入り偶然に帝を手中にし権力を握る。後袁紹、曹操らが挙兵されると洛陽を焼き払い長安に入って横暴をつづけた。董卓はのちに呂布に殺された。○有識 識見あるもの、作者が自ずから比する。
苻堅 東晉の時に長安地方に拠った夷種、漢人の王猛を重用して華北統一に成功し、前秦の全盛期を築く。中国統一を目指したが、大軍を南下させたところを淝水の戦いで大敗し、以後諸部族が反乱・自立して前秦は衰退して苻堅もかつての部下姚萇に殺害され、前秦は実質的に滅亡した。董卓・荷堅は安禄山・史思明に比する。


浪作禽填海,那將血射天。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
浪作 みだりになす、できもしないこと。作者は謙遜してこのようにいう。
禽墳海 赤帝の娘、東海に溺れて死に、化して鳥となった、精衛と名づける、この鳥が西山の木石を取って海をうずめようとしたということが「山海経」に見える、鳥の意は海をうずめることによって自己を溺れさせたものを絶滅しょうとしたのであろう、此の句は作者が安史軍を絶滅し隊と思っても実際に自分では何もできないことをその実効のないことを比した。
那將血射天 那は何ぞの意、とがめる言葉である。将血は血嚢をもっての意で、むかし殷の天子に帝乙というものがあり、偶人(にんぎょう)をつくって天神といい、これと賭博をして天神に代わってかけをして、天神が勝たなければ革の嚢に血を盛り仰いでこれを射て、天を射ると称したという、事は「史記」殷本紀に見える、此の句は安史軍が無法にも唐の天子に向かって弓をひくことを比していう。


萬方思助順,一鼓氣無前。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
万方 諸地方の人人。
助順 順は義理と道理にしたがうもので王朝軍をさし、安史軍は逆である。
一鼓気無前 一鼓はひとたび進軍の太鼓をうちならすこと、気は勇気、無前は眼中に前敵を無視すること。


陰散陳倉北,晴燻太白巔。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
陰散 陰は陰気。○陳倉北 陳倉は陝西省鳳翔府宝鷄県の古名、陳倉の北とは鳳翔の地方をさす。
晴燻 太陽の晴れた光のにおうことをいう。
太白 山名、鳳翔府都県に属する、武功県の渭水南にあたる、鳳翔近地の名山をあげる。


亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」
衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。
乱麻 多いさま。
屍積衛 屍は賊軍のしかばね、衛は衛州、758年乾元元年郭子儀が兵を率いて河をわたり、東して獲嘉に至って安史軍将安太清を破り、更に衛州を囲み、衛州に来援した安史軍将安慶緒の軍七万を破った。安慶緒は彭城に逃げ込む。○破竹勢 「洗兵行」758年乾元元年十月郭子儀は杏園より黄河を渡り、東にむかい獲嘉に至り、安太清を破った。太清は衛州に敗走したが、郭子儀はこれを囲んで勝った。太清は史思明のもとに敗走した。また魯炅は陽武より渡り、李光環・雀光速は酸棗より渡り、李嗣業とともに皆衛州の郭子儀のもとに集結した。安慶緒は鄴城一帯の衆七万を以て鄴城に逃げ込むものを救ったが、郭子儀は次第に追い詰めていった。そして、安慶緒の弟安慶和を獲てこれを殺し、遂に衛州を手中にした。衛州は今の河南省衛輝府の汲県治である。この時から安慶緒は鄴城に籠城する。ネズミ一匹二千両、壁土のわらを馬糞と混ぜて馬に食わせたといわれる。これを救ったのが史思明である。

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洗兵行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1001 杜甫特集700- 298
官軍の猛勢をいう。
 安禄山の根拠地范陽地方をさす、昔の燕国の地である。

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§2 #2~#5
#2
憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
討胡愁李廣,奉使待張騫。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
無複雲台仗,虛修水戰船。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
蒼茫城七十,流落劍三千。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)


現代語訳と訳註
(本文)

憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
討胡愁李廣,奉使待張騫。
無複雲台仗,虛修水戰船。
蒼茫城七十,流落劍三千。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」


(下し文)
憶う昨 行殿【こうでん】に趨し、殷憂【いんゆう】禦筵【ぎょえん】を捧げしを。
討胡【とうこ】李広【りこう】愁え、奉使【ほうし】張騫【ちょうけん】を待つ。
復た雲台【うんだい】の仗【じょう】なし 虚しく修む水戦の船。
蒼茫【そうぼう】城 七十、流落 剣 三千。
画角【がかく】秦晋【しんしん】に吹かる、旄頭【ぼうとう】澗瀍【かんてん】俯す。
小儒【しょうじゅ】董卓【とうたく】を軽んず、有識 苻堅【ふけん】を笑う。


(現代語訳)#2
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)


(訳注)
憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
億咋 作者が往年のことを追憶する。
趨行殿 趨は朝廷内における歩く姿であり、すこしく歩みをはやめこまたにあるくこと、行殿は天子の御旅の御所、これは粛宗の鳳翔の行在所をさしていう。
殷憂 さかんな憂い。
捧御筵 むしろをささげるというのは拾遺の官となり御傍近くに仕えたことをいう。

 
討胡愁李廣,奉使待張騫。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
討胡愁李広 胡は安禄山の叛乱軍をさす、李広は漢の武帝の時の名将、今借りて哥舒翰にあてる、愁とは哥舒翰が安史軍に大敗したことでそういう。
奉使待張騫 張騫は漢の武帝の時に使者となって始めて西域諸国との交通を開いた人、奉使とは使命を奉ずることをいう、此の句は唐より回紇・吐蕃へ使者をやって援軍兵を求めたことをいう。


無複雲台仗,虛修水戰船。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
無復雲台仗 雲台は宮中の高い台殿をさしていう、仗は儀仗、儀式にあたってたでならぶほこはたの類、伎無しとは或はいう、行在所のことゆえ昔日の盛んな杖のないことをいうと、また重ねた意味で、玄宗の出奔したことをいう。
虚修水戦船 漢の武帝が雲南地方を伐とうとして其の地に渦池があるときいて長安に昆明地をうがって水戦を習わせた、虚修とはむだに船の用意をなしたことをいう、此の句については、長安に兵備し、安史軍の数倍の軍事を誇っていたことをいう。しながら安史軍に破られたことをいうと、


蒼茫城七十,流落劍三千。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
蒼茫 茫漠としたさま、ひろく見さかいのつかぬさま。
城七十 戦国の時、燕は斉を攻めて七十余城を取った、借りて禄山が河北二十余郡を陥れたことに当てる。○流落 ちりぢりになること。
剣三千 超の文王は剣を喜び、彼のもとに集まって来た剣客は三千余人あったということが「荘子」に見える、借りて官軍の武士にあてる、或はいう、「越絶書」に見える呉王開聞の故事を用いたもので、剣三千は開聞が虎邸に葬られたときの届諸の剣三千、流落は散薄の意、三千の剣が散落するとは、長安の陵墓が発掘され土中の剣が世間に出たことをいうと。これも一説であるが杜甫の云いたかったことは、集められた九節度使が彭城を囲んだが史忠明軍により大敗し散りじりになったことをいう。


畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)
画角  彩色したつのぶえ、官軍のふきならすもの。○秦晋 駅西省、山西省の地。
旗頭 星の名、また昂という、妖星で兵乱の象があるという。
俯澗瀍 俯とは俯して下を照らすことをいう、潤瀍は洛陽附近にあって洛水にそそぐ二つの川の名。澗水は新安県の南にある白石山より出て東南流して洛に入り、浸水は穀城県の北山より出て東して偃師県を過ぎて洛に入る。


寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

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     1448寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

岳州の司馬賈至と巴州の刺史厳武とに寄せた詩である。近況を知らせ、隠棲地取得の資金応援を頼んだもの。759年乾元二年秦州、秋の作。


寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
 気の置けない友人の賈至と厳武に当てたものである。
§1:二人は立派な人材であると切り出し、

§2:安禄山の反乱軍から、霊武行在所で即位、それから鳳翔に行在所を移し、都長安を奪還し、さらに、永王鄰の叛乱の平定、長安で正式に皇帝が即位の儀ができたのは、両君の働きによるものだ。皇帝から一定の評価を受けていたはずであった。

§3:前皇帝玄宗一派の排除ということで、有能な人材がことごとく左遷されたり、免職されたりしている。賈至、厳武、高適、岑参らも左遷された。宦官の影響もあった。特に杜甫は、左拾遺任官直後に玄宗系房琯を擁護する発言をしたことがその後の朝廷での疎外されることにつながった。

§4:これからも反乱が続くことが予想され、援軍に来ている外国軍も不穏な動きをしている。これを収められるのは心ある二人のような人材である。杜甫自身はこれからも隠遁生活のような生活は続く。


寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
  #1
§1衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
#2
§2憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。討胡愁李廣,奉使待張騫。
無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」
#3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。浪作禽填海,那將血射天。
萬方思助順,一鼓氣無前。陰散陳倉北,晴燻太白巔。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」
#4
法駕還雙闕,王師下八川。此時沾奉引,佳氣拂周旋。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。衣冠心慘愴,故老淚潺湲。」
#5
哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』
#6
§3每覺升元輔,深期列大賢。秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
禁掖朋從改,微班性命全。青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
弟子貧原憲,諸生老伏虔。師資謙未達,鄉黨敬何先?
#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
#8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』
#9
§4古人稱逝矣,吾道蔔終焉。隴外翻投跡,漁陽複控弦。
笑為妻子累,甘與歲時遷。親故行稀少,兵戈動接聯。
他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。多病加淹泊,長吟阻靜便。
如公盡雄俊,誌在必騰騫。』



寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
湖南岳州府賈至司馬君が排行六であると四川の巴州重慶府の厳刺史が排行八である。兩閣老にたいし五十韻の詩を寄せる。
#1 §1
衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。
賈君の居る五岳南岳の衡岳のある地方は猿の鳴き声のうちにあり、厳君の居る巴州は高く鳥の通い路をこえたあたりにある。
故人俱不利,謫宦兩悠然。
わたしの旧友である両君はともに幸せが無くて遙かなる地方に罪として左遷されて官途に仕えている。
開闢乾坤正,榮枯雨露偏。
今や叛乱暴挙など暗闇の天と地を立て直されたのである、しかし、天子の恵みの雨や露の掛りぐあいが栄枯の違いができているのだ。
長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
才子たる賈君は漢の賈誼のように長沙の遠き地に貶められた、厳君は後漢の厳光が客星であるといわれたが釣陵瀬に高くひかりをはなっておられる。』


現代語訳と訳註
(本文)
#1
寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
§1
衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。』


(下し文)
(岳州の貫司馬六丈・巴州の厳八使君・兩閣老に寄す 五十韻)
衡岳【こうがく】は啼猿【ていえん】の裏【うち】、巴州【はしゅう】は鳥道【ちょうどう】の辺【ほとり】。
故人供に利あらず、謫宦【たくかん】両【ふたり】ながら悠然【ゆうぜん】たり。
開闢【かいへき】乾坤【けんこん】正しく、栄枯雨露偏なり。
長沙才子遠く、釣瀬【ちょうらい】客星懸かる。』


(現代語訳)
湖南岳州府賈至司馬君が排行六であると四川の巴州重慶府の厳刺史が排行八である。兩閣老にたいし五十韻の詩を寄せる。
賈君の居る五岳南岳の衡岳のある地方は猿の鳴き声のうちにあり、厳君の居る巴州は高く鳥の通い路をこえたあたりにある。
わたしの旧友である両君はともに幸せが無くて遙かなる地方に罪として左遷されて官途に仕えている。
今や叛乱暴挙など暗闇の天と地を立て直されたのである、しかし、天子の恵みの雨や露の掛りぐあいが栄枯の違いができているのだ。
才子たる賈君は漢の賈誼のように長沙の遠き地に貶められた、厳君は後漢の厳光が客星であるといわれたが釣陵瀬に高くひかりをはなっておられる。』


(訳注)
寄岳州賈司馬六丈・巴州八使君・兩閣老五十韻

湖南岳州府賈至司馬君が排行六であると四川の巴州重慶府の厳刺史が排行八である。兩閣老にたいし五十韻の詩を寄せる。
岳州賈司馬六丈 岳州は今の湖南岳州府、賈司馬は賈至のこと、賈至が汝州にゆくのを送る詩がある。送賈閣老出汝州 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 242  (758年乾元元年47歳)
758年乾元二年三月九節度の軍隊が相州に敗れたとき賈至は汝州より裏罫に奔ったが、その罪によって岳州の司馬に貶せられた、六は排行、丈は年長者に対する敬称、文人の略語。早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

巴州厳八使君 巴州は四川の重慶府、厳八使君は厳武のこと、八は排行、使君は刺史の敬称、武は房琯の事に連坐して757年乾元元年六月に巴州の刺史に定せられた。
閣老 貫は中書舎人、厳は給事中、二人を敬して称する。
厳八 厳八は厳武、厳武の父挺之は作者の友人であり、武は後輩である。杜甫の強力な援助者である。特に成都紀行、成都浣花渓草堂期に世話になる。厳武が没して成都を離れる。 
閣老 唐人は給事中をよぶのに閣老といった。また、宰相は堂老といい、両省のものは閣老といった。閣老は両省呼びあうので、給事中をよぶのに限られるわけではない。又このとき厳武は給事中、杜甫は左拾遺であるから同じく門下省に属し同省であるが、両省で呼び合う口称しあったとおもわれる。
留別嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187



衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。
賈君の居る五岳南岳の衡岳のある地方は猿の鳴き声のうちにあり、厳君の居る巴州は高く鳥の通い路をこえたあたりにある。
衡岳 湖南省衡州府衡陽県にある名山で五岳のひとつ衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、名山をあげて賈至の居る岳州を表わす。
猿啼 猿声をいう。手長猿で、悲しい鳴き声をする。
巴州 厳武の居る地をいう。
鳥道 長安から剣門を超えることを鳥の通う道、山の高い処をさす、巴州は山地なのでかくいう。
 

故人俱不利,謫宦兩悠然。
わたしの旧友である両君はともに幸せが無くて遙かなる地方に罪として左遷されて官途に仕えている。
○故人 旧友賈・厳をさす。
不利 身に利福のないこと。不遇であると。
謫宦 罪として左遷されて官途に仕えていること。
 賈・厳の二人ともに。
悠然 はるかなさま、杜甫自身とは遠くへだたっていることをいう。


開闢乾坤正,榮枯雨露偏。
今や叛乱暴挙など暗闇の天と地を立て直されたのである、しかし、天子の恵みの雨や露の掛りぐあいが栄枯の違いができているのだ。
○開闢乾坤正 粛宗が天下をひとまず落ち着くところまでなったことをいう、開闢は暗闇を開くこと、乾坤は天と地、世の中。正とは今まで叛乱があって天地が歪み曲がっていたのを正したことをいう。
○榮枯雨露偏 偏はかたよる、一方へ多くかかることをいう、栄枯は臣下の身のうえの二面がでたことをいう、長安洛陽の奪還の後、家臣の人によって栄えるものもあれば、枯れてしぼむものもある、栄えるものは雨露を多くうけるということであり、、枯れるものは雨露がかからないことをいい、賈厳の二人が官を貶めるのは枯の側であることをいう。


長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
才子たる賈君は漢の賈誼のように長沙の遠き地に貶められた、厳君は後漢の厳光が客星であるといわれたが釣陵瀬に高くひかりをはなっておられる。』
○長沙才子遠 漢の賈誼の故事、漢代の洛陽の人。わずか二十歳で孝文帝に召されて博士となり、一年のうちに大中大夫となり、法制の改革にカをつくしたが、重臣である絳侯の周勃や穎陰侯の潅嬰に妬まれ、長沙王の傅に左遷された。のち梁の懐王の大将となり、三十三歳で死んだ。屈原とともに、すぐれた才能をもつがゆえに不遇であった文人としてよく例にひかれる。同姓の故事を借りて賈至のことをいう。
○釣瀨客星懸 後漢の厳光、字は子陵の故事、光は光武帝の友人で、一夜帝と共に臥し足を帝の腹に加えたところ、太史は「客星の帝座を犯すこと甚だ急なり」と奏したという、光は天上では客星に当たる人である、光は帝に仕えず浙江省厳州府桐鹿県の富春山に隠れて釣を垂れていたが、其の釣りをした処を厳陵瀬という、釣瀬は厳陵瀬をさす、此の句はまた同姓の故事を借りて厳武のことをいう。厳光が釣りをしていた場所(桐盧県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。


寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1445 杜甫詩 700- 446

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1445 杜甫詩 700- 446

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
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寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻

故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。

#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
意愜するは關飛動することを,篇終るは 混茫に接す。
天を舉ぎて 富駱を悲しみ,近代 盧王を惜む。
爾似るは官仍ち貴し,賢を前にして命 傷つく可し。
諸侯 棄擲にあらず,半刺 已に翱翔【こうしょう】す。
詩好して 幾時に見る,書成して 使將に無し。

#3
男兒行處是,客子鬥身強。
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。
男兒 行く處ろ是なり,客子 鬥い身強くする。
羈旅【はりょ】賢聖【けんせい】を推す,沈綿【ちんめん】して咎殃【きゅうおう】に抵【いた】る。
この三年 猶お瘧【おこり】の疾【やまい】あり、一つのやまいの鬼は 銷【き】え亡びず。
日を隔てて わがからだの脂(あぶらみ)と髓【ずい】とを捜し、寒を増すこと 雪霜を抱くがごとし。
徒然に隙地に潛む,靦有りて屢ば妝【よそおい】を鮮にす。

4
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。
何と太【はなはだ】しいことか龍鐘【りょうしょう】の極【きわ】み,今に於て出處の妨げ。
銭無くて帝里【ていり】に居り、尽室【じんしつ】は みな辺疆【へんきょう】に在る。
劉表【りゅうひょう】恨を遺ると雖ども,龐公【ろうこう】死して藏に至る。
心微かにして傍に魚鳥あり,肉瘦【や】せて豺狼【ひょうろう】に怯【おび】える。
隴【ろう】の草 蕭蕭として白,洮の雲 片片として黃。

5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。
高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。
門【ほうもん】は劍閣【けんかく】の外,虢略【がいらく】は鼎湖【ていこ】の旁【ほとり】。
荊玉は簪頭【しん】の冷,巴箋【はせん】は翰光【かんこう】を染る。
烏麻【きゅうま】蒸して續曬【ぞくさい】し,丹橘【たんきつ】露【あらわ】して應【まさに】嘗すべし。
豈に神仙の宅異ならんや?俱に山水の鄉に兼ねん。
竹齋 燒藥の灶【かまど】,花嶼【かしょ】讀書の堂。

更得清新否?遙知對屬忙。
そのような場所にすれば、さらに、清廉で新鮮な感じでいることが出来るだろうか、いやできないであろう。この事態になっておぼろげながら知り得たことは、忙しさというものを遮断できたことであろう。
舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
旧都洛陽は漢を再興改める役割をしたが、心豊かな篤い世俗のものが本質的に唐をよみがえらせるものになるものだ。
濟世宜公等,安貧亦士常。
あなたがたふたりは官僚の世界をうまくわたっていくべきであり、私のような士族はまた貧乏生活におちつくというのが常である。
蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
叛乱を予告した星はついに殺戮と屈辱・凌辱をなさしめた、匈奴の異民族は勝手気ままに乱れ狂ったようにふるまっている。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。
今度会うことがあれば今の時期どこで戦があってもおかしくないような雲行きがおさまってからにしよう、それまでは、こうした論文でもってしばらく生活するものとしていくのである。
(杜甫は、隠棲の地を取得する資金の援助、もしくは生活の援助を得たいとしてこの詩を作り贈ったのである。秦州における詩のほとんどが援助目的の「売文」であった。)
更に清新の否なるを得んや?遙に知る對して忙を屬するを。
舊宮は寧ろ漢を改め,淳俗は本として唐に歸る。
宜しく公等は世を濟るべし,貧に安じるは亦た士の常なり。
蚩尤【しゆう】終に戮辱【りくじょく】され,胡羯【こかつ】倡狂【しょうきょう】を漫【ほしいまま】にする。
會は妖氛【ようふん】の靜を待ち,論文は暫く糧を裹する。


現代語訳と訳註
(本文)

更得清新否?遙知對屬忙。
舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。
蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。


(下し文)
更に清新の否なるを得んや?遙に知る對して忙を屬するを。
舊宮は寧ろ漢を改め,淳俗は本として唐に歸る。
宜しく公等は世を濟るべし,貧に安じるは亦た士の常なり。
蚩尤【しゆう】終に戮辱【りくじょく】され,胡羯【こかつ】倡狂【しょうきょう】を漫【ほしいまま】にする。
會は妖氛【ようふん】の靜を待ち,論文は暫く糧を裹する。


(現代語訳)
そのような場所にすれば、さらに、清廉で新鮮な感じでいることが出来るだろうか、いやできないであろう。この事態になっておぼろげながら知り得たことは、忙しさというものを遮断できたことであろう。
旧都洛陽は漢を再興改める役割をしたが、心豊かな篤い世俗のものが本質的に唐をよみがえらせるものになるものだ。
あなたがたふたりは官僚の世界をうまくわたっていくべきであり、私のような士族はまた貧乏生活におちつくというのが常である。
叛乱を予告した星はついに殺戮と屈辱・凌辱をなさしめた、匈奴の異民族は勝手気ままに乱れ狂ったようにふるまっている。
今度会うことがあれば今の時期どこで戦があってもおかしくないような雲行きがおさまってからにしよう、それまでは、こうした論文でもってしばらく生活するものとしていくのである。
(杜甫は、隠棲の地を取得する資金の援助、もしくは生活の援助を得たいとしてこの詩を作り贈ったのである。秦州における詩のほとんどが援助目的の「売文」であった。)


(訳注)
更得清新否?遙知對屬忙。
更に清新の否なるを得んや?遙に知る對して忙を屬するを。
そのような場所にすれば、さらに、清廉で新鮮な感じでいることが出来るだろうか、いやできないであろう。この事態になっておぼろげながら知り得たことは、忙しさというものを遮断できたことであろう。
 析(きる)に同じ、ただしここは土壌をきりけずることで、剣を掘り取ることをいう。


舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
舊宮は寧ろ漢を改め,淳俗は本として唐に歸る。
旧都洛陽は漢を再興改める役割をしたが、心豊かな篤い世俗のものが本質的に唐をよみがえらせるものになるものだ。


濟世宜公等,安貧亦士常。
宜しく公等は世を濟るべし,貧に安じるは亦た士の常なり。
あなたがたふたりは官僚の世界をうまくわたっていくべきであり、私のような士族はまた貧乏生活におちつくというのが常である。
公等 あなたがた。高適と岑参のこと。


蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
蚩尤【しゆう】終に戮辱【りくじょく】され,胡羯【こかつ】倡狂【しょうきょう】を漫【ほしいまま】にする。
叛乱を予告した星はついに殺戮と屈辱・凌辱をなさしめた、匈奴の異民族は勝手気ままに乱れ狂ったようにふるまっている。
蚩尤 黄帝の時の諸侯。叛乱予告の星。
戮辱 殺戮と屈辱、凌辱。刑せられ、はずかしめられる。


會待妖氛靜,論文暫裹糧。
會は妖氛【ようふん】の靜を待ち,論文は暫く糧を裹する。
今度会うことがあれば今の時期どこで戦があってもおかしくないような雲行きがおさまってからにしよう、それまでは、こうした論文でもってしばらく生活するものとしていくのである。


(杜甫は、隠棲の地を取得する資金の援助、もしくは生活の援助を得たいとしてこの詩を作り贈ったのである。秦州における詩のほとんどが援助目的の「売文」であった。)


寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1442 杜甫詩 700- 445

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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。
高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。



現代語訳と訳註
(本文)

彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。


(下し文)

彭門【ほうもん】は劍閣【けんかく】の外,虢略【がいらく】は鼎湖【ていこ】の旁【ほとり】。

荊玉は簪頭【しん】の冷,巴箋【はせん】は翰光【かんこう】を染る。

烏麻【きゅうま】蒸して續曬【ぞくさい】し,丹橘【たんきつ】露【あらわ】して應【まさに】嘗すべし。

豈に神仙の宅異ならんや?山水の兼ねん。

竹齋 燒藥の灶【かまど】,花嶼【かしょ】讀書の堂。



(現代語訳)
高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。


(訳注)
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。

高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
彭門汶山といわれる山に、天彭闕という場所がある。天彭門とも言う。死者は、悉くその中で過ごし、鬼神の精霊が数多く見られる場所だった。 県政庁の前に、二つの石があり、それは闕のような形をしていたため、彭門と呼ばれた。
劍閣 長安から蜀の国に入ったところにある大剣、小剣の二山。閣道(架け橋)が多くあることから剣閣という。四川省に入って、後二百キロメートルで成都に着くというところにある。杜甫『哀江頭』「清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。」(清渭は東流して劍閣は深く,去住彼比消息無し。)
虢略 現在の河南省西部の霊宝県あたりにあった虢州を、宋代に虢略と改めた。・鼎湖 太湖、西湖、鏡湖


荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
荊玉 いばらと宝玉。巴箋 巻き込んだ手紙。
・翰1 羽毛でつくった筆。「翰墨」 2 書いたもの。文章。手紙。「貴翰・書翰・尊翰・来翰」 3 学問。学者。「翰林」 4 太い柱。守りとなるもの。


烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
烏麻 くろいものとあさ。烏紗巾、葬儀の格好。
晒(曬)とは。意味や日本語訳。[動](1) 日が照りつける晒黑了日焼けした.西晒西日が照りつける.(2) 日に干す,日に当てる晒被子掛けぶとんを干す.丹橘 あかいたちばな。


豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。


竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。


寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#4> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1439 杜甫詩 700- 444

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。

#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。


現代語訳と訳註
(本文)

何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。


(下し文)
何と太【はなはだ】しいことか龍鐘【りょうしょう】の極【きわ】み,今に於て出處の妨げ。
銭無くて帝里【ていり】に居り、尽室【じんしつ】は みな辺疆【へんきょう】に在る。
劉表【りゅうひょう】恨を遺ると雖ども,龐公【ろうこう】死して藏に至る。
心微かにして傍に魚鳥あり,肉瘦【や】せて豺狼【ひょうろう】に怯【おび】える。
隴【ろう】の草 蕭蕭として白,洮の雲 片片として黃。


(現代語訳)
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。


(訳注)
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
・龍鐘 年老いて疲れ病むさま。失意のさま。涙を流すさま。行き悩むさま。岑參『逢入京使』「故園東望路漫漫,雙袖龍鐘涙不乾。馬上相逢無紙筆,憑君傳語報平安。」


無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
帝里 みやこ。
尽室 官を辞して家族全員で移動するほどの意。


劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
劉表(142年漢安元年- 208年建安13年8月)は、中国後漢末期の政治家・儒学者。字は景升(けいしょう)。山陽郡高平県の人。前漢の景帝の第4子である魯恭王劉余の子孫。後漢の統制力が衰えた後に荊州に割拠した。建安13年(208年)、曹操が荊州に侵攻を開始。劉表は曹操が荊州入りする直前に病死した。享年67(65の説あり)[11]。死後、庶子の劉琮が家督を継いだが、長子の劉琦も劉備によって江夏の主として盛り立てられた。
龐公 龐徳公『遣興五首其二 ⑨』の「龐徳公」の条を参照。
遣興五首其二
昔者龐德公,未曾入州府。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
秦州雜詩二十首 其十五』 
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
塞門風落木,客舍雨連山。
阮籍行多興,龐公隱不還。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。


心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。


隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。
 秦州は隴右道であるが、隴西は西方への主要重点都市であった。吐蕃軍の恐怖の表現である。
 秦州から北西方面の重要都市の臨洮のこと。ここで軍が動けば、黄土の砂塵が凄まじいのでこの句の表現をしたもの。ウイグルの異民族の恐怖の表現である。

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#3> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1436 杜甫詩 700- 443

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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

寄彭州高三十五使君適、
虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。

高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。

やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。


現代語訳と訳註
(本文)

男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。


(下し文)
男兒 行く處ろ是なり,客子 鬥い身強くする。
羈旅【はりょ】賢聖【けんせい】を推す,沈綿【ちんめん】して咎殃【きゅうおう】に抵【いた】る。
この三年 猶お瘧【おこり】の疾【やまい】あり、一つのやまいの鬼は 銷【き】え亡びず。
日を隔てて わがからだの脂(あぶらみ)と髓【ずい】とを捜し、寒を増すこと 雪霜を抱くがごとし。
徒然に隙地に潛む,靦有りて屢ば妝【よそおい】を鮮にす。


(現代語訳)
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。


(訳注)
男兒行處是,客子鬥身強。

男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。


羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
賢聖 賢人と聖人。人格や才能を持っている人たち。
沈綿 病気がなかなか治らないこと。
咎殃 とがめとわざわい。


三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
瘧疾 悪性の流行病。やくびょう。ときのけ。えきびょう。《疫病》マラリア。


隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
脂髓 油の塊と物事の本質。人の体の別の言い方。表面的な問題と物の本質。


徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである
徒然 やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま。
隙地 空いている小さな場所
 あつかましくみる。
よそおう、めかす


<解説>
杜甫はこの秦州時代にいたる三年、熱病が完治せず再発を繰り返していた。友人の高適と岑参に自分の病歴をユーモアをまじえて訴えかけている。詩の原注(杜甫の自注)にも「時に瘧病を患う」(王洙本巻十ほか)とある。もらったラッキョウがマラリアに効くとは聞かないが、「寒熱を除く」効き目があることは、唐の孫思邈『備急千金要方』などの医書に多く記載がある。元来ラッキョウは温性の食物でもある。こうした当時の半病みの健康状態からも、杜甫はこの冷えの病を治してくれそうなラッキョウを切実に求めていたのだった。
秦州抒情詩(29) 秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <314> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1409 杜甫詩 700- 434
 この詩ではもう一つ、杜甫が生活上の物資をもらった経緯を詩の中に書き込み、詩によって返事を書き送っていることが注目される。杜甫詩には物を贈与された際、詩によって答礼を行い、その詩がまた名篇となっていることが多い。こうした現象は中唐以降次第に流行しはじめ、文人趣味の勃興と相俟って北宋にもっとも盛んとなる現象であるが'⑿'、その先駆性などについてはここでは触れないことにする。この詩も、何らかの援助を内に秘めた期待としてつづられているとみるべきである。

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#2> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1433 杜甫詩 700- 442

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#2> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1433 杜甫詩 700- 442

     
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老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
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両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。

高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。(当時の評価は高適の詩は鮑照を、岑参の詩は沈約を彷彿させたということ。)

#2
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則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
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君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。



現代語訳と訳註
(本文)

意愜關飛動,篇終接混茫。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
詩好幾時見,書成無使將。


(下し文)
意愜するは關飛動することを,篇終るは 混茫に接す。
天を舉ぎて 富駱を悲しみ,近代 盧王を惜む。
爾似るは官仍ち貴し,賢を前にして命 傷つく可し。
諸侯 棄擲にあらず,半刺 已に翱翔【こうしょう】す。
詩好して 幾時に見る,書成して 使將に無し。


(現代語訳)
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。


(訳注)
意愜關飛動,篇終接混茫。

関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
意愜 心持が快適である。憂いが無く満足感を得る。
接混茫 接っする。混ざる。茫んやりする。


舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
舉天 この天は則天武后で、優秀な人材を登用していったいい側面とその人材を追い詰めた二つの側面を持つつことをいい、現粛宗の無策贔屓を批判する意味と考える。
駱、盧王 初唐四傑の朝廷における地位が登用された初期と最後は哀しいものであったということを例に引くもの。初唐四傑:駱賓王、王勃、盧照鄰、楊炯の四人である。


似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
 高適と岑参。
前賢 玄宗のこと。玄宗の指名を受けた房琯の一派であったために粛宗に排除・左遷ということを受けた。


諸侯非棄擲,半刺已翱翔
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
棄擲 なげすてること。すててかえりみないこと。
翱翔 鷹などが空に輪を描いて飛ぶ。翔は翅をひろげてとぶ、翔はめぐりてとぶ。


詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。



王勃 おうぼつ  ① 650年 - 676年 "王勃の作品には、南朝の遺風を残しながら、盛唐の詩を予感させる新鮮自由な発想が見られる。「初唐の四傑」の一人。幼くして神童の誉れ高く、664年に朝散郎となり、ついで高宗の子の沛王・李賢の侍読となってその寵を受けたが、諸王の闘鶏を難じた「檄英王鷄文」を書いて出仕を差し止められ、剣南(四川省)に左遷された。虢州(河南省霊宝市)の参軍となったときに罪を犯した官奴を匿いきれなくて殺し、除名処分にあった。
 この事件に連座して交趾の令に左遷された父の王福時を訪ねる途中、南海を航行する船から転落して溺死した。"

楊炯 ようけい ② 生年不詳-692年 (ようけい、生年不詳-692年)は中国・唐代初期の詩人。字は不詳。王勃・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる.華陰(陝西省)の出身。幼時から慧敏でよく文章を作り、661年に神童に挙げられ校書郎を授けられた。681年、崇文館学士になった。則天武后の時代に梓州司法参軍に左遷されて、のち盈川の令となった。著に『盈川集』がある

盧照鄰 (ろしょうりん)  ③ 生没年未詳。 范陽(河北省)の出身。幼少より曹憲・王義方に従って経史と小学を学び、詩文に巧みであった。初めは鄧王府の文書の処理係である典籤となり、王(唐高祖の子・元裕)に重用された。 のち新都(四川省)の尉となったが病のために職を辞し、河南省具茨の山麓に移住した。病が重くなって、ついに頴水に身を投じて死んだ。 その詩は厭世的で悲しみいたむ作が多い。長安の繁栄のさまを詠じた「長安古意」が最もよく知られ、『唐詩選』にも収められている。著に『盧昇之集』7巻と『幽憂子』3巻がある。

駱賓王 らくひんおう  ④ 640年? - 684年? 「初唐の四傑」の一人。7歳からよく詩を賦し、成長してからは五言律詩にその妙を得た。特にその「帝京篇」は古今の絶唱とされる。好んで数字を用いて対句を作るので「算博士」の俗称がある。(浙江省)の出身。初めから落魄し、好んで博徒と交わり、性格は傲慢・剛直。高宗の末年に長安主簿となり、ついで武后の時に数々の上疏をしたが浙江の臨海丞に左遷される。
出世の望みを失い、官職を棄てて去った。684年に李敬業が兵を起こすと、その府属となり敬業のために檄文を起草して武后を誹謗、その罪を天下に伝えた。"

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

寄彭州高三十五使君適、
 虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡, 秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見, 詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士, 雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步, 沈鮑得同行。

高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。

彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻
故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。


#2
意愜關飛動,篇終接混茫。舉天悲富駱,近代惜盧王。
似爾官仍貴,前賢命可傷。諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
詩好幾時見,書成無使將。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。




現代語訳と訳註
(本文)
寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
故人何寄寞?今我獨淒涼。老去才難盡,秋來興甚長。
物情尤可見,詞客未能忘。海內知名士,雲端各異方。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。


(下し文)彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻

故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。


(現代語訳)
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。


(訳注)
寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻


故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
凄涼 ものさびしいさま。


老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。


物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。


海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。

海內 中国国内。

高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
緩歩 ゆるゆるとあるく。
沈鮑   沈約と鮑照 

沈約(しんやく) 441年 - 513年 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。
竟陵八友:南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人 (①蕭衍・②沈約・③謝朓・④王融・⑤蕭琛・⑥范雲・⑦任昉・⑧陸倕)    


鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。鮑照(ほう しょう、414年?(義熙10年) - 466年(泰始2年))は、中国南北朝時代、宋の詩人。字は明遠。本籍地はもと上党郡(現在の山西省長治市)、後に東海郡(現在の江蘇省漣水県、または山東省郯城県)に移る。最後の官職である「前軍参軍」にちなみ、後世「鮑参軍」と呼ばれる。宋の文帝の元嘉年間を代表する詩人として、同時期に活躍した謝霊運・顔延之と併称して「元嘉三大家」の1人に数えられる。妹の鮑令暉も詩人として知られる。
寒門の貧しい家柄に生まれる。元嘉年間に臨川王劉義慶に認められ国侍郎・太学博士・中書舎人となる。後に荊州刺史・臨海王劉子頊のもとで前軍参軍となった。466年、劉子頊が反乱を起こして敗死すると、鮑照もその混乱の中で殺害された。
現存する詩は241首と六朝時代の詩人としては比較的多く残っている。楽府詩を得意とし、それに仮託して寒門出身ゆえの人生の不遇や艱難を詠う内容が多い。典故にもとづいた旧来の表現に拘泥せず、好んで新奇な語を用い、風景や自らの感慨を力強くダイナミックな調子で詠う作風が特徴である。そうした作風は、同時代において通俗的で典雅さに欠けると批判されることもあったが、後世の唐代の詩人に大きな影響を与えた。唐の詩人杜甫は、李白の詩才を「清新なるは 庾開府、俊逸なるは 鮑参軍」(「春日 李白を憶ふ」)と鮑照になぞらえて称えている。
春日憶李白 杜甫「清新庚開府,俊逸鮑參軍。」(清新は庚開府 俊速は飽参軍)

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#6> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1427 杜甫詩 700- 440

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#6> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1427 杜甫詩 700- 440


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李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡
  2011/7/11李商隠 1 錦瑟
     2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回)
  2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文)


秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』
#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように安史叛乱軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
法駕初還日,群公若會星。」
こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』
しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 
#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
羽書還似急,烽火未全停。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
師老資殘寇,戎生及近坰。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
忠臣詞憤激,烈士涕飄零。

それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。

上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。
将軍の上級にあるものが辺都の地に左遷されて能力を発揮できずに沢山いるのだ、彼等のこれまでの勲功は鼎の銘文に溢れるほど誉め讃えられているものばかりである。
仰思調玉燭,誰定握青萍。』
わたしは天を仰いでどうか四時陰陽調和して天下泰平であるようにとかんがえているところであるが、たれが名剣「青萍の剣」をふるうように材能の利器を発揮してこの戦乱を平定してくれるのであろうか。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。
私のいる隴西の習俗では「鸚鵡の賦」を作った禰衡の才あるものでもそれを軽蔑していて私の評価も決して高くないのだ、『詩経』にいう「原に在る鶺鴒の情」というものは、秦州という辺境の地で急難を抱えている私に対しての情というものと同じではなかろうかとおもう。
秋風動關塞,高臥想儀形。

この関所、塞にも秋風の変格が動きだしている、それでわたしは枕をたかくして寝つつはるかに両君のすがたを想い望んでいるのである。』
#6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』



現代語訳と訳註
(本文)

上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。


(下し文) #6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


(現代語訳)
将軍の上級にあるものが辺都の地に左遷されて能力を発揮できずに沢山いるのだ、彼等のこれまでの勲功は鼎の銘文に溢れるほど誉め讃えられているものばかりである。
わたしは天を仰いでどうか四時陰陽調和して天下泰平であるようにとかんがえているところであるが、たれが名剣「青萍の剣」をふるうように材能の利器を発揮してこの戦乱を平定してくれるのであろうか。』
私のいる隴西の習俗では「鸚鵡の賦」を作った禰衡の才あるものでもそれを軽蔑していて私の評価も決して高くないのだ、『詩経』にいう「原に在る鶺鴒の情」というものは、秦州という辺境の地で急難を抱えている私に対しての情というものと同じではなかろうかとおもう。
この関所、塞にも秋風の変格が動きだしている、それでわたしは枕をたかくして寝つつはるかに両君のすがたを想い望んでいるのである。』


(訳注)
上將盈邊鄙,元勲溢鼎銘。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
将軍の上級にあるものが辺都の地に左遷されて能力を発揮できずに沢山いるのだ、彼等のこれまでの勲功は鼎の銘文に溢れるほど誉め讃えられているものばかりである。
上将 将軍の上級にあるもの。
辺都 かたよった地方。
元勲 大きないさおし。これまでの大きな勲功。
 ありあまるほど書きしるされる。
鼎銘 かなえにはりつける銘文。


仰思調玉燭,誰定握青萍。』
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』
わたしは天を仰いでどうか四時陰陽調和して天下泰平であるようにとかんがえているところであるが、たれが名剣「青萍の剣」をふるうように材能の利器を発揮してこの戦乱を平定してくれるのであろうか。』
調玉燭 「爾雅」「《爾雅》云,四時和,謂之玉燭,取以為名。」(四時の調、之を玉燭と謂り、取り持って名と為す。」とみえる、陰陽の調和して気候の宜しきを得ることをいう。
握青萍 青萍は剣の名、これは必ずしも宝物の剣をささず、材能の利器をたとえていう。


#5
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。
隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
私のいる隴西の習俗では「鸚鵡の賦」を作った禰衡の才あるものでもそれを軽蔑していて私の評価も決して高くないのだ、『詩経』にいう「原に在る鶺鴒の情」というものは、秦州という辺境の地で急難を抱えている私に対しての情というものと同じではなかろうかとおもう。
隴俗 隴右道東部地方の習俗、この以下の「輕鸚鵡」「原情類鶺鴒」を指していう。
軽鸚鵡 鸚鵡とは鸚鵡の賦を作る人才をさす、儒者で、曹操に非礼の態度を取った魏の禰衡は「艶鵡賦」をつくったが、杜甫が自己を禰衡に此した。
原情類鶺鴒 『詩経』小雅「常棣」 「脊令在原、兄弟急難」(野にいる鶺鴒は、兄弟で難を救う)とみえる、せきれいは水鳥であるのに原野にあり、つねの居どころを失うと飛鳴して助け合い求める、そのように人はその兄弟に対しては急難の場合には力をだして相い援けあう、原情とはこの仲間を思いやり急難を救うであり、杜甫がこの両君に対して彼らよりたすけを求めようとすることをいうのである。
 

秋風動關塞,高臥想儀形。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』
この関所、塞にも秋風の変格が動きだしている、それでわたしは枕をたかくして寝つつはるかに両君のすがたを想い望んでいるのである。』
 吹きだしたことをいう。
高臥 枕をたかくして寝ること。
儀形 薛三璩、畢四曜の二人のすがたかたち。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#5> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1424 杜甫詩 700- 439

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#5> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1424 杜甫詩 700- 439

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
交期余潦倒,才力爾精靈。
二子聲同日,諸生困一經。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
舊好何由展,新詩更憶聽。
別來頭並白,相見眼終青。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
羽書還似急,烽火未全停。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
師老資殘寇,戎生及近坰。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。

上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。

#6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文)
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。
忠臣詞憤激,烈士涕飄零。


(下し文)
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。


(現代語訳)
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。


(訳注)#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
○この二句は杜甫自身のことをいう。
窮清渭 渭水の渡をきわめる、秦州にあることをいう。極めるとは最上流に上ること。
望濁涇 涇水はにごって長安に向かって流れる、これは長安の方をのぞむことをいう


羽書還似急,烽火未全停。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
羽書 危急を報じ兵を徴するための檄文、長さ一尺二寸の木簡に鳥の羽を附する。


師老資殘寇,戎生及近坰。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
師老 師は官軍、老とは駐屯の日が久しいことをいう。
資殘寇 資とは相手にもとでを与えカをそえることをいう、残冠は賊軍ののこりをいう。
戎生 いくさごとがおこる。
近坰 都の近郊をいう。史忠明軍が洛陽に迫っていることをいう。


忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#4> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1421 杜甫詩 700- 438

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#4> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1421 杜甫詩 700- 438


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李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡
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秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻

#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
交期余潦倒,才力爾精靈。
二子聲同日,諸生困一經。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
舊好何由展,新詩更憶聽。
別來頭並白,相見眼終青。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
#6
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。」

#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
#6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』

唐朝 大明宮2000



現代語訳と訳註
(本文)

宮宦仍點染,柱史正零丁。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』


(下し文)
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』


(現代語訳)#4
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 


(訳注)
宮宦仍點染,柱史正零丁。

宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
宮臣 これは今の「見敕」にある東宮の官属である司議郎薛拠を現官によってさす。
仍点染 点染とは安史軍の塵埃にけがれたことをいう、前#2の「囚梁」の句と同事実をさす。
柱史 柱下史の略、このたび「見敕」による御史の官をいい、畢曜をさす。
零丁 おちぶれるさま。


官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
官忝趨棲鳳 杜甫本人をいう。・趨は趨走すること(あちこち走り回る)、・棲鳳は閣の名、含元殿の南に竜尾道をはさんで左右に棲鳳閣・翔鸞闇がある(大明宮圖参照)、これは杜甫が拾遺の官であったことをいう。
朝回嘆聚螢 薛・畢二子について歎ずること、朝回は杜甫が朝廷の朝礼より退きかえること、聚螢は晋の車胤が家が貧しく燈火のないために夏は螢をあつめてそのあかりによって書を読んだとの事に本づく、薛拠・畢曜が重く用いられずなお不遇の地にあることをいう。
 

喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
喚人 他の人人をよびおこす。○腰裊 日に千里をゆく神馬、薛と畢をたとえていう。○不嫁 よめいりをしない。○娉婷 女子のうつくしいさま、薛畢を美人にたとえ、美しくありながらよめいり口のないことを惜しむ。


掘劍知埋獄,提刀見發硎。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
掘劍知埋獄,提刀見發硎  現在はじめて二子が任官されて潜在能力のあらわれたことをのべる、掘獄埋剣は晋の雷煥の故事、呉がまだ亡びなかった時 常に紫気があって牛斗の間に見えた、張華はこれを雷煥(孔章)に問うたところ、煥がいうのに、宝物の精が予章の豊城(県の名)にあると、遂に煥を豊城の令となした、煥は県に至って獄を掘り「竜泉、太阿」の二剣を得た、その夕方、牛斗の気は再び見えなかった。煥はそこで其の一つを留め、他の三を張華に進めた。後に華が害に遇ったところ、此の剣が飛んで嚢城の水中に入った、煥が死のうとするとき其の子を戒めつねに剣を自ずからに随えさせた、後に其の子が建安の従事となって浅瀬をわたろうとすると、剣が忽ち腰間より躍り出し、二竜が相い随って行くのを見たという、二子のあらわれることは獄中の埋剣が掘りだされたようなものである。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

提刀見発硎 「荘子」(養生主第三の五節)に庖丁が十九年の間に数千の牛を解くのにその「而刀刃若新発於硎。」(刀刃は新たに硎より発するが若し)とある、硎は磨石、提刀の二字も同篇にみえる、上手な料理人がを研ぎたての刀を使うに両君をたとえていう。


侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』
侏儒 応に共に飽くなるべし 漁父偏醒を忌む』
しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 
侏儒応共飽 二子の身の上を想像していう、「漢書」(東方朔伝)に「侏儒は飽いて死なんと欲するも、臣朔は飢えて死なんと欲す」とみえる、君主の玩弄物である侏儒(一寸法師)は食物にたべあきて死のうとしているのに自己は飢えて死のうとしているという意味である。此の句は薛拠・畢曜の両君をいう、二子が用いられたとしでもわずかに侏儒の輩と共に飽食するのであろう。
漁父忌偏醍 此の句は杜甫自身をいう、漁父の事は屈原の「漁父辞」に本づく、屈原が「衆人は皆酔える三台は独り醍む」といったのに対して漁父は何でそのかすをくらいそのしるをすすらぬのかといった、偏醒は独醒のこと、杜甫自身が直諌して容れられぬことを偏醒といったのである。



宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#3>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1418 杜甫詩 700- 437

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#3>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1418 杜甫詩 700- 437

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
59年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように安史叛乱軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
法駕初還日,群公若會星。」

こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文) #3

帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。


(下し文)
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

 
(現代語訳)#3
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。

(訳注)
帝力收三統,天威總四溟。

帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。、
帝力 粛宗皇帝のカ。756年6月霊武において即位。玄宗は上皇となり蜀へ逃避行。
三統 漢の武帝の太初1年(前104)に太初暦が施行されたが,その暦法は前1世紀末の劉歆(りゆうきん)によって補修されて三統暦と名づけられ,王莽(おうもう)の新,後漢で用いられ紀元84年(元和1)まで使用された。三統暦では夏(か)を天統,殷を地統,周を人統とした三正循環説によって理論づけして,暦法上の法数に思想的な意味を与えた。三統暦の1回帰年の値は365日+385/1539日,1朔望月の値は29日+43/81日で,両者は19年7閏の法によって結ばれた。
天威 天子の威光。
四溟 四海。中国全土。世界。


舊都俄望幸,清廟肅維馨。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
旧都 長安。○望幸 行幸をのぞむ、これは756年乾元元年十月に唐王朝・ウィグル連合軍の長安奪回により、粛宗が長安にかえったことをさす。杜甫はこの時参加せず。
清廟 唐の大祖の廟をさす。『詩経、大雅、清廟之什』「清廟は清明の徳あるものを祭るの宮也。」「清廟はすなわち明堂の大廟」
 厳粛にすること。
維馨 祭供をいう、「書経」(君陳)に「黍稷馨しきに非ず、明徳惟れ馨し。」とみえる。祭りに供える黍・粟よりもその祭りをする人の明徳がかんばしいということである。


雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
雑種 安史軍の連合軍こと。安慶緒・史思明らに各地の不満分子と異民族の騎馬民族などをいう。
高墨 とりでを高くきずいてまもる。○長駆 官軍がながみちをかけること。
甚建瓴 「漢書」(高帝紀)に高い地形に居てひくい諸侯の地にむかって兵を下すことをたとえて「高屋の上に居て領水を建つるが若し」といっている、領水とは屋上の瓦溝の水をいう、これを建てれば水は急流をなして下におちるであろう。
焚香 天子を迎える用意である。


焚香淑景殿,漲水望雲亭。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
淑景殿 長安の西内(西の御所)安仁殿の後(北)に綵糸院があり、院の西に淑景殿があるという。
漲水 水がみなぎるようにすること。一説に漲は、灑の誤字かという、灑水ならば水をそそいでほこりをしずめることで天子を迎える用意をなすことをいう。
望雲亭 この亭も西内にあったという。贈翰林張四學士 杜甫36


法駕初還日,群公若會星。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。
法駕 法式による天子の車駕。
群公 すぐれた地位の諸官。
会星 あっまっているほし、多いことをいう。



帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#2>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1415 杜甫詩 700- 436

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1415 杜甫詩 700- 436 

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《『秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻』 杜甫700の315-#2首目、杜甫ブログ436回目》


秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻

759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』

別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』

伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように賊軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』

こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」

宮宦仍點染,柱史正零丁。官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。

秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。

大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』

伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』


帝力三統を収め、天威四冥を総すぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟 惟馨【いけい】を粛む。
雑種 塁を高くすと雖も、長駆 瓴【れい】を建つるよりも甚し。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲みなぎらす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝かたじけのうす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢しゅうけいを歎ず。
人を喚びて腰裊ようじょうを看せしむ、嫁せざるに娉婷へいていを惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』

旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文)

伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。華夷相混合,宇宙一羶腥!』


(下し文)
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』


(現代語訳)
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように賊軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』


(訳注)
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
 薛三璩、畢四曜の二人と杜甫をこめていう。
同憂 同とは朝廷の下級官僚であったことで憂いが共通であった。
歳不寧 安らかなに過ごせた年が無い。


栖遑分半菽,浩蕩逐流萍。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
栖遑 栖栖遑遑の略、せわしいさま。栖は巣。・栖栖 忙しいこと。あくせくすること。・遑(1)仕事のない時。時間の余裕。ひま。  (2)休むこと。休暇。(3)職務をやめること。 ・遑遑 心が落ち着かないさま。あわただしいさま。〇分半菽 分とはわけてくうこと、半寂とは野菜に半分華まめをまぜること、貧しくて食物に乏しいためである。
浩蕩 とりとめないさま。
逐流萍 萍はうきくさ、漂泊生活をいう。


俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
俗態 世俗の人情のさま。
猜忌 そねみいむ、これは李林甫が賢人を退けたことをさすという。
妖氛ようふん 楊貴妃の一族の楊国忠の横暴、不吉の悪気、安禄山の叛乱をさす。
杳冥ようめい とおくくらい。表の華美頽廃の文化の裏で不穏なものが醸し出されてきたことをいう。


獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥しんぽうしょが秦庭に哭したようなことをしようとした。
独慚 杜甫が自ずからはじる。
投漢閣  漢の揚雄の故事、雄が甑豊という者の連累によって罪されようとしたとき、たまたま書を天禄闇の上で校していたが、獄吏の至るのを見て閣上より身を投じてほとんど死なんとした、これは作者が賊軍の中に陥ったことをさしていう。
杜甫『贈獻納使起居田舍人澄』「揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。」杜甫『奉寄河南韋尹丈人』「謬慚知薊子,真怯笑揚雄。」奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫・奉寄河南韋尹丈人 杜甫・醉時歌 杜甫 特集 77
・奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 89・贈獻納使起居田舍人澄 杜甫90 ・送楊六判官使西蕃 #1 700- 197(この詩はブログに掲載しているが文字数の関係でリンクできないので検索により見てほしい)

倶議 薛・畢らとともに相談する。
哭秦庭 呉の軍が楚の都の郢に攻めこんだとき楚の忠臣に申包胥という者があり、秦の国に行って援兵を乞い七日のあいだ哭して遂にその援助を得た、これは或は援兵を回紇に求めることをさすとし、或は兵を諸節度使より徴集することをさすとするが、いずれでも通じるが、この点はその後の政治体制に大きくかかわる点で、そのどちらの策も、禍根を残す失政であった。玄宗派の重臣を排除し、好き嫌いで側近、将軍を選定した結果、王朝軍は弱体化した。心ある、兵を集めて統率力のあるものを将軍とし、朝廷の中央軍を再編成、組織して戦わなければいけない と杜甫は考えている。


還蜀衹無補,囚梁亦固扃。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように賊軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
還蜀衹無補 作者自己についていう、還蜀は漢の司馬相如の故事、相如は蜀の人、志を立てて郷を出て富貴を得て還った、これは作者が拾遺の官を授けられて羌村に帰った当時の事(杜甫『北征』を代表の一聯詩)をさしていったものと思われる、「衹無補」 とはなんら朝廷の事に補益することのなかったことをいう。この時、房琯一派として徹底的に疎外され、仕事をさせてもらえなかったことをいう。
囚梁亦回扃 囚梁は漢の鄒陽の故事、鄒陽は梁の孝王のために獄に下され、獄中より上書した、此の句は薛拠・畢曜の二人がかつて叛乱軍のために洛陽に拘禁されたことを指すものであろうとされている。杜甫は軟禁であったため逃亡できた。○ 戸のかんぬきをいう、戸をしめてそとへださぬようにすること。


華夷相混合,宇宙一羶腥!』
華夷相混合す 宇宙一に羶腥せんせいなり』
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
華夷 漢民族に夷の異民族の軍隊。粛宗はウィグルに応援を依頼した。このことについては次の杜甫のブログに詳しく述べていいる。
・秦州抒情詩(5)  即事 杜甫 <290> 紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410  
・秦州雜詩二十首 其十一 杜甫 第3部 <264>紀頌之の漢詩ブログ1241 杜甫詩 700- 378
・潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 i紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311
・北徵 #5(北征全12回)杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212
・送重表姪王砅評事便南海 杜甫紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131
・悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152
・悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153
黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

・塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195
・送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197
・留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299


一羶腥 専一になまくさい。ウィグルは、叛乱軍にも非公式に派兵していたし、唐王朝軍はしばしば大敗、分裂、分散をし、その都度好条件を与えてウィグルの援軍を頼んだ。759年から762年くらいまで叛乱軍史忠明はウィグルと同盟しかけた。これが成立しかける一歩手前でふせいだことで安史の乱は763年に終息するのであるが、この詩の759年秋冬は、このウィグルとの問題に吐蕃が攻め込み、西域の沙州・隴西―秦州―長安・洛陽はぐちゃぐちゃであった。このため、杜甫は秦州東柯谷が隠棲の場所としてはふさわしくないということで4カ月足らずで同谷へ旅立つことになるのである。




参考

杜甫の理解には様々な故事を理解しないと深韋味わいが出ないのである。申包胥につて、ウィキペディアの記述を参考として引用する。
申包胥(しん ほうしょ)は春秋時代の楚の政治家。姓は羋、氏は王孫、または封地名から申、諱は包胥。王孫包胥とも通称される。平王、昭王、恵王の3代に仕え、呉の尖兵となったかつての僚友伍子胥に抗した。

友への諫言
伍子胥が楚にいた頃、友人として親しく交遊したが、紀元前522年、子胥の父兄が主君の平王により誅殺される事件が起きる。復讐をする為に楚を出奔する際、楚を必ず転覆させると誓う子胥に対して、包胥は私は必ず存続させると言い袂を別った。
後に呉の将軍となった伍子胥は、紀元前506年の柏挙の戦いにおいて楚を陥れ、すでに死去していた平王の墓を暴き、屍を三百回鞭打った。 この苛烈な所業に対して、山中に逃れていた包胥は人を遣わし問いただした。 「君の復讐はなんと酷い事か。私は聞いた事がある、一時の凶暴が天に勝とうとも、天が定まればいずれ破られると。君はかつては北面し、平王に仕えた身だ。その屍を辱めるとは、いずれ天が定まれば、人の凶暴など長くはないのではないか。」 この詰問に対して子胥は「日が暮れて道が遠い、故に倒行してこれを逆施するのみだ。」(私には時間がなく、道理に従って物事を進める事が出来なかった。)と弁明した。
楚を救う
伍子胥の復讐は、平王の後を継いだ昭王にも向けられ、その行方を捜していた。 その間に包胥は秦に援軍を頼むべく哀公の宮殿に奔った。 昭王の母は秦の公女という間柄にも関わらず、秦の哀公は援軍を断る。これに対し、包胥は大いに嘆き、七日七晩、何も食べず、飲まずに泣き続けた。 その様子に心を打たれた哀公は、「楚は無道だがこのような忠臣がいるのであれば滅ぼすべきでない」として、戦車五百を投入した。翌紀元前505年、秦の援軍は呉を破り、呉の内紛もあって、ついに楚は呉を退ける事に成功した。
楚を守った包胥の功績に対して、昭王は封邑五千戸の大封を与えようとしたが、包胥は楚に先祖の墳墓があったので、それを守ったにすぎないとして辞退した。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#1>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1412 杜甫詩 700- 435

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

杜甫が秦州に来て作った詩(秦州における85首)には
詩人として生きて行こうとしていること、
隠棲の地を求めたこと、
土地、家を買いたいとおもっていること、
資金不足であって親戚、友人知人に援助を依頼している、
友人からの資金援助のてがみをまっている、のである。将来を考えることができなくて、今を生きることさえ毎日が不安であった様子もこれらの詩にあらわれている。
私はそうは思わないが、この頃の杜甫の詩は「食料が豊かな町ではなく、国境の町の異様な自然と人事は、杜甫の神経を極度に苛んだらしく、この頃の詩は、病的に尖鋭であり、絶望的である。」(黒川洋一著)というのが一般的な杜甫の心情分析結果である。

わたしは詩人的表現が次第に強くなっていったもの、友人知人に援助以来のため詩人的表現をしたものと思える。杜甫にとって戦争がトラウマで沙州・隴西―長安・洛陽のラインで戦争は継続していたことが杜甫の神経を尖鋭にしていたものである。半分世の中を棄てようとしているのでその部分が絶望的ということになるのであろう。しかしそれは杜甫の本質ではない。

 このブログではできる限り、杜甫の詩を割愛したり、都合のいい部分を拾い集めて、自らの論理にあてはめるということはしない。全体の詩を取り上げたうえで考察のためにシリーズ、紀行など範疇をひろげて振り返って行って論評したいと考えている。一詩だけで、一句だけの判断は間違いが多いと考えるからである。



秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻

759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』

別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』

伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。華夷相混合,宇宙一羶腥!』

帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」

宮宦仍點染,柱史正零丁。官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』


伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
局に還る穂だ補い無く、梁に囚わる亦た固より扁さる。
華夷相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』

帝力三統を収め、天威四冥を総すぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟 惟馨【いけい】を粛む。
雑種 塁を高くすと雖も、長駆 瓴【れい】を建つるよりも甚し。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲みなぎらす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝かたじけのうす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢しゅうけいを歎ず。
人を喚びて腰裊ようじょうを看せしむ、嫁せざるに娉婷へいていを惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』

旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文)

大雅何寥闊,斯人尚典刑。交期余潦倒,才力爾精靈。
二子聲同日,諸生困一經。文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
舊好何由展,新詩更憶聽。別來頭並白,相見眼終青。』


(下し文)
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。

大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』


(現代語訳)
759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』


(訳注)
秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
勅目 勅命による任官の目次。
薛三璩 薛拠は作者の友、同諸公登慈恩寺塔 杜甫39 の注にみえる。
司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。
畢四曜 畢曜は作者の友、他に「偪側行、畢四曜に贈る」、「畢四曜に贈る」の詩がある。758年乾元元年47歳左拾遺から華州へ左遷される直前のころ『逼側行贈畢曜』『贈畢四曜』を書いている。
『贈畢四曜』は次の通り。
才大今詩伯,家貧苦宦卑。饑寒奴樸賤,顏狀老翁為。
同調嗟誰惜,論文笑自知。流傳江鮑體,相顧免無兒。
監察 監察御史のこと、百僚を分察し、州県を巡按することをつかさどる。
二子 薛拠・畢曜。
 古い交際。
遷官 官職をうつされたこと。
索居 朋友とはなれてさびしくくらしていること。


大雅何寥闊,斯人尚典刑。:大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
大雅 すぐれてただしい。学識のあるもの。文人同士の敬称。優れて正しい詩文の本筋。
寥闊 さびしいさま。
斯人 薛三璩、畢四曜のふたり。
典刑 一定の刑罰。古い手本。手本とすべき形。『詩経、大雅、蕩』「雖無老成人、尚有典刑。」(老成人なしと雖も、尚お典刑あり。」とみえる。


交期余潦倒,才力爾精靈。:交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
交期 交際契合のこと。
潦倒 おちぶれたさま。
材力 人物力量。
 薛三璩、畢四曜の二人。
精靈 万物の根源をなしている、とされる不思議な気のこと。


二子聲同日,諸生困一經。:二子同日に声あり、諸生一経に困す。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
 世間に名声のあること、このたびの任官をいう。
諸生 仕官せぬ多くの学者ども、暗に杜甫自身をさしていう。
困一経 ひとつの経典を修学していて、そのために困窮していること。


文章開窔奧,遷擢潤朝廷。:文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
窔奧 室の西南隅を奥といい、室の東南隅を窔といい、五行では奧を修学の意、窔は就寝の意とあって、寝ても覚めても学問の勉強することを意味する。転じて文章の奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢をいう。
遷擢 うつしぬきんでられる。○潤朝廷 朝廷の恩沢にうるおされることをいう。


舊好何由展,新詩更憶聽。:旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
旧好 これまでのなかのよさ。


別來頭並白,相見眼終青。:別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』
併白 彼も白い我もともに。
眼終青 眼青は魏の阮籍の故事、籍は佳客を見れば青眼(くろめ)をなし、俗客を見れば白眼(にらみめ)をなしたという。青眼でにごり酒を呑み政治の談議をすることをいう。賢者はにごり酒、儒者聖人は清酒を飲んだ。
阮籍 詠懐詩、 白眼視    嵆康 幽憤詩を参照。

秦州抒情詩(29) 秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <314> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1409 杜甫詩 700- 434

秦州抒情詩(29) 秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <314> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1409 杜甫詩 700- 434

     
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

《秦州抒情詩(29)『秋日阮隠者致薤三十束』 杜甫700の314首目、杜甫ブログ434回目》


秋の目に隠棲の士、阮昉という者が三十束の薤をもらい、その束が待っている友人からの書簡に見えたこと、医食同源からもラッキョウは体にいいこととして喜んだ詩である。阮坊は秦州の人である。
*〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。 (隠居、名は昉、秦州の人)
乾元2年 759年 48歳


秋日阮隠者致薤三十束
(秋の日に隠居の士阮昉という者が三十束の薤ラッキョウをもらったことについてお礼の詩)
〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。
隠者柴門内、畦蔬遶舎秋。
隠棲している阮昉さんは粗末な柴の入り口のうちにはいっているが、その家のまわりの畑にはの野菜が秋の色を呈している。
盈筐承露薤、不待致書求。
自分はいま取り立てで露がおちる薤を盛った籠をもらい手にささげている。これは自分が手紙を彼にやって求めたわけでなく彼自身が親切心でくれたのである。
束比青芻色、円斉玉莇頭。
「ラッキョウ」の束は、刈たての青草の色にもくらべてみて生生しいし、ラッキョウの根のまんまるさは白玉の箸の頭と同じよう、徳を積むことを示しているのである。
衰年関鬲冷、味暖併無憂。
仁徳を積むに良いものが、老衰の年にあたって関節や心臓・牌臓だの体が冷えてくるのだが、この薤があれば食いものとして味わう上もからだの保温のうえもともに心配が無くなってくる。


現代語訳と訳註
(本文)
秋日阮隠者致薤三十束
〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。
隠者柴門内、畦蔬遶舎秋。
盈筐承露薤、不待致書求。
束比青芻色、円斉玉莇頭。
衰年関鬲冷、味暖併無憂。


(下し文)
(秋日阮隠居薤三十束を致す)
隠者  柴門【さいもん】の内、畦蔬【けいそ】 舎【しゃ】を遶【めぐ】りて秋なり。
盈筐【えいきょう】 露薤【ろかい】を承【う】く、書を致【いた】して  求むるを待【ま】たず。
束【そく】は比す  青芻【せいすう】の色、円は斉【ひと】し  玉莇【ぎょくちょ】の頭【とう】。
衰年【すいねん】 関鬲【かんかく】冷やかなり、味暖【みだん】   併【あわ】せて憂い無し。


(現代語訳)
(秋の日に隠居の士、阮昉という者が三十束の薤をもらい、その束が待っている友人からの書簡に見えたこと、医食同源からもラッキョウは体にいいこととして喜んだ詩である。)
隠棲している阮さんは粗末な柴の入り口のうちにはいっているが、その家のまわりの畑にはの野菜が秋の色を呈している。
自分はいま取り立てで露がおちる薤を盛った籠をもらい手にささげている。これは自分が手紙を彼にやって求めたわけでなく彼自身が親切心でくれたのである。
「ラッキョウ」の束は、刈たての青草の色にもくらべてみて生生しいし、ラッキョウの根のまんまるさは白玉の箸の頭と同じよう、徳を積むことを示しているのである。
仁徳を積むに良いものが、老衰の年にあたって関節や心臓・牌臓だの体が冷えてくるのだが、この薤があれば食いものとして味わう上もからだの保温のうえもともに心配が無くなってくる。


(訳注)
秋日阮隠者致薤三十束
秋の日に隠居の士、阮昉という者から三十束の薤をもらい、その束が待っている友人からの書簡に見えたこと、医食同源からもラッキョウは体にいいこととして喜んだ詩である。詩である。阮昉は秦州の人である。
隠者 隠棲の人、阮昉をさす。

〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。

隠者柴門内、畦蔬遶舎秋。
隠棲している阮昉さんは粗末な柴の入り口のうちにはいっているが、その家のまわりの畑にはの野菜が秋の色を呈している。
畦蔬 はたけのやさい。
 阮昉の屋舎。


盈筐承露薤、不待致書求。
自分はいま取り立てで露がおちる薤を盛った籠をもらい手にささげている。これは自分が手紙を彼にやって求めたわけでなく彼自身が親切心でくれたのである。
盈筐 かごいっぱい。
ぅけてささげる。
露薤 採ってきたばかりで、切り口からつゆをおびたラッキョウ。にらとも考えられるが内容からして違う。
致書 杜甫が友人に援助を頼む書簡を送っていて、その返事というのではないという意味。。


束比青芻色、円斉玉莇頭
「ラッキョウ」の束は、刈たての青草の色にもくらべてみて生生しいし、ラッキョウの根のまんまるさは白玉の箸の頭と同じよう、徳のある音信がほしいということを示しているのである。
束此青芻色 芻ははした草、青芻は刈りたての草をいう。
円 ラッキョウの根のまるいこと。
玉莇 玉でつくったはし。これが友人からの書簡にみえるということ。この二句はラッキョウの丸さをもって、友人からの援助の書簡、ここでの生活を仁徳を積む生活というのを意識させている。この二句はつぎの詩経の詩に基づいて作られている。
『詩経 小雅 白駒』
皎皎白駒、在彼空谷。
生忽一束、其人如玉。
毋金玉爾音.而有遐心。
皎皎たる白駒、彼の空谷に在り。
生忽一束、其の人玉の如し。
爾の音を金玉にして.遐心【かしん】有ること毋【なか】れ。
・空谷 ふかいたに。おおきなたに。
・生忽 馬の食む新しく青い生ぐさ。
・一束 ひとたばね。
・其人如玉 賢人の徳は玉のようである。其人は賢人、玉は徳を積むこと。
・毋【ぶ】なかれ、禁止の辞
・音 音信。声音。
・遐心 遠ざかる心。


衰年関鬲冷、味暖併無憂。
仁徳を積むに良いものが、老衰の年にあたって関節や心臓・牌臓だの体が冷えてくるのだが、この薤があれば食いものとして味わう上もからだの保温のうえもともに心配が無くなってくる。
衰年 老衰の年。
関鬲 関は関節、鬲は膈の仮借字であろぅ、膈は胸騙、心臓と牌臓の間をいう。
味暖 あじわいとあたたかさと、ラッキョウは人の体温をます性質があるという。体が冷得るのは病気であり、ここは医食同源の内でもラッキョウは良いものとされていた。


<解説>
この時の杜甫は、知人からの援助の便りを待っていた、東柯谷、西枝村、の土地と家を買うためには応援がなくては買えなかったのである。三カ月たってもいい返事はなかったのである。ただ、詩経に見えるように仁徳のある人が贈ってくれる書簡が、ラッキョウの「玉莇」が書簡に見えて、書簡を喜ぶというイメージを持ったということではなかろうか。しかし、杜甫の友人たちは、ことごとく左遷されているが、落ち目の人たちで759年時には援助しようにもできながったのではなかろうか。結果、四五か月経過したら応援を得られたわけである。ただ、秦州ではなく、同谷を経て成都に入ってからの地の事であった。


(秋日阮隠居薤三十束を致す)
隠者  柴門【さいもん】の内、畦蔬【けいそ】 舎【しゃ】を遶【めぐ】りて秋なり。
盈筐【えいきょう】 露薤【ろかい】を承【う】く、書を致【いた】して  求むるを待【ま】たず。
束【そく】は比す  青芻【せいすう】の色、円は斉【ひと】し  玉莇【ぎょくちょ】の頭【とう】。
衰年【すいねん】 関鬲【かんかく】冷やかなり、味暖【みだん】   併【あわ】せて憂い無し。

秦州抒情詩(28) 從人覓小胡孫許寄 杜甫 <313> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1406 杜甫詩 700- 433

秦州抒情詩(28) 從人覓小胡孫許寄 杜甫 <313> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1406 杜甫詩 700- 433

     
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《秦州抒情詩(28)『從人覓小胡孫許寄』 杜甫700の313首目、杜甫ブログ433回目》


從人覓小胡孫許寄
(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
人說南州路,山猿樹樹懸。
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
許求聰慧者,童稚捧應癲。
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。


現代語訳と訳註
(本文)
從人覓小胡孫許寄
人說南州路,山猿樹樹懸。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
許求聰慧者,童稚捧應癲。


(下し文)
人に從ひ 小胡孫許に覓むるを 寄せる
人說きて南州の路,山猿 樹樹に懸る。
家を舉げたるは若【かくのごと】く駭【おどろ】くを聞き,寄すことを為して小さく拳るが如し。
哂【しん】を預けて愁胡の面とし,調を初して見馬の鞭とす。
許求して慧者【さいじゃ】を聰き,童 稚くして 應癲【おうてん】を捧ぐ。


(現代語訳)
(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。


(訳注)
從人覓小胡孫許寄

(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
小胡 西域の異民族。ウィグル、トルコ・ペルシャ系異民族。
孫許 三国時代の孫策と許貢が安史の安慶緒と史忠明であるとしたもの。


人說南州路,山猿樹樹懸。
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
南州路 鄭虔や賈至が左遷された南方方面を指すものであろう。唐時代初期には福建省の一部に南州という州があったようだが「中国歴史地図」には見られなかった。
賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。


舉家聞若駭,為寄小如拳
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
・聞若駭 かくのごとくおどろくことをききおよぶ。


預哂愁胡面,初調見馬鞭
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
愁胡 心配顔のトルコ人。晋の孫楚の「鷹の賦」に「深目蛾眉、状は愁胡に似たり」とある。鷹の目つきを愁胡にたとえることは晋の孫楚の「鷹ノ賦」にある。
杜甫『畫鷹』「㩳身思狡兎、側目似愁胡。」


許求聰慧者,童稚捧應癲
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。
慧者 智慧のあるもの。・童稚 童幼。こども。
・應癲 癲癇になったらそのままにしてあげる。子供の我儘をいうことをあらわしている。




参考(1)758~759年にかけて杜甫の知人友人たちの動向
758年 春の終わりごろから、玄宗派と見られた廷臣への圧迫が強くなり、中書舎人の賈至は汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶された。杜甫の友人の岑参も虢州(河南省盧氏県)に貶された。杜甫『留別賈嚴二閣老兩院補缺』 送賈閣老出汝州 杜甫
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていたが、政事の中枢からは遠ざけられ、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となった。邠州(ひんしゅう)は杜甫が「北征」のときに通った涇水中流の城市である。長安市の市長というべき京兆尹(けいちょういん)になっていた厳武(げんぶ)は、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となった。
 杜甫も左拾遺を免ぜられ、華州(陝西省華県)の司功参軍(しこうさんぐん)に左遷された。華州は長安の東90kmほど、華山山麓の街です。中央の清官から地方の属官に移されたわけだ。
鄭虔は台州へ流刑。
賛上人は僧侶の位をはく奪、秦州へ流刑。
王維は朝廷には出ず、輞川荘にこもった。


参考(2)蕃剣
致此自僻遠,又非珠玉裝。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。


参考(3)送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
草木歲月晚,關河霜雪清。
別離已昨日,因見古人情。
帯甲【たいこう】天地に満つ、胡【なん】為れぞ君遠く行く。
親朋【しんぽう】尽く一笑す、鞍馬【あんば】孤城より去る。
草木【そうもく】歳月晩れ 関河【かんか】霜雪清し。
別離【べつり】己に昨日、因って見る古人の情。


参考(4)所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
鄭老【ていろう】身仍【な】お竄【ざん】せらる、台州【だいしゅう】信始めて伝う。
農と為る山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す海雲【かいうん】の辺。
世己に儒素【じゅそ】を疎んず、人猶お酒銭【しゅせん】を乞う。
徒に牛斗を望むに労す、竜泉【りゅうせん】を屬【しょ】くするに計無し。


参考(5)送人從軍
弱水應無地,陽關已近天。
今君度沙磧,累月斷人煙。
好武寧論命,封侯不計年。
馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
(人 從軍するを送る)
弱水【じゃくすい】應に地に無く,陽關 已に天に近し。
今 君 沙磧【しゃせき】を度る,累月【るいげつ】人煙【じんえん】斷ゆ。
好武 寧ろ命を論じん,封侯 年を計【かぞ】えず。
馬寒くして防ぎて道を失い,雪沒 錦【きん】の鞍韉【あんせん】なり。

秦州抒情詩(27) 送人從軍 杜甫 <312> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1403 杜甫詩 700- 432

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《『送人從軍』 杜甫700の313首目、杜甫ブログ432回目》


送人從軍
人が戦地に從軍していくのを送る時に思ったことを述べる。
弱水應無地,陽關已近天。
東北の地の果ての弱水は行くべき土地ではないし、西域の沙州陽関は既に天に近いところである。
今君度沙磧,累月斷人煙。
今君は沙州の河原や、砂漠を渡るのである、そこで月日を重ねていくことは人のかまどの火と遮断した生活が続くのである。
好武寧論命,封侯不計年。
立派な武功というものはむしろ天子の命について論じたことからいうべきではなかろうか、そうすれば侯公として領地を封じられることは年をかぞえなくてできるだろう。
馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
此れから行く先では馬が寒さの中、国を守る戦いをし、行く道を迷ってしまうことであろう、そしてそれは、雪に埋もれてしまうことは美しくかがや「くしたぐら」のように縁の下の力持ちということであろうとおもう。


現代語訳と訳註
(本文)
送人從軍
弱水應無地,陽關已近天。
今君度沙磧,累月斷人煙。
好武寧論命,封侯不計年。
馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。


(下し文) (人 從軍するを送る)
弱水【じゃくすい】應に地に無く,陽關 已に天に近し。
今 君 沙磧【しゃせき】を度る,累月【るいげつ】人煙【じんえん】斷ゆ。
好武 寧ろ命を論じん,封侯 年を計【かぞ】えず。
馬寒くして防ぎて道を失い,雪沒 錦【きん】の鞍韉【あんせん】なり。


(現代語訳)
人が戦地に從軍していくのを送る時に思ったことを述べる。
東北の地の果ての弱水は行くべき土地ではないし、西域の沙州陽関は既に天に近いところである。
今君は沙州の河原や、砂漠を渡るのである、そこで月日を重ねていくことは人のかまどの火と遮断した生活が続くのである。
立派な武功というものはむしろ天子の命について論じたことからいうべきではなかろうか、そうすれば侯公として領地を封じられることは年をかぞえなくてできるだろう。
此れから行く先では馬が寒さの中、国を守る戦いをし、行く道を迷ってしまうことであろう、そしてそれは、雪に埋もれてしまうことは美しくかがや「くしたぐら」のように縁の下の力持ちということであろうとおもう。


(訳注)
送人從軍
(人 從軍するを送る)
人が戦地に從軍していくのを送る時に思ったことを述べる。
〇軍について行く人を見てこの詩を作る。この頃の詩「蕃剣」「送遠」「所思」「從人覓小胡孫許寄」の全体から意味を見ていく必要がある。
この詩は、特定の人について述べるのではなく、安禄山の叛乱以来の天子の勅命に問題があること、杜甫が朝廷の中で左拾遺という天子を諌める立場の発言に対し一切聞き入れられるどころか賢臣をことごとく貶めた天子および側近に問題があることを述べている。


弱水應無地,陽關已近天。
東北の地の果ての弱水は行くべき土地ではないし、西域の沙州陽関は既に天に近いところである。
弱水 松花江のこと。ユーラシア大陸・中国東北部を流れる川の一つ。(現:黒竜江)
陽關 沙州、甘粛省敦煌市の南西約70kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。併せて設置された玉門関より南に位置し、その為「陽関」と称された。玉門関と併せて「二関」と呼ばれる。漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で建設した、西域交通南ルートのでの要所であった。陽関は、中国で古代より孤独な生活を思い詠嘆する地で、王維『送元ニ使安西』 「謂城朝雨浥輕塵、客舍青青柳色新。勸君更盡一杯酒 、西出陽關無故人。」 「安西都護府」に使いする。「西出陽關無故人(西のかた 陽関を出づれば故人無からん)」の句は三度繰り返し吟じられることが多く、「陽関三畳」と呼ばれる。「陽關(関)」の遺構は、燉煌郊外に現存する。


今君度沙磧,累月斷人煙。
今君は沙州の河原や、砂漠を渡るのである、そこで月日を重ねていくことは人のかまどの火と遮断した生活が続くのである。
・沙磧【しゃせき・砂磧】 砂の河原。砂原。・累月 多くの月日をかさねる。幾月にもわたる。


好武寧論命,封侯不計年
立派な武功というものはむしろ天子の命について論じたことからいうべきではなかろうか、そうすれば侯公として領地を封じられることは年をかぞえなくてできるだろう。
○側近のものが天子を諌めることが出来ないことをいう。その結果が次の二句である。


馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
此れから行く先では馬が寒さの中、国を守る戦いをし、行く道を迷ってしまうことであろう、そしてそれは、雪に埋もれてしまうことは美しくかがや「くしたぐら」のように縁の下の力持ちということであろうとおもう。
錦鞍韉 美しくかがやくしたぐら。縁の下の力持ちというほどの意。・鞍韉 したぐら【下鞍・韉】. 馬具の一。和式の鞍で,鞍橋(くらぼね)の下に敷いて,馬の背を保護するもの。






蕃剣
致此自僻遠,又非珠玉裝。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。


送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
草木歲月晚,關河霜雪清。
別離已昨日,因見古人情。
帯甲【たいこう】天地に満つ、胡【なん】為れぞ君遠く行く。
親朋【しんぽう】尽く一笑す、鞍馬【あんば】孤城より去る。
草木【そうもく】歳月晩れ 関河【かんか】霜雪清し。
別離【べつり】己に昨日、因って見る古人の情。


所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
鄭老【ていろう】身仍【な】お竄【ざん】せらる、台州【だいしゅう】信始めて伝う。
農と為る山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す海雲【かいうん】の辺。
世己に儒素【じゅそ】を疎んず、人猶お酒銭【しゅせん】を乞う。
徒に牛斗を望むに労す、竜泉【りゅうせん】を屬【しょ】くするに計無し。


從人覓小胡孫許寄
人說南州路,山猿樹樹懸。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
許求聰慧者,童稚捧應癲。
人に從ひて 小胡の孫許 寄せるを覓むる
人說きて南州の路,山猿 樹樹に懸る。
家を舉げて若駭を聞く,寄すことを為して小さく拳るが如し。
哂を預け胡の面を愁う,調を初して馬に鞭を見る。
許求して慧者を聰き,童 稚くして 應癲を捧ぐ。

秦州抒情詩(26) 所思 杜甫 <311> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1400 杜甫詩 700- 431

秦州抒情詩(26) 所思 杜甫 <311> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1400 杜甫詩 700- 431

     
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 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

所思〔原注〕 得台州司戸度滑息。(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍竄、台州信始傳。
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。

銀河002

現代語訳と訳註
(本文)
所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。

(下し文)
思う所あり
〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う
農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺
世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う
徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し


(現代語訳)
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。


(訳注)
所思

〔原注〕 得台州司戸度滑息。(台州司戸塵の消息を得たり。)
作者の親友鄭慶は至徳二載十二月に台州へ貶せられることになり、乾元元年に台州に至った、この詩は始めて鄭虔より台州からの手紙を得て思う所をのべた。
○台州司戸虔 757年 至徳二載十二月、巳に長安に在っての作。46歳
送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!
755年安禄山の軍が長安へ攻め入った時、鄭虔は叛乱軍より強制的に水部郎中の官を授けられた。757年叛乱軍から長安洛陽を奪還し、叛乱軍に結果として協力した官吏を至徳二載十二月に六等に分けてその罪をきめた。鄭虔は死刑となるはずであったのを雀円というものの救いにより貶官にされたのだ
消息 たより。

鄭老身仍竄、台州信始傳。
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
鄭老 鄭虔をさす。
 ながしものにされる。流罪。左遷。
台州 漸江省台州府、度の居処。
 たより、信書。

爲農山澗曲、臥病海雲邊。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
○この為農二句は鄭虔老の近況、信書によって知ったところ。

世己疎儒素、人猶乞酒錢。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
疎儒素 疎はうとんずる、疎外、敬遠する。素は質素、じみなこと、儒素は儒者のじみな行い。
 作者が嘗て鄭虔に贈った詩に『戲簡鄭廣文虔,兼呈蘇司業源明』(戯れに鄭広文に簡す)
廣文到官舍,繫馬堂階下。
醉則騎馬歸,頗遭官長罵。
才名三十年,坐客寒無氈。
賴有蘇司業,時時乞酒錢。
「頼に蘇司業あり、時時酒銭を乞う」といっている、人は蘇源明をさす。
○乞 あたえること、俗用である、こうの意ではない。


徒勞望牛斗、無計屬龍泉
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。
徒労 杜甫がむだに骨折ることをいう。○望牛斗 牛・斗は星座の名、台州の地は牛斗の分野にあたる。「牛」:牽牛星。「斗」衡は北斗七星の第五星。『爾雅』に星紀は斗宿と牽牛星とある。・玉衡 北斗七星の第五星、斗柄に当たる。「玉衡孟冬を指す」とは斗柄の指す方位が、初冬の月に当たっているの意。・衡 「北斗七星の中央の星」玉衡星と牽牛星。
無計 手だてなし。
 析(きる)に同じ、ただしここは土壌をきりけずることで、剣を掘り取ることをいう。
竜泉 むかし欧冶子がつくった三本の鉄剣の一つの名、もと竜淵という、唐は淵の字を諱名とするため泉の字にかえた、竜泉は単に剣の代わりとして用いる。牛斗・竜泉の二句は雷煥(孔章)が牛斗を射る剣気を見て豊城の獄で剣をはほりだした故事を用いている。
蕃剣』詩
致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。
○奇怪 あやしいこと。○光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。
○虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。○竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428



所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉


思う所あり
〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う
農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺
世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う
徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し

秦州抒情詩(25) 送遠 杜甫 <310> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1397 杜甫詩 700- 430

秦州抒情詩(25) 送遠 杜甫 <310>漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1397 杜甫詩 700- 430

     
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遠方にゆくべき人を送る詩である。ただしこの詩は古人の詩にもとずきつくられている。
この詩を「他人を送るのではなく、作者が自己を他人祝して我と自己を送るために作ったものである。また詩意より推すならば秦州出発の翌日、昨日の別れを回顧してつくったものである。」と解釈されるものもあるが、基づいている詩などからみて違うと思う。
759年、乾元二年秋の作。


送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
度重なる叛乱で世が乱れて武装したものが天地に充満している、こんなとき君はどうして遠方へゆくのであるか。
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
親戚や朋友が別れを惜しんでみな一度慟哭する、その中に遠くへ旅行く人の鞍馬はひとつの離れ城から立ち去ってしまった。
草木歲月晚,關河霜雪清。
季節は今や草も木も枯れ、歳の暮れに向かうときになった、関所の前の河には霜や雪が置かれ清遺風が吹いた。
別離已昨日,因見古人情。

そうして別れたのは昨日のこととなったのである。それにつけて昔の人が「別離は昨日のごとし」と惜しんでくれた人々の厚い情け心が偲ばれるのである。




現代語訳と訳註
(本文)
送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
草木歲月晚,關河霜雪清。
別離已昨日,因見古人情。


(下し文)
(送 遠)
帯甲【たいこう】天地に満つ、胡【なん】為れぞ君遠く行く。
親朋【しんぽう】尽く一笑す、鞍馬【あんば】孤城より去る。
草木【そうもく】歳月晩れ 関河【かんか】霜雪清し。
別離【べつり】己に昨日、因って見る古人の情。


(現代語訳)
度重なる叛乱で世が乱れて武装したものが天地に充満している、こんなとき君はどうして遠方へゆくのであるか。
親戚や朋友が別れを惜しんでみな一度慟哭する、その中に遠くへ旅行く人の鞍馬はひとつの離れ城から立ち去ってしまった。
季節は今や草も木も枯れ、歳の暮れに向かうときになった、関所の前の河には霜や雪が置かれ清遺風が吹いた。
そうして別れたのは昨日のこととなったのである。それにつけて昔の人が「別離は昨日のごとし」と惜しんでくれた人々の厚い情け心が偲ばれるのである。


(訳注) 送 遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?:帯甲 天地に満つ 胡為れぞ 君遠く行く
度重なる叛乱で世が乱れて武装したものが天地に充満している、こんなとき君はどうして遠方へゆくのであるか。
 遠 遠くにゆくものを送る。
帯甲 よろいを身につけたもの、武装者。
胡為 なんすれぞ 何為に同じ、どうして。
 行く者をさす。
・この二句については古詩十九首の雰囲気に基づいている。
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。
古詩十九首 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377


親朋盡一哭,鞍馬去孤城。:親朋 尽ことごとく一哭す 鞍馬孤城より去る
親戚や朋友が別れを惜しんでみな一度慟哭する、その中に遠くへ旅行く人の鞍馬はひとつの離れ城から立ち去ってしまった。
親朋 親戚朋友。
鞍馬 行く者のくら、うま。
孤城 秦州の城をさす。


草木歲月晚,關河霜雪清。:草木 歳月晩れ 関河 霜雪精
季節は今や草も木も枯れ、歳の暮れに向かうときになった、関所の前の河には霜や雪が置かれ清遺風が吹いた。
歳月晩 秋も終わりしだいに年末に近くなることをいう、秋以後はみな歳晩という、必ずしも十二月ではない。


別離已昨日,因見古人情。:別離 己すでに昨日 因よって見る古人の情
そうして別れたのは昨日のこととなったのである。それにつけて昔の人が「別離は昨日のごとし」と惜しんでくれた人々の厚い情け心が偲ばれるのである。
古人情 むかしの人のような厚い人情。梁の江文通(淹)の『古別離』「遠與君別者,乃至雁門關; 黃雲蔽千里,遊子何時還; 送君如昨日,簷前露已團; 不惜蕙草晚,所悲道里寒; 君子在天涯,妾心久別離; 願一見顏色,不異瓊樹枝; 兔絲及水萍,所寄終不移。」
「黃雲蔽千里,遊子何時還; 送君如昨日,簷前露已團; 不惜蕙草晚,所悲道里寒」(黃雲千里を蔽い,遊子何の時にか還らん;君を送りしは昨日の如きも,簷前露已に團なり;蕙草の晚きを惜まず,悲しむ所は道里の寒ぃを。)をふまえている。

秦州抒情詩(24) 銅瓶 杜甫 <309> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1394 杜甫詩 700- 429

秦州抒情詩(24) 銅瓶 杜甫 <309> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1394 杜甫詩 700- 429 


     
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《秦州抒情詩(24)『銅瓶』 杜甫700の309首目、杜甫ブログ429回目》
故宮の井戸に用いられた銅のつるべをみてよんだ。
宮中の人間たちは国のため、朝廷のために、また、外敵と一生懸命戦っていないことを述べている。


銅瓶
亂後碧井廢,時清瑤殿深。
安史の乱が起こってからこのかた、みどりの水をたたえた宮中の井戸が見向きもされず廃棄されている。乱の少し前まで、太平でその井は後宮の御殿の奥深いところに神妙にしてあった。
銅瓶未失水,百丈有哀音。
銅のつるべは水をくむ働きを未だ失ってはいないし、つるべ縄を巻き上げると気哀れな音を立てている。
側想美人意,應悲寒甃沈。
自分が想像するに少し前までこの時期になると、ここで美しい宮女がつるべを使ってこの井戸端できぬたをうっていた。しかし悲しいことに美人たちが寒くなった秋のこの砧をうつ石畳には静まり返って誰もいないのだ。
蛟龍半缺落,猶得折黃金。
つるべの表面に黄金でこしらえた蛟竜の彫刻があるがそれは今は半分ほど落ち欠けている、しかしその飾りはのこった折れた破片だけでもなおじゅうぶんなものが得られるほどのものなのだ。



現代語訳と訳註
(本文)
銅瓶
亂後碧井廢,時清瑤殿深。
銅瓶未失水,百丈有哀音。
側想美人意,應悲寒甃沈。
蛟龍半缺落,猶得折黃金。


(下し文)
(銅 瓶【どうへい】)
乱後碧井【へきすい】廃す、時清かりしとき瑤殿【ようでん】深かりき。
銅瓶未だ水を失わず、百丈【ひゃくじょう】哀音ありき。
側【ほの】かに想う美人の意、応に寒甃【かんしゅう】の沈まるを悲しむべし。
蛟竜【こうりゅう】半ば欠落【けつらく】す、猶お得折【うせつ】黄金【おうごん】。


(現代語訳)
安史の乱が起こってからこのかた、みどりの水をたたえた宮中の井戸が見向きもされず廃棄されている。乱の少し前まで、太平でその井は後宮の御殿の奥深いところに神妙にしてあった。
銅のつるべは水をくむ働きを未だ失ってはいないし、つるべ縄を巻き上げると気哀れな音を立てている。
自分が想像するに少し前までこの時期になると、ここで美しい宮女がつるべを使ってこの井戸端できぬたをうっていた。しかし悲しいことに美人たちが寒くなった秋のこの砧をうつ石畳には静まり返って誰もいないのだ。
つるべの表面に黄金でこしらえた蛟竜の彫刻があるがそれは今は半分ほど落ち欠けている、しかしその飾りはのこった折れた破片だけでもなおじゅうぶんなものが得られるほどのものなのだ。


(訳注)
銅瓶

故宮の井戸に使われている銅の釣瓶について述べる。水を扱う道具として本来重要なものとされ、神秘的なものとされていたものである。
銅瓶 あかがねで作ったつるべ。


亂後碧井廢,時清瑤殿深。
安史の乱が起こってからこのかた、みどりの水をたたえた宮中の井戸が見向きもされず廃棄されている。乱の少し前まで、太平でその井は後宮の御殿の奥深いところに神妙にしてあった。
碧井 みどりの水をたたえた井戸。
 つぶれたこと。
時清 世の治まったとき。
瑤殿 後宮の美しい御殿。
 人がめったに近寄れない奥まった感じの所。


銅瓶未失水,百丈有哀音。
銅のつるべは水をくむ働きを未だ失ってはいないし、つるべ縄を巻き上げると気哀れな音を立てている。
失水 水と別れること。水をくむ働きを未だ失ってはいない。水を汲めないわけではない。
百丈 つるべの長いなわ。
哀音 ろくろ仕掛けのなわで水をつりあげるおと。


側想美人意,應悲寒甃沈。
自分が想像するに少し前までこの時期になると、ここで美しい宮女がつるべを使ってこの井戸端できぬたをうっていた。しかし悲しいことに美人たちが寒くなった秋のこの砧をうつ石畳には静まり返って誰もいないのだ。
側想 側のものがここを使っていたころのことを想像してみる。
美人 通常、芸妓や宮妓をいうが、ここでは美しい侍女をいう。
寒甃沈 砧をうつ井戸端の台がこわれたことをいうのではなく、甃は砧をうつ井戸端の石畳の瓦をいう。井戸で水が汲めなくなったということを云うのではなく、本来この秋の寒い時期、美人たちがここで黄色い声を上げて砧をうっていたことがなく静まり返っている様子を述べている。


蛟龍半缺落,猶得折黃金。
つるべの表面に黄金でこしらえた蛟竜の彫刻があるがそれは今は半分ほど落ち欠けている、しかしその飾りはのこった折れた破片だけでもなおじゅうぶんなものが得られるほどのものなのだ。
蛟竜 つるぺの彫刻物。
折黄金折はおれる、黄金は較竃の材料として用いたもの。師民胎の注に折を準折(わりびきして売る)の意とし、楊供の注に「折」は「当」(質におくこと)の意とするが今は従わぬ。


銅瓶
亂後碧井廢,時清瑤殿深。
銅瓶未失水,百丈有哀音。
側想美人意,應悲寒甃沈。
蛟龍半缺落,猶得折黃金。
(銅 瓶【どうへい】)
乱後碧井【へきすい】廃す、時清かりしとき瑤殿【ようでん】深かりき。
銅瓶未だ水を失わず、百丈【ひゃくじょう】哀音ありき。
側【ほの】かに想う美人の意、応に寒甃【かんしゅう】の沈まるを悲しむべし。
蛟竜【こうりゅう】半ば欠落【けつらく】す、猶お得折【うせつ】黄金【おうごん】。

秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

     
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《秦州抒情詩(23)『蕃剣』 杜甫700の308首目、杜甫ブログ428回目》
吐蕃よりつたわった剣をみてよんだ。


蕃劍
致此自僻遠,又非珠玉裝。
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか。
風塵苦未息,持汝奉明王。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。


現代語訳と訳註
(本文)
蕃劍
致此自僻遠,又非珠玉裝。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
風塵苦未息,持汝奉明王。


(下し文)
(蕃 剣)
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。


(現代語訳)
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。
けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。


(訳注)
蕃劍

吐蕃の劔
匈奴、大月、吐蕃等各異民族の武器,剣幅六寸,總長三尺一寸で柄の部分には籠状になっている。彫刻された飾りがある。神秘的なものであったのだろう。


致此自僻遠,又非珠玉裝。
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。
致此 此は剣をさす、致すとはこちらへもってきたしたことをいう。とりよせる。
僻遠 遠いいなか。中華思想的な用語。


如何有奇怪,每夜吐光芒。
けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
奇怪 あやしいこと。
光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。


虎氣必騰上,龍身寧久藏。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか
虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。
竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。


風塵苦未息,持汝奉明王。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。
 作者がこまることをいう。
 剣をさす。
 献ずる。
明王 明徳ある君王。杜甫はこの時の粛宗は明君ではないと思っていたので、玄宗なのか、他の玄宗の子に対していっているのであろうか。

秦州抒情詩(22) 病馬 杜甫 <307> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1388 杜甫詩 700- 427

秦州抒情詩(22)  病馬 杜甫 <307> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1388 杜甫詩 700- 427


     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

《秦州抒情詩(22)  『病馬』 杜甫700の307首目、杜甫ブログ427回目》
(病 馬)共に苦しい中過ごした老馬をよんだ。759年秋。秦州東柯谷。



病馬
乘爾亦已久,天寒關塞深。
もう、いつとはなし晩秋の寒空になって、秦州の関所と塞の奥まったこの地域にいて、わたしがおまえに乗ることも久しいものだ。
塵中老盡力,歲晚病傷心。
あの風塵中におまえは年をとったが精一杯働いてくれた、寄る年波で心臓に病気をもっていることがわかる。
毛骨豈殊眾?馴良猶至今。
毛なみや骨格が特別他の多くの凡馬と違っているわけではないが、おまえの賢くて従順なことは昔から今日まで変わらずつづいている。
物微意不淺,感動一沉吟!

心臓に問題があることなど些細な事であって、わたしのこの馬に対する心持は浅くはない。この老馬のために感動してもっぱらため息つくのである。


現代語訳と訳註
(本文)
病馬
乘爾亦已久,天寒關塞深。
塵中老盡力,歲晚病傷心。
毛骨豈殊眾?馴良猶至今。
物微意不淺,感動一沉吟!


(下し文) (病 馬【びょうば】)
爾に乗るも亦た己に久し、天寒くして関塞【かんさい】深し。
塵中【じんちゅう】に老いて力を尽くす、歳晩【さいばん】病みて心を傷【そこな】う。
毛骨【もうこつ】豈に衆に殊【こと】ならんや、馴良【じゅんりょう】猶お今に至れり。
物 微【び】なるも 意 浅からず、感動して一に沈吟【ちんぎん】す。


(現代語訳)
もう、いつとはなし晩秋の寒空になって、秦州の関所と塞の奥まったこの地域にいて、わたしがおまえに乗ることも久しいものだ。
あの風塵中におまえは年をとったが精一杯働いてくれた、寄る年波で心臓に病気をもっていることがわかる。
毛なみや骨格が特別他の多くの凡馬と違っているわけではないが、おまえの賢くて従順なことは昔から今日まで変わらずつづいている。
心臓に問題があることなど些細な事であって、わたしのこの馬に対する心持は浅くはない。この老馬のために感動してもっぱらため息つくのである。


(訳注)
病馬

杜甫が昔から乗っていた馬は、755年、家族を鄜州羌村へ疎開させ、その後、霊武の行在所に向かう途中、太原から来た史忠明の叛乱軍に馬を奪われた。そして、友人に助けられたりしたが、結局叛乱軍に甫博され、長安に軟禁された。以下の詩にその当たりの事が述べられている。

王砅「送重表姪王秋評事便南海」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1


長安の叛乱軍の手から脱出し、彭っ省の行在所に駆け込み、左拾位という地位を受けたが、その後妻を迎えに行くこと許されたが、徒歩で向かったことを述べている。

徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200


したがって、杜甫は借りた馬で、家族を伴って長安に帰って來たのである。そして、朝廷で疎外されながら、努めるが、この時払下げか何かの馬を手に入れたものと思う。それ以降の華州での生活、華州を起点に、生まれた実家を訪ね、知人、友人を訪ね歩いている。そして詩集に向かったのであるが、秦州に来て初めて作ったと思われる『遣興三首』まで、馬のことについて触れていない。当時、杜甫クラスの男は、馬で移動するのが辺りまで、最低驢馬に乗って移動したものである。女子供は歩いた。2,3人の従僕がいるのも当たり前であった。
其の一年余り共にした病んだ老馬について述べているものである。759年秋。


乘爾亦已久,天寒關塞深。
もういつとはなし晩秋の寒空になって、秦州の関所と塞の奥まったこの地域にいて、わたしがおまえに乗ることも久しいものだ。
 老馬のこと。
 おくまっていることをいう。


塵中老盡力,歲晚病傷心。
あの風塵中におまえは年をとったが精一杯働いてくれた、寄る年波で心臓に病気をもっていることがわかる。
塵中老尽力 馬についていう、上三下二の句法、「尽気塵中老」と同意。
歳晩病傷心 馬についていう、上三下二の句法、「傷芯歳晩病」と同意、傷心は心臓を傷害することをいう。老馬にはつきものの問題点である。


毛骨豈殊眾?馴良猶至今。
毛なみや骨格が特別他の多くの凡馬と違っているわけではないが、おまえの賢くて従順なことは昔から今日まで変わらずつづいている。
豈殊眾 反語、多数の凡馬とあまりちがわぬ、特にすぐれた材カがあるわけではないことをいう。
馴艮 ならされてすなおなこと、馬の徳をいう。賢くて従順なこと。
猶至今 昔からさようであるが今日でもまたそうである。昔から今日まで変わらずつづいている。


物微意不淺,感動一沉吟!
心臓に問題があることなど些細な事であって、わたしのこの馬に対する心持は浅くはない。この老馬のために感動してもっぱらため息つくのである
物微 物は馬をさす、一病馬の如きは物としては微小で言うに足らぬほどのものである。
意不浅 馬に対しての作者のころろもちはふかい。
沈吟 ためいきをつく。


秦州抒情詩(21) 空囊 杜甫 <306> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1385 杜甫詩 700- 426

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759年、乾元2年 48歳
《秦州抒情詩(21) 『空囊』 杜甫700の306首目、杜甫ブログ426回目》
『秦州雜詩二十首』 で杜甫は秦州で隠遁することを決意し、その場所も姪従弟杜佐の推薦する東柯谷という谷あいの村であった。そして其二十で長安の朝廷で「鴛行」していた旧友たちに応援を頼むものであった。『示侄佐』「多病秋風落,君來慰眼前。」と、病気がちで度々寝込んだ、秋風が吹き木の葉が落ち待っている。君(姪従弟の杜佐)が来てくれこうして目の前で見舞ってくれる。しかし、友人たちから応援の知らせは全く来ないのである。時にはユーモラスな詩も書いた。財布のからになろうとするものを詠んだ。これらの詩も親戚友人に贈られたのだろう。

駅亭の 隠遁

            
空囊
翠柏苦猶食、明霞高可餐。
かやの実は苦くてもその実をたべることはできるが、山に住むと朝霞もまた手にたべることができるのだ。
世人共鹵莽、吾道属艱難。
ここに住んでいると世間の人の行う所は皆いいかげんのことをしているように思えるが、私はこれまで仕官をめざしは叶えられて務めたが、それが私の道ではないことが分かりここに来た。官に勤めて辞めてもこの世路なんぎに満ちているのだ。
不爨井晨凍、無衣牀夜寒。
井の水はあさこおっているから私のところではめしをたかないし、着物、衣がないことはねだいの夜がさむいのである。
囊空恐羞澁、留得一銭看。
さいふの中身がからっぽになれば人前でもはずかしく具合が悪いものだから、一銭だけはのこしておかなくてはと大事にそうにみているのである。
(空 襲)
翠柏【すいはく】苦【にが】きも猶お食【く】らい、明霞【めいか】高きも餐【くら】う可【べ】し。
世人 共に鹵莽【ろもう】、吾が道 艱難【かんなん】に属す。
爨【かし】がざれば井【せい】晨【あした】に凍り、衣無ければ牀【しょう】夜寒し。
囊 空【むな】しくば恐らくは羞澁【しゅうじゅう】せん、一銭を留【とど】め得て看ん。


現代語訳と訳註
(本文)
空囊
翠柏苦猶食、明霞高可餐。
世人共鹵莽、吾道属艱難。
不爨井晨凍、無衣牀夜寒。
囊空恐羞澁、留得一銭看。


(下し文)
(空 襲)
翠柏【すいはく】苦【にが】きも猶お食【く】らい、明霞【めいか】高きも餐【くら】う可【べ】し。
世人 共に鹵莽【ろもう】、吾が道 艱難【かんなん】に属す。
爨【かし】がざれば井【せい】晨【あした】に凍り、衣無ければ牀【しょう】夜寒し。
囊 空【むな】しくば恐らくは羞澁【しゅうじゅう】せん、一銭を留【とど】め得て看ん。


(現代語訳)
かやの実は苦くてもその実をたべることはできるが、山に住むと朝霞もまた手にたべることができるのだ。
ここに住んでいると世間の人の行う所は皆いいかげんのことをしているように思えるが、私はこれまで仕官をめざしは叶えられて務めたが、それが私の道ではないことが分かりここに来た。官に勤めて辞めてもこの世路なんぎに満ちているのだ。
井の水はあさこおっているから私のところではめしをたかないし、着物、衣がないことはねだいの夜がさむいのである。
さいふの中身がからっぽになれば人前でもはずかしく具合が悪いものだから、一銭だけはのこしておかなくてはと大事にそうにみているのである。


(訳注)
空囊

東柯谷の生活を示すもの。身の回りの何気ない小さなものを取り上げ、何気なくその時の思いを述べている。秦州においてはじめて詠った律詩シリーズである。


翠柏苦猶食、明霞高可餐。
かやの実は苦くてもその実をたべることだできるが、山に住むと朝霞もまた手にたべることができるのだ。
翠柏 みどり葉の柏、柏はかや、ここはかやの実をいう。
明霞 あさの赤色のかすみ、仙人のたべものである。


世人共鹵莽、吾道属艱難。
ここに住んでいると世間の人の行う所は皆いいかげんのことをしているように思えるが、私はこれまで仕官をめざしは叶えられて務めたが、それが私の道ではないことが分かりここに来た。官に勤めて辞めてもこの世路なんぎに満ちているのだ。
鹵莽 耕作の仕方のいいかげんなことをいうが、ここではそれをかりて人事についていう。粗末。おろそかなこと。世人の行ういい加減な人の付き合い。
吾道 自己の理想とする道をいう。
艱難 世路の険難。
世人 : 吾道  、共 : 属 、鹵莽 : 艱難
*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


不爨井晨凍、無衣牀夜寒。
井の水はあさこおっているから私のところではめしをたかないし、着物、衣がないことはねだいの夜がさむいのである。
 かしぐ、飯をつくるためかまどに火をたく。
ねだい。
不爨 : 無衣  、井 : 牀 、晨凍 : 夜寒
*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。
 

囊空恐羞澁、留得一銭看。
さいふの中身がからっぽになれば人前でもはずかしく具合が悪いものだから、一銭だけはのこしておかなくてはと大事にそうにみているのである。
 さいふ。
羞渋 人に対してはにかむさま。恥ずかしく具合が悪い。
 みまもる。

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

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《秦州抒情詩(20)  『野望』 杜甫700の305首目、杜甫ブログ425回目》
友からの知らせを待ちわびて、野らの夕ぐれのながめをのべる。

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
葉稀風更落,山迥日初沈。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。


現代語訳と訳註
(本文)

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。


(下し文)
(野 望)
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。


(現代語訳)
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。


(訳注)
野望

官を辞して姪の杜佐を頼ってきた秦州、東柯谷の夕暮れ、野を眺めて作ったもの。759年乾元2年48歳。杜甫は友人たちの応援を待っているときであるため、時間の経過を示すような記述をしている。したがって、現代語訳としては、過去形で訳さず、現代進行形で読んだ方が、時間経過を感じやすい。


清秋望不極,迢遞起層陰。
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
望不極 望無転の意、ながめのはてしないことをいう。
迢遞 地に高低あり、かつはるかなさま。段々畑の地勢をいう。
層陰 いくえものくもり。段々ばたに上に、雲の段々畑がある。


遠水兼天淨,孤城隱霧深。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
遠水二句 この二句は上三字下二字の句法を用いる、「遠水、天の浄きを兼ね、孤城、霧の深きに隠る」とよんでもよいが、「遠水を兼ねて天浄く、孤城隠れて霧深し」とよむことの方がより簡明である。他の例をあげれば、『晚出左掖』「楼雪融城湿、宮雲去殿低」(晩二左を出ず)、七言句『秋興』では、「画省香炉連伏誌、山城粉喋隠悲節」の如きは同句法である。晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240

葉稀風更落,山迥日初沈。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
葉稀 ひとりでに葉のすくなくなったことをいう。
風更落 「風更に落とす」と「落」の字を他動詞によむこともできるが「葉」を主として「落」を自動詞とみる


獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。
獨鶴 官を辞して隠棲の場所を求めて秦州に来たわけであるが友人たちに応援を求めてその結果を待っている杜甫自身の心境を述べている。この二句は倒句として読む。
昏鴉 夕暮れの鳥。

hinode0200

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晩?昏鴉已滿林。
(野 望)
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。

春望
國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。

國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。
時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを 恨んでは  鳥にも 心を驚かす。
烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。
白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。

秦州抒情詩(19) 秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

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 《秦州抒情詩(19)   『秋笛』 杜甫700の304首目、杜甫ブログ424回目》
琴に合わせて笛の音がきこえて來る。出征した主人の戦士の報せがあり、亡骸の帰宅を待つ家族の家で演奏されている。


秋笛
清商欲盡奏,奏苦血沾衣。
琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。
他日傷心極,徵人白骨歸。
そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。
相逢恐恨過,故作發聲微。
こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。
不見秋雲動,悲風稍稍飛。

人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。



現代語訳と訳註
(本文)
秋笛
清商欲盡奏,奏苦血沾衣。
他日傷心極,徵人白骨歸。
相逢恐恨過,故作發聲微。
不見秋雲動,悲風稍稍飛。


(下し文)
清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。
他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。
相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。
秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。


(現代語訳)
琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。
そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。
こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。
人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。


(訳注)
秋笛

この時代、「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人であることが想像される。秦州の郊外、東柯谷で経験したことではなく創作されたものであろう。
また、同様なイメージの「吹笛」という七言律詩があるが、秦州で創作した「秋笛」の5年後夔州での作品があり。末尾に参考としてあげている。


清商欲盡奏,奏苦血沾衣。
琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。
清商 清苦にして哀愁のある音調。 ・商 秋、秋風。西の方角。星座のこと。五音階。「宮・商・角・徴・羽」隋・唐は中国史上で最も強大・安定し、音楽・絵画・書・舞踊・建築などが発展した。 音楽は「宮廷音楽(七部伎=清商伎・国伎・亀慈伎・安国伎・天竺伎・高麗伎・文康伎)」と 「民間音楽(山歌・小曲、器楽=琵琶・笙・笛などの演奏)」に二分される。
曹丕(曹子桓/魏文帝)詩 『燕歌行』 
燕歌行
秋風蕭瑟天気涼、草木搖落露為霜、
羣燕辭帰雁南翔。
念君客遊思断腸、慊慊思帰戀故郷、
何為淹留寄他方。』
賤妾煢煢守空房、憂来思君不敢忘。
不覚涙下霑衣裳。
援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。』
明月皎皎照我牀、星漢西流夜未央。
牽牛織女遥相望、爾獨何辜限河梁。』


他日傷心極,徵人白骨歸。
そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。
征人 国境警備の兵士。戍客。 


相逢恐恨過,故作發聲微。
こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。


不見秋雲動,悲風稍稍飛。
人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。
稍稍 ややすこし。ようやく。しだいに。


参考 大暦元年 766年 55歳 夔州   
吹笛杜甫
吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。
風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。
胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。
故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。


(笛を吹く)
笛を吹く秋山 風月の清きに、誰が家か巧みに 斷腸の聲を作す。
風は律呂を飄して 相和すること切に、月は關山に傍うて 幾處か明らかなる。
胡騎中宵 北走するに堪えたり、武陵の一曲は 南征を想う。
故園の楊柳は 今搖落す、何ぞ得ん愁中 卻って盡く生ずるを。

斷腸聲 聞く人の腸をかきむしるような悲しい声

律 呂 音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
關 山 国境にある山
中 宵 真夜中
胡騎北走 唐代 北方または西方の異民族を胡(えびす)と呼んだ 晋の将軍劉〈王昆〉(りゅうこん= 270ー318)が并州(へいしゅう)を孤立無援で堅く守り 月のさえた夜城楼に上り胡笳を吹いたところ 胡軍はその悲しみに涙を流し北の 故郷へ帰り去ったという故事
武陵一曲 後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前14ー49)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という
    

 秋の山の風も月も清らかにさえわたる夜、笛の音が聞こえてくる。誰がこれほど巧みに、人の腸をかきむしるよう に物悲しい音を吹きならすのだろうか。
 風は律呂の響きをひるがえして調和もとれ、月は関山によりそうて、幾つかの峰にさえわたっている。
 このような笛の音を聞けば、晋の劉〈王昆〉の故事のように、手荒い胡の兵も悲しみに堪え切れず、夜中に北方の故郷へ 逃げ去ったであろう。また後漢の馬援が武陵に遠征した時、部下の曲に合せて歌った「武陵深行」という曲もこのように悲しいものであ ったろうか。
 故郷の柳も秋になって葉も落ちつくしたであろう。それなのに今巧みな「折楊柳」の曲をきくと、愁いにふさがる 私の胸の中に緑の柳の芽を出させ、その枝を折って別れのなげきをくり返すことが出来ようか。

秦州抒情詩(18) 日暮 杜甫 <303> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1376 杜甫詩 700- 423

秦州抒情詩(18)   日暮 杜甫 <303> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1376 杜甫詩 700- 423

     
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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

《秦州抒情詩(18) 『日暮』 杜甫700の303首目、杜甫ブログ423回目》



日暮
日落風亦起,城頭烏尾訛。
黃雲高未動,白水已興波。
羌婦語還笑,胡兒行且歌。
將軍別換馬,夜出擁雕戈。
日が落ちて黄昏時に秋風がまた吹いてきた、秦州城の周りで風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛である。
黄金(こがね)色の雲が高い空に動かないでいる、辺りがうす暗くなり、暮れやらぬ空を水面は白く映し、そこに風が波を起こす。
チベット系の遊牧民族の婦人たちは談笑を繰り返し、西域民族のこどもたちは遊びながら民族の歌を唄っている。
西方の沙州へ向かう将軍が塞に立ちより変え馬をあとにして出て行く、夜の出発というものは彫刻の飾りのついたほこを従えていくのである。

hinode0200

現代語訳と訳註
(本文)

日落風亦起,城頭烏尾訛。
黃雲高未動,白水已興波。
羌婦語還笑,胡兒行且歌。
將軍別換馬,夜出擁雕戈。


(下し文)
日 落ち風 亦 起る,城の頭り 烏尾の訛【なまり】。
黃雲【こうふ】高く未だ動かず,白水 已に波を興す。
羌婦【きょうふ】語して還た笑し,胡兒【こじ】行い且つ歌う。
將軍 別れて馬を換え,夜出でて雕戈を擁す。


(現代語訳)
日が落ちて黄昏時に秋風がまた吹いてきた、秦州城の周りで風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛である。
黄金(こがね)色の雲が高い空に動かないでいる、辺りがうす暗くなり、暮れやらぬ空を水面は白く映し、そこに風が波を起こす。
チベット系の遊牧民族の婦人たちは談笑を繰り返し、西域民族のこどもたちは遊びながら民族の歌を唄っている。
西方の沙州へ向かう将軍が塞に立ちより変え馬をあとにして出て行く、夜の出発というものは彫刻の飾りのついたほこを従えていくのである。


(訳注)
日落風亦起,城頭烏尾訛。
日が落ちて黄昏時に秋風がまた吹いてきた、秦州城の周りで風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛である。
烏尾訛 風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛のこと。


黃雲高未動,白水已興波。
黄金(こがね)色の雲が高い空に動かないでいる、辺りがうす暗くなり、暮れやらぬ空を水面は白く映し、そこに風が波を起こす。
・黃雲 1 黄色の雲。黄金(こがね)色の雲。 2 稲が実り、水田一面に黄色く見えるのを雲にたとえた語。 3酒のこと。
・白水 秋のまだ氷ってはいない冷たい水。辺りがうす暗くなり、水面は暮れやらぬ空を映すさま。

黃雲 : 白水  : 未動 : 興波

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


羌婦語還笑,胡兒行且歌。
チベット系の遊牧民族の婦人たちは談笑を繰り返し、西域民族のこどもたちは遊びながら民族の歌を唄っている。
羌婦 チベット系の遊牧民族の婦人たち。羌:中国古代、青海地方に住んでいたチベット系の遊牧民族。後漢時代に陝西(せんせい)・甘粛に移り、五胡十六国時代に後秦(こうしん)を建国。隋・唐代には一族のタングート(党項)族が有力となり、その一部は11世紀に西夏を建国。
 語り合っている。
・胡兒 西域民族のこどもたち。ウイグル人の子供。胡:中国で、漢以前には北方の匈奴(きようど)の称。のちには西域民族の総称。えびす。

羌婦 : 胡兒 : 還笑 : 且歌

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


將軍別換馬,夜出擁雕戈。
西方の沙州へ向かう将軍が塞に立ちより昼間の従者変え馬をあとにして出て行く、夜の出発というものは彫刻の飾りのついたほこを従えていくのである。
雕戈 彫刻の飾りのついたほこ。
【よう】1 だきかかえる。いだく。2 所有する。3 ひきいる。従える。

秦州抒情詩(17) 夕烽 杜甫 <302> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1373 杜甫詩 700- 422

秦州抒情詩(17)  夕烽 杜甫 <302> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1373 杜甫詩 700- 422 

     
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《秦州抒情詩(17)   『夕烽』 杜甫700の302首目、杜甫ブログ422回目》
759年7月に沙州で吐蕃の乱をおこし、西域の不安定が心配事であった。この詩は九月の初旬だと思えるときで膠着状態の時の様子が述べられている。


夕烽
夕烽來不近,每日報平安。
夕方の烽火が近くには問題がなく遠方からも伝えられて来て、毎日平穏無事を報じてくれる。
塞上傳光小,雲邊落點殘。
砦の上にはその蜂火が小さく光を伝え、雲のあたりには小さな一点の光となって残っている。
照秦通警急,過隴自艱難。
この烽火は関中、長安地方を照らして警急を通知するためにある、この烽火が隴西の方から火急に経過してくるときは国難の生ずるときであり、つぎつぎに東方へつたえられ警急を通知するのである。
聞道蓬萊殿,千門立馬看。

そういうことで長安の大明宮の蓬莱殿では、千の門において警備の士は馬を立ててこの秦州の烽火の様子がいかにあるのかと見守っているということである。
(夕 烽)
夕烽【ゆうほう】来たること近からず、毎日平安を報ず。
塞上【さいじょう】光を伝うること小に、雲辺【うんぺん】落点残る。
秦を照らして警急【けいきゅう】を通ず、隴を過ぐるは自ずから艱難【かんなん】。
間道【きくな】らく蓬莱殿、千門 馬を立てて看ると。

少陵台


現代語訳と訳註
(本文) 夕烽

夕烽來不近,每日報平安。
塞上傳光小,雲邊落點殘。
照秦通警急,過隴自艱難。
聞道蓬萊殿,千門立馬看。


(下し文)
(夕 烽)
夕烽【ゆうほう】来たること近からず、毎日平安を報ず。
塞上【さいじょう】光を伝うること小に、雲辺【うんぺん】落点残る。
秦を照らして警急【けいきゅう】を通ず、隴を過ぐるは自ずから艱難【かんなん】。
間道【きくな】らく蓬莱殿、千門 馬を立てて看ると。


(現代語訳)
夕方の烽火が近くには問題がなく遠方からも伝えられて来て、毎日平穏無事を報じてくれる。
砦の上にはその蜂火が小さく光を伝え、雲のあたりには小さな一点の光となって残っている。
この烽火は関中、長安地方を照らして警急を通知するためにある、この烽火が隴西の方から火急に経過してくるときは国難の生ずるときであり、つぎつぎに東方へつたえられ警急を通知するのである。
そういうことで長安の大明宮の蓬莱殿では、千の門において警備の士は馬を立ててこの秦州の烽火の様子がいかにあるのかと見守っているということである。


(訳注)
夕烽

夕がた烽火のつたわるのを見てよんだ。
759年7月に沙州で吐蕃の乱をおこし、西域の不安定が心配事であった。この詩は九月の初旬だと思えるときで膠着状態の時の様子が述べられている。


夕烽來不近,每日報平安。
夕方の烽火が近くには問題がなく遠方からも伝えられて来て、毎日平穏無事を報じてくれる。
不近 遠方よりすることをいう。○報平安 唐の鎮戊にあっては毎日初夜に一蛭の煙を放った、これを平安火といい何も起こっていないこと・無事をしらせる合図である。


塞上傳光小,雲邊落點殘。
砦の上にはその蜂火が小さく光を伝え、雲のあたりには小さな一点の光となって残っている。
○落点 点は形の小さいことをいう。


照秦通警急,過隴自艱難。
この烽火は関中、長安地方を照らして警急を通知するためにある、この烽火が隴西の方から火急に経過してくるときは国難の生ずるときであり、つぎつぎに東方へつたえられ警急を通知するのである。
照秦 秦は関中、長安地方をいぅ。○ 通報する。○警急 警戒、急迫。○過陳 蜂火が障西の地方を経過すること。○艱難 国事の艱難なことを報ずることをいう、杜詩の「艱難深情二塊ズ」羌村)、「難難長戟ヲ擦り」(潼関吏)などの艱難はみな国難をいう、以下艱難の語について参考の詩をあげる。 潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311
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聞道蓬萊殿,千門立馬看。
そういうことで長安の大明宮の蓬莱殿では、千の門において警備の士は馬を立ててこの秦州の烽火の様子がいかにあるのかと見守っているということである。
蓬莱殿 長安の殿名。

 唐朝 大明宮2000

(夕 烽)
夕烽【ゆうほう】来たること近からず、毎日平安を報ず。
塞上【さいじょう】光を伝うること小に、雲辺【うんぺん】落点残る。
秦を照らして警急【けいきゅう】を通ず、隴を過ぐるは自ずから艱難【かんなん】。
間道【きくな】らく蓬莱殿、千門 馬を立てて看ると。


秦州抒情詩(16) 廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421

秦州抒情詩(16)   廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421 

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
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《秦州抒情詩(16)   『廃畦』 杜甫700の301首目、杜甫ブログ421回目》
すたれかかったはたけのうねの野菜をみて、その感をうつす。農業に関心を持ったもの。秦州抒情詩、二十四節季を詠う。


廢畦
秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
暮景數枝葉,天風吹汝寒。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。
生意春如昨,悲君白玉盤。
万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたものがつい昨日のようにおもわれるのであるが、今のお前たちは白玉にかざられた盤上に盛られることがないであろうことは悲しいことであるといわざるをえないのだ。

秋蔬【しゅうそ】霜露に擁せらる、豈に敢て凋残【ちょうざん】を惜しまんや。
暮景【ぼけい】数枝の葉、天風 汝を吹いて寒し。
綠は泥滓【でいし】に沾【うるお】されて尽き、香は歳時【さいじ】と闌【たけなわ】なり。
生意【せいい】春 昨の如し、悲しむ君が白玉【はくぎょく】の盤。

DCF00218

現代語訳と訳註
(本文)
廢畦
秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
暮景數枝葉,天風吹汝寒。
綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
生意春如昨,悲君白玉盤。


(下し文)
(廃 畦)
秋蔬【しゅうそ】霜露に擁せらる、豈に敢て凋残【ちょうざん】を惜しまんや。
暮景【ぼけい】数枝の葉、天風 汝を吹いて寒し。
綠は泥滓【でいし】に沾【うるお】されて尽き、香は歳時【さいじ】と闌【たけなわ】なり。
生意【せいい】春 昨の如し、悲しむ君が白玉【はくぎょく】の盤。


(現代語訳)
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。

廢畦image01

(訳注)
廢畦
廃畦 季節が巡って、畠のうねの野菜が枯れ始めている。杜甫は秦州でのこの時期、季節の微妙な変化に初めて気が付いたのであろう。
二十四節季の変化を詩にしたものが”秦州抒情詩の二十数首“である。の「天河」「初月」「歸燕」「擣衣」「促織」「蛍火」「兼葭」「苦竹」「除架」「廃畦」・・・・。
秦州滞在は759年七月から十月で、二十四節季では立秋から立冬までの間であった。

立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。
・処暑(しょしょ)は、二十四節気の第14。七月中(通常旧暦7月内)。
・白露(はくろ)は、二十四節気の第15。八月節(旧暦7月後半 - 8月前半)。大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。
秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。八月中(旧暦8月内)。
・寒露(かんろ)は、二十四節気の第17。九月節(旧暦8月後半 - 9月前半)。露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。
・霜降(そうこう)は、二十四節気の第18。九月中(通常旧暦9月内)。露が冷気によって霜となって降り始めるころ。『暦便覧』では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説明している。
楓や蔦が紅葉し始めるころ。この日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶ。
・立冬(りっとう)は、二十四節気の第19。十月節(旧暦9月後半 - 10月前半)。初めて冬の気配が現われてくる日。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。
秋分と冬至の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立春の前日までが冬となる


秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
秋蔬 あきのキノコ。松茸・椎茸・湿地など大型菌類の総称であるが、詩題から野菜なども含んで全体をいうもの。
 かこまれる。
凋残 しぼみ、そこなわれる。


暮景數枝葉,天風吹汝寒。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
暮景 ゆう日のひかりにあたって。
 三四ほどであることをいう。
 蔬をさす。


綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。
綠沾二句 蔬の衰容をいう。
泥滓 滓もまたにごること、雨のための泥濁の水。枯れた様子を泥の水が染めたと尿限する。
○尽 緑色がなくなること。
○香 生きている証に香りがあるということが基本。
○闌 たけなわ、おとろえる、歳闌とは老人がとしを数える次第に多くなるような意味、香関は香のおとろえることをいう。


生意春如昨,悲君白玉盤。
万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたものがつい昨日のようにおもわれるのであるが、今のお前たちは白玉にかざられた盤上に盛られることがないであろうことは悲しいことであるといわざるをえないのだ。
生意 万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたもの。
 玉盤に盛られることのできる姿でないことについてかなしむこと。
 一定の人をさす必要はないといっている。過去、君主であるかどうかと議論が分かれたが、その意味がないわけではない。
白玉盤 白玉で作った大皿、唐では立春の節に白玉盤を以て細い生業を盛って群臣に煩かち賜わった。生菜は韮の菜のこと。又長安より寒気が早いということを意味している。

秦州抒情詩(15) 除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420

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《秦州抒情詩(15)   『除架』 杜甫700の300首目、杜甫ブログ420回目》
759年晩秋、秦州の作。
詩経の小雅、大雅に基づき人生を詠い新たな決意をする。

除架
束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。
ひさご棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいものなっているし、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
幸結白花了,寧辭青蔓除。
幸いにも白い花が終わり結んでしまったので、どうして青い蔓だけ残って用のないものは除かれてもかまわないというものだろう。
秋蟲聲不去,暮雀意何如?
しかし、秋の虫はこのあたりから去らず鳴いているし、夕ぐれの雀もここへ集まってくるがそのこころもちはどうだろう。
寒事今牢落,人生亦有初。
虫や自然界が教えてくれる冬仕度は今やさびしいものである、人生もまたこれと似たところがある。さかえた初めの時節も有ったのである、またはその始まりが来るものである。

(架を除く)
束薪【そくしん】己に零落【れいらく】す、瓠葉【こよう】転【うた】た蕭疏【しょうそ】たり。
幸いに白花を結び了【おわ】る、寧【なん】ぞ辞せん青蔓【せいまん】の除かるるを。
秋虫声去らず、暮雀【ぼじゃく】意 何如【いかん】。
寒事 今 牢落【ろうらく】たり、人生も亦た初め有り。
 瓢箪003


現代語訳と訳註
(本文)
除架
束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。
幸結白花了,寧辭青蔓除。
秋蟲聲不去,暮雀意何如?
寒事今牢落,人生亦有初。


(下し文)
(架を除く)
束薪【そくしん】己に零落【れいらく】す、瓠葉【こよう】転【うた】た蕭疏【しょうそ】たり。
幸いに白花を結び了【おわ】る、寧【なん】ぞ辞せん青蔓【せいまん】の除かるるを。
秋虫声去らず、暮雀【ぼじゃく】意 何如【いかん】。
寒事 今 牢落【ろうらく】たり、人生も亦た初め有り。


(現代語訳)
ひさご棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいものなっているし、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
ひさごの棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいもの成っている、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
幸いにも白い花が終わり結んでしまったので、どうして青い蔓だけ残って用のないものは除かれてもかまわないというものだろう。
しかし、秋の虫はこのあたりから去らず鳴いているし、夕ぐれの雀もここへ集まってくるがそのこころもちはどうだろう。
虫や自然界が教えてくれる冬仕度は今やさびしいものである、人生もまたこれと似たところがある。さかえた初めの時節も有ったのである、またはその始まりが来るものである。


(訳注)
除架
 たな。ふくべの葉っぱ(瓠葉)は煮て漬しとして酒の肴にする。晩秋にはその棚を取り払うもの。


束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。
ひさごの棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいもの成っている、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
束新 たはねたたきざ、たなをつくるために材料として用いたもの。
零落 1 落ちぶれること。2 草木の枯れ落ちること。
瓠葉 ひさご、ふくべ。『詩経「小雅」魚藻之什「瓠葉」』その序に「古気を思うて今を傷むの意」とし、今の幽王を謗る詩としている。
瓠葉
幡幡瓠葉.采之亨之.君子有酒.酌言嘗之
有兔斯首.炮之燔之.君子有酒.酌言獻之
有兔斯首.燔之炙之.君子有酒.酌言酢之
有兔斯首.燔之炮之.君子有酒.酌言酬之
蕭疏 まばら。


幸結白花了,寧辭青蔓除。
幸いにも白い花が終わり結んでしまったので、どうして青い蔓だけ残って用のないものは除かれてもかまわないというものだろう。
青草 あおいつる、ここでは覇を取って食べた残りの蔓に葉が出てこないものをいう。杜甫自身長安朝廷から華州に左遷されたことを示しているのであろう。


秋蟲聲不去,暮雀意何如?
しかし、秋の虫はこのあたりから去らず鳴いているし、夕ぐれの雀もここへ集まってくるがそのこころもちはどうだろう。
意何如 どんな心もちなのだろうか、これもやはり官についての未練を云うのであろうか。


寒事今牢落,人生亦有初。
虫や自然界が教えてくれる冬仕度は今やさびしいものである、人生もまたこれと似たところがある。さかえた初めの時節も有ったのである、またはその始まりが来るものである。
寒事 虫や自然界が教えてくれる冬仕度全般をいうが、ここでは棚をとり去る等の事をさす。
牢落 さびしい。
有初 瓢の棚も始め母が繁り栄えたこと。 『詩経、大雅・蕩之什「蕩」』「靡不有初、鮮克有終。」(初め有らざる靡し克く終わり有るは鮮なし。)開国の始めには天の命を受け、下民によくあたるが終わりには騒乱を招くものが多く、君子はこれを慎み畏れなければいけない。

秦州抒情詩(14) 苦竹 杜甫 <299> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1364 杜甫詩 700- 419

秦州抒情詩(14)    苦竹 杜甫 <299> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1364 杜甫詩 700- 419
《秦州抒情詩(14)    『苦竹』 杜甫700の299首目、杜甫ブログ419回目》

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

東柯谷の山中の苦竹をみて、『詩経 衛風 淇澳篇』に詠う高徳を積んだ君主が竹藪の近くに住み切磋琢磨して宝飾のように輝きを示したことになぞらえてこの詩を読んだ。759年晩秋。
DCF00196




苦竹
青冥亦自守,軟弱強扶持。
苦竹は春の霞のかかる遠い高い山において自己の本性を保守し、軟弱そうにみえてもその強靭なすがたはその本性に支えられている。
味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
そうであっても春を過ぎると味わいは苦くなって夏の虫も食べないばかりか逃げていくのだ、その叢生したところは背が低いから春の鳥も疑って宿りには来ないのだ。
軒墀曾不重,剪伐欲無辭。
富貴邸宅の軒端近くにはかねてからこれを尊重しないものであり、ただもし用材として使おうとするなら選定して切り取られても辞退せず御用に立ちたいとおもっている。
幸近幽人屋,霜根結在茲。
幸いなことに隠棲する場所として奥まったところに竹藪が近くあるということだ、草木が霜で枯れて寒々とした景色の時期というのにこの山ふかい場所に根を結ぶということで切磋琢磨し輝きを放つ存在になろうというものである。
青冥【せいめい】にも亦た自ら守り、軟弱【なんじゃく】にも強いて扶持【ふじ】す。
味わい苦くして夏虫避け、叢【そう】卑【ひ】くして春鳥疑う。
軒墀【けんち】曾て重んぜず、剪伐【せんばつ】も辞する無きを欲【ねが】う。
幸いに近し幽人の屋、霜根【そうこん】結んで茲【これ】に在り。
真竹003

 
現代語訳と訳註
(本文) 苦竹
青冥亦自守,軟弱強扶持。
味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
軒墀曾不重,剪伐欲無辭。
幸近幽人屋,霜根結在茲。

(下し文)
(苦 竹)
青冥【せいめい】にも亦た自ら守り、軟弱【なんじゃく】にも強いて扶持【ふじ】す。
味わい苦くして夏虫避け、叢【そう】卑【ひ】くして春鳥疑う。
軒墀【けんち】曾て重んぜず、剪伐【せんばつ】も辞する無きを欲【ねが】う。
幸いに近し幽人の屋、霜根【そうこん】結んで茲【これ】に在り。



(現代語訳)
苦竹は春の霞のかかる遠い高い山において自己の本性を保守し、軟弱そうにみえてもその強靭なすがたはその本性に支えられている。
そうであっても春を過ぎると味わいは苦くなって夏の虫も食べないばかりか逃げていくのだ、その叢生したところは背が低いから春の鳥も疑って宿りには来ないのだ。
富貴邸宅の軒端近くにはかねてからこれを尊重しないものであり、ただもし用材として使おうとするなら選定して切り取られても辞退せず御用に立ちたいとおもっている。
幸いなことに隠棲する場所として奥まったところに竹藪が近くあるということだ、草木が霜で枯れて寒々とした景色の時期というのにこの山ふかい場所に根を結ぶということで切磋琢磨し輝きを放つ存在になろうというものである。



(訳注)
苦 竹
苦竹 マダケまたはメダケの別名。にがたけ、味のよからぬもの、醜竹のことという。条件の良いところでは直径が10センチほどになり、高さも15メートルほどになる繊維の密度、柔軟性、色、つやなどが優れていて最もいろんな方面に使われている竹。皮も食品の包装の他、部分的に籠にも使われる
真竹【マダケ】は中国原産とも日本自生とも言われる竹の一種。別名タケ、ニガタケ(苦竹)、カラタケ(唐竹)、真柄竹。収穫期は5月から6月上旬とされる。別名を苦竹というように、収穫後時間を経過したタケノコはエグみがあり、あく抜きが必要だが美味とされる。掘りたてのものにはエグみがほとんど存在せず、そのままさしみにして食しても美味しい。収穫の際は、モウソウチクのように地下部まで掘り取る必要はなく、地上部を切り取るだけで済む。
竹林は地下茎が地面を広く覆うので地震、崖崩れに非常に強い。

君子のあるべき姿を詠ったもの。
『詩経 衛風 淇澳篇』
瞻彼淇奧.綠竹猗猗.有匪君子.
如切如磋.如琢如磨.瑟兮僩兮.
赫兮咺兮.有匪君子.終不可諼兮

瞻彼淇奧.綠竹青青.有匪君子.
充耳琇瑩.會弁如星.瑟兮僩兮.
赫兮咺兮.有匪君子.終不可諼兮

瞻彼淇奧.綠竹如簀.有匪君子.
如金如錫.如圭如璧.寬兮綽兮.
倚重較兮.善戲謔兮.不為虐兮

 

青冥亦自守,軟弱強扶持。
苦竹は春の霞のかかる遠い高い山において自己の本性を保守し、軟弱そうにみえてもその強靭なすがたはその本性に支えられている。
青冥 五行思想で青は春、絵画の遠近法で青は遠くの山、高い山、などからここでは、春の霞のかかる遠い高い山においてという意味をいう。参考に挙げた『詩経 衛風 淇澳篇』「瞻彼淇奧.綠竹猗猗.」のイメージを踏襲している。また、「青冥」は杜甫『路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰』において同様に使う。
杜甫 『路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰』
寄語楊員外,山寒少茯苓。
歸來稍暄暖,當為斸青冥。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。


自守 自ずからの性を守り保つ。儒家の節操を比喩している。○軟弱やわらかにしてよわい。○扶持 手助けして支える。
 

味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
そうであっても春を過ぎると味わいは苦くなって夏の虫も食べないばかりか逃げていくのだ、その叢生したところは背が低いから春の鳥も疑って宿りには来ないのだ。
叢卑 むらがり生えたところがたけのひくいこと。○ 巣作りができる林であるかをうたがう。


軒墀曾不重,剪伐欲無辭。
富貴邸宅の軒端近くにはかねてからこれを尊重しないものであり、ただもし用材として使おうとするなら選定して切り取られても辞退せず御用に立ちたいとおもっている。
軒墀【けんち】 のきば、どえん、これは富貴の家をさす。○剪伐【せんばつ】 「詩経」の(甘棠)にみえる、きり、うちとる。○ 辞退すること。


幸近幽人屋,霜根結在茲。
幸いなことに隠棲する場所として奥まったところに竹藪が近くあるということだ、草木が霜で枯れて寒々とした景色の時期というのにこの山ふかい場所に根を結ぶということで切磋琢磨し輝きを放つ存在になろうというものである。
幽人屋 奥まったしずかな場所に隠棲する人。隠棲する場所に苦竹が必要なのは、儒者が切磋琢磨する場所という意味である。○ 青冥の地をさす。

秦州抒情詩(13) 兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
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葭 あし002

 《秦州抒情詩(13)  『兼葭』 杜甫700の298首目、杜甫ブログ418回目》
詩経の同じ題の詩に基づき、蘆(片葉あし)をみて適時にできず、不遇で志を得られぬ状態と自分を重ねて詠う。



蒹葭
摧折不自守,秋風吹若何?
この「片葉あし」というものは、くだかれ折られ、しっかり自己を保つことがないのであるから、秋風に吹かれたとしてもどうかなるというのか。(どうにもならない、それは自分のせいなのだ。)
暫時花戴雪,幾處葉沈波。
「片葉あし」は穂花をだすときしばらくの間、花が雪をいただいて立っているが、そこ処処でその葉は波間に沈んでいるのだ。
體弱春苗早,叢長夜露多。
「片葉あし」は春の苗が早くでるがその体質は弱くて、群がって生え背は高くなり、夏にはたくさんの夜露をうけるのである。
江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。

「片葉あし」は南方の江湖の地方では他の草木が枯れ、葉がおちるよりかおそいのだけれど、それはまるで時機を逸して、適時にできず、不遇で志を得られぬ状態なのだと気づかわれるのである。


現代語訳と訳註
(本文)
蒹葭
摧折不自守,秋風吹若何?
暫時花戴雪,幾處葉沈波。
體弱春苗早,叢長夜露多。
江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。


(下し文)
(兼 葭  けんか)
摧折【さいせつ】自ら守らず、秋風吹くも若何【いか】にせん。
暫時【ざんじ】花雪を戴【いただ】く、幾処【いくつのところ】か葉 波に沈む。
体弱くして春苗【しゅんびょう】早く、叢【そう】長うして夜露【やろ】多し。
江湖【こうこ】搖落【ようらく】に後【おく】るるも 亦た恐る歳に蹉跎【さた】たらんことを


(現代語訳)
この「片葉あし」というものは、くだかれ折られ、しっかり自己を保つことがないのであるから、秋風に吹かれたとしてもどうかなるというのか。(どうにもならない、それは自分のせいなのだ。)
「片葉あし」は穂花をだすときしばらくの間、花が雪をいただいて立っているが、そこ処処でその葉は波間に沈んでいるのだ。
「片葉あし」は春の苗が早くでるがその体質は弱くて、群がって生え背は高くなり、夏にはたくさんの夜露をうけるのである。
「片葉あし」は南方の江湖の地方では他の草木が枯れ、葉がおちるよりかおそいのだけれど、それはまるで時機を逸して、適時にできず、不遇で志を得られぬ状態なのだと気づかわれるのである。


(訳注)
蒹葭

兼葭 あしのくさ。蒹とは。・蒹葭アシやヨシの類.葭 片葉の葦(かたはのあし)。

『詩経・秦風・蒹葭
兼葭蒼蒼,白露為霜。
所謂伊人,在水一方。
溯洄從之,道阻且長;
溯游從之,宛在水中央


とある。枯れ始めた陰暦九月の候をいう。
河の向こう岸にすむ美しい娘がいる。訪ねようと上流に行くと道が険しく、川を渡るには水が多い。不遇で志を得られぬ、果たせない男、やるせない気持ちを歌ったものである。杜甫のこの詩も最終句「歲蹉跎」という語でそのすべてを表している。


摧折不自守,秋風吹若何?
この「片葉あし」というものは、くだかれ折られ、しっかり自己を保つことがないのであるから、秋風に吹かれたとしてもどうかなるというのか。(どうにもならない、それは自分のせいなのだ。)
摧折 茎幹のくだけおれること。〇自守 自己をしっかり保守すること。○吹若何 若何とはいかんともしがたい、自己の責任であるということ。


暫時花戴雪,幾處葉沈波。
「片葉あし」は穂花をだすときしばらくの間、花が雪をいただいて立っているが、そこ処処でその葉は波間に沈んでいるのだ。
暫時 少しの間。しばらく。副詞的にも用いる。―の暇(いとま)をいただきたい。○幾処 いくばくの場所においてか、疑問体で多くの場所を意味する。あっちもこっちも。


體弱春苗早,叢長夜露多。
「片葉あし」は春の苗が早くでるがその体質は弱くて、群がって生え背は高くなり、夏にはたくさんの夜露をうけるのである。
春苗 春のわかなえ。○夜露 夏についていう。


江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。
「片葉あし」は南方の江湖の地方では他の草木が枯れ、葉がおちるよりかおそいのだけれど、それはまるで時機を逸して、適時にできず、不遇で志を得られぬ状態なのだと気づかわれるのである。
江湖南方の地をさす。○揺落 草木の葉のゆりおとされる。〇 としどしに。歳相応に。適時に。○蹉跎 時機を失い不遇で志を得られぬ状態。『詩経・秦風・蒹葭』の意味と同じになる。

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