祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。
廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(13)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500
(長安での戦は収まらず、房琯公の棺は故郷に帰ることが出来るのだろうか))
(12)六段目-1
乾坤慘慘,豺虎紛紛。
天下は乱れて惨澹たるもので、暗く心をいたませているし、豹や虎の様な反乱者や異民族があっちもこっちも世の中をみだしてきた。
蒼生破碎,諸將功勛;
そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。
城邑自守,鼙鼓相聞。
城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。
山東雖定,灞上多軍;
安史軍の本拠地の黄河下流域、山東は平定されたというが、黄河上流域、長安のあたりでは吐蕃との戦によって多くの軍隊が出入りする。
憂恨展轉,痛傷氤氳。
みんなは天子の施政に対して心配するばかりでなく、恨むことになっていて、夜も眠れず、寝返りばかりするし、こんなにも生活に困窮し、体制も崩壊している、こんな状態を悲しまずにおれないのである。
(13) 六段目-2
元豈正色?白亦不分;
もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。
培塿滿地,昆侖無群。
しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。
致祭者酒,陳情者文;
祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。
何當旅櫬,得出江云?
いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。
(末文)
嗚呼哀哉!尚饗!
ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。
(12)六段目-1
乾坤 慘慘たり,豺虎 紛紛たり。
蒼生 破碎され,諸將 功勛あり;
城邑 自ら守り,鼙鼓 相い聞こゆ。
山東 定めらると雖も,灞上 軍を多くす;
憂い恨みて 展轉し,痛み傷みて 氤氳たり。
(13) 六段目-2
元もと豈に正色ならん?白とすれども亦た 分たず;
塿【つか】を培すは 地に滿ち,昆侖 群する無し。
祭を致す者は酒なり,情を陳ぶる者は文なり;
何【いつ】に當って旅櫬し,江雲に出づるを得ん?
(末文)
嗚呼 哀しい哉!尚【こいねが】わくは饗せよ!
『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註
(本文) (13) 六段目-2
元豈正色?白亦不分;
培塿滿地,昆侖無群。
致祭者酒,陳情者文;
何當旅櫬,得出江云?
(末文)
嗚呼哀哉!尚饗!
(下し文)
(13) 六段目-2
元もと豈に正色ならん?白らじらと亦た 分たず;
塿【つか】を培すは 地に滿ち,昆侖 群する無し。
祭を致す者は酒なり,情を陳ぶる者は文なり;
何【いつ】に當って旅櫬し,江雲に出づるを得ん?
(末文)
嗚呼 哀しい哉!尚【こいねが】わくは饗せよ!
(現代語訳)
もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。
しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。
祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。
いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。
(末文)
ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。
(訳注) (13) 六段目-2
元豈正色?白亦不分;
もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。
〇元豈正色 もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか。・正色 正当な家柄。唐時代は「色」=色目、家柄身分を言った。ここでは葬儀が『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであることをいう。
この時代は出身地、家柄はすべてのことについて回るもので、すべてを決定づけるものである。ただ、宮廷において、由縁組、義兄弟、義親子がまかり通ったのが宦官、宮女の世界だけであった。杜甫は暗号文のようにこの句を作ったのであろう。房琯を死に追いやったこと、死んでも儀例に乗らない非礼に扱ったのも、宦官の為せるものであるということを杜甫は言っているのである。
培塿滿地,昆侖無群。
しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。
致祭者酒,陳情者文;
祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。
何當旅櫬,得出江云?
いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。
〇櫬 棺。
(末文)
嗚呼哀哉!尚饗!
ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。
【解説】
この文には、仮葬儀の様子を簡単に述べていてそれが本来なら、朝廷が何らかの形でやらなければいけない、特に、房琯を再度招集していたのであれば、房琯の葬儀を大きく取り上げれば、房琯の考え方、政策を徹底することに利用できるはずである。特に肅宗が房琯を呼び戻したいとしたのであるからなおさらである。
しかしこれが全くの裏腹であったということは、房琯の再度召されたのは張后と結託した宦官勢力を少しでも対抗させるためであった。しかし房琯が死んでしまって、表立って朝廷が採りあげることが出来なくなったと考えればすべて理解できることになる。
こうしたことを杜甫たち房琯グループは把握していたし、房琯が再度朝廷に、再度、宰相になれば巻き返しが図れると思っていたから、房琯の死は、杜甫にとってすべてのことを諦めざるを得なくなった出来事と思ったのである。
杜甫のこうした考えを示す詩文は他にはない。
ただ、そのまではっきりはしていないが「乾元元年華州試進士策問五首」房琯グループの考えが示されたものがある。これについてもこのブログで見ていく予定である。
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(1)(前文)
祭故相國清河房公文
維唐廣德元年歲次癸卯
犯九月辛丑朔二十二日壬戌,
京兆杜甫,敬以醴酒茶藕鯽之奠,
奉祭故相國清河房公之靈曰:
(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)
唐の廣徳元年癸【みずのと】卯【う】763年である。
月を越え、辛丑が月はじめ(朔)である九月の二十二日の壬戌の日。
長安でお世話になった杜甫が、ここにつつしんで醴酒、茶・レンコンなどのジュンサイ、鯉フナなどの三品をお供えいたします。
今は啼き、宰相であり、清河郡公であった房琯公の霊をお祭り奉り、次のように申し上げる。
(唐は優れた宰相達により繁栄を築いた。)
(2)一段目-1
「嗚呼!純樸既散,圣人又歿;
茍非大賢,孰奉天秩?
唐始受命,群公間出;
君臣和同,德教充溢。
ああ、率直さと大らかさを持った太古の気風はもうすでに消え失せ、古代の聖人もまた亡くなってしまった。
だから「大賢は愚なるが如し」というばかりに賢人はいない、一体誰が天の与えられる幸いを具現する施政をするというのであろうか?
唐の建国はじめには天より命を受けて、すぐれた多くの宰相が相次いで出たのである。
君主と臣下はやちょうわしてひとつになり、徳の教えは帝が率先され、教えは天下にあふれたのであった。
(3) 一段目-2
魏杜行之,夫何畫一;
婁宋繼之,不墜故實。
百馀年間,見有輔弼;
及公入相,紀綱已失。
太宗に仕えた魏徴や杜如晦が良い施政をおこなうことは、一という字を画くかのように何と明瞭だったことだろうか。
耐える事を教えた婁師徳や宦官の横暴を食い止めた宋璟もその施政を継承して、古くからの仁徳をもとにしたやり方を失わなかった。
建国以来、百年以上の間、皇帝を補佐するすぐれた宰相がいるのを見ることができた。
しかし、房公が宰相として入朝した時には、すでに綱紀は失われていた。
(2)一段目
「嗚呼!純樸は既に散じ,圣人も又た歿す;
茍しくも大賢に非ずんば,孰か天秩を奉ぜん?
唐の始めに命を受けしは,群公 間出す;
君臣 和同し,德教 充溢す。
(3)
魏 杜 之を行う,夫【そもそ】も何の一を畫すごときなり;
婁 宋 之を繼ぎて,故實を墜さず。
百馀 年間,輔弼有るを見る;
公の相に入るに及び,紀綱 已に失わる。
(綱紀が失われ打ち壊された国家を救おうとした房琯公)
(4) 二段目-1
將帥干紀,煙塵犯闕;
王風寢頓,神器圮裂。
關輔蕭條,乘輿播越。
太子即位,揖讓倉卒;
小臣用權,尊貴倏忽。
高官、武将元帥たちは、綱紀をおかし、戦さの塵はいつ起こってもおかしくないほど朝廷をおかしていたのだった。
唐王朝の格調高い風気はとどこおってゆきづまり、天子のカをしめす宝貴は裂けこわれてしまった。
安史の乱は関中の補給路を断絶し、都は飢餓におちいり、蕭条と風が抜けていくほど荒廃してしまった。玄宗の御輿は遠く成都へと行幸され、おうつりになったあいだのことである。
皇太子が即位され粛宗となられたが、その礼儀の次第は玄宗が知らぬ間にあわただしくとりおこなわれた。
しかし、その功績により、宦官の李輔国は権力をほしいままにふるいはじめた。こうして貴い人々はたちまちおとしめられてゆくのである。
(5) 二段目-2
公實匡救,忘餐奮發;
累控直詞,空聞泣血。
時遭綅沴,國有征伐;
車駕還京,朝廷就列;
盜本乘弊,誅終不滅;
高義沈埋,赤心蕩折。
貶官厭路,讒口到骨;
致君之誠,在困彌切。
房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。
度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。
その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。
天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。
安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。
陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。
しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。
(4) 二段目-1
將帥 紀を干し,煙塵 闕を犯す;
王風 寢頓し,神器 圮裂す。
關輔して 蕭條たり,乘輿して 播越す。
太子 即位するも,揖讓は 倉卒たり;
小臣 權を用し,尊貴は倏忽【しゅっこつ】たり。
(5) 二段目-2
公 實に匡救し,忘餐 奮發す;
累ねて 直詞を控え,空しく泣血を聞く。
時に綅沴【しんしん】に遭し,國 征伐する有り;
車駕 京に還し,朝廷 列に就く;
盜は本【もとも】と弊に乘じ,誅 終に滅せず;
高義 沈埋し,赤心 蕩折す。
貶官され 厭路さる,讒口 骨に到る;
君に致すの誠は,困に在りても彌【やや】切なり。
(房琯公は退けられ、病に憑かれた)
(6)三段目-1
天道闊遠,元精茫昧。
偶生賢達,不必際會;
明明我公,可云時代。
賈誼慟哭,雖多顛沛;
仲尼旅人,自有遺愛。
房琯公の天の道理は広いこころではるか先まで包む、その根元の精気のはたらきはそれがひろくはてしないがために理解されにくいのだ。
賢く天の法則・道理を得て達するものが偶然この世紅生まれたとしても、その域に達したものはその域に達したものに出会うものだとされるが必ず会うとは言えないのだ。
明明白白、疑わしいところのない我が房公は時代から退けられてよいものだろうか、退けられてはならないのだ。
漢の賈誼は改革の芽を摘まれ、左遷され、いく度も慟哭したけれども、ついにはつまずき倒れてしまった。
孔子は弟子とともに諸国巡遊の旅に出て、国政に失望したけれど、その仁愛はいつまでもしたわれているのだ。
(7) 三段目-2
二圣崩日,長號荒外;
後事所委,不在臥內。
因循寢疾,憔翠無悔;
夭閼泉涂,激揚風概。
天柱既折,安仰翊戴?
地維則絕,安放夾載?
二人の聖人、玄宗と粛宗が崩じられた時、房公は遠き荒外の地から二聖人を忍んでにいつまでも哭きさけんだ。
二聖人亡き後の事を託すべき人は、朝廷内にはふさわしい人がいないということを憂いていたからだ。
房公は病床について悪くなったり戻ったりしていたが、代宗の治政を案じて、どんなに憔悴しても心配することをいとわなかった。
黄泉の国への道を遮って逆に大事業を計画するという、その気高い風格を奮いたたせられたのである。
しかし、天を支える柱はすでに折れてしまったのに、どうして主君をあおぎいただいてお助けできるだろうか。
大地を維持する綱が切れてしまったのに、どうしてそれを放っておいて左右から補佐することができよう。
(6)三段目-1
天道は 闊遠し,元精は茫昧たり。
偶ま賢達を生じるも,不必ずしも際會せず;
明明たる我公,時代と云う可きなり。
賈誼 慟哭する,多くあると雖も顛沛す;
仲尼は旅人なるも,自ずから遺愛有り。
(7) 三段目-2
二圣【にせい】崩ぜし日,長く荒外に號す;
後事 委ぬるに,臥內に在らず。
因循して疾に寢るも,憔翠して悔い無し;
泉涂に夭閼【ようあつ】し,風概を激揚す。
天柱 既に折れ,安んぞ仰ぎて翊戴せん?
地維 則ち絕たれ,安んぞ放ちて夾載せん?
(房琯公は国を思い、清廉で徳のある人に対して朝廷は非礼をかえしている)
(8)四段目-1
豈無群彥?我心忉忉。
不見君子,逝水滔滔。
泄涕寒谷,吞聲賊壕;
有車爰送,有紼爰操。
撫墳日落,脫劍秋高;
我公戒子,無作爾勞。
かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。
房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。
涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。
房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。
棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。
しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。
(9) 四段目-2
斂以素帛,付諸蓬蒿;
身瘞萬里,家無一毫。
數子哀過,他人郁陶;
水漿不入,日月其忄舀。』
州府救喪,一二而已;
自古所嘆,罕聞知已。」
亡骸を納めるのに白絹だけで死に衣裳とし、棺はこともあろうに野原におかれたのである。
そんな理不尽な葬儀の上、房公のなきがらは故郷から万里離れた地に仮埋葬され、家に主君からは一毫の贈り物もなく、わずかな財産もなかったという。
遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。
水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。
長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、あっても一つか二つあっただけというありさまなのだ。
昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくないことである。
(退けられた房琯公の無実を晴らすことが出来なかった。)
(10)五段目-1
曩者書札,望公再起;
今來禮數,為態至此。
先帝松柏,故鄉枌梓;
靈之忠孝,氣則依倚。
房公が死ぬ前に 天子から詔勅がよこされ、房公が再びめされ、かつやくすることを望まれていた。
それにしては今、ここになされた葬儀の礼の等級がきめられているというのに、そのありさまといえば、このようなことで天子として為すべきことをされていないのである。
房公であれば先帝の陵墓のように松柏が植えられ、房公の故郷の墓には楡と梓が植えられるのが『儀礼』にしめされているのだ。
忠義心の強い房公の霊は、先帝の陵墓に対して死後の忠義をどうしてできるのか、ここの仮埋葬の墳墓の気配はこんな有様の中でよりどころとするのである。
(11) )五段目-2
拾遺補闕,視君所履;
公初罷任,人實切齒。
甫也備位此官,蓋薄劣耳;
見時危急,敢愛身死?
君何不聞,刑欲加矣;
伏奏無成,終身愧恥。
拾遺として天子を補佐する立場にあるときには天子がなされる儀礼はその法を踏み違いをなされることはないと拝見している。
房公が罪を得て初めて官をおやめになられた時に、心ある人々は本当に歯ぎしりをして悔しい思いをしていた。
その頃、私杜甫は左拾遺の官を頂いておりましたが、考えてみますとそのつとめを充分果しているとはいえなかったのであります。
しかし、安史の乱という国家危急の時あなたが重い罪を被るという危機転立たれるのを見たのであり、国家の為あなたを擁護、弁護することで死も辞さない覚悟をしました。
しかし、天子は全くお聞き入れにならず、あなたに刑を加えようとなさったのだった。
天子に伏してあなたの無実を奏上しながら、聞き入れて頂くことがかなわなかったことは、一生恥辱に思わねばならないことであったのである。
(10)五段目-1
曩者【さきごろ】書札あり,公 再起を望む;
今來 禮數といえば,態を為すは此に至る。
先帝には松柏あり,故鄉には枌梓ある;
靈 之れ忠孝なりて,氣は則ち依倚す。
(11) )五段目-2
拾遺 補闕し,君 履めし所を視る;
公 初めて任を罷めん,人 實に切齒す。
甫也は 位 此の官に備わるも,蓋し薄劣なるのみ;
時 危急なるを見,敢えて身死すを愛さん?
君 何ぞ聞かざる,刑 加えられんと欲す;
伏奏 成る無し,終身 愧恥す。
(長安での戦は収まらず、房琯公の棺は故郷に帰ることが出来るのだろうか))
(12)六段目-1
乾坤慘慘,豺虎紛紛。
天下は乱れて惨澹たるもので、暗く心をいたませているし、豹や虎の様な反乱者や異民族があっちもこっちも世の中をみだしてきた。
蒼生破碎,諸將功勛;
そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。
城邑自守,鼙鼓相聞。
城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。
山東雖定,灞上多軍;
安史軍の本拠地の黄河下流域、山東は平定されたというが、黄河上流域、長安のあたりでは吐蕃との戦によって多くの軍隊が出入りする。
憂恨展轉,痛傷氤氳。
みんなは天子の施政に対して心配するばかりでなく、恨むことになっていて、夜も眠れず、寝返りばかりするし、こんなにも生活に困窮し、体制も崩壊している、こんな状態を悲しまずにおれないのである。
(13) 六段目-2
元豈正色?白亦不分;
もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。
培塿滿地,昆侖無群。
しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。
致祭者酒,陳情者文;
祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。
何當旅櫬,得出江云?
いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。
(末文)
嗚呼哀哉!尚饗!
ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。
(12)六段目-1
乾坤 慘慘たり,豺虎 紛紛たり。
蒼生 破碎され,諸將 功勛あり;
城邑 自ら守り,鼙鼓 相い聞こゆ。
山東 定めらると雖も,灞上 軍を多くす;
憂い恨みて 展轉し,痛み傷みて 氤氳たり。
(13) 六段目-2
元もと豈に正色ならん?白とすれども亦た 分たず;
塿【つか】を培すは 地に滿ち,昆侖 群する無し。
祭を致す者は酒なり,情を陳ぶる者は文なり;
何【いつ】に當って旅櫬し,江雲に出づるを得ん?
(末文)
嗚呼 哀しい哉!尚【こいねが】わくは饗せよ!
「致君堯舜上,再使風俗淳。」『韋左丞丈に贈り奉る二十二韻』(君を堯と舜の上に致し、再び風俗をして淳あつからしめん)という年来の志を果たすことができようと、杜甫は身の引き締まる思いをしながらも、心からうれしかったのだ。
その左拾遺に任ずる詔書には、
“襄陽の杜甫、爾の才徳は、朕深く之を知る。
今、特に命じて宜義郎・行在の左拾遺と為す。
職を授けし後は、宜しく是の職に勤めて怠る
ことなかるべし。中書侍郎の張鎬に命じ、
符をもたらして告論せしむ。
至徳二載五月十六日行。”
とあり、杜甫は“宜しく是の職に勤めて怠ることなかるべき”ことを誓った。そうして数日ののち、拾遺の職務に忠実に諌諍を行なったが、粛宗の激怒によって危うく一命を失いそうになる。
諌諍の内容は、杜甫が左拾遺を授けられる六日前、すなわち757年五月十六日に宰相から太子少師の閑職に左遷された房琯の弁護であった。房琯は、蜀にある玄宗のもとから派遣されて粛宗の政府の宰相となっていたが、陳陶斜と青坂での敗戦の責任は、粛宗の信任あつい李泌のとりなしによってなんとか問われなかったものの、粛宗の信頼は失われてしまっていた。また、賀蘭進明・崔円ら粛宗直属の臣と、玄宗のもとから遺わされてきた者との対立、知識人宰相として実務家官僚たちと意見が合わず孤立していた、などという事情を背景とし、直接には、房琯の取り巻きの一人である楽師が宰相への口利き料を取っていたのが露見して収賄罪で告訴され、それを房琯が救けようとした、ということが原因となって左遷されたものであった。
杜甫にとって房琯は、私的には「布衣の交わりを為す」(『新唐書』杜甫伝)つまり地位の上下をぬきに儒者の子弟のようなつき合いをしていたようであるし、また公的には、新政府の宰相として彼以上の人物はいないと信じていたために、房棺が左遷されたのを、そのまま見過ごしておくことはできなかった。そうして、政府内の事情もよくわからないままに、また左拾遺としての慣例などおかまいなしに、わが思うままを述べたてて、「罪は細なり。宜しく大臣を免ずべからず」(『新唐書』杜甫伝)と奏上した。それは実情を考慮することなく、理想に向かって突っ走ろうとする、いかにも杜甫らしい行動であった。
「伏奏無成,終身愧恥。」
天子に伏してあなたの無実を奏上しながら、聞き入れて頂くことがかなわなかったことは、一生恥辱に思わねばならないことであったのである。
貨幣を変えたことで驚異的なインフレーションを起こしているのは朝廷と富貴の者に人民の富を収奪していくことに他ならないのである。
黄河下流域・運河は安史軍に抑えられ、長安洛陽に江南からの物資が届かないことでの物価高騰。
杜甫はその詩で度々述べているが「太夫の士族で税金がかからないから生活ができる」が、税を重くすれば、農民は逃散するということを身をもって体験している。
張皇后と李輔国は表裏一体となって禁中で横車を押し、政事に関与した。贈賄、収賄は日常。粛宗皇帝は不愉快だったが、 何もできなかった。 宦官達は、李輔国の官職さえ口にせず、李輔国を皆、“五郎”と呼んだとある。李輔国は肅宗政権の中で、ウイグル援軍に反対し、清廉で、忠君な者たちの排除を讒言をもって肅宗におこなわせた。それが房琯の一党の左遷である。それを契機に張皇后と李輔国の横暴はエスカレートし、肅宗は縮み込んだ存在になってゆく。肅宗は張皇后・李輔国の宦官勢力に身動き取れない状態に追い込まれ、玄宗と同じように蓬伍するのである。
杜甫は房琯の政策こそが唐を救うものとしていた。
房琯グループは朝廷内での勢いもなければ、政策的にも筋論が基調で説得力に欠けたのである。
房琯グループが左遷・解散させられたころの情勢をまとめると次のとおりである。
① 張皇后と李輔国の宦官勢力の横暴。
② 戦争課税を人民を苦しめず現有勢力を整えて上手くやるより、各種増税を人民負担の増加に求めたこと。
③ 悪貨鋳造により、人民収奪、超過激なインフレーションをを引き起こした。
④ 天災飢饉の最中人民を助けないで重税・増税を行った。
⑤ 麻薬のような劇薬ともいえるウイグル軍への安易な援軍要請。(これにより唐の財政破たん衰退がボディーブローのように効いていくことになる)
⑥ 第五琦の主張する江、淮の庸調を売って軽貨とし、江、漢を遡って洋川へ持って行き、そこから先は扶風まで漢中王・禹へ陸送させて軍用とするよう請うた。粛宗皇帝は、 これへ従う。 次いで、第五琦へ山南等五道度支使を加えた。第五琦は塩を専売にして国用にした政策実施は戦時下において的を得たものであったが、その物資は途中安史軍によって略奪されることになり相手の強化に寄与することもある。何より汚職の常態化につながった。。
⑦ 賀蘭進明は宦官グループの代弁者となった。
杜甫がどこまでこれらのことを把握していたのか。
房琯グループ、杜甫は完全に把握していたと思われる。ただここまで来ても、宦官勢力のゲシュタポ以上の統率力の前には誰もどうしようもなく、発言も出来なくなっていたのだ。
⑧ 宦官たちは、ある部分唐王朝の利益を守り、維持する大きな要素も持ち合わせていたので、表立っての排除は難しかった。



















