杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

ふたたび成都

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(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

        
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕 

交遊人物/地點: 高適 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕

(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。

君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。

今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。

今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。

天涯春色催遲暮,別遙添錦水波。

いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。

 

(高常侍に寄せ奉る)

汶上【ぶんじょう】相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。

戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。

今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。

天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。

蜀の山50055 

 

奉寄高常侍』 現代語訳と訳註

(本文)

奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。

總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。

天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。

 

(下し文)

(高常侍に寄せ奉る)

汶上【ぶんじょう】相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。

戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。

今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。

天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。

 

(現代語訳)

(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)

君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。

今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。

いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。

 

(訳注)

奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕

(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)

左散騎常侍高適が長安の都へかえるのにつき別れの意をのべて寄せた詩。広徳二年三月成都の作。

○高常侍 左散騎常侍高適のこと。高適は宝応元年夏、厳武の入朝後に成都尹となったが、吐蕃征伐に失敗して松・維・保などの三州を失った。ために厳武が再び高適に代り、高適は召し還された、764年広徳二年三月のことである、高適は京に還って刑部侍郎となり左散騎常侍に転じ、明年765年永泰元年正月に卒した。散騎常侍は過失をいさめ、侍従顧問にそなわる職である。此の詩は送別の作に似ていることからすれば散騎常侍は着京を待たずして任命されたものである。

 

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。

君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

〇汶上 汶上のほとり、牧水は山東省兗州府の西北にある。

○相逢 高適とあう。

〇年頗多 年数を多く経た。作者が高速・李自らを知ったのは天宝三載ごろで今年広徳二年を去ること二十年前のことである。

○飛騰 元気溌剌としていること、「杜位ノ宅ニテ歳ヲ守ル」詩に「飛騰暮景斜メナリ」、守阿戎家,椒盤已頌花。盍簪喧櫪馬,列炬散林鴉。

四十明朝過,飛騰暮景斜。誰能更拘束,爛醉是生涯。

「贈高式顔」詩贈高式顔

昔別是何処、相逢皆老夫。

故人還寂寞、削跡共艱虞。

自失論文友、空知売酒壚。

平生飛動意、見爾不能無。

 (高式顔に贈る)

昔【むかし】別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。

故人は還()た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。

論文【ろんぶん】の友を失いし自()り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。

平生【へいぜい】飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。(第二冊二二七ページ)に「平生飛動ノ意」の句がある、飛動も飛騰も意は同じ。ただこの時代、最も重要なのは、身分とされており、この詩題に暗いのあがったことを喜ぶものであることから飛騰を昇任の意ととく方がしぜんである。

○那故人何 故人は旧知の友、適をさす、那何は奈何に同じ、「那」と「何」との間に「故人」をはさんで動詞形とした。「奈何ともするなし」とは自己にはかなわないことをいう。

 

總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。

○総戎楚蜀 総戎は軍務をすべておこなえることをいう、楚は江南の地方をさす。高適はさきに揚州大都督・准南節度使であったことがある。蜀は四川省をさす、高適はさきに西川節度使であった。

○応全未 全未の未の字は未だ其の才を尽くさぬことをいう。

〇方駕曹劉 曹劉は三国魏の曹植、劉楨、方駕とは並び馳せることをいう。

○不啻過 はるかに過ぎることをいう。

 

今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。

今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。

○汲 漢の武帝の臣、直諌を好む、常侍の職にあてていう。

○中原 洛陽地方をいう。

憶 作者がおもうのである。一般人が憶うこととするというのでもよい。

○廉頗 戦国の時の趙の良将である、のち漢の文帝は「廉頗・李牧のごとき将を得るならば匈奴を憂えぬ」と歎美した。

 

天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。

いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。

○天涯 天のはて、局地をさす。

○遅暮 人生の晩暮、老衰をいう。

○別涙 送別のなみだ。

○錦水 錦江。

成都遂州00 

 

(高常侍に寄せ奉る)

汶上 相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。

戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。

今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。

天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。

 

 

 

高適の詩

 

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適

 

杜甫の高適に関する詩

 

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奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500

 

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聞高常侍亡【案:自注:忠州作。】

 


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安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

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廣徳2764-57 《有感,五首之五》 ふたたび成都 杜甫<733> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3995 杜甫詩1500-733-970/250021



卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之五 



有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

 Ta唐 長安近郊圖  新02

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

 

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

其五

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)

盜滅人還亂,兵殘將自疑。

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

登壇名假,報主爾何遲。

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

領郡輒無色,之官皆有詞。

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。


感有り,五首の五 

盜滅 人 還える亂る,兵殘 將て自疑す。

登壇 名 假に,主に報うは 爾 何に遲る。

領郡 輒んぞ色無し,之官 皆 詞有り。

願いて聞く 哀痛の詔,端拱 瘡痍を問う。   



『有感,五首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之五 

盜滅人還亂,兵殘將自疑。

登壇名假,報主爾何遲。

領郡輒無色,之官皆有詞。

願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。


(下し文)

感有り,五首の五 

盜滅 人 還える亂る,兵殘 將て自疑す。

登壇 名 假にち,主に報うは 爾 何に遲る。

領郡 輒んぞ色無し,之官 皆 詞有り。

願いて聞く 哀痛の詔,端拱 瘡痍を問う。  


(現代語訳)

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。



(訳注)

有感,五首之五

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)


盜滅 還亂,兵殘 自疑

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

「盜」安史軍は各地で略奪の限りを尽くした。

「滅」10年近くかかって安史軍は殲滅された。

「自疑」安史軍は寄せ集めの軍隊で、その軍の中で勢力争いをして自滅したことをいう。


登壇 ,報主 何遲

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

「登壇」寺廟道觀の壇をいうが、ここでは、朝廷や幕府の施政側の高級官僚のこと。


領郡 輒無色 ,之官 皆有詞

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

「領郡」潘鎮、郡令。

「無色」無気力、忠誠信を持って仕事をしないこと。


願聞 哀痛 ,端拱 瘡痍

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。

「詔」天子の詔。ここでは適切な詔が必要ということ。

「端拱」國を治める道筋。

「問」問題点があること。

大明宮-座標02

 

 

 

 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

 

木蘭02 

 

 



有感,五首之五 

 


 


 


 


 
















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卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之四 


有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

 Ta唐 長安近郊圖  新02

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

 

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

 

『有感,五首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之四 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。由來強幹地,未有不臣朝。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。終依古封建,豈獨聽簫韶。

 

 

(下し文)

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

(現代語訳)

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

唐長安城図

 

(訳注)

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

・青梧 梧桐の青葉の中に天子と皇后が棲む。

 

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

 

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

・鉞 中国の殷・周時代を中心として使用された青銅利器で,斧の類の大型のものをいう。首を飛ばす、足に致命的な打撃を加え動けなくするための武器をいう。《説文(せつもん)》では〈戉〉字を使っている。刃巾の狭い細長い「オノ」を斧、刃巾が広く片側がくびれている「オノ」を鉞(まさかり)と呼ぶ。 斧は大きく切斧と割斧とに分けられる。

 

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

・簫韶 古代虞舜の時代の音楽の簫韶九成をいうが、仁徳で施政するということをいう。三皇五帝の時代に仁徳の施政がなされ、音楽が確立された。帝舜 天下の徳を明らかにする、皆虞舜より始まるということ。

 杜甫像00


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廣徳2764-55 《有感,五首之三》 ふたたび成都 杜甫<731 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3985 杜甫詩1500-731-968/



卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之三 

地點:  洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

 

廣徳元年(763)

  10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。


  驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。 そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。 吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。 代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。 中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。


  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟は集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。


有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

洛陽・鄴州00


 


『有感,五首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之三 

洛下舟車入,天中貢賦均。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

莫取金湯固,長令宇宙新。

不過行儉德,盜賊本王臣。

 


(下し文)

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 


(現代語訳)

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

カンナ223 


(訳注)

有感,五首之三

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

 


洛下 舟車 ,天中貢賦 均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

「洛下」行政地名、洛陽のこと。

「舟車入」安史の乱のため、水路と主要道路が寸断されていて、これを整備するのに近隣の住民に負担を課した。

「貢賦」重税と、賦役を課したこと

 


日聞 紅粟 ,寒待 翠華

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。、

前年とこの年は天候不順であった。税負担が治められる状態ではないのに重税を課したために逃散し、盗賊が増えた。

 


莫取 金湯固,長令宇宙

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

・金湯 金城湯池のこと。1 《「漢書」蒯通伝から。「湯池」は熱湯をたたえた堀》守りが非常に固く、攻めるのが難しい城。金湯。2 堅固で、他から侵害されにくい勢力範囲。

 


不過 儉德 ,盜賊 本王臣

倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

漢魏隋唐の洛陽城

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廣徳2764-54 《有感,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<730> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3980 杜甫詩1500-730-967/250018

  


卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之二 

及地點:  幽州 (河北道南部 幽州 幽州)    ・薊州 (河北道南部 薊州 薊州)    ・越裳 (嶺南道西部 驩州 越裳)  ・華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳     

  

 

有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 

(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二 

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。 

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。


(感有り,五首の二) 

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。   


杜甫 体系 地図458華州から秦州

『有感,五首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之二 

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

諸侯春不貢,使者日相望。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

大君先息戰,歸馬華山陽。 

 


(下し文)

(感有り,五首の二) 

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。 

 

(現代語訳)

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(訳注)

有感,五首之二 

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

 

幽薊 蛇豕 ,乾坤 尚虎狼

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

「幽薊」幽州、薊州。安史軍が放棄した拠点地点。

「餘」語義類別:其他、數詞、概量數詞、餘。

「蛇豕」語義類別:物、生物、動物專名(合稱)、蛇豬。

「乾坤」語義類別:其他、專業術語、道家語、乾坤。

「虎狼」語義類別:物、生物、動物專名(合稱)、虎狼。

 

諸侯 不貢 ,使者 相望

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

〈この聯の背景〉

安史の乱の間、租庸の徴収できなかった分や逃散した人間の分を計算して、全て徴発した。 豪吏を選んで県令として、これを督促させる。未収分の有無や貨の高下を問わず、 民が粟や帛を持っていたら全て摘発して、その半分を徴収する。甚だしい者は、 八、九割を租庸として奪って行った。 これを「白著」と言った。

  不服な者は厳刑へ処する。穀物を十斛も持っている民は、足枷をつけられて処罰を待つ有様だから、 大勢の人間が、山や沢に集まって群盗となった。 州県は、これを止められなかった。

他方、民間が飢饉で、租庸の徴収もできない。 将士への兵糧や棒給も不十分だった。朔方邏諸道行営都統・李国貞は、書状で訴えたが、朝廷からは返答がない。 軍中に不満が渦巻いた。


慎勿 吞青海 ,無勞 越裳

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

「青海」青海省辺りの地域は吐蕃によって侵略された地域である。

「越裳」越裳(えつしょう)は、中国後漢の王充の著書『論衡』にあらわれる、中国南部に居住していたとみられる民族の名称である。。


大君 先息戰 ,歸馬 華山

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

「陽」76312月、渭水の北を通って長安に帰ったことをいう。

 

廣徳元年(763)10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。
  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は
広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。


  11月、代宗皇帝は程元振の官爵を削り、田里へ放帰した。


  12月 丁亥の日、吐蕃軍が去ったことを知り、車駕が陜州を出発し、京師へ戻った。
この時、左丞・顔眞卿は、まず陵廟へ謁してから宮へ帰るよう 代宗皇帝へ請うた。

  甲午の日、代宗皇帝が長安へ到着する。

  吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山 に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。

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この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

 


廣徳2764-53 《有感,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<729 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3975 杜甫詩1500-729-966/250017

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廣徳元年(763)  10月、

吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。

  12月 吐蕃軍が去った。吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山 に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。

 


廣徳2年(764)

吐蕃軍が長安へ入った時、 諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。

子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、 これを討たせたのだが、 数ヶ月掛けても鎮圧できない。

僕固懐恩が叛旗を翻した。

3月、己酉の日、劉晏を河南、江、淮以来転運使として、 汴水の水路を開くことを計画した。

7月、代宗皇帝は青苗銭という税を取りはじめる。

  8月、僕固懐恩はウイグルと吐蕃兵十万を誘って侵攻して来た。 長安は震感した。

  僕固懐恩と10万の吐蕃軍のは 奉天に迫った。首都・長安は震撼し、 急いで郭子儀が涇陽に駐屯させられた。

 


「有感,五首」はこうした情勢を憂いて作ったものである。

 


有感,五首之一 

將帥蒙恩澤,兵戈有年。至今勞聖主,何以報皇天。 

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。乘槎斷消息,無處覓張騫。   

 


有感,五首之二 

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。諸侯春不貢,使者日相望。

慎勿吞青海,無勞問越裳。大君先息戰,歸馬華山陽。 

 


有感,五首之三 

洛下舟車入,天中貢賦均。日聞紅粟腐,寒待翠華春。

莫取金湯固,長令宇宙新。不過行儉德,盜賊本王臣。

 


有感,五首之四 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。由來強幹地,未有不臣朝。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。終依古封建,豈獨聽簫韶。

 


有感,五首之五 

盜滅人還亂,兵殘將自疑。登壇名假,報主爾何遲。

領郡輒無色,之官皆有詞。願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。   

 


 


これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100

-14

 

764年廣徳2年 杜甫53歳 100

 

年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之一 

 


 


有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有歲年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

 


華州から秦州同谷成都00 


『有感,五首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之一 

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

至今勞聖主,何以報皇天。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

乘槎斷消息,無處覓張騫。

 


(下し文)

(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る。

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

 


(現代語訳)

(その一は西域のことについて思うことがある)

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(訳注)

有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

其一は、代宗が長安から陜州へ逃げ、吐蕃やウイグル対策を講じようとしないで、そのまま都を洛陽に遷都しようとしたことをいう。

 


將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

・「將帥」大軍を統率する人。大将。

・「恩澤」〔古くは「おんだく」とも〕 めぐみ。いつくしみ。おかげ。

・「兵戈」戰爭活動、戰爭。

 


至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、始祖から続いてきた皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

・「勞」つかれる いたわる ねぎらう。1 精を尽くして働く。骨折り。2 精が尽きて疲れる。3 ねぎらう。4「労使・労農・労連」5すなどる。つとむ

・「聖主」聖主。 現在の代宗は苦労すること。

・「皇天」唐の始祖、太祖をいう皇帝。

 


白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

雲台二十八将

光武帝の事業を助けた功臣団として「雲台二十八将」がある。第2代の明帝が前代の名臣28人の像を洛陽南宮の雲台に描かせ、その功績を称えたものである。序列順に挙げると

鄧禹、呉漢、賈復、耿弇、寇恂、岑彭、馮異、朱祜、祭遵、景丹、蓋延、銚期、耿純、臧宮、馬武、劉隆、馬成、王梁、陳俊、杜茂、傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植

28人である。

また、雲台には二十八将と並び李通、竇融、王常、卓茂の4人も加えられ、計32人が顕彰された。「雲台三十二将」と称することもある。

なお、功臣の一人である馬援は、その娘が明帝の皇后となったため(明徳馬皇后)外された。

 


乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

・「張騫」張騫は中国前漢代の政治家、外交官。字は子文。漢中郡の出身。武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらした。張騫が持ち帰った西域の知識は極めて貴重なものであり、それまで漢にとって全くと言って良いほど状況が解らなかった西域が、これ以降は漢の対匈奴戦略の視野に入ってくることになる。この功績により太中大夫とされる。
鳳翔から華山長安付近

廣徳2年764年-52 《懷舊》 ふたたび成都 杜甫<728> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3970 杜甫詩1500-728

地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。もっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、死と生という別々になってしまうのであろうか。

 

廣徳2764-52 《懷舊》 ふたたび成都 杜甫<728> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3970 杜甫詩1500-728

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これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首
#-14764年廣徳2年 杜甫53歳 100首


年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 懷舊 

旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。広徳二年の作。

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

(公前の名は預、御諒を避け、名を源明と改む)

 

 

懐旧

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

地下蘇司業,情親獨有君。

那因喪亂後,便有死生分。

老罷知明鏡,悲來望白雲。

自從失詞伯,不復更論文。

(旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。)

もはや地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。自分のもっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。

安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、「死」と「生」という別々になってしまうのであろうか。

自分が老いはてたことは、鏡にはっきりと知られてしまっている。君が死んだときいて、悲しみがこみあげてくるばかり、遠く白雲のかなたを眺め遣るだけなのである。

君という文壇の長を失くしたからには、自分としてはこれまでのように文章のことを論じることがもうできはしないのである。

 

(旧を懐う)

(杜甫の注;公前の名は預、御諒を避け、名を源明と改む)

蘇司業を地下にし、情親するは独り君有るだけ。

那ぞ喪乱の後も因るや、便ち死生の分かるる有るやと。

老い罷むこと明鏡に知り、悲しみ来ること白雲を望む。

伯を失いしより、更に文を論ずるを復たず。

杜甫草堂詳細図02 

 

『懷舊』 現代語訳と訳註

(本文)

懐旧

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

地下蘇司業,情親獨有君。

那因喪亂後,便有死生分。

老罷知明鏡,悲來望白雲。

自從失詞伯,不復更論文。

 

 

(下し文)

(旧を懐う)

(杜甫の注;公前の名は預、御諒を避け、名を源明と改む)

蘇司業を地下にし、情親するは独り君有るだけ。

那ぞ喪乱の後も因るや、便ち死生の分かるる有るやと。

老い罷むこと明鏡に知り、悲しみ来ること白雲を望む。

詞伯を失いしより、更に文を論ずるを復たず。

 

(現代語訳)

(旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。)

もはや地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。自分のもっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。

安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、「死」と「生」という別々になってしまうのであろうか。

自分が老いはてたことは、鏡にはっきりと知られてしまっている。君が死んだときいて、悲しみがこみあげてくるばかり、遠く白雲のかなたを眺め遣るだけなのである。

君という文壇の長を失くしたからには、自分としてはこれまでのように文章のことを論じることがもうできはしないのである。

題新津北橋棲00 

 

(訳注)

懐旧

(旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。)

○懐旧 ふるきをおもう、旧友をおもうこと。

755年;天平勝寶七年、44歳の時に124『戲簡鄭廣文虔兼呈蘇司業源明』をつくっている。(蘇源明,武功の人,東平太守をしていたものだが,召されて國子司業に就いていた。)

戲簡鄭廣文虔兼呈蘇司業源明

廣文到官舍,繫馬堂階下。

醉則騎馬歸,頗遭官長罵。

才名四十年,坐客寒無氈。

賴有蘇司業,時時與酒錢。

 

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

○蘇司業 国子司業の官である蘇源明、作者の注によれば、源明は初めの名は預といったが天子の御諒(唐の代宗は名を予という、予と預と同じ音の字ゆえさしさわりがあるのである)を避けて源明と名を改めたというのである。源明は広徳二年に長安において沒した。

 

地下蘇司業 ,情親 獨有 君 。

もはや地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。自分のもっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。

○司業 国子監の教授。隋の煬帝(ようだい)の時に置かれ、 清代に廃止。今の大学教授にあたる。

○情親 誼情の親しいもの。

 

那因喪亂後 ,便有 死生 分 。

安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、「死」と「生」という別々になってしまうのであろうか。

○喪亂 安史の乱をいう

 

老罷知 明鏡 ,悲來 望 白雲 。

自分が老いはてたことは、鏡にはっきりと知られてしまっている。君が死んだときいて、悲しみがこみあげてくるばかり、遠く白雲のかなたを眺め遣るだけなのである。

○老罷 罷はやむこと、老は老了のごとく、老いはてたことをいう。

○知明鏡 かがみがそれを知っている。

悲來 悲來とは悲しみのつづいて生ずることをいう。

○望白雲 蘇は長安で没した、作者は成都にあり、相い隔たること遠く、剣南山脈、秦嶺山脈、と高い山々を超えるため、白雲をのぞむという。

 

自從失詞伯,不復 更論 文 。

君という文壇の長を失くしたからには、自分としてはこれまでのように文章のことを論じることがもうできはしないのである。

○詞伯 辞伯 に同じ尊稱美稱、伯は長をいう、詞伯は文壇の長である、蘇をさしていう。

○論文 文章のことについて論ずる。
蜀の山50055

廣徳2年764-51 《題桃樹》 ふたたび成都 杜甫<696> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3965 杜甫詩1000-696-964/150015

杜甫《題桃樹》これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。


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廣徳2764-51 《題桃樹》 ふたたび成都 杜甫<696> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3965 杜甫詩1000-696-964/150015

これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首
#-14764年廣徳2年 杜甫53歳 100首





卷別: 卷二二六  文體: 七言律詩 

詩題: 題桃樹 

寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

寫及地點:   





題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。



(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。


杏の花01




題桃樹』 現代語訳と訳註

(本文)

題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。


(下し文)

(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。



(現代語訳)

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。

海棠花05

(訳注)

題桃樹

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

浣花渓には蕭実からもらった百本の桃を植えている。、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>

桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

五本の樹は①貧しい者たちにも木の実を口にすることが出来。

②花が咲き乱れるのをこの目で見る

③ツバメが子を産んで何度も餌を運び

④「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

⑤天下太平になった

ということを示してくれる。

杏の花022

小徑升堂 舊 不斜 ,五株 桃樹 亦從遮 。

園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。



高秋總餧 貧人 實 ,來 還舒滿眼 花 。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

「餧」餵。餵・餧)】 (1)(動物を)飼育する,餌(えさ)をやる:*牛~草|牛に草を食べさせる.(2)(病人や赤ん坊などに)食べさせる,口に食べ物を運ぶ.

「來」範圍時間(年)、來年。

「舒」(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S‐ )姓.舒 shūchàng[形]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[形]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.


每宜通乳燕 ,兒童 莫信 打 慈鴉 。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

「鴉」慈烏反哺

子が親の恩に報いて孝養を尽くすこと。親孝行のたとえ。情け深いからすが幼いときの恩を忘れず、老いた親に口移しで餌えさを与える意から。▽「慈烏」はからすの異称。からすは、幼いとき親が口移しで餌を与えてくれた恩を忘れず、成長すると親に餌を与えてその恩を返すという。「哺」は口中の食物のこと。

寡妻群盜 非 今日 ,天下 車書 正一家 。
これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。
 

廣徳2年764-50 《觀李固請司馬弟山水圖,三首之三》 ふたたび成都 杜甫<695> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3960 杜甫詩1000-695-963/150014

高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。


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index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首
index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
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廣徳2764-50 《觀李固請司馬弟山水圖,三首之三》ふたたび成都 杜甫<695> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3960 杜甫詩1000-695-963/150014

 




年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 觀李固請司馬弟山水圖,三首之一 

及地點:  天台山 (江南東道 台州 天台山)     

交遊人物: 李固 ・ 司馬
 

 

 觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

簡易高人意,匡床竹火爐。

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

寒天留遠客,碧海挂新圖。  

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

雖對連山好,貪看島孤。  

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

群仙不愁思,冉冉下蓬壺。  

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。
 

觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の二)

方丈渾連水,天台總映雲。 

神仙の方丈山は蒼海の水の向うに連なっているし、こちらの仙郷の天台山はそのすべてが雲に乗ったように映している。

人間長見畫,老去恨空聞。 

人の世というものは長い歴史でこの画を見るようなものである。老人になって俗世を去るという伝説の話を空しく聞いて恨みに思うものである。

范蠡舟偏小,王喬鶴不群。 

それがここに描かれていて、范蠡は呉を破った後、としおいて小舟に乗って隠遁したし、王子喬は鶴に乗って昇天し、仙人になるに鶴が群れをなしたわけではない。

此生隨萬物,何路出塵氛。 

この世を生きてゆくには万物の成長に逆らわず随って行くことであり、それが何処に向かう道であっても世の俗物の気分の中から抜け出るということなのである。

 

觀李固請司馬弟山水圖,三首之三 

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の三)

高浪垂翻屋,崩崖欲壓床。 

高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。

野橋分子細,沙岸繞微茫。 

それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。

紅浸珊瑚短,青懸薜荔長。 

その南の向こうに東海には赤い珊瑚が短く沈みこんでいる。手前には青く棚にかかっているイチジクの葉が描かれている。

並坐得,仙老暫相將。 

その海には浮いて揺れている船が画かれ、それを座ってみようとしている人がいる。それは仙界入っていった老人がしばらくそこで暮らして、互いに助け合っているということなのだ。

 

(李固が司馬の弟に請うて山水圖を觀る,三首の三)

浪を高くし 垂れ屋に翻えり,崖を崩し 床を壓せんと欲す。 

野橋 分子細くし,沙岸 微茫を繞る。 

紅 浸す 珊瑚 短くするを,青 懸る 薜荔 長くするを。 

 並びに坐して 得,仙老 暫く相い將く。 

四川省西部地区略図 

 

『觀李固請司馬弟山水圖,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之三 

高浪垂翻屋,崩崖欲壓床。 

野橋分子細,沙岸繞微茫。 

紅浸珊瑚短,青懸薜荔長。 

並坐得,仙老暫相將。 

 

(下し文)

(李固が司馬の弟に請うて山水圖を觀る,三首の三)

浪を高くし 垂れ屋に翻えり,崖を崩し 床を壓せんと欲す。 

野橋 分子細くし,沙岸 微茫を繞る。 

紅 浸す 珊瑚 短くするを,青 懸る 薜荔 長くするを。 

 並びに坐して 得,仙老 暫く相い將く。 

 

(現代語訳)

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の三)

高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。

それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。

その南の向こうに東海には赤い珊瑚が短く沈みこんでいる。手前には青く棚にかかっているイチジクの葉が描かれている。

その海には浮いて揺れている船が画かれ、それを座ってみようとしている人がいる。それは仙界入っていった老人がしばらくそこで暮らして、互いに助け合っているということなのだ。

 

 (訳注)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の三)

弟は別本では第、題となっており、司馬が題した神仙三山、或は五山を描いた「山水図」について詠ったものである。

 

高浪 翻屋 ,崩崖 欲壓床

高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。

 

野橋 子細 ,沙岸 微茫

それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。

 

紅浸 珊瑚 ,青懸 薜荔

その南の向こうに東海には赤い珊瑚が短く沈みこんでいる。手前には青く棚にかかっているイチジクの葉が描かれている。

「薜荔」オオイタビはクワ科イチジク属の常緑つる性木本。東アジア南部に分布し、日本では関東南部以西、特に海岸近くの暖地に自生し、栽培もされる。茎から出る気根で固着しながら木や岩に這い登る。オオイタビの名は、イタビカズラに似て大型であることによる。台湾に生育する変種のアイギョクシは果実を食用に用いる。。

 

並坐 得,仙老 相將。

その海には浮いて揺れている船が画かれ、それを座ってみようとしている人がいる。それは仙界入っていった老人がしばらくそこで暮らして、互いに助け合っているということなのだ。

「浮」漂浮海上的木筏。、船。

「將」ひきいる。すすめる。たてまつる。
江畔独歩尋花


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#-14764年廣徳2年 杜甫53歳 100首

廣徳2年764-49 《觀李固請司馬弟山水圖,三首之二》 ふたたび成都 杜甫<694> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3955 杜甫詩1000-694-962/150013

人の世というものは長い歴史でこの画を見るようなものである。老人になって俗世を去るという伝説の話を空しく聞いて恨みに思うものである。それがここに描かれていて、范蠡は呉を破った後、としおいて小舟に乗って隠遁したし、王子喬は鶴に乗って昇天し、仙人になるに鶴が群れをなしたわけではない。

 

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空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

 

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廣徳2764-46 《觀李固請司馬弟山水圖,三首之一》 ふたたび成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3835 杜甫詩1000-670-961/1500780

 


これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首
#-14764年廣徳2年 杜甫53歳 100首


製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 觀李固請司馬弟山水圖,三首之一 

及地點:  天台山 (江南東道 台州 天台山)     

交遊人物: 李固 ・ 司馬

 


 


觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

簡易高人意,匡床竹火爐。

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

寒天留遠客,碧海挂新圖。 

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

雖對連山好,貪看島孤。 

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

群仙不愁思,冉冉下蓬壺。 

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。

(李固が司馬弟に請うて山水圖を觀る,三首の一)

簡易 高人の意,匡床 竹火の爐。 

寒天 遠客を留め,碧海 新圖を挂る。 

連山の好に對すと雖も,貪く看る 島孤をるを 

群仙 愁思にあらず,冉冉として蓬壺に下る。 

江畔独歩尋花 


 


『觀李固請司馬弟山水圖,三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

簡易高人意,匡床竹火爐。 

寒天留遠客,碧海挂新圖。 

雖對連山好,貪看島孤。 

群仙不愁思,冉冉下蓬壺。 

 


 


(下し文)

(李固が司馬が弟に請うて山水圖を觀る,三首の一)

簡易 高人の意,匡床 竹火の爐。 

寒天 遠客を留め,碧海 新圖を挂る。 

連山の好に對すと雖も,貪く看る 島孤をるを。 

群仙 愁思にあらず,冉冉として蓬壺に下る。 

 


(現代語訳)

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。

杜甫詩年譜INDEX00

 


(訳注)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

弟は別本では第、題となっており、司馬が題した神仙三山或は五山を描いた「山水図」について詠ったものである。

 


簡易 高人 ,匡床 火爐

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

・「簡易」蕩佚簡易【とういつかんい】、物事に対して寛大で余裕のある様。 煩雑を省いて大らかな態度で物事を行なうこと。のんびりとして自由な様子。 蕩佚は物事に対して寛大でゆるやかなことを意味する。辺境治道の要諦を訪ねた任尚に対して班超が「政治が察に過ぎれば下々に安んずる場がなくなります。宜しく蕩佚簡易なるを旨とすべきでしょう」と答えた故事から。

・「高人」高士の用語解説 - 1 志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。「―世に容()れられず」2 世俗を離れて生活している高潔な人物。隠君子。

「意」語義類別:人、狀態、心神氣力、意。

「床」唐代の「ベッド」は「匡床」と呼ばれており、唐詩にはよく登場している。・「願君解羅襦、一酔同匡床」(願はくは君 羅襦を解き、一酔して匡床を同じくせんことを)(唐・喬知之「倡女行」、『全唐詩』第81巻)・「山人無事秋日長、白昼眠匡床」(山人 事無く 秋日長し、白昼 として匡床に眠る)(唐・劉禹錫「観棋歌送師西遊」、『全唐詩』第356巻) 「匡床」の形は現代のものとやや違う。その名前のとおり、三面もしくは三面半にフレームを使用し、それにテントが張られているベッドである。現在の中国ではほとんど使われなくなったが、南方の農村部ではたまに見られる。『中国語大辞典』(1994年版、角川書店)では、「角型のベッド、=筐床」と解説され、学校図書版の平成18年版教科書『中学校 国語3』には、「古い時代の寝台」という説明があり、イラストも付いている。また、吉川幸次郎はその著『新唐詩選』に、「床はベッドであるが、中国のベッドは西洋のそれぐらいの大きさ、あるいはそれ以上の大きさで、部屋の中央に位する。人は夜そこでねるばかりではない。昼間の何くれとない時間をも、その上でくつろぎつつすごす」とベッドの大きさ・置かれた位置・機能を指摘している。

 


 


寒天 遠客 ,碧海 新圖

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

「寒天」空部分が広く採られている。神仙をイメージさせるもの。

「遠客」後に出てくる、仙郷に向かう旅人をいう。

「碧海」綠の海原。仙界に向かう海、蒼海のこと。

「挂」画きくわえられていることをいう

「新圖」新しく書き加えられたものが全体の絵の中で目立ったものになったのであろう。。

 


雖對 連山 ,貪看

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

 


群仙 愁思 ,冉冉 蓬壺

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。

・「群仙」神仙の五山をいうがそれらの山々の中で雄雄しく書かれているのが中央に蓬莱山である。。

・「冉冉」しだいに進んでいくさま。また、徐々に侵していくさま。。

・「蓬壺」語義類別:地、閬苑仙境、仙境、蓬壺。《形が壺(つぼ)に似ているところから》蓬莱山(ほうらいさん)の異称。内裏や上皇の御所のたとえ。

五神山

仙人が住むといわれていた五神山には蓬萊、方丈、瀛州、岱輿、員喬があり、そのうちの「岱輿」及び「員喬」は流れて消えてしまったとされている。

東方三神山

蓬萊、方丈・瀛州を東方の三神山といい、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海(渤海とも言われる)にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。徐福伝説を記した司馬遷『史記』巻百十八『淮南衝山列伝』で記されている。

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廣徳2年764-45 《寄賀蘭銛》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3830 杜甫詩1000-669-960/1500779

杜甫《寄賀蘭銛》(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。

 

2014年3月2日

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作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 寄賀蘭銛 

作地點: 目前尚無資料 

交遊人物: 賀蘭銛

 

 

寄賀蘭銛

(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)

朝野歡後,乾坤震蕩中。 

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。

相隨萬里日,總作白頭翁。 

それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。

晚仍分袂,江邊更轉篷。 

いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。

勿云俱異域,飲啄幾回同。 

この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。 

(賀蘭銛【がらんせん】に寄す)

朝野 歓娯【かんご】の後なれば、乾坤 震蕩【しんとう】の中にあり。

相い随う万里の日、総て白頭翁と作る。

歳晩 を分かち、江辺 更に転蓬なり。

云う勿れ 供に異域なりと、飲啄【いんたく】幾回か同じうせん。

成都関連地図 00 

『寄賀蘭銛』 現代語訳と訳註

(本文)

寄賀蘭銛

朝野歡後,乾坤震蕩中。 

相隨萬里日,總作白頭翁。 

晚仍分袂,江邊更轉篷。 

勿云俱異域,飲啄幾回同。 

 

(下し文)

(賀蘭銛【がらんせん】に寄す)

朝野 歓娯【かんご】の後なれば、乾坤 震蕩【しんとう】の中にあり。

相い随う万里の日、総て白頭翁と作る。

歳晩 仍お袂を分かち、江辺 更に転蓬なり。

云う勿れ 供に異域なりと、飲啄【いんたく】幾回か同じうせん。

 

(現代語訳)

(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。

それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。

いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。

この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。

江畔独歩尋花 

 (訳注)

寄賀蘭銛

(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)

○賀蘭錆 事歴は評かでない。別にこの詩の数か月前に「贈別賀蘭銛」(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)詩がある。廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

 

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

 

朝野歡後,乾坤震蕩中。

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。

○歓娯 太平であった時をいう。「開元の治」の頃をいう。杜甫は仕官をしてはいなかったが、人的交流が最も多い時期であった。

○震蕩 ふるいうごく、755年安史の乱以降の騒乱の時をいう。

 

相隨萬里日,總作白頭翁。

それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。

○相随万里日 「万里相随日」の意、日は時をいう。

○総 二人をくるめていう。

 

晚仍分袂,江邊更轉篷。

いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。

○歳晩 としのくれ、前の贈別の詩は春のことである、思うに賀蘭銛は長安の状況により、年末まで出発できなかったのであろう。

○転蓬 根無し蓬が風に吹かれ、転がり歩く如く彷徨う。

 

勿云俱異域,飲啄幾回同。

この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。

○俱異域 異域は郷土に対する他の地をいう、蜀の地をさす、供とは彼我二人をいう。

○飲啄 のみ、ついばむ、鳥の飲食することをいうことばである、これを人に用いるのは食べる御馳走がなくて、酒しかないということをあらわす。貧乏をしていること、苦しいことが言いたいという解釈をしているものがあるが、杜甫は結構この生活を楽しんでいる。

 杜甫像00

廣徳2年764-38 《過南鄰朱山人水亭》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3825 杜甫詩1000-668-959/1500778

杜甫《過南鄰朱山人水亭》朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。

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廣徳2764-38 《過南鄰朱山人水亭》 ふたたび成都 杜甫<668 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3825 杜甫詩1000-668-959/1500778

 

 

年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 過南鄰朱山人水亭 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

交遊人物/地點: 朱山人 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 


過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ
幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。

(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。

草堂002

『過南鄰朱山人水亭』 現代語訳と訳註
(
本文)
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。


(下し文)
(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。


(現代語訳)
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。

江畔独歩尋花
(訳注)
過南鄰朱山人水亭
この篇は作者が南鄰の朱山人の水辺の亭によぎったことをしのぶ。広徳二年に作者が成都に復帰したときの作とする。詩の内容から761年春と考えられる。


相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
・参差 [1]長短の等しくないさま。そろわないさま。[2]入りまじるさま。入り組むさま。


幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。


辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
・辟客 遠いところからの客。隣りにもかかわらず互いに訪問するということがなかったということの意味。


看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。
・道東 道士の中で東に座るべき人だ。東に主人で西に弟子が座るのでこういう。

 竹林001

過南鄰朱山人水亭 

相近竹參差,相過人不知。 

幽花攲滿樹,小水細通池。 

歸客村非遠,殘樽席更移。 

看君多道氣,從此數追隨。  
(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。
 

廣徳2年764-36-4 《太子張舍人遺織成褥段―#4》 ふたたび成都 杜甫<667-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3820 杜甫詩1000-667-#4-958/1500 777

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#4そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。


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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 13-3《 虞美人六首 其三 》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集」Gs-455-13-(3) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3822
薛濤の全詩 花間集(1) 花間集(2) 花間集(3) 花間集(4) 花間集(5)
魚玄機全詩
温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻
毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻
魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻
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廣徳2764-36-4 《太子張舍人遺織成褥段―#4》 ふたたび成都 杜甫<667-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3820 杜甫詩1000-667-#4-958/1500 777

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(下し文)

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

 

(現代語訳)

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

菖蒲02 

(訳注)#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

○皆聞 李鼎と驕貴の二人ともみな、富貴のものは誰でも。

○黄金多 かねをたくさんためこむ。かねはいずれも人民のものを搾取、略奪・奪取したもの。

○悔吝 ・悔は後悔、・吝りん【吝】[漢字項目]とは。意味や解説。[音]リン(呉)(漢)[訓]やぶさかしわい物惜しみをする。けち。「吝嗇(りんしょく)/倹吝・慳吝(けんりん)」。

 

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

○田舎翁 いなかおやじ、自己をいう。

○厚貺 あついたまもの。

以上は更に推しひろめて奪惨の例をひき、縟段をうけるべきではないことをいう。

 

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

○錦鯨 にしきのくじら、禅段の模様。

○還 返す、もどす。

 

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

○粗席 粗末なむしろ、杜甫が客をもてなすこと。。

○茄 食ろう、くわせることをいう。

○藜羹 【れいこう】あかぎのお汁。アカザのあつもの。転じて、粗食。藜羹を食らう者は大牢の滋味を知らず。《「藜羹」は粗食、「大牢」はすばらしいごちそうの意》粗食に慣れた者にはごちそうの味がわからない。つまらない人間には高尚なことや重大なことは理解できないことのたとえ。

以上は自己の貧賎を以て満足することをいう。
杜甫像0012 

廣徳2年764-36-3 《太子張舍人遺織成褥段―#3》 ふたたび成都 杜甫<667-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3815 杜甫詩1000-667-#3-957/1500

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#3「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。


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太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

江畔独歩尋花 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

 

(下し文)

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

来瑱【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

(現代語訳)

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

 

(訳注) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

○当路子 要路に当たっている人、権勢の地位にある臣。上の権威、権力を利用し、その権勢をほしいままにするもの。

 

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

○衣馬肥軽 『論語(雍也)』「乗肥馬、衣軽裘」軽くて美しいかわごろもと肥えた馬。富貴な人の外出の時のいでたち。転じて富貴な人。

 

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

○李鼎死岐陽 粛宗の上元二年、羽林大将軍李鼎を以て鳳翔尹・興鳳隴陳等州節度使と為した、二月、党項羌が宝雞に寇して、大散関に入り、鳳州を陥れたとき、鼎はこれを邀え撃った。六月、鼎を以て鄯州刺史・隴右節度史と為した、しかし其の死は史書には見えない。此の詩に「死岐陽」というのは、思うにまだ瀧右に至らぬうちに非命に死んだものであろう。

○驕貴盈 驕貴はおごりと、地位の貴いこと、盈は十分驕貴を極めたこと。

 

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

○来瑱 宝応元年、来瑱が山南東道節度使となったとき、裴莪は瑱を屈強にして制し難しと表したため、粛宗は潜かに莪をして瑱を図らしめたが、六月、瑱は莪を申口に擒にし入朝して罪を謝した、広徳元年正月、莪を播州の尉に配し、翌日死を鄂県に賜うた。

〇自盡 自殺すること。

○気豪 気のあらいこと。

○阻兵 兵を恃むこと、「左伝」(隠公四年)に「兵を阻みて忍に安んず」「兵を阻めば衆なし」とみえる。
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廣徳2年764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#2このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。


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太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

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逶迤羅水族,瑣細不足名。

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客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。
服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

 

8世紀唐と周辺国00 

太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

 

(下し文)

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

(現代語訳)

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

江畔独歩尋花 

(訳注) 2

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

 

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

○領 うけいれる。

○珍重意 珍重とは珍とし貴重なものであることをいう。

○公卿 三公九卿、高位の臣。

 

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

○留之 之とは樽段をさす、留とはもらって自分の手もとにとめおくこと。

○不祥 不書。

○施之 施とは用いること、敷きこむことをいう、之は褥段。

○混柴荊 柴荊の門庭において他物と混雑することをいう。

 

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

○服飾 身につけかざるもの。

○定尊卑 人の身分のとうときといやしきとをきめる。

○万古程 千年万年にわたってかわらぬ「のり」のこと。

 

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

○裋褐 毛で織った粗末な着物の上に着る毛布のような上チョッキ。裋褐の意味や日本語訳。ピンインshùhè((文語文[昔の書き言葉])) 粗末な木綿の服.

○更無営 他に求め為すことがない、それで満足している。

 

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

○煌煌 かがやくさま、「物」へかかる語。

○珠宮「楚辞」にみえる、竜宮のこと、禁中をさしていう。

○寝処 寝たり起きたりその上に居ることをいう。以上は褥段を受けてはならぬことをいう。
成都遂州00 

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杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#1》 シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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廣徳2764-36-1 《太子張舍人遺織成褥段―#1》 ふたたび成都 杜甫<667-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3805 杜甫詩1000-667-#1-955/1500774

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

カンナ223 

客の珍重なる意を領す 顧【おも】うに我は公卿に非ず

之を留むるは不祥ならんことを憤る 之を施せば柴荊【さいけい】に混ず

服飾は尊卑を定む、大なる哉 万古の程。

今我一機老なり 短裾更に営むこと無し

塩焼たり珠宮の物 寝処するは禍の嬰る所なり』

【】

嘆息す当路の子 千曳尚お縦横なり

掌握権柄有り 衣馬自ずから肥軽

李鼎岐陽に死するは 実に騎貴盈つるを以てなり

来項目尽を賜うは 気豪にして直ちに兵もて阻めばなり

皆聞く黄金多しと 坐ろに見る悔香の生ずるを

奈何ぞ田舎翁 此の厚姐の情を受けん』

錦鯨巻きて客に還す 始めて覚ゆ心の和平なるを

我が鹿席の塵を振い 客に奉糞を茄らわしむるに愧ず』

江畔独歩尋花 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #1

客從西北來,遺我翠織成。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

客雲充君褥,承君終宴榮。

空堂魑魅走,高枕形神清。

 

(下し文)

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神清しと。』

 

(現代語訳)

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

杜甫像00杜甫像00 

(訳注) #1

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

○太子張舎人 太子舎人張某。

○遺 貽【おく】る。

○織成 毛織りもの。

○褥段 しとねにする絨段。

 

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

○客 つかいの人。

○西北 何れの地をさすかは不明だからこう表現した。ペルシャ織物がシルクロード通過する北西の方向になる。

○翠 みどり。

 

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

○緘 篋をカラガクもの、封緘。

○風涛 海の波模様をいう。

○掉尾鯨 尾をうごかすくじら。

 

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

○逶迤 うねりつづく。

○水族 魚類。

○瑣細 こまかなもの。

○名 名ざしていう。

 

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

○充君褥 以下、次の聯「形神清」までは客の言である。

○君終宴栄 栄を荷なうというのに似る、謙遜のあいさつである。終宴は宴が始まって終りまで。

 

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

○空堂 人のいない座敷。

○魑魅走 怪物が逃走する。

○高枕 たかまくらで寝る。

○形神 肉体も精神も。

○清 すがすがしい。以上は客、樽段を持っておくりその効能を述べたことを叙する。

8世紀唐と周辺国00

廣徳2年764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

杜甫《揚旗―#3》去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。


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廣徳2764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

 

 

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこばせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

江畔独歩尋花 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。
我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

公來練猛士,欲奪天邊城。 

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕  #1

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

#2 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

#3 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #3

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

(下し文)

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

(現代語訳)

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

成都西側002

(訳注)

揚旗#3〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

三州 犬戎 ,但見 西嶺

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

「三州」松州、雅州、卭州。廣德元年,劍南節度高適の軍が間に合わず、吐蕃が来寇し保寧都堵府の管轄の松、維と保三州が陥落した

「陷」戰爭活動、陷落。侵略

「犬戎」西方異民族、ここでは吐蕃。

「西嶺」西嶺山脈。元来吐蕃国境の山脈をいう。

「青」綠。雪をかぶった山脈に春が来て緑に変わること。

 

 

公來 練猛士 ,欲奪 天邊

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

「公」厳武公。成都尹、東西川節度使

「「猛士」壯士。

「天邊城」保寧都堵府など国境周辺の城郭。

 

此堂不易 升,庸蜀 已寧

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

「此堂」成都尹、東西川節度使の幕府の奥の堂。幕府のスタッフ。

 

吾徒 且加餐 ,休適 與荊

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。
成都遂州00

廣徳2年764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

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廣徳2764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

 

 

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

松03 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #2

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

 

(下し文)

回回として飛蓋を偃し,熠熠として流星を迸ぶ。

來纏は 風飆して急なり,去擘するは山岳傾けり。

材歸る 俯して身は盡くするを,妙取す 略地は平らかにするを。

虹霓 掌握に就き,舒卷 人輕に隨う。

 

(現代語訳)

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

杜甫像00 

 

(訳注)

揚旗#2〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

回回 飛蓋 ,熠熠 流星

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

「回回」成都尹から都に呼び戻され、そして今度は成都に戻ってきたこと。

(若い時から定住していないこと、しかも、762年厳武が都に還されるときに梓州まで見送って以来実質一年半年閬州を中心にめぐり廻った。)周り回って、移動し、風に吹かれ、車の傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせ、逃げ惑ったものだ。

「偃」1 風になびく。「草に風を加ふる時は―・さずといふ事なし」〈太平記・八〉2 ひれ伏す。平伏する。付き従う。のいふす。

「飛蓋」屋根の変わりに車に立てた傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせる。東晉・陶潛の『詠荊軻』「登車何時顧,飛蓋入秦庭。」(車に登りては何れの時にか顧りみん,蓋を飛ばして秦庭に入る。)。

「熠熠」光芒、閃閃、光り輝くさま。

「迸」ほとばしる【迸る】とは。意味や解説。[動ラ五(四)]《古くは「ほとはしる」「ほどはしる」とも》1 勢いよく飛び散る。また、激しく流れ出る。噴き出る。「鮮血が―・る」「蛇口から水が―・る」2 とびあがる。おどりあがる。

「流星」語義類別:物、天文、星、流星。

 

來纏 風飆 ,去擘 山岳

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

「風飆」【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。

 

材歸俯身 盡,妙取 略地

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

「略地」吐蕃の侵入地、略地。隴西、蜀の西部から北部のかけての地域のこと。

 

虹霓 就掌握 ,舒卷 隨人

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

「虹霓」【こうげい】とは。意味や解説。《竜の一種と考え、雄を虹、雌を霓・蜺としたところから》にじ。

「舒卷」 時に応じて進退をすること。書物を開くこと。・舒(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S )姓.舒 shūchàng[]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.・卷 まくこと
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-35-1 《揚旗―#1》 ふたたび成都 杜甫<666-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3790 杜甫詩1000-666-#1-952/1500 771

杜甫《揚旗―#1》錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

作地點: 目前尚無資料 

 

揚旗
(旗をかかげる。)〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

杜甫像00 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #1

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

江雨颯長夏,府中有餘清。 

我公會賓客,肅肅有異聲。 

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。
 

(下し文)

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

(現代語訳)

(旗をかかげる。)〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

松01 

 

(訳注)

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 

 

江雨 長夏 ,府中 有餘

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

「江」錦江。

「府」幕府。

 

 

我公 賓客 ,肅肅 異聲

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

「公」厳武公。

「會」會見。

「賓客」賓客が訪れることは、政治情勢が落ち着いてきたことを示す。

「異聲」異民族の言葉も飛び交う。

 

初筵 軍裝 ,羅列 廣庭

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を閲見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

「初筵」飲食、宴席の初のころ。

」検閲、閲覧、閲見する。

「軍裝」軍服。

「羅列」語義類別:人、行為動作、一般行為(手部)、排。

「照」語義類別:其他、現象、自然現象、照。

「廣」語義類別:物、形容詞彙(物)、景物形態、廣。

「庭」語義類別:物、建築物、園林院落、庭。

 

庭空 六馬 駊騀揚旗旌。 

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

「庭空」庭の空地に六頭の馬が入っている。馬車は5頭立てまでで、六頭までは取り換え用の馬を同時に走らせることはあるにしても空地にはおくことはない。

六馬 六馬についてよいことわざはない。・朽索の六馬を馭するが如しとは。《「書経」五子之歌から》腐った縄で六頭の馬を操るように、非常に困難で危険なことのたとえ。

・六馬和せざれば造父ももって遠きを致すあたわず. , 六馬和せざれば造父も以て遠きを致す能わずとは、どんなことでも、人々の気持ちが一つにならなければ、最後までやりとげることはできないことのたとえ。

駊騀 とっきがどこまでもつづく

『甘泉賦』 

攢幷閭與兮,紛被麗其亡鄂。

崇丘陵之駊騀兮,深溝嶔巖而為谷。

𨓹𨓹離宮般以相燭兮,封巒石關施靡乎延屬。

幷閭【へいりょ】と茇【ばつかつ】とを攢【あつ】め,紛として被麗【ひり】として其れ鄂【かぎ】り亡し。

丘陵の駊騀【はが】たるを崇くし,深溝【しんこう】嶔巖【かんがん】として谷を為す。

𨓹𨓹【おうおう】にして離宮ありて、般【つら】なり以って相い燭【て】らし,封巒【ほうらん】石關ありて、施靡【いび】として延屬【えんぞく】す。

棕櫚やはっかも群生し、散らばってどこまでも茂っている。

丘陵は険しくそびえそれがどこまでも続いて、そこに深く切り立った岩場の谷がある。

その辺りには、あちこちに離宮が立ち並び、それでもって輝きを競っており、封巒観・石関観などが、長く延び、つながっている。

揚雄 《甘泉賦 (8)#3-2 文選 賦<108-(8)#3-29分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩861 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2853

旗旌 節度使軍のはたとのぼり。旗幟(きし)。騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗
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廣徳2764-34-2 《水檻―#2》 ふたたび成都 杜甫<6652> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3785 杜甫詩1000-6652-951/1500770

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干
蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

既殊大廈傾,可以一木支。 

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

臨川視萬里,何必闌檻為。 

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生感故物,慷慨有餘悲。 

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

松01 

 

『水檻 #2』 現代語訳と訳註

(本文) #2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

既殊大廈傾,可以一木支。 

臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

(下し文)#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

 

(現代語訳)

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

杜甫像00 

 

(訳注)

水檻 #2

 

扶顛 勸誡 ,恐貽 識者

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

・「扶顛」國を治める道、何処から見られてもやましいことがない。

・「勸誡」善をすすめ、悪を制すること

・「恐貽」悪事を続けて子孫におそれを抱く。

・「識者」見識のあるもの。

・「嗤」ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。 「愚かしさを-・う」 「陰で-・っている」 「鼻先で-・う」 「天の下に-・はれなまし/日本書紀 継体訓」. . つぼみが開く,花が咲く。 「花が-・い,鳥が歌う」. . 果実が熟して割れ目ができる。。

 

既殊 大廈 ,可以一木

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

「殊」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、異同(異)。

「大廈」国は、既にこともあろうに大屋根、宮室屋廬。

「傾」語義類別:物、形容詞彙(物)、物品形態、傾。

・「可以」(1) …できる,可能である.◇否定は不能.(2) …してよい,許される.儿可以打球ここではボール遊びをしてもよい.◇否定は不可以不能(3) …するに値する.◇否定は不得.━ [](1) けっこうな,なかなかよい写得.

 

臨川 萬里 ,何必 闌檻 為。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

 

人生 故物 ,慷慨 餘悲

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

「人生」人生機遇。杜甫は半官半隠が理想と考えている。

「感」感情。

「故」故郷に帰れる保証もないが、ここにいて満足できる人生というものがあるのか。

「慷慨」1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。また、そのさま。

「餘悲」悲哀傷痛が余りあり人生を送ってきた。

 陶潜『挽歌三首其三』「親戚或餘悲,他人亦已歌。」(;親戚或は餘悲【よひ】あらんも. 他人亦た已に歌えり.)親戚は引き続き悲しんでくれるだろうが、他人はもう鼻歌を歌っているにちがいない
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

既殊大廈傾,可以一木支。 

臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

成都関連地図 00 

 

『水檻 #1』 現代語訳と訳註

(本文)

水檻 #1

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

遊子久在外,門無人持。 

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

 

(下し文)

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

 

(現代語訳)

川に臨んだ船着き場の欄干

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

隋堤01 

(訳注)

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

761年春、この水檻について述べている。『江上水如海勢聊短述』に見えた水檻に立ち、あたりをながめて隠棲生活をたのしむことをのべる。『水檻(遣心は、川に臨んだ欄干に寄りかかってあたりを眺めやるという意味で、草堂のから一年たった2月の作である。この年は去年の春雪解けの水より、増水が多く岸いっぱいに流れたのだ。

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

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水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

 

 

蒼江 風飆 ,雲雨 晝夜

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

「蒼江」綠の流れの大江。

「風飆」渦を巻きながら激しく舞い上がる風。大風。 「飄」「颶」「旋風」とも書く。 【飆飆】ひょうひょう. 風の激しく吹くようす。 【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。。

「雲雨」語義類別:物、天候氣象、合稱(相異詞)、雲雨。

「晝夜」語義類別:時、時間、相對時間、晝夜。

「飛」語義類別:其他、現象、自然現象、飛。

 

茅軒 駕巨浪 ,焉得不 低垂

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

「茅」茅葺きの家。浣花渓草堂。

「軒」軒下。窗。

「巨浪」大浪。杜甫草堂前の濯錦江の暴風が吹いて大波が起こる。

「低垂」水檻は杜甫の家、あるいはこの地域の船着き場で、この河川には、干ばつでも水が絶えることはなかったことをいう。

 

遊子 在外 ,門 無人

旅人としてここ久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

「遊子」この草堂を離れて、閬州、梓州を転々としていた自分をいう。

 

高岸 尚如谷 ,何傷 浮 柱攲

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

「柱攲」この水檻は四阿からつづいてあったもので、四阿の柱か、欄干の柱であろう。その柱に倚りかかってこの川を眺めているとということ。

 nat0019

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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。
蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

故者或可掘,新者亦易求。 

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

所悲數奔竄,白屋難久留。 

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

成都関連地図 00

 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

(下し文) #2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

(現代語訳)

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

江畔独歩尋花 

 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

船舷 不重 ,埋沒 已經秋

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

・「船舷」ふなばた。ふなべり。杜甫は、760761の詩に成都浣花渓草堂で舟を持っていたことを述べており、近隣街に行っている。。草堂の前に流れる濯錦江に係留したのである。

・「扣」ひか・える〔ひかへる〕【控える/×扣える】㋐用事や順番に備えて、すぐ近くの場所にいて待つ。待機する。㋑目立たないようにしてそばにいる。㋒空間的・時間的に迫っている。近くに位置する。また、近い将来に予定される。㋐度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。㋑自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。㋒空間的・時間的にすぐ近くにある。近い所に持つ。あまり時を置かないで予定している。㋓忘れないように、また、念のため書きとめておく。㋔衣服などを、おさえつかんで、行かせないようにする。引きとめる。㋕引く。引っぱる。

・「埋沒」浣花渓草堂に隠遁することから、梓州、閬州に逃避していたことを云う。。

 

仰看 西 飛翼 ,下愧 逝流

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

「仰看」下句「下愧」が「仰看」と上と下の対語、対句であるが、ここでは大局観と卑近なものの見方ということ。

・「西」成都。

・「東流」東部、江南方面に行くということではあるが、ここでは長いものにまかれる。卑近なことに流されていくということ。

 

故者 或可掘 ,新者 亦易求

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

 

所悲 奔竄 ,白屋 久留

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

・「奔竄」【ほんざん】にげかくれること。

・「白屋」頭のてっぺんに白いものを載せている。白髪頭。
杜甫像00 

廣徳2年764-33-1 《 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<664-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-664-1-948/1500767

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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。
豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

江畔独歩尋花 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

鄰人亦已非,野竹獨修修。

 

 

(下し文)

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

 

(現代語訳)

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立ってどういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

成都遂州00 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

平生 江海 ,宿昔 扁舟

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

・「平生」語義類別:時、時間、範圍時間(生)、平生。

・「江」江陵、江南。

・「海」長江下流域。滄海、紹興など呉越地方。

・「心」語義類別:人、狀態、心神氣力、心。

・「宿昔」今からいう昔、ここでは若いころ。

・「具」準備。

・「扁舟」小舟を浮かべること。孤独の旅を意味する。

 

豈惟青溪 ,日傍 柴門

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

・「青溪」春麗らかな渓谷。のんびり過ごしたことを云う。呉越地方に良い印象を持っているということ。

・「上」川、渓谷のほとり。水に泛ぶ

・「柴門遊」寺に泊まって勉強したことを言う。

 

蒼皇 避亂 ,緬邈 舊丘

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

・「蒼皇」驚いて肝をつぶし、恐れおののく気持ち。ここは安史の乱によって家族と飛散し、自身は安史軍に掴まった。そこから命からがら逃げだした。しかしこれら一連のことは、杜甫には恐怖体験のトラウマが強く残っているのである。

「緬邈」綿邈【めんばく】 はるかに遠いこと。

「懷舊丘」秦州、同谷、成都と紀行しやっと落ち着いた浣花渓草堂も「舊丘」となってしまったことをいう。

 

鄰人 亦已非 ,野竹 獨修修

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。
竹林001 

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杜甫《四松》#3 この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

 

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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廣徳2764-32 《四松》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

 


 


作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

 


 


四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

我生根帶,配爾亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。 

松03 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 

松01 


 


『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 


(下し文) #3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 


(現代語訳)

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。
 


(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)#3

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

 


足以送 老姿 ,聊待 偃蓋 張。

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

・「送老姿」この松は私の老後を過ごす友とする。

・「偃蓋」偃蓋のように末が成長することを云う。。

 


我生 根帶 ,配爾 亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

・「無根帶」木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがない。陶淵明『雑詩十二首其一』「人生無根帶、飄如陌上塵。」(人生 根帯無し、飄たること陌上の塵のごとし。)

・「茫茫」1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉3 草・髪などが伸びて乱れているさま。

 


有情 且賦詩 ,事跡 可兩忘

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

 


勿矜 千載 ,慘澹 穹蒼

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。

・「矜」負面情感、驕矜自恃。

・「穹蒼」天文、天空、穹。
江畔独歩尋花

竹林001


 

廣徳2年764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

杜甫《四松#2》一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

松02 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

 

(下し文) #2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

 

(現代語訳)

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

松03 

 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。 

 

終然 損,得吝 千葉

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

」跳ね飛ばされて。ふきとばされること。

「吝」防ぐ役割をする。

「千葉黃」多くの葉が黄ばむ。 

 

敢為 故林 ,黎庶 猶未

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

「敢」一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえて~する。

「故林主」もとの農林園の主となった。

「黎庶」おおくの人民。 

 

避賊 今始 ,春草 滿 空堂

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

「避賊」盗賊や戦乱を避けて、飛散していた。 

 

覽物 衰謝 ,及茲慰 淒涼

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

「淒涼」空虚な侘しい気持ち。 

 

清風 為我 ,灑面 若微霜

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

「清風」松はおごそかなもので、五陵の東側に植えられるもので、そこでの雰囲気がここにもあると詩人らしく強調する。。

「灑面」ここは強い風ではなくそよ風に頬を撫でられるということ。

「微霜」細かい霜が降りた奇麗な面。

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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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廣徳2764-30 《四松》再び成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

 

松03 

764年二月に入って、いよいよ閬州を出発して、江陵に向おうとしていたとき、厳武が再び成都尹・兼剣南東西川節度使として成都に帰ってくるという知らせを聞いた。杜甫は出発間際まで東下の決心がつかずにいたらしく、さっそく船を出すことをやめ、暮春三月、家族を連れて、懐かしい成都に帰っていった。

「草堂」の詩には、成都の草堂に帰ったときの様子を次のように詠っている。「入門四松在、歩履萬竹疏。」

(「門に入ると、わが手で植えた四本の松はちゃんとあったが、草履はきでぶらついてみると、密生していた竹はまばらになっている。)廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

草堂に帰ってきた杜甫は、そこに腰を落ち着けて、畠を耕し薬草を栽培して暮らそうとしていたが、厳武は親しい友に野老暮らしをさせるに忍びなかったのか、杜甫を朝廷に推薦して、節度使の参謀・検校工部員外郎(工部の員外郎は従六品上の加官で、実際の仕事は節度使の参謀)とした。杜甫は仕方なく、成都城内の役所に出かけて、幕僚としての生活を始めた。

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 
杜甫像0012 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文)

四松 #1

四松初移時,大抵三尺強。 

別來忽三載,離立如人長。 

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

 

 

(下し文)

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

 

(現代語訳)

762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

松01 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

杜甫は、成都浣花渓に家と農園を作った。杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は12日、草堂が23週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4蕭実には桃の苗百本、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5韋続には綿竹県の竹を、

華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。

江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、

「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」

7. 韋班には松の苗木を、

落落出羣非柳,青青不朽豈楊梅?

欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。

大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。

君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐

9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、

詣徐卿覓果栽

草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。

石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、

10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』

草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。

 番号は掲載順である。

そして、この地に761年春、

西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2)  杜甫 <407 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1980 杜甫詩1000-407-590/1500

客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

春夜喜雨 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 8)  杜甫 <413  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2010 杜甫詩1000-413-596/1500

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

春水生 二絶其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 10)  杜甫 <415  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2020 杜甫詩1000-415-598/1500

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

と、挙げればきりがないほどこの地を愛した。それを最もよく表しているのが、『江畔獨步尋花七句』と『絶句漫興九首』である。この時期に庭に四本の「松」を植えたのである。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 

その秋には台風によって茅葺の屋根を飛ばしている。

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500

この成都浣花渓での詩にはこの地が嫌になったとか、離れたいとか言った内容のものは皆無なのである。その愛すべきこの地の象徴は、草堂であり、最も安定した時期に植えた、「四松」であったのだ。

 

四松 初移 ,大抵三尺 強。

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

「四松」語義類別:其他、數詞、定量數詞、四。

「移」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、移。

「大抵」1 事柄の主要な部分。「事の―を知る」2 事柄のあらまし。だいたいのようす。また、全体のうちの大部分。おおよそ。おおかた。

「三尺」三尺強は、三尺は93cmであるから1m程度の高さがあったということ。

 

別來 三載 ,離立 如人

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

「三載」三年。 762~764年。

「離立」2本ずつを間隔を置いて並べて。

「人長」大人の背丈。

 

會看 不拔 ,莫計 凋傷

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

 

幽色 秀發 ,疏柯 亦昂藏

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

「幽」松の葉が松の葉を陰にするさま。濃い緑をさらに濃くするさま。

「昂藏」意気の盛んなさま。元気に成長。

 

所插 藩籬 ,本亦有 隄防

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

「藩籬」幹を守るため籬を立てて保護すること。

「隄防」川の傍であるため杭を打っておいたもの。

江畔独歩尋花 

廣徳2年764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

杜甫《草堂 #8》兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。


2014年2月14日 の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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廣徳2764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

#6

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

隋堤01 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

(下し文)

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

 

(現代語訳)

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

 

 (訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

○甯 安寧。

○健児 兵士、武卒をいう。

 

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

○飄搖 ただようさま。

○風塵 かぜほこり、兵馬よるものをいう。

○老夫 おやじ、杜甫の謙遜語。

 

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

○于時 時は時人をさす。この時世にあたって。

○疣贅 床も賓もともにこぶのこと、邪魔物であることをいう。○骨髓幸 精力の尚お在ることをいう。

 

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

○飲啄 鳥に関する語である、水をのむ、ものをついばむ。人の飲食のこと。

○残生 老いてのちの生活、「飲啄悦残生」とは残生にあたり飲啄することを愧じる意である。

○食薇不敢余 一本に敢を願に作る、「食薇不願余」は古詩の成句であり、薇を食うほどの粗食に甘んじて其の他をねがわないことをいう、以上は帰ってのちの身世の感をのべる。

杏の花01 

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詩文(含異文)

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞【都適無虞】。

請陳初亂時,反復乃須臾【反復乃斯須】。

大將赴朝廷,群小起異圖〔初,嚴武入朝,徐知道反,旋為其下李忠厚所殺。〕

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒【自及梟徒】。

義士皆痛憤,紀綱亂相踰。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜【孰能辨無辜】。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

談笑行殺戮,濺血滿長衢【血滿長衢】。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬【妾與鬼馬】,色悲充爾

國家法令在,此又足驚吁。

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,復來薙榛蕪。

入門四松在,步屧萬竹疏。

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆【酤酒提壺】。

大官喜我來【大官我來】,遣騎問所須。

城郭喜我來【城郭我來】,賓客隘村墟【賓客村墟】。

天下尚未寧,健兒勝腐儒。

飄颻風塵際【飄風塵際】,何地置老夫【何地老夫】。

於時見疣贅【於時疣贅】,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。 

 

 

 

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#2》 蜀中転々 杜甫 <651  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3565 杜甫詩1000-651-907/1500743

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744廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍 蜀中転々 杜甫 <651-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3580 杜甫詩1000-651-#1-910/1500744

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杜甫の人生 蜀中転々 762年~764年にかけて (まとめ)

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廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

l   韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌】【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖引】【案:曹霸官左武衛將軍。】

l   送韋諷上閬州錄事參軍

l   丹青引贈曹將軍霸

l   南池【案:在閬中縣東南,即彭道將魚池。】

l   憶昔,二首之一

l   憶昔,二首之二

l   釋悶

l   贈別賀蘭銛

l   別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】

l   閬山歌

l   閬水歌

l   草堂

l   四松

l   水檻

l   破船

l   揚旗【案:自注:二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。】

l   太子張舍人遺織成褥段

l   過南鄰朱山人水亭

l   寄賀蘭銛

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

l   題桃樹

l   懷舊

l   有感,五首之一

l   有感,五首之二

l   有感,五首之三

l   有感,五首之四

l   有感,五首之五

l   送李卿曄【案:曄,淮安忠公琇之子,時以罪貶嶺南。】

l   城上【空城】

l   傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之二【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之三【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之四【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之五【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   奉待嚴大夫

l   奉寄高常侍【寄高三十五大夫】

l   奉寄章十侍御【案:自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?】

l   將赴荊南寄別李劍州

l   奉寄別馬巴州【案:自注:時甫除京兆功曹,在東川。】

l   泛江

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

l   暮寒

l   雙燕

l   百舌

l   遊子

l   江亭王閬州筵餞蕭遂州

l   句,二首之一

l   句,二首之二

l   滕王【案:元嬰。】亭子【案:自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

l   玉臺觀【案:自注:滕王造。】

l   滕王亭子

l   玉臺觀

l   渡江

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   別房太尉墓【案:在閬州。】

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

l   登樓

l   春歸

l   歸雁

l   贈王二十四侍御契四十韻【案:王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。】

l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

l   寄李十四員外布十二韻【案:自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。】

l   歸來

l   王錄事許修草堂貲不到聊小詰

l   寄邛州崔錄事

l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   立秋雨院中有作【立秋日雨院中有作】

l   奉和嚴大夫軍城早秋

l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

l   遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

l   嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   陪鄭公秋晚北池臨眺【案:草堂逸詩拾遺。】

l   哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

l   送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】

廣徳2年764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500 762

杜甫《草堂 #7》以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。


2014年2月13日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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廣徳2764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500762

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

杜甫像0012 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

(下し文)

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

 

(現代語訳)

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

(訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

○低掴 さまよう。

 

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

○酤酒 酒を買ってくる。

○胡産 ふくべ、瓢箪。

 

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

○大官 厳武節度使、幕府の役人らをさす。

○所須 いりようなもの。須:用いる、必要とする。

 

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

○城郭 そこの人人。

○隘 せまいと感ぜられるほどたくさんに集まって来る。草堂に帰ったことをのべる。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500 761

杜甫《草堂 #4》わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500761

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

成都遂州00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

 

(下し文)

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

(現代語訳)

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

 

(訳注) #4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

○賤子 いやしいもの、自己をさす。

○且 しばらく、いささか。

○奔走 かけまわる、梓州・閬州の方面へいったこと。

〇三年 762年宝応元年秋より764年広徳二年春まで。実質1年半である。

○望東呉 長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいとしてながめる。中國の常識で川の流れは西から東へと流れるもの、東は下る意味を持つ。

 

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

○弧矢 ゆみ、や、兵乱を征定するために用いるもの。「易」(繋辞)にいう、「木二弦シテ弧卜為シ、木ヲ則リテ矢卜為シ、弧失ノ利、以テ天下ヲ威ス」と。○江海 揚子江や海、江蘇の地方をいう。

〇五湖 菱湖・游湖・莫湖・貢湖・胥湖。みな太湖の東岸の五湾である。

 

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

○舎此 「此れを捨てる」草堂の地を捨て去ること。

○復来 またかえってきて。

○薙 なぎ刈る。

○榛蕪 はりのやぶ、草むら。

 

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

〇四松 前年植えた四本のまつ。

○歩履 草履であるく。
竹林001 

廣徳2年764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

杜甫《草堂 #5》被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。

2014年2月11日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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廣徳2764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

 

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

くちなしの花 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

鶯00成都関連地図 00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)  #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

 

(下し文) #5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

 

(現代語訳)

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

 

(訳注) #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

○談笑行殺戮 わらいばなしをしながら。惨忍なさまである。

○濺血 そそぐところの血。

 

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

○用鉞地 鉞は死刑につかわれるまさかり。用鉞とは人殺しの刑を行なったことをいう。

〇号呼 被殺者のなきさけぶこえ。

 

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

○鬼妾・鬼馬 鬼は殺されてしまった者をいう、鬼妾鬼馬とは被殺者のあとに残され存している妾と馬のこと。

○色悲 口ではいえないが顔色では悲痛のありさまをしておるのにとの意。

○爾 賊徒をさす。

 

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

○此 前述の惨膚な挙動をさす。

○籲 うれえる、以上は乱兵の虐殺をのぺる。
草堂002 

廣徳2年764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

杜甫《草堂 #4》謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。


2014年2月10日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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廣徳2764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

江畔独歩尋花 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

 

(下し文) #4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

 

(現代語訳)

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

 

紅梅002 

(訳注)#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

○義士 義の士。

○紀綱 紀は糸の乱れを治めるくくりめ、綱は網をひきしめる大づな、秩序をさしていう。

○逾 乱徒がこえることをいう。

 

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

○一国実三公 一つの国に三人の家老がある、「左伝」(僖公五年)にみえる。李忠厚らの同輩をさす。ここは政権の不統一をいう。

○為魚 「史記」(項羽紀)に、「今、人は方に刀狙たり、我は魚肉たり」とあるのによれば姐上の魚肉のごとく肴にされることをいう。「左伝」(昭公五年)に、劉定公のことばとして「南なかりせば吾は其れ魚たらんか」とあり、「後漢書」(光武紀)に、「之を決して之に港げば、百万の衆、皆魚たらしむべし」とあるのによれば人が溺死して魚のごとくになることをいう。

 

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

○唱和 謀反の者同士がおたがいに唱和すること、甲がとなえて乙が賛成附和する。特に国内外の異民族と唱和するケースが多くあった。

○作威福 「尚書」(洪範)には人君のみが「威を作し福を作す」ことをといている、ここは賊徒が権力を専らにし威をも福をもなすことをいう、威を弄するというのが主である。

○弁無事 つみあるものとつみなきものとを区別する。

 

眼前列杻械,背後吹笙竽。 

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

〇位 あしかせ。

○城 でかせ。

○笙竽 共に楽器の名、笙は十三簧、竽は三十六簧、簧は空気を振動させる舌。
杜甫像0012 

廣徳2年764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

ふたたび成都《草堂 #3》これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。


2014年2月9日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(33) 文選 賦 賦<113―33>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1035 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3723
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《別趙子》#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <948>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3724韓愈詩-243
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 280 《遊城南十六首:楸樹,二首之一》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3726 (02/09)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -9 河滿子二首 其二  和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-436-12-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3727
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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廣徳2764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

成都遂州00 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

(下し文)

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

(現代語訳)

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

(訳注)

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

○布衣 庶民階級のもので「即ち楊子琳・栢正節の徒なり」という。

○擁 有すること。

○専城居 城を専有して住居すること。徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史輩をさす。古楽府「羅敷行」に「四十にして城を専らにして居る」の句に基づく。

 

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

○不両大 両とは下の蕃と漢との二つをいう。

○蕃漢殊 蕃は羌兵をいい漢は本土人の兵をいう。

 

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

○西卒 先兵をさす。

○卻倒戈 徐知道は兵馬使で漢兵の統領であるが、羌夷をおびやかして叛乱に加わらしめた。ところが叛軍の中において内輪争いがあり、羌兵が徐知道の下に付かなくなったのに乗じて李息厚という者が先兵をおだてて徐知遇を殺させるようにした。すなわちはじめ味方とした羌夷が戈を倒して刃向かうようになったのである。「尚書」(武成)に「前徒戈を倒にす」の語がみえる。

○賊臣 叛徒をさす。

 

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

○肘腋禍 てぢかに起こったわざわい、李忠厚の裏切りをいう、肘はひじ、腋はわき。

○兵鏡徒 徐知道ら叛徒の渠魁をいう、梟はふくろう、母を食べるという、獍は破獍という獣で父を食べるという、いずれもわるい鳥獣である、以上は叛乱が錯乱になったことをいう。カンナ223

廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

ふたたび成都《草堂 #2》まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

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廣徳2764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

 

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

古桟道0001 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

 

(下し文)

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

(現代語訳)

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

 

 

(訳注) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

 

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

○大将 東・西川節度使の厳武をいう。

○群小 多くの小人、徐知道らをいう。

○異図 尋常でないくわだて、小細工、謀叛をいう。

 

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

○中宵 よなか。

○斬白馬 戦国以来のならわしで盟約のあかしとして、白馬を切り殺して其の血を用いた。

○盟歃 盟はちかう、歃は口のまわりに血をぬることをいう。

○気 意気を昂揚させる。

○粗 粗暴。

 

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

○卭南 卭州は臨卭県、成都の西南二百里(115km)にある、その南に雅州があり、其の地はもと羌に附いていたが徐知道はこれをひきいて乱をおこした。

○剣閣 剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。

杜甫成都紀行十二首其十『劍閣』

”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522
剣門関01 

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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廣徳2764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

 

(下し文)

(草堂)

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

(現代語訳)

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

杏の花01 

 

(訳注) #1

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

○昔 762年、宝応元年の夏をいう、時に厳武が入朝することになったので杜甫は梓州まで見送りの為草堂を離れた。

○蛮夷 徐知遇は厳武の入朝で後任の高適が成都に入幕する隙をついて、叛乱し、その後、安史の乱の終結の時期に合わせて、吐蕃が隴西に攻め入り、一気に西都から、長安に攻め込んだ。

 

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適のてによって、まさに平穏なところとなったからである。』

○適 別の注釈に、たまたまとよませ、偶然にという意味で解釈するものがあるが、まちがい。厳武の成都尹、東・西川節度使赴任に合わせて、完全に平穏になったのを確認して、草堂に帰ったのであって、帰ってみたら偶然にも平穏になっていたというのではない。杜甫は成都が不安定だから梓州、閬州に滞在したのであり、其の地も不安定になりそうであったから、江陵遷都といううわさを信じて安定的な江陵に行こうとしていた。したがって杜甫が「たまたま帰ってみたら」ということはありえないのである。

○無虞 心配ごとがない、平和である、以上は全体についてのべる。


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l   奉寄高常侍【寄高三十五大夫】

l   奉寄章十侍御【案:自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?】

l   將赴荊南寄別李劍州

l   奉寄別馬巴州【案:自注:時甫除京兆功曹,在東川。】

l   泛江

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

l   暮寒

l   雙燕

l   百舌

l   遊子

l   江亭王閬州筵餞蕭遂州

l   句,二首之一

l   句,二首之二

l   滕王【案:元嬰。】亭子【案:自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

l   玉臺觀【案:自注:滕王造。】

l   滕王亭子

l   玉臺觀

l   渡江

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   別房太尉墓【案:在閬州。】

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

l   登樓

l   春歸

l   歸雁

l   贈王二十四侍御契四十韻【案:王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。】

l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

l   寄李十四員外布十二韻【案:自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。】

l   歸來

l   王錄事許修草堂貲不到聊小詰

l   寄邛州崔錄事

l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   立秋雨院中有作【立秋日雨院中有作】

l   奉和嚴大夫軍城早秋

l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

l   遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

l   嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   陪鄭公秋晚北池臨眺【案:草堂逸詩拾遺。】

l   哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

l   送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】 

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