房琯の政策が現在最もとらなければいけない政策であること、宰相たるにふさわしい人物であり、十分な能力を持っていることとは枉げられないものと信じて申し上げたことで、国を思ってのことでこの点が罪にあたるとは思えない。
758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500
玄宗は受け入れていた房琯の政策は十分妥当性を持っていた。杜甫はそれが正しいと思っていたから、房琯を擁護し、弁護した。その意見を親である、玄宗・上皇が認めていることから、その息子である肅宗は、嫉妬といら立ちを募らせて激昂したのである。
兵力増強のために貨幣を発行するというのは歴史の必然であるがそれは一時的なもの限定的にされなければいけない。ところが、仏像をとかし、銅の比率を1/50と著しく低くしてそれを俸禄の支払い、朝廷、宦官の専横のために使用される。
租庸調のうち、租は大飢饉で徴収できず、庸調は売って現金にする。それがどこかに行って朝廷には入らない。倉庫に収められたものが根こそぎ安史軍に持っていかれる。江淮の備蓄、現金を利用して永王璘が叛乱を起すという事態は唐の築き上げてきた制度と組織を無視した、第五琦・賀蘭進明の間違った政策に原因がある。
杜甫は死んでも、その間違った政策を指摘しようとしたのである。房琯が軍事的素養に長けていたら、事態はもっと良い方に展開したであろう。陳濤斜、青坂の大敗は房琯の説得力を完全に奪った。
房琯関連1
奉謝口敕放三司推問狀
(1)
右。臣甫智識淺昧,向所論事,
涉近激訐,違忤圣旨,
既下有司,具已舉劾,
某從自棄,就戮為幸。
今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。
右におります。臣下であります、わたくし(杜)甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。
近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。
どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。
今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。
(2)
知臣愚戇,赦臣萬死,
曲居恩造,再賜骸骨。
臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。
臣以陷身賊庭,憤惋成疾,
實從間道,獲謁龍顏。
家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。
腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。
家臣たるわたくし(杜)甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。
私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。
実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。
(3)
猾逆未除,愁痛難過,
猥廁袞職,愿少裨補。
竊見房以宰相子,少自樹立,
晚為醇儒,有大臣體。
しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。
そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。
ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。
年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。
(4)
時論許琯必、位至公輔,康濟元元。
陛下果委以樞密,眾望甚允。
觀琯之深念主憂,義形於色,
況畫一保泰,素所蓄積者已。
而琯性失於簡,酷嗜鼓琴。
時論も房琯の能力を認めて、将来は必ず宰相の位に上り、人民を康んじ済うことであろうといっておりました。
わが君も、果たせるかな房琯に宰相の職をお委ねになり、はなはだ衆望がありました。
房琯は、わが君の憂いたもうところに深く思いを寄せ、正義の心はその顔色に表われておりました。
しかしながら房琯の性格ははなはだしく放漫であり、琴を鼓くことを過度に好みました。
(5)
董庭蘭今之琴工,游門下有日,
貧病之老,依倚為非,
之愛惜人情,一至於玷。
臣不自度量,嘆其功名未垂,
而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,
所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。
琴師の董庭蘭は、長年にわたって房琯の家に毎日のように出入りしておりましたが、
貧乏と病に取りつかれた老人である彼が、その地位を頼んでよからぬことをいたしたということはないのです。
房琯は頼って来る董庭蘭への情にひかれて、このたび罪に問わ、名をけがすことになったものです。
私は身のほどもわきまえず、なげかわしいことに、与えられた職責の功名をいまだ遂げないのであります。
したがって、志気の挫折してしまうところであり、陛下が些細なことで、棄ておくようにと大いなる才能を思ってくださることを切に願いもうしあげるところです。
死を冒して申し述べたわけでございます。こうして思いましたことがどのように思われようともかまいません、そのため朝廷に再三参上いたしたのであります。
(6)
陛下貸以仁慈,憐其懇到,
不書狂狷之罪,復解網羅之急,
是古之深容直臣、勸勉來者之意。
天下幸甚!天下幸甚!
豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?
無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。
陛下は、そのような私に仁慈をおかけくださり、いちずな思いを憐れまれました。
それは一途に理想家で頑固者であるわたしが犯したことを罪とされてはいないのです、縄目にかからんとしていたのをお許しくださいました。
これは古来の伝統にそうものであり、深く直言の臣を型通り致したのであり、これからも諌言の臣であることを勤勉実直に勧めあげる所存であります。
天下の幸甚をせつにねがいものであります。天下を語らせていただきありがたき幸せに存じます。
どうして小者の私が、罪を許されてこの身を全うできるのでありましょうか。或は罪を受ける列に待っているということは既に終わったということでありましょうか。
ここに至って先のことを懼れるに任せることはなく、ただ弁明をさせていただく喜びに至って折るところであります。慎んで朝廷の推問の方々に上進狀を提出し、併せて申し開きの発言をお聴き取りいただき感謝申し上げるところであります。謹んでここに申し上げます。
『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註
(本文)
(6)
陛下貸以仁慈,憐其懇到,
不書狂狷之罪,復解網羅之急,
是古之深容直臣、勸勉來者之意。
天下幸甚!天下幸甚!
豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?
無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。
(下し文) (6)
陛下 貸すに仁慈を以てし、其の懇到なるを憐れみ、
狂洞の過ちを書せず、復た網羅の急なるを解く。
是れ古の深く直臣を容れ、来者を勤勉するの意なり
天下 幸甚!天下 幸甚!
豈に小臣 獨り全軀を蒙り、列に就く罪を待ち已まん?
先懼後喜 之に至るに任せる無く,謹んで閣門進狀謝して以って聞き奉り詣でる。謹進す。
(現代語訳)
陛下は、そのような私に仁慈をおかけくださり、いちずな思いを憐れまれました。
それは一途に理想家で頑固者であるわたしが犯したことを罪とされてはいないのです、縄目にかからんとしていたのをお許しくださいました。
これは古来の伝統にそうものであり、深く直言の臣を型通り致したのであり、これからも諌言の臣であることを勤勉実直に勧めあげる所存であります。
天下の幸甚をせつにねがいものであります。天下を語らせていただきありがたき幸せに存じます。
どうして小者の私が、罪を許されてこの身を全うできるのでありましょうか。或は罪を受ける列に待っているということは既に終わったということでありましょうか。
ここに至って先のことを懼れるに任せることはなく、ただ弁明をさせていただく喜びに至って折るところであります。慎んで朝廷の推問の方々に上進狀を提出し、併せて申し開きの発言をお聴き取りいただき感謝申し上げるところであります。謹んでここに申し上げます。
(訳注)(6)
陛下貸以仁慈,憐其懇到,
陛下は、そのような私に仁慈をおかけくださり、いちずな思いを憐れまれました。
仁慈 思いやりがあって情け深いこと。
懇到 懇到切至。すみずみまで心が行き届いて、このうえなく親切なこと。また、真心を尽くして十分に言い聞かせること。▽「懇到」「切至」ともに、ねんごろに行き届くこと。 -
不書狂狷之罪,復解網羅之急,
それは一途に理想家で頑固者であるわたしが犯したことを罪とされてはいないのです、縄目にかからんとしていたのをお許しくださいました。
狂狷 いちずに理想に走り、自分の意思をまげないこと。”:《論語·子路第十三・二十一》
子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也。
子曰わく、中行を得てこれに与【くみ】せずんば、必ずや狂狷【きょうけん】か。狂者は進みて取り、狷者【けんしゃ】は為さざる所あり。
孔子説かれて話される。
「もし中庸の徳を心得た人物と交際ができなければ、狂者:理想家か狂者:頑固者と交際すると良い。狂者は進んで善い事を受け入れるし、狷者は悪い事をしないからだ。」
是古之深容直臣、勸勉來者之意。
これは古来の伝統にそうものであり、深く直言の臣を型通り致したのであり、これからも諌言の臣であることを勤勉実直に勧めあげる所存であります。
天下幸甚!天下幸甚!
天下の幸甚をせつにねがいものであります。天下を語らせていただきありがたき幸せに存じます。
幸甚 (多く手紙文で用いて)この上もない幸せ。大変ありがたいこと。また、そのさま。
豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?
どうして小者の私が、罪を許されてこの身を全うできるのでありましょうか。或は罪を受ける列に待っているということは既に終わったということでありましょうか。
無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。
ここに至って先のことを懼れるに任せることはなく、ただ弁明をさせていただく喜びに至って折るところであります。慎んで朝廷の推問の方々に上進狀を提出し、併せて申し開きの発言をお聴き取りいただき感謝申し上げるところであります。謹んでここに申し上げます。
罪をゆるされたのを感謝する文でありながら、内容は、房琯の政策が現在最もとらなければいけない政策であること、宰相たるにふさわしい人物であり、十分な能力を持っていることとは枉げられないものと信じて申し上げたことで、国を思ってのことでこの点が罪にあたるとは思えない。人民が一層の苦しみにおちいっている状態を改善する政策をとらなければ安史軍を真に討伐できるものではないということで、発言の時期を間違ったことはまことに申し訳なく、死罪に処されても甘んじて受けます。ということだ。その本質的なところがもし間違っていましたということであれば、杜甫は本当に詩材となっていたかもしれない。
行ったことは反省するが、その中身については間違ったことは言ってないというのである。