杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

杜少陵集 巻十四

766年-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,)》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-154 <1026> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

杜甫  雨   

冥冥甲子雨,已度立春時。  輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

煙添纔有色,風引更如絲。  直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

766-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,) 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-154 <1026 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

 

 

 
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杜甫詩1500-1026-1524/2500

年:766年大暦元年55-154

卷別: 卷二三○  杜少陵集卷一四82 文體: 五言律詩 

詩題:  

作地點: 目前尚無資料 

及地點: 巫山 (山南東道 夔州 巫山)      

 

 

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

冥冥甲子雨,已度立春時。 

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

煙添纔有色,風引更如絲。 

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

 

(雨)

冥冥 甲子の雨,已に度る 立春の時。 

輕箑 相い向うを煩し,纖絺 自ら疑うを恐れん。 

煙添いて 纔に色有り,風引きて 更に絲の如し。 

直ちに覺ゆ 巫山暮なんとするを,兼ねて催す宋玉が悲しみ。 
夔州東川卜居図詳細 002

 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

冥冥甲子雨,已度立春時。 

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

煙添纔有色,風引更如絲。 

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

(下し文)
(雨)

冥冥 甲子の雨,已に度る 立春の時。 

輕箑 相い向うを煩し,纖絺 自ら疑うを恐れん。 

煙添いて 纔に色有り,風引きて 更に絲の如し。 

直ちに覺ゆ 巫山暮なんとするを,兼ねて催す宋玉が悲しみ。 

(現代語訳)
(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。


(訳注)

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

766年大暦元年55-154首目。詩の内容から7669月1日と考えるのが妥当であろう。

 

冥冥甲子雨,已度立春時。 

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

甲子雨 八月か九月の最初の日の雨。

已度立春時 今年は、立春のころから気候がおかしかった。

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766年大暦元年55-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<897 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

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766年大暦元年55-34-#2奉節-25 -#2 《巻15-50 雨,二首之二 -#2 杜甫index-15 杜甫<898-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5515

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766年-148杜甫 《1554晚晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-148 <1020 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6780

1552雨晴》

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。
この年、「雨」の作品が上記以外数首ある。また、夏は日照りが続いている。

 

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

輕箑 軽く団扇をつかうこと。

煩相向 (団扇が)必要なときもあって煩わしい。

纖絺 細い葛で作った衣。

恐自疑 秋だというのに、団扇や夏の着物を着て居なければいけないほど温暖であることを言う。

 

煙添纔有色,風引更如絲。 

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

 

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

巫山暮 宋玉《高唐賦》《楚 () の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。

宋玉悲 宋玉が。初めて、秋について「悲愁」という表現を使い、以後の詩に、秋は、悲愁とされた。それが 宋玉《九辯》である。

悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,

憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,

泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,

悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,

坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。

惆悵兮而私自憐。

悲しいかな、秋の氣たるや。蕭瑟【しょうしつ】たり、草木搖落して變衰【へんすい】す。

憭慄【れきりつ】たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、將に歸らんとするを送るが若し。

泬寥【けつりょう】たり、天高くして気清し。

寂寥【せきりょう】たり、潦を収めて水清し。

悽【さんせい】として增ます欷【すすりな】き、薄寒之れ人に中【あた】る。

愴怳【そうこう】懭悢【こうろう】として故を去りて新に就く。

坎廩【かんらん】たり、貧士職を失ひて志 平かならず、廓落【かくらく】たり、羇旅【きりょ】にして友生無し。

惆悵たり、而して私かに自ら憐む。

宋玉《九辯》全35回で全文訳注して掲載している。

九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134

九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304

766年-67杜甫 《1492寄岑嘉州【案:自注:州據蜀江外。】#1》【2分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-67 <931-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6285

杜甫  寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

不見故人十年餘,不道故人無素書。願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏。謝朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹噓。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。
(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。】

 

766-67杜甫 《1492寄岑嘉州【案:自注:州據蜀江外。】#1》【2分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-67 <931-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6285 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-67杜甫 《1492寄岑嘉州【案:自注:州據蜀江外。】#1》【2分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-67 <931-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6285 
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杜甫詩1500-931-1-1428/2500

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二九          文體:      七言古詩

詩題:  寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

作地點:        雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:        嘉州 (劍南道北部嘉州 嘉州)      

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚    

交遊人物:岑參  書信往來(劍南道北部 嘉州 嘉州)

 

 

寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。】

不見故人十年餘,不道故人無素書。

親友のあなたから手紙が無いとは言いたくはないが、したしいあなたには御面会をせぬことがかれこれ十年あまり(実質九年)になる。

願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

お目にかかりたくはおもうが東西の関塞遠く隔たっておったので、しかたがないとおもっていたのに、意外にもこのたび嘉地方へ太守としてでられ江ぞいの城に居られるとのことである。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏。

あなたのいる外江と自分のちかくの三峡とは長江で、まあ、続いているのであるが、おのずと酒をくみ詩を示しあうことが間遠になっておるのである。

朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹

六朝、謝桃に比すべきあなたの詩は毎篇、諷詞のねうちがある。鳩唐のごとく老いてしまった自分はもし推薦してくださるならおこころにまかすのみのことである。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。

自分はこの地に船を泊めて去年の秋の夜からことしの春の草の生ずるのをみるまでになった。病の枕に伏しながら青楓のためにみやこの宮殿の玉除のところから遮断されておるところだ。

眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。

てぢかにあるものでどんな物をえらんであなたに寄せ贈ろうか、それは雲安でとれた一対の鯉である七言古詩を贈るのである。

 

(岑嘉州に寄す)

【自注:州は蜀江の外に據る。】

故人を見ざること十年余、道わず 故人 素書無しと。

顔色に逢わんことを願えども 関塞 遠し、豈に意わんや 出守 江城に居らんとは。

外江 三峡 且つ 相い接す、斗酒 新詩 終に自ずから疎なり。

謝跳 毎篇 諷諭するに堪えたり、馮唐 己に老ゆ 吹嘘するに聴す。

船を泊して 秋夜より春草を経、枕に伏して 青楓 玉除を限る。

眼前 寄する所 何物をか 選ぶ、子に贈る 雲安の双鯉魚。

蜀中転々圖 

 

『寄岑嘉州』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

不見故人十年餘,不道故人無素書。

願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏。

謝朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹噓。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。

眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。
(含異文)

不見故人十年餘,不道故人無素書。願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏【斗酒新詩終自疏】。謝朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹噓。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。


(下し文)
(岑嘉州に寄す)

【自注:州は蜀江の外に據る。】

故人を見ざること十年余、道わず 故人 素書無しと。

顔色に逢わんことを願えども 関塞 遠し、豈に意わんや 出守 江城に居らんとは。

外江 三峡 且つ 相い接す、斗酒 新詩 終に自ずから疎なり。

謝跳 毎篇 諷諭するに堪えたり、馮唐 己に老ゆ 吹嘘するに聴す。

船を泊して 秋夜より春草を経、枕に伏して 青楓 玉除を限る。

眼前 寄する所 何物をか 選ぶ、子に贈る 雲安の双鯉魚。


(現代語訳)
(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。】

親友のあなたから手紙が無いとは言いたくはないが、したしいあなたには御面会をせぬことがかれこれ十年あまり(実質九年)になる。

お目にかかりたくはおもうが東西の関塞遠く隔たっておったので、しかたがないとおもっていたのに、意外にもこのたび嘉地方へ太守としてでられ江ぞいの城に居られるとのことである。

あなたのいる外江と自分のちかくの三峡とは長江で、まあ、続いているのであるが、おのずと酒をくみ詩を示しあうことが間遠になっておるのである。

六朝、謝桃に比すべきあなたの詩は毎篇、諷詞のねうちがある。鳩唐のごとく老いてしまった自分はもし推薦してくださるならおこころにまかすのみのことである。

自分はこの地に船を泊めて去年の秋の夜からことしの春の草の生ずるのをみるまでになった。病の枕に伏しながら青楓のためにみやこの宮殿の玉除のところから遮断されておるところだ。

てぢかにあるものでどんな物をえらんであなたに寄せ贈ろうか、それは雲安でとれた一対の鯉である七言古詩を贈るのである。


(訳注)

寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。

大暦元年春、雲安にあっての作。

* 〔原注〕 州拠蜀江外(州は蜀江の外に拠る)

〇岑嘉州 嘉州刺史岑參のこと、参庫部郎より出されて嘉州刺史となった、杜鴻漸は表して職方郎中兼侍御史となして幕府に列せしめた。刺史となったのは今年のことであろうか。嘉州は資州眉州をへだてて成都府の南方に位する。今の四川省嘉定府楽山県治。

758   乾元元年

奉和中書賈至舍人早朝大明宮 岑參 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 235

岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

759   乾元二年

寄彭州高三十五使君適、虢州二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

763  廣德元年  52  

677 《泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明》 蜀中転々 杜甫 <583  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3225 杜甫詩1000-583-839/1500

○蜀江外 蜀の江外であろう、長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。

 

不見故人十年餘,不道故人無素書。

親友のあなたから手紙が無いとは言いたくはないが、したしいあなたには御面会をせぬことがかれこれ十年あまり(実質九年)になる。

○故人 岑參をさす、参は作者の親友であり、彼に関する作はすでにしばしば見える。

〇十年余 乾元元年、作者には「奉答岑參補闕見贈」詩がある。同二年に「寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻」詩がある。元年よりこの詩の年大暦元年までは九年である、十年余というのは作者の詩表現である。

○素書 素はしろ地のきぬ、素書は尺素書のことで一尺の絹地にかいたてがみをいう。

 

願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。』

お目にかかりたくはおもうが東西の関塞遠く隔たっておったので、しかたがないとおもっていたのに、意外にもこのたび嘉地方へ太守としてでられ江ぞいの城に居られるとのことである。

○關塞遠 軍事要衝地点に配置されたことをいう。

○出守 中央より出て太守となる。

○江城 岷江(長江)に沿うた城、嘉州の城をいう。

 

外江三峽且相接,鬥酒新詩終日疏。

あなたのいる外江と自分のちかくの三峡とは長江で、まあ、続いているのであるが、おのずと酒をくみ詩を示しあうことが間遠になっておるのである。

○外江 前の江外の意、嘉州の長江をさして外江といった、これは岑參の居処の水をあげる。

〇三峡 これは杜甫の居処に近い三峡のこと。

○斗酒新詩 詩酒は両人の用いるものであるが、主として酒は自己に、詩は参についていうのであろう。

 

篇堪諷誦,馮唐已老聽吹。』

六朝、謝桃に比すべきあなたの詩は毎篇、諷詞のねうちがある。鳩唐のごとく老いてしまった自分はもし推薦してくださるならおこころにまかすのみのことである。

○謝眺 六朝斉の文学者、詩句の清農を以て有名である、以て参に此する。謝朓は、中国南北朝時代、南斉の詩人。字は玄暉。陳郡陽夏の人。同族の謝霊運・謝恵連とともに、六朝時代の山水詩人として名高く、あわせて「三謝」と称される。また謝霊運と併称して「二謝」と呼ぶこともあり、その場合は、謝霊運を「大謝」と呼ぶのに対し、謝朓を「小謝」と呼ぶ。

○馮唐 馮唐白首。漢の文帝の時、唐は白首にしてなお郎となった。以て自ずから此する。馮唐(ふう とう、生没年不詳)は、前漢の人。祖父の代は趙の人だったが、父の時に代に移住して代の相(宰相)となり、漢の時代になり安陵に移った。

馮唐は孝行で知られ、文帝の時に郎中署長となった。あるとき文帝は彼に「貴方はどうして郎となったのか?家はどこにある?」と尋ねたので、馮唐はありのまま答えた。文帝は「私は鉅鹿で戦った趙将李斉の賢明さを聞いて以来、鉅鹿のことを思わない日は無い。貴方は彼を知っているか?」と聞いた。馮唐は「李斉は廉頗、李牧には敵いません」と言った。文帝は「廉頗や李牧を将にできれば匈奴を怖れることもないのだが」と嘆息したが、馮唐は「陛下が廉頗や李牧を得たとしても用いることはできないでしょう」と言ったため、文帝は怒って禁中に入っていった。しばらくして文帝は馮唐を召し出し、「どうして公衆の面前で私を辱めず、人のいないところで言わないのだ?」と叱責した。馮唐は「私は田舎者で隠すことを知らなかったのです」と答えた。

○吹嘘 世話して推薦すること。以下の詩に詳しく述べている。

杜甫《巻三22贈獻納使起居田舍人澄》

獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。

曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

(献納使・起居田舎人澄に贈る)

献納司は存す雨露の辺、地清切を分ちて才賢に任す。舎人過食封事を収め、官女函を開きて御蓮に捧ぐ。

暁漏 迫趨す 青瑣の闥。晴窓点検す白雲の篇。揚雄更に河東の賦有り、唯だ待つ吹嘘送りて天に上すを。

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集

 

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。

自分はこの地に船を泊めて去年の秋の夜からことしの春の草の生ずるのをみるまでになった。病の枕に伏しながら青楓のためにみやこの宮殿の玉除のところから遮断されておるところだ。

○秋夜経春草 去年の秋、この雲安の地にやって来て、今年の春、草の生ずるにいたることをいう。

○伏枕 病のまくらにふす。

○青楓限玉除 青楓は峡中にあるそれをいう。玉除はうつくしい土縁のこと、都の宮殿の玉除をいい、還京することができないことをいう。上句の吹嘘をうける。限とはかぎりさえぎられることをいう。

 

眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。』

てぢかにあるものでどんな物をえらんであなたに寄せ贈ろうか、それは雲安でとれた一対の鯉である七言古詩を贈るのである

○双鯉魚一対のこい、こいは手紙のしるしである。魚中書、対句の七言古詩をいう。

夔州東川卜居図詳細 001 

(岑嘉州に寄す)

【自注:州は蜀江の外に據る。】

故人を見ざること十年余、道わず 故人 素書無しと。

顔色に逢わんことを願えども 関塞 遠し、豈に意わんや 出守 江城に居らんとは。

外江 三峡 且つ 相い接す、斗酒 新詩 終に自ずから疎なり。

謝跳 毎篇 諷諭するに堪えたり、馮唐 己に老ゆ 吹嘘するに聴す。

船を泊して 秋夜より春草を経、枕に伏して 青楓 玉除を限る。

眼前 寄する所 何物をか 選ぶ、子に贈る 雲安の双鯉魚。

766年-66杜甫 《1491寄常徵君》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-66 <930> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6280

杜甫  寄常徵君  

白水青山空復春,徵君晚節傍風塵。楚妃堂上色殊,海鶴階前鳴向人。

萬事糾紛猶粒,一官羇絆實藏身。開州入夏知涼冷,不似雲安毒熱新。
(去年の秋に常徴君が訪ねてきてくれ、別れに詩を贈ったが、今、開州に入ることが分かったので、この詩を寄せたのである。)自分の知る所では夏にはいったら開州の方はすずしく冷ややかで、ここの雲安に猛烈な暑熱が新に生ずるのとは似ても似つかぬことで、そちらがうらやましいとおもう。

766-66杜甫 1491寄常徵君》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-66 <930 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6280

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-66杜甫 《1491寄常徵君》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-66 <930> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6280 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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杜甫詩1500-930-1427/2500

年:766年大暦元年55

卷別:卷二二九             文體:七言律詩

詩題:寄常徵君

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:              開州 (山南西道 開州 開州)              

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚        

交遊人物:常少仙              書信往來(山南西道 開州 開州)

 

 

寄常

(去年の秋に常徴君が訪ねてきてくれ、別れに詩を贈ったが、今、開州に入ることが分かったので、この詩を寄せたのである。)

白水青山空復春,節傍風塵。

さて水は白く山は青くまた春になった。このとき吾が徴君はその晩年世間のほこりに近づいておられる。

楚妃堂上色殊海鶴階前鳴向人。

あなたはなみなみならぬ美しい顔色をもった堂上の楚妃の様な人なのだが、いまは階の前で人に向って悲鳴している海上の鶴の様なものになっている。

萬事糾紛猶粒,一官羇絆實藏身。

いろいろの事務がたくさんあって、せわしく働きながら食糧も無いほど貧乏であるが、一方から見れば、いなかの小役人に身をつながれているのは、実はそこに身をかくしているわけなのである。

開州入夏知涼冷,不似雲安毒熱新。

自分の知る所では夏にはいったら開州の方はすずしく冷ややかで、ここの雲安に猛烈な暑熱が新に生ずるのとは似ても似つかぬことで、そちらがうらやましいとおもう。

 

(君に寄す)

白水 青山 空しく復た春なり,君の節 風塵に傍う。

楚妃 堂上 色 に殊な,海鶴 階前で 人に向うて鳴く。

萬事 糾紛 猶お粒をつ,一官 羇絆 實に身を藏す。

開州 夏に入りて知る涼冷なるを,似ず 雲安 毒熱の新なるに。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『寄常徵君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄常徵君

白水青山空復春,徵君晚節傍風塵。

楚妃堂上色殊,海鶴階前鳴向人。

萬事糾紛猶粒,一官羇絆實藏身。

開州入夏知涼冷,不似雲安毒熱新。

(下し文)
(
常徵君に寄す)

白水 青山 空しく復た春なり,徵君の晚節 風塵に傍う。

楚妃 堂上 色 に殊なり,海鶴 階前で 人に向うて鳴く。

萬事 糾紛 猶お粒をつ,一官 羇絆 實に身を藏す。

開州 夏に入りて知る涼冷なるを,似ず 雲安 毒熱の新なるに。

(現代語訳)
(去年の秋に常徴君が訪ねてきてくれ、別れに詩を贈ったが、今、開州に入ることが分かったので、この詩を寄せたのである。)

さて水は白く山は青くまた春になった。このとき吾が徴君はその晩年世間のほこりに近づいておられる。

あなたはなみなみならぬ美しい顔色をもった堂上の楚妃の様な人なのだが、いまは階の前で人に向って悲鳴している海上の鶴の様なものになっている。

いろいろの事務がたくさんあって、せわしく働きながら食糧も無いほど貧乏であるが、一方から見れば、いなかの小役人に身をつながれているのは、実はそこに身をかくしているわけなのである。

自分の知る所では夏にはいったら開州の方はすずしく冷ややかで、ここの雲安に猛烈な暑熱が新に生ずるのとは似ても似つかぬことで、そちらがうらやましいとおもう。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

寄常徵君

(去年の秋に常徴君が訪ねてきてくれ、別れに詩を贈ったが、今、開州に入ることが分かったので、この詩を寄せたのである。)

開州の小役人をしている徴君常某に寄せた詩。766年大暦元年春、雲安にて55の作。また、765年永泰元年54の時、雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安) 常少仙二《1464別常徵君》

唐詩選卷二二九、 五言律詩を作っている。

別常

兒扶猶杖策,臥病一秋強。白髮少新洗,寒衣寬總長。

故人憂見及,此別相忘。各逐萍流轉,來書細作行。

 (常徵君に別る)

兒に扶けられて 猶お策を杖く,病に臥して 一きわ 秋強し。

白髮 少なるも新たに洗う,寒衣 寬にして總て長し。

故人 憂い及ばる,此の別淚 相い忘れん。

各の萍を逐いて流轉し,來書 細やかに行を作さん。

(徵士である常少仙君とまた、たがいに流転し別れることを詠う。)

自分はこの秋の一時期病気で寝たので、子供に助けられ、その上、杖をついて歩くことが出来た。

白髪頭の毛量も少なくなったが新たに洗う、寒さに向けて着る着物は、余って丈が長くなってしまった。

古いなじみの人はこちらの病気のことを心配してくれるのはありがたいと思う、今度の別れには、涙ながらにながめるばかりで自分が流していることを忘れるほどであるばかりである。

おたがいが、それぞれ浮草のように移り歩いている身の上であるが、これから後に送ってくださる手紙には、細々したことまで幾行も書いて送ってくださるようにお願いしたい。

765年永泰元年54-39 《別常徵君》 杜甫index-15 杜甫<839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4930 杜甫詩1500-839-1157/2500

 

白水青山空復春,徵君晚節傍風塵。

さて水は白く山は青くまた春になった。このとき吾が徴君はその晩年世間のほこりに近づいておられる。

晚節 晩年における節操。

傍風塵 世間の風に当たり、ほこりとなっている役人をしていることをいう。

 

楚妃堂上色殊眾,海鶴階前鳴向人。

あなたはなみなみならぬ美しい顔色をもった堂上の楚妃の様な人なのだが、いまは階の前で人に向って悲鳴している海上の鶴の様なものになっている。

楚妃 燕姫趙女の類、楚の美人の意、徴君の才徳をいう。

色殊衆 衆女とちがった美しい顔色を有す。

海鶴 海上に棲む鶴、鶴は自由なる生活を為すもの、徴君の本来の性をたとえる。

鳴向人 人に向うとは人にむかって憐みを求めるさまなり。

 

萬事糾紛猶粒,一官羇絆實藏身。

いろいろの事務がたくさんあって、せわしく働きながら食糧も無いほど貧乏であるが、一方から見れば、いなかの小役人に身をつながれているのは、実はそこに身をかくしているわけなのである。

糾紛 糾紛はもつれること、縣の事務多端にしてごたごたすることをいう。

絶粒 貧にして食糧がないことをいう、粒は米のつぶ。

羇絆 きづなに身をつながれる。

蔵身 微官に身をかくしおくことをいう。

 

開州入夏知涼冷,不似雲安毒熱新。

自分の知る所では夏にはいったら開州の方はすずしく冷ややかで、ここの雲安に猛烈な暑熱が新に生ずるのとは似ても似つかぬことで、そちらがうらやましいとおもう。

開州 夔州府開縣。

毒熱 猛烈なる暑熱。
杜甫55歳756年作品 

766年-65杜甫 《1483南楚》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-65 <929> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6275

杜甫  南楚  

南楚青春異,暄寒早早分。無名江上草,隨意嶺頭雲。

正月蜂相見,非時鳥共聞。杖藜妨躍馬,不是故離群。
(南楚すなわち雲安の春の景情をのべた詩。)楚の南方は春の様子が他のところとちがい、あつささむさが早くはっきりわかれる。正月だけに、いま、はや名も知らぬ江上の草が萌えだし、雪嶺山嶺のうえの雲はおもいおもいにただよっている。正月だけに、いま、蜂にもおめにかかるし、時候はずれの鳥のなきごえもだれもがともにきく。このとき自分は藜の杖をつくような老人が、馬を躍らしてとびまわる少年のじゃまにだけはなってはならぬとおもってひっこんでいるのである。だからといって、ことさら人の群から離れているというのではないのである。
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 杜甫詩1500-929-1426/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    南楚

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:              雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

 

南楚

(南楚すなわち雲安の春の景情をのべた詩。)

南楚青春異,暄寒早早分。

楚の南方は春の様子が他のところとちがい、あつささむさが早くはっきりわかれる。

無名江上草,隨意嶺頭雲。

正月だけに、いま、はや名も知らぬ江上の草が萌えだし、雪嶺山嶺のうえの雲はおもいおもいにただよっている。

正月蜂相見,非時鳥共聞。

正月だけに、いま、蜂にもおめにかかるし、時候はずれの鳥のなきごえもだれもがともにきく。

杖藜妨躍馬,不是故離群。

このとき自分は藜の杖をつくような老人が、馬を躍らしてとびまわる少年のじゃまにだけはなってはならぬとおもってひっこんでいるのである。だからといって、ことさら人の群から離れているというのではないのである。

 

(南楚)

南楚 青春 異なり、喧寒 早早に分かる。

無名 江上の草,隨意なり 嶺頭の雲。

正月 蜂 相い見る,非時 鳥 共に聞く。

杖藜【じょうれい】 躍馬を妨げん,是れ故【ことさら】に群を離るるならず。

 

 

『南楚』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南楚

南楚青春異,暄寒早早分。

無名江上草,隨意嶺頭雲。

正月蜂相見,非時鳥共聞。

杖藜妨躍馬,不是故離群。

(下し文)
(
南楚)

南楚 青春 異なり、喧寒 早早に分かる。

無名 江上の草,隨意なり 嶺頭の雲。

正月 蜂 相い見る,非時 鳥 共に聞く。

杖藜【じょうれい】 躍馬を妨げん,是れ故【ことさら】に群を離るるならず。

(現代語訳)
(南楚すなわち雲安の春の景情をのべた詩。)

楚の南方は春の様子が他のところとちがい、あつささむさが早くはっきりわかれる。

正月だけに、いま、はや名も知らぬ江上の草が萌えだし、雪嶺山嶺のうえの雲はおもいおもいにただよっている。

正月だけに、いま、蜂にもおめにかかるし、時候はずれの鳥のなきごえもだれもがともにきく。

このとき自分は藜の杖をつくような老人が、馬を躍らしてとびまわる少年のじゃまにだけはなってはならぬとおもってひっこんでいるのである。だからといって、ことさら人の群から離れているというのではないのである。


(訳注)

南楚

(南楚すなわち雲安の春の景情をのべた詩。)

尾二句によれば他より出遊のさそいをうけたときよんだものであろう。大暦元年正月雲安にあっての作。

 

南楚青春異,暄寒早早分。

楚の南方は春の様子が他のところとちがい、あつささむさが早くはっきりわかれる。

○南楚 雲安は古の楚の西南にある、故に南楚という。 

○異 他地とことなる。

○喧寒 あたたかさ、さむさ。

 

無名江上草,隨意嶺頭雲。

正月だけに、いま、はや名も知らぬ江上の草が萌えだし、雪嶺山嶺のうえの雲はおもいおもいにただよっている。

○嶺頭雲 雪嶺山脈の上にかかる雲。 

 

正月蜂相見,非時鳥共聞。

正月だけに、いま、蜂にもおめにかかるし、時候はずれの鳥のなきごえもだれもがともにきく。

○蜂相見 相見はこちらが蜂と相い見ることをいう。

○非時 時候はずれ。○鳥共聞 共閲は衆人と共にきく意であろう。

 

杖藜妨躍馬,不是故離群。

このとき自分は藜の杖をつくような老人が、馬を躍らしてとびまわる少年のじゃまにだけはなってはならぬとおもってひっこんでいるのである。だからといって、ことさら人の群から離れているというのではないのである。

〇枚 あかぎのつえをつく、自己をいう。

○躍馬 少年で馬をおどらして遊ぶものをいう。

○離群 衆人のむれからはなれて孤独でおること。

766年-63杜甫 《1486子規》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-63 <932> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6235

杜甫  子規  

峽裡雲安縣,江樓翼瓦齊。兩邊山木合,終日子規啼。

眇眇春風見,蕭蕭夜色淒。客愁那聽此,故作傍人低。

(雲安の城郭高閣で子規をきいてよんだ詩。)山あいの雲安県ここは江楼の軒端の瓦が鳥の翼のようにみえつつ、きれいにそろってならんでいる。その城郭、楼閣の両側には山木が茂って閉ざしていて、終日、子規が啼きさけぶ。その啼く姿は春風にたいして遠く小さく見え、その啼き声は木立の中に、しずかに夜の景色のようにおぼえて、つめたく感ずる。旅の愁いをもつ自分には、どうして子規のこの声を聴くにたえられようか。しかるにこの鳥は恋しくて啼くのであるから、わざと人に付き添って低く飛んで移動して泣く。

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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-932-1418/2500

年:766年大暦元年55-63

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    子規

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

 

子規

(雲安の城郭高閣で子規をきいてよんだ詩。)

峽裡雲安縣,江樓翼瓦齊。

山あいの雲安県ここは江楼の軒端の瓦が鳥の翼のようにみえつつ、きれいにそろってならんでいる。

兩邊山木合,終日子規啼。

その城郭、楼閣の両側には山木が茂って閉ざしていて、終日、子規が啼きさけぶ。

眇眇春風見,蕭蕭夜色淒。

その啼く姿は春風にたいして遠く小さく見え、その啼き声は木立の中に、しずかに夜の景色のようにおぼえて、つめたく感ずる。

客愁那聽此,故作傍人低。

旅の愁いをもつ自分には、どうして子規のこの声を聴くにたえられようか。しかるにこの鳥は恋しくて啼くのであるから、わざと人に付き添って低く飛んで移動して泣く。

 

(子 規)

峡裡の雲安縣、江楼 巽瓦 斉し。

両辺 山木合し、終日 子規啼く。

眇眇として春風に見え、蕭蕭として夜色淒たり。

客愁 那【いか】でか此を聴かん、故に人に傍いて低るるを作す。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『子規』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子規

峽裡雲安縣,江樓翼瓦齊。

兩邊山木合,終日子規啼。

眇眇春風見,蕭蕭夜色淒。

客愁那聽此,故作傍人低。


(下し文)
(子 規)

峡裡の雲安縣、江楼 巽瓦 斉し。

両辺 山木合し、終日 子規啼く。

眇眇として春風に見え、蕭蕭として夜色淒たり。

客愁 那【いか】でか此を聴かん、故に人に傍いて低るるを作す。


(現代語訳)
(雲安の城郭高閣で子規をきいてよんだ詩。)

山あいの雲安県ここは江楼の軒端の瓦が鳥の翼のようにみえつつ、きれいにそろってならんでいる。

その城郭、楼閣の両側には山木が茂って閉ざしていて、終日、子規が啼きさけぶ。

その啼く姿は春風にたいして遠く小さく見え、その啼き声は木立の中に、しずかに夜の景色のようにおぼえて、つめたく感ずる。

旅の愁いをもつ自分には、どうして子規のこの声を聴くにたえられようか。しかるにこの鳥は恋しくて啼くのであるから、わざと人に付き添って低く飛んで移動して泣く。

夔州東川卜居図詳細 001

(訳注)

子規

(雲安の城郭高閣で子規をきいてよんだ詩。)大暦元年春、雲安にあっての作。

○子規 ほととぎす。子規と杜鵜とは別種との説があるが恐らくは同じものであろう。ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑
成都に着いた翌年夏に『杜鵑行』を作っている。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

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766年大暦元年55-2-3 《杜鵑 -#3》 杜甫index-15 杜甫<865ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5100

 

峽裏雲安縣,江樓翼瓦齊。

山あいの雲安県ここは江楼の軒端の瓦が鳥の翼のようにみえつつ、きれいにそろってならんでいる。

○雲安 雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安

○江楼 この楼は江辺の棲をいう。

○翼瓦斉 翼瓦は屋簷の瓦が鳥の翼のごとくはねあがっていることをいう、斉とは列をなす多くの瓦がそろってみえることをいう。

 

兩邊山木合,終日子規啼。

その城郭、楼閣の両側には山木が茂って閉ざしていて、終日、子規が啼きさけぶ。

○両辺 城郭の両辺の人家の側。

○合 しげっでとざす。

 

眇眇春風見,蕭蕭夜色淒。

その啼く姿は春風にたいして遠く小さく見え、その啼き声は木立の中に、しずかに夜の景色のようにおぼえて、つめたく感ずる。

○眇眇 小さくみえるさま。

○見 子規がみえる。

○粛粛しずかなさま。

○夜色淒 昼もくらくて夜の色がつめたいかのごとくにおもわれる。

66年大暦元年55歲-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫《近聞》近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

 
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137 《秦女卷衣》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <137> Ⅰ李白詩1322 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5158 
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766年大暦元年55-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫詩1500-870-1203/2500766年大暦元年55-7

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

地點:   

臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍) 別名:臨洮            

隴山 (隴右道東部 無第二級行政層級 隴山) 別名:大隴山、六盤山、鹿盤山、鹿攀山         

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)    

五原 ( 鹽州 五原)    

北庭都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 北庭都護府) 別名:北庭     

 

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

 

(近ごろ聞く〔永泰元年(765),郭子儀と回紇と約し,共に吐蕃を擊す。次年(766)二月,吐蕃來朝す,詩 其の事を紀す。〕

近ごろ聞く 犬戎 遠く遁逃すと,牧馬 敢えて臨洮を侵さず。

渭水 逶迤【いい】白日淨なり,隴山 蕭瑟 秋雲高し。

崆峒 五原 亦た無事なり,北庭 數しば關中の使い有り。

聞くに似たり贊普【さんぷ】更に親をむと求,舅甥【きゅうせい】和好 應に棄て難かるべし。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『近聞』 現代語訳と訳註解説

(本文)

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

 

(下し文)

(近ごろ聞く〔永泰元年(765),郭子儀と回紇と約し,共に吐蕃を擊す。次年(766)二月,吐蕃來朝す,詩 其の事を紀す。〕)

近ごろ聞く 犬戎 遠く遁逃すと,牧馬 敢えて臨洮を侵さず。

渭水 逶迤【いい】白日淨なり,隴山 蕭瑟 秋雲高し。

崆峒 五原 亦た無事なり,北庭 數しば關中の使い有り。

聞くに似たり贊普【さんぷ】更に親をむと求,舅甥【きゅうせい】和好 應に棄て難かるべし。

 

(現代語訳)

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

 杜甫 体系 地図458華州から秦州

(訳注)

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

安史の乱終結に功績のあった僕固懐恩は764年吐蕃と結託、吐蕃20万を涇州に来寇させ、長安を一時占領その年には引き上げたが、成都の西嶺の四州を完全に占領、永泰元年765年にはこれに会コツまで連合を組んで来寇したが、僕固懐恩病死に倚り、郭子儀がこの連合を分断し、ウイグルと郭子儀軍の連合に成功し、10月吐蕃軍を破った。これに倚り、766年大暦元年2月吐蕃が和睦の為、来朝したのである

題は詩初めの句の二字をとって用いたもの。

 

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

犬戎 犬戎に等しい吐蕃国ということ。

牧馬 吐蕃は山岳が多く、青海の辺りで馬を放牧させることが富国強兵策であった。

不敢 その富国強兵策を和睦によって占領地を返還させたことによってできなくなったということ。

侵臨洮 涼州、臨洮の西域を侵寇、占領していた。

 

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

渭水 陝西(せんせい)省中央部を流れる川。甘粛(かんしゅく)省の渭源県に源を発して東流し、潼関(どうかん)の東方で黄河に合流する。長さ787キロ。流域の渭水盆地は中国古代文明の中心の一つ。長安八水の本流。

逶迤 ドグロを巻く。川の流れが蛇行して、うねうねと流れるさま。

隴山 中国,陝西・甘粛両省の境にある山。古来,長安から西域に通じる関門をなし,北西の異民族に対する隴関などの関が置かれた。

蕭瑟 ここを吹く風が蕭瑟の演奏を聞くようであること。

秋雲高 秋空のように高く晴れ渡っていること。季節が秋というのではない。

 

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

崆峒 崆峒は山の名、甘粛省平涼府固原州の西百里(約8km)にある。杜甫《洗兵行》「已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。」(己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。)

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295

五原 長安附近の五つの原(高地)をいう、畢原(ひつげん)・白鹿原・少陵原・高陽原・細柳原のこと。○空壁墨 とりでだけがいたずらに存する、無用となり役に立たぬこと。〇八水 涇水・滻水・㶚水・澇水・滈水・灃水・潏水の八つを関内八水と称する。

北庭 霊武から陰山山脈の南の辺り、回紇の国境付近をいう。杜甫《秦州雑詩》「風連西極動、月過北庭寒。」(風は西極【せいきょく】に連なりて動き、月は北庭【ほくてい】を過ぎて寒し。)

秦州雜詩二十首 其十九 杜甫 第5部 <272> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1265 杜甫詩 700- 386

關中使 度々朝廷からの使者を派遣して守りを固めている。回紇とはこの時同盟を組んでいたので、使者を送って国境を固めた。

 

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

贊普 吐蕃の酋長ども。

更求親 和親講和条約の締結。

舅甥 安史の乱の前と後に公主(先帝の娘)を嫁がせて叔父と甥、姻戚関係であるということ。
題新津北橋棲00 

766年大暦元年55歲-6-3 《贈鄭十八賁 -#3》 杜甫index-15 杜甫<869-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5155

杜甫《贈鄭十八賁 -#3自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-6-3 《贈鄭十八賁 -#3 杜甫index-15 杜甫<8693 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5155
杜甫詩
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈鄭十八賁【雲安令。】

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

交遊人物:鄭賁

 

 

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

 

高懷見物理,識者安肯哂。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

示我百篇文,詩家一標準。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

 

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

儒者古人は日々、我々と遠い存在になってゆくものであるが、青竹で編んだ彼らに関する青史の文字は決して亡びる事は無い。

我々は古人のその足跡を慕って歩くのであり、堯舜のことを詠じたり、その導き、指示に従って、葵菫の野菜を食べるのである。

或は、好事者から提供される数杯の酒をいただき、また、県令を煩わせて、珍味の御馳走を貰い受けたりしている。

自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。

持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

 

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

-2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】に

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

-3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

 

『贈鄭十八賁』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

 

(下し文) -3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す。

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

 

(現代語訳) -3

儒者古人は日々、我々と遠い存在になってゆくものであるが、青竹で編んだ彼らに関する青史の文字は決して亡びる事は無い。

我々は古人のその足跡を慕って歩くのであり、堯舜のことを詠じたり、その導き、指示に従って、葵菫の野菜を食べるのである。

或は、好事者から提供される数杯の酒をいただき、また、県令を煩わせて、珍味の御馳走を貰い受けたりしている。

自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。

持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

葭 あし002 

(訳注) -3

贈鄭十八賁【雲安令。】

鄭賁は雲安における友人で、この詩の半年前(この年は9月閏月がある)の9月重陽の日に鄭兄弟と六朝“陸機”兄弟に喩えて詩の贈答をしている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-52 《答鄭十七郎一 杜甫index-15 杜甫<852 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4995

 

古人日以遠,青史字不泯。

儒者古人は日々、我々と遠い存在になってゆくものであるが、青竹で編んだ彼らに関する青史の文字は決して亡びる事は無い。

古人 儒者である古人と現在の施政者とは遠く隔たった政治をしている。前に述べた「捷徑」(不正手段)などをさす。

青史 青竹で編んだものへ書き付けた教え。

字不泯 文字は決して亡びる事は無い。

 

步趾詠唐虞,追隨飯葵

我々は古人のその足跡を慕って歩くのであり、堯舜のことを詠じたり、その導き、指示に従って、葵菫の野菜を食べるのである。

唐虞 中国の伝説上の聖天子である陶唐氏(尭(ぎょう))と有虞氏(舜(しゅん))を併せてよぶ名。また、その二人の治めた時代。とうぐさんだい【唐虞三代】尭と舜に、夏・殷(いん)・周の3代を加えた呼び名。

追隨 儒学の導き、指示に従うこと。

 わさびとせり。

 

數杯資好事,異味煩縣尹。

或は、好事者から提供される数杯の酒をいただき、また、県令を煩わせて、珍味の御馳走を貰い受けたりしている。

 たすける。提供を受ける。

好事 物好きな人。おせっかいな人。面倒見の良い人。

異味 変わった味のもの。珍味。

縣尹 県の長官。県令。

 

心雖在朝謁,力與願矛盾。

自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。

 

抱病排金門,衰容豈為敏。

持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

抱病 喘息、糖尿病、痛風などの持病を持っていた。

 門を押し開くこと。出入りすること。

金門 金馬門、翰林院に入る門、文官はそこから各省にいった。

衰容 容姿が老衰しているさま。

豈為敏 どうして、俊敏にすることが出来ようか。もう体が動かないということ。
唐時代 地図山南 東・西道50 

766年大暦元年55歲-6-2 《贈鄭十八賁 -#2》 杜甫index-15 杜甫<869-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5150

杜甫《贈鄭十八賁 -#2きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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766年大暦元年55-6-2 《贈鄭十八賁 -#2 杜甫index-15 杜甫<8692 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5150 


杜甫詩
1500-8692-1201/2500766年大暦元年55-6-2

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈鄭十八賁【雲安令。】

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

交遊人物:鄭賁

 

 

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。


芝冠眾芳,安得闕親近。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

 

高懷見物理,識者安肯哂。

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

示我百篇文,詩家一標準。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

往くべき道が、航路か陸路か、迷えば恐ろしい道である。病気のために薬餌の必要でここの地に進めるべき車をとどめているのだ。 

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

 

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

-2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】に

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

-3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

唐時代 地図山南 東・西道50 

『贈鄭十八賁』 現代語訳と訳註解説

(本文)-2

高懷見物理,識者安肯哂。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

示我百篇文,詩家一標準。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

 

(含異文)

高懷見物理,識者安肯哂。卑飛欲何待,捷徑應未忍。示我百篇文,詩家一標準。羈離交屈宋,牢落顏閔。水路迷畏途【水路迷長途】,藥餌駐修軫。

 

(下し文) -2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】にう。

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

 

(現代語訳)

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

往くべき道が、航路か陸路か、迷えば恐ろしい道である。病気のために薬餌の必要でここの地に進めるべき車をとどめているのだ。 

蜀中転々圖

(訳注)2

贈鄭十八賁【雲安令。】

鄭賁は雲安における友人で、この詩の半年前(この年は9月閏月がある)の9月重陽の日に鄭兄弟と六朝“陸機”兄弟に喩えて詩の贈答をしている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-52 《答鄭十七郎一 杜甫index-15 杜甫<852 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4995

 

高懷見物理,識者安肯哂。

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

物理 事物の道理。

識者 見識の優れた人。

哂 わらう。

 

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

卑飛 低く飛ぶ。立身出世を心がけずに進む。

捷徑 抜け道、近道。官途へ出るに不正手段を使ってでもすすむこと。

 

示我百篇文,詩家一標準。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

標準 目印、手本。

 

羈離交屈宋,牢落顏閔。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

羈離 旅に出て親故と離れ離れになっている身の上のこと。

牢落 さびしいさま。少し意気消沈しているさま。

顏閔 孔子の弟子。顔回、字は子淵、孔子より30歳年少。魯の人。孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子にその将来を嘱望されるも夭折する。顏回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという。このことから老荘思想発生の一源流とみなす説もある。・閔損、字は子騫、孔子より15歳年少; 「母在一子寒 母去三子寒」という言葉がある。昔、中国に閔損(びんそん)という子 供がいた。後に孔子の弟子になる人であるが、閔損の継母 (ままはは)が彼を邪険にして、寒い冬の日でも下の弟二人には綿入れを着せ、彼には単衣(ひとえ)の着物しか与えなかった。閔損の継母は腹を痛めた二人の子供が可愛い、だんだんと閔損を疎略(そりゃく)に扱うようになる。父はそのことに気付き、継母を家から追い出そうとした。その時、閔損が、 「母在(あ)れば一子(いっし)寒し、母去(ゆ)けば三 子寒し」と言って父を諌(いさ)めた。

 『今ここで母を家から出したら、三人の子供が母の温かい愛情を受けられずに淋しい思いをします。しかし、母が残れば私一人が少々淋しい思いをするだけで、下の二人は母の愛情を受けることができます。どうか、母を家から出さないで下さい。』と父に意見をしたという論語にある話である。

 

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

往くべき道が、航路か陸路か、迷えば恐ろしい道である。病気のために薬餌の必要でここの地に進めるべき車をとどめているのだ。

畏途 恐ろしい道路。

藥餌 くすり、滋養食。

駐修軫 この地に進めるべき車をとどめている

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杜甫《贈鄭十八賁 -#1君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

 
 2014年11月20日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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134 《擬古,十二首之十一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <134> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-6-1 《贈鄭十八賁 -#1》 杜甫index-15 杜甫<869-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5145 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-537《菩薩蠻三首,其二》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-720-20-(537) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5147 
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766年大暦元年55-6-1 《贈鄭十八賁 -#1》 杜甫index-15 杜甫<8691>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5145

杜甫詩1500-8691-1200/2500766年大暦元年55-6-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈鄭十八賁【雲安令。】

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

交遊人物:鄭賁

 

 

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

 

高懷見物理,識者安肯哂。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

示我百篇文,詩家一標準。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

-2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】に

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

 

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

-3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『贈鄭十八賁』 現代語訳と訳註解説

(本文)-1

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

 

(下し文)

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

 

(現代語訳)

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

 

(訳注)

贈鄭十八賁【雲安令。】

鄭賁は雲安における友人で、この詩の半年前(この年は9月閏月がある)の9月重陽の日に鄭兄弟と六朝“陸機”兄弟に喩えて詩の贈答をしている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-52 《答鄭十七郎一 杜甫index-15 杜甫<852 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4995

 

溫溫士君子,令我懷抱盡

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

溫溫 おとなしいさま。やさしいさま。おだやかなるさま。柔和「詩経・小雅・小宛」「溫溫恭人、如集于木。 惴惴小心、如臨于谷。 戰戰兢兢、如履薄冰。」(溫溫恭人、木に集うが如し。惴惴小心、谷に臨むが如し。戰戰兢兢、薄冰を履むが如し。)

日本では1 気持ちよくあたたかいさま。2 苦労や不自由がなく、満ち足りているさま。「3 周囲を気にせず、ずうずうしく振る舞うさま。ぬけぬけ。..

懷抱盡 思うところをすっかり空られる。

 

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

靈芝 鄭賁をさす。温和な人は気のもとに集まるという詩経に基づき、その上その人は靈芝ほどの尊い人であるからもっと人が集まってくる。

 

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

遭亂二句 安禄山の乱以来、兵乱、争乱、に纏われ、逃げ回っていることをいう。

 

細人尚姑息,吾子色愈謹。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

細人 世にいる普通、あるいは小人であるもの。

姑息 一時の間に合わせにすること。また、そのさま。一時のがれ。その場しのぎ。先の詩、《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》で鄭賁が酒を以てもてなしたことがあったがそれは「姑息」な事ではなかったこという。贈収賄を持っての付き合い。

吾子色 杜甫自身に対し、一目置いてくれる。杜甫に対して敬意を表してくれる。

愈謹 まじわればまじわるほど敬謹な態度をとる。
蜀中転々圖 

766年大暦元年55歲-5-2 《石研詩【自注:平侍御者。】 -#2》 杜甫index-15 杜甫<868-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5140

杜甫《石研詩》-#2 平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 
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766年大暦元年55-5-2 《石研詩【自注:平侍御者。】 -#2》 杜甫index-15 杜甫<8682 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5140
杜甫詩
1500-8682-1199/2500766年大暦元年55-5-2

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    石研詩〔平侍御者。〕

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:              明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

平公今詩伯,秀發吾所羨。

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

奉使三峽中,長嘯得石研。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

巨璞禹鑿餘,異狀君獨見。

その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

其滑乃波濤,其光或雷電。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

 

揮灑容數人,十手可對面。

この硯で墨を磨るには五人の両手十本が必要で、その墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどの物だ。

比公頭上冠,貞質未為賤。

この平公が頭上に頂いている鉄の冠と固さを比べても其の材質は負けないし、暗いとしてもとても賤しいものということではないのである。

當公賦佳句,況得終清宴。

まして、平公が良い句を作られるときは、この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどの良い句が出来るだろう。

公含起草姿,不遠明光殿。

平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。

致於丹青地,知汝隨顧眄。

汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 

(石研詩〔平 侍御なる者なり。〕)-1

平公は今の詩伯なり,秀發 吾が羨む所なり。

使を奉ず三峽の中,長嘯 石研を得たり。

巨璞 禹の鑿餘【さくよ】,異狀 君 獨り見る。

其の滑は乃ち波濤なり,其の光は或いは雷電なり。

聯坳【れんおう】各の墨を盡し,多水 遞【たがい】に隱現【いんけん】す。

 -2

揮灑【きさい】數人を容る,十手 面に對す可し。

公が頭上の冠を比し,貞質 未だ賤しと為す。

公が佳句を賦すに當って,況んや清宴を終【しま】うを得るをや。

公の起草の姿を含む,遠からず 明光殿。

丹青の地に致されん,知る 汝が顧眄【こべん】に隨うことを。

 

 漢長安図02

『石研詩』 現代語訳と訳註解説

(本文)

揮灑容數人,十手可對面。

比公頭上冠,貞質未為賤。

當公賦佳句,況得終清宴。

公含起草姿,不遠明光殿。

致於丹青地,知汝隨顧眄。

 

(下し文)

揮灑【きさい】數人を容る,十手 面に對す可し。

公が頭上の冠を比し,貞質 未だ賤しと為す。

公が佳句を賦すに當って,況んや清宴を終【しま】うを得るをや。

公の起草の姿を含む,遠からず 明光殿。

丹青の地に致されん,知る 汝が顧眄【こべん】に隨うことを。

 

(現代語訳)

この硯で墨を磨るには五人の両手十本が必要で、その墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどの物だ。

この平公が頭上に頂いている鉄の冠と固さを比べても其の材質は負けないし、暗いとしてもとても賤しいものということではないのである。

まして、平公が良い句を作られるときは、この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどの良い句が出来るだろう。

平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。

汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 

(訳注)

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

 皇城001

揮灑容數人,十手可對面。

この硯で墨を磨るには五人の両手十本が必要で、その墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどの物だ。

揮灑 墨色を十分生かし切って筆を揮うことをいう。

容數人 墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどである。

十手 墨を磨るには五人の両手十本が必要である。

對面 硯の面に向かうこと、墨を磨るため、筆を整えるためである。

 

比公頭上冠,貞質未為賤。

この平公が頭上に頂いている鉄の冠と固さを比べても其の材質は負けないし、暗いとしてもとても賤しいものということではないのである。

頭上冠 硯の価値を材質的被比較するのと、硯の品格的に比較することをいう。

貞質 上記二面を比較してその資質が優れていることをいう。

 

當公賦佳句,況得終清宴。

まして、平公が良い句を作られるときは、この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどの良い句が出来るだろう。

賦佳句 公が良い句を作られる

況得 いわんや、この硯によってとても良い詩が得られるということ。

終清宴 この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどであること。

 

公含起草姿,不遠明光殿。

平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。

起草 唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院で行わせた。李白のために作らせたのがその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所であるが、この詩においては漢の明光殿をいうことで、わざと不明確に言う詩的表現である。

明光殿 三·》:“ 未央台西の桂有る明光殿をいう。唐においては、中書省が詔勅(皇帝の命令)の起草、門下省がその審議を行ない、尚書省が配下の六部(礼部・吏部・戸部・兵部・刑部・工部)を通して詔勅を実行する。

 

致於丹青地,知汝隨顧眄。

汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 審議のために門下省に持って行くことをいみする。

丹青地 朝廷、明光殿の庭の事で東の青い門から入城し、丹庭、丹階を経て天子に起草する。朝廷内の御門は五行思想による色づけられている。

汝 すずりをさす。

顧眄 平公が振り返ってみること。眄:1 流し目で見る。2 わき見をする。

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杜甫詩1500-868-1-1202/2500 766年大暦元年55-5-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    石研詩〔平侍御者。〕

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:              明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

平公今詩伯,秀發吾所羨。

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

奉使三峽中,長嘯得石研。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

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其滑乃波濤,其光或雷電。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

 

揮灑容數人,十手可對面。

比公頭上冠,貞質未為賤。

當公賦佳句,況得終清宴。

公含起草姿,不遠明光殿。

致於丹青地,知汝隨顧眄。

 

(石研詩〔平 侍御なる者なり。〕)-1

平公は今の詩伯なり,秀發 吾が羨む所なり。

使を奉ず三峽の中,長嘯 石研を得たり。

巨璞 禹の鑿餘【さくよ】,異狀 君 獨り見る。

其の滑は乃ち波濤なり,其の光は或いは雷電なり。

聯坳【れんおう】各の墨を盡し,多水 遞【たがい】に隱現【いんけん】す。

 -2

揮灑【きさい】數人を容る,十手 面に對す可し。

公が頭上の冠を比し,貞質 未だ賤しと為す。

公が佳句を賦すに當って,況んや清宴を終【しま】うを得るをや。

公の起草の姿を含む,遠からず 明光殿。

丹青の地に致されん,知る 汝が顧眄【こべん】に隨うことを。

 

 

 

『石研詩』-1 現代語訳と訳註解説

(本文)

石研詩〔平侍御者。〕

平公今詩伯,秀發吾所羨。

奉使三峽中,長嘯得石研。

巨璞禹鑿餘,異狀君獨見。

其滑乃波濤,其光或雷電。

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

 

(下し文)

(石研詩〔平 侍御なる者なり。〕)

平公は今の詩伯なり,秀發 吾が羨む所なり。

使を奉ず三峽の中,長嘯 石研を得たり。

巨璞 禹の鑿餘【さくよ】,異狀 君 獨り見る。

其の滑は乃ち波濤なり,其の光は或いは雷電なり。

聯坳【れんおう】各の墨を盡し,多水 遞【たがい】に隱現【いんけん】す。

 

(現代語訳)

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

 

 

(訳注)

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

 

平公今詩伯,秀發吾所羨。

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

詩伯 詩の仲間の長の役をしている。

秀發 才華の優れていて詩にあらわされていること。

 

奉使三峽中,長嘯得石研。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

長嘯 作った詩を長く引っ張って嘯いていること。閑適であることをいう。

 

巨璞禹鑿餘,異狀君獨見。

その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

巨璞 おおきなあらたま。璞:掘り出したままで、まだ磨いていない玉。その真価や完成された姿をまだ発揮していないが、素質のある人。「

禹鑿餘 禹が黄河の土木工事をした才であっても余力を残していたということ。

 

其滑乃波濤,其光或雷電。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

其滑 硯の墨を磨る部分をいう。

其光 硯石にある目のような、黒い石部分に稲妻のように光があることをいう。

 

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

聯坳 硯の海にあたるところが、いくつも連なっている。

各盡墨 墨を磨って、する具合を変えて窪みにそれぞれ違い色にする。

多水 水だけの所も多くあって潤っている。

766年大暦元年55歲-6 《水閣朝霽奉簡嚴雲安【雲安嚴明府】》 杜甫index-15 杜甫<869> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

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766年大暦元年55-6 《水閣朝霽奉簡嚴雲安【雲安嚴明府】》 杜甫index-15 杜甫<869 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

 

 

杜甫詩1500-869-1204/2500766年大暦元年55-6

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

水閣 (山南東道 夔州 雲安)            

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚       

交遊人物/地點:             

嚴雲安 當地交遊(山南東道 夔州 雲安)

 

 

水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

(病気療養に尽力してもらった厳明府に次第に良くなっている近況の報告をしたものである)

東城抱春岑,江閣鄰石面。

この雲安城の東閣は春の峻峰を抱いている、自分の居る江閣はその山の巌石の面にとなりあわせになっている。

崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

岩のつみかさなったところに晨の雲が白くよこたわり、あさひの光は草花のにおいに溢れた先の郊外までを射光しておる。

雨檻臥花叢,風床展書卷。

自分は雨が降っていると、手摺のある四阿に花の草叢により添うて臥し、風のそよふく床には書巻をひろげて読むのである。

鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

簾を鈎の留め金にまきあげ、江にとまっている白鷺がたちあがって飛んでゆくのをみるし、薬を粉に挽いて丸薬を作っていると、その時の音に呼応して鶯が啼く。
呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。

また下女を呼んで酒壷をもって来させたりし、こどもらには毎日「文選」を誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。これがいまの自分の近状である。

晚交嚴明府,矧此數相見。

このような晩年になってから厳明府と交際することになり、まして昨今のようにたびたび面会できることは、ますます以てよろこばしい限りであります。

 

(水閣の朝霽に雲安の厳明府に簡し奉る)〔雲安の嚴明府〕

東城 春草を抱く、江閣 石面に隣る。

崔嵬晨雲白く、朝旭芳甸を射る。

雨檻 花叢に臥し、風床書巻を展ぶ。

簾を鉤すれば宿鷺起こり、薬を丸にすれば流鶯囀る。

婢を呼びて酒壷を取らしめ、児に続しめて文選を婢せしむ。

晩に厳明府に交わる、矧や此に数々相見るをや。

 

三峡 巫山十二峰001 

『水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕』 現代語訳と訳註解説

(本文)

水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

東城抱春岑,江閣鄰石面。

崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

雨檻臥花叢,風床展書卷。

鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。

晚交嚴明府,矧此數相見。

(含異文)

東城抱春岑,江閣鄰石面。崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸【朝日射芳甸】。雨檻臥花叢,風床展書卷【風床展輕幔】。鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。晚交嚴明府,矧此數相見。

 

(下し文)

(水閣の朝霽に雲安の厳明府に簡し奉る)〔雲安の嚴明府〕

東城 春草を抱く、江閣 石面に隣る。

崔嵬晨雲白く、朝旭芳甸を射る。

雨檻 花叢に臥し、風床書巻を展ぶ。

簾を鉤すれば宿鷺起こり、薬を丸にすれば流鶯囀る。

婢を呼びて酒壷を取らしめ、児に続しめて文選を婢せしむ。

晩に厳明府に交わる、矧や此に数々相見るをや。

 蜀中転々圖

(現代語訳)

(病気療養に尽力してもらった厳明府に次第に良くなっている近況の報告をしたものである)

この雲安城の東閣は春の峻峰を抱いている、自分の居る江閣はその山の巌石の面にとなりあわせになっている。

岩のつみかさなったところに晨の雲が白くよこたわり、あさひの光は草花のにおいに溢れた先の郊外までを射光しておる。

自分は雨が降っていると、手摺のある四阿に花の草叢により添うて臥し、風のそよふく床には書巻をひろげて読むのである。

簾を鈎の留め金にまきあげ、江にとまっている白鷺がたちあがって飛んでゆくのをみるし、薬を粉に挽いて丸薬を作っていると、その時の音に呼応して鶯が啼く。
また下女を呼んで酒壷をもって来させたりし、こどもらには毎日「文選」を誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。これがいまの自分の近状である。

このような晩年になってから厳明府と交際することになり、まして昨今のようにたびたび面会できることは、ますます以てよろこばしい限りであります。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

(病気療養に尽力してもらった厳明府に次第に良くなっている近況の報告をしたものである)

雲安の寓居の水辺の閣の朝晴れに雲安の県令厳某に手紙としてやった詩。大暦元年春、雲安にあっての作。

○水閣・江閣 いずれも江辺の闇である、「日満チテ楼前江霧黄ナリ」(「十二月一日」)の江楼もおなじ。

 

東城抱春岑,江閣鄰石面。

この雲安城の東閣は春の峻峰を抱いている、自分の居る江閣はその山の巌石の面にとなりあわせになっている。

○石面 山の岩石の表面。

 

崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

岩のつみかさなったところに晨の雲が白くよこたわり、あさひの光は草花のにおいに溢れた先の郊外までを射光しておる。

○芳甸 甸は郊外、芳は草花のにおっていることをいう。

 

雨檻臥花叢,風床展書卷。

自分は雨が降っていると、手摺のある四阿に花の草叢により添うて臥し、風のそよふく床には書巻をひろげて読むのである。

雨檻 江のほとりにある四阿で手摺の下が花の草叢があるもの。

 

鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

簾を鈎の留め金にまきあげ、江にとまっている白鷺がたちあがって飛んでゆくのをみるし、薬を粉に挽いて丸薬を作っていると、その時の音に呼応して鶯が啼く。

○鉤簾 すだれを巻いてかざに上すこと。

○丸薬 薬草を乾かして磨り潰し、まるめて丸薬をつくること。その時の音に呼応して鶯が啼く。

 

呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。

また下女を呼んで酒壷をもって来させたりし、こどもらには毎日「文選」を誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。これがいまの自分の近状である。

○婢 1 女の召使い。下女。はしため。「婢僕/下婢・官婢・侍婢・奴婢(どひ・ぬひ)・僕婢」2 女性が自分をへりくだっていう語。「婢子」

○続児諦文選 「文選」は梁の昭明太子の撰する所、詩篇、賦篇と文章編を集めた書の名。児童に毎日これを誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。

『文選』(もんぜん)は、中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集。全30巻。春秋戦国時代から梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録する。隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅しており、中国古典文学の研究者にとって必読書とされる。収録作品のみならず、昭明太子自身による序文も六朝時代の文学史論として高く評価される。

 

晚交嚴明府,矧此數相見。

このような晩年になってから厳明府と交際することになり、まして昨今のようにたびたび面会できることは、ますます以てよろこばしい限りであります。

 

 

水閣朝霽、奉簡雲安厳明府

東城抱春岑,江閣鄰石面。崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

雨檻臥花叢,風床展書卷。鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

呼婢取酒壺,續兒誦文選。晚交嚴明府,矧此數相見。

 

 

 

(水閣の朝霽に雲安の厳明府に簡し奉る)〔雲安の嚴明府〕

東城 春草を抱く、江閣 石面に隣る。

崔嵬晨雲白く、朝旭芳甸を射る。

雨檻 花叢に臥し、風床書巻を展ぶ。

簾を鉤すれば宿鷺起こり、薬を丸にすれば流鶯囀る。

婢を呼びて酒壷を取らしめ、児に続しめて文選を婢せしむ。

晩に厳明府に交わる、矧や此に数々相見るをや。

766年大暦元年55歲-3-5 《客居 -#5》 杜甫index-15 杜甫<866ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5125

杜甫《客居 -#5》堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

 
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132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    客居

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

我在路中央,生理不得論。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

臥愁病廢,徐步視小園。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

#3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

 

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

覽物想故國,十年別荒村。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

短畦 碧草を帶び,悵望 王孫を思う。

鳳 其の皇を隨えて去り,籬雀 暮に喧繁なり。

物を覽て故國を想い,十年 荒村に別る。

日暮 幾翼か歸り,北林 空しく自ら昏し。

 

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

どうしたら、八方の大海の水をひっくり返して、わが君のために天と地を洗い清めることができるのだろう。

稷契易為力,犬戎何足吞。

堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

儒生老無成,臣子憂四番。

儒者を自認している自分としては江と詩を採って何もできなくなっていることが悔しいのだし、今となっては、家臣であったひとりとして、四方の国境の守りを心配するだけなのだ。

篋中有舊筆,情至時復援。

だからこうして、いま、自分が湧いてきた感情を著すために、篋に収めた使い古しの筆を出して述べているのである。

安んぞ得ん 八溟を覆し,君が為に 乾坤を洗うことを。

稷契は力を為し易し,犬戎 何ぞ吞むに足らん。

儒生 老いて成る無し,臣子 四番を憂う。

篋中 舊筆有り,情 至りて 時に復た援く。

 

 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文) #5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

(下し文) #5

安んぞ得ん 八溟を覆し,君が為に 乾坤を洗うことを。

稷契は力を為し易し,犬戎 何ぞ吞むに足らん。

儒生 老いて成る無し,臣子 四番を憂う。

篋中 舊筆有り,情 至りて 時に復た援く。

 

(現代語訳)

どうしたら、八方の大海の水をひっくり返して、わが君のために天と地を洗い清めることができるのだろう。

堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

儒者を自認している自分としては江と詩を採って何もできなくなっていることが悔しいのだし、今となっては、家臣であったひとりとして、四方の国境の守りを心配するだけなのだ。

だからこうして、いま、自分が湧いてきた感情を著すために、篋に収めた使い古しの筆を出して述べているのである。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注) #5

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

安得覆八溟,為君洗乾坤。

どうしたら、八方の大海の水をひっくり返して、わが君のために天と地を洗い清めることができるのだろう。

為君洗乾坤 わが君のために天と地を洗い清めることができる。杜甫は、758年房琯弁護の発言ではっきりしたように天子を取り巻く奸臣(賀蘭進明・第五琦)と宦官とを一掃しないといけないと思っている。これらについては

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9) 杜甫index-14 764 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

等には詳しく述べている。

 

稷契易為力,犬戎何足吞。

堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

稷契(稷 堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣で、稷は農業をつかさどり、契は教育をつかさどった。

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5 杜甫 <1509-18 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500index-21

犬戎何足吞 このころ、回紇、吐蕃、南韶、等、唐を取り巻く外敵から侵略されている。

 

儒生老無成,臣子憂四番。

儒者を自認している自分としては江と詩を採って何もできなくなっていることが悔しいのだし、今となっては、家臣であったひとりとして、四方の国境の守りを心配するだけなのだ。

憂四番 四方の国境の守りを心配する。番は防御する。籬。つまり、国境の守りを心配する。

 

篋中有舊筆,情至時復援。

だからこうして、いま、自分が湧いてきた感情を著すために、篋に収めた使い古しの筆を出して述べているのである。

情至 感情の生じた時。

援【ひ】く 筆を持ってかくこと。
三者の思惑が合致 

766年大暦元年55歲-3-4 《客居 -#4》 杜甫index-15 杜甫<866ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5120

杜甫《客居 -#4》そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

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766年大暦元年55-3-4 《客居 -#4》 杜甫index-15 杜甫<866ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5120


杜甫詩
1500-866ー#4-1195/2500766年大暦元年55-3-4

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    客居

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

我在路中央,生理不得論。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

臥愁病廢,徐步視小園。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

#3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

 

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

覽物想故國,十年別荒村。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

短畦 碧草を帶び,悵望 王孫を思う。

鳳 其の皇を隨えて去り,籬雀 暮に喧繁なり。

物を覽て故國を想い,十年 荒村に別る。

日暮 幾翼か歸り,北林 空しく自ら昏し。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文)#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

 

(下し文)#4

短畦 碧草を帶び,悵望 王孫を思う。

鳳 其の皇を隨えて去り,籬雀 暮に喧繁なり。

物を覽て故國を想い,十年 荒村に別る。

日暮 幾翼か歸り,北林 空しく自ら昏し。

 

(現代語訳)

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

瞿塘峡001 

(訳注)#4

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

短畦帶碧草,悵望思王孫。

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

短畦 短いあぜ道。零落れた王孫が歩く絨毯の道。杜甫も朝廷に上ったことがあるので登朝の際の絨毯の道のようであるということ。

悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。

王孫 ① 王の子孫。また,貴族の後裔(こうえい)。 ツクバネソウの異名。

 

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

鳳隨其皇去 私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていった。

籬雀 籬の雀

 

覽物想故國,十年別荒村。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

覽物 成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべてのできごと。

故國 長安洛陽、偃師、鄜州羌村をいう。

十年 757年至徳二年6月房琯を擁護したため、鄜州羌村の家族のもとで謹慎、11月家族とともに長安に帰り妻の故郷を離れた。

別荒村 手入れをしていない

 

日暮歸幾翼,北林空自昏。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

幾翼 夕方に自分の巣へ帰って行く幾羽の鳥たち。

北林 長安洛陽は北にある、ここの小園の北側の林を見ていう。県令の厳某に頼んで借り受けた小閣の庭。
巫山十二峰002 

766年大暦元年55歲-3-3 《客居 -#3》 杜甫index-15 杜甫<866ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5115

杜甫《客居 -#3》自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113 
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766年大暦元年55-3-3 《客居 -#3》 杜甫index-15 杜甫<866ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5115

 

 

杜甫詩1500-866ー#3-1194/2500766年大暦元年55-3-3

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    客居

詩序:   

寫作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    客居

詩序:   

寫作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

客居所居堂,前江後山根。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

西南失大將,商旅自星奔。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

#3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

komichi03 

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文)#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

 

(下し文) #3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

 

(現代語訳)

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

aki010 

(訳注) #3

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

今又降元戎,已聞動行軒。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

今又 この詩を作った時期をいう。

降元戎 帥の杜鴻漸が成都に遣わされた。

動行軒 旅行に出る馬車が出発ということ

 

舟子候利涉,亦憑節制尊。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

舟子 舟人

候利涉 都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか

憑 おかげ。

節制尊 元帥が軍事を差配することをだれもが尊重すること。

 

我在路中央,生理不得論。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

路中央 荊州に行く旅の途中であること。

生理 暮らし向きの事。

 

臥愁病廢,徐步視小園。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

廢 病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなること。

小園 小さい中庭。
隋堤01 

766年大暦元年55歲-3-2 《客居 -#2》 杜甫index-15 杜甫<866ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5110

杜甫《客居 -#2》近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

 
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766年大暦元年55-3-2 《客居 -#2》 杜甫index-15 杜甫<866ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5110

 

 

杜甫詩1500-866ー#2-1193/2500766年大暦元年55-3-2

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四
詩題:
    客居

作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

瞿塘峡001 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

峽開四千里,水合數百源。

人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

西南失大將,商旅自星奔。

 

(下し文) #2

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

(現代語訳)

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注) #2

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

峽開四千里 三峡を下ってからでも海洋まで4000

水合數百源 数百の河川支流、源流があつまってながれる

 

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

・兩存 人と虎とが半分半分共存して棲んでいる

 

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

・蜀麻 蜀の麻。

鹽 呉の塩。

・荊門 荊州の門のように存在する山の名。

 

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

・西南 成都のこと。

・失大將 大将は、剣南西川節度使の郭英乂を指す。

・商旅 商人、旅人・旅客者。

・星奔 星が散るように離散すること。

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杜甫《客居 -#1》旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

 

 
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25 《暮行河堤上》韓愈(韓退之)ID <1224> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5104 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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766年大暦元年55-3-1 《客居 -#1》 杜甫index-15 杜甫<866ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5105


杜甫詩
1500-866ー#1-1192/2500766年大暦元年55-3-1

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四
詩題:
    客居

作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

#2

峽開四千里,水合數百源。

人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

西南失大將,商旅自星奔。

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

             

客居所居堂,前江後山根。下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。子規晝夜啼,壯士斂精魂。

(含異文)

峽開四千里,水合數百源。人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。西南失大將【案:謂郭英乂為崔旰所殺。】,商旅自星奔。

(含異文)

今又降元戎【案:時以杜鴻漸為蜀帥。】,已聞動行軒。舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。臥愁病廢,徐步視小園。

(含異文)

短畦帶碧草,悵望思王孫。鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村【十年別村】。日暮歸幾翼,北林空自昏。

(含異文)

安得覆八溟,為君洗乾坤。稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番【臣子憂四藩】【臣子憂思翻】。篋中有舊筆,情至時復援。

 

 唐時代 地図山南 東・西道50

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文) #1

客居所居堂,前江後山根。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

 

(下し文) #1

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

(現代語訳)

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

 

蜀中転々圖 

(訳注) #1

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

客居 雲安の寓居

 

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

下塹 すぐ下に運河堀がある。

萬尋 ・尋:中国古代の長さの単位である。 元々は、大人が両手を一杯に広げた長さとして定義された身体尺である。 一般には8尺を指したとされる。後世には使われることはなくなった。

 

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

蔥青 草木の青い目を出すことをいう。青青と盛んに繁るさま。ねぎの葉。

邪豎 よこたてななめ。

雜石痕 石痕が入り混じる。

 

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

斂精魂 意気盛んな精魂を次第に失っていく。

 

十二月一日,三首之一

今朝臘月春意動,雲安縣前江可憐。

一聲何處送書雁,百丈誰家上水船。

未將梅蕊驚愁眼,要取楸花媚遠天。

明光起草人所羨,肺病幾時朝日邊。

765年永泰元年54-43 《十二月一日,三首之一》 杜甫index-15 杜甫<843 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4950 杜甫詩1500-843-1161/2500765年永泰元年54-43

十二月一日,三首之二

寒輕市上山煙碧,日滿樓前江霧黃。

負鹽出井此谿女,打鼓發船何郡郎。

新亭舉目風景切,茂陵著書消渴長。

春花不愁不爛漫,楚客唯聽棹相將。

765年永泰元年54-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54-44

十二月一日,三首之三

即看燕子入山扉,豈有黃鸝歷翠微。

短短桃花臨水岸,輕輕柳絮點人衣。

春來準擬開懷久,老去親知見面稀。

他日一杯難強進,重嗟筋力故山違。

765年永泰元年54-45 《十二月一日,三首之三》 杜甫index-15 杜甫<845 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4960 杜甫詩1500-845-1163/2500

又雪

南雪不到地,青崖霑未消。

微微向日薄,脈脈去人遙。

冬熱鴛鴦病,峽深豺虎驕。

愁邊有江水,焉得北之朝。

765年永泰元年54-46 《又雪》 杜甫index-15 杜甫<846 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4965 杜甫詩1500-846-1164/2500

 

雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

寒花開已盡,菊蕊獨盈枝。

舊摘人頻異,輕香酒暫隨。

地偏初衣裌,山擁更登危。

萬國皆戎馬,酣歌淚欲垂。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

巫山十二峰004 

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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    杜鵑

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

劍南西川節度使 (成都) 別名:西川

劍南東川節度使 (梓州) 別名:東川

涪州 (山南西道 涪州 涪州)              

萬州 (山南東道 萬州 萬州)              

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

#2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

我見常再拜,重是古帝魂。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

仍為餧其子,禮若奉至尊。

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。

鴻雁及羔羊,有禮太古前。

雁と羔とは交際の進物として用いられ、雁や羔も太古には礼に用いられることを知っていた。

行飛與跪乳,識序如知恩。

すなわち雁は行列を為して飛ぶから兄弟長幼の順序を識っており、羔は母親の乳をのむのにひざまずいて飲んで親の恩を知っていた。

聖賢古法則,付與後世傳。

聖人賢人はそこを取って古の礼法を定め進物には卿は票、大夫は雁の贅を用うることとして後世にそれを伝えさせた。

君看禽鳥情,猶解事杜鵑。

諸君見よ、禽獣でさえ杜鵑に事えることをこころえているではないか。

今忽暮春間,我病經年。

ところが忽ち、今、晩春にあたってわたしが長年の持病で苦しんでいる時に、出あったかたと、ここのほととぎすが鳴くのである。

身病不能拜,淚下如迸泉。

杜鵑の声をききつけて、それが皇帝の声だと思ってみても、自分は病気だから成都の時とちがって拝することがもうできはしない、やるせない涙がほとばしり、泉のごとくくだるのである。

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

#2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢てらず。

お 為に其の子にわしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて泉の如し。』

ホトトギス00 

 

『杜鵑』 現代語訳と訳註解説

(本文)

(含異文)

行飛與跪乳,識序如知恩【識序又知恩】。聖賢古法則【聖賢吾法則】,付與後世傳【付之後世傳】。君看禽鳥情,猶解事杜鵑。今忽暮春間,我病經年。身病不能拜,淚下如迸泉。

 

(下し文)#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて迸泉の如し。』

 

(現代語訳)

雁と羔とは交際の進物として用いられ、雁や羔も太古には礼に用いられることを知っていた。

すなわち雁は行列を為して飛ぶから兄弟長幼の順序を識っており、羔は母親の乳をのむのにひざまずいて飲んで親の恩を知っていた。

聖人賢人はそこを取って古の礼法を定め進物には卿は票、大夫は雁の贅を用うることとして後世にそれを伝えさせた。

諸君見よ、禽獣でさえ杜鵑に事えることをこころえているではないか。

ところが忽ち、今、晩春にあたってわたしが長年の持病で苦しんでいる時に、出あったかたと、ここのほととぎすが鳴くのである。

杜鵑の声をききつけて、それが皇帝の声だと思ってみても、自分は病気だから成都の時とちがって拝することがもうできはしない、やるせない涙がほとばしり、泉のごとくくだるのである。

 

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杜甫《杜鵑 -#2》春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-2-2 《杜鵑 -#2》 杜甫index-15 杜甫<865ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5095

杜甫詩1500-865ー#2-1190/2500766年大暦元年55
-2-2

 

 

蚕叢(さんそう)、柏灌(はくかん)、魚鳧(ぎょふ)に次いで蜀(四川省)を治めたとされる中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。 
 望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。天から朱提山(しゅていざん)に降り、江源(こうげん)の井戸の中から現れた利という女を妻とした後、蜀王となって望帝と称した。
 その望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    杜鵑

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

劍南西川節度使 (成都) 別名:西川

劍南東川節度使 (梓州) 別名:東川

涪州 (山南西道 涪州 涪州)              

萬州 (山南東道 萬州 萬州)              

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

#2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

我見常再拜,重是古帝魂。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

仍為餧其子,禮若奉至尊。

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。#3

鴻雁及羔羊,有禮太古前。

行飛與跪乳,識序如知恩。

聖賢古法則,付與後世傳。

君看禽鳥情,猶解事杜鵑。

今忽暮春間,我病經年。

身病不能拜,淚下如迸泉。

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

#2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢てらず。

お 為に其の子にわしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて泉の如し。』

華州から秦州同谷成都00 

 

『杜鵑』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

我見常再拜,重是古帝魂。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

仍為餧其子,禮若奉至尊。

 

(含異文)

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。我見常再拜,重是古帝魂。生子百鳥巢,百鳥不敢嗔【百鳥不敢喧】。仍為餧其子,禮若奉至尊。鴻雁及羔羊,有禮太古前。

 

(下し文) #2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢て嗔らず。

仍お 為に其の子に餧わしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

 

(現代語訳)

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。

唐時代 地図山南 東・西道50

 

(訳注)  #2

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

大暦元年春、雲安にあっての作。同じ題でほかに二首ある。

○杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑

成都に着いた翌年夏に『杜鵑行』を作っている。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)花渓の堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

 

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

 

我見常再拜,重是古帝魂。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

古帝魂 望帝から帝位を譲られ、叢帝となり、望帝は山中に隠棲した。実は、望帝が叢帝の妻と親密になったのがばれたので望帝は隠棲したともいわれる。

 望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身した。そして、杜宇が得意とした農耕を始める季節゜(春~初夏)が来ると、そのことを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったという。

 

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

 

仍為餧其子,禮若奉至尊。

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。

餧 (1)(動物を)飼育する,餌(えさ)をやる:*牛~草|牛に草を食べさせる.(2)(病人や赤ん坊などに)食べさせる,口に食べ物を運ぶ.

至尊 ① この上なく尊いこと。また,そのような人。 特に,天皇・天子のこと。

766年大暦元年55歲-2-1 《杜鵑 -#1》 杜甫index-15 杜甫<865ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5090

杜甫《杜鵑 -#1》 剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766

年大暦元年55-2-1 《杜鵑 -#1》 杜甫index-15 杜甫<865ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5090


杜甫詩
1500-865ー#1-1189/2500766年大暦元年55-2-1

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    杜鵑

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

劍南西川節度使 (成都) 別名:西川

劍南東川節度使 (梓州) 別名:東川

涪州 (山南西道 涪州 涪州)              

萬州 (山南東道 萬州 萬州)              

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

#2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

我見常再拜,重是古帝魂。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

仍為餧其子,禮若奉至尊。

#3

鴻雁及羔羊,有禮太古前。

行飛與跪乳,識序如知恩。

聖賢古法則,付與後世傳。

君看禽鳥情,猶解事杜鵑。

今忽暮春間,我病經年。

身病不能拜,淚下如迸泉。

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

#2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢てらず。

お 為に其の子にわしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて泉の如し。』

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『杜鵑』 現代語訳と訳註解説

(本文)

杜鵑

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

有竹一頃餘,喬木上參天。

 

(含異文)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。涪萬無杜鵑【涪南無杜鵑】,雲安有杜鵑。我昔遊錦城,結廬錦水邊。有竹一頃餘,喬木上參天。

 

(下し文)

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

 

(現代語訳)

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

 

(訳注)

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

大暦元年春、雲安にあっての作。同じ題でほかに二首ある。

○杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑

成都に着いた翌年夏に『杜鵑行』を作っている。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

 

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

○杜鵑 ほととぎす、「成都記」によれば、杜鵜は昔の蜀の天子の魂が化してなったものだという。

ホトトギスは、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られている。日本では古来から様々な文書に登場し、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑など、漢字表記や異名が多い。

劍南西川節度使 (成都) :治所在成都府,管成都府、彭州、蜀州、州、眉州、嘉州、邛州、州、嶲州、戎州、州、合州、文州、扶州、奉州、霸州、姚州、州、茂州、黎州、雅州。763年,增加通州、巴州、蓬州、渠州,

劍南東川節度使 (梓州) :治所在梓州(今三台縣),下轄梓州、遂州、綿州、劍州、龍州、普州、陵州、瀘州、榮州、資州、簡州、閬州。759年增加昌州、渝州、合州。764年和西川合併,767年再分東西川,開始治遂州,為東川都防禦觀察使,兼靜戎軍使。後來恢復東川節度使,治梓州。

 

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

涪萬 涪州(-1)・万州(―2) 

 

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

錦水邊 杜甫は成都の浣花渓に住居を定めたことを「寄題江外草堂」詩に、「誅茅初一畝,廣地方連延。經營上元始,斷手寶應年。」とある。成都の中心から4kmほど離れた閑静な田園地帯で、浣花渓(錦江支流であり、河岸の西端、)の北の百花潭岸辺にあった。

成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <354  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531

成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 700- 539

 

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

有竹・喬木 成都の草堂付近の環境について多くの作品を残している。

杜甫『堂  成』

背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。

榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。

暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。

旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。

(堂成る)

郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。

榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。

暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。

旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。

成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <356  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534

 

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766年大暦元年55-1-5 《別蔡十四著作 -#5》 杜甫index-15 杜甫<864-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5085


杜甫詩
1500-864-#5-1188/2500766年大暦元年55-1-5

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとす主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

るのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

#3

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

#4

我 消渴 甚しと雖も,敢て忘んや 帝力の勤むるを。

尚お思う 未朽の骨,復た睹ん 耕桑の民。

積水 三峽に駕し,浮龍 長津に倚る。

舲を揚ぐ 洪濤の間,仗る子が 濟物の身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

船で渭水を上り、鞍馬に跨り、長安の都の参軍の塞に行けばよい、天子の皇城には北辰に向って大通りを通過してゆけばよいのである。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

塞には、鎧武者が終結し、都を守るため、統率を採り、散じることなどない、長く戦が続く場合は、その地形的弱点で、兵卒の食糧が乏しいことがあるのである。

窮谷無粟帛,使者來相因。

そのためか、ここ雲安のような峡中のゆき詰まった谷合で、なんにも粟帛もないところなのに朝廷から貯蔵の物をあさりにくる使者がひっきりなしである。

若憑南轅吏,書札到天垠。

もしきみが都で、そうした南に下る使者か、小吏でもみつけたなら、そのとき、きみの書簡を委託して、天の果てのここへでもおくってくれれば、君の書簡は到着するであろうから、どうか手紙をよこしていただきたい。

鞍馬 秦塞に下り,王城 北辰に通ぜん。

玄甲 聚りて散せず,兵 久しく 食 恐らくは貧しからん。

窮谷 粟帛無し,使者 來りて相い因る。

若し 南轅の吏に憑らば,書札 天垠に到らん。

 

長安付近図00 

『別蔡十四著作』-#5 現代語訳と訳註解説

(本文) 

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 

(含異文)

鞍馬下秦塞,王城通北辰。玄甲聚不散,兵久食恐貧。窮谷無粟帛,使者來相因。若憑南轅吏【若憑南轅使】【若逢南轅吏】【若逢南轅使】,書札到天垠。

 

(下し文)

鞍馬 秦塞に下り,王城 北辰に通ぜん。

玄甲 聚りて散せず,兵 久しく 食 恐らくは貧しからん。

窮谷 粟帛無し,使者 來りて相い因る。

若し 南轅の吏に憑らば,書札 天垠に到らん。

 

(現代語訳)

船で渭水を上り、鞍馬に跨り、長安の都の参軍の塞に行けばよい、天子の皇城には北辰に向って大通りを通過してゆけばよいのである。

そのためか、ここ雲安のような峡中のゆき詰まった谷合で、なんにも粟帛もないところなのに朝廷から貯蔵の物をあさりにくる使者がひっきりなしである。

塞には、鎧武者が終結し、都を守るため、統率を採り、散じることなどない、長く戦が続く場合は、その地形的弱点で、兵卒の食糧が乏しいことがあるのである。

もしきみが都で、そうした南に下る使者か、小吏でもみつけたなら、そのとき、きみの書簡を委託して、天の果てのここへでもおくってくれれば、君の書簡は到着するであろうから、どうか手紙をよこしていただきたい。

巫山十二峰004 

 

(訳注) #5

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。

 

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

船で渭水を上り、鞍馬に跨り、長安の都の参軍の塞に行けばよい、天子の皇城には北辰に向って大通りを通過してゆけばよいのである。

秦塞 長安城の南を除く三方に参軍の塞を配置していること。

王城 長安城内の皇城。

通北辰 長安は北極星の宮殿が配置されている。1 《北天の星の意》北極星の異称。2 《北極星が多くの星の中心であるところから》皇居。また、天子。

中国では見かけ上不動の恒星で,天空の星座がこの星を中心として回転することから,古来方位を定めるのに利用されるとともに,もっとも尊貴な星として崇拝されてきた。《史記》天官書などの記述によると,北極星は天帝太一神の居所であり,この星を中心とする星座は天上世界の宮廷に当てられて紫宮,紫微宮とよばれ,漢代には都の南東郊の太一祠においてしばしば太一神の祭祀が行われた。

 

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

塞には、鎧武者が終結し、都を守るため、統率を採り、散じることなどない、長く戦が続く場合は、その地形的弱点で、兵卒の食糧が乏しいことがあるのである。

玄甲 殷代に青銅兜の実例があり,周代に革甲のあったことが文献史料にみえる。漢代以降,鉄製の鎧は,その色から〈玄甲(黒い鎧)〉と呼ばれた。使用された甲片は長さ30cmにも達する長方形の大きいものから,23cmの楕円形に近い小型のものまである。

兵久食恐貧 長安は人口に比較して、耕作地が狭く、耕作地の単位当たりの生産性はどの地方よりも高かったが、他地域、特に消費の約40%を江南からの補給で賄っていたため、水路輸送が欠かせないものであった。したがって、戦が長期化すると補給路が断たれ、餓死が起こった。

 

窮谷無粟帛,使者來相因。

そのためか、ここ雲安のような峡中のゆき詰まった谷合で、なんにも粟帛もないところなのに朝廷から貯蔵の物をあさりにくる使者がひっきりなしである。

窮谷 谷が迫ったようなところ。雲安は三峡の中継地で、人口に対しての物資は確保できてはいた。

無粟帛 生産性が低いことをいう。

使者 水路駅であるから使者は必ずここの施設を使用し、貯蔵の物をあさってもってゆく。

相因 ひっきりなし。

 

若憑南轅吏,書札到天垠。

もしきみが都で、そうした南に下る使者か、小吏でもみつけたなら、そのとき、きみの書簡を委託して、天の果てのここへでもおくってくれれば、君の書簡は到着するであろうから、どうか手紙をよこしていただきたい。

憑 引き寄せて、委託する。

南轅吏 馬のくつわを南に向ける吏官。南に下る使者か、小吏でもみつけたら。

書札 手紙。書簡。

到天垠 垠は岸で、天涯とおなじで、天の果て。

766年大暦元年55歲-1-4 《別蔡十四著作 -#4》 杜甫index-15 杜甫<864-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5080

杜甫《別蔡十四著作》-#4 自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-1-4 《別蔡十四著作 -#4》 杜甫index-15 杜甫<864-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5080

 

 

杜甫詩1500-864-#4-1187/2500766年大暦元年55-1-4

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとす主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

るのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

#3

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

#4

我 消渴 甚しと雖も,敢て忘んや 帝力の勤むるを。

尚お思う 未朽の骨,復た睹ん 耕桑の民。

積水 三峽に駕し,浮龍 長津に倚る。

舲を揚ぐ 洪濤の間,仗る子が 濟物の身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

鞍馬 秦塞に下り,王城 北辰に通ぜん。

玄甲 聚りて散せず,兵 久しく 食 恐らくは貧しからん。

窮谷 粟帛無し,使者 來りて相い因る。

若し 南轅の吏に憑らば,書札 天垠に到らん。

 

華州から秦州同谷成都00 

『別蔡十四著作』-#4 現代語訳と訳註解説

(本文) #4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

 

(含異文)

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。尚思未朽骨,復賭耕桑民。積水駕三峽,浮龍倚長津【浮龍倚輪囷】。揚舲洪濤間,仗子濟物身。

 

(下し文) #4

我 消渴 甚しと雖も,敢て忘んや 帝力の勤むるを。

尚お思う 未朽の骨,復た睹ん 耕桑の民。

積水 三峽に駕し,浮龍 長津に倚る。

舲を揚ぐ 洪濤の間,仗る子が 濟物の身。

 

(現代語訳)

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

 

 蜀中転々圖

(訳注) #4

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。
 

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

消渴 糖尿の病。

 

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

未朽 骨血気何は存するをいふ。

耕重民 平和のなかの農民をいう。蔡の平和につとめるべきをいう。

 

積水駕三峽,浮龍倚長津。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

 のりこえる。

 よる、たのみにこしていばる。

 

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

揚舲 舲は窓のある舟。

仗 よる、あてにする。

済物 事物を成す。
蜀成都1111 

766年大暦元年55歲-1-3 《別蔡十四著作 -#3》 杜甫index-15 杜甫<864-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5075

杜甫《別蔡十四著作》-#3 巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

 
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766年大暦元年55-1-3 《別蔡十四著作 -#3》 杜甫index-15 杜甫<864-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5075

 

 

杜甫詩1500-864-#3-1186/2500766年大暦元年55-1-3

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

#3

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 華州から秦州同谷成都00

 

『別蔡十四著作』-#3 現代語訳と訳註解説

(本文)#3

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳。

稍令社稷安,自契魚水親。

 

(含異文)

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳【但願子音陳】。

稍令社稷安,自契魚水親。

 

(下し文)

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

 

(現代語訳)

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

蜀中転々圖 

(訳注) #3

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。

 

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

巴道 夔州の道、雲安をさす。

 

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

鳳翔都 756年粛宗の時、今の陝西省鳳翔府扶風縣に臨時に鳳翔の都をおいた。杜甫の表現では行在所という表現が多くしている。

十春 十年なり、757年至徳二載り766年大暦元年の今年まで正に十年なり。以上は雲安にて蔡再会せることをのぶ。

 

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

子意陳 陳は天子の前に舗き陳べることをいう。

 

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

契魚水親 君臣の心の契合すること、魚水の相親しむがごとし、蜀漢の劉備、諸葛亮のことを述べて、「孤【われ】の孔明あるは、猶お、魚の水あるがごとし」というったものである。

766年大暦元年55歲-1-2 《別蔡十四著作 -#2》 杜甫index-15 杜甫<864-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5070

杜甫《別蔡十四著作》-#2 君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

 
 2014年11月5日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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123-#2 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<123-#2> Ⅰ李白詩1304 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5068 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1217> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-1-2 《別蔡十四著作 -#2》 杜甫index-15 杜甫<864-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5070 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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766年大暦元年55-1-2 《別蔡十四著作 -#2》 杜甫index-15 杜甫<864-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5070

 

杜甫詩1500-864-#2-1185/2500766年大暦元年55-1-2

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳。

稍令社稷安,自契魚水親。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 

 

『別蔡十四著作』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

天地則創痍,朝廷當正臣。

異才復間出,周道日惟新。

使蜀見知己,別顏始一伸。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

 

(含異文)

天地則創痍,朝廷當正臣【朝廷多正臣】。異才復間出,周道日惟新。使蜀見知己,別顏始一伸。主人薨城府【案:謂嚴武。】,扶櫬歸咸秦。

 

(下し文) #2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

 

 

 

(現代語訳)

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

蜀中転々圖 

(訳注) #2

 

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

瘡痍 きず、人民の疲弊をいう。

 

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

異才 非凡の人才。

間出 間は雜(まじはる)なり、雜出とは他の凡人のなかによじりて出ること。

周道 周代の王道、周は即ち唐をいふ。以上に蔡の往年の忠義をいふ。戦国の王家は、もとをただせば、すべて周に通づることで、唐を周と表現する。

王道は、帝位(周代までは王位)を禅譲されて、天子の道を歩むこと。つまり、全ての諸侯を臣下に置き、君主として君臨することを言う。これに対して、 覇道は、大多数の諸侯に打ち勝ちながらも、帝位(王位)にはつけない状態を言い、王道を歩む皇帝(周代までは王)とは異なり、武力においてはまさっていても、徳目が足りなくて、君臨することのできないものと考えられていたことをいう。全ての諸侯を臣従させ、王朝を打ち立てられれば王道で、多くの諸侯よりは強いものの、それらを臣従させて、王朝を樹立できるほどでなければ、覇道ということになる。

 

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

使蜀 蜀へ使いする。

知己 成都の都度使、郭英父をいう。

一伸 しわをのばす。

 

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

主人 郭英乂をいう。

薨城府 成都でみまかりしこと。

英乂は簡州に奔りったおりに、普州の刺史韓澄といふもの其の首を斬りて崔旰に送った。英乂、必ず成都に殯せしならん、ここに城府に薨すといへるは事実を忌み、とりなしていったものである。薨【コウずる・みまかる】身分の高い人が死去する。

扶櫬 櫬は棺柩。

咸秦 咸陽、長安。
長安付近図00 

766年大暦元年55歲-1-1 《別蔡十四著作 -#1》 杜甫index-15 杜甫<864-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5065

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766年大暦元年55-1-1 《別蔡十四著作 -#1》 杜甫index-15 杜甫<864-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5065
 杜甫詩1500-864-#1-1184/2500766年大暦元年55
-1-1

 

index-16 766年大暦元年55歲 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

異才復間出,周道日惟新。

使蜀見知己,別顏始一伸。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳。

稍令社稷安,自契魚水親。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

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『別蔡十四著作』 現代語訳と訳註解説

(本文)

別蔡十四著作

賈生慟哭後,寥落無其人。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

 

(下し文)

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

 

(現代語訳)

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

蜀中転々圖 

(訳注)

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。

 

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

○賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、時事、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

 

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

○邁等倫 なかまよりも上に出る。邁【まい】1 どんどん進んで行く。「邁進」2 他を越して先・上に出る。「英邁・高邁・豪邁・俊邁」

 

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

○獻書謁皇帝 鳳翔の時の事をいふ、皇帝は粛宗なり。杜甫は房琯を擁護して逆鱗に触れた。

 

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

○丹極 極は梁、棟木であり、丹ぬりのむなぎとは、美しい御殿をいう。丹庭、丹墀、宮殿の階上の庭、天子の宮殿。

○萬乘 天子。

○酸辛 つらく苦しい,悲しくつらい.悲しき思いをいだくこと。

函谷関長安地図座標001

765年永泰元年54歲-63 《草堂逸詩拾遺。放船》 杜甫index-15 杜甫<863> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5060

杜甫《放船》(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

 
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122 《靜夜思(静夜思)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <122> Ⅰ李白詩1302 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5058 
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24-1 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1212> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-63 《草堂逸詩拾遺。放船》 杜甫index-15 杜甫<863> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5060 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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765年永泰元年54-63 《草堂逸詩拾遺。放船》 杜甫index-15 杜甫<863 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5060
杜甫詩
1500-863-1183/2500 765年永泰元年54-63

 

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    放船【草堂逸詩拾遺。】

忠州では江辺の龍興寺に滞在し、華陰(陝西省華陰県)にかえる厳武の柩を見送っている。

 杜甫は忠州に三か月ほど滞在した。持病の悪化を治すためであった。忠州を離れたのは九月になってからである。

 詩は忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの作とされており、岸辺の寒々としたようすが詠われている。長江に秋は深まり、雲安城下に船を繋いだのは、日暮れのまだ暗くならない時刻であった。

 

 

放船【草堂逸詩拾遺。】

(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)

收帆下急水,卷幔逐回灘。

忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

江市戎戎暗,山雲淰淰寒。

長江沿いの市街地には晩煙がさかんに揚がって暗くなるほどであり、そこに、山から湧き出る雲は何処の治まるのかゆらゆらあがっていくのを見ると寒さを覚えるのである。

荒林無徑入,獨鳥怪人看。

山は、入るべき小路もなく荒れ果てた林が続く、その中から、「怪し良い人か」と、こちらをにらんでいる一羽の鳥がいる。

已泊城樓底,何曾夜色闌。

やがて、雲安の城樓の街中に宿を見つけたが、宿で落ち着いてみると、まだまだ夜の盛りで、まだまだ更けていない、何と早く着いたものかと思うのだ。 

(船を放つ)

帆を収めて急水)を下り、幔を巻き 灘を回りて 逐う。

江市 戎戎として暗く、山雲淰淰【せんせん】として寒し。

荒林入るに径【こみち】無く、独鳥人を怪しみて看る。

已に泊す  城楼の底、何ぞ曾て夜色闌【たけなわ】ならん。

 

 

『放船』 現代語訳と訳註解説

(本文)

放船【草堂逸詩拾遺。】

收帆下急水,卷幔逐回灘。

江市戎戎暗,山雲淰淰寒。

荒林無徑入,獨鳥怪人看。

已泊城樓底,何曾夜色闌。

 

 

(下し文)

(船を放つ)

帆を収めて急水)を下り、幔を巻き 灘を回りて 逐う。

江市 戎戎として暗く、山雲淰淰【せんせん】として寒し。

荒林入るに径【こみち】無く、独鳥人を怪しみて看る。

已に泊す  城楼の底、何ぞ曾て夜色闌【たけなわ】ならん。

 

(現代語訳)

(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)

忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

長江沿いの市街地には晩煙がさかんに揚がって暗くなるほどであり、そこに、山から湧き出る雲は何処の治まるのかゆらゆらあがっていくのを見ると寒さを覚えるのである。

山は、入るべき小路もなく荒れ果てた林が続く、その中から、「怪し良い人か」と、こちらをにらんでいる一羽の鳥がいる。

やがて、雲安の城樓の街中に宿を見つけたが、宿で落ち着いてみると、まだまだ夜の盛りで、まだまだ更けていない、何と早く着いたものかと思うのだ。 

(訳注)

放船【草堂逸詩拾遺。】

(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)

7659月から春まで雲安宮經にて過ごす。【草堂逸詩拾遺。】雲安で病気療養中に整理したためこの位置に置く。

○放船 船で出発したということ。

 

收帆下急水,卷幔逐回灘。

忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

○收帆・卷幔 風がある内にかかわらず、急流に差し掛かるので帆や幔幕を巻き上げてしっかり括り付ける。この二句は、流れに逆らわず水流に乗って下ることをいう。

 

江市戎戎暗,山雲淰淰寒。

長江沿いの市街地には晩煙がさかんに揚がって暗くなるほどであり、そこに、山から湧き出る雲は何処の治まるのかゆらゆらあがっていくのを見ると寒さを覚えるのである。

○江市 長江沿いの市街地

○戎戎 ここは市街地の夕飯の支度の煙が谷間に充満することをいう。

○山雲 雲は、谷間、岩間、洞窟から湧き出るとされていた。ここでは煙と雲とで暗くなることをいう。

○淰淰 湧き出る雲が、留まることもなく曇ってきた厚い雲まで上がってゆくさまをいう。

 

荒林無徑入,獨鳥怪人看。

山は、入るべき小路もなく荒れ果てた林が続く、その中から、「怪し良い人か」と、こちらをにらんでいる一羽の鳥がいる。

○無徑入 入るべき小路もないことをいう。

 

已泊城樓底,何曾夜色闌。

やがて、雲安の城樓の街中に宿を見つけたが、宿で落ち着いてみると、まだまだ夜の盛りで、まだまだ更けていない、何と早く着いたものかと思うのだ。

○城樓底 城郭樓の下の繁華街のようなところ。

765年永泰元年54歲-62 《草堂逸詩拾遺。去蜀》 杜甫index-15 杜甫<862> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5055

杜甫《去蜀》自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

 
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765年永泰元年54-62 《草堂逸詩拾遺。去蜀》 杜甫index-15 杜甫<862> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5055


杜甫詩1500-862-1182/2500765年永泰元年54
-62

 

年:765年永泰元年54

卷別:  卷二三四        文體:  五言律詩

詩題:  去蜀【案:草堂逸詩拾遺。】

杜少陵集 巻十四       

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

及地點:       

成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     

梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)      

 

 

去蜀

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流。

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

 

(蜀を去る)

五載も蜀の郡に客たり、一年 梓州に居る。

如何ぞ 関塞に阻せらるる、転じて瀟湘の遊びを作す。

世事 己に黄髪なり、残生 白鴎に随わん。

安危には大臣あり、必ずしも 涙 長【とこしえ】に流れしめず。

 

 

『去蜀』 現代語訳と訳註解説

(本文)

去蜀

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流。

 

(含異文)

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。世事已黃髮【萬事已黃髮】,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流【何必淚長流】。

 

(下し文)

(蜀を去る)

五載も蜀の郡に客たり、一年 梓州に居る。

如何ぞ 関塞に阻せらるる、転じて瀟湘の遊びを作す。

世事 己に黄髪なり、残生 白鴎に随わん。

安危には大臣あり、必ずしも 涙 長【とこしえ】に流れしめず。

 

 

(現代語訳)

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

 

 

(訳注)

去蜀

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

 永泰元年(765)の正月に、杜甫は成都の厳武幕府から浣花渓の草堂にもどる。節度参謀の職を辞した。厳武公は杜甫の辞職を認めたが、四月になると厳武が四十歳の若さで急死した。蜀州の刺史であった友人の高適も、すでに都に転任し、正月に長安で亡くなっていた。杜甫は成都が吐蕃の侵寇、政情不安で、再び、戦場、殺戮、逃避、捕縛などの死のトラウマ状態になった。

 最早従来の計画通り、長江から江漢の地に出てことにした。夏五月、錦江の渡津万里橋のたもとから船出し、杜甫は一家をあげて草堂を去った。この詩はその時作ったものであるが、後雲安で整理したもの。

 

 

五載客蜀郡,一年居梓州。

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

○五載 75912月から、7655月、当時の正月を過ごした年数でいうと7年になるが、途中梓州に同様計算で2年三巴を転々としているから五載となる。

○客蜀郡 蜀郡は607年隋の郡制施行に伴い益州を蜀郡としたことで、この表現を用いた。隋朝が成立すると当初は益州が設置され719県を管轄した。582年(開皇2年)の新州玄武郡の廃止に伴い、その管轄県であった伍城県が益州に移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い益州は蜀郡と改称され下部に13県を管轄した

○一年 762年寶應元年7月から763年寶應二年の1年間。2載。同年秋、閬州に移り、764年廣徳3月成都草堂に帰る。

○居梓州 梓州刺史章彝の世話で官舎に住む。

 

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

○關塞 長安から秦嶺山脈山脈をこえる際にいくつもの関所があり、成都盆地に入る剣門關がある。西の吐蕃、南の雲南、北の回紇に対しての塞が多く築かれていたので、成都は、四方に關塞があった。

○阻 四方に關塞があるということは、その地の領有主権者の意向に倚り、状況は大きく変化するのであり(高適・厳武)、その上、玄宗が、この地に逃避したところであり、成都はそうした意味で、杜甫は安全な地域だから居住したのである。

○瀟湘遊 瀟湘八景に遊びたいという風流人、隠遁者の誰もが持つ願望である。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘八景(しょうしょうはっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。

 

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

黃髮 五十代までの白髪という表現が六十台近くから、黃髮にかわってゆく。

 

安危大臣在,不必淚長流。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

○安危 国家安危の重大事。

○大臣 杜甫は759年間を辞して秦州に行ったのであるが、758年房琯一派ということで、朝廷内の賀蘭進明・第五琦・宦官らにはじき出され、華州司功参軍に左遷されたわけで、大臣が良い政治を行っているということは皮肉以外の何でもないことである。

 

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500永泰元年765-855 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一》(遠聞房太守) 杜甫index-15 765年 杜甫<855 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4220 杜甫詩1500-855-1015/250053

永泰元年765-97-7 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-14 764年(丹旐飛飛日) 杜甫<856 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4225 杜甫詩1500-856-1016/250054

 

 

 

杜甫を理解するためには、以下の三作品は雑多遺不可欠のものである。

758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9) 杜甫index-14 764 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

 

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

 

 

765年永泰元年54歲-61-3 《狂歌行贈四兄》-#3 杜甫index-15 杜甫<861-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5050

杜甫《狂歌行贈四兄》 ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

 
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765年永泰元年54-61-3 《狂歌行贈四兄》-#3 杜甫index-15 杜甫<861-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5050



杜甫詩
1500-861-#3-1181/2500765年永泰元年54-61-3

草堂逸詩拾遺。狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    樂府

杜少陵集 巻十四

詩題:    狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              嘉州(劍南道北部 / 嘉州 / 嘉州)

及地點:             

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京兆、京師、京畿、西都

嘉州 (劍南道北部 嘉州 嘉州)          

交遊人物:四兄

 

 

狂歌行贈四兄

與兄行年校一賢者是兄愚者弟。

兄將富貴等浮雲,弟切功名好權勢。

長安秋雨十日泥,我曹鞴馬聽晨雞。

公卿朱門未開鎖,我曹已到肩相齊。

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

我が四兄と、私が経過した年齢を比べてみるとたった一つ違いであるが、賢いのはというと決まって兄の方で、おろかなのは弟というものである。

そして兄は富貴を浮雲のように軽いものと考えており、弟は巧名を狙って権勢を得ることを好んでいるというものだ。

長安の秋の雨の時には十日もぬかるみが乾かない、その時、我々は朝の鶏の鳴き声を聞いてから、馬に跨って出かける用意をする。

高級官僚、公卿はその邸宅の朱門をまだ明けないうちから、中堅以下の者たちは到着して、列を作って肩を揃えているのである。

 

吾兄睡穩方舒膝,不襪不巾蹋曉日。

男啼女哭莫我知,身上須繒腹中實。

今年思我來嘉州,嘉州酒重花繞樓。

樓頭喫酒樓下臥,長歌短詠還相酬。

その頃従兄は、穏やかに眠っていてまさに膝が伸びたままだった、それから、足袋も履かず、頭巾もかぶらず朝日を受けて、のっそのっそと散歩する。

男の子が泣き、女の子が泣きじゃくるということについて、我々は、ほとんどそのわけを知ろうとはしないけれど、彼等の身には、服を着せてやらねばならないし、腹の中に一杯になるまで食わしてやらねばならない。

今年になって、この従兄は、私が成都を旅だったことを知らせると、嘉州まで来てくれて落ち合ったのだ、というのも、嘉州は、酒が十分に芳醇で色濃く、花は楼閣の辺りには咲き誇っているからだ。

楼閣の辺りで喫酒して、楼閣の軒下で眠る、そうして起きれば酒を呑み、自分と長歌短詠のやり取りをするのである。

 

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

それでも、四季節ごとの八回のめでたい日には、きちんと礼儀をわきまえて、すべきことをされる。自分の娘に私の妻に対しての礼を拝し、男の子には、私に対しれの礼儀を尽くすように言い聞かせている。

ところが自分のこととなると、頭の髷に巻き付ける一幅の布とか、幅ひろの革の帯も身に着けるわけでもなく、頭は、あぶらと汚れでべとべとになり、足の汚れと垢でカサカサになっていても、綺麗に洗ったりすることなどしないのである。

ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

日が傾いても、肘を枕にして昼寝であってもぐっすりと寝込み、す-す-、ぐう-ぐう-、大いびきをかいて眠るという、その人はだれか、何を隠そう我が従兄、その人である。

(狂歌行 四兄に贈る)

兄と行年 校するに一賢者は是れ兄 愚者は弟。

兄は富貴を將って浮雲に等しくし,弟は功名を切にし 權勢を好む。

長安 秋雨 十日泥あり,我が曹 馬を鞴【よそお】いて晨雞を聽く。

公卿の朱門 未だ鎖を開かず,我が曹 已に到りて 肩相い齊【そろ】う。

 

吾が兄 睡り穩やかにして方に膝を舒ぶ,襪せず 巾せず 曉日を蹋む。

男啼き 女哭するも 我 知ること莫し,身上には 繒を須ち 腹中には實を。

今年 我を思うて嘉州に來り,嘉州は 酒 重くして 花 樓を繞る。

樓頭 酒を喫して 樓の下 臥し,長歌 短詠 還た相いに酬ゆ。

 

四時 八節 還た禮に拘わり,女は 弟が妻を拜し 男は弟を拜す。

幅巾 鞶帶 身に挂けず,頭には脂らつき 足には垢つくも 何ぞ曾て洗わん。

吾が兄 吾が兄 巢許の倫【ともがら】,一生 喜怒 長く真に任す。

日斜に 肘を枕にして寢るは已に熟す,啾啾 唧唧【しょくしょく】たるは何人か為さん。

 

蜀中転々圖 

『狂歌行贈四兄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

 

(含異文)

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人【啾啾唧唧何為人】。

 

(下し文)

四時 八節 還た禮に拘わり,女は 弟が妻を拜し 男は弟を拜す。

幅巾 鞶帶 身に挂けず,頭には脂らつき 足には垢つくも 何ぞ曾て洗わん。

吾が兄 吾が兄 巢許の倫【ともがら】,一生 喜怒 長く真に任す。

日斜に 肘を枕にして寢るは已に熟す,啾啾 唧唧【しょくしょく】たるは何人か為さん。

 

(現代語訳)

それでも、四季節ごとの八回のめでたい日には、きちんと礼儀をわきまえて、すべきことをされる。自分の娘に私の妻に対しての礼を拝し、男の子には、私に対しれの礼儀を尽くすように言い聞かせている。

ところが自分のこととなると、頭の髷に巻き付ける一幅の布とか、幅ひろの革の帯も身に着けるわけでもなく、頭は、あぶらと汚れでべとべとになり、足の汚れと垢でカサカサになっていても、綺麗に洗ったりすることなどしないのである。

ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

日が傾いても、肘を枕にして昼寝であってもぐっすりと寝込み、す-す-、ぐう-ぐう-、大いびきをかいて眠るという、その人はだれか、何を隠そう我が従兄、その人である。

蜀成都1111

(訳注)

狂歌行贈四兄

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

狂歌行 古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れに作った詩。

四兄 四は排行、兄はいとこ関係にある人物。

 

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

それでも、四季節ごとの八回のめでたい日には、きちんと礼儀をわきまえて、すべきことをされる。自分の娘に私の妻に対しての礼を拝し、男の子には、私に対しれの礼儀を尽くすように言い聞かせている。

○四時:指春夏秋冬四季。

1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。

1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。

一日中の4回の座禅の時。黄昏(こうこん)(午後8時)・後夜(ごや)(午前4時)・早晨(そうじん)(午前10時)・晡時(ほじ)(午後4時)。

○八節:指立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至。泛指一年四季中各節氣。

1年のうちの、八つの季節の変わり目。二十四節気の中の、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至をいう。

2節が八つあること。垣などの結い目が八段になっていること。転じて、節や段がたくさんあること。

拘禮 動詞 礼儀にこだわる.礼儀に拘束される。

 

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

ところが自分のこととなると、頭の髷に巻き付ける一幅の布とか、幅ひろの革の帯も身に着けるわけでもなく、頭は、あぶらと汚れでべとべとになり、足の汚れと垢でカサカサになっていても、綺麗に洗ったりすることなどしないのである。

○幅巾 頭の髷に巻き付ける一幅の布。

○鞶帶 幅ひろの革の帯。

○頭脂 あぶらと汚れでべとべとになる。

○足垢 足の汚れと垢でカサカサになること。

 

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

○巢許倫 巢父や許由の同類、友達である

○任真 そのまま表すお方であるということに間違いはない。

 

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

日が傾いても、肘を枕にして昼寝であってもぐっすりと寝込み、す-す-、ぐう-ぐう-、大いびきをかいて眠るという、その人はだれか、何を隠そう我が従兄、その人である。

○枕肘 肘を枕にして昼寝。夜は枕で寝る。

○熟 ぐっすりと寝込むこと。

○啾啾唧唧 いびきをかいている音をいう。

為何人 いかなる人がなしているのであるか。誰でもない、我が従兄であるということ。
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草堂逸詩拾遺。狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    樂府

杜少陵集 巻十四

詩題:    狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              嘉州(劍南道北部 / 嘉州 / 嘉州)

及地點:             

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京兆、京師、京畿、西都

嘉州 (劍南道北部 嘉州 嘉州)          

交遊人物:四兄

 

 

狂歌行贈四兄

與兄行年校一賢者是兄愚者弟。

兄將富貴等浮雲,弟切功名好權勢。

長安秋雨十日泥,我曹鞴馬聽晨雞。

公卿朱門未開鎖,我曹已到肩相齊。

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

我が四兄と、私が経過した年齢を比べてみるとたった一つ違いであるが、賢いのはというと決まって兄の方で、おろかなのは弟というものである。

そして兄は富貴を浮雲のように軽いものと考えており、弟は巧名を狙って権勢を得ることを好んでいるというものだ。

長安の秋の雨の時には十日もぬかるみが乾かない、その時、我々は朝の鶏の鳴き声を聞いてから、馬に跨って出かける用意をする。

高級官僚、公卿はその邸宅の朱門をまだ明けないうちから、中堅以下の者たちは到着して、列を作って肩を揃えているのである。

 

吾兄睡穩方舒膝,不襪不巾蹋曉日。

男啼女哭莫我知,身上須繒腹中實。

今年思我來嘉州,嘉州酒重花繞樓。

樓頭喫酒樓下臥,長歌短詠還相酬。

その頃従兄は、穏やかに眠っていてまさに膝が伸びたままだった、それから、足袋も履かず、頭巾もかぶらず朝日を受けて、のっそのっそと散歩する。

男の子が泣き、女の子が泣きじゃくるということについて、我々は、ほとんどそのわけを知ろうとはしないけれど、彼等の身には、服を着せてやらねばならないし、腹の中に一杯になるまで食わしてやらねばならない。

今年になって、この従兄は、私が成都を旅だったことを知らせると、嘉州まで来てくれて落ち合ったのだ、というのも、嘉州は、酒が十分に芳醇で色濃く、花は楼閣の辺りには咲き誇っているからだ。

楼閣の辺りで喫酒して、楼閣の軒下で眠る、そうして起きれば酒を呑み、自分と長歌短詠のやり取りをするのである。

 

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

(狂歌行 四兄に贈る)

兄と行年 校するに一賢者は是れ兄 愚者は弟。

兄は富貴を將って浮雲に等しくし,弟は功名を切にし 權勢を好む。

長安 秋雨 十日泥あり,我が曹 馬を鞴【よそお】いて晨雞を聽く。

公卿の朱門 未だ鎖を開かず,我が曹 已に到りて 肩相い齊【そろ】う。

 

吾が兄 睡り穩やかにして方に膝を舒ぶ,襪せず 巾せず 曉日を蹋む。

男啼き 女哭するも 我 知ること莫し,身上には 繒を須ち 腹中には實を。

今年 我を思うて嘉州に來り,嘉州は 酒 重くして 花 樓を繞る。

樓頭 酒を喫して 樓の下 臥し,長歌 短詠 還た相いに酬ゆ。

 

四時 八節 還た禮に拘わり,女は 弟が妻を拜し 男は弟を拜す。

幅巾 鞶帶 身に挂けず,頭には脂らつき 足には垢つくも 何ぞ曾て洗わん。

吾が兄 吾が兄 巢許の倫【ともがら】,一生 喜怒 長く真に任す。

日斜に 肘を枕にして寢るは已に熟す,啾啾 唧唧【しょくしょく】たるは何人か為さん。

 

蜀中転々圖 

『狂歌行贈四兄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

吾兄睡穩方舒膝,不襪不巾蹋曉日。

男啼女哭莫我知,身上須繒腹中實。

今年思我來嘉州,嘉州酒重花繞樓。

樓頭喫酒樓下臥,長歌短詠還相酬。

 

(含異文)

吾兄睡穩方舒膝,不襪不巾蹋曉日。

男啼女哭莫我知,身上須繒腹中實。

今年思我來嘉州,嘉州酒重花繞樓【嘉州酒重花滿樓】【嘉州酒香花繞樓】【嘉州酒香花滿樓】。

樓頭喫酒樓下臥,長歌短詠還相酬【長歌短歌還相酬】。

 

(下し文)

吾が兄 睡り穩やかにして方に膝を舒ぶ,襪せず 巾せず 曉日を蹋む。

男啼き 女哭するも 我 知ること莫し,身上には 繒を須ち 腹中には實を。

今年 我を思うて嘉州に來り,嘉州は 酒 重くして 花 樓を繞る。

樓頭 酒を喫して 樓の下 臥し,長歌 短詠 還た相いに酬ゆ。

 

(現代語訳)

その頃従兄は、穏やかに眠っていてまさに膝が伸びたままだった、それから、足袋も履かず、頭巾もかぶらず朝日を受けて、のっそのっそと散歩する。

男の子が泣き、女の子が泣きじゃくるということについて、我々は、ほとんどそのわけを知ろうとはしないけれど、彼等の身には、服を着せてやらねばならないし、腹の中に一杯になるまで食わしてやらねばならない。

今年になって、この従兄は、私が成都を旅だったことを知らせると、嘉州まで来てくれて落ち合ったのだ、というのも、嘉州は、酒が十分に芳醇で色濃く、花は楼閣の辺りには咲き誇っているからだ。

楼閣の辺りで喫酒して、楼閣の軒下で眠る、そうして起きれば酒を呑み、自分と長歌短詠のやり取りをするのである。

 

 

(訳注)

狂歌行贈四兄

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

狂歌行 古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れに作った詩。

四兄 四は排行、兄はいとこ関係にある人物。

 

吾兄睡穩方舒膝,不襪不巾蹋曉日。

その頃従兄は、穏やかに眠っていてまさに膝が伸びたままだった、それから、足袋も履かず、頭巾もかぶらず朝日を受けて、のっそのっそと散歩する。

襪 足袋。

巾 ずきん。

蹋 朝日を受けて、のっそのっそと散歩する。

男啼女哭莫我知,身上須繒腹中實。

男の子が泣き、女の子が泣きじゃくるということについて、我々は、ほとんどそのわけを知ろうとはしないけれど、彼等の身には、服を着せてやらねばならないし、腹の中に一杯になるまで食わしてやらねばならない。

須繒 服を着せてやる必要がある。

腹中實 腹の中に一杯になるまで食わしてやらねばならない。

 

今年思我來嘉州,嘉州酒重花繞樓。

今年になって、この従兄は、私が成都を旅だったことを知らせると、嘉州まで来てくれて落ち合ったのだ、というのも、嘉州は、酒が十分に芳醇で色濃く、花は楼閣の辺りには咲き誇っているからだ。

今年 765年永泰元年、杜甫54

嘉州 四川省嘉定府楽山縣治。劍南道北部 / 嘉州揵爲郡

酒重 醸造期間の長い酒で色が濃くなる、楽山の酒である。酒が十分に芳醇で色濃い。

 

樓頭喫酒樓下臥,長歌短詠還相酬。

楼閣の辺りで喫酒して、楼閣の軒下で眠る、そうして起きれば酒を呑み、自分と長歌短詠のやり取りをするのである。

喫酒 酒を啜る。酒を肴で飲む。酒を呑む。

765年永泰元年54歲-61 《狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】》草堂逸詩拾遺。 杜甫index-15 杜甫<861> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5040

杜甫《狂歌行贈四兄》草堂逸詩拾遺。(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)我が四兄と、私が経過した年齢を比べてみるとたった一つ違いであるが、賢いのはというと決まって兄の方で、おろかなのは弟というものである。


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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765年永泰元年54-61 《狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】》草堂逸詩拾遺。 杜甫index-15 杜甫<861 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5040
杜甫詩
1500-861-1179/2500765年永泰元年54-61

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    樂府

杜少陵集 巻十四

詩題:    狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:嘉州(劍南道北部 / 嘉州 / 嘉州)

及地點:             

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京兆、京師、京畿、西都

嘉州 (劍南道北部 嘉州 嘉州)          

交遊人物:四兄

 

 

狂歌行贈四兄

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

與兄行年校一賢者是兄愚者弟。

我が四兄と、私が経過した年齢を比べてみるとたった一つ違いであるが、賢いのはというと決まって兄の方で、おろかなのは弟というものである。

兄將富貴等浮雲,弟切功名好權勢。

そして兄は富貴を浮雲のように軽いものと考えており、弟は巧名を狙って権勢を得ることを好んでいるというものだ。

長安秋雨十日泥,我曹鞴馬聽晨雞。

長安の秋の雨の時には十日もぬかるみが乾かない、その時、我々は朝の鶏の鳴き声を聞いてから、馬に跨って出かける用意をする。

公卿朱門未開鎖,我曹已到肩相齊。

高級官僚、公卿はその邸宅の朱門をまだ明けないうちから、中堅以下の者たちは到着して、列を作って肩を揃えているのである。

 

吾兄睡穩方舒膝,不襪不巾蹋曉日。

男啼女哭莫我知,身上須繒腹中實。

今年思我來嘉州,嘉州酒重花繞樓。

樓頭喫酒樓下臥,長歌短詠還相酬。

 

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

(狂歌行 四兄に贈る)

兄と行年 校するに一賢者は是れ兄 愚者は弟。

兄は富貴を將って浮雲に等しくし,弟は功名を切にし 權勢を好む。

長安 秋雨 十日泥あり,我が曹 馬を鞴【よそお】いて晨雞を聽く。

公卿の朱門 未だ鎖を開かず,我が曹 已に到りて 肩相い齊【そろ】う。

 

吾が兄 睡り穩やかにして方に膝を舒ぶ,襪せず 巾せず 曉日を蹋む。

男啼き 女哭するも 我 知ること莫し,身上には 繒を須ち 腹中には實を。

今年 我を思うて嘉州に來り,嘉州は 酒 重くして 花 樓を繞る。

樓頭 酒を喫して 樓の下 臥し,長歌 短詠 還た相いに酬ゆ。

 

四時 八節 還た禮に拘わり,女は 弟が妻を拜し 男は弟を拜す。

幅巾 鞶帶 身に挂けず,頭には脂らつき 足には垢つくも 何ぞ曾て洗わん。

吾が兄 吾が兄 巢許の倫【ともがら】,一生 喜怒 長く真に任す。

日斜に 肘を枕にして寢るは已に熟す,啾啾 唧唧【しょくしょく】たるは何人か為さん。

 

長安付近図00 

『狂歌行贈四兄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

狂歌行贈四兄

與兄行年校一賢者是兄愚者弟。

兄將富貴等浮雲,弟切功名好權勢。

長安秋雨十日泥,我曹鞴馬聽晨雞。

公卿朱門未開鎖,我曹已到肩相齊。

 

(含異文)

與兄行年校一,賢者是兄愚者弟【賢者是兄愚是弟】。

兄將富貴等浮雲,弟切功名好權勢。

長安秋雨十日泥,我曹鞴馬聽晨雞。

公卿朱門未開鎖,我曹已到肩相齊。

 

 (下し文)

(狂歌行 四兄に贈る)

兄と行年 校するに一賢者は是れ兄 愚者は弟。

兄は富貴を將って浮雲に等しくし,弟は功名を切にし 權勢を好む。

長安 秋雨 十日泥あり,我が曹 馬を鞴【よそお】いて晨雞を聽く。

公卿の朱門 未だ鎖を開かず,我が曹 已に到りて 肩相い齊【そろ】う。

 

 

(現代語訳)

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

我が四兄と、私が経過した年齢を比べてみるとたった一つ違いであるが、賢いのはというと決まって兄の方で、おろかなのは弟というものである。

そして兄は富貴を浮雲のように軽いものと考えており、弟は巧名を狙って権勢を得ることを好んでいるというものだ。

長安の秋の雨の時には十日もぬかるみが乾かない、その時、我々は朝の鶏の鳴き声を聞いてから、馬に跨って出かける用意をする。

高級官僚、公卿はその邸宅の朱門をまだ明けないうちから、中堅以下の者たちは到着して、列を作って肩を揃えているのである。

美女画55101道観 

(訳注)

狂歌行贈四兄

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

狂歌行 古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れに作った詩。

四兄 四は排行、兄はいとこ関係にある人物。

 

與兄行年校一賢者是兄愚者弟。

我が四兄と、私が経過した年齢を比べてみるとたった一つ違いであるが、賢いのはというと決まって兄の方で、おろかなのは弟というものである。

與兄 四兄のいとこをさす。

 比較とおなじ。

 

兄將富貴等浮雲,弟切功名好權勢。

そして兄は富貴を浮雲のように軽いものと考えており、弟は巧名を狙って権勢を得ることを好んでいるというものだ。

 

長安秋雨十日泥,我曹鞴馬聽晨雞。

長安の秋の雨の時には十日もぬかるみが乾かない、その時、我々は朝の鶏の鳴き声を聞いてから、馬に跨って出かける用意をする。

我曹 我々、我ら。

鞴馬 馬の装束して、車に着ける。

 

公卿朱門未開鎖,我曹已到肩相齊。

高級官僚、公卿はその邸宅の朱門をまだ明けないうちから、中堅以下の者たちは到着して、列を作って肩を揃えているのである。

肩相齊 朝礼で整列すること、肩を揃えている。

 

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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765年永泰元年54-60 句,九首之九〔絶句三首之三〕》 杜甫index-15 杜甫<860 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5035 杜甫詩1500-860-1178/2500765年永泰元年54-60

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    五言

杜少陵集 巻十四             

詩題:    句,九首之九〔絶句三首之三〕

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

 

 

句,九首之七〔絶句三首之一〕

聞道巴山裡,春船正好行。

都將百年興,一望九江城。

(一年前にも春になって舟を出すのがいいと思っていたが、今度こそ最高にいいのだと詠う。)

聞くところによると、今のところは、巴山の郷に居ることで、春になって舟を出して旅を始めることが一番いいということだ。

そうすれば、これからの全てのことが、残りの人生の風流、趣興が、荊州を経て、長江の支流がすべて集まる九江の城郭で一望することが出来るというものだ。

 

句,九首の七〔絶句三首の一〕)

聞道く 「巴山の裡,春船 正に行くに好し。」と

都て 百年の興を將って,一望す 九江の城。

 

句,九首之八〔絶句三首之二〕

水檻溫江口,茅堂石筍西。

移船先主廟,洗藥浣花溪。

(出発しようとする浣花渓草堂、この村と西都にはいろんな思い出があると詠う。)

春麗らかな濯錦江の入り江の口のようなところに草堂の前に四阿から濯錦江に臨んだ船着き場の欄干があり、その草堂は、成都の西門の近くに大通り石筍がありそこから西に来るとある。

浣花渓の畑で薬草を草堂の前の水檻で洗って成都の街で売ったりしたし、その成都には、蜀王の石鏡、石筍などがありここから船で出発しようと思っている。

 

句,九首の八〔絶句三首の二〕)

水檻 溫やかな江の口【いりくち】,茅堂 石筍の西。

船を移す 先主の廟,藥を洗う 浣花溪。

 

句,九首之九〔絶句三首之三〕

設道春來好,狂風大放顛。

吹花隨水去,翻卻釣魚船。

(気まぐれにこれまでのことを並べてみる)

いうことを並べてみると、まず、万物が成長する春が来るというのはとても良いことである、暴風が吹くというのは、「茅屋為秋風所破歌」でも経験したことで、家も部屋内もやりっぱなしで気が狂うほどのことであったし、安禄山の乱、朝廷での疎外、徐知道の乱、厳武の死、おおくの「狂風」があった。

また、花が風に吹かれて散り落ちても水が東流してゆく様にその流れに従って去ってゆく、釣り糸を垂れている漁船もやがて帰路に着くというものだ。

 

句,九首の九〔絶句三首の三〕

設いて道う 春 來るは好し,狂風は 大いいに放顛なり。

花を吹けば 水に隨うて去るなり,翻卻す 釣魚の船。

 

杜甫草堂 四絶句 

句,九首之九〔絶句三首之三〕 現代語訳と訳註解説

(本文)

句,九首之九〔絶句三首之三〕

設道春來好,狂風大放顛。

吹花隨水去,翻卻釣魚船。

 

(含異文)

設道春來好【謾道春來好】,狂風大放顛。

吹花隨水去【飛花隨水去】,翻卻釣魚船。

 

(下し文)

句,九首の九〔絶句三首の三〕

設いて道う 春 來るは好し,狂風は 大いいに放顛なり。

花を吹けば 水に隨うて去るなり,翻卻す 釣魚の船。

 

(現代語訳)

(気まぐれにこれまでのことを並べてみる)

いうことを並べてみると、まず、万物が成長する春が来るというのはとても良いことである、暴風が吹くというのは、「茅屋為秋風所破歌」でも経験したことで、家も部屋内もやりっぱなしで気が狂うほどのことであったし、安禄山の乱、朝廷での疎外、徐知道の乱、厳武の死、おおくの「狂風」があった。

また、花が風に吹かれて散り落ちても水が東流してゆく様にその流れに従って去ってゆく、釣り糸を垂れている漁船もやがて帰路に着くというものだ。

 

成都関連地図 00 

(訳注)

句,九首之九〔絶句三首之三〕

(気まぐれにこれまでのことを並べてみる)

この詩は特に表現が拙い、間違いなく後世のものの差し込み詩であろう。

 

設道春來好,狂風大放顛。

いうことを並べてみると、まず、万物が成長する春が来るというのはとても良いことである、暴風が吹くというのは、「茅屋為秋風所破歌」でも経験したことで、家も部屋内もやりっぱなしで気が狂うほどのことであったし、安禄山の乱、朝廷での疎外、徐知道の乱、厳武の死、おおくの「狂風」があった。

設道 いうことを並べてみる。話をしてみる。謾道:気楽に嘘話と思って言うけれど…

放顛 やりっぱなしで気が狂う。

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-2) 杜甫 <464-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2275 杜甫詩1000-464-#2-649/1500

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-3) 杜甫 <465-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2290 杜甫詩1000-465-#3-652/1500

 

吹花隨水去,翻卻釣魚船。

また、花が風に吹かれて散り落ちても水が東流してゆく様にその流れに従って去ってゆく、釣り糸を垂れている漁船もやがて帰路に着くというものだ。

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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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765年永泰元年54-59 句,九首之八〔絶句三首之二〕》 杜甫index-15 杜甫<859 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5030
杜甫詩
1500-859-1177/2500765年永泰元年54-59

 

 

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    五言

詩題:    句,九首之八〔絶句三首之二〕

杜少陵集 巻十四

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

及地點:             

溫江 (劍南道北部 益州 溫江)          

石筍街 (劍南道北部 益州 成都)      

先主廟 (劍南道北部 益州 成都)      

浣花溪 (劍南道北部 益州 益州) 別名:花溪               

 

 

句,九首之七〔絶句三首之一〕

聞道巴山裡,春船正好行。

都將百年興,一望九江城。

(一年前にも春になって舟を出すのがいいと思っていたが、今度こそ最高にいいのだと詠う。)

聞くところによると、今のところは、巴山の郷に居ることで、春になって舟を出して旅を始めることが一番いいということだ。

そうすれば、これからの全てのことが、残りの人生の風流、趣興が、荊州を経て、長江の支流がすべて集まる九江の城郭で一望することが出来るというものだ。

 

句,九首の七〔絶句三首の一〕)

聞道く 「巴山の裡,春船 正に行くに好し。」と

都て 百年の興を將って,一望す 九江の城。

 

句,九首之八〔絶句三首之二〕

水檻溫江口,茅堂石筍西。

移船先主廟,洗藥浣花溪。

(出発しようとする浣花渓草堂、この村と西都にはいろんな思い出があると詠う。)

春麗らかな濯錦江の入り江の口のようなところに草堂の前に四阿から濯錦江に臨んだ船着き場の欄干があり、その草堂は、成都の西門の近くに大通り石筍がありそこから西に来るとある。

浣花渓の畑で薬草を草堂の前の水檻で洗って成都の街で売ったりしたし、その成都には、蜀王の石鏡、石筍などがありここから船で出発しようと思っている。

 

句,九首の八〔絶句三首の二〕)

水檻 溫やかな江の口【いりくち】,茅堂 石筍の西。

船を移す 先主の廟,藥を洗う 浣花溪。

 

 

句,九首之八〔絶句三首之二〕』 現代語訳と訳註解説

(本文)

句,九首之八〔絶句三首之二〕

水檻溫江口,茅堂石筍西。

移船先主廟,洗藥浣花溪。

 

(含異文)

水檻溫江口,茅堂石筍西。

移船先主廟,洗藥浣花溪【洗藥浣沙溪】。

 

(下し文)

句,九首の八〔絶句三首の二〕)

水檻 溫やかな江の口【いりくち】,茅堂 石筍の西。

船を移す 先主の廟,藥を洗う 浣花溪。

 

(現代語訳)

(出発しようとする浣花渓草堂、この村と西都にはいろんな思い出があると詠う。)

春麗らかな濯錦江の入り江の口のようなところに草堂の前に四阿から濯錦江に臨んだ船着き場の欄干があり、その草堂は、成都の西門の近くに大通り石筍がありそこから西に来るとある。

浣花渓の畑で薬草を草堂の前の水檻で洗って成都の街で売ったりしたし、その成都には、蜀王の石鏡、石筍などがありここから船で出発しようと思っている。

成都関連地図 00 

(訳注)

句,九首之八〔絶句三首之二〕

(出発しようとする浣花渓草堂、この村と西都にはいろんな思い出があると詠う。)

成都草堂にあった時の詩を765年永泰元年54 に整理してこの時期の作品とされているが、詩の品格から他人の作品といわれている。杜甫の絶句は必ず作られた時期のシリーズになっているものが、必ずその詩の相手先がわかるものが浦飛んでであるが、そういった雰囲気も感じられない。

 

水檻溫江口,茅堂石筍西。

春麗らかな濯錦江の入り江の口のようなところに草堂の前に四阿から濯錦江に臨んだ船着き場の欄干があり、その草堂は、成都の西門の近くに大通り石筍がありそこから西に来るとある。

水檻 草堂の前に四阿から濯錦江に臨んだ船着き場の欄干。

溫江口 春麗らかな濯錦江の入り江の口のようなところ。

石筍 成都の西門の近くに大通り石筍があり、石筍街という。草堂建設前に石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を分けてもらっている。杜甫 <358>『詣徐卿覓果栽 』にある所だ。少し落ち着いてきたので草堂から56kmの所にある石筍街を訪れたのだ。

『石筍行』「君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。益州の城郭の西門がある。大通りのほとりに石のタケノコの形をした左右二つの水鉢がある。

 

移船先主廟,洗藥浣花溪。

浣花渓の畑で薬草を草堂の前の水檻で洗って成都の街で売ったりしたし、その成都には、蜀王の石鏡、石筍などがありここから船で出発しようと思っている。

先主廟 蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行という蜀の故事をもとに詩を作っている。

杜甫草堂 四絶句

杜甫『江上水如海勢聊短述

為人性僻耽佳句,語不驚人死不休。

老去詩篇渾漫與,春來花鳥莫深愁。

新添水檻供垂釣,故著浮槎替入舟。

焉得思如陶謝手,令渠述作與同遊。

(江上水の海勢の如くなるに値い聊か短述す)

人と為り性僻【せいへき】にして佳句に耽る、語 人を驚かさずんば死すとも休せず。

老い去って詩篇【しへん】揮て漫与【まんよ】なり、春が来って花鳥深く愁うること莫れ。

新たに水檻【すいかん】を添えて垂釣【すいちょう】に供し、故より浮槎【ふさ】を着けて入舟に替う。

焉んぞ思うや 陶謝【とうしゃ】の如くなる手を得て、渠【かれ】をして述作せ令めて 與に同遊せん。

(濯錦江の水嵩と流れが海のような勢いなのでが短く述べてみる。)

わたしは人となりがすこしかたよった性質のようで、よい詩句を作ることにけんめいになっている。人を驚かすような良い語句を吐きだすまでは死んでも休まないということである。

ただ、年を重ねてくると作りだす詩篇は風流なものを漫然とよむようになるものだ。驚かすことなくなったということだろうか。しかし春がくれば花や鳥についてうたうことができるようになり、なにも深く心配するには及ばないことなのだ。

もとから自然風流の手段として水辺には新たに板で欄干を作って釣を垂れてみたり、去年から桴桟橋で舟に乗り降りして舟遊びもしているのである。

こんなとき文藻の豊富な詩人である陶淵明、謝靈運ほどの文筆の手を得ることができて、彼らが名篇を作ったとうにわたしも作って共に遊んだならばいかにおもしろいだろうかと考えるのである。

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

杜甫『水檻』

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。

遊子久在外,門無人持。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。

既殊大廈傾,可以一木支。

臨川視萬里,何必闌檻為。

人生感故物,慷慨有餘悲。

(水檻)

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。

(川に臨んだ船着き場の欄干)

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

廣徳2764-34-1 《水檻―#1》 ふたたび成都 杜甫<6651 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3780 杜甫詩1000-6651-950/1500769

 

765年永泰元年54歲-58 《絕句,九首之七〔絶句三首之一〕》 杜甫index-15 杜甫<858> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5025

杜甫《句,九首之七〔絶句三首之一〕》(一年前にも春になって舟を出すのがいいと思っていたが、今度こそ最高にいいのだと詠う。)

 
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22―(1) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1208> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5024 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-58 《絕句,九首之七〔絶句三首之一〕》 杜甫index-15 杜甫<858> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5025 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-513《漁歌子四首,其四》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-696-20-(513) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5027 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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765年永泰元年54-58 句,九首之七〔絶句三首之一〕》 杜甫index-15 杜甫<858>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5025
杜甫詩1500-858-1176/2500765年永泰元年54
-58

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    五言

詩題:    句,九首之七〔絶句三首之一

杜少陵集 巻十四

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

及地點:             

巴山 (山南東道 峽州 巴山)             

九江 (江南西道 岳州 岳州)             

 

 

句,九首之七〔絶句三首之一〕

聞道巴山裡,春船正好行。

都將百年興,一望九江城。

(一年前にも春になって舟を出すのがいいと思っていたが、今度こそ最高にいいのだと詠う。)

聞くところによると、今のところは、巴山の郷に居ることで、春になって舟を出して旅を始めることが一番いいということだ。

そうすれば、これからの全てのことが、残りの人生の風流、趣興が、荊州を経て、長江の支流がすべて集まる九江の城郭で一望することが出来るというものだ。

 

句,九首の七〔絶句三首の一〕)

聞道く 「巴山の裡,春船 正に行くに好し。」と

都て 百年の興を將って,一望す 九江の城。

巫山十二峰004 

句,九首之七〔絶句三首之一〕』 現代語訳と訳註解説

(本文)

句,九首之七〔絶句三首之一〕

聞道巴山裡,春船正好行。

都將百年興,一望九江城。

 

(含異文)

聞道巴山裡,春船正好行【春船正好還】。

都將百年興,一望九江城【一望九江山】。

 

(下し文)

句,九首の七〔絶句三首の一〕)

聞道く 「巴山の裡,春船 正に行くに好し。」と

都て 百年の興を將って,一望す 九江の城。

 

(現代語訳)

(一年前にも春になって舟を出すのがいいと思っていたが、今度こそ最高にいいのだと詠う。)

聞くところによると、今のところは、巴山の郷に居ることで、春になって舟を出して旅を始めることが一番いいということだ。

そうすれば、これからの全てのことが、残りの人生の風流、趣興が、荊州を経て、長江の支流がすべて集まる九江の城郭で一望することが出来るというものだ。

 

蜀中転々圖 

(訳注)

句,九首之七〔絶句三首之一〕

(一年前にも春になって舟を出すのがいいと思っていたが、今度こそ最高にいいのだと詠う。)

成都草堂にあった時の詩を765年永泰元年54 に整理してこの時期の作品とされているが、詩の品格から他人の作品といわれている。杜甫の絶句は必ず作られた時期のシリーズになっているものが、必ずその詩の相手先がわかるものが浦飛んでであるが、そういった雰囲気も感じられない。

 

聞道巴山裡,春船正好行。

聞くところによると、今のところは、巴山の郷に居ることで、春になって舟を出して旅を始めることが一番いいということだ。

巴山 大巴山脈(大巴山、あるいは巴山、拼音: Dàbā shān )は、中国西南部の大きな山脈。狭義の大巴山脈は、四川省(および重慶市)の北・陝西省の南・湖北省の西の境界に位置し、陝西省南部から湖北省に広がる漢水水系と、四川省東部の嘉陵江水系との分水界をなす。海抜はおよそ1,300mから2,000m。大巴山脈の東端にある主峰・神農架は湖北省の神農架林区に位置し、その最高峰・神農頂は標高3,105.4mの高さである。

広義の大巴山脈は湖北省から四川省、陝西省、西は甘粛省にまで至る各省の境界に連なる山脈を指し、大巴山脈北西の米倉山脈なども含める。広義の大巴山脈は四川盆地と漢中盆地を隔て、東は神農架山脈・巫山山脈にまで広がり、西は摩天嶺に接し、北は漢水に面する。巴蜀(四川盆地)を他の地方から隔てる山脈として、古くから軍事的に重要であった。

杜甫『巴山』

巴山〔草堂逸詩拾遺-(4)

巴山遇中使,云自陜城來。

盜賊還奔突,乘輿恐未回。

天寒邵伯樹,地闊望仙臺。

狼狽風塵裡,群臣安在哉。

巴山〔草堂逸詩拾遺-(4)

巴山 中使に遇し,自ら陜城に來たるを云う。

盜賊 還た奔突す,輿に乘りて未だ回らざるを恐ろ。

天寒く 邵伯の樹,地闊がりて 望仙の臺。

狼狽するは風塵の裡に,群臣は安在する哉。

巴山で出会った。(つれづれに思うこと)

山南東道の峽州にある巴山で朝廷からの使者にであった。使者は代宗皇帝が避難された都畿道陜州の陜縣から来たということである。

今に至ってもあちこちで謀叛や盗賊のように銖壺移している。皇帝はお車に乗られては逃避されたのだがいまだに帰ることが出来ないままでお気の毒なものだ。

都の空が寒いままであるなら揚州の召公は立派におさめられたところの樹のもとに怒れればよいし、その地が広く収めたいなら漢の文帝が河上公から儒学を教わったお礼に建てたという望仙臺にゆかれたらよいであろう。

郭子儀宰相が諫言して吐蕃の脅威を放置したままで吐蕃に長安を落され狼狽して逃げられ、ちょうていではない人民の中におられるというが、きっと、あれほど多くいる家臣たちは安心して住めているのだろう。

728 《巴山〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <635  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3485 杜甫詩1000-635-891/1500〔草堂逸詩拾遺-(4)

 

都將百年興,一望九江城。

そうすれば、これからの全てのことが、残りの人生の風流、趣興が、荊州を経て、長江の支流がすべて集まる九江の城郭で一望することが出来るというものだ。

九江 中国江西省の河港都市。揚子江南岸、dictionary/daijisen/gaiji/02010.gif" alt="" />(はよう)湖北岸にあり、茶の積み出し港。景勝地の廬山(ろざん)がある。

中国,江西省北部の都市。長江中流右岸にある水陸交通の要地。長江と【は】陽湖(はようこ)への入口に当たり,南潯鉄路で南昌と結ばれる。1858年開港。古くから米,茶の大市がたち,付近に産する磁器や紙など伝統工業製品を移出する。

中国,江西省北部の市。人口46(1994)。北は長江(揚子江)に面し,南は廬山を背にし,鄱陽(はよう)湖の入口にあって,長江中流域の要害の位置をなし,古くから戦略上の拠点であると同時に,水陸交通の要地であった。漢代から尋陽県が置かれ,三国時代には呉と魏の境界にあり,呉の水軍の基地であった。南朝により尋陽郡治が置かれて以来,江州,九江郡などと名称は変わっても,江西北部地区の中心で,茶や米の農産物,景徳鎮からの陶器,木材などの集散地として発展した。

 

 

遊子

巴蜀愁誰語,門興杳然。

九江春草外,三峽暮帆前。

厭就成都蔔,休為吏部眠。

蓬萊如可到,衰白問群仙。

(遊 子)

巴蜀 愁い誰とか語らん、呉門 興 杳然たり

九江 春草の外,三峽 暮帆の前。

就くことを厭【いと】う成都の蔔、為すことを休めよ 吏部の眠り。

蓬莱 如【も】し到る可くんば、衰白 群仙を問わん。

(旅に出よう)

巴蜀の地における愁いは何人とともにこれを語ろうか、かたるべき人はない。呉門の方まで興に乗って遊びにゆきたいと思うがそれはあてどもなくはるかなものだ。

いまここに春の草が生えつらなっておるが九江はその草のはてにある。暮の帆舟がめさきにみえるが三峡はその前の方に横たわっておるのだ。

自分は厳君平のように成都へいって売卜生活をするのはいやだ。隣合の同僚の酒を盗み飲んで眠るような畢卓のまねもしてはならぬ。(早くこの蜀を立ち去ることだ。)

東海はるかとおい蓬莱山にもし行きつけるものなら、老年ながらそこへ仙人たちをたずねていきたいと思うのだ。

廣徳2764-76 《遊子》 ふたたび成都遊子 杜甫<752 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4090 杜甫詩1500-752-989/250040 

765年永泰元年54歲-57 《長吟》 杜甫index-15 杜甫<857> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5020

そんなことを思い出してみるが、分はもはや、形骸上に属した煩いことは、すっかり払い落としてしまい、今は、本当のことを言って、花が爛漫に咲き時期ほど十分に酔い潰れたいと思っているところだ。

 
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765年永泰元年54-57 《長吟 杜甫index-15 杜甫<857 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5020

杜甫詩1500-857-1175/2500765年永泰元年54-57

 

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    長吟

杜少陵集 巻十四

 

 

長吟

(雲安で、成都にいる時の事を思い出して長吟したもの。)

江渚翻鷗戲,官橋帶柳陰。

長江の渚では、翻っているカモメが戯れており、官設の万里橋はやなぎの影を帯びている。

江飛競渡日,草見蹋春心。

丁度、舟の競争する日があり、花も散り始めている。また、草も青く伸びてきたのを人がふみつけるのを見ると、自分の春の心も踏みつけられたようで、気持ちも萎えてくるというものである。

已撥形骸累,真為爛漫深。

そんなことを思い出してみるが、分はもはや、形骸上に属した煩いことは、すっかり払い落としてしまい、今は、本当のことを言って、花が爛漫に咲き時期ほど十分に酔い潰れたいと思っているところだ。

賦詩歌句穩,不免自長吟。

幸い詩を作ってみると、穏やかな句が出来たので、思わずそれを口ずさんでみるのである。

 

長吟

江渚 翻鷗 戲る,官橋 柳陰を帶ぶ。

江 飛ぶ 競渡の日,草には見る 蹋春の心。

已に形骸の累を撥う,真に爛漫の深きを為す。

賦詩 歌句 穩やかなり,免げず 自ら長吟す。

 

成都関連地図 00 

『長吟』 現代語訳と訳註解説

(本文)

長吟

江渚翻鷗戲,官橋帶柳陰。

江飛競渡日,草見蹋春心。

已撥形骸累,真為爛漫深。

賦詩歌句穩,不免自長吟。

 

(含異文)

江渚翻鷗戲,官橋帶柳陰。

江飛競渡日,草見蹋春心【草見蹋青心】。

已撥形骸累,真為爛漫深。

賦詩歌句穩【賦詩新句穩】,不免自長吟【不覺自長吟】。

 

(下し文)

長吟

江渚 翻鷗 戲る,官橋 柳陰を帶ぶ。

江 飛ぶ 競渡の日,草には見る 蹋春の心。

已に形骸の累を撥う,真に爛漫の深きを為す。

賦詩 歌句 穩やかなり,免げず 自ら長吟す。

 

(現代語訳)

(雲安で、成都にいる時の事を思い出して長吟したもの。)

長江の渚では、翻っているカモメが戯れており、官設の万里橋はやなぎの影を帯びている。

丁度、舟の競争する日があり、花も散り始めている。また、草も青く伸びてきたのを人がふみつけるのを見ると、自分の春の心も踏みつけられたようで、気持ちも萎えてくるというものである。

そんなことを思い出してみるが、分はもはや、形骸上に属した煩いことは、すっかり払い落としてしまい、今は、本当のことを言って、花が爛漫に咲き時期ほど十分に酔い潰れたいと思っているところだ。

幸い詩を作ってみると、穏やかな句が出来たので、思わずそれを口ずさんでみるのである。

 

(訳注)

長吟

(雲安で、成都にいる時の事を思い出して長吟したもの。)

長吟 声を長く引っ張って詩を吟ずること。

杜甫草堂 四絶句 

江渚翻鷗戲,官橋帶柳陰。

錦江の渚では、翻っているカモメが戯れており、官設の万里橋はやなぎの影を帯びている。

官橋 官で設置した橋のことで、万里橋をいう。

柳陰 官で作った土手や端には柳が植えられていた。杜甫『西郊』 「時出碧雞坊,西郊向草堂。市橋官柳細,江路野梅香。傍架齊書帙,看題減藥囊。無人覺來往,疏懶意何長。」(時に碧雞坊を出で、西郊より草堂に向かう。市橋には官柳細くあり、江路には野梅香しくある。架に傍いて書帙を斉【ととの】え、題を看て薬嚢を検す。人の来往するを覚【さと】るもの無く、疎憬にして意は何ぞ長きか。)

 

江飛競渡日,草見蹋春心。

丁度、舟の競争する日があり、花も散り始めている。また、草も青く伸びてきたのを人がふみつけるのを見ると、自分の春の心も踏みつけられたようで、気持ちも萎えてくるというものである。

競渡 憲宗の時、旧暦の二月二日が中和節で、また俗に「龍が頭(こうべ)をもたげる日」と言われてきた。この時、小舟を並べて互いに競争する。それまでは、五月五日屈原が汨羅に投身した日に行われていた。今は五月五日が一般的である。

草見蹋春心 草も青く伸びてきたのを人がふみつけるのを見ると、自分の春の心も踏みつけられたようで、気持ちも萎えてくるというものである・蹋 足で踏みつける。

 

已撥形骸累,真為爛漫深。

そんなことを思い出してみるが、分はもはや、形骸上に属した煩いことは、すっかり払い落としてしまい、今は、本当のことを言って、花が爛漫に咲き時期ほど十分に酔い潰れたいと思っているところだ。

已撥形骸累 雲安で療養中の自己分析をしている句であり、体はガタガタであるということをいう。

真為爛漫深 本当のことを言って、花が爛漫に咲き時期ほど十分に酔い潰れたいと思っている。

 

賦詩歌句穩,不免自長吟。

幸い詩を作ってみると、穏やかな句が出来たので、思わずそれを口ずさんでみるのである。
題新津北橋棲00 

765年永泰元年54歲-56 《懷錦水居止,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<856> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5015 杜甫詩1500-856-1174/2500765年永泰元年54歲-56

杜甫《懷錦水居止,二首之二》西の雪嶺の連峰は天に区切りをしっかりとつけて白い雪冠をつけているし、錦官城は夕日に映えて黄金で出来ているようで、黄金の風塵が舞うのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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765年永泰元年54-56 《懷錦水居止,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<856 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5015 杜甫詩1500-856-1174/2500765年永泰元年54-56

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    懷錦水居止,二首之二

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

懷錦水居止,二首之一

軍旅西征僻,風塵戰伐多。

猶聞蜀父老,不忘舜謳歌。

天險終難立,柴門豈重過。

朝朝巫峽水,遠逗錦江波。

(雲安で療養中に錦江のほとりの草堂を思い浮かべて詠ったもの。)

唐王朝の軍隊が西域の侵略から守り、征討するために来るけれど、僻地であることから、蜀の地は何時も兵乱の風塵があり、戦伐が多い。

しかし、蜀の長老・父老はいまも、舜のような聖天子であった、玄宗の徳を忘れずにいるというのである。

蜀の地はその四方が天險の地で、天然の要塞の地であるとしても、この地だ独立して存続することは難しく、だから、自分は再び成都草堂に柴門をくぐり、訪れる事は無いのである。

ただこうして、毎朝、毎朝、巫峡を流れてゆく水は、遠く錦江から流れてきている水と思えば、あの草堂のほとりを流れる濯錦江の波を懐かしくさえ思うのである。

(錦水の居止を懷う,二首の一)

軍旅 西征するは僻なるに,風塵 戰伐多し。

猶お聞く 蜀の父老に,「忘れず 舜の謳歌を」と。

天險 終に立ち難きも,柴門 豈に重ねて過ぎらんや。

朝朝 巫峽の水,遠く逗おる 錦江の波。

 

懷錦水居止,二首之二

萬里橋南宅,百花潭北莊。

層軒皆面水,老樹飽經霜。

雪嶺界天白,錦城曛日黃。

惜哉形勝地,回首一茫茫。

(雲安で療養中に錦江のほとりの草堂を思い浮かべて、景勝の地であったが兵乱のため、荒廃していると詠ったもの。)その二

少しばかりの薬草、野菜を成都に舟で売りに行き、街の南にある万里橋から船で自宅を行き来した。途中、百花潭を通り北に向かうと草堂である。

草堂までの間にある家はどの家もこの錦江に面して建てられていて軒が層を成している。老樹が結構多くあり、随分風霜を経ているのである。

西の雪嶺の連峰は天に区切りをしっかりとつけて白い雪冠をつけているし、錦官城は夕日に映えて黄金で出来ているようで、黄金の風塵が舞うのである。

沃野の地、形勝の地であるのではあるが、惜しいことに度重なる兵乱によって、何処を向いても、ただ茫茫としてよくわからないのである。

 

(錦水の居止を懷う,二首の二)

萬里橋 南の宅,百花潭 北の莊。

層軒 皆 水に面し,老樹 飽くまで霜を經む。

雪嶺は天に界いして白くし,錦城は日を曛じて黃【こがね】にす。

惜しい哉 形勝の地なれども,首を回らせば 一に茫茫たり。

 

 

 

『懷錦水居止,二首之二』現代語訳と訳註解説

(本文)

懷錦水居止,二首之二

萬里橋南宅,百花潭北莊。

層軒皆面水,老樹飽經霜。

雪嶺界天白,錦城曛日黃。

惜哉形勝地,回首一茫茫。

 

(含異文)

萬里橋南宅【萬里橋西宅】,百花潭北莊。

層軒皆面水,老樹飽經霜。

雪嶺界天白,錦城曛日黃。

惜哉形勝地,回首一茫茫。

 

(下し文)

(錦水の居止を懷う,二首の二)

萬里橋 南の宅,百花潭 北の莊。

層軒 皆 水に面し,老樹 飽くまで霜を經む。

雪嶺は天に界いして白くし,錦城は日を曛じて黃【こがね】にす。

惜しい哉 形勝の地なれども,首を回らせば 一に茫茫たり。

 

(現代語訳)

(雲安で療養中に錦江のほとりの草堂を思い浮かべて、景勝の地であったが兵乱のため、荒廃していると詠ったもの。)その二

少しばかりの薬草、野菜を成都に舟で売りに行き、街の南にある万里橋から船で自宅を行き来した。途中、百花潭を通り北に向かうと草堂である。

草堂までの間にある家はどの家もこの錦江に面して建てられていて軒が層を成している。老樹が結構多くあり、随分風霜を経ているのである。

西の雪嶺の連峰は天に区切りをしっかりとつけて白い雪冠をつけているし、錦官城は夕日に映えて黄金で出来ているようで、黄金の風塵が舞うのである。

沃野の地、形勝の地であるのではあるが、惜しいことに度重なる兵乱によって、何処を向いても、ただ茫茫としてよくわからないのである。

 

 

(訳注)

懷錦水居止,二首之二

(雲安で療養中に錦江のほとりの草堂を思い浮かべて、景勝の地であったが兵乱のため、荒廃していると詠ったもの。)その二

懷錦水居止 錦水は成都南を東流して岷江と合流して長江本流に流入する。居止はおり留まるところであるから、成都浣花渓の草堂をいう。

 

萬里橋南宅,百花潭北莊。

少しばかりの薬草、野菜を成都に舟で売りに行き、街の南にある万里橋から船で自宅を行き来した。途中、百花潭を通り北に向かうと草堂である。

萬里橋 萬里橋は今の成郡市の南門外の錦江に架けられている橋で、三国時代に奥の間へ使節となって出章する費韡を宰相の諸葛亮(孔明)が見返ったところで、費韡が「萬里の行、この橋より始まる」といったことから名づけられたもの。杜甫の草堂は、この橋の西にあり、杜詩に、「萬里橋西一草堂」の句で有名である。薛濤の住居も、その近くにあった。ちなみに、「長星橋」から「万里橋」に改名されたとされる。現在は更に改名され「老南門大橋」となっている。

南宅 南には歓楽街があるが、ここは諸葛亮孔明の廟がある。杜甫の草堂は西に位置する。杜甫も船で行き交う場合は万里橋に舟を止めたので南宅という表現をしたもの。

杜甫『蜀相』 

丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。

映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。

三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。

出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。

成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 700- 540

杜甫『狂夫』

万里橋西一草堂、百花潭水即滄浪。

風含翠篠娟娟浄、雨裛紅蕖冉冉香。

厚禄故人書断絶、恒飢稚子色凄涼。

欲填溝壑惟疎放、自笑狂夫老更狂。

成都(2)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫 杜甫 <369  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1783 杜甫詩 1000- 545

○百花潭 草堂の位置は成都の背郭、碧難坊外、万里橋西南、百花渾すなわち浣花渓の西北に在った。

・百花潭 草堂から成都に向かう途中の淵になっているところで、現在百花潭 公園となっている。もともとこの地域全体沼と池が多くありそれぞれが水路、川でつながっていた。あちこちにこうした潭が多くあったところと考える。

 

層軒皆面水,老樹飽經霜。

草堂までの間にある家はどの家もこの錦江に面して建てられていて軒が層を成している。老樹が結構多くあり、随分風霜を経ているのである。

 

雪嶺界天白,錦城曛日黃。

西の雪嶺の連峰は天に区切りをしっかりとつけて白い雪冠をつけているし、錦官城は夕日に映えて黄金で出来ているようで、黄金の風塵が舞うのである。

雪嶺 西方の峰には中秋から初夏まで冠雪があり、杜甫は多くの詩を読んでいる。

句,四首之三 

兩箇黃鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。 

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船

句,四首の三)

兩箇の黄鸝 翠柳に鳴き、一行の白鷺 青天に上る

窓には含む 西嶺千秋の雪、門には泊す 東萬里の船

765年永泰元年54-28 句,四首之三》 杜甫index-15 杜甫<828 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4875 杜甫詩1500-828-1146/2500765年永泰元年54-28

 

惜哉形勝地,回首一茫茫。

沃野の地、形勝の地であるのではあるが、惜しいことに度重なる兵乱によって、何処を向いても、ただ茫茫としてよくわからないのである。

765年永泰元年54歲-55 《懷錦水居止二首之一》 杜甫index-15 杜甫<855> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5010

杜甫《懷錦水居止二首之一》ただこうして、毎朝、毎朝、巫峡を流れてゆく水は、遠く錦江から流れてきている水と思えば、あの草堂のほとりを流れる濯錦江の波を懐かしくさえ思うのである。

 
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765年永泰元年54-55 《懷錦水居止二首之一》 杜甫index-15 杜甫<855 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5010

杜甫詩1500-855-1173/2500765年永泰元年54-55

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    懷錦水居止,二首之一

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:              萬里橋 (劍南道北部 益州 萬里橋)    

百花潭 (劍南道北部 益州 成都)       

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺            

錦城 (劍南道北部 益州 錦城)           

 

 

懷錦水居止,二首之一

(雲安で療養中に錦江のほとりの草堂を思い浮かべて詠ったもの。)

軍旅西征僻,風塵戰伐多。

唐王朝の軍隊が西域の侵略から守り、征討するために来るけれど、僻地であることから、蜀の地は何時も兵乱の風塵があり、戦伐が多い。

猶聞蜀父老,不忘舜謳歌。

しかし、蜀の長老・父老はいまも、舜のような聖天子であった、玄宗の徳を忘れずにいるというのである。

天險終難立,柴門豈重過。

蜀の地はその四方が天險の地で、天然の要塞の地であるとしても、この地だ独立して存続することは難しく、だから、自分は再び成都草堂に柴門をくぐり、訪れる事は無いのである。

朝朝巫峽水,遠逗錦江波。

ただこうして、毎朝、毎朝、巫峡を流れてゆく水は、遠く錦江から流れてきている水と思えば、あの草堂のほとりを流れる濯錦江の波を懐かしくさえ思うのである。

 

錦水の居止を懷う,二首の一)

軍旅 西征するは僻なるに,風塵 戰伐多し。

猶お聞く 蜀の父老に,「忘れず 舜の謳歌を」と。

天險 終に立ち難きも,柴門 豈に重ねて過ぎらんや。

朝朝 巫峽の水,遠く逗おる 錦江の波。

 

瞿塘峡001 

『懷錦水居止,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

懷錦水居止,二首之一

軍旅西征僻,風塵戰伐多。

猶聞蜀父老,不忘舜謳歌。

天險終難立,柴門豈重過。

朝朝巫峽水,遠逗錦江波。

 

(含異文)

軍旅西征僻,風塵戰伐多。

猶聞蜀父老【獨聞蜀父老】,不忘舜謳歌。

天險終難立,柴門豈重過。

朝朝巫峽水,遠逗錦江波【遠遠錦江波】。

 

 

(下し文)

錦水の居止を懷う,二首の一)

軍旅 西征するは僻なるに,風塵 戰伐多し。

猶お聞く 蜀の父老に,「忘れず 舜の謳歌を」と。

天險 終に立ち難きも,柴門 豈に重ねて過ぎらんや。

朝朝 巫峽の水,遠く逗おる 錦江の波。

蜀中転々圖 

(現代語訳)

(雲安で療養中に錦江のほとりの草堂を思い浮かべて詠ったもの。)

唐王朝の軍隊が西域の侵略から守り、征討するために来るけれど、僻地であることから、蜀の地は何時も兵乱の風塵があり、戦伐が多い。

しかし、蜀の長老・父老はいまも、舜のような聖天子であった、玄宗の徳を忘れずにいるというのである。

蜀の地はその四方が天險の地で、天然の要塞の地であるとしても、この地だ独立して存続することは難しく、だから、自分は再び成都草堂に柴門をくぐり、訪れる事は無いのである。

ただこうして、毎朝、毎朝、巫峡を流れてゆく水は、遠く錦江から流れてきている水と思えば、あの草堂のほとりを流れる濯錦江の波を懐かしくさえ思うのである。

巫山十二峰003 

(訳注)

懷錦水居止,二首之一

(雲安で療養中に錦江のほとりの草堂を思い浮かべて詠ったもの。)

懷錦水居止 錦水は成都南を東流して岷江と合流して長江本流に流入する。居止はおり留まるところであるから、成都浣花渓の草堂をいう。

 

軍旅西征僻,風塵戰伐多。

唐王朝の軍隊が西域の侵略から守り、征討するために来るけれど、僻地であることから、蜀の地は何時も兵乱の風塵があり、戦伐が多い。

軍旅 唐王朝の軍隊が派遣されている。

西征僻 西域には吐蕃回紇雲南の各異民族が侵略してくる。前線基地であるため、僻地となっている。杜甫は友人であった厳武が死んだために彼を懼れていた異民族が活発化してきていることをいうのである。

 

猶聞蜀父老,不忘舜謳歌。

しかし、蜀の長老・父老はいまも、舜のような聖天子であった、玄宗の徳を忘れずにいるというのである。

舜謳歌 孟子の「萬章章句上、五」に基づくものであるが、ここでは玄宗が安禄山の乱で長安陥落時に成都に逃避し、徳を持っていることで再び長安を奪回したことをいう。

孟子 訟獄者,不之堯之子而之舜;謳歌者,不謳歌堯之子而謳歌舜。故曰『天』也。夫然後之中國,踐天子位焉。而居堯之宮,逼堯之子,是也,非天與也。

訟獄する者、一詩の子に劇かずして舜に迦く。謳歌する者丶一詩の子を謳歌せずして舜を謳歌す。故に天なり、と日えるなり。然る後に中国に趣き、天子の位を臨めり。耐るを嘉の宮に居り、一詩の子に顧らば、是れ舞うなり。天の与うるに非ざるなり。

 

天險終難立,柴門豈重過。

蜀の地はその四方が天險の地で、天然の要塞の地であるとしても、この地だ独立して存続することは難しく、だから、自分は再び成都草堂に柴門をくぐり、訪れる事は無いのである。

天險 蜀の地はその四方が天險の地で、天然の要塞の地である(ということで、安寧なところとして独立できる)。

柴門 成都草堂に柴門

 

朝朝巫峽水,遠逗錦江波。

ただこうして、毎朝、毎朝、巫峡を流れてゆく水は、遠く錦江から流れてきている水と思えば、あの草堂のほとりを流れる濯錦江の波を懐かしくさえ思うのである。

巫峽水 巫峡を流れてゆく水。

錦江波 あの草堂のほとりを流れる濯錦江の波を発てて流れた水(が下流の三峡・巫峡に流れてきている。)。
杜甫草堂 四絶句 

765年永泰元年54歲-54 《將曉,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<854> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5005

杜甫《將曉,二首之二》(朝の船着き場の恒例の行事を見て、自己の老衰を嘆ずる。)出発の準備や見送りの兵士や官吏が官燭を引き戻して帰ってゆくと、船員たちは自然に出発の景気づけに楚の歌を謡い始める。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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765年永泰元年54-54 《將曉,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<854 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5005

杜甫詩1500-854-1172/2500765年永泰元年54-54

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    將曉,二首之二

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

將曉,二首之一

(雲安の病床で世の明ける時に思い付いたことをうたう。)

石城除擊柝,鐵鎖欲開關。

岩石に囲まれた塞城で、夜まわりの拍子木の音が聴こえなくなった。城門の妷の閂が射してあったが、それが、明けられようとする。

鼓角悲荒塞,星河落曙山。

草が荒れほうだいの塞に軍営の鼓角が悲しく鳴り響く。星、銀河があけぼのの山に落ちかかってゆく。

巴人常小梗,蜀使動無還。

ここ巴地の人々は、いつも小さな兵乱を起している、蜀の節度使軍の使者でさえともすると帰ってこないことがあるのである。

垂老孤帆色,飄飄犯百蠻。

こんな時、自分は歳をとって老化してゆくにもかかわらず、この身一つで、船の帆を上げて飄々と百蠻の地を犯してまでの旅をせねばならないのである。(早くなおして旅立ちたい)

 

(將に曉けんとす,二首の一)

石城 擊柝【げきたく】除かる,鐵鎖 關を開かんと欲す。

鼓角 荒塞を悲しみ,星河 曙山に落つ。

巴人は常に小梗す,蜀使は動【やや】もすれば還ること無し。

老ゆるに垂【なんな】んとして 孤帆の色,飄飄として 百蠻を犯す。

 

將曉,二首之二

(朝の船着き場の恒例の行事を見て、自己の老衰を嘆ずる。)

軍吏回官燭,舟人自楚歌。

出発の準備や見送りの兵士や官吏が官燭を引き戻して帰ってゆくと、船員たちは自然に出発の景気づけに楚の歌を謡い始める。

寒沙蒙薄霧,落月去清波。

放射冷却で寒気は沙岸に薄靄がかかって、空には落ちかかった名残月が、清らかな波今に消えていった。

壯惜身名晚,衰慚應接多。

自分の青年のころに事を考えてみると功名を得るのが遅すぎたことが惜しいことであったが、老衰してきたことは、世間の交接が多いことを上手くできないことで恥入ることはあるのだ。

歸朝日簪笏,筋力定如何。

ただ、自分が朝廷に戻るとすれば、毎日、簪笏に礼服に身を正さねばならないことであるが、果たして、今の自分の筋力でそれに堪えうるかということが計りかねるところである。

(將曉,二首の二)

軍吏 官燭を回し,舟人 自ら楚歌す。

寒沙 薄霧にわる,落月 清波より去る。

壯 惜む 身名も晚たるを,衰慚 應接多。

歸朝 日びに簪笏【しんこつ】せん,筋力 定めて如何。

 

瞿塘峡001 

『將曉,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

將曉,二首之二

軍吏回官燭,舟人自楚歌。

寒沙蒙薄霧,落月去清波。

壯惜身名晚,衰慚應接多。

歸朝日簪笏,筋力定如何。

 

(下し文)

(將曉,二首の二)

軍吏 官燭を回し,舟人 自ら楚歌す。

寒沙 薄霧にわる,落月 清波より去る。

壯 惜む 身名も晚たるを,衰慚 應接多。

歸朝 日びに簪笏【しんこつ】せん,筋力 定めて如何。

 

(現代語訳)

(朝の船着き場の恒例の行事を見て、自己の老衰を嘆ずる。)

出発の準備や見送りの兵士や官吏が官燭を引き戻して帰ってゆくと、船員たちは自然に出発の景気づけに楚の歌を謡い始める。

放射冷却で寒気は沙岸に薄靄がかかって、空には落ちかかった名残月が、清らかな波今に消えていった。

自分の青年のころに事を考えてみると功名を得るのが遅すぎたことが惜しいことであったが、老衰してきたことは、世間の交接が多いことを上手くできないことで恥入ることはあるのだ。

ただ、自分が朝廷に戻るとすれば、毎日、簪笏に礼服に身を正さねばならないことであるが、果たして、今の自分の筋力でそれに堪えうるかということが計りかねるところである。

 

蜀中転々圖 

(訳注)

將曉,二首之二

(朝の船着き場の恒例の行事を見て、自己の老衰を嘆ずる。)

杜甫は、県令の厳某に頼んで、長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めた。病状はよくならず、翌年春まで続く。持病の喘息、と神経痛で足が動かない状況であった。早く出発したいと船着き場の様子を見て詠ったものである。

 

軍吏回官燭,舟人自楚歌。

出発の準備や見送りの兵士や官吏が官燭を引き戻して帰ってゆくと、船員たちは自然に出発の景気づけに楚の歌を謡い始める。

軍吏 石城塞の兵士や官吏、小役人。県令など、塞に来た高官の出発の準備や見送りにきたものであろう。

回官燭 暗いうちから路から船着き場にかけて、かがり火を並べているのをs船が出発したので持ち帰ることをいう。

楚歌 調子の良い楚の歌を謡い始める

 

寒沙蒙薄霧,落月去清波。

放射冷却で寒気は沙岸に薄靄がかかって、空には落ちかかった名残月が、清らかな波今に消えていった。

寒沙 放射冷却による寒気が谷間を蔽っている温度と、水面と上空の温度の違いによって靄が出る。

落月 二十日過ぎの名残月。

 

壯惜身名晚,衰慚應接多。

自分の青年のころに事を考えてみると功名を得るのが遅すぎたことが惜しいことであったが、老衰してきたことは、世間の交接が多いことを上手くできないことで恥入ることはあるのだ。

壯惜 自分の青年のころのことを惜しむ。

身名晚 功名を得るのが遅すぎたこと。

衰慚 老衰してきたことで、できこととできないことが生じてきたことを愧じいる。

應接多 世間の交接が多いことを上手くできないこと。

 

歸朝日簪笏,筋力定如何。

ただ、自分が朝廷に戻るとすれば、毎日、簪笏に礼服に身を正さねばならないことであるが、果たして、今の自分の筋力でそれに堪えうるかということが計りかねるところである。

歸朝 自分が朝廷に戻る。

日簪笏 毎日、簪笏に礼服に身を正さねばならないこと。

定如何 これに堪えうるかということが計りかねる。
巫山十二峰004 

765年永泰元年54歲-53 《將曉,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<853> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5000 

巴地の人々は、いつも小さな兵乱を起している、蜀の節度使軍の使者でさえともすると帰ってこないことがあるのである。こんな時、自分は歳をとって老化してゆくにもかかわらず、この身一つで、船の帆を上げて飄々と百蠻の地を犯してまでの旅をせねばならないのである。(早くなおして旅立ちたい)

 
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765年永泰元年54-53 《將曉,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<853 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5000 

杜甫詩1500-853-1171/2500765年永泰元年54-53

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    將曉,二首之一

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

將曉,二首之一

石城除擊柝,鐵鎖欲開關。

鼓角悲荒塞,星河落曙山。

巴人常小梗,蜀使動無還。

垂老孤帆色,飄飄犯百蠻。

(雲安の病床で世の明ける時に思い付いたことをうたう。)

岩石に囲まれた塞城で、夜まわりの拍子木の音が聴こえなくなった。城門の妷の閂が射してあったが、それが、明けられようとする。

草が荒れほうだいの塞に軍営の鼓角が悲しく鳴り響く。星、銀河があけぼのの山に落ちかかってゆく。

ここ巴地の人々は、いつも小さな兵乱を起している、蜀の節度使軍の使者でさえともすると帰ってこないことがあるのである。

こんな時、自分は歳をとって老化してゆくにもかかわらず、この身一つで、船の帆を上げて飄々と百蠻の地を犯してまでの旅をせねばならないのである。(早くなおして旅立ちたい)

 

(將に曉けんとす,二首の一)

石城 擊柝【げきたく】除かる,鐵鎖 關を開かんと欲す。

鼓角 荒塞を悲しみ,星河 曙山に落つ。

巴人は常に小梗す,蜀使は動【やや】もすれば還ること無し。

老ゆるに垂【なんな】んとして 孤帆の色,飄飄として 百蠻を犯す。

 

將曉,二首之二

軍吏回官燭,舟人自楚歌。

寒沙蒙薄霧,落月去清波。

壯惜身名晚,衰慚應接多。

歸朝日簪笏,筋力定如何。
蜀中転々圖
 

『將曉,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

將曉,二首之一

石城除擊柝,鐵鎖欲開關。

鼓角悲荒塞,星河落曙山。

巴人常小梗,蜀使動無還。

垂老孤帆色,飄飄犯百蠻。

 

(含異文)

石城除擊柝,鐵鎖欲開關。

鼓角悲荒塞,星河落曙山【星河落曉山】。

巴人常小梗,蜀使動無還。

垂老孤帆色,飄飄犯百蠻【飄飄犯白蠻】。

 

(下し文)

(將に曉けんとす,二首の一)

石城 擊柝【げきたく】除かる,鐵鎖 關を開かんと欲す。

鼓角 荒塞を悲しみ,星河 曙山に落つ。

巴人は常に小梗す,蜀使は動【やや】もすれば還ること無し。

老ゆるに垂【なんな】んとして 孤帆の色,飄飄として 百蠻を犯す。

瞿塘峡001 

(現代語訳)

(雲安の病床で世の明ける時に思い付いたことをうたう。)

岩石に囲まれた塞城で、夜まわりの拍子木の音が聴こえなくなった。城門の妷の閂が射してあったが、それが、明けられようとする。

草が荒れほうだいの塞に軍営の鼓角が悲しく鳴り響く。星、銀河があけぼのの山に落ちかかってゆく。

ここ巴地の人々は、いつも小さな兵乱を起している、蜀の節度使軍の使者でさえともすると帰ってこないことがあるのである。

こんな時、自分は歳をとって老化してゆくにもかかわらず、この身一つで、船の帆を上げて飄々と百蠻の地を犯してまでの旅をせねばならないのである。(早くなおして旅立ちたい)

 

(訳注)

將曉,二首之一

(雲安の病床で世の明ける時に思い付いたことをうたう。)

吐蕃と回紇が朝廷の不安定さに付け込んで、西域の各地を脅かしていて、成都は最も不安定の国境地帯であり、雲安は南と西の脅威から東に対しての西の防衛地点であったから、病床に遭有った杜甫の耳にも情報が入ってきたことに対してこの詩を述べている。このころ、渝州、開州の刺史殺害事件がある。

 

石城除擊柝,鐵鎖欲開關。

岩石に囲まれた塞城で、夜まわりの拍子木の音が聴こえなくなった。城門の妷の閂が射してあったが、それが、明けられようとする。

石城 雲安には大小の天然の要塞である石城山があったという。

除擊柝 夜まわりの拍子木の音が聴こえなくなった。夜空が白じんで来たことを意味する。

鐵鎖 日が沈む時に城門の閂をかけ、夜明ければ、城門の閂をあける。

 

鼓角悲荒塞,星河落曙山。

草が荒れほうだいの塞に軍営の鼓角が悲しく鳴り響く。星、銀河があけぼのの山に落ちかかってゆく。

鼓角 夜明けに伴い角笛と、整列、点呼の太鼓と打ち鳴らすこと。

荒塞 兵乱が続いていることで、綺麗な状態にするゆとりがない荒れ果てた城塞をいう。

星河 星、銀河。

 

巴人常小梗,蜀使動無還。

ここ巴地の人々は、いつも小さな兵乱を起している、蜀の節度使軍の使者でさえともすると帰ってこないことがあるのである。

巴人 巴は現在の四川省の東部分保寧・重慶方面のことで、閬州、渝州、夔州をいう。

小梗 渝州、開州の刺史殺害事件、などのこと。

蜀使 使は節度使、兵馬使の騒乱をいう。剣南東川節度使兵馬使段子璋の乱、剣南西川節度使兵馬使徐知道の乱と杜甫が成都に入ってたてつづけに起こり、蜀中転々とした苦い思いがある。

無還 任地で殺され、朝廷に帰ることが出来なかったことをいう。

 

垂老孤帆色,飄飄犯百蠻。

こんな時、自分は歳をとって老化してゆくにもかかわらず、この身一つで、船の帆を上げて飄々と百蠻の地を犯してまでの旅をせねばならないのである。(早くなおして旅立ちたい)

垂老 歳をとって老化してゆくこと。特にこの地で喘息と通風で動けなかったので、老いを特に感じていたのだろう。

孤帆色 身一つで、船の帆を上げて船出しようという気持ち。

犯百蠻 南蛮の地に接した地点であり、異民族の間にいることをいう。
巫山十二峰004 

765年永泰元年54歲-52 《答鄭十七郎一絕》 杜甫index-15 杜甫<852> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4995

杜甫《答鄭十七郎一(杜甫が鄭賁が兄鄭郎に答えたもので「雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴」において詠われた詩である。)

 
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哭嚴僕射歸櫬

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840

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850

十二月一日,三首之二

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851

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852

又雪

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853

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眾水會涪萬,

854

長江,二首之二

浩浩終不息,

855

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

遠聞房太守,

856

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

丹旐飛飛日,

857

雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

寒花開已盡,

858

答鄭十七郎一

雨後過畦潤,

859

將曉,二首之一

石城除擊柝,

860

將曉,二首之二

軍吏回官燭,

861

懷錦水居止,二首之一

軍旅西征僻,

862

懷錦水居止,二首之二

萬里橋南宅,

863

長吟【案:若本逸詩。】

江渚翻鷗戲,

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    五言

詩題:    答鄭十七郎一

交遊人物:鄭十七郎

葭 あし002 

 

答鄭十七郎一

雨後過畦潤,花殘步屐遲。

把文驚小陸,好客見當時。

(杜甫が鄭賁が兄鄭郎に答えたもので「雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴」において詠われた詩である。)

雨が降った後は、通り過ぎるあぜ路はぬかるんでいる。まだ草原の花は咲いていて、それを見ると「なにやらゆかしく」て、歩くのが遅くなる。

あなた方御兄弟の詩文を拝見して感心させられ、晋の陸機兄弟を思い浮かべるようで、弟の鄭賁君はまるで小陸というべきと驚いた次第である。こうして客人として私に接せられる兄の鄭郎くんについては、漢の鄭當時を見るというべきお方であります。

 

(鄭十七郎み答う一)

雨後 過畦【かけい】潤い,花殘 步屐【ほげき】遲し。

文を把りて小陸に驚き,客を好むは當時を見る。

 

蜀中転々圖 

『答鄭十七郎一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

答鄭十七郎一

雨後過畦潤,花殘步屐遲。

把文驚小陸,好客見當時。

 

(下し文)

(鄭十七郎に答う一)

雨後 過畦【かけい】潤い,花殘 步屐【ほげき】遲し。

文を把りて小陸に驚き,客を好むは當時を見る。

 

(現代語訳)

(杜甫が鄭賁が兄鄭郎に答えたもので「雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴」において詠われた詩である。)

雨が降った後は、通り過ぎるあぜ路はぬかるんでいる。まだ草原の花は咲いていて、それを見ると「なにやらゆかしく」て、歩くのが遅くなる。

あなた方御兄弟の詩文を拝見して感心させられ、晋の陸機兄弟を思い浮かべるようで、弟の鄭賁君はまるで小陸というべきと驚いた次第である。こうして客人として私に接せられる兄の鄭郎くんについては、漢の鄭當時を見るというべきお方であります。

萱草002 

 

(訳注)

答鄭十七郎一

(杜甫が鄭賁が兄鄭郎に答えたもので「雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴」において詠われた詩である。)

雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

寒花開已盡,菊蕊獨盈枝。

舊摘人頻異,輕香酒暫隨。

地偏初衣裌,山擁更登危。

萬國皆戎馬,酣歌淚欲垂。

鄭十七郎 鄭十八の兄で鄭十七をいう。郎は若者を指して言う。

 

雨後過畦潤,花殘步屐遲。

雨が降った後は、通り過ぎるあぜ路はぬかるんでいる。まだ草原の花は咲いていて、それを見ると「なにやらゆかしく」て、歩くのが遅くなる。

過畦 杜甫が歩いている田んぼのあぜ道。

花殘 田圃、野原に草花が枯れている中で残って咲いている花をいう。

步屐 あぜ道を歩く下駄をいう。

 

把文驚小陸,好客見當時。

あなた方御兄弟の詩文を拝見して感心させられ、晋の陸機兄弟を思い浮かべるようで、弟の鄭賁君はまるで小陸というべきと驚いた次第である。こうして客人として私に接せられる兄の鄭郎くんについては、漢の鄭當時を見るというべきお方であります。

把文 あなた方御兄弟の詩文を拝見して感心させられたというほどの意味。

小陸 晋の陸機兄弟に比較され、その弟に比較されるから「小陸」という鄭十八をさしていう。

好客 弟の賓客を嫌がりもせず、好んで歓迎する。

當時 漢の鄭當時 漢の鄭当時(字は荘)は常に長安の諸郊に駅馬を置いて日夜賓客を送迎した、山陽と鄭駅はともに鄭十七のことに比する。

杜甫《贈王二十四侍御契四十韻》「山陽無俗物,鄭驛正留賓。」(山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。

竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。

○山陽 河内の山陽という、魏末に嵆康・向秀ら竹林七賢の居った処、今の河南省懐慶府修武県の北にある。河内郡位置 太行山 東南と 黄河 北。 十六: 汲県 、共県、林慮県、 嘉県 修武県 野王県 、州県、 懐県 (郡治)、 平皋県 河阳県 沁水県 山陽県 、朝歌県、 武徳県

○俗物 晋書の王戎伝に院籍(七賢の一人)が王戎にむかっていうのに、「俗物己二復夕来タリ、人意ヲ敗ル」とある。

廣徳2764-98-#7 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4465 杜甫詩1500-770-#7-1064/2500
晩菊001 

765年永泰元年54歲-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

杜甫《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》(雲安で重陽の節句に鄭賁が酒を持ってきた、それで他の諸公の後につて丘の上に昇って酒盛りをした。)

 
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765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990 杜甫詩1500-851-1169/2500765年永泰元年54-51

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

杜少陵集 巻十四

詩題:    雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

交遊人物:鄭賁

 

 

雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

(雲安で重陽の節句に鄭賁が酒を持ってきた、それで他の諸公の後につて丘の上に昇って酒盛りをした。)

寒花開已盡,菊蕊獨盈枝。

ここで咲く秋の花はみんな咲いてしまったが、菊の花だけは、枝に満ちて咲いている。

舊摘人頻異,輕香酒暫隨。

これまで花をつんだひと人とは、違う人と菊の花を積んでいる、この花のあっさりとした香りのする酒を呑むにためにちがった人に従って花を積むのである。

地偏初衣裌,山擁更登危。

この南にかたよった地は暖かいので、ここに来てやっと袷を着るようになり、山に囲まれているものの此処自体も高い場所ではあり、この日はもっと高い所に昇るのである。

萬國皆戎馬,酣歌淚欲垂。

ところが今は何処へ行っても兵乱で、この国は万国戦だらけであるから、酔って歌って故郷を思って涙を垂らすのである。

 

(雲安の九日に,鄭十八酒を攜えて 諸公の宴に陪す)

寒花開くこと已に盡く,菊蕊獨り枝に盈つ。

舊摘 人頻りに異なり,輕香に 酒 暫く隨う。

地偏にして初めて裌を衣る,山に擁せられて更に危きに登る。

萬國 皆 戎馬,酣歌 淚 垂れんと欲す。

巫山十二峰003 

 

『雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴』 現代語訳と訳註

(本文)

雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

寒花開已盡,菊蕊獨盈枝。

舊摘人頻異,輕香酒暫隨。

地偏初衣裌,山擁更登危。

萬國皆戎馬,酣歌淚欲垂。

 

(下し文)

(雲安の九日に,鄭十八酒を攜えて 諸公の宴に陪す)

寒花開くこと已に盡く,菊蕊獨り枝に盈つ。

舊摘 人頻りに異なり,輕香に 酒 暫く隨う。

地偏にして初めて裌を衣る,山に擁せられて更に危きに登る。

萬國 皆 戎馬,酣歌 淚 垂れんと欲す。

 

(現代語訳)

(雲安で重陽の節句に鄭賁が酒を持ってきた、それで他の諸公の後につて丘の上に昇って酒盛りをした。)

ここで咲く秋の花はみんな咲いてしまったが、菊の花だけは、枝に満ちて咲いている。

これまで花をつんだひと人とは、違う人と菊の花を積んでいる、この花のあっさりとした香りのする酒を呑むにためにちがった人に従って花を積むのである。

この南にかたよった地は暖かいので、ここに来てやっと袷を着るようになり、山に囲まれているものの此処自体も高い場所ではあり、この日はもっと高い所に昇るのである。

ところが今は何処へ行っても兵乱で、この国は万国戦だらけであるから、酔って歌って故郷を思って涙を垂らすのである。

 

蜀中転々圖 

(訳注)

雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

雲安で重陽の節句に鄭賁が酒を持ってきた、それで他の諸公の後につて丘の上に昇って酒盛りをした。

雲安 山南東道 夔州 雲安、別名を南楚という。

九日 九月九日、重陽節に、茱萸(「ぐみ」の一種)の枝をかざして兄弟や親しい友人が小高い丘に登り、菊の花びらを浮かべた酒を飲み、粽を食べて健康を祈るものなのだ。

鄭十八 鄭賁。

諸公 鄭賁の友人など。

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維

 

寒花開已盡,菊蕊獨盈枝。

ここで咲く秋の花はみんな咲いてしまったが、菊の花だけは、枝に満ちて咲いている。

寒花 秋に咲く花

 

舊摘人頻異,輕香酒暫隨。

これまで花をつんだひと人とは、違う人と菊の花を積んでいる、この花のあっさりとした香りのする酒を呑むにためにちがった人に従って花を積むのである。

舊摘人頻異 これまで花をつんだひと人とは、違う人と菊の花を積んでいる

輕香 この花のあっさりとした香りのする。

酒暫隨 酒を呑むにためにちがった人に随って花を摘むのである。

 

地偏初衣裌,山擁更登危。

この南にかたよった地は暖かいので、ここに来てやっと袷を着るようになり、山に囲まれているものの此処自体も高い場所ではあり、この日はもっと高い所に昇るのである。

衣裌 袷を着る。

山擁 山に囲まれている

登危 重陽の節句には高い山に登って故郷の方に向って菊酒を呑むということを意味する。

 

萬國皆戎馬,酣歌淚欲垂。

ところが今は何処へ行っても兵乱で、この国は万国戦だらけであるから、酔って歌って故郷を思って涙を垂らすのである。

戎馬 765年永泰元年9月僕固懐恩が回紇と吐蕃に誘いかけ、入寇したのだが、その前に吐蕃を奉天に、、吐谷渾奴刺を籃屋(B-1)に赴かしめ、回紇はこれらをバックアップするように後に続いた。この詩の人々はこの時、長安側から逃げた人をいう。 

駱谷 駱谷関のこと。長安側から、黒川をさかのぼって、太白山の東側の蜀へ通づる関所。杜甫《三句,三首之二》「二十一家同入蜀,惟殘一人出駱谷。自二女齧臂時,回頭卻向秦雲哭。」765年永泰元年54-41 《三句,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<841 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4940 杜甫詩1500-841-1159/2500765年永泰元年54-41

酣歌 酔って歌うこと。

 

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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首の一)

 

其一   

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)

遠聞房太守,歸葬陸渾山。

はるかに聞くところによると大尉房公はご自身が若いころ10年もの間勉強された故郷の陸渾山へ帰葬されることのようだ。

一德興王后,孤魂久客間。

房琯公は中興の天子の後にあたって不易の一徳をいだいてはいるものの流寓諸客のあいだにさびしい魂を迷わせておられた。

孔明多故事,安石竟崇班。

房琯公は諸葛孔明のようにいろいろの故事をもっておられる、謝安石のようにとうとう死後にその位を高められるというようにおなりになった。

他日嘉陵涕,仍霑楚水還。

自分はいつぞやお墓におわかれをするとき嘉陵江に涙をそそいだことであったが、いままたその涙が楚地の水をうるおしてゆくことになった。

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の一)

房大尉の 陸渾の山に帰葬すと遠く聞く。

一徳は興王の后なり、孤魂は久客の間にあり。

孔明は故事多く、安石は 竟に崇班なり。

他日 嘉陵の涙、仍お楚水を霑して還らんとす。

 

其二

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)その2

丹旐飛飛日,初傳發閬州。

あなたの姓名を記したはたがひらひらとひるがえる時、そのはたがこのごろやっと閬州から出発したと伝え聞いた。

風塵終不解,江漢忽同流。

兵馬の塵はあくまで解決することにはなっていないし、あなたと江漢の流れを同じくして舟をうかべることは不思議な御縁であると考えるところだ。

劍動新身匣,書歸故國樓。

今回運ばれる新しいお棺のなかには故房琯公の身にはあなたが使っていた剣がうごきだそうとしている。あなたの書物は故郷の楼にかえるのである。

盡哀知有處,為客恐長休。

わたくしはこのような理不尽な朝廷が何もしない事態で哀哭しつくすべきところがどこであるのかよくわかっている、旅客の身となっているからその場所(陸渾)で正規の葬儀で正規に哭することはできずに終わるのではあるまいかと恐れている。

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の二)

丹旐【たんちょう】 飛飛たる日、初めて 閬州を発すと伝う。

風塵 終に解けず、江漢 忽ち流れを同じくす。

剣は動く 親身の匣、書は帰る故国の楼。

尽哀すべき 処有りるを知り、客と為って恐らくは長く休せん。

 

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蜀中転々圖


『承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

其二    

丹旐飛飛日,初傳發閬州。

風塵終不解,江漢忽同流。

劍動新身匣,書歸故國樓。

盡哀知有處,為客恐長休。

 

(下し文)

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の二)

丹旐【たんちょう】 飛飛たる日、初めて 閬州を発すと伝う。

風塵 終に解けず、江漢 忽ち流れを同じくす。

剣は動く 親身の匣、書は帰る故国の楼。

尽哀すべき 処有りるを知り、客と為って恐らくは長く休せん。

 

(現代語訳)

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)その2

あなたの姓名を記したはたがひらひらとひるがえる時、そのはたがこのごろやっと閬州から出発したと伝え聞いた。

兵馬の塵はあくまで解決することにはなっていないし、あなたと江漢の流れを同じくして舟をうかべることは不思議な御縁であると考えるところだ。

今回運ばれる新しいお棺のなかには故房琯公の身にはあなたが使っていた剣がうごきだそうとしている。あなたの書物は故郷の楼にかえるのである。

わたくしはこのような理不尽な朝廷が何もしない事態で哀哭しつくすべきところがどこであるのかよくわかっている、旅客の身となっているからその場所(陸渾)で正規の葬儀で正規に哭することはできずに終わるのではあるまいかと恐れている。

 

<!--[if !vml]-->三者の思惑が合致 

(訳注)

承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首 其二

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首の二)

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)

(2)この第二首は洛陽陸渾に帰って哭そうと欲することをいう。

 

丹旐飛飛日,初傳發閬州。

あなたの姓名を記したはたがひらひらとひるがえる時、そのはたがこのごろやっと閬州から出発したと伝え聞いた。

○丹旐 銘旐、これは死者の姓名を記したはたをいう。のぼりのような場合もあり。

 

風塵終不解,江漢忽同流。

兵馬の塵はあくまで解決することにはなっていないし、あなたと江漢の流れを同じくして舟をうかべることは不思議な御縁であると考えるところだ。

○風塵 兵馬の塵。

○江漢 江は長江、漢は西漢水、すなわち嘉陵江。

○同流 房琯の枢舟と杜甫自身の舟とが同じ流れにうかぶことをいう。

 

劍動新身匣,書歸故國樓。

今回運ばれる新しいお棺のなかには故房琯公の身にはあなたが使っていた剣がうごきだそうとしている。あなたの書物は故郷の楼にかえるのである。

○剣動 房公の霊、兵乱を平らげようと欲するかのごとくであることをいう。

○新身匣 匣は剣を入れた新しいはこ、身とは公の屍のことをいう。

○書 書籍、公の愛読したもの。この二句は房琯の二つの実績、一つは剣で、二つは書ということ。

○故国 故郷の河南をいう。

 

盡哀知有處,為客恐長休。

わたくしはこのような理不尽な朝廷が何もしない事態で哀哭しつくすべきところがどこであるのかよくわかっている、旅客の身となっているからその場所(陸渾)で正規の葬儀で正規に哭することはできずに終わるのではあるまいかと恐れている。

○尽哀 一哀を尽くして哭すること。一哀は、「礼記」の檀弓上、曾子問篇にみえる。

○有処 処とは陸津山の公の墓地をさすが、杜甫がわざわざなく場所があるといっているのは、朝廷が763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されており、たしかに途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒したとはいえ、本葬儀に対して朝廷がかかわるべきである。太尉を贈られたのであれば朝廷がかかわる必要があるということをいうのである。作者の旧荘もまた陸渾にあるゆえに陸渾の地と解するのは単純すぎる。763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1)》 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500 

を全13回にわたって通訳しているので参照されたい。

○長休 休は休止である、『禮記』五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきたのであること、したがってここで哭せんと欲することが『儀礼』にのとったものでなければ泛ばれないというものである。そのまま哭することを得ずしてやむことをいう。房琯の名誉の為にも朝廷は再考ねがいたいということを思っているのだ。

 

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の二)

丹旐【たんちょう】 飛飛たる日、初めて 閬州を発すと伝う。

風塵 終に解けず、江漢 忽ち流れを同じくす。

剣は動く 親身の匣、書は帰る故国の楼。

尽哀すべき 処有りるを知り、客と為って恐らくは長く休せん
房琯は全隊を三軍にわけた 

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765年永泰元年54歲-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州啟殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守) 》 杜甫index-15 杜甫<849> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4980 杜甫詩1500-849-1167/2500

左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護事件」であるといわれるが、実際には、朝廷内における「房琯一派」は、肅宗、宦官、賀蘭進明・第五琦の連合から朝廷からはじき出されたのである。この事について、杜甫の《乾元元年華州試進士策問五首》の訳註解説の中で詳しく述べているので参考にしてもらいたい。

 
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年永泰元年54-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守) 杜甫index-15 杜甫<849> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4980 杜甫詩1500-849-1167/2500

 

 

 

757年至徳二載、杜甫は蘆子関で捕縛され、安禄山の叛軍に占領されていた長安に送られた。杜甫は軟禁の長安から命がけで脱出し、鳳翔の行在所に駆けつけた。その功によって粛宗に拝謁し、左拾遺(従八品上)の官を授けられた。必ずしも高い官職ではなかったが、その職掌は皇帝の政治の誤りを正すことにあり、同官を拝命した喜びは、杜甫にとって大きいものだった。ところが間もなく、杜甫は宰相房琯を弁護して粛宗の逆鱗に触れた。辛くも罪を問われることは免れたが、杜甫は徹底して朝廷内で疎外され、仕事に関して嫌気を感じていた。翌年には房琯の一党とされて、華州司功参軍に出される。杜甫が官を辞することはこの時期に到る詩には明確にあらわれている。そして759年乾元二年秋初、杜甫は粛宗の時代では、一縷の希望もないと、官職を捨てて秦州へと旅立つ。半官半隠の理想と人生は、捨てきれないものの後半生の漂泊はここに始まった。

左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護事件」であるといわれるが、実際には、朝廷内における「房琯一派」は、肅宗、宦官、賀蘭進明・第五琦の連合から朝廷からはじき出されたのである。この事について、杜甫の《乾元元年華州試進士策問五首》の訳註解説の中で詳しく述べているので参考にしてもらいたい。

 杜甫と房琯について杜甫の詩文は以下のようにある。

杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

 

杜甫詩index-15  765年永泰元年 54歳 正月幕府を辞す 63

855 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

856 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首)

 

●文

奉謝口敕放三司推問状

◍祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

○房大尉 宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152   悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて邠州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月廣徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

764年広徳二年春、閬州より成都に赴こうとして房琯の墓に別れる情をのべた詩『別房太尉墓』がある。作者の文集中に広徳元年九月に作った「故相国清河房公を祭る文」がある。(全唐文にあるものを別に紹介する。)

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1)》 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500 

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(2) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4160 杜甫詩1500-1501-2-1003/250054

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(3) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4165 杜甫詩1500-1501-3-1004/250055

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(4) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4170 杜甫詩1500-1501-4-1005/250056

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(5) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 杜甫詩1500-1501-5-1006/250057

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(6) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4180 杜甫詩1500-1501-6-1007/250058

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(7) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185 杜甫詩1500-1501-7-1008/250059

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(8) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4190 杜甫詩1500-1501-8-1009/250060

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(9) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4195 杜甫詩1500-1501-9-1010/250064

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(10) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4200 杜甫詩1500-1501-10-1011/250065

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765年永泰元年54歲-48 《長江,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<848> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4975 杜甫詩1500-848-1166/2500

(衆水が海に帰することを朝宗といい、聖天子に帰すことが重要で、自分も速くこの流れに準じて荊州に行きたいとうたう。)

 
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765年永泰元年54-48 《長江,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<848 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4975 杜甫詩1500-848-1166/2500765年永泰元年54-48

 

 

年:       永泰元年

寫作時間:           765

寫作年紀:           54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    長江,二首之二

詩序:   

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

長江 (山南東道 夔州 雲安) 別名:蜀江、漢江            

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)          

 

長江,二首之一

眾水會涪萬,瞿塘爭一門。

朝宗人共挹,盜賊爾誰尊。

孤石隱如馬,高蘿垂飲猿。

歸心異波浪,何事即飛翻。

(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)

多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。

この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。

瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。

自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。

(長江,二首の一)

衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。

朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。

孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。

帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。

 

長江,二首之二

浩浩終不息,乃知東極臨。

眾流歸海意,萬國奉君心。

色借瀟湘闊,聲驅灩澦深。

未辭添霧雨,接上遇衣襟。

(衆水が海に帰することを朝宗といい、聖天子に帰すことが重要で、自分も速くこの流れに準じて荊州に行きたいとうたう。)

長江の水は浩浩と大きくながれてあくまでやまぬ。これは東のはてにまでゆくのであることがわかる。

長江に流入する多くの流れは、終には、東海の大海原に帰してしまうところまさに朝宗であり、それは万国が聖徳天子に帰して、それをいただく心とにている。

瀟湘の水は遠大であるが江の水はこれに色を空より借りるからまさに遠大なのである。艶預灘のところは水が深いが江浪の声はそのふかいところまで駆りたてている。

こんなさかんな勢いで流れる水を船でくだる自分にとっては、狼のしぶきが霧や雨に加わっていっしょになって襟にのぼりかかってきてもいとわない、それより水勢が急であれば早く峡をくだれるからむしろそれをよろこばしいというものだ。

(長江,二首の二)

浩浩終に息まず、乃ち知る東極に臨むことを。

衆流 海に帰するの意、万国君を奉ずるの心。

色は瀟湘の闊なるに借し、声は灔澦の深きを駆る。

未だ辞せず霧雨に添え、接上して衣襟を過ぐることを。

 

巫山十二峰004 

『長江,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

長江,二首之二

浩浩終不息,乃知東極臨。

眾流歸海意,萬國奉君心。

色借瀟湘闊,聲驅灩澦深。

未辭添霧雨,接上遇衣襟。

 

(含異文)

浩浩終不息,乃知東極臨【乃知東極深】。

眾流歸海意,萬國奉君心。

色借瀟湘闊,聲驅灩澦深【聲驅灩澦沈】。

未辭添霧雨,接上遇衣襟【接上過衣襟】。

 

(下し文)

(長江,二首の二)

浩浩終に息まず、乃ち知る東極に臨むことを。

衆流 海に帰するの意、万国君を奉ずるの心。

色は瀟湘の闊なるに借し、声は灔澦の深きを駆る。

未だ辞せず霧雨に添え、接上して衣襟を過ぐることを。

 

(現代語訳)

(衆水が海に帰することを朝宗といい、聖天子に帰すことが重要で、自分も速くこの流れに準じて荊州に行きたいとうたう。)

長江の水は浩浩と大きくながれてあくまでやまぬ。これは東のはてにまでゆくのであることがわかる。

長江に流入する多くの流れは、終には、東海の大海原に帰してしまうところまさに朝宗であり、それは万国が聖徳天子に帰して、それをいただく心とにている。

瀟湘の水は遠大であるが江の水はこれに色を空より借りるからまさに遠大なのである。艶預灘のところは水が深いが江浪の声はそのふかいところまで駆りたてている。

こんなさかんな勢いで流れる水を船でくだる自分にとっては、狼のしぶきが霧や雨に加わっていっしょになって襟にのぼりかかってきてもいとわない、それより水勢が急であれば早く峡をくだれるからむしろそれをよろこばしいというものだ。

 瞿塘峡001

(訳注)

長江,二首之二

 

 

浩浩終不息,乃知東極臨。

長江の水は浩浩と大きくながれてあくまでやまぬ。これは東のはてにまでゆくのであることがわかる。

○浩浩 大いなるさま。

○東極 ひがしのはて、東海をいう。中国は東西南北その行き着く地の果ては崖になっていて、広大な海となるという意味。四海、天涯なども同じ考え方。

 

眾流歸海意,萬國奉君心。

長江に流入する多くの流れは、終には、東海の大海原に帰してしまうところまさに朝宗であり、それは万国が聖徳天子に帰して、それをいただく心とにている。

眾流 衆水が海に帰することを朝宗 【ちょうそう】という。1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。中國の河川は東流して海に入るということで、常識という意味になり、西南北の三方から支流が長江に合流して、東流するのである。「「詩経」(沔水)に、「沔たる彼の流水は、海に朝宗す」とあり、その鄭箋に、諸侯が春に天子にまみえることを朝といい、夏まみえることを宗という、とみえる。ここは諸侯が天子に帰する如く衆水が海に帰することをいう。

 

色借瀟湘闊,聲驅灩澦深。

瀟湘の水は遠大であるが江の水はこれに色を空より借りるからまさに遠大なのである。艶預灘のところは水が深いが江浪の声はそのふかいところまで駆りたてている。

○色借 色は水色、借はかすことで、かることではない。

瀟湘闊 瀟湘は洞庭湖に流入する河川名で長江の支流である。は遠大なこと。

○声 波浪のおと。

灩澦深 灩澦は灔澦堆。艶預灘は深くて急流である。

 

未辭添霧雨,接上遇衣襟。

こんなさかんな勢いで流れる水を船でくだる自分にとっては、狼のしぶきが霧や雨に加わっていっしょになって襟にのぼりかかってきてもいとわない、それより水勢が急であれば早く峡をくだれるからむしろそれをよろこばしいというものだ。

○未辞 辞は辞退すること。

○添霧雨 添は加わる、霧雨があるうえに波浪が加わることをいう。

○接上 霧雨にくっついてのぼる。
巫山十二峰003 

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年:       永泰元年

寫作時間:           765

寫作年紀:           54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    長江,二首之一

詩序:   

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

長江 (山南東道 夔州 雲安) 別名:蜀江、漢江            

涪州 (山南西道 涪州 涪州)             

萬州 (山南東道 萬州 萬州)             

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

 

 

長江,二首之一

眾水會涪萬,瞿塘爭一門。

朝宗人共挹,盜賊爾誰尊。

孤石隱如馬,高蘿垂飲猿。

歸心異波浪,何事即飛翻。

(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)

多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。

この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。

瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。

自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。

 

(長江,二首の一)

衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。

朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。

孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。

帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。

瞿塘峡001 

『長江,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

長江,二首之一

眾水會涪萬,瞿塘爭一門。

朝宗人共挹,盜賊爾誰尊。

孤石隱如馬,高蘿垂飲猿。

歸心異波浪,何事即飛翻。

 

 

(下し文)

(長江,二首の一)

衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。

朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。

孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。

帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。

 

(現代語訳)

(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)

多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。

この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。

瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。

自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

長江,二首之一

(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)

○長江 長江は朝宗がきちんとなされ、常識の川であるが、その常識が護れない連中がいるということでこの詩を作っている。

 

眾水會涪萬,瞿塘爭一門。

多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。

万 州と万州のこと、州は重慶府の東北部にあり、万州は雲安(今の雲陽)の西南にある、雲安よりいえば浩・万はともに上流にあたる。この地点では、西南北之三方から支流が長江に合流する地点である。合流点に宿場町が形成されている。

○雀塘争一門 瞿塘峡は峡の名、夔州奉節県東十三里にある。広渓峡とも西陵峡ともいう。一門とは瞿塘峡の両岸が絶壁をなして門の如くであり、三峡の巫峡、西陵峡もおなじであることをいう、争とは争い赴くことをいう、雀塘争一門とは「争二赴雀塘之一門こことで、争の字の主語は上旬の「衆水」である。

 

朝宗人共挹,盜賊爾誰尊。

この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。

○朝宗 【ちょうそう】1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。中國の河川は東流して海に入るということで、常識という意味になり、西南北の三方から支流が長江に合流して、東流するのである。「「詩経」(沔水)に、「沔たる彼の流水は、海に朝宗す」とあり、その鄭箋に、諸侯が春に天子にまみえることを朝といい、夏まみえることを宗という、とみえる。ここは諸侯が天子に帰する如く衆水が海に帰することをいう。

〇人共挹 挹はくみとることをいう、「詩経」(洞酌)に、「洞く彼の行淩を酌み、彼に挹りて茲に注ぐ」とみえる。ここは朝宗の義を取ることをいう。

○盗賊 永泰元年四月厳武は成都に卒した、行軍司馬杜済らは共に郭英乂を節度使となそうと請い、漢州の刺史崔旰、大将王崇俊を節度使となそうと請うたが、たまたま朝廷はすでに英乂を任命した。英乂は崇俊を殺し、旰を召して成都に還らせた。旰がやって来なかったために、英乂は兵をひきいて旰を攻めたが大敗して還り、簡州に弄ったが、普州の刺史韓澄は英乂を殺し、印・櫨・剣三州の牙将は各々兵を挙げて旰を討った。蜀中は大いに乱れた。盗賊は崔旰らの諸将をいう。この裏に、朝廷内の宦官、賀蘭進明、第五琦らとの裏取引があったから、杜甫はこの者たちを忌み嫌った。

○爾誰尊 爾をば誰か尊ばんや。爾とは盗賊をさす。朝廷な犬が権力闘争がなされていたので、諸侯への重しが効かなくなっていること。

 

孤石隱如馬,高蘿垂飲猿。

瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。

○孤石 峡の水中にある灔澦堆の石をいう、この石は冬、水が滴れるときは水面にあらわれること二十余丈、夏、水が潜るときは没する、大きさは馬のごとくである。

○隠如馬 馬のちんぽこ。

○高蘿 高い処に生えているひめかつら。

○飲猿 川で水を飲もうとするさるをいう。

 

歸心異波浪,何事即飛翻。

自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。

○異波浪 心という無形物と波浪という有形物を比較していう。

○飛翻 翻の字は波浪の縁語である。飛の字によって心の働きを見せている。

 

云亭巫山十二峰003 

769   長江二首

永泰元年        765   54

第一首は長江のながれの東海に帰することを説き、盗賊の其の義を知らぬことをいい、自己の帰心の翻浪に似ていることをのべて結びとした。永泰元年雲安にあっての作。

1       眾水會涪萬,瞿塘爭一門。朝宗人共挹,盜賊爾誰尊。

        孤石隱如馬,高蘿垂飲猿。歸心異波浪,何事即飛翻。

       

2       浩浩終不息,乃知東極臨。眾流歸海意,萬國奉君心。

        色借瀟湘闊,聲驅澦深。未辭添霧雨,接上遇衣襟。

 

 

(長江,二首の一)

衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。

朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。

孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。

帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。

765年永泰元年54歲-46 《又雪》 杜甫index-15 杜甫<846> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4965 杜甫詩1500-846-1164/2500

その雪の降り方はかすかに太陽に向かって薄く降り、一しきり振っては、一しきり止みそしてひとしきり、人を去る遙か彼方に散らばるのである。

 
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765年永泰元年54-46 《又雪》 杜甫index-15 杜甫<846 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4965 杜甫詩1500-846-1164/2500765年永泰元年54-46

 

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    又雪

 

 

又雪

(南に来ているというのに、また雪が降ったと詠う)

南雪不到地,青崖霑未消。

この南方の地に降った雪は地面に到着するまでに消えてしまうものだが、葵崖の所は、高いから霑っていて、まだ消えずに残っている。

微微向日薄,脈脈去人遙。

その雪の降り方はかすかに太陽に向かって薄く降り、一しきり振っては、一しきり止みそしてひとしきり、人を去る遙か彼方に散らばるのである。

冬熱鴛鴦病,峽深豺虎驕。

冬が篤いからオシドリは病気になるが、峡がふかいから豺や虎が威張っているのである。

愁邊有江水,焉得北之朝。

自分は愁いているけれど、長江の水は流れている、どうしたらこの流れを北に向けることが出来たなら朝廷に向って帰ることが出来るだろうにと思うのだ。

 

(又雪)

南雪 到地にらず,青崖 霑いて未だ消せず。

微微 日に向って薄らぎ,脈脈 人を去ること遙なり。

冬 熱くして鴛鴦 病み,峽 深くして 豺虎 驕る。

愁邊に 江水有り,焉んぞ之を北せしめて朝せしむることを得ん。

 

 瞿塘峡001

『又雪』 現代語訳と訳註

(本文)

又雪

南雪不到地,青崖霑未消。

微微向日薄,脈脈去人遙。

冬熱鴛鴦病,峽深豺虎驕。

愁邊有江水,焉得北之朝。

 

 

(下し文)

(又雪)

南雪 到地にらず,青崖 霑いて未だ消せず。

微微 日に向って薄らぎ,脈脈 人を去ること遙なり。

冬 熱くして鴛鴦 病み,峽 深くして 豺虎 驕る。

愁邊に 江水有り,焉んぞ之を北せしめて朝せしむることを得ん。

 

(現代語訳)

(南に来ているというのに、また雪が降ったと詠う)

この南方の地に降った雪は地面に到着するまでに消えてしまうものだが、葵崖の所は、高いから霑っていて、まだ消えずに残っている。

その雪の降り方はかすかに太陽に向かって薄く降り、一しきり振っては、一しきり止みそしてひとしきり、人を去る遙か彼方に散らばるのである。

冬が篤いからオシドリは病気になるが、峡がふかいから豺や虎が威張っているのである。

自分は愁いているけれど、長江の水は流れている、どうしたらこの流れを北に向けることが出来たなら朝廷に向って帰ることが出来るだろうにと思うのだ。

 

云亭 

(訳注)

又雪

(南に来ているというのに、また雪が降ったと詠う)

雲南で病床に伏している時の作。65年永泰元年54の冬。

 

南雪不到地,青崖霑未消。

この南方の地に降った雪は地面に到着するまでに消えてしまうものだが、葵崖の所は、高いから霑っていて、まだ消えずに残っている。

南雪 南方の地に降った雪。

 

微微向日薄,脈脈去人遙。

その雪の降り方はかすかに太陽に向かって薄く降り、一しきり振っては、一しきり止みそしてひとしきり、人を去る遙か彼方に散らばるのである。

微微 かすかに、うすく。

脈脈 一しきり止みそしてひとしきり。

 

冬熱鴛鴦病,峽深豺虎驕。

冬が篤いからオシドリは病気になるが、峡がふかいから豺や虎が威張っているのである。

 

愁邊有江水,焉得北之朝。

自分は愁いているけれど、長江の水は流れている、どうしたらこの流れを北に向けることが出来たなら朝廷に向って帰ることが出来るだろうにと思うのだ。

北之朝 この流れを北に向けることが出来たなら朝廷に向って帰る
巫山十二峰003 

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765年永泰元年54

卷別:    卷二二九              文體:    七言律詩

杜少陵集 巻十四

詩題:    十二月一日,三首之三

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

十二月一日,三首之一

今朝臘月春意動,雲安縣前江可憐。

一聲何處送書雁,百丈誰家上水船。

未將梅蕊驚愁眼,要取楸花媚遠天。

明光起草人所羨,肺病幾時朝日邊。

(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩である)その一

今朝は、まだ、十二月になったばかりというに、春の気配が動き出しているようで、ここ雲安縣の前の長江の様子も、可愛らしいと思えるようだ。

雁が一声鳴いて飛んでゆくが、何処に書簡を届けるのだろうか、百丈の闌で、舟を引っ張ってゆくのは何処の邸宅にゆくのだろうか。

春の気配があるといっても、さすがに開いていない梅の花ではわたしの愁眼をおどろかすことはできないけれど、正月の酒に山椒の花を入れて飲むのであるが、その代用として、遠き長安の空に向かって咲いている「楸花」を入れて酒を呑むということにしよう。

郎官になっているので、明光殿で詔勅の起草をせねばならないので人に羨ましがられるけれども、今、自分は肺病を患っているから、どれだけ太陽が上り下りするのを見れば、参朝できるのであろうかわからないのである。

 

(十二月一日,三首の一)

今朝 臘月 春意動く,雲安 縣前 江憐れむ可し。

一聲 何れの處に書を雁に送らん,百丈 誰が家に 水の船に上らん。

未だし梅蕊を將って 愁眼を驚かさざらしむ,楸花【しょうか】を取って遠天に媚びんと要す。

明光 起草 人の羨む所なり,肺病 幾時か 日邊を朝せん。

 

 

十二月一日,三首之二

寒輕市上山煙碧,日滿樓前江霧黃。

負鹽出井此谿女,打鼓發船何郡郎。

新亭舉目風景切,茂陵著書消渴長。

春花不愁不爛漫,楚客唯聽棹相將。

(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩で、早くこの地を離れたいと詠う)その二

寒さが軽くひろがり、この市街地の上には山にかけて緑色の煙が上がっている。太陽の光は、十分楼閣前に照りかがやき長江の霧が黄ばんで見える。

塩を背負って運んで井からでてくるのはこの地の谿女である。太鼓をたたいては船を出発させているのは、何処の若者だろうか。

周顗が新亭で、眼をあげて眺めた様に眺めると異郷の風景が物悲しくひしひしと胸に迫ってくる、茂陵に隠れて書を著した司馬相如のように、自分も朝廷の左拾遺から引っ込んで、消渴の病を永らく患って、詩文を暖めた。

ここでの春は、花が爛漫と咲こうと咲くまいとそんなことは心配することではない。自分は早く三峡を下り、楚の国の旅人として船頭と合いの手たちの舟を漕ぐ音を聞きながら、それを心にとめて行きたいと思っているのだ。

 

 (十二月一日,三首之二)

寒輕るくして 市上 山煙碧りに,日滿ちて 樓前 江霧黃なり。

鹽を負いて 井を出づ 此の谿女,鼓を打ちて 船を發す 何の郡郎ぞ。

新亭 目を舉ぐ 風景切なり,茂陵 書を著して 消渴長し。

春花 爛漫たらざるを愁えず,楚客 唯だ聽く 棹 相い將いるを。
 

十二月一日,三首之三

(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩で、この春は床に伏していて春の興が進まないが次年の春こそは春に酔いたいと詠う)その三

即看燕子入山扉,豈有黃鸝歷翠微。

病床のその場でツバメが山樓の扉より飛び込んでくるのを見るだろうし、高麗鶯が山の中腹を渡ってゆくのを見ることになるのだ

短短桃花臨水岸,輕輕柳絮點人衣。

背丈の低い桃の花が水辺に覗き込むように咲いていて、より低くなっているだろうし、柳絮が軽やかに飛んで、行き交う人の着物にくっ付いて軽く揺れていることだろう。

春來準擬開懷久,老去親知見面稀。

春が来れば長らく会っていない親友、知友とあいたいとまちかまえようとおもっているが、年を取ってしまうと顔を合わすこと事態稀になっているのだ。

他日一杯難強進,重嗟筋力故山違。

このまま病床にいて、この春が過ぎ去り、他の日になって一杯の盃を強引に進めてみても、春の花の景色がなければ趣きがないだろうし、その上、筋力がさらに劣ってきて、故郷の山を登れないようだと間違った選択をしたことになってしまう。

 

(十二月一日,三首之三)

即ち燕子山扉に入るを看る,豈に黃鸝の翠微を歷る有り。

短短たる桃花 水岸を臨み,輕輕たる柳絮 人衣に點する。

春來らば準擬す 懷いを開かんと久しくするを,老去らば親知す 面を見んこと稀れなるを。

他日 一杯 強いて進め難し,重ねて嗟せん 筋力 故山に違うを。

 

蜀中転々圖 

『十二月一日,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

十二月一日,三首之三

即看燕子入山扉,豈有黃鸝歷翠微。

短短桃花臨水岸,輕輕柳絮點人衣。

春來準擬開懷久,老去親知見面稀。

他日一杯難強進,重嗟筋力故山違。

 

 

(下し文)

(十二月一日,三首之三)    

即ち燕子山扉に入るを看る,豈に黃鸝の翠微を歷る有り。

短短たる桃花 水岸を臨み,輕輕たる柳絮 人衣に點する。

春來らば準擬す 懷いを開かんと久しくするを,老去らば親知す 面を見んこと稀れなるを。

他日 一杯 強いて進め難し,重ねて嗟せん 筋力 故山に違うを。

 

(現代語訳)

(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩で、この春は床に伏していて春の興が進まないが次年の春こそは春に酔いたいと詠う)その三

病床のその場でツバメが山樓の扉より飛び込んでくるのを見るだろうし、高麗鶯が山の中腹を渡ってゆくのを見ることになるのだ

背丈の低い桃の花が水辺に覗き込むように咲いていて、より低くなっているだろうし、柳絮が軽やかに飛んで、行き交う人の着物にくっ付いて軽く揺れていることだろう。

春が来れば長らく会っていない親友、知友とあいたいとまちかまえようとおもっているが、年を取ってしまうと顔を合わすこと事態稀になっているのだ。

のまま病床にいて、この春が過ぎ去り、他の日になっていっぱいの盃を強引に進めてみても、春の花の景色がなければ趣きがないだろうし、その上、筋力がさらに劣ってきて、故郷の山を登れないようだと間違った選択をしたことになってしまう。

瞿塘峡001 

(訳注)

十二月一日,三首之三

(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩で、この春は床に伏していて春の興が進まないが次年の春こそは春に酔いたいと詠う)その三

この三首は第二首の詩意が最も述べたいことで、一首と三首は杜甫の置かれている状況を述べている。

読み方に諸説あるが、語句からくる雰囲気的に、文法を難しく考える必要はなく、単純に読み取ることが最良と考える。

 

即看燕子入山扉,豈有黃鸝歷翠微。

病床のその場でツバメが山樓の扉より飛び込んでくるのを見るだろうし、高麗鶯が山の中腹を渡ってゆくのを見ることになるのだ

即看 ①取りも直さず見る。②すぐその場で見る。③もし見るとすれば。ここは杜甫は、病床の暇をもてあまし、外を眺めているので②

 

短短桃花臨水岸,輕輕柳絮點人衣。

背丈の低い桃の花が水辺に覗き込むように咲いていて、より低くなっているだろうし、柳絮が軽やかに飛んで、行き交う人の着物にくっ付いて軽く揺れていることだろう。

短短・輕輕 対句を強調する語で、短い短いことは~で、軽-るい軽―るいことは~だ。

 

春來準擬開懷久,老去親知見面稀。

春が来れば長らく会っていない親友、知友とあいたいとまちかまえようとおもっているが、年を取ってしまうと顔を合わすこと事態稀になっているのだ。

準擬 まちかまえていること。

 

他日一杯難強進,重嗟筋力故山違。

このまま病床にいて、この春が過ぎ去り、他の日になっていっぱいの盃を強引に進めてみても、春の花の景色がなければ趣きがないだろうし、その上、筋力がさらに劣ってきて、故郷の山を登れないようだと間違った選択をしたことになってしまう。

故山違 成都で再び官を辞して故郷に向かう選択をしたものの、雲安で床に伏していることで間違った選択をしたことにはなりはしないかという危惧をしている。だから二首に言う、早く三峡を下りたいのである。
巫山十二峰003 巫山十二峰004

765年永泰元年54歲-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54歲-44

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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54歲-44 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-499《後庭花三首,其二》十巻 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-682-19-(499) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4957 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)