杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
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杜少陵集 巻十三

765年永泰元年54歲-29 《絕句,四首之四》 杜甫index-15 杜甫<829> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4880 杜甫詩1500-829-1147/2500

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その四は、草堂前の浣花渓の薬畑の景色ついて詠う。)

我家の薬畑では藥木の小枝も、薬草の芽吹きも青々とした雨露が棕櫚の木を植えてある亭の所を通り過ぎて、更に草ぶきの亭の辺りまで入り込んでいる。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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765年永泰元年54歲-29 《絕句,四首之四》 杜甫index-15 杜甫<829> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4880 杜甫詩1500-829-1147/2500765年永泰元年54-28

 

 

765年永泰元年54

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻 十三

句,四首之四 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

句,四首之一

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。

梅熟許同朱老吃,松高擬對阮生論。

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

 (句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

杜甫草堂柴門06 


句,四首之二

欲作魚梁雲複湍,因驚四月雨聲寒。

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その二は、杜甫が家前での梁漁ついて詠う。)

家前に魚梁をこしらえようと思ったが早瀬に雲が重なっている。それにしても四月に寒そうにあめのおとがするのにおどろくのである。

この浣花渓の靑渓には淵の深い所に蛟龍の棲む窟があるのであり、だから、魚梁の仕掛けをこしらえる材料は山のように積んだのだが、据え付けるのはちょっと差し控えているのである。

句,四首の二) 

魚梁を作らんと欲すれば雲は湍を複す,因って驚く四月 雨聲の寒きに。

青溪 先んじて蛟龍の窟有り,竹石 山の如きも 敢えて安んぜず。

 

句,四首之三 

兩箇黃鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。 

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船。 

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その三は、草堂前の浣花渓の遠大近小の景色ついて詠う。)

みどりの柳に二つのうぐいすが鳴いている。一行の白鷺が青天たかく飛びあがってゆく。

わが草堂の窓には千年消えることのない西嶺の雪色をいれておるし、門前には万里東呉に向かって下ろうとする船がとまっている。

 

句,四首の三

兩箇の黄鸝 翠柳に鳴き、一行の白鷺 青天

窓には含む 西嶺千秋の雪、門には泊す 東萬里の船

 

句,四首之四 

藥條藥甲潤青青,色過棕亭入草亭。 

苗滿空山慚取譽,根居隙地怯成形。 

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その四は、草堂前の浣花渓の薬畑の景色ついて詠う。)

我家の薬畑では藥木の小枝も、薬草の芽吹きも青々とした雨露が棕櫚の木を植えてある亭の所を通り過ぎて、更に草ぶきの亭の辺りまで入り込んでいる。

しかし、藥木の根は、こんなさびしい山にはびこりながら、人から誉れを取ることを愧じとしているし、藥木の根はこんな空き地に育って不思議な形などになって人にもてはやされることを懼れている。

 

句,四首之四

藥條 藥甲 潤いて青青たり,色棕亭を過ぎて草亭に入る。 

苗 空山に滿ちて譽を取るを慚じ,根 隙地に居て形を成さんことを怯る。 

杜甫草堂 四絶句 

 

句,四首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

句,四首之四 

藥條藥甲潤青青,色過棕亭入草亭。 

苗滿空山慚取譽,根居隙地怯成形。 

 

(含異文) 藥條藥甲潤青青【藥條菜甲潤青青】,色過棕亭入草亭。苗滿空山慚取譽,根居隙地怯成形。 

 

(下し文)

句,四首之四

藥條 藥甲 潤いて青青たり,色棕亭を過ぎて草亭に入る。 

苗 空山に滿ちて譽を取るを慚じ,根 隙地に居て形を成さんことを怯る。 

 

(現代語訳)

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その四は、草堂前の浣花渓の薬畑の景色ついて詠う。)

我家の薬畑では藥木の小枝も、薬草の芽吹きも青々とした雨露が棕櫚の木を植えてある亭の所を通り過ぎて、更に草ぶきの亭の辺りまで入り込んでいる。

しかし、藥木の根は、こんなさびしい山にはびこりながら、人から誉れを取ることを愧じとしているし、藥木の根はこんな空き地に育って不思議な形などになって人にもてはやされることを懼れている。

杜甫像0012 

(訳注)

句,四首之四 

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その四は、草堂前の浣花渓の薬畑の景色ついて詠う。)

 

 

藥條藥甲潤青青,色過棕亭入草亭。 

我家の薬畑では藥木の小枝も、薬草の芽吹きも青々とした雨露が棕櫚の木を植えてある亭の所を通り過ぎて、更に草ぶきの亭の辺りまで入り込んでいる。

藥條 藥木の小枝。

藥甲 薬草の芽ぐみ。

色 薬草、藥木の色。

棕亭 棕櫚の木を植えてある亭の所。

草亭 草ぶきの亭の辺り。

 

苗滿空山慚取譽,根居隙地怯成形。 

しかし、藥木の根は、こんなさびしい山にはびこりながら、人から誉れを取ることを愧じとしているし、藥木の根はこんな空き地に育って不思議な形などになって人にもてはやされることを懼れている。

空山 隠遁者にとってのこの薬草畑。

怯成形 不思議な形などに育っていること。人参が人型になることの不思議。

根 藥木の根。

隙地 薬草畑。

 

765年永泰元年54歲-28 《絕句,四首之三》 杜甫index-15 杜甫<828> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4875 杜甫詩1500-828-1146/2500765年永泰元年54歲-28

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その三は、草堂前の浣花渓の遠大近小の景色ついて詠う。)

 
 2014年9月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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95-#1 《自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <95> Ⅰ李白詩1264 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4868 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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19-#2 《醉留東野 #2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1178> Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4874韓愈詩-19-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-28 《絕句,四首之三》 杜甫index-15 杜甫<828> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4875 杜甫詩1500-828-1146/2500765年永泰元年54歲-28 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-483《浣溪紗七首其七》巻九 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-666-19-(483) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4877 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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765年永泰元年54

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻 十三

詩題:句,四首之三 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

〔自注:朱、阮劍外相知。〕

 


句,四首之一

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。

梅熟許同朱老吃,松高擬對阮生論。

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

 (句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

 


句,四首之二

欲作魚梁雲複湍,因驚四月雨聲寒。

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その二は、杜甫が家前での梁漁ついて詠う。)

家前に魚梁をこしらえようと思ったが早瀬に雲が重なっている。それにしても四月に寒そうにあめのおとがするのにおどろくのである。

この浣花渓の靑渓には淵の深い所に蛟龍の棲む窟があるのであり、だから、魚梁の仕掛けをこしらえる材料は山のように積んだのだが、据え付けるのはちょっと差し控えているのである。

句,四首の二) 

魚梁を作らんと欲すれば雲は湍を複す,因って驚く四月 雨聲の寒きに。

青溪 先んじて蛟龍の窟有り,竹石 山の如きも 敢えて安んぜず。

  

句,四首之三 

兩箇黃鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。 

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船。 

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その三は、草堂前の浣花渓の遠大近小の景色ついて詠う。)

みどりの柳に二つのうぐいすが鳴いている。一行の白鷺が青天たかく飛びあがってゆく。

わが草堂の窓には千年消えることのない西嶺の雪色をいれておるし、門前には万里東呉に向かって下ろうとする船がとまっている。

 

句,四首の三

兩箇の黄鸝 翠柳に鳴き、一行の白鷺 青天

窓には含む 西嶺千秋の雪、門には泊す 東萬里の船

 

杜甫草堂 四絶句 

句,四首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

句,四首之三 

兩箇黃鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。 

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船。 

 

 (含異文)

兩箇黃鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船【自注:西山白雪,四時不消。】 

 

(下し文)

句,四首の三)

兩箇の黄鸝 翠柳に鳴き、一行の白鷺 青天に上る

窓には含む 西嶺千秋の雪、門には泊す 東萬里の船

 

(現代語訳)

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その三は、草堂前の浣花渓の遠大近小の景色ついて詠う。)

みどりの柳に二つのうぐいすが鳴いている。一行の白鷺が青天たかく飛びあがってゆく。

わが草堂の窓には千年消えることのない西嶺の雪色をいれておるし、門前には万里東呉に向かって下ろうとする船がとまっている。

 

 

(訳注)

句,四首之三 

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その三は、草堂前の浣花渓の遠大近小の景色ついて詠う。)

絶句六首と同時期に、隠遁生活と農業に関してのべたものである

 

兩箇黃鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。 

みどりの柳に二つのうぐいすが鳴いている。一行の白鷺が青天たかく飛びあがってゆく。

○黄鸝 高麗うぐいす。

〇一行 ひとつら。

 

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船。 

わが草堂の窓には千年消えることのない西嶺の雪色をいれておるし、門前には万里東呉に向かって下ろうとする船がとまっている。

○含 いれておく。

○西嶺 雪山。

○千秋雪 千年もとけぬゆき、雪の色をいう。

○東呉 東方の呉に向かってくだるべき。

○万里船 万里をゆくふね、草堂は成都の万里橋の西にあり、橋東に合江亨があって呉にくだろうとするものは、みな亨の処より船に乗った。門前に船が泊するのはそのためである。
杜甫像0012 

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(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その二は、杜甫が家前での梁漁ついて詠う。)家前に魚梁をこしらえようと思ったが早瀬に雲が重なっている。それにしても四月に寒そうにあめのおとがするのにおどろくのである。

 
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765年永泰元年54-27 句,四首之二》 杜甫index-15 杜甫<827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4870 杜甫詩1500-827-1145/2500765年永泰元年54-27

 

 

句,四首之二 

765年永泰元年54

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

詩題:句,四首之二 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

〔自注:朱、阮劍外相知。〕

 

  1

句,四首之一

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。

梅熟許同朱老吃,松高擬對阮生論。

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

 (句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

 


句,四首之二

欲作魚梁雲複湍,因驚四月雨聲寒。

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その二は、杜甫が家前での梁漁ついて詠う。)

家前に魚梁をこしらえようと思ったが早瀬に雲が重なっている。それにしても四月に寒そうにあめのおとがするのにおどろくのである。

この浣花渓の靑渓には淵の深い所に蛟龍の棲む窟があるのであり、だから、魚梁の仕掛けをこしらえる材料は山のように積んだのだが、据え付けるのはちょっと差し控えているのである。

句,四首の二) 

魚梁を作らんと欲すれば雲は湍を複す,因って驚く四月 雨聲の寒きに。

青溪 先んじて蛟龍の窟有り,竹石 山の如きも 敢えて安んぜず。

 


兩箇鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船。

 


藥條藥甲潤青青,色過棕亭入草亭。

苗滿空山慚取譽,根居隙地怯成形。

 

 

杜甫草堂 四絶句

句,四首之二  』 現代語訳と訳註

(本文)

句,四首之二 

欲作魚梁雲複湍,因驚四月雨聲寒。

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。

 

欲作魚梁雲復湍【欲作魚梁雲覆湍】,因驚四月雨聲寒。

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。 

 

(下し文)

句,四首の二) 

魚梁を作らんと欲すれば雲は湍を複す,因って驚く四月 雨聲の寒きに。

青溪 先んじて蛟龍の窟有り,竹石 山の如きも 敢えて安んぜず。

 

(現代語訳)

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その二は、杜甫が家前での梁漁ついて詠う。)

家前に魚梁をこしらえようと思ったが早瀬に雲が重なっている。それにしても四月に寒そうにあめのおとがするのにおどろくのである。

この浣花渓の靑渓には淵の深い所に蛟龍の棲む窟があるのであり、だから、魚梁の仕掛けをこしらえる材料は山のように積んだのだが、据え付けるのはちょっと差し控えているのである。

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

句,四首之二 

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その二は、杜甫が家前での梁漁ついて詠う。)

絶句六首と同時期に、隠遁生活と農業に関してのべたものである

 

欲作魚梁雲複湍,因驚四月雨聲寒。

家前に魚梁をこしらえようと思ったが早瀬に雲が重なっている。それにしても四月に寒そうにあめのおとがするのにおどろくのである。

魚梁 魚梁漁のしかけ。

 

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。

この浣花渓の靑渓には淵の深い所に蛟龍の棲む窟があるのであり、だから、魚梁の仕掛けをこしらえる材料は山のように積んだのだが、据え付けるのはちょっと差し控えているのである。

先 さきんじて。

竹石 やなの仕掛けの材料。

如山 山のように積み重ねておいている。

安 安置すること。
杜甫像0012 

765年永泰元年54歲-26 《絕句,四首之一》 杜甫index-15 杜甫<826> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4865 杜甫詩1500-826-1144/2500765年永泰元年54歲-26

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-26 《絕句,四首之一》 杜甫index-15 杜甫<826> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4865 杜甫詩1500-826-1144/2500765年永泰元年54歲-26 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-481《浣溪紗七首其五》巻九 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-664-19-(481) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4867 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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765年永泰元年54-26 句,四首之一》 杜甫index-15 杜甫<826 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4865 杜甫詩1500-826-1144/2500765年永泰元年54-26

 

 

765年永泰元年54

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

詩題: 句,四首之一 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

〔自注:朱、阮劍外相知。〕

 

  1

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。

梅熟許同朱老吃,松高擬對阮生論。

(句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

 


欲作魚梁雲複湍,因驚四月雨聲寒。

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。

 


兩箇鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船。

 


藥條藥甲潤青青,色過棕亭入草亭。

苗滿空山慚取譽,根居隙地怯成形。

 

草堂の位置的考察
◍ 草堂は錦江の西岸にあり、錦江がコの字型に蛇行するその内側に位置していたのではないかと思われる。
_居を卜す』の詩に、
◍ 「浣花溪水水西頭、主人為卜林塘幽。」
(浣花渓水 水の西頭、主人は為に卜(ボク)す 林塘の幽なるを)
とあり、西頭は西側の意味だから、住まいを定めたのは浣花渓の西側と読める。「東岸」よりも「西岸」の方がつじつまが合う。以下の四首はみな草堂作りの一年目の夏から秋にかけて草堂を舞台に近辺の出来事を詠じた詩である。それらの詩から蛇行する錦江に村全体が大きく包まれ、とくに草堂付近はその湾曲部(浣花渓)にあったことがわかる。

◍ 『_田舍』詩に、
「田舍清江曲、柴門古道旁。」 
(田舎は清江の曲(くま)、柴門は古道の旁(かたわら)
といい、

◍ 『_江村』詩に、
「清江一曲抱村流、長夏江村事事幽。」 
(清江 一曲 村を抱きて流れ、長夏 江村 事事に幽なり
という。清江は錦江のことで、柴門は杜甫の草堂の粗末な門のこと。
これらから草堂に位置を図示すると以下のとおりである。


 

句,四首之一

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。 

梅熟許同朱老喫,松高擬對阮生論。  

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

 

 (句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

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句,四首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

句,四首之一

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。 

梅熟許同朱老喫,松高擬對阮生論。 

 

(下し文)

(句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

 

(現代語訳)

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

 

(訳注)

句,四首之一

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

絶句六首と同時期に、隠遁生活と農業に関してのべたものである

杜甫草堂 四絶句 

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。 

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

卻背村 浣花渓の村は杜甫草堂の東側と北側に多く存在した。

 

梅熟許同朱老喫,松高擬對阮生論。 

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

梅熟 杜甫草堂のまわりには、野梅がたくさんなっていた。

『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』

老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。

江鸛巧當幽徑沿,鄰雞還過短牆來。

繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅?

戲假霜威促山簡,須成一醉習池回。

(王十七侍御掄、酒を携えて草堂に至るを許す。此の詩寄せ奉り、便ち高三十五使君を邀えて同じく到らんことを請う)

老夫臥穏【がおん】にして朝起きるに慵【ものう】し、白屋寒多くして暖にして始めて開く。

江鶴【こうかく】巧みに幽径【ゆうけい】に当たって浴す、

隣鷄【りんけい】還た短牆【たんしょう】を過ぎ来たる。

繍衣【しゅうい】屡【しばし】ば許す家醞【かうん】を携うるを、【皂蓋そうがい】能く忘れんや野梅【やばい】を折ることを。

戯れに霜威【そうい】を仮りて山簡を促し、須【すべか】らく一酔を成して習池【しゅうち】を過るべし。

朱老 南鄰の朱山人のことであるが、杜甫が成都に来て間もないころから2年ぐらい酒を酌み交わしたりしている。道教の隠遁者であるが、この時は、妻を実家に還し、本人は行方知らずである。梅が熟す季節には、喫食することになっていたのだろう。

松高・阮生論 秦州でニラをもらった阮隠居ではなく建安の阮籍のこと。草堂は竹林に囲まれ竹林の七賢の条件を持っている。松は、筋を東して生きること、松の常緑は白眼ではなく、青眼で気の合ったものの間断を連想させる。

阮籍は竹林の七賢の一人であり、数々の奇行で知られるとともに、中国の詩歌史上、陶淵明以前のもっとも優れた詩人とされている。 魏晋の政権交代期前後に、竹林で清談にふけった者たちがいた。後漢の時代に、宦官の政治に反発して清議をなすことが流行ったが、竹林の清談は清議と異なり、政治を論ぜず老荘的な哲学を論じた。その中で、代表的な人々を七賢と呼んだのである。 「晋書・巻四十九・阮籍伝」に次のような一節がある。「 籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之」(籍又能く青白眼を為す、禮俗之士を見れば、白眼を以て之に對す。)気の合った友人と会うと「青目」つまり普通の目で迎え、いやな人に会うと白目を向いたとあるから、好き嫌いを露骨に態度に表す人物だったらしい。人を白眼視するというのは、ここから出ている。

草堂の松について、

『憑韋少府班覓松樹子』

落落出羣非柳,青青不朽豈楊梅?

欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

(韋少府の班に憑りて 松樹の子を覓む)

落落として羣を出づは欅柳に非ず、青青として朽ちず豈に楊梅ならんや。

存せんと欲するは老蓋千年の意あり、爲めに松根數寸の栽を覓めん。

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536

この松が「四松」として成長している。

廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

 

草堂の柴門と木々と位置関係

『田舍』

田舍清江曲,柴門古道旁。

草深迷市井,地僻懶衣裳。

柳枝枝弱,枇杷樹樹香。

鸕鷀西日照,曬翅滿漁梁。

田舍【でんしゃ】は清かな江曲り,柴門は古道の旁にあり。

草深く市井に迷い,地僻にして衣裳に懶く。

柳 げて 枝枝 弱【わか】く,枇杷 樹樹 香しい。

鸕鷀【ろじ】日を西にして照し,曬翅【れいし】漁梁【ぎょりょう】に滿つ。

成都(2)浣花渓の草堂(2 -7) 田舍 杜甫 <370  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1787 杜甫詩 1000- 54

  《破船》

平生江海心,宿昔具扁舟。 

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

鄰人亦已非,野竹獨修修。

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

(破船)

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ 青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た 已に非らず,野竹 獨り 修修たり。

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數ば 奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

廣徳2764-33-1 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<6641 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-6641-948/1500767

草堂における隣人関係

『過南鄰朱山人水亭』 

相近竹参差、相通人不知。

幽花敬満樹、細水曲通池。

辟客村非違、残樽席吏移。

看君多道東、従此敷追随。

(南鄰朱山人が水亭に過る)

相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。

幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。

辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。

君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

同じように隣人につぃて

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500

 

杜甫草堂01

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765年永泰元年54歲-25 《絕句,六首之六》 杜甫index-15 杜甫<825> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4860 杜甫詩1500-825-1143/2500765年永泰元年54歲-25

(この六首は草堂の景物について述べているが、その六は杜甫の家の前の濯錦江を船が行き交うが、歓楽街に遊びに行くと詠う。)

 
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765年永泰元年54-25 句,六首之六》 杜甫index-15 杜甫<825 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4860 杜甫詩1500-825-1143/2500765年永泰元年54-25

 

 

765年永泰元年54-23

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,六首之六 

杜少陵集 巻十三 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

句,六首之一 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

 

句,六首の一

日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。

竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。

 

句,六首之二 

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。 

幽棲身懶動,客至欲如何。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。

もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。

句,六首の二

藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。 

幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。   

 

句,六首之三 

鑿井交棕葉,開渠斷竹根。 

扁舟輕纜,小徑曲通村。 

 (この六首は草堂の景物について述べているが、その三は草堂の土木工事をした時の様子と草堂のまわりの様子を詠う。)

井戸を掘ったところにはシュロの葉が茂り、鬱蒼とまじりあっている。水路を切り開いたら、自然と竹林から伸びた根を断ちきることになった。

家前に泊める小舟は、軽やかに水面に浮かんでいて、艫綱がたおやかな状態であるし、錦城からここに来る路は、小道が曲がりながら、浣花渓村へ通じている。

 

句,六首之三

井を鑿【うが】てば棕葉【そうよう】交わり,渠を開けば 竹根を斷つ。

扁舟 輕く 【ともづな】を【たおやか】にし,小徑 曲り 村に通ず。 

 

句,六首之四 

急雨捎溪足,斜暉轉樹腰。 

隔巢黃鳥並,翻藻白魚跳。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その四は夕立の後、夕暮れに晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

浣花渓の渓流が錦江に合流する根元のあたりを夕立がかすめて通っていく。たちまち晴れると樹木の腰の辺りに夕日が射して動いている。

木の上には、鳥の巣が二つ離れて向き合って並んでいて、高麗鶯も並んでいる。濯錦江の淵の藻をひっくり返すように白魚がはねている。

 

句,六首の四

急雨 溪足を捎【はら】う,斜暉【しゃき】樹腰に轉ず。

巢を隔てて黃鳥並び,藻を翻して白魚跳る。 

 

句,六首之五 

舍下筍穿壁,庭中藤刺簷。 

地晴絲冉冉,江白草纖纖。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その五は庭の晩春の出来事と、晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

我家の下から、筍が伸びてきて壁に穴をあけている。庭に目を遣れば、藤の花が、庭先の四阿のひさしの上に垂れて刺さっているかのようだ。

晴れ渡ってきたら、地面の水分が糸を引いて次第に立ち上ってゆく、その向こうに濯錦江の水面に日が射し、白く光っているし、手前の地面から細々の若い草が直立して伸びている。

句,六首之五) 

舍下 筍 壁を穿つ,庭中 藤 簷を刺す。 

地晴れて 絲 冉冉たり,江 白く 草 纖纖たり。 

 

句,六首之六 

江動月移石,溪虛雲傍花。 

鳥棲知故道,帆過宿誰家。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その六は杜甫の家の前の濯錦江を船が行き交うが、歓楽街に遊びに行くと詠う。)

濯錦江の水の流れはゆっくりと流れ、水面に映る今夜の月もしだいに移って岸辺の石を照らす。浣花渓には、なにもないけれど、雲が花の側にあって引き立て役をしている。

そういえば、暮れ掛かったころ、鳥というものは通いなれた道を通って、何時もの巣へ帰るということを知っているが、この家の前を過ぎて行った帆掛け船は、どこぞの家の前で泊まるのだろうか、きっと、成都の南の歓楽街に行くのだろう。

 

句,六首の六

江 動き 月 石に移る,溪 虛し 雲 花に傍う。

鳥 棲み 故道を知る,帆 過ぎ 誰が家に宿す。 

杜甫草堂柴門06 

 

句,六首之六』 現代語訳と訳註

(本文)

句,六首之六 

江動月移石,溪虛雲傍花。 

鳥棲知故道,帆過宿誰家。 

 

(下し文)

句,六首の六

江 動き 月 石に移る,溪 虛し 雲 花に傍う。

鳥 棲み 故道を知る,帆 過ぎ 誰が家に宿す。 

 

(現代語訳)

(この六首は草堂の景物について述べているが、その六は杜甫の家の前の濯錦江を船が行き交うが、歓楽街に遊びに行くと詠う。)

濯錦江の水の流れはゆっくりと流れ、水面に映る今夜の月もしだいに移って岸辺の石を照らす。浣花渓には、なにもないけれど、雲が花の側にあって引き立て役をしている。

そういえば、暮れ掛かったころ、鳥というものは通いなれた道を通って、何時もの巣へ帰るということを知っているが、この家の前を過ぎて行った帆掛け船は、どこぞの家の前で泊まるのだろうか、きっと、成都の南の歓楽街に行くのだろう。

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

句,六首之六 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その六は杜甫の家の前の濯錦江を船が行き交うが、歓楽街に遊びに行くと詠う。)

 

江動月移石,溪虛雲傍花。 

濯錦江の水の流れはゆっくりと流れ、水面に映る今夜の月もしだいに移って岸辺の石を照らす。浣花渓には、なにもないけれど、雲が花の側にあって引き立て役をしている。

江動月移石 水に映る月が、ゆっくりと動いて、岩場の所まで移っていくという意味。

溪虛雲傍花 雨雲は渓谷、岩場、洞窟などから生ずるものであるが、今宵の雲は、そういった雲ではなく、ここに咲いた花の引き立て役として浮んでいるという意味。。

 

鳥棲知故道,帆過宿誰家。 

そういえば、暮れ掛かったころ、鳥というものは通いなれた道を通って、何時もの巣へ帰るということを知っているが、この家の前を過ぎて行った帆掛け船は、どこぞの家の前で泊まるのだろうか、きっと、成都の南の歓楽街に行くのだろう。

鳥棲知故道 鳥は自分の塒に帰るということを必ずする。ということで、下句には自分の家に帰らないもののことを詠う。

宿誰家 上句の「鳥棲」を受けて、妻子のもとに帰らないものをいう、これから遊びに行くものがいるということ。成都には長安、揚州に次ぐ大きな歓楽街があった。

杜甫像0012 

765年永泰元年54歲-24 《絕句,六首之五》 杜甫index-15 杜甫<824> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4855 杜甫詩1500-824-1142/2500765年永泰元年54歲-24

(この六首は草堂の景物について述べているが、その五は庭の晩春の出来事と、晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)我家の下から、筍が伸びてきて壁に穴をあけている。庭に目を遣れば、藤の花が、庭先の四阿のひさしの上に垂れて刺さっているかのようだ。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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92 《金陵望漢江》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <92> Ⅰ李白詩1261 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4853 
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18-#3§2-1 《應科目時與人書》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1174> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4854韓愈詩-18-#3§2-1 
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765年永泰元年54歲-24 《絕句,六首之五》 杜甫index-15 杜甫<824> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4855 杜甫詩1500-824-1142/2500765年永泰元年54歲-24

 

 

765年永泰元年54-23

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,六首之五 

杜少陵集 巻十三 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

句,六首之一 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

 

句,六首の一

日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。

竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。

 

句,六首之二 

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。 

幽棲身懶動,客至欲如何。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。

もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。

句,六首の二

藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。 

幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。   

 

句,六首之三 

鑿井交棕葉,開渠斷竹根。 

扁舟輕纜,小徑曲通村。 

 (この六首は草堂の景物について述べているが、その三は草堂の土木工事をした時の様子と草堂のまわりの様子を詠う。)

井戸を掘ったところにはシュロの葉が茂り、鬱蒼とまじりあっている。水路を切り開いたら、自然と竹林から伸びた根を断ちきることになった。

家前に泊める小舟は、軽やかに水面に浮かんでいて、艫綱がたおやかな状態であるし、錦城からここに来る路は、小道が曲がりながら、浣花渓村へ通じている。

 

句,六首之三

井を鑿【うが】てば棕葉【そうよう】交わり,渠を開けば 竹根を斷つ。

扁舟 輕く 【ともづな】を【たおやか】にし,小徑 曲り 村に通ず。 

 

句,六首之四 

急雨捎溪足,斜暉轉樹腰。 

隔巢黃鳥並,翻藻白魚跳。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その四は夕立の後、夕暮れに晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

浣花渓の渓流が錦江に合流する根元のあたりを夕立がかすめて通っていく。たちまち晴れると樹木の腰の辺りに夕日が射して動いている。

木の上には、鳥の巣が二つ離れて向き合って並んでいて、高麗鶯も並んでいる。濯錦江の淵の藻をひっくり返すように白魚がはねている。

 

句,六首の四

急雨 溪足を捎【はら】う,斜暉【しゃき】樹腰に轉ず。

巢を隔てて黃鳥並び,藻を翻して白魚跳る。 

 

句,六首之五 

舍下筍穿壁,庭中藤刺簷。 

地晴絲冉冉,江白草纖纖。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その五は庭の晩春の出来事と、晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

我家の下から、筍が伸びてきて壁に穴をあけている。庭に目を遣れば、藤の花が、庭先の四阿のひさしの上に垂れて刺さっているかのようだ。

晴れ渡ってきたら、地面の水分が糸を引いて次第に立ち上ってゆく、その向こうに濯錦江の水面に日が射し、白く光っているし、手前の地面から細々の若い草が直立して伸びている。

 

句,六首之五) 

舍下 筍 壁を穿つ,庭中 藤 簷を刺す。 

地晴れて 絲 冉冉たり,江 白く 草 纖纖たり。 

 

藤の花01


 

句,六首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

句,六首之五 

舍下筍穿壁,庭中藤刺簷。 

地晴絲冉冉,江白草纖纖。

 

(下し文)

句,六首之五) 

舍下 筍 壁を穿つ,庭中 藤 簷を刺す。 

地晴れて 絲 冉冉たり,江 白く 草 纖纖たり。 

杜甫像0012 

(現代語訳)

(この六首は草堂の景物について述べているが、その五は庭の晩春の出来事と、晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

我家の下から、筍が伸びてきて壁に穴をあけている。庭に目を遣れば、藤の花が、庭先の四阿のひさしの上に垂れて刺さっているかのようだ。

晴れ渡ってきたら、地面の水分が糸を引いて次第に立ち上ってゆく、その向こうに濯錦江の水面に日が射し、白く光っているし、手前の地面から細々の若い草が直立して伸びている。

 

(訳注)

句,六首之五 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その五は庭の晩春の出来事と、晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

句,六首之一、三、五、の詩にこの詩の六首の中でも竹を一首ごとに潜行して詠っている。

 

舍下筍穿壁,庭中藤刺簷。 

我家の下から、筍が伸びてきて壁に穴をあけている。庭に目を遣れば、藤の花が、庭先の四阿のひさしの上に垂れて刺さっているかのようだ。

筍穿壁 南隣の家との間の竹林が成長し、根をはり、家の下から

藤刺簷 藤の花が垂れると庇を突き刺しているようだという。庭と船着き場との間に四阿を立てていてそこのひさしをいう。

 

地晴絲冉冉,江白草纖纖。 

晴れ渡ってきたら、地面の水分が糸を引いて次第に立ち上ってゆく、その向こうに濯錦江の水面に日が射し、白く光っているし、手前の地面から細々の若い草が直立して伸びている。

絲冉冉 地面の水分が糸(かげろう)を引いて次第に立ち上ってゆく

江白 濯錦江の水面に日が射し、白く光っていることをいう。
kagayaki880 

765年永泰元年54歲-23 《絕句,六首之四》 杜甫index-15 杜甫<823> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4850 杜甫詩1500-823-1141/2500

(この六首は草堂の景物について述べているが、その四は夕立の後、夕暮れに晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)


 
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765年永泰元年54-23 句,六首之四》 杜甫index-15 杜甫<823 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4850 杜甫詩1500-823-1141/2500

 

 

765年永泰元年54-23

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,六首之四 

杜少陵集 巻十三 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

句,六首之一 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

 

句,六首の一

日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。

竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。

 

句,六首之二 

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。 

幽棲身懶動,客至欲如何。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。

もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。

句,六首の二

藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。 

幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。   

 

句,六首之三 

鑿井交棕葉,開渠斷竹根。 

扁舟輕纜,小徑曲通村。 

 (この六首は草堂の景物について述べているが、その三は草堂の土木工事をした時の様子と草堂のまわりの様子を詠う。)

井戸を掘ったところにはシュロの葉が茂り、鬱蒼とまじりあっている。水路を切り開いたら、自然と竹林から伸びた根を断ちきることになった。

家前に泊める小舟は、軽やかに水面に浮かんでいて、艫綱がたおやかな状態であるし、錦城からここに来る路は、小道が曲がりながら、浣花渓村へ通じている。

 

句,六首之三

井を鑿【うが】てば棕葉【そうよう】交わり,渠を開けば 竹根を斷つ。

扁舟 輕く 【ともづな】を【たおやか】にし,小徑 曲り 村に通ず。 

 

句,六首之四 

急雨捎溪足,斜暉轉樹腰。 

隔巢黃鳥並,翻藻白魚跳。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その四は夕立の後、夕暮れに晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

浣花渓の渓流が錦江に合流する根元のあたりを夕立がかすめて通っていく。たちまち晴れると樹木の腰の辺りに夕日が射して動いている。

木の上には、鳥の巣が二つ離れて向き合って並んでいて、高麗鶯も並んでいる。濯錦江の淵の藻をひっくり返すように白魚がはねている。

 

句,六首の四

急雨 溪足を捎【はら】う,斜暉【しゃき】樹腰に轉ず。

巢を隔てて黃鳥並び,藻を翻して白魚跳る。 

江畔独歩尋花 

 

句,六首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

句,六首之四 

急雨捎溪足,斜暉轉樹腰。 

隔巢黃鳥並,翻藻白魚跳。 

 

(下し文)

句,六首の四)

急雨 溪足を捎【はら】う,斜暉【しゃき】樹腰に轉ず。

巢を隔てて黃鳥並び,藻を翻して白魚跳る。 

 

(現代語訳)

(この六首は草堂の景物について述べているが、その四は夕立の後、夕暮れに晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

浣花渓の渓流が錦江に合流する根元のあたりを夕立がかすめて通っていく。たちまち晴れると樹木の腰の辺りに夕日が射して動いている。

木の上には、鳥の巣が二つ離れて向き合って並んでいて、高麗鶯も並んでいる。濯錦江の淵の藻をひっくり返すように白魚がはねている。

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

句,六首之四 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その四は夕立の後、夕暮れに晴れあがった草堂のまわりの様子を詠う。)

 

急雨捎溪足,斜暉轉樹腰。 

浣花渓の渓流が錦江に合流する根元のあたりを夕立がかすめて通っていく。たちまち晴れると樹木の腰の辺りに夕日が射して動いている。

急雨 にわか雨。夕立。

捎溪足 浣花渓の渓流が錦江に合流する根元のあたり。

斜暉 日が斜めに射す。夕方の光。

轉樹腰 樹木の腰の辺りに日が射しこむ。光が動く様子をいう。

 

隔巢黃鳥並,翻藻白魚跳。 

木の上には、鳥の巣が二つ離れて向き合って並んでいて、高麗鶯も並んでいる。濯錦江の淵の藻をひっくり返すように白魚がはねている。

隔巢 鳥の巣が二つ離れて向き合う。

黃鳥 高麗鶯。

 「も」のくさ。

 おどる。はねる。

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(この六首は草堂の景物について述べているが、その三は草堂の土木工事をした時の様子と草堂のまわりの様子を詠う。)

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,六首之三 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

句,六首之一 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

 

句,六首の一

日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。

竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。

 

句,六首之二 

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。 

幽棲身懶動,客至欲如何。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。

もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。

句,六首の二

藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。 

幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。   

 

句,六首之三 

鑿井交棕葉,開渠斷竹根。 

扁舟輕纜,小徑曲通村。 

 (この六首は草堂の景物について述べているが、その三は草堂の土木工事をした時の様子と草堂のまわりの様子を詠う。)

井戸を掘ったところにはシュロの葉が茂り、鬱蒼とまじりあっている。水路を切り開いたら、自然と竹林から伸びた根を断ちきることになった。

家前に泊める小舟は、軽やかに水面に浮かんでいて、艫綱がたおやかな状態であるし、錦城からここに来る路は、小道が曲がりながら、浣花渓村へ通じている。

 

句,六首之三

井を鑿【うが】てば棕葉【そうよう】交わり,渠を開けば 竹根を斷つ。

扁舟 輕く 【ともづな】を【たおやか】にし,小徑 曲り 村に通ず。 

海棠花021

 

句,六首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

句,六首之三 

鑿井交棕葉,開渠斷竹根。 

扁舟輕纜,小徑曲通村。 

 

 

(下し文)

句,六首之三)

井を鑿【うが】てば棕葉【そうよう】交わり,渠を開けば 竹根を斷つ。

扁舟 輕く 纜【ともづな】を【たおやか】にし,小徑 曲り 村に通ず。 

 

(現代語訳)

(この六首は草堂の景物について述べているが、その三は草堂の土木工事をした時の様子と草堂のまわりの様子を詠う。)

井戸を掘ったところにはシュロの葉が茂り、鬱蒼とまじりあっている。水路を切り開いたら、自然と竹林から伸びた根を断ちきることになった。

家前に泊める小舟は、軽やかに水面に浮かんでいて、艫綱がたおやかな状態であるし、錦城からここに来る路は、小道が曲がりながら、浣花渓村へ通じている。

江畔独歩尋花 

(訳注)

句,六首之三 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その三は草堂の土木工事をした時の様子と草堂のまわりの様子を詠う。)

 

 

鑿井交棕葉,開渠斷竹根。 

井戸を掘ったところにはシュロの葉が茂り、鬱蒼とまじりあっている。水路を切り開いたら、自然と竹林から伸びた根を断ちきることになった。

交棕葉 シュロの葉。

開渠 すいろ、みぞ。

斷竹根 杜甫の草堂の南側には竹林が大きく広がり、その根を断たないと庭が竹林になってしまうことをいう。

 

扁舟輕纜,小徑曲通村。 

家前に泊める小舟は、軽やかに水面に浮かんでいて、艫綱がたおやかな状態であるし、錦城からここに来る路は、小道が曲がりながら、浣花渓村へ通じている。

 艫綱がたおやかな状態である。大雨や、嵐が最近ないということをいう。
杜甫像0012 

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(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

 
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作年: 65年永泰元年54-

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,六首之二 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

句,六首之一 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

 

句,六首の一

日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。

竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。

 

句,六首之二 

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。 

幽棲身懶動,客至欲如何。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。

もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。

句,六首の二

藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。 

幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。   

 

江畔独歩尋花 

句,六首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

句,六首之二

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。

幽棲身懶動,客至欲如何。 

 

(下し文)

句,六首の二

藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。 

幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。   

 

(現代語訳)

(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。

もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。

草堂002 

(訳注)

句,六首之二

(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)

 

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。

花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。

藹藹 花が蜂や蝶を呼ぶため、じゃもじゃと群がり出しているさま。

 

幽棲身懶動,客至欲如何。 

もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。

幽棲 隠遁生活。

懶動 何にもしないで風景や事物を見ている隠遁者である。

客至欲如何 杜甫は、厳武の幕府を辞して草堂に帰っているのでここでお客というのは、厳武が訪ねてきたらどうしようという意味である。

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(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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作年: 65年永泰元年54-

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,六首之一 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

句,六首之一 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

 

句,六首の一

日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。

竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。 

 

 

句,六首之二  

藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。 

幽棲身懶動,客至欲如何。 

 

句,六首之三 

鑿井交棕葉,開渠斷竹根。 

扁舟輕纜,小徑曲通村。 

 

句,六首之四 

急雨捎溪足,斜暉轉樹腰。 

隔巢黃鳥並,翻藻白魚跳。 

 

句,六首之五 

舍下筍穿壁,庭中藤刺簷。 

地晴絲冉冉,江白草纖纖。 

 

句,六首之六 

江動月移石,溪虛雲傍花。 

鳥棲知故道,帆過宿誰家。 

杜甫草堂詳細図02 

 

句,六首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

句,六首之一 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

 

 

(下し文)

(絕句,六首の一)

日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。

竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。 

 

(現代語訳)

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

 

春水001 

(訳注)

句,六首之一 

(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)

 

日出籬東水,雲生舍北泥。 

まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。

籬東水・舍北泥 草堂は濯錦江がうねった地点にあり、遊水地の様な位置関係にあるため東西南が濯錦江に面し、北側に沼、池、水路があったもの。

 

竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。 

竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。

翡翠 カワセミ。

鵾雞 鶤雞とうまる【唐丸/鶤鶏】とは。意味や解説。1 ニワトリの一品種(おおにわとり)。長鳴き鶏(どり)の一。羽色は一般に黒色で、新潟県で作り出された。2 「唐丸籠(かご)」の略。とうまるおくり【唐丸送り】江戸時代、罪人を唐丸籠(かご)に入れて護送すること。
江畔独歩尋花 

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聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

 
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廣徳2764-96 《巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4675 杜甫詩1500-797-1106/2500廣徳2764-96

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州)

及地點:              巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)            長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都            

交遊人物:班司馬              當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)
聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。
傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。 

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

蜀中転々圖

『巴西聞收宮闕送班司馬入京』 現代語訳と訳註

(本文)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

念君經世亂,匹馬向王畿。

 

 

(下し文)

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

(現代語訳)

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

太白山001 

(訳注)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

巴西 三巴の閬州

宮闕 朝廷の門の両脇の小門。

班司馬 《送司馬入京》と同人物。閬州の属官。

 

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

聞道 きくならく。ひとの謂うことには。聞くところによると。

鳴鑾 車のヨコギにつけた鈴。

 河南道陜州、代宗が逃げ延びたところ。

 

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

黃屋 天子の馬車、天子の車は車の屋根の裏を黄色の絹張りをいう。

正殿 礼儀を行う表御殿。

朱衣 御史太夫の從官の着る服で、この官が朝礼の際引率してそれぞれの立ち位置に引率する。

 

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

劍外 剣閣の外、つまり蜀の地をいう。

敕使 天子の仰せをつたえるお使い。

 

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

 王司馬のこと。

匹馬 一匹の馬。

王畿 都近くの地方。
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そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

 
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廣徳元年(763) 10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。

  驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。 そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。 吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。 代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。 中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。

  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。

 

 11月、代宗皇帝は程元振の官爵を削り、田里へ放帰した。

  郭子儀は30騎で御宿川の楯山の東に至る

 

12月 丁亥の日、吐蕃軍が去ったことを知り、車駕が陜州を出発し、京師へ戻った。 この時、左丞・顔眞卿は、まず陵廟へ謁してから宮へ帰るよう 代宗皇帝へ請うた。元載は従わない。顔眞卿は怒って言った。

 

  「相公が再び請われることに、朝廷がどうして耐えられようか!」

 

  元載は、これを根に持った。

  甲午の日、代宗皇帝が長安へ到着する。 魚朝恩を天下観軍容宣慰置使として、禁兵・神策軍を統率させた。 寵を得ること比類なかった。鄠県と中渭橋に城を築き、 兵を駐屯させて吐蕃帝国の襲撃に備えた。 駱奉仙を鄠県築城使とし、その兵を指揮させる。

 

  乙未の日、苗晋卿を太保、裴遵慶を太子少傅として、 共に政事をやめさせた。宗正卿・李峴を黄門侍郎、同平章事と する。

  裴遵慶が去ってしまうと、元載の権勢は益々盛んになった。 賄賂を贈って内侍の董秀や使主書卓・英倩と密かに往来する。 だから元載は、代宗皇帝が望んでいることを必ず先に知り、 細かく心を配って迎合したので、発言は全て意向に叶った。 それ故、代宗皇帝はますます元載を寵愛した。

 

  吐蕃軍が去った後に広武王・李承宏は野に身を隠していたが、 代宗皇帝は広武王・李承宏を華州へ放逐した。

 

  さて、程元振は、罪を得た後に三原へ帰っていたが、代宗皇帝が宮殿へ 帰ったと聞くと、布陣の衣を着て私的に長安へ入り、 密かに復帰の機会を窺った。 京兆府は、これを捕らえて報告した。

<大唐朝誌>

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    收京〔收京闕〕【草堂逸詩拾遺】

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

收京

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公。

莫令回首地,慟哭起悲風。

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

 

(收京)

復た道う 京邑を收むと,兼ねて聞く 犬戎を殺すと。

衣冠 卻って扈從【こじゅう】す,車駕 已に宮に還える。

克復【こくふく】 成【まこと】に此の如し,安危【あんき】數公に在り。

回首の地を令て,慟哭 悲風を起さしむること莫れ。

 

閶闔門001 

『收京』 現代語訳と訳註

(本文)

收京

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公。

莫令回首地,慟哭起悲風。

 

(含異文)           

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公【扶持在數公】。

莫令回首地,慟哭起悲風。

 

(下し文)

(收京)

復た道う 京邑を收むと,兼ねて聞く 犬戎を殺すと。

衣冠 卻って扈從【こじゅう】す,車駕 已に宮に還える。

克復【こくふく】 成【まこと】に此の如し,安危【あんき】數公に在り。

回首の地を令て,慟哭 悲風を起さしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

收京

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

この詩は、76312月に長安を収め、代宗が帰られたということを杜甫が年明けに聞きこの詩をつくったが、764年秋、厳武の幕府から草堂に帰って整理している。

 

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

復道 安禄山の時も天子は蜀と霊武に逃げたが、吐蕃侵入に代宗は千秋ににげたことで「復道」という。

京邑 長安、長安近郊。

犬戎 侵攻した吐蕃を指す。

 

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

衣冠 文武の官員。

卻扈從 後からお供をする。飛散していた朝廷の官僚は天子が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたことをいう。

車駕 天子の乗り物。

還宮 長安の宮殿に帰って来る。

 

克復成如此,安危在數公。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

克復 元通りに回復する。

安危 安心な部分と危険な部分が両方あること。

數公 朝廷を司る数人の宰相。

 

莫令回首地,慟哭起悲風。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

回首地 杜甫がその場からあちこちを見回すことをいう。
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酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

 
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廣徳2764-93 《軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4660 杜甫詩1500-794-1103/2500廣徳2764-93

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    軍中醉飲寄沈八劉叟〔暢當詩〕

交遊人物:沈八・ 劉叟    <書信往來>

 

 

軍中醉飲寄沈八劉叟

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

野膳隨行帳,華音發從伶。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

數杯君不見,醉已遣沈冥。

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

 

(軍中の醉飲 沈八、劉叟に寄す)        

酒渴 江の清きを愛し,餘甘 晚汀に漱ぐ。

軟沙 攲坐【きざ】穩やかに,冷石 醉眠 醒む。

野膳 行帳に隨い,華音 從伶より發す。

數杯 君見ずや,都て已に沈冥なら遣む。

木蘭01

 

『軍中醉飲寄沈八劉叟』 現代語訳と訳註

(本文)

軍中醉飲寄沈八劉叟

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

野膳隨行帳,華音發從伶。

數杯君不見,醉已遣沈冥。

 

(下し文)

(軍中の醉飲 沈八、劉叟に寄す)

酒渴 江の清きを愛し,餘甘 晚汀に漱ぐ。

軟沙 攲坐【きざ】穩やかに,冷石 醉眠 醒む。

野膳 行帳に隨い,華音 從伶より發す。

數杯 君見ずや,都て已に沈冥なら遣む。


(現代語訳)

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

砂浜001 

(訳注)

軍中醉飲寄沈八劉叟

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

軍中 厳武の剣南西川節度使軍、幕府。

沈八劉叟 この二人の人物については未詳。

酒渴愛江清  餘甘漱晚
軟沙攲坐穩  冷石醉眠
野膳隨行帳  華音發從
數杯君不見  已遣沈

●●●○○  ○○●●△

●△△●●  △●●○△

●●○△●  △○●△○

●○○△●  ○●●△○

 

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。【餘酣漱晚汀】

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

酒渴 酒を呑むほどにのどが渇くこと。

餘甘 酔った挙句~をする。

 口をそそぐ。

晚汀 夕暮れの波打ち際。

 

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

軟沙 かわらの砂がやわらかいこと。

攲坐 傾いて座る。

 

野膳隨行帳,華音發從伶。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

野膳 野外の宴でのお膳。

行帳 出向いて来て幔幕を張ること。

華音 蜀や否かの音楽でなく、都の音楽。

從伶 追従してきた音楽

 

數杯君不見,都已遣沈冥。【醉已遣沈冥】

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

 すべて。

沈冥 酔って正体を失うさまをいう。
haqro01 

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卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

 
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寄邛州崔錄事

邛州崔錄事,聞在果園坊。

久待無消息,終朝有底忙。

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

(邛州【きょうしゅう】崔錄事に寄す)

邛州の崔錄事,果園坊に在りと聞く。

久しく待てど 消息無く,終朝 底【なん】の忙有り。

應に江樹の遠きを愁うべし,野亭の荒れるを見ることを怯【おそ】る。

浩蕩たる 風塵の外,誰か知らん 酒 熟すれば香ばしきを。

 

成都関連地図 00

  

『寄邛州崔錄事』 現代語訳と訳註

(本文)

寄邛州崔錄事

邛州崔錄事,聞在果園坊。

久待無消息,終朝有底忙。

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

 

(下し文)

(邛州【きょうしゅう】崔錄事に寄す)

邛州の崔錄事,果園坊に在りと聞く。

久しく待てど 消息無く,終に朝 底【なん】の忙有り。

應に江樹の遠きを愁うべし,野亭の荒れるを見ることを怯【おそ】る。

浩蕩たる 風塵の外,誰か知らん 酒 熟すれば香ばしきを。

 

(現代語訳)

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

 

 

(訳注)

寄邛州崔錄事

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

邛州 邛州(きょうしゅう)は中国にかつて存在した州。現在の中華人民共和国四川省邛崍市近郊に相当する。梁の蕭紀(皇位僭称552-553年)により設置された楚州を前身とする。隋代になると605年(大業元年)に廃止となり、管轄区域は雅州に移管された。

崔錄事 卭州の録事であった崔某、詳細は分からない。

○果園坊 成都の中の坊の名称で、成都の西側にあった。徐卿の居處があった。

杜甫《詣徐卿覓果栽》「草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。」(卿に詣りて 果栽を覓む。草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。)

成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362 ..\杜甫と農業.doc 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 700- 538

 

邛州崔錄事,聞在果園坊。

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

 

久待無消息,終朝有底忙。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

有底忙 何か忙しいことでもあるのか。この詩は杜甫の冗談である。

 

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

 愁いているということなのだろうか。心配かけるね。

江樹遠 濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということ

怯見 見るのが怖いということ

野亭 あばら家である草堂

 

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

浩蕩 大にうごく。

風塵外 世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというとき

酒熟香 春は新酒が熟してちょうど芳しくなってきたこと。
江畔独歩尋花 

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杜甫《王錄事許修草堂貲不到聊小詰》(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

 
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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 王錄事許修草堂貲不到聊小詰 

及地點:  草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍     

交遊人物: 王錄事 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。  

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

(王錄事 草堂を修むる貲を許す 到らず 聊さか小詰す)

為に嗔【いか】る 王錄事が,草堂の貲を寄せざるを。

昨【きのう】 春雨を愁うるに屬す,能く忘れんや 漏れんと欲する時を。 

杜甫像0012 

 

『王錄事許修草堂貲不到聊小詰』現代語訳と訳註

(本文)

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。 

 

(下し文)

(王錄事 草堂を修むる貲を許す 到らず 聊さか小詰す)

為に嗔【いか】る 王錄事が,草堂の貲を寄せざるを。

昨【きのう】 春雨を愁うるに屬す,能く忘れんや 漏れんと欲する時を。 

 

(現代語訳)

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

 

 

(訳注)

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

○王錄事 録事である王某。

○貲 たから。ここでは修繕費の金銭。

○到 杜甫の手元に届くこと。

○小詰 少々なじる。

 

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

○為嗔 杜甫自身のためにしてくれていないことを瞋る。

 

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。 

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

○屬 丁度。たまたま。

○愁春雨 の長雨を心配したところであった。小ぶりの雨ではなく、長雨だと、雨漏りがひどくなるという意味での「愁い」をいう。

○能忘 能くはここでは反語。忘れたわけではないだろうね。
杜甫草堂詳細図02 

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ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

 
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廣徳

2764-101-#3 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4520 杜甫詩1500-773-#3-1075/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

名參漢望苑,職述景題輿。 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

遠行無自苦,熱比何如。 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

杜甫草堂詳細図02 

 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(下し文) #3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。

 

(現代語訳)

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

 

江畔独歩尋花 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 #3

 

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

宿陰 曇りの天候が続くこと。

素柰 白花の唐梨子。

蕖 はちす花。

 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

寂寂 ひっそりと静かに暮らす。

泠泠 涼風が吹く音をいう。

 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。


直作移巾几,秋帆發弊廬。 

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

移巾几 頭巾をして肘掛け椅子を君のために移動する。

弊廬 やぶれかけたいおり、杜甫の草堂のこと。
題新津北橋棲00 

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杜甫《寄李十四員外布十二韻》三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

 

 
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廣徳2764-101-#2 《寄李十四員外布十二韻》杜甫index-14 764年 杜甫<773-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4515 杜甫詩1500-773-#2-1074/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

名參漢望苑,職述景題輿。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

遠行無自苦,熱比何如。 

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

試待盤渦歇,方期解纜初。 

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

 

名參漢望苑【案:漢武為太子置博望苑以通賓客。】,職述景題輿【案:周景為陳蕃題輿。】。巫峽將之郡,荊門好附書。

遠行無自苦,熱比何如。

正是炎天闊,那堪野館疏。

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。

試待盤渦歇,方期解纜初。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬【日為摘嘉蔬】。

渚柳元幽僻,村花不掃除。

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。

江清心可瑩,竹冷髮堪梳【竹冷髮宜梳】。

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

 

杜甫草堂詳細図02 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

 

(下し文) #2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

 

(現代語訳)

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

 

桃園001 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 #2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

○黃牛 黄牛峡 峡名、三峡の一角で西陵峡の末端の部分にある。長江にある三峡のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡夷陵州(今の湖北省宜昌)の西九里にあり、高崖の間に石があって、人が刀を負って牛を牽くがごとくであり、人は黒く牛は黄いろ。

杜甫《送韓十四江東省覲》

兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。

我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?

黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。

此別應須各努力,故猶恐未同歸。

 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

不掃除 この時代は花が散ってすぐには掃除をしないというのが風流とされる。杜甫の先輩の孟浩然、王維は花の散っている夜明けを詠っている。

孟浩然春曉
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。

春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。

王維田園楽 

桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  

花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。

桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。
海棠花021 

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(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512 
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廣徳2764-101-#1 《寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4510 杜甫詩1500-773-#1-1073/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

名參漢望苑,職述景題輿。 

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

遠行無自苦,熱比何如。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

 

名參漢望苑【案:漢武為太子置博望苑以通賓客。】,職述景題輿【案:周景為陳蕃題輿。】。巫峽將之郡,荊門好附書。

遠行無自苦,熱比何如。

正是炎天闊,那堪野館疏。

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。

試待盤渦歇,方期解纜初。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬【日為摘嘉蔬】。

渚柳元幽僻,村花不掃除。

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。

江清心可瑩,竹冷髮堪梳【竹冷髮宜梳】。

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

蜀中転々圖 

 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

#1

名參漢望苑,職述景題輿。 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

遠行無自苦,熱比何如。 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

 

(下し文)

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

 

(現代語訳)

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

 

題新津北橋棲00 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 

#1

名參漢望苑,職述景題輿。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

漢望苑 漢の博望苑のこと。漢の武帝の時戻太子冠す。賓客を通じせしめ東宮にあった博望苑で司議郎が対応した。

職述 能く古人の職に倣うをいうという職のことを述べる。

景題輿 後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職になったことをいう。

 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

巫峽 中国・長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。

○荊門 荊州。湖北省荊州府をさす。この江水(嘉陵江)は南流して長江に入り東流して荊州、南京、上海に達する。孟浩然峴山送蕭員外之荊州』とか李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊「荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。」では荊州のことを指す。

附書 手紙を付託する。

 

遠行無自苦,熱比何如。 

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

○自苦 自分で自分を苦しめる。

熱 病気で発熱する。

比 このごろ。

 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

○闊 遠くへ広がる

○野館 幔幕に倚り田野で宿すこと。

○疏 まばら、稀少である。

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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

#2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。


時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

#3

喪亂形仍役,淒涼信不通。

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

懸旌要路口,倚劍短亭中。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

永作殊方客,殘生一老翁。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

相哀骨可換,亦遣馭清風。 

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

蜀中転々圖 

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

喪亂形仍役,淒涼信不通。

懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。

相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(下し文) #3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

 

(現代語訳)

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

蜀成都1111 

(訳注) #3

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

喪亂 安禄山の叛乱に始まる安史の乱や、厳武が長安に勝れることから蜀で反乱を起こしたことで、蜀巴を廻ったことをいう。

形仍役 形をとる、役割を果たすこと、ここでは司馬山の安否を気遣うために何か行動をすること。

淒涼 悲しいかな何にもないというほどの意。

信不通 音信不通。

 

懸旌要路口,倚劍短亭中。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

懸旌 はためかずぶら下がっている旗。意志が発揮できない様子。

要路口 西から成都に入って来る要衝の地。

倚劍 国事を慨き思う

短亭中 駅亭間が短く感じられる。唐の駅伝制:道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。この事を杜甫は、757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500  のなかでしっかりと述べている。

 

永作殊方客,殘生一老翁。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

永作 ながく~をする。

殊方客 故郷を離れたまま旅客をし続けていること

殘生 余生。残り少なくなくなった人生。

一老翁 

 

相哀骨可換,亦遣馭清風。

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

骨可換 司馬山人の仙道によって俗骨を仙骨に替えることが出来るという。

《漢武内伝》に服薬して仙人になる九年の過程を述べ、「六年にして骨を易う」藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85

《漢武内伝》一年易氣,二年易血,三年易精,四年易肉,五年易髓,六年易筋,七年易骨,八年易髪,九年易形。

馭清風 昔の仙人のように清風にまたがらせてくれて天へ登ること。
江畔独歩尋花 

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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

#2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

有時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

 題新津北橋棲00

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

有時騎猛虎,虛室使仙童。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

 

 

(下し文) #2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

 

(現代語訳)

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

 

(訳注)

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 唐時代剣南道北部075

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

長嘯 ながくうそぶく。

峨嵋 峨嵋山のこと。道教の本山があり、山に隠遁するものが多くあった。

潛行 人目につかないようにして歩く。杜甫『哀頭江』「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。」

玉壘 玉壘山、四川省灌縣の西北にあり、吐蕃交通の関所がおかれている。(都江堰市玉壘山公園、網上在都江堰市)

 

有時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

騎猛虎 きけんにであうこと。

虛室 誰もいない部屋。

仙童 子供の仙人。

 

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

何勞白 白くなることを煩わすことなど何でもない。

顏衰肯更紅 山人のことをいう。

 

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

望雲 青雲の高きを眺め見る。

轗軻 不遇である顔つきをしていること。

畢景 夕日の光、人生の晩暮。

沖融 水面が穏やかに静まりかえすこと、陽春の和気の様子をいうことで、山人の若々しさをいう。
江畔独歩尋花 

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いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。



 
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贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

#9

網衆まりて円鯽【えんせき】粘し、糸繁くして細蓴【さいじゅん】を煮る。

長歌 柳癭【りゅうえい】を敲き、小睡 藤輪に憑る。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや。

浮生食を去り難し、艮会清晨を惜しむ。』

10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

題新津北橋棲00 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

 

(下し文)

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

貐【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

(現代語訳)

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

 

(訳注) #8~#10

贈王二十四侍禦契四十韻 #10

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

江畔独歩尋花 

列國兵戈暗,今王德教淳。

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

○列国 諸国。

○今王/今重 代宗。

○淳 まじりけなし、清し。淳風・淳朴。

 

要聞除貐,休作畫麒麟。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

○要聞 自己がきこうともとめるのである。

○除 【あゆつ】は中国神話に登場する怪物。獣の中で最大とされ、虎の身体に龍の頭、馬の尾を持ち、全長80メートルもある。元々は天の神だったが、神々の抗争により、危(ウエイ,き)という神に殺された。しかし、貐は崑崙山にて不死の薬で甦り、それ以降、邪悪な怪物となった。山猫に似て走るのが速く、中原をものすごく速さで走り回り、人を喰らった。そこで、后羿(ホウイー,こうげい)という英雄がこの怪物を退治したという。后羿は、その当時、中国に10個あった太陽を9個を撃ち落とす程の弓の名手だった。これは盗賊をたとえていう。

○画麒麟 麒麟閣上に画かれること、徒らに閣上に画かれることをのみ考えてはならぬとみている。

 

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

○洗眼 長安中に豪家の軽薄子の多いのを見ていうのに、吾当に眼を洗って繭が菅を見るべし、と。荘子の「逍遙遊」に、「穎水(えいすい)に耳を洗う」の故事がある。聖天子、堯が巷間に隠れ棲む高士の許由に天下を譲ろうと言った。それを聞いた許由は、耳が汚れたとして、穎水で耳を洗い清めた。杜甫が「洗眼」といったのは官を辞すに到った、朝廷内での金権主義、賀蘭進明、第五琦のその場主義の経済政策、そのために人民は疲弊し、一方で悪がはびこることに目を向けられていないことをいう。この杜甫の主張は房琯を筆頭としたグループを形成していた。これが宦官らの暗躍により、全員左遷され、勢力を失ったことなどを示すものである。

杜甫の三吏三別 「新安吏」「石壕吏」「潼関吏」(三吏),「新婚別」「垂老別」「無家別」(三別)に明確に状況を述べている。そして、当時の経済政策についての明確な批判は次の二文献に示されている。

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

○軽薄 世間の交際のまじめでないさま、此の句は自己についていう。

○虚慎 むねにわだかまりのないこと。

○任屈伸 在官を伸といい、退処を屈という、此の句は王侍御についていう。

 

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

○膠漆地 漆とニカワのように一旦結ばれれば離れることのない交情の親密な境地。

○雷陳 後漢の雷義と陳重をいう、二人の交わりは至って親密であり、当時の人の語にいう、「膠膝自ズカラ堅シト謂ウモ、雷卜陳トニ如カズ」と。官吏に推薦された雷義は、それを親友の陳重に譲りましたが、役人に認められなかったため、髪を振り乱し、気違いのふりをして命令に応じませんでした。「膠や漆がかたく結びつくといっても、雷義と陳重ほどではない」とうわさされた故事。

以上身世の感をいい交情の密ならんことを希望して結びとする。
杜甫草堂詳細図02 

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贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。』

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

#9

網衆まりて円鯽【えんせき】粘し、糸繁くして細蓴【さいじゅん】を煮る。

長歌 柳癭【りゅうえい】を敲き、小睡 藤輪に憑る。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや。

浮生食を去り難し、艮会清晨を惜しむ。』

10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

 

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

題新津北橋棲00 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。』

 

(下し文)

#9

網衆まりて円鯽【えんせき】粘し、糸繁くして細蓴【さいじゅん】を煮る。

長歌 柳癭【りゅうえい】を敲き、小睡 藤輪に憑る。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや。

浮生食を去り難し、艮会清晨を惜しむ。』

 

(現代語訳)

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

 

 

(訳注)#8~#9

贈王二十四侍禦契四十韻 #9

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

杜甫草堂詳細図02 

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

○網衆 一所にあみをあつめること。

○粘円鯽 粘とはあみに附着すること、円鯽は思うに幅のわりあいに丈の短いふなのこと。

○糸繁 糸はじゅんさいの線をいう。

○蓴 じゅんさい。

 

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

○柳癭 曹植の詩に「吾道癭瓢在,酣歌且莫疏。」(我に柳癭瓢あり)とみえる、柳のこぶのようなひさご、酒をいれるものである。

○小睡 いねむり。

○憑 もたれる。

○藤輪 藤蔓で作った蒲団のことと、後説に従う、輪は円形をいう。

 

農月須知課,田家敢忘勤。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

○農月 農事をはげむべき月。農繁期。

○知課 課は日課、日日わりつけてする仕事。

 

浮生難去食,良會惜清晨。』

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

○田家 農家。

○浮生 人生。

○去食 食物をとりさる。

○良会 親友との会合。

○清晨 天気のよい午前中。ここまで、王侍御のもとで飲み、しかも農月なのでいつまでも留まっているわけにはゆかぬことをいう。
三者の思惑が合致 

この三者の思惑が一致したことで房琯グループ、杜甫を含めて全員左遷され、中央朝廷からはじき出されたのである。華州司功参軍に左遷され、官を辞すのである。 

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蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

 
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贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。』

10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

 

#9

網衆まりて円鯽粘し、糸繁くして細を煮る。

長歌 柳き、小睡 藤輪にる。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや

浮生食を去り難し 艮会清晨を惜しむ。』

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐屈伸に任す。

膠漆の地をして 万古雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

成都関連地図 00 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

 

 

(下し文)#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

 

(現代語訳)

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

 

(訳注)

贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

○石鏡 成都の北角に武担という塚があるが、その塚の上に鏡の幅は1メートル、高さは120cm程の石である、すきとおることは鏡のごとくであるという。蜀の古王開明の妃の塚だと伝える。蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行という蜀の故事をもとに詩を作っている。この詩はその続編というところである。成都の街に出てこの場所に来て作った。

杜甫「石鏡」

蜀王將此鏡,送死置空山。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
獨有傷心石,埋輪月宇間。

石鏡 杜甫 <431  漢委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500

○幽魄 開明王の妃のたましい。

○琴台 漢の司馬相加が琴をひいて卓文君に挑んだという遺跡。相知がまだ若くて貧乏であったころ、成都の金持の卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところ、文君は夜家を逃げ出して相如のもとに走ったという。台は浣花渓の東に成都の西部分にある。花街は西側白門にあるもの。

杜甫『琴台』 

茂陵多病後,尚愛卓文君。

酒肆人間世,琴台日暮雲。

野花留寶靨,蔓草見羅裙。

歸鳳求凰意,寥寥不複聞。

琴台 杜甫 <432  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2105 杜甫詩1000-432-615/1500

杜甫『野老』
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀 
 野老 杜甫 <373  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549

〇絳唇 卓文君文君のあかいくちびる。

 

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

○送終 妃の最後を送って葬ったこと、此の句は上の石鏡の句を承ける。

○惟糞士 ただ糞土をあますのみ。

○結愛 相如が文君と愛をむすんだこと、此の句は上の琴台の句を承ける。

○独荊榛 いばら・はりのみをあます。

 

置酒高林下,觀棋積水濱。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

○高林・積水 これは一定の場所をいわないが思うに導江、都江堰附近についていったもの。

 

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

○区区 自己のこせこせとした心。

○累趼 趼は足に豆をでかすこと、作者は時として「繭」の字をも用いるが同意である。「荘子」(天道)に重断の語があるが、累趼は重趼に同じ、豆をかさねてでかすことをいう、奔走すれば豆ができる。

○稍稍 すこしずつ、しだいに、以上は王侍御との諸方への同遊をのべる。
唐時代剣南道北部075 

廣徳2764-98-#8 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4470 杜甫詩1500-770-#8-1065/2500

廣徳2年764-98-#7 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4465 杜甫詩1500-770-#7-1064/2500

我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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26 《古風五十九首之二十六》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <26> Ⅰ李白詩1183 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4463 
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廣徳2764-98-#7 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4465 杜甫詩1500-770-#7-1064/2500

 

 

浪跡同生死,無心恥賤貧。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』#6

#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

#6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

#6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

#7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。

竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』

それだけではない。わたくしは席上の珍である珪璋に此すべき賓客にまじわるほどの光栄をにない、出るにも入るにもあなたと鞍馬をならべさせていただいた。

或は再び成都の蜀の先主廟にあそび、または少城の升形門を通り、経ることもできた。

 #7

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

 

 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 ##7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

 

(下し文)

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

 

(現代語訳)

我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。

竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』

それだけではない。わたくしは席上の珍である珪璋に此すべき賓客にまじわるほどの光栄をにない、出るにも入るにもあなたと鞍馬をならべさせていただいた。

或は再び成都の蜀の先主廟にあそび、または少城の升形門を通り、経ることもできた。

 

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #7

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

 

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。

○芝蘭秀 芝蘭のような香りの高い草がある部屋に長くいると、いつの間にか芳香が身にしみついて、気持ちよくなる。善人と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるたとえである。「芝蘭」霊芝と蘭(ふじばかま)。ともによい香りを放つ草。転じて、すぐれた人や物のたとえ。「孔子家語」「与善人居如入芝蘭之室 久而不聞其香 即与之化」(善人と居るときは 芝蘭の室に入るが如し 久しくして其の香を聞かず 即ちこれと化するなり)の「善人と居るときは、芝蘭の室に入るが如し」を引いている。

○棟宇 むなぎ、やね。

 

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』

○山陽 河内の山陽という、魏末に嵆康・向秀ら竹林七賢の居った処、今の河南省懐慶府修武県の北にある。河内郡位置 太行山 東南と 黄河 北。領 県 十六: 汲県 、共県、林慮県、 嘉県 、 修武県 、 野王県 、州県、 懐県 (郡治)、 平皋県 、 河阳県 、 沁水県 、 山陽県 、 温 、朝歌県、 武徳県 。

○俗物 晋書の王戎伝に院籍(七賢の一人)が王戎にむかっていうのに、「俗物己二復夕来タリ、人意ヲ敗ル」とある。

○鄭駅 漢の鄭当時(字は荘)は常に長安の諸郊に駅馬を置いて日夜賓客を送迎した、山陽と鄭駅はともに王侍御のことに比する。以上は作者が王侍御の導江県の宅を訪問して款待されたことを叙する。

 

出入並鞍馬,光輝參席珍。

それだけではない。わたくしは席上の珍である珪璋に此すべき賓客にまじわるほどの光栄をにない、出るにも入るにもあなたと鞍馬をならべさせていただいた。

○並鞍馬 杜甫と王と鞍馬してならべる。

○光輝 光栄あること。

○席珍 珪璋埠のごとき美玉をさす、坐中の美賓に比する、「士者国之宝,儒席上珍。」「席上珍」=せきじょうのちん宴席の珍味。古来伝来の貴重な学徳の例えとされる。転じて、展示されている古書画の類を指すことあり。

 

重遊先主廟,更曆少城闉。

或は再び成都の蜀の先主廟にあそび、または少城の升形門を通り、経ることもできた。

○先主廟 蜀の先主劉備の廟である、成都府城南八里、恵陵の東にある。

○少城 成都の西城、錦官城とよぶのにおなじ、張儀の築いた所で、大城の西にある。

○闉 城内の重門、城のますがたの所の門をいう。

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#5

浪跡同生死,無心恥賤貧。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』#6

#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

#6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

#6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

#7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

#7

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

杜甫草堂詳細図02 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

 

(下し文) #6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

 

(現代語訳)

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

 

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #6

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

題新津北橋棲00

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

〇漰口 漰。蜀人は堰のことを堋というという。導江県(今の灌県の一部)の都安県にある都江堰。漰作堋。蜀人謂堰爲堋。(BC-6)

○江 眠江をいう。

○蠶崖 導江県西北四十七里にある関。吐蕃から維州を経て成都に入って来る際の関所。
(B-6)

 

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

○名園 有名の園林、王侍御の園。

○翠巘 巘は峰,山頂.高い山の頂上.

○野樟 野水にうかべた舟のさお。

○蘋 うきぐさ。ジュンサイのとれる浮草。

 

屢喜王侯宅,時邀江海人。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

○王侯宅 王や侯のような身分の高いひとの宅、厳武や王侍御をびきくるめていう。王は姓で王侯とは王君をいうという仇注、時に侍御は故侯の廃宅を賃貸りして住居としたのであろうとの浦注は取らぬ。

○江海人 江海にさまよう浪人、自己をさす。

 

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

○追随 あとにつきそう。

○晩 日の暮れることをいう。

○款曲 款曲は委曲の意、款曲【かんきょく】うちとてけ交わるこまかに語りあうこと。謝霊運の「酬従弟謝惠運 五首」従弟ノ恵連二酬ユ」詩に「辛勤風波事,款曲洲渚言。」(辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。)とみえる。酬従弟謝惠運 五首その(3) 謝霊運(康楽) 詩<49>Ⅱ李白に影響を与えた詩436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1125

○旬 十日。
蜀成都1111 

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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)      

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州) 

 

#5

浪跡同生死,無心恥賤貧。

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

女長裁褐穩,男大卷書勻。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』#6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

#7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

#6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

#7

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

 

杜甫像0012 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #5

浪跡同生死,無心恥賤貧。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

 

(下し文)#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

 

(現代語訳)

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』

 

江畔独歩尋花 

贈王二十四侍禦契四十韻 #5

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

 

浪跡同生死,無心恥賤貧。

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

○浪跡 流浪する。

○同生死 生も死も同様に見なす。

 

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

○存庶芋 草堂に野菜畠を有することをいう。庶は砂糖きび、芋はいも。

○松筠 靖は竹色をいうが竹の意として用いる。

 

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

○麤飯 粗末なめし。

○依他日 他日は往日に同じ、依るとは過去のとおりに依り従うことをいう。

○窮愁 困窮憂愁の意、ゆきづまり、心配する。

○怪此辰 辰は時に同じ、次の二句が怪しむ理由である。

 

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』

○裁褐穏 おだやかに粗末な毛織物をたつ、裁縫ができること。

○卷書勻 でこぼこせぬように巻物の書物をまく、男児や女児が一人前になれば親として結婚させぬわけにはいかぬ、愁いを増す理由である、以上は王侍御の草堂への来訪をいって自己の胸中を訴えている。
成都遂州002 

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そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。

 
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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)      

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

(侍御史王契に贈った詩)

往往雖相見,飄飄愧此身。

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

一別星橋夜,三移斗柄春。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

#2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

#2

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

#3

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

消中只自惜,晚起索誰親。』

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

#3

会面嗟【ああ】黧黑【れいこく】なり、淒を含みで苦辛を話す。

接輿 還た楚に入る、王粲 秦に帰らず。

錦里 丹竈【たんそう】残る、花渓 釣輪を得。

消中 只だ自ら惜しむ、晩起 誰を索めてか親しまん。』

 

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

そのときあなたは御史の職に在って老子のごとく「周史の伏柱をきく」と遠国へお使いにゆかれた張騫のようである。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

あなたはたとえば「鴛鴻の狎れ易からざるがごとく」、「竜虎のいまだ馴らしにくい」ごときものである。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、

由來意氣合,直取性情真。』

原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。』#4

伏柱 周史を聞く、乗槎 漢臣有り。

鴛鴻【えんこう】狎【な】れ易からず、竜虎 未だ馴るるに宜しからず。

客 則ち冠を掛けて至る、交わりは蓋を傾くるの新たなるに非ず。

由来 意気合す、直ちに性情の真なるを取る。』

 

四川省西部地区略図 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註 

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #4

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

由來意氣合,直取性情真。』#4

 

(下し文)

伏柱 周史を聞く、乗槎 漢臣有り。

鴛鴻【えんこう】狎【な】れ易からず、竜虎 未だ馴るるに宜しからず。

客 則ち冠を掛けて至る、交わりは蓋を傾くるの新たなるに非ず。

由来 意気合す、直ちに性情の真なるを取る。』

 

(現代語訳)

そのときあなたは御史の職に在って老子のごとく「周史の伏柱をきく」と遠国へお使いにゆかれた張騫のようである。

あなたはたとえば「鴛鴻の狎れ易からざるがごとく」、「竜虎のいまだ馴らしにくい」ごときものである。

そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、

原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。』

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #4

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

江畔独歩尋花 

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

そのときあなたは御史の職に在って老子のごとく「周史の伏柱をきく」と遠国へお使いにゆかれた張騫のようである。

○伏柱聞周史 「周史の伏柱をきく」の意、老子は周の柱下の史となった、老子とは無関係のことであるが、秦以後は柱下御史の官があるのにより文字だけ同じ所から老子をひいてこれを王侍御にあてて用いている。

○乘槎有漢臣 「漢臣の桂に乗ずるあり」の意、乘槎は漢の張騫の故事。王に此する。張 騫(未詳- 紀元前114年)は中国前漢代の政治家、外交官。字は子文。漢中郡(顔師古注によると成固)の出身。武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらした。

 

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

あなたはたとえば「鴛鴻の狎れ易からざるがごとく」、「竜虎のいまだ馴らしにくい」ごときものである。

○鴛鴻 ともにおおとりをいう、『荘子』秋水篇には「鵷鶵、南海を発して北海に飛ぶ。」とみえる、以て王に比する。

○竜虎 王に此する。

 

客則掛冠至,交非傾蓋新。

そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、

○客 王をさす。

○掛冠 辞職すること、後漢の蓬萌は王莽が摂政となったとき冠を解き東都の門に掛けて去った。

○傾蓋 孔子と郯の程子との故事。二人ははじめて途でであい、車をとめ車蓋を傾けて語った、「漢書」鄒陽伝に「白頭如新、傾蓋如故」(白頭まで新なるが如く、傾蓋も故の如し)とみえる。

 

由來意氣合,直取性情真。』

原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。』

○取 王がとる。

○性情真 自己の真、以上は主として王侍御のがわを叙する。
杜甫像0012 

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やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

 
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贈王二十四侍禦契四十韻

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』#1

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸淚,秋月解傷神。』#2

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

消中只自惜,晚起索誰親。』#3

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

由來意氣合,直取性情真。』#4

浪跡同生死,無心恥賤貧。偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。女長裁褐穩,男大卷書勻。』#5

漰口江如練,蠶崖雪似銀。名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。追隨不覺晚,款曲動彌旬。#6

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。重遊先主廟,更曆少城闉。#7

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。區區甘累趼,稍稍息勞筋。』#8

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。浮生難去食,良會惜清晨。』#9

列國兵戈暗,今王德教淳。要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。莫令膠漆地,萬古重雷陳。』#10

 

 

 

侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)      

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

(侍御史王契に贈った詩)

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

#2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

#2

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

#3

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

消中只自惜,晚起索誰親。』

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

#3

会面嗟【ああ】黧黑【れいこく】なり、淒を含みで苦辛を話す。

接輿 還た楚に入る、王粲 秦に帰らず。

錦里 丹竈【たんそう】残る、花渓 釣輪を得。

消中 只だ自ら惜しむ、晩起 誰を索めてか親しまん。』

 

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

由來意氣合,直取性情真。』

#4

伏柱 周史を聞く、乗槎 漢臣有り。

鴛鴻【えんこう】狎【な】れ易からず、竜虎 未だ馴るるに宜しからず。

客 則ち冠を掛けて至る、交わりは蓋を傾くるの新たなるに非ず。

由来 意気合す、直ちに性情の真なるを取る。』

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

消中只自惜,晚起索誰親。』#3

 

(下し文)

会面嗟【ああ】黧黑【れいこく】なり、淒を含みで苦辛を話す。

接輿 還た楚に入る、王粲 秦に帰らず。

錦里 丹竈【たんそう】残る、花渓 釣輪を得。

消中 只だ自ら惜しむ、晩起 誰を索めてか親しまん。』

 

(現代語訳)

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

江畔独歩尋花 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #3

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

 

 

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているいわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

○会面 面会に同じ、草堂に帰って成都の人人と逢ったことをいう。

○黧 黄ばんでくろい、自己の顔面をいう。

 

接輿還入楚,王粲不歸秦。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

○接輿 楚の狂者の名、「論語」・「荘子」などにみえる、自己を此する。

『論語微子第十八』

楚狂接輿、歌而過孔子日、鳳兮鳳兮、何徳之衰。往者不可諫、来者猶可追。

已而已而。今之従政者殆而。孔子下欲與之言。趨而辟之、不得與之言。

楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぎて曰く、鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諌むべからず、来たる者ものは猶お追うべし、已みなん已みなん。今の政りごとに従がう者は殆うし。孔子下りて之と言わんと欲っす。趨りて之を辟け、之れと言うことを得ず。

楚の変人接輿が、歌を歌いながら孔子の宿舎を通りかかった。歌の内容は、「鳳(おおとり)よ、鳳よ(孔子に喩えて)、お前は聖王が世に出る時に来て舞う霊鳥だと聞くが、よりにもよってこんな乱世に出るなんて、何と徳の衰えたことよ。過ぎてしまったことは諫めても取り返しがつかないが、将来のことならまだ間に合う。よしなさいよしなさい、このご時世に政治に関わることは。身を危うくする元だよ」というものであった。孔子はこれを聞くと急いで表に出て接輿と話したいと思ったが、接輿が小走りで立ち去ってしまったので、話しをすることが出来なかった。

孔子は、人間の生き方、学問・経験・修養のある人間がいかに社会的責任を果たすべきか、そのことについて、議論をしたかった。だから、車から降りて、その男と議論をしようとしたのだ。

○王粲一句 三国魏の王粲をいう、謝霊運の「魂ノ太子ノ郭中集ノ詩二擬ス」詩の序に、「家本秦川,貴公子孫,遭亂流寓,自傷情多。」(家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。)とみえる、王粲の流寓を以て自ずから此する。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443

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錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

○錦里 錦江の里。

○丹竜 丹薬を錬るかまど。

○花渓 浣花渓。

○釣輪 つりいと。

 

消中只自惜,晚起索誰親。』

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

○消中 病の名、消渇ともいう、多く食べれば数〜小便する病であるという。

○晩起 あさおそくおきでる。

○索誰親 素を求の意とみる、何人を求めて親しむべきか、素を索居(さびしく居る)ととく説があるが、取ちぬ。以上は再会をのべて、先ず自己を叙する。
太白山001 

謝靈運『擬魏太子鄴中集詩八首 王粲』

(本文) 王粲

家本秦川,貴公子孫,

遭亂流寓,自傷情多。

幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。

伊洛既燎煙,函崤沒無像。

整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443

#2

沮漳自可美,客心非外獎。

常歎詩人言,式微何由往。

上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。

雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。

排霧屬盛明,披雲對清朗。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448

#3

慶泰欲重疊,公子特先賞。

不謂息肩願,一旦明兩。

並載游鄴京,方舟泛河廣。

綢繆清燕,寂寥梁棟響。

既作長夜飲,豈顧乘日養!

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453

(王粲)

家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。

乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

 

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。

伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。

裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。

#2

沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。

常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。

上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。

雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。

霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。

#3

慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。

謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。

載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。

綢繆たり清燕のしみ、寂蓼たり梁棟の響。

既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。 

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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)     

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

(侍御史王契に贈った詩)

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

#2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

 

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

江畔独歩尋花 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

 

(下し文)#2

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

 

(現代語訳)

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

 

 

(訳注) #2

贈王二十四侍禦契四十韻 #2

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

四川省西部地区略図 

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないが蔵れておりました。

○子去 子は王侍御をさす、去とは京師に赴いたことをいう。

○瀟灑 さっぱりとしたさま、往来の苦を意とせぬこと。

○隱淪 隠遁して世の下層にしずむもの、単に隠士をいう。

 

書成無過雁,衣故有懸鶉。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

○書成 書は王の手紙。

○過雁 蘇武の故事。漢の遠征軍が胡国との戦いに敗れたとき,大将軍の蘇武は捕らえられ,片足を斬って追放された。蘇武は,木の実や草の根を採り,田の落ち穂を拾いなどして生き長らえたが,田に降り立った雁を見て,その翼に都への文を結んで空へ放したという。

○衣 自己の衣。

○懸鶉 鶉(うずら)の羽はまだらにして散乱する、貧士の衣はこれに似ている、「筍子」に「子夏家貧シク、衣懸鶉ノ若シ」とみえる、懸鶉とはつるしたうずら。

 

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

○行装数 たびたび旅装をととのえる、あちこち奔走するゆえである。

○伶俜 おちぶれたさま。

 

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

○工迸涙 巧みに我をして涙をほとばしらせる。

○解傷神 我がこころを傷ましめることを知っている、以上は別後の事をのべる。

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成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道鄂州 蒲圻)     

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻

往往雖相見,飄飄愧此身。不關輕紱冕,是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。敗亡非赤壁,奔走為巾。』#1

子去何瀟灑,余藏異隱淪。書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。曉鶯工迸,秋月解傷神。』#2

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。消中只自惜,起索誰親。』#3

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。由來意氣合,直取性情真。』#4

浪跡同生死,無心恥賤貧。偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。女長裁褐穩,男大卷書。』#5

漰口江如練,蠶崖雪似銀。名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。追隨不覺,款曲動彌旬。#6

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。重遊先主廟,更少城闉。#7

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。區區甘累趼,稍稍息勞筋。』#8

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。浮生難去食,良會惜清晨。』#9

列國兵戈暗,今王德教淳。要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。莫令膠漆地,萬古重雷陳。』#10

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

(侍御史王契に贈った詩)

往往雖相見,飄飄愧此身。

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

一別星橋夜,三移斗柄春。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

成都関連地図 00 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

 

 

(下し文)

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

(現代語訳)

(侍御史王契に贈った詩)

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

 

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王のこと、二説ある。

京兆の人 王(字は佐卿)。

蜀の人  王

 

往往雖相見,飄飄愧此身。

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

 

不關輕紱冕,俱是避風塵。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

○軽級冤 軽はかろく視る、級は赤い革の前垂れ、高官の礼服、冤は礼冠、服装をもって官位をさす。実際には、玄宗上皇、房琯、鄭虔などと肅宗、賀蘭進明、第五琦などの行う経済政策を相容れないことで、批判めいた文章の作成の為居れなくなって辞したものである。詳細は756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

など詳しく述べている。

 

一別星橋夜,三移斗柄春。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

○星橋 成都をさす。秦の李氷、局の長官であったとき七橋を造って、天の斗魁七星に応じたもの。成都星橋のたもとの高楼で送別をしたのであろう。

三移 三たびかわる。

斗柄春 天文において北斗七星の第一より第四に至る星を魁といい、第五より第七に至る星を杓という、杓とは柄(ひしゃくのえ)をいう、斗柄は時候により指す方向が同じくない、黄昏にそれが東を指すときは春である、それが三移するとは三年たったことをいう。

 

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

○敗亡一句 徐知道が叛いて敗れ誅に伏したことをいう、三国の時、魏の曹操は、蜀の諸葛売と呉の周喩の謀計のために、赤壁(湖北省武昌府蒲圻県西百二十里にある)においてうち破られた。

○奔走 綿・梓・間の方へいったこと。

○黄巾 後漢末の鋸鹿の張角の叛乱軍をいう、黄巾を以て蜀の徐知道の叛賊に此する、以上王侍御との集散をのべる。
蜀中転々圖 

廣徳2年764-97 《歸雁》 杜甫index-14 764年歸雁 杜甫<769> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4430 杜甫詩1500-769-1057/25004

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

 
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春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。広徳二年春、成都にあっての作。

廣徳2764-97

index-14 769

卷別:卷二二八  文體: 五言 

詩題:歸雁

 

 

歸雁

東來萬里客,亂定幾年歸。

腸斷江城雁,高高正北飛。

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)

東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。

いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

(帰 雁)

東來萬里の客,亂定りて幾年にか歸らん。

腸は断ゆ 江城の雁 高高 正に北に飛ぶに。

 

太白山001 

歸雁』 現代語訳と訳註

(本文)

歸雁

東來萬里客,亂定幾年歸。

腸斷江城雁,高高正北飛。

 

東來萬里客,亂定幾年歸【亂走幾年歸】。

腸斷江城雁,高高正北飛【高高向北飛】。

 

(下し文)

(帰 雁)

東來萬里の客,亂定りて幾年にか歸らん。

腸は断ゆ 江城の雁 高高 正に北に飛ぶに。

 

 

(現代語訳)

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)

東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。

いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

 

(訳注)

歸雁

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)

○帰雁 北へかえるかり。

 

江畔独歩尋花

東來萬里客,亂定幾年歸。

東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。

○東来 東方より来る、梓州・閬州の方向より来たことをいう。

○幾年帰 幾年は何年の意。乱定幾年帰は幾年乱定帰というのに同じ。

 

腸斷江城雁,高高正北飛。

いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

○江城 錦江ぞいの城、錦官城:成都城をいう。

○北飛 北は長安の在る方位

廣徳2年764-96 《歸來》 杜甫index-14 764年歸來 杜甫<768> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4425 杜甫詩1500-768-1056/25003

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

 
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製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題: 歸來 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

歸來

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)

客裡有所過,歸來知路難。 

自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

開門野鼠走,散帙壁魚乾。 

柴門を開けて家に向かうと野鼠が走って横切る。書斎に入ると書帙が散乱してあろうことか本、紙を食べる虫でさえ干からびて死んでいる。

洗杓開新醞,低頭拭小盤。 

真っ先にすることは柄杓を洗って、新春の新酒を汲み取ることをする、次には頭を低く屈んで酒の肴を載せる小皿の埃を拭い取ることをする。

憑誰給麴櫱,細酌老江干。 

此の酒を造る材料は誰に与えてもらっているというのだろうか、そうして出来上がったお酒を少しずつ飲んで、少しずつ老いさらばえて、この濯錦江のほとりで過ごしていくほかないのだろう。

 

(歸り來る)

客裡 過る所有り,歸り來って路難を知る。 

門を開けば 野鼠【やそ】走り,帙【ちつ】を散んずれば 壁魚乾く。 

杓を洗って 新醞【しんうん】を開き,頭を低れて 小盤を拭く。 

誰に憑りてか 麴櫱【きくげつ】を給せられ,細酌して江干に老いむ。 

 

杜甫草堂柴門06 

『歸來』 現代語訳と訳註

(本文)

歸來

客裡有所過,歸來知路難。 

開門野鼠走,散帙壁魚乾。 

洗杓開新醞,低頭拭小盤。 

憑誰給麴櫱,細酌老江干。 

 

客裡有所過【客裡有所適】,歸來知路難。

開門野鼠走,散帙壁魚乾。

洗杓開新醞,低頭拭小盤【低頭著小冠】

憑誰給麴櫱,細酌老江干。  

 

(下し文)

(歸り來る)

客裡 過る所有り,歸り來って路難を知る。 

門を開けば 野鼠【やそ】走り,帙【ちつ】を散んずれば 壁魚乾く。 

杓を洗って 新醞【しんうん】を開き,頭を低れて 小盤を拭く。 

誰に憑りてか 麴櫱【きくげつ】を給せられ,細酌して江干に老いむ。 

 

(現代語訳)

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)

自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

柴門を開けて家に向かうと野鼠が走って横切る。書斎に入ると書帙が散乱してあろうことか本、紙を食べる虫でさえ干からびて死んでいる。

真っ先にすることは柄杓を洗って、新春の新酒を汲み取ることをする、次には頭を低く屈んで酒の肴を載せる小皿の埃を拭い取ることをする。

此の酒を造る材料は誰に与えてもらっているというのだろうか、そうして出来上がったお酒を少しずつ飲んで、少しずつ老いさらばえて、この濯錦江のほとりで過ごしていくほかないのだろう。

太白山001 

(訳注)

歸來

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)
764
  廣德二年  53の春に閬州より成都浣花渓草堂に帰ってきたことを述べる。

 

客裡 有所 ,歸來 路難

自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

「客裡」官を辞して成都に草堂を建てて棲むことそのものが客遇であるのに、その上、梓州の章彝刺史にお世話になった。

「路難」道を行くのに難儀すること。転じて、世渡りの困難なこと。行路難>魯郡東石門送杜二甫. 行路難 三首 李白. 行路難 三首. ------- 李白杜甫に悩みを打ち分ける 杜甫は、洛陽にいて血縁とか、貴族の子息などとの付き合いに辟易していた。

 

開門 野鼠 ,散帙 壁魚

柴門を開けて家に向かうと野鼠が走って横切る。書斎に入ると書帙が散乱してあろうことか本、紙を食べる虫でさえ干からびて死んでいる。

「開門」杜甫の草堂には南西方向に柴門を建てていた。蓬門。

『贈別鄭鍊赴襄陽』

戎馬交馳際,柴門老病身。

把君詩過日,念此別驚神。

地闊峨眉晚,天高峴首春。

為於耆舊,試覓姓龐人。

「散帙」帙は書物を包むもの。それがばらけて散乱している。

「壁魚」昆蟲爬蟲をいうが本、紙を食べる虫。

「乾」乾燥して干乾しになる。

 

洗杓 新醞 ,低頭 小盤

真っ先にすることは柄杓を洗って、新春の新酒を汲み取ることをする、次には頭を低く屈んで酒の肴を載せる小皿の埃を拭い取ることをする。

「開」亀の蓋は、油紙でひもで縛ってあるものをあける。

「新醞」新酒、醞は醸造する前の酒。

「低頭 小盤」埃がしつこい感じでついているのを拭い取るために、力を入れる動作をいう。

 

憑誰 麴櫱 ,細酌 老江干

此の酒を造る材料は誰に与えてもらっているというのだろうか、そうして出来上がったお酒を少しずつ飲んで、少しずつ老いさらばえて、この濯錦江のほとりで過ごしていくほかないのだろう。

「麴櫱」酒を造る麹とかの材料。

「細酌」いわゆる、ちびちびと酒を呑むことをいう。

「江干」濯錦江のほとり。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-95 《春歸》 杜甫index-14 764年春歸 杜甫<767> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4420 杜甫詩1500-767-1055/25002

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

 
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20-#2 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#2> Ⅰ李白詩1174 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4418 
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403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403 
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廣徳2764-95 《春歸》杜甫index-14 764年春歸 杜甫<767> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4420 杜甫詩1500-767-1055/25002

 

杜甫index-14 764年廣徳2764-95

卷別:巻十三 , 卷二二八  文體: 五言古詩 

 

 

春歸 

(春、成都の草堂に帰ってきたことをよんだ。)

苔徑臨江竹,茅簷覆地花。

苔が小道にまで生えており、濯錦江を覗き込むように丈が繁っている。茅葺の軒端にまで竹が伸びていて、家の平地にかぶさるばかりに花が咲いている。

別來頻甲子,倏忽又春華。

この草堂と別れてから何度も第一日目の干支である「甲子」を経過し、月日がたったのだが、こうして戻って来てみれば思いがけずにこのような春の華やかさにめぐり会うのだ。

倚杖看孤石,傾壺就淺沙。

自分は杖によりかかってただひとつ横たわっている庭石をながめたり、水の浅い沙原のところまでいって酒壷を傾けて飲む。
遠鷗浮水靜,輕燕受風斜。

遠方を飛んでいた鴎は静かに水に浮いているし、身軽に飛び交う燕は翼に風を受けてうまく斜めに飛んでゆく。

世路雖多梗,吾生亦有涯。

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。

此身醒複醉,乘興即為家。

だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

 

(春に帰る)

苔の径 江に臨める竹あり、茅の簷 地を覆うの花あり。

別来して 頻りに甲子たり、帰到すれば忽ち春華なり。

杖に倚りて孤石を看、壷を傾けて浅沙に就く。

遠く鴎は水に浮かび静かにし、軽やかな燕は風を受けて斜めにす。

世路 多梗なりと雄も 吾が生 亦た涯り有り。

此の身 醒めれば復た酔うし、興に乗じて即ち家と為す。

竹林001 

 

『春歸』 現代語訳と訳註

(本文)

苔徑臨江竹,茅簷覆地花。

別來頻甲子,倏忽又春華。

倚杖看孤石,傾壺就淺沙。

遠鷗浮水靜,輕燕受風斜。

世路雖多梗,吾生亦有涯。

此身醒複醉,乘興即為家。

 

 

(下し文)

(春に帰る)

苔の径 江に臨める竹あり、茅の簷 地を覆うの花あり。

別来して 頻りに甲子たり、帰到すれば忽ち春華なり。

杖に倚りて孤石を看、壷を傾けて浅沙に就く。

遠く鴎は水に浮かび静かにし、軽やかな燕は風を受けて斜めにす。

世路 多梗なりと雄も 吾が生 亦た涯り有り。

此の身 醒めれば復た酔うし、興に乗じて即ち家と為す。

 

 

(現代語訳)

(春、成都の草堂に帰ってきたことをよんだ。)

苔が小道にまで生えており、濯錦江を覗き込むように丈が繁っている。茅葺の軒端にまで竹が伸びていて、家の平地にかぶさるばかりに花が咲いている。

この草堂と別れてから何度も第一日目の干支である「甲子」を経過し、月日がたったのだが、こうして戻って来てみれば思いがけずにこのような春の華やかさにめぐり会うのだ。

自分は杖によりかかってただひとつ横たわっている庭石をながめたり、水の浅い沙原のところまでいって酒壷を傾けて飲む。

遠方を飛んでいた鴎は静かに水に浮いているし、身軽に飛び交う燕は翼に風を受けてうまく斜めに飛んでゆく。

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。

だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

 

(訳注)

春歸 

(春、成都の草堂に帰ってきたことをよんだ。)

広徳二年季春の作。同時期に以下の諸篇を草堂にあっての作とす。

登樓

春歸

歸雁

贈王二十四侍御契四十韻

寄董卿嘉榮十韻

寄司馬山人十二韻

黃河,二首之一

黃河,二首之二

寄李十四員外布十二韻

歸來

○春帰 春時にあたって自己が草堂に帰ったこと。

江畔独歩尋花 

苔徑臨江竹,茅簷覆地花。

苔が小道にまで生えており、濯錦江を覗き込むように丈が繁っている。茅葺の軒端にまで竹が伸びていて、家の平地にかぶさるばかりに花が咲いている。

○苔径 こけむしたこみち。

○茅簷 かやぶきの軒端。

○覆地花 地面におおいかぶさる花。いきかうひとがなかったことをおもわせるもの。

 

別來頻甲子,倏忽又春華。

この草堂と別れてから何度も第一日目の干支である「甲子」を経過し、月日がたったのだが、こうして戻って来てみれば思いがけずにこのような春の華やかさにめぐり会うのだ。

○頻甲子 甲子は第一日目の干支であり、724日目が12回目となる。

○春葦 春のはなやかさ。

 

倚杖看孤石,傾壺就淺沙。

自分は杖によりかかってただひとつ横たわっている庭石をながめたり、水の浅い沙原のところまでいって酒壷を傾けて飲む。

○倚杖 梓州刺史章彝にもらった杖である。

662 《桃竹杖引贈章留後》 蜀中転々 杜甫 <568-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3105 杜甫詩1000-568-#1-815/1500

719 《倚杖〔原注 鹽亭縣作〕》 蜀中転々 杜甫 <626  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3440 杜甫詩1000-626-882/1500五言律詩

 

遠鷗浮水靜,輕燕受風斜。

遠方を飛んでいた鴎は静かに水に浮いているし、身軽に飛び交う燕は翼に風を受けてうまく斜めに飛んでゆく。

 

世路雖多梗,吾生亦有涯。

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。

○多梗 梗は梗塞、障碍物があってふさがることが多い、長安・洛陽にかえることも荊州越呉の地に遊ぶこともみな自由でにならないが、楽しみを持っていたい。

○吾生亦有涯 『荘子:養生主第三篇』 「吾生也有涯,而知也無涯。以有涯隨無涯,殆已!」(吾が生や涯りあり。而して知や涯りなし。涯あるを以て涯なきに隨うは、殆【あやう】きのみ。」とみえる。此の句は吾が生には涯(かぎり)があるから、酒を飲まねばならぬとの意をふくんでいる。この句は老荘思想に基づくもの。

 

此身醒複醉,乘興即為家。

だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

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廣徳2年764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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廣徳2764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001成都の城楼にのぼって見る所と感ずる所とをのべた。広徳二年春の作。

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 登樓 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  錦江 (劍南道北部 益州 成都)     

玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

 

 

登樓

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

 

 

『登樓』 現代語訳と訳註

(本文)

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

 

(下し文)

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

 

(現代語訳)

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 

 

(訳注)

登樓

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

○楼 成都の城楼であろう。

 

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

○客心 旅ごころ。

〇万万 諸方。

○多難 難とは天下兵乱の難。

○此 高楼をさす。

○登臨 高きに登って下に俯し臨む。

 

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

○錦江 眠江の支流で流江ともいう。郫県の西より分流し、府城の東南に至り、郫江に合し、折れて西南の彰山県界に入る。

○来天地 来とは来たり生ずる意であろう、此の句の句法は「春従天上來」のごとき意を用いたものであろう。和気の発生をいって暗に下の「朝廷不改」の伏線とする。

○玉塁 山の名、灌県の西北にあり、唐の貞観年中に関を其の下に設けた、吐蕃往来の衝に当たるところである。

○浮雲 うかんでいるくも。

○変古今 古今ともに雲の変化があるの意、雲変は騒乱の象である。景を叙して暗に下の「遥盗相侵」の伏線とする。

 

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

○北極 北辰に同じ、北辰は自己は其の所に居て動かず、衆星がこれに向かって扶する所のものである、故に朝廷の位をこれに此する。

○不改 改易ないことをいう。

○西山 雪山。雪嶺山脈

○寇盗 吐蕃をさす。

○相侵 相の字は相互の意にはかぎらず、こちらに関係があれば相といってさしつかえない、「相い侵す」といっても吐蕃のみがこちらへ侵入して来ることをいう。車実は広徳元年十月、吐蕃が長安を陥れ代宗は出奔し、郭子儀の力によって十二月長安に還った。またこの月に吐蕃は局の方面にあっては松・維・保の三州を陥れたが、高速はこれを救うことができなかった。

 

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

○可憐 憫然同情の意を起こすこと。

○後主 蜀の後主劉禅をいう、蜀先主廟は中央室に先主、西室に諸葛武侯、東室に後主を祀ったという。

○還詞廟 遠は亦に同じ、後主のような不肖のものでも亦た嗣廟に祭祀をうけることをいう。一説に代宗を後主の暗愚に此するというのは甚だしく体を失するというものではないか。

○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭

新亭結構罷,隱見清湖陰。

跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

圓荷想自昔,遺堞感至今。』

芳宴此時具,哀絲千古心。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。

新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。

この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。

水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』

酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。

主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。

自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。

 

(李太守が歴下の古城の員外の新亭に登るに同す)

新亭結構罷む 隠見す清湖の陰(みなみ)

跡は台観の旧なるに籍()る 気冥(くら)くして海岳深し

円荷 昔よりするを想う 遺堞(いちょう)今に至るに感ず』

芳宴 此の時具(そなわ)る 哀糸千古の心

主は称して尊客に寿す 筵秩(えんちつ)北林に宴す

蓬蓽(ほうひつ)の興を阻(へだ)てず 梁甫の吟を兼ぬることを得たり』

廣徳2年764-93 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五》 杜甫index-14 764<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4410 杜甫詩1500-765-1053/2500

錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。

 
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廣徳2764-93 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五》 杜甫index-14 764765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4410 杜甫詩1500-765-1053/2500

 

草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五

錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。

昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。

側身天地更懷古,回首風塵甘息機。

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首  其の五)

錦官城西生事なり、烏皮幾【うひき】在り還た帰るを思う。

昔去りしは乱兵の入らんことを憂えしが為なり、今来たれば已に恐る隣人の非ならんことを。

身を天地に側てて更に懐古し、首を風塵に回らして息機を甘んず。

共に説かん 総戎雲鳥の陣、妨げず遊子芰荷の衣。

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五。

錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。

昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。

側身天地更懷古,回首風塵甘息機。

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首  其の五)

錦官城西生事微なり、烏皮幾【うひき】在り還た帰るを思う。

昔去りしは乱兵の入らんことを憂えしが為なり、今来たれば已に恐る隣人の非ならんことを。

身を天地に側てて更に懐古し、首を風塵に回らして息機を甘んず。

共に説かん 総戎雲鳥の陣、妨げず遊子芰荷の衣。

 

(現代語訳)

草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。)その五

錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。

昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。

自分は天地の間に幅たかっておれぬゆえからだをかたえへとすぼめながら古代の平和に治まった時のことをしたわしくおもい、過去の騒乱へと追憶の首をふりむけながらこんどはじっとして心を小利巧にはたらかさずにいようとおもう。

あなたにお逢いすればいずれはごいっしょに陣形のおはなしもいたしましょうが、わたくしは隠居の身だから芰荷の衣をつけて応対してもさしつかえはないのではないかと、すこしわがままことをお許しのこととおもっておるしだいです。

 

 

(訳注)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五。

草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。

 

錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。

錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。

○錦官城 成都の城をいう。

○西 草堂のある浣花村は城の西にあたる。

○生事 生理に同じ、生計の事をいう。○生理 くらしむきのこと。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

○微 かすか、振興せぬこと、貧乏なことをいう。

○烏皮幾 烏羔(くろびつじ)の皮を張った脇息(きようそく)をいう、平生につかうもの。

○在 草堂に存在している。

○還 亦に同じ、此の字は上旬の「生事徴」からかかる、「生事雄レ徴亦」の意。

 

昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。

昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。

○昔去 去とは成都をさったこと。徐知道が乱する直前の頃で不穏な世情であった。

○乱兵入 徐知道の乱兵の侵入。

○非 昔日の状態ではないことをいう、或は逃亡し、或は死去する。

 

側身天地更懷古,回首風塵甘息機。

自分は天地の間に幅たかっておれぬゆえからだをかたえへとすぼめながら古代の平和に治まった時のことをしたわしくおもい、過去の騒乱へと追憶の首をふりむけながらこんどはじっとして心を小利巧にはたらかさずにいようとおもう。

○側身 からだをかたがわへよせること、身を容れる地のないさま。

○懐古 昔の治まった時代を思う。

○風塵 兵馬のちり、前年の騒乱をいう。

○甘心にあましとする、満足すること。

○息機 磯心(からくりのこころ)をやめること。「荘子」(天地)に子貢が漢陰を過ぎたときに一の老人が要を抱いて田に水をそそいでいるのを見た、子貢がはねつるぺを用いたならば力を用いることが少くして功を見ることが多いであろうといったところ、老人がいうのに、機械ある者は必ず機事あり、機事ある者は必ず機心あり、機心胸中に存すれば純白備わらず云云と。ここでは心を器用にはたらかさぬ意に用いている。

 

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

あなたにお逢いすればいずれはごいっしょに陣形のおはなしもいたしましょうが、わたくしは隠居の身だから芰荷の衣をつけて応対してもさしつかえはないのではないかと、すこしわがままことをお許しのこととおもっておるしだいです。

○共説 諸家に明解がない、浦氏が「家人共二説キ敦ク勧ム」といっているのは取らぬ、思うに草堂の主客が相い共に説くことをいうのであろう、作者は此の時まだ厳武の参謀とはなっておらず(参謀となったのは六月のこと)、草堂においでは作者は主人、厳武は客である。

○総戎 軍をすべるもの、節度使をいう、厳武をさす。

○雲鳥陣 「握奇経」に八陣をといて、天・地・風・雲を四正、飛竜・巽虎・鳥翔・蛇蜂を四奇としている。種種の陣形をいう、これは吐巷を防禦するについて画策することをいう。○不妨 妨げない、さしつかえない。

○遊子 たびのもの、作者自己をさす。

芰荷衣 屈原の 「離騒」に「芰荷ヲ製シテ以テ衣ヲ為ル」とみえる、ひし、はすの葉をとりつづって衣をつくったもの、隠遁者の服である。

廣徳2年764-92 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四》 杜甫index-14 764杜甫<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4405 杜甫詩1500-764-1052/2500

自分たちの暮らし向きは黄閣元老のあなたにすがるばかりである。この老衰した顔つきは紫金丹の効き目にまかせて蘇らさせようと思う。この三年もの間悪戯にあちこちと奔走するしかなかったために、骨と皮になり果てた、まことに人間には行路難というものがあると昔の人は言うけれどその通りだ。

 


 
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廣徳2764-92 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四》 杜甫index-14 764杜甫<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4405 杜甫詩1500-764-1052/2500

 

 

杜甫index-14 764將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公 五首

廣徳2764-89

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一

〔寶應二年春,嚴武封鄭國公,復節度劍南。〕

杜甫index-14

 

宝応2年        764年春 52

これまでの整理

 

1) 梓州に身を寄せていた宝応元年(762)の七月から一年九か月ほどのあいだ、杜甫は涪江沿いの城市を生活の資を得るため歩きまわり、売文の生活。

 

2) 広徳元年(763)の晩秋頃、杜甫は厳武公の推薦で京兆府の功曹参軍を任ずる辞令を受けが、それを辞退する。

3) 広徳元年(763)の暮に、杜甫は梓州で州刺史らの盛大に見送られて荊州に向け旅立とうとする。

4) 広徳二年の初春に妻子を伴なって閬州(四川省閬中県)に移る。閬州(ろうしゅう)は嘉陵江の渡津で、ここから船出して長江に出、江陵けいゆで、故郷洛陽にもどる予定だった。ところが杜甫は厳武が再び、成都尹、西川節度使に赴任するということで、出発をとどまる

5)厳武公が再び剣南両川節度使兼成都尹になって、成都に赴任してくるということになったので、成都にもどることにした。

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の三)

竹寒く沙 碧なり  浣花渓、橘刺【きつし】 藤梢【とうしょう】咫尺【しせき】迷う。

過客は径【ただ】ちに須【すべか】らく出入を愁うるなるべし、居人も自ら東西を解せず。

書籤【しょせん】 薬裹【やくか】 蛛網【しゅもう】封ず、野店山橋 馬蹄を送る。

肯て荒庭の春草の色を藉【し】いて、先ず一飲  酔うて泥の如くなるを判せんや。

 

 

(荒れた草堂のようすを思いやり、生活のことは厳武公が頼りであると述べている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

生理只憑閣老,衰顏欲付紫金丹。

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首 其の四)

常に苦しむ 沙崩れて薬欄【やくらん】を損ずるに、他【ま】た従【まか】す江檻に風湍の落つるに。

新松 高きこと千尺ならざるを恨む、悪竹は応【まさ】に須【すべか】らく万竿を斬るべし。

生理【せいり】は祗【た】だ憑【よ】る黄閣【こうかく】の老、衰顔は付せんと欲す紫金丹【しきんたん】。

三年  奔走  空しく皮骨【ひこつ】のみ、信【まこと】に人間行路の難有り。

 

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四』 現代語訳と訳註

(本文)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首  其の四)

常に苦しむ 沙崩れて薬欄【やくらん】を損ずるに、他【ま】た従【まか】す江檻に風湍の落つるに。

新松 高きこと千尺ならざるを恨む、悪竹は応【まさ】に須【すべか】らく万竿を斬るべし。

生理【せいり】は祗【た】だ憑【よ】る黄閣【こうかく】の老、衰顔は付せんと欲す紫金丹【しきんたん】。

三年  奔走  空しく皮骨【ひこつ】のみ、信【まこと】に人間行路の難有り。

 

 

(現代語訳)

わたしはいつも錦江岸の砂があふれて、薬草畑の手摺やら、囲いが壊れてこまっているけれど、そこに風が吹いて急流や水しぶきと塵砂の飛沫が水檻のところでかかってくるのは放っておくよりないのである。

わたしが新たに植えた松が 千尺ほどの高さに伸びてもらいたいのにうらめしいことにそこまでのびてはいない。のびて困ってしまうのは、はびこる竹でこれだけは一万本ほどは切ってしまわねばならないのだ。

自分たちの暮らし向きは黄閣元老のあなたにすがるばかりである。この老衰した顔つきは紫金丹の効き目にまかせて蘇らさせようと思う。

この三年もの間悪戯にあちこちと奔走するしかなかったために、骨と皮になり果てた、まことに人間には行路難というものがあると昔の人は言うけれどその通りだ。

 

松01 

(訳注)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四

其の四の詩も、其の三の詩と同じく荒れた草堂のようすを思いやるものだが、後半の四句では「生理は祗だ黄閣の老に憑り」とあるように、生活のことは厳武公が頼りであると述べている。

 厳武公のことを詩題では「鄭公」(ていこう)といい、詩中では「黄閣の老」と言っているが、厳武公が門下省の黄門侍郎(正四品上)で、鄭国公の称号を得ていたからだ。

 

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

わたしはいつも錦江岸の砂があふれて、薬草畑の手摺やら、囲いが壊れてこまっているけれど、そこに風が吹いて急流や水しぶきと塵砂の飛沫が水檻のところでかかってくるのは放っておくよりないのである。

○常苦 普段から困っている。

○沙崩 杜甫の家の前の砂の土手が崩れる。

○損藥欄 薬草を植えている畑の欄干が増水の際に壊れる。

○也從 それでまた~というほどの意。

○江檻 家の前の濯錦江の川沿いに設置した手摺。

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

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春水 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500

江亭 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 19)  杜甫 <424  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2065 杜甫詩1000-424-607/1500

○落風湍 かぜがふくと川沿いに設置した手摺の端っこの方で、風が巻き込み時に水しぶきを上げる様子をいう。

竹林001 

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

わたしが新たに植えた松が 千尺ほどの高さに伸びてもらいたいのにうらめしいことにそこまでのびてはいない。のびて困ってしまうのは、はびこる竹でこれだけは一万本ほどは切ってしまわねばならないのだ。

○新松 杜甫が成都のこの草堂を手手てすむ最初に桃や、竹と共に松を植えた。

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536

廣徳2年764-30 《四松#1》再び成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

廣徳2年764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

○高千尺 千尺ほどの高さになる。

○惡竹 南鄰とのさかえに竹林として育った。予想以上に伸びたこと言う。

○應須 まさにすべからく。ここは竹のすべてが想以上に伸びたこと。

○斬萬竿 一万本ほどは切ってしまわねばならない。

 

生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。

自分たちの暮らし向きは黄閣元老のあなたにすがるばかりである。この老衰した顔つきは紫金丹の効き目にまかせて蘇らさせようと思う。

○生理 くらしむきのこと。

○只憑 ただそれに頼ること。

○黃閣老 黃閣元老の厳武のこと。

奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187

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○衰顏欲付 老衰した顔つきは~にまかせる。

○紫金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。原料の鉱物を釜の中で加熱する「火法」と鉱物を水溶液や懸濁液にする「水法」とがある[9]。典型的な金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』(zh)を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。

 

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

この三年もの間悪戯にあちこちと奔走するしかなかったために、骨と皮になり果てた、まことに人間には行路難というものがあると昔の人は言うけれどその通りだ。

○三年奔走 762年から764年の三年間、梓州を中心に三巴を駆け巡ったことをいう。

○空皮骨 肉が落ちて骨と皮になる。

○信有人間 人間には・・・・ということがあるということをいわれてきたということは信用できる。

○行路難 人生を生きていくには多難なことがあるものである。

江畔独歩尋花

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ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログindex-14廣徳2年764-91 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三》 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4400 杜甫詩1500-763-1051/2500 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の三)

竹寒く沙 碧なり  浣花渓、橘刺【きつし】 藤梢【とうしょう】咫尺【しせき】迷う。

過客は径【ただ】ちに須【すべか】らく出入を愁うるなるべし、居人も自ら東西を解せず。

書籤【しょせん】 薬裹【やくか】 蛛網【しゅもう】封ず、野店山橋 馬蹄を送る。

肯て荒庭の春草の色を藉【し】いて、先ず一飲  酔うて泥の如くなるを判せんや。

成都遂州00

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の三)

竹寒く沙 碧なり  浣花渓、橘刺【きつし】 藤梢【とうしょう】 咫尺【しせき】迷う。

過客は径【ただ】ちに須【すべか】らく出入を愁うるなるべし、居人も自ら東西を解せず。

書籤【しょせん】 薬裹【やくか】 蛛網【しゅもう】封ず、野店山橋  馬蹄を送る。

肯て荒庭の春草の色を藉【し】いて、先ず一飲  酔うて泥の如くなるを判せんや。

 

 

(現代語訳)

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 

 

(訳注)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

 

江畔独歩尋花 

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

○竹寒沙碧 竹の寒色が水に映ずるゆえに抄の色がみどりに見える。

○浣花渓 草堂の西から流れてきて東に流れる。

○橘刺 みかんの木のとげ。

○咫尺迷 八寸一尺の近い距離でさえ暗くてまよう。

 

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

○過客 草堂をおとずれる人。

○径 直ちに。

○愁出入 薮のなかに入るゆえに出入につけて愁うという。

○居人 草堂に住居しているもの、自家をさす。

 

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

○書鼓 書物の名をしるしたふだ。

○薬塞 くすりを包んだもの。薬袋であろう。

○封昧網 くものあみが封じとざす。

○野店 野中のやすみ場所。

○山橋 山ぞいの橋。

○送馬蹄 過客の馬蹄を送り来たすこと、暗に厳武の来訪の場合をいう

 

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

○豈 此の字は二句を支配する、厳武に対して問いかけることである。

○藉 草を敷物に敷く。

○荒庭 草堂のにわ。

○判 「拝」の俗字、或は「拚」に作るが同意である、楚の地方語で物を揮い棄てることを拝という、唐時の俗語としては「万事を放擲してその事をなすこと」を意味する。

杜詩にしばしば用いられる。歴史民俗用語。 読み方:センパン(senpan)さきに押した判。

○酔如泥 泥を虫の名ととく説があり、それにはいう、南海に虫あり、骨なし、名づけて泥という、水中に在れば活き、水を失えば酔うて一塊の泥の如し、と。また或はいう、此の説しかるべからず、泥とは人の酔後の状、頽倒爛泥(へべれけ)の如くなるをいうのみ、と。
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index14廣徳2年764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

 
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廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》 杜甫index-14 764年將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二 杜甫<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395 杜甫詩1500-762-1050/2500

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

(現代語訳)

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

 

 

(訳注)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

 

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

○清江 錦江をさす。春の増水のきれいな流れをいう。

○帯 うねりながらもっていることをいう。

○白頻 浮草の大なるもので、田字草または四葉菜というもののことという。夏から秋にかけて白い花をつける。杜甫「麗人行」「楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。」

歐陽舍人炯『南子八首 其八』

 白石爛 淚 黑貂裘

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

翡翠のごとく、鵁鶄【こうせい】のごとく,白蘋【はくひん】の香の裏【うち】に小さき沙汀す。

島上 陰陰として秋雨の色になり,蘆花 撲し,數隻 漁の舡何處に宿せんか。

○故園 通常、故郷のことをいうが、ここでは成都浣花渓に作った農業施設をいう。

 

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

○雪山 大雪山、西山。雪嶺山脈。

○斥候 敵の状況や地形などを探ること。また、そのために部隊から派遣する少数の兵士。吐蕃の侵入に対する物見のこと、斥は度(はかる)、候は視(みる)。

○無兵馬 冠乱のないことをいう、厳武の力によるのである。

○錦裏/錦里 錦江の里、浣花村。

○逢迎 杜甫が厳武を迎えること、人を迎えれば必ずこれと逢い見る。

○主人 この地域の地主(地かたのあるじ役)の意としてみるのである。或は隣里の人とみるものもある。

 

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

○休怪 武に対する語である。

○児童 自家のこどもら。

○鵜鴨 がちょう、あひる、自家がやしなうところの水禽。

○此隣 近所の人家をいう、自分の家を中心に東西南北の五家を比となし、また東西南北の五家を隣となす。

 

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

○習池 習家池(高陽池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。山簡は、字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。山公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 李白 『襄陽曲四首 其三』「峴山臨漢江、水淥沙如雪。上有墮淚碑、青苔久磨滅。」(峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。)『襄陽曲四首 其四』「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。」 (且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。)『秋浦歌十七首其七』「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」( 其の七 酔うて上る 山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

○高陽 嚢陽にある池の名。

〇荊州 山簡を称する、山間は征南将軍として荊・湘・交・広の四州を都督したので、山間を荊州と称した、ここは山簡をもって厳武に比する。

○賞 習池のさまを賞美することをいう。

○更新 今回は二度めであることから「あらた」という。

index-14廣徳2年764-89 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一》 杜甫<761> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4390 

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。


廣徳2764-89 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一》 杜甫index-14 764年將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一 杜甫<761> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4390 杜甫詩1500-761-1049/2500

 

 

廣徳2764-89

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一

〔寶應二年春,嚴武封鄭國公,復節度劍南。〕

杜甫index-14

 

宝応2年        764年春 52

これまでの整理

 

1) 梓州に身を寄せていた宝応元年(762)の七月から一年九か月ほどのあいだ、杜甫は涪江沿いの城市を生活の資を得るため歩きまわり、売文の生活。

 

2) 広徳元年(763)の晩秋頃、杜甫は厳武公の推薦で京兆府の功曹参軍を任ずる辞令を受けが、それを辞退する。

3) 広徳元年(763)の暮に、杜甫は梓州で州刺史らの盛大に見送られて荊州に向け旅立とうとする。

4) 広徳二年の初春に妻子を伴なって閬州(四川省閬中県)に移る。閬州(ろうしゅう)は嘉陵江の渡津で、ここから船出して長江に出、江陵けいゆで、故郷洛陽にもどる予定だった。ところが杜甫は厳武が再び、成都尹、西川節度使に赴任するということで、出発をとどまる

5)厳武公が再び剣南両川節度使兼成都尹になって、成都に赴任してくるということになったので、成都にもどることにした。

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書劄待潛夫。

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(現代語訳)

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

 

 

(訳注)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

○成都草堂 浣花渓の草堂。

○厳鄭公 厳武をいう、武は宝応元年に成都より召還され京兆尹となり、二年に二聖山陵橋遣使となり鄭国公に封ぜられた、それより黄門侍邸に還り、広徳二年に成都尹・剣南節度使となった。

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二蜀中転々 杜甫 <530  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500

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2764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

奉待嚴大夫

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

常怪偏裨終日待,不知旌節隔年回。

欲辭巴徼啼鶯合,遠下荊門去鷁催。

身老時危思會面,一生襟抱向誰開。

廣徳2764-65 《奉待嚴大夫》 ふたたび成都81奉待嚴大夫 杜甫<741 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4035 杜甫詩1500-741-978/250029

 

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

○帰茅屋赴成都 成都に赴いて茅屋に帰ることをいう。茅屋はすなわち草堂をいう。

○直為 特為におなじ。

○文翁 漠の時局に教育を施した人(八〇ページ参照)。文翁をもって厳武に比する。

○再割符 再とは厳武は今度で二回めの来任であることをいう、割符とは元来は太守の任をいうが、今は成都声の職にあてていう。漢の文帝の時、郡守に銅虎符・竹使符を与えたのにはじまり、各土第一より第五まであり、「符」は信(しるし)のことで、これを両分し、左を京師に留め、右を郡守にわたした。銅虎符は中央において軍隊を発しょうとするとき使者を郡に遣わして符を合わせ、符が合えば郡は使者の命をきいた。竹使符の用もまたおなじである。銅符の長さは六寸、竹符は五寸。二つに分かつので「符を割く」という、わが国の割り符のこと。

 

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

○間閻 間は里の門、闇は里中の門のこと、成都府の村里をさす。

○還揖譲 揖は立って会釈するさま、譲はへりくだってゆずりあうこと、村里の教化に浴するさまをいう。

○松竹 草堂に植えてある松竹をいう。

○荒蕪 あれる。

 

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

○丙穴 丙穴というものは諸処にあり、魚の居る穴のことであるが、これは卭州の丙穴をいうのである、卭州は成都の西南百五十里にある。

○美 うまいこと。

○郫筒 郫は県の名で、成都の西五十里にある、其の地は大竹を産し、竹筒を以て美酒を盛る、これを郫筒という。

○不用酤 酤は買うこと、買うを用いずとは厳武が供するためである。

 

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

〇五馬 太守の称、漢の制では太守は駟馬を通例とするけれども中央の朝臣が出て太守となるときは一馬を増して五馬を用いさせた、これは成都尹である厳武をさす。

○諳小徑 語はそらでおぼえていること、小径とは草堂にかようこみちをいう。

○幾回書劄待潛夫 書札はてがみ、厳武が作者に贈ったもの。

 
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ここはすでに他郷であるが、それに自分はここからふたたびたびにでかけるのである。因って馬をとどめて房大尉のさびしいこの墳墓にお別れをする。自分の悲しみはどんなであるか、苛も自分の涙のおちるところに近い場所には乾いた土というものは無く、空低くぶら下がってちぎれ雲がみえているのである。

 
        
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廣徳2764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

 

757年至徳二載、杜甫は蘆子関で捕縛され、安禄山の叛軍に占領されていた長安に送られた。杜甫は軟禁の長安から命がけで脱出し、鳳翔の行在所に駆けつけた。その功によって粛宗に拝謁し、左拾遺(従八品上)の官を授けられた。必ずしも高い官職ではなかったが、その職掌は皇帝の政治の誤りを正すことにあり、同官を拝命した喜びは、杜甫にとって大きいものだった。ところが間もなく、杜甫は宰相房琯を弁護して粛宗の逆鱗に触れた。辛くも罪を問われることは免れたが、杜甫は徹底して朝廷内で疎外され、仕事に関して嫌気を感じていた。翌年には房琯の一党とされて、華州司功参軍に出される。宰相の房琯が邠州刺史に貶められたことで、杜甫が官を辞することはこの時期に到る詩には明確にあらわれている。そして759年乾元二年秋初、杜甫は粛宗の時代では、一縷の希望もないと、官職を捨てて秦州へと旅立つ。半官半隠の理想と人生は、捨てきれないものの後半生の漂泊はここに始まった。

左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護発言事件(事件)」である。しかしこの「事件」により、堪え、苦しみ、詩人として格段の成長を遂げることになるのである。最も注目すべき事柄である。

 
 

 杜甫と房琯について杜甫の詩文は以下のようにある。

杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

  ⑧ 悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

  ⑨ 悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

①  720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

② 721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

③ 722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

④ 廣徳2764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

杜甫詩index-15  765年永泰元年 54歳 正月幕府を辞す 63

⑤ 855 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

856 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

●文

⑥ 奉謝口敕放三司推問状

⑦ 祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

 

○関連
杜甫人生のエポックメーキングの事件
、「房琯擁護発言事件(房琯事件)」房琯に関する詩は9首あり、関連の詩が5首ある。特に上記①~⑦の詩文の前後の作品は杜甫の心境を推し量るものとして注目している。杜甫の人生を変えた、この事件を多様に、有機的に、大局的にもとらえてゆく。


 

別房太尉墓

(前の宰相房琯太尉の墓に別れをつげる。)

複行役,駐馬別孤墳。

ここはすでに他郷であるが、それに自分はここからふたたびたびにでかけるのである。因って馬をとどめて房大尉のさびしいこの墳墓にお別れをする。

無干土,低空有斷雲。

自分の悲しみはどんなであるか、苛も自分の涙のおちるところに近い場所には乾いた土というものは無く、空低くぶら下がってちぎれ雲がみえているのである。
對棋陪謝傅,把劍覓徐君。

自分は謝太博ともいうべき房大尉の生前に陪席して碁のおあい手をしたことがある。いま大尉を慕うこころもちは呉の季札が徐国の君をもとめてその墓に自己の剣をとってかけようとしている時のそれのようなものである。しかし大尉はいない、大尉は語らない、

唯見林花落,鶯啼送客聞。

ただただ、林の花がはらはらと落ちちり、自分を送るために鶯が噂きごえを聞かしてくれるのみである。

(房大尉の墓に別る)

他郷復た行役し、馬を駐めて孤墳に別る。

涙に近きは土無く、空に低れて断雲有り。

対棋 謝傅に陪しき、剣を把りて徐君を覓む。

惟だ見る 林花の落つるを、鶯啼 客を送りて聞かしむ。

楠樹02 

『別房太尉墓』 現代語訳と訳註

(本文)

別房太尉墓

複行役,駐馬別孤墳。

近淚無干土,低空有斷雲。

對棋陪謝傅,把劍覓徐君。

唯見林花落,鶯啼送客聞。

 

(下し文)

(房大尉の墓に別る)

他郷復た行役し、馬を駐めて孤墳に別る。

涙に近きは土無く、空に低れて断雲有り。

対棋 謝傅に陪しき、剣を把りて徐君を覓む。

惟だ見る 林花の落つるを、鶯啼

楠樹01 客を送りて聞かしむ。

 

(現代語訳)

(前の宰相房琯太尉の墓に別れをつげる。)

ここはすでに他郷であるが、それに自分はここからふたたびたびにでかけるのである。因って馬をとどめて房大尉のさびしいこの墳墓にお別れをする。

自分の悲しみはどんなであるか、苛も自分の涙のおちるところに近い場所には乾いた土というものは無く、空低くぶら下がってちぎれ雲がみえているのである。

自分は謝太博ともいうべき房大尉の生前に陪席して碁のおあい手をしたことがある。いま大尉を慕うこころもちは呉の季札が徐国の君をもとめてその墓に自己の剣をとってかけようとしている時のそれのようなものである。しかし大尉はいない、大尉は語らない、

ただただ、林の花がはらはらと落ちちり、自分を送るために鶯が噂きごえを聞かしてくれるのみである。

 

(訳注)

別房太尉墓

(前の宰相房琯太尉の墓に別れをつげる。)

○房大尉 宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(⑧ 悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

⑨ 悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

)によって房琯を乾されて邠州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

764年広徳二年春、閬州より成都に赴こうとして房琯の墓に別れる情をのべた詩。作者の文集中(全唐文)に広徳元年九月に作った 「故相国清河房公を祭る文」がある。

 

複行役,駐馬別孤墳。

ここはすでに他郷であるが、それに自分はここからふたたびたびにでかけるのである。因って馬をとどめて房大尉のさびしいこの墳墓にお別れをする。

○他郷 聞州をさす。

○行役 成都にゆこうとすることをいう。

 

近淚無干土,低空有斷雲。

自分の悲しみはどんなであるか、苛も自分の涙のおちるところに近い場所には乾いた土というものは無く、空低くぶら下がってちぎれ雲がみえているのである。

○近涙 自己の涙のおちる附近の地面をいう。

○乾土 かわいたつち。

 

對棋陪謝傅,把劍覓徐君。

自分は謝太博ともいうべき房大尉の生前に陪席して碁のおあい手をしたことがある。いま大尉を慕うこころもちは呉の季札が徐国の君をもとめてその墓に自己の剣をとってかけようとしている時のそれのようなものである。しかし大尉はいない、大尉は語らない、

○対碁陪謝博 謝博は晋の謝安、卒して太博を贈られたゆえ謝博という、淝水の戦に謝玄らが秦の苻堅の軍を破り、その捷報が到着した時、安は客と対して碁を囲んでいたが面に喜色をあらわさなかったという。謝安を以て房増に此した、杜甫は房琯と碁を囲んだことがあったものと思われる。或はいう、房靖は董庭蘭の琴をきいたことによって宦官の讒言などにより、物議を招いたので碁を借りてそれとなく琴のことを寓したのであると。

○把劍覓徐君 呉の季札の故事。季札が晋に使いしょうとして徐の国を過ぎたとき、徐の君が札の帯びている剣を欲しがった、札はそのことを知り、晋より帰る途中、徐に立ちよったが、徐君はすでに残していた、札は剣を解いて徐君の壕樹に繋けて去った。自己を季札に、やすし房琯を徐君に此した。

 

唯見林花落,鶯啼送客聞。

ただただ、林の花がはらはらと落ちちり、自分を送るために鶯が噂きごえを聞かしてくれるのみである。

○客 自己をさす、成都にゆこうとする旅客ゆえかくいう。
クスノキ01 

廣徳2年764-87 《自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三》 杜甫index-14 764年ふたたび成都 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4145 杜甫詩1500-763-1000/250051

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三》 杜甫≫竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。

 

廣徳2764-87 《自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三》 杜甫index-14 764年ふたたび成都 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4145 杜甫詩1500-763-1000/250051

 

 

“「今の心境」 をのべる。”

自閬州領妻子卻赴蜀山行 三首之一

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。)

汩汩避群盜,悠悠經十年。

わたしは水の流れにもてあそばれるがごとく多くの盗賊を避けてあるいているが、それは安禄山が叛乱し、以来ゆうに十年のはるかな月日を経てしまった。

不成向南國,複作遊西川。

荊州・江南の南国の方へゆくつもりでじゅんびしていたがそれを果たすことができず、ふたたび西川、錦江の成都に遊ぶことにしたのである。

物役水照,魂傷山寂然。

途中、山水の風光を観賞も全くできないで無用の景色としてしまうのであるが、外物に使役されている身にとっては澄んだ水もいたずらに物象をうつし、魂の傷んでいる身にとっては趣きのある山もさびしいとだけの感じるのである。

我生無倚著,盡室畏途邊。

吾が生涯はまことにたよりないものであって、いま家族をこぞって盗賊や険阻があるおそろしい旅途にあるのである。

 

「妻を領する」ことをのべる。

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の二)

長林偃風色,回復意猶迷。

長く遠方まで林がつづいていて、さっと風が吹くと、うちふすようにみえる。これをみてわたしはうねるように往ったり来たりしながらきょうの天候はどうかと迷いつづける。

衫裛翠微潤,馬銜青草嘶。

上衣は山の中腹に差し掛かり、嵐気につつまれてしめったかんじがする、馬は青草をくわえながらいなないている。

棧懸斜避石,橋斷卻尋溪。

ぶらさがっているような危い桟道があるので身をかわして斜めに岩石をよけたり、橋がとぎれているのでたちもどって渓ぞいの路をたずねたりする。

何日干戈盡,飄飄媿老妻。

いつになったら兵乱がなくなるのであろうか、こんなにも彷徨って飄々としていることは老妻に対してわたしのはずるところである。

 

「子を領する」 ことをのべる

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

行色遞隱見,人煙時有無。

だんだんゆくと、家族の皆のもの達の旅姿が互いに見え隠れする、人家の煙は有ったり無人の家だったりする。

僕夫穿竹語,稚子入雲呼。

竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。

轉石驚魑魅,抨弓落狖鼯。

また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。

真供一笑樂,似欲慰窮途。

これらの事はまことに一笑するだけの楽しみとして供せられる、彼らはこんなことでゆきつまった旅途の憂さを慰めようと考えているらしいのである

(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の三)

行色 遞いに隠見す、人煙 時に有無。

僕夫 竹を穿ちて語り、稚子 雲に入りて呼ぶ。

石を転じて魑魅を驚かし、弓を抨【はじ】きて狖鼯【ゆうご】を落とす。

真に一笑の楽しみに供す、窮途を慰めんと欲するに似たり。

yuugure02 

『自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

行色遞隱見,人煙時有無。

僕夫穿竹語,稚子入雲呼。

轉石驚魑魅,抨弓落狖鼯。

真供一笑樂,似欲慰窮途。

 

(下し文)

(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の三)

行色 遞いに隠見す、人煙 時に有無。

僕夫 竹を穿ちて語り、稚子 雲に入りて呼ぶ。

石を転じて魑魅を驚かし、弓を抨【はじ】きて狖鼯【ゆうご】を落とす。

真に一笑の楽しみに供す、窮途を慰めんと欲するに似たり。

 

(現代語訳)

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

だんだんゆくと、家族の皆のもの達の旅姿が互いに見え隠れする、人家の煙は有ったり無人の家だったりする。

竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。

また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。

これらの事はまことに一笑するだけの楽しみとして供せられる、彼らはこんなことでゆきつまった旅途の憂さを慰めようと考えているらしいのである

 

蜀中転々圖 

(訳注)

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

○領 びきいる。

○卻 はじめは閬州もしくは梓州より江を下って荊州へ赴こうとしたのだが、それとは反対にということ。

○蜀 成都をさしていう。

○山行 やまじをゆく。

 

行色遞隱見,人煙時有無。

だんだんゆくと、家族の皆のもの達の旅姿が互いに見え隠れする、人家の煙は有ったり無人の家だったりする。

○行色 進行しつつあるありさま。

○人煙 人家のけむり。

 

僕夫穿竹語,稚子入雲呼。

竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。

○僕夫 めしつかいの男。

○穿竹 竹林のなかをとおりぬけることをいう。

○稚子 おさなご。

 

轉石驚魑魅,抨弓落狖鼯。

また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。

○魑魅 物の精怪、もののけ。

○拝 弾くこと、ほじいてつる糸をひびかすこと。

○狖 そり鼻で尾の長い猿。

○鼯 むささび。

 

真供一笑樂,似欲慰窮途。

これらの事はまことに一笑するだけの楽しみとして供せられる、彼らはこんなことでゆきつまった旅途の憂さを慰めようと考えているらしいのである

○似欲 単に「欲す」といわないで「似」の字を加えたのは自己をいわないで稚子輩のさまをいったものである。

○窮途 ゆきづまりのみち。
浮桟橋00 

廣徳2年764-87 《自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三》 杜甫index-14 764年ふたたび成都 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4145 杜甫詩1500-763-1000/250051

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三》杜甫≫竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。


        
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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“「今の心境」 をのべる。”

自閬州領妻子卻赴蜀山行 三首之一

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。)

汩汩避群盜,悠悠經十年。

わたしは水の流れにもてあそばれるがごとく多くの盗賊を避けてあるいているが、それは安禄山が叛乱し、以来ゆうに十年のはるかな月日を経てしまった。

不成向南國,複作遊西川。

荊州・江南の南国の方へゆくつもりでじゅんびしていたがそれを果たすことができず、ふたたび西川、錦江の成都に遊ぶことにしたのである。

物役水照,魂傷山寂然。

途中、山水の風光を観賞も全くできないで無用の景色としてしまうのであるが、外物に使役されている身にとっては澄んだ水もいたずらに物象をうつし、魂の傷んでいる身にとっては趣きのある山もさびしいとだけの感じるのである。

我生無倚著,盡室畏途邊。

吾が生涯はまことにたよりないものであって、いま家族をこぞって盗賊や険阻があるおそろしい旅途にあるのである。

 

「妻を領する」ことをのべる。

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)
長林偃風色,回復意猶迷。

長く遠方まで林がつづいていて、さっと風が吹くと、うちふすようにみえる。これをみてわたしはうねるように往ったり来たりしながらきょうの天候はどうかと迷いつづける。

衫裛翠微潤,馬銜青草嘶。

上衣は山の中腹に差し掛かり、嵐気につつまれてしめったかんじがする、馬は青草をくわえながらいなないている。

棧懸斜避石,橋斷卻尋溪。

ぶらさがっているような危い桟道があるので身をかわして斜めに岩石をよけたり、橋がとぎれているのでたちもどって渓ぞいの路をたずねたりする。

何日干戈盡,飄飄媿老妻。

いつになったら兵乱がなくなるのであろうか、こんなにも彷徨って飄々としていることは老妻に対してわたしのはずるところである。

月明峡01 

「子を領する」 ことをのべる

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

行色遞隱見,人煙時有無。

だんだんゆくと、家族の皆のもの達の旅姿が互いに見え隠れする、人家の煙は有ったり無人の家だったりする。

僕夫穿竹語,稚子入雲呼。

竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。

轉石驚魑魅,抨弓落狖鼯。

また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。

真供一笑樂,似欲慰窮途。

これらの事はまことに一笑するだけの楽しみとして供せられる、彼らはこんなことでゆきつまった旅途の憂さを慰めようと考えているらしいのである

(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の三)

行色 遞いに隠見す、人煙 時に有無。

僕夫 竹を穿ちて語り、稚子 雲に入りて呼ぶ。

石を転じて魑魅を驚かし、弓を抨【はじ】きて狖鼯【ゆうご】を落とす。

真に一笑の楽しみに供す、窮途を慰めんと欲するに似たり。

 

蜀中転々圖 

『自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

行色遞隱見,人煙時有無。

僕夫穿竹語,稚子入雲呼。

轉石驚魑魅,抨弓落狖鼯。

真供一笑樂,似欲慰窮途。

 

(下し文)

(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の三)

行色 遞いに隠見す、人煙 時に有無。

僕夫 竹を穿ちて語り、稚子 雲に入りて呼ぶ。

石を転じて魑魅を驚かし、弓を抨【はじ】きて狖鼯【ゆうご】を落とす。

真に一笑の楽しみに供す、窮途を慰めんと欲するに似たり。

 

(現代語訳)

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

だんだんゆくと、家族の皆のもの達の旅姿が互いに見え隠れする、人家の煙は有ったり無人の家だったりする。

竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。

また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。

これらの事はまことに一笑するだけの楽しみとして供せられる、彼らはこんなことでゆきつまった旅途の憂さを慰めようと考えているらしいのである

 

 

(訳注)

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

○領 びきいる。

○卻 はじめは閬州もしくは梓州より江を下って荊州へ赴こうとしたのだが、それとは反対にということ。

○蜀 成都をさしていう。

○山行 やまじをゆく。

 

行色遞隱見,人煙時有無。

だんだんゆくと、家族の皆のもの達の旅姿が互いに見え隠れする、人家の煙は有ったり無人の家だったりする。

○行色 進行しつつあるありさま。

○人煙 人家のけむり。

 

僕夫穿竹語,稚子入雲呼。

竹林をとおりぬけながら下僕が話しをしたり、雲の中に入りながら幼子が大声でさけんだりする。

○僕夫 めしつかいの男。

○穿竹 竹林のなかをとおりぬけることをいう。

○稚子 おさなご。

 

轉石驚魑魅,抨弓落狖鼯。

また石をころがしてもののけを驚かしてみたり、弓弦をはじいて尾長猿やむささびを高い処から落ちるようにしたりする。

○魑魅 物の精怪、もののけ。

○拝 弾くこと、ほじいてつる糸をひびかすこと。

○狖 そり鼻で尾の長い猿。

○鼯 むささび。

 

真供一笑樂,似欲慰窮途。

これらの事はまことに一笑するだけの楽しみとして供せられる、彼らはこんなことでゆきつまった旅途の憂さを慰めようと考えているらしいのである

○似欲 単に「欲す」といわないで「似」の字を加えたのは自己をいわないで稚子輩のさまをいったものである。

○窮途 ゆきづまりのみち。
竹林001 

廣徳2年764-86 《自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二》 杜甫index-14 764年ふたたび成都 杜甫<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4140 杜甫詩1500-762-999/250050

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二》杜甫≫上衣は山の中腹に差し掛かり、嵐気につつまれてしめったかんじがする、馬は青草をくわえながらいなないている。ぶらさがっているような危い桟道があるので身をかわして斜めに岩石をよけたり、橋がとぎれているのでたちもどって渓ぞいの路をたずねたりする。


        
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

長林偃風色,回復意猶迷。

長く遠方まで林がつづいていて、さっと風が吹くと、うちふすようにみえる。これをみてわたしはうねるように往ったり来たりしながらきょうの天候はどうかと迷いつづける。

衫裛翠微潤,馬銜青草嘶。

上衣は山の中腹に差し掛かり、嵐気につつまれてしめったかんじがする、馬は青草をくわえながらいなないている。

棧懸斜避石,橋斷卻尋溪。

ぶらさがっているような危い桟道があるので身をかわして斜めに岩石をよけたり、橋がとぎれているのでたちもどって渓ぞいの路をたずねたりする。

何日干戈盡,飄飄媿老妻。

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(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の二)

長林 風に偃す色あり、迥復 意猶お迷う。

衫【さん】翠微に裛【まと】われて潤い 馬青草を銜【ふく】みて嘶く。

桟懸かりて斜めに石を避け、橋断えて却って渓を尋ぬ。

何の日か干戈尽きん、飄飄 老妻に媿ず。

月明峡01 

 

『自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二』 現代語訳と訳註

(本文) 自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

長林偃風色,回復意猶迷。

衫裛翠微潤,馬銜青草嘶。

棧懸斜避石,橋斷卻尋溪。

何日干戈盡,飄飄媿老妻。

 

(下し文)

(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の二)

長林 風に偃す色あり、迥復 意猶お迷う。

衫【さん】翠微に裛【まと】われて潤い 馬青草を銜【ふく】みて嘶く。

桟懸かりて斜めに石を避け、橋断えて却って渓を尋ぬ。

何の日か干戈尽きん、飄飄 老妻に媿ず。

 

(現代語訳)

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

長く遠方まで林がつづいていて、さっと風が吹くと、うちふすようにみえる。これをみてわたしはうねるように往ったり来たりしながらきょうの天候はどうかと迷いつづける。

上衣は山の中腹に差し掛かり、嵐気につつまれてしめったかんじがする、馬は青草をくわえながらいなないている。

ぶらさがっているような危い桟道があるので身をかわして斜めに岩石をよけたり、橋がとぎれているのでたちもどって渓ぞいの路をたずねたりする。

いつになったら兵乱がなくなるのであろうか、こんなにも彷徨って飄々としていることは老妻に対してわたしのはずるところである。

 

 

(訳注)

自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。三首の三)

○領 びきいる。

○卻 はじめは閬州もしくは梓州より江を下って荊州へ赴こうとしたのだが、それとは反対にということ。

○蜀 成都をさしていう。

○山行 やまじをゆく。

 

長林偃風色,回復意猶迷。

長く遠方まで林がつづいていて、さっと風が吹くと、うちふすようにみえる。これをみてわたしはうねるように往ったり来たりしながらきょうの天候はどうかと迷いつづける。

○長林 とおくまでつづいた林。

〇偃風色 風に吹かれて臥すがごときさまにみえる。

 回転往復の意、

○意猶迷 迷とは思うに天候の良否についてまようのであろう。渓流山崖にそってゆくときは同じような路を紆回し、またたちもどるようなことがある。

 

衫裛翠微潤,馬銜青草嘶。

上衣は山の中腹に差し掛かり、嵐気につつまれてしめったかんじがする、馬は青草をくわえながらいなないている。

○衫 (上半身に着る)ひとえの上着,シャツ.⇒ chènshān ,汗衫 hànshān 2(足元まで届く)長い上着.

○裛 纏うこと。

○翠微 山気がかすかにみどりであることをいう。山の中腹部分。

 

棧懸斜避石,橋斷卻尋溪。

ぶらさがっているような危い桟道があるので身をかわして斜めに岩石をよけたり、橋がとぎれているのでたちもどって渓ぞいの路をたずねたりする。

○桟 かけはし。桟道。成都紀行で同じような経験をしている。

桔柏渡
青冥寒江渡,駕竹為長橋。竿濕煙漠漠,江永風蕭蕭。
連笮動嫋娜,徵衣颯飄颻。急流鴇鷁散,
岸黿鼉驕

西轅自茲異,東逝不可要。高通荊門路,闊會滄海潮。

孤光隱顧盼,遊子悵寂寥。無以洗心胸,前登但山椒。

○卻尋溪 あともどりして渓路をたずねる。

 

何日干戈盡,飄飄媿老妻。

いつになったら兵乱がなくなるのであろうか、こんなにも彷徨って飄々としていることは老妻に対してわたしのはずるところである。
蜀中転々圖 

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(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。)荊州・江南の南国の方へゆくつもりでじゅんびしていたがそれを果たすことができず、ふたたび西川、錦江の成都に遊ぶことにしたのである。

        
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“「今の心境」 をのべる。”

自閬州領妻子卻赴蜀山行 三首之一

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。)

汩汩避群盜,悠悠經十年。

わたしは水の流れにもてあそばれるがごとく多くの盗賊を避けてあるいているが、それは安禄山が叛乱し、以来ゆうに十年のはるかな月日を経てしまった。

不成向南國,複作遊西川。

荊州・江南の南国の方へゆくつもりでじゅんびしていたがそれを果たすことができず、ふたたび西川、錦江の成都に遊ぶことにしたのである。

物役水照,魂傷山寂然。

途中、山水の風光を観賞も全くできないで無用の景色としてしまうのであるが、外物に使役されている身にとっては澄んだ水もいたずらに物象をうつし、魂の傷んでいる身にとっては趣きのある山もさびしいとだけの感じるのである。

我生無倚著,盡室畏途邊。

吾が生涯はまことにたよりないものであって、いま家族をこぞって盗賊や険阻があるおそろしい旅途にあるのである。

 

(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の一)

汨汨【いついつ】として群盗を避く、悠悠 十年を経る。

南国に向こうことを成さず、復た西川に遊ぶことを作す。

物に役せられては水虚しく照らし、魂傷みては山寂然たり。

我が生倚著無し、盡室 長途の辺にある。

 

蜀中転々圖 

『自閬州領妻子卻赴蜀山行 三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

自閬州領妻子卻赴蜀山行 三首之一

汩汩避群盜,悠悠經十年。

不成向南國,複作遊西川。

物役水照,魂傷山寂然。

我生無倚著,盡室畏途邊。

 

(下し文)

(閬州より妻子をひきいて卻って蜀赴むく山行 三首の一)

汨汨【いついつ】として群盗をく、悠悠 十年を経る。

南国に向こうことを成さず、復た西川に遊ぶことを作す。

物に役せられては水虚しく照らし、魂傷みては山寂然たり。

我が生倚著無し、盡室 長途の辺にある。

 

(現代語訳)

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。)

わたしは水の流れにもてあそばれるがごとく多くの盗賊を避けてあるいているが、それは安禄山が叛乱し、以来ゆうに十年のはるかな月日を経てしまった。

荊州・江南の南国の方へゆくつもりでじゅんびしていたがそれを果たすことができず、ふたたび西川、錦江の成都に遊ぶことにしたのである。

途中、山水の風光を観賞も全くできないで無用の景色としてしまうのであるが、外物に使役されている身にとっては澄んだ水もいたずらに物象をうつし、魂の傷んでいる身にとっては趣きのある山もさびしいとだけの感じるのである。

吾が生涯はまことにたよりないものであって、いま家族をこぞって盗賊や険阻があるおそろしい旅途にあるのである。

 

(訳注)

自閬州領妻子卻赴蜀山行 三首之一

(閬州から妻子をひきいて予定とはうってかわって蜀(成都)の方へ赴こうとして山路をとおったときの詩。)

○領 びきいる。

○卻 はじめは閬州もしくは梓州より江を下って荊州へ赴こうとしたのだが、それとは反対にということ。

○蜀 成都をさしていう。

○山行 やまじをゆく。

 

汩汩避群盜,悠悠經十年。

わたしは水の流れにもてあそばれるがごとく多くの盗賊を避けてあるいているが、それは安禄山が叛乱し、以来ゆうに十年のはるかな月日を経てしまった。

汩汩 水が早く流れるさま。

○悠悠 はるかなさま。

〇十年 天宝十四年、安禄山の乱が起こってより今年広徳二年まで十年である。

 

不成向南國,複作遊西川。

荊州・江南の南国の方へゆくつもりでじゅんびしていたがそれを果たすことができず、ふたたび西川、錦江の成都に遊ぶことにしたのである。

○南国 刑州地方をさす。

○西川 蜀はこの時東川(梓州)・西川(成都)の二部に分割していた。西川節度使は成都に治したのでこの西川は岷江・錦江の流れをいい、成都をさす。東川は涪江・嘉陵江をしめす。

 

物役水照,魂傷山寂然。

途中、山水の風光を観賞も全くできないで無用の景色としてしまうのであるが、外物に使役されている身にとっては澄んだ水もいたずらに物象をうつし、魂の傷んでいる身にとっては趣きのある山もさびしいとだけの感じるのである。

○物役 我が一身が外物(主として衣食の計をさす)に使役されること。

○水虚照 虚とは無効であること、いたずらにの意である。山の水は清澄にしてよく景物を照映する、これを賞玩することができるならば水に照映の効があるということができよう。これを賞玩することができないならば水の照映するのは無効の照映であるといえよう。

○山寂然 この寂然も上の虚照の類である、山の風景がわが心を慰めるのに足るならば山も寂蓼ではないということができる、今慰めるに足るものがないのでさびしくおぼえるのである。

 

我生無倚著,盡室畏途邊。

吾が生涯はまことにたよりないものであって、いま家族をこぞって盗賊や険阻があるおそろしい旅途にあるのである。

○我生 自己の生涯。

倚著 俺頼附着の意。

○尽室 一家族全体。

畏途 おそろしい旅途、盗賊や険阻があるのは畏途である。
四川省西部地区略図 

廣徳2年764-84 《渡江》 杜甫index-14 764年 杜甫<760> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4130 杜甫詩1500-760-997/250048

二月にはや風涛が起こっているので、春の嘉陵江は渡ることができないので、出発できないのである。増水しているといっても舟や楫を上手くあやつれば急流に乗って横むきになりながらでも早く走るし、水中にすんでいる魚竜の寝場所からも高いところをういて通るからよいとおもう。


        
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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渡江

(嘉陵江を渡ろうとする)

春江不可渡,二月已風濤。

二月にはや風涛が起こっているので、春の嘉陵江は渡ることができないので、出発できないのである。

舟楫欹斜疾,魚龍偃臥高。

増水しているといっても舟や楫を上手くあやつれば急流に乗って横むきになりながらでも早く走るし、水中にすんでいる魚竜の寝場所からも高いところをういて通るからよいとおもう。

渚花兼素錦,汀草亂青袍。

にしきを張ったようにうつくしく、汀の草は青色の袍がみだれるのかとあやしまれるが、都の青袍をきた若い連中が乱れるのとはちがっていい景色ではないか。

戲問垂綸客,悠悠見汝曹。

自分は早くここを出帆したいので戯れに釣を垂れている人に向かって聞くのだけれど、このとき気長にみえるのはおまえたちだけである、と。

(江を渡る)

春江 渡る可からず、二月 已に風濤なり。

舟楫 欹斜 疾く、魚竜 偃臥 高し。

渚花 素錦を兼ね、汀草 青袍 乱る。

戯れに問う 垂綸の客に、悠悠 汝が曹を見る。

浮桟橋00 

 

『渡江』 現代語訳と訳註

(本文)

渡江

春江不可渡,二月已風濤。

舟楫欹斜疾,魚龍偃臥高。

渚花兼素錦,汀草亂青袍。

戲問垂綸客,悠悠見汝曹。

 

(下し文)

(江を渡る)

春江 渡る可からず、二月 已に風濤なり。

舟楫 欹斜 疾く、魚竜 偃臥 高し。

渚花 素錦を兼ね、汀草 青袍 乱る。

戯れに問う 垂綸の客に、悠悠 汝が曹を見る。

 

(現代語訳)

(嘉陵江を渡ろうとする)

二月にはや風涛が起こっているので、春の嘉陵江は渡ることができないので、出発できないのである。

増水しているといっても舟や楫を上手くあやつれば急流に乗って横むきになりながらでも早く走るし、水中にすんでいる魚竜の寝場所からも高いところをういて通るからよいとおもう。

にしきを張ったようにうつくしく、汀の草は青色の袍がみだれるのかとあやしまれるが、都の青袍をきた若い連中が乱れるのとはちがっていい景色ではないか。

自分は早くここを出帆したいので戯れに釣を垂れている人に向かって聞くのだけれど、このとき気長にみえるのはおまえたちだけである、と。

 

 

(訳注)

渡江

(嘉陵江を渡ろうとする)

○渡江 春の増水と点呼不漁によって出発ができないけれど、出発できないけれど決心は変わらないと詠うもの。

○江 此の詩は次の間州より発した詩とあわせ考えるのに間州を出発しょうとして先ず江を渡ったときの作であろう。とするならば江は嘉陵江であろう。

海棠花021 

春江不可渡,二月已風濤。

二月にはや風涛が起こっているので、春の嘉陵江は渡ることができないので、出発できないのである。

○春江 閬州の嘉陵江流域の山々の雪解けと天候不良によって増水していて、出向することが出来なかった。

○二月 盛春であれば出帆できるはずなのでこういう言い方をした。

○風濤 増水して水の流れが速く、風が強いと大波になる。

 

舟楫欹斜疾,魚龍偃臥高。

増水しているといっても舟や楫を上手くあやつれば急流に乗って横むきになりながらでも早く走るし、水中にすんでいる魚竜の寝場所からも高いところをういて通るからよいとおもう。

○舟楫 舟や楫を上手くあやつること。

○欹斜 急流にふねが乗ること。

○疾 早く進むこと。

○魚龍 さかなやミズチが生息する通常の高さより高いことで、彼等の邪魔をしないということをいう。

○偃臥高 魚竜の寝場所からも高いところをういて通ること。

 

渚花兼素錦,汀草亂青袍。

渚の花は白にしきを張ったようにうつくしく、汀の草は青色の袍がみだれるのかとあやしまれるが、都の青袍をきた若い連中が乱れるのとはちがっていい景色ではないか。

○渚花 渚の花。

○素錦 白にしきを張ったようにうつくしいこと。

○汀草 水際の草草。

○亂青袍 春の若草が咲き乱れる。青色の袍をきた書生、若者が少し乱れた程度のことだということ。

 

戲問垂綸客,悠悠見汝曹。

自分は早くここを出帆したいので戯れに釣を垂れている人に向かって聞くのだけれど、このとき気長にみえるのはおまえたちだけである、と。

○垂綸客 釣糸をたれる人。太公望のように三顧の礼に迎えられることを考えているなら気の長いことある。今の天子代宗は迎えに来るようなことはしない人だ。

○汝曹 なんじら。

蜀中転々圖 

 

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光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は魯の恭王が残しておかれたもののようである。王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

        
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年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三  卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題:玉臺觀二首其二 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  玉臺觀 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

玉臺觀二首其二

(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二)

浩劫因王造,平臺訪古遊。 

広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。 

五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。

宮闕通群帝,乾坤到十洲。 

この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。

人傳有笙鶴,時過此山頭。 

このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

 

(玉台観 二首其の一)

浩劫【こうごう】 王の造るに因る,平臺 古遊を訪【いざな】う。 

綵雲 蕭史 駐り,文字 魯恭 留む。 

宮闕 群帝を通ず,乾坤 十洲に到る。 

人傳う 笙鶴有るを,時に 此山の頭を過るを。  


王屋山00 

『玉臺觀二首其二』 現代語訳と訳註

(本文)

玉臺觀二首其二

浩劫因王造,平臺訪古遊。 

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。 

宮闕通群帝,乾坤到十洲。 

人傳有笙鶴,時過此山頭。 

 

 

(下し文)

(玉台観 二首其の一)

浩劫【こうごう】 王の造るに因る,平臺 古遊を訪【いざな】う。 

綵雲 蕭史 駐り,文字 魯恭 留む。 

宮闕 群帝を通ず,乾坤 十洲に到る。 

人傳う 笙鶴有るを,時に 此山の頭を過るを。 

 

(現代語訳)

(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二)

広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。

五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。

この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。

このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

 

(訳注)

玉臺觀二首其二

(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二) 

 

浩劫因王造,平臺訪古遊。 

広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。

・浩劫 大規模な災害をいい,広範囲にわたる災禍十年浩劫10年にわたる災禍のこと。

・王造 滕王はここに寺観をつくった。

・平臺 玉臺観のこと。

・古遊 古跡を観賞してあるく。

 

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。 

五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。

綵雲 五色の雲。この場所の威厳を増す効果を示すもの。

・蕭史 蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

・駐 蕭史がここに留まること。

・魯恭 漢代の魯の恭王が建築物を能くつくり、霊光殿を作ったことを滕王に比す。

 

宮闕通群帝,乾坤到十洲。 

この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。

・通群帝 多くの仙人たちがここを往来する。

・乾坤 天地において。

・十洲 仙郷のこと。

 

人傳有笙鶴,時過此山頭。 

このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

・笙鶴 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

・此山頭 閬州城北七里玉台山のこと。

 

 

詩文(含異文)

浩劫因王造【浩劫因王起】,平臺訪古遊。

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。

宮闕通群帝,乾坤到十洲。

人傳有笙鶴,時過此山頭【時過北山頭】。 

蜀中転々圖 

 

 

 

 

 

 

 

○玄都壇 玄都とは道家のかんがえた一つの仙郷。「十洲記」に「玄洲ハ北海二在り、岸ヲ去ルコト三十六万里、上二大玄都有り、仙伯真公ノ治ムル所ナリ」とある。玄都壇は漢の武帝の築く所で長安の南山の子牛谷の中に在る。元逸人はここに隠れていたのである。

--- 

東海 祖州・・・方円五百里にして中國東方七万里という。不死の草あり。死者の上にその草を置くだけでよみがえるのである。

②東方大海中 瀛州・・・方円四千里。揚子江口から七十万里という。神芝仙草というのが生えている。また、玉石ありて高さ一千丈という。酒の味がする玉醴泉がある。これを飲むと長生するといい、神仙の家が多い。

③北海 玄州・・・中國の北西の間の方向に、三十六万里離れて在り。方円七千二百里。崑崙山のかなたにある。山々にかこまれ太玄都がある。神仙である真君が支配しているという。しかし、その太玄都近くに風山がある。この山には大いなる風が吹き止むことなく、また雷電の音と光が絶えるときがない。この山の上に天地の西北の門があるの。その門から、時に多数の大きな仙人たちの住居が見える。

④南海 炎州・・・中國から南へ九万里、方円二千里。この世界には不思議なドウブツがいるので名高い。

⑤南海 長州・・・中國の南東二十万里、方円五千里。山川が多く、森に覆われている。森には巨木多く、二千人で抱えてようやく一回りできるような大きなものもある。森が多いことから「青丘」とも言われる。仙草、霊薬、甘液、玉英を産する。

この大陸にも風山があり、その山はつねに震動し、轟々とうなっている。

⑥北海 元州・・・中國の北方十万里、方円三千里。この大陸には五芝玄澗と名づけられる谷があって、そこの水は蜜のように甘く、長生の効能がある。またこの谷に生えている五芝の方にも長生の効能があるのである。

⑦西海 流州・・・中國の西方十九万里、方円三千里。多くの山と川があるのであるが、特に大きな石の嶺があり「崑吾」と名づけられている。この露頭から掘削される鉄鉱を用いて製せられた剣は光かがやいてしかも透き通りまるで水晶のごとしという。この剣を以って玉を斬ればまるで泥を斬るようだとのこと。

⑧東海 生州・・・中國の東北方二十三万里、方円二千五百里。(蓬莱を離れること七十万里、ともいうのですが、蓬莱とチュウゴクと、この生洲との位置関係がよくわからない。)数万の神仙が住むといい、天気は常に晴朗で温暖、寒暑なく、万物がいつも生長しやすい環境にある。もちろん長生に資する霊芝や仙草もどんどこ成長する。飲み水もとても甘いという。

⑨西海 鳳鱗州・・・方円一千五百里。四方を波風の無い海の囲まれているゆえ人間には渡ることができないらしい。ここには鳳凰・麒麟が何万と住んでいる。もちろん神仙も多く住んでおられるのだ。鳳凰のくちばしと麒麟の角を煮て作ったにかわがあり、切断した弓の弦や刀をつなぎあわせることができるという。

⑩西海 集窟州・・・中國の西南、崑崙を離れること南に二十六万里、中國を離れること西に二十四万里という。神仙が多く住んで数え尽くせない。この大陸には獅子、避邪、サク歯、天鹿、長牙、銅頭、鉄額といった動物、人間の頭を持つ鳥がいる。この鳥の住む山を人鳥山というが、人鳥山には楓に似た樹木あり、還魂樹とよばれ、この木は香りがよい。

 

 

元都壇歌寄元逸人

故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。

故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』

屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。

子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。

鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

 

我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。

君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』

その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。

夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』

君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』

 

玄都壇の歌元逸人に寄す

故人昔隠る東蒙峰、己に佩ぶ含景の蒼精竜。

故人今居る子牛谷、独り陰崖に在って茅屋を結ぶ。』

屋前太古の玄都壇、青石漠漠として常に風寒し。

子規夜啼いて山竹裂け、王母昼下りて雲旗翻る。』

知る君が此の計長往を成すを、芝草瑯玕日に応に長ずるなるべし。

鐵鎖高く垂れて攣す可からず、身を福地に致す何ぞ粛爽なる。』

廣徳2年764-82 《滕王亭子二首其二》 杜甫index-14 764年 <758> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4120 杜甫詩1500-758-995/2500

滕王亭子二首其二 杜甫≫ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。


        
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廣徳2764-82 《滕王亭子二首其二 杜甫index-14 764 <758> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4120 杜甫詩1500-758-995/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:滕王亭子

作地點:目前尚無資料 

及地點:  滕王亭子 (山南西道 閬州 閬州)   巴山 (山南西道 峽州 巴山

【自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

杏の白花012 

 

滕王亭子膝王に弔古の意を写した。)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔亭在玉臺觀王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

 

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀の。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。

 

滕王亭子二首其二 前作とおなじく弔古の意を写した。

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。その二)

寂寞春山路,君王不復行。

ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。

古牆猶竹色,閣自松聲。

しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。

鳥雀荒村暮,雲霞過客情。

ここ荒れた村も夕ぐれになると鳥や雀が啼きさわいでいる、この夕ばえの雲霞がひろがっていると誰もが旅人の感情になって通り過ぎるだろう。

尚思歌吹入,千騎把霓旌。

いまさえ、なお、むかし王が、「千騎の兵が虹色の旗をかかげつつ」という曲を歌と吹奏楽を奏でてこの亭にはいってこられるだろうとしのばれるのである。

(滕王亭子二首其の二)

寂寞たり春山の路、君王復た行かず。

古牆 猶お竹色、虚閣 自ずから松声。

鳥雀 荒村の暮、雲霞 過客の情。

尚お 思う歌吹入りて、「千騎 霓旌を把ませしこと」を。

蜀中転々圖 

『滕王亭子二首其二』 現代語訳と訳註

(本文)

滕王亭子二首其二

寂寞春山路,君王不復行。

古牆猶竹色,虛閣自松聲。

鳥雀荒村暮,雲霞過客情。

尚思歌吹入,千騎把霓旌。

 

(下し文)

(滕王亭子二首其の二)

寂寞たり春山の路、君王復た行かず。

古牆 猶お竹色、虚閣 自ずから松声。

鳥雀 荒村の暮、雲霞 過客の情。

尚お 思う歌吹入りて、千騎 霓旌を把ませしことを。

 

(現代語訳)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。その二)

ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。

しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。

ここ荒れた村も夕ぐれになると鳥や雀が啼きさわいでいる、この夕ばえの雲霞がひろがっていると誰もが旅人の感情になって通り過ぎるだろう。

いまさえなおむかし王が、「千騎の兵が虹色の旗をかかげつつ」という曲を歌と吹奏楽を奏でてこの亭にはいってこられるだろうとしのばれるのである。

 

(訳注)

滕王亭子二首其二

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。その二)

〔亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

○滕王 名は元嬰、高祖二十二子、調露年間に寿州の刺史より隆州の刺史に移った、隆州は後に先天二年に玄宗の諱(隆基)を避けて閬州と改められた。

○玉臺觀 閬州城北七里玉臺山にある道教の寺観。同時期に玉臺觀という詩がある。

○調露(ちょうろ)は、唐の高宗李治の治世に使用された元号。679 - 680年。

○典 つかさどる、州の長官である刺史に任ぜられたことをいう。

 

寂寞春山路,君王不復行。

ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。

○君王 膝王。

 

古牆猶竹色,虛閣自松聲。

しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。

○虚閣 人のいない小閣。

 

鳥雀荒村暮,雲霞過客情。

ここ荒れた村も夕ぐれになると鳥や雀が啼きさわいでいる、この夕ばえの雲霞がひろがっていると誰もが旅人の感情になって通り過ぎるだろう。

○鳥雀 その声をいう。

○雲霞 その色をいう。

○過客 暗に自己をいう。

 

尚思歌吹入,千騎把霓旌。

いまさえなおむかし王が、「千騎の兵が虹色の旗をかかげつつ」という曲を歌と吹奏楽を奏でてこの亭にはいってこられるだろうとしのばれるのである。

○歌吹 歌の声、吹奏するものの声、この句は鳥雀より連想する。

○沸 かかえる。

○霓旌 にじのような色彩のはた、この句は雲霞より連想する。


DCF00003

廣徳2年764-81 《玉臺觀 二首 之一》杜甫index-14 764年<757> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4115 杜甫詩1500-757-994/250045

玉臺觀 二首 之一》杜甫≫山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

        
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廣徳2764-81 《玉臺觀 二首 之一》杜甫index-14 764年<757 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4115 杜甫詩1500-757-994/250045

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 玉台觀 二首 之一

作地點: 山南西道 閬州 

及地點:  玉臺觀 (山南西道 閬州 閬州)   

 

 

玉台觀 二首 之一

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

更肯紅顏生羽翼,便應發老漁樵。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

 

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。


王屋山00 

 

『玉台觀 二首 之一』 現代語訳と訳註

(本文)

玉台觀 二首 之一

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

 

(下し文)

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

 

(現代語訳)

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

 

(訳注)

玉台觀 二首 之一

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

○玉台観 閬州城北七里玉台山にある道教の寺で膝王の造ったものである、観内にある台を玉台という、山は台によって名を得たものであろう。

 

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

○中天 九天の真中をいう、空の中だから高い空の部分に玉台山に寺観が建つことをいう。

○積翠 翠微がつみかさなっている。山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていること。翠微は鬱蒼と茂る山の中腹。

○玉台 山の名前。玉台は道教において上帝の居る所と称される、観内の台はそれに象って造ったものである。

○上帝高居 玉台をさす、高居は高いところの住居である。

○緯節朝 緯節はえび色のはた、朝とは参朝すること、上帝のところへもろもろの仙官たちが敬礼のため経節をたでて参朝する。

 

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

○馮夷 河をつかさどる神のような仙人である。

○撃鼓 魏の曹植の「洛神賦」に「馮夷鼓を撃つ」とある。

渼陂行

岑參兄弟皆好奇,攜我遠來遊渼陂。

天地黯慘忽異色,波濤萬頃堆琉璃。』

琉利汗漫泛舟入,事殊興極憂思集。

鼉作鯨不複知,惡風白浪何嗟及。』

主人錦帆相為開,舟子喜甚無氛埃。

鳧鷖散亂棹謳發,絲管啁啾空翠來。』

沉竿續蔓深莫測,菱葉荷花淨如拭。

宛在中流渤澥清,下歸無極終南黑。』

半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。

船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。』

此時驪龍亦吐珠,馮夷擊鼓群龍趨。

湘妃漢女出歌舞,金支翠旗光有無。』

咫尺但愁雷雨至,蒼茫不曉神靈意。

少壯幾時奈老何,向來哀樂何其多?』

 

渼陂行  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 66

〇嬴女善吹簫 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。

 

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

○江光 嘉陵江の水のひかり。

○隠見 みえたりかくれたり。

○電篭 おおがめ、よろいがめ。

○石勢 江中の石のありさま。

○参差 たがいちがいのさま。

○烏鵲橋 「准南子」に烏鵲が河を埋めて橋をつくり織女を渡したとの古伝説がみえる、「江光」二句は台外の景をいう。

 

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

○紅顔 少年の血色のよいかおをいう。

○生羽翼 つばさが生え天へ飛べるようになること。

○黄髪 白髪がさらにすすむと当時はそんなに洗髪しないので黄色を呈する。

○老漁樵 漁樵は隠遁した老人、仙人をいい、年とることをいう。

 

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

 

華山001 ---------------------------------------

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:滕王亭子

作地點:目前尚無資料 

及地點:  滕王亭子 (山南西道 閬州 閬州)   巴山 (山南西道 峽州 巴山

【自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

 

 

滕王亭子膝王に弔古の意を写した。)

〔亭在玉臺觀王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

 

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀の。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。

廣徳2年764-80 《滕王亭子二首其一》杜甫index-14 764年閬州 <756> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4110 杜甫詩1500-756-993/2500

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。


        
 2014年4月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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李白index- 41 《762年廣德元年春、宜城から涇縣陵陽に遊ぶ。寶應元年62歳陵陽から金陵に行き、晩秋、当塗に帰り11月李陽冰宅で死ぬ。》1112kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4108 
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廣徳2764-80 《滕王亭子二首其一杜甫index-14 764年閬州 <756> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4110 杜甫詩1500-756-993/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:滕王亭子 二首其一

作地點:  山南西道 閬州

及地點:  滕王亭子 (山南西道 閬州 閬州)   巴山 (山南西道 峽州 巴山

【自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

 

 

滕王亭子膝王に弔古の意を写した。)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔亭在玉臺觀王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

 

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀の。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。

 

蜀中転々圖 

『滕王亭子』 現代語訳と訳註

(本文)

滕王亭子

 

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

 

(下し文)

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀のに在り。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。 

 

(現代語訳)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

鶯00 

(訳注)

滕王亭子

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

○滕王 名は元嬰、高祖二十二子、調露年間に寿州の刺史より隆州の刺史に移った、隆州は後に先天二年に玄宗の諱(隆基)を避けて閬州と改められた。

○玉臺觀 閬州城北七里玉臺山にある道教の寺観。同時期に玉臺觀という詩がある。

○調露(ちょうろ)は、唐の高宗李治の治世に使用された元号。679 - 680年。

○典 つかさどる、州の長官である刺史に任ぜられたことをいう。

 

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

○君王 膝王をさす、君の字は敬称として用いる。

〇台樹 土を高く盛ったものを台という、台上に木があって室のないものを樹という。

○枕 のぞむ。

○巴山 巴の地の山の意味、閬州の城北七里にある玉台山をいう。

○丹梯 あかいはしご、赤色土の石段の道をいう。

○尚 今日もなお。

 

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

○修竹 せのたかい竹、長くのびた竹。漢代に梁の孝王の園に修竹があった。

○仙家犬吠 「神仙伝」に八公が准帝王劉安と白日に天に昇ったとき、薬器をあまして中庭に置いたために、鶏や犬がこれをねぶり啄んでことごとく天に上ってしまったという。

 

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

○清江 嘉陵江、山の下にみえるもの。

○錦石 錦紋の石。

○傷心麗 わが心をいたましめながらうるわしい。

○嫩蕊 みずみずしい花しべ。

○濃花 色のこい花。

 

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

〇人 州人をいう。

○歌 この一字は下句のことをいう。

○出牧 中央よりでて地方の人民を牧(やしな)うこと、王が刺史であったことをいう。

○来遊 王が来遊したことをいう、、この一句は王の出牧当時、すなわち昔のことを追叙した句である。
竹林001 

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廣徳2年764-79 《絕句,二首之二》 ふたたび成都 杜甫<755> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4105 杜甫詩1500-755-992/2500

句,二首之二》錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。


        
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廣徳2764-79 句,二首之二》 ふたたび成都 杜甫<755 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4105 杜甫詩1500-755-992/2500

 

 

754句,二首之一(遲日江山麗,)755句,二首之二(江碧鳥逾白,)1263

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三  卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,二首之二

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

杏の花01 

句,二首之一

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の一)

遲日江山麗,春風花草香。 

春の日は次第にのびて暮れる時間も遅くなってゆく、かたむきはじめた春の日差しは映えて、錦江や山を麗しくしてくれる。春風は浣花渓を埋め尽くす花々、草草の萌える香りを運んでくれる。

泥融飛燕子,沙暖睡鴛鴦。 

田圃や畑はすっかり雪解け作物を植えはじめると、ツバメは子作りのために飛び交い始める。草堂前の中洲の砂は春の日をたっぷり浴びて暖かく鴛鴦が心地よく眠っている。

 

句,二首の一

遲日 江山麗し,春風 花草香し。 

泥融けて燕子飛び,沙暖かにして鴛鴦 睡る。  

 

句,二首之二  

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の二)

江碧鳥逾白,山青花欲燃。 

錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。

今春看又過,何日是歸年。 

まことに美しい景色となってはいるけれど、今年の春の景色も見る間にすぎ去って行こうとしている。そんなことでこんな春の日を後何年したら故郷に帰ることになるのだろう。

 

(二首の二)

江碧にして 鳥 逾【いよい】よ白く,山青くして花 燃えんと欲す。 

今春 看るみる又た過ぎ,何れの日にか 是れ歸年すぞ。 

ゆりかもめ000 

 

(句,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

句,二首之二 

江碧鳥逾白,山青花欲燃。 

今春看又過,何日是歸年。 

 

(下し文)

(二首の二)

江碧にして 鳥 逾【いよい】よ白く,山青くして花 燃えんと欲す。 

今春 看るみる又た過ぎ,何れの日にか 是れ歸年すぞ。 

 

(現代語訳)

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の二)

錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。

まことに美しい景色となってはいるけれど、今年の春の景色も見る間にすぎ去って行こうとしている。そんなことでこんな春の日を後何年したら故郷に帰ることになるのだろう。

 

(訳注)

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の二)

杜甫は草堂のまわりの春の景物を絶句で沢山読んでいる。

 

index

9

杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45

45

index

10

杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82

82

index

11

杜甫詩(11)762年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43

43

index

12

杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49

49

index

13

杜甫詩 (13)763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

92

index

14

杜甫詩 (14)764年廣徳2年 53歳 三月成都へ帰る 100

100

 

 

760

22

761

47

762

6

763

26

764

42

 

桃園001 

江碧 逾白 ,山青 欲燃

錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。

「江」濯錦江。

「碧」草堂のまわりの綠。

「鳥」「白」「山」「青」「花」「燃」この聯は色彩の語を使って構成される。春の緑・靑から晩春から初夏に色彩に変わっていく様子をあらわしている。

 

今春 又過 ,何日 歸年

まことに美しい景色となってはいるけれど、今年の春の景色も見る間にすぎ去って行こうとしている。そんなことでこんな春の日を後何年したら故郷に帰ることになるのだろう。

「何日」この同じ春景色の日を何日、すなわち何年。

「歸年」故郷に帰る年。
杜甫詩 全詩INDEX02 

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