杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

成都 (2)

因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386> 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386> 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500


詩 題:因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の386首目-#3 -4
杜甫ブログ1500回予定の-567回目  
上元元年(七六〇)の秋、. 崔五侍御を通じて彭州(四川省彭県)の刺史であった高適に援助を依頼した. 詩である。


因崔五侍禦寄高彭州一絶
百年已過半,秋至轉饑寒。
人生百年であり、それも既に半分を過ぎてしまおうとしています。収獲の秋も晩秋を過ぎるころになり、飢餓と寒さ対策の季節となってきました。
為問彭州牧﹕何時救急難?
彭州の長官の高適殿にご質問したいのです。何時かのことでよろしいのですが我家の危急な状態をお助けくださいませんか。
(崔五侍禦に因り高彭州に寄せる一絶)
百年 已に半を過ぎ,秋至【しゅうじ】 轉【うた】た饑寒【きかん】なり。
問を為さん 彭州【ほうしゅう】の牧に﹕何れの時にか急を救うは難きや?

杜甫 体系 地図459同谷紀行


『因崔五侍禦寄高彭州一絶』 現代語訳と訳註
(本文)

因崔五侍禦寄高彭州一絶
百年已過半,秋至轉饑寒。
為問彭州牧﹕何時救急難?


(下し文)
(崔五侍禦に因り高彭州に寄せる一絶)
百年 已に半を過ぎ,秋至【しゅうじ】 轉【うた】た饑寒【きかん】なり。
問を為さん 彭州【ほうしゅう】の牧に﹕何れの時にか急を救うは難きや?


(現代語訳)
人生百年であり、それも既に半分を過ぎてしまおうとしています。収獲の秋も晩秋を過ぎるころになり、飢餓と寒さ対策の季節となってきました。
彭州の長官の高適殿にご質問したいのです。何時かのことでよろしいのですが我家の危急な状態をお助けくださいませんか。


(訳注)
因崔五侍禦寄高彭州一絶

同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺の僧復空のもとに身を落ちつけた。そのとき彭州の刺史となって蜀に来ていた高適から彼に贈られた詩にこたえて、『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」(故人禄米を分し、郷舎園疏を与ふ」と詠じている。このことで高適から結構な量のコメをプレゼントされていたのであろうが、十数人が食べるにはそんなに長期間残っていたということもないだろうから、再度の援助は直接頼みにくかったのであろう。


百年已過半,秋至轉饑寒。
人生百年であり、それも既に半分を過ぎてしまおうとしています。収獲の秋も晩秋を過ぎるころになり、飢餓と寒さ対策の季節となってきました。
・百年已過半 人生百年という。中國の数え方は50歳を過ぎれば百歳というアバウトなものである。ここでは杜甫は49歳になっているので数学的にも正確な表現である。
・秋至 夏至、冬至は太陽の昼と夜のどちらかが最も長くなる日(または短い日)を云うわけで、同じような意味では春分、秋分であるから、ここでは穀物の収獲をいみするものとされる。「秋至って」と訓読みするは間違い。ここは季節の変わりを云うのではなくしゅうかくがおもわしくなくて援助を依頼するものであるから「秋至」【しゅうじ】とする。
・轉 1 ある状態が、どんどん進行してはなはだしくなるさま。いよいよ。ますます。転じて、そうした状態の変化を前にして心が深く感じ入るさまにいう。
・饑 「飢」と通用1 作物が実らないで乏しい。「饑饉(ききん)」 2 食糧が乏しくてひもじい。「饑餓」.


為問彭州牧﹕何時救急難?
彭州の長官の高適殿にご質問したいのです。何時かのことでよろしいのですが我家の危急な状態をお助けくださいませんか。
・彭州牧 彭州の長官。という場合はとくに食料担当長官というような意味になる。高適とは若い時からの友人であるから、この語にユーモアを込めているということである。
救急難 飢餓状態のような表現であるのは①頼みごとであること。②近況をわかりやすくすること。③詩的表現であること。

北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500 


詩 題:北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の385首目-#3 -3
杜甫ブログ1500回予定の-566回目  



北鄰
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)
明府豈辭滿,藏身方告勞。
そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。
北鄰
明府 豈に滿を辭し,藏身【ぞうしん】方【まさ】に勞を告げる。
青錢【せいせん】買いたる野竹,白幘【はくさく】 岸なる江皋【こうこう】。
酒を愛す 晉の山簡,詩を能くする 何【いずこ】の水曹。
時來【じらい】老疾に訪れ,步屧【ほしょう】して蓬蒿【ほうこう】に到る。


鸕鷀001

『北鄰』 現代語訳と訳註
(本文)
北鄰
明府豈辭滿,藏身方告勞。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。


(下し文)
北鄰
明府 豈に滿を辭し,藏身【ぞうしん】方【まさ】に勞を告げる。
青錢【せいせん】買いたる野竹,白幘【はくさく】 岸なる江皋【こうこう】。
酒を愛す 晉の山簡,詩を能くする 何【いずこ】の水曹。
時來【じらい】老疾に訪れ,步屧【ほしょう】して蓬蒿【ほうこう】に到る。


(現代語訳)
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。


(訳注)
北鄰

南隣には朱山人が住んでいて北隣の事にいてのべたもの。家の北には野竹林があり、浣花渓の曲って隈になったところに白い花が咲く。


明府豈辭滿,藏身方告勞。
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
・明府 漢の時代の県令の尊称であった。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。陶淵明や友人の高適が県令職を辞したことをのべるブログ。官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100
『蕭八明府實處覓桃栽』『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』などにもみある。
・辭滿 史記(越王勾践世家)[1]弓をいっぱいに引きしぼる。十分に用意して機会を待つ。満を持する。―・して待つ[2]物事が絶頂に達し、その状態を保つ。
・藏身 隠れる,身を潜める.
方告勞 儒教には「不敢告労」とある。正反対の意味である。


青錢買野竹,白幘岸江皋。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
・青錢 青銭万選のこと。青銅の銭は質がよいので、一万回選び取っても、他の粗悪な銭と取り間違えたりしないこと。転じて、何度受けても必ず科挙(昔の中国の官吏登用試験)の試験に合格できるほどのすばらしい文章のこと。
・買野竹 『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

・白幘 御幘 - 冠の巾子(こじ)に結び下げる白の平絹(ひらぎぬ)。  おさく【御幘】. 御幘の冠に結ぶ白絹。纓(えい)を巾子(こじ)の上から前へ折って巾子ぐるみ後ろに結び垂れる。結び方に山科流と高倉流がある。
・皋 澤、湿地、沼。水辺の隈。


愛酒晉山簡,能詩何水曹。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
・愛酒晉山簡 杜甫『曲江二首 其一』
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
『曲江二首』詩は西晋の山簡が荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。その故事に基づいている。曲江の池を廻りながら、山間と自分を重ねて詠ったものである。一年近く飼い殺しのような身分に置かれて刹那感を山簡に置き換えることで紛らわせたのかもしれない、というものであった。
・何水曹 上句の晉山簡の対句として晋に対して何処であり、山簡に対して水曹(水べりの官僚)すなわち、高陽池のみずのまわりでたむろしていたもの、ここでは浣花渓の流れの隈の所にいる杜甫を指すもの。


時來訪老疾,步屧到蓬蒿。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。
・屧 しきわら
・蓬蒿 (1) シュンギク.(2) 草ぼうぼうの野原.


過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓退之(韓愈)詩<115-2>Ⅱ中唐詩574 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1862 
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古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500


詩 題:過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の384首目-#3 -2
杜甫ブログ1500-565回目



過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。

(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。

篠竹15

『過南鄰朱山人水亭』 現代語訳と訳註
(本文)

相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。


(下し文)
(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。


(現代語訳)
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。


(訳注)
過南鄰朱山人水亭

この篇は作者が南鄰の朱山人の水辺の亭によぎったことをしのぶ。従来より、広徳二年に作者が成都に復帰したときの作とするものが多いが、詩の内容から類を以てここに置いたのである。


相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
・参差 [1]長短の等しくないさま。そろわないさま。[2]入りまじるさま。入り組むさま。


幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。


辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
・辟客 遠いところからの客。隣りにもかかわらず互いに訪問するということがなかったということの意味。


看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。
・道東 道士の中で東に座るべき人だ。東に主人で西に弟子が座るのでこういう。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

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孟郊詩
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李商隠詩
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南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500


詩 題:南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の383首目-#3 -1
杜甫ブログ1500-564回目:南鄰の某氏を訪問したことをのべる。



南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
浣花渓の錦裡先生は鳥角巾を頭に乗せて隠者のすがたをしている。小さな農園でつくっている芋や栗がとれるからまったくの貧乏というのではない。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
子どもは南隣のお客をみなれているので来客をみて喜び歓迎しているようだ、小鳥や、雀などもいつも外のきざはしあたりに近づいてきて物がたべよく人になれてきている。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
秋の澄んだ江水がそこまでよく見え、四五尺の水深だ、そこへ二三人のれる野の小舟をうかべている。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

白い沙浜のむこうに翠の竹林があり、江村も夕暮れが近づいてくる。客の朱山人を送ろうと柴門にむかうと秋の夕暮れは速く月明かりが増して新たに月があらわれたようなのである。
(南 鄰)
錦里先生 烏の角巾、園に芋栗を收む 全く貧ならず。
賓客を看るに慣れて 児童喜び、階除【かいじょ】に食するを得て鳥雀 馴る。
秋水 纔【わず】かに深し 四五尺、野航【やこう】恰【あたか】も受く両三人。
白沙翠竹 江村の暮、相い柴門に送れば月色新たなり。


『南鄰』 現代語訳と訳註
(本文)

錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。


(下し文)
(南 鄰)
錦里先生 烏の角巾、園に芋栗を收む 全く貧ならず。
賓客を看るに慣れて 児童喜び、階除【かいじょ】に食するを得て鳥雀 馴る。
秋水 纔【わず】かに深し 四五尺、野航【やこう】恰【あたか】も受く両三人。
白沙翠竹 江村の暮、相い柴門に送れば月色新たなり。


(現代語訳)
浣花渓の錦裡先生は鳥角巾を頭に乗せて隠者のすがたをしている。小さな農園でつくっている芋や栗がとれるからまったくの貧乏というのではない。
子どもは南隣のお客をみなれているので来客をみて喜び歓迎しているようだ、小鳥や、雀などもいつも外のきざはしあたりに近づいてきて物がたべよく人になれてきている。
秋の澄んだ江水がそこまでよく見え、四五尺の水深だ、そこへ二三人のれる野の小舟をうかべている。
白い沙浜のむこうに翠の竹林があり、江村も夕暮れが近づいてくる。客の朱山人を送ろうと柴門にむかうと秋の夕暮れは速く月明かりが増して新たに月があらわれたようなのである。


(訳注)
南鄰

○南鄰
 南となりにすむ人のことをいう、朱山人という者である、旧解は作者が南郷を訪問した詩ととく。作者には別に「過南鄰朱山人水亭」(南鄰ノ朱山人ノ水亭二過ル)詩(1/31ブログ)がある。


錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
浣花渓の錦裡先生は鳥角巾を頭に乗せて隠者のすがたをしている。小さな農園でつくっている芋や栗がとれるからまったくの貧乏というのではない。
○錦里先生 陶淵明はその場所を桃源郷と云い自ずから五柳先生と称し、白楽天が自ずから酔吟先生と称した類。杜甫は、ここを浣花渓といい杜甫自身を錦里先生といってみた。
○鳥角巾 黒色の方形の頭巾。
この上句は李白が山公を表現したようにちょっとユーモア的に表現している。
李白50 『襄陽曲四首 其二』「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。」

李白と道教(7)襄陽曲49から52


慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
子どもは南隣のお客をみなれているので来客をみて喜び歓迎しているようだ、小鳥や、雀などもいつも外のきざはしあたりに近づいてきて物がたべよく人になれてきている。
○賓客 朱山人をさす。
○児童 杜家の児童。
○階除 杜家の塘除。家の外側をいちだんあげている。その上がったところからやく1.5mくらいひかえて基礎がある。塘はその一段高いのが土か小石で固めてあるのだろう、低い土手のような状態。風徐室と同じ考えで、そこの階で水の浸入を避ける、排除する。


秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
秋の澄んだ江水がそこまでよく見え、四五尺の水深だ、そこへ二三人のれる野の小舟をうかべている。
・秋水 長雨などなく、晴天が続いているので川の水が澄んでいて綺麗という意味である。この情景はズームアップしている。
・野航 航はふね。この表現で少しフェードアウトしたようだ。


白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。
白い沙浜のむこうに翠の竹林があり、江村も夕暮れが近づいてくる。客の朱山人を送ろうと柴門にむかうと秋の夕暮れは速く月明かりが増して新たに月があらわれたようなのである。
○相送 作者が朱山人を送る。
○柴門 『野老』
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) 野老 杜甫 <373  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549

月色新 秋の月で、新月ではなく、新たに表れたということだが夕刻に出る月であるから、9月10日より少し前ぐらいであり、3日の新月から日に日に大きくなって結構月明かりに頼りがいのある明るさになっている、そして秋の日はくれていくのが速いので、という月であろう。


解説
柴門の所に月が出てきたというのは間違い。この柴門は家からすると南西方向になるので見えるわけがないのだ。したがって多くの訳註本が間違っている。杜甫と客が家を出て柴門を過ぎて川まで下りて舟に乗ろうとした時には、見あるかもしれない。
南鄰の家に杜が訪問して作った詩とみる中國の訳注もあるようだが、詩の後半矛盾が生じるのでここは杜甫の草堂に来客があったということが正しい。

戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-2)  <382> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1855 杜甫詩1000-382-563/1500

戲韋偃為雙松圖歌 杜甫



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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-2)  <382> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1855 杜甫詩1000-382-563/1500


詩 題:戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-2) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の382首目-#2 -19-2
杜甫ブログ1500-563回目


戲韋偃為雙松圖歌 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。2分割の2回目
韋偃屈曲した松をたくみに画いたのをみてまっすぐな幹をかけというのは戯れである。



戲韋偃為雙松圖歌
天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』
苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』

松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
松の根もとに胡僧が画かれ、ひっそりとしたさびしいところにやすんでいるのだ。その僧はふさふさした濃い眉で白髪あたまの老人のようで、修業か、説法をする場所を得ていないようすだ。
偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
そして、僧は右の肩の方をかたはだぬぎになっており、おまけに両足はだしである。僧の前には葉のなかに松ぼっくりが落ちちっているという絵図だ。』
韋侯韋侯數相見;
 「我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
韋侯、韋侯、 わたしはあなたにしばしばおあいしているからお頼みしたい;
「わたしはいい東絹を一匹もっています。それは錦繍の段通織物にもまけないものでとても大切にしているのです。」

已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。」』

そして「その絹はほこりをはらわせてきらきらひかるようになっている。どうぞ先生の筆にまかせてまっすぐな松の幹をかいていただきたいのです。」

(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』

松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光 凌乱【りょうらん】たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。」と。』

峨眉山003

『戲韋偃為雙松圖歌』 現代語訳と訳註
 (本文)
松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
韋侯韋侯數相見;我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。』


(下し文)
松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光 凌乱【りょうらん】たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。」と。』


(現代語訳)
松の根もとに胡僧が画かれ、ひっそりとしたさびしいところにやすんでいるのだ。その僧はふさふさした濃い眉で白髪あたまの老人のようで、修業か、説法をする場所を得ていないようすだ。
そして、僧は右の肩の方をかたはだぬぎになっており、おまけに両足はだしである。僧の前には葉のなかに松ぼっくりが落ちちっているという絵図だ。』
韋侯、韋侯、 わたしはあなたにしばしばおあいしているからお頼みしたい;「わたしはいい東絹を一匹もっています。それは錦繍の段通織物にもまけないものでとても大切にしているのです。」
そして「その絹はほこりをはらわせてきらきらひかるようになっている。どうぞ先生の筆にまかせてまっすぐな松の幹をかいていただきたいのです。」


(訳注)
戲韋偃為雙松圖歌
 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。2分割の2回目
韋偃屈曲した松をたくみに画いたのをみてまっすぐな幹をかけというのは戯れである。


松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
松の根もとに胡僧が画かれ、ひっそりとしたさびしいところにやすんでいるのだ。その僧はふさふさした濃い眉でしらがあたまの老人のようで、修業か、説法をする場所を得ていないようすだ。
○胡僧 西域より来た外国僧。ペルシャ、ウイグルの仏教の奏であろう。イスラムやヒンドゥーでは違った表現になるはずである。
○寂寞 1 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。「人居を遠く離れた―たる別世界にも」〈柳田・山の人生〉2 心が満たされずにもの寂しいさま。松樹のはえた場所をさす。
○龐眉 濃い眉のこと。 ふさふさしたまゆ。
〇皓首 しらがあたま。「商山の四皓」という表現で皓は白髪の老人を意味するもの。イスラム教の帽子だと白となる。。
○無住著 行跡のきまりのないこと。修業か、説法をする場所を得ていない。


偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
そして、僧は右の肩の方をかたはだぬぎになっており、おまけに両足はだしである。僧の前には葉のなかに松ぼっくりが落ちちっているという絵図だ。』
○偏袒 かたはだをぬぐ。
○露 はだしをいう。
○葉裡 地につもっている葉のなか。


韋侯韋侯數相見;我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
韋侯、韋侯、 わたしはあなたにしばしばおあいしているからお頼みしたい;「わたしはいい東絹を一匹もっています。それは錦繍の段通織物にもまけないものでとても大切にしているのです。」
○東絹 或は関東の絹という、或は鷲渓の絹という、鷲渓は梓州塩草県にあり、成都の東にあたる。
○錦繍段 張衝の「四愁詩」のなかの語、段は一くぎりをいう。


已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。』
そして「その絹はほこりをはらわせてきらきらひかるようになっている。どうぞ先生の筆にまかせてまっすぐな松の幹をかいていただきたいのです。」
○払拭 ほこりをはらいぬぐう。
○凌乱 みだれるさま。
○放 ほしいままにする。
○直幹 まっすぐなみき。


(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』

松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光 凌乱【りょうらん】たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。」と。』
 

戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-1)  <382> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1851 杜甫詩1000-382-562/1500

戲韋偃為雙松圖歌  七言歌行 杜甫

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女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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詩 題:戲韋偃為雙松圖歌  七言歌行
杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(19首-1)
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の382首目-#2 -19-1
杜甫ブログ1500-562回目


 
戲韋偃為雙松圖歌 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。

天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』

苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』

松根胡僧憩寂寞,龐眉皓首無住著。
偏袒右肩露雙腳,葉裡松子僧前落。』
韋侯韋侯數相見;我有一匹好東絹,重之不減錦繡段。
已令拂拭光淩亂,請公放筆為直幹。』

(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』

松根の胡僧は寂寞【せきばく】たるに憩い、龐眉【ほうび】皓首【こうしゅ】住著無し。
右肩を偏袒【へんだん】して双脚を露【あら】わし、葉裡【ようり】の松子【しょうこ】は僧前に落つ。』
韋侯 韋侯 数【しばし】ば相い見、我に一匹の好い東絹有り、之を重んずる錦繍段 減ぜず。
己に払拭せしめて光凌【こうりょう】乱たり、請う 公筆を放って直幹を為れよ。』

matsu00

『戲韋偃為雙松圖歌』 現代語訳と訳註
(本文)
天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』


(下し文)
(戯れに韋偃が双松の図の歌を為る)
天下幾人か古松を画く、畢宏【ひつこう】は己に老い韋偃は少【わか】し。
筆を絶てば長風 繊末【せんまつ】より起こる、満堂色を動かして神妙と嗟【さ】す。』
両株【りょうしゅ】惨裂【さんれつ】す苔蘚【たいせん】の皮、屈鉄【くつてつ】交錯して高枝 廻【めぐ】る。
白なることは朽骨【きゅうこつ】摧【くだ】けて竜虎死し、黒なることは太陰に入りて雷雨垂る。』


(現代語訳)
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』


(訳注)
戲韋偃為雙松圖歌
 
韋偃が二本の松の樹を画いたのをみて戯れにその歌をつくる。韋偃屈曲した松をたくみに画いたのをみてまっすぐな幹をかけというのは戯れである。
○韋偃 京兆の人にして蜀に寓居した。
杜甫『題壁上韋偃畫馬歌』
韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
と続く七言歌行がある。
○双松 並んだ二本の松樹。


天下幾人畫古松,畢宏已老韋偃少。
いま、天下に古松をよく書くものは幾人あるだろうか、二人いるが、畢宏はもう年をとってしまったが、韋偃はまだわかくこれからだ。
○畢宏 唐・河南偃師の人。742―756年天寶年間の中官の御史であった。のちに大暦二年に給事中となり、京兆少ヂ・左庶子等の官となった、古松においでは古風を変じたと称せられる。王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。木と石の画に長けており、松石図を門下省の壁に描き、杜甫など多くの詩人に詩で称えられた。


絕筆長風起纖末,滿堂動色嗟神妙!』
韋偃がかきおわると松の葉ずえを抜けて大らかな風がおこり、遠くから吹いてくるようだ、これをこの座敷にいる一同は皆顔色をかえて神妙さにため息をつくのである。』
○絶筆 筆をやめること、かき終る。
○長風 遠く吹くかぜ。
○絨末 松の菓ずえをいう。
○満堂 満堂の人。
○動色 色は顔色、動色は驚いて色をかえること。


兩株慘裂苔蘚皮,屈鐵交錯廻高枝。
その松は二株あり、苔むした皮がむごたらしく裂け、高い枝が下へ曲って鉄が互いに交わって渦巻いている。
○屈鉄 まがったくろがね、枝の形容。
○交錯 まじわる。
○過 回曲すること。


白摧朽骨龍虎死,黑人太陰雷雨垂。』
苔皮の白くさけた幹は竜虎が死んで朽ちた骨がくだかれているかのようであり、鉄のような枝のさがってまじわり黒くなっているところは極寒の積雲の暗い中で雷と大雨が垂れさがっているかのようである。』
○白 松樹の皮の色。
○黒 回曲した枝の色。
○太陰 積陰に同じ、極北の地を太陰という。極寒の積雲の暗い中。大雨が北の方から迫ってくることを云う。

戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-2)  <381> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1847 杜甫詩1000-382-561/1500

戲題王宰畫山水圖歌 杜甫


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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-2)  <381> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1847 杜甫詩1000-382-561/1500 "

詩 題:戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-2) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000掲載予定のの382首目-#成都2 -18首目-の2回目
杜甫ブログ予定回数1500回の-561回目  


戲題王宰畫山水圖歌
十日畫一水,五日畫一石。
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』
 何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。

巴陵洞庭日本東,
  赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。

巴陵の洞庭湖の水から方丈山の画かれた日本東海の水、それに揚州の赤岸あたりの水、それが天上銀河の水にまで通じてかかれていて、中央部にはそらとぶ竜について雲気のわきたっているところがあるという画だ。
州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
それに、船頭や漁子らはみな入江奥の船溜まりに逃げ込んでいる、山の樹木は下方にかかれ、その上方にはすばらしく風立ったおおなみがかかれているのだ。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
もっともたくみな遠景がえがかれることは古人の絵に比べられるものはないだろう、咫尺の大きさの山水の図はこうあるべきで、このせまい画の中で近接から万里の遠景までかくちからがあるかどうかを論ずべきでものある。
焉得幷州快剪刀,剪取吳淞半江水。』
この画を見て、わたしはどうかして幷州のよくきれる小太刀を得たいものだ。その刀で呉の松江の水に似たところの半分ほどをきり取ってしまいたいとおもっているところだ。』


(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』


巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。


州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ幷州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』


蜀の山50055蜀峨眉山


『戲題王宰畫山水圖歌』 現代語訳と訳註
 (本文)

巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。

州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
焉得並州快剪刀,剪取吳淞半江水。』


(下し文)
巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。

州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ幷州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』


(現代語訳)
巴陵の洞庭湖の水から方丈山の画かれた日本東海の水、それに揚州の赤岸あたりの水、それが天上銀河の水にまで通じてかかれていて、中央部にはそらとぶ竜について雲気のわきたっているところがあるという画だ。
それに、船頭や漁子らはみな入江奥の船溜まりに逃げ込んでいる、山の樹木は下方にかかれ、その上方にはすばらしく風立ったおおなみがかかれているのだ。』
もっともたくみな遠景がえがかれることは古人の絵に比べられるものはないだろう、咫尺の大きさの山水の図はこうあるべきで、このせまい画の中で近接から万里の遠景までかくちからがあるかどうかを論ずべきでものある。
この画を見て、わたしはどうかして幷州のよくきれる小太刀を得たいものだ。その刀で呉の松江の水に似たところの半分ほどをきり取ってしまいたいとおもっているところだ。』


(訳注)
巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。
巴陵の洞庭湖の水から方丈山の画かれた日本東海の水、それに揚州の赤岸あたりの水、それが天上銀河の水にまで通じてかかれていて、中央部にはそらとぶ竜について雲気のわきたっているところがあるという画だ。
○巴陵 西晋時代の今の湖南省岳州府の名称。秦による中国が統一されると岳陽市の大部分は長沙郡羅県とされ、漢代は長沙国の雋県に属していた。210年(建安十五年)、孫権は現在の平江県東南に漢昌郡を設置し、今日の岳陽の行政範囲の祖形となった。
西晋が成立すると280年(太康元年)には巴陵県が、291年(元康元年)には巴陵郡へと改編されている。隋代になると新たに州制が施行され巴州が設置され、591年(開皇11年)には岳州と改称されている
岳州は中華民国まで踏襲され、1913年に岳州巴陵県を岳陽県と改称している。1983年に地級市に昇格し現在に至っている。
○洞庭 巴陵の西にある。湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。
○赤岸 揚子江南部の山岳の名、揚州江都県にある。揚子江(江水)を中心に、北は淮水から南は南嶺山脈までの地域のことである。現在の江蘇省全体よりも広く、江南(揚子江の南部)の広大な地域をも含んでおり、魏晋南北朝においては、全国一の重要な地位を占める地域であった。
楊州は北に徐州、豫州と接し、西は荊州、南は交州に接していた。楊州は三国時代、呉の孫策・孫権によって支配された土地である。楊州は南部が山岳地帯であるために、人も物資も北部に集中した。このため、三国時代の呉では戦争が相次いで人口不足に陥り、兵力が減少して国が滅亡する一因を成した。しかし楊州は中国南部の要衝地帯であり、晋滅亡後に建国された東晋は、楊州を本拠地としている
○銀河 あまのがわ。
○中有 中とは画面の中央と思われる処をいう、この一句は巴陵・赤岸の二句をまとめた句で単句である。


州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
それに、船頭や漁子らはみな入江奥の船溜まりに逃げ込んでいる、山の樹木は下方にかかれ、その上方にはすばらしく風立ったおおなみがかかれているのだ。』
○州人 川に中にいる船頭が逃げ込むような姿。浦に逃げ込んだ船頭と同じ雰囲気に描いていること。
○漁子 りょうし。この画には船頭と漁師が見分けられるほど明確に描かれていたのだろう。
○入浦漵 浦と漵は入江、浦、湊のこと、風が怒り波濤がうずまくので舟人漁子らが皆浦に入ることをいう。
○山木 山に生えている樹木。
○亜 画面についていい、山木が下方にあり、波濤が上部にあることをいう。
○洪濤風 風がおおなみを吹くさまをいう。絵の雰囲気は違うのだろうが、「富嶽三十六景」のの情景のようであろう。


尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
もっともたくみな遠景がえがかれることは古人の絵に比べられるものはないだろう、咫尺の大きさの山水の図はこうあるべきで、このせまい画の中で近接から万里の遠景までかくちからがあるかどうかを論ずべきでものある。
○遠勢 遠方をながめた景色。
○咫尺 画幅の面積。
○万里 遠景をいう。


焉得幷州快剪刀,剪取吳淞半江水。』
この画を見て、わたしはどうかして幷州のよくきれる小太刀を得たいものだ。その刀で呉の松江の水に似たところの半分ほどをきり取ってしまいたいとおもっているところだ。』
○幷州 今の山西省の地、切れもののでるところ。
○快剪刀 きもちよくきれるたちものがたな。
○剪取 この二字はこの画幅についていうものと思われる、画面に松江に似たところがあるのでその部分をきってとりたいというのである、題に「戯れに」とあるのはそのゆえである。
○呉松 呉の松江、松江は禹貢の三江の一つ、松江府の南四十五里にある、作者が青年のころ李白高適と呉越に遊びその地方の風景を思って忘れなかったのでこの言葉を発したものである。


富岳百景01


十日畫一水,五日畫一石。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』
巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。
州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
焉得並州快剪刀,剪取吳淞半江水。』


(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』
巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。

州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ並州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』

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戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-1)  <381> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1843 杜甫詩1000-381-560/1500



詩 題:戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-1)
詩形式:七言歌行
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の381首目-#2 -18-1
杜甫ブログ1500-560回目
王宰のかいた山水の図をみて戯れにこれに題した詩。

 


戲題王宰畫山水圖歌
十日畫一水,五日畫一石。
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
 そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』

何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。

巴陵洞庭日本東,赤岸水與銀河通,中有雲氣隨飛龍。

州人漁子入浦漵,山木盡亞洪濤風。』
尤工遠勢古莫比,咫尺應須論萬裡。
焉得並州快剪刀,剪取吳淞半江水。』

(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』

巴陵【はりょう】洞庭【どうてい】日本の東、赤岸の水は銀河と通じ、中ごろ雲気の飛竜に随う有り。

州人漁子浦漵【ほじょ】に入り、山木尽【ことごと】く亜ぐ洪【こうとう】の風に。』
尤【もっと】も遠勢に工みなり 古も比する莫【な】し、咫尺【しせき】応に須【すべからく】らく万里を論ずべし。
焉んぞ並州【へいしゅう】の快剪【かいせん】刀を得て、剪取【せんしゅ】せん呉松【ごしょう】半江の水を。』

蜀の山50055

『戲題王宰畫山水圖歌』 現代語訳と訳註
(本文)
戲題王宰畫山水圖歌
十日畫一水,五日畫一石。
能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』


(下し文)
(王宰が画ける山水の図に戯れに題する歌)
十日に一水を画き、五日に一石を画く
能事【のうじ】相い促迫【そくはく】するを受けず、王宰始めて肯【あえ】で真跡【しんせき】を留む。
壮んなる哉 昆侖【こんろん】方壷【ほうこ】の図、君が高堂の素壁に挂【か】く。』


(現代語訳)
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。
 そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。

峨眉山003

(訳注)
戲題王宰畫山水圖歌
○王宰
 蜀の人で蜀の山を画くことを能くしたという。


十日畫一水,五日畫一石。
十日かけて河水をえがき、また五日かけて巌石崖をえがくということだ。


能事不受相促迫,王宰始肯留真跡。
そのようにゆっくり画くのは、その仕事を他人からせつかれてするものではないとしていて、王宰殿はそうすることで始めて王辛は自分の真の筆として納得したあとを残すというものなのである。
○能事 能力を発揮すること、絵画のことをさす。
○促迫 さいそくする、期限をいそぐこと。
○真跡 真の筆として納得したあとを残す。


壯哉昆侖方壺圖。掛君高堂之素壁。』
何と壮大な絵であろうか、これは崑崙山に神仙の方丈山の図である。これがあなたのお屋敷の主要な座敷の白壁に書かれているのである。
○崑崙 仙山。西王母の宮殿があるという。たびたび出るので詳細は、ブログ検索で。
○方壺 海中の三山を神仙三山、三壺という、方丈を方壷、蓬莱を蓬壷、瀛州を瀛壷という。
○君 王事をさす。
○素壁 しろいかぺ。

題壁上韋偃畫馬歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -17-1)  <380> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1839 杜甫詩1000-380-559/1500

題壁上韋偃畫馬歌 杜甫


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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題壁上韋偃畫馬歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -17-1)  <380> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1839 杜甫詩1000-380-559/1500


詩 題:題壁上韋偃畫馬歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -17-1) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の380首目-#2 -17-1
杜甫ブログ1500-559回目
(壁上の韋偃が画馬に題する歌)
韋偃が旅行しょうとするとき馬を画いてくれた、それを壁上にかけてみて、これに題した詩。


題壁上韋偃畫馬歌
韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
韋偃どのはわたしに別れをつげてどこかへよい所へ行こうとしている、わたしは彼の絵を愛し、彼が絵画では匹敵するものなど無い名人であることでみとめている、ということを彼は知っているのだ。
戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
だから、かれはわたしのために、戯れに使い慣れて禿げ、欠けている筆をひねって驊騮のさまをかきなぐってくれると、たちまち、東壁の上に騏驎の名馬があらわれ、飛び出るかのようなものを見るのである。
一匹吃草一匹嘶,坐看千裡當霜蹄。
その絵の一匹は草を食べており、一匹は嘶いているのだ。そして、引き続いてみていくと、いまちょうど霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴って千里の地に向かう姿がそのまま見られるのである。 
時危安得真致此,與人同生亦同死?
いま唐王朝が滅亡させられる危険性を持っているとわたしは危惧しているので、この名馬を招きよせ、与えてあげたら、乗り手といっしょに戦場を走らせ、生死をともにすることができないものだろうか、安寧を得るためにどうにかしてそうしてみたいものである。
(壁上の韋偃が画馬に題する歌)
韋侯我に別れて適く所有り、我が渠が画の敵無きを憐れむを知る。
戯れに禿筆【とくひつ】を拈【ひね】りて驊騮【かりゅう】を掃う、欻【たちま】ち見る騏驎【きりん】の東壁【とうへき】に出づるを。
一匹は草を吃【か】み一匹は噺く、坐に看る千里霜蹄【そうてい】に当たるを。
時危くして安んぞ兵に此れを致して、人と生を同じくし亦死を同じくするを得ん。

終南山03

『題壁上韋偃畫馬歌』 現代語訳と訳註
(本文)
題壁上韋偃畫馬歌
韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
一匹吃草一匹嘶,坐看千裡當霜蹄。
時危安得真致此,與人同生亦同死?


(下し文) (壁上の韋偃が画馬に題する歌)
韋侯我に別れて適く所有り、我が渠が画の敵無きを憐れむを知る。
戯れに禿筆【とくひつ】を拈【ひね】りて驊騮【かりゅう】を掃う、欻【たちま】ち見る騏驎【きりん】の東壁【とうへき】に出づるを。
一匹は草を吃【か】み一匹は噺く、坐に看る千里霜蹄【そうてい】に当たるを。
時危くして安んぞ兵に此れを致して、人と生を同じくし亦死を同じくするを得ん。


(現代語訳)
韋偃どのはわたしに別れをつげてどこかへよい所へ行こうとしている、わたしは彼の絵を愛し、彼が絵画では匹敵するものなど無い名人であることでみとめている、ということを彼は知っているのだ。
だから、かれはわたしのために、戯れに使い慣れて禿げ、欠けている筆をひねって驊騮のさまをかきなぐってくれると、たちまち、東壁の上に騏驎の名馬があらわれ、飛び出るかのようなものを見るのである。
その絵の一匹は草を食べており、一匹は嘶いているのだ。そして、引き続いてみていくと、いまちょうど霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴って千里の地に向かう姿がそのまま見られるのである。 
いま唐王朝が滅亡させられる危険性を持っているとわたしは危惧しているので、この名馬を招きよせ、与えてあげたら、乗り手といっしょに戦場を走らせ、生死をともにすることができないものだろうか、安寧を得るためにどうにかしてそうしてみたいものである。


(訳注)
題壁上韋偃畫馬歌

○韋偃 馬を画くことを以て有名であった。京兆の人。蜀に移り住んで絵を描いた。韋偃の寓居を訪問した時の詩である。


韋侯別我有所適,知我憐渠畫無敵。
韋偃どのはわたしに別れをつげてどこかへよい所へ行こうとしている、わたしは彼の絵を愛し、彼が絵画では匹敵するものなど無い名人であることでみとめている、ということを彼は知っているのだ。
○韋侯 侯は敬称、韋偃をさす。
○有所適 絵の題材のあるどこかへ旅行しょうとすること。
○渠 韋偃をさす。


戲拈禿筆掃驊騮,欻見騏驎出東壁。
だから、かれはわたしのために、戯れに使い慣れて禿げ、欠けている筆をひねって驊騮のさまをかきなぐってくれると、たちまち、東壁の上に騏驎の名馬があらわれ、飛び出るかのようなものを見るのである。
○拈 取り弄ぶことをいう。
○禿筆 使い慣れて禿げ、欠けている筆
○掃 かきなぐること。
○驊騮 駿馬。
○欻 忽ち。
○騏驎 千里の馬。


一匹吃草一匹嘶,坐看千裡當霜蹄。
その絵の一匹は草を食べており、一匹は嘶いているのだ。そして、引き続いてみていくと、いまちょうど霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴って千里の地に向かう姿がそのまま見られるのである。 
千里 千里の遠地。
當霜蹄 霜の降りた大地を踏み、蹄で蹴ることをいう。霜蹄とは秋のひづめで、秋には馬はことに元気がよいという説明もできるが、絵の説明にはならない。当は大地と空、千里の彼方に対して言うもので、絵の表現を詩的表現をうまくしているものである。ここの部分の解釈をうまくしている訳注はない。秋の蹄の目が行き過ぎているからで、杜甫は動的にこれらをとらえているのである。『杜詩』岩波文庫・鈴木虎雄黒川洋一訳注ではこの句を「時間のうえでぶっつかる意であろう、ちょうどいま霜蹄で踏みつつあることをいう。或は適当する、霜蹄にふさわしいという意にもみられよう。」杜甫と絵の感覚の理解力がないということである。
「秋の蹄が元気が良い」ではなく千里を掛ける馬の脚元の霜の降りた大地にあたる、その大地を蹴って千里馬が大空に飛びあがるということなのである。


時危安得真致此,與人同生亦同死?』
いま唐王朝が滅亡させられる危険性を持っているとわたしは危惧しているので、この名馬を招きよせ、与えてあげたら、乗り手といっしょに戦場を走らせ、生死をともにすることができないものだろうか、安寧を得るためにどうにかしてそうしてみたいものである。
〇時危 時世が安穏でない。安史軍に唐王朝が滅亡させられる危険性を持っていると危惧している。
○安得 希望の辞。
○真致此 真はこれが真実ならば。此は下句を指すもので、この馬と生死を共に戦場を走らせるということ。致はそのようにできたら安史軍を掃討できる。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

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杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500


詩 題:杜鵑行  七言歌行 成都2部 浣花渓の草堂(2-16-2) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の379首目『杜鵑行』の2回目
杜甫ブログ1500-558回目


紀元前10世紀頃の蜀が荒れ果てていた時、杜宇という男が現れ、農耕を指導、蜀を再興した。彼は帝王となり、望帝と称した。
望帝杜宇は長江の氾濫に悩まされたが、それを治める男が出現、彼は宰相(帝王、補佐)に抜てきされた。
 やがて望帝から帝位を譲られ、叢帝となり、望帝は山中に隠棲した。実は、望帝が叢帝の妻と親密になったのがばれたので望帝は隠棲したともいわれる。
 望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身した。そして、杜宇が得意とした農耕を始める季節゜(春~初夏)が来ると、そのことを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったという。
 月日は流れて、蜀は秦(中国初の古代統一国家。始皇帝が建国)に攻め滅ぼされた。


杜鵑行
君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。

其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。
その声は悲しくて痛ましいものでそれはほととぎすが啼いて血を吐くほどのものであったという。そのうったえる所のものをどうやって常にさまざまなことがあるのだろうか。
爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
諸君、どうして崩壊寸前のこの事態を始めからの怒りをぶっつけたいきもちなるのであろうか。今やこのような王朝の官僚でいることは恥ずかしい限りであろうし、その持っている優雅なもの羽翼はその形も崩れ傷ついてしまってるのだ。
蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
何処までも澄みきったこの大空はこんな暗雲の立ち込めたものに変化している誰がその度量を謀れるというのだろうか、過去の歴史はすべてくりかえしておこなわれて裏切りや国家転覆がなされてきた安住の場所はどこにもないのか。
萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?

なにごとにおいて造反の繰り返しでどうしようもないということであっても、どうして今の朝廷には烏合の衆のような家臣団しかいないのだろうか。


杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。

其の聲 哀痛して口に流血し,訴える所は何事ぞ常に區區とす。
爾 豈に摧殘し始めて憤を發し,羞帶して羽翮 形愚を傷む。
蒼天 變化して 誰か 料得せん,萬事 反覆して 何に所する無し。
萬事 反覆して何に所する無くすれど,豈に當殿の群臣の趨するを憶わん?

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『杜鵑行』2回目 現代語訳と訳註
(本文)

其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。
爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?


(下し文)
其の聲 哀痛して口に流血し,訴える所は何事ぞ常に區區とす。
爾 豈に摧殘し始めて憤を發し,羞帶して羽翮 形愚を傷む。
蒼天 變化して 誰か 料得せん,萬事 反覆して 何に所する無し。
萬事 反覆して何に所する無くすれど,豈に當殿の群臣の趨するを憶わん?


(現代語訳)
その声は悲しくて痛ましいものでそれはほととぎすが啼いて血を吐くほどのものであったという。そのうったえる所のものをどうやって常にさまざまなことがあるのだろうか。
諸君、どうして崩壊寸前のこの事態を始めからの怒りをぶっつけたいきもちなるのであろうか。今やこのような王朝の官僚でいることは恥ずかしい限りであろうし、その持っている優雅なもの羽翼はその形も崩れ傷ついてしまってるのだ。
何処までも澄みきったこの大空はこんな暗雲の立ち込めたものに変化している誰がその度量を謀れるというのだろうか、過去の歴史はすべてくりかえしておこなわれて裏切りや国家転覆がなされてきた安住の場所はどこにもないのか。
なにごとにおいて造反の繰り返しでどうしようもないということであっても、どうして今の朝廷には烏合の衆のような家臣団しかいないのだろうか。


(訳注)
其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。

その声は悲しくて痛ましいものでそれはほととぎすが啼いて血を吐くほどのものであったという。そのうったえる所のものをどうやって常にさまざまなことがあるのだろうか。
・区々 物事や意見などが、それぞれ異なっていること。また、そのさま。さまざま。


爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
諸君、どうして崩壊寸前のこの事態を始めからの怒りをぶっつけたいきもちなるのであろうか。今やこのような王朝の官僚でいることは恥ずかしい限りであろうし、その持っている優雅なもの羽翼はその形も崩れ傷ついてしまってるのだ。
・摧殘 きれいな花が色あせて凋み落ちる前の状態。ここでは粛宗が玄宗を興慶宮に追いやっていて、王朝も洛陽以東を終息させられないふがいなさを云う。
・羞帶 官僚であったこと。恥ずかしくも帯をしていたころ。帯をすることが恥ずかしいことだ。杜甫の造語。


蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
何処までも澄みきったこの大空はこんな暗雲の立ち込めたものに変化している誰がその度量を謀れるというのだろうか、過去の歴史はすべてくりかえしておこなわれて裏切りや国家転覆がなされてきた安住の場所はどこにもないのか。
・反覆 (1)(天下や国家などが)ひっくり返ること。また、ひっくり返すこと。  (2)心が離れること。裏切ること。


萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?
なにごとにおいて造反の繰り返しでどうしようもないということであっても、どうして今の朝廷には烏合の衆のような家臣団しかいないのだろうか。
當殿 今の朝廷のこと。
・群臣趨 ご都合主義で趨勢に流されていく官僚たちのこと。




756年(至徳元載)には哥舒翰は安禄山側に大敗し捕らえられ、潼関も陥落した。玄宗は首都・長安を抜け出し、蜀地方へ出奔することに決め、楊貴妃、楊国忠、高力士、李亨らが同行することになった。

しかし、馬嵬(陝西省興平市)に至ると、乱の原因となった楊国忠を強く憎んでいた陳玄礼と兵士達は、楊国忠と韓国夫人たちを殺害した。さらに陳玄礼らは玄宗に対して、「賊の本」として楊貴妃を殺害することを要求した。玄宗は「楊貴妃は深宮にいて、楊国忠の謀反とは関係がない」と言ってかばったが、高力士の進言によりやむなく、楊貴妃に自殺を命ずることを決意した。

『楊太真外伝』によると、楊貴妃は「国の恩に確かにそむいたので、死んでも恨まない。最後に仏を拝ませて欲しい」と言い残し、高力士によって縊死(首吊り)させられた。この時、南方から献上のライチが届いたので、玄宗はこれを見て改めて嘆いたと伝えられる。陳玄礼らによって、その死は確認され、死体は郊外に埋められた。

玄宗は後に彼女の霊を祀り、長安に帰った後、改葬を命じたが、礼部侍郎・李揆からの反対意見により中止となった。しかし、玄宗は密かに宦官に命じて改葬させた。この時、残っていた錦の香袋を宦官は献上したという。また、玄宗は画工に彼女の絵を描かせ、それを朝夕眺めていたという。

これは悲しくて血を吐いてうったえることであろう。成都に来て、なおも叛乱軍を掃討できない王朝軍を見るにつけ、杜甫の胸は痛んだのであろう。そして、周辺国は唐の現状を見てチャンスをうかがっているのである。
杜甫には叛乱軍からの逃亡のおり、死ぬ思いを何度も経験しているトラウマが過るのである。したがって、戦争状態が続いているのは、な悲しい、苦しい、恐ろしいことなのである。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

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謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500


詩 題:杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の379首目-成都2部 -16首目の-2分割中の1回目
杜甫ブログ1500-557回目


 詩人にとっては園林を作るだけではなく、それを詩で描写する行為も重要である。園林の自然景観、園林での具体的な農業や生業の生活、園林での感情や心の動きの精神生活、それらをいろいろな角度から、時々に応じて繰り返し描写する。園林は元来は世俗や政治世界から隔離されて個人の自由世界を守るために営まれた物理的空間であるが、その園林で実際に生活することだけではなく、園林の詩を作るという文学的営為こそが、実は最も詩人を救うのであろう。詩人たちはそのことをよく知っていたので、後にはそれが中国の詩人たちの伝統ともなっていったのではなかろうか。

蚕叢(さんそう)、柏灌(はくかん)、魚鳧(ぎょふ)に次いで蜀(四川省)を治めたとされる中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。
 望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。天から朱提山(しゅていざん)に降り、江源(こうげん)の井戸の中から現れた利という女を妻とした後、蜀王となって望帝と称した。
 その望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。


杜鵑行
君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。

役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。
其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。
爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。
蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。
萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?


杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。

其の聲 哀痛して口に流血し,訴える所は何事ぞ常に區區とす。
爾 豈に摧殘し始めて憤を發し,羞帶して羽翮 形愚を傷む。
蒼天 變化して 誰か 料得せん,萬事 反覆して 何に所する無し。
萬事 反覆して何に所する無くすれど,豈に當殿の群臣の趨するを憶わん?


『杜鵑行』 現代語訳と訳註
(本文) 杜鵑行

君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。


(下し文)
杜鵑行
君見ずや 昔日 蜀の天子,杜鵑 化と作す似って老烏なり。
巢に生子寄す 自ら啄かず,群鳥 今に至るも哺雛に與える。
君臣を同うすると雖も舊禮有り,骨肉 滿眼 身は孤り羈る。
業工 竄伏 樹の裡に深し,四月 五月 偏りて號呼す。


(現代語訳)
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。


(訳注)
杜鵑行

○杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑


君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。
諸君これを見たことはないだろう、古代の蜀の天子望帝(杜宇)のことを。杜鵑に化身したそれも年を取った取りにである。


寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。
巣にいる生れたての雛たちは自分でえさをついばむことはできない、群れでいるいろんな鳥がいるが今に至るまで鄙には噛み砕いてやって与えてやるというものなのだ。


雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。
これが玄宗の場合だと主君の臣下が同じものであっても同じではなく古いしきたりの宦官の意見というものが優先されたのだ。だから、親子で骨肉の争いを行い玄宗を上皇にして粛宗を即位させた、その目をいっぱいに広げるほどの決断をして大明宮を後にして途中、宦官高力士の意見に従い楊貴妃を自害させ、孤高の逃避行だったのだ。


業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。
役人を生業とするものがここに逃れ隠れたのである、まるで深い森の真っ只中に逃れるようにしてである。歳ひとつはさんで4月長安を奪還し、5月洛陽を奪還したが、玄宗は片隅に置かれ遠くから叫ぶだけであった。
業工 朝廷の官僚のこと。工:役人。
・竄伏【ざんぷく】.のがれかくれること。
・深樹裡 深い森の真っ只中。
・四月五月 蜀の望帝が隠棲の後に復帰しようと泣き叫ぶのと同じように長安洛陽を奪還して、長安に帰還したが、興慶宮に軟禁状態にされたのである。
ツツジ属の植物はおおむね常緑若しくは落葉性の低木から高木で、葉は常緑または落葉性で互生、果実は蒴花である。4月から5月の晩春から初夏にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。また花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができる。


安禄山の攻撃に、玄宗たちは蜀(四川省)へと避難を余儀なくされる。避難の途中で兵士たちにより楊国忠が殺害され、また楊貴妃も玄宗により殺されることとなった。国内が混乱する中の756年、玄宗は皇太子の李亨に位を譲り太上皇となった。安史の乱終結後、長安に戻った玄宗は半軟禁状態となり、762年に崩御した。

石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2)  <378> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1827 杜甫詩1000-378-556/1500

石筍行 杜甫


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2)  <378> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1827 杜甫詩1000-378-556/1500

詩 題:石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の378首目—2回目
杜甫ブログ1500-556回目




石筍行
君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。

惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。
おしいことには過去の歴史には何にもできないありふれたもので浪費だけするものあったり、謀反を起したりするものであった。又、小物の臣下たちには天子にただ媚いることだけのものであった。
政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
政治、施策は変化し、異民族のものも入交ってしまい盤石であった王朝の体制が崩れようとしているのである。こうしてこのところの情勢を見ていくと、国が傾いて危ないというのに平気で媚びて天子から厚遇にされる者がいるのである。
嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
ああ、汝らよ、この石筍の壇にある事実と異なったうそでも刻まれて残したいというのか、そうであればこの後その嘘を信じて急いで馳せ参じるものがなおあるであろうし、そのことを認識することはないだろう。
安得壯士擲天外,使人不疑見本根。

虚名がまかり通るというなら、どうして血気盛んな男子はこれを天の果てに投げ捨ててしまことができるのであろうか。人を遣わして物事の本質・根本を見ることを疑わないようにしてもらいたいものである。


石筍行 #1
君見ずや 益州 城西の門,陌上 石筍 雙つながら高く蹲。
古來 相い是を傳う海眼,苔蘚 蝕盡くす波濤の痕。
雨多くして往往 瑟瑟を得ん,此事 恍惚 明論するを難し。
是を恐れるは昔時 卿相の墓,立石 表に今仍を存するを為す。
#2
惜しい哉 俗態にして好く蒙蔽【もうへい】し,亦た小臣 媚びて至尊するが如し。
政化するは錯迕【さくご】 大體を失い,坐して看る傾危し厚恩を受る。
嗟あ爾じ石筍 擅虛の名,後來 未だ猶お駿奔するを識らず。
安にして壯士 天外に擲するを得んや,人を使わして本根を見るを疑わず。

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『石筍行』 現代語訳と訳註
(本文)

惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。
政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
安得壯士擲天外,使人不疑見本根。


 (下し文)
惜しい哉 俗態にして好く蒙蔽【もうへい】し,亦た小臣 媚びて至尊するが如し。
政化するは錯迕【さくご】 大體を失い,坐して看る傾危し厚恩を受る。
嗟あ爾じ石筍 擅虛の名,後來 未だ猶お駿奔するを識らず。
安にして壯士 天外に擲するを得んや,人を使わして本根を見るを疑わず。


(現代語訳)
おしいことには過去の歴史には何にもできないありふれたもので浪費だけするものあったり、謀反を起したりするものであった。又、小物の臣下たちには天子にただ媚いることだけのものであった。
政治、施策は変化し、異民族のものも入交ってしまい盤石であった王朝の体制が崩れようとしているのである。こうしてこのところの情勢を見ていくと、国が傾いて危ないというのに平気で媚びて天子から厚遇にされる者がいるのである。
ああ、汝らよ、この石筍の壇にある事実と異なったうそでも刻まれて残したいというのか、そうであればこの後その嘘を信じて急いで馳せ参じるものがなおあるであろうし、そのことを認識することはないだろう。
虚名がまかり通るというなら、どうして血気盛んな男子はこれを天の果てに投げ捨ててしまことができるのであろうか。人を遣わして物事の本質・根本を見ることを疑わないようにしてもらいたいものである。


(訳注)
惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。

おしいことには過去の歴史には何にもできないありふれたもので浪費だけするものあったり、謀反を起したりするものであった。又、小物の臣下たちには天子にただ媚いることだけのものであった。
・俗体 1 僧でない一般の人の姿。⇔僧体。 2 詩歌などのありふれた様式。 3 漢字の俗字。
・蒙蔽 (真相を隠して人を)欺く 蒙蔽人 人を欺く. 蒙混 [動] ごまかす,欺く.
・至尊 1 この上なくとうといこと。また、そのもの。 2 天子。皇帝。


政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
政治、施策は変化し、異民族のものも入交ってしまい盤石であった王朝の体制が崩れようとしているのである。こうしてこのところの情勢を見ていくと、国が傾いて危ないというのに平気で媚びて天子から厚遇にされる者がいるのである。
・錯迕 いりまじる。「迕」とは、違う方向から来たものが交錯すること、転じて歯向かうこと。安禄山やウィグルに援軍を要請し合うこと。安禄山の乱勃発に際して、王朝はウィグルに応援要請し、妹を第二夫人に嫁がせることで旧知を回避できたが1年半後史忠明がウィグルと手を結びかけた、そのまま連合軍として王朝を攻めたてられていたら危なかった。
・傾危 傾いてあぶないこと。
・厚恩 人から受ける非常に深い恩。 a great obligation


嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
ああ、汝らよ、この石筍の壇にある事実と異なったうそでも刻まれて残したいというのか、そうであればこの後その嘘を信じて急いで馳せ参じるものがなおあるであろうし、そのことを認識することはないだろう。
・虛名 (1)実質を伴わない表面だけの名声。 (2)事実と異なった悪いうわさ。うそ。
・後來 こののち。将来。今後。
・駿奔 信じて急いで馳せ参じる。


安得壯士擲天外,使人不疑見本根。
虚名がまかり通るというなら、どうして血気盛んな男子はこれを天の果てに投げ捨ててしまことができるのであろうか。人を遣わして物事の本質・根本を見ることを疑わないようにしてもらいたいものである。
・壯士 血気盛んな男子。
・擲 投げ出すこと。捨ててかえりみないこと。
・天外 (1)天のそと。天のはるかかなた。 (2)非常に遠い所、高い所。思いがけない所。

石筍行 杜甫 <378> 1 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1823 杜甫詩1000-377-555/1500




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石筍行 杜甫 <378> 1 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1823 杜甫詩1000-377-555/1500

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 石筍行
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の378首目-#2 -15-1
杜甫ブログ1500-555回目


石筍行
君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。

惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。
政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
安得壯士擲天外,使人不疑見本根。


石筍行 #1
君見ずや 益州 城西の門,陌上 石筍 雙つながら高く蹲。
古來 相い是を傳う海眼,苔蘚 蝕盡くす波濤の痕。
雨多くして往往 瑟瑟を得ん,此事 恍惚 明論するを難し。
是を恐れるは昔時 卿相の墓,立石 表に今仍を存するを為す。
#2
惜しい哉 俗態にして好く蒙蔽【もうへい】し,亦た小臣 媚びて至尊するが如し。
政化するは錯迕【さくご】 大體を失い,坐して看る傾危し厚恩を受る。
嗟あ爾じ石筍 擅虛の名,後來 未だ猶お駿奔するを識らず。
安にして壯士 天外に擲するを得んや,人を使わして本根を見るを疑わず。


『石筍行』 現代語訳と訳註
(本文)
君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。


(下し文)
石筍行
君見ずや 益州 城西の門,陌上 石筍 雙つながら高く蹲。
古來 相い是を傳う海眼,苔蘚 蝕盡くす波濤の痕。
雨多くして往往 瑟瑟を得ん,此事 恍惚 明論するを難し。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。


(現代語訳)
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。


(訳注)
石筍行
成都の西門の近くに大通り石筍があり、石筍街という。草堂建設前に石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を分けてもらっている。杜甫 <358>『詣徐卿覓果栽 』にある所だ。少し落ち着いてきたので草堂から5・6kmの所にある石筍街を訪れたのだ。


君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
諸君これを見たことはないだろう、ここには益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。
・蹲 「しゃがむ」「うずくまる」「かがむ」などを意味する動詞「つくばう」から始まった言葉で水鉢を中心に、手水を使うために乗る前石、夜の宴会時に手燭を置くための手燭石、寒中に暖かい湯の入った桶を出すための湯桶


古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
古來から互いに伝えられてきたもので、これこそが水が湧き出る「海眼」ということだ。その周りには苔が密集して生えており、泉の湧く波による痕跡が見える。
・海眼 海水が陸中を通って噴き出す泉。潮の干満と共に出現する泉。海眼石という玉の名。

杜甫『太平寺泉眼』 「招提憑高岡,疏散連草莽。出泉枯柳根,汲引歲月古。石間見海眼,天畔縈水府。廣深丈尺間,宴息敢輕侮。」太平寺泉眼 杜甫 <284-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1310 杜甫詩 700- 401

雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
いま、ときどきあめがつよくふっているし風が寂しく吹き、ここにおける物事に心を奪われてうっとりしてしまい、はっきりしたよくわかる論理説明がしがたい。(水が湧き出るのが不思議な事だったのだろう)。
・往往 ときどき。ところどころ。あちこち。
・瑟瑟 1 風が寂しく吹くさま。さみしいようす。2 波の立つさま。3 珠玉の名。【瑟瑟座】仏像の台座の一。角形の材
・恍惚 1 物事に心を奪われてうっとりするさま。2 意識がはっきりしないさま。
・明論 はっきりしたよくわかる論理。


恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。
このことは少し心配な事にはむかしの朝廷の宰相達の墓だということで、建てられた石の表には、今もこれらの事がかかれているのが残っている。
・卿相墓 卿相天子をたすけて政治をとる人々。公卿(くぎよう)。


石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-2)  <377> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1819 杜甫詩1000-377-554/1500

石犀行 杜甫

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-2)  <377> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1819 杜甫詩1000-377-554/1500

詩 題:石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2部-14首目-2回目)  七言歌行
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の377首目-#2 -14-2
杜甫ブログ1500-554回目
・成都の石犀を見てよんだ歌。・上元二年秋七月の長雨による被害について詠ったもの。



戦国時代末期に巴蜀を領土とした秦の孝文王(紀元前225年)のころ、蜀郡の太守に赴任した李氷(リーピン)は、氾濫する岷江(ピンコウ)を改修するため、四川盆地の治水工事に挑んだ。成都の北西50キロの灌県にある世界遺産「都江堰(トコウエン)」が、その代表的な治水工事である。これは水路を開削して流れを分ける離堆を築く工事である。李氷がこの治水にあたって龍を降し、石犀牛を三(五)作らせ守り神とし、祖先伝来の開山大斧を三度振るって玉塁山を開削したと語り伝えられている。
李氷は、潅漑により干ばつや水害から田畑を守り、実り豊かな天府の国の礎を築いた恩人として、農業の神様に祀られた。現在、三星堆遺跡の発掘により、成都地方の文明が黄河流域の文明と比較して筵優っていたのではないかということも云われているほど肥沃なところであったことがわかるのである。


石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見なさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!

今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
#2
修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
それで天高く清々しい秋になってから木や石でもって護岸を高く築きかえるのに、多人数のカをだして堤防修築を行ったのである。
先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
古代の賢い王が法をこしらえたのはみな聖人の道ばかりだ、鬼怪なまじない法などがどうして人のはかりごとのなかにくわえていいものだろうか。
嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
ああ、汝、三体の石犀牛のようなものはさっぱり不経済なものでしかないのだ、洪水による欠けて遠く流れるようになった部分の水といっしょにどこかへいってしまったらいいのだ。
但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
ただ問題は天地の間の再生の活力が常に発揮、調和するなら、ひとりでに洪水を疲れさせることになっていき、その災難を免れさすことができるということなのだ。
安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。

どうかおおくの壮士を得ることである、そうすれば天の施政の大本を提げてふたたび洪水を治めることができる、石犀牛のようなものはこのまま行方不明になってしまった方がよいとおもうのだ。

(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。
終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。

都江堰002

『石犀行』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。


(下し文)
終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。


(現代語訳)
それで天高く清々しい秋になってから木や石でもって護岸を高く築きかえるのに、多人数のカをだして堤防修築を行ったのである。
古代の賢い王が法をこしらえたのはみな聖人の道ばかりだ、鬼怪なまじない法などがどうして人のはかりごとのなかにくわえていいものだろうか。
ああ、汝、三体の石犀牛のようなものはさっぱり不経済なものでしかないのだ、洪水による欠けて遠く流れるようになった部分の水といっしょにどこかへいってしまったらいいのだ。
ただ問題は天地の間の再生の活力が常に発揮、調和するなら、ひとりでに洪水を疲れさせることになっていき、その災難を免れさすことができるということなのだ。
どうかおおくの壮士を得ることである、そうすれば天の施政の大本を提げてふたたび洪水を治めることができる、石犀牛のようなものはこのまま行方不明になってしまった方がよいとおもうのだ。


(訳注) #2
○石犀行
 石で作った犀のうた。秦の孝文王の時、李冰氷を蜀の太守となしたが、李冰は江南の石犀溪で石犀五頭を作って水の精(かみ)を圧したという。晋の「華陽国志」に犀牛の一つは府中市橋門(石牛門是)にあり、一つは淵の中にあるという。唐のころ何個存在していたかは明らかでない、「立作五犀牛」の五とも三ともいう。
○成都の李太伯の廟内に在るとされている。太伯(たいはく)は、中国周王朝の古公亶父の長男で、呉の祖とされる人物。泰伯とも。虞仲(ぐちゅう)は古公亶父の次男。『史記』「周本紀」では弟が虞仲とあるが、「呉世家」では仲雍とある。季歴の兄、文王の伯父に当たる。姓は姫(き)。紀元前12世紀・紀元前11世紀頃の人物。


修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
それで天高く清々しい秋になってから木や石でもって護岸を高く築きかえるのに、多人数のカをだして堤防修築を行ったのである。
○この二句は倒句して読む。
高擁 擁壁を高くする。
清秋 秋雨前線の停滞による長雨が晴れて「天高く清々しい秋」、仲秋ということ。


先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
古代の賢い王が法をこしらえたのはみな聖人の道ばかりだ、鬼怪なまじない法などがどうして人のはかりごとのなかにくわえていいものだろうか。
先王 1 先代の王。2 昔のすぐれた君主。三皇五帝を指すことが多い。
鬼怪 あやしいこと、まじないの法をいう。


嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
ああ、汝、三体の石犀牛のようなものはさっぱり不経済なものでしかないのだ、洪水による欠けて遠く流れるようになった部分の水といっしょにどこかへいってしまったらいいのだ。
不経済 経レ国済レ民(国をおさめ民をすくう)の能力のないことをいう。
缺訛 訛は形のかわることをいうのであろう。


但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
ただ問題は天地の間の再生の活力が常に発揮、調和するなら、ひとりでに洪水を疲れさせることになっていき、その災難を免れさすことができるということなのだ。
○元気 天地間に流行する大気。天地の再生の活力。
○調和 陰陽よくととのう。
○凋瘵 しぼむ、やむ、洪水を疲らせること。


安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。
どうかおおくの壮士を得ることである、そうすれば天の施政の大本を提げてふたたび洪水を治めることができる、石犀牛のようなものはこのまま行方不明になってしまった方がよいとおもうのだ。
○壮士 壮年の男性。意気盛んな男性。
○天網 天の大あみ、施政の大本をいう。
○平水土 洪水のないようにする。
○犀奔茫 奔茫の語は詳らかでない、茫洋の地に奔り赴かせる意であろうか。
浣花峡556

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石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1)  杜甫 <376> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1815 杜甫詩1000-376-553/1500


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1) 石犀行
作時760年9月杜甫49歳 七言歌行
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杜甫ブログ1500-553回目 2回分割の1回目。
成都の石犀を見てよんだ歌。上元二年秋七月の長雨による被害について詠ったもの。


石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見てごらんなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
#2
修築堤防出眾力,高擁木石當清秋。
先王作法皆正道,鬼怪何得參人謀。
嗟爾三犀不經濟,缺訛只與長川逝。
但見元氣常調和,自免洪濤恣凋瘵。
安得壯士提天綱,再平水土犀奔茫。


(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。


終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。


都江堰002

『石犀行』 現代語訳と訳註
(本文)
石犀行 #1
君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!

(下し文)(石犀行)
君見ずや秦時蜀の太守、石を刻し立てて 三犀牛を作る。
古より厭勝【えいしょう】の法有りと雖も、天生の江水東に向つて流る。
蜀人矜り誇ること一千載、泛溢【はんいつ】すれども張儀が樓に近づかず。
今年灌口に戸口を損す、此の語亦た神の羞爲るに足れり。
終に堤防に藉【よ】りて衆力を出だし、高く木石を擁して清秋に當る。
先王法を作すこと皆正道、詭怪は何ぞ人謀に參【まじわ】ることを得ん。
嗟【ああ】爾【なんじ】三犀經濟せずんば、缺訛【けつか】して只だ長川【ちょうせん】と與【とも】に逝かん。
但だ見る元氣常に調和すれば、自ら洪擣の凋瘵【ちょうさい】を恣【ほしいまま】にするを免る。
安んぞ壯士の天綱【てんこう】を提【ひつき】ぐるを得て、再び水土を平げて犀を奔茫【ほんぼう】せしめん。

(現代語訳)
諸君見てごらんなさいなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』


(訳注)
石犀行
 #1
○石犀行 石で作った犀のうた。秦の孝文王の時、李冰氷を蜀の太守となしたが、李冰は江南の石犀溪で石犀五頭を作って水の精(かみ)を圧したという。晋の「華陽国志」に犀牛の一つは府中市橋門(石牛門是)にあり、一つは淵の中にあるという。唐のころ何個存在していたかは明らかでない、「立作五犀牛」の五とも三ともいう。
揚雄云蜀有李冰渠秦蜀守通 華陽國志秦孝文王以李冰為蜀守 冰乃壅江作堋穿郫江檢江别支流雙過郡下以行舟船岷山多梓柏大竹頽隨水流坐致材木功省 ... 人不知饑饉時無荒年天下謂之天府也外作石犀五頭以厭水精穿石犀溪於江南命曰犀牛里後轉置犀牛二頭一在府市市橋門今所謂石牛門是也一在淵中乃


君不見秦時蜀太守,刻石立作三犀牛。
諸君見てごらんなさい、これは秦の時代に蜀の太守であった李泳が石を刻ませて石犀牛三個を作って立てたものだ。
○秦時蜀太守 「秦孝文王以李冰為蜀守」。都江堰を築工して石犀をつくった。紀元前3世紀、戦国時代の秦国の蜀郡の太守李冰(中国語版)(り ひょう)が、洪水に悩む人々を救うために紀元前256年から紀元前251年にかけて原形となる堰を築造した。


自古雖有厭勝法,天生江水向東流。
いにしえより伝えられている災難除けの「厭勝法」それを以て彼は洪水を鎮めることとしたのだけれど。天が定められて生まれてきたものは、大河の水というものは東流して海に流れるということである。
○厭勝法 まじないの法。「厭」が「壓(圧)」に通じるところから、災難をはらう,悪魔を圧伏するという意味がある。厭勝銭に代表される。
○江水 錦江・長江の水をふくむもの、ここは常識を云うもので、大江ということで、中国四大河川を指すもの。


蜀人矜誇一千載,泛溢不近張儀樓。
蜀の人たちはこの石犀牛(都江堰)によって一千年も誇りにしていたのである。この川により浮び、溢れる洪水というものは張儀築いた楼城に近づくものではないというものであった。
○矜誇 ほこりはこる。
○芝溢 江水のあふれること。長江水系岷江の支流、錦江は洪水調整の都江堰と成都詩に数本の細流に枝分かれさせて流れている。その川が増水し溢れたということ。
○張儀楼 成都の少城―西城は張儀の築いた所ということ。


今年灌口損戶口,此事或恐為神羞!
今年、都江堰の灌口で洪水被害があって人家人口を損なう被害があった、この事態は神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというものであろう。』
灌口 上元二年の七月に長雨があり八月に至って止んだが、灌口に損害があった。灌口とは成都市北方の山岳地帯の入口にあり、岷江が流れ、世界遺産ともなった景勝地で道教の聖地でもある青城山がある。漢代に蜀郡太守を務め蜀の学問を盛んにした文翁が漕江を穿って灌漑をおこない、金灌口と呼ばれるようになった。都江堰の分流の地点辺りを云う。
○戸口 人家人口。
○神羞 石犀の神霊の恥辱。災難除けの神の失態によるもので恥辱になるおそれがあるというもの。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興 杜甫 <376>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1811 杜甫詩1000-376-552/1500

遣興 杜甫 <376>

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興 杜甫 <376>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1811 杜甫詩1000-376-552/1500


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の376首目
杜甫ブログ1500-552回目 
成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興


遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
衰疾那能久,應無見汝期。

老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。

(興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし



現代語訳と訳註
(本文)
遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
衰疾那能久,應無見汝期。


(下し文) (興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし


(現代語訳)
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。


(訳注)
遣興

杜甫「その時に思い遣った」シリーズは20首に及ぶ。長安にいて朝廷の左拾遺を拝命しているころから開始、その時々に作ったものであった。華州に行き、秦州でそれぞれ作った。そして成都に来て10カ月、シリーズ最後の作である。
尚、この詩ルーズについては2012年6月29遣興五首其一から7月17遣意二首の間で特集しているので参考にされたい。


干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
・干戈猶未定 上元元年は粛宗の治世で使用された元号。760年閏4月~ 761年9月。依然として、史思明軍が洛陽を占領している。翌761年史思明が息子史朝義に殺害され、2年後安史の乱は平定するが、弱体化した唐王朝に隣国「吐蕃」が再三攻め入る。杜甫は依然戦争パニックに陥っている。
・弟妹各何之 弟たちは、洛陽より東にいるため、長安にいた時でも連絡は取れにくかった。まして、杜甫はひと山脈越えた秦州(天水)に、さらにひと山越えた同谷へ、そうして成都紀行で、さらにさらに急峻難所を経て成都にたどり着き、知人の助けを借りて草堂を立てたばかりの所だ。弟たちからの連絡は届かなくても不思議ではない。成都郊外、浣花渓の畔、隠棲にはうってつけの場所である。杜甫にとってはこの20年の間、はじめて自己所有の家に、家族と過ごせるものであった。


拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
・拭淚 なみだをぬぐう。「官を辞して」杜甫は秦州で落ち着きたかったのであるが、わずか数カ月で移動しなければいけなかった状況は杜甫にとって、血のにじむ辛いことであった。ここ浣花渓草堂で、追い詰められたものの歎き、怨み、望郷の思いでいっぱいの毎日から脱却できたのか。


地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようで、平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
・地卑 上元元年(七六〇)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの家(草堂)を設けた。杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、韋班には松の木の苗を、石筍街果園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に犬邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。
 草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。


衰疾那能久,應無見汝期。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。
尾聯で、年を取ったこと、病気のこと、述べてから、希望・目標を否定的に述べるのは、希望目標を強調すためで杜甫は公式ともいえる「遣・・・・」「感・・・・」「〇・・・・」と題したものにおおく使っている。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -12) 雲山 杜甫 <375>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1807 杜甫詩1000-375-551/1500

雲山  

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -12) 雲山 杜甫 <375>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1807 杜甫詩1000-375-551/1500 

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -12) 雲山
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の375首目-#2 -12
杜甫ブログ1500-551回目
成都草堂に来てはじめて九月九日を迎えた杜甫は成都の北部の高台に来た。望鄕臺から兄弟家族を思ったのだ。

雲山
京洛雲山外,音書靜不來。
長安、洛陽の二京は剣閣の雲山のむこうであり、親族はこの二京から向こうにいる。ここで何事もなく静寂な生活をしているけれど、家族、友人、知人からの手紙も噂話も来ないので静かなものだ。
神交作賦客,力盡望鄉台。
かれらとは心と心が通じ合い交わり合っているので詩歌を作ればそれで心が霊妙になるのだ。だからこうして力を尽くしてこの故郷を望める高台にきているのである。
衰疾江邊臥,親朋日暮回。
わたしはというとこの錦江の辺で衰えて病気がちで横になっている、ここでの仲の良い人たちが日があるうち暮れるまでに廻ってきてくれる。
白鷗原水宿,何事有餘哀?
白いユリカモメでさえこの湿原を生活の場としているのであるから、どんなに事が起こったとしても余生を悲しんで暮らすことがあろうか

京洛 雲山の外,音書 靜して來らず。
神ながら交わる 作賦の客に,力して盡す 望鄉の台を。
衰疾するは江邊の臥,親朋するは日暮の回。
白鷗は原水に宿とし,何んぞ事にして餘哀有らんや?

ゆりかもめ000

『雲山』 現代語訳と訳註
(本文)

雲山
京洛雲山外,音書靜不來。
神交作賦客,力盡望鄉台。
衰疾江邊臥,親朋日暮回。
白鷗原水宿,何事有餘哀?

(下し文)
京洛 雲山の外,音書 靜して來らず。
神ながら交わる 作賦の客に,力して盡す 望鄉の台を。
衰疾するは江邊の臥,親朋するは日暮の回。
白鷗は原水に宿とし,何んぞ事にして餘哀有らんや?


(現代語訳)
安、洛陽の二京は剣閣の雲山のむこうであり、親族はこの二京から向こうにいる。ここで何事もなく静寂な生活をしているけれど、家族、友人、知人からの手紙も噂話も来ないので静かなものだ。
かれらとは心と心が通じ合い交わり合っているので詩歌を作ればそれで心が霊妙になるのだ。だからこうして力を尽くしてこの故郷を望める高台にきているのである。
わたしはというとこの錦江の辺で衰えて病気がちで横になっている、ここでの仲の良い人たちが日があるうち暮れるまでに廻ってきてくれる。
白いユリカモメでさえこの湿原を生活の場としているのであるから、どんなに事が起こったとしても余生を悲しんで暮らすことがあろうか


(訳注)
雲山
成都草堂に来てはじめて九月九日を迎えた杜甫は成都の北部の高台に来た。望鄕臺から兄弟家族を思ったのだ。詩初句の一部を取って題としたもの。


京洛雲山外,音書靜不來。
長安、洛陽の二京は剣閣の雲山のむこうであり、親族はこの二京から向こうにいる。ここで何事もなく静寂な生活をしているけれど、家族、友人、知人からの手紙も噂話も来ないので静かなものだ。
・京洛 長安、洛陽の二京。
・雲山外 二京の地は剣閣という雲や山の向こう側にあるということ。義理の母、兄弟はこの二京から向こうにいる。
・靜 成都草堂において何事もなく静寂な生活をしている。その上、義理の母、兄弟、家族、友人、知人からの手紙が来なくて静かなものだ。


神交作賦客,力盡望鄉台。
かれらとは心と心が通じ合い交わり合っているので詩歌を作ればそれで心が霊妙になるのだ。だからこうして力を尽くしてこの故郷を望める高台にきているのである。
・神交 精神上の交際。霊妙なる交際。心と心の交わり合い。杜甫は、一年前から山東にいる兄弟たちに連絡を取るが返事がないのでこういう表現をしたのである。
・望鄉台 旧暦九月九日は須臾の花を紙に挿し、高いところに上り、故郷を望み、菊酒を飲む。
『蜀中九日』 初唐・王勃 (650-676)
九月九日望鄕臺,他席他鄕送客杯。
人情已厭南中苦,鴻雁那從北地來。


衰疾江邊臥,親朋日暮回。
わたしはというとこの錦江の辺で衰えて病気がちで横になっている、ここでの仲の良い人たちが日があるうち暮れるまでに廻ってきてくれる。
・江 濯錦江。浣花渓。


白鷗原水宿,何事有餘哀?
白いユリカモメでさえこの湿原を生活の場としているのであるから、どんなに事が起こったとしても余生を悲しんで暮らすことがあろうか
・何事 ここでの事は仕事ではなくて、出来事、叛乱、戰ということ。どんなことが起ころうと~。
餘哀 これからの人生を哀しく生きる。




杜甫は律詩や絶句を通信書簡としていたように思う。したがって我々が杜甫の詩を読む場合、誰にあてたものだろうかと想定してみると、その詩が数段味わい深くなってくる。「嘆き、悲しみ、不満、怒り」は、その時の感情表現であって、決して夜を悲観したものではないのである。


賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。


送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。
艱難歸故裡,去住損春心。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。
人生五馬貴,莫受二毛侵。

西掖の梧桐樹、空しく留む一院の陰。
艱難 故里に帰る、去住春心損ず。
宮殿 青門隔たる、雲山 紫邏深し。
人生 五馬貴し、二毛の侵すを受くる莫れ。
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。
寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -11) 所思 杜甫 <374>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1803 杜甫詩 1000- 550

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -11) 所思
作時760年5月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の374首目-#2 -11
杜甫ブログ1500-550回目

朝廷で一緒に机を並べた人のことを思い出して作る。杜甫は成都草堂の平穏な生活の中で余裕が出てきたようだ。760年上元二年9月の作。


所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。

しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。

(所 思)
苦【はなは】だ憶ふ荊州醉の司馬、謫官【たくかん】樽酒【そんしゅ】定めて常に開かん。
九の江に日落ちて醒むること何れの處ぞ、一柱の觀頭 眠ること幾回ぞ。
憐む可し懐抱【かいほう】人に向つて盡す、平安を問はんと欲すれども使の來たる無し。
故に錦水に憑り雙涙【そうるい】を將【も】ちゆかしむ、好く瞿塘【くとう】の灩預堆【えんよたい】を過らん。


草堂002



『所思』 現代語訳と訳註
(本文)
所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。


(下し文)
(所 思)
苦【はなは】だ憶ふ荊州醉の司馬、謫官【たくかん】樽酒【そんしゅ】定めて常に開かん。
九の江に日落ちて醒むること何れの處ぞ、一柱の觀頭 眠ること幾回ぞ。
憐む可し懐抱【かいほう】人に向つて盡す、平安を問はんと欲すれども使の來たる無し。
故に錦水に憑り雙涙【そうるい】を將【も】ちゆかしむ、好く瞿塘【くとう】の灩預堆【えんよたい】を過らん。


(現代語訳)
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。


(訳注)
所思
○所思 朝廷で一緒に机を並べた人のことを思い出して作る。杜甫は成都草堂の平穏な生活の中で余裕が出てきたようだ。760年上元二年9月の作。


苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
○酔司馬 崔司馬のこと。《原注:崔吏部漪》原注によれば吏部の某官であった崔漪をいう、漪は平涼節度使杜鴻漸の判官としてかつて粛宗の中興についてはかる所があったという、のち吏部に用いられてさらに刑州へ司馬としてながされたものと思われる。酔とは酒ずきでいつもよっていることをいう。
〇滴官 罪せられ流された官吏として。


九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
〇九江 洞庭のことであるという、洞庭には玩・漸・沅・辰・叙・酉・灃・資・湘の九江水が流入する。今の江西省の九江では剤州と地理があわない。
○醒 さめることであるが、さめるのは酔後のことゆえじつは酔うことをいう。
〇一柱観 松滋県の東、丘家湖の中にあるという、むかし宋の臨川王劉義慶が、荊州の長官であったとき羅公洲に大きな観(てら)を立ててただ一本の柱を用いたという、剤州の名所をあげたものである。観は道教の寺。


可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
○懐抱 杜甫がおもいいだくこと。こころ。
〇人 司馬をさすのであろう、或はいう向人とは他人にむかって崔の消息をとうことであるとも考えられる。


故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。
○錦水 錦江をいう。
○将 もちゆかせること。
○双涙 左右の眼からでるなみだ。
○瞿塘灩預堆 雀唐は暁の名、四川省憂州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。

野老 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) <373>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549

野老 杜甫 <373>


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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) 野老 杜甫 <373>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 700- 549 

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) 野老
作時760年7月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の373首目-#2 -10
杜甫ブログ1500-549回目




杜甫の草堂はこの地はもともと湿地であったために「Uの字型」に蛇行する錦江の内側であり、見方によれば南北も川であるともいえる地点であった。
草堂時代の杜甫の詩をいくつか総合してみると、草堂は錦江の西岸にあり、錦江がUの字型に蛇行するその内側に位置していたのではないかと思われる。
『卜居』(居を卜す)
「浣花溪水水西頭、主人為卜林塘幽。」(浣花渓水 水の西頭、主人は為に卜(ボク)す 林塘の幽なるを。)
とあり、西頭は西側の意味だから、住まいを定めたのは浣花渓の西側と読める。蛇行する錦江に村全体が大きく包まれ、とくに草堂付近はその湾曲部(浣花渓)にあったことがわかる。
・『田舍』
「田舍清江曲、柴門古道旁。」(田舎は清江の曲(くま)、柴門は古道の旁(かたわら)) 
・『江村』、
「清江一曲抱村流、長夏江村事事幽。」(清江 一曲 村を抱きて流れ、長夏 江村 事事に幽なり)
清江は錦江のことで、柴門は杜甫の草堂の粗末な門のこと。
・『野老』、
「野老籬邊江岸迴、柴門不正逐江開。」(野老の籬(まがき)の辺には 江岸迴(めぐ)り、柴門は正しくあらず 江を逐(お)いて開く )
ということで地点的にはかなり明確になってきた。

江畔独歩尋花












野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。

(野 老)
野老の籬邊【れへん】江岸【こうがん】迴【めぐ】る、柴門正しからず江を逐うて開く。
漁人の網は澄みたる潭に集まりて下り、估客【こかく】の船は返照に随って来たる。
長路 心に関るは劍閣を悲しみ、片雲 何の意ぞ琴台に傍うは。
王師 未だ報ぜず東郡を収むるを、城闕【じょうけつ】 秋は生じて画角【がかく】哀【かな】し。


『野老』 現代語訳と訳註
(本文)
野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。


(下し文)(野 老)
野老の籬邊【れへん】江岸【こうがん】迴【めぐ】る、柴門正しからず江を逐うて開く。
漁人の網は澄みたる潭に集まりて下り、估客【こかく】の船は返照に随って来たる。
長路 心に関るは劍閣を悲しみ、片雲 何の意ぞ琴台に傍うは。
王師 未だ報ぜず東郡を収むるを、城闕【じょうけつ】 秋は生じて画角【がかく】哀【かな】し。


(現代語訳)
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。


(訳注)
野老
野老 田野の老人、杜甫を指す。 


野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
○江岸 邊江は錦江、過はまがっておることをいう、「清江一曲村ヲ抱キテ流ル」(「江村」)の高とおなじ。 
○不正 中國の家は南北を基準にし、門は東西南北に家と平行に作っている。それが江岸がまがっているので籬や門の形も家に対して平行、ー直線でないことをいう。 
○逐江 江のまがったすがたにしたがっての意。小川ではないから直線に近いが家に対して平行ではなく、川に随ったということ。この表現を自分の思っていたものと違う厭なことだととらえるか、これもまた風流につってくれたときにっているのか、よく見られる注釈では前者と見る向きが多いが、これは後者で間違いなく気に入っているのである。したがって、「門を曲がって作られた」と訳してはいけない。「つくった」と訳すべきである


漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
○澄潭 水のすんでいる淵、蛇行する河川に淵はいたるところに出来上がる。おおきなひろい百花潭をさしていうだけでなく、杜甫の家の前の、近くの淵である。 
〇估客 商人をさす。 成都の街に來る商人である。
○随返照来 返照は夕日のてりかえし、返照に随って来るとは舟を泊そうとの気持からして来ること。このことで杜甫の家の門は西向きであったというのがわかる。又この景色を気に入っているものと思える。日がな一日船の往来を眺めている杜甫の姿が見えるようである。


長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
○長路 華州、秦州、同谷から成都の西へ遠い道を旅をしたことをいう。 
○関心 気にかかること。 
○悲剣閣 剣閣によって隔てられることを悲しむこと。 
○片雲 此の句は叙景にして兼ねて自己もこの成都に来たという身況をたとえている、片雲は、はぐれ雲。 
○琴台 司馬相如の故跡、作者には別に「琴台」(本書にはとらぬ)の作がある。相知がまだ若くて貧乏であったころ、成都の金持の卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところ、文君は夜家を逃げ出して相如のもとに走ったという。台は浣花渓の東に成都の西部分にある。花街は西側白門にあるもの。 


王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。
○王師 唐王朝軍。 
○収東郡 東郡は洛陽以東の諸郡をさす。乾元二年九月に東京及び済・汝・鄭・滑の四州が皆賊に陥り、上元元年六月、田神功が史思明の兵を鄭州に破ったが、東京の諸郡はまだ収復されるにはいたらなかった。 
○城闕 成都の城闕、闕は宮門についていうことばであるが、成都は至徳二年に南京とされ、第二の都としての取りあっかいを受けていた。特に安禄山の乱の折り、前皇帝の玄宗の逃避先であった。 
○秋生 秋になること。○画角哀 画き飾った角ぶえの音がかなしい。


杜甫の浣花草堂は、個人的な園林作りの一環として見直すことができる。規模的には、一千五百坪程度であったと思われ、池や築山や亭などを完備した白居易の園林などとは比べようもないが錦江をめぐる環境はその代りとなった。草堂作りへの情熱、精神生活の中での草堂の位置づけ、詩作との関わりなど、草堂と個人の精神の有り様としては、両者には通じるものがある。
成都において叛乱がなかったら、東都が安史軍に陥落されていなかったら、吐蕃の動向が杜甫を不安がらせなかったら、白居易のように高級官僚でなくとも権力に近い関係が維持されていたら、浣花渓を離れることはなかったことであろう。もしそうであれば、夔州においての人生1/3の量にもあたる詩を書けたであろうか論じても仕方のない問題である。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -9) 江漲 杜甫 <372>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1795 杜甫詩 1000- 548



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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -9) 江漲 杜甫 <372>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1795 杜甫詩 1000- 548

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -9) 江漲
作時760年5月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000の372首目 2部 -9首目
杜甫ブログ1500-548回目
江水のみなぎったさま繊細に動きのある表現でのべています。上元元年 760年 49歳


江漲
江漲柴門外,兒童報急流。
柴門の外をみると錦江の水位があがってみなぎっている。すると、こどもらが錦江の水の流れが急になっていると報せてくる。
下牀高數尺,倚杖沒中洲。
これをきいて川べりの平たい石の台をおりてみると二三尺も水嵩が高くなっている、杖に倚りかかって乗り出して見るとどうやら中洲が水没しているのだ。
細動迎風燕,輕搖逐浪鷗。
軒端のツバメは出たり入ったり行動して風を切って飛んでいる。鴎は軽やかに揺らいで飛び、それから素早く動いて浪と追っかけっこをしている。
漁人縈小楫,容易拔船頭。

川上の漁師達は小さな舵を縄でくくりつけて下っていて、いとも簡単に波間を抜けて船の頭を操っているのだ
(江漲る)
江漲【みなぎ】る柴門【さいもん】の外【ほか】,兒童【じどう】急流を報ず
牀を下れば高きこと数尺、杖に倚れば中洲没せり。
細かに動く風を迎うる燕、軽く揺ぐ浪を逐う鴎。
漁人小楫【しょうしゅう】を縈【まと】い、容易に船頭を抜く。


『江漲』 現代語訳と訳註
(本文)
江漲柴門外,兒童報急流。
下牀高數尺,倚杖沒中洲。
細動迎風燕,輕搖逐浪鷗。
漁人縈小楫,容易拔船頭。


(下し文)(江漲る)
江漲【みなぎ】る柴門【さいもん】の外【ほか】,兒童【じどう】急流を報ず
牀を下れば高きこと数尺、杖に倚れば中洲没せり。
細かに動く風を迎うる燕、軽く揺ぐ浪を逐う鴎。
漁人小楫【しょうしゅう】を縈【まと】い、容易に船頭を抜く。


(現代語訳)
柴門の外をみると錦江の水位があがってみなぎっている。すると、こどもらが錦江の水の流れが急になっていると報せてくる。
これをきいて川べりの平たい石の台をおりてみると二三尺も水嵩が高くなっている、杖に倚りかかって乗り出して見るとどうやら中洲が水没しているのだ。
軒端のツバメは出たり入ったり行動して風を切って飛んでいる。鴎は軽やかに揺らいで飛び、それから素早く動いて浪と追っかけっこをしている。
川上の漁師達は小さな舵を縄でくくりつけて下っていて、いとも簡単に波間を抜けて船の頭を操っているのだ。


(訳注)
江漲
草堂の前の浣花渓にも大水が出て、もともと低湿地であるためあふれそうに子供たちのはしゃぐ様子、水の変化、鳥たちの動き、そうした中で、すいすいと船を操って進んでゆく漁夫の様子、場面の動きがすばらしく、細やかな表現も味わい深い傑作
○江 錦江。

成都の2部 梅雨 杜甫 <365>
成都(2部)浣花渓の草堂(2-2) 梅雨 杜甫


江漲柴門外,兒童報急流。
柴門の外をみると錦江の水位があがってみなぎっている。すると、こどもらが錦江の水の流れが急になっていると報せてくる。


下牀高數尺,倚杖沒中洲。
これをきいて川べりの平たい石の台をおりてみると二三尺も水嵩が高くなっている、杖に倚りかかって乗り出して見るとどうやら中洲が水没しているのだ。
・下牀 川べりの平たい石の台をおりる。


細動迎風燕,輕搖逐浪鷗。
軒端のツバメは出たり入ったり行動して風を切って飛んでいる。鴎は軽やかに揺らいで飛び、それから素早く動いて浪と追っかけっこをしている。
○細動迎・軽揺逐 動・揺は水嵩が高くなって水の動きが変化するうごきのことと、鳥たちとの対照的な動き、燕とかもめの対照的な動きのさまをいう。動迎は雨が降る、エサが取れやすく喜んで軒端に巣作りをしたツバメが出たり入ったりすること。これは景色の手前での動きで、目線を遠めにすると鴎が波に乗ったように軽快に動いて見えること、軽揺は水嵩のため大きな動きをするみなもと鴎がかるやかにゆらぐことをいったものである。餌の魚がとらえにくいのであろう。ここまで部屋内から近くを見て次第に目線が遠くになる遠近法とツバメとカモメの動的表現をうまくこなしている。


漁人縈小楫,容易拔船頭。
川上の漁師達は小さな舵を縄でくくりつけて下っていて、いとも簡単に波間を抜けて船の頭を操っているのだ。
○縈 船体に動かぬように縄でしばる。グラグラしないようにする。
○抜船頭 技とは波間を抜けること、櫂を漕いで船をよじる世にして進行して船の頭を操っていること。


大水が出て、子供たちのはしゃぐ様子、水の変化、鳥たちの動き、そうした中で、すいすいと船を操って進んでゆく漁夫の様子、場面の描写はどうがをみるようであり、そのひょうげんはすばらしく、山水の静止画の王維、動的表現の上手い孟浩然の描写とは、一味ふた味違う細やかな表現の味わい深い傑作である。

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江村 杜甫 <371>

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 江村 杜甫 <371>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 江村
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の371首目 2部-8首目
杜甫ブログ1500-547回目


杜甫「江村」 この詩は、杜甫が成都へ辿り着いて、 知人たちの援助で草堂を建て、18作目、安定した生活を送っている時期である。詩からは悲哀官は消滅し、穏やかな生活が詠われている。
成都に着き草堂も完成したある日8km位のところにある諸葛亮孔明の武侯祠を訪ねて作った詩であり、心のゆとりを感じさせてくれるようになった。

草堂の位置的考察(順次地図に関係地を示していく)
草堂は錦江の西岸にあり、錦江がコの字型に蛇行するその内側に位置していたのではないかと思われる。
『_居を卜す』の詩に、
「浣花溪水水西頭、主人為卜林塘幽。」
(浣花渓水 水の西頭、主人は為に卜(ボク)す 林塘の幽なるを)
とあり、西頭は西側の意味だから、住まいを定めたのは浣花渓の西側と読める。「東岸」よりも「西岸」の方がつじつまが合う。以下の四首はみな草堂作りの一年目の夏から秋にかけて草堂を舞台に近辺の出来事を詠じた詩である。それらの詩から蛇行する錦江に村全体が大きく包まれ、とくに草堂付近はその湾曲部(浣花渓)にあったことがわかる。『_田舍』詩に、
「田舍清江曲、柴門古道旁。」 
(田舎は清江の曲(くま)、柴門は古道の旁(かたわら)
といい、この詩『_江村』詩に、
「清江一曲抱村流、長夏江村事事幽。」 
(清江 一曲 村を抱きて流れ、長夏 江村 事事に幽なり
という。清江は錦江のことで、柴門は杜甫の草堂の粗末な門のこと。
これらから草堂に位置を図示すると以下のとおりである。
成都 浣花峡000
(ブログの記事の内容により順次関係地点を図示していくこととする。)


江村       杜甫
淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。
清らかな川の大きなひとまがりがこの村を抱きかかえるように流れている。夏の日は長く川にかこまれた村は、万事何事にもひっそりと静かな佇まいである。 
自去自來梁上燕,相親相近水中鴎。
軒の梁の上に巣をつくるツバメの親子は、自由に、自然に行ったり来たりしている。川の中ほどの水鳥は、親子家族で親しみ寄りそってくる。
老妻畫紙爲棊局,稚子敲針作釣鈎。
年は取ってきたが愛妻はツバメの巣作り良い利口な紙に線を引いて碁盤を作っている。幼いこどもはというと、鴎に対抗して縫い針をたたいて釣り針を作っている。
但有故人供禄米,微躯此外更何求。
有りがたいことに禄米を送ってくれる旧友もあるのだ、取るに足らない我が身が、このほかこれ以上の何を求めるというのか。 


『江村』 現代語訳と訳註
(本文)

淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。
自去自來梁上燕,相親相近水中鴎。
老妻畫紙爲棊局,稚子敲針作釣鈎。
但有故人供禄米,微躯此外更何求。
<多病所須唯藥物>


(下し文)江村
清江一曲 村を抱きて流れ,長夏江村 事事幽なり。
自ら去り自ら來る梁上の燕,相ひ親しみ相ひ近づく水中の鴎。
老妻は紙に画して棊局【ききょく】を 爲し,稚子は針を敲【たた】きて釣鈎【てうこう】を 作る。
但だ故人の禄米を供する有り,微躯【びく】此の外に更に 何をか 求めん。
多病須つ所は唯だ薬物のみ


(現代語訳)
清らかな川の大きなひとまがりがこの村を抱きかかえるように流れている。夏の日は長く川にかこまれた村は、万事何事にもひっそりと静かな佇まいである。 
軒の梁の上に巣をつくるツバメの親子は、自由に、自然に行ったり来たりしている。川の中ほどの水鳥は、親子家族で親しみ寄りそってくる。
年は取ってきたが愛妻はツバメの巣作り良い利口な紙に線を引いて碁盤を作っている。幼いこどもはというと、鴎に対抗して縫い針をたたいて釣り針を作っている。有りがたいことに禄米を送ってくれる旧友もあるのだ、取るに足らない我が身が、このほかこれ以上の何を求めるというのか。
 
<多くの病気を抱えるわたしが必要とするものは、ただ薬である。> 
鸕鷀001

(訳注)
江村

川が蛇行している中州の中に有るような村。 
此の詩の題材は『竹枝詞』を意識している、「自去自來梁上燕」「相親相近水中鴎」という軽い表現は竹枝そのものである。紀頌之の≪唐五代詞・宋詩 花間集 漢文委員会≫に掲載の詩詞に多く出る。


淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。
清らかな川の大きなひとまがりがこの村を抱きかかえるように流れている。夏の日は長く川にかこまれた村は、万事何事にもひっそりと静かな佇まいである。 
・淸江 清らかな川の流れ。 
・一曲 川などのひとまがり。ひとすみ。一部分。 
・抱 いだく。かかえる。両手で抱(かか)え持つ。とりこむ。胸に抱(いだ)く。図を参照。
・長夏 旧暦五月のことで、現在の六月後半から八月前半の真夏の季節。夏の長い日。 
・事事 事ごとに。どの事にも。何事にも。万事。
・幽 かすか。くらい。ほのか。奥深い。隠棲を表現する語。


自去自來梁上燕、相親相近水中鴎。
軒の梁の上に巣をつくるツバメの親子は、自由に、自然に行ったり来たりしている。川の中ほどの水鳥は、親子家族で親しみ寄りそってくる。
・自去自來 自然と行ったり来たりする。 
・梁上燕 梁の上の(つがいの)ツバメ。夫婦仲がいつまでもよいことの喩え。ツバメの常套語であるため他の表現法はない。
・相親相近 親しみ近づいてくる。親子家族で親しみ寄りそってくる。 
・水中鴎 川の水の上を飛ぶ鴎や鷺に似た白い水鳥。「水上鴎」だと飛んでいることにもなり、夫婦親子の表現はむつかしいことで、「水中鴎」とするのは、目に入るカモメの周りが水面であること、川の中ほどで仲良くしている光景を頭に浮べると「水中鴎」の方が断然いいことがわかることを示す詩的表現である。これを文法的にこじつける向きもあるが間違い。
この梁上燕と水中鴎が、七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】の頸聯の老妻と稚仔に対応させていて面白いのである。この時代にこのような家族に対する愛情を持った表現は他に類を見ないものである。


老妻畫紙爲棊局、稚子敲針作釣鈎。
年は取ってきたが愛妻はツバメの巣作り良い利口な紙に線を引いて碁盤を作っている。幼いこどもはというと、鴎に対抗して縫い針をたたいて釣り針を作っている。 
・老妻 古女房。年は取ってきたが愛妻。ツバメやカモメより親として知的な表現が必要であることからこの聯はできている。 
畫紙 紙に画(えが)く。紙に線を引く。 「畫紙」は碁盤(将棋盤)の面に「線を引く」
・棊局 碁盤。
稚子 おさないこども。幼児。 
・敲針 縫い針をたたく。敲:〔こう〕たたく。うつ。とんとんたたく。 
・釣鈎 釣り針。子供の行為はカモメが水中で魚を取ることに対応して子供が釣り針を作る。そう考えるとこの詩はとても楽しい素晴らしい詩であることがわかる。


但有故人供禄米、微躯此外更何求。
有りがたいことに禄米を送ってくれる旧友もあるのだ、取るに足らない我が身が、このほかこれ以上の何を求めるというのか。 
・但有故人供禄米 杜甫は律詩や絶句を手紙として作っている。杜甫の詩の理解者の知人に援助を要請する際、最も有効な手段である。逆に考えれば、援助に対してお礼を詩で行う。相手からすると、家宝となるもの、他人に見せて自慢する種になるものである。
・微躯 (謙遜表現)我が身。取るに足らない我が身。小生。 
此外 このほか。これ以外。ここでは、「藥物」意外に、の意。 
 この上。その上に。 
何求 何を求めようか。何も求めない。
此の詩は、下の「多病」の句より「但有故人供禄米」の方が断然いい。わたしは杜甫を悲観的な人物と撮っていないということもあるが、「多病」の句はただ単に謙遜しているだけであり中国人気質といえるかもしれないが人間的に小さい。


<多病所須唯藥物> 他本、ほとんどこの句になっているが、これではよくない。
多くの病気を抱えるわたしが必要とするものは、ただ薬である。 
・多病 病(やまい)がち。体が弱くよく病気をすること。 
所須 もとめるもの。必要とするところのもの。 
 …ところのもの。…ところのこと。動詞の前に置き、動詞を名詞化する。 
・須 需(もと)める。待つ。用いる。 
・唯 ただ…だけ。 
・藥物 くすりとなるもの。薬。秦州ではことのほかラッキョウを30束もらったことをとても喜んだ。ここでいう薬とはこの次元のものである。
秦州抒情詩(29) 秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <314> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1409 杜甫詩 700- 434

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -7) 田舍 杜甫 <370>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1787 杜甫詩 1000- 54


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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -7) 田舍 杜甫 <370>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1787 杜甫詩 1000- 54


詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -7) 田舍
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の370首目 -2-7
杜甫ブログ1500-546回目

成都の中心から4kmほど離れた閑静な田園地帯で、浣花渓(錦江支流であり、河岸の西端、)の東に百花潭があった。
成都ではじめて浣花渓の川辺に住まいを定めたことにより、その後は長江を転々と下りながら洞庭湖まで至り、さらに南へと湘江をさかのぼり、その途中で杜甫は亡くなるのである。
杜甫は、晩年までその後半年の生涯のほとんどを水辺か水上で暮らしたことになるのである。川と関係の深い杜甫の半生も、こうした彼の川好きの性分といくらかは関係があったのであろう。



田舍
田舍清江曲,柴門古道旁。
田畑の中の草堂は、川の清流がゆっくり湾曲してながれているそばにある。草堂への柴門は古くからの道の傍らにある。
草深迷市井,地僻懶衣裳。
季節も変わり草が背高く生い茂り、成都の人が集まる辺りに行こうとしても迷ってしまうほどになっている。街から外れているということは元来ものぐさなわたしは着る服を気にもかけないで済むのだ。
櫸柳枝枝弱,枇杷樹樹香。
ケヤキと柳がそだってその枝という枝に若々しい葉が芽吹いている。枇杷の木々には花も実もついて香しい香につつまれる。
鸕鷀西日照,曬翅滿漁梁。

草堂前の川面にたくさんの野生の鵜が来ていて、かたむいた太陽の日差しを浴びている。そして羽を広げ始めて魚を取る猟をするのである。やがて水面はたくさんの鵜でいっぱいになるのである。
田舍【でんしゃ】は清かな江曲り,柴門は古道の旁にあり。
草深く市井に迷い,地僻にして衣裳に懶く。
柳櫸げて 枝枝 弱【わか】く,枇杷 樹樹 香しい。
鸕鷀【ろじ】日を西にして照し,曬翅【れいし】漁梁【ぎょりょう】に滿つ。


『田舍』 現代語訳と訳註
(本文)
田舍清江曲,柴門古道旁。
草深迷市井,地僻懶衣裳。
櫸柳枝枝弱,枇杷樹樹香。
鸕鷀西日照,曬翅滿漁梁。


(下し文)
田舍【でんしゃ】は清かな江曲り,柴門は古道の旁にあり。
草深く市井に迷い,地僻にして衣裳に懶く。
柳櫸げて 枝枝 弱【わか】く,枇杷 樹樹 香しい。
鸕鷀【ろじ】日を西にして照し,曬翅【れいし】漁梁【ぎょりょう】に滿つ。


(現代語訳)
田畑の中の草堂は、川の清流がゆっくり湾曲してながれているそばにある。草堂への柴門は古くからの道の傍らにある。
季節も変わり草が背高く生い茂り、成都の人が集まる辺りに行こうとしても迷ってしまうほどになっている。街から外れているということは元来ものぐさなわたしは着る服を気にもかけないで済むのだ。
ケヤキと柳がそだってその枝という枝に若々しい葉が芽吹いている。枇杷の木々には花も実もついて香しい香につつまれる。
草堂前の川面にたくさんの野生の鵜が来ていて、かたむいた太陽の日差しを浴びている。そして羽を広げ始めて魚を取る猟をするのである。やがて水面はたくさんの鵜でいっぱいになるのである。


(訳注)
田舍

成都の中心から4kmほど離れた閑静な田園地帯。
住所:中国四川省成都市草堂路1号
杜甫は759年12月この地を隠棲の場所に定めて以来、花が咲き乱れる地にしたいという希望がかなえられたことをあらわす詩である。浣花渓と名付けたことが報われた。後世この地をそう呼ぶことになる。


田舍清江曲,柴門古道旁。
田畑の中の草堂は、川の清流がゆっくり湾曲してながれているそばにある。草堂への柴門は古くからの道の傍らにある。
・田舍  田畑の中の家。ここでは田ばたにかこまれた草堂。
現在では(1)都会から離れた地方。在郷。在(ざい)。 (2)人家・人口が少なく辺鄙(へんぴ)な所。 (3)本人の生まれ育った故郷・郷里。また、親や祖父母などの出身地。在所。
・淸江:清らかな川の流れ。 
・曲:川などのひとまがり。ひとすみ。一部分。草堂の上流から下流にかけて大きく3回曲がっている。


草深迷市井,地僻懶衣裳。
季節も変わり草が背高く生い茂り、成都の人が集まる辺りに行こうとしても迷ってしまうほどになっている。街から外れているということは元来ものぐさなわたしは着る服を気にもかけないで済むのだ。
・市井 由来、中国で、井戸のある所に人が多く集まり、市が立ったところから、人が多く集まり住む所。まち。ちまた。
・懶 なまける。わずらわしい。おっくうである。杜甫の詩には自分の性格を示す言葉として多く出てくる語である。詩人として細やかな点に気が付くけれども、気配りができないという意味で、やるべきことをやらない横着とか、ずぼらというのではない。


櫸柳枝枝弱,枇杷樹樹香。
ケヤキと柳がそだってその枝という枝に若々しい葉が芽吹いている。枇杷の木々には花も実もついて香しい香につつまれる。
・ 欅柳。ケヤキ、ニレ科ケヤキ属の落葉高木。ツキ(槻)ともいう。楊柳 どちらも春の若葉をあらわす。
憑韋少府班覓松樹子
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。
成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <360
枇杷 ビワ。バラ科の常緑高木およびその果実。中国南西部原産。


鸕鷀西日照,曬翅滿漁梁。
草堂前の川面にたくさんの野生の鵜が来ていて、かたむいた太陽の日差しを浴びている。そして羽を広げ始めて魚を取る猟をするのである。やがて水面はたくさんの鵜でいっぱいになるのである。
・鸕鷀 野生の鵜の集団。
曬翅 羽を広げたところに西日が当たる光景。晒(曬)とは。意味や日本語訳。[動](1) 日が照りつける晒黑了日焼けした.西晒西日が照りつける.(2) 日に干す,日に当てる晒被子掛けぶとんを干す.晒台 shaitai[名]物干し台,ベランダ

鸕鷀001

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫 杜甫 <369>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1783 杜甫詩 1000- 545

狂夫 杜甫

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李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
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◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫 杜甫 <369>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1783 杜甫詩 1000- 545
 
詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の369首目 -2-6
杜甫ブログ1500-545回目
自己の狂態をあざけって作った詩。良い句ができればたとえ食べなくてもいいという詩人としての矜持を表現している。
760年上元元年  49歳

杜甫369 狂 夫(万里橋西一草堂)
 杜甫は錦江のほとりに住んだのだが、草堂を築いた錦江に濯錦江が注ぎ込むあたりの一角を杜甫はみずから浣花渓と呼んだ。杜甫はこの「花を浣(あら)う」という言葉がとても気に入ったらしく、「浣花の渓」の他にも「浣花の村」「浣花の老翁」「浣花の橋」「浣花の草堂」「浣花の竹」など多くのバリエーションをもって詩の中に歌い込んでいる。
 この名もない小さな橋についても杜甫が精神的に安定し、身近なものへ命名し、それを詩の中に詠んでいったのである。
諸葛亮孔明が費褘を見送りをした万里橋


狂  夫
万里橋西一草堂、百花潭水即滄浪。
万里橋の西の方に一戸の草堂がある。そばを流れて行くと百花潭があり、その水はすなわち自分にとって「滄浪の水」ともいうべきふさわしい隠退の場所なのである。
風含翠篠娟娟浄、雨裛紅蕖冉冉香。
みどりの篠竹林に風は吹きこみ、風を含んで美しく浄らかであり、紅の蓮の花は小雨に濡れて色濃く鮮やかになり、その香を漂わしてくる。
厚禄故人書断絶、恒飢稚子色凄涼。
気になっていることは、大官となった旧友からの手紙は近ごろは、すっかり途絶えていることであり、それにいつも腹を減らしている子供らの顔色がいたましいことである。
欲填溝壑惟疎放、自笑狂夫老更狂。

こんなわけでわたしは溝や谷に落ちて野垂死になるというのに、そんなことはお構いなしに暮らしている。もともとこれしかないほど狂おしい自分が、老いてますます理想に向かってまっしぐらに進む「狂」の者であることを、われながらおかしく思うのである。

万里橋の西に一の草堂あり、百花潭水【たんすい】にして 即ち滄浪【そうろう】たり。
風は翠篠【すいじょう】を含み娟娟【けんけん】として浄く、雨は紅蕖【こうきょ】を裛【うるお】して冉冉【ぜんぜん】として香し。
厚禄【こうろく】の故人は書をして断絶【だんぜつ】したり、恒飢の稚子【ちし】は色をして凄涼なり。
溝壑【こうがく】に填【てん】せむと欲して惟【た】だ疎放【そほう】なり、自ら笑う 狂夫【きょうふ】 老いて更に狂なるを。

孟浩然詩00

『狂  夫』 現代語訳と訳註
(本文)
万里橋西一草堂、百花潭水即滄浪。
風含翠篠娟娟浄、雨裛紅蕖冉冉香。
厚禄故人書断絶、恒飢稚子色凄涼。
欲填溝壑惟疎放、自笑狂夫老更狂。


(下し文)
万里橋の西に一の草堂あり、百花潭水【たんすい】にして 即ち滄浪【そうろう】たり。
風は翠篠【すいじょう】を含み娟娟【けんけん】として浄く、雨は紅蕖【こうきょ】を裛【うるお】して冉冉【ぜんぜん】として香し。
厚禄【こうろく】の故人は書をして断絶【だんぜつ】したり、恒飢の稚子【ちし】は色をして凄涼なり。
溝壑【こうがく】に填【てん】せむと欲して惟【た】だ疎放【そほう】なり、自ら笑う 狂夫【きょうふ】 老いて更に狂なるを。


(現代語訳)
万里橋の西の方に一戸の草堂がある。そばを流れて行くと百花潭があり、その水はすなわち自分にとって「滄浪の水」ともいうべきふさわしい隠退の場所なのである。
みどりの篠竹林に風は吹きこみ、風を含んで美しく浄らかであり、紅の蓮の花は小雨に濡れて色濃く鮮やかになり、その香を漂わしてくる。
気になっていることは、大官となった旧友からの手紙は近ごろは、すっかり途絶えていることであり、それにいつも腹を減らしている子供らの顔色がいたましいことである。
こんなわけでわたしは溝や谷に落ちて野垂死になるというのに、そんなことはお構いなしに暮らしている。もともとこれしかないほど狂おしい自分が、老いてますます理想に向かってまっしぐらに進む「狂」の者であることを、われながらおかしく思うのである。

篠竹000

(訳注)
狂  夫

○狂夫 病的のきちがいではない、自分の進むべき道に向かって進取するものをいう、詩題は末句の語をとって命じた。


万里橋西一草堂、百花潭水即滄浪。
万里橋の西の方に一戸の草堂がある。そばを流れて行くと百花潭があり、その水はすなわち自分にとって「滄浪の水」ともいうべきふさわしい隠退の場所なのである。
○万里橋 錦江にかかっている橋の名。万里橋は武侯祠付近の錦江にかかるはしであり、三国時代、諸葛孔明はこの万里橋で宴会を行い、呉を訪問させる費褘を送別した。
○西 この詩には西とあり、「錦水ノ居止ヲ懐り」詩には橋南とある、橋は成都の南にあり、よって正しくは西北に位する。
○草堂 グーグル検索で「四川省成都市青羊区草堂路28号」となっている。作者の藷詩句によって察するならば、草堂の位置は成都の背郭、碧難坊外、万里橋西南、百花渾すなわち浣花渓の西北に在った。
○百花潭 草堂から成都に向かう途中の淵になっているところで、現在百花潭 公園となっている。もともとこの地域全体沼と池が多くありそれぞれが水路、川でつながっていた。あちこちにこうした潭が多くあったところと考える。
○滄浪 青色の水をいう、「楚辞」(漁夫)の「滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足」(滄浪の水清まば/以て吾が纓を濯うべし/滄浪の水濁らば/以て吾が足を濯うべし)の滄浪である、ここは自己の足をあらうべき水、隠退の処として用いている。


風含翠篠娟娟浄、雨裛紅蕖冉冉香。
みどりの篠竹林に風は吹きこみ、風を含んで美しく浄らかであり、紅の蓮の花は小雨に濡れて色濃く鮮やかになり、その香を漂わしてくる。
○篠 しのだけ。
○葉 芙葉に同じ、はすのはな。
○冉冉 次第に生ずるさま。


厚禄故人書断絶、恒飢稚子色凄涼。
気になっていることは、大官となった旧友からの手紙は近ごろは、すっかり途絶えていることであり、それにいつも腹を減らしている子供らの顔色がいたましいことである。
○厚禄故人 大官となって多くの俸禄をもらっている旧知の友人、高適と厳武である。
○書断絶 これはたまたまこのとき書信がとだえたのであろう。
○恒飢稚子 いつもうえているこども。
○色 顔色。


欲填溝壑惟疎放、自笑狂夫老更狂。
こんなわけでわたしは溝や谷に落ちて野垂死になるというのに、そんなことはお構いなしに暮らしている。もともとこれしかないほど狂おしい自分が、老いてますます理想に向かってまっしぐらに進む「狂」の者であることを、われながらおかしく思うのである。
○凄涼 かなしげ。
○填溝壑 みぞやたににはまりこんでそれをうずめる。のたれ死にすること。
○疎放 世とうとくし、きままにする。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -5) 賓至 杜甫 <368>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1779 杜甫詩 1000- 544

賓至 杜甫

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成都(2部)浣花渓の草堂(2 -5) 賓至 杜甫 <368>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1779 杜甫詩 1000- 544

詩 題:成都(2部)浣花渓の草堂(2 -5) 賓至
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の368首目-#2 -5
杜甫ブログ1500-544回目
七言律詩 上元元年 760年 49歳1117賓至 成都 草堂本による 呉若本では「有客」となっている。
杜甫全作品1141首の訳注解説ブログ 成都2部 成都郊外浣花渓に囲まれた十軒の小さな集落が、長年の夢の世界空間である。


杜甫にとっては、この世界空間にその身をおくことで物心両面は安定していくのである。中国の隠者は日本の隠者の修行と違って、結婚して家族との情愛を大切にし、名誉欲、利害に関わらない真の交友関係を楽しむもの、自分の世界観にひたる風流を基本においているものである。杜甫が近隣との付き合いを楽しみ、それを詩に描いているのも、背景の一つとしては、草堂での隠遁的生活情緒を演出するということもあったと思われる。これは秦州の東柯谷に隠遁したいと思っていた時にはなかった感情である。ここにきて精神的に安定してきて生活に関して病的な鋭さが消えているともいえることである。成都の詩はそのことを念頭に区分(2部)して読んでいくものである。



賓至
幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
錦城の郊外の人がいない静かな離れたところなのでここに来る人も、通り過ぎる人も少ない、私は年を取り病気がちでいるので人の助けを受けないといけなくて最近では賓客が来られても再拜が困難なこともある。
豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
ただ、詩文に関して自信はあるがこの国中を驚かすほどのことはないのだ。だからわざわざ車馬でここ浣花溪とか池のほうに止めてながめてくださるというのはご苦労をおかけするようなものである。(だからひとがこなくてもよいとはおもっている。)
竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
しかし詩文を語り合える賓客は一日中ひざをつき合わせて長居をされる、わたしは、こんな田舎地方に埋もれた儒者ではあるけれども粗末な食事を一生続けているのだ。
不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。

こんな郊外の事で何のお構いもできないけれども嫌がられることはありません。いったり来たりに厭わなければまた、気の趣くままにどうか芍薬の畑でも見ていってください。

幽棲【ゆうせい】地僻【ちへき】にして經過少【まれ】なり、老病人に扶けられて再拜し難し。
豈に文章の海内を驚かす有らんや、謾【そぞろ】に車馬を江幹【こうかん】に駐むるを勞す。
竟日淹餾【えんりゅう】佳客 坐し、百年 粗糲【それい】 腐儒の餐【さん】す。
野外の供給無きを嫌【いとは】ずんば、興に乘じて還【ま】た來りて藥欄【やくらん】を看よ。

八女茶 畑


『賓至』 現代語訳と訳註
(本文)
幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。


(下し文)
幽棲【ゆうせい】地僻【ちへき】にして經過少【まれ】なり、老病人に扶けられて再拜し難し。
豈に文章の海内を驚かす有らんや、謾【そぞろ】に車馬を江幹【こうかん】に駐むるを勞す。
竟日淹餾【えんりゅう】佳客 坐し、百年 粗糲【それい】 腐儒の餐【さん】す。
野外の供給無きを嫌【いとは】ずんば、興に乘じて還【ま】た來りて藥欄【やくらん】を看よ。


(現代語訳)
錦城の郊外の人がいない静かな離れたところなのでここに来る人も、通り過ぎる人も少ない、私は年を取り病気がちでいるので人の助けを受けないといけなくて最近では賓客が来られても再拜が困難なこともある。
ただ、詩文に関して自信はあるがこの国中を驚かすほどのことはないのだ。だからわざわざ車馬でここ浣花溪とか池のほうに止めてながめてくださるというのはご苦労をおかけするようなものである。(だからひとがこなくてもよいとはおもっている。)
しかし詩文を語り合える賓客は一日中ひざをつき合わせて長居をされる、わたしは、こんな田舎地方に埋もれた儒者ではあるけれども粗末な食事を一生続けているのだ。

こんな郊外の事で何のお構いもできないけれども嫌がられることはありません。いったり来たりに厭わなければまた、気の趣くままにどうか芍薬の畑でも見ていってください。


(訳注)
賓至
○賓
。 大切な客をいう、題に賓と稱して、詩中に再拜といい、車馬といっているので、この律詩は、貴人であることがわかる。恐らく相手から、杜甫を訪問する何らかの連絡が入りそれに答えた詩であろうと思う。詩のやり取りではないので詩題に「答」「応」などがない。


幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
錦城の郊外の人がいない静かな離れたところなのでここに来る人も、通り過ぎる人も少ない、私は年を取り病気がちでいるので人の助けを受けないといけなくて最近では賓客が来られても再拜が困難なこともある。
・幽棲 隠棲と同じ意。
・地僻 成都に知人友人が居るのでそこから離れているということ。これまでは長安から離れた地を指したり、秦州雑詩など国境を指す語であった。これは杜甫の精神的な落ち着きというべき変化か、あるいは人恋しさの語なのか、病気がちで気弱になっているということだ。
經過少。僻地心客の來過少しとなり
老病。杜甫当時喘息と腰脚(リュウマチ)の病があったのだろう。賓客が来られて再拜が困難であった。


豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
ただ、詩文に関して自信はあるがこの国中を驚かすほどのことはないのだ。だからわざわざ車馬でここ浣花溪とか池のほうに止めてながめてくださるというのはご苦労をおかけするようなものである。(だからひとがこなくてもよいとはおもっている。)
・文章 文学。詩文。
・海内 国中。天下。
・謾勞 いたずらにわずらわす。
・駐江幹 江は浣花溪、干は水際。賓客の車馬を草堂に駐めることをいう。


竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
しかし詩文を語り合える賓客は一日中ひざをつき合わせて長居をされる、わたしは、こんな田舎地方に埋もれた儒者ではあるけれども粗末な食事を一生続けているのだ。
竟日 一日中。
淹留 久しくとどまること。
・佳客 賓にして佳、詩や文章を論ずる客をいう。
・百年 終生というようなこと。
・粗糲 玄米飯
・腐儒 地方に埋もれた儒者。
 

不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。
こんな郊外の事で何のお構いもできないけれども嫌がられることはありません。いったり来たりに厭わなければまた、気の趣くままにどうか芍薬の畑でも見ていってください。
・供給 客へのおもてなし。
・藥欄 芍薬の薬園のかこい。



賓至
幽棲地僻經過少,老病人扶再拜難。
豈有文章驚海內?謾勞車馬駐江幹。
竟日淹留佳客坐,百年粗糲腐儒餐。
不嫌野外無供給,乘興還來看藥欄。

幽棲【ゆうせい】地僻【ちへき】にして經過少【まれ】なり、老病人に扶けられて再拜し難し。
豈に文章の海内を驚かす有らんや、謾【そぞろ】に車馬を江幹【こうかん】に駐むるを勞す。
竟日淹餾【えんりゅう】佳客 坐し、百年 粗糲【それい】 腐儒の餐【さん】す。
野外の供給無きを嫌【いとは】ずんば、興に乘じて還【ま】た來りて藥欄【やくらん】を看よ。


成都(2部)浣花渓の草堂(2 -4) 有客 杜甫 <367> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1775 杜甫詩 1000- 543

有客 杜甫

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◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
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成都(2)浣花渓の草堂(2 -4) 有客 杜甫 <367> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1775 杜甫詩 700- 543



詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(2 -4) 有客
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の367首目 2-4
杜甫ブログ1500-543回目
ふいの来客のあったことを詠んだ。
五言律詩。上元元年 760年 49歳


浣花渓に囲まれたこの十軒に満たないほどの小さな集落が、実は杜甫にとっては長年の夢であった世俗の世界から隔たって、隠遁の世界を守る一つの空間にその身をおくことであった。中国の隠者は日本の隠者の修行と違って、結婚して家族との情愛を大切にし、名誉欲、利害に関わらない真の交友関係を楽しむもの、自分の世界観にひたる風流を基本においているものである。杜甫が近隣との付き合いを楽しみ、それを詩に描いているのも、背景の一つとしては、草堂での隠遁的生活情緒を演出するということもあったと思われる。これは秦州の東柯谷に隠遁したいと思っていた時にはなかった感情である。ここにきて精神的に安定してきて生活に関して病的な鋭さが消えているともいえることである。成都(2)の詩はそのことを念頭に読んでいくものである。


有客
患氣經時久,臨江卜宅新。
自分はこれまで長い間に時々出る肺の病気(喘息)になやまされている、それがこの錦江のそばに新たに居宅を立てたので少しいいようだ。
喧卑方避俗,疏快頗宜人。
ちょうど喧騒や卑俗という煩わしいものから避けることができ、きままに世俗から離れて快適に過ごせることと云うのは自分にとってどんなにか具合がいいことなのである。
有客過茅宇,呼兒正葛巾。
そんなころ、茅ぶきの家へ突然のお客が訪ねてくれるのである、柴門にいる子供を呼んで葛の頭巾を正しくかぶりなおさせてやる。
自鋤稀菜甲,小摘為情親。
突然の客の手土産は手づくりの野菜で、自分が鋤いてつくるというのはまれな事なのだが、気遣いをしなくてもいいお客であるから少しばかりこれを摘んでさしあげるのである。
(客有り)
気を患【うれ】いて時を経【ふ】ること久しく、江に臨みて宅を卜すること新たなり。
喧卑【けんぴ】 方【まさ】に俗を避く、疎快【そかい】 頗【すこぶ】る人に宜【よろ】し。
客有りて茅宇【ぼうう】を過ぐ、児【じ】を呼びて葛巾【かつきん】を正す。
自ら鋤【す】けば菜甲【さいこう】稀なり、小【すこ】しく摘むは情親【じょうしん】の為なり。


『有客』 現代語訳と訳註
(本文)
患氣經時久,臨江卜宅新。
喧卑方避俗,疏快頗宜人。
有客過茅宇,呼兒正葛巾。
自鋤稀菜甲,小摘為情親。


(下し文)
(客有り)
気を患【うれ】いて時を経【ふ】ること久しく、江に臨みて宅を卜すること新たなり。
喧卑【けんぴ】 方【まさ】に俗を避く、疎快【そかい】 頗【すこぶ】る人に宜【よろ】し。
客有りて茅宇【ぼうう】を過ぐ、児【じ】を呼びて葛巾【かつきん】を正す。
自ら鋤【す】けば菜甲【さいこう】稀なり、小【すこ】しく摘むは情親【じょうしん】の為なり。


(現代語訳)
自分はこれまで長い間に時々出る肺の病気(喘息)になやまされている、それがこの錦江のそばに新たに居宅を立てたので少しいいようだ。
ちょうど喧騒や卑俗という煩わしいものから避けることができ、きままに世俗から離れて快適に過ごせることと云うのは自分にとってどんなにか具合がいいことなのである。
そんなころ、茅ぶきの家へ突然のお客が訪ねてくれるのである、柴門にいる子供を呼んで葛の頭巾を正しくかぶりなおさせてやる。
突然の客の手土産は手づくりの野菜で、自分が鋤いてつくるというのはまれな事なのだが、気遣いをしなくてもいいお客であるから少しばかりこれを摘んでさしあげるのである。


(訳注)
有客
○有客とは偶然に来客のあったことをいう。不意の客。
杜甫の初めてというべきこの草堂は、地域社会から孤立して存在したものではないし、士人階層や農民階層との比較的密接な交際関係の中にあったということである。また、そういう10軒前後の人間関係は、濯錦江、浣花渓によって外界と隔てられた小さな村に抱かれるようにして、大切にはぐくまれていた。この詩以降暫く人間関係の「わずらわしさ」は影をひそめる。


患氣經時久,臨江卜宅新。
自分はこれまで長い間に時々出る肺の病気(喘息)になやまされている、それがこの錦江のそばに新たに居宅を立てたので少しいいようだ。
・患氣 肺気の病をわずろう。実際には、喘息であった。
・臨江 江は錦江。濯錦江=浣花渓が錦江に注ぎ込む地点であった。
・卜宅新 本ブログの成都(1)1~10に詳しく述べる。上句で長患いの喘息をのべている、自然環境と精神環境の改善で喘息が起こらなくなっていることを云っている。


喧卑方避俗,疏快頗宜人。
ちょうど喧騒や卑俗という煩わしいものから避けることができ、きままに世俗から離れて快適に過ごせることと云うのは自分にとってどんなにか具合がいいことなのである。
・喧卑 やかましくいやし、俗居のさま。
・疎快 世事と遠ざかってかってに気もちよくして居ること。
・宜人 自己にとってつごうがよい、人というのはひろくいったまでである。


有客過茅宇,呼兒正葛巾。
そんなころ、茅ぶきの家へ突然のお客が訪ねてくれるのである、柴門にいる子供を呼んで葛の頭巾を正しくかぶりなおさせてやる。
・葛巾 くずの繊維でもって織った頭巾。


自鋤稀菜甲,小摘為情親。
突然の客の手土産は手づくりの野菜で、自分が鋤いてつくるというのはまれな事なのだが、気遣いをしなくてもいいお客であるから少しばかりこれを摘んでさしあげるのである。
・菜甲 甲とは野菜のでたてのくきをいう。
小摘 すこしばかりつむ。
・情親 こころやすい人、来客をさしていう。

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有客
患氣經時久,臨江卜宅新。
喧卑方避俗,疏快頗宜人。
有客過茅宇,呼兒正葛巾。
自鋤稀菜甲,小摘為情親。
(客有り)
気を患【うれ】いて時を経【ふ】ること久しく、江に臨みて宅を卜すること新たなり。
喧卑【けんぴ】 方【まさ】に俗を避く、疎快【そかい】 頗【すこぶ】る人に宜【よろ】し。
客有りて茅宇【ぼうう】を過ぐ、児【じ】を呼びて葛巾【かつきん】を正す。
自ら鋤【す】けば菜甲【さいこう】稀なり、小【すこ】しく摘むは情親【じょうしん】の為なり。



生活自体に満足感を持っていることで詩の雰囲気は格段に変化している。読む人を安心させる詩になっている。詩人としての矜恃をしっかり持っていた杜甫らしい詩だといえるものである。
全体把握から始まり、身近な出来事、そして杜甫の心境を詠うお得意のスタイルは進化しているのである。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -3) 為農 杜甫 <366>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1771 杜甫詩 1000- 542

為農 杜甫

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成都(2)浣花渓の草堂(2 -3) 為農 杜甫 <366>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1771 杜甫詩 1000- 542

 
詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(2 -3) 為農
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の366首目-#2 -3
杜甫ブログ1500-542回目


 759年、数え年で48歳の杜甫は、左拾遺から左遷された華州司功参軍の官を捨て、安住の地を求め、西の秦州へ、さらに南下して同谷へと何度も地を替えながら、その年の暮れに成都に到着した。妻と子供、さらに弟や家僕等合わせて十人ばかりの大家族を引き連れ、家財道具を車に積み、難所を次々と越えながらの苦労の旅であった。しかし彼が成都に来たのはきわめて幸運であった。到着後は、成都郊外の浣花渓のほとりの草堂寺に落ち着いた。

 この寺での仮住まいが終わり、翌760年の春から杜甫は、草堂寺の近く浣花渓が大きく蛇行する湾曲部の内側に住まいを決め、屋敷造りに精を出した。住まいの部分は初めは一畝ほどの広さであったが、その後は周辺部分にもしだいに広げていった。

 草堂ではじめて迎えた梅雨を詠んだ『梅雨』の詩で、草堂へのアプローチを、「南京西浦道、四月熟黄梅。」(南京 西浦の道、四月 黄梅熟す)と述べる。南京は成都のことで、安史の乱で玄宗が成都に避難していたことがあるので、この時期の三、四年、成都は南京と呼ばれていたことがある。だから成都から草堂への道は、成都の西郊外の川沿いの道(西浦の道)をいくことがわかる。

 また同じ時期の『堂成る』の詩には、草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁(そ)う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。

 浣花渓付近の自然景観は変化に富んでおり、杜甫は草堂での日々の生活や気持ちを歌うときに、そんな浣花渓のいろいろな景観やさまざまな表情を、あれやこれやの詩の中でいつも一緒に歌い出している。錦江の蛇行する浣花渓の一段には、淵があり、早瀬があり、洲があり、砂があり、泥があり、また漁の舟も集まり、商人の舟も通い、杜甫の遊覧の舟も浮かび、魚も捕れ、ハスも採れ、水浴びもでき、まことに杜甫の心をなぐさめ楽しませるところであった。

「為農」詩は農民となって住むことを述べる、五言律詩。760年上元元年春の末の作。


為農
錦裡煙塵外,江村八九家。
この錦官城の郊外の里、浣花渓の地は兵馬の塵埃から掛け離れたところで、錦江沿いの村には八九軒の家がある。
圓荷浮小葉,細麥落輕花。
錦江の岸に近い所に円い蓮が小さい葉を水面にうかべており、陸の方では細かな麦の実の畑に軽らかな花が落ちる。
卜宅從茲老,為農去國賒。
ここに居宅を建設したからにはこの地において私は歳を重ねていくのだ。ここで農民となることをけついしたからには、はるばる故郷からはなれた処に来ていることであり還る気持ちはないのである。
遠慚勾漏令,不得問丹砂。
ここで思うのは遠いむかしの勾漏の県令、晋の道士葛洪の故事にいささかはずかしくおもうのである。それは葛洪は道士として丹砂を自信を持って得たものであるが、儒者の私は自信を以て農民になることが出来るだろうかと問うことができぬことだ。

錦里【きんり】煙塵【えんじん】の外、江村【こうそん】八九家。
円荷【えんか】小葉浮かび、細麦【さいぼく】軽花落つ。
宅を卜【ぼく】して茲これ従り老いん、農と為って国を去ること賒【はる】かなり。
遠く勾漏【こうろう】の令に慚【は】ず 丹砂を問うことを得ず。

楊柳00005

『為農』 現代語訳と訳註
(本文)

為農
錦裡煙塵外,江村八九家。
圓荷浮小葉,細麥落輕花。
卜宅從茲老,為農去國賒。
遠慚勾漏令,不得問丹砂。


(下し文)
錦里【きんり】煙塵【えんじん】の外、江村【こうそん】八九家。
円荷【えんか】小葉浮かび、細麦【さいぼく】軽花落つ。
宅を卜【ぼく】して茲これ従り老いん、農と為って国を去ること賒【はる】かなり。
遠く勾漏【こうろう】の令に慚【は】ず 丹砂を問うことを得ず。


(現代語訳)
この錦官城の郊外の里、浣花渓の地は兵馬の塵埃から掛け離れたところで、錦江沿いの村には八九軒の家がある。
錦江の岸に近い所に円い蓮が小さい葉を水面にうかべており、陸の方では細かな麦の実の畑に軽らかな花が落ちる。
ここに居宅を建設したからにはこの地において私は歳を重ねていくのだ。ここで農民となることをけついしたからには、はるばる故郷からはなれた処に来ていることであり還る気持ちはないのである。
ここで思うのは遠いむかしの勾漏の県令、晋の道士葛洪の故事にいささかはずかしくおもうのである。それは葛洪は道士として丹砂を自信を持って得たものであるが、儒者の私は自信を以て農民になることが出来るだろうかと問うことができぬことだ。


(訳注)
為農

五言律詩
・押韻 家、花、砂。
成都から草堂への道は、成都の西郊外の川沿いの道(西浦の道)をいく。草堂寺の近く浣花渓が大きく蛇行する湾曲部の内側に住まいを決め、屋敷造りに精を出した。住まいの部分は初めは一畝ほどの広さであったが、その後は周辺部分にもしだいに広げていった。


錦裡煙塵外,江村八九家。
この錦官城の郊外の里、浣花渓の地は兵馬の塵埃から掛け離れたところで、錦江沿いの村には八九軒の家がある。
○錦里 錦官城の郊外の里、浣花渓の地をさしていう。
○煙塵 蜂煙風塵、これは故郷京洛の兵馬のことをいう、下の「去国賒」の意である。
○江村 浣花村をいう。○去国 京洛をはなれる。


圓荷浮小葉,細麥落輕花。
錦江の岸に近い所に円い蓮が小さい葉を水面にうかべており、陸の方では細かな麦の実の畑に軽らかな花が落ちる。
・圓荷 円い蓮。錦江の光景で下句の陸上の畑の光景と対比させる。小さい、細い、弱いなどの形容は春の若芽を云うのである。杜甫の描写の細やかな表現である。
・細麥 細かな麦の実。


卜宅從茲老,為農去國賒。
ここに居宅を建設したからにはこの地において私は歳を重ねていくのだ。ここで農民となることをけついしたからには、はるばる故郷からはなれた処に来ていることであり還る気持ちはないのである。
・卜宅 居宅を建設すること。


遠慚勾漏令,不得問丹砂。
ここで思うのは遠いむかしの勾漏の県令、晋の道士葛洪の故事にいささかはずかしくおもうのである。それは葛洪は道士として丹砂を自信を持って得たものであるが、儒者の私は自信を以て農民になることが出来るだろうかと問うことができぬことだ。
○勾漏令 晋の道士葛洪の故事、洪は勾漏から丹砂が出るときいて其の地の県令となった、勾漏県は勾漏山の下にあり、勾漏山は安南に在る。葛洪:(283-343頃) 中国、東晋の道士。字(あざな)は稚川(ちせん)、号は抱朴子(ほうぼくし)。栄利を望まず、神仙道を修行。晩年は羅浮山(らふざん)に入り、錬丹と著述に専念。
問丹砂 葛洪は県令となって丹砂の製造を間違いなく行ったのである、杜甫は儒者であり、ここにおいて農業をうまくやっていくことが出来るかどうか問いかけているのである。 ・丹砂:水銀と硫黄の化合物。深紅色の鉱石。



為農
錦裡煙塵外,江村八九家。
圓荷浮小葉,細麥落輕花。
卜宅從茲老,為農去國賒。
遠慚勾漏令,不得問丹砂。

(農と為る)
錦里【きんり】煙塵【えんじん】の外、江村【こうそん】八九家。
円荷【えんか】小葉浮かび、細麦【さいぼく】軽花落つ。
宅を卜【ぼく】して茲これ従り老いん、農と為って国を去ること賒【はる】かなり。
遠く勾漏【こうろう】の令に慚【は】ず 丹砂を問うことを得ず。

成都(2)浣花渓の草堂(2 -2) 梅雨 杜甫 <365>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1767 杜甫詩 1000- 541

梅雨 杜甫

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成都(2)浣花渓の草堂(2 -2) 梅雨 杜甫 <365>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1767 杜甫詩 1000- 541 


詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(2 -2) 梅雨
作時760年4月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の365首目-#2 -2
杜甫ブログ1500-541回目

草堂のつゆのさまをのべる、上元元年四月の作。



梅  雨
南京犀浦道,四月熟黃梅。
(四川成都)南京の犀浦県のわたしの居宅への道に四月の梅雨時には黄梅の実が熟する。
湛湛長江去,冥冥細雨來。
このときの錦江の水は漫々としてゆっくりと流れて去ってゆき、暗くたちこめる梅雨空から細かな雨が降ってくる。
茅茨疏易濕,雲霧密難開。
わたしの家の茅ぶきの屋根は疎らな部分があってそこは湿りやすくなっているようだ、雲が低く、雨靄は濃く立ち込めて空が明るく開けてくれないようだ。
竟日蛟龍喜,盤渦與岸廻。
こんな梅雨に一日じゅう喜んでいるものがいるとすれば水中の蛟龍だけであり、(それが証拠に蛟龍が喜んで起している)水面のうずまきは岸のほうで回転を起しているではないか。
(梅 雨)
南京犀浦【さいほ】の道、四月黄梅【おうばい】熟す。
湛湛として長江去り、冥冥として細雨来たる。
茅茨【ぼうし】疎にして湿い易く、雲霧密にして開け難し。
竟日【きょうじつ】蚊竜喜ぶ、盤渦【ばんか】岸廻る。

ogawa09

『梅雨』 現代語訳と訳註
(本文)
梅  雨
南京犀浦道,四月熟黃梅。
湛湛長江去,冥冥細雨來。
茅茨疏易濕,雲霧密難開。
竟日蛟龍喜,盤渦與岸廻。


(下し文) (梅 雨)
南京犀浦【さいほ】の道、四月黄梅【おうばい】熟す。
湛湛として長江去り、冥冥として細雨来たる。
茅茨【ぼうし】疎にして湿い易く、雲霧密にして開け難し。
竟日【きょうじつ】蚊竜喜ぶ、盤渦【ばんか】岸廻る。


(現代語訳)
<梅雨>
(四川成都)南京の犀浦県のわたしの居宅への道に四月の梅雨時には黄梅の実が熟する。
このときの錦江の水は漫々としてゆっくりと流れて去ってゆき、暗くたちこめる梅雨空から細かな雨が降ってくる。
わたしの家の茅ぶきの屋根は疎らな部分があってそこは湿りやすくなっているようだ、雲が低く、雨靄は濃く立ち込めて空が明るく開けてくれないようだ。
こんな梅雨に一日じゅう喜んでいるものがいるとすれば水中の蛟龍だけであり、(それが証拠に蛟龍が喜んで起している)水面のうずまきは岸のほうで回転を起しているではないか。


(訳注)
梅雨

・梅のみのなるころ降る雨、梅雨の雨。
日本における旧暦の梅雨の期間は四月後半から五月下旬、場合によっては六月初めまでとなる。杜甫のいる成都は緯度としては鹿児島市と同じ位置となる。


南京犀浦道,四月熟黃梅。
(四川成都)南京の犀浦県のわたしの居宅への道に四月の梅雨時には黄梅の実が熟する。
・南京 成都をいう、758年至徳二載成都府を改めて尹を置き東西二京(長安・洛陽)になぞらえて南京と号した。757年6月玄宗が長安を脱出成都に入った。その際に粛宗を即位させ霊武に行在所(仮御所)をおく。その際南京としたもの。
・犀浦 県の名、成都の一部、浣花渓は犀浦県に属する。
・黄梅 黃梅とは?薬用植物一覧。 モクセイ科の落葉小低木。茎は緑色で四角く、長く伸び、接地すると発根する。早春、葉に先立って黄色の花を開く。梅雨時期には実をつける。徐卿から求めたものである。
『詣徐卿覓果栽』
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。


湛湛長江去,冥冥細雨來。
このときの錦江の水は漫々としてゆっくりと流れて去ってゆき、暗くたちこめる梅雨空から細かな雨が降ってくる
・湛湛 水のたたえたさま。
・長江 錦江の水。


茅茨疏易濕,雲霧密難開。
わたしの家の茅ぶきの屋根は疎らな部分があってそこは湿りやすくなっているようだ、雲が低く、雨靄は濃く立ち込めて空が明るく開けてくれないようだ。


竟日蛟龍喜,盤渦與岸廻。
こんな梅雨に一日じゅう喜んでいるものがいるとすれば水中の蛟龍だけであり、(それが証拠に蛟龍が喜んで起している)水面のうずまきは岸のほうで回転を起しているではないか。
・竟日 一日いっぱい。
・蛟龍 水中の動物。みずち。
盤渦 うずまき。
与岸廻 岸の勢いにしたがってめぐる。杜甫の草堂のところで錦江はコの字型に湾曲しているので渦ができる。それを蛟が起しているというのである。杜甫に緊張感は感じられず、この觀経を愉しんでいるのが読み取れる。


(梅 雨)
南京犀浦【さいほ】の道、四月黄梅【おうばい】熟す。
湛湛として長江去り、冥冥として細雨来たる。
茅茨【ぼうし】疎にして湿い易く、雲霧密にして開け難し。
竟日【きょうじつ】蚊竜喜ぶ、盤渦【ばんか】岸廻る。


成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 1000- 540

蜀相 杜甫



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成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 1000- 540 


詩 題:成都(2)浣花渓の草堂(1) 蜀相
作時760年4月 上元元年49歳
掲 載; 杜甫1000の364首目-#1
杜甫ブログ1500-540回目 
成都南西に、三国時代蜀漢の丞相諸葛孔明の祠堂があり、杜甫は草堂が出来上がると少し時間がとれたようで、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねている。諸葛亮孔明を祀る武侯祠は成都西南の郊外、柏の杜(もり)のなかにある。


蜀相      
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。
(蜀相)
丞相の 祠堂何處にか尋ねん、錦官の城外に森森たる柏あり。
堦【かい】に映ずる碧草【へきそう】は自ら春色、葉を隔つる黄鸝【こうり】は空しく好音【こういん】。
三顧頻煩【ひんぼん】なるは天下の 計【はかりごと】、兩朝開濟【かいさい】するは老臣の心。
出師未【いま】だ捷【か】たざるに身先【ま】づ 死せるも、
長【なが】く英雄をして涙襟【きん】に滿たしむ。


『蜀相』 現代語訳と訳註
(本文)

蜀相      
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。


(下し文)
(蜀相)
丞相の 祠堂何處にか尋ねん、錦官の城外に森森たる柏あり。
堦【かい】に映ずる碧草【へきそう】は自ら春色、葉を隔つる黄鸝【こうり】は空しく好音【こういん】。
三顧頻煩【ひんぼん】なるは天下の 計【はかりごと】、兩朝開濟【かいさい】するは老臣の心。
出師未【いま】だ捷【か】たざるに身先【ま】づ 死せるも、
長【なが】く英雄をして涙襟【きん】に滿たしむ。


(現代語訳)
<蜀 相>
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。


(訳注)
蜀相

蜀漢の丞相諸葛亮、字は孔明をいう。
 
    
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
蜀の丞相諸葛亮孔明の詞堂は何処にたずねたらよいのだろうか、それは西の方、錦官城の外、柏樹が森森とたちならんだところである。
・丞相 を諸葛亮いう、後漢の建安二十六年劉備が帝位に即き、蜀漢とし、諸葛亮を以て丞相・録尚書事とした。
・祠堂 やしろ、廟のこと、諾票の廟は成都の西北二里、劉備の廟の西にある。柏は西に植えるもので、上句の「何處」に対応して、錦官城と柏によって位置関係を示した。
・錦官城 成都の西城の名、蜀錦の織錦の官を置いたことから「錦官」「錦江」とよばれた。
・柏 はくの木。五行思想、東の末に対して西に植えられた。
・森森 うっそうと茂る。木々がたちならぶさま。

成都 浣花峡000


映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
御堂のきざはしに映えるみどりの若草はおのずから春色満面であるが、葉かげがいい間隔にあり、うぐいすは誰も聞いていないというのに良い音色にないているばかりである。
・堦 堂のきざはし。
・鸝 うぐいすの類。


三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
むかし蜀の先主劉備が故事「三顧の礼」にならい頻繁に雪の降る中、孔明の草廬を訪れたのは「三分天下之計」であり、親子二代にわたって良く建国の基礎を作り、立派に仕事をなしたというは一貫して「老臣の心」であったことである。
・三顧 諸葛亮がまだ若く襄陽で「梁園吟」を詠って隠棲生活をしていたとき、劉備は太公望の故事にちなんで三たびまで彼を其の軍歴に訪れたので三顧という。
・頻煩 しげきこと、三たびも訪うというのはひんぱんなことをいう。
・天下計 「三分天下之計」であり、(三権鼎立は天下を安んずるの計を定めんがためなり)というほどの意味。
・両朝 先主劉備と、其の子後主劉禅との二代をいう。
・開済 諸説あるが良く建国の基礎を作り、立派に成功する。物を開いて成就するという熟語であり、上句の「頻煩」に対である。杜甫は律詩の原則をどんな場合も忠実に守っている。
・老臣心 重臣の亮をさす。杜甫はある意味、諸葛亮に自分をだぶらせているので「老」という表現をしている。やはり左拾遺の時の粛宗に対しての発言を意識してのものであろう。(房琯を援護した発言は「天下の計」であったというもの。)


出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。
諸葛亮は北伐を合計五度も行ったが勝戦とならないうちにその身を終わられた。残念至極のことであり、永久に英雄としてたたえ、涙があふれ襟もとに満たしむるのである。
・出師 蜀の227年建興五年、亮が軍をひきいて北のかた漢中に駐どまり魂を伐とうとしたとき、出発するにのぞんで後主劉禅に「出師ノ表」を奉った。劉禅の行動指針を書いたもの。諸葛亮の北伐は5回に及んでいる。
・未捷身先死 亮はその後に大衆を尽くして斜谷よりうって出、武功の責原に拠って司馬懿と渭水の南に対陣すること100日以上、234年建興十二年陣中に卒した。
・英雄 後世の英雄をいう。


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