杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

index-16 766年大暦元年55歲

766年-461杜甫 《16-16昔遊二首之二(昔者與高李)》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲 <1052> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6940

766-461杜甫 16-16昔遊二首之二(昔者與高李)》 杜甫詩index-15-767年大暦256 <1052 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6940 


 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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766年-175杜甫 《1810-瞿塘懷古》24 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-175 <1051> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6935 

杜甫  瞿塘懷古  

西南萬壑注,勍敵兩崖開。地與山根裂,江從月窟來。

削成當白帝,空曲隱陽臺。疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

766-175杜甫 1810-瞿塘懷古》24 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-175 <1051 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6935 

 

 
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杜甫詩1500-1051-1545/2500

年:766年大暦元年55-175

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    瞿塘懷古【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

交遊人物/地點:  

 

 

瞿塘懷古

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

地與山根裂,江從月窟來。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

削成當白帝,空曲隱陽臺。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

(瞿塘の古へを懷う)

西南より萬壑注ぐ,勍敵 兩崖開かる。

地と山根とは裂け,江は 月窟より來る。

削成せられて白帝に當り,空曲は 陽臺を隱す。

疏鑿 功 美なりと雖も,陶鈞 力 大なる哉。
瞿塘峡・白帝城・魚復

 

 

『瞿塘懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

瞿塘懷古

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

地與山根裂,江從月窟來。

削成當白帝,空曲隱陽臺。

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。
詩文(含異文)     西南萬壑注,勍敵兩崖開【勍敵兩崖間】。地與山根裂,江從月窟來。削成當白帝,空曲隱陽臺。疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。


(下し文)
(瞿塘の古へを懷う)

西南より萬壑注ぐ,勍敵 兩崖開かる。

地と山根とは裂け,江は 月窟より來る。

削成せられて白帝に當り,空曲は 陽臺を隱す。

疏鑿 功 美なりと雖も,陶鈞 力 大なる哉。

(現代語訳)
(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 (訳注)

瞿塘懷古

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

 

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

【一】  勍敵 つよき敵、萬壑の水に対して、この崖が強敵となるみいふ。

 

地與山根裂,江從月窟來。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

【二】  月窟 西極に在りと考えられていたという地をさす。

 

削成當白帝,空曲隱陽臺。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

【三】  削成 成鎧の唆しきないふ。

【四】  白帝 白帝城のこと。此句は「江從月窟來」を承る。

【五】  空曲 空痍同曲、ひろくしてまがる、此句は第四句を承く。西から流れてきたものが、南に流れを変えて瞿唐峽になる隈地点は淵となるのを〔空〕と表現した。

【六】  陽臺 陽雲臺、・杜甫《1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》「避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦,同過楚王臺。猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回。」(避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。)(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一  今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

 

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

【七】  疏鑿 聖帝禹王が江水を切り開いて三巴の方面から水をみちび利水し、航行を可能にした。《巻14-57 禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕》「禹廟空山裡,秋風落日斜。荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。雲氣生虛壁,江聲走白沙。早知乘四載,疏鑿控三巴。」(禹廟 空山の裏、秋風 落日斜めなり。荒庭 橘柚垂れ、古屋 竜蛇を画く。雲気 虚壁に生じ、江声白沙に走る。早く知る四載に乗じて、疏鑿三巴より控せしを。)(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。

 

【八】  陶鈎 製陶者が陶器をつくるのに用いる“ろくろ”をいう。ここでは天然造化の力を例えていう。

陶鈞

(陶鈞, ) 亦作“陶均”。

1.製作陶器所用的轉輪。

桓寬 《鹽鐵論遵道》:辭若循環, 轉若陶鈞。”

2.治國的大道。

《史記魯仲連鄒陽列傳》:是以聖王制世御俗, 獨化於陶鈞之上。”

裴駰 集解引《漢書音義》:陶家名模下圓轉者為鈞, 以其能制器為大小, 比之於天。”

司馬貞 索隱引 張晏 曰: “陶, 冶;鈞, 範也。 作器, 下所轉者名鈞。”

3.指治理國家。

《舊唐書文苑傳下劉蕡》:至若念陶鈞之道, 在擇宰相而任之, 使權造物之柄。”

4.指藉以施展治國之才的權位。

王禹偁 《獻轉運使雷諫議》詩:棘寺下僚叨末路, 齋心唯願秉陶鈞。”

王禹偁 《酬种放徵君》:男兒既束髮, 出處歧路各;苟非秉陶鈞, 即去持矛槊。”

5.借指聖王。

南唐 李中 《獻喬侍郎》詩: “貴賤知無間, 孤寒必許親。 幾多沈滯者, 拭目望陶鈞。”

歐陽修 《與杜正獻公書慶歷五年》:迨此期 曠無所聞。 不惟上辜陶鈞, 實亦慚愧知己。”

6.指天地造化。

《晉書樂志上》:四海同風, 興至仁。 濟民育物, 擬陶均。 擬陶均, 垂惠潤。 皇皇群賢, 峨峨英雋。”

杜甫 《瞿唐懷古》詩: “疏鑿功雖美, 陶鈞力大哉!。”

仇兆鰲 注: “《鄒陽傳》: 獨化於陶鈞之上。

師氏 曰: 陶人轉鈞, 蓋取周迴調鈞耳, 此借以造化。”

楊巨源 《上劉侍中》詩: “道協陶鈞力, 思回日月光。”

司馬光 《和王安之今春於鄭國相公及光處得綴珠蓮各一本植之盆中仲夏始見一花喜而成詠》: “春凍消時種兩芽, 南風薰日見孤花。 先開必自陶鈞力, 且合歸功丞相家。”

7.陶冶、造就。

《宋書文帝紀》:將陶鈞庶品, 混一殊風。”

孫過庭 《書譜》: “必能傍通點畫之情, 博究始終之理, 鎔鑄蟲篆, 陶鈞草隸。”

鄭光祖 《伊尹耕莘》楔子: 西池 金母 共理二氣, 陶鈞萬物, 養育群生。”

嚴復 《原強》: 中國 今日之民, 其力、智、德三者, 苟通而言之, 則經數千年之層遞積累, 本之乎山川風土之攸殊, 導之乎刑政教俗之屢變, 陶鈞爐錘而成此最後之一境。”

766年-174杜甫 《1826-奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐》52 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-174 <1050> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6930 

杜甫  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

766-174杜甫 1826-奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐》52 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-174 <1050 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6930 

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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杜甫詩1500-1050-1544/2500

年:766年大暦元年55-174

卷別:    卷二三二              文體:    七言律詩

詩題:    奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              蜀州 (劍南道北部 蜀州 蜀州)           

江陵 (山南東道 荊州 江陵)             

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

交遊人物/地點:柏二別駕   當地交遊

衛尚書太夫人          當地交遊

杜位          書信往來(山南東道 荊州 江陵)

 

 

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

 

蜀州の柏二別駕が中丞の命を將【おこな】い、江陵に赴きて衛尚書の太夫人を起居するを送り奉る,因りて從弟行軍司馬佐に示す。)

【別駕 乃ち中丞の弟。衛伯玉の時 荊南節度に、檢校工部尚書と為り。】

中丞 俗を問いて畫熊 頻りなり,愛弟 書を傳えて彩鷁 なり。

遷轉す五州の防禦使,起居す 八座の太夫人。

楚宮臘には送る 荊門の水,白帝雲はむ 碧海の春。

與【ため】に惠連に報ぜよ 詩惜まざれ,吾が斑鬢 總て如銀のくなるを知れよ。

 

『奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(下し文)

蜀州の柏二別駕が中丞の命を將【おこな】い、江陵に赴きて衛尚書の太夫人を起居するを送り奉る,因りて從弟行軍司馬佐に示す。)

【別駕 乃ち中丞の弟。衛伯玉の時 荊南節度に、檢校工部尚書と為り。】

中丞 俗を問いて畫熊 頻りなり,愛弟 書を傳えて彩鷁 なり。

遷轉す五州の防禦使,起居す 八座の太夫人。

楚宮臘には送る 荊門の水,白帝雲はむ 碧海の春。

與【ため】に惠連に報ぜよ 詩惜まざれ,吾が斑鬢 總て如銀のくなるを知れよ。

(現代語訳)
(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。


(訳注)

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

大暦元年十二月、夔州での作。

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

【1】    蜀州 今、四川省成都府崇慶州。

【2】    柏二別駕 柏中丞の弟、別駕は州の属官である。

【3】    將中丞命 將命とは命令かもってゆくこと、中丞は柏中丞。

【4】    江陵 湖北省荊州府。

【5】    起居 御機嫌伺いをすること、その人の起居の安否如何な問うことをいう。

【6】    衛尚書 衛伯玉のこと。大暦元年五月、荊南節度使衛伯玉に検校工部尚書を加えられたこと。

【7】    太夫人 衛伯玉の母をいう、漢の法にては列侯の母にしてはじめて太夫人と称す、後世はひろくいふ。蓋し柏中丞と衛尚書とは従兄弟の関係にあるものである。

【8】    従弟行軍司馬位 作者の年下のいとこにて伯玉が配下にて行軍司馬の役をつとめている杜位のこと。

 

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

【9】    問俗 領内人民の風俗を問う、民情か視察すること。

【10】  畫熊頻 畫熊は車の欄軾のところに熊の形象を描いた車の事。絵柄によって官位がわかるもので、その車が頻繁に来ることを言う

【11】  愛弟 柏二別駕をいう。

【12】  傳書 中丞の手紙を先方へつたえること。

【13】  彩鷁新 彩鷁は船をいうもの、水紳を壓するため船首に鷁鳥を新な彩色にてえがく、別駕がのってゆく船をいう。

 

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

【14】  遷轉 官位を遷ること。

【15】  五州防禦使 代宗の廣徳二年に夔・忠・涪防禦使を置き夔州に治す、もとは夔州・峡州・忠州・歸州・萬州の五州を領して荊南節度使に隷属せしものなりと、柏中丞、このとき夔州都督より防禦使に遷りしものとみえたり。

【16】  八座太夫人 八座とは主要な官省八種をいう、其の内容に時代により同じからず、隋、唐の時、以て左右僕射と六部尚書で “八座尚書”と為した。 參見できるものの総称として<<八座>>という ”。衛伯玉は検校工部尚書であるから、八座の一に居る。其の母であるから、八座太夫人という。

 

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

【17】  楚官楚王の宮、鉱山駿にわり、巳に見岬。

【18】  臘 十二月の別名。師走(しわす)。「臘」は、「年の瀬」「12月」という意味がある。師走・極月などとともに、臘月は旧暦一二月の異称。年末のことを臘尾といったり、年が明けて前年となった一二月のことを旧臘という。

【19】  荊門山の名。

【20】  白帝 城の名、夔州城の隣にあった。

【21】   は盗む、人の知られない潜にということを含むことをいう。

【22】  碧海 荊州の廣き江水をさす。其の末流、東流して海に入る。

 

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

【23】  報與 我が為めに彼に報ぜよ、これは柏別駕にむかいていう辭なり。

【24】  惠連 宋の謝惠連。謝靈運が従弟にて文才あり、今借りて杜甫の従弟杜位に比したもの。

【25】  詩不惜 我に贈る詩篇を愛惜するなかれ。

【26】  知吾 吾の作る詩を知れとに杜位にむかっていうなり。

766年-173杜甫 《1832 〔見王監兵馬使說請余賦詩二首之二〕》66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-173 <1049> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6925

杜甫  見王監兵馬使請余賦詩二首之二  

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。) この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

766-173杜甫 《1832 〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-173 <1049> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6925

 

 
  2015年11月16日 の紀頌之5つのBlog  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1049-1543/2500

年:766年大暦元年55-172

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:王兵馬      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。

また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の二)

黑鷹 省みず人間の有なるを,度海をりて疑うらくは北極より來る。

正翮 風に摶ちて紫塞を超え,立冬 幾夜か 陽臺に宿す。

虞羅 自各 虛しく巧を施し,春雁 同歸せば 必ず猜せられん。

萬里 寒空 祗だ一日,金眸 玉爪 不凡の才。

 

 

『見王監兵馬使請余賦詩二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。
詩文(含異文)     黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺【玄冬幾夜宿陽臺】。虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才【金眸玉爪未凡才】。


(下し文)
〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の二)

黑鷹 省みず人間の有なるを,度海をりて疑うらくは北極より來る。

正翮 風に摶ちて紫塞を超え,立冬 幾夜か 陽臺に宿す。

虞羅 自各 虛しく巧を施し,春雁 同歸せば 必ず猜せられん。

萬里 寒空 祗だ一日,金眸 玉爪 不凡の才。

(現代語訳)
(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

 

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。


(訳注)

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

 

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

【1】    不省 省は察である。どう考えてもそのようにはみえない。

【2】    人間有 有は所有在り。人間に有るものの義。

 

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

【3】    正翻 たちばねかまっすぐにのばす。

【4】    摶風 摶はうちつけること。

【5】    超紫塞 秦が万里の長城を築くに土色皆紫であったために、紫塞は、異民族から防御する詩的総称として使われている。朔方の塞は雁門、此処では、西の塞、南の塞と超とは之を越えて来ていることをいう。

【6】    幾夜 いくよ。裏面の意に多く宿すること。

【7】    陽臺 楚の陽雲台。巫山神女が往来したところ。巫山縣の西北にある陽雲臺の事であるが、杜甫が夔州城の役所へきてこの詩を作ることから、王監のいるこの役所をさすものである。

 

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

【8】    虞羅 虞羅は虞人の作る網。虞は虞人、このことから山澤を掌る役人をいみする。

【9】    自各虛施巧 みずからも、おのおののものも、うまくあみの仕掛けするので、仕掛けがわからなくなる。虚とは鷹がそれにかからないことをいう。

【10】  春雁同歸 春に雁が南より北へかへる。同歸とは鷹が雁とおなじく北へかへるをいう。

【11】  必見猜 鷹が雁からそねまれる。 

 

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。
また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

【12】  萬里寒空 南より塞外までの遠いそら。

【13】  金眸 金のように光る鋭い眼。

【14】  玉爪 たまの様な白く堅きつめ。

【15】  不凡材 非凡の材。 

766年-172杜甫 《1831 〔見王監兵馬使說請余賦詩二首之一〕》66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-172 <1048> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6920 杜甫詩1500-1048-1542/2500

杜甫  見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。在野只教心力破,千人何事網羅求。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:766年大暦元年55-172

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之一】

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:王兵馬      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕          

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

 

『〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕          

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。
詩文(含異文)

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之一】      

雪飛玉立盡清秋【雲飛玉立盡清秋】,不惜奇毛恣遠遊。在野只教心力破【在野只教心膽破】,千人何事網羅求【干人何事網羅求】【于人何事網羅求】。一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂【兔藏三窟莫深憂】【兔經三穴莫深憂】【兔經三窟莫深憂】【兔營三穴莫深憂】【兔營三窟莫深憂】。


(下し文)
〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

(現代語訳)
(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。


(訳注)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕           〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

ここでは詩題が長いので便宜的に用いる。

 

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

この第一首は白鷹についてのべ、暗に自己を之に此したものである。大暦元年の作。

【1】    王監 唐制に監の字か附したる官名は甚だ多し。比に王監というに、何の監なるや詳ならず。嘗て某監なりしものであろう。此の人前の角鷹の詩の王某と同人ぶつであろう。見説は其の人のいうを説を聞くの意。

【2】    羅者 鳥をあみにて捕うるもの。

【3】    久取 長い間鳥をとっていることをいう。

【4】     はるかなる貌。 

 

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

【5】    雪飛玉立 静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶ。雪、玉は、鷹の羽毛の純白のたとえ、飛は動の状態を言い、立は静の状態を言う。

【6】    盡清秋 清秋の秋が終るときをいふ。

【7】    奇毛 尋常に非ざる毛。

 

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

【8】    在野只教心力破,千人何事網羅求 この鷹が冬の時期に原野にあるときのことをいう。

【9】    心力破 鷹の心力が敗れて、その能力を発揮できない、飛べば、その能力をいかんなく発揮する。

【10】  千人 千人の人。他人に於て。

【11】  何事それを目的とすることなし。

【12】  網羅求 他人から採用されることをねがい求める。換言すればだれでもいいから他人から採用されるるを願ふなり。

 

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

【13】  自猟 他人の力によらす自力にて猟をすること。

【14】  百中爭能恥下韝 この句は「恥下韝而争百中之能。」(韝より下りて百中の能を争うを恥ず)と同じ。百中は「戦國策」楚の養由基が柳葉を去ること百甘歩にして之を射るに百発百中とあるに本づく。爭能とは技能の優劣を争うことをいう。下韝とに壮士の弓小手より下りて獲物を撃つをいう。

 

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

【15】   鵬は大鳥、逍遙遊第一[编辑]. 北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。

【16】   鵬の翼にわよりに大なるな以て大在もさま王ぐるなり。

【17】  九天 九重九層の天とする立体的考へ方と、中央及び八方の天とする平面的の考え方と二種ある。

【18】  卻避 しりぞきさく。

【19】  兔藏三穴 狡兎三穴『戦国策』「斉策」は悪知恵のはたらく兎は身を守るために用心深くたくさんの逃げ場や、策略を用意しておくこと。または、困難をさけることがうまいこと。悪知恵のはたらく賢い兎は、隠れるための穴を三つ用意しているという意味から。

【20】  莫深憂     鷹は悪知恵のはたらく賢い兎の如き小さきものには眼もくれないが故に心配に及ばないということ。

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杜甫  吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

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杜甫詩1500-1047-1541/2500

年:766年大暦元年55-171

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    吹笛

 

 

吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

 

(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 今 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

 

『吹笛』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。
詩文(含異文)     吹笛秋山風月清【吹笛秋風山月清】,誰家巧作斷腸聲。風飄律呂相和切,月傍關山幾處明【月倚關山幾處明】。胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。故園楊柳今搖落【故園楊柳今摧落】【故園楊柳今花落】,何得愁中曲盡生【何得愁中卻盡生】。
(下し文)
(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 今 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

(現代語訳)
(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。


(訳注)

吹笛

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

詩の句首の二字を切りとって題とする。笛声のあわれなのをきいてよんだ詩。大暦元年夔州にあっての作。

大暦元年              766    55

 

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

○断腸声 演奏され、その音が調和してくると聴く者をして腸を断たしめるごときあわれなこえ。

 

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

○風諷二句此の二句は第一句の風月を分かって説いている。

○律呂 律の調、呂の調。音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
○相和切 切とは懐切、ひしひしと身にせまるようなものがなしさ。

 

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

胡騎中宵堪北走 晉の劉琨の故事。「世説」にいう、劉琨幷州の刺史たりしとき、胡騎之を囲むこと数重、項夕べに月に乗じ楼に登りて清嘯す、賊之を聞きて憤然として長歎す、劉琨、中夜に胡笛を奏す、賊皆沸を流して人ごとに懐土の思いあり、晩に向かって又之を吹くに、賊並に囲みをすてて奔り走る、と。この笛声をきいではあまりにあわれなので胡騎であってもよなかに北へ走らしめるのに十分だというのである。仇氏はこの胡騎は永泰元年に吐蕃が回乾とともに入寇したことをあてていったものであろうといっている。

・劉琨(りゅう こん 271 - 31858日(622日))は、中国西晋時代から五胡十六国時代にかけての武将・政治家。字は越石。「劉昆」とも呼ばれる。曾祖父と祖父は魏に仕えた劉邁と劉進、父は西晋に仕えた劉蕃でその庶子、兄は劉輿(字は慶孫)。子に劉群(劉羣)、劉遵ら。西晋の安定期には吏僚として、永嘉の乱の戦乱期には武将として異民族鎮圧に活躍した。

武陵一曲想南征 武陵一曲とは武陵曲すなわち「武渓深」の歌をさす、後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前1449)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という。後漢の馬援が南蛮を征したとき、門生に寄生という善く笛を吹くものがあったが、援は歌を作ってこれに和し、名づけて「武渓深」といった、其の辞にいう、「滔滔武溪一何深,鳥飛不度,獸不敢臨,嗟哉武溪多毒淫!」(「滔滔 武溪一に何ぞ深き,鳥飛ぶも度らず,獸 敢えて臨まず,嗟哉 武溪には毒淫多し!」)と。

・馬援 (前1449)後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。

 

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

故園 故郷長安をさす。

楊柳今揺落 やなぎの葉が今は風にゆられておちる。

何得 怪しんでいう辞である。

愁中曲盡生 笛の曲に折楊柳があり、それは旅立ちの別れに、楊柳の枝を折りて、健康と安全を祈るということである、其の意を翻して用いている、故園の楊柳は落ちるというのに、何故この笛声の楊柳は、吾が愁中において生じて折られてつかわれることを得るやという意味である。

 

 

吹  笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中卻盡生。

 

(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

 

 

この時代、「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人であることが想像される。秦州の郊外、東柯谷で経験したことではなく、秦州で創作した《巻八04 秋笛》の5年前秦州での作品がある。

 

秋笛

清商欲盡奏,奏苦血沾衣。

他日傷心極,徵人白骨歸。

相逢恐恨過,故作發聲微。

不見秋雲動,悲風稍稍飛。

清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。

他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。

相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。

秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。

琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。

そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。

こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。

人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。

秦州抒情詩(19)  杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

 

現代読み

秋山に笛は流れ   風月は澄んで清らか

誰が吹くのか    巧みに鳴らす断腸の曲

風は韻律と和して  みごとに吹きわたり

月は関山にかかり  峰々を明るく照らす

真夜中の一曲には 胡騎を走らす力があり

武陵の新曲には   南征を傷む調べがある

故郷の庭の柳も   いまごろは枯葉の季節

それを想えば   なぜか愁いが湧いてきた

 

吹笛

 

解説 秋の夜、どこからか笛の音が流れてきました。風の吹く月の明るい夜です。その笛の音に杜甫は感動し、さまざまな憶いにふけります。

「胡騎北走」は晋の将軍劉琨(りゅうこん)が晋陽(山西省太原市)で優勢な胡兵に包囲されたとき、月夜に楼上で胡笛を吹かせたところ、胡軍は望郷の思いに駆られて引き上げていったという故事です。また

「武陵一曲」は後漢の名将馬援(ばえん)が南征して武陵(湖南省常徳市)に駐屯していたとき、「武渓深」という新曲を作らせて兵士の労苦を慰めたという故事です。

 杜甫は笛の音によって時局の困難に思いを馳せ、それはまた、戦乱によって帰ることのできない故郷の秋の風物への想いへとつながっていくのです。

 

参考 大暦元年 766 55 夔州   
吹笛杜甫
吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。
風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。
胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。
故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(笛を吹く)
笛を吹く秋山 風月の清きに、誰が家か巧みに 斷腸の聲を作す。
風は律呂を飄して 相和すること切に、月は關山に傍うて 幾處か明らかなる。
胡騎中宵 北走するに堪えたり、武陵の一曲は 南征を想う。
故園の楊柳は 今搖落す、何ぞ得ん愁中 卻って盡く生ずるを。

斷腸聲 聞く人の腸をかきむしるような悲しい声

律 呂 音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
關 山 国境にある山
中 宵 真夜中
胡騎北走 唐代 北方または西方の異民族を胡(えびす)と呼んだ 晋の将軍劉〈王昆〉(りゅうこん= 270318)が并州(へいしゅう)を孤立無援で堅く守り 月のさえた夜城楼に上り胡笳を吹いたところ 胡軍はその悲しみに涙を流し北の 故郷へ帰り去ったという故事
武陵一曲 後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前1449)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という
    

 秋の山の風も月も清らかにさえわたる夜、笛の音が聞こえてくる。誰がこれほど巧みに、人の腸をかきむしるよう に物悲しい音を吹きならすのだろうか。
 風は律呂の響きをひるがえして調和もとれ、月は関山によりそうて、幾つかの峰にさえわたっている。
 このような笛の音を聞けば、晋の劉〈王昆〉の故事のように、手荒い胡の兵も悲しみに堪え切れず、夜中に北方の故郷へ 逃げ去ったであろう。また後漢の馬援が武陵に遠征した時、部下の曲に合せて歌った「武陵深行」という曲もこのように悲しいものであ ったろうか。
 故郷の柳も秋になって葉も落ちつくしたであろう。それなのに今巧みな「折楊柳」の曲をきくと、愁いにふさがる 私の胸の中に緑の柳の芽を出させ、その枝を折って別れのなげきをくり返すことが出来ようか。

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杜甫  哭王彭州掄 【5分割】#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。

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杜甫詩1500-1046-1540-#5/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

再哭經過罷,離魂去住銷。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。

夫人先即世,令子各清標。

彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。

曠望たる渥洼の道,霏微たり河漢の橋。

夫人 先じて即世し,令子 各の清標あり。

巫峽は雲雨長じ,秦城は斗杓に近し。

馮唐も毛髮白く,歸興 日びに蕭蕭たり。

唐時代剣南道北部075 

【5分割】#5

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。


(下し文)
#5

曠望たる渥洼の道,霏微たり河漢の橋。

夫人 先じて即世し,令子 各の清標あり。

巫峽は雲雨長じ,秦城は斗杓に近し。

馮唐も毛髮白く,歸興 日びに蕭蕭たり。

(現代語訳)
#5

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。

彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。

自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。

馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。


蜀中転々圖(訳注) #5

哭王彭州掄【5分割】#5

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。

【1】    曠望 曠望は望みがひろく遥かなるをいい、遠く望むことをいう。

【2】    渥洼道 渥洼は川の名、沙州(今の敦煌)の境にあり、名馬を産す、「漢書」武帝紀によれば、武帝の元鼎四年(礼楽志には元狩三年)に馬が渥洼水中に生じたので天馬の歌を作った。杜甫《巻三34 沙苑行》「龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。(竜媒、昔是れ渥洼【あくあ】より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。)昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

【3】    霏微 霧氣、さぎりり、細雨瀰漫朦朧的樣子。南朝梁·王僧孺·侍宴詩:「散漫輕煙轉,霏微商雲散。」

【4】    啓三沙苑行の施媒河湊椅 あまりがにに来したる橋、烏鶴が河を填めて橋となし織女星を渡すこと七夕の夜、烏鵲が銀河の橋渡しをするという伝説。 准南子」にみゆし牽牛粒女の膏薬桁と簸あれば之ないふ、下の「夫人」かいけんための旬なり。

《巻七68 天河》「常時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。」(常時顕晦【けんかい】に任す、秋至れば転【うた】た分明【ぶんめい】なり。縦【たと】い浮雲に掩被【えんぴ】されるも、終【つい】に能く永夜【えいや】清し。星を含みて双闕【そうけつ】に動き、月に伴いて辺城に落つ。牛女 年年渡る、何ぞ曾て風浪【ふうろう】生ぜん。)

○河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ1346 杜甫詩 700- 413

 

夫人先即世,令子各清標。

彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。

【5】    夫人 王掄の妻。

【6】    先即世 即世は夫より先に、既にあの世へいっていること。

【7】    令子 まさに王掄の子、ご令息。令は敬称。

【8】    各清標 清標、清なるめじるし、清なるすがたをいう。

 

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。

【9】    長雲雨 長は常の意。宋玉《高唐賦》「朝雲暮雨」の地である。

【10】  秦城 長安の都市計画は、蓋天の宇宙論によって作られ、万物の根源である北斗の星により作られる。秦の咸陽、漢の長安城、隋唐の長安城しかりである。

【11】  近斗杓 北斗星に近し、北方にあたることをいう。北斗七星は、その第一より第四までを魁といび、第五より第七までを杓といふ。長安の位置は杓にあたる。 

 

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。

【12】  馮唐 漢の文帝時代の人、馮 唐(ふう とう、生没年不詳)は、前漢の人。祖父の代は趙の人だったが、父の時に代に移住して代の相(宰相)となり、漢の時代になり安陵に移った。馮唐は孝行で知られ、文帝の時に郎中署長となった。杜甫も、郎中職であり、左拾遺の時には、天子に諫言もしたことで馮唐に比したものである。

杜甫《1520寄韋有夏郎中》「」省郎憂病士,書信有柴胡。飲子頻通汗,懷君想報珠。親知天畔少,藥味峽中無。

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。猶聞上急水,早作取平途。萬里皇華使,為僚記腐儒。

(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

【13】  歸興 故郷へかえりたいとの念。

【14】  蕭蕭 1 もの寂しく感じられるさま。「―たる晩秋の野」2 雨や風の音などがもの寂しいさま。

 

 

 

 

詩文(含異文)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。新文生沈謝,異骨降松喬。北部初高選,東堂早見招。蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。歷職漢庭久,中年胡馬驕。兵戈闇兩觀【兵戈聞兩觀】,寵辱事三朝。蜀路江干窄【蜀路干戈窄】,彭門地里遙【彭門地理遙】【彭關地里遙】【彭關地理遙】。解龜生碧草,諫獵阻清霄。頃壯戎麾出,叨陪幕府要。將軍臨氣候,猛士寒風飆。井漏泉誰汲【井渫泉誰汲】【井滿泉誰汲】,烽疏火不燒。前籌自多暇【前籌自多假】【前籌多自暇】【前籌多自假】,隱几接終朝。翠石俄雙表,寒松竟後凋。贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。再哭經過罷,離魂去住銷。之官方玉折,寄葬與萍漂。曠望渥洼道,霏微河漢橋。夫人先即世,令子各清標。巫峽長雲雨,秦城近斗杓。馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

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杜甫  哭王彭州掄   #4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。之官方玉折,寄葬與萍漂。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

766-170#4杜甫 1768 哭王彭州掄》#4 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-170-#4 <1045 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6905

 

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1045-1540-#4/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

再哭經過罷,離魂去住銷。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

(下し文)
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

(現代語訳)
#4

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。


(訳注) #4

哭王彭州掄【5分割】#3

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

【1】    翠石俄雙表 雙表は二本の石柱、もと墓門に建つ。翠石は石柱の材料をいう。これ王掄の墓を建設されたことをいう。

【2】    寒松竟後凋 松柏後凋は《論語、子罕》「子曰、歳寒、然後知松柏之後彫也」。 (子曰く 歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり。)と。孔子の趣旨は“危難の時にはじめて人の真価がわかるものである。”ということで、「気候が寒くなってから、はじめて松や柏が(他の植物の葉が枯れ落ちるなかで)枯れないで残ることがわかる」と。

 

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

【3】    贈詩 王掄が生前に作者に贈贈ってくれた詩。

【4】    焉敢墜 王掄がくれた詩は杜甫をしたい支持してくれたもので、その思いは一貫して失墜せしめざるものであった。

【5】    染翰欲無聊 染翰とは使者を哭して詠う詩文をかくことをいう。無聊とは、親友も失ったことで誰を頼りにすればよいうのかというほどの意。

 

再哭經過罷,離魂去住銷。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

【6】    再哭經過罷 諸説あるが、墓の建設に当たって、その地に入って再び哭したいところであるということだがこうして詩を作って哭するという意。

【7】    離魂去住銷 離魂は王掄と作者のはなれた魂、王掄の使者の魂と杜甫の生きている魂をいい、去住とは双方向ということであるが、それもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

 

之官方玉折,寄葬與萍漂。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

【8】    之官 王掄が彭州刺史の赴任すること。

【9】    玉折 輝かしい心を持っているものが折れる。死をいう。

【10】  寄葬 客土に寄寓して葬る、彭州に葬ったのか成都に葬ったものか不明であるが、どちらであっても、蜀に葬れたのである。

【11】  與萍漂 萍が漂だようと同様であること、故郷に埋葬できないことをいう。

766年-170#3杜甫 《1768 哭王彭州掄》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-170-#3 <1044> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6900

杜甫  哭王彭州掄#3  

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。前籌自多暇,隱几接終朝。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

766-170#3杜甫 《1768 哭王彭州掄》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-170-#3 <1044> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6900

 

 
  2015年11月11日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(25)李白341-#4 巻三19-《白頭吟》 341-#4Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25)Ⅰ李白詩1670 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6898  
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韓愈100 -#3《 巻三20 永貞行》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1583> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6899  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
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杜甫詩1500-1044-1540-#3/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。


(下し文)
#3

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。

(現代語訳)
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

前籌自多暇,隱几接終朝。

(訳注) #3

哭王彭州掄【5分割】#3

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

【1】    頃壮 頃に近年の意、壮は作者は之を壮年とするをいう。

【2】    戎麾出 戎麾は軍務を指揮するものをいう、これ嚴武が蜀を鎭せしことをさす。

【3】    叨陪幕府要 叨とは作者よりいこことにて謙譲語である、陪とは王掄のあとに陪席すること、要とは邀こと、幕府要とは厳武の節度使の幕府より幕僚として邀えられしをいう。

 

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

【4】    将軍 嚴武をさす。

【5】    臨気候 気候とは用兵の気候なりといえり。臨とは蓋し陣にのぞむをいう、臨気候とは兵を用うべきの気候にあたってその時にのぞむことをいう。

【6】    猛士 部下の強兵なり

【7】    寒風飆 漢の高祖の《大風歌》「大風起兮雲飛揚。威加海内兮歸故鄕。安得猛士兮守四方!」(大風 起きて雲飛揚す。威は海内に 加わりて故鄕に歸る。安くにか 猛士を得て四方を守らしめん!)の意。大風歌は『史記・高祖本紀第八』に拠ると、「十一年秋七月、淮南侯黥布がそむき…、高祖が自らこれを撃った。…十二年,十月,高祖はすでに黥布軍を撃ちやぶり,黥布はにげたので これを部下に追わせた」。この後が前掲の「高祖はもどって帰る途中に,(故郷の)沛をとおったので,留まった。酒盛を沛宮で,…」へと続くのである。このような、天下平定の業が終えかけている時に、郷里の沛を通って村のみんなに酒を振る舞い、健児・漢児を得て、高祖自らが筑を持って舞い歌ったという、得意の絶頂期の作とも謂えるものである。

 

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

【8】    井漏泉誰汲 井泉を汲むものがないことを強調して言う。井漏とは井戸に清水が湧き出ること、その井戸が枯れてしまったこと。安氏の乱で夜が乱れたことで、統制のとれた軍隊がなくなり、行軍によって進む際に各地の井戸を掃除をするものがいないことを言う。

【9】    烽疏火不燒 蜂火はのろし、世の中、世情が全体的にみだれたことで、ぎゃくにのろしでしらせる危急性がなくなっていることを言う。

 

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

【10】  前籌 張良、漢の高祖の食膳の箸を借りて、天下の長久を占うことを言う。この張良の役割を嚴武の幕府の中で、王掄がその役割をしたことを言う。

【11】  自多暇 多暇とは軍務に閑暇があるということをいう。

【12】  隱几 脇息による、作者杜甫の態度をいう。

【13】  接終朝 接とは作者、王掄と応接すること、終朝は朝いっぱい。朝から公事なくて閒事にふけるいう。「蜀路」以下十二句は王掄が中央朝廷を貶謫され、蜀に在りし当時を述べている。

766年-170#2 杜甫 《1768 哭王彭州掄》#2 605 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-170-#2 <1043> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6895

杜甫  哭王彭州掄 #2  

歷職漢庭久,中年胡馬驕。兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

蜀路江干窄,彭門地里遙。解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

766-170#2杜甫 1768 哭王彭州掄》#2 605 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-170-#2 <1043 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6895

 

 

 
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杜甫詩1500-1043-1540-#2/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

前籌自多暇,隱几接終朝。

#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

(下し文)
#2

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。

(現代語訳)
#2

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。


(訳注) #2

哭王彭州掄【5分割】#2

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

【1】    歴職 侍御史等の職を経歴せしこと。

【2】    漢庭 唐の朝廷をいう。

【3】    胡馬 安禄山、史思明の安史軍の馬。

 

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

【4】    兩觀 觀は宮門の闕をいう、両わきの小門。

【5】    寵辱 栄辱・窮達のごとし、語は「老子」にみえる。

【6】    三朝 玄宗粛宗代宗の三朝、起十二句は生前事迹の大体をのべる。

 

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

【7】    蜀路江干窄 江干は長江のほとり、窄ほ地形狭小なるをいふ。

【8】    彭門 山の名、彭縣の西北二十里にあり、両峰対立すること闕の如く 天彭門と名く。

【9】    地里遥 地里は里程をいう、遥とは長安京師よりしてはるかなるをいう。

 

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

【10】  解龜 漢の中二千石(地方官)は銀印紐である、龜は印の取手がかめの形なるをいう、亀を解くとは辞職すること、ここは侍御史を辞したことをいうのである。

【11】  生碧草 印を解き辞職した時は、いけとうの辟壊せし=とが碧耳の生するとき即ち春節にあるわいへるものならん。春の名句である謝靈運《登池上樓》「池塘生春草,園柳變鳴禽。」(池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005   

【12】  諫獵 司馬相如が前漢武帝の狩りをいさめる故事、「上書諫猟」は、長楊宮での狩猟に随従した際、天子自らが獲物を追うことを諫め. たもの。

《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡》「袖中諫獵書,扣馬久上陳。」(袖中 諌猟の書、馬を扣えて 久しく上陳す。)が李璡王は袖の中に諌猟書をおもちになって、ずっと以前から、玄宗の狩馬を控えてほしいということを、たてまつりその意をおのべになったのである。

766年大暦元年55-43-4奉節-34-4 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -4 杜甫index-15 杜甫<906-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5695

【13】  阻清霄 青空をへだつ。中央朝廷と隔ることをいう。

766年-170杜甫 《1768 哭王彭州掄》#1 694 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-170-#1 <1042> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6890

杜甫  哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

766-170杜甫 1768 哭王彭州掄》694 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-170-#1 <1042 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6890 

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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杜甫詩1500-1042-1540-#1/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

前籌自多暇,隱几接終朝。

#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(下し文)
王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。

(現代語訳)
哭王彭州掄【5分割】#1(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。


(訳注)

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

【1】        ●杜甫『陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江』(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)「姚公美政誰與儔,不減昔時陳太丘。邑中上客有柱史,多暇日陪驄馬遊。東山高頂羅珍羞,下顧城郭銷我憂。清江白日落欲盡,復攜美人登綵舟。」陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】 成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500

また『王竟攜酒,高亦同過,共用寒字』「 臥疾荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。移樽勸山簡,頭白恐風寒。」、王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 成都5-(39) 杜甫 <464  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2405 杜甫詩1000-464-675/1500

また王侍御は二年前に浣花渓の杜甫の家に訪れている。『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。)
○王十七侍禦掄 侍御史王掄。

陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500

 

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

【2】    執友 志を同じとする友、、もと同師の友をいい、此処では杜甫、嚴武らとともに、房琯のグループであったということ。

【3】    淪沒 死んで埋葬等を終わっていること。三か月以上経過している。

【4】    斯人 同輩をさす。

 

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

【5】    新文 新しさ文章。

【6】    沈謝 梁の沈約、宋の謝墨運、王掄にたとえる。沈約:(441 - 513年)は、南朝を代表する文学者、政治家。呉興郡武康県(現在の浙江省徳清県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。このため諡は、当初「文」とされるところを武帝の命により「隠」とされた。  謝靈運:(385433)東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。 六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。

【7】    異骨 凡庸の骨相ならぬをいい、仙骨のあるじんぶつをいう。

【8】    降松喬 降とは天よりこの世へ降生することをいう。松喬は赤松子・王子喬、並び立つ仙人である。赤松子:上古の仙人の名。神農の時の雨師で,崑崙山に入って仙人となったという。・王子喬:周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬伝説。

 

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

【9】    北部初高選 北部は洛陽北部の尉であったことをいう。魏の曹操年二十にして孝廉にあげげられ郎となり、洛陽北部の尉に除せらる、此句は王掄が京畿の尉官となりしをいう。高選は選抜されたことをいう。

【10】  東堂早見招 東堂は東牀であり、王羲之の「坦腹東牀」の故事。“かならずどこかで馬の土煙や民家を焼く炎があがった。そんな戦乱の中で王義之も妻を娶る。その時、王羲之は媚びることなく、「東床坦腹」といわれる態度を貫いて、娘の婿に選ばれたことを言う。王家に婿探しに来た野心家で力を蓄えた豪族がいた。「王家のご令息はみなご立派でしたが、婿を探しに来たことを知ると、どなたも我こそはと自信ありげになさっていました。ただお独りだけ、東の寝台に腹を丸出しにしたまま寝転び、何も聞かないふりをしている方がおりました」王義之は選ばれて名家の娘と結ばれる。”これを王掄が宗室と婚姻を結んだことに比して言う、この語は、下句に「鸞鳳」の後句あり、見招とは婿として招かれたことをいう。東堂ということでも、東堂において策問試験で選抜され、及第したことを言うので、杜甫に徒はばをうけて皮革せし=とをいふなり。《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》「射君東堂策,宗匠集精選。」そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。○射君東堂策 射策とは試験を受けること、漢の時試験に対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。杜甫《醉歌行》「只今年才十六七,射策君門期第一。」とみえる。

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

君は天子をいう、東堂とは試験場のこと、唐の尚書省の東堂をいう。晋の武帝の時にも、もろもろの賢良・方正・直言(試験の科名)に詔して東堂に会して策間をうけさせたことがある。○宗匠 文章の大家をいう、当時の試験官にして受験者の文を詮衡するものをさす。○精選 大家の中よりさらにすぐりぬいたもの。

766年大暦元年55-45-#3奉節-36-#3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3 杜甫index-15 杜甫<908-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770

 

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

【11】  蛟龍纏倚劍 蛟龍は王掄が倚るところの剣をまとう、蓋し尉官として威厳のあることをいう。尉は盗賊を捕まえ、治める職である。

【12】  鸞鳳夾吹簫 蕭史・弄玉が故事を用いる。是も、宗室の婿になったことを例える句である。秦や穆公の女弄玉を蕭史に妻はす、一旦、簫を吹き鳳に騎りて仙となり去る。これをその宗室の婿になったことを言うのである。

766年-169杜甫 《1619 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡》579 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-169 <1041> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6885 

杜甫  奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

766-169杜甫 1619 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡》579 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-169 <1041 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6885 

 

 

 
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杜甫詩1500-1041-1539/2500

年:766年大暦元年55-169

卷別: 卷二三一  文體: 五言古詩 

詩題: 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡 

交遊人物/地點: 漢中王 李瑀  詩文提及

韋侍御     詩文提及

蕭尊師     詩文提及

 

 

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

 

(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 


 

詩文(含異文) 秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史【小年疑柱史】,多術怪仙公。不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

 

 

 

『奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(下し文)
(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 

(現代語訳)
(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。


(訳注)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に訪れて、梓州に滞在していた杜甫とあっていた。その房琯グループである、漢中王からの手紙が来たのである。

<これまでの漢中王の詩>

作時:762 寶應元年 杜甫51

639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

作時:766年大暦元年55-61

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <930 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6225

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札 -#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <931 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6230

766-61杜甫 1556奉漢中王手札 -#3》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6235

韋侍御 房琯グループである、侍御史の韋某。

蕭尊師 房琯グループである、幼馴染であった道士蕭某。

 

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

 

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

少年疑柱史 韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられなくて疑問であること。この時代の少年は今の青年。柱史は秦の柱下史で御史とおなじ、ここでは、老子が柱下史であったことから、その地位にいた老子は長生きを下ではないかという疑問を言うのである。

多術怪仙公 この句は、道士であった蕭尊師についていうのであり、仙人である同氏は、不老長寿の業を知っているはずで、自分より早く死ぬはずがないと思っていたのでこの詩は怪しいというのである。

 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

時人惜 同時に世の人々が惜しむというのではなく(自分にとって特別に惜しむ人であった、それが下句の理由である。)

吾道窮 幼馴染であり、同時に房琯のサロンで、房琯グループとして、朝廷の刷新を図ろうとしていた同志であった。

 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

一哀 哀悼の意を表すこと。

 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

鄰家笛 晉の向秀、竹林の七賢の一人。字は子期。三国時代の魏および西晋の文人。河内郡懐県の人。『晋書』に伝があるほか、『世説新語』「言語篇」注と『太平御覧』巻四〇九に『向秀別伝』なる伝記の逸文が残る。ここは、向秀の文学作品に『思旧賦』があって、その中に、ある寒い日の夕暮れに昔の住まいを通り過ぎた際、どこからともなく笛の音が聞こえてきたため、嵆康・呂安と過ごした旧事を思い出し、感傷に堪えず作ったということを念頭においている。

客子蓬 轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことで、次の句の〈懷舊賦〉につながってゆく。

 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

懷舊賦 死を悼む哀傷の詩文を得意とした晉の潘岳は、愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩をかき、以降の詩人に大きな影響を与えた。ただ、潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいものであった。潘 岳(はん がく、247 - 300年)は、西晋時代の文人。字は安仁。中牟(河南省)の人。

766年-168杜甫 《1621存歿口號,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-168 <1040> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6880

杜甫  存歿口號,二首之二

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

【自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

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杜甫詩1500-1039-1537/2500

年:766年大暦元年55-167

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

(存歿口號,二首の一)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

杜甫詩1500-1040-1538/2500

年:766年大暦元年55-168

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之二【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

1621存歿口號,二首之二

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

【案:自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

 

 

(存歿口號,二首の二)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

鄭公は粉繪し 長夜に隨う,曹霸は丹青にして 已に白頭なり。

【自注:高士 滎陽の鄭虔は善く山水を畫く,曹霸は善く馬を畫く。】。

天下 何ぞ曾て山水有らむ,人間 解せず驊騮を重んずるを。

 

 

1621『存歿口號,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

存歿口號,二首之二

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

【自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。


(下し文)
(存歿口號,二首の二)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

鄭公は粉繪し 長夜に隨う,曹霸は丹青にして 已に白頭なり。

【自注:高士 滎陽の鄭虔は善く山水を畫く,曹霸は善く馬を畫く。】。

天下 何ぞ曾て山水有らむ,人間 解せず驊騮を重んずるを。


(現代語訳)
(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。


(訳注)

存歿口號,二首之二

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

 

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

 

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

鄭公 国子監博士で玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞された人物で滎陽の人

粉繪 ごふん、絵具と書をいう。

隨長夜 死んでしまって黄泉の世界に長夜している。

曹霸 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である。特に馬をよく書く。曹霸(704770郡人,唐沛国(今亳州市)人,魏武王曹操后代、曹魏高贵乡公曹髦后人,官左武。唐玄宗期画家,能文善画,人甚至以其祖先“三曹”比之,有“文如植武如操字画抵丕流” 之美誉。

丹青已白頭 《巻十三69 丹青引、贈曹将軍覇》「丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。

○不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」・・・「不義而富且貴,於我如浮雲。」に基づいている。

 

【案:自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

高士の用語解説 - 1 志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。「高士世に容()れられず」2 世俗を離れて生活している高潔な人物。隠君子。

 

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

有山水 曾ては山水画の三筆は,王維、畢宏()、鄭虔とされていて、そろっていた(が、いまは三人とも死没して、あれほどの滻水を描ける者はいないということ。)

不解 本当の理解をすることができない

驊騮 周の穆(ぼく)王が天下巡幸に用いた,一日千里を走るという駿馬の名。転じて,駿馬、名馬。

 

○鄭 虔(生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

 

 

○畢宏

木と石の画に長けており、松石図を門下省の壁に描き、杜甫など多くの詩人に詩で称えられた。当代において、その画の名声は高く、樹木の画法に変革を行ったと伝えられる。

大歴2年(767年)、給事中となり、その後、京兆少尹に移り、太子左庶子となった。

その画は、「唐朝名画録」において、第七位「能品上」に評価されている。

 

○曹霸

《巻十三69 丹青引、贈曹将軍覇》

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

○丹青引 丹青は画をいうが基本の色である丹の赤と青とでかかれたことからくる、引は歌の一種である。

○曹将軍覇 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である、髦は画を以て魏の代に称せられた、覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

この一代の名人も、安史の乱後は、おちぶれて蜀の地に流れて来ていた。作者はこの人の不遇に同情し、あわせて自身の感慨を托したのである。

 

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

○将軍 曹覇をさす。左武衛将軍曹覇(そうは)は、三国志に登場する曹操の曾孫で、文学を好みことに絵画に才能を発揮した。唐の時代、度々宮中に呼ばれ、建国の功臣たちの肖像画が歳月と共に色あせてきたのでその修復を命じられた。曹覇がひとたび筆を下ろすと、たちまち生き生きとした相貌をあらわした。勇将たちは毛髪も動き出すかと思われ、その颯爽とした英姿は、たった今、戦場から出てきたかのように思われた。また名馬を描いては真の名馬が再現され、古来描かれてきた平凡な馬を完全に一洗した。それはその絵に魂がこもっているからだ。また立派な人物に出逢ったら、きっとその真の姿を写しだすだろう。(落詩選杜甫、目加田誠訳)“必逢佳士亦写真”これが文献に出て来た最初の「写真」で、今から1250年前なのだ。

○魏武 魏の武帝曹操をいう、操の後商が髦となり、髦の後商が覇となったのである。

○於今為庶 「左伝」(昭公三十二年)に、晋の史墨が璃簡子に答えたことばに、「三后の姓、今に於て庶たるは、主の知る所なり」とみえる。三后は虞・夏・商の君である、昔三王の姓であったものも其の子孫となれば耗簡子の時代には庶人となったというのである、庶人は普通の人民をいう。玄宗の末年に覇が罪を得て籍を削られ庶人とされたことを引いているが、それまでを引くのはどうであろうか。作者の意は曹覇は昔ならば国姓の家すじにあたるはずの人であるが、唐の今では同姓は「李」であるので、ただの人民であるというにとどまるであろう。

○清門 上品の家がら。

 

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

○英雄割拠 魏の曹操は蜀の劉備、呉の孫権と天下を三分して相い争ったことをさしていう。

○文彩風流  曹操は武人でありながら、詩賦をよくし、風流の心がけがあった。その子曹丕・曹値もみな一流の詩人であった。

 

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

○学書 書は文字の書法。

○衛夫人 晋の衛鑠、字は茂猗、廷尉展の妹で恒のめいにあたり、汝陰の太守李矩に嫁した、隷書にはなはだすぐれ魂の鍾繇を手本とした、王右軍は若いとき嘗て彼女を師としたことがある、永和五年(西紀349年)に卒した。

○王右軍 晋の右軍将軍・会稽内史王義之をいう。義之、字は逸少、家より起こって秘書郎となり、のち右軍将軍に至った。古今の書聖として知られる。義之の父は王曠といい王導の従弟である、曠は衛氏と親戚の関係によって衛鑠より蔡邕の書法を得て、これを子の義之に授けた。

 

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

○不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。

《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」

《論語注疏述而》「不義而富且貴,於我如浮雲。」
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766年-167杜甫 《1620存歿口號,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-167 <1039> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6875 

杜甫  存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

766-167杜甫 1620存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-167 <1039 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6875 

 

 
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杜甫詩1500-1039-1537/2500

年:766年大暦元年55-167

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

(存歿口號,二首の一)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

 

『存歿口號,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。
詩文(含異文)     席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。玉局他年無限笑【玉局他年無限事】,白楊今日幾人悲【案:自注:道士席謙善彈棋,畢曜善為小詩。】。


(下し文)
存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

(現代語訳)
(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】


(訳注)

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙 生卒年待考,乃是一個道士,人,善彈棋。

<道士席謙>

《卷一二49  章梓州水亭》

    原注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。

    城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。

 

曹霸 曹霸(704770郡人,唐沛国(今亳州市)人,魏武王曹操后代、曹魏高贵乡公曹髦后人,官左武唐玄宗期画家,能文善画,人甚至以其祖先“三曹”比之,有“文如植武如操字画抵丕流” 之美誉。

《巻13-69丹青引贈曹霸將軍》

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746廣徳2年764年―3-4 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <655  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3605 杜甫詩1000-655-915/1500746-4

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

 

畢曜 詩人。杜甫が長安で士官活動をしているとき、近所に住んでいた。二人とも、貧乏生活の中でわずかな金を出し合い酒を酌み交わしている。

<畢四曜>

《卷六20  偪側行贈畢四曜》

《卷六21 贈畢四曜》

《巻八19 秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻》

 

鄭虔 鄭虔も、安史軍に捕らえられ、脅迫されて偽政府の水部郎中に任じられていたが、このころひそかに長安に逃げ帰った。そうして杜甫と再会し、互いにその無事を喜びあい、久しぶりに杯を交わしている。鄭虔との再会を喜びながら、杜甫の心の中には長安脱出の決心が固まりつつあった。そうして四月に入ってのある日、長安西城の金光門から鳳翔に向かって脱出した。一説によれは、脱出の前に、朱雀街の南の懐遠坊にある大雲経寺に僧の賛公を訪れて決意を打ち明け、そこに数日間滞在して安史軍の目をくらました

 

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

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陪鄭広文遊何将軍山林十首 其四 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 58

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其五 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 59

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 60

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其七 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 61

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廣徳2年764-92 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四》 杜甫index-14 764杜甫<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4405 杜甫詩1500-764-1052/2500

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廣徳2年764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2年764-86

廣徳2年764-87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4630 杜甫詩1500-789-#1-1097/2500廣徳2年764-87

廣徳2年764-88 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4635 杜甫詩1500-789-#2-1098/2500廣徳2年764-88

廣徳2年764-89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4640 杜甫詩1500-790-1099/2500廣徳2年764-89

廣徳2年764-97-#1 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4680 杜甫詩1500-798-#1-1107/2500

廣徳2年764-97-#2 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4685 杜甫詩1500-798-#2

廣徳2年764-98-#1 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4690 杜甫詩1500-799ー#1-1109/2500

廣徳2年764-98-#2 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4695 杜甫詩1500-799ー#2-1110/2500

廣徳2年764-98-#3 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4700 杜甫詩1500-799ー#3-1111/2500

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766年大暦元年55-46-#2奉節-37-#2 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2 杜甫index-15 杜甫<909-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5800

766年大暦元年55-46-#3奉節-37-#3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

766年大暦元年55-46-#4奉節-37-#4 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -4 杜甫index-15 杜甫<909-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5810

766年大暦元年55-46-#5奉節-37-#5 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5 杜甫index-15 杜甫<909-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5815

766年大暦元年55-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820

766年大暦元年55-46-#7奉節-37-#7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825

766年大暦元年55-46-#8奉節-37-#8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -8 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830

 

 

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

彈棋 駒をはじいて陣地を競う遊戯。四角い中高の盤の両方に6個または8個の白黒の石を並べ、対座した二人が交互にその石をはじいて、相手の石に当たれば取り、当たらなければ取られる。指石。いしはじき。古代的一種棋戲。二人對局,白黑棋各若干枚,先放一棋子在棋盤的一角,用指彈擊對方的棋子,先被擊中取盡的就算輸。

仍傳 死後の今なお世に伝えている。

舊小詩 生前に作った詩篇。絶句、律詩、など樂府古詩の場合も四句、六句というたんぺんであった。

 

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

玉局 玉の棋盤にたいすること。

他年 往年。

無限笑 無限について、心おきなく笑い転げたというように笑いに対しての場合と、仕事にも影響が出るほど棋盤遊戯をしたというように理解もできる。肅宗測位間もないころのある時期、房琯グループはサロンに集まって論議ばかりしていた時期がある。そのことが賄賂事件の引き金になった。ここではそのことを示唆するものと解釈できる。

白楊 墓陵の周り主に西側に植えるものである、葉の裏側が白い柳である。

幾人悲 幾人が悲しんでくれるだろうか、だれもいないだろう、私だけであるということ。

 

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

766年-166杜甫 《1525奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-166 <1038> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6870

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。玄成負文彩,世業豈沈淪。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

766-166杜甫 1525奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-166 <1038 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6870 

 

 
  2015年11月5日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1038-1536/2500

年:766年大暦元年55-166

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物/地點:李文嶷      書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。

 

『奉寄李十五祕書文嶷。二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(下し文)
(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。


(現代語訳)
(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。


(訳注)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

765年永泰元年杜甫54歳の時、雲安か夔州奉節魚復で知り合った李文嶷がおそらく雲安に行っているということで、この詩を送ったものと思われる。

 

行李千金贈,衣冠八尺身。

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

行李 李は理、行理とは彼我の間に立って道理を述べて、ことを治めることを言う。特にここでは李文嶷が使者としての役割を言う。ただ、俗な意味で行李は、それが転じて、旅をする人の携帯する荷物を意味するようになる。

千金贈 人との交友に千金を送る。杜甫も、長安時代に厚贈を受けたことを言う。

 

飛騰知有策,意度不無神。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

飛騰 要路に当たって活躍すること。

意度 意思度量。

神 人間以上、神の水準であること。

 

班秩兼通貴,公侯出異人。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

班秩 官位を持っていること。

通貴 宗室であること、血統的に貴いこと。地位は権力であるが、血統は万人が認める貴さである。

公侯 先祖に、公、もしくは侯に封ぜられたものがあるということを意味する。

異人 非凡な人物である、李文嶷のことを言う。

 

玄成負文彩,世業豈沈淪。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

玄成 韋 玄成(未詳- 紀元前36年)は、中国の前漢の政治家。字は少翁。丞相韋賢の末子。韋賢は魯国鄒から平陵に移住したが、彼は杜陵に移住した。しかし臨終にあたり父と同じ平陵に葬られることを願い許されている。父の任子により郎となった。学問を好み父の学業を継いだ。人にへりくだり、貧しく賤しい者も敬ったので評判になった。経書に明るいことで諫大夫に抜擢され、大河都尉となった。父韋賢が死亡した際、跡を継ぐべき兄韋弘は獄に下されていた。韋賢の家族や門下生は韋賢の命令と偽り、韋玄成を後継ぎとするよう申し出た。しかし韋玄成はそれが韋賢本人の考えではないことを知り、精神に異常をきたしたと偽り列侯(扶陽侯)を継承しようとしなかった。世間では兄に爵位を譲ろうとしたものだと噂した。丞相府がそのことについて取り調べ、実際には病んでいないと韋玄成を弾劾したが、宣帝は弾劾してはならないと詔を下し、彼に謁見した。韋玄成はやむをえず列侯を受けた。その後河南太守、衛尉、太常と昇進したが、楊惲が誅殺された際に友人であったために官を免じられた。その後、恵帝廟の祭祀に侍した際に騎乗したまま廟のそばまで来たことを弾劾され、爵位を削られて関内侯にされた。

宣帝が寵愛する中子である淮陽王劉欽を後継にするのを断念する際、淮陽王に兄への謙譲を教えるために韋玄成を淮陽王の中尉とした。また、同じころ石渠閣で五経の異同について他の儒者たちと議論した。

元帝が即位すると、少府に昇進し、太子太傅となり、御史大夫に至った。永光2年(紀元前42年)、前任者于定国の引退により丞相となり、扶陽侯に復帰した。

負文彩 李文嶷が文彩有りとの名誉を担っておられるということ。

世業 代々継続されている文学者として、儒者として仁徳のある業をおこなうこと。

沈淪 水の底に沈んでゆくこと。

766年-165杜甫 《1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-165 <1037> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6865

杜甫  奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

766-165杜甫 1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-165 <1037 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6865

 

 
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杜甫詩1500-1037-1535/2500

年:766年大暦元年55-165

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

奉節 (山南東道 夔州 奉節) 別名:魚復        

楚王臺 (山南東道 夔州 巫山)          

交遊人物/地點:李文嶷      書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

 

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。

 

 

『奉寄李十五祕書文嶷。二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。
詩文(含異文)     避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦【暫之魚復浦】,同過楚王臺。猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回【畫舸莫輕回】【畫舸且遲回】【畫舸且輕回】。


(下し文)

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

(現代語訳)
(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。


(訳注)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)

765年永泰元年杜甫54歳の時、雲安か夔州奉節魚復で知り合った李文嶷がおそらく雲安に行っているということで、この詩を送ったものと思われる。

 

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

雲安 山南東道夔州雲安、別名、南楚という。765年永泰元年初秋から、766年永泰二年暮春まで足掛け10か月長期滞在をしている。雲安において、杜甫は、二十首、プラス、草堂逸詩拾遺三首の23首作っている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-43 《十二月一日,三首之一》 杜甫index-15 杜甫<843 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4950 杜甫詩1500-843-1161/2500765年永泰元年54-43

765年永泰元年54-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54-44

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秋風 夏季は同じように暑いが、地理的に、秋風が早く吹くのでしのぎやすい面もあるというほどの意。この句で、李文嶷が鄆州に行っていると判断できるもの。

 

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

魚復浦 山南東道 夔州 奉節縣東南にある。

同過 李文嶷と一緒に過ごしたことをいう。

楚王臺 山南東道夔州巫山、陽雲臺をいう。巫山縣の西北にあり、高さ百二十丈もあるという。宋玉、『高唐賦』に、「襄王與宋玉遊於雲夢之臺,望高唐之觀。又曰。巫山神女去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨朝朝暮暮,陽臺之下。』

 

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

千崖窄 雲安の地は、平地が少なく、杜甫は、飲み水にも困ったとその詩に書いている。そして同時期の詩に、夔州奉節には平地が多いといっている。杜甫 《1520寄韋有夏郎中》「猶聞上急水,早作取平途。」(猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。)あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

江湖 長江、洞庭湖など荊州方面をさしている。

 

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

竹枝歌未好 竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうが、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものが多く、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されているものがおおく、その卑猥な似たフレーズを繰り返し、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる部分が、文学的でない分、杜甫が好きになれなかったということであろう。おそらく、李文嶷も房琯グループであったので、儒者は竹枝詞が好きではないという、杜甫との共通認識があるものと思われる。

畫舸 李文嶷の奇麗な船もつなぎとめたままであること、長期間雲安、夔州方面に滞在していること。

莫遲回 ぐずぐずなされておることは良くないのではないか、(私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか)というほどの意。

 

 

<竹枝詞について>

竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。そこで、それらを採録し、修正したものが劉禹錫や、白居易によって広められた。それらは竹枝詞と呼ばれ、巴渝の地方色豊かな民歌の位置を得た。下って唱われなくなり、詩文となって、他地方へ広がりをみせても、同じ形式、似た題材のものは、やはりそう呼ばれるようになった。現在も「□□竹枝」として、頭に地名を冠して残っている。

  竹枝詞をうたうことは、「唱竹枝」といわれ、「唱」が充てられた。白居易に「怪來調苦縁詞苦,多是通州司馬詩。」 とうたわれたが、ここからも、当時の詩歌の実態が生き生きと伝わってくる。後世、詩をうたいあげることを「賦、吟、詠」等というのと大きく異なる。

  竹枝詞という呼称は、詩題に似ているが違うものである。強いて言えば、形式を表す点では詞牌に列するものであり、実際にその扱いを受けているものである。

「竹枝」「女兒」という「あいのて」がある

共通する点は、節奏は、七絶のそれと同じで、押韻も第一、二、四句でふむ三韻。この形式での作詞は根強く、現代でも広く作られている。現代の作品は、生活をうたった、典故を用いない、気軽な七絶という雰囲気である。

竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうようになる。用語は、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものは、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されている。似たフレーズを繰り返した、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる。

766年-164杜甫 《2003秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-164 <1036> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6860

杜甫  秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三  

暫阻蓬萊閣,終為江海人。揮金應物理,拖玉豈吾身。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

766-164杜甫 2003秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-164 <1036 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6860

 

 
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秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

 

 

杜甫詩1500-1036-1534/2500

年:766年大暦元年55-164

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

揮金應物理,拖玉豈吾身。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

 

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の三)

暫く阻つ 蓬萊閣,終に江海の人と為る。

揮金 物理に應ず,拖玉 豈に吾が身ならんや。

羹は煮る 秋蓴の滑なるを,杯には迎うは 露菊の新なるを。

賦詩 氣象を分たば,佳句 頻頻たらざる莫らんや。

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

揮金應物理,拖玉豈吾身。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。
詩文(含異文)     暫阻蓬萊閣【暫住蓬萊閣】,終為江海人。揮金應物理,拖玉豈吾身。羹煮秋蓴滑【羹煮秋蓴弱】,杯迎露菊新【杯凝露菊新】。賦詩分氣象,佳句莫頻頻【佳句莫辭頻】。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の三)

暫く阻つ 蓬萊閣,終に江海の人と為る。

揮金 物理に應ず,拖玉 豈に吾が身ならんや。

羹は煮る 秋蓴の滑なるを,杯には迎うは 露菊の新なるを。

賦詩 氣象を分たば,佳句 頻頻たらざる莫らんや。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

蓬萊閣 華嶠《後漢書》「學者稱東觀爲老氏藏室,道家蓬萊山。」(學者 東觀を稱して老氏の藏室と爲し,道家の蓬萊山となす。)とあり、鄭監がかっていたところは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったことを言う。杜甫《1940 秋日夔府詠懐鄭監李賓客一百韻》「羽翼商山起,蓬萊漢閣連。」とこの時の様子を詳しく述べている。鄭監は、房琯グループであったので、貶謫されたのである。

江海人 貶謫されて荊州の人になったことを言う。

 

揮金應物理,拖玉豈吾身。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

揮金 自前の銭を揮る舞って、酒宴を開くことを言う。

應物理 事理にかなう、物の道理にかなっていること。

拖玉 玉佩を引く。身分地位を示す玉佩を、これ見よがしにして歩く。

豈吾身 杜甫は、自分の地位をひけらかすこと、此処では、その地位に見合うご馳走を出してほしいとは思わないことを示していて、次句の二句に掛かってゆく語である。

 

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

○羹煮秋蓴滑 晉の張翰の「蓴羹鱸膾」故事、故郷を懐かしく思い慕う情のこと。▽「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。張翰ちょうかんが、故郷の料理である蓴菜の吸い物と鱸のなますのおいしさにひかれるあまり、官を辞して帰郷した故事をいう。

○露菊新 陶潜《飲酒其七》「秋菊有佳色、裹露掇其英。汎此忘憂物、遠我遺世情。」(秋菊 佳色あり、露を裹【つつ】みて其の英を採り。此の忘憂の物に汎べて、我が世を遺るるの情を遠くす。)に基づくもの。

 

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

分氣象 南湖のほとりの気象を分けてもらう、南湖のほとりの景色を堪能させてもらうこと。

佳句 杜甫が作るのに、佳い句ができること。

莫頻頻 莫は「莫不」で、詩賦が頻頻と湧き出ないということはないということ。

766年-163杜甫 《2002秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-163 <1035> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6855

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。自須開竹逕,誰道避雲蘿。

官序潘生拙,才名賈傅多。舍舟應轉地,鄰接意如何。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

766-163杜甫 2002秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-163 <1035 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6855

 

 
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杜甫詩1500-1035-1533/2500

年:766年大暦元年55-163

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

 

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

官序潘生拙,才名賈傅多。

舍舟應轉地,鄰接意如何。
詩文(含異文)     新作湖邊宅,還聞賓客過。自須開竹逕,誰道避雲蘿。官序潘生拙,才名賈傅多。舍舟應轉地【舍舟應卜地】,鄰接意如何。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

 

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

開竹逕 漢の蔣詡【しようく】が庭園内の三つの小径。隠者の住居の庭園の意で、漢の蒋が隠居して、庭に三徑を造り、松、菊、竹を植えて隠士と交わった故事に拠る。陶潜《帰去来辞》「三逕就荒, 松菊猶存。」(三逕は荒に就くも,松菊は 猶ほも存す。)

避雲蘿 

 

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

官序潘生拙 潘岳が官途の詩序に書いたようにうまくはないけれど。・潘:潘岳。西晋時代を代表する文人。また友人の夏侯湛と「連璧」と称されるほど、類稀な美貌の持ち主としても知られている。『世説新語』によると、潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたという。潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいもので、特に死を悼む哀傷の詩文を得意とした。愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩は以降の詩人に大きな影響を与えた。

才名賈傅多 貶謫されても賈誼のように名声は高い。・賈:賈誼。前漢の文帝時代の文学者。洛陽の人。二十余歳で博士より太中大夫に進んだが,讒言のために長沙王太傅に移され長沙におもむいた。のち再び文帝に召されて梁王の太傅となったが,梁王が落馬して死んだのをいたく嘆き1年あまりののち没した。賈誼の文章は議論と叙事が錯綜し、雄渾流麗、古来名文として名高い。代表的な韻文としては、他に長沙在任中の「鵬鳥賦」があり、これも『文選』に収録されている。秦を批判する「過秦論」も著名であり、これらの散文をまとめたものとして、『新書』がある。

 

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

766年-162杜甫 《2001秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-162 <1034> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6850

杜甫  秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

766-162杜甫 2001秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-162 <1034 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6850 

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(22)李白337 巻三08-《于闐採花》(于闐採花人,) 337Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(22) <李白337> Ⅰ李白詩1660 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6848  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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韓愈97-#3《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1573> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6849  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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杜甫詩1500-1034-1532/2500

年:766年大暦元年55-162

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

庾公樓 (江南西道 江州 江州) 別名:庾樓    

高唐 (河北道南部 博州 高唐)          

昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱        

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。
詩文(含異文)     碧草逢春意【碧草違春意】,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓【月靜庾公樓】。磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減【高唐寒浪滅】,彷彿識昭丘。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

碧草逢春意 草が緑にうっそうと茂っているのが春と見紛う様だがよく見ると春の草むらとは違っているようだ。《1940秋日夔府詠懐奉寄鄭監李賓客一百韻》「春草何曾歇」と同じ意。

沅湘 洞庭湖に流入する河川名の沅水、湘水。・沅水:沅江(げんこう、Yuan River、簡体字:沅江、拼音: Yuán jiāng)、あるいは沅水(げんすい、拼音: Yuán shuǐ)は、中華人民共和国を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の四大河川(湘江、沅江、資江、澧水)の一つで、その長さは湘江に次ぐ。沅江の上流には、源流となる南と北の二つの川がある。南の源流は「龍頭江」といい、貴州省都匀市の雲霧山脈から流れている。北の源流は「重安江」といい、貴州省麻江県の平月間の大山から流れる。両方の源流が合流して清水江と名を変え、鑾山(らんざん)に至り湖南省懐化市芷江自治県に入る。東へ流れて黔城で舞水と合流して沅江と名を変える。懐化市会同県、洪江市、中方県、漵浦県、辰渓県、湘西トゥチャ族ミャオ族自治州瀘渓県、沅陵県、常徳市桃源県、常徳市区を流れ、常徳市の徳山で洞庭湖に注入する。・湘水:湘江(しょうこう、Xiang River、拼音: Xiāng jiāng)、あるいは湘水(しょうすい)は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km

 

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

池要 池に向かう。

山簡馬 李白《秋浦歌十七首 其七》「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。 空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」(酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚【ねいせき】の牛。空しく白石爛【はくせきらん】を吟ずれば、泪は満つ  黒貂【こくちょう】の裘【かわごろも】。)山簡:(さん かん、生没年未詳)は、三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父は竹林の七賢の一人、山濤。別名「山翁」「山公」。生没年は未詳であるが、父で後代に竹林の七賢に数えられる山濤が河内郡懐県(現在の中国河南省)の人であり、山簡はその地で育った。その後の永嘉3年(309年)に魏及び西晋に仕え、襄陽に赴き刺史に任命された。また、後に「詩仙」と呼ばれる李白が著した「秋穂歌」には、酔うて上る 山公の馬との記述が見られ、帽子を後ろ向きに被り、馬に後ろ向きで乗馬するといった奇行を度々犯して、当時流行った襄陽童謡に歌われたといわれている。

月淨庾公樓 晉の庾亮(289 - 340年)は、中国東晋の政治家。字は元規。潁川鄢陵(現河南省鄢陵県)の出身。庾琛の子で庾彬、庾羲の父。325 、明帝の臨終の際、東晋建国の重臣である司徒の王導と共にその遺詔を受け、中書令として甥の成帝を補佐することになる。幼少の成帝の外戚として当時の権勢は王導を凌ぎ、寛大な融和政策をとる王導とは対照的に、庾亮は皇帝の権力強化のため、厳格な法治主義政策をとるなどして辣腕をふるった。山簡とともに、鄭監に比す。

 

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

磨滅餘篇翰 鄭監からもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。

一釣舟 自分は、釣り船を一艘持っている。764年廣德二年杜甫《1325 將赴荊南寄別李劍州》「路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。」(路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。)自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

 

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

巫山の夢の高唐のあたりで寒空の波が減ってきたようなので、三峡を下ってあなたの方に向かうことができないだろう、今から、もはやおぼろにあなたの方の昭丘がわかるような気がするのである。

高唐 高唐 (河北道南部 博州 高唐)高唐観という解釈をする。巫山縣北西、高唐賦の巫山、巫峽の水位が低いと船の航行が危険である。

寒浪減 冬季急流の水位が落ちていること。

昭丘 昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱 :楚の昭王の墓陵のあるところ、荊州當陽縣東南70里にある。

 

山簡について

1.杜甫

《卷九40北鄰 「明府豈辭滿,藏身方告勞。青錢買野竹,白幘岸江皋。愛酒晉山簡,能詩何水曹。時來訪老疾,步屧到蓬蒿。」

《卷一○64 王十七侍御掄許攜酒至草堂奉寄此詩便請邀高三十五使君同到》「戲假霜威促山簡,須成一醉習池迴。」

《卷一○65  王竟攜酒高亦同過共用寒字》「臥病荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。移樽勸山簡,頭白恐風寒。」

《卷一二49  章梓州水亭》「荊州愛山簡,吾醉亦長歌。」

2.李白

李白50  《襄陽曲四首其二》「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。」(山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下。頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎る。)

山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。

あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。

3.その他

詠懐詩  阮籍

夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄帷鑒明月、清風吹我襟。

孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。徘徊将何見、憂思独傷心。

 

酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。

この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、古苦境にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

 

 

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

廣徳2764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500 

766年-161杜甫 《1825陪柏中丞觀宴將士,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-161 <1033> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6845

杜甫  陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

766-161杜甫 1825陪柏中丞觀宴將士,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-161 <1033 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6845

 

 
  2015年10月31日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白336 巻三04-《陽春歌》(長安白日照春空,) 336Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(21) <李白336> Ⅰ李白詩1659 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6843  
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈97-#2《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1572> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6844  
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陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

 

 

杜甫詩1500-1033-1531/2500

年:766年大暦元年55-161

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    陪柏中丞觀宴將士,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:柏茂林      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

 

『陪柏中丞觀宴將士,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
詩文(含異文)     繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵【百戲後歌鐎】【案:刁斗也。】。江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。


(下し文)
(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

(現代語訳)
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。


(訳注)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

柏中丞 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

此処では柏中丞に陪席して、その酒宴で、当時もっとも流行し、大喝采を受けていた散楽の様子を述べている。

舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。

舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。

 

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

繡段 刺繍の縫い取りの織物。タペストリーのようなもの緞通のように敷くものではないが重厚さがあるもの。

裝檐額 軒先を飾り付け。

金花 金色の造花。

帖鼓腰 太鼓の胴まわりに張り付ける。

 

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

一夫先舞劍 一人の武太夫が剣舞を舞う。

百戲 様々な散楽の出し物。

歌樵 夔州にいる異民族の歌う樵歌。「夷歌幾處起漁樵」ということと同じ。散楽では、めったにない異民族のものほど喜ばれた。唐では、西域のものが最も喜ばれたという。

◎ここまでの四句は、六朝から唐時代に最も盛んになった散楽を示している。散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。

散楽は、宮廷だけではなく、皇族や貴族の邸宅で行われた。また、長安には、大慈恩寺、青竜寺、大薦福寺、永寿寺などの寺の境内や門前に「戯場」が置かれ、散楽が演じられた。

安史の乱以後は、散楽も、各地の節度使のもとや地方の州で行われるようになった。

 

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

江樹 三峡地区の岸辺に樹木。

城孤 都から離れ孤立している城。夔州城は白帝城とともに、三峡地区の重瑤池点であった。人口も数万人が棲んでいた。

雲臺 秦の咸陽城、漢の長安城は水上輸送を基本に置いた渭水に近く低地にあったが、長安城ない、皇城、大明宮は高台に作られたことを言う。

使 朝廷からの使者。夔州は駅伝制の陸路駅と水上交通の水路駅の両方があったので、使者は必ず立ち寄るところである。

寂寥 それでもめったにこないこと。

 

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

漢朝 下句に漢の大将軍、霍嫖姚を引き合いに出しているので、唐朝のことを言う。

頻選將 しきりに大将を選抜する。

應拜 拜は任命すること、しきりに大将を選抜、任命していたことをいう。

霍嫖姚 霍去病称ここでは、柏中丞に比している。霍 去病(かく きょへい、紀元前140 - 紀元前117年、Huò Qù-bìng)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。

しかし宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったとされ、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていた模様だった。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。

 

李白《巻02-28 胡無人》「嚴風吹霜海草凋。 筋干精堅胡馬驕。 漢家戰士三十萬。 將軍兼領霍嫖姚。」

李白《巻四10塞下曲六首 其三》 「駿馬似風() ( 似一作如 ) 鳴鞭出渭橋。 彎弓辭漢月。 插羽破天驕。 陣解星芒盡。 營空海霧消。 功成畫麟閣。 獨有霍嫖姚。」

 

 

<同時期の“柏茂林”中丞につての作品>

(1)      1822  覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)    紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。子弟先卒伍,芝蘭疊(一作壘)璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。絲綸實具載,紱冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒溫(一作暄)。金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。每聞戰場,欻激懦氣奔。聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必祲沴根。吾病日迴首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤(一作騫,非)。54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 

(2) 1823  覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)    渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學(    一作覺)仙。鏡中衰顏色,萬一故人憐。

(3) 1824  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其一(頁一五七六)    極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。醉客沾鸚鵡,佳人指鳳凰    。幾時來翠節,特地引紅妝。

(4) 1825  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其二(頁一五七七)    繡段裝簷額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵(一作鐎)。江樹城孤遠,    雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

(5) 1826  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)    中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書綵(益鳥)新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。    楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。與報(一作報與)惠連詩(一作書),不惜    ,知吾斑鬢總如銀。

(6) 2108 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度使(一無使字)陽城郡王衛公幕(一云    〈夔府送田將軍赴江陵)(卷二一(四)一八三五)    離筵罷多酒,起舵(從《杜臆》,舊作地)發寒塘。回首中丞座,馳箋異姓王。    燕辭楓林日,雁度麥城霜。定(一作空)醉山翁酒,遙憐似葛疆。

 

<巻18-23

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

766年-160杜甫 《1824陪柏中丞觀宴將士,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-160 <1032> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6840

杜甫  陪柏中丞觀宴將士,二首之一   

極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。幾時來翠節,特地引紅妝。

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

766-160杜甫 1824陪柏中丞觀宴將士,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-160 <1032 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6840 


 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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同時期の“柏茂林”中丞につての作品

(1)      1822  覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)    紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。子弟先卒伍,芝蘭疊(一作壘)璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。絲綸實具載,紱冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒溫(一作暄)。金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。每聞戰場,欻激懦氣奔。聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必祲沴根。吾病日迴首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤(一作騫,非)。54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 

(2) 1823  覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)    渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學(    一作覺)仙。鏡中衰顏色,萬一故人憐。

(3) 1824  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其一(頁一五七六)    極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。醉客沾鸚鵡,佳人指鳳凰    。幾時來翠節,特地引紅妝。

(4) 1825  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其二(頁一五七七)    繡段裝簷額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵(一作鐎)。江樹城孤遠,    雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

(5) 1826  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)    中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書綵(益鳥)新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。    楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。與報(一作報與)惠連詩(一作書),不惜    ,知吾斑鬢總如銀。

(6) 2108 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度使(一無使字)陽城郡王衛公幕(一云    〈夔府送田將軍赴江陵)(卷二一(四)一八三五)    離筵罷多酒,起舵(從《杜臆》,舊作地)發寒塘。回首中丞座,馳箋異姓王。    燕辭楓林日,雁度麥城霜。定(一作空)醉山翁酒,遙憐似葛疆。
 

1823杜甫詩1500-1032-1530/2500

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

1824

年:766年大暦元年55-160

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    陪柏中丞觀宴將士,二首之一

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:柏茂林      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

夔州東川卜居図詳細 002 

『陪柏中丞觀宴將士,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

極樂三軍士,誰知百戰場。

無私齊綺饌,久坐密金章。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

幾時來翠節,特地引紅妝。

(下し文)
(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

(現代語訳)
陪柏中丞觀宴將士,二首之一(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。


(訳注)

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

柏中丞 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

三軍 夔州都督府三軍(上中下の三軍)。

百戰場 百戦錬磨を経験しているものというほどの意。百戦錬磨の手練れ。

 

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

無私 公平無私。柏中丞が誰に対しても公平に扱ってくれること。

齊綺饌 ご馳走を等しく提供してくれること。

久坐 宴席が長時間にわたり、長く席に座ること。

密金章 柏中丞の金印に密着するほどに接近すること。懇親して親近感がわくことをいみする。

 

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

鸚鵡 鸚鵡螺の酒杯を恵まれること。大酒杯樽。

佳人 夔州、都督などに付属した官妓。

指鳳皇 腹に鳳凰の画がある琴を弾くこと。

 

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

翠節 翡翠の羽のついた節旄をつけた柏中丞のこと。

特地 特別なこの地において、再びというほどの意。

引紅妝 紅を引き、お化粧をした美人に袖を引き、招き入れられること。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-159 <1031> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

杜甫  寄韋有夏郎中   

省郎憂病士,書信有柴胡。飲子頻通汗,懷君想報珠。

親知天畔少,藥味峽中無。歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

猶聞上急水,早作取平途。萬里皇華使,為僚記腐儒。
(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである。春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

766-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 


 
  2015年10月29日 の紀頌之5つのBlog  
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夔州にいて故郷に帰りたいという内容の同時期の作品 

1521覽物【峽中覽物】

1522憶鄭南玭【案:玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」若本注:「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】

1822覽鏡呈柏中丞

1520寄韋有夏郎中【案:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。】

 

 杜甫詩1500-1031-1529/2500

年:766年大暦元年55-159 

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    寄韋有夏郎中

【自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物/地點:韋有夏      書信往來

 

寄韋有夏郎中

(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

省郎憂病士,書信有柴胡。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

飲子頻通汗,懷君想報珠。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

親知天畔少,藥味峽中無。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

猶聞上急水,早作取平途。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

萬里皇華使,為僚記腐儒。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

 

(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。

飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。

親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。

猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。

萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

瞿塘峡・白帝城・魚復

『寄韋有夏郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄韋有夏郎中

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

省郎憂病士,書信有柴胡。

飲子頻通汗,懷君想報珠。

親知天畔少,藥味峽中無。

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

猶聞上急水,早作取平途。

萬里皇華使,為僚記腐儒。

(下し文)
(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。

飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。

親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。

猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。

萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

(現代語訳)
(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。


(訳注)

寄韋有夏郎中

(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

韋郎中 郎中職の韋有夏という人物。

 

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

この時韋有夏は長江下流域から夔州に上ってきたものである。

 

省郎憂病士,書信有柴胡。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

省郎 尚書省の郎官で、韋有夏をいう。

病士 病気療養中の杜甫自身も郎官ではある。

柴胡 薬草の名、発汗剤である。

 

飲子頻通汗,懷君想報珠。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

飲子 煎じてのむ薬。

頻通汗 すごく発汗作用がよく効く。

懷君 韋のことをおもう。

想報珠 お返しのお礼には真珠という故事。張衡《四愁詩》「美人贈我貂襜褕,何以報之明月珠。」(美人我に貂襜の褕を贈らる,何を以て之に報いん明月の珠。)とあり、大変ありがたく思っているということで、実際に真珠を送るわけではない

 

親知天畔少,藥味峽中無。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

親知 親戚知己。

 

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

歸楫 帰り舟の楫。

生衣臥 郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している

洗翅呼 翔を洗いながら呼び合い叫んでいる。

 

猶聞上急水,早作取平途。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

上急水 三峡の急流を上ってくる。

取平途 三峡中に旅の途中で休みのとれる平坦なところが少ないから、杜甫のいる奉節の平坦なところで休息をとれというほどの意。

 

萬里皇華使,為僚記腐儒。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

皇華使 天使の使者としての韋有夏のこと。

為僚 よくも同僚としてくれた。

 記憶のなかにおいてくれた。

腐儒 夔州という点が後で病気療養している腐った儒者、杜甫のことを言う。
長安城図 作図00 

766年-158杜甫 《1822覽鏡呈柏中丞》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-158 <1030> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6830

杜甫  覽鏡呈柏中丞

渭水流關終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

起晚堪從事,行遲更學仙。鏡中衰謝色,萬一故人憐。

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

766-158杜甫 《1822覽鏡呈柏中丞》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-158 <1030> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6830

 

 

 
  2015年10月28日 の紀頌之5つのBlog  
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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 杜甫詩1500-1030-1528/2500

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

『覽鏡呈柏中丞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽鏡呈柏中丞

渭水流關,終南在日邊。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

起晚堪從事,行遲更學仙。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。
詩文(含異文)     渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學仙【行遲更覺仙】。鏡中衰謝色,萬一故人憐。


(下し文)

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

(現代語訳)
(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。


(訳注)

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

中丞  中国の官名。漢代には宮中の文書をつかさどり刺史を監督する官を,明・清代には巡撫(じゆんぶ)をいう。 中弁(ちゆうべん)の唐名。律令制で,太政官(だいじようかん)に属する弁官の一。大弁の次に位し,少弁の上位にあるもの。左右弁官局に各一名ずつ属す。

函谷関長安地図座標001 

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

渭水 渭水は甘粛省渭源県の西にある烏鼠同穴山を源流とする。陝西省咸陽市の南、西安市の北を流れて黄河中流の潼関で合流。全長818km 流域の盆地は渭河平原(関中)と呼ばれる。

 関中とは、中華人民共和国の地域である。函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地(同・渭河平原)の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

終南 陝西省の西安の南東にある山。古来、詩によく詠まれた。南山。又称中南山、南山、太乙山,一般指秦嶺山脈中段西境内,西は武功縣より起り,東は藍田縣に至る部分を言う。

日邊 晉の明帝が幼少の折、日と長安とどちらが近いかという問いに、太陽が遠(邊)いと答えた故事を言う。

 

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

豺虎窟 中原にいる盗賊ども、ことごとく山中に身を隠し出没している。

犬羊天 吐蕃をさす。豺虎・犬羊、竝に長安方面に就くことを言う。7659月、回紇ウイグル、吐蕃チベット連合軍が入寇している。

 

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

起晚 起きだして動き始めるのが遅い時間になることを言う。

堪從事 官職に従事することができかねる。

行遲 仙人は空を飛び、地上を歩くのも走り飛ぶけれども、杜甫初枝がいるほどであり、歩くのが遅い。

學仙 仙学を学ぶことも詮無きゆえにしないということ。

 

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

衰謝 衰えて、やつれること。

故人 旧知の人、この場合、柏中丞をさす。

長安付近図00 

 

 

<日邊>晉の明帝が幼少の折、日と長安とどちらが近いかという問いに、太陽が遠(邊)いと答えた故事について。

明皇帝諱紹,字道畿,元皇帝長子也,幼而聰哲,爲元帝所寵異。年數歳,嘗坐置膝前,屬長安使來,因問帝曰:「汝謂日與長安孰遠?」對曰:「長安近。不聞人從日邊來,居然可知也。」元帝異之。明日,宴群僚,又問之。對曰:「日近。」元帝失色,曰:「何乃異間者之言乎?」對曰:「舉目則見日,不見長安。」由是益奇之。

 明皇帝の諱は紹、字は道畿であり、元皇帝の長子である。幼いころから聡明で、元帝から特別に寵愛されていた。〔僅か〕数歳の頃、元帝と膝をつき合わせて坐っていた時、ちょうど長安からの使者がやって来たので、〔元帝は〕明帝に尋ねて言った。「お前は太陽と長安とどちらが遠いと思うか?」〔明帝が〕答えて言う。「長安が近いです。太陽の辺りからやって来たと言う人を聞いたことがありませんから、〔わざわざ行って見るまでもなく、ここで〕そのままにしていても分かります。」元帝は、これは優れた答えだと思った。翌日、官僚たちと宴会を開いて、また、このことを尋ねてみた。〔明帝が〕答えて言う。「太陽が近いです。」元帝は顔色を変えて言った。「どうしてこの前の答えと違うのか?」〔明帝が〕答えて言った。「目を挙げれば太陽は見えますが、長安は見えませんから。」こうして、ますます〔元帝は〕彼を優れていると思うようになった。

766年-157杜甫 《1522憶鄭南玭〔憶鄭南〕》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-157 <1029> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6825

杜甫  憶鄭南玭

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。  石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。  萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

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杜甫詩1500-1029-1527/2500

年:766年大暦元年55-157 

卷別: 卷二三一  文體: 五言律詩 

詩題:憶鄭南玭〔憶鄭南〕

【自註:玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」若本注:「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】 

及地點:鄭縣 (京畿道 華州 鄭縣別名:鄭南     

伏毒寺 (京畿道 華州 鄭縣)      

 

 

憶鄭南玭

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。 

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

 

(鄭の南の玭を憶う)

鄭の南 伏毒寺,  瀟灑 江心に到る。 

石影 珠閣を銜み,  泉の聲 玉琴を帶ぶ。 

風杉 曾て曙に倚り,  雲嶠 春臨を憶う。 

萬里 滄浪に外にあり,  龍蛇 只だ 自ら深くす。 

 

 

【関連した詩】

杜甫詩1500-1028-1526/2500

年:766年大暦元年55-156

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    覽物【峽中覽物】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

 

 

覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

 

洛陽 函谷関002 

『憶鄭南』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶鄭南玭

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。 

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

詩文(含異文) 鄭南伏毒寺【註:一作鄭南伏毒守,與上下義多不合,當非。】,瀟灑到江心。石影銜珠閣,泉聲帶玉琴。風杉曾曙倚,雲嶠憶春臨。萬里滄浪外【萬里蒼茫外】,龍蛇只自深。 


(下し文)

(鄭の南の玭を憶う)

鄭の南 伏毒寺,  瀟灑 江心に到る。 

石影 珠閣を銜み,  泉の聲 玉琴を帶ぶ。 

風杉 曾て曙に倚り,  雲嶠 春臨を憶う。 

萬里 滄浪に外にあり,  龍蛇 只だ 自ら深くす。 


(現代語訳)
(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

Ta唐 長安近郊圖  新02
(訳注)

憶鄭南玭〔憶鄭南〕

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

鄭南 京畿道華州鄭縣の南ということ。玭:あざやか。りっぱではっきりしていること。

・自註:【玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」

玭は蒲眠切でいうのであって、珠のこと。宋弘は「淮水から出たりっぱな珠のことをいう。」と曰う。

若本注:【「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】

玭は何の義ともわからず、音のためにあり、意味としては、りっぱではっきりしていることをいう。師は民瞻本および、草堂本では,俱に玭の字を削られている。詩中にいう伏毒寺は舊し遊んだところをおもいだしたもので,鄭南はすなわち、鄭縣の南にあるというものである。

 

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。  【註:一作鄭南伏毒守,與上下義多不合,當非。】

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

伏毒寺 華州鄭縣にあった寺。

瀟灑 風景気象がさらっとした貌。

江心 寺の位置が河江の真ん中に見える地点。

 

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

石影 江中の石の影。

銜珠閣 寺の建物で、珠を飾った高閣。

泉聲帶玉琴 玉を飾った琴の音が連続して鳴らしているのを泉の湧きたてる音にたとえている。

 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。

 

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

萬里滄浪外 伏毒寺から見て菱州、三峡は、万里先の場所であり、滄浪のさらに外にあるものと思っていたということ。

龍蛇只自深 河川の急流は龍であり、渓流から本河川に灑ぎこむ水が蛇にたとえていて、いつも暴れて居なくて、淵の底に潜んでいるだけであるという意。

 

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杜甫  覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

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杜甫詩1500-1028-1526/2500

年:766年大暦元年55-156

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    覽物【峽中覽物】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳            

 

 

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

安史の乱当時の勢力図 

 

『覽物』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(下し文)
覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

(現代語訳)
(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

京兆地域図002
(訳注)

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

峽中覽物 夔州急峻な三峡の山水、長江に注ぎ込む支流の山水、長江本流の流れの風景を味わってみることを言う。

 

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

掾吏 758年左拾遺から華州司功参軍に出されたことを言う。この時、政権批判の内容で科挙試験問題を作っている。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

三輔 都の付属の行政区画で、京兆・扶風・馮翊を三輔といい、華州は扶風に属す。

○潼關 潼関は関中平原の東部、秦嶺山脈の北、渭河、洛河の南、華山の東に位置し、山西、陝西、河南の3省を結ぶ交通の要衝であり、古来より軍事家による争奪の地となった。

詩興多 古戦場、名所旧跡が多く、五岳、交通の要衝、・・・。

 

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

巫峽 長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

華岳 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。

蜀江 蜀の成都付近を流れる川。長江上流の一部。「蜀江の錦(にしき)」の略。

黃河 中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。

 

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

移衾枕 杜甫は、喘息の持病があり、762~764年蜀中輾転している間に杖が必要となった。それでも故郷に帰る一段階として船でゆっくりと荊州、湖南に向かおうとして蜀を出発、忠州、渝州、雲安、夔州奉節と進んだが、喘息の症状が悪化し、陸に上がり奉節の牛居に移って、かなり真剣に農業に従事している。

洞口 荊州を経て、ひとまずの目標、洞庭湖付近に向かいたいと思っていること。

○薜蘿 姫カズラ、初夏には藤棚を見るということ。この表現で、春から初夏くらいまで洞庭湖で過ごして洛陽長安に向かおうと思っていたのであろう。このころ一番世情が安定していたのが洞庭湖付近であった。

 

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

形勝 1 風景がすぐれていること。また、その土地。景勝。「形勝の地」2 敵を防ぐのに都合のよい地勢・地形。要害。

風土惡 異民族の風俗が入り混じっており、炎熱の地であり、雨の多い地の雨期乾期があり、瘴癘の気が多い、特に水が良くないということ。(夔州での作品の半分近くはこの風土につて触れた詩を書いている。)

幾時 いつの時か、来年(767)の春には動けると思っている。

回首 故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望むこと。

一高歌 首聯下句「詩興多」を受けて、詩を高らかに吟じようということ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-155杜甫 《1725九日諸人集於林》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-155 <1027> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6815

杜甫  九日諸人集於林   

九日明朝是,相要舊俗非。老翁難早出,賢客幸知歸。

舊采黃花賸,新梳白髮微。漫看年少樂,忍淚已霑衣。

(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。

 

766-155杜甫 1725九日諸人集於林》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-155 <1027 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6815

 

 

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1027-1525/2500

年:766年大暦元年55-155

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    九日諸人集於林【日高諸人集於林】【登高諸人集於林】

 

 

九日諸人集於林

(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)

九日明朝是,相要舊俗非。

明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。

老翁難早出,賢客幸知歸。

この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。

舊采黃花賸,新梳白髮微。

菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。

漫看年少樂,忍淚已霑衣。

参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。

(九日諸人 林に集まる

九日 明朝 是なり,相い要うるも舊俗非なり。

老翁 早く出で難し,賢客 幸に歸することを知る。

舊采 黃花 賸【あま】るも,新梳 白髮微なり。

漫に看る 年少の樂むを,淚を忍ぶも 已に衣を霑す。

 

『九日諸人集於林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

九日諸人集於林

九日明朝是,相要舊俗非。

老翁難早出,賢客幸知歸。

舊采黃花賸,新梳白髮微。

漫看年少樂,忍淚已霑衣。
九日諸人集於林【日高諸人集於林】【登高諸人集於林】      

九日明朝是,相要舊俗非。老翁難早出,賢客幸知歸。

舊采黃花賸,新梳白髮微。漫看年少樂,忍淚已霑衣。


(下し文)
(九日諸人 林に集まる

九日 明朝 是なり,相い要うるも舊俗非なり。

老翁 早く出で難し,賢客 幸に歸することを知る。

舊采 黃花 賸【あま】るも,新梳 白髮微なり。

漫に看る 年少の樂むを,淚を忍ぶも 已に衣を霑す。

(現代語訳)
(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)

明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。

この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。

菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。

参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。


(訳注)

九日諸人集於林

(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)

九日 重陽の節句の日

杜甫<九日の詩>

  九日曲江(卷二48

・ 九日寄岑參(卷三25

   九日楊奉先會白水崔明府(卷四05

  九日藍田崔氏莊(卷六36

  九日登梓州城(卷一一43

  九日奉寄嚴大夫(卷一一44

  九日(卷一二58

  雲安九日鄭十八攜酒陪諸公宴(卷一四62

  九日(一作登高)諸人集於林(卷一七25

  復愁十二首(卷二○其十一23)每恨陶彭澤,無錢對菊花。如今九日至,自覺酒須

  又上後園山(卷一九18

  九日五首其四(卷二○49

  登高(卷二○(四)一七六六)

諸人 夔州奉節の関係者の人々。

集於林 山頂の林のあるところ。

 

九日明朝是,相要舊俗非。

明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。

九日明朝是 「九日是明朝」韻の構成上。是は九月九日の招待を言う。

相要 要は邀、迎えること。出向くこと。

舊俗非 「非舊俗」韻の構成上。舊俗とは、洛陽長安でのこれまで重陽の日にやっていた習わしのこと

 

老翁難早出,賢客幸知歸。

この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。

幸知歸 「幸いに歸することを知る。」歸は帰嚮で、心をよせること。親しみを抱くこと。ここでは敬老精神で招待してくれたこと、思いやりについて十分に認知したということ。自分の健康状態では、往復のこと、など、幸いにも自覚している。自分の体調をわきまえているから、断ることの前提としている。

 

舊采黃花賸,新梳白髮微。

菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。

舊采黃花賸 山の上には菊の花がないので、前もって準備すること、その菊の花が酒に浮べてもさらに余って頭の飾りにしようとすること、元来、茱萸の実と一緒に頭にさす。

野山でとれる茱萸は、その香りが虫除けになるだけでなく、湿気を除き、風邪を防ぎ、発熱を抑えて、内臓にもよいという。そのため民間においては、重陽節に茱萸を挿して難を逃れる。それは「避邪翁」と呼ばれている。中庭の井戸のそばに茱萸を植え、葉が井戸に落ちると、井戸水の毒を消すことができるという人もいる。福建省の客家人は、重陽節には玄関に茱萸を挿して、邪気を払う。

菊の花は漢方薬の一種であり、熱を下げて毒を消し、視力をよくし、「風」(古代、漢方医学で病因と考えられていた六淫の一つ)の病を取り除き、肝臓や肺にもよく、腎臓を強めるなどの効能があるとされている。

 

漫看年少樂,忍淚已霑衣。

参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。

漫看 出席して丘の上で菊酒を酌み交わすことができず、ただ漫然として見ているだけだというほどの意。

766年-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,)》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-154 <1026> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

杜甫  雨   

冥冥甲子雨,已度立春時。  輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

煙添纔有色,風引更如絲。  直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

766-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,) 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-154 <1026 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

 

 

 
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杜甫詩1500-1026-1524/2500

年:766年大暦元年55-154

卷別: 卷二三○  杜少陵集卷一四82 文體: 五言律詩 

詩題:  

作地點: 目前尚無資料 

及地點: 巫山 (山南東道 夔州 巫山)      

 

 

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

冥冥甲子雨,已度立春時。 

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

煙添纔有色,風引更如絲。 

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

 

(雨)

冥冥 甲子の雨,已に度る 立春の時。 

輕箑 相い向うを煩し,纖絺 自ら疑うを恐れん。 

煙添いて 纔に色有り,風引きて 更に絲の如し。 

直ちに覺ゆ 巫山暮なんとするを,兼ねて催す宋玉が悲しみ。 
夔州東川卜居図詳細 002

 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

冥冥甲子雨,已度立春時。 

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

煙添纔有色,風引更如絲。 

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

(下し文)
(雨)

冥冥 甲子の雨,已に度る 立春の時。 

輕箑 相い向うを煩し,纖絺 自ら疑うを恐れん。 

煙添いて 纔に色有り,風引きて 更に絲の如し。 

直ちに覺ゆ 巫山暮なんとするを,兼ねて催す宋玉が悲しみ。 

(現代語訳)
(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。


(訳注)

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

766年大暦元年55-154首目。詩の内容から7669月1日と考えるのが妥当であろう。

 

冥冥甲子雨,已度立春時。 

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

甲子雨 八月か九月の最初の日の雨。

已度立春時 今年は、立春のころから気候がおかしかった。

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766年大暦元年55-33奉節-23 《巻15-48 雨 -#2 杜甫index-15 杜甫<896-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

 

766年大暦元年55-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<897 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

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766年大暦元年55-34-#2奉節-25 -#2 《巻15-50 雨,二首之二 -#2 杜甫index-15 杜甫<898-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5515

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1552雨晴》

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。
この年、「雨」の作品が上記以外数首ある。また、夏は日照りが続いている。

 

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

輕箑 軽く団扇をつかうこと。

煩相向 (団扇が)必要なときもあって煩わしい。

纖絺 細い葛で作った衣。

恐自疑 秋だというのに、団扇や夏の着物を着て居なければいけないほど温暖であることを言う。

 

煙添纔有色,風引更如絲。 

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

 

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

巫山暮 宋玉《高唐賦》《楚 () の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。

宋玉悲 宋玉が。初めて、秋について「悲愁」という表現を使い、以後の詩に、秋は、悲愁とされた。それが 宋玉《九辯》である。

悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,

憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,

泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,

悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,

坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。

惆悵兮而私自憐。

悲しいかな、秋の氣たるや。蕭瑟【しょうしつ】たり、草木搖落して變衰【へんすい】す。

憭慄【れきりつ】たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、將に歸らんとするを送るが若し。

泬寥【けつりょう】たり、天高くして気清し。

寂寥【せきりょう】たり、潦を収めて水清し。

悽【さんせい】として增ます欷【すすりな】き、薄寒之れ人に中【あた】る。

愴怳【そうこう】懭悢【こうろう】として故を去りて新に就く。

坎廩【かんらん】たり、貧士職を失ひて志 平かならず、廓落【かくらく】たり、羇旅【きりょ】にして友生無し。

惆悵たり、而して私かに自ら憐む。

宋玉《九辯》全35回で全文訳注して掲載している。

九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134

九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-153 <1025> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

杜甫  雨晴

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

766-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

 

 
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杜甫詩1500-1025-1523/2500

年:766年大暦元年55-153 

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    雨晴

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

雨晴

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨時山不改,晴罷峽如新。

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

天路看殊俗,秋江思殺人。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

故國愁眉外,長歌欲損神。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『雨晴』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雨晴

雨時山不改,晴罷峽如新。

天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。

故國愁眉外,長歌欲損神。
詩文(含異文)     雨時山不改【雨晴山不改】,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。有猿揮淚盡,無犬附書頻【無犬送書頻】。故國愁眉外,長歌欲損神。


(下し文)
(雨晴)

雨時 山 改らず,晴罷く峽 新なるが如し。

天路 殊俗を看,秋江 人を思殺す。

猿有れば 淚を揮い盡し,犬無ければ 附書を頻りにす。

故國 愁眉の外,長歌 神を損せんと欲す。

(現代語訳)
(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

雨晴

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

杜甫の「雨」という詩は、766-767年頃、二十数首作っている。喘息で床に横になっていて雨を見つめていたのであろう。

 

雨時山不改,晴罷峽如新。

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

 

天路看殊俗,秋江思殺人。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

天路 天辺、天涯。

 

有猿揮淚盡,無犬附書頻。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

有猿 ここらあたりのテナガザルは、人が哭する声に似た鳴き方をする。しばしば、三峡の猿は詩に出てくる。

無犬 犬は飼い主のこと、長年住んだところは覚えているので、書簡を持たせることができる。ここでは故郷までの道を知っている犬がいないことを言う。単なる犬ではない。

 

故國愁眉外,長歌欲損神。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

愁眉外 愁をもってこの景色を見て、その眼の外の景色を言う。故郷の景色が思い浮かばなくなることをいう。

長歌 長く発音する語で、長く引っ張る節の歌を歌うこと。

損神 精神病になる。

766年-152杜甫 《1530熱,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-152 <1024> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6800

杜甫  熱,三首之三

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。將衰骨盡痛,被褐味空頻。

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。十年可解甲,為爾一霑巾。
(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。
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杜甫詩

1500-1024-1522/2500

 

年:766年大暦元年55-152 

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之三

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

熱,三首之三

(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。

將衰骨盡痛,被褐味空頻。

自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。

あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。

十年可解甲,為爾一霑巾。

もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。

(熱,三首の三)

朱李 沈めども冷かならず,彫胡 炊ぐ屢しば 新なり。

將に衰えんとして 骨 盡く痛む,褐を被りて 味 空しく頻なり。

翁たり 炎蒸の景,飄颻たり 征戍の人。

十年 甲を解く可し,爾が為に 一に巾を霑す。
瞿塘峡・白帝城・魚復

年:766年大暦元年55-150

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

杜甫詩1500-1023-1521/2500

年:766年大暦元年55-151

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

人高臥,歸林鳥卻迴。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

峽中都似火,江上只空雷。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

想見陰宮雪,風門颯踏開。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

(熱,三首之二)

瘴雲 終に 滅せず,瀘水 復た西來す。

閉して 人 高臥す,林に歸りて 鳥 卻迴す。

峽の中 都べて似火,江の上 只だ空雷。

想い見る 陰宮の雪,風門 颯踏して開く。

 

 

『熱,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

熱,三首之三

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。

將衰骨盡痛,被褐味空頻。

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。

十年可解甲,為爾一霑巾。
詩文(含異文)     朱李沈不冷,彫胡炊屢新【彫菰炊屢新】。將衰骨盡痛,被褐味空頻【被暍味空頻】。欻翕炎蒸景【欻吸炎蒸景、欻翁炎蒸景】,飄颻征戍人。十年可解甲,為爾一霑巾。


(下し文)
(熱,三首の三)

朱李 沈めども冷かならず,彫胡 炊ぐ屢しば 新なり。

將に衰えんとして 骨 盡く痛む,褐を被りて 味 空しく頻なり。

翁たり 炎蒸の景,飄颻たり 征戍の人。

十年 甲を解く可し,爾が為に 一に巾を霑す。

(現代語訳)
(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。

自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。

あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。

もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。

安史の乱当時の勢力図
(訳注)

熱,三首之三

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)766年大暦元年55-152首目

 

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。

朱李 赤い李。魏・文帝《與呉質書》「浮甘瓜於清泉、沈朱李於寒水。」曹丕《與朝歌令質書》:馳騁北場,旅食南館,浮甘瓜於清泉,沉朱李於寒水。

彫胡 マコモに実るコメ。

炊屢新 一回ごとに新たにご飯を炊く。

 

將衰骨盡痛,被褐味空頻。

自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。

 ものを味わってたべること。

 

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。

あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。

欻翕  ・欻翕/欻吸:熱風が吹き付けることをいう。 ・欻翁 暑さでガタガタになった爺。

飄颻 かぜにひるがえるさま。文選·曹植·雜詩六首之二:「轉蓬離本根,飄颻隨長風。」(轉蓬 本根を離れ,飄颻として長風に隨う。)

 

十年可解甲,為爾一霑巾。

もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。

十年 755年天宝十四載、杜甫44歳、この年11月、安禄山、范陽で謀叛蜂起、12月洛陽を陥落させてから足掛け十二年になる。

解甲 甲冑を解き捨てること。

爾 征戍の任につく人々をいう。他の職業は、木陰に入ることもできるが、この人たちは、それができないからここでいうのである。

766年-151杜甫 《1529熱,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-151 <1023> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6795

杜甫  熱,三首之二  

瘴雲終不滅,瀘水復西來。閉人高臥,歸林鳥卻迴。

峽中都似火,江上只空雷。想見陰宮雪,風門颯踏開。

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

766-151杜甫 1529熱,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-151 <1023 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6795

 

 
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李白333 巻二25-《上雲樂》(金天之西,) 333Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(14) <李白333> Ⅰ李白詩1646 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6778  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:766年大暦元年55-150

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

 

杜甫詩1500-1023-1521/2500

年:766年大暦元年55-151

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

安史の乱当時の勢力図 

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

人高臥,歸林鳥卻迴。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

峽中都似火,江上只空雷。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

想見陰宮雪,風門颯踏開。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

(熱,三首之二)

瘴雲 終に 滅せず,瀘水 復た西來す。

閉して 人 高臥す,林に歸りて 鳥 卻迴す。

峽の中 都べて似火,江の上 只だ空雷。

想い見る 陰宮の雪,風門 颯踏して開く。

 

『熱,三首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

熱,三首之二

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

人高臥,歸林鳥卻迴。

峽中都似火,江上只空雷。

想見陰宮雪,風門颯踏開。
熱,三首之二(含異文)     瘴雲終不滅,瀘水復西來。閉人高臥,歸林鳥卻迴。峽中都似火,江上只空雷【江上只聞雷】。想見陰宮雪,風門颯踏開【風門颯沓開】。


(下し文)
(熱,三首之二)

瘴雲 終に 滅せず,瀘水 復た西來す。

閉して 人 高臥す,林に歸りて 鳥 卻迴す。

峽の中 都べて似火,江の上 只だ空雷。

想い見る 陰宮の雪,風門 颯踏して開く。

(現代語訳)
熱,三首之二(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

蜀中転々圖
(訳注)

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)766年大暦元年55-151首目

 

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

瘴雲 水蒸気と熱射による毒気をいう。実際にはマラリヤである。瘴癘の地の雲。《巻15-24 雷》「南方瘴癘地,罹此農事苦。」(南方 瘴癘の地,此れを農事の苦しみと罹る。)

766年大暦元年55-16-1奉節-8 《巻15-24 雷 -1 杜甫index-15 杜甫<879-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5265瀘水 

瀘水復西來 長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る

 

人高臥,歸林鳥卻迴。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

卻迴 巣に帰ったのちに、熱さのために休めないから飛び回るという意。

 

峽中都似火,江上只空雷。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

 

想見陰宮雪,風門颯踏開。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

陰宮雪 宮殿の北面をいう、宮殿には、暑夏、保存していた雪を北側に積んで涼しさをとる。

風門 雪の涼風を受けるための門、それを開けて涼風にあたる。

颯踏開 さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる
四川省西部地区略図

766年-150杜甫 《1528熱,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-150 <1022> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6790 

杜甫  熱,三首之一   

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。何似兒童風涼出舞雩。

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

766-150杜甫 1528熱,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-150 <1022 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6790

 

 
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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夔州抒情詩シリーズ(1

(卷一七11 宿江邊閣

    暝色延山徑,高齋次水門。薄雲巖際宿,孤月浪中翻。鸛鶴追飛靜(一作盡),豺狼得食喧。不眠憂戰伐,無力正乾坤。

1835-1覆舟,二首之一

巫峽盤渦曉,黔陽貢物秋。丹砂同隕石,翠羽共沉舟。羈使空斜影,龍宮閟積流。篙工幸不溺,俄頃逐輕鷗。

1835-覆舟,二首之二

竹宮時望拜,桂館或求仙。(女宅)女凌波日,神光照夜年。徒聞斬蛟劍,無復爨犀船。使者隨秋色,迢迢獨上天。

1703垂白【白首】

垂白(一云白首)馮唐老,清秋宋玉悲。江喧長少睡,樓迥獨移時。多難身何補 ,無家病不辭。甘從千日醉,未許〈七哀〉詩。

1710草閣

    草閣臨無(王作蕪,非)地,柴扉永不關。魚龍迴夜水,星月動秋山。久(一作夕)露晴(一作清)初濕,高雲薄未還。泛舟慚小婦,飄泊損紅顏。

1707江月

江育光於(一作如)水,高樓思殺人。天邊長作客,老去一霑巾。玉露清影,銀河沒半輪。誰家挑錦字?燭滅(一作滅燭)翠眉顰(一作嚬)。

1551江上

江上日多雨(一作病),蕭蕭荊楚秋。高風下木葉,永夜攬(一作絜)貂裘。勳業頻看鏡,行藏讀倚樓。時危思報主,衰謝不能休。

1702中夜

中夜江山靜,危樓望北辰。長為萬里客,有愧百年身。故國風雲氣,高堂戰伐塵 。胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

1705不寐

瞿唐夜水黑,城改更籌。翳翳月沉霧,輝輝星近樓。氣衰甘少寐,心弱恨容愁。多壘滿山谷,桃源何處求。

1708月圓

孤月當樓滿,寒江動夜扉。委波金不定,照席綺逾依。未缺空山靜,高懸列宿稀。故園松桂(一作菊)發,萬里共清輝。

1704中宵

西閣百尋餘,中霄步綺疏。飛星過水白,落月動沙(一作簷)虛。擇木知幽鳥,潛波想巨魚。親朋滿天地,兵甲少來書。

卷九35遣愁

養拙蓬為,茫茫何所開?江通神女館,地隔望相臺。漸惜容顏老,無由弟妹來。兵戈與人事,回首一悲哀。

1809南極

南極青山眾(一作外,非),西江白谷分。古城疏落木,荒戍密寒雲。月蛇常見,風飆虎忽(一作或)聞。近身皆鳥道,殊俗自人群。睥睨登哀(木斥),蝥 (舊作矛,趙作蝥)胡弧照夕曛。亂離多醉尉,愁殺李將軍。

1944搖落

搖落巫山暮,寒江東北流。煙塵多戰鼓,風浪少行舟。鵝費羲之墨,貂餘季子裘。長懷報明主,臥病復高秋。

卷二二69遠遊

江闊浮高棟(晉作凍),雲長出斷山。塵沙連越,風雨暗荊蠻。雁矯銜蘆,猿啼失木間。敝裘蘇季子,歷國未知還。

1709夜【秋夜客舍】

露下天高秋水清,空山獨夜旅魂驚。疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵鳴。南菊再逢人臥病,北書不至雁無情。步簷 倚仗看牛斗,銀漢遙應接鳳城。

1554晚晴

返照斜初徹,浮雲薄未歸。江虹明遠飲,峽雨落餘飛。鳧雁終高去,熊羆覺自肥。秋分客尚在,竹露夕微微。

1557返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

1528熱,三首之一

熱,三首之一  雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。乞為寒水玉,願作冷秋菰。何似兒童,風涼出舞雩。

1529熱,三首之二

熱,三首之二  瘴雲終不滅,瀘水復西來。閉人高臥,歸林鳥卻迴。峽中都似火,江上只空雷。想見陰宮雪,風門颯踏開。

1530熱,三首之三

熱,三首之三  朱李沈不冷,彫胡炊屢新。將衰骨盡痛,被褐味空頻。欻翁炎蒸景,飄颻征戍人。十年可解甲,為爾一霑巾。

1552雨晴

雨時(一作晴)山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。有猿揮淚盡,無犬附(一作送)書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

1548

萬木雲深隱,連山雨未開。風扉掩不定,水鳥過仍迴。鮫館如鳴杼,樵舟豈伐枚?清涼破炎毒,衰意欲登臺。

1725九日諸人集於林

九日明朝是,相要舊俗非。老翁難早出,賢客幸知歸。舊采黃花賸,新梳白髮微。漫看年少樂,忍淚已霑衣。

1521覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(卷一五53  雨不

鳴雨既過漸細微,映空搖颺如絲飛。階前短草泥不亂,院裏長條風乍稀。舞石旋應將乳子,行雲莫自濕仙衣。眼邊江舸何匆促(一作遽)?未待(晉作得)安流逆浪歸。

 

杜甫詩1500-1022-1520/2500

年:766年大暦元年55-150

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

 

『熱,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

熱,三首之一

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

何似兒童,風涼出舞雩
熱,三首之一(含異文)     雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。乞為寒水玉,願作冷秋菰。何似兒童【那似兒童】,風涼出舞雩。


(下し文)
(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

(現代語訳)
(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。


(訳注)

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)766年大暦元年55-150首目

 

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

雷霆 《「霆」は激しい雷の意》かみなり。いかずち。

霹靂 1 かみなり。いかずち。雷鳴。「青天の―」2 雷が激しく鳴ること。落雷すること。また、大きな音が響き渡ること。「霹靂」は突然雷が鳴ること。 青天の霹靂の由来は、中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で、「青天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。 「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢い衷した言葉であった。

 

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

炎赫 炎熱で、日は赤々と灼熱に照ること。

低垂 頭をぐったりと垂れ

氣不蘇 喘息であるから元気よく呼吸ができないことを言う。・気は呼吸、・蘇はよみがえる。

 

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

寒水玉 冷たい水晶の玉。

冷秋菰 冷ややかな秋のマコモ。

 

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

何似兒童 それは子供であったとき怒ったようなことに似たようなことが何とか起きないだろうか、という意。

風涼出舞雩 高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時、涼風が吹いてきたことがあった。はその場所に行く。

766年-149杜甫 《1557返照》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-149 <1021> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6785

杜甫  返照   

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。

766-149杜甫 1557返照》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-149 <1021 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6785

 
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晚晴

(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

秋分客尚在,竹露夕微微。
秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

(晚晴)

返照 斜にして初めて徹し,浮雲 薄くして未だ歸らず。

江虹 明らかに遠く飲む,峽雨 落餘に飛ぶ。

鳧雁 終に高く去る,熊羆 自ら肥ゆるを覺ゆ。

秋分 客 尚お在り,竹露 夕に微微たり。

 

 

 

杜甫詩1500-1021-1519/2500

年:766年大暦元年55-149

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    返照

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              楚王宮 (山南東道 夔州 巫山)           

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

 

 

返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。

その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。

自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。

この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。

 

(返照)

楚王の宮北 正に黃昏なり,白帝城 西過 雨の痕あり。

返照 江に入りて石壁を翻えし,歸雲 樹を擁して山村を失す。

衰年の肺病 唯だ 高枕し,塞 時を愁えて早く門を閉ず。

久しく豺虎の亂を留どまる可からず,南方 實に未招の魂有り。

 

『返照』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

(下し文)
(返照)

楚王の宮北 正に黃昏なり,白帝城 西過 雨の痕あり。

返照 江に入りて石壁を翻えし,歸雲 樹を擁して山村を失す。

衰年の肺病 唯だ 高枕し,塞 時を愁えて早く門を閉ず。

久しく豺虎の亂を留どまる可からず,南方 實に未招の魂有り。

(現代語訳)
(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。

その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。

自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。

この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。


(訳注)

返照

(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)年:766年大暦元年55-149首目、夔州、奉節の作。

【解説】客堂から見える雨後の日暮れの景が雄大かつ繊細に詠われている。「楚王宮」は巫山の麓に戦国楚の離宮があったという伝言に基づいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まる。高台にある白帝城の西の斜面は客堂から見える、「過雨」に濡れる。それらを彩る「返照」と「帰雲」、雲は当時、山の岩穴から生まれ出、またそこに歸えると信じられていた。そこで、岩穴に帰るために樹にからみついているという表現が生まれる。「病肺」は喘息のことで、杜甫の持病である。この段階ではただ寝ているだけと自嘲するしかなく、自分を蘇秦、王羲之であり、屈原になぞらえて、憂国の心は休むときがないとこの時期に一気に多くの詩を残している。

杜甫 767  大曆二年  56 奉節での作。2010返照

返照開巫峽,寒空半有無。已低魚複暗,不盡白鹽孤。

荻岸如秋水,松門似畫圖。牛羊識僮僕,既夕應傳呼。

 

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。

○楚王宮 すなわち楚王の宮、巫山県東北一里にあるという。巫山の麓に戦国楚の離宮があったという伝言に基づいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まる。雲雨荒台は楚の懐王が夢に神女に会ったという陽台をいう、宋玉の 「高唐賦」にいう、「昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」(昔先王(懐王をいう)嘗て高庸に遊ぶ、夢に一婦人を見て曰く「妾,巫山の女なり。高唐の客と爲す。君高唐に遊ぶを聞き,願わくば枕席を薦めんと。」、王因って之を幸す、去らんとして辞して曰く、妾は巫山の陽、高丘の岨に在り、旦には行雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下にす)と。荒台というのは現にあれておる台であることをいう。「清一統志」にいう、陽台山は巫山県城内北隅にあり、高さ百丈、上に陽雲台の遺址あり、と。豈夢息とは反語にみる。宋玉の賦した所は必ずしも夢幻虚構の想像ではない、其の事実があったという。

白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

 

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。

翻石壁 石壁に寄すか影が照り返しの部分が飛び出してくるように見える、それが際立っていること

歸雲擁樹失山村 雲は当時、山の岩穴から生まれ出、またそこに歸えると信じられていた。そこで、岩穴に帰るために樹にからみついているために山村が雲に覆われてるのでこいう表現が生まれる。

 

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。

早閉門 盗賊が侵入するか、近くで謀叛が起こるか、異民族の侵入があるかとおびえて塞を守っているので、暗くなる前に門を閉める。

 

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。

久留 久しくこの地に滞留する。

豺虎亂 動物の豺や虎、山賊、海賊など盗賊、謀叛、異民族らの乱入や入寇がいつ再発するようなところ

南方 夔州は国境、南の雲南は異民族支配であった。杜甫《1809南極》「南極青山眾,西江白穀分。古城疏落木,荒戍密寒雲。月蛇常見,風飆虎或聞。(南極 青山眾し,西江 白穀分かる。古城 落木疏に,荒戍 寒雲密なり。月 蛇 常に見え,風飆 虎 或いは聞ゆ。

未招魂 京師に召喚されぬ自分の魂が残されたまま、都に帰りたい思いが、朝廷に届かないでいることを言う。

766年-148杜甫 《1554晚晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-148 <1020> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6780

杜甫  晚晴

返照斜初徹,浮雲薄未歸。江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。秋分客尚在,竹露夕微微。
(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

766-148杜甫 1554晚晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-148 <1020 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6780

 

 
  2015年10月18日 の紀頌之5つのBlog  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1020-1518/2500

年:766年大暦元年55-148

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    晚晴

 

 

晚晴

(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

秋分客尚在,竹露夕微微。
秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

 

(晚晴)

返照 斜にして初めて徹し,浮雲 薄くして未だ歸らず。

江虹 明らかに遠く飲む,峽雨 落餘に飛ぶ。

鳧雁 終に高く去る,熊羆 自ら肥ゆるを覺ゆ。

秋分 客 尚お在り,竹露 夕に微微たり。

 

『晚晴』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

晚晴

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

秋分客尚在,竹露夕微微。
晚晴(含異文)

返照斜初徹【返照斜初散】【晚照斜初徹】【晚照斜初散】,浮雲薄未歸。

江虹明遠飲【江虹明近飲】,峽雨落餘飛。

鳧雁終高去【鳧鶴終高去】,熊羆覺自肥。

秋分客尚在,竹露夕微微【竹露久微微】。


(下し文)
(晚晴)

返照 斜にして初めて徹し,浮雲 薄くして未だ歸らず。

江虹 明らかに遠く飲む,峽雨 落餘に飛ぶ。

鳧雁 終に高く去る,熊羆 自ら肥ゆるを覺ゆ。

秋分 客 尚お在り,竹露 夕に微微たり。

(現代語訳)
(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。


(訳注)

晚晴

(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

766年大暦元年55の時の作品、この年-148首目。

 

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

返照 夕日の照り返し。

斜初徹 夕陽の日差しがどこまで射すように照らすこと。

浮雲 ぽっかり浮かんだ雲、浮浪雲、漂泊の自分と重なる雲。

薄未歸 帰るところが分からない雲、ほぼ同じとこおに浮いていて帰らない雲。

 

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

明遠飲 西からのひゅうひに照らされ、長江を飲み込むようににじがかかっていることをいう。はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ。

峽雨 風の通り道同士で、ぶっつかりあう峡谷の雨。

落餘飛 風によって塊になったり、散らばったり、ぶつかったり、吹き上げられて飛ぶ。

 

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

高去 晴れ間になると喜んで高く飛び去ってゆくこと。

熊羆 冬眠の準備をしたクマとヒグマ。

覺自肥 冬眠のためにこの時期のクマやヒグマは最大に肥える。

 

秋分客尚在,竹露夕微微。

秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

秋分 二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。

客尚在 杜甫自身旅客者として、なお、療養滞在していること。

766年-147杜甫 《1709夜【秋夜客舍】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-147 <1019> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6775

杜甫  夜【秋夜客舍】

露下天高秋水清,空山獨夜旅魂驚。

疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵鳴。

南菊再逢人臥病,北書不至雁無情。

步蟾倚杖看牛斗,銀漢遙應接鳳城。

(夜寝付けないために遊歩して、秋夜の景色を見て、その感を詠ったもの)

天高く清清しく、水清き秋。夜露は下る、この時、寂しい山で、ただ一人いると旅の心に驚かせられる。長江には一つの帆かけ船が宿泊していて、燈火が水面にそれ自体のまばらな光を照らす、空には、まだ新月がかかっており、井戸端には二人並んで衣の砧の音を鳴らしている。自分は持病が悪化したので、二度もこの南の地で咲く菊の花に出逢うことになったのであり、その間には北方の故郷からの手紙も全くこちらに届かないのは雁には心がないからだ。歩廊のあたりで、杖に寄りかかって牽牛星と南斗の星を見ると、銀河が北の長安の方に流れていて、それはまさしく丹鳳城に向かって続いてつながっているのだろう。

766-147杜甫 1709夜【秋夜客舍】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-147 <1019 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6775

 

 

 
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杜甫詩1500-1019-1517/2500

年:766年大暦元年55-147

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    夜【秋夜客舍】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

 

夜【秋夜客舍】

露下天高秋水清,空山獨夜旅魂驚。

疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵鳴。

南菊再逢人臥病,北書不至雁無情。

步蟾倚杖看牛斗,銀漢遙應接鳳城。

(夜寝付けないために遊歩して、秋夜の景色を見て、その感を詠ったもの)

天高く清清しく、水清き秋。夜露は下る、この時、寂しい山で、ただ一人いると旅の心に驚かせられる。

長江には一つの帆かけ船が宿泊していて、燈火が水面にそれ自体のまばらな光を照らす、空には、まだ新月がかかっており、井戸端には二人並んで衣の砧の音を鳴らしている。

自分は持病が悪化したので、二度もこの南の地で咲く菊の花に出逢うことになったのであり、その間には北方の故郷からの手紙も全くこちらに届かないのは雁には心がないからだ。

歩廊のあたりで、杖に寄りかかって牽牛星と南斗の星を見ると、銀河が北の長安の方に流れていて、それはまさしく丹鳳城に向かって続いてつながっているのだろう。

 

夜【秋夜客舍】

露下り 天高くして 秋水清し,空山 獨夜 旅魂驚く。

疏燈 自ら照して 孤帆宿す,新月 猶お懸りて雙杵鳴る。

南菊 再び逢い 人 病いに臥し,北書 至らず 雁 無情。

步蟾 杖に倚り牛斗を看る,銀漢 遙に應に鳳城に接すなる。

 

『夜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夜【秋夜客舍】

露下天高秋水清,空山獨夜旅魂驚。

疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵鳴。

南菊再逢人臥病,北書不至雁無情。

步蟾倚杖看牛斗,銀漢遙應接鳳城。
夜【秋夜客舍】(含異文) 露下天高秋水清【露下天高秋氣清】【露下空山秋水清】【露下空山秋氣清】,空山獨夜旅魂驚。疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵鳴。南菊再逢人臥病【南國再逢人臥病】,北書不至雁無情【北書不到雁無情】。步蟾倚杖看牛斗【步簷倚杖看牛斗】,銀漢遙應接鳳城。
(下し文)
夜【秋夜客舍】

露下り 天高くして 秋水清し,空山 獨夜 旅魂驚く。

疏燈 自ら照して 孤帆宿す,新月 猶お懸りて雙杵鳴る。

南菊 再び逢い 人 病いに臥し,北書 至らず 雁 無情。

步蟾 杖に倚り牛斗を看る,銀漢 遙に應に鳳城に接すなる。


(現代語訳)
(夜寝付けないために遊歩して、秋夜の景色を見て、その感を詠ったもの)

天高く清清しく、水清き秋。夜露は下る、この時、寂しい山で、ただ一人いると旅の心に驚かせられる。

長江には一つの帆かけ船が宿泊していて、燈火が水面にそれ自体のまばらな光を照らす、空には、まだ新月がかかっており、井戸端には二人並んで衣の砧の音を鳴らしている。

自分は持病が悪化したので、二度もこの南の地で咲く菊の花に出逢うことになったのであり、その間には北方の故郷からの手紙も全くこちらに届かないのは雁には心がないからだ。

歩廊のあたりで、杖に寄りかかって牽牛星と南斗の星を見ると、銀河が北の長安の方に流れていて、それはまさしく丹鳳城に向かって続いてつながっているのだろう。


(訳注)

【秋夜客舍】

杜甫はこのころ生活習慣病であろう、(夜寝付けないために遊歩して、秋夜の景色を見て、その感を詠ったもの)

766年大暦元年55-147首目の作品。

 

露下天高秋水清,空山獨夜旅魂驚。

天高く清清しく、水清き秋。夜露は下る、この時、寂しい山で、ただ一人いると旅の心に驚かせられる。

 

疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵鳴。

長江には一つの帆かけ船が宿泊していて、燈火が水面にそれ自体のまばらな光を照らす、空には、まだ新月がかかっており、井戸端には二人並んで衣の砧の音を鳴らしている。

疏燈 長江に浮かぶ停泊中の船の明かりが瞬くこと。

自照 水面に浮かぶ明かりではなく、船自身が照らしている明かり。

孤帆宿 孤舟でありそれが帆船であること。

新月 新月 には美しい浄化のエネルギーに満ちあふれており、何かを始めるのには最適な時刻だと感じて作った作である。初月(はつづき、しょげつ). 三日月。陰暦3日(ごろ)の、月で最初に見え始める月。特に、陰暦8月の初月。唐朝の中興も未だ力微に、群盗の勢いなお盛んなることを暗示する。この詩の「新月」はこの夜、昇った月ではない。秦州における杜甫の五言律詩『初』「光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。」秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293に“「八月三日の月」初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。”この『初月』に基づいている。

猶懸 朔部分だけに月が夜空にある。三日月になるまでの数日のことをいう。

雙杵鳴 

  《卷七70 擣衣》「亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。」

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

 

南菊再逢人臥病,北書不至雁無情。

自分は持病が悪化したので、二度もこの南の地で咲く菊の花に出逢うことになったのであり、その間には北方の故郷からの手紙も全くこちらに届かないのは雁には心がないからだ。

南菊再逢 この南の地で咲く菊の花に二度目の出逢があったということ。

《卷一一44  九日奉寄嚴大夫》764

九日應愁思,經時冒險艱。不眠持漢歸,何路出巴山。

小驛香醪嫩,重巖細菊斑。遙知簇鞍馬,回首白雲間。

嚴武〈巴嶺答杜二見憶〉

臥向巴山落月時,兩千里夢相思。可但步兵偏愛酒,也知光祿最能詩。

江頭赤葉楓愁客,籬外黃花菊對誰?跋馬望君非一度,冷猿秋雁不勝悲。

《卷一四62 雲安九日鄭十八攜酒陪諸公宴》765

寒花開已盡,菊蕊獨盈枝。舊摘人頻異,輕香酒暫隨。

地偏初衣裌,山擁更登危。萬國皆戎馬,酣歌淚欲垂。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

人臥病 自分は持病が悪化したので旅を続けるのは無理で、養生すること。

北書不至 その間には北方の故郷からの手紙も全くこちらに届かないことを言う。

雁無情 雁書は心込めて贈るということではなく、受け取る側から雁に心を伝えようまないこと。雁書が届かない状況が、無常であるということ。手紙、書簡のこと。 その言われは前漢昭帝の時代、匈奴にとらわれのみとなった蘇武に関する故事による。

 

步蟾倚杖看牛斗,銀漢遙應接鳳城。

歩廊のあたりで、杖に寄りかかって牽牛星と南斗の星を見ると、銀河が北の長安の方に流れていて、それはまさしく丹鳳城に向かって続いてつながっているのだろう。

步蟾 カササギはアマの川を渡る橋となるが、天の川のほとりに、蟾蜍の歩廊があるとされる。

牛斗 牽牛星と南斗星、銀河はこの時期、真南の南斗星から真北に向かって流れている。

銀漢 あまのがわ。銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。《季 秋》

詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。秦州抒情詩(7)  天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

鳳城 丹鳳城、長安城の皇城、大明宮をいう。皇城の丹庭、丹階、鳳凰が棲むとされたことでいう。長安城は、星座による儀礼の確立、方位、宇宙観によって築かれたものであるから、この詩の表現となる。

766年-146杜甫 《卷二二69遠遊》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-146 <1018> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6770

杜甫  遠遊

江闊浮高棟,雲長出斷山。塵沙連越風雨暗荊蠻。

雁矯銜蘆猿啼失木間。弊裘蘇季子,歷國未知還。

(遠くに遊ぶ、その感を詠う)

雲が長く連なって、それを断ち切るかのように切り立つ山が顕われ出ているが、その雲と山は、長江の流れを広くするなかに、高い棟木の影が水面に浮いている。

塵砂は越の地方まで連なるというし、風雨は荊蛮までは暗くなっている。

この時、雁は蘆を銜えながら用心して上に上がり、猿は啼くべきところの木から離れていて、まるで南の極地に離れている自分のようである。

疲弊した裘を着た、蘇秦ともいうべき自分は、今だに諸国をめぐり経て、故郷へ帰ることもできないでいる。

766-146杜甫 《卷二二69遠遊》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-146 <1018 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6770 

 

 
  2015年10月16日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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杜甫詩1500-1018-1516/2500

年:766年大暦元年55-146 

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    遠遊

作地點:潭州(江南西道 / 潭州 / 潭州)

及地點:嶲州 (劍南道南部 嶲州 嶲州) 別名:越      

 

遠遊

(遠くに遊ぶ、その感を詠う)

江闊浮高棟,雲長出斷山。

雲が長く連なって、それを断ち切るかのように切り立つ山が顕われ出ているが、その雲と山は、長江の流れを広くするなかに、高い棟木の影が水面に浮いている。

塵沙連越風雨暗荊蠻。

塵砂は越の地方まで連なるというし、風雨は荊蛮までは暗くなっている。

雁矯銜蘆猿啼失木間。

この時、雁は蘆を銜えながら用心して上に上がり、猿は啼くべきところの木から離れていて、まるで南の極地に離れている自分のようである。

弊裘蘇季子,歷國未知還。

疲弊した裘を着た、蘇秦ともいうべき自分は、今だに諸国をめぐり経て、故郷へ帰ることもできないでいる。

 

(遠遊)

江 闊くして 高棟浮ぶ,雲 長くして 斷山出づ。

塵沙 越,風雨 荊蠻に暗し。

雁は矯る 銜蘆の,猿は啼く 失木の間。

弊裘 蘇季子,歷國 未だ還るを知らず。

 

『遠遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遠遊

江闊浮高棟,雲長出斷山。

塵沙連越,風雨暗荊蠻。

雁矯銜蘆,猿啼失木間。

弊裘蘇季子,歷國未知還。
遠遊(含異文)

江闊浮高棟【江闊浮高凍】,雲長出斷山。塵沙連越,風雨暗荊蠻。雁矯銜蘆,猿啼失木間。弊裘蘇季子,歷國未知還。


(下し文)
(遠遊)

江 闊くして 高棟浮ぶ,雲 長くして 斷山出づ。

塵沙 越,風雨 荊蠻に暗し。

雁は矯る 銜蘆の,猿は啼く 失木の間。

弊裘 蘇季子,歷國 未だ還るを知らず。

(現代語訳)
(遠くに遊ぶ、その感を詠う)

雲が長く連なって、それを断ち切るかのように切り立つ山が顕われ出ているが、その雲と山は、長江の流れを広くするなかに、高い棟木の影が水面に浮いている。

塵砂は越の地方まで連なるというし、風雨は荊蛮までは暗くなっている。

この時、雁は蘆を銜えながら用心して上に上がり、猿は啼くべきところの木から離れていて、まるで南の極地に離れている自分のようである。

疲弊した裘を着た、蘇秦ともいうべき自分は、今だに諸国をめぐり経て、故郷へ帰ることもできないでいる。


(訳注)

遠遊

(遠くに遊ぶ、その感を詠う。)

766年大暦元年55-146 

 

江闊浮高棟,雲長出斷山。

雲が長く連なって、それを断ち切るかのように切り立つ山が顕われ出ているが、その雲と山は、長江の流れを広くするなかに、高い棟木の影が水面に浮いている。

江闊浮高棟 長江の川幅広い流れに、下句の「雲長出斷山」を寫しているのが高い棟木の影が水面に浮いているように見えるという意。この棟木を黄鶴楼としている説もあるがまちがいであろう。

雲長出斷山 高い棟木ような雲が、柱のような山でたちきられている

 

塵沙連越風雨暗荊蠻。

塵砂は越の地方まで連なるというし、風雨は荊蛮までは暗くなっている。

塵沙連越 成都の世情不安に嫌気して長江を下っても、世情不安で荊州を過ぎ、湖南まで行く楚安定しているということ意味する。・:越郡のことで、中國古郡名,漢武帝元鼎六年(公元前111年)邛都國を開いて置く。郡として治められ、邛都縣(今四川西昌市東南)とある。西漢後期に益州刺史部に隸屬した。

荊蠻 杜甫のいる夔州からして荊州は南の方向で、南蛮である。

 

雁矯銜蘆猿啼失木間。

この時、雁は蘆を銜えながら用心して上に上がり、猿は啼くべきところの木から離れていて、まるで南の極地に離れている自分のようである。

雁矯 雁は用心して上に上がっていくこと。

銜蘆 蘆を口に銜える。危険に備えつつする動作を言う。

失木間 猿が泣くべきところの木から離れることを言う。《淮南子》「猿狖失木,擒於狐狸,非其所也。」とある。杜甫自身、この場所が自分のいるべきところでないということをいう。

 

弊裘蘇季子,歷國未知還。

疲弊した裘を着た、蘇秦ともいうべき自分は、今だに諸国をめぐり経て、故郷へ帰ることもできないでいる。

弊裘蘇季子 諸子百家の一つ縦横家の一人である蘇秦が貂の裘を年がら年中着て疲弊していて、勉強したことと同じように机にむかっている。

1944搖落》

(搖落)

搖落巫山暮,寒江東北流。

搖落 巫山暮る,寒江 東北に流る。

煙塵多戰鼓,風浪少行舟。

煙塵 戰鼓多く,風浪 行舟少し。

鵝費羲之墨,貂餘季子裘。

鵝は費す 羲之の墨を,貂は餘す 季子の裘を。

長懷報明主,臥病復高秋。

長懷して 明主に報いん,臥病して 復た高秋なり。

 

766年-145杜甫 《1944搖落》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-145 <1017> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6765

杜甫  搖落   

搖落巫山暮,寒江東北流。煙塵多戰鼓,風浪少行舟。

鵝費羲之墨,貂餘季子裘。長懷報明主,臥病復高秋。
(木の葉が揺れ散り落ちる頃の感を詠う)

木の葉が揺れ散り落ちる頃に巫山の山々も暮れかかる、夕方の寒気は長江を蔽い、東北方向に流れてゆく。戦の煙塵がやまず世情は落ち着かず、戦鼓の音が多くしている、長江は風浪が起こって行く船は少ない。自分はというと王羲之が「鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ」たというと同じように筆をとって詩を作り、諸子百家の一つ縦横家の一人である蘇秦が貂の裘を年がら年中着て勉強したことと同じように机にむかっている。そうした中で常日ごろから長期間にわたって思っているのは、明天子の御恩に報いることであるが、病で床に伏してしまって、また、天高い秋になってしまった。

 

766-145杜甫 1944搖落》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-145 <1017 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6765

 

 
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杜甫詩1500-1017-1515/2500

年:766年大暦元年55-145

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    搖落

作地點:              目前尚無資料

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

搖落

(木の葉が揺れ散り落ちる頃の感を詠う)

搖落巫山暮,寒江東北流。

木の葉が揺れ散り落ちる頃に巫山の山々も暮れかかる、夕方の寒気は長江を蔽い、東北方向に流れてゆく。

煙塵多戰鼓,風浪少行舟。

戦の煙塵がやまず世情は落ち着かず、戦鼓の音が多くしている、長江は風浪が起こって行く船は少ない。

鵝費羲之墨,貂餘季子裘。

自分はというと王羲之が「鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ」たというと同じように筆をとって詩を作り、諸子百家の一つ縦横家の一人である蘇秦が貂の裘を年がら年中着て勉強したことと同じように机にむかっている。

長懷報明主,臥病復高秋。

そうした中で常日ごろから長期間にわたって思っているのは、明天子の御恩に報いることであるが、病で床に伏してしまって、また、天高い秋になってしまった。

(搖落)

搖落 巫山暮る,寒江 東北に流る。

煙塵 戰鼓多く,風浪 行舟少し。

鵝は費す 羲之の墨を,貂は餘す 季子の裘を。

長懷して 明主に報いん,臥病して 復た高秋なり。
夔州東川卜居図詳細 002

 

『搖落』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

搖落

搖落巫山暮,寒江東北流。

煙塵多戰鼓,風浪少行舟。

鵝費羲之墨,貂餘季子裘。

長懷報明主,臥病復高秋。

(下し文)
(搖落)

搖落 巫山暮る,寒江 東北に流る。

煙塵 戰鼓多く,風浪 行舟少し。

鵝は費す 羲之の墨を,貂は餘す 季子の裘を。

長懷して 明主に報いん,臥病して 復た高秋なり。

(現代語訳)
(木の葉が揺れ散り落ちる頃の感を詠う)

木の葉が揺れ散り落ちる頃に巫山の山々も暮れかかる、夕方の寒気は長江を蔽い、東北方向に流れてゆく。

戦の煙塵がやまず世情は落ち着かず、戦鼓の音が多くしている、長江は風浪が起こって行く船は少ない。

自分はというと王羲之が「鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ」たというと同じように筆をとって詩を作り、諸子百家の一つ縦横家の一人である蘇秦が貂の裘を年がら年中着て勉強したことと同じように机にむかっている。

そうした中で常日ごろから長期間にわたって思っているのは、明天子の御恩に報いることであるが、病で床に伏してしまって、また、天高い秋になってしまった。


(訳注)

搖落

(木の葉が揺れ散り落ちる頃の感を詠う)

766年大暦元年55の作-この年の145首目。

 

搖落巫山暮,寒江東北流。

木の葉が揺れ散り落ちる頃に巫山の山々も暮れかかる、夕方の寒気は長江を蔽い、東北方向に流れてゆく。

搖落 木の葉が揺れ散り落ちる頃をいう。

巫山 夔州から西日に照らされた巫山を見る。夔州からのぞむもっともたかいやまである。

 

煙塵多戰鼓,風浪少行舟。

戦の煙塵がやまず世情は落ち着かず、戦鼓の音が多くしている、長江は風浪が起こって行く船は少ない。

煙塵多戰鼓 765年永泰元年9月ウイグル、吐蕃が入寇し、その混乱に乗じ、同年10月崔旰、蜀全土を混乱させる反乱を起こす。

 

鵝費羲之墨,貂餘季子裘。

自分はというと王羲之が「鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ」たというと同じように筆をとって詩を作り、諸子百家の一つ縦横家の一人である蘇秦が貂の裘を年がら年中着て勉強したことと同じように机にむかっている。

鵝費羲之墨 王羲之は鵞鳥を多く飼っている山の道観に案内され、道士に「一羽でもいいから譲って欲しい」と頼んだところ、道士はこの人が王羲之と知って、「老子の道徳経を書いて下さるなら、これらの鵞鳥を何羽でもあなたに差し上げます」と申した。彼は鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ、それを持参して行って鵞鳥を貰い、ずっと可愛がったという。杜甫も筆を執って多くの詞を作って売文していた。

貂餘季子裘 蘇秦、諸子百家の一つ縦横家の一人。蘇秦が有名になるまで、貂の裘を着続けたことをいう。秦と対抗するために六国の合従策を主張し、六国の宰相を兼ねた。戦国策:蘇秦の名声は各国に及び、天下には対抗できるものもないほどになった。あるとき楚王に遊説しようと、故郷を通ることになった。それを知った父母は部屋をかたづけ、道を清め、楽隊を並べ、飲食の支度をして郊外三十里まで蘇秦を出迎えた。妻は目を伏せて蘇秦を見ることができず、兄嫁ははいつくばってにじり寄り、平謝りに昔のことを謝った。「姉上、昔は威張っていたのに、今はどうしたのですか」と問うと、兄嫁は「末っ子のあなたが今はお金持ちになったらですわ」と答えた。それを聞いた蘇秦は、「ああ、貧乏だと両親でさえ相手にしてくれない。金持ちになれば親戚まで恐れいる。この世に生まれたからには、地位や金銭はおそろかにできないものだ」と述べた。このことから「貧窮なれば、父母も子とせず」という言葉が生まれた。

 

長懷報明主,臥病復高秋。

そうした中で常日ごろから長期間にわたって思っているのは、明天子の御恩に報いることであるが、病で床に伏してしまって、また、天高い秋になってしまった。

長懷 常日ごろから長期間にわたって思いやる。

報明主 明天子の御恩に報いること。
瞿塘峡・白帝城・魚復

766年-144杜甫 《1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-144 <1016> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

南極

南極青山,西江白穀分。古城疏落木,荒戍密寒雲。

月蛇常見,風飆虎或聞。近身皆鳥道,殊俗自人群。

睥睨登哀柝,矛弧照夕曛。亂離多醉尉,愁殺李將軍。
(南の端、夔州の風土の悪いことをのべている。)

極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では自谷の支流が分かれてそそいでいる。古っぽい白帝城のあたりでは葉が落ちて木立の影がまばらになり、荒れた軍の屯所には冬空の雲が濃く群がっている。ここは年がら年じゅう蛇が出ているし、風飆の音につれて虎の声も時には聞こえてくる。見え掛かりの身に近いところはみな烏の通う崖路であり、異様な風俗をみてはこれでも人間の群かと怪しまれるのである。女牆には哀れな拍子木をうつ者どもがのぼり、夕日のくらがりには旗が照らされつつある。乱世にあたっては酔いどれの尉官などが多くいて、これには漢のあの李将軍というべき軍の長官さえもなやまされるのである。

766-144杜甫 《1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-144 <1016> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

 

 
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李白329 巻二10-《飛龍引,二首之一》(黃帝鑄鼎於荊山,) 329Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(10) <李白329> Ⅰ李白詩1642 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6758  
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韓愈93-#4《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1555> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6759  
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杜甫詩1500-1016-1514/2500

766年大暦元年55-144

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    南極

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

南極

(南の端、夔州の風土の悪いことをのべている。)

南極青山,西江白穀分。

極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では白谷の支流が分かれてそそいでいる。

古城疏落木,荒戍密寒雲。

古っぽい白帝城のあたりでは葉が落ちて木立の影がまばらになり、荒れた軍の屯所には冬空の雲が濃く群がっている。

月蛇常見,風飆虎或聞。

ここは年がら年じゅう蛇が出ているし、風飆の音につれて虎の声も時には聞こえてくる。

近身皆鳥道,殊俗自人群。

見え掛かりの身に近いところはみな烏の通う崖路であり、異様な風俗をみてはこれでも人間の群かと怪しまれるのである。

睥睨登哀柝,矛弧照夕曛。

女牆には哀れな拍子木をうつ者どもがのぼり、夕日のくらがりには旗が照らされつつある。

亂離多醉尉,愁殺李將軍。
乱世にあたっては酔いどれの尉官などが多くいて、これには漢のあの李将軍というべき軍の長官さえもなやまされるのである。

 

南極

南極 青山眾し,西江 白穀分かる。

古城 落木疏に,荒戍 寒雲密なり。

月 蛇 常に見え,風飆 虎 或いは聞ゆ。

近身 皆 鳥道,殊俗 自ら人群。

睥睨に哀柝登る,矛弧 夕曛ぬ照らさるる。

亂離に醉尉多し,愁殺す 李將軍。

夔州東川卜居図詳細 002

 

『南極』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南極

南極青山,西江白穀分。

古城疏落木,荒戍密寒雲。

月蛇常見,風飆虎或聞。

近身皆鳥道,殊俗自人群。

睥睨登哀柝,矛弧照夕曛。

亂離多醉尉,愁殺李將軍。

(下し文)
南極

南極 青山眾し,西江 白穀分かる。

古城 落木疏に,荒戍 寒雲密なり。

月 蛇 常に見え,風飆 虎 或いは聞ゆ。

近身 皆 鳥道,殊俗 自ら人群。

睥睨に哀柝登る,矛弧 夕曛ぬ照らさるる。

亂離に醉尉多し,愁殺す 李將軍。

(現代語訳)
(南の端、夔州の風土の悪いことをのべている。)

極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では自谷の支流が分かれてそそいでいる。

古っぽい白帝城のあたりでは葉が落ちて木立の影がまばらになり、荒れた軍の屯所には冬空の雲が濃く群がっている。

ここは年がら年じゅう蛇が出ているし、風飆の音につれて虎の声も時には聞こえてくる。

見え掛かりの身に近いところはみな烏の通う崖路であり、異様な風俗をみてはこれでも人間の群かと怪しまれるのである。

女牆には哀れな拍子木をうつ者どもがのぼり、夕日のくらがりには旗が照らされつつある。

乱世にあたっては酔いどれの尉官などが多くいて、これには漢のあの李将軍というべき軍の長官さえもなやまされるのである。


(訳注)

南極

(南の端、夔州の風土の悪いことをのべている。)

詩の起首の二字を切りとって題とする。

大暦元年        766   55歳 冬 夔州にあっての作。

 

南極青山,西江白穀分。

極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では白谷の支流が分かれてそそいでいる。

南極 南方のはてをいう、夔州は都よりみて極めて南の地なのでかくいった。

西江白谷分 西江は長江のこと、西とは作者の居処よりして西であることをいうのであろう。白谷は白帝城の谷、分とは江と分かれていることをいう、支流である白谷がそこで江に入るのである。杜臆にこの句を解して、「西江白谷二至リテ分力ル」といっているのは恐らくはあたらぬ、「白谷西江二重リテ分力ル」と解すべきである。

 

古城疏落木,荒戍密寒雲。

古っぽい白帝城のあたりでは葉が落ちて木立の影がまばらになり、荒れた軍の屯所には冬空の雲が濃く群がっている。

古城 白帝城をいうが、夔州城に対して言うのであろう。

落木 落葉する樹木。

 

月蛇常見,風飆虎或聞。

ここは年がら年じゅう蛇が出ているし、風飆の音につれて虎の声も時には聞こえてくる。

歳月 一歳一月、四時をとわぬことをいう。

 

近身皆鳥道,殊俗自人群。

見え掛かりの身に近いところはみな烏の通う崖路であり、異様な風俗をみてはこれでも人間の群かと怪しまれるのである。

鳥道 鳥の通うみち、険崖の傍にあることをいう。

殊俗 異なっている土俗。

人群 禽獣でないことをいう。

 

睥睨登哀柝,矛弧照夕曛。

女牆には哀れな拍子木をうつ者どもがのぼり、夕日のくらがりには旗が照らされつつある。

睥睨 城の女借をいう。

登哀柝 哀柝、拍子木を鳴らす者がのぼる。

矛弧 蝥弧は旗のこと、語は「左伝」(隠公十一年)「瑕叔盈又以蝥弧登,周麾而呼曰:「君登矣!」“瑕叔盈は蝥弧(軍旗)を持って城壁を登り「わが君は登られたぞ」と叫んだ。”に本づく。哀柝、蝥弧は城の戒厳のさまをいう。

 

亂離多醉尉,愁殺李將軍。
乱世にあたっては酔いどれの尉官などが多くいて、これには漢のあの李将軍というべき軍の長官さえもなやまされるのである。

酔尉 「史記」李広伝にいう、漢の将軍李広、屏きて藍田の南山の中に居り射猟す、嘗て夜出でて人に従いて飲み灞陵亭に還る、灞陵の尉酔いて広を呵し止む。広が従騎日く、故の李将軍なりと、尉日く、今の将軍だもなお夜行するを得ず、何ぞ乃ち「故」ならんと、広を止どめて亭下に宿せしむ、と。

李将軍 李広をいう。事は上にみえる。末二句は乱世にして騎更が将軍をも畏れぬことをいう。

 

 

南極

南極 青山眾し,西江 白穀分かる。

古城 落木疏に,荒戍 寒雲密なり。

月 蛇 常に見え,風飆 虎 或いは聞ゆ。

近身 皆 鳥道,殊俗 自ら人群。

睥睨に哀柝登る,矛弧 夕曛ぬ照らさるる。

亂離に醉尉多し,愁殺す 李將軍。

766年-143杜甫 《卷九35遣愁》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-143 <1015> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6755

杜甫  遣愁   

養拙蓬為,茫茫何所開。江通神女館,地隔望臺。

漸惜容顏老,無由弟妹來。兵戈與人事,回首一悲哀。
(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)

自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。

766-143杜甫 《卷九35遣愁》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-143 <1015 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6755

 

 
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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 杜甫詩1500-1015-1513/2500

年:766年大暦元年55-143

卷別:    卷二三○               (卷九35(二)七五一)文體:  五言律詩

詩題:    遣愁

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

 

 

遣愁

(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)

養拙蓬為茫茫何所開。

自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。

江通神女館,地隔望臺。

最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)

漸惜容顏老,無由弟妹來。

自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。

兵戈與人事,回首一悲哀。

安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。

 

(愁を遣る)

拙を養いて 蓬を,茫茫たり 何の所にか開かん?

江は通ず 神女の館,地は隔つ 望臺。

漸く惜む 容顏の老ゆるを,弟妹の來たるに 由 無し

兵戈と人事とは,首を回らせども 一に悲哀なり。

 

安史の乱当時の勢力図 

『遣愁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遣愁

養拙蓬為,茫茫何所開。

江通神女館,地隔望臺。

漸惜容顏老,無由弟妹來。

兵戈與人事,回首一悲哀。

(下し文)
(愁を遣る)

拙を養いて 蓬をと為し,茫茫たり 何の所にか開かん?

江は通ず 神女の館,地は隔つ 望臺。

漸く惜む 容顏の老ゆるを,弟妹の來たるに 由 無し。

兵戈と人事とは,首を回らせども 一に悲哀なり。

(現代語訳)
(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)

自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。

最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)

自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。

安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

遣愁

(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)

 

養拙蓬為茫茫何所開。

自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。

養拙 自分は持ち前の拙劣なところを養うことをいう。

蓬為 蓬は粗末なもの、蓬は轉蓬する杜甫自身であり、蓬の扉は、隠遁した自身の心の扉である。

茫茫 広々としてはっきりしないもの。

何所開 その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる、というほどの意。

 

江通神女館,地隔望臺。

最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)

江通 長江を通過してゆくこと。

神女館 巫山の神女の廟をいう。廟は夔州府巫山縣西北二百五十歩にあったとされる。

地隔 成都望郷臺から離れたところにあるが、当然、夔州の地からも離れたところにある。

臺 夔州からは遠望することができないので、成都の高台、望郷臺から見たことを言う。

 

漸惜容顏老,無由弟妹來。

自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。

 

兵戈與人事,回首一悲哀。

安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。

○兵戈與人事 杜甫が華州で官を辞した時点と何ら好転していないこと。朝廷内の施政、人事について、儒者を徹底的に排除し、道教と宦官の結託、経済合理主義の場当たり的な、賀蘭進明・第五琦グループと宦官らとの癒着、のために、正しい方向になかった。杜甫らは、「徳」による施政、質素倹約による経済の立て直し、住民施政を改革して生産性の向上など長期的に唐朝再建を訴えていた儒者グループはほとんど圧迫されていたことを言う。

●杜甫と房琯関連、参照。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3) 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

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●元結の《舂陵行》《賊退示官吏》と比興手法

元結 《舂陵行(并序)-#7》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6075

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6095

杜甫 《1939同元使君舂陵行》 杜甫詩index-15- <916-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045

夔州東川卜居図詳細 002

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杜甫  中宵   

西閣百尋餘,中宵步綺疏。飛星過水白,落月動沙虛。

擇木知幽鳥,潛波想巨魚。親朋滿天地,兵甲少來書。

(その夜、眠れず夜半に西閣を歩いて感をのべた詩。)

西閣は百尋あまりの高さの処にある、眠れないから、夜半に高閣のすかし彫りにした窓のあたりをぶらついてみる。

空を見上げると流星が落ちて過ぎると水面に白く見え、落ちかかる月の光が、空虚にみえる沙原にさしている

月明りは木深く棲む鳥がどの樹にとまろうかとまごついているのもわかるし、巨大な魚もはやこっそり波間に影をひそめたことと想像される。

こうした折、自分の親戚朋友は天地に満ちるほどいるけれど、長い間の兵乱があるためにどこからも来る手紙はほんとに少ない。

 

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杜甫詩1500-1014-1512/2500

年:766年大暦元年55-142

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    中宵

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              西閣 (山南東道 夔州 奉節)         

中宵

(その夜、眠れず夜半に西閣を歩いて感をのべた詩。)

西閣百尋餘,中宵步綺疏。

西閣は百尋あまりの高さの処にある、眠れないから、夜半に高閣のすかし彫りにした窓のあたりをぶらついてみる。

飛星過水白,落月動沙虛。

空を見上げると流星が落ちて過ぎると水面に白く見え、落ちかかる月の光が、空虚にみえる沙原にさしている.

擇木知幽鳥,潛波想巨魚。

月明りは木深く棲む鳥がどの樹にとまろうかとまごついているのもわかるし、巨大な魚もはやこっそり波間に影をひそめたことと想像される。

親朋滿天地,兵甲少來書。

こうした折、自分の親戚朋友は天地に満ちるほどいるけれど、長い間の兵乱があるためにどこからも来る手紙はほんとに少ない。

 

(中 宵)

西閣は百尋に余る、中宵 綺疏に歩す。

飛星 過ぎて水白く、落月 動きて沙 虚し。

擇木 幽鳥を知る、潜波 巨魚を想う。

親朋は 天地に滿つ,兵甲に 來書少し。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『中宵』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

中宵

西閣百尋餘,中宵步綺疏。

飛星過水白,落月動沙虛。

擇木知幽鳥,潛波想巨魚。

親朋滿天地,兵甲少來書。

(下し文)
(中 宵)

西閣は百尋に余る、中宵 綺疏に歩す。

飛星 過ぎて水白く、落月 動きて沙 虚し。

擇木 幽鳥を知る、潜波 巨魚を想う。

親朋は 天地に滿つ,兵甲に 來書少し。


(現代語訳)
(その夜、眠れず夜半に西閣を歩いて感をのべた詩。)

西閣は百尋あまりの高さの処にある、眠れないから、夜半に高閣のすかし彫りにした窓のあたりをぶらついてみる。

空を見上げると流星が落ちて過ぎると水面に白く見え、落ちかかる月の光が、空虚にみえる沙原にさしている

月明りは木深く棲む鳥がどの樹にとまろうかとまごついているのもわかるし、巨大な魚もはやこっそり波間に影をひそめたことと想像される。

こうした折、自分の親戚朋友は天地に満ちるほどいるけれど、長い間の兵乱があるためにどこからも来る手紙はほんとに少ない。


(訳注)

中宵

(その夜、眠れず夜半に西閣を歩いて感をのべた詩。)766年大暦元年55夔州にあって-142首目の作。

○中宵 よなか。夜半。中夜。黄昏以後をいう。

 

西閣百尋餘,中宵步綺疏。

西閣は百尋あまりの高さの処にある、眠れないから、夜半に高閣のすかし彫りにした窓のあたりをぶらついてみる。

○西閣 夔州寓居の西閣。

〇百尋 尋は八尺。180

○椅疏 あやぎぬの如くすかし彫りにした格子窓。

 

飛星過水白,落月動沙虛。

空を見上げると流星が落ちて過ぎると水面に白く見え、落ちかかる月の光が、空虚にみえる沙原にさしている

飛星過水白,落月動沙虛 上三字下二字の句としてみるのがよい、飛星過とは流星が水面におちてすぎることをいう。

落月動 落ちかかる月の光が照り沿うことをいう。

沙虚 虚とは誰も見えない沙面の広く横たわるさまをいう。

 

擇木知幽鳥,潛波想巨魚。

月明りは木深く棲む鳥がどの樹にとまろうかとまごついているのもわかるし、巨大な魚もはやこっそり波間に影をひそめたことと想像される。

擇木知幽鳥,潛波想巨魚 暗に自己をたとえる。

 

親朋滿天地,兵甲少來書。

こうした折、自分の親戚朋友は天地に満ちるほどいるけれど、長い間の兵乱があるためにどこからも来る手紙はほんとに少ない。

滿天地 多くあることをいう。

兵甲 乱をいう。

来書 こちらへくるてがみ。

 

(中 宵)

西閣は百尋に余る、中宵 綺疏に歩す。

飛星 過ぎて水白く、落月 動きて沙 虚し。

擇木 幽鳥を知る、潜波 巨魚を想う。

親朋は 天地に滿つ,兵甲に 來書少し。
安史の乱当時の勢力図

766年-141杜甫 《1708月圓》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-141 <1013> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6745

杜甫  月圓   

孤月當樓滿,寒江動夜扉。委波金不定,照席綺逾依。

未缺空山靜,高懸列宿稀。故園松桂發,萬里共清輝。

(西閣にいて満月の圓きを見て詠んだもの

西閣の高殿の真上にあたって、ただ一つの月が円満に出ており、秋の夜の寒気の中の長江に映し、水面に映る月の光がうごき、それが夜には締める扉に映って動いている。月の光が波のまにまに任せて揺れ、金の波がゆらゆら揺れるが、金波は水上に安定しない、同じ月光が席を照らし、宴席に綾衣がかけられていて、そこに同じ月光に照らされ、それらが合わさっていよいよ満月の夜の興を深める。今宵の月は一分も欠けることなく、寂しい山は静まり返っている、空高くかかって星宿が並んでいるのも月が明るくて稀に見える。今頃、故郷長安では、桂の花が開いている頃であるが、万里を隔てても、この満月の清らかな輝きを浴びていることだろう。

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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻六44甘州子五首其二》『花間集』295全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6747  
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杜甫詩1500-1013-1511/2500

月圓

(西閣にいて満月の圓きを見て詠んだもの

孤月當樓滿,寒江動夜扉。

西閣の高殿の真上にあたって、ただ一つの月が円満に出ており、秋の夜の寒気の中の長江に映し、水面に映る月の光がうごき、それが夜には締める扉に映って動いている。

委波金不定,照席綺逾依。

月の光が波のまにまに任せて揺れ、金の波がゆらゆら揺れるが、金波は水上に安定しない、同じ月光が席を照らし、宴席に綾衣がかけられていて、そこに同じ月光に照らされ、それらが合わさっていよいよ満月の夜の興を深める。

未缺空山靜,高懸列宿稀。

今宵の月は一分も欠けることなく、寂しい山は静まり返っている、空高くかかって星宿が並んでいるのも月が明るくて稀に見える。

故園松桂發,萬里共清輝。

今頃、故郷長安では、桂の花が開いている頃であるが、万里を隔てても、この満月の清らかな輝きを浴びていることだろう。

(月圓)

孤月 樓に當って滿ち,寒江 夜扉に動く。

波に委して 金 定らず,席を照らして 綺 逾々よ依る。

未だ缺けず 空山 靜かに,高く懸りて 列宿 稀なり。

故園 松桂 發かん,萬里 共に清輝。

 

『月圓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

月圓

孤月當樓滿,寒江動夜扉。

委波金不定,照席綺逾依。

未缺空山靜,高懸列宿稀。

故園松桂發,萬里共清輝。


月圓(卷一七(四)一四六六)

孤月當樓滿,寒江動夜扉。

委波金不定,照席綺逾依。

未缺空山靜,高懸列宿稀。

故園松桂(一作菊)發,萬里共清輝。


(下し文)
(月圓)

孤月 樓に當って滿ち,寒江 夜扉に動く。

波に委して 金 定らず,席を照らして 綺 逾々よ依る。

未だ缺けず 空山 靜かに,高く懸りて 列宿 稀なり。

故園 松桂 發かん,萬里 共に清輝。

(現代語訳)
(西閣にいて満月の圓きを見て詠んだもの

西閣の高殿の真上にあたって、ただ一つの月が円満に出ており、秋の夜の寒気の中の長江に映し、水面に映る月の光がうごき、それが夜には締める扉に映って動いている。

月の光が波のまにまに任せて揺れ、金の波がゆらゆら揺れるが、金波は水上に安定しない、同じ月光が席を照らし、宴席に綾衣がかけられていて、そこに同じ月光に照らされ、それらが合わさっていよいよ満月の夜の興を深める。

今宵の月は一分も欠けることなく、寂しい山は静まり返っている、空高くかかって星宿が並んでいるのも月が明るくて稀に見える。

今頃、故郷長安では、桂の花が開いている頃であるが、万里を隔てても、この満月の清らかな輝きを浴びていることだろう。


(訳注)

月圓

(西閣にいて満月の圓きを見て詠んだもの

西閣所作。謝靈運《登歸瀨三瀑布望兩溪》「 我行乘日垂,放舟候月圓。」

 

孤月當樓滿,寒江動夜扉。

西閣の高殿の真上にあたって、ただ一つの月が円満に出ており、秋の夜の寒気の中の長江に映し、水面に映る月の光がうごき、それが夜には締める扉に映って動いている。

當樓滿 滿は月光の円満なるを言う。西閣の高楼にかかっている満月。

寒江 秋の夜の寒気の中の長江。

動夜扉 動くのは水面に映る月の光であり、それが夜には締める扉に映って動いている。

 

委波金不定,照席綺逾依。

月の光が波のまにまに任せて揺れ、金の波がゆらゆら揺れるが、金波は水上に安定しない、同じ月光が席を照らし、宴席に綾衣がかけられていて、そこに同じ月光に照らされ、それらが合わさっていよいよ満月の夜の興を深める。

委波 月の光が波のまにまに任せて揺れている。

金不定 金の波がゆらゆら揺れて、金波が水上に安定しない様子を言う。

照席 同じ月光が席を照らす。

綺逾依 宴席に綾衣がかけられていて、そこに同じ月光に照らされ、それらが合わさっていよいよ満月の夜の興を深める。

 

未缺空山靜,高懸列宿稀。

今宵の月は一分も欠けることなく、寂しい山は静まり返っている、空高くかかって星宿が並んでいるのも月が明るくて稀に見える。

 

故園松桂發,萬里共清輝。

今頃、故郷長安では、桂の花が開いている頃であるが、万里を隔てても、この満月の清らかな輝きを浴びていることだろう。

故園 故郷長安をいう。

松桂 桂の花。

 花が開いている頃。

萬里 夔州と長安をへだつ距離を言う。

共清輝 長江に、宴席に、空山を照らす清らかな月光が、長安の大明宮の桂の花にもてらしている。

766年-140杜甫 《1705不寐》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-140 <1012> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6740

杜甫  不寐   

瞿唐夜水黑,城改更籌。翳翳月沉霧,輝輝星近樓。

氣衰甘少寐,心弱恨容愁。多壘滿山谷,桃源何處求。

(眠りにつけないときに思うことを述べたもの)瞿唐峽のあたりは夜の水の色は濃く、城内では漏刻の告げる声が幾度か変わった。暗く陰っている月は、霧の中へ沈んでいったし、頭上の星たちは、キラキラと光り、高殿の近くに輝いている。気力が衰えてくると、眠れなくなるのも平気なものであるが、愁いというものを容認してやり過ごす自分の心の弱さについては、恨めしく思われる。このあたりの山には、異民族との国境近くということもあって塞・防塁がいっぱいに設置されている、本来は、隠遁に適したところであるはずなのに、どこに行ったら桃源郷がもとめられるのであろうか。

766-140杜甫 1705不寐》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-140 <1012 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6740

 

 
  2015年10月10日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白325 《巻一49-《古風,五十九首之四十九 (美人出南國)》》325Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(6) <李白325> Ⅰ李白詩1638 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6738  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈92-#6《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1551> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6739  
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杜甫詩1500-1012-1510/2500

年:766年大暦元年55-140

卷別: 卷二三○ (卷一七(5)一四六三) 文體: 五言律詩 

詩題:不寐

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 

及地點:草閣(山南東道 夔州 夔州) 別名:江邊閣

巫州 (黔中道 巫州 巫州)  別名:黔陽  

 

 

不寐

(眠りにつけないときに思うことを述べたもの)

瞿唐夜水黑,城改更籌。

瞿唐峽のあたりは夜の水の色は濃く、城内では漏刻の告げる声が幾度か変わった。

翳翳月沉霧,輝輝星近樓。

暗く陰っている月は、霧の中へ沈んでいったし、頭上の星たちは、キラキラと光り、高殿の近くに輝いている。

氣衰甘少寐,心弱恨容愁。

気力が衰えてくると、眠れなくなるのも平気なものであるが、愁いというものを容認してやり過ごす自分の心の弱さについては、恨めしく思われる。

多壘滿山谷,桃源何處求。

このあたりの山には、異民族との国境近くということもあって塞・防塁がいっぱいに設置されている、本来は、隠遁に適したところであるはずなのに、どこに行ったら桃源郷がもとめられるのであろうか。

(不寐)

瞿唐 夜水黑く,城 更籌改まる。

翳翳として 月 霧に沉み,輝輝として 星 樓に近し。

氣 衰えて寐ぬること少きに甘んず,心 弱くして愁を容るるを恨む

多壘 山谷に滿つ,桃源 何の處にか求めん。

 

 

『不寐』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

不寐

瞿唐夜水黑,城改更籌。

翳翳月沉霧,輝輝星近樓。

氣衰甘少寐,心弱恨容愁。

多壘滿山谷,桃源何處求。
不寐

瞿唐夜水黑,城改更籌。

翳翳月沉霧,輝輝星近樓。

氣衰甘少寐,心弱恨容(黃氏作容,作和,一作知)愁。

多壘(陳作壘恨)滿山谷,桃源何(一作無)處求。


(下し文)
(不寐)

瞿唐 夜水黑く,城 更籌改まる。

翳翳として 月 霧に沉み,輝輝として 星 樓に近し。

氣 衰えて寐ぬること少きに甘んず,心 弱くして愁を容るるを恨む

多壘 山谷に滿つ,桃源 何の處にか求めん。


(現代語訳)
(眠りにつけないときに思うことを述べたもの)

瞿唐峽のあたりは夜の水の色は濃く、城内では漏刻の告げる声が幾度か変わった。

暗く陰っている月は、霧の中へ沈んでいったし、頭上の星たちは、キラキラと光り、高殿の近くに輝いている。

気力が衰えてくると、眠れなくなるのも平気なものであるが、愁いというものを容認してやり過ごす自分の心の弱さについては、恨めしく思われる。

このあたりの山には、異民族との国境近くということもあって塞・防塁がいっぱいに設置されている、本来は、隠遁に適したところであるはずなのに、どこに行ったら桃源郷がもとめられるのであろうか。


(訳注)

不寐

(眠りにつけないときに思うことを述べたもの)

 

瞿唐夜水黑,城改更籌。

瞿唐峽のあたりは夜の水の色は濃く、城内では漏刻の告げる声が幾度か変わった。

○瞿唐 中国の重慶市と湖北省の境界をなす巫山を長江(揚子江)が浸食して形成した大峡谷。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までで全長196km。その間が瞿唐(くとう)峡,巫(ぶ)峡,西陵峡の三つの峡谷に大別されることから,三峡と呼ばれる。山地の上昇運動に先行して下方浸食が営まれたことにより形成された。その中心部は花崗岩であるが,長江の流れが石灰岩層を貫くところでは両岸が迫り,川幅が100mに満たない地点もあり,断崖絶壁をなして水面から崖の上まで500mをこえる。

○城 夔州城郭内。

改更籌 漏刻のフロートによる時間のすすめが分かること。通常漏刻で時間を見て鹿野をついて時を知らせる。籌: 数をかぞえるのに用いた木の串(くし)。かずさし。かずとり。ここでは、杜甫は眠れないために、土岐の知らせをいちいち聞いていることを言い、夜長の時間経過を表現している。

 

翳翳月沉霧,輝輝星近樓。

暗く陰っている月は、霧の中へ沈んでいったし、頭上の星たちは、キラキラと光り、高殿の近くに輝いている。

翳翳 隠遁するにふさわしいような静けさのある暗く陰っているようす. 1.晦暗不明貌。 2.草木茂密成貌。隱約不明的樣子。文選·陶淵明·歸去來辭:「景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。(景は翳翳として以て將に入らんとし、孤松を撫でて盤桓【ばんかん】す)

 

氣衰甘少寐,心弱恨容愁。

気力が衰えてくると、眠れなくなるのも平気なものであるが、愁いというものを容認してやり過ごす自分の心の弱さについては、恨めしく思われる。

容愁 気力が衰えてきて、自分の心が弱くなってしまい、愁いを受け容れてしまうこと。

 

多壘滿山谷,桃源何處求。

このあたりの山には、異民族との国境近くということもあって塞・防塁がいっぱいに設置されている、本来は、隠遁に適したところであるはずなのに、どこに行ったら桃源郷がもとめられるのであろうか。

多壘滿山谷 夔州城の守りのために、山の中に、防塁を築いていること。この地は温暖であるため本来なら、隠遁者が多くいるところであるはずが、そうした山中に防塁、戦のための要塞が築かれていて、隠遁者がいない。

桃源 武陵の桃源郷:世俗を離れた仙郷、別天地。理想郷、ユートピアと同意で、武陵桃源ともいう。中国、東晋(とうしん)の太元年中(376396)武陵の漁師が舟で川をさかのぼってモモの花が咲きにおう林に迷い込み、林の尽きる水源の奥の洞窟(どうくつ)を抜け出ると、そこには秦(しん)の戦乱を避けてこの地に隠れ住んだ人々が、漢・魏()・晋(しん)と数百年にわたって世の中の推移も知らず、平和な別天地での生活を営んでいた、と記す陶淵明(えんめい)の『桃花源記』による。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

766年大暦元年55夔州、同時期の詩

 

1            卷一八 覆舟二首其一(頁一五九二)    巫峽盤渦曉,黔陽貢物秋。丹砂同隕石,翠羽共沉舟。羈使空斜影(一作景),    龍宮(一作居)閟積流。篙工幸不溺,俄頃逐輕鷗。

766年-133杜甫 《1835-1覆舟,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-133 <1005 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6705

 

2            卷一八   覆舟二首 其二(頁一五九三)    竹宮時望拜,桂館或求仙。(女宅)女凌波日,神光照夜年。徒聞斬蛟劍,無復    爨犀船。使者隨秋色,迢迢獨上天。

766年-134杜甫 《1835-覆舟,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-134 <1006 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6710

 

3            卷一七  垂白((四)一四六二)    垂白(一云白首)馮唐老,清秋宋玉悲。江喧長少睡,樓迥獨移時。多難身何補    ,無家病不辭。甘從千日醉,未許〈七哀〉詩。中宵(卷一七(四)一四六二)

766年-135杜甫 《1703垂白【白首】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-135 <1007 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6715

 

4              草閣(卷一七(四)一四六八)    草閣臨無(王作蕪,非)地,柴扉永不關。魚龍迴夜水,星月動秋山。久(一作    夕)露晴(一作清)初濕,高雲薄未還。泛舟慚小婦,飄泊損紅顏。  宿江邊閣(卷一七(四)一四六九)

766年-136杜甫 《1710草閣》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-136 <1008 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6720

 

5             江月(卷一七(四)一四六五)    江育光於(一作如)水,高樓思殺人。天邊長作客,老去一霑巾。玉露清影,    銀河沒半輪。誰家挑錦字?燭滅(一作滅燭)翠眉顰(一作嚬)。月圓(卷一七(四)一四六六)

6              江上(卷一五(三)一三二八)    江上日多雨(一作病),蕭蕭荊楚秋。高風下木葉,永夜攬(一作絜)貂裘。勳    業頻看鏡,行藏讀倚樓。時危思報主,衰謝不能休。~t48fkx2l20;  雨晴(卷一五(三)一三三○)

7              中夜(卷一七(四)一四六○)    中夜江山靜,危樓望北辰。長為萬里客,有愧百年身。故國風雲氣,高堂戰伐塵    。胡雛負恩澤,嗟爾太平人。  垂白(卷一七(四)一四六二)

8            不寐(卷一七(四)一四六三)    瞿唐夜水黑,城改更籌。翳翳月沉霧,輝輝星近樓。氣衰甘少寐,心弱恨容(    黃氏作容,作和,一作知)愁。多壘(陳作壘恨)滿山谷,桃源何(一作無)    處求。

9            月圓(卷一七(四)一四六六)孤月當樓滿,寒江動夜扉。委波金不定,照席綺逾依。未缺空山靜,高懸列宿稀。故園松桂(一作菊)發,萬里共清輝。

10          中宵(卷一七(四)一四六二)西閣百尋餘,中霄步綺疏。飛星過水白,落月動沙(一作簷)虛。擇木知幽鳥,潛波想巨魚。親朋滿天地,兵甲少來書。

11          遣愁(卷九35(二)七五一)養拙蓬為,茫茫何所開?江通神女館,地隔望相臺。漸惜容顏老,無由弟妹來。兵戈與人事,回首一悲哀。

12          南極(卷一八(四)一五五六)南極青山眾(一作外,非),西江白谷分。古城疏落木,荒戍密寒雲。月蛇常見,風飆虎忽(一作或)聞。近身皆鳥道,殊俗自人群。睥睨登哀(木斥),蝥 (舊作矛,趙作蝥)胡弧照夕曛。亂離多醉尉,愁殺李將軍。

13          搖落(卷一九(四)一七二六)搖落巫山暮,寒江東北流。煙塵多戰鼓,風浪少行舟。鵝費羲之墨,貂餘季子裘。長懷報明主,臥病復高秋。

14          遠遊(卷二二69(五)一九九八)江闊浮高棟(晉作凍),雲長出斷山。塵沙連越,風雨暗荊蠻。雁矯銜蘆,猿啼失木間。敝裘蘇季子,歷國未知還。

15            夜(卷一七(四)一四六七)    露下天高秋水(一作氣)清,空山獨夜旅魂驚。疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵    鳴。南菊(一作國)再逢人臥病,北書不至(一作到)雁無情。步簷(一作蟾)    倚仗看牛斗,銀漢遙應接鳳城。

16            晚晴(卷一五(三)一三三二)    返(一作晚)照斜初徹(一作散),浮雲薄未歸。江虹明遠(一作近)飲,峽雨    落餘飛。鳧雁(一作鶴)終高去,熊羆覺自肥。秋分客尚在,竹露夕(一作久)    微微。~t48fkx2l20;

17            返照(卷一五(三)一三三六)    楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。衰年病    肺惟高枕,塞愁時早閉門。不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。~t48fkx2l20;

18          (卷一五  熱三首  其一 (頁一三○○)雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。乞為寒水玉,願作冷秋菰。何似兒童,風涼出舞雩。

19          (卷一五  熱三首其二(頁一三○○)瘴雲終不滅,瀘水復西來。閉人高臥,歸林鳥卻回。峽中都是火,江上只空(一作聞)雷。想見陰宮雪,風門颯沓(一作踏)開。

20          (卷一五  熱三首其三(頁一三○一)朱李沉不冷,凋胡(一作菰)炊履新。將衰骨盡病,被暍(一作褐,非)味空頻。欻翕炎蒸景,飄颻征戍(一作伐)人。十年可解甲,為爾一霑巾。

21            雨晴(卷一五(三)一三三○)    雨時(一作晴)山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。有猿揮淚盡,    無犬附(一作送)書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。~t48fkx2l20;  雨不(卷一五(三)一三三○)

22            雨(卷一五(三)一三二三)    峽雲行清曉,煙霧相徘徊。風吹蒼江樹(朱子改作去,董作澍),雨灑石壁來。    淒涼生餘寒,殷殷兼出雷。白谷變氣候,朱炎安在哉?高鳥濕不下,居人門未開    。楚宮久已滅,幽珮為誰哀?侍臣書王夢,賦有冠古才。冥冥翠龍駕,多自巫山    臺。

766年-139杜甫 《1702中夜》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-139 <1011> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6735

杜甫  中夜   中夜江山靜,危樓望北辰。長為萬里客,有愧百年身。故國風雲氣,高堂戰伐塵。胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

(夜中の感懐をのべた詩。)夜中に江も山も静まりかえっている、このとき自分は高い楼で北辰星のある方をながめる。自分はずいぶん長期にわたって、万里の客となっているし、どんなに長くても人生百年の寿命ではないか、それしかもたぬ身においてはずかしくおもう。世が乱れているため故国には風雲の気がみなぎり、富貴の華堂の家も戦伐の塵にまみれている。その「負の運気」の源をたずねるとあの混血の胡雛めが恩をわすれて叛乱をしたために、それが天下に蔓延したにほかならぬ、ああ、かつて「開元の治」という太平の世を知っている者にとってこの「負の運気」はまことに憐れむべきことである。
766-139杜甫 1702中夜》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-139 <1011 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6735

 

 
  2015年10月9日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白324 《巻一47-《古風,五十九首之四十七 (桃花開東園)》324Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(5) <李白324> Ⅰ李白詩1637 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6733  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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雲安から夔州へ

 

 雲安を出立できたのは、ようやく永泰二(七六六)年の晩春であった。(この年の十一月に改元して大暦元年となった。よってここでは夔州期全体を便宜的に大暦の年号で通すことにする。)雲安を去る日の朝、ちょっとしたハプニングがあった。昨晩まで月夜だったのに、夜中から突然風混じりの激しい雨になったのだ。杜甫は春の嵐のような雨音を聞きながら、いよいよ旅立ちかと思うと、船上で一晩中眠れなかった。翌朝、雨は上がったものの、辺りはまだもやったままで、どこもかしこもしっとりと湿っている。王氏への挨拶もできないまま、船は一路夔州へ向けて漕ぎ出した(《1502船下夔州郭宿,雨不得上岸,別王十二判官》)。766年-69杜甫 《1502船下夔州郭宿,雨不得上岸,別王十二判官》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-69 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6295

 

 雲安から夔州までは水路でほぼ百六十里なので''、杜甫の一家を乗せた船は、一両日のうちに到着したであろう。杜甫が到着した夔州は、新旧唐書の地理志によれば、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は都督府(下)が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになる''。政治的軍事的には一地方の重鎮であり、唐代にはそれ相応の人口もあり繁華でもあった。

 まず確認しておかなければならないのは、それらの役所の場所である。従来多く考えられてきたように、それは梅渓河(西瀼水)の西岸ではなかった。あとでも触れるが、いずれも今の子陽山(後掲の簡錦松氏によれば唐代の赤甲山)から白帝山方面にあった''。夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まる。

 ほとんどの編年系のテキストで夔州詩の最初に置かれているのは、《1501_移居夔州作》の詩である。766年-68杜甫 《1501移居夔州郭》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-68 <931-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6290

夔州詩は、仇注本では巻十五から、巻二十一の真ん中まで、六巻半の分量である。夔州には七六六(大暦元)年の晩春から、七六八(大暦三)年正月の中頃まで滞在した。夔州に到着したのを仮に晩春の三月の真ん中だとして数えると、二十二ヶ月である。数えで杜甫の五十五歳から五十七歳までにあたる。

 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる''。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。

 杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。それは《1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

  「瞿唐春欲至、定卜瀼西居。」 

瞿唐には春に至らんと欲し、定(かなら)ず瀼西の居を卜さん。

766年-82杜甫 《1814瀼西寒望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-82 <945 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6360

と述べており、そして実際に《18571861_暮春題瀼西新賃草屋,五首》の五首連作の詩を作っているからである。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた《2022_簡呉郎司法》の詩に、

  「古堂本買藉疏豁、借汝遷居停宴遊。」 

古堂 本(もと)買いしは 疏豁(からりとひろき)に藉()る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停()めしめん。

と述べ、その年の晩秋の《2037_小園》の詩には、

  「客病留因藥、春深買為花。」 

(たび)に病んで 留(とど)まるは薬に因()る、春深くして 買うは花の為なり。

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《2038_寒雨に朝行きて園の樹を視る》の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした《2127_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1916_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。杜甫と農業の関わりを明らかにする上での基本作業として、その舞台となる瀼西の住まいがどこにあったのかをはっきりさせたい。そして杜甫はそれをどのように詩に詠じているのか。そうしたことを明らかにするのが小論の目的である。

 

瀼西の地理的位置

 瀼西宅の場所については、南宋以来、近年の厳耕望氏や多くの杜甫伝までもふくめて、ほとんどが梅渓河(西瀼水)西岸にあったと考えている。草草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。これによって瀼西宅が白帝山の西側にあるのか、東側にあるのか、大きく異なることになった。

 草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅を説明してみよう。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は【>】の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 ここに作成した夔州杜甫住居周辺の概略図は、現在の奉節一帯の衛星写真(Google Maps )から地形の輪郭を取り(草堂河に水が入っている通常期であろう)、杜甫氏の雰囲気、現地を歩いてみて、予測して地名を書き込んだのである。なお唐代の役所の所在地については厳耕望氏『唐代交通図考』を参考にした。

瞿塘峡・白帝城・魚復

杜甫詩1500-1011-1509/2500

年:766年大暦元年55-139

卷別: 卷二三○  文體: 五言律詩 

詩題:中夜

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 

及地點:草閣(山南東道 夔州 夔州) 別名:江邊閣

巫州 (黔中道 巫州 巫州)  別名:黔陽  

862  

 

中夜

(夜中の感懐をのべた詩。)

中夜江山靜,危樓望北辰。

夜中に江も山も静まりかえっている、このとき自分は高い楼で北辰星のある方をながめる。

長為萬里客,有愧百年身。

自分はずいぶん長期にわたって、万里の客となっているし、どんなに長くても人生百年の寿命ではないか、それしかもたぬ身においてはずかしくおもう。

故國風雲氣,高堂戰伐塵。

世が乱れているため故国には風雲の気がみなぎり、富貴の華堂の家も戦伐の塵にまみれている。

胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

その「負の運気」の源をたずねるとあの混血の胡雛めが恩をわすれて叛乱をしたために、それが天下に蔓延したにほかならぬ、ああ、かつて「開元の治」という太平の世を知っている者にとってこの「負の運気」はまことに憐れむべきことである。(中夜)

中夜 江山静かなり、危楼 北辰を望む。

長く万里の客と為るも、愧ずる有り百年の身。

故国 風雲の気、高堂 戦伐の塵

胡雛 恩沢に負く、嗟 爾 太平の人。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『中夜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)