杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

蜀中を転々

廣徳2年764-99 《送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<800> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4715 杜甫詩1500-800-1114/2500廣徳2年764-99

もし、あなたがあちらに行っても、濯錦江の水辺に病気がちで伏せている爺が居ることを思われたならば、詩友会合の内容を早く知りたいので帰られる時期を知らせていただきたいと願うところである。

 
 2014年8月26日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
69 《上李邕》Index-3Ⅰ- 2-720年開元八年20歳から23歳 成都・峨嵋山に遊ぶ <69> Ⅰ李白詩1233 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4713 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
436-#4 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1146> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4714韓愈詩-436-#4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-99 《送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<800> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4715 杜甫詩1500-800-1114/2500廣徳2年764-99 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-451《訴衷情五首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-634-15-(451) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4717 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-99 《送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】》杜甫index-14 764年 杜甫<800> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4715 杜甫詩1500-800-1114/2500廣徳2764-99

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    送王侍御往東川放生池祖席〔草堂逸詩拾遺。〕

及地點:              東川放生池 (劍南道北部 梓州 梓州)              

交遊人物:王契    當地交遊(劍南道北部 梓州 梓州)

 

 

送王侍御往東川放生池祖席

(王契侍御が東川に行くのを放生池の送別の宴席で送った詩。)

東川詩友合,此贈怯輕為。

貴方が行く剣南東川幕府において詩友が会合するということだが、この詩を贈るくらいの軽い作詩だけでは恐縮な事ではある。

況復傳宗近,空然惜別離。

ましてあなたの様な宗匠の手で伝播されるとあっては、またなお更恐れ入ることだ、だから、いたずらに詩など無しで別れを惜しむことにしたい。

梅花交近野,草色向平池。

今、このあたりでは梅の花が花影を交えているし、草の色は、平地に向って連なってきている。

儻憶江邊臥,歸期願早知。

もし、あなたがあちらに行っても、濯錦江の水辺に病気がちで伏せている爺が居ることを思われたならば、詩友会合の内容を早く知りたいので帰られる時期を知らせていただきたいと願うところである。

 

(王侍御が東川に往くを送る、放生池の祖席)

東川の詩友 合す,此の贈 輕為を怯る。

況んや復た宗近より傳えらるるをや,空然 別離を惜む。

梅花 近野に交り,草色 平池に向う。

儻【も】し江邊の臥を憶わば,歸期 願わくば早く知らしめんことを。

 

杜甫草堂詳細図02 

 

『送王侍御往東川放生池祖席』 現代語訳と訳註

(本文)

送王侍御往東川放生池祖席

東川詩友合,此贈怯輕為。

況復傳宗近,空然惜別離。

梅花交近野,草色向平池。

儻憶江邊臥,歸期願早知。

 

(下し文)

(王侍御が東川に往くを送る、放生池の祖席)

東川の詩友 合す,此の贈 輕為を怯る。

況んや復た宗近より傳えらるるをや,空然 別離を惜む。

梅花 近野に交り,草色 平池に向う。

儻【も】し江邊の臥を憶わば,歸期 願わくば早く知らしめんことを。

 

(現代語訳)

(王契侍御が東川に行くのを放生池の送別の宴席で送った詩。)

貴方が行く剣南東川幕府において詩友が会合するということだが、この詩を贈るくらいの軽い作詩だけでは恐縮な事ではある。

ましてあなたの様な宗匠の手で伝播されるとあっては、またなお更恐れ入ることだ、だから、いたずらに詩など無しで別れを惜しむことにしたい。

今、このあたりでは梅の花が花影を交えているし、草の色は、平地に向って連なってきている。

もし、あなたがあちらに行っても、濯錦江の水辺に病気がちで伏せている爺が居ることを思われたならば、詩友会合の内容を早く知りたいので帰られる時期を知らせていただきたいと願うところである。

成都関連地図 00 

(訳注)

送王侍御往東川放生池祖席

(王契侍御が東川に行くのを放生池の送別の宴席で送った詩。)

東川 梓州の剣南東川幕府。

放生池 精と錦江にあるという。

祖席 送別の祭りを祖道ということで、送別の宴席をいう。

 

東川詩友合,此贈怯輕為。

貴方が行く剣南東川幕府において詩友が会合するということだが、この詩を贈るくらいの軽い作詩だけでは恐縮な事ではある。

此贈 この詩を贈る。元気でいれば、本来なら別れのための詩篇、詩友会合のために特別に詩篇を送りたいところであるということをいう。

 

況復傳宗近,空然惜別離。

ましてあなたの様な宗匠の手で伝播されるとあっては、またなお更恐れ入ることだ、だから、いたずらに詩など無しで別れを惜しむことにしたい。

傳宗近 作詩の宗匠の手で伝播される。王契のこと。

空然 いたずらに詩など無しということ。

 

梅花交近野,草色向平池。

今、このあたりでは梅の花が花影を交えているし、草の色は、平地に向って連なってきている。

 枝がたがいにまじわり、花がひらくことをいう。

近野 近郊にある田野、放生池の辺りの様子をいう。

 

儻憶江邊臥,歸期願早知。

もし、あなたがあちらに行っても、濯錦江の水辺に病気がちで伏せている爺が居ることを思われたならば、詩友会合の内容を早く知りたいので帰られる時期を知らせていただきたいと願うところである。

江邊 濯錦江の水辺。

 病気がちで伏せている爺が居ること

歸期 帰られる時期。

願早知 詩友会合の内容を早く知りたい。
蜀中転々圖 

廣徳2年764-98-#5 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4710 杜甫詩1500-799ー#5-1113/2500

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

 
 2014年8月25日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
68 《訪載天山道士不遇 李白1》Index-2 Ⅰ-1-718年開元六年18歳 載天山に隠れ道士の修行 <68> Ⅰ李白詩1232 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4708 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
436-#3 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1145> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4709韓愈詩-436-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#5 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4710 杜甫詩1500-799ー#5-1113/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-450《訴衷情五首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-633-15-(450) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4712 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-98-#5 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4710 杜甫詩1500-799ー#5-1113/2500

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四
詩題:
    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。
勝決風塵際,功安造化鑪。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

 

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

自分は子供のころから蘇源明・鄭虔を慕っていたが、後に交友を重ね兄弟のような関係に列せられるようになった。

情乖清酒送,望撫墳呼。

それが今、ありがたいことに儒者が酌み交わす清酒をおくってもらうような厚情を担うことが出来なくなり、親しくその墳土をさすって呼びかけてみたいと思っても、その望みは絶望なのである。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

 

安史の乱当時の勢力図 

『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文) #5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(下し文) #5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

 

(現代語訳)

自分は子供のころから蘇源明・鄭虔を慕っていたが、後に交友を重ね兄弟のような関係に列せられるようになった。

それが今、ありがたいことに儒者が酌み交わす清酒をおくってもらうような厚情を担うことが出来なくなり、親しくその墳土をさすって呼びかけてみたいと思っても、その望みは絶望なのである。

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。

このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

 

蜀の山50055 

(訳注) 5

哭台州鄭司蘇少監 

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

童稚思諸子,交朋列友于。

自分は子供のころから蘇源明・鄭虔を慕っていたが、後に交友を重ね兄弟のような関係に列せられるようになった。

童稚 子供のころから

諸子 蘇源明・鄭虔のこと。

 

情乖清酒送,望撫墳呼。

それが今、ありがたいことに儒者が酌み交わす清酒をおくってもらうような厚情を担うことが出来なくなり、親しくその墳土をさすって呼びかけてみたいと思っても、その望みは絶望なのである。

清酒 儒者の飲む清酒。

撫墳呼 墳土を手で撫でて哭ることだ友人としてすべきこと。

 

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。

瘧病 持病のおこり。

巴水 嘉陵江の流域。

瘡痍 兵乱が十年も続き、人々は満身創痍であること。

蜀都 成都のこと。

 

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

○この二句は、天地の雑草をきれいに掃除をするような仁徳の者がいなくなったことをいう。

蜀中転々圖 

 

 

詩文(含異文)    

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。存亡不重見,喪亂獨前途。

豪俊何人在【豪俊人誰在】,文章掃地無。羇遊萬里闊,凶問一年俱。

白首中原上,清秋大海隅。夜臺當北斗,泉路著東【泉路窅東】。

得罪台州去,時危棄碩儒。移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。從容拘舊學【從容詢舊學】,慘澹閟陰符

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。俗依綿谷異,客對雪山孤。

童稚思諸子,交朋列友于。情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水【瘧痢餐巴水】,瘡痍老蜀都。飄零迷哭處,天地日榛蕪。





廣徳2年764-98-#4 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4705 杜甫詩1500-799ー#4-1112/2500

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

 
 2014年8月24日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
67 《尋雍尊師隱居》Index-2 Ⅰ-1-718年開元六年18歳 載天山に隠れ道士の修行 <67> Ⅰ李白詩1231 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4703 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
436-#2 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1144> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4704韓愈詩-436-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍 
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首  LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#4 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4705 杜甫詩1500-799ー#4-1112/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集Fc2ブログ477 韓昌黎集 巻五 410 《獨釣,四首之三》元和十三年韓愈(韓退之) 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4711 (08/24)
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-449《訴衷情五首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-632-15-(449) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4707
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 

廣徳2764-98-#4 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4705 杜甫詩1500-799ー#4-1112/2500

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。
勝決風塵際,功安造化鑪。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

蜀の山50055

 

『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文) #4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

 

(下し文) #4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

 

(現代語訳)

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

 

 (訳注) #4

哭台州鄭司蘇少監 

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

 

賢良不必展,廊廟偶然趨。

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。

不必展 開元の治を過ぎると、李林甫の横暴、楊国忠の横暴と玄宗は彼らに任せきりで、陽気人の頽廃におぼれていた。安史の乱以降、房琯一派は、経済政策政治理念の違いから発言場所は与えられなかった。

廊廟 朝廷内のいろんな場所。(安史の乱で慌てふためくため、朝廷内の各所で混乱する)

趨 混乱をあらわす走り回ることを意味する。

 

勝決風塵際,功安造化鑪。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

風塵際 安禄山の叛乱で兵馬の塵が風雲のように広がった際のこと。

功 征伐の戦の結果うまく平定したこと。

安造化鑪 天地、万物を造化するけれどそれは天子にとって囲炉裏の中の出来事の様なもので、最後はきちんと灰をかけて消し去るというほどの意味。

 

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

從容 そのゆったりとした容貌。

拘舊學 以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたこと。

慘澹 ① いたましくて見るに忍びないさま。 -たる結果に終わる」 -たる殺戮を世上に見るのみなりき/日本開化小史 卯吉」 あれこれと心を砕くさま。

閟陰符 陰符は太公望の兵法。鄭虔は、天寶軍防録という兵法をまとめた書物を作って著したが、閟は、その書物を閉じてしまうこと。中国,道教経典の一つ。その源流は,戦国末,あるいは北魏の寇謙之にさかのぼるかと言われるが,現存のテキストは,唐の玄宗時代の道士,李筌の手を経るとされる。李筌によれば,陰符とは闇合の意で,造化の機密が人事の機密と暗合していると説くのがこの書の主旨と言う。唐・宋以後,その簡潔さもあって広く行われ,朱熹(しゆき)(朱子)も《陰符経考異》を著し,道を深く理解した人でなければ作れぬ書としている。

 

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

擺落 払い落とす。ここは嫌疑というものが微塵もないという意味。

 

俗依綿谷異,客對雪山孤。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

綿谷異 綿州の谷地方の異風俗。

雪山 西山。雪嶺山脈。
nat0001
 






 

廣徳2年764-98-#3 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4700 杜甫詩1500-799ー#3-1111/2500

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

 

 
 2014年8月23日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
66 《贈江油尉》Index-2 Ⅰ-1-718年開元六年18歳 載天山に隠れ道士の修行 <66> Ⅰ李白詩1230 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4698 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
436-#1 《孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】》韓愈(韓退之)ID <1143> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4699韓愈詩-436-#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#3 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4700 杜甫詩1500-799ー#3-1111/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-448《訴衷情五首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-631-15-(448) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4702 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-98-#3 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4700 杜甫詩1500-799ー#3-1111/2500

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

三者の思惑が合致 

 

『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文) #3

道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。

 

(下し文)

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

 

(現代語訳)

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注) #3

哭台州鄭司蘇少監 

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

 

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

○道消 世間で君子の道が減退していたこと。

○心息 心を休息させる。

○酒為徒 酒の場において飲み仲間とする。

 

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

○許與 鄭虔と蘇源明(房琯)が杜甫の文才があると許していた。

○才 杜甫の文才。

○薄 薄弱、謙遜語。

○追隨 杜甫が鄭虔と蘇源明(房琯)に追随して交遊すること。

○跡未拘 外形上のことに拘束せず、精神的な交際をすること。

 

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

○班揚 鄭虔と蘇源明(房琯)を班固・揚雄ほどの名声がある。

○嵇阮 鄭虔と蘇源明(房琯)を竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁する人として尊重する。

○逸相須 互いを必要としたということのように互いになくてはならないもの。

 

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

○此の句は、房琯一派の基本的な考え方であり、こうした交友を旧唐書でもふれている。あくまでも体制側のものである。

黄河二首の背景 杜甫 

7569月、房琯は賓客を喜び、談論を好んだ。知名の士を多く引き抜き、無名の者を軽視したので、 大勢の人が怨んだ。

   北海太守・賀蘭進明が行在所へやって来ると、粛宗皇帝は、南海太守、兼御史大夫として嶺南節度使に充てるよう 房琯へ命じた。それなのに、房琯は摂御史大夫とした。賀蘭進明が入って謝すると、 粛宗皇帝は摂御史大夫となったことを訝しんだ。そこで賀蘭進明は、房琯への不満を語り、 かつ言った。

房琯は、自ら兵を率いて両京を回復することを上疏した。 粛宗皇帝はこれを許し、房琯は、自ら参佐を選ぶことを請い、御史中丞・鄧景山を副、戸部侍郎・李揖を 行軍司馬、給事中・劉秩を参謀とした。出発した後、また、兵部尚書・王思禮を副とした。

   房琯は、軍務を全て李揖と劉秩へ任せたが、 二人とも書生で軍事のことは素人だった。 房琯は、人へ言った。

 

   「川を渡った賊徒は数こそ多いけれども、どうして我が劉秩へかなおうか!」

 

   房琯は、全隊を三軍に分けた。裨将・楊希文は南軍を率いて宜寿から入り、 劉貴哲は中軍を率いて武功から入り、李光進は北軍を率いて奉天から入った。

 

   賀蘭進明を河南節度使とした。

 

   東方では燕の令狐潮、王福徳が歩騎万余を率いて、また雍丘を攻めた。 張巡は出撃し、これを大いに破って数千級の首を斬る。燕軍は逃げ去った。

 

   房琯は中軍、北軍を前鋒とした。

   庚子、便橋へ到着する。

   辛丑、二軍は咸陽の陳濤斜にて賊将・安守忠と遭遇した。 房琯は、古法に倣って車戦を用い、牛車二千乗を馬歩が挟むような陣立てをした。 燕軍は、順風に乗って軍鼓を打ち鳴らす。牛は皆、震え上がった。そこで燕軍は火を放ったので、 人畜共に大いに乱れた。官軍の死傷者は四万余人。生存者は数千人だけだった。

   癸卯、房琯は自ら南軍を率いて戦ったが、また敗れた。 楊希文、劉貴哲は共に賊へ降伏した。

   粛宗皇帝は房琯の敗北を聞いて大いに怒った。だが、李泌が取りなしたので、 怒りもどうにか収まり、房琯とは従来通り接した。

   粛宗皇帝は薛景仙を関内節度副使とした。

7576月、房琯は高簡な性格。この時、国家は多難だったのに、房琯は病気と称して朝謁せず、 職務など気にしていなかった。庶子の劉秩、諫議大夫・李揖らと共に釈迦や老子を高談したり、 あるいは門客の董庭蘭の鼓琴を聞いたりしていた。 董庭蘭は、これでたくさんの権利を得た。

   董庭蘭が収賄したと、御史が上奏した。

   丁巳、房琯をやめさせて太子少師とする。 諫議大夫 ・張鎬を中書侍郎、同平章事とした。

廣徳2年764-98-#2 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4695 杜甫詩1500-799ー#2-1110/2500

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

 
 2014年8月22日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
65 《雨後望月》Index-1Ⅰ―1 715年開元三年15歳 剣術を好み賦を作る <65> Ⅰ李白詩1229 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4693 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
435 《青青水中蒲,三首之三》韓愈(韓退之)ID <1142> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4694韓愈詩-435 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#2 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4695 杜甫詩1500-799ー#2-1110/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-447《玉樓春二首其二》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-630-15-(447) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4697 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳

2764-98-#2 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4695 杜甫詩1500-799ー#2-1110/2500

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

続きを読む

廣徳2年764-98-#1 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4690 杜甫詩1500-799ー#1-1109/2500

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

 
 2014年8月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
64 《初月》Index-1Ⅰ―1 715年開元三年15歳 剣術を好み賦を作る <64> Ⅰ李白詩1228 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4688 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
434 《青青水中蒲,三首之二》韓愈(韓退之)ID <1141> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4689韓愈詩-434 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#1 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4690 杜甫詩1500-799ー#1-1109/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ473 韓昌黎集 巻五 406 《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4691 (08/21) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-446《玉樓春二首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-629-15-(446) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4692 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-98-#1 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4690 杜甫詩1500-799ー#1-1109/2500

 

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:  台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

夜臺當北斗,泉路著東

得罪台州去,時危棄碩儒。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

 

成都関連地図 00『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文)

哭台州鄭司蘇少監 #1

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

豪俊何人在,文章掃地無。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

 

(下し文)

(台州の鄭司と蘇少監とを哭す) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

 

(現代語訳)

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

 

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

 

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

 

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

杜甫が房琯との付き合いで経済学・政治学に長けていたことがよくわかるのは、房琯に関連した下記にしめす文章にはっきりと示されている。この文章について、経済学を理解していない人たちの訳は間違っているものが多く、このブログで、国内唯一の訳(20145/520146/21)を参考にされたい。

奉謝口敕放三司推問狀757年至徳二載

乾元元年華州試進士策問五首

祭故相國清河房公文

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3) 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

 

廣徳2年764-97-#2 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4685 杜甫詩1500-798-#2

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない。自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

 
 2014年8月20日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
63 《曉晴【晚晴】》Index-1Ⅰ―1 715年開元三年15歳 剣術を好み賦を作る <63> Ⅰ李白詩1227 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4683 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
433 《青青水中蒲,三首之一》韓愈(韓退之)ID <1140> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4684韓愈詩-433 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-97-#2 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4685 杜甫詩1500-798-#2 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ472 韓昌黎集 巻五 405 《桃林夜賀晉公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <846>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3214韓愈詩-218 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4686 (08/20) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-445《木蘭花一首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-628-15-(445) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4687 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳2764-97-#2 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4685 杜甫詩1500-798-#2

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

【草堂逸詩拾遺。】

陪鄭公秋晚北池臨眺

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

北池雲水闊,華館闢秋風。

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

素楫分曹往,金盤小徑通。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

#2

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

酒の盃は渡し場の役人、舟の係官にまでほどこされ、歳とった手伝いの漁父まで褒美の衣裳を分かち合うよう与えられている。

異方初豔菊,故里亦高桐。

こんな他郷で初めてこんなに艶やかな菊の花を見た。ここにはまた高い桐の木があるが自分の故郷にもこのような桐の木があるのである。

搖落關山思,淹留戰伐功。

今、秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているのを見て、官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出し、吐蕃の城を包囲する遠方を眺めて此処に逗留するのは、厳武公の戰伐の功を期待しているからである。

嚴城殊未掩,清宴已知終。

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない。

何補參卿事,歡到薄躬。

自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

 

(鄭公が秋晚北池に臨眺するに陪す)

北池 雲水 闊し,華館 秋風に闢く。

獨鶴 元 渚に依り,衰荷 且つ空に映ず。

菱を采る 寒刺の上,藕を蹋む 野泥の中。

素楫 曹を分ちて往く,金盤 小徑 通ず。

萋萋 露草 碧に,片片 晚旗 紅なり。

#2

杯酒 津吏に霑し,衣裳 釣翁に與う。

異方 初めて 豔菊,故里 亦た 高桐。

搖落 關山の思,淹留するは 戰伐の功。

嚴城 殊に未だ掩わず,清宴 已に 終るを知る。

何をか補わん 參卿の事,歡 薄躬に到る。

安史の乱当時の勢力図 

 

『陪鄭公秋晚北池臨眺』 【草堂逸詩拾遺。】現代語訳と訳註

(本文)

 #2

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

異方初豔菊,故里亦高桐。

搖落關山思,淹留戰伐功。

嚴城殊未掩,清宴已知終。

何補參卿事,歡到薄躬。

 

(下し文) #2

杯酒 津吏に霑し,衣裳 釣翁に與う。

異方 初めて 豔菊,故里 亦た 高桐。

搖落 關山の思,淹留するは 戰伐の功。

嚴城 殊に未だ掩わず,清宴 已に 終るを知る。

何をか補わん 參卿の事,歡 薄躬に到る。

 

(現代語訳)

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

酒の盃は渡し場の役人、舟の係官にまでほどこされ、歳とった手伝いの漁父まで褒美の衣裳を分かち合うよう与えられている。

こんな他郷で初めてこんなに艶やかな菊の花を見た。ここにはまた高い桐の木があるが自分の故郷にもこのような桐の木があるのである。

今、秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているのを見て、官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出し、吐蕃の城を包囲する遠方を眺めて此処に逗留するのは、厳武公の戰伐の功を期待しているからである。

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない。

自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

題新津北橋棲00 

(訳注) #2

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

鄭公 剣南西川節度使・成都尹の厳武。

北池 杜甫《立秋雨院中有作》「解衣開北,高枕對南樓。」(衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。)とあって、北側に池がある。

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

成都には《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟》〔得溪字。池在張儀子城。〕(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕というのもある。

 

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

酒の盃は渡し場の役人、舟の係官にまでほどこされ、歳とった手伝いの漁父まで褒美の衣裳を分かち合うよう与えられている。

津吏 渡し場の役人、ここでは舟の係官。

釣翁 歳とった手伝いの漁父。

 

異方初豔菊,故里亦高桐。

こんな他郷で初めてこんなに艶やかな菊の花を見た。ここにはまた高い桐の木があるが自分の故郷にもこのような桐の木があるのである。

異方 他郷をいう。

初豔菊 初めてこんなに艶やかな菊の花。

故里 自分の故郷。

 

搖落關山思,淹留戰伐功。

今、秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているのを見て、官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出し、吐蕃の城を包囲する遠方を眺めて此処に逗留するのは、厳武公の戰伐の功を期待しているからである。

搖落 秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているさま。

關山思 官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出すこと。

淹留 此処にひさしく逗留すること。

戰伐功 厳武公の戰伐の功を期待していること。

 

嚴城殊未掩,清宴已知終。

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない

嚴城 守りの厳重な城。

 

何補參卿事,歡到薄躬。

自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

何補參卿事 節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないということ。
成都関連地図 00 

廣徳2年764-97-#1 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4680 杜甫詩1500-798-#1-1107/2500

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

 
 2014年8月19日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
62 《對雨》Ⅰ―1 715年開元三年15歳 剣術を好み賦を作る <62> Ⅰ李白詩1226 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4678 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
431 《岐山下,二首之一》韓愈(韓退之)ID index-1 793年貞元9年 26歳<1138> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4674韓愈詩-431 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-97-#1 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4680 杜甫詩1500-798-#1-1107/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ471 韓昌黎集 巻五 404 《次潼關上都統相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <845>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3209韓愈詩-217 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4681 (08/19) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-444《滿宮花一首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-627-15-(444) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4682 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-97-#1 《陪鄭公秋晚北池臨眺》杜甫index-14 764年 杜甫<798-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4680 杜甫詩1500-798-#1-1107/2500

 

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

北池雲水闊,華館闢秋風。

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

素楫分曹往,金盤小徑通。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

#2

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

異方初豔菊,故里亦高桐。

搖落關山思,淹留戰伐功。

嚴城殊未掩,清宴已知終。

何補參卿事,歡到薄躬。

 

(鄭公が秋晚北池に臨眺するに陪す)

北池 雲水 闊し,華館 秋風に闢く。

獨鶴 元 渚に依り,衰荷 且つ空に映ず。

菱を采る 寒刺の上,藕を蹋む 野泥の中。

素楫 曹を分ちて往く,金盤 小徑 通ず。

萋萋 露草 碧に,片片 晚旗 紅なり。

#2

杯酒 津吏に霑し,衣裳 釣翁に與う。

異方 初めて 豔菊,故里 亦た 高桐。

搖落 關山の思,淹留するは 戰伐の功。

嚴城 殊に未だ掩わず,清宴 已に 終るを知る。

何をか補わん 參卿の事,歡 薄躬に到る。

 題新津北橋棲00 

 

『陪鄭公秋晚北池臨眺』 【草堂逸詩拾遺。】現代語訳と訳註

(本文)

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

北池雲水闊,華館闢秋風。

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

素楫分曹往,金盤小徑通。

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

 

(下し文)

(鄭公が秋晚北池に臨眺するに陪す)

北池 雲水 闊し,華館 秋風に闢く。

獨鶴 元 渚に依り,衰荷 且つ空に映ず。

菱を采る 寒刺の上,藕を蹋む 野泥の中。

素楫 曹を分ちて往く,金盤 小徑 通ず。

萋萋 露草 碧に,片片 晚旗 紅なり。

 

(現代語訳)

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

nat0019 

(訳注)

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

鄭公 剣南西川節度使・成都尹の厳武。

北池 杜甫《立秋雨院中有作》「解衣開北,高枕對南樓。」(衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。)とあって、北側に池がある。

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

成都には《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟》〔得溪字。池在張儀子城。〕(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕というのもある。

 

北池雲水闊,華館闢秋風。

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

華館 美しい館。厳武の官邸。

闢 戸を開く。

 

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

獨鶴 一羽の鶴。

衰荷 秋の暮れになると衰えた蓮の葉。

 

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

采菱 菱の実。

寒刺 秋も深まれば寒くなると棘がかたくなる菱の実のこと。

藕 蓮根。

 

素楫分曹往,金盤小徑通。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

素楫 木肌に何も塗っていない白木の楫。

分曹往 役所の課の役割を分ける組み分けをすること。

金盤 金の飾りを施した大皿。菱の実や蓮根を飾る皿。

小徑通 池の中に小舟の通って道ができること。

 

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

萋萋 草草が繁っているさま。

露草 夕方になって、露を含んだ草は色濃くなっているさま。

片片 所の課の役割を分ける組み分けをしたそれぞれの船に旗を付けている一片一片のありさまをいう。

晚旗 日暮れ色に染まった旗。

安史の乱当時の勢力図 

廣徳2年764-96 《巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<797> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4675 杜甫詩1500-797-1106/2500廣徳2年764-96

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

 
 2014年8月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
61 《望夫石》Ⅰ―1 715年開元三年15歳 剣術を好み賦を作る <61> Ⅰ李白詩1225 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4673 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
431 《岐山下,二首之一》韓愈(韓退之)ID index-1 793年貞元9年 26歳<1138> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4674韓愈詩-431 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-96 《巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<797> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4675 杜甫詩1500-797-1106/2500廣徳2年764-96 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ470 韓昌黎集 巻五403 《次潼關先寄張十二閣老使君〔張賈也〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <844>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3204韓愈詩-216 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4676 (08/18) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-443《菩薩蠻二首其二》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-626-15-(443) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4677 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-96 《巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4675 杜甫詩1500-797-1106/2500廣徳2764-96

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州)

及地點:              巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)            長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都            

交遊人物:班司馬              當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)
聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。
傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。 

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

蜀中転々圖

『巴西聞收宮闕送班司馬入京』 現代語訳と訳註

(本文)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

念君經世亂,匹馬向王畿。

 

 

(下し文)

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

(現代語訳)

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

太白山001 

(訳注)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

巴西 三巴の閬州

宮闕 朝廷の門の両脇の小門。

班司馬 《送司馬入京》と同人物。閬州の属官。

 

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

聞道 きくならく。ひとの謂うことには。聞くところによると。

鳴鑾 車のヨコギにつけた鈴。

 河南道陜州、代宗が逃げ延びたところ。

 

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

黃屋 天子の馬車、天子の車は車の屋根の裏を黄色の絹張りをいう。

正殿 礼儀を行う表御殿。

朱衣 御史太夫の從官の着る服で、この官が朝礼の際引率してそれぞれの立ち位置に引率する。

 

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

劍外 剣閣の外、つまり蜀の地をいう。

敕使 天子の仰せをつたえるお使い。

 

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

 王司馬のこと。

匹馬 一匹の馬。

王畿 都近くの地方。
安史の乱当時の勢力図 

廣徳2年764-95 《廣徳2年764-92收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<796> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4670 杜甫詩1500-796-1105/2500廣徳2年764-95

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

 
 2014年8月17日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
60 《題竇圌山》Ⅰ―1 715年開元三年15歳 剣術を好み賦を作る <60> Ⅰ李白詩1224 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4668 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
430 《落葉送陳羽》韓愈(韓退之)ID index-1 788年貞元4年 21歳<1137> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4669韓愈詩-430 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-95 《廣徳2年764-92收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<796> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4670 杜甫詩1500-796-1105/2500廣徳2年764-95 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-442《菩薩蠻二首其一》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-625-15-(442) 巻八漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4672 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-95 《廣徳2764-92收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4670 杜甫詩1500-796-1105/2500廣徳2764-95

 

 

廣徳元年(763) 10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。

  驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。 そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。 吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。 代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。 中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。

  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。

 

 11月、代宗皇帝は程元振の官爵を削り、田里へ放帰した。

  郭子儀は30騎で御宿川の楯山の東に至る

 

12月 丁亥の日、吐蕃軍が去ったことを知り、車駕が陜州を出発し、京師へ戻った。 この時、左丞・顔眞卿は、まず陵廟へ謁してから宮へ帰るよう 代宗皇帝へ請うた。元載は従わない。顔眞卿は怒って言った。

 

  「相公が再び請われることに、朝廷がどうして耐えられようか!」

 

  元載は、これを根に持った。

  甲午の日、代宗皇帝が長安へ到着する。 魚朝恩を天下観軍容宣慰置使として、禁兵・神策軍を統率させた。 寵を得ること比類なかった。鄠県と中渭橋に城を築き、 兵を駐屯させて吐蕃帝国の襲撃に備えた。 駱奉仙を鄠県築城使とし、その兵を指揮させる。

 

  乙未の日、苗晋卿を太保、裴遵慶を太子少傅として、 共に政事をやめさせた。宗正卿・李峴を黄門侍郎、同平章事と する。

  裴遵慶が去ってしまうと、元載の権勢は益々盛んになった。 賄賂を贈って内侍の董秀や使主書卓・英倩と密かに往来する。 だから元載は、代宗皇帝が望んでいることを必ず先に知り、 細かく心を配って迎合したので、発言は全て意向に叶った。 それ故、代宗皇帝はますます元載を寵愛した。

 

  吐蕃軍が去った後に広武王・李承宏は野に身を隠していたが、 代宗皇帝は広武王・李承宏を華州へ放逐した。

 

  さて、程元振は、罪を得た後に三原へ帰っていたが、代宗皇帝が宮殿へ 帰ったと聞くと、布陣の衣を着て私的に長安へ入り、 密かに復帰の機会を窺った。 京兆府は、これを捕らえて報告した。

<大唐朝誌>

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    收京〔收京闕〕【草堂逸詩拾遺】

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

收京

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公。

莫令回首地,慟哭起悲風。

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

 

(收京)

復た道う 京邑を收むと,兼ねて聞く 犬戎を殺すと。

衣冠 卻って扈從【こじゅう】す,車駕 已に宮に還える。

克復【こくふく】 成【まこと】に此の如し,安危【あんき】數公に在り。

回首の地を令て,慟哭 悲風を起さしむること莫れ。

 

閶闔門001 

『收京』 現代語訳と訳註

(本文)

收京

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公。

莫令回首地,慟哭起悲風。

 

(含異文)           

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公【扶持在數公】。

莫令回首地,慟哭起悲風。

 

(下し文)

(收京)

復た道う 京邑を收むと,兼ねて聞く 犬戎を殺すと。

衣冠 卻って扈從【こじゅう】す,車駕 已に宮に還える。

克復【こくふく】 成【まこと】に此の如し,安危【あんき】數公に在り。

回首の地を令て,慟哭 悲風を起さしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

收京

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

この詩は、76312月に長安を収め、代宗が帰られたということを杜甫が年明けに聞きこの詩をつくったが、764年秋、厳武の幕府から草堂に帰って整理している。

 

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

復道 安禄山の時も天子は蜀と霊武に逃げたが、吐蕃侵入に代宗は千秋ににげたことで「復道」という。

京邑 長安、長安近郊。

犬戎 侵攻した吐蕃を指す。

 

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

衣冠 文武の官員。

卻扈從 後からお供をする。飛散していた朝廷の官僚は天子が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたことをいう。

車駕 天子の乗り物。

還宮 長安の宮殿に帰って来る。

 

克復成如此,安危在數公。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

克復 元通りに回復する。

安危 安心な部分と危険な部分が両方あること。

數公 朝廷を司る数人の宰相。

 

莫令回首地,慟哭起悲風。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

回首地 杜甫がその場からあちこちを見回すことをいう。
三者の思惑が合致 

廣徳2年764-94 《送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<795> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4665 杜甫詩1500-795-1104/2500廣徳2年764-94

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

 
 2014年8月16日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
59-#2 《古風五十九首之五十九》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳757古風,五十九首之五十九惻惻泣路岐, <59-#2> Ⅰ李白詩1223 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4663 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
429 《烽火》韓愈(韓退之)ID index-1 787年貞元3年 20歳<1136> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4664韓愈詩-429 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-94 《送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<795> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4665 杜甫詩1500-795-1104/2500廣徳2年764-94 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ468 韓昌黎集 巻五 401 《次硤石》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <842>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3194韓愈詩-214 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4666 (08/16) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-441《河滿子一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-624-9-(441) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4667 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳

2764-94 《送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4665 杜甫詩1500-795-1104/2500廣徳2764-94

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州)

及地點:              巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)           

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 

交遊人物:班司馬              當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

送司馬入京

群盜至今日,先朝忝從臣。

歎君能戀主,久客羨歸秦。

黃閣長司諫,丹墀有故人。

向來論社稷,為話涕霑巾。

(班司馬の入京されるを送る)

安史の乱が終結しても、今日に至るも各地に盗賊や、叛乱を起こすものが後を絶たない。自分も先ごろまで、かたじけないことに従臣の一員としていた。

君主として歎くこともあったが君主をよくお慕いしていた、久しく旅客の人となっているけれども、長安方面に帰られる方を羨ましいと思うものである。

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

その頃は国家の事、経済のことをおおいに論じ合ったものである。こんな話をしていると涙は溢れ、こうして持っている服の袖まで塗れてしまうのである。

 

(送司馬入京)

群盜 今日に至り,先朝 忝けなくも臣に從う。

君に歎き能く主に戀し,久客 秦に歸るを羨む。

黃閣 長司諫め,丹墀 故人有り。

向來して社稷を論じ,話を為して涕巾を霑す。

 

安史の乱当時の勢力図 

『送司馬入京』 現代語訳と訳註

(本文)

送司馬入京

群盜至今日,先朝忝從臣。

歎君能戀主,久客羨歸秦。

黃閣長司諫,丹墀有故人。

向來論社稷,為話涕霑巾。

 

 

(下し文)

(送司馬入京)

群盜 今日に至り,先朝 忝けなくも臣に從う。

君に歎き能く主に戀し,久客 秦に歸るを羨む。

黃閣 長司諫め,丹墀 故人有り。

向來して社稷を論じ,話を為して涕巾を霑す。

 

(現代語訳)

(班司馬の入京されるを送る)

安史の乱が終結しても、今日に至るも各地に盗賊や、叛乱を起こすものが後を絶たない。自分も先ごろまで、かたじけないことに従臣の一員としていた。

君主として歎くこともあったが君主をよくお慕いしていた、久しく旅客の人となっているけれども、長安方面に帰られる方を羨ましいと思うものである。

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

その頃は国家の事、経済のことをおおいに論じ合ったものである。こんな話をしていると涙は溢れ、こうして持っている服の袖まで塗れてしまうのである。

 

三者の思惑が合致 

(訳注)

送司馬入京

(班司馬の入京されるを送る)

 

群盜至今日,先朝忝從臣。

安史の乱が終結しても、今日に至るも各地に盗賊や、叛乱を起こすものが後を絶たない。自分も先ごろまで、かたじけないことに従臣の一員としていた。

 

歎君能戀主,久客羨歸秦。

君主として歎くこともあったが君主をよくお慕いしていた、久しく旅客の人となっているけれども、長安方面に帰られる方を羨ましいと思うものである。

 

黃閣長司諫,丹墀有故人。

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

黃閣 古代の官職。大臣の別称。ここでは房琯を示す。

丹墀 宮殿の階上の庭、天子の宮殿。

 

向來論社稷,為話涕霑巾。

その頃は国家の事、経済のことをおおいに論じ合ったものである。こんな話をしていると涙は溢れ、こうして持っている服の袖まで塗れてしまうのである。

社稷 社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)の総称。天壇・地壇や宗廟などとともに、中国の国家祭祀の中枢を担う。本項で記述。 転じて、国家のことを意味する。古代中国に於いては、土地とそこから収穫される作物が、国家の基礎であると考えられており、村ごとに土地の神と五穀の神を祀っていたが、やがて古代王朝が発生するようになると、天下を治める君主が国家の祭祀を行うようになり、やがて国家そのものを意味するようになった。

新しい国が興ると、社稷の祭壇と宗廟が設置された。帝王の都は、左に太祖と呼ばれる先祖(宗廟)を、右に土地神を(社稷)祀ることとされており、現在残る社稷の多くが、この形式にしたがっている。この形式は、古くは周の時代より存在したとされる。

中国では戦争に勝つと、戦いに勝利した国が敗北した国家の社稷の祭壇を破壊し、周囲の森を斬り拓いて天地のつながりを絶ち、前の王朝の廟や墓を破壊して祭祀を滅することによって、すなわち国家を滅ぼすこととされた。

廣徳2年764-93 《軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<794> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4660 杜甫詩1500-794-1103/2500廣徳2年764-93

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

 
 2014年8月15日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
59 -#1《古風五十九首之五十九》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳757古風,五十九首之五十九惻惻泣路岐, <59> Ⅰ李白詩1222 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4658 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
428-#2 《芍藥歌》韓愈(韓退之)ID index-1 785年; 貞元元年・18歳<1135> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4659韓愈詩-428-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-93 《軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<794> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4660 杜甫詩1500-794-1103/2500廣徳2年764-93 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ467 韓昌黎集 巻五 400 《宿神龜招李二十八、馮十七》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <841>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3189韓愈詩-213 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4661 (08/15) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-440《訴衷情二首其二》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-623-9-(440) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4662 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-93 《軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4660 杜甫詩1500-794-1103/2500廣徳2764-93

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    軍中醉飲寄沈八劉叟〔暢當詩〕

交遊人物:沈八・ 劉叟    <書信往來>

 

 

軍中醉飲寄沈八劉叟

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

野膳隨行帳,華音發從伶。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

數杯君不見,醉已遣沈冥。

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

 

(軍中の醉飲 沈八、劉叟に寄す)        

酒渴 江の清きを愛し,餘甘 晚汀に漱ぐ。

軟沙 攲坐【きざ】穩やかに,冷石 醉眠 醒む。

野膳 行帳に隨い,華音 從伶より發す。

數杯 君見ずや,都て已に沈冥なら遣む。

木蘭01

 

『軍中醉飲寄沈八劉叟』 現代語訳と訳註

(本文)

軍中醉飲寄沈八劉叟

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

野膳隨行帳,華音發從伶。

數杯君不見,醉已遣沈冥。

 

(下し文)

(軍中の醉飲 沈八、劉叟に寄す)

酒渴 江の清きを愛し,餘甘 晚汀に漱ぐ。

軟沙 攲坐【きざ】穩やかに,冷石 醉眠 醒む。

野膳 行帳に隨い,華音 從伶より發す。

數杯 君見ずや,都て已に沈冥なら遣む。


(現代語訳)

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

砂浜001 

(訳注)

軍中醉飲寄沈八劉叟

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

軍中 厳武の剣南西川節度使軍、幕府。

沈八劉叟 この二人の人物については未詳。

酒渴愛江清  餘甘漱晚
軟沙攲坐穩  冷石醉眠
野膳隨行帳  華音發從
數杯君不見  已遣沈

●●●○○  ○○●●△

●△△●●  △●●○△

●●○△●  △○●△○

●○○△●  ○●●△○

 

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。【餘酣漱晚汀】

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

酒渴 酒を呑むほどにのどが渇くこと。

餘甘 酔った挙句~をする。

 口をそそぐ。

晚汀 夕暮れの波打ち際。

 

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

軟沙 かわらの砂がやわらかいこと。

攲坐 傾いて座る。

 

野膳隨行帳,華音發從伶。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

野膳 野外の宴でのお膳。

行帳 出向いて来て幔幕を張ること。

華音 蜀や否かの音楽でなく、都の音楽。

從伶 追従してきた音楽

 

數杯君不見,都已遣沈冥。【醉已遣沈冥】

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

 すべて。

沈冥 酔って正体を失うさまをいう。
haqro01 

廣徳2年764-92 《村雨》 杜甫index-14 764年 杜甫<793> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4655 杜甫詩1500-793-1102/2500廣徳2年764-92

草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

 
 2014年8月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
58 《古風,五十九首之五十八》Index-38Ⅴ-1 759年乾元二年59歳832古風,五十九首之五十八我到巫山渚, <58> Ⅰ李白詩1221 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4653 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
408 《芍藥歌》韓愈(韓退之)ID index-1<1134> Ⅱ韓昌黎外集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4654韓愈詩-408 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-92 《村雨》 杜甫index-14 764年 杜甫<793> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4655 杜甫詩1500-793-1102/2500廣徳2年764-92 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-439《訴衷情二首其一》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-622-9-(439) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4657 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-92 《村雨》 杜甫index-14 764年 杜甫<793> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4655 杜甫詩1500-793-1102/2500廣徳2764-92

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷 別:              卷二二八              文體:    七言律詩

詩題:    村雨

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

 

 

 村雨

(浣花渓にそぼ降る雨音を聞きながら、その感を詠う)

雨聲傳兩夜,寒事颯高秋。

外に出ないで床に伏していると雨の音はふたばん続いて伝わってくる。幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。

挈帶看朱紱,開箱睹黑裘。

自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

世情只益睡,盜賊敢忘憂。

世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであり、今の時代に、盗賊のような輩が絶えないことを思えば、こうして寝ていても、国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ないのである。

松菊新霑洗,茅齋慰遠遊。

晩秋であっても、この雨で新たに色濃くしている松の木と菊の花が庭にある。それは、我が茅葺の書斎にいて、こうした遠游の旅情の慰めてくれているのだ。

 

(村雨)

雨聲 兩夜に傳わり,寒事 高秋に颯とす。

帶を挈りて 朱紱を看,箱を開きて 黑裘を睹る。

世情に 只だ 益【ますま】す睡り,盜賊に 敢て 憂を忘れんや。

松菊 新に霑洗し,茅齋 遠遊を慰む。

 

晩菊001 

『村雨』 現代語訳と訳註

(本文)

村雨

雨聲傳兩夜,寒事颯高秋。

挈帶看朱紱,開箱睹黑裘。

世情只益睡,盜賊敢忘憂。

松菊新霑洗,茅齋慰遠遊。

 

(下し文)

(村雨)

雨聲 兩夜に傳わり,寒事 高秋に颯とす。

帶を挈りて 朱紱を看,箱を開きて 黑裘を睹る。

世情に 只だ 益【ますま】す睡り,盜賊に 敢て 憂を忘れんや。

松菊 新に霑洗し,茅齋 遠遊を慰む。

 

(現代語訳)

(浣花渓にそぼ降る雨音を聞きながら、その感を詠う)

外に出ないで床に伏していると雨の音はふたばん続いて伝わってくる。幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。

自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであり、今の時代に、盗賊のような輩が絶えないことを思えば、こうして寝ていても、国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ないのである。

晩秋であっても、この雨で新たに色濃くしている松の木と菊の花が庭にある。それは、我が茅葺の書斎にいて、こうした遠游の旅情の慰めてくれているのだ。

金燈花03 

(訳注)

村雨

(浣花渓にそぼ降る雨音を聞きながら、その感を詠う)

村雨 浣花渓に降る雨。そぼ降る雨。

 

雨聲傳兩夜,寒事颯高秋。

外に出ないで床に伏していると雨の音はふたばん続いて伝わってくる。幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。

寒事 ここの寒は苦しいこと、幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど。

 

【攬】帶看朱紱,開箱睹黑裘。

自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

挈【攬】帶 帯を手に取ること。

朱紱 大夫の朱の皮前だれ、緋衣を賜っていることをいう。

睹 みる。

黑裘 隠遁者が着る上着。

 

世情只益睡,盜賊敢忘憂。

世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであり、今の時代に、盗賊のような輩が絶えないことを思えば、こうして寝ていても、国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ないのである。

世情只益睡 世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであるということ。

忘憂 国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ない。

 

松菊新霑洗,茅齋慰遠遊。

晩秋であっても、この雨で新たに色濃くしている松の木と菊の花が庭にある。それは、我が茅葺の書斎にいて、こうした遠游の旅情の慰めてくれているのだ。

松菊 古人が愛したもの、陶淵明はじめ詩人が愛した必須アイテム。

霑洗 この雨で新たに色濃くしている

茅齋 杜甫草堂、茅葺の書斎

慰 上句の松菊のことをいう。

遠遊 長い遠い旅をしていること。遠游の旅情。

廣徳2年764-91 《至後》 杜甫index-14 764年 杜甫<792> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4650 杜甫詩1500-792-1101/2500廣徳2年764-91

節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

 
 2014年8月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
57 《古風,五十九首之五十七》Index-39Ⅴ-2 760年上元元年60歳874江夏送倩公歸漢東彼美漢東國, <57> Ⅰ李白詩1220 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4648 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
427-#2 《南溪始泛,三首之三》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1133>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4649韓愈詩-427-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-91 《至後》 杜甫index-14 764年 杜甫<792> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4650 杜甫詩1500-792-1101/2500廣徳2年764-91 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-438《戀情深二首其二》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-621-9-(438) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4652 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳

2764-91 《至後》 杜甫index-14 764年 杜甫<792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4650 杜甫詩1500-792-1101/2500廣徳2764-91

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷 別:              卷二二八              文體:    七言律詩

詩 題:              至後

及地點:              洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     金谷園 (都畿道 河南府 洛陽)  

              銅駝街 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:銅駝陌  

 

 

至後

(当時が過ぎたある日の思いを詠んだ詩。)

冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。

冬至、冬至が過ぎるとやっと日中の方が長くなりはじめるというものだが、自分は遠い、剣南の地にあって、洛陽のことを思い出す。

青袍白馬有何意,金谷銅駝非故

節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。

梅の花は咲くための準備をしているのか、そんな事には気が付きもしない。「棣鄂之情」ともいう弟とは一度別れてから永らくの間互に思いをやるばかりなのだ。

愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

詩を作れば作ったで、吟じれば吟じるほどに愈々悲しさが募って来るのは仕方のないことだ。

 

(至後)

冬至 至後 日初めて長し,遠く劍にみ在って洛陽を思う。

青袍 白馬 何の意有らん,金谷 銅駝 故らず

梅花 開かんと欲すれども 自ら覺えず,棣萼【ていがく】一別永く相い望むだけ。

愁 極れば 本と 詩に憑りて 興を遣り,詩成りて 吟詠すれば 轉【うた】た淒涼なり。

桃園001 

 

至後』 現代語訳と訳註

(本文)

至後

冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。

青袍白馬有何意,金谷銅駝非故

梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。

愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

 

(下し文)

(至後)

冬至 至後 日初めて長し,遠く劍にみ在って洛陽を思う。

青袍 白馬 何の意有らん,金谷 銅駝 故に非らず。

梅花 開かんと欲すれども 自ら覺えず,棣萼【ていがく】一別永く相い望むだけ。

愁 極れば 本と 詩に憑りて 興を遣り,詩成りて 吟詠すれば 轉【うた】た淒涼なり。

 

(現代語訳)

(当時が過ぎたある日の思いを詠んだ詩。)

冬至、冬至が過ぎるとやっと日中の方が長くなりはじめるというものだが、自分は遠い、剣南の地にあって、洛陽のことを思い出す。

節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

梅の花は咲くための準備をしているのか、そんな事には気が付きもしない。「棣鄂之情」ともいう弟とは一度別れてから永らくの間互に思いをやるばかりなのだ。

詩を作れば作ったで、吟じれば吟じるほどに愈々悲しさが募って来るのは仕方のないことだ。

 

(訳注)

至後

(当時が過ぎたある日の思いを詠んだ詩。)

冬至至後日初  遠在劍南思洛
青袍白馬有何意  金谷銅駝非故
梅花欲開不自覺  棣萼一別永相
愁極本憑詩遣興  詩成吟詠轉淒

○●●●●○△  ●●●○△●○

○○●●●△●  ○●○○○●○

○○●○△●●  ●●●●●△△

○●●○○●△  ○○△●●○△

 

冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。

冬至、冬至が過ぎるとやっと日中の方が長くなりはじめるというものだが、自分は遠い、剣南の地にあって、洛陽のことを思い出す。

冬至至後 冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。一年で最も昼が短い。十一月中(旧暦11月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで1222日ごろ。それより数日後ということ。

劍南 剣閣よりみなみ、ここでは、劍南道北部 益州 成都ということ。

洛陽 故郷の偃師は洛陽の東隣である。

 

青袍白馬有何意,金谷銅駝非故

節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

青袍 下級官僚の役所の制服。杜甫《遣悶奉呈嚴公二十韻》「黃卷真如律,青袍也自公。」(黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。)役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

白馬 白馬に金の飾りをつけるのは、将軍で、ここでは厳武の馬に随うという意。杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》「南宮吾故人,白馬金盤陀。」(南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。)礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

金谷銅駝 金谷は洛陽近くの河南にある風光明媚な谷間。銅駝は銅駝陌で洛陽の大通り、市街地。

非故 杜甫が知っている故郷の姿ではない。

 

梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。

梅の花は咲くための準備をしているのか、そんな事には気が付きもしない。「棣鄂之情」ともいう弟とは一度別れてから永らくの間互に思いをやるばかりなのだ。

棣萼 にわうめの花。比兄弟。「棣鄂之情(ていがくのじょう)」. 意味は、 兄弟が大変仲良く、互いに尊敬と愛情とをそそぎ合っていること。 「 棣 」はにわうめのこと。 にわうめは花が沢山かたまって咲き、とても美しいことから。詩経「詩経」小雅・常棣の「常棣之華、鄂不、凡今之人、莫如兄弟」(常棣の華、鄂(いい)たらず、凡そ今の人、兄弟に如くは莫し)から。

 

愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

そんな心配事が極限になると、本来、死を作って、興を遣り、心の整理をするのだが、詩を作れば作ったで、吟じれば吟じるほどに愈々悲しさが募って来るのは仕方のないことだ。

遣興 杜甫は此の題で二十二首作っている。

 

遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350

遣興五首其三 杜甫 <237>遣興22首の⑩番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1160 杜甫特集700- 351

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の⑪番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352

遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の⑫番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353

遣興二首其一 杜甫 <240>遣興22首の⑬番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1169 杜甫特集700- 354

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

遣興 杜甫 <242>遣興22首の①番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

遣興三首其一 杜甫 <243遣興22首の②番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

遣興三首其二 杜甫 <244>遣興22首の③番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1181 杜甫特集700- 358

遣興三首其三 杜甫 <245>遣興22首の④番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1184 杜甫特集700- 359

遣興五首其一 杜甫 <246>遣興22首の⑮番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1187 杜甫特集700- 360

遣興五首其二 杜甫 <247>遣興22首の⑯番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1190 杜甫特集700- 361

遣興五首其三 杜甫 <248>遣興22首の⑰番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1193 杜甫特集700- 362

遣興五首其四 杜甫 <249>遣興22首の⑱番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1196 杜甫特集700- 363

遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364

760年遣興 杜甫 <251>遣興22首の⑳番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1202 杜甫特集700- 365

760年成都 遣意二首 杜甫 <252>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366

760年成都 遣意二首 杜甫 <253>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366

 

廣徳2年764-90 《初冬》 杜甫index-14 764年 杜甫<791> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4645 杜甫詩1500-791-1100/2500廣徳2年764-90

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)追いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

 
 2014年8月12日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
56 《古風,五十九首之五十六》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳276古風,五十九首之五十六越客採明珠, <56> Ⅰ李白詩1219 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4643 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
427-#1 《南溪始泛,三首之三》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1132>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4644韓愈詩-427-#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-90 《初冬》 杜甫index-14 764年 杜甫<791> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4645 杜甫詩1500-791-1100/2500廣徳2年764-90 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ464 韓昌黎集 巻五 397 《酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <838>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3174韓愈詩-210 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4646 (08/12) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-437《戀情深二首其一》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-620-9-(437) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4647 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-90 《初冬》 杜甫index-14 764年 杜甫<791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4645 杜甫詩1500-791-1100/2500廣徳2764-90

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    初冬

及地點:              習家池 (山南東道 襄州 峴山) 別名:習池      

 

 

初冬

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

垂老戎衣窄,歸休寒色深。

老いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

漁舟上急水,獵火著高林。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

干戈未偃息,出處遂何心。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

 

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。

漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。

干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

 

杜甫草堂詳細図02 

『初冬』 現代語訳と訳註

(本文)

初冬

垂老戎衣窄,歸休寒色深。

漁舟上急水,獵火著高林。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

干戈未偃息,出處遂何心。

 

 

(下し文)

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。

漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。

干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

 

(現代語訳)

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

追いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

成都関連地図 00

 

(訳注)

初冬

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

 

垂老戎衣窄,歸休寒色深。【歸休寒氣深】

老いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

○垂老 老ゆるになんなんとす、老境にちかづくことをいう。 

 杜 甫《垂老別》「四郊未寧静、垂老不得安。子孫陣亡尽、焉用身獨完。」(四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。)

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

戎衣 軍服。

窄 身幅が狭いこと。

歸休 家に帰って休むこと。

寒色深 冬景色、冬の気配が深くなる。

 

漁舟上急水,獵火著高林。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

 

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

習池醉 晋の山簡の故事。○習池 習家池(高陽池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。山簡は、字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。山公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 李白 『襄陽曲四首 其三』「峴山臨漢江、水淥沙如雪。上有墮淚碑、青苔久磨滅。」(峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。)『襄陽曲四首 其四』「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。」 (且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。)『秋浦歌十七首其七』「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」( 其の七 酔うて上る 山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

○高陽 嚢陽にある池の名。

〇荊州 山簡を称する、山間は征南将軍として荊・湘・交・広の四州を都督したので、山間を荊州と称した、ここは山簡をもって厳武に比する。

index14廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

梁甫吟 ○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭

新亭結構罷,隱見清湖陰。

跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

圓荷想自昔,遺堞感至今。』

芳宴此時具,哀絲千古心。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

杜甫『登樓』

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

廣徳2764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001

 

干戈未偃息,出處遂何心。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

干戈 近年続いている吐蕃の侵略による兵乱。

未偃息 この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めていた。

出處遂何心 幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいであることをいう。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城內。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<790> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4640 杜甫詩1500-790-1099/2500廣徳2年764-89

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

 

 
 2014年8月11日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
55 《古風,五十九首之五十五》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳370古風,五十九首之五十五齊瑟彈東吟, <55> Ⅰ李白詩1218 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4638
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
426-#2 《南溪始泛,三首之二》韓愈(韓退之)ID index-1<1131> Ⅱ韓昌黎外集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4639韓愈詩-426-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城內。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<790> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4640 杜甫詩1500-790-1099/2500廣徳2年764-89 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-436《月宮春一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-619-9-(436) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4642 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳2764-89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4640 杜甫詩1500-790-1099/2500廣徳2764-89

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

及地點: 摩訶池 (劍南道北部 益州 成都)    

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕

湍駛風醒酒,船迴霧起堤。

この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

高城秋自落,雜樹晚相迷。

高い城には自ずからもう秋も終ろうとして葉を落して、そうした雜樹に葉がなくなれば、夕暮れてくらくなれば何を目印に舟を進めるのに迷ってしまう。

坐觸鴛鴦起,巢傾翡翠低。

坐して安息していた鴛鴦は船の進行する気配に起きだしたし、巣が傾いて住んでいるカワセミまでもが木から垂れ下がってしまっている。

莫須驚白鷺,為伴宿清溪。

こんなことではつがいで仲良く安住している白鷺まで驚かしてはならないだろう、こんな面倒な摩訶池なんかにいないで、私の居る浣花渓の清流で泊まるほうがきっと良いと思う。

 

晚秋 嚴鄭公に陪して摩訶池に舟を泛ぶ〔「溪」の字を得たり。池は張儀の子城。〕

湍 駛くして 風は酒を醒まし,船 迴れば 霧は堤に起る。

高城 秋自ら落ち,雜樹 晚れて相い迷う。

坐して觸れれば 鴛鴦起き,巢傾けば翡翠低る。

須らく白鷺を驚かす莫れ,伴を為して 清溪に宿せん。

 

ogawa09 

『晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

湍駛風醒酒,船迴霧起堤。

高城秋自落,雜樹晚相迷。

坐觸鴛鴦起,巢傾翡翠低。

莫須驚白鷺,為伴宿清溪。

 

(下し文)

晚秋 嚴鄭公に陪して摩訶池に舟を泛ぶ〔「溪」の字を得たり。池は張儀の子城に在る。〕

湍 駛くして 風は酒を醒まし,船 迴れば 霧は堤に起る。

高城 秋自ら落ち,雜樹 晚れて相い迷う。

坐して觸れれば 鴛鴦起き,巢傾けば翡翠低る。

須らく白鷺を驚かす莫れ,伴を為して 清溪に宿せん。

 

(現代語訳)

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕

この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

高い城には自ずからもう秋も終ろうとして葉を落して、そうした雜樹に葉がなくなれば、夕暮れてくらくなれば何を目印に舟を進めるのに迷ってしまう。

坐して安息していた鴛鴦は船の進行する気配に起きだしたし、巣が傾いて住んでいるカワセミまでもが木から垂れ下がってしまっている。

こんなことではつがいで仲良く安住している白鷺まで驚かしてはならないだろう、こんな面倒な摩訶池なんかにいないで、私の居る浣花渓の清流で泊まるほうがきっと良いと思う。

haqro01 

(訳注)

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕

摩訶池 この池は隋の時代、成都を守っていた蜀王楊秀が成都に小さな城を増築する際に、土を掘りすぎた部分を人工湖としたもの。大きさについては、成都の水利専門家・陳渭忠(チェン・ウェイジョン)氏が「摩訶池の興廃」という本の中で、「摩訶池が完成した当初、面積は500ムー(約33万平方メートル)だったが、増築後の水域面積は約1000ムー(約66万平方メートル)と、一般的なサッカー場約100個分の大きさとなった」と記している。 唐代の詩人・杜甫らもこの摩訶池を詠んでおり、中国ではよく知られている。摩訶池は初唐、元末明初、明末と3度にわたる埋め立て作業により、水域面積が次第に縮小し、1914年にはすべてが埋め立てられ演武場となっている。2013年発掘調査されている。

摩訶 仏語。優れていること。大きいこと。偉大なこと。池の語の上に付いて美称として用いたもの。

85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》

86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》

87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》

89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕》

以上の四首が同時期に作られたものである。

 

湍駛風醒酒,船迴霧起堤。【船行霧起堤】

この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

湍駛 湍ははやせのこと。駛は迅疾な様子を感じさせる有様。

 

高城秋自落,雜樹晚相迷。

高い城には自ずからもう秋も終ろうとして葉を落して、そうした雜樹に葉がなくなれば、夕暮れてくらくなれば何を目印に舟を進めるのに迷ってしまう。

高城 人工的な池の土で作った城は、池から見れば高い。

秋自落、晚相迷 人工的に作った池は趣きがなく、秋も終わりになろうとすると木々の葉が落ちて、動物、鳥、の目標物がなくなるし、舟の目印もなくなって迷ってしまうという意。

鴛鴦0022 

坐觸鴛鴦起,巢傾翡翠低。

坐して安息していた鴛鴦は船の進行する気配に起きだしたし、巣が傾いて住んでいるカワセミまでもが木から垂れ下がってしまっている。

この二句は、前の「迷」ことから、「鴛鴦起」し「翡翠低」れさせてしまうことをいう。

 

莫須驚白鷺,為伴宿清溪。

こんなことではつがいで仲良く安住している白鷺まで驚かしてはならないだろう、こんな面倒な摩訶池なんかにいないで、私の居る浣花渓の清流で泊まるほうがきっと良いと思う。

清溪 杜甫の居る浣花渓の清流。
 

廣徳2年764-88 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4635 杜甫詩1500-789-#2-1098/2500廣徳2年764-88

谷が暗そうにみえるがそれは雨がふりだすためではなく、谷が奥深く見えるためであり、楓が丹くみえるがそれは霜がおいて紅くなったためではなく、秋が深いと見えるためである。この図をみていると秋の成都の城も仙境である所の懸田の外に、また一つの懸圃であるかのようである、又、すべての景物は洞庭湖のそばにあるそれのように広大で悠々として見えるのである。


 
 2014年8月10日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
54 《古風五十九首之五十四》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <54> Ⅰ李白詩1217 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4633 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
426-#1 《南溪始泛,三首之二》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1130>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4634韓愈詩-426-#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-88 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4635 杜甫詩1500-789-#2-1098/2500廣徳2年764-88 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-435《浣溪沙一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-618-9-(435) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4637 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

続きを読む

廣徳2年764-87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4630 杜甫詩1500-789-#1-1097/2500廣徳2年764-87

(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山沱江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

 
 2014年8月9日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
53 《古風五十九首之五十三》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
425-#2 《南溪始泛,三首之一》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 824年長慶4年 57歳<1129>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4629韓愈詩-425-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4630 杜甫詩1500-789-#1-1097/2500廣徳2年764-87 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ461 韓昌黎集 巻五 394 《贈刑部馬侍郎》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <835>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3159韓愈詩-207 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4631 (08/09) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-434《浣沙溪一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-617-9-(434) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4632 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4630 杜甫詩1500-789-#1-1097/2500廣徳2764-87

 

 

制作年:764    廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言古詩

詩題:    奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

及地點:              岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山         

沱江 (劍南道北部 益州 新繁) 別名:沱水      

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山沱江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)

沱水流中座,岷山到此堂。

陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。

白波吹粉壁,青嶂插雕梁。

漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

そこには杉や松が冷やかに立っているかといぶかられ、また菱やアサザが香っているのかと疑われる。

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

鉛色の雲から、いたずらに、書物をつづる糸のように点々として雪が書かれ、沙原に生じた草はかすかに春化気姿を得ている。

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

雪嶺山脈にとぶ雁は微小な形が相い随って列をなす、川にかかれる蜺【にじ】は練絹の光のような水面のみずを飲みこもうとしているようにみえる。

#2

霏紅洲蕊亂,拂黛石蘿長。

暗谷非關雨,丹楓不為霜。

秋成玄圃外,景物洞庭旁。

繪事功殊幽襟興激昂。

從來謝太傅,丘壑道難忘。

 

(嚴鄭公が廳事の岷山、沱江の畫圖を觀て奉る十韻〔「忘」字を得たり。〕)

沱水 中座に流れ,岷山 此堂に到る。

白波 粉壁に吹き,青嶂 雕梁に插さむ。

直ちに訝ぶる 杉松の冷やかなるかと,兼ねて疑う 菱荇【りょうこう】の香しきかと。

雪雲 虛しく點綴【ていてい】し,沙草 微茫を得たり。

嶺雁 毫末に隨い,川蜺【せんげい】 練光に飲む。

#2

霏紅 洲蕊【しゅうずい】亂れ,拂黛 石蘿 長し。

谷暗くして 雨に關するに非らず,楓を丹くして 霜の為にならず。

秋成 玄圃の外,景物 洞庭の旁。

繪事 功殊 幽襟 興に激昂す。

從來 謝太傅,丘壑 道 忘れ難し。

 

蜀中転々圖 

 

『奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

沱水流中座,岷山到此堂。

白波吹粉壁,青嶂插雕梁。

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

 

(含異文)

沱水流中座【沱水中座】,岷山到此堂【岷山到堂】【岷山對此堂】【岷山赴此堂】。

白波吹粉壁【白波侵粉壁】,青嶂插雕梁。

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

 

(下し文)

嚴鄭公が廳事の岷山、沱江の畫圖を觀て奉る十韻〔「忘」字を得たり。〕

沱水 中座に流れ,岷山 此堂に到る。

白波 粉壁に吹き,青嶂 雕梁に插さむ。

直ちに訝ぶる 杉松の冷やかなるかと,兼ねて疑う 菱荇【りょうこう】の香しきかと。

雪雲 虛しく點綴【ていてい】し,沙草 微茫を得たり。

嶺雁 毫末に隨い,川蜺【せんげい】 練光に飲む。

 

(現代語訳)

(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山沱江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)

陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。

漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

そこには杉や松が冷やかに立っているかといぶかられ、また菱やアサザが香っているのかと疑われる。

鉛色の雲から、いたずらに、書物をつづる糸のように点々として雪が書かれ、沙原に生じた草はかすかに春化気姿を得ている。

雪嶺山脈にとぶ雁は微小な形が相い随って列をなす、川にかかれる蜺【にじ】は練絹の光のような水面のみずを飲みこもうとしているようにみえる。

都江堰002 

(訳注)

奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

(嚴鄭公が廳事の岷山、沱江の畫圖を觀て奉る十韻〔「忘」字を得たり。〕)

(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山花江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)

○得忘字 これは主客同座において、詩を賦すときに韻字を分け合うもので、杜甫は、「忘」の字を得た。同時期の作品として下記の三首と共に四首ある

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕<790

廣徳2764-85 《嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕》 杜甫index-14 764年 <787

廣徳2764-86 《嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕》 杜甫index-14 764年 <788

○庁事 客間をいう。

○岷山 茂州汶山県にある。

○沱江 沱水をいう、都江堰によりいわゆる放水路の形で分水された東側の河水であって、成都府新繁県を経て金堂に到り、岷山を源とする中江水に合流する。

 

沱水流中座,岷山到此堂。

陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。

○中座 座席のなかほど。

○此堂 ここの奥座敷(北堂 北のざしき。)

 

白波吹粉壁,青嶂插雕梁。

漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

○粉壁 漆喰の壁。

○青嶂 嶂は屏風のように険しい山のこと。

○雕梁 彫刻をしたはり。

以上は庁事における江山をのべる。

 

 <以下十二句は江山画図のなかの江と山との景を対立してのべている。>

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

そこには杉や松が冷やかに立っているかといぶかられ、また菱やアサザが香っているのかと疑われる。

○菱芹ひし、あさざ。

 

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

鉛色の雲から、いたずらに、書物をつづる糸のように点々として雪が書かれ、沙原に生じた草はかすかに春化気姿を得ている。

○雪雲 雪意をおびている雲。鉛色の雲。

○虚点綴 いたずらに、書物をつづる糸のように点々として見えること。点綴はつづってあること。

○沙草沙辺に生えたくさ。

○得徴茫 かすかにはるかな姿を得ていること。

 

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

雪嶺山脈にとぶ雁は微小な形が相い随って列をなす、川にかかれる蜺【にじ】は練絹の光のような水面のみずを飲みこもうとしているようにみえる。

○嶺雁 雪嶺山脈の方にとびわたるかり。

○隨毫末 毫末はけすじのさきほどの小さなものをいう、隨毫末は毫末随の意、その微小の形が相い随うことをいう、意味は「画筆のさきのまにまに」。

○川蜺 川にたれているにじ。

○飲練光 練光とは川の水の色をたとえていう、飲とは水をのもうとするかのように垂れかかることをいう。

○雁が雪嶺山脈を越えて飛んで行こうとするのに、沱江の水面に虹が射しこんでいる情景が書かれているということ。

 

廣徳2年764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2年764-86

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

 
 2014年8月8日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
52 《古風,五十九首之五十二》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <52> Ⅰ李白詩1215 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4623 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
425 《南溪始泛,三首之一》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1128>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4624韓愈詩-425 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2年764-86 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ460 韓昌黎集 巻五 393 《送張侍郎》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <834>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3154韓愈詩-206 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4626 (08/08) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-433《柳含煙四首其四》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-616-9-(433) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4627 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2764-86

 

 

制作年: 764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

(鄭国公厳武の住居の庭の竹のことを、杜甫は、「香」の字を得たて、詠んだ詩である。764年廣德二年53秋の作。)

綠竹半含籜,新梢纏出牆。

みどりに繁った竹林には半分くらいの若竹が多くあり、新しい梢がやっと牆から頭を出したところだ。

色侵書帙晚,陰過酒樽涼。

読書三昧の夕暮に、その色はこちらに入り込んでいる。その影が通ると、酒席の樽盃のあたりも涼しく感じられる。

雨洗娟娟淨,風吹細細香。

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。

但令無剪伐,會見拂雲長。

この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

 

嚴鄭公が宅にて同じく竹を詠ず〔香の字を得る。〕

綠竹 半ば籜【たく】を含み,新梢 纏【わずか】に牆を出づ。

色侵して 書帙 晚れ,陰過ぎて 酒樽 涼し。

雨に洗れて 娟娟として淨く,風に吹かれて 細細として香し。

但だ 剪伐無から令む,會【かなら】ず 雲を拂うて長からんことを見ん。

 

竹林001 

『嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

綠竹半含籜,新梢纏出牆。

色侵書帙晚,陰過酒樽涼。

雨洗娟娟淨,風吹細細香。

但令無剪伐,會見拂雲長。

 

(下し文)

嚴鄭公が宅にて同じく竹を詠ず〔香の字を得る。〕

綠竹 半ば籜【たく】を含み,新梢 纏【わずか】に牆を出づ。

色侵して 書帙 晚れ,陰過ぎて 酒樽 涼し。

雨に洗れて 娟娟として淨く,風に吹かれて 細細として香し。

但だ 剪伐無から令む,會【かなら】ず 雲を拂うて長からんことを見ん。

 

(現代語訳)

(鄭国公厳武の住居の庭の竹のことを、杜甫は、「香」の字を得たて、詠んだ詩である。764年廣德二年53秋の作。)

みどりに繁った竹林には半分くらいの若竹が多くあり、新しい梢がやっと牆から頭を出したところだ。

読書三昧の夕暮に、その色はこちらに入り込んでいる。その影が通ると、酒席の樽盃のあたりも涼しく感じられる。

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。

この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

 

 

(訳注)

嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

(鄭国公厳武の住居の庭の竹のことを、杜甫は、「香」の字を得たて、詠んだ詩である。764年廣德二年53秋の作。)

得香字 これは主客同座において、詩を賦すときに韻字を分け合うもので、杜甫は、「香」の字を得た。

 

綠竹半含籜,新梢纏出牆。

みどりに繁った竹林には半分くらいの若竹が多くあり、新しい梢がやっと牆から頭を出したところだ。

綠竹 みどりに繁った竹林。

 竹林の半分。

含籜 籜は竹の皮であり、含とは、竹林の若竹が多くあることを言う。

 

色侵書帙晚,陰過酒樽涼。

読書三昧の夕暮に、その色はこちらに入り込んでいる。その影が通ると、酒席の樽盃のあたりも涼しく感じられる。

書帙晚 読書三昧の夕暮。

 

雨洗娟娟淨,風吹細細香。

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。

娟娟 美しい姿、かたち。

細細 細やかに、微かなもの、繊細であること。

 

但令無剪伐,會見拂雲長。

この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

剪伐 剪定したり、伐採すること。
nat0019 

廣徳2年764-85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<787> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4620 杜甫詩1500-787-1095/2500廣徳2年764-85

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

 
 2014年8月7日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
51 《古風五十九首之五十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳591古風,五十九首之五十一殷后亂天紀, <51> Ⅰ李白詩1214 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4618 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
424-#2 《與張十八同效阮步兵一日復一夕》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集巻七 824年 57歳<1127>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4619韓愈詩-424-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<787> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4620 杜甫詩1500-787-1095/2500廣徳2年764-85 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-432《柳含煙四首其三》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-615-9-(432) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4622 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳2764-85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4620 杜甫詩1500-787-1095/2500廣徳2764-85

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)

弱質豈自負,移根方爾瞻。

この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。

この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。

 

(嚴鄭公が階下の新松〔霑の字を得たり。〕)

弱質 豈に自負せんや,移根 方に 爾を瞻る。

細聲 玉帳に聞き,疏翠 珠簾に近し。

未だ見ず 紫煙集るを,虛しく蒙る 清露の霑すを。

何か當に 一百丈,攲蓋 高簷を擁す。

成都関連地図 00 

 

『嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

弱質豈自負,移根方爾瞻。

細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

 

(含異文)           

弱質豈自負,移根方爾瞻。

細聲聞玉帳【細聲侵玉帳】,疏翠近珠簾。

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

 

(下し文)

(嚴鄭公が階下の新松〔霑の字を得たり。〕)

弱質 豈に自負せんや,移根 方に 爾を瞻る。

細聲 玉帳に聞き,疏翠 珠簾に近し。

未だ見ず 紫煙集るを,虛しく蒙る 清露の霑すを。

何か當に 一百丈,攲蓋 高簷を擁す。

 

(現代語訳)

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)

この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。

松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。

何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)

得霑字 これは主客同座において、詩を賦すときに韻字を分け合うもので、杜甫は、「霑」の字を得た。

 

弱質豈自負,移根方爾瞻。

この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

弱質 移植間もない若松であることをいう。軟弱な性格であること。

自負 自分で自分を恃みにすること。

移根 他の場所から移植する。

 ここの松をいう。

 

細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。

この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。

細聲 またの風切音が、若松で軟弱であるから、貧弱な音であること。

玉帳 厳武の幕陣の幔幕。

疏翠 この松の緑は疎らである。

珠簾 幕陣の戸前の珠をかざした簾。

 

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。

紫煙集 松が成長すればそこに紫煙も集まるということ

虛蒙 何も効能がないことをいう。

 

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。

何當 何のときにか、当たる。

攲蓋 松の枝が横に広がる様子を車蓋に喩えたもの。

 抱きかかえる。

高簷 幕府の軒先が高い、威厳の様子をいう。
題新津北橋棲00 

Index-14廣徳2年764-88 《送舍弟潁赴齊州,三首之三》 杜甫index-14 764年 杜甫<786> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4615 杜甫詩1500-786-1094/2500Index-14廣徳2年764-88

送舍弟潁赴齊州,三首之三》杜甫≫もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

 
 2014年8月6日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
424-#1 《與張十八同效阮步兵一日復一夕》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集824年 57歳<1126>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4614韓愈詩-424-#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログIndex-14廣徳2年764-88 《送舍弟潁赴齊州,三首之三》 杜甫index-14 764年 杜甫<786> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4615 杜甫詩1500-786-1094/2500Index-14廣徳2年764-88 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ458 韓昌黎集 巻五 391《《閒遊,二首之二》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <832>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3144韓愈詩-204》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4616 (08/06) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-431《柳含煙四首其二》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-614-9-(431) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4617 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

Index-14廣徳2764-88 《送舍弟潁赴齊州,三首之三》 杜甫index-14 764年 杜甫<786> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4615 杜甫詩1500-786-1094/2500Index-14廣徳2764-88

 

 

製作年:        764年廣德二年53

卷 別:  卷二二八       文體:  五言律詩

     杜少陵集 巻十四

詩 題:  送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

寫及地點:齊州 (河南道 齊州 齊州)        

 岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

 淄川 (河南道 淄州 淄川) 別名:徐關      

交遊人物:杜穎  當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

送舍弟潁赴齊州,三首之一

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之二

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)

風塵暗不開,汝去幾時來。

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

兄弟分離苦,形容老病催。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

江通一柱觀,日落望臺。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

客意長東北,齊州安在哉。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその二)

風塵 暗うして開けず,汝去って 幾時か來らん。

兄弟 分離苦しむ,形容 老病催す。

江は 一柱觀に通じ,日は 望臺に落つ

客意 長に東北にあり,齊州 安くに在り哉。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之三

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第三首は別れるけれども、二人が落ちぶれてはいけない、帰って来るにはとても大変だけど待っているとの意をのべる。その3)764年広徳二年秋、成都での作。

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

自分たちのおばさまたちは今、海の畔に住んでおられるようであれば寄ってみてくれ、又二人の実弟の豐、觀も山濤の何処かにいるはずだ。

去傍干戈覓,來看道路通。

往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいいのだが、帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないのだ。

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

まず、裾の短い衣をつけること、騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすることが大事なことで、ぼやぼやしないで、一頭の馬でぶっ飛ばし、秋風を追い越すような速さで行動することだ。

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその三)

諸姑 今 海畔にあり,兩弟 亦た山東にある。

去って 干戈に傍いて覓む,來って 道路を看て通ず。

短衣 戰地を防げ,匹馬 秋風を逐う。

俱に流落するを作すこと莫れ,長く瞻る 碣石の鴻を。

 

taigennankin88 

『送舍弟潁赴齊州,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

送舍弟潁赴齊州,三首之三

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

去傍干戈覓,來看道路通。

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

 

(下し文)

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその三)

諸姑 今 海畔にあり,兩弟 亦た山東にある。

去って 干戈に傍いて覓む,來って 道路を看て通ず。

短衣 戰地を防げ,匹馬 秋風を逐う。

俱に流落するを作すこと莫れ,長く瞻る 碣石の鴻を。

 

(現代語訳)

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第三首は別れるけれども、二人が落ちぶれてはいけない、帰って来るにはとても大変だけど待っているとの意をのべる。その3)764年広徳二年秋、成都での作。

自分たちのおばさまたちは今、海の畔に住んでおられるようであれば寄ってみてくれ、又二人の実弟の豐、觀も山濤の何処かにいるはずだ。

往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいいのだが、帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないのだ。

まず、裾の短い衣をつけること、騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすることが大事なことで、ぼやぼやしないで、一頭の馬でぶっ飛ばし、秋風を追い越すような速さで行動することだ。

もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

送舍弟潁赴齊州,三首之三

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第三首は別れるけれども、二人が落ちぶれてはいけない、帰って来るにはとても大変だけど待っているとの意をのべる。その3)764年広徳二年秋、成都での作。

○舎弟穎 作者の弟、名は

○斉州 今の山東省済南府。

 

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

自分たちのおばさまたちは今、海の畔に住んでおられるようであれば寄ってみてくれ、又二人の実弟の豐、觀も山濤の何処かにいるはずだ。

諸姑 おばさまたち。中國の女性は通常記録に留めないので不明、祖父杜審言の娘、と先妻薛士に三人、後妻盧氏に三人とされるが海の側かどうかも不明。

兩弟 山東にいる豐、觀のふたりのこと。

 

去傍干戈覓,來看道路通。

往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいいのだが、帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないのだ。

傍干戈覓 往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいい。

看道路通 帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないという意味。

 

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

まず、裾の短い衣をつけること、騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすることが大事なことで、ぼやぼやしないで、一頭の馬でぶっ飛ばし、秋風を追い越すような速さで行動することだ。

短衣 裾の短い衣。貧しいものの格好をいう。

防戰地 騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすること。

 

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

俱流落 倶は両兄弟が落ちぶれていても訪ねて行く君までも、流されて零落する。

長瞻 いつも見ている。いつも思い続けているということ。

碣石鴻 大鳥が信書を携えて北からくるものであることから、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門をいい、そこからくる鴻に信書を託せということ。
 

Index-14廣徳2年764-87 《送舍弟頻赴齊州,三首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<785> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4610 杜甫詩1500-785-1093/2500Index-14廣徳2年764-87

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。


 
 2014年8月5日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
49 《古風五十九首之四十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳274古風,五十九首之四十九美人出南國, <49> Ⅰ李白詩1212 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4608 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
423-#2 《玩月喜張十八員外以王六祕書至》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1125>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4609韓愈詩-423-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログIndex-14廣徳2年764-87 《送舍弟頻赴齊州,三首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<785> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4610 杜甫詩1500-785-1093/2500Index-14廣徳2年764-87 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-430《柳含煙四首其一》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-613-9-(430) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4612 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 

Index-14廣徳2764-87 《送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】》杜甫index-14 764年 杜甫<785> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4610 杜甫詩1500-785-1093/2500Index-14廣徳2764-87

 

 

製作年:        764年廣德二年53

卷別:  卷二二八       文體:  五言律詩

    杜少陵集 巻十四

詩題:  送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

寫及地點:齊州 (河南道 齊州 齊州)        

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山   

淄川 (河南道 淄州 淄川) 別名:徐關     

交遊人物:杜穎  當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

送舍弟潁赴齊州,三首之一

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之二

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)

風塵暗不開,汝去幾時來。

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

兄弟分離苦,形容老病催。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

江通一柱觀,日落望臺。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

客意長東北,齊州安在哉。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその二)

風塵 暗うして開けず,汝去って 幾時か來らん。

兄弟 分離苦しむ,形容 老病催す。

江は 一柱觀に通じ,日は 望臺に落つ

客意 長に東北にあり,齊州 安くに在り哉。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之三

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

去傍干戈覓,來看道路通。

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

01housenjidou02

 

送舍弟潁赴齊州,三首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

送舍弟潁赴齊州,三首之二

風塵暗不開,汝去幾時來。

兄弟分離苦,形容老病催。

江通一柱觀,日落望臺。

客意長東北,齊州安在哉。

 

(下し文)

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその二)

風塵 暗うして開けず,汝去って 幾時か來らん。

兄弟 分離苦しむ,形容 老病催す。

江は 一柱觀に通じ,日は 望臺に落つ。

客意 長に東北にあり,齊州 安くに在り哉。

 

(現代語訳)

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

 

(訳注)

送舍弟潁赴齊州,三首之二

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)764年広徳二年秋、成都での作。

○舎弟穎 作者の弟、名は

○斉州 今の山東省済南府。

唐時代剣南道北部075 

 

風塵暗不開,汝去幾時來。

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

風塵 安史軍は平定されたものの、諸公・潘鎮が不安定であり、緊張状態にあった。

 

兄弟分離苦,形容老病催。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

 

江通一柱觀,日落望臺。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

江 長江をいう。

〇一柱観 湖北省荊州府松滋縣の東、邱家湖の中にあるという。六朝宋の臨川王劉義慶が、荊州の長官であったとき羅公洲に大きな道観を立ててただ一本の柱を用いたという、杜甫が行こうとしていた荊州の名所をあげたものである。

杜甫『所思』 

苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。

九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?

可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。

故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。

(思う所あり)

苦だ憶う荊州の酔司馬、謫官【たくかん】樽酒定めて常に開かん。

九江 日落ちて醒【さ】むる何れの処ぞ、一柱 観頭【かんとう】眠ること幾回ぞ。

憐れむ可し 懐抱【かいほう】人に向かって尽す、平安を問わんと欲すれども使いの来たる無し。

故に錦水に憑りて双涙【そうるい】を将【も】ちゆかしむ、好し過ぎよ瞿唐【くとう】灩堆【よんよたい】。

所思 七言律詩  成都5-(32) 杜甫 <480  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500

臺 成都の北 5kmにあるが、ここは杜甫が弟の事を思っているところをいう。

蜀中九日  王勃

九月九日望鄕臺, 他席他鄕送客杯。

人情已厭南中苦, 鴻雁那從北地來。

九月九日  望鄕臺, 他席他鄕  客を送る杯。

 人情 已に厭ふ  南中の苦, 鴻雁 那ぞ 北地より來る。

 

客意長東北,齊州安在哉。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今、何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

客意 

長東北 成都から長安・洛陽が北、そこから斉州が東。

齊州 杜甫が20代後半736年~741年蘇源明と遊ぶ。

安在哉 今、何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。
taigennankin88 

Index-14廣徳2年764-86 《送舍弟潁赴齊州,三首之一》 杜甫index-14 764年 杜甫<784> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4605 杜甫詩1500-784-1092/2500Index-14廣徳2年764-86

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 
 2014年8月4日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
48 《古風五十九首之四十八》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳467古風,五十九首之四十八秦皇按寶劍, <48> Ⅰ李白詩1211 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4603 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
423-#2 《玩月喜張十八員外以王六祕書至》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1125>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4609韓愈詩-423-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログIndex-14廣徳2年764-86 《送舍弟潁赴齊州,三首之一》 杜甫index-14 764年 杜甫<784> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4605 杜甫詩1500-784-1092/2500Index-14廣徳2年764-86 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-429《甘州遍二首其二》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-612-9-(429) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4607 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

Index-14廣徳2764-86 《送舍弟潁赴齊州,三首之一》 杜甫index-14 764年 杜甫<784> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4605 杜甫詩1500-784-1092/2500Index-14廣徳2764-86

 

 

弟親が斉州へ赴くのを送った詩、第一首は別れを惜しむ意をのべる。広徳二年秋、成都の作。

送舍弟頻赴齊州 三首

1       岷嶺南蠻北,徐關東海西。此行何日到,送汝萬行啼。

        域惟高枕,清風獨杖藜。危時暫相見,衰白意都迷。

 

2       風塵暗不開,汝去幾時來。兄弟分離苦,形容老病催。

        江通一柱觀,日落望台。客意長東北,齊州安在哉。

 

3       諸姑今海畔,兩弟亦山東。去傍干戈覓,來看道路通。

        短衣防戰地,匹馬逐秋風。莫作流落,長瞻碣石鴻。

 

 

製作年:        764年廣德二年53

卷別:  卷二二八       文體:  五言律詩

    杜少陵集 巻十四

詩題:  送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

寫及地點:齊州 (河南道 齊州 齊州)        

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山   

淄川 (河南道 淄州 淄川) 別名:徐關     

交遊人物:杜穎  當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

送舍弟潁赴齊州,三首之一

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

黄河二首の背景 杜甫 

送舍弟潁赴齊州,三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

送舍弟潁赴齊州,三首之一

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

此行何日到,送汝萬行啼。

域惟高枕,清風獨杖藜。

危時暫相見,衰白意都迷。

 

(下し文)

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風 独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

(現代語訳)

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(訳注)

送舍弟潁赴齊州,三首之一

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

○舎弟穎 作者の弟、名は

○斉州 今の山東省済南府。

nat0001 

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

○岷嶺 岷山や、雪嶺山脈のこと、茂州汶山県にある。蜀の名山をあげる。

○南蛮 南詔蛮をいう、今の雲南地方、此の句は自己の所在地をいう。

○徐関 斉の古蹟、「左伝」(成公十七年)に「斉侯之と徐関に盟って之を復す」「齊侯自徐關入」との事がある。

○東海 山東省の東の海をいう、此の句は穎の赴く所の地をいう。

 

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

〇万行 万行の涙。

 

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

○絶域 都よりかけはなれた地。

杖藜 秦はあかぎ、その茎を以て杖につくる。この杖は梓州の章彝刺史からもらったもの。719 《倚杖〔原注 鹽亭縣作〕》 蜀中転々 杜甫 <626  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3440 杜甫詩1000-626-882/1500五言律詩

 

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

〇時危 時世が危険である。

○暫相見 相い見ること暫時のあいだのみ。

衰白 老衰白髪。

○迷 昏乱することをいう。

安史の乱当時の勢力図 

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4600 杜甫詩1500-783-#5-1091/2500Index-14廣徳2年764-85

夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

 
 2014年8月3日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
422-#4 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-13-504 Ⅱ韓昌黎集<1123>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4599韓愈詩-422-#4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログIndex-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4600 杜甫詩1500-783-#5-1091/2500Index-14廣徳2年764-85 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ455 韓昌黎集 巻五 388《酬馬侍郎寄酒》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4601 (08/03) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-428《甘州遍二首其一》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-611-9-(428) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4602 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

Index-14廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4600 杜甫詩1500-783-#5-1091/2500Index-14廣徳2764-85

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764年  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。

夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。

不成尋別業,未敢息微躬。

こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。

草堂に帰りたいと思う自分のこころは烏鵲が銀漢をうずめたい とおもいながらうずめることができずに心配しておるようなものであり、また駑駘が力はないのにただ錦の鞍布だけ着飾らせられることをおそれているようなものである。

會希全物色,時放倚梧桐。

どうぞ馬ならばその毛並みを損わぬようにとりあっかわれ、鳥ならば時としてはこれを解放して梧桐の樹にでも借りかかるようにさせていただきたいものである。』

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

成都関連地図 00 

 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #5

曉入朱扉,昏歸畫角終。

不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。

會希全物色,時放倚梧桐。

 

(下し文)

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

 

(現代語訳)

夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。

こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

草堂に帰りたいと思う自分のこころは烏鵲が銀漢をうずめたい とおもいながらうずめることができずに心配しておるようなものであり、また駑駘が力はないのにただ錦の鞍布だけ着飾らせられることをおそれているようなものである。

どうぞ馬ならばその毛並みを損わぬようにとりあっかわれ、鳥ならば時としてはこれを解放して梧桐の樹にでも借りかかるようにさせていただきたいものである。』

 

(訳注) #5

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

押韻 四平韻 終、躬、幪、桐。

構成

●●○○●  ○○●●○

△○○●●  ●●●○○

○●○○●  ○△●●○

●○○●●  ○●△○○

杜甫草堂詳細図02 

曉入朱扉,昏歸畫角終。

夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。

○暁入 あさ早く出勤することをいう。

○朱扉 節度使の役所のあかいとびら。

○昏帰 夕ぐれに退出してかえる。

○画角 えがいて飾った角笛。

 

不成尋別業,未敢息微躬。

こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

○別業 別荘、草堂をさす。

○息 休息。

○微躬 ささいなからだ、以上は草堂のさまをのべて幕府勤めにくいことをいう。

 

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。

草堂に帰りたいと思う自分のこころは烏鵲が銀漢をうずめたい とおもいながらうずめることができずに心配しておるようなものであり、また駑駘が力はないのにただ錦の鞍布だけ着飾らせられることをおそれているようなものである。

○烏鵲 かささぎ。

○愁銀漢 銀漢は天の川で、かささぎが河を埋めて橋を成して、牽牛・織女の星を渡して逢わせるという話がある、愁とは河を埋めることができないことを愁えること、意は事に補いの無いことを歎ずる。

○駑駘 どば。

○錦幪 幪は鞍をおおう布のこと。

 

會希全物色,時放倚梧桐。

どうぞ馬ならばその毛並みを損わぬようにとりあっかわれ、鳥ならば時としてはこれを解放して梧桐の樹にでも借りかかるようにさせていただきたいものである。』

○全物色 物色は馬の縁語であろう、馬の毛色などをいう、全とは害さぬことをいう。

〇倚梧桐 きりの木によりかかる。これは鳥(鳳凰)の縁語を用い、自己を鳳凰に此する。

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4595 

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

 
 2014年8月2日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
46 《古風五十九首之四十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46> Ⅰ李白詩1209 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4593 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
422-#3 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-13-504 Ⅱ韓昌黎集<1122>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4594韓愈詩-422-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログIndex-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4595  
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ454 韓昌黎集 巻五 387《大行皇太后挽歌詞,三首之三》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4596 (08/02) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-427《贊浦子一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-610-9-(427) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4597 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

Index-14廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4595 

杜甫詩1500-783-#4-1090/2500Index-14廣徳2764-85

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764年  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。會希全物色,時放倚梧桐。

 

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

安史の乱当時の勢力図 

 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

 

(下し文)

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

 

(現代語訳)

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

 

(訳注) #4

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

押韻 匆。

構成

△●○△●  ○●●●△

○○△●●  △●△○○

●●○○●  ○○●●○

○△○●●  ●●●○○

成都関連地図 00 

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

○浪簸 浪にあおられる。

○船 杜甫が荊州・江南に出帆しようと準備していた船を草堂の淵に繋留していたもの。

○坼 さけひらくこと。

○幹 のみはすこと。

○甕即空 襲は多く酒を貯えるもの、杯のかわくとともにそれが空になるとは酒の貯えのないことをいう。

 

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

○生野径 「野径製に同じ、野中のこみちがそこにできる、他人が侵入して往来するためであることは、下旬を見て知ることができる。

○斤斧 斤も斧もともにおの、樹木をきるのに用いる。

○樵童 木を刈りとるこども。

 

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

○束縛 礼法に身をしばりつける。

○知己 厳武をさす。

○蹉跎 つまずくさま。

○效小忠 小さな忠節をつくすこと。

 

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

○周防 手落ちなく身を防ぐ、他人に諌言などされぬ用心をすること。

○稍稍 しだい次第。

○太簡 あんまり簡略にすぎる。

○忽忽 草率なことをいう。
題新津北橋棲00 

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4590 杜甫詩1500-783-#3-1089/2500Index-14廣徳2年764-85

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。

 
 2014年8月1日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
45 《古風五十九首之四十五》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳756古風,五十九首之四十五八荒馳驚飆, <45> Ⅰ李白詩1208 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4588 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
422-#2 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1121>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4589韓愈詩-422-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログIndex-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4590 杜甫詩1500-783-#3-1089/2500Index-14廣徳2年764-85 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-426《接賢賓一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-609-9-(426) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4592 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

Index-14

廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】》杜甫index-14 764年 杜甫<783-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4590 杜甫詩1500-783-#3-1089/2500Index-14廣徳2764-85

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷 別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩 題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。藩籬生野徑,斤斧任樵童。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。周防期稍稍,太簡遂匆匆。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。會希全物色,時放倚梧桐。

 

 

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

 

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

成都関連地図 00 

 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文)#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

西嶺紆村北,南江繞舍東。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

 

(下し文)

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

 

(現代語訳)

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

杜甫草堂詳細図02

(訳注)#3

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

押韻 紅。

構成

●●△○●  ○○●●○

△○○●●  ●●●○△

○●○○●  ○○●●○

●○○●●  ○●●○○

 

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

○露裛 露につつまれている、裛はつつむこと。

○藤架 ふじだな。

○煙霏 けむりのこまかにとぶこと。

○桂叢 桂の木のむらがり、藤、桂は草堂の植物についていう。

 

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

○信然 まことに。

○亀触網 かめは霊力のあるものであるが網に入れられれば、ただその中であちこちと触れるばかりで外へは出られぬ。

○鳥窺籠 寵のなかから外部のひろいところをのぞいて出たいとおもうばかり、以上は幕府にいる不自由をのべる。

 

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

○西嶺 西山。

○紆 うねり横たわることをいう。

○南江 汶江とも流江ともいう、成都の南七里にある。

 

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

○椒実 さんしょうのみ。
題新津北橋棲00 

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4580 杜甫詩1500-783-#1-1087/2500Index-14廣徳2年764-85

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

 
 2014年7月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
43 《古風五十九首之四十三》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳369 <43> Ⅰ李白詩1205 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4573 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
421 《早春呈水部張十八員外,二首之二》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1119>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4579韓愈詩-421 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログndex-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4580 杜甫詩1500-783-#1-1087/2500Index-14廣徳2年764-85 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-424《西溪子一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-607-9-(424) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4582 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

Index-14

廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4580 杜甫詩1500-783-#1-1087/2500Index-14廣徳2764-85

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。禮甘衰力就,義忝上官通。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。寬容存性拙,剪拂念途窮。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。信然龜觸網,直作鳥窺籠。

西嶺紆村北,南江繞舍東。竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。藩籬生野徑,斤斧任樵童。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。周防期稍稍,太簡遂匆匆。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。會希全物色,時放倚梧桐。

 

 

 

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

 

題新津北橋棲00 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

遣悶奉呈嚴公二十韻

白水魚竿客,清秋鶴發翁。胡為來幕下,只合在舟中。

卷真如律,青袍也自公。老妻憂坐痹,幼女問頭風。

 

(下し文)

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

 

(現代語訳)

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

 

(訳注)

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

構成 押韻 翁。中。公。風。

●●○○●  ○○●●○

○○△●●  △●●○△

○△○△●  ○○●●○

●△○●●  ●●●○△

成都関連地図 00 

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

○白水 すんでいる水の色を白という。川底が砂地であまり水深が浅い場合。

○魚竿 魚と、つりざおをいう、魚竿の客とは半官半隠の自己をさす。

○鶴発翁 しらがの老人、自己をさす。

 

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

○胡為 胡は何に同じ、何為とはどうしての意。

○幕下 節度使厳武の幕府をいう。

○舟中 漁舟のうち。厳武の誘いがなければ船で荊州・江南に向かっていた。

 

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

○黄巻 今日の官吏の勤怠簿のたぐいをいう、役人の闕失(とがあやまち)をかきしるす巻きものをいう。

○如律 律令のごとく堅くしたがわなければならないことをいう。

○青袖也自公 青袍は青色のうわぎ、これは通常の礼服である。此の句の意は「自公也青袍(公ヨリスルモマタ青袍)とほとんど同じである、自公は「詩経」(羔羊)の「公ヨリ退食ス」の略であり、公の場所より退出して食事をとること、転じて単に退出の意となる、青袍をつけてはいるがそれは退出のときであるというのは即ち退出していても青袍をつけているというのとおなじ。

 

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

○坐痔 すわっであしにしびれのきれること。

○頭風 頭痛のすること。
安史の乱当時の勢力図 

《到村》 杜甫index-14 764年 杜甫<781> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4570 杜甫詩1500-781-1085/2500

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

 
 2014年7月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
42 《古風五十九首之四十二》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 <42> Ⅰ李白詩1204 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4568 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
420 《早春呈水部張十八員外,二首之一》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1118>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4574韓愈詩-420 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《到村》 杜甫index-14 764年 杜甫<781> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4570 杜甫詩1500-781-1085/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ450 韓昌黎集 巻五 383《梁國惠康公主挽歌,二首之二》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4576 (07/29) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-423《贊成功一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-606--(423) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4577 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《到村》 杜甫index-14 764年 杜甫<781>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4570 杜甫詩1500-781-1085/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    戸少陵集 巻十四

詩題: 到村 

 

 

到村

(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764  廣德二年  53の作。

碧澗雖多雨,秋沙先少泥。 

浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。

蛟龍引子過,荷芰逐花低。 

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。

老去參戎幕,歸來散馬蹄。 

老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

稻粱須就列,榛草即相迷。 

「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。

蓄積思江漢,疏頑惑町畦。 

兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。

稍酬知己分,還入故林棲。 

壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。

 

到村

碧澗【へきかん】 雨多しと雖も,秋沙【しゅうさ】 先ず泥少し。 

蛟龍【こうりゅう】 子を引きて過ぎ,荷芰【かき】 花を逐うて低る。 

老い去って 戎幕【じゅうばく】に參し,歸り來って 馬蹄【ばてい】を散す。 

稻粱【とうりょう】 須らく列に就くべし,榛草【しんそう】 即ち相い迷わしむ。 

蓄積【ちくし】 江漢を思う,疏頑【そがん】 町畦【ちょうけい】に惑う。 

稍【やや】知己の分に酬い,還た故林に入るて棲まん。 

成都関連地図 00 

 

『到村』 現代語訳と訳註

(本文)

到村

碧澗雖多雨,秋沙先少泥。 

蛟龍引子過,荷芰逐花低。 

老去參戎幕,歸來散馬蹄。 

稻粱須就列,榛草即相迷。 

蓄積思江漢,疏頑惑町畦。 

稍酬知己分,還入故林棲。 

 

(含異文) 碧澗雖多雨,秋沙先【案:去聲。】少泥【秋沙亦少泥】。

蛟龍引子過,荷芰逐花低。

老去參戎幕,歸來散馬蹄。

稻粱須就列,榛草即相迷。

蓄積思江漢,疏頑惑町畦【疏頑感町畦】【頑疏惑町畦】【頑疏感町畦】。

稍酬知己分【暫酬知己分】,還入故林棲。 

 

(下し文)

到村

碧澗【へきかん】 雨多しと雖も,秋沙【しゅうさ】 先ず泥少し。 

蛟龍【こうりゅう】 子を引きて過ぎ,荷芰【かき】 花を逐うて低る。 

老い去って 戎幕【じゅうばく】に參し,歸り來って 馬蹄【ばてい】を散す。 

稻粱【とうりょう】 須らく列に就くべし,榛草【しんそう】 即ち相い迷わしむ。 

蓄積【ちくし】 江漢を思う,疏頑【そがん】 町畦【ちょうけい】に惑う。 

稍【やや】 知己の分に酬い,還た故林に入るて棲まん。 

 

(現代語訳)

(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764  廣德二年  53の作。

浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。

老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。

兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。

壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。

 

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

到村

(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764  廣德二年  53の作。

 

碧澗雖多雨,秋沙先少泥。 

浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。

碧澗 緑いっぱいの谷間の小川が流れるところ、「澗」とあるから秋雨によって小川がたくさんできていたことをいう。

先少泥 成都の街の馬道とか、幕府の道は少しの雨でも泥だらけになるが、隠遁者の居る静かな浣花渓では、道に泥がないということを強調する。

 

蛟龍引子過,荷芰逐花低。 

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。

蛟龍引子過 成都から草堂までに、百花潭という淵がある。

荷芰逐花低 成都の西、杜甫の草堂付近は、成都を洪水から守る、遊水地のようなところと考えられ、砂地、竹藪、沼地が点在していた。そこに蓮とか菱が花を咲かせていた。秋の長雨で増水して道路に砂が流れ込み、蓮の花や皮脂の花が道路でお辞儀をしてくれたという、隠遁者風に物事をとらえている。

 

老去參戎幕,歸來散馬蹄。 

老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

參戎幕 幕府参与であること。

散馬蹄 馬であちこち歩き回ること。

 

稻粱須就列,榛草即相迷。 

「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。

稻粱 稲梁を求めるはかりごと、梁はよい米。生活上のはかりごと。自身、幕府の参与であるから、会議をすることをいう。「稻粱の謀」

杜甫《同諸公登慈恩寺墖》「君看隨陽雁,各有稻粱謀。」同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39

 

蓄積思江漢,疏頑惑町畦。 

兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。

蓄積 兼ねて念願に思っている

江漢 長江下流域の荊州、江漢方面に行きたいとすること。

疏頑 世事に疎く、頑なな性格。

惑町畦 町畦は荘子にあり、理想は何かということをいうが、ここは一番いいのが何か迷ってしまうことをいう。

 

稍酬知己分,還入故林棲。 

壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。

稍 【やや・漸】. . 〔副詞「や」を重ねた語〕. . 分量・程度がわずかであるさま。 -右寄り」 -大きめ」 -不機嫌そう」. . しばらくの間。 -待つうちに」. . 次第に程度が増すさま。一層。 「年は-さだ過ぎ行くに/更級」. [句]. 稍あって

知己分 知己の分誼。よしみ:誼み。1 親しいつきあい。また、その親しみ。交誼(こうぎ)。「―を結ぶ」2 何らかの縁によるつながり。縁故。
唐時代剣南道北部075 

《宿府》 杜甫index-14 764年 杜甫<782> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4575 杜甫詩1500-782-1086/2500

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。

 
 2014年7月28日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
41-#2 《古風五十九首之四十一》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳421古風,五十九首之四十一朝弄紫沂海, <41-#2> Ⅰ李白詩1204 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4568 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
420 《送鄭尚書【案:權。】赴南海》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1117>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4569韓愈詩-419 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《宿府》 杜甫index-14 764年 杜甫<782> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4575 杜甫詩1500-782-1086/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-422《玉樓春一首》牛嶠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-605-7-(422) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4572 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

《宿府》 杜甫index-14 764年 杜甫<782> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4575 杜甫詩1500-782-1086/2500

 

 

製作年:  764年廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:宿府 

 

宿府

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)
清秋幕府井梧寒,獨宿江城蠟炬殘。

清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。
夜角聲悲自語,中天月色好誰看。

秋の夜長に軍営の角笛を聞いていると、悲しみがふかくなり、自然にびとりごとを言っている。空の一番高い所に、上弦の月がすみわたっているが、どんなに良くてもだれがそれを愛でて眺めているというのか。
塵荏苒音書,關塞蕭條行路難。

兵乱の塵に逃避して次第に時のたつままに肉親からのたよりは途絶えてまったくこず、国境近くの偏ったの関所の塞は寂しくしてあいかわらず楽府雑曲歌辞の『行路難』にいう人世は難儀なものである。

已忍伶俜十年事,強移棲息一枝安。

自分はこれまではや十年間のおちぶれた生活を我慢してきたのだ、今度ここの参謀になったのも決して満足いたしてのものではなく、荘子が言う「鷦鷯が一枝の安泰な場所を求める」ように無理に引き移って来たにとどまるのである。

 

(府に宿す)

清秋 幕府 井梧寒し、独宿すれば 江城 蠟炬残る。

永夜の角声 悲しみて自ら語る、中天の月 色好し誰か看ん。

風塵 荏苒 音書絶え、関塞 蕭條 「行路難」。

己に忍ぶ伶俜十年の事、強いて移りて棲息す 一枝の安きに。

 

成都関連地図 00 

『宿府』 現代語訳と訳註

(本文)

宿府

清秋幕府井梧寒,獨宿江城蠟炬殘。

永夜角聲悲自語,中天月色好誰看。

風塵荏苒音書,關塞蕭條行路難。

已忍伶俜十年事,強移棲息一枝安。

 

(下し文)

(府に宿す)

清秋 幕府 井梧寒し、独宿すれば 江城 蠟炬残る。

永夜の角声 悲しみて自ら語る、中天の月 色好し誰か看ん。

風塵 荏苒 音書絶え、関塞 蕭條 「行路難」。

己に忍ぶ伶俜十年の事、強いて移りて棲息す 一枝の安きに。

 

(現代語訳)

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)

清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。

秋の夜長に軍営の角笛を聞いていると、悲しみがふかくなり、自然にびとりごとを言っている。空の一番高い所に、上弦の月がすみわたっているが、どんなに良くてもだれがそれを愛でて眺めているというのか。

兵乱の塵に逃避して次第に時のたつままに肉親からのたよりは途絶えてまったくこず、国境近くの偏ったの関所の塞は寂しくしてあいかわらず楽府雑曲歌辞の『行路難』にいう人世は難儀なものである。

自分はこれまではや十年間のおちぶれた生活を我慢してきたのだ、今度ここの参謀になったのも決して満足いたしてのものではなく、荘子が言う「鷦鷯が一枝の安泰な場所を求める」ように無理に引き移って来たにとどまるのである。

 

(訳注)

宿府

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)

○府 剣南西川節度使の厳武の幕府。

 

清秋幕府井梧寒,獨宿江城蠟炬殘。

清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。

○清秋 すがすがしい秋。重陽の節句の常套語。

孟浩然《秋登蘭山寄張》

北山白雲裏,隱者自怡悅。

相望試登高,心飛逐鳥滅。

愁因薄暮起,興是清秋發。

時見歸村人,沙行渡頭歇。

天邊樹若薺,江畔舟如月。

何當載酒來,共醉重陽節。

○井梧 いどばたのあおぎり。

○独宿 家族は草堂におこし、幕府では一人で宿直するのである。

○江城 成都の錦官城をいう。

○蠟炬 漆黒の中の大ろうそくをいう。

 

永夜角聲悲自語,中天月色好誰看。

秋の夜長に軍営の角笛を聞いていると、悲しみがふかくなり、自然にびとりごとを言っている。空の一番高い所に、上弦の月がすみわたっているが、どんなに良くてもだれがそれを愛でて眺めているというのか。

○角 楽器の名、角で作る。

杜甫《暮》

暮遠為客,邊隅還用兵。

煙塵犯雪嶺,鼓角動江城。

天地日流血,朝廷誰請纓。

濟時敢愛死,寂寞壯心驚。

668 暮》 蜀中転々 杜甫 <574  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3180 杜甫詩1000-574-830/1500

留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字

田園須暫往,戎馬惜離群。

去遠留詩別,愁多任酒醺。

一秋常苦雨,今日始無雲。

山路晴吹角,那堪處處聞!

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

○悲自話 悲しみつつ独り言する。

○好誰看 好は感授詞「まあ」に近い、

○角声悲・月色好として悲・好を上語に属させてみる。

 

風塵荏苒音書,關塞蕭條行路難。

兵乱の塵に逃避して次第に時のたつままに肉親からのたよりは途絶えてまったくこず、国境近くの偏ったの関所の塞は寂しくしてあいかわらず楽府雑曲歌辞の『行路難』にいう人世は難儀なものである。

○荏再 しだいに時のたつさま。

○行路難 行路難- 道を行くのに難儀すること。転じて、世渡りの困難なこと。漢代の楽府『行路難』に擬(なぞら)えて(人生の憂愁をうたう)。南朝・宋の組詩名。『楽府詩集』の「雑曲歌辞」に収められる。本来、『行路難』は漢代の楽府旧題で、世を過ごす上での辛酸と憂愁を詠い、「君不見…」から始まるものが多いが、晋・袁山松がその音調を改めて新詞を創った。南朝宋の鮑照は楽府旧題に基づいて『擬行路難』を作り、官途の不遇や人生の失意などの憂愁をうたいあげた。(『中国詩学大辞典』浙江教育出版社 1999年杭州)。全十八首あり、これはその第四首。 ・擬:なぞらえる。 ・行路難:漢代の歌謡で、楽府雑曲歌辞の『行路難』のこと。

 

已忍伶俜十年事,強移棲息一枝安。

自分はこれまではや十年間のおちぶれた生活を我慢してきたのだ、今度ここの参謀になったのも決して満足いたしてのものではなく、荘子が言う「鷦鷯が一枝の安泰な場所を求める」ように無理に引き移って来たにとどまるのである。

○伶俜 おちぶれるさま。

〇十年 天宝十四歳安禄山が反してより今年まで十年である。

○強移 むりにひきうつる。

○棲息 すみ、やすむ、自己を鳥にたとえる。

〇一枝安 「荘子」(逍遥遊)に「鷦鷯巣於深林、不過一枝(鷦鷯、深林に巣くうも、一枝に過ぎず)」とみえる一枝の安とは一枝の安泰な場所をいう、節度の参謀である微官を以て一枝の安息所となすことをいう。
題新津北橋棲00 

《院中晚晴懷西郭茅舍》 杜甫index-14 764年 杜甫<780> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4565 杜甫詩1500-780-1084/2500

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

 
 2014年7月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
41 《古風五十九首之四十一》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420 <41> Ⅰ李白詩1203 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4563 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
419 《枯樹》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1116>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4564韓愈詩-419 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《院中晚晴懷西郭茅舍》 杜甫index-14 764年 杜甫<780> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4565 杜甫詩1500-780-1084/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ448 韓昌黎集 巻五 381《庭楸》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4566 (07/27) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-421《滿宮花一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-604-8-(421) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4567 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《院中晚晴懷西郭茅舍》杜甫index-14 764年 杜甫<780> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4565 杜甫詩1500-780-1084/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言律詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 院中晚晴懷西郭茅舍 

及地點:  草堂 (劍南道北部益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍     

浣花溪 (劍南道北部 益州 益州) 別名:花溪     

 

 

院中晴懷西郭茅舍

(成都城郭の東にあった節度使官邸の奥座敷で夕晴れにあい城西の先にある草堂のことをおもってよんだ詩。広徳二年秋の作。)

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

近くの楼台をみるとまた夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、これでは鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。

さて、私は、浣花渓と名付けたのは花いっぱいの場所にしたかったからで、そこにはもう多くの秋の花が咲いているだろう、それを見ずに私がここにいるというのは、半官半隠を自負していたのに、果たしてどうだか疑わしく、隠遁者としての名は兼有していないということにしかならないのである。

 

(院中の晩晴に西郭の茅合を懐う)

幕府 秋風 日夜清し、澹雲 疏雨 高城を過ぐ。

葉心の朱実は看時に落ち、階面の青苔 先ず更に生ず。

復た楼台の暮景をむ有り、労せず鐘鼓の新晴を報ずるを。

浣花渓 裏花 く笑う、肯て信ぜんや 吾 吏隠の名を兼ぬるを。

 

 

院中晴懷西郭茅舍』 現代語訳と訳註

(本文)

院中晴懷西郭茅舍

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。

 

(下し文)

(院中の晩晴に西郭の茅合を懐う)

幕府 秋風 日夜清し、澹雲 疏雨 高城を過ぐ。

葉心の朱実は看時に落ち、階面の青苔 先ず更に生ず。

復た楼台の暮景を銜む有り、労せず鐘鼓の新晴を報ずるを。

浣花渓 裏花 饒く笑う、肯て信ぜんや 吾 吏隠の名を兼ぬるを。

 

(現代語訳)

(成都城郭の東にあった節度使官邸の奥座敷で夕晴れにあい城西の先にある草堂のことをおもってよんだ詩。広徳二年秋の作。)

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。

木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

近くの楼台をみるとまた夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、これでは鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

さて、私は、浣花渓と名付けたのは花いっぱいの場所にしたかったからで、そこにはもう多くの秋の花が咲いているだろう、それを見ずに私がここにいるというのは、半官半隠を自負していたのに、果たしてどうだか疑わしく、隠遁者としての名は兼有していないということにしかならないのである。

 

(訳注)

院中晩晴懐西郭茅舎

(成都城郭の東にあった節度使官邸の奥座敷で夕晴れにあい城西の先にある草堂のことをおもってよんだ詩。広徳二年秋の作。)

○西郭茅舎 城西の郭の茅葺の小屋、浣花渓の杜甫草堂をさす。

成都関連地図 00 

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。

○幕府 剣南東川節度の幕府、厳武の幕府。

〇滴 すずしいこと。

○澹雲 あわいくも。

疏雨 ばらばらあめ。

 

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

○葉心 心とは中央をいう。

○看時 みているときに。

○先 ふるぼけること。

 

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

近くの楼台をみるとまた夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、これでは鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

銜暮景 夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、、晴れたさまをいう。

○不労 わずらわすまでもない。

○鐘鼓報新晴 太鼓の音で鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

 

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。

さて、私は、浣花渓と名付けたのは花いっぱいの場所にしたかったからで、そこにはもう多くの秋の花が咲いているだろう、それを見ずに私がここにいるというのは、半官半隠を自負していたのに、果たしてどうだか疑わしく、隠遁者としての名は兼有していないということにしかならないのである。

花饒笑 は多いこと。浣花渓という名称は杜甫がこの地にもともと花が咲いていたが、更に花を植えて、花が一杯の谷間という意味である。

信 反語、不信とおなじ意。旧解に「信」字の主語を上旬の「花」としているが、省略されている「我」の字であると考えるのがよい。「我不レ信」とは言い換えれば「我自ズカラ疑り」ということである。

○吏隠名 役人と隠遁者と二つの名。この頃の隠遁者の理想は半官半隠ということであり、杜甫もそうしたいと思っていたことをいう。

 

 

(院中の晩晴に西郭の茅合を懐う)

幕府 秋風 日夜清し、澹雲 疏雨 高城を過ぐ。

葉心の朱実は看時に落ち、階面の青苔 先ず更に生ず。

復た楼台の暮景を銜む有り、労せず鐘鼓の新晴を報ずるを。

浣花渓 裏花 饒く笑う、肯て信ぜんや 吾 吏隠の名を兼ぬるを。

院中晴懷西郭茅舍

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。
安史の乱当時の勢力図 

《奉和嚴大夫軍城早秋》 杜甫index-14 764年 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4560 杜甫詩1500-779-1083/2500

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

 
 2014年7月26日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
40 《古風五十九首之四十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳367古風,五十九首之四十 鳳飢不啄粟, <40> Ⅰ李白詩1200 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4548 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
418ー#3 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1115>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4559韓愈詩-418ー#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《奉和嚴大夫軍城早秋》 杜甫index-14 764年 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4560 杜甫詩1500-779-1083/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-420《思越人一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-603-8-(420) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4562 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《奉和嚴大夫軍城早秋》 杜甫index-14 764年 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4560 杜甫詩1500-779-1083/2500

 

 

詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻十四 

及地點:  的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博     

蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)     

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

 

厳武《軍城早秋》

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

 

杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)

秋風がなよなよと高い族のうえに吹きそめた。このとき将軍は陣幕のなかで部将に弓を分かち授けてそれで異民族の吐蕃の軍営を射させるのである。

雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

 

(厳鄭公が軍城早秋を和し奉る)

秋風 褭褭 高旌に動く、玉帳 弓を分かちて虜営を射る。

己に収む 滴博雲間の戍、奪わんと欲す 蓬婆 雪外の城。

nat0001 

 

奉和厳鄭公軍城早秋』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

 

(含異文)

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博【案:嶺在維州。】雲間戎,更奪蓬婆雪外城【次取蓬婆雪外城】【案:雪山外有蓬婆嶺。】。

 

(下し文)

(厳鄭公が軍城早秋を和し奉る)

秋風 褭褭 高旌に動く、玉帳 弓を分かちて虜営を射る。

己に収む 滴博雲間の戍、奪わんと欲す 蓬婆 雪外の城。

 

(現代語訳)

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)

秋風がなよなよと高い族のうえに吹きそめた。このとき将軍は陣幕のなかで部将に弓を分かち授けてそれで異民族の吐蕃の軍営を射させるのである。

雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

題新津北橋棲00 

(訳注)

奉和厳鄭公軍城早秋

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)

○厳鄭公 鄭国公厳武をさす。

○軍城早秋 厳武が作った詩の題である。

 

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

秋風がなよなよと高い族のうえに吹きそめた。このとき将軍は陣幕のなかで部将に弓を分かち授けてそれで異民族の吐蕃の軍営を射させるのである。

褭褭 なよなよと風の吹くさま。

○動 吹きそめることをいう。

高旌 は羽をふさふさにして竿につけたはた。軍旗のふきながし。

○玉帳 将軍のりっぱな陣幕。

〇分弓 分とは部下の諸将に配分して授けることをいう。

○虜営 虜は吐番のえびすをさす。

 

 

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

○収 こちらの手に入れること。

〇滴博雲間戍 「雲間滴博戍」というのを置きかえた形である。滴博は嶺の名、維州に

ある、雲間とは高いことをいう。

○蓬婆雪外城 これも「雪外蓬婆城」というのを置きかえた形である、蓬婆は山の名、一に大雪山ともいう、柘県の西北百里にあるという、そこに吐蕃の城があるのである、雪外とは地が高く雪をいただいた山山のそのまた外方にあることをいう。

 

(厳鄭公が軍城早秋を和し奉る)

秋風 褭褭 高旌に動く、玉帳 弓を分かちて虜営を射る。

己に収む 滴博雲間の戍、奪わんと欲す 蓬婆 雪外の城。
安史の乱当時の勢力図 

《軍城早秋》 厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500

 
 2014年7月25日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
39 《古風五十九首之三十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳271古風,五十九首之三十九登高望四海, <39> Ⅰ李白詩1199 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4543 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
418ー#2 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1114>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4554韓愈詩-418ー#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《軍城早秋》 厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-419《生查子一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-602-8-(419) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4557 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


《軍城早秋》厳武 764年 <0> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500

 

 

厳武《軍城早秋》

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

 

 

詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻十四 

及地點:  的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博     

蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)     

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

------------------------------------------------------------------------------

軍城早秋(軍城の早秋) 厳武

 

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

安史の乱当時の勢力図 

軍城早秋』 現代語訳と訳註

(本文)

軍城早秋

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

(下し文)

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(訳注)

軍城早秋(軍城の早秋)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

764年、広徳二年七月の作。此の年、九月に厳武の軍は吐蕃七万余の衆を当狗城に破り、遂に塩川城を収めた。詩はその二か月前に成ったのでこれより吐蕃を攻め破ろうとの意気込みでよんだものである。

○軍城 軍務中の城、成都の城をいう。

 

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

○昨夜 ゆうべ、必ずしも、ただちに前日の夜をさすというわけではない。

○漢関 漢地の関、唐の吐蕃境に接する関をいう。

○朔雲 北方よりのくも、雪雲のこと。

○辺雪 辺境の雪、「雪」の字を或は「月」に作る、月は月光をいう、雪の意はすでに朔雲のうちにこもっているので「月」の字が妙に思われる。

○西山 雪山をさす、すでにしばしばみえる。

 

更催飛将追臨虜莫遣沙場匹馬還

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

○更催 更とはこれまでよりももっとということ、催は催促。

○飛将 湊の武帝の時の名将李広を称して旬奴はこれを飛将軍といった、その兵をやることの神速なことをいうのである、ここは部下の将軍をさしていう。

○臨虜 えびすにのぞむ、吐蕃をさす。

○遣 俗用、「して1-せしむる」こと。

○沙場 沙漠をいう、ここは単に戦場をいう。

〇匹馬 一匹の馬さえもの意、敵の馬についていう。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。
題新津北橋棲00 

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4550 杜甫詩1500-778-#2-1081/2500

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

 
 2014年7月24日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
38 《古風,五十九首之三十八》Index-9Ⅱ― 5-730年開元十八年30歳80古風,五十九首之三十八(孤蘭生幽園) <38> Ⅰ李白詩1198 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4538 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
418ー#1 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ823年長慶三年<1113>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4549韓愈詩-418ー#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4550 杜甫詩1500-778-#2-1081/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-418《女冠子一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-601-8-(418) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4552 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4550 杜甫詩1500-778-#2-1081/2500

 

 

製作年:764年  廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 五言古詩 

   杜少陵集 巻十四

詩題:立秋雨院中有作〔立秋日雨院中有作〕 

 

 

立秋雨、院中有作

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)
山雲行塞,大火複西流。

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

窮途愧知己,暮齒借前籌。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

已費清晨謁,那成長者謀。』

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

#2

解衣開北,高枕對南樓。

だから、自分はすこし引いた感じで、礼服の上衣などは解きすて、ある程度自由に発言できるぐらいの北の戸を開けることはできるけれど、もっと自由に高枕で南の楼にむきあってねころぶのが一番いいのだ。

樹濕風涼進,江喧水氣浮。

気楽に務めさせていただけるなら、樹木はしめっていてすずしい風が室のなかまでやって来て、江の水おとはやかましくみずけむりを浮かせているのを風流に感じられるというものだ。

禮寬心有適,節爽病微瘳。

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。

主將歸調鼎,吾還訪舊丘。』

幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

 

(立秋雨ふる、院中にて作有り)

山雲 絶塞に行き、大火 復た西に流る。

飛雨 華屋に動き、蕭蕭 梁棟秋なり。

窮途 知己の、暮歯【ぼし】前籌を借るに愧ず。

己に清晨の謁を費す、那ぞ長者の謀を成さん。』

 

衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。

樹湿いて風涼進み、江 喧【かまびす】しくて水気浮かぶ。

礼寛にして心通する有り、節 爽やかにして病微しく瘳【い】ゆ。

主将 調鼎【ちょうてい】に帰せば、吾還りて旧丘を訪わん。』

杜甫草堂詳細図02 

 

『立秋雨院中有作』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

解衣開北,高枕對南樓。

樹濕風涼進,江喧水氣浮。

禮寬心有適,節爽病微瘳。

主將歸調鼎,吾還訪舊丘。』

 

(下し文)

衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。

樹湿いて風涼進み、江 喧【かまびす】しくて水気浮かぶ。

礼寛にして心通する有り、節 爽やかにして病微しく瘳【い】ゆ。

主将 調鼎【ちょうてい】に帰せば、吾還りて旧丘を訪わん。』

 

(現代語訳)

だから、自分はすこし引いた感じで、礼服の上衣などは解きすて、ある程度自由に発言できるぐらいの北の戸を開けることはできるけれど、もっと自由に高枕で南の楼にむきあってねころぶのが一番いいのだ。

気楽に務めさせていただけるなら、樹木はしめっていてすずしい風が室のなかまでやって来て、江の水おとはやかましくみずけむりを浮かせているのを風流に感じられるというものだ。

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。

幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

 

(訳注)

立秋雨院中有作

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

○立秋 節の名。二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半から7月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が135度のときで87日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。

○院中 節度使の官邸の奥座敷をいう。

蜀成都1111 

解衣開北,高枕對南樓。

だから、自分はすこし引いた感じで、礼服の上衣などは解きすて、ある程度自由に発言できるぐらいの北の戸を開けることはできるけれど、もっと自由に高枕で南の楼にむきあってねころぶのが一番いいのだ。

○解衣 礼服の上衣をときすてる。儀礼に沿った幕府勤めは嫌だという意味。厳武は、房琯一派で、経済政策では房琯、杜甫らの考えに近かった。幕府の内部に組み込まれると、無政策の賀蘭進明・第五琦らの中央朝廷と必ずぶっつかり合うので厳武に迷惑がかかるということを基本にこの詩を読むとこれまでの学説では、杜甫が我儘をいったという解釈をしているがそれは間違い。

○高枕 枕をたかくして臥す。

 

風涼進,江喧水氣浮。

気楽に務めさせていただけるなら、樹木はしめっていてすずしい風が室のなかまでやって来て、江の水おとはやかましくみずけむりを浮かせているのを風流に感じられるというものだ。

○風涼進 進は進み入ること、此の句は「北戸」を承ける。

○水気浮 此の句は「商楼」を承ける。

 

禮寬心有適,節爽病微瘳。

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。

○礼寛 厳武が杜甫の経済政策などの考えを理解しており、そうしたことで、幕府に務めること、礼法の寛大なことをいう。

○心有通 通はこころにかなうことをいう。

○節爽 時候がさわやか。国家財政も杜甫の体も逼迫していたが、どちらとも少しずつかいふくしてきたことをいう。

○蓼 なおる。

 

主將歸調鼎,吾還訪舊丘。

幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

○主将 主人である将軍、厳武をいう。

○帰調鼎 帰はそこにおちつくこと、調鼎は鼎のなかの物の味わいをととのえること、いわゆる塩梅(あんばい)をよくすること、「尚書」(説命)に殿の高宗が賢臣の侍説にむかって「若シ和美ヲ作ラバ、爾ハ惟レ塩梅」とみえる、塩梅調理は宰相の任である。

○旧丘 浣花渓の林丘をいう。以上はつづいて雨中の景を国と自分の体に置き換えて所感とをのべたものである。

 江畔独歩尋花

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

 
 2014年7月23日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
37-#2 《古風五十九首之三十七》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七燕臣昔慟哭, <37-#2> Ⅰ李白詩1199 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4543 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
417ー#2 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ823年長慶三年<1112>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4544韓愈詩-417ー#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor4-417《浪濤沙二首其二》皇甫松Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-600-4-(417) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4547 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

 

 

製作年:764年  廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 五言古詩 

   杜少陵集 巻十四

詩題:立秋雨院中有作〔立秋日雨院中有作〕 

 

 

立秋雨、院中有作

山雲行塞,大火複西流。

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

窮途愧知己,暮齒借前籌。

已費清晨謁,那成長者謀。』

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

#2

解衣開北,高枕對南樓。樹濕風涼進,江喧水氣浮。

禮寬心有適,節爽病微瘳。主將歸調鼎,吾還訪舊丘。』

 

(立秋雨ふる、院中にて作有り)

山雲 絶塞に行き、大火 復た西に流る。

飛雨 華屋に動き、蕭蕭 梁棟秋なり。

窮途 知己の、暮歯【ぼし】前籌を借るに愧ず。

己に清晨の謁を費す、那ぞ長者の謀を成さん。』

 

衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。

樹湿いて風涼進み、江 喧【かまびす】しくて水気浮かぶ。

礼寛にして心通する有り、節 爽やかにして病微しく瘳【い】ゆ。

主将 調鼎【ちょうてい】に帰せば、吾還りて旧丘を訪わん。』

 

成都関連地図 00 

『立秋雨、院中有作』 現代語訳と訳註

(本文)

立秋雨、院中有作

山雲行塞,大火複西流。

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

窮途愧知己,暮齒借前籌。

已費清晨謁,那成長者謀。』

 

(下し文)

(立秋雨ふる、院中にて作有り)

山雲 絶塞に行き、大火 復た西に流る。

飛雨 華屋に動き、蕭蕭 梁棟秋なり。

窮途 知己の、暮歯【ぼし】前籌を借るに愧ず。

己に清晨の謁を費す、那ぞ長者の謀を成さん。』

 

(現代語訳)

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

 

(訳注)

立秋雨院中有作

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

○立秋 節の名。二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半から7月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が135度のときで87日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。

○院中 節度使の官邸の奥座敷をいう。

岳陽樓詩人0051 

山雲行塞,大火複西流。

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

○行 運行すること。

○絶塞 遠いはての地のとりで、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでをさしていう。

○大火 大火心星という星である。詩経·国風·豳風·七月》

○西流 流は下ること。大火、心星は六月の黄昏には正南に申し、七月となればそれより西方にうつってひくくなる。

 

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

○飛雨動 動とはふりだすこと。秋風が強く、横殴りの雨。

○華屋 りっばなやね、剣南東川節度使の居る家屋をいう。

○粛粛 さびしいさま。

○梁棟 はり、むなぎ、「飛雨」二句は謝桃の「朝雨ヲ観ル」詩の「朔風飛雨ヲ吹キテ、粛条江上二束タル」に本づく。

 

窮途愧知己,暮齒借前籌。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

○塊 此の字は下旬までへかかる。

○知己 我を知ってくれる人、厳武をさす。

○暮歯 晩年をいう。

〇借前籌 漢の張良は高祖の前で御膳の薯を借りて漢の運命を寄った、筆は筈で数をよむことである、ここは厳武が作者の智恵を借りたことをいう、広徳元年六月、厳武が作者をすすめて節度の参謀となしたのはその智恵をかりたのである。

 

已費清晨謁,那成長者謀。』

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

○費 でかずをかけることをいう。

〇清晨謁 あさの謁見、作者は参謀ゆえ幕僚である、厳武は節度使であるから長官である、幕僚には長官に対する朝の謁見がある。

○那成長者謀 長者は目上の人、厳武をさす、朝、謁見などをしては厳武のためにその謀を成就させてやることはできぬ、作者は武に対して不平の口気がある。以上立秋に院中で雨にあったことと、其の時の意中をのぺる。

 

廣徳2年764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500

杜甫≫過故斛斯校書莊,二首之二≫今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

 
 2014年7月22日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
37-#1 《古風五十九首之三十七》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七 燕臣昔慟哭, <37> Ⅰ李白詩1197 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4533 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor4-416《浪濤沙二首其一》皇甫松Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-599-4-(416) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4542 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500

 

 

過故斛斯校書莊,二首之一

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子寄他食,園林非昔遊。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

過故斛斯校書莊,二首之二

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

燕入非旁舍,鷗歸只故池。

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

斷橋無複板,臥柳自生枝。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

素交零落盡,白首淚雙垂。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

 

竹林001 

『過故斛斯校書莊,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

過故斛斯校書莊,二首之二〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

 

(下し文)

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

 

(現代語訳)

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

江畔独歩尋花

 

(訳注)

過故斛斯校書莊,二首之二

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 ここは、死んで故人となっている。

斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

校書 官名。

莊 邸宅、やしき。

老儒 老人の儒者である自分、杜甫のこと。

艱難 国事艱難の時。

庸蜀 庸岷、庸蜀ということで、漠然とした蜀をいう。

其 ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。

杜甫草堂詳細図02

 

燕入非旁舍,鷗歸只故池。

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

旁舍 となりのいえ。

故池 もとのいけ。

 

斷橋無複板,臥柳自生枝。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

斷橋 途絶えた橋。

 橋に渡した板。

柳自生枝 柳の枝がひとりでに枝を伸ばしている。

 

遂有山陽作,多慚鮑叔知。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

山陽作 竹林の七賢がいたところ。中国・魏(三国時代)の時代末期に、河内郡山陽(河南省新郷市輝県市と焦作市修武県の間あたり)の竹林によくたむろしていた。ここでは、嵆康が死んでから、向秀が山陽を通り、思舊賦を作ったこと指す。

鮑叔知 斉の管中、鮑叔が「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり。」ことにもとづき、斛斯融を以て、鮑叔とした。

 

素交零落盡,白首淚雙垂。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

素交 もとからの交わり。

《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 
 2014年7月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor4-415《天仙子二首其二》皇甫松Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-598-4-(415) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4537 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

《過故斛斯校書莊,二首之一》 杜甫index-14 764年 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

 

 

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

過故斛斯校書莊,二首之二〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

 

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

 

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

杜甫草堂詳細図02 

 

『過故斛斯校書莊,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

 

(下し文)

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

(現代語訳)

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

江畔独歩尋花 

(訳注)

過故斛斯校書莊,二首之一

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 ここは、死んで故人となっている。

斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

校書 官名。

莊 邸宅、やしき。

老儒 老人の儒者である自分、杜甫のこと。

艱難 国事艱難の時。

庸蜀 庸岷、庸蜀ということで、漠然とした蜀をいう。

其 ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。

 

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

此老 この老人、即ち斛斯融のこと。

已雲歿 もはや亡くなったということではある

 その死について嘆くこと。

 

竟無宣室召,徒有茂陵求。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

宣室召 もはや亡くなったということである。

茂陵求 司馬相如は晩年に茂陵に住んで、そこで病気になった。病気の状態は悪かったが、武帝は相如に著書を求めた。司馬相如が死んで、その妻に問いて封禅のことを言える遺書を持ち帰った。それで、死後官を授けられたことをいう。

 

妻子寄他食,園林非昔遊。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

寄他食 よそへ居候に行ってしまっている。

非昔遊 昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

 

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

繐帷在 霊室に布のとばりが垂れている。

淅淅 風の音。

廣徳2年764-103 《寄邛州崔錄事》 杜甫index-14 764年 杜甫<775> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4530 杜甫詩1500-775-1077/2500五言律詩

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

 
 2014年7月20日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
35ー#2 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#2> Ⅰ李白詩1196 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4528 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
416-#3 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1109>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4529韓愈詩-416-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-103 《寄邛州崔錄事》 杜甫index-14 764年 杜甫<775> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4530 杜甫詩1500-775-1077/2500五言律詩 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor4-414《天仙子二首其一》皇甫松Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-597-4-(414) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4532 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-103 《寄邛州崔錄事》 杜甫index-14 764年 杜甫<775 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4530 杜甫詩1500-775-1077/2500五言律詩

 

 

寄邛州崔錄事

邛州崔錄事,聞在果園坊。

久待無消息,終朝有底忙。

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

(邛州【きょうしゅう】崔錄事に寄す)

邛州の崔錄事,果園坊に在りと聞く。

久しく待てど 消息無く,終朝 底【なん】の忙有り。

應に江樹の遠きを愁うべし,野亭の荒れるを見ることを怯【おそ】る。

浩蕩たる 風塵の外,誰か知らん 酒 熟すれば香ばしきを。

 

成都関連地図 00

  

『寄邛州崔錄事』 現代語訳と訳註

(本文)

寄邛州崔錄事

邛州崔錄事,聞在果園坊。

久待無消息,終朝有底忙。

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

 

(下し文)

(邛州【きょうしゅう】崔錄事に寄す)

邛州の崔錄事,果園坊に在りと聞く。

久しく待てど 消息無く,終に朝 底【なん】の忙有り。

應に江樹の遠きを愁うべし,野亭の荒れるを見ることを怯【おそ】る。

浩蕩たる 風塵の外,誰か知らん 酒 熟すれば香ばしきを。

 

(現代語訳)

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

 

 

(訳注)

寄邛州崔錄事

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

邛州 邛州(きょうしゅう)は中国にかつて存在した州。現在の中華人民共和国四川省邛崍市近郊に相当する。梁の蕭紀(皇位僭称552-553年)により設置された楚州を前身とする。隋代になると605年(大業元年)に廃止となり、管轄区域は雅州に移管された。

崔錄事 卭州の録事であった崔某、詳細は分からない。

○果園坊 成都の中の坊の名称で、成都の西側にあった。徐卿の居處があった。

杜甫《詣徐卿覓果栽》「草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。」(卿に詣りて 果栽を覓む。草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。)

成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362 ..\杜甫と農業.doc 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 700- 538

 

邛州崔錄事,聞在果園坊。

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

 

久待無消息,終朝有底忙。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

有底忙 何か忙しいことでもあるのか。この詩は杜甫の冗談である。

 

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

 愁いているということなのだろうか。心配かけるね。

江樹遠 濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということ

怯見 見るのが怖いということ

野亭 あばら家である草堂

 

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

浩蕩 大にうごく。

風塵外 世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというとき

酒熟香 春は新酒が熟してちょうど芳しくなってきたこと。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-102 《王錄事許修草堂貲不到聊小詰》 杜甫index-14 764年 杜甫<774> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4525 杜甫詩1500-774-1076/2500七言絶句

杜甫《王錄事許修草堂貲不到聊小詰》(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

 
 2014年7月19日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
35ー#1 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#1> Ⅰ李白詩1195 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4523 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
416-#2 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1108>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4524韓愈詩-416-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-102 《王錄事許修草堂貲不到聊小詰》 杜甫index-14 764年 杜甫<774> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4525 杜甫詩1500-774-1076/2500七言絶句 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor1-65-413《河傳三首其三》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-596-1-65-(413) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4527 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-102 《王錄事許修草堂貲不到聊小詰》 杜甫index-14 764年 杜甫<774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4525 杜甫詩1500-774-1076/2500七言絶句

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 王錄事許修草堂貲不到聊小詰 

及地點:  草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍     

交遊人物: 王錄事 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。  

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

(王錄事 草堂を修むる貲を許す 到らず 聊さか小詰す)

為に嗔【いか】る 王錄事が,草堂の貲を寄せざるを。

昨【きのう】 春雨を愁うるに屬す,能く忘れんや 漏れんと欲する時を。 

杜甫像0012 

 

『王錄事許修草堂貲不到聊小詰』現代語訳と訳註

(本文)

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。 

 

(下し文)

(王錄事 草堂を修むる貲を許す 到らず 聊さか小詰す)

為に嗔【いか】る 王錄事が,草堂の貲を寄せざるを。

昨【きのう】 春雨を愁うるに屬す,能く忘れんや 漏れんと欲する時を。 

 

(現代語訳)

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

 

 

(訳注)

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

○王錄事 録事である王某。

○貲 たから。ここでは修繕費の金銭。

○到 杜甫の手元に届くこと。

○小詰 少々なじる。

 

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

○為嗔 杜甫自身のためにしてくれていないことを瞋る。

 

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。 

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

○屬 丁度。たまたま。

○愁春雨 の長雨を心配したところであった。小ぶりの雨ではなく、長雨だと、雨漏りがひどくなるという意味での「愁い」をいう。

○能忘 能くはここでは反語。忘れたわけではないだろうね。
杜甫草堂詳細図02 

廣徳2年764-101-#3 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4520 杜甫詩1500-773-#3-1075/2500

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

 
 2014年7月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
34-#3 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#3> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
416-#1 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1107>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4519韓愈詩-416-#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-101-#3 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4520 杜甫詩1500-773-#3-1075/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor1-64-412《河傳三首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-595-1-64-(412) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4522 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳

2764-101-#3 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4520 杜甫詩1500-773-#3-1075/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

名參漢望苑,職述景題輿。 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

遠行無自苦,熱比何如。 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

杜甫草堂詳細図02 

 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(下し文) #3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。

 

(現代語訳)

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

 

江畔独歩尋花 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 #3

 

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

宿陰 曇りの天候が続くこと。

素柰 白花の唐梨子。

蕖 はちす花。

 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

寂寂 ひっそりと静かに暮らす。

泠泠 涼風が吹く音をいう。

 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。


直作移巾几,秋帆發弊廬。 

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

移巾几 頭巾をして肘掛け椅子を君のために移動する。

弊廬 やぶれかけたいおり、杜甫の草堂のこと。
題新津北橋棲00 

廣徳2年764-101-#2 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4515 杜甫詩1500-773-#2-1074/2500

杜甫《寄李十四員外布十二韻》三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

 

 
 2014年7月17日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
34-#2 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#2> Ⅰ李白詩1193 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4513 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
415-#5 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1106>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4514韓愈詩-415-#5 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-101-#2 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4515 杜甫詩1500-773-#2-1074/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor1-63-411《清平樂二首其二》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-594-1-63-(411) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4517 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

廣徳2764-101-#2 《寄李十四員外布十二韻》杜甫index-14 764年 杜甫<773-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4515 杜甫詩1500-773-#2-1074/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

名參漢望苑,職述景題輿。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

遠行無自苦,熱比何如。 

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

試待盤渦歇,方期解纜初。 

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

 

名參漢望苑【案:漢武為太子置博望苑以通賓客。】,職述景題輿【案:周景為陳蕃題輿。】。巫峽將之郡,荊門好附書。

遠行無自苦,熱比何如。

正是炎天闊,那堪野館疏。

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。

試待盤渦歇,方期解纜初。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬【日為摘嘉蔬】。

渚柳元幽僻,村花不掃除。

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。

江清心可瑩,竹冷髮堪梳【竹冷髮宜梳】。

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

 

杜甫草堂詳細図02 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

 

(下し文) #2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

 

(現代語訳)

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

 

桃園001 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 #2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

○黃牛 黄牛峡 峡名、三峡の一角で西陵峡の末端の部分にある。長江にある三峡のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡夷陵州(今の湖北省宜昌)の西九里にあり、高崖の間に石があって、人が刀を負って牛を牽くがごとくであり、人は黒く牛は黄いろ。

杜甫《送韓十四江東省覲》

兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。

我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?

黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。

此別應須各努力,故猶恐未同歸。

 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

不掃除 この時代は花が散ってすぐには掃除をしないというのが風流とされる。杜甫の先輩の孟浩然、王維は花の散っている夜明けを詠っている。

孟浩然春曉
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。

春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。

王維田園楽 

桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  

花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。

桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。
海棠花021 

廣徳2年764-101-#1 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4510 杜甫詩1500-773-#1-1073/2500

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

 
 2014年7月16日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
34 《古風五十九首之三十四》-#1 Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34> Ⅰ李白詩1192 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4508 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
415-#4 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1105>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4509韓愈詩-415-#4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-101-#1 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4510 杜甫詩1500-773-#1-1073/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-101-#1 《寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4510 杜甫詩1500-773-#1-1073/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

名參漢望苑,職述景題輿。 

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

遠行無自苦,熱比何如。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

 

名參漢望苑【案:漢武為太子置博望苑以通賓客。】,職述景題輿【案:周景為陳蕃題輿。】。巫峽將之郡,荊門好附書。

遠行無自苦,熱比何如。

正是炎天闊,那堪野館疏。

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。

試待盤渦歇,方期解纜初。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬【日為摘嘉蔬】。

渚柳元幽僻,村花不掃除。

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。

江清心可瑩,竹冷髮堪梳【竹冷髮宜梳】。

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

蜀中転々圖 

 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

#1

名參漢望苑,職述景題輿。 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

遠行無自苦,熱比何如。 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

 

(下し文)

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

 

(現代語訳)

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

 

題新津北橋棲00 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 

#1

名參漢望苑,職述景題輿。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

漢望苑 漢の博望苑のこと。漢の武帝の時戻太子冠す。賓客を通じせしめ東宮にあった博望苑で司議郎が対応した。

職述 能く古人の職に倣うをいうという職のことを述べる。

景題輿 後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職になったことをいう。

 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

巫峽 中国・長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。

○荊門 荊州。湖北省荊州府をさす。この江水(嘉陵江)は南流して長江に入り東流して荊州、南京、上海に達する。孟浩然峴山送蕭員外之荊州』とか李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊「荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。」では荊州のことを指す。

附書 手紙を付託する。

 

遠行無自苦,熱比何如。 

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

○自苦 自分で自分を苦しめる。

熱 病気で発熱する。

比 このごろ。

 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

○闊 遠くへ広がる

○野館 幔幕に倚り田野で宿すこと。

○疏 まばら、稀少である。

廣徳2年764-100-#3 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4505 杜甫詩1500-772-#3-1072/2500

寄司馬山人十二韻》 杜甫≫このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

 
 2014年7月15日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
33 《古風五十九首之三十三》Index-4Ⅰ- 4-725年開元十三年25歳20古風,五十九首之三十三北溟有巨魚, <33> Ⅰ李白詩1191 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4503 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
415-#3 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1104>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4504韓愈詩-415-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-100-#3 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4505 杜甫詩1500-772-#3-1072/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-409《柳枝一首》張舍人泌(張泌)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-592-8-(409) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4507 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-100-#3 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4505 杜甫詩1500-772-#3-1072/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

#2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。


時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

#3

喪亂形仍役,淒涼信不通。

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

懸旌要路口,倚劍短亭中。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

永作殊方客,殘生一老翁。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

相哀骨可換,亦遣馭清風。 

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

蜀中転々圖 

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

喪亂形仍役,淒涼信不通。

懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。

相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(下し文) #3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

 

(現代語訳)

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

蜀成都1111 

(訳注) #3

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

喪亂 安禄山の叛乱に始まる安史の乱や、厳武が長安に勝れることから蜀で反乱を起こしたことで、蜀巴を廻ったことをいう。

形仍役 形をとる、役割を果たすこと、ここでは司馬山の安否を気遣うために何か行動をすること。

淒涼 悲しいかな何にもないというほどの意。

信不通 音信不通。

 

懸旌要路口,倚劍短亭中。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

懸旌 はためかずぶら下がっている旗。意志が発揮できない様子。

要路口 西から成都に入って来る要衝の地。

倚劍 国事を慨き思う

短亭中 駅亭間が短く感じられる。唐の駅伝制:道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。この事を杜甫は、757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500  のなかでしっかりと述べている。

 

永作殊方客,殘生一老翁。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

永作 ながく~をする。

殊方客 故郷を離れたまま旅客をし続けていること

殘生 余生。残り少なくなくなった人生。

一老翁 

 

相哀骨可換,亦遣馭清風。

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

骨可換 司馬山人の仙道によって俗骨を仙骨に替えることが出来るという。

《漢武内伝》に服薬して仙人になる九年の過程を述べ、「六年にして骨を易う」藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85

《漢武内伝》一年易氣,二年易血,三年易精,四年易肉,五年易髓,六年易筋,七年易骨,八年易髪,九年易形。

馭清風 昔の仙人のように清風にまたがらせてくれて天へ登ること。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-100-#2 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4500 杜甫詩1500-772-#2-1071/2500

わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

 
 2014年7月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
32 《古風五十九首之三十二》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳588古風,五十九首之三十二蓐收肅金氣, <32> Ⅰ李白詩1190 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4498 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
415-#2 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1103>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4499韓愈詩-415-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-100-#2 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4500 杜甫詩1500-772-#2-1071/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-408《柳枝五首其五》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-591-7-(408) 巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4502 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-100-#2 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4500 杜甫詩1500-772-#2-1071/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

#2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

有時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

 題新津北橋棲00

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

有時騎猛虎,虛室使仙童。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

 

 

(下し文) #2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

 

(現代語訳)

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

 

(訳注)

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 唐時代剣南道北部075

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

長嘯 ながくうそぶく。

峨嵋 峨嵋山のこと。道教の本山があり、山に隠遁するものが多くあった。

潛行 人目につかないようにして歩く。杜甫『哀頭江』「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。」

玉壘 玉壘山、四川省灌縣の西北にあり、吐蕃交通の関所がおかれている。(都江堰市玉壘山公園、網上在都江堰市)

 

有時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

騎猛虎 きけんにであうこと。

虛室 誰もいない部屋。

仙童 子供の仙人。

 

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

何勞白 白くなることを煩わすことなど何でもない。

顏衰肯更紅 山人のことをいう。

 

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

望雲 青雲の高きを眺め見る。

轗軻 不遇である顔つきをしていること。

畢景 夕日の光、人生の晩暮。

沖融 水面が穏やかに静まりかえすこと、陽春の和気の様子をいうことで、山人の若々しさをいう。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-100-#1 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4495 杜甫詩1500-772-#1-1070/2500

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

 
 2014年7月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
31 《古風五十九首之三十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <31> Ⅰ李白詩1189 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4493 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
415 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1102>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4494韓愈詩-415 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-100-#1 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4495 杜甫詩1500-772-#1-1070/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-407《柳枝五首其四》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-590-7-(407) 巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4497 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-100-#1 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4495 杜甫詩1500-772-#1-1070/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

 

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。有時騎猛虎,虛室使仙童。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文)

寄司馬山人十二韻

昔分袂,天邊今轉蓬。

驅馳不可,談笑偶然同。

道術曾留意,先生早擊蒙。

家家迎薊子,處處識壺公。

 

(下し文)

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 く可からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

 

(現代語訳)

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

題新津北橋棲00 

(訳注)

寄司馬山人十二韻

 (仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

 長安をいう。

分袂 別れること。この時は杜甫が長安にいて送り出したことをいう。

天邊 長安から見ると天涯の地であることをいう成都のこと。

轉蓬 ヨモギの根が断ち切れ、枯れて寄せあつまって風に吹かれて移動すること。定住することなく彷徨う旅人。

 

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

驅馳 安史の乱に翻弄され、朝廷から疎外と政策批判などによりはじき出されたことをいう。

 

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていた問題点を指摘され、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

道術 儒教の勉強。

留意 問題点を指摘する。

擊蒙 擊去童蒙。蒙昧を打開すること。

 

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

○迎薊子 後漠の薊子訓をいう、彼は神異の道を知り京師に到るや公卿以下数百人の家を訪問し、道の話をした。これを自分に此する。

識壺公 昔、唐の長安に常に薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は薬を相手の言い値で売っていた。この老人がどういう人なのか、知る人はいなかった。 そのとき、汝南しょなんの費長房という人が町の奉行に就任した。被が楼の上に立って町を見回していると、翁は一つの壺を持っていて、日暮れ時になると人に知られずにこの壺の中に躍り入った。長房はこれをたびたび目撃して、この翁はただ人でないと知り訪ねて行き、敬って食物などをすすめると翁は非常に喜んだ。かくして何年か経たって、翁が長房に「君には金骨の相がある。仙道を学ぶことができよう。日が暮れて人のいない時分に来なさい」と告げた。言われたとおり日暮れに行くと、翁は 「我われに続いて壺の中に躍り入れ」と言って、先に翁が躍り入り、長房がそれに続いた。壺の中には天地、日月があり、宮殿、楼閣は見事であった。侍者は数千人いて老翁を助け敬っていた。長房は快楽に浸ひたりながらも、なお故郷を忘れることができなかった。老翁はそのような長房の気持ちを察して「もし君が帰りたいと思っているなら、これに乗って行きなさい」と、一つの竹の竿さおを与えた。長房はこの竹の竿に乗って長安に帰ってきたのである。

 

 この竿を葛陂かっぴという所の水の中に投げ捨てると、竿はすぐに青い竜となって天に登り去った。

廣徳2年764-99-#2 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4490 杜甫詩1500-771-#2-1069/2500

かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

 
 2014年7月12日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
30-#2 《古風五十九首之三十》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <30-#2> Ⅰ李白詩1188 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4488 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-99-#2 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4490 杜甫詩1500-771-#2-1069/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-406《柳枝五首其三》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-589-7-(406) 巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4492 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-99-#2 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4490 杜甫詩1500-771-#2-1069/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十四 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄董卿嘉榮十韻 

寫及地點:  五繩橋 (劍南道北部 茂州 茂州)     

交遊人物: 董嘉榮 書信往來

 

 

寄董卿嘉榮十韻 #1

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

久戎服,京師今晏朝。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

#2

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

三輔黄図にある京兆尹,左馮翊,右扶風の地域を汚され、辱められたのであるから、今度は、彼等の拠点である月屈の地を焼き払ってしかるべきなのだ。

かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。

そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

君はその地に行っては秋の夕暮に軽装の騎兵を從えていると思うし、秋の高天にクマタカを弓で射抜いたりするだろう。

洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたと同じように評価されるだろうし、すべての人民は国家のために悪い兵乱の雰囲気を払い除けてくれたと喜んでくれることだろう。

 

(董卿【とうきょう】嘉榮に寄す十韻) #1

聞道【きくなら】く君が牙帳,防秋 赤霄に近く。

下は千の雪嶺に臨み,卻って五繩の橋に背くと。

 久しく戎服し,京師 今 晏朝なり。

犬羊 曾て爛熳たり,宮闕 尚お蕭條たり。

猛將 宜しく膽を嘗むべし,龍泉 必ず腰に在らむ。

#2

黃圖 辱にう,月窟 焚燒【ふんしょう】す

會【かなら】ず干戈【かんか】の利なるを取り,斥候をして驕ら令むこと無れ。

居然 雙捕虜なり,自ら是れ一嫖【いちひょう】姚なり。

落日 輕騎を思い,高天 射雕【しゃちょう】を憶う。

雲臺 形像を畫かるるは,皆 氛妖【ふんよう】を掃いしが為なり。

 

 蜀成都1111

寄董卿嘉榮十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

 

(下し文) #2

黃圖 辱に遭う,月窟 焚燒【ふんしょう】す可し。

會【かなら】ず干戈【かんか】の利なるを取り,斥候をして驕ら令むこと無れ。

居然 雙捕虜なり,自ら是れ一嫖【いちひょう】姚なり。

落日 輕騎を思い,高天 射雕【しゃちょう】を憶う。

雲臺 形像を畫かるるは,皆 氛妖【ふんよう】を掃いしが為なり。

 

(現代語訳)

三輔黄図にある京兆尹,左馮翊,右扶風の地域を汚され、辱められたのであるから、今度は、彼等の拠点である月屈の地を焼き払ってしかるべきなのだ。

かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。

そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

君はその地に行っては秋の夕暮に軽装の騎兵を從えていると思うし、秋の高天にクマタカを弓で射抜いたりするだろう。

洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたと同じように評価されるだろうし、すべての人民は国家のために悪い兵乱の雰囲気を払い除けてくれたと喜んでくれることだろう。

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

寄董卿嘉榮十韻 #2

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

764年、廣德二年、杜甫 53の作。

董卿嘉榮 卿は敬称。武将。

 

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

三輔黄図にある京兆尹,左馮翊,右扶風の地域を汚され、辱められたのであるから、今度は、彼等の拠点である月屈の地を焼き払ってしかるべきなのだ。

○黃圖 三輔黄図【さんぽこうと】のことである。中国,長安(現,西安)を中心にその近郊に位置する三輔(京兆尹(けいちよういん),左馮翊(さひようよく),右扶風(ゆうふふう))の地域の,主として漢代の古跡を記述した地理書。宮殿,苑囿(えんゆう),陵墓などの来歴を述べ,ときにそうした場所にまつわる伝説も引用される。筆者は不明。原本は南北朝期にできたと考えられるが,中唐以降の付加になる部分もある。テキストには,古書の引用で現行本を対校したものがいくつかあるが,陳直《三輔黄図校正》が最も新しい成果である。

○遭 763年廣徳元年十月、吐蕃が長安を陥れたため、代宗は陜州に出奔されたことをいう。

○月窟 西域のこと。ここでは吐蕃をいう。

 

會取干戈利,無令斥候驕。

かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。

○會 かならず。

○干戈利 唐王朝軍の盾や矛を鋭利にする。軍を強兵にする。

○斥候 物見の兵。

 

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

○居然 そうすればきっと。そのまま。なんと,驚いたことに,(【同】竟然)

○雙捕虜 《後漢書》卷二十二《馬武傳》世祖即位する,以って武 侍中と為る、都尉に騎す,山都侯に封ぜらる。建武四年,虎牙將軍と蓋延等とで劉永を討ち,武 濟陰を別擊し,下って武を成す、楚丘,捕虜將軍を拜す。雙捕虜とは馬武と董嘉榮が二人の捕虜将軍となることをいう。

○一嫖姚 霍嫖姚のこと。漢の武帝の時の名将霍去病【かくきょへい】。彼は嫖姚校尉となった。騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、3万の首を上げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。

 

落日思輕騎,高天憶射雕。

君はその地に行っては秋の夕暮に軽装の騎兵を從えていると思うし、秋の高天にクマタカを弓で射抜いたりするだろう。

○雕 ワシ(washi)タカ目のうち、大形で強力な鳥の総称.

 

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたと同じように評価されるだろうし、すべての人民は国家のために悪い兵乱の雰囲気を払い除けてくれたと喜んでくれることだろう。

○雲臺 後漢明帝の雲臺。永平年間に明帝が前代の後漢の光武帝の天下統一を助けた功臣たちに感じて、洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたことから「雲台二十八将」と称される。

廣徳2年764-99-#1 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4485 杜甫詩1500-771-#1-1068/2500

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

 
 2014年7月11日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
30-#1 《古風五十九首之三十》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <30-#1> Ⅰ李白詩1187 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4483 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-99-#1 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4485 杜甫詩1500-771-#1-1068/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-405《柳枝五首其二》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-588-7-(405) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4487 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


廣徳2764-99-#1 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4485 杜甫詩1500-771-#1-1068/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十四 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄董卿嘉榮十韻 

寫及地點:  五繩橋 (劍南道北部 茂州 茂州)     

交遊人物: 董嘉榮 書信往來

 

 

寄董卿嘉榮十韻 #1

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

久戎服,京師今晏朝。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

#2

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

 

(董卿【とうきょう】嘉榮に寄す十韻) #1

聞道【きくなら】く君が牙帳,防秋 赤霄に近く。

下は千の雪嶺に臨み,卻って五繩の橋に背くと。

 久しく戎服し,京師 今 晏朝なり。

犬羊 曾て爛熳たり,宮闕 尚お蕭條たり。

猛將 宜しく膽を嘗むべし,龍泉 必ず腰に在らむ。

#2

黃圖 辱にう,月窟 焚燒【ふんしょう】す

會【かなら】ず干戈【かんか】の利なるを取り,斥候をして驕ら令むこと無れ。

居然 雙捕虜なり,自ら是れ一嫖【いちひょう】姚なり。

落日 輕騎を思い,高天 射雕【しゃちょう】を憶う。

雲臺 形像を畫かるるは,皆 氛妖【ふんよう】を掃いしが為なり。

 

題新津北橋棲00 

『寄董卿嘉榮十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

寄董卿嘉榮十韻 #1

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

久戎服,京師今晏朝。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

 

(含異文)

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

下臨千雪嶺【下臨千仞雪】,卻背五繩橋。

久戎服,京師今晏朝。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕【秋天憶射雕】。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。 

 

(下し文)

(董卿【とうきょう】嘉榮に寄す十韻) #1

聞道【きくなら】く君が牙帳,防秋 赤霄に近く。

下は千の雪嶺に臨み,卻って五繩の橋に背くと。

 久しく戎服し,京師 今 晏朝なり。

犬羊 曾て爛熳たり,宮闕 尚お蕭條たり。

猛將 宜しく膽を嘗むべし,龍泉 必ず腰に在らむ。

 

(現代語訳)

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

 

蜀中転々圖 

(訳注)

寄董卿嘉榮十韻 #1

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

764年、廣德二年、杜甫 53の作。

董卿嘉榮 卿は敬称。武将。

 

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

牙帳 軍の本営、牙は牙旗。帳は幔幕。軍の号令を牙旗の前で下すが、軍前の大旗をいうが、旗竿の上先端に象牙を飾っているためという。

防秋 北狄、西夷の侵入を防ぐ。

近赤霄 夕映えの空、近くの地勢が高く赤く染まる。

 

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

○下臨千雪嶺 下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂。五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

卻背五繩橋 卻背:五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、成都から見て縄橋の背にあるということ。繩橋:食糧を運び、竹の橋を手早く縄で縛って作られ、決死の覚悟で敵地に赴く勇者たちのためのものである。杜甫《入奏行贈西山檢察使竇侍禦》「運糧繩橋壯士喜,斬木火井窮猿呼。」  制圧のための準備の木を伐採し、火器を準備し、叛乱の奴らの去る呼ばわりして追いつめられるであろう。・運糧 食糧を運び。

・繩橋 竹の橋を手早く縄で縛って作る。入奏行贈西山檢察使竇侍禦 五言律詩 成都(6-(2-#4)) 杜甫 <469-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2440 杜甫詩1000-469#4-683/1500

 

 

久戎服,京師今晏朝。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

○戎服 軍服を付ける。

 

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

○犬羊 ウイグルは安史軍にも手を貸し、王朝軍の援軍にはウイグル正規軍として参加した。しかし援軍のウイグル軍は略奪の賈誼を盡したのだ。これらの間断をついて吐蕃の夷狄が侵入していたことをいう。

○爛熳 はびこるさま。

宮闕尚蕭條 一年以上の安史軍の占領時に王朝の蔵は、食料、珍品を運び出されたことで、国庫破綻し、未だに食料、資金不足が解消されていないことをいう。朝廷内での金権主義、賀蘭進明、第五琦のその場主義の経済政策、そのために人民は疲弊し、一方で悪がはびこることに目を向けられていないことをいう。この杜甫の主張は房琯を筆頭としたグループを形成していた。これが宦官らの暗躍により、全員左遷され、勢力を失ったことなどを示すものである。

杜甫の三吏三別 「新安吏」「石壕吏」「潼関吏」(三吏),「新婚別」「垂老別」「無家別」(三別)に明確に状況を述べている。そして、当時の経済政策についての明確な批判は次の二文献に示されている。

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

○嘗膽 越王勾践の臥薪嘗胆の故事。呉の恨みを忘れぬため膽を舐め、薪の上に伏したことをいう。

○龍泉【りょうせん】『晋書』「張華伝」 雷煥と張華晋代の故事、雷煥(らいかん)が牛星と斗星のあいだに剣の気があるのを見て、龍泉・太阿の二つの名剣を掘り出した話を踏まえている。 名剣の名。
三者の思惑が合致 

廣徳2年764-98-#9 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4475 杜甫詩1500-770-#9-1066/2500

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。



 
 2014年7月10日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
29 《古風五十九首之二十九》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <29> Ⅰ李白詩1186 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4478 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#9 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4475 杜甫詩1500-770-#9-1066/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-404《柳枝五首其一》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-587-7-(404) 巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4482 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-98-#9 《贈王二十四侍御契四十韻》杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#9>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4475 杜甫詩1500-770-#9-1066/2500

 

 

贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

#9

網衆まりて円鯽【えんせき】粘し、糸繁くして細蓴【さいじゅん】を煮る。

長歌 柳癭【りゅうえい】を敲き、小睡 藤輪に憑る。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや。

浮生食を去り難し、艮会清晨を惜しむ。』

10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

題新津北橋棲00 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

 

(下し文)

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

貐【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

(現代語訳)

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

 

(訳注) #8~#10

贈王二十四侍禦契四十韻 #10

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

江畔独歩尋花 

列國兵戈暗,今王德教淳。

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

○列国 諸国。

○今王/今重 代宗。

○淳 まじりけなし、清し。淳風・淳朴。

 

要聞除貐,休作畫麒麟。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

○要聞 自己がきこうともとめるのである。

○除 【あゆつ】は中国神話に登場する怪物。獣の中で最大とされ、虎の身体に龍の頭、馬の尾を持ち、全長80メートルもある。元々は天の神だったが、神々の抗争により、危(ウエイ,き)という神に殺された。しかし、貐は崑崙山にて不死の薬で甦り、それ以降、邪悪な怪物となった。山猫に似て走るのが速く、中原をものすごく速さで走り回り、人を喰らった。そこで、后羿(ホウイー,こうげい)という英雄がこの怪物を退治したという。后羿は、その当時、中国に10個あった太陽を9個を撃ち落とす程の弓の名手だった。これは盗賊をたとえていう。

○画麒麟 麒麟閣上に画かれること、徒らに閣上に画かれることをのみ考えてはならぬとみている。

 

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

○洗眼 長安中に豪家の軽薄子の多いのを見ていうのに、吾当に眼を洗って繭が菅を見るべし、と。荘子の「逍遙遊」に、「穎水(えいすい)に耳を洗う」の故事がある。聖天子、堯が巷間に隠れ棲む高士の許由に天下を譲ろうと言った。それを聞いた許由は、耳が汚れたとして、穎水で耳を洗い清めた。杜甫が「洗眼」といったのは官を辞すに到った、朝廷内での金権主義、賀蘭進明、第五琦のその場主義の経済政策、そのために人民は疲弊し、一方で悪がはびこることに目を向けられていないことをいう。この杜甫の主張は房琯を筆頭としたグループを形成していた。これが宦官らの暗躍により、全員左遷され、勢力を失ったことなどを示すものである。

杜甫の三吏三別 「新安吏」「石壕吏」「潼関吏」(三吏),「新婚別」「垂老別」「無家別」(三別)に明確に状況を述べている。そして、当時の経済政策についての明確な批判は次の二文献に示されている。

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

○軽薄 世間の交際のまじめでないさま、此の句は自己についていう。

○虚慎 むねにわだかまりのないこと。

○任屈伸 在官を伸といい、退処を屈という、此の句は王侍御についていう。

 

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

○膠漆地 漆とニカワのように一旦結ばれれば離れることのない交情の親密な境地。

○雷陳 後漢の雷義と陳重をいう、二人の交わりは至って親密であり、当時の人の語にいう、「膠膝自ズカラ堅シト謂ウモ、雷卜陳トニ如カズ」と。官吏に推薦された雷義は、それを親友の陳重に譲りましたが、役人に認められなかったため、髪を振り乱し、気違いのふりをして命令に応じませんでした。「膠や漆がかたく結びつくといっても、雷義と陳重ほどではない」とうわさされた故事。

以上身世の感をいい交情の密ならんことを希望して結びとする。
杜甫草堂詳細図02