杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

杜少陵集 巻十八

767年-006崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡  杜詩詳注 卷一八(四)一六○一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 7552

757-006  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡  杜詩詳注 卷一八(四)一六○一       漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 7552

 

杜甫  崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡  (母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)  わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

767-06

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ7592

杜詩詳注巻18-46

全唐詩巻二二九 32

767年大暦256  (6)


 

               
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦256-(6)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

  立春(卷一八(四)一五九七)

2

  江梅(卷一八(四)一五九八)

3

  庭草(卷一八(四)一五九八)

4

  愁(卷一八(四)一五九九)

5

  王十五前閣會(卷一八(四)一六○○)

6

  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡(卷一八(四)一六○

7

  遣悶戲呈路十九曹長(卷一八(四)一六○二)

8

  晝夢(卷一八(四)一六○三)

9

  暮春(卷一八(四)一六○五)

10

  即事(卷一八(四)一六○五)

11

  懷灞上遊(卷一八(四)一六○六)

12

入宅三首其一(卷一八(四)頁一六○六)

13

入宅三首其二(卷一八(四)頁一六○七)

14

入宅三首其三(卷一八(四)頁一六○八)

 

 767年大暦256-(6)   18-46 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

巻二二九 32

文體:

七言律詩

杜詩詳注

18-46

卷一八(四)一六○

詩題:

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

序文

0

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

及地點:

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城

 

 

 

交遊人物:

崔評事 書信往來

 

交遊人物:

 

 

 

 

229_32 《崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡》 

崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。 

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。 

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

 

(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色,細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

杜甫詳注(仇兆鰲)

  崔評事弟許相迎不到 /慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

  顧注當時大厯二年春在夔/州西閣作 邵注崔評事公

  之表/

江閣邀賓許馬迎、午時起坐自天明。浮雲不負青春色

細雨何孤白帝城身過花間霑濕好醉於馬上往來輕

虛疑皓首衝泥怯實少銀鞍傍/險行起結二聨賓主/中間四

述坐時望迎之意倒本是邀賓江閣許馬迎天明起坐/至午時兩句皆用 裝法 卲注江閣公所寓白帝城

崔所居通首逐句順下俱帯戲詞車顧注剡溪漫筆云/王右軍在郡迎王敬仁敬仁每用 常惡其遲後以馬

迎敬仁雖復風雨亦不以車也杜詩江閣邀賓許馬迎/用此事於泥雨甚切 秦嘉詩起坐為不寧

馬銀/

 朱瀚曰為一酒食侵曉而待亦太無聊雲不負春色/語尚可通雨不孤白帝便無意義霑濕有何好處醉

 則龍鍾何得體輕虛疑衝泥聲韻頽唐馬行/何必銀鞍且馬又何必傍險赴燕豈逃難耶

 

 

現代語訳と訳註解説
(
本文)
〔崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡〕

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。

(
下し文)
(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色,細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

(
現代語訳)
崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡 (母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのであ夔州東川卜居図詳細 002る。

 

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767年-005 王十五前閣會 杜詩詳注(卷一八(四)一六○○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7591

757-005   王十五前閣會 杜詩詳注(卷一八(四)一六○○ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7591

 

 

王十五前閣會王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

767-05

王十五前閣會

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ7587

杜詩詳注巻18-45

全唐詩巻二三一 29

767年大暦256  (5)

 

 

               
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  index-11 819年『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 國子祭酒18首 index-13 821年~822年 22首 index-14 57歳・病気のため退職。没す14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 孟郊  
               
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦256  (5)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

  立春(卷一八(四)一五九七)

2

  江梅(卷一八(四)一五九八)

3

  庭草(卷一八(四)一五九八)

4

  愁(卷一八(四)一五九九)

5

  王十五前閣會(卷一八(四)一六○○)

6

  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡(卷一八(四)一六○

7

  遣悶戲呈路十九曹長(卷一八(四)一六○二)

8

  晝夢(卷一八(四)一六○三)

9

  暮春(卷一八(四)一六○五)

10

  即事(卷一八(四)一六○五)

11

  懷灞上遊(卷一八(四)一六○六)

12

入宅三首其一(卷一八(四)頁一六○六)

13

入宅三首其二(卷一八(四)頁一六○七)

14

入宅三首其三(卷一八(四)頁一六○八)

 

767年大暦256  (5) 

作時年:

767

大暦2

56

卷別:全唐詩

卷二百三十一 

文體:

五言律詩

杜詩詳注・杜少陵集 

18-45

 

 

詩題:

王十五前閣會

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節) 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

王十五前閣會

王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚岸收新雨,春台引細風。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

情人來石上,鮮膾出江中。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

病身虛俊味,何幸飫兒童。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

杜甫詳注(仇兆鰲) 

  王十五前閣

  黄鶴編在大厯二年春以詩有楚岸春臺句也。 前有送王十五扶侍詩卷227_63 《送王十五判官扶侍還黔中(得開字)》

楚岸收新雨、春臺引細風。情人來石上、鮮鱠出江中。

鄰舍煩書札、肩輿丘兩/老翁。病身虚俊味、何幸飫兒童。

上二前閣春景三四、王君宴下序始終欵曲之情見杜臆以隣舍、而致札迎輿見其殷勤又且飫及兒童

札中、并招其子詩邵注 州古楚地、故云楚岸、詩此指閣下石臺。 陸雲 遣情春臺託蔭寒水

鮑照 留酌待情人疆七發鮮鯉之鱠。 安世説王 獻之乗平肩輿徑入顧辟 陸雲答車

茂書東海之俊味餚膳之至妙。

 

 

 

『王十五前閣會』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

王十五前閣會

楚岸收新雨,春台引細風。

情人來石上,鮮膾出江中。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

病身虛俊味,何幸飫兒童。


(下し文)
(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

(現代語訳)
王十五前閣會

(王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。)

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。


(訳注)

前閣前閣會

王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。大暦二年春の作。

47   王十五 其の人、いまだ詳ならず。766年の詩に以下のようにある。

送王十五判官扶侍還黔中(得開字)

王十五判官扶侍を送り黔中に還る〔「開」字を得る。〕

大家東征逐子回,風生洲渚錦帆開。

大家 東に征く子に逐いて迴る,風生え洲渚【しゅうちょ】錦帆開く。

青青竹筍迎船出,日日江魚入饌來。

青青として竹筍に 迎え船出づ,日日に江魚 入りて饌【たべどき】に來る。

離別不堪無限意,艱危深仗濟時才。

離別 無限の意に堪ず,艱危 仗深く濟時の才あり。

黔陽信使應稀少,莫怪頻頻勸酒杯。

黔陽【こんよう】の信使 應に稀少なり,怪しむ莫れ頻頻【ひんびん】酒杯を勸めんことを。

 


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767年-004   愁  杜詩詳注 卷一八(四)一五九九 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 7542

767-004   愁  杜詩詳注 卷一八(四)一五九九         漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 7542

 

愁 (戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)  江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。

767-04

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ7582

杜詩詳注巻18-44

全唐詩巻二三一 16

767年大暦256  (4)

 

               
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杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

  立春(卷一八(四)一五九七)

2

  江梅(卷一八(四)一五九八)

3

  庭草(卷一八(四)一五九八)

4

  愁(卷一八(四)一五九九)

5

  王十五前閣會(卷一八(四)一六○○)

6

  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡(卷一八(四)一六○

7

  遣悶戲呈路十九曹長(卷一八(四)一六○二)

8

  晝夢(卷一八(四)一六○三)

9

  暮春(卷一八(四)一六○五)

10

  即事(卷一八(四)一六○五)

11

  懷灞上遊(卷一八(四)一六○六)

12

入宅三首其一(卷一八(四)頁一六○六)

13

入宅三首其二(卷一八(四)頁一六○七)

14

入宅三首其三(卷一八(四)頁一六○八)

 

 

杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256  (4)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

巻二三一 16

文體:

七言律詩

杜詩詳注

18-44

卷一八(四)一五九九

詩題:

 

序文

 強戲為

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

及地點:

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

231_16 《愁(強戲為體)》杜甫 

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(愁)

【原註】強いて戲れに 體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

 

『愁』現代語訳と訳註解説
(
本文)

【原註】強戲為

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

(下し文)
(愁)

【原註】強いて戲れに 體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

(現代語訳)
(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(訳注) 

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)大厯二年の春夔州で作る

【原註】強戲為

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

36  吴体とは詩體の一種である。語言は通俗であり,淺い俚俗なたとえ話を作るものであり,江南の民歌の風味を有す,故に稱す。仇兆鰲は黃生を注引して曰く「皮陸集中 亦體詩有り,乃ち當時の俚俗は此の體を為すのみ。 詩流は之を效うを屑ぜず。 杜公篇の什は既に眾す, 時に變調を出づ;凡そ集中の拗律は,皆 此體に屬す。」

  

原注 戲為呉體。: 為黄生 注皮陸集中亦有呉/體詩乃當時俚俗 此體耳詩流不屑效之杜公篇什既衆時出變調凡集中拗律皆屬此體偶/發例於此曰戲者明其非正律也杜臆胸有抑鬱不平之氣而以拗體發之公之拗體詩大都如是 翫詩意當是大厯二年春夔州作。

黄生が注を為す皮陸集中、亦、呉體詩有り、乃ち當時俚俗なり、此の體のみの詩流は效之杜公篇の什は屑ぜず。既に衆時出變調、凡そ集中の拗律は皆此體に屬す。偶たま例を發す、此に於て、戲れにと曰う者は其の正律にるを明かにするなち。杜臆胸は抑鬱に有り の氣を平にせざるして、以て拗體は之を發し之を公す。拗體詩は大都是れ翫詩の意の如し。

 

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767年-003  庭草  杜詩詳注 卷一八(四)一五九八 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537

767-003  庭草  杜詩詳注 卷一八(四)一五九八       漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537

 

 

杜甫  庭草 (瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの) 南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

767-03

  庭草

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ7577

杜詩詳注巻1843

全唐詩卷二三二 9

767年大暦256  (3)

 

               
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  index-5 806年39歳(2)25首 index-6 807~809年 20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳57首 index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28首  
  index-11 819年『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 國子祭酒18首 index-13 821年~822年 22首 index-14 57歳・病気のため退職。没す14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 孟郊  
               
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ 杜詩詳注   LiveDoorBlog 757年-003  庭草  杜詩詳注 卷一八(四)一五九八 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537  
  杜甫詩(1)736~751年  53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首 杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)757年、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53首 杜甫詩(6)759年 三吏三別 44首  
  杜甫詩(7)759年秦州詩 66首 杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36首 杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45首 杜甫詩(10)761年、50歳 成都82首 杜甫詩(11)762年蜀中転々43首 杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49首  
               
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。  
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杜甫詩1500-1159-1609/2500

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

  立春(卷一八(四)一五九七)

2

  江梅(卷一八(四)一五九八)

3

  庭草(卷一八(四)一五九八)

4

  愁(卷一八(四)一五九九)

5

  王十五前閣會(卷一八(四)一六○○)

6

  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡(卷一八(四)一六○

7

  遣悶戲呈路十九曹長(卷一八(四)一六○二)

8

  晝夢(卷一八(四)一六○三)

9

  暮春(卷一八(四)一六○五)

10

  即事(卷一八(四)一六○五)

11

  懷灞上遊(卷一八(四)一六○六)

12

入宅三首其一(卷一八(四)頁一六○六)

13

入宅三首其二(卷一八(四)頁一六○七)

14

入宅三首其三(卷一八(四)頁一六○八)

 

767年大暦256-(3)  18-43     庭草

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

卷二三二 9

文體:

七言律詩

杜詩詳注

18-43

卷一八(四)一五九八

詩題:

  庭草

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

及地點:

故園 

巫山 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

庭草

(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

楚草經寒碧、庭春入眼濃。

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

歩履宜輕過、開筵得屢供。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

看花隨節序、不敢為容。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

(庭草)

楚の草 寒を經て碧なり、庭の春 眼に入りて濃かなり。

舊低 收葉 舉り、新掩 巻牙 重なる。

歩履 宜しく輕く過ぐべし、開筵 屢しば供するを得。

看花 節序に隨う、敢えていて容づくることを為さず。

 瞿塘峡・白帝城・魚復

 

『庭草』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

庭草

楚草經寒碧、庭春入眼濃。

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

歩履宜輕過、開筵得屢供。

看花隨節序、不敢為容。

(下し文)
(庭草)

楚の草 寒を經て碧なり、庭の春 眼に入りて濃かなり。

舊低 收葉 舉り、新掩 巻牙 重なる。

歩履 宜しく輕く過ぐべし、開筵 屢しば供するを得。

看花 節序に隨う、敢えていて容づくることを為さず。

(現代語訳)
庭草(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

00大豆畑
(訳注)

庭草

(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

22. 解説 年を越してきて一本立ちの杜に葉が青々と茂っているが、士卒が故郷のことを思って心を傷めるという、詩經.小雅.杕杜:「卉木萋芷,女心悲止。」(卉木 芷を萋たり,女心悲しむ。)にならい、文選.張景陽.雜詩十首之一:「房櫳無行跡,庭草萋以綠。」(房櫳には行跡無く、庭草は萋として以て緑なり。)の詩に倣ってこれを詠う。

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767年-002  江梅  杜詩詳注 卷一八(四)一五九八 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532

757-002   江梅  杜詩詳注 卷一八(四)一五九八   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532

 

杜甫  江梅(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

757-002

江  梅

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7432 

杜詩詳注18-42

767年大暦256  (2)

 

 

  

 2016年11月2日の紀頌之5つの校注Blog 
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 杜甫詩
1500-1158-1608/2500

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 作時年:

767

大暦2

56

卷別:全唐詩

卷二三二_ 8

文體:

五言律詩

 :杜詩詳注

18-42

 

 

詩題:

江梅

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桃園001
江梅

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)
梅蘂臘前破、梅花年後多。

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

絶知春意好、最奈客愁何。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

雪樹元同色、江風亦自波。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

(江梅)

梅蘂 臘前に破る、梅花 年後に多し。

絶【はなは】だ知る 春意の好きことを、最も 客愁を奈何【いかに】せん。

雪樹 元の色を同じゅうす、江風 亦た自ら波だつ。

故園 見る可からず、巫岫 鬱として嵯峨たり。

 

 

『江梅』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。

絶知春意好、最奈客愁何。

雪樹元同色、江風亦自波。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

(含異文)江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。

絶知春意好【一作/早】、最奈客愁何。

雪樹元【一作/能】同色、江風亦自波。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。



(下し文)
(江梅)

梅蘂 臘前に破る、梅花 年後に多し。

絶【はなは】だ知る 春意の好きことを、最も 客愁を奈何【いかに】せん。

雪樹 元の色を同じゅうす、江風 亦た自ら波だつ。

故園 見る可からず、巫岫 鬱として嵯峨たり。

(現代語訳)
江梅(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。


瞿塘峡・白帝城・魚復(訳注)

江梅

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)大暦二年の春の作。

 

梅蘂臘前破、梅花年後多。

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

13. 梅蘂 梅の花のつぼみ。蘂:① 花の生殖器官。ずい。 「雄-」 「雌-」 ひもの先端と総(ふさ)との間につける飾り。

14. 臘前破 梅の開花が臘は年末のことで、臘節であったことをいう。

14. 年後 新年。

 

絶知春意好、最奈客愁何。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

15. 春意好 春が素敵なこと、好意を持つことを言う。

16. 奈客愁何 韻のために「客愁奈何」とする。 

 

雪樹元同色、江風亦自波。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

17. 江風 川風。

18. 亦自波 川のほとりの梅花であるから、風に飛ぶ花弁が、波に乗って流れ、波しぶき化、波の泡のように見えることを言う。

 

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

19. 故園 前の詩《18-41立春》では、両京、杜陵と表現した故郷のこと。

20. 巫岫 巫山。

21. 鬱嵯峨 こんもりと高く聳えていること。・鬱 さかんなさま。・嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。陸機詩「長風萬里舉。慶雲鬱嵯峨。」

1424別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》「子負經濟才,天門鬱嵯峨。」( 子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。)

廣徳2764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 


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767年-001 立春 杜詩詳注卷一八(四)一五九七漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7567

757-001 立春 杜詩詳注卷一八(四)一五九七漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7567

 杜甫  立 春(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)

立春の日、春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。この身は故郷のきまった場所へかえられるのかどうかわからない。それで子供を呼んで紙を求め、感じを述べてこの詩をかきつけるのである。 

767-001

立 春

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7567

杜詩詳注巻18-41

全唐詩卷二二九  23

767年大暦256 (1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016111

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杜甫詩(1)736~751 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)

杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53

杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44

 

 

杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66

杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36

杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45

杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82

杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43

杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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杜甫詩     767年大暦256-(1)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。 

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

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4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

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7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

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767年- 30 杜少陵集-巻18-63 《江雨有懷鄭典設》30 杜甫詩index-15-1186 <1636> 18-63漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7592

杜甫  江雨有懷鄭典設

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。
(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

杜少陵集 卷一八63

江雨有懷鄭典設

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (30)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7592

 

 

 

 

 杜甫詩1500-1189-1639/2500

767- 30 杜少陵集-18-63 江雨有懷鄭典設

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三一 28

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-63

 

 

詩題:

江雨有懷鄭典設

大厯二年瀼西作  唐書東官有典設郎四人

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

楚王宮 (山南東道 夔州 巫山)

交遊人物:

鄭典設    書信往來

交遊人物:

 

 

 

 

 

同時期のこれから掲載する詩

18-63     30江雨有懷鄭典設

18-64     31熟食日示宗文宗武

18-65     32                        又示兩兒

18-66     33                        得舍弟觀書自中都已達江陵今茲暮春月末行李合到夔州悲喜相兼團圓可待賦詩即事待賦詩即事情見乎詞

18-67     34          喜觀即到復題短篇,二首之一

18-68     35          喜觀即到復題短篇,二首之二

18-71     36                        送惠二歸故居

18-69     37                       卷一八69 晚登瀼上堂(故躋瀼岸高,頗免崖石擁)

18-72     38                        承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首

18-73     39          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之二

18-74     40          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之三

18-75     41          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之四

18-76     42          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之五

18-77     43          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之六

18-78     44          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之七

18-79     45          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之八

18-80     46          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之九

18-81     47          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十

18-82     48          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十一

18-83     49          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十二

 

 

  卷231_28 《江雨有懷鄭典設》杜甫 

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸, 弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。 穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。 

 

 

江雨有懷鄭典設(卷一八63(四)一六一四)

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(一作闊)限西東。

 

卷一八63

江雨有懷鄭典設

(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

 

(江雨 鄭典設を懷う有り)

春雨 闇闇峡中に塞る、早晩 楚王の宮より来る。

亂波 紛披已に岸を打つ、弱雲 狼籍風に禁へず。

蕙葉に寵光して 多碧を與へ、桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷狗の子真 正に汝を憶う、岸高く 瀼滑(闊くして)西東を限る。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『江雨有懷鄭典設』現代語訳と訳註解説
(
本文)

江雨有懷鄭典設

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

(下し文)
(江雨 鄭典設を懷う有り)
春雨 闇闇峡中に塞る、早晩 楚王の宮より来る。

亂波 紛披已に岸を打つ、弱雲 狼籍風に禁へず。

蕙葉に寵光して 多碧を與へ、桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷狗の子真 正に汝を憶う、岸高く 瀼滑(闊くして)西東を限る。


(現代語訳)
江雨有懷鄭典設(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。


(訳注) 

江雨有懷鄭典設

(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

1 江雨 長江のほとりに降る雨。朝廷にいた時に交流があった典設郎であった鄭某のことをおもうて作り寄せた詩。大暦二年壊西の作。

2 鄭 鄭の名に不明。

3 典設 典設は官名、東宮の官属に典設局あり、郎四人を置く、典設郎は湯沐・灑掃・舗陳の事を掌る。

 

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

4 闇闇 くらき貌。

5 早晚 いつしか。

6 楚王宮 楚王の宮、巫山県東北一里にあるという。巫山の麓に戦国楚の離宮があったという伝言に基づいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まる。雲雨荒台は楚の懐王が夢に神女に会ったという陽台をいう、宋玉の 「高唐賦」にいう、「昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」(昔先王(懐王をいう)嘗て高庸に遊ぶ、夢に一婦人を見て曰く「妾,巫山の女なり。高唐の客と爲す。君高唐に遊ぶを聞き,願わくば枕席を薦めんと。」、王因って之を幸す、去らんとして辞して曰く、妾は巫山の陽、高丘の岨に在り、旦には行雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下にす)と。荒台というのは現にあれておる台であることをいう。「清一統志」にいう、陽台山は巫山県城内北隅にあり、高さ百丈、上に陽雲台の遺址あり、と。豈夢息とは反語にみる。宋玉の賦した所は必ずしも夢幻虚構の想像ではない、其の事実があったという。

白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

766-149杜甫 1557返照》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-149 <1021 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6785

 

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

7 紛披 みだるる貌。 

8 狼籍 無法な荒々しい振る舞い。乱暴な行い。

9 禁 耐ふるなり。

 

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

10 寵光 寵愛し光栄を加ふる意。

11 蕙 萱に夜毎生ずる蘭の二種。

12 點注 ちよりとさす。

 

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

13 谷狗子真 漢の鄭樸字は子真、長安の南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢を以てこうさくしたと、鄭姓の故事を「揚子法言」に有ることに基づくもの。《巻八22 寄張十二山人彪三十韻》耕岩非穀口,結草即河濱。漢の鄭撲字は子真がこと。此の句は張彪の隠れる地が長安近くではないことをいう。寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1484 杜甫詩 700- 459 《巻一26 鄭駙馬宅宴洞中』「自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。」(自ら是 秦楼  鄭谷を圧す、時に聞く 雑佩の声珊珊たるを。) 

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

14 汝 鄭典設をさす。

15 瀼滑 紛の字一に閲に作る、閥に紀ふ。乗法水ゆかにはげのひろき=と。

16 限西東 作者は瀼西に住す、鄭は東屯に住んでいたものらしい。

瞿塘峡001 

 

  江雨有懐鄭典設鶴注此當是大厯二年瀼西作/ 唐書東官有典設郎四

春雨闇闇/音色晉/作發峽中早晚來自楚王亂波

一作/披已打岸弱雲狼藉不禁/風寵光蕙葉與多碧

注桃花舒小紅谷口子真正憶汝岸高瀼滑一作/西東

上四江上雨景下四對景懐鄭先楚王用神女/雲雨事波撼雲飛未雨而狂風 發患碧桃紅經

雨而花木爭妍不禁不能耐風也。龍洞簫賦若凱風紛/ 張華詩僵禽正狼藉 詩為 為光注龍寵也易

林嘉樂君子為國寵光/梁元帝詩雨罷禁生光 古賦天雨之施恵於蕙葉羽/孔雀賦五色

參差有沈約詩桃枝紅若授紫桃雜組曰寵光/唐詩 此二語施之官職選 間則寵光乃特恩之意

注乃注授之意顧注此詩寵光注加之蕙葉桃花/見雨露之恩蕙桃獨霑也。 公自赤甲遷居瀼西則鄭

必居瀼/東矣

 

767年- 29 杜少陵集-巻18-61 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之五》29 杜甫詩index-15-1188 <1638> 18-61漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5  自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

杜少陵集 卷一八61

暮春題西新賃草屋,五首之五

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (29)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

 

 

 

 

杜甫詩1500-1188-1638/2500

18-61   29        暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -5

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-61

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

落日悲江漢,中宵淚滿床。 

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之五』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。

落日悲江漢,中宵淚滿床。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其五(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

 

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

22 濟世 救世とは世を濟助する人。 《莊子庚桑楚第二十三》「簡髮而櫛,數米而炊,竊竊乎又何足以濟世哉!舉賢則民相軋,任知則民相盜。」(髮を簡【えら】びて櫛り,米を數えって炊ぐ,竊竊【せつせつ】又、何ぞ以て世を濟うに足らんや!賢を舉ぐれば則ち 民 相い軋り,知に任ずれば則ち 民 相い盜む。髪の毛を一本一本揃えて櫛をれたり、コメを一粒一粒数えて炊くといったような煩わしいやり方で、こそこそと事に処して着たものである果たしてそのようなことが、どれほどのようなことがどれほどこの世を救い助けたであろうか。彼らの下様に賢人を選んで用いれば、人民は誰もが選ばれようと争い合うことになり、知恵のあるものを抜き出して高い地位につければ、誰もが悪賢くなって欺き合うようになる。

濟世

 

卷八20  寄彭州高三十五使君適虢州岑二十七長史參三十韻  ((二)六三八)

濟世宜公等,安貧亦士常。

18-61 暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

《巻18-69 晚登瀼上堂》

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

卷二三06  暮秋枉裴道州手札率爾遣興寄遞呈蘇渙侍御((五)二○一六)

聖朝尚飛戰鬥塵,濟世宜引英俊人。

卷一三27 奉待嚴大夫((三)一○九九)

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

杜甫は、具体的な「濟世策」を提案しているのは、《乾元元年華州試進士策問五首》に見える。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

23 尚書郎 ここは工部員外郎であった杜甫自身を意味する。尚書台の官僚、官吏。 長官が、尚書令。 次官が、僕射。部門責任者が尚書で、尚書郎は各部門の官僚、官吏である。

 

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

24 豺虎鬥 賀蘭進明・第五琦などに呼応した朝廷の悪賢い者たち、各地に相当組織だった盗賊になったものが多かったことなどをいう。

25 鴛鷺行 朝廷内で文官が列をなして行動すること。

 

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

26 人事急 人民の生計が急速に窮迫してきたことをいう。

27 羽毛傷 鴛鷺の行列の一員である杜甫自身の体が病弱で弱ってきたことを言う。傷 羽毛は鴛鴬の縁語である。

 

落日悲江漢,中宵淚滿床。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

28 江漢 夔州の長江のほとりを言う。杜甫《23-11江漢》「江漢思歸客,乾坤一腐儒。」(江漢 歸えるを思う客,乾坤 一腐の儒。)江漢の名がるる地方において、自分は故郷に帰りたいと思っている旅客の人である茫々たる天地の間において、独りの腐儒者樽にとどまっているのである。

 


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767年- 28 杜少陵集-巻18-60 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之四》28 杜甫詩index-15-1187 <1637> 18-60漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7582

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

杜少陵集 卷一八60

暮春題西新賃草屋,五首之四

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (28)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7582

 

 

 

杜甫詩1500-1187-1637/2500

18-60   28        暮春題瀼西新賃草屋,五首之四

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -4

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-60

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。

事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。

喪亂丹心破,王臣未一家。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其四(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

 

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

書劍 書物を学ぶ、詩文を書く、剣を鍛える。

他日 後日の意。

委泥沙 泥沙に委棄されることをいう。10年以上仕官活動をするもかなわなかった。

 

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

事主 757年至徳二年、左拾遺として仕えたので、天子をさす。

非無祿 俸禄を頂戴したことが無いわけではない。

浮生 「浮生若夢」人生とははかなく、まるで夢のように不確かなものでしかない。「浮生」は定めない人生という意味。

有涯 《莊子篇的養生主》「吾生也有涯,而知也無涯。」(吾生や 涯有りて,而して知るや 涯無し」。

 

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

高齋 移居してすぐの詩であり、瀼西の草堂をいう。

依藥餌 持病を抱え薬に頼った生活をする。

 異民族との国境近くの夔州の地を言う。

改春華 春景色が二度も改まる。

 

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

丹心 赤い忠誠心。

王臣 地方の武人等をさす。

未一家 天下一統さるろにこ至らざるか

767年- 27 杜少陵集-巻18-59 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之三》27 杜甫詩index-15-1186 <1636> 18-59漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7577

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3  五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

杜少陵集 卷一八59

暮春題西新賃草屋,五首之三

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (27)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7572

 

 

 

杜甫詩1500-1186-1636/2500

18-58   27        暮春題瀼西新賃草屋,五首之三

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-59

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)
久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

 (暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

(下し文)
暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其三(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

 

瀼西の草堂と蜜柑園がワン・セットになっていたらしいことを思わせる。また《1850_暮春題瀼西新賃草屋五首》其三の詩に「乾坤の一草亭」、すなわちこの草屋にあって「細雨に鋤を荷って立つ」とあるから、畑なども同時に付属していたらしいことがわかる。

 この詩の詠じ方からすると、瀼西に移り住んでからの、杜甫の蜜柑に対する関心は、果木の美しさを観賞するという立場ではなく、あきらかに経済的、経営的な立場からのそれである。彼の蜜柑園もまた商品作物であり、また即ちいわゆる封殖(土寄して栽培)することである。どのように言おうとも、彼は蜜柑園をとても重視していた」(『杜甫夔州詩現地研究』二八六頁。第Ⅲ部第一章参照)と述べているとおりである。蜜柑が商品作物だから当然お金で売り買いされる。杜甫もそのことはよく承知していた。

 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

【一】彩雲 朝の五色の雲。仙人に従って雲がわき、そこに朝日が射すことを言う。即ち、その地が、仙郷であることを言う。

【ニ】錦樹曉來青 錦樹とは雲彩相い映じて樹色錦をなすことをいうし。ミカンの木の葉が、日々に育っている模様を表現したもの。この時期において、杜甫にとって、農作物、蜜柑を栽培し、帰郷の資金づくりをすることであった。

 

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

【三】 身世雙蓬鬢 この地で隠棲をしている風貌を見する。一身一世に於て故郷の山に半官半隠の生活を理想としている。そのためには、故郷に歸資金づくりに天から与えられたこの地において、蜜柑と野菜を作ることが今の目標である。

【四】 草亭 即ち瀼西の草堂。この草堂には、「細雨に鋤を荷って立つ」とあるから、蜜柑園と畑なども同時に付属していたらしいことがわかる。

 

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

【五】 哀歌・自惜 独自之を愛す。《莊子. 天地第十二》「子非夫博學以擬聖,於于以蓋眾,獨弦哀歌以賣名聲於天下者乎?」(子は夫の博く學びて以て聖に擬し,於于して以て眾を蓋い,獨弦 哀歌して以て名聲を天下に賣る者に非らざるか?農家のものが、広く学んで聖人の真似をして、大ぼらなのんきな気なことを言って、人を煙に巻き、独り哀歌を歌い、世間に名声を売ろうというものではないのか。に基づいている。

【六】 焦誰醍 何人のためにも醒むる必要なきなり。

 

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

【七】 翠屏 青山をいふ。

細雨荷鋤立 隠遁した陶潜《歸園田居 五首  其三》「帯月荷鋤歸」“月を帯び 鋤を荷いて帰る 月の光の下、鋤を担いで帰る.の詩のイメージに倣うものである。

歸園田居 五首  其三

種豆南山下,草盛豆苗稀。晨興理荒穢,帶月荷鋤歸。

道狹草木長,夕露沾我衣。衣霑不足惜,但使願無違。

(園田の居に 歸る 五首その三)

豆を種う 南山の下,草盛んにして豆苗稀なり。晨に興きて荒穢を 理【ととの】へ,月を帶び 鋤を荷ひて 歸る。

道狹くして草木長じ,夕露我が衣を霑らす。衣が霑るるは惜むに足らざれど,但だ願ひをして違ふことを無から使めよ。

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

其二

此邦一作/北郊干樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。

畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。

次章題瀼西賃居、干地産貧瘠而託居於此不過為養拙全生計耳身際 戈故畏人而依江北之草同群麋鹿

故旅食而伴瀼西之雲三年聞曲、即所謂久嗟三峽客也。

公自永泰元年秋之雲安至此、為三年在夔州逢春則再度矣

江史 《貨殖傳》封者衣租税千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。

交論 獨立高山之頂懽與麋鹿同群六 

魏文帝詩 客子常畏人

《漢禮樂志》巴渝鼓員三十 員注高帝初為

漢王得巴渝趫捷人與之定三秦滅楚存其樂為/巴渝樂 。巴州在今夔州府渝州今在重慶府

其三

綵雲隂復扶又/白、錦樹曉一作/來青。身世雙蓬鬢、乾坤一草亭。

哀歌時自惜、一作/醉舞為/誰醒。細雨荷/鋤立、江猿吟翠屏。

三章、對草屋、而有感也。句隂復白雲變態、曉來青雨後色二 屋前春景誰

趙汸注、雙蓬鬢老無所成。 一草亭窮無所歸草。 自惜 醒窮老獨悲雨 際聞猿觸景堪傷矣

下六句 屋情事。 身世二字、又起下章哀 王融詩日、暮綵雲合淵。 鮑照詩 身世兩相棄。

莊子 歌以賣聲名 詩鼓 淵醉言舞。 陶潛詩 帯月荷鋤歸。

 黄生曰此詩首尾實而中間虚是實包虚格、唯杜有之三四乃藏頭句法若申言之則悠悠身世雙蓬髩

 落落乾坤一草亭耳。江猿吟翠屏、即白鷗元水宿何事有餘哀意而含蓄較深永矣

其四

壯年晉作/學書劍他日委泥沙事主非無一作/無非禄浮生

即有涯高齋依藥餌絶域改春華/亂丹心破王臣未一家

四章旅居而慨身世也前書劍委於泥沙欲用/而世不見用也非無禄 曽授官即有涯後無

餘望矣五六承浮生七八承事主伐高齋指草屋絶域/指瀼西春華暮春亂應前戰 王臣未一諸鎮猶

多叛志也詩項羽紀少年學書不成去學/ 沈約 淪没委泥沙 詩莫非王臣

其五

欲陳濟世已老尚書郎不一作/息豺狼一作/

鴛鷺行/時危人事急一作/風逆羽毛傷落日悲江漢中宵淚滿牀

承上章來乃世亂年衰之感前濟世應前/亂尚書郎應前事主悲淚應 丹心破此遥承

上章也有莫陳故豺狼未息省郎空老故鴛鷺終慚/人事危見狼方張羽毛傷見鴛行莫起末二又總

上六此逐句分承也/屋亦非安居之地矣 杜臆落日増悲終宵流淚則草/後漢盧植傳植剛毅有大節常

懷濟世志於前漢/書馮唐老 郎署

 

767年- 26 杜少陵集-巻18-58 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之二》26 杜甫詩index-15-1185 <1635> 18-58漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7572

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

杜少陵集 卷一八59

暮春題西新賃草屋,五首之二

 

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杜甫詩1500-1185-1635/2500

18-58   26        暮春題瀼西新賃草屋,五首之二

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-58

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)
久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

夔州三峡長江三峡 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。

養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其二(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

8 其二 夔州期は、野菜や雑穀、根菜類の作物やいくつかの果樹類の栽培、そして一年には満たなかったが水田経営と蜜柑園経営、そしてその他の雑多な農事に関する営為などである。とくに蜜柑経営といっても、実際は 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れて、収穫を終えた翌春早々には、もう他人に譲渡している。ワン・サイクルの収穫を終えただけでは、経営と呼ぶには値しないかもしれないが、収穫作業の他にも除草や施肥や土寄せなどの作業、また除虫や防寒対策(さらに蜜柑泥棒からの防護策)などの若干の必要な農事は行われたであろうし、この時期に突出して現れる蜜柑に対する並々ならぬ杜甫の関心などを考えると、故郷に歸資金づくりで、杜甫の農的営為の一つとして蜜柑園経営をあげられるものであると考える。

 

1 瀼西の草堂 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。そして、すぐに杜甫は赤甲から瀼西へ引っ越した。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していた。

2 新賃 新たに借りいれる。

3 草屋 かやぶきの家。

 

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

千樹橘 ミカンの木が千本あれば、千戸の土地に封ぜられたことと、その富がひとしいということである。史記《貨殖傳》「封者衣租税。千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。」(封者租税す。千君は、率ね二十萬、蜀漢江陵の千樹の橘、其の人皆 千戸侯と等し。

 

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

麋鹿 大鹿と鹿。獣類。

 

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

畏人 人をはばかる。『論語•季氏篇』 孔子曰 君子有三畏。畏天命,畏大人,畏聖人之言。(孔子曰く、君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る。孔先生が言われた、『君子には三つの畏れはばかりがある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないで畏れず、大人になれなれしくし、聖人の言葉を侮辱する。

曹丕(魏文帝)《雑詩二首(二)》「棄置勿複陳、客子常畏人。」(棄置して複た陳ぶる勿れ、客子 人を畏るるを常とするなり。この事は聞かなかったことと捨て置かれよ、そのようなことに度とふたたびいうことはない。戦線を維持するものとして『論語』でいう「君子に三畏有り」で常に油断してはならないということだ。

雑詩二首(二) 曹丕(魏文帝) 魏詩<7>文選 雑詩 上 627 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1725

 

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

巴渝曲 夔州は、漢の巴東郡であり、重慶府は隋の渝州である。曲は、歌曲、《漢禮樂志》「巴渝鼓員三十 員」(巴渝 鼓員は三十 員なり)注に、漢の高帝の初めに為す。

漢王、巴渝の趫捷人と之て定三とを得る、秦では滅し、楚では存し、其の樂は巴渝樂と為す

巴州は今の夔州府渝州に在り、今、重慶府に在る。

 

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

其二

此邦一作/北郊干樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。

畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。

次章題瀼西賃居、干地産貧瘠而託居於此不過為養拙全生計耳身際 戈故畏人而依江北之草同群麋鹿

故旅食而伴瀼西之雲三年聞曲、即所謂久嗟三峽客也。

公自永泰元年秋之雲安至此、為三年在夔州逢春則再度矣

江史 《貨殖傳》封者衣租税千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。

交論 獨立高山之頂懽與麋鹿同群六 

魏文帝詩 客子常畏人

《漢禮樂志》巴渝鼓員三十 員注高帝初為

漢王得巴渝趫捷人與之定三秦滅楚存其樂為/巴渝樂 。巴州在今夔州府渝州今在重慶府

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杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

杜少陵集 卷一八55

暮春題西新賃草屋,五首之一

杜甫詩index-15767年大暦256 (23)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7557

 

 

 
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夔州は、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は夔州都督府が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになり、唐代の赤甲山から白帝山方面にあった。

 

夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まったのである

夔州は、新旧唐書の地理志によれば、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は都督府(下)が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになる。政治的軍事的には一地方の重鎮であり、唐代にはそれ相応の人口もあり繁華でもあった。

 まず確認しておかなければならないのは、それらの役所の場所である。従来多く考えられてきたように、それは梅渓河(西瀼水)の西岸ではなかった。あとでも触れるが、いずれも今の子陽山(後掲の簡錦松氏によれば唐代の赤甲山)から白帝山方面にあった。夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まる。

 ほとんどの編年系のテキストで夔州詩の最初に置かれているのは、《1501_移居夔州作》の詩である。

移居夔州郭

(居を夔州に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。

春知催柳別,江與放船清

春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事聞人,山光見鳥情。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。

禹功饒斷石,且就土微平。

禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

 

夔州での詩は、巻十五から、巻二十一の真ん中まで、六巻半の分量である。夔州には766(大暦元)年の晩春から、768(大暦三)年正月の中頃まで滞在した。夔州に到着したのを仮に晩春の三月の真ん中だとして数えると、二十二ヶ月である。杜甫の五十五歳から五十七歳までにあたる。

 

 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。

 

 杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

簡呉郎司法

郎司法

 

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

 

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

 

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

 

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

 

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

 

問俗營寒事,將詩待物華。

 

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

 

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

 

杜甫詩1500-1184-1634/2500

18-57     暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-57

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。

百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

戰伐何由定,哀傷不在茲。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其一(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

 

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

安史の乱当時の勢力図
(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

1 瀼西の草堂 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。そして、すぐに杜甫は赤甲から瀼西へ引っ越した。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していた。

2 新賃 新たに借りいれる。

3 草屋 かやぶきの家。

 

久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

4 三峽 三峡(長江三峡)は中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。三峡地域には瞿塘峡・巫峡・西陵峡のような険しく幅の狭い峡谷の部分と、広くなだらかな寛谷の部分があるが、これは地質の違いによる。三峡独特の景観である峡谷部分は石灰岩が多く、風化には極めて強いが水には溶食されやすく、水の流れる部分だけが深く削られてゆく。また石灰岩には垂直の亀裂ができやすく、水が亀裂の中に入り、その底部を侵食してゆく。谷が深くなると両岸の岩が平衡を失い、垂直に発達した亀裂に沿って谷に落ちるため、両岸が切り立った崖になってゆく。砂岩や頁岩の多い地域は浸食がより進むため、うってかわって広い谷が形成されている。

 

百舌欲無語,繁花能幾時。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

5 百舌 「モズ」の鳥。

 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

6 日華  1.太陽的光華。 南朝・齊、謝朓《和徐都曹》「日華川上動, 風光草際浮。」

《謝朓全集和徐都曹出新亭渚詩》

宛洛佳遨游。春色滿皇州。

結軫青郊路。回瞰蒼江流。

日華川上動。風光草際浮。

桃李成蹊徑。桑蔭道周。

東都已俶載。言歸望綠疇。

宛・洛は 遨游するに佳く、春色は 皇州に満つ。

珍を青郊の路に結らし、囘かに蒼江の流れを瞰る。

日華は 川上に動き、風光は 草際に浮かぶ。

桃李 蹊徑を成し、桑檎 道周をふ。

東都 己に載を俶む、言に帰りて 緑の疇を望まん。

「日華」は日の輝き。光風とは、雨己み日掛でて風ふき、草木に光色有るを謂ふなり」すなわち、雨に濡れた草木の葉が日光に輝きながら風に翻っているさまという。五臣(李周翰)注には「風には、もともと光は無い。草上に光色があるというのは、風が草を吹き動かして光らせ、あたかも風に光が有るかのようであるためだ」という。要するに此の語は、『楚辞』を踏まえながらの造語で、風になびく草が日光に輝いているさまを言うのであろう。「草際浮」とは、その輝きが岸辺の草の上のあたりに浮かんでいるように見えるのを言う。

.

戰伐何由定,哀傷不在茲。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

7 哀傷不在茲 茲とは春の過ぎゆくさま、即ち「百舌」以下の四句の事をさす。仇氏は「茲」な戦伐をさすとし、不在茲を豈不在茲乎の義とせり。今従はず。

 

 

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

767年- 24 杜少陵集-巻18-56 《卜居》24 杜甫詩index-15-1183 <1633> 18-56 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562

杜甫  卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

杜少陵集 卷一八56

卜 居

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (24)

1183 <1633

 

 

 
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杜甫詩1500-1183-1633/2500

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲、此是大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

 

18-55     24          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

卜居

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_45 《卜居》杜甫 

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『卜居』現代語訳と訳註解説
(
本文)

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。

(下し文)
(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。


(現代語訳)
卜居(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。


(訳注) 

卜居

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)大暦二年春の作。

1 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居し、さらに瀼西に移居した時のものである。

大暦二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟をじたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

2 遼東鶴 丁令威の故事。《續捜神記》にいう、丁令、遼東の華表の柱に鶴有り、其上に棲んで曰く、「有鳥有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」(鳥有り、鳥有り、丁令威、家里を去る今始めて歸る、城郭故の如く人民は非なり、何ぞ仙を學ばざる 累累たり。

3 楚執珪 戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

未成游碧海,著處覓丹梯。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

4 游碧海 仙界に続く滄海を意識させ、仙界、隠棲することを言う。

丹梯 幽遠なる自然の趣をたたえる深山ということ。《文選謝朓<敬亭山詩>》:要欲追奇趣, 即此陵丹梯。(奇趣を追い要めんと欲し, 即ち此に丹梯に陵る。

丹梯五臣(呂延済)注には「山高くして、峯は雲霞に入る処なり」とある。つまり仙人の棲んでいるところである。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に「惜無同懐客、共登青雲梯」(懐ひを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを惜しむ)という、よく似た表現があり、謝眺はそれにもとづいて此の語を作ったのではなかろうかと思われる。したがってその意味は、幽遠なる自然の趣をたたえる深山、ということになろう。

登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041

 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

雲障 山に雲がかかり屏風のように背後にそそり立つ状況を言う。常にかかっている雲があるということであろう。

寬江左 この地における、長江のほとりは山が長江に接近していて、平坦地が少ない、峡谷であるが、瀼西の地は比較的平坦地が広がっていると意味。

破 土壌を破る。

瀼西 瀼西の地は、草堂河の西側にある。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅がある。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は逆L字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 

桃紅客若至,定似昔人迷。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

昔人迷 俗界を離れた他界・仙境、武陵の桃源郷の故事を用いている。

 

参考

《續捜神記》にいう、丁令威はもと遼東のひとであった。道の教えを霊虚山(今の安徽省懐遠付近の霊山)で学んだという。後に変化して鶴となり、遼東に帰った。さて、遼東の街の城門前には石で作られた大きな記念柱(「華表」)があり、丁令威の化した鶴は、そこに止まったのである。すると、何も知らない若者が、これはよき獲物なり、と弓をとって射ようとしたそうだ。それに気づいた鶴は飛び立ち、空中を何度か旋回して、歌っていわく、

「有鳥有鳥丁令威、去家千年今始帰。城郭如故人民非、何不学仙冢塁塁。」(鳥あり鳥あり 丁令威、(家を去りて千年 今はじめて帰る。城郭はもとの如きも人民は非なり、何ぞ仙を学ばざる 冢塁々たるに。

鳥がやってきた、鳥がやってきた、それはわたし、丁令威。家を出てから千年、仙道を学んで今はじめて帰ってきたが、町はいにしえと似ているが、ひとびとはまったく違っている、どうして仙道を学ばずに、みんな次々と死んでしまったのだろう。歌い終えるとついに高く天に舞い上ってそのまま見えなくなってしまった・・・。

 

戰國時越國人。 也稱越舄。 仕於楚, 病中思越而吟越聲。《史記張儀列傳》。 後以“莊舄越吟”指懷之詠與感傷之情。 清趙翼《吏議左遷特蒙送部引見》詩:老去賀公語慣, 病來莊舄越吟多。”亦省作“

戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  卜居此是大厯二年自赤/甲将遷居瀼西而作

歸羡遼東鶴、吟同楚執珪。未成遊碧海、著渉畧/處覔丹梯。

雲嶂陳作/寛江北、一作/春耕破瀼西。桃紅客若至、定似昔一作/人迷。

上四客居有感下欲託居瀼西也。 忘丁/公魂歸故里莊舄病而吟越皆不

者故借以自方碧海丹梯歎不能水行而復山棲江/北、即瀼西其地寛平故可耕種

杜臆公以此地為桃源直作避秦計矣 

千遼東華表柱有鶴、棲其上曰、「有鳥/有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」

病猶為越吟 選注 越人莊舄起家寒微為楚執珪 

有十洲記 扶桑之東有碧海

謝靈運詩 灑歩臨丹梯東破是破土 劉希曰 瀼溪/在白帝城之 昔人迷指 晨阮肇

 

 

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杜甫  赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)  赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

杜少陵集 卷一八55

赤  甲

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (23)

11821632

 

 
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杜甫詩1500-1182-1632/2500

 

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

18-55     23          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

赤甲

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_44 《赤甲》杜甫 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。 

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。 

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

 

 

赤甲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。


(下し文)
(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

(現代語訳)
赤甲(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。


(訳注) 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)前の「入宅」詩と同時の作。

1 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る。

 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

2 兩見 夔州に来て二年目であることを言う。

 

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

3 炙背・美芹 心地よい日なたの背なかあぶりとおいしい芹の料理をいい、朝廷、天子への思慕の意をあらわす。

嵇康《絶交書》「野人有快炙背而美芹子者、欲獻之至尊、雖有區區之意、亦已疎矣。」(野人炙背を快しとして、芹子を美しとする者有り、之を至尊に獻ぜんと欲す、區區の意有りと雖も亦た已だはだ疎なり。

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。」(宋國に田父有り東作して日に曝さる、綿纊狐貉有るを知らず、其の妻に謂いて曰く、日の暄きを負う、人之を知るもの莫し、以て吾君に獻せば、重賞を有んと将てす、里の富室之を告げて曰く、昔 人、戎菽を美とし、枲、莖、芹、萍子を甘しとするを有り、豪にして之を稱す、豪 取りて 之を嘗める、口を蜇し、腹に慘む、衆哂いなして之を怨む、子は此の類なり、と。

 

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

4 州、鄭・薛 鄭は江陵の少尹鄭審で、薛は石首縣の縣令薛璩をいう。

5 蜀客郄・岑 郄は梓州の刺史郄昂、岑は嘉州の刺史参である。 

 

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

6 笑接 接は近づくことを言う、ひざを突き合わせての談義をしたこと。

7 郎中 顧注「郎中應是呉郎司法葢刑曹也。郎中とは、秦の時代に「郎中令」が制定された。前漢に名称変更され「光禄勲」と称し、後漢にも引き継がれた。これは当時の官職の一つ。 役割は,当初は宮門護衛.やがて皇帝身辺警護,皇帝出駕時の随行・護衛,使者,など.

8 評事 昻評事、崔十三評事十六弟のことである。評事とは、大理寺(最高裁判所)に属する下級の裁判官。

9 深酌 たっぷりと杯に酒をつぐこと。

10 道吾真 本心を吐く。

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  赤甲鶴注此與入/宅詩同時作

卜居赤甲遷居新、兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子、美芹由來知野人

州鄭薛寄詩一作/近、蜀客郄/岑非我鄰

笑接郎中評事飲、病從深酌道/吾真。

此居赤甲而念知交也 在四句分截春公初遷赤甲而云兩見春色者自去春至夔已經兩 也。

炙背食芹 述春山景物兼有

朝野濶絶之感評 鄭薜 寄詩頗近郄岑在蜀漸與/惟接郎中 事喜得酌酒而道真精

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。

嵇康絶交書 「野人有快炙背而美芹子者欲獻之至尊雖有區區之意亦已疎矣」

鶴注 鄭:是江陵鄭少尹審 薛是石首薛 

明府璩岑是岑嘉州參 郄是梓州郄使君、昻評事必崔十三評事 公在夔州多有詩與之 顧注郎中應是呉郎司法葢刑曹也。

 朱注文苑英華有苻載誌楊鷗墓云永甫泰二載相公杜公鴻漸奏授鷗犀浦縣令僚友杜員外

岑郎中參郄舍人、昻聞公殞落失聲 咨嗟則/郄為郄昻無疑 曹植 髑髏説是反吾真也

 朱瀚曰卜居遷居重複無法獻天子突甚由來知野/人筋脉不收中聨厄塞全無頓挫磊落氣象笑

 典郎中評事豈律詩可著或置題中可耳末句從近/識峩嵋老知余嬾是真出潦倒甚矣且抱病何能深酌與比來病酒/開涓滴看自

767年- 22 杜少陵集-巻18-54 《入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》22 杜甫詩index-15-1179 <1629>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542

杜甫  入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

杜少陵集 卷一八54

入宅,三首之三

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杜甫詩index-15

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杜甫詩1500-1179-1629/2500

18-54     22          入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-3

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-54

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

唐時代 地図山南 東・西道50

 

『入宅,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。

(下し文)
(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

(現代語訳)
入宅,三首之三(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) 

入宅,三首之三

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

この第三首は旅居を歎せるなり。未歸而嘆旅居也。

 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

18 宋玉宅 杜甫は、宋玉の家が二か所あることを認識しているので、「歸州宅」と表現している。この三字は、《唐書》「歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置」(歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置)《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州、一在宋玉宅は兩處有り、一は歸州に在り、一は州に在る)杜甫の詩にも、夔州にいるときには、歸州を言い、後に荊州に行ってもう一か所の宋玉宅に立ち寄っている。宋玉の宅は杜甫詩の言によって二種あり、《1837送李攻曹之荊州充、鄭侍御判官重贈》「曾聞宋玉宅,每欲到荊州。」(曾て聞く宋玉が宅、毎に荊州に到らんと欲す)は荊州にある宋玉の宅をいう、前詩の庾信が住んだという江陵城北の宋玉宅がそれである。《1854入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》「宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。」(宋玉が帰州の宅、雲は通ず白帝城。吾人老病に淹し,旅食 豈に才名にあらんや。)は帰州にある宋玉の宅をいう。「清一統志」に宅は帰州の東二里にあるといっている。此の詩は二種のうち其のいずれをさすか明らかでない。杜甫がこの詩を書く時期では荊州の宅を確認していない。

詠懷古跡,五首之二

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

(詠懷古跡,五首の二)

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。

「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

宋玉宅

卷一五56 奉漢中王手札

枚乘文章老,河間禮樂存。悲秋宋玉宅,失路武陵源。

卷一八37  送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈

曾聞宋玉宅,每欲到荊州。此地生涯晚,遙悲水國秋。

巻一八54  入宅三首其三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

 

 

吾人淹老病,旅食豈才名。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

19 淹 久しくとどまることを言う。

20 才名 宋玉を言うが、宋玉と同じようにこの地にとどまっていることを言うものである。

 

峽口風常急,江流氣不平。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

 

只應與兒子,飄轉任浮生。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

21 浮生 《莊子·外篇・刻意》「其生若浮、其死若休。」(其の生は浮ぶが若く、其の死は休するが若し。)にもとづく。

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背/赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝總六

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也。黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故造次移居必擇/勝地且加修葺綴如此襟懐自不可及郭林宗

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

(之二)

亂後居難定、春歸客未還。水生魚復/浦、雲暖麝香山。

樊作/頂梳頭白、過/眉拄杖斑。相看/多使/者、一一問函關。

此遷宅而想故居也。下四 叙情 應客未還 三四 冩景承上春歸。顧注 陽和復至故曰春歸。

關半頂見髮之少 是老狀過眉見杖之長 是病狀問 函者望 亂定而還也。

王胄詩 柳黄知節、變草緑識春歸

名地志 夔治、魚復、灔澦、風濤震射巨魚却歩不得上故 魚復浦

鶴注寰宇記 麝香山 在秭歸縣、東南一百十里其山多麝

武徳二年前秭歸屬、夔州斑 魏武、陌上桑拄杖 挂枝佩 秋蘭 梁到 有 贈任新

竹杖詩 文彩 既斑斕姿性甚綢直

桃王應麟 曰 潼關至函谷關 歴峽華二州之地俱謂之 林塞時、周智光 據華州反

(之三)

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

未歸而嘆旅居也

淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不 老病久留白帝豈才名不如宋玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

注 公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻 

《陸游入蜀記》宋王宅在秭歸縣東、今為酒家舊有石

宋玉宅 三字 唐書 歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州一在州與杜/詩相合

 

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杜甫  入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

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杜少陵集 卷一八53

入宅,三首之一

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杜甫詩index-15

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杜甫詩1500-1178-1628/2500

18-53     21          入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。

(下し文)
(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

(現代語訳)
入宅,三首之二(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。


(訳注) 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)大暦二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

9 春帰 昨年秋に、春には帰途に向かおうと決めていたことをいう。

10 客 自己をさす。

 

水生魚複浦,雲暖麝香山。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

11 魚復浦 奉節縣東南二里にある。

12 麝香山 奉節縣東四十里にある。出港して舟が向かう方向にある。

 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

13 半頂 頭のいただき半分に髪が残ること。

14 過眉 杖の高さが眼よりすこし上方に出ること。

15 拄杖斑 拄は支える、杖斑は斑杖、斑紋のある竹のつえ。瀟湘地域の特産の竹。

 

相看多使者,一一問函關。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

16 使者 京師と往来する官吏などをいう。夔州奉節は、重要な水路駅であるため、此処を通過する朝廷の使者を言う。

17 函関 函谷関。これを問うとはその治乱の状について問うことをいう。特に、杜甫が官を辞したのは、華州司法参軍であったためであり、生まれ故郷の洛陽偃師の近いので様子を聞きたかったのである。それに、桃王應麟が曰うのは、潼關から函谷關にかけ、峽州、華州の二州の地において、周智光が華州において反乱を起こしたことを言う。
李白の足跡003 

767年- 20 杜少陵集-巻18-52 《入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》20 杜甫詩index-15-1177 <1627> 18-52漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532 

杜甫  入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

杜少陵集 卷一八52

入宅,三首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (20)

1176 <1626

 

 
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杜甫詩1500-1177-1627/2500

18-52     20          入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

客居愧遷次,春酒漸多添。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

(下し文)
(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

(現代語訳)
入宅,三首之一(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。


(訳注) 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)大磨二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

3 奔峭 卲宝の注に、「山峯高峻如奔湧然」(山峯高峻、奔湧するが如く然り。)とといているが奔を山の形勢とみたものである。ここでは杜甫の成都紀行《木皮嶺》詩の「遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。」(遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。)“”成都紀行(2)” 木皮 杜甫詩1000 <341>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1623 杜甫1500- 505”の句においては奔字についてほぼ類似の解をなし、乱れて走る形勢をいうかと注したが、謝霊運の《入彭蟸湖口》「洲島驟回合,圻岸屢崩奔。」(洲島【しゅうとう】は驟【しばし】ば廻合【かしごう】し、折岸【きがん】は屡【しばし】ば崩奔【ほうほん】す。)“入彭蟸湖口 謝霊運(康楽) 詩<59-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩454 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1179”、「七里瀬」詩の「孤客傷逝湍,徒旅苦奔峭。」(孤客は逝湍【せいたん】を傷み、徒旅は奔峭【ほんしょう】に苦しむ。)の句において李善は崩奔の奔は崩とおなじく、また奔峭の奔は落に同じと注している。“七里瀬 # 謝霊運<16> 詩集 377”これによれば奔峭とは土石の崩落するけわしい山の意である。

4 背赤甲 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る「奔峭背赤甲」とは「背赤甲之奔峭」と同意。

5 断崖当白塩 「当白塩之断崖」と同意。白塩も山の名、すでに見える。「清一統志」にいう、奉節県の東十七里にあり、江を隔つ、と。また祝穆の「方興勝覧」を引いていう、城東十七里にあり、崖壁五十余里、其の色柄躍、状、白塩の若し、と、ある。

 

客居愧遷次,春酒漸多添。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

6 遷次 次は舎ること、次を遷すとは居を移すことをいう。

 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

7 花亜 花が竹につぐ、言い換えれば竹が花を圧することをいう。

 

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

8 勝概 景色のよいさま。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背/赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝總六

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故造次移居必擇/勝地且加修葺綴如此襟懐自不可及郭林宗

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

亂後居難定春歸客未還水生魚復/浦雲暖麝香山

樊作/

 

頂梳頭白過/眉拄杖斑相看/多使/者一一問函關

此遷宅而想故居也/下四叙情應客未還 三四冩景承上春歸/顧注陽和復至故曰

春歸關半頂見髮之少是老狀過眉見杖之長是病狀/問函 者望亂定而還 王胄詩柳黄知節變草

 

緑識春歸名地志夔治魚復灔澦風濤震射巨魚却歩/不得上故 魚復浦 鶴注寰宇記麝香山在秭歸縣

東南一百十里其山多麝武徳二年前秭歸屬夔州斑/魏武陌上桑拄杖挂枝佩秋蘭梁到有贈任新

竹杖詩文彩既斑斕姿性甚綢直桃王應麟曰潼關至/函谷關歴峽華二州之地俱謂之 林塞時周智光據

華州/

宋玉歸州宅雲通白帝城吾人淹老病旅食豈才名峽

口風常急江流氣不平只應/與兒子飄轉任浮生/

未歸而嘆旅居也淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不 老病久留白帝豈才名不如宋

玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

 

 

注公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻陸游入/蜀記宋王宅在秭歸縣東今為酒家舊有石 宋玉宅

三字唐書歸州屬山南東道武徳二年析夔州之秭歸/巴東置 湖廣通志宋玉宅有兩處一在歸州一在

州與杜/詩相合

 

767年-(19)杜少陵集 《18-87 晨雨》19 杜甫詩index-15-1176 <1626>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527

杜甫  晨雨

小雨晨光,初來葉上聞。霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。麝香山一半,亭午未全分。 

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

杜少陵集 卷一八87

晨   雨

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (19)

1176 <1626

 

 
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杜甫詩1500-1176-1626/2500

-(19)18-87 晨雨》

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十70

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-87

 

 

詩題:

晨雨

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

  晨雨 黄鶴依梁氏編在大厯二年今姑仍之

小雨晨光内初來葉上聞。霧交纔灑地、風折一作//隨雲。

暫起柴輕霑鳥獸羣麝香山一半亭午未全分

黄生曰光處始見葉上始聞體物既精而布置、風雨雲霧四字、能将是日景色、曲折描出、山色未分、應上雲霧之。趙汸注 必霧起而方能灑地、經風折而旋、即隨雲細甚也。

此與烟添纔有色風引更如絲相似葢着題處所、必用者曰暫曰輕皆言其細小夢自晨至午、全/詩、皆用順冩工細入妙、柴小木

弼曰經、麝香山、在州東南一百二十里山出麝香故名

 黄生曰、讀微雨不滑道一章以為微雨難冩、故多從題外著筆、及閲此詩、能字、字實冩小雨以正靣還題真如化工肖物

 

 

230_70 《晨雨》杜甫 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

小雨晨光,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

麝香山一半,亭午未全分。 

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

 

(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

denen03350 

『晨雨』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晨雨

小雨晨光,初來葉上聞。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

麝香山一半,亭午未全分。

(下し文)
(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

(現代語訳)
晨雨(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。


(訳注) 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

 

小雨晨光,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

晨光 朝日が昇り始めて光が届き始めて間もないころをいう。

 

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

霧交 朝まだ期の内に霧に覆われていたところに雨が降り出したということを表現するもの。

風逆 通り雨が、風に逆らって、向きを変えられること。

 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

起柴荊色 杜甫の棲む草堂の入り口の荊で造った柴門、乾いた色であった茅屋が雨によって色濃くしたことを言う。

 

麝香山一半,亭午未全分。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

麝香山 麝香堡. 麝香山は四川奉節縣東四十裡に在る。杜甫    18-53入宅三首其二》「水生魚復浦,雲暖麝香山。」(水は生ず 魚復の浦,雲は暖かなり 麝香山。)州圖經には、麝香山は、州東南一百二十里に在り、山より、麝香出す故に名づく、とみえるが、他の文献には、奉節縣、東40里とされて現在もその地にある。

767年-(18)杜少陵集 《月,三首之三》18-86 杜甫詩index-15-1175 <1625> 767年大暦2年56歲-(18) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7522

杜甫  月,三首之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)  故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

杜少陵集 卷一八86

月,三首之三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7517 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (18)

1175 <1625

 

 

 

杜甫詩1500-1175-1625/2500

767年大暦256-(18) 18-86     月,三首之三

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十50-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-86

 

 

詩題:

月,三首之二

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦一作/半輪。故園當北斗、直想一作/照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落。庾信馬射賦》横弧於楚水之蛟 

鮑照詩 銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡 春秋元命苞玉衡北兩星為玉繩

𢎞景《水仙賦》横帯玉繩。杜詩春星帯草堂取帯字為句腰亦伴玉繩横、又取横字着句尾知每字各有來

月三首之三

萬里瞿唐月、一作/春來上六弦。時時開暗室、故故滿青天。

爽合風襟靜、高當淚臉懸。南飛有烏鵲、夜久落江邊。

此章對月而念孤棲是專論半年之月風、杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室、則喜之而爽合 襟故滿青天則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也

夜落江邊、則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見、宋玉《風賦》有風颯然而至王乃披 而當之張正詩、淚臉年年流

魏武詩 烏鵲南飛。 

 

 

230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

羈棲愁裏見,二十四回明。 

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

 

 

月,三首之三

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

時時開暗室,故故滿青天。 

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

(月,三首之三)

萬里瞿唐峽、春來ること 六たび上弦。

時時 暗室を開き、故故 青天に満つ。

爽かに風襟に合して静に、高く淚臉に當りて懸る。

南飛 鳥鵲有り、夜久しくして江邊に落つ。

 

 

 

『月,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

時時開暗室,故故滿青天。

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

南飛有烏鵲,夜久落江邊。

(下し文)
(月,三首之三)

萬里瞿唐峽、春來ること 六たび上弦。

時時 暗室を開き、故故 青天に満つ。

爽かに風襟に合して静に、高く淚臉に當りて懸る。

南飛 鳥鵲有り、夜久しくして江邊に落つ。


(現代語訳)
(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。


(訳注) 

月,三首之三

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

 

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

春來六上弦 今年の春以来6か月の経過、尾聯に「烏鵲」とあることから7月7日、7回目の上弦の月を意識させる。夏が終わり秋が来ることを言う。

 

時時開暗室,故故滿青天。

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

開暗室 夔州巫山、瀼西、三峡峡谷の住まいは、熱い雲に覆われていれば、暗室状態であること、月が登り、暗室の扉を開けると月あかりが射し込むこと、月に照らされることを開くといった。

故故 故意に。

 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

爽合風襟靜 爽は月色の爽涼に感ぜられること、(六月であれば夔州には熱気があり、風が吹いてくれば、胸襟を開いて風を受けることを言う。靜は月影の静かなるをいう。

淚臉 涙が頬に伝わっている状況を言う。

 

南飛有烏鵲,夜久落江邊。

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

烏鵲 カササギは、銀河にわたる橋を作る鳥である。七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる。また鵲を見かければ、兄弟家族に会えるという逸話もある。烏鵲橋(うじゃくきょう)。《短歌行》 魏武帝 #3

越陌度阡、枉用相存。 契闊談讌、心念旧恩。

月明星稀、烏鵲南飛。 繞樹三匝、何枝可依。

山不厭高、海不厭深。 周公吐哺、天下帰心。

陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。

月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。

山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。

東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。

万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 

月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 

木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。

山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。

周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。

 

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杜甫  月,三首之二

並照巫山出,新窺楚水清。羈棲愁裏見,二十四回明。 

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。 

杜少陵集 卷一八85

月,三首之二

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (17)

1174 <1624

 

 

 
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杜甫詩1500-1174-1624/2500

767年大暦256-(17) 18-85     月,三首之二

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十50-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-85

 

 

詩題:

月,三首之二

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦一作/半輪。故園當北斗、直想一作/照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落。庾信《馬射賦》横弧於楚水之蛟 

鮑照詩 銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡 春秋元命苞玉衡北兩星為玉繩

𢎞景《水仙賦》横帯玉繩。杜詩春星帯草堂取帯字為句腰亦伴玉繩横、又取横字着句尾知每字各有來歴

月三首之三

萬里瞿唐月、一作/春來上六弦。時時開暗室、故故滿青天。

爽合風襟靜、高當淚臉懸。南飛有烏鵲、夜久落江邊。

此章對月而念孤棲是專論半年之月風、杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室、則喜之而爽合 襟故滿青天則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也

夜落江邊、則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見、宋玉《風賦》有風颯然而至王乃披 而當之張正詩、淚臉年年流出

魏武詩 烏鵲南飛。 

 

 

230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)
並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

羈棲愁裏見,二十四回明。 

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

扁舟 00 

 

,三首之三

  萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

  爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

 

 

 

『月,三首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之二

並照巫山出,新窺楚水清。

羈棲愁裏見,二十四回明。

必驗升沉體,如知進退情。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

(下し文)
(月,三首の二)

並せて巫山を照らし出づ,新たに窺う 楚水の清きを。

羈棲 愁裏に見る,二十四回 明らかなり。

必らず驗あり 升沉の體,知るが如し 進退の情。

銀漢に違いては落ちず,亦た玉繩を伴いては橫たう。

(現代語訳)
月,三首之二(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

55moon 

(訳注) 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

 

並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

並照 此処に謂う並びには、其一の「照西秦」を受けていることを言う。彼の長安の杜曲も照らし、こちらも併せて照らす。

巫山出 巫山の山々、峰を照らし、はっきりと見えるようになることを言う

新窺 窺とは月がのぞき込むような低い位置になったことを言う。

楚水 夔州の瞿唐峽に入るまでの長江の流れ、支流である、大瀼水を言う。

 

羈棲愁裏見,二十四回明。

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

愁裏見 杜甫がこれらの愁いの多い風景を見て感慨の湧くことを言う。

二十四回明 二周年を経しをいう。

 

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

必験 験は旅をして各地で月を見たものより、必ず知るしかあるということ。月は同じように上っているが、その時々のしるしがあるということ。升沈によって誤ることなどない。

升沉體 升沈は出没をいう。體はすがた。

如知 月を知ること、月から派生するすべてを思うこと。

進退情 仇氏云ふ、進退に盈廠(清つると放けると) わいふと。慮案ずるに逝退に即ち上旬の升沈なり。盈鹿にてほ升沈といふ串箕より推如し柑べき隈に来らず。倍は==ろもち。

 

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

不違銀漢落 銀漢だけが落ちてゆくことなど間違ってもないことである。月が沈むのとともに落ちてゆく。

亦伴玉繩橫 北斗の第五星玉衡の北天乙、大乙の星。星屑の銀河とともに落ちてゆく《文選.張衡.西京賦》:「上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。」(飛闥に上りて仰ぎ眺れば,正に瑤光と玉繩とを睹る。
泰山002 

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杜甫  月,三首之一

斷續巫山雨,天河此夜新。若無青嶂月,愁殺白頭人。 

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。故園當北斗,直指照西秦。 

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

杜少陵集 卷一八84

月,三首之一

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (13)

1170 <1620

 

 

 
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杜甫詩1500-1173-1623/2500 

767年大暦256-(16) 18-84     月,三首之一

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十 50-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

14-84

 

 

詩題:

月,三首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦一作/半輪。故園當北斗、直想一作/照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字/承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中/所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩/而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之/月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落庾信馬射賦横弧於楚水/之蛟 鮑照詩銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡

春秋元命苞玉衡/北兩星為玉繩

 𢎞景水仙賦横帯玉繩杜詩春星帯草堂取帯字/為句腰亦伴玉繩横又取横字着句尾知每字各有來/

月三首之三

萬里瞿唐月一作/春來上六弦時時開暗室故故滿青

天爽合風襟靜高當淚臉懸南飛有烏鵲夜久落江邊

此章對月而念孤棲是專論半年之月風杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室則喜之而爽合 襟故滿青天

則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也/ 夜落江邊則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見宋玉風賦有風/颯然而至王乃披 而當之 張正 詩淚臉年年流

出烏鵲南飛/ 魏武詩

 

 

230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

 

月,三首之二

  並照巫山出,新窺楚水清。羈棲愁裏見,二十四回明。 

  必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

月,三首之三

  萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

  爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

 

 

 

『月,三首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之一

斷續巫山雨,天河此夜新。若無青嶂月,愁殺白頭人。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。故園當北斗,直指照西秦。

(下し文)
(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。


(現代語訳)
月,三首之一(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。


(訳注) 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

 

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

巫山雨 長雨が続き、巫山に雲がかかりっきりであることをいう。

天河 あまのがわ。銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。
詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

 

若無青嶂月,愁殺白頭人。

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

青嶂月 東の山にかかる月。10日月から、20日の月の間の満月に近い日が想定できる。

白頭人 杜甫自身のこと。

 

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

魍魎 水の神。川澤之神也 《淮南子》「狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮」(狀、三小兒の 黒色赤目長耳に美髮なり)とある。

移深樹 月が明るいから木陰の暗いところに移動する、それが月が西に傾いたので木陰が梳くなりさらに奥に移動することを言う。

蝦蟆 ひきがえる。月の真ん中に住んでいるという、此処では月のことを言う。

動半輪 満月ではないがそれに近い月が、西に沈みかけること杜甫の澄んでいる夔州瀼西の西には赤甲の山がそびえているから、まだよあけにはならず、早くても深夜二時以降、四時前後ではなかろうか。

 

故園當北斗,直指照西秦。

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

故園 長安、南に住んでいた杜曲をいう。

照西秦 時間経過して、月が西に傾いて沈みかけている。夔州で西にある月が同じように長安の西側にあることを言う。

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杜甫  懷灞上游

悵望東陵道,平生灞上游。春濃停野騎,夜宿敞雲樓。 

離別人誰在,經過老自休。眼前今古意,江漢一歸舟。 

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

杜少陵集 卷一八51

懷 灞 上 遊

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7507 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (15)

1172 <1622

 

 
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杜甫詩1500-1172-1622/2500          767年大暦256-(15)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

231_15

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-51

 

 

詩題:

懷灞上遊

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜甫詩1500-1172-1622/2500

767年大暦256-(15)

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  懐灞上遊

  黄鶴編在大厯二年以詩有江漢歸舟/句也  楚漢春秋漢高帝西入武關居灞/

悵望東陵道、平生灞上遊。春濃停野騎、/夜敞宿舊作/宿敞雲樓。

人誰在、經過/老自休。眼前今古意江漢一歸舟。

上四憶舊遊景事下則念同遊而動歸思也  

有晝停騎夜宿樓極盡一時遊興唯聚散無常故古今之慨即夜宿對春濃不工當云夜敞宿雲棲 

杜顧注 東陵道 長安城東門乃秦東陵侯種𤓰 臆唐都關中、即、今西安城東三十里有灞水、又、東乃文帝霸陵、出長安東門、為東陵道、得名以此灞水橋、曰、灞橋、乃長安餞之所、灞上當、即在其處詳詩意、則行樂之地/也。

楊炯少室山廟碑璇夜敞銀牓朝開 隋辛徳源詩戲笑上雲樓

 

 

  卷231_15 《懷灞上游》杜甫 

懷灞上游

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

悵望東陵道,平生灞上游。

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。 

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

離別人誰在,經過老自休。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

眼前今古意,江漢一歸舟。 

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

(灞上の游びを懷う)

悵望す 東陵の道,平生 灞上に游ぶ。

春 濃かにして 野騎を停め,夜 敞かにして雲樓に宿す。

離別の人 誰か在る,經過 老いて自ら休す。

眼前 今古の意,江漢 一歸舟。

長安付近図00 

『懷灞上游』現代語訳と訳註解説
(
本文)

懷灞上游

悵望東陵道,平生灞上游。

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。

離別人誰在,經過老自休。

眼前今古意,江漢一歸舟。

(下し文)
(灞上の游びを懷う)

悵望す 東陵の道,平生 灞上に游ぶ。

春 濃かにして 野騎を停め,夜 敞かにして雲樓に宿す。

離別の人 誰か在る,經過 老いて自ら休す。

眼前 今古の意,江漢 一歸舟。

(現代語訳)
懷灞上游(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。


(訳注) 

懷灞上游

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

杜甫は、隠遁の思いを東陵侯であり、李廣が灞陵であること、その地の灞陵亭であること、故郷に対する感慨をうかげたのである。もしかすると、李白の詩を思い浮かべたのであろうか。

 

悵望東陵道,平生灞上游。

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

東陵道 長安城の東門外は東陵の地なり、秦末に東陵侯邵平というものそこに隠れ、瓜を種う、東陵を経て灞橋に至る。秦東陵侯𤓰種う處、東陵侯とは, 漢の邵平を指す。 以て “東陵瓜” 種えて著名となる。 北周 庾信 《擬詠懷》之二四に「昔日 東陵侯 ,惟有瓜園在。」とあり、唐 李白 《古風五十九首之九》「青門 種瓜人,舊日 東陵侯 。」

灞上 長安城、東十里に灞水があって、灞橋という。灞上にそのほとりということである。唐の詩人の東行するものを送るには灞橋に於ておこなう。

 

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

雲樓 雲の漂う楼閣。長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭である。ここを過ぎるとしばらくは、宿場町があるだけである。長の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。李白は《卷十六27灞陵行送別》では、「送君灞陵亭、 灞水流浩浩。」と“灞陵亭”と述べている。

 

離別人誰在,經過老自休。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

 

眼前今古意,江漢一歸舟。

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

 

函谷関長安地図座標001 

 

 

 

 

 

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

《卷十六27灞陵行送別》

灞陵行送別 
送君灞陵亭。 灞水流浩浩。 
灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
上有無花之古樹。 下有傷心之春草。 
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。 
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。
正當今夕斷腸處。 驪歌愁不忍聽。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

君を送る  灞陵亭(はりょうてい)、灞水(はすい)は流れて浩浩(こうこう)たり

上に無花(むか)の古樹(こじゅ)有り、下に傷心(しょうしん)の春草(しゅんそう)有り

我  秦人(しんじん)に向かって路岐(ろき)を問う、云う是れ 王粲(おうさん)が南登(なんと)の古道なりと

古道は連綿(れんめん)として西京(せいけい)に走り、紫関(しかん)  落日  浮雲(ふうん)生ず

(まさ)に当たる 今夕(こんせき)断腸の処(ところ)、驪歌(りか)愁絶(しゅうぜつ)して聴くに忍(しの)びず

767年-(11)杜少陵集 《暮春》18-49 杜甫詩index-15-1167 <1617> 767年大暦2年56歲-(11) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7482

杜甫  暮春

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

杜少陵集18-50

遣悶戲呈路十九曹長

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫詩index-15

767年大暦256  (10)

1166 <1616

 

 
  2016年3月14日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1167-1617/2500            767年大暦256-(11)        18-49     暮春

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1167-1617/2500           767年大暦256-(11)18-49   暮春

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

全唐詩 卷230_47

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-49

 

 

詩題:

暮春

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

西閣 

瀟湘

洞庭 

交遊人物:

 

 

 

 

230_47 《暮春》杜甫  

暮春

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

(暮春)

病に臥して擁塞せられ 峽中に在り,瀟湘、洞庭 虛しく空に映ず。

楚天 斷えず四時の雨,巫峽 常に吹く 千里の風。

沙上の草閣 柳 新たに暗く,城邊の野池 蓮 紅ならんと欲す。

暮春 鴛鷺 洲渚に立つ,子を挾みて 翻飛す 還た一叢。

ゆりかもめ000 

『暮春』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。

(下し文)
(暮春)

病に臥して擁塞せられ 峽中に在り,瀟湘、洞庭 虛しく空に映ず。

楚天 斷えず四時の雨,巫峽 常に吹く 千里の風。

沙上の草閣 柳 新たに暗く,城邊の野池 蓮 紅ならんと欲す。

暮春 鴛鷺 洲渚に立つ,子を挾みて 翻飛す 還た一叢。

(現代語訳)
暮春(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

hasu005
(訳注) 

暮春

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)大暦二年春の作玩詩。

 

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

1 臥病の句 杜甫は、春には山峡を下って荊州、洞庭湖方面に旅立つ予定をしていた。それが持病が悪化し、その上雨の日が多く、舟を出すことができない、病気と天候によって妨げることの表現で、「卧病擁塞」といった。

2 瀟湘洞庭の句 則瀟湘不可到而虚/此映空水色矣。 瀟湘:湖南省、瀟水と湘水が洞庭湖に注ぐあたりの地方。洞庭湖:湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。

梁簡文帝採桑詩「春色映空來。先發院邊梅。」

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

3 四時雨 杜甫は、一年通して、床に臥す生活をしていた、四季を通じて雨が多かったことを言う。雨後は三峡の水量増加によって航行ができなかったことを言う。

 

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

4 柳新暗 風雨のため愁い、旅立てないために悶えが増してきて、やなぎがうっそうとしてくらくしげる、蓮紅は、夔州の地は暖いので、はうあいきせつで、蓮の花が紅く咲く。

 

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

5 鴛鷺立洲渚 鴛鴦と白鷺はつがいの鳥であり、山水詩の常套であり、牧歌的な光景である。魏文帝《短歌行》 「翩翩飛鳥,挾子巢棲。」

6 一叢 一塊になっている草むら。北周.庾信《春賦》:「一叢香草足礙人,數尺遊絲即橫路。」比忠貞的人。見「香草美人」條。蘭草的別名。見「蘭草」條。

767年-(10)杜少陵集 《即事》18-50 杜甫詩index-15-1166 <1616> 767年大暦2年56歲-(10) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫  即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

杜少陵集18-50

即   事

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫詩index-15

767年大暦256  (10)

1166 <1616

 

 

 

杜甫詩1500-1166-1616/2500            767年大暦256-(10)        18-50     即事

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

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月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1166-1616/2500         

767年大暦256-(10) 18-50     即事

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

全唐詩 卷231_19

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-50

 

 

詩題:

即事

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

西閣 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

231_19 《即事》杜甫 

杜少陵集18-50 即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。 

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

(即事)

暮春三月巫峽長し,皛皛たる行雲 日光を浮ぶ。

雷聲 忽ち送る 千峰の雨,花氣 渾て百和の香の如し。

黃鶯 水を過ぎて翻りて回り去る,燕子 泥を銜みて濕うも妨げず。

飛閣 簾を捲く 圖畫の裏,虛無 只だ少く 瀟湘に對するを。

miyajima594 

『即事』現代語訳と訳註解説
(
本文)

即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。

(下し文)
(即事)

暮春三月巫峽長し,皛皛たる行雲 日光を浮ぶ。

雷聲 忽ち送る 千峰の雨,花氣 渾て百和の香の如し。

黃鶯 水を過ぎて翻りて回り去る,燕子 泥を銜みて濕うも妨げず。

飛閣 簾を捲く 圖畫の裏,虛無 只だ少く 瀟湘に對するを。

(現代語訳)
即事(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。


(訳注) 

即事

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)大暦二年春の作。

 

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

1 皛皛 ともに明るいさま。白く明るい貌。

陶淵明:

辛丑歳七月赴假還江陵夜行塗口(辛丑の歳、七月 假還するに赴く、江陵夜行の塗口)

閒居三十載,遂與塵事冥。

閑居すること三十載、遂に塵事と冥し。

詩書敦夙好,園林無世情。

詩書 宿好を敦くし、林園 世情なし。

如何舍此去,遙遙至西荊!

如何ぞ 此を舍て去り、遙遙として西荊に至るや。

叩栧新秋月,臨流友生。

櫂を新秋の月に叩き、流に臨んで友生と別る。

涼風起將夕,夜景湛虛明。

良風 將に夕ならんとするに起り、夜景 虚明を湛ふ。

昭昭天宇闊,皛皛川上平。

昭昭として天宇闊く、皛皛として川上平らかなり。

懷役不遑寐,中宵尚孤征。

役を懷ひて寐ぬるに遑あらず、中宵 尚孤り征く。

商歌非吾事,依依在耦耕。

商歌は吾が事にあらず、依依たるは躬耕にあり。

投冠旋舊墟,不為好爵縈。

冠を投じて舊墟に旋り、 好爵の爲に繋がれざらん。

養真衡茅下,庶以善自名。

眞を衡茅の下に養ひ、庶くは善を以て自ら名づけん。

辛丑の歳といえば隆安五年(401)、陶淵明37歳。前年には桓玄に仕え、その任務を帯びて都に赴いたりしている。この年の前半には休暇をとって家でくつろいでいたようである。この詩は、休暇を終えて江陵へ赴く途上の作。(赴假は休暇を終えて帰任すること)当時江陵には、荊州刺史桓玄の本拠があった。尋陽を発った陶淵明は、武漢の西約50キロの地点にある塗口を通り過ぎた際にこの詩を作った。めざす江陵(荊州)までは更に200キロほど進まねばならない。淵明はここで、待ち受けている任務のつらさと、あとに残してきた田園の生活を対比させながら、ふたたびもとの生活にもどることをあこがれている。

30年もの間、閑居して俗世間とは無縁な生活を送ってきた。それが今になって、田園の生活を捨て、はるばる西の荊州まで行かねばならない。

新秋に舟を漕ぎ出し友人らと別れれば、良風が吹き渡り、水面には夜の空が映し出される。天も川も行く手を照らして明るい(昭昭皛皛はともに明るいさま)。待ち受ける任務を思うと寝られないほどだ、深夜なお孤独な旅を続けねばならない。

自分を売り込むようなマネはしたくはない、(商歌は淮南子にある故事、商歌を歌って権力者に取り立てられたことから、自分を売り込むことのたとえ)本当に望んでいるのは?耕(仲間とともに耕すこと)だ。辞職して家に帰りたい、地位などなんだ、あばら家でもいい、そこで真を養い、善と呼びうるような人になりたいものだ。

 

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

2 百和香 いろいろの材料なまぜわせた香り。

 

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。 

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

3 過水翻回 西閣の雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、雨がまた降るのかと恐れて翻るということ。

4 燕子銜泥 燕子は泥をくちにくわえる。杜少陵集に使う。

卷三40

去矣行

焉能作堂上燕,銜泥附炎熱。

卷九65

句漫興九首其三

銜泥點琴書,更接飛蟲打著人。

11- 70

春日梓州登樓二首其一

雙雙新燕子,依舊已銜泥。

12-09

雙燕

旅食驚雙燕,銜泥入北堂。

14-47

赤霄行

江中淘河嚇飛燕,銜泥卻落羞華屋。

18-50

即事

黃鶯過水翻迴去,燕子銜泥濕不妨。

23-34

燕子來舟中作

湖南為客動經春,燕子銜泥兩度新。

 

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

5 圖畫裏 図画の様な美しい景色のなかにいる。

6 虛無 むなしくひろい貌、雨の降る、どんよりとしたさまを言う。。

7 對瀟湘 杜甫は、此処でも山峡を下って、荊州、洞庭湖、瀟湘八景の方へ行きたい気持ちを表す。
楊貴妃清華池002 

767年-(9)杜少陵集 《遣悶戲呈路十九曹長》18-47 杜甫詩index-15-1165 <1615> 767年大暦2年56歲-(9)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7472

杜甫  遣悶戲呈路十九曹長

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。黃鸝並坐交愁濕, 白鷺群飛大劇幹。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。 

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)  昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

杜少陵集18-47

遣悶戲呈路十九曹長

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7472 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (9)

1165 <1615

 

 

 
  2016年3月12日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1165-1615/2500

767年大暦256-(9)

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

全唐詩 卷234_31

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-47

 

 

詩題:

遣悶戲呈路十九曹長

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

遣悶戲呈路十九曹長

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。 

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

 

(悶を遣る、戲れに路十九曹長に呈す。)

江浦の雷聲 昨夜に喧し,春城の雨色 微寒を動かす。

黃鸝 並び坐して交ごも 濕うことを愁い,白鷺 群飛して大いに幹すに劇【あわただ】し。

晚節 漸く詩律に於て細なり,誰が家にか 數しば去って 酒杯寬ならん。

惟だ吾 最も愛す 清狂の客,百遍相い看る 意 未だ闌ならず。

 

夔州三峡 

『遣悶戲呈路十九曹長』現代語訳と訳註解説
(
本文)

遣悶戲呈路十九曹長

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。

(下し文)
(悶を遣る、戲れに路十九曹長に呈す。)

江浦の雷聲 昨夜に喧し,春城の雨色 微寒を動かす。

黃鸝 並び坐して交ごも 濕うことを愁い,白鷺 群飛して大いに幹すに劇【あわただ】し。

晚節 漸く詩律に於て細なり,誰が家にか 數しば去って 酒杯寬ならん。

惟だ吾 最も愛す 清狂の客,百遍相い看る 意 未だ闌ならず。

(現代語訳)
遣悶戲呈路十九曹長(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) 

遣悶戲呈路十九曹長

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

1 路十九曹長 路は拾遺と為る。院、西省(中書省)に在り、故に曺長と曰う。

2 この詩 大暦二年春の作。杜甫は、兩切州に公し、大厯元年の春に於て夔州に至り、夔州の中では数件の家を持ち、順次移居した、そして、夔州において、百遍の詩を作ったので、この詩を作った。夔州に来て一年目、大暦二年の春に作ったものである。

 

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

 

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

3 黃鸝 高麗鶯をいい、動物界脊索動物門鳥綱スズメ目コウライウグイス科に分類される鳥。

4 大劇幹 幹は干。濡れた羽を干すにいそがしそうである。

 

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

5 詩律細 詩の規則に精細になっていくことをいう。

6 酒杯寬 酒を飲むのに杯を酌み交わすことに寛容である。寬は酒の量が多大であることを言う。詩人の詩をその家の壁に題したり、したためてもらうことが自慢なことであったから、酒やご馳走をふるまったことをしめす。

 

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

7 客 清廉で詩づくりに専ら専心している飄蓬の旅人。

8 相看 この地に来て作った百篇の詩を順次見る。

9 闌 まだまだ作詩の意気は尽きることないどない。

767年-(8)杜少陵集 《晝夢》18-48 杜甫詩index-15-1164 <1614> 767年大暦2年56歲-(8)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7467

杜甫  晝夢  

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。

(昼寝せし時の感をのべる。)  二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

杜少陵集18-48

晝  夢

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7467 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (8)

1164 <1614

 

 
  2016年3月11日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1164-1614/2500   767年大暦256-(8)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一  17

文體:

七言律詩

 

18-48

 

 

詩題:

晝夢

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

231_17 《晝夢》杜甫 

晝夢

(昼寝せし時の感をのべる。)

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。 

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。 

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

 

(晝夢)

二月 睡りは饒く 昏昏然たり,獨り夜の短きにのみならず晝分にも眠る。

桃花 氣暖かにして眼 自ら醉う,春渚 日落ちて夢 相い牽く。

門巷 荊棘の底,中原も君臣 豺虎の邊。

安んぞ得ん 農を務めして 戰鬥を息め,普天 吏の橫さまに錢を索る無きを。

長安城図 作図00 

『晝夢』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晝夢

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。

(下し文)
(晝夢)

二月 睡りは饒く 昏昏然たり,獨り夜の短きにのみならず晝分にも眠る。

桃花 氣暖かにして眼 自ら醉う,春渚 日落ちて夢 相い牽く。

門巷 荊棘の底,中原も君臣 豺虎の邊。

安んぞ得ん 農を務めして 戰鬥を息め,普天 吏の橫さまに錢を索る無きを。

(現代語訳)
晝夢(昼寝せし時の感をのべる。)

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。


(訳注) 

晝夢

(昼寝せし時の感をのべる。)大暦二年春の作。

 

 

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

1 饒睡 多く眠ること。

2 昏昏 1 暗くて物の区別がつかないさま。また、道理に暗いさま。2 意識がないさま。3 寝入っているさま

3 晝分 1 昼頃。昼どき。2 衣服などが古くなりかけていること。

 

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

4 春渚 春江のなぎさ。夔州の杜甫の住まいは、長江のほとりが多く、瀼西の草堂は、長江支流の大瀼水であるが、舟を繋留しておけるだけの大きな流れであった。

5 夢相牽 夢がよそえひきつけられる。

 

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。 

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

6 君臣豺虎邊 《18-44愁》でも「虎縱橫」とある。 長安に戻っても、杜甫は、朝廷からはじき出された、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこったままであること、貨幣の悪鋳造(一枚で十銭に相当する大銭を初めて鋳造する。面には「乾元重寶」)によるインフレの急伸、天下から青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」賀蘭進明と第五琦は、罪を得て左遷更されたが、悪法だけは残ったこと「虎」と表現した。房琯事件と賀蘭進明、第五琦の経済政策については下記に詳しく述べる。

 

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。 

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

7 安得 希望の辭であり、この語は下句までかかる。

8 普天 大地をあまねくおおっている広大な天。また、天がおおう限りの地。全世界。天下。

9 橫索錢 邪道な以て税金な乗り取ることをいう。青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」
三者の思惑が合致 

767年-(7)杜少陵集 《愁》18-44 杜甫詩index-15-1163 <1613> 767年大暦2年56歲-(7)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7462

杜甫  愁  【原註】強戲為體  

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)  江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。

杜少陵集18-44

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7462 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (7)

1163 <1613

 

 
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杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一  16

文體:

五言律詩

 

18-44

 

 

詩題:

序文・原註

 強戲為

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

231_16 《愁(強戲為體)》杜甫 

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(愁)

【原註】強いて戲れに 體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

 

『愁』現代語訳と訳註解説
(
本文)

【原註】強戲為

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

(下し文)
(愁)

【原註】強いて戲れに 體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

(現代語訳)
(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(訳注) 

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)大厯二年の春夔州で作る

【原註】強戲為

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

1  吴体とは詩體の一種である。語言は通俗であり,淺い俚俗なたとえ話を作るものであり,江南の民歌の風味を有す,故に稱す。仇兆鰲は黃生を注引して曰く「皮陸集中 亦體詩有り 乃ち當時の俚俗は此の體を為すのみ。 詩流は之を效うを屑ぜず。 杜公篇の什は既に眾す, 時に變調を出づ;凡そ集中の拗律は,皆 此體に屬す。」

  

原注 戲為呉體。: 為黄生 注皮陸集中亦有呉/體詩乃當時俚俗 此體耳詩流不屑效之杜公篇什既衆時出變調凡集中拗律皆屬此體偶/發例於此曰戲者明其非正律也杜臆胸有抑鬱不平之氣而以拗體發之公之拗體詩大都如是 翫詩意當是大厯二年春夔州作。

黄生が注を為す皮陸集中、亦、呉體詩有り、乃ち當時俚俗なり、此の體のみの詩流は效之杜公篇の什は屑ぜず。既に衆時出變調、凡そ集中の拗律は皆此體に屬す。偶たま例を發す、此に於て、戲れにと曰う者は其の正律にるを明かにするなち。杜臆胸は抑鬱に有り の氣を平にせざるして、以て拗體は之を發し之を公す。拗體詩は大都是れ翫詩の意の如し。

 

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

喚愁生 江草が生ずるにつれて杜甫の愁いが喚起することをいう。生は江草が生ずることをいう。

泠泠 巫峽に流れる水の音。

非世情 人情に近くないことをいう。船を係留したままでいるため、とどまる自分を置いて、水の流れだけは東に去ってゆくのでこのように言う。

 

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

 呉の俗語で、「何」である。

獨樹 一本立ちの樹。

自分明 独り、自然に分明であることで、自分とは無関心のさまをいう。

 

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

異域賓客 異境の賓客である自分をいう。

孤城 夔州の城郭を言う。

 

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。

渭水秦山 長安の山水。

虎縱橫 長安に戻っても、杜甫は、朝廷からはじき出された、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこったままであること、貨幣の悪鋳造(一枚で十銭に相当する大銭を初めて鋳造する。面には「乾元重寶」)によるインフレの急伸、天下から青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」賀蘭進明と第五琦は、罪を得て左遷更されたが、悪法だけは残ったこと「虎」と表現した。房琯事件と賀蘭進明、第五琦の経済政策については下記に詳しく述べる。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

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760

二年九月戊辰、絳州へ、乾元重寶の大銭を改鋳させた。重輪を銜えて、一枚を五十銭とする。

 戦費を優先した為、在京の百官へは俸禄が出せなかった。そこで、新銭を造って冬料を給付したのである。

 十一月、第五琦が乾元銭、重輪銭を造り、開元銭と併せて三種類の銭が流通した。

 民は争って偽造し、貨幣価値が下がって物価が上がった。穀物の価格は高騰し、餓死する者が相継いだ。上言する者は、皆、その罪を琦になすりつけた。

 庚午、琦を忠州長史へ降格する。御史大夫賀蘭進明は、琦の党類として有罪になり、湊州員外司馬へ降格となった。

 第五琦が任地へ出立した後、ある者が、「琦は二百両の金を受け取った。」と告発した。そこで、御史の劉期光を派遣して、詮議させた。

 琦は言った。

「琦は宰相だった時、二百両の金は持ち歩けなかった。もしも金を受け取って依頼事を聞いたというのなら、律に準じて罰を与えてください。」

 期光は帰ると、”琦は罪を認めた。”と上奏した。

 上元元年(760)二月庚戌、琦は有罪となり、除名のうえ、夷州へ長く流された。

 三種類の銭が流通して久しい上、飢饉になった。米は一斗が七千銭となり、人々は人肉まで食べた。京兆尹鄭叔清は銭の偽造者を捕まえたが、数ヶ月の間に八百余人を処刑して曝しても、偽造をやめさせる事はできなかった。

 六月、京畿へ敕が降りた。”開元銭と乾元の小銭は十銭に相当し、その重輪銭は三十銭に相当する。”と。

 諸州へ対しては、様子を見て施行することとした。

 この時、史思明も又順天銭を鋳造した。これ一枚で、開元銭百枚に相当した。だから、賊の支配領域では、物価が最も高騰した。

 癸丑、天下の重稜銭も、畿内同様、三十銭とするよう敕した。

767年-(6)杜少陵集 《18-46崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡》 index-15-1162 <1612> 767年大暦2年56歲-(6) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7457

杜甫  崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。浮雲不負青春色,細雨何孤白帝城。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。 

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)  わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

杜少陵集18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

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杜甫詩index-15

767年大暦256  (6)

1162 <1612

 

 
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦256-(4)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1162-1612/2500         

 

 

 

767年大暦256-(6)   18-46 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

卷二百二十九  32

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-46

 

 

詩題:

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

序文

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

/州西閣 

 

 

交遊人物:

崔評事弟

 

 

 

 

 

229_32 《崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡》 

崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。 

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。 

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

 

(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色, 細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

 

 瞿塘峡・白帝城・魚復

現代語訳と訳註解説
(
本文)
崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。

(
下し文)
(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色, 細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

(
現代語訳)
崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡 (母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

夔州東川卜居図詳細 002 

(訳注) 

崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)大暦二年

1 崔評事弟 新巻十五23崔十三評事公輔と崔評事十六弟と崔評事と称するもの二人あり。この詩は、崔評事十六弟ということであり、作者の母方の従弟である。

贈崔十三評事公輔(卷一五(三)一二九○)

飄颻西極馬,來自渥洼池。颯寒山桂,低徊風雨枝

我聞龍正直,道屈爾何為?且有元戎命,悲歌識者知。

官聯辭冗長,行路徙敧危。劍主人贈,去帆春色隨。

陰沉鐵鳳闕,教練羽林兒。天子朝侵早,雲臺仗數移。

分軍應供給,百姓日支離。黠吏因封己,公才或守雌。

燕王百駿骨,渭老得熊羆。活國名公在,拜壇群寇疑。

冰壺動瑤碧,野水失蛟螭。入幕諸集,渴賢高選宜。

騫騰坐可致,九萬起於斯。復進出矛戟,昭然開鼎彝。

會看之子貴,歎及老夫衰。豈但江曾決,還思霧一披。

暗塵生古鏡,拂匣照西施。舅氏多人物,無慚困翮垂。

766年-62杜甫 《1523贈崔十三評事公輔 -#5》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-62 <926-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6260

  卷221_25 《毒熱寄簡崔評事十六弟》杜甫 

  大暑運金氣,荊揚不知秋。林下有塌翼,水中無行舟。 

  千室但掃地,閉關人事休。老夫轉不樂,旅次兼百憂。 

  蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。 

  開襟仰弟,執熱露白頭。束帶負芒刺,接居成阻修。 

  何當清霜飛,會子臨江樓。載聞大易義,諷興詩家流。 

  蘊藉異時輩,檢身非苟求。皇皇使臣體,信是德業優。 

  楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。短章達我心,理為識者籌。 

766年大暦元年55-20-3奉節-12 《15-41毒熱寄簡崔評事十六弟 -#3》 杜甫index-15 杜甫<894 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5355

別に以下の詩もある。

・戲寄崔評事表姪蘇五表弟韋大少府諸姪(卷二○(四)一七七七)

2 相迎 こちらか迎えにくること。

3 老夫 自己かさす。

4 愆佳期 約束の時期なまちがへてゆかね。

 

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

5 江閥 江辺の閣、西閣をさす。

6 要賓 賓客をむかえる、賓客とは先方の賓客にて自己をさす。

7 馬迎 馬もて迎へる。

 

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

8 不負 自分は~にそむくものではない。

9 何孤 孤はそむく、自分がどうして~にそむくことがあろうか。そうではない。

10 白帝城 白帝城の江閣に崔評事がいる。

〔瀼西宅と白帝城〕

白帝山(城)は、城塞の自宅からは西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注''参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

 

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

11 虛疑 崔評事が~のことを疑っている。事実でもないことを疑う。

12 沖泥怯 沖は登ってゆく、泥道を上ってゆくことを恐れる。

恐泥 泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。《19-09 .槐葉冷淘》「路遠思恐泥,興深終不渝。」(路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。)「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

767-9-#2杜甫 19-09 .槐葉冷淘》#2 杜甫詩index-15-767年大暦256-9-#2 <1086 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7110 

 

13 銀鞍 崔評事がお迎えによこしてくれる馬。

14 傍險行 高いところにある白帝城に行くには石崖の道であり、杜甫は、杖をついて自力で上るには道が険しすぎる。
 

767年-(4)杜少陵集 《王十五前閣會》18-45 杜甫詩index-15-1160 <1610> 767年大暦2年56歲-(4)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7447 

杜甫  王十五前閣會

楚岸收新雨,春台引細風。情人來石上,鮮膾出江中。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。病身虛俊味,何幸飫兒童。
王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

杜少陵集18-45

王十五前閣會

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7447 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (4)

1160 <1610

 

 
  2016年3月7日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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744年歳-1李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山 415Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-1【56首】Ⅰ李白詩1781 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7445  
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韓愈141-#4《 巻02-08醉贈張祕書 #4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#4<1694> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7446  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦256-(4)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

767年大暦256-(3)   18-43     庭草

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一 

文體:

五言律詩

 

18-45

 

 

詩題:

王十五前閣會

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

王十五前閣會

王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚岸收新雨,春台引細風。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

情人來石上,鮮膾出江中。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

病身虛俊味,何幸飫兒童。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

 

『王十五前閣會』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

王十五前閣會

楚岸收新雨,春台引細風。

情人來石上,鮮膾出江中。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

病身虛俊味,何幸飫兒童。


(下し文)
(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

(現代語訳)
王十五前閣會王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。


(訳注)

前閣前閣會

王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。大暦二年春の作。

【1】   王十五 其の人、いまだ詳ならず。

【2】    前閣 白帝城の関連の江閣であり、その江閣の南面を言う、これまで杜甫が詠んでいる詩は以下の通り。

766年大暦元年55-28-#1奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#1 杜甫index-15 杜甫<890-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5435

766年大暦元年55-28-#2奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#2 杜甫index-15 杜甫<890-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5440

766年-71杜甫 《1711宿江邊閣【案:即後西閣。】》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-71 <934 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6305

766年-72杜甫 《1811夜宿西閣曉呈元二十一曹長》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-72 <935 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6310

766年-73杜甫 《1812西閣口號【案:呈元二十一。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-73 <936 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6315

766年-74杜甫 《1713西閣雨望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-74 <937 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6320 杜甫詩1500-937-1435/2500

766年-75杜甫 《1816不離西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-75 <938 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6325

766年-76杜甫 《1817不離西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-76 <939 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6330 杜甫詩

766年-77杜甫 《1714西閣三度期大昌嚴明府,同宿不到》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-77 <940 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6335

766年-78杜甫 《1715西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-78 <941 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6340 杜甫詩1500-941-1439/2500

766年-79杜甫 《1716西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-79 <942 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6345

766年-81杜甫 《1717西閣夜》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-81 <944 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6355 

 

楚岸收新雨,春台引細風。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

【3】    楚岸 夔州の江岸をいうが、特定の場所を言うのではない。

【4】    春臺 春景色の高台。

 

情人來石上,鮮膾出江中。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

【5】    情人 男女間の語、ここは会中の諸人をさて親しみをもっていう。

【6】    石上 高台の石の多い場所をさす。

【7】    鮮膾 新鮮な膾。鯉の生き造り。

 

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

【8】    鄰舍 となりの家、王十五が家をさす。

【9】    煩書劄 わざわざ手紙をよこしてくれる。札とは薄い木のふだ、この頃は髪が高価であったために紙の代りに用う、ここは語を借りていう。

【10】   肩輿 肩で担ぐみこし。

 

病身虛俊味,何幸飫兒童。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

【11】   強老翁 むりやりに、この老人にしてくれるという意。杜甫にしてくれる好意を言う。

【12】   虛俊味 虚とは見るばかり煮て食べられるを言う。俊味にすぐれた味わいの食物。

【13】   飫 あく、王十五がみやげにお膳をもたせて帰すにより家の児童もそれにあくことを得ることをいう。「杜臆」に「書札中に併せて其の子か招きしを見る」といっているが恐らくはあたらず。

 

 

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杜甫  庭草

楚草經寒碧、庭春入眼濃。舊低收葉舉、新掩巻牙重。

歩履宜輕過、開筵得屢供。看花隨節序、不敢為容
(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの) 南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

杜少陵集18-43

庭   草

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杜甫詩index-15

767年大暦256  (3)

1159 <1609

 

 
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杜甫詩1500-1159-1609/2500

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

767年大暦256-(3)   18-43     庭草

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二二九 

文體:

五言律詩

 

18-43

 

 

詩題:

庭草

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

庭草

(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

楚草經寒碧庭春入眼濃

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

歩履宜輕過、開筵得屢供。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

看花隨節序、不敢為容。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

(庭草)

楚の草 寒を經て碧なり、庭の春 眼に入りて濃かなり。

舊低 收葉 舉り、新掩 巻牙 重なる。

歩履 宜しく輕く過ぐべし、開筵 屢しば供するを得。

看花 節序に隨う、敢えていて容づくることを為さず

 瞿塘峡・白帝城・魚復

 

『庭草』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

庭草

楚草經寒碧、庭春入眼濃。

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

歩履宜輕過、開筵得屢供。

看花隨節序、不敢為容

(下し文)
(庭草)

楚の草 寒を經て碧なり、庭の春 眼に入りて濃かなり。

舊低 收葉 舉り、新掩 巻牙 重なる。

歩履 宜しく輕く過ぐべし、開筵 屢しば供するを得。

看花 節序に隨う、敢えていて容づくることを為さず

(現代語訳)
庭草(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

00大豆畑
(訳注)

庭草

(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

年を越してきて一本立ちの杜に葉が青々と茂っているが、士卒が故郷のことを思って心を傷めるという、詩經.小雅.杕杜:「卉木萋芷,女心悲止。」(卉木 芷を萋たり,女心悲しむ。)にならい、文選.張景陽.雜詩十首之一:「房櫳無行跡,庭草萋以綠。」房櫳には行跡無く、庭草は萋として以て緑なり。)の詩に倣ってこれを詠う。

 

楚草經寒碧庭春入眼濃

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

楚草 夔州は古代楚のくにであったこと、特に、冬でも、草が枯れない南の地であることを言う。《1809南極》「南極青山眾,西江白穀分。」(南極 青山眾し,西江 白穀分かる。766-144杜甫 1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-144 <1016 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

庭春 庭前の春景色、山の高いところでなく、川沿いの低地のところをいう。

張景陽 文選《雜詩十首之一》「房櫳無行跡、庭草萋以緑。」(房櫳には行跡無く、庭草は萋として以て緑なり。部屋の窓のあたりには人の足跡もなく、庭の草は繁って緑である。

雜詩十首之一

秋夜凉風起、清氣蕩暄濁。

蜻蛚吟階下飛蛾拂明燭

君子從佳人守㷀獨

房櫳無行跡庭草萋以緑

青苔依空牆蜘蛛網四屋

感物多所懐沈憂結心曲

 

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

舊低 冬の間に、これまで垂れ下がっていた葉。

收葉舉 収縮しながら上に直立して挙がっている新芽を言う。

新掩 内部のものは、外部の新しいものに覆われる。

巻牙重 巻いた芽が幾重にも重なって生えてくること。

 

歩履宜輕過、開筵得屢供。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

歩履 この草の上を履で歩む。

宜輕過 気をつけて軽やかに通るのが良ろしい。

開筵 酒宴の筵を開く。

得屢供 庭草の新草の緑を賓客に提供する。

 

看花隨節序、不敢為容。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

看花 庭草の緑の中に次第に咲いてゆく花を見る。

隨節序 季節が来れば自然に咲いてくれる。杜甫の故郷、長安では花の苗を植えて咲かせたのであろう。

為容 容はかたちづくることをいうが、強制的にかたちづくり、強制的に見てもらう必要がないことを言う。

 

 

立 春  【字解】

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)大暦二年立春、夔州にあっての作。

大暦二年        767   56

1 立春 節目の名。立春は八十八夜、二百十日、二百二十日など、雑節の起算日(第1日目)となっている。立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を春一番と呼ぶ。

2 【解説】 柏茂琳の配慮によって、杜甫はいくらか安定した生計のもとで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣があった。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出す。

 貴富の家の侍女が細い手で「生菜」を運ぶ姿を思い出すが、思いはすぐに現実にもどり、目の前を流れる巫峡の流れは寒々として、「杜陵の遠客」、杜甫自身である。

 結びの一句「児を呼び紙をもとめてすこしく詩を題す」は、涙をさそうもの。遠客飄蓬人生の悲哀が伝わってくる。

3 春盤 立春の日に春餅と生薬とを盛る、これを春盤という、盤は大きな平皿。

4 細生菜 細はこまかにきざんであること。生業は韮(にら)をいう。

5 両京 長安・洛陽。

6 高門 富貴の家の門、立春に菜盤を作って贈りものとする。

7 行白玉 行は運行、諸処へはこぶこと。白玉は自主でつくった

8 菜伝纎 手業は生薬、伝とはその手を経て他へったえられること、紙子とは美人のほそい手。

9 送青糸 送とは他へ転送すること、青糸は韮菜の切りすじのはそいのをたとえていう。

10 那対眼 眼に対するに堪えぬことをいう。

11 杜陵遠客 客作者自らいう。

12 定処 定まった場所、両京の旧住地をいう。

 

江梅  【字解】

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)大暦二年の春の作。

13 梅蘂 梅の花のつぼみ。蘂:① 花の生殖器官。ずい。 「雄-」 「雌-」 ひもの先端と総(ふさ)との間につける飾り。

14 臘前破 梅の開花が臘は年末のことで、臘節であったことをいう。

年後 新年。

15 春意好 春が素敵なこと、好意を持つことを言う。

16 奈客愁何 韻のために「客愁奈何」とする。 

17 江風 川風。

18 亦自波 川のほとりの梅花であるから、風に飛ぶ花弁が、波に乗って流れ、波しぶき化、波の泡のように見えることを言う。

19 故園 前の詩《18-41立春》では、両京、杜陵と表現した故郷のこと。

20 巫岫 巫山。

21 鬱嵯峨 こんもりと高く聳えていること。・鬱 さかんなさま。・嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。陸機詩「長風萬里舉。慶雲鬱嵯峨。」

1424別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》「子負經濟才,天門鬱嵯峨。」( 子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。)

廣徳2764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

767年-(1)杜少陵集 《立春》18-41 杜甫詩index-15-1157 <1607> 767年大暦2年56歲-(1)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7432

杜甫  立 春

春日春盤細生菜、忽憶両京梅発時。盤出高門行白玉、菜伝纎手送青糸。

巫峡寒江那対眼、杜陵遠客不勝悲。此身未知帰定処、呼児覓紙一題詩。

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。 

杜少陵集18-41

立 春

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7432 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (1)

1157 <1607

 

 

 
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杜甫詩1500-1157-1607/2500          767年大暦256-(1)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

 

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二二九 

文體:

七言律詩

 

18-41

 

 

詩題:

立春

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

長安杜陵 

 長安

洛陽 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

子供ら

 

 

 

 

立 春

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)

春日春盤細生菜忽憶両京梅発時

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。

盤出高門行白玉菜伝纎手送青糸

あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。

巫峡寒江那対眼杜陵遠客不勝悲

ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。

此身未知帰定処呼児覓紙一題詩

この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。

 

(立春)

春日春盤 生菜細やかなり、忽ち憶う  両京  梅発く時。

盤は高門を出でて白玉行き、菜は纎手に伝えて青糸を送る。

巫峡の寒江  那ぞ眼に対せん、杜陵の遠客  悲しみに勝【た】えず。

此の身  未だ帰定する処を知らず、児を呼び紙を覓めて一び詩を題す。

桃園001 

『立春』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

立 春

春日春盤細生菜、忽憶両京梅発時。

盤出高門行白玉、菜伝纎手送青糸。

巫峡寒江那対眼、杜陵遠客不勝悲。

此身未知帰定処、呼児覓紙一題詩。

(下し文)
(立春)

春日春盤 生菜細やかなり、忽ち憶う  両京  梅発く時。

盤は高門を出でて白玉行き、菜は纎手に伝えて青糸を送る。

巫峡の寒江  那ぞ眼に対せん、杜陵の遠客  悲しみに勝【た】えず。

此の身  未だ帰定する処を知らず、児を呼び紙を覓めて一び詩を題す。

(現代語訳)
立 春(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。

あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。

ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。

この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。


(訳注)

立 春

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)大暦二年立春、夔州にあっての作。

大暦二年        767   56

立春 節目の名。立春は八十八夜、二百十日、二百二十日など、雑節の起算日(第1日目)となっている。立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を春一番と呼ぶ。

【解説】 柏茂琳の配慮によって、杜甫はいくらか安定した生計のもとで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣があった。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出す。

 貴富の家の侍女が細い手で「生菜」を運ぶ姿を思い出すが、思いはすぐに現実にもどり、目の前を流れる巫峡の流れは寒々として、「杜陵の遠客」、杜甫自身である。

 結びの一句「児を呼び紙をもとめてすこしく詩を題す」は、涙をさそうもの。遠客飄蓬人生の悲哀が伝わってくる。

 

春日春盤細生菜、忽憶両京梅発時。

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。

春盤 立春の日に春餅と生薬とを盛る、これを春盤という、盤は大きな平皿。

細生菜 細はこまかにきざんであること。生業は韮(にら)をいう。

両京 長安・洛陽。

 

盤出高門行白玉、菜伝纎手送青糸。

あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。

高門 富貴の家の門、立春に菜盤を作って贈りものとする。

行白玉 行は運行、諸処へはこぶこと。白玉は自主でつくった

菜伝纎 手業は生薬、伝とはその手を経て他へったえられること、紙子とは美人のほそい手。

送青糸 送とは他へ転送すること、青糸は韮菜の切りすじのはそいのをたとえていう。

 

巫峡寒江那対眼、杜陵遠客不勝悲。

ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。

那対眼 眼に対するに堪えぬことをいう。

杜陵遠客 客作者自らいう。

 

此身未知帰定処、呼児覓紙一題詩。

この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。

定処 定まった場所、両京の旧住地をいう。
木蘭01 

767年-(2)杜少陵集 《江梅》18-42 杜甫詩index-15-1158 <1608> 767年大暦2年56歲-(2)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7437

杜甫  江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。絶知春意好、最奈客愁何。

雪樹元同色、江風亦自波。故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

杜少陵集18-42

江  梅

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杜甫詩index-15

767年大暦256  (2)

1158 <1608

 

 

 

 
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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 杜甫詩1500-1158-1608/2500

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二二九 

文體:

五言律詩

 

18-42

 

 

詩題:

江梅

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

紅梅201 

江梅

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)
梅蘂臘前破、梅花年後多。

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

絶知春意好、最奈客愁何。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

雪樹元同色、江風亦自波。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

(江梅)

梅蘂 臘前に破る、梅花 年後に多し。

絶【はなは】だ知る 春意の好きことを、最も 客愁を奈何【いかに】せん。

雪樹 元の色を同じゅうす、江風 亦た自ら波だつ。

故園 見る可からず、巫岫 鬱として嵯峨たり。

 

 

『江梅』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。

絶知春意好、最奈客愁何。

雪樹元同色、江風亦自波。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

(含異文)江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。

絶知春意好【一作/早】、最奈客愁何。

雪樹元【一作/能】同色、江風亦自波。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。



(下し文)
(江梅)

梅蘂 臘前に破る、梅花 年後に多し。

絶【はなは】だ知る 春意の好きことを、最も 客愁を奈何【いかに】せん。

雪樹 元の色を同じゅうす、江風 亦た自ら波だつ。

故園 見る可からず、巫岫 鬱として嵯峨たり。

(現代語訳)
江梅(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

白梅001
(訳注)

江梅

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)大暦二年の春の作。

 

梅蘂臘前破、梅花年後多。

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

梅蘂 梅の花のつぼみ。蘂:① 花の生殖器官。ずい。 「雄-」 「雌-」 ひもの先端と総(ふさ)との間につける飾り。

臘前破 梅の開花が臘は年末のことで、臘節であったことをいう。

年後 新年。

 

絶知春意好、最奈客愁何。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

春意好 春が素敵なこと、好意を持つことを言う。

奈客愁何 韻のために「客愁奈何」とする。 

 

雪樹元同色、江風亦自波。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

江風 川風。

亦自波 川のほとりの梅花であるから、風に飛ぶ花弁が、波に乗って流れ、波しぶき化、波の泡のように見えることを言う。

 

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

故園 前の詩《18-41立春》では、両京、杜陵と表現した故郷のこと。

巫岫 巫山。

鬱嵯峨 こんもりと高く聳えていること。・鬱 さかんなさま。・嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。陸機詩「長風萬里舉。慶雲鬱嵯峨。」

1424別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》「子負經濟才,天門鬱嵯峨。」( 子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。)

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杜甫  晚登瀼上堂 #3

淒其望呂葛,不復夢周孔。濟世數嚮時,斯人各枯冢。

楚星南天黑,蜀月西霧重。安得隨鳥翎,迫此懼將恐。

世をすくうことができるに足るほどの過去の人物をかぞへあげてみると、それらの人人、自分が尊敬していた房琯をはじめとする人々は今ではそれぞれ墳墓に埋葬されて骨となっているのである。世をすくうことができるに足るほどの過去の人物をかぞへあげてみると、それらの人人、自分が尊敬していた房琯をはじめとする人々は今ではそれぞれ墳墓に埋葬されて骨となっているのである。自分の居る楚蜀の西南の地ではいま星がいでても天は黒く、月がかかっても霧が重くとざしているという有様なのである。この盗賊が跋扈して恐懼すべき際に迫られている自分は、どうにかして鳥のつばさにでもつきしたがって、故郷の方へ飛んでかへりたいと願っている次第である。

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杜甫詩1500-1114-1564/2500

年:767年大暦256-15 #1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    晚登瀼上堂

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              瀼上堂 (山南東道 夔州 奉節)           

交遊人物/地點:  

 

晚登瀼上堂 #1

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

故躋瀼岸高,頗免崖石擁。

それまで、崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることから免れることができるために、自分は、どうしても瀼水の崖の高いところにのぼってながめてみたかったのである。

開襟野堂豁,繫馬林花動。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

雉堞粉如雲,山田麥無壟。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

春氣晚更生,江流靜猶湧。

夕がたであるために、夕もやによって春の雲気は更にましてきて、大瀼水の江の流れはきよらかで静ではあるがそれでも湧きたっている。

(晚に瀼上の堂に登る) #1

故【ことさら】に躋【のぼ】る 瀼岸の高きに,頗る免る 崖石に擁せらるるを。

襟を開く 野堂の豁なるに,馬を繫いで 林花動く。

雉堞 粉 雲の如し,山田 麥 壟無し。

春氣 晚に更に生じ,江流 靜に猶お湧く。


#2

四序嬰我懷,群盜久相踵。

四季を訪わず自分の胸にひっかかっていることはいろいろの盗賊どもの叛乱者が久しくあいついでおこっていることだ。

黎民困逆節,天子渴垂拱。

人民は叛逆のために困しみ、天子は垂拱無為の治平を渇望しておいでになる。

所思注東北,深峽轉修聳。

自分の思いはいつまでも東北の故郷にそそがれていて、そこへ帰りたくおもっているのだが、ここの深い峡はいよいよ永く、この思いを妨げるようにまたそびえている。

衰老自成病,郎官未為冗。

自分は衰老で自然病気にもなっているが自分の辱くも頂戴してなる郎官の職は決してむだなものではない、その職責を果さなければならないのだ。

#2

四序 我が懷に嬰る,群盜 久しく相い踵ぐ。

黎民 逆節に困み,天子 垂拱に渴す。

所思 東北に注ぐも,深峽 轉た修聳なり。

衰老 自ら病を成し,郎官 未だ冗なりを為さず。

#3

淒其望呂葛,不復夢周孔。

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

楚星南天黑,蜀月西霧重。

安得隨鳥翎,迫此懼將恐。

世をすくうことができるに足るほどの過去の人物をかぞへあげてみると、それらの人人、自分が尊敬していた房琯をはじめとする人々は今ではそれぞれ墳墓に埋葬されて骨となっているのである。

世をすくうことができるに足るほどの過去の人物をかぞへあげてみると、それらの人人、自分が尊敬していた房琯をはじめとする人々は今ではそれぞれ墳墓に埋葬されて骨となっているのである。

自分の居る楚蜀の西南の地ではいま星がいでても天は黒く、月がかかっても霧が重くとざしているという有様なのである。

この盗賊が跋扈して恐懼すべき際に迫られている自分は、どうにかして鳥のつばさにでもつきしたがって、故郷の方へ飛んでかへりたいと願っている次第である。

#3

淒其 呂葛を望み,復た周孔を夢みず。

濟世 嚮時を數うれば,斯の人 各の枯冢なり。

楚星 南天黑く,蜀月 西霧重し。

安んぞ得ん 鳥翎に隨うことを,此の懼れ將に恐るるに迫らる。

 

安史の乱当時の勢力図 

『晚登瀼上堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

淒其望呂葛,不復夢周孔。

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

楚星南天黑,蜀月西霧重。

安得隨鳥翎,迫此懼將恐。

(下し文)
#3

淒其 呂葛を望み,復た周孔を夢みず。

濟世 嚮時を數うれば,斯の人 各の枯冢なり。

楚星 南天黑く,蜀月 西霧重し。

安んぞ得ん 鳥翎に隨うことを,此の懼れ將に恐るるに迫らる。

(現代語訳)
#3

世をすくうことができるに足るほどの過去の人物をかぞへあげてみると、それらの人人、自分が尊敬していた房琯をはじめとする人々は今ではそれぞれ墳墓に埋葬されて骨となっているのである。

世をすくうことができるに足るほどの過去の人物をかぞへあげてみると、それらの人人、自分が尊敬していた房琯をはじめとする人々は今ではそれぞれ墳墓に埋葬されて骨となっているのである。

自分の居る楚蜀の西南の地ではいま星がいでても天は黒く、月がかかっても霧が重くとざしているという有様なのである。

この盗賊が跋扈して恐懼すべき際に迫られている自分は、どうにかして鳥のつばさにでもつきしたがって、故郷の方へ飛んでかへりたいと願っている次第である。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) #3

晚登瀼上堂 

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

大暦二年三月、赤甲より瀼西に居を移して、ある春の晴れた時の作。

 

淒其望呂葛,不復夢周孔。

それで太公望や諸葛孔明の様な人物がでてもらいたいと望んではいるものの、さむくものがなしいじょうきょうである、それに、自分自身は衰えてきてわかい時のように周公や孔子を夢に見ることもなくなった。

19 淒其望 天子に影響を与え、夜を救うほどの力を発揮する人物が出現することを望んでいるがそれを期待できてはいない。淒は寒い様子を言う。

20 呂葛 呂尚(太公望)、諸葛亮

・呂尚(太公望) 紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師、後に斉の始祖。 姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。謚は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。

・諸葛 は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明。 司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。

21 夢周孔 周孔は周公旦と、孔子のこと。論語、述而篇 “子曰:「甚矣,吾衰也!久矣,吾不復夢見周公!」” (子曰く:「甚だしいかな,吾れ衰るなり!久しいかな,吾れ復た夢に周公を見ず!」)

・周公旦 魯の初代の公である伯禽の父であり、周公は称号と思われる。周の西伯昌(文王)の第四子で、初代武王の同母弟である。次兄・武王の補佐を勤め、さらに武王の少子(年少の子)の成王を補佐して建国直後の周を安定させた。

・孔子 春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。 氏は孔、諱は丘、字は仲尼。孔子とは尊称である。

 

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

世をすくうことができるに足るほどの過去の人物をかぞへあげてみると、それらの人人、自分が尊敬していた房琯をはじめとする人々は今ではそれぞれ墳墓に埋葬されて骨となっているのである。

22 濟世 世を救う。

23 數嚮時 過去の人物を数えあげる。

24 斯人 杜甫が尊敬していた房琯グループの儒者の仲間たちを言う。張鎬、房琯、嚴武、高適、岑参、鄭虔らも同じグループである。基本に儒者たちであり、復古主義であったもの。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

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25 枯冢 すでにその人死んでいて墳墓に入っている。

 

楚星南天黑,蜀月西霧重。

自分の居る楚蜀の西南の地ではいま星がいでても天は黒く、月がかかっても霧が重くとざしているという有様なのである。

26 楚星 楚の國で見る星。

27 南天黑 南の天涯においても、周辺の異民族との関係が心配であることを言う。

28 蜀月西霧重 蜀において、夔州において、東北洛陽からすれば西南であり、世情不安であることを言う。

 

安得隨鳥翎,迫此懼將恐。

この盗賊が跋扈して恐懼すべき際に迫られている自分は、どうにかして鳥のつばさにでもつきしたがって、故郷の方へ飛んでかへりたいと願っている次第である。

29 安得 希望の思いを言う。

30 隨鳥翎 鳥の翅に随って東北、洛陽に還ることを言う。

31 懼將恐 困難に対してともに力を合わせて助け合おうということ。將は、詩經では、“まさに”という意味で【はた】と読ませる。《詩經、小雅谷風之什谷風》「習習谷風,維風及雨。 將恐將懼,維予與女。 將安將樂,女轉棄予。 習習谷風,維風及 將恐將懼,寘予于懷。 將安將樂,棄予如遺。 習習谷風,維山崔嵬。 無草不死,無木不萎。 忘我大德,思我小怨。」(習習たる谷風,維れ風と及び雨。 將【はた】恐れ將懼れしは,維れ予と女のみ。 將安んじ將樂めば,女轉って予を棄つ。 習習たる谷風,維れ風及び 將恐れ將懼れては,予を懷に寘く。將安んじ將樂めば,予を棄て遺れたるが如し。 習習たる谷風,維れ山の崔嵬。草として死せざ無るく,木として萎せざる無し。我が大德を忘れ,我が小怨を思う。)

 

扁舟 00

 

晚登瀼上堂  【字解】

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

大暦二年三月、赤甲より瀼西に居を移して、ある春の晴れた時の作。

1 瀼上堂 大瀼水のほとりにある杜甫の草堂。

2 故躋 深い意味があって上る。

3 崖石擁 崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることをいう。

4 繫馬林花動 堂に近いところに行くのに、花畑のそばを通って行って馬をつなぎとめるという風流な情景を言う。

5 雉堞 白帝城の姫牆が漆喰で塗られているので真っ白であることをいう。

6 粉如雲 仙界を示す雲の様である。

7 麥無壟 麦がもう少しで刈り入れができるほどに成長して、畝が見えないほど一面たわわになっている。

8 四序 春夏秋冬り節序。

9 嬰我懷 嬰はひっかかること、かかるものは下の群盗事なり。

10 群盜久 正道にさからう道、安禄山・史思明、以来全国的に謀叛、叛乱、山賊・盗賊を言う。蜀では、徐知道が反乱を起こしてから、節度使軍の中で権力闘争から叛乱することが続いている。

11 黎民 一般人民。庶民。万民。

12 困逆節 人民の平穏無事に過ごしてゆく良い循環を「群盗」らによって、乱され、苦しめられるが、それでも、納税義務は変わらずあるということで疲弊しつくすほどの苦しみを言う。

13 渴垂拱 渇は渇望、垂拱無為、垂拱は、「垂衣拱手」、人形のごとく静立し、無爲にして天下治まるをいう。

14 東北 洛陽の故郷をいう。

15 深峽 夔州の峡谷のふかいようすをいう。

16 轉修聳 修はながく続いていること、聳はそびえていることをいう。故郷に帰りたいけれど、ここの深い峡はいよいよ永く、この思いを妨げるようにまたそびえている。

17 郎官 工部員外郎をいう。

18 未為冗 冗は余って無駄なものを言う。杜甫の郎官職を果たすことを言う。 

 

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杜甫詩  晚登瀼上堂#2

四序嬰我懷,群盜久相踵。黎民困逆節,天子渴垂拱。

所思注東北,深峽轉修聳。衰老自成病,郎官未為冗。

四季を訪わず自分の胸にひっかかっていることはいろいろの盗賊どもの叛乱者が久しくあいついでおこっていることだ。人民は叛逆のために困しみ、天子は垂拱無為の治平を渇望しておいでになる。自分の思いはいつまでも東北の故郷にそそがれていて、そこへ帰りたくおもっているのだが、ここの深い峡はいよいよ永く、この思いを妨げるようにまたそびえている。自分は衰老で自然病気にもなっているが自分の辱くも頂戴してなる郎官の職は決してむだなものではない、その職責を果さなければならないのだ。

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杜甫詩1500-1113-1563/2500

年:767年大暦256-15 #1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    晚登瀼上堂

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              瀼上堂 (山南東道 夔州 奉節)           

交遊人物/地點:  

 

晚登瀼上堂 #1

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

故躋瀼岸高,頗免崖石擁。

それまで、崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることから免れることができるために、自分は、どうしても瀼水の崖の高いところにのぼってながめてみたかったのである。

開襟野堂豁,繫馬林花動。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

雉堞粉如雲,山田麥無壟。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

春氣晚更生,江流靜猶湧。

夕がたであるために、夕もやによって春の雲気は更にましてきて、大瀼水の江の流れはきよらかで静ではあるがそれでも湧きたっている。

(晚に瀼上の堂に登る) #1

故【ことさら】に躋【のぼ】る 瀼岸の高きに,頗る免る 崖石に擁せらるるを。

襟を開く 野堂の豁なるに,馬を繫いで 林花動く。

雉堞 粉 雲の如し,山田 麥 壟無し。

春氣 晚に更に生じ,江流 靜に猶お湧く。


#2

四序嬰我懷,群盜久相踵。

四季を訪わず自分の胸にひっかかっていることはいろいろの盗賊どもの叛乱者が久しくあいついでおこっていることだ。

黎民困逆節,天子渴垂拱。

人民は叛逆のために困しみ、天子は垂拱無為の治平を渇望しておいでになる。

所思注東北,深峽轉修聳。

自分の思いはいつまでも東北の故郷にそそがれていて、そこへ帰りたくおもっているのだが、ここの深い峡はいよいよ永く、この思いを妨げるようにまたそびえている。

衰老自成病,郎官未為冗。

自分は衰老で自然病気にもなっているが自分の辱くも頂戴してなる郎官の職は決してむだなものではない、その職責を果さなければならないのだ。

#2

四序 我が懷に嬰る,群盜 久しく相い踵ぐ。

黎民 逆節に困み,天子 垂拱に渴す。

所思 東北に注ぐも,深峽 轉た修聳なり。

衰老 自ら病を成し,郎官 未だ冗なりを為さず。

#3

淒其望呂葛,不復夢周孔。

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

楚星南天黑,蜀月西霧重。

安得隨鳥翎,迫此懼將恐。

#3

淒其 呂葛を望み,復た周孔を夢みず。

濟世 嚮時を數うれば,斯の人 各の枯冢なり。

楚星 南天黑く,蜀月 西霧重し。

安んぞ得ん 鳥翎に隨うことを,此の懼れ將に恐るるに迫らる。

 瞿塘峡・白帝城・魚復

『晚登瀼上堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

四序嬰我懷,群盜久相踵。

黎民困逆節,天子渴垂拱。

所思注東北,深峽轉修聳。

衰老自成病,郎官未為冗。

(下し文)
#2

四序嬰我懷,群盜久相踵。

黎民困逆節,天子渴垂拱。

所思注東北,深峽轉修聳。

衰老自成病,郎官未為冗。

(現代語訳)
#2

四季を訪わず自分の胸にひっかかっていることはいろいろの盗賊どもの叛乱者が久しくあいついでおこっていることだ。

人民は叛逆のために困しみ、天子は垂拱無為の治平を渇望しておいでになる。

自分の思いはいつまでも東北の故郷にそそがれていて、そこへ帰りたくおもっているのだが、ここの深い峡はいよいよ永く、この思いを妨げるようにまたそびえている。

自分は衰老で自然病気にもなっているが自分の辱くも頂戴してなる郎官の職は決してむだなものではない、その職責を果さなければならないのだ。


(訳注) #2

晚登瀼上堂 

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

大暦二年三月、赤甲より瀼西に居を移して、ある春の晴れた時の作。

 

四序嬰我懷,群盜久相踵。

四季を訪わず自分の胸にひっかかっていることはいろいろの盗賊どもの叛乱者が久しくあいついでおこっていることだ。

8 四序 春夏秋冬り節序。

9 嬰我懷 嬰はひっかかること、かかるものは下の群盗事なり。

10 群盜久 正道にさからう道、安禄山・史思明、以来全国的に謀叛、叛乱、山賊・盗賊を言う。蜀では、徐知道が反乱を起こしてから、節度使軍の中で権力闘争から叛乱することが続いている。

 

黎民困逆節,天子渴垂拱。

人民は叛逆のために困しみ、天子は垂拱無為の治平を渇望しておいでになる。

11 黎民 一般人民。庶民。万民。

12 困逆節 人民の平穏無事に過ごしてゆく良い循環を「群盗」らによって、乱され、苦しめられるが、それでも、納税義務は変わらずあるということで疲弊しつくすほどの苦しみを言う。

13 渴垂拱 渇は渇望、垂拱無為、垂拱は、「垂衣拱手」、人形のごとく静立し、無爲にして天下治まるをいう。

 

所思注東北,深峽轉修聳。

自分の思いはいつまでも東北の故郷にそそがれていて、そこへ帰りたくおもっているのだが、ここの深い峡はいよいよ永く、この思いを妨げるようにまたそびえている。

14 東北 洛陽の故郷をいう。

15 深峽 夔州の峡谷のふかいようすをいう。

16 轉修聳 修はながく続いていること、聳はそびえていることをいう。故郷に帰りたいけれど、ここの深い峡はいよいよ永く、この思いを妨げるようにまたそびえている。

 

衰老自成病,郎官未為冗。

自分は衰老で自然病気にもなっているが自分の辱くも頂戴してなる郎官の職は決してむだなものではない、その職責を果さなければならないのだ。

17 郎官 工部員外郎をいう。

18 未為冗 冗は余って無駄なものを言う。杜甫の郎官職を果たすことを言う。 

 

三峡 巫山十二峰001 

 

晚登瀼上堂  【字解】

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

大暦二年三月、赤甲より瀼西に居を移して、ある春の晴れた時の作。

1 瀼上堂 大瀼水のほとりにある杜甫の草堂。

2 故躋 深い意味があって上る。

3 崖石擁 崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることをいう。

4 繫馬林花動 堂に近いところに行くのに、花畑のそばを通って行って馬をつなぎとめるという風流な情景を言う。

5 雉堞 白帝城の姫牆が漆喰で塗られているので真っ白であることをいう。

6 粉如雲 仙界を示す雲の様である。

7 麥無壟 麦がもう少しで刈り入れができるほどに成長して、畝が見えないほど一面たわわになっている。

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杜甫  晚登瀼上堂 #1

故躋瀼岸高,頗免崖石擁。開襟野堂豁,繫馬林花動。

雉堞粉如雲,山田麥無壟。春氣晚更生,江流靜猶湧。
(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

それまで、崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることから免れることができるために、自分は、どうしても瀼水の崖の高いところにのぼってながめてみたかったのである。城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。夕がたであるために、夕もやによって春の雲気は更にましてきて、大瀼水の江の流れはきよらかで静ではあるがそれでも湧きたっている。

767-15 #1杜甫 《18-69 晚登瀼上堂》#1 杜甫詩index-15-1112 <1562

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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:

767年大暦256-15 #1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    晚登瀼上堂

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              瀼上堂 (山南東道 夔州 奉節)           

交遊人物/地點:  

 

晚登瀼上堂 #1

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

故躋瀼岸高,頗免崖石擁。

それまで、崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることから免れることができるために、自分は、どうしても瀼水の崖の高いところにのぼってながめてみたかったのである。

開襟野堂豁,繫馬林花動。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

雉堞粉如雲,山田麥無壟。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

春氣晚更生,江流靜猶湧。

夕がたであるために、夕もやによって春の雲気は更にましてきて、大瀼水の江の流れはきよらかで静ではあるがそれでも湧きたっている。

(晚に瀼上の堂に登る) #1

故【ことさら】に躋【のぼ】る 瀼岸の高きに,頗る免る 崖石に擁せらるるを。

襟を開く 野堂の豁なるに,馬を繫いで 林花動く。

雉堞 粉 雲の如し,山田 麥 壟無し。

春氣 晚に更に生じ,江流 靜に猶お湧く。
#2

四序嬰我懷,群盜久相踵。

黎民困逆節,天子渴垂拱。

所思注東北,深峽轉修聳。

衰老自成病,郎官未為冗。

#3

淒其望呂葛,不復夢周孔。

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

楚星南天黑,蜀月西霧重。

安得隨鳥翎,迫此懼將恐。

 

安史の乱当時の勢力図 

『晚登瀼上堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

晚登瀼上堂 #1

故躋瀼岸高,頗免崖石擁。

開襟野堂豁,繫馬林花動。

雉堞粉如雲,山田麥無壟。

春氣晚更生,江流靜猶湧。

(下し文)
(晚に瀼上の堂に登る) #1

故【ことさら】に躋【のぼ】る 瀼岸の高きに,頗る免る 崖石に擁せらるるを。

襟を開く 野堂の豁なるに,馬を繫いで 林花動く。

雉堞 粉 雲の如し,山田 麥 壟無し。

春氣 晚に更に生じ,江流 靜に猶お湧く。

(現代語訳)
晚登瀼上堂 #1(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

それまで、崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることから免れることができるために、自分は、どうしても瀼水の崖の高いところにのぼってながめてみたかったのである。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

夕がたであるために、夕もやによって春の雲気は更にましてきて、大瀼水の江の流れはきよらかで静ではあるがそれでも湧きたっている。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

晚登瀼上堂 #1

(夕がた瀼西の堂に登りでながめ感じたることをのべた詩。)

大暦二年三月、赤甲より瀼西に居を移して、ある春の晴れた時の作。

瀼上堂 大瀼水のほとりにある杜甫の草堂。

 

故躋瀼岸高,頗免崖石擁。

それまで、崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることから免れることができるために、自分は、どうしても瀼水の崖の高いところにのぼってながめてみたかったのである。

故躋 深い意味があって上る。

崖石擁 崖石にとりかこまれて憂鬱になっていることをいう。

 

開襟野堂豁,繫馬林花動。

ここへあがって林の花が動かして馬をつなぎとめてから、野堂のひろびろとしたところで胸襟を開いてながめるのである。

繫馬林花動 堂に近いところに行くのに、花畑のそばを通って行って馬をつなぎとめるという風流な情景を言う。

 

雉堞粉如雲,山田麥無壟。

城の女牆の白壁は仙界の雲の様にみえるし、山の田に麦が成長して隴といふものがないほどみのってきている。

雉堞 白帝城の姫牆が漆喰で塗られているので真っ白であることをいう。

粉如雲 仙界を示す雲の様である。

麥無壟 麦がもう少しで刈り入れができるほどに成長して、畝が見えないほど一面たわわになっている。

 

春氣晚更生,江流靜猶湧。

夕がたであるために、夕もやによって春の雲気は更にましてきて、大瀼水の江の流れはきよらかで静ではあるがそれでも湧きたっている。

766年-175杜甫 《1810-瞿塘懷古》24 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-175 <1051> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6935 

杜甫  瞿塘懷古  

西南萬壑注,勍敵兩崖開。地與山根裂,江從月窟來。

削成當白帝,空曲隱陽臺。疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

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杜甫詩1500-1051-1545/2500

年:766年大暦元年55-175

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    瞿塘懷古【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

交遊人物/地點:  

 

 

瞿塘懷古

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

地與山根裂,江從月窟來。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

削成當白帝,空曲隱陽臺。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

(瞿塘の古へを懷う)

西南より萬壑注ぐ,勍敵 兩崖開かる。

地と山根とは裂け,江は 月窟より來る。

削成せられて白帝に當り,空曲は 陽臺を隱す。

疏鑿 功 美なりと雖も,陶鈞 力 大なる哉。
瞿塘峡・白帝城・魚復

 

 

『瞿塘懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

瞿塘懷古

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

地與山根裂,江從月窟來。

削成當白帝,空曲隱陽臺。

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。
詩文(含異文)     西南萬壑注,勍敵兩崖開【勍敵兩崖間】。地與山根裂,江從月窟來。削成當白帝,空曲隱陽臺。疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。


(下し文)
(瞿塘の古へを懷う)

西南より萬壑注ぐ,勍敵 兩崖開かる。

地と山根とは裂け,江は 月窟より來る。

削成せられて白帝に當り,空曲は 陽臺を隱す。

疏鑿 功 美なりと雖も,陶鈞 力 大なる哉。

(現代語訳)
(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 (訳注)

瞿塘懷古

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

 

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

【一】  勍敵 つよき敵、萬壑の水に対して、この崖が強敵となるみいふ。

 

地與山根裂,江從月窟來。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

【二】  月窟 西極に在りと考えられていたという地をさす。

 

削成當白帝,空曲隱陽臺。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

【三】  削成 成鎧の唆しきないふ。

【四】  白帝 白帝城のこと。此句は「江從月窟來」を承る。

【五】  空曲 空痍同曲、ひろくしてまがる、此句は第四句を承く。西から流れてきたものが、南に流れを変えて瞿唐峽になる隈地点は淵となるのを〔空〕と表現した。

【六】  陽臺 陽雲臺、・杜甫《1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》「避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦,同過楚王臺。猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回。」(避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。)(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一  今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

 

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

【七】  疏鑿 聖帝禹王が江水を切り開いて三巴の方面から水をみちび利水し、航行を可能にした。《巻14-57 禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕》「禹廟空山裡,秋風落日斜。荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。雲氣生虛壁,江聲走白沙。早知乘四載,疏鑿控三巴。」(禹廟 空山の裏、秋風 落日斜めなり。荒庭 橘柚垂れ、古屋 竜蛇を画く。雲気 虚壁に生じ、江声白沙に走る。早く知る四載に乗じて、疏鑿三巴より控せしを。)(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。

 

【八】  陶鈎 製陶者が陶器をつくるのに用いる“ろくろ”をいう。ここでは天然造化の力を例えていう。

陶鈞

(陶鈞, ) 亦作“陶均”。

1.製作陶器所用的轉輪。

桓寬 《鹽鐵論遵道》:辭若循環, 轉若陶鈞。”

2.治國的大道。

《史記魯仲連鄒陽列傳》:是以聖王制世御俗, 獨化於陶鈞之上。”

裴駰 集解引《漢書音義》:陶家名模下圓轉者為鈞, 以其能制器為大小, 比之於天。”

司馬貞 索隱引 張晏 曰: “陶, 冶;鈞, 範也。 作器, 下所轉者名鈞。”

3.指治理國家。

《舊唐書文苑傳下劉蕡》:至若念陶鈞之道, 在擇宰相而任之, 使權造物之柄。”

4.指藉以施展治國之才的權位。

王禹偁 《獻轉運使雷諫議》詩:棘寺下僚叨末路, 齋心唯願秉陶鈞。”

王禹偁 《酬种放徵君》:男兒既束髮, 出處歧路各;苟非秉陶鈞, 即去持矛槊。”

5.借指聖王。

南唐 李中 《獻喬侍郎》詩: “貴賤知無間, 孤寒必許親。 幾多沈滯者, 拭目望陶鈞。”

歐陽修 《與杜正獻公書慶歷五年》:迨此期 曠無所聞。 不惟上辜陶鈞, 實亦慚愧知己。”

6.指天地造化。

《晉書樂志上》:四海同風, 興至仁。 濟民育物, 擬陶均。 擬陶均, 垂惠潤。 皇皇群賢, 峨峨英雋。”

杜甫 《瞿唐懷古》詩: “疏鑿功雖美, 陶鈞力大哉!。”

仇兆鰲 注: “《鄒陽傳》: 獨化於陶鈞之上。

師氏 曰: 陶人轉鈞, 蓋取周迴調鈞耳, 此借以造化。”

楊巨源 《上劉侍中》詩: “道協陶鈞力, 思回日月光。”

司馬光 《和王安之今春於鄭國相公及光處得綴珠蓮各一本植之盆中仲夏始見一花喜而成詠》: “春凍消時種兩芽, 南風薰日見孤花。 先開必自陶鈞力, 且合歸功丞相家。”

7.陶冶、造就。

《宋書文帝紀》:將陶鈞庶品, 混一殊風。”

孫過庭 《書譜》: “必能傍通點畫之情, 博究始終之理, 鎔鑄蟲篆, 陶鈞草隸。”

鄭光祖 《伊尹耕莘》楔子: 西池 金母 共理二氣, 陶鈞萬物, 養育群生。”

嚴復 《原強》: 中國 今日之民, 其力、智、德三者, 苟通而言之, 則經數千年之層遞積累, 本之乎山川風土之攸殊, 導之乎刑政教俗之屢變, 陶鈞爐錘而成此最後之一境。”

766年-174杜甫 《1826-奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐》52 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-174 <1050> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6930 

杜甫  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

766-174杜甫 1826-奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐》52 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-174 <1050 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6930 

 

 
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杜甫詩1500-1050-1544/2500

年:766年大暦元年55-174

卷別:    卷二三二              文體:    七言律詩

詩題:    奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              蜀州 (劍南道北部 蜀州 蜀州)           

江陵 (山南東道 荊州 江陵)             

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

交遊人物/地點:柏二別駕   當地交遊

衛尚書太夫人          當地交遊

杜位          書信往來(山南東道 荊州 江陵)

 

 

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

 

蜀州の柏二別駕が中丞の命を將【おこな】い、江陵に赴きて衛尚書の太夫人を起居するを送り奉る,因りて從弟行軍司馬佐に示す。)

【別駕 乃ち中丞の弟。衛伯玉の時 荊南節度に、檢校工部尚書と為り。】

中丞 俗を問いて畫熊 頻りなり,愛弟 書を傳えて彩鷁 なり。

遷轉す五州の防禦使,起居す 八座の太夫人。

楚宮臘には送る 荊門の水,白帝雲はむ 碧海の春。

與【ため】に惠連に報ぜよ 詩惜まざれ,吾が斑鬢 總て如銀のくなるを知れよ。

 

『奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(下し文)

蜀州の柏二別駕が中丞の命を將【おこな】い、江陵に赴きて衛尚書の太夫人を起居するを送り奉る,因りて從弟行軍司馬佐に示す。)

【別駕 乃ち中丞の弟。衛伯玉の時 荊南節度に、檢校工部尚書と為り。】

中丞 俗を問いて畫熊 頻りなり,愛弟 書を傳えて彩鷁 なり。

遷轉す五州の防禦使,起居す 八座の太夫人。

楚宮臘には送る 荊門の水,白帝雲はむ 碧海の春。

與【ため】に惠連に報ぜよ 詩惜まざれ,吾が斑鬢 總て如銀のくなるを知れよ。

(現代語訳)
(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。


(訳注)

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

大暦元年十二月、夔州での作。

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

【1】    蜀州 今、四川省成都府崇慶州。

【2】    柏二別駕 柏中丞の弟、別駕は州の属官である。

【3】    將中丞命 將命とは命令かもってゆくこと、中丞は柏中丞。

【4】    江陵 湖北省荊州府。

【5】    起居 御機嫌伺いをすること、その人の起居の安否如何な問うことをいう。

【6】    衛尚書 衛伯玉のこと。大暦元年五月、荊南節度使衛伯玉に検校工部尚書を加えられたこと。

【7】    太夫人 衛伯玉の母をいう、漢の法にては列侯の母にしてはじめて太夫人と称す、後世はひろくいふ。蓋し柏中丞と衛尚書とは従兄弟の関係にあるものである。

【8】    従弟行軍司馬位 作者の年下のいとこにて伯玉が配下にて行軍司馬の役をつとめている杜位のこと。

 

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

【9】    問俗 領内人民の風俗を問う、民情か視察すること。

【10】  畫熊頻 畫熊は車の欄軾のところに熊の形象を描いた車の事。絵柄によって官位がわかるもので、その車が頻繁に来ることを言う

【11】  愛弟 柏二別駕をいう。

【12】  傳書 中丞の手紙を先方へつたえること。

【13】  彩鷁新 彩鷁は船をいうもの、水紳を壓するため船首に鷁鳥を新な彩色にてえがく、別駕がのってゆく船をいう。

 

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

【14】  遷轉 官位を遷ること。

【15】  五州防禦使 代宗の廣徳二年に夔・忠・涪防禦使を置き夔州に治す、もとは夔州・峡州・忠州・歸州・萬州の五州を領して荊南節度使に隷属せしものなりと、柏中丞、このとき夔州都督より防禦使に遷りしものとみえたり。

【16】  八座太夫人 八座とは主要な官省八種をいう、其の内容に時代により同じからず、隋、唐の時、以て左右僕射と六部尚書で “八座尚書”と為した。 參見できるものの総称として<<八座>>という ”。衛伯玉は検校工部尚書であるから、八座の一に居る。其の母であるから、八座太夫人という。

 

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

【17】  楚官楚王の宮、鉱山駿にわり、巳に見岬。

【18】  臘 十二月の別名。師走(しわす)。「臘」は、「年の瀬」「12月」という意味がある。師走・極月などとともに、臘月は旧暦一二月の異称。年末のことを臘尾といったり、年が明けて前年となった一二月のことを旧臘という。

【19】  荊門山の名。

【20】  白帝 城の名、夔州城の隣にあった。

【21】   は盗む、人の知られない潜にということを含むことをいう。

【22】  碧海 荊州の廣き江水をさす。其の末流、東流して海に入る。

 

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

【23】  報與 我が為めに彼に報ぜよ、これは柏別駕にむかいていう辭なり。

【24】  惠連 宋の謝惠連。謝靈運が従弟にて文才あり、今借りて杜甫の従弟杜位に比したもの。

【25】  詩不惜 我に贈る詩篇を愛惜するなかれ。

【26】  知吾 吾の作る詩を知れとに杜位にむかっていうなり。

766年-173杜甫 《1832 〔見王監兵馬使說請余賦詩二首之二〕》66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-173 <1049> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6925

杜甫  見王監兵馬使請余賦詩二首之二  

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。) この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

766-173杜甫 《1832 〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-173 <1049> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6925

 

 
  2015年11月16日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1049-1543/2500

年:766年大暦元年55-172

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:王兵馬      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。

また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の二)

黑鷹 省みず人間の有なるを,度海をりて疑うらくは北極より來る。

正翮 風に摶ちて紫塞を超え,立冬 幾夜か 陽臺に宿す。

虞羅 自各 虛しく巧を施し,春雁 同歸せば 必ず猜せられん。

萬里 寒空 祗だ一日,金眸 玉爪 不凡の才。

 

 

『見王監兵馬使請余賦詩二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。
詩文(含異文)     黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺【玄冬幾夜宿陽臺】。虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才【金眸玉爪未凡才】。


(下し文)
〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の二)

黑鷹 省みず人間の有なるを,度海をりて疑うらくは北極より來る。

正翮 風に摶ちて紫塞を超え,立冬 幾夜か 陽臺に宿す。

虞羅 自各 虛しく巧を施し,春雁 同歸せば 必ず猜せられん。

萬里 寒空 祗だ一日,金眸 玉爪 不凡の才。

(現代語訳)
(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

 

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。


(訳注)

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

 

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

【1】    不省 省は察である。どう考えてもそのようにはみえない。

【2】    人間有 有は所有在り。人間に有るものの義。

 

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

【3】    正翻 たちばねかまっすぐにのばす。

【4】    摶風 摶はうちつけること。

【5】    超紫塞 秦が万里の長城を築くに土色皆紫であったために、紫塞は、異民族から防御する詩的総称として使われている。朔方の塞は雁門、此処では、西の塞、南の塞と超とは之を越えて来ていることをいう。

【6】    幾夜 いくよ。裏面の意に多く宿すること。

【7】    陽臺 楚の陽雲台。巫山神女が往来したところ。巫山縣の西北にある陽雲臺の事であるが、杜甫が夔州城の役所へきてこの詩を作ることから、王監のいるこの役所をさすものである。

 

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

【8】    虞羅 虞羅は虞人の作る網。虞は虞人、このことから山澤を掌る役人をいみする。

【9】    自各虛施巧 みずからも、おのおののものも、うまくあみの仕掛けするので、仕掛けがわからなくなる。虚とは鷹がそれにかからないことをいう。

【10】  春雁同歸 春に雁が南より北へかへる。同歸とは鷹が雁とおなじく北へかへるをいう。

【11】  必見猜 鷹が雁からそねまれる。 

 

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。
また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

【12】  萬里寒空 南より塞外までの遠いそら。

【13】  金眸 金のように光る鋭い眼。

【14】  玉爪 たまの様な白く堅きつめ。

【15】  不凡材 非凡の材。 

766年-172杜甫 《1831 〔見王監兵馬使說請余賦詩二首之一〕》66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-172 <1048> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6920 杜甫詩1500-1048-1542/2500

杜甫  見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。在野只教心力破,千人何事網羅求。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

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年:766年大暦元年55-172

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之一】

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:王兵馬      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕          

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

 

『〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕          

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。
詩文(含異文)

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之一】      

雪飛玉立盡清秋【雲飛玉立盡清秋】,不惜奇毛恣遠遊。在野只教心力破【在野只教心膽破】,千人何事網羅求【干人何事網羅求】【于人何事網羅求】。一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂【兔藏三窟莫深憂】【兔經三穴莫深憂】【兔經三窟莫深憂】【兔營三穴莫深憂】【兔營三窟莫深憂】。


(下し文)
〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

(現代語訳)
(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。


(訳注)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕           〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

ここでは詩題が長いので便宜的に用いる。

 

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

この第一首は白鷹についてのべ、暗に自己を之に此したものである。大暦元年の作。

【1】    王監 唐制に監の字か附したる官名は甚だ多し。比に王監というに、何の監なるや詳ならず。嘗て某監なりしものであろう。此の人前の角鷹の詩の王某と同人ぶつであろう。見説は其の人のいうを説を聞くの意。

【2】    羅者 鳥をあみにて捕うるもの。

【3】    久取 長い間鳥をとっていることをいう。

【4】     はるかなる貌。 

 

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

【5】    雪飛玉立 静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶ。雪、玉は、鷹の羽毛の純白のたとえ、飛は動の状態を言い、立は静の状態を言う。

【6】    盡清秋 清秋の秋が終るときをいふ。

【7】    奇毛 尋常に非ざる毛。

 

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

【8】    在野只教心力破,千人何事網羅求 この鷹が冬の時期に原野にあるときのことをいう。

【9】    心力破 鷹の心力が敗れて、その能力を発揮できない、飛べば、その能力をいかんなく発揮する。

【10】  千人 千人の人。他人に於て。

【11】  何事それを目的とすることなし。

【12】  網羅求 他人から採用されることをねがい求める。換言すればだれでもいいから他人から採用されるるを願ふなり。

 

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

【13】  自猟 他人の力によらす自力にて猟をすること。

【14】  百中爭能恥下韝 この句は「恥下韝而争百中之能。」(韝より下りて百中の能を争うを恥ず)と同じ。百中は「戦國策」楚の養由基が柳葉を去ること百甘歩にして之を射るに百発百中とあるに本づく。爭能とは技能の優劣を争うことをいう。下韝とに壮士の弓小手より下りて獲物を撃つをいう。

 

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

【15】   鵬は大鳥、逍遙遊第一[编辑]. 北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。

【16】   鵬の翼にわよりに大なるな以て大在もさま王ぐるなり。

【17】  九天 九重九層の天とする立体的考へ方と、中央及び八方の天とする平面的の考え方と二種ある。

【18】  卻避 しりぞきさく。

【19】  兔藏三穴 狡兎三穴『戦国策』「斉策」は悪知恵のはたらく兎は身を守るために用心深くたくさんの逃げ場や、策略を用意しておくこと。または、困難をさけることがうまいこと。悪知恵のはたらく賢い兎は、隠れるための穴を三つ用意しているという意味から。

【20】  莫深憂     鷹は悪知恵のはたらく賢い兎の如き小さきものには眼もくれないが故に心配に及ばないということ。

766年-161杜甫 《1825陪柏中丞觀宴將士,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-161 <1033> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6845

杜甫  陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

766-161杜甫 1825陪柏中丞觀宴將士,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-161 <1033 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6845

 

 
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陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

 

 

杜甫詩1500-1033-1531/2500

年:766年大暦元年55-161

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    陪柏中丞觀宴將士,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:柏茂林      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

 

『陪柏中丞觀宴將士,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
詩文(含異文)     繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵【百戲後歌鐎】【案:刁斗也。】。江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。


(下し文)
(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

(現代語訳)
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。


(訳注)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

柏中丞 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

此処では柏中丞に陪席して、その酒宴で、当時もっとも流行し、大喝采を受けていた散楽の様子を述べている。

舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。

舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。

 

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

繡段 刺繍の縫い取りの織物。タペストリーのようなもの緞通のように敷くものではないが重厚さがあるもの。

裝檐額 軒先を飾り付け。

金花 金色の造花。

帖鼓腰 太鼓の胴まわりに張り付ける。

 

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

一夫先舞劍 一人の武太夫が剣舞を舞う。

百戲 様々な散楽の出し物。

歌樵 夔州にいる異民族の歌う樵歌。「夷歌幾處起漁樵」ということと同じ。散楽では、めったにない異民族のものほど喜ばれた。唐では、西域のものが最も喜ばれたという。

◎ここまでの四句は、六朝から唐時代に最も盛んになった散楽を示している。散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。

散楽は、宮廷だけではなく、皇族や貴族の邸宅で行われた。また、長安には、大慈恩寺、青竜寺、大薦福寺、永寿寺などの寺の境内や門前に「戯場」が置かれ、散楽が演じられた。

安史の乱以後は、散楽も、各地の節度使のもとや地方の州で行われるようになった。

 

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

江樹 三峡地区の岸辺に樹木。

城孤 都から離れ孤立している城。夔州城は白帝城とともに、三峡地区の重瑤池点であった。人口も数万人が棲んでいた。

雲臺 秦の咸陽城、漢の長安城は水上輸送を基本に置いた渭水に近く低地にあったが、長安城ない、皇城、大明宮は高台に作られたことを言う。

使 朝廷からの使者。夔州は駅伝制の陸路駅と水上交通の水路駅の両方があったので、使者は必ず立ち寄るところである。

寂寥 それでもめったにこないこと。

 

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

漢朝 下句に漢の大将軍、霍嫖姚を引き合いに出しているので、唐朝のことを言う。

頻選將 しきりに大将を選抜する。

應拜 拜は任命すること、しきりに大将を選抜、任命していたことをいう。

霍嫖姚 霍去病称ここでは、柏中丞に比している。霍 去病(かく きょへい、紀元前140 - 紀元前117年、Huò Qù-bìng)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。

しかし宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったとされ、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていた模様だった。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。

 

李白《巻02-28 胡無人》「嚴風吹霜海草凋。 筋干精堅胡馬驕。 漢家戰士三十萬。 將軍兼領霍嫖姚。」

李白《巻四10塞下曲六首 其三》 「駿馬似風() ( 似一作如 ) 鳴鞭出渭橋。 彎弓辭漢月。 插羽破天驕。 陣解星芒盡。 營空海霧消。 功成畫麟閣。 獨有霍嫖姚。」

 

 

<同時期の“柏茂林”中丞につての作品>

(1)      1822  覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)    紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。子弟先卒伍,芝蘭疊(一作壘)璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。絲綸實具載,紱冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒溫(一作暄)。金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。每聞戰場,欻激懦氣奔。聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必祲沴根。吾病日迴首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤(一作騫,非)。54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 

(2) 1823  覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)    渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學(    一作覺)仙。鏡中衰顏色,萬一故人憐。

(3) 1824  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其一(頁一五七六)    極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。醉客沾鸚鵡,佳人指鳳凰    。幾時來翠節,特地引紅妝。

(4) 1825  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其二(頁一五七七)    繡段裝簷額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵(一作鐎)。江樹城孤遠,    雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

(5) 1826  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)    中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書綵(益鳥)新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。    楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。與報(一作報與)惠連詩(一作書),不惜    ,知吾斑鬢總如銀。

(6) 2108 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度使(一無使字)陽城郡王衛公幕(一云    〈夔府送田將軍赴江陵)(卷二一(四)一八三五)    離筵罷多酒,起舵(從《杜臆》,舊作地)發寒塘。回首中丞座,馳箋異姓王。    燕辭楓林日,雁度麥城霜。定(一作空)醉山翁酒,遙憐似葛疆。

 

<巻18-23

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

766年-160杜甫 《1824陪柏中丞觀宴將士,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-160 <1032> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6840

杜甫  陪柏中丞觀宴將士,二首之一   

極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。幾時來翠節,特地引紅妝。

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

766-160杜甫 1824陪柏中丞觀宴將士,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-160 <1032 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6840 


 
  2015年10月30日 の紀頌之5つのBlog  
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同時期の“柏茂林”中丞につての作品

(1)      1822  覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)    紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。子弟先卒伍,芝蘭疊(一作壘)璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。絲綸實具載,紱冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒溫(一作暄)。金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。每聞戰場,欻激懦氣奔。聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必祲沴根。吾病日迴首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤(一作騫,非)。54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 

(2) 1823  覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)    渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學(    一作覺)仙。鏡中衰顏色,萬一故人憐。

(3) 1824  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其一(頁一五七六)    極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。醉客沾鸚鵡,佳人指鳳凰    。幾時來翠節,特地引紅妝。

(4) 1825  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其二(頁一五七七)    繡段裝簷額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵(一作鐎)。江樹城孤遠,    雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

(5) 1826  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)    中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書綵(益鳥)新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。    楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。與報(一作報與)惠連詩(一作書),不惜    ,知吾斑鬢總如銀。

(6) 2108 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度使(一無使字)陽城郡王衛公幕(一云    〈夔府送田將軍赴江陵)(卷二一(四)一八三五)    離筵罷多酒,起舵(從《杜臆》,舊作地)發寒塘。回首中丞座,馳箋異姓王。    燕辭楓林日,雁度麥城霜。定(一作空)醉山翁酒,遙憐似葛疆。
 

1823杜甫詩1500-1032-1530/2500

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

1824

年:766年大暦元年55-160

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    陪柏中丞觀宴將士,二首之一

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:柏茂林      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

夔州東川卜居図詳細 002 

『陪柏中丞觀宴將士,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

極樂三軍士,誰知百戰場。

無私齊綺饌,久坐密金章。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

幾時來翠節,特地引紅妝。

(下し文)
(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

(現代語訳)
陪柏中丞觀宴將士,二首之一(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。


(訳注)

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

柏中丞 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

三軍 夔州都督府三軍(上中下の三軍)。

百戰場 百戦錬磨を経験しているものというほどの意。百戦錬磨の手練れ。

 

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

無私 公平無私。柏中丞が誰に対しても公平に扱ってくれること。

齊綺饌 ご馳走を等しく提供してくれること。

久坐 宴席が長時間にわたり、長く席に座ること。

密金章 柏中丞の金印に密着するほどに接近すること。懇親して親近感がわくことをいみする。

 

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

鸚鵡 鸚鵡螺の酒杯を恵まれること。大酒杯樽。

佳人 夔州、都督などに付属した官妓。

指鳳皇 腹に鳳凰の画がある琴を弾くこと。

 

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

翠節 翡翠の羽のついた節旄をつけた柏中丞のこと。

特地 特別なこの地において、再びというほどの意。

引紅妝 紅を引き、お化粧をした美人に袖を引き、招き入れられること。

766年-158杜甫 《1822覽鏡呈柏中丞》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-158 <1030> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6830

杜甫  覽鏡呈柏中丞

渭水流關終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

起晚堪從事,行遲更學仙。鏡中衰謝色,萬一故人憐。

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

766-158杜甫 《1822覽鏡呈柏中丞》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-158 <1030> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6830

 

 

 
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 杜甫詩1500-1030-1528/2500

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

『覽鏡呈柏中丞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽鏡呈柏中丞

渭水流關,終南在日邊。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

起晚堪從事,行遲更學仙。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。
詩文(含異文)     渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學仙【行遲更覺仙】。鏡中衰謝色,萬一故人憐。


(下し文)

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

(現代語訳)
(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。


(訳注)

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

中丞  中国の官名。漢代には宮中の文書をつかさどり刺史を監督する官を,明・清代には巡撫(じゆんぶ)をいう。 中弁(ちゆうべん)の唐名。律令制で,太政官(だいじようかん)に属する弁官の一。大弁の次に位し,少弁の上位にあるもの。左右弁官局に各一名ずつ属す。

函谷関長安地図座標001 

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

渭水 渭水は甘粛省渭源県の西にある烏鼠同穴山を源流とする。陝西省咸陽市の南、西安市の北を流れて黄河中流の潼関で合流。全長818km 流域の盆地は渭河平原(関中)と呼ばれる。

 関中とは、中華人民共和国の地域である。函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地(同・渭河平原)の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

終南 陝西省の西安の南東にある山。古来、詩によく詠まれた。南山。又称中南山、南山、太乙山,一般指秦嶺山脈中段西境内,西は武功縣より起り,東は藍田縣に至る部分を言う。

日邊 晉の明帝が幼少の折、日と長安とどちらが近いかという問いに、太陽が遠(邊)いと答えた故事を言う。

 

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

豺虎窟 中原にいる盗賊ども、ことごとく山中に身を隠し出没している。

犬羊天 吐蕃をさす。豺虎・犬羊、竝に長安方面に就くことを言う。7659月、回紇ウイグル、吐蕃チベット連合軍が入寇している。

 

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

起晚 起きだして動き始めるのが遅い時間になることを言う。

堪從事 官職に従事することができかねる。

行遲 仙人は空を飛び、地上を歩くのも走り飛ぶけれども、杜甫初枝がいるほどであり、歩くのが遅い。

學仙 仙学を学ぶことも詮無きゆえにしないということ。

 

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

衰謝 衰えて、やつれること。

故人 旧知の人、この場合、柏中丞をさす。

長安付近図00 

 

 

<日邊>晉の明帝が幼少の折、日と長安とどちらが近いかという問いに、太陽が遠(邊)いと答えた故事について。

明皇帝諱紹,字道畿,元皇帝長子也,幼而聰哲,爲元帝所寵異。年數歳,嘗坐置膝前,屬長安使來,因問帝曰:「汝謂日與長安孰遠?」對曰:「長安近。不聞人從日邊來,居然可知也。」元帝異之。明日,宴群僚,又問之。對曰:「日近。」元帝失色,曰:「何乃異間者之言乎?」對曰:「舉目則見日,不見長安。」由是益奇之。

 明皇帝の諱は紹、字は道畿であり、元皇帝の長子である。幼いころから聡明で、元帝から特別に寵愛されていた。〔僅か〕数歳の頃、元帝と膝をつき合わせて坐っていた時、ちょうど長安からの使者がやって来たので、〔元帝は〕明帝に尋ねて言った。「お前は太陽と長安とどちらが遠いと思うか?」〔明帝が〕答えて言う。「長安が近いです。太陽の辺りからやって来たと言う人を聞いたことがありませんから、〔わざわざ行って見るまでもなく、ここで〕そのままにしていても分かります。」元帝は、これは優れた答えだと思った。翌日、官僚たちと宴会を開いて、また、このことを尋ねてみた。〔明帝が〕答えて言う。「太陽が近いです。」元帝は顔色を変えて言った。「どうしてこの前の答えと違うのか?」〔明帝が〕答えて言った。「目を挙げれば太陽は見えますが、長安は見えませんから。」こうして、ますます〔元帝は〕彼を優れていると思うようになった。

766年-144杜甫 《1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-144 <1016> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

南極

南極青山,西江白穀分。古城疏落木,荒戍密寒雲。

月蛇常見,風飆虎或聞。近身皆鳥道,殊俗自人群。

睥睨登哀柝,矛弧照夕曛。亂離多醉尉,愁殺李將軍。
(南の端、夔州の風土の悪いことをのべている。)

極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では自谷の支流が分かれてそそいでいる。古っぽい白帝城のあたりでは葉が落ちて木立の影がまばらになり、荒れた軍の屯所には冬空の雲が濃く群がっている。ここは年がら年じゅう蛇が出ているし、風飆の音につれて虎の声も時には聞こえてくる。見え掛かりの身に近いところはみな烏の通う崖路であり、異様な風俗をみてはこれでも人間の群かと怪しまれるのである。女牆には哀れな拍子木をうつ者どもがのぼり、夕日のくらがりには旗が照らされつつある。乱世にあたっては酔いどれの尉官などが多くいて、これには漢のあの李将軍というべき軍の長官さえもなやまされるのである。

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