(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。
廣徳2年764-66 《奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕》 ふたたび成都奉寄高常侍【寄高三十五大夫】 杜甫<742> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4040 杜甫詩1500-742-979/250030
製作年: 764年 廣德二年 53歲
卷別:卷二二八 文體: 七言律詩
詩題:奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕
交遊人物/地點: 高適 書信往來(京畿道 京兆府 長安)
奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕
(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)
汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。
君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。
總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。
君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。
今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。
今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。
天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。
いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。
(高常侍に寄せ奉る)
汶上【ぶんじょう】相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。
戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。
今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。
天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。
『奉寄高常侍』 現代語訳と訳註
(本文)
奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕
汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。
總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。
今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。
天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。
(下し文)
(高常侍に寄せ奉る)
汶上【ぶんじょう】相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。
戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。
今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。
天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。
(現代語訳)
(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)
君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。
君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。
今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。
いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。
(訳注)
奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕
(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)
左散騎常侍高適が長安の都へかえるのにつき別れの意をのべて寄せた詩。広徳二年三月成都の作。
○高常侍 左散騎常侍高適のこと。高適は宝応元年夏、厳武の入朝後に成都尹となったが、吐蕃征伐に失敗して松・維・保などの三州を失った。ために厳武が再び高適に代り、高適は召し還された、764年広徳二年三月のことである、高適は京に還って刑部侍郎となり左散騎常侍に転じ、明年765年永泰元年正月に卒した。散騎常侍は過失をいさめ、侍従顧問にそなわる職である。此の詩は送別の作に似ていることからすれば散騎常侍は着京を待たずして任命されたものである。
汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。
君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。
〇汶上 汶上のほとり、牧水は山東省兗州府の西北にある。
○相逢 高適とあう。
〇年頗多 年数を多く経た。作者が高速・李自らを知ったのは天宝三載ごろで今年広徳二年を去ること二十年前のことである。
○飛騰 元気溌剌としていること、「杜位ノ宅ニテ歳ヲ守ル」詩に「飛騰暮景斜メナリ」、守歲阿戎家,椒盤已頌花。盍簪喧櫪馬,列炬散林鴉。
四十明朝過,飛騰暮景斜。誰能更拘束,爛醉是生涯。
「贈高式顔」詩贈高式顔
昔別是何処、相逢皆老夫。
故人還寂寞、削跡共艱虞。
自失論文友、空知売酒壚。
平生飛動意、見爾不能無。
(高式顔に贈る)
昔【むかし】別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。
故人は還(ま)た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。
論文【ろんぶん】の友を失いし自(よ)り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。
平生【へいぜい】飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。(第二冊二二七ページ)に「平生飛動ノ意」の句がある、飛動も飛騰も意は同じ。ただこの時代、最も重要なのは、身分とされており、この詩題に暗いのあがったことを喜ぶものであることから飛騰を昇任の意ととく方がしぜんである。
○那故人何 故人は旧知の友、適をさす、那何は奈何に同じ、「那」と「何」との間に「故人」をはさんで動詞形とした。「奈何ともするなし」とは自己にはかなわないことをいう。
總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。
君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。
○総戎楚蜀 総戎は軍務をすべておこなえることをいう、楚は江南の地方をさす。高適はさきに揚州大都督・准南節度使であったことがある。蜀は四川省をさす、高適はさきに西川節度使であった。
○応全未 全未の未の字は未だ其の才を尽くさぬことをいう。
〇方駕曹劉 曹劉は三国魏の曹植、劉楨、方駕とは並び馳せることをいう。
○不啻過 はるかに過ぎることをいう。
今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。
今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。
○汲黯 漢の武帝の臣、直諌を好む、常侍の職にあてていう。
○中原 洛陽地方をいう。
〇憶 作者がおもうのである。一般人が憶うこととするというのでもよい。
○廉頗 戦国の時の趙の良将である、のち漢の文帝は「廉頗・李牧のごとき将を得るならば匈奴を憂えぬ」と歎美した。
天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。
いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。
○天涯 天のはて、局地をさす。
○遅暮 人生の晩暮、老衰をいう。
○別涙 送別のなみだ。
○錦水 錦江。
(高常侍に寄せ奉る)
汶上 相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。
戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。
今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。
天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。
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