杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

758年 乾元元年

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

杜甫が房琯を擁護発言をしたその理由が明確に述べられた唯一の論文である。当時の経済政策、第五琦、賀蘭進明の主張した租庸調政策、惡貨多量鋳造の結果インフレーションが激しくなり、加えて飢饉には人民を苦しめた。同じ時期の『三吏三別』と一緒に読まれることをお勧めする。 

 
 2014年6月12日の紀頌之5つのブログ 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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乾元元年華州試進士策問五首 (まとめ)

 

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乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9》 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21

いやしくも凶作や豊作が対策もないままに極点に達し、穀物価格の貴賤が統制を失っているのが、今の現状である。漢の田千秋のように大抜擢をして丞相に封じても、民衆は困苦するだろうし、大農令を諸侯にしてもどうすることもなっていない。(穀物価格の急騰を抑える政策をとる必要があることをいう。そしてここには、第五琦を大抜擢して宰相にしたが、租庸調の国家収縫う葉支出とのバランスを崩し、貨幣の乱造はインフレに、塩の専売は人民苦になった大失敗である。なぜ房琯の主張をとりいれなかったのか、という主張が隠されている)


 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-375《更漏子二首其一》孫光憲(35)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-558-14-(375) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4337 
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Q-5

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎步,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?今愚之粗徵,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?

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乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (21) Q-5-#8》 杜甫<1509-21> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4330 杜甫詩1500-1509-21-1037/2500index-21

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。


 
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Index-32 #2 《古風五十九首之八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越580Ⅰ李白詩1156 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4328 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

雖遭明主,必致之於堯舜;

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

降及元輔,必要之於稷

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

Q-55

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷於て要せよ

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

自古哲王立極,大臣為體,

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

眇然坦途,利往何順,子有否?

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

 

Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

多忽經濟之體,考諸詞學,

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

今愚之粗徵,貴切時務而已。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

Q-57

頃之【このごろ】 孝秀に問う,取【わずか】に 尋常の對を備うるのみ。

多くの經濟の體を忽とす,諸を詞學に考える。

自ら文章の在る有り,策 徵事を以てし,曷んぞ凡例を成さんや?

今愚の粗徵,時務に切なるを貴ぶのみ。

Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

そもそも、こんなに価値の軽い貨幣が経済にどれほどの悪影響をもたらすか、しかもこの貨幣を大量に鋳造して、百官の妻子の権威を維持するために為された施策である(金権体質の者たちが政治を行っている。肅宗は諸問題を合議制によって決めている。ここに鋳造錢のばらまきと宦官の暗躍があり、ここに李輔国と肅宗の張皇后による政治への介入があって、朝廷政治はまともではないということである。)

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

また穀物生産者は、阜俗康の異民族(ウイグル援軍)の後任の略奪を目の当たりにして、人々を集め守るものが誰なのか理解をしたのである。

Q-58

夫れ時に錢の輕きなるに患い,以って資幣を量するに至り、子母を權す。

代りて複た改鑄し,或は 前に莢なるに行わんや、後に契刀す。

此の際に當り,百姓 利の厚薄を蒙り,何人か 輕重を制する所とならん?

又た 穀する者は,阜俗の康んずる時をってする所なり、聚人 位を守る者なり。

Q-59

下至十室之邑,必有千鍾之藏。

苟凶穰以之,貴賤失度,

雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?

是以繼表微,無或區分逾越,

蒙實不敏,仁遠何哉?

Q-59

下って十室の邑に至り,必ず千鍾の藏有らしめん。

苟しくも凶穰之を以ってし,賤 失度を貴う。

丞相を封ぜらると雖も猶お困しみ,大農を侯とするも何をか謂わん?

是に以って繼し 表微す,或いは逾越を區分する無かれ,

蒙 實に不敏なり,仁 遠く 何ん?

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

 

(下し文) Q-58

夫れ時に錢の輕きなるに患い,以って資幣を量するに至り、子母を權す。

代りて複た改鑄し,或は 前に莢なるに行わんや、後に契刀す。

此の際に當り,百姓 利の厚薄を蒙り,何人か 輕重を制する所とならん?

又た 穀する者は,阜俗の康んずる時をってする所なり、聚人 位を守る者なり。

 

 

(現代語訳)

そもそも、こんなに価値の軽い貨幣が経済にどれほどの悪影響をもたらすか、しかもこの貨幣を大量に鋳造して、百官の妻子の権威を維持するために為された施策である(金権体質の者たちが政治を行っている。肅宗は諸問題を合議制によって決めている。ここに鋳造錢のばらまきと宦官の暗躍があり、ここに李輔国と肅宗の張皇后による政治への介入があって、朝廷政治はまともではないということである。)

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)

この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。

また穀物生産者は、阜俗康の異民族(ウイグル援軍)の後任の略奪を目の当たりにして、人々を集め守るものが誰なのか理解をしたのである。

 

(訳注) Q-58

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

そもそも、こんなに価値の軽い貨幣が経済にどれほどの悪影響をもたらすか、しかもこの貨幣を大量に鋳造して、百官の妻子の権威を維持するために為された施策である(金権体質の者たちが政治を行っている。肅宗は諸問題を合議制によって決めている。ここに鋳造錢のばらまきと宦官の暗躍があり、ここに李輔国と肅宗の張皇后による政治への介入があって、朝廷政治はまともではないということである。)

○患錢輕・量資幣 乾元元年7561/10に乾元二年7571/50(『舊唐書』巻一百二十三、第五琦伝 「年乾元二年、以本官加同中書門下平章事。初、琦以囲用末足、幣重貨軽、乃請鋳乾元垂賃銭、以一當十行用之。及作相、又講更鋳重輪乾元銭、一當五十、輿乾元鑓及開元通賓銭三品遊行。眈而穀慣騰貴、餓殖死亡、枕籍道路、叉盗鋳争起、中外皆以埼攣法之幣、封奏日間。」とある。

 

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)

莢 秦の時代の貨幣は鋳造技術が劣っていたが、8gはあったが、前漢時代の「半両銭」の重さは、秦代の1/4程度で莢半両銭と言われて、悪貨の代名詞であった。楡莢銭と呼ばれ、その重さは1銖のものもあった。文帝代になると銭の私鋳を禁ずる法律を廃止したが、これにより資産家による大量の軽薄な私鋳銭の濫造が行われ、銭の価値は暴落した。

○契刀 新を建国した王莽は、春秋戦国時代に用いられていた刀貨と円貨をくっ付けた形の契刀・錯刀を貨幣として造った。これらの錢はいずれも悪貨であった。

 

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。

 

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

また穀物生産者は、阜俗康の異民族(ウイグル援軍)の後任の略奪を目の当たりにして、人々を集め守るものが誰なのか理解をしたのである。

○阜俗康 ウイグル援軍の事、ここではウイグル援軍により奪回された長安、洛陽で肅宗公認の略奪が行われたこと。

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5-#7》杜甫<1509-20> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325 杜甫詩1500-1509-20-1036/2500index-21

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-373《清平樂二首其一》孫光憲(33)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-556-14-(373) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4327 
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Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

多忽經濟之體,考諸詞學,

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

今愚之粗徵,貴切時務而已。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

Q-59

下至十室之邑,必有千鍾之藏。

苟凶穰以之,貴賤失度,

雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?

是以繼表微,無或區分逾越,

蒙實不敏,仁遠何哉?

Q-57

頃之【このごろ】 孝秀に問う,取【わずか】に 尋常の對を備うるのみ。

多くの經濟の體を忽とす,諸を詞學に考える。

自ら文章の在る有り,策 徵事を以てし,曷んぞ凡例を成さんや?

今愚の粗徵,時務に切なるを貴ぶのみ。

Q-58

夫れ時に錢の輕きなるに患い,以って資幣を量するに至り、子母を權す。

代りて複た改鑄し,或は 前に莢なるに行わんや、後に契刀す。

此の際に當り,百姓 利の厚薄を蒙り,何人か 輕重を制する所とならん?

又た 穀する者は,阜俗の康んずる時をってする所なり、聚人 位を守る者なり。

Q-59

下って十室の邑に至り,必ず千鍾の藏有らしめん。

苟しくも凶穰之を以ってし,賤 失度を貴う。

丞相を封ぜらると雖も猶お困しみ,大農を侯とするも何をか謂わん?

是に以って繼し 表微す,或いは逾越を區分する無かれ,

蒙 實に不敏なり,仁 遠く 何ん?

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

多忽經濟之體,考諸詞學,

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

今愚之粗徵,貴切時務而已。

 

(下し文)

頃之【このごろ】 孝秀に問う,取【わずか】に 尋常の對を備うるのみ。

多くの經濟の體を忽とす,諸を詞學に考える。

自ら文章の在る有り,策 徵事を以てし,曷んぞ凡例を成さんや?

今愚の粗徵,時務に切なるを貴ぶのみ。

 

 

(現代語訳)

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

 

(訳注)Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

○孝秀 孝:儒教の信奉者が、それを徳目と認識するものの一つ。子がその子自身の親によく服従することを示す。身近なところから段階的に進められる儒教の徳治において、まず家庭で守られるべき徳として「悌」とともに重要視された。「孝悌」と併用され、「孝悌は仁を為すの本」とされる。秀:学習に励んで学識を積み、その体系付けられた知識で問題を解決できる能力があるとされる。

 

多忽經濟之體,考諸詞學,

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

 

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

 

今愚之粗徵,貴切時務而已。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

○愚之粗徵 貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の兆候。

 


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多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

 
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Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

雖遭明主,必致之於堯舜;

降及元輔,必要之於稷

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

Q-55

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷於て要せよ

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

 

 

『』 現代語訳と訳註

(本文)

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

 

(下し文)

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 く有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

 

(現代語訳)

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

 

(訳注) 

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

○蒼生 多くの人々。人民。あおひとぐさ。蒼氓(そうぼう)

○仁壽 仁徳があるひとは長命なこと。〔論語 雍也〕「子曰、知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者寿。」(子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。) 先生がいわれた。『知者は水を楽しんで、仁者は山を楽しむ。知者は動的であり、仁者は静的である。知者は人生を楽しみ、仁者は人生を長生きすることになる。』

○淳樸 無影響の単純さ、狡猾さや世間の経験のない特徴を見せるまたはそのように特徴的なすれてないこと。

○羲皇 伏羲のこと。古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。宓羲・包犠・庖犠・伏戯などとも書かれる。伏義、伏儀という表記も使われる。三皇の一人に挙げられる事が多い。姓は鳳姓。兄妹または夫婦と目される女媧と同様に、蛇身人首の姿で描かれる。伏羲の号には、縄の発明者葛天氏も含まれる。

 

自古哲王立極,大臣為體,

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

○哲王 賢明な君主、王。「書経」酒誥に「茲殷多先哲王在天。越厥後王後民、茲服厥命。厥終智藏瘝在。」(茲殷に先哲王多く天に在り。越[ここ]に厥の後の王後の民、茲に厥の命に服[つ]く。厥れ終に智るものは藏れて瘝[や]めるものは在り。)而れども此の殷の先哲王、其の精爽天に在り、宜しく恃む可き者の若し。而れども商紂命を受けて、卒に賢智の者退き藏れ、民を病ましむ者位に在ることを致す。 とある。杜甫は、唐の太宗の貞観の治時代をいう。

 

眇然坦途,利往何順,子有否?

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

○眇然 小さいさま。取るに足りないさま。

○坦途 平坦な道。坦道。「

○利往何順 「往くを利とし、何と順せん」『易経』復之卦「反復其道、七日来復。利有斂往。」に基づく。

 

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

○瑣瑣 【ささ】こまごまとしているさま。わずらわしいさま。「―たる問題」。

○射策 漢代の官吏登用試験の一。複数の竹札に問題を書いて伏せて隠し、その一つをとって対策の文を書かせる。試験には対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。

杜甫『醉歌行』「只今年才十六七,射策君門期第一。」しかし今やっと十六七歳の少年であって、朝廷において試験問題にお答えして第一の成績を得ようとするのだ。

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

 

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Q-5

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎步,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?今愚之粗徵,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?

 

Q-5#1

 

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

 

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

雖遭明主,必致之於堯舜;

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

降及元輔,必要之於稷

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

 

Q-55

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷於て要せよ

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

8世紀唐と周辺国00 

 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#4 現代語訳と訳註

(本文) Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

雖遭明主,必致之於堯舜;

降及元輔,必要之於稷

 

(下し文)

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷に於て要せよ。

 

(現代語訳)

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

 

 長安と洛陽の大地図0048

(訳注) Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

・虎步 他を威嚇して虎のように歩くこと。

 

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

・淇上 淇水のほとり。ここでは、洛陽以東の黄河中・下流域をいうがこの時、唐王朝軍が安慶緒らを取り囲んでいる鄭城を中々落せないことで、輸送路が分断されていた。淇水は『詩経 衛風』の地域。衛は黄河の中流域、中原の中心にあった国で、春秋時代には文化の中心であった。元々、商(殷)があった地域で、三監の乱の後に分割されて、北方が衛に、南方が宋になった。現在、河南省に当たる。春秋時代に開けていたのは河川の周辺部だけで、周辺の山地には森林が広がり、そこには狩猟採集民や、半農半猟の生活をしていた。

・捷書 社甫の「洗兵行」に「中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。」わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる、とある。洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295


二三子議論宏正,詞氣高雅,

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

 

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

・寢 安史軍により身動きが取れずに、隠れたり、眠ったふりをしていること。

・蕩滌 洗い流す

・砥礪 ① といし。 学問・修養などを高めようと努力すること。とぎみがくこと。

・之辰 この試験が実施されることになった時期。

 

雖遭明主,必致之於堯舜;

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

 

降及元輔,必要之於稷

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

・稷 堯舜に仕えた稷と契)、二人の名臣で、稷は農業をつかさどり、契は教育をつかさどった。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4》 杜甫index-14 764年 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4》 杜甫index-14 764年 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21 
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(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

            

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

 

Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

洛陽 函谷関002 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#4 現代語訳と訳註

(本文)Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

 

(下し文)

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

(現代語訳)

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

 

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

拳拳 1 捧げ持つさま。固く握って離さないさま。2 つつしむさま。

事親 先祖を敬い玄宗上皇にたいして親孝行をする。

悸悸 驚き恐れて胸さわぎするさま。

 

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

 

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

○已而已 「孟子曰 於不可已而已者 無所不已 於所厚者薄 無所不薄也 其進鋭者其退速」(孟子曰く 已むべからざるにおいて已むる者は 已まざるところなし。厚くすべき者において薄くするは 薄くせざるところなし。其の進むこと鋭【はや】き者は其の退くこと速やかなり。)やめてはならないときにやめてしまう者は、何をやってもやはりやめてしまう。手厚くするべきことを簡単にしてしまう者は、何においてもいい加減にやってしまう。せっかちに進む者は、やめるのも速い。

○寇孽 安史の乱が平定せず、略奪、強盗がはびこっていること。

○咎徵 天の咎めという徴候。天から受ける跋だという。

○至數 天地の至数は一に始まり九に終わる。「至数とは至極の数をいう。 九は奇数であり、天地の数はここに極まるのである。」「至数」とは天地がいかに大きく、万物がいかに多くともすべて数と無関係ではあり得ない。だから至数というのである。 数は一に始まり九に終わる。九に一を加えれば十になり、十はまた一の始まりである。だから「一に始まり九に終わる」というのである。五行思想の基本である。

 

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

○倉廩 #3のところで、「人和年豐」といい、今はそうなっていないと。国の米蔵は安史軍に略奪され、空にされたので、租庸調節度使に十六相の一人、第五琦を任じてこれにあたらせ、塩の専売、貨幣鋳造、淮南の庸調を売却して輕貨として回収して破綻した国庫に納めさせた。こうした政策は邪道と杜甫は言うのである。

○物理 物の道理。物の理法。人民の租庸調負担が重くなる施策は当面の繕いでしかないと杜甫は言うのである。

固然 …但是(可是・然而)…の形で,ある事実を承認しておきながら次にそれとくい違う事実を述べる場合)もとより…であるが(しかし…),…であることはもちろんであるが(しかし... -


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君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)


 
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (16) Q-5-#3 杜甫index-14 764 (16) Q-5-#3 杜甫<1509-16 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305 杜甫詩1500-1509-16-1032/2500index-21

 

 

(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

            

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

終南山03漢文委員会 kanbuniinkai 紀 頌之 

Q-5#1

 

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

既睦九族,協和萬邦,

黜去四凶,舉十六相,

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

洛陽 函谷関002 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#2 現代語訳と訳註

(本文) Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

 

(下し文)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

(現代語訳)

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

 

(訳注) Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

○易経、爻辞(象辞)「君子終日乾乾.夕惕若厲.無咎.」 〔君子、終日乾乾し、夕べには惕若(てきじゃく)たり。厲(あやう)けれど咎無し。〕力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るのです。

 

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

○詩経、大雅・大明「維此文王、小心翼翼。 昭事上帝、聿懷多福。」 (維れ此の文王、小心翼翼たり、昭かに上帝に事へ、ここに多福を懐く). 「よく気を配り、天意に従い、人民の幸福に思いを馳せる」聖人君子として、文王を称えている。昭(あき)らかに上帝に事(つか)え、ここに多福を懐(おも)えり』 文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願った。

 

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

○古人之聖哲 杜甫は三皇五帝のことをいうが、肅宗はこれを学ぼうとしているので、これを例にとっている。しかし、内容は肅宗の家臣たちに問題があると指摘しているのだ。

 

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

○人和年豐 この時の朝廷は、家臣団は複数のグループに分かれ、足の引っ張り合いであったこと、時を同じくして、ここの語句と正反対の飢饉であった。
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この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。

        
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5-#2》 杜甫index-14 764年 (15) Q-5-#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5-#2》 杜甫index-14 764 (15) Q-5-#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21

 

 

Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#2 現代語訳と訳註

(本文) Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

既睦九族,協和萬邦,

黜去四凶,舉十六相,

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

 

(下し文)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

 

(現代語訳)

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

 終南山03漢文委員会 kanbuniinkai 紀 頌之

(訳注) Q-52

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)
 

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。

・文思聰明 「書経」堯典序に「昔在帝堯,聰明文思,光宅天下。將遜于位,讓于虞舜。 >昔、帝「堯」がいて、聡明さや道徳を、大きく天下に広げた。自ら帝位を降りて、虞舜に譲った。 >ぐ‐しゅん【虞舜】中国古代の伝説上の聖王、舜のこと。虞に都し、有虞氏といった。とある。

・勞身焦思 ここでは堯と舜の互いに思いやる気持ちをいう。意味合いとしては180度異なるが、杜甫『憶昔,二首之一』に「至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。」(今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。)とある。しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。746廣徳2年764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/1500749-1

 

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。

・この二句は、『書経』堯典「「克明俊徳、以親九族。九族既睦、平章百姓。百姓昭明、協和万邦。黎民於変、時雍。」

生まれながらに持っている立派な良い性質を、自分の力で努力し辛抱して見事に発揮することにより、家族みんなが親しくなる。家族みんなが和気あいあいとして、自らの役割を理解して、仲よく力を合わせて暮らすと・・・そういう人たちが寄り集まることによって、すべての家々(百姓)が平和で明るく栄えていく。その和気は隣近所から町、郡、県と人々をことごとく和合し、果ては国中の民が平和を愛し、天下はよく治まる。更にその和気は広く万国に広がり、国同士が和合協力するようになる。・九族  自分を中心に、先祖・子孫の各4代を含めた9代の親族。高祖父母・曽(そう)祖父母・祖父母・父母・自分・子・孫・曽孫・玄孫。一説に、父方の四、母方の三、妻方の二の九つの親族をいう。ここでは血縁を一族についての平穏、親睦ということを国家間における親交、親睦に務めることをいう。

 

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

・黜去四凶 「天下謂之饕餮。天下惡之、比之三凶。舜賓於四門、乃流四凶族、遷于四裔、以御螭魅。於是四門辟。言毋凶人也。」(天下、これを饕餮【とうてつ】という。天下、これを悪み、これを三凶に比す。舜、四門に賓し、すなわち四凶族【しきょうぞく】を流して、四裔【しえい】に遷うつし、もって螭魅【ちみ】を御【ふせ】ぐ。ここにおいて四門辟【ひら】く。凶人なきをいうなり。)

・舉十六相 

杜甫『述古,三首之二』

市人日中集,於利競錐刀。

置膏烈火上,哀哀自煎熬。

農人望稔,相率除蓬蒿。

所務穀為本,邪贏無乃勞。

舜舉十六相,身尊道何高。根本的にいうと、むかし舜は十六人の賢相をあげて用いた、それで自身は尊くなり、その道は高尚である。(粛宗も宰相16人であるがとても酷いものが多いということ。)

秦時任商鞅,法令如牛毛。

十六相 八元八憶と称する十六人の賢い宰相をいう、事は「左伝」(文公十八年)にみえる。この時粛宗が任じたは宰相が16人であったためにこういう表現をしたのである。

肅宗の宰相十六人 韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。

654 《述古,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <559  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

 

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。

・唐虞 伝説時代の帝王堯(陶唐氏)と舜(有虞氏)を併せて「唐虞」という。
長安と洛陽の大地図0048

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1》 杜甫index-14 764年 (14) Q-5-#1 杜甫<778> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21

(Q-5)(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)


        
 2014年6月3日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

既睦九族,協和萬邦,

黜去四凶,舉十六相,

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

雖遭明主,必致之於堯舜;

降及元輔,必要之於稷

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

多忽經濟之體,考諸詞學,

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

今愚之粗徵,貴切時務而已。

Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

Q-59

下至十室之邑,必有千鍾之藏。

苟凶穰以之,貴賤失度,

雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?

是以繼表微,無或區分逾越,

蒙實不敏,仁遠何哉?

終南山03漢文委員会 kanbuniinkai 紀 頌之 

----------------------------------------------------------------

 

Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

洛陽 函谷関002 

『乾元元年華州試進士策問五首 (14)Q-5-#1 現代語訳と訳註

(本文) Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

 

 (下し文)Q-5#1

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

敬しみて授けられしを人に時し、十六より唐侯に升るのみ。

昔 舜帝の臣と為るなり、禹の功を挙げ、

水土を克【よ】く平らかにし、三十 登りて天子と為るのみ。

 

(現代語訳)

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

(訳注) Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

唐堯 堯、あるいは陶唐氏という。堯(尭、ぎょう)は中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。『十八史略』によれば平陽に都したとし、質素な生活を送っていたとしている。別の書物での堯の伝説として、羿(羿の字は羽の下に廾、姓は后)を挙げる。その頃の太陽は全部で十個あり、交代で地上を照らしていたのだが、ある時に十個が一度に地上を照らすようになったために地上は灼熱地獄となった。堯は弓の名人である羿に何とかして来いと命令すると、羿は九個の太陽を打ち落として帰ってきて、救われた民衆は堯を褒め称え帝に迎えたという。後世には舜と共に聖天子として崇められ、堯舜と並び称される。

 

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳にして唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

・敬授人時 倚書尭典に「乃命義和、欽若発天暦象日月星辰、敬役人時。」とあり、『史記』五帝本紀の尭帝に「乃命義和、敬順昊天、数法日月星辰、敬授民時。」とある。羲氏、和氏に命じ、つつしんで大空に従い、計算して太陽、月、星辰を法則立てて、つつしんで民に時刻を授けさせた。農事の日程を計算し、その時期を知らせることをいう。ここから義和を太陽の動きとするようになった。

 

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

 

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳で天子の位に登ったのである。

平水土『史記』五帝本紀の舜帝に「皆曰伯禹為司空可美帝功,舜曰嗟然禹汝平水土維是勉哉。」(皆曰く『伯禹が司空となれば、帝の功をよくするでしょう。』と。 帝舜曰く『ああ、然り。禹よ、汝は水土を平らかにし、これ、ここに勉めよ。」と。ある。灌漑事業と水路運河事業、堤防護岸工事、道路整備、耕作地整備、都市計画事業などを指す。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3》 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

        
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Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

問:足食足兵,先哲雅誥,

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

蓋有兵無食,是謂棄之。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

況寇猶作梗,兵不可去,

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

日聞將軍之令,親睹司馬之法。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。

Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。

蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。

能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。

況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、

日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。

 

Q-4#2

關中之卒未息,灞上之營何遠?

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

近者鄭南訓練,城下屯集,

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

瞻彼三千之徒,有異什一而

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

課乃菽麥,以為尋常。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

 

Q-4#3

夫悅以使人,是能用古,

そもそも人民を用いるには、愛撫し、人民が喜んで参加してくれるようにしなさいと、唐の太宗は制度を確立して、「貞觀の治」といわれるように人民を採用されたではないか。

則雲暮,實慮休止,

それなのに今年ももはや暮れようとしているのに、幕府の方では本当に財政破たんし、徴兵でもって兵の増員するのが中止になりはしないかと心配しているのである。

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

 

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) Q-4#3

夫悅以使人,是能用古,

則雲暮,實慮休止,

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

 

(下し文)

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

 

(現代語訳)

そもそも人民を用いるには、愛撫し、人民が喜んで参加してくれるようにしなさいと、唐の太宗は制度を確立して、「貞觀の治」といわれるように人民を採用されたではないか。

それなのに今年ももはや暮れようとしているのに、幕府の方では本当に財政破たんし、徴兵でもって兵の増員するのが中止になりはしないかと心配しているのである。

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。

こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

 

 

(訳注) Q-4#3

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

夫悅以使人,是能用古,

そもそも人民を用いるには、愛撫し、人民が喜んで参加してくれるようにしなさいと、唐の太宗は制度を確立して、「貞觀の治」といわれるように人民を採用されたではないか。

○悅以使人の二句は唐の「貞觀の治」といわれ、治世が安定していたころの徳の政治を指している。太宗がその家臣に「為君之道,必須先存百姓,若損百姓以奉其身」と言って農業従事者をいたわった政治をすること「悅以使人,不竭其力」人民を兵力とする際には人民を愛し、喜んで参加させれば、その力は発揮されると述べている。この時は不平制度により徴兵制が確立されていた。安史の乱で唐王朝軍の崩壊で兵力が激減し、陥落した長安、洛陽を取り戻すための兵力確保が進まず、直接戦闘はウイグル軍に頼り切ったものの、都を守る兵も不足していたため、,徴兵に応じれば、租税を1/10に減ずるという策をとったのである。杜甫は人口増加、耕作地の増か、生産性が向上しているから、租庸調で、軍事はまかなえないのかということを問題定義している。

貞観の治(じょうがんのち)とは中国唐(618 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627 - 649年)の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世、政治的な理想時代とされた。

僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。

この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をする(ほど治安が良い))との評がある。

この時代の政治は『貞観政要』(太宗と大臣の対話集)として文書にまとめられ、長く政治のテキストとして用いられた。

 

則雲暮,實慮休止,

それなのに今年ももはや暮れようとしているのに、幕府の方では本当に財政破たんし、徴兵でもって兵の増員するのが中止になりはしないかと心配しているのである。

 

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。

○卜 1 (かめ)の甲を用いて吉凶を判断すること。一般に、うらない。うらなう。2 選び定める。ここはどのみちをえらぶのかをせんたくすることをいう。農民にとって、売りを市場に出す若い者が兵役にとられたままだと瓜が腐ってしまう。瓜の足は速いので瓜の時期には兵を免除することが慣例であったことをいう。

○及瓜之還 任期が満ちて故郷に帰る日。及瓜は、任期が満ちて交代すること。「瓜:及瓜. 及瓜代及瓜而代 戍瓜瓜 瓜期 随瓜卸. 相关人物. 『春秋左氏伝』荘公八年に《春秋左》卷八〈庄公·八年〉~43侯使称。管至父。戍葵丘。瓜而往。曰。及瓜而代。期戍。公不至。代。弗。故作乱。僖公之母弟曰。夷仲年。とあるのを踏まえる。

 

「倒戟以禦公徒而免之。問何故。對曰、翳桑之餓人也。」( 戟を倒にして以て公の徒を禦ぎて之を免れしむ。何の故ぞと問う。對えて曰く、翳桑の餓人なり、と。)霊輙の報恩として使われた言葉である。『左伝』『太平記鈔』 晋の霊公のすることが道理に外れているので、趙盾(ちょうじゅん)が諌めたところ、霊公はそれが気に入らず、趙盾に酒を飲ませ、武装した兵に待ち伏せをさせて殺そうとしたが、ある人が、そのことを趙盾に知らせたので、急いで車に乗って逃げようとした。 霊公は逃がさないとの用意から、あらかじめ車の一輪を外しておいた。急難に襲われ逃れる術もなかったが、霊輙という者が車の一輪の軸を臂をもって受け、すばやく車を走らせて、ことなきを得た。 この人はどういう人かというと、趙盾が、かつて首山に狩りに出かけた時、そこの桑の木の茂った所に病に伏して三日、食を採っていない者がいたので哀れに思い、飯(めし)を食べさせた。のちにこの病人が霊公の侍臣となり、趙盾の恩を報じようと、戟(ほこ)をもって辺りを払い、霊公の兵を撃って逃がしてくれた。

  趙盾が喜びのまま名を尋ねると、「翳桑(えいそう=よく茂った葉陰の多い桑の木)の餓人なり」と答えて、名を言わずに立ち去って行った。

○種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。

 

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

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408 《黄陵廟碑 -(7)三段の3》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家読本 巻五 <1060>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4284韓愈詩-408 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4-#2》 杜甫index-14 764 (12) Q-4-#2 杜甫<776>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285 杜甫詩1500-776-1028/2500index-21

 

 

Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

問:足食足兵,先哲雅誥,

蓋有兵無食,是謂棄之。

致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。

況寇猶作梗,兵不可去,

日聞將軍之令,親睹司馬之法。

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。

Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。

蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。

能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。

況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、

日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。

 

Q-4#2

關中之卒未息,灞上之營何遠?

近者鄭南訓練,城下屯集,

瞻彼三千之徒,有異什一而

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

課乃菽麥,以為尋常。

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

 

Q-4#3

夫悅以使人,是能用古,

則雲暮,實慮休止,

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

 

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文)

Q-4#2

關中之卒未息,灞上之營何遠?

近者鄭南訓練,城下屯集,

瞻彼三千之徒,有異什一而

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

課乃菽麥,以為尋常。

 

(下し文)

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

 

(現代語訳)

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

 

 

(訳注) Q-4#2

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

關中之卒未息,灞上之營何遠?

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

関中【かんちゅう】函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地(同・渭河平原)の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

 

近者鄭南訓練,城下屯集,

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

・鄭南 「鄭南」は、鄭県の南。鄭県は、華州に属する県の。一つ。

・城下屯集 募兵があつまらず、洛陽以東に本兵を送り出したため兵が不足していたのである。この民間の負担が増えたこと、『三吏三別』を参考にするとよく状況がわかる。ただ、759年ごろから、安史軍からの脱走兵が増加したので兵不足が緩和されていく。

 

瞻彼三千之徒,有異什一而

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

・什一而 什一血税は、一分の一の地租のこと。75712月、長安を奪還したことで、この地祖軽減特令が出された。李チョウ、盧奕、顔杲卿、袁履謙、許遠、張巡、張介然、蒋清、龐堅らは皆、その子孫へ官位を加贈された。戦死者のいる家族には、二年間の賦役を免除する。 郡県の来年の租、 庸は三分の一を減らす。近いところは、郡名、官名を従来の名称に戻す。 蜀郡を南京、鳳翔を西京、長安を中京とした。

 

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

・明發 夜明け方。

・庸保 もと雇い人をいうが、ここでは雇い人としての雑役の任務をいうのであ ろう。

 

課乃菽麥,以為尋常。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

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(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。


        
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (11) Q-4-#1》 杜甫index-14 764 (11) Q-4-#1 杜甫<775>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4280 杜甫詩1500-775-1027/2500index-21

 

 

当時、安史軍は毎日、各城下にて掠奪する。大唐軍が出陣すると、すぐに陣へ逃げ帰るのだ。諸軍の人馬牛車は日々損失を受け、 薪の補給も難しい。大唐の警備兵は、二十四時間緊張を強いられた。

天下は飢饉で、兵糧の運搬は、南は江、淮から、西は并、汾から、船や車が途切れずに続いていた。史思明は、壮士へ官軍の扮装をさせてあちこちへ派遣し、 運搬隊へ対して期日の遅れなどを責めて妄りに殺した。 運搬者は驚き懼れた。また、船や車が密集していたら、 これを焼き払った。史思明の安史軍は神出鬼没で集合離散も変幻自在。大唐軍が捕まえようとしても、なかなか見つけきれない。

 これによって大唐諸軍は兵糧が乏しくなり、人々は戦意を無くした。それを見透かして、史思明は大軍を率いて城下へ結集し、大唐軍と時刻を決めて 決戦を挑んだ。

 

 (Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

 

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

 

Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

問:足食足兵,先哲雅誥,

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

蓋有兵無食,是謂棄之。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

況寇猶作梗,兵不可去,

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

日聞將軍之令,親睹司馬之法。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。

Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。

蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。

能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。

況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、

日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。 

關中之卒未息,灞上之營何遠?

近者鄭南訓練,城下屯集,

瞻彼三千之徒,有異什一而

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

課乃菽麥,以為尋常。

 

夫悅以使人,是能用古,

則雲暮,實慮休止,

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

 

 

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

 

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

長安と洛陽の大地図0048 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

問:足食足兵,先哲雅誥,

蓋有兵無食,是謂棄之。

致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。

況寇猶作梗,兵不可去,

日聞將軍之令,親睹司馬之法。

 

(下し文) Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。

蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。

能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。

況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、

日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。

 

(現代語訳)

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。 

 

問:足食足兵,先哲雅誥,

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

・足食足兵 『論語』顔淵篇、「子貢問政。子曰。足食。足兵。民信之矣。」(子貢、政を問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民之を信ず)孔子か政治の根本についてと述べ、もっとも重要なのは人民の信義であり、そのもとに食糧を不足させてはいけない、軍事整備を怠らずにしていることである。

・先哲 昔の哲人。昔のすぐれた思想家。前哲。

・雅誥 上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。「誥」は天子の言葉。ここは先哲の正しくて立派な戒めである。

 

蓋有兵無食,是謂棄之。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

・是謂棄之 『論語』子路に、「子日、以不教民戦、是謂棄之。」とあり、民に十分な教育を施さないで、戦わせるのは、敗亡を招くのみならず、人民を無駄に棄てることだとの意ともいえるが。ここでは、軍の試験であり、関中が自給自足できず、他地域からの穀物を補給しなければいけないのができなく、そのことにより「無食」となり、軍の体制が崩壊すること、人民の信頼はなくなる。この考え方は、杜甫の「三吏三別」見事に言い表されている。

 

致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

・掉鞅 もと敵に挑戦するに当たって、馬のむなかいを整える意で、そこから余裕のある様子や、戦闘において主導権を握る様を表す。

・靡旌 馬車を疾駆させるさま。

 

況寇猶作梗,兵不可去,

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

 

日聞將軍之令,親睹司馬之法。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。
洛陽 函谷関002 

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道路や水路がそのようなことになれば、舟や車の運用は大も小も妨げられることになろうというものだ。華州司功参軍・王朝軍・連合軍など軍隊と国家の食糧は、次第に穀物倉庫は空になってくることになろう。ましてや關中の家々の炊煙はまだ稀にしかあがからず、牛馬の力も不足している

        
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(7) Q-3-#1 (陸上水路整備によるの駅伝制が整うことによる国力整備増強)

(7) Q-3-#1 (陸上水路整備によるの駅伝制が整うことによる国力整備増強)

問:通道陂澤,隨山濬川,

策を問う、道を通ぜしめ、・沢や沼をふさぎ、山に沿い河を深くさらう。

之理,疏奠之術,

そのように、古から、道を切り開く工法やふさがっている所をくりぬいて通じさせる土木術策があるのである。

抑有可觀,其來尚矣。

そもそも見るべき手本があり、その由来は久しいものかある。

初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。

洎後代控引淮海,漕通涇渭,

後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

因舟楫之利,達倉庾之儲。

これによって、引き船法であるとか、航行法の策定により水運の利益が増大した、当然、天子の御蔵と穀物蔵には貯蔵を栄えさせたのだ。

 (7) Q-3-#1

問う:道を通じ 澤を陂ぎ,山に隨い川を濬う,

理あり,疏奠の術ある,

抑も觀る可き有り,其の來れるや尚し。

初め聖人 溝洫に盡力し,國に隄防を為すを作す有り,

後代に洎んで 淮と海を控引し,涇渭を漕ぎ、通ず,

因って舟楫の利あり,倉庾の儲を達す。

 

(8) Q-3-#2

又賴此而殷,亦行之自久。

また交通整備にともなって、地域は発展し、その地域間の流通も発展し、事業は長く続けられた。

近者有司相土,決彼支渠,

最近、司功参軍の治める土地は戦争によってみだれてしまい、溝渠をつぶしてしまったり、運河、渠水を決壊、崩壊させた。

既潰渭而亂河,竟功多而事寢。

既に渭水の灌漑はつぶされ、あまつさえ重要な黄河を乱れさせてしまったのだ、結局、労役ばかり多くなった挙げ句の果てに、水路輸送はうまくゆかず遮断してしまった。

人實勞止,岸乃善崩。

安史の乱により、人々は骨を折って疲れ果て、手入れをしない川岸はしばしば崩れるようになった。

遂使委輸之勤,中道而棄。

こうしてとうとう物資輸送の勤めも中途で投げ出されているのである。

又た此に賴りて殷んに,亦た之を行うこと自ら久し。

近者 司 相いに土有り,彼の支渠を決す,

既に渭を潰して河を亂し,竟に功多くして事寢す。

人 實に勞止し,岸 乃ち 善く崩す。

遂に委輸の勤めをせしめ,中道にして棄てしむ。

長安と洛陽の大地図0048 

(9) Q-3-#3

今軍用蓋寡,國儲未贍,

今、軍事用工事は非常に多くしなければならないのに、国の蓄えについてはいまだ安史の乱は平定しないので満たされる段階ではない。

雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。

遠方の江南からの穀物を大量に都に輸送する必要があるというのに、肝腎の運送用の車がほとんどないのである。

是以國朝仗彼天使,徵茲水工,

此の経済状況に問題があるというわけで朝廷は、かの天子の使いだされた、「治水作業をする者を徴集せよ」と。

議下淇園之竹,更鑿商顏之井。

漢の時代に淇園の竹を下して堰堤とすることを議し、商顔の井戸を穿って洛水をひいたように土木工事をしようとしている。

又恐煩費居多,績用莫立,

またそこに問題があり、工事費用が膨大だということであり、実績を上げることが出来ないだけでなく計画すらできないのである。

空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。

雲を集めた様に大勢で鋤を荷ってもなにもできず空しいことである、また堤防をつくっていってもすぐに黄河の水が流してしまって泥水になるのである。

今 軍用 蓋ぞ寡なからん、國儲 未だ贍たず。

遠方の粟が大いに来たると雖も、而して助挽の車 給するなし。

是を以て 國朝 彼の天使に杖り、茲の水工を徴す。

議して 淇園の竹を下し、更に商顔の井を鑿たしむ。

又た 恐るらくは煩費多きに居り、績用立つる莫し。

空しく成雲の挿を荷ひ、復だ 填淤の泥に擁がれん。

 

 (10) Q-3-#4

若然,則舟車之用,大小相妨矣;

もし、道路や水路がそのようなことになれば、舟や車の運用は大も小も妨げられることになろうというものだ。

軍國之食,轉致或闕矣。

華州司功参軍・王朝軍・連合軍など軍隊と国家の食糧は、次第に穀物倉庫は空になってくることになろう。

矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。

ましてや關中の家々の炊煙はまだ稀にしかあがからず、牛馬の力も不足している者たちばかりだからなおさら深刻である。

子等飽隨時之要,挺賓王之資,

諸君よ、時勢の必要を充分に充たし、帝を輔佐する資質を大いにあらわしてほしい。

乎求賢,敷厥讜議。

この都圏の食糧問題に対する世に埋もれた賢人の意見を求め、その正しい議論を大いにおこして、この危急な状態を助けてもられたいのである。

若し然らば,則ち舟車の用,大小 相い妨げられん。

軍國の食,轉た致し 或いは闕かん。

矧【いわ】んや 夫【か】の人 煙 尚お稀れにし,牛力 足らざる者のみ。

子等 隨時の要を飽し,賓王の資を挺す。

求賢に副い,厥の讜議を敷かれよ。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文)

 (10) Q-3-#4

若然,則舟車之用,大小相妨矣;

軍國之食,轉致或闕矣。

矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。

子等飽隨時之要,挺賓王之資,

乎求賢,敷厥讜議。

 

(下し文)

(10) Q-3-#4

若し然らば,則ち舟車の用,大小 相い妨げられん。

軍國の食,轉た致し 或いは闕かん。

矧【いわ】んや 夫【か】の人 煙 尚お稀れにし,牛力 足らざる者のみ。

子等 隨時の要を飽し,賓王の資を挺す。

求賢に副い,厥の讜議を敷かれよ。

 

(現代語訳)

もし、道路や水路がそのようなことになれば、舟や車の運用は大も小も妨げられることになろうというものだ。

華州司功参軍・王朝軍・連合軍など軍隊と国家の食糧は、次第に穀物倉庫は空になってくることになろう。

ましてや關中の家々の炊煙はまだ稀にしかあがからず、牛馬の力も不足している者たちばかりだからなおさら深刻である。

諸君よ、時勢の必要を充分に充たし、帝を輔佐する資質を大いにあらわしてほしい。

この都圏の食糧問題に対する世に埋もれた賢人の意見を求め、その正しい議論を大いにおこして、この危急な状態を助けてもられたいのである。

 

(訳注) (10) Q-3-#4

若然,則舟車之用,大小相妨矣;

もし、道路や水路がそのようなことになれば、舟や車の運用は大も小も妨げられることになろうというものだ。

 

軍國之食,轉致或闕矣。

華州司功参軍・王朝軍・連合軍など軍隊と国家の食糧は、次第に穀物倉庫は空になってくることになろう。

 

矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。

ましてや關中の家々の炊煙はまだ稀にしかあがからず、牛馬の力も不足している者たちばかりだからなおさら深刻である。

○この時、洛陽には安史軍が迫ってきて入り、江南からの輸送は激減していたのである。加えて安史の乱直前三年は長雨と日照りが続き、不作、から飢饉の状態であった。この758年も不順な天候で飢饉になることで杜甫は官を辞することになる。

 

子等飽隨時之要,挺賓王之資,

諸君よ、時勢の必要を充分に充たし、帝を輔佐する資質を大いにあらわしてほしい。

 

乎求賢,敷厥讜議。

この都圏の食糧問題に対する世に埋もれた賢人の意見を求め、その正しい議論を大いにおこして、この危急な状態を助けてもられたいのである。

 

灌漑治水は皇帝の大きな事業であった。三皇五帝は黄河の氾濫による治水がある。三皇に扱われ、水神の神と言われている共工(現在のチャン族)と方船に乗って洪水を逃れた伏羲、女媧兄妹(現在のミャオ族)。五帝の時代では、天文を観察して暦を作らせた堯が天子を務めた時に、またも黄河の氾濫が起き、治水工事を夏王朝の初代皇帝、禹の父鯀(現在の越人)に託し、その工事に失敗すると殷の始祖と言われている舜に依頼し、舜が天子になった時に禹に治水工事を完成させた。

 

中国古代の「大禹治水」の物語と都江堰の工事は後代にとても良い啓発を残してくれた。「大禹治水」の物語に、禹の父である鯀は「塞ぐ」方法で洪水を治めようとして、九年経っても洪水は治まらなかった。大禹は「水路の流れをよくする」(濬う)方法を採って治水して、山にぶつかると山を開いて、坂にぶつかると堤防を築いて、水路の流れをよくして、流れの勢いに沿って導いて、最後、洪水を海に導くことに成功した。

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(7) Q-3-#1 (陸上水路整備によるの駅伝制が整うことによる国力整備増強)

問:通道陂澤,隨山濬川,

策を問う、道を通ぜしめ、・沢や沼をふさぎ、山に沿い河を深くさらう。

之理,疏奠之術,

そのように、古から、道を切り開く工法やふさがっている所をくりぬいて通じさせる土木術策があるのである。

抑有可觀,其來尚矣。

そもそも見るべき手本があり、その由来は久しいものかある。

初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。

洎後代控引淮海,漕通涇渭,

後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

因舟楫之利,達倉庾之儲。

これによって、引き船法であるとか、航行法の策定により水運の利益が増大した、当然、天子の御蔵と穀物蔵には貯蔵を栄えさせたのだ。

 (7) Q-3-#1

問う:道を通じ 澤を陂ぎ,山に隨い川を濬う,

理あり,疏奠の術ある,

抑も觀る可き有り,其の來れるや尚し。

初め聖人 溝洫に盡力し,國に隄防を為すを作す有り,

後代に洎んで 淮と海を控引し,涇渭を漕ぎ、通ず,

因って舟楫の利あり,倉庾の儲を達す。

 

(8) Q-3-#2

又賴此而殷,亦行之自久。

また交通整備にともなって、地域は発展し、その地域間の流通も発展し、事業は長く続けられた。

近者有司相土,決彼支渠,

最近、司功参軍の治める土地は戦争によってみだれてしまい、溝渠をつぶしてしまったり、運河、渠水を決壊、崩壊させた。

既潰渭而亂河,竟功多而事寢。

既に渭水の灌漑はつぶされ、あまつさえ重要な黄河を乱れさせてしまったのだ、結局、労役ばかり多くなった挙げ句の果てに、水路輸送はうまくゆかず遮断してしまった。

人實勞止,岸乃善崩。

安史の乱により、人々は骨を折って疲れ果て、手入れをしない川岸はしばしば崩れるようになった。

遂使委輸之勤,中道而棄。

こうしてとうとう物資輸送の勤めも中途で投げ出されているのである。

又た此に賴りて殷んに,亦た之を行うこと自ら久し。

近者 司 相いに土有り,彼の支渠を決す,

既に渭を潰して河を亂し,竟に功多くして事寢す。

人 實に勞止し,岸 乃ち 善く崩す。

遂に委輸の勤めをせしめ,中道にして棄てしむ。

 

(9) Q-3-#3

今軍用蓋寡,國儲未贍,

今、軍事用工事は非常に多くしなければならないのに、国の蓄えについてはいまだ安史の乱は平定しないので満たされる段階ではない。

雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。

遠方の江南からの穀物を大量に都に輸送する必要があるというのに、肝腎の運送用の車がほとんどないのである。

是以國朝仗彼天使,徵茲水工,

此の経済状況に問題があるというわけで朝廷は、かの天子の使いだされた、「治水作業をする者を徴集せよ」と。

議下淇園之竹,更鑿商顏之井。

漢の時代に淇園の竹を下して堰堤とすることを議し、商顔の井戸を穿って洛水をひいたように土木工事をしようとしている。

又恐煩費居多,績用莫立,

またそこに問題があり、工事費用が膨大だということであり、実績を上げることが出来ないだけでなく計画すらできないのである。

空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。

雲を集めた様に大勢で鋤を荷ってもなにもできず空しいことである、また堤防をつくっていってもすぐに黄河の水が流してしまって泥水になるのである。

今 軍用 蓋ぞ寡なからん、國儲 未だ贍たず。

遠方の粟が大いに来たると雖も、而して助挽の車 給するなし。

是を以て 國朝 彼の天使に杖り、茲の水工を徴す。

議して 淇園の竹を下し、更に商顔の井を鑿たしむ。

又た 恐るらくは煩費多きに居り、績用立つる莫し。

空しく成雲の挿を荷ひ、復だ 填淤の泥に擁がれん。

 

(10) Q-3-#4

若然,則舟車之用,大小相妨矣;

軍國之食,轉致或闕矣。

矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。

子等飽隨時之要,挺賓王之資,

乎求賢,敷厥讜議。

洛陽 函谷関002 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) (9) Q-3-#3

今軍用蓋寡,國儲未贍,

雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。

是以國朝仗彼天使,徵茲水工,

議下淇園之竹,更鑿商顏之井。

又恐煩費居多,績用莫立,

空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。

 

(下し文)

今 軍用 蓋ぞ寡なからん、國儲 未だ贍たず。

遠方の粟が大いに来たると雖も、而して助挽の車 給するなし。

是を以て 國朝 彼の天使に杖り、茲の水工を徴す。

議して 淇園の竹を下し、更に商顔の井を鑿たしむ。

又た 恐るらくは煩費多きに居り、績用立つる莫し。

空しく成雲の挿を荷ひ、復だ 填淤の泥に擁がれん。

 

(現代語訳)

今、軍事用工事は非常に多くしなければならないのに、国の蓄えについてはいまだ安史の乱は平定しないので満たされる段階ではない。

遠方の江南からの穀物を大量に都に輸送する必要があるというのに、肝腎の運送用の車がほとんどないのである。

此の経済状況に問題があるというわけで朝廷は、かの天子の使いだされた、「治水作業をする者を徴集せよ」と。

漢の時代に淇園の竹を下して堰堤とすることを議し、商顔の井戸を穿って洛水をひいたように土木工事をしようとしている。

またそこに問題があり、工事費用が膨大だということであり、実績を上げることが出来ないだけでなく計画すらできないのである。

雲を集めた様に大勢で鋤を荷ってもなにもできず空しいことである、また堤防をつくっていってもすぐに黄河の水が流してしまって泥水になるのである。

 

 

(訳注)   (9) Q-3-#3 (安史の乱による交通手段の遮断)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

今軍用蓋寡,國儲未贍,

今、軍事用工事は非常に多くしなければならないのに、国の蓄えについてはいまだ安史の乱は平定しないので満たされる段階ではない。

 

雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。

遠方の江南からの穀物を大量に都に輸送する必要があるというのに、肝腎の運送用の車がほとんどないのである。

○遠方 長安地方の穀物飢饉で特に比較的江南

 

是以國朝仗彼天使,徵茲水工,

此の経済状況に問題があるというわけで朝廷は、かの天子の使いだされた、「治水作業をする者を徴集せよ」と。

 

議下淇園之竹,更鑿商顏之井。

漢の時代に淇園の竹を下して堰堤とすることを議し、商顔の井戸を穿って洛水をひいたように土木工事をしようとしている。

淇園之竹 淇水の竹園の竹をここに持ってきて堤防、堰堤工事しようということ。三皇五帝の時代からの堰堤工事に竹は必要不可欠のものである。木杭を打ちこみ、竹を編み、割石を入れ、蛇籠にしたりして工事をする。『詩経、衛風、竹竿』衛国の淇水のほとりには竹が多い。ここの竹を使って長安近郊の穀倉地帯の渠水、灌漑用水の堤防工事に使用された。『詩経、衛風、竹竿』「籊籊竹竿、以釣于淇。豈不爾思、遠莫致之。泉源在左、淇水在右。」『漢書』巻二九溝洫志に「上乃使汲仁、郭昌発卒数萬人塞瓠子決河。(中 略)令群臣従容自将軍以ト皆負薪反決河。是時東都焼草、以故薪柴少、而下淇園之竹以為揵。」とある。

商顔 陝西省商山のこと。大禹は「水路の流れをよくする」(濬う)方法を採って治水して、山にぶつかると山を開いて、坂にぶつかると堤防を築いて、水路の流れをよくして、流れの勢いに沿って導いて、最後、洪水を海に導くことに成功した。

 

又恐煩費居多,績用莫立,

またそこに問題があり、工事費用が膨大だということであり、実績を上げることが出来ないだけでなく計画すらできないのである。

 

空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。

雲を集めた様に大勢で鋤を荷ってもなにもできず空しいことである、また堤防をつくっていってもすぐに黄河の水が流してしまって泥水になるのである。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (8) Q-3-#2》 杜甫index-14 764年 (8) Q-3-#2 杜甫<772> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265 杜甫詩1500-772-1024/2500index-21

最近、司功参軍の治める土地は戦争によってみだれてしまい、溝渠をつぶしてしまったり、運河、渠水を決壊、崩壊させた。既に渭水の灌漑はつぶされ、あまつさえ重要な黄河を乱れさせてしまったのだ、結局、労役ばかり多くなった挙げ句の果てに、水路輸送はうまくゆかず遮断してしまった。

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (8) Q-3-#2》 杜甫index-14 764 (8) Q-3-#2 杜甫<772> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265 杜甫詩1500-772-1024/2500index-21


        
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(7) Q-3-#1 (陸上水路整備によるの駅伝制が整うことによる国力整備増強)

問:通道陂澤,隨山濬川,

策を問う、道を通ぜしめ、・沢や沼をふさぎ、山に沿い河を深くさらう。

之理,疏奠之術,

そのように、古から、道を切り開く工法やふさがっている所をくりぬいて通じさせる土木術策があるのである。
抑有可觀,其來尚矣。

そもそも見るべき手本があり、その由来は久しいものかある。

初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。

洎後代控引淮海,漕通涇渭,

後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

因舟楫之利,達倉庾之儲。

これによって、引き船法であるとか、航行法の策定により水運の利益が増大した、当然、天子の御蔵と穀物蔵には貯蔵を栄えさせたのだ。

 (7) Q-3-#1

問う:道を通じ 澤を陂ぎ,山に隨い川を濬う,

理あり,疏奠の術ある,

抑も觀る可き有り,其の來れるや尚し。

初め聖人 溝洫に盡力し,國に隄防を為すを作す有り,

後代に洎んで 淮と海を控引し,涇渭を漕ぎ、通ず,

因って舟楫の利あり,倉庾の儲を達す。

 

(8) Q-3-#2

又賴此而殷,亦行之自久。

また交通整備にともなって、地域は発展し、その地域間の流通も発展し、事業は長く続けられた。

近者有司相土,決彼支渠,

最近、司功参軍の治める土地は戦争によってみだれてしまい、溝渠をつぶしてしまったり、運河、渠水を決壊、崩壊させた。

既潰渭而亂河,竟功多而事寢。

既に渭水の灌漑はつぶされ、あまつさえ重要な黄河を乱れさせてしまったのだ、結局、労役ばかり多くなった挙げ句の果てに、水路輸送はうまくゆかず遮断してしまった。

人實勞止,岸乃善崩。

安史の乱により、人々は骨を折って疲れ果て、手入れをしない川岸はしばしば崩れるようになった。

遂使委輸之勤,中道而棄。

こうしてとうとう物資輸送の勤めも中途で投げ出されているのである。

又た此に賴りて殷んに,亦た之を行うこと自ら久し。

近者 司 相いに土有り,彼の支渠を決す,

既に渭を潰して河を亂し,竟に功多くして事寢す。

人 實に勞止し,岸 乃ち 善く崩す。

遂に委輸の勤めをせしめ,中道にして棄てしむ。
 (9) Q-3
-#3

今軍用蓋寡,國儲未贍,

雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。

是以國朝仗彼天使,徵茲水工,

議下淇園之竹,更鑿商顏之井。

又恐煩費居多,績用莫立,

空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。

 (10) Q-3-#4

若然,則舟車之用,大小相妨矣;

軍國之食,轉致或闕矣。

矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。

子等飽隨時之要,挺賓王之資,

乎求賢,敷厥讜議。

 

隋堤01 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文) (8) Q-3-#2

又賴此而殷,亦行之自久。

近者有司相土,決彼支渠,

既潰渭而亂河,竟功多而事寢。

人實勞止,岸乃善崩。

遂使委輸之勤,中道而棄。

 

(下し文) (8) Q-3-#2

又た此に賴りて殷んに,亦た之を行うこと自ら久し。

近者 司 相いに土有り,彼の支渠を決す,

既に渭を潰して河を亂し,竟に功多くして事寢す。

人 實に勞止し,岸 乃ち 善く崩す。

遂に委輸の勤めをせしめ,中道にして棄てしむ。

 

(現代語訳)

また交通整備にともなって、地域は発展し、その地域間の流通も発展し、事業は長く続けられた。

最近、司功参軍の治める土地は戦争によってみだれてしまい、溝渠をつぶしてしまったり、運河、渠水を決壊、崩壊させた。

既に渭水の灌漑はつぶされ、あまつさえ重要な黄河を乱れさせてしまったのだ、結局、労役ばかり多くなった挙げ句の果てに、水路輸送はうまくゆかず遮断してしまった。

安史の乱により、人々は骨を折って疲れ果て、手入れをしない川岸はしばしば崩れるようになった。

こうしてとうとう物資輸送の勤めも中途で投げ出されているのである。

京兆地域図00 

(訳注) (8) Q-3-#2 (安史の乱による交通手段の遮断)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

又賴此而殷,亦行之自久。

また交通整備にともなって、地域は発展し、その地域間の流通も発展し、事業は長く続けられた。

 

近者有司相土,決彼支渠,

最近、司功参軍の治める土地は戦争によってみだれてしまい、溝渠をつぶしてしまったり、運河、渠水を決壊、崩壊させた。

○通済渠・永済渠・山陽瀆がみだれる。

 

既潰渭而亂河,竟功多而事寢。

既に渭水の灌漑はつぶされ、あまつさえ重要な黄河を乱れさせてしまったのだ、結局、労役ばかり多くなった挙げ句の果てに、水路輸送はうまくゆかず遮断してしまった。

○事寢 事:水路輸送の事業。寝:やめる。すたれる。

 

 

人實勞止,岸乃善崩。

安史の乱により、人々は骨を折って疲れ果て、手入れをしない川岸はしばしば崩れるようになった。

○この時期、長安への江南からの食糧は

 

遂使委輸之勤,中道而棄。

こうしてとうとう物資輸送の勤めも中途で投げ出されているのである。

○委:捨てる。捨て置く。身棄てる。
洛陽 函谷関002 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (7) Q-3-#1》 杜甫index-14 764年 (7) Q-3-#1 杜甫<771> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4260 杜甫詩1500-771-1023/2500index-21

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

        
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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403 《黄陵廟碑 -(2)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家読本 巻五 <1055>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4259韓愈詩-403 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (7) Q-3-#1》 杜甫index-14 764年 (7) Q-3-#1 杜甫<771> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4260 杜甫詩1500-771-1023/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (7) Q-3-#1》 杜甫index-14 764 (7) Q-3-#1 杜甫<771>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4260 杜甫詩1500-771-1023/2500index-21


(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

 

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

 

 

(7) Q-3-#1(陸上水路整備によるの駅伝制が整うことによる国力整備増強)

問:通道陂澤,隨山濬川,

策を問う、道を通ぜしめ、・沢や沼をふさぎ、山に沿い河を深くさらう。

之理,疏奠之術,

そのように、古から、道を切り開く工法やふさがっている所をくりぬいて通じさせる土木術策があるのである。

抑有可觀,其來尚矣。

そもそも見るべき手本があり、その由来は久しいものかある。

初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。

洎後代控引淮海,漕通涇渭,

後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

因舟楫之利,達倉庾之儲。

これによって、引き船法であるとか、航行法の策定により水運の利益が増大した、当然、天子の御蔵と穀物蔵には貯蔵を栄えさせたのだ。

 (7) Q-3-#1

問う:道を通じ 澤を陂ぎ,山に隨い川を濬う,

理あり,疏奠の術ある,

抑も觀る可き有り,其の來れるや尚し。

初め聖人 溝洫に盡力し,國に隄防を為すを作す有り,

後代に洎んで 淮と海を控引し,涇渭を漕ぎ、通ず,

因って舟楫の利あり,倉庾の儲を達す。

 (8) Q-3-#2

又賴此而殷,亦行之自久。

近者有司相土,決彼支渠,

既潰渭而亂河,竟功多而事寢。

人實勞止,岸乃善崩。

遂使委輸之勤,中道而棄。

(9) Q-3-#3

今軍用蓋寡,國儲未贍,

雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。

是以國朝仗彼天使,徵茲水工,

議下淇園之竹,更鑿商顏之井。

又恐煩費居多,績用莫立,

空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。

(10) Q-3-#4

若然,則舟車之用,大小相妨矣;

軍國之食,轉致或闕矣。

矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。

子等飽隨時之要,挺賓王之資,

乎求賢,敷厥讜議。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文) (7) Q-3-#1

問:通道陂澤,隨山濬川,

之理,疏奠之術,

抑有可觀,其來尚矣。

初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,

洎後代控引淮海,漕通涇渭,

因舟楫之利,達倉庾之儲。

 

(下し文) (7) Q-3-#1

問う:道を通じ 澤を陂ぎ,山に隨い川を濬う,

理あり,疏奠の術ある,

抑も觀る可き有り,其の來れるや尚し。

初め聖人 溝洫に盡力し,國に隄防を為すを作す有り,

後代に洎んで 淮と海を控引し,涇渭を漕ぎ、通ず,

因って舟楫の利あり,倉庾の儲を達す。

 

(現代語訳)

策を問う、道を通ぜしめ、・沢や沼をふさぎ、山に沿い河を深くさらう。

そのように、古から、道を切り開く工法やふさがっている所をくりぬいて通じさせる土木術策があるのである。

そもそも見るべき手本があり、その由来は久しいものかある。

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。

後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

これによって、引き船法であるとか、航行法の策定により水運の利益が増大した、当然、天子の御蔵と穀物蔵には貯蔵を栄えさせたのだ。

 

(訳注) (7) Q-3-#1 (陸上水路整備によるの駅伝制が整うことによる国領増強)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

問:通道陂澤,隨山濬川,

策を問う、道を通ぜしめ、・沢や沼をふさぎ、山に沿い河を深くさらう。

○濬川 船の航行が潤達になされるよう川をさらう。安史軍が占領している地域を避けて水陸の交通をよくすることをいう。

 

之理,疏奠之術,

そのように、古から、道を切り開く工法やふさがっている所をくりぬいて通じさせる土木術策があるのである。

 経路を開く。/(/)とは。 (1) 短い手紙启礼状.(2) 開く,開ける开启開く.(3) 指導する,教える.→启(4) 始める,開始する启行出発する.(5) 《翰》申し述べる。

疏奠 ふさがっているところを通じる。 きりひらいて通すこと。

 

抑有可觀,其來尚矣。

そもそも見るべき手本があり、その由来は久しいものかある。

○この二句は、古代より、灌漑治水は皇帝の大きな事業であった。三皇五帝は黄河の氾濫による治水がある。三皇に扱われ、水神の神と言われている共工(現在のチャン族)と方船に乗って洪水を逃れた伏羲、女媧兄妹(現在のミャオ族)。五帝の時代では、天文を観察して暦を作らせた堯が天子を務めた時に、またも黄河の氾濫が起き、治水工事を夏王朝の初代皇帝、禹の父鯀(現在の越人)に託し、その工事に失敗すると殷の始祖と言われている舜に依頼し、舜が天子になった時に禹に治水工事を完成させた。

 

初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。

○溝洫:田問の掘り割りの水、広さ深さが四尺あるものを溝といい、広さ深さが八尺あるものを池という。 杜甫『輿任城許圭簿遊南池』「秋水通溝洫,城隅進小船。晚涼看洗馬,森木亂鳴蟬。菱熟經時雨,蒲荒八月天。晨朝降白露,遙憶舊青氈。」

秋の水が田んぼ間の掘り割りに縦横に通じている、それでその水路を利用して県城の隅から小さな船を進めて南池の方へでかけた。

途中では涼しくなった夕がた、人が馬を洗ってやっていた。しげり立った木にはうるさく蝉が鳴いていた。

菱はこのごろ長くつづいた雨のために成熟している。八月の秋空に蒲などは枯れかかりつつある。

明け方白露おりていた、考えてみると二十四節気の白露である。 遥かにおもいだす故郷の書斎にのこしてあるあの青毛氈のことである。與任城許主簿游南池 杜甫

○隄防 国力を高めるために国家事業の大半を占める。

 

洎後代控引淮海,漕通涇渭,

後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

○淮海 淮は淮河であり、海は長江で通済渠【つうさいきょ】中国,黄河中流と淮河(わいが)を結ぶ水路。隋の煬帝(ようだい)が開いた大運河の根幹をなす。605年開通。大運河の一部である山陽瀆(さんようとく)(淮河と長江を結ぶ水路)と江南河(長江と銭塘江(せんとうこう)を結ぶ水路)を経て杭州に達する。汴河(べんが)。永済渠】中国,黄河中流と天津を連絡する水路。隋の煬帝が開いた大運河の根幹をなす。608年開通。衛河。

○この二句 中国では年は運河網による輸送が大量輸送の基本である。漕通 運河による交通。

 

因舟楫之利,達倉庾之儲。

これによって、引き船法であるとか、航行法の策定により水運の利益が増大した、当然、天子の御蔵と穀物蔵には貯蔵を栄えさせたのだ。

○庾之儲 露天の穀物倉はゆたかにたくわえられた。
長安と洛陽の大地図0048 

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下知の使節には満足を与え、往来の主客にはしかるべき処遇をすること。民衆には織物を納めると手元には何も残らないという嘆きを終わりにさせ、官吏にはゆったりできる方策を考えてもらいたいのである。私は慎んで諸君の新しい意見を待ち望む

        
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(4) Q-2-#1(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

問:國有軺車,廬有飲食,

(Q-2)策問する、国には国軍の隊列に導軺車に続いて軍事物資を運ぶ従軺車を用意するようになっている。そうすることで軍隊の一宿衛、軍営するところで飲食物をとることができる。(府兵制の崩壊以後募兵によるものであることをいう。)

古之按風俗、遣使臣,

四書五経など古くから上達下達に関してのしきたりは決められた方法で行うということで、まず、使節を派遣することについていう。

在王官之一守,得馳傳而分命。

地方をいくつかに分けて、まず王を置くと、王という官職はその一国を守ることであり、通常通達は駅伝制により命令をあちこちに配布できるようにさせ、王から、州府へ、県令へと分担して通達される。

蓋地有要害,郊有遠近,

それからその王の領地に要の地と害の地があるということ、要の地は郊外とし遠郊と近郊によって守りの役割を分けた。

供給之比,省費相懸。

そこで、土地によって中央への供するものと給付とこれを正当に比較するのである。省くものと必要不可欠な消費物資についてもそれぞれ関係性を考えて分けていくことである。

 (4) Q-2-#1

問う:國には 軺車有り,廬には 飲食有り。

古には之れ 風俗を按じ、使臣を遣す,

王官は之れ一守に在り,馳傳は而して分命を得。

蓋し地は 要と害 有り,郊は 遠と近 有り。

供と給は 之れ比するものなり,省と費は 相いに懸るものなり。

 

(5) Q-2-#2

今茲華惟襟帶,關逼輦轂,

今、ここ華州という地は黄河の三河の襟元であり、長安と洛陽を結ぶ軍事防衛の最重要地点であり、潼関は両都の天子の御車の通過する際の天下の剣という場所である。

行人受辭於朝夕,使者相望於道路,

都を出立した旅する使者たちは辞令を朝と夕とに天子から受け、使者は互いに目的地を臨んでこの地から北と東に道路をとることになる。

屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。

しかし今年の暮にあたって、関中は飢饉となり、華州司功参軍でも穀物の備蓄か全くなく、幕府役職にある者たちは憂いに沈んでいる。

況軍書未,王命急宣,

それにもまして、各地は不穏で軍事の書簡が絶えずここを通ってゆく、天子の勅命が急に下くだることばかりである。

插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,

而も緊急を要す「檄」の「羽根」を添えたものがおおく、飛ぶ鷹より迅速に飛びいたるための負担は多大なものになる、それに供された馬は無理をさせるため死んでしまうが破れたとばりでさえ、馬を埋めるのに供されないのであるから、なおさらである。

豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。

どうして普段馬に充分な馬草の供給をし尽くしているのであるがこのようなことになるのであろうか、添え馬をもっと買う資力に欠けているのであって、それを充たすことができないのである。

今 茲れ華は惟れ襟帶なり,關は輦轂に逼る。

行人 辭を朝夕に受け,使者 相い望んで道路に於いてする。

屬【このごろ】年 蓄積の虞【そな】え無く,職司 愁痛の歎有り。

況んや軍書 未だえず,王命 急に宣せらる。

插羽 先づ 騰鷹に翥し,敝帷 埋馬に供えざるなり,

豈に芻粟の勤 獨りありしか,驂騑の價 闕如するを實らん。

 (6) Q-2-#3

人主之軫念,屢及於茲;

天子はこの資金不足のことに心痛めておられ、そしてしばしば朝儀でこのことに及んでおられた。

邦伯之分憂,何敢怠?

州・郡・縣刺史かこの資金不足の憂えを分かち合うことを、今までなんら怠っていたわけではない。

乞恩難再,近日已降水衡之錢;

しかし、天子の恩恵を乞うことはこれ以上望めないのである。なぜなら、直近のこと水衡の銭の鋳造の命が下されたばかりだからである。

積骨頗多,無暇更入燕王之市。

確かに死んだ馬の骨はすこぶる多く高く積まれた、燕王の市の故事のいう「死馬且買之五百金」に入る暇もない。

欲使輶軒有喜,主客合宜,

天子の下知の使節には満足を与え、往来の主客にはしかるべき処遇をすること。

閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,

民衆には織物を納めると手元には何も残らないという嘆きを終わりにさせ、官吏にはゆったりできる方策を考えてもらいたいのである。

側佇嘉論,當聞濟時。

私は慎んで諸君の新しい意見を待ち望む、きっと今の時代を難儀から救う手だてを聞けるだろうと期待するところである。

人主の軫念、屡々茲に及び、

邦伯の分憂、何ぞ嘗て敢えて怠らんや。

恩を乞ふは再びし難く、近日已に水衡の賤を降さる。

積骨頗る多く、更に燕王の市に入るに暇無し。

輶軒をして喜び有らしめ、主客をして宜しきに合せしめ、

閤閣をして抒軸の嗟きを罷めしめ、官吏をして従容の計を得しめんと欲す。

側ちて新居を佇つ。当に時を済うを開くべし。

 

京兆地域図00 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文) (6) Q-2-#3

人主之軫念,屢及於茲;

邦伯之分憂,何敢怠?

乞恩難再,近日已降水衡之錢;

積骨頗多,無暇更入燕王之市。

欲使輶軒有喜,主客合宜,

閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,

側佇嘉論,當聞濟時。

 

(下し文)

人主の軫念、屡々茲に及び、

邦伯の分憂、何ぞ嘗て敢えて怠らんや。

恩を乞ふは再びし難く、近日已に水衡の賤を降さる。

積骨頗る多く、更に燕王の市に入るに暇無し。

輶軒をして喜び有らしめ、主客をして宜しきに合せしめ、

閤閣をして抒軸の嗟きを罷めしめ、官吏をして従容の計を得しめんと欲す。

側ちて新居を佇つ。当に時を済うを開くべし。

 

(現代語訳)

天子はこの資金不足のことに心痛めておられ、そしてしばしば朝儀でこのことに及んでおられた。

州・郡・縣刺史かこの資金不足の憂えを分かち合うことを、今までなんら怠っていたわけではない。

しかし、天子の恩恵を乞うことはこれ以上望めないのである。なぜなら、直近のこと水衡の銭の鋳造の命が下されたばかりだからである。

確かに死んだ馬の骨はすこぶる多く高く積まれた、燕王の市の故事のいう「死馬且買之五百金」に入る暇もない。

天子の下知の使節には満足を与え、往来の主客にはしかるべき処遇をすること。

民衆には織物を納めると手元には何も残らないという嘆きを終わりにさせ、官吏にはゆったりできる方策を考えてもらいたいのである。

私は慎んで諸君の新しい意見を待ち望む、きっと今の時代を難儀から救う手だてを聞けるだろうと期待するところである。

 

 

(訳注) (6) Q-2-#3(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

洛陽 函谷関002 

人主之軫念,屢及於茲;

天子はこの資金不足のことに心痛めておられ、そしてしばしば朝儀でこのことに及んでおられた。

○軫念【しんねん】天子が心を痛めること。また、天子の心。

 

邦伯之分憂,何敢怠?

州・郡・縣刺史かこの資金不足の憂えを分かち合うことを、今までなんら怠っていたわけではない。

○邦伯 州府・県令、刺史

 

乞恩難再,近日已降水衡之錢;

しかし、天子の恩恵を乞うことはこれ以上望めないのである。なぜなら、直近のこと水衡の銭の鋳造の命が下されたばかりだからである。

○水衡之錢 前漢の上林苑に大規模な鋳銭所を設置し、水衡都尉(漢代の官職名)に所属する三官(鍾官、技巧、弁銅)に鋳銭を行なわせ、三官にて鋳工された五銖銭以外の五銖銭(郡国五銖銭、赤側五銖銭)の流通を禁止し、諸郡国の鋳銭所を廃止させると同時に、銅原料(旧銭も含む)を三官に集めさせた。この政策により郡国、民間での盗鋳、私鋳は激減する様になった。ここはこの水衡錢と同じように朝廷が含有率を変えて1050倍鋳造していた。

 

積骨頗多,無暇更入燕王之市。

確かに死んだ馬の骨はすこぶる多く高く積まれた、燕王の市の故事のいう「死馬且買之五百金」に入る暇もない。

○燕王之市 戦国時代、燕の郭隗が、燕の昭王に、天下の賢者を招くには先づ自分を用いよ、と述べた言葉の中にある喩え話を踏まえる。君主から千里の馬を買うよう命じられた両人(小間使)か、死んだ馬の骨を五百斤で買って帰ると、王は怒るが、涓人は「死馬且買之五百金,況生馬乎?天下必以王為能市馬,馬今至矣。」と答えたという話。一日に千里を走る名馬を買うために、使者は千金を持って出かけた。しかし使者は、すでに死んでいたその名馬の骨を五百金で買って帰ってきた。王が怒ると、使者は「死んだ馬の骨にさえ五百金も払うという噂が広まれば、王は馬の値打ちがわかるという評判が広がり、必ず生きた名馬を売り込みにくるでしょう」と言った。その後、一年も経たないうちに千里を走る名馬を、王は三頭も手に入れたという。「戦国策」燕策の故事。

 

欲使輶軒有喜,主客合宜,

天子の下知の使節には満足を与え、往来の主客にはしかるべき処遇をすること。

 

閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,

民衆には織物を納めると手元には何も残らないという嘆きを終わりにさせ、官吏にはゆったりできる方策を考えてもらいたいのである。

○杼軸之嗟 「杼軸」は、機を織る道具。「杼軸之嗟」は、公の税の取り立てが察しいために、村の女の手元に布帛か全く残らないことをいうのであろう。唐初期の生産量が3倍くらいになったことで価値が1/3になり、税負担は三倍になったことをいう。

 

 

側佇嘉論,當聞濟時。

私は慎んで諸君の新しい意見を待ち望む、きっと今の時代を難儀から救う手だてを聞けるだろうと期待するところである。

○濟時 時世の困難を救う意。杜甫の。「洗兵行」に「二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。」(二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。)とある。

これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
二三豪傑 上に列挙した人々をさす、万人に徳をするものを俊、千人に徳をするものを豪というという。〇 その時世。○整頓乾坤 天地のかたむきみだれているのを正しくととのえなおす。○済時 時代を難儀から救う。
長安と洛陽の大地図0048 

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而も緊急を要す「檄」の「羽根」を添えたものがおおく、飛ぶ鷹より迅速に飛びいたるための負担は多大なものになる、それに供された馬は無理をさせるため死んでしまうが破れたとばりでさえ、馬を埋めるのに供されないのであるから、なおさらである。


        
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(4) Q-2-#1(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

問:國有軺車,廬有飲食,

Q-2策問する、国には国軍の隊列に導軺車に続いて軍事物資を運ぶ従軺車を用意するようになっている。そうすることで軍隊の一宿衛、軍営するところで飲食物をとることができる。(府兵制の崩壊以後募兵によるものであることをいう。)

古之按風俗、遣使臣,

四書五経など古くから上達下達に関してのしきたりは決められた方法で行うということで、まず、使節を派遣することについていう。

在王官之一守,得馳傳而分命。

地方をいくつかに分けて、まず王を置くと、王という官職はその一国を守ることであり、通常通達は駅伝制により命令をあちこちに配布できるようにさせ、王から、州府へ、県令へと分担して通達される。

蓋地有要害,郊有遠近,

それからその王の領地に要の地と害の地があるということ、要の地は郊外とし遠郊と近郊によって守りの役割を分けた。

供給之比,省費相懸。

そこで、土地によって中央への供するものと給付とこれを正当に比較するのである。省くものと必要不可欠な消費物資についてもそれぞれ関係性を考えて分けていくことである。

 (4) Q-2-#1

問う:國には 軺車有り,廬には 飲食有り。

古には之れ 風俗を按じ、使臣を遣す,

王官は之れ一守に在り,馳傳は而して分命を得。

蓋し地は 要と害 有り,郊は 遠と近 有り。

供と給は 之れ比するものなり,省と費は 相いに懸るものなり。

 

(5) Q-2-#2

今茲華惟襟帶,關逼輦轂,

今、ここ華州という地は黄河の三河の襟元であり、長安と洛陽を結ぶ軍事防衛の最重要地点であり、潼関は両都の天子の御車の通過する際の天下の剣という場所である。

行人受辭於朝夕,使者相望於道路,

都を出立した旅する使者たちは辞令を朝と夕とに天子から受け、使者は互いに目的地を臨んでこの地から北と東に道路をとることになる。

屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。

しかし今年の暮にあたって、関中は飢饉となり、華州司功参軍でも穀物の備蓄か全くなく、幕府役職にある者たちは憂いに沈んでいる。

況軍書未,王命急宣,

それにもまして、各地は不穏で軍事の書簡が絶えずここを通ってゆく、天子の勅命が急に下くだることばかりである。

插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,

而も緊急を要す「檄」の「羽根」を添えたものがおおく、飛ぶ鷹より迅速に飛びいたるための負担は多大なものになる、それに供された馬は無理をさせるため死んでしまうが破れたとばりでさえ、馬を埋めるのに供されないのであるから、なおさらである。

豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。

どうして普段馬に充分な馬草の供給をし尽くしているのであるがこのようなことになるのであろうか、添え馬をもっと買う資力に欠けているのであって、それを充たすことができないのである。

今 茲れ華は惟れ襟帶なり,關は輦轂に逼る。

行人 辭を朝夕に受け,使者 相い望んで道路に於いてする。

屬【このごろ】年 蓄積の虞【そな】え無く,職司 愁痛の歎有り。

況んや軍書 未だえず,王命 急に宣せらる。

插羽 先づ 騰鷹に翥し,敝帷 埋馬に供えざるなり,

豈に芻粟の勤 獨りありしか,驂騑の價 闕如するを實らん。

 (6) Q-2-#3

人主之軫念,屢及於茲;

邦伯之分憂,何敢怠?

乞恩難再,近日已降水衡之錢;

積骨頗多,無暇更入燕王之市。

欲使軒有喜,主客合宜,

閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,

側佇嘉論,當聞濟時。

京兆地域図00 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文)  (5) Q-2-#2

今茲華惟襟帶,關逼輦轂,

行人受辭於朝夕,使者相望於道路,

屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。

況軍書未,王命急宣,

插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,

豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。

 

 

(下し文) (5) Q-2-#2

今 茲れ華は惟れ襟帶なり,關は輦轂に逼る。

行人 辭を朝夕に受け,使者 相い望んで道路に於いてする。

屬【このごろ】年 蓄積の虞【そな】え無く,職司 愁痛の歎有り。

況んや軍書 未だえず,王命 急に宣せらる。

插羽 先づ 騰鷹に翥し,敝帷 埋馬に供えざるなり,

豈に芻粟の勤 獨りありしか,驂騑の價 闕如するを實らん。

 

(現代語訳)

今、ここ華州という地は黄河の三河の襟元であり、長安と洛陽を結ぶ軍事防衛の最重要地点であり、潼関は両都の天子の御車の通過する際の天下の剣という場所である。

都を出立した旅する使者たちは辞令を朝と夕とに天子から受け、使者は互いに目的地を臨んでこの地から北と東に道路をとることになる。

しかし今年の暮にあたって、関中は飢饉となり、華州司功参軍でも穀物の備蓄か全くなく、幕府役職にある者たちは憂いに沈んでいる。

それにもまして、各地は不穏で軍事の書簡が絶えずここを通ってゆく、天子の勅命が急に下くだることばかりである。

而も緊急を要す「檄」の「羽根」を添えたものがおおく、飛ぶ鷹より迅速に飛びいたるための負担は多大なものになる、それに供された馬は無理をさせるため死んでしまうが破れたとばりでさえ、馬を埋めるのに供されないのであるから、なおさらである。

どうして普段馬に充分な馬草の供給をし尽くしているのであるがこのようなことになるのであろうか、添え馬をもっと買う資力に欠けているのであって、それを充たすことができないのである。

 

 

(訳注) (5) Q-2-#(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

洛陽 函谷関002 

今茲華惟襟帶,關逼輦轂,

今、ここ華州という地は黄河の三河の襟元であり、長安と洛陽を結ぶ軍事防衛の最重要地点であり、潼関は両都の天子の御車の通過する際の天下の剣という場所である。

・華惟襟帶 華州が山河に周りを囲まれた要害の地であることをいう。華州は華山の 北に位置し、黄河が中央を流れ、長安と洛陽を結ふ交通の要衝である。

・關逼輦轂 潼関と函谷関は天子の東都と長安の両都を結ぶ最も重要な関所である。地図(o-3)地点の東40kmに函谷関がある。潼関・函谷関は陸路防衛で重要であり、華州司功参軍は黄河が南下して東流するその90度流れを帰る地点の長安防衛の最重要地点である。

 

行人受辭於朝夕,使者相望於道路,

都を出立した旅する使者たちは辞令を朝と夕とに天子から受け、使者は互いに目的地を臨んでこの地から北と東に道路をとることになる。

・使者相望 使者たちは、この地点でまず北と東に別れることをいう。

 

屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。

しかし今年の暮にあたって、関中は飢饉となり、華州司功参軍でも穀物の備蓄か全くなく、幕府役職にある者たちは憂いに沈んでいる。

・愁痛之歎 750年代以降飢饉の年が多く、この年も夏旱、秋長雨と収穫は思うようになされていない。したがって賦税の徴収に問題が発生することを憂うのである。

 

況軍書未,王命急宣,

それにもまして、各地は不穏で軍事の書簡が絶えずここを通ってゆく、天子の勅命が急に下くだることばかりである。

王命急宣 天子の勅命が急に下ること。

 

插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,

而も緊急を要す「檄」の「羽根」を添えたものがおおく、飛ぶ鷹より迅速に飛びいたるための負担は多大なものになる、それに供された馬は無理をさせるため死んでしまうが破れたとばりでさえ、馬を埋めるのに供されないのであるから、なおさらである。

・插羽 兵の召状に鳥の羽を添えること。羽に挿むのは、急ぎの「檄」の時には「羽根」て示す速達をいう。早馬を提供する必要があり、各駅での乗り継ぎの準備が大変である。数頭一緒に走るため、華州司功参軍でもかなりの出費になることを示す。

・埋馬 早馬で無理をさせるため次々と馬が死ぬが幔幕でくるめて埋葬するのが間に合わないことをいう。ここでは、死んだ馬を埋めるのに使われる敞帷が多すぎて足らない、つまり物資が不足していることをいうのである。

 

豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。

どうして普段馬に充分な馬草の供給をし尽くしているのであるがこのようなことになるのであろうか、添え馬をもっと買う資力に欠けているのであって、それを充たすことができないのである。

實驂騑 倍馬の両側にある馬。添え馬。通常は四頭で一頭添え馬でゆっくり無理をせずに走らせるが、倍の頭数にして短距離を疾走させ、替え馬を繰り返して次の駅まで行くので死ぬのである。
長安と洛陽の大地図0048

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (4) Q-2-#1》 杜甫index-14 764年 (4) Q-2-#1 杜甫<768> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4245 杜甫詩1500-768-1020/2500index-21

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(4) Q-2-#1(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

問:國有軺車,廬有飲食,

(Q-2)策問する、国には国軍の隊列に導軺車に続いて軍事物資を運ぶ従軺車を用意するようになっている。そうすることで軍隊の一宿衛、軍営するところで飲食物をとることができる。(府兵制の崩壊以後募兵によるものであることをいう。)

古之按風俗、遣使臣,

四書五経など古くから上達下達に関してのしきたりは決められた方法で行うということで、まず、使節を派遣することについていう。

在王官之一守,得馳傳而分命。

地方をいくつかに分けて、まず王を置くと、王という官職はその一国を守ることであり、通常通達は駅伝制により命令をあちこちに配布できるようにさせ、王から、州府へ、県令へと分担して通達される。

蓋地有要害,郊有遠近,

それからその王の領地に要の地と害の地があるということ、要の地は郊外とし遠郊と近郊によって守りの役割を分けた。

供給之比,省費相懸。

そこで、土地によって中央への供するものと給付とこれを正当に比較するのである。省くものと必要不可欠な消費物資についてもそれぞれ関係性を考えて分けていくことである。

 (4) Q-2-#1

問う:國には 軺車有り,廬には 飲食有り。

古には之れ 風俗を按じ、使臣を遣す,

王官は之れ一守に在り,馳傳は而して分命を得。

蓋し地は 要と害 有り,郊は 遠と近 有り。

供と給は 之れ比するものなり,省と費は 相いに懸るものなり。

 

(5) Q-2-#2

今茲華惟襟帶,關逼輦轂,

行人受辭於朝夕,使者相望於道路,

屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。

況軍書未,王命急宣,

插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,

豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。

(6) Q-2-#3

人主之軫念,屢及於茲;

邦伯之分憂,何敢怠?

乞恩難再,近日已降水衡之錢;

積骨頗多,無暇更入燕王之市。

欲使軒有喜,主客合宜,

閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,

側佇嘉論,當聞濟時。

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文) (4) Q-2-#1

問:國有軺車,廬有飲食,

古之按風俗、遣使臣,

在王官之一守,得馳傳而分命。

蓋地有要害,郊有遠近,

供給之比,省費相懸。

 

(下し文)

(4) Q-2-#1

問う:國には 軺車有り,廬には 飲食有り。

古には之れ 風俗を按じ、使臣を遣す,

王官は之れ一守に在り,馳傳は而して分命を得。

蓋し地は 要と害 有り,郊は 遠と近 有り。

供と給は 之れ比するものなり,省と費は 相いに懸るものなり。

京兆地域図00 

 

(現代語訳)

Q-2策問する、国には国軍の隊列に導軺車に続いて軍事物資を運ぶ従軺車を用意するようになっている。そうすることで軍隊の一宿衛、軍営するところで飲食物をとることができる。(府兵制の崩壊以後募兵によるものであることをいう。)

四書五経など古くから上達下達に関してのしきたりは決められた方法で行うということで、まず、使節を派遣することについていう。

地方をいくつかに分けて、まず王を置くと、王という官職はその一国を守ることであり、通常通達は駅伝制により命令をあちこちに配布できるようにさせ、王から、州府へ、県令へと分担して通達される。

それからその王の領地に要の地と害の地があるということ、要の地は郊外とし遠郊と近郊によって守りの役割を分けた。

そこで、土地によって中央への供するものと給付とこれを正当に比較するのである。省くものと必要不可欠な消費物資についてもそれぞれ関係性を考えて分けていくことである。

 

 

(訳注) (4) Q-2-#1(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。杜甫作品の代表作、『北征』はウイグル援軍に異議を唱え、『三吏三別』では人民の生活苦、徴兵制について疑問を投げかけ、「乾元元年華州試進士策問五首」では経済問題、朝廷の家臣登用、選定について批判的に述べている

 

問:國有軺車,廬有飲食,

Q-2策問する、国には国軍の隊列に導軺車に続いて軍事物資を運ぶ従軺車を用意するようになっている。そうすることで軍隊の一宿衛、軍営するところで飲食物をとることができる。(府兵制の崩壊以後募兵によるものであることをいう。)

國有軺車 ・導軺車:戦車戦の衰退後,車馬行列が社会的地位の誇示といった意味に変化する証左にほかならない。〈導〉を受け持つ隊には,文官・武官の乗る車(導軺車(どうしようしや))が位置する。〈主車〉の直前の〈前駆〉には,前から騎吏・伍伯と続き,これらは人ばらいをして〈主車〉の警備にあたる騎士・歩卒である。…

・従軺車(じゆうしようしや)(主人の秘書官などが乗る),従輧車(じゆうへいしや)(主人の夫人などの女性が乗る),従輜車(じゆうししや)(戦争では軍需物を載せるが,実際は車行にあたっての必要品を積む)などが続く。以上は中小編成の行列であり,それが大編成となると,人員・車数がふえたり二重構成になったりするが,基本的な形は例に挙げたものと変わらない。

廬 ここでは軍隊の一時宿泊する所、軍営をいう。1 草木や竹などを材料としてつくった質素な小屋。僧・隠者などが住む小さな住居や、農作業などの仮小屋。また、自分の家を謙遜していう。草庵(そうあん)。いお。くさのかりや。「―を結ぶ」2 軍隊の一時宿泊する所。軍営。3 紋所の一。庵形の紋。

◍この頃の旅というと、軍隊は当然一切の道具を持参するものであるが、民間、杜甫が官を辞して華州から、秦州、同谷を経て成都に至るまでも家財道具一式、荷車に積んで数名の従者に牽かせているということが当たり前のことで、この策問はQ-1に続いて華州司功参軍と財政、組織、賄などについて質問したもの。

 

古之按風俗、遣使臣,

四書五経など古くから上達下達に関してのしきたりは決められた方法で行うということで、まず、使節を派遣することについていう。

按風俗 国風と習俗をよく理解し、それを踏襲すること。四書五経など古くから上達下達に関してのしきたりは決められた方法で行うということ。。国風:1 その国や地方独特の風俗や習慣。くにぶり。2 詩経の部立ての一。民謡の部分の総称。3 その国の風俗をうたった詩歌・俗謡。習俗:ある地域やある社会で昔から伝わっている風俗や習慣。風習。ならわし。

 

在王官之一守,得馳傳而分命。

地方をいくつかに分けて、まず王を置くと、王という官職はその一国を守ることであり、通常通達は駅伝制により命令をあちこちに配布できるようにさせ、王から、州府へ、県令へと分担して通達される。

得馳傳 駅伝制は、隋・唐で確立した駅伝制。駅伝制の駅を設けるにあたっては,駅馬や駅丁を配置した陸路の駅のほかに,船と丁(水夫)を配置した水駅を設けて舟運を利用することとし,唐代では全国の陸駅1297に対して水駅は260,水陸兼用の駅は86に達した。長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を理由できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料で可能であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。当時の貴族や官僚は外出には車を使わず、馬に乗り、牛車に乗るのは女性が多かった。牛車はまた、運送に利用された。隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。

而分命 分って命ずる。分担させる。

 

蓋地有要害,郊有遠近,

それからその王の領地に要の地と害の地があるということ、要の地は郊外とし遠郊と近郊によって守りの役割を分けた。

要害 要所に節度使幕府を設置。唐は、全国を10の道に分け、後の玄宗期に15に分けた。道は監察など広域行政のための単位であり、実際の施政を担うのは刺史を長とする州郡と、その下の県令を長とする県である。州は全国で約350あり、県は全国でおよそ1550であった。

郊有遠近 都市の五十里までを郊外、行政区分の整備をいう。

 

供給之比,省費相懸。

そこで、土地によって中央への供するものと給付とこれを正当に比較するのである。省くものと必要不可欠な消費物資についてもそれぞれ関係性を考えて分けていくことである。

供と給は 之れ比するものなり,省と費は 相いに懸るものなり。
洛陽 函谷関002 

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生活が良くならず、枯渇・貧困を、そうした疲弊を救う理論と実践について、これまで猛勉強してきた諸君が、この策問に対してどのような措置をとるのかを聞きたいと願っている。諸君の考え、きっちりとここにある。どうか高説を述べられることをせよ。


        
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (3) Q-1-#3》 杜甫index-14 764 (3) Q-1-#3 杜甫<767> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4240 杜甫詩1500-767-1019/2500index-21

 

 

乾元元年華州試進士策問五首

(1)Q-1-#1(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

辨乎名物,存乎有司,

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

各々の上地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

(1)Q-1-#1

乾元元年 華州にて進士を試さる策問の五首。

問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。

故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,

郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには

名物を辨じ,乎司を存す。

是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。

 (2) Q-1-#2

今聖朝紹宣王中興之洪業於上,

庶尹備山甫補袞之能事於下,

而東寇猶小梗,率土未甚辟,

總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。

今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。

周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。

しかしながら、東で反乱を起こした安史の寇軍はいまだにいくつかの前衛を塞いでおり、天下の海際の果てまで暗雲はまだ充分には開けていない。

そこで政府の大切なことは人民からきちんと賦税をすべて集めること、現地調達をやめて、尽く賦税で軍隊の需要をまかなうこと。これこそは官か天下を統御する古い制度ではあるが朝廷の重要なものなのである。

(2) Q-1-#2

今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,

庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,

而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。

彼の賦の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。

 (3)Q-1-#3

人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。

人と神にはこれが秩序であるが、これにそむくことがあるという。現実には軍隊の食料を足らせようとするだけである(賦課を中間が抜く)、すなわち賦税が軍備にあてられず、充分なだけ備えられないということである。

欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,

そうなるとひっきりなしに税を厳しく取り立てることになるので、人民はますますそれによる苦しみをこうむることになる。

子等以待問之實,知新之明,

これをどう解決すべきか?受験者諸君、試問にはこれを解決すること、新しい理をさとる聡明さをしめすこと。

觀誌氣之所存,於應對乎何有,

その示した理論、考えを、そしてその考えの実施する方法についてどうするのかということを、まとめ書き記してみせたまえ。

佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,

生活が良くならず、枯渇・貧困を、そうした疲弊を救う理論と実践について、これまで猛勉強してきた諸君が、この策問に対してどのような措置をとるのかを聞きたいと願っている。

意蓋在此矣,得遊乎?

諸君の考え、きっちりとここにある。どうか高説を述べられることをせよ。

 (3) Q-1-#3

人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦未だ充備する能わず。

將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,

子等 待問の實,知新の明を以ってす,

誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。

佇して救敝の通術を渴し,願わくば強學の措す所を聞かん,

意は蓋し此に在り,遊得んや?

華州から秦州同谷成都00 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文) (3)Q-1-#3

人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。

欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,

子等以待問之實,知新之明,

觀誌氣之所存,於應對乎何有,

佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,

意蓋在此矣,得遊乎?

 

(下し文) (3) Q-1-#3

人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦未だ充備する能わず。

將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,

子等 待問の實,知新の明を以ってす,

誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。

佇して救敝の通術を渴し,願わくば強學の措す所を聞かん,

意は蓋し此に在り,遊を得んや?

 

(現代語訳)

人と神にはこれが秩序であるが、これにそむくことがあるという。現実には軍隊の食料を足らせようとするだけである(賦課を中間が抜く)、すなわち賦税が軍備にあてられず、充分なだけ備えられないということである。

そうなるとひっきりなしに税を厳しく取り立てることになるので、人民はますますそれによる苦しみをこうむることになる。

これをどう解決すべきか?受験者諸君、試問にはこれを解決すること、新しい理をさとる聡明さをしめすこと。

その示した理論、考えを、そしてその考えの実施する方法についてどうするのかということを、まとめ書き記してみせたまえ。

生活が良くならず、枯渇・貧困を、そうした疲弊を救う理論と実践について、これまで猛勉強してきた諸君が、この策問に対してどのような措置をとるのかを聞きたいと願っている。

諸君の考え、きっちりとここにある。どうか高説を述べられることをせよ。

8世紀唐と周辺国00 

(訳注)(3)Q-1-#3(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。

人と神にはこれが秩序であるが、これにそむくことがあるという。現実には軍隊の食料を足らせようとするだけである(賦課を中間が抜く)、すなわち賦税が軍備にあてられず、充分なだけ備えられないということである。

 

欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,

そうなるとひっきりなしに税を厳しく取り立てることになるので、人民はますますそれによる苦しみをこうむることになる。

・誅求不時 時を定めず、厳しく責めて租税を取りたてること。

 

子等以待問之實,知新之明,

これをどう解決すべきか?受験者諸君、試問にはこれを解決すること、新しい理をさとる聡明さをしめすこと。

・待問之實 試問にはこれを解決すること。

・知新 新しい理を知ること。「温故知新」

 

觀誌氣之所存,於應對乎何有,

その示した理論、考えを、そしてその考えの実施する方法についてどうするのかということを、まとめ書き記してみせたまえ。

 

佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,

生活が良くならず、枯渇・貧困を、そうした疲弊を救う理論と実践について、これまで猛勉強してきた諸君が、この策問に対してどのような措置をとるのかを聞きたいと願っている。

・救敝「救弊一に同じ。疲弊を救うこと。戦争、飢饉、が続き生活が疲弊していたこと。賦税が払えないものが激増して軍備整えること、増強はさらに難しく状況であった。

 

意蓋在此矣,得遊乎?

諸君の考え、きっちりとここにある。どうか高説を述べられることをせよ。
帽子03 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (2) Q-1-#2》 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4235 杜甫詩1500-766-1018/2500index-21

今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。

        
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (2) Q-1-#2》 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4235 杜甫詩1500-766-1018/2500index-21


(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

 

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

  

 

乾元元年華州試進士策問五首
(1)Q-1-#1(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。

故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

辨乎名物,存乎有司,

各々の上地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

(1)Q-1-#1

乾元元年 華州にて進士を試さる策問の五首。

問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。

故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,

郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには

名物を辨じ,乎司を存す。

是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。

 (2) Q-1-#2

今聖朝紹宣王中興之洪業於上,

今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。

庶尹備山甫補袞之能事於下,

周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。

而東寇猶小梗,率土未甚辟,

しかしながら、東で反乱を起こした安史の寇軍はいまだにいくつかの前衛を塞いでおり、天下の海際の果てまで暗雲はまだ充分には開けていない。

總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。

そこで政府の大切なことは人民からきちんと賦税をすべて集めること、現地調達をやめて、尽く賦税で軍隊の需要をまかなうこと。これこそは官か天下を統御する古い制度ではあるが朝廷の重要なものなのである。

(2) Q-1-#2

今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,

庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,

而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。

彼の賦の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。

 (3)Q-1-#3

人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。

欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,

子等以待問之實,知新之明,

觀誌氣之所存,於應對乎何有,

佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,

意蓋在此矣,得遊乎?

 (3) Q-1-#3

人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦未だ充備する能わず。

將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,

子等 待問の實,知新の明を以ってす,

誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。

佇して救敝の通術を渴し,願わくば強學の措す所を聞かん,

意は蓋し此に在り,遊得んや?

 

yuugure02 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文)  (2) Q-1-#2

今聖朝紹宣王中興之洪業於上,

庶尹備山甫補袞之能事於下,

而東寇猶小梗,率土未甚辟,

總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。

 

(下し文)(2) Q-1-#2

今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,

庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,

而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。

彼の賦の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。

 

(現代語訳)

今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。

周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。

しかしながら、東で反乱を起こした安史の寇軍はいまだにいくつかの前衛を塞いでおり、天下の海際の果てまで暗雲はまだ充分には開けていない。

そこで政府の大切なことは人民からきちんと賦税をすべて集めること、現地調達をやめて、尽く賦税で軍隊の需要をにまかなうこと。これこそは官か大下を統御する古い制度ではあるが朝廷の重要なものなのである。

 

(訳注) (2) Q-1-#2(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

今聖朝紹宣王中興之洪業於上,

今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。

・聖朝 粛宗の朝廷をいう。

中興 周の第十一代の宣王は夷秋を撰い中興をなした。杜甫は希望を込めて肅宗を中興の英主と称した。杜甫の作品で、房琯、鄭虔を偲んで作った詩には肅宗を中興の英主としてうたっている。『憶昔,二首之二』『洗兵行』は同時期に作られたものである。

index杜甫詩 (5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 

-5

 

758年;乾元元年、47

 

193

 

得舎弟消息

 

194

 

逼仄行贈畢曜

 

195

 

送李校書二十六韻

 

196

 

洗兵行 #1

 

 

 

洗兵行 #2

 

 

 

洗兵行 #3

 

 

 

洗兵行 #4

 

 

 

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩

 

 

 

有懷台州鄭十八司虔 

 

 

庶尹備山甫補袞之能事於下,

周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。

・山甫 周の宣王の賢臣、仲山甫のこと。周の宣王を補佐して中興を成し遂げた。仲山甫(生没年不詳)樊穆仲、樊仲山父ともいう。周の宣王に仕えた臣。宣王のとき、西戎との戦いに南方諸侯国の兵力を消耗したため、王自らが戸口調査をして徴兵しようとしたのを諫めたが容れられなかった。また、魯の公子ふたりが入朝したとき、宣王は弟の戯を気に入って魯の太子に立てさせようとしたので、これを諫めたが聞き入れられなかった。  『詩経』大雅、蒸民に「保茲天子、生仲山甫。」とある。杜甫や房琯、鄭虔など良い諫言をするものがいたということ。

 

而東寇猶小梗,率土未甚辟,

しかしながら、東で反乱を起こした安史の寇軍はいまだにいくつかの前衛を塞いでおり、天下の海際の果てまで暗雲はまだ充分には開けていない。

・東寇猶小梗 安史軍の安慶緒か東北方面に勢力を保っていることをいう。

・率土 「率土之浜」の略。境域の内。天下中。「持経」小雅、北山に「溥天之下、莫非王土、率土之濱、莫非王臣。」(土地から土地へと続くところは海際の果てまで、そこに住む人間は誰一人として天子の臣でないものはない。)とある。

 

總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。

そこで政府の大切なことは人民からきちんと賦税をすべて集めること、現地調達をやめて、尽く賦税で軍隊の需要をにまかなうこと。これこそは官か大下を統御する古い制度ではあるが朝廷の重要なものなのである。

・古来軍隊の行軍で、現地調達、現地収容という横暴・強制、場合によっては略奪を行ったことがあったこと、この試験の策問として受験者の意識を確かめるものとして適正な問題といえる。
杜甫 体系 地図458華州から秦州 

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杜甫『乾元元年華州試進士策問五首』

Q-1

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,辨乎名物,存乎有司,是謂公賦知歸、地著不撓者已。今聖朝紹宣王中興之洪業於上,庶尹備山甫補袞之能事於下,而東寇猶小梗,率土未甚辟,總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,子等以待問之實,知新之明,觀誌氣之所存,於應對乎何有,佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,意蓋在此矣,得遊乎?

Q-2

問:國有軺車,廬有飲食,古之按風俗、遣使臣,在王官之一守,得馳傳而分命。蓋地有要害,郊有遠近,供給之比,省費相懸。今茲華惟襟帶,關逼輦轂,行人受辭於朝夕,使者相望於道路,屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。況軍書未,王命急宣,插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。人主之軫念,屢及於茲;邦伯之分憂,何敢怠?乞恩難再,近日已降水衡之錢;積骨頗多,無暇更入燕王之市。欲使軒有喜,主客合宜,閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,側佇嘉論,當聞濟時。

Q-3

問:通道陂澤,隨山濬川,經之理,疏奠之術,抑有可觀,其來尚矣。初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,洎後代控引淮海,漕通涇渭,因舟楫之利,達倉庾之儲。又賴此而殷,亦行之自久。近者有司相土,決彼支渠,既潰渭而亂河,竟功多而事寢。人實勞止,岸乃善崩。遂使委輸之勤,中道而棄。今軍用蓋寡,國儲未贍,雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。是以國朝仗彼天使,徵茲水工,議下淇園之竹,更鑿商顏之井。又恐煩費居多,績用莫立,空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。若然,則舟車之用,大小相妨矣;軍國之食,轉致或闕矣。矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。子等飽隨時之要,挺賓王之資,副乎求賢,敷厥讜議。

Q-4

問:足食足兵,先哲雅誥,蓋有兵無食,是謂棄之。致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。況寇猶作梗,兵不可去,日聞將軍之令,親睹司馬之法。關中之卒未息,灞上之營何遠?近者鄭南訓練,城下屯集,瞻彼三千之徒,有異什一而。竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,課乃菽麥,以為尋常。夫悅以使人,是能用古,伊則雲暮,實慮休止,未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

Q-5

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎步,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?今愚之粗徵,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?

(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

 

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

 

洛陽 函谷関002 

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
(1)Q-1
-#1(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。
故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

辨乎名物,存乎有司,

各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

 (2) Q-1-#2

今聖朝紹宣王中興之洪業於上,

庶尹備山甫補袞之能事於下,

而東寇猶小梗,率土未甚辟,

總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。

(3)Q-1-#3

人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。

欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,

子等以待問之實,知新之明,

觀誌氣之所存,於應對乎何有,

佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,

意蓋在此矣,得遊乎?

 

(1)Q-1-#1

乾元元年 華州にて進士を試さる策問の五首。

問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。

故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,

郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには

名物を辨じ,乎司を存す。

是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。

(2) Q-1-#2

今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,

庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,

而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。

彼の賦の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。

(3) Q-1-#3

人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦未だ充備する能わず。

將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,

子等 待問の實,知新の明を以ってす,

誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。

佇して救敝の通術を渴し,願わくば強學の措す所を聞かん,

意は蓋し此に在り,遊得んや?

 DCF00106

 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文) (1) Q-1-#1

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

辨乎名物,存乎有司,

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

 

(下し文)

Q-1 -(1)

乾元元年 華州にて進士を試さる策問五首。

問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。

故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,

郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには

名物を辨じ,乎司を存す。

是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。

 

(現代語訳)

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

京兆地域図00 

(訳注)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということ、正解の策でどう導くかということである。
この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。 

 

Q-1 -(1)(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。

・肥磽 肥沃であると痩せている。

・差 等級をつけること。

 

故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

 

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

・奉養祿食之出 官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費。

 

辨乎名物,存乎有司,

各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

・辨 ふりわける。弁別すること。

 

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

・地著 人民か土地に住み着くこと。
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