杜甫《百舌》 程元振は、襄陽節度使の來瑱を常日頃から入朝させようとしていたが、來瑱は従わなかった。程元振が権力を握った後、入朝する事を承認したものの、色々理由を付けて入朝しようとしなかった。
廣徳2年764-75 《百舌》 杜甫<751>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4085 杜甫詩1500-751-988/250039
廣徳2年(764)
正月、敕にて、程元振が変服にて不軌を図ったと称し、湊州へ流した。 だが、代宗皇帝は程元振の功績を想い、 再び令を下して江陵へ安置した。
乙卯の日、雍王・李适を皇太子に立てた。
さて、吐蕃軍が長安へ入った時、諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。
丁巳の日、太子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、これを討たせたのだった。 数ヶ月掛けても鎮圧できない。代宗皇帝は、李抱玉へ討伐を命じた。 李抱玉は彼らを襲撃し、大いに破った。
僕固懐恩は辛雲京から猜疑をかけられていて讒言されていた。ついに僕固懐恩は叛旗を翻し、河東都将の李竭を太原に潜入させて 奪取しようとした。しかし、辛雲京に事が露見し、李竭は捕らえられて 誅殺された。それを受けて僕固懐恩は息子の僕固瑒を派遣して太原を陥とそうとした。しかし僕固瑒は大いに敗れ、 帰還の途上で楡次へ進んで城を囲んだ。
程元振が有罪となった事件では、李峴が活躍した。 これによって、李峴は宦官達から憎まれた。 だから、劉晏と共にやめさせられたのだった。 右散騎常侍・王縉を黄門侍郎、太常卿・杜鴻漸を兵部侍郎とし、 共に同平章事とした。
丁卯の日、郭子儀は朔方節度大使となった。
2月、郭子儀は河中に至り、雲南の将が暴れたので、 郭子儀は十四人を斬首し、三十人を鞭打ちとした。
さて、僕固瑒は楡次を包囲してから10日以上経ってもこれを 抜くことは出来なかったが、楡次の将士は包囲を突破して李光弼に 使者を派遣し、糧秣に困窮していることを伝えた。
僕固懐恩が汾州を攻撃すると、郭子儀は汾州へ向かった。 僕固懐恩は郭子儀が接近するのを知ると、帰っていった。
安禄山の騒乱以来、汴水の水路が壊れたので、 漕運業者は江、漢から梁、洋までは迂回せねばならず、 労費がかかって いた。
程元振(ていげんしん) 未詳~764。三原(今の陜西省高陵県西北)の人。幼少の頃より宦官として内侍省に仕え、徐々に出世して内射生使となった。宝応(762)、粛宗が崩じると、張皇后は太子に怨みを持っていたので越王係を引き入れて監国にし、権力を握ろうとした。程元振はその謀を知って李輔国に密告し、越王係及びその党派を誅殺した。
代宗が即位すると、その功により飛龍副使、右監門将軍、上柱国、知内侍省事となった。まもなく、李輔国に代わって判元帥行軍司馬となって禁兵を掌握し、鎮軍大将軍、右監門大将軍を加えられ、保定県侯に封じられた。
また、驃騎大将軍を加えられ、邠国公に封じられ、その父の元貞は司空を、母の郄氏は趙国夫人を贈られた。
この時の程元振の権力はついに李輔国を超え、軍中では「十郎」と呼ばれていた。
程元振は、襄陽節度使の來瑱を常日頃から入朝させようとしていたが、來瑱(らいてん)は従わなかった。程元振が権力を握った後、入朝する事を承認したものの、色々理由を付けて入朝しようとしなかった。
廣徳元年(763)、裴茙(はいじゅう)をうち破るとついに入朝したが、程元振は自らの権威を無視した振る舞いに報復を行おうとして、來瑱を誣告し、誅した。 また、山陵使の裴冕(はいべん)は、事ある毎に程元振と衝突していたが、程元振は裴冕の部下の役人が収賄したことを摘発し、裴冕を連座させて施州(湖北省西部)刺史に貶めた。 來瑱、裴冕のような名将、元勲を誣告して陥れたため、天下は騒然となり再び乱れ始めたが、程元振は権力を確保した事に安心して驕慢となり、全く顧みなかった。
同じ年の9月、吐蕃が京畿(長安付近)に侵入してきたため、徴兵を行おうとしたが、詔に応じる者は誰も居なかった。10月、吐蕃軍が便橋に至ると、代宗は慌てふためき陜州に逃げ出さなければならなかった。吐蕃軍は長安を陥とし、府庫は尽く略奪された。太常博士の柳伉が、程元振を誅して天下に謝するべきだと諫言を行ったが、代宗は程元振の過去の功績を鑑みて、免官して故郷に追放するのみとした。
12月に、代宗が長安に戻ると、程元振は密かに京城に入ったが捕らえ、再び放逐されて病死した。『新唐書』207 宦者上、『旧唐書』184
百舌
(この頃の口先だけの者たちを詠う)
百舌來何處,重重秖報春。
百舌の鳥はどこから来たか、たびたび鳴くがただ春だぞと告げ知らせるだけのことだ。
知音兼眾語,整翮豈多身。
この鳥は仲間意識が強く音のことをよく知ってさまざまのことばを兼ねてうまくつかう。そのうえ、たち羽を整えて様子を浴して啼くがその身はひとつで別な鳥が啼くわけではない。(朝廷内で奴らはそううごめく)
花密藏難見,枝高聽轉新。
花が密集して咲いているところで啼くから、からだは隠されて見えないのだ。枝の高いあたりに鳴くのでその声を聞けば聞くほど新しく聞こえる。
過時如發口,君側有讒人。
此れがその鳴くべき時節に鳴いているのはまだよいのだが、時節はずれに口をあいて鳴こうものなら、それこそ君のお側に讒言をするような悪人のある徴だ。
(百 舌)
百舌何の処よりか来たる、重重 秖だ春を報ず。
音を知りて衆語を兼ぬ、翮を整うる 豈に多身ならんや。
花蜜にして 蔵して見え難く、枝高くして聴けば転【うた】た新たなり。
時を過ぎて如【も】し口を発【ひら】かば、君側に讒人有るなり。
『百舌』 現代語訳と訳註
(本文)
百舌
百舌來何處,重重秖報春。
知音兼眾語,整翮豈多身。
花密藏難見,枝高聽轉新。
過時如發口,君側有讒人。
(下し文)
(百 舌【ひゃくぜつ】)
百舌 何の処よりか来たる、重重 秖だ春を報ず。
音を知りて衆語を兼ぬ、翮を整うる 豈に多身ならんや。
花蜜にして 蔵して見え難く、枝高くして聴けば転【うた】た新たなり。
時を過ぎて如【も】し口を発【ひら】かば、君側に讒人有るなり。
(現代語訳)
(この頃の口先だけの者たちを詠う)
百舌の鳥はどこから来たか、たびたび鳴くがただ春だぞと告げ知らせるだけのことだ。
この鳥は仲間意識が強く音のことをよく知ってさまざまのことばを兼ねてうまくつかう。そのうえ、たち羽を整えて様子を浴して啼くがその身はひとつで別な鳥が啼くわけではない。(朝廷内で奴らはそううごめく)
花が密集して咲いているところで啼くから、からだは隠されて見えないのだ。枝の高いあたりに鳴くのでその声を聞けば聞くほど新しく聞こえる。
此れがその鳴くべき時節に鳴いているのはまだよいのだが、時節はずれに口をあいて鳴こうものなら、それこそ君のお側に讒言をするような悪人のある徴だ。
(訳注)
百舌
(この頃の口先だけの者たちを詠う)
もずの鳥に感じてよんだ詩。君側の讒人をそしったもの。程元振を意味しているのであろうという。764年広徳二年春、梓州にあっての作。
百舌來何處,重重秖報春。
百舌の鳥はどこから来たか、たびたび鳴くがただ春だぞと告げ知らせるだけのことだ。
○百舌 もずのとり。朝廷の宦官に喩える。
○重重 かさねでかさねて。
知音兼眾語,整翮豈多身。
この鳥は仲間意識が強く音のことをよく知ってさまざまのことばを兼ねてうまくつかう。そのうえ、たち羽を整えて様子を浴して啼くがその身はひとつで別な鳥が啼くわけではない。(朝廷内で奴らはそううごめく)
○知音 音をよく知る。【ちいん】《中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から》
1互いによく心を知り合った友。親友。「年来の―」
2知り合い。知己。「―を頼る」
3恋人となること。また、恋人。なじみの相手。
○衆語 さまざまのことば。
○整翮 たちばねをととのえでとぶ。
○豈多身 からだがいくつもあるのではない。
花密藏難見,枝高聽轉新。
花が密集して咲いているところで啼くから、からだは隠されて見えないのだ。枝の高いあたりに鳴くのでその声を聞けば聞くほど新しく聞こえる。
過時如發口,君側有讒人。
此れがその鳴くべき時節に鳴いているのはまだよいのだが、時節はずれに口をあいて鳴こうものなら、それこそ君のお側に讒言をするような悪人のある徴だ。
○過時 時節をはずれて。
○発口 くちをひらいて鳴くこと。
○君側有讒人 この詩の時代背景を『新・旧唐書』の要約を掲載しているので、杜甫の謂わんとしていることは理解できる。








