杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
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杜少陵集 巻十五

767年-86  雨 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8419

杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三八)

 

2017326

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-070-#4全唐文卷0350-24 漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8411

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744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8388

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-38 全唐詩卷三四三春雪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】-#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8412

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806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8383

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-86  雨 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8419

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767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説(141)回目 韋莊二十五首《巻三-25木蘭花一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8414 (03/26)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§8 古詩 爲焦仲卿妻作§8-#1〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8415

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玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

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767-86  雨 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8419

(長雨がやっと止んだ時のことを述べる)

天から 雨がふってくるのをやむのを始めて喜ぶことにする、ところが還た嗟く事が起こる、というのも 地から雷が出てきたのである。この雨がとんでもなく、にわかに降り出したかは峽に浮んで過ぎてゆくのを看ればすぐにわかるし、また、雨が密になってふるのは大江を渡って来ようとしていることでわかる。凄い夕立のあめは、牛や馬があるいて行くのもくらくて無色となってわからないし,蛟龍のたぐいは、戦いをしていてくりの天空を開けようともしない。人が干戈を動かして兵乱があるときには陰氣が盛んで、おのずと雨が降るものであるが、この地が巫山の陽臺があるからといってそのためにあめがふるとはいえないのである。

 

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767年-85 晴二首 其二 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8413

晴二首 其二 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)

 

2017325

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Ⅰ李白詩

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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806年-35 全唐詩339_ 7 #2短燈檠歌 #2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8394

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806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8383

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

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index-8 [812年~814年47歳]46

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-85 晴二首 其二 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8413

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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花間集 訳注解説(140)回目 韋莊二十五首《巻三-24 酒泉子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8408 (03/25)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

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●薛濤の全詩

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767-85 晴二首 其二 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8413

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。) 

 烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。
長江三峡 


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767年-84 晴二首 其一 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8407

晴二首 其一 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)

 

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-070-#2全唐文卷0350-24 漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8399

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744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8388

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-84 晴二首 其一 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8407

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説(139)回目 韋莊二十五首《巻三-23更漏子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8402 (03/24)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

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玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

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767-84 晴二首 其一 杜詩詳注(卷一五(三)頁一三三七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8407

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきことを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべきことを見る。晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

雨上がりの花07
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767年-(14)杜少陵集 《卷一五59 晴二首其二》15-59 杜甫詩index-15-1171 <1621> 767年大暦2年56歲-(14)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7502

杜甫  晴二首之二

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。下食遭泥去,高飛恨久陰。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。回首周南客,驅馳魏闕心。

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)  烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

杜少陵集 卷一五58

晴二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (13)

1170 <1620

 

 

 
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杜甫詩1500-1171-1621/2500          767年大暦256-(14)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十 48-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

15-59

 

 

詩題:

晴二首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

  晴二首

鶴注當是大厯元/年初到州時

晴二首之一

久雨巫山暗、新晴錦繡文。一作/

碧知湖外一作/草、紅見海東雲。

竟日鶯相和、/摩霄鶴數羣。

野花乾/更落、風處急紛紛。

此為久雨初晴而作也 晴三四新晴景、下四新晴近景、錦繡文光映於山色碧字

紅字 另讀與青惜峯嵐過黄知橘柚來句法相同 

鶯和鶴羣自慨羇孤花落紛紛歎已飄零也

劉繪琵琶峽詩 照爛虹蜿集 交錯 錦繡  陳 湖外謂洞庭湖之外

晴二首之二

啼烏爭引子、鳴鶴不歸林。

/食遭泥去、高飛恨久陰。

雨聲衝塞盡、日氣射/江深。

回首周南客、驅馳魏闕心。

此章 對晴景而感懐啼烏 

下食鳴鶴髙飛見物情 

/雨而喜晴雨聲日氣 明

題意末傷羇旅不歸也。 衝塞射江與魏闕相照太易鳴鶴在陰談 

周南客 史記太史公留滯/ 周南公借以自 史公乃司馬 周南在今西安府涇陽縣在 

魏闕心 氏春秋 中山公子謂詹子曰、身 江湖之上心居魏闕之下

 

 

 

  卷230_48 《晴二首之一》杜甫 

杜少陵集  卷一五58

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧知湖外草,紅見海東雲。 

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野花幹更落,風處急紛紛。 

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

(晴二首の一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

 

晴二首之二

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

下食遭泥去,高飛恨久陰。 

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

回首周南客,驅馳魏闕心。 

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

(晴二首の二)

啼烏 子を引くを爭う,鳴鶴 林に歸らず。

下食 泥に遭いて去る,高飛 久しく陰になるを恨むを。

雨聲 塞に沖すこと盡き,日氣 江を射ること深し。

首を回らす 周南の客,驅馳にも 魏闕も心あり。

 

皇城005 

『晴二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晴二首之二

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

下食遭泥去,高飛恨久陰。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

回首周南客,驅馳魏闕心。

(下し文)
(晴二首の二)

啼烏 子を引くを爭う,鳴鶴 林に歸らず。

下食 泥に遭いて去る,高飛 久しく陰になるを恨むを。

雨聲 塞に沖すこと盡き,日氣 江を射ること深し。

首を回らす 周南の客,驅馳にも 魏闕も心あり。

(現代語訳)
晴二首之二(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。


(訳注) 

晴二首之二

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

 

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

 

下食遭泥去,高飛恨久陰。

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

1 下食 上より下ってきて食する。

2 遭泥去 雨が降っていると烏の餌が泥と交じってしまうので、取りやすいものだけを採ってすぐに子供に持って帰るという意。

3 高飛 雨ふりで、高く飛ぶことができなかったのを、晴れ上がったので喜んで飛び上がることを言う。

4 恨久陰 長雨どんよりした天気を恨んでいることを言う。

 

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

5 沖塞盡 塞にわきおこりつくすこと。塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったことをいう。沖:水が沸き上がる。上る。高く上がる。ここでは雨が塞に強くたたき衝けていたことをいう。

 

回首周南客,驅馳魏闕心。

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

6 周南客 長安近郊涇陽の人であるの漢の周南公が、洞庭湖に滞留されたことを言う。《史記、太史公》 、「留滯周南公、借以自 史公、乃司馬」 周南は今の西安府に在り、涇陽縣に在す。(長安付近圖-4

7 驅馳 処処を奔走する。

8 魏闕心 朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいる。氏春秋》「中山公子謂詹子曰、身 江湖之上心居魏闕之下」(中山の公子詹子に謂うて曰く、身は 江湖の上にあるも、心は魏闕の下に居る。
京兆地域図002 

767年-(13)杜少陵集 《卷一五58 晴二首其一》15-58 杜甫詩index-15-1170 <1620> 767年大暦2年56歲-(13) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497 

杜甫  晴二首之一

久雨巫山暗,新晴錦繡文。碧知湖外草,紅見海東雲。 

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。野花幹更落,風處急紛紛。 

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

杜少陵集 卷一五58

晴二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (13)

1170 <1620

 

 

 
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韓愈144《 巻02-18薦士》(周詩三百篇,) 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(16)<1704> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7496  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1170-1620/2500          767年大暦256-(13)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十 48-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

15-58

 

 

詩題:

晴二首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

  晴二首

鶴注當是大厯元/年初到州時

晴二首之一

久雨巫山暗、新晴錦繡文。一作/

碧知湖外一作/草、紅見海東雲。

竟日鶯相和、/摩霄鶴數羣。

野花乾/更落、風處急紛紛。

此為久雨初晴而作也 晴三四新晴景、下四新晴近景、錦繡文光映於山色碧字

紅字 另讀與青惜峯嵐過黄知橘柚來句法相同 

鶯和鶴羣自慨羇孤花落紛紛歎已飄零也

劉繪琵琶峽詩 照爛虹蜿集 交錯 錦繡  陳 湖外謂洞庭湖之外

晴二首之二

啼烏爭引子、鳴鶴不歸林。

/食遭泥去、高飛恨久陰。

雨聲衝塞盡、日氣射/江深。

回首周南客、驅馳魏闕心。

此章對晴景而感懐啼烏下食鳴鶴髙飛見物情厭/雨而喜晴雨聲日氣 明題意末傷羇旅不歸也衝塞

射江與魏闕相照太易鳴鶴在陰談史記太史公留滯/周南公借以自 史公乃司馬 周南在今西安府

涇陽縣在氏春秋中山公子謂詹/子曰身 江湖之上心居魏闕之下

 

 

 

  卷230_48 《晴二首之一》杜甫 

杜少陵集  卷一五58

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)
久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧知湖外草,紅見海東雲。 

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野花幹更落,風處急紛紛。 

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

(晴二首の一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

  啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。下食遭泥去,高飛恨久陰。 

  雨聲沖塞盡,日氣射江深。回首周南客,驅馳魏闕心。 

 

巫山十二峰003 

『晴二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晴二首之一

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

碧知湖外草,紅見海東雲。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

野花幹更落,風處急紛紛。

(下し文)
(晴二首之一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

(現代語訳)
晴二首之一(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

云亭
(訳注) 

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

 

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

1 久雨二句 杜甫《1552雨晴》と同じ意味と、雰囲気。

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

(雨晴)

雨時 山 改らず,晴罷く峽 新なるが如し。天路 殊俗を看,秋江 人を思殺す。

猿有れば 淚を揮い盡し,犬無ければ 附書を頻りにす。故國 愁眉の外,長歌 神を損せんと欲す。

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

2 巫山暗 巫山に厚い雲がかかり、暗い景色となる。巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。

 

碧知湖外草,紅見海東雲。

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

3 湖 洞庭湖。

4 海 東呉の海、

 

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

5 竟日 尽日。終日。

 

野花幹更落,風處急紛紛。

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

6 幹更落 雨に打たれた花びらが、急激な蒸発散により、乾き枯れておちる。

7 紛紛 散り落ちは花びらや風によって吹き飛ばされたものが飛び散り舞うこと。

767年-(5)杜少陵集 《老病》15-16 杜甫詩index-15-1161 <1611> 767年大暦2年56歲-(5) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7452

杜甫  老病

老病巫山裏、稽留楚客中。藥殘他日裹、花發去年叢。

夜足霑沙雨、春多逆水風。合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなつている。夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

 

杜少陵集15-16

老   病

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7452 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (5)

1161 <1611

 

 
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杜甫詩1500-1161-1611/2500    767年大暦256-(5)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1161-1611/2500          767年大暦256-(5)   15-16

767年大暦256-(4)   15-16     老病

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一 

文體:

五言律詩

 

18-45

 

 

詩題:

老病

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

老病

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

老病巫山裏、稽留楚客中。

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

藥殘他日裹、花發去年叢。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

夜足霑沙雨、春多逆水風。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

(老病)

老いて病む 巫山の裏、稽留す 楚客の中。

藥は殘る 他日の裹、花は發く 去年の叢。

夜には足る 沙を霑す雨、春には多し 水を逆す風。

合【まさ】に 雙賜筆を分たるべきに、猶お 一飄蓬と作る。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『老病』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

老病

老病巫山裏、稽留楚客中。

藥殘他日裹、花發去年叢。

夜足霑沙雨、春多逆水風。

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

(下し文)
(老病)

老いて病む 巫山の裏、稽留す 楚客の中。

藥は殘る 他日の裹、花は發く 去年の叢。

夜には足る 沙を霑す雨、春には多し 水を逆す風。

合【まさ】に 雙賜筆を分たるべきに、猶お 一飄蓬と作る。

(現代語訳)
老病(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。


(訳注)

老病

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

杜甫は、766年暮春、雲安より夔州に移居した。そして一年経過した三月、瀼西の草堂に移居した。夔州には三軒くらい家があったようだ。、

 

老病巫山裏、稽留楚客中。

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

1 巫山 巫山縣の東にあり、夔州より下流にある。

2 稽留 ぐづついてとどまる。

3 楚客 楚地の人人、夔州はむかしの楚國である。

 

藥殘他日裹、花發去年叢。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

4 他日 佳日なり。

5 裹 ふくろ。

 

夜足霑沙雨、春多逆水風。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

6 霑沙雨 こまかき雨をいう。

7 逆水風 下流から上流へむけて吹きつける風。

 

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

8 合分 分與さるべきはすだ。

9 雙賜筆 隻賜筆一対の御賜の筆、尚書の郎官は天子より赤管理の筆を二本賜った。《巻十四36 春日江村其三》・赤管 工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわったこと。漢代、尚書令・尚書僕射・尚書丞・尚書郎には毎月赤い軸で象牙で飾られた筆を支給されたり、右扶風渝麋県の墨を与えられていた。尚書令・僕・丞・郎月給赤管大筆一雙、篆題曰「北工作楷」於頭上、象牙寸半著筆下。尚書令・銀章 四品五品将軍、全て銀章を賜る。唐では、銀章はなく魚袋を有したのを漢になぞらえて銀章といった。

春日江村,五首之三

 

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

 (春日江村,五首之三)

經心石鏡月,到面雪山風。

種竹 翠を加え交り,栽桃 爛熳として紅なり。

赤管隨王命,銀章付老翁。

心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

赤管 王命に隨い,銀章 老翁に付す。

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)

自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。

成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

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766年-166杜甫 《1525奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-166 <1038> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6870

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。玄成負文彩,世業豈沈淪。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

766-166杜甫 1525奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-166 <1038 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6870 

 

 
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杜甫詩1500-1038-1536/2500

年:766年大暦元年55-166

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物/地點:李文嶷      書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。

 

『奉寄李十五祕書文嶷。二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(下し文)
(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。


(現代語訳)
(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。


(訳注)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

765年永泰元年杜甫54歳の時、雲安か夔州奉節魚復で知り合った李文嶷がおそらく雲安に行っているということで、この詩を送ったものと思われる。

 

行李千金贈,衣冠八尺身。

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

行李 李は理、行理とは彼我の間に立って道理を述べて、ことを治めることを言う。特にここでは李文嶷が使者としての役割を言う。ただ、俗な意味で行李は、それが転じて、旅をする人の携帯する荷物を意味するようになる。

千金贈 人との交友に千金を送る。杜甫も、長安時代に厚贈を受けたことを言う。

 

飛騰知有策,意度不無神。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

飛騰 要路に当たって活躍すること。

意度 意思度量。

神 人間以上、神の水準であること。

 

班秩兼通貴,公侯出異人。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

班秩 官位を持っていること。

通貴 宗室であること、血統的に貴いこと。地位は権力であるが、血統は万人が認める貴さである。

公侯 先祖に、公、もしくは侯に封ぜられたものがあるということを意味する。

異人 非凡な人物である、李文嶷のことを言う。

 

玄成負文彩,世業豈沈淪。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

玄成 韋 玄成(未詳- 紀元前36年)は、中国の前漢の政治家。字は少翁。丞相韋賢の末子。韋賢は魯国鄒から平陵に移住したが、彼は杜陵に移住した。しかし臨終にあたり父と同じ平陵に葬られることを願い許されている。父の任子により郎となった。学問を好み父の学業を継いだ。人にへりくだり、貧しく賤しい者も敬ったので評判になった。経書に明るいことで諫大夫に抜擢され、大河都尉となった。父韋賢が死亡した際、跡を継ぐべき兄韋弘は獄に下されていた。韋賢の家族や門下生は韋賢の命令と偽り、韋玄成を後継ぎとするよう申し出た。しかし韋玄成はそれが韋賢本人の考えではないことを知り、精神に異常をきたしたと偽り列侯(扶陽侯)を継承しようとしなかった。世間では兄に爵位を譲ろうとしたものだと噂した。丞相府がそのことについて取り調べ、実際には病んでいないと韋玄成を弾劾したが、宣帝は弾劾してはならないと詔を下し、彼に謁見した。韋玄成はやむをえず列侯を受けた。その後河南太守、衛尉、太常と昇進したが、楊惲が誅殺された際に友人であったために官を免じられた。その後、恵帝廟の祭祀に侍した際に騎乗したまま廟のそばまで来たことを弾劾され、爵位を削られて関内侯にされた。

宣帝が寵愛する中子である淮陽王劉欽を後継にするのを断念する際、淮陽王に兄への謙譲を教えるために韋玄成を淮陽王の中尉とした。また、同じころ石渠閣で五経の異同について他の儒者たちと議論した。

元帝が即位すると、少府に昇進し、太子太傅となり、御史大夫に至った。永光2年(紀元前42年)、前任者于定国の引退により丞相となり、扶陽侯に復帰した。

負文彩 李文嶷が文彩有りとの名誉を担っておられるということ。

世業 代々継続されている文学者として、儒者として仁徳のある業をおこなうこと。

沈淪 水の底に沈んでゆくこと。

766年-165杜甫 《1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-165 <1037> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6865

杜甫  奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

766-165杜甫 1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-165 <1037 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6865

 

 
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杜甫詩1500-1037-1535/2500

年:766年大暦元年55-165

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

奉節 (山南東道 夔州 奉節) 別名:魚復        

楚王臺 (山南東道 夔州 巫山)          

交遊人物/地點:李文嶷      書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

 

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。

 

 

『奉寄李十五祕書文嶷。二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。
詩文(含異文)     避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦【暫之魚復浦】,同過楚王臺。猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回【畫舸莫輕回】【畫舸且遲回】【畫舸且輕回】。


(下し文)

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

(現代語訳)
(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。


(訳注)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)

765年永泰元年杜甫54歳の時、雲安か夔州奉節魚復で知り合った李文嶷がおそらく雲安に行っているということで、この詩を送ったものと思われる。

 

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

雲安 山南東道夔州雲安、別名、南楚という。765年永泰元年初秋から、766年永泰二年暮春まで足掛け10か月長期滞在をしている。雲安において、杜甫は、二十首、プラス、草堂逸詩拾遺三首の23首作っている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-43 《十二月一日,三首之一》 杜甫index-15 杜甫<843 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4950 杜甫詩1500-843-1161/2500765年永泰元年54-43

765年永泰元年54-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54-44

765年永泰元年54-45 《十二月一日,三首之三》 杜甫index-15 杜甫<845 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4960 杜甫詩1500-845-1163/2500

秋風 夏季は同じように暑いが、地理的に、秋風が早く吹くのでしのぎやすい面もあるというほどの意。この句で、李文嶷が鄆州に行っていると判断できるもの。

 

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

魚復浦 山南東道 夔州 奉節縣東南にある。

同過 李文嶷と一緒に過ごしたことをいう。

楚王臺 山南東道夔州巫山、陽雲臺をいう。巫山縣の西北にあり、高さ百二十丈もあるという。宋玉、『高唐賦』に、「襄王與宋玉遊於雲夢之臺,望高唐之觀。又曰。巫山神女去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨朝朝暮暮,陽臺之下。』

 

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

千崖窄 雲安の地は、平地が少なく、杜甫は、飲み水にも困ったとその詩に書いている。そして同時期の詩に、夔州奉節には平地が多いといっている。杜甫 《1520寄韋有夏郎中》「猶聞上急水,早作取平途。」(猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。)あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

江湖 長江、洞庭湖など荊州方面をさしている。

 

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

竹枝歌未好 竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうが、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものが多く、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されているものがおおく、その卑猥な似たフレーズを繰り返し、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる部分が、文学的でない分、杜甫が好きになれなかったということであろう。おそらく、李文嶷も房琯グループであったので、儒者は竹枝詞が好きではないという、杜甫との共通認識があるものと思われる。

畫舸 李文嶷の奇麗な船もつなぎとめたままであること、長期間雲安、夔州方面に滞在していること。

莫遲回 ぐずぐずなされておることは良くないのではないか、(私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか)というほどの意。

 

 

<竹枝詞について>

竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。そこで、それらを採録し、修正したものが劉禹錫や、白居易によって広められた。それらは竹枝詞と呼ばれ、巴渝の地方色豊かな民歌の位置を得た。下って唱われなくなり、詩文となって、他地方へ広がりをみせても、同じ形式、似た題材のものは、やはりそう呼ばれるようになった。現在も「□□竹枝」として、頭に地名を冠して残っている。

  竹枝詞をうたうことは、「唱竹枝」といわれ、「唱」が充てられた。白居易に「怪來調苦縁詞苦,多是通州司馬詩。」 とうたわれたが、ここからも、当時の詩歌の実態が生き生きと伝わってくる。後世、詩をうたいあげることを「賦、吟、詠」等というのと大きく異なる。

  竹枝詞という呼称は、詩題に似ているが違うものである。強いて言えば、形式を表す点では詞牌に列するものであり、実際にその扱いを受けているものである。

「竹枝」「女兒」という「あいのて」がある

共通する点は、節奏は、七絶のそれと同じで、押韻も第一、二、四句でふむ三韻。この形式での作詞は根強く、現代でも広く作られている。現代の作品は、生活をうたった、典故を用いない、気軽な七絶という雰囲気である。

竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうようになる。用語は、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものは、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されている。似たフレーズを繰り返した、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-159 <1031> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

杜甫  寄韋有夏郎中   

省郎憂病士,書信有柴胡。飲子頻通汗,懷君想報珠。

親知天畔少,藥味峽中無。歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

猶聞上急水,早作取平途。萬里皇華使,為僚記腐儒。
(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである。春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

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  2015年10月29日 の紀頌之5つのBlog  
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夔州にいて故郷に帰りたいという内容の同時期の作品 

1521覽物【峽中覽物】

1522憶鄭南玭【案:玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」若本注:「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】

1822覽鏡呈柏中丞

1520寄韋有夏郎中【案:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。】

 

 杜甫詩1500-1031-1529/2500

年:766年大暦元年55-159 

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    寄韋有夏郎中

【自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物/地點:韋有夏      書信往來

 

寄韋有夏郎中

(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

省郎憂病士,書信有柴胡。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

飲子頻通汗,懷君想報珠。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

親知天畔少,藥味峽中無。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

猶聞上急水,早作取平途。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

萬里皇華使,為僚記腐儒。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

 

(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。

飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。

親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。

猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。

萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

瞿塘峡・白帝城・魚復

『寄韋有夏郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄韋有夏郎中

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

省郎憂病士,書信有柴胡。

飲子頻通汗,懷君想報珠。

親知天畔少,藥味峽中無。

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

猶聞上急水,早作取平途。

萬里皇華使,為僚記腐儒。

(下し文)
(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。

飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。

親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。

猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。

萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

(現代語訳)
(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。


(訳注)

寄韋有夏郎中

(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

韋郎中 郎中職の韋有夏という人物。

 

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

この時韋有夏は長江下流域から夔州に上ってきたものである。

 

省郎憂病士,書信有柴胡。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

省郎 尚書省の郎官で、韋有夏をいう。

病士 病気療養中の杜甫自身も郎官ではある。

柴胡 薬草の名、発汗剤である。

 

飲子頻通汗,懷君想報珠。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

飲子 煎じてのむ薬。

頻通汗 すごく発汗作用がよく効く。

懷君 韋のことをおもう。

想報珠 お返しのお礼には真珠という故事。張衡《四愁詩》「美人贈我貂襜褕,何以報之明月珠。」(美人我に貂襜の褕を贈らる,何を以て之に報いん明月の珠。)とあり、大変ありがたく思っているということで、実際に真珠を送るわけではない

 

親知天畔少,藥味峽中無。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

親知 親戚知己。

 

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

歸楫 帰り舟の楫。

生衣臥 郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している

洗翅呼 翔を洗いながら呼び合い叫んでいる。

 

猶聞上急水,早作取平途。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

上急水 三峡の急流を上ってくる。

取平途 三峡中に旅の途中で休みのとれる平坦なところが少ないから、杜甫のいる奉節の平坦なところで休息をとれというほどの意。

 

萬里皇華使,為僚記腐儒。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

皇華使 天使の使者としての韋有夏のこと。

為僚 よくも同僚としてくれた。

 記憶のなかにおいてくれた。

腐儒 夔州という点が後で病気療養している腐った儒者、杜甫のことを言う。
長安城図 作図00 

766年-157杜甫 《1522憶鄭南玭〔憶鄭南〕》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-157 <1029> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6825

杜甫  憶鄭南玭

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。  石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。  萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

766-157杜甫 《1522憶鄭南玭〔憶鄭南〕 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-157 <1029> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6825

 

 

 
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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  孟郊 張籍          
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杜甫詩1500-1029-1527/2500

年:766年大暦元年55-157 

卷別: 卷二三一  文體: 五言律詩 

詩題:憶鄭南玭〔憶鄭南〕

【自註:玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」若本注:「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】 

及地點:鄭縣 (京畿道 華州 鄭縣別名:鄭南     

伏毒寺 (京畿道 華州 鄭縣)      

 

 

憶鄭南玭

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。 

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

 

(鄭の南の玭を憶う)

鄭の南 伏毒寺,  瀟灑 江心に到る。 

石影 珠閣を銜み,  泉の聲 玉琴を帶ぶ。 

風杉 曾て曙に倚り,  雲嶠 春臨を憶う。 

萬里 滄浪に外にあり,  龍蛇 只だ 自ら深くす。 

 

 

【関連した詩】

杜甫詩1500-1028-1526/2500

年:766年大暦元年55-156

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    覽物【峽中覽物】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

 

 

覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

 

洛陽 函谷関002 

『憶鄭南』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶鄭南玭

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。 

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

詩文(含異文) 鄭南伏毒寺【註:一作鄭南伏毒守,與上下義多不合,當非。】,瀟灑到江心。石影銜珠閣,泉聲帶玉琴。風杉曾曙倚,雲嶠憶春臨。萬里滄浪外【萬里蒼茫外】,龍蛇只自深。 


(下し文)

(鄭の南の玭を憶う)

鄭の南 伏毒寺,  瀟灑 江心に到る。 

石影 珠閣を銜み,  泉の聲 玉琴を帶ぶ。 

風杉 曾て曙に倚り,  雲嶠 春臨を憶う。 

萬里 滄浪に外にあり,  龍蛇 只だ 自ら深くす。 


(現代語訳)
(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

Ta唐 長安近郊圖  新02
(訳注)

憶鄭南玭〔憶鄭南〕

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

鄭南 京畿道華州鄭縣の南ということ。玭:あざやか。りっぱではっきりしていること。

・自註:【玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」

玭は蒲眠切でいうのであって、珠のこと。宋弘は「淮水から出たりっぱな珠のことをいう。」と曰う。

若本注:【「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】

玭は何の義ともわからず、音のためにあり、意味としては、りっぱではっきりしていることをいう。師は民瞻本および、草堂本では,俱に玭の字を削られている。詩中にいう伏毒寺は舊し遊んだところをおもいだしたもので,鄭南はすなわち、鄭縣の南にあるというものである。

 

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。  【註:一作鄭南伏毒守,與上下義多不合,當非。】

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

伏毒寺 華州鄭縣にあった寺。

瀟灑 風景気象がさらっとした貌。

江心 寺の位置が河江の真ん中に見える地点。

 

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

石影 江中の石の影。

銜珠閣 寺の建物で、珠を飾った高閣。

泉聲帶玉琴 玉を飾った琴の音が連続して鳴らしているのを泉の湧きたてる音にたとえている。

 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。

 

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

萬里滄浪外 伏毒寺から見て菱州、三峡は、万里先の場所であり、滄浪のさらに外にあるものと思っていたということ。

龍蛇只自深 河川の急流は龍であり、渓流から本河川に灑ぎこむ水が蛇にたとえていて、いつも暴れて居なくて、淵の底に潜んでいるだけであるという意。

 

766年-156杜甫 《1521覽物【峽中覽物】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-156 <1028> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6820

杜甫  覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

766-156杜甫 1521覽物【峽中覽物】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-156 <1028 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6820

 

 
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杜甫詩1500-1028-1526/2500

年:766年大暦元年55-156

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    覽物【峽中覽物】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳            

 

 

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

安史の乱当時の勢力図 

 

『覽物』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(下し文)
覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

(現代語訳)
(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

京兆地域図002
(訳注)

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

峽中覽物 夔州急峻な三峡の山水、長江に注ぎ込む支流の山水、長江本流の流れの風景を味わってみることを言う。

 

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

掾吏 758年左拾遺から華州司功参軍に出されたことを言う。この時、政権批判の内容で科挙試験問題を作っている。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

三輔 都の付属の行政区画で、京兆・扶風・馮翊を三輔といい、華州は扶風に属す。

○潼關 潼関は関中平原の東部、秦嶺山脈の北、渭河、洛河の南、華山の東に位置し、山西、陝西、河南の3省を結ぶ交通の要衝であり、古来より軍事家による争奪の地となった。

詩興多 古戦場、名所旧跡が多く、五岳、交通の要衝、・・・。

 

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

巫峽 長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

華岳 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。

蜀江 蜀の成都付近を流れる川。長江上流の一部。「蜀江の錦(にしき)」の略。

黃河 中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。

 

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

移衾枕 杜甫は、喘息の持病があり、762~764年蜀中輾転している間に杖が必要となった。それでも故郷に帰る一段階として船でゆっくりと荊州、湖南に向かおうとして蜀を出発、忠州、渝州、雲安、夔州奉節と進んだが、喘息の症状が悪化し、陸に上がり奉節の牛居に移って、かなり真剣に農業に従事している。

洞口 荊州を経て、ひとまずの目標、洞庭湖付近に向かいたいと思っていること。

○薜蘿 姫カズラ、初夏には藤棚を見るということ。この表現で、春から初夏くらいまで洞庭湖で過ごして洛陽長安に向かおうと思っていたのであろう。このころ一番世情が安定していたのが洞庭湖付近であった。

 

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

形勝 1 風景がすぐれていること。また、その土地。景勝。「形勝の地」2 敵を防ぐのに都合のよい地勢・地形。要害。

風土惡 異民族の風俗が入り混じっており、炎熱の地であり、雨の多い地の雨期乾期があり、瘴癘の気が多い、特に水が良くないということ。(夔州での作品の半分近くはこの風土につて触れた詩を書いている。)

幾時 いつの時か、来年(767)の春には動けると思っている。

回首 故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望むこと。

一高歌 首聯下句「詩興多」を受けて、詩を高らかに吟じようということ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-153 <1025> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

杜甫  雨晴

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

766-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

 

 
  2015年10月23日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1025-1523/2500

年:766年大暦元年55-153 

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    雨晴

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

雨晴

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨時山不改,晴罷峽如新。

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

天路看殊俗,秋江思殺人。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

故國愁眉外,長歌欲損神。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『雨晴』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雨晴

雨時山不改,晴罷峽如新。

天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。

故國愁眉外,長歌欲損神。
詩文(含異文)     雨時山不改【雨晴山不改】,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。有猿揮淚盡,無犬附書頻【無犬送書頻】。故國愁眉外,長歌欲損神。


(下し文)
(雨晴)

雨時 山 改らず,晴罷く峽 新なるが如し。

天路 殊俗を看,秋江 人を思殺す。

猿有れば 淚を揮い盡し,犬無ければ 附書を頻りにす。

故國 愁眉の外,長歌 神を損せんと欲す。

(現代語訳)
(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

雨晴

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

杜甫の「雨」という詩は、766-767年頃、二十数首作っている。喘息で床に横になっていて雨を見つめていたのであろう。

 

雨時山不改,晴罷峽如新。

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

 

天路看殊俗,秋江思殺人。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

天路 天辺、天涯。

 

有猿揮淚盡,無犬附書頻。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

有猿 ここらあたりのテナガザルは、人が哭する声に似た鳴き方をする。しばしば、三峡の猿は詩に出てくる。

無犬 犬は飼い主のこと、長年住んだところは覚えているので、書簡を持たせることができる。ここでは故郷までの道を知っている犬がいないことを言う。単なる犬ではない。

 

故國愁眉外,長歌欲損神。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

愁眉外 愁をもってこの景色を見て、その眼の外の景色を言う。故郷の景色が思い浮かばなくなることをいう。

長歌 長く発音する語で、長く引っ張る節の歌を歌うこと。

損神 精神病になる。

766年-152杜甫 《1530熱,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-152 <1024> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6800

杜甫  熱,三首之三

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。將衰骨盡痛,被褐味空頻。

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。十年可解甲,為爾一霑巾。
(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。
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杜甫詩

1500-1024-1522/2500

 

年:766年大暦元年55-152 

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之三

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

熱,三首之三

(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。

將衰骨盡痛,被褐味空頻。

自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。

あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。

十年可解甲,為爾一霑巾。

もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。

(熱,三首の三)

朱李 沈めども冷かならず,彫胡 炊ぐ屢しば 新なり。

將に衰えんとして 骨 盡く痛む,褐を被りて 味 空しく頻なり。

翁たり 炎蒸の景,飄颻たり 征戍の人。

十年 甲を解く可し,爾が為に 一に巾を霑す。
瞿塘峡・白帝城・魚復

年:766年大暦元年55-150

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

杜甫詩1500-1023-1521/2500

年:766年大暦元年55-151

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

人高臥,歸林鳥卻迴。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

峽中都似火,江上只空雷。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

想見陰宮雪,風門颯踏開。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

(熱,三首之二)

瘴雲 終に 滅せず,瀘水 復た西來す。

閉して 人 高臥す,林に歸りて 鳥 卻迴す。

峽の中 都べて似火,江の上 只だ空雷。

想い見る 陰宮の雪,風門 颯踏して開く。

 

 

『熱,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

熱,三首之三

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。

將衰骨盡痛,被褐味空頻。

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。

十年可解甲,為爾一霑巾。
詩文(含異文)     朱李沈不冷,彫胡炊屢新【彫菰炊屢新】。將衰骨盡痛,被褐味空頻【被暍味空頻】。欻翕炎蒸景【欻吸炎蒸景、欻翁炎蒸景】,飄颻征戍人。十年可解甲,為爾一霑巾。


(下し文)
(熱,三首の三)

朱李 沈めども冷かならず,彫胡 炊ぐ屢しば 新なり。

將に衰えんとして 骨 盡く痛む,褐を被りて 味 空しく頻なり。

翁たり 炎蒸の景,飄颻たり 征戍の人。

十年 甲を解く可し,爾が為に 一に巾を霑す。

(現代語訳)
(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。

自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。

あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。

もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。

安史の乱当時の勢力図
(訳注)

熱,三首之三

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、熱気の中に国境を守る征戍の人のこと思って過すを詠う)766年大暦元年55-152首目

 

朱李沈不冷,彫胡炊屢新。

こんな暑さで、赤い李を水に沈めても、一向に冷たくはならない。ご飯は腐りやすいので一回ごとに新たにご飯を炊く。

朱李 赤い李。魏・文帝《與呉質書》「浮甘瓜於清泉、沈朱李於寒水。」曹丕《與朝歌令質書》:馳騁北場,旅食南館,浮甘瓜於清泉,沉朱李於寒水。

彫胡 マコモに実るコメ。

炊屢新 一回ごとに新たにご飯を炊く。

 

將衰骨盡痛,被褐味空頻。

自分はまさに衰えかかって、骨の髄まで痛みが走るし、暑気あたりで何を食べても味気がなくむなしく食べないのである。

 ものを味わってたべること。

 

欻翕炎蒸景,飄颻征戍人。

あかあかと照り蒸し暑い上に熱風が吹き付けるが、この酷暑の中で、征戍に出ている人たちはさまよってるのである。

欻翕  ・欻翕/欻吸:熱風が吹き付けることをいう。 ・欻翁 暑さでガタガタになった爺。

飄颻 かぜにひるがえるさま。文選·曹植·雜詩六首之二:「轉蓬離本根,飄颻隨長風。」(轉蓬 本根を離れ,飄颻として長風に隨う。)

 

十年可解甲,為爾一霑巾。

もはや兵乱の世も十年を過ぎようとしているのだから、もう甲冑を解き捨ててもよかりそうなものであるが、今の私は、その爾らのためにしてやれることは、一枚の手拭をシドシドに霑すことだけである。

十年 755年天宝十四載、杜甫44歳、この年11月、安禄山、范陽で謀叛蜂起、12月洛陽を陥落させてから足掛け十二年になる。

解甲 甲冑を解き捨てること。

爾 征戍の任につく人々をいう。他の職業は、木陰に入ることもできるが、この人たちは、それができないからここでいうのである。

766年-151杜甫 《1529熱,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-151 <1023> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6795

杜甫  熱,三首之二  

瘴雲終不滅,瀘水復西來。閉人高臥,歸林鳥卻迴。

峽中都似火,江上只空雷。想見陰宮雪,風門颯踏開。

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

766-151杜甫 1529熱,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-151 <1023 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6795

 

 
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李白333 巻二25-《上雲樂》(金天之西,) 333Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(14) <李白333> Ⅰ李白詩1646 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6778  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:766年大暦元年55-150

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

 

杜甫詩1500-1023-1521/2500

年:766年大暦元年55-151

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

安史の乱当時の勢力図 

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

人高臥,歸林鳥卻迴。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

峽中都似火,江上只空雷。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

想見陰宮雪,風門颯踏開。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

(熱,三首之二)

瘴雲 終に 滅せず,瀘水 復た西來す。

閉して 人 高臥す,林に歸りて 鳥 卻迴す。

峽の中 都べて似火,江の上 只だ空雷。

想い見る 陰宮の雪,風門 颯踏して開く。

 

『熱,三首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

熱,三首之二

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

人高臥,歸林鳥卻迴。

峽中都似火,江上只空雷。

想見陰宮雪,風門颯踏開。
熱,三首之二(含異文)     瘴雲終不滅,瀘水復西來。閉人高臥,歸林鳥卻迴。峽中都似火,江上只空雷【江上只聞雷】。想見陰宮雪,風門颯踏開【風門颯沓開】。


(下し文)
(熱,三首之二)

瘴雲 終に 滅せず,瀘水 復た西來す。

閉して 人 高臥す,林に歸りて 鳥 卻迴す。

峽の中 都べて似火,江の上 只だ空雷。

想い見る 陰宮の雪,風門 颯踏して開く。

(現代語訳)
熱,三首之二(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

蜀中転々圖
(訳注)

熱,三首之二

(南方の灼熱の日に、涼しいこと思って過すを詠う)766年大暦元年55-151首目

 

瘴雲終不滅,瀘水復西來。

熱射と毒気の運気はこの地でなくなることはないし、長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る。

瘴雲 水蒸気と熱射による毒気をいう。実際にはマラリヤである。瘴癘の地の雲。《巻15-24 雷》「南方瘴癘地,罹此農事苦。」(南方 瘴癘の地,此れを農事の苦しみと罹る。)

766年大暦元年55-16-1奉節-8 《巻15-24 雷 -1 杜甫index-15 杜甫<879-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5265瀘水 

瀘水復西來 長江上流の雲南の熱い濾水まで西側から長江に合流して流れて来る

 

人高臥,歸林鳥卻迴。

人というもの、自家の門を閉じることで、高枕をして眠ることができる、鳥は、一旦は林に帰ってまた後戻りしてゆく。

卻迴 巣に帰ったのちに、熱さのために休めないから飛び回るという意。

 

峽中都似火,江上只空雷。

この三峡の中は、全てが火だるまのようだ、此処を流れる長江の上には、雨の降らない空の雷がただ鳴っているばかりである。

 

想見陰宮雪,風門颯踏開。

この時、長安の方向の北の雪山のあたりでは、さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる風門が開かれているものと想像してみる。(それを想像するだけでもいささかでも涼しくなった気がする。)

陰宮雪 宮殿の北面をいう、宮殿には、暑夏、保存していた雪を北側に積んで涼しさをとる。

風門 雪の涼風を受けるための門、それを開けて涼風にあたる。

颯踏開 さぞ冷たい風をバサバサと吹き入らせる
四川省西部地区略図

766年-150杜甫 《1528熱,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-150 <1022> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6790 

杜甫  熱,三首之一   

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。何似兒童風涼出舞雩。

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

766-150杜甫 1528熱,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-150 <1022 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6790

 

 
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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夔州抒情詩シリーズ(1

(卷一七11 宿江邊閣

    暝色延山徑,高齋次水門。薄雲巖際宿,孤月浪中翻。鸛鶴追飛靜(一作盡),豺狼得食喧。不眠憂戰伐,無力正乾坤。

1835-1覆舟,二首之一

巫峽盤渦曉,黔陽貢物秋。丹砂同隕石,翠羽共沉舟。羈使空斜影,龍宮閟積流。篙工幸不溺,俄頃逐輕鷗。

1835-覆舟,二首之二

竹宮時望拜,桂館或求仙。(女宅)女凌波日,神光照夜年。徒聞斬蛟劍,無復爨犀船。使者隨秋色,迢迢獨上天。

1703垂白【白首】

垂白(一云白首)馮唐老,清秋宋玉悲。江喧長少睡,樓迥獨移時。多難身何補 ,無家病不辭。甘從千日醉,未許〈七哀〉詩。

1710草閣

    草閣臨無(王作蕪,非)地,柴扉永不關。魚龍迴夜水,星月動秋山。久(一作夕)露晴(一作清)初濕,高雲薄未還。泛舟慚小婦,飄泊損紅顏。

1707江月

江育光於(一作如)水,高樓思殺人。天邊長作客,老去一霑巾。玉露清影,銀河沒半輪。誰家挑錦字?燭滅(一作滅燭)翠眉顰(一作嚬)。

1551江上

江上日多雨(一作病),蕭蕭荊楚秋。高風下木葉,永夜攬(一作絜)貂裘。勳業頻看鏡,行藏讀倚樓。時危思報主,衰謝不能休。

1702中夜

中夜江山靜,危樓望北辰。長為萬里客,有愧百年身。故國風雲氣,高堂戰伐塵 。胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

1705不寐

瞿唐夜水黑,城改更籌。翳翳月沉霧,輝輝星近樓。氣衰甘少寐,心弱恨容愁。多壘滿山谷,桃源何處求。

1708月圓

孤月當樓滿,寒江動夜扉。委波金不定,照席綺逾依。未缺空山靜,高懸列宿稀。故園松桂(一作菊)發,萬里共清輝。

1704中宵

西閣百尋餘,中霄步綺疏。飛星過水白,落月動沙(一作簷)虛。擇木知幽鳥,潛波想巨魚。親朋滿天地,兵甲少來書。

卷九35遣愁

養拙蓬為,茫茫何所開?江通神女館,地隔望相臺。漸惜容顏老,無由弟妹來。兵戈與人事,回首一悲哀。

1809南極

南極青山眾(一作外,非),西江白谷分。古城疏落木,荒戍密寒雲。月蛇常見,風飆虎忽(一作或)聞。近身皆鳥道,殊俗自人群。睥睨登哀(木斥),蝥 (舊作矛,趙作蝥)胡弧照夕曛。亂離多醉尉,愁殺李將軍。

1944搖落

搖落巫山暮,寒江東北流。煙塵多戰鼓,風浪少行舟。鵝費羲之墨,貂餘季子裘。長懷報明主,臥病復高秋。

卷二二69遠遊

江闊浮高棟(晉作凍),雲長出斷山。塵沙連越,風雨暗荊蠻。雁矯銜蘆,猿啼失木間。敝裘蘇季子,歷國未知還。

1709夜【秋夜客舍】

露下天高秋水清,空山獨夜旅魂驚。疏燈自照孤帆宿,新月猶懸雙杵鳴。南菊再逢人臥病,北書不至雁無情。步簷 倚仗看牛斗,銀漢遙應接鳳城。

1554晚晴

返照斜初徹,浮雲薄未歸。江虹明遠飲,峽雨落餘飛。鳧雁終高去,熊羆覺自肥。秋分客尚在,竹露夕微微。

1557返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

1528熱,三首之一

熱,三首之一  雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。乞為寒水玉,願作冷秋菰。何似兒童,風涼出舞雩。

1529熱,三首之二

熱,三首之二  瘴雲終不滅,瀘水復西來。閉人高臥,歸林鳥卻迴。峽中都似火,江上只空雷。想見陰宮雪,風門颯踏開。

1530熱,三首之三

熱,三首之三  朱李沈不冷,彫胡炊屢新。將衰骨盡痛,被褐味空頻。欻翁炎蒸景,飄颻征戍人。十年可解甲,為爾一霑巾。

1552雨晴

雨時(一作晴)山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。有猿揮淚盡,無犬附(一作送)書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

1548

萬木雲深隱,連山雨未開。風扉掩不定,水鳥過仍迴。鮫館如鳴杼,樵舟豈伐枚?清涼破炎毒,衰意欲登臺。

1725九日諸人集於林

九日明朝是,相要舊俗非。老翁難早出,賢客幸知歸。舊采黃花賸,新梳白髮微。漫看年少樂,忍淚已霑衣。

1521覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(卷一五53  雨不

鳴雨既過漸細微,映空搖颺如絲飛。階前短草泥不亂,院裏長條風乍稀。舞石旋應將乳子,行雲莫自濕仙衣。眼邊江舸何匆促(一作遽)?未待(晉作得)安流逆浪歸。

 

杜甫詩1500-1022-1520/2500

年:766年大暦元年55-150

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    熱,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

 

『熱,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

熱,三首之一

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

何似兒童,風涼出舞雩
熱,三首之一(含異文)     雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。乞為寒水玉,願作冷秋菰。何似兒童【那似兒童】,風涼出舞雩。


(下し文)
(熱,三首の一)

雷霆は空しく霹靂なり,雲雨は竟に虛無なり。

炎赫 衣 汗を流し,低垂 氣 蘇せず。

乞う 寒水の玉と為らんことを,願わくば 冷秋の菰と作らん。

何ぞ似ん 兒童の,風涼 舞雩に出でしに

(現代語訳)
(南方の灼熱の日に思うことを詠う)

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。


(訳注)

熱,三首之一

(南方の灼熱の日に思うことを詠う)766年大暦元年55-150首目

 

雷霆空霹靂,雲雨竟虛無。

その日、雷と稲妻がある、突然、電工が走りすさまじい音が鳴る、それなのに、結局、雲と雨は出てこない。

雷霆 《「霆」は激しい雷の意》かみなり。いかずち。

霹靂 1 かみなり。いかずち。雷鳴。「青天の―」2 雷が激しく鳴ること。落雷すること。また、大きな音が響き渡ること。「霹靂」は突然雷が鳴ること。 青天の霹靂の由来は、中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で、「青天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。 「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢い衷した言葉であった。

 

炎赫衣流汗,低垂氣不蘇。

炎熱で、日は赤々と灼熱に照るから衣服には汗が流れる、頭をぐったりと垂れて呼吸する元気もなくなるほどである。

炎赫 炎熱で、日は赤々と灼熱に照ること。

低垂 頭をぐったりと垂れ

氣不蘇 喘息であるから元気よく呼吸ができないことを言う。・気は呼吸、・蘇はよみがえる。

 

乞為寒水玉,願作冷秋菰。

どうかこの身は冷たい水晶にしてほしい、それか、願わくば、冷ややかな秋のマコモなりたいものである。

寒水玉 冷たい水晶の玉。

冷秋菰 冷ややかな秋のマコモ。

 

何似兒童風涼出舞雩。

それは子供であったとき、涼風を追って、高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時涼風が吹いてきたことをおもいだして、このようなことに似たようなことがどうにかしてならないものだろうか。

何似兒童 それは子供であったとき怒ったようなことに似たようなことが何とか起きないだろうか、という意。

風涼出舞雩 高台の雨乞いの舞のところに出かけて行った時、涼風が吹いてきたことがあった。はその場所に行く。

766年-149杜甫 《1557返照》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-149 <1021> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6785

杜甫  返照   

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。

766-149杜甫 1557返照》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-149 <1021 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6785

 
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晚晴

(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

秋分客尚在,竹露夕微微。
秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

(晚晴)

返照 斜にして初めて徹し,浮雲 薄くして未だ歸らず。

江虹 明らかに遠く飲む,峽雨 落餘に飛ぶ。

鳧雁 終に高く去る,熊羆 自ら肥ゆるを覺ゆ。

秋分 客 尚お在り,竹露 夕に微微たり。

 

 

 

杜甫詩1500-1021-1519/2500

年:766年大暦元年55-149

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    返照

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              楚王宮 (山南東道 夔州 巫山)           

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

 

 

返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。

その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。

自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。

この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。

 

(返照)

楚王の宮北 正に黃昏なり,白帝城 西過 雨の痕あり。

返照 江に入りて石壁を翻えし,歸雲 樹を擁して山村を失す。

衰年の肺病 唯だ 高枕し,塞 時を愁えて早く門を閉ず。

久しく豺虎の亂を留どまる可からず,南方 實に未招の魂有り。

 

『返照』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

(下し文)
(返照)

楚王の宮北 正に黃昏なり,白帝城 西過 雨の痕あり。

返照 江に入りて石壁を翻えし,歸雲 樹を擁して山村を失す。

衰年の肺病 唯だ 高枕し,塞 時を愁えて早く門を閉ず。

久しく豺虎の亂を留どまる可からず,南方 實に未招の魂有り。

(現代語訳)
(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。

その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。

自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。

この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。


(訳注)

返照

(夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らす、その照り返しを詠う。)年:766年大暦元年55-149首目、夔州、奉節の作。

【解説】客堂から見える雨後の日暮れの景が雄大かつ繊細に詠われている。「楚王宮」は巫山の麓に戦国楚の離宮があったという伝言に基づいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まる。高台にある白帝城の西の斜面は客堂から見える、「過雨」に濡れる。それらを彩る「返照」と「帰雲」、雲は当時、山の岩穴から生まれ出、またそこに歸えると信じられていた。そこで、岩穴に帰るために樹にからみついているという表現が生まれる。「病肺」は喘息のことで、杜甫の持病である。この段階ではただ寝ているだけと自嘲するしかなく、自分を蘇秦、王羲之であり、屈原になぞらえて、憂国の心は休むときがないとこの時期に一気に多くの詩を残している。

杜甫 767  大曆二年  56 奉節での作。2010返照

返照開巫峽,寒空半有無。已低魚複暗,不盡白鹽孤。

荻岸如秋水,松門似畫圖。牛羊識僮僕,既夕應傳呼。

 

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

楚王の宮北が黄昏になり、白帝城の西に通り雨の後が残っている。

○楚王宮 すなわち楚王の宮、巫山県東北一里にあるという。巫山の麓に戦国楚の離宮があったという伝言に基づいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まる。雲雨荒台は楚の懐王が夢に神女に会ったという陽台をいう、宋玉の 「高唐賦」にいう、「昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」(昔先王(懐王をいう)嘗て高庸に遊ぶ、夢に一婦人を見て曰く「妾,巫山の女なり。高唐の客と爲す。君高唐に遊ぶを聞き,願わくば枕席を薦めんと。」、王因って之を幸す、去らんとして辞して曰く、妾は巫山の陽、高丘の岨に在り、旦には行雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下にす)と。荒台というのは現にあれておる台であることをいう。「清一統志」にいう、陽台山は巫山県城内北隅にあり、高さ百丈、上に陽雲台の遺址あり、と。豈夢息とは反語にみる。宋玉の賦した所は必ずしも夢幻虚構の想像ではない、其の事実があったという。

白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

 

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

その夕陽の照り返しは長江の水面に入込んでいるため、岸辺の石璧の影が煽り立てられる、岩場の洞穴に帰ろうとする山にかかる雲は、木樹をつつんでしまったために山辺の村が見えなくなった。

翻石壁 石壁に寄すか影が照り返しの部分が飛び出してくるように見える、それが際立っていること

歸雲擁樹失山村 雲は当時、山の岩穴から生まれ出、またそこに歸えると信じられていた。そこで、岩穴に帰るために樹にからみついているために山村が雲に覆われてるのでこいう表現が生まれる。

 

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

自分は澇水の年になって持病の喘息がひどく、枕を高くして横になっていてどうしようもないし、ここら辺境僻地の塞は世情不安、危険を除去できないでただ早く門を閉めてしまう。

早閉門 盗賊が侵入するか、近くで謀叛が起こるか、異民族の侵入があるかとおびえて塞を守っているので、暗くなる前に門を閉める。

 

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

この南の地にいていまだに都京師に召喚されぬ自分の魂が残されたままであって、このような豺虎、盗賊、謀叛、異民族らの乱がいつ再発するようなところにとどまっておくわけにはいかないのだ。

久留 久しくこの地に滞留する。

豺虎亂 動物の豺や虎、山賊、海賊など盗賊、謀叛、異民族らの乱入や入寇がいつ再発するようなところ

南方 夔州は国境、南の雲南は異民族支配であった。杜甫《1809南極》「南極青山眾,西江白穀分。古城疏落木,荒戍密寒雲。月蛇常見,風飆虎或聞。(南極 青山眾し,西江 白穀分かる。古城 落木疏に,荒戍 寒雲密なり。月 蛇 常に見え,風飆 虎 或いは聞ゆ。

未招魂 京師に召喚されぬ自分の魂が残されたまま、都に帰りたい思いが、朝廷に届かないでいることを言う。

766年-148杜甫 《1554晚晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-148 <1020> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6780

杜甫  晚晴

返照斜初徹,浮雲薄未歸。江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。秋分客尚在,竹露夕微微。
(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

766-148杜甫 1554晚晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-148 <1020 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6780

 

 
  2015年10月18日 の紀頌之5つのBlog  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1020-1518/2500

年:766年大暦元年55-148

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    晚晴

 

 

晚晴

(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

秋分客尚在,竹露夕微微。
秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

 

(晚晴)

返照 斜にして初めて徹し,浮雲 薄くして未だ歸らず。

江虹 明らかに遠く飲む,峽雨 落餘に飛ぶ。

鳧雁 終に高く去る,熊羆 自ら肥ゆるを覺ゆ。

秋分 客 尚お在り,竹露 夕に微微たり。

 

『晚晴』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

晚晴

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

秋分客尚在,竹露夕微微。
晚晴(含異文)

返照斜初徹【返照斜初散】【晚照斜初徹】【晚照斜初散】,浮雲薄未歸。

江虹明遠飲【江虹明近飲】,峽雨落餘飛。

鳧雁終高去【鳧鶴終高去】,熊羆覺自肥。

秋分客尚在,竹露夕微微【竹露久微微】。


(下し文)
(晚晴)

返照 斜にして初めて徹し,浮雲 薄くして未だ歸らず。

江虹 明らかに遠く飲む,峽雨 落餘に飛ぶ。

鳧雁 終に高く去る,熊羆 自ら肥ゆるを覺ゆ。

秋分 客 尚お在り,竹露 夕に微微たり。

(現代語訳)
(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。


(訳注)

晚晴

(ずっと降っていた日の天が晴れた夕方に陽の日差しがどこまで射すように照らすのを詠う。)

766年大暦元年55の時の作品、この年-148首目。

 

返照斜初徹,浮雲薄未歸。

夕日の照り返しがななめにどこまでも射すように照らす、雲は薄く浮かんでほぼ同じとこおに浮いていて帰らない。

返照 夕日の照り返し。

斜初徹 夕陽の日差しがどこまで射すように照らすこと。

浮雲 ぽっかり浮かんだ雲、浮浪雲、漂泊の自分と重なる雲。

薄未歸 帰るところが分からない雲、ほぼ同じとこおに浮いていて帰らない雲。

 

江虹明遠飲,峽雨落餘飛。

三峡の大江にかかった虹は、はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ、峡谷に降る雨パラパラ落ちたり固まって飛ばされたりしている。

明遠飲 西からのひゅうひに照らされ、長江を飲み込むようににじがかかっていることをいう。はっきりとして遠く水を飲もうとしているようだ。

峽雨 風の通り道同士で、ぶっつかりあう峡谷の雨。

落餘飛 風によって塊になったり、散らばったり、ぶつかったり、吹き上げられて飛ぶ。

 

鳧雁終高去,熊羆覺自肥。

晴れ間になると鳬や雁は喜んで高く飛び去ってゆく、クマとヒグマは、ひとりでに肥えてしまった感がある。

高去 晴れ間になると喜んで高く飛び去ってゆくこと。

熊羆 冬眠の準備をしたクマとヒグマ。

覺自肥 冬眠のためにこの時期のクマやヒグマは最大に肥える。

 

秋分客尚在,竹露夕微微。

秋分の季節になった自分はまだここにいて床に伏している、夕日に光る竹の葉に露がポタンピタンとしたたる。

秋分 二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。

客尚在 杜甫自身旅客者として、なお、療養滞在していること。

766年-138杜甫 《1551江上》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-138 <1010> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6730

杜甫  江上  

江上日多雨,蕭蕭荊楚秋。高風下木葉,永夜攬貂裘。

勳業頻看鏡,行藏獨倚樓。時危思報主,衰謝不能休。

(江のほとりの宅にあっての感をのべる)

江上には毎日雨ばかりで、楚地の秋は蕭々として、宋玉の「悲愁」を連想してさびしい。風は、谷合に高く吹いて木の葉は散りおちる、だから、秋の夜ながにあたっては、貂裘をひっぱりだして着ることになる。勲業のことが気になるからたびたび鏡で容顔を照らしてみるし、 行くべきか蔵【かくれ】るべきかと迷うて、ただひとり閣楼によりかかって考える。時、国家危急、世が安泰でないからどうにかして君の御恩にむくいたいとおもうて、老衰の身ながら、その思いをやめることができないほど真剣である。

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 杜甫詩1500-1010-1508/2500

卷別: 卷二三○  文體: 五言律詩 

詩題: 江上 

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 

 

江上

(江のほとりの宅にあっての感をのべる)

江上日多雨,蕭蕭荊楚秋。

江上には毎日雨ばかりで、楚地の秋は蕭々として、宋玉の「悲愁」を連想してさびしい。

高風下木葉,永夜攬貂裘。

風は、谷合に高く吹いて木の葉は散りおちる、だから、秋の夜ながにあたっては、貂裘をひっぱりだして着ることになる。

勳業頻看鏡,行藏獨倚樓。

勲業のことが気になるからたびたび鏡で容顔を照らしてみるし、 行くべきか蔵【かくれ】るべきかと迷うて、ただひとり閣楼によりかかって考える。

時危思報主,衰謝不能休。

時、国家危急、世が安泰でないからどうにかして君の御恩にむくいたいとおもうて、老衰の身ながら、その思いをやめることができないほど真剣である。

(江 上)

江上 日々に雨多し、蕭蕭たり荊楚の秋。

高風 木葉 下り、永夜 貂裘を攬る。

勲業 頻りに鏡を看て、行蔵 独り楼に倚る。

時危くして 報主を思い、衰謝にも休する能わず。

 

 

『江上』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江上

江上日多雨,蕭蕭荊楚秋。

高風下木葉,永夜攬貂裘。

勳業頻看鏡,行藏獨倚樓。

時危思報主,衰謝不能休。

(下し文)
(江 上)

江上 日々に雨多し、蕭蕭たり荊楚の秋。

高風 木葉 下り、永夜 貂裘を攬る。

勲業 頻りに鏡を看て、行蔵 独り楼に倚る。

時危くして 報主を思い、衰謝にも休する能わず。


(現代語訳)
(江のほとりの宅にあっての感をのべる)

江上には毎日雨ばかりで、楚地の秋は蕭々として、宋玉の「悲愁」を連想してさびしい。

風は、谷合に高く吹いて木の葉は散りおちる、だから、秋の夜ながにあたっては、貂裘をひっぱりだして着ることになる。

勲業のことが気になるからたびたび鏡で容顔を照らしてみるし、 行くべきか蔵【かくれ】るべきかと迷うて、ただひとり閣楼によりかかって考える。

時、国家危急、世が安泰でないからどうにかして君の御恩にむくいたいとおもうて、老衰の身ながら、その思いをやめることができないほど真剣である。


(訳注)

江上

(江のほとりの宅にあっての感をのべる)

江上は起句の二字を切りとって用いたもの。大暦元年夔州にあっての作。

 

江上日多雨,蕭蕭荊楚秋。

江上には毎日雨ばかりで、楚地の秋は蕭々として、宋玉の「悲愁」を連想してさびしい。

○日多雨 蜀巴楚は雨が多い。

《卷一○48 重簡王明府》

甲子西南異,冬來只薄寒。江雲何夜盡?蜀雨幾時乾?

行李須相問,窮愁豈有寬。君聽鴻雁響,恐致稻粱難。

重簡王明府 五言律詩 成都5-(19) 杜甫 <468  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2305 杜甫詩1000-468-655/1500

《卷一四07 到村》

碧澗雖多雨,秋沙先少泥。蛟龍引子過,荷芰逐花低。

老去參戎幕,歸來散馬蹄。稻粱須就列,榛草即相迷。

蓄積思江漢,疏頑惑町畦。暫酬知己分,還入故林棲。

《到村》 杜甫index-14 764年 杜甫<781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4570 杜甫詩1500-781-1085/2500

○荊楚 荊楚は一木にして二名、故に国号となすにもまた二名がある、「春秋」においては魯の荘公の世までは皆「荊」と書いてあるが、公元年に至って「楚人伐鄭」と書いてある、此の頃から楚と改めたのである。ここの荊楚は夔州地方をさしていう。楚の秋、宋玉の悲愁を連想して言う。宋玉《九辯》 「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」

九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134

高風下木葉,永夜攬貂裘。

風は、谷合に高く吹いて木の葉は散りおちる、だから、秋の夜ながにあたっては、貂裘をひっぱりだして着ることになる。

○貂裘 貂裘は、てんの皮ごろも。裘をとるのは寒さを防ぐためである。同時期の作にも「貂裘」について詠っている。《卷一七18 月》「四更山吐月,殘夜水明樓。塵匣元開鏡,風簾自上鉤。兔應疑鶴髮,蟾亦戀貂裘。斟酌姮娥寡,天寒奈九秋。」

 

勳業頻看鏡,行藏獨倚樓。

勲業のことが気になるからたびたび鏡で容顔を照らしてみるし、 行くべきか蔵【かくれ】るべきかと迷うて、ただひとり閣楼によりかかって考える。

○勲業 老いているけれど、恩に報いるため勲業を立てることができるか否かが心配であることをいう。

○看鏡 老顔をてらしてみること。

○行蔵 行くべきか蔵【かくれ】るべきかについてかんがえること。

 

時危思報主,衰謝不能休。
時、国家危急、世が安泰でないからどうにかして君の御恩にむくいたいとおもうて、老衰の身ながら、その思いをやめることができないほど真剣である。

○報主 天子の恩にむくいる。

○衰謝 気力の衰え減じていること。

〇休 思いをやめることをいう。

 

江上日多雨,蕭蕭荊楚秋。 

高風下木葉,永夜攬貂裘。 

勳業頻看鏡,行藏獨倚樓。 

時危思報主,衰謝不能休。 

766年-112杜甫 《巻1540夔州歌十絕句,十首之十》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-112 <975> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

杜甫  夔州歌十句,十首之十  

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

766-112杜甫 《巻1540夔州歌十句,十首之十》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-112 <975> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

 


杜甫詩1500-975-1477/2500

 

夔州における杜甫の住まい(6)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 今度は、月の沈む方角から瀼西宅の位置を知ることができる。大暦二年の八月十五日(西暦九月十二日)、杜甫は瀼西宅で中秋の名月を三晩続けて見ていた。2030_八月十五夜月二首》其一757年では、月光は草堂河にふりそそぎ、

 

八月十五夜月,二首之一

 

滿目飛明鏡,歸心折大刀。

滿目 明鏡飛ぶ,歸心 大刀折る。

轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

轉蓬 地を行くこと遠し,攀桂 天の高きを仰ぐ。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。

水路は 霜雪かと疑い、林棲は その羽毛を見る

此時瞻白兔,直欲數秋毫。

此の時 白兔を瞻れば,直ちに 秋毫をも數えんと欲す。

というように、林内の鳥の羽毛まで見分けがつくように明るいが、其二では、月は西の巫山峡(ここでは瞿塘峡を指す)の方に沈んでいく。

 

八月十五夜月,二首之二

 

稍下巫山峽,猶銜白帝城。

(ようや)く巫山峡に下り、猶お白帝城を銜(ふく)

氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

気は沈みて 全浦暗く、輪は仄(かたむ)きて 半楼明かなり

刁斗皆催曉,蟾蜍且自傾。

刁斗 皆 曉を催す,蟾蜍 且く自ら傾く。

張弓倚殘魄,不獨漢家營。

弓を張りて殘魄に倚るは,獨り漢家の營のむならず。

 

草堂河は暗くなったが白帝城はまだ月光に包まれており、楼閣の半面が明るく照らされている。このように月が白帝城の方に沈んでいることから、瀼西宅がその東にあることがわかる。もしも梅渓河の方に杜甫宅があれば、月は決して白帝城の方には沈まない。

 また瀼西宅には白帝城からの音が届いている。これも白帝城が近い証拠といえる。地図上での単純な距離は三キロメートル弱であるが、瀼西宅と白帝城の間にはほぼ一直線の草堂河が流れており、しかも両岸は山になっているから、音が拡散せず伝わりやすいのであろう。

 前掲の十五夜の詩其二の後半では、白帝城で巡邏する兵士たちの銅鑼の音が、瀼西宅まで聞こえてきている。

 

杜甫は、その音がまるで夜明けを促すようだと感じ、白帝城の兵士たちが月明かりをたよりに、夜通し護衛につとめている苦労にも思いを馳せている。

 翌日の十六夜の月夜には笛の音が聞こえてきて、杜甫の旅愁をいっそうかき立てている。2032_十六夜玩月》に言う、

十六夜玩月

 

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。

舊より挹む 金波の爽かなるを,皆 傳う 玉露の秋と。

關山隨地闊,河漢近人流。

關山 地に隨って闊に,河漢 人に近づいて流る。

谷口樵歸唱,孤城笛起愁。

谷口に 樵(きこり)帰りて唱い、孤城に 笛起こりて愁う

巴童渾不寢,半夜有行舟。

巴童も渾て 寢ねず,半夜 行舟有り。

2033

十七夜對月

 

秋月仍圓夜,江村獨老身。

秋月 仍お 圓き夜,江村 獨り老ゆる身。

捲簾還照客,倚杖更隨人。

簾を捲けば 還た照客を,杖に倚れば 更に人に隨う。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。

光に射られて 潛虯動く,明なるに翻りて宿鳥頻りなり。

茅齋依橘柚,清切露華新。

茅齋 橘柚に依る,清切 露華 新たなり。

 

この孤城は白帝城である。白帝山の西閣を舞台に詠われた1723_秋興八首》其二に「夔府の孤城に落日斜め」とあり、夔州都督府の役所は白帝城にあった。また1939_秋日夔府詠懷……》にも「孤城白帝の辺」とある。

 次の2034_暁に望む》の詩では、白帝城から時を知らせる音が、朝方になってようやく尽きたという。この詩で杜甫は、野生の鹿を友とし隠遁者のように質素な住まいで暮らしていこうと沈んだ気持ちになっている。

 

曉望

 

白帝更聲盡,陽臺曙色分。

白帝には 更声の尽き、陽台には 曙色の分たり

高峰寒上日,疊嶺宿霾雲。

高峰には 寒くして日の上り、疊嶺宿霾雲。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

荊扉對麋鹿,應共爾為群。

荊扉(ケイヒ)に 麋鹿(ビロク)に対し、応(まさ)に爾と共に群を為すべし

これは東屯での作とするのが一般的だが、もしそうなら瀼西宅まで聞こえた音は草堂河を伝わって、もうひとつ北の東屯まで届いたのであろう。地形から十分にあり得ることである。

 

 次の2049_夜二首》其二の詩は、仇注の編年に従えば瀼西宅での秋の作である。白帝城に日が暮れゆき、笳(あしぶえ)の音が白帝城から聞こえてきている。

 

夜,二首之二

 

城郭悲笳暮,村墟過翼稀。

城郭 悲笳に暮る,村墟 過翼稀なり。

甲兵年數久,賦斂夜深歸。

甲兵 年數久し,賦斂せられて夜深に歸る。

暗樹依巖落,明河繞塞微。

暗樹 巖落に依りて,明河 塞を繞りて微なり。

斗斜人更望,月細鵲休飛。

斗 斜めにして 人 更に望む,月 細くして 鵲 飛ぶを休む。

  城郭悲笳暮、 城郭は 悲笳(ヒカ)のひびきのなかに暮れゆき

  村墟過翼稀。 わが村墟は 過ぎる翼(とり)も稀(まれ)なり

  ……

  暗樹依巖落、 暗き樹は 巌(いわお)に依()りて落ち

  明河繞塞微。 明河は 塞を繞(めぐ)りて微(かす)かなり

杜甫は訪れる人も少ない瀼西宅の村の中で悲しげな笳の音を耳にしている。空にやがて星が輝きはじめると、天の河が白帝の城塞の上を流れていた。だがこうした細い悲笳の音は梅渓河までは届かなかったであろう。白帝城から梅渓河までは直線距離でも四、五キロメートルはあり、その間には長江が滔滔と流れている。同じ時期の2002_秋野五首》其五には「大江(長江)は秋は盛んとなり易く、空峡には夜は聞こゆるもの多し」というように、さまざまな秋声がざわめきを立てているのだから。

 

秋野,五首之五

 

身許麒麟畫,年衰鴛鷺群。

身は許す 麒麟に畫かるるに,年は衰う鴛鷺の群。

大江秋易盛,空峽夜多聞。

大江 秋 盛なり易し,空峽 夜 聞ゆるもの多し。

徑隱千重石,帆留一片雲。

徑は千重の石に隱る,帆は一片の雲に留る。

兒童解蠻語,不必作參軍。

兒童 蠻語を解す,必ずしも參軍とら作ず。

 以上、ここでは白帝城との関わりから瀼西宅の位置をさぐってきた。瀼西宅が白帝城の東側にあり、太陽も月も白帝城の方角に沈み、白帝城からはいろいろな音が聞こえてきている。このことを杜甫自身が何度も詩に描き込んでおり、従って瀼西宅が草堂河辺であること、梅渓河辺ではあり得ないことが確認できたと思う。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

年:766年大暦元年55-112

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之十

作地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州           

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

 

夔州歌十句,十首之十

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

 

 

『夔州歌十句,十首之十』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之十

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。
(含異文)

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無【中有高唐天下無】。借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。


(下し文)
(夔州歌の十句,十首の十)

閬風と玄圃と蓬壺と,中に高堂有り 天下に無し。

借問す 夔州壓するは何處ぞ,峽門 江腹 城隅を擁す。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

夔州歌十句,十首之十

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

 

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

○閬風玄圃 中国の伝説で、崑崙(こんろん)山の上にあるという仙人の住む所。位於崑崙山的山,相傳為仙人所居。・玄圃:中国の伝説で、崑崙山の上にあるという仙人の住む所。黃帝之下都,有奇花異石與各式美玉。玄圃之下有清涼山,四季都刮著清爽的涼風。

蓬壺 東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)瀛州山をいう。

 

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

○夔州壓何處 この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所がどこにある。

○峽門江腹擁城隅 三峡の入り口、瞿塘峡の地勢、杜甫の住まいの地勢をいう。

 
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杜甫  夔州歌十句,十首之九  

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

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夔州における杜甫の住まい(5)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

瀼西宅と白帝城

―――――――――――――――――――――

白帝山(城)は、西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注'⑹'参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

 

 さて、大暦二年の冬は、成都を去り三峡を下り始めてから数えると三年目になる。それなのに、いまだ夔州に滞っている。杜甫はそんな自分を隠遁生活者のように見立て、現世の栄辱を達観し是非曲直を没却しようとしている。20100_寫懷二首》其一に、

 

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

鄙夫のわれは 巫峡に到り、この三歳は あたかも燭を転ずるが如し

全命甘留滯,忘情任榮辱。

命を全うして 留滞に甘んじ、忘情任榮辱。 情を忘れて 栄辱に任す

  ……

 

編蓬石城東、采藥山北谷。

(むかしよもぎ)を編みてすまう 石城の東、薬を采()る 山北の谷

  ……

 

曲直吾不知、負暄候樵牧。

曲直は 吾は知(あずかりし)らず、暄(ひだまりのぬくもり)を負()にして 樵牧を候()

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

という。石城がどれを指すか確定できないが、漢の旧赤甲城、六朝の旧巴東城、唐の夔州城、白帝城などは歴代いずれも梅渓河以東、赤甲山、白帝山の周辺にあった。ただいずれの地であるにせよ「石城の東」といえば草堂河の方になり、決して梅渓河の方にはならない。だからこの詩で、「石城の東に蓬を編む」というのは、白帝城の西ではなく、東方面の粗末な瀼西宅で生活を営むことを指すことになる。

 だから同じ年の秋1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》の冒頭で、瀼西宅の居所を、

秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

 

絶塞烏蠻北、 孤城白帝邊。

絶塞 烏蛮の北、孤城 白帝の辺。

飄零仍百里,消渴已三年。

 

と概括して述べているのである。

 次の詩からは、日没の方角から瀼西宅が白帝城の東にあることがわかる。杜甫の母方のおじ筋にあたる親戚で侍御四なる人物が使者として夔州に来ていたが、彼がいよいよ夔州を出発するとき杜甫の家を訪れた。それを送別したのが1934_巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗(巫峡の敝廬(あばらや)にて、侍御の四舅が別れて澧朗(レイロウ)に之()くに、贈り奉る》758年の詩である。

 

巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗

(卷一九34

江城秋日落,山鬼閉門中。

江城に 秋の日は落ち、山鬼のごときわれは 閉じし門の中にあり

行李淹吾舅,誅茅問老翁。

行李(使者)として 吾が舅はここに淹(ひさ)しかり、茅(かや)を誅()りてすまう この老翁のわれを おとずれ問う

赤眉猶世亂,青眼只途窮。

赤眉 猶お世亂,青眼 只だ途窮。

傳語桃源客,人今出處同。

傳語す 桃源の客,人は今 出處 同じ。

一句目の「江城」は1508_白帝城に上る二首》其一に「江城は変態を含み、一たび上れば一回新たなり」とあるように白帝城を指している(夔州詩には江城は四度出てくるがみな白帝城とみなしてよい)。この時、瀼西宅で秋の日が暮れていったが、日が沈んでいく西の方角には、江城すなわち白帝城が見えていた。もしも瀼西宅が梅渓河西岸にあるなら、そのような現象は起こりようがない。このことから瀼西宅は白帝城の東の方向であることがわかるのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

年:-766年大暦元年55-111

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之九

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟            

 

 

夔州歌十句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

(夔州歌十句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。
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<!--[endif]-->

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十句,十首之九』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之九

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(含異文)            武侯祠堂不可忘【武侯生祠不可忘】,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(下し文)
(夔州歌十句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。


(訳注)

夔州歌十句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

 

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

○武侯祠堂 武侯は蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。

杜甫《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》

遺廟丹青落,空山草木長。

猶聞辭後主,不復臥南陽。

(武侯の廟)

遺廟 丹青落ち、空山 草木長し。

猶お聞くがごとし 後主を辞するを、復た南陽に臥せず。

(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)

いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。

彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

766年-87杜甫 《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-87 <950 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6385

○參天 手に突き刺すように伸びる。そして、それが交わるように伸びていることをいう。

 

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

○干戈滿地 国中どこでも干戈を交えて戦っている。

○客愁破 旅をしている自分の旅愁は散じてしまう。
唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-110杜甫 《巻1538夔州歌十絕句,十首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-110 <973> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6520

杜甫  夔州歌十句,十首之八   

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。
(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

766-110杜甫《巻1538夔州歌十句,十首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-110 <973> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6520

 

 
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 杜甫詩1500-973-1475/2500

夔州における杜甫の住まい(4)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 瀼西だけに限らないだろうが、そういう住まいの様子が杜甫にはよほど珍しかったのだろう、その後も詩の中で二度言及している。1564_贈李十五丈別》(大暦元年秋)の詩では、重なる山々の頂上に貼りつくように家がある様子を、鳥獣の住みかのようだと述べている。

1564_贈李十五丈別

 

峽人鳥獸居、其室附層顛。

峡の人は 鳥獣のごとく居り、其の室は 層なす顛(いただき)に附す。

下臨不測江、中有萬里船。

下は不測の江に臨み、中には万里よりきたる船有り。

 

さらに1536_雨二首》其一になると、もっとはっきりまるで樹上に巣を作る鳥のような住居をしていると詠じている。

雨,二首之一

 

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

ここの殊俗は 巣居を状(かたど)り、層台より 風ふく渚を俯()

 

実は以前にも、山地の民が斜面に柱を立てかけて住む様子を、巣居のような住みかたをしていると感じたことがある。六年前、秦州から成都入りする途中で険しい五盤嶺を詠じた0906_五盤》の詩に「野人は半ばは巣居す」と詠じるのがそれである。

 また瀼西宅の南面、つまり対岸の瀼東には白塩山が高くたちはだかっていたことは、先に述べたとおりだが、瀼西宅の北側が赤甲山の東側の山麓にあたることは、《2028_自瀼西荊扉且移居東屯茅屋,四首之一瀼西の荊扉(あばらや)()り、且(しばら)く東屯の茅屋に移居す、四首其一)に、

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋,四首之一

白鹽危嶠北,赤甲古城東。

ここは白塩の危嶠(キキョウ)の北の、赤甲やまの古城の東なり

とあることからもわかる'⑾'。さらに、その赤甲山に続く西側は険しい崖になっていた。そのことは、1907_課伐木》(大暦二年夏)の詩に、

 

虎穴連里閭、隄防舊風俗。

虎の穴は 里閭(むらざと)に連なり、隄防(テイボウ)するは 旧風俗なり

泊舟滄江岸、久客慎所觸。

舟を泊す 滄江の岸、久しき客のわれは (虎の)触るる所を慎しむ

舍西崖嶠壯、雷雨蔚含蓄。

舎の西は 崖嶠(ガイキョウ) 壮なり、雷雨には 蔚として含蓄す

とあり、草木がこんもり茂って雷雨の時には、虎や何かが隠れていそうな場所として描かれている。

 以上のように、瀼西宅と草堂河、瀼東区と瀼西区、白塩山と赤甲山などの景観や位置を、容易に杜甫の詩から読み取ることができる。そしてそれらは草堂河西岸説でこそ、無理なくすっきりと説明することができるのである。

 

 

年:766           大曆元年55

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之八

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

 

夔州歌十句,十首之八

(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

 

(夔州歌十句,十首の八)

憶う昔 咸陽都市の合,山水の圖 張賣の時。

巫峽は 曾て經たり 寶屏に見しことを,楚宮は猶お碧峰に對して疑う。
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京兆地域図002 

『夔州歌十句,十首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之八

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

(下し文)
(夔州歌十句,十首の八)

憶う昔 咸陽都市の合,山水の圖 張賣の時。

巫峽は 曾て經たり 寶屏に見しことを,楚宮は猶お碧峰に對して疑う。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。


(訳注)

夔州歌十句,十首之八

(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

 

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

咸陽都市合 咸陽の街の通りの交差の合わさっているところ。咸陽:かつては秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。杜甫《卷二11兵車行》「車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。」(車 轔轔(りんりん),馬 蕭蕭(しょうしょう),行人の 弓箭(きゅうせん)各ゝ(おのおの)腰に在り。耶孃(やぢゃう) 妻子  走りて 相(あ)ひ送り,塵埃(じんあい)に 見えず  咸陽橋(かんようきょう)。)○咸陽橋 咸陽は県の名、渭水をへだてて長安より北の岸にある。橋は成陽へわたるためのはしで、或は西渭橋のことといい、或は中渭橋のことというが、はっきりしない。兵車行  杜

山水之圖 巫山、巫峡の山水図。

張賣 店内の戸板に張り出して販売する。

 

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

巫峽 長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km。 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

楚宮 楚 (紀元前223年まで)は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の長江下流域、湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした楚の宮殿。紀元前278年に楚の都・郢(現在の湖北省江陵県県内)が秦軍に攻め落とされると、屈原は国を救う望みがなくなったことを感じ、旧暦五月五日の端午節に『懐沙』(石をいだく)を書き、汨羅江に身投げしたことを詠う詩が多い。李商隠は唐王朝に対して楚宮を喩えるために詩題としているのであろう。つまり楚宮という歴史を過ぎても今も荒淫の歴史は続くとしている。李商隠《過楚宮》「巫峽迢迢舊楚宮,至今雲雨暗丹楓。」

過楚宮 李商隱 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 56

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碧峰 巫山十二峰の緑の峯をいう。
夔州東川卜居図詳細 002 

766年-109杜甫 《巻1537夔州歌十絕句,十首之七》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-109 <972> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6515

杜甫  夔州歌十句,十首之七   

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

766-109杜甫 《巻1537夔州歌十句,十首之七》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-109 <972> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6515

 

 

 
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杜甫詩1500-972-1474/2500

夔州における杜甫の住まい(3)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 次の《1863_江雨有懐鄭典設》(江雨に鄭典設を懐う有り)の詩は大暦二年、瀼西に引っ越してきたころの作だが、草堂河両岸に対して西東という言い方もしている。

江雨有懐鄭典設

江雨有懷鄭典設

 

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春雨 闇闇 峽中に塞る,早晚楚王の宮より來る。

亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

亂波 分披已に岸を打つ,弱雲 狼藉 風に禁えず。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

蕙葉に寵光して多碧を與え,桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

谷口の子真たるきみよ われは正に汝を憶(おも)う、岸は高く 瀼は滑(なめ)らかにして 西と東とを限(へだ)

 

詩の中で杜甫は、鄭典設を漢代の清浄な隠者の鄭子真(長安の谷口の人)とみなしている。雨で草堂河がみなぎり、瀼西にいる杜甫は瀼東に住む鄭子真と隔てられたように感じているのである。下句の「瀼は滑らか」の部分は、王洙本他のテキストに「瀼は闊(ひろ)く」と作る異文が伝わる。趙次公注本は、本文をわざわざその異文の方に改めているが、それだといっそう対岸との隔絶感が強まる(戊帙巻之一)。

 

 対岸の瀼東地区は他の詩にも描かれている。瀼東の背後には、白塩山(今の赤甲山)が衝立のように立ちふさがっていた。瀼西に引っ越す前に作った1553_白塩山》の詩では、瀼東地区には千戸の民家があったと述べている。

白鹽山

 

【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。

卓立群峰外,蟠根積水邊。

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他皆任厚地,爾獨近高天。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜千家邑,清秋萬估船。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

もちろんこの千戸は実数ではないが、戸数が比較的多いことがわかる。増水期の秋、草堂河には様々な商人の船が碇泊している。草堂河を挟んだ瀼西区と瀼東区は唐代は栄えており人家が多かったので、増水期には船の往来が少なくなかったようである。明の王嗣奭が「(白塩)山を繞りて上り、千家、邑を成す。積水の中、万の估の船来たる。又た蜀中の一都会なり」(曹樹銘『杜臆増校』巻十一)と解するように杜甫の当時はそれなりににぎやかだった。その繁華さの背景には、長江を通じて長江の上流域と下流域、蜀と呉の盛んな物資の流通があり、夔州がその中間に位置していたからであろう。夔州の特徴を風物詩風に連作詩で詠じた1537_夔州歌十絶句》の其七で、杜甫はそのことを、

夔州歌十句,十首之七

(夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

と詠じている。

 狭い地にこれだけ戸数が多いと、民家はおのずと山の上まで続かざるを得ない。そのことを1534_夔州歌十絶句》其四(大暦元年夏)で、

 

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

 

 

年:766           大曆元年            55

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之七

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

 

 

夔州歌十句,十首之七

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

 

(夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻 呉古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十句,十首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之七

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

詩文(含異文)

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中【白買攤錢高浪中】【白馬灘前高浪中】。


(下し文)
(
夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

 

 (訳注)

夔州歌十句,十首之七

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)


蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

○蜀麻 蜀地の特産物の麻紙をいう。  宋梅堯臣《和石昌言以蜀箋南箋答松管之什》「楊子校經聊以贈, 蜀麻江楮報何嫌。」

 地所的鹽。即我國最著名的淮鹽。唐.李白〈梁園吟〉:「玉盤楊梅為君設,鹽如花皎白雪。」比白髮。(玉盤の楊梅 君が為に設け、呉塩は花の如く 白雪よりも唆し。)それから白玉の大皿の楊梅と称する果物がいっぱいに盛ってあり、君のために用意したもの、呉の国からでる白雪よりも白く光る花のように美しい塩がうずたかく用意してある。

 

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

○長年 はさお方。

○三老 かじ方。

○攤銭 錢を攤すとは博打を打つことをいう。攤は手で敷くこと、ただしそろりとおくのではなくはうりだすこと、これは銭を投げだしてその表裏を言いあてる賭博の戯である、わが国の「なめかた」のこと。これはお客の商人が為すのである。

○高浪中これも浪のなかへ銭をなげるのをいうのではなく、船が高浪中にあることをいう、船は高浪中にあり、お客の商人は船上にあって銭を灘するのである。

 

(夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻 呉古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。
8世紀唐と周辺国00 

766年-108杜甫 《巻1536夔州歌十絕句,十首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-108 <971> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6510

杜甫  夔州歌十句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

766-108杜甫 《巻1536夔州歌十句,十首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-108 <971 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6510

 

 

 
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夔州における杜甫の住まい(2)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅を説明してみよう。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は「>」の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 上の概略図は、現在の奉節一帯の衛星写真(Google Maps Hybrid版)から地形の輪郭を取り、その上に地名を書き込んだものである。なお唐代の役所の所在地については厳耕望氏『唐代交通図考』第四巻を参考にした。

 

瀼、赤甲山、白塩山

―――――――――――――――――――――

 瀼西宅のそばを流れる草堂河は、杜甫のころはまだ固有の名前がついていなかったと思われる。長江にはたくさんの支流が注ぎ込むが、三峡一帯ではその険しい山谷から長江に流入する渓谷の流れを「瀼」と呼んでいたようである。そのことは、杜甫の自注に「江水の山谷を横通する処、方人は之を瀼と謂う」と記されていることからわかる(王洙本巻十五《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》詩「市曁瀼西巓」への原注)。杜甫もそうした当地のならわしによって、瀼西宅の前を流れて長江に流入するその川を「瀼」とよんだのであろう。

 瀼西宅のもう一つ奥の東屯宅での作とされる1937_奉酬薛十二丈判官見贈》の詩では、その瀼水が滄溟(海原)のように大きい長江に流れ込むさまを、

 

 

東西兩岸坼,橫水注滄溟。

東西は両岸坼()け、横水は滄溟に注ぐ

碧色忽惆悵,風雷搜百靈。

碧色に忽ち惆悵す,風雷に百靈を搜む。

空中右白虎,赤節引娉婷。

空中に白虎右り,赤節 娉婷を引く。

自云帝里女,噀雨鳳凰翎。

自ら云う帝の里女なり,雨を噀く 鳳凰の翎。

 

と詠じている。

 杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 唐以前の詩及び全唐詩で、地理に関する名詞として瀼の字が使われているのは十六首あるが、そのうち杜甫が十三例を占め、あとは中唐の劉禹錫の竹枝詞に「瀼西春水縠紋生」とあるのが一例、九江のことを述べた盛唐の元結が二例あるに過ぎない。つまり夔州の草堂河を詩の中に歌ったのは杜甫が最初で、しかもそのほとんどが杜甫で、瀼は杜甫の詩と強く結びついているということである。浣花(渓)が成都草堂時代を代表する詩語だったように、瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩1527_夔州歌十絶句》其五で、

夔州歌十絶句其五 

(夔州歌十句,十首の五)

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。

背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜甫詩1500-971-1473/2500

年:766年大暦元年55-108

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之六

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯            

 

 

夔州歌十句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

 

(夔州歌十句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『夔州歌十句,十首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

(下し文)
(
夔州歌十句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。


(訳注)

夔州歌十句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

 

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

○東屯 奉節県の東十里、白帝城の東に東瀼水がある、水源は長松嶺であり白帝山を経て大江に流れ入る。公孫述が東瀼水のほとりに稲田を開墾したので、其の地を東屯という。○稲畦 いねのうね。

〇一百頃 頃は百畝の面積。

○青苗 旧注に陵の名とするが披名ではない、上の稲畦の苗をいうにすぎぬ。

 

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

○晴浴 晴れに乗じて東瀼水に浴するのであろう。

○狎鷗 人になれたかもめ。

〇雨隨神女 宋玉の「高唐賦」に巫山の神女のことばとして「『妾巫山之女也,為高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。』王因幸之。去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。』旦朝視之如言。故為立廟,號曰『朝雲』。」(妾は巫山の女なり、旦には朝雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下に」とある。神女が来れば雨がこれに随う。

○下朝朝 下は雨がくだるということのようにも思われるが、上句の狎鷗を主とするのよりいうならば其の対句として此の句も神女を主とするのがよい、朝朝の二字は賦中の語を用いる。 

 

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。
唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-107杜甫 《巻1535夔州歌十絕句,十首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-107 <970> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6505

杜甫  夔州歌十句,十首之五  

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。
(夔州の風土についてのべている。十首の五:夔州の杜甫草堂から臨む大瀼水と長江の景色を述べたもの)大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

766-107杜甫 《巻1535夔州歌十句,十首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-107 <970 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6505


 
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766年-106杜甫 《巻1534夔州歌十絕句,十首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-106 <969> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6500

杜甫  夔州歌十句,十首之四  

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。
(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

766-106杜甫 《巻1534夔州歌十句,十首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-106 <969 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6500

 

 
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杜甫詩1500-969-1471/2500

年:766年大暦元年55-106 

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之四

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

赤甲山 (山南東道 夔州 奉節) 別名:赤岬山               

白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山        

 

夔州歌十句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

 

夔州歌十句,十首之三

(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

(夔州歌十句,十首の三)

群雄 競い起って 前朝を問う,王者 無外 今朝に見る。

比のごろ訝【いぶか】る 漁陽の怨恨を結ぶを,元と聽く 舜日 舊簫の韶。

 

 

夔州歌十句,十首之四

(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

 

(夔州歌十句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『夔州歌十句,十首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之四

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

(下し文)
(夔州歌十句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)

赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。

それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。


(訳注)

夔州歌十句,十首之四

(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)

 

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。

赤甲 夔州府奉節県の東十五里にある山の名。

卷一五67 黃草 「黃草峽西船不歸,赤甲山下人行稀。秦中驛使無消息,蜀道兵戈有是非。萬里秋風吹錦水,誰家別淚濕羅衣?莫愁劍閣終堪據,聞道松州已被圍。」

卷一八52 入宅三首其一「奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春色漸多添。花亞欲移竹,鳥窺希捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。」

卷一八55赤甲「卜居赤甲遷新居,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。荊州鄭薛寄詩近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。」

卷二○25 自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一「白鹽危嶠北,赤甲古城東。平地一川穩,高山四面同。煙霜淒野日,(禾亢)稻熟天風。人事傷蓬轉,吾將守桂叢。」

白鹽 山の名、奉節県東十七里にある。

卷一五48  白鹽山「卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。白牓千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳?」

卷一八52  入宅三首其一「奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春色漸多添。花亞欲移竹,鳥窺希捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。」

卷二○10  反照「反照開巫峽,寒空半有無。已低魚腹暗,不盡白鹽孤。荻岸如秋水,松門似畫圖。牛羊識僮僕,既夕應傳呼。」

卷二○25 自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一「白鹽危嶠北,赤甲古城東。平地一川穩,高山四面同。煙霜淒野日,(禾亢)稻熟天風。人事傷蓬轉,吾將守桂叢。」

卷二○97   寄裴施州(「幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。」

○刺天 するどくそびえることをいう。

○閭閻 閭は里の門、閻は里中の門、ここは門ばかりをいうのではなくその村里をすべていう。

○繚繞 めぐるさま。

○接 つづく。

 

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

○橘 だいだい、みかん。

○丹青合 丹青とは楓葉橘実の色をいう、合とはいっしょに存在することをいう。

○複道 高低二重のみち。

○錦繡 楼閣に塗ってある色のうつくしさをいう。

○懸 ぶらさがる、高処にみえることをいう。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

(夔州歌十句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

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杜甫  夔州歌十句,十首之三  

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。
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夔州歌十句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

 

 

杜甫詩1500-968-1470/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之三

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

漁陽 (河北道南部 薊州 漁陽)       

 

 

夔州歌十句,十首之三

(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

(夔州歌十句,十首の三)

群雄 競い起って 前朝を問う,王者 無外 今朝に見る。

比のごろ訝【いぶか】る 漁陽の怨恨を結ぶを,元と聽く 舜日 舊簫の韶。

 

『夔州歌十句,十首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之三

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。
夔州歌十句,十首之三(含異文)

群雄競起問前朝【案:音潮。】【群雄競起前朝】【群雄競起前朝】,王者無外見今朝。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。


(下し文)
(夔州歌十句,十首の三)

群雄 競い起って 前朝を問う,王者 無外 今朝に見る。

比のごろ訝【いぶか】る 漁陽の怨恨を結ぶを,元と聽く 舜日 舊簫の韶。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

隋末群雄割拠図00
(訳注)

夔州歌十句,十首之三

(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

大暦元年夏の作。

杜甫が住まいとした瀼西の草堂は、草堂河に沿った小高い処であった。白帝城、少し前までと都賦のあった夔州城、いずれも西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入るいちにあった。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城が州の役所であり、白帝城とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(《1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ、夔州城は白帝城と連接していた。そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった。(もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。)

白帝城には旧都督府の役所があった。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

群雄 煬帝の過剰に人民に負担をしいたことに対し、羣雄が競って隋を問罪する戦を起した。杜甫(卷五28)《行次昭陵》「舊俗疲庸主,群雄問獨夫。讖歸龍鳳質,威定虎狼都。」(旧俗庸主に疲る、羣雄独夫を問う。讖は帰す竜鳳の質、威は定む虎狼の都。)これまでの歴代の愚な君主がつづいたため在来の民意俗風はつかれやぶれ嫌気をおこした。そこで多くの英雄たちが起って帝徳を失い一私人とも見なすべき隋の煬帝に対してその罪を問うたのである。そうした中で天子として期待できるという予言は竜鳳の資質をそなえた我が唐の太宗に帰しているとした、太宗の武威は虎狼の国ともいうべきの都、長安を平定せられた。

行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203

杜甫(卷十一13)《戲為六句其四》「才力應難跨(或作誇)數公,凡今誰是出群雄?或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。(才力 応に数公を誇【まさ】り難かるべし、凡そ今誰か是れ出群の雄なる。或は看る翡翠【ひすい】蘭苕【らんちょう】の上、未だ鯨魚を掣せず碧海【そうかい】の中。)今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

戲為六句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775 杜甫詩1000-516-749/1500

競起問前朝 煬帝の施政による度重なる負担に民衆は耐えかね、遂に第2次高句麗遠征からの撤兵の途中にかつての煬帝の側近楊素の息子楊玄感が黎陽で反乱を起こして洛陽を攻撃した。これは煬帝が派遣した隋軍により鎮圧されて楊玄感は敗死したが、この反乱を契機にして中国全土で反乱が起こり出した。

これまで従属していた突厥は隋の衰退を見て再び北方で暴れだしたので、煬帝は自ら軍を率いて北方に向かうも突厥軍に敗れて洛陽に撤退[20]。この敗戦が更なる引き金となり、616年には反乱が各地でピーク状態に達した[21]。やがて反乱軍の頭領は各地で群雄として割拠し、楊玄感の参謀を務めていた李密(北周八柱国・李弼の孫にあたり、関隴貴族集団の中でも上位の1人。楊玄感の敗死後に、洛口倉という隋の大食料集積基地を手に入れることに成功し多数の民衆を集めた)、この李密と激しく争っていた西域出身で隋の将軍を務めていた王世充、高句麗遠征軍から脱走し、同じ脱走兵たちを引き連れて河北に勢力を張った竇建徳、そして隋の太原留守(たいげんりゅうしゅ)であった李淵(後の唐の高祖)などが独立勢力となった(隋末唐初の群雄の図)ウィキペディアより。

 


比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

漁陽結怨恨 

元聽舜日舊簫韶 天子は庶民の暮らしとかけ離れたものこそがよく、それがあふれる様に、庶民に徳をもたらすことができるという思想である。

古来から儀礼として重視されていた音楽と舞踊であったが、外来音楽と楽器の流入により、相当な発展をとげた。唐代には娯楽性も向上し、楽器の種類も大幅に増加した。合奏も行われ、宮廷では大規模な楽団による演奏が度々行われた。714年に「梨園」が設置され、300人の楽工が梨園弟子になり、後に宮女も加えられた。教坊は内教坊か初唐から置かれていた。この上、玄宗期に雅楽と区分された俗楽や胡楽、散楽を扱うことを目的とした左右教坊が増設された。胡楽は西域を中心とした外来音楽で、唐代の宮廷舞楽の中心であった十部楽のうちの大半を占めた。

唐代の宮廷では、楽団の演奏にあわせて大勢が舞踊を行うことで多かった。また、「字舞」と呼ばれる音楽とともに踊り、身体を翻す瞬間に衣の色を換え、その後に地に伏して全員で字の形を描くという集団舞踏も存在し、多い時は百人単位で行われた。

唐代の皇帝の中でも、玄宗が特に音楽がすぐれており、外国の音楽を取り入れた「霓裳羽衣の曲」を作曲したとされる。この曲とともに、楊貴妃が得意とした「霓裳羽衣の舞」が行われ、宮人が数百人で舞うこともあった。

楊貴妃の作曲した「涼州」「阿那曲」を歌い、のちには、「凌波曲」、霓裳羽衣曲」、「連昌宮詞」と進んでゆき、散楽は、宮廷だけではなく、皇族や貴族の邸宅でも行われた。また、長安には、大慈恩寺、青竜寺、大薦福寺、永寿寺などの寺の境内や門前に「戯場」が置かれ、散楽が演じられた。

766年-104杜甫 《巻1532夔州歌十絕句,十首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-104 <967> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6490

杜甫  夔州歌十句,十首之二  

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

766-104杜甫 《巻1532夔州歌十句,十首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-104 <967 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6490

 

 
 2015年8月21日の紀頌之5つのBlog 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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夔州歌十句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

 

杜甫詩1500-967-1469/2500

年:766年大暦元年55-104

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

 

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『夔州歌十句,十首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之二

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。


詩文(含異文)     白帝夔州各異城【案:古白帝在夔州城東。】,蜀江楚峽混殊名【案:瞿唐舊名西陵峽,與荊州西陵峽相混。】。英雄割據非天意,霸主并吞在物情【霸王并吞在物情】。


(下し文)
(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

蜀中転々圖
(訳注)

夔州歌十句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

大暦元年夏の作。

杜甫が住まいとした瀼西の草堂は、草堂河に沿った小高い処であった。白帝城、少し前までと都賦のあった夔州城、いずれも西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入るいちにあった。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城が州の役所であり、白帝城とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(《1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ、夔州城は白帝城と連接していた。そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった。(もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。)

白帝城には旧都督府の役所があった。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

 

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

物情 1 物のようす・性質。時の事情。2 世人の心情。世間のありさま。

「周易」「大学」に示されている真の成功の条件は人の絆であり、天命は民心によるということとされ、此の二句で杜甫は、蜀、夔州の地で、異民族と結託し、独立を企てる勢力があり、それを批判したものである。

安史の乱当時の勢力図 

766年-103杜甫 《巻1531夔州歌十絕句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-103 <966> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485

杜甫  夔州歌十句,十首之一

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。
(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

766-103杜甫 《巻1531夔州歌十句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-103 <966 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485 杜甫詩1500-966-1468/2500

 

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-103杜甫 《巻1531夔州歌十絕句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-103 <966> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:766年大暦元年55-103

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

巴東 (山南東道 歸州 巴東)             

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

百牢關 (山南西道 梁州 百牢關)      

 

 

夔州歌十句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

 

『夔州歌十句,十首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之一

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

夔州歌十句,十首之一(含異文)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關【案:關在漢中西南。】【瞿唐險過百牢關】。

 

 (下し文)
(夔州の歌 十句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。


(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

夔州歌十句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

大暦元年夏の作。

 

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

○中巴・巴東 後漢の劉璋は巴(四川省東部)を三分(三巴)した、中巴・西巴・東巴がそれである、夔州は巴東郡に属する。中巴の東に位する。

○開闢 天地のひらけはじめをいう。楊炯 西陵峽の「西陵峡」詩に、「自古天地闢,流爲峽中水。」(古に天地の闢けしより、流れて峡中の水と為る」とみえる。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

〇白帝 白帝城をいう。

〇三峡 夔州、白帝の瞿塘峡(8km)、巫山の巫峡(45km)、巴東、帰州の西陵峡(66km

○鎮 しずめの山。

〇百牢関 【案:關在漢中西南。】(山南西道 梁州 百牢關)、陝西省漢中府汚県の西にある、孔明の建てたもので、両壁、山が相い対して六十里断えず、漢江の水が其の間に流れるという。

 

夔州歌十句,十首之一

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。
(夔州の歌 十句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

766年-97杜甫 《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-97 <960> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6435

杜甫  陪諸公上白帝城宴越公堂之作【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

此堂存古製,城上俯江郊。落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

英靈如過隙,宴願投膠。莫問東流水【莫問水清淺】,生涯未即
(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

【原注:越公は、隋の楊素であり、陳を滅ぼしたその功績で越国公に封ぜられた。越公楊素が建る所なり。そこに堂が在る。それは城上に在る。自畫像尚お存る。】

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

766-97杜甫 《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》杜甫詩index-15-766年大暦元年55-97 <960> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6435

 

 
 2015年8月13日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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291 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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79-#9 (改訂)《巻0211送靈師》-#9 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1493> Ⅱ【11分割】-#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6449 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-97杜甫 《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-97 <960> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6435 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8牛希濟《巻0538 中興樂一首》『花間集』236全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6452 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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杜甫詩1500-960-1458/2500

年:766年大暦元年55-97

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    陪諸公上白帝城宴越公堂之作【陪諸公上白帝城頭宴越公堂之作】【陪諸公上白帝城樓宴越公堂之作】【原注:越公楊素所建。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

越公堂 (山南東道 夔州 奉節)           

 

 

陪諸公上白帝城宴越公堂之作

(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

【原注:越公は、隋の楊素であり、陳を滅ぼしたその功績で越国公に封ぜられた。越公楊素が建る所なり。そこに堂が在る。それは城上に在る。自畫像尚お存る。】

此堂存古製,城上俯江郊。

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

坐接春杯氣,心傷蕊梢。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

英靈如過隙,宴願投膠。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

莫問東流水,生涯未即

歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

 

(諸公に陪して白帝城に上り越公堂に宴する之作)【原注:越公は楊素なり。越公楊素 建る所なり。堂在り。城上に在り。畫像尚お存す。】

此の堂 古製存し,城上 江郊に俯す。

落構 雲雨垂れ,荒階 草茅蔓る。

柱穿たれて 蜂 蜜を溜らし,棧 缺けて燕 巢を添う。

坐して接す 春杯の氣,心は傷む 豔蕊の梢。

英靈 過隙の如し,宴衎 投膠を願う。

問う莫れ 東流の水,生涯 未だ即たず
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夔州東川卜居図詳細 002 

『陪諸公上白帝城宴越公堂之作』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪諸公上白帝城宴越公堂之作【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

此堂存古製,城上俯江郊。

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。

坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

英靈如過隙,宴願投膠。

莫問東流水【莫問水清淺】,生涯未即

(下し文)
(諸公に陪して白帝城に上り越公堂に宴する之作)【原注:越公は楊素なり。越公楊素 建る所なり。堂在り。城上に在り。畫像尚お存す。】

此の堂 古製存し,城上 江郊に俯す。

落構 雲雨垂れ,荒階 草茅蔓る。

柱穿たれて 蜂 蜜を溜らし,棧 缺けて燕 巢を添う。

坐して接す 春杯の氣,心は傷む 豔蕊の梢。

英靈 過隙の如し,宴 投膠を願う。

問う莫れ 東流の水,生涯 未だ即ちたず

(現代語訳)
(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

【原注:越公は、隋の楊素であり、陳を滅ぼしたその功績で越国公に封ぜられた。越公楊素が建る所なり。そこに堂が在る。それは城上に在る。自畫像尚お存る。】

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

陪諸公上白帝城宴越公堂之作【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

越公  素(よう そ、? - 606年)は、中国の隋の政治家・軍人。隋の上柱国、司徒、楚景武公に上った。字は処道(正字は處道)。『隋書』によると、楊素は弘農郡華陰県(陝西省渭南市)の出身である。隋の帝室である楊氏(鮮卑普六茹部)とは別系統にあたる。楊素は、楊敷の子として生まれた。楊敷は、北周の天和年間に汾州刺史となり、北斉の将軍の段韶の攻撃を受けて捕らえられた。北斉は楊敷を任用しようとしたが、楊敷は屈することなく鄴で没した。

隋が建国されると、上柱国・御史大夫に上った。楊素の妻の鄭氏は嫉妬深く、これに楊素は怒って、「もし私が天子となったとしても、お前は皇后にはしてやるまい」と言った。鄭氏がこれを上奏したため、楊素は免官された。

文帝(楊堅)が江南を奪う計画を考えはじめると、楊素は数度にわたって南朝陳を平定する策を進言した。するとまもなく、楊素は信州総管に任ぜられた。永安で「五牙」「黄龍」と称する大艦を次々と建造し、楊堅の次男である晋王の楊広(のちの煬帝)を補佐して、みずからは行軍元帥となり、水軍で長江を下って一挙に陳を滅ぼした。楊素はその功績で越国公に封ぜられた。まもなく納言となり、内史令に転じた。陳滅亡後に江南で頻発した隋に対する反抗を次々と撃破した。

越公堂 唐の李胎孫の夔州都督府記に曰く、李眙孫 夔州都督府記 「白帝城東南斗上二百七十歩、得白帝廟、又有越公堂、在廟南而少西、隋越公素所建。」とある。

 

此堂存古製,城上俯江郊。

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

 

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

落構 おちかかれる構造。

 

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

 

坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

坐接 宴席で座り、そして接近する。ひざづめしてすわる。

春杯氣 春の酒盃の気。

豔蕊梢 うつくしい花のこずえ。

 

英靈如過隙,宴願投膠。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

英靈 楊の精靈をいう。畫像についていっている。

如過隙 瞬く間になくなるをいう。荘子知北遊篇)の「人生天地之間。若白駒之過郤。忽然而已。(人、天地の間に生くるは、白駒の郤[=隙]を過ぎるがごとし/人が天地の間で命を有するのは、開いた戸の隙間を通してその前を駆け抜けた白い馬を見るようなものだ)

衎 さかもりをたのしむ。

願投膠 親密になることをいう。古楽府《古詩十九首之第十八首》 以膠投漆中,誰能別離此?(ニカワを漆の中に入れ込んだら、もう誰でも引き離すことはできないことであるように夫婦仲もそれと同じなのだ。)

 

莫問東流水【莫問水清淺】生涯未即
歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

東流水 歳月の流れをいう。

 すぐさま投げ出し棄てることをいう。

766年-95杜甫 《1512白帝城最高樓》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-95 <958> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6425

杜甫  白帝城最高樓  

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

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年:

766年大暦元年55-95

卷別:    卷二二九              文體:    七言律詩

詩題:    白帝城最高樓

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

白帝城最高樓

(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

 

(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『白帝城最高樓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝城最高樓

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

(下し文)
(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血 空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

(現代語訳)
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。


(訳注)

白帝城最高樓

(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

○白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

この詩は、詩型が見事に整った秀作で6世紀南朝から宋の時代生まれた韻律を完成させた詩のひとつとされている。

 

城尖徑昃旌旆愁【城尖徑翼旌旆愁】,獨立縹緲之飛樓。

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

○旌旆 蛙は旗の先にふさふさとした羽をつけたもの、旅は旅、亀をかいた旗にさげた帛のびらをいう、要するに城上にたでたはたをいう。

○縹緲 気のたなびくさま。

○飛楼 飛とは楼の勢いをいう。楣簷が飛ぶ鳥のようであることからいう。《1514曉望白帝城鹽山》

曉望白帝城鹽山

(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐步移班杖,看山仰白頭。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

日出清江望,暄和散旅愁。

春城見松雪,始擬進歸舟。

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

とある。

 

峽坼雲霾龍虎臥【峽坼雲霾龍虎睡】,江清日抱黿鼉遊。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

○峽坼 坼は地形の裂けたようなさまをいう。

○雲霾 霾は土ふること、ここは雲がこまかくふることをいう。

○龍虎臥 映雲の形容である。

〇日抱 日は日の光。

〇黿鼉遊 これは実物の魚鱉黿鼉。

 

扶桑西枝對斷石【扶桑西枝封斷石】,弱水東影隨長流。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

○扶桑・弱水二句 曹植の「遊化」詩にいう、「東觀扶桑曜。西臨弱水流。北極登玄渚。」東のかた観る扶桑の曜くを、西のかた臨む弱水の流れ、北極れるとこ 玄渚に登る。」と。詩句はこれに基づく、扶桑は東海の仙境、そこには両両たすけあった大桑があるとかんがえられた、西枝はその桑の西の方の枝をいう、断石は峡中の南の切断した石をいう。弱水は甘粛の西北の沙漠に在って中途で地下をもぐってきえてながれる水、東影はその弱水の東方のすがた、長流は長江の流れをいう。此の二句の作者の意は恍惚としてとりとめもないがごとくであるが暁の実景を仙境のものによって比較したまでである。解は「訳文」をみよ、ここには重複を避ける。

 

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

○誰子だれの子か、自己のことをかく客観的にいったのである。

○泣血 血の涙。

○迸空 そらへとほとばしらす。最高楼ゆえ涙も空に向かって飛ぶ。

瞿塘峡001 

大暦元年              766    55歳 杜甫195

白帝城最高楼

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空回白頭。

 

 白帝城の最高楼 現代読み

城は険しく径は急で  旌旗は愁いに沈み

広々とかすむ高楼に  ひとりで立つ

山は裂け  雲は土煙のように垂れ下がって龍虎が臥し

流れは清く  陽は射して大亀や鰐が泳いでいる

断崖に向き合う枝は  扶桑の西枝であろうか

長江にながれる影は  弱水の東影であろうか

藜の杖をついて時世を嘆く者  それは誰か

血の涙を虚空に放ち  白髪頭を回らせている

 

 白帝城の最高楼 解説 白帝城は夔州の瀼西にあり、梅渓河を渡って小丘の急坂を登って行かなければなりません。杖をついて登ると、眼下に夔門の流れが渦巻き、正面には瞿塘峡の断崖が聳え立つ。首聯に「旌旆愁う」とあり、楼閣がひとつ山頂に建っているだけである。

 中四句は白帝城から見おろす瞿塘峡の景で、壮大かつ神秘的に詠われている。この幻想的な神秘的な詠い方は、やがて夔州期の杜詩の味わい深いものになっていく。尾聯では、杖をついて白帝城の最高楼まで登っていき、国家の現状を慨歎している。

 

読み下し文

城 尖【とが】り 径 仄【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

 

巫山十二峰003 

 

 

 

 

 

 

瀼西宅の場所については、南宋以来、近年の厳耕望氏や多くの杜甫伝までもふくめて、ほとんどが梅渓河(西瀼水)西岸にあったと考えている。しかし近年、簡錦松氏『杜甫夔州詩現地研究』(台湾学生書局、一九九九年)によって草堂河(東瀼水)西岸説が提出された。草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。これによって瀼西宅が白帝山の西側にあるのか、東側にあるのか、大きく異なることになった。

 

杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 

瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩《1527_夔州歌十絶句》其五で、

  瀼東瀼西一萬家、 瀼東と瀼西は 一万家

  江北江南春冬花。 江の北と江の南は 春も冬も花あり

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

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杜甫  曉望白帝城鹽山  

徐步移班杖,看山仰白頭。翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

日出清江望,暄和散旅愁。春城見松雪,始擬進歸舟。
(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

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年:766年大暦元年55-94

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    曉望白帝城鹽山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山         

 

 

曉望白帝城鹽山

(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

徐步移班杖,看山仰白頭。

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。

日出清江望,暄和散旅愁。

太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。

春城見松雪,始擬進歸舟。

もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『曉望白帝城鹽山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

曉望白帝城鹽山

徐步移班杖,看山仰白頭。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

日出清江望,暄和散旅愁。

春城見松雪,始擬進歸舟。
(含異文)

徐步移班杖,看山仰白頭。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓【江遠結飛樓】。

日出清江望【日出寒江望】,暄和散旅愁。

春城見松雪,始擬進歸舟。


(下し文)
(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

(現代語訳)
(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。

すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。

太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。

もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

瞿塘峡001
(訳注)

曉望白帝城鹽山

(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

大暦元年の作。

白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

鹽山 白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山。

 

徐步移班杖,看山仰白頭。

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。

班杖 斑竹の杖。763年梓州の長官の章彝にもらった杖。《1283桃竹杖引,贈章留後》(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

 

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。

○翠深 三峡の山々の緑が奥深いという。その中の絶壁との対比を強調する。

○斷壁 断崖絶壁。瞿塘峡の両岸は断崖が狭まっている。

○紅遠 紅は楼の色で、はるかなところにある。

○結 水の流れ、山々の緑、白い絶壁との結び付けるように紅の楼閣の簷。

○飛樓 楼閣全体の形が、簷勢鳥が崖の上で飛び立つ様である。

 

日出清江望,暄和散旅愁。

太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。

○江望 江上のながめ、杜甫の見る位置から城と山とを望む。

○暄和 日光のあたたかさが柔和である

 

春城見松雪,始擬進歸舟。

もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

○春城 この城は夔州城は低い位置にあったようであるから、題中の白帝城である。

○見松雪 白鹽山の白色が松に雪が積もったように見える。

○進 帰る気持ちを進めようとする。

○歸舟 故郷に帰るためにその船の準備をする。

 

 

 

(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

 

【杖】の代表作(杖を題材にした詩は77首ある。)

桃竹杖引,贈章留後〔竹兼可為簟,名桃笙〕

江心蟠石生桃竹,蒼波噴浸尺度足。

斬根削皮如紫玉,江妃水仙惜不得。

梓潼使君開一束,滿堂賓客皆歎息。』

 

憐我老病贈兩莖,出入爪甲鏗有聲。

老夫複欲東南征,乘濤鼓枻白帝城。

路幽必為鬼神奪,拔劍或與蛟龍爭。』

 

重為告曰:杖兮杖兮,爾之生也甚正直,慎勿見水踴躍學變化為龍、使我不得爾之扶持,滅跡於君山湖上之青峰。

噫,風塵澒洞兮豺虎咬人,忽失雙杖兮吾將曷從。

 

(桃竹杖の引、章留後に贈る)

〔竹 兼ねて簟,桃笙を名すを為す可し〕

江心の蟠石 桃竹を生ず、蒼波 噴浸 尺度足る。

根を斬り皮を削れば紫玉の如し、江妃 水仙 惜しみ得ず。

梓潼の便君開くこと一束、満堂の賓客皆嘆息す。』

#2

我が老病なるを憐れみて両茎を贈る、出入するに爪甲 鏗として声有り。

老夫復た東南に征かんと欲す、濤に乗じ 枻を鼓す白帝城。

路幽にして必ず鬼神に奪わるるをなさん、剣を抜きて或は蚊竜と争わん。』

#3

重ねて為に告げて日く、「杖や杖や、爾の生や甚だ正直なり。

慎みて水を見て踴躍して変化して竜となるを学び、我をして爾の扶持を得ず。

跡を君山湖上の青峰に滅せしむること勿れ、

噫ああ、風塵 澒洞 豺虎 人を咬む、忽ち双杖を失わば吾将に曷にか従わんとする。』

(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)

〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

涪江の中心に堵屈していた石に桃竹がはえた。この広い河の波がふきつけ浸していたのだが長さは十分にある。

杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。

梓州の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。』

章君はわたしが老人で病気なのを気の毒におもってくれて二本も贈ってくれたが、これをつかって出入りすると、爪甲が当たると「かちん」と音がする。

じぶんはこれからまた東南の地方へでかけたいとおもっている、舟楫をうごかし涛にのっていけば、あの劉備の最期をみとった白帝城をとおるだろう。

途中には静かでひっそりした路を経るときは鬼神にこの杖を奪われようとするかも知れない。或は、また剣をぬいて蛟竜と争うかも知れないというものだ。』

そこでかさねてこの杖にむかっていいきかせる。「杖よ、杖よ、」

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見てもおどりだして変化して竜となるようなまねをしている。」

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見ても壷公の故事のように、踊りだして変化して竜となるようなまねをしている。」

わたしをして、おまえのたすけをまったく得られず、洞庭湖のなかにある青峰君山のあたりでゆくえ不明にならせるようなことをしてほしくはないのだ。

「ああ、それなのにいまは兵乱の塵がもやくやと湧き立ち、各地で財虎のごときものが人をかむ時節なのだ。」

「こんなとき、突然に、この二本の杖をなくしたら、自分はどこにいったらよいやらわからないことになるというものだ。』

 

 

倚杖〔原注 鹽亭縣作〕

看花雖郭,倚杖即溪邊。 

山縣早休市,江橋春聚船。 

狎鷗輕白浪,歸雁喜青天。 

物色兼生意,淒涼憶去年。 

(杖に倚る)〔原注 鹽亭縣作〕

花を看るは郭内なりと雖も、杖に侍るは即ち渓辺なり。

山県 早く市を休み、江橋 春船を聚む。

狎鷗 白浪を軽んじ、帰雁 青天を喜ぶ。

物色と生意と、淒涼去年を憶う

(鹽亭縣の景色を詠う。)〔原注 劍南道北部 / 梓州 / 鹽亭縣での作〕

城郭の内で花を看てあるいてから、暫く行くとすぐに渓流のほとりにきて杖によりかかってながめる。

ここでみていると、塩亭県の山より街だけに早く市場を閉めてしまっている、江の橋のところには春ということで、貨物を載せた船があっまっている。

景色になれたかもめは気軽で何の興味も示さないで白浪のあるところにうかんでる、北へかえる雁は晴れた青空を喜んで飛んでゆく。

の春の万物がのどかな景色に倍してその生きざまとおもいをするのである。それにつけても、去年は、ものがなしくさびしいものでしかなかったことをおもいだすのである。

766年-92杜甫 《1566白帝》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-92 <955> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6410

杜甫  白帝  

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

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年:766年大暦元年55-92

卷別:    卷二二九              文體:    七言律詩

詩題:    白帝

作地點:              目前尚無資料

及地點:白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

白帝

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

(白帝)

白帝城中雲門を出づ、白帝城下雨盆を詔へす。

高江 急峡 雷霆鬥ひ、翠木蒼藤日月昏し。

戎馬は如かず歸馬の逸するに、千家今百家の存する有り。

哀哀寡婦誅求され盡くす、慟哭す秋原何處の村に。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『白帝』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。
(含異文)

白帝城中雲出門【白帝城中雲若屯】【白帝城頭雲出門】【白帝城頭雲若屯】,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏【翠木長藤日月昏】【古木蒼藤日月昏】【古木長藤日月昏】。

戎馬不如歸馬逸【去馬不如歸馬逸】馬不如歸馬逸,千家今有百家存【千家今有十家存】。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。


(下し文)
(白帝)

白帝 城中 雲門を出づ、白帝 城下 雨盆を詔へす。

高江 急峡 雷霆鬥ひ、翠木 蒼藤 日月昏し。

戎馬は如かず 歸馬の逸するに、千家 今 百家の存する有り。

哀哀 寡婦 誅求され盡くす、慟哭す 秋原 何處の村に。

(現代語訳)
(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。


唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

白帝

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

○白帝 白帝山、白帝城の周辺をいうが、詩句の初め二字を持って題とする。夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

 

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

雨翻盆 雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

 

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

高江急峽 瞿塘峡の流れが急峻である。流入してくる支流も九峻で音を立てて流れ込む。

雷霆鬥 流れ込む音、本流の瞿塘峡の水聲が山々にこだまし、戦闘時のようだということ。

 

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

歸馬 戦時には、馬を供出されたが、その馬が帰って来て、農耕に使用されることで、おんきでいいのではないかという。・歸馬逸:放牛歸馬のこと。逸は気楽でよいということ。戦争が終わって平和になるたとえ。また、再び戦争をしないたとえ。戦争で使った馬や牛を野に帰し放つ意から。《書経武成》:乃偃武修文, 歸馬於 華山 之陽, 放牛於 桃林 之野, 示天下弗服”。 後以“放牛歸馬”比不再用兵

百家 国境であり、逃村したもの、戦死したものが多く、この地の世帯数が激減したことをいう。

 

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

誅求盡 納税をし尽くしているということ。貧乏な生活をしていることをいう。

慟哭 砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくる。夫を失った寡婦が慟哭することをいう。

何處村 どこかの村という意味ではなく、何処の村でもという意味。

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杜甫  堆  

巨積水中央,江寒出水長。

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

天意存傾覆,神功接混茫。

干戈連解纜,行止憶垂堂。
灩澦堆の石のことをよんだ詩。

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。

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杜甫詩1500-954-1452/2500

年:766年大暦元年55-91

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    灩澦堆

作地點:              目前尚無資料

及地點:              灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)

 

 

灩澦堆

巨積水中央,江寒出水長。

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

天意存傾覆,神功接混茫。

干戈連解纜,行止憶垂堂。

灩澦堆の石のことをよんだ詩。

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。

この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。

天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。

自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。

 

(灩澦堆)

巨石 水の中央、江寒くして水を出づること長し。

沈牛雲雨に答え、如馬 舟航を戒む。

天意 傾覆に存し、神功混茫に接す。

干戈 連りに 纜を解き、行止 垂堂を憶う。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

灩澦堆』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


巨積水中央,江寒出水長。

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

天意存傾覆,神功接混茫。

干戈連解纜,行止憶垂堂。

(下し文)
(灩堆)

巨石 水の中央、江寒くして水を出づること長し。

沈牛雲雨に答え、如馬 舟航を戒む。

天意 傾覆に存し、神功混茫に接す。

干戈 連りに 纜を解き、行止 垂堂を憶う。

(現代語訳)
灩澦堆の石のことをよんだ詩。

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。

この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。

天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。

自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。


(訳注)

灩澦堆

灩澦堆の石のことをよんだ詩。大暦元年の作。

○灩澦堆 江中の石の名、奉節県の西南、瞿塘峡に差し掛かる前にある。瞿塘は峡の名、四川省夔州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。古楽府の歌に「淫予(灔澦)大なること馬の如くなれば、瞿塘下るべからず」という。○瞿塘灩預堆 

長江瞿塘峽口的險灘。 在四川省奉節縣東。 唐李白《長干行》之一:十六君遠行, 瞿塘灩澦堆。” 王琦注引《太平寰宇記》:灩澦堆, 周回二十丈, 在夔州西南二百步蜀江中心瞿塘峽口。

・所思(卷一○33)「苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。」

所思 七言律詩  成都5-(32) 杜甫 <480  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500

・長江二首其二(卷一四66)「浩浩終不息,乃知東極臨。眾流歸海意,萬國奉春心。色借瀟湘闊,    聲驅灩澦沉。未辭添霧雨,接上過衣襟。」

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・灩澦堆(卷一五15○)「巨石(一作積)水中央,江寒出水長。沉牛答雲雨,如馬戒舟航。天意存傾覆,    神功接混茫。干戈連解纜,行止憶垂堂。」

・夔府書懷四十韻(卷一六14)「昔罷河西尉,初興薊北師。不才名位晚,敢恨省郎遲?扈聖崆峒日,端居灩澦時。萍流仍汲引,樗散尚恩慈。遂阻雲(一作靈)臺宿(一作仗),常懷〈湛露〉    詩。翠華森遠矣,白首颯淒其。拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。文園終寂寞,漢    閣自磷緇。病隔君臣議(一作識),慚紆德澤私。揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。」

 

・灩澦(卷一九12)「灩澦既沒孤根深,西來水多愁太陰。江天漠漠鳥雙去,風雨時時龍一吟。舟人漁    子歌回首,估客胡商淚滿襟。寄語舟航惡年少,休翻鹽井擲(一作橫,一作摸)」

・雨四首其二(卷二○86)「江雨舊無時,天晴忽散絲。暮秋霑物冷,今日過雲遲。上馬回休出,看鷗(《杜    臆》作鴉)坐不移(一作辭)。高(一作層)軒當灩澦,潤色靜書帷。」

・大曆三年春白帝城放船出瞿唐峽久居夔府將適江陵漂泊有詩凡四十韻(卷二一42「聖代,誰分哭窮途。臥疾淹為客,蒙恩早廁儒。廷爭酬造化,樸直乞江湖。灩澦    險相迫,滄浪深可逾。浮名尋已已,懶計卻區區。喜近天皇寺,先披古畫圖。)」

 

巨積水中央,江寒出水長。【巨石水中央】

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。

 

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。

○沈牛 牛を水中にしずめて水神に感謝するのである。

○答雲雨 答とは報謝することをいう、雲雨とは雲雨を与えてくれたことをいう、思うに土俗に水神に雨を祈ることがあるのであろう。三峡には、いろんな雨乞いがある。雨の少ない時、多い時に舟を就航させないということ。

 

天意存傾覆,神功接混茫。

天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。

○如馬 先の古楽府のうたをさす。

○存傾覆 傾覆を戒めることに存することをいう。

○神功 水神の功、雨乞いのとき雨をふらすこと。

○接混茫 混茫は水のさまであるが、ここでは元気の至大なさまに比したものであろう、接とは近いことをいう。

 

干戈連解纜,行止憶垂堂。

自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。

○千曳 兵乱の際をいう。

○連解携 作者は成都より雲安、雲安より垂州にくだった。そ軒ゆえに「連り」という。○行止 ゆくにも止どまるにも。

○垂堂 危いことには近寄らぬとの戒めをいう、「漢書」(袁盎伝)に、「千金の子は、坐するに堂に垂せず」とある、垂とは堂のはしによることをいう、堂のはしによれば堂より墜落する恐れがあるゆえ、金持ちの子はえんがわのはしなどにはすわらないということ。

 

(灩澦堆)

巨石 水の中央、江寒くして水を出づること長し。

沈牛雲雨に答え、如馬 舟航を戒む。

天意 傾覆に存し、神功混茫に接す。

干戈 連りに 纜を解き、行止 垂堂を憶う。

766年-90杜甫 《1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-90 <953> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

766-90杜甫 1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-90 <953 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400 杜甫詩1500-953-1451/2500

 

 
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年:766年大暦元年55-90

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山         

 

 

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)

【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。

他皆任厚地,爾獨近高天。

他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。

白榜千家邑,清秋萬估船。

淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

 

白鹽山【白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。】

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『白鹽山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。

他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

----------------------
(含異文)

卓立群峰外,蟠根積水邊【案:下臨神淵。】。

他皆任厚地,爾獨近高天【我獨近高天】。

白榜千家邑,清秋萬估船【清秋萬里船】【清秋萬古船】。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳【刷練始堪傳】。


(下し文)
白鹽山【白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。】

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

(現代語訳)
(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)

【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。

他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。

淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。

詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

瞿塘峡001
(訳注)

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)

白鹽山【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

杜詩において「白鹽山」「白鹽」「鹽山」と以下に見える。

夔州歌十句 其四(卷一五34

赤甲白鹽俱次天,閭閻繚繞接山

白鹽山(卷一五68

卓立群峰外,蟠根積水邊。

入宅三首其一(卷一八52

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

反照(卷二○10

已低魚腹暗,不盡白鹽孤。

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一(卷二○25

白鹽危嶠北,赤甲古城東。

寄裴施州(卷二○97

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

曉望白帝城鹽山(卷一五14

徐步攜斑杖,看山仰白頭。

 

卓立群峰外,蟠根積水邊。

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。

 

他皆任厚地,爾獨近高天。

他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。

他皆 見えがかりの他の全ての山々。

任厚地 大地の厚さがありその範囲に地形が成り立つ、それ以上に格別高い山はないことをいう。断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、其の地を侵食して水が流れ、長江が乍、馳走に応じて支流が侵食して、川や谷を形成、残った山が峰など多様な相貌をもつ。

 白鹽山をいう。

 

白榜千家邑,清秋萬估船。

淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。

白榜 白い看板。ここでは白鹽山の名前が示す通り、白い「崖高千餘丈」の崖がかんばんのように見えることをいう。

千家邑 ここの村に住んでいる千軒の家。

萬估船 よろず、商人の船。

 

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

刻畫 苦心して作った、巧みな詩句。

竟誰傳 結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

 

 

白鹽山【白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。】

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

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杜甫  謁先主廟#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。
そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。

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杜甫詩1500-952-#4-1453/2500

年:766年大暦元年55-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

閭閻兒女換,歌舞時新。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。

域歸舟遠,荒城繫馬頻。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

如何對搖落,況乃久風塵。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 時に新たなり。

域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。

應天才不小,得士契無鄰。

また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文)     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞時新。域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説

(本文)
#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

(下し文)
孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

(現代語訳) #4

そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。

また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。

自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。

それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。


(訳注) #4

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

孰與關張並,功臨耿鄧親。

そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。

○執与二句 劉備に対しての諸葛亮と関羽、張飛らの賢臣、劉邦に対する耿弇鄧禹等ほどの「君臣の契り」というものを、みることができない。杜甫は、肅宗の朝廷において、房琯らとともに、奸臣の賀蘭進明、第五琦や宦官らに朝廷からはじき出されている。中宗、代宗に賢臣がいないことをいう。

○関張 関羽・張飛、先主と兄弟の約をなし、のちその臣となった人。『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話を桃園の誓い、桃園結義とも称される。これは正史の『三国志』にない逸話であって創作上の話であるとされており、劉備が二人に兄弟のような恩愛をかけ、関羽・張飛は常に劉備の左右に侍して護り、蜀漢建国に際して大いに功績があった、という史実に基づいて作られた逸話である。

○臨耿鄧親 耿は耿弇、鄧は鄧禹、ともに後漢の光武帝の功臣、臨親とはちかいことをいう。

 

應天才不小,得士契無鄰。

また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。

○応天才不小 天命に応じて起こるほどの大才をもったものをいう。

○得士契無鄰 士は傑士、ここでは諸葛亮。無鄰とは此鄰するもののないことをいう。先主は亮を得て、「孤之有孔明有、猶魚之有水」といったが、これは「近似を許さぬ君臣の契り」である。

 

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。

○遅暮 人生の晩暮。

○堪 たえること。一説にいう、豊堪でたえぬことをいうと。

帷幄 軍謀に参与すること。

釣緡 つりいとを弄ぶ、漁父のごとき生活をする。単なる隠遁者ではなく、太公望のように召喚を待つ意味を含む。

 

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。

○向来 壮年以来の。「遅暮」以下は直接に自己を叙する
三者の思惑が合致 
杜甫は、房琯らと共にちょう手尾からはじき出されるようにして華州に左遷され、ついに官を辞したのである。 

766年-89-杜甫 《1569謁先主廟》-#3 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-89-3 <952-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405 

杜甫  謁先主廟#3

竹送清溪月,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞時新。

域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。
夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

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杜甫詩1500-952-#3-1452/2500

年:766年大暦元年55-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

閭閻兒女換,歌舞時新。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。
域歸舟遠,荒城繫馬頻。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

如何對搖落,況乃久風塵。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 時に新たなり。

域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文)     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞時新。域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 夔州東川卜居図詳細 002

 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説

(本文) 3

竹送清溪月,苔移玉座春。

閭閻兒女換,歌舞時新。

域歸舟遠,荒城繫馬頻。

如何對搖落,況乃久風塵。

(下し文)
竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 時に新たなり。

域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

(現代語訳)
夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。


(訳注) #3

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

竹送清溪月,苔移玉座春。

夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

○清渓 清は或は青に作る、豊渓とをいう。

苔移 苔がはびこって玉座の方まで移り生ずることをいう。

玉座春 玉座の春にあたっての意。玉座は神牀、神像を安置してある台をいう。竹送・苔移の二句は、道教の祠を述べるのに、現状の実写ではない虚描写でもって霊的、神格化を表現する。単に、古めかしいというのではなく、荒れ果てているとはいえどこか違うというほどの意。

 

閭閻兒女換,歌舞時新。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。

○閭閻 里門、里中の門、附近の村里をいう。

○兒女換 換とは廟が置かれて以来つぎつぎと児女が生まれたことをいう、兒女は歌舞を為す者である。兒女とは? 女の子。 女子と子供。おんなこども。 男の子と女の子。

○歳時 一歳、四時。

○新 歌舞が新たなことをいう。以上「錦江」からの十句は祠廟の景事をいう。

 

域歸舟遠,荒城繫馬頻。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

○絶域 かけはなれた土地、要州をさす。

○帰舟 長安へかえる舟。故郷は洛陽偃師である。

○荒城 夔州の城をいう。

○繋馬 廟前に馬をつなぐことをいう。

 

如何對搖落,況乃久風塵。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

○揺落 秋、木の葉が風にゆられて落ちること。
安史の乱当時の勢力図 

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杜甫  謁先主廟#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。
これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

766-89-杜甫 1569謁先主廟》-#2 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-89-2 <952-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-952-#2-1451/2500

年:766年大暦元年55-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

閭閻兒女換,歌舞時新。

域歸舟遠,荒城繫馬頻。

如何對搖落,況乃久風塵。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 時に新たなり。

域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文)     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞時新。域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

(下し文)
霸氣 西南歇み,雄圖 曆數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

虛簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

(現代語訳)
これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。


(訳注) #2

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

○西南 きょく蜀・三巴の地の方位をいう。

○雄図 諸葛亮の中原を経略しょうとのいさましいくわだて。

○暦数屯 暦数は命数というのに同じ、屯はゆきなやむことをいう。以上起十句は先主の業が諸葛売の死によって頓挫したことをいう。

 

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

○錦江元過楚、剣閣復通秦 蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたことをいう。

 

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

〇祠廟 鬼の先主廟をいう。

○鬼神 先主の神像であろう。

 

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

○虛簷 さびしい軒端。

○交鳥道 山崖の高処に在ることをいう。
長安城図 作図00 

766年-89-杜甫 《1569謁先主廟》-#1 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-89-1 <952-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6395

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。

復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛。
(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1  後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

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杜甫詩1500-952-#1-1450/2500

年:766年大暦元年55-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

閭閻兒女換,歌舞時新。

域歸舟遠,荒城繫馬頻。

如何對搖落,況乃久風塵。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 曆數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

虛簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 時に新たなり。

域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文)     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞時新。域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

慘淡風雲會,乘時各有人。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

復漢留長策,中原仗老臣。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

(下し文)
先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】 #1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

(現代語訳)
(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。


(訳注)

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

○惨澹ものがなしいさま。

○風雲会 天下に騒乱の撃-ったことをいう。

○乗時 時勢をしおにうごきだす。

 

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

○力侔 魏・呉・蜀が鼎の足のごとくに対時する、三権鼎立。

○分社稷 天下を分かつ。社稷:社稷(しゃしょく)とは、社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)の総称。天壇・地壇や宗廟などとともに、中国の国家祭祀の中枢を担う。本項で記述。転じて、国家のことを意味する。古代中国に於いては、土地とそこから収穫される作物が、国家の基礎であると考えられており、村ごとに土地の神と五穀の神を祀っていたが、やがて古代王朝が発生するようになると、天下を治める君主が国家の祭祀を行うようになり、やがて国家そのものを意味するようになった。

○志屈 先主は晩年、呉を征伐しようとして戦いに敗れて死んだので志を伸べることができなかった。

〇偃經綸 經綸の策がたおれた。經綸:国家の秩序をととのえ治めること。また、その方策。

 

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

○復漢 漢の天下を回復しょうとしたこと。

○留長策 よいはかりごとを身後にのこす。

○中原 黄河地方(魂の地)を奪取しようとすること。

○老臣 諸葛亮をさす。

 

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

○雑耕 兵站が上手くいかず、五回にわたって北伐をしている。屯田の兵卒が農民とまじって耕すこと。諸葛充が北伐して魏の司馬懿と渭水の南に対陣したとき、糧食のとだえることをうれえて兵を分かって屯田し久駐留の基となした、耕者は渭浜の居民の間に雜わったが、百姓は生活に安んじ軍隊には利己的な行為がなかったという。

○欧血 欧は嘔とおなじ、はくこと、諸葛亮は糧尽き勢い窮まり憂患のあまり血をはき、営を焼き逃がれ、走って谷に入り、道に病を発して卒したという。

建興12年(234年)春2月、第5次の最後の北伐を行った。諸葛亮は屯田を行い、持久戦の構えをとって五丈原で司馬懿と長期に渡って対陣した。しかし、同時に出撃した呉軍は荊州および合肥方面の戦いで魏軍に敗れ、司馬懿も防御に徹し諸葛亮の挑発に乗らなかった。諸葛亮は病に倒れ、秋8月(『三国志演義』では823日)、陣中に没した(五丈原の戦い)。享年54
唐時代 地図山南 東・西道50

766年-88杜甫 《1513八陣圖》五言絶句 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-88 <951> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6390

杜甫  八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

功蓋三分國,名成八陣圖。江流石不轉,遺恨失吞
諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。1.夔州奉節縣の白帝城西郊。2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓。に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

766-88杜甫 1513八陣圖》五言絶句 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-88 <951 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6390 杜甫詩1500-951-1449/2500

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:766年大暦元年55-88

卷別:    卷二二九              文體:    五言

詩題:    八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              八陣圖 (山南東道 夔州 奉節)           

 

 

 

八陣圖

【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

功蓋三分國,名成八陣圖。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

江流石不轉,遺恨失吞

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

 

八陣圖【諸葛亮は〈八陣圖〉三有り,一に夔在り,一に彌牟の鎮在り,一に棋盤の市在り,此に夔の永安宮の前に在る者なり。】

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->夔州東川卜居図詳細 002
<!--[endif]-->

 

『八陣圖』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

功蓋三分國,名成八陣圖。

江流石不轉,遺恨失吞

(下し文)
八陣圖【諸葛亮は〈八陣圖〉三有り,一に夔在り,一に彌牟の鎮在り,一に棋盤の市在り,此に夔の永安宮の前に在る者なり。】

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。

(現代語訳)
諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。


(訳注)

八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。大磨元年の作。

〇八陣図 諸葛孔明が石を積みかさねて作った陣形をいう。八陣とは天、地、風、雲、竜、虎、鳥、蛇の八種の陣形をいう。これが魚復浦の平沙の上に在り、大水のときには破壊されるが水が減ずるときはまた旧態に復し、ふしぎなものとされておる。

<!--[if !vml]-->八陣図<!--[endif]-->

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

 

功蓋三分國,名高八陣圖。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

○蓋 ふたをする、圧倒することをいう。

〇三分国 蜀漢の時、天下は魏・呉・蜀の三つに分かれた。三国時代。

 

江流石不轉,遺恨失吞

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

○失呑呉 この句の解は諸説紛紛である、列挙してもしかたないので今は異説の一つをあげよう。其の説は「呑呉二失ス」とよませて「呑呉という失策をした」ととく、それは先主の末年に孔明は呉を征伐することには不賛成であったのにもかかわらず、先主を諌止することができずして遂に先主をして敗死せしめたが、これは呉を呑まんとするという政策において失敗したのである、というのである。しかし三分の天下を一統するには呉をも併呑せぬわけにはいかぬゆえ、呉を併呑するのがわるいとはいわれず、もし呉を併呑し得るならば其の力によって魏を容易に平らげうるかも知れぬゆえ、また劉備が大敗するとは思わなかった、杜甫が、併呑不併呑の政策の可否を論ずることはあまりない。且つ、八陣圖を抒情的に述べているので、上説の如くに解しては「江流」の句が死んでしまう。故にここでは普通の説を取って「呑呉を失す」とみる。「呑呉を失す」とは呉を併呑すること、張飛と関羽の失敗から、劉備に呉と戦う道に進ませてしまったこと、ということなどを失ったと表現、すなわち呉を呑むことができなかったとの意である。

魚腹浦の伏兵  

 夷陵の戦いでは、はじめは劉備軍が圧倒的に優勢であったが、伸び切った陣営を陸遜に奇襲され、蜀は大敗を喫す。劉備は白帝城へ逃走、陸遜はこれを追うが、魚腹浦で八陣図の中で迷ってしまい、諸葛亮の舅・黄承彦に助け出してもらう始末。劉備は無事に白帝城に入った。

 

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。

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杜甫  武侯廟  

遺廟丹青落,空山草木長。猶聞辭後主,不復臥南陽。
(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

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年:766年大暦元年55-87

卷別:    卷二二九              文體:    五言

詩題:    武侯廟【廟在白帝西郊。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

 

 

武侯廟

(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)

遺廟丹青落,空山草木長。

いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。

猶聞辭後主,不復臥南陽。

彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

 

(武侯の廟)

遺廟 丹青落ち、空山 草木長し。

猶お聞くがごとし 後主を辞するを、復た南陽に臥せず。

 

 

『武侯廟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

武侯廟

遺廟丹青落,空山草木長。

猶聞辭後主,不復臥南陽。
(含異文)遺廟丹青落【遺廟丹青古】,空山草木長。猶聞辭後主,不復臥南陽。
(下し文)
(武侯の廟)

遺廟 丹青落ち、空山 草木長し。

猶お聞くがごとし 後主を辞するを、復た南陽に臥せず。

(現代語訳)
(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)
いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。

彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

武侯廟

(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)大暦元年夔州にあっての作

○武侯廟 武侯は蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。詩中に「空山」の語があるのによって此の詩が成都の武侯廟をさすものではないことを知ることができる。

 

遺廟丹青落,空山草木長。

いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。

○丹青 棟梁画壁などにぬってあった絵の具をいう。

○空山 人のない山。赤甲山を背にして立っていたもので、このやまの東南側の麓に白帝城がある。

 

猶聞辭後主,不復臥南陽。

彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

○猶聞 武侯のすでに没した今日もまだその生時の声をきくがごとくである。

○辞後主 後主は蜀漢の先主劉備玄徳の子、劉禅をいう。先主の後を継ぎ後主と称される。後主の227年建興五年、諸葛亮は魏を伐とうとして諸軍を率いて北のかた漢中に進駐しょうとし、出発にのぞんで表をたてまつった、これがすなわち有名な「出師の表」である。辞とはこの表をたてまつって暇乞いの御挨拶をすることをいう。

出師表-後出師表(まとめ)【12分割】-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748

出師表-(まとめ) 【12分割】-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753

○臥南陽 亮は初め南陽の都県に家居していた、其の地は嚢陽の城西二十里にあり陸中とよばれる、徐庶が劉備に語っていうのに、諸葛孔明は臥竜ともいうべき人物である、将軍がもし会って見たければみずから出かけて行かれるがよいと、劉備は遂に三たび諸葛亮の盧を訪れてはじめて彼に会うことができた。いわゆる草盧三顧である。

 

襄陽一帯地図000 

 

 

(武侯の廟)

遺廟 丹青落ち、空山 草木長し。

猶お聞くがごとし 後主を辞するを、復た南陽に臥せず。

766年-86杜甫 《1509上白帝城,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-86 <949> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6380

杜甫  上白帝城,二首之二  

白帝空祠廟,孤雲自往來。江山城宛轉,棟宇客裴回。

勇略今何在,當年亦壯哉。後人將酒肉,虛殿日塵埃。

谷鳥鳴還過,林花落又開。多慚病無力,騎馬入青苔。
(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。

766-86杜甫 1509上白帝城,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-86 <949 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6380

 

 



 
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杜甫詩1500-949-1447/2500

年:766年大暦元年55-86

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    上白帝城,二首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

白帝廟 (山南東道 夔州 奉節)          

 

 

上白帝城,二首之二

(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

白帝空祠廟,孤雲自往來。

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。

江山城宛轉,棟宇客裴回。

ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。

勇略今何在,當年亦壯哉。

公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。 

後人將酒肉,虛殿日塵埃。

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

谷鳥鳴還過,林花落又開。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。

多慚病無力,騎馬入青苔。

はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。

 

(白帝城に上る 二首の二)

白帝 空しく祠廟,孤雲 自ら往來す。

江山 城 宛轉たり,棟宇 客 裴回す。

勇略 今 何に在る,當年 亦た 壯なる哉。

後人 酒肉を將てし,虛殿 日に塵埃なり。

谷鳥 鳴き還た過る,林花 落ち又た開く。

多く慚づ 病みて無力なるを,馬に騎り 青苔に入る。
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夔州東川卜居図詳細 001 

『上白帝城,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

上白帝城,二首之二

白帝空祠廟,孤雲自往來。

江山城宛轉,棟宇客裴回。

勇略今何在,當年亦壯哉。

後人將酒肉,虛殿日塵埃。

谷鳥鳴還過,林花落又開。

多慚病無力,騎馬入青苔。

(下し文)
(白帝城に上る 二首の二)

白帝 空しく祠廟,孤雲 自ら往來す。

江山 城 宛轉たり,棟宇 客 裴回す。

勇略 今 何に在る,當年 亦た 壯なる哉。

後人 酒肉を將てし,虛殿 日に塵埃なり。

谷鳥 鳴き還た過る,林花 落ち又た開く。

多く慚づ 病みて無力なるを,馬に騎り 青苔に入る。

(現代語訳)
(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。

ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。

公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。 

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。

はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。


(訳注)

上白帝城,二首之二

(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

 

杜甫が、白帝城を題、詩に歌ったものは以下の通り50首前後ある。大半は当然のこととして、夔州時代の詩である。この時約400首であったから実に12%近く締めていることになる。

・望岳(卷六(二)四八五)

  送元二適江左(卷一二(三)一○三二)

  西山三首其一(卷一二(三)一○四五)

 

  渝州候嚴六侍御不到先下峽(卷一四(三)一二二二)

765年永泰元年54-32 《渝州候嚴六侍御不到先下峽》 杜甫index-15 杜甫<832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4895 杜甫詩1500-832-1150/2500

  移居夔州作(卷一五(三)一二六五)

  引水(卷一五(三)一二七○)

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

  上白帝城(卷一五(三)一二七二)

  上白帝城二首 其二(頁一二七四)

  陪諸公上白帝城頭(一作樓)宴越公堂之作(卷一五(三)一二七五)

  白帝城最高樓(卷一五(三)一二七六)

  最能行(卷一五(三)一二八六)

766年大暦元年55-14-2奉節-6 《最能行 -#2 杜甫index-15 杜甫<877-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5235

夔州歌十句其一(頁一三○二)

  夔州歌十 其二(頁一三○三)

  白帝(卷一五(三)一三五○)

  白帝(卷一五(三)一三五○)

  瞿唐懷古(卷一八(四)一五五七)

  返照(卷一五(三)一三三六)

 

  白帝樓(卷二一(四)一八三九)

  白帝城樓(卷二一(四)一八四○)

  曉望白帝城鹽山(卷一五(三)一二八○)

  荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌(卷一八(四)一五八一)

  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)

  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡(卷一八(四)一六○

    入宅三首其三(頁一六○八)

  寄從孫崇簡(卷一八(四)一六一三)

  熟食日示宗文宗武(卷一八(四)一六一五)

  醉為馬墜群公攜酒相看(卷一八(四)一五九○)

  更題(卷一九(四)一六七七)

  送王十六判官(卷一八(四)一五九五)

  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

  寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)

  八月十五夜月二首其二(卷二○(四)一七五○)

  曉望(卷二○(四)一七五三)

  暫往(一作住)白帝復還東屯(卷二○(四)一七七二)

  季秋蘇五弟纓江樓夜宴崔十三評事韋少府姪三首其一(卷二○(四)一七七五)

  雲(卷二○(四)一七八六)

  十月一日(卷二○(四)一七八七)

  戲作俳諧體遣悶二首其二(卷二○(四)一七九三)

  錦樹行(卷二○(四)一八○八)

  觀公孫大娘弟子舞劍器行並序(卷二○(四)一八一五)

  前苦寒行二首其二(卷二一(四)一八四五)

  大曆三年春白帝城放船出瞿唐峽久居夔府將適江陵漂泊有詩凡四十韻(卷二一(四

  暮秋將歸秦留別湖南幕府親友(卷二三(五)二○八九)

 望岳(卷六(二)四八五)

望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

 瞿塘懷古(卷一八(四)一五五八)

 

 

 

白帝空祠廟,孤雲自往來。

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。

白帝 公孫述のこと、述、字は子陽、王奔のとき兵を起こし宗成王岑の乱を討ってこれを破り、遂に蜀を領有し、立して帝となり成都に都した、色は白を尊び、成都の郭外の旧倉を改めて自帝倉となし、のち魚復に城を築き号して白帝城といった、述は帝位に立って十二年にして後漢の光武帝に滅ぼされた。

祠廟 李眙孫 夔州都督府記 「白帝城東南斗上二百七十歩、得白帝廟、又有越公堂、在廟南而少西、隋越公素所建。」とある。《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》以下の通り。

陪諸公上白帝城宴越公堂之作

此堂存古製,城上俯江郊。

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。

坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

英靈如過隙,宴衎願投膠。

莫問東流水,生涯未即

 

江山城宛轉,棟宇客裴回。

ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。

宛轉 うねりまがる。

棟宇 棟木と大屋根。

客 この祠廟を訪れる人々をいう。

 

勇略今何在,當年亦壯哉。

公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。 

勇略 勇気と、すぐれた計略。

 

後人將酒肉,虛殿日塵埃。

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

將 ・・・・・・もってす。戦に際して、「爿」に「肉」を供え「手」で奉る儀式があり、それを軍団の長、即ち「将」が執り行ったことから献納することをいう。

 

谷鳥鳴還過,林花落又開。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。

 

 

多慚病無力,騎馬入青苔。

はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。

青苔 青苔的空間,原道:韓愈は著書『原道』で、堯舜から孔子・孟子まで絶えることなく伝授された仁義の「道」こそ仏教・道教の道に取って代わられるべきものだと主張している。ここでは、隠遁して書物をもっと学びたいということ。

道をたずねる。 原道 1回~12 まとめ(1) 韓愈(韓退之) <25>Ⅱ中唐詩597 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1969

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766年-85杜甫 《1508上白帝城,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-85 <948> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6375

杜甫  上白帝城,二首之一  

江城含變態,一上一回新。天欲今朝雨,山歸萬古春。

英雄餘事業,衰邁久風塵。取醉他客,相逢故國人。

兵戈猶擁蜀,賦斂強輸秦。不是煩形勝,深慚畏損神。

(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の一)

この長江沿いの城はさまざまの変わった姿を持っており、一度上るごとに一度新しい景色に遭うことができる。きょうは空が、雨模様であるが山は萬古の春景色におちついている。むかしの英雄は後世までこんな事業をのこしているが、自分は老衰して、ながらく世間の塵にうろついており、今日はふるさとの人に逢って旅人ながら城の上で一酔を取る。おもえばまだ乱徒が兵戎を以て蜀の地を擁し、租税をとりたてて、むりにそれを長安の都へやっている。わたしはあえてこの城の景色をながめるのがうるさいというのではないが、あまりながめていると心配のあまり精神をそこないはせぬかとおそれるものである。

766-85杜甫 1508上白帝城,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-85 <948 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6375

 

 
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上白帝城

【公孫述僭位於此,自稱白帝】

城峻隨天壁,樓高更女牆。

江流思夏後,風至憶襄王。

老去聞悲角,人扶報夕陽。

公孫初恃險,躍馬意何長。

(白帝城に上る)【公孫述 僭位し此に於いて,自ら白帝を稱す】

城唆しくして天壁に随う、樓高くして女牆を望む。

江流 夏后を思い、鳳至 襄王を憶う。

老い去って悲角を聞く、人に扶けられて夕陽を報ぜらる。

公孫 初め険を恃む、躍馬 意何ぞ長かりし。
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杜甫詩1500-948-1446/2500

年:766年大暦元年55-85

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    上白帝城,二首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

上白帝城,二首之一

(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の一)

江城含變態,一上一回新。

この長江沿いの城はさまざまの変わった姿を持っており、一度上るごとに一度新しい景色に遭うことができる。

天欲今朝雨,山歸萬古春。

きょうは空が、雨模様であるが山は萬古の春景色におちついている。

英雄餘事業,衰邁久風塵。

むかしの英雄は後世までこんな事業をのこしているが、自分は老衰して、ながらく世間の塵にうろついており、

取醉他客,相逢故國人。

今日はふるさとの人に逢って旅人ながら城の上で一酔を取る。

兵戈猶擁蜀,賦斂強輸秦。

おもえばまだ乱徒が兵戎を以て蜀の地を擁し、租税をとりたてて、むりにそれを長安の都へやっている。

不是煩形勝,深慚畏損神。

わたしはあえてこの城の景色をながめるのがうるさいというのではないが、あまりながめていると心配のあまり精神をそこないはせぬかとおそれるものである。

 

(白帝城に上る 二首) 1

江城 變態を含む,一たび上れば一回 新なり。

天は今朝に雨ふらんと欲す、山は帰す万古の春。

英雄 事業を余す、衰邁久しく風塵にす。

酔いを取る 他郷の客、相逢う 故国の人。

兵戈 猶お 蜀を擁す、賦斂 強いて秦に輸す。

是れ形勝を煩わしとするならず、深愁神を損せんことを畏る。

 

 

『上白帝城,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

上白帝城,二首之一

江城含變態,一上一回新。

天欲今朝雨,山歸萬古春。

英雄餘事業,衰邁久風塵。

取醉他,相逢故國人。

兵戈猶擁蜀,賦斂強輸秦。

不是煩形勝,深慚畏損神。
(含異文)            江城含變態,一上一回新。天欲今朝雨,山歸萬古春。英雄餘事業,衰邁久風塵。取醉他客,相逢故國人。兵戈猶擁蜀,賦斂強輸秦【賦斂尚輸秦】。不是煩形勝,深慚畏損神【深愁畏損神】。


(下し文)
(白帝城に上る 二首) 1

江城 變態を含む,一たび上れば一回 新なり。

天は今朝に雨ふらんと欲す、山は帰す万古の春。

英雄 事業を余す、衰邁久しく風塵にす。

酔いを取る 他郷の客、相逢う 故国の人。

兵戈 猶お 蜀を擁す、賦斂 強いて秦に輸す。

是れ形勝を煩わしとするならず、深愁神を損せんことを畏る。

(現代語訳)
(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の一)

この長江沿いの城はさまざまの変わった姿を持っており、一度上るごとに一度新しい景色に遭うことができる。

きょうは空が、雨模様であるが山は萬古の春景色におちついている。

むかしの英雄は後世までこんな事業をのこしているが、自分は老衰して、ながらく世間の塵にうろついており、

今日はふるさとの人に逢って旅人ながら城の上で一酔を取る。

おもえばまだ乱徒が兵戎を以て蜀の地を擁し、租税をとりたてて、むりにそれを長安の都へやっている。

わたしはあえてこの城の景色をながめるのがうるさいというのではないが、あまりながめていると心配のあまり精神をそこないはせぬかとおそれるものである。


(訳注)

上白帝城,二首之一

(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の一)

○白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

○公孫 公孫述のこと、述、字は子陽、王奔のとき兵を起こし宗成王岑の乱を討ってこれを破り、遂に蜀を領有し、立して帝となり成都に都した、色は白を尊び、成都の郭外の旧倉を改めて自帝倉となし、のち魚復に城を築き号して白帝城といった、述は帝位に立って十二年にして後漢の光武帝に滅ぼされた。

 

江城含變態,一上一回新。

この長江沿いの城はさまざまの変わった姿を持っており、一度上るごとに一度新しい景色に遭うことができる。

○含変態 かわったさまをもっておる。

 

天欲今朝雨,山歸萬古春。

きょうは空が、雨模様であるが山は萬古の春景色におちついている。

○山帰万古春 春帰の帰を回来の意とするならば「山には帰る」とよむのもよいが、ここでは春帰の帰は帰去の意とみるものゆえこの帰字も「帰す」とよみ、帰着の意とする、すなわち「山は万古の春に帰す」と訓ずる、山の様子が万古不易の春げしきにおちついているの意。

 

英雄餘事業,衰邁久風塵。

むかしの英雄は後世までこんな事業をのこしているが、自分は老衰して、ながらく世間の塵にうろついており、

○英雄 公孫述。

○余事業 城蹟をとどめていることをいう。

○衰邁 老衰し年のゆきすぎることをいう。

 

取醉他客,相逢故國人。

今日はふるさとの人に逢って旅人ながら城の上で一酔を取る。

○他郷客 自己をいう。

○故国人 同じく城にのぼった人をいうのであろう。

 

兵戈猶擁蜀,賦斂強輸秦。

おもえばまだ乱徒が兵戎を以て蜀の地を擁し、租税をとりたてて、むりにそれを長安の都へやっている。

○擁蜀 成都の地をわがものとする、埋肝をいう。

○賦斂 課税のとりたて。

○輸秦 長安へもってゆく、時に長安地方は吐春の侵入にあっていたために軍隊を養わねばならぬからである。

 

不是煩形勝,深慚畏損神。

わたしはあえてこの城の景色をながめるのがうるさいというのではないが、あまりながめていると心配のあまり精神をそこないはせぬかとおそれるものである。

○煩 わずらわしいとしていとうことをいう。

○深愁 時事についてふかく心配する。

○損神 精神を害する。

 

(白帝城に上る 二首) 1

江城 變態を含む,一たび上れば一回 新なり。

天は今朝に雨ふらんと欲す、山は帰す万古の春。

英雄 事業を余す、衰邁久しく風塵にす。

酔いを取る 他郷の客、相逢う 故国の人。

兵戈 猶お 蜀を擁す、賦斂 強いて秦に輸す。

是れ形勝を煩わしとするならず、深愁神を損せんことを畏る。

 

 

杜甫が、白帝城を題、詩に歌ったものは以下の通り50首前後ある。大半は当然のこととして、夔州時代の詩である。この時約400首であったから実に12%近く締めていることになる。

・望岳(卷六(二)四八五)

  送元二適江左(卷一二(三)一○三二)

  西山三首其一(卷一二(三)一○四五)

 

  渝州候嚴六侍御不到先下峽(卷一四(三)一二二二)

  移居夔州作(卷一五(三)一二六五)

  引水(卷一五(三)一二七○)

  上白帝城(卷一五(三)一二七二)

  上白帝城二首 其二(頁一二七四)

  陪諸公上白帝城頭(一作樓)宴越公堂之作(卷一五(三)一二七五)

  白帝城最高樓(卷一五(三)一二七六)

  最能行(卷一五(三)一二八六)

  夔州歌十句其一(頁一三○二)

  夔州歌十 其二(頁一三○三)

  白帝(卷一五(三)一三五○)

  白帝(卷一五(三)一三五○)

  瞿唐懷古(卷一八(四)一五五七)

  返照(卷一五(三)一三三六)

 

  白帝樓(卷二一(四)一八三九)

  白帝城樓(卷二一(四)一八四○)

  曉望白帝城鹽山(卷一五(三)一二八○)

  荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌(卷一八(四)一五八一)

  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)

  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡(卷一八(四)一六○

    入宅三首其三(頁一六○八)

  寄從孫崇簡(卷一八(四)一六一三)

  熟食日示宗文宗武(卷一八(四)一六一五)

  醉為馬墜群公攜酒相看(卷一八(四)一五九○)

  更題(卷一九(四)一六七七)

  送王十六判官(卷一八(四)一五九五)

  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

  寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)

  八月十五夜月二首其二(卷二○(四)一七五○)

  曉望(卷二○(四)一七五三)

  暫往(一作住)白帝復還東屯(卷二○(四)一七七二)

  季秋蘇五弟纓江樓夜宴崔十三評事韋少府姪三首其一(卷二○(四)一七七五)

  雲(卷二○(四)一七八六)

  十月一日(卷二○(四)一七八七)

  戲作俳諧體遣悶二首其二(卷二○(四)一七九三)

  錦樹行(卷二○(四)一八○八)

  觀公孫大娘弟子舞劍器行並序(卷二○(四)一八一五)

  前苦寒行二首其二(卷二一(四)一八四五)

  大曆三年春白帝城放船出瞿唐峽久居夔府將適江陵漂泊有詩凡四十韻(卷二一(四

  暮秋將歸秦留別湖南幕府親友(卷二三(五)二○八九)

 望岳(卷六(二)四八五)

 瞿塘懷古(卷一八(四)一五五八)

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上白帝城【公孫述僭位於此,自稱白帝】

城峻隨天壁,樓高更女牆。江流思夏後,風至憶襄王。

老去聞悲角,人扶報夕陽。公孫初恃險,躍馬意何長。
(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。)

(蜀の公孫述は身分を越えて君主の位について、みずからを白帝とよんだ。)

城が峻しくて天に聾える崖壁にそうようにしてたててある。楼が高いのでそこから牆をながめる。大江の流れるのを見てはこれをきりひらいた夏の覇王を思い、風が吹いてくればその風に襟もとを吹かせた楚の襄王のことをおもう。としよりの身ながら角声が悲しそうに鳴るのをきき、人に扶けられながらもう日がくれかかるとのしらせをきく。こんな場所に城を築いた公孫述は初めは険阻要害を悼みにして安心だとおもい、馬を躍らせて帝王と称したその意気込みはよもや十二年で亡びようとはおもわなかったろう、もっと永年に伝えるつもりだったろうが、それ今はどうだ。

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