漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詳注1500

杜甫の詩をあまり知られていないものも取り上げる予定。約1500首。(杜詩詳注・全唐詩・杜甫詩 総合案内時系列に整理した)青春期遊学から長安を中心に就職活動の10年、やっと就職できたら、安史の乱、騒乱の中で自分の生きる道を求めて苦悩、騒乱のない地方へ逃避紀行、成都浣花渓草堂、騒乱回避、夔州寓居、そして漂白の旅。 ブログも2011年~2018年の計画で掲載進行中。。。都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。(ここでは、訓読み下し分にできるだけルビをふりません。漢字の雰囲気で読んでほしいからで、また、意味、読みはすぐわかるようになります。)

成都(1)

杜甫の詩 誠実な詩人特集。2011・11月『士官がきまった。~安禄山の叛乱』期の詩。2011年12月は『反乱軍に捕まる。軟禁状態での詩』2012.1月は『反乱軍からの脱出劇、朝廷に到着・・・・』。2012.2月粛宗に許可をもらって家族を迎えに「北征」紀行を中心に掲載していきます。2012.3月は、朝廷での疎外感、やるせなさが伝わる詩です。2012.4月華州へ左遷、2012.5月三吏三別。秦州抒情9月、同谷紀行11月、成都紀行12月、2013.3現在、成都浣花渓の草堂、2013.12蜀中転々からふたたび成都草堂へ(杜甫全詩の約半分を掲載)・・・・・・そして成都を後にして、夔州へ、(2/3掲載)ここで人生の1/3の量の詩を書く。漂白の旅。紀行。杜甫の苦悩の内容的な変化、様子がよくわかります。
都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。
このブログ以外にも、李白1000首、李商隠150首、韓愈全詩・韓愈グループ、などは別のブログで掲載中 kanbuniinkai 検索で、いろんな漢文委員会HP,ブログ を今までの漢詩紹介とは違っています。
中華書局 発行 杜詩詳注 を基本に訳注解説しています。
杜甫詩の概要目録につては、http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/details1.html 参照。

成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 1000- 539

堂成 杜甫 

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成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 1000- 539


詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成
作 時:760年3月杜甫49歳 
掲 載:杜甫1000の363首目-#10
杜甫ブログ:1500-539回目
草堂のできたことを詠ずる。上元元年春暮の作。七言律詩
草堂の周りに友人から戴いた木々が植えられ、草堂が完成した。
草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号

屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。

そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。

草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。


堂  成
<草堂建設 成る>
背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。

私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。
(堂成る)
郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。
榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。
暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。
旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。

楊柳00005

現代語訳と訳註
(本文)
堂  成
背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。


(下し文)
(堂成る)
郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。
榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。
暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。
旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。


(現代語訳)
<堂  成る>
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。


(訳注)
堂  成

草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号
此の詩のようなゆったり感はこれまでの杜甫の詩にはないものである。必死な感じがまるでない。何処か謝靈運、孟浩然の山水描写に似たところを感じさせる作品である。七言律詩の流れも成都に来てからのもので、暫く七言句が続く。草堂建設シリーズもひとまず終了となる。


郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。
城の外廓を遠い向こうに背負ったように白い茅で屋根をかけた堂ができあがっている。そこは錦江沿いの道に陽炎が立ち、春霞に煙る遠い野原をみおろすことができるところだ。
背部 成都城を負うこと。
 かやをかぶせて屋根をふいたことをいう。
綠江 錦江のかわぞい。
路熟 春の陽炎が沸き立つ道。
 みおろすこと。
青郊 春霞の向こうの野外。遠近画法で遠くは青くなるが、ここでは春の装いを云う。近くに見える草木を云うのではない。「路熟」と「青郊」は春の景色を詠う名句である。孟浩然『』「綠樹村邊合,青山郭外斜。」と同じ心境に有って風景を詠うものである
過故人莊
故人具雞黍,邀我至田家。綠樹村邊合,青山郭外斜。
開筵面場圃,把酒話桑麻。待到重陽日,還來就菊花。

(故人の莊に過ぎる) 
故人 鷄黍【けいしょ】を 具【そろ】へ、我を邀【むか】へて 田家【でんか】に 至らしむ。綠樹 村邊【そんぺん】に 合【がっ】し、青き山 郭外【かくがい】に 斜めなり。
筵【むしろ】を開きて 場圃【じょうほ】に 面し、酒を把【とり】て 桑麻【そうま】 を 話す。重陽【ちょうよう】の日を 待ち到り、還【また】來【きた】りて 菊花【きくか】に就【つ】かん。


榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。
先日植えた榿の木の林は日光をさえぎってくれるようになるだろうし、その広葉に風がふけばに吟じてくれるだろう、それに綿竹もやがて春霞になじんで籠竹の露を梢から滴らすようになる。
榿林 『憑何十一少府邕覓榿木栽』「草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」
籠竹 『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』「華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。」


暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。
暫く立ち止まって見ていると飛んでいた鳥が数羽の鳥や子供をひき連れて來る、ツバメはその前から頻りに来てはよく囀りどうやら新しい巣作りを始めるようだ。
○将 率いること。
○語燕 さえずるつぱめ。


旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。
私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。
○旁人 よその人。○錯此まちがえてなぞらえる。
・揚雄 解嘲
学究の徒としても異数の才を発揮し、『太玄経』(『易経』を模したもの)、『法言』(『論語』を模したもの)、『方言』(当時の各地の方言を集めたもの)等、今日にのこる著作を世に出した。これを嘲った人がいるために作ったのが「解嘲賦」という。太玄の語がはなはだくろいとの意をもつために白いことを強調しているため揚雄の髪の毛が白いことを嘲って「解嘲」という。


成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 1000- 538

詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>

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成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 1000- 538


黄梅000

詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の362首目-#9
杜甫ブログ1500-538回目

徐卿に果物の木を貰い受ける詩。
草堂:現四川省成都市青羊区草堂路28号

屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。
そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。

草堂002

杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、


10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。



詣徐卿覓果栽
<徐卿殿に果実の苗木を求める。>
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。

徐卿に詣りて 果栽を覓む
草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。
石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。


『詣徐卿覓果栽』 現代語訳と訳註
(本文)

詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

(下し文)
卿に詣りて 果栽を覓む
草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。
石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。


(現代語訳)
<徐卿殿に果実の苗木を求める。>
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。


(訳注)
詣徐卿覓果栽

徐卿殿に果実の苗木を求める。
・徐卿 成都の城郭西側の石筍街(現四川省成都金牛区石筍街)果園坊(城郭内の一角ブロックを坊という。)を住居とした人であろう。


草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
草堂の敷地や畑園に花が少ないのであるから今度は花の咲く苗木を植えたいものと思っている。春を迎える緑梨と黄梅ならどちらということはない。
綠李 花期は4月頃で、葉の展開とともに5枚の白い花弁からなる花を付ける。8月下旬から11月頃にかけて、黄褐色または黄緑色でリンゴに似た直径10~18センチメートル程度の球形の果実がなり、食用とされる。果肉は白色で、甘く果汁が多い。
黄梅 黄梅 迎春花) Jasminum nudiflorum 【もくせい科ソケイ属】 原産 中国北部 2~4月に咲く  縦横に伸ばした枝に春早く花を付ける。花は明るい黄色   半つる性で垂れ下がる。花は2.5cm位で雲南黄梅より一回り小型。日当たりと排水の良い場所に植える。植つけは春と秋。挿し木や取り木で増やす。枝の花が垂れ下がるのを楽しむ木。樹高 2mまでの落葉低木。強健で寒さに強い。

黄梅000

石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。
成都城の一番北寄りの西門に在る石筍街のあたり路往ったり来たりして見たが、果園坊の中に有る所に行って求めたのだ。
○石筍街 成都城の一番北寄りの西門に在り、「即ち秦氏の遺址、僅に百五十歩なり」とある。
○果園坊 徐卿が居處


成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537

又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>

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成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537 


詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の361首目-#8
杜甫ブログ1500-537回目
今度は白い磁器の茶碗を貰い受ける詩です。


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。

ocha00

又於韋處乞大邑瓷碗
<また、韋班にここで臨邛の大邑で産出された陶器の碗をいただけるよう頼んだ。>
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
臨邛の大邑で産出された陶器の碗は軽くてその上堅いのだ。その碗を弾き敲いてみると清細な悲しい音がして成都錦城に伝説として伝えられる物である。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。
韋班君の家には白磁の碗があって霜や雪に勝る白さときめの細かさ滑らかさを持っているという。至急にその白い陶磁器をあばら家と書斎のあるわたしのところへ送ってはくれまいか、また、我が家には何も揃っていないということを憐れにも思っていただきたいのである。

(叉韋が處に於いて大邑の瓷碗を乞ふ)
大邑【だいゆう】の燒瓷【しょうじ】  輕うして且つ堅し、扣【たた】けば 哀玉の如ぐ錦城に傳ふ。
君が家の白碗【はくわん】、霜雪に勝れり、急に茅齋【ぼうさい】に送らば也【また】憐む可し。



『又於韋處乞大邑瓷碗』 現代語訳と訳註
(本文)

又於韋處乞大邑瓷碗
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


(下し文)
(叉韋が處に於いて大邑の瓷碗を乞ふ)
大邑【だいゆう】の燒瓷【しょうじ】  輕うして且つ堅し、扣【たた】けば 哀玉の如ぐ錦城に傳ふ。
君が家の白碗【はくわん】、霜雪に勝れり、急に茅齋【ぼうさい】に送らば也【また】憐む可し。


(現代語訳)
<また、韋班にここで臨邛の大邑で産出された陶器の碗をいただけるよう頼んだ。>
臨邛の大邑で産出された陶器の碗は軽くてその上堅いのだ。その碗を弾き敲いてみると清細な悲しい音がして成都錦城に伝説として伝えられる物である。
韋班君の家には白磁の碗があって霜や雪に勝る白さときめの細かさ滑らかさを持っているという。至急にその白い陶磁器をあばら家と書斎のあるわたしのところへ送ってはくれまいか、また、我が家には何も揃っていないということを憐れにも思っていただきたいのである。


(訳注)
又於韋處乞大邑瓷碗

また、韋班にここで臨邛の大邑で産出された陶器の碗をいただけるよう頼んだ。
又韋處. 韋の名は班、先に韋に憑りて松樹の子を覓め、今叉瓷碗を乞ふ、又といふ所以なり、 松樹の子を覓むるの詩は後の花木類に出づ 
・瓷。 磁器。きめのこまかいやきもの。かめ。
・瓷碗。 焼き物の碗、臨邛の大邑で産出されたもの。成都平原の西南部に位置する。成都市街からの距離は75キロメートル、臨邛は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省邛耒県。司馬相如が卓文君と恋に落ちて駆け落ちを始めたところ。


大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
臨邛の大邑で産出された陶器の碗は軽くてその上堅いのだ。その碗を弾き敲いてみると清細な悲しい音がして成都錦城に伝説として伝えられる物である。
哀玉 聲の清細なるもの。


君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。
韋班君の家には白磁の碗があって霜や雪に勝る白さときめの細かさ滑らかさを持っているという。至急にその白い陶磁器をあばら家と書斎のあるわたしのところへ送ってはくれまいか、また、我が家には何も揃っていないということを憐れにも思っていただきたいのである。
・勝霜雪 ここはただ白いということだけではなく、下や雪が積もった状態の滑り、なめらかさや丸みを帯びた陶磁器のことを謂う。素焼きではなくその釉薬の溶け具合を表現しているものと思われる。
・茅齋。 杜甫の浣花草堂をいう。

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <360>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536

憑韋少府班覓松樹子 杜甫

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成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <360>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536


憑韋少府班の世話で松をもとめた詩。
詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の360首目
杜甫ブログ1500-536回目


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」

7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


憑韋少府班覓松樹子
<少府の韋班にたのんで松樹の苗木をを求める>
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
木々の葉っぱの次々と落ちていく広葉樹の類いのものを選ぶがケヤキと柳を選ばないが、やっぱり通年青々と朽ちることのないものが良くどうしてヤマモモがいいものか。
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

松は年を重ねても青々として木を蔽っているそれも千年にわたってその意を持ち続けているのである、そういうことで霜のある冬時期を越した強い根を持ったまだ数寸の高さの苗木を求めているのである。
韋少府の班に憑りて 松樹の子を覓む
落落として羣を出づは欅柳に非ず、青青として朽ちず豈に楊梅ならんや。
存せんと欲するは老蓋千年の意あり、爲めに松根數寸の栽を覓めん。


楊柳00005



『憑韋少府班覓松樹子』 現代語訳と訳註
(本文)
憑韋少府班覓松樹子
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

(下し文)
韋少府の班に憑りて 松樹の子を覓む
落落として羣を出づは欅柳に非ず、青青として朽ちず豈に楊梅ならんや。
存せんと欲するは老蓋千年の意あり、爲めに松根數寸の栽を覓めん。


(現代語訳)
<少府の韋班にたのんで松樹の苗木をを求める>
木々の葉っぱの次々と落ちていく広葉樹の類いのものを選ぶがケヤキと柳を選ばないが、やっぱり通年青々と朽ちることのないものが良くどうしてヤマモモがいいものか。
松は年を重ねても青々として木を蔽っているそれも千年にわたってその意を持ち続けているのである、そういうことで霜のある冬時期を越した強い根を持ったまだ数寸の高さの苗木を求めているのである。


(訳注)
憑韋少府班覓松樹子

少府の韋班にたのんで松樹の苗木をを求める


落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
木々の葉っぱの次々と落ちていく広葉樹の類いのものを選ぶがケヤキと柳を選ばないが、やっぱり通年青々と朽ちることのないものが良くどうしてヤマモモがいいものか。
・ 欅柳。ケヤキ、ニレ科ケヤキ属の落葉高木。ツキ(槻)ともいう。楊柳 どちらも春の若葉をあらわす。
・ 楊梅。 ヤマモモの漢名。


欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。
松は年を重ねても青々として木を蔽っているそれも千年にわたってその意を持ち続けているのである、そういうことで霜のある冬時期を越した強い根を持ったまだ数寸の高さの苗木を求めているのである。
老蓋。 「松千歳にして方に頂平にして偃蓋なす」との世傳あり.
霜根 霜のある冬時期を越した強い根を持った木。
・數寸栽 ほんのまだ数寸の苗木。

成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫 <359>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1743 杜甫詩 700- 535

憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫

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成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫 <359>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1743 杜甫詩 700- 535 


詩題:成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の356首目-#6
杜甫ブログ1500-535回目
県尉何邕の世話ではんの木をもとめた詩。


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、

10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


憑何十一少府邕覓榿木栽
<十一番目の少府に務める何邕さんにおかげをもって 榿木の苗木を覓めた。>
草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?
わたしの草堂から西の方の堀のような小川までに樹木のはやしがないのです。貴殿でなければ、だれがわたしの人気のない静かなところを愛する心を知ってくれるものがあるだろうか。
飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。
誰もが承知っているように榿の木は三年もたてばかなり大きくなるという。どうぞわたしのためにこの川べりに十畝の樹陰を為すようおくってくださるようお願いします。

(何十一少府邕に憑りて榿木の栽を覓む)
草堂の塹西ざんせい 樹林無し、子に非ずんば誰か復た幽心を見ん。
飽くまで聞く榿き木 三年にして大なりと、與【ため】に溪の邊り十畝の陰を致さしめん。


榿木栽5001

『憑何十一少府邕覓榿木栽』 現代語訳と訳註
(本文)
憑何十一少府邕覓榿木栽
草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?
飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。

(下し文)
(何十一少府邕に憑りて榿木の栽を覓む)
草堂の塹西ざんせい 樹林無し、子に非ずんば誰か復た幽心を見ん。
飽くまで聞く榿き木 三年にして大なりと、與【ため】に溪の邊り十畝の陰を致さしめん。


(現代語訳)
<十一番目の少府に務める何邕さんにおかげをもって 榿木の苗木を覓めた。>
わたしの草堂から西の方の堀のような小川までに樹木のはやしがないのです。貴殿でなければ、だれがわたしの人気のない静かなところを愛する心を知ってくれるものがあるだろうか。
誰もが承知っているように榿の木は三年もたてばかなり大きくなるという。どうぞわたしのためにこの川べりに十畝の樹陰を為すようおくってくださるようお願いします。


(訳注)
憑何十一少府邕覓榿木栽
十一番目の少府に務める何邕さんにおかげをもって 榿木の苗木を覓めた。
・憑 おかげをこうむる。
・何十一少府邕 県の尉官の何邕、少府は尉の敬称、時に何邕は利州綿谷県の尉である
・ 榿。 木の名。はんの木。三年たてば大木になる。水辺に植える。幹は薪、実は染料にもなる。


草堂塹西無樹林,非子誰複見幽心?
わたしの草堂から西の方の堀のような小川までに樹木のはやしがないのです。貴殿でなければ、だれがわたしの人気のない静かなところを愛する心を知ってくれるものがあるだろうか。
・ 草堂 (1)草葺(ぶ)きの家。草屋。 (2)草庵。いおり。また、自分の家を謙遜していう語。
・ 塹 塹壕、堀、 溝、小川。
・ 幽心 幽遠・風雅な心。人気のない静かなところを愛する気持ち。


飽聞榿木三年大。與致溪邊十畝陰。
誰もが承知っているように榿の木は三年もたてばかなり大きくなるという。どうぞわたしのためにこの川べりに十畝の樹陰を為すようおくってくださるようお願いします。
・渓辺 渓は濯錦江、辺は畔。杜甫はここを浣花渓と名付け花さく村にしたかった。
は「為めに」ということ、致とはこちらへおくってよこすこと。
十畝 一畝が約522平方メートルであるから5220㎡で1710坪である。当時の表現で五より大きければ十で表現しているから、草堂のそばを流れている堀のような小川との空地がざっと1000坪程度の広さがあったということだろう。

成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <358>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534

從韋二明府續處覓綿竹 杜甫

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成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <358>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534 

詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹
作 時:760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の356首目-#5
杜甫ブログ1500-534回目



杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5.韋続には綿竹県の竹を、
從韋二明府續處覓綿竹三數
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


從韋二明府續處覓綿竹三數叢
親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。

從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。


『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』 現代語訳と訳註
(本文)
從韋二明府續處覓綿竹三數叢
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


(下し文)
從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。


(現代語訳)
親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。


(訳注)
從韋二明府續處覓綿竹三數叢

親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
・ 綿竹 成都湧州に綿竹縣有り、縣に紫巖山有り、綿竹は蓋し此の山に産すとある。


華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
・藹藹 草木がこんもりと茂っているさま。
・亭亭 1 樹木などが高くまっすぐにそびえているさま。2 遠くはるかなさま。


江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。
錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。
・ 此物 綿竹のこと
・ 蒼翠。竹の色が常緑であること。
・ 拂波濤 錦江の波を払うとは、防波の役割をいう。



從韋二明府續處覓綿竹三數叢
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <357>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

蕭八明府實處覓桃栽 杜甫(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
◆◆◆2012年12月26日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆

Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集
古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹丕魏文帝の詩
至廣陵於馬上作 曹丕(魏文帝) 魏詩<8-#2>古詩源 巻五 女性詩629 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1733
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67765496.html

Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
秋懐詩十一首(7) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<107>Ⅱ中唐詩542 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1734
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6162341.html

Ⅲ.杜甫詩1000詩集
"●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めて旅をする
●全詩1/3を掲載済。"
成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533
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Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#15> (12/30) http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-583.html

Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。
『南歌子七首』(一) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-30-5-#8 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1736
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/21534541.html


謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。

孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html
古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。

孟郊詩  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html
「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。

李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <357>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5.韋続には綿竹県の竹を、
6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


蕭八明府實處覓桃栽
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


桃園005



『蕭八明府實處覓桃栽』 現代語訳と訳註
(本文)

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


(下し文)
(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


(現代語訳)
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(訳注)
蕭八明府實處覓桃栽

県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。

・七言絶句 ここまで杜甫はほとんど絶句を書いていない。(貧交行、黄河二首)成都に来て、これ以降激増する。・韻 根、村、園。

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
・桃 春には五弁または多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。中国原産。食用・観賞用として世界各地で栽培されている。
・浣花村 花を浣【あら】う村とこの時初めて「浣花」という語を使ったのではないかと思う。頼みごとをするにしてもその贈られた桃に花が咲くころ、雪解けの水が満水になる。夢のあるネーミングである。杜甫のこの地での意気込みを感じるものである。


河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。
河陽縣の裏 「河陽一縣花」の桃が咲く河陽縣の県内には。
西晉の潘岳あり。潘岳在河陽當縣の令の時に,桃柳を多植し,號して花縣と稱し,以って自己の清高にして廉潔たることを表示す。庾信『枯樹賦』に “「若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。」と 有る。又『春賦』に雲う:「河陽一縣並是花。金谷從來滿園樹。」潘岳 河陽一縣花とする,甚だ “五柳先生”の陶淵明は相い提し並びに論ずるを與って還るに至る。
「河陽」 とは、 かの溝掘袖県に 令として赴任した際に桃李の花で県中を埋め尽くしたという故事ー. 成句としては 「即是河陽一県花」 (北周・庚信 「枯樹賦」)、 「河陽一 県. 併是花」 (同 「春賦」) などーで中国文学史上有名な地名であっ た。

晉の潘岳河陽の令と爲り、満縣に跳李を種う。人、號して河陽一縣の花といふ
《淮南子》雲:『木葉落,長年悲。』斯之謂矣。乃為歌曰:『建章三月火,黃河千里槎。若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。』桓大司馬聞而歎曰:『昔年移柳,依依漢南;今看搖落,淒江潭。樹猶如此,人何以堪。』にみえる。
・濯錦江 長江の支流錦江に注ぎ込む浣花渓の別名。


桃園001


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩)
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


蕭八明府實處覓桃栽
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

成都(1)浣花渓の草堂(3) 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資 杜甫 <356>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1731 杜甫詩 700- 532

杜甫 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)

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成都(1)浣花渓の草堂(3) 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資 杜甫 <356>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1731 杜甫詩 700- 532 



詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(3)
 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の356首目-浣花渓の草堂#3
杜甫ブログ1500-532回目



草堂の建築費用は、詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。
母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」
裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
韋班には松の木の苗を、石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、そして韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。こうした親戚、友人の援助によって草堂は春のおわりまでにはできあがるのである。


王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資
(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)
<母がた王氏の十五番目のつながりの司馬の弟が城郭出て尋ねてくれ、草堂の経営を助ける資金を置いて行ってくれる。>
客裡何遷次?江邊正寂寥。
長く旅をしていてどこに落ち着いて住むことが出来るだろうかと思っていたが、ここは錦江の畔にまさにひっそりとしてもの寂しいところである。
肯來尋一老,愁破是今朝。
そんなところに思いがけずこんな老人を尋ねてきてくれる、それは今朝の事で今まで心配で仕方がなかったことがすっ飛んだのだ。
憂我營茅棟,攜錢過野橋。
というのも私の愁いの種は茅屋を棟上げをして営むことだ巧く出来るかなと思っていたことだが、家の資金の手助けにお金を携えてそこの野橋を通過してきているのだ。
他鄉惟表弟,還往莫辭遙。

今まで他郷にいるただのははがたの遠い親戚のいとことぐらいに思っていたのだが、これからは往ったり来たりして詩文や言葉を掛け合って縁遠くならないようにしようと思う。

(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)
客裡 何ぞ遷次せん?江邊 正に寂寥【せきりょう】たり。
肯えて一老を尋ね來る,愁は 是れ今朝に破る。
我が憂いは茅棟を營むことなるが,錢を攜えて野橋を過ぎる。
他鄉 惟れ表弟なり,往きて還らむは辭遙する莫れ。


『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』 現代語訳と訳註
(本文)
客裡何遷次?江邊正寂寥。
肯來尋一老,愁破是今朝。
憂我營茅棟,攜錢過野橋。
他鄉惟表弟,還往莫辭遙。


(下し文)
(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)
客裡 何ぞ遷次せん?江邊 正に寂寥【せきりょう】たり。
肯えて一老を尋ね來る,愁は 是れ今朝に破る。
我が憂いは茅棟を營むことなるが,錢を攜えて野橋を過ぎる。
他鄉 惟れ表弟なり,往きて還らむは辭遙する莫れ。


(現代語訳)
<母がた王氏の十五番目のつながりの司馬の弟が城郭出て尋ねてくれ、草堂の経営を助ける資金を置いて行ってくれる。>
長く旅をしていてどこに落ち着いて住むことが出来るだろうかと思っていたが、ここは錦江の畔にまさにひっそりとしてもの寂しいところである。
そんなところに思いがけずこんな老人を尋ねてきてくれる、それは今朝の事で今まで心配で仕方がなかったことがすっ飛んだのだ。
というのも私の愁いの種は茅屋を棟上げをして営むことだ巧く出来るかなと思っていたことだが、家の資金の手助けにお金を携えてそこの野橋を通過してきているのだ。
今まで他郷にいるただのははがたの遠い親戚のいとことぐらいに思っていたのだが、これからは往ったり来たりして詩文や言葉を掛け合って縁遠くならないようにしようと思う。


(訳注)
王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資

母がた王氏の十五番目のつながりの司馬の弟が城郭出て尋ねてくれ、草堂の経営を助ける資金を置いて行ってくれる。


客裡何遷次?江邊正寂寥。
長く旅をしていてどこに落ち着いて住むことが出来るだろうかと思っていたが、ここは錦江の畔にまさにひっそりとしてもの寂しいところである。
・客裡 1 まだ一寺の住職にならず、寺から寺へと修行して回る僧。行脚(あんぎゃ)僧。2 旅行中であること。
・遷次 1宿舎を移す。2官職を進める。3居を移す。④季節が変わる。
・寂寥 心が満ち足りず、もの寂しいこと。ひっそりとしてもの寂しいさま。


肯來尋一老,愁破是今朝。
そんなところに思いがけずこんな老人を尋ねてきてくれる、それは今朝の事で今まで心配で仕方がなかったことがすっ飛んだのだ。


憂我營茅棟,攜錢過野橋。
というのも私の愁いの種は茅屋を棟上げをして営むことだ巧く出来るかなと思っていたことだが、家の資金の手助けにお金を携えてそこの野橋を通過してきているのだ。


他鄉惟表弟,還往莫辭遙。
今まで他郷にいるただのははがたの遠い親戚のいとことぐらいに思っていたのだが、これからは往ったり来たりして詩文や言葉を掛け合って縁遠くならないようにしようと思う。
表弟 表妹、表姐、表弟、表哥はもともと母親の兄弟の子供たちに対しての呼びかたで、父親の兄弟の子供たちに対して、堂兄,堂弟,堂姐,堂妹と言う。
血族上、母親の方の親戚は父親の方の親戚より血縁関係が遠いため、遠い親戚を「表妹、表姐、表弟、表哥」と呼ぶ場合もある。古代より男女自由に会うことができない時代、一緒に遊べるのが親戚の兄弟だけなので「堂兄,堂弟,堂姐,堂妹は兄弟と言いが、「表妹、表姐、表弟、表哥」は親戚ではあるが、成人して、自然に恋愛関係になってしまうことが多かった。それを引用して、「表妹」は彼女、「表哥」が彼氏のことを指すことになった。
又は親戚ではないが、普通の人より仲が親密であると示すためにはお互いに「表妹、表姐、表弟、表哥」と呼ぶこともある。

成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531

卜居 杜甫 <355>
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めてっ旅をする
●全詩1/3を掲載済。


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 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <354>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531 
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成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531
 
詩 題:成都(1)浣花渓草堂(2) 卜居
作時760年3月杜甫49歳 七言律詩
掲 載; 杜甫1000の354首目
杜甫ブログ1500-531回目



成都(1)
屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。


そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。


草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。




杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、


10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。
すべてにお礼を込めた詩を贈っている。

上元元年  760年 49歳

卜居
浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。

更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。

浣花渓水 水の西頭、主人為に卜【ぼく】す林塘【りんとう】の幽なるを。
已に知る 郭を出でて塵事【じんじ】の少【まれ】なるを、更に澄江【ちょうこう】の客愁を銷【しょう】する有り。
無数の蜻蜓【せいてい】 斉【ひと】しく上下し、一双の鸂鶒【けいせき】 対して沈浮【ちんぷ】す。
東行万里  興に乗ずるに堪えたり、須【すべから】く山陰に向かって小舟に入るべし。


『卜居』 現代語訳と訳註
(本文)

卜居
浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。


(下し文)
浣花渓水 水の西頭、主人為に卜【ぼく】す林塘【りんとう】の幽なるを。
已に知る 郭を出でて塵事【じんじ】の少【まれ】なるを、更に澄江【ちょうこう】の客愁を銷【しょう】する有り。
無数の蜻蜓【せいてい】 斉【ひと】しく上下し、一双の鸂鶒【けいせき】 対して沈浮【ちんぷ】す。
東行万里  興に乗ずるに堪えたり、須【すべから】く山陰に向かって小舟に入るべし。


(現代語訳)
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。


(訳注)
卜居

杜甫は成都の浣花渓に住居を定めたことを「寄題江外草堂」詩に、「誅茅初一畝,廣地方連延。經營上元始,斷手寶應年。」とある。成都の中心から4kmほど離れた閑静な田園地帯で、浣花渓(錦江支流であり、河岸の西端、)の北の百花潭岸辺にあった。此の詩は到着の翌760年上元元年春の作である。

卜居 住居のよしあしをうらなってさだめる。

浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
浣花渓 渓は成都の西郭外にあり、一に百花澤ともいう。○主人 自ずからいう。
為卜 為めにとは自己のためにということ。


已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
出郭 くるわをはなれること。
澄江 錦江をいう、澄は水のすんでいることをいう。


無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
○蜻蜓 とんぼ。
上下 のぼり、くだる。
鸂鶒 おしどり。


東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。
更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。
乗興 この句は王献之の故事。「吾は本と輿に乗じて行く、輿尽きて返る。」
山陰 晋の王献之の故事、献之、字は子猷が山陰(浙江省紹興府)に居たとき、雪の夜にふと剡渓にあった戴安道を思い出し、舟に乗ってでかけたが、その門まで行ってひきかえしてしまった、人が其のわけをたずねたところ、子猷は「吾は本と輿に乗じて行く、輿尽きて返る。」と答えたという。

成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530

酬高使君相贈 杜甫 <354>

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成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530 


詩 題:成都(1)浣花渓草堂(1) 酬高使君相贈
作時759/12/末ー760年1月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の354首目-#1
杜甫ブログ1500-530回目 
乾元二年(759)十二月、同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺(浣花寺宿坊)の僧復空のもとに身を落ちつけた。


酬高使君相贈
友人である高適君が私に対して贈り物をしてくれたことに報いるためにこの詩を作る。
古寺僧牢落,空房客寓居。
この浣花寺というのは由緒ある古いお寺であり、ここの住職は人格者でこころが広いお方で、突然の訪問者の私に空いている宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれるという。
故人分祿米,鄰舍與園蔬。
古い友人の高適君は禄米の中からを米などを分けてくれ、高適の部下の成都府の官舎のお隣の人が畑の野菜を分けてくれる。
雙樹容聽法,三車肯載書。
寺には二つ並んだりっぱな大樹があり、お経を大切に聴きいれると、法華三部経により宇宙の真理を理解し、三車法師が出家したときのようにここで過ごすことを承諾するのである。
草玄吾豈敢,賦或似相如。
これから先、心配だらけだけど私は『論語』でいうようにやってみようと思うし、詩人として詩賦を作り、それは賦の名手であった漢の司馬相如をまねてやっていこうと思うのである。

高使君の相贈せらるに酬ゆ
古寺の僧 牢落し,空房の客として 寓居せり。
故人 祿米を分ち,鄰舍 園蔬【えんそ】を与う。
雙樹 法を聽きくを容し,三車して載書を肯【がえん】ずる。
草 玄くして吾 豈に敢えてせん,賦 或いは相如に似せんとす。


『酬高使君相贈』 現代語訳と訳註
(本文)
酬高使君相贈
古寺僧牢落,空房客寓居。
故人分祿米,鄰舍與園蔬。
雙樹容聽法,三車肯載書。
草玄吾豈敢,賦或似相如。


(下し文)
高使君の相贈せらるに酬ゆ
古寺の僧 牢落し,空房の客として 寓居せり。
故人 祿米を分ち,鄰舍 園蔬【えんそ】を与う。
雙樹 法を聽きくを容し,三車して載書を肯【がえん】ずる。
草 玄くして吾 豈に敢えてせん,賦 或いは相如に似せんとす。


(現代語訳)
友人である高適君が私に対して贈り物をしてくれたことに報いるためにこの詩を作る。
この浣花寺というのは由緒ある古いお寺であり、ここの住職は人格者でこころが広いお方で、突然の訪問者の私に空いている宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれるという。
古い友人の高適君は禄米の中からを米などを分けてくれ、高適の部下の成都府の官舎のお隣の人が畑の野菜を分けてくれる。
寺には二つ並んだりっぱな大樹があり、お経を大切に聴きいれると、法華三部経により宇宙の真理を理解し、三車法師が出家したときのようにここで過ごすことを承諾するのである。
これから先、心配だらけだけど私は『論語』でいうようにやってみようと思うし、詩人として詩賦を作り、それは賦の名手であった漢の司馬相如をまねてやっていこうと思うのである。


(訳注)
酬高使君相贈

友人である高適君が私に対して贈り物をしてくれたことに報いるためにこの詩を作る。
高使君 高適、厳武、岑参、賈至詩人仲間で、特に高適とは、李白と共に山東方面を旅している詩人の友である。乾元二年(759)十二月、同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺の僧復空のもとに身を落ちつけた。そのとき彭州の刺史となって蜀に来ていた高適から彼に贈られた詩にこたえて、『酬高使君相贈』を詠じたのだが、そのほか厳武、あるいは当時成都尹兼剣南西川節度使であった裴冕の幕下にあった作者の従侄(いとこの子)杜済あたりが、経済的な援助をしてくれたようである。高適についてたくさんの詩を書いているがその一部を下記に示す。

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-6> 

寄高三十五詹事  杜甫詩268

贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩 269

送高三十五書記 杜甫 : 50
寄高三十五書記  杜甫: 67

送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 杜甫 : 93



古寺僧牢落,空房客寓居。
この浣花寺というのは由緒ある古いお寺であり、ここの住職は人格者でこころが広いお方で、突然の訪問者の私に空いている宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれるという。
○牢落 ふしあわせ。まばら。心が広く、人に優れている。 
○空房客寓居 杜甫一行は十数人であるし、数か月近く宿泊することになるから、たいへんである。宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれること。


故人分祿米,鄰舍與園蔬。
古い友人の高適君は禄米の中からを米などを分けてくれ、高適の部下の成都府の官舎のお隣の人が畑の野菜を分けてくれる。
○故人 古くからの友人。死んだ人。高適のこと。 
○祿米 官僚の給料。
○鄰舍 舎は成都府の官舎で、高適の部下で且つ農業もしている。 
○園蔬 畑の青物野菜。 


雙樹容聽法,三車肯載書。
寺には二つ並んだりっぱな大樹があり、お経を大切に聴きいれると、法華三部経により宇宙の真理を理解し、三車法師が出家したときのようにここで過ごすことを承諾するのである。
三車肯載書 ・三車 法華三部経(無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたもの。宇宙の絶対の真理・法で釈尊が「三車火宅の譬え」によって衆生を仏の境地へ導く手順を説く。・載書 長安の大慈恩寺に住した。出家のはじめ,師の玄奘に誓って,女色と飲酒を断たぬことを条件とし,その出遊には,生涯酒と女と経典をのせる三車を連ねたことから,三車法師の名を得たといわれる ・ 承諾する。聞き入れる。引き受ける。がえんじる。・ のせる。積む。行う。従事する。ものを覚える。


草玄吾豈敢,賦或似相如。
これから先、心配だらけだけど私は『論語』でいうようにやってみようと思うし、詩人として詩賦を作り、それは賦の名手であった漢の司馬相如をまねてやっていこうと思うのである。
草玄 此れから始まるここでの生活のことを謂う。・:草むら、始める、草屋、草庵。・玄:黒、暗い、天の色、北、冬、深い、遠い、神妙、老子の教え。
吾豈敢 『論語』述而第三十三、子曰:「若聖與仁。則吾豈敢?抑爲之不厭。誨人不倦。則可謂云爾已矣。公西華曰。正唯。弟子不能學也。」(子曰く、聖と仁とのごときは、われ豈にあえてせんや。そもそもこれを為して厭わず、人を誨えて倦まざるは、すなわち云爾と謂うべきのみ。公西華曰く、まさに唯、弟子、学ぶあたわざるなり。)に基づいている。
司馬相如 中国の前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓氏との恋愛も有名である。



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 成都(1)浣花渓の草堂(0)  杜甫詩 index 杜甫 <353>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1719 杜甫詩 1500- 529


成都(1)
  乾元二年(759)十二月、同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺の僧復 空のもとに身を落ちつけた。そのとき彭州の刺史となって蜀に来ていた高適から彼に贈られた詩にこたえて、『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」(故人禄米を分し、郷舎園疏を与ふ」と詠じているが、そのほかあるいは当時成都尹兼剣南西川節度使であった裴冕の幕下にあった作者の従侄(いとこの子)杜済あたりが、経済的な援助をしてくれたようである。


759年乾元2年12月
   1 ・酬高使君相贈
 
 
 760年◆ 上元元年
 
しかしその寺には長くおらず、明けて翌上元元年(760)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの草堂を設けた。これについても親戚故旧の合力にまつよりはかなかったが、まず司馬の役をしていた表弟(いとこ)の王十五が訪ねてきて、草堂の建築費を送ってくれた。また杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
韋班には松の木の苗を、石筍街呆園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。 
  2 ・卜居(浣花渓水水西頭)  裴冕の世話で、成都から4km離れた閑静な田園地帯に草堂を建てる。
  3 ・王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資
  4 ・蕭八明府實處覓桃栽
  5 ・從韋二明府續處覓綿竹
  6 ・憑何十一少府邕覓榿木栽
  7 ・憑韋少府班覓松樹子
  8 ・又於韋處乞大邑瓷碗
  9 ・詣徐卿覓果栽



草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。

われわれは杜甫の伝記を読んで、この浣花草堂の時期に及ぶと、ほっと息をつく感じがする。むろん当時、長安一帯は飢饉におそわれ、社会経済は混乱し、中原の兵戈と辺境のさわがしさは少しも改まっていないが、蜀というところは、もともと中原と隔絶した、物資もなお豊かなところで、人の心もまだ多少のゆとりがあったのであろう。

10 ・成堂
11 ・蜀相(丞相祠堂何処尋)杜甫は身辺が落ち着くとさっそく、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねました。
12 ・梅雨 草堂のつゆのさまをのぺる、上元元年四月の作
13 ・為農  農民となって住むことを述べる、五言律詩。上元元年春の末の作。
14 ・有客(患気経時久)760年 成都  賓客 「草堂本」による
15 ・賓至 賓至 760年 成都 草堂本による 呉若本では「有客」となっている。
16 ・狂夫(万里橋西一草堂)
17 ・田舍
18 ・江村(清江一曲抱村流)
19 ・江漲
20 ・野老
21 ・所思
22 ・雲山
23 ・遣興
24 ・石筍行
25 ・石犀行
26 ・杜鵑行
27 ・贈衛八處士
28 ・題壁上韋偃畫馬歌
29 ・戯題画山水圖歌
30 ・戯題双松圖歌
 
草堂002


杜甫はここにようやく衰疲の身を息わせ、草堂のまわりを耕し、子供らと釣に興じた。したがってこのころの詩には、自然を歌詠した、愛すべき絶句がある。これは従来の彼には見られなかったものであり、作者の心の寛ろぎを覚える。その間にもこの作者の常として、国家の運命、人民の苦難に思いをよせ、遠くはなれた弟妹を恋う切なる歌はもとよりあるが、それにしてもかつて奉先県の詩や、北征や、三吏三別などを作った詩人としては、ほのかな安らぎを見せている。
このころ裴迪(かつて王維と輞川荘で唱和した詩人)が新津に来ているのを訪れたり、また彭州の高適を訪れたりしている。


31 ・北鄰
32 ・南鄰
33 ・過南鄰朱山人水亭  この篇は作者が南鄰の朱山人の水辺の亭によぎったことをしのぶ。
34 ・因崔五侍禦寄高彭州一絕
35 ・奉簡高三十五使君   高適に寄せた詩。詩によれば高適が栄任したようで、彭州より蜀州に転じた
36 ・和裴迪登新津寺寄王侍郎
37 ・贈蜀僧閭丘師兄
38 ・泛溪
39 ・出郭  成都の城中より郭をでてゆうべに草堂の方へかえったことをのべる。
40 ・恨 別(洛城一別四千里) 上元元年 故郷の家族との別れが久しいのを恨んでつくった。
41 ・散愁二首  官軍の勢いがよいので気ばらしのためにつくった詩である。
42 ・建都十二韻   荊州に南都を建てることにつき反対意見をのべた詩。
43 ・村 夜  江村の夜のさまと兄弟を思う情とをのべる。
44 ・寄楊五桂州譚  桂州の刺史楊譚のところへ、その参軍たる段某が赴任するのにつけて寄せた詩。
45 ・西 郊  城中を出て酉郊より草堂にもどって来たことをのべる。上元元年冬の作であろうという。
46 ・寄贈王十將軍承俊
47 ・和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄  裴迪が蜀州の東亭にのぼって人を送り、そのとき早咲きの梅花をみたので、自分を憤って詩をよこしてくれた。その詩に和して作った詩。上元元年冬の作
 
 
 
 
761年 ◆ 上元2年
 
48 ・奉酬李都督表丈早春作
49 ・題新津北橋樓  新津県の北の橋のほとりの楼で県令の酒宴にあずかって作った詩。
50 ・游修覺寺   新津県の修覚寺にあそんで作った詩。上元二年の春の作
51 ・後遊   修覚寺に二度めにあそんだ詩。
52 ・客 至(舎南舎北皆春水)  草堂二年目の春を詠う。崔明府がたずねてくれたことを喜んで作った詩。
53 ・遣意二首 1 草堂での日常生活をのべる。 2 草堂の春夜のさまをのべる。
54 ・漫 成二首 そぞろにふとできあがった詩である。上元二年春成都浣花渓の草堂に居ったときの作。
55 ・春夜喜雨 761年春の夜雨が降るのを喜ぶ
56 ・春水生 二絕  春 水  春の出水のことをのべた。
57 ・春水  春の出水のことをのべた。
58 ・江 亭(坦腹江亭暖)
59 ・早起  庭仕事のため早く起きたことをのべる。
60 ・落日 761年 草堂の春の夕暮れをうたう


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