まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。
766年大暦元年55歲-20-2奉節-12 《毒熱寄簡崔評事十六弟 -#2》 杜甫index-15 杜甫<893> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5350
杜甫詩1500-893-1241/2500766年大暦元年55歲-20-2
年:766年大暦元年55歲-20-1
卷別: 卷二二一 文體: 五言古詩
詩題: 毒熱寄簡崔評事十六弟
作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)
及地點:荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門
揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海
交遊人物:崔評事 書信往來
毒熱寄簡崔評事十六弟 #1
(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)
大暑運金氣,荊揚不知秋。
「大暑」の厳しい暑さの中、それでも、天の金星が下りはじめて秋の気配を運んで来ようとしているが、此処荊揚の楚の地ではとんでもない暑さで、秋の気配など全く感じさせるものはない。
林下有塌翼,水中無行舟。
というのも、林の木陰には暑さに翼をやられて垂らしたままの鳥がいるし、河江に舟の行き交うことすらない。
千室但掃地,閉關人事休。
ここに在る千軒の家々でも、とにかく家の中で、地面に臥して涼を求めようとしているだけだ、そればかりか家の門の閂を閉じて、仕事も休んでじっとしている。
老夫轉不樂,旅次兼百憂。
自分は歳をとっているのでこの暑さは愈々面白くない、また、旅の途中のみで寓居に宿しているので、先々の事、心配事がおおくて苦慮している。
-#2
蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。
それは、日暮れになればマムシやへびがにょろにょろしていて、空けている寝牀には暗がりの中に飛び込んでゆくことができない、ということだ。
炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。
暑く寝苦しい宵は明るい燈火にするのは悪いことだ、このように「旅次兼百憂」を見聞きし、体験して厭な上に、故郷を思う気持ちが重なるのである。
開襟仰內弟,執熱露白頭。
自分は胸を開き率直に、ここに弟たちがいたならと思い、熱いものを握るような苦しい思いでこの白髪頭を丸出しにいている。
束帶負芒刺,接居成阻修。
衣冠束帯して、他人の家を訪問するのは、背中に棘を背負うような気苦労をすることなので、その付き合いも、近間に居る人でさえ、遠隔の地にでもいるかの様になっている。
何當清霜飛,會子臨江樓。
まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。
-#3
載聞大易義,諷興詩家流。
蘊藉異時輩,檢身非苟求。
皇皇使臣體,信是德業優。
楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。
短章達我心,理為識者籌。
(含異文)
大暑運金氣【大火運金氣】,荊揚不知秋。林下有塌翼,水中無行舟。千室但掃地,閉關人事休。老夫轉不樂【老大轉不樂】,旅次兼百憂。蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。開襟仰內弟【開襟仰內第】,執熱露白頭。束帶負芒刺,接居成阻修。何當清霜飛,會子臨江樓。載聞大易義,諷興詩家流【諷詠詩家流】。蘊藉異時輩,檢身非苟求。皇皇使臣體,信是德業優。楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。短章達我心,理為識者籌【理待識者籌】。
(毒熱 崔評事十六弟に寄簡す。)
#1
大暑 金氣を運び,荊揚 秋を知らず。
林下 塌翼【とうよく】有り,水中 行舟無し。
千室 但だ地を掃い,關を閉じて人事休す。
老夫 轉た樂しまず,旅次 百憂を兼ぬ。
-#2
蝮蛇 暮に偃蹇【えんてん】たり,空床 暗に投じ難し。
炎宵 明燭を惡む,況んや乃ち舊丘を懷うえをや。
開襟 內弟を仰ぎ,執熱 白頭を露わす。
束帶 芒刺を負い,接居 阻修を成す。
何【いつ】か當に清霜飛びて,子に臨江の樓に會さん。
-#3
載【すなわ】ち大易の義を聞き,諷興【ふうきょう】せん 詩家の流。
蘊藉【うんしゃ】時輩に異なり,檢身 苟【いやし】くも求むるに非ず。
皇皇たり使臣の體,信に是れ德業優なり。
楚材 杞梓【きし】擇ばれ,漢苑 驊騮【かりゅうる】歸る。
短章 達我が心をし,理 識者の籌と為らん。
『毒熱寄簡崔評事十六弟』現代語訳と訳註解説
(本文)
-#2
蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。
炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。
開襟仰內弟,執熱露白頭。
束帶負芒刺,接居成阻修。
何當清霜飛,會子臨江樓。
(下し文)
-#2
蝮蛇 暮に偃蹇【えんてん】たり,空床 暗に投じ難し。
炎宵 明燭を惡む,況んや乃ち舊丘を懷うえをや。
開襟 內弟を仰ぎ,執熱 白頭を露わす。
束帶 芒刺を負い,接居 阻修を成す。
何【いつ】か當に清霜飛びて,子に臨江の樓に會さん。
(現代語訳)
それは、日暮れになればマムシやへびがにょろにょろしていて、空けている寝牀には暗がりの中に飛び込んでゆくことができない、ということだ。
暑く寝苦しい宵は明るい燈火にするのは悪いことだ、このように「旅次兼百憂」を見聞きし、体験して厭な上に、故郷を思う気持ちが重なるのである。
自分は胸を開き率直に、ここに弟たちがいたならと思い、熱いものを握るような苦しい思いでこの白髪頭を丸出しにいている。
衣冠束帯して、他人の家を訪問するのは、背中に棘を背負うような気苦労をすることなので、その付き合いも、近間に居る人でさえ、遠隔の地にでもいるかの様になっている。
まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。
(訳注) -#2
毒熱寄簡崔評事十六弟 #2
(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)
毒熱 たまらないあつさ。
崔評事十六弟 杜甫に『1523 贈崔十三評事公輔』詩あり。大理寺に属す出張裁判官の官名、母方の従弟の崔公輔より年少の徘行の内弟。
蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。
それは、日暮れになればマムシやへびがにょろにょろしていて、空けている寝牀には暗がりの中に飛び込んでゆくことができない、ということだ。
蝮蛇 マムシやへびがにょろにょろしている。
炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。
暑く寝苦しい宵は明るい燈火にするのは悪いことだ、このように「旅次兼百憂」を見聞きし、体験して厭な上に、故郷を思う気持ちが重なるのである。
舊丘 故郷の丘。生れは洛陽近郊の偃師、十五歳を過ぎると洛陽で過ごし、二十代前半は山東、江南に遊び、二十代後半から、四十過ぎ、奴十近くまで長安で過ごしているから、長安南の杜曲の丘をいうのであろう。
開襟仰內弟,執熱露白頭。
自分は胸を開き率直に、ここに弟たちがいたならと思い、熱いものを握るような苦しい思いでこの白髪頭を丸出しにいている。
開襟 率直な気持ちをいう。
仰內弟 內弟は母方の従弟の年少者をいう。仰ぐは、遠くにいるものへの呼びかけ言葉。
執熱 日中置いている物が太陽で熱せられて暑くなっていても、取り上げ暑くても我慢して使う時のことをいう。
束帶負芒刺,接居成阻修。
衣冠束帯して、他人の家を訪問するのは、背中に棘を背負うような気苦労をすることなので、その付き合いも、近間に居る人でさえ、遠隔の地にでもいるかの様になっている。
束帶 衣冠束帯、かしこまった格好をし、他人の家を訪問すること。貴族や高級官僚の正装。▽「衣冠」「束帯」はともに貴族の装束。「束帯」は衣を束ね、整える帯と佩びをつけるの意。転じて、朝廷での公事・儀式などでの正装。
負芒刺 背中に棘を背負うような気苦労をすること。
接居 近所に住んでいる人。
阻修 遠隔の地にでもいるかの様になっている。
何當清霜飛,會子臨江樓。
まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。
何當 秋口の熱い時にこの詩を作っているので、少なくとも、早ければこの秋を過して、荊州に向かうというほどの時間を示す言葉であろう。
清霜飛 清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃をいう。早ければこの秋を過ぎたころというほどの意味。
會子 崔十六に遭うこと。