杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
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成都 (5)

入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#3) 杜甫 <469-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2440 杜甫詩1000-469-682/1500

杜甫 《入奏行贈西山檢察使竇侍禦》雑言古詩(楽府) 貴方のもとに八州の刺史たちはこの一戦のことをおもっているし、国境守備の拠点三城はよく守るべく準備されている。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#3) 杜甫 <469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2440 杜甫詩1000-469#3-682/1500




詩 題:入奏行贈西山檢察使竇侍禦雑言古詩(楽府)
杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂6-(2-#3)
作時:762年1月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の469-#3首目-場面6-(2-#3)
杜甫ブログ1500回予定の-682回目


入奏行贈西山檢察使竇侍禦
(宴の演奏や詩を詠む席にはいって西山の検察、竇侍禦のこの詩を贈る。)
竇侍御,驥之子,鳳之雛。 
竇侍禦は優れた才能を持つ人であり、鳳凰になるべきヒナの様な人である。
年未三十忠義俱,骨鯁絕代無。 
年末の三十日の恒例行事で忠義を共にしたことがあった、道理にそっている諌めの言葉を遠慮せずに言うことは誰一人としてできるものではないのである。
炯如一段清冰出萬壑,置在迎風寒露之玉壺。 
あきらか光り輝くさまは清廉なところは山々の峰々から出でてくる奇麗な氷のようであり、寒風のなか冰露が宝玉で作った壺の様なのである。
蔗漿歸廚金碗凍,洗滌煩熱足以寧君軀。
 
サトウキビの搾り汁でさえ厨房にはって調理する間に金椀の中も凍る。だから、きれいに洗い、温め、蒸して、十分に料理が足りるまではゆっくりとあなた自身の体をやすめることである。
#2
政用疏通合典則,戚聯豪貴耽文儒。 
政治的に働かせ、筋道がよく通り、法則にのっとり、合致する。心を痛めて心配することが関連ずけられ、身分・家柄などが高貴で詩文と儒学に勤しんでいる。
兵革未息人未蘇,天子亦念西南隅。 
ここにおいて戦争は未だに終わっていないし、人々が以前の元気を取り戻していない。天子はいろんな苦慮をされていたがここ国の西南の隅の地域の叛乱にも懸念をされている。
吐蕃憑陵氣頗粗,竇氏檢察應時須。 
異民族国家である吐蕃は国境の丘陵地帯を抑え、その辺りの雰囲気をとても荒れたものにしている。竇侍禦は西の山岳の檢察を時にあたって適時的にされるのである。
運糧繩橋壯士喜,斬木火井窮猿呼。 
食糧を運び、竹の橋を手早く縄で縛って作られたし、決死の覚悟で敵地に赴く勇者たちを喜んで迎えられている。制圧のための準備の木を伐採し、火器を準備し、叛乱の奴らの去る呼ばわりして追いつめられるであろう。
#3
八州刺史思一戰,三城守邊卻可圖。 
貴方のもとに八州の刺史たちはこの一戦のことをおもっているし、国境守備の拠点三城はよく守るべく準備されている。
此行入奏計未小,密奉聖旨恩宜殊。 
この「入奏」の一行は未だ小さい州にも目配りをしている。ひそかに心に思っているのは聖天子の恩に報いることを奉ずることである。
繡衣春當霄漢立,綵服日向庭闈趨。
天子から戴いた冠衣はこの春にあたってこの天下を鎮めるために出立するのである。美しく色どりしてある衣服はたいようにあたってかがやくように一族の栄誉を担って奮闘するだろう。
綵服日向庭闈趨。 
美しく色どりしてある衣服は太陽にあたってかがやくように一族の栄誉を担って奮闘するだろう。
#4
省郎京尹必俯拾,江花未落還成都。 
江花未落還成都,肯訪浣花老翁無。 
為君酤酒滿眼酤,與奴白飯馬青芻。 



『入奏行贈西山檢察使竇侍禦』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
八州刺史思一戰,三城守邊卻可圖。 
此行入奏計未小,密奉聖旨恩宜殊。 
繡衣春當霄漢立,綵服日向庭闈趨。綵服日向庭闈趨。


(下し文) #3
八州刺史は一戰を思い,三城邊を守り卻【かえ】って圖る可し。 
此の入奏を行として未だ小を計らわず,密かに聖旨 恩宜の殊を奉じる。 
繡衣 春に當り霄漢【しょうかん】に立ち,綵服【さいふく】日向して庭闈【ていい】を趨る。綵服日向して庭闈【ていい】を趨る。


(現代語訳)
貴方のもとに八州の刺史たちはこの一戦のことをおもっているし、国境守備の拠点三城はよく守るべく準備されている。
この「入奏」の一行は未だ小さい州にも目配りをしている。ひそかに心に思っているのは聖天子の恩に報いることを奉ずることである。
天子から戴いた冠衣はこの春にあたってこの天下を鎮めるために出立するのである。美しく色どりしてある衣服はたいようにあたってかがやくように一族の栄誉を担って奮闘するだろう。
美しく色どりしてある衣服は太陽にあたってかがやくように一族の栄誉を担って奮闘するだろう。


(訳注) #3
八州刺史思一戰,三城守邊卻可圖。
 
貴方のもとに八州の刺史たちはこの一戦のことをおもっているし、国境守備の拠点三城はよく守るべく準備されている。
・八州 松、維、恭、蓬、雅、黎、姚、悉の八州
・三城 姚(雲南) 州、維州、松州の三州
・卻 かてって。また。そのときこそ。

吐蕃国境守備4901















此行入奏計未小,密奉聖旨恩宜殊。
 
この「入奏」の一行は未だ小さい州にも目配りをしている。ひそかに心に思っているのは聖天子の恩に報いることを奉ずることである。
・殊恩  特別に受けた厚い恩義。格別の恩。
・宜 むべ うべ よろしい程よくかなっている。


繡衣春當霄漢立,綵服日向庭闈趨。
天子から戴いた冠衣はこの春にあたってこの天下を鎮めるために出立するのである。美しく色どりしてある衣服は太陽にあたってかがやくように一族の栄誉を担って奮闘するだろう。
・繡衣 長安の朝廷で宮廷人の着飾った刺繍のある制服。紫綺裳 紫のあや絹の上着。
・霄漢 大空。天空。
・綵服 美しく色どりしてある衣服。きれいな着物。
・庭闈  親の居る部屋。闈:皇后の部屋に続く門。杜甫『送韓十四江東省覲』「君今何處訪庭闈?」わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。送韓十四江東省覲 成都-(7) 杜甫 <460  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2245 杜甫詩1000-460-643/1500
・趨庭 庭さきを走りまわる。『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。
李白『送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽』「魯中正是趨庭處」(魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ)
*ここは、小さいころから親に心配をかけず立派な成績であったことを云い、一族の栄誉を担って奮闘するというほどの意味。


綵服日向庭闈趨。
美しく色どりしてある衣服は太陽にあたってかがやくように一族の栄誉を担って奮闘するだろう。

李司馬橋成,高使君自成都回 七言絶句 成都5-(42) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2420 杜甫詩1000-467-678/1500

杜甫 《李司馬橋成,高使君自成都回》 こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。

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李司馬橋成,高使君自成都回 七言絶句 成都5-(42) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2420 杜甫詩1000-467-678/1500


李司馬橋成,高使君自成都回七言絶句 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(42)) 
詩 題:李司馬橋成,高使君自成都回七言絶句 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(42)) 
掲 載; 杜甫1000首の467首目-場面5-(42)杜甫ブログ1500回予定の-678回目
作年: 上元二年  761年   50歲 
卷別: 卷二二六  文體: 七言絕句 
詩題: 李司馬橋了承高使君,自成都回【李司馬橋了高使君,自成都回】【李司馬橋成承高使君,自成都回】 
寫作地點: 蜀州(劍南道北部 / 蜀州 / 蜀州) 
寫及地點:  成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     
交遊人物/地點: 李司馬 當地交遊(劍南道北部 蜀州 蜀州)
高 適 當地交遊(劍南道北部 蜀州 蜀州)




李司馬橋了承高使君,自成都回
(李司馬が作ったこの橋で高適刺史のこと「事情があって成都に帰った」ということを了承する)
向來江上手紛紛,三日成功事出群。 
こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。
已傳童子騎青竹,總擬橋東待使君。
 
これまでに伝えられているのは青竹はもともと竹馬にして遊ぶためにあったものではないか。それを考えるとここにいる人々のみんなはこの竹の橋の東側にいる人はきっと高適刺史を待っている人に間違いないのだろう。


(李司馬が橋 高使君を自ら成都に回るを了承する)
向い來りて 江の上り 手 紛紛たり,三日で事は出群するをもって成功す。
已に童子 青竹に騎すを傳え,總じて擬す 橋東 使君を待つを。

竹の橋02




『李司馬橋了承高使君,自成都回』 現代語訳と訳註
(本文)

向來江上手紛紛,三日成功事出群。 
已傳童子騎青竹,總擬橋東待使君。 


(下し文)
(李司馬が橋 高使君を自ら成都に回るを了承する)
向い來りて 江の上り 手 紛紛たり,三日で事は出群するをもって成功す。
已に童子 青竹に騎すを傳え,總じて擬す 橋東 使君を待つを。


(現代語訳)
(李司馬が作ったこの橋で高適刺史のこと「事情があって成都に帰った」ということを了承する)
こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。
これまでに伝えられているのは青竹はもともと竹馬にして遊ぶためにあったものではないか。それを考えるとここにいる人々のみんなはこの竹の橋の東側にいる人はきっと高適刺史を待っている人に間違いないのだろう。


(訳注)
李司馬橋了承高使君,自成都回

李司馬が作ったこの橋で高適刺史のこと「事情があって成都に帰った」ということを了承する
○李司馬 李七司馬 蜀州の司馬李某。
○橋 皂江にかけた竹の橋。『陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一』 一に鄩江といい新津県にあるという。
○了承 事情をくんで納得すること。承知すること。承諾。
○高使君 友人の高適。使君は刺史の敬称。『奉簡高三十五使君』が直近のしである。(高適に寄せた詩。詩によれば高適が栄任したようで、彭州より蜀州に転じたことをいい、また作者がまさに高適を訪れようとしたときの作である。作時は詳らかでないが上元元年760年49歳と考える。上元元年(七六〇)の秋、. 崔五侍御を通じて彭州(四川省彭県)の刺史であった高適に援助を依頼した. 詩を書いている。『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」『寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#4> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1439 杜甫詩 700- 444』、『寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268』)


向來江上手紛紛,三日成功事出群。
こっちへ向かってくる人々は皂江にかけた竹の橋のまわりにいる人たちでごった返す。この橋がたった三日で大勢の人で出来上がったのである。
 水澤湖泊、皂江。
 江上。川のほとり。竹の橋のほとり。
手紛紛 拍手の音のみだれたつさま。多くあるさま。『贈花卿』「錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。此曲只應天上有,人間能得幾回聞?」、『江畔獨步尋花七絕句 其七』「不是愛花即欲死,只恐花盡老相催。繁枝容易紛紛落,嫩蕊商量細細開。」


已傳童子騎青竹,總擬橋東待使君。
これまでに伝えられているのは青竹はもともと竹馬にして遊ぶためにあったものではないか。それを考えるとここにいる人々のみんなはこの竹の橋の東側にいる人はきっと高適刺史を待っている人に間違いないのだろう。
傳 これまでに伝えられているもの。
童子 孩童とは。幼い子供。幼児。
○騎青竹 騎竹馬。。
○擬 1 どうしようかとはかり考える。思案する。「擬議」2 他のものと引き比べてみる。本物らしく似せる。なぞらえる。


陪李七司馬皂江上觀造竹橋即日成往來之人免冬寒入水聊題短作簡李公,二首之二 成都5-(41) 杜甫<466>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2415 

杜甫 《陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之二》松明を束ねてかがり火を設置し、出来上がった竹の橋を夜に観覧する。船を用意され賓客たちはそれぞれ席についてひと時を過ごす。晴天に恵まれて高い所まで雲は全くなくなっている。この大江にこの月も中を過ぎるので、遅ればせに月が出て來る。


2013年5月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之二 五言律詩 成都5-(41) 杜甫 <466>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2415 杜甫詩1000-466-677/1500


詩 題:陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之二 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(41)) 
作 時:761年上元二年12月杜甫50歳 
卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩
作地點: 蜀州(劍南道北部 / 蜀州 / 蜀州)   皂江 (劍南道北部 蜀州 新津)     
交遊人物/地點: 李司馬 當地交遊(劍南道北部 蜀州 新津)
 掲 載; 杜甫1000首の466首目-場面5-(41)
杜甫ブログ1500回予定の-677回目  


陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之二
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の二。)
把燭成橋夜,迴舟坐客時。
松明を束ねてかがり火を設置し、出来上がった竹の橋を夜に観覧する。船を用意され賓客たちはそれぞれ席についてひと時を過ごす。
天高雲去盡,江迥月來遲。
晴天に恵まれて高い所まで雲は全くなくなっている。この大江にこの月も中を過ぎるので、遅ればせに月が出て來る。
衰謝多扶病,招邀屢有期。
私が病気がちなもので皆さんに申し訳がありません。それなのにこうして招かれ迎えられ、度々お会いする機会を作っていただけるのだ。
異方乘此興,樂罷不無悲。

思ってもみなかった異郷に来て、こうして船に乗り、このように同席させてもらっている。こんなに楽しい時を終わろうとするのは悲しいと思うのを止めようとするけれどもとても止めることはできないのである。

(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。聊か短作を題し、李公に簡す。二首の二)
燭を把ね 成橋の夜,舟を迴し 坐客の時。
天高く 雲去り盡し,江迥い 月來る遲し。
衰謝【あいしゃ】するは 多く病を扶し,招邀【しょうげき】するは 屢【ことごと】く期有り。
異方【いほう】にして 此れ興に乘り,樂罷むは 悲しみを無くさず。


竹の橋02




『陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之二』 現代語訳と訳註
(本文)

把燭成橋夜,迴舟坐客時。
天高雲去盡,江迥月來遲。
衰謝多扶病,招邀屢有期。
異方乘此興,樂罷不無悲。


(下し文)
(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。柳か短作を題し、李公に簡す)
燭を把ね 成橋の夜,舟を迴し 坐客の時。
天高く 雲去り盡し,江迥い 月來る遲し。
衰謝【あいしゃ】するは 多く病を扶し,招邀【しょうげき】するは 屢【ことごと】く期有り。
異方【いほう】にして 此れ興に乘り,樂罷むは 悲しみを無くさず。


(現代語訳)
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の二。)
松明を束ねてかがり火を設置し、出来上がった竹の橋を夜に観覧する。船を用意され賓客たちはそれぞれ席についてひと時を過ごす。
晴天に恵まれて高い所まで雲は全くなくなっている。この大江にこの月も中を過ぎるので、遅ればせに月が出て來る。
私が病気がちなもので皆さんに申し訳がありません。それなのにこうして招かれ迎えられ、度々お会いする機会を作っていただけるのだ。
思ってもみなかった異郷に来て、こうして船に乗り、このように同席させてもらっている。こんなに楽しい時を終わろうとするのは悲しいと思うのを止めようとするけれどもとても止めることはできないのである。


(訳注)
陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之二
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の二。)
○李七司馬 蜀州の司馬李某。
○皂江 皂江 一に鄩江といい新津県にあるという。
○短作 この八句の二首の詩をさす。
○李公 李司馬。


把燭 成橋夜 ,迴舟 坐客 時 。
松明を束ねてかがり火を設置し、出来上がった竹の橋を夜に観覧する。船を用意され賓客たちはそれぞれ席についてひと時を過ごす。
・ 把 1 束ねたものを数えるのに用いる。「まき五―」「ホウレンソウ一―」 2 射芸で、矢を数えるのに用いる。矢51筋を1把とする。 「燭」語義類別:物、器物、生活用品(起居用品)、燭。
・成橋 關津渡口、新津堤の竹で作った完成間もない橋。
・夜 範圍時間:夜晚。
・迴舟 水路での舟を回して橋を観覧する。
・坐客 船に乗る賓客が座っていること。
・時 夜と対語。ひと時。


天高 雲去 盡,江迥 月來 遲 。
晴天に恵まれて高い所まで雲は全くなくなっている。この大江にこの月も中を過ぎるので、遅ればせに月が出て來る。
・江 岷江の合流点近くであるから、川幅がかなりあるのであろう。大江。
・月來遲 月が昇のが遅いのであるから、その月の満月より後半ということになる。つまり、別れがたいことを意味する。


衰謝 多 扶病 ,招邀 屢有期 。
私が病気がちなもので皆さんに申し訳がありません。それなのにこうして招かれ迎えられ、度々お会いする機会を作っていただけるのだ。
・衰謝多扶病 病気がちであるにもかかわらず出席できていることを申し訳けないとおもっていること。
・招邀 屢有期 招かれ迎えられ、度々お会いする機会を作っていただいていること。


異方 乘此興 ,樂罷 不 無悲 。
思いもしなかった異郷に来て、こうして船に乗り、このように同席させてもらっている。こんなに楽しい時を終わろうとするのは悲しいと思うのを止めようとするけれどもとても止めることはできないのである。
・異方 異郷におもいがけずきていること。。
・乘此興 船に乗り、このように同席させてもらっていること。
・樂 喜悅欣樂。

 


詩文:
陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之二
把燭成橋夜,迴舟坐客時。
天高雲去盡,江迥月來遲。
衰謝多扶病,招邀屢有期。
異方乘此興,樂罷不無悲。

------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
把燭成橋夜【把燭橋成夜】,迴舟坐客時【迴舟客坐時】。
天高雲去盡,江迥月來遲。
衰謝多扶病,招邀屢有期。
異方乘此興,樂罷不無悲。
  
 竹の橋01











陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一
伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?


陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
○李七司馬 局州の司馬李某。
○鳥江一に都江といい新津県にあるという。
○短作 この八句の詩をさす。
○李公 李司馬。

伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
○結構同  木で組み立てたものと同じ。
○褰裳不渉 不褰裳而渉とかくべきところを上のごとくかいたもの、これまではもすそをかかげてかちわたりする必要があったのに、今はそうしない。

天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
○天寒白鶴歸華表 晋の大康二年の冬大いに雪がふったとき、南洲の人が二白鶴が橋の下で、「今年の寒さは堯の崩じた年に劣らない」と話しているのを見たとある。華表は鳥居型のことで、ここは橋脚の意として用いる。
○青竜 橋影の水にうかぶかたちをたとえていう。

顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
○顧 顧み念うこと。
○題柱客 漢の司馬相如の故事。相如が蜀を去って長安に行こうとするとき橋柱に題して「高車駟馬に乗らずんばふたたびここを過ぎず」といった。ここは出世する意ではなくて柱に超して橋の成った頒文でも作ることの意に用いたものであろう。
○君 李をさす。
○済川功 橋をかけたので川をわたす功があるという。

合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?
いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。
○合歓 橋の成ったことを祝して主客ともに喜ぶこと。
〇千年事 千年まえの昔のこと、すなわち次句のこと。
○驅石何時到海東 秦の始皇が石橋を作り、海を過ぎて日の出る処を観ようとしたところ、神人が石を駆って海に落とした、石の落ちる速度がおそいと神がこれを鞭ったので石は皆血を流した、という話がある。こんな話はあるがその石が海東に到る時節は有るまいというもの。


陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 成都5-(40) 杜甫 <465>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2410 杜甫詩1000-465-676/1500

1203 杜甫 《陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公》
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。

2013年5月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 成都5-(40) 杜甫 <465>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2410 杜甫詩1000-465-676/1500



詩 題:陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題斷作,簡李公。 五言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(40)) 
作時:761年12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465首目-場面5-(40)
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李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。上元二年の冬、蜀州にあっての作。
 

陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?

いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。
(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。聊か短作を題し、李公に簡す 二首の一)
竹を伐り橋と為す結構同じ、裳を塞げて捗らず往来通ず。
天寒くして白鶴華表に帰り、日落ちて青竜水中に見ゆ。
顧う我が老いて題柱の客に非ざるを、知る君が才是れ済川の功。
合歓却って笑う千年の事、駆石何の時か海東に到らん。


竹の橋01









『陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一』 現代語訳と訳註
(本文)

伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?


(下し文)
(李七司馬に陪し、長江の上に竹橋を造るを観る。即日成る。往来の人、冬寒に水に入るを免る。聊か短作を題し、李公に簡す)
竹を伐り橋と為す結構同じ、裳を塞げて捗らず往来通ず。
天寒くして白鶴華表に帰り、日落ちて青竜水中に見ゆ。
顧う我が老いて題柱の客に非ざるを、知る君が才是れ済川の功。
合歓却って笑う千年の事、駆石何の時か海東に到らん。


(現代語訳)
(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。


(訳注)
陪李七司馬皂江上觀造竹橋,即日成,往來之人免冬寒入水,聊題短作,簡李公,二首之一

題新津北橋棲00(李司馬のともをして皂江のほとりで竹の橋を造るのをみた。橋はその日のうちにできた。往来の人は冬の寒いときにも水にはいらなくともよくなった。それで聊かこの短い詩を題して李君のところへ手紙代りにやった。二首の一。)
李七司馬 蜀州の司馬李某。
皂江 新津県にあるという。皂江 一に鄩江。
○短作 この八句の二首の詩をさす。
○李公 李司馬。


伐竹為橋結構同,褰裳不涉往來通。
竹をきりとって橋をこしらえてみたが、竹橋でもそのしくみは木の橋と同じことである。これで着物の裾をかかげてかわをわたる必要もなく往来ができるのである。
○結構同  木で組み立てたものと同じ。
○褰裳不渉 不褰裳而渉とかくべきところを上のごとくかいたもの、これまではもすそをかかげてかちわたりする必要があったのに、今はそうしない。


天寒白鶴歸華表,日落青龍見水中。
さて橋ができてみると故事のように天の寒いとき白い鶴がおりてきて橋脚のところで話すほどの橋なのだ。夕日の落つるころには橋のかげは青い竜が水中にあらわれたかとみまちがえるようである。
○天寒白鶴歸華表 晋の大康二年の冬大いに雪がふったとき、南洲の人が二白鶴が橋の下で、「今年の寒さは堯の崩じた年に劣らない」と話しているのを見たとある。華表は鳥居型のことで、ここは橋脚の意として用いる。
○青竜 橋影の水にうかぶかたちをたとえていう。


顧我老非題柱客,知君才是濟川功。
私はふりかえって念うに橋を誉め讃える詞で述べるべきだが、自分は年老いて司馬相如の故事にいう橋柱に題したというほどの文才あるものではないが、君は大才をもって川をわたすの功をたてられたことはよくわかる。
○顧 顧み念うこと。
○題柱客 漢の司馬相如の故事。相如が蜀を去って長安に行こうとするとき橋柱に題して「高車駟馬に乗らずんばふたたびここを過ぎず」といった。ここは出世する意ではなくて柱に超して橋の成った頒文でも作ることの意に用いたものであろう。
○君 李をさす。
○済川功 橋をかけたので川をわたす功があるという。


合歡卻笑千年事,驅石何時到海東?
いまとなってはみんなが橋をみてよろこび、昔の秦の始皇の故事の話をして、馬鹿らしいといって笑うのである。それは「石を駆りたてて海へやってそれで橋を作ろうとして、海の東までゆきつくだけの時間があろうかどうか」というのであるけれど、この竹橋はそんなこと以上なのである。
○合歓 橋の成ったことを祝して主客ともに喜ぶこと。
〇千年事 千年まえの昔のこと、すなわち次句のこと。
○驅石何時到海東 秦の始皇が石橋を作り、海を過ぎて日の出る処を観ようとしたところ、神人が石を駆って海に落とした、石の落ちる速度がおそいと神がこれを鞭ったので石は皆血を流した、という話がある。こんな話はあるがその石が海東に到る時節は有るまいというもの。

王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 成都5-(39) 杜甫 <464>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2405 杜甫詩1000-464-675/1500

1202 王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 
杜甫 《王竟攜酒,高亦同過,共用寒字》 五言律詩  成都(5部)浣花渓の草堂 
 昔からの友人はよく客として心に受け入れてくれる。酒を以て訪ねてくれ度重ねて私の健康のことを注意深く見てくれている。ただ私の所には充分な御馳走がないのである。だからこうして仕事の合間を見て馬鞍をよせてゆっくりしてくれるのである

2013年5月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。月臺 韓愈(韓退之) <123>Ⅱ中唐詩684 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2404
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性題凌云寺 司空曙 唐五代詞・宋詩 薛濤-172-44-#36-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2407
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 




王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 成都5-(39) 杜甫 <464>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2405 杜甫詩1000-464-675/1500




詩 題:王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(39)) 
作時:762年1・2月杜甫51歳 掲 載; 杜甫1000首の464首目-場面5-(39)
杜甫ブログ1500回予定の-675回目   40774


作年: 上元二年  761年  50歲 
卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 
詩題: 王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 
及地點:  草堂 ( 益州 成都) 一室、西郭茅舍     
交遊人/地點: 王掄 ・高適
 

王竟攜酒,高亦同過,共用寒字
(王掄君は結局は酒を携えてきてくれ、高適君はまた同じようにここに立ち寄ってくれる。みんなで詠うのであるが「寒」の一字を用いて作る。)
kokage01臥疾荒郊遠,通行小徑難。
持病によって臥せがちで成都郊外のここの遠地にある。通行する小路も歩くのに難儀をすることもある。
故人能領客,攜酒重相看。
昔からの友人はよく客として心に受け入れてくれる。酒を以て訪ねてくれ度重ねて私の健康のことを注意深く見てくれている。
自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。
ただ私の所には充分な御馳走がないのである。だからこうして仕事の合間を見て馬鞍をよせてゆっくりしてくれるのである。
移樽勸山簡,頭白恐風寒。
盃で酒を酌み交わし竹林の七賢の山簡のように清談をすすめるのである。山間は白い帽子をかぜにとばしたがわたしは白髪頭を風に吹きさらし寒いばかりが違うというところだろうか。

(王は竟に酒を攜えて,高は亦た過るを同する,共に「寒」の字を用う。)
疾に臥して荒郊の遠にあり,通行は小徑難ある。
故人 能く客を領し,攜酒 相い看ることを重ねる。
自ら 鮭菜無くを愧れ,空く 馬鞍を卸すを煩わす。
樽を移して山簡を勸め,頭白して風寒を恐る。


『王竟攜酒,高亦同過,共用寒字』 現代語訳と訳註
(本文)
臥疾荒郊遠,通行小徑難。
故人能領客,攜酒重相看。
自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。
移樽勸山簡,頭白恐風寒。


(下し文)
(王は竟に酒を攜えて,高は亦た過るを同する,共に「寒」の字を用う。)
疾に臥して荒郊の遠にあり,通行は小徑難ある。
故人 能く客を領し,攜酒 相い看ることを重ねる。
自ら 鮭菜無くを愧れ,空く 馬鞍を卸すを煩わす。
樽を移して山簡を勸め,頭白して風寒を恐る。


(現代語訳)
(王掄君は結局は酒を携えてきてくれ、高適君はまた同じようにここに立ち寄ってくれる。みんなで詠うのであるが「寒」の一字を用いて作る。)
持病によって臥せがちで成都郊外のここの遠地にある。通行する小路も歩くのに難儀をすることもある。
昔からの友人はよく客として心に受け入れてくれる。酒を以て訪ねてくれ度重ねて私の健康のことを注意深く見てくれている。
ただ私の所には充分な御馳走がないのである。だからこうして仕事の合間を見て馬鞍をよせてゆっくりしてくれるのである。
盃で酒を酌み交わし竹林の七賢の山簡のように清談をすすめるのである。山間は白い帽子をかぜにとばしたがわたしは白髪頭を風に吹きさらし寒いばかりが違うというところだろうか。


(訳注)
王竟攜酒,高亦同過,共用寒字

komichi03(王掄君は結局は酒を携えてきてくれ、高適君はまた同じようにここに立ち寄ってくれる。みんなで詠うのであるが「寒」の一字を用いて作る。)
・竟【終に/遂に/竟に】。①長い時間ののちに、最終的にある結果に達するさま。とうとう。しまいに。② ついに。結局は。



臥病 荒郊 遠 ,通行 小徑 難 。
持病によって臥せがちで成都郊外のここの遠地にある。通行する小路も歩くのに難儀をすることもある。
・臥病 疾病。持病、血圧、リュウマチ、喘息。
・荒郊 原村野郊外。
・遠 昔は、長安、洛陽山東省辺りで遊行をふかめた。そこから遠くに来て。
・小徑 難 病気で優れぬ時は家の近くの小道でさえも歩行を困難にしている。



故人 能 領客 ,攜酒 重相看 。
昔からの友人はよく客として心に受け入れてくれる。酒を以て訪ねてくれ度重ねて私の健康のことを注意深く見てくれている。
・領 ①首筋。うなじ。②着物のえり。③重要なところ。「綱領・要領」④中心になって取り仕切る。また、その者。⑤先頭に立って率いる。⑥自分のものとして所有し、支配する。また、その場所。⑦受け取る。⑧ 心に受け入れる。承知する。


自愧 無 鮭菜 ,空煩 卸 馬鞍 。
ただ私の所には充分な御馳走がないのである。だからこうして仕事の合間を見て馬鞍をよせてゆっくりしてくれるのである。
・鮭菜 飲食、食品、鮭菜。ごちそう。
・卸 馬鞍 鞍を降ろして馬をやすめる。ゆっくり過ごすこと。。



移樽 勸 山簡 ,頭白 恐 風寒 。
盃で酒を酌み交わし竹林の七賢の山簡のように清談をすすめるのである。山間は白い帽子をかぜにとばしたがわたしは白髪頭を風に吹きさらし寒いばかりが違うというところだろうか。
・移樽 樽は大きめの盃の事で酒を酌み交わすこと。。
・勸 山簡 竹林の七賢の山簡:山濤。西晋の山簡のこと。襄陽童謡にいう、荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。山簡は泥酔しているのではなく、この時、談義はしているのである。竹林の七賢人の山濤の子であり、山簡はそのような儒教的・既成の倫理観を捨て, 外聞を気にせず, 己に正直にして自由にふるまった。李白が山簡を詠い讃える重要な点である。李白は儒教的価値観に徹底的に嫌気を示している。山簡を象徴的に詠うのである。
・頭白 白髮。
・風寒 ここでは、杜甫が無冠であること、老人で帽子ではなく白髪であること。髪が少なくなって帽子が止められないことによって恥ずかしいという、冗談で締めくくる。
‎『九日藍田崔氏荘』「羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。」(晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。)
 陰暦九月九日重陽の菊の節句の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。... 晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる


九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700 ...
blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67442394.html
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詩文(含異文): 臥病荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜【自愧無蝦菜】,空煩卸馬鞍。

王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到  七言律詩 成都5-(38) 杜甫 <463>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2400 杜甫詩1000-463-674/1500

杜甫《王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到》

みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。

2013年5月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性賦凌云寺二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-171-43-#36  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2402
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到  七言律詩 成都5-(38) 杜甫 <463>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2400 杜甫詩1000-463-674/1500


詩 題:王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到 七言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(38)) 
作時:761年上元二年12月杜甫50歳 
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)  草堂、西郭茅舍     
交遊人物/地點: 王掄 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
高適 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
掲 載; 杜甫1000首の463首目-場面5-(38)
杜甫ブログ:1500回予定の-674回目
侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。


王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到
(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。)
老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。
わたしはおだやかに臥ていられるので朝は起きるのがめんどうでしかたがない、この白い茅葺の家屋は寒いことが多いから、日がのぼってあたたかになってからやっと開きはじまるのである。
江鸛巧當幽徑沿,鄰雞還過短牆來。
みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。
繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅?
繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。
戲假霜威促山簡,須成一醉習池回。

これはたわむれのことながらどうか御史の御威光をかりて山簡ともいうべき高適君をうながして、わたしのところで一酔して習池のあたりをめぐるべきではないでしょうか。

(王十七侍御掄、酒を携えて草堂に至るを許す。此の詩寄せ奉り、便ち高三十五使君を邀えて同じく到らんことを請う)
老夫臥穏【がおん】にして朝起きるに慵【ものう】し、白屋寒多くして暖にして始めて開く。
江鶴【こうかく】巧みに幽径【ゆうけい】に当たって浴す、
隣鷄【りんけい】還た短牆【たんしょう】を過ぎ来たる。
繍衣【しゅうい】屡【しばし】ば許す家醞【かうん】を携うるを、【皂蓋そうがい】能く忘れんや野梅【やばい】を折ることを。
戯れに霜威【そうい】を仮りて山簡を促し、須【すべか】らく一酔を成して習池【しゅうち】を過るべし。

桃園001

『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』 現代語訳と訳註
(本文)

老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。
江鸛巧當幽徑沿,鄰雞還過短牆來。
繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅?
戲假霜威促山簡,須成一醉習池回。


(下し文)
(王十七侍御掄、酒を携えて草堂に至るを許す。此の詩寄せ奉り、便ち高三十五使君を邀えて同じく到らんことを請う)
老夫臥穏【がおん】にして朝起きるに慵【ものう】し、白屋寒多くして暖にして始めて開く。
江鶴【こうかく】巧みに幽径【ゆうけい】に当たって浴す、
隣鷄【りんけい】還た短牆【たんしょう】を過ぎ来たる。
繍衣【しゅうい】屡【しばし】ば許す家醞【かうん】を携うるを、【皂蓋そうがい】能く忘れんや野梅【やばい】を折ることを。
戯れに霜威【そうい】を仮りて山簡を促し、須【すべか】らく一酔を成して習池【しゅうち】を過るべし。


(現代語訳)
紅梅0021(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。)
わたしはおだやかに臥ていられるので朝は起きるのがめんどうでしかたがない、この白い茅葺の家屋は寒いことが多いから、日がのぼってあたたかになってからやっと開きはじまるのである。
みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。
繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。
これはたわむれのことながらどうか御史の御威光をかりて山簡ともいうべき高適君をうながして、わたしのところで一酔して習池のあたりをめぐるべきではないでしょうか。


(訳注)
王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到

侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。
○王十七侍禦掄 侍御史王掄。
○高三十五便君 蜀州の刺史高適、使君は刺史の敬称、高適はこのころ何かの事について成都へでてきていたものとみえる。


老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。 
わたしはおだやかに臥ていられるので朝は起きるのがめんどうでしかたがない、この白い茅葺の家屋は寒いことが多いから、日がのぼってあたたかになってからやっと開きはじまるのである。
○老夫 杜甫をさす。
○慵 ものうい,だるい.
〇白屋 白茅をもってふいたやねの家。


江鸛巧當幽徑浴,鄰雞還過短牆來。 
みれば濯錦江の鸛がこみちにあたったところで巧みに水浴みしており、となりの鷄もまた低いかきねをこしてこちらへやってくる。
○江 濯錦江。
○鸛 こうのとり。
○鄰雞 近隣に住んでいる人の飼っているにわとり。
『泛溪』「吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。」(吾が村は ひぐれの暝【くら】き姿に靄【おお】われ異舎には鶏も亦た棲む。 )泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#1)  杜甫 <394-#1 五言古詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1903 杜甫詩1000-394-575/1500


繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅。 
繍衣を着ている王侍御、あなたははてづくりの酒をもってくることをたびたびわたしに約束したし、くろいろの車蓋にのっている高適君もわたしのうちへ野梅を折りにくることを忘れることはなかろう。
○繍衣 御史のきるさもの、王侍御をさす。
○家醞 てづくりのさけ。
皂蓋 くろいろの車蓋、漢制に二千石(地方の長官)は皇蓋、朱、両幡とみえる、高適をさす。
○能忘 能の字は反語の意。
○折野梅 自宅の梅を折りにくることをいう。
 

戲假霜威促山簡,須成一醉習池迴。 
これはたわむれのことながらどうか御史の御威光をかりて山簡ともいうべき高適君をうながして、わたしのところで一酔して習池のあたりをめぐるべきではないでしょうか。
○霜威。御史の威をいう、御史は刑罰の権があるのによりこれを霜の草木をからすのに此する、これ王侍御をさす
○山簡
 晋の時に嚢陽を管した人、嚢陽に習氏という土豪がいたが、山筒はつねにその園地に行ってあそび、その地を高陽池とよんだという。
・山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 晋の将軍山簡(さんかん)に愛された部将で、二人の信頼関係は杜甫も好きな話題である。山簡の葛強への信任、葛強の山簡に対する忠誠心は自分と同じだ。李白は山公を10首も詠っている。
自分を山公としたいところ、県令などの手前、葛強に置き換えたのである。
○習池 山簡の高陽池に習った池をいうもので、湿地帯であった草堂の周りには池がたくさんあったもの。

範二員外邈吳十侍禦鬱特枉駕,闕展待,聊寄此作 五言律詩 成都5-(37) 杜甫 <462>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2395 杜甫詩1000-462-673/1500

1053 杜甫 《範二員外邈吳十侍禦鬱特枉駕,闕展待,聊寄此作》五言律詩 成都(5部)浣花渓の草堂 
成都郊外の野原にある私の家は貧しいもので遠い所にある。そのため、村の中においては良い訪問者というのは稀の事なのである。


 

2013年5月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性賦凌云寺二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-170-42-#35  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2397
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



範二員外邈吳十侍禦鬱特枉駕,闕展待,聊寄此作 五言律詩 成都5-(37) 杜甫 <462>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2395 杜甫詩1000-462-673/1500



詩 題:範二員外邈吳十侍禦鬱特枉駕,闕展待,聊寄此作五言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(37)) 

作者: 杜甫
761年 上元二年50歲
卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩
地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)
范邈 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
吳郁 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)


範二員外邈吳十侍禦鬱特枉駕,闕展待,聊寄此作
(前途洋洋の範邈二員外と吳鬱十侍禦とが特に来訪してくれて,闕展を待つ,聊か此れを作り寄せる。)
暫往比鄰去,空聞二妙歸。
暫くここに住んでいたがここを離れていた。その間、空しく聞こえてくるのはこの二人が帰っていくことに対してのものだ。
幽棲誠簡略,衰白已光輝。
隠遁して静に住んでいる者にとっても忠誠心は簡単にいえることである。病気がちであって悲しく思っていたのが二人と交際することで心に輝きが出てきたのである。
野外貧家遠,村中好客稀。
成都郊外の野原にある私の家は貧しいもので遠い所にある。そのため、村の中においては良い訪問者というのは稀の事なのである。
論文或不愧,肯重款柴扉。
論じ合ったり、詩文を交わしたり或は自責の気持ちになることはなかったのである。敢て尊重するのは私の家の柴門の扉を越えての親しい交わりをすることにある。

範邈二員外と吳鬱十侍禦と特に枉駕して,闕展を待つ,聊か此れを作り寄せる。
暫往むは比の鄰去し,空しく聞く二は歸るを妙なりを。
幽棲しては誠は簡略なり,衰白しては已に光輝なり。
野外にありて貧家は遠く,村中には好客は稀なり。
論文 或いは愧れず,肯重するは柴扉を款【ねが】うことなり。

杜甫草堂柴門06

『範二員外邈吳十侍禦鬱特枉駕,闕展待,聊寄此作』 現代語訳と訳註
(本文)

暫往比鄰去,空聞二妙歸。
幽棲誠簡略,衰白已光輝。
野外貧家遠,村中好客稀。
論文或不愧,肯重款柴扉。

(下し文)
範邈二員外と吳鬱十侍禦と特に枉駕して,闕展を待つ,聊か此れを作り寄せる。
暫往むは比の鄰去し,空しく聞く二は歸るを妙なりを。
幽棲しては誠は簡略なり,衰白しては已に光輝なり。
野外にありて貧家は遠く,村中には好客は稀なり。
論文 或いは愧れず,肯重するは柴扉を款【ねが】うことなり。


(現代語訳)
(前途洋洋の範邈二員外と吳鬱十侍禦とが特に来訪してくれて,闕展を待つ,聊か此れを作り寄せる。)
暫くここに住んでいたがここを離れていた。その間、空しく聞こえてくるのはこの二人が帰っていくことに対してのものだ。
隠遁して静に住んでいる者にとっても忠誠心は簡単にいえることである。病気がちであって悲しく思っていたのが二人と交際することで心に輝きが出てきたのである。
成都郊外の野原にある私の家は貧しいもので遠い所にある。そのため、村の中においては良い訪問者というのは稀の事なのである。
論じ合ったり、詩文を交わしたり或は自責の気持ちになることはなかったのである。敢て尊重するのは私の家の柴門の扉を越えての親しい交わりをすることにある。


(訳注)
範二員外邈吳十侍禦鬱特枉駕,闕展待,聊寄此作

前途洋洋の範邈二員外と吳鬱十侍禦とが特に来訪してくれて,闕展を待つ,聊か此れを作り寄せる。
・枉駕 まげて立ち寄らせる。人の来訪を云う敬語。
・闕展 ・闢とは新天地をはじめひらくことをいう。展とはひろがる。のびる。闕展待=前途洋洋。


暫往 比鄰 去 ,空聞 二妙 歸 。
暫くここに住んでいたがここを離れていた。その間、空しく聞こえてくるのはこの二人が帰っていくことに対してのものだ。
・暫往 範圍時間(時刻)、暫時往。
・比鄰 鄰近所。
・二 範邈二員外と吳鬱十侍禦との二人。


幽棲 誠簡略,衰白 已光輝 。
隠遁して静に住んでいる者にとっても忠誠心は簡単にいえることである。病気がちであって悲しく思っていたのが二人と交際することで心に輝きが出てきたのである。
・幽棲 隠遁生活の狀態。
・白 顏色が蒼白、病気がちな事。
・光輝 元気な様子。


野外 貧家 遠 ,村中 好客 稀 。
成都郊外の野原にある私の家は貧しいもので遠い所にある。そのため、村の中においては良い訪問者というのは稀の事なのである。
・野 郊原村野、野。
・外 位置、外。
・貧家 狀態、生活狀態、貧。家。
・稀 對比狀態、多少(少)。


論文 或不愧 ,肯重 款柴扉 。
論じ合ったり、詩文を交わしたり或は自責の気持ちになることはなかったのである。敢て尊重するのは私の家の柴門の扉を越えての親しい交わりをすることにある。
・論文 言語動作、論。文藝、文體、文。
・愧 負面情感(慚愧自責)、愧。
・肯 心智狀態、肯。
・款 1 まごころ。また、親しい交わり。2 法律文や規約などの条項。箇条書き。3 予算や決算の費目の区分の一。部・款・項・目・節の順となる。4 金石などに文字をくぼめて刻むこと。また、その文字。
・扉 建築部件、扉。

徐九少尹見過 五言律詩 成都5-(36) 杜甫 <484>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2390 杜甫詩1000-484-672/1500

杜甫 《徐九少尹見過》 1199五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(36))  

長史の徐九が配下のもの数騎を引き連れて、草堂を尋ねて来てくれる。
新たな交際の表れを示してくれ嬉しさを隠しきれないし、礼を厚くしてくれ、才能をひけらかすことをしないのでこちらも粗相のないようにして恐れ入っている。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


徐九少尹見過 五言律詩 成都5-(36) 杜甫 <484>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2390 杜甫詩1000-484-672/1500


詩 題:徐九少尹見過 五言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(36)) 
作時:761年上元二年12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の484首目-場面5-(36)
杜甫ブログ1500回予定の-672回目   40771
卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩
詩題: 徐九少尹見過
徐九少尹:當地交遊(劍南道北部 益州 成都) 少尹:副市長。成都副長官。


1052 
徐九少尹見過
徐九成都副長官が立ち寄ってくれた。
aki03晚景孤村僻,行軍數騎來。
夕方になって來るとこの村は孤立し、かけ離れた感じが強くなってくる。そうして時に、成都の副長官である行軍長史の徐九が配下のもの数騎を引き連れて、草堂を尋ねて来てくれる。
交新徒有喜,禮厚愧無才。
新たな交際の表れを示してくれ嬉しさを隠しきれないし、礼を厚くしてくれ、才能をひけらかすことをしないのでこちらも粗相のないようにして恐れ入っている。
賞靜憐雲竹,忘歸步月臺。
夕暮れの景色と靜けさがあるこの繁った竹林をこよなく好きなのだ。月が出て亭の周りを散策していると帰ることさえ忘れるほどなのだ。
何當看花蕊,欲發照江梅?

だけどいつになったら、花が咲き花の蕊を覗かせるようになるのだろうか、そして、この錦江や川沿いの梅の花に月影を照らしてくれるように早くなってほしいものだ。

(徐九少尹に過【よぎ】らる)
晩景【ばんけい】に孤村は僻【へき】なり、行軍 数騎 わがやへ来たる。
交新たむるは徒【いたずら】に喜有り,禮厚くして無才くを愧【おそ】る。
賞靜【しょうせい】雲竹を憐み,忘歸ぼうき月臺を步む。
何當【いつか】 花蕊を看んことを,江梅を照らすを發せんと欲するをや?


『徐九少尹見過』 現代語訳と訳註
(本文)

晚景孤村僻,行軍數騎來。交新徒有喜,禮厚愧無才。
賞靜憐雲竹,忘歸步月臺。何當看花蕊,欲發照江梅?


(下し文)
(徐九少尹に過【よぎ】らる)
晩景【ばんけい】に孤村は僻【へき】なり、行軍 数騎 わがやへ来たる。
交新たむるは徒【いたずら】に喜有り,禮厚くして無才くを愧【おそ】る。
賞靜【しょうせい】雲竹を憐み,忘歸ぼうき月臺を步む。
何當【いつか】 花蕊を看んことを,江梅を照らすを發せんと欲するをや?


(現代語訳)
徐九成都副長官が立ち寄ってくれた。
夕方になって來るとこの村は孤立し、かけ離れた感じが強くなってくる。そうして時に、成都の副長官である行軍長史の徐九が配下のもの数騎を引き連れて、草堂を尋ねて来てくれる。
新たな交際の表れを示してくれ嬉しさを隠しきれないし、礼を厚くしてくれ、才能をひけらかすことをしないのでこちらも粗相のないようにして恐れ入っている。
夕暮れの景色と靜けさがあるこの繁った竹林をこよなく好きなのだ。月が出て亭の周りを散策していると帰ることさえ忘れるほどなのだ。
だけどいつになったら、花が咲き花の蕊を覗かせるようになるのだろうか、そして、この錦江や川沿いの梅の花に月影を照らしてくれるように早くなってほしいものだ。


(訳注)
徐九少尹見過

徐九成都副長官が立ち寄ってくれた。
この詩では、成都の副長官である行軍長史の徐九が配下のもの数騎を引き連れて、草堂を尋ねて来てくれたことを歌ったもの。言うまでもないことだがそれら一聯の句構造では、詩の位置関係を明確にしている。それは村が来て次に草堂が来ることがほとんどである。
 

晚景 孤村 僻 ,行軍 數騎 來 。
夕方になって來るとこの村は孤立し、かけ離れた感じが強くなってくる。そうして時に、成都の副長官である行軍長史の徐九が配下のもの数騎を引き連れて、草堂を尋ねて来てくれる。
・晚景 自然景觀、風景勝蹟(自然景物)、晚景。
・村 地理、郊原村野、村。
・僻 偏遠場域、偏僻。
・行軍數騎 成都の副長官である行軍長史の徐九が配下のもの数騎を引き連れて、草堂を尋ねて来てくれたこと
・騎 職業身份、兵卒。


交新 徒有喜 ,禮厚 愧 無才 。
新たな交際の表れを示してくれ嬉しさを隠しきれないし、礼を厚くしてくれ、才能をひけらかすことをしないのでこちらも粗相のないようにして恐れ入っている。
・交新 新たな交際の表れを示してくれること。
・有喜 正面情感、喜悅欣樂。
・禮厚 礼を厚くしてくれること。
・愧 おそれいること。
・無才 才能をひけらかすことをしない。


賞靜 憐 雲竹 ,忘歸 步 月臺 。
夕暮れの景色と靜けさがあるこの繁った竹林をこよなく好きなのだ。月が出て亭の周りを散策していると帰ることさえ忘れるほどなのだ。
・賞 目で見る夕暮れの景色。
・靜 冬、早春季の夕暮の靜けさ。
・憐 こよなく愛している。
・雲竹 暮れて暗くなっている竹林。
・忘歸 帰ることさえ忘れる。
・月臺 月見台。亭臺樓閣であるが、ここでは草堂にある四阿のことであろう。 


何當看 花蕊 ,欲發 照 江梅 。
だけどいつになったら、花が咲き花の蕊を覗かせるようになるのだろうか、そして、この錦江や川沿いの梅の花に月影を照らしてくれるように早くなってほしいものだ。
・何当 いつ。未来の時についての疑問詞。いつになればと願う気持ちを伴う。
・花蕊 花。蕊は花を開いて蕊を見せることはいっぱいに開くこと。
・發 しょくぶつがいききとしていること。
・照 月明かりが花にあたっている状況を云う。
・江 水澤湖泊のことで、ここは濯錦江。
・梅 百花潭沿いにある梅林の梅が咲き始めた早梅。

野望 七言律詩 成都5-(35) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2385 杜甫詩1000-460-671/1500

杜甫 《野望》七言律詩 成都(5部)浣花渓の草堂
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。


2013年5月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

野望 七言律詩 成都5-(35) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2385 杜甫詩1000-460-671/1500


詩 題:野望 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(35)) 
作時:762年1・2月杜甫51歳 
掲 載; 杜甫1000首の460首目-場面5-(35)杜甫ブログ1500回予定の-671回目 
野外にでてながめたときの感じをのべる。宝応元年成都草堂にあっての作。


野  望
西山白雪三城戍,南浦清江萬裡橋。
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。
海內風塵諸弟隔,天涯涕淚一身遙。
いま天下には兵馬のちりを巻き起こす兵乱がうちつづくなか弟たちは遠く隔たっている。私は天の果て遙かにひとりさまよって涙をこぼし、喘ぐのである。
惟將遲暮供多病,未有涓埃答聖朝。
私はここで晩年を多年の病に向ってささげているばかりである。まだつゆちりほども聖天子の御恩に報いたてまつったことはないのである。
跨馬出郊時極目,不堪人事日蕭條!
家を出て馬にまたがって成都の西郊外に、時時はるかに眺めわたしてみる。人間についての消息が日日にさびしくすがれていくのに堪えられぬ思いだ。

(野 望)
西山の白雪三城の戍【まもり】、南浦 清江の万里橋。
海内【かいだい】の風塵【ふうじん】に諸弟隔たり、天涯【てんがい】涕涙【ているい】一身 逢かなり。
惟 遅碁【ちぼ】を将て多病に供す、未だ涓埃【けんあい】の聖朝に答うる有らず。
馬に跨り郊を出で時に目を極むれば、堪えず人事の日とに粛条【しょうじょう】たるに。

nat0001

『野  望』 現代語訳と訳註
(本文)

西山白雪三城戍,南浦清江萬裡橋。
海內風塵諸弟隔,天涯涕淚一身遙。
惟將遲暮供多病,未有涓埃答聖朝。
跨馬出郊時極目,不堪人事日蕭條!


(下し文)
(野 望)
西山の白雪三城の戍【まもり】、南浦 清江の万里橋。
海内【かいだい】の風塵【ふうじん】に諸弟隔たり、天涯【てんがい】涕涙【ているい】一身 逢かなり。
惟 遅碁【ちぼ】を将て多病に供す、未だ涓埃【けんあい】の聖朝に答うる有らず。
馬に跨り郊を出で時に目を極むれば、堪えず人事の日とに粛条【しょうじょう】たるに。


(現代語訳)
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。
いま天下には兵馬のちりを巻き起こす兵乱がうちつづくなか弟たちは遠く隔たっている。私は天の果て遙かにひとりさまよって涙をこぼし、喘ぐのである。
私はここで晩年を多年の病に向ってささげているばかりである。まだつゆちりほども聖天子の御恩に報いたてまつったことはないのである。
家を出て馬にまたがって成都の西郊外に、時時はるかに眺めわたしてみる。人間についての消息が日日にさびしくすがれていくのに堪えられぬ思いだ。


成都関連地図 00
(訳注)
野望

○寶応元年(七六二年)、五十一歳のとき、成都での作。「唐詩選」にもとられている。
○野望 原野にあって眺望する。




西山白雪三城戍,南浦清江萬裡橋。
遠くには西連峰の山々が白雪をいただくあたりに三城の要塞が見える。近くには成都、南の清らかな錦江の川浦があり、あの万里橋が見える。
○西山 雪嶺をいう。
〇三城 松・維・保の三州の城、吐蕃の侵入に対する備えのしろである。648年に都護府を設置している。
○戍 兵をとどめてまもる。
○南浦 浣花渓は成都の南にあたる。
○清江 水のきよいかわ、錦江をいう。
〇万豊橋 草堂の東にある。<万里橋>(ぽんりきょう)
 成都市の市街南部、錦江に架かる。かつて船に乗って東航するときの起点であった。三国時代に蜀の費キ(?~253)が呉に使者として赴くさい、諸葛孔明(181~234)がここまで見送ってくると、費キが「万里の行も此の橋より始まる」といったのにちなみ、「長星橋」から「万里橋」に改名されたとされる。現在は更に改名され「老南門大橋」となっている。


海內風塵諸弟隔,天涯涕淚一身遙。
いま天下には兵馬のちりを巻き起こす兵乱がうちつづくなか弟たちは遠く隔たっている。私は天の果て遙かにひとりさまよって涙をこぼし、喘ぐのである。
○海内 天下。地の果てには崖下に四海がある。
○風塵 兵馬のちりをいう。
○諸弟隔 弟たちは洛陽其の他にある。
○沸涙 自己なみだをもよおすことをいう。
〇一身 自己単独のからだ。


惟將遲暮供多病,未有涓埃答聖朝。
私はここで晩年を多年の病に向ってささげているばかりである。まだつゆちりほども聖天子の御恩に報いたてまつったことはないのである。
○遅暮 晩年をいう。
○涓埃 ひとしずく、ほこり、少しばかりをいう。
○聖朝 聖朝の恩沢をいう。


跨馬出郊時極目,不堪人事日蕭條!
家を出て馬にまたがって成都の西郊外に、時時はるかに眺めわたしてみる。人間についての消息が日日にさびしくすがれていくのに堪えられぬ思いだ。
○郊 西郊。
○極目 十分目をはせてながめる。
○人事 民情のこと、兵乱のために人民が多く凋倣する。
○粛条 さびしいさま。

草堂即事 五言律詩 成都5-(34) 杜甫 <459>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2380 杜甫詩1000-459-670/1500

杜甫 《草堂即事》五言律詩 成都(5部)浣花渓の草堂雪のふるなかに江船が通り過ぎてゆき、風が吹く過ぎるところに竹林の小道が斜めにつづいている。わたしには蜀の酒をのめば心配ごとを解決するに足るのである。玉にきずというのは銭が無くて、どこでかけ買いができようかということだ。

 

2013年5月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩送劉師服 韓愈(韓退之) <119>Ⅱ中唐詩678 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2374
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集草堂即事 五言律詩 成都5-(34) 杜甫 <459>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2380 杜甫詩1000-459-670/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性斛石山書事 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-167-39-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2382
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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草堂即事 五言律詩 成都5-(34) 杜甫 <459>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2380 杜甫詩1000-459-670/1500

詩 題:草堂即事五言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(34)) 
作時:761年11・12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の459首目-場面5-(34)
杜甫ブログ1500回予定の-670回目

浣花の草堂にあっておりにふれてよんだ詩。上元二年十一月の作。



草堂即事
浣花渓の草堂で事につけて思いをそのままのべる
荒村建子月,獨樹老夫家。
この荒れた草ふかき村にも建子の月がきている。ここの一本木の立っている隠遁した老太夫の家がある。
雪裡江船渡,風前竹徑斜。
そして雪のふるなかに江船が通り過ぎてゆき、風が吹く過ぎるところに竹林の小道が斜めにつづいている。
寒魚依密藻,宿鷺起圓沙。
この江に寒さをさけるために魚が密集している水藻によりそっている、このあたりに住みついている鷺は円形の沙はらにあつまっている。
蜀酒禁愁得,無錢何處賒?
こんなときは蜀の酒をのめば心配ごとを解決するに足るのである。玉にきずというのは銭が無くて、どこでかけ買いができようかということだ。
(草堂即事)
荒村 建子【けんし】の月、独樹 老夫【ろうふ】の家。
雪裏 江船【こうせん】渡り、風前 竹径【ちくけい】斜めなり。
寒魚 密藻【みつそう】に依り、宿雁 円沙【えんさ】に起る。
蜀酒 愁いに禁【た】え得、 銭無くして何の処にか賒【おぎの】らん。

杜甫像0012
『草堂即事』 現代語訳と訳註
(本文)
荒村建子月,獨樹老夫家。
雪裡江船渡,風前竹徑斜。
寒魚依密藻,宿鷺起圓沙。
蜀酒禁愁得,無錢何處賒?


(下し文)
(草堂即事)
荒村 建子【けんし】の月、独樹 老夫【ろうふ】の家。
雪裏 江船【こうせん】渡り、風前 竹径【ちくけい】斜めなり。
寒魚 密藻【みつそう】に依り、宿雁 円沙【えんさ】に起る。
蜀酒 愁いに禁【た】え得、 銭無くして何の処にか賒【おぎの】らん。


(現代語訳)
(浣花渓の草堂で事につけて思いをそのままのべる)
この荒れた草ふかき村にも建子の月がきている。ここの一本木の立っている隠遁した老太夫の家がある。
そして雪のふるなかに江船が通り過ぎてゆき、風が吹く過ぎるところに竹林の小道が斜めにつづいている。
この江に寒さをさけるために魚が密集している水藻によりそっている、このあたりに住みついている鷺は円形の沙はらにあつまっている。
こんなときは蜀の酒をのめば心配ごとを解決するに足るのである。玉にきずというのは銭が無くて、どこでかけ買いができようかということだ。


(訳注)
草堂即事

浣花渓の草堂で事につけて思いをそのままのべる
○草堂 浣花渓の草堂。
○即事 事につけてそのままのべる。身の回りのこと、ニュースについて述べることを云う。
『即事』
聞道花門破,和親事卻非。
人憐漢公主,生得渡河歸。
秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。
群凶猶索戰,回首意多違。
即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410


荒村建子月,獨樹老夫家。
この荒れた草ふかき村にも建子の月がきている。ここの一本木の立っている隠遁した老太夫の家がある。
○荒村 荒れた草ふかい村、浣花村をいう。
○建子月 粛宗の761年上元二年九月、詔して上元の号を去って元年と称し、11月を以て歳の初めとなし、月は北斗の柄の建つ所の辰(とき)を以て名とした。建子月の壬午朔日に天子の朝賀を受けることは元旦の儀のごとくであった。
○独樹一本木。
○老夫 自己をいう。


雪裡江船渡,風前竹徑斜。
そして雪のふるなかに江船が通り過ぎてゆき、風が吹く過ぎるところに竹林の小道が斜めにつづいている。


寒魚依密藻,宿鷺起圓沙。
この江に寒さをさけるために魚が密集している水藻によりそっている、このあたりに住みついている鷺は円形の沙はらにあつまっている。
○寒魚 ふゆのうお。
○密藻 しげった水草。


蜀酒禁愁得,無錢何處賒?
こんなときは蜀の酒をのめば心配ごとを解決するに足るのである。玉にきずというのは銭が無くて、どこでかけ買いができようかということだ。
○禁 当の意。
○賒 かけ買いする。

haqro04
草堂即事
荒村建子月,獨樹老夫家。
雪裡江船渡,風前竹徑斜。
寒魚依密藻,宿鷺起圓沙。
蜀酒禁愁得,無錢何處賒?

(草堂即事)
荒村 建子【けんし】の月、独樹 老夫【ろうふ】の家。
雪裏 江船【こうせん】渡り、風前 竹径【ちくけい】斜めなり。
寒魚 密藻【みつそう】に依り、宿雁 円沙【えんさ】に起る。
蜀酒 愁いに禁【た】え得、 銭無くして何の処にか賒【おぎの】らん。


不見 五言律詩 成都5-(33) 杜甫 <458>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2375 杜甫詩1000-458-669/1500

1197 杜甫 《不見》五言律詩 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(33))  

もう随分久しく李白にあっていない。李白は半狂人のまねをしているというに実に気の毒なものである。
彼は詩才すばやくて忽ち千首の詩をつくりだす、それがおちぶれてはただ一杯の酒にうれいをやるというのだ。


2013年5月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性試新服裁制初成三首 其三 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-166-38-#31  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2377
 
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


不見 五言律詩 成都5-(33) 杜甫 <458>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2375 杜甫詩1000-458-669/1500


詩 題:不見 五言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(33)) 
卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩
作時:761年11・12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の458首目-場面5-(33)
杜甫ブログ1500回予定の-669回目   40768  
久しく李白を見ないのでその身のうえをおもって作る。上元二年の作であろう。


不見
不見李生久,佯狂真可哀!
もう随分久しく李白にあっていない。李白は半狂人のまねをしているというに実に気の毒なものである。
世人皆欲殺,吾意獨憐才。
世間の人は彼の行動からこれを殺そうとまでしてというが、わたしだけは彼の才を愛している。
敏捷詩千首,飄零酒一杯。
彼は詩才すばやくて忽ち千首の詩をつくりだす、それがおちぶれてはただ一杯の酒にうれいをやるというのだ。
匡山讀書處,頭白好歸來。

錦州の大匡山か、盧山は書を読んだところである。老境となってははやくそこへ立ち帰えるのがよいこととおもうのである。
(不 見)
見ざるは 李生 久しきを、佯狂 真に哀れむべし。
世が人 皆 殺さんと欲し、吾が意 獨り 才を憐れむ。
敏捷なる詩 千首あり、 飄零なる酒 一杯のみ。
匡山 読書の処、 頭白 好し帰り来たれ。

李白の足跡300

『不見』 現代語訳と訳註
(本文)

不見李生久,佯狂真可哀!
世人皆欲殺,吾意獨憐才。
敏捷詩千首,飄零酒一杯。
匡山讀書處,頭白好歸來。



(下し文)
(不 見)
見ざるは 李生 久しきを、佯狂 真に哀れむべし。
世が人 皆 殺さんと欲し、吾が意 獨り 才を憐れむ。
敏捷なる詩 千首あり、 飄零なる酒 一杯のみ。
匡山 読書の処、 頭白 好し帰り来たれ。


(現代語訳)
もう随分久しく李白にあっていない。李白は半狂人のまねをしているというに実に気の毒なものである。
世間の人は彼の行動からこれを殺そうとまでしてというが、わたしだけは彼の才を愛している。
彼は詩才すばやくて忽ち千首の詩をつくりだす、それがおちぶれてはただ一杯の酒にうれいをやるというのだ。
錦州の大匡山か、盧山は書を読んだところである。老境となってははやくそこへ立ち帰えるのがよいこととおもうのである。

蜀の山50055
(訳注)
不見

○不見 首句の不見李生の不見の二字をとる。
同時期の李白と王維
・758年 李白58歳 関係者の努力で死罪を免れ、流罪に。
・759 王維61歳 賈至も杜甫も岑参もほどなく地方に左遷され、王維だけがひとり残されましたが、このころから終南山の別業(別荘)に親しむようになり、罔川荘は閉じていました 当時、長安の南郊、長安県の香積寺をを訪れている
 「終南別業」
・759 李白59歳 長江上流白帝山付近で放免。「早発白帝城」
・760 王維62歳 給事中から尚書右丞(正四品上)に昇進 ・飢饉に際して、王維は天子の許しを得て自分の禄米のほとんどを窮民に施す。
・761 王維63歳 王維歿す。王縉が長安の西の鳳翔までもどってきていた秋七月のある日、王維は弟に別れの書をかき、また平生親しかった人々へ数篇の別れの書をかいている途中、にわかに筆を落として息絶えたと伝えられています。享年六十三歳、王維は弟に会えないまま、また彼の人生の最後を襲った安史の乱の終息を見ないまま亡くなりました。
  「 終南山」
・760 李白60歳 長江上流と下流の各地に遊ぶ。
・761 李白61歳 宣城を中心に各地に遊ぶ。
杜甫は758年李白が関係者の努力で死罪を免れ、夜郎に流罪になり、狂人のまねをして、岳州・眄州を回ってゆっくりと夜郎に向かったことまでしかわかっていないのである。2年前秦州で夢李白を詠って以来の詩である。


不見李生久,佯狂真可哀!
もう随分久しく李白にあっていない。李白は半狂人のまねをしているというに実に気の毒なものである。
○李生 李白をいう、李白が夜郎に流されてのちの消息を詳らかにしなかったために彼のことを思うのである。
○伴狂 いつわって狂人のまねをする。


世人皆欲殺,吾意獨憐才。
世間の人は彼の行動からこれを殺そうとまでしてというが、わたしだけは彼の才を愛している。
○殺 李白を殺す。
〇才 李白の才。


敏捷詩千首,飄零酒一杯。
彼は詩才すばやくて忽ち千首の詩をつくりだす、それがおちぶれてはただ一杯の酒にうれいをやるというのだ。
○敏捷 すばやい。
○諷零 おちぶれる。


匡山讀書處,頭白好歸來。
錦州の大匡山か、盧山は書を読んだところである。老境となってははやくそこへ立ち帰えるのがよいこととおもうのである。
○匡山 白は蜀の綿州彰明県青蓮郷の人、県南に大匡山があり、白が書を読んだ処だという、一説に彰明県の匡山ではなくて九江の匡盧山、すなわち盧山のことをいうとなす。詩のようすから李白が最も愛した山「盧山」を題材にした詩が多く残されていることからも連想させるものだろう。杜甫が成都にいるので長江下流域にいる李白に成都の山の名称を云ったのである。
戴天山 (劍南道北部 綿州 昌明) 別名:大康山、大匡山、匡山
訪載天山道士不遇 李白1
峨眉山月歌 李白 2
望天門山  李白 6
望廬山五老峯 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-226
望廬山瀑布水 二首其一#1李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -227
望廬山瀑布水二首其一#2とまとめ 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -228
望廬山瀑布二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229


○頭白 杜甫より10歳年上の李白がお互いに老いていることをいう。
○帰来 戴天山大匡山へかえってこい。李白は山が好きなのは杜甫もよく知っている。

 

所思 七言律詩  成都5-(32) 杜甫 <480>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500

所思 (思う所あり) 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂
わたしは荊州の酔ばらいの崔漪司馬のことを非常におもうのである。彼は罰せられ、流されているため、そこではきまっていつも樽の酒をひらいているだろう。九江、洞庭地方に日が落ちると、彼はどこで飲み、酔いをさますのか。道教の一柱観などで彼は何遍も酔ってねむっていたことか。


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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性試新服裁制初成三首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-165-37-#30  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2372
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

所思 七言律詩 成都5-(32) 杜甫 <480>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500


詩 題:所思  七言律詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂 
所思 卷一○(二)八二一
作時:761年11・12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の480首目-場面5-(32)
杜甫ブログ1500回予定の-668回目
心中思う所の人のあることをいう。上元二年の作。


所思 (原注:崔吏部漪)
(朝廷で一緒に机を並べた人のことを思い出して作る。心中に思う所、粛宗の疑り深い性格、それに宦官の讒言などを思い出して、人のことをいう。)
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
わたしは荊州の酔ばらいの崔漪司馬のことを非常におもうのである。彼は罰せられ、流されているため、そこではきまっていつも樽の酒をひらいているだろう。
九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?
九江、洞庭地方に日が落ちると、彼はどこで飲み、酔いをさますのか。道教の一柱観などで彼は何遍も酔ってねむっていたことか。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。

しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。
(思う所あり)
苦だ憶う荊州の酔司馬、謫官【たくかん】樽酒定めて常に開かん。
九江 日落ちて醒【さ】むる何れの処ぞ、一柱 観頭【かんとう】眠ること幾回ぞ。
憐れむ可し 懐抱【かいほう】人に向かって尽す、平安を問わんと欲すれども使いの来たる無し。
故に錦水に憑りて双涙【そうるい】を将【も】ちゆかしむ、好し過ぎよ瞿唐【くとう】灩澦堆【よんよたい】。


『所思』 現代語訳と訳註
(本文)

苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。


(下し文) (思う所あり)
苦だ憶う荊州の酔司馬、謫官【たくかん】樽酒定めて常に開かん。
九江 日落ちて醒【さ】むる何れの処ぞ、一柱 観頭【かんとう】眠ること幾回ぞ。
憐れむ可し 懐抱【かいほう】人に向かって尽す、平安を問わんと欲すれども使いの来たる無し。
故に錦水に憑りて双涙【そうるい】を将【も】ちゆかしむ、好し過ぎよ瞿唐【くとう】灩澦堆【よんよたい】。


(現代語訳)
(朝廷で一緒に机を並べた人のことを思い出して作る。心中に思う所、粛宗の疑り深い性格、それに宦官の讒言などを思い出して、人のことをいう。)
わたしは荊州の酔ばらいの崔漪司馬のことを非常におもうのである。彼は罰せられ、流されているため、そこではきまっていつも樽の酒をひらいているだろう。
九江、洞庭地方に日が落ちると、彼はどこで飲み、酔いをさますのか。道教の一柱観などで彼は何遍も酔ってねむっていたことか。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。

浮桟橋00
(訳注)
所思

朝廷で一緒に机を並べた人のことを思い出して作る。心中に思う所、粛宗の疑り深い性格、それに宦官の讒言などを思い出して、人のことをいう。


苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
わたしは荊州の酔ばらいの崔漪司馬のことを非常におもうのである。彼は罰せられ、流されているため、そこではきまっていつも樽の酒をひらいているだろう。
○荊州 現在の湖北省の一帯に相当し、楚の古名でもある。長江の中流に位置する港湾都市である。 かつて荊州と呼ばれた地方の一部で、当時の中心都市・江陵は現在荊州市内に「荊州古城」として残っている。
○酔司馬 原注に、吏部の某官であった崔漪をいう、漪は平涼節度使杜鴻漸の判官としてかつて粛宗の中興について、謀る所があったということで、のち吏部におとされ、さらに荊州へ司馬としてながされたものとされる。酔とは酒好きでいつも酔っていることをさす。
○謫官 罪せられながされた官吏。

九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?
九江、洞庭地方に日が落ちると、彼はどこで飲み、酔いをさますのか。道教の一柱観などで彼は何遍も酔ってねむっていたことか。
○九江 九江、洞庭地方のことであろう、洞庭には沅・漸・元・辰・叙・酉・灃・資・湘の九水が流入、合流する。
○醒 さめることであるが、さめるのは酔後のことであるから、詩では酔う状態のことをいうのである。
〇一柱観 松滋県の東、丘家湖の中にあるという。むかし宋の臨川王劉義慶が、荊州の長官であったとき羅公洲に大きな道観を立ててただ一本の柱を用いたという、荊州の名所をあげたものである。


可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
○懐抱 杜甫がおもいいだくこと。こころ。
〇人 司馬をさすのであろう、或はいう向人とは他人にむかって崔の消息をとうことであるとも考えられる。


故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。
○錦水 錦江をいう。
○将 もちゆかせること。
○双涙 左右の眼からでるなみだ。
○瞿塘灩預堆 瞿塘は峡の名、四川省夔州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。

美女画55101道観

荊州について
荊州は中華人民共和国にかつて設置された州。現在の湖北省の一帯に相当し、楚の古名でもある。
戦国末期、秦荘襄王(子楚)の諱を避けて、秦が楚を「荊」と改称したのが地名の始まりである。
漢代 前105年(元封5年)、前漢により全国を13州に分割した際、荊州が設置された。その管轄範囲は現在の河南省南陽市から湖北省、湖南省善意区を管轄していた。
後漢になると荊州は南陽郡、南郡、江夏郡、長沙郡、桂陽郡、武陵郡、零陵郡の7郡を管轄していた。
魏晋南北朝時代 [208年(建安13年)の赤壁の戦い後、荊州は北部の南陽郡及び南郡は曹操、中南部は劉備及び孫権により分割された。曹操は南郡、南陽郡より襄陽郡、南郷郡を設置、南郡、零陵、武陵は劉備に、江夏、桂陽、長沙は孫権に、南陽、襄陽、南郷の各郡は曹操により分割され、それぞれが3郡を支配したことより「荊襄九郡」と称されることとなった。
219年(建安24年)、荊州牧であった劉備の守将・関羽が曹操・孫権により滅ぼされると荊州は曹操と孫権により二分割された。三国時代、魏の荊州は南陽郡、江夏郡、襄陽郡、南郷郡、新城郡、上庸郡、魏興郡の7郡を管轄、呉の荊州は南郡、江夏郡、長沙郡、湘東郡、桂陽郡、臨賀郡、零陵郡、衡陽郡、武陵郡、建平郡、宜都郡の11郡を管轄した。
西晋が成立すると荊州は州治が襄陽県に設置され下部に23県を管轄した。
南北朝時代になると州数は増加傾向があったが、その管轄区域は縮小している。南朝宋は荊州の州治を襄陽郡としたが、斉により南郡、北魏により山北郡に遷されている。
隋代 [隋朝が梁を滅ぼすと荊州を設置、3郡7県を管轄した607年(大業3年)、郡制施行に伴い荊州は南郡と改称され下部に10県を管轄した。


所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。

枯柟(枯楠) 五言古詩 成都5-(31) 杜甫 <479-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2365 杜甫詩1000-479-667/1500

杜甫 《枯柟(枯楠)》五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂 
これに反して楠は材能がありながらこんなだが、楡はこれを水のまんなかにうえればどんなにかたやすく生長するものである。ささえきれるものでない技量でありながらおそれることもしらずその任をはたそうとしている。



2013年5月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#10>文選 上 献詩 女性詩763 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2363
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩送進士劉師服東歸 韓愈(韓退之) <117>Ⅱ中唐詩676 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2364
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集柟(枯楠) 五言古詩 成都5-(31) 杜甫 <479-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2365 杜甫詩1000-479-667/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性試新服裁制初成三首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-164-36-#29  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2367
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


枯柟(枯楠) 五言古詩 成都5-(31) 杜甫 <479-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2365 杜甫詩1000-479-667/1500




詩 題:枯楠五言古詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(31))
卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩
作時:761年11・12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の479首目-場面5-(31)
杜甫ブログ1500回予定の-667回目   40766


枯柟
楩柟枯崢嶸,鄉黨皆莫記。
くぬぎや楠の樹は枯れていながらも高くたっている。何時枯れたのかここに住む郷党の人人さえもおぼえていない。
不知幾百歲,慘慘無生意。
もうなん百年もたっているのかどうかも分からない、みじめなもので全く生き生きとした意気がないようだ。』
上枝摩蒼天,下根蟠厚地。
上の枝はあおぞらをこすり、下の根はあつい大地にわだかまっている。
巨圍雷霆折,萬孔蟲蟻萃。
その大きなまわりの幹は激しい雷霆にさかれて、多くの孔には蟻むしなどが集まっている。
涷雨落流膠。沖風奪嘉氣。

夏のにわか雨は樹の樟液を落としてしまい、はげしく吹く風は良い元気の力を奪いとってしまったのだ。

白鵠遂不來,天雞為愁思。
これでは白いおおとりも来ることはできないし、天鶏もそのために愁えているのである。
猶含棟梁具,無複霄漢誌!
この木はまだ棟梁たる器は保っているものの、ふたたび大空をしのごうとする志は無くなっている。
良工古昔少,識者出涕淚。
むかしこの樹を用いてくれた良い大工はなかった、たまにこの木の材能を知っている眼識あるものはこの樹を見てなみだをながしてこれに同情したのだ。
種榆水中央,成長何容易?
これに反して楠は材能がありながらこんなだが、楡はこれを水のまんなかにうえればどんなにかたやすく生長するものである。
截承金露盤,裊裊不自畏。
それを載り、それで銅製の承露盤の柱に利用されると、水地栽培の楡はなよなよとしたすがたでとても盤をささえきれるものでない技量でありながらおそれることもしらずその任をはたそうとしている。』

楠樹06(枯柟)
楩柟【べんなん】枯れて崢嶸【そうこう】たり、郷党【きょうとう】皆記する莫し。
知らず幾百歳なるを、惨惨として生意無し。』
上枝は蒼天【そうてん】を摩す、下根は厚地に蟠【わだかま】る。
巨囲【きょい】雷霆【らいてい】折く、万孔蟲蟻【ちゅうぎ】萃【あつ】まる。
凍雨流膠【りゅうこう】を落とす、沖風【ちゅうふう】嘉氣【かく】を奪う。
白鵠【はくこく】遂に来たらず、天雞【てんけい】為に愁思す。』
猶含む棟梁の具、復た霄漢【しょうかん】の誌無し。
良工 古昔少なし、識者 涕涙【ているい】を出す。
榆【ゆ】を種う水の中央、成長何ぞ容易なる。
截【き】りて金露 盤を承けしむ、裊裊【じょうじょう】として自ら畏れず。』


『枯柟』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
白鵠遂不來,天雞為愁思。猶含棟梁具,無複霄漢誌!
良工古昔少,識者出涕淚。種榆水中央,成長何容易?
截承金露盤,裊裊不自畏。


(下し文)#2
白鵠【はくこく】遂に来たらず、天雞【てんけい】為に愁思す。』
猶含む棟梁の具、復た霄漢【しょうかん】の誌無し。
良工 古昔少なし、識者 涕涙【ているい】を出す。
榆【ゆ】を種う水の中央、成長何ぞ容易なる。
截【き】りて金露 盤を承けしむ、裊裊【じょうじょう】として自ら畏れず。』


(現代語訳)
これでは白いおおとりも来ることはできないし、天鶏もそのために愁えているのである。
この木はまだ棟梁たる器は保っているものの、ふたたび大空をしのごうとする志は無くなっている。
むかしこの樹を用いてくれた良い大工はなかった、たまにこの木の材能を知っている眼識あるものはこの樹を見てなみだをながしてこれに同情したのだ。
これに反して楠は材能がありながらこんなだが、楡はこれを水のまんなかにうえればどんなにかたやすく生長するものである。
それを載り、それで銅製の承露盤の柱に利用されると、水地栽培の楡はなよなよとしたすがたでとても盤をささえきれるものでない技量でありながらおそれることもしらずその任をはたそうとしている。』


(訳注)
枯柟

かれたクスノキ。枯れたくすの木のことをよんだ。思うに楠を以て唐王朝に比したものである。蟻は朝廷内の宦官にも触れている。


白鵠遂不來,天雞為愁思。
これでは白いおおとりも来ることはできないし、天鶏もそのために愁えているのである。
○白鵠 しろいおおとり。
○天鶏 きじの類。


猶含棟梁具,無複霄漢誌!
この木はまだ棟梁たる器は保っているものの、ふたたび大空をしのごうとする志は無くなっている。
○棟梁具 むなぎ、はりのうつわ。
○霄漢誌 あおぞら、あまのがわらをしのぐ志。


良工古昔少,識者出涕淚。
むかしこの樹を用いてくれた良い大工はなかった、たまにこの木の材能を知っている眼識あるものはこの樹を見てなみだをながしてこれに同情したのだ。』
○良工 良い大工。
○古昔 むかし、この樹の枯れた時をさす。
○識者 この樹の材能を知っているもの。
 

種榆水中央,成長何容易?
これに反して楠は材能がありながらこんなだが、楡はこれを水のまんなかにうえればどんなにかたやすく生長するものである。
○榆 にれ。


截承金露盤,裊裊不自畏。
それを載り、それで銅製の承露盤の柱に利用されると、水地栽培の楡はなよなよとしたすがたでとても盤をささえきれるものでない技量でありながらおそれることもしらずその任をはたそうとしている。』
楠樹02○截 水地栽培の楡を切ること。
○承 それでうけさせる。
○金露盤 武帝の承露盤。宮殿内部に、仙人の掌を模った大きな銅の水盤を作り、承った天の露に玉粉を混ぜて飲み干す事で、仙の力を賜った。夜露は、天の甘露と言い、月からこぼれ落ちた神様の水、天水の雫と呼ばれた。銅で作った天露をうける大たらいで、銅柱を建ててそのうえにおいた。ここでは楡の木の土台の上に載せられる。
○裊裊 なよなよとしたさま。
○不自畏 自己の弱さをおそれることを知らぬこと。

枯楠(枯柟) 五言古詩 成都5-(30) 杜甫 <478-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2360 

杜甫  《枯楠(枯柟)》 五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂かれたくすの木のことをよんだ。
くぬぎや楠の樹は枯れていながらも高くたっている。何時枯れたのかここに住む郷党の人人さえもおぼえていない。もうなん百年もたっているのかどうかも分からない、みじめなもので全く生き生きとした意気がないようだ。




2013年5月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩晩春 韓愈(韓退之) <116>Ⅱ中唐詩675 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2359
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


枯楠(枯柟) 五言古詩 成都5-(30) 杜甫 <478-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2360 
杜甫詩1000-478-666/1500


詩 題:枯楠(枯柟) 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(30)) 
卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩
作時:761年11・12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の478首目-場面5-(30)
杜甫ブログ1500回予定の-666回目   40765


枯柟
楩柟枯崢嶸,鄉黨皆莫記。
くぬぎや楠の樹は枯れていながらも高くたっている。何時枯れたのかここに住む郷党の人人さえもおぼえていない。
不知幾百歲,慘慘無生意。
もうなん百年もたっているのかどうかも分からない、みじめなもので全く生き生きとした意気がないようだ。』
上枝摩蒼天,下根蟠厚地。
上の枝はあおぞらをこすり、下の根はあつい大地にわだかまっている。
巨圍雷霆折,萬孔蟲蟻萃。
その大きなまわりの幹は激しい雷霆にさかれて、多くの孔には蟻むしなどが集まっている。
雨落流膠。沖風奪嘉氣。
夏のにわか雨は樹の樟液を落としてしまい、はげしく吹く風は良い元気の力を奪いとってしまったのだ。

白鵠遂不來,天雞為愁思。猶含棟梁具,無複霄漢誌!
良工古昔少,識者出涕淚。種榆水中央,成長何容易?
截承金露盤,裊裊不自畏。


(枯柟)
楩柟【べんなん】枯れて崢嶸【そうこう】たり、郷党【きょうとう】皆記する莫し。
知らず幾百歳なるを、惨惨として生意無し。』
上枝は蒼天【そうてん】を摩す、下根は厚地に蟠【わだかま】る。
巨囲【きょい】雷霆【らいてい】折く、万孔蟲蟻【ちゅうぎ】萃【あつ】まる。
凍雨流膠【りゅうこう】を落とす、沖風【ちゅうふう】嘉氣【かく】を奪う。

白鵠【はくこく】遂に来たらず、天雞【てんけい】為に愁思す。』
猶含む棟梁の具、復た霄漢【しょうかん】の誌無し。
良工 古昔少なし、識者 涕涙【ているい】を出す。
榆【ゆ】を種う水の中央、成長何ぞ容易なる。
截【き】りて金露 盤を承けしむ、裊裊【じょうじょう】として自ら畏れず。』



『枯柟』 現代語訳と訳註
(本文)
枯柟
梗楠枯崢嶸,鄉黨皆莫記。不知幾百歲,慘慘無生意。
上枝摩蒼天,下根蟠厚地。巨圍雷霆折,萬孔蟲蟻萃。
涷雨落流膠。沖風奪嘉氣。


(下し文)(枯 楠)
楩柟【べんなん】枯れて崢嶸【そうこう】たり、郷党【きょうとう】皆記する莫し。
知らず幾百歳なるを、惨惨として生意無し。』
上枝は蒼天【そうてん】を摩す、下根は厚地に蟠【わだかま】る。
巨囲【きょい】雷霆【らいてい】折く、万孔蟲蟻【ちゅうぎ】萃【あつ】まる。
凍雨流膠【りゅうこう】を落とす、沖風【ちゅうふう】嘉氣【かく】を奪う。


(現代語訳)
くぬぎや楠の樹は枯れていながらも高くたっている。何時枯れたのかここに住む郷党の人人さえもおぼえていない。
もうなん百年もたっているのかどうかも分からない、みじめなもので全く生き生きとした意気がないようだ。』
上の枝はあおぞらをこすり、下の根はあつい大地にわだかまっている。
その大きなまわりの幹は激しい雷霆にさかれて、多くの孔には蟻むしなどが集まっている。
夏のにわか雨は樹の樟液を落としてしまい、はげしく吹く風は良い元気の力を奪いとってしまったのだ。


(訳注)
枯柟

かれたクスノキ。枯れたくすの木のことをよんだ。思うに楠を以て唐王朝に比したものである。蟻は朝廷内の宦官にも触れている。

梗楠枯崢嶸,鄉黨皆莫記。
クスノキ01くぬぎや楠の樹は枯れていながらも高くたっている。何時枯れたのかここに住む郷党の人人さえもおぼえていない。
○楩柟 くぬぎ。楠のたぐい。
〇崢嶸 たかいさま。謝靈運『石室山詩』
清旦索幽異。放舟越坰郊。苺苺蘭渚急。藐藐苔嶺高。
石室冠林陬。飛泉發山椒。虛泛徑千載。崢嶸非一朝。
石室山詩』 謝霊運(康楽) 詩<55-#1442 紀頌之の漢詩ブログ1143
○郷党 郷党の人人。その人の郷里。また、郷里を同じくする仲間。
○記 記憶する。


不知幾百歲,慘慘無生意。
もうなん百年もたっているのかどうかも分からない、みじめなもので全く生き生きとした意気がないようだ。』
○惨惨 みじめ。


上枝摩蒼天,下根蟠厚地。
上の枝はあおぞらをこすり、下の根はあつい大地にわだかまっている。


巨圍雷霆折,萬孔蟲蟻萃。
その大きなまわりの幹は激しい雷霆にさかれて、多くの孔には蟻むしなどが集まっっている。
○雷 霆 激しいかみなり。
○巨囲 大きなまわり。
〇万孔 多くのあな。


涷雨落流膠。沖風奪嘉氣。
夏のにわか雨は樹の樟液を落としてしまい、はげしく吹く風は良い元気の力を奪いとってしまったのだ。
○凍雨 夏のにわかあめ。
○流膠 膠は樹液をいう。樟液。
○衝風 はげしいかぜ。
○嘉氣 よい気象。良い元気の力。


枯椶 五言古詩 成都5-(26-2) 杜甫 <477>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2355 杜甫詩1000-477-665/1500

杜甫 《枯椶》2回目 五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂
爾 椶櫚は形影が乾いてしまうと、無残にもくだかれ、そこなわれて藜や莠のわるいくさのなかに倒れておちこんでしまうのである。(よい政治が行われないことはこのように乱れていくこと同じなのだ。)

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


枯椶 五言古詩 成都5-(26-2) 杜甫 <477>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2355 杜甫詩1000-477-665/1500



詩 題:枯椶五言古詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(26-2)) 
卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩
作時:761年11・12月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の477首目-場面5-(26-2)
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枯椶
aki02蜀門多椶櫚,高者十八九。
蜀の地にはいってくるとしゅろが多いと感じる。高い木が十中に八九もあるのである。
其皮割剝甚,雖眾亦易朽。
その幹の皮はひどくはがれる、それで樹は多くあってもすぐに朽ちてしまいやすいのだ。
徒布如雲葉,青黃歲寒後。
冬枯れののち春になるとに雲の如く高い所でひろがった葉を青青とひろげる。
交橫集斧斤,凋喪先蒲柳。
その乱れた役に立たない、植え替えられることのない葉樹に向かって斧や斤が集中されて、蒲柳にさきだってこの樹はしぼみなくなってしまう。
傷時苦軍乏,一物官盡取。
私の心はいたんでいる。というのも、今の時世は非常に軍需物が欠乏している。斧一物さえも官がみな取りあげてしまっているのだ。

嗟爾江漢人,生成複何有!
ああ、あなたがた長江上流域の蜀地の人々よ、自分の手で作りあげた物とてはどんなものをもっているか、なにもなくなっているのではないか。
有同枯棕木,使我沈嘆久。
恐らくはこの切取られるしゅろの運命と同じものが有るであろう。このことがわたしをして久しく沈み、なげかしめる所以である。
死者即已休,生者何自守?
こんなことでは死んだ人はそれで終ったとして、まだ生きのこっている人はなにをもって自己を維持してゆくことができるだろうか。』
啾啾黃啄雀,側見寒蓬走。
地上で黄雀がチューチューとなきながら餌をついばんでいる。そのそばには冬枯れのよもぎが飛び走るのを見るのである。
念爾形影幹,摧殘沒藜莠。

私が思うには、なんじしゅろは形影が乾いてしまうと、無残にもくだかれ、そこなわれて藜や莠のわるいくさのなかに倒れておちこんでしまうのである。(よい政治が行われないことはこのように乱れていくこと同じなのだ。)
(枯 椶)
蜀門椶櫚【しゅらん】多し、高き者は十の八九。
其の皮割剥【かつはく】甚し、衆しと雖も亦朽ち易し。
徒に雲の如き葉を布く、青青たり歳寒の後。
交も横たわりて斧斤を集む 凋喪【ちょうそう】蒲柳【ほりゅううに先だつ』
傷む時の軍乏に苦しみ、一物も官 尽【ことごと】く取ることを。

嗟 爾 江漢の人、生成 復た何か有る。
枯椶【こしゅ】の木に同じき有り、我をして沈嘆【ちんたん】すること久しからしむ。
死せる者は即ち己に休せり、生者は何ぞ自ら守らん。』
啾啾として黄雀【こうじゃく】啄む、側に寒蓬【かんほう】の走るを見る。
念う爾が形影【けいえい】乾きて、摧残【さいざん】せられて藜莠【れいしゅう】に没せんことを。』


『枯椶』 現代語訳と訳註
(本文)

嗟爾江漢人,生成複何有!有同枯棕木,使我沈嘆久。
死者即已休,生者何自守?啾啾黃啄雀,側見寒蓬走。
念爾形影幹,摧殘沒藜莠。


(下し文)
嗟 爾 江漢の人、生成 復た何か有る。
枯椶【こしゅ】の木に同じき有り、我をして沈嘆【ちんたん】すること久しからしむ。
死せる者は即ち己に休せり、生者は何ぞ自ら守らん。』
啾啾として黄雀【こうじゃく】啄む、側に寒蓬【かんほう】の走るを見る。
念う爾が形影【けいえい】乾きて、摧残【さいざん】せられて藜莠【れいしゅう】に没せんことを。』


(現代語訳)
ああ、あなたがた長江上流域の蜀地の人々よ、自分の手で作りあげた物とてはどんなものをもっているか、なにもなくなっているのではないか。
恐らくはこの切取られるしゅろの運命と同じものが有るであろう。このことがわたしをして久しく沈み、なげかしめる所以である。
こんなことでは死んだ人はそれで終ったとして、まだ生きのこっている人はなにをもって自己を維持してゆくことができるだろうか。』
地上で黄雀がチューチューとなきながら餌をついばんでいる。そのそばには冬枯れのよもぎが飛び走るのを見るのである。
私が思うには、なんじしゅろは形影が乾いてしまうと、無残にもくだかれ、そこなわれて藜や莠のわるいくさのなかに倒れておちこんでしまうのである。(よい政治が行われないことはこのように乱れていくこと同じなのだ。)


(訳注)
枯椶

軍需物が欠乏しているので、斧斤一物さえも官がみな取りあげてしまっている。だから、『荘子、逍遥篇第一』が言うように、移植したり、間引き、枝落としもできないで、木を枯らしてしまうじょうきょうなのだ。今の時世は非常にくるしい時代なのだ。


嗟爾江漢人,生成複何有!
ああ、あなたがた長江上流域の蜀地の人々よ、自分の手で作りあげた物とてはどんなものをもっているか、なにもなくなっているのではないか。
○江漢 三巴、長江上流域、蜀の地をさす。
○生成 自分の手で耕作して作りあげた物をいう。


有同枯棕椶木,使我沈嘆久。
恐らくはこの切取られるしゅろの運命と同じものが有るであろう。このことがわたしをして久しく沈み、なげかしめる所以である。
○同枯椶木 このしゅろがきりとられるのとおなじように官に物をとりあげられる。
○沈嘆 しずみなげく。


死者即已休,生者何自守?
こんなことでは死んだ人はそれで終ったとして、まだ生きのこっている人はなにをもって自己を維持してゆくことができるだろうか。』
○死者 死んだ人。
○生者 生存している人。
〇自守 守とは維持してゆくことをいう。


啾啾黃啄雀,側見寒蓬走。
地上で黄雀がチューチューとなきながら餌をついばんでいる。そのそばには冬枯れのよもぎが飛び走るのを見るのである。
○啾啾 とりのなくこえのさま。
○啄 餌、物をついばむ。
○寒蓬 冬がれのよもぎの葉、「秋秋」二旬は黄雀の居る場所をいう、すなわち下の泰秀というのとおなじ、仇注に「雀ノ櫻毛ヲ琴、、云云」といっている説は取らぬ。


念爾形影幹,摧殘沒藜莠。
私が思うには、なんじしゅろは形影が乾いてしまうと、無残にもくだかれ、そこなわれて藜や莠のわるいくさのなかに倒れておちこんでしまうのである。(よい政治が行われないことはこのように乱れていくこと同じなのだ。)
○爾 しゅろをさす。
○藜莠 あかぎ、わるいくさ。

枯椶  五言古詩 成都5-(26-1) 杜甫 <476>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2350 杜甫詩1000-476-664/1500

杜甫 《枯棕》 成都(5部)浣花渓の草堂  
かれたしゅろの樹についてよんだ。人民の誅求されることをあわれんだものである。蜀の地にはいってくるとしゅろが多いと感じる。高い木が十中に八九もあるのである。その幹の皮はひどくはがれる、それで樹は多くあってもすぐに朽ちてしまいやすいのだ。


2013年5月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#7>文選 上 献詩 女性詩760 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2348
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集悲哉行 謝霊運(康楽) <70> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2351 (05/10)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性九日遇雨二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-161-33-#26  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2352
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

枯椶  五言古詩 成都5-(26-1) 杜甫 <476>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2350 杜甫詩1000-476-664/1500


詩 題:枯棕 五言古詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(26-1)) 
卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩
作時:761年11・12月  杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の476首目-場面5-(26-1)
杜甫ブログ1500回予定の-664回目   40763



枯椶
蜀門多椶櫚,高者十八九。
蜀の地にはいってくるとしゅろが多いと感じる。高い木が十中に八九もあるのである。
其皮割剝甚,雖眾亦易朽。
その幹の皮はひどくはがれる、それで樹は多くあってもすぐに朽ちてしまいやすいのだ。
徒布如雲葉,青黃歲寒後。
冬枯れののち春になるとに雲の如く高い所でひろがった葉を青青とひろげる。
交橫集斧斤,凋喪先蒲柳。
その乱れた役に立たない、植え替えられることのない葉樹に向かって斧や斤が集中されて、蒲柳にさきだってこの樹はしぼみなくなってしまう。
傷時苦軍乏,一物官盡取。
私の心はいたんでいる。というのも、今の時世は非常に軍需物が欠乏している。斧一物さえも官がみな取りあげてしまっているのだ。

嗟爾江漢人,生成複何有!有同枯棕木,使我沈嘆久。
死者即已休,生者何自守?啾啾黃啄雀,側見寒蓬走。
念爾形影幹,摧殘沒藜莠。


蜀門椶櫚【しゅらん】多し、高き者は十の八九。
其の皮割剥【かつはく】甚し、衆しと雖も亦朽ち易し。
徒に雲の如き葉を布く、青青たり歳寒の後。
交も横たわりて斧斤を集む 凋喪【ちょうそう】蒲柳【ほりゅううに先だつ』
傷む時の軍乏に苦しみ、一物も官 尽【ことごと】く取ることを。

嗟 爾 江漢の人、生成 復た何か有る。
枯椶【こしゅ】の木に同じき有り、我をして沈嘆【ちんたん】すること久しからしむ。
死せる者は即ち己に休せり、生者は何ぞ自ら守らん。』
啾啾として黄雀【こうじゃく】啄む、側に寒蓬【かんほう】の走るを見る。
念う爾が形影【けいえい】乾きて、摧残【さいざん】せられて藜莠【れいしゅう】に没せんことを。』


『枯椶』 現代語訳と訳註
(本文)

蜀門多椶櫚,高者十八九。其皮割剝甚,雖眾亦易朽。
徒布如雲葉,青黃歲寒後。交橫集斧斤,凋喪先蒲柳。
傷時苦軍乏,一物官盡取。

(下し文)
蜀門椶櫚【しゅらん】多し、高き者は十の八九。
其の皮割剥【かつはく】甚し、衆しと雖も亦朽ち易し。
徒に雲の如き葉を布く、青青たり歳寒の後。
交も横たわりて斧斤を集む 凋喪【ちょうそう】蒲柳【ほりゅううに先だつ』
傷む時の軍乏に苦しみ、一物も官 尽【ことごと】く取ることを。


(現代語訳)
蜀の地にはいってくるとしゅろが多いと感じる。高い木が十中に八九もあるのである。
その幹の皮はひどくはがれる、それで樹は多くあってもすぐに朽ちてしまいやすいのだ。
冬枯れののち春になるとに雲の如く高い所でひろがった葉を青青とひろげる。
その乱れた役に立たない、植え替えられることのない葉樹に向かって斧や斤が集中されて、蒲柳にさきだってこの樹はしぼみなくなってしまう。
私の心はいたんでいる。というのも、今の時世は非常に軍需物が欠乏している。斧一物さえも官がみな取りあげてしまっているのだ。


(訳注)
枯椶

軍需物が欠乏しているので、斧斤一物さえも官がみな取りあげてしまっている。だから、荘子が言うように『荘子逍遥篇第一』、移植したり、間引き、枝落としもできないで、木を枯らしてしまうじょうきょうなのだ。今の時世は非常にくるしい時代なのだ。これは、儒教、老荘思想で、よい木も、きちんと世話をしないと林は乱れるといい、良い人材登用ができていないことを戒めているけれど、天子の施政に対する批判である。


蜀門多椶櫚,高者十八九。
蜀の地にはいってくるとしゅろが多いと感じる。高い木が十中に八九もあるのである。
○蜀門 蜀の地をさす。
○椶櫚 しゅろの木。
〇十八九 十中の八九。


其皮割剝甚,雖眾亦易朽。
その幹の皮はひどくはがれる、それで樹は多くあってもすぐに朽ちてしまいやすいのだ。
〇割剥 さきはぐ。
○衆 樹の多いこと。


徒布如雲葉,青黃歲寒後。
冬枯れののち春になるとに雲の如く高い所でひろがった葉を青青とひろげる。
○布 教に同じ。
○如雲葉 雲のように高い所でひろがった葉をいう。
〇歳寒 冬がれ。


交橫集斧斤,凋喪先蒲柳。
その乱れた役に立たない、植え替えられることのない葉樹に向かって斧や斤が集中されて、蒲柳にさきだってこの樹はしぼみなくなってしまう。』
○交横 間伐や枝落としができないので、雪や風により折れたりs次手盛りが乱れる様子をいう。葉影がみだれよこたわることをいう。
○集斧斤 おの、まさかりがこの樹に向かって集められる。『荘子逍遥篇第一』「莊子曰:今子有大樹、患其無用、何不樹之於無何有之郷、廣莫之野、彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下?不夭斤斧、物無害者、無所可用、安所困苦哉。」(莊子曰く:今子に大樹有り、其の用無きを患う、何ぞ之を「無何有之郷・廣莫の野」に樹え、彷徨として其の側に為す無く、逍遙として其の下に寢臥せざる?斤斧に夭せられず、物に無害する者し用う可き所無きも、安んぞ困苦する所あらん。)「荘子は言った。「あなたはせっかく大きな木を持っているのに、役に立たないなどと嘆いている。ならば、この役に立たない木を『無何有の郷の広々とした大地』でに植え替えてその木の周りをぼんやりと逍遥し、のんびり昼寝でもしたらどうだい?斧で切り落とされる心配もなく、無用なもののようでいても、少しも困ることはないよ。」に基づいている。
○凋喪 しぼみ、うしなわれる。
○蒲柳 かわやなぎ。


傷時苦軍乏,一物官盡取。
私の心はいたんでいる。というのも、今の時世は非常に軍需物が欠乏している。斧一物さえも官がみな取りあげてしまっているのだ。
傷 作者が心中にいたむ。
〇時 時世をいう。
○軍乏 軍需の欠乏。

病橘 五言古詩 成都5-(25-2) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2345 杜甫詩1000-475-663/1500

杜甫 《病橘》 五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂  

かつて私が蓬莱殿の出来事を聞いたことがある、それは南方の瀟湘の地方で産した橘のすがたがならべられ立てられるというのだ。それが、この果物の稔りがない歳であると、その年には、天子の御食物も光を失うというありさまだという。

2013年5月9日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

病橘 五言古詩 成都5-(25-2) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2345 杜甫詩1000-475-663/1500



詩 題:病橘 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(25-2)) 
卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩
作時:761年11月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の475首目-場面5-(25-2)
杜甫ブログ1500回予定の-663回目   40762



(病  橘)
群橘少生意,雖多亦奚為?
惜哉結實小,酸澀如棠梨。
剖之盡蠹蟲,采掇爽所宜。
紛然不適口,豈只存其皮。
多く集まった橘樹は生き生きとした元気のいい心持がすくないようだ。これではいくら多くあったところで何のやくにもたたないというものだ。
おしいことにむすぶ実がどうしても小さくなってしまい、すっぱいやら、しぶいやらで山地に多くあるヤマナシに似ている。
それをわってみるとみんな虫食いなので、せっかくとっても具合が悪い。
どれもこれもだれの口にもあわないのだ。どういうものかこんな実がその皮だけが薬品として役に立っているというのだ。

蕭蕭半死葉,未忍別故枝。
玄冬霜雪積,況乃回風吹。』
嘗聞蓬萊殿,羅列瀟湘姿。
此物歲不稔,玉食失光輝。
風の吹く音がしょしょとする季節には皮ばかりでなく、さびしげに半死の状態に葉もなってしまい、まだくっ付いてきたもとの枝との別れは忍びないといっているようである。
時は冬の霜と雪が積もった時節となっている、いわんや、その吹風がまわって吹きつけるのである。』
かつて私が蓬莱殿の出来事を聞いたことがある、それは南方の瀟湘の地方で産した橘のすがたがならべられ立てられるというのだ。
それが、この果物の稔りがない歳であると、その年には、天子の御食物も光を失うというありさまだという。

寇盜尚憑陵,當君減膳時。汝病是天意,吾恐罪有司。
憶昔南海使,奔騰獻荔枝。百馬死山谷,到今耆舊悲。』


(病 橘)
羣橘【ぐんきつ】 生意【せいい】少なし、多しと雖も 亦た奚【なに】をか為さん。
惜しい哉 結実【けつじつ】小なり、酸澀【さんじゅう】棠梨【とうり】の如し。
之を剖【さ】けば尽く蠹蟲【とちゅう】し、采掇【さいてつ】宜しき所に爽【たご】う。
紛然として 口に適せず、豈 只 其の皮を存するのみならんや。

蕭蕭たり半死の葉、末だ故枝に別るるに忍びず。
玄冬 霜雪 積み、況や乃ち廻風の吹くをや。』
嘗て聞く蓬莱殿、羅列す瀟湘の姿。
此の物 歳に稔らざれば、玉食 光輝を失うと。

寇盜 尚お憑陵たり、君が減膳の時にあたる。
汝が病むは是れ天意なり、吾は愁う有司を罪せんことを。
憶う昔 南海の使い、奔騰 荔枝を献ず。
百馬 山谷に死し、今に到って耆旧悲しむ。』


『病橘』 現代語訳と訳註
(本文)
蕭蕭半死葉,未忍別故枝。玄冬霜雪積,況乃回風吹。』
嘗聞蓬萊殿,羅列瀟湘姿。此物歲不稔,玉食失光輝。


(下し文)
寇盜 尚お憑陵たり、君が減膳の時にあたる。
汝が病むは是れ天意なり、吾は愁う有司を罪せんことを。
憶う昔 南海の使い、奔騰 荔枝を献ず。
百馬 山谷に死し、今に到って耆旧悲しむ。』

(現代語訳)
風の吹く音がしょしょとする季節には皮ばかりでなく、さびしげに半死の状態に葉もなってしまい、まだくっ付いてきたもとの枝との別れは忍びないといっているようである。
時は冬の霜と雪が積もった時節となっている、いわんや、その吹風がまわって吹きつけるのである。』
かつて私が蓬莱殿の出来事を聞いたことがある、それは南方の瀟湘の地方で産した橘のすがたがならべられ立てられるというのだ。
それが、この果物の稔りがない歳であると、その年には、天子の御食物も光を失うというありさまだという。


(訳注)
病  橘
○橘
 みかんの樹。
この頃作られた詩はいろんなものに喩えて粛宗の批判をのべている。官を辞する新居ったった3年間の鬱憤をぶっつけるほどではないが、絶対君主の時代においては相当な批判である。
成都第5部―浣花渓の草堂-5
『百憂集行』『徐卿二子歌』『戲作花卿歌』『贈花卿』『病柏』『病橘』『枯棕』『枯楠』『所思』『不見』『草堂即事』『野望』


蕭蕭半死葉,未忍別故枝。
風の吹く音がしょしょとする季節には皮ばかりでなく、さびしげに半死の状態に葉もなってしまい、まだくっ付いてきたもとの枝との別れは忍びないといっているようである。
○蕭蕭 風の吹く音。杜甫はよく使う。杜甫『秋雨嘆三首  其一』「雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮。著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢。涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立。堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣。」
『村夜』「風色蕭蕭暮,江頭人不行。村舂雨外急,鄰火夜深明。胡羯何多難?漁樵寄此生。中原有兄弟,萬裡正含情。 」
村夜 杜甫 成都(3)浣花渓の草堂(3 -14)  杜甫 <402 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1955 杜甫詩1000-402-585/1500
『朝雨』 「涼氣曉蕭蕭,江雲亂眼飄。風鴛藏近渚,雨燕集深條。黃綺終辭漢,巢由不見堯。
草堂樽酒在,幸得過清朝。」

朝雨 杜甫 <433  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2110 杜甫詩1000-433-616/1500


唐朝 大明宮2000


玄冬霜雪積,況乃回風吹。』
時は冬の霜と雪が積もった時節となっている、いわんや、その吹風がまわって吹きつけるのである。』
○玄冬二句節候を叙したものである。「玄」は黒、五行説では冬にあてる)冬の異称。 冬の季語。四季の変化は五行の推移によって起こると考えられた。また、方角・色など、あらゆる物に五行が配当されている。そこから、四季に対応する五行の色と四季を合わせて、青春、朱夏、白秋、玄冬といった言葉が生まれた。


嘗聞蓬萊殿,羅列瀟湘姿。
かつて私が蓬莱殿の出来事を聞いたことがある、それは南方の瀟湘の地方で産した橘のすがたがならべられ立てられるというのだ。
○蓬莱殿 長安の殿の名。大名宮配置図参照。
○羅列 つらねる。
○瀟湘姿 瀟湘は洞庭湖の南にある川の名、その地方は美橘を産する。


此物歲不稔,玉食失光輝。
それが、この果物の稔りがない歳であると、その年には、天子の御食物も光を失うというありさまだという。
○此物 橘をさす。
○玉食 天子の御食物。
 

病橘 五言古詩 成都5-(25-1) 杜甫 <474>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2340 杜甫詩1000-474-662/1500

杜甫《病橘》五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(25-1))  
橘樹の病めるものについてよむ。つまらないものが因って集まるとやがて病気が蔓延していく。宦官の讒言によって動かされている朝廷を批判する。


2013年5月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#5>文選 上 献詩 女性詩758 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2338
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

病橘 五言古詩 成都5-(25-1) 杜甫 <474>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2340 杜甫詩1000-474-662/1500



詩 題:病橘 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(25-1)) 
卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩
作時:761年11月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の474首目-場面5-(25-1)
杜甫ブログ1500回予定の-662回目   40761


(病  橘)
群橘少生意,雖多亦奚為?
多く集まった橘樹は生き生きとした元気のいい心持がすくないようだ。これではいくら多くあったところで何のやくにもたたないというものだ。
惜哉結實小,酸澀如棠梨。
おしいことにむすぶ実がどうしても小さくなってしまい、すっぱいやら、しぶいやらで山地に多くあるヤマナシに似ている。
剖之盡蠹蟲,采掇爽所宜。
それをわってみるとみんな虫食いなので、せっかくとっても具合が悪い。
紛然不適口,豈只存其皮。

どれもこれもだれの口にもあわないのだ。どういうものかこんな実がその皮だけが薬品として役に立っているというのだ。

蕭蕭半死葉,未忍別故枝。玄冬霜雪積,況乃回風吹。』
嘗聞蓬萊殿,羅列瀟湘姿。此物歲不稔,玉食失光輝。

寇盜尚憑陵,當君減膳時。汝病是天意,吾恐罪有司。
憶昔南海使,奔騰獻荔枝。百馬死山谷,到今耆舊悲。』

(病 橘)
羣橘【ぐんきつ】 生意【せいい】少なし、多しと雖も 亦た奚【なに】をか為さん。
惜しい哉 結実【けつじつ】小なり、酸澀【さんじゅう】棠梨【とうり】の如し。
之を剖【さ】けば尽く蠹蟲【とちゅう】し、采掇【さいてつ】宜しき所に爽【たご】う。
紛然として 口に適せず、豈 只 其の皮を存するのみならんや。

蕭蕭たり半死の葉、末だ故枝に別るるに忍びず。
玄冬霜雪積み、況や乃ち廻風の吹くをや。』
嘗て聞く蓬莱殿、羅列す瀟湘の姿。
此の物歳に稔らざれば、玉食 光輝を失うと。

寇盜 尚お憑陵たり、君が減膳の時にあたる。
汝が病むは是れ天意なり、吾は愁う有司を罪せんことを。
憶う昔 南海の使い、奔騰 荔枝を献ず。
百馬 山谷に死し、今に到って耆旧悲しむ。』



『病橘』 現代語訳と訳註
(本文)

群橘少生意,雖多亦奚為?惜哉結實小,酸澀如棠梨。
剖之盡蠹蟲,采掇爽所宜。紛然不適口,豈只存其皮。

海棠花002
(下し文)(病  橘)
羣橘【ぐんきつ】 生意【せいい】少なし、多しと雖も 亦た奚【なに】をか為さん。
惜しい哉 結実【けつじつ】小なり、酸澀【さんじゅう】棠梨【とうり】の如し。
之を剖【さ】けば尽く蠹蟲【とちゅう】し、采掇【さいてつ】宜しき所に爽【たご】う。
紛然として 口に適せず、豈 只 其の皮を存するのみならんや。


(現代語訳)
多く集まった橘樹は生き生きとした元気のいい心持がすくないようだ。これではいくら多くあったところで何のやくにもたたないというものだ。
おしいことにむすぶ実がどうしても小さくなってしまい、すっぱいやら、しぶいやらで山地に多くあるヤマナシに似ている。
それをわってみるとみんな虫食いなので、せっかくとっても具合が悪い。
どれもこれもだれの口にもあわないのだ。どういうものかこんな実がその皮だけが薬品として役に立っているというのだ。


(訳注)
病  橘

杜甫草堂柴門06○橘 みかんの樹。
この頃作られた詩はいろんなものに喩えて粛宗の批判をのべている。官を辞する新居ったった3年間の鬱憤をぶっつけるほどではないが、絶対君主の時代においては相当な批判である。
成都第5部―浣花渓の草堂-5
『百憂集行』、『徐卿二子歌』、『戲作花卿歌』、『贈花卿』、『病柏』、『病橘』、『枯棕』、『枯楠』、『所思』、『不見』、『草堂即事』、『野望』。


群橘少生意,雖多亦奚為?
多く集まった橘樹は生き生きとした元気のいい心持がすくないようだ。これではいくら多くあったところで何のやくにもたたないというものだ。
○群橘 多くの橘樹。
○奚為 何為に同じ、無用なことをいう。


惜哉結實小,酸澀如棠梨。
おしいことにむすぶ実がどうしても小さくなってしまい、すっぱいやら、しぶいやらで山地に多くあるヤマナシに似ている。
○棠=梨【ずみ】  バラ科の落葉小高木。山地に多く、全体にとげがある。葉は楕円形。4~6月ごろ白い5弁花が咲き、秋に紅あるいは黄色の丸い実がなる。庭木として植えられ、樹皮は染料になる。こりんご。こなし。姫海棠(ひめかいどう)。三つ葉海棠。甘棠(かんとう)。《季 夏》「たちよれば深山ぐもりに―の花/蛇笏」


剖之盡蠹蟲,采掇爽所宜。
それをわってみるとみんな虫食いなので、せっかくとっても具合が悪い。
○蠹蟲 むしくい。
○采掇 とる。
○爽 【爽】[漢字項目]とは。意味や解説。[常用漢字][音]ソウ(サウ)(漢)[訓]さわやか1 さわやか。「爽快/颯爽(さっそう)・清爽」2 夜があけて明るい。「昧爽(まいそう)」。爽所宜とは、とってもよくないということ。


紛然不適口,豈只存其皮。
どれもこれもだれの口にもあわないのだ。どういうものかこんな実がその皮だけが薬品として役に立っているというのだ。
○不適口 うまくない。
○豈只存其皮 旧解に皮を橘実の皮とし、薬品に入れて用いる。皮は橘の皮をさしているが、樹の間引きをするか、いしょくをしなければやがて病気が蔓延することをいう。


病柏 五言古詩 成都5-(24-1) 杜甫 <473-#2>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2335 杜甫詩1000-473-#2-661/1500

杜甫 《病柏》 五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂
鳳風は九羽のひなをひきつれて、かなしげに鳴いてこの樹のそとに餌を求めて翔っている。これに反して鴟鴞の悪鳥は得意になって、樹幹に穿たれた穴の内で子をやしなっている。

2013年5月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#6>Ⅱ中唐詩670 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2334
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集病柏 五言古詩 成都5-(24-1) 杜甫 <473-#2>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2335 杜甫詩1000-473-#2-661/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) <67> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2336 (05/07)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性采蓮舟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-158-30-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2337
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

病柏 五言古詩 成都5-(24-1) 杜甫 <473-#2>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2335 杜甫詩1000-473-#2-661/1500


詩 題:病柏五言古詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(24-1)) 
卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩 
作時: 761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の473-#2首目-場面5-(24-1)
杜甫ブログ1500回予定の-661回目   40760



病柏
有柏生崇岡,童童狀車蓋。
こだかい岡に柏樹がはえている。その柏樹はこんもりしていてまるで車の傘のようである。
偃蹇龍虎姿,主當風雲會。
そのうねりくねった姿は竜か虎のようであって、ちょうど風雲の生ずる機会にであうのだ。
神明依正直,故老多再拜。
そうしてその樹のまっすぐなところには神明の力がのりうつったのである。古老たちも多くこの樹を見ては再拝したのである。
豈知千年根,中路顏色壞。』
ところが意外にもこの千年の根であることを認知したうえで、これが中途で顔つきがくずれてしまったのである。』
出非不得地,蟠據亦高大。
この樹の生い出した場所は不適当であったのでなく、生長して入り組んで複雑に絡み合って、高くて大きいものとなったのだ。
#2
歲寒忽無憑,日夜柯葉改,
冬枯れになって忽ちたよるところをうしない、昼も夜も一日ごとに枝や葉がこれまでとはかわってさびしくなってくる。
丹鳳領九雛,哀鳴翔其外。
鳳風は九羽のひなをひきつれて、かなしげに鳴いてこの樹のそとに餌を求めて翔っている。
鴟梟誌意滿,養子穿穴內。』
これに反して鴟鴞の悪鳥は得意になって、樹幹に穿たれた穴の内で子をやしなっている。』
客從何鄉來?佇立久籲怪。
そこに他郷のどこかもわかない旅人がやってくる。彼はこの樹のところにしばらく佇んで不思議がり歎くのである。
靜求元精理,浩蕩難倚賴。』
そしてつらつら天道の理に照らし合わせて考えると、こんなことでは天道の理はとりとめもないものではないか、それを頼りにすることは難しいものであるということだ。』

(病 柏)
柏有り崇岡【すうこう】に生じ、童童【どうどう】車蓋【しゃがい】に状たり。
偃蹇【えんけん】たり竜虎の姿、主に風雲の会に当たる。
神明【しんめい】正直【しょうちょく】に依り、故老多く再拝す。
豈知らんや千年の根、中路【ちゅうろ】顔色壞【くず】る。』
出づること地を得ざるに非ず、蟠據【ばんきょ】亦高大なり。

歳寒【さいかん】忽ち憑る無し、日夜柯葉【かよう】改まる。
丹鳳【たんほう】九雛【きゅうすう】を領し、哀鳴【あいめい】其の外に翔ける。
鴟梟【しきゅう】志意満つ、子を養う穿穴【せんけつ】の内。』
客何の郷より来たれる、佇立【ちょりつ】して久しく籲怪【くかい】す。
静かに元精【げんせい】の理を求むるに、浩蕩【こうとう】として倚賴【いらい】し難し。』


『病柏』 現代語訳と訳註
(本文)
歲寒忽無憑,日夜柯葉改,丹鳳領九雛,哀鳴翔其外。
鴟梟誌意滿,養子穿穴內。』客從何鄉來?佇立久籲怪。
靜求元精理,浩蕩難倚賴。』


(下し文)
歳寒【さいかん】忽ち憑る無し、日夜柯葉【かよう】改まる。
丹鳳【たんほう】九雛【きゅうすう】を領し、哀鳴【あいめい】其の外に翔ける。
鴟梟【しきゅう】志意満つ、子を養う穿穴【せんけつ】の内。』
客何の郷より来たれる、佇立【ちょりつ】して久しく籲怪【くかい】す。
静かに元精【げんせい】の理を求むるに、浩蕩【こうとう】として倚賴【いらい】し難し。』


(現代語訳)
冬枯れになって忽ちたよるところをうしない、昼も夜も一日ごとに枝や葉がこれまでとはかわってさびしくなってくる。
鳳風は九羽のひなをひきつれて、かなしげに鳴いてこの樹のそとに餌を求めて翔っている。
これに反して鴟鴞の悪鳥は得意になって、樹幹に穿たれた穴の内で子をやしなっている。』
そこに他郷のどこかもわかない旅人がやってくる。彼はこの樹のところにしばらく佇んで不思議がり歎くのである。
そしてつらつら天道の理に照らし合わせて考えると、こんなことでは天道の理はとりとめもないものではないか、それを頼りにすることは難しいものであるということだ。』


(訳注)
歲寒 忽 無憑 ,日夜 柯葉 改。
冬枯れになって忽ちたよるところをうしない、昼も夜も一日ごとに枝や葉がこれまでとはかわってさびしくなってくる。
〇歳寒 年末、冬がれ。
○無憑 たよるところがない。
○柯 えだ。
 

丹鳳 領九雛 ,哀鳴 翔 其外 。
鳳風は九つのひなをひきつれて、かなしげに鳴いてこの樹のそとに餌を求めて翔っている。
・丹鳳 赤い鳳凰鳥
・九雛 九匹のヒナ。


鴟鴞 志意 滿 ,養子 穿穴 內 。
これに反して鴟鴞の悪鳥は得意になって、樹幹に穿たれた穴の内で子をやしなっている。』
○鴟鴞 ふくろうのたぐい。
○志意満 得意。
・穿穴 樹幹に穿たれた穴.


客從 何鄉 來 ,佇立 久 吁怪 。
そこに他郷のどこかもわかない旅人がやってくる。彼はこの樹のところにしばらく佇んで不思議がり歎くのである。
○客 たび人、自己をさす。
○佇立 たたずむ。
○呼怪 なげきあやしむ。


靜求 元精 理,浩蕩 難 倚賴 。
そしてつらつら天道の理に照らし合わせて考えると、こんなことでは天道の理はとりとめもないものではないか、それを頼りにすることは難しいものであるということだ。』
○元精理 宇宙間の元気の道理、天道の理。
○浩蕩 大きなさま、とりとめないさまをいう。
〇倚賴 たよりとする。

病柏 五言古詩 成都5-(24) 杜甫 <473-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2330 杜甫詩1000-473-#1-660/1500

杜甫 《病柏》 五言古詩 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(24)) 
こだかい岡に柏樹がはえている。その柏樹はこんもりしていてまるで車の傘のようである。そのうねりくねった姿は竜か虎のようであって、ちょうど風雲の生ずる機会にであうのだ。

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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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病柏 五言古詩 成都5-(24) 杜甫 <473-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2330 杜甫詩1000-473-#1-660/1500


詩 題:病柏五言古詩 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(24)) 
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掲 載; 杜甫1000首の473-#1首目-場面5-(24)
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病柏
有柏生崇岡,童童狀車蓋。
こだかい岡に柏樹がはえている。その柏樹はこんもりしていてまるで車の傘のようである。
偃蹇龍虎姿,主當風雲會。
そのうねりくねった姿は竜か虎のようであって、ちょうど風雲の生ずる機会にであうのだ。
神明依正直,故老多再拜。
そうしてその樹のまっすぐなところには神明の力がのりうつったのである。古老たちも多くこの樹を見ては再拝したのである。
豈知千年根,中路顏色壞。』

ところが意外にもこの千年の根であることを認知したうえで、これが中途で顔つきがくずれてしまったのである。』
出非不得地,蟠據亦高大。

この樹の生い出した場所は不適当であったのでなく、生長して入り組んで複雑に絡み合って、高くて大きいものとなったのだ。
matsu00歲寒忽無憑,日夜柯葉改,丹鳳領九雛,哀鳴翔其外。
鴟梟誌意滿,養子穿穴內。』客從何鄉來?佇立久籲怪。
靜求元精理,浩蕩難倚賴。』

(病 柏)
柏有り崇岡【すうこう】に生じ、童童【どうどう】車蓋【しゃがい】に状たり。
偃蹇【えんけん】たり竜虎の姿、主に風雲の会に当たる。
神明【しんめい】正直【しょうちょく】に依り、故老多く再拝す。
豈知らんや千年の根、中路【ちゅうろ】顔色壞【くず】る。』
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鴟梟【しきゅう】志意満つ、子を養う穿穴【せんけつ】の内。』
客何の郷より来たれる、佇立【ちょりつ】して久しく籲怪【くかい】す。
静かに元精【げんせい】の理を求むるに、浩蕩【こうとう】として倚賴【いらい】し難し。』



『病柏』 現代語訳と訳註
楠樹06(本文)

有柏生崇岡,童童狀車蓋。偃蹇龍虎姿,主當風雲會。
神明依正直,故老多再拜。豈知千年根,中路顏色壞。』
出非不得地,蟠據亦高大。


(下し文)
(病 柏)
柏有り崇岡【すうこう】に生じ、童童【どうどう】車蓋【しゃがい】に状たり。
偃蹇【えんけん】たり竜虎の姿、主に風雲の会に当たる。
神明【しんめい】正直【しょうちょく】に依り、故老多く再拝す。
豈知らんや千年の根、中路【ちゅうろ】顔色壞【くず】る。』
出づること地を得ざるに非ず、蟠據【ばんきょ】亦高大なり。


(現代語訳)
こだかい岡に柏樹がはえている。その柏樹はこんもりしていてまるで車の傘のようである。
そのうねりくねった姿は竜か虎のようであって、ちょうど風雲の生ずる機会にであうのだ。
そうしてその樹のまっすぐなところには神明の力がのりうつったのである。古老たちも多くこの樹を見ては再拝したのである。
ところが意外にもこの千年の根であることを認知したうえで、これが中途で顔つきがくずれてしまったのである。』
この樹の生い出した場所は不適当であったのでなく、生長して入り組んで複雑に絡み合って、高くて大きいものとなったのだ。


(訳注)
病柏

秋になり病める柏樹についてを詠ずる。詩人は自己の境遇を此して詠う。
上元二年秋以後の作。この病柏・病橘・枯棋・枯柄はほとんど同時の作であろう。


有柏生崇岡,童童狀車蓋。
こだかい岡に柏樹がはえている。その柏樹はこんもりしていてまるで車の傘のようである。
○崇岡 小高いおか。
○童童 こんもりとしたさま。
○状 似ている。
○車蓋 車の上の覆い。


偃蹇龍虎姿,主當風雲會。
そのうねりくねった姿は竜か虎のようであって、ちょうど風雲の生ずる機会にであうのだ。
○偃蹇 うねるさま。
○主当 ちょうどそれにあたる。
風雲 風や雲がここにかかると、樹色の陰森たることをいう。


神明依正直,故老多再拜。
そうしてその樹のまっすぐなところには神明の力がのりうつったのである。古老たちも多くこの樹を見ては再拝したのである。
○神明 神のカ。
○正直 樹木のまっすぐなこと。
○故老 としより。古老。


豈知千年根,中路顏色壞。』
ところが意外にもこの千年の根であることを認知したうえで、これが中途で顔つきがくずれてしまったのである。』
○中路 なかほど。


出非不得地,蟠據亦高大。
この樹の生い出した場所は不適当であったのでなく、生長して入り組んで複雑に絡み合って、高くて大きいものとなったのだ。
○出 生えて出る。
○蟠據 わだかまり、よる。① 輪状に曲がって巻いている。とぐろを巻く。② 入り組んで複雑に絡み合っている。③ 心に不平・不満・不安などがあって晴れ晴れしない。

贈花卿 七言絶句 成都5-(23) 杜甫 <472>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2325 杜甫詩1000-472-659/1500

杜甫 七言絶句 《贈花卿》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(23))
花驚定が錦州の「日平」の乱の武功を驕り天子の用いられる如き音楽を為したのによって、作者はこの詩を作って彼を諷したのである。前作『戲作花卿歌』は内容的に天子の無策を批判視野もので「戯れ」をつけたがこの詩は花驚定を諷したものであるから、「贈」と嘲笑するのである。
「杜詩、第四冊」で“これも「戯贈花卿」というべきであるのにそういわぬ点に疑いをもつ。”とあるが間違い。

2013年5月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#4>Ⅱ中唐詩668 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2324
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集贈花卿 七言絶句 成都5-(23) 杜甫 <472>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2325 杜甫詩1000-472-659/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

贈花卿 七言絶句 成都5-(23) 杜甫 <472>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2325 杜甫詩1000-472-659/1500

  
詩 題:贈花卿 七言絶句 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(23)) 
作時761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の472首目-場面5-(23)
杜甫ブログ1500回予定の-659回目   40758 



この年の情勢(新唐書)
・  二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。
・  二月己未、奴剌・党項羌が宝を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。
・  三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。
・  四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
・  五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。
・  七月癸未朔、日食があった。
  八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。
・  九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、寶應元年を称し、十一月を歳首とし、月以斗所建辰為名。文武の官に階・勲・爵を賜り、版授侍老官、先授者進之。停四京号。

・  元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛と戦い、これを破った。己亥、朝聖皇天帝于西内。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。
・  建丑月辛亥、有事于南郊。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。


贈花卿
(花卿に贈る)
錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。
錦官城の弦楽器と管楽器の音は日ごと夜ごと、にぎやかにしている。その音は半分は錦江に風に乗って入りて清くし、半分は雲中に入りてひろがる。
此曲只應天上有,人間能得幾回聞?
この宴で奏る曲はただ天上界に有べきものであろう。(この程度の武功で驕っているなんて)どうしてこの人間界で何度も聞くということができるというのか。

(花卿に贈る)
錦城の糸管【しかん】日【ひび】に紛紛たり、半ば江風【こうふう】に入り半ば雲に入る。
此の曲只応に天上に有るなるべし、人間能く幾回か聞くことを得ん。

浣花峡556
『贈花卿』 現代語訳と訳註
(本文)

錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。
此曲只應天上有,人間能得幾回聞?


(下し文)
(花卿に贈る)
錦城の糸管【しかん】日【ひび】に紛紛たり、半ば江風【こうふう】に入り半ば雲に入る。
此の曲只応に天上に有るなるべし、人間能く幾回か聞くことを得ん。


(現代語訳)
(花卿に贈る)
錦官城の弦楽器と管楽器の音は日ごと夜ごと、にぎやかにしている。その音は半分は錦江に風に乗って入りて清くし、半分は雲中に入りてひろがる。
この宴で奏る曲はただ天上界に有べきものであろう。(この程度の武功で驕っているなんて)どうしてこの人間界で何度も聞くということができるというのか。


(訳注)
贈花卿

(花卿に贈る)
○花卿 花驚定のこと。761年上元二年四月、梓州の剣南東川節度兵馬使の刺史段子璋が反し、東川節度使李奐奥を綿州に襲い、自ずから梁王と称し、黄竜と改元し、綿州を以て黄竜府となし、百官を置いたが、五月、剣南西川節度使、成都尹の崔光遠は武将花驚定を率い、攻めて綿州を抜き、段子璋を斬った。
杜甫『戲作花卿歌』
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?


錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。
錦官城の弦楽器と管楽器の音は日ごと夜ごと、にぎやかにしている。その音は半分は錦江に風に乗って入りて清くし、半分は雲中に入りてひろがる。
○錦城 錦官城、成都の少城。
○糸管 弦楽器と管楽器。また、音楽。糸竹。
○紛紛 おとのみだれたつさま。
○入江風 清いことをいう。
〇人雲 錦江から湧き上がった雲と錦江と対比することで広がることを強調する。


此曲只應天上有,人間能得幾回聞?
この宴で奏る曲はただ天上界に有べきものであろう。(この程度の武功で驕っているなんて)どうしてこの人間界で何度も聞くということができるというのか。
○砥 只に同じ。
○天上有 天上の仙人界に有るもの。
○能得幾回聞 いくたびきいたものか、めったにきけぬ。

戲作花卿歌  七言歌行  成都5-(22) 杜甫 <471>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2320 杜甫詩1000-471-658/1500

杜甫 七言歌行《戲作花卿歌》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(22)) 

「日平」事件である。武将花驚定は段子璋を誅したのち大いに東蜀を掠めたが、天子は崔光遠が軍を収めることができないのを怒って彼を罷免した。崔光遠はかかる悪将であるが詩は段子璋の反を平らげた点についてのみをいうことで、粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。杜甫が「戯れ」と題す場合ただの戯れではない皇帝の施政批判をしているのである。

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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性朱槿花 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-155-27-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2322
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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戲作花卿歌  七言歌行  成都5-(22) 杜甫 <471>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2320 杜甫詩1000-471-658/1500

詩 題:戲作花卿歌 七言歌行 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(22)) 
卷別: 卷二一九  文體: 樂府(七言歌行)
作時761年10・11月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の471首目-場面5-(22)
杜甫ブログ1500回予定の-658回目   40757


757年至徳二載正月、丙寅、剣南兵の賈秀等五千人が造反した。将軍席元慶、臨工(「工/里」)太守柳奕が討って、これを誅した。
761年4月剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
ここれらの乱を制圧するため成都の武将花驚定という者が綿州の反乱を平らげ、李奐は剣南東川節度使に復権したことをほめて戯れに作った歌である。

戲作花卿歌
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。)
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)

(戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』


『戲作花卿歌』 現代語訳と訳註
金燈花01(本文)

成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?


(下し文) (戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』


(現代語訳)
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。)
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)


(訳注)
戯作 花卿歌

成都遂州00○戯作 戯れの意は末の二句にある、表面はすこぶる花卿をほめたのに似ているが其の実はそうでない、故に
「戯」という。
○花卿 花驚定【かけいてい】のこと。
761年上元二年四月、梓州の剣南東川節度兵馬使の刺史段子璋が反し、東川節度使李奐奥を綿州に襲い、自ずから梁王と称し、黄竜と改元し、綿州を以て黄竜府となし、百官を置いたが、五月、剣南西川節度使、成都尹の崔光遠は武将花驚定を率い、攻めて綿州を抜き、段子璋を斬った。
以上が本詩にのべる所の「日平」事件である。武将花驚定は段子璋を誅したのち大いに東蜀を掠めたが、天子は崔光遠が軍を収めることができないのを怒って彼を罷免した。崔光遠はかかる悪将であるが詩は段子璋の反を平らげた点についてのみをいうことで、粛宗の短絡好嫌政治を批判するものである。杜甫が「戯れ」と題す場合ただの戯れではない皇帝の施政批判をしているのである。
この詩の解釈について『杜詩』第四冊 鈴木虎雄・黒川洋一訳注 岩波文庫P-9294 の解釈は若干うすく、間違っている。


成都 猛將 有 花卿 ,學語 小兒 知 姓名 。
成都には勇猛果敢な大将で花驚定卿というのがいるのだ。いまや彼の姓名はことばを学び始めたこどもでも知っている。
○学語小児 ことばを学び始めたこども、幼児をいぅ。


用如 快鶻 風火 生 ,見賊 唯多 身 始輕
彼を用うればすばやい髄鷹の如くうごき、そのはげしきことは風にあおられ強い炎の生ずるようなものである。叛乱者を見て相手が多いとき、はじめて身がるに働き出すというのだ。
○快鶻 快は速いこと、鶻はたかのたぐい。成都にたくさんいる。あまりいい意味で使っているのではない。
杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

○風火 風にあおられる火、勢いの猛烈なことをいう。○惟多始身軽 賊が多けれぼやっと身をかるくはたらかす。


綿州 副使 著 柘黃 ,我卿 掃除 即日平 。
このたび綿州の副使待遇の兵馬使の段子璋が謀反を起こして天子の御衣と赭色の身に着けひけらかしたとき、我が花卿はその叛乱を制定、掃き清め、「日平」事件として治め報告された。』
○綿州副使 副使は節度使の副使をいう、段子璋は梓州の刺史、兵馬使であるが、節度使が放棄して成都に逃げたことで、副使と呼ぶことでこれらの任命者の批判に変えている。しかも成都に逃げたのに後に復権させている。粛宗は過去房琯が積極的に攻める姿勢がないというだけで姻戚一族のみにとどまらず、杜甫らそのグループ根こそぎ改易左遷したのである。杜甫はこのため左遷され、官を辞したので粛宗の場当たり的政治には批判的な意見を持っているのだ。
〇著 柘黃を身に着けひけらかすこと。
○柘黄 天子の御衣の色、赭色といわれ赤と黄とのまざりの色をいう。「衣冠腰帶天子服。」
○我卿 花卿をさす、我とは花卿を親しむ辞である。
○掃除 騒乱をはききよめる。
○日平 叛乱を平らげて「日平」事件として治め報告した。即日、平定した、というのは間違い。2か月平定に擁している。


子璋 髑髏 血 糢糊 ,手提 擲還 崔大夫 。
段子璋のむくろは血がしたたるほどべたべた状態であった。それを手ずから提げてこれを征伐軍の司令官の崔光遠大夫のもとへなげうちかえしたのだ。
○子璋 段子璋
○濁棲 むくろ。
○模糊 切り取った首を布に包むが地がべとべとと滴り落ちている状況を云う。
○手提 むくろを手ずから持ち歩く。
○擲還 なげうってそれが転ぶこと。
○雀大夫 崔光遠大夫。剣南西川節度使、成都尹の崔光遠。


李侯 重有 此節度 ,人道 我卿 絕世 無 。
これがためこともあろうに、一度は逃げだした綿州の李節度使もふたたび節度の職を有するに至ったのだ。人人は我が花卿のごときものは世にたえて無きものだというている。(だから、崔光遠を讃えず、李奐を嘲笑して「戯れ」たのだ。) 
○李侯 侯は敬語、成都に逃げた剣南東川節度使李奐をいう。
○重有 李奐は反乱が起こって成都に奔り、乱が平らいでまた綿州へもどったのにより、「重ねて有す」と嘲笑していう。
〇人道 一般の人人がいう。これも嘲笑していること。


既稱 絕世 無 ,天子 何不 喚取 守 京都 。
そんなに世に無い「絕世」武将だというのであるなら、天子におかせられてはなぜに彼を喚びとって東都洛陽をお守らせることさせられないのであろうか。(良いぶしょうを自分の好き嫌い、その日の気分、宦官の言いなりの粛宗を批判している。この杜甫の批判姿勢は一貫している)
○守東都 東都は洛陽のこと、時に安史軍史思明が洛陽に拠っていた。 


戲作花卿歌
成都猛將有花卿,學語小兒知姓名。
用如快鶻風火生,見賊惟多身始輕。
綿州副使著柘黃,我卿掃除即日平。
子璋髑髏血模糊,手提擲還崔大夫。
李侯重有此節度,人道我卿絕世無!
既稱絕世無,天子何不喚取守東都?

(戯れに花卿の歌を作る)
成都に猛将 花卿有り、学語の小児 姓名を知る。
用うれば快鶴の如く風火生ず、賊を見れば惟多ければ身始めて軽し。
綿州の副使 柘黄を著し、我が卿 掃除して即ち日平とす。』
子璋の髑髏は血 模糊たり、手ずから提げ擲還すは崔大夫なり。
李侯 重ねて此の節度有り、人は道う我が卿 絶世無し。
既に「絶世無し」と称す、天子何ぞ喚び取って東都を守らしめざる。』

徐卿二子歌楽府(七言歌行) 成都5-(21) 杜甫 <470>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2315 杜甫詩1000-470-657/1500

楽府 《徐卿二子歌》 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(21)) 

君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。

2013年5月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#1>Ⅱ中唐詩665 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2309
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


徐卿二子歌楽府(七言歌行) 成都5-(21) 杜甫 <470>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2315 杜甫詩1000-470-657/1500


卷別: 卷二一九  文體: 樂府
詩 題:徐卿二子歌 楽府(七言歌行) 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(21)) 
作時761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の470首目-場面5-(21)
杜甫ブログ1500回予定の-657回目


徐卿二子歌
君不見徐卿二子生絕奇,感應吉夢相追隨。
君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。
孔子釋氏親抱送,並是天上麒麟兒!
それは孔子とお釈迦様が親しくしてくれと抱かれたいとは知ってくるようであるし、誰も比べることが出来ないほどの将来素晴らしい大物になると期待される少年なのだ。
大兒九齡色清澈,秋水為神玉為骨。
上の子供は10歳になり顔つきはさわやかで凛々しい。秋の澄み切った水のような心は神のようであり、輝かしい宝玉でその身の骨を作られている。
小兒五歲氣食牛,滿堂賓客皆回頭。
下の子は5歳でありながら精気・元気ですでに牛を食べるというし、宴席に集まった賓客でさえ全員が顔を見合わせて驚くという。
吾知徐公百不憂,積善袞袞生公侯。
わたしはここにおられる徐卿には人生における「百憂」なんかありはしないだろうと思うし、仁徳・善徳を積み重ね、立派な九等爵位の諸侯としてこれからも相い続いて絶えないことでありましょう。
丈夫生兒有如此二雛者,名位豈肯悲微休!

こんなにも健康に恵まれて生まれてきた寵児であってこれに匹敵するものがありはしない。名を挙げ、くらいをたかめていくものであり、どうして低い身分などのことを考える必要があろうか。

徐卿二子の歌
君見ずや徐卿の二子 絕奇に生れしを,感 應に吉夢相いに追隨す。
「孔子」 「釋氏」 親として抱送し,是れと並ぶは天上の麒麟兒!
大兒九齡は 色 清澈たり,秋水神と為して玉は骨と為す。
小兒五歲は氣 食牛し,滿堂の賓客 皆頭を回らす。
吾知る 徐公 「百」憂えず,積善 袞袞として公侯に生ず。
丈夫 兒を生みて二雛の者を此の如く有り,名位 豈に肯に悲しむは微休なり!

成都遂州00




















『徐卿二子歌』 現代語訳と訳註
(本文)
徐卿二子歌
君不見徐卿二子生絕奇,感應吉夢相追隨。
孔子釋氏親抱送,並是天上麒麟兒!
大兒九齡色清澈,秋水為神玉為骨。
小兒五歲氣食牛,滿堂賓客皆回頭。
吾知徐公百不憂,積善袞袞生公侯。
丈夫生兒有如此二雛者,名位豈肯悲微休!


(下し文)
徐卿二子の歌
君見ずや徐卿の二子 絕奇に生れしを,感 應に吉夢相いに追隨す。
「孔子」 「釋氏」 親として抱送し,是れと並ぶは天上の麒麟兒!
大兒九齡は 色 清澈たり,秋水神と為して玉は骨と為す。
小兒五歲は氣 食牛し,滿堂の賓客 皆頭を回らす。
吾知る 徐公 「百」憂えず,積善 袞袞として公侯に生ず。
丈夫 兒を生みて二雛の者を此の如く有り,名位 豈に肯に悲しむは微休なり!


(現代語訳)
君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。
それは孔子とお釈迦様が親しくしてくれと抱かれたいとは知ってくるようであるし、誰も比べることが出来ないほどの将来素晴らしい大物になると期待される少年なのだ。
上の子供は10歳になり顔つきはさわやかで凛々しい。秋の澄み切った水のような心は神のようであり、輝かしい宝玉でその身の骨を作られている。
下の子は5歳でありながら精気・元気ですでに牛を食べるというし、宴席に集まった賓客でさえ全員が顔を見合わせて驚くという。
わたしはここにおられる徐卿には人生における「百憂」なんかありはしないだろうと思うし、仁徳・善徳を積み重ね、立派な九等爵位の諸侯としてこれからも相い続いて絶えないことでありましょう。

こんなにも健康に恵まれて生まれてきた寵児であってこれに匹敵するものがありはしない。名を挙げ、くらいをたかめていくものであり、どうして低い身分などのことを考える必要があろうか。

(訳注)
徐卿二子歌

翌年(762)7月に成都で乱を起こす人物の宴席で、この人物を持ち上げる詩を作った。この時は乱を起こすとは思っていなかったようだ。
757年至徳二載正月、丙寅、剣南兵の賈秀等五千人が造反した。将軍席元慶、臨工(「工/里」)太守柳奕が討って、これを誅した。
761年4月剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
これらの乱を制圧するための実践での功勲で力をつけて行ったもの。
○この詩で杜甫は徐知道を褒めちぎっているが、おごり高ぶった、独善的な徐知道に対してこういう表現をしたものである。


君 不見 徐卿 二子 生 絕奇,感應 吉夢 相追隨 。
君は見るだろう。剣南兵馬使徐知道の二子が特別優れた才能を持って生まれてきたことを。そして、感性の置いても吉兆の運を持っておりそれが成長するに伴って現れているのだ。
・徐卿 徐知道。剣南兵馬使で劍南道北部、益州において「宣揚功德」といわれて嘱望されていた人物。
宣揚功德とは ・宣揚:広く世の中にはっきりと示すこと。 功德:善い行為には,すぐれた結果を招く力が徳としてそなわっていることをいう。善を積み,あるいは修行の結果,むくいとして得られる果報,恵みという意味で福徳。
・二子 親人眷屬、子。
「感」語義類別:人、感官詞、綜合感覺詞、感。
・吉夢 善い夢。


孔子 釋氏 親抱送 ,並是 天上 麒麟 兒 。
それは孔子とお釈迦様が親しくしてくれと抱かれたいとは知ってくるようであるし、誰も比べることが出来ないほどの将来素晴らしい大物になると期待される少年なのだ。
・孔子 孔丘(周)。
・釋氏 釋迦牟尼。
・是 形容詞彙、對比詞、是非(是)。
・天上 語義類別:地、閬苑仙境、仙境、天上。
・麒麟児 将来素晴らしい大物になると期待される少年。特にすぐれた才能をもつ少年。神童。


大兒 九齡 色清澈,秋水 為神 玉 為骨 。
上の子供は10歳になり顔つきはさわやかで凛々しい。秋の澄み切った水のような心は神のようであり、輝かしい宝玉でその身の骨を作られている。
・兒 ①子供。幼い子。わらべ。②(親に対して)子。「児孫/豚児」③若者。男子。健児・寵児。
・九齡 齢は生まれてからの年数。奇数が縁起の上でよいので、このころの通常は数え年であるから、10歳。
・秋水 秋の長雨に後しばらく晴天が続くと水が澄んでくる。それに青空が映ることできわまりなく澄んだ様子を云う。仲秋から晩秋にかけてをいう。
・神 心神氣力は神というもの。
・玉 玉石、玉。かがやかしいこと。
・骨 身體器官、五臟器官、骨。


小兒 五歲 氣 食牛 ,滿堂 賓客 皆回頭 。
下の子は5歳でありながら精気・元気ですでに牛を食べるというし、宴席に集まった賓客でさえ全員が顔を見合わせて驚くという。
・氣 心神氣力、精気・元気。
・食牛 子供は豚を食べるもので牛はかみきれないものとされる。內涵氣質が食牛するほどであるこという。
・滿 満座のもの。
・堂 奥座敷。講堂。宴席の座敷。
・賓客 一般稱謂、客。宴席に招かれたお客。剣南兵馬使であるから益州において軍事的にはトップということで蜀の富貴の者が集まっている。
・回頭顔を見合わせて驚くというほどの意味。


吾知 徐公 百 不憂 ,積善 袞袞 生 公侯 。
わたしはここにおられる徐卿には人生における「百憂」なんかありはしないだろうと思うし、仁徳・善徳を積み重ね、立派な九等爵位の諸侯としてこれからも相い続いて絶えないことでありましょう。
・徐公 徐知道(唐)。
・百 人生百年、百憂あり。
・積善 仁徳・善徳を積み重ねること。
・袞袞 相い続いて絶えないさま。多少(多)。杜甫『醉時歌』「諸公袞袞登臺省,廣文先生官獨冷。」
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。○諸公 当時、仕官している人々をさす。○袞袞 こんこん相い続いて絶えないさま醉時歌

・公侯 公・侯・伯・子・男を擬古的に復活させた。魏の文帝の黄初年間に王・公・侯・伯・子・男・県侯・郷侯(最初郷侯の下に亭侯が置かれていたが後に省かれる)・関内侯の九等の爵制が定められた。


丈夫 生兒 有 如此二 雛者 ,名位 豈肯 卑微 休。
こんなにも健康に恵まれて生まれてきた寵児であってこれに匹敵するものがありはしない。名を挙げ、くらいをたかめていくものであり、どうして低い身分などのことを考える必要があろうか。
・丈夫 丈夫。健康に恵まれて
・雛者 雛みたいな者。とるにたらないもの。
・名 人の形容詞彙、官位における境遇、名声。
・肯 あえて。ここではかんがえる。。
・卑微 人の形容詞彙、身分背景が卑。低い身分、中途半端な身分。

・公侯 公・侯・伯・子・男を擬古的に復活させた。魏の文帝の黄初年間に王・公・侯・伯・子・男・県侯・郷侯(最初郷侯の下に亭侯が置かれていたが後に省かれる)・関内侯の九等の爵制が定められた。

百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500

 杜甫 七言歌行 《百憂集行》 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(20))
百憂集行(憶年十五心尚孩)
人生百年、百憂ありというのが中国の考え方。何も百年生きるのが当たり前というのではなく60歳を越えれば百歳ということなのだ。
この詩は、その貧乏を、病気がちなことを歎いたり悲しんだりはしていない。今この時を愉しんでいる。
自分は小さい時はよく勉強したが、子供らは勉強しない。しかし、うるさくは言わない。妻と子供に暖かい目を以てこの詩をのべているのである。多くの本で「百憂」ということで人生を悲観してこの詩を書いたとするものがあるが、それは杜甫と詩とを理解していない「無知」というものである。



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Ⅲ杜甫詩1000詩集百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500

詩 題:百憂集行 七言歌行 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(20)) 
作時761年10月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の469首目-場面5-(20)
杜甫ブログ1500回予定の-656回目


この年の情勢(新唐書)
・  二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。
・  二月己未、奴剌・党項羌が宝を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。
・  三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。
・  四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
・  五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。
・  七月癸未朔、日食があった。
  八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。
・  九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、寶應元年を称し、十一月を歳首とし、月以斗所建辰為名。文武の官に階・勲・爵を賜り、版授侍老官、先授者進之。停四京号。

・  元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛と戦い、これを破った。己亥、朝聖皇天帝于西内。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。
・  建丑月辛亥、有事于南郊。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。



百憂集行
憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。
年を憶えば 十五にて 心は尚お孩【がい】にして、健なること黄犢【こうとく】の如く走りて復た来たり。
庭前 八月に  梨棗【りそう】熟すれば、一日 樹【じゅ】に上ること能【よ】く千迴【せんかい】なりき。
即今【そくこん】 倐忽【しゅくこつ】にして已【すで】に五十、坐臥【ざが】只だ多く行立【こうりゅう】少なし。
強【し】いて笑語【しょうご】を将【もっ】て主人に供し、悲しみ見る生涯 百憂【ひゃくゆう】の集まるを。
門に入れば 旧に依りて四壁【しへき】空【むな】し、老妻の我を覩る  顔色【がんしょく】同じ。
痴児【ちじ】は知らず父子の礼、叫怒【きょうど】飯【はん】を索【もと】めて 門東に啼く。


『百憂集行』 現代語訳と訳註
ogawa010(本文)

憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。


(下し文)
年を憶えば 十五にて 心は尚お孩【がい】にして、健なること黄犢【こうとく】の如く走りて復た来たり。
庭前 八月に  梨棗【りそう】熟すれば、一日 樹【じゅ】に上ること能【よ】く千迴【せんかい】なりき。
即今【そくこん】 倐忽【しゅくこつ】にして已【すで】に五十、坐臥【ざが】只だ多く行立【こうりゅう】少なし。
強【し】いて笑語【しょうご】を将【もっ】て主人に供し、悲しみ見る生涯 百憂【ひゃくゆう】の集まるを。
門に入れば 旧に依りて四壁【しへき】空【むな】し、老妻の我を覩る  顔色【がんしょく】同じ。
痴児【ちじ】は知らず父子の礼、叫怒【きょうど】飯【はん】を索【もと】めて 門東に啼く。


(現代語訳)
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。


(訳注)
百憂集行

人生百年、百憂ありというのが中国の考え方。何も百年生きるのが当たり前というのではなく60歳を越えれば百歳ということなのだ。この詩は15歳が成人の年、大人の仲間入りをしたころにはそれなりの愁いを持っていたが何せ健康であった。今はどうかというと年を重ねて愁いが多くなった。杜甫は喘息・糖尿病など持病になやまされていた。自分の健康のことを考えると50という年相応の愁いを遙かに超えて100の愁いが集まってくるというもので、この詩に限らず、儒者で隠棲している杜甫は、苦しいこと、愁いていることをかなり誇張して描いて書くのが特徴である。富貴で、安楽な普通の人間が「詩人」として成り立つことない。病気がちで、貧乏でないと詩は書けない。
しかし、この詩は、その貧乏を、病気がちなことを歎いたり悲しんだりしていない。今この時を愉しんでいる。自分は小さい時はよく勉強したが、子供らは勉強しないがうるさくは言わない。妻と子供に暖かい目を以てこの詩をのべているのである。多くの本で「百憂」ということで人生を悲観してこの詩を書いたとするものがあるが、杜甫理解しない無知というものである。


憶年十五心尚孩,健如黃犢走複來。
今の年齢から考えると、成人した15歳のころは心は乳飲み子の様なものであったが、いたって健康体で飴色の子牛のように又孔子の教えのように勉強もした。
・憶年 おもいおこせば。今の年齢から考えると。
・十五 成人の歳。結髪をする。
・孩 ちのみご。すべての出来事を吸収できる能力を持っていた。
・健 健康そのもの。
・黃犢 飴色の子牛。
・走複來 孔子の故事に基づいている。「趨庭」 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。


庭前八月梨棗熟,一日上樹能千回。
秋8月になれば庭先に梨とナツメが熟した。日がな一日よくその木に登り、1000回も上ったものだった。
・庭前 意味は語のままだが、庭を出して『論語』を連想させる。


即今倏忽已五十,坐臥只多少行立。
それがいまどうだろう。たちまち50の老人になっているのだ。座ったり、床に横になったりすることが多く、佇んだり、歩いてどこかに行くことは少なくなっている。
・倏忽 たちまち。


強將笑語供主人,悲見生涯百憂集。
無理にでも笑顔を作ることがあるのは先輩とかお世話になった人ぐらいだ。誰もそうかもしれないが、我が人生に数限りないほどの愁いが集積してくるのを悲しく見ているのである。
・主人 家を建てるのにお世話になったり、成都の街、青城、新津で官僚の先輩、上人と歓談している。


入門依舊四壁空,老妻睹我顏色同。
我家の柴門を入ると旧態依然として四方の壁に何もなく空しくたっているばかりだ。互いに歳を重ねてきた妻は私の顔を見て同じような百憂の顔をしている。
・四壁空 飾り物が何にもない部屋を意味する。とばり、幔幕、衝立などがないこと。この頃、暴風雨で200年の大樹の楠樹が折れ、屋根がふっとんだ災害の修復がままならないことを意味している。


癡兒不知父子禮,叫怒索飯啼門東。
元気ばかりで何の分別もない子供たちは儒教でいう五常・五倫の父子禮を理解していない。おなかがすいたと門のあたりから大声を張り上げてごはんの催促をしている。
・癡兒 元気ばかりで何の分別もない子供たち。癡:①知恵が足りない。おろか。②男女関係で理性を失ったさま。③物事に夢中になること。
・父子禮 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。ここは儒教でいう五常・五倫の父子禮
・門東 杜甫草堂の門は西南にあった。台所は東にあるので門から東に向かって叫んだことを云う。門頭:門のあたりという意味か。
杜甫草堂詳細図02

重簡王明府 五言律詩 成都5-(19) 杜甫 <468>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2305 杜甫詩1000-468-655/1500

杜甫 《重簡王明府》 五言律詩  成都(3部)浣花渓の草堂(5-(19)) 

この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。

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重簡王明府 五言律詩 成都5-(19) 杜甫 <468>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2305 杜甫詩1000-468-655/1500


詩 題:重簡王明府 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(19)) 
作時761年10末~11月初め、杜甫50歳 
卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩
掲 載; 杜甫1000首の468首目-場面5-(19)
杜甫ブログ1500回予定の-655回目


重簡王明府
(重ねて書簡を王明府に送ります。)
甲子西南異,冬來只簿寒。
この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。
江雲何夜盡,蜀雨幾時幹?
長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。
行李須相問,窮愁豈自寬?
こうしてまた旅に出ることで互いにの思いをぶっつけ合おうではないか。苦しみ悲しむことを何とかして自分自身で打ちやぶって晴らそうではないか。
君聽鴻雁響,恐致稻粱難。
君はもう聞いているだろうとは思うのだが、大鳥や、雁が鳴くのが響いて伝わってきたのは元号も変わりどんな変化があるのだろうか。一番心配するのは五穀豊穣が難しくなりはしないかということなのだ。
(重ねて王明府に簡す)
甲子 西南の異,冬來りて只寒に簿【いた】る。
江雲 何ぞ夜に盡せん,蜀雨 幾時に幹せんや?
行李 須く相い問わん,窮愁 豈に自ら寬かん?
君聽くや鴻雁の響あるを,恐れ致【いだ】くは 稻粱の難なり。


蜀の山50055この年(761)の情勢(新唐書)
  二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。
  二月己未、奴剌・党項羌が宝を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。
  三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。
  四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れた。
  五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。
  七月癸未朔日食があった。
  八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。
  九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、寶應元年を称し、十一月を歳首とし、月以斗所建辰為名。文武の官に階・勲・爵を賜り、版授侍老官、先授者進之。停四京号。

  元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛と戦い、これを破った。己亥、朝聖皇天帝于西内。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。
  建丑月辛亥、有事于南郊。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。


『重簡王明府』 現代語訳と訳註
aki02(本文)
甲子西南異,冬來只簿寒。
江雲何夜盡,蜀雨幾時幹?
行李須相問,窮愁豈自寬?
君聽鴻雁響,恐致稻粱難。


(下し文)
(重ねて王明府に簡す)
甲子 西南の異,冬來りて只寒に簿【いた】る。
江雲 何ぞ夜に盡せん,蜀雨 幾時に幹せんや?
行李 須く相い問わん,窮愁 豈に自ら寬かん?
君聽くや鴻雁の響あるを,恐れ致【いだ】くは 稻粱の難なり。


(現代語訳)
(重ねて書簡を王明府に送ります。)
この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。
長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。
こうしてまた旅に出ることで互いにの思いをぶっつけ合おうではないか。苦しみ悲しむことを何とかして自分自身で打ちやぶって晴らそうではないか。
君はもう聞いているだろうとは思うのだが、大鳥や、雁が鳴くのが響いて伝わってきたのは元号も変わりどんな変化があるのだろうか。一番心配するのは五穀豊穣が難しくなりはしないかということなのだ。


(訳注)
重簡王明府

(重ねて書簡を王明府に送ります。)
・王明府 王潛、唐興の明府。劍南道北部 遂州 唐興(fg-2・3)成都の東180kmにある。・明府 漢の時代の県令の尊称であった。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。


甲子西南異,冬來只簿寒。
この年、甲子の月、西南のこの蜀の地方において異変が起きた。冬が到来しているこのような寒波が来ている時期であるというのに。
・西南異 剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐が成都に逃れたことを指す。


江雲何夜盡,蜀雨幾時幹?
長江にかかる雲はどういうことで夜になると覆い尽くし雨を降らせるのであろうか、そして、蜀地方は何時になったら乾いてくれるのだろうか。
・江雲 蜀には秋から冬にかけて夜になると雨が降ることを云う。江は岷江、錦江と特定した場所ではなく、長江の上流蜀地方の江に沸く雲という意味である。
・蜀雨幾時幹 夜になると雨が降るため大地が渇くことがないのでこういったのである。


行李須相問,窮愁豈自寬?
こうしてまた旅に出ることで互いにの思いをぶっつけ合おうではないか。苦しみ悲しむことを何とかして自分自身で打ちやぶって晴らそうではないか。
・行李 ①竹や柳で編んだ箱形の物入れ。旅行の際に荷物を運搬するのに用いたが、今日では衣類の保管などに使用。②旅行に持っていく荷物。旅のしたく。また、旅。③軍隊で、戦闘や宿営に必要な資材などを運ぶ部隊。旧日本陸軍には、大行李と、小行李とがあった。
・窮愁 苦しみうれえること。困窮して悲しむこと。


君聽鴻雁響,恐致稻粱難。
もう聞いているだろうとは思うのだが、大鳥や、雁が鳴くのが響いて伝わってきたのは元号も変わりどんな変化があるのだろうか。一番心配するのは五穀豊穣が難しくなりはしないかということなのだ。
・稻粱 米や粟稗など五穀。五穀豊穣を心配すること。


この詩は、王明府が不遇続きであることを心配して、俸禄がなくなる心配を云ったものである。特に、この年は蜀地方作物が不作で住民感情には不穏なものがあり、夏には日蝕もあった。そこに叛乱もあり、吐蕃も侵略のチャンスをうかがう様子を見せ、不安定な状況であった。このような時に元号が上元から、寶應に変わり、不安要素がかなりあったことを杜甫は仲間と談義していたのだ。

敬簡王明府 五言律詩 成都5-(18) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2300 杜甫詩1000-467-654/1500

杜甫《敬簡王明府》五言律詩 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(18)) 

あなたはきっと見るであろう、高くすぐれた道義を持っている隠れた人材のあなたが登用されるということを。唐の朝廷がそうしないなら万人の中で恥を与えられることとなるというものだ。


2013年4月30日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩上責躬應詔詩表 曹植 魏詩<74-#4> 750 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2298
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第九段―#8 宋玉  <00-#34>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 663 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2299
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Ⅲ杜甫詩1000詩集敬簡王明府 五言律詩 成都5-(18) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2300 杜甫詩1000-467-654/1500
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

敬簡王明府 五言律詩 成都5-(18) 杜甫 <467>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2300 杜甫詩1000-467-654/1500


詩 題:敬簡王明府五言律詩 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(18)) 卷二二六
作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の467首目-場面5-(18)
杜甫ブログ1500回予定の-654回目   40753



敬簡王明府
(敬しく王明府に簡す。)
初夏001葉縣郎官宰,周南太史公。
かつて都畿道 汝州葉縣の郎官の長であった。それから天下の南部分において勝手の司馬遷のような文官である。
神仙才有數,流落意無窮。
神通力をもつ仙人のような人でその持っている能力は有数なものである。現在、不遇をかこって落ちぶててはいるが、その意志や発想表現について無限の広がりを持っている
驥病思偏秣,鷹愁怕苦籠。
今のあなたは、千里を走る馬が病気になるのは偏った飼料を与えられているからであるように思考されるし、鷹の悩みというべきは、苦痛でしかない籠の中にいる恐ろしさの中に有るようなものである。
看君用高義,恥與萬人同。

あなたはきっと見るであろう、高くすぐれた道義を持っている隠れた人材のあなたが登用されるということを。唐の朝廷がそうしないなら万人の中で恥を与えられることとなるというものだ。

(敬【うやうや】しく王明府に簡す)
葉縣【ようけん】郎官の宰,周南の太史公。
神仙にして才は有數なり,流落しても意は窮み無し。
驥病【きびょう】するは偏秣【へんまつ】を思い,鷹愁【おうしゅう】苦籠【くろう】に怕【おそ】る。
君を看るは高義【こうぎ】を用い,恥與【ちよ】するは萬人に同じゅうする。


『敬簡王明府』 現代語訳と訳註
(本文)
葉縣郎官宰,周南太史公。
神仙才有數,流落意無窮。
驥病思偏秣,鷹愁怕苦籠。
看君用高義,恥與萬人同。


(下し文)
(敬【うやうや】しく王明府に簡す)
葉縣【ようけん】郎官の宰,周南の太史公。
神仙にして才は有數なり,流落しても意は窮み無し。
驥病【きびょう】するは偏秣【へんまつ】を思い,鷹愁【おうしゅう】苦籠【くろう】に怕【おそ】る。
君を看るは高義【こうぎ】を用い,恥與【ちよ】するは萬人に同じゅうする。


(現代語訳)
(敬しく王明府に簡す。)
かつて都畿道 汝州葉縣の郎官の長であった。それから天下の南部分において勝手の司馬遷のような文官である。
神通力をもつ仙人のような人でその持っている能力は有数なものである。現在、不遇をかこって落ちぶててはいるが、その意志や発想表現について無限の広がりを持っている
今のあなたは、千里を走る馬が病気になるのは偏った飼料を与えられているからであるように思考されるし、鷹の悩みというべきは、苦痛でしかない籠の中にいる恐ろしさの中に有るようなものである。
あなたはきっと見るであろう、高くすぐれた道義を持っている隠れた人材のあなたが登用されるということを。唐の朝廷がそうしないなら万人の中で恥を与えられることとなるというものだ。


(訳注)
敬簡王明府

敬しく王明府に簡す。
・簡 書簡する。てがみ。
・王明府 唐興の明府。劍南道北部 遂州 唐興(fg-2・3)成都の東180kmにある。・明府 漢の時代の県令の尊成都遂州00称であった。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。陶淵明や友人の高適が県令職を辞したことをのべるブログ。官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100『蕭八明府實處覓桃栽』「奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。」

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533


『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』「華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。」
成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <356  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534
『北鄰』「明府豈辭滿,藏身方告勞。青錢買野竹,白幘岸江皋。愛酒晉山簡,能詩何水曹。時來訪老疾,步屧到蓬蒿。 」

北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500

従侄(従兄弟の子)杜済の人脈を通じて杜甫は、成都においての付き合いを広げている。数年前まで左拾遺というキャリアは大きいものがあった。


葉縣郎官宰,周南太史公。
かつて都畿道 汝州葉縣の郎官の長であった。それから天下の南部分において勝手の司馬遷のような文官である。
・葉縣 洛陽の南南東70kmのある都畿道 汝州葉縣のこと。
・郎官 洛陽が唐とであることで特別区の扱いで職官の爵位をもつ。
・宰 ①切って料理する。料理人。②つかさどる。取り仕切る。「宰領/主宰」 ③ つかさ。長。
・周南 中原と関中を中心として唐王朝の領域の南側の部分を云う。
・太史 古代中国の官名。天文・暦法、また、国の法規や宮廷内の諸記録のことなどをつかさどった史官および暦官の長。たいしこう【太史公】⇒司馬遷(しばせん) 周代の記録係である司馬氏の子孫で、太史令の司馬談を父に持つ]。太初暦の制定や、通史『史記』の執筆などの業績がある。


神仙才有數,流落意無窮。
神通力をもつ仙人のような人でその持っている能力は有数なものである。現在、不遇をかこって落ちぶててはいるが、その意志や発想表現について無限の広がりを持っている。
・神仙 不老不死で、神通力をもつ人。仙人。
・才 能力を備えている。お世辞の様なもの。
・流落 人生において不遇をかこっていること。
・意無窮 意志、発想、想像力、表現力において無限の広がりを持っている。


驥病思偏秣,鷹愁怕苦籠。
今のあなたは、千里を走る馬が病気になるのは偏った飼料を与えられているからであるように思考されるし、鷹の悩みというべきは、苦痛でしかない籠の中にいる恐ろしさの中に有るようなものである。
・驥病 千里を走る馬が病気になる。王明府の現在のことを謂う。
・偏秣 秣(まぐさ)とは馬や牛の飼料とする草。
・鷹愁 鷹の悩みということ。王明府の現在のことを謂う。
・苦籠 苦痛でしかない籠の中。


看君用高義,恥與萬人同。
あなたはきっと見るであろう、高くすぐれた道義を持っている隠れた人材のあなたが登用されるということを。唐の朝廷がそうしないなら万人の中で恥を与えられることとなるというものだ。
・高義 高くすぐれた道義。高徳。高士:高い仁徳を持つもの。1 志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。「―世に容(い)れられず」 2 世俗を離れて生活している高潔な人物。隠君子

逢唐興劉主簿弟 成都5-(17) 杜甫 <466>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2295 杜甫詩1000-466-653/1500

杜甫 《逢唐興劉主簿弟》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(17)) 
この方とは開元末に別れてから、ずっと音信不通であった。
その頃は黄河下流域や淮河流域、長江の下流域の大江や山を互いに見たものだった。今その地は安史軍の支配下で安心して住むことのできないところである。


2013年4月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集逢唐興劉主簿弟 成都5-(17) 杜甫 <466>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2295 杜甫詩1000-466-653/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
逢唐興劉主簿弟  成都5-(17) 杜甫 <466>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2295 杜甫詩1000-466-653/1500

詩 題:逢唐興劉主簿弟 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(17)) 
作時761年9月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の466首目-場面5-(17)
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五言律詩 卷二二六


逢唐興劉主簿弟
(劍南道北部)遂州、唐興の弟ぶんである劉主簿に逢う。
分手開元末,連年絕尺書。
この方とは開元末に別れてから、ずっと音信不通であった。
江山且相見,戎馬未安居。
その頃は黄河下流域や淮河流域、長江の下流域の大江や山を互いに見たものだった。今その地は安史軍の支配下で安心して住むことのできないところである。
劍外官人冷,關中驛騎疏。
剣門を越えて吐蕃国境辺りでは季節も寒くなり官の人たちも冷えている。都の関中はというと駅伝が難しく、馬さえも少なくなってしまったという。
扁舟下吳會,主簿意何如?

木の葉のような小さな船で呉越、会稽の方に長江を下って行かれる長い旅である。劉主簿はその懐かしい地方に向かうのに、どのような心境でおられるのであろうか。

(唐興の劉主簿弟に逢う)
分手しは開元の末なり,連年 尺書を絕つ。
江山 且て相い見る,戎馬 未だ居を安んぜず。
劍外 官人の冷,關中 驛騎の疏。
扁舟 吳會に下り,主簿 意 何如ん?



『逢唐興劉主簿弟』 現代語訳と訳註
(本文)
逢唐興劉主簿弟
分手開元末,連年絕尺書。
江山且相見,戎馬未安居。
劍外官人冷,關中驛騎疏。
扁舟下吳會,主簿意何如?


(下し文)
唐興の劉主簿弟に逢う
分手しは開元の末なり,連年 尺書を絕つ。
江山 且て相い見る,戎馬 未だ居を安んぜず。
劍外 官人の冷,關中 驛騎の疏。
扁舟 吳會に下り,主簿 意 何如ん?


(現代語訳)
(劍南道北部)遂州、唐興の弟ぶんである劉主簿に逢う。
この方とは開元末に別れてから、ずっと音信不通であった。
その頃は黄河下流域や淮河流域、長江の下流域の大江や山を互いに見たものだった。今その地は安史軍の支配下で安心して住むことのできないところである。
剣門を越えて吐蕃国境辺りでは季節も寒くなり官の人たちも冷えている。都の関中はというと駅伝が難しく、馬さえも少なくなってしまったという。
木の葉のような小さな船で呉越、会稽の方に長江を下って行かれる長い旅である。劉主簿はその懐かしい地方に向かうのに、どのような心境でおられるのであろうか。


(訳注)
逢唐興劉主簿弟

 (劍南道北部)遂州、唐興の弟ぶんである劉主簿に逢う。
・唐興 劍南道北部 遂州 唐興下地図fg-2・3)
・劉主簿弟 呉越、斉趙に遊んでいたころの知人であろう。開元末に別れているから、李白と旅をした時より以前の知人ということになる。洛陽での幼馴染というところか。

成都遂州00












分手開元末,連年絕尺書。
この方とは開元末に別れてから、ずっと音信不通であった。
・分手 袂を分かつ。人と別れること。
・開元末 開元(713~741) 杜甫2歳から30歳まで(洛陽)20~30歳はほとんど呉越、斉趙に遊んでいた。
・連年 音信不通の期間を云う。
・尺書 手紙。


江山且相見,戎馬未安居。
その頃は黄河下流域や淮河流域、長江の下流域の大江や山を互いに見たものだった。今その地は安史軍の支配下で安心して住むことのできないところである。
・江山 20年以上前に一緒に見て歩いた香が、淮河、長江、泰山、天台山、黄山などを云う。
・相見 互いに見て歩く。ここは尾聯の「吳會」についてそれぞれにとって懐かしいという思いを込めての表現である。
・戎馬 ここは宣城を意味する、安史軍支配地域が衰えていないことで戦争状態が続いていることをいう。
・安居 蜀州から遂州に向かう途中にある縣。ただここっでは戎馬によって安住の地がないという意味。


劍外官人冷,關中驛騎疏。
剣門を越えて吐蕃国境辺りでは季節も寒くなり官の人たちも冷えている。都の関中はというと駅伝が難しく、馬さえも少なくなってしまったという。
・劍外 杜甫『恨別』
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。
・官人 剣南道は吐蕃の脅威に怯えている。安史軍に怯えて旅をしないため寂しくなった関中の駅伝の馬と対語である。
・冷 季節的に寒いということと平穏な民間人に比較して官人は吐蕃国境であるため冷たい思いをしている。
・關中 函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地(同・渭河平原)の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。
・驛騎 宿場の馬。駅伝。
・疏 駅伝がうとくなる。冷と対語。


扁舟下吳會,主簿意何如?
木の葉のような小さな船で呉越、会稽の方に長江を下って行かれる長い旅である。劉主簿はその懐かしい地方に向かうのに、どのような心境でおられるのであろうか。
・扁舟 長江という大河の中に浮ぶ船という意味で、多くの詩人が呉越を詠う場合に長江大きさと旅人の小ささを描く際に使う。。
杜甫『夜宴左氏荘』「詩罷聞呉詠、扁舟意不忘。」(宴席で詩を作って読み上げおわると、江南の音調でこの詩を詠う者がいた、その音調を聞いたら自分が小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。)○詩罷 席上で、詩をつくりおわること。○呉詠 呉は今の江蘇省地方、呉詠とは江南の音調で詩をうたうこと。○扁舟 小さくひらべたい舟。これは開元十九年、作者が年二十歳にして、呉越に遊んだことを憶いおこした
夜宴左氏荘 杜甫

『送裴二虬尉永嘉』「扁舟吾已僦,把釣待秋風。

送裴二虬尉永嘉  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 78

・下 長江の下流に向かって下っていく。
・吳會 呉越地方の謂い廻しで呉と会稽ということでおなじちほうをいみしている。
・主簿 劉主簿のこと。
・意 劉主簿の心情。
・何如 思いはいかん。
(1) どのようであるか,どうか。你来做一下,何如?君がやるというのはどうだね。
(2) どんな 何如人どんな人.
(3)…するほうがよいではないか。与其你来,何如我去君が来るより私がそちらに行くほうがよいのでは。

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-3) 杜甫 <465-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2290 杜甫詩1000-465-#3-652/1500

杜甫 七言歌行《茅屋為秋風所破歌》
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。

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Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-3) 杜甫 <465-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2290 杜甫詩1000-465-#3-652/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬人雨後玩竹 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-149-21-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2292
 
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

茅屋為秋風所破歌  成都5-(12-3) 杜甫 <465-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2290 杜甫詩1000-465-#3-652/1500


 
詩 題:茅屋為秋風所破歌 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-3)) 
作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465-#3首目-場面5-(12-3)
杜甫ブログ1500回予定の-652回目   40751


杜甫草堂柴門04茅屋為秋風所破歌
・上元2年 761年3月、大燕皇帝を称した史思明は息子の史朝義に殺される。攻撃のチャンスなのに、王朝側も体制が整わず、とうばつできない状態である。
・同年の4月、梓州:四川省三台県)の刺史段子璋が叛乱、剣南東川節度使を追い払って独立宣言をする。剣南西川節度使・成都尹の崔光遠は武将の花敬定を討伐に差し向け、段子璋の叛乱を鎮める。
・同年の6月、その花敬定が現地で略奪を働き、東川地域は乱れる。
・この間、杜甫は年の初めに新津で遊び(成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(成都4部)。
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


七言歌行《茅屋為秋風所破歌》#1
八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。

南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。
南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろぼうをはたらかれることなのだ。
#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
私自身、喪乱以来、熟睡することがすくないのである。こんな風雨によるしめりをうけては、どうやって秋の長夜のこの期間を通して過ごすことができようか。』
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?
どうしたら千万間もあるひろいやねの家を得られるのか、そして、天下の貧乏に瀕しているものをそれでおおい、みんなが嬉しい顔ができるようにするか、そして、これほどの風雨があっても安泰である山のようであることができるのであることができるのだろうか。
嗚呼!
ああ
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!

いつの日にか、眼前にたかくある「不動安如山」のような家を見ることができるであろうか。それを見ることができさえしたら、自分のいおりがうちこわされてこごえ死ぬようなきょうぐうになろうとも満足するのである。』

(茅屋、秋風の破る所と為る歌)
八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。

公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。

喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。



七言歌行『茅屋為秋風所破歌』 #1現代語訳と訳註
(本文)
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?嗚呼!
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!


(下し文)
喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。


(現代語訳)
私自身、喪乱以来、熟睡することがすくないのである。こんな風雨によるしめりをうけては、どうやって秋の長夜のこの期間を通して過ごすことができようか。』
どうしたら千万間もあるひろいやねの家を得られるのか、そして、天下の貧乏に瀕しているものをそれでおおい、みんなが嬉しい顔ができるようにするか、そして、これほどの風雨があっても安泰である山のようであることができるのであることができるのだろうか。
ああ
いつの日にか、眼前にたかくある「不動安如山」のような家を見ることができるであろうか。それを見ることができさえしたら、自分のいおりがうちこわされてこごえ死ぬようなきょうぐうになろうとも満足するのである。』


(訳注)#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
私自身、喪乱以来、熟睡することがすくないのである。こんな風雨によるしめりをうけては、どうやって秋の長夜のこの期間を通して過ごすことができようか。』
○喪亂 入の死ぬること、世のみだれること。
○長夜 よなが。
○清湿 うるおう。
○徹 長夜へかかる辞、徹は通に同じ、徹二長夜】とは夜をひとぽんとおしてすごすことり


安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?
どうしたら千万間もあるひろいやねの家を得られるのか、そして、天下の貧乏に瀕しているものをそれでおおい、みんなが嬉しい顔ができるようにするか、そして、これほどの風雨があっても安泰である山のようであることができるのであることができるのだろうか。
○安得 希望の辞、安如山までかかる。
○広屠 ひろい大屋根。
〇千万間 千聞方間のひろさ、間とは柱と柱とのあいだをいう。
○寒士 凍寒にあっている貧乏もの。


嗚呼!
ああ


眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!
いつの日にか、眼前にたかくある「不動安如山」のような家を見ることができるであろうか。それを見ることができさえしたら、自分のいおりがうちこわされてこごえ死ぬようなきょうぐうになろうとも満足するのである。』
○突冗 たかくそびえるさま。
○此屋 千万間の広度をさす。

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-2) 杜甫 <465-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2285 杜甫詩1000-465-#2-651/1500

杜甫 《茅屋為秋風所破歌》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-2)) 
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。

2013年4月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩上責躬應詔詩表  曹植 魏詩<74>文選 上 献詩 747 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2283
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第九段―#5 宋玉  <00-#31>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 660 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2284
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-2) 杜甫 <465-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2285 杜甫詩1000-465-#2-651/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集答靈運 謝宣遠(謝瞻)<57> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2286 (04/27)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性宣上人見示與諸公唱和 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-148-20-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2287
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

茅屋為秋風所破歌  成都5-(12-2) 杜甫 <465-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2285 杜甫詩1000-465-#2-651/1500



詩 題:茅屋為秋風所破歌 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-2)) 
作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465-#2首目-場面5-(12-2)
杜甫ブログ1500回予定の-651回目  



七言歌行《茅屋為秋風所破歌》#1
八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。
南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。
南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。

#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
杜甫草堂柴門06俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?嗚呼!
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!


(茅屋、秋風の破る所と為る歌)

八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。

公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。

喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。



『茅屋為秋風所破歌』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。


(下し文)
公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。


(現代語訳)
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。


(訳注)#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
おおっぴらにその茅を抱え込んで竹林に逃げ込んでいく。こちらはいくら叫んでも唇はこげるほど、口はかわいて、もはや叫ぶことはできない。それでしかたなく戻ってきて杖に寄りかかってためいきつくばかりである。
○公然 ① 世間一般に知れ渡っているさま。また、他人に隠さずおおっぴらにするさま。「―と酒を飲む」「―たる事実」② 不特定または多数の人が知ることのできる状態にあるさま。
○唇焦口燥 のどをからしてさけぶこと。
○呼不得 もはやさけぺぬ。


俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
やがて風はしずまり、雲は厚くすみ色となる。秋の天はぼうっとして暮れかかっている。
○俄頃 しばらくして。
○墨色 くろいこと。
○漠漠 ひろいこと。
○昏黑 たそがれのくらさ。


布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
自分は寝具の布のかいまきをもっていて、長年それをつかっているが、それが鉄のように冷たい。その上、やんちゃなこども達が寝るのも行儀悪くそれを踏んでひきさいてしまう。
○布衾 ぬののかいまき。衾は布などで長方形に作り、寝るときにからだに掛ける夜具。綿を入れるのを普通とするが、袖や襟を加えたものもある。現在の掛け布団にあたる。
○驕兒 婿は或は鏑につくる、騎児はやんちゃのこども。○悪臥 ねぎょうざのわるいこと。
○踏裡裂 ふみつけるあいだにひきさける。


牀床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
ねだいのほとりは屋根からの雨漏りにあって、かわいたところがない。それに雨あしはずっと麻のように降り頻ってたえることがない。
○牀 ねだい。
○屋漏 やねからの雨もり。
杜甫像0012

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500

杜甫《茅屋為秋風所破歌》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-1)) 
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。

2013年4月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 曹植 魏詩<73-#3> 女性詩746 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2278
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽)<56> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2281 (04/26)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性罰赴邊有懷上韋令公二首其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-147-19-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2282
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

茅屋為秋風所破歌  成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
 
詩 題:茅屋為秋風所破歌 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(12-1)) 
作時761年8・9月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の465-#1首目-場面5-(12-1)
杜甫ブログ1500回予定の-650回目  
草堂のかやぶきの屋根があきかぜにうちこわされたことをのべた詩。上元二年秋の作。


茅屋為秋風所破歌 のころ
・上元2年 761年3月、大燕皇帝を称した史思明は息子の史朝義に殺される。攻撃のチャンスなのに、王朝側も体制が整わず、とうばつできない状態である。
・同年の4月、梓州:四川省三台県)の刺史段子璋が叛乱、剣南東川節度使を追い払って独立宣言をする。剣南西川節度使・成都尹の崔光遠は武将の花敬定を討伐に差し向け、段子璋の叛乱を鎮める。
・同年の6月、その花敬定が現地で略奪を働き、東川地域は乱れる。
・この間、杜甫は年の初めに新津で遊び(成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(成都4部)。
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


七言歌行《茅屋為秋風所破歌》#1
八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。

南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。

南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。
#2
公然抱茅入竹去,唇焦口燥呼不得,歸來倚仗自嘆息。
俄頃風定雲墨色,秋天漠漠向昏黑。
布衾多年冷似鐵,驕兒惡臥踏裡裂。
床床屋漏無幹處,雨腳如麻未斷絕。
#3
自經喪亂少睡眠、長夜沾濕何由徹?
安得廣廈千萬間、大庇天下寒士俱歡顏、風雨不動安如山?嗚呼!
眼前何時突兀見此屋、吾廬獨破受凍死亦足!

(茅屋、秋風の破る所と為る歌)#1
八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。
#2
公然  茅を抱きて竹に入りて去り、脣焦し  口は燥【かわ】き  呼べども得ず、帰り来たり  杖に倚(よ)って自【おのずか】ら嘆息す。
俄頃【がけい】 風定まって雲は墨色【ぼくしょく】、秋天【しゅうてん】 漠漠として昏黒【こんこく】に向かう。
布衾【ふきん】 多年  冷やかなること鉄に似たり、驕児【きょうじ】 悪臥【あくが】して裏を踏んで裂く。
牀頭【しょうとう】  屋【おく】漏りて乾処【かんしょ】無く、雨脚【うきゃく】 麻の如くにして未だ断絶せず。
#3
喪乱を経て自【よ】り睡眠少なく、長夜 沾湿【てんしつ】 何に由ってか徹せん。
安【いずく】にか広廈【こうか】の千万間【せんばんげん】なるを得て、大いに天下の寒士を庇【おお】いて 倶に顔【かんばせ】を歓ばしめ、風雨にも動かず  安らかなること山の如くなるを。
嗚呼!
眼前 何の時にか突兀として此の屋を見ん、吾が廬【ろ】は独り破れて凍【とう】を受け  死すとも亦た足れり。


『茅屋為秋風所破歌』 現代語訳と訳註
(本文)

八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,
下者飄轉沉塘坳。南村群童欺我老無力,
忍能對面為盜賊。公然抱茅入竹去,


(下し文)
(茅屋、秋風の破る所と為る歌)
八月  秋高くして風は怒号【どごう】し、我が屋上の三重【さんちょう】の茅【かや】を巻く。
茅は飛んで江を度【わた】り  江郊【こうこう】に灑【そそ】ぎ、高き者は長林の梢に掛罥【かいけん】し、下【ひく】き者は飄転【ひょうてん】して塘坳(とうおう)に沈む。
南村の群童 我が老いて力無きを欺【あなど】り、忍んで能【よ】く対面して盗賊を為(な)し。


(現代語訳)
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。
ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。


(訳注)
茅屋為秋風所破歌

私の浣花渓の草堂の茅葺の屋根が秋の風雨によって吹き飛ばされたことを歌う。


八月秋高風怒號,卷我屋上三重茅。
陰暦八月、秋も深まり、空の高いところから風が怒りさけぶ、草堂の屋根の三重ぶきの茅を巻き込み、吹き荒れる。
○茅屋 草堂の茅屋。
〇三重茅 三重に葺いた茅の屋根。


茅飛渡江灑江郊,高者掛罥長林梢,下者飄轉沉塘坳。
その茅は飛ばされて濯錦江を越えて江沿いの野原に雨のように降りそそぎ、そして、高い所にも飛び、それは高い林の長いこずえにひっかかったりしている。ひくいところでひるがえり地面をころがって池の窪みに沈む。
○江 濯錦江。
○江郊 江沿いの野原。
〇灑 あめのそそぐようにふりそそぐ。 接写 かかる。
○掛罥 ひっかかる。
○長林梢 たかい木の林の長いこずえ。

○塘坳 いけのくぼみ。

南村群童欺我老無力,忍能對面為盜賊。
南の村のこどもらは自分が年よってカの無いのをばかにされているとしか思えない。それは耐え難いことで面とむかってどろばうをはたらかれることなのだ。、
○欺 俗語である。ばかにする。
○忍 むごく。
○対面 めんとむかって。
杜甫像0012

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-2) 杜甫 <464-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2275 杜甫詩1000-464-#2-649/1500

楠樹為風雨所拔嘆 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-2)) 
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。

2013年4月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 魏詩<73-#2> 女性詩745 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2273
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第九段―#3 宋玉  <00-#29>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 658 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2274
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-2) 杜甫 <464-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2275 杜甫詩1000-464-#2-649/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集和謝監靈運 顏延年 謝霊運の友 顏延年<55> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2276 (04/25)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性罰赴邊有懷上韋令公二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-146-18-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2277
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

楠樹為風雨所拔嘆  成都5-(11-2) 杜甫 <464-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2275 杜甫詩1000-464-#2-649/1500
 杜甫像0012
詩 題:楠樹為風雨所拔嘆 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-2)) 
作時761年8・9月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の464-#2首目-場面5-(11-2)
杜甫ブログ1500回予定の-649回目   40750
風雨のために栴樹がぬかれたについての欺きをのべる。上元二年成都の作。


・上元2年 761年3月、大燕皇帝を称した史思明は息子の史朝義に殺される。攻撃のチャンスなのに、王朝側も体制が整わず、とうばつできない状態である。
・同年の4月、梓州:四川省三台県)の刺史段子璋が叛乱、剣南東川節度使を追い払って独立宣言をする。剣南西川節度使・成都尹の崔光遠は武将の花敬定を討伐に差し向け、段子璋の叛乱を鎮める。
・同年の6月、その花敬定が現地で略奪を働き、東川地域は乱れる。
・この間、杜甫は年の初めに新津で遊び(成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(成都4部)。
夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


楠樹為風雨所拔嘆
倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』

樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』

滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
そこを通る野良仕事の人や旅人が雪や霜を懼れてその下にしきりにとどまったのだ。行き過ぎる人々は葉擦れの音を笙の音のように聞き入り素通りするものはいなかったのだ。
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
いまやそれが虎がぶったおれたように竜がかいてんしたように荊棘のあいだにねているのだ。それをみると自分はなみだのあとが血のようにぽとぽとむねのところに垂れおちるのをおぼえるのであった。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』

これからわたしは新しい詩をどこで吟じたらよいのだろうか。この樹が無くなって、わが草堂も全く顔色をなくしたものになってしまったのだから。』

(楠樹風雨の抜く所と為るの嘆き)
江に倚る楠樹【なんじゅ】は草堂の前、古老相伝う二百年と。
茅を誅し居を卜するは総て此れが為なり、五月には仿佛【ほうふつ】して寒蝉【かんせん】を聞く。』
東南の飄風【ひょうふう】は地を動かして至る、江翻り石走りて雲気流る。
幹は雷雨を排して猶お力争す、根は泉源に断ゆ豈天意ならんや。』
滄波と老樹は性の愛する所、浦上 童童たり 一青蓋。
野客は頻りに留まりて雪霜を懼れ、行人は過ぎずに竽籟を聴く。』
虎倒れ 竜顛して荊棘に委す、涙痕 血点して胸臆に垂る。
我に新詩有るも何の処にか吟ぜん、草堂此れより顔色無からん。』


『楠樹為風雨所拔嘆』 現代語訳と訳註
(本文)

滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』


(下し文)
滄波と老樹は性の愛する所、浦上 童童たり 一青蓋。
野客は頻りに留まりて雪霜を懼れ、行人は過ぎずに竽籟を聴く。』
虎倒れ 竜顛して荊棘に委す、涙痕 血点して胸臆に垂る。
我に新詩有るも何の処にか吟ぜん、草堂此れより顔色無からん。』


(現代語訳)
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。
そこを通る野良仕事の人や旅人が雪や霜を懼れてその下にしきりにとどまったのだ。行き過ぎる人々は葉擦れの音を笙の音のように聞き入り素通りするものはいなかったのだ。
いまやそれが虎がぶったおれたように竜がかいてんしたように荊棘のあいだにねているのだ。それをみると自分はなみだのあとが血のようにぽとぽとむねのところに垂れおちるのをおぼえるのであった。

これからわたしは新しい詩をどこで吟じたらよいのだろうか。この樹が無くなって、わが草堂も全く顔色をなくしたものになってしまったのだから。』


(訳注)
楠樹為風雨所拔嘆

杜甫は年の初めに新津で遊び(カテゴリー成都3部)、春は浣花渓で過ごし、多くの律詩を残している。又杜甫には珍しい絶句シリーズを始めた(カテゴリー成都4部)。
(カテゴリー成都5部)夏になって、ふたたび、蜀州新津から青城縣を訪れ 秋になって浣花渓草堂に帰宅して間もなく、暴風雨に襲われている。


滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある淵と老楠樹とは自分のたいへん愛するものであった。それは濯錦江の船着き場の淵のほとりに高く聳えて立っていた一つの青い傘であった。
○滄波老樹 東海の仙界に至る海のように穏やかな青く澄みきったみずの波のある濯錦江の波とこの老楠樹と。
○亭亭 ① 樹木などが高くまっすぐにそびえているさま。② 遠くはるかなさま。
『從韋二明府續處覓綿竹』
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。
○青蓋 楠樹が草堂にとっての青い傘のようにおおわれていたことをいう。蓋は車のおおい、からかさ。
杜甫『高楠』五言律詩  
楠樹色冥冥,江邊一蓋青。近根開藥圃,接葉製茅亭。
落景陰猶合,微風韻可聽。尋常絕醉困,臥此片時醒。


野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
そこを通る野良仕事の人や旅人が雪や霜を懼れてその下にしきりにとどまったのだ。行き過ぎる人々は葉擦れの音を笙の音のように聞き入り素通りするものはいなかったのだ。
○懼雪霜 雪霜をおそれるものが樹陰に避けることをいう。○不過 ゆきすぎず、たちどまることをいう。
○竽籟 竽は笠のたぐい、竽籟はその葉擦れ音、樹声をたとえる。


虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
いまやそれが虎がぶったおれたように竜がかいてんしたように荊棘のあいだにねているのだ。それをみると自分はなみだのあとが血のようにぽとぽとむねのところに垂れおちるのをおぼえるのであった。
○虎倒龍顛 虎の如く倒れ竜のごとくひっくりかえる、樹のぬけた形容。
○委 ゆだねる、ねていること。
○荊棘 はり、からたち。
○血点 血は涙の血、樹の抜けたことを悲しむために血の涙をこぼすのである。


我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』
これからわたしは新しい詩をどこで吟じたらよいのだろうか。この樹が無くなって、わが草堂も全く顔色をなくしたものになってしまったのだから。』


『高楠』五言律詩  
楠樹色冥冥,江邊一蓋青。近根開藥圃,接葉製茅亭。
落景陰猶合,微風韻可聽。尋常絕醉困,臥此片時醒。


楠樹為風雨所拔嘆
倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』
滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』


枯楠  
梗楠枯崢嶸,鄉黨皆莫記。不知幾百歲,慘慘無生意。
上枝摩蒼天,下根蟠厚地。巨圍雷霆折,萬孔蟲蟻萃。
涷雨落流膠。沖風奪嘉氣。白鵠遂不來,天雞為愁思。
猶含棟梁具,無複霄漢誌!良工古昔少,識者出涕淚。
種榆水中央,成長何容易?截承金露盤,裊裊不自畏。

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500

杜甫 《楠樹為風雨所拔嘆》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-1))  

自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。

2013年4月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 魏詩<73-#1> 女性詩744 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2268
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第九段―#2 宋玉  <00-#28>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 657 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2269
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集初入南城 謝霊運<54> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2271 (04/24)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性春望詞四首 其四 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-145-17-#10  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2272
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

楠樹為風雨所拔嘆  成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500


詩 題:楠樹為風雨所拔嘆 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(11-1))  作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の464-#1首目-場面5-(11-1)杜甫ブログ1500回予定の-648回目
風雨のために栴樹がぬかれたについての欺きをのぺる。上元二年成都の作。

倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』
樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』

滄波老樹性所愛,浦上亭亭一青蓋。
野客頻留懼雪霜,行人不過聽竽籟。』
虎倒龍顛委荊棘,淚痕血點垂胸臆。
我有新詩何處吟,草堂自此無顏色。』

(楠樹風雨の抜く所と為るの嘆き)
江に倚る楠樹【なんじゅ】は草堂の前、古老相伝う二百年と。
茅を誅し居を卜するは総て此れが為なり、五月には仿佛【ほうふつ】して寒蝉【かんせん】を聞く。』
東南の飄風【ひょうふう】は地を動かして至る、江翻り石走りて雲気流る。
幹は雷雨を排して猶お力争す、根は泉源に断ゆ豈天意ならんや。』

滄波と老樹は性の愛する所、浦上 童童たり 一青蓋。
野客は頻りに留まりて雪霜を懼れ、行人は過ぎずに竽籟を聴く。』
虎倒れ 竜顛して荊棘に委す、涙痕 血点して胸臆に垂る。
我に新詩有るも何の処にか吟ぜん、草堂此れより顔色無からん。』


『楠樹為風雨所拔嘆』 現代語訳と訳註
草堂002(本文)

倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。
誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
東南飄風動地至,江翻石走流雲氣。
幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』


(下し文)
(楠樹風雨の抜く所と為るの嘆き)
江に倚る楠樹【なんじゅ】は草堂の前、古老相伝う二百年と。
茅を誅し居を卜するは総て此れが為なり、五月には仿佛【ほうふつ】して寒蝉【かんせん】を聞く。』
東南の飄風【ひょうふう】は地を動かして至る、江翻り石走りて雲気流る。
幹は雷雨を排して猶お力争す、根は泉源に断ゆ豈天意ならんや。』


(現代語訳)
濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。
樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』


(訳注)
倚江楠樹草堂前,故老相傳二百年。

濯錦江のほとり我家の草堂の前に江に倚って楠の大樹がある。それは古老が言い伝えてきた所では二百年も経過した大樹だという。
杜甫草堂詳細図02○柵樹 楠のこと、樹木の名、杜甫はしばしばこの樹について詠っている。成都の街から帰るときに目標となる木であり、新津から帰る船の目標物であった。
杜甫『高楠』五言律詩  
楠樹色冥冥,江邊一蓋青。近根開藥圃,接葉製茅亭。
落景陰猶合,微風韻可聽。尋常絕醉困,臥此片時醒。
杜甫『枯楠』五言古詩「梗楠枯崢嶸,鄉黨皆莫記。不知幾百歲,慘慘無生意。」  
○草堂 浣花渓の草堂。


誅茅卜居總為此,五月仿佛聞寒蟬。』
自分が茅をきり住居を建設したのはすべて此の樹あったからである、この五月のこと樹葉の葉擦れの音はまるでひぐらし蝉を聞いているかのようだった。』
○誅茅 かやをきる、屋根をふくため。
○為此 此は樹をさす。
○仿佛 類似する,似ている.两人情况相仿佛二人の状況は類似している.彷彿髣髴。 [副]まるで(…のようだ)仿佛在听童话似的まるで童話を聞いているようだ.
○寒蝉 ひぐらし、樹葉の鳴るおとをたとえていう。


東南飄風動地至,江翻石走流雲氣
この秋の東南から強く吹きまく風が大地をうごかしてやってきた、濯錦江の水はひるがえり、石はとばされ雲気はとぶようにはしった。


幹排雷雨猶力爭,根斷泉源豈天意?』
樹の幹は雷雨をおしのけて抜けまいとあらそったのだ。けれどもついに根は大地のそこと縁をきられてしまい、これをまさか天のおぼしめしというというのではないのであろう。』
○力争 ぬかれまいと骨おってあらそう。
○断泉源 大地のそこの水のあるところと縁がきれる。
○豈天意 不自然なことの極みをいう。
 

贈虞十五司馬 成都5-(10-1) 杜甫 <463-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2260 杜甫詩1000-463-#1-646/1500

杜甫《贈虞十五司馬》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(10-1)) 


「爽氣金天豁,清談玉露繁。」あなたが持つ雰囲気は黄金のように輝いた廣い心持っている。学芸学問の高尚なものを語らせば宝飾のような露がいくらでもあるようである。


2013年4月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第九段―#1 宋玉  <00-#27>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 656 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2264
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集贈虞十五司馬 成都5-(10-1) 杜甫 <463-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2260 杜甫詩1000-463-#1-646/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性春望詞四首 其三 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-144-16-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2267
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

贈虞十五司馬  成都5-(10-1) 杜甫 <463-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2260 杜甫詩1000-463-#1-646/1500


贈虞十五司馬 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(10-1))  

詩 題:贈虞十五司馬 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(10-1)) 
作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の463-#1首目-場面5-(10-1)
杜甫ブログ1500回予定の-646回

贈虞十五司馬
遠師虞秘監,今喜得玄孫。
承遠大師は初唐の三大家の一人、虞世南という官を辞し隠棲した人であった。今喜ばしいことにその玄孫の方がおられるという。
形象丹青逼,家聲器宇存。
容姿もはっきりとして疑う余地のないものであり、家柄としても知れ渡っており、お逢いしてみるとこころの持ち方も広いものがある。
淒涼憐筆勢,浩蕩問詞源。
書画に表れた筆の勢いを哀れみ、ひえびえとしてうらさびしいところがある。作詩の内蔵力、能力を問われば広広として大きなものを感じさせる。
爽氣金天豁,清談玉露繁。
あなたが持つ雰囲気は黄金のように輝いた廣い心持っている。学芸学問の高尚なものを語らせば宝飾のような露がいくらでもあるようである。
佇鳴南嶽鳳,欲化北溟鯤。

立って啼いているようすは五岳の一つ、南岳にいる鳳凰のようであり、「荘子」逍遥遊でいうところの北限の大魚「鯤」のようになってもらいたいのである。

#2
交態知浮俗,儒流不異門。
過逢聯客位,日夜倒芳尊。
沙岸風吹葉,雲江月上軒。
百年嗟已半,四座敢辭喧。
書籍終相與,青山隔故園。

(虞十五司馬に贈る)
遠師 虞秘監,今 喜ぶ 玄孫を得るを。
形象して 丹青に逼り,家聲しては 器の宇 存る。
淒涼 筆勢を憐み,浩蕩 詞源を問う。
爽氣 金天の豁,清談 玉露の繁。
佇鳴して南嶽の鳳,化せんと欲す北溟の鯤。
#2
交態 浮俗を知り,儒流 門の異ならず。
過逢して 客位に聯じ,日夜 芳尊に倒る。
沙岸 風吹の葉,雲江 月軒に上る。
百年 嗟已に半なり,四座 敢えて辭喧す。
書籍 終に相い與り,青山 故園を隔つ。


『贈虞十五司馬』 現代語訳と訳註
(本文)
贈虞十五司馬
DCF00214遠師虞秘監,今喜得玄孫。
形象丹青逼,家聲器宇存。
淒涼憐筆勢,浩蕩問詞源。
爽氣金天豁,清談玉露繁。
佇鳴南嶽鳳,欲化北溟鯤。


(下し文)
(虞十五司馬に贈る)
遠師 虞秘監,今 喜ぶ 玄孫を得るを。
形象して 丹青に逼り,家聲しては 器の宇 存る。
淒涼 筆勢を憐み,浩蕩 詞源を問う。
爽氣 金天の豁,清談 玉露の繁。
佇鳴して南嶽の鳳,化せんと欲す北溟の鯤。


(現代語訳)
承遠大師は初唐の三大家の一人、虞世南という官を辞し隠棲した人であった。今喜ばしいことにその玄孫の方がおられるという。
容姿もはっきりとして疑う余地のないものであり、家柄としても知れ渡っており、お逢いしてみるとこころの持ち方も広いものがある。
書画に表れた筆の勢いを哀れみ、ひえびえとしてうらさびしいところがある。作詩の内蔵力、能力を問われば広広として大きなものを感じさせる。
あなたが持つ雰囲気は黄金のように輝いた廣い心持っている。学芸学問の高尚なものを語らせば宝飾のような露がいくらでもあるようである。
立って啼いているようすは五岳の一つ、南岳にいる鳳凰のようであり、「荘子」逍遥遊でいうところの北限の大魚「鯤」のようになってもらいたいのである。


(訳注)
贈虞十五司馬

虞司馬に贈る。
・中央政府では兵部尚書を,地方官では府同治のことを司馬と雅称するもの。地方幕府の軍の最高司令者。


遠師虞秘監,今喜得玄孫。
承遠大師は初唐の三大家の一人、虞世南という官を辞し隠棲した人であった。今喜ばしいことにその玄孫の方がおられるという。
・遠師 浄土宗、承遠大師 (712-802)のこと。漢州今の四川錦竹縣の人。
虞秘監 虞世南(ぐ せいなん / Yu Shinan、558年 - 638年)は、唐代の書家、政治家。字は伯施。越州余姚(浙江省)の人。初唐の三大家の一人。太宗に仕え、弘文館学士、秘書監などに任じられた。
書家としての世南は、書を智永禅師に学び、楷書をよくし、その書風は「君子の書」と称された。書の作品としては『孔子廟堂碑』(こうしびょうどうひ)が著名。文集に『虞秘監集』がある。秘監 官を辞し、隠棲した官僚のこと。
・玄孫 やしゃご。


形象丹青逼,家聲器宇存。
容姿もはっきりとして疑う余地のないものであり、家柄としても知れ渡っており、お逢いしてみるとこころの持ち方も広いものがある。
・形象 表に現れているかたち。姿。形態。 ② 感覚でとらえたものや心に浮かぶ観念などを具象化すること。
・丹青 はっきりとして疑う余地のないこと。丹冊と青史の歴史書。逼
・器宇/ 気宇心のもちかた。特に、その広さ。気がまえ。度量。


淒涼憐筆勢,浩蕩問詞源。
書画に表れた筆の勢いを哀れみ、ひえびえとしてうらさびしいところがある。作詩の内蔵力、能力を問われば広広として大きなものを感じさせる。
・淒涼 ひえびえとする。うらさびしい。別れて、一人で清々する。 でも、また寂しさを感じる。
・筆勢 書画に表れた筆の勢い。また、その趣。筆力。筆づかい。
・浩蕩 広広として大きなさま。
・詞源 詩文の出所。作詩の内蔵力、能力。


爽氣金天豁,清談玉露繁。
あなたが持つ雰囲気は黄金のように輝いた廣い心持っている。学芸学問の高尚なものを語らせば宝飾のような露がいくらでもあるようである。
・爽氣 ① さわやかな空気。秋の涼気などにいう。② すがすがしい気分。
・天豁 心が大きく小事にこだわらないさま。心のさっぱりとしたさま。
・清談 ① 中国の魏晋時代に知識人の間に流行した老荘風の高踏的な哲学議論をいう。晋代の「竹林の七賢」の清談は特に有名。② 世俗を離れた、趣味・芸術・学問などの高尚な話。

佇鳴南嶽鳳,欲化北溟鯤。
立って啼いているようすは五岳の一つ、南岳にいる鳳凰のようであり、「荘子」逍遥遊でいうところの北限の大魚「鯤」のようになってもらいたいのである。
・佇鳴 ①立って啼いているようす。啼いているもののかもし出す雰囲気。②身を置くところ。暮らし方。また、なりわい。
・南嶽鳳 道教の五岳の一つ、南岳にいる鳳凰。南嶽懐譲(なんがく えじょう、677年(儀鳳2年) - 744年(天宝)3載)は、唐代の中国の禅僧。諡は大慧禅師。禅宗六祖である慧能の直弟子であり、弟子に著名な禅僧である馬祖道一がいた。仏になろうと座禅の修行にひたすら打ち込む道一に対し、瓦を磨いて鏡にしようとするのと同じだ、と戒めた「南嶽磨磚」の逸話で有名である。
・欲化北溟鯤 《「荘子」逍遥遊から》中国古代の想像上の大魚。北方の大海にすみ、大きさは幾千里だかわからないという。
北冥に魚あり、その名を鯤となす。鯤の大いなる、その幾千里なるを知らず。化して鳥となる、その名を鵬となす。鵬の背、その幾千里なるを知らず。怒りて飛べば、その翼は垂天の雲のごとし。この鳥や、海の運くとき、すなわちまさに南冥に徒らんとす。

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杜甫 《贈虞十五司馬》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(10-2))

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

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詩 題:贈虞十五司馬 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(10-2)) 
作時761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の463-#2首目-場面5-(10-2)
杜甫ブログ1500回予定の-647回目    
贈虞十五司馬 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(10-2)) 

贈虞十五司馬
遠師虞秘監,今喜得玄孫。
承遠大師は初唐の三大家の一人、虞世南という官を辞し隠棲した人であった。今喜ばしいことにその玄孫の方がおられるという。
形象丹青逼,家聲器宇存。
容姿もはっきりとして疑う余地のないものであり、家柄としても知れ渡っており、お逢いしてみるとこころの持ち方も広いものがある。
淒涼憐筆勢,浩蕩問詞源。
書画に表れた筆の勢いを哀れみ、ひえびえとしてうらさびしいところがある。作詩の内蔵力、能力を問われば広広として大きなものを感じさせる。
爽氣金天豁,清談玉露繁。
あなたが持つ雰囲気は黄金のように輝いた廣い心持っている。学芸学問の高尚なものを語らせば宝飾のような露がいくらでもあるようである。
佇鳴南嶽鳳,欲化北溟鯤。
立って啼いているようすは五岳の一つ、南岳にいる鳳凰のようであり、「荘子」逍遥遊でいうところの北限の大魚「鯤」のようになってもらいたいのである。

#2
交態知浮俗,儒流不異門。
交際の有様については浮世、世俗によって知ればよいことで、私のように儒学を志すものにとっては違った学問の世界なのです。
過逢聯客位,日夜倒芳尊。
こうしてお逢いして去って行くことによってまた次の客へと続いていくことである。日夜こうした交際を積み重ねていくことである香草が成長するを大切な事と思うことなのである。
沙岸風吹葉,雲江月上軒。
岷江の渚の堤には風にそよぐ葉擦れの音がしている。岷江に雲が湧いていて月は高楼の軒先の上に上がっている。
百年嗟已半,四座敢辭喧。
人生百年と云い、ああもうその半分を過ごしている。人生も、この宴席もあえて退席すべく申し上げねばならないであろう。
書籍終相與,青山隔故園。
書物は互いに持っているものを見せ合って書き写して製本までできた。それにしてもこうして過ごしたここ青城山は互いの故郷から離れているのである。

(虞十五司馬に贈る)
遠師 虞秘監,今 喜ぶ 玄孫を得るを。
形象して 丹青に逼り,家聲しては 器の宇 存る。
淒涼 筆勢を憐み,浩蕩 詞源を問う。
爽氣 金天の豁,清談 玉露の繁。
佇鳴して南嶽の鳳,化せんと欲す北溟の鯤。
#2
交態 浮俗を知り,儒流 門の異ならず。
過逢して 客位に聯じ,日夜 芳尊に倒る。
沙岸 風吹の葉,雲江 月軒に上る。
百年 嗟已に半なり,四座 敢えて辭喧す。
書籍 終に相い與り,青山 故園を隔つ。





『贈虞十五司馬』 現代語訳と訳註
pla006(本文)
#2
交態知浮俗,儒流不異門。
過逢聯客位,日夜倒芳尊。
沙岸風吹葉,雲江月上軒。
百年嗟已半,四座敢辭喧。
書籍終相與,青山隔故園。


(下し文)#2
交態 浮俗を知り,儒流 門の異ならず。
過逢して 客位に聯なり,日夜 倒芳 尊ぶ。
沙岸 風吹の葉,雲江 月軒に上る。
百年 嗟已に半なり,四座 敢えて辭喧す。
書籍 終に相い與り,青山 故園を隔つ。


菖蒲03(現代語訳)
交際の有様については浮世、世俗によって知ればよいことで、私のように儒学を志すものにとっては違った学問の世界なのです。
こうしてお逢いして去って行くことによってまた次の客へと続いていくことである。日夜こうした交際を積み重ねていくことである香草が成長するを大切な事と思うことなのである。
岷江の渚の堤には風にそよぐ葉擦れの音がしている。岷江に雲が湧いていて月は高楼の軒先の上に上がっている。
人生百年と云い、ああもうその半分を過ごしている。人生も、この宴席もあえて退席すべく申し上げねばならないであろう。
書物は互いに持っているものを見せ合って書き写して製本までできた。それにしてもこうして過ごしたここ青城山は互いの故郷から離れているのである。


(訳注) #2
贈虞十五司馬
虞司馬に贈る。
・中央政府では兵部尚書を,地方官では府同治のことを司馬と雅称するもの。地方幕府の軍の最高司令者。


交態知浮俗,儒流不異門。
交際の有様については浮世、世俗によって知ればよいことで、私のように儒学を志すものにとっては違った学問の世界なのです。
・交態 交際の有様。交際の仕方。 
・浮俗 浮世、世俗。
・儒流 儒学を志すもの。


過逢聯客位,日夜倒芳尊。
こうしてお逢いして去って行くことによってまた次の客へと続いていくことである。日夜こうした交際を積み重ねていくことである香草が成長するを大切な事と思うことなのである。
・倒芳 香草が萎れていくことが逆になる、香草が成長すること。


沙岸風吹葉,雲江月上軒。
岷江の渚の堤には風にそよぐ葉擦れの音がしている。岷江に雲が湧いていて月は高楼の軒先の上に上がっている。


百年嗟已半,四座敢辭喧。
人生百年と云い、ああもうその半分を過ごしている。人生も、この宴席もあえて退席すべく申し上げねばならないであろう。
・四座
杜甫『羌村三首 其三』「歌罷仰天嘆、四座涙縦横。」
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ。
羌村三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 222

杜甫『夜聽許十一誦詩愛而有作』「誦詩渾遊衍,四座皆闢易。」
君が詩を誦するのをきくとすべてゆったりとくつろいでいる、満座のものみなあと素樽をして開いた。
夜聽許十一誦詩愛而有作 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 101
・辭喧 宴席でやかましく話すことを止める。宴席をお開きにすること。


書籍終相與,青山隔故園。
書物は互いに持っているものを見せ合って書き写して製本までできた。それにしてもこうして過ごしたここ青城山は互いの故郷から離れているのである。
・相与①動詞 つきあう,交際する.⇒相处 xiāngchǔ .用例此人不像外人讲得那么难相与。=この人はよその人が言うようにそんなにつきあいにくくはない.②副詞 相互に,互いに.[動]交際する,付き合う很难相与付き合いにくい.━ [副]互いに,ともども相与偕老ともに白髪の生えるまで.
・書籍(しょせき|しょじゃく)とは木、竹、絹布、紙等の軟質な素材に、文字、記号、図画等を筆写、印刷し、糸、糊等で装丁・製本したもの(銭存訓(1990))。図書、本、書物

《巻十37丈人山》 成都5-(8) 杜氏詳注(巻十(二)八二六) <461>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2250 杜甫詩1000-461-644/1500

《巻十37丈人山》  成都5-(8) 杜氏詳注(巻十(二)八二六) <461>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2250 杜甫詩1000-461-644/1500 

2013年4月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩妾薄命二首 其一 曹植 魏詩<71> 女性詩740 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2248
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第八段-#1 宋玉  <00-#24>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 653 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2249
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Ⅲ杜甫詩1000詩集《巻十37丈人山》  成都5-(8) 杜氏詳注(巻十(二)八二六) <461>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2250 杜甫詩1000-461-644/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集初発石首城 謝霊運<50> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2251 (04/20)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性蟬 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-141-13-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2252
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

丈人山  成都5-(8) 杜甫 <461>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2250 杜甫詩1000-461-644/1500



詩 題:丈人山 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(8)) 
作時 :761年5・6・7月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の461首目-場面5-(8)
杜甫ブログ1500回予定の-644回目


丈人山
自為青城客,不唾青城地。
仲間と一緒にここに逗留して自ずから青城の旅客者となっている。この青城という神仙の地にいると三国時代の劉勲の妻王栄がいった「千里不唾井」というきもちになった女性が来ている。
為愛丈人山,丹梯近幽意。
道教の聖地で、古くは「丈人山」と呼ばれていたこの山を深く愛するのである。朱塗りの千段もある階段があり、「劍門の險」、「峨嵋の秀」、「夔門の雄」、「青城は天下の幽」と並び称される、隠遁修業の場所として最高である。
丈人祠前佳氣濃,綠雲擬住最高峰。
ここの「丈人祠」を前にするとその良い運気の漂った雰囲気の濃さにひたれるのである。緑に生い茂る山々から沸き立つ雲があり、こここそが最高の嶺であることを十分に理解させるものであるのだ。
掃除白發黃精在,君看他時冰雪容。
自分の白髪頭を奇麗に整え滋養強壮の「黃精在」を呑むことにしよう。そうしたら君にもきっと見えるだろう、ある時にまるで固まった氷雪が解けだしているという光景を。

青城山02丈人山
自ら青城の客と為し,「不唾」は青城の地なり。
為に丈人山を愛し,丹梯 幽意に近し。
丈人 祠前にして佳氣濃く,綠雲 住に擬う 最高峰に。
白發を掃除しては「黃精在」あり,君看るや 他時 冰雪の容を。


『丈人山』 現代語訳と訳註
(本文)
丈人山
自為青城客,不唾青城地。
為愛丈人山,丹梯近幽意。
丈人祠前佳氣濃,綠雲擬住最高峰。
掃除白發黃精在,君看他時冰雪容。


(下し文)
丈人山

自ら青城の客と為し,「不唾」は青城の地なり。
為に丈人山を愛し,丹梯 幽意に近し。
丈人 祠前にして佳氣濃く,綠雲 住に擬う 最高峰に。
白發を掃除しては「黃精在」あり,君看るや 他時 冰雪の容を。


(現代語訳)
仲間と一緒にここに逗留して自ずから青城の旅客者となっている。この青城という神仙の地にいると三国時代の劉勲の妻王栄がいった「千里不唾井」というきもちになった女性が来ている。
道教の聖地で、古くは「丈人山」と呼ばれていたこの山を深く愛するのである。朱塗りの千段もある階段があり、「劍門の險」、「峨嵋の秀」、「夔門の雄」、「青城は天下の幽」と並び称される、隠遁修業の場所として最高である。
ここの「丈人祠」を前にするとその良い運気の漂った雰囲気の濃さにひたれるのである。緑に生い茂る山々から沸き立つ雲があり、こここそが最高の嶺であることを十分に理解させるものであるのだ。
自分の白髪頭を奇麗に整え滋養強壮の「黃精在」を呑むことにしよう。そうしたら君にもきっと見えるだろう、ある時にまるで固まった氷雪が解けだしているという光景を。


(訳注)
丈人山

青城山は中國道教發源地の一で、屬における道教名山の一である。四川省都江堰市西南に位置し,古くは「丈人山」とよばれていた,成都市の西方68km,都江堰水利施設から10kmみなみにある。主峰は老霄頂といい、海拔1600m。四川の名山としては、劍門の險、峨嵋の秀、夔門の雄と並び称される。「青城天下の幽」ということで美しい山とされている。


自為青城客,不唾青城地。
仲間と一緒にここに逗留して自ずから青城の旅客者となっている。この青城という神仙の地にいると三国時代の劉勲の妻王栄がいった「千里不唾井」というきもちになった女性が来ている。
・不唾 道教の祠には家を追い出された女たちが大勢駆け込んでいた。純粋に修行することもあるが売春も問題のある行為でなく平然として存在し、人気があったのだ。韓愈の『華山女』などにはアイドルのような表現もある。
劉勲妻王宋 「雑詩二首其二」
誰言去夫薄  去夫情更重
千里不唾井  況乃昔所奉
遠望未為遥  踟躇不得往
つまりこの山には過去を語りたくない、行場を失った中年の女性がたくさんいたということである。『王宋は、平虜将軍劉勲の妻なり。内に入って二十余年、後劉勲は山陽司馬氏の女を悦び、子無きを以って之を出だす。還る道中に於いて、詩二首を作る』とある。一夫多妻の時代である、女盛りを過ぎれば後継ぎを産んだ女性以外は道観に送られることが多かった。持参金が無ければ、売春しかなかったということなのだ。
・千里不唾井 南朝宋の計吏が遠地転任にあたって、残草を刻み、公舎の井戸に投げ込んだ。又来ることはないと遠地転勤の恨みを行動にあらわした。ところが再転勤で戻ってきて、井戸の水を飲んだら、熱して呑んだのにのどに詰まって死んだ。『資暇録』に見える女性にとって世話になった井戸に対してはたとえつばであっても吐いてはならない、という『出された家の悪口を云うな』という教えである。


為愛丈人山,丹梯近幽意。
道教の聖地で、古くは「丈人山」と呼ばれていたこの山を深く愛するのである。朱塗りの千段もある階段があり、「劍門の險」、「峨嵋の秀」、「夔門の雄」、「青城は天下の幽」と並び称される、隠遁修業の場所として最高である


丈人祠前佳氣濃,綠雲擬住最高峰。
ここの「丈人祠」を前にするとその良い運気の漂った雰囲気の濃さにひたれるのである。緑に生い茂る山々から沸き立つ雲があり、こここそが最高の嶺であることを十分に理解させるものであるのだ。
・丈人1 年寄りを敬っていう語。 2 妻の父。岳父。ここでは、女性たちが男性の客を「丈人」といって大切にしてくれたのであろう。
・祠 道観に設置された芸妓の施設を云う。唐代の道教のやしろ、或いはそれに類するいわゆる淫祠の女冠は多分に売春、娼妓的性格をもっていた。

聖女詞 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 99

恋愛詩人・李商隠 6 重過聖女詞


・擬 ① どうしようかとはかり考える。思案する。② 他のものと引き比べてみる。本物らしく似せる。なぞらえる。


掃除白發黃精在,君看他時冰雪容。
自分の白髪頭を奇麗に整え滋養強壮の「黃精在」を呑むことにしよう。そうしたら君にもきっと見えるだろう、ある時にまるで固まった氷雪が解けだしているという光景を。
・黃精在 朝鮮人参と同様な効能の漢方薬。太陽草を乾燥させて作る。

送韓十四江東省覲 成都5-(7) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2245 杜甫詩1000-460-643/1500

杜甫  送韓十四江東省覲 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(7)) 


2013年4月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



送韓十四江東省覲  成都5-(7) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2245 杜甫詩1000-460-643/1500

詩 題:送韓十四江東省覲 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(7)) 
作 時:761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の460首目-場面5-(7)
杜甫ブログ1500回予定の-643回目   40745
同郷の人韓某がその親を江東の方へ見舞にゆくのを送る詩。上元二年蜀州にあっての作であろう。


送韓十四江東省覲
(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。

今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。

(韓十四が江東に省覲するを送る)
兵戈【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。


『送韓十四江東省覲』 現代語訳と訳註
(本文)

送韓十四江東省覲
兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。


(下し文) (韓十四が江東に省覲するを送る)
兵曳【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。


(現代語訳)
(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。


(訳注)
送韓十四江東省覲

(十四番目の友韓君を江東に親を覲とるため歸省するのを見迭る詩)
韓十四 其の名は未詳。
○江東 今の江寧の地方。晋代に、現在の江蘇省江寧県の西南に置かれた県。隋代に南京に移され、宋・明以降は府となった。
○省覲 両親におめみえにゆく。省は歸省すること。覲は親に逢うこと。 


兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。
いまは安史の乱の兵乱が続き、老萊子の教えをすることもできない。嘆かわしいことであるが、人間の一番為すべき親孝行さえもできぬ世なのである。
○兵戈 安史の乱を指す兵乱をいう。
○老萊衣 老莱子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。老莱子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。『二十四孝』の一人である。中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。


我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?
わたしはこの戦火によって今以て故郷に弟や妹を尋ねてこられる家をうしなっている。君はいずれの地に親のいる奥の場所「庭闈」を訪問されようとするのであるか。
○庭闈 闈は奥むきの小門、庭闈は親のいる奥の場所。杜甫は父を亡くして義母が山東にいる。洛陽の実家に母を迎えたい、そこに杜甫が帰ることをいう。


黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。
君がゆくのに心配なのは三峡であるが、なかでも黃牛峽で、それを過ぎれば激流の音も収まるのだが、この出発の白馬の江水はまだまだ寒いし、樹のかげもしだいにみえなくなるのは寂しいことだ。
○黄牛峡 峡名、三峡の一角で西陵峡の末端の部分にある。長江にある三峡のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡夷陵州(今の湖北省宜昌)の西九里にあり、高崖の間に石があって、人が刀を負って牛を牽くがごとくであり、人は黒く牛は黄いろ。
白馬江 崇慶州東北十里にある。蜀州からの出発点と考えられる。歴史地図では確認できていない。


此別應須各努力,故鄉猶恐未同歸。
今日のこの別れに際してまずお体に気お付けご自愛されることである、なぜなら、我我はまだ同郷である洛陽に帰れるという見込みもないではないですか。
○努力 自愛すること。安史の乱が平定されていないのに却って大丈夫か、ということ。
○故郷 洛陽をさすのであろう、韓もまた洛陽の人である。
○同帰 韓とおなじく洛陽にかえること。


題新津北橋棲00(韓十四が江東に省覲するを送る)
兵戈【へいか】には 老萊【ろうらい】が衣を見ず、人間の万事非なるを嘆息す。
我 己に家の弟妹を尋ぬべき無し、君今何の処にか庭闈【ていい】を訪う。
黄牛 峡静かにして灘声転じ、白馬 江寒くして樹影稀なり。
此の別 応に須らく各の努力すべし、故郷猶お恐る 未だ同帰せざらん。



三峡
三峡とは長江にある三つの峡谷のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡と並び、西は四川省奉節県の白帝城から、東は湖北省宜昌市の南津関まで全長193キロに渡る。


瞿塘峡(くとうきょう)

 奉節県の白帝城から、巫山県の大寧(だいねい)河口まで全長33キロ(うち峡谷部は8キロ).雄大・険峻なことで知られる。両岸には山々の嶺が雲をついてそぴえ立ち、刀で切り取ったような絶壁が連なる。
この峡谷の入口は、両岸の絶壁の高さが数百丈(一丈は3m余り)あるにもかかわらず、川幅は100mに達せず、そそり立つ両岸が門の形をしていることから、夔門といい、古くから「夔門は天下の雄」と讃えられている。


巫峡(ふきょう)

 西は巫山県城東の大寧河口から、東は巴東県の官渡口まで全長約40キロ。山河の秀麗さと華麗な景観は三峡第一。
巫山十二峰が南北両岸に並び、南岸の神女峰の麓には、神女が禹(夏の禹王のこと。伝説の王で治水をした)に書を授けたという、授書台があり、北岸の集仙峰の岸壁には諸葛亮の筆と伝えられる、「重崖畳嶂巫峡」の六文字(孔明碑)が彫られている。


西陵峡(せいりょうきょう)

 巴東県の官渡口から、宜昌県の南津関まで全長約120キロ(うち峡谷は42キロ)。
三峡で最も長い峡谷で風光明媚.兵書宝剣峡、黄牛峡、黄陵廟、三遊洞などの旧跡が点在する。


兵書宝剣峡(へいしょほうけんきょう)

 諸葛亮が兵書を収蔵したところと伝えられる。岩の隙間に本箱を積み重ねたような部分があり、兵書に見立てているが、これは古代巴人の岩棺葬の遺物。またその右下方に細長い岩が突起しており、大きな剣が激流を突き刺すようなイメージがあるため宝剣という。


黄牛峡

 南岸に神人が牛を牽いているような、黄牛山がある。伝説では、前述の禹王が治水を行なった際、土星が神牛に変化して角で高山を割って長江を疎通させ、その姿を絶壁に留めたと伝えられる.


黄陵廟

 旧称を黄牛廟といい、黄牛山の麓にある。山門・禹王殿・武侯祠などが現存し、武侯祠には諸葛亮撰と伝えられる「黄牛廟記」を彫った石碑がある。

寄杜位 成都5-(6) 杜甫 <459>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2240 杜甫詩1000-459-642/1500

寄杜位 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(6)) 


2013年4月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩當欲游南山行 曹植 魏詩<70> 女性詩738 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2238
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

寄杜位  成都5-(6) 杜甫 <459>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2240 杜甫詩1000-459-642/1500

詩 題:寄杜位 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(6)) 
作時 :761年7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の459首目-場面5-(6)
杜甫ブログ1500回予定の-642回目  



寄杜位
近聞寬法離新州,想見懷歸尚百憂。
あなたのことは近頃情報が入ってきたが寛容なお裁きで五嶺山脈の向こうの新州であるという。いろいろ想像し心配もしてみて懐かしいし、帰りたいと思うのだ。
逐客雖皆萬裡去,悲君已是十年流!
あなたの家族もみんな追われて旅のそれではるか万里に去って行った。あなたを悲しく思いつつかれこれ10年の歳月が流れたのだ。
干戈況複塵隨眼,鬢發還應雪滿頭。
あれから戦乱は未だに終わらず何処に目をやっても戦争が終わってはいないのだ。鬢も頭髪にももうすでに雪のようなものが頭にいっぱいに載っているようなものだ。
玉壘題書心緒亂,何時更得曲江遊?
いい詩詞を書いて随分たまっているが心の中では戦争のことで落ち着きはしない。いつになったらまたあの曲江での遊宴ができるようになるのだろうか。

寄杜位
近ごろ聞く 寬法により離れて新州にあると,想見して 歸らんと懷えど 尚お百憂あり。
客を逐われ皆萬裡に去ると雖も,君を悲むは已に是れ 十年流る!
干戈【かんか】 況んや複た 塵眼に隨う,鬢發 還た應に 滿頭に雪つ。
玉壘して書を題すは心緒亂れ,何時 更に曲江の遊を得んや?

鸕鷀001













『寄杜位』 現代語訳と訳註
(本文)

近聞寬法離新州,想見懷歸尚百憂。
逐客雖皆萬裡去,悲君已是十年流!
干戈況複塵隨眼,鬢發還應雪滿頭。
玉壘題書心緒亂,何時更得曲江遊?


(下し文) 寄杜位
近ごろ聞く 寬法により離れて新州にあると,想見して 歸らんと懷えど 尚お百憂あり。
客を逐われ皆萬裡に去ると雖も,君を悲むは已に是れ 十年流る!
干戈【かんか】 況んや複た 塵眼に隨う,鬢發 還た應に 滿頭に雪つ。
玉壘して書を題すは心緒亂れ,何時 更に曲江の遊を得んや?


(現代語訳)
あなたのことは近頃情報が入ってきたが寛容なお裁きで五嶺山脈の向こうの新州であるという。いろいろ想像し心配もしてみて懐かしいし、帰りたいと思うのだ。
あなたの家族もみんな追われて旅のそれではるか万里に去って行った。あなたを悲しく思いつつかれこれ10年の歳月が流れたのだ。
あれから戦乱は未だに終わらず何処に目をやっても戦争が終わってはいないのだ。鬢も頭髪にももうすでに雪のようなものが頭にいっぱいに載っているようなものだ。
いい詩詞を書いて随分たまっているが心の中では戦争のことで落ち着きはしない。いつになったらまたあの曲江での遊宴ができるようになるのだろうか。


(訳注)
寄杜位

10年前襄陽の当時一族で出世頭であった杜位に手紙を寄せている。
『杜位宅守歲』
守歲阿戎家,椒盤已頌花。
盍簪喧櫪馬,列炬散林鴉。
四十明朝過,飛騰暮景斜。
誰能更拘束?爛醉是生涯。
・守歲 おおみそかの晩に眠らずに元日の朝を迎えること。
・戎家 中国の五帝時代から戦国時代にかけて、中国の西および北に住んでいた遊牧民族。たびたび中国の歴代王朝に侵入しては略奪をおこなった。大別して西の戎を西戎といい、北の戎を北戎という。
・椒盤 椒酒を進め酒を飲む器季節 新年分類 人事.

その杜位が五嶺山脈を越えて広東の新州に左遷されたという情報がもたらされた。そのことに寄せて返事を寄せたものである。


近聞寬法離新州,想見懷歸尚百憂。
嶺南道圖00あなたのことは近頃情報が入ってきたが寛容なお裁きで五嶺山脈の向こうの新州であるという。いろいろ想像し心配もしてみて懐かしいし、帰りたいと思うのだ。
・寬法 寛大なおとがめ。寛容なお裁き。
・新州 河南省に三国時代に設置された州。新州 (広東省) -南北朝時代に設置された州。南北朝時代、梁により広州より分割設置された。605年(大業元年)、隋朝により廃止され、管轄県は広州に統合された。現在の雲浮市及び江門市一帯に相当する。杜位がいるところは嶺南道東部 新州 新州。


逐客雖皆萬裡去,悲君已是十年流!
あなたの家族もみんな追われて旅のそれではるか万里に去って行った。あなたを悲しく思いつつかれこれ10年の歳月が流れたのだ。


干戈況複塵隨眼,鬢發還應雪滿頭。
あれから戦乱は未だに終わらず何処に目をやっても戦争が終わってはいないのだ。鬢も頭髪にももうすでに雪のようなものが頭にいっぱいに載っているようなものだ。
・干戈 1 武器。また、武力。 2 戦争。
・塵隨眼 どっちを向いても戦争での蒙塵でいっぱいということ。
・鬢發 びんと頭髪。
・雪滿頭 しらがあたま。


玉壘題書心緒亂,何時更得曲江遊?
いい詩詞を書いて随分たまっているが心の中では戦争のことで落ち着きはしない。いつになったらまたあの曲江での遊宴ができるようになるのだろうか。
・玉壘 宝玉をうずたかく積み上げること。
・題書 詩を詠って書として残していること。

野望因過常少仙 成都5-(5) 杜甫 <458>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2235 杜甫詩1000-458-641/1500

野望因過常少仙 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(5)) 

2013年4月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

野望因過常少仙  成都5-(5) 杜甫 <458>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2235 杜甫詩1000-458-641/1500


詩 題:野望因過常少仙 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(5)) 
作時 :761年 7・8月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の458首目-場面5-(5)
杜甫ブログ1500回予定の-641回目  
成都盆地の西、蜀の平野にあってながめる。ついでに常少仙のところへたちよったことをのべる。761年上元二年秋、青城にあっての作。


761年7・8・9月頃、青城縣での作
5-(4)赴青城縣出成都寄陶王二少尹
5-(5)野望因過常少仙
5-(6)寄杜位
5-(7)送韓十四江東省覲
5-(8)丈人山
5-(9)送裴五赴東川
5-(10)贈虞十五司馬


野望因過常少仙
野橋齊渡馬,秋望轉悠哉!
野川にかかる橋を馬をそろえてふたりでわたる。見渡せばすっかり秋景色になり、眺めは愈々はるか先まで見通せる世になっている。
竹覆青城合,江從灌口來。
青城への街道の交差している方を竹林がおおっていてとざされているように見える。郁江の水は都江堰の港口の方から流れてくる。
入村樵徑引,嘗果栗皺開。
彼の隠棲している村にはいる杣道に進むと、みちびかれてひとりでに居宅へつく。そこでは常君がもてなしてくれる粟の実を皮をむきたべる。
落盡高天日,幽人未遣回。

空が高い秋の日がはやく落ちて、もう日がくれてしまう。隠遁生活の静かな佇まいの中で、ここの主人はまだこのわたしを帰そうとはしない。

(野望因って常少仙に過る)
野橋斉【ひと】しく馬を渡し、秋望転【うた】た悠なる哉。
竹は青城を覆いて合し、江は灌口【かんこう】従り来たる。
村に入れば樵径引く、果を嘗めて粟皺【りつしゅう】開く。
落ち尽す高天の日、幽人未だ回らしめず


都江堰002








『野望因過常少仙』 現代語訳と訳註

(本文)
野橋齊渡馬,秋望轉悠哉!
竹覆青城合,江從灌口來。
入村樵徑引,嘗果栗皺開。
落盡高天日,幽人未遣回。


(下し文) (野望因って常少仙に過る)
野橋斉【ひと】しく馬を渡し、秋望転【うた】た悠なる哉。
竹は青城を覆いて合し、江は灌口【かんこう】従り来たる。
村に入れば樵径引く、果を嘗めて粟皺【りつしゅう】開く。
落ち尽す高天の日、幽人未だ回らしめず。


(現代語訳)
野川にかかる橋を馬をそろえてふたりでわたる。見渡せばすっかり秋景色になり、眺めは愈々はるか先まで見通せる世になっている。
青城への街道の交差している方を竹林がおおっていてとざされているように見える。郁江の水は都江堰の港口の方から流れてくる。
彼の隠棲している村にはいる杣道に進むと、みちびかれてひとりでに居宅へつく。そこでは常君がもてなしてくれる粟の実を皮をむきたべる。
空が高い秋の日がはやく落ちて、もう日がくれてしまう。隠遁生活の静かな佇まいの中で、ここの主人はまだこのわたしを帰そうとはしない。


(訳注)
野望因過常少仙

○野望 成都盆地の西、蜀の平野にあってながめる。ついでに常少仙のところへたちよったことをのべる。761年上元二年秋、青城にあっての作。
○因 そのついでに。
○常少仙 常徴君のことで、常は県の尉で任にないものである。県尉の敬称を少府といい、また漢の梅福が尉となり神仙となったのによって仙尉というのにより、少府仙尉を略して少仙といったものか。この地は道教の本拠地でその関係もあるもの。また、この時、杜甫は詩を詠むグループの集まりで青城に来ているこの詩を含めて同時期に7首詠んでいる。


野橋齊渡馬,秋望轉悠哉!
野川にかかる橋を馬をそろえてふたりでわたる。見渡せばすっかり秋景色になり、眺めは愈々はるか先まで見通せる世になっている。
・野橋 灌漑用水に渡せる橋であろう。
・轉悠哉 秋の空気により、背の高い草がなくなって見晴らしが良くなるということであろうか。


竹覆青城合,江從灌口來。
青城への街道の交差している方を竹林がおおっていてとざされているように見える。郁江の水は都江堰の港口の方から流れてくる。
○港口 現在の都江堰のこと。


入村樵徑引,嘗果栗皺開。
彼の隠棲している村にはいる杣道に進むと、みちびかれてひとりでに居宅へつく。そこでは常君がもてなしてくれる粟の実を皮をむきたべる。
○村 常少仙の隠棲している居地。
○引 こちらを手びきする。
○果 くだもの。
○粟敲 敏はしわ、或は薮に作るのがよいという、軟は皮のひび、いずれにしても粟の皮をいう、これは常少仙のもてなすもの。


落盡高天日,幽人未遣回。
空が高い秋の日がはやく落ちて、もう日がくれてしまう。隠遁生活の静かな佇まいの中で、ここの主人はまだこのわたしを帰そうとはしない。
○高天 あきのそらはたかい。
○幽人 幽静なすまいをしている人、すなわち幽は隠遁していること主人の常少仙は道教の隠者である。
孟浩然詩00

赴青城縣出成都寄陶王二少尹 成都5-(4) 杜甫 <457>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2230 杜甫詩1000-457-640/1500

杜甫《赴青城縣出成都寄陶王二少尹》 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(4))

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Ⅲ杜甫詩1000詩集赴青城縣出成都寄陶王二少尹 成都5-(4) 杜甫 <457>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2230 杜甫詩1000-457-640/1500
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

赴青城縣出成都寄陶王二少尹  成都5-(4) 杜甫 <457>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2230 杜甫詩1000-457-640/1500

詩 題:赴青城縣出成都寄陶王二少尹 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(4)) 
作時: 761年5・6・7月  杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の457首目-場面5-(4)
杜甫ブログ1500回予定の-640回目   40744


赴青城縣出成都寄陶王二少尹
(成都を出発して青城県に赴く陶少尹と王少尹に寄せる。)
老被樊籠役,貧嗟出入勞。
あなたは老いておられるのに任務に縛られて窮屈な生活をなされておられる。高潔さゆえの貧しさには旅の出たり入ったりの苦労にきっと歎かれることでありましょう。
客情投異縣,詩態憶吾曹。
旅に出られていつも違った縣に投宿され、落ち着いた心情にはないでしょう。それをこの詩に我ら詩を読むものとしてあらわすのです。
東郭滄江合,西山白雪高。
東の城郭にいたかと思えば、長江に乗り、江南地方に入りまた次の地へと向かわれる。西の方へは天にも届く山に白雪の高き處を越えられる。
文章差底病,回首興滔滔。
こんなことでは作られる文章にもどういうわけか病をきたしてしまうというもので、首を回らせればこんなにも風興なものが豊かに流れているというものではないですか。

(成都を出で青城縣に赴く陶・王二少尹に寄す)
老いて 樊籠【はんろう】の役を被い,貧して 出入の勞を嗟【なげ】く。
客情 異縣に投じ,詩態 吾曹に憶う。
東郭 滄江に合い,西山 白雪高し。
文章は底病に差【たが】い,首を回らせば興 滔滔【とうとう】たり。


『赴青城縣出成都寄陶王二少尹』 現代語訳と訳註
(本文)
赴青城縣出成都寄陶王二少尹
老被樊籠役,貧嗟出入勞。
客情投異縣,詩態憶吾曹。
東郭滄江合,西山白雪高。
文章差底病,回首興滔滔。


(下し文)
(成都を出で青城縣に赴く陶・王二少尹に寄す)
老いて 樊籠【はんろう】の役を被い,貧して 出入の勞を嗟【なげ】く。
客情 異縣に投じ,詩態 吾曹に憶う。
東郭 滄江に合い,西山 白雪高し。
文章は底病に差【たが】い,首を回らせば興 滔滔【とうとう】たり。


(現代語訳)
(成都を出発して青城県に赴く陶少尹と王少尹に寄せる。)
あなたは老いておられるのに任務に縛られて窮屈な生活をなされておられる。高潔さゆえの貧しさには旅の出たり入ったりの苦労にきっと歎かれることでありましょう。
旅に出られていつも違った縣に投宿され、落ち着いた心情にはないでしょう。それをこの詩に我ら詩を読むものとしてあらわすのです。
東の城郭にいたかと思えば、長江に乗り、江南地方に入りまた次の地へと向かわれる。西の方へは天にも届く山に白雪の高き處を越えられる。
こんなことでは作られる文章にもどういうわけか病をきたしてしまうというもので、首を回らせればこんなにも風興なものが豊かに流れているというものではないですか。


(訳注)
赴青城縣出成都寄陶王二少尹

題新津北橋棲00成都を出発して青城県に赴く陶少尹と王少尹に寄せる
・青城縣 蜀州青城縣。(中国歴史地図より作成成都付近図B-4)唐代陸羽著『茶經にみえる。「蜀州青城縣丈人山でつくられる,青城縣散茶、「貢茶」というものが有る。 青城山は中國道教發源地の一である,屬道教名山之一。四川省都江堰市西南,古稱「丈人山」,東距成都市からは68km,都江堰水利しせつからは西南10kmのところにある。。主峰老霄頂海拔1600m。四川では名山として劍門の險、峨嵋の秀、夔門の雄齊名とあり、「青城天下幽」というてたたえられている。
・陶王二少尹  陶少尹と王少尹。少尹:副長官。


老被樊籠役,貧嗟出入勞。
あなたは老いておられるのに任務に縛られて窮屈な生活をなされておられる。高潔さゆえの貧しさには旅の出たり入ったりの苦労にきっと歎かれることでありましょう。
・樊籠・樊篭 ①鳥かご。②転じて,身体の自由や行動を拘束したりする物事。③衆生(しゆじよう)が煩悩(ぼんのう)にしばられていることをたとえていう語。


客情投異縣,詩態憶吾曹。
旅に出られていつも違った縣に投宿され、落ち着いた心情にはないでしょう。それをこの詩に我ら詩を読むものとしてあらわすのです。
・吾曹 [代]一人称の人代名詞。われわれ。われら。吾人。


東郭滄江合,西山白雪高。
東の城郭にいたかと思えば、長江に乗り、江南地方に入りまた次の地へと向かわれる。西の方へは天にも届く山に白雪の高き處を越えられる。
・東郭滄江の二句は東奔西走のようすを云う。 


文章差底病,回首興滔滔。
こんなことでは作られる文章にもどういうわけか病をきたしてしまうというもので、首を回らせればこんなにも風興なものが豊かに流れているというものではないですか。
滔滔 (1)水が勢いよく、また豊かに流れるさま。 (2)よどみなく話すさま。弁舌さわやかなさま。 (3)物事がある方向によどみなく流れゆくさま。
ocha00

聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

聞斛斯六官未歸 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(3)) 

2013年4月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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聞斛斯六官未歸  成都5-(3) 杜甫 <456>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500


詩 題:聞斛斯六官未歸
 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(3)) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の456首目-場面5-(3)
杜甫ブログ1500回予定の-639回目  




聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
隣人の斛斯さんは江陵の南郡の方にいってしまった。行ったのは、碑文作成の仕事をするためである。
本賣文為活,翻令室倒懸。
もともと「売文」を正業としていて、それが売れなくて生活が苦しくてそれで出稼ぎに行ったのだ。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
その家の粗末な門扉にはすでに草深く出入りのようすがない。それに土鍋には冷たい冷気がしておりもうかなり火をくべていないようだ。
老罷休無賴,歸來省醉眠。

彼も老い止めるためには風来坊の生活を憩いあるものにする必要があろうに、そして帰ってこられて睡眠をとられることを少しは考えられよ。

(斛斯六官未だ歸らずを聞く)
故人 南郡に去り,去るは碑を作るの錢を索めしなり。
本は活を為すに文を賣り,翻って室をして倒懸【とうけん】せ令む。
荊扉【けいひ】には蔓草【まんそう】を深くし,土銼【どなべ】寒煙して冷やかなり。
老い罷みて無賴なるを休【や】め,歸り來りて醉眠を省りみよ。


『聞斛斯六官未歸』 現代語訳と訳註
(本文)

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。


(下し文) (斛斯六官未だ歸らずを聞く)
故人 南郡に去り,去るは碑を作るの錢を索めしなり。
本は活を為すに文を賣り,翻って室をして倒懸【とうけん】せ令む。
荊扉【けいひ】には蔓草【まんそう】を深くし,土銼【どなべ】寒煙して冷やかなり。
老い罷みて無賴なるを休【や】め,歸り來りて醉眠を省りみよ。


(現代語訳)
隣人の斛斯さんは江陵の南郡の方にいってしまった。行ったのは、碑文作成の仕事をするためである。
もともと「売文」を正業としていて、それが売れなくて生活が苦しくてそれで出稼ぎに行ったのだ。

その家の粗末な門扉にはすでに草深く出入りのようすがない。それに土鍋には冷たい冷気がしておりもうかなり火をくべていないようだ。
彼も老い止めるためには風来坊の生活を憩いあるものにする必要があろうに、そして帰ってこられて睡眠をとられることを少しは考えられよ。


(訳注)
聞斛斯六官未歸

南鄰の人であろう。浣花渓には三軒しかなく、杜甫の飲み友達である。


故人南郡去,去索作碑錢。
隣人の斛斯さんは江陵の南郡の方にいってしまった。行ったのは、碑文作成の仕事をするためである。


本賣文為活,翻令室倒懸。
もともと「売文」を正業としていて、それが売れなくて生活が苦しくてそれで出稼ぎに行ったのだ。
・倒懸 [1]逆さまにかけること。[2]手足を縛って逆さまにつるすこと。転じて、非常な苦痛のたとえ。仏教用語「倒懸の苦」からくる。


荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
その家の粗末な門扉にはすでに草深く出入りのようすがない。それに土鍋には冷たい冷気がしておりもうかなり火をくべていないようだ。

老罷休無賴,歸來省醉眠。
彼も老い止めるためには風来坊の生活を憩いあるものにする必要があろうに、そして帰ってこられて睡眠をとられることを少しは考えられよ。
・無賴 1 正業に就かず、無法な行いをすること。また、そのさまや、そのような人。「―な(の)輩(やから)」2 頼みにするところのないこと。風来坊。杜甫『絶句漫興 九首 其一』「眼見客愁愁不醒,無賴春色到江亭。」

絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 





浣花渓草堂を建ててからの隣人関係の詩


江畔独歩尋花












遣意二首 其二
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿鷺起圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。

遣意二首其二 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 5)  杜甫 <410 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1995 杜甫詩1000-410-593/1500


南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。
浣花渓の錦裡先生は鳥角巾を頭に乗せて隠者のすがたをしている。小さな農園でつくっている芋や栗がとれるからまったくの貧乏というのではない。
子どもは南隣のお客をみなれているので来客をみて喜び歓迎しているようだ、小鳥や、雀などもいつも外のきざはしあたりに近づいてきて物がたべよく人になれてきている。
秋の澄んだ江水がそこまでよく見え、四五尺の水深だ、そこへ二三人のれる野の小舟をうかべている。
白い沙浜のむこうに翠の竹林があり、江村も夕暮れが近づいてくる。客の朱山人を送ろうと柴門にむかうと秋の夕暮れは速く月明かりが増して新たに月があらわれたようなのである。

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。

北鄰
明府豈辭滿,藏身方告勞。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。

客至   杜甫*〔原注〕喜雀明府相過。
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。
わが家は南も北もみな春の雪解け水でみずかさがあがっている。しばらくみていると、たくさんのかもめが毎日やってくるのです。
花が咲きみだれ、散って小道に敷きひろがるが、お客があるからといって風流なので掃除しないのです。きょうはめずらしくよもぎのしげっている門を君のためなればこそ開くこといたします。
ここは市場が遠いので皿に盛る御馳走が幾種類もの用意はできないし、家が貧しいから樽の酒もてづくりのふるい濁酒があるだけです。
それでも、南隣の御爺さんも仲間にして飲むおつもりはありませんか。この垣根越しに御爺さんを呼んで残りの濁酒を飲みほさせることにしましょう。


江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。


江畔獨步尋花七絕句 其五 
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。



江畔獨步尋花七絕句 其六 
黃四娘家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。
黄師塔のちかくに黄さんの四番目の老婆の家があり、花がいっぱいに咲き乱れた小路がある。そこには千のえだに、万の枝に花をつけていて、花の重さで枝は低く垂れている。
その花には長が戯れて舞っており、そこを去ることを知らず居つづけている、千朵萬朵の花枝のかごのなかに可愛がられている鶯がいて、おもしろく自由にホーッ、ホケキョと啼いている。


一室 成都5-(2) 杜甫 <455>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2220 杜甫詩1000-455-638/1500

一室 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(2)) 

2013年4月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#5>古詩源 巻五 女性詩734 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2218
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性蜀中三首 其三 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-135-7-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2222
 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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一室  成都5-(2) 杜甫 <455>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2220 杜甫詩1000-455-638/1500

 


詩 題:一室 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(5-(2)) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の455首目-場面5-(2)
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一室
一室他鄉遠,空林暮景懸。
この一室は他郷遠くにある、ここにある誰もいない林に夕くれの陰が長くかかってくる。
正愁聞塞笛,獨立見江船。
そんなところに愁いの思いにおちいるととりでの羌笛が聞えてくる。獨たたずむ錦江に浮んでいる船が見える。
巴蜀來多病,荊蠻去幾年?
自分は巴から蜀にかけていろんな病気を持ってきたみたいだし、国の病原菌のような安史軍はあと幾年たてば去って行くのだろうか。
應同王粲宅,留井峴山前。

まさにこの草堂も王粲の家と同じなのだ。襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしているように浣花渓、百花潭を前にしているのだ。
(一室)
一室 他鄉 遠く,空林 暮景に懸る。
正に愁いて塞笛を聞き,獨り立ちて江船を見る。
巴蜀 多病來りて,荊蠻 幾年か去らん?
應に同じうするは王粲の宅,井を留むるは峴山の前。



草堂002
『一室』 現代語訳と訳註
(本文)
一室他鄉遠,空林暮景懸。正愁聞塞笛,獨立見江船。
巴蜀來多病,荊蠻去幾年?應同王粲宅,留井峴山前。


(下し文) 一室
一室 他鄉 遠く,空林 暮景に懸る。
正に愁いて塞笛を聞き,獨り立ちて江船を見る。
巴蜀 多病來りて,荊蠻 幾年か去らん?
應に同じうするは王粲の宅,井を留むるは峴山の前。


(現代語訳)
この一室は他郷遠くにある、ここにある誰もいない林に夕くれの陰が長くかかってくる。
そんなところに愁いの思いにおちいるととりでの羌笛が聞えてくる。獨たたずむ錦江に浮んでいる船が見える。
自分は巴から蜀にかけていろんな病気を持ってきたみたいだし、国の病原菌のような安史軍はあと幾年たてば去って行くのだろうか。
まさにこの草堂も王粲の家と同じなのだ。襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしているように浣花渓、百花潭を前にしているのだ。


(訳注)
一室

この詩の初句の一部を以て詩題とした。詠史詩ということになるが、「荊蠻」という王粲の詩に基づき杜甫の住まい環境を知らしめたのであろう。


一室他鄉遠,空林暮景懸。
この一室は他郷遠くにある、ここにある誰もいない林に夕くれの陰が長くかかってくる。
・空林 誰もいない林。李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林。」
夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266

謝靈運『登池上樓』
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。
薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。
徇祿反窮海,臥痾對空林。
登池上樓 #1 謝靈運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002

『過瞿渓山飯僧』「清霽颺浮煙、空林響法鼓。」

過瞿渓山飯僧 #2 謝靈運<23>  詩集 392 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ992


正愁聞塞笛,獨立見江船。
そんなところに愁いの思いにおちいるととりでの羌笛が聞えてくる。獨たたずむ錦江に浮んでいる船が見える。


巴蜀來多病,荊蠻去幾年?
自分は巴から蜀にかけていろんな病気を持ってきたみたいだし、王粲のように国の病原菌のような安史軍はあと幾年たてば去って行くのだろうか。
・巴蜀 巴とは現在の重慶を中心として,嘉陵江流域を含む四川省東部をさし,蜀とは成都盆地を主地域とし,岷(みん)江流域に広がる西部をさす。元来はいわゆる西南夷系統に属する異民族の住地であったが,その中で巴と蜀はさらに民族・文化系統を異にした。秦がこの地を領有し,漢の武帝が巴・蜀と漢中および南中(雲南省)を含めて益州としてより,一地域として扱われるようになった。 巴には巴郡南郡蛮,板楯蛮等と同系統のものが住んでいたのであろう。
・荊蠻 春秋時代から、長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。王粲『七哀詩』其一「復棄中國去、委身適荊蠻。」(復た中國を棄て去り、身を委して荊蠻に適く。)其二「荊蠻非吾郷」(荊蠻は吾が郷に非らず)ここでは755年安禄山が反乱を起こして以来、乱が史忠明ら、異民族の混じった者たちへとに引き継がれている安史軍の事。


應同王粲宅,留井峴山前。
まさにこの草堂も王粲の家と同じなのだ。襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしているように浣花渓、百花潭を前にしているのだ。
・王粲 王 粲(おう さん、熹平6年(177年) - 建安22年(217年))は、中国後漢末期の文学者・学者・政治家。字は仲宣。曾祖父は王龔(後漢の三公)。祖父は王暢(後漢の三公)。父は王謙。王凱の従兄弟。子は男子二名。兗州山陽郡高平県(現山東省)の人。文人としても名を残したため、建安の七子の一人に数えられる。
建安18年(213年)、曹操が魏公になると侍中に任命された。王粲は博学多識であり、曹操が儀礼制度を制定するときは、必ず王粲がその責任を任されたと言われている。
建安22年(217年)、41歳の若さで病死した。葬儀のとき、曹丕は王粲が驢馬の鳴き声を好んでいたことから、その鳴き真似をして送ろうと提案した。このため弔問客たちは、皆一声ずつ驢馬の鳴き声の真似をしたと伝えられている。
・留井峴山前 襄陽の襄水があり、井戸端があり、峴山を前にしている『襄沔記』「王粲宅,在襄陽縣西二十里峴山坡下,宅前有井,人呼爲仲宣井。」とある。王粲が41歳で病死した後、龐徳公が対岸の山に移り住んだ。そこは後「鹿門山」と呼ばれ、孟浩然の住いしたところだ。
杜甫像0012

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進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(1))  


2013年4月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#4>古詩源 巻五 女性詩733 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2213
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第六段-#1 宋玉  <00-#17>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 646 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2214
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集進艇 成都5-(1) 杜甫 <454>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2215 杜甫詩1000-454-637/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集入東道路詩 謝霊運<43> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2216 (04/13)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性蜀中三首 其二 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-134-6-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2217
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

進艇  成都5-(1) 杜甫 <454>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2215 杜甫詩1000-454-637/1500

蜀州へ旅をするため出発の前、家族団らんで過ごしたことを述べる。


詩 題:進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓の草堂(5-(1)) 
作時761年5月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の454首目-場面5-(1)
杜甫ブログ1500回予定の-637回目    



進艇
南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。
俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。

(艇を進める)
南京 久しく客となり 南畝を耕じ,北望して傷神し北窗に坐る。
晝に老妻を引いて 小艇に乘り,晴れるに稚子を看【みは】りて 清江に浴す。
俱に蛺蝶飛び元【はじ】めて相い逐う,並びに芙蓉【ふよう】を蒂び 本【もと】にて自ら雙ぶ。
蔗漿【しゃしょう】を茗飲【めいいん】し便する所を攜え,瓷罌【しおう】謝無くして 玉 缸【こう】と為す。


進艇 杜甫 成都(5部)浣花渓草堂(1) 現代語訳と訳註
芙蓉33302(本文)
進艇
南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。


(下し文)
(艇を進める)
南京 久しく客となり 南畝を耕じ,北望して傷神し北窗に坐る。
晝に老妻を引いて 小艇に乘り,晴れるに稚子を看【みは】りて 清江に浴す。
俱に蛺蝶飛び元【はじ】めて相い逐う,並びに芙蓉【ふよう】を蒂び 本【もと】にて自ら雙ぶ。
蔗漿【しゃしょう】を茗飲【めいいん】し便する所を攜え,瓷罌【しおう】謝無くして 玉 缸【こう】と為す。


(現代語訳)
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。


(訳注)
進艇
この時代の詩として驚愕の詩である。閨情詩で妻が登場するのが精いっぱいの時代に老妻の手を引いて舟遊びをしたのである。


南京久客耕南畝,北望傷神坐北窗。
南京であるこの成都で久しく旅客となってもう2年になる。こうして南の畑を耕している。北の空遠く見れば未だ戦乱がやまず心痛めるのである。北側の窓辺では、ただ座るだけである。
・南京 成都。756年、安禄山が6月長安を落し、玄宗は途中楊貴妃を見殺し、成都に逃避した。粛宗を起て霊武を行在所とし、成都を南京とした。翌年には長安に帰る。『建都十二韻』○建都 新たに都を建置することをいう、史によると757年至徳二載に蜀郡を南京となし、鳳翔を西京となし、長安を中京となした。758年上元元年九月改めて南都を荊州に置き荊州を以て江陵府となした。759年二年九月鳳翔の西都及び江陵の南都の号をやめたが、762年宝応元年にはまた旧に復した。『建都十二韻』詩は760年上元元年荊州を南都とするときの作である。荊州を南都とするということは時の荊州刺史呂陻なるものの建議に基づく。作者はこれに反対の意見をのべたのである。

建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3)13-#1  杜甫 <399> #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1940 杜甫詩1000-399-582/1500


晝引老妻乘小艇,晴看稚子浴清江。
夏のある日の昼の事、歳をかさねたわが妻の手を引いて江亭前で小舟に乗った。その日は晴れているので子供たちを清流で水浴びをさせてやり夫婦でこれを見守った。


俱飛蛺蝶元相逐,並蒂芙蓉本自雙。
並んで共に飛んでいる小さな腸を夫婦で初めて一緒に追い回した。又二人して芙蓉を腰に佩びとめて本来のように一対となった。
・芙蓉 植物の名。 フヨウのこと。とくに蓮と区別するためには「木芙蓉」とも言った。 古くは往々にして蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用された表現である。フヨウと区別するために「水芙蓉」とも。


茗飲蔗漿攜所便,瓷罌無謝玉為缸。
お茶を飲んだり、サトウキビの搾り汁を用意できるに任せて持参しているし、盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器については富貴のものの持つ輝くような甕缶にひけを取ることはない。
・茗 茶の木。お茶。「茗園・茗器」[難読]茗荷(みょうが)
・蔗漿 サトウキビの搾り汁。
・瓷罌 盛酒漿等をいれる陶器でつくられた容器。白磁の場合もある。
・玉為缸 輝くような甕缶。富貴のものの甕。

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