杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

763年寶應二年

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(13)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。

        
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(13)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(13)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

 

 

(長安での戦は収まらず、房琯公の棺は故郷に帰ることが出来るのだろうか))

(12)六段目-1

乾坤慘慘,豺虎紛紛。

天下は乱れて惨澹たるもので、暗く心をいたませているし、豹や虎の様な反乱者や異民族があっちもこっちも世の中をみだしてきた。

蒼生破碎,諸將功勛;

そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。

城邑自守,鼙鼓相聞。

城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。

山東雖定,灞上多軍;

安史軍の本拠地の黄河下流域、山東は平定されたというが、黄河上流域、長安のあたりでは吐蕃との戦によって多くの軍隊が出入りする。
憂恨展轉,痛傷氤氳。

みんなは天子の施政に対して心配するばかりでなく、恨むことになっていて、夜も眠れず、寝返りばかりするし、こんなにも生活に困窮し、体制も崩壊している、こんな状態を悲しまずにおれないのである。

 (13) 六段目-2

元豈正色?白亦不分;

もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。

滿地,昆侖無群。

しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。

致祭者酒,陳情者文;

祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。

何當旅櫬,得出江

いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。

(末文)

嗚呼哀哉!尚饗!

ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。

 

(12)六段目-1

乾坤 慘慘たり,豺虎 紛紛たり。

蒼生 破碎され,諸將 功勛あり;

城邑 自ら守り,鼙鼓 相い聞こゆ。

山東 定めらると雖も,灞上 軍を多くす;

憂い恨みて 展轉し,痛み傷みて 氤氳たり。

(13) 六段目-2

元もと豈に正色ならん?白とすれども亦た 分たず;

塿【つか】を培すは 地に滿ち,昆侖 群する無し。

祭を致す者は酒なり,情を陳ぶる者は文なり;

何【いつ】に當って旅櫬し,江雲に出づるを得ん?

(末文)

嗚呼 哀しい哉!尚【こいねが】わくは饗せよ!

 

 

『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文)  (13) 六段目-2

元豈正色?白亦不分;

滿地,昆侖無群。

致祭者酒,陳情者文;

何當旅櫬,得出江

(末文)

嗚呼哀哉!尚饗!

 

(下し文)

(13) 六段目-2

元もと豈に正色ならん?白らじらと亦た 分たず;

塿【つか】を培すは 地に滿ち,昆侖 群する無し。

祭を致す者は酒なり,情を陳ぶる者は文なり;

何【いつ】に當って旅櫬し,江雲に出づるを得ん?

(末文)

嗚呼 哀しい哉!尚【こいねが】わくは饗せよ!

 

(現代語訳)

もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。

しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。

祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。

いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。

(末文)

ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。

 

(訳注) (13) 六段目-2

元豈正色?白亦不分;

もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。

〇元豈正色 もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか。・正色 正当な家柄。唐時代は「色」=色目、家柄身分を言った。ここでは葬儀が『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであることをいう。

この時代は出身地、家柄はすべてのことについて回るもので、すべてを決定づけるものである。ただ、宮廷において、由縁組、義兄弟、義親子がまかり通ったのが宦官、宮女の世界だけであった。杜甫は暗号文のようにこの句を作ったのであろう。房琯を死に追いやったこと、死んでも儀例に乗らない非礼に扱ったのも、宦官の為せるものであるということを杜甫は言っているのである。

 

培塿滿地,昆侖無群。

しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。

 

致祭者酒,陳情者文;

祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。

 

何當旅櫬,得出江云?

いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。

〇櫬 棺。

 

(末文)

嗚呼哀哉!尚饗!

ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。

 

 

【解説】

この文には、仮葬儀の様子を簡単に述べていてそれが本来なら、朝廷が何らかの形でやらなければいけない、特に、房琯を再度招集していたのであれば、房琯の葬儀を大きく取り上げれば、房琯の考え方、政策を徹底することに利用できるはずである。特に肅宗が房琯を呼び戻したいとしたのであるからなおさらである。

 しかしこれが全くの裏腹であったということは、房琯の再度召されたのは張后と結託した宦官勢力を少しでも対抗させるためであった。しかし房琯が死んでしまって、表立って朝廷が採りあげることが出来なくなったと考えればすべて理解できることになる。

こうしたことを杜甫たち房琯グループは把握していたし、房琯が再度朝廷に、再度、宰相になれば巻き返しが図れると思っていたから、房琯の死は、杜甫にとってすべてのことを諦めざるを得なくなった出来事と思ったのである。

杜甫のこうした考えを示す詩文は他にはない。

ただ、そのまではっきりはしていないが「乾元元年華州試進士策問五首」房琯グループの考えが示されたものがある。これについてもこのブログで見ていく予定である。

 

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(1)(前文)

 祭故相國清河房公文

維唐廣德元年次癸卯

犯九月辛丑朔二十二日壬戌,

京兆杜甫,敬以醴酒茶藕鯽之奠,

奉祭故相國清河房公之靈曰:

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

唐の廣徳元年癸【みずのと】卯【う】763年である。

月を越え、辛丑が月はじめ(朔)である九月の二十二日の壬戌の日。

長安でお世話になった杜甫が、ここにつつしんで醴酒、茶・レンコンなどのジュンサイ、鯉フナなどの三品をお供えいたします。

今は啼き、宰相であり、清河郡公であった房琯公の霊をお祭り奉り、次のように申し上げる。

 

(唐は優れた宰相達により繁栄を築いた。)

(2)一段目-1

「嗚呼!純樸既散,圣人又歿;

非大賢,孰奉天秩?

唐始受命,群公間出;

君臣和同,德教充溢。

ああ、率直さと大らかさを持った太古の気風はもうすでに消え失せ、古代の聖人もまた亡くなってしまった。

だから「大賢は愚なるが如し」というばかりに賢人はいない、一体誰が天の与えられる幸いを具現する施政をするというのであろうか?

唐の建国はじめには天より命を受けて、すぐれた多くの宰相が相次いで出たのである。

君主と臣下はやちょうわしてひとつになり、徳の教えは帝が率先され、教えは天下にあふれたのであった。

 (3) 一段目-2

魏杜行之,夫何畫一;

婁宋繼之,不墜故實。

年間,見有輔弼;

及公入相,紀綱已失。

太宗に仕えた魏徴や杜如晦が良い施政をおこなうことは、一という字を画くかのように何と明瞭だったことだろうか。

耐える事を教えた婁師徳や宦官の横暴を食い止めた宋璟もその施政を継承して、古くからの仁徳をもとにしたやり方を失わなかった。

建国以来、百年以上の間、皇帝を補佐するすぐれた宰相がいるのを見ることができた。

しかし、房公が宰相として入朝した時には、すでに綱紀は失われていた。

 

(2)一段目

「嗚呼!純樸は既に散じ,圣人も又た歿す;

しくも大賢に非ずんば,孰か天秩を奉ぜん?

唐の始めに命を受けしは,群公 間出す;

君臣 和同し,德教 充溢す。

(3)

魏 杜 之を行う,夫【そもそ】も何の一を畫すごときなり;

婁 宋 之を繼ぎて,故實を墜さず。

 年間,輔弼有るを見る;

公の相に入るに及び,紀綱 已に失わる。

 

 

(綱紀が失われ打ち壊された国家を救おうとした房琯公)

(4) 二段目-1

將帥干紀,煙塵犯闕;

王風寢頓,神器圮裂。

關輔蕭條,乘輿播越。

太子即位,揖讓倉卒;

小臣用權,尊貴倏忽。

高官、武将元帥たちは、綱紀をおかし、戦さの塵はいつ起こってもおかしくないほど朝廷をおかしていたのだった。

唐王朝の格調高い風気はとどこおってゆきづまり、天子のカをしめす宝貴は裂けこわれてしまった。

安史の乱は関中の補給路を断絶し、都は飢餓におちいり、蕭条と風が抜けていくほど荒廃してしまった。玄宗の御輿は遠く成都へと行幸され、おうつりになったあいだのことである。

皇太子が即位され粛宗となられたが、その礼儀の次第は玄宗が知らぬ間にあわただしくとりおこなわれた。

しかし、その功績により、宦官の李輔国は権力をほしいままにふるいはじめた。こうして貴い人々はたちまちおとしめられてゆくのである。

 (5) 二段目-2

公實匡救,忘餐奮發;

累控直詞,空聞泣血。

時遭綅沴,國有征伐;

車駕還京,朝廷就列;

盜本乘弊,誅終不滅;

高義沈埋,赤心蕩折。

貶官厭路,讒口到骨;

致君之誠,在困彌切。

房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。

度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。

その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。

天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。

陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。

しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。

 

(4) 二段目-1

將帥 紀を干し,煙塵 闕を犯す;

王風 寢頓し,神器 圮裂す。

關輔して 蕭條たり,乘輿して 播越す。

太子 即位するも,揖讓は 倉卒たり;

小臣 權を用し,尊貴は倏忽【しゅっこつ】たり。

(5) 二段目-2

公 實に匡救し,忘餐 奮發す;

累ねて 直詞を控え,空しく泣血を聞く。

時に綅沴【しんしん】に遭し,國 征伐する有り;

車駕 京に還し,朝廷 列に就く;

盜は本【もとも】と弊に乘じ,誅 終に滅せず;

高義 沈埋し,赤心 蕩折す。

貶官され 厭路さる,讒口 骨に到る;

君に致すの誠は,困に在りても彌【やや】切なり。

 

(房琯公は退けられ、病に憑かれた)

(6)三段目-1

天道闊遠,元精茫昧。

偶生賢達,不必際會;

明明我公,可云時代。

賈誼慟哭,雖多顛沛;

仲尼旅人,自有遺愛。

房琯公の天の道理は広いこころではるか先まで包む、その根元の精気のはたらきはそれがひろくはてしないがために理解されにくいのだ。

賢く天の法則・道理を得て達するものが偶然この世紅生まれたとしても、その域に達したものはその域に達したものに出会うものだとされるが必ず会うとは言えないのだ。

明明白白、疑わしいところのない我が房公は時代から退けられてよいものだろうか、退けられてはならないのだ。

漢の賈誼は改革の芽を摘まれ、左遷され、いく度も慟哭したけれども、ついにはつまずき倒れてしまった。

孔子は弟子とともに諸国巡遊の旅に出て、国政に失望したけれど、その仁愛はいつまでもしたわれているのだ。

(7) 三段目-2

二圣崩日,長號荒外;

後事所委,不在臥

因循寢疾,憔翠無悔;

夭閼泉涂,激揚風

天柱既折,安仰翊戴?

地維則,安放夾載?

二人の聖人、玄宗と粛宗が崩じられた時、房公は遠き荒外の地から二聖人を忍んでにいつまでも哭きさけんだ。

二聖人亡き後の事を託すべき人は、朝廷内にはふさわしい人がいないということを憂いていたからだ。

房公は病床について悪くなったり戻ったりしていたが、代宗の治政を案じて、どんなに憔悴しても心配することをいとわなかった。

黄泉の国への道を遮って逆に大事業を計画するという、その気高い風格を奮いたたせられたのである。

しかし、天を支える柱はすでに折れてしまったのに、どうして主君をあおぎいただいてお助けできるだろうか。

大地を維持する綱が切れてしまったのに、どうしてそれを放っておいて左右から補佐することができよう。

 

(6)三段目-1

天道は 闊遠し,元精は茫昧たり。

偶ま賢達を生じるも,不必ずしも際會せず;

明明たる我公,時代と云う可きなり。

賈誼 慟哭する,多くあると雖も顛沛す;

仲尼は旅人なるも,自ずから遺愛有り。

(7) 三段目-2

二圣【にせい】崩ぜし日,長く荒外に號す;

後事 委ぬるに,臥在らず

因循して疾に寢るも,憔翠して悔い無し;

泉涂に夭閼【ようあつ】し,風概を激揚す。

天柱 既に折れ,安んぞ仰ぎて翊戴せん?

地維 則ちたれ,安んぞ放ちて夾載せん?

 

 

(房琯公は国を思い、清廉で徳のある人に対して朝廷は非礼をかえしている)

(8)四段目-1

豈無群?我心忉忉。

不見君子,逝水滔滔。

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

有車爰送,有紼爰操。

撫墳日落,劍秋高;

我公戒子,無作爾勞。

かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。

房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。

涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。

房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。

しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。

 (9) 四段目-2

斂以素帛,付諸蓬蒿;

身瘞萬里,家無一毫。

數子哀過,他人郁陶;

水漿不入,日月其忄舀。』

州府救喪,一二而已;

自古所嘆,罕聞知已。

亡骸を納めるのに白絹だけで死に衣裳とし、棺はこともあろうに野原におかれたのである。

そんな理不尽な葬儀の上、房公のなきがらは故郷から万里離れた地に仮埋葬され、家に主君からは一毫の贈り物もなく、わずかな財産もなかったという。

遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、あっても一つか二つあっただけというありさまなのだ。

昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくないことである。

 

(退けられた房琯公の無実を晴らすことが出来なかった。)

(10)五段目-1

曩者書札,望公再起;

今來禮數,為態至此。

先帝松柏,故梓;

靈之忠孝,氣則依倚。

房公が死ぬ前に 天子から詔勅がよこされ、房公が再びめされ、かつやくすることを望まれていた。

それにしては今、ここになされた葬儀の礼の等級がきめられているというのに、そのありさまといえば、このようなことで天子として為すべきことをされていないのである。

房公であれば先帝の陵墓のように松柏が植えられ、房公の故郷の墓には楡と梓が植えられるのが『儀礼』にしめされているのだ。

忠義心の強い房公の霊は、先帝の陵墓に対して死後の忠義をどうしてできるのか、ここの仮埋葬の墳墓の気配はこんな有様の中でよりどころとするのである。

 (11) )五段目-2

拾遺補闕,視君所履;

公初罷任,人實切齒

甫也備位此官,蓋薄劣耳;

見時危急,敢愛身死?

君何不聞,刑欲加矣;

伏奏無成,終身愧恥。

拾遺として天子を補佐する立場にあるときには天子がなされる儀礼はその法を踏み違いをなされることはないと拝見している。

房公が罪を得て初めて官をおやめになられた時に、心ある人々は本当に歯ぎしりをして悔しい思いをしていた。

その頃、私杜甫は左拾遺の官を頂いておりましたが、考えてみますとそのつとめを充分果しているとはいえなかったのであります。

しかし、安史の乱という国家危急の時あなたが重い罪を被るという危機転立たれるのを見たのであり、国家の為あなたを擁護、弁護することで死も辞さない覚悟をしました。

しかし、天子は全くお聞き入れにならず、あなたに刑を加えようとなさったのだった。

天子に伏してあなたの無実を奏上しながら、聞き入れて頂くことがかなわなかったことは、一生恥辱に思わねばならないことであったのである。

 

(10)五段目-1

曩者【さきごろ】書札あり,公 再起を望む;

今來 禮數といえば,態を為すは此に至る。

先帝には松柏あり,故には枌梓ある;

靈 之れ忠孝なりて,氣は則ち依倚す。

(11) )五段目-2

拾遺 補闕し,君 履めし所を視る;

公 初めて任を罷めん,人 實に切齒す

甫也は 位 此の官に備わるも,蓋し薄劣なるのみ;

時 危急なるを見,敢えて身死すを愛さん?

君 何ぞ聞かざる,刑 加えられんと欲す;

伏奏 成る無し,終身 愧恥す。

 

(長安での戦は収まらず、房琯公の棺は故郷に帰ることが出来るのだろうか))

(12)六段目-1

乾坤慘慘,豺虎紛紛。

天下は乱れて惨澹たるもので、暗く心をいたませているし、豹や虎の様な反乱者や異民族があっちもこっちも世の中をみだしてきた。

蒼生破碎,諸將功勛;

そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。

城邑自守,鼙鼓相聞。

城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。

山東雖定,灞上多軍;

安史軍の本拠地の黄河下流域、山東は平定されたというが、黄河上流域、長安のあたりでは吐蕃との戦によって多くの軍隊が出入りする。
憂恨展轉,痛傷氤氳。

みんなは天子の施政に対して心配するばかりでなく、恨むことになっていて、夜も眠れず、寝返りばかりするし、こんなにも生活に困窮し、体制も崩壊している、こんな状態を悲しまずにおれないのである。

 (13) 六段目-2

元豈正色?白亦不分;

もともと房公の身分であればどんな葬儀が正しいのであろうか、『礼記』『儀礼』の古くから守られてきたものとは全く異なったものであり、秋という季節、白い色、善意さえもまた判断できなくなってしまっているのだ。

滿地,昆侖無群。

しかし、今の世にはこれほどまでに墳墓や土饅頭が地上にいっぱいになっている状況になってしまい、崑崙山のような西王母の理想郷の場所は群れをなすことなど今の時代にはないということなのだ。

致祭者酒,陳情者文;

祭礼するのに酒をさし上げるのは当たり前のことだし、古来からの習わしを無視するような事などないようにしないといけないし、心配し、ただしいことをいうものが陳情したり、上奏したならばせめて聞く耳を持たねばなるまい。

何當旅櫬,得出江

いつの日にか、旅先におかれたままのもの、仮埋葬の房公のひつぎ、故郷を後にして旅先にいるものたちが、長江を出て、雲が沸き立つのむこうの故郷に帰ることができるだろうか。

(末文)

嗚呼哀哉!尚饗!

ああ、どちらにしてもこれは哀しいことである。どうかこのお供えを受けて下さり、悲しみの気持ちをお鎮めください。

 

(12)六段目-1

乾坤 慘慘たり,豺虎 紛紛たり。

蒼生 破碎され,諸將 功勛あり;

城邑 自ら守り,鼙鼓 相い聞こゆ。

山東 定めらると雖も,灞上 軍を多くす;

憂い恨みて 展轉し,痛み傷みて 氤氳たり。

(13) 六段目-2

元もと豈に正色ならん?白とすれども亦た 分たず;

塿【つか】を培すは 地に滿ち,昆侖 群する無し。

祭を致す者は酒なり,情を陳ぶる者は文なり;

何【いつ】に當って旅櫬し,江雲に出づるを得ん?

(末文)

嗚呼 哀しい哉!尚【こいねが】わくは饗せよ!

 

 

 

  「致君堯舜上,再使風俗淳。」『韋左丞丈に贈り奉る二十二韻』(君を堯と舜の上に致し、再び風俗をして淳あつからしめん)という年来の志を果たすことができようと、杜甫は身の引き締まる思いをしながらも、心からうれしかったのだ。

その左拾遺に任ずる詔書には、

 襄陽の杜甫、爾の才徳は、朕深く之を知る。

  今、特に命じて宜義郎・行在の左拾遺と為す。

  職を授けし後は、宜しく是の職に勤めて怠る

  ことなかるべし。中書侍郎の張鎬に命じ、

  符をもたらして告論せしむ。

  至徳二載五月十六日行。

とあり、杜甫は宜しく是の職に勤めて怠ることなかるべきことを誓った。そうして数日ののち、拾遺の職務に忠実に諌諍を行なったが、粛宗の激怒によって危うく一命を失いそうになる。

 

 諌諍の内容は、杜甫が左拾遺を授けられる六日前、すなわち757年五月十六日に宰相から太子少師の閑職に左遷された房琯の弁護であった。房琯は、蜀にある玄宗のもとから派遣されて粛宗の政府の宰相となっていたが、陳陶斜と青坂での敗戦の責任は、粛宗の信任あつい李泌のとりなしによってなんとか問われなかったものの、粛宗の信頼は失われてしまっていた。また、賀蘭進明・崔円ら粛宗直属の臣と、玄宗のもとから遺わされてきた者との対立、知識人宰相として実務家官僚たちと意見が合わず孤立していた、などという事情を背景とし、直接には、房琯の取り巻きの一人である楽師が宰相への口利き料を取っていたのが露見して収賄罪で告訴され、それを房琯が救けようとした、ということが原因となって左遷されたものであった。

 

 杜甫にとって房琯は、私的には「布衣の交わりを為す」(『新唐書』杜甫伝)つまり地位の上下をぬきに儒者の子弟のようなつき合いをしていたようであるし、また公的には、新政府の宰相として彼以上の人物はいないと信じていたために、房棺が左遷されたのを、そのまま見過ごしておくことはできなかった。そうして、政府内の事情もよくわからないままに、また左拾遺としての慣例などおかまいなしに、わが思うままを述べたてて、「罪は細なり。宜しく大臣を免ずべからず」(『新唐書』杜甫伝)と奏上した。それは実情を考慮することなく、理想に向かって突っ走ろうとする、いかにも杜甫らしい行動であった。

 

「伏奏無成,終身愧恥。」

天子に伏してあなたの無実を奏上しながら、聞き入れて頂くことがかなわなかったことは、一生恥辱に思わねばならないことであったのである。
 


 
貨幣を変えたことで驚異的なインフレーションを起こしているのは朝廷と富貴の者に人民の富を収奪していくことに他ならないのである。

黄河下流域・運河は安史軍に抑えられ、長安洛陽に江南からの物資が届かないことでの物価高騰。

杜甫はその詩で度々述べているが「太夫の士族で税金がかからないから生活ができる」が、税を重くすれば、農民は逃散するということを身をもって体験している。

張皇后と李輔国は表裏一体となって禁中で横車を押し、政事に関与した。贈賄、収賄は日常。粛宗皇帝は不愉快だったが、 何もできなかった。 宦官達は、李輔国の官職さえ口にせず、李輔国を皆、“五郎”と呼んだとある。李輔国は肅宗政権の中で、ウイグル援軍に反対し、清廉で、忠君な者たちの排除を讒言をもって肅宗におこなわせた。それが房琯の一党の左遷である。それを契機に張皇后と李輔国の横暴はエスカレートし、肅宗は縮み込んだ存在になってゆく。肅宗は張皇后・李輔国の宦官勢力に身動き取れない状態に追い込まれ、玄宗と同じように蓬伍するのである。


杜甫は房琯の政策こそが唐を救うものとしていた。
房琯グループは朝廷内での勢いもなければ、政策的にも筋論が基調で説得力に欠けたのである。
 
房琯グループが左遷・解散させられたころの情勢をまとめると次のとおりである。 

  張皇后と李輔国の宦官勢力の横暴。

② 戦争課税を人民を苦しめず現有勢力を整えて上手くやるより、各種増税を人民負担の増加に求めたこと。

③ 悪貨鋳造により、人民収奪、超過激なインフレーションをを引き起こした。

④ 天災飢饉の最中人民を助けないで重税・増税を行った。

⑤ 麻薬のような劇薬ともいえるウイグル軍への安易な援軍要請。(これにより唐の財政破たん衰退がボディーブローのように効いていくことになる)

⑥ 第五琦の主張する江、淮の庸調を売って軽貨とし、江、漢を遡って洋川へ持って行き、そこから先は扶風まで漢中王・禹へ陸送させて軍用とするよう請うた。粛宗皇帝は、 これへ従う。 次いで、第五琦へ山南等五道度支使を加えた。第五琦は塩を専売にして国用にした政策実施は戦時下において的を得たものであったが、その物資は途中安史軍によって略奪されることになり相手の強化に寄与することもある。何より汚職の常態化につながった。。

⑦ 賀蘭進明は宦官グループの代弁者となった。
 

杜甫がどこまでこれらのことを把握していたのか。

房琯グループ、杜甫は完全に把握していたと思われる。ただここまで来ても、宦官勢力のゲシュタポ以上の統率力の前には誰もどうしようもなく、発言も出来なくなっていたのだ。

⑧ 宦官たちは、ある部分唐王朝の利益を守り、維持する大きな要素も持ち合わせていたので、表立っての排除は難しかった。

 

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そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。


        
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杏の白花012 

(長安での戦は収まらず、房琯公の棺は故郷に帰ることが出来るのだろうか))

(12)六段目-1

乾坤慘慘,豺虎紛紛。

天下は乱れて惨澹たるもので、暗く心をいたませているし、豹や虎の様な反乱者や異民族があっちもこっちも世の中をみだしてきた。

蒼生破碎,諸將功勛;

そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。

城邑自守,鼙鼓相聞。

城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。

山東雖定,灞上多軍;

安史軍の本拠地の黄河下流域、山東は平定されたというが、黄河上流域、長安のあたりでは吐蕃との戦によって多くの軍隊が出入りする。
憂恨展轉,痛傷氤氳。

みんなは天子の施政に対して心配するばかりでなく、恨むことになっていて、夜も眠れず、寝返りばかりするし、こんなにも生活に困窮し、体制も崩壊している、こんな状態を悲しまずにおれないのである。

 (13) 六段目-2

元豈正色?白亦不分;

滿地,昆侖無群。

致祭者酒,陳情者文;

何當旅櫬,得出江

(末文)

嗚呼哀哉!尚饗!

 

(12)六段目-1

乾坤 慘慘たり,豺虎 紛紛たり。

蒼生 破碎され,諸將 功勛あり;

城邑 自ら守り,鼙鼓 相い聞こゆ。

山東 定めらると雖も,灞上 軍を多くす;

憂い恨みて 展轉し,痛み傷みて 氤氳たり。

(13) 六段目-2

元もと豈に正色ならん?白とすれども亦た 分たず;

塿【つか】を培すは 地に滿ち,昆侖 群する無し。

祭を致す者は酒なり,情を陳ぶる者は文なり;

何【いつ】に當って旅櫬し,江雲に出づるを得ん?

(末文)

嗚呼 哀しい哉!尚【こいねが】わくは饗せよ!

 

姑蘇台02 

『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文)

(12)六段目-1

乾坤慘慘,豺虎紛紛。

蒼生破碎,諸將功勛;

城邑自守,鼙鼓相聞。

山東雖定,灞上多軍;

憂恨展轉,痛傷氤氳。

 

 

(下し文)

(12)六段目-1

乾坤 慘慘たり,豺虎 紛紛たり。

蒼生 破碎され,諸將 功勛あり;

城邑 自ら守り,鼙鼓 相い聞こゆ。

山東 定めらると雖も,灞上 軍を多くす;

憂い恨みて 展轉し,痛み傷みて 氤氳たり。

 

(現代語訳)

天下は乱れて惨澹たるもので、暗く心をいたませているし、豹や虎の様な反乱者や異民族があっちもこっちも世の中をみだしてきた。

そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。

安史軍の本拠地の黄河下流域、山東は平定されたというが、黄河上流域、長安のあたりでは吐蕃との戦によって多くの軍隊が出入りする。
城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。

みんなは天子の施政に対して心配するばかりでなく、恨むことになっていて、夜も眠れず、寝返りばかりするし、こんなにも生活に困窮し、体制も崩壊している、こんな状態を悲しまずにおれないのである。

 

 

(訳注) (12)六段目-1

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

乾坤慘慘,豺虎紛紛。

天下は乱れて惨澹たるもので、暗く心をいたませているし、豹や虎の様な反乱者や異民族があっちもこっちも世の中をみだしてきた。

〇乾坤 1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5二巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

〇慘慘 悲惨、惨澹たるもの。

〇豺虎 安禄山をはじめ、この十年で各地に叛乱者が出た。そこに異民族が侵入してきて略奪、暴行が横行した。

 

蒼生破碎,諸將功勛;

そこに人民の生活は戦続きで破壊され尽くしてしまった、一方諸将はその戦さで人の苦しみそっちのけで、その論功を競って得た。

〇蒼生 多くの人々。人民。あおひとぐさ。蒼氓(そうぼう)

〇功勛 いさおいさおし1 国に尽くしたりっぱな功績。手柄。いさお。

 

城邑自守,鼙鼓相聞。

城郭内や、城外の街でも守りは自衛するほかなく、戦の攻め鼓があちこちから聞こえてくる。

〇鼙鼓 隊列を揃えて進攻するときの太鼓の音。

 

山東雖定,灞上多軍;

安史軍の本拠地の黄河下流域、山東は平定されたというが、黄河上流域、長安のあたりでは吐蕃との戦によって多くの軍隊が出入りする。

〇山東 中原以東、安史軍の本拠地の黄河下流域をいう。

〇灞上 長安地方のこと、長安に入る直前にある㶚水から上流側という意味。

 

憂恨展轉,痛傷氤氳。

みんなは天子の施政に対して心配するばかりでなく、恨むことになっていて、夜も眠れず、寝返りばかりするし、こんなにも生活に困窮し、体制も崩壊している、こんな状態を悲しまずにおれないのである。

〇展轉 (「転展」「転輾」「転顚」などとも書く) ころがること。回転すること。 寝返りを打つこと。

〇氤氳 生気・活力が盛んなさま。「―たる瞑氛(めいふん)が散るともなしに四肢五体に纏綿(てんめん)して」〈漱石・草枕〉
王屋山00 

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(11)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-11> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4205 杜甫詩1500-1501-11-1012/250066-#1

安史の乱という国家危急の時あなたが重い罪を被るという危機転立たれるのを見たのであり、国家の為あなたを擁護、弁護することで死も辞さない覚悟をしました。しかし、天子は全くお聞き入れにならず、あなたに刑を加えようとなさったのだった。

        
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(11) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4205 杜甫詩1500-1501-11-1012/250066-#1

 

 

 

(房琯公は国を思い、清廉で徳のある人に対して朝廷は非礼をかえしている)

(8)四段目-1

豈無群?我心忉忉。

不見君子,逝水滔滔。

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

有車爰送,有紼爰操。

撫墳日落,劍秋高;

我公戒子,無作爾勞。

かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。

房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。

涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。

房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。

しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。

 (9) 四段目-2

斂以素帛,付諸蓬蒿;

身瘞萬里,家無一毫。

數子哀過,他人郁陶;

水漿不入,日月其忄舀。』

州府救喪,一二而已;

自古所嘆,罕聞知已。

亡骸を納めるのに白絹だけで死に衣裳とし、棺はこともあろうに野原におかれたのである。

そんな理不尽な葬儀の上、房公のなきがらは故郷から万里離れた地に仮埋葬され、家に主君からは一毫の贈り物もなく、わずかな財産もなかったという。

遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、あっても一つか二つあっただけというありさまなのだ。

昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくないことである。

 

(退けられた房琯公の無実を晴らすことが出来なかった。)

(10)五段目-1

曩者書札,望公再起;

今來禮數,為態至此。

先帝松柏,故梓;

靈之忠孝,氣則依倚。

房公が死ぬ前に 天子から詔勅がよこされ、房公が再びめされ、かつやくすることを望まれていた。

それにしては今、ここになされた葬儀の礼の等級がきめられているというのに、そのありさまといえば、このようなことで天子として為すべきことをされていないのである。

房公であれば先帝の陵墓のように松柏が植えられ、房公の故郷の墓には楡と梓が植えられるのが『儀礼』にしめされているのだ。

忠義心の強い房公の霊は、先帝の陵墓に対して死後の忠義をどうしてできるのか、ここの仮埋葬の墳墓の気配はこんな有様の中でよりどころとするのである。

 (11) )五段目-2

拾遺補闕,視君所履;

公初罷任,人實切齒

甫也備位此官,蓋薄劣耳;

見時危急,敢愛身死?

君何不聞,刑欲加矣;

伏奏無成,終身愧恥。

拾遺として天子を補佐する立場にあるときには天子がなされる儀礼はその法を踏み違いをなされることはないと拝見している。

房公が罪を得て初めて官をおやめになられた時に、心ある人々は本当に歯ぎしりをして悔しい思いをしていた。

その頃、私杜甫は左拾遺の官を頂いておりましたが、考えてみますとそのつとめを充分果しているとはいえなかったのであります。

しかし、安史の乱という国家危急の時あなたが重い罪を被るという危機転立たれるのを見たのであり、国家の為あなたを擁護、弁護することで死も辞さない覚悟をしました。

しかし、天子は全くお聞き入れにならず、あなたに刑を加えようとなさったのだった。

天子に伏してあなたの無実を奏上しながら、聞き入れて頂くことがかなわなかったことは、一生恥辱に思わねばならないことであったのである。

 

(10)五段目-1

曩者【さきごろ】書札あり,公 再起を望む;

今來 禮數といえば,態を為すは此に至る。

先帝には松柏あり,故には枌梓ある;

靈 之れ忠孝なりて,氣は則ち依倚す。

(11) )五段目-2

拾遺 補闕し,君 履めし所を視る;

公 初めて任を罷めん,人 實に切齒す

甫也は 位 此の官に備わるも,蓋し薄劣なるのみ;

時 危急なるを見,敢えて身死すを愛さん?

君 何ぞ聞かざる,刑 加えられんと欲す;

伏奏 成る無し,終身 愧恥す。

松01 

 

『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文) (11) )五段目-2

拾遺補闕,視君所履;

公初罷任,人實切齒

甫也備位此官,蓋薄劣耳;

見時危急,敢愛身死?

君何不聞,刑欲加矣;

伏奏無成,終身愧恥。

 

(下し文) (11) )五段目-2

拾遺 補闕し,君 履めし所を視る;

公 初めて任を罷めん,人 實に切齒す。

甫也は 位 此の官に備わるも,蓋し薄劣なるのみ;

時 危急なるを見,敢えて身死すを愛さん?

君 何ぞ聞かざる,刑 加えられんと欲す;

伏奏 成る無し,終身 愧恥す。

 

 

(現代語訳)

拾遺として天子を補佐する立場にあるときには天子がなされる儀礼はその法を踏み違いをなされることはないと拝見している。

房公が罪を得て初めて官をおやめになられた時に、心ある人々は本当に歯ぎしりをして悔しい思いをしていた。

その頃、私杜甫は左拾遺の官を頂いておりましたが、考えてみますとそのつとめを充分果しているとはいえなかったのであります。

しかし、安史の乱という国家危急の時あなたが重い罪を被るという危機転立たれるのを見たのであり、国家の為あなたを擁護、弁護することで死も辞さない覚悟をしました。

しかし、天子は全くお聞き入れにならず、あなたに刑を加えようとなさったのだった。

天子に伏してあなたの無実を奏上しながら、聞き入れて頂くことがかなわなかったことは、一生恥辱に思わねばならないことであったのである。

 Ta唐 長安近郊圖  新02

(訳注) (11) )五段目-2

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。
 

拾遺補闕,視君所履;

拾遺として天子を補佐する立場にあるときには天子がなされる儀礼はその法を踏み違いをなされることはないと拝見している。

 

公初罷任,人實切齒

房公が罪を得て初めて官をおやめになられた時に、心ある人々は本当に歯ぎしりをして悔しい思いをしていた。

 

甫也備位此官,蓋薄劣耳;

その頃、私杜甫は左拾遺の官を頂いておりましたが、考えてみますとそのつとめを充分果しているとはいえなかったのであります。

 

見時危急,敢愛身死?

しかし、安史の乱という国家危急の時あなたが重い罪を被るという危機転立たれるのを見たのであり、国家の為あなたを擁護、弁護することで死も辞さない覚悟をしました。

 

君何不聞,刑欲加矣;

しかし、天子は全くお聞き入れにならず、あなたに刑を加えようとなさったのだった。

〇刑欲加矣 あなたに刑を加えようとなさったのだった。

  「致君堯舜上,再使風俗淳。」『韋左丞丈に贈り奉る二十二韻』(君を堯と舜の上に致し、再び風俗をして淳あつからしめん)という年来の志を果たすことができようと、杜甫は身の引き締まる思いをしながらも、心からうれしかったのだ。

その左拾遺に任ずる詔書には、

 “襄陽の杜甫、爾の才徳は、朕深く之を知る。

  今、特に命じて宜義郎・行在の左拾遺と為す。

  職を授けし後は、宜しく是の職に勤めて怠る

  ことなかるべし。中書侍郎の張鎬に命じ、

  符をもたらして告論せしむ。

  至徳二載五月十六日行。”

とあり、杜甫は“宜しく是の職に勤めて怠ることなかるべき”ことを誓った。そうして数日ののち、拾遺の職務に忠実に諌諍を行なったが、粛宗の激怒によって危うく一命を失いそうになる。

 

 諌諍の内容は、杜甫が左拾遺を授けられる六日前、すなわち757年五月十六日に宰相から太子少師の閑職に左遷された房琯の弁護であった。房琯は、蜀にある玄宗のもとから派遣されて粛宗の政府の宰相となっていたが、陳陶斜と青坂での敗戦の責任は、粛宗の信任あつい李泌のとりなしによってなんとか問われなかったものの、粛宗の信頼は失われてしまっていた。また、賀蘭進明・崔円ら粛宗直属の臣と、玄宗のもとから遺わされてきた者との対立、知識人宰相として実務家官僚たちと意見が合わず孤立していた、などという事情を背景とし、直接には、房琯の取り巻きの一人である楽師が宰相への口利き料を取っていたのが露見して収賄罪で告訴され、それを房琯が救けようとした、ということが原因となって左遷されたものであった。

 

 杜甫にとって房琯は、私的には「布衣の交わりを為す」(『新唐書』杜甫伝)つまり地位の上下をぬきに儒者の子弟のようなつき合いをしていたようであるし、また公的には、新政府の宰相として彼以上の人物はいないと信じていたために、房棺が左遷されたのを、そのまま見過ごしておくことはできなかった。そうして、政府内の事情もよくわからないままに、また左拾遺としての慣例などおかまいなしに、わが思うままを述べたてて、「罪は細なり。宜しく大臣を免ずべからず」(『新唐書』杜甫伝)と奏上した。それは実情を考慮することなく、理想に向かって突っ走ろうとする、いかにも杜甫らしい行動であった。

 

伏奏無成,終身愧恥。

天子に伏してあなたの無実を奏上しながら、聞き入れて頂くことがかなわなかったことは、一生恥辱に思わねばならないことであったのである。
yuugure02 


 

貨幣を変えたことで驚異的なインフレーションを起こしているのは朝廷と富貴の者に人民の富を収奪していくことに他ならないのである。

黄河下流域・運河は安史軍に抑えられ、長安洛陽に江南からの物資が届かないことでの物価高騰。

杜甫はその詩で度々述べているが「太夫の士族で税金がかからないから生活ができる」が、税を重くすれば、農民は逃散するということを身をもって体験している。

張皇后と李輔国は表裏一体となって禁中で横車を押し、政事に関与した。贈賄、収賄は日常。粛宗皇帝は不愉快だったが、 何もできなかった。 宦官達は、李輔国の官職さえ口にせず、李輔国を、“五郎と呼んだとある。李輔国は肅宗政権の中で、ウイグル援軍に反対し、清廉で、忠君な者たちの排除を讒言をもって肅宗におこなわせた。それが房琯の一党の左遷である。それを契機に張皇后と李輔国の横暴はエスカレートし、肅宗は縮み込んだ存在になってゆく。肅宗は張皇后・李輔国の宦官勢力に身動き取れない状態に追い込まれ、玄宗と同じように蓬伍するのである。


杜甫は房琯の政策こそが唐を救うものとしていた。
房琯グループは朝廷内での勢いもなければ、政策的にも筋論が基調で説得力に欠けたのである。
 
房琯グループが左遷・解散させられたころの情勢をまとめると次のとおりである。 

①   張皇后と李輔国の宦官勢力の横暴。

② 戦争課税を人民を苦しめず現有勢力を整えて上手くやるより、各種増税を人民負担の増加に求めたこと。

③ 悪貨鋳造により、人民収奪、超過激なインフレーションをを引き起こした。

④ 天災飢饉の最中人民を助けないで重税・増税を行った。

⑤ 麻薬のような劇薬ともいえるウイグル軍への安易な援軍要請。(これにより唐の財政破たん衰退がボディーブローのように効いていくことになる)

⑥ 第五琦の主張する江、淮の庸調を売って軽貨とし、江、漢を遡って洋川へ持って行き、そこから先は扶風まで漢中王・禹へ陸送させて軍用とするよう請うた。粛宗皇帝は、 これへ従う。 次いで、第五琦へ山南等五道度支使を加えた。第五琦は塩を専売にして国用にした政策実施は戦時下において的を得たものであったが、その物資は途中安史軍によって略奪されることになり相手の強化に寄与することもある。何より汚職の常態化につながった。。

⑦ 賀蘭進明は宦官グループの代弁者となった。
 

杜甫がどこまでこれらのことを把握していたのか。

房琯グループ、杜甫は完全に把握していたと思われる。ただここまで来ても、宦官勢力のゲシュタポ以上の統率力の前には誰もどうしようもなく、発言も出来なくなっていたのだ。

⑧ 宦官たちは、ある部分唐王朝の利益を守り、維持する大きな要素も持ち合わせていたので、表立っての排除は難しかった。

 

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(10)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-10> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4200 杜甫詩1500-1501-10-1011/250065

房公であれば先帝の陵墓のように松柏が植えられ、房公の故郷の墓には楡と梓が植えられるのが『儀礼』にしめされているのだ。忠義心の強い房公の霊は、先帝の陵墓に対して死後の忠義をどうしてできるのか、ここの仮埋葬の墳墓の気配はこんな有様の中でよりどころとするのである。

        
 2014年5月15日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(10) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4200 杜甫詩1500-1501-10-1011/250065

 

 

(房琯公は国を思い、清廉で徳のある人に対して朝廷は非礼をかえしている)

(8)四段目-1

豈無群?我心忉忉。

かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。

不見君子,逝水滔滔。

房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。

有車爰送,有紼爰操。

房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。

撫墳日落,劍秋高;

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。

我公戒子,無作爾勞。

しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。

 (9) 四段目-2

斂以素帛,付諸蓬蒿;

亡骸を納めるのに白絹だけで死に衣裳とし、棺はこともあろうに野原におかれたのである。

身瘞萬里,家無一毫。

そんな理不尽な葬儀の上、房公のなきがらは故郷から万里離れた地に仮埋葬され、家に主君からは一毫の贈り物もなく、わずかな財産もなかったという。

數子哀過,他人郁陶;

遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

水漿不入,日月其忄舀。』

水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。
州府救喪,一二而已;

長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、あっても一つか二つあっただけというありさまなのだ。

自古所嘆,罕聞知已。

昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくないことである。

 

(退けられた房琯公の無実を晴らすことが出来なかった。)

(10)五段目-1

曩者書札,望公再起;

房公が死ぬ前に 天子から詔勅がよこされ、房公が再びめされ、かつやくすることを望まれていた。

今來禮數,為態至此。

それにしては今、ここになされた葬儀の礼の等級がきめられているというのに、そのありさまといえば、このようなことで天子として為すべきことをされていないのである。

先帝松柏,故梓;

房公であれば先帝の陵墓のように松柏が植えられ、房公の故郷の墓には楡と梓が植えられるのが『儀礼』にしめされているのだ。

靈之忠孝,氣則依倚。

忠義心の強い房公の霊は、先帝の陵墓に対して死後の忠義をどうしてできるのか、ここの仮埋葬の墳墓の気配はこんな有様の中でよりどころとするのである。

 (11) )五段目-2

拾遺補闕,視君所履;

公初罷任,人實切齒

甫也備位此官,蓋薄劣耳;

見時危急,敢愛身死?

君何不聞,刑欲加矣;

伏奏無成,終身愧恥。

 

(10)五段目-1

曩者【さきごろ】書札あり,公 再起を望む;

今來 禮數といえば,態を為すは此に至る。

先帝には松柏あり,故にはある

 忠孝なりて,氣依倚

(11) )五段目-2

拾遺 補闕し,君 履めし所を視る;

公 初めて任を罷めん,人 實に切齒す

甫也は 位 此の官に備わるも,蓋し薄劣なるのみ;

時 危急なるを見,敢えて身死すを愛さん?

君 何ぞ聞かざる,刑 加えられんと欲す;

伏奏 成る無し,終身 愧恥す。

松01 

 

『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文) (10)五段目-1

曩者書札,望公再起;

今來禮數,為態至此。

先帝松柏,故枌梓;

靈之忠孝,氣則依倚。

 

(下し文) 五段目-1

曩者【さきごろ】書札あり,公 再起を望む;

今來 禮數といえば,態を為すは此に至る。

先帝には松柏あり,故には枌梓ある;

靈 之れ忠孝なりて,氣は則ち依倚す。

 

(現代語訳)

房公が死ぬ前に 天子から詔勅がよこされ、房公が再びめされ、かつやくすることを望まれていた。

それにしては今、ここになされた葬儀の礼の等級がきめられているというのに、そのありさまといえば、このようなことで天子として為すべきことをされていないのである。

房公であれば先帝の陵墓のように松柏が植えられ、房公の故郷の墓には楡と梓が植えられるのが『儀礼』にしめされているのだ。

忠義心の強い房公の霊は、先帝の陵墓に対して死後の忠義をどうしてできるのか、ここの仮埋葬の墳墓の気配はこんな有様の中でよりどころとするのである。

 

(訳注) (10)五段目-1

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。
 

曩者書札,望公再起;

房公が死ぬ前に 天子から詔勅がよこされ、房公が再びめされ、かつやくすることを望まれていた。

〇書札 天子から詔勅のこと。房公が再びめされたのである。

 

今來禮數,為態至此。

それにしては今、ここになされた葬儀の礼の等級がきめられているというのに、そのありさまといえば、このようなことで天子として為すべきことをされていないのである。

〇禮數 五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』があるが、そのなかの『儀礼』には細やかに儀法がしめされている。

〇為態至此 天子として房公の葬儀に対し、為すべきことをしていない。四段目に明記されていることをいう。

 

先帝松柏,故梓;

房公であれば先帝の陵墓のように松柏が植えられ、房公の故郷の墓には楡と梓が植えられるのが『儀礼』にしめされているのだ。

〇松柏 五行思想で陵墓には東に常緑の松を植え、西に柏を植える。

〇枌梓 西側に植えるのが楡の木で、東には梓の木を植える。

 

靈之忠孝,氣則依倚。

忠義心の強い房公の霊は、先帝の陵墓に対して死後の忠義をどうしてできるのか、ここの仮埋葬の墳墓の気配はこんな有様の中でよりどころとするのである。

〇この二句は房公が黄泉の国で先帝に忠義を尽くすための儀式をきちんとしなければいけないということをいう。

 松03

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(9)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4195 杜甫詩1500-1501-9-1010/250064

長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、というありさまなのだ。昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくない。

        
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(国を思い、清廉で徳のある人房琯公対して朝廷は非礼をかえしている)

(8)四段目-1

豈無群?我心忉忉。

かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。

不見君子,逝水滔滔。

房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。

有車爰送,有紼爰操。

房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。

撫墳日落,劍秋高;

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。

我公戒子,無作爾勞。

しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。

 (9) 四段目-2

斂以素帛,付諸蓬蒿;

亡骸を納めるのに白絹だけで死に衣裳とし、棺はこともあろうに野原におかれたのである。

身瘞萬里,家無一毫。

そんな理不尽な葬儀の上、房公のなきがらは故郷から万里離れた地に仮埋葬され、家に主君からは一毫の贈り物もなく、わずかな財産もなかったという。

數子哀過,他人郁陶;

遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。
水漿不入,日月其忄舀。』

遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

州府救喪,一二而已;

長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、あっても一つか二つあっただけというありさまなのだ。

自古所嘆,罕聞知已。

昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくないことである。

 

 (8)四段目-1

豈に群無からん?我が心 忉忉【とうとう】たり。

君子に見【まみ】えざり,逝く水 滔滔【とうとう】たり。

涕を寒谷に泄【もら】し,聲を賊壕に吞む;

車有りて爰【ここ】に送り,紼有りて爰に操る。

墳を撫すれば日落ち,劍をすれば秋高し;

我が公子を戒め,「爾が勞を作す無かれ」と。

(9) 四段目-2

斂するに素帛を以ってし,諸を蓬蒿に付す;

身は萬里に瘞【えい】せられ,家には一毫無し。

數子 哀しみ過ぎり,他人 郁陶たり;

水漿 入らず,日月 其れ慆【す】ぐ。

州府 救喪し,一二 にやむ;

古より嘆く所なり,知已を聞くは罕なり。

 

玄武門 

『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文)  (9) 四段目-2

斂以素帛,付諸蓬蒿;

身瘞萬里,家無一毫。

數子哀過,他人郁陶;

水漿不入,日月其忄舀。』

州府救喪,一二而已;

自古所嘆,罕聞知已。」

 

(下し文) (9) 四段目-2

斂するに素帛を以ってし,諸を蓬蒿に付す;

身は萬里に瘞【えい】せられ,家には一毫無し。

數子 哀しみ過ぎり,他人 郁陶たり;

水漿 入らず,日月 其れ慆【す】ぐ。

州府 救喪し,一二 にやむ;

古より嘆く所なり,知已を聞くは罕なり。

 

(現代語訳)

亡骸を納めるのに白絹だけで死に衣裳とし、棺はこともあろうに野原におかれたのである。

そんな理不尽な葬儀の上、房公のなきがらは故郷から万里離れた地に仮埋葬され、家に主君からは一毫の贈り物もなく、わずかな財産もなかったという。

遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、あっても一つか二つあっただけというありさまなのだ。

昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくないことである。

 

(訳注) (9) 四段目-2

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

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yuugure02 

斂以素帛,付諸蓬蒿;

亡骸を納めるのに白絹だけで死に衣裳とし、棺はこともあろうに野原におかれたのである。

『儀礼』では、一般士族でさえ、死者を埋葬する場合には、特別の衣装が用いられる。下着である明衣裳には、麻布が用いられ、死者の顔をおおう正方形の布巾、頭をくるむ掩(えん)、黒布製の顔面の覆い、手をくるむ黒布、死者の上半身をかぶせる黒色の袋、下半身をかぶせる赤袋が房の中に一列にならべられる、というもので、また三日間は依代【よりしろ】という棺を木材で作られた台の上におかれるもので、野原に置くとは言語道断ということである。仮埋葬の三日月を経て、正式の埋葬に移るのである。

 

身瘞萬里,家無一毫。

そんな理不尽な葬儀の上、房公のなきがらは故郷から万里離れた地に仮埋葬され、家に主君からは一毫の贈り物もなく、わずかな財産もなかったという。

●この時代の葬儀は、死んだ故人の為、畏敬のためというものもあるが、主君に尽くしてくれた故人が黄泉の国に問題なく逝ってもらうためであり、主君の権威づけのために行われるものであった。葬儀を形式通り行わないのは、殺した可能性の場合、五書『儀礼』を無視することある。杜甫がこの詩文でこのことを最も重要な点であるとしているのである。代宗が全く無能な天子であるといっていることになるのである。張后と李崔国の宦官グループに対して何もできない傀儡の様な存在に成り下がっていたということなのだ

 

數子哀過,他人郁陶;

遺された房公の子どもたちは悲しみに暮れすぎてやつれ果てた、他人はあなたを思って心がふさぐだけでなにもできなかったのだ。

 

水漿不入,日月其忄舀。

水や飲みものさえも、のどを通らないままに、月日だけがどんどん過ぎていった。

 

州府救喪,一二而已;

長官であった房琯の死に州や幕府からの葬儀へのたすけは、ほとんどなく、あっても一つか二つあっただけというありさまなのだ。

●ここにあるように、朝廷から使者も何もない、州府からほとんどない、というのは異常なことで、なぜこのような態度をとったのか。再度朝廷に召されたというのは嘘なのか。朝廷に向かう途中で病死したのか。結論をいうと、これらの事から朝廷で房琯を召して宰相に還すことに反対の勢力(張后と李崔国の宦官グループ)が一切を止めたということ、邪推かもしれないが、房琯の死、玄宗、肅宗の死は、宦官グループの仕業と考えれば、すべて理解できることとなるのである。ただ、この宦官グループはこの時代のすべての機関にゲシュタポGeheime Staatspolizei、のように影響力を持っていたため歴史書に見ることはなく、推測である。の聯は押韻が変換されているが、あえて次の聯と共に第四段として区切った。

 

自古所嘆,罕聞知已。」

昔から五書『儀礼』で嘆かくことはさだめられてきたものであり、こんな葬儀で知己の者だけで行われるということは前代未聞、きいたことがまったくないことである。

○自古 五経典『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』により葬儀の方法は明確に示されているということ。この事は、儒者に限った事ではなく、ここに至るすべての王朝で執り行われてきたことなのである。

●ここまでは、執り行われた葬儀が、五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきたののであること、杜甫は、本人の希望とはいえ、朝廷に迎えられるほどの人物に対する儀礼がなされていないことをいうのである。

ここまでの解釈はおそらく初めての解釈であろうと思う。

少陵台 

この「祭故相國清河房公文」が強烈な朝廷批判であるために同時期に作られた

763年の三首

720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

廣徳2764の《別房太尉墓》

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

が極端にゆるい追悼の詩文にしたのは房琯個人にだけ向けられたものであるということ、杜甫が「文」と「詩四首」を使い分けをしたということである。 

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(8)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4190 杜甫詩1500-1501-8-1009/250060

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。

        
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(国を思い、清廉で徳のある人房琯公対して朝廷は非礼をかえしている)

(8)四段目-1

豈無群?我心忉忉。

かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。

不見君子,逝水滔滔。

房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。

有車爰送,有紼爰操。

房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。

撫墳日落,劍秋高;

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。

我公戒子,無作爾勞。

しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。

 (9) 四段目-2

斂以素帛,付諸蓬蒿;

身瘞萬里,家無一毫。

數子哀過,他人郁陶;

水漿不入,日月其忄舀。

州府救喪,一二而已;

自古所嘆,罕聞知已。

 

 (8)四段目-1

豈に群無からん?我が心 忉忉【とうとう】たり。

君子に見【まみ】えざり,逝く水 滔滔【とうとう】たり。

涕を寒谷に泄【もら】し,聲を賊壕に吞む;

車有りて爰【ここ】に送り,紼有りて爰に操る。

墳を撫すれば日落ち,劍をすれば秋高し;

我が公子を戒め,「爾が勞を作す無かれ」と。

(9) 四段目-2

斂するに素帛を以ってし,諸を蓬蒿に付す;

身は萬里に瘞【えい】せられ,家には一毫無し。

數子 哀しみ過ぎり,他人 郁陶たり;

水漿 入らず,日月 其れ慆【す】ぐ。

州府 救喪し,一二 にやむ;

古より嘆く所なり,知已を聞くは罕なり。

杜甫像00 

 

『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文) (8)四段目-1

豈無群?我心忉忉。

不見君子,逝水滔滔。

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

有車爰送,有紼爰操。

撫墳日落,劍秋高;

我公戒子,無作爾勞。

 

(下し文)

(8)四段目-1

豈に群無からん?我が心 忉忉【とうとう】たり。

君子に見【まみ】えざり,逝く水 滔滔【とうとう】たり。

涕を寒谷に泄【もら】し,聲を賊壕に吞む;

車有りて爰【ここ】に送り,紼有りて爰に操る。

墳を撫すれば日落ち,劍をすれば秋高し;

我が公子を戒め,「爾が勞を作す無かれ」と。

 

(現代語訳)

かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。

房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。

涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。

房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。

しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。

 

(訳注)  (8)四段目-1

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

 

豈無群?我心忉忉。

かならずすぐれた才徳をそなえた人々はいるはずなのであるが、だが、それを選んでくれるかどうか、私の心はうれいで一杯になる。

○群 大勢いる中で、すぐれた才徳をそなえた人々のこと

 

不見君子,逝水滔滔。

房公が亡くなった、いま、立派な人物とであったことがないし、流れゆく水はそのままとうとうと流れ去ってかえってはこない。

 

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

涕をこの閬州の寒々しい谷にこぼしてしまい、悲しみの声はここにたくさんある叛乱軍に備える塹壕に呑みこませることにするのである。

○賊壕 賊は叛乱軍。防禦のために掘って置いた塹壕。

杜甫『收京三首其三』

汗馬收宮闕,春城鏟賊壕

賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。

雜虜橫戈數,功臣甲第高。

萬方頻送喜,無乃聖躬勞。

蜀は徐知道の叛乱や、吐蕃の侵略に戦がおさまることがないということ。

 

有車爰送,有紼爰操。

房公の棺を車にのせてここに送り、挽歌を歌いながら挽き綱をここら引いてゆく。

○車 房公の棺をのせるための車。

○紼 挽歌を歌いながら挽き綱を引くときの綱。

 

撫墳日落,劍秋高;

棺を納め、墳墓をなで静める頃には日は西に落ちかかる、剣をさやから抜いて掲げると秋の空は高く晴れ渡る。

 

我公戒子,無作爾勞。

しかし、我が公は死の真際に子に戒めて、「自分の葬儀に労力をかけないよう」申しおかれたという。


●ここまでは、執り行われた葬儀が、五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきたののであること、杜甫は、本人の希望とはいえ、朝廷に迎えられるほどの人物に対する儀礼がなされていないことをいうのである。

nat0019 

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(7)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185 杜甫詩1500-1501-7-1008/250059

二聖人亡き後の事を託すべき人は、朝廷内にはふさわしい人がいないということを憂いていたからだ。房公は病床について悪くなったり戻ったりしていたが、代宗の治政を案じて、どんなに憔悴しても心配することをいとわなかった。

 

        
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(7)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185 杜甫詩1500-1501-7-1008/250059  
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廣徳元年

763 《祭故相國清河房公文-(7) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185 杜甫詩1500-1501-7-1008/250059

 

 

(房琯公は退けられ、病に憑かれた)

(6)三段目-1

天道闊遠,元精茫昧。

房琯公の天の道理は広いこころではるか先まで包む、その根元の精気のはたらきはそれがひろくはてしないがために理解されにくいのだ。

偶生賢達,不必際會;

賢く天の法則・道理を得て達するものが偶然この世紅生まれたとしても、その域に達したものはその域に達したものに出会うものだとされるが必ず会うとは言えないのだ。

明明我公,可云時代。

明明白白、疑わしいところのない我が房公は時代から退けられてよいものだろうか、退けられてはならないのだ。

賈誼慟哭,雖多顛沛;

漢の賈誼は改革の芽を摘まれ、左遷され、いく度も慟哭したけれども、ついにはつまずき倒れてしまった。

仲尼旅人,自有遺愛。

孔子は弟子とともに諸国巡遊の旅に出て、国政に失望したけれど、その仁愛はいつまでもしたわれているのだ。

(7) 三段目-2

二圣崩日,長號荒外;

二人の聖人、玄宗と粛宗が崩じられた時、房公は遠き荒外の地から二聖人を忍んでにいつまでも哭きさけんだ。

後事所委,不在臥

二聖人亡き後の事を託すべき人は、朝廷内にはふさわしい人がいないということを憂いていたからだ。

因循寢疾,憔翠無悔;

房公は病床について悪くなったり戻ったりしていたが、代宗の治政を案じて、どんなに憔悴しても心配することをいとわなかった。

夭閼泉涂,激揚風

黄泉の国への道を遮って逆に大事業を計画するという、その気高い風格を奮いたたせられたのである。

天柱既折,安仰翊戴?

しかし、天を支える柱はすでに折れてしまったのに、どうして主君をあおぎいただいてお助けできるだろうか。

地維則,安放夾載?

大地を維持する綱が切れてしまったのに、どうしてそれを放っておいて左右から補佐することができよう。

 

(6)三段目-1

天道は 闊遠し,元精は茫昧たり。

偶ま賢達を生じるも,不必ずしも際會せず;

明明たる我公,時代と云う可きなり。

賈誼 慟哭する,多くあると雖も顛沛す;

仲尼は旅人なるも,自ずから遺愛有り。

(7) 三段目-2

二圣【にせい】崩ぜし日,長く荒外に號す;

後事 委ぬるに,臥在らず

因循して疾に寢るも,憔翠して悔い無し;

泉涂に夭閼【ようあつ】し,風概を激揚す。

天柱 既に折れ,安んぞ仰ぎて翊戴せん?

地維 則ちたれ,安んぞ放ちて夾載せん?

玄武門 

『祭故相國清河房公文』-(7) 現代語訳と訳註

(本文) (7) 三段目-2

二圣崩日,長號荒外;

後事所委,不在臥

因循寢疾,憔翠無悔;

夭閼泉涂,激揚風

天柱既折,安仰翊戴?

地維則,安放夾載?

 

(下し文)

(7) 三段目-2

二圣【にせい】崩ぜし日,長く荒外に號す;

後事 委ぬるに,臥に在らず。

因循して疾に寢るも,憔翠して悔い無し;

泉涂に夭閼【ようあつ】し,風概を激揚す。

天柱 既に折れ,安んぞ仰ぎて翊戴せん?

地維 則ちたれ,安んぞ放ちて夾載せん?

 

(現代語訳)

二人の聖人、玄宗と粛宗が崩じられた時、房公は遠き荒外の地から二聖人を忍んでにいつまでも哭きさけんだ。

二聖人亡き後の事を託すべき人は、朝廷内にはふさわしい人がいないということを憂いていたからだ。

房公は病床について悪くなったり戻ったりしていたが、代宗の治政を案じて、どんなに憔悴しても心配することをいとわなかった。

黄泉の国への道を遮って逆に大事業を計画するという、その気高い風格を奮いたたせられたのである。

しかし、天を支える柱はすでに折れてしまったのに、どうして主君をあおぎいただいてお助けできるだろうか。

大地を維持する綱が切れてしまったのに、どうしてそれを放っておいて左右から補佐することができよう。

 

蜀中転々圖 

(訳注) (7) 三段目-2

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

 

二圣崩日,長號荒外;

二人の聖人、玄宗と粛宗が崩じられた時、房公は遠き荒外の地から二聖人を忍んでにいつまでも哭きさけんだ。

二圣 二人の聖人、玄宗と粛宗のこと。

 

後事所委,不在臥

二聖人亡き後の事を託すべき人は、朝廷内にはふさわしい人がいないということを憂いていたからだ。

 臥室、內室.ここでは朝廷内をいう。

 

因循寢疾,憔翠無悔;

房公は病床について悪くなったり戻ったりしていたが、代宗の治政を案じて、どんなに憔悴しても心配することをいとわなかった。

 

夭閼泉涂,激揚風概。

黄泉の国への道を遮って逆に大事業を計画するという、その気高い風格を奮いたたせられたのである。

夭閼  押さえてさえぎる。(南方に発展しようとすること。転じて、大事業を計画すること。)『荘子』逍遥遊「而後乃今培風、背負青天、而莫之夭閼者。而後乃今將圖南。」而しかる後のち乃今いま風かぜに培のれば、背せに青天せいてんを負おいて、之これを夭閼ようあつする者もの莫なし。而しかる後のち乃今いま将まさに南みなみを図はからんとす。

泉涂 黄泉の国への道

 

天柱既折,安仰翊戴?

しかし、天を支える柱はすでに折れてしまったのに、どうして主君をあおぎいただいてお助けできるだろうか。

翊戴 翊:あおぎいただくすじのとおった主君。
 

地維則,安放夾載?

大地を維持する綱が切れてしまったのに、どうしてそれを放っておいて左右から補佐することができよう。
鶻 

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賢く天の法則・道理を得て達するものが偶然この世紅生まれたとしても、その域に達したものはその域に達したものに出会うものだとされるが必ず会うとは言えないのだ。明明白白、疑わしいところのない我が房公は時代から退けられてよいものだろうか、退けられてはならないのだ。


        
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(6)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4180 杜甫詩1500-1501-6-1007/250058 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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(房琯公は退けられ、病に憑かれた)

(6)三段目-1

天道闊遠,元精茫昧。

房琯公の天の道理は広いこころではるか先まで包む、その根元の精気のはたらきはそれがひろくはてしないがために理解されにくいのだ。

偶生賢達,不必際會;

賢く天の法則・道理を得て達するものが偶然この世紅生まれたとしても、その域に達したものはその域に達したものに出会うものだとされるが必ず会うとは言えないのだ。

明明我公,可云時代。

明明白白、疑わしいところのない我が房公は時代から退けられてよいものだろうか、退けられてはならないのだ。

賈誼慟哭,雖多顛沛;

漢の賈誼は改革の芽を摘まれ、左遷され、いく度も慟哭したけれども、ついにはつまずき倒れてしまった。

仲尼旅人,自有遺愛。

孔子は弟子とともに諸国巡遊の旅に出て、国政に失望したけれど、その仁愛はいつまでもしたわれているのだ。

(7) 三段目-2

二圣崩日,長號荒外;

後事所委,不在臥

因循寢疾,憔翠無悔;

夭閼泉涂,激揚風

天柱既折,安仰翊戴?

地維則,安放夾載?

 

(6)三段目-1

天道は 闊遠し,元精は茫昧たり。

偶ま賢達を生じるも,不必ずしも際會せず;

明明たる我公,時代と云う可きなり。

賈誼 慟哭する,多くあると雖も顛沛す;

仲尼は旅人なるも,自ずから遺愛有り。

(7) 三段目-2

二圣【にせい】崩ぜし日,長く荒外に號す;

後事 委ぬるに,臥在らず

因循して疾に寢るも,憔翠して悔い無し;

泉涂に夭閼【ようあつ】し,風概を激揚す。

天柱 既に折れ,安んぞ仰ぎて翊戴せん?

地維 則ちたれ,安んぞ放ちて夾載せん?

yuugure02 

 

『祭故相國清河房公文』-(6) 現代語訳と訳註

(本文) (6)三段目-1

天道闊遠,元精茫昧。

偶生賢達,不必際會;

明明我公,可云時代。

賈誼慟哭,雖多顛沛;

仲尼旅人,自有遺愛。

 

(下し文)

(6)三段目-1

天道は 闊遠し,元精は茫昧たり。

偶ま賢達を生じるも,不必ずしも際會せず;

明明たる我公,時代と云う可きなり。

賈誼 慟哭する,多くあると雖も顛沛す;

仲尼は旅人なるも,自ずから遺愛有り。

 

(現代語訳)

房琯公の天の道理は広いこころではるか先まで包む、その根元の精気のはたらきはそれがひろくはてしないがために理解されにくいのだ。

賢く天の法則・道理を得て達するものが偶然この世紅生まれたとしても、その域に達したものはその域に達したものに出会うものだとされるが必ず会うとは言えないのだ。

明明白白、疑わしいところのない我が房公は時代から退けられてよいものだろうか、退けられてはならないのだ。

漢の賈誼は改革の芽を摘まれ、左遷されいく度も慟哭したけれども、ついにはつまずき倒れてしまった。

孔子は弟子とともに諸国巡遊の旅に出て、国政に失望したけれど、その仁愛はいつまでもしたわれているのだ。

木蘭02 

(訳注) (6)三段目-1

天道闊遠,元精茫昧。

房琯公の天の道理は広いこころではるか先まで包む、その根元の精気のはたらきはそれがひろくはてしないがために理解されにくいのだ。

天道 儒教は「天道」「天地の道」「天理」等々の言葉で自然界の秩序を表し、自然と社会の秩序の間には密接な関連があり、互いに感応し合っているとしている。また儒教で用いる「理」という言葉は、本質的に道理(倫理)を意味し、天の法則であると同時に天の倫理を表している。ここでは施政における天の法則、房琯公の政治姿勢をいう。

闊遠 広いこころではるか先まで包む

 

偶生賢達,不必際會;

賢く天の法則・道理を得て達するものが偶然この世紅生まれたとしても、その域に達したものはその域に達したものに出会うものだとされるが必ず会うとは言えないのだ。

賢達 天の法則・道理を得て達するもの。孔子や賈誼をさす。

際會 孔子や賈誼に会うこと。その域に達したものはその域に達したものに出会うものだ。。

 

明明我公,可云時代。

明明白白、疑わしいところのない我が房公は時代から退けられてよいものだろうか、退けられてはならないのだ。

明明 明明白白。はっきりしていて疑わしいところのないさま。心が晴れ晴れとしているさま。

 

賈誼慟哭,雖多顛沛;

漢の賈誼は改革の芽を摘まれ、左遷されいく度も慟哭したけれども、ついにはつまずき倒れてしまった。

賈誼 中国の前漢文帝に仕えた文臣。若くして洛陽の秀才とうたわれ,文帝の新政に抜擢されて最年少の博士からさらに太中大夫となった。そこで漢王朝の基礎を固める諸制度の改革に乗り出し,文帝もさらに公卿に任じようとしたが,保守的な元老にはばまれ,ついに失脚して長沙に左遷された。その後また召し返され,文帝の子の梁王の太傅(たいふ)となったが,ほどなく梁王が落馬して死に,1年余ののち彼も33歳で死んだ。

顛沛 つまずき倒れること。転じて、とっさの場合。

 

仲尼旅人,自有遺愛。

孔子は弟子とともに諸国巡遊の旅に出て、国政に失望したけれど、その仁愛はいつまでもしたわれているのだ。

仲尼 紀元前552109日‐紀元前47939日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。 氏名は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である。紀元前497年に弟子とともに諸国巡遊の旅に出た。国政に失望したとも、三桓氏の反撃ともいわれる。紀元前484年、孔子は69歳の時に13年の亡命生活を経て魯に帰国し、死去するまで詩書など古典研究の整理を行う。
竹林001 

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(5)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 杜甫詩1500-1501-5-1006/250057

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。


        
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廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(5) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 杜甫詩1500-1501-5-1006/250057

 

 

(綱紀が失われ打ち壊された国家を救おうとした房琯公)

(4) 二段目-1

將帥干紀,煙塵犯闕;

高官、武将元帥たちは、綱紀をおかし、戦さの塵はいつ起こってもおかしくないほど朝廷をおかしていたのだった。

王風寢頓,神器圮裂。

唐王朝の格調高い風気はとどこおってゆきづまり、天子のカをしめす宝貴は裂けこわれてしまった。

關輔蕭條,乘輿播越。

安史の乱は関中の補給路を断絶し、都は飢餓におちいり、蕭条と風が抜けていくほど荒廃してしまった。玄宗の御輿は遠く成都へと行幸され、おうつりになったあいだのことである。

太子即位,揖讓倉卒;

皇太子が即位され粛宗となられたが、その礼儀の次第は玄宗が知らぬ間にあわただしくとりおこなわれた。

小臣用權,尊貴倏忽。

しかし、その功績により、宦官の李輔国は権力をほしいままにふるいはじめた。こうして貴い人々はたちまちおとしめられてゆくのである。

 (5) 二段目-2

公實匡救,忘餐奮發;

房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。

累控直詞,空聞泣血。

度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。

時遭綅沴,國有征伐;

その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。

車駕還京,朝廷就列;

天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。

盜本乘弊,誅終不滅;

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。

高義沈埋,赤心蕩折。

儒者の房公の気高い義は発揮されず沈み埋もれ、嘘いつわりのない心持はうちくだかれてしまった。

貶官厭路,讒口到骨;

陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。

致君之誠,在困彌切。

しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。

 

(4) 二段目-1

將帥 紀を干し,煙塵 闕を犯す;

王風 寢頓し,神器 圮裂す。

關輔して 蕭條たり,乘輿して 播越す。

太子 即位するも,揖讓は 倉卒たり;

小臣 權を用し,尊貴は倏忽【しゅっこつ】たり。

(5) 二段目-2

公 實に匡救し,忘餐 奮發す;

累ねて 直詞を控え,空しく泣血を聞く。

時に綅沴【しんしん】に遭し,國 征伐する有り;

車駕 京に還し,朝廷 列に就く;

盜は本【もとも】と弊に乘じ,誅 終に滅せず;

高義 沈埋し,赤心 蕩折す。

貶官され 厭路さる,讒口 骨に到る;

君に致すの誠は,困に在りても彌【やや】切なり。

 

祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文)(5) 二段目-2

公實匡救,忘餐奮發;

累控直詞,空聞泣血。

時遭綅沴,國有征伐;

車駕還京,朝廷就列;

盜本乘弊,誅終不滅;

高義沈埋,赤心蕩折。

貶官厭路,讒口到骨;

致君之誠,在困彌切。

yuugure02 

(下し文)
(5) 二段目-2

公 實に匡救し,忘餐 奮發す;

累ねて 直詞を控え,空しく泣血を聞く。

時に綅沴【しんしん】に遭し,國 征伐する有り;

車駕 京に還し,朝廷 列に就く;

盜は本【もとも】と弊に乘じ,誅 終に滅せず;

高義 沈埋し,赤心 蕩折す。

貶官され 厭路さる,讒口 骨に到る;

君に致すの誠は,困に在りても彌【やや】切なり。

 

 

(現代語訳)

房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。

度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。

その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。

天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。

儒者の房公の気高い義は発揮されず沈み埋もれ、嘘いつわりのない心持はうちくだかれてしまった。

陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。

しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。

 

(訳注) (5) 二段目-2

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

 

公實匡救,忘餐奮發;

房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。

 

累控直詞,空聞泣血。

度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。

〇直詞 天子に直に諫言する、上申書を奉ること。

 

時遭綅沴,國有征伐;

その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。

〇綅沴 国を滅ぼすほどの悪気

〇征伐 長安を安史軍から奪還したことをいう。

75511月に始まった安史の乱は763年のこの文の年には終了している。

 

車駕還京,朝廷就列;

天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。

 

盜本乘弊,誅終不滅;

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。

〇盜本乘弊 安禄山は唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱した。王朝が奢侈と頽廃、律令制が崩壊し、潘鎮を抑えることが出来なくなってきたこと。

〇誅終不滅 国の東部から北部にかけて安史軍の拠点であり、長安洛陽を奪還してもそのまま攻め込むことが出来ず、度々洛陽を落された。

 

高義沈埋,赤心蕩折。

儒者の房公の気高い義は発揮されず沈み埋もれ、嘘いつわりのない心持はうちくだかれてしまった。

〇高義 儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。

〇赤心 嘘いつわりのない、ありのままの心。丹心。まごころ。「―を吐露する」赤心を推して人の腹中に置く。

 

貶官厭路,讒口到骨;

陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。

〇讒口 儒者の房琯に対して李白が翰林院に仕えたころから発せられていた。宦官の影響力は次第に強くなってゆく。

 

致君之誠,在困彌切。

しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。
杜甫像00 

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(4)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4170 杜甫詩1500-1501-4-1005/250056

皇太子が即位され粛宗となられたが、その礼儀の次第は玄宗が知らぬ間にあわただしくとりおこなわれた。しかし、その功績により、宦官の李輔国は権力をほしいままにふるいはじめた。こうして貴い人々はたちまちおとしめられてゆくのである。

        
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